近年選挙があった米国、英国、仏国では、急進左派の側からそのような「大きな政府」路線を掲げる候補・政党が現れ、一定の支持を集め
① 米国ではサンダース上院議員が民主党の大統領予備選において最後までヒラリー・ク
リントン氏に食い下がり
② 英国ではコービン氏が率いる労働党が健闘し、保守党が第一党の座を死守したものの
過半数割れに追い込み
③ 仏国ではメランション氏が大統領選で「4強」の一角として、最後まで決戦投票進出
の可能性を残していた。
政治体制論でいう大統領制は「大統領」という役職(国家元首)が存在しているという政治体制を指すという意味ではない。言い換えれば、役職の名称の如何を問わず、国家元首が以下のような性質を持っている場合に「大統領制」に分類される。
① 国家元首を(実質的 )直接選挙で選出する
② 国家元首は議会により、任命又は罷免させられない
③ 大統領と内閣との間に「二重の権威」を認めない。国家元首は内閣を指揮する
7.3.4.2.3. 成功例としての米国
「世界に冠たる民主主義国家」としての米国の名声は不動のように思える。勿論、人種差別など米国の民主主義にも問題がないわけではないが、「世界一の民主主義国家」として米国を挙げることに異を唱える人は少数派であろう。その米国が「大統領制発祥の地」であることから、「君主制の改良型」である議院内閣制よりも、民選の元首である大統領制の方が「民主的」であるとの「イメージ」も強い 。しかし、米国以外の大統領制は必ずしも「民主度」は高くない。サルトーリは米国の大統領制が成功している理由について、
① 思想的な無節操
② 脆弱で無期率な政党
③ 地域中心的な政党
の3つを挙げている 。
議院内閣制は、(米国)大統領制のように一人の人間に権力(行政権或いは執行権)が集中することを排除する政治形態である。この結果議院内閣制における首相の地位、権力については与党議員との関係に依るため、次の3つに分かれるとされている 。
① 非同輩者の上に立つ第一人者(a first above unequals)
与党議員から不信任を突きつけられる可能性がなく、閣僚を意のままに任免できる
② 非同輩者中の第一人者(a first among unequals)
閣僚を罷免することはできるが、自身は罷免されない
③ 同輩者中の第一人者(a first among unequals 或いは primus inter pares)
現在「ネトウヨ化」と並んで問題となっている「分断」であるが、その「分断」を食い止める或いはその分断を治癒できるための政治制度はどういうかを選択できる融通性を持った政治体制 を憲法にどのように規定するのかついて考察を行いたいと思う。
安定し、効果的な統治をもたらす政治体制は
① 大統領制においては、強い大統領による議会への働きかけで大統領への支持を調達
(大統領と議会との分裂からの統合)
② 議院内閣制では、強い首相による内閣(行政府)の与党からの独立性の確保
(首相と議会(与党)との融合から分離)
③ 反大統領制においては、政治状況に応じた大統領制と議院内閣制との「切り替え」
(状況に応じた大統領と首相(与党)との間の最適バランス)
ということになる。
現代においては、そこまで「粗い」ということは許されないであろう。少なくとも、
① 大統領制、半大統領制、議院内閣制のいずれか
② 国家元首について(非世襲≒大統領制、世襲≒君主制)
③ 政府の長(首相又は大統領)の任命資格及び任命手続政府の長と各閣僚との関係
④ 内閣の権限内閣の組織
⑤ 大統領弾劾或いは内閣不信任と議会解散
については憲法において規定されるべきであろう。
交代大統領制は政党政治の比較分析などとして世界的に高名なジョバンニ・サルトーリ氏の提案である 。サルトーリは「交代大統領制」の根幹制度を
① 政府は総選挙時に終了し、総選挙の結果発足する政府は議院内閣制である
② 内閣不信任の際は大統領が「超然内閣」を組織する(大統領制への移行)
③ 大統領は直接選挙により有権者の過半数で選出され、任期は議会の任期と一致する。
とする。
サルトーリは、これにより、議院内閣制と大統領制との間での「体制の均衡」が成立するとしている。その理由として
① 議員は倒閣運動に参加しても閣僚になれない
② 「政府の長」としての大統領には再選がない
としている。
但し、第一次大隈内閣と第二次山縣内閣は1900年体制確立のための前段階(移行期)とした方が正確かもしれない。というのも、
① 第一次大隈内閣の与党となった憲政党は大隈の改進党と板垣の自由党との合同に元老
が政権担当意欲をなくしたための「突発的」政権交代であり、「体制」とまで制度化され
ていなかったこと
② 第二次山縣内閣は松方、西郷といった元老が閣僚として名を連ねており、「最後の藩閥
内閣」
という性格も持つ
ということから、純然たる1900年体制とは言い難い面がある。この点に配慮して、本稿では、この両内閣を「第0期」としている。
このように「現役軍人首相」が不可能な制度設計であったのにも拘らず、
① 「山縣スタイル」が発生したのはなぜか
② 「現役軍人首相」がなぜ日本では「平穏無事」に成立したのか
③ 「文民・文官」首相ではなく、現役軍人首相がなぜ選択されたのか
という「1900年体制」を生み出した理由について考察していきたい。
「将官」以上に限定するもう一つの理由は大臣の任用資格との関係である。大臣のにんよう資格については、
① 軍部大臣の任官資格が中将以上
② 軍部大臣を含め国務大臣は親任官
とされていることから、それとの均衡上必要とされる「軍歴」は中将以上である。百歩譲って、「軍歴+α」の「合わせ技一本」で大臣に任用される場合であっても、「軍人政治家」と称されるに足る軍歴として将官以上の軍歴は必要となる 。
つまり、
① 事実上の大統領制:元老である彼らが現役の政治家として首相(閣僚)となっている
時代。所謂「超然内閣」(図3の「レベル2」或いは「レベル1 」)
② 事実上の議院内閣制:政党内閣の下で、彼らの存在が名目的(図3の「レベル4」)
③ 事実上の半大統領制:元老(特に山縣)が健在の政党内閣(図3の「レベル3」)
となる。
原内閣は、初の「本格的」政党内閣と言われることがある。これは、それまでの「政党内閣」は、
① 短命内閣(1年未満):第一次大隈内閣、第四次伊藤内閣
② 軍部大臣及び外務大臣以外の閣僚にも与党員ではない閣僚が存在
(第一次、第二次西園 寺内閣、第三次桂内閣、第一次山本内閣、第二次大隈内閣)
であったことから、大手を振って「政党内閣」と呼称することを憚られる事情が存在したからである。