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日本茶掲示板同窓会

233キラーカーン:2018/02/27(火) 23:25:30
8.3.4.6.3. 政党と軍とのパワーバランスの変化(軍部大臣武官制撤廃問題他)

 軍部大臣武官制撤廃は、大正政変の際にも「政変の元凶」として問題となったが、結局現役武官制の撤廃に留まった。しかし、非現役武官は政党員の資格があるので、非現役大中将まで軍部大臣任官資格を拡張すれば政党員の軍部大臣も可能となるという点において大きな意味を持つ改正であった。

 軍部大臣は閣僚の一員とはいえ軍の代表という側面もあるため、軍部大臣の任用資格は1900年体制の主役である山縣閥と政友会の権力バランスの決定する大きな要素である。第一次山本内閣で副総理格の内相として文官任用令の改正により政治的任用職を拡大し、軍部大臣現役武官制を軍部大臣武官制に改正した当事者でもあったことから、自身が首相である原内閣が軍部大臣の任用資格についてをどのように扱うのかは注目を集めていた。

 当時は軍部大臣現役武官制ではなかったため、原内閣では予備役或いは後備役の大中将の軍部大臣を起用するのではないかという観測もあった 。しかし、原は現役の田中義一を指名した。これは、山縣以下の陸軍と決定的な対立を避け、陸相を通じて陸軍を統制しようとする原首相の姿勢を示すものであった 。

 それから時は流れて、「本格的政党内閣」となった原内閣は、第一次大戦後の世界情勢の変化を見据え、他国間協調主義そして対米協調主義に舵を切るべきだと考えていた。そうした折、ワシントン軍縮会議が開催されることとなり、日本からの全権として加藤友三郎海軍大臣が出席することとなった。

 海軍大臣が長期にわたって不在となることから、(正式な肩書はともかく)海軍大臣臨時代理の任命が避けられない情勢であった。軍に対する政治側の優位を確立しようとする原政友会は勿論のこと、海軍における軍政面の責任者である加藤海相自身も軍部大臣に武官でない者が就任すること(軍部大臣文民制度)もあり得るとの考えを持っていた。

 結局、敗戦までに文民海軍大臣は実現しなかったが、原首相が海軍大臣事務管理に就任した。事務管理とはいえ、事実上の「文民海軍大臣」が現実のものとなった 。原首相が暗殺されたため、原内閣での文民軍部大臣問題はここで突然の終焉を迎えることとなった 。しかし、この問題は以後も政軍関係上の重要問題としてくすぶり続ける。

 軍部大臣任用資格の他に政軍関係上重要な制度改正としては、朝鮮、台湾領総督に武官でない者(所謂「シビリアン」)の任用が可能となったことである。原内閣で両総督の任用資格が改正されるまで、両総督には現役将官が任命されてきた 。原内閣はこれを改正し、両総督に文民或いは文官を任用することを可能とした 。勿論、これまで通り、現役武官からの任用も可能であった。以後、朝鮮総督は非現役大将の任命はあったもの、文民や文官からの任用は敗戦までなかったが、台湾総督には文官総督が実現した。


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