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日本茶掲示板同窓会
232
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キラーカーン
:2018/02/27(火) 01:15:49
8.3.4.6.2. 原内閣と陸軍
原内閣は、初の「本格的」政党内閣と言われることがある。これは、それまでの「政党内閣」は、
① 短命内閣(1年未満):第一次大隈内閣、第四次伊藤内閣
② 軍部大臣及び外務大臣以外の閣僚にも与党員ではない閣僚が存在
(第一次、第二次西園 寺内閣、第三次桂内閣、第一次山本内閣、第二次大隈内閣)
であったことから、大手を振って「政党内閣」と呼称することを憚られる事情が存在したからである。
しかし、原内閣は、そのような政党内閣を称することを「憚る」事情が存在しない初の内閣でもあった。また、原は初の平民(華族ではない≒爵位を持たない )の総理大臣となったことから「平民宰相」 との異名を持つ。そのような経歴も「本格的政党内閣」という原内閣の性格を強化することに繋がっている。
1900年体制の主役である政友会と山縣閥を率いる者として原と山縣は当然のことながら政治家としては対立関係にある。原の首相指名についても、山縣は最後まで抵抗している。このため、陸軍対策として、原は筆頭元老でもある山縣と田中陸相との二正面作戦を展開した。結果として原首相は陸軍の統制に一応の成功をおさめた。
陸軍の側も、第一次世界大戦が「総力戦」となった現実を踏まえ、政党との協力関係を構築する必要を感じていた。政党は国民だけではなく、経済界も統合する実力を持つ。三菱財閥は大隈や加藤高明を通じて憲政会と密接な関係にあった。一方、三井財閥は井上馨(政友会設立に関与)及び西園寺公望(実弟が住友家の当主)を通じて政友会と密接な関係にあった。
総力戦を遂行するためには、政党の国内各勢力を束ねる能力を利用すべきだという見解が陸軍内でも発言力を増していった 。このため、陸軍は首相の座には拘らず、陸相を通じて政党内閣を「裏から」利用した方が都合がよいとの考えも出てきた。特に原内閣のような強力な政党指導者が組織する政党内閣に対して真っ向からの対立姿勢を採るということも、政治力学上困難であった。これに、ワシントン軍縮会議への海軍大臣出席に際しての海相代理問題に端を発して、軍部大臣武官制の撤廃まで具体的な検討になっていった。
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