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日本茶掲示板同窓会
237
:
キラーカーン
:2018/03/04(日) 00:52:19
8.3.4.7.3. 山縣の死去と山縣閥の終焉
非選出勢力の主力ともいうべき山縣閥も転換期を迎えていた。第一次世界大戦が「総力戦」であったことから、政党の持つ民衆統合機能を活用し軍は政党を支援して総力戦体制を構築すべきという考え方が、後に「統制派」と呼ばれる軍人から出てきた 。
この考え方によれば、最早「現役(陸軍)軍人首相」に拘泥する時代ではないということになる。原内閣における田中陸相のように、強力な指導力を発揮できる(文民)首相と協調して(陸軍の組織的利益を確保することは前提としつつも)軍政優位の立場から総力戦体制を構築することが最適解となる。これは、「1900年体制」からの離脱に他ならない。
さらに、1900年体制というよりも大日本帝国憲法体制の保証人でもあった筆頭元老の山縣も天寿を全うし鬼籍に入る。山縣の死の直前には大隈も鬼籍に入っており、「元勲元老(格)」も過去のものとなりつつあった。政界、官界、陸軍を束ねる「扇の要」であった山縣が没すると、山縣閥自身が陸軍と官界・政界(貴族院勢力)に分割され、前者は「首相輩出勢力」から一歩身を引いた形となった 。
このようにして、1900年体制の一方の主役であった山縣閥はその歴史的使命を終えた。それは、別の観点から見れば、国家体制整備が完成の域に達し、「元勲」や「元老」という属人的な統合ではなく、国家組織に基づいた統合或いは「縦割り」という時代に移行したともいえる。
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