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日本茶掲示板同窓会
227
:
キラーカーン
:2018/02/24(土) 02:30:59
8.3.4.5. 第2期:「変動の時代」(第一次山本内閣から第二次大隈内閣)
8.3.4.5.1. 総説
桂園時代を支える基盤であった山縣閥と政友会との「棲み分けと相互依存」による政権寡占状態は大正政変で変動を余儀なくされた。当時、桂の権力基盤である山縣閥と西園寺の権力基盤政友会が非選出勢力と選出勢力を代表する二大勢力であったのは言うまでもないことであるが、非選出勢力及び選出勢力双方にそれ以外の「第二勢力」が存在した。非選出勢力においては海軍であり、選出勢力であれば大隈系(憲政本党⇒桂新党⇒同志会⇒憲政会⇒民政党)であった。この時点で桂園という二極体制は山縣閥+海軍(非選出勢力と政友会+同志会(選出勢力)という「2+2体制」へと変化した。
大正政変で打撃を受けた山縣閥及び政友会が首相を輩出することが不可能となり、『正調』1900年体制が継続していれば首相になれるはずもない山本(海軍)及び大隈に首相の座が回ってきた。しかし、首相を輩出したとはいえ、海軍も同志会も独力で内閣を組織できるだけの力はなかった。このため、山本も大隈も山縣閥か政友会のいずれかを提携相手として選択しなければならなかった。桂園時代からの因縁もあり、山本は政友会を選択し、大隈は山縣閥を選択した。
このように、大正政変の結果を受け、非選出勢力(現役軍人首相)と選出勢力(政党党首)との間の政権交代構造という1900年体制の大枠は維持しつつ、二大勢力である山縣閥或いは政友会のいずれからも首相を輩出できなかったという点で、この時期は「変動の時代」といえる。
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