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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1690よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 05:27:28 ID:KQ3kBsB20
「お化け」キタを練り歩き お水汲み祭り
2014.2.3 21:07
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140203/waf14020321100040-n1.htm

 大阪・キタの歓楽街北新地や堂島薬師堂で、節分の3日、早春の風物詩「節分お水汲み祭り」があり、飲食店従業員らが「お化け」と呼ばれる仮装をして街を練り歩いた。

 堂島薬師堂では、商売繁盛や1年の厄払いを願って、奈良・薬師寺で祈願を受けた「お香水」をくむ参拝客が相次いだ。

 北新地には節分の夜に鬼をやり過ごすために女性たちが仮装する花街の風習が伝わる。活性化に向け、祭りが平成16年に現在の形になって11回目。

1691よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/04(火) 22:16:53 ID:NnhhKoe20
文楽人形遣いの吉田玉女さん、来春に二代吉田玉男を襲名
2014.2.4 17:13
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140204/wlf14020417160013-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女(たまめ)さん(60)が来年4月、師匠で人間国宝だった吉田玉男さんの名跡を継ぎ、二代吉田玉男を襲名することが決まった。4日、文楽協会などが発表した。

 「吉田玉男」の名跡が復活するのは平成18年9月に玉男さんが亡くなって以来、9年ぶりとなる。襲名披露公演は来年4月に国立文楽劇場(大阪)で、同5月には国立劇場小劇場(東京)で行われる。演目は未定。

 初代玉男さんは知的で品格の高い芸で、戦後を代表する立役(男役)の人形遣いとして活躍。「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」の大星由良助(おおぼしゆらのすけ)、「曽根崎心中」の徳兵衛など、時代物から世話物まで幅広い役どころを勤めた。昭和52年に人間国宝に認定されたほか、平成12年には文化功労者に。その後も87歳で亡くなるまで舞台に立ち続け、多くのファンを魅了した。

 玉女さんは、昭和43年に入門した玉男さんの一番弟子。立役を中心に修業を積み、若いころから次代のホープとして注目されてきた。近年は由良助をはじめ、師匠の当たり役を次々と継承。特に骨太の時代物の主役の武将などを得意とし、存在感を見せている。平成24年、伝統文化ポーラ賞優秀賞を受賞。

 玉女さんは「偉大な師匠の名跡を継がせていただくことに、とまどいもありますが、師匠に少しでも近づけるよう頑張っていきたい。厳しい話題の多い文楽ですが、襲名を通して盛り上げていければと思っています」と抱負を語った。

1692よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/05(水) 23:14:19 ID:I6iCzs6o0
「ニサンザイ古墳」の後円部直径 10メートル超の“拡大”…全長300メートル超の可能性も
2014.2.5 22:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140205/wlf14020522540026-n1.htm

 宮内庁が陵墓参考地として管理する国内8番目の大きさの前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、堺市北区)の後円部の直径が、これまでの測量値より10メートル以上大きい約170メートルになることが分かり5日、堺市文化財課が発表した。今後の調査によっては全長も測量値の290メートルを超え、300メートル以上の結果が得られる可能性もあるという。

 調査では、墳丘の中心線から90度の位置にある後円部北側の周濠を発掘。周濠内の墳丘の端が確認され、直径を推定した。ニサンザイ古墳の後円部直径は、大正15年の測量で156メートルとされていた。

 また、墳丘の斜面には、約20〜30センチ大の葺(ふ)き石がまばらな状態で見つかった。市文化財課は「畿内の大型古墳では葺き石は6世紀ごろの築造になるとまばらになっており、『簡素化』が5世紀後半まで遡(さかのぼ)ることが伺える」としている。

1693よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/10(月) 00:39:50 ID:UhtU84TQ0
ニサンザイ古墳 後円部直径170メートルと確認
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140206-OYT8T00034.htm

.◇堺市、「定説」より14メートル大きく

 堺市の前方後円墳・ニサンザイ古墳(5世紀後半)について市は5日、後円部が直径約170メートルだったと発表した。濠(ほり)の水を抜いて行った調査で、長らく信じられてきた規模より、約14メートル長いことがわかったという。

 世界文化遺産の登録を目指している「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に含まれる古墳。皇族が埋葬されている可能性があるとされる。市が昨年12月から後円部北側で濠の水を抜き、ヘドロを取り除いたところ、従来の規模を上回る墳丘の裾部分が確認された。

 これまで後円部の直径は、当時の宮内省が1926年に行った測量で、約156メートルとされていた。

 同古墳については2012年11月、国内8番目の約290メートルとされてきた全長が、300メートル以上とみられることがわかっている。

 今回の調査では、墳丘の葺石(ふきいし)がまばらに敷かれていることも確認。市は「古墳築造のピークが過ぎ、葺石の敷き方が簡素化されたのではないか」とみている。

 後円部の正確な直径が判明したことについて、奈良県立橿原考古学研究所の宮川?(すすむ)・共同研究員は「古墳の正確な大きさがわかることで、当時の周辺王族との力関係をみる参考となる」と話す。

(2014年2月6日 読売新聞)

1694よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/11(火) 21:08:02 ID:I87QlkLc0
城東区の若宮八幡大神宮 75年ぶりに遷宮
2014年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140209/20140209025.html

 同宮は1939(昭和14)年に建てられ、周辺住民に親しまれながら地域を守り続けてきた。しかし老朽化に伴い雨漏りや白アリにむしばまれるなど、社殿の痛みがひどくなり、榊原宮司(50)が2008年4月から常駐して以降は修理の必要性に迫られていた。「いつかはやらなければいけない」と、時期をうかがいながら準備を進めていた。

 本格始動は昨年1月。準備委員会を発足させ、「少しずつ修理して10年後にまた修理というのではなく、やるからには思い切ってやりたい」という思いを氏子総代らと共有。約6千万円を投じて銅板の屋根をふき替えるなど「御社殿大修理」にこぎ着けた。

 遷座祭当日は榊原宮司がご神体を抱き、白い幕で囲って仮住まいとなる参集殿の床の間にしつらえた神座に遷す。2時間ほどの儀式となる予定で、榊原宮司も「宮司としても一生に一度あるかないかのご奉仕」と緊張を隠さない。同宮にとっても歴史の一ページとなる儀式で、「神様と息が合わないとできない」と一世一代の儀式に臨む。

 現在の屋根の銅板は青緑色のさびで覆われるなど歴史を誇り、貫禄を醸している。文献などが残っていないため、今の屋根の銅板に当時奉納した人の名前が刻まれているかは不明だが、今回、銅板は一口3千円から奉納可能で、名前を書いた銅板が御社殿の礎となり、歴史に名を刻むことができる。完成は9〜10月の秋口を見込む。

 「遷宮は地元の人たちにも関わってもらい、さらに地域に根差していきたい」と榊原宮司。地域のパワースポットとして「もっと親しんでもらえたら」と話していた。

 昨年は伊勢神宮(三重県)や出雲大社(島根県)でご神体を遷(うつ)す「式年遷宮」が執り行われ、パワースポットとして広い世代で脚光を浴びたが、大阪市城東区蒲生4丁目にある「若宮八幡大神宮」(榊原孝和宮司)でも、75年ぶりに遷宮が行われることになった。社殿の大修理に伴いご神体を移動させる儀式「仮殿遷座祭」が9日午後6時から執り行われる。

1697よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/16(日) 10:48:04 ID:o9q/qwS20
堺環濠都市遺跡で17世紀の羽子板など出土
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140214-OYT8T01637.htm

◇「豊かな暮らしうかがえる」

 堺市の堺環濠(かんごう)都市遺跡(堺区櫛屋町)で、安土桃山時代〜江戸初期(16世紀末〜17世紀初頭)とみられる羽子板(長さ39センチ)や下駄(げた)(同21・2センチ)などの遊具や生活用品が出土し、市が14日、発表した。発掘場所は当時の堺の東側に当たる町外れだが、瀬戸(愛知県)や唐津(佐賀県)で生産されたとみられる陶磁器片も見つかっており、市文化財課は「当時、堺で暮らした人々の豊かな生活ぶりがうかがえる」としている。

 市立殿馬場中学校の校舎改築工事に伴い、昨年12月から約800平方メートルを調査。溝(長さ10メートル、幅0・6〜1・2メートル、深さ0・3メートル)などから、羽子板のほか、水指や茶わん、箸、漆器片、陶磁器片などが見つかった。羽子板は同遺跡では2例目で、片面に朱色の顔料を塗ったような跡があった。いずれも、使用後に廃棄したと考えられる。

 堺環濠都市は、堺旧市街地に広がる中世後期の湾岸都市。貿易港として繁栄したが、大坂夏の陣(1615年)の戦火で壊滅、江戸時代に再建された。今回の出土品は壊滅前のものとみられる。市は発掘調査の工期に余裕がなく、現地説明会は行わないとしている。

(2014年2月15日 読売新聞)

1698よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/18(火) 22:22:29 ID:CzPdrf8A0
5世紀の甲冑ずらり…大阪大が「倭の五王」展
2014.2.18 16:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140218/wlf14021816520023-n1.htm

 5世紀の甲冑がずらり−。大阪府豊中市の大阪大総合学術博物館待兼山修学館で、保存修復処理が終わった野中古墳(大阪府藤井寺市)の鉄製甲冑などを展示する「野中古墳と『倭の五王』の時代」が開催されている。3月22日までの午前10時半〜午後5時。無料。日・祝日は休館。

 野中古墳は、世界遺産登録を目指す古市古墳群のほぼ中央にある5世紀の中型方墳で、1辺37メートル。昭和39年に大阪大が発掘、大量の鉄製品など出土し中国の歴史書に記された「倭の五王」が活躍した5世紀を代表する史料として評価されている。

 11セット見つかった甲冑のうち、三つは襟がつき、全国的にも珍しいタイプ。

 発掘後に甲冑は薬品が塗られて、光沢が出るなどの弊害があったが、今回の保存処理で出土当時の姿がよみがえった。

1699よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 03:26:40 ID:bRoCc6rs0
金堂 南北11.84メートル、東西13.52メートル
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140218-OYT8T01514.htm

. ◇高宮廃寺跡 基壇を確認

 寝屋川市高宮の高宮廃寺跡(7世紀後半、国史跡)で金堂の「基壇」の一部と柱の礎石跡が出土し、市教委が18日、発表した。1979年に同廃寺の伽藍(がらん)の位置などを確認して以来、35年ぶりの発掘調査で、これまで不明だった金堂の正確な規模が確認された。

 今回の発掘調査は、同廃寺跡を整備、活用することを目的に、今年度から16年度までの予定で実施する。

 今回、新たに出土したのは金堂北東角の基壇と西側の柱の礎石跡。基壇はこれまで南西、南東角でも確認されており、今回の発見で大きさが南北11・84メートル、東西13・52メートルと確定した。礎石跡は建物西側の2か所で確認された。

 現地説明会は23日午後1時半から。問い合わせは市文化スポーツ振興課(072・824・1181)へ。

(2014年2月19日 読売新聞)

1700よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/23(日) 15:42:47 ID:dAQqKbvo0
地下ホールに豊臣期の石垣…大阪城16年公開へ
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140222-OYO1T00255.htm?from=newslist

 豊臣秀吉時代の大坂城の石垣を公開する事業で、大阪市は21日、現大阪城(大阪市中央区)の本丸内に整備する公開施設の概要を発表した。大坂夏の陣から400年となる2015年に着工、16年の完成を目指す。事業費の一部には、市と読売新聞大阪本社が共同で進めている「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を充てる

 豊臣期の石垣は本丸の地下に埋もれており、現在発掘調査が進んでいる。

 施設は地上、地下の2層。石垣を展示する地下階のホールでは豊臣期の地層(深さ7メートル)から高さ6メートルの石垣を間近で見上げ、触ることもできる。石垣に連なる形で豊臣期の天守閣のイメージ映像も投影し、壮大なスケールをよみがえらせる。

 一方、出入り口のある地上階のガイダンスルームでは、豊臣、徳川両時代の大坂城の模型やパネルのほか、太閤なにわの夢募金の100万円以上の寄付者の記念芳名板、10万円以上の氏名板などを展示する。

 豊臣期の初代大坂城は夏の陣(1615年)で落城。徳川幕府がその上に2代目大坂城を再建し、現在の石垣はこの時に築いた。

 一方、地中に埋もれた豊臣期の石垣は、自然石を加工せずに積み上げる「野面積(のづらづ)み」と呼ばれる工法で築かれており、これまで、公開施設の場所を含め、数か所で見つかっている。

 太閤なにわの夢募金の目標額は5億円で、1月末現在で約2300件、計約7600万円が寄せられている。個人の場合は「ふるさと納税」の対象となり、所得税、住民税の控除を受けられる。また1万円以上の寄付者には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」の贈呈もある。

 大阪市の担当者は「多くの方の支援を得て、秀吉と大坂城の激動の歴史物語を肌で感じてもらえる施設にしたい」としている。問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2014年2月22日 読売新聞)

1702よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:15:19 ID:u7lBKGbE0
前期難波宮の造営は7世紀前半、「年輪セルロース酸素同位体比法」で確定 日本書記と一致 地球研・文化財センター公表
2014.2.24 21:26
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140224/wlf14022421280022-n1.htm


 前期難波宮跡(大阪市中央区)から出土した柱2本の伐採時期が7世紀前半だったことが、新たに開発された年輪セルロース酸素同位体比の年代測定法よって分かり24日、大阪府文化財センターが公表した。日本書紀に記された難波宮の造営時期とほぼ一致した。この測定法による世界初の実証例で、歴史資料の年代決定に大きな進展をもたらす可能性がある。

 前期難波宮は、大化改新につながる「乙巳(いっし)の変」(645年)を機に飛鳥から遷都し、652年に完成した。柱は平成16年、大阪府警本部の新築の際に出土した。直径約30センチのコウヤマキで、宮域の北限を東西に延びる塀を支えていた。

 年代を確定できる遺物が乏しく、同センターは当初、気候によって変動する年輪幅から木材の伐採年代を求める「年輪年代法」の適用を目指した。紫香楽宮(しがらきのみや)(滋賀県甲賀市)や池上曽根(いけがみそね)遺跡(大阪府和泉市)の造営年代を確定させた手法だが、測定可能な樹種がスギやヒノキなどに限られ、一定の樹齢以下のコウヤマキでは困難だった。

 ところが近年、総合地球環境学研究所(京都市北区)の中塚武教授が、木材の主要成分であるセルロースに含まれる3種類の酸素の「同位体比」値を年輪ごとに測定できる年輪判定法を開発。2本の柱で試みたところ、最も外側に残る年輪はそれぞれ583年、612年と確定した。

 伐採年が分かる樹皮部分は残っていなかったが、612年の方は年輪の形状から樹皮近くまで残っていると判断、2本とも612年から間もない時期に伐採されたとみられるという。

 同センターの江浦洋事務局次長は「前期難波宮の造営の時期を決める科学的データを得られた意義は大きい。応用範囲も広く、古代史の謎が解き明かされる夢がある」と話している。

難波宮

 大阪・上町台地上に造営された古代の都宮。「乙巳の変」(645年)後の難波長柄豊碕宮(なおがらとよさきのみや)を前期難波宮といい、のち天武天皇も副都とした。これに対し、聖武天皇が神亀3(726)年に造り始めたのが、後期難波宮。2つの宮跡は重なり、考古学者の山根徳太郎氏によって遺構が確認された。近くからは西暦648年をあらわず「戊申(ぼしん)年」銘の木簡も出土している。

年輪セルロース酸素同位体比法

 酸素原子には重量の異なる3種類の「安定同位体」がある。木材のセルロース(繊維)中の酸素同位体の比率は樹木が育った時期の気候が好天だと重い原子、雨が多いと軽い原子の比率が高まる。酸素同位体比は樹木の枯死後も変わらず、年輪ごとの比率を調べれば過去の気候変動パターンが分かる。これを、あらかじめ年代が判明している気温の変動パターンと照合し、伐採年代を1年単位で確定できる。

1703よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/02/24(月) 23:34:07 ID:u7lBKGbE0
扇子手に軽やか 大阪天満宮にすずめ踊り奉納
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140224-OYT8T00011.htm

 約400年前に堺の石工たちが始めたと伝わる「すずめ踊り」が23日、大阪市北区の大阪天満宮で奉納された。参拝客が集まる本殿前で、法被姿で扇子を手にした踊り手や太鼓、笛など「堺すずめ踊り連盟」(堺市堺区)の会員約40人が、扇子を広げて跳びはねる軽やかな踊りを披露した。

 1603年、青葉城(仙台市)の築城を祝う宴席で、石垣工事に従事した堺の石工たちが、藩主の伊達政宗に即興で披露したのが起源とされる。跳ね踊る姿がすずめに似ており、仙台の伝統芸能として引き継がれてきた。

 同連盟は約10年前に堺で踊りを復活させ、本場の「仙台・青葉まつり」で披露。天神祭の船渡御を迎える船に飾られる「お迎え人形」の中に「すずめ踊り」がある縁で、同天満宮でも2年前から奉納している。

 同連盟の松村進一会長(31)は「東日本大震災の復興を願い、様々な行事で踊っていきたい」と話した。

(2014年2月24日 読売新聞)

1707よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/07(金) 21:17:27 ID:hhmlCOPQ0
太閤の石垣、ファン熱視線…大阪城で公開始まる
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20140307-OYO1T00742.htm

 国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)の地下から発掘された豊臣期大坂城の石垣の一般公開が7日始まり、多くの歴史ファンでにぎわった。9日まで。

 石垣は1984年の水道管の取り換え工事に伴って発見。調査後いったん埋め戻されたが、2016年に公開施設をつくるため、30年ぶりに発掘された。

 この日は、午前10時の公開開始と同時に約60人が集まり、その後も大勢の人たちが訪れた。大阪文化財研究所の担当者から「野面積(のづらづ)み」という技法が用いられていることなどについて説明を受けた後、熱心に見入り、写真を撮っていた。

 大阪市住之江区の会社員鎌田英雄さん(57)は「大坂夏の陣の頃と同じ風景を目の当たりにして感動した。公開施設の完成が楽しみ」と話していた。

           ◇

 読売新聞大阪本社は公開施設の資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」を、市と共同で実施している。問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

(2014年3月7日 読売新聞)

1708よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 13:29:05 ID:IrwYCgVQ0
金熊寺で梅林見ごろ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140309-OYT8T00074.htm

 白梅を中心に約2000本が植えられ「大阪みどりの百選」に選ばれている泉南市の金熊寺(きんゆうじ)梅林で、梅が見頃を迎えた。訪れた人は、山あいを埋め尽くす白や桃色の花が風に揺れている間を散策したり、写真撮影をしたりと楽しんでいる。

 約270年前から栽培される白梅を中心に、段々畑に連なるように植えられている梅林。周辺住民が組合を作り遊歩道を整備したり、交配をして種類を増やしたりして、管理している。

 今年は冬の冷え込みが厳しく平年より1週間程度開花が遅れたが、金熊寺梅林組合の福本寛組合長(79)によると9日頃に満開になるといい、「満開後も1週間は楽しめる。ぜひ、足を運んで」と話している。問い合わせなどは市産業観光課(072・483・8191)へ。

(2014年3月9日 読売新聞)

1709よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/09(日) 16:49:56 ID:6nt42Sw60
秘仏も開帳、地域と信仰再生へ 「十六羅漢祭」のにぎわい取り戻せ 大阪・貝塚
2014.3.8 15:25
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140308/wlf14030812480018-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140308/wlf14030812480018-n2.htm

 白鳳時代(645〜710年)の開基とされる吉祥園寺(きっしょうえんじ)(真言宗御室派)がある大阪府貝塚市王子地区の住民が、寺に伝わる秘仏「十六羅漢(らかん)画像」を開帳する春祭り「十六羅漢祭」のにぎわいを取り戻そうと、初めての“例大祭”を今月16日に開催することになった。住民の高齢化などで担い手が減少するのに伴って年々規模を縮小せざるを得なかったが、「このままでは廃れてしまう」と、地域と寺が協力して立ち上がった。

 矢野寛耕住職(56)によると、十六羅漢画像は吉祥園寺に伝わる掛け軸の秘仏で、室町中期の画僧・兆殿司(ちょう・でんす)の筆とされる。大和絵系と呼ばれる技法で描かれており、現存する羅漢図では国内で2番目に古いうえ、16幅がそろっているのは全国的にも珍しく、市の文化財にも指定されている。

 地元の口伝などでは、秘仏を開帳する羅漢祭の始まりは1500年代後半の安土桃山時代。その後、五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する祭りになったが、江戸末期に中止したところその年泉州地域に疫病がはやり大飢饉(ききん)が起こったことから翌年復活。以降は無病息災なども祈願して実施されてきた。

 地元住民によると「戦前までは泉州一円から人が集まり、縁日の店もずらりと並ぶ盛大さで、『春の羅漢さん、秋のだんじり』と言われた」という。

 吉祥園寺は長らく無住寺だったため、地元住民が「十六羅漢講」という団体をつくって寺を支えてきたが、近年は若者の地元離れなどもあって担い手が減少。ここ十数年は、一部の住民が参加して法要を営む程度になっていた。

 今年は、もともと人気の高い恒例行事だった福引を復活。特別祈?(厄よけ、交通安全など)や願い事などを書いたのぼり奉納なども実施する。さらに地元のイベントともリンクし、貝塚市のゆるキャラ「つげさん」も参加し、グッズの販売をするなどお年寄りから子供までが楽しめる祭りにするという。

 矢野住職は「数百年も続いた行事を途絶えさせるわけにはいかないという地域の熱い思いが伝わってきました。これから手を取り合って、十六羅漢祭を盛り上げていきたい」と話している。問い合わせは吉祥園寺((電)072・423・1654)。

(藤浦淳)

      ◇

十六羅漢 仏教用語で聖者を意味する阿羅漢(あらかん、羅漢)のうち、仏法を守り、衆生(しゅじょう)を正しく導くことを誓った釈迦の16人の弟子(カナカバッサ、スピンダなど)をさす。仏像や石仏、絵画などとして全国各地に存在し、信仰を集めたり観光名所となったりしている。

1710よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/13(木) 22:04:14 ID:dy5AzadQ0
大阪の模擬原爆被害知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140311-OYT8T00046.htm

◇大空襲「語る会」久保さん 証言集を復刊

 1945年の広島・長崎への原爆投下直前、米軍が「訓練」として投下した模擬原爆で被害を受けた大阪市東住吉区田辺の住民たちの証言集が、戦争体験者の手で復刊された。初版は約20年前に出版されたが、その後、散逸して1冊しか残っておらず、失われつつある模擬原爆の記憶を後世に伝えたいと再編集した。(南部さやか)

 復刊したのは、「大阪大空襲の体験を語る会」代表の久保三也子さん(84)(大阪市福島区)で、自らも45年3月の大阪大空襲を経験している。

 模擬原爆は、B29爆撃機が投下後の衝撃に巻き込まれずに飛行するための訓練用として、実物と同じ重さ(5トン)で製造、火薬が詰め込まれた。45年7〜8月には全国約30都市の工場などを標的に、計50発が使用され、東住吉区田辺では7月26日午前9時26分、投下された。

 大阪市が戦後作成した資料によると、この時の爆撃の被害は死者7人、重軽傷者73人、被災家屋486戸にのぼったという。

 模擬原爆の存在は、91年に「春日井の戦争を記録する会」(愛知県)が、国立国会図書館(東京都)で米軍の資料を調査して明らかになった。当時、久保さんら、語る会のメンバー5人も田辺地区で体験者を捜し求め、2年がかりで23人分(男性15人、女性8人)の証言を集めて、93年に1000部を出版した。

 〈なんの予告もなく、ザーという落下音とともにすさまじい地響きがして、家の窓ガラスが音を立てて粉々に割れた〉〈直爆した料亭は跡形もなく、付近の家もつぶれ、大きな穴があいていた〉〈真黒な砂煙で夜のように暗くなった〉

 〈あちこちで、血で黒く染まった人が歩いていた〉〈人々が「新型爆弾や」と騒いでいた〉。体験者の証言はいずれも悲惨な状況を生々しく語っていた。

 しかし、その初版も、持っていた人が亡くなって廃棄されたり、散逸したりし、久保さんの手元にも1冊しか残っていない。証言した人の多くも亡くなり、調査をしたメンバーも久保さん以外は他界している。

 久保さんが復刊を思い立ったのは、「模擬原爆を知りたい」という研究者や教育関係者らが最近増えたことがきっかけだ。残った1冊をもとに今回、全国各地で50発を投下した米軍の訓練記録の一覧を追加して再編集し、300部(A5判、35ページ)を出版した。

 久保さんは「証言者が高齢化で少なくなる中、改めて模擬原爆の事実を知ってほしい」と話し、今後、ピースおおさか(大阪国際平和センター)などに寄贈する予定。一部は、希望者にも提供するという。

 模擬原爆を確認した「春日井の戦争を記録する会」のメンバーで元中学教諭の金子力さん(63)は「模擬原爆の被害があったことは、広くは知られていない。正確な投下場所や被害人数も分からない点があり、実際に見た住民の証言は非常に貴重だ」と話している。

(2014年3月11日 読売新聞)

1711よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/13(木) 22:33:24 ID:dy5AzadQ0
大阪大空襲から69年 当時の生徒ら出席し“幻の卒業式”
2014.3.13 21:46
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140313/wlf14031321510041-n1.htm

 大阪大空襲から69年となる13日、大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)で、当時の国民学校の生徒を対象とした“幻の卒業式”が行われた。第1回大空襲は昭和20年3月13日深夜から14日未明にかけて。14日は同市内の多くの国民学校で卒業式が予定されていたが、空襲直後で開催できなかった。

 この日は、当時の国民学校の生徒で卒業式を迎えるはずだった3人が出席。同館の岡田重信館長が、当時の国民服姿で卒業証書を手渡した。

 桜川国民学校(浪速区)に在籍していた大阪府岸和田市の田中(旧姓・川本)芳子さん(81)は、証書を受け取り「当時のことを思い出しました」と感極まった様子。空襲時は近所の子供たちと学校に逃げ込んで難を逃れたという。「学校を休んだことがなく皆勤賞だったので、卒業式が迎えられなかったことが心残りだった。ほっとした」と話してた。

1712よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/14(金) 19:27:17 ID:vLSSQSuA0
常光寺本堂など 市文化財に指定 八尾市教委 大阪
2014.3.13 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140313/osk14031302020003-n1.htm

 八尾市教育委員会は、常光寺(同市本町)の「本堂・阿弥陀堂・行者堂」と、薗光寺(おんこうじ)(同市水越)所有の「木造 阿弥陀如来立像」を市文化財に指定した。

 常光寺は、府内でも珍しい臨済宗南禅寺派の寺院。また河内音頭発祥の地とされ、流し節正調河内音頭が披露される地蔵盆踊りや大般若絵(だいはんにゃえ)、狂言「八尾」でも知られる。

 薗光寺の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代に多く制作された「三尺阿弥陀像」。西方極楽浄土から迎えに来るときの印を結び、右足をわずかに前に踏み出し、やや前傾して蓮花座上に立っているのが特徴だ。

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1713よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/16(日) 17:08:00 ID:yTpqvOJs0
生駒山に春の訪れ 東大阪で戸開式
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140316-OYT8T00030.htm

 修験道場として知られる東大阪市東豊浦町の髪切山(ごぎりさん)慈光寺(槙尾実英住職)で15日、生駒山に春の到来を告げる儀式「戸開(とあけ)式」が行われ、約100人が山の安全や無病息災を祈った。

 同寺は修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、約1300年前に開いたとされる。役行者が生駒山中で悪行を繰り返していた鬼を捕らえて髪を切り、改心させて家来にしたという言い伝えから「髪切」の名がついたという。

 槙尾住職から役行者をまつるお堂の鍵を受け取った鍵役が、鬼にふんした山伏らと石段を上って扉を開け、柴灯(さいとう)護摩も行われた。

 同市立花町、主婦森本美砂子さん(69)は「ウグイスの鳴き声が聞こえ、春の足音を感じた。健康に過ごせるように祈りました」と話していた。

(2014年3月16日 読売新聞)

1714よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/16(日) 17:50:21 ID:yTpqvOJs0
礼儀正しく「仕舞」体験 豊中不動尊能舞台で「こども教室」 大阪
2014.3.16 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140316/osk14031602020000-n1.htm

 子供たちに伝統芸能・能楽の「仕舞」体験を通して、日本文化のすばらしさを感じてもらう「能楽・仕舞(しまい)こども教室」が15日、豊中市緑丘の豊中不動尊能舞台で開かれた。

 文化庁の「文化遺産を活かした地域活性化事業」の一環として、豊中こども能楽塾(山本博通代表=観世流シテ方)が開催した。

 仕舞は、能の演目の一部を面、衣装をつけず紋付袴(はかま)や着物で舞う。伴奏は地謡(じうたい)のみで、簡略化された能のエッセンスを楽しめる。

 教室には小学生ら29人が参加し、今年1月から8回にわたり、仕舞の基本的な舞い方や謡いの発声方法を、能楽師らの指導で稽古してきた。

 最終回のこの日は、稽古の成果を披露する発表会形式で行われた。

 着物に着替えた子供たちは、神妙な表情で能舞台に立ち、ひとり約1分間、春の到来や長寿を祝う「老松(おいまつ)」などを元気な謡いとともに熱演した。

 保護者らは「伝統文化に触れ、正座ができるようになるなど礼儀正しくなった」と喜んでいた。

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1715よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/19(水) 05:42:34 ID:xlhhN.wA0
「郷墓」の変遷明らかに 八尾・神宮寺墓地
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140318-OYT8T00051.htm

◇市教委が報告書、中・近世の石造物多数

八尾市の神宮寺墓地(来迎=らいごう=寺共同墓地)にある石仏や石塔などの石造物を市教委が調査し、報告書にまとめた。同墓地の中央部は複数の旧村(江戸時代の村、現在の大字)の人々が葬られた「郷墓(ごうばか)(惣墓=そうばか=)」で、鎌倉時代前期の五輪塔を始め、中世から近世の石造物が数多く残されていた。府内で郷墓の全体的な調査が行われるのは初めてで、市教委は「墓地も貴重な歴史遺産だと明らかになった」としている。

 同墓地は、奈良時代の高僧・行基が造ったとされる共同墓地「河内七墓」の一つで、八尾、柏原両市にまたがる。今回、古い石造物が多く残る八尾市側について、2010年度から3年計画で調査した。結果、石塔などの総数は約5500基で、明治時代以前のものは約1700基と判明。約150基に造立された年号が刻まれ、鎌倉時代前期〜江戸時代の石塔類の構成や時期的な変遷が明らかになった。

 市教委文化財課は「身近な文化財である石塔や石仏が、地域の信仰や歴史の解明に役立つことを知ってほしい」とし、河内七墓のうち市内にある垣内(かいち)、神立(こうだち)、植松の3か所についても今後、調査、報告する。

 白石太一郎・府立近つ飛鳥博物館長(考古学)は「近年の生活様式の変化によって、中近世以来の姿をとどめる墓地は大きく変貌しつつあり、記録化が急がれる。非常に重要な取り組みだ」と評価している。

 報告書はA4判、158ページ。800円(税込み)。問い合わせは同課(072・924・8555)へ。

(2014年3月18日 読売新聞)

1716よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/21(金) 05:28:38 ID:s.Xz6LEo0
重文に府内5点 文化審議会答申
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140320-OYT8T00043.htm

◇取水施設「木樋」など、登録文化財は4か所

  国の文化審議会が文部科学相に行った答申で、現存する日本最古の人工ため池「狭山池」(大阪狭山市)から出土した取水施設「木樋(もくひ)」など府内の5点が重要文化財に選ばれた。

 狭山池は7世紀前半の築造とされ、これまで飛鳥時代の木製の通水路(全長約70メートル)などが見つかっている。中世に池を改修した僧・重源(ちょうげん)が作った石碑や、江戸時代の取水施設も同時に選ばれた。「日本の高度な土木技術が確認できる希少な資料」と評価された。

 ほかに、桃山時代の絵師・狩野永徳の弟・宗秀(そうしゅう)の代表作「紙本金地著色四季花鳥図(しほんきんじちゃくしょくしきかちょうず)」、7世紀末に中国で刊行された伝奇小説の現存最古の写本「遊仙窟(ゆうせんくつ) 残巻(ざんかん)」、安土桃山時代の医学書「啓迪集(けいてきしゅう) 自筆本」、鎌倉時代の追善供養の実態がうかがえる「後伏見院庁諷誦文(ごふしみいんのちょうふじゅもん)」の4点が選ばれた。

 また、外国人建築家が和の様式を採り入れて建設した「カトリック豊中教会」(豊中市)などの建造物4か所、25件は登録有形文化財に選ばれた。府内の重要文化財(美術工芸品)は571件、登録有形文化財(建造物)は215か所、583件となる予定。

(2014年3月20日 読売新聞)

1717よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 06:32:57 ID:J/y31gqo0
戦国武将の書状など84点  大阪城で企画展
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140322-OYT8T00009.htm

 豊臣秀吉の生きた安土桃山時代から豊臣家が滅びた大坂の陣までの古文書を集めた企画展「乱世からの手紙」が21日、大阪城天守閣(大阪市中央区)で始まった。戦国武将の書状や誓約書など、同天守閣が収蔵品などからえりすぐった84点を展示している。5月6日まで。

 上杉謙信は、永禄10年(1567年)に美濃国(現・岐阜県)を平定した織田信長に送った書状で「比類なき活躍、めでたい」とたたえている。後に敵対関係となるが、勢力を伸ばし始めた信長と良好な関係を築こうとした謙信側の思惑が読み取れる。

 また、秀吉が晩年の文禄2年(93年)に授かった我が子・秀頼の乳飲み子の頃に書いた私信には「先日は見送ってくれて満足」などとつづられ、幼子への愛情が伝わってくる。

 寝屋川市の会社員山内康さん(33)は「武将の心の内や当時の様子が想像できて楽しい」と話し、展示品に見入っていた。

 無休。入館料は一般600円、中学生以下無料。



 大阪城天守閣は桜の季節や大型連休など春の行楽シーズンに合わせ、開館時間(通常は午前9時〜午後5時)を延長する。

 4月6日までは2時間延長して午後7時まで、同26日〜5月6日は1時間延長して午後6時まで。問い合わせは同天守閣(06・6941・3044)へ。

(2014年3月22日 読売新聞)

1718よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:05:11 ID:l/NPVHr60
大阪の町名は「まち」読みが多い? 地名守った商人魂
2014/3/23 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXNASHD11024_S4A310C1AA1P00/

大阪に転勤して間もない頃、タクシーで「『あわじちょう』まで」と言うと、運転手は一瞬どこだか分からない様子。しばらくして「ああ、『あわじまち』ですね。お客さん、どこから来たんですか」。運転手いわく「大阪では『ちょう』ではなく『まち』と言うので、よそから来た人はすぐに分かります」とのこと。本当だろうか。

  大阪市営地下鉄・御堂筋線の淀屋橋駅あたりから南下すると「伏見町」「道修町」「平野町」……と「まち」と読む町名が並ぶ。「淡路町」は同じ漢字の町名が東京都千代田区にもあるが、こちらは「あわじちょう」。「安土町」は滋賀県近江八幡市では「あづちちょう」と読む。大阪以外の地域では「ちょう」と読むことが多いようだ。

 もちろん、大阪市内でも「宗右衛門町」のように「ちょう」と読む町名はある。大阪市の地図を調べてみると、市内に「町」の字が付く町名は約150あり、半数が「まち」読み。しかし中央区に限ると、45のうち35が「まち」と読むことが分かった。市の中心部に集中しているため、「大阪は『まち』が多い」という印象を与えているようだ。

 東京都内では原則、大手町など武家屋敷のあったところは「まち」、鍛冶町など町人が住んでいた地域は「ちょう」と区別されているという。では大阪はどうなのか。

 「大阪『地理・地名・地図』の謎」などの著書があるノンフィクション作家の谷川彰秀さんに聞くと、「大阪天満宮や四天王寺の周辺などに『まち』が多く見られるので、寺町が由来ではないか」という。確かに寺社の周辺に「まち」は多いが、「ちょう」も存在する。中央区は特段、寺社が多いわけでもなく、この説では説明しきれない。

1719よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:06:26 ID:l/NPVHr60
>>1718

http://www.nikkei.com/article/DGXNASHD11024_S4A310C1AA1P00/?df=2

 次に大阪歴史博物館の学芸員、八木滋さんを訪ねた。現在の中央区のあたりは、大阪城が築城されたのち、主に江戸時代に入ってから発展した。八木さんは「江戸時代から大阪は商人の町。武士はほとんど住んでおらず、身分や職業による区別はなかった」と話す。「ただ、江戸時代にはすでに『まち』と読む慣習が根付いていた」と言って、古い文献を見せてくれた。

 1842年(天保13年)刊行の「大坂町鑑」。当時の大阪の町名約600について、「まち」と読む町名には「町」の字、「ちょう」と読む町名は「丁」と分けて記載している。当時の人々がどのように「町」を読んでいたのかが分かる。「ざっと数えたところ、3分の2程度が『まち』だった」と八木さん。「理由はよく分からないが、古い町名がそのまま残っているところが多いことが、中央区に『まち』が多い一因ではないか」と指摘する。

 1962年に「住居表示に関する法律」が施行され、全国的に古い町名を整理して新しい町名に変える動きがあった。住所を頼りに訪問先を探し当てたり郵便物を配達したりしやすくするためだ。大阪市中央区の南船場や難波などはいくつかの町が統合されてできた新しい町名だ。

 ところが中央区のなかでも、長堀通以北の旧東区と呼ばれる地域は、江戸時代からの町名がそのままというところが多い。薬問屋が集まる道修町や繊維問屋が集まった安土町、本町などは江戸時代、商いのまちとして栄えた。

 中央区道修町が本社のボンドケミカル商事の小西哲夫社長は、明治初期にこの地で創業したコニシの創業家。当時の事情について聞くと「この辺りには、江戸時代から続く料亭や商家が多く、地元への愛着が強い。古い町名を残すために団結した」と話してくれた。町内会長のような立場の人が中心になって、行政などへ働き掛けたのだという。

 道修町には今でも製薬会社の本社が立ち並び、「薬のまち」の面影を残す。船場大阪を語る会の三島佑一会長は「道修町は町内会で神社を造ってしまうほど、結束が強い」と話す。薬の神様をまつる少彦名神社は道修町に店を構えた薬問屋が造ったもので、毎年11月22〜23日に開く祭りには、製薬会社など約350社が加入する薬祖講が運営。祭りの日には各社からのボランティアが集まり、見物客が道路を埋め尽くすほどだ。

 最近は新しいマンションやオフィスビルが増え、古くからの住人や商店は減ってきた。町名の由来を知る人も少なくなったが、歴史のある古い町名には先人の思いが詰まっている。

(大阪経済部 小国由美子)

1720よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 16:29:35 ID:l/NPVHr60
澪標 ―みおつくし―

「生國魂造」二つの特徴

生國魂神社権禰宜 中村 文隆
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/140225/20140225033.html

 前稿では大阪の始まりの地が大阪湾に浮かぶ「難波埼(なにわのみさき)−現・上町台地−」であり、その三方を海で囲まれた北端の地の占有者が日本国の実質的な統治者であることを見てまいりました。これは大坂城築城より今日に至る400年だけを指すのではなく、神話と歴史の接点となった神武東征の物語から連綿と続く2700年間のことを指します。

 では、秀吉の築城に際し、同地を離れた生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)はその後どうなったのでしょうか。

 実は秀吉・秀頼父子は後の上町台地と呼ばれるようになった難波埼の中央部、現在の上本町界隈(かいわい)に約2万5千坪の代替地を寄進し、全国に8万社ある神社の中で唯一の建築様式である「生國魂造(いくたまづくり)」と呼ばれる社殿を普請しています。この無双の生國魂造には日本の歴史を反映した二つの特徴があります。

 まず一つ目は20メートルを超える巨大な本殿であるという点です。出雲大社など、神話の時代から大きな社殿を建てることを社是としてきた神社を除き、一般的に神社建築は大きな社殿を建てる必要がありません。ちなみに仏教は建築の技法や道具、職人、果てはそれらを包括する建築という概念そのものを伴って日本に伝来したため、寺院を建立すること自体に布教の側面があり、大きければ大きほど、立派であればあるほど信仰の大きさが見て取れます。

 一方、仏教伝来前、原初の神社大半は、神の社(もり)という字が示す通り、神や祖霊の鎮まる森や山などの場所や空間を指しました。ところが、文明の進展に比例し人間の感受性が鈍り、その場所の象徴が、老木や巨石からより人間の視覚に訴えやすい社殿という人工物に変遷します。しかし、人間側が社殿を通じてその空間に神を認識できれば事足りるので、殊更大きな社殿を構える必要性はありません。

 生國魂造の二つ目の特徴は、大神様のお鎮まりになる本殿と幣物などを献じる幣殿の二つの社殿が一つの大屋根で葺(ふ)き下ろされ、その上に三つの破風(はふう)が据え付けられている複雑な桃山時代の様式を今に伝えている点です。勘の良い方は既にお気づきのことと存じますが、大坂城築城とそれに伴う生國魂神社の遷座の経緯から勘案しますと、この複雑な建築様式の社殿は、先に見た特徴である巨大さと併せ、次期に継承された徳川期大坂城も含めて兄弟関係にあるといえます。

 長らく続いた戦国の動乱が収斂(しゅうれん)へ向かう過程で集約された力は、最終局面で大きなうねりとなって前例のない二つの巨大建築をここ大阪に生み出しました。天下統一の物的証拠が今もなお街の中央部に並び立ち、そこに多くの人が訪れるのも大阪が持つ根源的な街の魅力でしょう。

 徳川方が政権を継承して以降は戦のない天下太平の江戸時代が続き、安定した営みに立脚した町衆が力をつけ始めます。特に物流の中心となり、天下の台所と呼ばれた大坂の発展は目覚ましく、そこに暮らす町衆から次々と新しい文化が生まれます。その最大の集積地がいくたまさんで、近松門左衛門や井原西鶴、上方落語の始祖・米澤彦八などをはじめとした多種多様な人材が活躍し、上方芸能・上方文化が花咲く場所となりました。

 その後、明治維新を経て日本の中心的神社として再認識され官幣大社に列格しますが、以降も度重なる災害や戦火に見舞われます。

 しかしその都度、大阪市民の皆さんと共に困難を乗り越え、街と共に歩んで現在に至り、今も生國魂祭(いくたままつり)の渡御列(とぎょれつ)復興などの課題に取り組んでいます。

 大阪繁栄の象徴がいくたまさんのご社頭の賑(にぎ)わいであるならば、逆説的ではありますが、これからもその賑わいを絶やすことなく祈り続けてまいりたいと存じます。

 以上、昨年より貴重な紙面をお預かりし、いくたまさんという定点を通じて大阪から日本を俯瞰(ふかん)してまいりました。紙幅の都合上、やむなく割愛した部分もございますので、この続きは境内でお待ちしております。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)


2014年2月25日

1721よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/23(日) 21:21:38 ID:6iplpaSg0
<上宮天満宮>サル、猫に癒やされる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/feature/osaka1391186241539_02/news/20140315-OYT8T00066.htm

 車道をまたぐ大鳥居をくぐり、丁字路の突き当たりの階段を上がると、目の前に開けた境内で、猫が大あくびをしていた。

 JR高槻駅から北約500メートルにある鎮守の森に囲まれた「上宮天満宮」。境内に居着いた野良猫の保護のため、作業小屋などに5か所の「居場所」を設け、昨年4月には猫を含めたペットの健康や長寿、死んだ後の鎮魂を祈る「守護天神」も完成した。

 本能寺の変(1582年)で織田信長を討った明智光秀を、豊臣秀吉は山崎の戦いで破った。その記念として、本陣を置いていたこの天満宮の社殿を美しく改修した。秀吉が現代の天満宮ののどかな様子を見れば、思わず目を細めるのではないだろうか。

 あまり知られてはいないが、秀吉は猫好きだった。

 秀吉の重臣・浅野長政が文禄2年(1593年)、同僚に宛てた書状に、秀吉がかわいがっていた猫がいなくなり、見つけるよう命じられたとつづられている。「見つかるまで、虎毛の猫1匹を借用したい」と書かれた文面から、長政が必死だった様子がうかがえる。

 今も昔も、猫が好きな人は多いのだろう。その気持ちを知りたいと、阪急高槻市駅の近くにある猫カフェ「ねこの部屋 あまえんぼう」を訪ねた。上宮天満宮の境内と同じく、店内にはのんびりとくつろぐ猫が15匹いた。

 店員の中田愛里さん(25)は「犬猿の仲と言われるから、サルと呼ばれた秀吉さんも、犬ではなく猫をかわいがったのではないでしょうか」と笑った。

 長政が猫捜しに追われていた頃、秀吉は朝鮮に兵を出し、国内では関白職を譲った養子の秀次と不和になるなど、心がざわめく日々だった。権力者の孤独を、猫が癒やした。(上野将平)

 ◆上宮天満宮 平安時代の創建。学問の神様、菅原道真をまつる全国の天神社のうち、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に次いで、2番目に古いとされる。豊臣秀吉は1582年の山崎の戦いで、上宮天満宮の参道に本陣を置いた。近年では、1996年に本殿が火災で焼失した後、2002年に竹で再建された。JR高槻駅から北に徒歩10分。(電)072・682・0025

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi‐ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

(2014年3月15日 読売新聞)

1722よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 02:02:12 ID:Fw9nCOM20
春場所“成就”に感謝 住吉大社で土俵まつり
2014年3月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140324/20140324040.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた23日、立浪部屋の宿舎となっていた大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で、土俵祭が執り行われた。参列した力士たちは相撲の守護神、住吉大神に、1カ月にわたった稽古の安全と修行成就を感謝した。

 境内の土俵で、神様を天に送る儀式「昇神之儀」を行い、力士15人が「エイエイオー」と声を上げながら、神様の象徴である御幣(ごへい)を抱いた神職を胴上げした。儀式を見守っていた約40人の地元住民からは拍手が起こった。

 このほか、参列者による神酒の乾杯や大阪締めが行われた。儀式の中で神職は「また明年会えることを待ち望み、たくさん白星をあげることを祈っている」と力士たちに声を掛けた。

 同大社は相撲と縁が深く、「横綱」の称号の起源の地と伝わる。同部屋の合宿は2007年の三月場所から受け入れている。神様を招く儀式「降神之儀」は2月20日に執り行われた。

1723よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 02:06:49 ID:Fw9nCOM20
1500年前の古墳 映像に
03月24日 19時20分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140324/3133681.html 

堺市は、世界文化遺産への登録を目指す地元の古墳群について理解を深めてもらおうと市の博物館に、古墳が作られた当時の様子を再現し、大型スクリーンの映像で紹介するミニシアターを設置しました。
「百舌鳥古墳群ガイダンスコーナー」と呼ばれるこのミニシアターは堺市博物館に作られ、あすのオープンを前に報道関係者に公開されました。
シアターは、30の座席を備え前方に縦2メートル40センチ横4メートル30センチの大型スクリーンが設置されています。
堺市が、大阪府などと世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」のうち、堺市内に点在する「百舌鳥古墳群」を12分間のビデオで紹介しています。
ビデオではこれまでの発掘調査などを元に再現されたおよそ1500年前の当時の古墳の様子などがコンピューターグラフィックスで紹介されています。
堺市世界文化遺産推進室の大村慶次長は「現在の古墳は森のように見えますが、作られた当時は、土の上に石を置いた構造物だったと見られています。多くの人たち見てもらい、百舌鳥古墳群について関心を高めてほしいです」と話していました。

1724よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/25(火) 20:01:52 ID:LpBpZQOM0
山本能楽堂 改修完了へ 4月、一般向け内覧会
2014年3月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140325/20140325036.html

 2011年から実施してきた山本能楽堂(大阪市中央区)の改修が3月末で完了する見込みとなり、公益財団法人山本能楽堂の山本章弘代表理事は24日、同能楽堂を一般にお披露目する内覧会「花と芸能−春爛漫」を4月25〜27日の3日間開催すると発表した。

 同能楽堂は、1927年に設立され、大阪大空襲で焼失、50年に再建。2011年に始まった文化庁の「重要文化財建造物等公開活用事業」に初採択され、観光振興・地域活性化の拠点として、登録有形文化財建造物を効果的に公開活用するための整備に対し補助を受けた。補助金、自己資金、寄付が3分の1ずつで、総事業費は約2億円。

 安井建築設計事務所や、中之島を拠点に世界で活躍するデザイン事務所「graf」の服部滋樹さんが協力し、1670万色の色彩を表現できるLED照明や床暖房、資料室などを備えて生まれ変わった。

 内覧会では、能楽堂全体の空間を楽しんでもらおうと、東京五輪招致委員会などを担当したフラワーデザイナーの藤吉恒雄さんが、1〜3階を花で飾るほか、貴重な能の装束、当時の設計図面、てんぐが謡曲を楽しんでいる様子を描いた富岡鉄斎の掛け軸などを公開。文楽や落語、講談、舞踊、西洋音楽など、同能楽堂にゆかりのあるさまざまな演者が駆け付け、お祝いとして各種芸能を披露する。

 山本さんは「能を見るだけの場所でなく、この建物が何かの表現の場であり、社交の場になれば。ここをランドマークとして、海外旅行客を呼んだり、学校教育に生かしたりして、恥じない活動をしたい」と力をこめる。

 内覧会は25日午前11時〜午後8時(26日午後6時、27日午後4時半まで)、入場料2千円。問い合わせは同能楽堂、電話06(6943)9454。

1725よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/26(水) 22:30:05 ID:g4RgbTlo0
空から見る仁徳陵
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140325-OYT8T00043.htm

 ◇堺市博物館にミニシアター

 堺市博物館(堺区)に、墳墓として世界最大級の仁徳天皇陵古墳などで構成する「百舌鳥(もず)古墳群」の上空を飛ぶ疑似体験などが楽しめるミニシアターが整備され、24日、報道陣に公開された。コンピューターグラフィックス(CG)技術を応用し、20キロ上空から撮影した古墳群の眺めなどが楽しめる。

 市が博物館内に、同古墳群のガイダンス(案内)コーナーを新設。ミニシアターは約200インチ(縦2・4メートル、横4・3メートル)のスクリーンを備え、宅地開発などで消失した11基を含む55基や、古墳の壕(ほり)から墳丘を望む映像なども投影する。

 5世紀半ばに延べ680万人が作業したと試算される仁徳天皇陵古墳の築造当時を想像し、埴輪(はにわ)や土器で装飾されていた映像や、大阪平野の風景も再現した。上映時間は約12分。総事業費約7000万円。

 市は「古墳群の価値を理解してもらい、世界文化遺産登録に向けた機運を高めたい」としている。

 入場無料で、利用は午前10時〜午後4時半。問い合わせは市博物館(072・245・6201)へ。

(2014年3月25日 読売新聞)

1726よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/27(木) 20:41:13 ID:QjVGHqTs0
今城塚古墳築造の労力数値化 論文が懸賞最優秀に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20140327-OYT8T00029.htm

◇延べ53万人動員、工期7年

  継体天皇の墓とされる今城塚古墳(6世紀、高槻市)について、築造の労力を数値化した論文が、同市の古代史をテーマにした懸賞論文の最優秀賞に輝いた。論文では、元ゼネコンの土木技術者が、現場監督の立場になって計算。使った土の量や当時の周辺人口などから、現在の市人口の1・5倍に当たる延べ53万人が動員され、約7年かけて完成させたとしている。(上野将平)

 東京都練馬区在住の高津和夫さん(84)の論文(A4判、16ページ)で、懸賞論文「いましろ賞」の応募作。

 論文では、主な作業を掘削や運搬、盛り土とし、当時の墳丘の高さや面積などから計17万5000立方メートルの土が使われたと計算。自身の経験から、1人が1日に掘ることのできる量を1・5立方メートルとし、運搬や盛り土も含めた作業には、延べ48万2380人が必要だったと推測している。

 さらに石棺や埴輪の製造・運搬にも、延べ4万4280人が関わったとした。

 1日の動員数は、周辺の水田面積や季節を考慮。農繁期は180人、農閑期は370人と時期による労働者の増減も計算し、工期は約7年と結論づけた。

 高津さんはゼネコン時代の大部分を現場で過ごし、現場監督も経験。ブルドーザーなどの重機が少なかった1960年頃まで、スコップなどを使った人力の作業を経験したという。

 1959年から6年間の大阪勤務で、仁徳天皇陵(堺市)をはじめとする百舌鳥(もず)・古市古墳群を見て、駆り出された民衆の気持ちになって研究を開始。退職後、奈良大の聴講生となり、報告書の書き方などを学んだ。

 今回の論文について、高津さんは「動員数は多いように思えるが、仁徳陵などの工事と比べると、余裕を持って築造したようだ。国力に見合った判断で、現場監督の立場としても感心させられた」と話す。今後は、土を採った場所や、水田面積などの詳細な計算を続けるとしており、市立今城塚古代歴史館の森田克行館長(63)は、「築造の様子や規模が目に浮かぶ論文だ。さらに研究を進める手助けをしたい」と話している。

(2014年3月27日 読売新聞)

1727よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/27(木) 20:46:55 ID:QjVGHqTs0
国立文楽劇場30周年で集い
03月27日 19時36分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140327/5969581.html

大阪の国立文楽劇場が来月、開館から30年になるのを記念する集いが行われ今年5月の公演を最後に引退する文楽の語り手で人間国宝の竹本住大夫さんらが演目を披露しました。
大阪・中央区にある国立文楽劇場は文楽を上演するための劇場として造られ、来月、昭和59年4月の開館から30年を迎えます。
きょうは劇場で記念の集いが行われ招待客などおよそ700人が集まりました。
劇場を運営する日本芸術文化振興会の茂木七左衛門理事長は「伝統芸能の文楽を継承するためには若い世代を中心に観客を呼び込むことが必要だ」と述べました。
続いて地元の企業などから寄贈された新しい3つのどんちょうが披露されました。
このあと今年5月の東京公演を最後に引退する文楽の語り手の第一人者で人間国宝の竹本住大夫さんらが正月などに上演される演目 「寿式三番叟」を披露し集まった人たちが熱心に見入っていました。
..

1728よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/28(金) 20:39:20 ID:9J8UFdxE0
30周年、国立文楽劇場で開場記念のつどい
2014.3.27 21:31
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140327/wlf14032721360018-n1.htm

 大阪の人形浄瑠璃文楽の本拠地、国立文楽劇場(大阪市中央区)が今月、開場30周年を迎え、「記念のつどい」が27日午後、同劇場で開かれた。4月の文楽公演が大阪での引退公演となる人間国宝、竹本住大夫さんらの出演で、おめでたい「寿(ことぶき)式(しき)三(さん)番(ば)叟(そう)」が披露されると、招待された関係者やファンら約700人から大きな拍手がわき起こった。

 国立文楽劇場は昭和59年3月に開場。文楽をはじめ、日本舞踊、歌舞伎、邦楽、演芸など上方芸能の継承、発展の本拠地として親しまれてきた。

 この日行われた「記念のつどい」では、独立行政法人日本芸術文化振興会の茂木七左衛門理事長が「文楽は大阪の地に発祥し、大阪の風土とともに発展した世界に誇る伝統芸能。国立文楽劇場には文楽を後世に伝えていくという重大な使命がある」とあいさつ。

 青柳正規文化庁長官も「東京オリンピックが開かれる2020年には上方芸能の拠点としてさらに発展することを祈念している」と祝辞を述べた。

 新しい緞帳が披露され、同劇場の三十年間の歴史を懐かしい映像で上映。

 最後に住大夫さんをはじめ、人形遣いの吉田和生さんらの出演で「寿式三番叟」が上演、荘重な語りやリズミカルな人形の動きに場内は見入っていた。

1729よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/03/29(土) 22:11:21 ID:UUK3FAMg0
「学童集団疎開」から70年 関連書籍2冊発刊
2014年3月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140329/20140329033.html

 太平洋戦争末期の1944年6月に閣議決定された「学童疎開促進要綱」に基づき着手された学童集団疎開から今年で70年−。四半世紀以上にわたり毎年夏に戦争体験集「孫たちへの証言」の発刊を手掛けている新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)が「記憶を風化させてはならない」と学童疎開をテーマにした書籍2冊を刊行した。いずれも体験者の貴重な証言や資料を紹介し、子どもたちに暗い影を落とした疎開の実態に焦点を当てている。

 大阪の歴史や文化、産業など毎号特色ある特集を組む同社の「大阪春秋」(本体千円)は「国民学校と学童集団疎開」を特集した。

 元天理大学人間学部教授の赤塚康雄氏、国民学校と学童疎開を考える会理事長の奥村誠一氏ら体験者による座談会をはじめ、大阪市内各区別の他府県への疎開地と疎開児童数の推移、関連年表といった詳細な資料を紹介。疎開先の火災で児童16人が犠牲となった南恩加島国民学校(大阪市大正区)の児童を悼む「16地蔵」の由来や、疎開中に空襲などで家族と死別した戦争孤児が歩んだ過酷な戦後についても触れている。

 もう一つの「学童疎開」(本体1200円)は「孫たち−」第7集以降の中から疎開関連の証言を抜粋、補筆し、多くの写真やカラーの体験画も盛り込んでいる。

 福山代表(79)は「大阪府内郊外への学童疎開があったことや、各家庭に児童一人当たり月10円の費用が必要だったことなど、知られていない点も多い。幼い児童まで戦争の黒い渦に巻き込んだ史実をしっかりと検証する必要がある」と、2冊の編集に込めた思いを話している。

 問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1730よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/05(土) 22:44:08 ID:UvJUOOwM0
竹本住大夫さん 引退公演
04月05日 21時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140405/5631031.html 

人形浄瑠璃「文楽」の語り手の第一人者として長年活躍し、来月引退する人間国宝の竹本住大夫さんの地元・大阪での最後の公演が始まりました。
大阪市生まれで89歳の竹本住大夫さんは文楽の語り手「太夫(たゆう)」の第一人者として長年活躍し、平成元年には人間国宝に認定されましたが、体調などを理由に来月東京で行われる公演を最後に引退します。
大阪市の国立文楽劇場では地元・大阪での引退前最後の公演が5日から始まりました。
演目は、平安時代に都から九州の太宰府に左遷された菅原道真と周りの人々の人間模様を描いた「菅原伝授手習鑑」です。
竹本住大夫さんは、道真の家来の切腹の場面を描いた「桜丸切腹の段」で出演し、情感豊かに語る姿に観客から大きな拍手が送られました。
竹本住大夫さんの大阪での公演は今月27日まで行われ、引退公演となる東京での公演は来月10日から26日まで行われることになっています。
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1731よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/05(土) 22:50:04 ID:UvJUOOwM0
区と市立工芸高が連携 「あべの歴史マップ」作成
2014年4月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140405/20140405038.html

 大阪市阿倍野区は同区に親しみと関心を持ってもらおうと、近くの大阪市立工芸高校と連携して「あべの歴史マップ」を作成、区民や観光客への活用を呼び掛けている。

 ビジュアルデザイン科3年の生徒10人が昨年7月から11月まで選択授業で取り組んだ。マップに使う資料や写真は同区が提供し、生徒に自由に製作してもらった。提出された10点のマップのうち、同区が審査して、平岡風花さん(当時3年)の作品を採用することにした。

 平岡さんの作品は、阿倍野区の地図を中心に置いて、名所旧跡に番号を付けて、写真と解説を周辺に配置。分かりやすく見やすいことが評価された。弥生時代に始まったとされる「あべの」の由来や、市の指定有形文化財に登録されている同校、安倍晴明神社や桃ケ池公園などを掲載している。

 マップは、同区の広報紙「広報あべの」の1月号に見開き(タブロイド判、縦約20センチ、横約40センチ)で入れ込み、4万6500部発行。新聞折り込みや配布希望のあった人、駅や図書館、区役所の情報コーナーなどに配布した。ホームページでも閲覧でき、今月上旬には英語、韓国語、中国語のマップもできる。

 同区役所企画調整課では「同区の南側にはたくさんの歴史がある。市民や外国の人にも活用してもらい、興味を持ってもらいたい」と話していた。

1732よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/06(日) 12:28:36 ID:cShBI6To0
甘茶掛け 息災願う 北御堂「花まつり」
2014年4月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140406/20140406019.html

 仏教の始祖であるお釈迦(しゃか)様の生誕を祝う「花まつり」の催しが5日、大阪市中央区の本願寺津村別院(北御堂)であり、信徒をはじめ友人、家族連れらが無病息災を願って厳かに両手を合わせた。

 お釈迦様が誕生の際に甘露の雨が降り、その露を産湯にしたという伝説に基づく習俗。逸話にならい、参列者は本堂に設けられた立像にひしゃくですくった甘茶を掛け、静かに手を合わせた。

 子どもたちによる献灯、献花もあり、菅義成輪番は講話で「人生を少しでも温かく、強く、心を豊かに生きていきましょう」と問い掛けた。

 “おつとめ”の後にはお菓子が配られ、子どもたちも笑顔。親子3代で訪れた角谷久代さん(71)=同市東成区=は「孫たちも楽しかったと喜んでくれている」とにこやかに話した。

1733よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/09(水) 21:00:13 ID:xhr83Z9Y0
「真田丸」再現の軍資金募る…模型作製へ
2014年04月09日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140409-OYO1T50025.html

 大坂の陣(1614〜15年)から400年の節目に合わせ、豊臣方の武将・真田幸村が現在の大阪市天王寺区に築いた大坂城の出城「真田丸」を模型でよみがえらせるプロジェクトが同区で進んでいる。全国の幸村ファンに寄付を呼びかけ、集まった金額が多ければ多いほど、模型のサイズを大きく、より精巧にできるという趣向だ。

 真田丸は幸村が大坂冬の陣(1614年)で大坂城の南側に構えた戦闘拠点。銃撃隊を率いる幸村の巧みな采配で徳川方の猛攻撃を防いだと伝わる。現在、跡地とみられる地域は、真田山公園になっている。

 区内にはほかにも、徳川家康が本陣を置いた茶臼山や、幸村が討ち死にしたという安居神社も残る。

 真田丸の模型作りは、大坂冬・夏の陣から400年を迎えるのを盛り上げようと、同区が計画。製作費を全額、寄付金でまかなうため、真田家の家紋にちなんだ基金「六文銭ファンド」を市が設立し、全国に善意を募ることにした。

 寄付は個人住民税や所得税が軽減される「ふるさと納税制度」を適用。六文銭をデザインしたグッズがもらえるなど特典があり、6000円以上の寄付者は模型に氏名も刻まれる。

 お金が集まるほど、模型のグレードもどんどん上がる仕組みだ。例えば、100万円あれば、発泡スチロールで縦横1メートルの模型。1000万円だと、縦横1・8メートルで、精巧な真田丸の櫓(やぐら)や幟(のぼり)、甲冑(かっちゅう)姿の武者を並べることができるという。

 寄付は3月末現在で32万円余り。8月末まで募る予定で、水谷翔太区長(29)は「皆さんの協力で、立派な真田丸を再現したい」と呼びかけている。

 模型は専門家の考証を経て再現。来年5月を目標に完成させ、同11月まで区内で開催されている「天王寺 真田幸村博」で目玉として展示される。問い合わせは同区企画総務課(06・6774・9938)。

真田幸村 1567〜1615年。信濃国・上田城主の真田昌幸の次男。1600年の関ヶ原の戦いでは敗れた西軍につき、戦後、和歌山・九度山にちっ居したが、豊臣秀頼の招きで大坂の陣に参戦。冬の陣は真田丸で奮戦し、夏の陣では徳川軍の本陣に迫って家康を窮地に追い込んだという。「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれ、現代も根強い人気を持つ。家紋は「六文銭」。


2014年04月09日

1734よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/10(木) 19:42:28 ID:udf0wvv20
>沖縄戦などで亡くなった3万5000人余りの大阪の関係者
  
 こんなにも多数の方々が沖縄で亡くなっていたとは・・・
 
沖縄で大阪の戦没者を追悼
04月10日 18時40分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140410/3474441.html 

太平洋戦争末期の沖縄戦などで命を落とした大阪の関係者を慰霊する50回目の追悼式が大阪府の松井知事と大阪市の橋下市長も出席して沖縄で開かれました。
沖縄戦などで亡くなった3万  5000人余りの大阪の関係者を慰霊するため大阪府と大阪市などは昭和40年に沖縄県糸満市の平和祈念公園に「なにわの塔」を建立し、毎年、追悼式を開いています。
今年で50回目となる追悼式には遺族およそ50人の他、大阪府の松井知事と大阪市の橋下市長も出席しました。
式では松井知事と橋下市長が追悼の意を表し、このうち橋下市長は「戦争の悲惨さと、そこから学んだ教訓を語り継ぎ世界の恒久平和の実現のため全力を尽くすことが私たちの責務だ」と述べました。
続いて出席者全員が塔の正面に設けられた献花台に花を手向け戦没者を悼みました。
松井知事は記者団に対し「今は当たり前のように平和を享受しているが戦争で亡くなられた方々の思いをしっかり受けとめ、次の世代に平和な日本を引き継がなければならない」と述べました。
橋下市長は「自分の子どもが戦争で命を落としたと考えると耐えられない。遺族の方々は僕の想像を超える悲しみをずっと抱き続けている。戦争は2度と繰り返してはならない」と述べました。

1735よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/10(木) 20:49:59 ID:udf0wvv20
江戸期おみくじ文化財に
2014年04月09日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140409-OYTNT50135.html

 ◇大吉「誰もがあなたを尊敬」

 島本町の勝幡寺(しょうばんじ)(山崎)所蔵の江戸時代中期のおみくじの版木や木箱などが、同町の有形民俗文化財に指定された。大吉の版木には「誰もがあなたを尊敬するでしょう」という意味の言葉などが刻まれている。町は今秋にも一般公開する。

 おみくじは木箱から、番号が書かれた竹棒を引き、棒の番号に応じて「大吉」「凶」などが刷られた紙の「みくじ箋(せん)」を受ける方式。版木(縦20センチ、横80センチ)9枚や竹棒99本、棒を入れる木箱、みくじ箋を入れるタンスでなる「勝幡寺 元三(がんざん)大師みくじ版木関係資料 一式」として指定された。

 大吉の版木には、購入者が尊敬の対象になるという意味の「衆人皆仰望」の文言などが並び、木箱には、比叡山中興の祖で、おみくじを考案したとされる良源(912〜85)を表す「元三大師」の文字も。

 現存するのは江戸時代後期のおみくじが多いが、彫りが深く施された版木の特徴から、同時代中期と特定された。町教委は「一式が残っていることが価値を高めている」としている。

 問い合わせは町教委生涯学習課(075・962・6316)へ。

2014年04月09日

1736よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/13(日) 16:27:52 ID:O0PdIz3Y0
【河内幻視行】
徳川政権を創り、滅ぼした「京街道」の“諸行無常の響きあり”
2014.4.13 12:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041312000003-n1.htm

 坂道を登ったところに、道幅の狭い道が場違いのような感じで、ゆるやかに曲がりながら延びていた。本町橋と書かれた橋があった。橋といっても陸橋で、左手には京阪守口市駅の高架ホームがほぼ正面に見えた。

 橋のそばにある高層マンションの手前に、「文禄堤」と書かれた案内板があった。豊臣秀吉が文禄5(1596)年、毛利輝元ら3大名に命じ、淀川沿いに築かせた堤防上の道、とあった。

 道は京と大坂を最短で結び、京に向かうときは京街道、大坂に向かうときは大坂街道と呼ばれた。付近は、江戸から大坂にいたる東海道57次の57次目で、守口宿があった。

 中2階の古い民家や寺院もあった。古街道のおもかげも、かすかに残っている。

 橋の右手の眼下には、広い道が延び、ビルや商店街が続いている。現在は淀川まで1キロほど離れているが、当時はここまで流れが迫っていた。国道1号沿いにある守口市役所を中心とする官庁街は、すべて川底か河川敷であった。

 京街道の終点は、伏見である。なぜ伏見か。秀吉がここに伏見城を築いたからである。

 伏見城は天正19(1591)年、甥の秀次に関白の地位を譲ったあと、「隠居城」として建設がはじまった。

 天才的な土木技師でもあった秀吉は隠居城であっても、ハンパな城造りでは納得しなかった。本格的な「都城」にするために、京街道のほか、宇治川沿いには奈良方面からの大和街道に植島堤を造らせた。

 大ざっぱな地理教示をすれば、ふたつの街道は逆「V」字形の先端で、伏見城下にある南北の京町通りに合流する。この通りを中心とした城下町に人々が集散し、日本一のにぎやかな繁華街にするのがネライであった。

 ふたつの街道の整備は、だが秀吉にとっては、アダとなった。大坂を攻めるさい、かっこうの進撃コースにもなるからだ。

 街道が造られてから、わずか20年後の元和元(1615)年4月、大坂夏の陣が起き、豊臣家は滅亡した。京の二条城で開かれた軍議で、徳川家康は逆「V」字形の地図を眺めながら、ニンマリと笑った。「この、ふたつの街道を利用するのじゃ」と、配下に命じたはずである。

 2代将軍秀忠が率いる12万の兵は京街道、松平忠輝率いる約3万5千は大和街道と二手にわけ、道明寺(藤井寺市)付近で合流する作戦を立てた。すでに濠(ほり)を埋め立てられてしまった大坂城は、南方面からの攻撃には弱かったからである。

 真田幸村などの活躍はあったが、大坂城は家康のネライ通りに落城した。「V」字形の街道が、「VICTORY・ROAD」となったのである。

 だが約12万もの大軍が進んだ京街道のほうは、難渋したはずである。堤の上の街道だから、道幅が狭すぎた。明治前期の史料でも「京街道 守口町ヨリ仁和寺村ヲ経テ枚方村ニ向フ 道幅二米五十ヨリ二米八十」と記載されている。

1737よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/13(日) 16:30:11 ID:O0PdIz3Y0
>>1736

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041312000003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041312000003-n3.htm

 おそらくヨコ2列程度でしか進めなかった。先頭集団が守口宿あたりに達したとき、シンガリの軍はまだ京を出発できなかった。

 この狭さが二百数十年後、こんどは徳川方の命取りとなった。鳥羽伏見の戦いである。

 15代将軍、慶喜が率いる大坂城の幕府軍が京の薩長軍討伐のために、城から出兵したのは、慶応4(1868)年正月2日から3日にかけてであった。

 総勢1万5千、対する薩長軍は5千。数で見るかぎり、幕府軍が圧倒的に有利であった。だが大和街道や西国、高野両街道のコースもあったのに、京街道から伏見、鳥羽両街道になだれこむという、愚直としかいいようがない作戦を立てた。

 京街道は、さすがに家康の時代より道幅が広くなったものの、ヨコ4列程度しか通れなかった。タテに長い兵を、アリのように進めるだけであった。信じられないことに、先頭の兵たちの銃には、弾がこめられていなかった。

 鳥羽、伏見両街道での戦いは、もちろん惨敗であった。わずか3日後の6日には、こんどは京街道だけでなく、大和、高野街道などを、ちりぢりになった敗残兵の列が続いた。

 それでも幕府軍は、守口宿で歩兵一大隊の防御陣地を築く方針だった。だが午後8時ころ、大坂城から「すべて城に引きあげよ」という慶喜の伝令がとどいた。だれもが難攻不落の大坂城での籠城戦を展開すると思いこんだ。

 だがその日の深夜、慶喜はひそかに城から逃げ出した。幕府軍の総崩れがはじまった。

 −−京街道から坂をおりると、ふつうの区画の住宅やビルが建ちならんでいた。幕府軍がこのあたりに最後の防御陣地を構築し、慶喜が徹底抗戦にのぞんだら、まだ勝利の「V」の可能性は残っていた。

1738よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 04:57:16 ID:hg3U0WwM0
家康を殺しかけた銃も展示…大坂の陣は「科学力の闘い」
2014.4.13 21:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n2.htm

 豊臣家と徳川家が争った大坂の陣の勃発から今秋で400年を迎える。人気テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士としても知られる沢田平さんは、鉄砲研究家として盛り上げに一役買おうと、豊臣方の名将・真田幸村に関するコレクションの展示を準備中だ。

(聞き手 川西健士郎)


 −−今年が大坂の陣から400年にあたるのに合わせ、自宅横の資料室で真田幸村に関する資料の展示を準備されていますね

 沢田 幸村公の研究を続けてきたものですから、今月から2年間、オープンするつもりで準備しています。私ひとりでやっている資料室ですので、事前予約制になりますが、展示品を説明させてもらい、手にとって見てもらいたいと思っています。興味のある方は電話いただければ、対応いたします。

 −−どのような品を見ることができるのでしょう

 沢田 まず、茶臼山(大阪市天王寺区)で、幸村が家康公の面前までいって発射しようとした鉄砲、馬上宿許(しゅくしゃ)筒です。馬の動揺のために幸村が取り落として敵の手にわたってしまったものです。マシンガンのルーツともいえる連発銃です。もしこのとき、この鉄砲が火を噴いていたら、家康公の命はそこで終わったわけですから、その後時代はどうなったか。江戸時代はなかったことになるかもしれませんね。

 −−馬上筒はどうやって手に入れたのですか

 沢田 紀州徳川家に伝わり、家臣の砲術家・勝野家に預けられ、勝野流秘銃として明治まで紀州藩に温存されてきたものです。戦後、進駐軍の武器狩りによって米国に流出していたのを発見しました。

 戦利品として持ち帰った進駐軍の兵隊さんが80歳を超える老齢になり、5〜6年にわたる交渉の末に譲ってもらえることになりました。幸村の出身地の長野県では何度か紹介したもので、大阪での展示は初めてです。

1739よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 04:59:32 ID:hg3U0WwM0
>>1738

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140413/wlf14041321000010-n4.htm

 −−そうした遺品から見えてくる幸村の実像とは

 沢田 幸村は日本一(ひのもといち)の強士(つわもの)と称賛されますが、単なる勇猛な武将ではありません。甲冑から推定する体の大きさも、ごく普通です。幸村の遺品には、忍術を思わせるものも数多くあります。幸村に仕えた「真田十勇士」の猿飛佐助や霧隠才蔵は架空ともいわれますが、幸村の元に忍術つかいがいたことは間違いありません。

 幸村は関ケ原の合戦後、大坂の陣までの14年間、高野山の麓の九度山に蟄居(ちっきょ)していました。馬上宿許筒はこのとき開発されたと考えていますが、同時に真田紐(ひも)という丈夫で美しい紐をつくり、全国各地に販売したことが知られています。

 幸村は身内に財政支援を求める文書が残っていて、金に困っていたといわれます。ところがどっこい、それは生活の実態を隠した表向きの顔であって、実際は優れた経済人であり、各地で真田紐や薬を売って情報を集めていたのです。

 −−徳川軍の遺品はありますか

 沢田 大坂の陣で徳川軍が使ったと考えられる全長2メートルの大鉄砲2丁を展示します。国内に大鉄砲はこの2丁を含む4丁しかありません。国友と堺でつくられたもので、関ケ原の合戦の前に砲術の第一人者、稲富祐直(いなどめすけなお)に家康が作らせたものです。

 大坂冬の陣では幸村の砦(とりで)が徳川軍の侵入を完全に防いで、大坂城は難攻不落を誇っていました。しかし、徳川軍は城の外から天守閣に砲撃を加え、淀君らを驚かせて講和に持ち込み、大坂城は堀を埋められてしまいます。大鉄砲は、徳川軍がこのとき使ったものと考えてよいと思います。

 −−鉄砲の性能が大坂の陣の勝敗に大きく影響しているのですね

 沢田 大坂の陣は、科学の力のぶつかり合いでした。幸村は世界最先端の連発銃をもっていましたが、大坂城に届く鉄砲を長年にわたって開発してきた家康の執念が勝ったといえましょう。どうですか、科学の重要性を分かっていただけたでしょうか。

【プロフィル】沢田平(さわだ・たいら) 昭和10(1935)年、大阪市生まれ。近畿大学法科、関西医療学園を経て、大阪市東成区で沢田整骨院の院長を務める。堺鉄砲研究会を主宰し、古式砲術と古式銃の研究に取り組む。和時計やエレキテルなど江戸時代の科学技術の研究家としても知られる。主な著書に「日本の古銃」「和時計」など。78歳。

1740よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 20:47:57 ID:Kr2ABlFE0
■百舌鳥・古市古墳群 世界遺産目指し…周辺の高さを制限
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000004437.shtml

 堺市の「仁徳天皇陵」を含む百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指し、大阪府と周辺自治体は景観を守るため、建築物の高さ制限などの案をまとめました。

 堺、羽曳野、藤井寺の3市にまたがる百舌鳥・古市古墳群には、「仁徳天皇陵」など61基の墓が集中し、大阪府などは世界遺産登録を目指しています。

 「建築物の高さ、形態意匠、屋外広告物を対象に規制。古墳との調和した景観を目指す」(事務局)

 選考のポイントには、周辺環境の整備も含まれています。

 大阪府などは14日の会議で、古墳の近辺で15メートル以下の高さ制限を設けるほか、屋外広告や派手な色の外壁を禁止する案をまとめました。

 今後、議会などにはかった上で、2017年の世界遺産登録を目指すということです。 (04/14 18:07)


百舌鳥・古市 周辺で高さ規制
04月14日 18時42分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140414/3650301.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめざして大阪府や堺市など関係する自治体は課題となっている周辺の景観保全の対策として新たな建築物の高さなどを規制する方針を決めました。
百舌鳥・古市古墳群について大阪府や地元の堺市などはユネスコの世界文化遺産への登録をめざしていましたが古墳群周辺の環境や景観を保全する対策が不十分だなどとして去年8月に推薦が見送られました。
これを受けて関係する自治体などが会議を開き、条例で周辺の建物の高さなどを規制する方針を決めました。
具体的には古墳からの距離が  100メートル前後の範囲では新たな建物の高さを15メートル以下とし外壁も目立ちにくい色に規制する他、広告物の掲示を原則禁止するとしています。
またその外側の一定の範囲では建物の高さを45メートル以下とするとしています。
関係する自治体では今後、条例の制定を目指して説明会を開くなどして地元の住民に理解を求めていくことにしています。

1741よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/14(月) 21:13:30 ID:Kr2ABlFE0
「大阪根付き『鴈治郎はん』と呼ばれる役者に」中村翫雀さん、四代目襲名へ意気込み
2014.4.14 12:58
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140414/wlf14041412580010-n1.htm

 上方歌舞伎の大名跡「中村鴈治郎(がんじろう)」を来年1月、10年ぶりに四代目として襲名する歌舞伎俳優、中村翫雀(かんじゃく)さん(55)が14日、東京都内で記者会見し、「鴈治郎は憧れの名前。どうしても継ぎたかった」と話した。

 「今年中に大阪へ住民票を移す予定。大阪に根付き『鴈治郎はん』と呼ばれるような役者になりたい」と抱負を語った翫雀さん。襲名披露興行は来年1、2月の大阪松竹座からスタート。引き続き4月に東京・歌舞伎座、6月に福岡・博多座、12月の京都・南座などで行われる。

 中村鴈治郎の初代は翫雀さんの曽祖父が名乗り、上方歌舞伎の大スターに。以降、祖父で人間国宝の二代目の後は父の人間国宝、坂田藤十郎さん(82)が平成17年の藤十郎襲名まで三代目を名乗っていた。

1742よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/18(金) 04:48:52 ID:9PbiG0ZQ0
四天王寺絵堂を特別御開扉 聖徳太子の偉業眼前に
2014年4月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140417/20140417018.html

 聖徳太子の遺業を受け継ごう−。太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、奥田聖應管長)で16日、境内・絵堂の特別御開扉が始まった。8年後の2022年に迎える「聖徳太子御遠忌(おんき)1400年」に向けた取り組み。太子一生の事跡を描いた壁画が奉納されている堂内では、僧侶による解説「絵解き」も行われ、多くの参詣者が太子の偉大な足跡に見入っている。

 「遠忌」は仏教の宗派の開祖などの年忌法要を意味し、約50年間隔で建物の修繕や記念事業といった数々の取り組みがある。1922年の御遠忌1300年記念事業では、四天王寺四箇院の一つで、仏教修行や人間教育の場「敬田(きょうでん)院」を受け継ぎ、四天王寺高校・中学校の前身である「天王寺高等女学校」の創立をはじめ大きな動きがあった。

 御遠忌1400年に向けても各種事業の計画が進み、今回の特別御開扉はその第一歩として企画された。

 絵堂は79年再建で、堂内には画家の故・杉本健吉氏が6年がかりで手掛けた7面からなる「聖徳太子絵伝」が掲げられている。これまで僧侶による絵解きは法要出席者など一部の関係者には行われていたが、一般参詣者対象としては今回が初の試み。

 この日最初の絵解きには約50人が来堂。皇位継承をめぐり崇仏派の蘇我馬子(そがのうまこ)らと排仏派の物部守屋(もののべのもりや)らが対立した際、太子が崇仏派のために仏法守護神「四天王」に戦勝を祈願した姿について、僧侶は「後の四天王寺建立につながる重要な場面」と説明し、人々が興味深く耳を傾けていた。

 池田市から家族で訪れた男性(76)は「拝観と解説で深く太子について知ることができた」と満足そう。同寺参詣部の山岡武明さんは「1400年の節目に向けて歴史的な資料の数々を通じて、人々の心の中に聖徳太子が復活することを願いたい」と話している。

 開扉は30日までで、時間は午前8時半〜午後4時半。絵解きは午後1時、同3時の2回行われる。入堂無料。

1743よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/18(金) 20:50:21 ID:tRdXJz4g0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

今も地元に愛される若き武人

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2014年4月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/140418/20140418051.html

八尾市幸町 木村重成の墓

 今年と来年は大坂の陣から400年ということで、各地で記念のイベントが開かれている。大阪人にとって祝うべき出来事ではないと思うが、当時の武将の中に、その生きざま、戦場での散り際の見事さが、凄(すさ)まじく、あっぱれで、今も人々の胸を熱くし、感じ得る人物がいる。

 その中の筆頭が、今なお愛され続けている武人、木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)である。

 1614(慶長19)年の大坂冬の陣が木村重成の初陣で、当時、20歳そこそこの年齢であった。ということは、夏の陣と合わせて、生涯に2度しか参戦しなかったのである。冬の陣で佐竹義宣(さたけよしのぶ)の軍を蹴散らし、大勝利を収める。その噂(うわさ)は重成の槍(やり)の威力とともに、敵味方の双方に驚異的武将として瞬く間に伝わっていった。

 翌15(慶長20)年、大坂夏の陣の出陣に際し、死しても見苦しくないよう、体を清め、髪を洗い、髪と甲冑(かっちゅう)に香を焚(た)き込めた。これが後に、徳川家康が重成の首を手にしたとき、頭髪の香と兜(かぶと)が脱げないように緒の端を切り落としているのに気付き、二度と兜を自ら脱ぐことはないという、討ち死にの覚悟の清さに感嘆したと言われている。

 冬の陣で重成は山口重信と一騎打ちに臨む。重信は重成の妹婿にあたる(諸説あり)。この勝負を名勝負とすることが、せめてもの妹婿への情けと思い、得意の槍を手放して組み合った。激闘の末、重信を破った重成だが、井伊家の庵原朝昌(いはらあさまさ)の槍にあっさり刺されて討ち死にする。重成が槍を手にして戦っていたなら、このような死に方はしなかったものを、という思いから、八尾市幸町にある彼の墓は別称「無念塚」と呼ばれている。

 現地に行ってみると、のどかな公園の入り口に大きな石柱が2本あり「木村重成公」「噫忠勇武烈(ああちゅうゆうぶれつ)」と彫られている。墓所も公園の中で広い敷地をしめており、その立派さに重成の人気の高さがうかがえる。

 この公園は「木村公園」と呼ばれているようで、近くの三つの橋も「木村橋」「東木村橋」「西木村橋」という名で、「このへんに住む木村さんは、自分の橋や公園みたいでいいなあ」なんて思いつつ、近くのお寺「蓮城寺(れんじょうじ)」に行ってみると、5月に「木村重成公四百年御遠忌追善法要(ごおんきついぜんほうよう)」が行われるとのこと。本当に地元で今も愛されている武将なのだ。「若江岩田」駅まで歩く途中「若江木村通」の交差点まであった。

 大阪に移住を考えている木村さんが、もし、いたなら、この木村重成の墓周辺をお勧めしたい。実際に木村さんの「マイタウン」になること請け合いである。

1744よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/20(日) 05:20:20 ID:3apyuSJc0
今城塚古墳の埴輪、クリーンアップ 高槻でイベント 大阪
2014.4.20 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140420/osk14042002000003-n1.htm

 高槻市郡家新町の史跡公園「いましろ 大王(だいおう)の杜(もり)」にある今城塚古墳で19日、埴輪(はにわ)のクリーンアップ作戦が行われた。

 6世紀前半に築造された同古墳は、淀川流域最大の前方後円墳。継体(けいたい)天皇(聖徳太子の曾祖父)の真の陵墓とされており、10年間にわたる発掘作業で出土した「埴輪祭祀(さいし)場」(650平方メートル)には、約200体の埴輪が復元・配置され、古代王権の儀礼様式を今に伝えている。

 クリーンアップ作戦は、史跡公園内にある市立今城塚古代歴史館の主催。ゴールデンウイークを前に公園をきれいにし、観光客に気持ちよく散策してもらうのが狙いで、市内の小学生軟式野球チーム「リトルジャイアンツ」のメンバーや家族連れら約120人が参加した。

 参加者たちは、古墳北側にある埴輪祭祀場に入り、水でぬらしたタワシを手に、武人や巫女(みこ)、動物、家などさまざまな形をした埴輪を次々に磨き、周辺の雑草を抜いた。約1時間の作業で埴輪はすっかりきれいになった。参加した子供たちは「すごい古墳が高槻にあるんだ」と誇らしそうだった。

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1745よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/21(月) 18:55:20 ID:0nbYKVAc0
活気伝わる道頓堀 芝居小屋資料130点展示
2014年4月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140420/20140420025.html

 開削から来年で400年を迎える道頓堀をテーマにした企画展「再現!道頓堀の芝居小屋」が19日、大阪市北区天神橋6丁目の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」で始まった。芝居小屋の建絵図など貴重な資料130点を展示。多くの来館者が「道頓堀五座」に代表される大阪文化の発信地の歴史の一幕に見入っている。5月25日まで。

 同館と関西大学都市遺産研究センターが主催。会場には舞台背景やポスター制作で活躍した芝居画家山田伸吉による作品の数々や、大阪出身の劇場大工中村儀右衛門が手掛けた浪花座、角座といった劇場の建絵図など同センター所蔵の資料がずらり。来館者は「当時の活気が伝わってくる」「いい時代だった」とつぶやきながら往時に思いをはせていた。

 このほか明治中期に描かれながら不採用となった洋風の浪花座の建絵図や、これを基に精巧に復元された縮尺模型もお目見え。セレモニーでは浪花座での上演という想定で能勢人形浄瑠璃鹿角座による三番叟(さんばそう)も披露され、開幕を盛り上げた。

 同大学文学部の長谷洋一教授は「大きな節目を前にさまざまな切り口から道頓堀の良さを再認識していただきたい」と話していた。午前10時〜午後5時。

1746よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/21(月) 19:27:15 ID:0nbYKVAc0
飛び出し注意、縁もPR 四天王寺に聖徳太子看板
2014年4月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140420/20140420022.html

 聖徳太子が「飛び出し坊や」に−。聖徳太子が摂政皇太子として最初に建立したことで知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)でこのほど、太子をデザインした飛び出し注意看板が完成した。笏(しゃく)を手に、にっこりと駆け出すユーモラスなポーズ。本来の注意喚起はもちろんのこと、天王寺が聖徳太子のまちであることを発信する役目も担っている。遺業がしっかりと受け継がれている寺、まちだけに太子看板の“降臨”は話題となりそうだ。

 境内では半年ほど前から北西の「中之門」などに太子を描いた立て看板を設置。車での参詣者に一時停止や徐行といった安全運転を促している。同寺参詣部の山岡武明さんは「『四天王寺=聖徳太子』ということを皆さんに知ってもらいたい」と看板のデザインを手掛けた。約40年前に誕生し、元祖とされる看板「飛び出し坊や」が静かなブームを呼んでいることにも着目。発祥の地である滋賀県へ赴き、さまざまな関連グッズまで売られている状況なども視察した。

 「立てる場所によって左右の向きの看板が必要であることや、歩行者に危険がないように縁は必ず丸みをもたせるなど、意外と気付かない点も多く試行錯誤の連続だった」と振り返る。

 看板自体の大きさは全長約80センチ、幅約40センチで支柱は高さの調節も可能。所有者や団体名を記す空欄もある。素材にプラスチックをアルミで挟んだ複合板を使って軽量に仕上げた。現在6基が完成しており、まずは境内で設置場所を調整中という。

 看板には本来の交通安全以外の役目もある。同寺では8年後に聖徳太子の年忌法要「御遠忌(おんき)1400年」が控えており、太子を祭る「聖霊(しょうりょう)院」(太子殿)周辺や、戦後から復興してない箇所の改修など一大事業の計画が着々と進んでいる。今回の看板制作もその一環という位置付けだ。

 山岡さんは「現在、天王寺のまちを歩いても聖徳太子の姿はないが、看板がまちの方々に立つことで、より多くの人に聖徳太子とのゆかりを認識もらいたい」と力説。境内以外の設置については「地域や団体などと相談し、申し出があれば既存の古い看板と交換してもらいたい」と広がりに大きな期待を寄せる。設置場所は同寺のホームページで順次紹介していく予定。

1747よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/21(月) 19:56:48 ID:0nbYKVAc0
「公園100選」木々伐採も
2014年04月19日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140419-OYTNT50068.html

 ◇枚方・百済寺跡再整備 根が遺構一部破損

 枚方市が今年度計画する国特別史跡・百済寺跡(8世紀中頃)の再整備を巡り、市教委が難問に直面している。約1700本ある木々のうち、遺構に影響のあるものを伐採しなければならないためだ。市民からは「慣れ親しんだ景観が変わる」と、反発する声が出ている。(編集委員・関口和哉)

 1967年に史跡公園第1号として整備された際、府教委がアラカシ2200本などを植栽した。その後、市がマツやサクラなどを植えており、寺跡には現在、計約1760本が茂っている。

 市は73年、同寺跡を「百済寺跡の松風」として「枚方八景」に指定。2006年には「日本の歴史公園100選」にも選ばれており、市民らの憩いの場になっている。

 ところが、今年度からの再整備を前にした市教委の調査で、西塔跡に生えた直径約1メートルのクス2本の根が、塔の土台(基壇)を壊していることが判明。講堂跡にも、マツ2本が直径約50センチに育ち、遺構に悪影響を及ぼしていた。寺跡の下層には、寺院造営以前の遺構も存在し、根で破壊される懸念が出ているという。

 市教委文化財課は「整備当初は、樹木が遺跡に悪影響を与える認識が薄かった。保存に影響する樹木は伐採するしかない」として処分する樹木の選定を進める。文化庁記念物課は「遺跡の重要性を考慮すれば、やむを得ない」としている。

 現在の計画では多くの人が花見に訪れるサクラは残す方針だが、その他の多くの木々は処分される見込み。新緑の季節を前に地元の主婦(70)は「住宅街の中にある貴重な緑地で、長年親しんできた。一本の木も切ってほしくない」と反発している。

 椎名慎太郎・山梨学院大名誉教授(文化財保護法)の話「地域住民の協力なしに遺跡の保護・活用はできない。行政は情報公開を進めるとともに幅広く意見を聞き、伐採するなら必要性を丁寧に説明すべきだ」

<百済寺跡> 渡来系氏族の百済王(くだらのこにきし)氏が創建したとされる寺跡。国庫補助事業で整備された。当時の調査で、東西両塔や金堂など主要伽藍(がらん)を確認。2005年度からの調査では、寺域が約140メートル四方と判明した。

2014年04月19日

1748よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/22(火) 22:39:10 ID:XxvIsJGY0
命日に聖徳太子しのぶ聖霊会
04月22日 17時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140422/3895791.html

聖徳太子ゆかりの大阪の四天王寺で聖徳太子をしのぶ大規模な法要「聖霊会」が行われました。
大阪・天王寺区の四天王寺では聖徳太子の命日とされる4月22日に聖徳太子をしのんで毎年「聖霊会」を行っています。
午後0時半から始まった法要では、まず僧侶や寺の関係者らおよそ 100人が列を作り笛や太鼓を吹き鳴らしながら境内を練り歩きました。
このあと境内にある池の上につくられた石舞台で舞楽が奉納されました。
この舞楽はおよそ1400年の歴史を引き継ぐとされ国の重要無形民俗文化財に指定されています。
このうち「振鉾」と呼ばれる最初に行われる舞は舞台を清め法要の無事を祈るもので赤と緑の衣装をきた人たちがほこを大きく回したり左右に振ったりしながら優雅な舞を披露しました。
境内には全国各地から多くの人が訪れ華やかな舞を見つめていました。
群馬から訪れた男性は「初めて見ましたが、とてもすばらしいです。
時間の流れがゆっくり感じました」と話していました。
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1749よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/23(水) 23:06:39 ID:dXS2xURE0
華麗歴史絵巻 四天王寺「聖霊会舞楽大法要」
2014年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140423/20140423031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で22日、開祖・聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」(重要無形民俗文化財)が執り行われた。太子の御霊を慰める法要と舞楽が厳修され、みやびやかな音色が響く中、多くの参詣者が歴史絵巻を思わせる光景にじっくりと見入った。

  同法要は約1400年の歴史を誇り、同寺の数ある年中行事のうち重要かつ最大規模として知られる。境内の石舞台では衆僧による声明(しょうみょう)に続き、天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)(小野功龍理事長)の舞人、楽人が勇壮華麗な舞楽の数々を奉納。朝鮮半島伝来とされ、太子の目覚めを慰める供養舞と伝わる5人舞「蘇利古(そりこ)」や、鳥の羽根を背にした童子による華やかな童舞「迦陵頻(かりょうびん)」などが次々と繰り広げられた。古式ゆかしい装束と所作、舞台の四方に立つ曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の装飾などが相まって人々を終始魅了した。

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1751よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/25(金) 21:35:43 ID:Z6okUgAc0
古都・大阪と最先端大都市・大阪の融合の象徴とも言えるニュースです。


■山本能楽堂 改修完了 「メインは最新型LED」
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000004526.shtml

 大阪で最も古く、国の登録有形文化財にも指定されている「山本能楽堂」で、ほぼ3年間にわたった改修工事が完了し、関係者に公開されました。

 「メインは最新型のLED照明にしたこと」(能楽師 山本章弘さん)

 舞台には1,670万色を表現できるLED照明を設け、夕日や月の光などで効果的な演出ができるようにしました。

 能楽以外でも様々な芸能に活用できるということです。

 1927年に建てられた、「山本能楽堂」は、戦争で焼失したあと再建。

 今回の工事は、総事業費2億円で耐震性も強化されました。

 稽古場や資料室も一新され、上方芸能を世界に向けて発信できる拠点にしたいということです。 (04/24 18:06)

1752よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/26(土) 05:02:31 ID:l4D2tR7I0
大坂冬の陣400周年 「赤い通天閣」で真田幸村博をPR
2014.4.25 23:21
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140425/wlf14042523210032-n1.htm

 大坂冬の陣400周年記念イベントの一環で、大阪のシンボル・通天閣が25日、一日限定で真田幸村の甲冑と同じ赤色にライトアップされた。

 幸村は大阪市天王寺区に激戦地となった砦「真田丸」を築いた。同区などは、これにちなみ5月4日に天王寺公園で「天王寺 真田幸村博」を開催する。

 通天閣には、甲冑姿の市民約10人が集まり、点灯式を開催。新世界も練り歩き「400年ぶりに東京に倍返しを」と“燃える大坂”をPRした。

1753よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/26(土) 21:47:39 ID:RWsJT6G.0
藤十郎さん「曽根崎心中」お初を演じ納め 1351回目、異例のカーテンコール
2014.4.26 21:09
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140426/wlf14042621090033-n1.htm

 歌舞伎の人間国宝で高松宮殿下記念世界文化賞受賞者の坂田藤十郎さん(82)が26日、代名詞ともいえる「曽根崎心中」のヒロインお初を演じ納めた。60年以上にわたり演じ続けた当たり役は、この日で実に1351回目。客席を埋めた観客は、最後となるお初に名残を惜しんだ。

 藤十郎さんは今月、東京・歌舞伎座の「鳳凰(ほうおう)祭四月大歌舞伎」に出演。千秋楽のこの日、藤十郎さんのお初を惜しむ拍手は鳴りやまず、歌舞伎では異例のカーテンコールも行われた。 終演後、藤十郎さんは「明日からお初に会えないかと思うと寂しい。カーテンコールがとてもうれしかった」と話していた。

 お初と徳兵衛の悲恋を描いた「曽根崎心中」は近松門左衛門の代表作。長く上演が途絶えていたが、藤十郎さんは昭和28年の復活上演以来、ほぼ一人で演じてきた。

1754よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/27(日) 22:04:18 ID:lztlrN2g0
四天王寺で「大古本祭り」
04月27日 12時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140427/3958071.html 

関西の古書店が一堂に会する、恒例の「大古本祭り」が、大阪の四天王寺で開かれています。
ことしの「大古本祭り」には、大阪や兵庫、京都などから29の古書店が参加し、およそ40万点の古本や版画などが展示・販売されています。大阪の四天王寺の境内にはテントが並び、訪れた人たちが、専門書や児童書などを手にとって、品定めしていました。
大阪・八尾市の古書店のテントでは、明治34年に現在の早稲田大学の学生が書いたとされる絵入りの日記が展示され、創設者の大隈重信との会話や、大隈の自宅が焼けたときの様子などが書かれています。主催した「関西古書研究会」の菅哲夫会長は、「掘り出し物との出会いを楽しんでほしい」と話していました。
「大古本祭り」は、大阪の四天王寺で、今月30日まで開かれています。

1755よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/04/27(日) 22:13:44 ID:lztlrN2g0
「大阪で生まれ育った文楽お引き立てを」…人間国宝「竹本住大夫さん」引退公演が「千秋楽」迎える
2014.4.27 21:09
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140427/wlf14042721090024-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の人間国宝、竹本住大夫さん(89)の大阪での引退公演が27日、大阪市中央区の国立文楽劇場で千秋楽を迎え、住大夫さんは「菅原伝授手習鑑・桜丸切腹の段」を渾(こん)身(しん)の力を込めて語り、本拠地・大阪の舞台に別れを告げた。

 この日、最後の舞台に詰めかけた満員の観客は、住大夫さんの滋味にじむ語りに名残を惜しみ、拍手はしばらく鳴り止まなかった。

 語り終わった後、本舞台に登場した住大夫さんは「みなさまの支えと励ましで今日まで来られて幸せでした。私が去りました後も、大阪で生まれ育った文楽に叱咤激励とお引き立てをよろしくお願いいたします」とあいさつ。人形遣いの人間国宝、吉田簑助さん(80)が遣う桜丸の人形から花束を受け取った。

 今月は初日から大入り満員が続き、千秋楽までに2万9973人を動員。昭和59年の同劇場開場以来、2部制公演としては歴代最高の入場者数を記録した。

1756よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 05:49:54 ID:OZANmrVw0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

命かけた仇討ちの連鎖

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2014年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/140502/20140502042.html

高槻市芥川町 芥川仇討ちの辻
 
 本日は、芥川仇(あくたがわあだ)討ちの一席を申し上げる。石見(いわみ)の国、吉永(島根県大田市)に早川八之丞、大崎長三郎という若侍がいた。二人は何かにつけ張り合うライバル同士。この日も城主の小姓をめぐって言い争いとなり、果たし合いまで行うこととなった。通常は立会人が必要であるが、二人だけで決着をつけることにし、斬り合いの末、長三郎は殺された。

 いかに武士の意地とはいえ、事の重大さに気づいた八之丞が、自室で切腹しようとしたところ、異変に気づいた父親、四郎兵衛が思いとどまらせ、八之丞に城下を去らせた。

 武士の社会で果たし合いは珍しくもないが、城主の側近である松下源左衛門の妻が、殺された長三郎の姉であり、彼女がこのことを城主に直接訴えた。そうなると城主も八之丞を逃がした四郎兵衛の責任を追及せざるを得ず、四郎兵衛に切腹を命じた。

 後日、八之丞の耳に父の悲報が届く。長三郎の姉が自分の立場を利用したことを怨(うら)み、八之丞は松下源左衛門をねらうようになる。しかし、なかなか好機が訪れず、10年の月日が流れてしまった。ようやく源左衛門が主命で江戸にいることをつきとめ、夜陰に乗じて寝所に押し入り「妻が勝手にしたこと」と言う言葉も耳に入らず、源左衛門を切り刻んだ。

 そうなると今度は源左衛門の息子たちが黙っていない。長男、三郎平(異説として助三郎とも言う)と次男の忠三郎、それに2人の従者がついて八之丞の後を追った。八之丞はすでに世を捨て、虚無僧(こむそう)姿で旅に出ているという。雲をつかむような話を追い続け、ついに1671(寛文11)年9月8日、芥川の宿にいるという情報をつかみ、長男と従者1人は、たまたまその日はいなかったが、好機を逃してはならないと、次男、忠三郎と従者の2人だけで、出立した八之丞の後をつけ、ついに討ち果たした。

 討たれた八之丞の懐には「自分は2人も殺した者で、討たれて当然。討った者に咎(とが)はない」という内容の書状があった。この事件は当時、本にも書かれ、美談として語られた(これらの話は弟と兄の役割や名前が違っていたり、内容の違う話がいくつか伝わっている)。

 このように、仇討ちは生涯をかけた大事業なのである。人によっては、それで一生を費やす者もいる。人を殺すということを考えぬく者もいるだろうし、だからこそ、仇討ちの重要性を感じるのだが、この芥川の仇討ちは「あっぱれ」と、手放しで喜べないものがどうしても残る。仇討ちが行われた辻(つじ)には、美談として書かれた案内板と小さな地蔵を祀(まつ)った祠(ほこら)があった。そうこうするうちに、雨が降ってきた。傘を忘れたので雨の中、辻に立ちすくみながら、殺し合いの連鎖について、濡れ鼠(ねずみ)になって、いっとき考え込んでしまった。

1757よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 06:16:46 ID:OZANmrVw0
中之島に蔵の跡 大名のものか
05月02日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140502/4128381.html 

大阪の中心部の中之島で江戸時代の大名などが使ったとみられる蔵の跡が見つかりました。蔵屋敷が並ぶ当時の姿を知る手がかりになると注目されています。
大阪文化財研究所などが大阪・中之島のマンションの建設予定地で発掘調査をしたところ幅およそ8メートル、奥行き35メートルほどの蔵の跡が4棟分見つかりました。
出土品などから18世紀後半の江戸時代に建てられたとみられ石を積んだ基礎の内側に礎石が規則正しく並べられていることから板張りの床があったと推測されています。
当時、中之島には参勤交代で江戸に向かう西国の大名が滞在したり特産品を保管したりする蔵屋敷が120ほど建ち並んでいたということです。
見つかった蔵は当時の絵図などから今の秋田県に拠点を置く生駒氏が使ったあと佐賀県にあった鹿島藩の鍋島氏が利用したとみられています。
大阪文化財研究所の市川創学芸員は「石高が多い藩の蔵屋敷は見つかっているが規模の小さい藩の蔵が見つかったのは初めてだ。大阪の経済を支えた中之島の当時の姿を知る手がかりになる」と話しています。
この発掘調査については今月10日に現地で説明会が行われます。


小藩ながら立派な蔵 中之島西部で跡確認
2014年05月03日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140502-OYTNT50542.html

 大阪市教委などは2日、同市北区中之島で江戸時代の土蔵跡が見つかったと発表した。中之島には当時、各藩の蔵屋敷が並んでいたとされ、今回の土蔵は、文献史料などから、比較的小さな藩が所有していた可能性が高いが、大きさは雄藩の蔵に劣っていないという。市教委は「小さな藩でも立派な蔵を使っていたことがわかる」としている。

 調査は今年1月から中之島の西部約2100平方メートルで実施し、土蔵4棟の基礎にあたる石積みなどが見つかった。いずれも幅約8メートルで、このうち2棟は、長さ約35メートルあることが確認でき、過去に近くで発掘された広島藩などの蔵跡に引けを取らない大きさだという。

 蔵の間には通路があり、当時、近くの堂島川から荷揚げされた特産物を運ぶのに使われていたとみられる。一方、他の藩のような、藩主が泊まったとされる屋敷跡は発見されなかった。

 市教委は、当時の地図などと位置を照らし合わせ、矢島藩(秋田県)、鹿島藩(佐賀県)が順に使用していた可能性があるとしている。石積みは1960年代まで、民間企業の倉庫の基礎に使われていたという。

 市教委などは10日午後1時から、現地説明会を開く。問い合わせは中之島蔵屋敷跡発掘現場事務所(090・2386・7682)へ。

2014年05月03日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1758よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 06:21:48 ID:OZANmrVw0
「大坂の陣」盛り上げへ 道明寺合戦まつりPR
2014年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140430/20140430025.html

 5月3日に開催される「道明寺合戦まつり」(藤井寺市)と4日の「天王寺 真田幸村博プレイベント」(天王寺公園)など、大坂の陣400年にちなんだイベントのPRが29日、大阪市阿倍野区のあべのキューズモールであった。「真田の赤備え」を身にまとった天王寺区の水谷翔太区長と、道明寺の地元商店主らでつくる「道明寺甲冑(かっちゅう)隊」のメンバーが、親子連れなど多くの買い物客らに来場を呼び掛けた。

 会場に登場した水谷区長は多彩なプログラムを紹介し「連日楽しんでもらい、ゴールデンウイークを『大坂の陣』一色で盛り上げてほしい」とPR。成功を祈願して勝ちどきを上げた。後藤又兵衛に扮(ふん)した同合戦まつり実行委員長の森田剛浩さん(52)は、「老若男女に楽しんでもらえるプログラムを予定。まつりを契機に道明寺のまちに親しんでもらえれば」と期待を込めた。

 3日は石川河川敷で午前10時の出陣太鼓に続き、再現パフォーマンスや武術演武などを実施。午後からは合戦再現などが繰り広げられる。道明寺天満宮会場(午後3時〜同8時)では灯ろうづくりワークショップや旭堂南陵さんの講談(同5時)、ライトアップ(同6時)などが予定されている。

1759よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/03(土) 06:26:51 ID:OZANmrVw0
境内に極楽浄土 平野・大念佛寺「万部おねり」
2014年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140502/20140502037.html

 大阪市平野区の融通念佛宗(倍巌良舜管長)総本山大念佛寺で1日、伝統行事の大法会「万部(まんぶ)おねり」(市指定無形民俗文化財)が始まった。快晴の青空の下、菩薩(ぼさつ)が現世から極楽浄土に向かう来迎の光景が再現され、多くの参詣者が荘厳な儀式に目を奪われている。

 万部おねりの正式名は「阿弥陀(あみだ)経万部読誦(どくじゅ)・二十五菩薩聖聚(しょうじゅ)来迎会(え)」といい、同寺で最大の行事として知られる。本堂沿いに設けられた回廊では、稚児や諸講の行列に続いて、紫蓮台を手にした観世音菩薩など、きらびやかな面と装束姿の二十五菩薩が登場。参詣者が見守る中、厳かにお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ順次入堂した。

 行事は5日まで。お練りは連日午後1時から行われる。

1760よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/05(月) 01:38:39 ID:v67YhLNw0
子供の健やかな成長祈り 生國魂神社であす「走馬神事」 大阪
2014.5.4 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140504/osk14050402030001-n1.htm

 「こどもの日」の5日、「いくたまさん」の愛称で親しまれる大阪市天王寺区の生國魂神社で、子供の健やかな成長を祈る「走馬(そうめ)神事」が行われ、子供の乗馬体験などの行事がにぎやかに開催される。

 走馬神事は江戸時代、大阪城と縁の深い同神社で始まり、馬を走らせながら弓を射る流鏑馬(やぶさめ)なども行われていた。明治期以降は、神事のみが続いていたが、午年の今年、行事を拡大することにした。

 当日は午前10時から、神社近くの生玉公園で子供の乗馬体験、午後3時からは神事に続いて神社境内で、小笠原流の流鏑馬の型が木馬を使って披露される。

 参加無料。問い合わせは同神社(電)06・6771・0002。

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1761よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/05(月) 21:46:09 ID:G6UaGqm60
由縁の地、朱に染まる 「真田幸村博」沸く
2014年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140505/20140505026.html

 大阪市天王寺区に由縁の武将、真田幸村の魅力を発信する「天王寺・真田幸村博」(同実行委員会主催)が4日、同区の天王寺公園で開かれた。朱塗りのよろい、かぶとの「赤備え」で統一した兵士らが練り歩き、大勢のファンがカメラのシャッターを盛んに押していた。幸村の末裔(まつえい)が登場したトークショーも会場を盛り上げた。

 幸村は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣家と徳川家が争った大坂の陣(1614〜15年)は豊臣方として活躍。同区には、大坂冬の陣の「真田丸の戦い」の跡地や幸村が討ち取られたとされる安居神社など由縁の場所が多い。

 この日は、大坂の陣から400年目のことし11月と来年の2年にわたり実施される本イベントのPR行事として「幸村博」を企画。ステージでは幸村に仕えた「真田十勇士」の迫力あふれる殺陣が観客を沸かせた。

 幸村から14代目の真田徹さん(65)=東京都=が、真田丸の戦いの勝因を「とりでの中でじっと待ち、敵を引き付けたこと」と分析するなど持論を展開。音楽ライブや一般参加のちゃんばらも人気を集めていた。実行委員長の水谷翔太区長は「歴史の町としてブランド化したい」と意気込んでいた。

1762よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/11(日) 18:17:00 ID:J3HWtnw20
岸和田だんじり祭の経済効果は
05月11日 05時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140511/4030251.html 

江戸時代から 300年以上続くとされる大阪・岸和田市の「岸和田だんじり祭」の経済波及効果がおよそ40億円にのぼると見られることがわかりました。
この調査は大阪南部・泉州地域のまちづくりについて調査・研究を行っている「堺都市政策研究所」と岸和田市が、初めて行ったもので、調査では去年9月14日から2日間行われた「岸和田だんじり祭」の地元への経済波及効果を調べました。
それによりますと、祭には46万人あまりが訪れたと見られ、宿泊費など来訪者による消費額や祭の運営費として支出された額などを推計したところ、経済波及効果は泉州地域全体でおよそ39億8900万円に上ったとしています。
一方、調査は、去年は台風などの影響で祭の来訪者数が例年のおよそ60万人を大きく下回ったことから例年通りであれば経済波及効果はさらに大きかっただろうと結論付けています。
堺都市政策研究所は、「岸和田だんじり祭は地域の文化の継承という面だけではなく、経済面でも地域に大きな効果をもたらしていることがわかった」と話しています。

1763よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/11(日) 19:37:47 ID:J3HWtnw20
歴史ある街大阪

https://www.youtube.com/watch?v=7qeWX0h-zOM

1764よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/11(日) 20:08:00 ID:J3HWtnw20
みやびやか薫風に舞う 住吉大社で卯之葉神事
2014年5月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140509/20140509019.html

 住吉大神の鎮座を記念する祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が8日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で執り行われた。多くの関係者が参列し、みやびやかに奉納される舞楽を堪能した。

 卯の花(ウツギ)が咲き誇る5月最初の「卯」の日の伝統行事。この日はさわやかな風が吹き抜け葉擦れの音が響く中、第一本宮で本殿祭を斎行。祝詞奏上や献香、献茶がなされ、参列者代表が神前に卯の葉の玉串をささげた。

 重要文化財の石舞台では舞楽を奉納。大阪の四天王寺、広島の厳島神社とともに日本三大舞台として知られる名所で、天王寺楽所雅亮(がくそがりょう)会が奉仕した。

 舞人が優美な雅楽の音色に合わせて、開始を告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」や4人舞の「打毬楽(たぎゅうらく)」「延喜楽(えんぎらく)」などを舞った。参拝者は、古式ゆかしい装束と相まって荘重な雅楽特有の所作に見入っていた。

1765よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 20:24:34 ID:e/g8GQkc0
大阪発 羅針盤

 地域の取り組みや課題、人々の動きや思いを通して大阪の明日、日本の未来を展望します。

淀屋闕所310年
2014年5月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/compass2011/140512/20140512035.html

閉塞した時代に活路 豪商が残した「教訓」

 高層ビルが立ち並ぶ大阪・中之島は、江戸時代に各藩の蔵屋敷が集積した。その蔵屋敷跡を発掘調査した大阪市教育委員会による10日の現地説明会に、当時豪商だった「淀屋」を顕彰するグループの姿があった。中之島を開拓した淀屋が、幕府の命によって財産没収と大坂追放の闕所(けっしょ)になった1705年から来年で310年の節目。淀屋の足跡を再評価し「閉塞(へいそく)した時代」に活路を開く試みが加速しつつある。

 「潮の満ち引きによる難工事も乗り越えた。勇気と先見性があった」。現地説明会に訪れた淀屋研究会代表の毛利信二さん(71)は、往時を想像して淀屋の業績に敬服したという。

 ススキやアシが密生する砂地だった中之島に着目した淀屋初代の常安(じょうあん)が、徳川家康に願い出て開拓を完了した1619年を境に大坂への蔵屋敷集積は進行。今回の発掘調査で見つかった4棟の土蔵跡は、蔵屋敷沿いの堂島川から荷揚げされた物資を効率的に搬入する配置を取っていたことを物語り、中之島一帯が「天下の台所」の象徴だった歴史を浮き彫りにした。

 淀屋が闕所になった原因は「ぜいだく」「おごり」と当時の大坂人は受け止め、生活の質素、倹約を進めるきっかけになったとされる。しかし、淀屋が残した「教訓」はこれにとどまらず、暖簾(のれん)復活を期した商人魂にあった。

「勇気と先見性」に目を 温故知新、実行の時

 中之島の開拓をはじめ米市の設立、青物市の再開などを手掛けて「日本一の豪商」と呼ばれた淀屋だが、持ち過ぎた財力は1705年、闕所(けっしょ)の憂き目を招いてしまう。その300年後の2005年に発足した淀屋研究会の目的は、淀屋に関する真実の探求。着目している点が、山陰地方の鳥取県倉吉市にあった旧商家「牧田家」との密接な関係だ。

1766よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 20:25:41 ID:e/g8GQkc0
>>1765

■来年10月にサミット

 「闕所の約60年後、淀屋跡地に淀屋清兵衛を名乗る商人が活躍している。倉吉の大蓮寺には牧田家代々のお墓と共に『大坂淀屋清兵衛』と刻まれた供養塔が建てられている」

 淀屋研究会が06年に編集した図録『淀屋の歴史と偉業』に寄稿した長谷川稔倉吉市長(当時)は、地元と淀屋の関係をそう伝えている。

 つまり、淀屋は倉吉でひそかに暖簾(のれん)をつなぎ、元の淀屋橋で淀屋清兵衛を公称して再興した。その後、1859年に突如、大坂と倉吉の店を閉鎖し、資金を朝廷に献上してこの世から去ったというわけだ。

 しかし、長谷川市長と対談した関淳一大阪市長(当時)は「闕所の真相も含めて分からないことが多い。淀屋の屋敷跡の碑にこの地とのよすがを伝えるのみ」と同図録に言及。淀屋の足跡が“伝承”の域にとどまる現状に対し、淀屋研究会は、闕所310年に当たる2015年10月10日に「淀屋サミット」の開催を通して足跡を深掘りする意向だ。

■歴史に活路を

 研究会と関わりのある作家の新山通江氏は、暖簾復活を期した淀屋4〜5代の商人魂を描いた著書『真説淀屋辰五郎』の巻頭で次のようにつづっている。

 「閉塞(へいそく)した時代の、あるいは個人的な憂い事の、活路を開いていただくヒントが見つかりますように」

 折しも、今後30年間で20〜30代の女性が半分以下に減る自治体は896市区町村に上るという試算が8日に発表されたばかり。東京に続く第2の都市である大阪市内でも郊外や再開発未定の大正、浪速、西成、住之江、中央の五つの区が半減するなどまさに「閉塞した時代」を迎えている。

 だからこそ「勇気と先見性」(毛利信二研究会代表)を持っていた淀屋の足跡に目を向け、民間活力が地域を発展させた大阪の歴史に学びたい。温故知新を実行する時である。

1767よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/12(月) 21:09:36 ID:e/g8GQkc0
再来年の大河ドラマ「真田丸」
05月12日 17時47分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140512/4377221.html 

再来年、平成28年に放送されるNHKの大河ドラマは、「大坂冬の陣」と「夏の陣」で豊臣方の武将として徳川家康率いる幕府軍と果敢に戦った、真田幸村の生涯を描く「真田丸」に決まりました。
大河ドラマ「真田丸」は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将、真田幸村が主人公です。
ドラマは、天下を争う大名たちにほんろうされながらも、父や兄をはじめとする家族とともに、知恵を頼りに生き抜き、江戸幕府によって追い込まれた豊臣家のために果敢に戦った幸村の姿を描きます。
「真田丸」は、大坂の陣の際に幸村が今の大阪・天王寺区に築いたとされる砦の名前で、戦国の荒波に立ち向かう真田家を、一そうの船に例えて名付けたと言われています。
脚本を担当するのは三谷幸喜さんで、大河ドラマの脚本は平成16年の「新選組!」以来2度目となります。
大河ドラマ「真田丸」は再来年、平成28年の1月から1年間放送されます。

1768よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/14(水) 21:44:40 ID:Kcm4v5Q.0
適塾 耐震工事終え再公開へ
05月14日 19時03分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140514/4152511.html 

福沢諭吉などの多くの人材を輩出した大阪の適塾の建物が耐震工事を終え、15日から再び公開されることになりました。
適塾は、幕末の蘭学者、緒方洪庵が、蘭学や医学を教えるために開いた塾で、福沢諭吉など、日本の近代化に貢献した多くの人材を輩出しました。大阪・中央区にある適塾の建物を管理する大阪大学は内部を公開していましたが、去年秋から一時休館して耐震改修工事を行い、完成したことから、14日、内覧会を開きました。
工事では、元の土壁を取り除いたあと、金属製の2枚の板の間にゴム状の素材を挟んで揺れを吸収する特殊な壁を取り付け、その上にしっくいを塗るという、重要文化財では初めての技術が使われ、展示室では、元の景観を損なわないこれらの工法についてもパネルなどで紹介しています。
大阪大学適塾記念センターの廣川和花准教授は、「古い建物を守るため、最新の技術を応用して耐震工事を行った。たくさんの人に見にきていただきたい」と話していました。
適塾の建物は、15日から再び一般に公開されます。
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1769よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/15(木) 05:24:41 ID:knmty1Hk0
適塾が耐震工事終え、15日から一般公開 内覧会に洪庵の子孫も
2014.5.14 22:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140514/wlf14051422000027-n1.htm

江戸時代の蘭医学者、緒方洪庵(1810〜63年)が開き、大阪大の原点とされる私塾「適塾」(大阪市中央区、国重要文化財)の耐震改修工事が完了し、阪大は15日から一般公開を再開する。14日は関係者向けに内覧会が開かれ、洪庵から数えて5代目の子孫がテープカットで再オープンを祝った。

 適塾の建物は木造一部2階建ての約285平方メートル。築200年以上と推測され、洪庵が弘化2(1845)年に購入。全国から集まった若者がここで医学や蘭学を学び、慶応義塾の創設者、福沢諭吉らを輩出した。また適塾の門人が阪大医学部の前身、大阪医学校などの要職に就いたことから阪大の源流の一つとされている。

 昭和51〜55年にかけて、大規模な改修工事が実施されたが、平成の改修となる今回は昨年10月〜今年3月、約6千万円をかけて屋根の軽量化や耐震壁の設置などを行った。改修により震度7までの揺れに耐えられるという。

 内覧会に奈良市から駆けつけた洪庵の子孫、緒方惟之さん(89)は「かつて、理想に満ちた多くの若者が学んだ空気を感じてほしい」と話していた。

1770よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/15(木) 20:49:36 ID:HYCetVuM0
「天満の名水」復活へ 天神祭実行委が初会合
2014年5月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140515/20140515025.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の実行委員会は14日、2014年度の初会合を大阪市北区の天満宮会館で開き、今夏の天神祭までに天満宮境内に井戸を掘って井戸水「天満の名水」を復活させる方針が示された。

 会合には大阪天満宮の寺井種治権宮司や京極俊明実行委員長ら関係者約80人が参加。14年度の行事計画として7月24日に宵宮祭、同25日に本宮祭を例年通りの内容で執り行うと決めた。

 天満の名水復活について、寺井権宮司は「祭りのにぎわいに生かせないか検討していく」と語った。

 京極実行委員長は「伝統を受け継ぐべきところは継承しつつ、改良できる点はしていくべきだ」と述べ、15年度以降の行事計画について関係者やにぎわいづくりの専門家らを交えた検討委員会の新設を提案。今後祭りの関係者との会合で設置について議論していく。

 会合では行事に関する13年度収支の決算や14年度予算も審議。収支悪化が顕在化している現状を踏まえ、改善に向けて協議した。

1771よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/17(土) 20:33:28 ID:u9D6AiKI0
徳川大坂城の採石場跡…航空レーザー計測で確認
2014年05月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140517-OYO1T50022.html

 江戸初期の徳川期大坂城築造の際、石垣に使う花崗岩(かこうがん)を切り出したとされる兵庫県西宮市の甲山(かぶとやま)東側に広がる丘陵地で、林の中から採石場跡とみられる遺構を「3次元航空レーザー計測システム」で確認したと、同市が16日、発表した。大坂城にかかわる採石場で最大の「東六甲採石場」の東端と考えられるという。

 同システムは、上空からレーザー光を照射し、広範囲の地表の凹凸を精密にとらえ、立体地図の作製に利用。この光は樹木をすりぬけるため、活断層や古墳の形を調べる際にも使う。

 市によると、東六甲採石場は現在の西宮市から神戸市にかけての六甲山系に位置し、石垣の約3分の1を産出したとされる。西宮市内でも、普請した鍋島藩などの印が刻まれた石材が見つかっている。しかし、採石場跡は住宅地となって発掘が難しい箇所が多く、同市の甲陽園地区でしか確認できなかった。

 市は2012年から、切りそろえたような石(縦横約1・5メートル、高さ約3メートル)が散乱する標高140メートルの地点を同システムで調査。近くの谷に直径10〜20メートルのくぼみが連続。この形が、兵庫県芦屋市内で発掘された採石場に酷似していた。西宮市は今後、発掘して特定するという。

 芦屋市で東六甲採石場を調べた森岡秀人・日本考古学協会理事(62)は「3次元航空レーザー計測システムによる調査が進めば、採石場の全体像がわかるのではないか」と期待している。

徳川期大坂城 豊臣秀吉の築いた大坂城が大坂夏の陣(1615年)で落ち、徳川幕府は西日本の大名64人に新たな城を築くよう命じた。城は1629年に完成したが、天守閣は65年に落雷で焼失した。

1772よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/17(土) 20:44:14 ID:vPLMBLrI0
富田林興正寺別院 重文に
2014年05月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140517-OYTNT50055.html?from=ycont_top_txt

 ◇「寺内町とセットで残存」評価

 富田林市の寺内町にある人気スポット「富田林興正寺別院」が16日、国の重要文化財(建造物)に指定されることになった。寺内町が形成される第一歩となった寺で、山門は豊臣秀吉が築いた伏見城(京都)のものが移築されたと伝わる。関係者は「これを機に、さらに魅力を発信していきたい」と喜びの声を上げた。(岡田英也、桜井悠介)

 本堂は、江戸時代初期の1638年に建立され、浄土真宗寺院のものとしては府内で最古。江戸後期に建てられた鐘楼(しょうろう)、鼓楼(ころう)、御成門(おなりもん)などと合わせて計6棟が指定された。

 周囲は、東西400メートル、南北350メートルの範囲に町家などが立ち並ぶ寺内町で、府内唯一の「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれている。「寺と寺内町がセットで良好に残る貴重な事例」と高い評価を受けた。

 同地区での重文指定は「旧杉山家住宅」に続き2例目。観光客の案内を担う「じないまち・ボランティアガイドの会」の山口完内会長(76)は「ガイドで外せないスポットで、指定を待ちわびていた。本堂内のふすま絵や欄間(らんま)彫刻など見所が多く、さらに多くの観光客に魅力を伝えたい」と張り切る。

 興正寺別院の華園勝文代務住職(83)は「歴史的な価値が認められ、身が引き締まる思い。先人から守られてきた建物を、次の世代に引き継いでいく重責を感じています」と話した。


 今回の指定で、府内の重要文化財(建造物)は99件(184棟)となった。

2014年05月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1773よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 06:10:39 ID:/b1eD7WA0
【舞台の遺伝子】
大阪で叶えた夢 歌舞伎の原点取り戻す 中村勘三郎
2014.5.17 14:35
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n2.htm

 初夏が近づくと、中村勘三郎さんを思い出す。

 20〜30年ほど前、大阪の7月は、勘三郎さんの舞台で熱く燃えた。

 道頓堀の中座を舞台に、躍動的に動き回り、すさまじいエネルギーを撒き散らし、愛嬌(あいきょう)たっぷりの演技に客席は沸いた。「東海道四谷怪談」では客席から幽霊を出して悲鳴を上げさせ、「高坏(たかつき)」では軽やかな下駄のタップダンスに場内から手拍子がわき起こった。

 「歌舞伎ってこんなに面白い」。勘三郎さんは古典芸能に見向きもしなかった大阪の若者たちをぐいっと歌舞伎に引き寄せた。それがいまに続く歌舞伎ブームのさきがけとなった。

 そんな勘三郎さんの涙を大阪で見たことがある。

 平成22年、大阪城公園西の丸庭園に建てられた「平成中村座」のお披露目のとき。江戸時代の芝居小屋を現代に蘇らせた平成中村座は、勘三郎さんの夢の結晶でもあった。

 その舞台後方を開け放った瞬間、大阪城の天守閣が姿を現したのだ。「これはすごい」。勘三郎さんの目に涙がにじんだ。

 天守閣の向こうに大阪の摩天楼がそびえる。それは伝統と現代を結びつけた希代の歌舞伎役者が夢見た風景だったのかもしれない。

 勘三郎さんが初めて大阪で「平成中村座」公演を行ったのは平成14年11月。

 梅田の繁華街にほど近い扇町公園の砂ぼこり立つ空間に突如、その芝居小屋は出現した。入り口には色とりどりの幟(のぼり)がはためき、場内に入ると桟敷(さじき)席。江戸時代にタイムスリップしたような風景に、観客は度肝を抜かれたものだ。

 勘三郎さんから任されて設計、建築を行った金井大道具の金井勇一郎社長(53)は「テントですから外の騒音も聞こえる。雨はうるさいけど、パトカーの音はかえっておもしろかった。ここでいったい何ができるんだろう。勘三郎さんも僕もワクワクしながら作り上げた」と振り返る。

1774よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 06:13:54 ID:/b1eD7WA0
>>1773

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/write.cgi/travel/6501/1294119348/
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140517/wlf14051714350030-n4.htm

 平成中村座の「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」のラストシーン。舅(しゅうと)殺しをした浪速の侠客(きょうかく)、団七(勘三郎)と義兄弟の徳兵衛(中村橋之助)は捕手に追い詰められ、現代の扇町公園の土の上を大阪の街に向かって疾走していった。

          □

 実は勘三郎さんに平成中村座を思いつかせたのはアングラ演劇の旗手、唐十郎さんの紅(あか)テントであった。

 19歳のとき、初めて紅テントで唐さんが主宰する状況劇場の芝居を見て衝撃を受けたという。神社や公園に出現する紅テントは猥雑(わいざつ)で妖しく、劇中、テントの後ろを開けると現代の風景が飛び込んでくる演出は魅惑的であった。

 「これだよ、これ」。勘三郎さんは足しげく紅テントに通った。

 現在、唐さん主宰の唐組で俳優兼演出を務める久保井研さん(51)はそんな勘三郎さんの姿をよく覚えている。

 「他のお客さんと一緒に膝をつき合わせて桟敷席で見ていらっしゃいました。打ち上げでは劇団員たちと車座になって話されていた。『これが歌舞伎の原点なんだ。歌舞伎もこれに戻らなきゃいけないんだよ』。そんなことを飛び上がるほど興奮しながら唐さんと話していましたね」

 歌舞伎が近代化の波の中で失ったものを取り戻したい。それこそが勘三郎さんの夢だったのではないか。

         □

  勘三郎さんは歌舞伎が低迷していた大阪に、歌舞伎の種をまいて花を咲かせ、突然、逝ってしまった。

 しかし、大阪の7月の歌舞伎公演は、勘三郎さんらの奮闘のおかげで途切れることなく続き、今年も松竹座で開催される。

 〈あんたはんは東京一、道頓堀が似合う役者はんや〉。大阪の見知らぬおばちゃんからそんなファンレターをもらったと、うれしそうに教えてくれた勘三郎さんの屈託のない笑顔が忘れられない。

中村勘三郎(1955〜2012年) 人間国宝だった十七代目中村勘三郎さんの長男として生まれ、昭和34年、東京・歌舞伎座で五代目中村勘九郎を名乗って初舞台。平成17年、歌舞伎座で十八代目中村勘三郎を襲名。華のある芸風で、立役から女形まで芸域は幅広く、古典の古格を守りながらも、新作歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座など果敢に挑み、歌舞伎の地平を豊かに切り拓いた。57歳というあまりにも早い死は現代歌舞伎の底知れぬ損失となった。

1775よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/18(日) 20:54:43 ID:HkvDen6w0
「歴史的な日」だんじり24台がパレード 市制60年の大阪・河内長野
2014.5.18 20:24
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140518/wlf14051820240030-n1.htm

 大阪府河内長野市で18日、市民らがだんじり24台を引きながらメーンストリートを練り歩くパレードが開かれた。今年で市制60周年を迎えたのを記念するイベントで、沿道は約2万5千人でにぎわった。

 24台は同日午後、市役所に集結。そろいの法被姿の市民らが、だんじりを引きながら威勢よく練り歩いた。例年、秋の祭りでは後輪を持ち上げてこまのように速く回す「ぶん回し」がみられるが、この日はだんじりの彫刻などを楽しんでもらおうと、ゆっくり進んだ。

 実行委員長の鉾谷祐二さん(39)は「24台が集まった歴史的な日。こんなことは秋祭りでもない」。市内に住む上田まさ子さん(67)は「24台なんてびっくり。今しかないと思って見に来ました」と話した。

1776よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/21(水) 20:04:51 ID:jKmfYW4.0
真田幸村の資料館来月オープン
05月21日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140521/4472601.html

豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年を迎え、豊臣方の武将、真田幸村ゆかりの品々を集めた資料館が、大阪市にオープンすることになりました。
「真田幸村公資料館」は「大坂の陣」から400年になるのを記念して、大阪の鉄砲研究家、澤田平さんが大阪・東成区に、来月・6月からオープンさせるものです。
「資料館」には、▼「大坂夏の陣」で幸村が、徳川方に攻め込み、家康を撃とうとしたとされる「宿許筒」と呼ばれる火縄銃や▼徳川方が使ったとされる長さ1メートル70センチの「慶長大鉄砲」、それに、▼後世の武家が幸村の戦術を学んでつくったとされる手裏剣や吹き矢など、およそ300点が展示されるということです。
また、資料館を訪れた人たちは、澤田さんの説明を受けながら見学できるということですが、入館には予約が必要だということです。
「真田幸村公資料館」の連絡先は、06−6974−1186で、随時、予約の相談や問い合わせに応じるということです。

1777よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/21(水) 20:08:53 ID:jKmfYW4.0
この地道な努力に敬服いたします。 


空襲前のミナミ、45年かけ地図…聞き取り重ね
2014年05月19日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140519-OYO1T50024.html

空襲で焼ける前の大阪・ミナミ周辺の詳細な地図を45年かけて作っている男性がいる。資料を調べ、1000人以上に聞き取りをした。情報を求めて歩くうち、ふるさとの面影がよみがえったという。千日前から、道頓堀、心斎橋と広げ、今は最後の船場地区を作業中だ。戦後70年の来年、大阪市立中央図書館(西区)に寄贈する。(南部さやか)

 安藤豊さん(78)(中央区千日前)の幼い日の思い出は、国民学校3年時点で断ち切れる。

 春休みで集団疎開先から戻っていた1945年3月13日夜、大阪大空襲に遭った。焼夷(しょうい)弾が降り、燃え上がる町を家族で逃げ回った。千日前の自宅周辺は跡形もなく焼けた。避難先の知人宅から千日前に戻れた中学入学の頃、まだバラックが並び、西部劇のように砂ぼこりが舞っていた。

 地図作りの始まりは、証券マンだった68年、小学生の息子が「町の歴史を知りたい」と言ったことだ。資料を探して訪ねた図書館で、自分が国民学校1年だった42年の職業・個人電話帳を見つけた。これを手がかりに記憶をたぐり、地図を描いてみようと思った。

 今、ビックカメラなんば店が立つ場所に大阪歌舞伎座があった。劇場は近辺に12か所。戦争映画の宣伝看板が並び、作業着姿の男性が大勢、自転車をこいで見に来ていたのを思い出した。

 通っていた精華国民学校の近くは駄菓子や肉、すし、青果店が軒を連ね、道頓堀の、今は看板がまぶしいあたりに料亭があって、芸者さんが歩いていた。

 休日に先輩や同級生、近所の商店主らを訪ね歩き、「これ間違ってへんか」と、自作の地図を見せては情報を集めた。歴史雑誌や手記を読み、知らない建物名や地名を見つけるとまた調べて回った。

 地図が埋まってくると、街の光景と、思い出がよみがえる。繁華街の路地にろう石でマルを描いてケンケンをしたこと。通りが行商人たちの声であふれていたこと。てんびん籠を下げたイワシ売り、傘の修繕、うどん、玄米パン。毎月の夜店のあめ細工……。

 古い資料を持っている人や、同じように自宅周辺の昔の地図を作っている人にも出会い、情報交換した。「戦前のメインストリートは堺筋やったんや」「ここが、織田作之助の通った波屋書房があったとこ」。聞いて集めたエピソードも一緒に記録に残す。作製中の地図の大きさは縦横約2メートルになった。

 スタートから45年がたち、話を聞かせてもらった人の多くが他界しており、「これ以上は難しいだろう」と言う。

東西約4・5キロ、南北約6・3キロ。あの空襲では、この大半が焼けた。失われたものの大きさに今も慄然とする。

 安藤さんは「たくさんの生き証人の協力があって再現できた、空襲で消えた町のことを知ってほしい」と話している。

 古川武志・大阪市史料調査会調査員は「限られた地区の絵図などはあったが、大阪大空襲前の住宅地図はなく、貴重なものだ。地元で育った安藤さんだけに細部まで書き込んでおり、当時の町並みや人々の暮らしぶりがよくわかる」と話している。

大阪大空襲 大阪国際平和センター「ピースおおさか」(大阪市中央区)によると、大阪への空襲は、1944年12月〜45年8月に約50回行われ、うちB29爆撃機100機以上の大規模な空襲は計8回あった。45年3月13日の被害が最も甚大だった。

2014年05月19日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1778よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/25(日) 05:58:40 ID:YzhJ0.rE0
古墳周辺の景観保全対策説明
05月24日 12時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140524/4641481.html 

大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめざして堺市は、住民説明会を開き、新たな建物の高さの規制など、周辺の景観保全対策を説明し、理解を求めました。
百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録をめぐっては、周辺の景観の保全が不十分だなどとして、去年8月に推薦が見送られたことから、地元の堺市などは、先月、建物の高さの規制など、新たな対策を決めました。これを受けて、24日、地元の住民を対象にしたはじめての市の説明会が開かれ、およそ50人が参加しました。
市の担当者は、古墳群のそばでのこれまでの規制に加え、古墳群の周辺でも、新たな建物の高さや、建物の外壁の色を規制することなどを盛り込んでいまの条例を改正する方針を説明しました。
これに対して、参加者からは、「自治会単位で必要となる対応についてもっと説明してほしい」という要望が相次いだほか、「マンションの高さを変えて、資産価値が下がった場合、補償はあるのか」といった質問も出されていました。
堺市の宮前誠世界文化遺産推進室長は、「古墳群を世界文化遺産として守っていくため理解をいただけるよう説明を続けていきたい」と話しています。

1779よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 05:01:18 ID:AfElV3sQ0
幻の「海岸寺」解明に期待
2014年05月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140523-OYTNT50017.html

 ◇明治期移築先とされる貝塚・常照寺から175年前の鬼瓦

 貝塚市の常照寺本堂(名越)で、約175年前の江戸時代に製造されたとみられる鬼瓦が見つかった。同寺は、かつて徳川将軍家の位牌(いはい)をまつり、その後、姿を消した「海岸寺」が移築されたものとみられている。瓦には当時の職人と思われる名も残っており、地元研究家は「幻の寺の全容を知る鍵になるかもしれない」と期待している。

 常照寺は、1532年建立の浄土真宗本願寺派の寺。天保時代の古文書で記された間取りや妻入り造りの建築様式などから、岸和田城の初代城主・岡部宣勝(1597〜1668)が1657年に建てた海岸寺が、後に移築されたとみられている。

 海岸寺は、3代将軍家光以降の歴代将軍の位牌堂。現在の貝塚市半田にあったが、明治時代に解体され、位牌や石灯籠の一部は泉南市の寺に移された。宝物類などは行方不明になったという。

 常照寺では、約3年前から本堂を改築。その際、古い鬼瓦を歴史研究家の赤坂勇さん(69)が調べたところ、裏に岡部家菩提(ぼだい)寺の瓦に刻まれていた「岸泉仁」や、「天保九戌三月 瓦屋周三郎」など、瓦職人とみられる人名を見つけた。今後、瓦の価値を分析したり、刻まれた人名の子孫などを調べたりするという。

 赤坂さんは「約360年前に建てられた海岸寺の実態を知る糸口になるかもしれない貴重な資料」と評価、常照寺の藤塚知暁住職(64)は「鬼瓦は寺に安置された位牌を守る役割を果たしていたのでは。壊れないよう保存方法を考えたい」と話している。

2014年05月23日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1780よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 20:59:39 ID:LMIRksUU0
長い間、本当にお疲れ様でした。

「泣いたらあかんけど…」 拍手鳴り止まず 文楽の人間国宝、竹本住大夫さんが最後の舞台
2014.5.26 20:38
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140526/wlf14052620380028-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の太夫(浄瑠璃語り)で、人間国宝の竹本住大夫(すみたゆう)さん(89)の引退公演が26日、東京・国立劇場で千秋楽を迎えた。住大夫さんは亡き父、六世住大夫さんの引退公演と同じ「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)・沓掛(くつかけ)村の段」を語り、68年の太夫人生に幕を引いた。

 住大夫さんは45分間にわたり、子供や老母らの心情を情感豊かに表現。その余韻を惜しむ拍手はしばらく鳴り止まなかった。

 舞台上で行われた引退セレモニーでは「寂しゅうてまだ、次の公演に出るような気がします。これからも文楽を末永くお願いします」とあいさつ。長年、苦楽をともにしてきた人形遣いの人間国宝、吉田簑助さん(80)から花束を贈られ、感無量の面持ちを見せていた。

 セレモニー後、取材に応じた住大夫さんは「拍手を聞いていたら胸が詰まって。泣いたらあかんと我慢したが、楽屋に戻ってみんなの顔を見たら泣いてしまいましたわ」と語った。

1781よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/26(月) 21:00:50 ID:LMIRksUU0
■文楽・竹本住大夫さん引退 「感謝と敬いの心でいっぱい」
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000004786.shtml

 人形浄瑠璃文楽の最長老で、今年2月、引退を表明した竹本住大夫さん(89)の最後の舞台が東京・国立劇場で上演されました。

 68年にわたる大夫人生を締めくくった最後の演目は、「沓掛村」。

 これは父の6代目、竹本住大夫さんが引退公演で演じたものと同じです。

 住太夫さんは戦後、すぐ文楽の世界に入門し、ストーリーを語る「大夫」という役割で、1989年には人間国宝に認定されました。

 大阪市の補助金削減問題では、技芸員のトップとして奔走。

 おととし7月に脳梗塞で倒れ、リハビリを経て、半年後に舞台復帰を果たしたものの、後遺症のため引退することを決めました。

 「いい星の下に生まれた運のいい男でね。感謝と敬いの心でいっぱいでございます」(竹本住大夫さん) (05/26 18:14)

1782よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/05/27(火) 23:11:34 ID:twV4LRaI0
雨中 地上の“花火” 坐摩神社のアジサイ
2014年5月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140527/20140527024.html

 大阪市中央区久太郎町の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)でアジサイがほころび始め、雨空に映える紫や赤、白などの花々が境内に彩りを添えている。

 同神社では神職が挿し木で株を増やすなど、丹精込めてアジサイを栽培している。葉の形状がカシワに似た「カシワバアジサイ」や「アナベル」、「スミダノハナビ(墨田の花火)」など約20種があり、開花期に合わせて鉢植えを境内に配置。今年は約200株が連なった。

 26日の近畿地方は気圧の谷や温かく湿った空気の影響で、終日、断続的な雨に見舞われた。

 境内の花は約1週間前から確認。全体では花数はまだ少ないが、多くの参拝客が、雨に打たれながら、つつましく咲く花姿に見入っている。同神社によると花は6月中旬まで楽しめる見込み。開門時間は午前7時半〜午後5時。

1783よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/01(日) 19:03:14 ID:w03L5oM60
入浴剤あの顔のモデル

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2014年5月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/140530/20140530024.html

東大阪市大蓮東「中将姫供養塔」

 今回は麗しの中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説である。天平19(747)年、藤原豊成(ふじわらのとよなり)に女の子が生まれた。長谷寺の観音様に祈願して、ようやくできた娘である。しかし、姫が5歳の時に母は亡くなり父は後妻を迎えたが、男の子ができたことで後妻は姫を憎み、14歳の時、後妻は家臣に姫を殺すよう命じた。だが、心やさしい姫をどうしても殺せず、家臣は日張山(ひばりやま)の青蓮寺(せいれんじ)に隠した。

 翌年、父が宇陀(うだ)に狩猟に来た際、洞窟で読経する女性に出会い、それが実は姫であることが分かって、姫を都に連れ戻した。13歳の時、三位中将の位を持つ内侍(ないし)となり、それから中将姫と呼ばれるようになった。

 16歳の時、世上の栄華から離れ、二上山の當麻寺(たいまでら)にて仏の道に仕えることを決心する。姫が生身の弥陀(みだ)を拝みたいと念じていると、長谷寺の観音が現れ、蓮華(れんげ)の茎から糸を取って曼陀羅(まんだら)を織るがよい、と教えられた。

 そこで、近江・大和・河内から蓮(はす)の茎を集めて「當麻曼茶羅(たいままんだら)」を織りあげた(この織物は最古にして最大ということで国宝に指定されている)。そして姫が29歳の時、阿弥陀(あみだ)如来と二十五菩薩(ぼさつ)が現れて、中将姫を生きながら西方浄土へ迎えたという。(以上、諸説あり)

 さて、日張山で最初に身を寄せた藤村家で姫は、婦人病によく効く秘薬を藤村家に伝え、それが藤村家家伝の薬「中将湯(ちゅうじょうとう)」になった。津村順天堂(現・株式会社ツムラ)の創業者、津村重舎(つむらじゅうしゃ)は日張山青蓮寺の檀家(だんか)であり、母の実家の藤村家に伝わる中将湯を婦人薬として商品化し、大ヒットさせた。

 だから津村順天堂のマークは創業当時から中将姫なのである。中将湯もお茶だけでなく明治30(1897)年に「浴剤中将湯」が発売される。それが昭和5(1930)年に「バスクリン」と改名され、今もロングセラーを続けているのだ。

 その姫の供養塔が高槻市にあるということで行ってみた。場所を近くのおばちゃんに聞いてみたら「あんたみたいな人が、ようウロウロしてるで」と言いつつ、丁寧に教えてくれた。

 そこには案内板も何もなかったが、異説では、幼い中将姫を守った「産婆」が住んでいたともいう。多くの人は中将姫のことは知らなくても、津村順天堂のマーク(現・メモリアルマーク)の清純でかわいく、気高ささえ感じる美人のことは誰もが思い出すことだろう。

 能に姫を題材にした「當麻」や「雲雀山(ひばりやま)」があり、御伽草子や草双紙のヒロインでもある。高槻市の供養塔を誰が作ったか知らないが、中将姫のことが大好きな人であることは間違いない。

 そう、中将姫は忘れがたく、私にとっても、時として「思い出したい人」なのである。津村順天堂の成功の一因は、当時、マークと広告を手掛けた画家、高畠華宵(たかばたけかしょう)の画力が相乗効果を上げた、中将姫のイメージなのである。

1784よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/06(金) 21:24:52 ID:3i.cgynI0
そうなんや 大阪24区

中央区 難波宮跡公園
2014年6月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140606/20140606043.html

発掘調査60年の節目

  「大化の改新」「日本書紀」「聖武天皇」、教科書でもおなじみの古代ロマンを今に伝えるのが中央区法円坂一帯に広がる「難波宮(なにわのみや)」跡公園だ。ことしは発掘調査が始まって60年の節目。近隣の大阪歴史博物館は21日から特別展「大阪遺産 難波宮」を開き、メモリアルイヤーを盛り上げる。

 同地で明らかになっているのは飛鳥時代と奈良時代の2時期の宮殿跡。前期は大化の改新後の飛鳥からうつった「難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)」、後期は聖武天皇が造営し、平城京の副都として栄えたという。

 大阪市立大学教授の山根徳太郎博士(1889〜1973年)が1954年から発掘調査を行い、中心部は国の史跡に指定。調査は現在も続き、公園内には天皇が重要な儀式で使用した後期の「大極殿(だいごくでん)」の基壇などが復元、住民らの憩いの場になっている。

 大阪歴史博物館は常設展示で難波宮を年代別に紹介しているが、特別展で本格的に取り上げるのは開館以来初。視点を変え「瓦」「土器」「文字」など15テーマから出土品などを展示する。

 同館学芸員の李陽浩さん(45)は「大阪にとどまらず世界に誇る宝。まだまだ分かっていないこともあり、これを機会に多くの人に関心を持ってもらいたい」と話す。

1785よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/07(土) 04:58:24 ID:EbLrca160
21日から大阪歴博で難波宮の特別展
2014.6.7 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140607/osk14060702020003-n1.htm

 「難波宮(なにわのみや)」の発掘調査開始から今年で60年を迎えたのを記念し、大阪市中央区の大阪歴史博物館で21日から、特別展「大阪遺産 難波宮−遺跡を読み解くキーワード」が開かれる。同宮の宮殿などに使われたとみられる屋根飾りの瓦である鴟尾(しび)の破片や古代の日本語表記がうかがえる木簡などを展示する。8月18日まで。

 同館によると、難波宮は、7世紀に造営されたが、686年の火事によって焼失。東大寺建立を唱えた聖武天皇により8世紀に、平城京の副都として再建されたとされるが、いまなお謎が多いという。

 昭和28年に住宅建設工事中に、大型の屋根飾りの瓦である「鴟尾」の破片(縦49・6センチ、横38・7センチ)が発見され、60年前の29年から第1次発掘調査が行われた。鴟尾は古代宮殿・寺院などの建物に用いられたとされ、復元図と並べて展示する。

 また「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と、漢字1字を1音にあてた「万葉仮名」で記された木簡「万葉仮名文木簡」や、出土遺物、当時の記録、歴史博物館所蔵の資料など約450点を展示する。

 企画広報課の李陽浩さんは「ビジネス街の地下に眠る古代の都の風景を思い浮かべながら、歴史ロマンを楽しんでもらえたら」と話している。大人600円、高校・大学生400円。問い合わせは大阪歴史博物館(電)06・6946・5728。

                   ◇ 

 関連企画として、29日に大阪歴史博物館の栄原永遠男館長による講演会「聖武天皇と難波宮」、7月25日と8月1日には「初期の発掘地点を巡るツアー」なども開催される。

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1786よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/09(月) 19:57:10 ID:giSrOsU.0
第3次大阪大空襲69年 3千の魂に祈り
2014年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140608/20140608087.html

 あの大惨事を後世へ−。太平洋戦争末期の1945年6月に米軍が実施した「第3次大阪大空襲」から69年を迎えた7日、猛烈な銃爆撃によって甚大な被害を受けた大阪市北東部など各地で犠牲となった人々を悼む慰霊の行事が執り行われた。爆撃機と護衛戦闘機の計500機が白昼飛来。爆弾と焼夷(しょうい)弾投下、機銃掃射を繰り広げ、約6万戸が被災、約3千人が犠牲となったとされる。参列者は69年前の惨状を風化させまいと、市民を巻き込む戦争の悲惨さや平和の尊さをあらためて訴えた。


 犠牲者千数百人の遺体が火葬された大阪市旭区生江の城北公園北側の淀川堤防に立つ「千人つか」では、千人塚慰霊法要協賛会(東浦栄一会長)による慰霊法要が行われた。

 同所は当時、地域住民の避難所になっていたが、米軍機は逃げてきた人々を低空から銃撃。同年に計8回あった大阪大空襲の中でも最も悲惨を極め、遺体は三日三晩かけて荼毘(だび)に付されたとされている。

 「千人つか」は、東浦会長の父が庭の石で作り、終戦の翌年から同所で法要を続けている。

 「戦争は昔の話ではあるが、遺族の方は昨日のことのように感じていらっしゃる」と東浦会長。しかし、時とともに経験者の高齢化は進み、当時、学徒動員中で多くの女子生徒が犠牲になった愛媛県の松山城北女子高校の関係者は、昨年に続いて参列することがかなわなかった。

 4年前から法要後に慰霊の能を上演しているNPO法人フェリスモンテ(旭区)の山王丸由紀子理事長(67)は「私も戦争を知らない世代だが、この平和を私たちが守っていかないといけないとあらためて心に誓いました」と話していた。

犠牲者千数百人の遺体が火葬された大阪市旭区生江の城北公園北側の淀川堤防に立つ「千人つか」では、千人塚慰霊法要協賛会(東浦栄一会長)による慰霊法要が行われた。

 同所は当時、地域住民の避難所になっていたが、米軍機は逃げてきた人々を低空から銃撃。同年に計8回あった大阪大空襲の中でも最も悲惨を極め、遺体は三日三晩かけて荼毘(だび)に付されたとされている。

 「千人つか」は、東浦会長の父が庭の石で作り、終戦の翌年から同所で法要を続けている。

 「戦争は昔の話ではあるが、遺族の方は昨日のことのように感じていらっしゃる」と東浦会長。しかし、時とともに経験者の高齢化は進み、当時、学徒動員中で多くの女子生徒が犠牲になった愛媛県の松山城北女子高校の関係者は、昨年に続いて参列することがかなわなかった。

 4年前から法要後に慰霊の能を上演しているNPO法人フェリスモンテ(旭区)の山王丸由紀子理事長(67)は「私も戦争を知らない世代だが、この平和を私たちが守っていかないといけないとあらためて心に誓いました」と話していた。

1787よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/10(火) 22:28:32 ID:hjB8oJNo0
夏の天神祭を盛り上げる「ギャルみこし」 メンバー募集で本社来訪
2014.6.10 20:40
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140610/wlf14061020400020-n1.htm

 大阪の夏の風物詩、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭を盛り上げる「ギャルみこし」のメンバー募集をPRしようと、昨夏の経験者で今年も参加する4人が10日、ねじり鉢巻きと法被姿で、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ、「女性だけで担ぐみこしの醍(だい)醐(ご)味(み)をぜひ味わって」と呼びかけた。

 ミス天神橋の石川亜矢子さん(28)▽準ミス天神橋の岩谷薫さん(30)と谷口萌さん(22)▽御羽車娘の池上なつ美さん(31)−で、いずれも昨夏の担ぎ手の中から選ばれた。

 今年の天神祭は7月24、25の両日開催するが、ギャルみこしは同月23日、大阪天満宮近くの天神橋筋商店街周辺の約4キロで繰り広げられる。募集するのは15〜30歳の元気で健康な女性80人。オーディションで、重さ約70キロの天(てん)秤(びん)棒を担ぎ「みこしを担ぎたい!」という熱い思いを全身でアピールしてもらうという。

 30日までに「天神祭ギャルみこし」のホームページ(http://galmikoshi.com/)から申し込む。

1788よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/12(木) 05:06:42 ID:u28V9daM0
「大坂の陣400年」イベント概要明らかに 大阪城公園にテーマパークなど登場
2014.6.11 21:13
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140611/wlf14061121130017-n1.htm

 大阪の歴史や文化を発信するイベント「大坂の陣400年天下一祭(さい)」の概要が11日、明らかになった。慶長19(1614)年冬から翌年夏にかけて豊臣方と徳川方が激突した合戦にちなみ、今年は「大坂冬の陣」として10〜12月、大阪城公園に戦国時代のテーマパークなどが登場。来年も「大坂夏の陣」を開き、戦国ロマンで観光客へのPRを図る。

 400年の節目に大阪の活性化を図ろうと、大阪府と大阪市、鉄道会社、経済団体などでつくる実行委員会が企画。大阪の歴史や文化を楽しみながら学べる−をコンセプトにしており、冬の陣では大阪城の3D映像を鑑賞したり、甲冑などを試着したりできるテーマパークが大阪城公園内に出現する。

 公園内に設けられるドーム(直径36メートル)では内壁のスクリーンに合戦のイメージ映像が映され、入場者を臨場感が包み込む。このほか、通常は立ち入れない重要文化財の大阪城の櫓や蔵も特別公開される。夏の陣は来年4月〜9月の予定で、内容は検討中という。

 この日、市役所での会合を報道陣に公開し、概要を明らかにした。天下一祭をPRする俳優やタレントでつくる武将隊「大坂RONIN5」もお披露目され、真田幸村や長宗我部盛親らにふんしたメンバーは刀ややりを振りながら勇ましく名乗りを上げていた。

1789よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/12(木) 23:36:32 ID:wSwbKWzE0
武将隊を披露 大坂の陣400年プロジェクト実行委
2014年6月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140612/20140612037.html

 「大坂の陣400年天下一祭」を大阪市中央区の大阪城公園などで開催する大阪市、大阪府、民間事業者などで構成する「大坂の陣400年プロジェクト実行委員会」の第2回会合が11日、大阪市役所で開かれ、イベントをPRする武将隊「大坂RONIN5」がお披露目された。

武将隊は、大坂の陣で豊臣方の主力として奮戦した真田幸村らに扮(ふん)した5人組。赤や黄色など色鮮やかな衣装をまとい、刀などを手に勇ましいポーズを決めた。

 大坂冬の陣イベントは10〜12月に開催。期間中は西の丸庭園に直径36メートルの「ドーム」が出現し、大阪城の築城から大坂の陣までを紹介する映像などを上映。大阪城天守閣前の本丸広場では特設ステージが設けられ、武将隊のショーなどが予定されている。

 同実行委員会の橋爪紳也委員長は会合で「大坂の陣400年を一つの契機として、官民挙げて大阪を世界にアピールする2014、15年にしていきたい」と呼び掛けた。

1790よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 05:09:28 ID:5yGSD5QQ0
東大阪の「ものづくり力」知って 上田合金が銅鐸復元 全市立中に寄贈
2014.6.12 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140612/osk14061202000001-n1.htm

 東大阪市高井田中の鋳造会社「上田合金」が市内の遺跡で発見された破片から銅鐸26個を復元し、全市立中学校26校に寄贈することになった。上田富雄社長(78)が、子供たちに東大阪のものづくりの力を知ってもらおうと発案。今後、市が作成した銅鐸の関連資料などと合わせて各校に贈る。

 同市弥生町の鬼虎川(きとらがわ)遺跡から約35年前に銅鐸鋳型の破片などが出土しており、それらをもとに製作した。

 銅鐸は、約2千年前の弥生時代中期に使われていたとされる。復元された26個の銅鐸は、銅、スズ、鉛の合金を使用しており、高さ約31センチ、厚さ約3ミリで重さは約3・7キロ。各校には銅鐸のほか、復元工程や鬼虎川遺跡の様子を解説したデータ資料も贈るという。

 市役所で野田義和市長が上田社長に感謝状を贈呈。上田社長は「技術的には現代よりも2千年前のほうがすごいと感じます。子供たちには古代の職人やものづくりの原点を理解してもらえれば」と話した。

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1791よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:27:21 ID:9lE7gTbQ0
愛染まつりをPR
06月12日 19時15分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140612/5133621.html

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が今月30日から始まるのを前に、浴衣姿の「愛染娘」たちが、NHK大阪放送局を訪れ、祭りをPRしました。
「愛染まつり」は、大阪・天王寺区にある「愛染堂勝鬘院」の、約1400年の歴史がある夏祭りで、初日には愛染娘を乗せたかごが谷町筋を練り歩く「宝恵かごパレード」が行われます。12日は、ことしの祭りに参加する、華やかな浴衣姿の「愛染娘」など4人がNHK大阪放送局を訪れ祭りをPRしました。
愛染娘たちは、「あいぜんさんじゃ−!ほーえーかーご!」と威勢の良い声を上げ、祭りの成功を願い「大阪締め」を披露しました。
愛染娘の1人で、20歳の大学生の弘中沙也加さんは、「愛染娘全員が笑顔で祭りを盛り上げるので、多くの人に来てほしいです」と話していました。愛染まつりは、今月30日から3日間行われます。
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1792よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:33:59 ID:9lE7gTbQ0
「天神祭月間」七夕に開幕へ 天神祭
2014年6月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140613/20140613022.html

 大阪市北区の大阪天満宮は12日、日本三大祭りの一つ天神祭の幕開けを7月7日の七夕に位置付け、本宮の同25日までを「天神祭月間」と打ち出す方針を示した。現状は宵宮の同24日が天神祭の始まりとして浸透しているが、期間を拡大することで地域のにぎわづくりに一層つなげていく。

大阪天満宮は現在、七夕に天満天神七夕祭の神事を執り行っているが、室町時代には七夕に天神祭が執り行われた記録が残っていることを踏まえ「プロローグの日」にする方針を決めた。

 7〜25日は、大阪天満宮近隣の川に発光ダイオード(LED)電球を流して天の川に見立てるなど多彩なイベントがすでにある。こうした取り組みを一体的に捉えて天神祭月間を通し、お祭りムードを高めて25日のピークにつなげる。

 天神祭月間の設置をめぐっては、天神祭渡御行事保存協賛会が大阪市北区の天満宮会館で12日開いた委員総会で示した。総会では、「天満の名水」を復活させる計画についてペットボトルに入れて商品化し、売り上げを天神祭の運営費に充てて「祭りの礎」にする意向も明らかにした。

 寺井種伯宮司は「祭りの広がりにつなげていければ」と話している。

1793よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/13(金) 22:39:53 ID:9lE7gTbQ0
澪標 ―みおつくし―

受け継がれた祭りで人の繋がり
とくいさとしイラストレーター、絵画教室講師
2014年6月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/140613/20140613033.html

4年ほど前から写真を趣味にし、生き生きとした子どもたちの笑顔を撮りたく近畿地方を中心にお祭りへ出掛けるようになりました。大阪ですと生國魂神社の「いくたま夏祭」や住吉大社の「御田植神事(おたうえしんじ)」には毎年足を運ばせていただいておりますし、御田植神事では見る側から、現在は「供奴(ともやっこ)」として参加する側にまわっております。毎年見に行っていたら「やる?」と声を掛けられました。「御田植神事」はちょうど明日14日に開催されます(午後1時より本殿祭の儀)。ぜひお越しください。

 祭りに行くと、地元の方々からすれば僕は完璧なよそ者なわけですが、どこのお祭りに行っても快く迎えてくださいます。大体は「まぁ飲んでけ」とビールを渡され、地元の方といっしょに顔を赤く染めるわけですが、その心地よさを除いても祭りって本当にいいなと思います。

 普段子どもたちが大声ではしゃぐと「静かにっ!」と顔を真っ赤にして怒る大人が、祭りの日は別の理由から顔を真っ赤にして、子どもたちに「元気がないぞ!」と率先してバカみたいにはしゃぎます。子どもからすれば理不尽な話ですが、子どもたちもこの日はどうやら騒いでもいいらしい! と元気よく大人たちの期待に応えてくれるわけです。

 和歌山に行った時の話ですが「孫が初めて天狗(てんぐ)の役目をする」とうれしそうに語ってくれた方もおられました。お孫さんは大勢の地域の人が見守る中、見事大役をやってのけ、たくさんの拍手を受けておりました。帰りの電車の中で「あの天狗はよかった」と乗り合わせた地域の方の会話が聞こえてきて、祭りが地域の人たちにとって大切であること、子どもが地域のみなさんに育てられていることを感じました。

 祭りに行くとそういった地域の人たちの繋(つな)がりや、長年変わらずお祭りを継承されてきた歴史が感じられるところが好きです。祭りを通じて地域の人同士が繋がりを深め、子どもは大人からたくさんのことを学び地域の一員として育っていくのでしょうね。

 ただ、山間の小さな神社へ行った時には、小学生が巫女(みこ)として舞いを奉納するのですが、受け継ぐ子どもがおらず、あと2年間しか今の形で祭りを催行することができないという話も聞きました。

 地域のあり方や、人と人との繋がり方、いろいろな変化が祭りにも表れているのだと思います。それでもやはり地域に根付いた歴史を持ち、地域の人たちの繋がりで受け継がれてきたお祭りは大切であると思います。祭りに参加する子どもたちの笑顔はとても生き生きとしております。

 (とくいさとし 堺市美原区)

1794よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/15(日) 21:17:08 ID:bjKJVt6s0
古式ゆかしく豊作祈願 住吉大社・御田植神事
2014年6月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140615/20140615032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形民俗文化財)が盛大に執り行われた。梅雨を思わせない快晴の下、多くの奉仕者が古式ゆかしい装束姿で参集。踊りや舞といった華やかな芸能を奉納し、秋の豊作を祈願した。

同神事は神功皇后が御田を造らせ、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源とされる。

 この日は、神前に田植を奉告する本殿祭に続き、境内南側に広がる御田(おんだ)で御田式を斎行。中央の舞台では、同大社の神楽女(かぐらめ)が八乙女(やおとめ)として奉仕し、「田舞(たまい)(八乙女舞)」を舞う中、植女から青々とした苗を受け取った替植女(かえうえめ)らが、すげがさ、赤たすき姿で手際よく苗を植え付けていった。

 このほか舞台と御田の周辺では、「神田代舞(みとしろまい)」や「風流武者行事」「住吉踊(おどり)」などが順次奉納され、国内外の参拝者の注目を集めた。

 高井宮司は「ことしの秋の豊作と、すべての産業が発展するようにお祈りしたい」とあいさつした。

1795よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/16(月) 05:03:26 ID:nR0.Fl2A0
大坂の陣400年記念連続講座 市立中央図書館で来月
2014.6.16 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140616/osk14061602040002-n1.htm

 「大坂冬の陣」から今年で400年の節目を迎えることにちなみ、「大坂の陣」をテーマにした連続講座「乱世の大坂−よみがえる大地の記憶−」が7月5日から26日にかけ4回にわたり、大阪市西区の市立中央図書館で開かれる。

 内容は、作家の有栖川有栖さんによる「上町台地と大阪の文学」(7月5日)▽市史料調査会調査員の生駒孝臣さんによる「大坂城前史−忘れられた中世の大阪−」(12日)▽講談師の旭堂南陵さんによる「難波戦記−大阪が育んだ真田幸村−」(19日)▽大阪城天守閣館長の北川央さんによる「大坂城主 豊臣秀頼の実像」(26日)。

 入場無料。いずれも午後2時〜4時で、定員は当日先着各300人。ただし第1回のみ、往復はがきまたはインターネットで申し込む(6月18日必着)。

 また関連企画として同館3階では、大坂の陣に関する資料展示や、参戦した武将たちを取り上げた図書展示も行う。問い合わせは市立中央図書館(電)06・6539・3302。

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1796よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/18(水) 04:38:05 ID:J2qhbfHo0
大坂冬の陣400年 10月から「天下一祭」
2014年06月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140617-OYTNT50040.html?from=yartcl_blist

<3D画像で合戦再現 PRグループも発足>

 「大坂冬の陣」から今年で400年となるのに合わせ、大阪の歴史や文化を国内外にPRする「大坂の陣400年天下一祭」が10月1日〜12月31日、大阪市中央区の大阪城公園で開かれる。伝統芸能の公演やコンサートなどに加え、最新の映像技術で再現したかっちゅう姿の豊臣秀吉に出会える特設ミュージアムも登場する。

 府や大阪市、民間事業者でつくる実行委員会が主催。事業費約8億8000万円のうち、府と市は計約7800万円を負担する。

 本丸に設けるステージでは、能勢町の人形浄瑠璃や八尾市の河内音頭などを地元グループが上演する。天守閣の入場者には、専用のタブレット端末を有料で貸し出し、展望台から見た街並みに大坂の陣での各軍勢の配置を映し出したり、参戦した武将を紹介したりするサービスを行う。

 ミュージアムは本丸の北側にある極楽橋前に建て、3D画像やホログラム投影技術などで、豊臣秀吉のほか、当時の合戦の様子を再現。隣接の特設ホールに武将や忍者の貸衣装コーナーも設ける。西の丸庭園ではジャズコンサートや文楽の公演などが行われる。

 国の重要文化財に指定され、普段は入場できない櫓(やぐら)の一部も期間中に数回、特別公開。石垣をよじ登って侵入してくる敵の頭上に石を落とす仕掛けなどが見学できる。

 真田幸村ら豊臣方の武将にふんした劇団俳優やタレントで結成した5人グループ「大坂RONIN5」が今後、関西各地で天下一祭をPR。大阪観光局と連携し、海外の旅行会社にも売り込み、外国人観光客の一層の誘致を図るという。

 来年春から夏には「夏の陣」から400年に合わせたイベントも開催予定で、実行委広報事務局は「時代が移り変わる歴史的な舞台となった大阪城にもっと観光客を呼び込みたい」としている。

2014年06月17日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1797よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/18(水) 04:40:00 ID:J2qhbfHo0
名水再掘 大阪天満宮、プロジェクト結実
2014年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140617/20140617026.html

 天神さんに名水が復活−。大阪市北区の大阪天満宮で、かつて出ていた地下の井戸水が天神祭前をめどに復活する。大阪天満宮の禰宜(ねぎ)、岸本政夫さんは「真の意味での水都大阪復活の一つのきっかけになれば」と話している。

■藩主が飲用

 江戸時代、天満宮境内の「天神水」は、「大坂4カ所の清水」の一つとして名水にたたえられた。中之島にあった延岡藩(大分県)の蔵屋敷では、参勤交代で藩主が滞在する際、天神水を取り寄せて藩主の飲食に用いていた。

 明治ごろまでは一帯に130軒以上も造り酒屋があったといい、おいしい水として親しまれていた逸話は枚挙にいとまがない。しかし近年は、地下鉄や地域の開発などで水脈が寸断され、井戸水は枯れてしまっていた。

■五知の水

 復活のきっかけとなったのは、天神橋筋商店連合会の土居年樹会長と、天神橋筋商店街にリサーチアトリエを構える関西大学の楠見晴重学長の出会いだ。

 楠見学長は地質学の専門家で「再び天満の地で名水を」という両者の思いからプロジェクトが動きだした。

 天満宮に呼び掛けたところ「境内にあった『五知の水』と呼ばれる井戸の付近を掘ってみては」と協力を得た。地下70メートルまで掘り下げ「きわめて良質な清水」が出た。

 「鉄分が多く濁りはあるが、水質検査で有害物質は検出されなかった。ろ過して、お参りに来た皆さんにもいずれ名水を楽しんでもらえるようになれば」(岸本さん)

■ガラスの里

 加えて、ガラス工業発祥の地としても知られる同エリア。名水により親しんでもらえるよう、取水口には「ガラスの祠(ほこら)」が建てられる。リサイクルしたガラスで行う工芸「ガラスおこし」など、ガラスを使ったさまざまなアートの可能性を広げるアーティストで、大阪工業大学客員教授の岡本覚さんがデザインを買って出た。

 岡本さんは「ガラス発祥の地にふさわしく、現代のあらゆるガラス素材を駆使して祠を表現する。翡翠(ひすい)のように輝く屋根や、宙に浮いたような感覚を出したい」

 現在、祠建立に向け、1口5万円もしくは10万円の寄付を、天満宮も井戸復興奉賛金を1口1万円で受け付け中。

 岸本さんは「以前は素晴らしい水が出る場所だったと知ってもらい、誇りを持てる歴史があったこと、まだ大阪も捨てたものやないと感じてもらえたら」と話している。

 【メモ】ガラスの祠寄付の問い合わせは岡本さん(okamoto@bedeverre.com)、井戸復興寄付は大阪天満宮授与所へ。

1798よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/19(木) 22:56:19 ID:QAqFInms0
そうなんや 大阪24区

東成区 深江の菅細工   
2014年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140616/20140616039.html

技術伝承支える保存会

東成区深江地区に約2千年前から伝わるとされる菅(すげ)細工。天皇が即位される時の大嘗祭(だいじょうさい)や、伊勢神宮(三重県)で20年に1度行われる式年遷宮の儀式で使用される菅笠を代々、献納している。地元の伝統技術を継承していこうと現在、9人のメンバーで活動するのが、深江菅細工保存会だ。

 同地区は古代から良質の菅草が自生し、菅笠作りが行われていた。江戸時代には「伊勢参り」の流行とともに必需品として深江で菅笠を買い求める旅人が増え、名産品となった。しかし戦後は都市化で宅地開発が進み、菅草を育てる菅田が姿を消した。

 伝統技術が存亡の危機を迎える中、保存会は1988年に発足。地元で菅細工教室を開くなど、活動を展開。99年には「深江の菅細工」は、大阪市の無形文化財に指定された。

 2007年には保存会が協力し、深江菅田保存会が結成され、地元の南深江公園の一角に菅田が復元された。10年には地区内に深江郷土資料館がオープン。館内には式年遷宮で献納される同じサイズの菅笠(直径170センチ)が展示され、伝統の技術を伝える。

 保存会の最年長メンバー、長尾桂子さん(81)は、「次のそしてまたその次の式年遷宮と、深江の菅細工を絶やすことなく、後継者を育てていきたい」と力を込めた。(藤林敏治)

1799よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/19(木) 23:08:52 ID:QAqFInms0
社会人向けの文楽教室
06月19日 07時58分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140619/5217711.html

大阪の伝統芸能、人形浄瑠璃「文楽」を広く知ってもらおうと、18日夜、大阪の国立文楽劇場で、社会人向けの文楽教室が開かれました。
これは、国立文楽劇場が開いたもので、会社帰りの人たちも訪れやすい午後6時半から文楽を上演し、約700人が訪れました。
文楽は、せりふやあらすじを話す語り手の太夫と、音楽を演奏する三味線、そして1つの人形を3人で操る人形遣いという、3種類の技芸員が演じますが、まずそれぞれの役割が説明されました。
続いて、「卅三間堂棟由来」という演目が上演されました。この話には、ひと組の夫婦と子どもらが登場しますが、妻が柳の木の精という設定で、法皇の病をなおすため柳の木を使って三十三間堂をたてることになります。


おので木を切ろうとすると、妻は苦しみだしますが、死ぬ前に夫に自分が柳の精であることを告白する様子や、切り倒された柳の木を母と慕う子どもの様子を太夫が、文楽ならではの独特の節回しで表現していました。
会社員の男性は、「はじめての文楽鑑賞だったが、解説もありよくわかった。会社帰りにこれたので、また見に来たい」と話していました。
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1801よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:25:33 ID:tEwMd6gY0
指定文化財新たに17件 大阪市教委
2014年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140621/20140621041.html

 大阪市教育委員会は20日、「愛染さん」の呼び名で親しまれている愛染堂勝鬘(しょうまん)院(天王寺区)の「木造大勝金剛坐像」を有形文化財(美術工芸品)に指定するなど計17件を新たな市指定文化財にすると発表した。1999年度から毎年、文化財を指定しており、今回の17件を加えると市指定文化財の総数は計207件になる。

木造大勝金剛坐像は、1597(慶長2)年に豊臣秀吉が寄進したと伝えられ、国指定重要文化財となっている多宝塔の本尊。塔内中央の須弥壇上に祭られている。制作年代は多宝塔の建立時より若干さかのぼる室町時代と考えられている。

 このほかの指定文化財は次の通り。

 ◇有形文化財

 【美術工芸品】木造阿弥陀如来立像(本願寺津村別院)▽木造男神坐像・木造男神半跏像(今宮戎神社)▽木造阿弥陀如来立像(真宗大谷派天満別院)▽木造千手観音菩薩立像(西念寺)▽刺繍青面金剛画像(四天王寺)▽刺繍西国三十三観音札所観音菩薩画像(宝泉寺)▽下別時関連仏画群(法明寺)▽梵鐘(真宗大谷派難波別院)

 【歴史資料】佐賀藩大坂蔵屋敷関係史料(日本生命保険相互会社)▽慧光寺真宗関係史料(慧光寺)▽耐火収蔵庫型厨子(大乗坊)▽市電801型801号車・2201型2201号車・3001型3050号車、トロリーバス200型255号車(大阪市交通局)

 【考古資料】森の宮貝塚出土人骨(大阪市教育委員会事務局)

 ◇有形民俗文化財

 木造荼吉尼天騎狐像(東大寺)▽木造弁才天及十五童子像(荘厳浄土寺)▽生玉宮寺由来彫像群(正圓寺)

1802よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:26:55 ID:tEwMd6gY0
「難波宮」ひもとく 大阪歴史博物館 特別展
2014年6月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140621/20140621039.html

 大阪市中央区の大阪歴史博物館で21日に開幕する特別展「大阪遺産・難波宮−遺跡を読み解くキーワード−」の内覧会が20日、同館で開かれた。古代日本の一時代を築いた宮殿をひもとくとともに、発掘調査の知られざるエピソードが公開された。

1954(昭和29)年に始まった発掘調査の60周年を記念した同館と大阪文化財研究所(大阪市中央区)の合同イベントとして8月18日まで続く。

 今展は瓦、土器、建築部材などの出土遺物ごとにエリア分け。初期の調査を主導した故山根徳太郎氏が記した当時の記録ノート、調査の経過を報告する年賀状などの私物も公開され、発掘調査の足跡をたどることができる。

 タイトルの「大阪遺産」について、同館学芸員の李陽浩さんは「大阪が世界に誇れるほどの遺産である」と説明。「これまで興味がなかった人にも理解を得られるようにコンパクトに展示した。難波宮に親しみを持ってほしい」と話している。

 開館は午前9時半〜午後5時。火曜日休館。観覧料は特別展のみは大人600円、高大生400円。

1803よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/06/28(土) 05:28:21 ID:tEwMd6gY0
朗報喜ぶ 「木造大勝金剛坐像」市有形文化財指定
2014年6月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140622/20140622038.html

 “愛染さん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘(しょうまん)院(山岡武明住職)の境内・多宝塔内に祭られている「木造大勝金剛坐像」が20日、大阪市指定有形文化財(美術工芸品/彫刻)となった。関係者は、同院の伝統行事「愛染まつり」(30〜7月2日)直前に舞い込んだ朗報を喜ぶとともに、「後世に継承したい」と歴史を伝える思いを新たにしている。23〜28日には指定を記念して、初めて多宝塔内の特別拝観を実施する。

重要な仏像

 木造大勝金剛坐像が祭られている多宝塔は593(推古天皇元)年に太子創建と伝わる。石山合戦で失われており、現在の塔は1597(慶長2)年に豊臣秀吉によって再建。大阪市内最古の木造建造物として知られる。

 同院の文化財は、多宝塔(国の重要文化財、旧国宝)、金堂(大阪府指定文化財)に続く3件目。今回指定を受けたのは、勝利開運の御利益で信仰があつく「大日大勝金剛尊」として祭られている本尊(像高75センチ)。塔内の柱と壁面に仏教の世界観を表す曼荼羅(まんだら)が描かれており、その中心に位置する。

 大日如来の身代わり的な存在で、金剛界曼荼羅の中では重要な位置付けだが、市教委文化財保護担当によると、大勝金剛尊の実作例は少ない上、画像がほとんどあり、今回のような彫像は極めて珍しいという。また制作の年代は現状で特定できていないが、絵の具の質や塗り方などから、塔の建立よりもやや古い室町時代と推測している。

歴史を顕彰

 塔内は原則非公開。正面扉が開かれる「愛染まつり」の3日間も、参詣者は扉の前から本尊を拝観するのみとあって、今回の内部特別公開はまたとない機会だ。壁面には火天など「八方天」を描いた板絵をはじめ、4本の柱に綿密な柱絵があり、2010年から3カ年計画で塗膜の剥落補修作業が終わったばかり。さらに本尊の文化財指定を受け、山岡住職は「大変ありがたい。太子ゆかりの愛染堂の歴史をあらためて顕彰するとともに、かけがえのない文化財を守っていきたい」と話している。拝観は無料。午前10時〜午後4時。

1804名無しさん:2014/06/29(日) 20:19:44 ID:uF2ndxvs0
家族DE文楽参加者を募集 歴史街道推進協
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624033.html

歴史街道推進協議会は、文楽を鑑賞する夏休み特別企画「家族DE文楽」を7月27日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場で開催する。参加者を募集している。

 次代を担う子どもたちや若者に、日本の歴史や文化に親しみ、理解を深めてもらおうと行っている教育プログラムの一環。今回は、大阪が世界に誇る伝統芸能「文楽」に触れてもらおうと企画した。

 同劇場の「夏休み親子劇場」にあわせて実施。観劇、解説、小道具などに触れる「歴史街道特別教室」で、子どもだけでなく、文楽を見たことがない大人も楽しめる内容になっている。

 時間は午前11時〜午後2時半で、小学生〜高校生とその保護者20組(応募多数抽選)。参加費6400円(2人料金、追加は大人1人4100円、子ども1人1900円)で、はがき、ファクス、インターネットなどで申し込みを受け付ける。7月14日必着。

 問い合わせは電話06(6223)7745、同協議会へ(平日午前10時〜午後5時)。

1805名無しさん:2014/06/29(日) 20:45:39 ID:uF2ndxvs0
家族DE文楽参加者を募集 歴史街道推進協
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624033.html

 歴史街道推進協議会は、文楽を鑑賞する夏休み特別企画「家族DE文楽」を7月27日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場で開催する。参加者を募集している。

 次代を担う子どもたちや若者に、日本の歴史や文化に親しみ、理解を深めてもらおうと行っている教育プログラムの一環。今回は、大阪が世界に誇る伝統芸能「文楽」に触れてもらおうと企画した。

 同劇場の「夏休み親子劇場」にあわせて実施。観劇、解説、小道具などに触れる「歴史街道特別教室」で、子どもだけでなく、文楽を見たことがない大人も楽しめる内容になっている。

 時間は午前11時〜午後2時半で、小学生〜高校生とその保護者20組(応募多数抽選)。参加費6400円(2人料金、追加は大人1人4100円、子ども1人1900円)で、はがき、ファクス、インターネットなどで申し込みを受け付ける。7月14日必着。

 問い合わせは電話06(6223)7745、同協議会へ(平日午前10時〜午後5時)。

1806名無しさん:2014/06/29(日) 21:01:12 ID:uF2ndxvs0
大社の御灯明用菜種油復活へ 住吉で菜の花栽培
2014年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140624/20140624028.html

 国内の菜種油生産の発祥地とされる大阪市住吉区の遠里小野(おりおの)地区で、かつて住吉大社へ御灯明の油をささげてきたという故事を再現させようという動きがある。地元農家などの協力で今年は生産量も急増。先人が築いてきた地場産業に思いをはせ、再び地域に“伝統の灯”を復活させようと地元が一体となって取り組んでいる。

■遠里小野

 運動を進めているのは、住民約90人でつくる「菜の花を咲かそう会」。2011年にまちおこしを目指して発足し、行政も支援に乗り出した。

 菜種生産の歴史は古く、かつては住吉区から今も「遠里小野町」の地名が残る現在の堺市堺区にかけて菜種栽培が盛んだったとされる。江戸期に著された古書「搾油濫觴」などによると、大社が鎮座した古代から、染料にも用いられた地元産のハシバミが御灯明の燃料とされていたという。中世には京都・大山崎で採れるエゴマ油が台頭するようになったが、遠里小野は菜種から油を生みだすという“技術革新”により、ススの出ない良質な油の生産に成功。再び日の目を見たが、やがて全国的な広まりから衰退し、住宅地として開発された大正時代には次第に畑も減り、戦後はついに途絶えた。

 西洋菜種と違って食用には向かないが、当時は貴重な燃料源だった。住吉大社文教課の小出英詞さんによると、大社の高灯籠(どうろう)はかつては灯台の役目をし、大阪湾の航海の安全に果たす役割も大きかったそうで、「遠里小野がエネルギーを支えてきた」と強調する。

■古人の偉業

 地域を縦貫する旧熊野街道沿いの約400メートルには、街の美化にとプランターで育てた菜の花を門前に飾り、区役所前でもボランティアスタッフの手で栽培。さらにこの春からは地元の農家4軒が新たに協力を申し出、今年は計約40キロの種を収穫することに成功。21日には、住吉大社の神職や吉田康人区長も出席した会合があり、種を軽く煎(い)り、円筒型の小型搾油機に入れて押しつぶす体験会も開かれ、古人の偉業に触れた。

 「作業を通じて仲間が増え、街の連帯感、美化につながっている」と会長の吉田進さん(70)。10月には地域一体を巻き込んだイベントがあり、吉田さんは「夜にたとえ1時間だけでもご灯明をあげたい」と期待を込め、「まちを黄色一色にしたい。美しい町をアピールし、遠里小野の良さを再認識してもらいたい」と目を輝かせる。

1807名無しさん:2014/06/29(日) 21:22:28 ID:uF2ndxvs0
渡御列70年ぶり復興へ 御鳳輦など神具を公開
2014年6月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140625/20140625034.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂(いくくにたま)神社(中山幸彦宮司)で24日、ことしの夏祭り「生国魂祭」本宮(7月12日)で70年ぶりに復興する渡御(とぎょ)列の神具が公開された。ご神体を、本来の鎮座地である大阪城(同市中央区)まで運ぶ御鳳輦(ごほうれん)をはじめ、戦災で失われた神具一式を新調。神職や氏子崇敬者らは長年の念願がかない、かつて「陸の生国魂」と称された往時の再現を心待ちにしている。

  同神社は秀吉の大坂城築城の際、現在地に移った。夏祭りの「生国魂祭」は、天神祭を指す「川の天神」と並び、大阪の夏祭りを象徴する一大行事として知られた。同神社によると、最盛期の明治〜戦前昭和には約2千人規模の渡御列が氏地に連なったとされるが、太平洋戦争末期、1945年3月の第1次大阪大空襲で被災し、社殿とともにすべての渡御神具が灰じんに帰した。戦後は道具もない状態で、歴代宮司が玉座のみを徒歩やハイヤーで大阪城まで運ぶなどして渡御を継承。89年以降はトラックによる渡御がなされてきたが、氏子崇敬者の寄進によって約10年前から御鳳輦、御錦蓋(ごきんがい)、八本鉾(ほこ)といった各種神具、装束類を新調。祭礼に奉仕する人員を集めるなど準備を整えた。

 渡御列の中心となる御鳳輦(重さ約500キロ)は先代をほぼ再現。使用木材の乾燥に始まり、菊の御紋や各種金具は1枚の銅板を手作業で丹念に打ち出すなど、完成までに10年を要した。中山宮司は、「かつての渡御を知る高齢者の方々も復興を心待ちにしておられる。大阪で培われた伝統の祭礼を次世代に引き継ぐ責務を感じている」と、復興元年の意気込みを語る。

 当日は、午前10時半に枕太鼓を先頭とする約500人の渡御列が境内を出発。沿道に同数の奉迎の人々が並ぶ中、約3・3キロ先の大阪城内・元宮まで練り歩き、大阪の繁栄を祈願する。宵宮の11日は、枕太鼓、みこし、獅子舞などが順次氏地を巡行し、夕刻に宮入りする。

1808名無しさん:2014/06/29(日) 21:24:51 ID:uF2ndxvs0
8世紀の梵鐘鋳造跡 藤井寺・林遺跡
2014年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140628-OYTNT50044.html?from=yartcl_blist

 ◇国内でも数例

 藤井寺市林の林遺跡で、奈良時代前期(8世紀前半)とみられる梵鐘ぼんしょうの鋳造跡が見つかり、同市教委が27日、発表した。8世紀の梵鐘鋳造跡は国内でも数例しかないといい、市教委は「当時の製造の様子を知る上で貴重な手がかりとなる」としている。

 認定子ども園の建設に伴い、市教委が4月から調査を実施。鋳型の底の一部(高さ5センチ)とともに、直径1メートル、深さ0・7メートルの跡が見つかった。高さ1・5メートル、直径0・9メートルの鐘を製造していたと推定できるという。さらに、3メートル離れた位置にも直径30センチの跡があり、大小2種類の鐘を造っていたらしい。

 遺構には瓦や粘土が残っており、鋳型を置く地盤を強化するため、地面に板や瓦を敷き詰め、その上を粘土で覆っていたとみられる。近くには中世まで存在した豪族・林氏の氏寺「拝志はやし廃寺」があり、寺院に鐘を供給していた可能性があるという。

 京都橘大の五十川伸矢教授(考古学)は「板を十字に置き、瓦も丁寧に敷き詰めている構造は珍しい。技術集団が出張して寺の近くで鐘を造ったのではないか」としている。現地説明会は29日午前10時〜午後1時。場所は市立第二保育所の西隣で、小雨決行。問い合わせは市教委(072・939・1111)へ。

2014年06月28日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1809よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/07/02(水) 08:51:50 ID:V7LZU2a60
みそぎ終え「あと半年」 生国魂神社夏越しの祓
2014年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140701/20140701031.html 

1年の上半期の最終日となった30日、大阪府内各地の神社で恒例の大祓(はらえ)式「夏越(なご)しの祓」が執り行われた。多くの参拝者が「茅(ち)の輪」をくぐるなどして、この半年に知らぬ間に身に付けた「罪」や「けがれ」を清め払った。

このうち大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午後4時から執り行われた式に100人を超える参拝者が参列。神職からお払いを受けた後、作法にならって、紙でできた形代(かたしろ)(人形(ひとがた))で頭や腕などをなでてけがれを移した。続く道饗(みちあえ)祭では茅の輪の前に一同が参列し、厄よけを祈願した。

 4年前から毎年参列している山本慎志さん(61)=同市浪速区=は「先祖に感謝するとともに、孫の成長を祈願した」と、笑顔で話していた。

1810名無しさん:2014/07/07(月) 20:45:37 ID:jrgIWNg.0
歴史に魅せられ 有栖川さん「上町台地」語る
2014年7月6日
 大阪の歴史の発祥地とされる「上町台地」が舞台になった文学作品を紹介する講演会が5日、大阪市西区の市立中央図書館で開かれた。上町台地の天王寺七坂を描いた短編小説『幻坂』著者の有栖川有栖さん=大阪市在住=が当地の魅力を伝えた。

真言坂や天神坂などの天王寺七坂は、四天王寺をはじめ神社仏閣が連なる上町台地の西側に位置。『幻坂』は七つの坂を怪談調で作品化しており、有栖川さんはミステリーを「都市文学」として捉えて執筆したことを説明した。

 有栖川さんは、上町台地を扱った小説家の作品も紹介。大坂の陣を描いた司馬遼太郎著『城塞』について「古戦場としての上町台地が克明に描かれている。上町台地小説の頂点だ」と語った。上町台地の魅力については「大阪のにぎわいは梅田や難波にあるが、上町台地には難波(なにわ)の宮や大坂の陣など今からではつくれない歴史がある」と強調した。

 講演会は「大坂の陣400年」記念事業として同図書館が企画し、300人が受講した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140706/20140706083.html

1811名無しさん:2014/07/07(月) 20:48:02 ID:jrgIWNg.0
本宮、交通規制30分延長へ 天神祭
2014年7月2日
 天神祭の渡御行事保存協賛会と関係機関は4日、大阪市北区の大阪天満宮会館で合同会議を開き、ことしの本宮(25日)は金曜で多くの人出が予想されるため、国道1号線の交通規制の解除時間を例年より30分遅らせて午後11時にすることを申し合わせた。観覧者の安全を確保しつつスムーズな誘導を図る方針。

本宮の日は奉納花火があるため毎年多くの観覧者が会場周辺に集まる。ことしは休日前で祭り目的の外出者や仕事帰りの人たちでより多くの人出を見込み、府警本部が交通規制の解除時間を例年の午後10時半から遅らせることを報告。「安全かつ速やかに誘導してほしい」と呼び掛けた。

 警備会社関係者は、救護所をより利用頻度の高い場所に集約する方針も示した。

 雑踏警備を指導する府警本部の担当者は「関係者間の報告と連絡を徹底させなければならない」と力を込めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140702/20140702026.html

1812名無しさん:2014/07/07(月) 20:49:40 ID:jrgIWNg.0
自宅清祓式 大役を実感 神童任命の林君
2014年6月30日
 天神祭に奉仕することしの神童に任命された西天満小学校6年生、林欣次郎君(11)の「自宅清祓(はらい)式」が29日、大阪市北区で執り行われた。大阪天満宮(同区)の神職らが林君宅を訪れ、各部屋などをはらい清めた。

 林君は「清祓式」の前日、同宮での「装束賜(たばり)式」で、猿田彦や随身役ら他の3役を務める5人とともに、祭りの奉仕役の辞令交付を受けた。

 神童は、7月24日の鉾流(ほこながし)神事で、船の上から堂島川に神鉾を流す重要な役割を担う。毎年、神鉾講の推薦を受けた、同小の児童から選ばれることになっている。神童になると本人はもちろん、家族も身を清める「散斎(あらいみ)」の期間に入り、葬儀の参列などが禁じられる。

 祭りの直前からは「致斎(ちさい)」と呼ばれるさらに厳しい期間を迎え、牛や豚など四つ足の動物の肉をはじめ、ネギやニンニクなどにおいの強いものは食べることができず、虫1匹の殺生も禁じられる。

 この日は、同宮の寺井種治権宮司や神職、講の関係者らが林君の自宅を訪問。神職が祝詞を読み上げ、家族らのおはらいを行った後、各部屋をはらい清めた。林君は「あらためて神童の役割の重さをひしひしと感じる」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140630/20140630024.html

1813名無しさん:2014/07/07(月) 20:50:40 ID:jrgIWNg.0
仁左衛門さん元気に復帰 道頓堀川で船乗り込み
2014年6月30日
 「松嶋屋!」。大阪市中央区の道頓堀川・戎橋東側で29日、恒例の夏の風物詩、大阪松竹座「七月大歌舞伎」(7月3〜27日)の船乗り込みが行われ、昨年、肩の手術後休養していた片岡仁左衛門さんが元気な姿を見せて両岸に集まった大勢のファンの熱い声援を受けた。

仁左衛門さんの演目は「菅原伝授手習鑑/寺子屋」(昼の部)と「身代座禅」(夜の部)で「お客さんと一緒に舞台をつくって楽しい時間を共有したい」と力が入っている。人間国宝の坂田藤十郎さんは「沼津」(夜の部)で中村翫雀(かんじゃく)さん、扇雀さんと親子共演し、翫雀さんと扇雀さんは「女夫狐(めおとぎつね)」で兄弟共演する。

 上方歌舞伎からは他に片岡秀太郎さん、孝太郎さんらが出演。東京からは中村橋之助さん、尾上菊之助さんらが参加し、華やかな舞台を繰り広げる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140630/20140630026.html

1814名無しさん:2014/07/07(月) 20:53:50 ID:jrgIWNg.0
みそぎ終え「あと半年」 生国魂神社夏越しの祓
2014年7月1日
 1年の上半期の最終日となった30日、大阪府内各地の神社で恒例の大祓(はらえ)式「夏越(なご)しの祓」が執り行われた。多くの参拝者が「茅(ち)の輪」をくぐるなどして、この半年に知らぬ間に身に付けた「罪」や「けがれ」を清め払った。

 このうち大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午後4時から執り行われた式に100人を超える参拝者が参列。神職からお払いを受けた後、作法にならって、紙でできた形代(かたしろ)(人形(ひとがた))で頭や腕などをなでてけがれを移した。続く道饗(みちあえ)祭では茅の輪の前に一同が参列し、厄よけを祈願した。

 4年前から毎年参列している山本慎志さん(61)=同市浪速区=は「先祖に感謝するとともに、孫の成長を祈願した」と、笑顔で話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140701/20140701031.html

1815名無しさん:2014/07/09(水) 20:29:57 ID:l5knXKRk0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140705/20140705031.html
「天満天神の水」復活 大阪天満宮
2014年7月5日
 「大坂四清水」の一つが復活−。大阪天満宮(大阪市北区)は4日、かつて名泉として親しまれた境内の地下水「天満天神の水」を復興させたと発表した。ペットボトルに詰めて販売し、収益を天神祭の発展に役立てる。

天満天神の水は江戸時代、参勤交代の途中で藩主が大坂に立ち寄った際、大坂四清水の一つとして滞在先に取り寄せるほど愛された。戦後の都市開発や地下鉄の開通に伴って地下水は枯れたとみられていたが、昨年、近隣の商店街と関西大学の連携プロジェクトを通して地下70〜80メートルから飲料用の良質な水がくみ上げられることが分かった。

 大阪天満宮は天神祭をはじめ、七夕神事のおはらいの水として活用する。天満天神の水には軟水でまろやかさがあり、ペットボトル(500ミリリットル)に詰めて販売することも計画。初回は6千本を製造する。

 天神祭の運営をめぐっては近年、警備費などのコストが膨らみ、財源の確保が課題になっているため、ペットボトルの収益を運営費に充てるという。

 大阪天満宮の万力康司権禰宜は「天神祭を未来永劫続けていくための基盤にしていきたい」と話している。

 日本三大祭りの一つである天神祭は24日に宵宮、25日に本宮を迎える。

1816名無しさん:2014/07/11(金) 12:42:07 ID:kHoHDEM60
生國魂祭 はじまる
07月11日 12時38分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140711/5613751.html
大阪の生國魂神社で11日、無病息災を祈る伝統の夏祭り「生國魂祭」が始まりました。
生國魂祭は大阪・天王寺区の生國魂神社が行う伝統の夏祭りで、11日は本殿で祭りの始まりの儀式が行われ、神職が祭りの安全を祈願して祝詞をあげました。
このあと枕太鼓と呼ばれる太鼓や6人の氏子を乗せた2台の車が神社を出て地元の大阪城周辺を巡りました。
一行は、まちのところどころで車を止め、太鼓をうちならしたり「大阪じめ」を披露したりし、地域の人たちから拍手を受けました。
生國魂祭は12日まで行われ、12日は「御鳳輦」と呼ばれるみこしを担いでまちを練り歩く「渡御行列」が、戦前まで行われた大規模な形で69年ぶりに復活することになっています。

1817名無しさん:2014/07/17(木) 19:38:30 ID:oNRfmqVE0
園児がアイガモ放鳥 住吉大社・御田で体験
2014年7月16日
 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で15日、境内南側に広がる御田(おんだ)(御神田)のアイガモ農法がことしも始まった。地元園児が放鳥に参加し、楽しみながら伝統的な稲作の一端を体験した。

御田(約2300平方メートル)では、毎年6月14日に伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形文化財)を斎行。アイガモ農法は約20年前に取り組みが始まり、数年前からは地元園児が見学に訪れている。

 この日は区内の市立墨江幼稚園(中山教子園長)の園児約40人が参加した。神職から、アイガモが草や害虫を食べることで農薬を使わずに済む効用について説明を聞いた後、生後約3週間のひな20羽と“対面”。2人1組に分かれた園児らは恐る恐るひなを抱えてあぜに下り、青々と育った苗の間にそっと放鳥した。「ピーピー」と鳴き声を上げながら元気よく泳ぎ回る姿を見て、「かわいい」「また見に来るよ」と、手を振って大喜びだった。

 同幼稚園では、御田のイネを守ろうと近隣の幼稚園、小学校がかかしを作る「住吉かかしプロジェクト」にも参加。中山園長は「子どもたちが楽しい体験を通じて、自分たちの地域の文化や歴史を学んでほしい」と話し、目を細めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140716/20140716024.html

1818名無しさん:2014/07/19(土) 04:48:47 ID:3a21PyFc0
伝統「からうす」豪快に 催太鼓願人、練習に熱
2014年7月18日
 天神祭を支える講社の一つ「太鼓中(たいこなか)」は、祭りのピークを前に大阪府無形民俗文化財指定の太鼓打法の練習に余念がない。願人(がんじ)と呼ばれる打ち手たちは大阪市北区の大阪天満宮で、豪快な「からうす」をはじめ伝統打法の継承に向けて汗を流している。

関係者によると、太鼓中は近世から続く大阪天満宮直轄の講社。大阪市を中心に府内各地で結成される12の団体「当屋(とや)」の集合体で総数は千人規模という。

 催太鼓をたたくのは、深紅の投げずきんをかぶり、赤、白、青、黄色で宇宙全体を表現する衣装を着た願人計36人。6人一組で3人ずつ向かい合って座り、多彩な掛け声で威勢よく太鼓を打ち鳴らす。

 太鼓を乗せた担ぎ棒を激しく揺らす「からうす」は天神祭の名物。本宮(25日)の渡御行事では先陣を切って存在感を示す。

 大阪天満宮での願人の稽古は11〜20日にわたって行い、日々研さんを積んでいる。願人10年目の豊田光昭さん(25)=寝屋川市=は「(願人は10年間務めて交代するため)最後の年なので目いっぱい頑張り一生の思い出にしたい」と意気込みを示していた。

 小学生のときから天神祭で活躍してきた西川輝彦総代(75)は「神様に仕える身として事故なく務めを果たしたい」と気を引き締めていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140718/20140718022.html

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1820名無しさん:2014/07/26(土) 18:43:39 ID:cvb8ZrMc0
天神祭 陸渡御と船渡御
07月25日 23時18分
大阪の夏を彩る天神祭は25日、色鮮やかなみこしやだんじりが街を練り歩く「陸渡御」が行われたのに続いて、夕方からは約100隻の船が川を行き交う「船渡御」が行われました。
大阪の天神祭は25日、本宮を迎え、大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、陸からと船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した「陸渡御」と「船渡御」が行われました。
午後3時半、勇壮な催太鼓を先頭に色とりどりの衣装を身にまとった約3000人の大行列が天満宮を出発し、カネや太鼓を鳴らしながら街中を練り歩きました。
猛烈な暑さのなか、沿道では大勢の人たちが行列を見守り、大阪の夏を彩る伝統の祭りを楽しんでいました。
午後6時からは、陸渡御に参加した人たちが続々と船に乗り込み、約100隻の船が大阪市の中心部の大川を行き交う「船渡御」が始まりました。
大阪市内から訪れた70代の男性は「毎年来ていますが、活気があっていいですね」と話していました。
また、午後7時ごろからは、花火の打ち上げも始まりました。
およそ4000発の大輪の花が大阪の夜空を照らしました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140725/5908171.html

1821名無しさん:2014/07/26(土) 18:52:57 ID:cvb8ZrMc0
浪速の夏クライマックス 天神祭・水都祭奉納花火
2014年7月26日
 日本三大祭りの一つに数えられる大阪天満宮(大阪市北区)の祭事・天神祭が25日、本宮を迎え、大阪の都心部は“火と水の祭礼”で包まれた。大阪市はこの日、日中37度を超える厳しい暑さに見舞われた。約3千人が練り歩く陸渡御や約100隻が川を行き交う船渡御を盛大に挙行。第68回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が浪速の夜空を鮮やかに彩った。

千年余の歴史がある天神祭は、菅原道真公の御神霊を「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれるみこしに移し、渡御行事として陸路や航路を巡行する祭り。市中の暮らしぶりを見てもらい、加護を祈願する。

 陸渡御では大行列が都心部を練り歩いて“一大歴史絵巻”を繰り広げ、船渡御では船上の個性豊かな催しをはじめ、船の明かりが鮮やかなイルミネーションとなって見物人らの心を捉えた。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは奉納花火。約4千発の打ち上げ花火が船渡御列でにぎわう川面を華やかに彩り、水の都・大阪をあらためて印象付けた。

 ことしは江戸時代に「大坂四清水」の一つとうたわれた大阪天満宮境内の地下水が復活し、場を清めるための御神水として用いられた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140726/20140726037.html

1822名無しさん:2014/07/26(土) 19:10:13 ID:cvb8ZrMc0
訓練用「原爆」投下から69年
07月26日 12時26分
69年前の7月26日、アメリカ軍によって原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされ、7人が犠牲になった大阪・東住吉区で、犠牲者を追悼し、平和を訴える式典が開かれました。
大阪・東住吉区の田辺地区は、69年前の7月26日、アメリカ軍によって原爆投下の訓練用と見られる爆弾が落とされ、市民7人が亡くなり、70人あまりがけがをしました。
爆弾が投下された場所の近くに設置された慰霊碑の前では犠牲者を追悼する式典が開かれ、当時の様子を体験した地元の住民や平和学習のために参加した中学生など、約200人が出席しました。
爆弾が投下された時刻の午前9時26分に全員で黙とうをささげ、体験者の1人で、89歳の龍野繁子さんが、「当時のことを思い出すのはつらいですが、体験者として、体が続く限り平和を訴えたい」と述べました。
また、中学3年の男子生徒は、「身近なところでこのような悲劇があったことに驚きました。今の日本が平和であることをありがたく思います」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140726/3016611.html

1823名無しさん:2014/07/28(月) 05:06:39 ID:nCp/yVtI0
戦争の記憶 後世に伝えたい 体験手記集を発刊
2014年7月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140727/20140727027.html
 毎年夏にまとめられる戦争体験手記集「孫たちへの証言」第27集(本体定価1300円)が、8月1日に新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)から発刊される。来年は終戦70年という大きな節目だが、体験者の高齢化や他界、記憶の風化など避けて通れない現実が時々刻々と迫る。1988年の第1集から単独で編集に取り組んでいる福山さん(79)は「文字で記憶を書き残す大切さ」を日々訴える。

第27集は「“あの記憶”を風化させてはならない」がテーマ。応募は前回より276通減の597通で、このうち76編を掲載した。応募者の平均年齢は81・37歳。年齢別では80代の301人に次いで70代が209人。90代は57人にとどまった。

 松下昭さん(86)=守口市=は戦争末期、本土決戦に備えて召集され、約1カ月の軍隊生活を経験。敵戦車に肉薄する訓練の様子や、上官から、上陸した敵兵を「背後からとび口や銃剣で殺せ」と、げきを飛ばされた記憶を述懐した。整備士として八尾の陸軍飛行場に配属された吉川晋吾さん(85)=東大阪市=は、特攻隊の出撃も見送った。「燃料は片道分だけ入れるようにきつく言われていた」−など、戦況の悪化で混乱していく日常を克明に記した。

■書き残す意義
 「周囲を見回せば体験を語れる人はまだまだ多く、今のうちに『5W1H』の要点を聞き取っておくことが大事」と語る福山さん。父が出征した際、小旗を手に列車を見送ったが、自分史を書くにあたり何歳の出来事だったのか記憶がなかった。無事復員した父もすでに他界していたため、県庁で軍歴を調べて確認できたが、あらためて聞き取りや記録の重要性を実感したという。

■困難を乗り越え
 編集作業には、海外を含む応募者への確認作業など多くの困難を伴う。このうち今回掲載で最高齢95歳の山本貢さん=山口県=は、掲載決定後の今春、詳細を確認中に亡くなった。駆逐艦の乗員として敵艦と交戦沈没した体験をつづった壮絶な応募が遺稿となってしまった。

 第28集は「70年への想い 記録遺産へ」をテーマに早くも応募を開始(来年3月末締め切り)。第1集からの応募総数は約1万8千通、掲載は2140編に及ぶ。福山さんは「庶民一人一人の体験はわずかでも、パズルのように組み合わせると戦争の全体像が見えてくる」といい、節目に向けて多くの応募に期待を込める。

 問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1824名無しさん:2014/07/28(月) 21:23:39 ID:padFUHIE0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140728/20140728023.html
天神祭月間 成果これから 認知度低く、話題性が鍵
2014年7月28日
 7月7日の七夕から始まった「天神祭月間」が25日の本宮で閉幕した。宵宮(24日)から2日間の日程で知られる天神祭を3週間弱に拡大し、大阪のにぎわいづくりに生かそうと大阪天満宮(大阪市北区)がことし提唱。ただ正式発表というよりも、祭り関係者への説明にとどまっている段階で、まだ具体的な成果には結び付いていない。今後期間中の行事をどう充実させ、「月間」を浸透させていけるかは関係者らの手腕にかかっている。

「祭りの広がりにつなげていきたい」

 6月に天神祭渡御行事保存協賛会の委員総会が大阪天満宮で開かれ、寺井種伯宮司は出席者らにこう呼び掛けた。

 大阪天満宮は現在、室町時代に天神祭が七夕に開かれた記録があるのを踏まえ、7日に「天満天神七夕祭」を執り行っている。これまでにもこの日を天神祭の開幕日に位置付けていくとの発言はあったが、今回は7日以降に多彩な行事を入れて祭りの彩りを増やしていくというビジョンを示した。ことしはまだ例年同様の内容だったものの、まずは「月間」の枠組みを提示した形だ。

□戦略が不可欠
 関西大学の宮本勝浩教授(国際経済学)らの検証によると、2013年宵宮、本宮2日間の大阪府内への経済波及効果は約229億円。「月間」を充実させられれば大阪の活性化に貢献するとみられる。

 ただ周知はまだ徹底されていない。ことしの天神祭について紹介する報道向け説明会で正式に発表したわけではなく、関係者らの間でも認識の共有が必要だ。

 また、いまでも「月間」中に多彩な行事が設けられているものの、集客力や露出度の差は大きく、その差をどう埋めるかが課題。

 7日には発光ダイオード(LED)電球を近隣の川に流すイベントや境内の催しに万単位の人が訪れるが、江戸時代から伝わる舟歌を披露しながら練り歩く22日の行事は、文化的価値は高くても露出度は低い。

 話題性と広報戦略がキーワード。宵宮前日に女性がみこしを担いで練り歩く「ギャルみこし」は、募集や研修、本番の全てで報道機関への発信をこなすなどし、多くのマスコミが取り上げる。

 祭りのにぎわいづくりに貢献してきた天神橋筋商店連合会の土居年樹会長は「一つずつ工夫を積み重ねるのが大切」と話す。

□改良呼び掛け
 5月の天神祭実行委員会の初会合では、祭りの運営費の赤字額が年々膨らんでいるのを受け、京極俊明実行委員長が「伝統を受け継ぐべきところは継承しつつ、改良できる点はしていくべきだ」と問題提議。15年度以降の行事計画について関係者やにぎわいづくりの専門家らを交えた検討委員会を立ち上げ、議論していこうと呼び掛けた。

 具体的な実施日程はまだ決まっていないものの、「月間」の打ち出し方も含め、天神祭の形をどう進化させていくかが問われている。

1826名無しさん:2014/08/01(金) 21:30:06 ID:ZkmdV5IY0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140801/wlf14080119180029-n1.htm
最古級木簡、貢ぎ物の肉に付けられた?大阪・難波宮から見つかる
2014.8.1 19:18
大阪市中央区の難波宮跡で「斯々一古」などと記された7世紀中ごろの木簡が見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。難波宮では万葉仮名で「皮留久佐」などと和歌を記した640年代の木簡が出土しており、ともに国内最古級という。

 木簡は長さ8・6センチ、幅2・5センチ。「斯々」は肉を、一古は「一籠」を意味するといい、宮に貢ぎ物か税として送られた肉の塊に付けられた荷札木簡とみられる。右側にも逆さに「一古」などと記されており、余白に字の練習をしたらしい。

 昨年9月に出土。埋め立てられた谷から見つかり、土器から年代を判定した。奈良文化財研究所が木簡を赤外線で撮影していた。難波宮は孝徳天皇が飛鳥(奈良県)から遷都、652年ごろ完成しており、造成中に埋められたとみられる。

1827名無しさん:2014/08/05(火) 22:00:16 ID:MEJja/BM0
勇壮華麗に舞う 四天王寺で「篝の舞楽」
2014年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140805/20140805025.html

 夏の夜の舞楽演奏会「篝(かがり)の舞楽」(天王寺舞楽協会主催、和宗総本山四天王寺後援)が4日、大阪市天王寺区の同寺で開かれ、多くの来場者がみやびやかな音色が響き渡る中、舞楽の勇壮華麗な所作などを心ゆくまで堪能した。

ことしで第60回を迎える風物詩。この日はあいにくの空模様のため、本坊・五智光院(重要文化財)が舞台となった。江戸期創建で荘厳な雰囲気が漂う建物内では、飛鳥時代からの古典芸能である天王寺舞楽を今に伝える「天王寺楽所雅亮(がくそがりょう)会」の楽人と舞人が出演。曲ごとに古式ゆかしい装束を身にまとい、開幕を告げる「振鉾(えんぶ)」をはじめ、「登天楽(とうてんらく)」などの舞楽を繰り広げ、満員の客席を終始魅了した。

1828名無しさん:2014/08/08(金) 21:32:33 ID:czOj1SUo0
島本町 後鳥羽上皇の離宮か
08月07日 18時53分
鎌倉時代、後鳥羽上皇が造った離宮とみられる建物や庭園の跡が、大阪・島本町で見つかりました。
調査した町の教育委員会は、「客を招いて歌会などを開いていた可能性がある」としています。
建物や庭園の跡が見つかったのは、大阪・島本町の中心部にある高台です。町の教育委員会がことし5月から、製薬会社の施設の建設予定地を発掘調査した結果、建物の跡とみられる溝や、庭園の池の跡などが見つかりました。
周りからは、天皇家ゆかりの京都の寺と同じ瓦や、貴重な陶磁器も数多く見つかり、これらの出土品などから、13世紀から14世紀のものとみられています。
鎌倉時代の歌人、藤原定家の日記、『明月記』などには、「上皇の新しい御所が水無瀬の山の上につくられた」、「庭に池がある」などと記され、町の教育委員会は後鳥羽上皇が造った「水無瀬離宮」の跡である可能性が高いとみています。
島本町教育委員会の木村友紀学芸員は、「後鳥羽上皇は、この地域に離宮の建物を点在させていたとみられる。客人を招いて歌会などを開いていた可能性がある」と話しています。調査結果については、9日に現地説明会が開かれる予定です。
..
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140807/3614581.html

1829名無しさん:2014/08/10(日) 07:25:00 ID:v.3hlVPE0
【記憶の中に】
撃墜戦闘機からパラシュート脱出、松の木にぶら下がった米兵はピストルを向けた…豊中空襲、機体の残骸は埋められた
2014.8.9 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080918000008-n1.htm

昭和20年になると、大阪府豊中市でも6回にわたる空襲があった。当時、国民学校6年生だった中右(なかう)吉信さん(80)は、7月30日にあった6回目の空襲の際、伊丹飛行場(現・大阪空港)を襲う米軍戦闘機「P51ムスタング」が高射砲によって撃ち落とされる光景を目撃したという。

伊丹飛行場襲う戦闘機

中右さんが通っていた学校は、20年3月の大阪大空襲をきっかけに授業が休止となったが、校庭は食料を確保するためサツマイモ畑になっていた。7月30日朝、中右さんは畑に水をまく当番だった。

 登校して間もなく、警戒警報が発令され、同級生とともに急いで自宅に向かった。東の低空に1機の米軍機が見えた。「隠れろ」。大人の叫び声が聞こえ、とっさに幅1メートルほどの農水路に隠れた。水路をふさぐ木材の間の隙間から西の空が見えた。数機の戦闘機が伊丹飛行場を襲っていた。

 そのときだった。「低空で攻撃するP51に、高射砲が命中したんです。高度を下げるためエンジンを一時止めていたからだと思いますが、P51は火を噴くこともなく空中分解しました」。次の瞬間、白いパラシュートがスルスルと開いて風で南東方向へ流されていった。「『やった』と思いましたね」。中右さんは振り返る。

埋められた機体の残骸

翌日、同級生らから聞いた話などによると、パラシュートは豊中市岡町北の大きな松の木に引っ掛かり、足を負傷した若い米兵がピストルを構えていた。住民らが殺気立って囲んだが、憲兵が来て米兵を病院に連れていった。

 「豊中市史」によると、7月30日は米軍機約130機が午前8時半から11時ごろにわたって大阪を襲い、そのうち40機が伊丹や大正(大阪府八尾市)などの飛行場を銃爆撃した。

1830名無しさん:2014/08/10(日) 07:27:17 ID:v.3hlVPE0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140809/wlf14080918000008-n2.htm

伊丹上空では、墜落した2機から2人の米兵がパラシュートで脱出したが、いずれも一両日中に死亡。真田山陸軍墓地(大阪市)に埋葬された。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、2人が死亡したのは十分な医療処置が施されなかったためだとして、軍関係者を戦犯裁判にかけた。

 墜落したP51のプロペラは、高射砲の近くに戦意高揚のモニュメントとして掲げられた。しかし戦後、GHQの追及を恐れ、機体の残骸は軍によって地中に埋められたという。

 39年後の昭和59年、豊中市教委が「戦争資料展」の展示資料にするため、埋めたとされた場所を発掘し、残骸が出土した。モニュメントとなったプロペラには赤い字で力強く「P51 撃墜 7・30」と記されていた。残骸は現在、豊中市の収蔵庫で保管されている

1831名無しさん:2014/08/10(日) 07:49:03 ID:v.3hlVPE0
四天王寺「盆踊り」11年ぶりに復活 12日の本番前に講習会 大阪
2014.8.10 02:26
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140810/osk14081002260002-n1.htm

 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)の「盆踊り大会」が12日、11年ぶりに復活することになり、本番に向けての「盆踊りの踊り方の講習会」が境内で開かれた。当日出演する伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さん(51)を講師に迎え、市民ら約120人が参加した。

 盆踊り大会は昭和11年に五重塔が再建されたのを機に始まり、戦争や境内の工事などで中断を繰り返し、最後に開催されたのは平成15年。

 同寺は34年に聖徳太子没後1400年となる「御遠忌」を控えており、「プロジェクトの一環として地域の活性化にもつながる」と復活が決まった。講習会では、地元の主婦らが浴衣姿で輪に加わり、河内音頭などの踊りを習った。

 当日は、境内の亀の池周辺に盆提灯をつるし、重要文化財の石舞台がそのまま“舞台”として使われる。

 四天王寺参詣課課長の山岡武明さん(40)は「盆踊りは一番楽しんでできる仏教行事。ぜひ参加してください」と呼びかけている。

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1832名無しさん:2014/08/12(火) 08:32:33 ID:y6yR7RS60
雨のやみ間に「千日まいり」 四天王寺で盂蘭盆会
2014年8月10日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で9日、盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事が始まった。台風11号接近の影響を受け、「万灯供養法要」(16日まで)の初日は、先祖の霊名を記した万灯ろうそくの点灯が中止となったが、「千日まいり」(10日まで)は予定通り執り行われ、多くの人々が境内に足を運んだ。

千日まいりは、古来、観音功徳日とされる9、10の両日に観音様にお参りすると、1日で千日間継続でお参りしたのと同じ功徳が得られると伝わる。

 この日は、ハスを描いた無数のつり灯籠が境内の随所を飾る中、家族連れなどが続々と参詣。午後はわずかに晴れ間も見られ、祈祷(きとう)や厄病除け札の授与が行われた六時堂は老若男女でにぎわった。

 区内から知人と訪れた女性(79)は「うまいこと雨のやみ間にお寺に到着。ことしも無事にお参りできました」と、うれしそうに話していた。

 千日まいりは午前9時〜午後9時。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140810/20140810075.html

1833名無しさん:2014/08/12(火) 19:44:40 ID:DRtkK5jU0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140812/20140812017.html
「太子一代記」市民が輪 四天王寺盆踊り11年ぶり復活
2014年8月12日
 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、奥田聖應管長)で12日、11年ぶりに盆踊り大会が開催される。音頭を取るのは、伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さん。2022年の「聖徳太子千四百年御遠忌」に向けて制作中の聖徳太子の生涯を歌った「聖徳太子御一代記」から、当日は「ご誕生編」を重要文化財の石舞台の上で披露する。

四天王寺での盆踊り大会は、第2次世界大戦後に戦没者への供養のため行われてきたが、1992年を最後に休止。その後は、2003年に一度開催されたきりになっていた。今回、「御遠忌」の記念事業の一環として復活させた。

 菊水丸さんは四天王寺からの依頼を受けて、「聖徳太子御一代記」の制作を決意。「御遠忌」までの8年間で入滅までの一生を10曲に分けて歌う。

 制作にあたり、数々の資料を読み返したという菊水丸さん。「やぐらを囲んで老若男女が輪になって踊る。いろんな人が集う場所、ホッとする場所が寺であり、それこそが1400年前、聖徳太子が願ったことではなかったか」と話す。

 11年ぶりの盆踊りに向け、四天王寺では菊水丸さんも参加して2回の講習会を実施。地域の住民たちも多く参加した。阿倍野区の長谷川秀明さん(68)は「盆踊りは好きで参加するが、いつも途中で付いていけなくなる。もうこれでバッチリ」と笑顔。11年前の盆踊りにも参加していたといい、「地域が盛り上がるし、うれしい」と、久々の盆踊りを心待ちにしている様子だった。

 盆踊りは午後7時半から2時間を予定。境内の石舞台をやぐらに見立て、亀の池の周りを回る。菊水丸さんは「盆踊りの基本の形はあるが、自分流でOK。身ぶり手ぶりで楽しんでほしい」と、参加を呼び掛けている。

1834名無しさん:2014/08/16(土) 10:54:46 ID:QZ7JmY/g0
空襲から69年 京橋で慰霊祭
08月14日 19時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140814/3195371.html

69年前の終戦前日の14日、アメリカ軍の空襲で大きな被害を受けた大阪・京橋で犠牲者を追悼する慰霊祭が行われました。
慰霊祭は、大阪・城東区のJR京橋駅前で毎年、行われていて、遺族や地元の人などおよそ300人が参列しました。
JR京橋駅付近では、終戦前日の昭和20年8月14日にアメリカ軍の爆撃機による空襲を受け、住民や電車の乗客など500人を超える犠牲者が出たとされています。
慰霊祭では、地元の聖賢小学校に通う6年生の2人が「争いのない平和な世界にするためには思いやりの輪を広げることが大切だと思う。絶対に戦争を起こしてはいけないという思いをこれからも持ち続けていきたい」と述べました。
このあと、法要が営まれ、参列した人たちはハンカチで涙を拭いたり、手を合わせたりして、戦争で犠牲になった人たちに祈りをささげていました。
当時、京橋駅で勤務していたという89歳の女性は、「駅前にはたくさんの遺体があり、悲惨な状況だった。犠牲者のみなさんには安らかに眠ってほしい」と話していました。
この空襲で兄を亡くしたという83歳の女性は、「戦争を二度と起こさないために次の世代に語り継ぐことが私の役目だと思っている」と話していました。


そうなんや 大阪24区

福島区 鷺洲の機銃掃射弾痕
2014年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140815/20140815040.html

もの言わぬ歴史の証人

終戦から69年を迎えた今日でも、戦災の傷痕や軍関連施設といった戦争遺構は身近に存在する。太平洋戦争末期の大阪空襲で幾度となく被災した福島区内にも、もの言わぬ歴史の証人が深い傷を負ったまま、静かに来年の“古希”を迎えようとしている。

 昼間でも薄暗いガード下に刻まれた無数のくぼみ。同区鷺洲5丁目のJR東海道線の橋脚には、米軍機による機銃掃射の弾痕がはっきりと残る。その数は目視できるだけでも約150発。コンクリート壁面が直径約3〜8センチ、深さ約2センチもえぐられており、銃撃のすさまじさを物語る。

 地元の鷺洲小学校100周年記念誌によると、被弾したのは1945年6月7日の白昼にあった第3次大阪大空襲で、B29爆撃機の護衛任務で飛来したP51戦闘機によるものと伝わる。

 現状で現地に説明板などはないが、区民が地元の将来像を考えて実現に向けた活動方針をつくる「福島区未来わがまち会議」の冊子の中でも紹介。このほか同会議の鷺洲校区メンバーが同小児童に地域の歴史の一部として解説している。当時の状況を知る体験者が年々減り続ける中にありながら、しっかりと伝承されている。

1835名無しさん:2014/08/16(土) 10:58:38 ID:QZ7JmY/g0
供養の灯、塔染める 四天王寺で「万灯供養法要」
2014年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140814/20140814027.html

 盂蘭盆会(うらぼんえ)の伝統行事「万灯供養法要」が大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で執り行われ、多くの参詣者が日没後の境内で先祖供養の灯をともしている。16日まで。

戒名など先祖の霊名を記した特製のろうそく「万灯ろうそく」の本数は文字通り1万本を超えるとされる。境内・中心伽藍(がらん)の回廊に沿って整然と並べられ、夕刻から次々と点灯。夜空にそびえる五重塔をはじめ、講堂や金堂などを赤く染め上げている。随所で先祖の話をする家族連れや、燃えるろうそくの前にたたずんで幻想的な光景に見入る人々の姿があった。

 期間中は、同寺僧侶が午後6時半(15日は同6時)から読経とともに伽藍内を練り歩く法要が厳かに執り行われる。

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1838名無しさん:2014/08/17(日) 20:35:12 ID:.c14McE20
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140817/wlf14081718000003-n1.htm
【記憶の中に】
大阪は核投下の実験場だった…平成の時代に判明した「模擬原爆」フワッと落下、周辺は焦土に
2014.8.17 18:00 (1/2ページ)
昭和20年7月26日の朝、大阪市東住吉区の上空に1機の米軍爆撃機B29が飛来し、ある特殊な爆弾を投下した。

 「B29が爆撃するときは4機の編隊で来ることが多かったので、雲の間から1機だけが見えたときは偵察だろうと思った。ネズミ色の丸いものがスーッと飛行機から離れて、フワッと落ちた。爆弾ではなく、ごみでも捨てたのだろうと思いました」

完全に潰れた家々

当時13歳だった伊藤茂さん(81)=大阪府豊中市=は、現在は廃線になっている路面電車の南海平野線中野駅(東住吉区)の前にいた。特に緊張することもなく上空を眺めていた。

 爆弾は斜めに流れるように降下し、中野駅の西北約1キロの地点に落ちた。とたんに、爆発による振動が伝わってきた。「広い範囲で灰色の土ぼこりが舞い上がったのを見た。少し時間差があって『バシャー』という、ものすごい音が響きわたりました」

 2、3日後、落ちた場所を見にいくと、100メートル四方ほどの家々が完全につぶれていた。大阪市の記録によると、この爆弾で7人が死亡、73人が重軽傷を負い、485戸が倒壊した。

 投下された爆弾は、当時知られていた中で最も大きい「1トン爆弾」であるといわれていた。しかし、実際はそうではなかった。それが分かるのは、終戦から46年後、平成3年のことだ。


落ちたのは模擬原爆

正体を突き止めたのは、愛知県の市民グループ「春日井の戦争を記録する会」。国立国会図書館でマイクロフィルムに収められた戦時中の膨大な米軍資料を調査し、広島や長崎の原爆の訓練のために「模擬原爆」が大阪などに落とされた事実を探り当てた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140817/wlf14081718000003-n2.htm
2014.8.17 18:00 (2/2ページ)
同会によると、昭和20年7月20日から8月14日まで、全国30都市に計49発が投下され、死者400人以上、負傷者1200人以上を数えた。東住吉区に落ちた爆弾もその1発だった。

 模擬原爆は、長崎に投下されたプルトニウム爆弾「ファットマン」と形状や重さが同じで、長さ3・25メートル、直径1・52メートル、重さは1トンどころか4・5トン。カボチャのような丸い形をしているため「パンプキン爆弾」とも呼ばれる。

 同会の金子力さん(63)は「原爆を落とす準備のため、攻撃の対象でない場所に実験として投下された爆弾だった」と話す。

 模擬原爆といっても威力は大きかった。大阪大空襲などでB29が投下した1トン爆弾や焼夷弾(しょういだん)の爆撃とは明らかに異質だったという。

 着弾地点の近くにいた人たちは「周辺を一瞬で廃虚に変えた。激しい爆風があった」と証言している。

1839名無しさん:2014/08/22(金) 20:46:47 ID:DiwFDErU0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140822/wlf14082218100015-n1.htm
純白の花「サギソウ」が見ごろ 大阪・坐摩神社
2014.8.22 18:10
シラサギが羽を広げたような純白の花を咲かせるサギソウが、大阪市中央区久太郎町の坐摩(いかすり)神社で見頃を迎えた。そよ風に揺れる涼しげな風情が訪れた人たちを楽しませている。

 サギソウはラン科の多年草。20〜40センチの細い茎に直径約3センチの小さな花をつける。神社の神紋「鷺丸」(さぎまる)にちなみ、権禰宜(ごんねぎ)の北岡忠澄さんが丹精込めて育てており、「今年もよく咲いてくれます」と目を細める。

 境内に並ぶのは「輝き」「青葉」「銀河」など7種類約2000株。7月中旬の夏祭り頃から咲き始めた。

 神社では猛暑の中、ヨシズで囲んだり、風鈴をつるしたりして涼を演出。「オフィス街でサギソウが見られるなんて」と参拝者らを喜ばせている。

 9月上旬まで咲き続けるという。問い合わせは坐摩神社(06・6251・4792)。

1840名無しさん:2014/08/22(金) 21:12:19 ID:DiwFDErU0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140821/3786491.html
古墳の濠 高校生が浄化作戦
08月21日 20時25分

世界文化遺産への登録を目指している大阪の百舌鳥・古市古墳群の一つ、堺市にある「いたすけ古墳」で、地元の高校生たちが古墳の周りにある濠(ほり)の水をきれいにしようと、手作りの浄化装置を設置し効果を確かめる実験を始めました。
実験を始めたのは、堺工科高校のエコデザイン同好会の生徒13人です。
生徒たちは、2年前から堺市の「いたすけ古墳」の周りの濠の水質の改善に取り組んでいて、21日からは自分たちで作った浄化装置の効果を確かめる実験を始めました。
装置は縦横約2メートルの発泡スチロール製のいかだの上に太陽光発電で動く水中に空気を送り込むためのポンプを積んでいます。
水中の微生物の働きを活性化させ汚れを分解させようという狙いです。
生徒たちはボートで装置を目的の地点までえい航した後、スイッチを入れ、水中からぶくぶくと泡がたつのを確認すると歓声を上げて喜んでいました。
装置は、ことし11月まで稼働させて、1か月ごとに水質を調べ効果を確かめるということです。
3年生の片岡尚喜さんは「装置がうまく稼働して水がきれいになってくれればうれしいです」と話していました。
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1841名無しさん:2014/08/25(月) 10:06:20 ID:oK5Uviug0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sounanya/140824/20140824041.html

そうなんや 大阪24区

西成区 日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所跡地
2014年8月24日

 南海天下茶屋駅前には、およそ110年前に存在した「日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所」跡地を顕彰する石碑が買い物客らのにぎわいの中でひっそりとたたずむ。昨年の除幕式には、在大阪ロシア連邦総領事館の参事官も出席し、西成区とロシアが友好を深めるきっかけとなった。

 駅前のスーパー敷地内に顕彰碑が建ったのは昨年4月。西成の歴史を理解し、伝えていくことを願って有志らが実行委員会を組織し、地元の歴史に詳しい区内の医師、加納政男さん(89)が寄贈した。

 「西成区史」(1968年)などによると、05年に設けられた収容所は全国に約30カ所あったうちの一つで、大阪陸軍予備病院用地約6万坪に設けられた平屋建て60棟に、ロシア兵捕虜6062人が収容されたと記されている。石碑には「ハーグ条約を順守し、俘虜を手厚く取り扱った」と刻まれている。

 除幕式以来、総領事が区民まつりに顔を出したり、ロシアの建国記念日に当たるナショナルデーを祝うレセプションには臣永正広区長や区民が招かれたりと互いの交流が深まった。両国の子どもが作品を持ち寄る友好絵画展も開かれている。

 今後の日露交流に関連し、西成区役所広聴広報担当の安井伸也さんは「次世代を担う子どもたちに焦点を当てたい」と話している。



友好深めるきっかけに

1842名無しさん:2014/08/26(火) 20:22:32 ID:oRpyLV5o0
【関西の議論】
落語あり、シェークスピアあり、キスシーンも…「文楽は難解」「悲劇」のイメージ一新図った技芸員たちの思い
2014.8.23 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n1.htm

文楽の新たなファンを開拓しようと、この夏、バラエティーに富んだ新作文楽が続々作られ、話題を呼んでいる。大阪・日本橋の国立文楽劇場で上演された「かみなり太鼓」をはじめ、8月17日まで京都劇場で上演された三谷幸喜さんの作・演出による「其礼成(それなり)心中」、9月には、東京の国立小劇場で、シェークスピア原作の「不破留寿之太夫(ふぁるすのたいふ)」が上演。文楽のレパートリーは悲劇が中心だが、新作はいずれも喜劇というのが珍しい。そこには「文楽は難しいとの先入観をとっぱらってもらって、もっと気軽に楽しんでもらいたい」という技芸員たちの熱い思いが込められている。(亀岡典子)

脚本は落語作家・小佐田さん

「叱る親父もふんどし一丁」「かあちゃんは指ポキポキ」…。

 こんな義太夫節のせりふに客席の笑いがはじける。目を輝かせて舞台に見入る子供たち。

 国立文楽劇場「夏休み文楽特別公演」の第1部「親子劇場」で上演された新作文楽「かみなり太鼓」の評判は上々だった。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n2.htm

物語は、大阪を舞台に、天神祭が近いある日、天から太鼓職人の家に降ってきた雷のトロ吉と人間たちの交流をおもしろおかしく描いたコメディー。

 大阪弁のわかりやすいせりふ、親しみやすいストーリー、落語っぽいやりとりに場内は大受け。

 同作は、落語作家の小佐田定雄さんが書き下ろし、人形遣いの桐竹勘十郎さんが演出、三味線の鶴澤清介さんが作曲を担当した。

 ゴロゴロという雷鳴や、だんじり囃子、蝉の鳴き声などの効果音を駆使、義太夫節にエコーをつけるなど、「これまで文楽でやったことのない手を多用した」と3人。廻り舞台や宙吊りをはじめ派手な演出で子供たちの目を舞台に釘付けに。

 「笑いのいっぱいある作品で気軽に見てもらって、まずは文楽は楽しいと思ってもらいたい。ここを入り口に文楽に入ってきてほしい」と3人は声をそろえる。

1843名無しさん:2014/08/26(火) 20:26:04 ID:oRpyLV5o0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n3.htm

文楽初のキスシーン

文楽の新作が多く作られたのは昭和30年代初め。

シェークスピアの「ハムレット」をはじめ、オペラ「蝶々夫人」をもとにした「お蝶夫人」などの翻訳ものでは文楽初のキスシーンも登場した。その後も、織田作之助さんの「夫婦善哉」なども文楽になった。

 文楽は、義太夫節の文章が難しく、太夫が節をつけて語るため、初めて聞くと理解しづらい。また、物語も、人間の情を描いたテーマ自体は普遍的だが、背景にある武家社会の忠義や主従関係が現代人には共感しづらい面もある。

 新作文楽には、そういう壁をとっぱらって、先入観なく、文楽という芸能の世界に入ってきてほしいという関係者の願いが込められている。

芸能に「笑い」は不可欠

今年はこの後も、一昨年、東京・パルコ劇場で初演された三谷文楽「其礼成心中」の関西初公演、東京の国立小劇場で、シェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」などを原作とする「不破留寿之太夫」が上演される。こちらは、文楽三味線の人間国宝、鶴澤清治さんが企画した新作だ。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140823/wlf14082318000001-n4.htm

今回の3作品がすべて喜劇というのも珍しい傾向。というのも、文楽の古典は9割以上が悲劇だからだ。しかし清治さんは、「いまの時代、芸能に笑いは欠かせない要素。文楽で喜劇を作ることは難しいが、現代の観客に受け入れられるものを一作でも多く創造してレパートリーを増やすことも大切」という。

 文楽は昨今、補助金問題や竹本住大夫さんの引退など社会的な話題が続き、初めて文楽を見る観客が増えている。この機会に、新作で新たな観客を取り込みたいと、関係者は期待をかけている。

1844名無しさん:2014/08/26(火) 20:28:27 ID:oRpyLV5o0
文楽支援で財界団体が助成金
08月26日 19時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140826/3949021.html

関西の財界が文化事業を支援するために作った財団法人「アーツサポート関西」は学生に文楽に親しんでもらうための事業に初めて助成金を出すことを決めました。
これは、「アーツサポート関西」が大阪・天王寺区の生國魂神社で記者会見して明らかにしました。
それによりますと、助成金を出すのは、文楽の普及に取り組むNPO法人「NPO文楽座」が行う事業です。
大学生や専門学校の学生が500円を支払うだけで国立文楽劇場での公演を見たり、文楽の解説を受けたりできるもので、250万円が助成されます。
このあと、文楽とゆかりの深い浄瑠璃神社で助成金の贈呈式が行われ、人形遣いの)吉田玉女さんがあやつる人形が助成金の目録を受け取っていました。
NPO文楽座の理事長で三味線弾きの竹澤團七さんは「文楽を理解するには時間が必要なので、若いころから親しんでもらおうと考えた事業に対し助成をしてもらい、本当にありがたい」と話していました。
アーツサポート関西は、関西の文化活動を支援していて、10月に改めて公募し、来年4月に2回目の助成金を出すことにしています。
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1845名無しさん:2014/08/27(水) 21:26:45 ID:2u8IztSE0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140825/20140825026.html
「大坂の陣」400年節目 NPOが31日、創作舞踊公演
2014年8月25日
 来年にかけて「大坂の陣」(1614〜15年)から400年という大きな節目にあたり、大阪などで歴史を検証するさまざまな取り組みがなされている。このうち日本舞踊家の藤間遊子さんが率いるNPO「平成上方文化を創る会」は31日、大阪城を望む大阪歴史博物館(大阪市中央区)で創作舞踊の公演に挑む。「大坂の陣」後の時代に焦点を当て、メンバー一同が最終調整に余念がない。

同会は、江戸期から脈々と伝承されてきた上方文化を重んじながら、新たに創造しようと昨年6月に設立した。文化、郷土史などの研究にも取り組みつつ、ことし2月には同館で旗揚げ公演となる「上方文化語り創らん」を開催。悲運の淀君や浄瑠璃などをテーマに舞踊や小唄、民踊などをふんだんに盛り込んで、時代背景の解説と相まって好評を得た。

 4月には早くも第2回公演が決定。大坂の陣400年プロジェクト参加事業という位置付けで、タイトル「豊臣の物の怪達(けたち)」と銘打った。藤間さんは「『大坂の陣』はひときわ脚光を浴びているが、豊臣家滅亡後の陰の時代を生きた悲運の女性を描きたい」と思い立つ。市史編さん所などで関連史料と向き合い、大阪城天守閣を仰ぎながら、じっくりと作と振り付けを手掛けた。「準備期間は短かったが、メンバーがよい経験を積みながら頑張っている」といい笑顔を浮かべる。

 メンバー3人が出演する夢芝居は、よみの国の天守閣にいる太閤さんが、夏の命日に淀君と秀頼を連れて現世に戻る−という想定。豊臣方で奮戦した武将・真田幸村の化身とされる大ナマズなど物の怪たちが現れ、千姫や、秀頼の忘れ形見、千代姫の最期を物語る作品に仕上げた。

 「教会の修道士として入信した恋人への思いなど、女性の気持ちに焦点を絞りたい」。藤間さん出演の「切支丹道成寺」は柴田勝家の娘・朝子が主人公の名作で自ら振り付けを創作した。本番を目前に「今後も広く上方文化をとらえて活動に励みたい」と意気込みを語る。

 冒頭では大阪の郷土史に造詣が深い水知悠之介さんが講演。歴史の陰に隠れた幾多の悲劇など、創作舞踊の重要な導入部分として注目されている。

 【メモ】会場は大阪歴史博物館・講堂。午後3時半開園(同3時開場)。入場料3千円(同館常設展観覧チケット、1階レストランお茶券がセット)。問い合わせは電話090(1226)4454、同会へ。

1846名無しさん:2014/08/28(木) 21:46:41 ID:iYj6/rS.0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140828/wlf14082821180021-n1.htm
豊臣が負けていなければ…? 「大坂の陣から400年」テーマに 有栖川有栖さんと玉岡かおるさんが対談
2014.8.28 21:18

作家の有栖川有栖さんと玉岡かおるさんが28日、大阪市内で開かれた関西プレスクラブの会合で、「大坂の陣から400年」をテーマに対談した。2人は「豊臣方が負けていなければ、より明るい文化が築かれ、関西は文化立国として存在感を示せたかもしれない」などと意見交換した。

 今年から来年にかけて、豊臣家が徳川家に滅ぼされた「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」から400年の節目に当たる。大阪城は夏の陣で炎上し、現在の天守閣は、昭和6年に市民らの寄付で再建された。

 対談会場の窓からは大阪城が一望でき、玉岡さんは「この城は、大阪を表すアイコン。上方の心のよりどころ」。有栖川さんも「壮大な滅びの風景を持っている大阪城は、城としての経験値が高くドラマがある。また、豊臣秀吉の晩年には、作家としてひかれるものがある」と語った。

 江戸時代には“天下の台所”として発展した大阪。玉岡さんは「大阪は『負けてへんで』という気持ちが常にある。東京一極集中の今、災害など危機管理の面からも、大阪に機能の一部を分散してもいいのでは」などと指摘した。

1847名無しさん:2014/08/28(木) 23:17:47 ID:7o9XHHB60
この議論は本質をついていない。
江戸時代、大阪は天領として大いに発展し、商都としてその存在感を発揮した。諸悪の根源は戦後の東京中央集権と官僚支配、マスゴミの偏向報道である。

1848名無しさん:2014/08/30(土) 18:51:47 ID:RCafcOCM0
http://supplementary.at.webry.info/200703/article_14.html
臭いものに蓋をしてはいけない。昭和31年当時から何の反省もないやんけ。
「大鉄高校(現阪南大学高校)  恩師を(ry」

1849名無しさん:2014/08/30(土) 18:53:10 ID:RCafcOCM0
大宅壮一まで感動wさすなんて

1850名無しさん:2014/08/31(日) 03:18:51 ID:dTcufnm60
>>1847
つまり、江戸時代の大坂は江戸幕府のものだったわけだね。

1851名無しさん:2014/08/31(日) 23:50:20 ID:7/jK.lUo0
伝統とモダン鮮やか 文楽、現代舞踊が競演
2014年8月31日
 人形浄瑠璃文楽と現代演劇が融合した舞踊組曲「母子慕情〜傾城阿波の鳴門より〜」(同実行委員会主催)が30日、大阪市中央区の国立文楽劇場で上演された。現代舞踊に阿波おどりや人形浄瑠璃といった徳島の文化を組み込んだ新しい総合芸術。文楽人形とダンサーの競演が圧巻の舞台をつくり上げた。

母と子の情愛を描いた「母子慕情−」は徳島県出身のダンスアーティスト、田村典子さんが地元にこだわった演出で創作。2007年の東京・新国立劇場公演で高い評価を得た。今回は文楽発祥の地・大阪での上演で一層パワーあふれる舞台になった。

 物語は、徳島藩の家臣・十郎兵衛と妻おゆみが、主君の名刀を取り戻すために旅立つところから始まり、娘おつるとの再会や別れを描写。命を失うおつるの魂を癒やすような祈りが込められた阿波おどりの場面でフィナーレを迎えた。

 作品は同県出身者の力を集結。人形遣いの吉田文司さんが人形でおつると十郎兵衛を担当し、音楽家・住友紀人さんが現代音楽を作曲。おゆみを演じた田村さんとともに幻想的な空間を生み出した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140831/20140831029.html

1852名無しさん:2014/09/02(火) 20:07:56 ID:9Dj0A5ss0
【浪速風】
お上に頼らぬ伝統も継承する雅亮会(9月2日)
2014.9.2 11:43

天王寺舞楽を伝承する「雅亮会(がりょうかい)」の楽頭だった小野功龍(こうりゅう)さんの訃報に接した。舞楽(雅楽)は大陸から渡来して日本で独自の発展を遂げた。京都と奈良、それに四天王寺に楽所(がくそ)が置かれたが、屋外の石舞台で演じられる天王寺舞楽は、遠くからでも鑑賞できるダイナミックな演出が特徴である。

 ▼明治維新による遷都で四天王寺の楽人たちは召されて東京に移った。消滅を惜しむ町の人々によって雅亮会が設立された。戦争でメンバーの多くが亡くなったが、舞楽の装束を保管していた蔵は奇跡的に焼け残り、昭和21年に早くも聖徳太子の命日の4月22日に催される聖霊会(しょうりょうえ)を再興した。

 ▼会員はボランティアで運営は会費で賄い、海外公演も行う。小野さんは「「伝統を守る意識はありますが、誰もが好きだということにつきます」と語っていた。司馬遼太郎さんは、大阪の伝統的な市民精神を「政府に頼らず、みずからの手でやることです」と自慢し、その例として雅亮会を挙げた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140902/wlf14090211430012-n1.htm

1853名無しさん:2014/09/03(水) 04:57:41 ID:Xp4Y9TwI0
<茨木城>「幻の城」地域の心つかむ
2014年08月03日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20140803-OYTAT50005.html

高さは5メートル以上、杉30本を使っているという。木造瓦ぶきのやぐら門を、黄色い帽子をかぶった児童が元気よく、くぐっていく。

 茨木市中心部にある茨木小。門は正門として使われている。同校が茨木城跡にあることから、市が1993年、創立120周年に合わせて復元した。「タイムスリップしたようでしょう」と松木嘉英校長は笑う。

 茨木城は、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に味方した中川清秀や、家来だった片桐且元らが城主を務めた。しかし、1615年の一国一城令で廃城に。近くの茨木神社には、同じく城の門が残り、秀吉がここの井戸水を好んで茶会で用いたと伝わるが、周囲に城の名残を感じさせるものは少なく、復元は住民らが呼びかけたのがきっかけだった。

 長男が同校に通っていたため、記念事業の事業委員長を務めた小林信弘さん(67)は「来た人に喜んでもらえるし、子供たちにも地元の歴史を感じてほしくて。私自身も見てみたかった」と振り返る。

 同校では昨年度、マスコットキャラクターのアイデアを児童から募集し、やぐら門をモデルにした図案が採用された。名称は「やぐもん」。入学式では着ぐるみが登場して、新入生を歓迎した。松木校長は「子供たちは門に誇りを持つようになった。安土桃山時代の様子などを想像する児童もいますよ」と胸を張る。


                    ◇

 市内には「茨木城主もなか」という名の菓子も販売されている。和菓子店「ちとせ」の経営者・崎本悦緒さん(62)が20年ほど前から売り出した。箱には天守閣が描かれ、もなかの皮は凹凸を付けて城の石垣を表現している。

 実は茨木城は絵図などが残っておらず、今なお、全貌がわかっていないが、茨木小出身の崎本さんは、小学生の頃から、その姿を思い描いてきた。「昔からこの城に親しみがあり、どうしても商品にしてみたくて」。天守閣や石垣も自身のイメージをもとにしたという。

 姿、形もわからない「幻の城」。それがかえって、地域の人たちの心をつかんでいる。(上野将平)

 

 ◆茨木城

 築城年については諸説ある。現在の茨木小の北側に本丸があったとされ、中川清秀が入城した頃から、城郭や武家屋敷などの城下町が整備された。やぐら門は奈良県の片桐家の菩提(ぼだい)寺、慈光院に移築されたと伝えられており、同校での復元の際に参考にされた。

  

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に、造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年08月03日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1854名無しさん:2014/09/03(水) 05:01:49 ID:Xp4Y9TwI0
<淀君と岸和田>修復の御輿 地域の宝
2014年08月17日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20140817-OYTAT50000.html

華やかな飾り金具がきらめき、屋根に取り付けられる鳳凰(ほうおう)が気品を漂わせている。

 岸和田市積川(つがわ)町の積川神社。展示されている御輿(みこし)は豊臣秀吉の側室・淀君らが修復、寄進したと伝わり、昨年、約400年ぶりに再修復された。

 「それまでがらくた同然で放置されていたんですけどね」と積川敏文宮司(67)は苦笑いする。

 秀吉の子・秀頼と淀君は、秀吉の死後、畿内にある寺社の修復、造営に力を注いだ。1585年の秀吉の根来攻めで社殿が焼失した同神社も淀君らが再建し、御輿もその際、一緒に修復されたと考えられている。

 小学校の教諭だった積川さんは約40年前、婿養子として神社を初めて訪れた時、御輿は小屋でほこりをかぶっていたのを覚えている。屋根の蕨手(わらびて)は取れ、担い棒も折れていた。

 再修復のきっかけは先代の宮司から何気なく御輿の由来を聞いたことだった。「私がここの出身でなかったからですかね。淀君が岸和田とゆかりがあるとは知らずに驚きまして。後世に残さなければと思いました」

 土地を売るなどしてコツコツと資金を集め、公益財団法人の補助制度に申請。2013年3月、奈良県の施設で10か月に及ぶ作業を経て神社に戻ってきた御輿は傷も補修され、往事の姿を取り戻したように見えた。

 積川さんは昨年、秋祭りで御輿を披露した際、住民らが目を輝かせる様子が忘れられない。「地域の宝を守ることができたのかなとホッとしました」。地元の人に御輿のことをもっと知ってもらいたい。今、公開する機会を増やそうと考えている。

                     ◇

 岸和田市民が愛するだんじり祭にも、淀君らに関係するものがある。だんじりの彫り物の題材には、大阪らしく秀吉が用いられることがあり、そこで淀君も使われているのだ。

 2年前に新調した上松町のだんじりは、秀吉が活躍する様子のほか、幼い秀頼を連れて秀吉と花見をする淀君の姿も見ることができる。

 デザインした東利昭さん(72)は「男ばかりが活躍する時代で、女性として堂々と生きた淀君は欠かせない存在。華やかさも増しますしね」と話す。

 祭りで有名な岸和田での淀君と祭りとのつながり。御輿の再修復により、淀君が市民から大きく注目を集める日が来るかもしれない。(横田加奈)

1855名無しさん:2014/09/03(水) 05:02:28 ID:Xp4Y9TwI0
◆淀君と岸和田

 大坂城で仕えた岸和田の娘が大坂夏の陣で城から逃げる際、淀君からもらった化粧道具などを持って家に戻ってきたという話が残る。秀頼とともに行った寺社の修復、再建は100か所以上に及んだとされる。

 積川神社(072・479・0134)の御輿は見学可能だが、上松町のだんじりは、だんじり祭の日以外は見ることはできない。

    

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年08月17日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

1856名無しさん:2014/09/03(水) 21:52:50 ID:G/Car7Ms0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140902/wlf14090213100016-n1.htm
「岸和田だんじり祭」パレード・宮入り順決まる 
2014.9.2 13:10

大阪府岸和田市で13、14日に行われる「岸和田だんじり祭」で、参加する岸和田地区の各町代表が出席する「三郷の寄り合い」が1日、同市の浪切ホールで開かれ、くじ引きで13日のパレードと、14日の宮入りの順番を決めた。春木地区はすでに決定。両地区のパレード、宮入りの順番は次の通り。

 【パレード】(13日)

 ◇岸和田地区(午後1時〜)=宮本町▽中之濱町▽中北町▽本町▽大手町▽南上町▽南町▽藤井町▽中町▽大工町▽五軒屋町▽下野町▽並松町▽上町▽大北町▽筋海町▽沼町▽北町▽紙屋町▽春木南▽別所町▽堺町

 ◇春木地区(午前9時半〜)=春木若松町▽松風町▽磯之上町▽春木旭町▽春木中町▽春木大小路町▽春木本町▽戎町▽春木宮川町▽八幡町▽大道町▽春木宮本町

 【宮入り】(14日)

 ◇岸城神社(午前9時半〜)=宮本町▽上町▽五軒屋町▽中北町▽南上町▽大工町▽大手町▽堺町▽大北町▽南町▽中之濱町▽中町▽本町▽北町▽紙屋町

 ◇岸和田天神宮(午前10時〜)=沼町▽筋海町▽並松町▽下野町▽藤井町▽別所町

 ◇弥栄神社(午前7時〜)=例年先頭となる「番外1番」の春木南の後、春木地区のパレード順。

1857名無しさん:2014/09/04(木) 21:47:02 ID:xsNin9qs0
成瀬國晴さんの学童疎開展開幕 なんばパークス
2014年09月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140901-OYTNT50009.html

イラストレーターの成瀬國晴さん(78)が、太平洋戦争末期に体験した学童疎開の様子を描いた作品展「時空の旅」が31日、大阪市浪速区のなんばパークス7階で始まった=写真=。入場無料。5日まで。

 成瀬さんは、精華国民学校(大阪市)3年だった1944年8月から1年間、滋賀県東押立村(現・東近江市)に疎開し、寺に寄宿した。今年で学童疎開から70年になるのに合わせ、77枚のイラストを描いて画集にまとめた。

 会場では、全作品を展示。友人らと列車で滋賀に向かう場面や、離れて暮らす母を思って月を眺めた情景などを柔らかなタッチで描いている。この日は、同国民学校の元教員で、疎開を引率した高橋文代さん(89)(高槻市)も来場し、「戦争は二度としてはいけないと多くの人に伝わると思います」と話していた。

2014年09月01日

1859名無しさん:2014/09/07(日) 04:41:47 ID:lTlvpdt.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140907/osk14090702060003-n1.htm
上方落語の祭典にぎやかに 生國魂神社「彦八まつり」 大阪
2014.9.7 02:06
 上方落語協会(桂文枝会長)のファン感謝祭「第24回彦八まつり」が6日、大阪市天王寺区の生國魂神社(通称・いくたまさん)で開幕した。オープニングでは、落語家らによる舞踊「雛鶴三番叟(ひなづるさんばそう)」が華やかに披露された。7日まで。

 例年10万人以上が入場する同協会最大のイベント。落語家による屋台やバンド演奏、素人演芸バトル、奉納落語会など、境内は大勢のファンでにぎわった。文枝さんは「今年の実行委員長、桂文之助さんは気象予報士なので天気は大丈夫と思います」などと話した。

 7日は「噺家(はなしか)大相撲」や「お茶子クィーンコンテスト」のほか、昨年、境内に銅像が建立された地元出身の作家・織田作之助にまつわる落語会(有料)などが予定されている。

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1860名無しさん:2014/09/10(水) 21:21:33 ID:e9nFTyNE0
大坂の陣400年 両雄しのぶ
2014年09月10日

◇家康と幸村が本陣 茶臼山に記念碑

 「大坂の陣」(1614〜15年)で徳川家康と真田幸村がそれぞれ本陣を置いたとされる大阪市天王寺区の茶臼山(府史跡)で9日、両雄を顕彰する記念碑のお披露目式があった。大坂の陣から400年となるのに合わせた取り組みで、地元の一心寺(高口恭典住職)が建立し、市に寄贈した。

 記念碑は花こう岩製で、高さ2・5メートル。「群雄割拠」をイメージして波形を施した石の上部に石盤が取り付けられ、家康と幸村の本陣があったと伝わることが記されている。

 茶臼山は冬の陣で徳川軍が、夏の陣で真田軍が本陣を置いたとされる。この地を拠点にした幸村が夏の陣で徳川軍を追いつめ、あと一歩で家康の首が取れたとの伝承が残るなど、歴史ファンを魅了するエピソードの舞台になっている。

 この日の式典では、野原賢一郎・天王寺動物公園事務所長が高口住職に感謝状を贈呈した。発案者の高口恭行・同寺長老は「記念碑によって、訪れた人が歴史を追体験するきっかけになれば」と話していた。

2014年09月10日

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140910-OYTNT50058.html

1861名無しさん:2014/09/11(木) 21:39:50 ID:zzORJQxY0
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140911/wlf14091108580003-n1.htm
いよいよだんじり祭 「大うちわ」できた! 岸和田
2014.9.11 08:58

岸和田市で13、14両日に行われる「岸和田だんじり祭」を前に、13日のだんじりパレードの際、各町の代表者に贈られる大うちわの飾り付け準備が市役所で進んでいる。

 大うちわは、柄を含めて長さ76センチ、最大幅57センチ。祭の成功を願い、信貴芳則市長と西村芳徳市議会議長から参加34町の町会会長らに贈られる。

 このうち市長から贈呈される大うちわは、朱色地に白文字で片面に「祭」、別面には白と黒文字で「祝 御祭禮 贈 岸和田市長」と記され、職員らが飾り付けに追われた。

 パレードは、春木地区では午前9時半から南海春木駅周辺で、岸和田地区では午後1時から南海岸和田駅周辺で行われる。

1862名無しさん:2014/09/11(木) 22:10:47 ID:zzORJQxY0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140910/osk14091007020002-n1.htm
後鳥羽上皇が再建の「水無瀬離宮」跡か 島本で20日から速報展 大阪
2014.9.10 07:02

 島本町桜井で、鎌倉時代に後鳥羽上皇が造営した「水無瀬(みなせ)離宮」の一部とみられる遺構とともに、上級貴族が用いたと推定される陶磁器が出土し、調査結果の速報展が20日から25日まで、同町桜井の町立歴史文化資料館で開かれる。

 製薬会社研究棟の建設に伴う試掘調査で見つかり、地名から西浦門前遺跡と命名。過去に遺構は近くの広瀬遺跡でも見つかっていたが、今回は標高約10メートルと高い場所にあり、離宮の再建された建物の一部とみられる。

 藤原定家の日記「明月記(めいげつき)」などによると、後鳥羽上皇は1199年、水無瀬川と淀川の合流付近に離宮を建設したものの、1216年の洪水で離宮の建物が倒れ、高台で再建したとの記述があり、文献資料を裏付けた形。

 庭園跡やほかの建物跡の一部も確認されたほか、遺構からは、北宋時代の中国で焼かれたとみられる陶磁器も見つかり、当時貴重な品々で上級貴族が使ったとみられる。

 速報展では、このうち、釉薬の発色が美しい最高級の青磁で、天目(てんもく)茶碗を乗せる天目台の破片や、鉄釉を使い花紋を表現した広口壺の破片などを並べる。このほか、後鳥羽上皇が生きた時代に用いられたとされる蓮華(れんげ)紋の瓦なども展示予定。

 23日午前10時と同10時50分から、資料館近くの町ふれあいセンターで調査員によるスライドショーもある。

 22日は休館。問い合わせは同館(電)075・961・3411。JR島本駅から徒歩1分。

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1863名無しさん:2014/09/14(日) 04:09:26 ID:Gaggxq6s0
「やり回し」に歓声…岸和田だんじり祭始まる
2014年09月13日

大阪府岸和田市の「岸和田だんじり祭」が13日、始まった。重さ約4トンのだんじり34台が、交差点をスピードを落とさずに直角に曲がる「やり回し」をするたびに、見物客は歓声を上げた。

 五穀豊穣(ほうじょう)を願う祭りが始まりとされ、300年以上の歴史を持つ。「そーりゃ、そーりゃ」のかけ声に合わせてだんじりが勢いよく進むと、屋根の上では、うちわを手にした大工方が軽快な身のこなしを披露した。

 市は、14日までの2日間で55万人の人出を見込んでいる。

2014年09月13日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140913-OYO1T50039.html?from=oycont_top_txt

1864名無しさん:2014/09/16(火) 23:06:51 ID:g44zbdhM0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140915/20140915091.html
庄屋・野口家の古文書解読 7年かけ市民活字化
2014年9月15日

 NPO法人とよなか歴史と文化の会(吉岡正起代表、86人)が、活動の拠点を置く豊中市の原田地域で江戸時代に庄屋をしていた野口家に関する古文書の解説テキストを発行した。会は市から「原田しろあと館」(同市)の管理運営を委託されており、事業の一環として市の市史編さんに携わってきた清水喜美子さん(71)を講師に、教材として野口家の古文書を使った講座を開いてきた。今回、清水さんの指導でメンバーが7年をかけて判読したものを活字化した。

同会は、原田城跡であった旧羽室家住宅が同市の所有となった後、どのように活用していくかを市が市民と一緒に考える際に集まった市民が中心となって、2011年にNPO法人として設立。法人化前の09年11月には、同館の維持管理を市から委託されることになり、週末には定期的にイベントを開催している。

 活動を通して地域の歴史に詳しくなってきたことから、現在では「阪急沿線観光あるき」事業などでのガイドもメンバーが担当し、市民に地域の歴史を伝える取り組みも実施している。

 古文書講座は、阪急電鉄豊中駅前にある市民活動情報サロンで、清水さんが地域の歴史に関する勉強会をしていたところ、参加者から古文書について勉強したいという要望が出たことから岡町図書館で7年前にスタート。現在は原田しろあと館で毎月第2土曜日に開かれている。今回の原田地域の古文書解説テキスト発行に先立ち、岡町についての古文書と講座参加者の解説を盛り込んだ冊子もことし3月に発行した。

 テキストは、江戸時代の原田地区の大名支配や水をめぐる水利問題など七つの分野で構成。難解な古文書を一般の人でも分かりやすく読めるようにした。今回、発行の中心となった大下隆司さん(69)は「江戸時代の岡町の様子もよく描かれ、また五人組という制度は相互監視の制度と思っていたが、勉強していくにつれ全員で助け合うための組織でもあったということが分かり興味深かった」と振り返った。

 吉岡会長(67)は「身近な地元の歴史に興味を持ってもらう人のすそ野を広げていきたい」と話す。

   ◇  ◇   

 テキストはA4判164ページ。1部800円。

1865名無しさん:2014/09/17(水) 22:22:34 ID:pWwxl7g.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140917/osk14091707070002-n1.htm
狭山池、かんがい施設遺産に 日本最古のダム式ため池 大阪
2014.9.17 07:07

 耕作地に必要な水を供給する灌漑(かんがい)施設のうち100年以上経過したものの中から選ばれる国際かんがい排水委員会(ICID)の「かんがい施設遺産」に、日本最古のダム式ため池とされる狭山池(大阪狭山市)が登録された。狭山池は平成28年に築造1400年を迎えることから、管理する狭山池土地改良区は「世界的な視点で価値のある施設として認められ誇りに思う」と喜んでいる。

 ICIDは、灌漑や排水、治水などの分野で、科学技術の研究開発などの促進を目的に、1950(昭和25)年にインドで設立された。灌漑と排水に関する世界規模の機関として活動を展開。「かんがい施設遺産」は、今年初めて世界を対象に、登録の申請を募った。建設から100年以上経過したものであるほか、先進性など10項目の条件のうち1項目以上を満たすことが必要。大阪狭山市によると、国内では10件が申請され、狭山池のほか、青森や群馬、三重など計9件が選ばれた。府内からは狭山池のみが選定された。

 市によると、狭山池は7世紀に築造されたとされ、自然地形を利用して川が流れる谷間をせき止め、貯水機能を強化したダム式のため池。「古事記」や「日本書紀」にも名前が記されている。昭和63年から始まった改修工事では、築造当時の堤などが発見されている。池を統一して管理するようになったのは江戸時代初期からで、現在は狭山池土地改良区が管理し、農業用水として人々に利用されている。

 大阪狭山市の吉田友好市長は「狭山池は市最大の歴史・文化遺産。これを機に、国内だけでなく、世界に向けてPRしていきたい」としている。

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1866名無しさん:2014/09/17(水) 22:26:33 ID:pWwxl7g.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140915/osk14091507030004-n1.htm
「淀屋」の業績など学ぼう 大阪で来月4日講演会
2014.9.15 07:03

 近代大阪の発展に貢献した「淀屋」について学ぶ講演会が10月4日午後1時半から、大阪市中央区備後町の綿業会館新館で開かれる。

 大阪の魅力を国内外に発信する「大坂の陣400年プロジェクト」の一環行事。大阪の近代史を多くの人に知ってもらおうと、大阪の繁栄に貢献した江戸時代の豪商、淀屋の業績や歴史について調べている淀屋研究会が企画した。

 講演会では、中之島を開拓し、北浜の米市場を開設した「淀屋」について、講談師の旭堂南青さんが話す。また、講演の合間には、琴伝流白鳳会の八幡川口サークルによる大正琴の演奏も行われる。

 同研究会幹事の佐藤紀一さん(70)は、「大阪のまちの基礎を作り上げた淀屋をもっと知ってほしい」と意気込んでいる。講演会は午後1時半〜4時。入場料千円。定員200人。参加希望者は同研究会にファクス(072・447・7074)などで事前に申し込む。

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1867名無しさん:2014/09/19(金) 22:32:12 ID:iAVi967Q0
10月1日“出陣式” 大坂の陣400年天下一祭
2014年9月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140919/20140919025.html

 大阪城公園(大阪市中央区)を中心に開かれる大坂の陣400年天下一祭「大坂冬の陣」について、大坂の陣400年プロジェクト実行委員会(橋爪紳也委員長)は18日、開幕日の10月1日に“出陣式”を実施すると発表した。同イベントの武将隊メンバーが、橋下徹市長の定例記者会見に飛び入り参加して来場を呼び掛けた。

出陣式には橋下市長や松井一郎府知事をはじめ、特命応援隊の隊長を務める歌手の和田アキ子さん、同副隊長として歌舞伎俳優の片岡愛之助さんらが出席。大坂の陣の際、豊臣方の主力として奮戦した真田幸村らに扮(ふん)した5人組の武将隊「大坂RONIN5」のメンバーと共にイベントの開幕を宣言する。

 橋下市長の会見に“参戦”したのは武将隊の真田幸村、毛利勝永に扮したメンバーと大阪城非公認キャラクターの太閤はん。「大阪城に来ていただければ楽しいイベントが盛りだくさん」とアピールし、橋下市長と一緒に「大坂冬の陣いざ出陣」と声を張り上げた。

 天下一祭は、2014、15年が冬の陣(1614年)、夏の陣(1615年)から400年の節目に当たることにちなみ企画。民間が主体となって大阪の歴史や文化、街の魅力を広く発信し、活性化につなげるのが狙い。冬の陣のイベントは12月31日まで。

1868名無しさん:2014/09/23(火) 19:19:57 ID:UynvcjHI0
四天王寺に秀吉寄進の厨子 大阪、同寺再建を裏付け
2014年9月23日 16:41

 四天王寺(大阪市天王寺区)で聖徳太子の法要に使われる厨子が、豊臣秀吉に寄進されたものとみられることが23日分かった。「文禄七(1598)年」との墨書に、豊臣家の家紋に使われる桐花があしらわれていた。寺は1576年の織田信長による石山本願寺攻めで焼失。秀吉が1594年から再建したとの寺の記録を裏付けるという。現在は修理中で一般公開されていない。

 四天王寺によると、厨子は高さ約2・8メートル、幅約1・6メートル、奥行き約0・8メートル。境内の六時堂に安置されている。厨子には同寺を創建した聖徳太子の御影(肖像画)があり、毎年行われる法要に使われていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/140923/20140923055.html

1869名無しさん:2014/09/25(木) 01:08:45 ID:bo1AcVlg0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140923-OYTNT50012.html
庄屋文書に農民の暮らし
2014年09月23日

◇豊中のNPOが解説本

 豊中市のNPO法人「とよなか・歴史と文化の会」が、同市原田元町周辺で江戸時代に庄屋だった野口家に伝わる古文書を解説した「原田村野口家文書を読む」を発行した。「助け合って耕作すること」とした隣保組織「五人組」の細則を記した文書や、水不足で近隣の村同士が水利権を争った記録など71点を掲載。当時の農民の暮らしぶりがわかる内容で、同会メンバーらが7年がかりでまとめた。(神谷次郎)

 原田村は、現在の阪急宝塚線曽根駅西側にある原田元町周辺にあり、江戸時代の石高は約1500石。うち約300石の庄屋だった野口家は、村政や財政、住民の出入り、治安など幅広い分野についての文献約1800点を残していた。

 地元の観光ガイドや資料館の管理に携わる同会が、「地元に伝わる歴史を学ぼう」と2007年から、古文書に詳しい清水喜美子さん(71)(伊丹市)を講師に迎えて古文書講座を開催。清水さんの指導を受けながら、同市の岡町図書館に所蔵されている野口家の古文書の解読に取り組んできた。

 解説本では、検地帳や年貢帳などの内容を紹介、当時の年貢や村政の仕組みがわかる図を付けた。享和3年(1803年)の五人組の細則などを定めた文書には、「耕作には精を出し、病人や独り身の農家には互いに助け合って作業すること」などと記されている。

 また、耕作に不可欠だった水を巡り、水不足の際に近隣の村との争いが起こり、町奉行に改善を求めた訴状も掲載。農民らの人件費が高騰した際には、庄屋らが集まり、賃金の値下げを決めた記録もあり、「屋根葺(ふ)き賃」「綿打ち賃」など仕事の内容によって賃金が細分化されていたことがわかる。

 同会メンバーで中心となって編集した大下隆司さん(69)は「当時は思ったより豊かで、助け合って暮らしていたことなど生活の実態が垣間見えて興味深い。ぜひ一度読んでほしい」と話している。

 A4判164ページ、税込み800円。問い合わせは、大下さん(06・6849・0926)へ。

2014年09月23日

1870名無しさん:2014/09/25(木) 08:30:27 ID:LF.UJIDU0
西方の落日に極楽浄土思う 四天王寺「日想観」
2014年9月24日

 「秋分の日」の23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で秋季彼岸会(え)の伝統行事「日想観(にっそうかん)」が厳かに執り行われた。多くの参詣者が訪れ、夕日が真西に沈む彼岸の中日だけの光景を見届けた。

日想観は夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環。かつて四天王寺のそばまで海が広がり、境内の真西は極楽浄土へ続く場所と信仰されていたことに由来する。春、秋の2日に限り「石鳥居」の中央に沈む夕景を望むことができる。

 法要では夕刻に同寺僧侶が境内・西大門(極楽門)周辺で読経。集まった参詣者は、左手のビルの陰から現れた夕日に手を合わせたりカメラで撮影したりするなど、格別なひとときを過ごした。

 この日の近畿地方は高気圧に覆われて秋晴れとなり、大阪府内各地の寺院や霊園墓地などでは、朝から家族連れが花や供えものを手に墓参りをし、四天王寺には約5万人が訪れた。

1871名無しさん:2014/09/26(金) 17:18:10 ID:OjUvyaxU0
開祖・聖徳太子など54枚で紹介 オリジナルトランプ完成
2014年9月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140926/20140926033.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で、新たな授与品としてオリジナルトランプカード「四天王寺厳選五十四図」が完成した。建物や伝統行事、開祖・聖徳太子などを54枚で紹介。美しい写真と詳しい解説文があり、同寺では資料としての活用にも期待を寄せている。

2022年に控える聖徳太子の年忌法要「御遠忌(おんき)1400年」に向けた取り組みの一環で、広報担当の参詣部が昨年5月から企画。事前に絞った250件の候補から、僧侶と職員約150人が投票、54件を“厳選”した。五重塔や西大門、五智光院といった建造物のほか「どやどや」「聖霊会(しょうりょうえ)」「万灯供養」といった行事も盛り込まれ彩り豊か。ジョーカーには金堂壁画の一つで魔王を描いた「降魔成道(ごうまじょうどう)図」を選ぶなどこだわりも見せる。

 同寺境内は超高層ビル「あべのハルカス」から一望できるとあって、今春の開業以降、参詣者が増加。同部の山岡武明課長は「四天王寺をより多くの方に親しんでもらう商品としてアピールしたい」と話していた。

 価格は900円。10月1日から境内・楽舎などで販売される。

1872名無しさん:2014/10/01(水) 08:45:37 ID:W3xIqSuA0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140928-OYTNT50368.html
躍動と幻想の舞台 創生平国神楽
2014年09月29日

東大阪市出雲井町の枚岡神社で28日夜、河内に伝わる神話にちなんだ「創生平国神楽」が上演され、市民ら約500人が見入った。

 住民らでつくる実行委員会が2010年から毎年開いており、今年で5回目。

 狂言師や舞踏家、小中学生ら出演者約35人が境内に特設された能舞台で、太鼓や笛などの音色に合わせ、躍動感のある舞などを披露。舞台をすっぽり覆うほどの衣装の裾をはためかせて山の誕生を表現したり、花のついた枝を使って四季の移り変わりを表したりする舞などもあり、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。

 上演前には、創生平国神楽の演出を担当した観光庁の「エンタメ観光マイスター」も務める表博耀(おもてひろあき)さん(52)らによる座談会があり、同神社の由来や、神楽の成り立ちなどを解説した。

 堺市堺区、会社役員田口裕康さん(64)は「伝統をもとにした新しい神楽。見る者に訴えかける力があると感じた」と話していた。

2014年09月29日

1873名無しさん:2014/10/05(日) 20:01:07 ID:k.a0109w0
楽しい“化学反応”期待 築100年の町家再生へ
2014年10月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141005/20141005032.html

 かつて大名が往来した紀州街道が通る大阪市住之江区安立(あんりゅう)で、街道沿いに立地する築100年の町家を再生させるプロジェクトが進行している。計画では八つの店舗が入り、併設する新築棟でカフェをオープンさせる。中庭や商店街に面した軒先などでは、店舗同士の合同イベントも予定しており、関係者は「楽しい化学反応が起こる場所になれば」と期待している。

安立3丁目のかつて庄屋だった建物。約430平方メートルの敷地に、1911(明治44)年築の主屋、17(大正6)年築の蔵、昭和期の離れなどが建つ。屋号の嶋屋喜兵衛(しまやきへい)にちなみ、「嶋屋喜兵衛商店」として生まれ変わる。

 プロジェクトを進めるのは、市内で長屋改修を手掛ける大阪市立大大学院の小池志保子准教授と6人の院生。十数年空き家となっていた建物の活用法を考えあぐねていた11代当主の吉井秀夫さん(62)と長屋関連イベントで知り合ったのをきっかけに2013年春、再生に向け動きだした。

 計画でこだわるのは、商店街に面した主屋正面からの見通し。共有スペースの座敷を通じ、中庭がのぞく景色をしつらえる予定だ。

 主屋正面を覆っているシャッターを取り払い、新たに生まれる軒下の空間で、買い物客らがベンチに腰を掛けたりと気軽に立ち寄れるようにする。

 現在、先行オープンする1店舗を募集している。11月ごろから近隣店舗との交流などを始め、2015年2月のオープンを目指す。全面開業に向けた準備も共に進める。

 小池准教授は「一帯にすてきな場所が点在するようになり、散策を楽しんでもらえるエリアになれば」と話している。

1874名無しさん:2014/10/06(月) 08:11:02 ID:r2BLLPCY0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141005-OYTNT50005.html?from=yartcl_blist
古墳時代に思いはせ
2014年10月05日

◇近つ飛鳥博物館 「箸墓以降」展開幕

 河南町の府立近つ飛鳥博物館で4日に開幕した秋季特別展「箸墓(はしはか)以降―邪馬台国連合から初期ヤマト政権へ―」(同博物館、読売新聞社主催)。古墳時代前期の畿内各地の古墳や、集落跡からの出土品の数々を見ようと、多くの考古学ファンでにぎわった=写真=。

 奈良盆地南東部や周辺の古墳から、当時の政権の広がりや社会背景を探る内容。メスリ山古墳(奈良県桜井市)の「玉杖(ぎょくじょう)」は長さ約50センチで、統率者の権威を示す威儀具として使われたとされる。また、元稲荷古墳(京都府向日市)の「特殊器台形埴輪(はにわ)」は、模様の一部として三角形などにくりぬかれた様子を見ることができる。

 大阪市淀川区の会社員、平櫛瑶子さん(26)は「多くの古墳の出土品を見比べることができ、埋葬された人の人生や当時の風習に興味が湧いた」と話していた。

 12月7日まで。今月26日には、奈良県天理、桜井両市の古墳の調査成果などのシンポジウムが行われるほか、5、18日と11月1、15、29日、12月6日の午後2時からは、学芸員による展示解説もある。問い合わせは同博物館(0721・93・8321)へ。

2014年10月05日

1875名無しさん:2014/10/06(月) 10:03:42 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/140930/rgn1409300033-n1.html
来月4日、大阪・四天王寺で「幻燈會」 明治期のガラススライド楽しんで

. 明治期のガラススライド(種板)を当時の幻燈器(プロジェクター)で浮かび上がらせるイベント「四天王寺幻燈會」が10月4日、大阪市天王寺区の四天王寺・安養殿で開かれる。ガラススライドには武将の高貴な姿をはじめ、表情豊かな女性もユーモアをまじえて描いており、当時の味わい深い世界が堪能できる。 

 関西古書研究会が毎年、春と秋に開催している「大古本祭り」のプレイベント。初期映画機器とフィルムの収集・研究をしている大阪芸術大非常勤講師、松本夏樹さん(62)の映写と語りで、明治の幻影をよみがえらせる。

 幻燈は、灯油ランプなどの光源を利用して静止画像を大写しにするスライド。18世紀後半、オランダとの貿易を通じて日本に入ってきた。

 今回上映するのは、日露戦争(明治37、38年)のころに制作されたガラススライド約20枚。

 このうち浮世絵師の小林清親が描いた百面相図は、明治期の女性が風呂に入っている際に、熱い湯に顔をゆがめた表情などをとらえた作品。「アツイユ」などのせりふも書かれている。

 このほか、鎌倉後期から南北朝時代にかけての武将・新田義貞が、太刀を海に投げ入れて龍神に祈願する龍神伝説など、明治期に好まれたさまざまなテーマが描かれている。

 松本さんは「暗闇の中で明治時代の方法で映写するので、来場者は当時の幻燈会がどんな雰囲気だったのか体感できるのでは」と話している。

 イベントは午後6時開始。入場無料。

 また、寺境内では10月10〜15日、約30万点の古書が並ぶ「第14回四天王寺秋の大古本祭り」が開催される。午前10時〜午後5時(15日は午後4時まで)。

 問い合わせは関西古書研究会事務局(電)072・994・8852。

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1876名無しさん:2014/10/06(月) 10:10:09 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/141006/rgn1410060019-n1.html
建築家・村野藤吾氏没後30年で特別展 大阪歴史博物館

大阪新歌舞伎座(大阪市中央区、移転)や梅田吸気塔(大阪市北区)などを手掛けた建築家、村野藤吾氏の没後30年を記念した特別展「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」が大阪歴史博物館(中央区)で開かれている。設計図だけでなく、村野氏がこだわったインテリア家具や建築部材なども紹介。大阪にゆかりの深い村野氏の建築の全貌を紹介している。(西山保子)

                   ◇

 村野氏は明治24年、佐賀県唐津市生まれ。早稲田大建築学科を卒業後、大正7年、建築家・渡辺節(せつ)氏の府内の建築事務所に入った。大阪は当時、産業と文化が華やかな“大大阪(だいおおさか)時代”で、数多くの建築を請け負った。

 昭和4年に独立し、建築事務所を設立。独立後も完成までチーフ・ドラフトマン(主任製図工)として関わった「綿業会館」(中央区)は駆け出し時代の名作として知られる。

 ほかにも旧そごう大阪店(中央区)や「近映レジャービル アポロ(現・きんえいアポロビル)」(阿倍野区)など数多くの商業施設やオフィスビルなど、全国各地で約300の作品を手掛けた。

 外観だけでなくインテリアにもこだわり、いすや机などの家具も設計。直線と曲線で構成される細くて上品な家具を好んだ。

 展示会では、村野氏が手掛けた建物を写真や図面、模型で紹介しているほか、家具や愛用品なども含め約200点を公開している。

 梅田吸気塔の設計図や関連資料も使い、複雑な構造を多彩な視点から解説。村野氏が設計し、大阪・ミナミにあった喫茶店「心斎橋プランタン」の籐(とう)のいすや衝立(ついたて)などを、当時の店内を撮影した写真とともに紹介している。

 大阪歴史博物館の主任学芸員、酒井一光さんは「現在の建築やインテリアを物足りないと感じる人も、大胆と繊細さが見事に調和した村野氏の建築をみれば、魅力的な世界が楽しめるのでは」と話している。

 13日まで。午前9時半〜午後5時(金曜は午後8時まで、火曜休館)。入館有料。問い合わせは大阪歴史博物館(電)06・6946・5728。

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1877名無しさん:2014/10/06(月) 10:18:18 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/141003/rgn1410030017-n1.html
富田林興正寺別院が国重文に 本堂や山門など6棟「歴史的景観備え」

. 浄土真宗の富田林興正寺(こうしょうじ)別院(富田林市寺内町)の本堂や山門など6棟が国の重要文化財に指定された。同市寺内町は府内で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、同院を中心に商売が盛んなまちとして発展している。

 市教委は「本堂をはじめとする境内空間が良好に保存されるとともに、歴史的景観を備えた寺院として評価された」と喜んでいる。

 市によると、富田林興正寺別院は、戦国時代後半の永禄3(1560)年、浄土真宗の有力寺院だった興正寺第16世の証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が土地を購入し、翌年に中核の寺院として建立した。現存する本堂は寛永15(1638)年に建てられた。府内では最古、近畿地方でも最古級の浄土真宗本堂。初期の真宗本堂の成立過程を知るうえで価値がある。また江戸時代末期に整えられた境内が良好に維持されている。

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1878名無しさん:2014/10/06(月) 20:54:15 ID:xAJcGN/U0
商売繁盛!ヤーレ船場 博労稲荷社みこし巡行
2014年10月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141006/20141006029.html

 商売繁盛の神として大阪商人の信仰を集める「博労稲荷(いなり)社」(大阪市中央区、難波神社境内)のみこし巡行が5日、盛大に執り行われた。約30人の若い男女が担ぎ手となり、「ヤーレ船場」などの掛け声とともに地元船場の商店街を練り歩いた。

みこし巡行は一昨年、約半世紀ぶりに復活。3回目となることしは、かつてあった担ぎ手の講「難波神社神輿(みこし)会」も再興され、3日から開かれていた「船場まつり」の最終日を大いに盛り上げた。

 境内に参集した担ぎ手はおはらいを受けた後、早速せんば心斎橋商店街に繰り出して元気いっぱいに巡行。にぎわうアーケード内にさらなる活気を呼び込んだ。

 船場まつり推進協議会会長を務める神輿会の池永純造会長は「年々にぎわいが増しており、ことしも関係者のパワーのおかげで大盛況だった」と手応えに笑みを浮かべていた。

1879名無しさん:2014/10/07(火) 19:10:44 ID:bmzFwS3g0
「やっぱりできへん」800m道頓堀プール 堺屋氏の構想、わずか80mに縮む 運営企業なく

大阪・ミナミの道頓堀川開削400周年にあたる平成27年6月の開業を目指していた「道頓堀プール」(全長800メートル)が、
全面開業を断念したことが7日、関係者への取材で分かった。地元商店主らが出資した準備会社が発足していたが、
運営会社への移行が難航。来年8月の1カ月間、当初の10分の1規模の約80メートルで開業する。

 プールは大阪府市特別顧問で内閣官房参与の堺屋太一氏が発案。道頓堀周辺にある商店主らが資本金1400万円を出資し、
昨年4月に「道頓堀プールサイドアベニュー設立準備株式会社」を設立していた。

 建設費には約30億円を見込み、費用が集まった段階で運営会社への移行を目指したが、運営を担う企業が見つからず、
準備会社を中心に規模縮小して開業することを決めた。
http://www.sankei.com/west/news/141007/wst1410070028-n1.html

1880名無しさん:2014/10/08(水) 00:40:17 ID:8GqIND160
「後の雛まつり」を11日に富田林で再現
. 関西を中心に江戸時代、「重陽の節句」(旧暦の9月9日)に行われたとされる「後の雛(ひな)まつり」を再現するイベントが11日、大阪・富田林市の寺内町一帯で開かれる。

 後の雛まつりは、菊花とお雛様を飾ったため、別名「菊雛」とも呼ばれる。雛人形の業界では、毎年10月9日を「後の雛」の日としている。

 寺内町は、江戸時代から続く古い商家や民家が点在し、平成9年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 イベントは8回目。地域活性化のため、地元住民らでつくる実行委員会が企画・運営。民家や旧家などを会場に使い、後の雛まつりの姿をよみがえらせる。

 後の雛まつりの行事のほか、町内に残る旧酒蔵で地元の野菜や雑貨品を販売したり、昭和30年代の日本女性の家事の様子を記録した映画を上映したりする。午前10時〜午後4時。問い合わせは実行委(電)080・6205・4540。

.http://www.sankei.com/region/news/141007/rgn1410070004-n1.html

1881名無しさん:2014/10/11(土) 12:45:57 ID:/7kZB6BA0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141008/20141008020.html
太陽の塔、国有形文化財目指す 建設50年節目に
2014年10月8日

 大阪府議会は7日に一般質問を行い、大江桂子府民文化部長が、万博記念公園(吹田市)のシンボルである太陽の塔について、建設から50年の2020年を節目に国の有形文化財の登録を目指す考えを示した。民主党・無所属ネット府議団の上野和明府議の質問に答えた。


 文化庁などによると、建設から50年が経過した建築物で「造形の規範」「再現が容易でない」などの条件を満たせば登録申請ができる。

 大江部長は「20年に建設から50年になるので登録を目指したい」と答弁。世界遺産の登録については「前提として文化財登録が必要なので、まず有形文化財を目指す」と答えた。

 府が8月に同公園の活性化策をまとめた将来ビジョンの中間報告は、文化財登録を目指すことと世界遺産登録の検討が盛り込まれている。

1882名無しさん:2014/10/12(日) 19:36:37 ID:hzcPEdqA0
真田幸村の入城を再現
10月12日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141012/4965031.html

豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年を迎えたことを記念して、豊臣方の武将、真田幸村が大阪城に入城する様子を再現する催しが開かれました。
この催しは、真田幸村にゆかりのある長野県上田市などが開きました。
真田幸村は、今から400年前の1614年10月、現在の和歌山県九度山町から大阪城に入城し、「大坂冬の陣」や「大坂夏の陣」を戦った豊臣方の武将として知られています。
12日は、入城の様子が再現され、真っ赤な甲冑に身を包んだ幸村や「真田十勇士」などの家臣にふんした約100人がホラ貝の合図の後、真田ゆかりの、「六文銭」が描かれた旗などを掲げながら大阪城に入りました。
そして、入城を報告したあと、大きな声でかけ声をあげ出陣していきました。
入城の様子を見た男性は「真田幸村は人気のある戦国武将なので、このような催しが開かれることはとてもいいと思います」と話していました。
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1883名無しさん:2014/10/15(水) 10:24:58 ID:2WA5T0ws0
旅行会社の先駆け「浪花講」発祥の地の神社に記念碑設置へ 大阪

. 江戸時代、現在の旅行会社の先駆けとなった組合「浪花講(なにわこう)」があった大阪・玉造の玉造稲荷神社分社に26日、記念碑が設置される。浪花講は当時、良質な宿を旅人に斡旋(あっせん)し、各地の名物や休憩所などを紹介するガイドブックも製作するなど、現在の旅行会社の原型を確立。その後、大阪だけでなく関東などにも普及したとされる。こうした大阪発祥の“商人(あきんど)魂”を知ってほしいと、近畿日本鉄道などが記念碑の奉納を決めた。

 かつて玉造はお伊勢参りの西の玄関口としてにぎわい、玉造稲荷神社に祈願して出発していた。近くで江戸時代、綿打ちに使う唐弓(とうゆみ)の弦(つる)を販売していた商人・松屋甚四郎(じんしろう)が文化元(1804)年、後に浪花講となる「浪花組」を立ち上げた。

 甚四郎の使用人が当時、全国各地を行商しており、旅人が宿で強引な客引きやぼったくり、頼んでもいない遊女の手引きなどの被害を受けていることを知り、旅人の安全を確保する現在の旅行会社のようなサービスを思いついた。

 具体的には、組合に加盟した宿には目印となる「浪花講」の看板を掲げさせ、旅人が安心して泊まれるようにしたほか、旅人にも浪花講発行の木札(後に布製に移行)を持たせ、宿側から信用されるようにした。このほか、組合に加盟している各地の宿や休憩所、地域の名物などを紹介する現在のガイドブックのような「浪花講定宿帳」や「浪花講道中記」も発行。こうしたサービスを明治維新まで続けた。

 この史実を広くアピールしようと、お伊勢参りを題材にした落語を手がける桂文我さんが今春、記念碑の設置を呼びかけ、近鉄や、三重県伊勢市の老舗和菓子メーカー「赤福」などが賛同した。

 いまに残る浪花講の木製看板をデザインしたステンレス製プレート(縦85センチ、横36センチ)を作り、石碑(縦約120センチ、横約90センチ、奥行き約30センチ)にはめこむ。浪花講のあった玉造稲荷神社の南西約600メートルの分社に設置する予定だ。神社の鈴木伸廣・禰宜(ねぎ)(39)は「商売人気質を受け継ぐ大阪の若者にも、温故知新の精神で起業にチャレンジしてほしい」と話している。

 石碑の除幕式は午後1時から分社で。4時から神社で落語会(有料)もあり、桂文我さんらが出演する。浪花講の看板や定宿帳なども公開される。問い合わせは神社(電)06・6941・3821。

.http://www.sankei.com/region/news/141011/rgn1410110039-n1.html

1884名無しさん:2014/10/15(水) 10:39:28 ID:2WA5T0ws0
「浪人」たちの魅力紹介 大阪城天守閣で特別展
. 大坂の陣で活躍した「浪人」たちの魅力を紹介する特別展「浪人たちの大坂の陣」が11日、大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城)で始まった。大坂の陣400年を記念した企画で、真田幸村や塙団右衛門(ばん・だんえもん)をはじめ浪人らの遺品や書状など104点を展示している。

 400年前の慶長19(1614)年に始まった大坂の陣。同年に冬の陣、翌年に夏の陣があった。諸大名を動員し大坂城を包囲した徳川軍を苦しめたのは豊臣秀頼のもとに各地からはせ参じた浪人たちだった。

 大阪城天守閣3、4階の会場では、大坂冬の陣の真田丸の戦いで徳川軍に完勝した真田幸村が使ったと伝わる「鉄二枚胴具足」や真田氏の家紋である「六連銭文馬印(ろくれんせんもんうまじるし)」などに幸村ファンの注目が集まっている。

 また、冬の陣で徳川方の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)隊に夜襲を仕掛け、“夜討ちの大将”とし勇名をはせた塙団右衛門のコーナーでは「定めなき世のならいなので、二度と会えないかもしれないが、また会えるかもしれない」などと旧友にあてた自筆の手紙や、塙が使ったとされる十文字槍(やり)が展示されている。

 一方、大坂の陣から50年以上後の寛文8(1668)年に製作された熱田神宮(名古屋市)所蔵の刀には「生過(いきすぎ)タリヤ」(生き過ぎたりや)の銘が刻まれている。この文言は、大坂の陣後に泰平の世が到来し、戦場を失った武士が、生き方について自問していた事実をかいま見せてくれる。

 担当の学芸員は「浪人といえば武家社会の脱落者のようにみなされがちだが、自らの意志で浪人になる武士もたくさんいた。彼らの旺盛な自立心が乱世に活力を与えたことを実感してほしい」と話している。

 11月24日まで。入館料は大人600円、中学生以下無料。問い合わせは大阪城天守閣(電)06・6941・3044。

http://www.sankei.com/region/news/141012/rgn1410120015-n1.html

1885名無しさん:2014/10/15(水) 10:40:52 ID:2WA5T0ws0
高山右近夫妻の石像建立へ 生誕地で没後400年を記念 大阪
. 戦国武将でキリシタン大名としても知られる高山右近が来年、没後400年を迎えることを記念し、生誕地・豊能町に右近夫妻の石像が建立されることになり、町立高山コミュニティセンター「右近の郷」で12日、地鎮祭が行われた。石像は高さ2メートル近くで、地元産・黒御影石(花崗(かこう)岩)が使われる。来年6月ごろ完成する予定で、除幕式をはじめ、町を挙げたイベントが繰り広げられる。

 高山右近は戦国時代、織田信長や豊臣秀吉に仕えたが、江戸時代、キリスト教の布教を禁じた幕府にフィリピンへ追放され、1615年、64歳でマニラで死去した。

 右近夫妻は豊能町生まれとされ、町や自治会、有志らが「高山右近没後400年記念実行委員会」(甲田広行会長)を結成。夫婦を顕彰する石像の建立に向け、募金活動を始めている。

 地鎮祭は、建立予定地の右近の郷の敷地内であり、右近をキリスト教の聖人にする運動をしている兵庫県芦屋市の「ユスト高山右近列福推進委員会」のマスコットキャラクター「うーこんどの」も駆けつけ、町民らと一緒に参列した。

http://www.sankei.com/region/news/141013/rgn1410130013-n1.html

1886名無しさん:2014/10/16(木) 04:47:43 ID:gjXcfEYU0
http://www.sankei.com/west/news/141015/wst1410150060-n1.html
大阪城上空にヘリ集結 御嶽山噴火の捜索で注目 陸自、消防など連携、大坂の陣イベント

今週末18日&19日、初コラボ

 御嶽山噴火で自衛隊や消防などがヘリを駆使して捜索にあたる中、ますます重要視されるヘリの連携を強化しようと新しい試みが企画されている。18、19日に大阪城公園(大阪市中央区)で開かれるイベント「大坂の陣合戦祭り」で、陸上自衛隊、近畿地方整備局、大阪市消防局、大阪府警のヘリ計4台が結集する。史上初となる競演で府民の安心、安全を守る誓いをあらたにする。

 大坂冬の陣から今年で400年、夏の陣から来年で400年にあたることから18、19日、大阪城公園一帯で開かれる「大坂の陣合戦祭り」(同実行委員会主催)の催しとして企画された。

 テーマは「おおさかを力強く守る空の勇者たち」。19日午後1時、八尾空港(大阪府八尾市)を出発し、10分後に大阪城公園の上空に到着し、地上から180メートルを飛行する。災害などで状況把握のために使われる観測用ヘリ「OH−1(オーエイチダッシュワン)」が飛行する予定という。

 行政や民間との連携に力を入れている自衛隊大阪地方協力本部が各機関に呼びかけた。イベント用に合同でヘリを飛ばすのは初めてという。連携の確認のほか、操縦技術の切磋琢磨なども期待している。

 自衛隊大阪地方協力本部長の大塚裕治陸将補は「連携している姿を見て国民に安心を感じてもらいたい」と話している。

1887名無しさん:2014/10/18(土) 00:56:53 ID:RvfJi8A.0
知ってた? 旅行会社は大阪発祥 玉造の神社に「浪花講」記念碑設置へ 近鉄など賛同

江戸時代、現在の旅行会社の先駆けとなった組合「浪花講(なにわこう)」があった大阪・玉造の玉造稲荷神社分社に26日、記念碑が設置される。浪花講は当時、良質な宿を旅人に斡旋(あっせん)し、各地の名物や休憩所などを紹介するガイドブックも製作するなど、現在の旅行会社の原型を確立。その後、大阪だけでなく関東などにも普及したとされる。こうした大阪発祥の“商人(あきんど)魂”を知ってほしいと、近畿日本鉄道などが記念碑の奉納を決めた。(北村博子)

 かつて玉造はお伊勢参りの西の玄関口としてにぎわい、玉造稲荷神社に祈願して出発していた。近くで江戸時代、綿打ちに使う唐弓(とうゆみ)の弦(つる)を販売していた商人・松屋甚四郎(じんしろう)が文化元(1804)年、後に浪花講となる「浪花組」を立ち上げた。

 甚四郎の使用人が当時、全国各地を行商しており、旅人が宿で強引な客引きやぼったくり、頼んでもいない遊女の手引きなどの被害を受けていることを知り、旅人の安全を確保する現在の旅行会社のようなサービスを思いついた。

 具体的には、組合に加盟した宿には目印となる「浪花講」の看板を掲げさせ、旅人が安心して泊まれるようにしたほか、旅人にも浪花講発行の木札(後に布製に移行)を持たせ、宿側から信用されるようにした。

 このほか、組合に加盟している各地の宿や休憩所、地域の名物などを紹介する現在のガイドブックのような「浪花講定宿帳」や「浪花講道中記」も発行。こうしたサービスを明治維新まで続けた。

 この史実を広くアピールしようと、お伊勢参りを題材にした落語を手がける桂文我さんが今春、記念碑の設置を呼びかけ、近鉄や、三重県伊勢市の老舗和菓子メーカー「赤福」などが賛同した。

 いまに残る浪花講の木製看板をデザインしたステンレス製プレート(縦85センチ、横36センチ)を作り、石碑(縦約120センチ、横約90センチ、奥行き約30センチ)にはめこむ。浪花講のあった玉造稲荷神社の南西約600メートルの分社に設置する予定だ。

 神社の鈴木伸廣禰宜(ねぎ)(39)は「商売人気質を受け継ぐ大阪の若者にも、温故知新の精神で起業にチャレンジしてほしい」と話している。

 石碑の除幕式は午後1時から分社で。4時から神社で落語会(有料)もあり、桂文我さんらが出演する。浪花講の看板や定宿帳なども公開される。問い合わせは神社((電)06・6941・3821)。

http://www.sankei.com/west/news/141017/wst1410170058-n1.html

1888名無しさん:2014/10/19(日) 10:53:26 ID:7BOsdhk.0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141012-OYTNT50370.html
歌舞伎で伝える日本の心
2014年10月13日

◆吹田 留学生ら130人鑑賞

 外国人留学生らに歌舞伎を通して日本文化への理解を深めてもらうイベントが12日、吹田市の市夢つながり未来館で開かれ、留学生ら約130人が楽しんだ。

 日本の「思いやりの心」を知ってもらおうと、NPO法人「大楽小楽」が開催。市民でつくる歌舞伎グループ「澪(みお)つくし歌舞伎」のメンバーが、演目「人情噺(ばなし) 文七元結(ぶんしちもっとい)」を演じた。

 賭け事好きの主人公の左官は、娘が遊郭に身を売って作った50両の大金を、金に困り身投げしようとする若者に与えてしまうが、それをきっかけに人生が好転する物語。時折、英語のせりふも交えながらコミカルな演技を披露し、笑いを誘っていた。

 タイからの留学生で関西大で日本史などを学ぶタナーカーン・ルートトュートサクンさん(22)は「思いやりを大切にする日本人の心が伝わってきて感動した」と話していた。

2014年10月13日

1889名無しさん:2014/10/19(日) 12:09:45 ID:7BOsdhk.0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141017-OYTNT50024.html
江戸期板番付のこった 河内長野の神社
2014年10月17日

◆決まり手描いた絵馬も

 河内長野市教委は16日、赤坂上之山神社(同市美加の台)で保管されていた相撲板番付が173年前の江戸後期に奉納されたものだと判明した、と発表した。同神社には同時期に奉納された相撲の決まり手を描いた絵馬もあり、江戸時代の相撲に関する史料が確認されるのは全国的に珍しいという。

 拝殿の壁に掛かっていた板番付(縦62センチ、横208.6センチ)。墨が消えて詳しいことは判然としなかったが、氏子らの依頼を受けた市内の天野山文化遺産研究所が6月から調査・修復をしていた。その結果、力士の名前が並んで記載されており、天保12年(1841年)に奉納された番付とわかった。興行主の勧進元は「押尾川巻右衛門」となっていた。

同神社では、相撲の決まり手の一つ「河津掛け」を繰り出す力士が描かれた絵馬(縦77センチ、横58センチ)も見つかっていた。天保6年(1835年)の献納で、にかわ絵の具で力士が躍動感ある筆致で描かれている。

 市教委は「江戸時代にこの地域で相撲が盛んに行われていたことを伝える貴重な史料」と評価。同神社は番付や絵馬を今後、一般公開するかどうかを検討する。

2014年10月17日

1890名無しさん:2014/10/19(日) 20:13:57 ID:i00Q8V6Q0
竹鶴政孝とリタ展
10月19日 18時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141019/5467241.html

NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝夫妻と当時の大阪を紹介する展示会が、大阪市で開かれています。
この展示会は、竹鶴政孝の妻のリタが勤めていた大阪・住吉区の帝塚山学院で開かれています。
会場には、夫妻に関する資料22点が展示され、このうち、当時の卒業アルバムには、教員として働いていたリタの写真の下に「竹鶴先生」と書かれています。
学校は、このアルバムを戦争の混乱などで紛失していましたが、ことしの夏、府内の歴史資料の収集家が所有していることがわかり、展示会ために、特別に貸し出されました。
19日は、地元の歴史研究者の講演も行われ、リタが教員として働いたのは、政孝が酒造会社を辞めた後、家計を助けるためだったことなどドラマの背景が説明されると、参加者は興味深そうに聞き入っていました。
この展示会は、10月22日まで開かれています。

1891名無しさん:2014/10/19(日) 20:35:26 ID:i00Q8V6Q0
130人の甲冑武者隊が400年前の激戦を再現、大阪城で「大坂ノ陣合戦祭り」
http://www.sankei.com/west/news/141019/wst1410190045-n1.html

甲冑(かっちゅう)姿の武者たちが合戦絵巻を繰り広げる「大坂ノ陣合戦祭り」が19日、大阪市中央区の大阪城公園西の丸庭園で開かれ、豊臣軍と徳川軍が激突した400年前の戦いが再現された。

 産経新聞社などで構成する実行委員会が主催。会場は約1万5千人の人出でにぎわった。

 合戦祭りは、豊臣方の真田幸村隊が徳川軍に完勝した大坂冬の陣の「真田丸攻防戦」で幕開け。数十人の甲冑隊が勇壮なやりさばきを披露した。

 続いて約130人の武者隊が入城し、夏の陣の激戦を再現。幸村役の武者がやりをもって家康役を追い詰め、観客をわかせた。

 陸上自衛隊中部方面航空隊や大阪府警、大阪市消防局、国交省近畿地方整備局のヘリコプター4機が大阪城上空を旋回する演出もあり、空からも武者たちを鼓舞した。

 大坂の陣は大坂城とその周辺を舞台に約30万の兵が激突した合戦。慶長19(1614)年に大坂冬の陣が勃発し、翌年の大坂夏の陣で大坂城は炎上した。

1892名無しさん:2014/10/20(月) 05:00:06 ID:WN5T4V.A0
http://www.sankei.com/region/news/141019/rgn1410190038-n1.html
秀吉の好んだ名水 茨木神社で大茶会 大阪

. 豊臣秀吉が茶の湯に好んで使ったといわれる茨木神社(茨木市元町)の名水「黒井の清水」で18日、「大茶会」が始まり、大勢の観光客や市民でにぎわった。19日も行われる。

 秀吉がタカ狩りで茨木に立ち寄った際、当時、茨木城内にあった「黒井の清水」でたてた茶を飲んでたいそう気に入り、大坂城で茶の湯を行うときに、わざわざ「黒井の清水」をくみに行かせたという。

 大茶会はこの逸話をしのび、名水とお茶の文化を継承するイベントとして毎年、市観光協会が開催。今年は「大坂の陣400年天下一祭」の参加事業にもなっている。

 この日、境内に設けられた赤い毛氈(もうせん)の約80の茶席は詰めかけた人たちで常に満員となり、市茶華道連盟の女性がたてるお茶を創作生菓子とともに堪能した。

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1893名無しさん:2014/10/23(木) 18:54:32 ID:QG9CQ2Qw0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141022-OYTNT50030.html
120センチ船形埴輪など45点
2014年10月22日

◇高槻で古墳期の水運交易紹介

 古代の船をかたどった船形埴輪(はにわ)や船の部材など45点を集めた特別展「古墳時代の船と水運」が、高槻市郡家新町の今城塚古代歴史館で開かれている。12月7日まで。

 淀川の水運とともに発展してきた北摂地域の歴史を考察しようと企画。継体天皇の墓所とされる同市の今城塚古墳(6世紀前半)から見つかった船の絵が描かれた円筒埴輪や、熊本県・阿蘇山の溶岩でできた巨大な石棺の一部などを展示。淀川や瀬戸内海に通じる水運を利用して交易が行われていたことがうかがえる。

 三重県松阪市の宝塚1号墳から出土した全長約120センチの船形埴輪は、大刀などで飾り付けられており、埋葬された有力者の権威とともに、死後の世界には船で向かうとされた当時の思想も伝えている。内田真雄学芸員(38)は「かつて川は人や物を運ぶ重要な水運だったことを知ってほしい」と話した。

 入館料は一般200円、小中学生100円。問い合わせは、同歴史館(072・682・0820)へ。

2014年10月22日

1894名無しさん:2014/10/23(木) 19:19:46 ID:QG9CQ2Qw0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141023-OYTNT50054.html
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産へ動画公開
2014年10月23日

◇堺市がPR

堺市は、百舌鳥(もず)・古市古墳群(4世紀後半〜6世紀前半)の世界遺産登録をアピールする動画を作り、22日、公開を始めた。堺親善大使の歌舞伎役者・片岡愛之助さんら総勢約170人の応援メッセージを紹介している。

 動画のタイトルは「堺は元気だ!!」(1分4秒)。堺名誉大使で日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎さんのほか、古墳周辺で清掃活動に取り組む市民、古墳にちなんだカレーやパンで町おこしをする人らも登場。竹山修身市長は「世界遺産登録に向け、盛り上げていきたい」としている。市ホームページの「堺動画チャンネル」(http://videochannel.city.sakai.lg.jp/)などで閲覧できる。

2014年10月23日

1895名無しさん:2014/10/27(月) 00:01:10 ID:LQQPATq.0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141025/5573761.html
8Kで文楽「曽根崎心中」
10月25日 19時11分

文楽の「曽根崎心中」を「8Kスーパーハイビジョン」の鮮明な画質で鑑賞する催しが大阪・北区で開かれました。
この上映会は、25日から2日間、大阪・北区のグランフロント大阪で開かれ、25日の午前中は、事前に申し込んだ約150人が参加しました。上映されたのは、現代美術作家の杉本博司さんが演出を手がけた文楽の人気演目、「曽根崎心中」です。
8Kスーパーハイビジョンは、通常のハイビジョンに比べ、画素数が約16倍と、より鮮明な映像が楽しめるほか、臨場感のある音響も特徴で、会場では、人形の表情や着物などが大型スクリーンにくっきりと映し出され、太夫の語りが朗々と響き渡っていました。
8Kをめぐっては、総務省が本放送の開始時期を4年後の2018年とする方針を決め、東京オリンピックが開かれる2020年には、多くの視聴者が市販のテレビで楽しめる状況にすることを目指すとしています。
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http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141025/5689411.html
文楽補助金 一括支給は廃止へ
10月25日 19時11分

文楽に対する補助金について、大阪市は、来年度から一括して支給するいまの枠組みを廃止する方向で調整を進めています。
伝統芸能、文楽に対する補助金について、大阪市は、現在、人件費などの補助にあてる2900万円を観客数に応じて算定するなど一括して支給しています。
来年度の対応について、市は、特定の団体への一括した支給は今年度までとするとした、従来の方針を維持したいとして、いまの枠組みを廃止する方向で調整を進めていて、文楽を運営する文楽協会にも伝えました。
一方で、市は、文化事業を検証する専門家委員会が、文楽を、「大阪の宝」などと位置づけていることを踏まえ、事業ごとに必要な助成金を申請してもらう形に切り替える方針です。
これとあわせて、市は、来年度、文楽に親しんでもらうためのイベントなどの開催も検討しています。
文楽協会は、「行政の支援がなければ運営は厳しいので、今後、どう支援を受けるか協会内でも検討していきたい」と話しています。
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1896名無しさん:2014/10/27(月) 20:58:23 ID:JuS9UTXM0
文楽を動画で予習…文楽劇場が初心者向けに公開
2014年10月27日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141027-OYO1T50016.html?from=oycont_top_txt

初めて文楽を観劇する人に楽しさを知ってもらおうと、国立文楽劇場(大阪市中央区)は、11月文楽公演(11月1〜24日)の演目のダイジェスト映像を作成し、動画サイト「ユーチューブ」で公開を始めた。

 古典の文楽は、時代背景やストーリーなどの予備知識がないと、流れをつかみづらいとの声がある。文楽協会への補助金問題などで揺れるなか、文楽に詳しくない人にも魅力を伝えようと、初めて作成した。11月公演では、「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」と「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」を上演。動画では、両作品とも、過去に上演された際の映像を5、6分程度に編集し、テロップで解説している。「奥州――」では、平安時代に奥州を支配していた安倍氏が朝廷に敗れ、再起を図る物語を短くまとめた。

 NPO法人人形浄瑠璃文楽座(同市)も、太夫、三味線、人形遣いの役割について解説する動画を公開している。

 各動画は同劇場のホームページからリンクしている。

2014年10月27日

1897名無しさん:2014/10/27(月) 21:32:52 ID:JuS9UTXM0
吉田玉女さんが吉田玉男襲名
10月27日 19時09分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141027/5349641.html

人形浄瑠璃、「文楽」の人形遣いの吉田玉女さんが、人間国宝だった師匠の名跡の「吉田玉男」を襲名することになりました。
吉田玉女さんは、大阪・八尾市出身の61歳。
昭和43年、人形遣いの吉田玉男さんに入門したあと男役の人形を操る実力派となり、歴史上の人物や事件を扱う「時代物」での業績などが高く評価され、ことし日本芸術院賞を受賞しました。
玉女さんは、来年4月に、人間国宝だった師匠の名跡を継ぎ、「二代目吉田玉男」を襲名することになりました。
玉女さんは記者会見で、「念願かなって師匠の名跡を名乗れるようになりました。師匠は、男役でも女役でも、操る人形から色気が感じられるほどのすごい技を持っていました。襲名を機会に、女役の人形にほれられるような色気を出せるよう精進していきます」と抱負を述べました。
また、大阪市が文楽への補助金について、一括して支給する今の枠組みを廃止する方向で調整していることについて、「いろいろ問題がありますが、私たちは舞台でがんばるしかありません」と述べました。
襲名披露公演は、来年4月に大阪で、5月には東京で行われる予定です。

1898名無しさん:2014/10/27(月) 21:56:29 ID:JuS9UTXM0
「浪花講」の記念碑建立
10月27日 08時15分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141027/5662591.html

江戸時代、安心して旅をしてもらうために客から法外な料金を取ることを規制したといわれる宿の組合の「浪花講」の歴史を多くの人に知ってもらおうと記念の石碑が大阪に建てられ、26日、除幕式が行われました。
「浪花講」は、江戸時代に安心して旅をしてもらおうと客から法外な料金を取ったり、宿で賭博を開いたりすることを禁止する規制を設けた宿の組合で、各地の名産品や神社など旅先の情報をまとめた宿帳を発行したことなどから、現在の旅行会社のルーツといわれています。
この歴史を多くの人に知ってもらおうと、浪花講を立ち上げた商人の屋敷の跡にある大阪・中央区の玉造稲荷神社の分社に記念碑が建てられ、除幕式が行われました。
記念碑は、高さ1メートル70センチほどで浪花講に加盟した宿に掲げられていた看板がはめられ、「浪花講発祥の地」と記されています。
地元の人たち約50人が集まり、発起人の1人である落語家の4代目桂文我さんが、「伊勢参りが安全にできたのは浪花講があったおかげだということをぜひ伝えたい」とあいさつしました。
玉造稲荷神社の鈴木一男宮司は、「地元の人も知らない歴史だと思うので、これを見て新しい分野を切り開く起業家精神を培って欲しい」と話していました。

1899名無しさん:2014/10/27(月) 22:30:57 ID:JuS9UTXM0
「浪花講」発祥の地 起業家精神継承へ記念碑
2014年10月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141027/20141027023.html

 現在の旅行会社のもととなった江戸時代の「浪花講」があった玉造稲荷(いなり)神社(大阪市中央区)の分社で26日、発祥の地を記す記念碑の除幕式が行われた。行商人が旅人の安全を願って設立したことに倣い、関係者らは「起業家精神を知ってほしい」と期待を込めた。

かつて伊勢参りの玄関口として栄えた玉造は、ぼったくりをするなど悪質な宿が多かったという。浪花講は、綿打ちの道具を販売していた行商人、松屋甚四郎と使用人の源助が設立。1804年に前身となる旅宿組合「浪花組」を立ち上げた。優良な宿の紹介や旅先の情報を載せたガイド本を発行するなどサービスは全国に広まり、現在の旅行会社の原型になった。

 分社は同区上町1丁目の甚四郎の屋敷跡に立地する。高さ約1メートル70センチの石碑に、現存する浪花講の看板を模したステンレス製のプレートをはめ込んだ。

 式典は、発起人の落語家桂文我さんや賛同者の山口昌紀近畿日本鉄道会長ら約40人が出席。桂さんは「甚四郎たちは伊勢参りを安全に進めたパイオニア。皆さんから伝えてほしい」と話していた。

1900名無しさん:2014/10/30(木) 22:19:11 ID:MKAYh9b.0
司馬遼太郎が描く 大坂の陣
2014年10月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141028-OYTNT50018.html

◇記念館 「城塞」自筆原稿など34点

 東大阪市下小阪の司馬遼太郎記念館で28日から、大坂の陣400年を記念し、企画展「『城塞』―司馬遼太郎が描いた大坂の陣」が開かれる。小説「城塞」の自筆原稿など34点が公開される。来年5月17日まで。

 展示コーナーでは、城塞執筆時に使った地図などの資料や、司馬さんが描き、挿絵担当の画家に送った激戦地・道明寺(藤井寺市)付近のスケッチなどが並ぶ。上村洋行館長は「乱世の政治情勢を、司馬さんがどう考えていたかを知ってもらい、現代を生きるヒントにしてほしい」と話している。

 午前10時〜午後5時。月曜休館で、12月10日から来年1月5日までは工事のため、臨時休館。入館料500円。問い合わせは同館(06・6726・3860)へ。

2014年10月28日

1901名無しさん:2014/10/31(金) 19:37:55 ID:B2rgcwjI0
「すみよっさん」七五三に向けた袋詰め作業ピーク
http://www.sankei.com/west/news/141031/wst1410310045-n1.html

七五三参りの時期を迎え、「すみよっさん」の愛称で親しまれる住吉大社(大阪市住吉区)では子供に渡す祝い袋の袋詰め作業がピークを迎えている。

 11月中旬の週末を中心に、毎年約6千組の家族連れでにぎわう同社。最近は混雑を避けて前倒しする人も多く、今月すでに1千組が参拝に訪れた。

 袴を着けた正装で、紅白の千歳あめやお守りを一つ一つ丁寧に詰め込む神楽女(かぐらめ)の女性は「お子さんの健やかな成長をお祈りしています」と話した。

1902名無しさん:2014/10/31(金) 19:50:38 ID:B2rgcwjI0
幻の生玉宮寺ゆかりの仏画群紹介 きょうから阿倍野で特別展
http://www.sankei.com/region/news/141028/rgn1410280004-n1.html

生国魂神社(大阪市天王寺区)の神宮寺にあたる幻の寺院「生玉宮寺(いくたまぐうじ)」ゆかりの仏画群を紹介する特別展「生玉宮寺の秘宝」が28日、阿倍野区の大阪芸術大スカイキャンパス(あべのハルカス24階)で開かれる。近世大坂の信仰の様子を伝える貴重な文化遺産で、一括して公開されるのは今回が初めて。

 生玉宮寺は、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、寺宝の多くが散失したと考えられていた。

 しかし近年、ゆかりの仏画群が天王寺区の青蓮寺に伝来していることがわかり、市教委が調査していた。

 今回公開されるのは、密教画を中心としたコレクションで、「愛染明王画像」「弘法大師画像」「大勝金剛画像」など約60点。中世に制作されたものや全国的に珍しい仏画も含まれ、平成19年には一部が市の有形文化財に指定されている。

 特別展は11月12日まで。午前11時〜午後7時。11月4、10日は休み。資料代100円(中学生以下は無料)。

 問い合わせは市教委文化財保護担当(電)06・6208・9168。

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1903名無しさん:2014/11/02(日) 00:41:08 ID:gobj1fB20
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141101/20141101046.html
「七五三詣」準備大忙し 袋詰め作業ピーク
2014年11月1日

 11月の七五三シーズンを目前に控えた31日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で参拝者に渡す撤下(おさがり)の袋詰め作業がピークを迎えた。

境内の連歌所で、神楽女(かぐらめ)と呼ばれる巫女(みこ)6人が、お守りや千歳あめなどの縁起物を詰めた。作業は10月中旬に始まり、この日は最後の千個を袋詰め。全部で約6千個を用意した。

 神楽女の福永有記さん(23)は「参拝するお子さまが健やかに成長されるよう思いをこめて詰めさせていただいています」と話していた。

 七五三詣は日ごろの感謝と安全無事な成長を祈願するお祝いの儀式で、11月中旬のピークには1日に約800組が住吉大社訪れるという。

1904名無しさん:2014/11/02(日) 11:26:50 ID:Sf3EAP2Y0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141101-OYTNT50062.html
大坂城石垣 技の結晶
2014年11月01日
 
◇天守閣元館長 「穴太衆」活躍紹介

再発掘されている豊臣秀吉時代の大坂城の石垣について学ぶ歴史講座「地下に眠る豊臣大坂城の石垣を探る」(太閤なにわの夢募金実行委員会など主催)が31日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれ、多くの歴史ファンらが訪れた。

 大阪城天守閣元館長の中村博司さんが講演で、石積みの技術者集団だった近江(滋賀)出身の穴太(あのう)衆が歴史上、どのように登場し、活躍したかを紹介。「今回、公開予定の石垣も、穴太衆が担当した可能性が極めて高い」と話した。

 そのほか、大阪文化財研究所の市川創学芸員が、発掘で明らかになった石垣の様子を写真やビデオで説明するなどし、来場者が興味深そうに見入っていた。

2014年11月01日

1905名無しさん:2014/11/02(日) 15:16:28 ID:74gx5Duk0
幸村博「いざ出陣!!」 ゆかりの声優池田さん迎え
2014年11月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141102/20141102031.html

 「大坂の陣」から400年を迎えた記念イベント、天王寺真田幸村博「真田丸の陣」が1日、大阪市天王寺区の真田山公園周辺で開かれ、来年まで続くコアイベントが開幕した。幸村ゆかりのゲストとしてテレビアニメで活躍する声優の池田秀一さんが登場すると、詰め掛けたファンから歓声が湧き起こった。

武具を朱塗りにした“赤備え”は真田氏の代名詞として知られる。池田さんは人気アニメ「機動戦士ガンダム」の主人公のライバルで“赤い彗星”ことシャア・アズナブル役や、アニメ「ワンピース」に登場する“赤髪”のシャンクス役が有名。

 水谷翔太区長らを交えたトークショーで、愛車の色や好物が赤ワインであることなど、赤にまつわるエピソードを披露した。

 ステージでは、絵巻作家、正子公也さんの作品を基にアフレコのコーナーを設定。幸村役として合戦に臨むシーンで「狙うは家康の首、ただ一つ!」と勇ましいせりふを披露すると、喝采が巻き起こった。

 会場では5人組のPR武将隊「大坂RONIN5」による演武パフォーマンスのほか、殺陣や活劇、甲冑(かっちゅう)隊の行進も行われた。

 催しは区役所などでつくる実行委員会が主催し、「夏の陣」から400年を迎える来年11月まで展開する。天王寺は大坂の陣の激戦地であり、戦国武将として名を馳せた幸村の軌跡をたどる。

1906名無しさん:2014/11/02(日) 15:45:23 ID:74gx5Duk0
<七曲がり>大坂城足元 残る守り跡
2014年10月19日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20141019-OYTAT50008.html?from=yartcl_popin

大通りから中に入ると曲がりくねった道が目の前に現れた。300メートルはあるだろうか。くねくねとしたその形はさながら蛇のようだ。

 「ここからだと、向こうが見えないでしょう」。地元でガイドを務める「城東歴史探偵団」団長の酒井啓一さん(78)が語った。

 大阪市旭区高殿に「七曲がり」と呼ばれる場所がある。かつて田園に囲まれた集落「関目村」。豊臣秀吉が敵の進攻を遅らせ、陣容を把握できるようにするために設けたと伝わる。

 地元でも知る人は少ないが、酒井さんは年に何度も案内を重ねてきた。もともと歴史好きで、「地元の魅力を伝えたい」と区のパンフレットやガイド養成講座で学んだ。ここを説明すると、たいてい驚かれるそうだ。「『よく今まで残っていたなあ』と皆さん、口をそろえますね」

ただ、七曲がりについて詳しい文献はほとんど残っておらず、謎に包まれている。

 秀吉は1596年までに京都・伏見〜大坂城間を結ぶ京街道を完成させた。工事はその10年ほど前から着手したとされ、この間に造られた可能性がある。「城に攻め入られる前に、なんとかしなければ」という思いがあったのかもしれない。

 では、なぜ造ったのが関目村周辺だったのか。

 大阪歴史博物館の学芸員・大沢研一さん(52)は「京都から大坂城に着く前の最後の集落が関目村周辺。曲がった道沿いにある建物で敵陣の視界を遮り、前方を見渡せなくした可能性がありますね」と話す。

 秀吉は、このカーブが続く道を眺めながら、その先に天下統一を見定めていたのだろうか。

1907名無しさん:2014/11/02(日) 15:46:10 ID:74gx5Duk0
七曲がりのすぐ近くに関目神社がある。大坂城から見て鬼門に位置することから、秀吉はこの地にほこらを建て、毘沙門天を奉安したとされる。

 ただ、秀吉ゆかりの場所であることは、あまり知られておらず、西邑彬宮司(80)も「たまに歴史好きの人が来るみたいですがね」と言葉少なに語る。

 それでも、ツアーで神社も案内するという酒井さんは「知られていない地元の歴史を伝えていくことの意味って大きいと思うんですよ」と力を込める。そして、「それが秀吉が築いた大坂を見直すことにつながる。私はそう考えているんです」と続けた。

 秀吉の時代、大坂が日本の中心だった。隠れた秀吉の足跡をたどれば、誇りを抱かせる何かが見つかるかもしれない。(神谷次郎)

 

 ◆七曲がり

 大阪市旭区高殿4の都島通近くにある約300メートルのほか、同市営地下鉄野江内代駅付近にも約150メートルが残るとされる。旭区史にも掲載されているが出典は不明で、いずれも詳しいことはわかっていない。

 

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年10月19日 05時00分

1908名無しさん:2014/11/03(月) 07:58:26 ID:uH3D3wnc0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141102-OYTNT50362.html
懐かしの昭和振り返る 泉佐野
2014年11月03日

◇写真や生活用具130点

 昭和期の写真や生活用具を集めた特別展「昭和は遠くなりにけり」が、泉佐野市市場東の市立歴史館いずみさので開かれている=写真=。30日まで。無料。

 1964年の東京五輪の聖火ランナーが同市内を走る写真や、大阪万博(1970年)で日本館の女性スタッフが着た制服、往年のスターの名が並ぶ映画看板など約130点を展示している。同市上町の八坂五百子さん(71)は「必死に生きていた当時のことを思い出した。懐かしいですね」と話していた。

 16日午後1時30分から、同館の森昌俊館長による展示解説と講演会がある。先着40人。問い合わせは同館(072・469・7140)へ。

2014年11月03日

1909名無しさん:2014/11/03(月) 08:01:34 ID:uH3D3wnc0
http://www.sankei.com/region/news/141101/rgn1411010042-n1.html
古墳時代の水運と王権のかかわりに迫る 大阪・今城塚古代歴史館で特別展

. 古墳時代の水運と王権のかかわりを紹介する秋季特別展「古墳時代の船と水運」が、大阪府高槻市郡家新町の今城塚古代歴史館で開かれている。淀川水系唯一の大王墓で、継体天皇の墓とされる市内の今城塚古墳から出土した、船が描かれた円筒埴輪(はにわ)など45点を展示している。12月7日まで。

 特別展では、今城塚古墳から出土した、九州から運ばれてきた石棺などで淀川水運と王権のつながりを解説。久宝寺遺跡(八尾市)から出土した準構造船の部材をもとに、当時の船の大きさや構造を紹介したり、宝塚1号墳(三重県松阪市)で出土した船形埴輪などからも、当時の船の装飾を説明したりしている。

 担当者は「古墳時代は陸上交通が未整備で、水運が特に重要だった。高槻が淀川の水運によって発展したことを知り、古代の水運に思いをはせてもらいたい」と話している。月曜と、祝日の翌日は休館。入館有料。問い合わせは今城塚古代歴史館(電)072・682・0820。

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1910名無しさん:2014/11/03(月) 17:42:16 ID:ArJFbo.E0
文化勲章の親授式
11月3日 12時26分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141103/t10015900711000.html

文化の日の3日、皇居で文化勲章の親授式が行われ、ノーベル物理学賞の受賞が決まった天野浩さんや中村修二さんなどに、天皇陛下から文化勲章が贈られました。

ことしの文化勲章の受章者は、▽青色LEDの開発に取り組み、ノーベル物理学賞の受賞が決まった名古屋大学大学院教授の天野浩さん(54)と▽カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二さん(60)、▽軽やかで深みのある抽象画を制作し続けている洋画家の野見山暁治さん(93)、▽人形浄瑠璃「文楽」の語り手で人間国宝の七世、竹本住大夫さん(90)、▽「蟹」(かに)で芥川賞を受賞するなど、人間の深層心理を描く独自の文学的世界を構築した作家の河野多惠子さん(88)、▽理論経済学や経済学史の研究ですぐれた業績を挙げた東京大学名誉教授の根岸隆さん(81)、▽動物の細胞膜と同じ構造の膜を化学的に作り出すことに世界で初めて成功した九州大学名誉教授の國武豊喜さん(78)の7人です。
親授式は皇居・宮殿の松の間で行われ、天皇陛下から、欠席した河野さんを除く受章者一人一人に、橘の花にまが玉をあしらった文化勲章が贈られました。
そして、受章者を代表して根岸さんが、受章に恥じないよう一層職務に励んでいくとあいさつすると、天皇陛下は「長年努力を重ね、大きな業績をおさめられ、文化の向上に尽くされたことを、まことに喜ばしく思います」とお祝いのことばを述べられました。
このあと、受章者たちは文化勲章をつけて宮殿の前で記念撮影に臨み、受章の喜びをかみしめていました。
文化勲章の親授式のあと、宮内庁で受章者の記者会見が行われました。
天野浩さんは「初めて頭が真っ白になって、今でもどういうふうに行動したのか覚えていないくらい感激しました」と話しました。
そして、「これまで支えていただいた皆さんに感謝するとともに、少しでも恩返しができるように、これから精進していきたい」と述べました。
中村修二さんは「日本人としては、やはり、これが最高の名誉ですから、非常にうれしく、光栄に思っています」と喜びを語りました。
そして、「いろんな方に応援していただいてここまで来られ、非常に今、感謝の気持ちでいっぱいです」と述べました。
また、文楽界で初めての受章となった竹本住大夫さんは「おこがましく、亡くなった先輩・師匠はあの世で笑っていると思いますが、ありがたいことで、喜びと感謝と敬いの心に尽きます。今後も文楽の発展のために微力ながらも力を注ぎたい」と語りました。
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1911名無しさん:2014/11/07(金) 20:37:27 ID:Bgv4WOnk0
http://www.sankei.com/region/news/141106/rgn1411060102-n1.html
浅野内匠頭や伊能忠敬ら宿泊「郡山宿本陣」の秋の特別公開始まる 大阪

. 「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」で有名な赤穂藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)をはじめ、江戸時代に参勤交代の大名らが泊まった茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」で秋の特別公開が始まった。当時の宿帳や大名の宿泊部屋「上段の間」、米蔵、茶室などが見学できる。

 郡山宿本陣は旧西国街道沿いにあり、門の内側に大きなツバキがあることから「椿の本陣」とも呼ばれる。

 西国の大名のほか、幕末に日本地図を作製した伊能忠敬ら歴史上の人物が多数宿泊した。上段の間は、敵対勢力に床下から危害を加えられないように、寝床には畳を二重に敷いている。

 また、宿帳には伊能忠敬が測量の旅の途中に宿泊した際、本陣側と宿泊代の交渉をしたとされる記録なども残されている。

 特別公開は9日まで。入場無料。8、9両日は午後2時から、本陣の17代目当主、梶洸(かじたけし)さんと市学芸員が本陣内を案内し、解説する。問い合わせは市立文化財資料館(電)072・634・3433。

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1912名無しさん:2014/11/08(土) 19:25:32 ID:zENY3jhE0
不屈の名将・幸村 今なおヒーロー
2014年11月05日

それは約400年の時を超え、大阪に戻ってきた。

 大阪市東成区の真田幸村公資料館で展示されている火縄銃「宿許筒(しゅくしゃづつ)」(全長約60センチ)。1614年の大坂冬の陣と翌年の夏の陣で、徳川軍と果敢に戦った幸村の品だ。8連発を可能にした当時のハイテク銃で、幸村が堺の鉄砲鍛冶と協力して開発したとされる。

 夏の陣で、幸村はわずかな手勢を率いて徳川家康の本陣を急襲。馬上から家康を狙撃しようとしたが、誤って宿許筒を落とし、撃ち損じた。その後、宿許筒は戦利品として紀州徳川家が幕末まで保管していたが、戦後、米国人将校の手に渡った。

 そのことを知った同区の鉄砲研究家・沢田平さん(79)が米オレゴン州に出向いて所有者と20年にわたって交渉。2009年に譲り受け、今年6月に開いた同館で公開に踏み切った。

 古式砲術再興のため、各地にある約50の鉄砲隊の指導にも取り組む沢田さんは、6万丁にも及ぶ火縄銃を見てきたが、宿許筒と同じ構造の銃は一度も出会ったことがない。

 「知勇の武将とのイメージが先行するが、発明家の一面があった。潔くまじめな人柄は現代に通用する優れた日本人像だ」。沢田さんは、幸村の生き方から学ぶことは多いと指摘する。

◇「日本一の兵」

 秀吉が天下統一の本拠地として築いた大坂城は周囲8キロにも及ぶ惣(そう)堀で守られた巨城だが、唯一とも言える弱点が、大軍の攻撃にさらされる陸地続きの南側だった。

 幽閉されていた紀州・九度山から脱し、豊臣方に加勢した幸村はそのことを見抜き、現在の大阪市天王寺区の心眼寺近くに櫓(やぐら)や堀、柵を備えた要塞「真田丸」を築いたとされる。

 1614年11月。戦いの火ぶたが切られる。徳川方の軍勢20万に対し、豊臣方は10万。劣勢の中、幸村は真田丸に徳川軍をおびき寄せ、銃弾や矢を浴びせかけた。徳川方の犠牲者は冬の陣最大の数千人以上を数えた。

 幸村は夏の陣で戦死するが、その戦いぶりは「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」とまで言われた。

 大阪城天守閣の宮本裕次・研究副主幹(48)は「敗軍の将ながら、大坂夏の陣図屏風の画面中央に描かれてもいる。徳川方の幸村への評価の高さを示している」と語る。

1913名無しさん:2014/11/08(土) 19:26:40 ID:zENY3jhE0
◇合戦を再現

 「エイエイオー!」。大阪府柏原市の大和川河川敷で10月、赤と黒の集団が気勢を上げた。

 現在の柏原市や羽曳野市、藤井寺市周辺で繰り広げられ、幸村と伊達政宗が激突した夏の陣「道明寺・誉田(こんだ)の戦い」を再現したイベント。参加者は、赤、黒の甲冑(かっちゅう)(重さ約6キロ)を身にまとい、槍(やり)(長さ3・6メートル)を振り回した。

 企画したのは、国際武術文化連盟代表の横山雅始さん(60)。参加者約80人のうち、32人はフランス人だ。日本の歴史を体験することで、国際理解を深めてもらおうと考えた。仏陸軍に所属するオリコ・フィデリックさん(46)は「異国の文化や武道、友好に触れた瞬間だった。この経験をさらに広く知らせていきたい」と話す。

 2016年のNHK大河ドラマは幸村が主人公の「真田丸」に決まり、天王寺区では現在、真田丸を模型で再現する計画が進む。寄付を呼びかけたところ、これまでに幸村ファン約90人から100万円が集まった。

 JR玉造駅西側でも、商店主らが「玉造幸村ロード」と名付け、幸村や真田十勇士のパネル人形を設置したり、真田家の家紋「六文銭」をデザインしたTシャツを作ったりして、街おこしを図っている。

 大坂の陣を駆け抜けた幸村。その生き様は時代を超え、人々を熱くしている。

(山崎茂)




 ◇大坂の陣400年特別展

 大阪城天守閣は、戦国時代の合戦図屏風(びょうぶ)の最高傑作と評される「大坂夏の陣図屏風」(重要文化財)を所蔵する。戦いからまもなく、福岡藩主・黒田長政が描かせたとされる。

 右隻(うせき)には、大坂城南方で展開された豊臣方と徳川方との激戦の様子、左隻には、敗走する残兵や戦火を逃げまどう民衆たちの姿が描写されている。黒田家の記録によれば、画中の人物は5071人で、このうち旗などから21人の武将が判別できる。

 天守閣3・4階展示室では、11月24日まで同屏風を含め、大坂の陣で活躍した浪人たちにスポットを当てた特別展を開催中だ。12月下旬までは、天守閣展望台からAR(拡張現実)技術を用いた専用アプリ搭載のタブレットをかざすと、軍勢の配置や参戦した武将が分かる企画も行われている。

2014年11月05日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141106-OYTAT50010.html

1914名無しさん:2014/11/08(土) 19:48:04 ID:zENY3jhE0
一番櫓公開 半世紀ぶり 大阪城、8日から
2014年11月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141108/20141108050.html

 大阪市中央区の大阪城公園で8日、園内4カ所のやぐらの一般公開が始まる。いずれも通常は非公開の重要文化財。このうち「一番櫓(いちばんやぐら)」は約半世紀ぶりに市民の目に触れることなる。

ことしから来年にかけた「大坂の陣400年」の大きな節目を迎え、大阪城への関心が高まる中にあって、貴重な古建築物の開扉は歴史愛好家や観光客など多くの人々の注目を集めそうだ。一般公開は16日まで。

歴史ドラマを探しに行こう 大阪城の櫓特別公開
 大阪城公園で8日に始まる「櫓(やぐら)特別公開」は、戦国時代最後の合戦をテーマに開催中のイベント「大坂の陣400年天下一祭・冬の陣2014」(実行委主催)の一環であり、関係者は「歴史ドラマを発見して」と呼び掛けている。

 公開される4カ所のやぐらは、いずれも徳川大坂城の古建築物。幕府の御用金を保管した「金蔵(きんぞう)」と、大手口を守る「千貫(せんがん)櫓」「多聞(たもん)櫓」はこれまで不定期に公開されてきたが、二の丸南東に現存する「一番櫓」は約半世紀ぶりの公開となる。

 大坂城二の丸の南側には東から一〜七番のやぐらが連なっていたが、明治維新の大火や大阪大空襲によって一、六番を除き焼失。空襲被害の大きかった一番櫓は1963〜65年に解体修理が施された。

 2階建のうち公開は1階部分のみだが、玉造口をにらむ多くの狭間(さま)(銃眼)や窓が確認できる。

 大阪城天守閣の宮本裕次研究副主幹は7日の内覧会で「公開を通じて文化財の大切さや、天守閣以外の建築物にも歴史ドラマがあることを発見してもらいたい」と話した。

1915名無しさん:2014/11/15(土) 19:41:44 ID:7A2XCs2c0
千歳飴を持って「ハイ、チーズ」晴れ着姿の子供たちが「七五三」住吉大社
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%8d%83%e6%ad%b3%e9%a3%b4%e3%82%92%e6%8c%81%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%8c%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%80%81%e3%83%81%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%80%8d%e6%99%b4%e3%82%8c%e7%9d%80%e5%a7%bf%e3%81%ae%e5%ad%90%e4%be%9b%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e3%80%8c%e4%b8%83%e4%ba%94%e4%b8%89%e3%80%8d%e4%bd%8f%e5%90%89%e5%a4%a7%e7%a4%be/ar-BBdQm5Q

子供たちの健やかな成長を祈願する「七五三」の15日、各地の神社に参拝客が訪れた。大阪市住吉区の住吉大社にも晴れ着姿の子供らが詰めかけた。

 住吉大社によると、七五三は男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳の年のこの日に神社へ参拝するのが昔からの習わし。

 おはらいを受けた子供らは、長寿を願う千歳飴(ちとせあめ)の入った長い手提げ袋を手に、笑顔で記念撮影をしていた。

 同大社では、この日は800組ほどが祈祷(きとう)を受ける見通し。12月ごろまで七五三のお参りは続くという。

1916名無しさん:2014/11/15(土) 20:08:05 ID:7A2XCs2c0
消えゆく戦争遺跡…全国3万か所、再開発進み
2014年11月15日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141115-OYO1T50015.html?from=oycont_top_txt

かつての軍事要塞など、「戦争遺跡」が次々と姿を消そうとしている。老朽化に加え、再開発による取り壊しが進んでいるからだ。来年で終戦から70年。戦争体験者も少なくなっており、平和を考えるための遺産として活用するよう求める声が高まっている。

関西防衛拠点

 和歌山市・加太港の沖に浮かぶ無人島「友ヶ島」。ツタに覆われた赤レンガの弾薬庫や砲台が残る要塞跡は、インターネットで「(アニメ映画の)天空の城ラピュタみたい」と話題になった。昨年度の観光客は約3万人に上り、3年前に比べて倍増した。

 しかし、先月の台風18号で市が管理する鉄製の桟橋が破損。定期船は運休し、島に渡れなくなった。桟橋は腐食が進んでいたが、海底に岩盤が見つかって基礎工事ができず、老朽化対策が課題になっていた。

 市によると、島は明治以降、欧州列強の侵攻に備える関西防衛の拠点だった。フランス製の大砲32門や水中音波探知機(ソナー)など最新兵器を配備。実戦には至らず、大砲やソナーは連合国軍総司令部(GHQ)に破壊されたが、歴史を感じられる場所として小中学生らが見学に訪れていた。

 桟橋復旧のめどは立たず、語り部ボランティアの男性(49)は「島の存在とともに戦争も忘れられてしまう。行政は復旧を急いでほしい」と願う。

権利関係の壁

 市民団体「戦争遺跡保存全国ネットワーク」(長野市)の推計によると、戦争遺跡は全国に約3万か所あるが、毎年数十か所ペースでなくなっているという。

 東京都は今年、零戦エンジンの製作所跡にあった変電所の解体方針を決め、三重県鈴鹿市でも2011年、旧海軍戦闘機の格納庫が解体されて住宅用地になった。

 旧陸軍の貯蔵庫として掘られた大阪府高槻市の地下トンネル群「高槻地下倉庫(暗号名タチソ)」も土砂などがなだれ込み、天井の一部が崩落。市の担当者は「登記の境界線が複雑で地権者も特定できない。予算もなく市単独で保存はできない」とする。

公園整備へ

 一方で、保存に踏み出した自治体もある。

 兵庫県加西市は2月、姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場跡を「戦争史跡公園」(仮称)として整備すると決定。1945年、「白鷺(はくろ)隊」の名で特攻隊員が訓練し、多くが戦死したとされる。

 市は、滑走路(約1・2キロ)を管理する防衛省などと2015年度中の払い下げに向けて協議している。


文化財指定・登録わずか215件

 戦争遺跡を巡っては、1990年に沖縄県南風原(はえばる)町が「沖縄陸軍病院南風原壕群」を全国初の町史跡に指定。その後、広島市の原爆ドームなどが国史跡に指定されるようになった。

 ただ、戦争遺跡保存全国ネットワークの調査では、国や自治体による文化財としての指定・登録は今年7月で計215件にとどまる。

 海外では、ナチスによるユダヤ人虐殺の舞台となったポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」跡が国立博物館として保存され、世界遺産に登録されている。

 同ネットワーク共同代表の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)・山梨学院大客員教授は「歴史認識の問題もあり、行政は文化財指定に及び腰だが、法令で守らないと老朽化や開発で消えていく。過去を直視するためにも実物を残すことは重要だ」と指摘している。

2014年11月15日

1917名無しさん:2014/11/15(土) 20:48:00 ID:7A2XCs2c0
「狭山池改修」重源知って
2014年11月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141111-OYTNT50050.html 

◇重文指定の石碑や史料40点

鎌倉時代に狭山池(大阪狭山市)を改修した僧・重源(ちょうげん)の功績を知る特別展「重源と東大寺 鎌倉時代の復興を支えた人びと」が、同市の府立狭山池博物館で開かれている。30日まで。

 狭山池は616年頃に築造された農業用のため池。池から見つかった石碑「重源狭山池改修碑」が今年、重要文化財に指定されたのを記念して同展を企画した。石碑や重源が復興に関わった奈良・東大寺関連の史料など約40点を紹介している。

 石碑は、幅58・5センチ、長さ192センチ、厚さ79・5センチ。重源とともに改修に関わった技術者らの名や、改修の年代などが読み取れる。

 大阪狭山市教委の平野淳さんは「自分だけの手柄とせず、技術者らも大事にした重源の人柄を感じてほしい」と話している。

 入場無料。午前10時〜午後5時。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・367・8891)へ。

2014年11月11日

1918名無しさん:2014/11/18(火) 19:18:12 ID:T3RRSSKE0
道明寺合戦の記念碑除幕
11月18日 14時51分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141118/3079861.html

徳川幕府が豊臣家を滅亡させた大坂夏の陣の「道明寺の戦い」の古戦場に記念碑が建てられ、除幕式が行われました。
式には豊臣方の武将後藤又兵衛と徳川方の片倉小十郎の子孫などが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
記念碑は、大阪・藤井寺市にある近鉄・道明寺駅の駅前に建てられました。
道明寺の戦いは、外堀を埋められた大坂城を打って出た豊臣勢がこの地で徳川勢を迎え撃ったもので、豊臣方の有力な武将、後藤又兵衛が、伊達政宗の重臣、片倉小十郎の部隊に討ち取られたと伝えられています。
除幕式では、碑の建立に関わった道明寺まちづくり協議会の森田剛浩会長が、「記念碑がきっかけで、戦いに加わった武将のゆかりの地と大阪との交流が深まることを願っています」と挨拶しました。
式には、後藤又兵衛の子孫で兵庫県加西市に住む後藤基保さんと片倉小十郎の子孫で仙台市に住む片倉重信さんが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
両家の顔合わせは歴史上これまでなかったということで、後藤さんは「先祖が討ち取られ、今でも悔しくないといったらうそになるがこれからは水に流して仲良く交流していきたい」と話していました。
一方、片倉さんは、「片倉家ではこの400年間後藤家のことを思ってきました。念願の和解がかないすがすがしい気持ちです」と話していました。
このほか除幕式には、豊臣方の武将、真田幸村の子孫も参加しました。
真田幸村の三女は、大坂夏の陣のあと、片倉小十郎に引き取られたとされ片倉家とはやはり、深い縁で結ばれています。
真田幸村の子孫で東京・杉並区に住む真田徹さんは、「当時の武将たちは置かれた立場で敵味方に分かれただけで相通じる思いがあったと思います」と話していました。
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1919名無しさん:2014/11/18(火) 20:31:05 ID:T3RRSSKE0
武将の勇姿にうっとり 大坂の陣特製ポスター
2014年11月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141118/20141118024.html

 豊臣方が徳川の軍勢に立ち向かった「大坂の陣」(1614〜15)の特製ポスターが人気だ。作製した大阪城天守閣(大阪市中央区)のミュージアムショップで15日から販売され、ポスターとしては異例の売り上げを記録中。墨一色で躍動的に描いた武将の姿が「素晴らしい」と評判で、外国人観光客をとりこにしている。

ポスターは、よろいをまとった兵士が馬にまたがった様子が描かれている。大坂の陣の開戦前夜をイメージし、豊臣方として戦おうと大阪城に入城する場面をモチーフにした。

■問い合わせ相次ぐ
 当初は販売用ではなく、PR用として大阪城チケット売り場に掲示。すると海外の観光客から「売ってないのか」と問い合わせが相次いだという。

 要望に応えて販売用を用意するとともに、第2弾ポスターを作り、計2種類を売り出すことにした。

 第2弾の図柄は、豊臣方の武将で、やりの名手の後藤又兵衛の勇姿を描いている。大坂冬の陣の最大の激戦「鴫野・今福の戦い」の一場面をモチーフにし、図柄はどちらも墨絵アーティストの茂本ヒデキチ氏が手掛けた。

 発売から2日間で2種類合わせて計50枚近くが売れ、売れ行きは“主役”である大阪城の写真ポスターを大きく引き離している。ミュージアムショップ店長の浜田照代さん(65)は「色違いを合わせて計4種類を買った人もいる。勇ましい武将を大阪城に求めていると感じた」と話す。

■国内外問わず人気
 なかでも外国人観光客の視線が熱い。17日に訪れたフランス人の男性観光客は熱心に品定めし「素晴らしい」と1枚購入。中国から家族と訪れた男性も「すごくいい」と一目ぼれしていた。

 歴史好きの心もくすぐっている。名古屋市の高倉秀仁さん(27)は「浪人の又兵衛が世に知られるまでの生きざまに引かれる。ポスターを買いに大阪城に来たようなもの」と興奮気味だった。

 大阪城天守閣は来年夏に第3弾のお披露目を目指しており、職員の田中美喜さん(43)は「歴史といえば京都や奈良だけでなく、大阪も知ってほしい。その切り口が大坂の陣になる」と意気込んでいた。

 ポスターは縦約70センチ、横約50センチ。1枚800円(税込み)。

1920名無しさん:2014/11/22(土) 04:52:50 ID:wc8JvIQc0
http://www.sankei.com/west/news/141120/wst1411200070-n1.html
「薬の神様」少彦名神社 神農祭に向け張り子の虎を取り付け

「薬の神様」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社で22、23日に行われる「神農祭」に向けて、張り子の虎を笹に取り付ける作業が行われた。

 張り子の虎は、江戸時代後期に大阪でコレラが流行した際、虎の頭骨を砕いて作った丸薬とともに参拝者に配ったのが始まり。現在では、無病息災のお守りとされ、1体2000円で参拝者に授与される。

 女性たちは、19、20日の2日間をかけて、五葉笹に体長約10センチの張り子の虎約8000個を手際よく取り付けていき、準備を整えた。

1921名無しさん:2014/11/23(日) 00:39:57 ID:mXAfFJTM0
製薬会社のゆるキャラ集合 大阪・道修町の神農祭
2014年11月22日 11:07

 「薬の町」として知られる大阪市中央区道修町にある少彦名神社の「神農祭」が22日開かれ、製薬会社のゆるキャラたちが勢ぞろいして祭りを盛り上げた。

 会場には、今月名前が決定したばかりの森下仁丹の新キャラクター「仁丹王子」のほか、小林製薬「熱さまくん」、大幸薬品「正露丸くん」、ロート製薬「ロッ太くん」など9体のゆるキャラが集合。参拝客らは写真を撮ったり、握手したりしてつかの間の触れ合いを楽しんだ。

 道修町は江戸時代に薬の仲買人らが集まり、幕府が独占販売権を与えたため薬の町として発展した。現在も製薬会社の本社が数多くある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141122/20141122035.html

1922名無しさん:2014/11/24(月) 00:18:58 ID:MSgXQNRA0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141123/20141123030.html
神虎求め御利益願う 少彦名神社・神農祭
2014年11月23日

 「くすりのまち」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社(別所俊顕宮司)で22日、「神農(しんのう)祭」(市無形民俗文化財)が始まった。江戸期からの伝統行事に、境内や参道は多くの参拝客であふれた。23日まで。

大阪の年内の祭りの最後を締めくくるため「止めまつり」とも呼ばれる同祭。例年約5万人が訪れ、大阪の晩秋の風物詩になっている。

 境内では同神社伝統の縁起物「張り子の虎」(神虎(しんこ))を求めて大勢の人が長い列をなし、みこから「家内安全、無病息災」とおはらいを受けた。

 参拝者は「1年大病せずに過ごせた。来年も健やかに暮らしたい」「初めて来たがにぎやかで楽しかった」と笑顔で御利益を願っていた。

1923名無しさん:2014/11/25(火) 00:22:20 ID:sEH4IShM0
古墳群は人類史的に貴重 大阪で世界遺産シンポ
http://www.sankei.com/west/news/141124/wst1411240047-n1.html

世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

 シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

 世界遺産を目指す両古墳群の61基のうち、約半数が宮内庁管理の陵墓。徳田誠志宮内庁陵墓課首席研究官は「陵墓は文化財という側面もあるが、現在も祭祀が続いている『生きたお墓』だ。かつては周濠の水は田畑などで利用されており、今後も地元から親しまれる存在を目指したい」と話した。


古墳群登録目指し世界遺産シンポ 大阪・四天王寺大
2014年11月24日 19:34
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141124/20141124075.html

 世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

1924名無しさん:2014/11/25(火) 11:54:16 ID:fPS3ay/A0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141123-OYTNT50454.html
中世12城で学ぶ郷土史
2014年11月24日

◇高槻で展示 金箔張り瓦や堀の絵図

 中世に府内にあった12の城について紹介する企画展「戦国 大阪の城―動乱の時代と天下統一」が、高槻市城内町の市立しろあと歴史館で開かれている。12月7日まで。

 会場には、大坂城から出土した金箔(きんぱく)が張られた瓦や、複雑な堀の様子が描かれた池田城の絵図など約100点が並ぶ。中には、城跡から出土した茶器や碁石もあり、当時の文化を伝えている。

 中西裕樹学芸員(中世史)は「城を通して、地元の歴史に興味をもってもらえたら」と話している。

 入場料は一般200円、小中学生100円。問い合わせは同歴史館(072・673・3987)へ。

2014年11月24日

1925名無しさん:2014/11/26(水) 09:03:31 ID:hhiDIYu20
国の史跡に関西から4件
11月22日 07時04分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141122/3213001.html

日本最古のため池とされる大阪狭山市の「狭山池」など関西の4件が、新たに国の史跡に指定されることになりました。
このうち、7世紀前半の飛鳥時代に造られた「狭山池」は日本最古のため池とされ、田畑などに水を供給してきました。
時代ごとに改修が行われ、土木技術の歴史を知る上で重要だと評価されました。
大阪府立狭山池博物館の工楽善通館長は、「1400年にわたって水を供給してきた価値が、認められてうれしい」と話しています。
また、大阪・八尾市の「高安千塚古墳群」は6世紀を中心に造られ、224基の古墳が確認されています。
渡来人との関わりがうかがえ、古代国家の成り立ちを知る上で重要だと評価されました。
八尾市教育委員会の藤井淳弘さんは、「渡来人と関係の深い人たちが造ったと考えられ、貴重な存在だ」と話しています。
関西ではこのほか、▼京都府の向日市と京都市にまたがる大型の前方後円墳、「寺戸大塚古墳」と、▼8世紀から9世紀に営まれた木津川市の「神雄寺跡」も、史跡に指定されることになりました。
さらに、戦国から江戸時代の城下町の集落が残る滋賀県高島市の「大溝の水辺景観」は、国の重要文化的景観に指定されることになりました。
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1926名無しさん:2014/11/27(木) 00:22:35 ID:B.kinW6o0
五穀豊穣 感謝込め 住吉大社で新嘗祭
2014年11月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141126/20141126031.html

 大阪市住吉区住吉2丁目の住吉大社(高井道弘宮司)で、神前に新穀をささげる「新嘗(にいなめ)祭」が行われた。米作りの奉仕者など関係者約150人が集まり、この1年の五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝した。

同祭は、豊かな稲の実りを祈願する「祈念祭」(3月)、境内南側の御田(おんだ)で稲を植える「御田植(おたうえ)神事」(6月)、初穂を刈り取る「宝之市神事」(10月)といった、五穀豊穣にまつわる神事の締めくくり。

 勤労感謝の日の23日に行われており、もともとは一年無事に生活できた感謝を神様に伝える目的で、豊作への感謝を述べるお祭りとされていた。

 この日は、御田でとれた7穀の新米の一部を境内の第一本宮に供えた。米作りの奉仕者でつくる御田講、蓬莱(ほうらい)講の人々が参列。玉串をささげるなどし、神前に感謝した。

 両講元の山本英夫さんは「穂の出る時期がいい日和だったこともあり、ことしは昨年の5割増しの収穫で豊作だった」と笑顔を見せた。

1927名無しさん:2014/11/28(金) 00:28:19 ID:eeiVm9q60
秀吉褒美のそろばん紫檀作り国内最古
2014年11月20日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141120-OYTAT50025.html

豊臣秀吉ゆかりで、国内最古のそろばんが今夏、大阪で確認された。

 丈夫な紫檀(したん)作りで、四隅に銀枠があしらわれた逸品。縦13・5センチ、横37・5センチと、現代のものと比べて少し大振りで、20桁の計算ができる。

 そろばんメーカー「雲州堂」(大阪市中央区)が戦後に入手したものだが、「四兵衛重勝拝領算盤(しべえしげかつはいりょうそろばん)」との箱書き以外、手がかりは何もなく、由来がわからないまま保管されてきた。

 数十年が経過して、由来が解き明かされたのは、NHKの大河ドラマなどで秀吉の軍師を務めた黒田官兵衛が脚光を浴びたことがきっかけだった。

 関連の研究が進み、四兵衛重勝は官兵衛の側近の一人で、博多の町割(区画整理)などにかかわった「久野重勝」と判明。さらに、久野家に残る古文書などから、こうした功績への褒美として、秀吉から賜ったとする記述が見つかった。

 室町時代末期に中国から伝わったそろばんは、1592年に戦国武将・前田利家が使った「陣中そろばん」が、現存するものでは国内で最古とされてきた。だが、重勝のそろばんは1591年に与えられており、文献上、陣中そろばんよりも古いことがわかった。

 玉を上下に分けるハリの両面に、重さの単位と米の単位が彫り込まれ、裏表で計算できるのも珍しい特徴だ。雲州堂の日野和輝社長(64)は「今まで見たことがない作り。秀吉が金に糸目を付けず、特別に1丁だけ作らせたものではないか」と思いをはせる。

◇「和算」の礎に/

秀吉には数学にまつわる逸話もある。

 例えばこんな話だ。

 秀吉が御伽衆(おとぎしゅう)の曽呂利新左衛門に褒美を与えることになり、何が欲しいか聞いたところ、新左衛門は今日は米1粒、翌日には倍の2粒と日ごとに倍の量の米がほしいと答えた。

 「なんと欲のないこと」。秀吉は喜び、一度は申し出を受け入れたが、計算してみると、1か月後には膨大な量になることに気づき、他の褒美に変えてもらった――。

 和算研究所(東京)の佐藤健一理事長(76)によると、この逸話は江戸初期の数学書「塵劫記(じんこうき)」を基に、利口で知られる秀吉にあてはめて創作されたとみられるという。

 ただ、秀吉が数学の発展に寄与したのは間違いない。朝鮮出兵で日本に持ち帰られた中国・元の数学書「算学啓蒙」は、後に多くの数学者に読まれ、江戸時代に発展する日本の数学「和算」の礎になった。

1928名無しさん:2014/11/28(金) 00:29:13 ID:eeiVm9q60
◇珠算盛んな大阪/

大阪市住吉区の「益田そろばん あんざん教室」。夕方になると、次から次へと子供たちがやってくる。午後5時には約50席の教室は満員となり、長机にびっしりとそろばんが並ぶ。

 2年前から教室に通う市立山之内小学校6年の八木晴香さん(12)は「難しい計算が解けると快感。算数は苦手だったけど、今は大好き。もっと鍛えて早く段を取りたい」と声を弾ませる。

 大阪では珠算をたしなむ人が多い。日本珠算連盟(東京)によると、2013年度の府内の検定試験受験者数(1〜3級)は2万6506人。2位の愛知県を約1万人も上回る。

 大阪珠算協会副会長で、教室を経営する益田明さん(70)は「大阪には昔からたくさんのそろばん教室があった。今でも子供を通わせようと、毎日のようにお母さんが相談にきますよ」と言う。

 江戸時代、全国から物品が運び込まれた大坂では、商人たちが至る所でそろばんをはじいてきた。パソコンの時代になっても、そろばんが盛んなのは、こうした歴史と無縁ではない。

 「若い指導者を増やし、先人が築いたそろばん文化を後世に伝えたい」。益田さんが力を込めた。(新庄秀規)

 ◇国造り支えた数学者

 「和算」は高次方程式など日本独自の高度な数学として、現代でも高く評価されている。

 江戸時代以前については、資料が乏しく、研究が進んでいないが、和算研究所の佐藤理事長は「戦国時代には、かなりレベルの高い計算がされていたはずだ」と話す。

 戦争のための物資の計算に始まり、築城や水路、道路の整備、町割……。戦国時代の国造りの裏には、計算にたけた数学者がいたという。江戸時代初期の数学者・毛利重能(しげよし)も、秀吉に仕えたといわれる。

 大阪城天守閣の玉造口南側の一帯は、「算用曲輪(さんようぐるわ)」と呼ばれる。築城以降、税の計算などが行われた場所とされるが、大坂冬の陣(1614年)で取り壊され、現在は案内板が置かれるだけになっている。

2014年11月20日

1929名無しさん:2014/11/28(金) 22:48:05 ID:fU76v9qY0
400年イヤー盛り上げろ 大坂の陣、手を変えPR
2014年11月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141128/20141128023.html

 「大坂の陣」(1614〜1615)から400年の節目に合わせ、大阪城天守閣(大阪市中央区)が独自の盛り上げを図っている。戦いの醍醐味(だいごみ)を紹介するガイドブックを発行したり、特製コースターをプレゼントするなどあの手この手。「歴史の町」として大阪を売り出そうと“熱戦”を展開中だ。

大坂の陣は、徳川家が政敵の豊臣家を滅ぼした戦国時代最後の大合戦。1614年に「大坂冬の陣」、15年に「大坂夏の陣」が起き、難攻不落とされた大坂城が落城した日本の歴史を語る上で欠かせない戦いだ。

■読本第2弾配布
 しかし、大阪城天守閣職員の田中美喜さん(43)は「大阪の人も大坂の陣を詳しく知らない人が多いのでは」とPRの必要性を強調する。

 大阪城天守閣は、今年と来年を「大坂の陣400年イヤー」に位置付け、啓発を展開。なぜ戦いが起きたかといった情報をはじめ、ゆかりの場所を地図に落とし込んだガイドブック「大坂の陣読本」を昨年9月に発行したところ、わずか2カ月で全5千部がはけた。

 「希望者に天守閣の事務所に取りに来てもらう形だったにもかかわらず、短期間でなくなった」と田中さんは驚く。

 今月2日からは読本第2弾の配布もスタート。女性に手に取ってもらえるよう、かわいい色使いのイラストで両軍の武将6人を紹介。硬派なファンも満足できるよう、両軍の位置関係が分かる冬の陣の配陣図を掲載したところ、40代以上の男性を中心に人気を呼んでいるという。

■ドラマチック
 盛り上げに向けて来年1月1日のスタートダッシュにも余念がない。同日は臨時開館(午前11時〜午後5時)し、先着5千人に「オリジナルコースター」をプレゼントする。天守閣の収蔵品「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」に描かれている大坂城天守閣のイラストと現在の城の写真をあしらった2枚セットになっている。

 田中さんは「大坂の陣で豊臣は敗れたが、その後、天下の台所と呼ばれる勢いのある町になった。ドラマチックな歴史があったことを知ってほしい」と話している。

1930名無しさん:2014/12/03(水) 22:45:39 ID:ZoPi6vC60
代表4人決まる 「天満えびす」招福娘
2014年12月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141203/20141203031.html

 来年1月9〜11日の「天満えびす」に奉仕する招福娘の代表選考会が2日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。代表として神戸大の秋田成子さん(21)、関西学院大の大野由衣さん(21)、京都産業大の番匠みきさん(22)、関西大の福長英美さん(20)の4人に決まった。

選考会には、大学生600人の応募者の中から招福娘に選ばれた17人が参加。紙芝居、剣道、アイドルグループのダンスなど個性豊かなパフォーマンスで熱意をアピールした。

 寺井種治権宮司は代表それぞれに委嘱状とたすきを手渡し「頑張ってください」とエール。代表に選ばれた福長さんは「体力には自信があるので元気いっぱい福を届ける」、番匠さんは「大学生活最後の良い思い出にしたい」と声を弾ませていた。

1931名無しさん:2014/12/07(日) 01:18:44 ID:XebbVGXA0
岬町の古墳で発掘現場公開
12月05日 15時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141205/3721501.html

皇族の墓として宮内庁が管理している大阪・岬町の「淡輪ニサンザイ古墳」の発掘現場が、報道関係者に公開されました。
「淡輪ニサンザイ古墳」は5世紀後半に築かれた全長170メートルの前方後円墳で、日本書紀などに記された皇族の「五十瓊敷入彦命」の墓として宮内庁が管理しています。
墳丘が「ほり」の水で浸食されるのを防ぐ工事を行うのを前にことし10月から発掘調査が行われ、現場が報道関係者に公開されました。
墳丘本体の発掘が行われるのは初めてで、これまでに、▼表面を覆う「ふき石」や、▼墳丘を囲むように並べられた埴輪が見つかり、築かれた当時の姿が良好な状態で残されているということです。
また、くびれの部分の近くにある「造り出し」と呼ばれる場所からは模様のある埴輪が数多く見つかり、祭事が行われた可能性があるということです。
宮内庁陵墓調査室の清喜裕二主任研究官は、「大阪の中心部に特有の、装飾が施された埴輪も見つかり、当時の最先端の技術を取り入れていた様子がうかがえる」と話しています。
この発掘調査は今月24日まで行われます。


淡輪ニサンザイ古墳を公開 陵墓、宮内庁が発掘調査
2014年12月5日 13:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141205/20141205071.html

 宮内庁は5日、皇族の墓として管理している大阪府岬町の淡輪ニサンザイ古墳(5世紀後半)の発掘現場を報道関係者に公開した。祭祀の場とされる造り出し部では朝顔形埴輪や家形埴輪のほか葺石も見つかった。

1967年以降、同庁は全国の陵墓等で整備工事を実施。事前に遺構を確認し、工法を決める目的で考古学的調査を行い、現場を公開している。

 淡輪ニサンザイ古墳でも、周濠の水に浸食されて墳丘が崩れるのを防ぐため護岸が検討されており、今年10月から同庁書陵部が墳丘の裾部分約20カ所を発掘していた。

 同古墳は、全長約170メートルの前方後円墳。

1932名無しさん:2014/12/07(日) 22:36:34 ID:9Z4TxH8M0
世界初「ガラスの祠」 大阪天満宮、御神水たたえる
2014年12月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141205/20141205027.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で4日、地下70メートルからくみ上げられる名水「天満天神の水」の取水口となる御神水舎「ガラスの祠(ほこら)」の完成奉告が行われた。大阪のガラス発祥の地という歴史にちなみ、地元のガラスアーティスト岡本覚さん(59)が制作。枠材のステンレス以外はすべてガラス素材という世界初のほこらに仕上げ、関係者が完成を祝い合った。

江戸期から知られる同宮の名水復活計画の一環。屋根には白い結晶が特徴で岡本さんが開発した「界面結晶化ガラス」を使用。土台は御影石を思わせるリサイクルガラスで仕上げるなど全体にこだわりの素材を駆使した。

 岡本さんは「いにしえのデザインに時代の最先端を取り入れる天神さん特有の疑似伝統の考えで表現した。名所で作品を手掛けることができ大変うれしく思う」と笑顔。同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は「ガラスが本殿屋根の緑青にも似た色合い。今後の名水の広がりが楽しみ」と話していた。

1933名無しさん:2014/12/09(火) 22:57:21 ID:zEMZ1SQ60
繁盛呼び込む50の笑顔 今宮戎第63代福娘
2014年12月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141208/20141208026.html

 商売繁盛の「えべっさん」として親しまれている大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江明宏宮司)の十日戎で奉仕する第63代福娘が7日、同市中央区の国際会議ホールでお披露目された。代表4人の選考会も行われ、福娘はマジックやものまねなど工夫を凝らした自己アピールを行った。

ことしは2983人の応募があり、3回の審査を経て50人を選出。代表には、関西外語大の金谷めぐみさん(21)=大阪市=、同志社女子大の中西真菜さん(21)=奈良県=、神戸市看護大の林佳名子さん(19)=神戸市=、留学生枠で、立命館大のキャサリン・リーランドさん(21)=ニュージーランド出身=が選ばれた。

 昨年の福娘代表から記念品を贈られた金谷さんは「精いっぱいの笑顔で頑張ります」と話していた。

 福娘は、神事の参列、神社授与所での福ササの授与のほか官公庁や関係機関への表敬も行う。

1934名無しさん:2014/12/09(火) 23:19:15 ID:zEMZ1SQ60
舞うミカン、厄よけ願う 御霊神社
2014年12月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141209/20141209034.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で8日、江戸期からの伝統行事「御火焚祭」が盛大に執り行われた。恒例の厄よけのミカンまきもあり、参拝者でにぎわった境内は師走ムードを漂わせていた。

境内には一つでも多くキャッチしようと大きな袋や箱を手にした人が参集。やぐら上から園宮司や氏子衆がミカン約60箱分を豪快にまくと、「やった」「ことしは取れた」など方々から歓声が沸いた。

 同祭は冬のはじめに今後1年間、事故もなく火のおかげをいただくように祈願。氏子崇敬者は、拝殿前にともされた斎火にさまざまな願いを書いた祈願木をくべていき、高く燃え上がる炎に成就を願った。

 氏子の平尾健二さん(72)=同市西区=は「ことしは各行事が大いににぎわった。来年もいっそう盛り上がることを願いたい」と笑顔で一年を振り返った。園宮司は「毎年多くの方にお参りいただいている。皆さんとともに伝統行事を継承することができ大変うれしく思う」と話していた。

1935名無しさん:2014/12/11(木) 20:59:27 ID:Xa1.Nceg0
両替商「銭屋佐兵衛」家の歴史
12月11日 12時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141211/3858891.html

大阪でかつて両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家ゆかりの古文書を集めた展示会が、大阪で開かれています。
この展示会は、江戸時代中期から明治時代にかけて大阪を拠点に両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家の歴史をたどろうと大阪・中央区の「大阪歴史博物館」で開かれています。
「銭屋佐兵衛」家の決算帳簿は、創業から廃業まで毎年記録され、当時の両替商の経営状況を知ることが出来る貴重な資料です。
とりわけ江戸中期から後期にかけての大阪の好景気で事業を拡大した3代目の時代には、諸藩の大名に融資を行うようになり「諸家貸」と呼ばれる帳簿に、九州や四国などの大名にまで貸していたことが記されています。
このほか「銭屋佐兵衛」家の印が入ったはっぴなども展示されています。
博物館の八木滋学芸員は「江戸時代中期以降の大阪の商人の経営実態などが分かる貴重な資料です。
当時の大阪の繁栄ぶりを感じてほしい」と話していました。
この展示会は、来年1月5日まで開かれています。

1936名無しさん:2014/12/13(土) 19:10:20 ID:A11t3JUg0
「襲名披露公演はぜひ大阪から」中村翫雀さんが「四代目鴈治郎」襲名あいさつで本社来訪
http://www.sankei.com/west/news/141211/wst1412110068-n1.html

上方歌舞伎の大名跡、四代目中村鴈(がん)治(じ)郎(ろう)(がんじろう)を襲名する歌舞伎俳優の中村翫(かん)雀(じゃく)(かんじゃく)さん(55)が11日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ、斎藤勉専務取締役大阪代表らに襲名のあいさつを行った。

 翫雀さんは人間国宝の坂田藤十郎さん(82)と元参院議長の扇千景さん(81)の長男。来年1、2月に大阪松竹座で2カ月連続の襲名披露公演を行う。

 晴れやかな笑顔の翫雀さんは「鴈治郎は上方の名跡なので、襲名披露公演はぜひとも大阪からスタートしたかった」と話した。

1937名無しさん:2014/12/19(金) 10:52:07 ID:M8S3Lrrg0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141219/4092961.html
百舌鳥古墳群の保存計画案
12月19日 06時32分

ことし3月に国の史跡に指定された「百舌鳥古墳群」について地元の堺市は今後の修復の進め方などの方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
堺市には4世紀から6世紀にかけて100を超える古墳がつくられたとされ、現存する古墳のうち宮内庁が管理する天皇陵などを除いた17の古墳が、ことし3月に「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定されました。
これを受けて、堺市は修復の進め方などについて方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
計画案では多くの古墳で墳丘が崩れた箇所が確認されたことから学術的な調査を行った上で修復を進めるとしています。
また樹木が生い茂り本来の形が分かりづらい古墳では伐採やせんていを行い、墳丘の周りのほりの水質改善にも取り組むとしています。
「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定された古墳の多くは、大阪府や堺市などが世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥古市古墳群」に含まれています。
堺市は、今年度中に保存管理計画を最終的に決めることにしていて「世界遺産登録に向けてしっかりと保全に取り組みたい」としています。

1938名無しさん:2014/12/19(金) 13:00:56 ID:M8S3Lrrg0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141219/20141219025.html
「社寺+コナン」効果大 なにわ七幸めぐり
2014年12月19日

 神仏習合理念に賛同する7社寺でつくる「なにわ七幸(しちこう)会」が取り組む「なにわ七幸めぐり」と人気漫画「名探偵コナン」のコラボ企画が人気を呼んでいる。7社寺を巡拝する朱印めぐりに“謎解き”の要素がプラスされ、若い親子も参加するほどの好調ぶり。なにわ七幸会事務局は「新たな年齢層が増え、七幸めぐりのすそ野が広がった」とコナン効果を喜んでいる。

なにわ七幸会は、1983年に大阪21世紀協会理事だった堺屋太一氏の提唱で神社仏閣と大阪の活性化を目指して発足した。現在は大阪天満宮、大念佛寺、住吉大社、今宮戎(えびす)神社、太融寺、四條畷神社、四天王寺の7社寺でさまざまな企画を展開。七幸めぐりは年間約400人が満願し、順調に推移している。

 今回の企画「なにわ七幸めぐりウォークラリー〜トレジャーバロンからの暗号文(メッセージ)」は、枚方市のひらかたパークで開催中の名探偵コナン連載20周年記念「コナン展」大阪会場(来年1月12日まで)とのタイアップとして実現。

 小学館集英社プロダクションによると、社寺とのコラボは珍しいという。

 参加者は最初の社寺で通常の朱印帳・色紙とは別にラリー専用紙(300円)を購入し、各境内の特設看板に記されているキーワードを集めて謎を解く。それぞれの朱印所(授与所)では、訪れた社寺とコナンをデザインした記念ポストカード1枚を授与。最後の社寺で全7種類がそろうほか、オリジナルクリアファイルとWチャンス応募はがきがもらえるのも魅力となっている。

 同企画は来年1月31日まで続き、期間中は冬休みや初詣をはじめ「十日戎」も含まれることから参加者の増加が見込まれる。

 なにわ七幸会事務局を置く四天王寺参詣課の山岡武明さんは「親子に愛されているキャラクターの起用で、より多くの方と各社寺とのご縁が結ばれることを願いたい」と話している。

 【メモ】なにわ七幸会事務局の問い合わせは、電話06(6771)0066、四天王寺。

1939名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:03 ID:aIDXs.4A0
秀吉絶賛「守口大根」 天下取りの健康食
2014年12月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141218-OYTAT50000.html

「もしタイムスリップできるなら、太閤(たいこう)さんに僕の料理を食べてもらいたい」

 大阪府守口市の老舗料亭「柿右衛門文禄亭」。料理長の益田光志さん(56)が、同市の伝統野菜「守口大根」のかき揚げを作りながら声を弾ませる。

 羽柴(豊臣)秀吉が1585年(天正13年)、守口で宿泊した際、献上された大根の漬物を絶賛。「守口漬と名付けよ」と宿の主人に命じたことから、一帯の淀川流域で育てられていた大根を、こう呼ぶようになったと伝わる。

 益田さんが、この大根に出会ったのは2005年12月。市街化による耕作地の減少などを理由に栽培が一時途絶えたが、名物として復活させようと、農家らが取り組みを開始。「新たな郷土料理を作ってほしい」と依頼された。

 長さ約1・5メートルの細長い大根は辛くて苦く、そのままでは食に向かない。試行錯誤の末、砂糖をまぶし、高温のゴマ油を注いで苦みを抜く調理法を発案。かき揚げにして、ほどよい苦みとサクサクした食感が楽しめる料理に仕上げた。

 益田さんは「太閤さんは大根の漬物をポリポリかじりながら、天下取りの戦略を練っていたのだろうか」と想像を膨らませる。

 ◇62歳の生涯

 秀吉は1598年(慶長3年)に、62歳の生涯を閉じた。平均寿命40歳前後とされる当時としては、かなりの長寿だ。

 ぜいを尽くし、美食に明け暮れたイメージもあるが、食に関する逸話からは、健康に気を配っていた姿が浮かび上がる。

 「名将言行録」(岡谷繁実著)などによると、秀吉は若い頃から、消化酵素を多く含み、風邪の予防にも効くとされた大根や食物繊維が豊富なゴボウをよく食べていたとされる。

 根菜へのこだわりは、天下統一後、生まれ故郷だったことから年貢を免除していた尾張国・中村(名古屋市中村区)の農家に、年頭の祝儀として大根とゴボウを献上させていたことからもうかがえる。

 戦国時代の食に詳しい医学ジャーナリストの植田美津恵さんは「秀吉は権力を維持するためには健康な体が最も大切と考え、体に良いものを食べていた」と指摘する。

 「戦国武将の食生活」の著書がある食文化史研究家の永山久夫さん(82)は、秀吉が魚介類もふんだんに食べていたことにも注目する。

 秀吉が1590年(天正18年)に小田原城を落とし、奥州を平定した後、毛利輝元が戦勝の祝賀として出した献立には、鮭(さけ)、タラ、タコ、アワビ、イカ、スズキ、アユ、コイなどの料理が並んだという。前田利家も1594年(文禄3年)に自邸で秀吉を接待した際、タイやカツオ、ハモなど10種類以上の魚介類を使った料理を出したとされる。

 魚油に含まれるドコサヘキサエン酸(DHA)などの脂肪酸は、近年の研究で、脳機能低下の防止に効果があるとの報告もある。

 人の何倍も考えて行動し、戦国時代を生き抜いた秀吉。魚介類でタフな精神力を養ったともいえそうだ。

1940名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:51 ID:aIDXs.4A0
◇ゆかり食材で人気

 秀吉ゆかりの食材を名物にしようとする動きもある。

 名古屋市中村区では今年7〜10月、JR名古屋駅西側にある飲食店約10店が、ゴボウの創作料理をメニューに加えるイベントを開催した。

 飲食店主の辻耕作さん(32)が発案した企画で、ゴボウ入りのナゲットや、鳥とゴボウのうま煮など様々な料理が登場。客の反応も上々だったといい、辻さんは「ゴボウ料理を名物にし、街も人も元気になれば」と意気込む。

 健康志向が高まる中、秀吉ら戦国武将の食事は実利的だと注目を集めている。

 11月上旬、東京都港区の慶応大で開催された「健康寿命をのばすための食べる知恵」と題した講座。講師に招かれた永山さんは、秀吉がビタミンB1やカルシウムが豊富な麦飯を食べていたエピソードなどを披露。「秀吉のように食べて、天下を取るくらい元気になってください」と高齢の受講者らに呼びかけた。

 「秀吉が好んだ食事は和食の原点でもある。参考にすれば、我々も健康になれる」と永山さん。天下人がこだわった食は、現代社会を生き抜くヒントも伝えてくれている。

(神谷次郎)


 ◇長寿願い鶴も食す

 秀吉は滋養強壮のため、現代ではなじみの薄い鳥獣も食べたらしい。

 大阪城天守閣は、秀吉が織田信長の次男・信雄から鶴の肉を贈られた際に書いた礼状を所蔵しており、随時公開している。

 同天守閣の跡部信・主任学芸員は「長寿や健康を願って、生命力が強いと信じられていた動物も食べたのだろう」と話す。

 一方、秀吉が好んだ守口大根は、守口市の農家らでつくる「守口都市農業研究会」が栽培し、毎年12月に収穫している。2007年には、府が進める「なにわの伝統野菜」として認証されている。

 柿右衛門文禄亭では、今月中旬から同会が栽培した守口大根を使ったかき揚げをメニューに出す予定。問い合わせは同店(06・6993・3651)へ。

2014年12月17日

1941名無しさん:2014/12/20(土) 22:34:28 ID:w6je/usg0
穏やかな年に 藤井寺に未の絵馬
2014年12月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141214-OYTNT50028.html

藤井寺市の道明寺天満宮の本殿前に13日、来年の干支(えと)・未(ひつじ)を描いたジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えした。

 ジャンボ絵馬の飾り付けは、同天満宮が1970年から、毎年実施。絵は寝屋川市の女性画家・長谷川貞信さんが手がけ、3匹の羊の親子の仲むつまじい様子が描かれている。

 南坊城(みなみぼうじょう)光興宮司(40)は「来年は羊のように穏やかな一年であってほしい」と話した。

2014年12月14日

1942名無しさん:2014/12/23(火) 21:37:09 ID:2K.hksqI0
大阪、干し柿まねた土製品が出土 江戸時代の玩具か
2014年12月23日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141223/20141223050.html

 大阪市北区神山町の建築工事予定地の発掘で、干し柿をまねた江戸時代の土製品が出土し、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が23日までに明らかにした。干し柿は同時代にお菓子として親しまれたといい、同研究所の谷崎仁美学芸員は「玩具や装飾品として作ったのかもしれない」と話している。

土製品は今年4月に18世紀後半のごみ穴から出土。長さ8センチ、幅5センチで、重さ80グラムと大きく重い。中央部分に穴が開けられていた。ひもを通して同じものを何個もつなげて、店などが看板代わりにしていた可能性もあるが、用途は判明していない。

1943名無しさん:2014/12/26(金) 05:51:26 ID:U0q1y9rI0
大入りを祈願して「にらみ鯛」…国立文楽劇場
2014年12月25日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141225-OYO1T50026.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の初春公演(来年1月3〜26日)の大入りを祈願して、国立文楽劇場(大阪市中央区)の舞台に25日、新年の縁起物の「にらみ鯛」が取り付けられた。

 午前9時半から、全長約3メートルの巨大な鯛2匹が向かい合うようにつり上げられた。来年の干支(えと)の「羊」の文字が書かれた凧(たこ)も掲げられ、迎春準備が整った。

 同劇場の今年度の有料入場者数は、11月公演までで約9万4000人。大阪市の文楽協会への補助金満額支給の条件となる10万5000人まであと一息で、担当者は「一人でも多くの方にお運びいただけるように」と期待していた。

2014年12月25日

1944名無しさん:2014/12/26(金) 22:28:27 ID:8RbsaA6s0
参拝者2千人、歳末風情満喫 御霊神社「船場餅つき」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226020.html

 餅つきを通じて歳末のあいさつをする行事「船場餅つき」が25日、大阪市中央区の御霊(みたま)神社(園文夫宮司)で開かれた。地元企業などから2千人以上が代わる代わる参拝し、得意先とあいさつを交わしつつ歳末の風情を満喫した。

行事は、氏子で地元企業の都市環境開発(根本竜司代表)が毎年開いており、ことしで10回目を迎えた。この日は社員をはじめとする応援スタッフが夜明け前から準備を開始。約240キロ分のもち米を豪快につき上げ、関係者や一般参拝者に振る舞った。

 根本代表(52)は「スタッフの協力で次なる大台を目指したい」と地域密着の活動に意欲を見せ、園宮司は「ことしは自然災害などの災いが多かったが、穏やかな新年が迎えられるよう願いたい」と話していた。

1945名無しさん:2014/12/28(日) 13:11:22 ID:iReqGwoM0
1年のご加護感謝 大阪天満宮で「終天神」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226018.html

学問の神・菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内の縁日を締めくくる「終(しまい)天神」が執り行われた。祈願絵馬のたき上げやもちつきが行われる中、天神さんのご加護で1年を平穏に過ごせたことに感謝する多くの参拝者でにぎわった。

毎月25日は道真公の縁日であり、年頭の「初天神」に始まり終天神で1年を終える。

 境内では1年間に絵馬掛けに奉納された約5万枚が御神火によって次々とたき上げられた。周囲では俳句や写真の愛好家らが題材を求め、高く燃え上がる光景に見入っていた。

 また、神職らが元旦に供える餅をつき、参拝者に振る舞った。池田市の女性(55)は「毎年お参りしているが、今季は子どもが受験なので御利益にあやかりたい」と恭しく餅を授かっていた。

1946名無しさん:2014/12/29(月) 09:55:36 ID:kmfnyec20
「鴈治郎」襲名前に船乗り込み
12月28日 19時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4107431.html

上方歌舞伎の名跡、「中村鴈治郎」を襲名する歌舞伎俳優の中村翫雀さんが、大阪市内で、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
上方歌舞伎の俳優、中村翫雀さんは、来月始まる襲名披露興行で、父親で人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが名乗っていた名跡、「中村鴈治郎」を襲名します。
これを前に、翫雀さんは28日、大阪・中央区の高津宮で興行の成功を祈願したあと、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
かみしも姿の翫雀さんは、中央区の本町橋で船に乗り込み、東横堀川と道頓堀川を20分あまりかけて下りました。このなかでは、川岸にいたファンから、花束が贈られる一幕もありました。
そして、到着した戎橋で、集まった大勢のファンから屋号で声をかけられると、翫雀さんは笑顔で手を振って応えていました。
「四代目中村鴈治郎」の襲名披露興行は、年明けの来月2日、大阪松竹座で初日を迎えます。
..

1947名無しさん:2014/12/29(月) 10:52:15 ID:kmfnyec20
文枝さんら落語家がもちつき
12月28日 12時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4100181.html

新年を前に、大阪にある上方落語の寄席、天満天神繁昌亭で、桂文枝さんら落語家が餅をつき、訪れた人たちに振る舞いました。
この餅つきは、日頃の感謝を込めて、毎年この時期に行われています。大阪・北区の寄席、天満天神繁昌亭の正面玄関の前には、約50人の落語家が集まり、はじめに、上方落語協会の会長の桂文枝さんが、「来年もツキがあるように餅をつくので、たくさん、召し上がってください」とあいさつしました。
そして、鐘や太鼓のお囃子が響く中、落語家たちが交代できねをもち、かけ声にあわせて、次々と餅をついていきました。あわせて40キロのもち米が30分ほどかけてつきあがり、ぜんざいにして振る舞われ、訪れた人たちが、つきたての餅を味わっていました。
7歳の娘を連れてきた大阪の男性は、「あたたかくて、とてもおいしいです。ことしは仕事ばかりで忙しい1年でした。来年は、もっと景気がよくなってほしいです」と話していました。
天満天神繁昌亭は、大みそかに年越しの寄席を開くことにしています。

1948名無しさん:2015/01/01(木) 14:41:17 ID:oSwDFtG60
百舌鳥・古市古墳群、勝負の夏 大阪府内初の世界遺産へ、つかめ国内推薦
http://www.sankei.com/region/news/150101/rgn1501010003-n1.html

大阪に初の世界文化遺産を−。そんな願いが込められた堺、羽曳野、藤井寺の3市にまたがる巨大古墳群「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が、平成29年の世界文化遺産登録を目指し、国内推薦に挑む。ライバルを押しのけて国内推薦を勝ち取るには、日本の歴史を象徴する古墳への住民の理解と協力、世界遺産登録に向けた大阪を挙げた盛り上がりが不可欠。周辺環境との共存など課題も抱える中、今夏の国内推薦決定に向けて地元では着々と準備が進んでいる。

                   ◇

 世界遺産登録は年1件の国内推薦を争って、地元公共団体が「普遍的価値の証明」「万全の保護措置」などを「推薦書原案」にまとめ、文化庁に提出。文化審議会が7月ごろに国内推薦を決め、閣議決定を経てユネスコ(国連教育科学文化機関)に正式推薦される。

 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に取り組むのは、府と堺、羽曳野、藤井寺の3市。前年の選考もれを教訓に26年はあえて原案提出を見送り、27年の国内推薦、29年登録に照準を合わせ準備してきた。

 最大の課題となったのは「保護措置」。百舌鳥・古市古墳群は古墳のすぐ近くにまで住宅などが建つが、世界遺産は遺産本体の厳重な保護に加え、周辺に「緩衝地帯」が必要だからだ。

 堺市の場合、古墳近くは都市計画で建物の高さを制限しているが、その周辺に「古墳の大きさが感じられる眺望を確保するための地域」を設定。28年度から住宅地内では高さを31メートル(10階建て相当)以下とし、外壁の色や屋外広告物なども京都に準じた厳しさで規制することにした。

 緩衝地帯が設けられる堺区など4区の10小学校区では説明会を開催。市世界文化遺産推進室の宮前誠室長は「住民生活に直接影響することなので、専門家の意見を聞き、慎重かつ丁寧に理解と協力を求めてきた」と話す。

 古墳に親しんでもらいながら古墳を守る「保存管理計画」についても、宮内庁などと繰り返し協議を重ねてきた。古墳は立ち入りが原則制限されるが、世界遺産には公開の指針がある。

 このため、仁徳天皇陵に近い収塚古墳では、帆立貝形の古墳が体感できるよう墳丘に生い茂る木々の一部を剪定したり原形を再現したりして数年以内に立ち入りを可能にするという。

 近くの大阪女子大学跡地には、古墳群の説明などを行うガイダンス施設の整備計画もあり、世界遺産登録に向けた環境整備を着実に進めている。

 一方、世界遺産の国内推薦は競争が激しく、楽観できないのも事実だ。

 関係者の間では、「百舌鳥・古市古墳群」に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」「宗像・沖ノ島と関連遺産群」「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」を加えた4遺産が「ネクスト・フォー」と呼ばれ、今年の国内推薦が有力視されているという。

1949名無しさん:2015/01/03(土) 15:37:48 ID:SW3L168E0
四代目鴈治郎さん「生涯精進」 ゆかりの大阪で襲名披露
2015年1月2日 19:26
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150102/20150102047.html


 曽祖父から続く上方歌舞伎の代表的な名跡を継いだ四代目中村鴈治郎さん(55)の襲名披露公演「寿初春大歌舞伎」が2日、大阪松竹座(大阪市中央区)で始まった。

 東京ではなく、ゆかりの地・大阪から襲名披露を始める念願をかなえた鴈治郎さん。公演で、上方歌舞伎の名作「廓文章」の伊左衛門役に初挑戦し、恋人の遊女を演じた父で人間国宝の坂田藤十郎さん(83)と息の合ったやりとりを見せた。

 「成駒家!」と声が掛かる中、鴈治郎さんは口上で「先祖の名に恥じぬよう、生涯芸道に精進します」と決意を語った。

1950名無しさん:2015/01/03(土) 16:46:29 ID:SW3L168E0
1年の幸運願い 初詣にぎわう府内の社寺
2015年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150103/20150103025.html

 新年を迎えた1日、府内各地の社寺は多くの人出でにぎわった。大阪市住吉区の住吉大社では、厳しい冷え込みにもかかわらず、大勢の参拝客が1年の幸運を願っていた。

 住吉大社の境内では家族連れやカップル、外国人観光客の姿も見られ、急勾配を上り下りし、太鼓橋の愛称で親しまれる朱塗りの「反橋」は、足元を気にしながら進む人波で大混雑。社殿を前に参拝者らは勢いよくさい銭を投げ入れてはかしわ手を打ち、家内安全や商売繁盛を願った。境内は絵馬や破魔矢などの縁起物やお守りなどを求める人や、おみくじを引く人たちの行列が終日続いた。

 「欲張らないよう、家族が誰も病気をしないように」と祈願したのは、毎年参拝しているという堀井健一さん(45)=同市西成区=。また、帰省中に一家で訪れたという高橋奨さん(47)=川崎市=は「子どもが小学校に入学するので、仕事や家族の健康をお願いした」と晴れやかな表情だった。

 住吉大社では、正月の三が日で昨年より4万人多い240万人の人出を見込んでいる。2014年は住吉区が舞台となったNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」の影響もあったそうで、新春もあやかって「多くの人にお参りいただきたい」と担当者は呼び掛けていた。

1951名無しさん:2015/01/04(日) 18:49:48 ID:yEgQGPE60
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150104/20150104027.html
神経研ぎ澄ませ 大阪天満宮で「はじき初め」
2015年1月4日

 学問の神である菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮で3日、大阪府珠算教育連合会の「はじき初め大会」が開かれた。机上には127桁ある長さ1・8メートルのそろばんが用意され、参加した約千人の幼児、児童、生徒が年始めの読み上げ算に挑んだ。

子どもたちの習い事が多様化する中、大阪府珠算教育連合会は「伝統文化」としてのそろばんの普及に向けてはじき初め大会を毎年1月3日に開催。大会実行委員長の岡田良章さんは「そろばんを通して自分で考える力を養ってほしい」と呼び掛けた。

 参加者は神前で珠算学習の向上を祈願した後、3人一組になって長いそろばんに向かった。

 大東市の高校1年生、利田茜さんは「ことしは1級検定に合格したい」と抱負を語っていた。

1952名無しさん:2015/01/04(日) 19:08:13 ID:yEgQGPE60
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150104-OYO1T50012.html?from=oycont_top_txt
初春文楽公演が開幕 大阪・国立文楽劇場  
2015年01月04日

国立文楽劇場(大阪市中央区)の初春文楽公演が3日、開幕した。開演前には文楽人形による恒例の鏡開きが劇場前であり、女性ファンら約520人が祝い酒を受け取った。

 今年は、昼の部「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」に登場する「太夫」と「才蔵」の人形が「一、二の三」のかけ声に合わせて豪快に鏡開き。劇場近くの黒門市場から縁起物の「にらみ鯛」も届き、正月らしいおめでたい雰囲気に包まれた。

 4月に師匠の名前を継ぎ、吉田玉男の二代目を襲名する人形遣いの吉田玉女さん(61)は、「玉女の名では最後の公演。ご支援お願いします」と呼びかけていた。公演は26日まで。

2015年01月04日

1953名無しさん:2015/01/05(月) 21:45:44 ID:S3ogv4B60
大坂はベンガラの町…9遺跡で出土、大量生産か
2015年01月05日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150105-OYO1T50024.html?from=oycont_top_txt

木造建物の塗料に使われた赤色顔料のベンガラが江戸時代後期、大坂城西側の城下町縁辺部で大量生産されていたことが、大阪文化財研究所の調査で明らかになった。大阪市内の9遺跡で、人工精製に使われた素焼きの土鍋・ほうろくの破片が出土したことで判明した。大都市・大坂の地場産業として安価な人工顔料が量産されたため、木造民家の塗装剤などとして普及したことがうかがえる。

 2004年以降、大阪市中央区の高津御蔵遺跡(19世紀)や瓦屋町遺跡(18世紀後半〜19世紀前半)で、ベンガラがべっとりと付着したほうろく(復元した直径約30センチ、深さ約10センチ)の破片数百点が出土した。14年9月にも、18世紀末から19世紀のゴミ捨て穴から、大量の破片が見つかった。

 ほうろくに鉄くずと水を入れて熱し、水を蒸発させてベンガラを製造したとみられる。

 江戸後期の本草学者、小野蘭山が著した「本草綱目啓蒙(けいもう)」には当時、大坂では鉄くずを原料にベンガラを製造していたことが記され、人名録・商業案内の「難波丸(なにわまる)綱目」には、ベンガラ生産に従事したとみられる「弁柄師」として「高津 寺田孫六」ら4人の名前が書かれている。だが、ほうろくの使用など、具体的な生産の実態はわかっていなかった。

 田中裕子学芸員は「ベンガラ生産の変遷は、近世産業史の主要なテーマの一つだが、京や江戸の実態はわかっていない。廃材を利用して安く量産できるよう工夫しており、大阪の町工場のルーツとも言える」と話している。

ベンガラ 酸化第二鉄が主成分で、赤鉄鉱として鉱物の状態で存在する。フランス・ラスコー洞窟壁画(約1万7000年前)にも使われており、人類が利用した最も古い顔料の一つ。防虫・防腐効果があり、日光に強く退色しにくい。日本では江戸時代、人工的に製造されるようになった。


2015年01月05日

1954名無しさん:2015/01/08(木) 18:17:30 ID:ahK6QgX20
ミナミで「戎舞台」13年ぶり復活 地元の念願実現、漫才や舞踊などにぎやかに奉納
http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n1.html

今宮戎神社(大阪市浪速区)で9〜11日に開かれる「十日戎」に合わせ、道頓堀川にかかる戎橋(同市中央区)のたもとで伝統芸能や演奏の奉納披露を行う「戎舞台」が今年、13年ぶりに復活することになった。橋の架け替え工事などのため平成14年を最後に途絶えていたが、地元商店主らの強い要望もあって再開が決定。にぎやかな音色や笑いがミナミの街を包む十日戎が久しぶりに戻ってくる。

 心斎橋や船場地域と今宮戎の間に位置する戎橋は、商売繁盛を願うミナミの商売人たちが参拝するために架けられたことから命名されたと言われる。

 昭和53年からは、行き帰りの参拝客らに楽しんでもらおうと橋の南詰めに舞台を設置。境内で古くから行われている和太鼓の奉納演奏などを披露してきた。

 しかし、橋の老朽化に伴って平成16〜19年に行われた架け替え工事のため、14年1月を最後に舞台の設置は中断。その後も道頓堀川沿いの遊歩道整備などの工事が続いたため、本えびすの10日に行われる「宝恵駕(ほえかご)行列」の際、あいさつをするための一時的な仮設舞台が設置されるだけになっていた。

http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n2.html

中止から10年以上が経過する中、橋や護岸の工事が完了した戎橋に「再び以前のようなにぎわいを作りたい」と、舞台の復活を望む声が地元の商店主らから上がり、周辺の商店会などでつくる宝恵駕振興会が舞台設置の許可を大阪市や府警などに打診。今年はミナミの街が大きく発展するきっかけとなった道頓堀川の開削から400年を迎え、さまざまな記念イベントが行われる「大阪ミナミ400年祭」が催されることもあり、13年ぶりの再開が実現した。

 奥行き3・5メートル、間口8メートルの設計はそのまま受け継ぐが、舞台の内容は一新。以前は和太鼓の奉納演奏が主体だったが、今回はさまざまな分野で大阪に縁の深い演奏家や芸人らに奉納披露を呼びかけ、日本舞踊や漫才、歌、ダンスなど多彩な催しを予定している。

 舞台復活に取り組んできた道頓堀商店会の今井徹会長は「久しぶりの戎舞台。昔を知っている人も知らない人も、みんなが楽しんでもらえる舞台にしたい」。今宮戎神社の担当者も「十日戎は神社だけでなく、ミナミの街と一体となって作り上げてきたお祭り。舞台の復活が、街全体の盛り上がりにつながればうれしい」と話している。

1955名無しさん:2015/01/08(木) 18:41:04 ID:ahK6QgX20
家電「温故知新」 くらしの今昔館で昭和レトロ家電展
2015年1月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150105/20150105016.html

 大阪市北区の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」で、昭和30年代の家電やそのカタログ、チラシに焦点を当てた「昭和レトロ家電展」が始まった。出展者は収集活動を続ける枚方市の会社員、増田健一さん(51)。「当時の勢いや元気さを感じてほしい」と展示品の魅力を紹介している。

「屋根の下の軽井沢」は東芝による扇風機のキャッチコピーだ。ナショナルが1958(昭和33)年に発売した掃除機の性能は「風速20メートルの吸引力」と表現され、当時ヒットした石原裕次郎さん主演の映画『風速40米』を連想させている。

 「当時の(カタログ)チラシは広告代理店やコピーライターではなく家電メーカーが作っていた」と増田さんは解説し、メーカーの姿勢として「製品開発に苦労した思いがストレートに伝わってくる」と話している。

 同展は2011年12月に続いての開催。増田さんによると、収集品を見た年配者は懐かしみ、若年層からは「アイデアが新鮮」「デザインがかわいい」との評価が。家電メーカーの関係者からは「自由に製品開発してうらやましい」と当時の環境を想像する声が寄せられている。

 増田さんは同市旭区出身。中学生時代にラジオ番組「懐メロ歌謡曲」を聴いて昭和30年代や昭和歌謡に興味を覚え、心斎橋の古道具イベントで購入したデミタスカップを皮切りに当時の家電製品や生活雑貨品約2千点を収集。現在、市立住まいのミュージアムの研究員を務めている。

 【メモ】昭和レトロ家電展に関連した講演会が1月25日に予定され、増田健一さんが講師を務める。会場は大阪市立住まいのミュージアムがある住まい情報センターの3階ホール。午前10時半から。定員200人で、大阪くらしの今昔館ホームページなどで申し込む。同展は1月3日に始まり、2月11日まで開催中。休館日は1月6、13、19、20、27日と2月3、10日。

1956名無しさん:2015/01/08(木) 18:59:09 ID:ahK6QgX20
大坂の肉筆、浮世絵に光 月岡雪鼎と一門展
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108028.html

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)は7日、特集展示「月岡雪鼎(つきおかせってい)とその一門・大坂の肉筆浮世絵」を始めた。江戸時代中期の大坂を舞台に、流派にとらわれることなく活躍した絵師の月岡雪鼎をはじめ、その門人たちの作風に光を当てている。2月16日(火曜日休館)。

雪鼎は近江(現・滋賀県)の出身。狩野派や浮世絵の絵師から絵画を学び、大坂を舞台に瓜実顔(うりざねがお)に切れ長の目が印象的な美人像を描いた。浮世絵のように時流に配慮した髪形と着物の模様を細密に描き込んだ美人画を残す一方、題材によって力強い太線が特徴の狩野派の手法も取り入れ、さまざまな表現法を追求した。

 特集展示では雪鼎の約10点をはじめ門人らの作品を含む計約20点を紹介。朝鮮から派遣された朝鮮通信使をイメージした子どもたちが遊ぶ姿を描いた「唐子遊図」などの雪鼎本人の作品や、門人で雪鼎のように細やかな文様まで書き込んだ岡田玉山(おかだぎょくざん)の「源経基像」などを並べている。

 同博物館の岩佐伸一学芸員は「雪鼎と門人たちが大坂の絵師に大変な影響を与えたこと、江戸のイメージが強い浮世絵が大坂でも愛されていたことも知ってもらいたい」と話している。

1957名無しさん:2015/01/08(木) 19:12:09 ID:ahK6QgX20
神馬に願い 住吉大社で「白馬神事」
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108027.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、宮中行事に由来する新春恒例の「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。年頭に白馬を見ると年中邪気を払うという信仰にちなんで多くの人々が参拝。同社の神馬(しんめ)「白雪」号がさっそうと駆け抜ける姿を拝観した。

神事は平安時代に宮中で白馬を庭へ引き出して宴を催した「白馬節会(あおうまのせちえ)」に由来。この日、神職らに導かれた神馬は第一本宮を拝礼後、第四までの各本宮を巡拝。早駆けも行われ、見守る参拝者からは「縁起がいい」と歓声が上がった。孫の受験合格祈願で、写真仲間と参拝した女性(73)=泉佐野市=は「神馬さんのいい姿が撮れました」とご満悦だった。授与所では、朱印や子どもの無事成長を願う「竹駒守(たけこままもり)」を求める人の列ができるなどにぎわった。

1958名無しさん:2015/01/09(金) 21:01:47 ID:hoyDD7.s0
「今宮戎神社」で十日戎
01月09日 12時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150109/4243091.html

1年の商売繁盛を願う「十日戎」が始まり、大阪の「今宮戎神社」では、大勢の人たちが参拝に訪れています。
大阪・浪速区の今宮戎神社は江戸時代、大阪が経済発展したころから商売の神様として信仰を集め、新年の伝統行事「十日戎」には毎年、多くの人たちが訪れます。
9日は「十日戎」の初日、「宵えびす」で、境内には朝から次々と参拝者が訪れさい銭を投げ入れて商売繁盛を祈っていました。
また、金色のえぼしをかぶった福娘たちが、笑顔を振りまきながら参拝者が手にするささに縁起物の小づちやお札などをくくりつけていました。
大阪・平野区で串カツ店を営む70代の男性は、「今年もたくさんお客さんが来てくれるよう祈ってきました。小さな店も繁盛する1年になってほしいです」と話していました。
今宮戎神社の「十日戎」は、3日間行われ、神社では約100万人の人出を見込んでいます。

1959名無しさん:2015/01/09(金) 22:08:34 ID:hoyDD7.s0
【新春・インタビュー】
「愛される大阪の顔に」四代目中村鴈治郎の襲名披露公演
http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n1.html

中村翫雀改め四代目中村鴈治郎の襲名披露公演が、大阪・道頓堀の松竹座で開幕した。

 戦前、上方歌舞伎の大スターとして関西劇壇に君臨した初代から直系で四代目。新たに誕生した“大阪の顔”のお披露目に期待は高まるばかりだ。

 「関西のみなさまに愛される鴈治郎になりたい」。新・鴈治郎の決意は熱い。

 「鴈治郎になったからには、初代の当たり役を集めた家の芸『玩辞楼十二曲』をまずは勤めていきたい。いままでやったことがある演目も、もう一度洗い直して舞台にかけたい」

 2カ月連続で行われる襲名披露公演。

 1月は、「玩辞楼十二曲」から、上方和事の神髄ともいえる「吉田屋」の伊左衛門、「封印切」の忠兵衛を勤める。特に伊左衛門は初役となる。

 大坂・新町の傾城夕霧に入れあげたあげく勘当された大店の若旦那、伊左衛門。みすぼらしい紙衣の衣装を着て夕霧のいる吉田屋にやってくる−。

 落ちぶれてもなお品と色気のある伊左衛門の風情と、夕霧とのじゃらじゃらと色っぽい恋模様が展開される。

 「本当に何をするというわけでもない。だからこそ、えも言えぬ雰囲気が必要。花道の出や前半の一人芝居の場面など、芝居であって所作事(舞踊)のようでもある。和事の極致といわれるのもわかりますね」

 夕霧を父、坂田藤十郎が演じる親子共演も話題だ。

http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n2.html

 「封印切」の忠兵衛もまた上方らしい演目。こちらは、切れば死罪という公金の封印を切って、恋仲の遊女・梅川(中村扇雀)を身請けする忠兵衛の悲劇。悪友の八右衛門(片岡仁左衛門)とのアドリブにも見える大阪弁での丁々発止のやりとりや、タイトルになっている“封印切”の演技など見どころがいっぱい。

 2月は、「傾城反魂香」の絵師、又平と、舞踊「連獅子」の親獅子の精を勤める。

 「傾城反魂香」は、市川猿之助と夫婦役で共演。「連獅子」は、長男の中村壱太郎の仔獅子との共演と、こちらも話題の多い襲名公演になりそうだ。

 両月とも襲名披露の「口上」がつき、幹部俳優がズラリと並んでお祝いの言葉を述べる。

 「まずは、この2カ月間の襲名公演を通して、みなさまに鴈治郎として認めてもらえるよう。そして上方文化の隆盛に少しでも役立てるよう頑張りたい」

 大阪の冬を熱く盛り上げる公演になりそうだ。

1960名無しさん:2015/01/10(土) 06:06:52 ID:rpQvugc.0
華やかに景気づけ 9日から天満天神えびす祭
2015年1月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150109/20150109026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で9日、天満天神えびす祭が始まる。8日には招福娘ら約100人が区内の北新地から同宮の間を往復する堂島北新地えびす詣招福行列があり「商売繁盛でササ持ってこい」と触れて回った。

大阪天満宮青年親睦会(土井由憲会長)が主催。かつて北新地の風物詩だった「宝恵籠(ほえかご)行列」にちなみ、同会が2009年に約70年ぶりに復興させた。

 一行は、高張ちょうちんと猿田彦を先頭に北新地を出発。軽快なえびすばやしが響く中、上方落語協会の桂春之輔副会長、北新地社交料飲協会(東司丘興一理事長)の北新地クイーンらを乗せた人力車も加わり、前景気を盛り上げた。

 天満天神えびす祭は11日まで。

1961名無しさん:2015/01/11(日) 13:33:13 ID:KuR2OXzc0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150110/20150110044.html
新年彩る宝恵かご行列 今宮戎神社、本えびす
2015年1月10日 11:32

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」は10日、毎年最高潮の盛り上がりとなる「本えびす」を迎えた。「ほーえかご、ほーえかご」と掛け声が響く中、宝恵かご約20台と地元の商店主ら約500人が、大阪・ミナミの商店街を練り歩き、新年を彩った。

かごには着物姿の福娘や、NHKの連続テレビ小説「マッサン」のヒロインで女優のシャーロット・ケイト・フォックスさんの姿も。手を振ったり、カメラを向けたりする見物客でにぎわった。

 宝恵かご行列は江戸時代のミナミの芸者がかごを出して派手に参拝したのが始まりとされる。

1962名無しさん:2015/01/11(日) 15:30:54 ID:KuR2OXzc0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150111/4449191.html
浮世絵師 月岡雪鼎の作品展
01月11日 12時25分


江戸時代中期に大坂で活躍した美人画で知られる浮世絵師、月岡雪鼎の作品展が大阪歴史博物館で開かれています。
月岡雪鼎は、江戸時代中期に現在の滋賀県日野町で生まれ、大坂で活躍した浮世絵師で、色白で、鼻筋の通った「うりざね顔」の美人像を作り上げ、その作品は今も国内外で高く評価されています。
大阪・中央区の大阪歴史博物館では、雪鼎やその弟子らが描いた作品、約20点が展示されています。
「貴美人図」という作品は、伊勢物語の一場面を題材にしたもので、こまやかな着物の文様やうりざね顔の貴人の姿は、雪鼎の典型的な作風とされています。
縦1メートル70センチ、横3メートルほどの1双のびょうぶ、「唐子遊図」という作品には、つばの広い帽子をかぶり、ラッパを吹いて遊ぶ異国情緒ただよう子どもの姿などがいきいきと描かれています。訪れた人たちは、当時の大坂の画壇に大きな影響を与えた雪鼎とその一門の作品のひとつひとつに見入っていました。
この特別展は、来月16日まで開かれています。

1963名無しさん:2015/01/11(日) 21:31:10 ID:krEnjQgY0
卸売市場から今宮戎神社へ献鯛行列、にぎやかに練り歩く 大阪
http://www.sankei.com/region/news/150110/rgn1501100039-n1.html

「十日戎」が始まった9日、今宮戎神社(大阪市浪速区)にタイを奉納する「献鯛式」が近くの民営市場「大阪木津卸売市場」で行われ、タイや大阪伝統野菜、えびす米などをのせた献鯛行列がにぎやかに街を練り歩いた。

 献鯛式は、市場が開場した江戸時代から続く伝統行事。宵戎に雑喉場(ざこば)魚市場が戎様にゆかりの深いタイを奉献して商売繁盛を祈願したのが始まりとされる。戦争の影響で一時途絶えたが市場の雰囲気を盛り上げようと昭和58年に復活した。

 この日は、福娘の2人が5匹並んだタイの中から重さ11・5キロと7・6キロのタイを選び、飾り鯛のみこしや市場関係者ら約180人の列が出発。「タイじゃ、タイじゃ、えべっさんのタイじゃ」の木津鯛歌とともに神社まで約800メートルを歩き、沿道から「立派なタイ」などと歓声が上がっていた。

1964名無しさん:2015/01/11(日) 21:46:49 ID:krEnjQgY0
浜村淳さんら福餅配り 服部天神宮
2015年1月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150111/20150111023.html

 “菅原道真公の足の痛みを治した”とのいい伝えから「足の神様」として知られる豊中市の服部天神宮(加藤芳哉宮司)で豊中えびす祭本戎が行われた。

 “十日戎イコール誕生日のダブル淳”のパーソナリティー・浜村淳さんとフリーアナウンサー・梅田淳さんコンビをはじめ、日本サッカー協会の釜本邦茂顧問やお笑いタレントの青芝フックさんら約20人が『福男』となり、約30分かけて用意された紅白の福餅を手渡しで配った。十日戎の餅まきは関西各地にあるが、子ども連れや女性、年配者らに配慮してゆっくり安全に手渡しするが同宮の特徴。

 冬空ながら風もやんだこの日は、宝恵(ほえ)かごに乗り込んだ宝塚歌劇団の帆純(ほずみ)まひろさんと凛乃(りんの)しづかさんを先頭に、浅利敬一郎豊中市長や地元選出の議員らが参道を掛け声とともに練り歩いて宮入り。午前中から約500人が行列を作って待ち受け、餅を受け取る際も握手や写真撮影などを一緒に行っていた。

 浜村さんは「私はもう20年を超えました。若いタカラジェンヌと毎年ご一緒しますが、音月桂(おとづきけい)さん(元雪組トップ)ら多くのお嬢さんがスターになっており、“えべっさんの福運”はすごいですね」と、終始笑顔で参拝客と触れ合っていた。

1965名無しさん:2015/01/14(水) 04:22:51 ID:LUOqoils0
紙幣や小切手 丁寧に仕分け 今宮戎でさい銭勘定
2015年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150113/20150113025.html

 約100万人の人出でにぎわった新春恒例の「十日戎(えびす)」(9〜11日)から一夜明けた12日、大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で3日間に集まったさい銭の勘定が始まった。例年、総額は約4600万円に上り、集計作業は2週間ほどかけて行われる。

早朝の拝殿内では神事が執り行われ、お払いを受けた池田泉州銀行(同市北区)の行員らが机の上に積まれた大量の紙幣、硬貨などを丁寧に仕分けた。

 さい銭の中には、現行紙幣のほか、券面にハトが描かれた旧紙幣の10銭札や、米ドル、人民元、ウォンなどの外国紙幣も。また「2951(福来い)」や「11104(いい年)」といった語呂合わせの額面が印字された小切手も多く見られた。

 同神社によると、3日間の参拝者数は昨年より約10万人多く、100万人に達するのは4年ぶり。さい銭に高額紙幣は比較的少なかったものの、広報担当は「縁起物(の購入)で手応えを求められていたのでは」と話している。

1966名無しさん:2015/01/14(水) 04:25:10 ID:LUOqoils0
満額ゲットや! 文楽入場者10万5千人超え 補助金全部出します
http://www.sankei.com/west/news/150113/wst1501130064-n1.html

国立文楽劇場(大阪市中央区)は13日、平成26年度の同劇場の文楽公演の入場者数が、大阪市から文楽協会への運営補助金の満額支給の条件である10万5千人を超えたと発表した。同協会には市から2900万円が支給される予定。

 同劇場によると、初春文楽公演の入場者数が13日の第1部終了時点で、1万1500人(速報値)となり、今年度の有料入場者数が10万5233人(同)に達した。人間国宝、竹本住大夫さん(90)の引退公演や、積極的なPR活動などで注目が集まったことが要因とみられる。

 大阪市からの補助金については、昨年度と今年度は観客動員数に応じて補助金額が決定するシステムをとっている。昨年度は約3800人及ばず、補助金は約700万円減額された。市は来年度からは、現行の補助制度を打ち切り、代替策として文楽振興を図る新事業などを検討している。

1967名無しさん:2015/01/14(水) 04:40:19 ID:LUOqoils0
大阪城を自衛隊が清掃
01月13日 12時35分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150113/4373731.html

江戸時代に豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年の記念イベントが開かれている大阪城で陸上自衛隊の隊員たちが清掃活動を行っています。
清掃を行っているのは兵庫県伊丹市に駐屯する陸上自衛隊第36普通科連隊の隊員ら600人あまりです。
大阪城では豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年の記念イベントが開かれていて気持ちよく会場を訪れてもらおうと清掃を行うことになりました。
まず近藤力也連隊長が隊員らを前に「400年前の『大坂の陣』で真田幸村が大阪を守るために命を懸けて戦ったことを思いながら清掃に励み、大阪と兵庫、そして日本を守る任務をしっかりと認識して欲しい」と訓示しました。
このあとレンジャー部隊の24人が体にロープをつけて天守閣の近くにある石垣を下り、石の間から生えている木の枝をのこぎりで切り落としていきました。
また城の跡地では落ち葉などを拾い集めました。
大阪城などが会場となる、「大坂の陣」から400年の1連の記念イベントはことし9月まで行われる予定です。
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1968名無しさん:2015/01/14(水) 18:55:41 ID:Mii5n1..0
四天王寺で奇祭「どやどや」−寒中にふんどし姿でお札を奪い合う
あべの経済新聞 2015年01月14日
http://abeno.keizai.biz/headline/1603/

 四天王寺(大阪市天王寺区)で1月14日、ふんどし姿でお札(護符)を奪い合う奇祭「どやどや」が開かれた。

 元日から始まる仏事「修正会」の結願(最終)日に行われる恒例行事で、827年から続いているという同祭。天下太平・五穀豊穣(ほうじょう)を祈願し、法要中に祈とうされた午王宝印という魔よけの護符をふんどし姿の男たちが奪い合う。

 当日は、四天王寺羽曳丘中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校の男子学生など約1000人が参加。気温が8度ほどの中、紅白に分かれたふんどし姿で掛け声と共に入場し、六時堂の天井から降る護符を取った数で勝敗を競った。学生らには冷水が浴びせられ、体から湯気が出る様子も見られた。

1969名無しさん:2015/01/15(木) 00:17:15 ID:M0rPacaE0
迫力満点! ふんどし姿で1千人が「どやどや」…大阪・四天王寺で魔よけの札奪い合う 
http://www.sankei.com/west/news/150114/wst1501140066-n1.html

紅白の鉢巻きにしめこみ姿の中高生らが魔よけの札を奪い合う伝統行事「どやどや」が14日、大阪市天王寺区の四天王寺で行われた。

 元日から続く五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る法要「修正会(しゅしょうえ)」の締めくくりで、札をもらおうと民衆が境内に「どやどや」と集まったことが由来とされる。

 参加した約1千人の地元の中高生たちは紅組と白組に分かれ、「わっしょい、わっしょい」と声を張り上げて湯気の立ち上る裸の体を激しくぶつけ合い、次々と舞い落ちる札を取ろうと手を伸ばしていた。

1970名無しさん:2015/01/15(木) 00:21:08 ID:M0rPacaE0
【浪速風】
文楽の目標達成は住大夫さんの置き土産(1月14日)
http://www.sankei.com/west/news/150114/wst1501140028-n1.html

1000万人と10万人。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)と国立文楽劇場の平成26年度の入場者数がそれぞれ大台を突破した。2桁違うが、後者の方が重い。大阪市が運営補助金のボーダーラインとしていた10万5000人を達成したからだ。これで2900万円が満額支給される。

 ▼当代随一の浄瑠璃語りと呼ばれた人間国宝の竹本住大夫さんの昨年4月の引退公演が約3万人の大入りになった。秋には文化勲章を受章した。マスコミに取り上げられることも多く、軽妙洒脱(しゃだつ)に芸一筋の人生を語って文楽への関心を高めた。今風に言えば優良コンテンツだった。

 ▼来年度から補助金が廃止される。住大夫さんが引き寄せた初めての観客をどうリピーターにするかが課題だ。谷崎潤一郎は文楽を「真の郷土芸術」と書いた。「(大阪人は文楽に)自分たちの環境や生活感情に近いもののあるのを覚え、いいしれぬなつかしさを感じるのであろう」。ならば期待できる。

1971名無しさん:2015/01/25(日) 09:49:00 ID:4120W8ow0
運引き寄せろ「ヨーイヨイ」 難波八阪神社「綱引神事」
2015年1月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150119/20150119018.html

 大阪市指定無形民俗文化財「綱引(つなひき)神事」が18日、同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で盛大に執り行われた。氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱で豪快に綱引きを繰り広げ、新年の開運を祈願した。

同神社の祭神で、オロチ退治の故事で知られるスサノオノミコトの遺徳を仰ぎ、年頭に地域繁栄を祈願する伝統行事。

 同神事保存会(竹立威三雄会長)の氏子衆が早朝から参集し、108本の細縄を幾重にもより合わせてオロチの大綱(全長約22メートル、太さ約30センチ)を制作。完成後に約80人の奉仕者が二手に分かれて綱引きを繰り広げ、「難波の綱引きヨーイヨイ」の掛け声を響かせてにぎやかに氏地を練り歩いた。

 会長の竹立さん(84)は若い奉仕者に大綱作りの要領を熱心に伝授。「後世に伝承することがわれわれの重要な務め。奉仕者が一致団結し、毎年大綱の出来栄えが立派になっていることをうれしく思う」と話していた。

 同神事は2001年度に大阪市指定として第1号の無形民俗文化財となった。

1972名無しさん:2015/01/25(日) 13:33:29 ID:TDn4gTi60
“うそ鳥”に招福託す 大阪天満宮で「うそ替神事」
2015年1月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150125/20150125026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で24日、祭神・菅原道真公の今年最初の縁日「初天神」宵宮祭が盛大に執り行われた。快晴の下、参拝者約1200人が伝統行事「うそ替(かえ)神事」に参加するなど境内は終日にぎわった。

同神事は、平素のうそを道真公の愛鳥「うそ鳥」に託し、罪をほろぼして招福を祈願する初天神恒例の行事。「正直の神」としての天神信仰から生まれたとされる。

 本社前では参拝者同士が、事前に配られたうそ鳥のお守り入り封筒を交換。神職やみこも加わり、「うそを誠に替えましょう」「替えましょう」と声を掛け合いながら、約20分にわたり延々と交換し続けた。

 封筒の中には金、銀、木製などのお守りが当たる印があり、このうち1個しかない「金うそ」を授与されたのは奈良県の中学3年、永井智大君(15)。高校受験の合格祈願で初めて訪れ「御利益がありそう。とても自信が付いた」と笑顔で話していた。

 25日は初天神梅花祭。うそ替神事は午後1時から。福餅(福玉)まきは午前11時、午後4時の2回行われる。参加無料。

1973名無しさん:2015/01/26(月) 21:10:39 ID:IADD6q460
大阪天満宮で初天神梅花祭 飛び交う“福”つかむ
2015年1月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150126/20150126024.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、今年初めての縁日「初天神梅花祭」が執り行われ、境内で著名人やプロ野球選手、氏子総代らによる恒例の「福玉まき」でにぎわった。

祭神である菅原道真の縁日(25日)にちなんだ神事。午前はプロ野球、阪神タイガースOBで野球評論家の赤星憲広さんら50人が社殿から餅に見立てた白球をまき、境内をぎっしりと埋めた参拝者からは「当たった!」「赤星さーん!」などと歓声が上がった。つかんだボールは福餅や景品と交換できるとあって、“福”をつかもうと懸命に手を伸ばしていた。

 台湾から観光に訪れたという黄※玲さん(29)は福玉を見事にキャッチ。「インターネットで調べて来た。今年一年幸せになりそう」と喜んでいた。

 午後からは阪神の岩崎優選手らによる福玉まきや「うそ替(かえ)神事」、本殿通り抜け参拝などが順次行われ、受験生ら多くの参拝者であふれた。

 ※は王ヘンに宛

1974名無しさん:2015/01/28(水) 00:15:15 ID:Rd7Ymqbs0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150127/4861721.html
江戸時代の天文学展
01月27日 07時06分

江戸時代に急速に発展したとされる天文学にまつわる当時の資料を集めた展示会が、大阪で開かれています。
江戸時代は外国の進んだ天文学の知識が浸透し、日本の天文学も急速に発展したとされ、大阪・北区の大阪市立科学館には、当時の資料38点が集められています。
このうち、天体の姿を絵と文章で解説した1749年の「三際図説」という書物は、望遠鏡を使った天体スケッチとしては国内で最古とされています。
土星や金星が描かれていますが、望遠鏡の性能が悪かったため、土星の周りには輪ではなく羽根のような形が描かれ、添えられた文章は「星に耳がついているようだ」と表現しています。
また、日本に持ち込まれたフランスの書物と、大阪出身の天文学者、高橋至時が手がけた翻訳本も紹介されています。
大阪市立科学館の嘉数次人主任学芸員は、「江戸時代の人たちが星をどう見ていたのか、多くの人に感じ取ってもらいたい」と話していました。
この展示会は3月1日まで開かれています。
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1975名無しさん:2015/02/01(日) 09:46:20 ID:Ds2Ry.e60
江戸時代の測量道具を展示
01月31日 12時24分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150131/3528681.html

測量技術が発展したとされる江戸時代の測量の道具を紹介する特別展が、大阪市の大阪歴史博物館で開かれています。
特別展は、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれ、江戸時代の測量の道具約10点が展示されています。このうち、L字の形をした曲尺とコンパスは、角度や長さなどを測るもので、城下町の水路や建屋の設計などに使われたとされています。
江戸時代後期の天秤は、入れ物に、「極印」という、幕府が認めたことを意味する印が押されていて、幕府が、はかりの基準を全国で統一するため、検定を行っていたことを示しています。
大阪歴史博物館の木土博成学芸員は、「はかるための様々な道具から当時の人たちの生活と測量のつながりを感じ取ってもらいたい」と話していました。
この特別展は、3月23日まで開かれています。

1976名無しさん:2015/02/01(日) 09:58:52 ID:Ds2Ry.e60
5世紀巨大古墳に蓋形木製品 堺、埋葬や祭祀用か
2015年1月30日 20:38
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150130/20150130110.html

 反正天皇の墓との説がある堺市北区の陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、全長約300メートル)の周濠から、蓋(きぬがさ)形木製品の飾り部分が見つかり、堺市文化財課が30日、発表した。

蓋は身分の高い人物にかざす傘。蓋形木製品の傘部分は応神天皇の墓とされる誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)などで見つかっているが、飾り部分が見つかるのは珍しい。埋葬や祭祀で使ったとみられ、文化財課は「巨大古墳が造られた当初の様子を探る重要な史料」と話している。

 飾り部分は長さ79センチ、幅14センチ、厚さ1センチで切り込みや透かしもあった。

1977名無しさん:2015/02/01(日) 10:25:07 ID:Ds2Ry.e60
文楽の入場者数が過去3番目
02月01日 07時45分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150201/5086901.html

大阪の「国立文楽劇場」で今年度、上演された人形浄瑠璃「文楽」の入場者数が、30年前の開場以来、3番目に多くなり、1回の公演あたりではこれまでで最も多くなったことが分かりました。
大阪・中央区の「国立文楽劇場」によりますと、今年度行われた文楽の公演の有料入場者数はあわせておよそ11万7000人で、30年前の昭和59年に開場して以来、3番目に多く、1回の公演あたりではおよそ550人と最も多くなりました。
国立文楽劇場は、去年4月に、人間国宝の語り手、竹本住大夫さんの引退公演が行われたほか、夏休みの時期には子ども連れの人たちが楽しめるよう、分かりやすい演目を取り入れた公演を行ったことなどが影響したとみています。
文楽をめぐっては、大阪市が昨年度から、補助金の一部を入場者数に応じて支給することにしましたが、今年度は好調だったため、満額が支給されることになっています。国立文楽劇場は、今後も工夫を凝らした公演を行い、多くの人に楽しんでもらいたいとしています。
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1978名無しさん:2015/02/01(日) 13:33:51 ID:30MrQk1A0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150201/5093721.html
飛鳥時代の荷札か 木簡発見
02月01日 12時51分

大阪の中心部にある「難波宮跡」の近くで、飛鳥時代に荷札として使われたとみられる木の札、木簡が見つかりました。
当時の税の仕組みを物語る資料として注目されています。
大阪文化財研究所が去年6月、「難波宮跡」から南に70メートルほどの場所で発掘調査を行ったところ、▼長さ15センチ余り▼幅3センチ余りの木の札、木簡が見つかりました。
表には墨で「玉作五十戸俵」と漢字で書かれています。
専門家が分析したところ、「五十戸」という部分は、7世紀中頃の飛鳥時代の行政単位を示していて、また、「玉作」という地名は、今の四国や東北地方にあったということです。
このため、この木簡は、地方から都にコメを税として送った際の荷札の可能性が高いということです。
同じような書き方をした木簡は、奈良県の飛鳥地方や藤原宮跡を中心に60点ほど見つかっていますが、難波宮跡の近くで見つかったのは初めてです。
古代史に詳しい大阪歴史博物館の栄原永遠男館長は「難波宮に都が置かれていた時期も、税の制度が機能していたことを物語る貴重な資料だ」と話しています。
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1979名無しさん:2015/02/01(日) 14:05:29 ID:30MrQk1A0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150127/20150127025.html
貴重な文化財後世に 四天王寺で消防総合訓練
2015年1月27日

 「文化財防火デー」の26日、大阪市消防局(打明茂樹局長)は、同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で消防総合訓練を行った。消防職員をはじめ同寺僧侶、職員など約70人が参加。「貴重な文化財を後世に」の思いを新たに、防火意識と消防技術の向上に努めた。

文化財防火デーは1949年1月26日、奈良・法隆寺の金堂壁画焼損を契機とし、55年に国が定めた。

 訓練は境内中心伽藍(がらん)・五重塔の火災を想定。同寺の自衛消防隊が迅速に参詣者の避難誘導や文化財に見立てた収蔵品搬出などを行った。また同局の消防部隊が模擬負傷者を救助、搬送したほか、はしご車などで一斉放水した。

 同寺は建物など大小100点を超える文化財を保有。あいさつした瀧藤尊淳執事長は「文化財は先人が苦労して残した人類の宝であり、後世に引き継ぐことが今を生きるわれわれの使命。寺院と防災機関、地域の方々が協力し、防火防災に取り組んでいきたい」と決意を述べた。

1980名無しさん:2015/02/01(日) 14:07:49 ID:30MrQk1A0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150129/20150129026.html
歴史的資料 守れ! 服部天神宮で消防訓練
2015年1月29日

 文化財防火デー(26日)にちなみ、足の神様として知られる大阪府豊中市服部元町1丁目の服部天神宮で豊中南消防署による消防訓練があった。職員らが市指定文化財である「算額」の持ち出しや初期消火などに取り組んだ。

境内の駐輪場から出火したとの想定で訓練がスタート。煙を目撃した職員が「火事だ」と別の職員に伝え、算額に見立てた箱の持ち出しや消火器による初期消火をした。その後同タンク車1台とポンプ車1台が到着し、消火活動に当たった。

 参加した同神社職員の福岡宣幸さん(44)は「算額以外にも多くの歴史的資料を所蔵しているので、訓練を重ねて火災に備えたい」と話した。

 算額は、江戸後期と明治初期に奉納された代数や微積分の問題と解法を記したもので、近世の庶民文化を伝える文化財。

 市内では、26日までに社寺13カ所で消防訓練を実施した。

1981名無しさん:2015/02/08(日) 04:39:22 ID:0BThCWB20
大阪キタで若手が文楽公演 民放5局が初めて共催
2015年2月6日 20:43
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150206/20150206131.html

 人形浄瑠璃文楽の魅力を広くPRする文楽公演「うめだ文楽」が6日、JR大阪駅北側のグランフロント大阪内の劇場「ナレッジシアター」で始まった。

 在阪の民放テレビ局5局が初めて手を組んで主催する若手中心の公演。繁華街・キタでの上演とあって客席には若者の姿も目立ち、大阪が育んだ伝統芸能に熱心に見入った。

 演目は、目の不自由な夫と献身的に支える妻が互いを思い合う姿を描く世話物「壺坂観音霊験記」の沢市内より山の段。人形遣いの吉田幸助さん(48)、太夫の豊竹希大夫さん(36)ら、20〜40代の技芸員が出演するのが特徴だ。

1982名無しさん:2015/02/08(日) 20:04:48 ID:nAIkI8dE0
大阪キタでなく大阪梅田と書けよ。

1983名無しさん:2015/02/08(日) 20:06:47 ID:nAIkI8dE0
うめだではなく梅田。ひらがな嫌い。

1984名無しさん:2015/02/09(月) 00:02:41 ID:4pA.d1f.0
春を呼び、福授かる 堂島薬師堂節分お水汲み
2015年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150204/20150204028.html

 節分の日の3日、大阪市北区の堂島薬師堂周辺で、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲み祭り」があり、鬼追いや龍の巡行が盛大に繰り広げられた。参拝客は1年の厄を払い、福を授かった。

 「お水汲み」では、参拝者一人一人の竹筒護符に、奈良薬師寺の僧侶が祈祷(きとう)したお香水をくみ清めた。僧侶や鬼、福男らでつくる鬼追い隊は、堂島北新地の飲食店や企業を回り、従業員や客が鬼に福豆を投げて厄を払った。

 堂島薬師堂内に祭られている弁財天の化身とされる龍の巡行では、鬼追い隊、お化けに仮装した北新地の女性が参加。夜の通りを舞いながら清めると興奮は最高潮に達し、一帯は歓声と笑顔に包まれた。

 同祭りは地元で長年続いた「節分祭」と薬師堂の「お水汲み祭り」の両行事を統合し、ことしで12回目。

1985名無しさん:2015/02/09(月) 00:03:41 ID:4pA.d1f.0
大阪天満宮で針供養
02月08日 12時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150208/4796421.html

使い古した針を柔らかいこんにゃくに刺して、これまでの労をねぎらう針供養が、大阪天満宮でおこなわれました。
大阪・北区の大阪天満宮では、大阪の裁縫業者や和裁教室などでつくる組合が、毎年2月8日に針供養をおこなっています。奈良時代、中国の唐から裁縫技術を日本に持ち帰ったとされる吉備真備を祭ったほこらの前に、組合の関係者など約20人が集まり、針に感謝する神事がおこなわれました。
このあと、使い古したり、曲がったりした針を持ち寄った人たちが、たて20センチ、横50センチの大きなこんにゃくに次々と針を刺しました。硬い布などに通し続けた針を、柔らかいこんにゃくに刺すことによって、これまでの労をねぎらうとともに、裁縫技術の上達を願おうと、境内では1000人近くが列を作っていました。
奈良県から訪れた和裁の仕事をしているという女性は、「『1年間おつかれさまでした』という思いを込めて針をこんにゃくに刺してきました」と話していました。

1986名無しさん:2015/02/14(土) 21:31:29 ID:Q5CqhPm.0
神戸の国宝銅鐸、鋳型と一致 大阪・東奈良遺跡で製作か
2015年2月11日 19:47
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150211/20150211079.html

 1964年に神戸市で見つかった「桜ケ丘12号銅鐸」(弥生時代中期、国宝)と、大阪府茨木市の東奈良遺跡で出土した「第1号流水文銅鐸鋳型」(重要文化財)の大きさや形状がほぼ一致することが11日、銅鐸を所蔵する神戸市立博物館への取材で分かった。

博物館の橋詰清孝学芸員によると、12号銅鐸のレプリカを製作、東奈良遺跡の鋳型のレプリカにはめ込むと一致した。青銅器製作の一大拠点とされる東奈良遺跡で作られた可能性があり、銅鐸の流通を解明する手掛かりとして注目されそうだ。

 12号鐸は高さ31センチ、重さ約2・6キロ。鋳型に彫られた銅鐸の型はほぼ同じ。

1987名無しさん:2015/02/15(日) 10:34:49 ID:5aYTlbQo0
高山右近と妻 生誕地に石像
2015年02月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150214-OYTNT50019.html

◇没後400年 豊能町民ら5月建立

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615年)の没後400年を記念して、生誕地の豊能町の住民らが、5月に右近と妻・ユスタの石像を建立する計画を進めている。町ではほかにも、右近の足跡をたどる史跡巡りなど様々なイベントの開催が予定されており、町民らは「町おこしにつなげたい」と張り切っている。(神谷次郎)

 右近は、同町高山地区の生まれで、父の影響で少年期に洗礼を受け、織田信長や豊臣秀吉に仕えた。高槻や明石(兵庫)の領主となり、黒田官兵衛ら多くの大名をキリスト教に導くなどしたが、1587年の「バテレン追放令」で領地を没収され、1614年にマニラに追放され、翌年、現地で亡くなった。信仰を貫いた殉教者として、日本カトリック司教協議会は、ローマ法王庁に右近をカトリックで「聖人」に次ぐ「福者」に認定するよう申請しており、年内にも認められる公算が大きいという。

 石像の建立は、ユスタも同町出身であることから、自治会や町観光ボランティアガイドの会などが「2人の生誕地に目に見える証しを残したい。ここだけにしかないものを」と昨年4月に実行委員会を発足させて、取り組みを進めてきた。

 現在、等身大のものを地元の御影石を使って制作中で、廃校となった高山小跡地に建て、5月に除幕式を行う。費用は約500万円で、実行委が住民や企業などから寄付を集めている。

 町内ではこのほか、10月に右近に関する講座やクイズ大会のほか、右近が茶人としても名高いことから茶会も開催する予定。右近やユスタ役を公募し、仮装行列を行う計画もある。

 一方、町は昨年11月に、右近の生涯や魅力を伝えるシンポジウムを開催。町観光協会も、没後400年をPRするのぼり約300本を町内に立てて、ムードを盛り上げている。

 実行委の甲田廣行会長(79)は「右近がこの地に生まれたことを知ってもらい、多くの人が町を訪れ、活性化につながればうれしい」と話している。

◆バチカン大使ら石碑の前で祈り

 町には今月4日、ジョセフ・チェノットゥ駐日バチカン大使のほか、日本国内のカトリックの大司教ら約10人が訪問した。

 前日に神戸市で開催された没後400年を記念したミサに参加した有志らが「ぜひ右近の生誕地を見てみたい」と希望したためで、田中龍一町長が「みなさまと歩調を合わせて顕彰事業を進めたい」とあいさつ。一行は右近の生誕地にある石碑の前で、祈りをささげた。

2015年02月14日

1988名無しさん:2015/02/15(日) 15:43:52 ID:5aYTlbQo0
僧侶転読に息災祈る 四天王寺で「初庚申」
2015年2月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150213/20150213031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)の庚申(こうしん)堂で12日、市指定無形民俗文化財の伝統行事「庚申まいり」のうち今年最初の「初庚申」が始まった。朝から多くの参詣者が荘厳な堂内で無病息災などを祈願している。

えとの組み合わせで約60日ごとに巡る「庚(かのえ)」「申(さる)」の日にちなむ信仰行事。四天王寺南大門から南約200メートルに位置する庚申堂は日本の庚申信仰の発祥地と伝わり、本尊に除災無病の霊験あらたかと伝わる青面(しょうめん)金剛童子を祭っている。

 この日は、同寺僧侶が全600巻の大般若経を順次頭上に広げて速読する「大般若転読祈祷(きとう)会」が執り行われた。転読で起こる風が災いを退けて福を招くとされることから、参詣者は真剣な面持ちで手を合わせ僧侶の所作を見守った。

 毎年夫婦で訪れている女性(69)=堺市北区=は「健康と安全を祈願した。元気なうちは通い続けたい」と話していた。

 13日の本庚申は午後2時から「柴燈(さいとう)大護摩供」が執り行われる。

1989名無しさん:2015/02/15(日) 17:25:31 ID:5aYTlbQo0
優雅な花姿に感嘆 大阪天満宮「盆梅と盆石展」
2015年2月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150214/20150214036.html

 大阪市北区の大阪天満宮で13日、てんま天神梅まつりが始まった。境内の参集殿では梅の高齢樹など約50点を集めた「盆梅と盆石展」が開かれ、趣ある枝や花姿が拝観者の目を楽しませている。3月15日まで。

祭神の菅原道真公が梅をめでたことにちなんで毎年開かれ、書院造り百畳敷きの会場には樹齢約300年の大和野梅や同80〜100年の八重野梅がずらり。小輪が古木の枝先を優雅に彩る姿に、人々からは「すごい」「きれい」の声が上がった。

 日本一の梅林で知られる和歌山県みなべ町で出土した「瓜渓石(うりだにいし)」の盆石も展示され、注目を集めている。

1990名無しさん:2015/02/19(木) 04:23:51 ID:.Ep5OaHg0
「大阪相撲れきはく場所」展
02月18日 15時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150218/4854451.html

大阪で古くから行われている相撲の歴史を知ってもらおうと、江戸時代から昭和にかけての力士の絵や番付表などを集めた展示会が、大阪・中央区の大阪歴史博物館で18日から始まりました。
この展示会は、3月8日から大阪で大相撲春場所が行われるのにあわせて開かれ、江戸時代から昭和にかけての大阪の相撲にまつわる資料などおよそ60点が集められています。
大阪では江戸時代から相撲の興行が行われ、「古今相撲大全」という江戸時代の書物には、当時の大阪の力士が腕を大きく振って歩く姿が描かれています。
また、昭和の初めに69連勝を果たした横綱、双葉山の土俵入りを見ようと大阪の国技館に大勢の人が詰めかけた様子を収めた写真や、大阪の銭湯の屋根に飾られていた双葉山をイメージした形の鬼瓦などが展示され、当時の相撲人気を伺うことができます。
大阪歴史博物館の飯田直樹学芸員は「春場所にあわせて、大阪の相撲の歴史を感じ取ってもらいたい」と話しています。
この展示会は、3月30日まで開かれています。
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1991名無しさん:2015/02/24(火) 20:56:31 ID:aTcDP6ZU0
「上方落語若手噺家グランプリ」を開催へ
2015年2月24日
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01502240036.html
 上方落語協会会長の桂文枝(71)が24日、大阪市北区の定席寄席小屋、天満天神繁昌亭で、今春に協会所属落語家のトーナメント「上方落語 若手噺家 グランプリ」を開くと発表した。今年から10年連続開催を目指す。

 会長職に就き、悲願の上方定席(繁昌亭)を開き、自らは師匠の名跡を襲名。文枝にとって、次の悲願は後進の育成だった。

 「先日も(ラッスンゴレライでブレークした)8.6秒バズーカーと共演しましたが、類い稀な才能があり、どうも最近は若い人の才能があちら(漫才、コント)へ流れている」と危惧。未来の落語スターを発掘しようと思案してきた。

 そんなおり、上方芸能の支援を目的としたアーツサポート関西へ、500万円の寄付金が届いた。文枝が三枝時代から親交のあるアートコーポレーションが若手落語家育成を支援しようとしたもので、これを機に、今グランプリの創設が決まった。

 すでに入門6年目〜15年目までの協会所属落語家に希望を募り、31人の参戦を決定。4月7、14、16、22日に繁昌亭で予選を行い、6月に本選を行う。本戦の審査員には在阪テレビ各局のプロデューサー、ディレクターらが入り、大賞(賞金20万円)1人、奨励賞(同5万円)1人を選出する。

 文枝は入門1年足らずだった67年、MBSラジオ「ヤングタウン」に抜てき。駆け出しながら頭角を現し、タレント活動のかたわら、240本を超える創作ネタを生み出すなど、今なお第一線で走り続ける。

 「今の若い人にもチャンスを作ってあげたい」と言い、審査員にはテレビ局関係者を選んだ。タレントの原石を発見し、レギュラーに採用してもらいたい考えもある。

 「私たちのときのように、落語家にもまずはチャンスが与えられるようになれば。おもしろいと思ったらリポーターでも使ってもらいたい。ただし、その後の未来は本人の努力次第」と話す。

 協会内に賞レースを設けて活性化をはかるとともに、自らが歩んできたように、ワンチャンスを確実に物にし、スターへの道を駆け上がる形を作るねらいもある。

 また、6月に予定される本選について「今年は放送はないですけども、来年はM-1やR-1のようにテレビや、ラジオでも中継、もしくは深夜でもいいので、そういった形を思い描いています」とし、将来的にはテレビ、ラジオでの本選中継も望んでいる

1992名無しさん:2015/02/28(土) 20:05:28 ID:7pzVWyhk0
大阪大空襲画集、3月に出版…元看板職人の男性
2015年02月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150228-OYO1T50008.html?from=oycont_top_txt

火の粉が飛び交う中、逃げ惑う人々の姿、忘れることのできない恐怖――。大阪市平野区の元看板職人、矢野博さん(77)が自宅を失った第1次(1945年3月13〜14日)の大阪大空襲の様子や、戦時中の生活を描いた画集をちょうど70年がたつ来月13日に出版する。「今でも夜、飛行機の音を耳にすると炎の中を走り回った日を思い出す。7歳の目で見た体験を残しておきたい」と4年がかりで鮮明な漫画風の絵に仕上げた。

 「あの日、あの時 国民学校一年生の記憶」と題した画集はB5判126ページ。空襲での体験を中心に「変わってしまった学校生活」などをテーマに描いた。

 矢野さんは大阪・日本橋近くで3人兄弟の末っ子として育った。45年3月13日、当時は国民学校1年生。父と長兄は徴用で留守の深夜、空襲警報が鳴り、母と次兄と3人で近所の防空壕(ごう)に走り込んだ。

 米軍の爆撃機B29が落とした焼夷(しょうい)弾の音が壕内に響き、やがて煙が入ってきた。外に出ると周囲は火の海。3人で300メートル北東にあった百貨店を目指したが、炎に行く手を遮られた。

 どこを走ったかわからず、浪速区の鉄道の高架下でひと息つき、自宅から直線で2キロほどだった天王寺区の親戚宅に着いたのは、14日の夜明け前だった。

 絵には必死の形相で逃げる子供たち、おぶわれたお年寄り、リヤカーに乗せられた病人らが描かれ、<焼夷弾は雨のように降り注ぎ、一面炎が舞っていた。ただただ走るしかなかった><みんなパニックで目は恐怖で見開き、何処(どこ)へ行けばいいのかわからず右往左往する人が大勢いた>などと記した。家族は無事だったが、自宅は全焼、街は一晩で消えた。

 終戦の5年後、母をがんで亡くした。生活の苦しさやさみしさを埋めてくれたのは貸本屋で借りた手塚治虫の漫画。自分も漫画を描くようになり、中学卒業後には映画の看板の絵などを手がける職人に。59年に大阪で看板業者として独立、2005年まで営んだ。

 空襲の様子を取り上げるようになったのは5年前。「絵に残せばいつか孫娘が見てくれるだろう」との思いからだった。「戦争当時の写真はどんよりした白黒ばかりだが、カラーの絵にすることで、『こんな出来事があったんだ』と現実のこととして、子どもたちにもわかってもらえるはず」と水彩絵の具と色鉛筆で描き込んだ。

 出版にあたって疎開先や学校のことなど詳細を確かめようと母校にも協力を求めてきた。「画集は母校の小中学校にも寄贈したい。空襲を伝えられる最後の世代の一人として、出来るだけのことをしておきたい」と話す。

 問い合わせは新風書房(06・6768・4600)へ。

大阪大空襲 1944年12月〜45年8月、大阪は約50回にわたって米軍機の攻撃を受けた。このうちB29爆撃機100機以上が来襲した8回を「大阪大空襲」と呼ぶ。大阪国際平和センター(大阪市)によると、第1次の被害が最も大きく、274機が1733トンの焼夷弾を投下。死者は約4000人、被災家屋は13万6000戸とされる。

2015年02月28日

1993名無しさん:2015/03/07(土) 23:48:21 ID:n9PF6uAY0
アカペラバトルフェス 四天王寺で過去最大規模
2015年3月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150305/20150305027.html

 「アカペラバトルフェスティバル」(実行委員会主催)が14日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で開かれる。1次選考を勝ち抜いた24組が、歴史ある寺院建築を背景に歌声を披露する。午後1時から。観覧無料。小雨決行。

周辺の阿倍野、天王寺エリアは2013年以降、鉄道会社や不動産会社が「アカペラタウン化計画」を展開。街中でコンサートを開き、学生や一般のグループの活動を後押ししている。

 フェスティバルは14年度の最終イベントとして、仁王門前に特設ステージを備えて過去最大規模で開催。上位2組は活動応援資金と、5月の「関西アカペラジャンボリー」への出場権が与えられる。

 歌手の相川七瀬さんをはじめ、関西を拠点に活動するアカペラグループもゲスト出演し、スペシャル共演も披露する。

 問い合わせは電話078(242)8617、実行委員会事務局。

1994名無しさん:2015/03/18(水) 20:18:17 ID:2WhEeRCw0
古墳や埴輪 手にとる歴史
2015年03月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150316-OYTNT50442.html

◇3Dプリンターで教材

 ◇藤井寺市 小学生向け 点字図書館にも

 「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に関連する古墳や埴輪(はにわ)などの模型を、藤井寺市が3Dプリンターで作製した。同市立小で教材に使うほか、視覚障害者のために府内の点字図書館にも寄贈する予定だ。

古墳群は堺、羽曳野、藤井寺3市にまたがり、府と3市が共同で世界文化遺産登録を目指している。

 藤井寺市では、2011年度から市立小6年の授業で、独自の教材「ふじいでらの世界遺産学習ノート 百舌鳥・古市古墳群」を使っている。

 視覚障害のある児童が新年度から6年生になるため、教材の点訳に協力している市内のボランティア団体から、「3Dプリンターで教材を作ってみては」との意見が出た。市が協力を呼びかけると昨年10月、市内の団体からプリンターが寄贈された。

 樹脂製の模型は、大きさが5〜10センチ程度。津堂城山古墳から出土した水鳥形埴輪(重要文化財)や重量物の運搬に使う木製のそり「修羅」など市に関連する模型のほか、鏡や前方後円墳など全部で23種類を用意した。

 市は、市や府立近つ飛鳥博物館が所有する埴輪のレプリカを専用の機器でデータ化。古墳の測量データなどを用いたり、インターネット上で無料公開されているデータを参考にしたりして作った。

 市世界遺産登録推進室の山田幸弘室長は「触れることができない発掘史料も多いなか、模型を手にとって具体的にイメージし、地域の歴史に理解を深めてほしい」と話している。

2015年03月17日

1995名無しさん:2015/03/18(水) 21:17:22 ID:2WhEeRCw0
文楽の移動舞台をお披露目 六本木での公演を前に
2015年3月18日 18:40
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150318/20150318106.html

 人形浄瑠璃文楽を気軽に体験してもらおうと、日本財団が新調した移動舞台が完成し、東京都港区の六本木ヒルズの屋外広場で18日、お披露目された。「にっぽん文楽」と題した公演を同地で19日から4日間開き、今秋には大阪、来年以降は年2回のペースで各地を巡る。

都心に出現したヒノキの舞台は幅約20メートル、高さ約7メートル。開放的な雰囲気の中、舞台開きに続いて招待客向けの公演があり、関係者らが大阪発祥の伝統芸能を楽しんだ。

 六本木ヒルズの「にっぽん文楽」ではお祝いの時の演目「二人三番叟」などを上演(雨天中止)。チケットは2千円(自由席)で、飲食しながら観劇できる。

1996名無しさん:2015/03/18(水) 22:24:11 ID:2WhEeRCw0
豊作と繁栄を願って 伝統儀式の「祈年祭」
2015年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150318/20150318031.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で17日、今年の五穀豊穣(ほうじょう)と産業の繁栄を祈る伝統儀式「祈年祭(きねんさい)」が執り行われた。快晴の空の下、境内南側に広がる御田(おんだ)でコメ作りに奉仕する御田講など多くの参列者が神前で豊作を祈願した。

同祭は「としごいのみまつり」とも称され、最も重要な大祭として斎行される。第一本宮では、祝詞奏上に続いて住吉大社の神楽女が神楽を奉納。文楽人形遣いの桐竹勘十郎さんらも参列し、人形とともに玉串をささげたほか、祝儀の曲として知られる「寿式三番叟(さんばそう)」を奉納。3人で操る人形の繊細な所作が披露されると、参列者や一般の参拝者から大きな拍手が送られた。

 御田講で講元を務める山本英夫さん(88)は「昨年は豊作だったので、今年も皆さんの協力を得て例年以上の実りに期待したい」と胸を張った。

 この日は祈年祭に先立ち、境内・種貸(たねかし)社で種をお払いする「神種頒賜祭(かんざねはんしさい)」が厳かに執り行われた。

1997名無しさん:2015/03/18(水) 22:28:35 ID:2WhEeRCw0
四天王寺で春季彼岸会 18日から24日まで
2015年3月17日

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で18〜24日に春の彼岸「春季彼岸会(え)」が執り行われる。諸堂で先祖供養の法要が行われるほか、広い境内に骨董(こっとう)品や飲食など多彩な露店が軒を連ね、例年多くの参詣者でにぎわう。

中日の21日(春分の日)は、午後5時25分から伝統行事「日想観」を厳修。夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環で、かつて弘法大師もこの地で修行したと伝わる。春、秋の彼岸の中日にのみ、境内真西の「石鳥居(いしのとりい)」中央に夕日が沈みゆく中、同寺僧侶の読経がなされる。

 問い合わせは電話06(6771)0066。

1998名無しさん:2015/03/19(木) 20:52:06 ID:F4UIz15U0
暖かな日 先祖に手 四天王寺「経木流し」
2015年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150319/20150319038.html

 彼岸の入りの18日、大阪府内各地で軒並み今年最高の気温を観測した。大阪市は4月下旬並みの21・4度まで上がり、市内の霊園や寺院は朝から多くの人々が訪れ、ぽかぽか陽気の中で先祖に手を合わせた。

天王寺区の和宗総本山四天王寺では春季彼岸会が始まった。参詣者は先祖の戒名を記した経木を清水に流す「経木流し」に列をなし、極楽往生を祈念。地元の女性(71)は「『暑さ寒さも彼岸まで』の通り、暖かな日に供養できました」と話した。

 彼岸の中日の21日には落日に極楽浄土を思う「日想観法要」を厳修。同寺は24日までの期間中に約15万人の人出を見込んでいる。

1999名無しさん:2015/03/19(木) 23:26:56 ID:YzRv3Sa20
訃報:桂米朝さん89歳=上方落語復興の立役者 人間国宝
毎日新聞 2015年03月19日 
http://mainichi.jp/gougai/news/20150319urgitr090001000c.html
 戦後の上方落語復興の立役者で、落語家として初めて文化勲章を受章した人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため亡くなった。89歳だった。合同葬儀は25日午前11時、大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館。喪主は長男で落語家の桂米団治(中川明=あきら)さん。

 1925年、中国・大連生まれ。大東文化大在学中に落語評論家の故正岡容(いるる)氏に入門した。だが、演じ手が少なくなり、存亡の機にあった上方落語界の現状を見て、評論家としての道には進まず、自ら演じ手になろうと決意。47年、四代目桂米団治に入門した。

 古典を現代にマッチさせるため、細部に工夫を凝らした“米朝落語”は「わかりやすい」と定評があり、幅広い層の人気を集めた。一代で大きくした米朝の名で生涯を通した。

2000名無しさん:2015/03/19(木) 23:33:09 ID:YzRv3Sa20
桂米朝さん死去 上方落語界の重鎮 89歳
時計2015/3/19 22:57
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835871.shtml
 上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう=本名・中川清)さんが19日午後7時41分、肺炎のため、死去した。89歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は尼崎市武庫之荘5の9の14。通夜は24日午後6時から、合同葬は25日午前11時から、いずれも吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。

 米朝さんは1925(大正14)年、旧満州で生まれ、父親の実家がある姫路市で育った。旧制姫路中学(現姫路西高校)卒業後、大東文化学院(現大東文化大学)に入学、在学中から寄席や演芸の研究に取り組んだ。復員後の47(昭和22)年、4代目桂米団治に入門し、3代目米朝を襲名した。

 入門後間もなく「高津の富」で初高座。精力的に寄席や落語会を開き、戦後、消滅寸前だった上方落語の復興に中心的な役割を果たした。故笑福亭松鶴(6代目)、故桂文枝(5代目)、桂春団治(3代目)とともに「上方落語の四天王」と称された。

 ラジオやテレビ番組の司会を務めるなど、多方面で活躍。落語ファンの開拓に努めた。後進育成にも尽力し、故・桂枝雀さん、桂ざこばさんら弟子は22人、孫、ひ孫弟子まで含めると一門は60人以上に上る。

 古典の発掘にも取り組み、「百年目」「地獄八景亡者戯」など、埋もれていた数十のネタを再び世に出した。また米朝落語全集の出版や、ビデオ全集を出すなど、落語の文字化、映像化の先駆者としても知られる。著書に「上方落語ノート」「落語と私」など。

 96年4月、胆管結石で入院したが、復帰後、柳家小さん氏に次いで、落語界では2人目となる重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。このほか芸術祭優秀賞(69、70年)、神戸新聞平和賞(92年)などを受賞。87年に紫綬褒章、2002年に文化功労者。

 06年8月と08年5月に転倒して背骨を折るなどしたが回復。同年10月には長男が5代目桂米団治を襲名した。
本格派の語りでファン魅了 桂米朝さん死去
2015/3/19 23:01
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835893.shtml
 理知的な語り口で名人芸ともいえる落語を披露し続けてきた桂米朝さんが19日、89歳で他界した。上方落語界を背負って約60年、かつて消滅の危機にひんしていた上方落語界はその尽力もあり、今や200人以上の落語家を抱える大所帯に。上方落語界がかつてないほどの隆盛期を迎えている中、最大の功労者は惜しまれつつ、生の高座から静かに降りた。

 父に連れられて小学生のころから寄席に通い、演芸好きに。旧制姫路中学を経て、現在の大東文化大学に進学。大学に籍を置きつつ、作家で演芸演芸評論家の故・正岡容氏の元でも学んだ。

 落語家への転機は戦後間もなく。上方では落語家が相次いで亡くなり、10人にも満たないほどだった。惨状を憂慮した正岡氏の「上方落語の中興の祖たれ」との言葉で、大学を中退、落語家へ転じた。

 上方落語復興への思いは、弟子への指導を激しいものにした。「芸は師匠と弟子の対決。厳しくなかったら、上達なんて絶対にありません」と言ってはばからなかった。基本に忠実なけいこは言葉づかい、アクセント、目線など細かいところにまでおよび、よく弟子を泣かせた。高座から下がる弟子に向かって、すれ違いざまに言う寸評は「米朝の袈裟懸け」と恐れられた。

 だが、いつも人を笑わせるサービス精神にあふれていた。人間国宝の認定を受けた際には「国宝と言われても、つぼや絵なら息子も売れますが、私は売れないし、扱いが難しうなると、息子はぼやいてるんやないかと思うんです」とちゃめっ気たっぷりにコメントした。

 晩年は「もうぼけてきて、噺をすっとばしたり、エピソードが前後に入れ替わったり」とこぼしていたが、豊富な知識に裏付けされた本格派の語り口は、ファンを魅了してやまなかった。

2001名無しさん:2015/03/20(金) 04:13:29 ID:J1E93mR20
【桂米朝さん死去】
「何ちゅうええ空間や…」後進うならせた落語家の理想形
http://www.sankei.com/west/news/150319/wst1503190089-n1.html

5年前の秋、文化勲章受章を記念したDVD発売会見でのこと。桂米朝さんは車いすで登壇したが、質問に的確に答えられる状態にはなかった。

 高座姿の米朝さんを見たのは平成14年、旧サンケイホール(大阪市北区)閉館前の独演会での「厄払い」が最後。でなければ、遡(さかのぼ)ること約30年。一門伝統の京都・安井金比羅宮の勉強会での凛とした姿だ。「老い」に凌駕(りょうが)されつつある大看板に、内心ショックでいっぱいだった。

 5年ほど前だったか、ラジオ局ではこんなこともあった。司会者が差し入れた大阪の十三・喜八洲(きやす)総本舗のまんじゅうを、米朝さんはほおばっていた。「私ね、甘辛ですねん。ここのまんじゅうに目がおまへんのや」。その振る舞いは希代の落語家ではなく、ごく普通の好々爺のそれだった。

 一門でも、晩年の米朝さんが表舞台に出ることに反対する人がいたと聞く。だが、米團治さんは「本人が『引退したくない』と言ったんです。ならば、素のままを見ていただこうと」。

 ある時、米朝さんが舞台に現れるだけで、会場全体がえもいえない心地よい“空気”に満たされることに気づいた。居合わせた笑福亭鶴瓶さんもこうつぶやいた。「何ちゅうええ空間や…」

 その時の感覚を、私は早世した筆頭弟子の枝雀さんが生前、理想とした高座姿に重ね合わせた。「こちらが黙ってニコッとしているだけで、お客さんも機嫌よくニコッとする。そんなんがよろしいなぁ」

 極めた者だけが醸し出す存在感。少なくとも最晩年の米朝さんは、愛してやまなかった筆頭弟子が語る落語家としての理想形を、本能的に体現していたと信じてやまない。(豊田昌継)


「関西人として誇りに思っていた」ファンや市民、惜しむ声
http://www.sankei.com/west/news/150320/wst1503200009-n1.html

「関西人の誇り」「神様のような人だった」。上方落語の大御所桂米朝さんの死去に、大阪のファンや市民からは19日夜、惜しむ声が上がった。

 大阪府池田市で居酒屋「ちりとてちん」を営み、アマチュアの落語大会で優勝したこともある南野三千世さん(53)は、米朝落語全集を教科書代わりに勉強した。突然の訃報に「えっ」と驚き「十数年前に高座を聞いたこともある。神様のような人だったと思います」。

 会社から帰宅途中だった同府寝屋川市の会社員持留多聞さん(39)は「一般人でも知っているような重鎮だった。関西人として誇りに思っていた」と残念がった。「見るからに威厳があり、若い人の見本になっていた。今後、米朝さんのような落語家が出てくるかは分からない」とも話した。

2002名無しさん:2015/03/20(金) 04:19:21 ID:J1E93mR20
古墳群で推薦書原案まとまる
03月19日 21時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150319/3075041.html

再来年の世界文化遺産への登録を目指す、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」について、大阪府と、堺市など地元の3つの市は、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
堺市、羽曳野市、藤井寺市には、4世紀から6世紀にかけて200を超える古墳が築かれたとされ、大阪府と地元の3つ自治体は、61の古墳について再来年の世界文化遺産への登録を目指しています。
19日、大阪府の小西副知事や地元の3市長が出席して会合が開かれ、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
原案では、古墳群には、仁徳天皇陵とされる古墳など世界でも最大級の王の墓があり、古代国家の形成過程を示す巨大モニュメントとして世界遺産にふさわしいとしています。
また、2年前に推薦が見送られた際には、保全管理の体制が不十分とされたことから、代表的な古墳の周辺を景観地区に指定して、建物の高さを規制することなどを盛り込んでいます。この原案は、今月27日までに文化庁に提出されます。
国内には、他にも3か所で世界遺産を目指す動きがあり、文化庁の審議会がことしの夏までにどの候補地をユネスコに推薦するか、絞り込むことになっています。
大阪府の小西副知事は、「前回は、準備不足を指摘されたが、今回は推薦を勝ち取れる内容に仕上がった」と話しています。
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2003名無しさん:2015/03/22(日) 00:37:56 ID:TVJTby2U0
米朝さん登場の「地獄八景」熱演 米団治さん、父ゆかりの演目
2015年3月20日 19:39
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150320/20150320122.html

 上方落語家で人間国宝の桂米朝さんの死去から一夜明けた20日、長男桂米団治さん(56)は大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演、噺の中に米朝さんを登場させるなど熱のこもった高座をやり遂げ、観客を沸かせた。

 約50人のファンらが詰め掛けた寄席に、米団治さんは黒紋付き姿で現れ、噺のまくらで、米朝さんが亡くなった経緯を説明、「本当に大往生。さすが人間国宝」と笑わせた。その後「やっぱりこれかなと思って」と、古い噺を米朝さんが再構成した代表演目「地獄八景亡者戯」の前半を演じた。


米朝さん、僧侶転身の勧めに「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」 ざこばさんが高座で思い出披露
http://www.sankei.com/west/news/150321/wst1503210054-n1.html

19日に亡くなった落語家、桂米朝さんのまな弟子、桂ざこばさん(67)が21日、大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演し、米朝さんを悼んで、出会いや修業時代の思い出を約50分にわたり披露した。

 師匠の没後初の高座となったこの日は、ざこばさんの弟子、桂塩鯛さん(60)の還暦記念連続落語会の初日にゲスト出演。約60人を前に落語のネタはやらず、米朝さんとの思い出を語った。

 ざこばさんは、中学時代に米朝さんの舞台を見たその場で弟子入りを志願。米朝さんと兄弟子の桂枝雀さんの前で、一度しか聞いたことのない「浮世床」を語り、大笑いされたという。また、薬師寺元管主の高田好胤氏に僧侶への転身を勧められたが、米朝さんが高田氏に「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」と断った-などと数々のエピソードを披露し、客席から笑いが起きた。

2004名無しさん:2015/03/22(日) 00:40:50 ID:TVJTby2U0
「落語の神様のよう」…文枝さんら米朝さん悼む
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150321-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

上方落語界を支えて来た、人間国宝の落語家、桂米朝さんが89歳で亡くなり、一夜明けた20日、上方落語協会会長の桂文枝さん(71)が取材に応じた。仕事先の兵庫県・淡路島のホテル前に現れた文枝さんは、「落語の神様のような存在。もっともっとお話をしたかった」と涙ぐんだ。

 20歳の時に、米朝さんの口演を聴いて落語にほれたという文枝さん。「私は顔も普通だし、どうすれば笑いを取れるのか分からない」と相談すると、米朝さんは「顔だけで10分も笑わせることはできへんやろ。やっぱり噺(はなし)が大事やで」と諭してくれたという。

 一方、米朝さんの長男の桂米団治さん(56)は20日午前の記者会見を終えた後、午後には大阪市内の寄席「動楽亭」に予定通り出演。米朝さんの十八番「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を、普段と変わらぬ明るさで披露した。

 冥土旅行を楽しむ面々が、冥土の寄席に出演している米朝さんを見にいく場面があり、顔の表情と声色を父親そっくりに演じながら、桂枝雀、桂吉朝ら亡くなった一門の落語家について語り出すと、約50人の観客から拍手が湧き上がった。

 米朝さんと歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)は、1963年、雑誌「上方風流」の創刊にかかわった。藤十郎さんは「米朝さんも私も、まだまだ若手の頃で、茂山千之丞さんや藤山寛美さんをはじめ、ジャンルの違う人たちが集まって、これからの上方芸能をよくするためにはどうすればいいか、皆で朝まで話し合ったものでした」と振り返った。

2015年03月21日

2005名無しさん:2015/03/22(日) 00:54:12 ID:TVJTby2U0
桂米朝さん「落語の原点それでええ」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50022.html?from=oytop_ymag

◇笑福亭鶴笑さん、独自の芸 後押し感謝

 上方落語の復興に力を尽くし、日本を代表する落語家として活躍した人間国宝の桂米朝さんが89歳で亡くなって一夜明けた20日も、多くの落語家やファンらが重鎮の死を悼んだ。

 上方落語の定席(じょうせき)、天満天神繁昌亭(大阪市北区)。寄席に出演するため訪れた笑福亭鶴笑さん(55)は「あの言葉がなかったら、今も続けられていたかどうか」と振り返った。

 25年前、人形を使って創作や古典を演じる「パペット落語」を始めた。周囲から「落語ではない」と批判され悩んでいた時、米朝さんから「おまはんがやっていることは、落語の原点なんや。それでええんやで」と声をかけられた。上方落語は元々、屋外で通りすがりの人を相手にしており、気を引くために道具を使っていたという。

 パペット落語は昨年末、落語家の芸としては初めて、厚生労働省の児童福祉文化財に選ばれた。「自分は桂一門ではなかったのに背中を押してくれた。感謝しきれない」と語った。

 繁昌亭近くの喫茶店「喫茶ケルン」店主の井上和彦さん(70)は、「ついにこの時が来たか、と残念だ」とうつむいた。

 米朝さん本人が訪れたことはなかったが、長男の米団治さんや、ざこばさんら桂一門が「楽屋代わり」に店を利用しているという。

 店内の壁には、米朝さんが、その芸風を思わせる丁寧な筆致で「一期一会」と記した色紙が掲げられている。約3年前、弟子を通じて贈られたものだ。

 井上さんは「お弟子さんたちには、遺志を継ぎ、再び人間国宝が出るよう頑張ってもらいたい」と話した。

 50年来の付き合いという人形浄瑠璃文楽の人間国宝、竹本住大夫さん(90)は、「お互い『べいちゃん』『すみさん』と呼び合う仲で、よく2人で酒を飲んだ」と懐かしんだ。「米朝さんは酒が強くて楽しい酒で、必ず芸の話になった。(浄瑠璃の)義太夫も落語も、人情を伝える芸。通じるところがあるので、話が合った」と語り、「最大の友達で仲間で、同志だった人が居なくなってしまった。寂しい」と言葉を詰まらせた。

2015年03月21日

2006名無しさん:2015/03/22(日) 17:55:02 ID:UyPivy/o0
米朝さんの遺業しのぶ…TV各社が追悼番組
2015年03月22日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150322-OYO1T50005.html?from=oycont_top_txt

上方演芸界を代表する落語家、桂米朝さんが19日に死去したのを受け、読売テレビ(大阪市中央区)は21日、弟子の桂ざこばさん(67)や長男の桂米団治さん(56)らが出演する追悼番組を収録した。

 収録が行われたのは、22日午後0時35分から約1時間放送する「桂米朝追悼番組〜笑うて 遺した らくごの世界」。ざこばさん、米団治さんのほかに、孫弟子の桂吉弥さん(44)、漫才師のハイヒール・リンゴさん(53)らが、生前の米朝さんの姿や桂歌丸さん、俳優の近藤正臣さんらのインタビューを撮った映像を見ながら、足跡を振り返った。

 リンゴさんは「漫才と落語はジャンルが違うのに、私に合わせて話をしてくださった」と言い、吉弥さんは「落語のうまい下手ではなく、(品性の)悪いやつだけにはなるなと言われてました」と思い出していた。

 他の放送局も追悼番組を相次いで放送する。毎日放送は23日午前1時からの特別番組で、米朝さんの代表作「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を流す。NHKは22日午前7時45分からと28日午前4時半から、関西テレビは4月12日午後4時から放送を予定。ラジオでは、ABCラジオがきょう22日午前5時からと同9時からの落語番組内で、米朝さんの落語を紹介する。

2015年03月22日

2007名無しさん:2015/03/22(日) 18:10:27 ID:UyPivy/o0
住大夫さんに「卒業証書」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50027.html

◇空襲で焼失 近大レプリカ贈る

 人形浄瑠璃文楽太夫(義太夫語り)の人間国宝、竹本住大夫さん(90)が20日、母校の近畿大学(東大阪市)の卒業式に出席し、空襲で焼失した卒業証書のレプリカを塩崎均学長から授与された。

 住大夫さんは1944年、近畿大の母体の大阪専門学校を卒業。しかし、翌45年3月の大阪大空襲で、大阪市内の自宅で保管していた卒業証書が焼失したという。昨年、近畿大関係者が経緯を聞き、進呈が決まった。

 卒業証書のあて名は、本名の「岸本欣一」。住大夫さんは「出来の悪い学生やったのに、こんなんしてもろて。胸が熱くなりました」と語った。

2015年03月21日

2008名無しさん:2015/03/22(日) 18:14:18 ID:UyPivy/o0
地域の寄席で桂米朝さんしのぶ
03月21日 19時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150321/3366161.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんをしのび、大阪・阿倍野区で長年開かれている落語会では、21日、弟子たちが米朝さんの思い出を語り、ファンが別れを惜しみました。
大阪・阿倍野区の地元の人たちが40年余り前から開いている落語会、「田辺寄席」では、亡くなった桂米朝さんの一門を中心とした5人の落語家が1席ずつ演じました。
このうち、米朝さんの弟子の桂米二さんは、食べることが大好きだった米朝さんとともに長野県に出かけた際、米朝さんが朝の5時半から、弟子が寝ているホテルの部屋をまわってケーキを食べるよう勧めてきたエピソードをユーモラスに語り、笑いを誘っていました。
幕あいには、訪れた100人余りの落語ファンが米朝さんの思い出を語り、死を悼んでいました。10年近く通っているという64歳の男性は、「若い頃からずっと、米朝さんの落語の音源を集めてきました。生きるためのヒントを教えてくれたのが落語で、米朝さんが亡くなり、悲しさと空虚さを感じます」と話していました。

2009名無しさん:2015/03/24(火) 22:29:13 ID:6C.lxnOE0
桂米朝さんの通夜祭 大阪・吹田
3月24日 21時14分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150324/k10010026561000.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんの通夜祭が、24日夜、大阪・吹田市で営まれました。
桂米朝さんは、戦後上演されなくなっていた古典落語の演目を復活させるとともに、端正な語り口でみずから演じ、いわゆる人間国宝に認定されたほか、古典落語の分野で初めて文化勲章を受章しました。
米朝さんの通夜祭は、24日午後6時から大阪・吹田市の斎場で営まれ、祭壇の中央には穏やかな笑顔の遺影が飾られました。
笑福亭仁鶴さんや月亭八方さんなど上方落語の関係者のほか、親交のあった人たち、それに落語ファンなど、合わせておよそ1200人が参列しました。
この中で、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんは「米朝師匠からは大勢の人との和を大切にすることなど、人間としての育ち方を教わりました。恩人です」と話していました。
また、人形浄瑠璃「文楽」の語り手で人間国宝の竹本住大夫さんは、「50年来のおつきあいで、共に苦労してきました。酒を飲んでも最後は芸の話になりました。天国から多くの弟子を見守り、これからの上方芸能をしった激励してほしい」と述べました。
このあと参列者は祭壇に玉串をささげ、死を悼みました。
告別式は25日午前11時から、同じ大阪・吹田市の斎場で営まれます。 .

悼む声 相次ぐ

参列した西川きよしさんは「ベテラン、新人関係なく、分からないことは何でも教えてくれて、芸能界のお父さんのようでした。どうぞお父さん、向こうでも楽しくやってください」と話していました。
喜劇俳優の大村崑さんは「上方芸能を引っ張ってくれた機関車が逝ってしまったので、ショックの大きさは計り知れません。頑張らないかんと思うのですが、今までは、こういう時にいつも立ち上がらせてくれたのが米朝さんでした」と振り返りました。
また、落語家の桂小枝さんは「まだ、亡くなったという実感がありません。ほとんどの落語家は米朝さんがいなければ、はなし家にはなっていません。今までありがとうございました。師匠が残してくれた財産をしっかり守っていきます」と話していました。

2010名無しさん:2015/03/24(火) 22:32:44 ID:6C.lxnOE0
「知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人…」 桂米朝さん通夜に各界著名人やファン続々、別れ惜しむ 
http://www.sankei.com/west/news/150324/wst1503240060-n1.html

19日に89歳で亡くなった落語界初の文化勲章受章者で人間国宝、桂米朝さんの通夜が24日、大阪府吹田市の千里会館で営まれた。「上方落語四天王」の一人、桂春團治さん(84)や文楽太夫の竹本住大夫さん(90)、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)ら芸能界をはじめ各界著名人のほか、数多くの一般ファンが参列。戦後の上方文化最大の功労者の死を悼んだ。

 白い花で飾られた祭壇には、文化勲章や人間国宝の認定証、平成17年11月に撮影された着物姿の遺影が飾られた。通夜は神式で執り行われ、神主による祭詞の後、喪主を務める長男の桂米團治さん(56)らが玉ぐしをささげ、別れを告げた。

 参列者へのあいさつに立った米團治さんは「弟子が固まって戦っても太刀打ちできない知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人だと思いました」と述べた。

 この日は一般の参列も受け入れ、別れを惜しむ多くのファンらが会場を訪れた。葬儀は25日午前11時から同所で行われる。

2011名無しさん:2015/03/25(水) 00:33:50 ID:6C.lxnOE0
稽古の成就を祈願、豪快に「昇神之儀」 住吉大社
2015年3月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150323/20150323022.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた22日、立浪部屋が場所中に部屋を構えた大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で、場所中を含め約1カ月間迎えた神様を天へと送る神事「昇神之儀」が執り行われた。力士衆が無事への感謝を込め、稽古の成就を祈願した。

住吉大社によると、大社には「横綱」の語源となる逸話が残るなど相撲とは縁が深い。立浪部屋は2007年から春場所中、境内に部屋を構えている。

 境内の土俵前では地元住民など多くのファンが見守る中、神職が「稽古に精進され、一つでも番付を上げて大阪に帰ってきていただきたい」とあいさつ。一同の大阪締めに続き、力士衆が「エイエイオー」の掛け声で神職を豪快に持ち上げて儀式を締めくくった。

 近くに実家があり、家族連れで初めて見学したという茨木市の会社員、石川悟さん(34)は「娘がお相撲さんに興味を持ってくれた。連れてきてよかった」と喜んでいた。

2012名無しさん:2015/03/25(水) 00:41:00 ID:6C.lxnOE0
読んで聴いて米朝の話芸…書籍やDVDなど人気
2015年03月24日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150324-OYO1T50032.html?from=oycont_top_txt

19日に亡くなった落語家、桂米朝さんの関連書籍やDVDなどの販売が伸びている。落語全集や高座の映像、音源を通して、至高の話芸に触れようというファンが絶えない。

 演芸関係の品ぞろえが豊富なジュンク堂書店千日前店(大阪市中央区)は死去した翌日に追悼コーナーを設置した。昨年完成した「米朝落語全集」の増補改訂版などを並べたが、手に取ってみる客が相次ぎ、スペースを拡大。現在は約30点をそろえた。森本浩平店長(40)は「これまでに30冊以上売れ、電話での問い合わせもあった」と驚く。大阪市北区の紀伊国屋書店梅田本店でも、落語の舞台を紹介した「米朝ばなし 上方落語地図」など、20冊以上が売れた。

 DVDやCDを発売しているユニバーサルミュージックによると、DVD「落語研究会 桂米朝全集」などの注文が相次いでいるという。


2015年03月24日

2013名無しさん:2015/03/26(木) 09:49:06 ID:c3AiAYoQ0
米朝さんは我らの誇り…告別式に弟子・ファンら
2015年03月25日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150325-OYO1T50022.html?from=oycont_top_txt

19日に89歳で亡くなった人間国宝の落語家、桂米朝さんの告別式が25日、大阪府吹田市の公益社千里会館で営まれた。喪主を務めた米朝さんの長男、桂米団治さん(56)のほか、桂ざこばさん(67)ら米朝一門の弟子たちが黒紋付き姿で参列者を迎える中、多くのファンが訪れ、不世出の名人との別れを惜しんだ。

 式には、落語協会会長の柳亭市馬さんを始め、上岡龍太郎さん、春風亭小朝さん、井戸敏三・兵庫県知事、近藤正臣さん、松尾貴史さん、茂山宗彦さん、茂山逸平さんらが参列。一般の弔問客を含め約1500人が訪れた。天皇陛下の弔意も届けられた。

 上方落語協会会長の桂文枝さん(71)は弔辞を述べ、「繁昌亭に掲げられている、『楽』の字は師匠に書いていただきましたが、落語家は心からお客に楽しんでいただいてこそ、本物の落語家なんやと受け止めました」と振り返り、「師匠は風前のともしびだった落語を残してくださった。その血のにじむような努力を無駄にしないように、『楽』の字のもとで努力してまいります」と唇をかみしめた。人間国宝になり、文化勲章を落語家として初めて受章したことに触れ、「この偉業は我々上方落語家の誇りでございます」と心を込めてたたえた。

 一門の弟子たちもあいさつに立ち、相次いで師匠の思い出を語った。最古参の月亭可朝さん(77)は「よう私のようなムチャ者を育ててくれました。私は掃除も何もせず、キャバレーに行っていましたが、黙っててくれました。米朝師匠、あの世のほうが面白いと思います。(漫才師の)横山のやっさんもいるかもしれない。ゆっくりとお休みください」と感慨深げに語った。最後に米団治さんは「(米朝さんは)みんなのお父さんでした。今日は抜けるような青空です。たぶん高いところから見ていると思います。これからも米朝一門をよろしくお願い申しあげます」と締めくくった。

2015年03月25日


桂米朝さんの通夜に1200人 別れを惜しむ
2015年3月24日 21:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150324/20150324135.html

 上方落語の復興に尽力し、19日に89歳で死去した落語家で人間国宝の桂米朝さんの通夜が24日、大阪府吹田市で営まれた。歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)ら親交のあった芸能界の関係者やファンら約1200人が参列し、別れを惜しんだ。

 喪主を務めた長男で落語家の桂米団治さん(56)があいさつし、父であり師でもある米朝さんについて「すごい人でした。すごく知識がありました。そしてすごくおちゃめでした」とかみしめるように語った。

 続いて藤十郎さん、人形浄瑠璃文楽太夫の竹本住大夫さん(90)という伝統芸能の重鎮が盟友をしのんだ。

2014名無しさん:2015/03/27(金) 01:16:34 ID:dWxb3lvU0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150325/20150325020.html
暑さ寒さも… 四天王寺、蜂須賀桜が盛り
2015年3月25日

 春の彼岸明けの24日、近畿地方は冬型の気圧配置が続き、雲が広がる空模様となった。大阪管区気象台によると大阪市の日中の最高気温は10・3度と平年を4・6度も下回る2月中旬並みとなり、待望の桜(ソメイヨシノ)の開花がやや遠のいた。

大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺では「春季彼岸会(え)」の結願(けちがん)日法要や地蔵尊供が執り行われ、境内は朝から多くの参詣者や海外の観光客らでにぎわった。

 かつて世界最大の釣り鐘があった英霊堂の前ではカンザクラ系の「蜂須賀桜」が開花のピークに。遠目に紅梅を思わせる濃いピンクの小輪が咲き誇り、時折、風に花弁を散らしながら人々の目を楽しませた。阿倍野区から3人グループで訪れた女性(73)は「中日も暑いぐらいの天気で、いいお彼岸でした」と笑顔を浮かべた。

 同気象台によると桜の開花の平年値は3月28日。8割以上が咲く満開は4月5日となっている。

2015名無しさん:2015/03/29(日) 21:24:55 ID:dmzWAfps0
愛染まつり 未来へ 大阪市無形民俗文化財に指定
2015年3月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150329/20150329041.html

 大阪の夏祭りの幕開けを華やかに飾る、和宗総本山四天王寺支院・愛染堂勝鬘(しょうまん)院(大阪市天王寺区、山岡武明住職)の伝統行事「愛染(あいぜん)まつり」がこのほど、本年度の大阪市指定無形民俗文化財の指定を受けた。同院では前年度にも収蔵品が市指定文化財となり、2年続きの朗報に関係者一同が大喜び。「未来へ伝えたい」と伝統の重みを胸に、3カ月後に迫る祭りの準備に熱を込める。

同院の文化財は、豊臣秀吉再建で大阪市内最古の木造建造物として知られる「多宝塔」(国の重文、旧国宝)をはじめ、本堂(府指定文化財)、昨年市指定を受けた多宝塔本尊「木造大勝(だいしょう)金剛坐像」と合わせて計4件となった。

■歴史を刻む

 祭りは、本尊で良縁成就や愛嬌(あいきょう)、無病息災などの霊験あらたかな「愛染明王」の縁日にちなんだ行事。近松門左衛門の名作で人形浄瑠璃の演目で知られる「冥途の飛脚」や「心中刃は氷の朔日(ついたち)」などにも描かれている。初日恒例の「宝恵かごパレード」の原型である「宝恵駕籠(かご)行列」は、もともと大阪市内の芸妓(げいぎ)衆がかごに乗って境内へ参詣する風習で、文献史料的には「十日戎(えびす)」よりも先に行われていたとされる。

■温故知新

 長年の歴史の中には、伝統を守る一方で時代に合った変革にも挑んできた。近年では一般公募するイメージガール「愛染娘」が登場し、華やかな祭りの顔としてすっかり定着。また芸能上達の御利益もあることから、かつては地元で踊りを習う人々が「愛染おどり」を奉納していたが、現在は歌やダンスで祭りを盛り上げる一般公募の「愛染女組」に受け継がれている。

 パレードの主役となるかごも進化しており、隠れた部分にキャスターを装着、けん引できる“現代版”も登場。雰囲気を損なうことなく担ぎ手の負担を軽減し、限られた時間内に長距離の移動を可能にしている。

 祭りの世話人代表を務める池永純造さん(67)は「長年にわたって皆で盛り上げてきたので大変うれしい知らせ」と笑顔。山岡住職は「指定を受けたことでより広く認知されることに期待。伝統を未来につなげるためにも史料を再認識し、楽しいお祭りというだけではなく、歴史と信仰を大事にしていきたい」と喜びをかみしめている。祭りは6月30〜7月2日に開かれる。

2016名無しさん:2015/03/31(火) 23:01:07 ID:n1I7kM9.0
文楽人形遣い「二代目玉男」襲名 吉田玉女さん
2015年3月31日 12:51
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150331/20150331060.html

 4月の「二代目吉田玉男襲名披露公演」を前に、人形浄瑠璃文楽の人形遣い吉田玉女さん(61)が31日、師であった初代玉男さんの墓に襲名を報告し、生国魂神社(大阪市天王寺区)で公演の成功祈願をした。

墓参りを終えた玉女さんは「感無量の思いで師匠に報告しました。『頑張りや』と聞こえてくるような気がしました」と話した。

 「玉男」の名の復活は、人間国宝で多くのファンに愛された初代が2006年に亡くなって以来、8年半ぶり。玉女さんは1968年、初代玉男さんに入門。名人の下で長年、修業を積んだ。

2017名無しさん:2015/04/01(水) 21:01:36 ID:blNVTqc20
大坂の陣400年 華やか催し
2015年04月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150401-OYTNT50038.html?from=oytop_ymag

◇9月末まで 金箔の遊覧船・あんどん400個

大阪の歴史や文化をPRするイベント「大坂の陣400年天下一祭 夏の陣2015」が4月1日〜9月30日、大阪市中央区の大阪城公園で開かれる。府や大阪市、民間事業者でつくる実行委員会の主催で、昨年の「冬の陣2014」に続くイベントで、大坂城が陥落した「大坂夏の陣」から今年で400年となるのに合わせ、公園内で様々な催しが繰り広げられる。

 イベントでは4月中旬から、金箔(きんぱく)を貼った船で、城内の内濠(うちぼり)を遊覧しながら大阪城の歴史を学べる「天下一の黄金の和船 大阪城御座船」がスタート。1615年5月7日に大坂城が陥落し、戦乱の世が終わり、その後、大阪が発展したことにちなみ、5月7日の夜、本丸広場に400個のあんどんをともす「大阪城 天下泰平(たいへい)の灯」を開く。

 また、9月20〜23日には、観世流宗家の観世清和さんや、大阪能楽界の重鎮・大槻文蔵さんらによる公演「大阪城本丸薪能」も開催。7月〜8月には、西の丸庭園にお化け屋敷もオープンするほか、大阪城公園内を走る人力車も登場する。

 2015年は、道頓堀川開削400周年、天王寺動物園100周年など、大阪にとって節目のイベントが多い年で、実行委員会事務局は「各事業との相乗効果で、大阪を盛り上げたい」としている。

2015年04月01日

2018名無しさん:2015/04/01(水) 21:03:09 ID:blNVTqc20
難波京の朱雀大路か、側溝を確認 道幅は33メートル
2015年4月1日 11:34
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150401/20150401065.html

 大阪市にあった難波京のメーンストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝跡が同市中央区で見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。これまで見つかっていない難波京朱雀大路の一部の可能性がある。道幅は藤原京(奈良県橿原市、694〜710年)の約24メートルを上回り、推定約33メートルとみられるという。

京の中枢部に当たる難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営した「後期」に分かれる。

 昨年の発掘調査で溝を発見。1993年に見つかった前期難波宮の朱雀門跡から南に約140メートルの地点。

2019名無しさん:2015/04/02(木) 18:34:34 ID:PmxbfUjY0
2015年4月6日(月)放送
“平凡な人間”こそ面白い 〜桂米朝さんが残したもの〜
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/index_yotei_3635.html

先月亡くなった人間国宝の落語家・桂米朝さん(89)。三味線や太鼓のお囃子が入り、笑いを貪欲に追求する上方落語を復活させた「上方落語中興の祖」と呼ばれる。自宅には今まで公開されなかった自筆の資料が膨大に残されている。終戦時、19歳だった米朝さんの日記には、焼け野原の大阪で行われていた文楽の公演を観て、上方文化の底力に「賛嘆」したと書かれ、「東西共存落語を書きぬく」と決意が記されている。昭和22年に桂米團治に入門、戦争の影響や漫才の隆盛によって衰退が激しかった上方落語を、古老を訪ねて聞き取りし復活に取り組んだ。面白い話を聞けば全て記録する“メモ魔”で、伝統の上方落語に時代に応じた新たなネタを加えて、多くのファンを魅了した。登場人物が小心者だったり、欲深かったり、酒好きだったり、、、「“平凡な人間”だけど、みなが助かり、世の中よくなる、という人が“落語国”にはたくさんいる」としていた米朝さん。残された肉声や、未公開のものを含む膨大な自筆資料をもとに、落語を通じて残そうとしたものに迫る。

2020名無しさん:2015/04/03(金) 04:11:02 ID:Wvxiq3ZQ0
難波京の朱雀大路か、側溝を確認 道幅は33メートル
http://news.livedoor.com/article/detail/9956626/

大阪市にあった難波京のメーンストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝跡が同市中央区で見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。これまで見つかっていない難波京朱雀大路の一部の可能性がある。道幅は藤原京(奈良県橿原市、694〜710年)の約24メートルを上回り、推定約33メートルとみられるという。

 京の中枢部に当たる難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営した「後期」に分かれる。

 昨年の発掘調査で溝を発見。1993年に見つかった前期難波宮の朱雀門跡から南に約140メートルの地点。

2021名無しさん:2015/04/04(土) 20:07:19 ID:.MP.3pLc0
二代目吉田玉男さん襲名披露公演始まる
2015年04月04日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150404-OYO1T50021.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女改め二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露となる4月文楽公演が4日、国立文楽劇場(大阪市中央区)で始まった。

 口上では、緊張した面持ちの玉男さんと太夫の豊竹嶋大夫さん(83)、人形遣いの桐竹勘十郎さん(62)らが並び、文楽三味線の人間国宝、鶴澤寛治さん(86)が「先代の元で一生懸命修業し、立派になられ、さぞかし亡き師匠も喜んでいられると思います。将来の文楽を担ってくれることを期待しています」とあいさつした。

 初代は立役(男役)で活躍した人間国宝で、2006年に87歳で死去。玉男さんは1968年に初代に入門し、存在感のある立役として活躍している。

 公演は26日まで(15日は休演)。玉男さんは「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の師匠の当たり役、熊谷次郎直実などを勤める。

2015年04月04日

2022名無しさん:2015/04/05(日) 09:43:58 ID:BGEOr9gg0
二代目玉男襲名披露始まる 初代の当たり役で登場
2015年4月4日 13:02
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150404/20150404045.html

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露公演が4日、大阪市中央区の国立文楽劇場で始まった。「玉男」の名の復活は、人間国宝で文楽界を代表する人形遣いだった初代が亡くなって以来、8年半ぶり。

「口上」では、公演の中軸となる太夫と三味線、人形遣いが登場。三味線の人間国宝鶴沢寛治さん(86)は「師匠に勝るとも劣らぬ立派な人形遣いになられ、将来の文楽を担ってくれることを期待しています」と述べた。続く「一谷嫩軍記」で、二代目玉男さんが初代も当たり役とした悲劇の主人公、熊谷直実を遣うなど、華やかな襲名披露公演になった。

2023名無しさん:2015/04/07(火) 18:40:29 ID:u4Ex5cK20
「幸村の謎」展 連日にぎわう なんばマルイ
2015年4月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150406/20150406015.html

 “日本一の兵(つわもの)”とうたわれ、大坂の陣で活躍した武将、真田幸村の企画展「真田幸村の謎」が、大阪市中央区の商業施設「なんばマルイ」の2階特設会場で開かれている。根強い人気を誇る幸村だけに連日、来場者でにぎわっている。26日まで。

会場内には、絵巻作家の正子公也さんが描いた幸村ら武将の大型作品と、「幸村の本名は」「幸村は関ケ原でなぜ西軍に味方したのか」など幸村に関するエピソードをパネルで展示。来場者は、入り口で渡された「5つの謎」と書かれた紙を手にパネルを見ながら問題を解いていた。

 真田幸村は来年のNHKの大河ドラマにも決定。大阪市西区の男性(35)は「自分は大阪の人間なので、幸村は豊臣家を守ってくれた英雄のイメージ」と語っていた。

 企画展は、大阪にゆかりの戦国武将を紹介する「戦国武将列伝フェア」の第1弾。幸村にちなんだオリジナルグルメとグッズの販売、等身大パネルを置いた撮影スポットも設置している。

2024名無しさん:2015/04/16(木) 21:52:03 ID:Mq9yPwJ.0
大阪城の石捨て場か 豊臣、徳川時代の破片
2015年4月15日 18:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150415/20150415101.html

 大阪城(大阪市中央区)の西側で豊臣期の堀跡などが見つかり、大阪府文化財センターが15日、発表した。堀跡付近では、石垣に使えず廃棄された石(長さ0・6〜1・5メートル)など38点以上が出土。石捨て場とみられ、豊臣期や徳川期の石もあった。

うち4点には墨で丸に線を引いたマークや扇形のような印が記されていた。石工らが管理用に記した可能性があるという。

 堀跡は1991年度から調査を実施。今回新たに見つかったのは、幅18メートル、長さ11メートル、深さ2・6メートルで、堀を埋め立てた土からは金箔を張った瓦や陶磁器も見つかった。

2025名無しさん:2015/04/18(土) 04:15:00 ID:hPUaIHUw0
落語家の故桂米朝氏に従三位 政府が閣議で決定
2015年4月17日 8:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150417/20150417023.html

 政府は17日の閣議で、3月19日に89歳で死去した人間国宝で文化勲章受章者の落語家桂米朝(本名中川清)氏に従三位を贈ることを決めた。

2026名無しさん:2015/04/19(日) 20:42:49 ID:bVu/8Q020
特別展「大坂」開幕 大阪城跡出土瓦など展示
2015年04月18日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150418-OYO1T50041.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣400年にちなんだ特別展「大坂―考古学が語る近世都市―」(読売新聞社など主催)が18日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開幕した=写真=。発掘調査で出土した遺物約200件が並び、近世大坂の歴史と文化、生活、産業を知ることができる。大坂城跡から出土した「方形桐文(きりもん)金箔(きんぱく)瓦」や、「黒織部茶碗(くろおりべちゃわん)」などに来場者が見入っていた。火曜(5月5日は開館)と5月7日休館。6月8日まで。入館料は大人600円、高校・大学生400円。

2015年04月18日

2027名無しさん:2015/04/21(火) 08:42:19 ID:L6BvP.dg0
藤棚 優雅に 福島区で「のだふじ」が開花時季
2015年4月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150418/20150418037.html

 大阪市福島区で、区の花「のだふじ」が開花時季を迎えた。関係者の努力の積み重ねによって公園、神社、学校など各地の藤棚で優雅に咲き連なり、人々に晩春の訪れを告げている。

福島区の野田地区は古来「吉野の桜」などと並び称される藤の名所で、豊臣秀吉も藤の見物に訪れたと伝わる。現在は63カ所に171基の藤棚があり、このうち「藤の宮」の別名がある春日神社周辺では五分咲きに。薄紫色の房が花の波を演出している。

 ボランティアで手入れに尽力する「のだふじの会」事務局長の藤三郎さん(75)は「今季は順調に開花。区内の藤棚を巡って花を堪能してもらいたい」と話している。

 開花状況は場所によって異なり、春日神社周辺では来週いっぱい楽しめる見込み。

2028名無しさん:2015/04/22(水) 21:20:47 ID:eKrZkGco0
四天王寺で「聖霊会」
04月22日 19時07分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/3816541.html

大阪の四天王寺で、聖徳太子をしのぶ大規模な法要、「聖霊会」が行われ、大勢の人が訪れました。
大阪・天王寺区にある四天王寺は聖徳太子が建てたと伝えられることから命日とされる4月22日に、毎年「聖霊会」と呼ばれる法要を行っています。
法要は午後0時半から始まり、僧侶や寺の関係者ら約100人が列を作り、笛や太鼓を吹き鳴らしながら境内を練り歩きました。
このあと、国の重要文化財の「石舞台」で、長方形の布に丸や三角で人の顔をかたどった面をつけて踊る独特の舞、「蘇利古」など約1400年の歴史を引き継ぐとされる舞楽が次々と奉納されました。
四天王寺によりますと境内には約2000人が訪れたということで、兵庫県尼崎市の男性は「厳かで、見ていて心がスッキリとあらわれます。貴重なものが見られて良かったです。」と話していました。
また、アメリカのカリフォルニアから来た男性は「音楽がとてもいいです。平和で穏やかな気持ちになります」と話していました。

2029名無しさん:2015/04/22(水) 22:05:01 ID:eKrZkGco0
古墳群 展示室新設し公開へ
04月22日 06時31分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/4064061.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が古墳や埴輪などの出土品を集めた展示室を新たに設置し、5月から一般に公開することになりました。
この展示室は、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が、市役所の敷地内に設置しました。
展示室は広さがおよそ80平方メートルで、「百舌鳥・古市古墳群」のうち羽曳野市内の古墳から出土した埴輪などおよそ100点が展示されています。
また展示室につながる通路からは古墳群の1つである向墓山古墳を間近に見ることができます。
羽曳野市教育委員会の井原稔課長補佐は「この施設をきっかけにして、羽曳野市などが世界遺産への登録を目指す百舌鳥・古市古墳群についてより多くの人に関心を持ってもらいたい」と話していました。
展示室は、5月7日から一般に公開されます。

2030名無しさん:2015/04/22(水) 22:23:53 ID:eKrZkGco0
僧侶「絵解き」が好評 四天王寺絵堂特別御開扉
2015年4月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150421/20150421024.html

 聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)で、太子の偉業を描いた壁画がある境内・絵堂の特別御開扉「飛鳥から未来へ」が開かれている。僧侶による解説「絵解き」や記念品授与もあり、多くの参詣者から好評を得ている。拝観無料。30日まで。

絵堂内には7面で構成する「聖徳太子絵伝」(杉本健吉氏作)を奉納。特別御開扉は2022年に迎える年忌法要「聖徳太子御聖忌(ごせいき)1400年」に向けた取り組みの一環で昨春から実施している。

 注目の記念品はポストカードで、「聖徳太子孝養半跏(はんか)像」(白鳳〜室町)「童子と遊ぶ太子」(鎌倉)「蘇我・物部の合戦」(同)と、同寺所蔵の文化財をデザインした3種類を用意。入堂した参詣者全員に1枚配布され、封筒入りで絵柄が分からない点も楽しみの一つとなっている。

 絵解き担当の僧侶の数も以前よりも増えており、同寺参詣課の山岡武明課長は「仏教徒としてもレベルアップを図る機会。さらに多くの方に太子の偉業を知っていただきたい」と話している。

 午前8時半〜午後4時半。絵解きは連日午後1時、同3時の2回。

2031名無しさん:2015/04/25(土) 20:48:26 ID:dXaVnBx.0
みやびな舞 太子慰霊 四天王寺で大法要
2015年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150423/20150423022.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で22日、開祖・聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が盛大に執り行われた。初夏の日差しの中、太子慰霊の法要と舞楽が繰り広げられ、参詣者を魅了した。

同法要は国の重要無形文化財に指定されており、四天王寺の年中行事のうち重要かつ最大規模。住吉大社、厳島神社とともに「日本三舞台」と称される境内・石舞台では僧侶による声明(しょうみょう)に続いて、天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)の舞人、楽人がみやびやかな舞楽の数々を奉納した。

 朝鮮半島伝来で太子の目覚めを慰める供養舞とされる「蘇利古(そりこ)」や、王朝時代の武官の正装をした舞人による「春庭花(しゅんていか)」などが舞台上で披露され、周囲に集まった人々が歴史絵巻を思わせる光景に見入っていた。

2032名無しさん:2015/04/26(日) 20:17:32 ID:Lp2ugnhw0
みやび境内に響く 大阪天満宮で「鎮花祭」
2015年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150426/20150426025.html

 大阪市北区の大阪天満宮で25日、「鎮花祭(ちんかさい)」が執り行われた。快晴の下、雅楽や神楽などの奉納があり、初夏の伝統行事をみやびやかに飾った。

同祭は「はなしずめのまつり」とも呼ばれ、疫病の流行する季節の変わり目に花に乗って散り広がる精霊を鎮めて心身の健康を祈願する。

 雅楽奉納では神職らが笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などを演奏し、「賀殿急(かでんのきゅう)」「胡飲酒破(こんじゅのは)」の2曲を境内いっぱいに響かせた。

 このほか同宮の神職とみこが神楽を、関西雅楽松風会が舞楽をそれぞれ奉納。いずれも繊細で息の合った所作と優美な装束が相まって、多くの参拝者を魅了した。

2033名無しさん:2015/04/26(日) 20:32:05 ID:Lp2ugnhw0
三代目「桂花団治」襲名 70年ぶりの名跡復活祝う
http://www.sankei.com/west/news/150426/wst1504260047-n1.html

上方落語の桂蝶六改め三代目桂花団治さん(52)の襲名披露公演が26日、大阪府池田市の市民文化会館で行われ、桂福団治さん(74)や桂文枝さん(71)らが70年ぶりの名跡復活を祝った。

 「花団治」は、二代目が歌手や俳優もこなすなど多彩な才能を誇ったが、昭和20年の大阪空襲で亡くなった。襲名した三代目は大阪府豊中市出身。古典落語のほか狂言にも精通し、将来が期待されている。

 口上では、一門を代表して福団治さんが「上方落語にまた新しい花が咲きました。よろしくお願いします」とあいさつ。桂ざこばさん(67)は「大阪の名前がまた一つ復活できてうれしい。どっしり、そして明るい名前、応援してあげてください」と激励。花団治さんは「これからも精進してまいります」と神妙に語った。

2034名無しさん:2015/05/01(金) 20:53:26 ID:GQ7PWjh.0
「卑弥呼展」開幕…大阪・弥生文化博物館
2015年05月01日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150501-OYO1T50017.html?from=oycont_top_txt

古代史最大の謎、邪馬台国の女王の新たな実像に迫る春季特別展「卑弥呼―女王創出の現象学―」(読売新聞社など主催)が1日、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で始まった。卑弥呼にまつわる鏡など約300点が並ぶ。7月5日まで。

 「卑弥呼と出会う博物館」として同館が3月、大規模刷新したのを記念して開催。「魏志倭(わ)人伝」に登場する伊都(いと)国の王墓とされる福岡県糸島市・平原(ひらばる)方形周溝墓の超大型内行花文鏡(国宝、直径46・3センチ)、「卑弥呼の鏡」候補の一つ、神戸市・西求女塚(にしもとめづか)古墳の画文帯神獣鏡(重文)などが並ぶ。

 月曜(4日は開館)と7日休館。問い合わせは同博物館(0725・46・2162)。

2015年05月01日

2035名無しさん:2015/05/03(日) 01:55:41 ID:ag9OrMUw0
荘厳の世界 大念佛寺「万部おねり」
2015年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150502/20150502027.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺で1日、伝統行事の「万部(まんぶ)おねり」(市指定無形民俗文化財)が始まった。文字通りの五月晴れの下、菩薩(ぼさつ)が現世から極楽浄土へ向かう来迎の光景を再現。多くの参詣者が荘厳な儀式に見入っている。7日まで。

 同寺の数多い年中行事のうち最大規模を誇る。今年は開宗900年記念に加えて、第46世上人で江戸時代の宗門再興に尽力した大通上人の300回御遠忌(おんき)という節目の大法要として執り行われる。

 本堂沿いの特設回廊では諸講元ら奉仕者の行列に続いて、きらびやかな面と装束の観世音菩薩や普賢菩薩など二十五菩薩が順次登場。また大法要にあたり特別に地蔵菩薩も厳かにお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ入堂した。

 期間中は声明コンサートや郷土芸能といった奉納行事も行われる。お練りは連日午後1時から。

2036名無しさん:2015/05/03(日) 09:08:28 ID:DlWd16nY0
桂文珍さんら磨き抜かれた話芸披露 上方落語名人会
http://www.sankei.com/west/news/150502/wst1505020076-n1.html

産経新聞社が昭和39年に上方芸能の振興を目指して創設した「上方落語名人会」(産経新聞社など主催、上方落語協会提供、大阪製紙、近鉄タクシー協賛)が2日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれた。

 52回目となる今回は、1月の新進落語家競演会で新人賞を受賞した桂二乗さんがトップバッターを務め、桂春蝶さん、桂文三さん、桂文之助さんが続いた。

 中入り後は、笑福亭枝鶴さん、トリは桂文珍さんが「憧れのホーム」を披露し、会場を大いに沸かせていた。

 上方落語名人会は、新進芸術家の育成を目指し39年から続いている総合芸術祭「なにわ芸術祭」の演目の一つとして定着。若手、中堅、大御所それぞれの魅力が楽しめる落語会として人気を博している。

 今年も日本舞踊、落語、クラシック音楽、ジャズ、洋舞の5部門で新人賞を選出し、7月17日には各受賞者が一堂に会して演目を披露する「受賞者記念公演&表彰式」が同ホールで開催されることになっている。

2037名無しさん:2015/05/03(日) 19:51:23 ID:ZS0bIma.0
道明寺合戦から400年
05月03日 12時33分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150503/4216441.html

「大坂夏の陣」からことしで400年を迎えるのにあわせて、激戦が繰り広げられた大阪・藤井寺市で3日、武者行列が行われました。
「大坂夏の陣」の「道明寺の戦い」が行われた大阪・藤井寺市にある道明寺天満宮に、かっちゅうや華やかな着物を身にまとったおよそ70人の市民が集まりました。
豊臣方の武将の真田幸村や淀君などにふんした一行は、おはらいを受けたあと、1キロ近い道のりを20分ほどかけて「えい、えい、おー」と声をあげながら練り歩きました。
そして、ゴール地点の河川敷に到着すると、鉄砲隊が火縄銃を次々に放ち、沿道につめかけた人たちが盛んに写真を撮っていました。
1歳の子どもを連れて見物に来ていた女性は「武者行列はかっこよかったです。娘にも見せられて子どもも喜んでいると思います」と話していました。
主催者の森田剛浩さんは「400年の節目となることし、この地で合戦があったことを多くの人に知ってもらう機会になればいいと思います」と話していました。

2038名無しさん:2015/05/04(月) 08:15:21 ID:0rRfemIw0
歴史や武将など紹介 「るるぶ」発行、無料配布
2015年5月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150503/20150503039.html

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会(事務局・大阪市経済戦略局)は、情報誌「るるぶ特別編集・大坂の陣400年天下一祭」を発行した。大坂の陣の歴史や武将、各軍の配置図を紹介。市役所、区役所、図書館、大阪城天守閣で無料配布している。

 「るるぶ-」は12ページオールカラー。大坂の陣以外の歴史スポットや食の情報も掲載している。発行部数は8万部で、東京都内の旅行代理店やバスターミナルなどにも配布。7月中旬には第2弾の発行を予定している。

 天下一祭は9月30日まで開催。期間中は金箔(きんぱく)貼りの御座船による大阪城内堀の遊覧があり、7日は「大阪城天下泰平の灯(ともしび)」、16、17の両日は「大坂ノ陣合戦祭り」が予定されている。

2039名無しさん:2015/05/04(月) 14:38:08 ID:PL380kNM0
華麗な舞 魅了 住吉大社で卯之葉神事
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504026.html

 住吉大神の鎮座を記念する伝統の祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が3日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で盛大に執り行われた。多くの参拝者が見守る中、舞楽奉納もなされるなど初夏の境内をみやびやかに飾った。

卯の花(ウツギ)の開花期となる5月最初の「卯」の日の伝統行事。境内・第一本宮で斎行された「本殿祭」では祝詞奏上や献香、献茶に続いて、参列者の代表がサカキではなく卯の葉の玉串を神前にささげた。

 舞楽は大阪の四天王寺、広島の厳島神社と並び日本三舞台として知られる境内・石舞台(国指定重要文化財)で奉納された。天王寺楽所雅亮会の舞人が東西の楽所から響く雅楽の調べに乗せて登場。舞楽の幕開けを告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「萬歳楽(まんざいらく)」「登天楽(とうてんらく)」などを次々と舞い、装束や勇壮華麗な所作で参拝者を終始魅了した。

2040名無しさん:2015/05/05(火) 22:19:25 ID:FkT34vbs0
大みこし復活へ 来夏の住吉祭に向け修繕
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504034.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の大(おお)みこしが、修復を終えて来年春にお披露目される。70年以上にわたって倉庫で“眠っていた”が、地元有志が3千万円の修繕費用を確保。担ぎ手不足を乗り越え、来年夏に開かれる大阪三大夏祭りの「住吉祭」での復活を目指している。

大みこしは、1881(明治14)年に同神社に奉納された。現在、同神社で使われているみこしと比べて二回り以上の大きさを誇り、重さは約2・6トンとされている。「住吉さんのみこしと言えば大みこし」と言われるほど住民に愛されてきた。

 しかし太平洋戦争を背景に住吉祭のうち、みこしを担いで練り歩く「神輿(みこし)渡御」が中止に。戦後になって再開され、その後、再度の中止をはさんで2005年に再開されて現在に続くが、この間は新調した別のみこしなどを使っていた。

 かつての勇姿を見てもらおうと住吉祭神輿渡御実行委員会は昨年6月から奉賛金を募り、修繕に必要な3千万円以上を確保。かざり金具は京都で、木彫部などは富山に分かれ、それぞれの箇所ごとに復元作業が進められている。

 昔の熱気を取り戻そうとする動きを肌で感じ、同委員会の中野紀久雄会長(74)は「この機会を逃したら次はない。できることは何でもしたい」と意気込む。

 課題は担ぎ手の確保だ。現在は約200人が交替でみこしを担いでいるが、大みこしはその倍の人数が必要。「今も少ない20、30代の若手にどんどん参加してほしい」と中野さん。次男で担ぎ手をまとめる若者頭の光典さん(43)は「今のみこしとは大きさがまるで違う。自分たちも成長しないといけない」と気を引き締めている。

 同神社の権禰宜(ごんねぎ)の岡康史さんは「祭りが人をつなぎ、一つにする。20年、30年先を見据えて、地域をもり立てたい」と話していた。

2041名無しさん:2015/05/07(木) 11:33:29 ID:zCNjF7qc0
幸村 悲運から400年 最期の地で慰霊祭
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506089.html

 信州上田の武将真田幸村が「大坂夏の陣」(1615年)で戦死した場所と伝わる大阪市天王寺区の安居神社(中島一熈宮司)で5日、「真田幸村公戦没400年慰霊祭」が盛大に執り行われた。氏子衆や幸村崇敬者など多くの参拝者が参列。境内を静かに見守る幸村座像にじっと手を合わせた。

天王寺口の戦い」で徳川家康に迫りながらも境内で絶命した悲運の武将を悼み、戦前から「幸村祭」として毎年斎行。座像前では祝詞奏上などに続いて長野県上田市の関係者や大阪城真田鉄砲隊、大阪城甲冑(かっちゅう)隊ら参列者代表が玉串をささげた。

 このほか同鉄砲隊代表で砲術史家の澤田平さん=同市東成区=が、大坂の陣ゆかりの貴重な品々を展示した。歴史愛好家に解説しつつ「あらためて歴史を検証する好機であり、幸村公の無念を晴らすことができたと思う」と感無量の表情を浮かべた。中島宮司は「大きな節目を迎えたが、今後も皆さんとともに幸村公を温かく見守っていきたい」と話した。

2042名無しさん:2015/05/07(木) 11:42:17 ID:zCNjF7qc0
歌劇武将隊さっそうと 大阪城ファミリーフェス
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506086.html

 大阪城の歴史・文化を身近に感じてもらうイベント「大阪城ファミリーフェスティバル2015」の最終日が5日、大阪市中央区の大阪城天守閣前本丸広場で開かれた。天守閣前特設ステージには、宝塚歌劇団とOSK日本歌劇団の出身者による「大阪城歌劇武将隊」が登場。晴天の下、りりしい姿で来場者を魅了した。

歌劇武将隊は、桜花昇ぼるさん(元OSK)が真田幸村、鳴海じゅんさん(元宝塚)が後藤又兵衛に扮(ふん)するなど、大坂の陣で活躍した5人の武将をそれぞれ女性が歌やダンスで演じた。

 5人を中心とした舞台公演「太鼓×歌劇 大阪城パラディオン」(5月30、31日・サンケイホールブリーゼ)が予定されており、この日はテーマ曲「将星」や舞台の一場面を披露した。

 桜花さんは「大坂の陣から400年の年に、この作品に巡り合うことができて本当に幸せ。夏の陣の場面は、涙なしでは見られない」と公演をPRしていた。

2043名無しさん:2015/05/07(木) 11:48:23 ID:zCNjF7qc0
伝統の神事に流鏑馬の型奉納 生国魂神社
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506090.html

 「いくたまさん」と呼ばれて親しまれている大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で5日、端午の節句の伝統行事「走馬(そうめ)神事」が執り行われた。流鏑馬(やぶさめ)の型が奉納され、大勢の参拝客らは勇壮な礼法に見入った。

同神社の流鏑馬は、豊臣秀吉が大坂城を築城する約400年前、現在の場所に神社が移って武士が稽古していたことから始まったとされる。明治に入って途絶えてしまい、神事のみが続いていた。

 型は「木馬の型」といわれ、かつて武士が流鏑馬の稽古として行っていたもの。昨年の夏の大祭で、大阪城への渡御列が70年ぶりに復活するにあたり、弓馬術礼法小笠原教場の協力で、102年ぶりに復活した。

 大阪の繁栄を願う神事が本殿で営まれた後に型を披露。武士の衣装を身にまとった同教場の3人が、順次木馬にまたがり、回転しながら鏑(かぶら)矢で三つの的を射抜くと、参拝客から拍手が送られた。

 かつて流鏑馬が行われていた表参道は現在、谷町筋によって遮られているため、同神社は「氏子の皆さんとともに、流鏑馬が再び行えるように願っている」と話している。

 また、近くの生玉公園では、新庄乗馬クラブの協力で子ども向けの乗馬体験も開かれた。

2044名無しさん:2015/05/07(木) 21:27:01 ID:vjPUMxfM0
大坂城落城400年イベント開始 あんどんの明かりに願い
2015年5月7日 19:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150507/20150507096.html

 大坂夏の陣で大坂城が落城してから7日で400年となるのにちなみ、大阪市中央区の大阪城天守閣前で、400個のあんどんに明かりをともすイベントが始まった。

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会が、天下太平の世が訪れた重要な日に、大阪のさらなる発展を祈願したいと主催した。特設の台に並べたあんどん400個全てに、城の来場者が書いた未来の大阪への願いが貼られた。

 夕暮れとともに明かりがつくと、天守閣前の広場には幻想的な光景が広がり、訪れた人たちは城と穏やかな光の共演を楽しんだ。あんどんの展示、点灯は9日まで毎日午後6〜8時に行われる。入場無料。

2045名無しさん:2015/05/07(木) 21:43:29 ID:vjPUMxfM0
落城400年 来訪者に証明書
05月07日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150507/4393251.html

大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になるのを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られています。
徳川家康が豊臣氏を滅ぼした1615年の大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になります。
これを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られることになり、配布が始まる午前9時前から、約80人が列を作りました。
かぶとをかたどった証明書には、城が攻め落とされてから400年になる7日、天守閣を訪れたという内容が日本語と英語で書かれています。
静岡県から家族で訪れた男性は「いい記念になりました。4歳の息子が大きくなったら話して聞かせたい」と話していました。
台湾から訪れた男性は「どうしても証明書がほしくて会社を休んで来ました。大阪城は台湾でも人気があるので、帰って自慢したい」と話していました。
広報を担当する青木美佐子さんは「落城の日が過ぎても400年記念のイベントは続くのでたくさんの人に訪れて欲しい」と話していました。
8日は、豊臣秀吉の子、秀頼が自害した日とされ、大坂の陣終結から400年の証明書が配られます。

2046名無しさん:2015/05/07(木) 22:15:36 ID:vjPUMxfM0
夏の陣400年武将悼む…大阪の神社で慰霊祭
2015年05月07日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150507-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣から400年に合わせ、大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、慰霊祭が営まれ、地元の住民ら約50人が、戦いで命を落とした武将らを悼んだ。

 夏の陣では、慶長20年(1615年)5月7日に最後の決戦があり、大坂城が落城。翌日、豊臣秀頼と母の淀殿が自害した。

 同神社は大坂城三の丸があった地に立ち、豊臣、徳川の時代に「大坂城の鎮守神」として信仰を集めた。境内には秀頼が寄進した鳥居が残っている。

 慰霊祭では、祭主を務めたサントリーホールディングスの鳥井信吾副会長らが玉串を奉納した。

2015年05月07日

2047名無しさん:2015/05/08(金) 21:19:11 ID:VXCIbyd.0
幻のからくり人形を再現…右半身不自由な人形師
2015年05月08日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150508-OYO1T50020.html?from=oycont_top_txt

大阪府寝屋川市のからくり人形師、東野進さん(65)が、立ち姿の武者が矢を射るからくり人形「弓射り武者」を製作した。幕末から明治時代の発明家で、東芝創業者の田中久重(ひさしげ)の「幻の人形」を再現したものだ。東野さんは、脳梗塞で右半身が不自由になりながら、3年半かけて完成させた。

 高さ約35センチの武者人形が矢立から取った矢を弓につがえ、首を傾けて狙いを定める。放たれた矢は2・5メートル先の的に突き刺さった。台座の中のからくりは、ぜんまいが生み出す動力をカムや腕木と呼ばれる部品を介して14本の糸に伝える。両脚を通って両腕や首につながった糸に操られ、人形は4本の矢を次々と放つ。

 田中のからくり人形は、これまでに5体が確認されている。東野さんは、このうち座った童子が弓を射る「弓曳(ひ)き童子」など4体を国内外で発見し、修復。弓曳き童子は日本機械学会の機械遺産に認定された。

 弓射り武者は、田中の業績を伝える昭和初期の本で「丈(た)け一尺(約30センチ)餘(あまり)の見事な甲冑(かっちゅう)人形」と紹介されているものの、現在は所在不明となっている。東野さんは以前、高さ50センチほどの一回り大きな弓射り武者を作ったことがあるが、原寸大での再現にも挑戦したいと考えていたという。

 2011年2月、脳梗塞で倒れ、右半身が自由に動かなくなった。だが、半年間の入院中も枕元に鎧(よろい)を置いて構想を練り、退院後に製作に着手。子供の頃は左利きだったため、やすりや彫刻刀を左手で扱った。ただ、木や鉄の部品は約200個に及び、「手間は右手が使える時の倍はかかった」と振り返る。

 弓射り武者は16年の正月、江戸東京博物館(東京都)で披露する。東野さんは「渾身(こんしん)の作で、これでやり残したことはない。多くの人に楽しんでほしい」と話している。

田中久重 1799年(寛政11年)、筑後国(現福岡県)でべっこう細工師の長男として生まれた。からくり人形製作のほか、佐賀藩に招かれ、蒸気機関や大砲の技術開発にも取り組んだ。1875年(明治8年)に東京・銀座に構えた工場兼店舗が後に、東芝へと発展した。

2015年05月08日

2048名無しさん:2015/05/08(金) 21:45:58 ID:VXCIbyd.0
秀頼、淀らしのぶ ”鎮守”玉造稲荷で慰霊祭
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508022.html

 “大阪城の鎮守”として知られ、豊臣家と縁が深い大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、「大坂の陣400年慰霊祭」が営まれた。関係者や氏子が出席し、豊臣、徳川両家をはじめ戦いで命を落とした全ての人をしのんだ。

玉造稲荷神社は紀元前12年に建立されたが、その後は荒廃し、1603年に秀頼によって再興された。境内には、秀頼と母の淀を結ぶ胎盤と卵膜が鎮まる「秀頼公胞衣(よな)塚」がある。

 400年前の7日、大坂の陣は最後の決戦を迎え、大坂城は落城。翌8日に秀頼と淀が自害した。

 この日は、胞衣塚の前で鈴木一男宮司が祝詞を奏上。サントリーの鳥居信吾副会長、森下仁丹の駒村純一社長らが玉串を奉納した。境内にある秀頼の銅像にも献花した。

 鈴木宮司は「平和で大阪が発展していくことを祈念致します」とあいさつ。氏子代表の二ノ宮※治さん(76)=中央区=は「無事に終わって良かった。できる限り、神社を守るお手伝いをしていきたい」と話していた。

※は王ヘンに秀

2049名無しさん:2015/05/08(金) 21:52:48 ID:VXCIbyd.0
「大坂城落城」思いはせ 来館者に登閣証明書配布
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508020.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で7日、400年前の「大坂夏の陣」での落城の日にちなみ、来館者へ記念の天守閣登閣証明書が配布された。大きな節目に当たり、多くの人々が日本を揺るがした壮大な歴史ドラマに思いをはせた。

大阪城天守閣による「大坂の陣400年プロジェクト」の一環。大坂の陣関連の多彩な展示会や事業を通じて大阪の歴史や魅力に触れてもらおうと企画した。

 証明書の配布は、「大坂冬の陣終結」400年に当たる2014年12月22日に続いて2度目。城の屋根をモチーフにした前回に対し、今回はかぶとをデザインした。前回同様、日本語と英語で歴史と登閣を証明する内容が表記され、国内外の来館者が見入っていた。

 大阪歴史博物館で長年ボランティアを務める山田康広さん(74)=豊中市=は証明書を受け取り「大阪城が大好きなので、ぜひこの日に訪れたかった。これからも全国の皆さんに歴史と魅力を広めたい」と笑みを浮かべていた。

 大坂の陣終結400年の8日には「高麗橋擬宝珠」をデザインした証明書(5千枚限定)を配布。同天守閣では「縁あって皆さんがお越しになったこの場所で、積み重なってきたさまざまな歴史に思いをはせてもらえるきっかけとなれば」と話している。

2050名無しさん:2015/05/12(火) 19:12:05 ID:2Go/SKJY0
幸村博 歴女が行列 天王寺、イベント沸く
2015年5月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150511/20150511023.html

 大坂の陣400年にちなんだ歴史顕彰イベント「天王寺真田幸村博〜赤備えの章」が10日、大阪市天王寺区の近鉄大阪上本町駅周辺で行われた。戦国武将の真田幸村にスポットを当てたステージが開かれるなど、大勢の歴史ファンでにぎわった。

イベントは、同区役所などでつくる実行委員会が主催。大坂の陣を代表する戦国武将の幸村が大坂城の出城「真田丸」を築き、最期を迎えた同区の魅力を発信しようと、昨年から区内各地でさまざまなプログラムを実施している。

 10日は、同駅に隣接する商業施設「うえほんまちハイハイタウン」で、殺陣パフォーマンスや、武者行列と演武、幸村の子孫の真田徹さんを招いてのトークショーが開かれた。また、幸村関連のゲームのグッズや工芸品の販売があり、買い求める“歴女”の長い行列も。真田丸のジオラマや特設の幸村神社を参拝する幸村ファンの姿もあった。

 同区長の水谷翔太実行委員長は、来年のNHK大河ドラマに真田丸が決まって天王寺が盛り上がってきたといい「今から400年前に悲しい戦いがこの地で繰り広げられた。今回を機に、新しい400年を刻むことができれば」と話していた。

2051名無しさん:2015/05/12(火) 19:39:39 ID:2Go/SKJY0
天神祭成功へ一丸 実行委が初会合
2015年5月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150512/20150512035.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の実行委員会は11日、2015年度の初会合を大阪市北区の大阪天満宮会館で開き、7月24日に宵宮祭、翌25日に本宮祭と奉納花火を行うことなどを確認した。また実行委員長に栗原宏武氏が就任したことが報告された。

会合には大阪天満宮の寺井種伯宮司や氏子代表ら関係者約80人が出席。会の冒頭、寺井宮司が、体調不良のため京極俊明氏が実行委員長を退任し、栗原氏が就任した経緯を報告した。

 栗原氏は「伝統のある天神祭をなんとしても盛り上げ、次の時代に引き継いでいかないといけない。皆さんに協力いただき、力を一つにして頑張っていきたい」と決意を述べた。

 会合では、14年度の決算や15年度の予算が報告され、累積赤字の解消策などが話し合われた。事業計画も発表され、25日の奉納花火では約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が披露される。

2052名無しさん:2015/05/14(木) 21:12:57 ID:RoDNhHXk0
初夏の薫り 住吉大社で卯の花見頃
2015年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150514/20150514028.html

 13日の近畿地方は高気圧に覆われ、台風6号の影響で大荒れとなった前日から一転、各地でさわやかな五月晴れとなった。

大阪市住吉区の住吉大社境内にある「卯(う)の花苑」では卯の花(ウツギ)が見頃を迎え、一帯は初夏の薫り。13種約500株が植栽されており、純白のウツギをはじめ紅白織り交ぜたハコネウツギ、八重のサラサウツギが参拝者を迎えていた。

 大阪管区気象台によると、大阪市の最高気温が25・5度まで上昇。このほか枚方市26・0度▽堺市26・0度▽八尾市25・9度と各地で夏日となり、軒並み平年を0・3〜2・9度上回った。

2053名無しさん:2015/05/14(木) 21:44:48 ID:RoDNhHXk0
「くすりの町」に薬の史料館
05月12日 22時44分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150512/4212221.html

大手製薬会社「田辺三菱製薬」の本社が「薬のまち」として知られる大阪の道修町に移転し薬の歴史などを学べる史料館が12日オープンしました。
この史料館は、「田辺三菱製薬」が大阪・中央区の道修町に新しく建設した本社ビルに設けられ、薬にまつわる歴史や知識を学ぶことができます。
このうち、明治初期の薬を扱う商店を再現したコーナーでは、店主の姿がスクリーンに映し出され、薬のまち、道修町がどのように発展してきたかを紹介しています。
また、「産前産後打ち身によし」などと書かれた江戸時代の看板や、昭和初期のはかりなども展示されています。
このほか、体の中で薬が作用する仕組みを説明する立体画像や、薬の知識を問うクイズを楽しめる展示などもあります。
見学した男性は、「薬の歴史を物語る貴重なものを見ることができてよかったです」と話していました。
田辺三菱製薬広報部の原健司さんは、「所蔵品を入れ替えて展示していくので、歴史を感じてもらいたい」と話していました。
この史料館は事前に申し込めば誰でも見学できるということです。

2054名無しさん:2015/05/19(火) 04:53:22 ID:4U8lp5tg0
感謝を込めて「家族」と別れ 大阪天満宮で人形祭
2015年5月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150518/20150518034.html

 思い出の詰まった人形に感謝の思いを込めて奉納する「人形祭」が17日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。納められた日本人形やひな人形、フランス人形、縫いぐるみなどを前に祝詞があげられ、玉串が奉納された。

関西節句人形工業協同組合の主催で2011年から毎年5月に開催。「200人以上の人が人形を持って来られ、1500体前後の人形が納められた」と元賀圓治同祭実行委員長。

 午後3時から行われた神事「人形奉謝祭」には人形を納めた人や組合の関係者、地域の人らが参列。今までの恩恵に感謝し、これからの加護も祈った。

 同組合の小出康雄理事長は「さまざまなお祝いごとで贈られ長い間親しんできた人形など、お役目を終えた後どうしたらいいかと困っている人は多い。作り手として、今後も最後まで面倒を見ていきたい」と話していた。

2055名無しさん:2015/05/22(金) 21:51:44 ID:fw7ynx6A0
まだ地中に眠る不発弾 多く残存の可能性
2015年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150520/20150520032.html

 全国各地で不発弾の発見が続いている。大阪市では3月にミナミの繁華街で見つかり、5月9日に撤去作業が行われた。70年前の大阪大空襲による不発弾は、まだ地中に眠っていると指摘する声も多い。戦争の記憶が風化する中、関係者は警戒感を緩めないよう呼び掛けている。


 繁華街は一時、1個の不発弾処理で機能停止に陥った。約2200人が避難を強いられ、商業施設は休業、電車も一時運休した。

 ミナミのマンション新築工事現場で見つかったのは長さ1・8メートル、直径60センチの1トン爆弾。地上で爆発すれば半径1キロの範囲で破片が吹き飛ぶサイズだ。

 「まさかこんな商業地に70年前の遺物が埋もれているなんて」。近くの団体職員、丸尾三郎さん(72)は声を震わせた。

1発の破壊力
 太平洋戦争末期、米軍は大阪を約50回にわたって空爆。100機以上の来襲も何度か繰り返され、そのたびに数百発の爆弾が投下された。空襲後は地面のあちこちに大きな穴ができたという。

 空襲による被害を調査してきた大阪電気通信大の小田康徳名誉教授(日本近代史)は「恐ろしい破壊力。1発でも直撃すれば人の体は跡形もなくなり、工場の鉄骨はあめ細工のように折れ曲がった」と指摘する。

 市内で不発弾が発見されたのは、記録がある1955年以降、今回で87個目。城東区や都島区など大阪城周辺の工事現場で見つかることが多い。民家の庭で見つかることもあり、高齢者が自宅で保管していたケースもあった。

 不発弾の処理について、近畿2府4県を管轄する陸上自衛隊第3師団への通報は年間100件程度で推移し、年数回ペースで処理されている。これまでの撤去作業はすべて成功し、けが人はない。

70年経ても機能
 しかし、全国で撤去された不発弾数の約半分を占める沖縄県では、子どもが石を投げ付けて爆発したり、処理中にさく裂するなどの事故が発生。同県防災危機管理課のまとめでは、本土復帰した72年以降の不発弾による死者は6人、負傷者は51人に上る。

 陸上自衛隊の推計によると、全国に埋もれた不発弾は約2600トン。都市開発が進む大阪市でも今後、工事現場などで見つかることが想定される。

 このため、大阪市危機管理室の橋口博之住民保護企画担当課長は「民家の下に眠っている可能性も否定できない。見つけた場合はすぐに警察へ通報し、絶対に触れないでほしい」と呼び掛け、第3師団広報班の塩津知明班長は「70年を経た不発弾の信管であっても衝撃を加えれば機能する可能性がある」と警鐘を鳴らす。

 戦後70年。不発弾の相次ぐ発見について、小田名誉教授はこう説く。

 「戦地だけでなく、市民の暮らしや命までも奪った。そんな戦争の一端を不発弾が物語っている。歴史は未来の平和を照らす。戦争が問うたことを若い世代にも考えてもらいたい」

2056名無しさん:2015/05/24(日) 18:55:36 ID:DjGiuHxM0
仁徳陵石室 CG映像で再現
2015年05月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150523-OYTNT50023.html

◇堺市博物館 ミニシアター映像公開

 世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)古墳群」を紹介する堺市博物館(堺区百舌鳥夕雲町)内のミニシアターに、仁徳天皇陵の内部の石室をコンピューターグラフィックス(CG)で再現した映像が登場し、来館者を楽しませている。

 宮内庁が管理する仁徳陵では発掘調査ができないが、1872年(明治5年)に何らかの原因で前方部が崩れた際、大王ゆかりの人物の石室が見つかり、内部で長持形石棺(幅約2・4〜2・7メートル、長さ3・9メートル)が確認された。今回のCGは、当時の様子を描いた絵図をもとに再現した。

12分間の映像はまず、多くの埴輪(はにわ)が並ぶ築造当時の外観を紹介。続いて古墳の前方部にある石室をのぞき込むようにして、内部に収められた石棺を映し出し、朱色に塗られた表面外側の突起の一部を見ることができる。石棺の傍らで発見された副葬品の甲冑(かっちゅう)や剣なども再現された。

 昨年3月に整備されたミニシアターでは、百舌鳥古墳群の上空を飛んでいるような体験ができる映像が公開されており、今後は新しい映像と交互に上映する。

 入場無料。午前10時〜午後4時30分。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・245・6201)へ。

2015年05月23日

2057名無しさん:2015/05/24(日) 19:53:31 ID:DjGiuHxM0
淀屋の闕所 謎迫る 研究会10周年記念シンポ
2015年5月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150524/20150524032.html

 江戸時代の大坂の豪商「淀屋」を題材にした淀屋研究会(毛利信二代表)の創立10周年記念シンポジウム「豪商淀屋の闕所(けっしょ)から310年」が23日、大阪市中央区で開かれた。幕府の命で財産没収と大坂追放の闕所となった「日本一の豪商」淀屋の謎に迫った。

同研究会は、淀屋闕所300年後の2005年に発足し、淀屋に関する真実の探求や、鳥取県倉吉市など関係する自治体への貢献などを目的に活動を展開。これまでにシンポジウムを開催するほか、関係資料などの調査を進めてきた。創立10年を記念した今回は、いまだ謎に包まれている闕所をテーマに開催した。

 聴衆約300人が集まった会場では、有識者らが登壇し、それぞれの視点を披露。佛教大学歴史学部の渡辺忠司教授は「近世大坂の商業的発展と淀屋」と題して講演。淀屋が中心的な役割を担なった米や青物、塩干魚といった市場の整備によって、大坂が全国の物流拠点となったことが、江戸中心の社会を築きたい幕府の妨げとなったといい、闕所は「個人のうらみだけではなく、徳川政権が進めたい社会構造との兼ね合いによるものでは」と持論を述べた。

 また、同研究会の蒲田健三副代表と丹波紀美子幹事、淀屋の闕所を題材にした『謀(たばか)る理兵衛』の著者、松本薫さん=鳥取県米子市在住=ら3人が対談。このうち、松本さんは淀屋の番頭の出身地、伯耆・倉吉でひそかにのれんを守り、闕所から約60年後に大坂で再興を遂げたことから「大坂商人の意地を感じる。謀ったのは幕府ではなく、淀屋だったと思う」と話した。

2058名無しさん:2015/05/27(水) 04:25:47 ID:4pA.d1f.0
「天神祭」実行委員長に就任 栗原宏武さんに聞く
2015年5月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150525/20150525026.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の宵宮祭は7月24日、本宮祭は翌25日に盛大に催される。千年余りの歴史と伝統を誇る大阪の夏の風物詩。絢爛(けんらん)豪華な時代絵巻を繰る広げる渡御行事や夜空を彩る約4千発の奉納花火など、100万人以上の参拝者や見物客でにぎわう。大阪の観光や経済活性化にも寄与する同祭の実行委員長に、天神祭渡御行事保存協賛会副会長の栗原宏武さん(75)が就任した。重責を担うことになった新実行委員長に祭りへの意気込みなどを聞いた。

-実行委員長就任を打診されたときの心境は。

 「大変に責任のある仕事。困ったことになった、というのが正直な気持ちだった。前実行委員長の京極(俊明)さんとは、2011年以降、(天神祭渡御行事保存)協賛会の副会長を一緒に務め、実行委員長としての仕事ぶりを拝見してきた。その京極さんのご推薦でもあり、やらないかんのかな、と覚悟を決めた」

 -新実行委員長としての抱負は。

 「天神祭は、大阪のにぎわいにも関わってくる一大イベント。元気な大阪の象徴でもある。近年は協賛企業も少なくなり、厳しい運営となっているが、この素晴らしい伝統は、次の時代にきちんと伝えないといけない。幸い、経済情勢も上向いてきた。経済界はもちろん、各界の協力を頂きながら、さらに祭りを発展させ、盛り上げていきたい」

 -これだけの祭り、運営するのも大変だ。

 「事故なく終えることが重要だ。警察や消防などの関係機関とも十分に協議して、万全の体制を整えたい。併せて、熱中症対策にも力を入れたい。異常気象の影響か、近年は熱中症の人がものすごく増えた。医師会や医療系大学の協力も頂き、救護対策を充実しようと考えている。ただ、対策はするが、一番いいのは、熱中症にならないで祭りを楽しんでもらうこと。来場者自身に熱中症対策をしていただけるよう、事前にPRすることも考えたい」

 -宵宮祭や本宮祭の当日にも重要な役割がある。

 「陸渡御では、総奉行として馬に乗らないといけない。映画撮影用の人に慣れた馬で、引き手もいるそうだが、何といっても、身動きできないくらいのものすごい人出。馬も興奮して暴れることがあり、何度も落馬しそうになった、と京極さんに伺ったことがある。初めてのことでもあり、無事に務められるか心配だ。しかも、夏の炎天下で、時代装束。体力的にも厳しく、私より10歳年長の京極さんが、これまでよくやってこられたと感心している」

 -体力強化や体調管理も必要だ。

 「天神祭に向けて、というわけではないが、普段からバスや電車を利用して、できるだけ歩くようにしている。現在も大学で少年法の講義を持っており、学会や各種の会議などで出掛けることも多い。万歩計で測ると、1日1万歩以上。何とかなるかな、とは思っている」

 【プロフィル】栗原宏武(くりはらひろむ) 1939年、大阪市出身。関西大法学部、同大学院法学研究科を経て、64年に司法試験に合格した。67年4月に京都地裁判事補となり、大阪高裁部総括判事や大阪家裁所長などを歴任。2004年に定年退官し、同年9月に関西大法科大学院教授、10年4月から同名誉教授を務める。05年に大阪府公安委員となり、06年から14年まで同委員長。

2059名無しさん:2015/05/28(木) 20:09:57 ID:PGaBWCHM0
仁徳陵陪塚で築造時の葺石 堺市、全長も判明
2015年5月28日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150528/20150528079.html

 仁徳天皇陵とされる大山古墳に付属する陪塚の一つ、収塚古墳(5世紀半ば、前方後円墳)で、築造時の状態とみられる葺石が見つかり、堺市が28日、発表した。前方部の端が確定し、古墳全長は従来の57・7メートルではなく約59メートルと分かった。

市によると、収塚古墳は、大山古墳のすぐ南東にあり、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。前方部が短い帆立て貝形だが、前方部はほとんどが削られており、明治30年代の地図には円墳として描かれていた。

 1972年ごろ前方後円墳と認識したが、円墳として国指定史跡になったままという。

2060名無しさん:2015/05/28(木) 21:19:03 ID:PGaBWCHM0
額に宝印 伝統行事で注目集める長宝寺
2015年5月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150528/20150528038.html

 「えんまさんのお寺」として親しまれる大阪市平野区平野本町の長宝寺(西脇慈容住職)が注目を集めている。中世から現在に至るまで広く信仰を集めるえんま信仰の拠点。今年3月には大阪市指定文化財に寺関連の習俗や宝物など5件が登録された。参拝者の額にえんま王の花押を彫りこんだ宝印を授与する行事は全国的にも珍しく、毎年多くの参拝者が訪れて加護を願っている。

長宝寺は坂上田村麻呂の娘春子の創建とされる真言宗寺院。永正10(1513)年の年紀を持つ『よみがへりの草紙』では、長宝寺の比丘尼がえんま王の取り計らいで蘇生した話が記される。

 『よみがへり-』にも書かれるのが宝印授与の儀式。毎年、えんま王の縁日にあたる5月18日に行う。「全国的に見ても珍しく、中世の信仰習俗が現代まで継続して行われているという、大阪市内に残る特別なえんま信仰」として、他の宝物とともに市の無形民俗文化財に指定された。

 今月18日も多くの人が参拝。「坂上田村麻呂公の守護仏」「えんま大王」の年1回の開扉の中、宝印の授与式が粛々と行われ、約300人が、えんま王と縁を結び地獄に落ちなくなるという“天国へのパスポート”を授かった。

 宝印を授与された瀬戸正樹さん(59)=福島区=は「毎年、家内安全を願い、一年健康で過ごせるようにと参拝している」と話していた。

2061名無しさん:2015/05/31(日) 19:09:35 ID:yDNiVAjE0
猪飼野だんじり新調 「地域結束の象徴に」
2015年5月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150530/20150530040.html

 約130年前から大阪市生野区の猪飼野地区に伝わるだんじりが34年ぶりに全面修復され、夏祭りを前にこのほど完成した。中高生から80代の長老まで、まちぐるみで受け継いだ“宝”が31日の「入魂式」でお披露目される予定だ。まちの活性化に取り組む猪飼野保存会では「地域結束の象徴に」と新たな希望を託している。


保存会によると、猪飼野の地名は、四足獣を食用とすることが禁じられていた明治維新以前、「ヤマクジラ」という隠語を使ってイノシシを養殖したことからその名が付いたという。旧村が集まる地域だが、戦後はコリアタウン(御幸通商店街)が形成され、観光地としてもにぎわう。

 地域に残る資料によると、だんじりが製作されたのは1887(明治20)年で、1981(昭和56)年の改修まで使用された初代の見送り幕は、その鮮やかさを表現するため、ヒヒの血で真っ赤に染め、金の刺しゅうを施したという言い伝えが残っている。

 記録では戦後51(昭和26)年と81年の2度改修。「大阪型幕式地車」と呼ばれ、棒に肩を入れ、みこしのように持ち上げる「担ぎ上げ」が特徴で、大阪では福島区の海老江と並んで知られている。また、眼光鋭い魔よけの獅噛(しがみ)も特徴で、先代に倣う赤地に勇壮な竜虎が描かれた豪華な飾り幕も新調するなど、約半年がかりで完成させた。

 村の鎮守、御幸森天神宮に入庫するだんじりは、地域にとって大きな求心力。「だんじりを残してくれたお陰で地域の結束がある」としみじみ話すのは地車修復事業実行委員長の川野恵弘さん(68)。世代間交流のツールにもなっており、保存会会長の村井公一さん(65)は「だんじりがあるから、隣の家を行き来できる。都市部でこんなことはない」と胸を張る。

 日頃から、祭りの担い手である中高生や20代の若手が、だんじりばやしの太鼓とかねの練習に来ることは年長者たちを喜ばせる。「譜面がないので耳で覚え、肌で感じてもらうしか思いは伝わらない。若い人が魅力を感じて集まってくれている」と村井さん。伝統は生き生きと受け継がれている。

 31日には、御幸森天神宮から先人たちが眠る霊園を墓参し、往復約2キロをえい航する予定だ。

2062名無しさん:2015/06/02(火) 22:12:49 ID:YABl/d1I0
「すずやか」天満に集う
2015年06月02日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150602-OYTNT50025.html

大阪市北区の大阪天満宮で1日、全国各地の風鈴工房が手作りの作品を販売する「大阪風鈴まつり」が始まり、ガラスや陶器、銅製など、さまざまな風鈴が境内の風に揺れて涼しげな音色を立てている。

 天満が、日本の産業ガラス発祥の地と言われることから、4日まで開催。全国16の工房から届いた風鈴は、1個2000〜3500円が中心という。

 同まつりの実行委員長で、東大阪市で空き瓶をリサイクルした「河内風鈴」を販売している菅二弥さん(67)は「ガラス産業の伝統を守り、風鈴の良さを伝えていきたい」と話していた。

2015年06月02日

2063名無しさん:2015/06/07(日) 18:50:11 ID:GAPePzGk0
■戦後70年 大阪市内の千人塚で慰霊法要
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007799.shtml

70年前の6月7日、大阪を襲った米軍による大空襲の犠牲者を弔う法要が、大阪市内の淀川河川敷で営まれました。
 
 法要は大阪市旭区の淀川堤防にある千人塚の石碑の前で営まれ、空襲の体験者ら150人余りが参列しました。

 70年前の1945年6月7日、アメリカ軍による3回目の大空襲で、大阪市の北東部は焦土と化しました。
 
 淀川河川敷に避難した大勢の市民も低空飛行した戦闘機の機銃掃射で狙われ、河原には数えきれないほどの遺体が積み上がったといいます。

 法要は終戦の翌年から市民らの手で毎年行われてきましたが、空襲体験者の高齢化に伴い、現在のような形で行うのは、70回目となる今年が最後になるということです。

 参列した人たちは犠牲者を弔うとともに、平和への誓いを新たにしていました。 (06/07 11:40)

2064名無しさん:2015/06/07(日) 20:58:58 ID:GAPePzGk0
笑顔でアピール 「天神天満花娘」の最終選考会
2015年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150607/20150607033.html

 天神祭に花を添える「天神天満花娘」の最終選考会が6日、大阪市北区の大阪天満宮で行われ、候補女性が花娘に懸ける思いや熱意などを審査員にアピールした。

天神天満花娘は、みこに準じる仕事で、天神祭を中心に1年間、同天満宮や地元商店街に関わるイベントに参加する。天神橋筋商店連合会などが、2003年から、19〜28歳の独身女性を対象に公募で10人を選んでおり、今年も大阪府を中心に関西地区から約200人が応募した。

 最終選考会に残ったのは、書類選考で選ばれた39人。13人ずつ3組に分かれ、同連合会の役員らが面接審査を行った。

 候補者の自己PRに続いて、面接官が天神祭や商店街への思いなどを質問。花娘候補は「ずっと花娘に憧れていました」「楽しむ側から行う側になって、祭りや商店街を盛り上げたいと思います」「明るさと元気で精いっぱい頑張ります」などと一人一人が笑顔で答えていた。

 選考結果は後日、本人に通知される予定。天神天満花娘に選ばれた10人は、20日に同天満宮で行われる研修会に参加し、天神祭の歴史やしきたり、花娘の役割などを学び、来月の祭り本番に備える。

2065名無しさん:2015/06/10(水) 00:34:03 ID:aAZ6sBh.0
大空襲の日に平和の折り鶴 大阪市営地下鉄3駅
2015年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150608/20150608032.html

 戦後70年の節目を迎えて大阪市交通局は7日から、市営地下鉄3駅で、利用客と共に千羽鶴の制作を開始した。70年前の米軍による第3次大阪大空襲と重なったこの日、参加者たちは平和への願いを折り紙に込め、鶴を作った。

千羽鶴の制作は、市営地下鉄の利用客と一緒に千羽鶴を作って平和の尊さを学び、思いを形にしようと企画。7月19日までの毎週日曜日に、心斎橋駅、梅田駅、なんば駅の3駅に会場を設けて実施する。出来上がった千羽鶴は、長堀鶴見緑地線の心斎橋駅で展示するほか、8月に開かれる大阪戦没者追悼式に献納する。

 初日となったこの日、心斎橋駅では同線沿線で行われるイベントのために大勢の利用客で大にぎわい。時折、制作の趣旨に賛同した人が足を止めては、鶴を折っていた。

 参加者のうち、名古屋市から家族3人で訪れた向文博さん(51)は、今国会に提案された安全保障関連法案や、憲法改正を不安視。「子どもたちを戦地へ行かせたくない。平和への意識を高めるために、こういうイベントを増やしてほしい」と話していた。

2066名無しさん:2015/06/10(水) 00:52:10 ID:aAZ6sBh.0
天満天神繁昌亭が値上げへ
06月09日 19時10分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150609/5433511.html

上方落語の寄席を毎日楽しめる大阪の天満天神繁昌亭が、ことし9月から入場料を値上げすることになりました。入場料は平成18年のオープン以来、据え置かれてきましたが、運営する上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
大阪・北区の天満天神繁昌亭を運営する上方落語協会によりますと、入場料の値上げはことし9月16日からです。一般の入場料を500円引き上げ、前売りは2500円に、当日は3000円になります。小中学生の料金、1500円はそのまま据え置かれるということです。
天満天神繁昌亭は、上方落語を毎日楽しめる専門の寄席として平成18年9月にオープンしました。
入場料が値上げされるのは初めてで、上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
上方落語協会は、「これまで入場料を据え置いてきたが、安定した経営をしていくため値上げを決断した。これからもよい落語を提供できるようがんばっていきたい」と話しています。

2067名無しさん:2015/06/17(水) 04:15:22 ID:IkqBpCjg0
文楽の魅力をわかりやすく
06月15日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150615/5132031.html

人形浄瑠璃「文楽」の魅力を初心者にもわかりやすく紹介する催しが、14日、大阪・北区で開かれました。
この催しは文楽の魅力を広く知ってもらおうと大阪市と文楽協会が初めて企画し会場の大阪市中央公会堂にはおよそ700人が集まりました。

最初に語り手の豊竹英大夫さんなどが、発声の方法についてユーモアを交えながら分かりやすく説明しました。
続いて、主人公が、恩人の息子とその恋人を守るためしゅうとを殺してしまう「夏祭浪花鑑」と、戦国時代敵同士だった上杉謙信の娘と武田信玄の息子の恋愛を描いた「本朝廿四孝」の2つの有名な演目が披露されました。
会場では初心者でも楽しめるよう太夫の語りがスクリーンに字幕で映し出され、大勢の観客が舞台に見入っていました。
家族連れで来た小学3年生の女の子は「はじめて見ましたが、人形が本当の人のように動くことにびっくりしました」と話していました。

この催しは16日まで開かれています。

2068名無しさん:2015/06/17(水) 04:17:16 ID:IkqBpCjg0
踊りや舞奉納 古式ゆかしく 住吉大社
2015年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150616/20150616028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植神事」が盛大に執り行われた。境内には約420人の奉仕者が参集し、古式ゆかしい田植えをはじめ踊りや舞などの芸能を奉納、秋の豊作を祈った。

同神事は同大社鎮座の際、神功皇后が御田(おんだ)を定め、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源とされ、1979年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 神事では、神前で田植えを奉告し、早苗を授かる本殿祭の後、境内南の御田(約20アール)で御田式を斎行。田の中央に設けられた舞台上では、八乙女(やおとめ)による「田舞(たまい)」や、御稔女(みとしめ)の「神田代舞(みとしろまい)」などが奉納される中、植女から苗を受け取った替植女(かえうえめ)ら奉仕者が、たすき姿で苗を植え付けていった。

 このほか住吉踊(おどり)、風流武者行事、棒打合戦などを次々と奉納。約3500人の参拝者が伝統の重みを実感しつつ、奉仕者の一挙一動を見守った。

2069名無しさん:2015/06/20(土) 10:30:08 ID:3eG0V.Gk0
大阪大空襲、写真と祈りと
2015年06月06日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150606-OYTNT50024.html

大阪大空襲70年に合わせ、犠牲者の慰霊と平和を祈る写真パネル展「石町一丁目の歴史〜三橋楼とハリストス正教会」が5日、大阪市中央区の府立労働センター(エル・おおさか)9階ギャラリーで始まった。7日まで。

 吹田市の大阪ハリストス正教会(水口優明神父)が主催した。同教会は1878年、大阪・天満橋南詰め付近(石町一丁目)にあった高級料理旅館「三橋楼(さんきょうろう)」の建物を利用して創立。1910年、木造ビザンチン式の聖堂に建て替えたが、45年6月の大阪大空襲で焼失し、62年、吹田市で再建された。

 会場には、1875年に明治政府の方針を協議した「大阪会議」を控え、大久保利通らが最初の会合を持った三橋楼や、焼失前の聖堂の写真、大空襲当時の神父の罹災(りさい)証明書、防空壕(ごう)に保管していた燭台(しょくだい)など計約40点が並ぶ。大阪市中央区の山岡照明さん(64)は「身近に歴史ある場所があることがよくわかり、平和の大切さを改めて実感した」と熱心に見入っていた。

 無料。入場は午前10時〜午後7時(7日は午後4時まで)。問い合わせは同教会(06・6388・4512)へ。

2015年06月06日

2070名無しさん:2015/06/20(土) 12:06:51 ID:3eG0V.Gk0
父子2代で追悼70年 第3次大阪大空襲
2015年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150607-OYTNT50361.html

太平洋戦争末期、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲となった「第3次大阪大空襲」から70年を迎えた7日、多くの住民らが逃げ込み、命を落とした同市旭区の城北公園で慰霊法要が営まれた。体験者や遺族ら約150人が参列し、鎮魂の祈りをささげた。

同空襲は、米軍が1945年3月13日〜8月14日にかけ、8度にわたり大阪市内を襲った爆撃の3度目。

 住民らは、B29の大編隊が投下した大量の焼夷(しょうい)弾や爆弾から逃れようと城北公園に集まったが、多くが戦闘機による機銃掃射の標的となった。身元不明の遺体は淀川河川敷で荼毘(だび)に付され、遺骨はそのまま埋められた。

 地元有志でつくる「千人塚慰霊法要協賛会」会長の東浦栄一さん(86)は、公園に逃げ込んだ一人。射撃され、変わり果てた姿の子供や女性の遺体を数多く目の当たりにしたという。

 一緒にいて無事だった父の栄二郎さんが終戦の翌年、「千人つか」と刻んだ碑を河川敷に建立し、私費を投じて毎年、この日に法要を行ってきた。栄二郎さんが62年に亡くなった後は、東浦さんが引き継いだ。

 法要では、僧侶による読経の後、参列者たちが静かに焼香し、手を合わせた。

 この空襲で母を亡くした茨木市中村町の浅野日出子さん(83)は、「ここに来るとお母ちゃんに会える気がして、70年間毎年欠かさず参列してきた。今日は、『私も年をとったよ』と語りかけました」とつぶやいた。

 当初30人近くいた協賛会メンバーは今、数人に減ったが、東浦さんは「体力が続く限り、法要を続けたい。それが生き残った者の使命だ」と話している。

2015年06月08日

2071名無しさん:2015/06/20(土) 12:39:07 ID:3eG0V.Gk0
幕末の高槻、京守る砲台
2015年06月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150610-OYTNT50497.html

幕末期の京都を防衛するため、高槻市内に建設された砲台「梶原台場」などを通して当時の歴史を学ぶ展示会「幕末の梶原台場と長州藩の上洛(じょうらく)」が、同市のしろあと歴史館で開かれている。8月2日まで。無料。

 同台場は、長州藩の上洛を防ぐため、幕府側が1865年に設置。明治以降に解体されたが、当時の市の状況を知ってもらおうと、展示会では旧高槻藩士や旧家が残した古文書や絵図、同時代の甲冑(かっちゅう)など約30点を紹介。中には、洋装で刀を腰に差した旧高槻藩士を撮影した明治初期の珍しい写真もある。

 中西裕樹学芸員(城郭史)は「京都の入り口に位置し、幕末期にも重要な場所だった高槻の歴史を知ってほしい」と話していた。

 入場は午前10時〜午後4時30分。月曜と祝日の翌日は休館。7月23、30日には学芸員の講座もある。問い合わせは、しろあと歴史館(072・673・3987)へ。

2015年06月11日

2072名無しさん:2015/06/20(土) 12:46:17 ID:3eG0V.Gk0
■登呂遺跡より大規模 大阪・高槻で弥生前期の集落跡
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007897.shtml

大阪府高槻市で、弥生時代前期のものとみられる大規模な集落の跡が発掘されました。

 登呂遺跡よりも古くて規模も大きく、近畿に進んだ農耕文化が発達していたことを物語る貴重な発見だということです。

 大規模な集落跡が見つかったのは、高槻市の京大農場跡の安満遺跡です。

 水田跡は約2500年前、弥生時代前期のものとみられ、縦100メートル、横90メートルの広さに水田が整然と並んでいたことがわかります。

 有名な静岡県の登呂遺跡より時期が古くて規模も大きく、棺を収めたとみられる墓の跡が16か所で出土したことが特徴です。

 水田と住居、墓地が1つのエリアにまとまって見つかったことで、大規模に組織化された集落だったと推定されます。

 「弥生人がどのように農業を始めて、どういうところに村をつくって、どういう生活をしていたのかが、ここを分析することでよりわかってくるだろう。弥生文化の本質に迫れるのでは。今後大いに期待される重要な遺跡」(高槻市教育委員会 文化財課 森田克行主幹)

 高槻市教育委員会では来週末、一般向けの現地説明会を行います。
(06/19 19:11)

2073名無しさん:2015/06/20(土) 14:01:51 ID:3eG0V.Gk0
安満遺跡、弥生前期の大規模水田 洪水後は墓地に
2015年6月19日 17:54
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150619/20150619090.html

 弥生時代の環濠集落跡として知られる大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期(約2500年前)の大規模な水田跡や木棺墓などが確認され、市教育委員会が19日、発表した。

集落と水田、墓の三つが一緒に見つかった例は、百間川沢田遺跡(岡山市)や、中の池遺跡(香川県丸亀市)など全国的にも珍しい。

 市教委によると、遺跡南西部を調査。約9千平方メートルの水田跡が確認された。南東部ですでに見つかっている遺跡と合わせると、弥生時代前期には、集落の南側に約1・5ヘクタールもの水田が広がっていたとみられる。

 洪水で耕せなくなった水田の上に築かれた方形周溝墓など計16基も発掘。

2074名無しさん:2015/06/20(土) 15:40:21 ID:3eG0V.Gk0
浮かぶ小舟は濠浄化…いたすけ古墳で堺工科高生
2015年06月13日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150612-OYTNT50388.html

堺市堺区、府立堺工科高校の生徒たちが、同市北区の「いたすけ古墳」の濠(ほり)に浮かべた手作りの浄化装置で、水質の改善に取り組んでいる。これまでの実地試験で水質の改善が期待できるデータを取得。同古墳は百舌鳥(もず)・古市古墳群の一つで、生徒たちは「濠を少しでもきれいにして、世界文化遺産登録を後押しできれば」と張り切っている。(吉田誠一)

生徒たちは同校エコデザイン部の13人。濠を管理する市から浄化の協力を依頼され、2012年11月に装置を製作した。約2メートル四方の木枠に発泡スチロールをはめ込み、太陽光パネル2枚とバッテリー、エアポンプを載せ、「水質浄化船」と名付けた。

 水底に垂らしたチューブから空気を送り込んで水を環流させ、微生物が汚れの原因となる有機物を分解するのを促す仕組みだ。13、14年は秋の2か月間、濠に浄化船を浮かべて水質を調査し、効果を確かめた。その結果、浄化船を設置した期間は、汚れを示す数値が下がったことが分かった。

 同部の3年、岡田弘司さん(17)は「浄化船の周辺で水質が改善されるのは確か。時間をかけて取り組めば、濠の汚れた水を浄化することも可能」と話す。

 「環境の日」の5日朝、生徒たちは濠の脇で約20分かけて組み立てた浄化船を、ゴムボートで濠の中央部まで移動させ、コンクリートブロックをいかりにして固定した。取り組みがスタートして4年目の今年は、汚れが最も目立つ夏場(6〜8月)のデータを取り、浄化船の改良などにも役立てる方針だ。

 指導する小寺雅仁教諭(39)は「自分たちで工夫して、地元の環境保全に熱心に取り組んでくれていることがうれしい」と、教育効果に手応えを感じている。

 浄化船の設置を見守った田村恒一副市長は「古墳群の世界文化遺産登録には、市民の『守ろう』という高い意識が不可欠。子供たちの取り組みは心強く、とても感謝している」と語った。

2015年06月13日

2075名無しさん:2015/06/21(日) 10:21:19 ID:JQntJ/sg0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 今年度候補に
2015年06月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150615-OYTNT50404.html

◇知事や議連、文科相らに要望

 世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群(堺市、羽曳野市、藤井寺市)について、松井知事と登録を推進する超党派国会議員連盟のメンバーらが15日、東京・霞が関で下村文部科学相、青柳正規・文化庁長官と相次いで会談し、登録に向けて同古墳群を今年度の国内推薦候補に選定するよう要望した。

 会談には、竹山修身・堺市長や北川嗣雄・羽曳野市長らも同席した。

 下村氏との会談では、松井知事らが要望書を手渡し、議連会長を務める自民党の谷垣幹事長が「応神陵や仁徳陵はどこへ出しても恥ずかしくない歴史遺産だ」と強調。公明党の北側副代表も「日本が国家として形成される5世紀頃の代表的な古墳が百舌鳥・古市古墳群だ」と価値を説明した。

 下村氏は「世界遺産に早く名前が出てもおかしくない」と評価し、「機会があれば現地を視察したい」と述べた。

 会談終了後、松井知事は記者団に「熱意は伝わったと思う。大阪初の世界遺産だという点をぜひわかっていただきたい」と期待感を示した。

 府魅力づくり推進課によると、政府は同古墳群を含む4候補から7月下旬に国内推薦候補を一つに絞る。その後、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関による審査を通過すれば、2017年度の登録が決まる。

2015年06月16日

2076名無しさん:2015/06/22(月) 22:56:08 ID:TYS/gX7k0
高山右近を「福者」認定へ ローマ法王庁
2015年6月22日 5:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150622/20150622002.html

 【アテネ共同】江戸時代に幕府の禁教令で国外追放となり、1615年に死亡したキリシタン大名、高山右近について、ローマ法王庁(バチカン)は22日までに、カトリックで最高の崇敬の対象とされる「聖人」となる前段階の「福者」に認定する手続きを進めることを了承した。バチカン関係筋が明らかにした。

 枢機卿らによる会議で認定を決定し、法王フランシスコの承認を経た上で、年内か来年初めにも正式に発表される見通し。福者認定の儀式「列福式」は来年日本で行われる予定という。

2077名無しさん:2015/06/26(金) 04:26:34 ID:s1yKMUEI0
高山右近生誕の大阪訪問 「福者」申請代理人の神父
2015年6月25日 12:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150625/20150625052.html

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近をカトリックの崇敬対象である「福者」に認定するための申請手続きに関わったアントン・ビットベル神父らが25日、右近が生まれた摂津国高山があった大阪府豊能町を訪れた。

生誕碑や、没後400年を記念し今年5月に完成した「高山右近夫婦石像」などを視察。通訳を通じて「右近が幼少のころにどのような経験をしたかを感じることができ、大変良かった」と話した。

 ビットベル神父は法王庁立グレゴリアナ大の教授。大名の地位を捨て信仰に命をささげた右近を殉教者として福者に認定するよう、ローマ法王庁に申請した日本カトリック司教協議会の代理人を務めた。

2078名無しさん:2015/06/28(日) 10:59:15 ID:HXBxFNrU0
■弥生時代前期の水田跡・安満遺跡で現地説明会
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007950.shtml

大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期のものとみられる大規模な水田や集落の跡が発掘され、27日、現地説明会が行われました。

 説明会が行われているのは、大阪府高槻市にある京都大学農場跡の安満遺跡です。

 安満遺跡では、約2500年前の弥生時代前期のものとみらる水田や住居、墓などの跡がまとまって見つかりました。

 弥生時代の水田跡として有名な静岡県の登呂遺跡よりも、古く規模も大きいということで、弥生時代に農業が始まった過程を知る貴重な遺跡として注目されています。

「びっくりした。こんな近くに」(参加者)

「想像していたより、すごい発見」(参加者)

「弥生時代にどの程度の人が住んでいたか、興味がある」(参加者)

 現地説明会は28日も行われます。 (06/27 17:23)

2079名無しさん:2015/06/28(日) 12:11:08 ID:2nAE9jAc0
高山右近の領地に隠れキリシタンの墓…茨木で発見
2015年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150628-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

キリシタン大名・高山右近の領地だった大阪府茨木市千提寺(せんだいじ)地区の山中で、江戸時代中頃の「隠れキリシタン」を埋葬した墓とみられる遺構が見つかった。近世以前のキリシタン墓で現存するものは全国でも珍しいという。現場は市立キリシタン遺物史料館の移転予定地だったが、市は「思わぬ歴史遺産の出土」で新たな場所を探す方針だ。

 市によると、現場は付近の民家で伝えられてきたキリスト像などを展示する現史料館から約500メートル南の山中。移転に向けて昨年秋に試掘したところ、遺構が15基ほど見つかった。

 うち1基を4月から詳しく調べたところ、縦1・7メートル、横0・95メートル、深さ0・7メートルと判明。その形状から、近世まで一般的だった体を折り曲げる「屈葬」ではなく、足を伸ばして埋葬するキリスト教式の「伸展葬」とみられることがわかった。骨の一部も確認された。

 一帯は江戸時代の「隠れキリシタン」たちが信仰を守り続けてきた地として知られ、日本人絵師が描いたとみられる「聖フランシスコ・ザビエル像」(国重要文化財、神戸市立博物館所蔵)も民家で発見された。2012、13年度には今回の遺構近くで、新名神高速道路の建設に伴ってキリシタン墓とみられる遺構計30基が出土したが、工事が優先され、遺構は壊された。

 市は今回の遺構をさらに調査し、保存・活用する方針。元長崎歴史文化博物館研究員で、キリシタン墓に詳しい大石一久さん(63)は「当時のキリシタン墓は大分県臼杵市など数か所しか現存しておらず、貴重な発見。新施設と連携すれば、キリスト教徒が置かれた状況を学べる希少な場所になるのではないか」と話している。

高山右近 1552〜1615年。織田信長や豊臣秀吉に仕え、秀吉の軍師・黒田官兵衛に洗礼を受けさせたことでも知られる。江戸幕府のキリスト教取り締まりを受けて現在のフィリピン・マニラに追放され、翌年亡くなった。

2015年06月28日

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2081名無しさん:2015/06/28(日) 14:46:14 ID:2nAE9jAc0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産へ市民の会
2015年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150628-OYTNT50004.html

「百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界遺産登録を応援する堺市民の会」が27日、発足した。様々な立場の市民が、ともに同古墳群の世界文化遺産登録と、その前段階で7月下旬にも公表される国内推薦に選ばれるよう機運を盛り上げる。

 同会は20団体と個人193人でスタート。会員を増やし、古墳周辺の清掃をはじめとする運動を市全体に広げる。この日、市総合福祉会館で行われた設立記念式典には、各種団体の代表や市民ら390人が集った。

 会長に就任した前田寛司・堺商工会議所会頭が、「市民がこの古墳群への理解を深め、一体となって盛り上げることが登録への大きな推進力になる」と呼びかけた。来賓の竹山修身市長は「市民の誇りである古墳群が、世界の誇りになるよう登録を目指す」と誓った。

 式典後、近畿で世界文化遺産に登録されている自治体の関係者が、観光活用や市民運動のあり方をアドバイス。読売奈良ライフ社長の朝廣佳子さんは、奈良市で毎夏2万個のろうそくをともす催しを紹介し、「地元市民には世界の財産を守る義務がある。活用しながら街づくりを」と語った。

 式典には、旅行者らを案内している堺観光ボランティア協会の約50人も、そろいの黄色ジャンパーで駆けつけた。活動歴17年という堺市南区槇塚台、松永澪二さん(79)は「様々な団体が集まって心強い。早く登録実現を」と願っていた。

2015年06月28日

2082名無しさん:2015/06/28(日) 15:52:26 ID:2nAE9jAc0
日本画や御迎え人形展示 天神祭の関連事業発表
2015年6月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150627/20150627042.html

 大阪市北区の大阪天満宮は26日、同宮会館で会見を行い、今年の天神祭の概要や関連事業を発表した。7月1日から関連事業を行い、24日の宵宮祭、翌25日の本宮祭を盛り上げる。

関連行事は「OAP天神祭展」と「天神祭御迎え人形スタンプラリー」で始まる。天神祭展は大正・昭和期に大阪画壇で活躍した女流日本画家、花田花朝の天神祭を描いた作品を25日までOAP(大阪アメニティーパーク)で紹介。スタンプラリーは大阪府有形民俗文化財である天神祭の御迎え人形を、街歩きを楽しみながら観賞してもらう試みで、現存する16体のうち7体を、同天満宮や帝国ホテル大阪、OAPなどに25日まで展示する。

 7日には七つの茅ノ輪をくぐって学徳向上や健康、厄よけなどを祈願する「天満天神七夕祭・星愛七夕まつり」を実施。同日夕には、天満橋付近から北浜周辺の大川を、約5万個の青色発光ダイオー(LED)でライトアップする「平成OSAKA天の川伝説」が催される。

 2000年から始まった御迎え人形のレプリカの製作も今回の真田幸村で完成。16体全てがそろい、愛好者に販売される。

 他の主な関連行事は次の通り。

 ▽落語で楽しむ天神祭(21日・大手門学院大阪城スクエア)▽天神祭北新地巡行(23日・北新地上通り-本通り)▽天神橋筋商店街ギャルみこし(23日・天神橋5丁目-大阪天満宮)▽OBP天神祭前夜祭(23日・ツイン21タワー中央広場)

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2084名無しさん:2015/07/03(金) 01:12:08 ID:f8JWCUYE0
夏祭り 季節到来 「愛染まつり」始まる
2015年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150701/20150701033.html

 大阪の夏祭りのトップを飾る愛染堂勝鬘(しょうまん)院(大阪市天王寺区)の伝統行事「愛染まつり」が30日、華やかに幕開けした。初日恒例の宝恵かごパレードでは12人の愛染娘があでやかな浴衣姿で登場。「愛染さんじゃ宝恵かご」の掛け声を響かせながら沿道に愛嬌(あいきょう)を振りまいた。

祭りは約1400年の歴史があると伝わり、今春、大阪市の無形民俗文化財に指定された。この日は約100人の隊列が同市阿倍野区のあべのキューズモールを出発し、約1・4キロ北の境内を目指して谷町筋をパレード。境内では勇壮華麗なかご上げが繰り広げられ、夏祭りにふさわしい盛り上がりを見せた。

 同院の山岡武明住職は「大阪には数々の素晴らしい伝統があるが、その一つとして今後も多くの方々に歴史や文化を伝える祭りとして手掛けていきたい」と話した。

 祭りは2日まで。秘仏の特別開扉をはじめ、1日午後7時からは「ミス愛染娘コンテスト」が行われる。

2085名無しさん:2015/07/03(金) 04:16:36 ID:f8JWCUYE0
ドローン使用禁止 天神祭、安全確保へ合同会議
2015年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150701/20150701029.html

 日本三大祭りの一つ天神祭を主催する同祭渡御行事保存協賛会と警察、消防の合同会議が30日、大阪市北区の大阪天満宮会館で開かれた。100万人以上の人出でにぎわう天神祭を今年も事故なく実施できるように話し合い、「ドローン」については使用禁止の措置が報告された。

会議には、警察や消防、医師会、鉄道、花火会場の管理者など、天神祭の運営に関わる各機関の担当者ら約80人が出席。同天満宮の担当者が、宵宮祭や本宮祭の行事を説明した後、安全な運行について意見を交わした。

 出席者からは、ドローンへの対応や救急対応についての質問や要望が出た。ドローンについては、同天満宮の担当者が、祭りが行われる会場での使用を全面的に禁止したことを報告。救急対応についても、昨年の反省を踏まえ、救護艇での搬送方法を見直したことや、救護所に設置する救急用具などを充実させる方針を説明し、理解と協力を求めた。

2086名無しさん:2015/07/03(金) 16:20:53 ID:Mii5n1..0
高山右近に再び熱視線 没後400年のキリシタン大名…「福者」として年内にも認定へ 
2015.7.3
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n2.html
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n3.html

 織田信長や豊臣秀吉に仕えたキリシタン大名で、キリスト教を禁教とした江戸幕府から国外追放され、フィリピン・マニラで病死した高山右近(1552〜1615年)が、ローマ法王庁から、カトリック教徒の崇敬対象「福者(ふくしゃ)」として、早ければ年内にも認定される見通しになった。正式決定を前に、バチカンからイエズス会司祭が訪日し、その足跡をたどるなど、没後400年の節目の年に右近が再び世界から注目を集め始めている。

 12歳で洗礼を受けた右近は、生涯を通じてキリスト教に強く帰依していた武将として知られる。高槻城主時代の領民のうち約7割がキリスト教徒だったとされるほか、秀吉の側近、黒田官兵衛(孝高)などに入信を勧めるなど、布教活動にも熱心だった。

 秀吉からの棄教命令を拒否して大名としての地位や領地を失い、徳川家康によるキリシタン国外追放令により母国を追われたが、信仰を捨てなかった。

 こうした信仰への真摯(しんし)な態度が、在日宣教師らを通じ当時からヨーロッパ社会に伝えられ、日本を訪れた戦国時代のイエズス会宣教師、ルイス・フロイスは、著書で「全キリシタンの柱」として紹介した。

 福者は、カトリックにおいて聖人に次ぐ崇拝の対象で、マザー・テレサなども認定されている。

 右近についても、福者として認められるための列福(れっぷく)手続きに備え、死去直後に生前の足跡を記録した文書が作成された。しかし、キリスト教を禁教とした江戸幕府の政策により、日本国内での調査はできず、正式な手続きが行われることはなかった。

 第2次世界大戦前にも「右近を福者に」という機運が盛り上がることはあったが、戦時下の混乱などによって頓挫。ようやく、昭和40年になってカトリック大阪教区(当時)が「右近列福運動本部」を設立し、運動を再開した。しかし、史料の散逸や関係者の高齢化も相まって活動は先細っていった。

 転機が訪れたのは平成21年。日本カトリック司教協議会が右近の没後400年となる27年までの列福を目指し、「高山右近列福運動推進委員会」を設立。「殉教者」としての列福を目指し活動を本格化させた。

 推進委の川邨裕明委員長は「地元の方々とともに、右近の信仰の強さを確認するとともに、顕彰するための地道な活動を続けてきました」と振り返る。

 右近の生誕地とされる大阪府豊能町や、居城があった同府高槻市などで右近関連の史跡や史料などを精査。審査を行うローマ法王庁にアピールした。そして同庁は先月18日、「信仰のため国を追われた殉教者」として、列福認定手続きを進めることを了承した。

 同25日には、列福申請の日本側代理人を務めている法王庁立グレゴリアナ大学教授のアントン・ヴィットヴェル神父(67)が豊能町などを訪れ、地元住民らが建立した右近夫妻の石像や、生誕地の碑、祈祷所があったとされる寺院などを見学。

 ヴィットヴェル神父は「生まれ育った環境は人格形成に大きな影響を与える」としたうえで「右近の故郷を知ることは非常によい経験になると思う」と話した。

 同行した川邨委員長も「福者として認められ知名度が上がることで、日本国内だけでなく、世界中の人に右近の思想について知ってもらえるきっかけになれば」と期待を寄せた。

 今後、手続きが順調に進めば今年末〜来年1月にも福者として認定されるとみられ、大阪市内で式典が行われる見通しだ。

2087名無しさん:2015/07/04(土) 22:47:35 ID:H1R.jbLo0
みんなの文楽に支援の輪、ミニ公演や移動式舞台
2015年07月04日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150704-OYO1T50021.html?from=oycont_top_txt

民間団体や企業の間で、大阪市の補助金改革で岐路に立つ文楽界を支援しようと、ミニ公演を企画し、制作費などを負担する動きが広がっている。文楽の専用劇場ではなく、都心の商業施設を会場に若者層にもアピール。10月には、大阪・難波宮跡公園での野外公演も行われる。演者が所属する文楽協会は「新しいファンの獲得につながる」と歓迎している。(倉岡明菜、坂成美保)

 今月2日、大阪市北区の阪急うめだ本店。フロアに三味線の音色が響き、2体の人形が激しい立ち回りを披露すると、買い物客らから歓声が上がった。13日まで、同店で開催中の「文楽の世界展」の会場の一角に特設舞台が設けられ、今月国立文楽劇場(大阪市中央区)で上演予定の新作「ふしぎな豆の木」の一場面が上演された。「文楽を応援したい」と、百貨店側が文楽協会や国立文楽劇場に持ちかけて実現したイベントだ。

 伝統文化やスポーツの振興を目的にした「日本財団」(東京)は、「にっぽん文楽プロジェクト」を始動。約1億円を投じて、移動式の組み立て舞台を製作し、文楽公演を支援する。「日本の宝である文楽を盛り上げるために一役買いたい」と、5年かけて全国を巡演する取り組みだ。

 3月の第1回公演は、東京・六本木ヒルズを望む屋外の特設舞台で開催。飲食を楽しみながら観劇できる形態にしたところ、若者層に好評で4日間で延べ約2000人が入場した。

 会場の使用料、設営費、演者の出演料などの必要経費は財団が負担。10月17〜20日に開催される第2回公演の会場は難波宮跡公園で、屋外に舞台を設置する。

 読売テレビなど在阪民放5局も支援に乗り出した。5局が費用を分担し、2月、若手・中堅演者中心の座組による「うめだ文楽」を大阪・キタのグランフロント大阪にある劇場「ナレッジシアター」で初開催。来春、第2回公演を計画している。

 「にっぽん文楽プロジェクト」で総合プロデューサーを務める中村雅之・横浜能楽堂館長は「公演をきっかけに文楽の保存・継承について、みんなで議論してほしい」と話している。

 文楽劇場へ波及、鑑賞教室入場増

 民間支援の広がりを受けて、本拠地である国立文楽劇場の入場者数も快調だ。毎年6月開催の初心者向け鑑賞教室の入場者数は今年、2万500人に達し、過去10年で最多を記録。劇場の宣伝担当者は「ユニークなミニ公演がメディアで紹介された効果で、文楽劇場を訪れる観客も増えているのでは」と分析。協会の三田進一事務局長は「協会の事務経費や職員の人件費を捻出するのにも四苦八苦しているのが現状で、企業、団体の支援はありがたい」と期待をかける。

2015年07月04日

2088名無しさん:2015/07/09(木) 10:48:11 ID:gz4q1sG.0
難波宮跡で野外文楽開催へ
07月08日 21時18分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150708/5876201.html

大阪で生まれた人形浄瑠璃「文楽」を広く気軽に楽しんでもらおうと、ことし10月、大阪・中央区の難波宮跡公園で野外公演が行われることになりました。
これは8日、公演を主催する「日本財団」が記者会見して明らかにしました。
記者会見では日本財団の尾形武寿理事長が「もともとは、庶民の芸術だった文楽を気軽に楽しんでもらえるようにしたい」と述べ、ことしの10月17日から20日まで、大阪・中央区の難波宮跡公園に移動式のヒノキ造りの舞台を設置し、野外公演を行うと説明しました。
文楽は通常、劇場などで演じられ、屋外の開放的な空間で公演が行われるのは珍しいということです。
10月の野外公演では、食べ物と飲み物の持ち込みを自由にして、飲食をしながら、文楽を楽しめるようにするということです。
記者会見に加わった人形遣いの桐竹勘十郎さんは「お客さんの箸の動きを止めるくらい熱中してもらえる舞台にしたい」と話していました。
文楽の野外公演は、東京オリンピックが開催される平成32年にかけて、全国各地を巡業する計画だということです。

2089名無しさん:2015/07/09(木) 20:43:26 ID:GJBqMdrk0
天神祭の幕開け告げる七夕神事 所願成就祈る
2015年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150708/20150708022.html

 天神祭の幕開けを告げる「天満天神七夕祭」と「星愛七夕まつり」が7日、大阪市北区の大阪天満宮を中心に盛大に営まれ、多くの人出でにぎわった。今年の天神天満花娘が地元商店街をパレードしたほか、大勢の参拝客が天満宮の境内に設置された茅(ち)の輪をくぐって所願成就を祈った。

大阪天満宮の七夕神事は江戸時代に一度途絶えたが、1995年に復活。24日の宵宮祭、25日の本宮祭へと続く天神祭の幕開けとして盛大に営まれるようになった。

 神事に当たる天満天神七夕祭は午後3時に本殿で始まった。同宮の寺井種伯宮司の祝詞に続いて、2人のみこがササと鈴を手に神楽を披露。参列者が神前に進み、願い事を書いた短冊を供えた。

 星愛七夕まつりは織り姫、ひこ星に扮(ふん)した地元の小学生や天神天満花娘10人のパレードでスタート。扇町総合高校吹奏楽部の演奏に合わせて地元商店街を大阪天満宮まで行進し、花娘が福を招く口上を披露した。

 境内にはササ飾りのほか、恋愛成就、学徳向上、心身健康、厄よけ、交通安全、商売繁盛、所願成就の願意を込めた七つの茅の輪が設置され、浴衣姿の若者や家族連れなどが次々に訪れて、願い事を書いた短冊をササに結んだり、茅の輪をくぐった。

2090名無しさん:2015/07/09(木) 20:48:22 ID:GJBqMdrk0
寄港地の魅力探る 大阪市で北前船フォーラム
2015年7月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150704/20150704039.html

 かつて、大坂-北海道間を日本海経由でつないだ北前船(きたまえぶね)の寄港地が連携して広域観光のルートをつくる本年度の「北前船寄港地フォーラム」が、17、18の両日に大阪市で開かれる。地方創生の風が吹く中、航路の発着点となった大阪から各寄港地の魅力を発信する考え。

 フォーラムは、2007年11月の山形県酒田市での第1回以降、秋田県男鹿市や京都府宮津市など日本海側を中心にこれまでに15回開いた。現在では、民間レベルのフォーラムとして国内最大級の規模を誇る。

 16回目を迎える大阪市でのフォーラムは太閤園(都島区網島町)で開催。同フォーラム議長で作家の石川好氏や、東京国立博物館の銭谷真美館長らが基調講演。フォーラム形式で「日本遺産と北前船寄港地文化」をテーマに、国が観光資源の掘り起こしを狙った日本遺産の認定を目指して、文化庁や観光庁、認定を受けた自治体の首長らが登壇する。また、「大阪から巡る寄港地、日本遺産」と題し、陸海空の三つの交通手段から、寄港地を巡る観光ルートについて考える。

 北前船の発着点となった大阪で開かれることについて、同フォーラム実行委員会の堀井良殷副委員長は、北前船が集まり、物流の拠点となったことが大阪が栄えた理由だと指摘し、「日本海と瀬戸内海の地方と共に元気になることに、大阪の未来はあると思う。今回は、国内だけではなく、海外からも(北前船の寄港地などに)来てもらうためのキックオフの大会だ」と意気込んでいる。

 北前船 江戸時代〜明治時代にかけて繁栄した商売で、船主が西回りで大坂-北海道間を、各港で物を売り買いしながら往復。船で米や魚などを運んで巨万の富を築き、中には藩の財政を立て直すほどの豪商も生まれた。また、各地域の文化にも大きな影響を与え、船に乗って届いた北海道の昆布が使われるようになったことから、関西の“だし文化”が築き上げられたともされる。

2091名無しさん:2015/07/11(土) 23:21:08 ID:8MjPhBmc0
大阪 いくたま夏祭始まる
07月11日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150711/3208781.html

大阪の三大夏祭りのひとつといわれる生國魂神社の夏祭りが始まり、無病息災を願って、「願人」と呼ばれる若者たちの一行が太鼓をたたきながら、街を練り歩きました。
大阪・天王寺区の生國魂神社で11日から始まった「いくたま夏祭」は、大阪天満宮の「天神祭」や住吉大社の「住吉祭」とともに大阪の三大夏祭りのひとつとして親しまれています。
境内では、11日朝、地元の人たちが参列して、祭りの成功を祈る神事が行われました。
このあと、そろいの、赤い頭巾と法被を着た「願人」と呼ばれる若者たちが、無病息災を願って、直径1メートルあまりの太鼓をたたきながら、大阪の街を練り歩きました。
見物していた女性は、「たまたま運よく見ることができました。勇壮で、格好よかったです」と話していました。
「いくたま夏祭」は12日まで行われ、去年、69年ぶりに復活した「渡御列」が大阪の中心部を練り歩きます。

2092名無しさん:2015/07/12(日) 18:55:43 ID:Dz4Vmwrw0
「真田丸」新たな出演者
07月10日 14時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150710/3228341.html

戦国の武将、真田幸村の生涯を描く来年放送のNHKの大河ドラマ「真田丸」の新たな出演者21人が10日、発表され、最大の宿敵となる徳川家康役を内野聖陽さんが演じることになりました。
来年の大河ドラマ「真田丸」は、幸村の名で知られる真田信繁が、家族のきずなとみずからの知恵を頼りに戦国の世を駆け抜けるドラマで、原作はなく、人気劇作家の三谷幸喜さんが一から脚本を手がけます。
10日は東京・渋谷のNHK放送センターで新たな出演者21人が発表され、すでに主役の信繁役が決まっている堺雅人さんも出席して会見が開かれました。
このうち▼信繁の前に立ちはだかる最大の宿敵、徳川家康役を大河ドラマ「風林火山」で主役を務めた内野聖陽さんが演じることになりました。
また、▼信繁の兄で、のちに敵と味方に分かれて戦うこととなる真田信幸役は大泉洋さんが、▼信繁の父、真田昌幸役を草刈正雄さん、▼主人公の側室の「きり」役を長澤まさみさんが演じます。
会見では堺さんが、「非常にわくわくしています。信繁が戦国の武将たちにほんろうされたように私も共演の皆さんにほんろうされながらこの役を楽しみたいです」と話していました。
家康役の内野さんは「三谷さんの描く家康は思わず台本を落としそうになるくらい奇想天外でした。
見ている人が驚くような家康をお見せできると思います」と話していました。
また、会見では、脚本を手がける三谷さんが突然、記者席から記者に扮して質問する場面もあり、思いがけない登場に出演者たちが驚きの声をあげました。
大河ドラマ「真田丸」は、ことし9月から撮影が始まる予定で、来年の1月から1年間放送されます。

2093名無しさん:2015/07/15(水) 03:07:16 ID:VPoJH9io0
「ギャルみこし」天神祭をPR
07月14日 16時22分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150714/5748331.html

大阪の夏を彩る「天神祭」が今月24日から始まるのを前に、祭りを盛り上げる「ギャルみこし」の担ぎ手たちがNHK大阪放送局を訪れ、まつりをピーアールしました。
ことしで35周年を迎える「ギャルみこし」は毎年「天神祭」の前日に行われ、女性たちが長さおよそ4メートル重さ200キロのみこしを担ぎ天神橋筋商店街を練り歩きます。
14日は祭りをピーアールするため担ぎ手の女性10人が赤のそろいのはっぴ姿でNHK大阪放送局を訪れました。
担ぎ手たちは「わっしょい、わっしょい」と威勢のいいかけ声を上げたり、大阪独特の手締め「大
阪締め」を元気に披露したりしました。
「ギャルみこし」の担ぎ手は例年、一般からの公募で選ばれますがことしは、35周年ということで公募をせず歴代のメンバー合わせて105人が参加するということです。
担ぎ手の一人、豊田百佳さんは、「来てくれたみなさんに元気になってもらえるよう、笑顔で担ぎます」と意気込みを話していました。
「ギャルみこし」は、今月23日の正午に天神橋四丁目をスタートする予定です。

2094名無しさん:2015/07/15(水) 04:09:05 ID:VPoJH9io0
「生国魂祭」宵宮で幕開け 勇壮華麗なお練り披露
2015年7月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150712/20150712084.html

 「いくたまさん」で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で11日、伝統行事「生国魂祭」が宵宮で幕を開け、枕太鼓などの列がにぎやかに氏地を練り歩いた。

この日は本殿で宵宮祭が執り行われ、豊臣秀吉が奉納したと伝わる枕太鼓をはじめ、獅子舞、金、銀のみこしなどに奉仕する多くの氏子衆が参集。それぞれの奉仕者は、同神社に伝わる手締め「いくたま締め」を豪快に決め、境内を次々と出発、同区や中央区の上町台地を中心に巡行を繰り広げた。夕刻の宮入り後は境内で勇壮華麗なお練りを披露し、多くの参拝者を魅了した。

 中山宮司は「多くの方々にご参加いただき、前年以上の盛り上がりをうれしく思う」と話し、奉仕者一行を見守った。

 本宮の12日は陸渡御が行われ、約500人からなる渡御列が同神社本来の鎮座地である大阪城を目指す。

2095名無しさん:2015/07/15(水) 04:25:54 ID:VPoJH9io0
荘厳、500人街練る 生国魂祭・本宮「陸渡御」
2015年7月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150714/20150714027.html

 大阪三大祭りの一つ、生国魂神社(大阪市天王寺区)の「生国魂祭」が12日、本宮を迎え、境内から大阪城(同市中央区)までの陸渡御が執り行われた。伝統衣装を身にまとった約500人の一団が大阪の中心部を練り歩いた。

古式にのっとった大行列の陸渡御は、1945年の大阪大空襲で、行列の中心に当たる御鳳輦(ごほうれん)などが焼失。長らく途絶えていたが、氏子の寄進などでみこしや神具が整えられ、2014年に復活した。

 渡御列は、参道を経て谷町筋を北上。祭神を乗せた御鳳輦をはじめ、より代を担当した子どもや、祭神が通るのを知らせる「枕太鼓」などが、同神社の本来の鎮座地である大阪城へと向かった。

 沿道には多くの観客が集まり、カメラで撮影したりしながら荘厳な渡御列に見入っていた。太鼓をたたく役で参加した姉を応援しようと家族連れで見守っていた大久保智貴君(8)=同市中央区=は「(将来)僕もたたいてみたい」と目を輝かせていた。

2096名無しさん:2015/07/19(日) 10:25:16 ID:SOZYfEC60
床ごと吹き飛んだ火薬庫跡を発見 大阪、39年に大爆発
2015年7月15日 17:21
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150715/20150715083.html

 古墳―平安時代の集落跡が残る禁野本町遺跡(大阪府枚方市)で、1939年に約700人の死傷者を出す大爆発を起こした旧陸軍「禁野火薬庫」の建物や土塁跡が見つかり、大阪府文化財センターなどが15日発表。裏返った床の破片が折り重なって見つかっており、爆発で建物が床ごと吹き飛んだことを示していた。禁野火薬庫に詳しい鳥取県教育文化財団の駒井正明副主幹は「爆発のすさまじさが実感できる」と話している。

文化財センターなどによると、火薬庫跡地の西端を調査し、建物の周囲に巡らされた石組みの溝やコンクリート製の床の一部が見つかった。当時の配置図から五号乾燥火薬庫とみられる。

2097名無しさん:2015/07/20(月) 19:41:08 ID:Hhi3G8W.0
人間国宝 竹本源大夫さん死去
07月20日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150720/3485711.html

重厚な語り口で観客を魅了した人形浄瑠璃「文楽」の語り手で、人間国宝の竹本源大夫さんが、けさ、大阪市内の病院で亡くなりました。
83歳でした。
竹本源大夫さんは、昭和7年、大阪で生まれ、祖父の代から4代にわたって文楽の語り手の「太夫」や三味線を務める一家で幼い頃から義太夫節に親しみました。
戦後まもない昭和21年、14歳の時に入門して太夫となり、昭和38年、竹本織大夫の名跡を襲名しました。
平成6年、物語の重要な場面を語る「切場語り」となり、平成8年に師匠の名の「綱大夫」を、平成23年には祖父の名跡「源大夫」を襲名しました。
登場人物の心境や状況によって声を巧みに使い分け、重厚な語り口で聴かせる時代物を得意とする一方で、「曾根崎心中」など近松門左衛門の作品を伝承する第一人
者としても高く評価されました。
こうした功績で、平成19年にいわゆる人間国宝に認定され、平成21年には旭日小綬章を受章しました。
源大夫さんの長男の鶴澤藤蔵さんは三味線の奏者で、およそ17年にわたって相三味線を務め、息の合った義太夫節を披露したほか、平成23年には「源大夫」と「藤蔵」を同時に襲名し、話題となりました。
源大夫さんはおととし5月の東京公演のあと体調不良を理由に休演し、去年7月、引退を表明しました。そして、後進の指導などにあたっていましたが、20日、午前8時すぎ、心不全のため大阪市内の病院で亡くなりました。

2098名無しさん:2015/07/20(月) 20:31:12 ID:Hhi3G8W.0
中村鴈治郎さんが お練り
07月20日 18時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150720/5645041.html

ことし1月、上方歌舞伎の名跡、「鴈治郎」を襲名した四代目「中村鴈治郎」さんが、襲名披露の公演を前に、人力車に乗って大阪・岸和田市内を練り歩きました。
中村鴈治郎さんは、ことし1月、父親で人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが名乗っていた名跡、「鴈治郎」を襲名しました。
20日から2日間、岸和田市で襲名披露公演が行われるのを前に鴈治郎さんや、坂田藤十郎さんらが岸和田駅前の商店街を人力車に乗って練り歩きました。
岸和田市で歌舞伎俳優による練り歩きが行われるのは、平成19年の父親の坂田藤十郎さんの襲名公演以来です。
商店街には、歌舞伎俳優を一目見ようと大勢のファンが集まり、鴈治郎さんは、笑顔で手を振って声援に応えていました。
岸和田市内から訪れた60代の女性は、「実際に近くでお姿を見ることができて、とてもうれしかったです。歌舞伎を見るのが楽しみです」と話していました。
中村鴈治郎さんは、「たくさんの方からご声援を頂き、舞台ではじけて精一杯演じたいです」と話していました。

2099名無しさん:2015/07/20(月) 20:41:25 ID:Hhi3G8W.0
地車ばやし 60年ぶり復活 山阪神社夏祭り
2015年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150719/20150719030.html

 祭りばやしが約半世紀ぶりに復活へ-。東住吉区にある山阪神社(山坂2丁目)の夏祭りで、担い手不足によって途絶えていた地車(じぐるま)ばやしが60年ぶり、獅子舞巡行は40年ぶりに復興する。子どもたちが商店街をにぎやかに練り歩く予定で、地元は「夏祭りは夜店だけじゃない」と張り切っている。

同宮の夏祭りは、境内周辺が夜店でにぎわう恒例行事だが、神事としては氏子地域を3年ごとに持ち回る子どもみこしがあるのみ。近くに住む自営業の匂梅文彦さん(40)は、祭りばやしが聞こえないことを寂しく思っていた。日本舞踊や和太鼓など伝統芸能の素養もあり、自身が呼び掛け人となってこの春、「山坂地車囃子会」を立ち上げた。

 地車は既に譲ってしまい、踊りやはやしも継承されていないため、会では各地の祭りを視察したり、地道に音源を集めるなどして手探りで素材を収集。他地域から踊りの指導を仰いだりと、計画から半年余りで古典を参考に形を仕上げた。

 同宮に近い南田辺本通商店街や町会も物心両面で支援しており、和太鼓も地元からの寄贈品だ。21日の本宮では獅子舞や傘踊り、篠笛、締太鼓が列をなし、商店街を中心に約700メートルを約1時間かけて練り歩く。氏子地域は、東住吉区の山坂や田辺をはじめ、阿倍野区の一部など広範だが、幼児や小中学生をはじめ世代間の交流が生まれ、匂梅さんは「聞いたことのないおはやしや踊りを一生懸命練習してくれている」と目を細める。

 祭りに合わせて法被を新調し、はかまは40年ぶりに境内の蔵から引っ張り出して京都で縫い直した。篠笛を担当する苗代小6年の難波洸君(11)=阿倍野区=は「吹いているときの感触、音色が好き。できることをしっかりやりたい」と胸を躍らせる。

 「3年、5年たって地域にしっかり根付いていけば」と匂梅さん。境内は大相撲春場所中に九重部屋の大阪宿舎が設けられることでも知られているが、まちの「新しい名物」として、活性化の起爆剤になれるか。

  ◇   ◇

 21日は、午後4時20分ごろから同5時半まで獅子舞巡行がある。20、21の両日とも、同8時半まで地車ばやしの演奏が続く。

2100名無しさん:2015/07/20(月) 22:17:52 ID:Hhi3G8W.0
「気負わず 歌舞伎に尽力」 仁左衛門さん
2015年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150718/20150718022.html

 人間国宝に認定された歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん(71)が、大阪市内のホテルで記者会見を開き、喜びと抱負を語った。「今日ほど緊張したのは初めて。ありがたいのと同時に大変おそろしく、責任を感じています」と苦笑いをしながらも、表情は晴れ晴れしていた。


 最初に内定の報を聞いたときは「ええっ」と驚いたが、「これからは良いか、悪いかではなく、悪いでは済まなくなる」と思ったという。それでも「気負うことなく、先輩から受け継いだものを後輩に伝えていくことを心掛け、歌舞伎繁栄に尽力したい」と語った。

 父の十三代目片岡仁左衛門さんも人間国宝だった。「父は喜んでくれていると思うが、半分は『お前が!』と嘆いているかもしれない。親孝行はできたような気はするが、一番喜んでくれているのは母親だと思います」と話した。

 1949年に片岡孝夫の名で初舞台。98年に十五代目片岡仁左衛門を襲名。「父から教えてもらったことが今日の基盤になっている」と振り返る。

 今後の抱負は「大阪道頓堀で年の8カ月は歌舞伎興行をやりたい」。自らも「まだまだ芸域を広げたい」と意欲的だ。上方歌舞伎の若手には「自分に厳しく、基本を大事に」。

2101名無しさん:2015/07/20(月) 22:33:22 ID:Hhi3G8W.0
太鼓など勇壮に練る 御霊神社・夏祭り宵宮祭
2015年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150717/20150717028.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の御霊神社で16日、伝統の夏祭り「宵宮祭」が執り行われた。台風11号が接近するあいにくの天候の中、800人を越える氏子衆が「安全第一」を合言葉に、威勢よく氏地を練り歩いた。

祭礼には氏地の同市西区内に所在する「江戸堀猿田彦講」「西船場獅子講」「靱太鼓講」が奉仕した。このうち靱太鼓講は約100人の奉仕者が境内に参し、安全確認の後、拝殿前で勇壮なお練りを披露。神職や多くの参拝者に見送られて境内を出発し、都心に豪快な太鼓の音を響かせて夏祭りの幕開けを告げて回った。

 幼少期から太鼓講に携わってきた講元の玉井英夫さん(63)は、「一生懸命練習してきた子どもたちのために皆で頑張りたい。やがて子どもたちが指導する側として成長し、地域の伝統を継承してほしい」と期待を寄せた。

 園文夫宮司は「夏祭りの台風は初めての経験だが、皆さんの協力でさらなる安全対策に取り組むことができた。この教訓を今後に生かしたい」と語った。

2102名無しさん:2015/07/25(土) 00:40:47 ID:d.TA6vno0
太鼓や踊り、はや熱気 天神祭前夜祭
2015年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150724/20150724032.html

 大阪天満宮の「天神祭」(24、25日)を目前に控え、大阪市中央区の大阪ビジネスパークで23日夕、恒例の「OBP天神祭前夜祭」が開かれた。関係者約200人が見せ場を紹介し、天神祭のムードを盛り上げた。

会場のツイン21タワー中央広場で、同宮神職によるお払い後、渡御などに参列する各講社の関係者が伝統の所作や演奏を披露した。

 帰宅途中の会社員らが見守る中、催(もよおし)太鼓に奉仕する太鼓中が豪快に太鼓をたたく所作「からうす」(大阪府無形民俗文化財)を繰り広げた。

 地車講は軽快なおはやしに乗せ、伝統の龍踊りを紹介。獅子舞を務める天神講の踊り子や、舞を奉納する講「菅公会(かんこうかい)」の面々が会場いっぱいに踊りの輪を広げ、勇壮華麗な一挙一動に歓声が沸いた。

2103名無しさん:2015/07/25(土) 10:49:05 ID:Mii5n1..0
大阪・都島で「地車囃子」 天神祭りに併せ地元保存会が披露
2015年07月25日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1388/

 大阪・都島の櫻宮境内(大阪市都島区中野1)で天神祭最終日となる7月25日、櫻宮地車囃子(だんじりはやし)保存会が地車囃子を披露する。


 和楽器の大太鼓・小太鼓・鉦(しょう)の構成で演奏する地車囃子。普段は地車を動かす際に演奏されるが、今回は舞台囃子として天神祭の奉納花火に併せて披露。当日は地元の小学生や中学生も囃子に参加する。

 同会副会長の佐藤正豪さんは「天神祭の花火が見える櫻宮境内で地車囃子をやれば、もっとにぎやかになるのではという思いから開催したのが始まり。もう10年以上たつ」と経緯を話す。「開催当初に比べ、年々観客が増えてうれしい。今では天神祭の定番スポットになっている」とも。

 同行事の他にも、伝統を残そうとさまざまな催しで地車や地車囃子を披露し活動している同保存会。「近年では地域の仲間に声を掛け、大阪の祭りを全国に発信できるよう活動している。自分たち自身も楽しんでいる」と佐藤さん。花火終了後は、境内や川沿いの道路の清掃活動も行っているという。「迫力ある花火を見ながら地車囃子を楽しんでもらえたら」と意気込みを語る。

 開催時間は、花火の上がる19時ごろを予定。

2104名無しさん:2015/07/25(土) 21:25:05 ID:Kk0DL0t.0
天神祭の船渡御にぎわう
07月25日 18時41分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150725/4759831.html

大阪の夏を彩る天神祭は25日
「船渡御」が行われ、大勢の人たちで賑わっています。
大阪の天神祭は25日本宮を迎え、夕方からは「船渡御」が行われています。
「船渡御」は大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した行事です。
太鼓をのせた船を先頭におよそ100隻の船が大阪中心部の大川を行き交い、船に乗り込んだ人たちが互いに太鼓やカネを鳴らし、声をあげて祭りを盛り上げていました。
25日の大阪市は日中の最高気温が32度4分という厳しい暑さとなりましたが、川沿いや橋の上には浴衣姿の女性や家族連れなど見物の人たちが大勢詰めかけまつりの雰囲気を楽しんでいました。
天神祭は午後7時半から、およそ5千発の花火の打ち上げが行われまつりは最高潮を迎えます。

2105名無しさん:2015/07/26(日) 03:57:47 ID:Kk0DL0t.0
浪速の街は祭り一色 天神祭宵宮、あふれる熱気
2015年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150725/20150725042.html

 日本三大祭りの一つ天神祭は24日、宵宮を迎えた。大阪市北区の大阪天満宮をはじめ市内各地で多彩な行事があり、25日の本宮に向け、浪速の街は祭りのにぎわいに包まれた。

早朝に天満宮本殿で宵宮祭の神事が行われ、講社の一つ「神鉾(かみぼこ)講」を中心にした約300人の渡御列が同宮を出発。堂島川に面した斎場に到着すると、天神祭の本格的な幕開けを告げる鉾流(ほこながし)神事が厳かに執り行われた。

 氏地巡行で御神霊がお休みになる「御旅所」が設けられた千代崎行宮(同市西区)でも宵宮祭の神事が行われたほか、祭りの花形「催太鼓」が豪壮な太鼓の音を響かせて氏地を巡行。市内の川でも「どんどこ船」が中之島周辺から道頓堀川まで縦横に行き来して祭りムードを盛り上げた。

 この日の大阪市は前日までの雨も上がり、絶好の祭り日和。天満宮の境内には多くの参拝者が訪れ、熱気あふれる祭礼に見入っていた。

 25日は午後3時半に陸渡御が天満宮を出発。同6時から大川一帯で船渡御を展開する。第69回水都祭・天神祭奉納花火(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は午後7時20分から実施予定。大川沿いの2カ所で計約4千発を打ち上げ、船渡御のにぎわいに花を添える。

2106名無しさん:2015/07/26(日) 10:12:08 ID:SMNMZkJc0
天神祭に船100隻、夜空に花火 大阪に夏本番
2015年7月25日 20:58
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150725/20150725098.html

 夏の風物詩、大阪天満宮(大阪市北区)の「天神祭」は25日、多くの船が市中心部の大川を行き交う伝統行事「船渡御」があった。クライマックスでは約5千発の奉納花火が披露された。

約1万2千人が乗り込んだ100隻ほどの船が手拍子や三味線の音とともに、にぎやかに大川を行き来し、赤や緑、黄など色とりどりの打ち上げ花火が夜空と川面を鮮やかに照らした。河岸や橋では多くの見物客がうちわやビールを手に夏本番の訪れを楽しんだ。

 奉納花火は近年約4千発だったが、今年は市民らから資金を募り、千発増やした。天神祭には千年以上の歴史があるとされる。

2107名無しさん:2015/07/26(日) 19:28:19 ID:AwlO8qWU0
浪速の夏4000発彩る 水都祭・天神祭奉納花火
2015年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150726/20150726026.html

 日本三大祭りの一つに数えられる大阪天満宮(大阪市北区)の例大祭「天神祭」が25日、本宮を迎え、大阪の街は祭りの熱気に包まれた。約3千人が市街を練り歩く陸渡御や約100隻の船が川面を行き交う船渡御が盛大に行われ、第69回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が浪速の夜空を鮮やかに彩った。

千年余の歴史がある天神祭は、菅原道真公の御神霊を「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれるみこしに移し、渡御行事として陸路や航路を巡る祭り。市中の人々の暮らしぶりを見ていただき、加護を祈願する。

 この日の大阪市は、日中の最高気温が32・4度。強い日差しが照りつける中、陸渡御では大行列が都心部を練り歩いて“一大歴史絵巻”を展開。船渡御では船上の個性豊かなイルミネーションが見物人らの心を捉え、水都・大阪をあらためて印象づけた。

 天神祭のクライマックスを飾ったのが奉納花火。高さ15メートル、幅約60メートルの仕掛け花火「ナイアガラ」が数年ぶりに復活したほか、約4千発の花火が打ち上げられ、船渡御列でにぎわう川面を華やかに彩った。

2108名無しさん:2015/07/26(日) 19:40:11 ID:AwlO8qWU0
華やぐ水都、5000発花火で船団彩る…天神祭
2015年07月26日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150726-OYO1T50019.html?from=oycont_top_txt

 大阪天満宮の天神祭が本宮を迎えた25日、大阪市中心部の大川を約100隻の船が行き交う「船渡御ふなとぎょ」があった。例年より1000発多い約5000発の打ち上げ花火が船団を照らし=写真、本社ヘリから、里見研撮影=、見物客約114万人(大阪天満宮発表)でにぎわった。

 午後6時頃、氏子ら計1万2000人を乗せた船団が天神橋と飛翔橋から出発、鉦かねを鳴らし水面みなもを進んだ。今年はインターネットサイトで寄付を募る「クラウドファンディング」を活用。287万円が寄せられ、花火を増やした。

2015年07月26日

2109名無しさん:2015/07/26(日) 21:57:46 ID:m82BFQa20
■大阪市東住吉区で模擬原爆追悼式
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008177.shtml

70年前、アメリカ軍が広島や長崎へ原爆を投下する訓練として、日本各地に「模擬原爆」を落としました。模擬原爆が投下された大阪市東住吉区では、26日、追悼式が営まれました。

 爆弾の投下時刻=午前9時26分に始まった追悼式には、地元の住民ら約250人が参加しました。

 「模擬原爆」は、アメリカ軍が広島や長崎への原爆投下の前に、訓練のため日本各地で同じ形状の爆弾を投下したもので、大阪市東住吉区では7人が死亡、73人が重軽傷を負いました。

「(姉の親友は)朝、私の家に来ていた。『警戒警報が出ているから帰る』が最後の言葉」(姉の親友を亡くした龍野繁子さん)

 龍野さんは、「今の日本は私が子どもの頃の状況と似てきた。体験を語り継ぐことはその後を生きた者の使命だ」と、静かに話していました。 (07/26 18:46)

2110名無しさん:2015/07/29(水) 00:47:25 ID:8aWuiCHY0
世界文化遺産推薦ならず
07月28日 18時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3591211.html

文化庁の審議会は再来年の世界文化遺産への登録を目指し、福岡県の「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
28日、文化庁の審議会の世界文化遺産特別委員会は、再来年の登録を目指す4件の候補について審議しました。
その結果、福岡県宗像市の沖ノ島や宗像大社など5つの資産からなる「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
審議会は、「古代の祭りのあとがほぼ手つかずの状態で保存されており、現代でも神聖な島として信仰の対象であることなどが世界的に見ても顕著だ」などと評価しています。
一方、このほかの▼「北海道・北東北の縄文遺跡群」、▼新潟の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、それに▼大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
世界遺産をめぐっては、今月、登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」について、韓国との調整が難航する場面がありましたが、審議会は、今回の決定について、「政治的、外交的な観点では見ておらず、学術的な立場から候補を決めた」としています。
国はことし9月末までに、暫定版の推薦書をユネスコに提出し、再来年・平成29年の世界遺産委員会で審査されることになります。

2111名無しさん:2015/07/29(水) 00:53:13 ID:8aWuiCHY0
米朝さんの追善落語会開催へ
07月28日 07時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3623192.html

上方の落語家たちがファンと触れ合う大阪恒例の「彦八まつり」で、ことしは、3月に亡くなった人間国宝の桂米朝さんをしのんで一門の落語家による追善落語会が催されることになりました。
「彦八まつり」は、上方落語の祖と言われる江戸時代に活躍した米澤彦八をたたえようと、上方落語協会が毎年、彦八の記念碑がある大阪・天王寺区の生國魂神社で開いています。
上方落語協会によりますと、ことしの彦八まつりは9月5日、6日の2日間行われ、このうち6日に、桂米朝さんの追善落語会が催されることになりました。
落語会では米朝さんの長男の桂米団治さんら一門の落語家5人が話芸を披露するほか、会場には米朝さんそっくりに作られたロボットも展示されます。
また、ことしはまつりが25回目の節目にあたることからオープニングの記念イベントとして、上方落語協会の桂文枝会長が率いるハワイアンバンドがフラダンスのチームとともに演奏と踊りを披露するということです。
このほか、落語家らによる屋台がおよそ40店舗、出される予定です。
桂文枝会長は「まつりに来て頂いたお客さんに必ず握手とサインをしようとみんなで申し合わせました。落語のファンを増やすためまつりを盛り上げたい」と話していました。

2112名無しさん:2015/07/29(水) 01:01:27 ID:8aWuiCHY0
地下軍需工場「高槻倉庫」の写真、米で発見
2015年07月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150728-OYO1T50028.html?from=oycont_top_txt

太平洋戦争末期に造られた地下軍需工場、通称「高槻地下倉庫」(大阪府高槻市)の終戦直後の様子を撮影した写真17枚が、米国立公文書館で見つかった。戦闘機のエンジンを製造する極秘工場として建設され、当時の様子を伝える写真はほとんどなかった。研究者らは「工場の実態を知る貴重な資料だ」と話している。

 高槻市などによると、工場は山中に巨大な地下壕(ごう)を掘って造られた。1944年秋、旧陸軍が貯蔵庫として建設を開始。兵庫県明石市の航空機工場が空襲を受けたため、途中で代替工場に切り替えた。

 戦闘機「飛燕」のエンジン製造を目指したが、実際には稼働することなく終戦を迎えた。45年10月、米軍の調査団が内部を調べ、報告書を残している。

 17枚はこの調査団が写したとみられ、撮影日は45年10月15日。5月に渡米した「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」の福林徹代表(67)(京都府亀岡市)が同館で見つけ、大阪経済法科大の塚崎昌之客員研究員(日本近現代史)らが、周りの風景などから、高槻地下倉庫と確認した。

 写真には、木製の柱で支えられた地下壕の中に工作機械が並んでいる様子が写っていた。天井には電線が巡り、電源機器や排水溝もあって、稼働寸前だった工場の姿が具体的に確認された。壕の外にはブルドーザーや変圧器もあった。

 建設には日本兵約800人、朝鮮半島出身者約3500人も携わったとされ、居住地とみられる兵舎や宿舎も写っていた。

 武庫川女子大の三宅宏司名誉教授(産業技術史)は「本土への空襲が激しくなる中、軍需工場を地下に隠して兵器を生産し、戦い続けようとしていた様子がうかがえる」と分析する。

 45年6月半ば、大阪府立北野中(現・北野高)から学徒動員された大阪市の中原充雄さん(85)は、建設を米軍に気づかれないよう、掘り出した土砂を草木で隠すよう言われた。「当時、何のための壕なのか知らされず、中を見たのはこの写真が初めて」と話す。

 工場は当時、「タチソ」という暗号で呼ばれており、幅4メートル、長さ150メートル前後の地下壕約20本などがほぼ完成していた。現在では十数メートルの穴だけが残っており、実態は不明な点も多い。保存に取り組んでいる市民団体「高槻『タチソ』戦跡保存の会」は、壕内の写真集を制作中で、今回の写真も加え、8月15日に発売する。

 福林さんは「終戦間際だったにもかかわらず、巨大な地下軍需工場を造ってまで戦争を続けようとした。最後の最後まで、いかに多くの国民が愚かな戦争に駆り立てられたかを知ってほしい」と話している。

2015年07月28日

2113名無しさん:2015/07/31(金) 23:34:16 ID:t/xKOSI60
「パペット落語」披露
07月30日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150730/4906991.html

持ち芸の人形を使った「パペット落語」が厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞した落語家の笑福亭鶴笑さんが、29日、大阪で記念公演を行い、夏休みの子どもたちに得意の演目を披露しました。
笑福亭鶴笑さんは、ことし5月、持ち芸の人形を使った「パペット落語」が「子どもにもわかりやすい」として厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞しました。
大阪の「なんばグランド花月」で29日夜、記念公演が行われ、吉本新喜劇の辻本茂雄さんや
人気お笑いコンビの「8,6秒バズーカー」らも出演して、コントなどを繰り広げました。
このあと鶴笑さんが、手作りの人形を使って、賞を受賞した演目、「時ゴジラ」を披露しました。

「時ゴジラ」は、古典落語の「時うどん」をパロディーにした噺で、鶴笑さんが手作りの怪獣の人形を両足にはめて、得意のネタを演じると、会場は子どもたちの大きな笑い声に包まれていました。
小学4年生の女の子は、「普通の落語と違って、すごくわかりやすかった」と話していました。

公演のあと、鶴笑さんは、「こどもたちが大勢来てくれてうれしかった。また頑張って、新しいパペット落語を作ります」と話していました。

2114名無しさん:2015/08/06(木) 00:35:54 ID:LPLsXlQE0
■戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008271.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。 (08/05 12:21)

2115名無しさん:2015/08/09(日) 09:51:11 ID:9sKBNFgE0
戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150805/00000007.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。

2116名無しさん:2015/08/09(日) 09:56:37 ID:9sKBNFgE0
祖国のため命を捧げた先人たち「国主導の慰霊を」 旧真田山陸軍墓地シンポジウム
http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n1.html

全国最古、最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地(大阪市天王寺区)の保存活動について考えるシンポジウム「今、旧陸軍墓地は」(産経新聞社など後援)が8日、大阪市中央区のタカラベルモントホールで開かれた。

 明治4年に設置された旧真田山陸軍墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの約5100の墓碑があり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠る。シンポジウムを主催した公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(吉川秀隆理事長)が維持、管理している。

 基調講演で、佐藤正久参院議員は「国のために命を捧げられた方を思い、慰霊・顕彰を大切にしなければいけない」と強調。「真田山(陸軍墓地)を大切に、次の世代につないでいく必要がある」と訴えた。

http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n2.html

パネルディスカッションでは、納骨堂が老朽化し、墓碑の9割近くに劣化が生じている現状について同維持会の永田綾奈学芸員が報告した。宇都隆史参院議員の秘書は、真田山を含め戦没者の慰霊や遺骨帰還事業が民間主導で行われてきた戦後の経緯を説明。「国が墓も守らず、遺骨も戻してくれないという状態が続いていいのか」と述べ、国の主導による慰霊・顕彰の必要性を訴えた。

 司会の近藤豊和・産経新聞東京本社正論調査室長が「祖国のために命を捧げた先人たちに思いをはせ、現代に生きる者は力、勇気をいただいて国をさらに発展させる。共通の思いを一人でも多くの人が持つことができれば」とあいさつ、閉会した。



 詳報は後日、月刊正論に掲載します。

2117名無しさん:2015/08/10(月) 05:19:39 ID:6MSBAf3I0
連歌づくりのこつ学ぶ 杭全神社で初心者講座
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805031.html

 日本で唯一連歌所がある大阪市平野区の杭全(くまた)神社で4日、初心者向けの連歌講座が開かれた。平野法楽連歌会の山村規子さんは連歌の歴史について「お茶や酒を飲みながら楽しんでいた」と解説し、受講生は地域の伝統文芸に親しんだ。

「連歌ってどんなん? なんで平野やねん?」と題して7月28日に続いて開催。2日間で延べ28人が受講した。

 連歌は短歌の「五七五」と「七七」を数人が交互につなげていく言葉遊びで、受講者は前の句を見ながら指を折って文字を数えた。講師を務めた大阪教育大付属平野中学校教諭の小村典央さんは「前にあった言葉を使わなくていいだけ」と連歌づくりのこつを説明し、山村さんは「連歌は楽しんでやるもの」と呼び掛けた。

 杭全神社連歌所記によると、杭全神社の連歌は、征夷大将軍だった坂上田村麻呂の坂上家の子孫と称する平野七名家を中心として室町時代に盛んになった。同神社連歌所は1614年に大坂冬の陣で焼失したが、1708年に再建された。

2118名無しさん:2015/08/10(月) 05:44:02 ID:6MSBAf3I0
陰影ゆらり 四天王寺で「篝の舞楽」
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805038.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で4日、恒例の舞楽公演「篝(かがり)の舞楽」(天王寺舞楽協会主催)が開かれた。多くの参詣者が夜の境内を訪れ、飛鳥時代から連綿と伝わる古典芸能を満喫した。

夏の風物詩として長年親しまれており、今年で61回目を迎えた。 中心伽藍(がらん)・講堂前庭の特設舞台には、天王寺舞楽を伝承する団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」有志の舞人、楽人らが古式ゆかしい装束姿で出演。舞楽の幕開けを告げる儀式的な舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「延喜楽(えんぎらく)」などの曲目を次々と繰り広げた。

 舞台の四方でかがり火が燃えさかる中、みやびやかな舞と雅楽の調和が満員の客席を魅了した。

2119名無しさん:2015/08/11(火) 17:32:43 ID:JFZ66pCY0
市役所食堂で「すいとん定食」
08月11日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150811/3930031.html

終戦の日を前に、大阪・吹田市役所の食堂では11日、食料が乏しかった戦時中の暮らしぶりを知ってもらおうと、当時食べられていた「すいとん」が提供されました。
大阪・吹田市の吹田市役所の食堂では、10日と11日の2日間限定で、80食のすいとん定食が提供されました。
すいとんは、小麦粉を水でこねて団子にし、かつおだしの汁で煮たもので、もちもちとした食感で腹持ちがよく、食料が乏しかった戦時中に米の代わりによく食べられていました。
11日に提供されたすいとん定食は、すいとんに麦ごはん、ふかしたサツマイモなど6品がセットになっていて、近所の人や市役所の職員などが味わっていました。
70代の女性は「娘に食べさせてあげたいと思ってきました。戦争を語り継ぐ人が減る中、こういう機会があるといいと思います」と話していました。
30代の女性は「きょうのすいとん汁は、おいしく味付けされているけど戦争中は、もっと質素な食事だったのではないかといろいろ考えました」と話していました。
吹田市人権平和室の早瀬健次郎さんは「戦時中は、このすいとんを食べて、毎日毎日必死で生きていた人たちがいます。若い人たちにも、そういうことを知るきっかけになればうれしいです」と話していました。

2120名無しさん:2015/08/11(火) 18:15:23 ID:JFZ66pCY0
<私の戦後70年>卒業式で帰阪 大空襲
2015年08月10日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150809-OYTNT50225.html

◇学童疎開先での集合写真

 ◇瀬戸 寛治さん 83

 学童疎開先での生活を半年間辛抱すれば、また元いた場所で暮らすことができる。そんな思いは、かないませんでした。

 疎開先は島根県出雲市。1944年9月、堀江国民学校(現堀江小学校、大阪市西区)6年生の時です。大阪駅から夜行列車で約20時間。みんなが一緒で遠足気分でした。

 私の男子西組の約30人は、宍道湖近くのお寺にお世話になりました。ただ、浮かれていたのは最初だけ。帰りたいと泣いたり、寺を逃げ出そうとしたりした友達もいました。

 写真は、疎開先の国民学校の正門で同じ組の友達と撮影したものです。普段はそんなに雪の積もらない場所らしいのですが、この冬はよう降りました。大阪では経験したことのない寒さで、寺では掘りごたつにみんなで足を突っ込んで眠りました。

 食糧事情は都会より多少良いと言いながら、いつも空腹でした。その頃の思い出といえばゴマ塩。みんな、家から送ってもらったゴマ塩の瓶を持っていて、おやつ代わりにゴマをなめては空腹を紛らわせてね。食事の時、大きい器に当たったら、うれしかった。小さい器でも量は同じやのに、大きい方がたくさん入っている気がして。

 みんな同じ境遇やったんで、疎開の暮らしを楽しいとも、特段つらいとも感じなかった。黄だんが出て1か月ほど学校に通えなかった時は、寺の周りでシイの実を取ったり、散歩したり。卒業式のため大阪に戻った日は、そりゃあ、うれしくて。卒業式は1945年3月14日。前日にリハーサルをして、「明日で学校ともお別れやなあ」と思いながら、コッペパンとみそ汁の最後の給食を食べました。

 ところが、13日夜に空襲警報が響きました。大阪大空襲です。空から、どんどん焼夷(しょうい)弾が落ちてきて、やがて辺りは火の海に。「もうあかんなぁ」と何度もあきらめかけました。

 両親、祖母、妹と弟の家族6人は無事でしたが、自宅は全焼。焼けこげた遺体がそこら中に横たわっていました。私たちは、空襲に遭うために疎開先から帰ってきたようなものでした。結局、卒業式はできず、空襲の犠牲になった同級生もいました。戦後、私は17歳で父を亡くし、食べていくために高校を中退し、必死で働きました。

 終戦から5年程した頃、同級生の所在を電話帳で調べ、同窓会を開きました。その後も疎開先の寺を訪ねるなど、定期的に集まりました。そんな中、2007年に「卒業証書をもらっていない」という話になったんです。堀江小学校にお願いし、08年3月14日に卒業式を開くことができました。「63年の月日を経て、あなたが堀江国民学校の課程を修めたことを証します」と書かれた卒業証書を受け取った時は、感無量でした。

 戦争は多くの子供も犠牲にしました。二度とあんなことがあったらいかん。戦争はもう、ごめんやね。(聞き手 久場俊子)

 

 ◆将来の戦力温存

 空襲から逃れるため、都市部の児童を地方に避難させた国の政策。防空態勢の強化とともに、将来の戦力を温存する目的があった。

 親族を頼る縁故疎開が原則だったが、戦局が不利になると、1944年6月の閣議決定で学校ごとの集団疎開も始まった。集団疎開したのは40万人以上で大阪からは滋賀、奈良、香川、島根などに移住した。

 学童疎開を巡っては、沖縄から長崎に航行していた学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷で沈み、780人の学童が亡くなる悲劇もあった。

2015年08月10日

2121名無しさん:2015/08/11(火) 18:26:47 ID:JFZ66pCY0
<私の戦後70年>広島長崎の訓練だった
2015年08月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150810-OYTNT50403.html?from=ycont_top_txt

◇東住吉の模擬原爆語る

◇龍野 繁子さん 90

 大阪市東住吉区田辺の一角にひっそりと碑が立っています。広島、長崎へ原爆が投下される前の1945年7月26日朝、落とされた「模擬原爆」の犠牲者を追悼する慰霊碑です。

 広野国民学校(現大阪市立摂陽中学校)の教師をしていた私はあの日、教え子約20人を引率し、海軍の制服のボタンを作る工場にいました。

 「今日も材料が入ってこない。勉強していてください」。そう工場長に言われ、生徒たちを工場の別の空き部屋に移動させて「国語にしようか、算数にしようか」と話し始めた時でした。「バリバリ」「ズドーン」。けたたましい音に、生徒たちが叫び声をあげました。

 音がやみ、さっきまでいた隣の部屋をおそるおそるのぞくと、直径1メートルほどの石が天井と床を突き破って落ちていました。幸い、生徒たちにけがはありませんでした。

 工場から約150メートル離れた料亭付近に爆弾が落ちたらしいとしか、そのときは分かりませんでした。生徒を自宅に帰した後、料亭近くへ向かう道すがら見た光景は忘れません。電線に、二つ折りになった畳や布団とともに、バラバラになった遺体の一部が引っかかっていました。足がすくみました。近くの田辺国民学校(現市立田辺小)の講堂には、亡くなった人の遺体が安置されていました。

 姉の親友のトシちゃんが亡くなったと聞かされました。トシちゃんはあの朝、病気療養中の姉を見舞いに我が家を訪れてくれていました。警戒警報の発令を聞き、「夫が隣組の組長だから帰るわ」と自宅に戻る途中に爆風で吹き飛ばされたのでした。姉と母は、泣きながらトシちゃんの背中に刺さった無数のガラス片を抜いたそうです。

 忘れられるなら、忘れたい。消したい記憶でした。戦後、体験を語ることはしませんでした。終戦から50年ほどたってから、あのときの爆弾が広島、長崎に原爆を落とすための訓練として投下された模擬原爆だと知り、驚きました。田辺で練習して、広島、長崎で多くの犠牲者を出したのかと思うと、強い憤りを感じました。

 広島で小学生の時に被爆した友人は、原爆の後遺症に苦しんで亡くなりました。今もなお、多くの人を苦しめる原爆。その原爆につながる被害が大阪にあったことを伝えなければ。そう思い始めた頃、別の友人から「孫に聞かせてやりたい」と頼まれました。自分にできることがあるのではないか。背中を押された気がしました。7、8年前から機会があるごとに体験を話すようになりました。

 7月26日に毎年、慰霊碑前で追悼式が営まれています。今年の追悼式では、小中学生ら約250人に「あの日」を語りました。聞き終えた後、子供たちが「私たちがこれからの平和を守りたい」と話す姿を見ると、体が動く限り語り継がなければとの思いを新たにします。(聞き手 斎藤七月)

 ◇全国30都市に50発

 模擬原爆は、米軍が1945年7〜8月、大阪や、東京、愛知など全国約30都市に計約50発投下した。B29爆撃機が原爆投下後の爆風に巻き込まれずに飛行するための訓練用だったという。長崎に投下された原爆と同じ形状、重さで、中には通常の爆薬が詰められていた。

 大阪市史によると、東住吉区田辺には7月26日に投下され、7人が死亡、73人が負傷したとされる。2001年、遺族と住民が協力して慰霊碑を建立。住民でつくる実行委員会が毎年、慰霊碑前で追悼式を行っている。

2015年08月11日

2122名無しさん:2015/08/12(水) 10:07:46 ID:GblVDpUA0
<私の戦後70年>「軍都大阪」戦跡に学ぶ
2015年08月12日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150811-OYTNT50357.html?from=oytop_ymag

◇旧真田山陸軍墓地

 ◇森田 敏彦さん 72

 大阪市内を中心に、太平洋戦争の遺跡を訪ね歩いています。きっかけは、約1万5000平方メートルの土地に約5100もの個人墓碑や合葬墓が並ぶ旧真田山陸軍墓地(天王寺区)の存在を知ったことです。

私は1943年に大阪市阿倍野区で生まれましたが、幸い空襲には遭いませんでした。高校生の時に父が亡くなり、遺品を整理していたら、軍隊手帳が出てきました。「父はどんな気持ちで従軍していたのか。無謀と思われる戦争を、父や当時の人々は一体どう思っていたのか」。そんな思いに駆られ、満州事変と日中戦争に出兵した父に戦争体験を聞けなかったことを悔やみました。

 旧真田山陸軍墓地を初めて訪れたのは、公立高校の社会科教員時代です。それは、まるで街中に突如として現れた墓石群。その時の衝撃は忘れられません。退職後、観光ボランティアガイドになり、大阪城や玉造界隈などの観光スポットを案内する中で、墓地への関心が深まりました。

 よく見ると、軍人のものだけでなく、外国人捕虜や軍の仕事を助けた軍役夫ら非戦闘員の墓もある。墓石の大きさは階級ごとに異なりますが、それでも身分、立場を超えて弔われていることに意義深さを感じました。日頃は戦争の傷痕など感じられない大阪の街中に、戦争遺跡がまだ多く残されていることに気づき、訪ね歩くようになりました。

 市内の寺社の境内では、焼けたご神木や、爆撃の痕跡が残るこま犬なども見ました。都島区の善源寺楠公園に残る「渡辺綱・駒つなぎの樟」は、戦災で枯死した大木の木肌が黒光りし、戦争の愚行を断罪しているように感じます。船場のレトロなビルにも弾痕があり、50回を超えた大阪空襲のすさまじさを知ることができます。

 大空襲の犠牲者を悼む慰霊塔や供養碑も、戦争の惨害を語り継いでくれています。1945年6月7日の第3次大空襲では市北東部が壊滅し、多数の死者が出ました。身元不明の千数百人の遺体を集め、遺骨を埋葬した城北公園(旭区)千人塚。爆撃の無慈悲さを思い、怒りと悲しみがこみ上げます。

 大阪城やその周辺には多くの軍事施設が作られ、現存する建物もあります。大阪が軍事都市であったことはあまり知られていません。戦争に実感が持てない若い人にも、想像力を働かせて、戦争の愚かさを知ってもらわなければなりません。

 私が実際に足を運んだ戦争遺跡のうち、約60か所を「大阪戦争モノ語り 街かどの『戦跡』をたずねて」(清風堂書店)と題した本にまとめ、戦後70年のこの夏、出版しました。これからは身近な人に戦争体験を聞くことも、どんどんなくなります。だからこそ、身近な戦跡に触れ、戦争について考えてほしい。二度と同じ過ちを起こさないために。(聞き手 東礼奈)

2123名無しさん:2015/08/12(水) 10:09:11 ID:GblVDpUA0
◇犠牲者増え合葬に

 旧真田山陸軍墓地は1871年(明治4年)に設置された全国初の陸軍墓地。西南戦争から日露戦争の戦傷病死者や、訓練中の死者らの個人墓碑が並ぶ。戦況が激しくなるとともに犠牲者が増えて合葬となり、日露戦争・満州事変の合葬墓、日中戦争から太平洋戦争の犠牲者の納骨堂もある。

 「真田の抜け穴」で知られる三光神社に隣接し、真田山陸軍墓地維持会が毎年10月に慰霊祭を行っている。「NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」のメンバーらが調査研究を進め、見学者の案内などで墓地の保存に尽力している。

2015年08月12日

2124名無しさん:2015/08/13(木) 00:28:24 ID:M/S.Cy6U0
踊りの輪 幾重にも 四天王寺で盆踊り大会
2015年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150812/20150812025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で11日夜、恒例の盆踊り大会が盛大に始まった。お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」でにぎわう中、多くの参詣者が踊りの輪に加わり、夏の夜のひとときを楽しんだ。

やぐらとして装飾された境内・石舞台(国重要文化財)の上には、昨年に続き伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さんが登場。同寺開祖・聖徳太子の年忌法要「1400年御聖忌(ごせいき)」(2022年)にちなみプロデュースしたオリジナル河内音頭「不滅の光明・聖徳太子一代記」を名調子で歌い上げた。

 軽快な調べに乗せて石舞台周辺に踊りの輪が幾重にも広がるなど、境内は大いに盛り上がった。盆踊り大会は12日まで実施。午後7時半開始で参加自由。

2125名無しさん:2015/08/14(金) 16:58:07 ID:QX0FxsFc0
陸軍地下工場、写真発見 大阪、終戦直後に米軍撮影
2015.8.14 09:40更
http://www.sankei.com/photo/story/news/150814/sty1508140003-n1.html

太平洋戦争末期、大阪府高槻市で建設が進められた陸軍の地下壕内の工場「高槻地下倉庫」(暗号名「タチソ」)の写真17枚が、米国立公文書館に残されていることが14日分かった。「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」代表の福林徹さん(67)=京都府亀岡市=が5月に渡米して持ち帰った500枚以上の写真データの中から見つけた。
 日付は1945年10月15日で、米軍が工場について報告書を作成する際に撮影したとみられる。高槻「タチソ」戦跡保存の会事務局長の橋本徹さん(75)は「日本国内で写真や資料はほとんど残っておらず、貴重な資料だ」と評価している。

地下壕内はくいで補強され、電線のような配線や工作機械などが写っていた。写真説明には「機械は入り口から600フィート(約180メートル)奥にあった」などと記述されていた。また工場建設に従事した朝鮮人労働者が住んでいたとみられる住居群も撮影されていた。橋本さんは「朝鮮人労働者たちがどのような環境で生活していたか、よく分かる」と話している。

2126名無しさん:2015/08/14(金) 18:30:20 ID:QX0FxsFc0
京橋駅慰霊祭に250人、終戦前日に空襲
2015年08月14日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150814-OYO1T50011.html?from=oycont_top_txt

 大阪市のJR京橋駅前で14日、慰霊祭が営まれた。遺族ら約250人が参列し、犠牲者を悼んだ。

 京橋駅空襲慰霊祭世話人会・寺西忠幸会長(86)は「この地で、熱い熱いとうめいて亡くなった人や、母の胸に抱かれて息絶えた人がいる。多くの犠牲があったことを忘れないことが供養になる」とあいさつ。

 続いて、千羽鶴を折って慰霊碑に供えた地元の市立聖賢小学校の児童4人が「二度と戦争しないために、自分たちになにができるか考えていきます」と誓った。

 学徒動員先の工場で一緒に働いていた同級生を空襲で失った大阪府松原市の本城実さん(86)も参列し、「終戦前日に亡くなるなんて本当に気の毒で無念。戦争のない世界を願うばかりです」と話した。

 京橋駅周辺では1945年8月14日昼、B29が駅南側の軍需工場「大阪砲兵工廠こうしょう」を狙って計約700トンの爆弾を投下した。「京橋駅空襲」と呼ばれ、犠牲者は行方不明者を含めて500〜600人とされる。

2015年08月14日

2127名無しさん:2015/08/16(日) 12:50:42 ID:TA7sMoOQ0
平和への誓い新た 京橋駅空襲慰霊祭
2015年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150815/20150815028.html

 大阪市の旧国鉄京橋駅に1トン爆弾が落とされ、多くの人が犠牲になった「京橋駅空襲」から70年の14日、慰霊祭が同市のJR京橋駅近くの慰霊塔前(都島区)で執り行われた。遺族や関係者ら約200人が手を合わせて冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。

京橋駅慰霊祭世話人会によると 、終戦前日の1945年8月14日にあった空襲では同駅周辺に1トン爆弾が数発投下され 、200人以上が命を落とした。駅舎は吹き飛び、近くの民家や工場も大きな被害を受けたという。

 慰霊祭は55年に当時の京橋駅長から「供養をお願いします」と依頼を受けて始まった。記憶の風化を防ごうと、空襲の日に法要を毎年行い、ことしで61回目になる。

 慰霊祭では妙見閣寺(同市旭区)の住職がお経を上げ、参列者が順に焼香。じっと目を閉じて静かに両手を合わせていた。

 当時44歳の陸軍軍人だった父親を亡くした女性(77)=神戸市長田区=は「壊れた腕時計と財布と軍服があり、それで父親だと分かった。その後、母親が姉の結婚式で初めて笑顔を見せたことを覚えている」と話し、若い世代には「私たちみたいな目に遭ってほしくない」と戦争のない世の中が続くよう思いを託していた。

2128名無しさん:2015/08/16(日) 14:09:08 ID:TA7sMoOQ0
<戦後70年>動物殺処分 愚かな時代
2015年08月15日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150814-OYTNT50377.html

◇天王寺動物園 剥製を展示

 太平洋戦争中に犠牲になった猛獣の剥製などを展示する「戦時中の動物園展」が、大阪市天王寺動物園のレクチャールームで開かれている。動物園で起きた悲劇を知り、平和を考える内容。(中谷圭佑)

 100年前に開園した同園にも戦争は暗い影を落とした。餌不足や栄養失調でキリンやゾウなどが次々に死んだ。戦局が悪化し、「空襲で逃げ出すと危険」として1943年9月からは、猛獣の殺処分がやむを得ず行われ、ライオンやトラなど10種26頭が犠牲になった。

 会場には猛獣の剥製や、戦意高揚のプロパガンダに使われた軍服姿のチンパンジーの「リタ」(雌)の写真なども並ぶ。同園の榊原安昭獣医師は「飼育員はどんな思いだっただろうか。戦争の愚かさと平和の大切さを感じてほしい」と話す。23日まで。入園料のみが必要。問い合わせは同園(06・6771・8401)へ。

2015年08月15日

2129名無しさん:2015/08/16(日) 14:28:01 ID:TA7sMoOQ0
万灯に先祖思う 四天王寺で盂蘭盆会行事
2015年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150814/20150814020.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、盂蘭盆会(うらぼんえ)の伝統行事「万灯供養法要」が執り行われている。本格的なお盆休みが始まった13日も多くの参詣者が先祖をしのび、静かに供養の火をともした。16日まで。

 五重塔などが建つ境内・中心伽藍(がらん)には、回廊に沿ってろうそく台が設置され、先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」が連日1万本以上ともされている。

 日没後、ほのかな明かりが諸堂を幻想的に照らす中、家族連れなどが、ろうそくの前にたたずんで手を合わせたり、故人の思い出を語ったりするなど、心穏やかなひとときを過ごしていた。

 万灯供養は日没後から午後9時。期間中は同寺僧侶が午後6時半(15日は同6時)から般若心経とともに伽藍内を練り歩く法要も行われ、一般参詣者も加わって長い列が続いた。

2130名無しさん:2015/08/16(日) 18:37:05 ID:TA7sMoOQ0
400年ぶり「豊国踊り」 ノリノリ現代版も誕生
2015年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150815/20150815032.html

 豊臣秀吉の七回忌の祭礼で踊られたという「豊国(ほうこく)踊り」が、大阪城天守閣前で400年ぶりに復活した。忠実に再現したバージョンだけでなく、三味線を使ったノリの良い現代版も誕生。派手好みだった秀吉を彷彿(ほうふつ)とさせる出来栄えで、関係者らは「大阪を代表する踊りになれば」と思いを寄せている。

 豊国踊りは、1604(慶長9)年に京都・豊国(とよくに)神社で執り行われた秀吉の七回忌祭礼でクライマックスを飾った踊り。計1500人が参加し、グループごとにそろいの衣装を着て、工夫を凝らした造(つく)り物を出したという。その様子は、秀吉の臣下・太田牛一による「豊国大明神臨時御祭礼記録」などに残されている。

 今回、官民連携で取り組まれた「大坂の陣400年プロジェクト」の一環で、文献や絵画史料を基に再現。作・演出は大蔵流狂言師の茂山千三郎さんが務めた。

 踊りの考証に当たった橋本裕之・追手門学院大教授は豊国踊りのジャンルについて「今の盆踊りにつながっていく、当時流行した風流踊りの一つ。そこに(参加人数やそろいの衣装といった)奇抜な趣向を取り入れて行われた」と解説する。

 制作した踊りは、当時のものを忠実に再現するようにした“正統派”バージョンだけでなく、「現代の人でも楽しめるように」と、テンポが早い“平成版”も含めて3段階のスピードを用意した。

 踊りは、中央区の天守閣前で開かれた夕涼みイベントの中で8日に披露。宝塚歌劇団OGとOSK日本歌劇団OGら十数人が、軽やかなステップも盛り込まれた“平成版”を繰り広げた。

 最後には同OGと観客らが、天守閣を背景に組まれたやぐらを取り囲み、一緒になって挑戦。子どもから高齢者まで息を切らしながらも笑顔で楽しみ、「もっと踊りたかった」との声も上がっていた。

 企画・監修を担った北川央・大阪城天守閣館長は「踊りを各地の団体に取り入れてもらったり、アレンジしてもらったりしながら大阪の夏の風物詩として定着していければ」と展望を語っていた。

2131名無しさん:2015/08/18(火) 01:05:24 ID:Ydh1X6aM0
600人が戦没者悼む 大阪護国神社
2015年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150816/20150816085.html

 戦後70年の終戦の日となった15日、大阪市住之江区の大阪護国神社(柳澤忠麿宮司)で戦没者を悼む祭儀「英霊感謝祭」が盛大に執り行われた。府内各地の遺族、戦友会などの関係者をはじめ、一般参拝者が続々と参列。せみ時雨の中で犠牲者の冥福を祈った。

今年は大きな節目の年とあって例年の倍近い約600人が参列。本殿では全員が正午に合わせ黙とうをささげたのに続き、祝詞奏上、みこによる「みたま慰めの舞」が厳かに奉納された。

 柳澤宮司は、戦後の占領政策で慰霊祭の禁止や神社名の一時改称を余儀なくされた歴史にも触れ、「神社が存在する限り、絶えることなく英霊、先人への慰霊と感謝をささげていきたいと決意を新たにした」とあいさつした。

 海軍の航空機搭乗員だった男性(89)=同市阿倍野区=は「慰霊碑の掃除などで頻繁に境内を訪れているが、今日は戦友に会えるのが楽しみ」と参拝。「戦時中は多くの戦友を見送ったが、若い人には大変な思いをしてもらいたくないので平和な時代が続いてほしい」と話していた。

 夜には伝統行事の「みたま祭り」も斎行。無数のちょうちんがともる中、盆踊りが奉納され、遅くまで多くの参拝者でにぎわった。

2132名無しさん:2015/08/22(土) 21:01:33 ID:KvIrOSYE0
学童疎開「6割旅館」 鳥取での実態解説
2015年8月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150822/20150822048.html

 太平洋戦争末期の1944年から国策として実施された学童集団疎開のうち、鳥取県への疎開をテーマにした講演会が20、21の両日、大阪市北区の鳥取県関西本部交流室であった。同県立倉吉西高教諭の石田敏紀さん(50)が、児童約4千人が鳥取へ疎開した経緯や受け入れ側の体制などについて解説した。

鳥取の歴史文化や産業など各分野の識者による月例講座「鳥取学出前講座」(同本部、大阪鳥取県人会主催)として開いた。

 石田さんは冒頭、神戸市内の国民学校9校の受け入れ先が鳥取県に決まり、相互の調整を経て同年9月から疎開が始まったことを紹介。「鉄道沿線で旅館が多い地域が選ばれた」といい、他県の受け入れ施設は寺院が多数を占める中、鳥取県は旅館が約6割だったことを特徴に挙げた。

 石田さんは、当時多くの人々が子どもたちを助けるために尽力したことに触れ、「集団疎開が戦争継続のための政策であり、戦争は人々の善意も利用して遂行された」と持論を述べた。

 来場者の中には当時を知る人もあり、疎開児童の増加や再疎開など、政策が時々刻々と破たんしていく実相に聞き入っていた。

2133名無しさん:2015/08/24(月) 00:57:27 ID:ZbbGMv0s0
戦後70年シンポ・命の大切さ「創作落語」で〜大阪
更新:08/23 18:13
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150823/00000021.shtml
戦後70年の記念シンポジウムが23日、大阪市内で開かれ、落語家の桂春蝶さんが特攻隊をテーマとした創作落語を披露し命の大切さを訴えました。

 このシンポジウムは、戦後70年を迎えて戦争体験が風化する中、大阪市が平和について考えようと開いたものです。

 まず、NPO法人代表の神直子さんが、フィリピンで聞き取りをした元日本兵について基調講演を行い、最後に落語家の桂春蝶さんが鹿児島県の知覧基地跡で特攻隊員らの遺影を見て創作した落語を披露しました。

「明日があるというのは、ありがたいことやと思って生きててほしいんや」(落語家 桂春蝶さん)

 シンポジウムの参加者らは、命の大切さを訴える春蝶さんのメッセージに聞き入っていました。

2134名無しさん:2015/08/25(火) 20:32:25 ID:RJBm2YRU0
世界文化遺産の登録目指す 百舌鳥・古市古墳群
2015年8月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150825/20150825025.html

 2017年の世界文化遺産登録を目指す国内候補から外れた大阪府の百舌鳥・古市古墳群(堺、羽曳野、藤井寺各市)について、府と3市の首長でつくる世界文化遺産登録推進本部会議が24日、府庁であり、16年度の国内推薦獲得と18年度の登録を目指す方針を確認した。

 松井一郎知事の代理で小西禎一副知事らが出席し、本部長の竹山修身堺市長が「機運醸成を3市と府でスピード感を持って取り組みたい。この1年が試金石になる。来年は必ず国内推薦を得る覚悟で頑張りたい」と決意を述べた。

 今後の主な取り組みとして、首都圏など全国での広報活動の強化をはじめ、シンポジウムや講演会を通して古墳群の価値を広くPRする。海外の考古学の専門家を新たに交え、文化庁に提出する推薦書の作成検討委員会を開催することなども確認した。

2135名無しさん:2015/08/29(土) 21:01:19 ID:3Vmp/iAs0
爆笑王・桂枝雀さんの長男、落語家に ざこばさんに入門
篠塚健一2015年8月28日
http://digital.asahi.com/articles/ASH7W328CH7WPTFC001.html

 落語界の爆笑王として知られ、16年前に亡くなった桂枝雀さんの長男前田一知(かずとも)さん(43)が、枝雀さんの弟弟子の桂ざこばさん(67)に弟子入りした。芸名は「桂りょうば」。枝雀さんとざこばさんの師匠である桂米朝さんの追善の一門会が開かれた今月16日付で入門し、二世落語家として歩み出した。

 一知さんは大阪府豊中市生まれ。幼稚園の時から枝雀さんの弟子が稽古する噺(はなし)を聞き覚えてしゃべっていた。落語少年ぶりを枝雀さんは喜んでいたが、「かわいらしいと言ってもらえるのは小学生まで。本当にやりたかったら、高校を卒業してから改めて来なさい」と考える時間を与えた。

 中学に進むころに落語から離れると、高校では演劇や音楽に夢中に。英語落語の前座をすることはあったが、20代後半から東京を拠点にミュージシャンとしてバンド活動に打ち込んだ。

 転機は枝雀さんの没後10年だった2009年。亡き父の落語を改めて熱心に聴くうちに、「子どものころとは違う面白さに気づいた。すごい人だったんだ、と思いました」。自分もやってみようと、各地でアマチュアとして高座を重ねてきた。表情や口調に枝雀さんの面影が宿る。プロへの思いが高じて今年、ざこばさんに弟子入りを志願。9月から大阪で本格的な修業生活に入る。

 ざこばさんは「どうしてもなりたいと言うんでね。(枝雀)兄ちゃんへのお返しという気も少しはあるけど、そない大層には考えない。僕の弟子で噺家として渡っていけるんなら、かめへん」と話している。(篠塚健一)

     ◇

 〈桂枝雀〉 39年神戸市生まれ、本名・前田達(とおる)。神戸大を中退して桂米朝に入門し、73年に枝雀を襲名。爆笑落語で一時代を築き、84年には上方落語家で初めて東京・歌舞伎座で独演会を開いた。英語落語の先駆者でもあった。99年、59歳で死去。

2136名無しさん:2015/09/11(金) 13:30:35 ID:Mii5n1..0
大阪城で太閤秀吉の愛した「薪能」 大坂の陣400年天下一祭で
2015年09月05日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1396/
 「大坂の陣400年天下一祭 夏の陣2015」の一環として行われる同公演。大阪を代表する能楽師の大槻文藏さんをはじめ、能楽界の重鎮から若手までの実力派能楽師が4日間にわたり、天守閣を背景にした特設舞台に立つ。

 演目は、初日=「翁(おきな)」「猩々(しょうじょう)」、2日目=「蚊相撲」「土蜘蛛」、3日目=「仏師(ぶっし)」「安宅(あたか)」、4日目=「蝸牛(かゅう)」「吉野詣」。4日目の「吉野詣」は、豊臣秀吉が自分の事績をもとに作らせた「豊公能(たいこうのう)」と呼ばれる作品で、当時「豊公能」の作品のほぼ全ては、能をこよなく愛していた秀吉自らが演じていたといわれる。

 8月11日に大槻能楽堂(大阪市中央区上町A)で行われた記者発表会では、出演者を代表して大槻文藏さんと、その芸養子で高校生能楽師として注目を集めている大槻裕一さんが見どころなどを語った。

 「吉野詣」で豊臣秀吉役を演じる文藏さんは「20年ほど前に復曲した作品。この役を大坂の陣から400年という特別な年に演じさせてもらうことに大変意義を感じている」と意気込みを見せた。裕一さんは「普段は能をご覧にならない方にも分かりやすく華やかな曲を選んだ。能は難しいと感じる方にもぜひ見に来てほしい」と呼び掛けた。

 当日の出演は、ほかに観世清和さん、野村萬斎さんなど。18時30分開演。チケットは、VIP=1万5,000円、S=1万円、VIP通券=5万5,000円。チケットはイープラスなどで扱う。

2137名無しさん:2015/09/11(金) 22:57:29 ID:qtZg/EPQ0
戦時写す卒業アルバム
2015年09月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150911-OYTNT50036.html?from=ycont_top_txt

◇防空頭巾で訓練・日の丸イラスト  金光藤蔭高に遺族寄贈

 金光藤蔭高(大阪市生野区)に、71年前に発行された卒業アルバムが届いた。贈ったのは、北海道岩見沢市の獣医師、加山朋欣(ともよし)さん(59)。同校の前身・浪花高等女学校の卒業生だった母の遺品を整理中に見つけた。防空訓練の写真や開戦詔書の写しなどが載ったページからは戦時中の様子がうかがえ、加山さんは「戦争を乗り越えた人々の苦労を若い人に感じてもらえるよう、役に立ててほしい」と話している。(浅野友美)

 加山さんの母・よし子さんは、2011年9月に86歳で他界。アルバムは、よし子さんが暮らしていた京都市伏見区の家を処分するにあたり、加山さんが取り寄せた遺品の箱の中から、今年4月に見つけた。

約60ページのアルバムは、表紙はなくなっていたが、巻頭には開戦詔書の写しやアジア圏の地図、日の丸のイラストを掲載。よし子さんら卒業生約270人の顔写真のほか、防空頭巾をかぶった女学生がバケツリレーをしたり、高野山の霊場で修養をしたりする写真も収められている。

 福岡県出身のよし子さんは、下宿をしながら浪花高等女学校を卒業。終戦後に京都に嫁ぎ、加山さんら3人の子を育てた。子供が好きで、進路などについても、加山さんらの意思を尊重してくれたが、自らの生涯については、ほとんど語ることはなかったという。

 加山さんは、知らなかった母の過去の一部を目の当たりにし、「さぞかし大変な人生を生きたのだろう」と思いやった。それと同時に、アルバムで笑顔を見せる、若き日のよし子さんら卒業生たちが「戦争のことを、今の時代に伝えて」と訴えているようにも感じ、8月に金光藤蔭高に手紙で寄贈を申し出て、今月5日に届けた。

 同校には、当時の卒業アルバムは残っておらず、安元祥二校長(65)は「71年の時を経て、学校の歴史がよみがえった」と感激。加山さんの思いを受け、全校生徒にアルバムが届いたことを伝えるとともに、「厳しい時代に先輩たちが社会で自立するため必死に学んだのを見習って、感謝を忘れず、人の役に立つ人になってほしい」と呼びかけたという。同校は今後、このアルバムをデジタルデータ化して長期保存することにしている。

 加山さんは「母は生前、このアルバムを大切に保管し、何度も見返していたはず。こういう形で受け継がれ、喜んでいるでしょう」と話している。

2015年09月11日

2138名無しさん:2015/09/20(日) 14:32:04 ID:kCiGURGQ0
岸和田だんじり祭り始まる
更新:09/19 12:31
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150919/00000024.shtml

大阪・岸和田市では、だんじりが城下町を豪快に駆けぬける「岸和田だんじり祭り」が19日始まりました。

 重さ4トン、高さ約4メートルのだんじり34台が法被姿の男たちにひかれ、全速力で町を駆けぬけます。

 祭りの最大の見せ場は、勢いよく走りながら交差点で直角に向きを変える「やり回し」です。

 岸和田だんじり祭は、五穀豊穣を祈願して江戸時代に始まったとされる伝統行事で、今年も沿道を埋める大勢の見物客から、拍手が上がっていました。

「すごく迫力があっておもしろいです」(来場者の子ども)

「1年に1回の楽しみです」(来場者の子ども)

 22日は、だんじりが3つの神社に入る「宮入り」が行われます。

2139名無しさん:2015/09/20(日) 14:43:55 ID:kCiGURGQ0
天満天神繁昌亭が9周年
09月15日 14時22分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150915/4834071.html

大阪にある上方落語専門の寄席、「天満天神繁昌亭」がオープンから9周年を迎え、桂春之輔さんらが出席して記念の式典が開かれました。
「天満天神繁昌亭」は、大阪では60年ぶりとなる、上方落語専門の寄席として平成18年にオープンしました。
9周年を迎えた15日、記念の式典が開かれ、上方落語協会の副会長を務める桂春之輔さんが、「あっという間に9年がたち、来年は10周年です。消費税の値上げもあってきょうから入場料を500円上げることになりましたが、今後もよろしくお願いいたします」とあいさつしました。
続いて、四斗だるを開けて訪れた人たちに日本酒が振る舞われ、会場は華やかな雰囲気に包まれていました。
繁昌亭にはこの9年間に127万人を超える人が訪れたということで、春之輔さんは、「ここまで発展すると思いませんでした。落語家が手探りで運営してきましたが、今後も一生懸命後輩に引き継いでいきたい」と話していました。

2140名無しさん:2015/09/20(日) 16:01:36 ID:kCiGURGQ0
岸和田だんじり祭 34台疾走し開幕
2015年09月19日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150919-OYO1T50015.html?from=oycont_top_txt

大阪府岸和田市の「岸和田だんじり祭」が19日、開幕。だんじりが交差点を勢いよく曲がる勇壮な「やり回し」に、見物人が歓声を上げた。

 見せ場の「やり回し」は南海岸和田駅前などの交差点で披露。法被、ねじり鉢巻きの曳(ひ)き手たちがだんじり34台を疾走させ、猛スピードで直角に曲がったり、高さ4メートルの大屋根で大工方が華麗に舞ったりする姿に、驚きの声が上がっていた。市は20日の本宮と合わせて55万人の人出を見込んでいる。

2015年09月19日

2141名無しさん:2015/09/20(日) 16:05:28 ID:kCiGURGQ0
舞の秋 優美に 大槻能楽堂で「與桂の会・花扇会」
2015年9月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150915/20150915038.html

 日本舞踊の花柳與桂(はなやぎよか)さんによる「與桂の会・花扇会」が13日、大阪市中央区の大槻能楽堂で開かれた。與桂さんは平安時代の歌謡集で後白河法皇編さんの『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を披露。花扇会の門下生も次々に出演し、来場者約200人を楽しませた。

與桂さんは梁塵秘抄の創作舞踊や長唄『扇の的』を通して日本舞踊の美しさを表現。門下生らは長唄『梅の栄』『秋の色種』『越後獅子』などを踊り、舞台に花を添えた。

 與桂さんは「踊れる喜びをかみしめて精進し、日本舞踊の発展にまい進したい」とあいさつ。この日の舞台について「文化は秋から始まる」と話し、日本舞踊を通して文化の秋到来を盛り上げた。

2142名無しさん:2015/09/20(日) 16:52:10 ID:kCiGURGQ0
売り切れ続出 四天王寺「亀の文鎮」人気
2015年9月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150915/20150915025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)に新たな授与品として「黒い亀の文鎮」がお目見えした。境内のほぼ中心に位置する「亀の池」「亀井堂」にちなんだ品で、参詣者には「縁起がいい」と評判。境内諸堂の窓口では売り切れ続出で、亀の歩みに反し、売れ行きの出足は好調だ。

2022年に行う忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」の取り組みの一環。かねて参詣者から亀にちなんだ授与品の問い合わせが絶えなかったことを受け、実際に使えるものとして南部鉄器の本場である岩手県のメーカーに特注した。

 全長約7センチ、幅約5センチ、重さ約180グラムとほどよいサイズ。腹部に同寺の角印を刻んだ。使い込むうちに表れる鉄特有の黒光りも魅力という。

 お守りではないが「長寿の願掛けにしたい」と購入する人が相次ぎ、早くも追加生産に。同寺参詣課の山岡武明課長は「多くの方に親しんでいただけるよう今後も四天王寺の魅力を発信したい」と話している。価格は1200円。

2143名無しさん:2015/09/21(月) 20:17:58 ID:x3juxcHk0
大坂夏の陣400年 大阪城で重要文化財の櫓など公開
更新:09/21 14:57
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150921/00000032.shtml

大阪城では、大坂夏の陣から400年を記念して国内最大級の「多聞櫓」など重要文化財4つが公開されています。

 大阪城の西の丸庭園で公開されているのは重要文化財の「多聞櫓」「焔硝蔵」など4つの建造物です。

兵士たちが籠城して寝泊りするために作られた国内最大級の「多聞櫓」をはじめ、大阪城内で最古の建造物となる「千貫櫓」や「乾櫓」など普段は公開されていない櫓を見ることができ同時に4つの文化財が公開されるのは珍しいということです。

「あまり見られないものが見れるのはとても貴重だなと」(来場者)

「この床なんか昔の江戸時代ですね削った跡がありますから400年前の世界に戻れるということですばらしい」(来場者)

これらは23日までと26日・27日に公開されます。

2144名無しさん:2015/09/22(火) 11:50:43 ID:ZwuTXadk0
寝屋川に邪馬台国期集落跡
2015年09月18日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150917-OYTNT50386.html

邪馬台国時代の2世紀後半〜3世紀半ばの集落跡が、寝屋川市の小路(しょうじ)遺跡で出土したと、市教育委員会が17日、発表した。市教委は「北河内地域でこの時期の集落跡が確認されるのは初めてで、代表的な集落遺跡になる」とみている。

 市教委によると、約4000平方メートルを発掘し、柱穴や溝、井戸跡などを確認。ごみ捨て穴などから、2世紀後半〜3世紀半ばの土器片が数千点出土した。集落は南北300メートル、東西200メートルの範囲に広がると推測している。

 また、土器には、吉備(岡山県)や東海(愛知県)のものが各1点含まれており、広域的な交流があったことをうかがわせる。

 遺跡の南東500メートルには全長87メートルの前方後円墳、忍岡(しのぶがおか)古墳(4世紀初め)があり、集落と関連する可能性がある。市教委文化スポーツ振興課は「北河内地域の古墳出現期について解明する手がかりになる」と評価している。

 現地説明会は26日午後1〜3時。京阪バス小路北町バス停から南約200メートル。駐車場はない。問い合わせは同課(072・824・1181)へ。

2015年09月18日

2145名無しさん:2015/09/23(水) 11:14:06 ID:la3at3U60
「飲みながら 食べながら 文楽」 鑑賞プロジェクト
2015年9月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150921/20150921028.html

 本格的なヒノキ造りの組み立て式舞台を使った文楽公演が10月17〜20日、大阪市中央区の難波宮跡公園で上演される。「飲みながら 食べながら 文楽」をキャッチフレーズにした開放的な屋外公演となる。

「古代、難波宮があった大阪の都市文化の発祥の地で、文楽が『大阪のタカラ』『日本のタカラ』であることを多くの人に思い起こしてほしい」との思いで日本財団が取り組む「にっぽん文楽プロジェクト」の一環。3月に東京・六本木ヒルズ公演からスタートし、2020年をめどに年2回全国を巡演する。

 2都市目となる大阪公演の演目は、文楽ゆかりの地・道頓堀の開削400年を祝って「二人三番叟」と、「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」。出演は桐竹勘十郎さん、吉田玉男さんら。

 昼の部午後2時、夜の部同6時半開演。飲食物は持ち込み自由。入場料2千円(全席自由)。問い合わせは電話03(6229)2648、にっぽん文楽プロジェクト。

 【チケットプレゼント】同公演の19日と20日の昼の部または夜の部の招待チケットを計20枚プレゼント。希望者はメールで件名に「にっぽん文楽チケット希望」と書き、本文に氏名、住所、連絡先電話番号、希望公演日時、枚数(1人2枚まで)を明記し9月30日午後5時までに応募。

 メールアドレスは pr〓ps.nippon-foundation.or.jp

2146名無しさん:2015/09/24(木) 21:59:46 ID:e4A4vG9U0
大河「真田丸」新たな出演者
09月24日 19時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150924/5065011.html

戦国の武将、真田幸村の生涯を描く来年放送のNHKの大河ドラマ「真田丸」の新たな出演者9人が発表されました。
来年の大河ドラマ「真田丸」は、幸村の名で知られる真田信繁が、戦国の世を駆け抜けるドラマで、脚本は人気劇作家の三谷幸喜さんが手がけます。
東京・渋谷のNHK放送センターでは、豊臣家側の登場人物を演じる出演者9人が新たに発表され、信繁役の堺雅人さんも出席して記者会見が開かれました。
このうち、▼秀吉最愛の側室、茶々役は大河ドラマ初出演となる竹内結子さんが演じることになりました。
また▼秀吉の正室、北政所役を鈴木京香さん、▼豊臣家に絶対的な忠誠を誓う石田三成役を山本耕史さん、そして▼茶人、千利休役は桂文枝さんが演じることになりました。
会見では、茶々役の竹内さんが「これまでさまざまな方が茶々を演じていて、そこに加えていただけることをとても光栄に感じます」と話しました。
また、大河ドラマ初出演となる桂文枝さんは、「私も千利休と同じ大阪の堺出身で、ぴったりちゃうかなと思っています。史実では秀吉に自害を命じられますが、私は一生懸命生き抜いて歴史を変えたいと思います」と冗談を交えながら抱負を語りました。
会見では脚本を手がける三谷さんが突然、記者席から「台本が遅れた方が役作りに悩むことがなくなるというのは本当か」などと質問し、壇上の出演者たちから笑いが起きました。
大河ドラマ「真田丸」は、今月1日からすでに撮影が始まっていて、来年の1月から1年間放送されます。

2147名無しさん:2015/09/24(木) 22:59:51 ID:e4A4vG9U0
落日に合掌 極楽浄土思う 四天王寺で伝統の「日想観」
2015年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150924/20150924021.html

 彼岸の中日「秋分の日」の23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で伝統行事「日想観」が執り行われた。薄暮の中、多くの参詣者が真西に沈む落日に極楽浄土を観想した。

かつて四天王寺の西側は難波(なにわ)の海が広がり、境内の西門は極楽浄土の東門へ続くと信仰されたことに由来する行事。年に2度、春と秋の彼岸の中日にのみ夕日が境内「石鳥居(いしのとりい)」の中央に沈む光景を望むことができる。

 夕刻の境内・西大門(極楽門)付近では同寺僧侶が参集し、厳かに般若心経などを読経。参詣者も読経に加わり、ゆっくりと傾き始めた夕日をカメラに収めたり、手を合わせたりして見届けた。年2度のうち、あいにくの空模様で夕日が見られない場合もあることから「きれいな夕日を拝めた」「初めて見た」など方々から喜ぶ声が聞かれた。

 この日の境内は墓参りなどの家族連れなど多くの参詣者で終日にぎわった。

2148名無しさん:2015/09/27(日) 13:43:54 ID:1vDRPrZY0
都市を生きる建築(44)】
時間を超えた存在感…三井住友銀行大阪本店
http://www.sankei.com/west/news/150927/wst1509270009-n1.html

住友ビルディングとして完成してから現在までの85年間に、建物以外のさまざまなものは移り変わった。西に流れていた西横堀川は高度成長期に埋め立てられ、今は高速道路が走っている。周囲に超高層ビルも増えた。旧住友本社と連系各社の本拠であった建物も、現在では、三井住友銀行大阪本店ビルとなった。

 それでも、土佐堀川越しの景色は変わらない。大阪の発展を支えてきた川の流れは太く、建物全体を観察する余地を与えている。そんな人々の視線に対して建築は時間を超えた美しさで、臆することなく応えているように見える。

 「住友本店・銀行本店」の建設は、1895(明治28)年に住友家が本格的な銀行業への進出を決定した時から構想されていた。これを担当する部署として設立された住友本店臨時建築部は、住友家の寄付によって1904年に開館した大阪府立中之島図書館の設計を担当した後、1908(明治41)年、現敷地の南側に本格的な木造西洋建築である住友本店仮建物を竣工させた。そして、2期にわたる建設工事を経て、1930(昭和5)年に完成したものである。

 「住友ビルディング」の名と実を反映するかのように、外観には「ビルディング」らしさと「銀行」らしさが噛み合わさり、互いに引き立てあっている。西洋風の列柱を使わず、窓のプロポーションによって品位を獲得する手法は、1925年に渡辺節の設計で完成した中之島の大阪ビルヂング(現ダイビル本館)と同じもの。表現を抑制し、見た目の機能を限定しない先進性、合理性が読み取れる。

http://www.sankei.com/west/news/150927/wst1509270009-n2.html

土佐堀川に面した正面の「銀行」らしさは、中央に立つ2本のイオニア式オーダーの柱とその上の梁状のエンタブラチュアに集約されている。印象的な外壁は兵庫県高砂産の黄竜山石を砕石、これにイタリア産大理石トラバーチンを砕いて混合し、鉄筋を入れて成形した擬石ブロックで覆ったもの。そこに黄竜山石の本石によるオーダー柱とエンタブラチュアに導かれて3階部分まで達するエントランス空間が穿たれている。

 壮大な営業室が位置するのは、その先である。吹き抜けの空間に大理石製のコリント式オーダー31本が並び、植物をモチーフとした紋様が細部にまで駆使されている。圧倒的な説得力をもって、戦前の銀行本店が備えるべき質が何であったかを教えてくれる空間だ。

 建物には明治からの様式の保守本流と、大正以降の合理性が高度に統合されている。住友の本店としての重みを理解し、長期的な判断を下す精神が、時代に流されない存在感として結実している。

 もう一つ、変わらないのはその精神だろう。2015年に約2年間の改修工事を終え、ステンドグラスも当初の輝きが蘇った。建築は今日も見られることの責任を受け止め、大阪にいるのだと人々に実感させるような公共性を提供し続けている。(倉方俊輔/建築史家・大阪市立大学准教授)

2149名無しさん:2015/10/04(日) 17:34:52 ID:OcGGtAPo0
太閤はんご満悦 大阪城みやげは金平糖
2015年10月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20151001-OYTNT50018.html?from=yartcl_blist

大阪城の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘・公開するプロジェクトへの資金を募る「太閤なにわの夢募金」(◎)を応援しようと、大阪ビジネスカレッジ専門学校(大阪市北区)の学生が大阪城にちなんだお土産を開発した。第1弾として「大坂つゆの恋」と名付けた金平糖が10月下旬から販売される予定で、売り上げの一部は募金に寄付される。学生らは「お土産を通じて多くの人に夢のあるプロジェクトを知ってもらい、寄付金が集まれば」と期待している。(斎藤七月)

プロジェクトの応援事業の商品「太閤石垣クランチ」を販売する「Ko.Ko.Moよしもと」の小林広和さん(50)と同校講師の成羽学さん(50)が知人だったことから、学生のアイデアを生かしたお土産の共同開発がスタート。同校でファッションや商品企画などを学ぶ計19人が参加し、4月から課外時間に大阪城の歴史や石垣について学んだり、大阪城や大阪市内の土産物店を見学したりして、観光客の好みを調べた。

 その結果、学生たちと同世代の若者と急増している外国人観光客をターゲットに商品開発することを決定。学生らは学科ごとに検討を重ね、戦国武将の家紋柄のビニール傘やデニム生地で大阪城の石垣を表現したトートバックなど計8点の商品アイデアを生み出した。応援事業を担当する大阪市観光課の担当者やKo.Ko.Moよしもとの幹部らに説明したところ、8点の中から、まず金平糖を「大坂つゆの恋」の商品名で販売することが決まった。

 「大坂つゆの恋」は、大阪城をあしらったパッケージに、送り主からのメッセージを書き込めるのが特徴だ。秀吉の辞世の句から発想を広げたといい、開発プロジェクトのリーダーの玉川将也さん(19)は「秀吉の句のはかない雰囲気と、すぐに溶けてしまう金平糖を恋にかけた。お土産で恋心を伝えてほしい」と話す。

 パッケージは大阪城の石垣をくりぬいた形の部分から、中身の金平糖が見えるようになっている。小林さんは「金平糖が石垣を思い起こさせる。応援商品にぴったりのアイデアで、発売後の販売促進も学生ならではの発想で取り組んでもらいたい」と期待する。

 ほかのアイデアも商品化に向け検討を続ける予定という。玉川さんは「大阪が誇る大阪城のプロジェクトに関われたのは、学生時代のいい思い出になりそう。この経験を社会人になっても生かしたい」と話した。

 (◎)太閤なにわの夢募金 大阪市と読売新聞大阪本社が共同で実施し、目標額は5億円(2017年3月末まで)。8月末現在で約1億4700万円が寄せられている。1万円以上の寄付をした方には造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される。問い合わせ(平日)は市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)へ。

2015年10月01日

2150名無しさん:2015/10/04(日) 17:52:22 ID:OcGGtAPo0
「それどこやない」 船場商人の言葉紹介
2015年10月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151004/20151004025.html

 繊維や金融の中心として大阪の繁栄を築いた船場商人の言葉を紹介する展示が、大阪市西区の市立中央図書館で14日まで開かれている。「伝統を守るなにわの会」が船場言葉や風習をまとめた巻物14点を並べている。

同なにわの会発起人の故清水路子さんが生前に語った船場言葉の特徴も紹介。「特徴は丁寧語やあいさつ言葉の豊かさ。相手を思いやる優しい言葉にある」と解説している。

 船場言葉を記した巻物には「それどこやない(それどころではない)」「そないに(そんなに)」「そばえる(ふざける)」「ばあ(場所)」「ひょこっと(ひょっこり)」などと記されている。巻物のほか、いろはかるたも展示している。

 会場は大阪の書籍を集めた図書館3階の閲覧室にあり、郷土資料を求める来館者が立ち止まって見ている。担当者の沢谷晃子さんは「若い方は使わなくなったが、高齢の方は懐かしく思うのでは」と話している。

2151名無しさん:2015/10/04(日) 19:46:45 ID:OcGGtAPo0
「倭の五王」に思いはせ 大阪・近つ飛鳥博で「ワカタケル大王の時代」展
http://www.sankei.com/region/news/151004/rgn1510040058-n1.html

「古代の画期」とされる雄略(ゆうりゃく)天皇の時代を考古資料で探る特別展「ワカタケル大王の時代」(産経新聞社など主催)が3日、河南町の府立近(ちか)つ飛鳥博物館で開幕した。河内平野に築かれた巨大古墳から出土した豪華な副葬品などが展示され、訪れた古代史ファンが「倭(わ)の五王(ごおう)」の時代に思いをはせた。11月29日まで。

                  ◇

 雄略天皇は5世紀後半に実在したヤマト王権の大王で、中国・宋に使節を派遣した倭の五王のうち最後の「武(ぶ)」としても知られる。日本書紀では、第21代・大泊瀬幼武天皇(おおはつせのわかたけのすめらみこと)と贈り名されている。

 5世紀はヤマト王権の勢力が伸長した時期で、各地の首長の墓である前方後円墳も巨大化した。また国際化の時代で、朝鮮半島に出兵したり、先進技術がもたらされたりした。

 特別展では、埼玉県行田(ぎょうだ)市にある稲荷山(いなりやま)古墳から見つかり、「ワカタケル大王」と読める文字の刻まれた金錯銘鉄剣のレプリカをはじめ、真の雄略天皇陵の可能性が指摘される岡ミサンザイ古墳(藤井寺市、仲哀天皇陵)出土の埴輪(はにわ)などが展示されている。

 また、5世紀代の近畿各地の古墳の多様な出土品や、墓に供えられた須恵器なども公開。この時代の国際色豊かな文化のありようを探っている。

 この日の開会式では、白石太一郎館長が「雄略朝は古代の画期と認識されており、遺跡や遺物からもそれは裏付けられる」と見どころなどを紹介した。

 25日には仁藤敦史・国立歴史民俗博物館教授(日本古代史)による講演「『治天下大王』の支配観」があるほか、多彩な講座、シンポジウムを企画。10月4、17、31日と11月21、29日のいずれも午後2時からは、学芸員が展示解説を行う。月曜休館(ただし、10月12日と11月23日は開館)。問い合わせは同館(電)0721・93・8321。

2152名無しさん:2015/10/13(火) 04:28:01 ID:oP1PJR/k0
再現 だんご茶会
10月12日 12時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151012/5480001.html

豊臣家とゆかりが深く、千利休が茶会を開いたと伝えられている大阪の神社で、当時を再現した「だんご茶会」が開かれました。
大阪・中央区の「玉造稲荷神社」は豊臣家とゆかりが深く、千利休が茶会を開いて武将たちをお茶とだんごでもてなしたと伝えられています。
神社では、毎年この時期に当時の茶会を再現する「だんご茶会」が開かれ、12日は、裏千家の人たちが屋外で茶をたてる「野だて」を行いました。
お茶とともに、当時の茶会で出されたというよもぎだんごがふるまわれると、参加した人たちはゆっくりと味わいながら当時に思いをはせ、秋の一日を過ごしていました。
大阪・守口市から訪れた70代の女性は、「毎年、楽しみに来ています。さわやかな秋空のもとお茶をいただくのはいいですね」と話していました。

2153名無しさん:2015/10/17(土) 00:37:01 ID:3V8M37VY0
野外文楽公演 安全祈願祭
10月16日 21時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151016/5582011.html

人形浄瑠璃「文楽」の野外公演が17日から大阪で行われるのを前に16日、出演する人形遣いの桐竹勘十郎さんなどが公演の成功を願う神事を行いました。
文楽の野外公演は、開放的な場所で飲食もしながら気軽に楽しんでもらおうと、大阪・中央区の難波宮跡公園で17日から行われます。
本番を前に、会場では16日、神事が行われました。
文楽の技芸員などおよそ50人が神職からおはらいを受けたあと、出演する人形遣いの桐竹勘十郎さんが総ひのき造りの特設の舞台に上がって玉串をささげ、全員で、文楽発祥の地、大阪での公演の成功を祈願しました。
桐竹勘十郎さんは「文楽は堅苦しいイメージがあるかもしれませんが、地元、大阪の皆さんに、歴史あるこの場所での公演を、気軽に楽しんでいただきたい」と話していました。
野外公演は17日から20日まで毎日2公演行われ、当日券も用意されるほか、一般の人が人形を操ることができる体験会なども開かれます。

2154名無しさん:2015/10/24(土) 12:00:34 ID:7llCaoaQ0
豊竹嶋大夫さん引退へ 人間国宝の文楽太夫
2015年10月21日 12:31
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151021/20151021057.html

 人形浄瑠璃文楽太夫の人間国宝、豊竹嶋大夫さん(83)が来年初めに現役を引退することが、文楽関係者の話で21日分かった。同日、大阪市内で記者会見する予定。嶋大夫さんの引退で、現役の文楽太夫の人間国宝は不在となる。

嶋大夫さんは松山市出身。1948年に十世豊竹若大夫に入門し、68年に八世嶋大夫を襲名した。94年には太夫の最高位の「切場語り」になった。時代物や、人物の「情」の繊細な表現が求められる世話物で高く評価され、今年10月に人間国宝に認定された。

2155名無しさん:2015/10/24(土) 19:45:33 ID:gBXZITq60
聖徳太子の偉業伝える 四天王寺絵堂特別拝観
2015年10月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151022/20151022022.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、開祖聖徳太子の一生を描いた壁画の特別拝観が行われている。境内・聖霊(しょうりょう)院絵堂には連日参詣者が絶えず、克明に描かれた壮大な歴史の場面に見入っている。拝観無料。31日まで。

 2022年に訪れる太子の年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」記念事業として昨春から実施。7面からなる壁画「聖徳太子絵伝」には生前や誕生をはじめ、物部勢と崇仏派の争いで崇仏派の蘇我側についた太子が戦勝を祈願する、同寺建立の起源となる場面も。同寺僧侶による法話と解説「絵解き」も人気の一つで数々の偉業を分かりやすく伝えている。

 21日は弘法大師の月命日の縁日「大師会(だいしえ)」とも重なり拝観者が1千人近くに上った。生野区から家族と訪れた女性(80)は「何度見てもいい作品。より多くの人に見てもらいたい」と話していた。

 午前8時半〜午後4時。絵解きは午後1時、同3時の2回。拝観者には壁画の一部をデザインした記念ポストカードが授与される。

2156名無しさん:2015/10/25(日) 04:14:11 ID:gBXZITq60
大阪城「金蔵」囲む柱の跡
10月24日 06時48分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151024/5931151.html

大阪城で行われた発掘調査で、重要文化財の蔵を囲む塀を支えた柱の跡が見つかりました。
塀の外側では幕末の戊辰戦争で焼けた塀などとみられる炭のようなものが多数見つかりましたが、内側では柱が焼けずに残っていて、調査した研究所は塀によって蔵が焼失を免れたとみています。
大阪文化財研究所などは、おととし、大阪城の天守閣近くにある年貢などを納めた重要文化財の蔵、「金蔵」の東側で発掘調査を行いました。
その結果、金蔵を囲む塀を支えていた柱の跡が見つかりました。
塀の外側では戊辰戦争で焼けた塀などとみられる炭のようなものが多数見つかりましたが、塀を内側から支えた柱の跡では焼けずに残った柱が確認され、調査した研究所は、金蔵は塀によって焼失を免れたとみています。
このほか、天守閣の東側のやぐらの部分には、5段の石段があったことが確認され、赤く変色した痕は戊辰戦争によるものとみられています。
研究所の京嶋覚総括研究員は、「塀のおかげで金蔵が今も残っていることが明らかになった。構造が分かったので、今後、復元も可能になる」と話しています。
この発掘現場は、今月31日と来月1日に一般公開されます。

2157名無しさん:2015/10/25(日) 04:32:43 ID:gBXZITq60
伊勢神宮で太鼓演奏 11月「神恩感謝祭」
2015年10月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151022/20151022024.html

 全国の太鼓グループが一堂に会する三重県伊勢市の「神恩感謝日本太鼓祭」(11月7、8日)のPRキャラバン隊が21日、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れた。

全国の太鼓の音を、伊勢神宮に奉納することが目的。同神宮近くにある江戸時代の街並みを再現した「おかげ横丁」(伊勢市宇治中之初町)の従業員らでつくる実行委員会が、同横丁一帯で開催している。例年、全国から5、6万人が訪れる。

 今回は、新潟県や大分県から12団体約100人が出演。同横丁の誕生とともに結成したグループ「神恩太鼓」をはじめ、昔話の「酒呑童子(しゅてんどうじ)」が起源とされる和知太鼓(京都府)や世界各地で公演を行っている太鼓集団「鼓童」(新潟県)などが同横丁内に設けられた三つのステージで演奏する。

 会場にはケヤキの胴に革を張るミニ太鼓作り教室や屋台も並ぶ。 キャラバン隊は「太鼓の音で心が浄化されるとの感想をいただいた。会場では一日中、太鼓が鳴り響いているので、浄化される感覚を体感してもらえれば」と話していた。

2158名無しさん:2015/10/27(火) 04:39:03 ID:Gzq8RGgQ0
「平成中村座」25日開幕 勘九郎さんら出陣式
2015年10月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151025/20151025024.html

 大坂の陣400年記念「大阪平成中村座公演」を前に、中村勘九郎さんら出演者が24日、会場の大阪城西の丸庭園内特設劇場で出陣式を行った。5年ぶり3度目の大阪公演で、勘九郎さんは「父(勘三郎)との約束が実現できた。江戸時代にタイムスリップした歌舞伎の面白さを楽しんでください」と気勢を上げた。公演は25日から11月26日。

出演は勘九郎さんのほか、弟の七之助さんと中村扇雀さん、中村橋之助さんら、豪華俳優陣が勢ぞろい。七之助さんが「父の思いが詰まった舞台になる」と思いを新たにすれば、扇雀さんが「お兄さんを回顧する場面もあるし、お客さんがびっくりする場面も用意している」とPRに力が入る。

 演目は昼の部が「女暫」「三升猿曲舞」「狐狸狐狸(こりこり)ばなし」、夜の部が「俊寛」「盲目物語」。勘九郎さんは「三升-」と「盲目物語」で太閤さん(秀吉)を演じる。前回よりも舞台が大きくなった印象で「いい舞台にしたい」と勘九郎さんらは誓い合った。

2159名無しさん:2015/10/30(金) 03:50:26 ID:Dm61s2LI0
ねね助けた家臣に秀吉が感謝状 本能寺の変、恩賞も
2015年10月29日 19:13
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151029/20151029117.html

 滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館は29日、1582年に起きた京都・本能寺の変の際、長浜城にいた羽柴秀吉の妻「ねね」らを避難させた家臣広瀬兵庫助に感謝し、恩賞を与えると記した文書が見つかったと発表した。

文書の写しが存在し、内容は既に知られていたが、今年9月、兵庫助の子孫で東京在住の男性が原本を博物館に寄託した。博物館は「本能寺の変の際に秀吉の家族が逃げるのを家臣が助けたことを裏付ける貴重な史料」と話している。

 これまでの研究では、本能寺の変が起きた天正10(1582)年6月2日、秀吉は備中高松城(岡山市)を攻略していたが、ねねら家族は居城の長浜城にいた。

2160名無しさん:2015/10/31(土) 04:43:25 ID:xQHl7wpg0
大阪での発掘調査の成果展示
10月29日 07時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151029/4769451.html

大阪市内で去年おこなわれた発掘調査で見つかった瓦や土器などの展示会が、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれています。
この展示会は、大阪文化財研究所が、去年、大阪市内でおこなった発掘調査の成果を紹介しようと開き、去年の出土品を中心に、縄文時代から昭和にかけての瓦や土器など約250点が展示されています。
このうち、大阪城の敷地で発掘されたしゃちほこの一部は、2代目の天守閣で使われたものとみられています。
大阪城や周辺で発掘された、すずりに水を入れるための小さな容器、「水滴」は、鳥や魚、かぼちゃなどの形をしていて、江戸時代の人たちの遊び心が感じられます。
さらに、大阪・中之島の、かつて蔵屋敷があった場所で見つかった鬼瓦は、今の秋田県や佐賀県にあった小さな藩が使っていたものとみられています。
大阪歴史博物館の学芸員、村元健一さんは、「大阪は遺跡の宝庫です。出土品を直接見て、まちの歴史の深さを感じてほしい」と話しています。
この展示会は、12月27日まで開かれています。

2161名無しさん:2015/11/01(日) 20:31:28 ID:YYVFx7dQ0
住吉大社で七五三準備 縁起物を袋詰め
2015年11月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151101/20151101035.html

 11月の七五三シーズンを前に大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)は31日、子どもたちに渡す千歳あめやお守り、鉛筆などの縁起物「撤下(おさがり)」の袋詰め作業を行った。

七五三は子どもの安全無事な成長を神様に祈願するお祝いの年中行事。袋詰め作業は10月から行っており、この日は連歌所で頭に飾り物「挿頭(かざし)」を付けた神楽女(かぐらめ)(みこ)の6人が最後の千個を詰めて合計6千個を用意した。

 神楽女の森岡可奈さん(21)は「笑顔でお参りしていただけるとうれしい」と話していた。同大社ではすでに千人が祈祷(きとう)を終えており、「近年は前倒しの傾向」(神職の武田昌也さん)という。ピークは14、15の両日。祈祷の受け付けは午前9時から。

2162名無しさん:2015/11/06(金) 14:10:44 ID:rrmXCExM0
七五三前に「ちとせあめ」準備
11月06日 12時46分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151106/3253831.html

今月15日の「七五三」を前に、大阪の住吉大社では縁起物の「ちとせあめ」などを袋に詰める作業が行われています。
大阪・住吉区の住吉大社には、毎年、およそ6000人の子どもたちが七五三のお参りに訪れるということで境内にある社務所では先月から、こどもたちに渡す「ちとせあめ」などを準備する作業が続いています。
神楽女とよばれる6人のみこが長さ20センチほどの「ちとせあめ」やお守り、それに鉛筆などを1つ1つ丁寧に袋に入れていました。
神楽女の1人は、「お子さんの健康と成長をお祈りしながら詰めています。すがすがしい気持ちでお参りしてもらえたらと思います」と話していました。
住吉大社によりますと、最近の七五三のお参りは、時期が早まる傾向にあり、ことしはすでにおよそ2000人が訪れたということですが最も多くなるのは来週末ではないかとみています。
訪れていた家族は「着物を着た我が子を見ると成長したんだなあと感じます。とにかく元気に育って欲しいです」と話していました。

2163名無しさん:2015/11/08(日) 04:31:27 ID:NwVbHvmY0
道頓堀川完成400年を記念
11月07日 18時16分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151107/5568861.html

大阪・ミナミを流れる道頓堀川が完成して400年となるのを記念して、水上のステージで歌や喜劇などを披露する催しが開かれました。
この催しは、道頓堀川が完成してから400年となるのを記念して、大阪府や地元の商店街などが開きました。
川の上に水上ステージが設けられ、出演者は船に乗って登場しました。
大阪・ミナミを拠点に活動する歌劇団が美しい歌声を披露したほか、ご当地アイドルや地元の子どもたちのダンスチームが元気いっぱいに歌ったり踊ったりして、家族連れなどが手拍子をしながら聞き入っていました。
また、お笑い芸人による新喜劇も行われ、訪れた人たちは劇場とはひと味違った開放的な雰囲気を楽しんでいました。
大阪市内の60代の女性は、「喜劇などが外で見られるのはいいですね。こうしたイベントを今後も続けてほしい」と話していました。

2164名無しさん:2015/11/11(水) 23:38:46 ID:yUIeK1Uc0
道頓堀川400年で慰霊祭
11月11日 21時13分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151111/3414731.html

大阪のシンボル、道頓堀川が完成して、ことしで400年になり、地元の人などが集まって、川の造成工事で亡くなった人たちの慰霊祭がおこなわれました。
大阪の道頓堀川は、江戸時代に水上交通などに利用する運河として造られ、工事を指揮した安井道頓の功績をたたえて道頓堀川と名付けられました。ことしは、1615年に川が完成してからちょうど400年にあたり、11日、地元の人など約70人が集まって、川の造成工事で亡くなった人たちの慰霊祭がおこなわれました。
慰霊祭には、神道や仏教、それにキリスト教の関係者も参加し、川を船でゆっくりと行き来して犠牲者を弔っていました。地元の人によりますと、道頓堀川の造成工事では、工事中の事故などで多くの人が亡くなったとみられていますが、はっきりした記録は残っていないということです。
道頓堀川近くの寺で住職を務める鳥居弘昌さんは、「宗派を越えて慰霊の活動を続けることで、今後の街の発展に貢献していきたい」と話していました。

2165名無しさん:2015/11/26(木) 04:27:32 ID:s2wOKEE.0
繁昌亭大賞に林家菊丸さん 定席の名を広めたと表彰
2015年11月24日 19:33
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151124/20151124106.html

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)は24日、第10回「繁昌亭大賞」に林家菊丸さん(41)を選んだ。賞金は20万円。同賞は、質の高い落語を披露して定席の名前を広めた落語家を表彰する。

また、奨励賞は桂米紫さん(41)に決まった。賞金は10万円。表彰式と記念落語会を後日、繁昌亭で開く。

 菊丸さんは三重県四日市市出身。1994年に林家染丸さんに入門し、昨年、菊丸を襲名した。米紫さんは京都市出身。94年に桂塩鯛さんに入門し、2010年に米紫を襲名した。

 上方落語協会会長の桂文枝さんは「来年は2人に繁昌亭を引っ張っていってほしい」と話した。

2166名無しさん:2015/11/27(金) 19:54:21 ID:2koqNLBE0
京都、木簡に難波津の歌全文 完成形に近い平仮名
2015年11月26日 19:48
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151126/20151126098.html

京都市中京区で見つかった平安時代の邸宅跡とみられる遺構から、「難波津の歌」の全文を記した木簡(9世紀後半)が初めて出土し、京都市埋蔵文化財研究所が26日、発表した。

平仮名の完成形に近い字が多く、合同調査した京都産業大の吉野秋二准教授(日本古代史)は「和歌の歴史を考える上で非常に重要な発見。仮名の研究をする上で基準となる史料だ」と話し、平仮名の成立の解明につながる発見とみている。

 木簡には2行あり、右側に「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌、左側に散文を記した珍しい様式。散文の意味は不明だが、歌の注釈の可能性がある。




 京都市中京区で見つかった平安時代の邸宅跡とみられる遺構から、「難波津の歌」の全文を記した木簡(9世紀後半)が初めて出土し、京都市埋蔵文化財研究所が26日、発表した。

2167名無しさん:2015/11/27(金) 21:04:03 ID:2koqNLBE0
幸せの使者40人決まる 今宮戎の福娘
2015年11月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151124/20151124025.html

 今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)の十日戎に花を添える福娘40人を決める審査会が23日、同区のクボタ大ホールで開かれた。参加者たちは、特技や経歴を披露しながら福娘への熱い思いをアピールした。

 
今年の応募者は3123人(前年2983人)。この日は書類審査などを経て選ばれた約500人が臨んだ。

 審査会では、グループ面接で約100人に絞られた参加者が、一人15秒の自己PRに挑戦。特技のバトンを披露して「幸せのバトンをつなぎたい」とアピールしたり、ハンガリー語を披露して「ハングリー精神で頑張る」と意欲を示す場面もあった。

 40人が決まり、松原栄一禰宜(ねぎ)は「えべっさんの福を皆さんに届けてほしい」と期待を込めていた。

 29日に、留学生10人を加えた計50人がおそろいの装束で発表会を行う。その後、官公庁へのあいさつ回りや、十日戎の参拝者に福ザサを授ける役を担う。

2168名無しさん:2015/12/04(金) 01:29:14 ID:FCYu0e5E0
難波宮跡 屋根瓦を保存公開へ
12月01日 19時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151201/3835411.html

大阪の難波宮跡で行われた発掘調査で、半世紀以上前に出土したあと埋め戻された奈良時代の大量の屋根瓦が再び発掘されました。大阪市は、今後は現場を保存して公開したいとしています。
奈良時代などに宮殿が築かれた大阪・中央区の難波宮跡のうち、天皇の住まいだった「内裏」の西側にあたる部分で大阪市が発掘調査した結果、大量の屋根瓦が出土しました。
「重圏文」と呼ばれる同心円状の珍しい文様が刻まれ、製作のときに付いたとみられる縄の跡もあり、8世紀の「後期難波宮」で使われたとみられています。
今から54年前の昭和36年に発見されたあと、表面を合成樹脂で覆う、当時の最新の保存処理をしたうえで埋め戻され、今回、整備事業のための調査で再び出土しました。
樹脂の影響で一部が青みがかっていますが、損傷はないということです。
難波宮で使われた資材の多くはその後、京都の長岡宮に再利用されたため(ながおかきゅう)大量の瓦などが見つかるのは珍しいということで、大阪市は、今後は出土した状態で現場を保存し、公開したいとしています。
大阪市文化財保護課の佐藤隆主任学芸員は「未来に残したいという半世紀前の人たちの情熱を感じた。
歴史を感じてもらえるよう整備して公開したい」と話しています。
この調査結果については、12月6日に現地説明会が行われます。
半世紀余り前、25歳の時にこの屋根瓦の発掘に携わった帝塚山学院大学元教授の中尾芳治さん(79)は「無事に残っているのを確認できて、安どするとともにうれしく思う。半世紀前に掘り出した時の感動をまた味わうことができた。難波宮の姿を残す生きた遺跡を将来のために守っていってほしい」と話しています。

2169名無しさん:2015/12/05(土) 10:44:28 ID:q8NyZ1ZM0
藤原氏の居館跡か 遺構発見
12月02日 21時22分
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151204/00000061.shtml

大阪・吹田市の遺跡で、建物の四方にひさしが巡らされていたり、内部に「床張り」の部分があったりする平安時代の格式高い2つの大型建物の跡とみられる遺構が見つかりました。専門家は、貴族の屋敷や荘園の管理施設だったのではないかとみています。
吹田市と大阪府文化財センターが、ことし8月から、JR岸辺駅の北側にある「吹田操車場遺跡」で発掘調査をしたところ、10世紀前半の平安時代のものとみられる2つの大型建物の跡が見つかりました。
このうち南側の建物は、南北9メートル、東西11メートル余りの大きさで、4つの面すべてにひさしが巡らされた構造とみられています。
また、北側の建物は、南北7メートル、東西13メートル余りで、内部に床が高くなっている床張りの部分があったとみられ、いずれも当時としては珍しい構造の格式が高い建物だということです。
さらに、2つの建物を結ぶ長さおよそ5メートルの廊下のような特殊な構造物の跡や、高級な陶器も出土しました。
当時の歴史や地理に詳しい京都大学の金田章裕名誉教授は「この付近には荘園があり、藤原氏などの貴族の屋敷や、大寺院の荘園の管理施設だったのではないか。京の都や、港の難波津、それに山陽道に近く、交通や経済の要所だったことを示す貴重な資料だ」と話しています。
この調査結果については、12月5日に現地説明会が行われます。

2170名無しさん:2015/12/05(土) 11:25:38 ID:q8NyZ1ZM0
四天王寺 五重塔の耐震改修
更新:12/04 19:49
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151204/00000061.shtml


耐震改修工事が行われている四天王寺の五重塔が報道陣に公開されました。

 五重塔は高さ39メートルで、最上層の屋根からはあべのハルカスや通天閣なども見渡せます。

 2022年に聖徳太子が亡くなってちょうど1400年を迎えますがこの工事は「聖徳太子千四百年御聖忌」に伴う整備事業の一環として行われているもので、新しい五重塔は来年7月頃にお披露目の予定です。

 工事で取り外されたものの一部については、今月14日から来年の1月10日まで一般公開されます。

2171名無しさん:2015/12/05(土) 11:50:41 ID:q8NyZ1ZM0
大丸心斎橋店の歴史集めた展覧会 本館建て替え、30日まで
2015年12月2日 11:38
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151202/20151202051.html

 大丸心斎橋店(大阪市中央区)は2日、歴史的な建造物として知られる同店本館を建て替えるのを前に、1933年の完成当時の内装デザイン画などを集めた展覧会を開いた。30日まで。入場は無料。

現在の本館は、米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ボーリズが設計した。老朽化で建て替えるため、30日にいったん営業を終了する。

 7階の会場には本館の内装デザイン画や設計図面、石こう模型、昭和初期に使用した宣伝ポスターなど計60点以上の資料を展示。百貨店建築の傑作と評され、長年親しまれた歴史を振り返ってもらう。

 新本館は2019年秋に開業予定。北館と南館は営業を続ける。

2172名無しさん:2015/12/05(土) 19:26:19 ID:pZheQUA60
工事本格化 四天王寺で中心伽藍耐震改修
2015年12月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151205/20151205034.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で現在、境内中心伽藍(がらん)の耐震改修工事が行われている。2022年に控える開祖・聖徳太子の年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌」に向けた一大整備事業の一環で9月に着工。長年にわたり“ランドマーク”として親しまれている五重塔(高さ39メートル)の修復を中心に、約3年にわたる一大工事が本格化した。


五重塔は長い歴史の中で災害や戦乱によって幾度も失われ、昭和では1934年9月の室戸台風で倒壊。40年に再建された塔も太平洋戦争末期の大阪大空襲(45年3月)で焼失した。現在の塔は8代目で59年に鉄筋コンクリートで再建された。

 再建後初となる大改修では塔内の耐震措置のほか、外観部分では全体の塗り直しや2万9千枚に及ぶ瓦の敷き直しを実施、来年6月の完工を目指す。新調が必要な瓦200枚は寄進を募る。

 4日は報道関係者に塔頂上の相輪「九輪塔」などの改修現場を公開。相輪は後日修復のため分解して地上に降ろし、瓦や風鐸(ふうたく)とともに一般公開(14〜1月10日)する。同寺担当者は「相輪を地上へ下ろすのは前代未聞。多くの方にご覧いただきたい」と呼び掛けている。

 工期中には伽藍内の回廊改修なども順次行われる。

2173名無しさん:2015/12/05(土) 19:34:34 ID:pZheQUA60
新たな旅の楽しみに? 全国各地のお寺のみどころ探索
http://ddnavi.com/news/270256/a/

四天王寺は大阪に建つお寺で、推古元年(593年)に聖徳太子が創建したとされる日本最古の官寺です。中門、五十塔、金堂、講堂が南北に並ぶ特徴的な様式を持っており、全体的に朱塗りの柱・白壁・瓦葺きの屋根などの色調が、飛鳥時代を感じさせます。聖徳太子に対する信仰(太子信仰)を集めているお寺であるため、宗派を問わず人気があり、そのせいかどうかは分かりませんが年中行事も豊富です。例えば、1月に行われる「生身供」です。これは聖徳太子の生誕を祝う行事なので、太子信仰が集まっている四天王寺の代表行事といってもいいかもしれません。また、同じく1月の14日には、通称「どやどや」と呼ばれる修正会結願法要が行われます。これは、下帯姿となった青年たちが赤と白の組に分かれ「どやどや」の掛け声と共に厄除けの護符を奪い合うという、なんとも血気あふれる行事です。

2174名無しさん:2015/12/05(土) 20:20:03 ID:pZheQUA60
歴史歩こう庚申街道 東住吉の住民ら新春探訪会
2015年12月02日

古くから庶民の「庚申こうしん信仰」の拠点だった、大阪市天王寺区の四天王寺庚申堂から、平野区まで延びる旧街道「庚申街道」(約10キロ)。東住吉区田辺地区の住民らによるまちづくり団体「田邊たなべHOPEゾーン協議会」が、街道をPRして地域活性化に取り組んでいる。メンバーは、町歩きイベントや街道名プレートの設置を進め、「様々な方法で街道の魅力を発信したい」と意気込んでいる。(河部啓介)

 庚申街道は、同寺南大門から旧北田邊村を横断し、平野区長吉川辺まで続く道で、庚申堂への参詣道として親しまれ、この名で呼ばれる。江戸時代頃には、村々を結んで農産物や肥料などを運ぶ生活道路としても盛んに利用されたという。

同協議会は、2008年7月に結成。皆でにぎやかにやっていこうという思いから、方言を使い、「にんやか田邊」の愛称も付けた。町並みの修景整備などで歴史や文化を活用したまちづくりを進める大阪市の事業とも連携。地元産の田辺大根を味わう行事、ホタルを育てて観賞するイベントなどを企画してきた。

 PR強化の第1弾は来年1月17日、協議会メンバーらが案内して田辺地区から庚申堂への町歩きイベントを開く。大蛇退治の伝説がある桃ヶ池(阿倍野区)や、近代建築の建物が目を引く市立工芸高校(同)などの前を通る。メンバーの谷福江さん(68)は「昔の町並みに思いをはせたり、街道の曲がり具合を楽しんだりして」と参加を呼びかける。

 協議会は「庚申街道」と書かれた木製の街道名プレート(縦40センチ、横7センチ)も製作。街道沿いの市民らに協力を求め、軒先に掲げてもらう運動も展開している。協議会の松原恵子会長(78)は「活動の輪を広げ、地元に根付いた街道の良さをもっと多くの人に知ってもらいたい」と話している。

2015年12月02日

2175名無しさん:2015/12/07(月) 04:26:46 ID:uaYN9FyE0
54年ぶり再発掘 屋根瓦公開
12月06日 11時49分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151206/3835651.html

大阪の難波宮跡で行われた、およそ半世紀ぶりの発掘調査で再び出土した奈良時代の大量の屋根瓦が、6日現地で一般に公開されました。
奈良時代などに宮殿が築かれた大阪・中央区の難波宮跡には、歴史愛好家らあわせて450人が訪れました。
大量の屋根瓦は、いまから54年前の昭和36年に発見されたあと、表面を合成樹脂で覆う当時の最新の保存処理をした上で埋め戻されましたが、遺跡を整備するための調査で再び出土しました。
8世紀の「後期難波宮」で使われたとみられていて、「重圏文」と呼ばれる同心円状の珍しい文様が刻まれ、製作のときに付いたとみられる縄の跡もあります。
一般公開では、大阪市教育委員会の担当者が、屋根瓦の特徴や、難波宮で使われた資材の多くは京都の長岡宮に再利用されたため大量の瓦が見つかるのは珍しいことなどを説明しました。
広島市から訪れた30代の女性は「1000年以上前の屋根瓦がきれいなかたちで残されていたので、驚きました」と話していました。

2176名無しさん:2015/12/08(火) 04:46:45 ID:d9Q0IudQ0
大阪 船場で「みかんまき」
12月07日 15時14分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151207/3802661.html

商人の街として知られる大阪の中心部、船場で、火の用心を祈願する恒例の「みかんまき」が行われました。
「みかんまき」は、大阪・中央区の船場にある御霊神社で江戸時代から続けられてきた火の用心を祈願する神事にあわせて毎年この時期に行われています。
はじめに、火打ち石を使っておこした火に神職が、願いごとなどが書かれた木をくべて、災厄を退ける神事を行いました。
このあと、集まったおよそ400人に向けて境内に設置されたやぐらの上からおよそ600キロのみかんがまかれるとその場で味わう人の姿も見られました。
神社によりますと、みかんは火の色を象徴し、「みかんまき」には火の用心の意識を高めてもらうとともに栄養価の高いみかんを食べて風邪を予防するという意味もあるということです。
御霊神社の園文夫宮司は「商人の街、船場は今ではオフィス街になっていますが、行事には多くの企業の代表も駆けつけてくれます。
船場の冬の風物詩として今後も続けていきたい」と話していました。

2177名無しさん:2015/12/14(月) 04:34:49 ID:AO1mnj4U0
「泉布観」来年3月一般公開
12月09日 06時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151209/4003261.html

現存する大阪府内最古の洋風建築として国の重要文化財に指定されている「泉布観」が、来年3月、一般公開されることになり、大阪市は見学者を募集しています。
大阪・北区にある「泉布観」は、現在の造幣局の応接所として、明治4年に建てられたもので、現存する府内最古の洋風建築として国の重要文化財に指定されています。
貨幣を意味する「泉布」という言葉に、見晴らしのよい建物を意味する「観」という文字をつけて名付けられた建物は、レンガ造りで、2階にめぐらされた白いベランダが特徴です。
建物を保存するため、ふだんは内部に入れませんが、大阪市は、建物の魅力をより多くの人に知ってもらおうと、来年3月12日から14日までの3日間、無料で一般公開を行うことになりました。
1日あたりの定員は400人で、はがきでの事前の申し込みが必要です。
締め切りは1月22日で、当日の消印有効です。
詳しいことは、大阪市のホームページに掲載されています。

2178名無しさん:2015/12/16(水) 01:11:09 ID:I4QK7L3k0
「九輪塔」圧倒 五重塔耐震工事で間近に
2015年12月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151215/20151215028.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で14日、大規模な耐震改修工事が進む境内中心伽藍(がらん)・五重塔(高さ約40メートル)の頂上部から降ろされた相輪「九輪塔」の展示が始まった。全長は五重塔全体のほぼ3分の1を占める約12メートルで、多くの参詣者が大きさに圧倒されながら「初めて近くで見た」と興味津々に見学している。

五重塔など伽藍全体の大改修は、2022年に営まれる開祖・聖徳太子の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」に伴う3年工期の重点事業。

 境内に降ろされた九輪塔は「宝珠(ほうじゅ)」「竜舎(りゅうしゃ)」「水煙(すいえん)」からなる先端部分と、輪が九つ連なる本体の九輪部分とを分割して展示。炎を表すという水煙部分には天人天女の細やかなレリーフ加工を見ることができる。同寺に納骨した亡夫の供養で訪れた女性(81)=堺市美原区=は「まず大きさに驚いた。またとない機会に間近で拝見でき、深いご縁を感じました」と目を細めていた。

 展示は来年1月10日まで。同寺によると五重塔改修工事は6月までとなる見通しという。

2179名無しさん:2015/12/16(水) 01:17:32 ID:I4QK7L3k0
豆内蔵助ら さっそう討ち入り 天王寺で「義士祭」
2015年12月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151215/20151215027.html


 赤穂浪士討ち入りの時期に合わせた「大阪義士祭」が13日、大阪市天王寺区の浅野家の大阪菩提(ぼだい)寺、万松山吉祥寺で開かれた。子どもたちは大石内蔵助など四十七義士に扮(ふん)し、市内各地へ“討ち入り”。元禄15(1702)年12月14日の赤穂事件を、現代に伝えた。

同寺と大阪義士会が行う恒例行事。今回は公募で集まった3〜9歳の子ども計46人が参加した。

 子どもたちは、事件を基にした『忠臣蔵』で描かれている黒地に白の山形模様の衣装を身にまとい、太鼓やビニール製の刀を手に「エイ、エイ、オー」と勝ちどきを上げて吉祥寺を出発。大阪城(同市中央区)や通天閣(同市浪速区)などを巡った。

 同寺では、恒例の「討ち入り蕎麦(そば)」が販売されたほか、真剣による形の演武が奉納された。

2180名無しさん:2015/12/21(月) 14:04:23 ID:S/n/UoZU0
白ちゃんお帰り 新春行事、息災運ぶ神馬
2015年12月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151221/20151221017.html 

大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)に20日、来年1月7日に行われる伝統行事「白馬(あおうま)神事」を前に神馬「白雪号」が帰ってきた。8日まで境内西側の神馬舎で過ごし、神事に備える。

同大社の神馬は代々白馬で、白河天皇や源頼朝らも奉納。江戸時代以降は“白”と反対の黒い炭を扱う大阪炭屋仲間の「神馬講」から奉納されている。白馬を新春に見ると無病息災の一年になるとされている。

 白雪号は2009年5月に北海道函館市で誕生したオス。日本在来馬の北海道和種馬で全身が白い毛に覆われた佐目(さめ)馬だ。年末年始と夏の住吉祭みこし渡御時のみ姿を見せる。神馬を見つけた参拝者は「白(しろ)ちゃんがいる」とうれしそうに駆け寄って眺めていた。

 世話は大阪市立大馬術部の部員が行っており、朝と夕方に馬舎から出して運動させている。馬舎横で「はぎり豆」などの授与品の販売も担当しており、2年生の勝井千尋さん(20)は「白はとても元気で力が強い。寒いけれどお世話を頑張りたい」と話していた。

 白馬神事は白雪号が2人の神職とともに各本宮を拝礼し、第一〜第四本宮の周囲を駆け巡る。午前11時から。

2181名無しさん:2015/12/24(木) 10:59:57 ID:k.CYJICQ0
東大阪・枚岡神社の不思議な神事 巫女が突然笑い出し・・・
更新:12/23 20:04
http://www.mbs.jp/news/kansai/20151223/00000047.shtml

東大阪市の神社では新年の開運を願う、ちょっと変わった神事が執り行われました。

「福が来ますように!(巫女)

 参拝客を巫女さんが大笑いしながら出迎えます。

 東大阪市の枚岡神社で、毎年この時期に行われる「お笑い神事」は、天照大神が天の岩戸に隠れた際、神々の笑い声が気になり顔をのぞかせたという神話にちなんで始まったとされます。

 しめ縄が新しいものに掛け替えられると、まず宮司の笑い声に続いて参拝客が3回笑います。

 その後、およそ2,000人の参拝客は20分間笑い続け、新年の開運を願いました。

「今年で3年目なんですけど、だんだん短く感じるようになりました」(参拝客)

「もう楽しかったです。涙出てきました!笑いましょか?あーっはっはっは!」(巫女)

2182名無しさん:2015/12/25(金) 13:44:26 ID:bqNyVEOU0
迎春準備着々 国立文楽劇場「にらみ鯛」設置
2015年12月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151225/20151225022.html

 上方伝統の正月の舞台飾り「にらみ鯛(だい)」が24日、大阪市中央区の国立文楽劇場にお目見えした。1月3日開幕の「初春文楽公演」の準備が進む中、大きな張り子のタイがにらみ合うように取り付けられ、劇場を一足早く迎春ムードに包んだ。

戦前に上方の劇場で親しまれたとされるにらみ鯛は戦後に途絶えたが、同劇場は1984年4月の開業後、初めて正月を迎えた翌年に復活させた。

 作業では、舞台スタッフが1体ずつ慎重にワイヤでつり上げて取り付け位置を調整。2体の間には春日大社(奈良市)の花山院弘匡宮司の揮毫(きごう)による「申(さる)」の大たこも飾られた。

 753席ある客席も約20年ぶりに入れ替えられ、真新しいシートで新春公演の観客を迎える。

 公演初日は開演前に地元の黒門市場から本物の「にらみ鯛」が届けられるほか、文楽人形による鏡開きも予定されている。

2183名無しさん:2015/12/27(日) 10:33:13 ID:/W4wMoWI0
有馬記念「無事にゴールを」 大阪天満宮で安全祈願
2015年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151226/20151226026.html

 JRA日本中央競馬会は25日、今年の最後を飾るGIレース「第60回有馬記念」(27日・中山)の安全祈願を大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で行った。競馬ファンら多くの参拝者が見守る中、サラブレッドとポニーが出走馬に代って参拝するなど、伝統のレースを大々的にPRした。

大阪の三大商店街(天神橋筋、千林、駒川)とコラボしたキャンペーンの一環。同宮では毎年10月に「流鏑馬(やぶさめ)神事」が行われているが、競馬の安全祈願として馬が参拝するのは初めて。

 2頭は参拝に先駆けて地元の天神橋筋商店街をパレード。境内ではタレントで有馬記念PR隊長を務める、じゅんいちダビッドソンさんら関係者とともに神職からお払いを受けた。

 あいさつに立った阪神競馬場の日置耕司場長は「今年活躍した馬が一堂に会する大事なレース。16頭の出走馬が無事にゴールしてほしい」と期待を込めた。

 この日は年内の縁日を締めくくる「終(しまい)天神」にあたり、朝から祈願絵馬のたき上げや振る舞い餅などが行われ、多くの参拝者で終日にぎわった。

2184名無しさん:2015/12/28(月) 13:57:33 ID:H2VUnaNc0
もうすぐ出番 「住吉踊り」製作始まる
2015年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151227/20151227022.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、正月の縁起物「住吉踊り」の製作が始まった。奉仕した神楽女(かぐらめ)がていねいに仕上げ作業をこなした。同日には、境内の防災訓練と本宮のすす払い式が行われ、迎春準備を本格化させた。

「住吉踊り」は御田植(おたうえ)神事などで奉納される住吉踊(おどり)(重要無形民俗文化財)のかさと童子が踊る姿を麦わら細工で表現した伝統の郷土民芸品。商売繁盛・家内安全を呼び込むとされ、正月までに約3千個を製作する予定。

 かさの大きさ別に直径12センチから55センチまで4種類があり、神楽女は青々としたササにかさを手際よく取り付けていた。

 同大社は、正月三が日で約230万人の人出を予想している。

2185名無しさん:2015/12/28(月) 14:42:12 ID:H2VUnaNc0
繁昌亭で落語家が餅つき
12月28日 11時21分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151228/4497081.html

年の瀬を迎え、大阪にある上方落語の寄席、天満天神繁昌亭で28日、落語家たちが餅つきを行いました。
これは上方落語協会が毎年、行っているものです。
大阪・北区の天満天神繁昌亭には、上方落語協会の桂文枝会長をはじめおよそ30人の落語家が集まりました。
まず、文枝会長が「繁昌亭の人気もながもちするように、来年もよろしくお願いします」とあいさつをしたあと、男性の落語家が餅をつき、できあがった餅を女性の落語家が食べやすい大きさにまるめていきました。
そして、できあがった餅はぜんざいなどにして集まった人たちに配られ、親子連れなどがおいしそうに食べていました。
天満天神繁昌亭では年末年始も公演が行われ、さまざまな落語の演目が披露されることになっています。

2186名無しさん:2015/12/28(月) 17:18:58 ID:H2VUnaNc0
大丸心斎橋本館、30日閉館 ランドマークとして街に重厚な風格 「歴史を語る存在として次の時代にも」と期待
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n1.html

大阪・ミナミの大丸心斎橋店本館が建て替えのために30日、閉館する。米国出身の建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけた名建築で、戦災や震災を乗り越え、心斎橋のランドマークとして街並みに風格を与え続けてきた。建物は外壁と内装の一部を除いて解体される。再開は4年後。従業員や周辺の商店主らは「今の建物の重厚な風格が、次の時代へも受け継がれていってほしい」と願う。(中井美樹、石見有紀)

 同じ日に退職

 「建築の素晴らしさに、百貨店では一番という誇りをもって働いていた」

 同店営業推進部の高野弘さん(65)は、いとおしそうに本館1階の空間を見上げた。大理石や黒曜石をふんだんに使ったぜいたくさに加え、幾何学模様で埋め尽くされた華やかさの中に動物や植物など自然を感じるデザインがある温かみが好きだったという。

 今月が誕生月で、偶然にも本館が閉館する30日に、ともに退職の日を迎える。

 昭和45年に入社。以来、主に展覧会や物産展を行う催し物会場の企画や展示デザインに関わってきた。

 本館には思い出も詰まる。昭和の百貨店は文化の発信地としてぜいたくに予算を使えた時代。延暦寺の出開帳展では、柱に本物の杉皮を巻いて杉林を演出。北海道物産展では現地から本物の流氷を運んだ。肝心の流氷は運搬の途中で半分以上解けてしまって慌てたが、今では良い思い出だ。

http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n2.html

建て替えに寂しさを覚える一方、耐震性や劣化を考えると仕方ないと感じている。「老いて朽ちていくのを見ているようで痛々しかった。外壁や内装の一部は残ると聞いている。新しい技術で元気になってほしい」と話す。

2187名無しさん:2015/12/28(月) 17:25:19 ID:H2VUnaNc0
「街の個性」

周辺の商店主らからも、建て替えを惜しむ声が上がる。

 「いよいよその時がきたかという心境」。心斎橋筋商店街に本店を構える日本茶販売「宇治園」取締役顧問の重村泰弘さん(78)はそう話す。店の真向かいが本館。大丸のシンボルともいえる中央玄関上のテラコッタ(陶製)のクジャクを毎日のように見てきた。「あれは残ってほしいな」とつぶやく。

 かつては老舗がのれんを連ねた心斎橋筋商店街も、不況と後継者不足で次々と閉店し、ほとんどがテナントとして入居している店になった。近年は、訪日外国人客の“爆買い”の影響で、観光客をターゲットにしたドラッグストアなどが増えた。「時代の変化がますます早くなっている。本館が再開する4年後、街がどう変貌しているのか期待と不安でいっぱい」と話す。

http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280047-n3.html

心斎橋筋北商店街振興組合の前理事長、春木洋次さん(71)も「重厚な、あの建物があってこその心斎橋」。本館の外壁が残されると聞いてほっとしたという。

 「これから東京オリンピックに向けて伝統や歴史が改めて注目されていくことになると思う。その中で、大丸は心斎橋という街の個性であり、歴史を語る存在としてあり続けてほしい」

2188名無しさん:2015/12/29(火) 08:27:56 ID:Mii5n1..0
【訃報】海原小浜さんが死去…女性漫才コンビで活躍
2015.12.28
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280085-n1.html

 上方の女性漫才コンビの先駆的存在だった「海原お浜・小浜」の海原小浜(うなばら・こはま、本名・田中桃江=たなか・ももえ)さんが24日、大阪市内の病院で死去した。92歳。葬儀・告別式は近親者のみで行った。

 岡山県出身。劇団の少女座長として活躍後、叔母のお浜さん(平成6年に死去)とコンビを結成。しゃべくり漫才で頭角を現し、上方漫才大賞や上方お笑い大賞などを受賞した。

 弟子に海原千里(現・上沼恵美子さん)・万里や海原さおり・しおりのほか、実子の海原かけるは、めぐる(現・池乃めだかさん)とのコンビで活躍した。姉妹コンビ「海原やすよ・ともこ」は孫にあたる。

 昭和53年にお浜さんが病気で引退してからは、1人でテレビの司会やラジオのパーソナリティーなどを務めていた。

2189名無しさん:2015/12/29(火) 11:27:15 ID:cRAT.jKc0
「あさ」の晩年示す文献見つかる 米建築家ボーリズが記す
2015年12月28日 17:17
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/151228/20151228076.html

 NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルで、大同生命保険や日本女子大の創設に貢献した広岡浅子との交友や活動に関して、米国出身の著名建築家ウィリアム・メレル・ボーリズが約100年前に残した文献が見つかった。最晩年の浅子はボーリズを“屈指の親友”と認め、ボーリズは浅子を母のようだったと追憶している。

ボーリズは歴史的建造物とされる大丸心斎橋店(大阪市中央区)の設計などで知られる。大同生命の旧本社ビル(同市西区)も手掛け、浅子と接点があった。ただ2人を直接結び付ける記録は少ないという。

2190名無しさん:2015/12/29(火) 13:28:25 ID:cRAT.jKc0
大阪天満宮の招福娘が松井知事、吉村市長を訪問
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280066-n1.html

大阪天満宮(大阪市北区)で来年1月9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」で福笹を授ける「招福娘」12人が28日、大阪府庁を訪れた。

 府庁ではダブル選挙でともに当選を果たしたばかりの松井一郎知事と吉村洋文大阪市長が出迎え、招福娘は「来年が府市にとって輝かしい年になりますように」と祈願。2人に商売繁盛の縁起物を授けた。

 松井知事は「若いみなさんのため、成長する大阪をつくりたい」。吉村市長は「大阪に大きな福が訪れるよう頑張りたい」と意気込んだ。

2191名無しさん:2015/12/30(水) 14:11:03 ID:0dFftqvI0
伝統芸能 面白く 児童ら能の世界体感
2015年12月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/151229/20151229030.html

 小学生を対象とした能を学ぶための体験教室「能と遊ぼう!」が大阪市中央区徳井町1丁目の山本能楽堂で始まった。子どもたちは舞台裏の見学や歩き方の練習などを通し、日本の伝統芸能を楽しく体感していた。

伝統文化の継承・発展などを目的とした文化庁の事業の一つで2008年から3〜10回の連続講座として開催。第8回の今回は全5回シリーズで、1回目は27日に「能楽堂で遊ぼう!」と題して開かれた。

 能楽師の林本大さんらが講師を務め、遠近感を出すために大きさの違う松の木を植えていることや、必然的に「お辞儀をさせるために」背の低い出入り口(切戸口(きりどぐち))となっていることなどを質問形式で説明。

 約40人の子どもたちは、「猩々(しょうじょう)」の一節を一緒に謡ったり、舞台に上がって能独特の歩き方「すり足」を練習。舞台裏で竹を使って「揚幕(あげまく)」を揚げるなど、さまざまな貴重な体験を積極的に楽しんでいた。

 山本能楽堂はほかにも子ども向け事業として、造形遊びを通して「創造的」な能の世界観を体験するワークショップや、能の地謡(コーラス)のワークショップなどを開催。参加者から後継者も育っているという。山本佳誌枝事務局長は「先入観がなく、感受性が強い幼少期に能の面白さを知ってもらえたら」と参加を呼び掛けている。

 今シリーズの今後の予定は次の通り。来年1月5日「能面・能の衣装で遊ぼう!」▽11日「舞で遊ぼう!」▽17日「お囃子で遊ぼう!」▽24日「能役者になってみよう!」。いずれも午前10時半〜11時半。1日だけの参加も可、申し込み先着順(30人まで)。参加無料。申し込みはホームページから。

2192名無しさん:2015/12/30(水) 14:17:18 ID:0dFftqvI0
縄文人の骨 重労働のあとか
12月30日 06時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20151230/4555471.html

大阪の「森の宮遺跡」でおよそ40年前に発掘された縄文時代の人の骨を専門家が改めて調査したところ、複数の人で、肩こりや腰痛を伴う重い病気の部分が確認されました。
専門家は過酷な労働が関係している可能性があると指摘しています。
大阪・中央区の「森の宮遺跡」では、およそ40年前、縄文時代から弥生時代にかけての人の骨が発掘されました。
その一部が去年、大阪市の指定文化財になったのを受けて、大阪市立大学大学院医学研究科の安部みき子学術博士が改めて調べたところ、見つかった骨は以前、確認された18人分ではなく、24人分あることが分かりました。
また、縄文時代の40代以上の男女2人とみられる骨には、▼肩こりや痛みを伴う「けい椎症」であることを示す首の部分の突起や、▼腰痛などを招く変形性脊椎症を示す腰の部分の異常が確認されました。
症状はかなり重く、重いものを運ぶなど過酷な労働が関係している可能性があるということです。
さらに、赤ちゃんの骨がこれまで確認されていた2人分ではなく5人分あることも分かりました。
安部学術博士は、「穏やかなイメージがある縄文時代だが、過酷な労働や子どもの高い死亡率など、厳しい環境だったと考えられる。
当時の暮らしを知る上で重要な発見だ」と話しています。

2193名無しさん:2015/12/30(水) 20:12:09 ID:pDrKspXQ0
大阪から伊勢神宮まで170キロを歩いて初詣 元日の到着目指し、4日間かけて踏破へ
http://www.sankei.com/west/news/151229/wst1512290039-n1.html

江戸時代に大流行した伊勢神宮(三重県伊勢市)への「おかげ参り」を再現し、大阪から伊勢神宮まで歩いて初詣をする「伊勢迄(まで)歩(ある)講(こう)」の一行が28日の早朝、大阪市中央区の玉造稲荷神社を出発した。元日の到着を目指し、14〜81歳までの約70人が4日間かけて約170キロを踏破する。

 協力し合うことへの喜びや達成感を得てもらおうと、大阪ユースホステル協会が年末の恒例行事として主催し、今年で43回目。1日に約35〜65キロ歩く。

 江戸時代、同神社は大阪以西の人たちの旅の玄関口としてにぎわったという。同神社が所蔵する歌川広重の錦絵「伊勢参宮 宮川の渡し」には犬の姿もあり、犬も参るほど人気があったことがうかがえる。

http://www.sankei.com/west/news/151229/wst1512290039-n2.html

この日、菅笠(すげがさ)と法被姿で安全祈願をした参加者は、道中安全木札を受け取り気合も十分。「度胸試しに」と初参加した神戸市の大学生、山田航(わたる)さん(22)は「この日のために訓練してきたので、達成できるはずです」と自信をみせていた。

2194名無しさん:2016/01/02(土) 13:38:45 ID:a1UaaI.o0
大阪・狭山池博物館 市民ボランティアらが手作り「片桐且元」展
http://www.sankei.com/region/news/151225/rgn1512250067-n1.html

 豊臣秀吉、秀頼親子に仕え、日本最古のため池「狭山池」の改修を行った片桐且元(かつもと)(1556〜1615年)の生涯や業績を紹介する特別展「片桐且元」が、大阪狭山市の府立狭山池博物館(工楽善通館長)で開かれている。同館の市民ボランティア約20人が約1年がかりで写真撮影や資料収集にあたり、手作り感あふれる展示会が話題になっている。

 同館の市民ボランティアたちは、これまでに地元特産品「河内木綿」などをテーマに、年1回程度のペースで手作りの展示会を行っている。狭山池築造1400年、且元の没後400年の節目にあたることから、今年は「賤ケ岳七本槍」の一人に数えられる武勇を持つ且元にスポットを当てることにした。

 元教師の西川正彦さん(76)=河内長野市=を代表とするメンバーたちは昨年9月、「且元集額会」と名付けたチームを結成。学芸員のアドバイスを受けながら且元の生涯や業績を調べ、手分けして写真撮影や資料収集にあたった。展示は「且元の生涯」「社寺の普請」「水利開発」の3つのテーマに分けて、且元の足跡がたどれるように工夫したという。

 西川さんは「素人ばかりで大変だったが、且元が身近な人になった。ぜひ見学にきてほしい」と自信の表情を見せる。工楽館長は「ボランティアの方々の熱心さには頭が下がる。専門の学芸員にはない視点もあって、とても面白い展示になっている。今後も続けてほしい」と話している。

 無料。展示は来年1月24日まで。月曜(月曜が祝日の場合は翌日)と12月28日〜来年1月4日休館。また、「大和川今池遺跡」の発掘調査速報展が1月17日まで開催されている。問い合わせは同館(電)072・367・8891。

2195名無しさん:2016/01/03(日) 21:09:01 ID:hsKmdIUc0
17日に年頭行事「綱引神事」 難波八阪神社
2016年1月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160101/20160101076.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で17日に年頭行事「綱引(つなひき)神事」が行われる。一般参拝者の見学可。

 八岐大蛇(やまたのおろち)退治で知られる祭神「スサノオノミコト」の威徳を仰ぐ伝統行事。江戸期の出版物でも紹介されており、2001年度に市指定無形民俗文化財の第1号となった。

 当日は午前8時から拝殿前で神事を斎行。文化財保持者である同神事保存会(竹立威三雄会長)が奉仕し、オロチに見立てた大綱を作る。完成後は双方から綱を引き、神社周辺を巡行する。

 問い合わせは電話06(6641)1149。

2196名無しさん:2016/01/03(日) 21:41:27 ID:hsKmdIUc0
「春から艶っぽく…」 愛之助さん公演始まる
2016年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160103/20160103016.html

 大阪府出身の歌舞伎俳優・片岡愛之助さんが地元の大阪松竹座(大阪市中央区)で2日から始まった「寿初春大歌舞伎」公演で新年の仕事をスタートさせた。初日開幕演目は歌舞伎十八番の「鳴神」で、鳴神上人の愛之助さんが雲の絶間(たえま)姫の中村壱太郎さんと競演し「春から艶っぽく…」と笑顔を振りまいた。

 鳴神上人が絶間姫の誘いで胸元に手を差し入れ思わずドキッとする。女に惑わされる純な鳴神が名前を替えて「かたおかあいのすけ〜」というアドリブのセリフで場内の笑いを誘う。ほかに市川中車さんと「らくだ」「研辰(とぎたつ)の討たれ」、人間国宝の坂田藤十郎さん、中村扇雀さんと上方歌舞伎の秀作「桂川連理※(れんりのしがらみ)/帯屋」。扇雀さんの「枕獅子」「芝浜革財布」が付く。26日まで。

 ※は「木へん」に「朔」

2197名無しさん:2016/01/03(日) 21:52:52 ID:hsKmdIUc0
それぞれの思い祈願 住吉大社、初詣にぎわう
2016年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160103/20160103013.html

 新年を迎えた1日、大阪府内各地の社寺は初詣の人でにぎわい、大阪市住吉区の住吉大社でも家族連れやカップルら多くの参拝者が列をつくってそれぞれの思いを祈願した。

 
「太鼓橋」の名で親しまれる反(そり)橋では、本宮へと向かう参拝者が、足元を気にしながら急な斜面をゆっくりと上り下り。罪やけがれをはらい清めた。

 四つの本宮前にはそれぞれ人だかりができ、順番が回ってくると、さい銭を投げて手を合わせていた。

 おみくじを引いたり、お守りを買い求めたりする人も多く、広い境内は無数の参拝者で埋め尽くされていた。

 また境内では、天下泰平や庶民繁栄を祈って踊る住吉踊(おどり)の新春特別奉納がなされ、注目を集めていた。

 家族4人で訪れた山下智史さん(36)=同市阿倍野区=は「おサルさんたちのように家族みんなが陽気にワイワイとやっていければ」と、えとを踏まえた思いを語っていた。

 住吉大社は、三が日で約250万人の人出を見込んでいる。

2198名無しさん:2016/01/04(月) 13:11:28 ID:BgT.CLUU0
幸せな1年願う 大阪・住吉大社、156万人が初詣
2016年1月2日23時53分
http://www.asahi.com/articles/ASJ125D4MJ12PPTB001.html

西日本は元日に続き青空が広がり、各地の寺社は初詣客でにぎわった。大阪市住吉区の住吉大社境内には「志望大学に合格しますように」「元気な子どもを授かりますように」「社会人としていいスタートを切れますように」などと書かれた絵馬がずらり。


6日から米国に赴任する大阪市西区の会社員真山裕平さん(35)は「元気で平和で楽しく過ごせますように」と手を合わせた。

 住吉大社によると、元日は昨年より4万人多い156万人が参拝。1〜3日の三が日で例年250万人前後が参拝するが、天候に恵まれた今年は例年より多そうだという。気象庁によると、3日も西日本全域で晴れるという。


新年の願い、天神さんに 大阪天満宮、初詣客でにぎわう
2016年1月1日09時18分
http://www.asahi.com/articles/ASHD04WMDHD0PTIL009.html

大阪市北区の大阪天満宮は1日未明から、大勢の初詣客でにぎわった。本殿前の大門(おおもん)が開き、午前0時、新年を告げる「報鼓(ほうこ)」の音が鳴り響くと、列をなした初詣客が次々とさい銭を投げ入れて、手を合わせた。

 大阪府門真市の高校2年三野心さん(16)は「4月から3年生。受験生となるので目標の大学に合格したい」。大阪市東成区の会社員宮井康行さん(27)は「彼女とけんかをせずに平和に過ごせますようにとお願いしました」と話した。

2199名無しさん:2016/01/04(月) 14:01:47 ID:BgT.CLUU0
天満天神えびす祭をPR 招福娘が知事、市長を訪問
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104018.html

 大阪市北区の大阪天満宮で9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」を前に、祭りで奉仕する招福娘12人が、府庁を訪れ、同祭をPRした。

 一行は昨年末に府庁を訪問。梅鉢紋の入った赤い装束に、金色の烏帽子(えぼし)をかぶった招福娘は「笑顔と元気と福で、この大阪がますます元気で、活気のある街になるように奉仕します」などと元気良くあいさつ。掛け声を響かせ、「えびす締め」で商売繁盛を祈願した。

 招福娘から縁起物の「福箕(ふくみ)」を受け取った松井一郎知事は「福を持ってきてもらい、ありがとう。若い皆さんのために成長する大阪をつくっていきたい」と述べ、吉村洋文大阪市長は「大阪に大きな福が来るように頑張りたい」と決意を口にした。

 招福娘は、祭り期間中、境内で福ザサなどの縁起物を参拝者に授ける。

2200名無しさん:2016/01/04(月) 14:31:37 ID:BgT.CLUU0
受験生ら学業成就真剣に 「元三大師合格祈願法要」
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104015.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で3日、伝統行事「元三(がんざん)大師合格祈願法要」が盛大に執り行われた。受験生や家族らが続々と境内に足を運び、真剣な表情で学業成就などを祈った。

  元三大師は平安時代に実在した天台宗の僧侶・良源(りょうげん)上人の通称で、多大な智恵と記憶力を持ったことから、古来、学力向上などを祈る人々からの信仰があつい。

 早朝から境内に並んだ参詣者は、元三大師堂(重要文化財)の前に設けられた大きな「智慧(ちえ)の輪」をくぐって入堂。荘厳な堂内では森田管長、瀧藤尊淳執事長によって護摩供がなされ、無数の護摩木が高く燃え上がる中、手を合わせて僧侶から錫杖(しゃくじょう)で加持を受けた。

 多くの御利益に感謝して毎年訪れるという男性(84)=同市阿倍野区=は「長年子どもや孫のために祈願している。今年は天候もよく、すがすがしい気持ちでお参りできた」と笑顔で話していた。

 合格祈願護摩供は16日(午前10時)、2月3日(午後1時半)、10日(午前10時)にも行われる。

2201名無しさん:2016/01/04(月) 16:40:04 ID:BgT.CLUU0
来場者に祝い酒 国立文楽劇場で鏡開き
2016年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160104/20160104016.html

 国立文楽劇場(大阪市中央区)正面玄関前で3日、初春文楽公演の開幕を告げる鏡開きが行われ、文楽人形「太郎冠者」(吉田一輔さん)と「醜女」(吉田玉佳さん)が来場者らに祝い酒を振る舞った。

 
1985年以来、毎年行われている新春の風物詩で、地元の黒門市場からは縁起物のタイ2匹が到着。14日からNHKで始まる近松門左衛門を描いた人情喜劇「ちかえもん」に主演する俳優の青木崇高さんも交えて鏡開きを行った。

 同劇場の水野英二理事は「今年も充実したラインアップを用意している。形が固まり、一つの実を結ぶとされる『丙申(ひのえさる)』の今年、日ごろの努力が形となって現れるように」と期待を込めた。青木さんも「番組が文楽の盛り上がりにつながれば」と話していた。

2202名無しさん:2016/01/07(木) 18:02:52 ID:gqmpkY160
初詣の道は真田幸村へ続く
http://weblog.hochi.co.jp/arukulove/2016/01/post-adf8.html

 正月休みの運動不足解消と初詣を兼ねて大阪市天王寺区を歩いた。四天王寺から一心寺を訪ねたが、いつの間にか目的が変わった。このあたりは茶臼山の北側。1614年の大阪冬の陣では徳川家康が本陣を構え、翌15年の夏の陣では真田幸村が陣取った場所。NHK大河ドラマ「真田丸」も始まるので、その史跡へ足が自然に動いた。
地下鉄谷町線の「四天王寺前夕陽ケ丘」で降りて、谷街筋のひとつ東側の道を南へ向かう。そこは四天王寺の参道で、商店街が設置している「飛び出し注意」や「進入禁止」の看板まで、聖徳太子をモデルにしたイラストだ。

 四天王寺は1400年以上も前、聖徳太子が建立したと伝わるお寺だ。参道から境内に通じる門は3か所あるが、通り過ぎて南側の南大門から入る。お寺の中心伽藍(がらん)への近道だからだ。入ると目の前に仁王門(中門)が現れる。その向こうに五重塔がそびえているはずだったが、グレーのシートにすっぽり覆われていた。シートには大手ゼネコンと設計事務所の企業ロゴが張り付けてあって、その間に「聖徳太子千四百年御聖忌 2022年 厳修 中心伽藍耐震改修工事」と書かれていた。

聖徳太子こと厩戸王子(うまやどのおうじ)が死去したのが622年とされ、2022年はそれから1400年。その儀式を厳かに執り行うため、この場所の耐震改修を行っているという。現在の五重塔は1959年建立というから耐震改修は必要。仕方ない。
 見たかった五重塔が隠れていて残念だったので、西へ少し歩いて、今度は一心寺へ向かった。年が明けてまだ4日だけに初詣客は多い。幼い子供を連れた夫婦連れもいて、子供が山門の両側に立つ青銅の阿形像と吽形(うんぎょう)像を見て怖々、お母さんに「これ、動くの」と尋ねていたのが面白かった。神戸峰男さん作の像は、動くのではないかと錯覚するくらい迫力がある。

 その山門を下から眺めていて気がついた。怖い仁王にばかり気を取られていたが、その下の扉には4人の天女の像があった。秋野不矩さんの原画を神戸さんが浮き彫りにしたと説明されている。門の上では邪念を戒め世の乱れをにらんでいるが、その下には瑞々しい生命力がみなぎっている。この山門を見るだけでもこのお寺に来る意義がある。
 ところで、ここは大阪の陣の激戦地でもある。お寺のホームページによると、およそ5万人の武将が戦死。当時の住職が遺体を境内に集めて火葬し、供養したという。50年、100年、150年、200年の節目の年には供養法会を行っており、冬の陣から400年となった2014年にも関連行事を開催したと書かれている。

討ち死にした武将の中でもいまだに人気が高く、今年は大河ドラマの主人公になる真田幸村(信繁)の戦死跡とされる場所が、一心寺の北側にある安居神社。以前、このブログでも紹介したが、昨年秋に宮司さんに話を聞いてスポーツ報知大阪本社版に書いた。
 その時、分かったのは、ここが幸村戦死の史跡と認定されたのは、明治時代に陸軍が日本の過去の合戦を検証した結果だったという。2009年には宮司さんが寄付を集めてブロンズの座像も建立されている。彫刻家の播間公次さん制作のその像は、本懐を遂げた安らかな表情で夕日を眺めているイメージという。

 この日も若い参拝客が次々に訪れて、その座像に手を触れていた。あと一歩で家康の首は取れなかったが、幸村は400年後の若者たちにも愛されていた。(文と写真・鬼塚 静信)

2203名無しさん:2016/01/07(木) 18:50:41 ID:gqmpkY160
住吉大社で白馬神事
01月07日 15時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160107/4840971.html

正月に青い馬を見ると縁起が良いという故事にちなんだ神事「白馬神事」が7日、大阪の住吉大社で行われました。
白い馬と書いて「あおうま」と読むこの神事は、正月に青い馬を見ると、1年間、無病息災で過ごせるという中国の故事にちなんだもので、大阪・住吉区の住吉大社では毎年1月7日に行われています。
7日は、神職が祝詞を上げたあと、住吉大社の神馬「白雪号」が4つの本殿を回り、頭を下げる仕草をしました。
そして、境内を走って回る「早駆け」を行いました。
白馬神事を見た大阪市の40代の女性は「家族みんなが健康に暮らせたらそれが一番です」と話していました。
大阪市の30代の男性は「白馬を見られたし、ことしは元気にかけたい。仕事を頑張れそうです」と話していました。

2204名無しさん:2016/01/07(木) 19:02:53 ID:gqmpkY160
笑顔で大阪元気に 十日戎前に福娘が来社
2016年1月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160107/20160107032.html

 “えべっさん”の愛称で知られ、商売繁盛の御利益があるとされる今宮戎(えびす)神社(大阪市浪速区)の十日戎を前に、祭礼に花を添える福娘が6日、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れ、一年間の福を授けた。

 着物の上に白い千早を羽織り、金色の烏帽子をかぶった中谷芽以さん(19)ら福娘13人が来社。ことしのえと「申(さる)」を描いた縁起物の額を届け、「打ちましょ、もうひとつせい、祝うて三度で」と上方締めを披露し、新年を祝った。

 十日戎は9〜11日に行われる商売繁盛や景気回復を願う祭礼。例年、大勢の参拝者でにぎわっており、福娘代表の中谷さんは「私たちの笑顔で大阪の皆さんを元気にしたい」と話していた。

2205名無しさん:2016/01/07(木) 22:48:29 ID:wgbjZ23.0
故・桂枝雀さんの長男りょうばさん、大阪・西成で初高座
篠塚健一2016年1月7日
http://www.asahi.com/articles/ASJ166480J16PTFC00X.html?iref=com_rnavi_arank_nr03

 爆笑王と称され、一時代を築いた落語家の故・桂枝雀さんの長男桂りょうばさん(43)が7日、大阪市西成区の動楽亭で初高座に上がった。詰めかけた約100人の観客を前に上方落語「東の旅発端」を陽気に演じ、デビューを飾った。

 アマチュア落語家を経て昨年8月に桂ざこばさんに入門した。寄席の前座として笑顔で登場すると、張り扇と小拍子で見台(けんだい)を叩(たた)きながら旅ネタを披露。父の面影が宿る表情やしぐさ、落ち着き払った高座ぶりに何度も笑いが起きた。

 終演後、師匠のざこばさんは張り扇の握り方も枝雀さんとそっくりで驚いたと明かした。「あんな落ち着いた初舞台ちゅうのはない。けれどもアマチュアの延長やちゅうのを感じる。玄人やなって思える噺家(はなしか)になってほしい」とざこばさん。りょうばさんは「親子なので似ちゃうのは仕方がない。本当に腹の底からはなしができる噺家になりたい」と話した。(篠塚健一)

2206名無しさん:2016/01/09(土) 11:53:36 ID:8dYmZVgk0
「ササ持ってこい」 北新地、えびす詣招福行列
2016年1月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160109/20160109033.html

 大阪市北区の大阪天満宮で「天満天神えびす祭」(9〜11日)が始まるのを前に、同区の北新地と同宮を往復する「堂島北新地えびす詣招福行列」が8日、盛大に行われた。天満えびす招福娘ら約100人が長い列を連ね、「商売繁盛でササ持ってこい」とにぎやかに練り歩いた。

同宮の氏子崇敬者でつくる青年親睦会(土井由憲会長)が主催。戦前に途絶えた同宮の「天満えびす」が2007年に復興したことを契機に、風物詩だった北新地の「宝恵かご」復興を願う関係者の思いが実を結び、09年に実現。以後、えびす祭の前景気を盛り上げる行事として定着している。

 軽快なえびすばやしが響く中、高張りちょうちんやつり太鼓などを先頭にした一行が北新地を出発。招福娘が愛嬌(あいきょう)を振りまいたほか、上方落語協会の桂春之輔副会長や北新地社交料飲協会(東司丘興一理事長)の北新地クイーンらを乗せた豪華な人力車も列に加わり、えびす祭の到来を触れて回った。

 同親睦会の林秀昭副会長(56)は「行事を通じて大阪天満宮と北新地がますます発展してもらいたい」と願いを込めた。



大阪「十日えびす」開幕 ミナミの新年彩る宝恵かご
2016年1月9日 11:29
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160109/20160109036.html

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」が9日、初日の「宵えびす」で幕を開け、芸妓や福娘が乗った宝恵かご行列が市内の繁華街・ミナミを練り歩いた。

かごには、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」にヒロインの嫁ぎ先の奉公人ふゆ役で出演している女優の清原果耶さん(13)のほか、俳優香川照之さん(50)らの芸能人も乗り込み、笑顔を振りまいた。街には「ほーえかご」という見物客や参加者の掛け声が響き、多くの人が写真を撮って楽しんでいた。

 十日えびすは10日の「本えびす」、11日の「残り福」と続く。神社は約100万人の参拝客を見込んでいる。

2207名無しさん:2016/01/10(日) 04:31:34 ID:krSUgzVY0
今宮戎神社 宵えびす
更新:01/09 18:08
http://www.mbs.jp/news/kansai/20160109/00000033.shtml

商売繁盛の神様で知られる、大阪の今宮戎は、9日が宵えびすで、朝から大勢の参拝者で賑わっています。

 十日えびすの初日となる「宵えびす」。

 今年は、三連休の初日と重なったこともあり、朝から大勢の人たちが、商売の神様のご利益を授かろうと訪れています。

 境内では、笹が無料で配られ、参拝者はひとつ1,500円ほどの縁起物の小判や金の俵などを福娘に授けてもらっていました。

「いい始まりを迎えているので、今年はすごい年になると思います。ちなみに、知り合いが引いたこの人のおみくじは、凶でした」(参拝者)

 今宮戎神社では、10日の本えびすと11日の「残り福」の3日間で、約100万人の参拝者を見込んでいます。

2208名無しさん:2016/01/10(日) 04:33:54 ID:krSUgzVY0
阪城のやぐらなど特別公開
01月09日 17時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160109/4875651.html

戦国時代の武将、真田幸村の生涯をえがくNHKの大河ドラマ、「真田丸」の放送が、10日から始まるのに合わせて、幸村ゆかりの大阪城に残るやぐらや蔵が、特別公開されています。
9日から特別公開されているのは、大阪城の大手口を守る「千貫櫓(せんがんやぐら)」と「多聞櫓(たもんやぐら)」、それに、火薬の保管庫として使われた「焔硝蔵(えんしょうぐら)」です。
いずれも、大坂夏の陣のあと再建されたもので、「焔硝蔵」は、床や壁、天井に、厚さ2点4メートルを超える巨大な石が使われ、火縄銃などに使うおよそ230トンの火薬が保管されていたということです。
また、「千貫櫓」は、大阪城に残る最も古い建物で、壁には、敵が攻めてきた際に火縄銃で応戦するための小窓が付いています。
初日の9日は、訪れた人たちが、江戸時代の足軽にふんした職員にアドバイスを受けながら、小窓から外に銃口を向けて敵に狙いを定める体験をしました。
参加した11歳の男の子は、「火縄銃の体験ができてうれしかった。
昔の人が、どうやって城を守っていたかがよく分った」と話していました。
大阪城の特別公開は、ことし6月5日まで行われます。

2209名無しさん:2016/01/14(木) 08:14:12 ID:Mii5n1..0
訃報
桂春団治さん 85歳=落語家
毎日新聞2016年1月14日
http://mainichi.jp/articles/20160114/ddm/041/060/110000c
上方落語復興に尽力

 戦後、滅亡寸前と言われた上方落語界の復興に尽くした四天王の最後の一人で、厳しいまでに磨き上げた芸風で知られる桂春団治(かつら・はるだんじ、本名・河合一=かわい・はじめ)さんが9日、心不全のため亡くなった。85歳だった。親族や直系の弟子らで密葬を営んだ。

 1930年、大阪市生まれ。父親は二代目春団治。高校を卒業後、会社に就職するが1年で辞め47年小春の名でデビュー。50年に二代目福団治、59年に三代目春団治を襲名した。

 後に上方落語四天王と称された三代目桂米朝、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝(いずれも故人)とほぼ同時期の入門で衰退していた上方落語界再生の原動力として活躍した。

 芸風は地味だが手堅く、上方落語のエッセンスを観客に見せるよう心掛けた。テレビやラジオにはほとんど出演せず落語一筋。粒よりのネタを完璧に演ずることに全力を傾け、「野崎詣(まい)り」「いかけや」「代書」などは至芸と言われた。

 若手育成にも熱心で福団治さんや故二代目春蝶、小春団治さんらを育てた。78年から83年には3代目の上方落語協会会長を務めた。

 81年に胃潰瘍、92年にはC型肝炎と診断されるなど、何度か病気に見舞われながらその度に克服。年齢とともに円熟を重ね、艶のある芸で観客を酔わせた。足のけがで正座できなくなったことなどを理由に、2013年夏以降は高座から遠ざかっていた。

 75年芸術祭優秀賞受賞、98年には紫綬褒章を受章した。

2210名無しさん:2016/01/14(木) 08:25:57 ID:Mii5n1..0
落語家の三代目桂春団治さん死去…85歳
2016年01月14日
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160114-OYT1T50033.html?from=ytop_top

 戦後の上方落語を支えた「四天王」最後の一人、三代目桂春団治(かつら・はるだんじ、本名・河合一=かわい・はじめ)さんが9日午前0時11分、心不全で亡くなった。

 85歳だった。親族と弟子たちで密葬を行った。26日にお別れの会を行う。喪主は妻、成子(しげこ)さん。

 大阪市出身。二代目春団治の実子で、1947年に父に入門した。小春、福団治を名乗った後、59年に大名跡、春団治の三代目を襲名した。

 当時は漫才人気などのあおりを受け、「上方落語は滅んだ」と評されるほどの危機的な状況だった。古典落語一筋に鍛錬を重ね、先輩の六代目笑福亭松鶴、同期入門の三代目桂米朝、五代目桂文枝とともに「四天王」と並び称される人気を確立。一方で、多くの弟子を育て、復興に尽力した。

 持ちネタは「野崎詣まいり」「代書屋」「親子茶屋」「皿屋敷」など多くはなかったが、華やいだ上品な語り口に加え、人物や情景描写の緻密さには定評があった。高座で羽織の両そでを引いてすっと落とす粋なしぐさが有名で、噺はなしの冒頭でまくらを語らない、けれん味のなさも売り物だった。

 上方落語協会会長も務め、75年に芸術祭優秀賞、96年に大阪芸術賞を受賞。98年に紫綬褒章、2004年に旭日小綬章を受章した。

2211名無しさん:2016/01/15(金) 00:20:56 ID:NJRBBpGw0
弟子ら会見「安らかな顔でした」 春団治さん、意欲変わらず
2016年1月14日 21:55
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160114/20160114101.html

 端正な高座でファンを魅了した落語家、三代目桂春団治さんの訃報が伝えられた14日、薫陶を受けた弟子らが大阪市内で記者会見を開き、名人の晩年を振り返った。

上方落語協会副会長を務める弟子の桂春之輔さん(67)は「遺族の話では、静かに息を引き取られたようだ」。筆頭弟子の桂福団治さん(75)も「目を覚ますんじゃないかと思うぐらい安らかで眠っているような顔でした」としみじみ語った。

 春之輔さんらによると、春団治さんはこの2年の間、入退院を繰り返し、高座から遠ざかっていた。落語への意欲は変わらなかったものの体調が万全ではなく、正座ができないことも気にしていたという。

2212名無しさん:2016/01/15(金) 19:16:47 ID:a7cbp8Xc0
訃報に「本当に残念」と文枝さん 春団治さん悼み
2016年1月15日 12:00
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160115/20160115052.html

 上方落語の復興に尽力し85歳で亡くなった三代目桂春団治さんの訃報を受け、上方落語協会の桂文枝会長(72)が15日、大阪市内の同協会で記者会見し「師匠はいつもそっと見守ってくれていた。本当に残念ですが、感謝の気持ちに堪えません」と言葉を詰まらせた。

六代目笑福亭松鶴さん、三代目桂米朝さん、五代目桂文枝さんら「四天王」が全員、鬼籍に入ったことは「大きな試練だが、上方落語界の第二章の始まりで、次は皆が頑張れという思いを託していただいたと思う」と語り、春団治さんのように「後進の育成に命を懸けたい」と誓った。

2213名無しさん:2016/01/16(土) 04:21:34 ID:r0wQZ.VE0
手伸ばし、熱気ぶつけ合い 四天王寺で「どやどや」
2016年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160115/20160115025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で14日、五穀豊穣(ほうじょう)や天下泰平を祈願する年頭行事「どやどや」が盛大に執り行われた。約千人の男子中高生らがふんどしに鉢巻き姿で参加し、お堂の天井からまかれた少数の護符(ごふ)をつかもうと勇猛果敢に体をぶつけ合った。

元日から14日間続けられる修正会法要の結願日に行われる伝統行事。四天王寺羽曳丘中・高、清風中・高、清風南海高の生徒が紅白両軍に分かれ、境内のほぼ中央に位置する六時堂の前に進んだ。

 双方から繰り返し冷水を浴びせられながら堂内へなだれ込み、法要中に祈祷(きとう)された護符が宙を舞うたびに手を高く伸ばした。見事に護符をつかんだ生徒は、寒風の中、体からもうもうと湯気を立て「やったぞ」などと歓声を上げた。

 境内の一画では魔よけの「牛王宝印楊枝(ごおうほういんようじ)」が授与され、参詣者の長い列ができた。

2214名無しさん:2016/01/19(火) 04:44:42 ID:vWBGPGsM0
開運願い「綱引神事」 難波八阪神社
2016年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160118/20160118023.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で17日、年頭の伝統行事「綱引(つなひき)神事」が執り行われた。開運を祈願しようと氏子らが八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を作り上げ、双方から引き合った。

 同神社の祭神で、オロチ退治で知られるスサノオノミコトの遺徳を仰いで地域の繁栄などを祈願する行事。2001年度に大阪市指定の初の無形民俗文化財になった。

 この日は神職や文化財保持者である同神社「綱引神事保存会」(竹立威三雄会長)の面々が早朝から境内に参集。お払いを受けた後、老若男女が作業手順を教え、教えられながら108本の細い縄をより合わせ、昼すぎに全長約20メートル、太さ約30センチの巨大な綱を完成させた。

 氏地巡行の前には、二手に分かれて豪快な綱引きが行われ「難波の綱引きヨーイヨイ、八阪の綱引きヨーイヨイ」の掛け声が境内にこだました。

 会長の竹立さん(85)は「例年を上回る立派な大綱となり、ご祭神もお喜びだと思う。若い世代にも多く参加してもらい地域の伝統を継承する絶好の機会となった」と話していた。

2215名無しさん:2016/01/20(水) 04:11:35 ID:v0jt.e7o0
好景気を射抜く 御霊神社で「御弓神事」
2016年1月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160119/20160119026.html

 大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で18日、年頭恒例の「御弓神事」が執り行われ、多くの参拝者が古式ゆかしい装束や作法、美しい矢の飛翔を見守った。

平安期の正月の宮中行事「射礼(じゃらい)」にちなみ、神前で弓道の上達と国の安寧などを願う伝統行事。かつて“天下の台所”として多くの蔵屋敷などが並んだ商業の地・北船場に位置する同神社では当たり矢で景気向上などを祈念する。

 この日は神職のほか、地元企業の大阪ガスの弓道部から男女2人が奉仕。弓構えから矢を放つ寸前までの所作を2度繰り返した後、計3本の矢を放つ射法を披露した。同部の射手は28メートル先にある的へ矢を当て大きな拍手が湧いた。

 本殿の神事では、みこが神楽「弓の舞」を奉納。園宮司は「幸い雨の影響もなく年頭にふさわしい行事を斎行することができた。今年一年の繁栄を願いたい」と話していた。

2216名無しさん:2016/01/23(土) 18:11:42 ID:kZhDz8tw0
春団治さんしのび 生前好んだハナミズキ植樹
2016年1月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160123/20160123041.html

 上方落語の再興に尽力した「四天王」最後の一人で、9日に85歳で死去した三代目桂春団治さんをしのび、ゆかりのある池田市で22日、春団治一門の桂春之輔さん(67)らが、春団治さんが生前好んだハナミズキを植樹した。春之輔さんは「目立つでなく、地味でもない。春団治の人柄にふさわしい木。さぞ喜んでいることでしょう」と、しみじみと亡き師へ思いをはせた。

池田市は「池田の牛ほめ」や「池田の猪買い」など古典落語の舞台となった上方落語ゆかりの地。市内の受楽寺には、初代と二代目の顕彰碑がある。

 春之輔さんによると、同寺にもハナミズキがあり、法要と落語会がある4月下旬の「春団治まつり」には見ごろを迎え、三代目夫妻も咲き具合を気に掛けていたという。

 市内の五月山公園であった式典には、春之輔さんのほか、池田市の倉田薫市長らが出席。高さ3メートルの若木を高台に植えた。

 植樹した木は紅白の花を咲かせる予定で、親交のあった倉田市長は「ご恩に対する思いを込めた。落語のまち・池田が発展するよう天国から応援してほしい」と話していた。

2217名無しさん:2016/01/28(木) 04:15:46 ID:Eh8dD/HE0
古墳の掘に大規模な橋の痕跡
01月27日 22時05分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160127/5336541.html

大阪・堺市にある大型の古墳「ニサンザイ古墳」で、堀をまたいで長さ45メートル以上の大規模な橋がかけられていたとみられることが市の調査で分かりました。堺市は、古墳の堀に橋の痕跡が見つかったのは初めてで、埋葬方法などを知る上で重要な発見だとしています。
5世紀後半に造られた前方後円墳、「ニサンザイ古墳」は、長さがおよそ300メートルあり全国で7番目に大きいとされ、天皇を埋葬した墓の可能性も指摘されています。
3年前、堺市の調査で堀の底に柱を建てた穴の跡が見つかり、市は、柱が橋脚として使われ、堀の上に何らかの構造物があった可能性が高いとみてさらに調査を進めていました。
その結果、これまでに見つかった痕跡だけでも柱は35本あり、柱の並び方から、堀を渡るように長さ45メートル以上、幅12メートルの大規模な木造の橋がかかっていたとみられることが分かりました。
堺市によりますと、古墳の堀に橋の痕跡が見つかったのは初めてですが、橋自体は出土していないことから、埋葬などの際に一時的にかけられたとみています。
堺市文化財課の内本勝彦主査は「埋葬の時や、埋葬者の後継ぎが墓参りする際などに大がかりな儀式をするため、大きな橋が必要だったのではないか。当時の埋葬方法などを検討するうえで重要な発見だ」と話しています。

2218名無しさん:2016/01/28(木) 04:47:50 ID:Eh8dD/HE0
豊竹嶋大夫さん最後の大阪公演
01月26日 20時33分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160126/3273811.html

人形浄瑠璃「文楽」の語り手で、2月に引退する人間国宝、豊竹嶋大夫さんの大阪での最後の公演が26日、行われました。
豊竹嶋大夫さんは、松山市出身の83歳。
昭和23年に文楽の世界に入り、語り手の「太夫」として高い評価を受け、去年10月、人間国宝に認定されましたが、体力面の問題を理由に、2月に引退することになりました。
大阪の国立文楽劇場で行われていた大阪での最後の公演が26日、千秋楽を迎え、会場には多くのファンが詰めかけました。
題目は、江戸時代の人気力士の活躍を描く「関取千両幟」で、嶋大夫さんは、力士を陰で支える妻の役をつややかな声で情感豊かに語り、観客から大きな拍手がおくられました。
嶋大夫さんは幕が閉じたあと再び登場し、長年共演してきた、いずれも人間国宝の、三味線の鶴澤寛治さんと、人形遣いの吉田蓑助さんから花束を受け取りました。
最後となる東京・国立劇場での公演は、2月6日から22日まで行われます。
文楽では、おととし、竹本住大夫さんが引退し、去年は竹本源大夫さんが亡くなり、嶋大夫さんが引退すると現役の人間国宝の語り手が不在となります。
公演を見た大阪市の70代の女性は「語り口もしっかりしているのに引退はとても残念です。後継者を育てて文楽を後世に引き継いでいってほしい」と話していました。

2219名無しさん:2016/01/31(日) 20:09:54 ID:Ys.fV5620
住吉祭 大みこしが復活へ
01月31日 07時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160131/5493811.html

大阪の三大夏祭りの1つ、住吉大社の住吉祭の象徴と言われていた重さ2トンを超える「大みこし」が、ことしの8月、75年ぶりに復活することになりました。
住吉大社の「大みこし」は、明治14年に奉納されて、昭和15年まで、毎年、夏の住吉祭で担がれてきました。
今の住吉祭では、別のみこしが担がれ、「大みこし」は、境内に展示されるだけでしたが、地元の人たちが、かつての象徴を復活させようと、ことしの夏、75年ぶりに、担ぐことになりました。
「大みこし」は、長さが5メートル、高さが3メートル、重さが2.6トンあり、富山県の工房で行われていた修復作業がこのほど終わり、住吉大社の境内に戻ってきました。
このあと「大みこし」には、装飾が施されるということで、地元の人たちは、祭りを盛り上げようと、みこしの担ぎ手を募集しています。
住吉祭神輿会の中野紀久雄会長は、「みこしは、これくらい迫力あるものでなければいけないと思います。祭りが楽しみです」と話していました。
また、神職の岡康史さんは、「明治の人たちの意気込みが感じられるみこしなので、みなさんにぜひ見てほしいです」と話していました。

2220名無しさん:2016/02/02(火) 19:23:04 ID:H6Z03t5M0
大坂夏の陣の建造物焼損跡を確認…石垣再発掘
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%a4%a7%e5%9d%82%e5%a4%8f%e3%81%ae%e9%99%a3%e3%81%ae%e5%bb%ba%e9%80%a0%e7%89%a9%e7%84%bc%e6%90%8d%e8%b7%a1%e3%82%92%e7%a2%ba%e8%aa%8d%e2%80%a6%e7%9f%b3%e5%9e%a3%e5%86%8d%e7%99%ba%e6%8e%98/ar-BBp0sER

国特別史跡・大坂城跡(大阪城公園、大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣公開プロジェクトを進めている大阪市は2日、石垣の一部を再発掘し、大坂夏の陣(1615年)で櫓(やぐら)などの建造物が焼損した跡を新たに確認したと発表した。

発掘場所は現在の天守閣の南東に位置し、1984年に確認されていた石垣の周辺を範囲を広げて再調査。表土を約2メートル除去し、石垣の上端部を長さ約5メートル出土させたところ、瓦などが焼けたことを示す赤茶けた土壌が見つかった。市の担当者は、「石垣上にあったとされる櫓の存在を示すもの」としている。

調査現場の一般公開は6日、7日の午前10時〜午後4時。小雨決行。問い合わせは市教育委員会文化財保護課(06・6208・9069)。

2221名無しさん:2016/02/04(木) 00:29:48 ID:ywLvT61k0
福が来た、「あさ」も来た…成田山で節分祭
2016年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160203-OYO1T50018.html?from=oycont_top_txt

大阪府寝屋川市の成田山不動尊で3日、節分祭があり、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」に夫婦役で出演中の波瑠さんと玉木宏さんが約2万3000人の参拝者に落花生をまいた。

 境内では鬼も改心するとされ、繰り返すかけ声は「福は内」のみ。かみしも姿で特設舞台に上がった2人はヒノキの升(1・5メートル四方、高さ0・8メートル)に盛られた豆を両手ですくい上げ、開運や厄よけを願う人たちに次々と投げた。

 波瑠さんは「温かい声援をもらえて、すごく楽しい時間でした。この升から投げるイメージはなかったので、びっくりぽんでした」と笑顔で話した。

2016年02月03日

2222名無しさん:2016/02/04(木) 04:48:15 ID:ywLvT61k0
厄去れ 子背負い火渡り…帝釈寺
2016年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160202-OYTNT50412.html?from=oytop_ymag

箕面市粟生外院の帝釈寺で2日、節分の時期に合わせた「福護摩祭り」が開かれ、参拝客約260人が、今年1年の幸福と安全を祈りながら、焼けた護摩木の灰の上を歩く「火渡り修行」を行った。

 境内では、「家内安全」「厄除(やくよけ)」などと書かれた約2500本の護摩木が燃やされた。煙が残る中、長さ約5メートルの灰の上を住職らが渡った後、参拝客も素足で火渡りに挑戦。ゆっくりと灰を踏みしめたり、子供を抱えながら渡ったりしていた。

 長女(1)を背負いながら渡った豊中市の主婦、花岡愛矢さん(30)は「1年間何事もなく過ごせたらいいと願いながら渡りました」と笑顔で話していた。

2016年02月03日

2223名無しさん:2016/02/04(木) 04:49:02 ID:ywLvT61k0
厄去れ 子背負い火渡り…帝釈寺
2016年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160202-OYTNT50412.html?from=oytop_ymag

箕面市粟生外院の帝釈寺で2日、節分の時期に合わせた「福護摩祭り」が開かれ、参拝客約260人が、今年1年の幸福と安全を祈りながら、焼けた護摩木の灰の上を歩く「火渡り修行」を行った。

 境内では、「家内安全」「厄除(やくよけ)」などと書かれた約2500本の護摩木が燃やされた。煙が残る中、長さ約5メートルの灰の上を住職らが渡った後、参拝客も素足で火渡りに挑戦。ゆっくりと灰を踏みしめたり、子供を抱えながら渡ったりしていた。

 長女(1)を背負いながら渡った豊中市の主婦、花岡愛矢さん(30)は「1年間何事もなく過ごせたらいいと願いながら渡りました」と笑顔で話していた。

2016年02月03日

2224名無しさん:2016/02/05(金) 00:23:17 ID:.ZY9AVQ.0
恵方巻き1000人丸かぶり 大阪天満宮
2016年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160204/20160204018.html

 節分の3日、千人がそろって巻きずし(恵方巻き)を丸かぶりするイベントが大阪市北区の大阪天満宮であった。幼児から高齢者まで幅広い年齢の府民らが参加。今年の恵方・南南東を向き、所願成就を願いながら格別の巻きずしを味わった。

大阪海苔(のり)協同組合(村瀬忠久理事長)主催の「海苔チャリティーセール」の関連イベント。今年で15回目で、売上金の一部で車いすを購入し、大阪市社会福祉協議会に寄付している。

 巻きずしを受け取った来場者は、境内の一画に設けられた結界に集まり、同宮の神職からおはらいを受けた後、合図とともに一斉に頬張った。2人の子どもと参加した松田里沙さん(35)=大東市=は「大阪府外から嫁いで来たので初めて参加し、楽しかった。家族が笑顔で過ごせる1年であるよう祈願しました」と満足の表情。セールも早々に商品が完売する盛況ぶりで、村瀬理事長(50)は「多くの方に参加していただき節分行事として定着した。車いすの寄贈も含め継続していきたい」と話していた。


厄よけ「かぶら汁」人気 四天王寺、節分にちなみ
2016年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160204/20160204019.html

 なにわの伝統野菜「天王寺蕪(かぶら)」の発祥地とされる大阪市天王寺区の四天王寺で3日、節分にちなんだ厄よけのかぶら汁が販売された。参拝者らが温かいカブを頬張り、無病息災を願った。

天王寺蕪は平らな根が特徴の白カブで、一般のカブに比べて甘みが強い。大正時代に作成された「天王寺村誌」などには、大坂の陣の戦火から種を守った功績を評価され、地元農民が四天王寺付近に土地を与えられたという記録が残る。

 休憩所では、境内で干し、さっとゆでたカブと葉、大阪湾で採れたノリなどを具材にした白みそ仕立てのみそ汁と麦飯を提供。400食が完売した。天王寺蕪を初めて食べたという管理栄養士の女性(64)=茨木市=は「カブはもちっとして柔らかく、体も温まる。お嫁さんにも教えてあげたい」と満足そうだった。

 かぶら汁の販売は昨年に続き2回目。普及を図る天王寺蕪の会事務局長の難波りんごさんは「関心を持ってもらえて良かった。恒例行事になれば」と話した。


厄払い千客万来 堂島薬師堂節分お水汲み祭り
2016年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160204/20160204021.html

 大阪市北区の堂島薬師堂周辺で3日、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲(く)み祭り」があり、鬼追いや龍の巡行が繰り広げられた。参拝客らは1年の厄を払い、福を授かった。

お水汲みは、薬師堂で奈良薬師寺の僧侶が参拝客の竹筒護符にお香水をくんで清め、千客万来や無病息災を祈願。僧侶や鬼、福男らでつくる鬼追い隊が地域の飲食店や企業を訪問すると、従業員や客は同隊に豆を投げて厄を払った。

 また、薬師堂に祭られている弁財天の化身とされる龍に続いて、お化けの仮装をした北新地の女性たちが街を巡行。夜の通りを清めると、見物客らから大きな歓声が沸いた。

 祭りは、地域に根付く節分行事と薬師堂のお水汲み儀式を融合して2004年に開始。今回で13回目となる。

2225名無しさん:2016/02/06(土) 07:21:48 ID:cuHBXmXM0
大坂城の石垣発掘、焼けた瓦や土 夏の陣、本丸被災跡か
2016年2月2日 16:28
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160202/20160202067.html

 豊臣秀吉が築いた大坂城の石垣が発掘され、2日、大阪市教育委員会などが発表した。大坂城本丸の「詰ノ丸」と呼ばれる区画の東南角で、大坂夏の陣(1615年)で焼けたとみられる瓦片や焼土層も確認した。見つかったのはわずかで、徳川家による再建時に片付けられた可能性があるという。

調査した大阪文化財研究所の担当者は「焼失前に詰ノ丸にあったとされる建物の存在を裏付ける材料になる」と話している。

 秀吉の天守閣は調査地点から約80メートル北にあったという。現在の城は徳川家が土を盛った上に再建。豊臣期の石垣の最上部は地下1メートルにある。

2226名無しさん:2016/02/06(土) 11:45:51 ID:cuHBXmXM0
「真田丸」の地に顕彰碑
02月01日 19時19分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160201/5401191.html

大坂の陣で戦国武将、真田幸村が築いた「真田丸」があったとされる大阪・天王寺区に顕彰碑が設置され、除幕式が行われました。
大阪・天王寺区の大阪明星学園がある辺りは、幸村の名で知られる戦国武将、真田信繁が大坂冬の陣で築いた大坂城の出城「真田丸」があったとみられることが、最新の研究で明らかになっています。
顕彰碑は、天王寺区役所が、大阪明星学園と協定を結んで敷地の一角に設置したもので、1日、関係者が集まって除幕式が行われました。
碑は花崗岩に大型の陶板を貼り付けたもので、高さが1メートル65センチ、幅が2メートル60センチあります。
「真田丸顕彰碑」という文字が刻まれているほか、陶板には大坂冬の陣を描いた図や、幸村と真田丸の戦いについての解説なども表示されています。
地元の自治会の竹田善彦さんは「石碑ができてうれしいです。地元のシンボルとして多くの人に訪れてほしい」と話していました。
天王寺区は、幸村終焉の地であることを多くの人に知ってもらうため、今後、ゆかりの地への案内図などを設置することにしています。

2227名無しさん:2016/02/06(土) 16:43:06 ID:cuHBXmXM0
住吉の文化、すごろくで紹介
2016年01月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160127-OYTNT50356.html

大阪市住吉区役所は、同区の文化や歴史にまつわる活動や団体などをすごろく形式で知ることができる「再発見! すみよし文化すごろく」を制作し、1月号の広報紙に掲載している。今後、区のホームページ(HP)やパンフレットなどにも載せ、広く活用できるようにするという。

 同区は、地元ゆかりの文化的活動などに取り組む人たちに、活動内容や地域の魅力について話を聞く、「再発見! すみよし文化レポート」を2013年からHPなどで連載している。インタビューなどを担当している区教育文化課の松永貴美さんが、過去22回分を、正月にちなんで、すごろく形式にまとめた。

 住吉大社のかかしプロジェクトや、すみよし歴史案内人の会、大阪市立大など、地域を盛り上げるために奮闘する個人や団体の写真などを升目に掲載。「住吉区内の見どころを3つ言えたら2コマ進む」「住吉区にゆかりのある歴史上の人物を1人以上言えたら2コマ進む」などと楽しみながらゴールを目指す。

 松永さんは「区内に色々な活動をしている人がいることを知り、区外の人が魅力を感じて足を運んでもらうきっかけになればうれしい」と話している。

 問い合わせは、同課(06・6694・9989)へ。

2016年01月28日

2228名無しさん:2016/02/06(土) 16:57:24 ID:cuHBXmXM0
歌舞伎役者の文明開化…逸翁美術館、絵看板や錦絵
2016年02月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160131-OYTNT50316.html

池田市栄本町の逸翁美術館で、明治期の芝居小屋に飾られた絵看板などを集めた「歌舞伎絵看板展〜文明開化の音がする〜」が開かれている。3月6日まで。

 1884年(明治17年)から95年(同28年)にかけて大阪・道頓堀にあった中座などで、上演中の歌舞伎の内容を紹介する絵看板22点や、役者を描いた錦絵などを展示。

 会場には、和装に山高帽をかぶるなどハイカラなものを身につける歌舞伎役者の姿が並ぶ。中には舞台上に電灯を置いた様子を描いた作品もあり、「文明開化」の世相が反映されている。

 展覧会に合わせて、2月20日午後2時から、明治大の神山彰教授(演劇学)が「明治の歌舞伎と散切物の風俗」と題して講演。同6、27日の午後2時からは学芸員による展示解説もある。

 午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)。月曜休館。観覧料は一般700円、65歳以上と高校・大学生500円、中学生以下は無料。問い合わせは同美術館(072・751・3865)へ。

2016年02月01日

2229名無しさん:2016/02/06(土) 19:04:31 ID:fY/otJ.A0
織姫・彦星 宇宙の愛 人形劇
2016年02月04日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160203-OYTNT50339.html

◇11日、ゆかりの枚方で地元団体

七夕伝説ゆかりの地・枚方市を人形劇でアピールしようと、地元のグループが11日、伝説を題材に創作した作品を初めて披露する。人形や舞台セットはすべて手作りで、表現の幅を広げたいと劇中に影絵も取り入れた。仕上げの稽古に励むメンバーは「自分らしく生きる織姫と彦星の物語を生き生きと演じ、まちの魅力を全国に発信していきたい」と意気込む。(広瀬毅)

 「あなたのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」「牛飼いの彦と申します。なぜ、こんなところにいらっしゃるのですか」

 1月28日、市内の稽古場で、30センチほどの人形が軽やかに体を動かした。「一瞬、見つめ合う時間がほしいね」「はい、暗転」。各場面で、台本を書いた広田美那子さん(77)からメンバーに鋭い指示が飛ぶ。

 手がけるのは、女性9人でつくる「夕づるの会」。1970年代後半以降、市内で開かれていた人形劇の講習会で学んだ人らで公演に取り組んでいたが、一時休止。2014年6月、新たに同会を結成し、活動を再開した。

 枚方、交野両市を流れる天野川沿いには、織姫を祭る「機物(はたもの)神社」や、「牽牛(けんぎゅう)石」など七夕伝説にまつわる名所があることから、広田さんが伝説ゆかりの枚方ならではの創作劇を上演しようと提案。「私たちを育ててくれたまちへの恩返しに」と心を合わせた。

 人形や、織姫が暮らす天上界の舞台セットは、代表の木谷弥生さん(62)らがアイデアを出し合い、布や木などで手作りした。影絵のシーンでは、織姫が機織りをやめてしまったことで起きる天変地異などを効果的に表現している。

 織姫を操る横井洋子さん(45)は「劇を、みんなで作っていく過程が楽しくて。家に帰っても鏡の前で人形を持ち、お客さんにはどう見えているのか、チェックしています」と話し、広田さんは「最後には天上界の掟(おきて)も変えさせた2人の純真な愛を、ぜひ見てほしい」とアピールしている。

 「七夕伝説より『宇宙(そら)の愛―天の川ものがたり―』」は、枚方市新町のメセナひらかた会館で11日午後2時開演。入場無料で、定員150人(先着順)。申し込み、問い合わせは、ひらかた市民活動支援センター(072・805・3537)へ。

2016年02月04日

2230名無しさん:2016/02/11(木) 10:56:25 ID:FjcA5.eI0
道明寺天満宮 早咲き梅満開
02月10日 12時52分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160210/5683451.html

大阪・藤井寺市にある梅の名所「道明寺天満宮」では、例年より1か月ほど早く梅の花が咲き始めています。
大阪・藤井寺市の道明寺天満宮にある梅園には、およそ80種類、あわせて800本ほどの梅が植えられています。
梅の花は例年に比べて1か月ほど早く去年の12月中旬から咲き始めていて、このうち、「鹿児島紅梅」という早咲き梅は今、満開となっています。
この品種は、濃いピンク色の八重の花びらが特徴で、すっきりとした華やかな香りをあたりに漂わせています。
ほかにも、黄緑色の丸い花びらが特徴の茶青梅という品種の梅なども見頃を迎えていて、訪れた人たちが、写真を撮ったり、香りを楽しんだりしていました。
藤井寺市の60代の女性は「たまたま立ち寄りましたが、梅を見て心が和みました」と話していました。
東住吉区から来た70代の男性は「梅を見て新しい年を実感します。
友達と見られて楽しかったです」と話していました。
道明寺天満宮の宮司、南坊城光興さんは「ことしは、早咲き中咲き遅咲きと順番に咲いていくので長く楽しめると思います。きょうは、高校受験の日なので、お参りに来て梅を見て、花開かせてもらいたいです」と話していました。
道明寺天満宮の梅の花は、3月中旬ごろまで楽しめるということです。

2231名無しさん:2016/02/11(木) 11:40:08 ID:FjcA5.eI0
さらなる上達を祈願 大阪天満宮でお針まつり
2016年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160209/20160209030.html

 使い古した針をねぎらう伝統行事「お針まつり(針供養祭)」が8日、大阪市北区の大阪天満宮境内社・吉備社で執り行われた。和裁をはじめ裁縫に携わる人が折れ曲がった古い針を手に参拝。軟らかいこんにゃくに刺し、さらなる技術向上を祈願した。

大阪和服裁縫協同組合(岡村博之理事長)と日本和裁士会大阪府支部(大森貴之支部長)が主催。神職によるおはらいなど神事に続き、参拝者は吉備社・針塚の前に置かれた大きなこんにゃくにまち針などを代わる代わる刺していき、感謝と供養の気持ちを込めて手を合わせた。

 岡村理事長(53)は「コンピューターなどさまざまな機器が発達する時代でも手縫いの技術は不可欠。皆さんには日々研さんしていただき、より美しい着物を手掛けていただきたい」とあいさつ。長年和裁を教えている野田利子さん(75)=奈良県=は生徒と参拝し、「生徒さんと自分自身の上達を祈願した。昔と比べて着物を手掛ける人は減っているが、いくつになっても頑張りたい」と話した。

 境内では和裁用品の販売なども行われ、大いににぎわった。

2232名無しさん:2016/02/11(木) 11:47:06 ID:FjcA5.eI0
無病息災祈り初庚申 四天王寺・庚申堂
2016年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160209/20160209028.html

 えとの組み合わせで約2カ月ごとにめぐってくる「庚(かのえ)」「申(さる)」の日にちなんだ信仰行事、庚申(こうしん)まいりの内、1年で最初の「初庚申」が8日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・庚申堂で盛大に執り行なわれた。護摩たきなどが行われた境内は無病息災、家運繁栄などを祈願する大勢の参詣者でにぎわった。

日本の庚申信仰の縁起である同寺庚申堂には、徐災無病の霊験を持つ青面金剛童子が祭られている。古来、人々のあつい信仰を集めており、庚申まいりは2012年度に市指定無形民俗文化財に指定された。

 この日は、初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供がなされ、同寺僧侶をはじめ奈良県大峯山の修験行者が法弓、法剣といった作法で結界を清めた後、護摩壇に点火。護摩木にさまざまな所願を託した人々が、燃え上がる炎にじっと手を合わせた。

 今年は、4月8日、6月7日、8月6日、10月5日、12月4日に本庚申があり、各前日に宵庚申が執り行なわれる。

2233名無しさん:2016/02/12(金) 00:09:06 ID:kvwaKaLk0
大阪天満宮 梅酒を楽しむ催し
02月11日 12時24分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160211/5671731.html

全国各地の約100種類の梅酒を楽しめる催しが、大阪・北区の大阪天満宮で始まり、大勢の人でにぎわっています。
この催しは大阪天満宮で行われている盆梅展などにあわせて始まりました。
境内に設けられた会場には午前10時の開始前から大勢の人が詰めかけました。
高知県や山形県など全国各地から集まった約100種類の梅酒やリキュールを1杯100円から500円で楽しむことができます。
会場限定のオリジナルの梅酒や純米大吟醸を原料にしたふだんは高価な梅酒も並び、訪れた人たちはお目当てのものを探しては次々と飲み比べていました。
会場には全国各地のおでんを楽しめる屋台も設けられ、人気を集めていました。
訪れた人たちは「次は何を飲もうかワクワクします」と話しながら会場を巡り、「もう8種類目です。
全部美味しくて幸せな気持ちです」とほろ酔いかげんの人もいました。
この催しは今月14日まで開かれています。

2234名無しさん:2016/02/13(土) 12:29:33 ID:Mii5n1..0
大阪)「福者」右近に沸く 豊能町、活性化へPR作戦
2016年2月10日
http://digital.asahi.com/articles/ASJ256TL1J25PPTB00S.html?rm=355

 キリシタン大名の高山右近(1552〜1615)が今年1月、バチカン(ローマ法王庁)から「福者(ふくしゃ)」に認定された。カトリックで「聖人」に次ぐ崇敬の対象だ。右近の生誕の地・豊能町は喜びに沸き、「右近の故郷」を地域活性化につなげようと期待も高まる。

 右近は豊能町の高山地区で生まれ、幼少期を過ごした。地区には高山家の屋敷があったとされる場所に生誕の碑が立ち、母と言い伝えがある墓もある。妻の志野も豊能町余野地区の出身で、豊能とのゆかりは深い。

 右近没後400年だった昨年5月には、町民らが寄付を募って右近夫婦の石像を旧・高山小学校の跡地に建立した。寄付を呼びかけた町民有志の代表甲田広行さん(80)は「豊能町が聖地の一つになり、カトリック関係者を中心に町を訪れる人が増えるのでは」と福者認定を歓迎する。

 ログイン前の続き地区の自治会長を務める下野弘文さん(69)によると、福者の認定以降、数組が地区を訪れたという。「高山牛蒡(ごぼう)や高山真菜(まな)などの地域の特産物を知ってもらういい機会になる」。2014年からは右近の史跡巡りやクイズ、収穫体験などを楽しめる「右近の郷フェスタ」を開いており、今年も秋に開催予定だ。

 町観光協会は「ローマ法王が決定 祝 高山右近『福者』認定」との横断幕を作成し、今月から役場や駅前など町内6カ所で掲示を始めた。27日には町立ユーベルホールで講演会を開き、専門家が右近と郷土の関係などを解説する。榎谷靖司会長(60)は「右近が豊能出身だと知る人は少ないと思うので、積極的にPRしたい」と意気込む。

 地元の影絵劇団「おととえ座」は14日、右近の影絵劇を同ホールで上演する。福者認定を見据えて脚本を練り、信仰のために大名の地位を捨てた生き様を描いた。劇団の川村弥生代表(44)は「影絵劇で多くの人に右近のことを知ってもらい、郷土の偉人を盛り上げていきたい」と話す。

 町も昨年8月、PR策を検討するプロジェクトチームを立ち上げた。右近の名前を冠した日本酒を売り出す計画もあるという。(吉村治彦)

     ◇

 〈高山右近〉 父の影響で12歳の時に洗礼を受け、洗礼名はユスト。21歳で高槻城主となり、織田信長や豊臣秀吉に仕えた。黒田官兵衛ら多くの武将をキリスト教に導いたが、秀吉のバテレン追放令で信仰を捨てず、領地と財産を失った。徳川幕府の禁教令で1614年に国外追放され、翌年フィリピンのマニラで亡くなった。茶人としても名高い。

2235名無しさん:2016/02/14(日) 18:05:19 ID:ujSu.vKw0
大神輿復活、夏祭り練習スタート 住吉大社
2016年2月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160212/20160212031.html

 「べ〜ら、べ〜ら」-。大阪市住吉区の住吉大社で、大阪三大夏祭りの住吉祭に向けた練習がスタートした。今年は70年以上の時を経て復活する大神輿(みこし)の渡御があり、例年に比べ5カ月近く早い“初担ぎ”。「輿丁(よちょう)」と呼ばれる男衆の勇ましい声が寒風を吹き飛ばし、祭りムードが盛り上がっている。

■精鋭が集結
 「目方700貫(約2・6トン)」とも称される大神輿は現在のものより一回り以上大きく、担い棒だけでも1本11メートルで150キロ。今年1月に木部の修理が完了し、4月17日にはお披露目が予定されている。

 7日昼に始まった初練習には、安立、東粉浜、堺の3地域の神輿会から精鋭約100人が集結。まずは結び目を作らない「男結び」で大神輿に横棒や担い棒を縄でくくりつけていく。縄を締め上げる男衆の額からはじんわり汗。

 堺神輿会若頭長の芝辻益博さん(42)は「心待ちにしていた大神輿。2月だからといって寒いという人は誰もいない」と目を輝かせる。

 西日が差し始めたころに安立神輿会若者頭の中野光典さん(43)の号令で、いよいよ担ぐ練習へ。輿丁が担い棒に肩を入れ「べ〜ら、べ〜ら、べらしょっしょい」。第一本宮前まで移動して神輿を高々と差し上げると参詣者から歓声が上がった。

 飾り金具などは修繕中で本来の姿ではないが、「やっぱり担げた、いける」と中野さん。集まった「精鋭」の力強さにうなずきながらも、「新しい輿丁らが入ったときにどうなるか。練習はこれから」と気の緩みはない。

■「地域の力」
 神輿の練習はこれまで閉門後に行っており、参詣者が自由に見学できるのも今年ならでは。3月は2回行い、4月のお披露目以降も継続する予定。輿丁も随時募集している。

 東粉浜神輿会・若者頭の田中努さん(52)は「大神輿は地域の力の結晶。住吉祭りをもっと多くの人に知ってもらえるように頑張っていきたい」と話していた。

 住吉大社の大神輿 1881(明治14)年奉納。「住吉祭の象徴」として長く担がれたが、1941(昭和16)年、戦争を背景に渡御は中止。2005年に新調した神輿で渡御が再開され、地域からは大神輿の復活の声が上がっていた。地元有志が修繕費用3千万円を確保し、13年から京都と富山で修理が行われ、今夏の住吉祭での復活を目指している。

2236名無しさん:2016/02/14(日) 20:01:05 ID:ujSu.vKw0
道真公に思いはせ てんま天神梅まつり
2016年2月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160212/20160212032.html

 樹齢約300年の古木をはじめ各種銘木や盆石などを集めた「盆梅と盆石展」が11日、大阪市北区の大阪天満宮参集殿で始まった。白やピンクの花を咲かせた盆梅が、書院造り百畳敷きの会場で優美なたたずまいを見せている。3月13日まで。

菅原道真公が梅を愛(め)でた御心に思いをはせてもらおうと、2004年から「てんま天神梅まつり」と題して、毎年梅にまつわる催しを開催。そのメーンとして盆梅の展示を行い、昨年から和歌山県みなべ町の瓜渓石同好会の協力を得て、20の盆石も展示している。

 盆梅は約60点で、来場者は「かわいらしいなあ」「ええにおい」と目を細めながら観賞していた。来週末ごろに満開になり、見頃を迎えるという。

 浜辺で子どもたちに文字を教える道真公の姿が描かれた「天神画像」などの掛け軸5点も展示しており、土日祝日はボランティアガイド「天満天神御伽衆(おとぎしゅう)」が説明する。

 午前9時半〜午後4時。大人(中学生以上)500円、小学生300円、幼児無料。

2237名無しさん:2016/02/19(金) 04:37:45 ID:cGApVV4c0
春、そこまで  松山神社の梅開花
2016年2月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160218/20160218038.html

 大阪市内は17日、雲が広がったものの、時折、穏やかな日が差した。二十四節気の「雨水」を前に約100本の梅がある大阪市東淀川区の松山神社では梅の花が咲き始め、参拝客を楽しませている。

この日の市内は、気圧の谷が通過して寒気が流れ込んだために気温が上がらず、最高気温は9・6度(平年10・5度)と、1月中旬並みとなった。

 菅原道真をまつる同神社の境内では、あちらこちらで梅が開花。青空が広がった午前中には次々と地域住民が訪れ、空の青と、ピンクや赤の花のコントラストを堪能していた。同神社の国井政宏宮司は「次の日曜(21日)が見ごろになりそう。遅咲きの梅もあるので、3月も楽しんでもらえるのでは」と話していた。

2238名無しさん:2016/02/20(土) 19:17:43 ID:zcaIKSJ.0
勝利まで動じぬ心
2016年02月19日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160218-OYTNT50351.html

本格的な受験シーズンを迎え、箕面市の勝尾寺では「勝ちダルマ」が合格祈願に訪れた受験生らの人気を集めている。だるまは胴に大きく「勝」の字が記され、11センチから75センチまでの10種類。願いが成就した後、寺に奉納する。

 同寺の勝運信仰は、平安時代にまで遡るという。同寺の執事、小嶋隆文さん(35)は「苦しい時もあるでしょうが、願いを込めただるまを自分自身だと思って七転び八起きの気持ちで頑張ってほしい」とエールを送る。

2016年02月19日

2239名無しさん:2016/02/24(水) 21:44:41 ID:wCllzgKE0
豊竹嶋大夫さんが最後の舞台 「一生懸命つとめ、満足」
2016年2月22日 21:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160222/20160222131.html

 人形浄瑠璃文楽太夫で人間国宝の豊竹嶋大夫さん(83)の引退公演が22日、東京・国立劇場で千秋楽を迎えた。終演後に報道陣の取材に応じた嶋大夫さんは「長い間ありがとうございました。一生懸命につとめたことだけは自分でも満足しております」と語った。

最後の演目「関取千両幟」で関取の夫を思いやる女房の思いを味わい深く語ると、満員の場内には大きな拍手が鳴り響いた。舞台上で行われた引退セレモニーでは、三味線の人間国宝、鶴沢寛治さんから花束を贈られ、固く握手。さらに人形遣いの人間国宝、吉田簑助さんからも花束を贈られ、人形と抱き合った。

2240名無しさん:2016/02/25(木) 04:17:10 ID:wCllzgKE0
皇太子さまの健勝祈り矢放つ 高津宮で的祭神事
2016年2月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160224/20160224037.html

 皇太子さまが56歳の誕生日を迎えられた23日、大阪市中央区の高津宮(高津神社)で「的祭(てきさい)神事」が執り行われた。小谷真功宮司らが盾型の的に矢を放ち、弥栄(いやさか)を祈念した。

同宮では、仁徳天皇を主祭神として祭っており、神事は皇太子さまが誕生された1960年から毎年実施されている。

 産湯につからせる際に、魔よけのために弓を鳴らしたことから、神事では大阪府弓道連盟の有志による射が行われている。また、仁徳天皇に高麗から献上された鉄盾と鉄的を使者の前で射抜いたという「日本書紀」の記述にのっとり、盾型の的を用いている。

 小谷宮司と府弓道連盟の有志8人が伝統の所作で約20メートル先の的を射抜くと、境内に集まった観覧者からは感嘆の声がもれていた。

2241名無しさん:2016/02/27(土) 20:13:59 ID:e1f6odRw0
お雛さま、船場を染める 貴重なひな飾りなど公開
2016年2月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160227/20160227043.html

 大阪・船場ゆかりの旧家に残る貴重なひな飾りなどを公開する催し「春の船場博覧会『船場のおひなまつり』」が26日、大阪市中央区の登録有形文化財の建造物などで始まった。多くの人が、大阪の経済や文化を育んできたまちの面影を楽しみながら各会場の展示などを満喫している。3月3日まで。

 華やかな企画を通じて船場の歴史や文化に触れてもらおうと実行委が開いた。メーンの「船場のお雛(ひな)さま展」は北船場ゆかりの五家(新井家、生駒家、鷹岡家、芝川家、別所家)が4カ所で戦前の貴重なひな飾りを公開。“神農(しんのう)さん”の呼び名で知られ、別所家が代々宮司を務める少彦名(すくなひこな)神社(別所賢一宮司)では、明治期の作と伝わる人形のほか茶道具など小さな道具類も並び、訪れた人々が一様に目を細めて見入っている。

 4会場を巡った天王寺区の女性(67)は「どこも趣向を凝らした内容で楽しめた。友人を誘ってまた来たい」と話していた。

 4会場とも見学自由。周辺の老舗各店などで期間限定サービスや関連

2242名無しさん:2016/02/27(土) 22:22:49 ID:DRtkK5jU0
ここにも五代さまゆかりの地 邸宅跡は大阪科学技術センター 
http://www.sankei.com/region/news/160226/rgn1602260077-n1.html

NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍脚光を浴びた五代友厚(1836〜85年)がかつて住んでいた邸宅の跡地に、大阪科学技術センター(大阪市西区)が建っているのをご存じだろうか。現在の大阪商工会議所の設立などに奮闘していた明治4〜17年に居住し昭和35年に取り壊された。“五代さま”ブームにあやかり企画展を準備していたところ、近隣住民が譲り受けた邸宅の鬼瓦も今月「発見」され、新たな注目を集めている。

 同センターが運営する大阪科学技術館の企画展「五代友厚公ゆかりの地〜五代友厚邸跡に建つ大阪科学技術センター〜」で展示中の鬼瓦は、縦約40センチ、横約55センチ、高さ約30センチで、力強い目に鋭い角が印象的だ。明治4〜17年に五代が住んでいた邸宅に使われていた。

 同館によると、朝ドラの影響で五代に注目が集まる一方、この邸宅跡はほとんど知られず、各団体が発行する朝ドラゆかりの地マップでも紹介されていない。

 そこで、同館も五代と縁があることを広く知ってもらおうと、企画展の開催を準備していたところ、同館の近くに住む会社社長、西保吉裕(さいほ・よしひろ)さん(63)が五代邸の鬼瓦を所有していることを偶然知り、合わせて展示することになった。

 西保さんは五代邸の向かいにある住宅で生まれ育った。鬼瓦は小学校低学年だった昭和35年、五代邸を取り壊す際に祖母が記念に譲り受けたものという。取り壊し前に一度、西保さんも邸宅に入った。「とにかく大きくて、襖(ふすま)の向こうに可動式の隠し階段があり、忍者屋敷みたいだった」と懐かしそうに振り返る。

 同館などによると、五代は市内で6回にわたり転居。邸宅に住んでいた当時は、五代の人生で特に激動の時代だったという。

 明治11年には大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立し初代会頭に就任したほか、大阪株式取引所(現・大阪取引所)を設立。13年には大阪商業講習所(現・大阪市立大)、17年に大阪商船(現・商船三井)を設立するなど、大阪経済の復興に大きな功績を残した。

 五代邸の写真付き資料などを展示する企画展は入場無料。午前10時〜午後5時(日祝は午後4時半まで)。問い合わせは同館(電)06・6441・0915。

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2243名無しさん:2016/03/07(月) 22:58:03 ID:FUOGSy8I0
大正琴の調べ 水墨画奉納 てんま天神梅まつり
2016年3月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160306/20160306030.html

 「てんま天神梅まつり」が開かれている大阪市北区の大阪天満宮で5日、奉納する梅の水墨画のライブペインティングが行われた。大正琴の調べとともに、流れるように梅が描かれていく様子が多くの参拝者を魅了した。

水墨画の奉納は、NPO法人アジア文化芸術連盟会長で水墨画家の李鴻儒(りこうじゅ)さんと、琴伝流大正琴の前垣有紀さんが行っており、ことしで12回目。演奏には、尺八とケーナ奏者の山田聡さん、ドラムの原口裕司さんも加わった。ライブペインティングは本殿で行われ、幻想的な音色とともに、李さんと水墨画講師6人が流れるように筆を操った。

 李さんは「自分が表現したいことを描くのが水墨画。梅は私たちの鏡になっている」と出来栄えを表現した。前垣さんは「お客さんとの距離が近く、楽しい演奏ができた」と話していた。

 水墨画は6日も制作を続け、幅約10メートルの大作に仕上げて奉納する。

2244名無しさん:2016/03/08(火) 00:30:29 ID:FUOGSy8I0
浅野内匠頭も宿泊しました 大阪・茨木の郡山宿本陣「春の特別公開」始まる
http://www.sankei.com/west/news/160306/wst1603060036-n1.html

江戸時代、日本地図をつくった伊能忠敬(ただたか)や「忠臣蔵」の浅野内匠頭(たくみのかみ)ら多くの歴史上の人物が宿泊した大阪府茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」の春の特別公開が始まった。入館無料。13日まで。

 郡山宿は江戸時代、西国街道の主要な宿場として栄えた。郡山宿本陣は参勤交代の西国大名や公家、幕府役人、高僧らが休憩や宿泊に使った。保存されている宿帳には、宿泊者名簿やお供の人数、料金などが記録されている。

 邸内に大きなツバキの木があることから「椿の本陣」とも呼ばれ、御成門(おなりもん)や大名が泊まった「上段の間」がある座敷、母屋、茶室、米蔵などが残る。

 期間中、企画展「宿帳にみる世相のいろいろ〜郡山宿本陣でのできごと〜」が開催されているほか、6、13日には本陣当主、梶洸(たけし)さん(93)らによる本陣内の案内・解説、12日には茨木市学芸員の講座がある。

2245名無しさん:2016/03/10(木) 00:54:11 ID:kfRj6B0A0
芸術選奨にオール阪神・巨人
03月09日 16時58分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160309/3518011.html

芸術の分野で優れた業績をあげた人に贈られる文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」の大衆芸能部門に、漫才コンビ「オール阪神・巨人」の2人が選ばれました。
平成27年度の文化庁の「芸術選奨文部科学大臣賞」には、芸術の各分野で活躍する19組が選ばれました。
このうち、大衆芸能の部門は、漫才コンビ「オール阪神・巨人」のオール阪神さんとオール巨人さんが選ばれました。
2人は、昭和50年にコンビを結成し、以来、上方伝統のしゃべくり漫才で人気を集め、高い実績を残してきました。
去年、大阪と東京でコンビ結成40周年の記念公演を行い、その場で披露した「ボケ」と「ツッコミ」を瞬時に入れ替える巧みな話芸が、高く評価されたということです。
芸術選奨の贈呈式は、今月15日に東京都内のホテルで行われます。
大衆芸能部門に選ばれた「オール阪神・巨人」のオール阪神さんは、「ほんまに降ってわいたようなありがたい賞です。若いときにもらうのと、この歳になってもらうのとでは違いますね。家族に対してもええ顔できます。お父ちゃんが『すごかったんや』と思ってもらえます」というコメントを発表しました。
また、オール巨人さんは「最初、『ほんま?』と思いましたけれど、うれしかったです。40年やってきてあとはゆっくりと思ってたんですが、こんな賞をいただくともうひと頑張りせないかんなと思います。改めて責任感が増しました」というコメントを発表しました。

2246名無しさん:2016/03/11(金) 00:58:13 ID:gEHETi7I0
文楽の吉田文雀さんが引退 人間国宝の人形遣い
2016年3月10日 12:10
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160310/20160310051.html

 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田文雀さん(87)が10日、現役を引退すると発表した。高齢のためで、昨年1月の公演が最後の舞台出演となった。

文雀さんは1945年に入門。吉田簑助さん(82)と並ぶ女形の第一人者で、老人や武士まで幅広い役柄を手掛けた。94年に人間国宝に認定。知識が豊富で「文楽の生き字引」と言われ、公演で人形の首を割り振る「首割」を長年務めた。

 文雀さんは、文楽協会などを通じ「何より好きなただ一つの道だけを70年にわたって勤められたことは、幸福以外の何物でもございません」とコメントを出した。

2247名無しさん:2016/03/15(火) 04:26:02 ID:Zsbcn8EE0
文楽の語り手 芸名も太夫に
03月14日 16時41分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160314/3682231.html

人形浄瑠璃「文楽」の世界では、一般的な語り手を示す「太夫」ということばは「太い」という文字、芸名は「大きい」という文字が使われてきましたが、文楽協会などは、義太夫節で知られる江戸時代の竹本義太夫にならっておよそ60年ぶりに「太い」という字に統一すると発表しました。
文楽の世界では、一般的な語り手を示す「太夫」は「太い」という字を使いますが、それぞれの芸名は「大きい」という字を書き、人間国宝の竹本住大夫さんや豊竹嶋大夫さんの名前も大きいという字を使っています。
これは、昭和28年ごろから、歌舞伎などのほかの芸能で使われる「太い」という字の「太夫」と区別するために始まった習わしという説があります。
しかし、文楽の起こりとされる義太夫節で知られる江戸時代の初代竹本義太夫にならって「太い」という字にそろえたいという声が技芸員からあがり、文楽協会などはおよそ60年ぶりに、「太い」という字に統一することを決めました。
担当者は「なぜ違うのかと尋ねられることも多く、これで分かりやすくなると思います」と話しています。
文楽を上演する大阪・日本橋の国立文楽劇場は、来月2日に初日を迎える春の公演から表記を統一することにしています。

2248名無しさん:2016/03/17(木) 04:13:40 ID:vFBsHS8E0
寺町文化が息づくまち 天王寺探訪(上)
2016年3月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160316/20160316042.html

 四天王寺をはじめ約200の社寺が集まる天王寺区は、京都をもしのぐ寺町でもある。その寺院の町に、20年続く春恒例の催しがある。年に一度、全国から劇団やパフォーマーが集まる「なにわ人形芝居フェスティバル」だ。

■寺院の役割

 催しが始まったのは1996年。前年に阪神大震災が起き、その年の3月には東京都内でオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した。区内にある劇場「一心寺シアター倶楽」の事務局長で、企画の立ち上げに関わった脚本家の秋山シュン太郎さん(58)は「悩める若者が事件に関与していた。今まで宗教は何をしていたんだというバッシングが起こった」と当時の世相を振り返る。

 「寺だからこそ、できることがあるのではないか」というのが、フェスティバルを始めたきっかけ。教育施設としての「寺子屋」、悩みを相談できる救済施設としての「駆け込み寺」、さらには芸能表現の場など、寺院にはもともと、さまざまな役割があった。

 「寺はコミュニティーの場。喜怒哀楽がなければいけない」。当時の一心寺の住職の言葉も秋山さんらの取り組みを後押しした。

■戦後と重なる

 「境内を貸していただけないでしょうか」。20年前、寺院に協力を申し出ると、寺町の中心的な世話役だった長老が厳しい表情ながら、おもむろに口を開いた。「(阪神)大震災におびえる子どもたちが、戦争で焼け出された子どもたちとダブる」

 聞けば、戦後まもなく、プロの人形劇団に人形の操作を学び、慰問活動をしていたのだという。「ぜひやりましょう」。長老の後押しでフェスティバルの実施が決まった。

■ロケーション

 フェスティバルの舞台、下寺町は、坂の多い上町台地の西側、南北約1キロに約30の寺院が並ぶ異空間。高度な技でマリオネットを操る人形劇の面白さと、寺町ならではのロケーションを同時に味わえるのも、このフェスティバルの特長だ。

 回を重ね、現在では1日の参拝客1万5千人のうち、半数はフェスティバルの観客。「子どものころに楽しんだ」という20代の若者が子どもを連れて訪れることも多いという。

 大道芸や音楽ライブなどの路上企画、オリジナル雑貨などを体験できる「手作り市」、スタンプラリーやコスプレイベントなどもある。今年は4月3日。20都道府県の25劇団が参加する。

 「地方色豊かな公演が楽しめますよ」。秋山さんが穏やかな笑顔で来場を呼び掛けた。

   ◇  ◇   

 戦国時代末期から江戸初期にかけ、都市整備で大坂城南に寺院が集められたのが寺町の起源。聖徳太子にゆかりのある古いまちの新たな取り組みを紹介する。

2249名無しさん:2016/03/18(金) 00:49:29 ID:aA6UXrXM0
春日大社で文楽の成功祈願
03月17日 19時55分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160317/3382281.html

飛鳥時代の奈良を舞台にした人形浄瑠璃「文楽」の公演が来月、大阪の国立文楽劇場で行われることになり、関係者がゆかりの深い奈良の春日大社を訪れ、成功を祈願しました。
春日大社を訪れたのは、文楽の人形遣いの吉田玉男さんや、三味線の人間国宝、鶴澤清治さんなど5人です。
神職のおはらいを受けたあと、玉男さんが登場人物の人形を操って玉串をささげ、公演の成功を祈りました。
来月2日から公演が始まる「妹背山婦女庭訓」は、飛鳥時代の大化の改新を題材に、恋の物語を織り交ぜた人気の高い作品です。
神の遣いとされる春日大社の鹿の話も登場するなど春日大社ともゆかりが深く、20年に1度の「式年造替」が行われているのを記念して公演されることになりました。
参拝を終えた玉男さんは「身が引き締まる思いです。神様から人形にいただいた力を舞台で発揮したい」と話していました。

2250名無しさん:2016/03/18(金) 00:58:31 ID:aA6UXrXM0
寺町文化が息づくまち 天王寺探訪(中)
2016年3月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160317/20160317027.html

 四天王寺をはじめ約200の社寺が集まる大阪市天王寺区では、立地を生かした新しい取り組みも始まった。伝統文化の「体験学習会」がその一つ。「子どもたちが文化に触れられる貴重な機会」と保護者らにも好評だ。

■達人集まる
 寺院が密集する生玉町や下寺町が校区にある夕陽丘中学校では、寺に縁が深い茶道や華道をはじめ、和の文化の学習会が開かれている。講師は地元で活動する師匠ら。人間国宝も住む土地柄で、福山英利校長は「これだけ達人が集まるのは、天王寺区の特色ではないか」と話す。

 今年2月の体験会では、茶道や華道の他、日本舞踊、和菓子作り、琴など計10講座が開かれた。和菓子作りでは、練り切りと呼ばれる生地をベースに男びなと女びなを製作。参加した2年の女子生徒(14)は「季節感を勉強できてよかった」と喜んだ。

■相乗効果
 かつて、「豪商」と呼ばれた船場の商人が邸宅を構えた地。船場の木綿問屋の四姉妹を描いた谷崎潤一郎の小説「細雪(ささめゆき)」の舞台にもなり、天王寺公園にある市立美術館は住友家の本邸跡地に建つ。

 舌の肥えた旦那衆を相手にしてきたのが、創業90年を迎えた和菓子の老舗「本松葉屋」。職人で社長の松下雄一さん(50)も体験学習会の講師で、夕陽丘中のPTA役員時代に会を発案した一人でもある。

 「若い子たちにもらったエネルギーを仕事の糧にしている」と松下さん。和の体験学習会は、指導側にも相乗効果を生んでいる。

■文教地区
 寺町に由来する落ち着いた住環境が受けてか、昨年の国勢調査の速報値によると、5年間に区の人口が8・4%増えた。子育て世代の流入も念頭に、区は「日本一の文教地区」を旗印に教育施策の充実を進めている。

 英語での対話能力や論理的思考の向上を目指した「即興型ディベートスクール」、外国人留学生との相互理解を図る「国際交流カフェ」など、中高生を対象に、英語をツールにした事業を積極的に展開。医療やロボット開発の現場を中高生が体験する「就業体験事業」にも取り組んでおり、区未来人材育成担当の北吉秀輔課長は「これからも教育のニーズにしっかり応えたい」と話している。

2251名無しさん:2016/03/19(土) 05:19:18 ID:g3SDvGAU0
寺町文化が息づくまち 天王寺探訪(下)
2016年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160318/20160318021.html

 寺町の風情を生かしたガイドツアーが人気だ。大阪城に近く、以前から人気のエリアだったが、大坂の陣から400年を迎えた2014〜15年には歴史関連のイベントが花盛り。今年1月にはNHK大河ドラマ「真田丸」の放映もスタートし、さらに注目を集めている。

■感性くすぐる

 「時の権力者に対する真田幸村の姿勢が人々の感性をくすぐる。(四天王寺を建てた)聖徳太子にも同じことが言えるのではないか」。歴史の魅力をそう解説するのは、心斎橋生まれ、天王寺育ちの郷土史研究家、松村基さん(79)だ。

 幸村最期の地と伝わる安居神社や大坂城への抜け穴伝説が残る三光神社、幸村親子の冥福を祈って建てられた心眼寺など、区内には幸村や大坂の陣にゆかりの史跡が数多く現存。約200を数える区内の社寺にも、人形浄瑠璃の竹本義太夫や作家の井原西鶴ら江戸時代に活躍した文化人の墓所が点在する。

■一気に増加

 松村さんが講師や案内役を務める「てんのうじ観光ボランティアガイド協議会」は、「大坂の陣」「四天王寺」のほか、幕末に活躍した新撰組や作家の織田作之助にもゆかりが深い「天王寺七坂」など11のモデルコースを設定する。

 事務局に当たる大阪市コミュニティ協会天王寺区支部の担当者は、大坂の陣400年や真田丸の放映などを背景に「この2、3年で旅行業者からの問い合わせが一気に増えた」と話す。一コースに、定員の1・5倍以上150人の申し込みがあったり、観光バス数台に分乗して参加するツアー客もいるという。

 松村さんのガイドツアーに参加した経験のある主婦(61)は「とにかくドラマチック。情景が目に浮かぶようで楽しかった」と振り返る。

■まだまだ人気

 大阪唯一の丘陵地で、大阪市の中央を南北に貫く上町台地。古くは海に突き出た半島状だったことから「西方にある浄土を向いて、心を清算するところだった」(松村さん)という。沈む夕日に極楽往生を願う修行「日想観」という行事が四天王寺にあるのも、往時の浄土信仰の名残だ。

 昨年11月には、大阪市などが官民共同で「大河ドラマ『真田丸』大阪推進協議会」を立ち上げ、地域活性化に取り組んでいる。“歴史の街”天王寺の人気はまだまだ続きそうだ。

(おわり)

2252名無しさん:2016/03/21(月) 00:50:45 ID:Ogr2nMGg0
古市古墳群周辺を清掃して歩く
03月20日 18時42分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160320/3734881.html

大阪の羽曳野市と藤井寺市にある古市古墳群の周辺で、清掃活動をしながら歩くイベントが開かれました。
出発地点の羽曳野市の古市駅前には約100人が集まりました。参加した人たちは、ごみ袋などを持って十の古墳をめぐる総延長5キロのコースを歩きました。5世紀のものとみられる白鳥陵古墳では、日本書紀に日本武尊と古墳のある場所との関係が書かれていることを担当の職員が説明しました。
立ち入りが認められている藤井寺市の古室山古墳では、古墳にのぼってごみを拾い集めました。
参加した人たちは、「古墳の数が多く大きいことに驚きました」「せっかくの古墳なので大事にしていきたい」などと話していました。
藤井寺市世界遺産登録推進室の山田幸弘室長は、「古墳群をきれいに守り伝えていくことが世界遺産へのきっかけになればと思います」と話していました。

2253名無しさん:2016/03/21(月) 22:41:10 ID:6Oir4s/g0
旭堂南陽のブラリ講談 歴史あるき
北摂の武将を訪れる
2016年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/rekiwalk/160319/20160319051.html

キリシタン大名高山右近

北摂の武将で中川清秀と並んで有名なのが、高山右近。その右近が1月には大きなニュースとして世界に発信されました。発信元はバチカン。高山右近が「流刑や追放の責め苦を受けながら一生を神にささげた者」として福者に認定されたんです。福者はカトリック教会で最高位の崇拝対象となる聖人に次ぐ称号で、マザー・テレサなども認定されているすごい称号なんです。

 そんな右近の生まれは摂津国高山(現在の豊能町高山)。父が松永久秀に従って大和国宇陀(現在の奈良県宇陀市)にあった沢城主になっていた関係で、6歳のときに同城に移り住み育てられました。

 父親の高山友照は勇猛果敢な男で教養もあり、領民たちの人望も集めた方。そんな父がある日帰ってくると、「今日はすごくいい話を聞いた」と家族に話し始めました。「ロレンソ了斎という琵琶法師がキリスト教を布教するために奈良にやってきた。それを快く思わない久秀様が寺の僧侶と問答されることになった。わしはそこに居るように言われたんじゃが、何ともキリスト教というものはすごいものじゃ。わしは感心をした。もっとキリスト教のことを教えてもらうためにロレンソをこの城に呼ぶことにした」。ロレンソから話を聞き、来日していた宣教師ガスパル・ヴィレラから家族一同で洗礼を受けることになりました。右近の洗礼名はジュスト。

 しかし、時は戦国時代。群雄割拠のその中で高山家は二転三転信長に仕える事になり、その家来の和田惟政が城主の高槻城に入りました。そこで起こったのが、清秀の項で書いた白井河原の戦い。これにより惟政が討死し、その子・惟長が城主となり相談役には友照が就きました。しかし、友照をよく思わない家臣が和田家にはゾロゾロいる。ここで事件が起こります。友照・右近親子に「話し合いがしたい」と惟長からの書状が届いたのです。

◆出演情報 「旭堂南陽と行く講談ウオーキング〜五代友厚、活躍の地を歩く」 29日午後1時半から約2時間、地下鉄阿波座駅集合。料金2700円。問い合わせは電話06(6941)1112、よみうり天満橋文化センター。

2254名無しさん:2016/03/21(月) 23:09:37 ID:6Oir4s/g0
鳥居越しに西方の神秘 四天王寺で日想観
2016年3月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160321/20160321036.html

 春分の日の20日、真西に沈む夕日を拝む彼岸の伝統行事「日想観(じっそうかん)法要」が大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で執り行われ、多くの参詣者が静かに手を合わせた。

同寺は上町台地上にあり、約1400年前には以西に海が広がっていた。西の方角に極楽浄土を思い浮かべ、信仰したことに由来する修行の一つ。

 春・秋それぞれ彼岸の中日に、境内西側の「石の鳥居」中央に夕日が落ちることで知られ、毎年多くの参詣者が神秘的な光景を見届けている。

 日没前の午後5時半ごろ、西大門(極楽門)近くでは僧侶が参集し、読経などをして法要を営んだ。参詣者も一様に西を向き、夕日に染まる中で真言を唱えた。

 親子で訪れた神戸市灘区の主婦(45)は「母とただ無心で手を合わせた。こういう時間を持つことが大切だと思います」としみじみ話した。

 この日は天候にも恵まれ、境内は墓参りなど多くの人出でにぎわった。

2255名無しさん:2016/03/26(土) 07:24:10 ID:4MeXlipA0
「うめだ文楽」25日開幕
更新:03/25 07:51
http://www.mbs.jp/news/kansai/20160325/00000031.shtml

文楽の魅力を伝えようと、大阪の5つの民放局が共同で企画・制作する「うめだ文楽」公演が、25日から始まるのを前に通し稽古が行われました。

「また泣かすのかい・・・」

「うめだ文楽」は、関西発祥の文楽を身近に親しんでもらおうと、大阪の民放5局が共同で企画、制作していて、今回が2回目です。

 大阪市から補助金制度の見直しが行われ、文楽協会では観客動員数を伸ばすことが求められていますが、「うめだ文楽」では浄瑠璃も人形使いも、20代から40代の若手が務め、幅広い世代にわかりやすい演目を選んでいるということです。

「うめだ文楽」の公演は、25日から3日間、グランフロント大阪のナレッジシアターで行われます。

2256名無しさん:2016/03/27(日) 04:16:52 ID:4110Adyc0
水無瀬神宮 国登録文化財に
2016年03月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160322-OYTNT50321.html

◇本殿や拝殿 1か所5件 文化審答申

 国の文化審議会が文部科学相に行った答申で、府内からは水無瀬神宮(島本町広瀬)の本殿など1か所5件が登録有形文化財に選ばれた。これで、府内の登録有形文化財(建造物)は224か所619件となる。

 同神宮は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて後鳥羽天皇が造営した、水無瀬離宮の跡地にある。客殿と茶室は1926年に重要文化財に指定されており、今回は残る本殿などが登録される。

 本殿は、江戸時代初めの明正(めいしょう)天皇の時代に三種の神器を安置していた「内待所(ないしどころ)」を移築したとされ、府教育委員会によると「歴史的経緯や、簡素ながら風格ある意匠が評価された」という。ほかに、29年に建てられた拝殿や幣殿、大正期の手水舎(ちょうずしゃ)などが選ばれた。

 また、重要文化財(美術工芸品)には奈良時代の高僧、行基(668〜749年)が築いたとされる大野寺跡(堺市中区)の出土品など6件を指定、泉穴師神社(泉大津市豊中町)の木造神像72体を追加指定した。

2016年03月23日

2257名無しさん:2016/04/03(日) 12:47:21 ID:u7h.iwGQ0
稽古安全に感謝 住吉大社で土俵祭「昇神之儀」
2016年3月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160328/20160328025.html

 大相撲春場所が千秋楽を迎えた27日、立浪部屋の稽古場がある大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で場所中の稽古安全を相撲の守護神・住吉大神に感謝する土俵祭「昇神之儀」が執り行われた。力士衆が御幣を抱いた神職を胴上げし、修行成就を祈願した。

住吉大社によると、平安時代より同社では神事相撲が行われた記録があり、力士の最高位の「横綱」の起源は住吉相撲会とされるなど、ゆかりが深い。

 境内の稽古場ではファンが見守る中、神職が土俵に神酒をささげた。権禰宜(ねぎ)の岡康史さんが「来年、大阪に来られたときは、たくさんの力士が誕生していることを祈念します」とあいさつ。一同の大阪締めに続き、稽古を見守った神さまを天へ送る意味を込め、神職の増田椋太さんを力士衆が「えいえいおー」の掛け声で持ち上げて儀式を締めくくった。

 立浪部屋は2007年から春場所中の部屋を境内に構え、場所中は、近隣の幼稚園児を招くなど、地域と交流。土俵祭は12年から執り行っている。

2258名無しさん:2016/04/03(日) 12:52:20 ID:u7h.iwGQ0
秘蔵 重文神像写真展…泉穴師神社の80体
2016年04月01日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160331-OYTNT50345.html

◇泉大津、5日から

泉大津市は、同市豊中町の泉穴師(いずみあなし)神社に安置されている神像80体の写真を5〜12日、市役所ロビーで展示する。同神社の神像は、既に重要文化財に指定されていた8体に加え、3月に72体の追加指定が決まり、重文指定の神像数としては京都市の大将軍八神社と並び全国最多。これまで一般に公開されたことはなく、市教委は「地元の貴重な文化財に関心を持ってもらいたい」としている。

 泉穴師神社の主祭神「栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)」は織物の神として、地場産業の織物業界などから信仰を集めている。市教委によると、神像は平安時代後期から鎌倉時代(12〜13世紀)につくられたヒノキ材の一本造による座像で、高さ58・1〜8・8センチ。8体は1950年に重文指定され、72体も今年3月、国の文化審議会が追加指定するよう答申した。

 男神像44体は大半が巾子(こじ)冠、上着の「袍(ほう)」姿。女神像36体は「垂髪(すべらかし)」という髪形で、大袖衣を着用する。多くに赤や緑の彩色文様が残り、金色の像もある。X線のCT撮影で年輪を調べたところ、同じ木から男女一対、または3体一組で彫られていたことが判明。貴重な神木が材料のため、同じ木から複数体をつくって節約した可能性があるという。

 市教委によると、仏像の多くが公開され、学術調査もされているのに対し、神像は神職らにしかなじみがなく、不明な点が多い。全国で数百体しか確認されておらず、なぜこれほど多くの神像が泉穴師神社にあるのかもわかっていない。市教委は「今後さらに神像研究が進み、文化的価値が高まれば」と期待している。

2016年04月01日

2259名無しさん:2016/04/03(日) 17:10:24 ID:u7h.iwGQ0
【都市を生きる建築(58)】
金融街に誕生した“カップルの聖地”…オペラ・ドメーヌ高麗橋
http://www.sankei.com/west/news/160402/wst1604020012-n1.html

御堂筋と堺筋のちょうど真ん中を南北に通る三(さん)休(きゅう)橋筋は、沿道に歴史的建築が多く残る通りで、本連載でも既にグランサンクタス淀屋橋と重要文化財の綿業会館を取り上げた。今回は高麗橋の交差点に建つオペラ・ドメーヌ高麗橋(高麗橋ビル)をそれに加えたい。

 大正元年に完成した赤煉瓦の外観は、ちょうど三休橋筋の北詰にアイストップのように建つ、中之島の中央公会堂と印象が似ている。白い御影石で帯を幾重にも回す意匠も同じだ。それもそのはずで、この建物を設計したのは建築家・辰野金吾が片岡安と共同で設立した辰野片岡事務所。辰野は中央公会堂の監修者であり、片岡は岡田信一郎という若手建築家の案をもとに、実施設計を担当した。一街区北に建つグランサンクタス淀屋橋も、最初の建物は彼らの設計によるものだし、中之島には辰野金吾の代表作のひとつである日本銀行大阪支店がある。辰野は首都東京を拠点に活躍した建築史上の偉人だが、近代における彼の影響は、大阪においても大きかったことがよくわかる。

http://www.sankei.com/west/news/160402/wst1604020012-n2.html

金融街という立地もあって、最初は大阪教育生命保険の社屋として建てられた。戦後は長らく証券会社が入っていたが、2002(平成14)年に高級フレンチレストランが本店を構えた際に内部を大きく改修し、現在はオペラ・ドメーヌ高麗橋というブライダル会場として活用されている。2013年度には地域の協議会のサポートを得て外観の改修を実施、レストランへと改修した際に開かずの窓となってしまった三休橋筋に面する窓枠に照明を仕込み、沿道の夜の賑わいづくりに一役買っている。そして屋根裏にずっと眠っていた色鮮やかなステンドグラスが、改めて正面玄関に据えられた。以前から古い教会での結婚式は人気があったが、近年は中央公会堂や綿業会館など、レトロな近代建築で式を挙げるカップルが増えているようで、週末になるとオペラ・ドメーヌ高麗橋には新郎新婦を中心に祝福の輪が広がり、北船場の街並みに彩りを添えている。

2260名無しさん:2016/04/03(日) 17:11:31 ID:u7h.iwGQ0
 三休橋筋と直交する高麗橋通は、その名が示す通り東横堀川に高麗橋が架かり、江戸時代から東の大阪城へと至る目抜き通りであった。越後屋が大阪に両替商を構えたのも高麗橋通で、堺筋には三越百貨店と三井銀行が建つなど、北船場のなかでも格式の高い通りといわれている。しかし近年はかつての活気が失われ、長らく停滞期が続いていた。それが2000年代の後半くらいから、地域と大学や行政が協働して、近代建築などの文化遺産を活かした地域活性化に取り組み始め、オペラ・ドメーヌ高麗橋も催しに建物を開放するなど、歴史・文化を活かしたまちづくりが進んでいる。老舗も集積するこの一角は、北船場の復権を担う中核的なエリアといえるだろう。(高岡伸一/建築家・大阪市立大学特任講師)

2261名無しさん:2016/04/03(日) 18:44:10 ID:u7h.iwGQ0
百舌鳥・古市古墳群、世界遺産候補対象から2古墳除外 景観上の問題考慮 大阪
http://www.sankei.com/region/news/160324/rgn1603240057-n1.html

世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群の登録推進本部会議は23日、3月末までに59基で推薦書原案を文化庁に提出することを決めた。今夏の国内候補獲得を目指す。昨夏の文化審議会では国内候補から外れたが、当時は61基で、「景観上問題がある」とする2基を外した。

 本部会議は、大阪府と、古墳群の立地自治体である堺市、羽曳野市、藤井寺市で構成。この日、大阪市内で市長らが集まり、決定した。

 今回外されたのは百舌鳥古墳群の鏡塚古墳(堺市北区)と古市古墳群の赤面山(せきめんやま)古墳(藤井寺市)。

 鏡塚古墳は5世紀中頃に築造された円墳で、仁徳天皇陵の東側に位置するが、JR阪和線沿いのスーパーの駐車場の中にあり、周辺に商業ビルも建てられている。赤面山古墳は方墳で、5世紀前半に築造、高速道路の西名阪自動車道の高架下に保存されている。

 昨年10月に大阪市内で国内外の世界遺産専門家が集まる会議があり、両古墳の景観上の問題が指摘されていた。

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2262名無しさん:2016/04/06(水) 04:04:56 ID:w0Rp74as0
「良き月の良き日に」巫女ら優雅な舞い 富田林の佐備神社「神楽祭」
http://www.sankei.com/region/news/160405/rgn1604050043-n1.html

1150年以上の歴史を持つ佐備神社(大阪府富田林市佐備)で4日、恒例の「神楽祭」が営まれ、同神社の巫女(みこ)らを含む約20人が優雅な舞いを披露した。

 もともと佐備神社で神楽の稽古(けいこ)を積んでいた巫女らが「日頃の練習の成果を発表しよう」と始めたことが起源。「良き月の良き日に」との言葉に合わせ、毎年原則として4月4日に行われている。

 34回目の今回は約20人が参加。タイを釣る場面を盛り込んだ「大海の幸」や、4人が淡い緑色を基調にした衣装で登場する「浦安の舞」などを披露。訪れた観客らは、舞台上で繰り広げられる華やかな神楽に見入っていた。

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2263名無しさん:2016/04/18(月) 00:54:31 ID:VZOWHj260
「家造りの神」知って 生國魂神社でセミナー
2016年4月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160417/20160417040.html

 日本で唯一、家造りの神様「家造祖(やづくりみおや)神社」を祭る生國魂神社(天王寺区生玉町)でセミナー「住まいと家造りの神様-生國魂神社で学ぶ、いい家造りのために大切なこと」(いい家塾主催)が開かれ、受講者は神社の歴史や長屋再生事例などの話に熱心に耳を傾けていた。

家造祖神社は大阪城築城の大事業にも大きく関わり、現代も土木建築関係者が崇敬。毎年4月11日に例祭を執り行っており、これに参列していた「いい家塾」の釜中明塾長は「大阪に日本で唯一の家造りの神様がいることを広く知ってほしい」という思いから初めてセミナーを企画した。

 第1部は釜中塾長のコーディネートで「大切な『住まいと家造りの神様』を知っとこ!」と題したパネルディスカッションが行われ、同神社権禰宜(ごんねぎ)の中村文隆さんが家造祖神社の歴史や家造りに欠かせない神事など、寺西家阿倍野長屋当主の寺西興一さんが大阪府登録文化財である寺西家長屋と町家の活用と収益について話した。

 第2部では本殿や家造祖神社、境内を案内。家造りの相談も受け付けた。釜中塾長は「生國魂神社との共同行事として、毎年家造祖神社の例祭前に開催できれば」と話していた。

2264名無しさん:2016/04/24(日) 04:09:04 ID:HI.dKpnM0
古式ゆかしく鮮やかに 四天王寺で聖霊会舞楽大法要
2016年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160423/20160423037.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で22日、開祖聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」があった。多くの参詣者が見守る中、太子慰霊の法要と舞楽が混然一体となった一大行事が繰り広げられた。

聖霊会は同寺最大規模の行事で、ここで舞われる古典芸能「天王寺舞楽」は千数百年の伝統があり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 四方に曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の飾りを立てた境内・石舞台では僧侶による声明(しょうみょう)や合掌礼拝に続き、舞楽伝承団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」の舞人、楽人が奉仕。太子の目覚めを慰める供養舞と伝わる「蘇利古(そりこ)」のほか、勇壮な4人舞「甘州(かんしゅう)」といった舞楽を古式ゆかしく奉納した。

 大阪管区気象台によると、この日の同市の日中の最高気温は5月上旬並みの23・8度。初夏の日差しが歴史絵巻のような法要を色鮮やかに引き立たせた。

2265名無しさん:2016/04/25(月) 12:17:49 ID:NOv3W6260
平野に女神の加護 あかる姫まつり
2016年4月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160424/20160424035.html

 女神を祭る赤留比売命(あかるひめのみこと)神社の神事に合わせた「あかる姫まつり」が23日、境内のある大阪市平野区の平野公園周辺であった。装束姿の住民らが商店街をパレードした。今年10回目を迎え、地元関係者は「(1980年の)南海平野線廃止でまちが一時衰退したが、皆が力を出し合い盛り上がっている」と節目を喜んだ。

地元町会や商店街でつくる実行委が主催。祭りのヒロイン赤留比売命に扮(ふん)したのは地元出身の小学校教諭淡路真優さん(28)で、「皆さんが笑顔になるよう精いっぱい務めたい」とみこしの上から爽やかな笑顔で手を振った。

 太鼓やかね、どらの勇壮な音色が響く中、地元ゆかりの武将坂上田村麻呂のほか、区内が「大坂夏の陣」の舞台でもあることから豊臣方の武将真田幸村も列に加わった。総勢100人がアーケード内を含む1・2キロを1時間半かけて練り歩き、一帯は出店もあって終日にぎわった。

 家族で見物に訪れた会社員武田健太郎さん(37)=同区=は「まちが活気づく。お姫さまはかわいいですね」と喜んでいた。

2266名無しさん:2016/04/28(木) 22:40:40 ID:0A8VyNqc0
花の霊に安寧の祈り 大阪天満宮「鎮花祭」
2016年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160426/20160426026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、伝統行事「鎮花祭」があった。本殿前に設けられた舞台上で雅楽や神賑行事が奉納され、多くの参拝者がみやびやかな光景に見入った。

古来、季節の変わり目に災厄が生じやすいのは花の精霊に起因すると考えられたことから、舞い散る花とともに飛び行く精霊を鎮めて健康を祈願する行事。別名「はなしづめのまつり」とも呼ばれる。

 奉納雅楽では同宮神職の管弦に続き、神職、みこが神楽「浦安の舞」などを厳粛に奉納。関西雅楽松風会の奉仕者による舞楽もあり、優美な所作で見守る人々を魅了した。

 ほぼ毎年訪れているという東淀川区の男性(65)は「伝統がしっかりと受け継がれている点が素晴らしい。息の合った神職の方々の姿に魅せられた」と話し、熱心に撮影していた。

2267名無しさん:2016/04/30(土) 19:11:34 ID:ObkfRf760
古墳価値の明確化 世界遺産へ鍵握る
2016年04月18日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160418-OYTNT50021.html

◇百舌鳥・古市古墳群シンポ

百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが17日、大阪市内で開かれた。専門家らが実現に向けた課題を探り、約450人が熱心に耳を傾けた。

 府と堺、羽曳野、藤井寺の3市でつくる世界文化遺産登録推進本部会議(会長・松井知事)が主催した。

 文化遺産に詳しい西村幸夫・東京大大学院教授が講演で、いったん国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会へ推薦された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が、禁教史に焦点を当てるようユネスコの諮問機関から推薦書見直しを求められた例を紹介。

 「個々の資産に『顕著で普遍的な価値』があるかが問われている」と解説し、同古墳群が3市に現存する古墳89基のうち59基を遺産候補とした点について「59基と他との違いを明確に説明できるかが鍵を握る」と助言した。

 パネルディスカッションも行われ、宮内庁の徳田誠志・陵墓調査官は「環境の変化が激しい都市部にあり、いかに保存していくかも大きな課題だ」と指摘した。

2016年04月18日

2268名無しさん:2016/05/01(日) 04:15:14 ID:Tdv/6YMw0
東海道は五十七次? 400年の節目“最終地”守口宿アピール 大阪
http://www.sankei.com/region/news/160420/rgn1604200064-n1.html

「東海道五十三次」ではなくて、実は「五十七次」あった-。東海道最後の57番目の宿場町があったとされる「守口宿」(大阪府守口市)が400年の節目を迎えるのを機に、地元の市民団体が地域活性化に力を入れている。街道近くの商店街では、当時の旅人が食べた「にぎりめし」をイメージした弁当を開発した。今秋には街道イベントを計画して、知名度アップを図るという。

 東海道は江戸と京都を結ぶ主要ルートとして徳川家康が慶長6(1601)年に定めた。途中には公用の人や物資、通信物などを次の宿まで運ぶ「宿駅」を置き、当初は四十数駅があったとされる。その後、大坂城の再建を始めた2代将軍・徳川秀忠が、豊臣秀吉の制定した京街道(京都〜大坂)を加え、新たに4つの宿駅を置いた。

 歌川広重が江戸時代後期に手がけた浮世絵「東海道五十三次」は江戸〜京都間だったが、実際は江戸〜大坂間を結ぶ「五十七次」の街道だったと考えられる。江戸時代の「宿駅制定証文」では、元和2(1616)年に守口宿が制定されたことが記されている。

 守口市のまちおこしを手がける市民団体「守口門真歴史街道推進協議会」は、こうした史実をもとに、今年で守口宿制定から400年の節目を迎えることに着目。知名度アップを図り、地域活性化につなげる活動に乗り出している。

 まずはかつての宿場町にふさわしい名物を作ろうと、江戸時代の旅人が食べていた「にぎりめし」をアレンジした弁当「竹皮むすび」を開発した。炊き込みご飯と沖縄名産「油みそ」の2種類のおにぎりに、守口大根の奈良漬や野菜の煮しめなどを竹皮に包んだ。

 同市の土居商店街の沖縄料理と物産の店「さとうきび畑」の店主、高井律子さんが考案し、500円(お茶付き、1日20食限定)で販売している。

 守口宿は枚方宿(枚方市)から3里(約12キロ)大坂・京橋へは2里(約8キロ)の位置にあり、天保14(1843)年に幕府の街道調査をまとめた「東海道宿村大概帳」(道中奉行所編)によると、当時の人口は764人、177軒もあってにぎわっていたとされる。

 しかし、現在では住宅化が進み、宿場町の風情を残す建物は寺やちょうちん屋など数軒しかない。その一方で、古い建物を生かした喫茶店や写真店などがあり、秀吉が淀川沿いに築いた堤防「文禄堤」の一部(長さ約700メートル)も現存している。

2269名無しさん:2016/05/01(日) 04:17:40 ID:Tdv/6YMw0
昨年に草津宿街道交流館(滋賀県草津市)が実施した宿場町の人気投票「TKD(とうかいどう)57総選挙」では4位に入るなど、“東海道の本当に最後の宿”として知名度を上げている守口宿。

 11月には東海道五十七次や守口宿をテーマにした歴史イベントを計画中で、同協議会の加藤忠広事務局長は「地元の人が守口宿を『わが町の誇り』と思ってもらえる仕掛けづくりをしていきたい。街道沿いの地域の盛り上がりによって、東海道や宿場町の価値を高め、いつか『東海道五十七次』として世界遺産登録も狙えれば」と大きな夢を語っている。

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2270名無しさん:2016/05/05(木) 09:52:03 ID:VKLCjBl20
荘厳 万部おねり 平野区・大念仏寺
2016年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160502/20160502030.html

 大阪市平野区の融通念仏宗総本山大念仏寺で1日、伝統行事の二十五菩薩(ぼさつ)練り供養「万部(まんぶ)おねり」が始まった。境内で菩薩が現世から極楽浄土へ導く来迎(らいごう)の様子が再現され、多くの参詣者が荘厳なお練りを見届けた。5日まで。

同寺最大規模の年中行事で、2002年度に市指定無形民俗文化財となった。

 本堂に沿って設けられた来迎橋上では、僧侶や稚児、講元の行列に続き、いかなる災難からも衆生を救済すると伝わる観世音(かんぜおん)菩薩を先頭に二十五菩薩が厳かに登場。快晴の下、大勢が見守る中、紫連台(しれんだい)や琵琶などを手にした菩薩がお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ順次入堂した。

 地元在住で幼少期から行事を見てきた女性(81)は、「何年たっても色あせることない素晴らしい伝統。多くの方に知ってもらいたい」と話していた。

 お練りは連日午後1時から。拝観自由。期間中はお練りに先立ち仏教賛歌(3、4日)や声明コンサート(3日)、雅楽(4日)といった奉納行事も予定されている。

2271名無しさん:2016/05/08(日) 15:12:56 ID:wh51SplY0
戦死の地で幸村悼む 天王寺・安居神社
2016年5月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160507/20160507044.html

 NHK大河ドラマ「真田丸」で注目が高まる武将・真田幸村が戦死したとされる大阪市天王寺区の安居神社(中島一熈宮司)で5日、恒例の慰霊祭「幸村祭」が盛大に執り行われた。氏子関係者や歴史愛好家ら大勢が続々と参拝し、境内にひっそりとたたずむ座像に手を合わせた。

大坂夏の陣(1615年)の終盤「天王寺口の戦い」で戦死した幸村を悼み同神社が毎年手掛けている。

 祭壇が設けられた座像前では中島宮司によるおはらいや祝詞奏上などに続き、真田家の子孫や故郷である長野県上田市の関係者ら参列者代表が玉串をささげた。中島宮司は「大坂の陣400年の節目や大河ドラマなど近年の盛り上がりに驚いているが、今後も変わることなく幸村公の慰霊に努めたい」と話した。

 境内には大阪城真田鉄砲隊(澤田平代表)のコーナーもお目見え。幅広い年齢層の幸村ファンがスタッフの解説に耳を傾けながら甲冑(かっちゅう)や火縄銃の弾丸といった品々に見入っていた。

 生野区から訪れた足代健二郎さん(73)は「長年の幸村祭の積み重ねがあったからこそのにぎわい」、幸村の肖像画を奉納している“歴女”山下栞さん(18)は「ファンが集える素晴らしい場所」と笑みを浮かべた。

2272名無しさん:2016/05/08(日) 22:32:45 ID:HaM4wtjY0
勇ましく的射抜く いくたまさんで走馬神事
2016年5月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160507/20160507043.html

 「いくたまさん」と呼ばれて親しまれている大阪市天王寺区の「生国魂神社」で5日、端午の節句の伝統行事「走馬(そうめ)神事」が執り行われた。流鏑馬(やぶさめ)の型を奉納するもので、大勢の参拝者らが勇ましい礼法に見入った。

同神社の流鏑馬は、豊臣秀吉が大坂城を築城する約400年前、現在の場所に神社が移って武士が稽古していたのが始まりとされている。1912(明治45)年の「南の大火」で、社殿とともに武具類が焼失して以降は途絶えてしまい、神事のみが続いてきた。

 型は「木馬の型」といわれ、武士が流鏑馬の稽古として行っていた形式。2014年の夏の大祭で、70年ぶりに大阪城への渡御列を行うのに合わせ、弓馬術礼法小笠原教場の協力で102年ぶりに復活した。

 境内では、大阪の発展を願う神事が営まれた後、武士の衣装を身にまとった同教場の3人が型を披露。木馬にまたがり、回転しながら鏑(かぶら)矢で三つの的を射抜くと、参拝客から大きな歓声が上がった。

 型を奉納した一人、和田太地さん(27)=岐阜県関市=は「歴史ある“いくたまさん”の走馬神事で、型を奉納させていただいて光栄だった」と話していた。

 また、近くの生玉公園では、新庄乗馬クラブ(奈良県)の協力で乗馬の体験会も開かれた。

2273名無しさん:2016/05/11(水) 04:25:09 ID:N2Gv0X6s0
華麗な舞楽を奉納 住吉大社で卯之葉神事
2016年5月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160510/20160510029.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で9日、祭神・住吉大神の鎮座記念の祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が執り行われた。あいにくの雨にもかかわらず大勢の参拝者が境内を訪れ、厳かな神事や舞楽奉納などを見守った。

住吉大神の鎮座が神功皇后摂政11年、辛卯(かのとう)年卯月上の卯日と伝わることから、卯の花(ウツギ)が開花する5月最初の卯日に執り行われている。

 第一本宮であった本殿祭では、参列者代表が通常のサカキの玉串ではなく卯の葉を神前にささげた。続く舞楽奉納は雨天のため本来の石舞台から屋内の神楽殿へ会場が移され、古典芸能「天王寺舞楽」の伝承団体である天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)の有志が奉仕した。

 みやびやかな装束で登壇した舞人らは舞楽の幕開けを飾る儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「承和楽(しょうわらく)」「地久(ちきゅう)」などを披露。参拝者は「例年よりも間近で拝見できた」「屋外と異なる雰囲気で楽しめた」などと話し勇壮かつ華麗な所作に見入っていた。

2274名無しさん:2016/05/11(水) 22:03:06 ID:7dgw1sFs0
レーザー光、演出アップ 奉納花火で初登場へ
2016年5月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160510/20160510041.html

 日本三大祭りの一つ天神祭の花火「水都祭・天神祭奉納花火」(実行委員会主催)で、今年初めてレーザー光を使った演出が加わることが9日分かった。仕掛け花火で表現していた文字の部分に使う。演出効果を向上させ、祭りのにぎわいにつなげるのが狙い。

毎年7月25日の天神祭本宮祭では、都心部の大川沿いで 奉納花火が打ち上げられ、協賛企業名などが浮かび上がる仕掛け花火が“名物” となっていた。

 今回、さらに演出効果を高めようと奉納花火実行委メンバーがレーザー光への変更を企画。文字の掲示部分はこれまでの縦2メートル、横10メートルから縦10メートル、横20メートルに拡大し、メッセージの発信など多彩な演出ができるようにする予定だ。

 9日に大阪市北区の大阪天満宮で開かれた天神祭実行委の初会合で明らかになった。

 会合では、大阪観光局が製作する天神祭のパンフレットについて、日本語と英語版だけだったのをハングルと中国語版を加える方針も示された。アジアからの外国人観光客の増加を踏まえた。

 栗原宏武実行委員長は「大阪の経済や観光の活性化に寄与していく」と話していた。

2275名無しさん:2016/05/11(水) 22:41:52 ID:7dgw1sFs0
守口市だんじり祭 勇壮に10回目
2016年5月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160509/20160509023.html

 大阪府守口市内の地車(じぐるま)保存会が集まって、だんじりやパフォーマンスを披露する「第10回守口市だんじり祭記念大会」(同市地車連絡協議会主催)が7、8の両日、同市の京阪電鉄守口市駅前一帯で行われた。8日には地車パレードが行われ、沿道は大勢の見物客でにぎわった。

祭りは、10年前に地域活性化や保存会の相互交流などを目的に立ち上がった同協議会が毎年開催し、地域の恒例行事になっている。

 2日間のうち、8日の大枝公園(同市松下町)から同駅前までを練り歩く地車パレードには、同協議会に加盟する九つの保存会の地車と計約400人が参加。沿道には大勢の見物客が詰めかけ、スマートフォンやカメラで勇壮なだんじりを写真に収めていた。

 パレード後、同祭りの寺井正昭実行委員長の大阪締めとクラッカーで開会宣言。同協議会の田中正文会長が10回目の節目を迎え「さらなる充実を図り、いい祭りにしていきたい」と意気込みを語った。

2276名無しさん:2016/05/17(火) 18:58:09 ID:YdjJSazg0
発展への思い込めて 講社連奉納、門帳お披露目
2016年5月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160513/20160513030.html

 大阪天満宮(大阪市北区)は12日、天神祭を支える講社連合会から奉納された「門帳」を境内でお披露目した。白地の織物に大阪天満宮の神紋「剣梅鉢」を金色で刺しゅうしたデザイン。今後、祭事の際に表門に飾る。

講社連合会は、2015年に設立40周年を迎え、節目を記念して大阪天満宮の門帳の新調を企画。このほど完成し、奉納していた。

 大きさは縦約180センチ、横約440センチ。その中に金色の糸で縦横60センチ程度の神紋を2カ所あしらった。神紋は、「梅鉢」の花びらの間に剣の模様が描かれている。

 この日開かれた講社連合会の会合で披露され、寺井種伯宮司は「立派な門帳を奉納していただき感謝している」と謝意を表していた。

 宗石剛会長は「門帳とともに天神祭を発展させ、次世代に引き継いでいければ」と思いを込めていた。

2277名無しさん:2016/05/17(火) 19:04:23 ID:cGApVV4c0
藤山寛美27回忌松竹新喜劇初日 直美さんが黙とう
2016年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160514/20160514036.html

 大阪市中央区道頓堀の大阪松竹座で13日、「藤山寛美27回忌追善/松竹新喜劇興行」の初日開幕前に娘の藤山直美さんが姿を見せ、劇場ロビーの遺影前で遺族を代表して黙とうを行った。直美さんはおいの藤山扇治郎さんが寛美さんの代表作「夜明けのスモッグ」などに出演しており「扇治郎が天外さんをはじめ先輩方に親戚以上に大事にしていただき感謝しています」と渋谷天外代表ら劇団員にあいさつした。

続いて開幕後、冒頭に満員の観客を前にして、天外さん、扇治郎さん、高田次郎さん、小島慶四郎さんら劇団員が並んで27回忌追善のあいさつを行った。天外さんが「今後は入団して3年半の扇治郎君を中心にして…」と新しい看板を押し出すと、扇治郎さんは「祖父の芸に少しでも近づけるように頑張ります」と誓った。

 サプライズで、寛美さんと生前に親交があった西川きよしさんが舞台袖から登場し「寛美先生に大変お世話になりました。孫の扇治郎さんには偉大な寛美先生の芸を継いで劇団を盛り上げてください」とエールを送った。公演は24日まで。

2278名無しさん:2016/05/17(火) 20:45:46 ID:cGApVV4c0
「押し照るや」難波の海の絶景

八木 孝昌
帝塚山学院大学 生涯学習センター講師・文学博士
2016年5月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/160513/20160513037.html

地質学で明らかになっているように、6千年前から7千年前の大阪平野は河内湾と呼ばれる海であった。海岸線は生駒山の麓に至っていた。やがて諸河川が運ぶ土砂によって水底が浅くなり、河内湾は河内潟に変貌する。そして、3世紀から5世紀には河内湖という広大な湖となった。湖の水をせき止めていたのは、大阪市の中心部を南北に延びる上町台地で、その北端に当たる東淀川区の崇禅寺の辺りから湖水が大阪湾に注いでいた。時代が下って万葉の時代になると、河内湖は水量を減らして、生駒山の麓の草香から上町台地に至る、東西に長い草香江になっていた。それでも大阪平野は、なお入江と湿地帯からなる広大な水浸しの地域であった。

 古代の難波宮(なにわのみや)は、上町台地の上にあった。西側は大阪湾で、往時、海岸線は御堂筋の辺りにあった。東側の入江の岸は森ノ宮の辺りにあった。つまり、細長い上町台地は両側を水に挟まれていた。古代の難波京(なにわのみやこ)は水の都であった。

 難波の枕詞は「押し照るや」である。『古事記』の仁徳天皇記の「押し照るや/難波の崎よ」がその初出である。意味は「一面に照り輝く」であるが、それは難波の地形から来ているに違いない。上町台地から眺められる西側の海と東側の入江の水面が、陽光を受けて一面にキラキラと照り輝く様子、それが「押し照るや」の枕詞を生んだと考えられる。

 事実、万葉集にそのありさまを詠んだ歌がある。「(天平)五(733)年癸酉(きいう)、草香山を越えし時に、神社忌寸老麿(かみこそのいみきおゆまろ)の作れる歌二首」という題詞をもつ歌の2首目は、「直越(ただごえ)の/この道にして/押し照るや/難波の海と/名づけけらしも(巻六、977)」と歌っている。

 「直越」とは難波と大和を結ぶ草香山越えの道のことで、生駒山の北側にある。歌意は、直越のまさにこの道で、「押し照るや難波の海」と名付けたに違いない。見事なものではないか、一面に照り輝く海がはるかかなたに延びるこの眺めは、である。

 「難波の海」には、眼下の草香江の淡水の湖も含まれていると見てよい。この時代の「海」は、琵琶湖を「淡海の海」と呼んだように、淡水湖も含んでいる。草香山からは、足元の草香江が約10キロメートルにわたって森ノ宮まで延び、その先、上町台地の向こうには大阪湾がある。それは「押し照る」水の壮大な眺めであっただろう。

 記紀万葉の歌謡から推し量って、畿内には二つの絶景の地があった。一つは、「やまとは 国のまほろば/たたなづく/青垣/山ごもれる/やまとし美し」と歌われた、山々に囲まれる大和の盆地である。もう一つは、「押し照るや」と形容される、東西の海に挟まれる難波である。一方は「青山四周」(『日本書紀』の中の言葉)の山の都、もう一方は水の都。古代の二つの都が、山と海という異なる絶景からなっていたのは、「大八島国」(『古事記』にある日本国の古称)にいかにもふさわしいことであった。

 (やぎ・たかまさ、堺市南区)

2279名無しさん:2016/05/18(水) 22:28:39 ID:X9XwLnxc0
講談の名跡「玉田玉秀斎」、旭堂南陽さん襲名
2016年05月18日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20160518-OYO1T50014.html?from=oyartcl_blist

97年ぶり復活

講談師の旭堂南陽(きょくどうなんよう)さん(39)が17日、大阪市内で記者会見し、上方講談の名跡・玉田玉秀斎(ぎょくしゅうさい)の四代目を襲名することを明らかにした。名跡復活は明治・大正期に活躍した三代目以来、97年ぶりとなる。

 三代目は、講談「真田十勇士」などを完成させ、その口演は当時人気を博した講談本シリーズ「立川文庫」にも収録された。南陽さんは大阪市出身。2001年に四代目旭堂南陵(当時・小南陵)さんに入門した。

 旭堂南陵さん一門の小二三(こふみ)さん(40)も五代目旭堂小南陵を襲名。2人の襲名披露興行は11月25日、国立文楽劇場で行われる。

2016年05月18日

2280名無しさん:2016/05/20(金) 04:31:57 ID:8YlCwJ3c0
諸神事復興、5千発奉納花火を ネットで資金募る
2016年5月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160519/20160519036.html

 天神祭花火実行委員会は、インターネットで資金を募るクラウドファンディングで協賛金の募集を始めた。4千発だった奉納花火を5千発にしようと昨年初めて取り組んで達成。同規模の花火の継続に挑戦する。今年は途絶えていた神事の復興も掲げており、呼び掛けにも熱が入っている。

事業名は「天神祭の諸神事を復興し5千発の奉納花火を打ち上げたい」。募集は専用サイト「READYFOR(レディーフォー)」で行い、7月15日までに350万円が集まれば達成となる。

 昨年、日本三大祭りの一つ天神祭の奉納花火を盛り上げようと企画し、成功。今年は同規模の花火打ち上げに挑むとともに、神事の一部の復興も掲げた。

 天神祭は、都心部の川を船団が行き交う「船渡御(ふなとぎょ)」が目玉の一つ。しかし、長年続いてきた経済の低迷を受けて運営が逼迫(ひっぱく)し、一部を取りやめてきた経緯がある。

 数年前には、神に舞をささげる「神楽船」が削減された。また、江戸時代中期から続き、船上でかがり火をたく「大篝船(おおかがりぶね)」も昨年協賛企業の撤退が決まり、文字通り「天神祭の歴史の火」が消えようとしているという。

 そこで奉納花火とともに船の運営費も募集することにした。

 資金提供者には、金額に応じて「大篝船」を描いたハンカチや、天神祭で登場する「御迎人形」の一つ「羽柴秀吉」を模した人形、間近で花火を楽しめる拝観席の券などを贈る。

 大阪天満宮の寺井種治権宮司は「大阪の元気を象徴する祭りをよりよい形で次代に継承するため、力をお貸しいただければ」と呼び掛けている。

2281名無しさん:2016/05/22(日) 22:57:15 ID:8MnbtYw20
小二三さんが旭堂小南陵を襲名 女性は史上初
2016年5月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160518/20160518031.html

 大阪講談協会は17日、旭堂小二三さん(40)が5代目旭堂小南陵を、旭堂南陽さん(39)が4代目玉田玉秀斎を襲名すると発表した。小二三さんと南陽さんは、協会長の4代目旭堂南陵さん(66)の弟子で、11月25日に大阪・国立文楽劇場で合同の襲名披露を行う。

小南陵は過去3回南陵を継いだ出世名で復活は9年ぶり。女性が襲名するのは史上初となる。玉秀斎は3代目が病没以来97年ぶりの襲名。玉田一門は京都・神道系講釈師の系統で、長く廃絶していた関西講談界の名門が復活する。

 小二三さんは「師匠に『賞を取ったやつに小南陵をやる』と言われ、一念発起して文化庁芸術祭新人賞を頂いた。さらに精進して、一門を代表するような講談師になりたい」と神妙。南陽さんは4年間続いた本紙コラム「ぶらりさんぽ」の連載を4月に終えたばかり。「区切りの時期に大きな名跡をいただき緊張している。復活した玉田一門の名に恥じないよう精進します」と約束した。

 南陵協会長は「女性講釈師に対する講談界の反発は根強いが、腕前さえ上げてくれれば男女で区別はしない。玉田一門は明治時代に一世風びした流派。名門復活を機に、基本を重んじながら新たな芸風を築いてほしい」とエールを送った。

2282名無しさん:2016/05/26(木) 04:32:32 ID:Du4lZ6zo0
閻魔さんに幸せ願う 長寳寺で市無形文化財行事
2016年5月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160524/20160524041.html

 閻魔(えんま)大王に家内安全や健康などを願う「閻魔さんの日」が平野区平野本町3丁目の長寳寺(ちょうほうじ)(西脇慈容住職)であり、多くの参拝客でにぎわった。

同寺は、本尊の十一面観音と共に閻魔大王を祭っており、年に1度、秘仏である本尊の公開に合わせ、閻魔大王に御利益を願う「閻魔さんの日」を行っている。行事は大阪市の無形文化財、同寺に伝わる閻魔大王の御宝印は有形文化財に指定されている。

 今年も18日に行われ、西脇住職らが、十一面観音と五色のひもで結ばれた仏具で参拝者の額や肩、手をなでて縁を結び、祈願書に御宝印を押した。「大王の証判(印)を持つ者は地獄に落ちない」という言い伝えがあり、府内はもちろん、関東などからも多くの人が参拝。同区宮町の主婦(71)も「気持ちが落ち着くので毎年、お参りしています。ありがたいことです」と穏やかな表情で話していた。

 西脇住職の講話もあり、参拝者は「この世では、辛(つら)いこと、嫌なことが地獄、楽しいことが天国になります。地獄になるか、天国になるかは、皆さんの思い一つ」という話にじっと耳を傾けていた。

2283名無しさん:2016/05/28(土) 20:23:35 ID:8uhDJfXM0
「大阪を歌舞伎の拠点に」 五代目中村雀右衛門さん
2016年5月27日 12:40

 3月に女形の大名跡を襲名した歌舞伎俳優の五代目中村雀右衛門さん(60)が27日、大阪松竹座(大阪市)で7月3〜27日に行われる襲名披露公演を前に、吉村洋文市長を表敬訪問し「大阪が歌舞伎の拠点として根付いていくよう、少しでもお役に立てれば」と抱負を語った。




 雀右衛門さんは、2012年に91歳で死去した人間国宝の四代目雀右衛門さんの次男で、1964年に七代目中村芝雀を襲名。時代物のお姫さまから世話物の女房まで演じられる芸域の広さに定評がある。

 吉村市長は「大阪を世界都市として盛り上げるためにも、ごひいきにお願いします」と笑顔で話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160527/20160527050.html

2284名無しさん:2016/05/31(火) 03:50:28 ID:Grix4ouw0
ぜいたくな時間 天王寺七坂スタンプラリー体験
2016年5月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160529/20160529026.html

 大阪市天王寺区の七つの坂「天王寺七坂」の魅力や歴史を伝えるスタンプラリー。寺が集まる町並みの石畳や新緑の下を歩きつつ、スタンプを押して「御利益」を集めていく。登場から4年たつが、チェックポイントには放映中の大河ドラマにまつわる神社もあると聞き、本紙記者(35)が実際に歩いて魅力を探った。

スタンプラリーは、「てんのうじ観光ボランティアガイド協議会」(山口和子会長)のメンバー、柳原勝さん(84)が2011年秋から準備を進め、12年5月に始まった。

 生玉真言(いくたましんごん)坂、源聖寺(げんしょうじ)坂、口縄(くちなわ)坂、愛染坂、清水(きよみず)坂、天神坂、逢坂が並ぶ一画は約50の寺が集まる。戦国武将・真田幸村戦死の碑がある安居神社や、「ベルリンの壁」の一部が境内にある統国寺、市内唯一の「玉出の滝」がある清水寺など、見どころがいっぱいだ。

 スタンプラリーはどこから始めてもいいが、記者は北側に位置する生玉真言坂からスタートした。

 近くの生國魂神社がスタンプ設置場所。生國魂造りと呼ばれる建築様式が珍しい。淀姫がデザインされたスタンプを台紙に押し、石畳と白壁の風情ある源聖寺坂へ。歩いているうちに坂は急勾配に。昼休憩と思われる男性作業員が階段を駆け上がりトレーニングしていた。

 坂が蛇のように見えることから名付けられた口縄坂。「口縄」は「蛇」を示す言葉で、坂の下から見上げるとまさに大蛇のよう。南進し愛染坂の愛染堂には、豊臣秀吉が1597年に再建したといわれる多宝塔があり、スタンプ設置場所になっている。

 押印していた兵庫県三田市の野口裕久さん(64)に声をかけると「スタンプラリーが大好き。七坂めぐりは自然豊かで静かな雰囲気が良いですね」と笑顔だった。

 緩やかな石畳の清水坂にある清水寺は通天閣が望める高台からの見晴らしが魅力。天神坂を下ると、参拝客が後を絶たない安居神社。真田の六文銭が記された絵馬には、大学受験合格など“戦”に挑む人たちの思いが書かれていた。

 かつては急な坂で荷車が坂を登りきれず、荷車を押す「押屋」と呼ばれる人がいたという逢坂の一心寺で全てのスタンプがそろい、完歩証をもらった。

 千日前通から国道25号までの南北約1・5キロの範囲で、完歩するのに約2時間。谷町筋から一歩入った閑静な寺町を歩くと、すがすがしい気持ちに包まれる。柳原さんは「静かな時間と歴史散歩が楽しめる」と強調。都会の騒々しさからしばし離れ、ぜいたくな時間を堪能してはいかがだろう。

2285名無しさん:2016/06/02(木) 04:22:29 ID:zAaEQwuY0
六代目豊竹呂太夫を襲名へ 文楽の豊竹英太夫さん
2016年5月31日 23:39
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160531/20160531150.html

 国立文楽劇場(大阪市)は31日、人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹英太夫さん(69)が来年4月に六代目豊竹呂太夫を襲名すると発表した。

 英太夫さんは大阪府出身。1967年に竹本春子太夫さんに入門し、時代物などを得意としている。

 襲名披露は来年4月に国立文楽劇場、翌5月に東京の国立劇場で。

2286名無しさん:2016/06/04(土) 18:28:15 ID:0kfUCQtw0
天神祭本宮祭平日開催 人出、十数万人増も
2016年6月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160604/20160604037.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は3日、今年の天神祭は奉納花火のある本宮祭(7月25日)が月曜に当たり、昼間の人口が昨年の土曜よりも増えるため、人出が数万人から十数万人増える見込みを示した。前日の宵宮祭と合わせて135万人前後と予想。安全な運営に向け、警備体制や交通規制への対応を警察などと調整していく。

天神祭は、昼間人口の多い大阪市内中心部で行う。例年24日に宵宮祭、25日に本宮祭を開いており、曜日は年ごとに変わる。土日休日以外に奉納花火がある場合、仕事帰りの会社員らが立ち寄るなど、人出が増える傾向があるという。

 この日、大阪市北区の大阪天満宮で協賛会と警察、警備会社による担当者会議が開かれ、対応を協議。警察関係者が交通規制関連の説明をし、警備会社は人員の増員や車道の無理な横断を防ぐ手だてについて方針を示した。

 大阪天満宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は、安全な実施に向け「密に連絡を取り対応していきたい」と話していた。

2287名無しさん:2016/06/04(土) 20:21:23 ID:0kfUCQtw0
ぜい尽くした150点…大阪くらしの今昔館で「船場花嫁物語」展
http://www.sankei.com/region/news/160529/rgn1605290058-n1.html

戦前の大阪・船場の豪商が調えた花嫁支度の品々を集めた企画展「船場花嫁物語」が28日、大阪市北区の大阪くらしの今昔館で始まった。振り袖や帯、かんざしといった花嫁衣装をはじめ、美しい刺繍(ししゅう)が施された袱紗(ぶくさ)や装身具などぜいを尽くしたものばかりで、会場は華やかな雰囲気に包まれている。6月26日まで。

 同展は、昭和14年に船場の商家、廣野家が娘のカツさんのために用意した花嫁道具約150点を展示して、古き良き船場の文化を知ってもらおうと企画された。これらの品々は戦火を免れ、家族が大切に保管してきたといい、結納や荷飾りの様子を撮影した当時の写真も公開されている。

 そのなかでも目を引くのが着物類。礼装から日常着まで季節に合わせて膨大な数に及ぶ。黒地に鳳凰(ほうおう)など吉祥を意味する図柄が描かれた豪華な「松竹梅橘吉祥円紋黒振袖」は、後にカツさんの孫娘たちが結婚式を挙げた際に着用したという。

 このほかにも、桐に透かし彫りなどの精緻な装飾を施した桐だんすなどもあり、当時の大阪文化の豊かさを伝えている。

 所蔵者でカツさんの長女、佐野恵美子さん(69)は「母は着物が大好きで、ほとんど洗い張りをして大事にしていました。日本の伝統工芸や着物文化の魅力に触れてもらえれば」と話している。

 問い合わせは大阪くらしの今昔館(電)06・6242・1170。

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2288名無しさん:2016/06/20(月) 03:33:53 ID:uJReOkpM0
歴史ロマン 歩いて体感 大阪シティウオーク2016
2016年6月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160617/20160617033.html

 大阪市は、戦国時代から昭和までの歴史をテーマにしたコースを歩くイベント「大阪シティウオーク2016」をスタートさせた。参加者たちは市内の名所や史跡を訪ねながらウオーキングを楽しんでいた。

都市の魅力を再発見してもらおうと3年前から実施。本年度は「大阪歴史ロマン」をテーマに計5回開く。今回初めて外国人観光客に対応したガイド付きのコースも設けた。

 初回の12日は、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴びた明治の実業家、五代友厚の像が建つ大阪商工会議所や大阪取引所をはじめ、都心部の近代建築を回るコースで実施。約13キロと約7キロの2種類を用意した。子どもから高齢者まで参加。それぞれのペースで街中をめぐってゴールし、「完歩証」やオリジナルバッジを受け取っていた。

 市担当者は「マイペースで大阪の魅力を楽しんでもらえれば」と話していた。

 今後の日程とテーマは次の通り。

 9月19日「水都大阪・リバーウオーク」▽10月2日「インバウンド対応ガイドコース」▽11月27日「大坂の陣・徹底ウオーク」▽2017年3月12日「住吉大社から平野郷をウオーク」

 問い合わせは電話06(6205)0818、事務局。

2289名無しさん:2016/06/25(土) 01:00:05 ID:vkpMeMFg0
高山右近、来年2月大阪で列福式 戦国時代のキリシタン大名
2016年6月23日 20:19
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160623/20160623116.html

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近が、カトリックで最高の崇敬対象とされる「聖人」に次ぐ地位の「福者」に認定される儀式「列福式」が来年2月7日、大阪城ホール(大阪市中央区)で開かれることが決まった。日本カトリック司教協議会が23日、明らかにした。

 同協議会は、右近が大名の地位を捨てて信仰に命をささげたとして、福者に認定するようローマ法王庁(バチカン)に申請。列福式には列聖省のアマート枢機卿が派遣される。

 大阪で生まれた右近は父の影響で洗礼を受けた。

2290名無しさん:2016/06/25(土) 20:41:51 ID:Nb9lgvLw0
古墳群を世界遺産に
06月25日 18時37分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20160625/3396741.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産に登録してもらうために地元の住民ができることを学ぼうという集いが堺市で開かれました。
大阪の堺市、羽曳野市、それに藤井寺市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」は、再来年の世界文化遺産への登録を目指しています。
25日は古墳群を世界遺産にするため住民でできることを考えようと地元の人たちが集いを開き、およそ400人が集まりました。
このなかで、世界遺産に登録された長崎の「旧グラバー住宅」があるグラバー園の名誉園長、ブライアン・バークガフニさんは、「地元で古くから親しみを持って守り続けられている古墳群の価値をどう伝えていくかが大切だ」とアドバイスしました。
世界文化遺産への登録をめざすのは、ほかにも▼「北海道・北東北の縄文遺跡群」や、▼新潟県の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、▼「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」があり来月下旬ごろ日本からユネスコに推薦される候補地が1か所に絞り込まれます。
集いを開いた市民の会の会長で堺商工会議所の前田寛司会頭は、「市民一体となって機運を高め、なにがなんでも、ことしの国内推薦を勝ち取りたい」と話していました。

2291名無しさん:2016/06/28(火) 12:38:49 ID:x58mt6gk0
天神祭の魅力完全収録 大阪天満宮などDVD作製
2016年6月28日
 大阪天満宮(大阪市北区)などは、日本三大祭りの一つ天神祭の魅力をまとめたDVDを作製した。祭りの打ち合わせの段階から、都心部の川を船が行き交う本宮祭当日の様子まで一連の流れを紹介。売り上げは祭りの運営資金に充て、今後の発展に生かすという。

千年を越える歴史を誇る天神祭については、7月25日の本宮祭に合わせた奉納花火や、船渡御の露出度が高いものの、七夕の日に開かれる祭りなど、毎年多彩な関連行事を展開。関係者らは事前に何度も会合を開いて、より安全で盛大な開催を目指している。

 DVDでは2011〜15年の5年間を対象に、事前の準備段階から各種行事の様子まで収録。万力康司権禰宜(ごんねぎ)は「天神祭の全てを完全収録しており、各シーンをご理解いただける」と出来栄えをアピールしている。

 33分。3千円。7月15日から大阪天満宮境内の授与所で購入できる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160628/20160628027.html

2292名無しさん:2016/06/30(木) 04:13:46 ID:LD9amo960
「愛染祭」地下鉄でお越しを 愛染娘ら呼び掛け
2016年6月28日
 30日から天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)(山岡武明住職)で大阪の夏祭りの幕開けを飾る「愛染祭(まつり)」が始まるのを前に、地下鉄長堀橋駅(中央区島之内1丁目)構内で「公共機関をご利用くださいキャンペーン」があった。一般公募のキャンペーンガール「愛染娘」らが駅利用者に「地下鉄で来てね」と笑顔で夏祭りの到来を告げた。

キャンペーンは市交通局の賛同を得て22日に実施。“愛染さん”の愛染祭は参詣者が年々増える一方、近年は迷惑駐輪が顕著となっていることから、山岡住職が対策とPRを兼ねて企画した。

 ポスターやのぼりなどで飾られた構内では、ゆかた姿の愛染娘に交じって駅員も参加。乗客や地下街を行き交う人々にチラシを手渡して協力を呼び掛けた。

 愛染娘の青山奈里香さん(26)、葉山夢さん(21)は「最寄り駅の四天王寺夕陽ケ丘駅から徒歩2分という便利な場所なので、ぜひ地下鉄でお越しください」「愛染娘が笑顔でお待ちしています」と話していた。愛染祭は7月2日まで。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160628/20160628030.html

2293名無しさん:2016/07/01(金) 00:49:55 ID:9a1rQBBY0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」始まる
更新:06/30 20:30

無病息災を祈願して約1400年前に始まった「愛染まつり」が大阪・天王寺区で始まりました。

 初日の6月30日は、「宝恵かごパレード」が行われ、色鮮やかな駕籠に乗せられた12人の愛染娘が天王寺公園前から愛染堂・勝鬘院まで練り歩きました。

 中には、こんな「べっぴんさん」も・・・

 「ベトナムから来ました。楽しかったです。」(ベトナム出身の愛染娘)

 「愛染まつり」は7月2日まで開かれています。

http://www.mbs.jp/news/kansai/20160630/00000065.shtml

2294名無しさん:2016/07/06(水) 09:00:32 ID:T7zJUrN20
浴衣姿の歌舞伎役者に歓声、大阪 船で川巡る初夏の風物詩
2016年6月29日 18:05

 歌舞伎役者が船で川を巡る初夏の風物詩「船乗り込み」が29日、大阪市内で催され、襲名披露の中村雀右衛門さんをはじめ、片岡仁左衛門さんら浴衣姿の人気役者に歓声が上がった。

大阪松竹座の「七月大歌舞伎」をPRする恒例行事。雨が降る中、役者らは同市中央区の船着き場「八軒家浜」から船に乗り込んだ。船はゆっくりと航行し、川岸や橋の上に集まったファンから「京屋!」「松嶋屋!」などと声が掛かると、傘を差した役者らが手を振って応えた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160629/20160629096.html

2295名無しさん:2016/07/06(水) 09:06:58 ID:T7zJUrN20
「不落(おちない)」兵糧米が受験生らに人気 楠木正成ゆかりの地、大阪・千早赤阪村
南北朝時代の武将・楠木正成ゆかりの地、大阪府千早赤阪村で販売されている合格祈願の「正成公御兵糧米(まさしげこうおんひょうろうまい)」が、就職活動を迎えた学生や受験生の人気を集めている。

 「日本の棚田百選」にも選ばれた下赤阪の棚田(同村)で収穫された米150グラムを詰めたもので、副題は「不落(おちない)千早城」。鎌倉幕府の大軍を前に落城しなかった正成築城の千早城にあやかったものだ。

 扱っているのは同村内で飲食業などを手がける「金剛山麓まつまさ」。正成が倒幕を掲げる後醍醐天皇に応じて挙兵、籠城戦に耐え抜いた話にちなんで、千早城跡にある千早神社で収穫米をおはらいし、平成25年から販売を始めた。一袋千円だが、縁起がいいと受験生らに注目され、これまでに1500袋が売れた。

 同社の松本公成社長(43)は「『兵糧米』を通じて正成公の名声が広まってくれるのは、うれしいことです」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/160706/wst1607060026-n1.html

2296名無しさん:2016/07/06(水) 10:46:16 ID:T7zJUrN20
「五代友厚一色に」 船渡御で、関係者ら意欲
2016年6月29日
 NHK連続テレビ小説「あさが来た」で脚光を浴びた明治の実業家五代友厚が、日本三大祭りの一つ天神祭でも存在感を示しそうだ。都心部の川を船が行き交う船渡御におととしから登場している「五代友厚船」。今年は世間の盛り上がりを受けて例年以上に企画に力が入っており、関係者は「彼一色にしたい」と意気込んでいる。




 同船は、大阪の中小企業の社長らでつくる市民団体「なにわ文化サポーター倶楽部」が出航。五代の生きざまを映画化しようと弁護士が立ち上げたプロジェクトの関係者と連携して取り組んできた。五代もかつて天神祭に参加したという。

 当日は、源八橋東詰の大川沿いに停船。五代と血縁関係のある人や、ゆかりのある企業関係者を招くほか、出身地の鹿児島県にちなんだ食事や酒を振る舞い、彼をテーマにした講談やパネル展示を行う。

 同倶楽部の中本敦士代表は「五代さんに成り代わって大阪の元気を発信したい」と意欲を示し、船長を務める不二建物の近藤潔社長は「大阪の未来のために滅私奉公した人生を将来に伝えていければ」と意気込んでいる。

 問い合わせは携帯電話090(8231)9251、五代友厚プロジェクト。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160629/20160629022.html

2297名無しさん:2016/07/06(水) 11:02:20 ID:T7zJUrN20
中国語、ハングル版追加 天神祭パンフ
2016年7月1日
 大阪観光局は、天神祭を見に訪れる外国人観光客に対応しようと、中国語とハングルで表記した案内パンフレットを作製した。従来は日本語と英語の2種類だけだった。




 同局は例年、24日の宵宮祭と25日の本宮祭を紹介したパンフレットを製作。伝統衣装に身を包んだ一団が都心部を練り歩く陸渡御や、約100隻の船団が大川を行き交う船渡御の様子を詳しく紹介している。

 昨年までは日本語と英語だけだったが、アジア圏からの外国人観光客が増加し、天神祭を見学する人も増えているとして、2カ国分を増やした。

 パンフレットは、大阪天満宮(大阪市北区)の境内をはじめ、大阪市の観光案内所や外国人観光客が多い一部の施設で配布する。

 同局地域素材開発担当の松本浩一課長は「できるかぎり母国語に近い形で天神祭を理解してもらえれば」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160701/20160701048.html

2298名無しさん:2016/07/06(水) 11:23:48 ID:T7zJUrN20
江戸時代のちょうちん再現 OAPで展示始まる
2016年7月2日
 日本三大祭りの一つ天神祭に合わせ、大阪天満宮の氏地で江戸時代に飾られていたちょうちんが再現され、大阪市北区の大阪アメニティパーク(OAP)で1日、展示が始まった。各町の独自性があふれる計28種類が勢ぞろい。わざと読めない字を書き、参拝者と住民の対話のきっかけにしていたという「おもてなし」の文化が体感できる。31日まで。入場無料。



 OAP開業20周年を記念し、テナント会が大阪天満宮などと連携して実施した。

 大阪天満宮文化研究所研究員の高島幸次・大阪大招聘(しょうへい)教授によると、各町が掲げた「お祭りちょうちん」の役割は大きく三つ。足元を照らす「照明」と、神にささげる「献灯」に加え、各町があえて難解な字を書いて、参拝者が住民に意味を聞く形で会話が始まる「コミュニケーションを誘発する装置」の役割があったという。

 会場では、てん書で「夜燈(やとう)」と書かれていたり、草書や隷書で「献燈」と書き込まれていたりと、多彩なちょうちんを展示。27張は江戸時代の再現で、一つはOAP開業を受けて1998年に誕生した。

 OAP事務局の飯守将平・三菱地所プロパティマネジメント主査は「地元に根ざした取り組みで天神祭のにぎわいに貢献できれば」と来場を呼び掛けている。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160702/20160702036.html

2299名無しさん:2016/07/08(金) 04:30:06 ID:.HUxyLJw0
「天神祭月間」機運高まる 祭り料理で盛り上げ意欲
2016年7月7日
 大阪天満宮の寺井種伯宮司と天神祭渡御行事保存協賛会の尾崎裕会長(大阪商工会議所会頭)は6日までに、大阪市北区の大阪天満宮で大阪日日新聞のインタビューに応じ、天神祭を七夕から本宮祭までの19日間と位置付け、「期間中にさまざまな催しを展開して盛り上げることが大切」などと意見交換した。寺井宮司は来年以降、祭りの時期に振る舞われる料理をテーマにしたキャンペーンを実現させる意向を示した。



 天神祭は日本三大祭りの一つとして知られ、24日の宵宮祭と25日の本宮祭の関連行事が有名。室町時代には天神祭を七夕の日に行った記録がある点を踏まえ、近年は7日を天神祭の開始日とし、25日まで「天神祭月間」として盛り上げようとする機運が関係者の間で高まっている。

 期間中は例年、七夕関連の行事をはじめ、ヨットレースや京都・伏見の酒の奉納など多彩な催しが開かれている。

 尾崎会長は、インターネットを活用した発信の重要性を指摘した上で「単発よりも一定期間ある行事のほうが打ち出しやすい。プレゼンテーションのやり方次第でいろいろなことができるのではないか」と語った。

 寺井宮司は「夏祭り気分を満喫してもらえることをやっていきたい」と強調。その一つとしてハモやタコ、魚のすり身を油で揚げた「白天」といった伝統的な祭り料理を地元飲食店が扱うキャンペーンに意欲を示した。関係者に協力を求め、早ければ来年の実施を目指す。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160707/20160707029.html

2300名無しさん:2016/07/09(土) 02:34:25 ID:uA3u27O20
七夕神事で幕開け 天神祭「月間」行事 多彩に
2016年7月8日
 天神祭の幕開けを告げる七夕の神事が7日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われ、19日間に及ぶ「天神祭月間」がスタートした。今年は、江戸時代に氏地で飾られていた「お祭りちょうちん」が再現され、地域の施設で展示されているほか、25日の本宮まで多彩な恒例行事が各地で繰り広げられ、浪速の夏を盛り上げていく。


ササと鈴を手に神楽を披露したみこ=7日午後、大阪市北区の大阪天満宮

 「天神祭月間」は、室町時代に天神祭を七夕の日に行った記録がある点を踏まえ、7日を天神祭の開始日とし、船渡御や奉納花火のある25日まで祭りを盛り上げようと関係者らが打ち出している。

 この日、大阪天満宮は本殿で天満天神七夕祭の神事を行い、寺井種伯宮司の祝詞の後、2人のみこがササと鈴を手に神楽を披露。参列者らは願い事を書いた短冊を奉納した。

 天神祭を支える講社連合会の宗石剛会長は「これから夏本番を迎えるが、関係者一同、元気で盛大に祭りを行っていけるように励んでいきたい」と話していた。

  ◇    ◇

 宵宮、本宮までの主な行事は次の通り。

 大阪アメニティパーク(大阪市北区)で「お祭りちょうちん」の展示。31日まで▽9日午後2時半から大阪天満宮(同)で「青葦(あおよし)奉納式」▽22日午後7時半から北新地地区(同)で「天神祭北新地巡行」▽23日正午ごろから天神橋筋商店街(同)でギャルみこし巡行▽23日午後5時から大阪ビジネスパーク(中央区)で「OBP天神祭前夜祭」

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160708/20160708027.html

2301名無しさん:2016/07/09(土) 21:58:17 ID:46dRe3lQ0
大阪・生國魂祭、初の平日「渡御」 府警難色も警備員配置など協議実る
 7月12日に生國魂(いくくにたま)神社(大阪市天王寺区)で行われる「生國魂(いくたま)祭」の中心神事で、氏子ら約500人が大通りを練り歩く「渡御(とぎょ)」が、平成26年に往時の形に復活させて以降、初めて「平日」に実施されることになった。26、27年はいずれも「休日」に行われていたが、今年は12日が平日にあたるため、大通りの交通規制に府警が難色を示し、実施が危ぶまれていた。神社側が警備員を独自に配置するなどして協議を進めた結果、実施にこぎ着けた。

 生國魂神社は「いくたまさん」の愛称で知られる大阪最古の神社。毎年7月11、12の両日に行われる生國魂祭は、天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭の一つに数えられる。疫病を鎮めるため、平安時代から始まった「夏越(なごし)の祓(はらえ)」がルーツとされ、江戸時代ごろから祭りになった。今では夏の風物詩として知られ、12日には、氏子らが神社から大阪城まで練り歩く。

 渡御は戦後70年の節目を前に26年、往時に近い形で復活。今年が初の平日にあたるため、府警は当初、平日に大規模な通行止めを実施した前例がないとして難色を示していたが、神社側が渡御の巡行順路や警備員の配置図、交通規制の実施予定時刻などをまとめた「警備計画書」を作成して協議を進め、府警の了解を取り付けた。当日午前9時半〜午後5時半、神社周辺と谷町筋で交通規制を行う。中村文隆権禰宜(ごんねぎ)(40)は「今後も渡御を永続させ、地域文化を継承していきたい」と話している。

http://www.sankei.com/region/news/160702/rgn1607020073-n1.html

2302名無しさん:2016/07/13(水) 21:49:09 ID:Y61B2Lac0
暑さ吹き飛ばすお練り 「生国魂祭」にぎやか宵宮
2016年7月12日
 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)の「生国魂祭」が11日、宵宮で幕を開けた。獅子舞やみこし、布団太鼓が氏地へ繰り出し、勇壮華麗な姿で伝統の夏祭りの到来を触れて回った。



 奉仕する氏子崇敬者は本殿でおはらいを受けた後、同神社特有の手締め「いくたま締め」を交わしてにぎやかに宮出した。

 大阪管区気象台によると、この日の大阪市の最高気温は8月上旬並みの33・7度まで上昇。奉仕者は暑さを吹き飛ばすような勢いで、区内や中央区の氏地でお練りを繰り広げ、日暮れに宮入りした後も、多くの参拝者が見守る境内で勇壮華麗な所作を披露した。

 子ども約150人が参加した「いくたま子供獅子」は今春から練習を開始し、祭り直前の集中練習を終えて参加。指導者の村田弦さん(34)は「万全の態勢で臨み、昨年を上回る良いお祭りにしたい」と息を弾ませた。

 本宮(12日)では陸渡御が行われ、約500人からなる壮大な渡御列が同神社本来の鎮座地である大阪城を目指す。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160712/20160712024.html

2303名無しさん:2016/07/20(水) 12:00:24 ID:LqSzuzew0
お米しっかり守ってね 住吉大社でアイガモ農法
2016年7月20日
 住吉大社(大阪市住吉区住吉2丁目、高井道弘宮司)の境内に広がる御田(おんだ)(御神田)で今年も恒例のアイガモ農法がスタートした。愛らしいひなたちは、6月14日の「御田植(おたうえ)神事」(重要無形文化財)で奉仕者が植えた苗の間をすいすいと往来。雑草や害虫を食べる“仕事”ぶりが参拝者ら多くの人々の注目を集めている。


御田でアイガモの放鳥を体験する園児

 御田(約20アール)でのアイガモ農法は約20年前から実施。数年前からは地元幼稚園が農業の一端に触れることのできる機会として参加している。11日に約20羽の放鳥があり、区内の市立墨江幼稚園(大倉有紀園長)から園児約30人が訪れた。

 興味津々の園児たちは生後2週間のひなを代わる代わる抱え上げて大はしゃぎ。「頑張って」「しっかり虫を食べて」などと声を掛けながら広い御田に放った。

 同大社では2013年度から近隣の幼稚園、小学校に御田のかかしを制作してもらう「住吉かかしプロジェクト」に取り組んでいる。担当者で同大社権禰宜(ごんねぎ)の岡康史さんは「身近にある御神田を訪れて、日頃自分たちが食べているコメができる過程を見ていただきたい」と期待を込める。

 大倉園長は「子どもたちの心に残る大事な取り組み。食育にもつながる貴重な体験ができた」と笑顔で話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160720/20160720033.html

2304名無しさん:2016/07/25(月) 04:37:33 ID:a1xhaCmU0
天神祭前夜祭 会場熱気あふれ 大阪ビジネスパーク
2016年7月24日
 天神祭(24日宵宮、25日本宮)をハイライトで楽しめる「天神祭前夜祭inOBP」(実行委員会主催)が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパークで開かれた。渡御などに参列する各講社は伝統の舞や演奏などで会場を熱気で包み込んだ。


吹き抜けの会場で踊りの輪を広げる菅公会=23日午後、大阪市中央区のツイン21

 1986年から続くイベントで、今年は第31回。地域住民や会社員らが“祭りの心と力”に触れられる場にしようと大阪ビジネスパーク協議会と大阪天満宮が実行委となって取り組んでいる。

 今年もツイン21で本式にのっとった清祓(きよはらい)式の後、太鼓中、地車講、天神講獅子、菅公会が登場。太鼓中は祭りの花形「催(もよおし)太鼓」に奉仕し、太鼓の下に丸太を敷いて大きく揺らして打つ「からうす」を披露。地車講はおはやしに乗せた龍おどり、天神講は獅子舞で、本番とはひと味違う室内会場での祭りを盛り上げた。

 地域の復興を目的に始められた天神踊が母体となり48年に結成された菅公会は、天神祭ばやしに合わせて会場いっぱいに踊りの輪を広げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160724/20160724031.html

2305名無しさん:2016/08/01(月) 00:16:39 ID:6KBKdBAw0
ど田舎ど僻地だった東京に幕府を開いた徳川家康

https://www.youtube.com/watch?v=UsZy6KF8Ypg

2306名無しさん:2016/08/11(木) 04:54:27 ID:HefL02SY0
参詣者続々 先祖を供養 四天王寺「盂蘭盆会」
2016年8月10日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で9日、お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が始まった。無数の献灯灯ろうが飾られる中、多くの参詣者が墓参りなど先祖供養に訪れている。16日まで。


西大門(極楽門)に飾られた無数の献灯灯ろう=9日午前、大阪市天王寺区の四天王寺

 灯ろうは門や諸堂などに奉納。先祖の霊名と清らかなハスの花が書かれ、時折吹き抜ける風に揺れながら人々を迎えている。

 この日の夜から境内に約1万本のろうそくに火をともす「万灯供養法要」(16日まで)が始まり、日中は先祖の霊名を記す万灯ろうそくの申し込みに列ができた。同寺の東門近くで生まれ育った女性(73)=同市生野区=は「万灯ろうそくは、わが家の習わしで、生きている者の務め。今年も亡き夫やおしゅうとめさんらの供養ができ、ひと安心」と笑顔で汗をぬぐった。

 境内・六時堂では観音功徳日にちなんだ「千日まいり」(9、10日)も始まった。古来、両日に参詣すると千日間続けてお参りしたのと同じ功徳を授かるとされることから、大勢が祈願や厄病よけ札の授与に並んだ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160810/20160810049.html

2307名無しさん:2016/08/13(土) 17:24:06 ID:kD/uDf2s0
伝統芸能「かっぽれ」後世に 普及へ教室開講
2016年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160810/20160810050.html

 滑稽な踊りとして親しまれている「かっぽれ」。その伝承・普及活動に取り組んでいる桜川梅后さん(54)=大阪市浪速区敷津西=は東京から大阪に移住したのをきっかけに先月、カルチャー教室「梅后流かっぽれ」をなんばカルチャービル(浪速区難波中)で開講した。

 かっぽれは、大衆文化を代表する日本の伝統芸能として関心が高まっており、桜川さんは「3代目家元として、母(宗家で初代家元)が築き上げた梅后流かっぽれの種を大阪でまき続けたい」と張り切っている。

 かっぽれは、大阪・住吉大社の御田植え神事の住吉踊りが起源とされ、江戸時代に伊勢神宮(三重県)の参拝者を前に街道で披露する大道芸として広まっていった、という。

 その後、江戸に伝わり、三味線伴奏に乗せて「かっぽれ、かっぽれ」のおはやしに合わせて踊る現在のスタイルが形成され、明治になってお座敷芸の余興として評判を呼んだ。

 桜川さんは母でもある初代桜川梅后さん(1998年に文部大臣表彰、故人)のそばで幼少期から、かっぽれに親しみ、「母とそっくり」といわれる芸を習得。「座敷芸であるかっぽれを、パレードのできる大道芸としても発展させたい」という母の思いを形にしていった。

 浴衣に鉢巻きを締めた粋なスタイルで、老若男女が踊る、かっぽれは、「見ても、踊っても楽しい」と人気を集め、桜川さんは踊り手の中心的存在として、全国各地のイベントに参加。アメリカ、ヨーロッパ各国で開かれる日本文化紹介イベントにも出演している。

 教室はこれまで関東地区を中心に開講。かっぽれを踊る愛好者は全国で4千人といわれているが、大阪での普及はこれから。「基礎を作り上げた初代家元の娘として、かっぽれの楽しさをできるだけたくさんの人に味わってもらえるよう、汗を流していきたい」と目を輝かせている。

 「梅后流かっぽれ」は毎週金曜日の午後0時半から同2時まで開講。問い合わせは電話06(6645)1236、なんばカルチャービル。

2308名無しさん:2016/08/14(日) 04:11:40 ID:K2KRraq60
大阪城で秀吉にささげた踊り再現 市民らが天守閣前広場で
2016年8月13日 19:50

 約400年前、豊臣秀吉の七回忌で人々が踊った「豊国踊り」を再現するイベントが13日、大阪市中央区の大阪城天守閣前の広場であった。あかね色に染まる夕空の下、数百人の市民や観光客が太鼓や三味線の音に合わせて軽やかに舞った。


 大阪城天守閣前の広場で行われた「豊国踊り」を再現するイベント=13日夕、大阪市

 豊国踊りは1604年8月、京都市の豊国神社で行われた七回忌の祭礼のクライマックスで約1500人が踊ったとされる。国の重要文化財「豊国祭礼図☆(尾の毛が併の旧字体のツクリ)風」に当時の様子が描かれている。こうした史料を基に大阪城天守閣の北川央館長らが中心となって踊りを学術的に再現した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160813/20160813111.html

2309名無しさん:2016/08/14(日) 12:44:42 ID:Mu5tK16Y0
輪になり「豊国踊り」 「真田丸」ゆかりの伝統満喫
2016年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160814/20160814049.html

 大阪城天守閣(北川央館長)は13日、大阪市中央区の天守閣前本丸広場で、豊臣家ゆかりの「豊国(ほうこく)踊り」を再現、披露する催しを開いた。当時の資料に沿い、慶長時代に近い形でよみがえった“平成の豊国踊り”を来場者らが楽しんだ。

 NHK大河ドラマ「真田丸」の放映を記念し、主人公真田信繁(幸村)を顕彰する催しの一環。豊国踊りは1604年、信繁が仕えた秀吉の七回忌祭礼で奉納されたと伝わるもので、大蔵流狂言師の茂山千三郎さんが演出、上方舞山村流六世宗家の山村友五郎さんが振り付けを担うなど時代考証を踏まえて昨年再現した。

 特設の舞台では、朝宮真由さんら宝塚歌劇団、美砂まりさんらOSK日本歌劇団のOGが浴衣姿で、三味線の音に合わせてアップテンポな手踊りを披露。観光客も輪に加わり、400年前に思いをはせた。曲芸師の豊来家一輝さんは刃物や皿を用いて放下芸(曲芸)を再現し、会場を沸かせた。大阪城天守閣広報の青木美佐子さん(41)は「市民参加型の催しとして、夏の風物詩に」と期待を寄せた。

2310名無しさん:2016/08/16(火) 11:57:59 ID:RYp.RDoM0
ろうそく見つめ故人思う 四天王寺万灯供養
2016年8月16日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)でお盆行事、盂蘭盆会(うらぼんえ)の「万灯供養」が執り行われている。家族連れなど多くの参詣者が先祖をしのび、ほのかなろうそくの明かりに手を合わせている。16日まで。


無数の万灯ろうそくに照らされる中心伽藍=15日午後、大阪市天王寺区の四天王寺

 五重塔、金堂、講堂が建つ境内・中心伽藍(がらん)では回廊沿いにろうそく台が設けられ、夕刻、先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」に点火。同寺によると15日に点灯された本数は約2万5千本を数え、毎晩、幻想的な明かりが伽藍内を照らす。

 同寺僧侶が般若心経の読経とともに練り歩く法要もなされ、参詣者も続々と僧侶に続く姿が見られた。

 人々は燃えるろうそくを静かに見つめたり、「今年も来たよ」と故人の人柄を思い出したりしながら、思い思いに供養のひとときを過ごしていた。

 万灯供養は日没後から午後9時まで。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160816/20160816049.html

2311名無しさん:2016/08/17(水) 01:31:50 ID:Ug7Y25ck0
大阪文化PRのポスター展 環状線と地下鉄の95駅で 大阪商議所が発表 18日スタート
 大阪商工会議所は16日、大阪の歴史や文化をクイズ形式で紹介する「大阪検定ポスター展」を、JR大阪環状線と大阪市営地下鉄の計95駅で開催すると発表した。大商が平成21年から毎年主催している「なにわなんでも大阪検定」の認知度を高めるとともに、地域の魅力を再発見してもらう狙い。18日から10月5日まで。

 環状線の全19駅と地下鉄の76駅を対象に、駅ごとに異なるポスターを1枚ずつ展示する。クイズは4択形式で、大商に近い地下鉄中央線の堺筋本町駅では、前身の「大阪商法会議所」の初代会頭五代友厚にちなみ、「大阪経済の立役者、五代友厚の功績でないものはどれ?」とした。

 クイズは今回の企画に合わせた新作に加え、大阪検定の過去の出題問題で構成する。大阪らしい派手な色彩のイラストを盛り込み、目につきやすいよう工夫した。

 大商の担当者は「街めぐりを楽しむ気分でポスターを探してほしい」と話している。

http://www.sankei.com/west/news/160816/wst1608160066-n1.html

2312名無しさん:2016/08/18(木) 18:54:37 ID:X9aKZSHA0
歴史散策「一心寺」寄って…無料案内・休憩所
2016年08月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160815-OYTNT50299.html

 ◇「大坂の陣屏風」複製も

 大阪市天王寺区の一心寺そばの同寺所有地に、近隣散策の案内所と休憩所の機能を持つ施設ができた。寺近辺は「大坂の陣」の舞台となっており、観光客をサポートしようと、寺が1年あまりかけて建築。無料で利用できる。大坂の陣の様子を描いた屏風びょうぶも複製され、常設展示されている。

 大坂の陣では、真田幸村や徳川家康が、同寺周辺の茶臼山にそれぞれ陣を張ったとされる。また、今年はNHK大河ドラマ「真田丸」が放映され、観光客が増えていることから、同寺が建築を計画した。

 建物は寺境内の東につくられ、建築面積約250平方メートル、地上3階、地下1階建て。大坂の陣当時に同寺の住職だった「存牟ぞんむ上人」にちなんで、「存牟堂」と名付けた。

 大阪城天守閣が所蔵する重文「大坂夏の陣図屏風」を拡大し、複製した陶板(縦2メートル、横4・5メートル)をつくり、1階に常設。夏の陣当時の幸村や伊達政宗、豊臣秀頼らが確認できる。1階にはベンチも置いて休憩スペースとする。

 2階はギャラリースペースとして活用。3階は備蓄倉庫となっており、災害時用に500ミリ・リットル入りペットボトル1万本分の水を蓄えている。

 先月27日には、関係者や地元住民約60人が参加して法要が営まれ、同寺の高口恭行長老が「社会貢献も念頭に置いている」と建築の理由を説明。来賓の北川央・大阪城天守閣館長は「歴史観光の拠点施設になってほしい」と期待していた。

2016年08月16日

2313名無しさん:2016/08/18(木) 19:07:08 ID:X9aKZSHA0
少年救った将校「父かも」…京橋空襲71年
2016年08月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160813-OYTNT50295.html?from=yartcl_blist

 ◇半田さん 男性の話に心の区切り

 71年前の終戦前日の8月14日、京橋空襲で陸軍将校の父(当時30歳)を亡くした半田江津子さん(74)(栃木県)は戦後間もなく母とも生き別れ、父の最期を知らずに育った。以来ずっと父の足跡を求めてきたが、この夏、空襲の際に将校に助けられたという大阪市内の男性と会い、当時の話を聞いた。「父かどうかはわからないが様子が浮かび、ようやく心の区切りがついた」と特別な思いで14日を迎える。 (浅野友美)

 「お父さんは天国で見守ってくれてますよ」。慰霊塔が立つJR京橋駅南口(大阪市城東区)で先月27日、半田さんは近くに住む高原秀夫さん(83)からそう言葉をかけられ、涙ぐんだ。

 戦時中、半田さんは両親と2歳下の妹と同市旭区に住んだ。父・佐藤武さんは将校として大阪砲兵工廠こうしょうに勤務。写真とクラシックが趣味だった。半田さんが幼い頃、川で流されかけ、父が助けてくれた記憶もあるが、思い出は断片的だ。

 「お父さんは砲兵工廠で亡くなった」。そう聞かされた以外、何もわからず、1945年9月には栃木県の父の実家へ。その後、母と妹は母方の実家に移った。

 家族で一人きりになり「私はこういう宿命」と割り切ることもあったが、父の実家には、父が撮った幼い頃の自分や家族の写真が何十枚も避難させてあり、「こんなにかわいがってくれていたんだ」と感じた。幸せな時間を戦争に断ち切られた悔しさから、父のことをたどるようになった。

 妹もまた父の最期を知ろうと大阪国際平和センター(同市中央区)などに足を運んでおり、妹の様子が6年前、新聞に掲載。その記事を高原さんが見たのをきっかけに、姉妹との間につながりができた。

 高原さんは12歳の時、研修に来ていた工廠内で空襲に遭い、そばにいた将校がとっさに「防空壕ごうに入れ」と叫んでくれたお陰で生き延びた。だが爆撃音がやみ、外に出ると、3人の将校が血を流して絶命しており、その姿に大きなショックを受けた。戦後も空襲のことが頭をよぎると涙が止まらなくなり、体験をほとんど話さなかった。

 半田さんは大阪を訪れて初めて高原さんと対面。「私は全て『忍』の一文字で生きていかなくてはと、諦めたこともあった。高原さんの話を聞き、空襲の様子とともに、父の姿が浮かび、心が前向きになれた」と感謝した。

 高原さんは「家族で一番楽しい時期を奪われた半田さんのお父さんは本当に気の毒だと思う。体験を伝えることができて、私の戦後もようやく終わったような気がする」と話した。

 

 ◆京橋空襲

 1945年3月以降続いた大阪大空襲の第8次空襲。8月14日昼、大阪城東側にあった軍需工場・大阪砲兵工廠が標的となった。工廠内にいた約360人が死亡したとされる。さらに工廠北側の京橋駅にも爆弾が直撃。多数の死者、行方不明者が出た。

2016年08月14日

2314名無しさん:2016/08/23(火) 04:11:14 ID:9RJH9FfI0
間国宝の吉田文雀さんが死去 文楽人形遣い
2016年8月21日 20:22

 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田文雀(よしだ・ぶんじゃく、本名塚本和男=つかもと・かずお)さんが20日午後9時12分、心静止のため兵庫県西宮市の病院で死去した。88歳。東京都出身。葬儀・告別式は24日午前11時半から西宮市城ケ堀町1の40、公益社西宮山手会館で。喪主は長男宏(ひろし)氏。


 自前の「老女方」の首を持つ吉田文雀さん=2006年4月、大阪市の国立文楽劇場

 最後の舞台となった「花競四季寿」で、関寺小町の人形を遣う人間国宝の吉田文雀さん=2015年1月、大阪・国立文楽劇場(同劇場提供)

 1945年に文楽界に入り、50年、女形の名人として知られた三代目吉田文五郎に入門、文雀を名乗った。人間国宝の吉田簑助さんと並ぶ女形の第一人者で、他にも老人や武士など幅広い役柄を手掛けた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160821/20160821066.html

2315名無しさん:2016/08/29(月) 04:41:29 ID:rOO6C8Rk0
夏よ、さらば 晩夏恒例の「南御堂盆おどり」
2016年8月28日
 浄土真宗の開祖、親鸞の縁日にちなむ晩夏恒例の「南御堂盆おどり」が27日、大阪市中央区の真宗大谷派難波別院(南御堂)で始まり、詰め掛けた市民らが過ぎゆく夏を惜しんでいる。28日まで。


やぐらを囲み、幾重にも踊りの輪ができた境内=27日午後、大阪市中央区の難波別院

 境内が戦災から復興し、1963年に再開して今年で54回目。28日は親鸞の月命日で、前日の8月27日から法要が営まれることもあって難波別院が両日に開いている。

 境内が夕闇に包まれると、やぐらを囲んで浴衣姿の踊り手たちが一斉に手踊りを披露。「江州音頭」や「炭坑節」など全国に伝わる民踊20曲余りを、太鼓や三味線の生演奏と生歌に乗せて軽やかに踊り続けた。

 屋台が並び、「河内音頭が踊れる夏最後の祭り」(担当者)ということもあって毎年千人規模の輪でにぎわう。難波別院の宗正俊主幹(56)は「ぜひ活力にしてほしい」と来場を呼び掛けている。

 午後6時〜同9時半。問い合わせは電話06(4708)3272、難波別院。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160828/20160828025.html

2316名無しさん:2016/09/04(日) 04:42:30 ID:NXguUcI.0
くまモンもポケモンも出現? 「彦八まつり」にぎやかに 大阪・生國魂神社
「彦八まつり」のオープニングには、熊本県PRキャラクター「くまモン」(中央)も駆け付けた=3日、大阪市天王寺区
 上方落語協会(桂文枝会長)のファン感謝祭「彦八まつり」が3日、大阪市天王寺区の生國魂神社(通称・いくたまさん)で開幕した。4日まで。

 上方落語の祖、米沢彦八の功績をたたえ、同神社に顕彰碑を建立したのを機に平成3年から開催。10万人以上を動員する協会最大のイベントとして、今年で26回目を迎える。

 オープニングセレモニーでは、実行委員長で来年秋に「七代目笑福亭松喬(しょきょう)」を襲名する笑福亭三喬さんが獅子舞を披露したほか、熊本県PRキャラクターの「くまモン」も駆け付けた。

 会場では、落語家による約40の屋台やバンド演奏、奉納落語会などに大勢の落語ファンでにぎわった。会長の文枝さんは「会場には結構レアなポケモンもいます。いろいろお楽しみください」とあいさつ。

 4日は、落語家による綱引き大会や鏡開き、NHK大河ドラマ「真田丸」で千利休を演じた文枝さんによるお手前の披露などが予定されている(雨天決行)。

.http://www.sankei.com/west/news/160903/wst1609030052-n1.html

2317名無しさん:2016/09/11(日) 00:18:59 ID:puwbk0BY0
古墳の所有権移転求め提訴 大阪・藤井寺、民間から市へ
2016年9月6日 17:29
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160906/20160906075.html


 大阪府藤井寺市は6日、世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」に含まれる浄元寺山古墳(同市)の墳丘部の所有権を、民間から市に移転するよう求める訴訟を大阪地裁堺支部に起こした。


 大阪府藤井寺市にある浄元寺山古墳(左上の木立)。中央は墓山古墳

 市によると、古墳の墳丘部がある土地(約3300平方メートル)は1983年、登記名義人の孫から市に寄贈したいと申し出があり、市教育委員会が維持管理してきた。

 登記名義人と孫はすでに亡くなり、民法の規定で不動産は20年占有すると時効が発生し所有権を取得したと見なされるが、市の調査で相続人が96人いることが判明。市は所有権移転手続きのため提訴に踏み切った。認められる見通し。

2318名無しさん:2016/09/11(日) 10:00:05 ID:puwbk0BY0
USJに「純国産ホラー」登場 ハロウィーン関連イベント
2016年9月8日 19:58
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160908/20160908112.html

 大阪市の米映画テーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は9日から開催する秋のハロウィーン関連イベントの詳細を8日、パーク内で発表した。日本人形が待ち構える「純国産ホラー」のアトラクションが初登場。家族連れが楽しめるイベントも用意するなど趣向を凝らし、集客増を狙う。

 10日から期間中の毎日開催する「ハロウィーン・ホラー・ナイト」では10のアトラクションをそろえた。「Jホラー・エリア」にある迷路型の「祟 TATARI」では、荒廃した村を舞台に日本人形が来場者を出迎え、「心の底からわき上がるような」(担当者)恐怖体験が味わえる。

2319名無しさん:2016/09/11(日) 10:13:33 ID:puwbk0BY0
上方落語「繁昌亭」10年…138万人笑った
2016年09月11日 09時32分
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160910-OYT1T50088.html?from=ytop_main9

 上方落語唯一の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区、216席)が15日、開場から10年を迎える。

 落語家が資金集めや運営に携わる全国的にも珍しい寄席で、上方では戦後初の常設小屋。ファンの裾野を広げ、累計入場者数は138万人に到達。落語家の数も約3割増加した。一方で、「第二の繁昌亭」構想を巡っては慎重論も出ている。

 ◆落語家自ら運営

 開場は2006年9月。上方落語協会会長の桂文枝さん(73)の先導で、大阪天満宮の隣接地を無償で借り受け、落語家や地元・天神橋筋商店街の商店主らが集めた寄付金で建設した。

 興行主が出演者を決める東京の寄席とは異なり、協会が運営に携わり、落語家自身がプログラムを組む。

 年間入場者数は、NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」効果で、16万9800人に達した08年度をピークに頭打ち傾向とはいえ、この5年間は12万〜13万人で推移。集客では、東京・浅草の観光地にある浅草演芸ホールの約11万人(15年)に劣らない。

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2016年09月11日 09時32分

2320名無しさん:2016/09/17(土) 01:26:31 ID:F.E0k.ic0
献歌句朗詠や舞楽奉納 住吉大社で「観月祭」
2016年9月16日
 中秋の名月の15日夜、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で「観月祭」が厳かに執り行われた。雲間から時折、月の光が差す中、献歌句の朗詠や舞楽奉納があり、多くの参拝者が情緒ある光景に見入った。



 境内では第一本宮での神事に続いて、神職らが反橋で全国から寄せられた短歌、俳句の入選作を紹介。ススキや団子が供えられた橋上から秀作の数々を朗々と詠み上げた。

 舞楽は天王寺舞楽の伝承に務める団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」の有志が奉仕し、幕開けを飾る「振鉾(えんぶ)」をはじめ勇壮華麗な所作を披露。みやびやかな雅楽の音色と相まって見守る人々を魅了した。また「住吉踊(おどり)」奉納では同保存後援会の童女らが躍動感あふれる踊りを繰り広げ、伝統行事を盛り上げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160916/20160916024.html

2321名無しさん:2016/09/17(土) 01:32:57 ID:F.E0k.ic0
大阪の繁昌亭が開業10周年 落語家が商店街でお練り
2016年9月15日 9:28

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)が15日、オープンから10周年を迎え、地元の天神橋筋商店街を落語家がにぎやかに練り歩いた。



 上方落語協会会長の桂文枝さんが「あっという間の10年間。本当にありがとうございました」とあいさつした後、赤い人力車に乗り、おはやしなどと隊列を組み繁昌亭まで約2キロをお練りした。鏡開きの後、文枝さんら出演者による記念口上を含む特別公演を開催。

 大阪の落語定席は戦後、姿を消していたが、企業や市民からの寄付で2006年に約60年ぶりに復活した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/160915/20160915028.html

2322名無しさん:2016/09/22(木) 03:40:06 ID:texUiLyI0
信繁の兜や書状 真田丸展に180点…17日から
2016年09月17日Tweet
 ◇大阪歴史博物館


 NHKで放送中の大河ドラマ「真田丸」にちなんだ展覧会「2016年NHK大河ドラマ特別展『真田丸』」(読売新聞社など主催)の開会式が16日、大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開かれた。

 ドラマの主人公・真田信繁(幸村)が使っていたとされる兜(かぶと)など真田家ゆかりの品々や、信繁を「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」と評した書状など国宝、重要文化財を含む計約180点を会期中に展示する。

 開会式で、同博物館の栄原永遠男館長が「信繁の第二の故郷といえる大阪に全国からゆかりの品々が集まった。楽しんでほしい」とあいさつ。テープカットに続き、内覧会が行われた。

 一般公開は17日〜11月6日(火曜日休館)。一般1300円など。問い合わせは同博物館(06・6946・5728)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160916-OYTNT50313.html

2323名無しさん:2016/09/22(木) 03:51:24 ID:texUiLyI0
枚方の「お台場」一般開放…史跡公園化
2016年09月16日Tweet
 ◇勝海舟設計、17日説明会

 国内唯一の河川砲台跡地「楠葉台場跡」(枚方市)の暫定的な史跡公園整備が終わり、枚方市は今月から一般開放を始めた。周辺は植栽が施され、当時の堀や土塁、番所の位置をしのぶことができる。明治期に消えた幻の要塞・大阪の「お台場」が復活し、17日に現地で説明会が開かれる。

 大阪から京都につながる淀川を上る外国船を大砲で攻撃する名目で、勝海舟が設計した。南側と西側の突出部に砲台3基を備え、北海道函館市の五稜郭と同じ西洋式の築城技術が採用され、1865年に完工した。ただ実際には、長州藩士ら尊皇攘夷派の京都入りを阻止する関門の役割だったとする考え方が有力という。

 戊辰戦争の舞台にもなったが、明治以降は民間に払い下げられ、田畑になっていた。京都で見つかった設計図を参考に枚方市教委が2008年から発掘調査を進め、堀や石垣の一部が出土。大坂と京都を結ぶ京街道を台場内に引き込んだ跡なども見つかった。幕末の政治、軍事状況を把握する上で重要と評価され、11年に約3・1ヘクタールが国史跡になった。

 市文化財課は「迫る山を望む景観を含めて、台場跡地を感じてほしい」としている。説明会は17日午前11時、午後1時の2回。いずれも30分程度で、集合は史跡南側。事前申し込みは不要で参加無料。問い合わせは同課(050・7105・8058)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160915-OYTNT50351.html?from=yartcl_blist

2324名無しさん:2016/09/23(金) 03:53:55 ID:YY9JakGI0
大和政権の影響及ぶ?「池田茶臼山」4世紀の前方後円墳と判明

 大阪府池田市教育委員会は22日までに、同市五月丘にある池田茶臼山古墳(4世紀半ば、古墳時代前期)が、前方後円墳であることが確定したと発表した。前方後円墳の発祥地とされる奈良盆地東南部にあったとされる大和政権の影響が、この時期には大阪府北西部に及んでいたと推定できるという。

 以前の測量調査で、前方後円墳と考えられていたが、今回の発掘で前方部と後円部との境界の「くびれ部」で葺石を見つけ、改めて前方後円墳だったことを確認した。また前方部は細長く、前期古墳に特徴的な「柄鏡式」と呼ばれるタイプだったことも分かった。円筒埴輪の破片も出土、全長は想定されていた62メートルよりも短い57メートルだった。

 市教委によると、大阪府北西部を流れる猪名川左岸で最も早く築造された首長墳の一つと考えられている。

 現地説明会は24日午後1〜3時。

http://www.sankei.com/west/news/160922/wst1609220037-n1.html

2325名無しさん:2016/09/25(日) 18:19:18 ID:MLQWHo7E0
http://mainichi.jp/ch160935223i/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E9%99%A3
大坂の陣 迫真ルポ 秀頼が裏切り者を城壁から突き落とす
毎日新聞2016年9月21日 21時25分(最終更新 9月23日 12時23分)

駐日オランダ人の書簡 初確認

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614〜15年)について、駐日オランダ人が書き残した文書がオランダ・ハーグ国立文書館で確認された。国際日本文化研究センター(日文研)=京都市西京区=が21日、発表した。追い詰められた豊臣秀頼が寝返ろうとする大名を城壁から突き落としたなどと記されており、専門家は「大坂の陣の様子がうかがえる貴重な史料だ」と話している。

<まんがで解説>大坂の陣から400年 http://mainichi.jp/sumamachi/news.html?cid=20150517mul00m04000400sc

 オランダ東インド会社が日本での外交・貿易活動拠点としていた「平戸オランダ商館」の書簡で、一部は既に和訳されているが、09〜33年に書かれた約520点について日文研が現地の大学と共同で新たに調査していた。

 大坂の陣について書かれた文書は、豊臣家が滅亡した夏の陣の約1週間後、同社社員が長崎の平戸オランダ商館長あてに記していた。大坂城の落城直後、大坂などで大名の家臣や商人などから聞き取った情報を基にまとめたとみられる。「秀頼の数人の大名が、赦免が得られると考え、皇帝(徳川家康)側に寝返るために城に火を付けたが、彼らは逃げる前に秀頼によって、その場で(城壁から)落とされて死んだ。また、その火事を消すことは不可能であったため、戦う勇気を失っていた秀頼と他の大名たちは切腹し、それによって皇帝は(中略)城を奪還した。(中略)秀頼の家臣のうち兵士やその他の者約1万人が死んだ」などと書かれている。

 大阪城天守閣(大阪市)の跡部信・主任学芸員は「秀頼の家臣が裏切ったという記述は他の文献にもあるが、城壁から落としたという記述は見たことがない。外国人の目を通した客観的な記述という点でも意味がある」と評価する。調査にあたった日文研のフレデリック・クレインス准教授(日欧交流史)は「研究を進め、更に当時の日本の様子を明らかにしたい」と話している。【宮川佐知子】

2326名無しさん:2016/09/28(水) 04:53:49 ID:HspMmVCw0
木津市場の”恩人”に感謝 篠山神社例祭
2016年9月27日
 江戸期に現在の大阪木津卸売市場(大阪市浪速区)の礎を築いた大坂代官・篠山景義の偉業をたたえる例祭が26日、同区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)境内社の篠山神社で執り行われた。多くの市場関係者や氏子衆が参列し、祭壇に手を合わせ市場の原点を顧みた。


篠山神社前で神楽を奉納するみこ=26日午前、大阪市浪速区の難波八阪神社

 当時の大坂では天神橋-天満橋にあった天満青物市場のみが幕府官許の市場だったが、木津・難波の住民が地元での青物の市場開場の公認を願い出たところ、篠山代官の尽力によって開設が認められた。生活が安定し、地域が発展したことで住民たちが篠山代官に感謝し、生き神として祭ったのが同神社の起源とされる。

 神事では粟辻宮司による祝詞奏上に続き、みこが神楽を奉納。参列者が玉串を次々と奉納した。

 大阪木津市場の桑原浩社長(55)は「毎年お参りするたび原点に戻るような気持ち。心新たにする大変意義のある例祭」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/160927/20160927034.html

2327名無しさん:2016/09/29(木) 03:47:12 ID:96QpRtrQ0
よみがえる極彩色・・・加賀田神社
2016年09月24日Tweet
 ◇本殿の保存修理完了

 河内長野市加賀田にある市指定文化財「加賀田神社本殿」で、塗られていた色を復活させるため、2014年度から続いていた修理が終わり、23日、報道関係者らに公開された。本殿には、明治時代に海外から持ち込まれた青や緑の独特な顔料が使われていたことがわかり、今回の修復で鮮やかな極彩色がよみがえった。(戸田聡)

 本殿は1703年(元禄16年)の建立とされる。剥落が目立ってきたため、神社側が調査。工事時期などを記した棟札が2枚見つかり、本殿は1720年(享保5年)に彩色され、1882年(明治15年)に塗り直されたことがわかった。

 さらに、本殿の壁面に描かれていた馬や花鳥の絵には、エメラルドグリーンやプルシアンブルーなど、舶来の合成顔料が使われていることも判明。明るく派手な色合いが特徴で、当時の極彩色をとどめている建物は珍しいという。市文化財保護審議会が、現状を維持して保存することを決め、修理は3年に及んでいた。

 当時の色が残っているのは全体の3割程度で、にかわで固めるなどし、剥落を防ぐ措置を講じたという。 色が欠けていた部分は、文様を復元した上で、当時と同じ顔料で補色した。

 1882年の棟札には、「大和国宇智郡二見村(現在の奈良県五條市二見周辺)」「絵師ノ」「大西安太郎」と絵師の名前もあった。修理を担当した天野山文化遺産研究所の山内章代表理事は「二見の絵師は、奈良や和歌山の神社でも活躍したのではないか」と推測する。

 修復を終え、加賀田神社の田中義光宮司は「神社を支えてきた人たちの思いに応える機会に巡り合えて、うれしい」と話している。

 同神社では24日夜、ご神体を本殿に戻す遷座祭が行われる。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160924-OYTNT50003.html

2328名無しさん:2016/09/29(木) 04:15:11 ID:96QpRtrQ0
空襲耐えた「手水舎」修復…堺・開口神社
2016年09月28日Tweet
 ◇夏の陣で焼失・再建


 堺市堺区甲斐町東の開口(あぐち)神社で、参拝者が手などを清める「手水(てみず)舎」の修復工事が完了した。1615年の大坂夏の陣で焼失した後に再建され、歴史を刻んできたが、老朽化が進んでいた。

 同神社は約1800年前に建立されたとされ、大坂夏の陣で全焼。手水舎は江戸時代に再建され、1945年の堺空襲の被害もまぬがれた。しかし近年、屋根材の腐食で雨水が漏れ、柱の一部が欠けるなど傷みが目立つようになり、同神社が修復・保存を決めた。

 寄付などで500万円が集まり、今年3〜7月に工事を実施。使用可能な部材は残し、張り替えた屋根板などは古びた感じに着色し、違和感のないようにした。

 三上尚嘉宮司は「手水舎は長年参拝者を迎えてきたので、地元の宝として守っていきたい。よみがえった姿を見て堺の歴史に思いをはせてもらえたら」と話す。

 修復を記念し、同神社は「戦前の開口神社周辺のにぎわいについて」をテーマにした講演会を29日午後7時から開く。無料で申し込み不要。問い合わせは同神社(072・221・0171)へ。

http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160927-OYTNT50288.html

2329名無しさん:2016/10/05(水) 05:01:19 ID:FMR0Woyw0
来場者を魅了 大阪天満宮で神社婚フェス
2016年10月3日
 「神社婚フェス」が2日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。華やかな着物やドレスに身を包んだモデルが特設のランウエーを歩き、来場者を魅了した。


ショーで華やかな和装を披露するモデルら=2日午後、大阪市北区の大阪天満宮

 大阪天満宮が神前式を身近に感じてもらおうと初めて企画した。同所では挙式と披露宴のセットが年間で350件以上、行われているという。

 イベントでは、境内に設置された特設会場の長さ6メートルほどのランウエーを、10人ほどのモデルが練り歩いた。赤色や金色の色彩豊かな色打ち掛けをはじめ、純白のウエディングドレス、かわいらしいピンク色や大人の雰囲気が漂う紺色のイブニングドレスを披露した。

 このほか、「天神天満花娘」による野だてや、津軽三味線の演奏など多彩な催しも行われ、多くの来場者が楽しんでいた。

 天満宮会館の婚礼受付担当者は「人生の節目の結婚を伝統のある神前式で行うことは魅力」と話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161003/20161003035.html

2330名無しさん:2016/10/06(木) 21:45:35 ID:PrrArDrw0
岡本太郎さん「太陽の塔」内部公開 耐震化工事を前に
更新:10/06 13:58
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161006/00000035.shtml
.
 1970年に大阪で開かれた万博のシンボル「太陽の塔」が、今月末から耐震化工事を始めるのを前に、報道陣向けに内部が公開されました。

 芸術家の岡本太郎さんがデザインした大阪万博のシンボルである「太陽の塔」。塔の内部は万博の閉会後、非公開とされてきましたが、今月末から耐震化工事が始まることになり、大阪府は6日、報道陣向けに内部の様子を公開しました。中には高さ41メートルのオブジェ「生命の樹」やマグマをイメージした壁が、当時の姿をとどめています。

 大阪府は今月末に一般向けの内覧会を予定していますが、500人の定員に対し約8万人の応募が殺到するほどの人気ぶりをみせています。太陽の塔は耐震化工事を経て2018年3月から内部が一般公開される予定です。

2331名無しさん:2016/10/10(月) 20:47:21 ID:/BY30Yd60
http://www.sankei.com/west/news/161010/wst1610100048-n1.html

 本紙「正論」欄執筆メンバーで軍事ジャーナリストの井上和彦氏と、元海軍パイロット2人によるトークライブ「大東亜戦争を語り継ぐ会」(主催・産経新聞月刊「正論」、協賛・大阪冶金興業)が10日、大阪市北区の大阪市中央公会堂で開かれた。
 出演したのは、終戦直前の昭和19年に本土防空戦の切り札として編成された精鋭部隊「第343海軍航空隊(通称「剣部隊」)のパイロット、本田稔氏と笠井智一氏。
 井上氏は「命をかけて母国を守った2人の証言を、ぜひとも胸に納めてください」と訴えた。ラバウル航空隊などに所属し、最前線で米軍機と闘った“撃墜王”こと本田氏は、今の日本について「自信をもって自分の主張をはっきりと出してもらいたい」と話した。
 また、特攻隊の直掩任務(=敵の攻撃から特攻機を守る任務)で同期の最後の勇姿を見届けてきた“エースパイロット”こと笠井氏は、「同期も私も、日本の空を守るという気持ちしかなかった」と話した。

2332名無しさん:2016/10/15(土) 22:29:55 ID:7Xt26Bio0
片桐且元が西本願寺宗主に宛てた書状発見
更新:10/15 08:27
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161015/00000010.shtml
.
 大坂冬の陣で、徳川方の武将・片桐且元が豊臣方と近く和睦が成立すると、西本願寺の宗主に送った書状が発見されました。

 東京都内の古書店で今年6月に見つかった1枚の書状。これは、慶長19年(1614年)12月18日に大坂冬の陣で徳川方の武将として活躍した片桐且元が、西本願寺の宗主に送った手紙です。手紙には、豊臣方が徳川方に謝罪の意思を伝え和睦が進んでいることや、視察に訪れた徳川秀忠の機嫌が良かったことなどが記されています。豊臣方と友好関係にあった西本願寺が、かつて豊臣家に仕え親交のあった且元を通じて、戦況を見極めようとしたと考えられます。

「近日に和議が成るだろうという、見通しまで且元はちゃんと付けていますから、おそらく相当(徳川方は)強気な交渉をしていたんだと思われます」(本願寺史料研究所 大喜直彦上席研究員)

 書状は龍谷大学大宮図書館で今月21日まで公開されています。

2333名無しさん:2016/10/15(土) 22:52:57 ID:7Xt26Bio0
文楽人形が東京・浅草でお練り 屋外公演の成功を祈願
2016年10月14日 14:50

 組み立て式舞台で全国各地を巡り、人形浄瑠璃文楽の魅力を発信するプロジェクト「にっぽん文楽」の東京・浅草公演の開幕に先立ち、出演者らが14日、文楽人形と共に雷門から浅草寺本堂までを華やかに練り歩いた。



 文楽人形遣いの吉田和生さん、吉田玉男さんらが「お練り」に参加、本堂では今公演の成功を祈願。木やりの声と共に隊列が仲見世を練り歩くと、沿道にいた観光客らは「きれい」「かわいい」などと声を上げた。主催者によると、歌舞伎の襲名披露などで見られるお練りを、文楽で行うのは珍しいという。

 公演は日本財団の主催で、15日から18日まで浅草寺境内で開催する。


http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161014/20161014068.html

2334名無しさん:2016/10/24(月) 00:19:08 ID:fPgLDL2U0
「真田丸」展が5万人突破 大阪歴史博物館
大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開催中の「2016年NHK大河ドラマ特別展 真田丸」の入場者数が23日、5万人を突破した。

 5万人目となった兵庫県西宮市の小学3年生、寺下凉介君(9)は両親と兄の4人で来場。一家は伊藤広之副館長から図録や関連グッズなどを贈られた。

 この日の朝、一家で録画していた大河ドラマを見て、舞台となる大阪城の見学を思い立ち、併せて特別展に立ち寄ったという。凉介君は「幸村(主人公の真田信繁)が好き。賢くて強い」と照れながら話した。

 特別展は信繁ゆかりの品などを展示しており、11月6日まで。展示品は期間中に入れ替えがあり、現在は大坂の陣での信繁の勇猛な戦いぶりを「真田日本一の兵」などと評した内容を含む文書も展示されている。

.http://www.sankei.com/west/news/161023/wst1610230041-n1.html

2335名無しさん:2016/10/28(金) 08:16:43 ID:Mii5n1..0
大阪市で近代建築見学会、安藤忠雄氏設計の住宅公開
2016/10/28
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO08879490X21C16A0LDA000/

 普段立ち入れない大阪市内の近代建築76件の内部を見学できる「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2016」が11月5、6日に開かれる。今年は建築家、安藤忠雄氏の住宅作品「日本橋の家」が初公開される。

 市や企業、大学などで構成する実行委員会が開催する。

 日本橋の家は間口2.9メートルしかない細長い住宅で、2階から4階までの吹き抜けの居間が見ものだ。大阪府庁本館、中之島ダイビルを含む11件が初登場する。このイベントの先輩格で、ロンドンで1992年から建物を公開してきた「オープンハウスロンドン」の創始者、ヴィクトリア・ソーントン氏を招いたシンポジウムも6日午後4時半から開かれる。

 同イベントは14年から始まり、再開発などで失われていく大阪の貴重な近代建築を見直す契機になっている。

2336名無しさん:2016/10/30(日) 15:40:01 ID:CJM3pfe20
全国最古で最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地で秋季慰霊祭
 全国最古で最大の旧陸軍墓地として知られる「真田山旧陸軍墓地」(大阪市天王寺区)で29日、公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(理事長・吉川秀隆タカラベルモント社長)が秋季慰霊祭を開催し、多くの参列者が戦没者らに祈りをささげた。

 同墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの墓碑が5100以上あり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠っている。しかし、納骨堂の老朽化などが進み、維持・管理が課題になっている。

http://www.sankei.com/west/news/161030/wst1610300045-n1.html.

2337名無しさん:2016/11/01(火) 08:44:31 ID:9Pn9BVYE0
幸助さんが「五代目玉助」襲名へ 文楽人形遣い
2016年10月31日 20:04

 文楽協会(大阪市)などは31日、人形浄瑠璃文楽の人形遣い吉田幸助さん(50)が2018年4月に「五代目吉田玉助」を襲名すると発表した。祖父の三代目が1965年に死去して以来の復活となる。


 吉田幸助さん

 幸助さんは大阪府出身。80年に父吉田玉幸さん(2007年死去)に入門し、翌年、初舞台を踏んだ。立役を中心に活躍している。

 玉幸さんには「四代目玉助」が追贈される。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161031/20161031136.html

2338名無しさん:2016/11/02(水) 03:46:48 ID:ZT.hNErY0
願いを詰めて 住吉大社で撤下袋詰め
2016年11月1日
 15日の七五三参りを前に大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で参拝の子どもたちに渡す撤下(おさがり)の袋詰めがピークを迎えた。31日は同大社の神楽女(かぐらめ)5人が協力し、千歳あめやお守り、鉛筆などの縁起物一式を色鮮やかな袋に丁寧に詰めていった。


手際よく縁起物の袋詰めを行う神楽女=31日午前、大阪市住吉区の住吉大社

 子どもの安全な成長を祈願する儀礼である七五三。同大社によると例年の参拝者数は約6千人に上る。以前は15日前後に集中していたが近年は前倒し傾向にあり、今年も10月中に約千人がすでに参拝している。袋詰めも同月から始まり、この日で計約6千個の準備を終えた。

 神楽女の一人、永田由美さん(21)は「参拝に来られたお子さまが元気で健やかに成長していただきたい」と話していた。

 この日も着物姿の子どもらが両親や祖父母に手を引かれて続々と参拝に訪れ、境内は華やいだ雰囲気に包まれた。同大社では今年の参拝数は例年並みと見込んでいる。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161101/20161101025.html

2339名無しさん:2016/11/03(木) 03:33:14 ID:YkpVs4SE0
桂三金が「三題噺」に挑戦 14日から繁昌亭
2016年11月2日
 客席からキーワードになるお題を三つもらい即興で高座の噺(はなし)を組み立てる「三題噺」に中堅の上方落語家、桂三金(45)が挑戦する。それも定席の天満天神繁昌亭で、14日から1週間連続での実施。120キロと上方落語会きっての“大型”芸人は「僕にとっても大冒険。1週間やり切って自信を付けたい」と張り切っている。


1週間連続で三題噺を披露する桂三金=大阪市北区の上方落語協会

 1夜だけの三題噺は、東京落語の三遊亭円丈など得意とする噺家は東西で何人かいるが、1週間続けるとなると“21題噺”となるだけに、過去にも例がない。

 おとうと弟子三幸とともに三金が登場し、場内からお題を次々と上げてもらい、その中から拍手の数で三つ選んでもらい、いったん退席。楽屋で推考した上で、上方落語で最後を指すトリの直前に当たるモタレで再び登場し、三つのお題を巧みに盛り込んだ落語を披露する。

 関大出身で金融機関勤務の経験もある三金は、古典以外の創作落語もこなすが、「三題噺となると既存のネタにかぶせてばかりでは無理。新たな創作落語にならざるを得ないと思う。創作は文枝師匠からみっちり基礎を学んでおり、思わぬ発想の展開でネタが増えれば」と前向きな姿勢。

 繁昌亭運営委員長の笑福亭松枝は「三題噺から生まれた名作に財布が元になった芝浜があるが、他にも卵酒が出てくる鰍沢(かじかざわ)などが有名。今回は即興といっても時間があるので、キチッとサゲのあるネタにしてもらいたい」と注文。繁昌亭の恩田雅和支配人は「三題噺は手間暇が掛かり昼席ではなかなか掛けることができないため、1週間連続は実にユニーク。お客さんには即興噺が持つ面白さや完成度を楽しんでもらえれば」と期待している。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161102/20161102034.html

2340名無しさん:2016/11/05(土) 04:28:03 ID:nsYbrJ2g0
南陽が「玉田派」復活 25日、国立文楽で襲名興行
2016年11月3日
 約1世紀ぶりに上方講談の名門・玉田派の名跡を復活させる上方講談師、旭堂南陽(39)が25日、日本橋・国立文楽劇場で襲名記念興行を行う。


襲名あいさつに配っている玉田派の家紋が入った扇子と手ぬぐいを示す旭堂南陽=大阪市北区の大阪日日新聞

 南陽は大阪市大法学部出身で留学経験も長く、英語や中国語など日本語以外で7カ国語を操る異色の存在。今春4代目玉田玉秀斎の襲名が決定し、同じ4代目旭堂南陵門下の小二三改め5代目小南陵と共にダブル襲名披露となる。

 当日は両名がそれぞれ1席ずつ語った後、落語家・桂米団治の司会で、東京講談の一龍斎貞水と神田松鯉をはじめ、2人の師匠南陵、落語家の桂文枝と桂春之輔がそれぞれ口上を述べる。ゲストコーナーではザ・ぼんちの里見まさとと歌手のBOROが歌を披露。南陽と日ごろからジャズ講談で競演しているジャズメン4人が集まっておなじみの曲を奏でる。襲名する両名の後輩となる南陵一門の南啓ら講談師6人が集まって真田幸村の立体講談を演じるのも見もの。

 南陽は「長年慣れ親しんだ旭堂の名前から離れるのは寂しい。由緒ある玉田派では家紋も“亀甲に柊(ひいらぎ)”と珍しい物に変わる。まず玉田の名前を広げるために高座を続け、東西のお客さまに応援していただけるよう頑張る。玉田派の代名詞である神道講談と立川文庫物に力を入れ、私がずっと取り組んできた音楽とのコラボも続け、独自性を少しずつ発揮していきたい」と抱負を述べた。

 25日午後6時半開演。入場料4500円(前売り4千円)。問い合わせはMC企画、06(7777)6680。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161103/20161103035.html

2341名無しさん:2016/11/06(日) 14:09:09 ID:htgyxG4w0
勇壮な姿、見物客歓声 地車in大阪城
2016年11月6日
 大阪市内外の多くの地車(だんじり)が一堂に集まる「地車in大阪城2016」(同実行委員会主催)が5日、大阪市中央区の大阪城公園内の太陽の広場で始まった。初日は15台が公園内のコースを巡行し、太鼓に合わせて練り歩く勇壮な姿に見物客から歓声が上がった。最終日の6日は計31台が大規模な巡行を行う。


地車を引いて練り歩く引き手たち=5日午前、大阪市中央区の大阪城公園

 同実行委によると、地車囃子(ばやし)は元々、大坂城築城の際に工事を円滑に進めるための音頭だったと言われているという。“地車の聖地”の大阪城で、歴史のある地車の魅力をアピールしようと、2011年から毎年開催。今年は大阪市城東区を中心に、東大阪市や大東市など計6市から過去最多の計31台が参加し、江戸時代に製作された地車もある。

 この日は15台が巡行し、1台あたり100〜200人の引き手が、高さ3〜4メートル、重さ約3トンの地車を鐘や太鼓に合わせて引き、勇ましい掛け声を響かせた。地車の屋根には指揮を執る「大工方(だいくかた)」と呼ばれる男性が上がり、独特のしぐさで踊る「龍踊り」を披露して見物客を盛り上げた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161106/20161106026.html

2342名無しさん:2016/11/06(日) 16:39:18 ID:htgyxG4w0
まち歩きや演奏秋空の下満喫 すみ博にぎわう
2016年11月6日
 住吉大社や帝塚山地域の魅力を発信する「すみよし博覧会(すみ博)」(同実行委員会主催)が5日、大阪市住之江区の住吉公園で始まった。秋空の下、まち歩きツアーのほか、地元中高生による音楽ステージなどが行われ、多くの参加者でにぎわった。6日まで。


住吉公園の潮掛道を演奏しながらパレードする市立墨江丘中吹奏楽部=5日午前、大阪市住之江区

 すみ博は1800年の歴史を持つ住吉大社を中心に、歴史と文化に恵まれた地域を住民に再認識してもらおうと、2008年からスタート。住民有志による実行委が運営を手掛け、今回で10回目となる。

 この日は、市立墨江丘中吹奏楽部が住吉公園の潮掛道を演奏しながらパレード。園内の特設ステージでも市立住吉中の吹奏楽部、市立住吉商業高のフォークソング部が元気な演奏を披露した。

 6日は、住吉大社反橋前で伝統芸能やダンスを披露する「住吉っさんの夕べ」をはじめ、住吉福祉会館前広場で「こどもすみ博」が行われる。

 岡本惣治実行委員長(74)は「若い人も住吉の歴史や伝統を認識してほしい。日ごろ、仕事で忙しい人もすみ博を機に足元を見てもらいたい」と話していた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161106/20161106028.html

2343名無しさん:2016/11/08(火) 04:41:11 ID:yolut8GA0
【亀岡典子の恋する伝芸】
人形遣いが3人とも顔を出し呼吸と力を合わせて…ど迫力の文楽「勧進帳」
(1/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
客席に設けられた花道での弁慶の豪快な引っ込み=大阪市中央区の国立文楽劇場(提供・国立文楽劇場)
「勧進帳」は歌舞伎の方がいいと思っていたが…

 大阪・国立文楽劇場の文楽公演でいま、「勧進帳」が上演されている(11月20日まで)。ご存じ、兄の源頼朝と不仲になった源義経が、家来の弁慶らと供に奥州へ落ちてゆくときの物語だ。

 山伏と強力に姿を変えた一行だが、途中の安宅の関(現在の石川県小松市)で、関守の富樫に見とがめられる。弁慶はとっさの機転で白紙の巻物を勧進帳のように読み上げ、さらに怪しむ富樫の前で義経をさんざんに打ち据える。その行動に、真実を悟った富樫だが、弁慶の主君を思う情に心うたれ、関所を通すのであった-。

 能の「安宅」をもとに、歌舞伎の「勧進帳」が作られ、その後、文楽では明治28年、二代豊澤団平の作曲により、「鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)」のタイトルで初演された。

 正直に言おう。文楽の「勧進帳」は、これまであまりおもしろいと思わなかった。どうしても、人間が演じる歌舞伎の方が、弁慶と富樫の丁々発止のやりとりなど、迫力と緊迫感があるように感じていたのだ。

 最後の飛び六方にしても、弁慶役者が力を振り絞って稲妻のように花道を引っ込む姿に息をのんだものだ。

 もちろん、文楽の「勧進帳」も、義太夫節の力強さや、人形ならではの動きの迫力もある。それでも、やっぱり、この作品は歌舞伎の方がいいなあ、なんて思っていた。
http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n1.html

2344名無しさん:2016/11/08(火) 04:46:08 ID:yolut8GA0
(2/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
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客席に設けられた花道での弁慶の豪快な引っ込み=大阪市中央区の国立文楽劇場(提供・国立文楽劇場)
大の男が3人がかりで遣うからこその臨場感と迫力

 ところが今回、認識が変わった。平成13年以来、実に15年ぶりに花道を客席に設けて上演された「勧進帳」に興奮したのだ。

 なぜなんだろう。

 文楽人形は主遣い、左遣い、足遣いの3人が呼吸と力を合わせ一体の人形を遣うスタイルで、通常は主遣いだけが顔を出し、左遣いと足遣いは頭巾で顔を隠している。ところが今回は、3人とも顔を出して遣っていた。これは珍しい。しかも、客席を縦断する花道まで設置されている。

 この花道を、主遣いの吉田玉男さん、左遣いの吉田玉佳さん、足遣いの吉田玉路さんの3人の人形遣いが呼吸を合わせ、弁慶の人形を遣って飛び去っていった。座席が花道の近くだったので至近距離で見たが、3人とも額から汗がしたたり、ハア、ハアという荒い息まで聞こえ、驚くほどの迫力だった。

 文楽人形をなぜ、3人もの男性が遣うのか、わかった気がした。もちろん、人間よりも細かい動きや繊細な心理を表現するのに必要だろう。でも、それだけではない。大の男が3人がかりで遣うからこそ、臨場感や迫力が生まれる。人間の感情をまるごと表現するのだから、これくらいのパワーがないと、見る人の心にまで届かないのであろう。

http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n2.html

2345名無しさん:2016/11/08(火) 04:49:25 ID:yolut8GA0
(3/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
動く度にビュンと風圧が

 そういえば、以前、人形の動きを、すぐ横で見せてもらったことがあった。一番驚いたのは、風圧。人形と3人の人形遣いが動く度にビュンと風が起こるのだ。次いで足遣いが床をドンと踏みならす「足拍子」の音が、こちらの体の芯にまで響く。「文楽人形ってすごい」と、いまさらながら驚嘆したものである。

 今月の文楽公演では、19年ぶりに、「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」より「志渡寺(しどうじ)の段」も上演されている。この作品も一度見たら忘れられない一種、異様な気配に満ちている。この曲を勤めている文楽三味線の鶴澤清介さんは「義太夫節は熱と力でお客さんを異次元に連れていく芸」と言っていたが、こういう曲を聞いていると、なるほど、と納得できるのである。

 日本の古典芸能を、静かでゆったりして退屈と、先入観を持っている人にぜひ見ていただきたいと思う。認識が覆されるに違いない。


http://www.sankei.com/west/news/161107/wst1611070003-n3.html

2346名無しさん:2016/11/09(水) 12:40:53 ID:qyBlkDVA0
東大阪の「樟徳館」、4年に一度の一般公開へ 「あさが来た」のロケにも
2016年11月08日
http://higashiosaka.keizai.biz/headline/367/

 樟蔭学園は11月12日・13日の2日間、同学園が保有する登録有形文化財「樟徳館(しょうとくかん)」(東大阪市菱屋西2)を一般公開する。

 同学園の創立者・森平蔵は1875(明治8)年に兵庫県で生まれ、16歳で大阪市内の木材商に見習い奉公に入り、26歳で独立開業。独立後は木材販売や植林業で成功を収め、木材を運搬する船舶に着目して汽船会社を設立した。大正初期の大阪では商家の子女を中心に教育に対する意識が高まっていたが、学校数が不足しており、平蔵は私財を投じて高等女学校設立することを決意。1917(大正6)年に設置認可を受け、翌1918年に樟蔭高等女学校を開校した。

 同館は、帝国キネマ映画長瀬撮影所の跡地を入手した平蔵が、構想を含め1939(昭和14)年の完成まで7年の歳月をかけて建築した私邸。大阪有数の材木商だった平蔵は、現在では入手困難な銘木を日本中から集め、原木から製材するための専用の製材所を隣地に設けるなど材木にこだわり、「関西で最高の松普請」といわれる大正モダンの香り漂う住居を築いた。建物は平蔵が1960(昭和35)年に亡くなった後、遺志により同学園に寄贈され「樟徳館」と名付けられた。

 建築面積1305平方メートルの建物は、外観は純和風、内観は和洋折衷の装飾が施されているのが特徴で、応接室は天井に大きなクスノキの一枚板、壁には西陣綴(つづ)れ織のクロス、曲線を用いた火灯(花頭)窓など、当時の最高技術が集結。2000年には「造形の規範となり、再現が容易でないもの」として、母屋・土蔵・鎮守社・門・東塀・南塀の6点が国の登録有形文化財に登録された。現在では、NHK連続テレビ小説「あさが来た」や「カーネーション」など、ドラマの撮影にも使われている。

 過去の一般公開時は、地域の人や建築関係者、建築に関心のある学生など、2日間で約2000人が来場した。一般公開する2日間には「樟徳館の魅力」と題し、同学園監事の藤原準二さんが解説する説明会を、各日11時からと13時からの2回行う。

 同学園スタッフは「木造2階建ての関西最高の松普請。今では入手困難な材木や、今ではできない技法を使った建築美を肌で感じていただけたら」と話す。

 開催時間は11時〜16時(受付は15時まで)。入場無料

2347名無しさん:2016/11/10(木) 18:51:54 ID:H4T.a/uA0
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%a4%a7%e5%9d%82%e3%81%ae%e9%99%a3%ef%bd%a4%e8%b1%8a%e8%87%a3%e6%96%b9%ef%bd%a2%e7%9c%9f%e3%81%ae%e6%95%97%e5%9b%a0%ef%bd%a3%e3%81%af%e4%bd%95%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%8b-%ef%bd%a2%e5%9f%8b%e3%82%81%e3%82%89%e3%82%8c%e3%81%9f%e5%a0%80%ef%bd%a3%e3%82%88%e3%82%8a%e8%87%b4%e5%91%bd%e7%9a%84%e3%81%a0%e3%81%a3%e3%81%9f%e5%bc%b1%e7%82%b9%e3%81%af%ef%bc%9f/ar-AAk6G2Y?ocid=spartandhp

大坂の陣、豊臣方「真の敗因」は何だったのか 「埋められた堀」より致命的だった弱点は?

「徳川vs豊臣」が激突した最後の戦いであり、戦国の世に終止符を打った「大坂の陣」。その戦いで豊臣秀頼は徳川家康に敗北するが、「その敗因」はいったい何だったのか。

(言い古された内容のため中略)

 このように、大坂の陣では、「城の堀を埋められたこと」が、豊臣秀頼が負けた「最大の理由」とされています。しかし、本当にそれだけだったのでしょうか。
 今回は、大坂の陣における「本当の敗因」について解説します。
 今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
豊臣家が滅亡した「大坂の陣」とは?
 Q1. そもそも「大坂の陣」とはどんな戦いですか?
 江戸時代初期、大坂城で行われた2つの戦いの総称です。それぞれを「大坂冬の陣(1614年11〜12月)」「大坂夏の陣(1615年4〜5月)」と呼んでいます。
 「関ヶ原の戦い」に勝利し、江戸に幕府を開いた徳川家康が「天下統一最後の総仕上げ」として、幕府にとって最も脅威だった豊臣家をこの戦いで攻め滅ぼしました。ちなみに、「大阪」は明治までは「大坂」と表記されます。
 Q2.「大坂の陣」はなぜ起きたのですか?
 「豊臣秀頼が徳川家康への臣従を断固拒否した」からです。
 徳川家康は当初、孫娘の千姫(せんひめ)を豊臣秀頼に嫁がせるなど「融和的に」豊臣家を幕府の傘下に組み込もうと考えていました。
 しかし、豊臣家では、豊臣秀頼の母「淀殿」やそれを支持する反徳川の強硬派が実権を握り、あくまで幕府への臣従を拒否しつづけました。そのため、徳川家康が「強硬手段」に出て、大坂の陣に発展したとされています。
 Q3. 戦いの発端は「方広寺の鐘銘」と言われていますよね?
 そうです。1614年7月、豊臣家が再建した京都の方広寺の鐘の銘文に、「徳川家康を呪った」とする「国家安康」「君臣豊楽」の記述が見つかり、これがもとで「大坂の陣」が勃発したとされています。
 しかし、実際のところ、鐘自体はそれ以前の4月に完成が周知されており、「家康の言いがかり」と言われても仕方ありません。
 実際、徳川家康は2月頃からイギリスに大砲や火薬の手配を打診するなど、戦いの準備を着々と進めていました。
 Q4.諸大名が豊臣秀頼に味方しなかった理由は?
 「すでに幕府の世襲制が確立し、徳川の世となっていた」からです。
 1600年の関ヶ原の戦いのあと、徳川家康は1603年に将軍になり幕府を開きますが、2年後には将軍職を子の徳川秀忠に譲ってしまいました。これは、大名たちに対して、「これからも徳川の世が続く」ことをアピールするものでもありました。
 しかもこのころ、すでに全国の諸大名は江戸幕府の体制下に組み込まれ、徳川に従うことで領地を安堵された形になっていました。新たな主君は徳川家康であり、「豊臣秀頼に従う理由」は何もなかったのです。
 Q5. では、「戦いの敗因」は何なのでしょう?
 一般的には、「大坂城の“外堀”も“内堀”も埋められたから」といわれています。もちろん、それは間違いではありませんが、こうした状況を招いた「本当の敗因」がほかにあったように思います。
 「大坂の陣」で、豊臣秀頼はなぜ敗れたのか。それを探っていくと、引き分けとなった「冬の陣」の時点で、すでに豊臣秀頼の勝利は難しかったことが見えてきます。
こうして大坂城の堀は失われた

2348名無しさん:2016/11/10(木) 18:57:50 ID:H4T.a/uA0
 【敗因1】そもそも豊臣家が孤立していた
 大坂の陣では、豊臣秀頼の呼びかけに対し、これに呼応して10万もの牢人が集まりました。しかし、秀頼に味方した「大名」は皆無です。
 そのころ、時代はすでに「徳川の世」。豊臣秀吉に仕えて天下統一を支えた大名たちも、関ヶ原の戦いのときから徳川方についたり、豊臣方として戦って敗れたりして、多くは亡くなっていました。
 「いまさら豊臣家を支えよう」という大名はいなかったわけです。
 【敗因2】大半が牢人で「優秀な指揮官」が不足していた
 【敗因1】でも述べたように、大坂方の10万の将兵は「牢人」で、「現役の大名」はいませんでした。
 そのため、真田幸村や長宗我部盛親といった一部の武将や元大名を除き、牢人たちを統率する「大軍の用兵」に長けた「優秀な指揮官」が圧倒的に不足していたのです。
 【敗因3】安易に籠城してしまった
 大坂城での籠城策も、大坂の陣の大きな敗因のひとつです。
 「大坂冬の陣」では、本来なら十分な兵力と地の利を生かし、大坂への敵の侵入を阻止する戦いも展開できたはずでした。ここである程度、敵に損害を与えていれば、その後の形勢は変わっていた可能性もあります。
 しかし、秀頼軍は「牢人」主体だったために思うような作戦行動がとれず、早々に大坂城の堅固な守りに頼った「籠城」に踏み切るしかありませんでした。
 【敗因4】「有利な和睦」を提示できなかった
 約1カ月におよぶ籠城のあいだ、「真田丸」での真田幸村の奮戦などがあったものの、戦いは膠着状態が続きます。兵糧、弾薬も減り、冬の厳しい寒さも近づいていたため、家康は秀頼に「和睦」を提案しました。
 この時点で、秀頼が敵の包囲にある程度のダメージを与えていれば、家康から主導権を奪い、豊臣方に「有利な交渉」ができた可能性も十分あります。
 しかし、秀頼は「目先の和平」を急ぎ、城の守りで最も重要な「堀を埋める」という不利な講和条件を受け入れてしまったため、「夏の陣」の悲劇を招くことになりました。
 Q6. なぜ秀頼は「この程度の戦い方しかできなかった」のですか?
 そこが今回のテーマにおける根本的な理由、つまり「本当の敗因」です。
 では、大坂の陣の「本当の敗因」とは何か? それはズバリ、豊臣秀頼の「遅すぎた誕生」です。
 【敗因5】豊臣秀頼の誕生が遅すぎて、秀吉から学べなかった
 豊臣秀頼は「太閤秀吉」の晩年の子で、生まれたときに秀吉はすでに57歳。後継者として生まれながらも、5歳で父を失いました。そのため、彼は偉大な天下人である父の「数々のノウハウ」を受け継ぐことができなかったのです。
 豊臣秀吉は「ひとたらし」の名人ですが、こうした狡猾な「①人心掌握術」を身近で見て学ぶ機会も、秀頼にはありませんでした。
 また、「②戦いのやり方」を知るチャンスもなく、「大坂の陣」を迎えるまでの秀頼の戦歴はゼロ。対して、家康は言うまでもなく「歴戦の猛者」で、実力、経験ともにその差は歴然でした。
 そして、父秀吉には、竹中重治(半兵衛)、黒田如水(官兵衛)といった「優秀なブレーン」に加えて、加藤清正、福島正則といった「子飼い」の武将たちが両腕としてついていましたが、秀頼はそうした「③優秀な人材」に恵まれませんでした。さらに、母「淀殿」の強い影響により、自由に意思決定ができなかったともいわれています。
 「①人心掌握術」「②戦いのやり方」「③優秀な人材」その3つを父秀吉から生前に継承できなかったことが、豊臣秀頼の大坂の陣における「本当の敗因」ではないかと思います。

2349名無しさん:2016/11/10(木) 19:01:52 ID:H4T.a/uA0
「天下の豊臣家の誇り」を守り、滅んでいった
 大坂の陣より少し前、徳川家康は、成人した豊臣秀頼に京都の二条城で対面しました。そのとき家康は、想像以上に立派に成長し、威厳に満ちた秀頼の武者ぶりに「強い脅威」を抱き、これが「後に大坂を攻める遠因」になったともいわれています。
 この会見では、加藤清正が陪臣として秀頼に従い、何かの場合には「家康と刺し違える」覚悟を見せたという話は有名です。こうした豊臣恩顧の武将たちの存在も、家康には脅威だったのかもしれません。
 秀吉の死後、豊臣家は徳川家康の台頭によって「没落の一途」をたどっていました。成長期の豊臣秀頼が目にしていたのは、家族や家臣たちが日々この屈辱にじっと耐え忍ぶ姿です。
 やがて大人になった秀頼は「彼らの思い」を背負い、宿敵家康に反旗を翻します。それが絶望的な戦いであることを知りつつ、最後まで家康に屈することなく戦い抜きました。
 そこまでして彼が守ろうとしたものは何か、それは父が築き天下にその名をとどろかせた「豊臣家としての強い誇り」にほかなりません。もし、父親譲りの資質をもった秀頼が、さらに経験と知識を父秀吉から継承できていれば、その後の歴史は大きく変わっていたかもしれません。
 このように「過去の日本史の中にある経験や知識」は、「組織の永続」を考えるうえで、あるいは「ビジネスパーソンが生き抜く処世術」を身につけるうえで、大いに参考になるものです。
 過去の偉人たちの「成功と失敗」に学ぶことで、ぜひビジネス、そして人生の勝者になってください。

秀次を温存しとけば関ケ原すらなかったとか、真田昌幸が存命中に陣が起きてりゃ九度山で練った策が採用され第2の楠木正成になってた・・

2350名無しさん:2016/11/10(木) 21:22:42 ID:XwuuWezs0
二十五菩薩画が完成 区在住画家、谷さん奉納
2016年11月10日
 信仰の証しとして菩薩(ぼさつ)画を奉納し続けている大阪市平野区在住の画家が「二十五菩薩」の全25体を完成させた。足掛け10年で仕上げ、参詣者の「心のよりどころになれば」と充実感をにじませている。


内覧会の開幕を前にテープカットに臨んだ関係者ら

 奉納したのは、市立デザイン教育研究所教授などを務めた谷守さん(81)。区内の大念仏寺(平野上町1丁目)には、臨終に際して仏や菩薩が迎えに来る「来迎」を表す「万部おねり」という儀礼が伝わり、祭りで登場するのが二十五菩薩だ。

 谷さんが今回描いたのは「日照王」「大自在王」「華厳王」「薬王」の4菩薩。全作品ともアクリル画で荘厳な姿を描き、点描で金色の光沢を綿密に表現した。

 同寺は法要に合わせて2、3の両日に内覧会を開き、2日は同寺の吉村※英前宗務総長や平野区の稲嶺一夫区長らが出席してテープカットも行われた。一時は肺を患ったものの復帰し、二十五菩薩を完成させた谷さんは「ほっとした半面、寂しさもある」としみじみ話した。

 奉納式典は来春あらためて開かれる予定。

※は日ヘンに章
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161110/20161110031.html

2351undefined:2016/11/11(金) 04:48:27 ID:XwuuWezs0
四天王寺 強力な新顔 「四天王」お守り追加
2016年11月10日
 聖徳太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の数ある授与品に「四天王のお守り」(1500円)が加わった。寺の名前や地名として親しまれながら「ありそうでなかった」と好評で、太子とともに四天王が再認識されている。


4面に仏法の守護神「四天王」が刻印されたお守り

聖徳太子の一生を描いた「聖徳太子絵伝」。四天王像を刻み戦勝祈願する太子の姿が描かれている=大阪市天王寺区の四天王寺・絵堂

 現代では“トップ4”の意味で多用される四天王。本来は仏法の守護神であり、持国天、増長天、広目天、多聞天からなる。

■創建の原点
 日本書紀が伝える崇仏派の蘇我馬子勢と排仏派の物部守屋勢の衝突では、若き太子が蘇我勢として参戦し、不利な戦況を打破しようと四天王の像を彫って勝利を祈願。「勝利したら四天王を安置する寺院を建立し、世の人々を救済する」との誓いを果たし、四天王寺を建立したとされる。

 建立の経緯を含む太子の足跡は「聖徳太子絵伝」として描かれ、境内・聖霊院絵堂(1983年再建)に奉納。太子月命日の22日に公開されている。2014年春からは、22年に迎える年忌法要「聖徳太子1400年御聖忌(ごせいき)」事業の一環として春と秋に特別御開扉も実施。同寺僧侶が1日数回行う「絵解きと法話」が評判となり、期間中は参詣者が続々と足を運んでいる。

■信心復活 
 絵伝の重要場面に登場し、ひときわ注目を集める四天王。関連の授与品としてはお札があるが、お守りについての問い合わせも寄せられるようになり、約1年半前に製作を企画した。

 高級工芸品の素材に用いられるナツメ材(全長約5・5センチ、1・5センチ角)の4面に四天王それぞれの全身を彫刻。微細な線も鮮明に表現し、底面には職員が手作業で「四天王寺」の焼き印を入れて仕上げている。お守りを手にした参詣者は「ほどよい大きさ」「いつも身に着けられる」と歓迎する。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「信心の復活も『1400年御聖忌』の大きなテーマ。現代人に苦しいときこそ神仏への信仰の心を取り戻してもらい、次なる1500年に向かいたい」と話している。

   ◇   ◇  

 四天王のお守りは六時堂、金堂、英霊堂、太子殿、庚申堂で販売。問い合わせは電話06(6771)0066。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161110/20161110027.html

2352名無しさん:2016/11/11(金) 12:35:28 ID:qyBlkDVA0
「野沢菜のルーツは天王寺蕪」 大阪・四天王寺の境内で絆伝える記念碑除幕
2016.11.11
http://www.sankei.com/region/news/161111/rgn1611110070-n1.html

 「信州名物の野沢菜のルーツは天王寺蕪(かぶら)」という由来を記した「野沢菜伝来記念碑」が10日、大阪市天王寺区の四天王寺境内に建立された。野沢菜は、江戸時代、野沢村(現・長野県野沢温泉村)の僧侶が京都への遊学の際に持ち帰った天王寺蕪の種が先祖とされており、除幕式には関係者ら約60人が出席し、新たなシンボルの誕生を祝った。

 高さ約1・8メートル、横約2・4メートルの記念碑が設置されたのは五重塔や金堂のある中心伽藍(がらん)の東側。記念碑には「野沢菜原種旅の起点」と刻まれ、野沢菜のレリーフと大阪から長野までの伝来のルートが紹介されている。

 野沢菜は宝暦6(1756)年、同村にある健命寺の晃天園瑞住職が修行先で天王寺蕪の味に感動し、持ち帰ったのが栽培の始まりと伝えられている。

 一方、天王寺付近が発祥の地とされる天王寺蕪は、与謝蕪村が「名物や蕪の中の天王寺」と詠んだほど全国にその名を知られ、多くの人に好まれたが、明治後期に虫の被害などで姿を消した。

 平成13年ごろ、天王寺蕪の普及を目指す「天王寺蕪の会」の関係者が野沢菜の言い伝えを知り、野沢温泉村を訪ねたのが交流のきっかけ。以来、野沢菜が伝わった道を歩いてたどる「野沢菜伝来の街道(みち)ウォーキング」に参加したり、地元で開かれる“蕪主総会”に出席したりして交流を続けてきた。

 記念碑は今年、同村が村制施行60周年に当たることから「後世にこのつながりを伝えたい」と記念事業の一環として企画された。

 野沢温泉村の富井俊雄村長(66)は「野沢菜を通して長野と大阪の絆を強めていきたい」と話している。

2353undefined:2016/11/12(土) 05:16:51 ID:W7GBlhxs0
寺跡の石、継体天皇?の棺材…市民の通報で発見
2016年11月11日Tweet
寺院跡に立っていた石材(今年10月、大阪府高槻市で)=今城塚古代歴史館提供高槻・今城塚古墳近く

 継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚古墳(6世紀前半)近くの寺院跡に立っていた石材が、同古墳に納められた石棺の一部とみられることがわかり、同市立今城塚古代歴史館が10日発表した。長年にわたって集落の石橋として使われていたが、市民からの連絡で史料の「発見」につながった。

 石材は長さ1・1メートル、幅66センチ、厚さ25センチで、重さ250キロ・グラム。周辺で既に出土した数百点の破片から、古墳には熊本県宇土市産の「阿蘇ピンク石」を使った約7トンの石棺があったと推定され、石材は材質からその一部とみられる。天皇やその近親者が埋葬されていた可能性が高いという。

 地元の伝承によると、1596年の伏見地震後、崩れた墳丘から地元住民が石棺材を搬出し、集落の共同井戸を渡す石橋として使用。滑ってけがをする人が増えたため、たたりを恐れた住民が1960年頃から、古墳から約1キロ離れた「観音寺」でまつったが、2年前に寺が閉鎖され、更地に放置されていた。

 ところが今年7月、NPO法人「高槻市文化財スタッフの会」のメンバーがガイドとして古墳の関係先を巡った際、寺院跡の石材が石棺の材質に似ていることに気づき、連絡を受けた同館が調査にあたっていた。

 鑑定した和田晴吾・立命館大名誉教授(考古学)は「見つかった部材としては最大。納められた人物や石棺の大きさなどの実態に迫る発見だ」と話している。

 石材は今月12日から同館で展示される。問い合わせは同館(072・682・0820)。

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20161111-OYO1T50004.html?from=oyartcl_blist

2354undefined:2016/11/19(土) 21:49:40 ID:D7hqDY6w0
「真田丸」は要害堅固…彦根藩「井伊氏家伝書」と書状が語る実録大坂冬の陣
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手傷を負った井伊家家老、木俣守安への見舞い状(彦根城博物館提供)
 徳川家と豊臣家が戦った慶長19(1614)年の大坂冬の陣で、豊臣方の真田信繁(幸村)がこもった「真田丸」の攻略に参加した彦根藩の激戦の様子が分かる史料が彦根城博物館(滋賀県彦根市金亀町)で初公開される。彦根方が果敢に攻めたものの撃退された激戦のがうかがえる内容という。

 史料は、負傷した彦根藩の武将、木俣守安をかつての同僚がねぎらった書状「庵原三郎右衛門書状」と、木俣の子孫がまとめたとされる「井伊氏家伝書」。同市教委が木俣の子孫から入手していた。

 「井伊氏家伝書」は、彦根藩が福井藩と先陣を争い、真田丸の空堀まで進んだが反撃を受けて退却、100人強の死傷者を出し、木俣自身も負傷したと記している。同博物館によると、木俣は命令を受ける前に出撃する「勇み足」だったが、勇猛な先鋒隊としての面目を保ったとして幕府からたたえられたという。

 また「庵原三郎右衛門書状」は、木俣と彦根藩の同僚だった庵原三郎右衛門が書き送った。日付は木俣の負傷から約1カ月後の慶長20年1月5日。「(真田丸の堀まで突き進んだ)手柄は将軍(徳川秀忠)もお喜びで、みんなもほめている。傷を治して復帰を」などと励ましている。

http://www.sankei.com/west/news/161026/wst1610260016-n1.html

2355undefined:2016/11/19(土) 21:55:26 ID:D7hqDY6w0
(2/2ページ) .
 同博物館学芸史料課の渡辺恒一課長は「真田丸での彦根藩の戦いが分かる貴重な史料。敗れたが、将軍から評価され喜んでいたことが分かる」と話している。

 書状と井伊氏家伝書は、同博物館で開催中の「井伊家と大阪の陣」で12月1日から公開される。

http://www.sankei.com/west/news/161026/wst1610260016-n2.html

2356undefined:2016/11/19(土) 22:10:10 ID:D7hqDY6w0
後藤又兵衛討ち死に報告 豊臣秀頼に、書き付け発見
2016年11月17日 11:32

 岡山県立博物館は17日、徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂の陣(1614〜15年)で豊臣側の「五人衆」として戦った後藤又兵衛が討ち死にしたことを、配下の武士が豊臣秀頼に報告した書き付けが、京都府内で見つかったと発表した。


 大坂の陣で後藤又兵衛が討ち死にしたことを、配下の武士が豊臣秀頼に報告した書き付け

 同館によると、腰に重傷を負った又兵衛は配下の武士に自身の首を討たせていたが、書き付けでは、その際に秀頼から授かった脇差し「行光」を使っていたことが初めて分かったという。

 書き付けは縦27・4センチ、横35センチ。又兵衛の下で戦い、秀頼に又兵衛の討ち死にを報告したとみられる金万平右衛門の子孫宅で見つかった。25日から同館で展示する。


http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161117/20161117050.html

2357undefined:2016/11/20(日) 12:16:34 ID:ZdFP/CpA0
初代大坂城「秀吉の石垣」を限定公開
更新:11/20 01:05
http://www.mbs.jp/news/kansai/20161120/00000001.shtml

 豊臣秀吉が築いた初代大坂城の石垣が19日、一般公開されました。

 地下約7メートル。地上から覗き込む形で見ることができるのは、豊臣秀吉が天下統一の拠点とした初代大坂城の石垣です。今の大阪城の真下に埋まっていて1959年に見つかりました。大阪市は普段、安全のため非公開としていますが、より多くの人にその存在を知ってもらおうと1日限定で公開しました。

 「何百年も昔のものだから、めったに見れないので、すごいと思いました」(見学者)

 「400年の歴史がこの7メートルに重なったのかと」(見学者)

 大阪市は2019年度には石垣を地下から見学できる施設を完成させる予定です。〆

2358undefined:2016/11/20(日) 14:07:48 ID:ZdFP/CpA0
泉州の魅力を語る 「村上海賊の娘」題材にシンポ
2016年11月20日
 ベストセラー歴史小説「村上海賊の娘」を題材に泉州弁について語り合うシンポジウム「泉州弁で考える」(泉州観光プロモーション協議会主催)が泉佐野市で開催された。著者の和田竜さんがパネリストの一人として登場し、約300人の参加者に泉州弁や泉州人の魅力について語った。


「俳味という言葉がいいのではないか」と泉州人の気質を表す言葉について話す和田さん

 シンポは12日に開催され、和田さんのほか、岸和田市出身の俳優林英世さん、大阪府立大の西尾純二教授、「Meets Regional」の江弘毅編集長、同協議会会長を務める竹山修身堺市長がパネリストとして登壇。主人公が属する村上海賊の敵役である泉州の侍たちが使う泉州弁について論じた。

 和田さんは「泉州の言葉をきっちり出さないと泉州の侍たちが持っているニュアンスとか感情が伝わらない」と考え、林さんから泉州弁の指導を受けたと説明。「ああ、そらあれじょ。直政(なおま)っさんの国がド田舎やさかいじょ」と総大将を友達のように呼ぶ接し方や、「塩で食(いか)んかえ」という食べ物を薦める際の勢いのある言葉など泉州弁を使うことで「せりふとしての魅力がまったく変わる」と強調した。

 交流のあった大阪人の印象について「へんてこなやつを、へんてこなままにしといてあげる」と語り、小説の中でも堂々と敵前逃亡する味方を「面白(おもしゃ)い」と感じる泉州人を表現。「異質なものを愉快がる俳味のようなものを持っている」と指摘した。

 終了後、和田さんは「ずっと残っている歴史はその土地の人が大事に思っている。自分が昔から使っている言葉を大事に思ってもらえたら」と話した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161120/20161120032.html

2359undefined:2016/11/20(日) 15:05:32 ID:ZdFP/CpA0
スター浪曲師・梅中軒鶯童全盛期の映像
2016年11月19日Tweet
梅中軒鶯童の浪曲を記録したフィルムの一場面。柔和な表情に身ぶり手ぶりを交えた口演の様子を伝える 昭和の関西浪曲界を代表する人気浪曲師・梅中軒鶯童(ばいちゅうけんおうどう)の全盛期の口演を記録したフィルムが神戸映画資料館(神戸市長田区)で見つかった。1961年にテレビ番組用に収録した時のもの。レコードなどの音源は数多く残るが、映像記録は珍しいという。(横田加奈)

 鶯童は、繊細で軽やかな節回しの「鶯童節」を確立し、30年代から戦後にかけて人気を集め、レコードも多数発売された。師弟関係を重んじる浪曲界への反発から、特定の師匠に付かずに全国を巡業。束縛を嫌い、自由を愛したその生涯は「流れ雲」のタイトルでテレビドラマ化された。

 今回見つかったのは、16ミリフィルムで撮影された毎日放送の番組「浪曲名人会」。約30分間に61年4月放送の演目「紀伊国屋文左衛門」の「戻り船」が収録されている。

 毎日放送によると、当時は撮影テープが高価だったため、放送後は上書きして再利用するケースが多く、映像はほとんど残っていないという。見つかったフィルムは、スタジオ収録の様子を映し出したモニターを撮影し、関係者がたまたま保存していたとみられる。

 「紀伊国屋文左衛門」は、江戸時代の紀州の豪商・紀伊国屋文左衛門の立志伝シリーズで、鶯童の得意ネタの一つ。「戻り船」はその1編で、江戸で大もうけした文左衛門が意気揚々と故郷・紀州に戻るまでを描いている。

 鶯童は、豪快で色気のある語りで、江戸・吉原で豪遊する文左衛門を表現。船上シーンでは、悠々とキセルを吸う所作が優美で、音楽的な「節」とせりふの「啖呵(たんか)」を絶妙な間合いで使い分けている。映像の一般公開の予定はないが、同資料館では今後、検討するという。

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20161119-OYO1T50008.html?from=oycont_top_txt

2360名無しさん:2016/11/27(日) 21:26:52 ID:/Blf72kM0
上方講談、小二三さん小南陵襲名 大阪で披露公演
2016年11月25日 21:33

 上方講談、旭堂南陵さん(67)の筆頭弟子、旭堂小二三さん(41)が五代目「旭堂小南陵」を襲名し、披露公演が25日、大阪市の国立文楽劇場で開かれた。二番弟子の旭堂南陽さん(39)の四代目「玉田玉秀斎」襲名も併せて披露された。


 襲名披露の公演をする五代目旭堂小南陵さん=25日夜、大阪市の国立文楽劇場

 小南陵は師匠の前名で、女性が襲名したのは初めて。小南陵さんは俳優として活動しながら2001年に入門し、昨年、文化庁芸術祭新人賞を受けた。玉秀斎さんも01年入門。小南陵さんは「(高座に)上がった瞬間に泣きそうになった」と感無量な様子だった。

 口上では、南陵さんや上方落語協会会長の桂文枝さん(73)らが並んだ。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161125/20161125121.html

2361undefined:2016/12/01(木) 05:21:57 ID:DLqa4zxA0
堺市の履中陵陪塚に祭祀ステージ 大阪、百舌鳥古墳群の方墳で初
2016年11月30日 16:38

 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵、堺市西区)に付属する陪塚「寺山南山古墳」(方墳、5世紀初)で、祭祀を行うためのステージ状の「造り出し」が見つかり、堺市文化財課が30日、発表した。造り出しは前方後円墳に設けられることが多く、百舌鳥古墳群の方墳で確認されたのは初めて。担当者は「大王に近い人が埋葬された可能性が高まった」と説明している。


 寺山南山古墳で見つかったステージ状の「造り出し」の一部(中央上)。手前の斜面には葺石が敷かれている=堺市

 市によると、長辺約45メートル、短辺約36メートルの方墳で、墳丘は2段で築造されている。2014年3月に百舌鳥古墳群として国史跡になったことから、市が整備のため発掘したところ、古墳の東南側に造り出しが見つかった。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161130/20161130079.html

2362undefined:2016/12/01(木) 05:35:34 ID:DLqa4zxA0
後期難波宮で役所の建物群跡か 後期では初めて
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 聖武天皇が奈良時代に造営した後期難波宮(大阪市中央区)で、役人が文書処理などの実務をした役所「官衙」とみられる建物群の跡が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。官衙跡は、飛鳥時代に完成した前期難波宮では発見されていたが、後期で確認されたのは初めて。

 調査を担当した大阪市博物館協会大阪文化財研究所の高橋工調査課長は「塀に囲まれたコンパクトな配置、簡素な構造などから官衙とみて間違いない」としている。

 発掘現場は、天皇が重要儀式や執務をした大極殿など主要建物群の西側。塀とみられる柱穴で仕切られた区域に、4棟の掘っ立て柱式建物跡が見つかり、うち二つは官衙によく見られる細長い建物だった。

 官衙跡のすぐ北側には東西に一直線に並ぶ11個の柱穴を発見。天皇が出入りするような格式の高い門を構えた「五間門区画」の一部とみられ、南北約200メートル、東西120メートル以上の大規模施設があったことも判明した。

http://www.sankei.com/west/news/161130/wst1611300069-n1.html

2363undefined:2016/12/01(木) 06:06:48 ID:DLqa4zxA0
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 高橋課長は大規模施設について「立地や格式から宴会施設だったとする説もある」と指摘。区画内に東西約12メートル、南北約6メートルの遺構も見つかった。小規模な門を建てる際の地盤改良の痕跡か、貯水施設の可能性もあるという。

 難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年に造営した「後期」に分かれる。

 現地説明会は12月3日午後1時〜3時。

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http://www.sankei.com/west/news/161130/wst1611300069-n2.html

2364undefined:2016/12/02(金) 15:25:58 ID:.Sbw6kzo0
”鬼門エリア”一般公開開始 四天王寺
2016年12月2日
 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の本坊庭園「極楽浄土の庭」で1日、新たに整備された北東エリア(1450平方メートル)の一般公開が始まった。通路が大幅に延長されたほか、同寺鬼門鎮守である正一位荒陵稲荷(あらはかいなり)大明神も参拝可能となり、早くも多くの来園者が足を運んでいる。


整備を終え公開が始まった荒陵稲荷大明神=1日午後、大阪市天王寺区の四天王寺

 新たな通路は、瑠璃光の池、薬師の滝の周囲を巡るように設け、北東角にあった稲荷社を約2年かけて整備した。同寺によると、かつて境内数カ所に稲荷社と仏教の神・※枳尼(だきに)社が祭られていたとされるが、明治期の廃仏毀釈(きしゃく)や太平洋戦争末期の大阪大空襲でほぼ焼失。唯一、北東の稲荷社が残り、失われた稲荷と※枳尼をここに合祀(ごうし)した。

 現在庭園は紅葉のピークで、訪れた人々が新たなビューポイントから景色を楽しみつつ稲荷社に手を合わせている。同寺参詣課の山岡武明課長は「日本の文化で忘れられかけている鬼門を知ってもらうきっかけにもなれば」と話した。開園は午前8時半〜午後4時(年内無休)。

※は托のヘンが口
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/161202/20161202025.html

2365undefined:2016/12/02(金) 15:41:00 ID:.Sbw6kzo0
「野沢菜のルーツは天王寺蕪」 大阪・四天王寺の境内で絆伝える記念碑除幕
 「信州名物の野沢菜のルーツは天王寺蕪(かぶら)」という由来を記した「野沢菜伝来記念碑」が10日、大阪市天王寺区の四天王寺境内に建立された。野沢菜は、江戸時代、野沢村(現・長野県野沢温泉村)の僧侶が京都への遊学の際に持ち帰った天王寺蕪の種が先祖とされており、除幕式には関係者ら約60人が出席し、新たなシンボルの誕生を祝った。

 高さ約1・8メートル、横約2・4メートルの記念碑が設置されたのは五重塔や金堂のある中心伽藍(がらん)の東側。記念碑には「野沢菜原種旅の起点」と刻まれ、野沢菜のレリーフと大阪から長野までの伝来のルートが紹介されている。

 野沢菜は宝暦6(1756)年、同村にある健命寺の晃天園瑞住職が修行先で天王寺蕪の味に感動し、持ち帰ったのが栽培の始まりと伝えられている。

一方、天王寺付近が発祥の地とされる天王寺蕪は、与謝蕪村が「名物や蕪の中の天王寺」と詠んだほど全国にその名を知られ、多くの人に好まれたが、明治後期に虫の被害などで姿を消した。

 平成13年ごろ、天王寺蕪の普及を目指す「天王寺蕪の会」の関係者が野沢菜の言い伝えを知り、野沢温泉村を訪ねたのが交流のきっかけ。以来、野沢菜が伝わった道を歩いてたどる「野沢菜伝来の街道(みち)ウォーキング」に参加したり、地元で開かれる“蕪主総会”に出席したりして交流を続けてきた。

 記念碑は今年、同村が村制施行60周年に当たることから「後世にこのつながりを伝えたい」と記念事業の一環として企画された。

 野沢温泉村の富井俊雄村長(66)は「野沢菜を通して長野と大阪の絆を強めていきたい」と話している。


http://www.sankei.com/region/news/161111/rgn1611110070-n1.html

2366undefined:2016/12/02(金) 22:08:47 ID:X1JY42/o0
奈良時代「役所」の建物群跡か 後期難波宮で初確認
2016年11月30日 17:36

 聖武天皇が奈良時代に造営した後期難波宮(大阪市中央区)で、役人が文書処理などの実務をした役所「官衙」とみられる建物群の跡が見つかり、市教育委員会が30日、発表した。官衙跡は、飛鳥時代に完成した前期難波宮では発見されていたが、後期で確認されたのは初めて。


 後期難波宮で見つかった「官衙」とみられる建物群の跡=大阪市

 調査を担当した大阪市博物館協会大阪文化財研究所の高橋工調査課長は「塀に囲まれたコンパクトな配置、簡素な構造などから官衙とみて間違いない」としている。

 発掘現場は、天皇が重要儀式や執務をした大極殿など主要建物群の西側。塀とみられる柱穴で仕切られた区域に、4棟の掘っ立て柱式建物跡が見つかった。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/161130/20161130095.html

2367undefined:2016/12/03(土) 04:37:28 ID:X1JY42/o0
【亀岡典子の恋する伝芸】
子供の頃にこんな授業があったら…国立文楽劇場近くの小学校で珍しい「文楽授業」 技芸員が指導
(1/3ページ「五条橋の段」を上演する高津小学校の児童=25日午後、大阪市中央区の高津小学校(奥清博撮影)
大阪発祥の伝統芸能通して「地元愛」高めよう

 全国でも珍しい、人形浄瑠璃文楽を授業に取り入れている小学校がある。文楽の本拠地、国立文楽劇場(大阪市中央区)から徒歩約5分の大阪市立高津小学校だ。十数年前から、大阪発祥の伝統芸能、文楽を通して、地域に誇りや愛情を持ってもらおうと文楽の授業がスタート。現在まで継続して行われている。

 そんな高津小学校の文楽の取り組みをより多くの人に見てもらって、文楽に親しく触れてもらおうと、11月25日、一般の観客を対象に、6年生による文楽公演「高津小学校子ども文楽〜伝統を未来へ〜」が開催された。地域の人々を中心に、たくさんの人たちが会場の体育館に集まり、小学生の懸命な演奏や舞台に、温かな拍手が送られた。

 同小学校は明治5年創立。現在の国立文楽劇場の場所に建っていたが、昭和45年、同劇場から約200メートルのところに移転した。その跡地に59年、開場したのが国立文楽劇場であった。そんな縁もあり、高津小学校では文楽を授業に取り入れるようになったのである。

 このプログラムができて2年後、取材で学校を訪れたことがある。子供たちは太夫、三味線、人形遣いの三業に分かれて一生懸命、稽古をしていたのを思い出す。

技芸員の熱血指導に子どもたちの顔も輝く

 “先生”は豊竹咲甫太夫(さきほだゆう)さん、鶴澤清馗(せいき)さん、桐竹勘十郎さんら文楽の技芸員。彼らは公演や稽古の合間を縫って学校を訪れ、熱心に子供たちを教えている。

 勘十郎さんによると、当初は授業のための人形をはじめ何もない状態だったそうで、「子供たちの稽古用にペットボトルで人形の足を手作りしたり、人形自体も作ったりしていました」とのこと。

http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n1.html

2368undefined:2016/12/03(土) 04:41:39 ID:X1JY42/o0
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(2/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
 見台なども手作り。教科書もない。勘十郎さんは東京公演のときなど、せりふと人形の動きを紙に絵で描いて宅急便で学校に送ったこともあった。

 同小学校の元校長、玉置美智子さんは当日の座談会で、「最初は見台を壊してしまう子もいましたが、秋の発表会が終わるころには、子供たちの顔が輝いていました。文楽の授業を続けて良かったと思いました」。勘十郎さんも「地域や先生方の熱心さでここまで続いたと思う」という。

 当日は、「とーざーい」の声で幕開き。上手に鮮やかな黄緑色の肩衣を身につけた太夫と三味線、下手には囃子方(はやしかた)、そして舞台では黒衣に身を包んだ人形遣いが、弁慶と牛若丸の出会いを描いた「五条橋」、2人の三番叟(さんばそう)が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈って舞う「二人三番叟」を上演した。

 「二人三番叟」ではリズミカルな浄瑠璃に乗って、足拍子も軽やかに人形たちが舞う。高津小学校バージョンでは、傘の上での玉転がしや皿回しなど楽しい演出もあり、観客を喜ばせた。

 人形を遣った姫野椿さん(11)は「みんなと息を合わせて遣うのが難しい。でも頑張って出来たときはチームワークが深まった」と話してくれた。

 当日は、文楽座の竹本三輪太夫さん、鶴澤燕三さん、勘十郎さん、桐竹勘次郎さんらによる「傾城阿波(けいせいあわ)の鳴門・順礼歌(じゅんれいうた)の段」も上演。文楽にどっぷり触れた半日となった。


http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n2.html

2369undefined:2016/12/03(土) 04:44:32 ID:X1JY42/o0
(3/3ページ)【ベテラン記者コラム】 .
“技芸員の先生”の数が足りなくなる?

 それにしても、思うのは、もし、小学生のころ、こんな文楽の授業を受けていたら、もっと日本の伝統芸能に親しむのが早かったのではないかということ。難しそうとか、邦楽や義太夫の詞章がわかりにくいと思う前に、体に自然に浄瑠璃が染みこめば、構えずに楽しめただろう。

 いま、文楽や能、歌舞伎などで盛んに子供たちのための体験授業やワークショップが行われている。子供時代に一度触れておけば、いったん忘れても、大人になったとき必ず思い出すものだという。

 文楽は大阪が本場。高津小学校のような取り組みがもっと増えていけばいいのだが、そうなると、教えに行く“技芸員の先生”の数が絶対的に足りないし、頭の痛いところなのである。

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http://www.sankei.com/west/news/161202/wst1612020010-n3.html

2370undefined:2017/01/01(日) 21:40:48 ID:pAl9ciKw0
住吉大社 初詣にぎわう
01月01日 06時21分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170101/5711311.html

年を迎え、正月三が日で約240万人が訪れる見通しの大阪・住吉区の住吉大社は初詣に訪れる人たちでにぎわっています。
住吉大社は地元に住む人々を災難から守ってきた神様として知られ親しみを込めて「すみよっさん」の愛称で呼ばれています。
1日午前0時、新年を迎えると住吉大社の境内では太鼓が打ち鳴らされ、それを合図に本殿の前に列を作って並んでいた人たちが一斉に、さい銭を投げていました。
訪れた人たちは手を合わせてそれぞれこれからの1年について願いごとを祈願していました。
大阪市から訪れた60代の男性は「家族の安全を祈願しました」と話していました。
友人と訪れた大阪・岸和田市の20代の女性は「交際相手が欲しいとお願いしました」と話していました。
住吉大社では今年の正月三が日で去年とほぼ同じ、240万人程度の人出を見込んでいるということです。

2371名無しさん:2017/01/03(火) 18:27:45 ID:Yn1wk.ls0
そろばんはじき初め 大阪
01月03日 16時52分
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170103/5264341.html

子どもたちが、ことし1年のそろばんの上達を願う「はじき初め」が学問の神様、菅原道真をまつる大阪天満宮で行われました。
はじき初めは、府内のそろばん教室でつくる団体が毎年1月3日に行っているものでことしは、小学生や中学生などおよそ1000人が参加しました。
大阪・北区の大阪天満宮の境内には、そろばんが並べられ、子どもたちは、読み上げられた数字を足していく「読み上げ算」に挑戦しました。
読み上げ算では、新しい年にちなんで「2017」が答えになる問題などが出され、日ごろからそ
ろばんに親しんでいる子どもたちは、次々と正しい答えをはじき出していました。
大阪・東淀川区の小学2年の男子児童は、「全問正解できてうれしい。ことしはそろばん1級を
目指して、家でも勉強して頑張りたい」と話していました。

2372名無しさん:2017/01/03(火) 18:32:46 ID:Yn1wk.ls0

正成ゆかりの地日本遺産申請へ
http://www.nhk.or.jp/kansai-news/20170103/5457081.html

南北朝時代の武将、楠木正成、正行の親子にゆかりのある大阪と兵庫の6つの市町村が連携し、2月に、日本遺産への認定を申請することになりました。
日本遺産への認定の申請は、楠木正成の菩提寺、観心寺がある大阪・河内長野市が、正成と息子、正行にゆかりのある、大阪の四條畷市、富田林市、島本町、千早赤阪村、それに神戸市に呼びかけて準備を進めています。
日本遺産は、各地に点在する有形・無形の文化財を観光資源として国内外に発信していこうと、文化庁が昨年度、制度を設けました。
6つの市町村は、「南北朝時代の武将として、正成と正行は知略をもって大軍と向かい合い、後世まで名をはせた。浄瑠璃や講談でも演じられてきたサムライのヒーローは、この地に700年にわたって生き続けている」などとする内容で、2月に文化庁に申請することにしています。
河内長野市教育委員会の太田宏明係長は「楠木正成は全国にファンがいて、準備段階から多くのエールをいただいている。日本遺産認定を地域の活性化につなげたい」と話しています。

2373名無しさん:2017/02/03(金) 12:34:03 ID:qyBlkDVA0
「四代目春団治」、春之輔さんが来春襲名へ
2017年02月03日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20170203-OYO1T50007.html

 上方落語の大名跡「桂春団治」の四代目を、昨年1月に亡くなった三代目の弟子、桂春之輔はるのすけさん(68)が来春、襲名することになった。春之輔さんと松竹芸能(大阪市)が2日、発表した。披露興行は来春、大阪松竹座(同)で行われる。

 春之輔さんは大阪府寝屋川市出身。1965年、三代目に入門した。軽妙な語り口が持ち味で、滑稽噺ばなしから人情噺まで幅広い演目をこなす。79〜92年、テレビの情報番組「2時のワイドショー」にも出演し、人気を集めた。現在、上方落語協会副会長を務めている。

 この日、記者会見した春之輔さんは「三代目が生前、私を四代目にと指名してくれていた。芸では歴代春団治にかなわないかもしれないが、自分なりに新しい春団治を作り上げていきたい」と抱負を述べた。

2374名無しさん:2017/02/08(水) 12:19:43 ID:qyBlkDVA0
高山右近、晴れて「福者」に 大阪の列福式に1万人参列
岡田匠2017年2月7日
http://www.asahi.com/articles/ASK2745L8K27PTFC004.html

 キリシタン大名・高山右近がカトリックの「福者(ふくしゃ)」に認められたことを宣言する列福(れっぷく)式が7日、大阪城ホール(大阪市)で開かれた。ローマ法王代理としてバチカン(ローマ法王庁)から派遣された枢機卿が進行役の主司式を務め、信者ら約1万人が参列した。

 福者は、聖人に次ぐ崇敬の対象。右近は昨年1月、法王から承認された。

 式では、聖遺物として右近のチョッキの切れ端が壇上に置かれた。岡田武夫・東京大司教が福者の列に右近を加えるよう請願。法王代理のアンジェロ・アマート法王庁列聖省長官が法王の書簡を読み上げ、イタリア語で「福者の列に加えます」と告げた。その後、長崎の信者で画家の三牧(みまき)樺(か)ず子さんが今回の列福式のために描いた右近の肖像画が除幕された。カトリックは今後、右近が亡くなった2月3日を記念日として毎年祝うという。

 右近は戦国時代、今の大阪府豊能町で生まれ、12歳で洗礼を受けた。豊臣秀吉のバテレン追放令でも信仰を捨てず、前田利家に保護された。1614年に江戸幕府の禁教令で国外追放となり、翌年2月3日にマニラで亡くなった。

 これまで日本では、秀吉に処刑され殉教したパウロ三木ら42人が聖人に、江戸初期に聖地エルサレムを訪れたペトロ岐部ら393人が福者に認定されている。(岡田匠)

2375名無しさん:2017/02/22(水) 20:07:22 ID:rWPPEqz20
木彫、匠の技披露 「山本一門」が実演 大阪天満宮
2017年2月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170219/20170219033.html

 大阪市北区の大阪天満宮で開催中の「盆梅と盆石展」で18日、だんじり彫刻を手掛ける山本仲伸さん率いる「山本一門」の彫刻実演が行われた。来場者は厳かな雰囲気の中、匠(たくみ)の技に見入っていた。







黙々と作業を行う山本一門の彫師たち=18日午後、大阪市北区の大阪天満宮


 彫刻の実演は、伝統文化に触れる機会を来場者に持ってもらおうと、ことし初めて開催した。山本さんは貝塚市でだんじりのほか、置物や寺社彫刻を手掛けている。

 参集殿で午後1時から山本さんら4人の彫師がそれぞれの作品を制作。「カッ」「カッ」という木を彫る音が響く中、黙々と作業に取り組んでいた。

 兵庫県西宮市から訪れた男性(60)は「下書きがないのに、彫っていくのがすごい。頭の中でイメージができているのでしょうね」と感心しきりだった。

 「盆梅と盆石展」は3月12日まで。午前9時半〜午後4時。拝観料は中学生以上500円、小学生300円、幼児無料。

2376名無しさん:2017/02/22(水) 20:26:14 ID:rWPPEqz20
香りと花姿 来園者満喫 四天王寺で梅見頃
2017年2月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170222/20170222026.html

 21日の近畿地方は冬型の気圧配置でおおむね曇り空だったが、昼前から高気圧に覆われ中・南部では青空が広がった。

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、境内の随所に植えられている梅の一部が見頃となり、多くの参詣者を迎えている。このうち四季折々の草花が楽しめる本坊庭園「極楽浄土の庭」(約1万平方メートル)でも白やピンクのかれんな小輪が枝先を飾っている。

 この日は同寺ゆかりの弘法大師の月命日の縁日「大師会(だいしえ)」で、境内は朝から大にぎわい。庭園内も来園者が絶えず、葉擦れとせせらぎの音に包まれる中、寒風が運ぶ梅の香りと花姿を満喫していた。

 大阪管区気象台によると大阪市の最高気温は8・6度で、前日を9・2度、平年を2・0度それぞれ下回る、寒い一日となった。

 開花時期は品種よって異なり、同寺によると順次咲き替わりながら3月中旬まで楽しめるという。

2377名無しさん:2017/02/22(水) 20:36:55 ID:rWPPEqz20
大量の焼けた瓦出土・・・高宮廃寺跡
2017年02月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170216-OYTNT50320.html?from=yartcl_blist

◇「講堂焼失」裏付け

 寝屋川市高宮の国史跡・高宮廃寺跡で、中世に再建された「講堂」が火災により焼失した状況を確認した、と市教委が発表した。焼けた瓦や黒く炭化した土の層が出土しており、市教委は「火災で建物が焼失したという状況が目に見える形で裏付けられた」としている。

 寺域はほとんどが、大杜御祖おおもりみおや神社の境内地内にあったとされる。講堂は僧侶が講話や説法を行った場所で、奈良時代に廃絶し、鎌倉から室町期に再建したとみられている。

 市教委が昨年8月から約500平方メートルを調査した結果、講堂跡(東西16・5メートル、南北13・5メートル)の北東部の土層(深さ約1・2メートル)から、一部が焼損するなどした大量の瓦や炭化した土の層が見つかった。瓦の材質や色などの形状から、1420〜90年代のものとみられるという。

 現地説明会は18日午後1時、同2時から。小雨決行。JR東寝屋川駅から西へ徒歩15分。調査は今年度末で終了するため、今後、周囲は埋め戻される。現状を確認できるのは今回が最後という。問い合わせは、市教委文化スポーツ室(代表072・824・1181)へ。

2017年02月17日

2378名無しさん:2017/03/06(月) 18:54:39 ID:eRtBF0Us0
http://www.news-postseven.com/archives/20170306_498772.html?PAGE=1#container

笑福亭鶴瓶、上方四天王「松鶴」復活の大本命に急浮上
昨年死去した三代目・桂春団治の一周忌追善落語会が2月26日に開催された。そこで、来春に四代目・春団治を継ぐこととなった桂春之輔(68)へ、笑福亭鶴瓶(65)がこんな言葉を投げかけた。
だが1986年に亡くなった後は、襲名をめぐり一門を揺るがす大騒動が起こった。本来なら「松鶴」の後継者は一番弟子の笑福亭仁鶴(80)だったが、彼は「自分で大きくした仁鶴でやっていきたい」と拒否。代わりに仁鶴は独断で六代目の七番弟子である笑福亭松葉を指名した。
 これには兄弟子たちの不満が爆発。騒動は泥沼化し、お家騒動は当時のワイドショーを賑わせた。しかも、指名された松葉は病に倒れ、七代目を継ぐ前にこの世を去った。名跡は遺贈されたが、それ以来、「松鶴」は“空席”のままだ。前出の落語関係者がいう。

「大阪では『松鶴の名前も復活させてほしい』という声が根強い。だが、泥沼の後継者争いを経験した弟子たちは総じて“そんな名跡を継いで嫉妬されたくない”と敬遠気味。そこで名前が挙がっているのが鶴瓶なのです」

 近年の鶴瓶は、確かに落語へ傾注している。若い頃からテレビやラジオを中心に活躍し「落語をやらない落語家」と皮肉られてきた鶴瓶だが、2002年に春風亭小朝(61)から大きな落語会への出演オファーを受けたことをきっかけに真剣に古典を学び直した。2007年には六代目の得意とした演目「らくだ」を「鶴瓶のらくだ」へと改編し全国ツアーを開催して2万人を動員した。

「それだけじゃありません。六代目の自宅を買い取って多目的ホールに改装し、多忙にもかかわらず、月に一度は落語会を開催しています。

 六代目の死後30年近くたった今でも、毎月の墓参りは欠かさない。それほど師匠への思い入れは強いんです。大阪では鶴瓶を推す声は日増しに高まっている」(同前)

 鶴瓶の所属事務所に聞くと「(待望論は)ありがたい話ですが、それはないです」との回答。鶴瓶が“お跡がよろしいようで”と受け入れる日は来るか──。

※週刊ポスト2017年3月17日号

「僕は(襲名に)反対や。あんたが名乗る前に俺が『笑福亭春団治』を名乗るわ」

 鶴瓶流の激励に、会場は笑いに包まれた。もちろん「春団治襲名」は冗談だが、上方落語界では「別の大名跡を手にするのでは」(関西の落語関係者)と噂されている。

「春団治と並び“上方四天王”と言われる『笑福亭松鶴』の名跡です。もう20年以上の長い間、空席となっています」(同前)

 上方四天王とは、戦後、関西の落語界の復興に貢献した「春団治」、「松鶴」、「桂米朝」、「桂文枝」のこと。鶴瓶はそのひとり、六代目・松鶴の八番目の弟子である。

「六代目・松鶴といえば古典落語の大名人であり、上方落語界の巨人です。お酒好きの庶民が活躍する『らくだ』などは絶品でした」(上方文化評論家・福井栄一氏)

2379名無しさん:2017/03/06(月) 18:56:52 ID:eRtBF0Us0

笑福亭鶴瓶、上方四天王「松鶴」復活の大本命に急浮上
昨年死去した三代目・桂春団治の一周忌追善落語会が2月26日に開催された。そこで、来春に四代目・春団治を継ぐこととなった桂春之輔(68)へ、笑福亭鶴瓶(65)がこんな言葉を投げかけた。
「僕は(襲名に)反対や。あんたが名乗る前に俺が『笑福亭春団治』を名乗るわ」

 鶴瓶流の激励に、会場は笑いに包まれた。もちろん「春団治襲名」は冗談だが、上方落語界では「別の大名跡を手にするのでは」(関西の落語関係者)と噂されている。

「春団治と並び“上方四天王”と言われる『笑福亭松鶴』の名跡です。もう20年以上の長い間、空席となっています」(同前)

 上方四天王とは、戦後、関西の落語界の復興に貢献した「春団治」、「松鶴」、「桂米朝」、「桂文枝」のこと。鶴瓶はそのひとり、六代目・松鶴の八番目の弟子である。

「六代目・松鶴といえば古典落語の大名人であり、上方落語界の巨人です。お酒好きの庶民が活躍する『らくだ』などは絶品でした」(上方文化評論家・福井栄一氏)

だが1986年に亡くなった後は、襲名をめぐり一門を揺るがす大騒動が起こった。本来なら「松鶴」の後継者は一番弟子の笑福亭仁鶴(80)だったが、彼は「自分で大きくした仁鶴でやっていきたい」と拒否。代わりに仁鶴は独断で六代目の七番弟子である笑福亭松葉を指名した。
 これには兄弟子たちの不満が爆発。騒動は泥沼化し、お家騒動は当時のワイドショーを賑わせた。しかも、指名された松葉は病に倒れ、七代目を継ぐ前にこの世を去った。名跡は遺贈されたが、それ以来、「松鶴」は“空席”のままだ。前出の落語関係者がいう。

「大阪では『松鶴の名前も復活させてほしい』という声が根強い。だが、泥沼の後継者争いを経験した弟子たちは総じて“そんな名跡を継いで嫉妬されたくない”と敬遠気味。そこで名前が挙がっているのが鶴瓶なのです」

 近年の鶴瓶は、確かに落語へ傾注している。若い頃からテレビやラジオを中心に活躍し「落語をやらない落語家」と皮肉られてきた鶴瓶だが、2002年に春風亭小朝(61)から大きな落語会への出演オファーを受けたことをきっかけに真剣に古典を学び直した。2007年には六代目の得意とした演目「らくだ」を「鶴瓶のらくだ」へと改編し全国ツアーを開催して2万人を動員した。

「それだけじゃありません。六代目の自宅を買い取って多目的ホールに改装し、多忙にもかかわらず、月に一度は落語会を開催しています。

 六代目の死後30年近くたった今でも、毎月の墓参りは欠かさない。それほど師匠への思い入れは強いんです。大阪では鶴瓶を推す声は日増しに高まっている」(同前)

 鶴瓶の所属事務所に聞くと「(待望論は)ありがたい話ですが、それはないです」との回答。鶴瓶が“お跡がよろしいようで”と受け入れる日は来るか──。

※週刊ポスト2017年3月17日号

2380名無しさん:2017/03/21(火) 22:05:45 ID:f218XYX.0
http://www.sankei.com/west/news/170321/wst1703210067-n1.html

「楠木正成考」シンポジウム 井沢元彦氏と東儀秀樹氏が講演 明治神宮会館で開催
 産経新聞で連載中の「楠木正成考」に合わせ、忠義の人で知られる南北朝時代の武将、楠木正成の魅力と現代における意義を考えるシンポジウム「楠木正成考」が21日、東京都渋谷区の明治神宮会館で開かれ、約1900人が熱心に耳を傾けた。
 基調講演では作家の井沢元彦さんが「楠木正成の魅力と再評価」と題し、怨霊信仰など日本の歴史をひもときながら評価の変遷を解説。「正成は軍略家で見通しのいい人だったのに、あえて殉じる道を選んだ。優秀で誠実、魅力に富んだ人だった」と述べた。
 続いて雅楽師の東儀秀樹さんが講演。「学校教育から叙情歌が減っていることに怒りを感じる。美しい歌と言葉に日本の心がある」と話し、今回のために編曲したという唱歌「桜井の決別」で知られる「楠公の歌」を演奏すると、会場は大きな拍手に包まれた。
竹島なんぞくれてやったらよろいいがなとのたまった某落語家は楠公にちなんだ芸名を返上すべきである。

2381undefined:2017/04/20(木) 16:02:04 ID:xksMER4c0
聖徳太子を「厩戸王」とし、「脱亜入欧」を貶める 「不都合」な史実の抹消狙う左翼に警戒を 東京大学名誉教授・平川祐弘
http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n1.html

昭和の日本で最高額紙幣に選ばれた人は聖徳太子で、百円、千円、五千円、一万円札に登場した。品位ある太子の像と法隆寺の夢殿である。年配の日本人で知らぬ人はいない。それに代わり福沢諭吉が一万円札に登場したのは1984年だが、この二人に対する内外評価の推移の意味を考えてみたい。

 ≪平和共存を優先した聖徳太子≫

 聖徳太子は西暦の574年に「仏法を信じ神道を尊んだ」用明天皇の子として生まれ、622年に亡くなった。厩(うまや)生まれの伝説があり、厩戸皇子(うまやどのみこ)ともいう。推古天皇の摂政として憲法十七条を制定した。漢訳仏典を学び多くの寺院を建てた。今でいえば学校開設だろう。

 仏教を奨励したが、党派的抗争を戒め、憲法第一条に「和ヲ以テ貴シトナス」と諭した。太子は信仰や政治の原理を説くよりも、複数価値の容認と平和共存を優先した。大陸文化導入を機に力を伸ばそうとした蘇我氏と、それに敵対した物部氏の抗争を目撃したから、仏教を尊びつつも一党の専制支配の危険を懸念したのだろう。

http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n2.html

支配原理でなく「寛容」をまず説く、このような国家基本法の第一条は珍しい。今度、日本が自前の憲法を制定する際は、前文に「和ヲ以テ貴シトナス」と宣(の)べるが良くはないか。わが国最初の成文法の最初の言葉が「以和為貴」だが、和とは平和の和、格差の少ない和諧社会の和、諸国民の和合の和、英語のharmonyとも解釈し得る。日本発の世界に誇り得る憲法理念ではあるまいか。

 ≪独立自尊を主張した福沢諭吉≫

 ところで聖徳太子と福沢諭吉は、日本史上二つの大きなターニング・ポイントに関係する。第一回は日本が目を中国に向けたとき、聖徳太子がその主導者として朝鮮半島から大陸文化をとりいれ、古代日本の文化政策を推進した。第二回は Japan’s turn to the West 、日本が目を西洋に転じたときで、福沢はその主導者として西洋化路線を推進した。

 明治維新を境に日本は第一外国語を漢文から英語に切り替えた。19世紀の世界で影響力のある大国は英国で、文明社会に通用する言葉は英語と認識したからだが、日本の英学の父・福沢は漢籍に通じていたくせに、漢学者を「其功能は飯を喰ふ字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨る食客と云ふて可なり」(学問のすゝめ)と笑い物にした。

2382undefined:2017/04/20(木) 16:03:46 ID:xksMER4c0
http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n3.html

このように大切な紙幣に日本文化史の二つの転換点を象徴する人物が選ばれた。二人は外国文化を学ぶ重要性を説きつつも日本人として自己本位の立場を貫いた。聖徳太子はチャイナ・スクールとはならず、福沢も独立自尊を主張した。太子の自主独立は大和朝廷が派遣した遣隋使が「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」と述べたことからもわかる。日本人はこれを当然の主張と思うが、隋の煬帝(ようだい)は「之(これ)を覧(み)て悦(よろこ)ばず、〈蛮夷の書、無礼なるもの有り、復(ま)た以(もっ)て聞(ぶん)する勿(なか)れ〉と」いった(隋書倭国伝)。

 中華の人は華夷秩序(かいちつじょ)の上位に自分たちがおり、日本は下だと昔も今も思いたがる。だから対等な国際関係を結ぼうとする倭人(わじん)は無礼なのである。新井白石はそんな隣国の自己中心主義を退けようと、イタリア語のCina(チイナ)の使用を考えた。支那Zh●n★は侮蔑語でなくチイナの音訳だが中国人には気に食わない。

 東夷の日本が、かつては聖人の国として中国をあがめたくせに、脱亜入欧し、逆に強国となり侵略した。許せない。それだから戦後は日本人に支那とは呼ばせず中国と呼ばせた。

http://www.sankei.com/column/news/170315/clm1703150005-n4.html

≪学習指導要領改訂案に潜む意図≫

 アヘン戦争以来、帝国主義列強によって半植民地化されたことが中華の人にとり国恥(こくち)なのはわかるが、華夷秩序の消滅をも屈辱と感じるのは問題だ。

 その中国はいまや経済的・軍事的に日本を抜き、米国に次ぐ覇権国家である。中華ナショナリズムは高揚し、得意げな華人も見かけるが、習近平氏の「中国の夢」とは何か。華夷秩序復興か。だが中国が超大国になろうと、日本の中国への回帰 Japan’s return to China はあり得ない。法治なき政治や貧富の格差、汚染した生活や道徳に魅力はない。そんな一党独裁の大国が日本の若者の尊敬や憧憬(しょうけい)の対象となるはずはないからだ。

 しかし相手は巧妙である。日本のプロ・チャイナの学者と手をつなぎ「脱亜」を唱えた福沢を貶(おとし)めようとした。だがいかに福沢を難じても、日本人が言語的に脱漢入英した現実を覆すことはできない。福沢は慶応義塾を開設し、英書を学ばせアジア的停滞から日本を抜け出させることに成功した。だがそんな福沢を悪者に仕立てるのが戦後日本左翼の流行だった。

 これから先、文科省に入りこんだその種の人たちは不都合な史実の何を消すつもりか。歴史は伝承の中に存するが、2月の学習指導要領改訂案では歴史教科書から聖徳太子の名前をやめ「厩戸王」とする方針を示した由である。(東京大学名誉教授・平川祐弘 ひらかわ・すけひろ)

2383undefined:2017/04/20(木) 18:07:51 ID:xksMER4c0
古民家の台所が幽玄の世界に 大阪・吹田で「能楽囃子」
http://www.sankei.com/region/news/170417/rgn1704170036-n1.html

 古民家の台所を舞台に、簡略化された能を堪能する「能楽囃子(のうがくばやし)の世界」が16日、吹田市南高浜町の吹田歴史文化まちづくりセンター「浜屋敷」で開かれ、約90人のファンを魅了した。

 12回目の今回のテーマは、「ものまね条々」。司会、解説役の上田敦史さん(大倉流小鼓方)によると、ものまねは「物まね」ではなく、世阿弥が説く「さまざまな役柄を演じる際の心構え」のこと。関西で活躍する若手能楽師(観世流シテ方)らが「神」「男」「鬼」などを主人公とする5曲を披露した。

 最初の4曲は、紋付きはかま姿で能のクライマックスシーンを演じる「舞(まい)囃子」形式で行われ、住吉明神が登場するめでたい「高砂」などが舞われた。最後に、宇宙のすべてを映し出す「野守の鏡」を守る鬼神と山伏のやりとりがダイナミックな「野守(のもり)」が、曲の後半の見どころを演じる「半能」形式で披露された。

 浜屋敷は江戸時代の庄屋の屋敷跡で、薄明かりの台所の板間が舞台になった。能楽ファンらは、土間のカマドの前に置かれたイスに座って鑑賞し、幽玄の世界に浸った。

2384undefined:2017/05/01(月) 19:53:49 ID:82wZygKM0
よろい片、日本最北の出土 大和政権と関係か、新潟
2017年4月29日 16:00
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170429/20170429061.html


 新潟市東区の「牡丹山諏訪神社古墳」から、5世紀初めの古墳時代中期のものとみられるよろい片が見つかった。古墳時代のよろいとしては日本最北での出土。当時は畿内しかよろいを作る技術がなく、大和政権とのつながりを示す史料として研究者から注目を浴びている。

 調査団代表の橋本博文教授によると昨年9月に発見。縦約3センチ、横約4センチで、厚さ約2ミリの鉄板が2枚重ねられていた。2カ所の穴に革ひもの跡があったことなどから短甲のかけらとみられる。

 同古墳からはこれまで、円筒埴輪や朝鮮半島由来とみられる須恵器なども出土している。

2385undefined:2017/05/01(月) 20:40:34 ID:82wZygKM0
竹内街道・横大路 日本遺産に
04月28日 15時17分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170428/5904421.html

日本の文化や伝統を国内外に発信していこうと、文化庁が認定を行っている「日本遺産」に、大阪府と奈良県の12の自治体が申請していた「最古の国道竹内街道・横大路」が選ばれました。
「日本遺産」は、各地の有形・無形の文化財を地域的なつながりや時代的な特徴ごとにまとめ、その魅力を国内外に発信していこうと、文化庁が、おととし4月から認定しているものです。
今年度は、全国から79件の申請があり、17件が選ばれました。
このうち、大阪府と奈良県の12の自治体が申請していた「最古の国道竹内街道・横大路」は、古代の難波と飛鳥を結んだ道で、現在も大阪・堺市から奈良県の桜井市までを東西に結んでいる道です。
沿道には、百舌鳥・古市古墳群などの重要な文化財が残されるなど、古代から現代まで1400年にわたる悠久の歴史を伝える「最古の国道」として認定されました。
大阪府の文化財が日本遺産に認定されるのは初めてです。
大阪府の松井知事は記者団に対し「海外からも大勢の旅行客が訪れている。日本遺産という冠がつけば、さらに多くの人が訪れてくれると思うので、うれしい」と述べました。

2386undefined:2017/05/01(月) 21:46:35 ID:82wZygKM0
雅楽奉納 うっとり 大阪天満宮「鎮花祭」
2017年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170426/20170426023.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、伝統行事「鎮花祭(ちんかさい)」が執り行われた。本殿前の特設舞台で雅楽が奉納され、多くの参拝者がみやびやかな音色や所作に見入った。

 
同祭は「はなしずめのまつり」とも呼ばれる行事。花が咲き誇るこの季節は人々の心も緩みがちで災いが生じやすいことから、古来、花の精霊の仕業と考えられ、舞い散る花に乗って飛ぶ精霊を鎮めて平安を祈念したと伝わる。

 冒頭の管絃では同宮神職が「君が代」と唐楽の「胡飲酒破(こんじゅのは)」を奏で、優美な音色を境内に響かせた。続いて、みこが浪速神楽「式神楽第一」、社伝神楽「珍しな」などを順次奉納した。このほかに関西雅楽松風会の奉仕で舞楽「白浜(ほうひん)」などが演じられ、古式ゆかしい装束と息の合った一挙一動が相まって参拝者を魅了。春の伝統行事を華やかに締めくくった。

2387undefined:2017/05/01(月) 22:02:13 ID:82wZygKM0
40万点 春の古本市 3日まで、古書ファン続々と
2017年4月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170429/20170429025.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で28日、春恒例の大古本祭りが開幕した。歴史書や小説、絵本、雑貨など古書類約40万点をそろえ、目当ての品を買い求める来場者でにぎわっている。5月3日まで。

 
 同イベントは関西古書研究会と四天王寺の主催。15回目となる今回は「『長寿』は『食』から」をテーマに、チベットの医療辞典や漢方の専門書など健康に関する書籍が充実。『東京都庁・大阪市役所 庭球対抗試合二十年史』(1957年)など大阪関係の希少本も並ぶ。

 初日のこの日は午前10時の開場と同時に古書ファンが詰めかけ、100円均一コーナーなどに人気が集中。絵本を求めて京都市から訪れた佐藤エミさん(51)は「毎年初日に来るのが楽しみ。買う、買わないにかかわらず、活気があって楽しい」と話していた。

 関西古書研究会の菅哲夫会長は「今年は開店5年未満の若い店の参加が多く、初めて即売会に出すような目新しいものも魅力」とアピールしていた。

2388undefined:2017/05/01(月) 22:05:26 ID:82wZygKM0
二十五菩薩画完成、奉納 10年がかり入魂作
2017年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170430/20170430027.html

 大阪市平野区平野上町1丁目の大念仏寺で、伝統儀礼「万部おねり」が5月1日に始まるのを前に、同区の画家、谷守さん(82)が信仰の証しとして祭りに登場する二十五菩薩(ぼさつ)像を描き、完成させた。知人の勧めもあって描き続けてきた谷さんは「10年かかってようやく宿題を果たせた」と胸をなで下ろした。

 
今回奉納したのは、薬王、華厳王、大自在王、日照王の4菩薩。万部おねりは、臨終に際して仏や菩薩が迎えに来る「来迎」の様子を表現した奇祭で、谷さんは節目の年にしか登場しない地蔵菩薩を含めて年に1〜4体ずつ納めてきた。

 谷さんはかつて肺を患い、一時は生死の境をさまようなど筆を休めたが、「もう一度描いてくれ」という菩薩の声に力を得たという。

 24日には法要があり、僧侶や行政、地元町会の関係者ら約60人が参列。同寺の田中瑞修宗務総長が「体力、精神力の結晶だ。いつまでも大切にお守りしたい」とあいさつした。

2389undefined:2017/05/07(日) 19:14:08 ID:dmbp3C5.0
“現代版”菱垣廻船が出航 ヨットで700キロ、江戸へ
2017年5月3日 17:17
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170503/20170503071.html

 江戸時代に大阪―江戸を結び、さまざまな生活物資を定期輸送した「菱垣廻船」の航跡約700キロをたどるヨットが3日、大阪港を出発した。天候の回復などを待った港町「風待ち港」に立ち寄りながら、東京港に20日到着する予定だ。

 ヨットはサザンクロス号(全長約12メートル、幅約4メートル)。3日午前11時ごろ、約50人が見送る中、最初の寄港地の兵庫県洲本市に向け出港した。

 菱垣廻船は、「天下の台所」大阪から、しょうゆや酒、木綿などの物資を江戸に運んだ「海の大動脈」で、太平洋岸を航行する南海路の各所には風待ち港が栄えた。

2390undefined:2017/05/14(日) 19:59:43 ID:3zxVZubk0
北前船の嘉兵衛精神を現代に 兵庫で寄港地フォーラム
2017年5月12日 19:27
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170512/20170512136.html

江戸時代、日本海側や瀬戸内海を通って大阪と北海道を結んだ「北前船」が寄港した各地の自治体関係者らが集まり、観光振興や地域活性化策を話し合う「第19回北前船寄港地フォーラム」が12日、兵庫県淡路市で開かれた。淡路島は北前船で活躍した豪商高田屋嘉兵衛の出身地で、参加者は嘉兵衛の業績を現代の地域振興に生かす討論などに熱心に聞き入った。

 「嘉兵衛のフロンティア精神に学ぶ」と題された討論では、淡路島観光協会副会長の木下学さんが「嘉兵衛は寄港地で売れる物をしっかり目利きして仕入れ、売っていた」と指摘した。

2391undefined:2017/05/21(日) 14:13:58 ID:MCBszPgY0
津堂城山古墳 石棺を再現 藤井寺市
2017年05月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170513-OYTNT50156.html

藤井寺市は、世界遺産登録を目指している古市古墳群の「津堂城山つどうしろやま古墳」の石棺せっかんを原寸大で再現し、古墳北側にある案内棟「まほらしろやま」の敷地で展示を始めた。石棺は100年余り前に発掘されたが、すぐに埋め戻されて、その後、目にすることはできなくなっている。実物と同じ石を用いるなど忠実な再現が心がけられたという。

 津堂城山古墳は、古墳時代中期に築造された大型の前方後円墳。埋葬された人物が誰なのかは分かっていない。1912年(明治45年)に後円部の頂上付近から石棺は見つかった。全長3メートル以上あり、長方形の「長持形ながもちがた石棺」としては国内でも最大級とされた。

 だが、宮内省(当時)の判断ですぐ埋め戻されたため、詳細については不明な点が多い。今回、復元にあたって、残っていた図面や写真、報告書を基にして、長さ約3・5メートル、幅約1・7メートル、高さ約1・9メートルで仕上げた。実物と同じ兵庫県高砂市で採れる竜山石を使い、蓋や側面、底など板状の部材を組み合わせ、突起に施されていた意匠なども再現した。重さは約16トンになった。

 藤井寺市の山田幸弘・世界遺産登録推進室長は「レプリカであるが、これだけ大きな石棺を目にできる機会は貴重。古墳への関心を高めてもらえれば」と話している。午前10時〜午後5時に見学できる。無料。

2017年05月14日

2392undefined:2017/05/21(日) 14:15:32 ID:MCBszPgY0
百舌鳥・古市古墳群、世界遺産再挑戦
2017年5月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170521/20170521027.html

 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を目指す大阪府と堺、羽曳野、藤井寺3市が、7月末の国内推薦獲得に向けた機運の醸成に余念がない。国内推薦を過去3度見送られた経緯があり「まだかまだかと待っている」(地元関係者)状況だが、果たして4度目の挑戦は結実するのか。


■負けない

 「2025年の国際博覧会(万博)誘致活動もしている。東京に負けない『2極』と呼ばれる大阪をつくりたい」

 松井一郎知事は14日の世界文化遺産登録推進シンポジウムでこう呼び掛けた。来年11月の万博開催地決定を前に世界文化遺産登録の国内推薦を勝ち取り、大阪の魅力を高める思惑が、知事の言葉ににじんだ。

 推薦を獲得した場合、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関イコモスによる審査、現地調査を経て19年7月にも登録の可否が決まる。この年は大阪が開催地の一つになるラグビーW杯があり、21年には関西ワールドマスターズゲームズが控える。

 20年五輪・パラリンピック開催地の東京都に「負けない」ほどの素地が大阪、関西にはあり、世界文化遺産登録が実現すれば話題性は高まりそうだ。

■異彩放つ

 百舌鳥・古市古墳群はこれまでに13、15、16年の文部科学省文化審議会の選考で推薦を見送られた。4回目の今年は「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」(北海道と青森、岩手、秋田3県)と「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(新潟県)を相手に「1件」の推薦を競う。

 その前段として府と3市が開いたシンポジウムは、有識者らの講演やディスカッションを通して百舌鳥・古市古墳群の優位性を再確認する機会だったが、福永伸哉・大阪大大学院教授(考古学)による「地球遺産」の視点は異彩を放っていた。

 1500年間受け継がれた百舌鳥・古市古墳群の歴史を念頭に「保存管理すれば1千年、2千年先まで残る。(その時に)地球外生物と関係が生まれて全宇宙外交ができれば、地球遺産としてアピールできる」と持論を展開した。「飛躍している」との指摘はあったが、世界遺産登録はゴールではなくその先を見据える姿勢は必要だろう。

 世界遺産は現時点で20件登録されているが、西和彦・文化庁参事官はこう指摘した。

 「世界遺産になれば何が変わるのか。(地元当事者は)そのことをどこかで考えていかなければ、世界遺産になっても息切れしてしまう」

 百舌鳥・古市古墳群 大阪府南部の堺市と羽曳野市、藤井寺市にまたがり、4世紀後半〜6世紀前半に築かれ、日本最大の前方後円墳で全長486メートルの仁徳天皇陵古墳など89基の古墳が現存する。

2393undefined:2017/05/21(日) 14:50:41 ID:MCBszPgY0
お茶屋文化 もっと身近に…ミナミ・たに川2代目
2017年05月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170515-OYTNT50456.html

◇一見さん柔軟対応/芸妓衣装体験/HP開設

◇「足運び魅力知って」

大阪・ミナミで唯一残るお茶屋「たに川」(大阪市中央区)の2代目谷川恵めぐむさん(43)が、お茶屋の文化を伝えようと奮闘している。ハードルの高いイメージを払拭するため、「一見いちげんさんお断り」にはこだわらないことを決め、芸妓げいこ衣装の着付け体験などができる講座も開催。谷川さんは「お茶屋をもっと身近な存在にし、大阪の花街文化を残していきたい」と話している。(南部さやか)

 大阪には江戸時代から、北新地、堀江、新町、南地なんち(現在のミナミ)の四つの花街があり、たに川は1969年、南地で芸妓として働いていた谷川さんの母・恵美子さん(77)が創業した。戦前の南地には数百件のお茶屋があったとされるが、今は、たに川を除くと、キタに2軒あるだけという。

 谷川さんは、大学卒業後、就職したものの、「幼い頃から身近にあって親しんできたミナミのお茶屋がなくなるのは寂しい」と店を継ぐことを決意した。

 すでに、2011年からは、講座形式の「お茶屋サロン」(要予約、4000円)も開き、芸妓の生活などを解説。芸妓がカツラに付けるかんざしの展示をはじめ、芸妓の裾引きの衣装を着る体験会なども実施しており、これまでに500人以上が参加したという。 さらに、谷川さんは「お茶屋に行ったことがない人にも広く知ってもらうきっかけに」と今月、店のホームページ(https://ochaya-tanigawa.amebaownd.com)を開設。「一見さんはお断り?」「何人から利用できる?」などの質問項目も設け、お茶屋の内容や魅力などの紹介をしている。

 「何度も訪れることでお茶屋の魅力を知ってもらえる」と考え、「一見さんお断り」としてきたが、谷川さんは「店の特性を理解してくだされば、その限りではありません」と柔軟に対応することも決めた。

 芸妓の後継者不足は深刻で、10〜20歳代の若者が入門しても、稽古の厳しさや芸妓になっても出番の少なさからやめてしまうケースが目立つという。谷川さんは「お茶屋の文化は、老若男女が集う場として舞踏や三味線などの伝統文化と融合して継承されてきた。さまざまな情報を発信していくことで、その文化を守っていきたい」と決意を新たにしている。

 

 ◆お茶屋

 芸妓が披露する唄や三味線の芸を楽しみながら飲食する場だが、芸妓を呼ばずに飲食しても構わない。お茶屋には板前がいないため、料亭や飲食店などから、客の注文に応じる。会議室やけいこ場として利用する人もいるという。

2017年05月16日

2394undefined:2017/06/11(日) 21:07:44 ID:H89tWGz60
大阪港開港150年目 海保が総合訓練
2017年06月04日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170603-OYTNT50195.html

大阪港の開港から今年で150年目になることを記念し、大阪海上保安監部は3日、大阪湾で、船艇や航空機を出動させ、事故対応や救助の手順を確認する総合訓練を行った。多数の市民も見学に訪れた。

 同保安監部が所属する第5管区海上保安本部の管内で、大規模な総合訓練が行われるのは5年ぶり。同管区から職員約270人と巡視船など十数隻と航空機、ヘリコプターが参加し、6種類の訓練に臨んだ。

 航空機が発見した漂流者を救助する訓練では、上空のヘリコプターから隊員がロープで海上に降下し、漂流者役を手際よくつり上げてヘリコプターに収容した。逃走する不審船の追跡訓練では、隊員が乗った2隻のゴムボートが猛スピードで追いかけ、犯人逮捕の練習をした。

2017年06月04日

2395undefined:2017/06/11(日) 21:43:00 ID:H89tWGz60
犠牲者2800人忘れない 第3次大阪大空襲72年法要
2017年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/graph/article.html?id=20170607-OYTNI50068

太平洋戦争中、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲になったとされる「第3次大阪大空襲」から72年を迎えた7日、同市旭区の常宣寺じょうせんじで、慰霊法要が営まれ、遺族ら約50人が参列した=写真=。

 砲兵工廠こうしょうが近くにあった同区の城北公園では、1945年6月7日の大空襲で避難した多くの市民が戦闘機の機銃掃射などで亡くなった。法要では、読経に続き、参列者が焼香をして静かに手を合わせた。大空襲を体験したという東浦栄一さん(88)は「あの経験は決して忘れられない。後世に伝えていきたい」と話した。

2017年06月08日

2396undefined:2017/06/11(日) 21:43:01 ID:H89tWGz60
犠牲者2800人忘れない 第3次大阪大空襲72年法要
2017年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/graph/article.html?id=20170607-OYTNI50068

太平洋戦争中、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲になったとされる「第3次大阪大空襲」から72年を迎えた7日、同市旭区の常宣寺じょうせんじで、慰霊法要が営まれ、遺族ら約50人が参列した=写真=。

 砲兵工廠こうしょうが近くにあった同区の城北公園では、1945年6月7日の大空襲で避難した多くの市民が戦闘機の機銃掃射などで亡くなった。法要では、読経に続き、参列者が焼香をして静かに手を合わせた。大空襲を体験したという東浦栄一さん(88)は「あの経験は決して忘れられない。後世に伝えていきたい」と話した。

2017年06月08日

2397undefined:2017/06/11(日) 22:08:48 ID:H89tWGz60
歌人・石上露子しのぶ 富田林
2017年06月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20170610-OYTNT50091.html?from=yartcl_blist

◇旧杉山家住宅で生誕祭

 富田林市出身の女流歌人・石上いそのかみ露子つゆこ(1882〜1959年)を顕彰する「石上露子生誕祭」が10日、生家にあたる同市の旧杉山家住宅(重要文化財)などで行われ、多くの市民が訪れた。

 露子は「明星」などで短歌や詩、小説を発表。中央歌壇から注目されたが、親の言いつけで結婚を強いられ、創作活動も禁じられた。愛情を注いだ2人の息子に先立たれ、不遇のまま生涯を閉じたとされる。

 活動期間の短さから広く認知されていない露子の業績と人柄を知ってもらおうと、一般社団法人「露香会」などが、露子の生まれた6月に生誕祭を開いており、今年で7回目。

 この日は、かなわぬ恋を題材にした代表作「小板橋」が、琴の演奏にのせて披露され、露子の写真パネルに花が手向けられた。その後、参加した市民たちは中庭で、着物姿の女性らが点たてた茶を味わいながら、在りし日の露子に思いをはせていた。

2017年06月11日

2398undefined:2017/06/11(日) 22:26:46 ID:H89tWGz60
大和政権支えた「陶邑(すえむら)」大量生産の須恵器展示 18日まで狭山池博物館
http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100039-n1.html

古墳時代に朝鮮半島から伝わった陶質の土器、須恵器の国内最大の産地として知られる、堺市南部一帯の「陶邑(すえむら)」を紹介した企画展が、大阪狭山市池尻中の府立狭山池博物館で開かれている。大和政権を産業面で支えた陶邑の生産態勢などがうかがえる。18日まで。

 陶邑は堺・泉北地域を中心に、大阪狭山市や和泉市にかけて東西15キロ、南北9キロに広がり、古墳時代中期(5世紀前半)〜平安時代前期(9世紀中頃)に須恵器を大量生産。約850基の窯跡が確認されている。

http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100039-n2.html

企画展では、堺市南区の府立大型児童館「ビッグバン」建設に伴って発掘された、高蔵寺(たかくらでら)13号窯跡(5世紀中頃)出土の須恵器など約50点を展示。同窯跡は陶邑中心部に位置し、須恵器を焼いた窯(長さ約14メートル)が当時に近い状態で残っていた。会場には、貴人用とみられる食事を盛る高杯(たかつき)、壺を置く大型の筒形器台などが並んでいる。

 同窯跡は、仁徳天皇陵古墳(全長486メートル)など巨大古墳が次々に築かれた時期と重なる。府教育庁文化財保護課の渡辺昌宏主任専門員は「陶邑は大和政権を産業や経済面で支え、日本の焼きものの古里でもあることを知ってもらえれば」と話す。入館無料で月曜休館。問い合わせは同館((電)072・367・8891)。

2399undefined:2017/06/11(日) 22:30:43 ID:H89tWGz60
【都市を生きる建築(98)】
「開港150年」大阪に建つモダン…水辺で生き抜いてきた知恵も 商船三井築港ビル、天満屋ビル
http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100011-n1.html

今年は1868(明治元)年に大阪港が開港して150年ということで、7月を中心にさまざまな催しが予定されている。当時の物流は水運が主役で、あらゆるものと人、そして文化が海を渡って大阪港に集められ、大阪の市街地へと入っていった。1903(明治36)年には陸地から突きだす槍(やり)のような築港大桟橋(さんばし)が完成し、九条の花園橋まで大道路が整備されて(現在のみなと通)、大阪市で初の市電が開通した。大阪港は海外に向かって開かれた大阪のフロンティアであり、港湾事業で大いに栄え、通りにはモダンな建築が建ち並んだ。

 現在は中央突堤と呼ばれる大桟橋の跡のたもとに、当時の面影を今に伝える近代建築が2棟並んで建っている。1933(昭和8)年に建てられた商船三井築港ビルと、1936年の天満屋ビルだ。

 商船三井築港ビルは、大阪の海運を担っていた大阪商船(現在の商船三井)が建て、船員の待合所として使われていたという。大阪商船といえば、大阪を代表する近代建築であった、中之島のダイビルを建てたことでも知られる。こちらは小ぶりなサイズであるが、外壁に貼られたクリーム色のスクラッチタイルと、正面中央の装飾が特徴的だ。もともとは凸型の外観で、両肩の仕上げの異なる部分は後からの増築。サントリーミュージアムがあった頃までは、地下に大阪有数の現代アートのギャラリーがあり、1階にはデザイナーがオフィスを構えるなど、築港のクリエーティブシーンの一翼を担っていた。その後解体の危機が訪れるが、テナントの有志や市民の保存を願う声が届いて活用が決まり、現在は1階で飲食店が営業を続けている。

http://www.sankei.com/west/news/170610/wst1706100011-n2.html

天満屋ビルは地元の有力者が建てたもので、天満屋はその屋号を引き継いだもの。こちらも色違いの茶色いスクラッチタイルで、大きなガラスの開口と幾何学的な構成がモダンだ。現在は陽光がたっぷりと注ぐ部屋にカフェが入居し、ゆったりとした時間を刻んでいる。

 いずれも地上2階建てにみえるが、実は竣工(しゅんこう)当時は3階建てだった。港区と大正区は昔から地盤が低く、台風などの水害に何度も悩まされてきた。それが戦後の復興事業によって、街の道路が約2メートル嵩(かさ)上げされ、それ以前に建てられた建築は1階が土中に埋まってしまったのだ。現在の玄関はいずれもその後に新たに設置されたもので、天満屋ビルの足元には、かつての1階が覗(のぞ)いている。

 そうした目で築港の街を見回してみると、戦後に建てられたビルのなかにも、階段を4、5段上ってから玄関に入る建物が多いことに気付く。水辺で生き抜いてきた建築の知恵だ。(高岡伸一/建築家・大阪市立大学講師)

2400undefined:2017/06/12(月) 18:32:55 ID:CYEo8K3o0
8月、朝席スタート 天満天神繁昌亭
2017年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170608/20170608025.html

 上方落語協会は8月から、大阪市北区の天満天神繁昌亭で毎週火曜日朝から朝席を実施すると発表した。また7月3日からの第1週昼席で、桂枝女太(58)が来場者からお題を三つずつ上げてもらい、中入り前にお題を盛り込んだ創作落語を即席で披露する「三題噺(ばなし)」に1週間通しで挑戦することも併せて公表した。


「朝から晩まで繁昌亭で落語を楽しんでいただくのがわれわれの願い」という桂文枝会長(73)。まずは入場料千円の深夜、乙夜寄席を考案した。そしてさらに、朝席をスタート。

 担当主任の笑福亭銀瓶(49)は「昼席でまだ出番がない若手を開口一番に起用。昼席なら中トリクラスをトリに起用して、本舞台でそれぞれ勉強してもらう」と説明する。出演者は5人で、午前10時開演、当日券1800円。9月以降の開催は、客の入りを見て決定するという。

 三題噺は昨秋に桂三金が同様に1週間取り組んだ。枝女太は「以前びわこ放送ラジオで同様の試みをしたが、高座で15分近い創作落語に仕上げるのは至難の業。兄弟子の文枝会長にヒントをもらうなど助けていただいて…」と神妙だ。

 担当の笑福亭仁智副会長(64)は「神戸の繁昌亭オープンの準備が着々と進んでいる。大阪の繁昌亭10周年の1カ月は前年比3割増しのお客さまに来ていただいた。協会員も増えたし、常に挑戦する姿勢を忘れず落語に取り組んでいってもらいたい」と意欲を見せた。

2401undefined:2017/06/12(月) 18:39:44 ID:CYEo8K3o0
12日は「恋人の日」 愛染さんで恋絵馬お目見え
2017年6月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170611/20170611029.html

 12日は「恋人の日」-。“愛染(あいぜん)さん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)(山岡武明住職)で、12日から期間限定で新たな授与品「恋絵馬」(100円)がお目見えする。古来、恋愛成就や縁結びの“パワースポット”として知られる寺院とあって、関係者が「さらに幸せになってもらいたい」と思いを込め、愛らしいハート形絵馬の準備を進めている。授与は29日まで。

「恋人の日」はブラジルの風習。恋人同士が、縁結びの聖人・聖アントニオの命日の前日に互いの写真を入れた写真立てを贈り合うことにちなみ、全国額縁組合連合会が1988年から事業活性化の一環として取り組んでいる。

 長年多くの恋人たちが足を運んでいる同院では、この記念日に着目し今年初めて企画。大阪の夏祭りの幕開けを飾る伝統行事「愛染祭」(大阪市指定無形民俗文化財、30日〜7月2日)も間近に控えており、そのPRも兼ねた。

 参詣者は恋絵馬を購入後、相合い傘の左右に自分と好きな人の名前、裏面に愛の誓いの言葉や希望を書いて奉納する。近年は外国人観光客の参詣も急増していることから、案内板には英語表記の説明文も加えた。

 奉納された恋絵馬は愛染祭初日の30日に炊き上げられる予定。山岡住職は「多くの方に幸せを願っていただき、本尊の愛染明王の御利益によってご縁が結ばれることを祈念します」と話している。

 問い合わせは電話06(6779)5800。

2402名無しさん:2017/06/12(月) 21:59:22 ID:1FwjtmIM0
http://www.geocities.jp/marco4321ice/

2403undefined:2017/07/24(月) 19:45:26 ID:TlsjoTz.0
夏本番、天神祭始まる 古式ゆかしい神事で
2017年7月24日 12:48
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170724/20170724025.html

 水の都・大阪に夏本番を告げる大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭が24日朝、市中心部を流れる堂島川のほとりで、古式ゆかしき鉾流神事とともに幕を開けた。
 
 951年に始まった天神祭では当初、天満宮近くの浜から川に鉾を流し、流れ着いた場所に菅原道真の御神霊を祭った。この際、御神霊を乗せた船を、人々が多くの船で出迎えたのが、天神祭で行われる船渡御の起源とされる。

 この日の神事には神職や氏子の代表ら約100人が参列。みこの舞などに続き、神職を乗せた斎船が川にこぎ出した。

2404undefined:2017/07/24(月) 20:17:31 ID:TlsjoTz.0
住吉さん 夏本番 厳かに神輿洗神事
2017年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170719/20170719022.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)の夏祭り「住吉祭」を前に、大みこしを海水で清める「神輿洗(みこしあらい)神事」が17日、同大社近くの住吉公園で盛大に執り行われた。輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手約150人によって勇壮な担ぎ出しが繰り広げられ、見守る市民が間近に迫る夏祭りムードを一足早く満喫した。

 この日は午前中から大阪住吉漁業協同組合の奉仕による「汐汲舟(しおくみぶね)」が出され、大阪湾沖合の海水が採取された。夕刻には、神事の行列の先払いを務める「供奴(ともやっこ)」に続き、獅子舞、大みこしの一行が境内を出発し、かつての住吉浜に位置する同公園斎場まで巡行。薄暮の中、神職が厳かに大みこしを海水ではらい清めた。

 大阪の夏祭りを締めくくる住吉祭は30日〜8月1日に斎行。31日午後5時から「夏越祓(なごしのはらえ)神事」、1日午後3時頃からは「神輿渡御」があり、千人を超える渡御列が堺市の御旅所・宿院頓宮(とんぐう)まで練り歩く。

2405undefined:2017/07/24(月) 20:18:43 ID:TlsjoTz.0
みこしや獅子舞、北新地 練り歩く 天神祭
2017年7月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170722/20170722041.html

 天神祭のかつての陸渡御コースをみこしや獅子舞の行列が巡行する行事が21日、大阪キタの繁華街・北新地でにぎやかに繰り広げられた。
 
 伝統的な装束姿の大行列が都心部を練り歩く天神祭本宮(25日)の陸渡御は、かつて北新地にまで及んでいたが、道路整備や交通量の問題で現在は途絶えている。そこで、渡御コースの復活や地域のにぎわいづくりにつなげようと、天神祭を支える団体「講」のうち、天神講獅子と鳳(おおとり)講が2009年から北新地巡行に取り組んできた。

 この日は北新地の関係者も含め約200人が参加。街灯がきらめくビルの谷間に鳳凰(ほうおう)をいただくみこしを躍動させ、軽快な祭りばやしの中で獅子舞や傘踊りを繰り広げた。鳳講の宮本善樹講元は「巡行が夏を乗り切る力となり、地域の活性化につながれば」と思いを込めていた。

2406undefined:2017/07/24(月) 20:22:31 ID:TlsjoTz.0
空から陸から水上から 今年も「天神祭生中継」
2017年7月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170723/20170723025.html

 テレビ大阪は36回目となる「天神祭生中継」(25日夜6時55分)の概要を発表した。司会は14年連続の西川きよしさん(71)と5年連続7回目のハイヒール・リンゴさん(55)とモモコさん(52)のおなじみトリオ。船渡御列の行き交う大川に近い同局本社には、これも恒例になった萬田久子さん(59)と今年はおかに上がっての出演となる三田村邦彦さん(63)、初出演の村井美樹さんが浴衣姿で加わり番組を盛り上げる。

 
担当の羽柴康晴プロデューサーによると、“舞い上がれ!水都彩る天空絵巻”と題し目玉企画は三つ。

 まず『空編』で、系列キー局テレビ東京から中継ヘリコプターを導入。奉納花火水都祭が川面を彩る大川の上は大阪空港への定期航空便着陸コースになり、ヘリ進入禁止のためキタやミナミ、さらにあべのハルカスなどの上空を飛行しながら大都市に上がる花火とのコラボ映像を追う。

 次に『陸編』で、携帯電話電波を使った移動中継システム。天神祭当日は、大川周辺に100万人を超える人出が予想され、通常のテレビカメラ中継は雑踏の中でほぼ不可能。そこでアナウンサーやリポーターが天神橋筋商店街や繁華街に出没し、スマホで特ダネ映像を狙う。

 最後は同じ地上派デジタル内で通常は使わないサブチャンネルによる放送。メインチャンネルは西川さんらトリオによる司会で祭りのうんちくをはじめとするトークを交えて放送するが、サブチャンネルの映像は船渡御と花火など天神祭の雰囲気をふんだんに盛り込み、過去の大阪をテーマにした歌謡曲を流し、「大阪らしいプロモーションビデオの感覚で」と張り切る。

 昨年サブチャンネルでマニアックな花火解説で視聴者を驚かせた漫才師で花火評論家でもある笑い飯哲夫さん(42)によるトークは、今年はメインチャンネルに昇格して昨年以上の切れ味で花火のノウハウを説明する。

 忘れてはならない『水上編』は、船渡御列を縫っての船上からで、今年はおなじみの斉藤雪乃さんに、小塚舞子さんが新たに加わる。

 番組提供スポンサーで奉納花火実行委の一翼を担うフジオフードシステムは、天神橋筋3丁目にある同社スイーツブランド「はらドーナッツ」で、テレビ大阪のキャラクター・たこるくんとコラボした『たこるドーナッツ』を販売。数量限定で『たこるドーナッツ』ミニトートバッグ付きドーナツ8個入りセット(880円)を天神祭当日まで販売。

 司会の西川さんは「天神祭は日本三大祭りの一つでけた違いの人出。大川端にお集まりの皆さんもなかなか祭りの全体像はつかみにくい。その点、テレビなら涼しいご自宅でゆっくり花火や船渡御をご覧いただけます。サブチャンネルを後で見返せば2度楽しめますよ」とベテランらしい説明ぶり。

2407undefined:2017/07/24(月) 20:37:08 ID:TlsjoTz.0
天神祭前夜祭 熱気包む ステージで祭り再現
2017年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170724/20170724027.html

 大阪天満宮の天神祭(24、25日)のハイライトを楽しむことができる「天神祭前夜祭inOBP」(実行委員会主催)が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパーク(OBP)内ツイン21のホールで開かれた。高層ビル群に囲まれた近代的な建築物を舞台に、迫力のある踊りや鳴り物の演奏が繰り広げられた。

 
天神祭を通じて地域の交流を深めようと、大阪ビジネスパーク協議会と大阪天満宮でつくる実行委が開いている。1986年から続くイベントで今年で32回目となる。

 イベントには天神祭の陸渡御に実際に参列する「講社」が参加。おはらいの清祓(きよはらえ)式の後、催(もよおし)太鼓やだんじり囃子(ばやし)、獅子舞など次々と熱気あふれるステージが披露された。

 同実行委員長の舟越照代・大阪ビジネスパーク協議会事務局長(65)は「日曜日の開催だったが思った以上に来場者が多かった。地域に定着していると感じる。つながりを深めるためにこれからも続けたい」と話した。

2408名無しさん:2017/07/26(水) 16:19:19 ID:qyBlkDVA0
「模擬原爆」空襲犠牲者を追悼
07月26日 
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20170726/4552471.html

72年前の昭和20年7月26日、長崎の原爆と同じ型の爆弾に通常の爆薬をつめた「模擬原爆」による空襲を受けた大阪・東住吉区で、当時の空襲の犠牲者を追悼する式典が行われました。
「模擬原爆」は、アメリカ軍が、長崎に投下した原爆と同じ型の爆弾に、通常の火薬をつめて、昭和20年7月26日に大阪に投下したもので、7人が死亡し、73人がけがをしました。
大阪・東住吉区にある「模擬原爆」の慰霊碑の前では、26日追悼式が行われ、模擬原爆の体験者や、東住吉区や泉佐野市などの小中学生、それに広島と長崎の被爆体験者、およそ150人が参加しました。
式では、模擬原爆が投下された午前9時26分に黙とうがささげられ、空襲で亡くなった人たちを追悼しました。
模擬原爆による空襲を体験した92歳の龍野繁子さんは、「追悼式に出席したり、学校を訪れて自分の体験を話したりすることによって、若い世代の人たちに模擬原爆について語り伝えていきたい」と話していました。
東住吉区の中学校の生徒は、「日本の各地に模擬原爆が落とされたことは、知らなくて驚きました。
平和についてみんなと考えを共有したい」と話していました。

2409名無しさん:2017/07/30(日) 11:32:25 ID:5kGVTHw60
http://www.sankei.com/west/news/170730/wst1707300002-n1.html
【井上章一の大阪まみれ】
失われたアメリカ文化が大阪で保存されていた!
 ビリケンは、大阪・通天閣のマスコットである。足の裏をなでると、御利益がある。そんな評判もあって、おおぜいの人がここにはやってくる。とりわけ、受験生には人気があるという。
 これを、大阪のシンボルだと考える人も、すくなくない。そう言えば、新世界を舞台として、『ビリケン』という映画がつくられたこともある(一九九六年)。二〇〇五年には、「なにわの文化・観光交流大使」となってもいる。その称号とともに、東京へもちだされたことは、記憶に新しい。
 大阪を代表するキャラクターとしても、ひろくみとめられている。その点では、「くいだおれ太郎」なみになっていると言うべきか。ただ、あの人形とちがい、国際的な舞台では、まだ活躍をしていない。私は、アメリカへいって、その存在感をアピールしてほしいと、考えているのだが。
 とうとつに、アメリカをもちだし、読者はとまどわれたろうか。これには、訳がある。
 ビリケンは、もともとアメリカではやりだした愛玩人形だとされている。シカゴのさる彫刻家が、女性らしいけれども、発案した。夢のなかにでてきた精霊を、彼女がそのまま造形したのだと、言われている。通天閣の説明によれば、一九〇八年のことであったらしい。
http://www.sankei.com/west/news/170730/wst1707300002-n2.html
 なぜか、幸運のシンボルとして、ひところアメリカでヒットした。日本にも、もちこまれている。
 大阪では、旧ルナパークの開園にさいし、これを園地でまつることとなった。園内にもうけたビリケン堂へ、千客万来の招福人形として、しつらえたのである。招き猫や福助にかわる、その舶来版として。一九一二年のことであった。なお、今の新世界は、このルナパーク跡地にひろがる界隈である。
 ルナパークは、一九二三年に閉鎖された。以後、ビリケンは行方がわからなくなる。今のビリケンは、その代替品。戦後に再建された通天閣が、往時をしのぶためにあつらえた像である(一九七九年)。一時は下火になっていた人気も、この復活でよみがえった。
 アメリカでも、二十世紀のなかばごろまでは、そこそこ愛玩されていたという。アメリカ映画の『哀愁』(一九四〇年)にも、マスコットとして登場する。しかし、今はすっかりわすれられているだろう。
 だからこそ、私は大阪のビリケンに渡米をすすめたい。うしなわれたアメリカ文化が、大阪で保存されていたことを、しめすために。(国際日本文化研究センター教授)

2410名無しさん:2017/07/31(月) 20:39:39 ID:zgdI6lyY0
http://www.sankei.com/west/news/170731/wst1707310072-n1.html
仁徳天皇陵含む百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産国内候補に 大阪府

文化審議会は31日、平成31(2019)年の世界文化遺産登録を目指す候補として、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」を選んだ。来年2月までに政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に推薦書を提出し、31年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受ける見通し。
同古墳群は堺市の百舌鳥古墳群と、大阪府羽曳野、藤井寺両市に広がる古市古墳群の総称。古墳群は、国内最大規模の「仁徳天皇陵古墳」(堺市、全長486メートル)や応神天皇陵古墳(羽曳野市、同425メートル)をはじめ、古墳時代最盛期の4世紀後半〜5世紀後半に築造された49基で構成する。全長200メートルを超える前方後円墳は全国に約40基あるが、11基が立地する。
堺市など地元自治体は、古墳群について、「天皇陵を中心に、約1600年前の姿を今に伝えている」などととして推薦を求め、これまでに25、27、28年の3度、文化審議会で審議されたが、いずれも見送られていた。
このため、今回は「仁徳天皇陵古墳」をはじめ、大小さまざまな形が存在する古墳群は他に例がないとする「多様性」をアピールしたことが結果に結びついたとみられる。

http://www.sankei.com/west/news/170731/wst1707310072-n2.html
この日の文化審議会では、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」(北海道、青森、岩手、秋田の3県)、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(新潟県)の2件も審議対象とされたが、今回は見送られた。

2411undefined:2017/08/06(日) 15:56:07 ID:Dgr72iNc0
百舌鳥・古市の古墳楽しむVR 地元博物館でツアー開始
2017年8月1日 11:07
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/170801/20170801044.html

 世界文化遺産の推薦決定から一夜明けた1日、百舌鳥・古市古墳群の地元にある堺市博物館で、バーチャルリアリティー(VR)技術で百舌鳥古墳群を上空から眺めることのできる疑似体験ツアーが始まった。

参加者はヘッドマウントディスプレーをつけ、上空300mからの映像で、国内最大の大山古墳(仁徳天皇陵)や周囲の風景を楽しめる。CGで、約1600年前の大山古墳の壮麗な築造当時の姿も再現している。

家族で訪れた仙台市青葉区の男性(44)は「仁徳天皇陵の周囲を歩いただけでは全体像が見えないけど、VRだと手に取るように分かる」と興奮した様子だった。

2412名無しさん:2017/08/06(日) 16:11:36 ID:Dgr72iNc0
豪華な渡御列 沿道沸く 「住吉祭」神輿渡御
2017年8月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170802/20170802027.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)の「住吉祭」伝統の神輿(みこし)渡御が1日、盛大に執り行われた。千人を超える渡御列が堺市堺区の御旅所「宿院頓宮(とんぐう)」を目指して練り歩き、大阪各地で約1カ月の間に斎行された夏祭りシーズンを締めくくった。

渡御には、明治時代に奉納され昨年大改修が完了した「大神輿」を中心に、神馬(しんめ)や枕太鼓、船みこしといったさまざまな奉仕者が参列。紀州街道を南下し、地元商店街のアーケード内などを通過するたび、沿道の人々から声援や拍手が沸いた。

 このうち大神輿の一行は、「平楽」が語源と伝わる「べぇら、べぇら」の掛け声とともに、住吉大社を象徴する反橋(そりはし)を豪快に渡って境内を出発。大阪と堺の境界となる大和橋上では、担ぎ手が大阪側から堺側へ交代する「神輿受渡式」が執り行われ、勇壮な姿が終始注目を集めていた。

2413名無しさん:2017/08/06(日) 18:17:33 ID:Dgr72iNc0
境内に灯籠、お盆の準備進む 四天王寺
2017年8月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170803/20170803031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で、間もなく迎えるお盆供養「盂蘭盆会(うらぼんえ)」(9〜16日)の準備が着々と進んでいる。連日の炎天下、境内の随所では灯籠(とうろう)などの取り付け作業が行われ、早くも荘厳なお盆の雰囲気に包まれている。

諸堂には象徴的な「献灯灯籠」が整然と飾られており、その数は例年3千灯を超えるという。六角柱の本体がわずかな風を受けてなびく姿が美しさを引き立たせている。

 お盆中の日没後は、迎え火・送り火の役目のほか、故人の供養・感謝などさまざまな意味を込めて点灯され、日中と異なる幻想的な光景が繰り広げられる。

 このほかお盆中は先祖供養の「万灯ローソク」が連日点灯されるほか、伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さんを招いた盆踊り大会(11、12日、午後7時半〜)などを予定している。

2414undefined:2017/08/06(日) 18:32:14 ID:Dgr72iNc0
境内でオペラ「椿姫」 坐摩神社 10月芸術祭
2017年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170805/20170805052.html

 都心の神社境内を舞台にしたオペラ公演「せんば鎮守の杜(もり)芸術祭2017」が10月7日、大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社で開催される。午後6時開演(開場は30分前)。入場整理券3500円(当日券3800円)。

地域住民や神社にゆかりがある人々でつくる実行委(幡地賢二郎委員長)が主催。音楽を楽しむ文化と環境の創造を目指して開催しており今年で12回目となる。プロ声楽家による趣向を凝らした演目が好評で、今年はジュゼッペ・ベルディのオペラ「椿姫」(1853年)を選んだ。

 当日は、関西を代表する若手実力派の西影星二さん(テノール)がアルフレード役、斉戸英美子さん(ソプラノ)がビオレッタ役で出演。アルフレードの父・ジェルモンは大阪音楽大教授の田中由也さん(バリトン)が務める。

 日中は同会場で、音楽・文化団体のほか若手オペラ歌手が出演する演奏会「せんば鎮守の杜音楽祭2017」(正午開演、入場無料)を開く。

 7月29日には同神社で実行委の結団式があり、出演者など関係者約30人が参集。成功と安全祈願の正式参拝や当日の全体の流れの打ち合わせなどを行い、出席者がいっそう結束を固めた。

 委員長2年目の幡地さん(69)は「昼の部から地元ぐるみで盛り上がることができるように仕掛けていきたい」と奮起。名誉実行委員長の同神社・渡邉紘一宮司は「皆さんのおかげで公演が定着し大変ありがたい。若手の方の出演もあり、今年も新たな期待を寄せている」と話した。

 チケットの問い合わせは電話06(6251)4792、同芸術祭事務局(同神社内)。

2415undefined:2017/08/06(日) 19:45:22 ID:Dgr72iNc0
世界遺産へロマン感じて 大阪・近つ飛鳥博物館で百舌鳥・古市古墳群展
http://www.sankei.com/region/news/170728/rgn1707280068-n1.html

31日の国の文化審議会で、世界文化遺産登録の候補(国内推薦)に選ばれるか注目が集まっている「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の魅力を広く発信しようと大阪府河南町の「府立近つ飛鳥博物館」で夏季企画展「百舌鳥・古市古墳群を世界遺産に!-この夏、きみは古墳を知る-」が開かれている。月曜休館で9月10日まで。

 文化審議会に合わせ、地元から機運をさらに高めようという意味もある。企画展では古市古墳群に関する出土品や複製品などを中心に約210点が展示されている。

 会場では「津堂城山古墳」(藤井寺市)から出土した石棺の蓋のレプリカ(長さ約3メートル、幅約1・2メートル)や「栗塚古墳」(羽曳野市)から見つかった家形埴輪(はにわ)などのほか、ブロック玩具「レゴ」製の仁徳天皇陵古墳といったさまざまな品々が並べられている。

 同博物館は「(出土品は)百舌鳥・古市古墳群の謎を解明する重要な史料。この機会に足を運んでいただき、昔の人々の営みを考えてほしい」とPR。期間中は子供向けに「博物館バックヤードツアー」や「こども勾玉(まがたま)づくり工房」などのイベントが行われる。イベントや講演会に関する問い合わせは同博物館(電)0721・93・8321。

2416名無しさん:2017/08/06(日) 20:13:08 ID:/NrfrGio0
http://www.fujisan.co.jp/product/12791182/new/
2017年9月号 (2017年08月04日発売)
歴史のif もし戊辰戦争で幕府軍が勝っていたら首都は大坂、共通語は大坂弁になっていた
前衆議院議員 村上政俊
「秘密の藩民SHOW」>>明治維新によって生まれた47都道府県は、律令国家の66ヵ国の組み合わせを基本としながら人為的な線引きの要素も強い。
典型は大阪府だ。摂津国の1部、和泉国、河内国を人為的に合併した経緯から、今でも旧国のカラーの違いは根強く、府としての一体性は乏しい。(アフリカの国境みたい:引用者)

2417名無しさん:2017/08/12(土) 22:50:11 ID:iGeVFPVQ0
大阪うめきた:梅田墓に「大坂七墓」物証の人骨200体
3 / 35

毎日新聞
8 時間前
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https://mainichi.jp/20170812k0000e040226000c
 JR大阪駅北側の再開発区域「うめきた」(大阪市北区)に江戸〜明治時代にかけてあった「梅田墓(ばか)」の発掘調査で、200体以上の埋葬人骨が見つかった。梅田墓は、江戸期に庶民の間で流行した盆行事「大坂七墓巡り」の1カ所に数えられ、近松門左衛門の「曽根崎心中」や井原西鶴の「好色二代男」にも登場するが、面影を伝えるものは残っておらず、実態はよくわかっていない。過去の工事で墓石などが出土した例はあるが、学術的な発掘調査で墓の一端が明らかになるのは初めてで、当時の大阪の都市の様相や葬送文化を知る上で貴重な発見だ。
 うめきた2期区域の再開発事業に伴い、今年2〜6月、大阪市教委の指導で大阪文化財研究所が明治期の地図から墓域と推定される約3000平方メートルの一画を含む、約700平方メートルを発掘調査した。
 調査では、きれいな盛り土の層に整然と並ぶ棺桶(かんおけ)に入った状態で土葬された人骨が見つかった。一方、火葬されて骨つぼごと穴に投げ込まれたような状態で見つかったものや、骨つぼに入れられず、同じ場所に何層にも重なって埋葬された痕跡も確認されるなど、多様な埋葬形態が明らかになった。棺桶に納められた人骨の周囲からは、とっくりのミニチュアや六文銭などの副葬品も見つかった。
梅田墓は江戸初期、天満周辺に点在していた墓の一部を旧曽根崎村に集め(現在の大阪駅前第1ビル周辺と推定)、都市化に伴って1680年代に調査地付近に移転したと伝わり、1900年代初めごろまで機能していたとみられる。
 調査地の北端と南端の計3カ所からは、墓域を区画した石垣も確認、北側の石垣は墓石を転用して築かれていた。墓地が造られる前の土層からは17世紀末ごろの磁器が出土した他、見つかった墓石には1674〜1825年の没年が刻まれており、地誌や古地図で墓があったとされる時期と矛盾しなかった。また、南北の石垣の外側からも人骨が見つかり、墓域は従来の推定より広範囲にわたっていたことがわかった。
 調査した大阪文化財研究所の岡村勝行・東淀川調査事務所長は「江戸期の大阪では、火葬が大半だったとする史料が残されているが、土葬もかなりあったことが明らかになった。多様な埋葬形態は、時期の違いや貧富・身分の差によるものかもしれない」と話す。今後、見つかった人骨の男女比や年齢層、栄養状態などの分析を進める予定といい、謎多き墓の実態解明が期待される。【林由紀子】
「歴史の一端解明」 古川武志・大阪市史料調査会調査員(日本近現代史)
 七墓巡りには、肝試しの意味合いや、子どもの大人への通過儀礼的な一面もあったようだ。全て回ると自分の葬式は晴れるとも言われ、文学では心中の場面などで象徴的に描かれた。開発で失われる歴史の一端が発掘調査で解き明かされ、記録される意義は大きい。

2418undefined:2017/08/13(日) 21:10:01 ID:ebkLAfWQ0
京橋空襲は問う 14日に若者組織が2人芝居
2017年8月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170808/20170808022.html

 72年前の終戦前日、空襲に見舞われた京橋を題材にした「未来へのメッセージ」が、空襲があった日の14日、大阪市都島区の会場で開かれる。戦争をテーマに京橋版にアレンジした舞台などで、主催者は「未来の日本を考える機会に」と来場を呼び掛けている。

主催は、若者による地元特性を生かした活性化に取り組む「京橋地域活性化機構」(鷲見慎一理事長)ら。

 同機構などによると、京橋の空襲は1945年8月14日に当時の京橋一帯(現在の大阪ビジネスパーク付近)にあったアジア最大級の陸軍砲兵工廠(こうしょう)を狙い、米軍が爆弾を投下。近くの京橋駅のホームなどを直撃し、身元が判明しただけでも二百数十人が命を落とし、実際の犠牲者は500人とも600人ともいわれている。

 その空襲を伝える被災者慰霊碑がJR京橋駅南口側にあり、記憶の風化を防ごうと1955年から毎年8月14日に慰霊祭が営まれ、遺族や関係者らが平和への誓いを新たにしている。

 「未来-」で上演する舞台は、東京の「演劇集団アトリエッジ」が手掛ける『流れる雲よ』の京橋版にアレンジした2人芝居。主人公が基地に持ち込んだラジオを聴いていると流れる放送が未来の放送で、京橋の空襲や日本の敗戦を伝えるものだと気付き…といった内容。舞台の前には空襲など戦時中の地域の歴史の説明がある。

 72年の経過の中で戦争体験者も減り、戦争への実感も薄らぐ中、舞台を通じて問いかけることで「感情も入りやすく、わかりやすいのでは」と企画した同機構の鷲見理事長(35)。空襲が忘れ去られる危惧と語り継ぐ必要性を感じるとともに、日本を取り巻く情勢不安など「現在、未来の日本を考えるきっかけづくりにし、若い人に見てもらいたい」と訴える。

 未来-は14日、京橋グランドスペース(都島区東野田町3丁目、大京ビル2階)で午後1時開演。50席限定で参加費は千円。申し込みは同機構のホームページなどで。

2419undefined:2017/08/13(日) 21:27:03 ID:ebkLAfWQ0
万の炎、先祖しのぶ 四天王寺盂蘭盆会
2017年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170810/20170810029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で9日、お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が始まり、朝から多くの参詣者が先祖供養に訪れている。


五重塔をはじめ講堂、金堂を配した境内・中心伽藍(がらん)では、夕刻から先祖の霊名を記したろうそく(万灯ろうそく)約1万本を一斉にともす「万灯供養」があり、幻想的な明かりが夏の夜空を照らしている。

 この日の伽藍内では、日没前から幼児や高齢者まで幅広い年齢層が続々と参詣。回廊沿いに設けられたそうろく台の前で故人の思い出を語り、ゆらめく炎にじっと手を合わせる家族連れや、同寺僧侶の読経とともに伽藍内を練り歩く法要の列に加わる人々など、随所で先祖をしのぶ光景が見られた。

 このほか、1日で千日続けてお参りしたのと同じ功徳が授かるという「千日詣(まい)り」(10日まで)もなされ、境内・六時堂は多くの人々でにぎわった。

 万灯供養は16日まで行われ、点灯は午後6時15分ごろ〜同9時(15日は午後5時40分ごろ〜同10時)。

2420undefined:2017/08/13(日) 21:28:38 ID:ebkLAfWQ0
大阪護国神社で清掃 「日本会議」会員と家族ら
2017年8月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/170811/20170811032.html

 大阪市住之江区南加賀屋1丁目の大阪護国神社で境内の清掃活動が行われた。参加者は、ごみ拾いや草取りに汗を流した。


活動は「英霊にこたえる会大阪府本部」と「日本会議大阪」が企画して6日に実施。15日の終戦記念日に同神社で執り行う例祭を前に毎年実施し、今年で13回目を迎えた。

 「清掃活動をひとつのきっかけとして、護国神社がどういう神社であるかを語り継いでいくことも大切」と日本会議大阪の丸山公紀事務局次長。この日は日本会議大阪の会員とその家族ら約30人が参加した。

 門真市から参加した橋本輝明さん(43)は、年老いた両親に変わり、3人の子どもを連れて2年ぶりに参加。「時間がたつと戦争のことを忘れてしまうので、子どもたちのためにも良い機会なる」と話していた。

2421名無しさん:2017/09/08(金) 00:34:37 ID:GjXushS60
大阪とサカ族
https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/35471712.html

ついでにお話しておくと鹿児島方言では
「サエギル」という動詞を「セキッ」と発音する。
この方言が「セキッ所=関所」と動詞から名詞を生み出したのである。
その「サエギル」のサエは
「塞の神」と書いて「サイの神」と読むサイが、「サエ」と訛ったたものである。
この字を「サイ」発音するのは「韓音(中国の発音)」である。
「サエギル」という言葉は、古日本語にはなくて、
「塞」という漢字が入ってから生まれた「合成語」だということが分る。
中国には西域の異民族を「塞」と呼んだ文献がある。
この「塞」はもう一つ「ソク」腸閉塞(ちようヘイソクなど)という発音がある。
「塞奴」は「ソクド」と読めるから今の「ソグド人」に一近い発音になる。
『魏書倭人章』にもこれに関連した官名が出てくる。
魏の帯方郡使として当時の倭国へやってきた「塞曹掾史・張政」である。
「塞曹」とは「塞奴」担当官という名だからソグドが話せた可能性がある。
そういう役人を帯方郡に置いたり、それを倭へ派遣したのをみると、
魏人は倭人を「塞族」として分類していた可能性がある。
<塞族>はギリシャ人が「スキュタイ」と呼んだ人々であるが、
「スキュ」はギリシャ訛りで「タイ」は人という意味である。
同じ名を印度北部では「シャーキャ」と発音する。
釋迦(シャカ)はこれに対する当て字である。
鹿児島方言は「シャカ」を「サカ」と発音するが、
日本では「塞」の字を古来「サカ」と発音する。

大阪の「サカ」は敵をサエぎるもの「城塞」の意味か。
あるいは「城塞(サカ)を作る連中という意味か。
民族名の「塞」であろうか?。
今、仁徳天皇陵のある「堺」は「サカが居る土地」という
意味以外には考えられないから「民族名」が一番有力に見える。
それだと江上波夫氏の『騎馬民族説』を立証することになる。
どの意味にとっても「オーサカ」の語源は「倭塞」だったのである。
そして鹿児島の「大隈=倭住」からの移住地は
「大隈」「大住」「和泉=倭住」という地名として
大阪一体に今なお残っている。
薩摩半島の「出水と川内」というセットになった都市の名が、
大阪では「和泉と河内」というセットになった二大国の名として、
拡大した形で命名されていて、倭国の移動と、その前身が何だったかを、
よく分るように証言している。

 ※出典:加治木義博「言語復原史学会・邪馬壹国大移動:30」

2422名無しさん:2017/09/08(金) 00:46:57 ID:GjXushS60
大阪上空:小型ヘリコプターによる空撮サンプル
https://www.youtube.com/watch?v=svrn0CrjoDU

コメント欄から抜粋
難波の宮水都
5 か月前
そもそも現文明の大元のシュメール文明を築いたシュメール人は
アジア系であり、その後ヒッタイト帝国を築き、のちに中央アジアの遊牧国
スキタイとなる。スキタイ人はサカ族のことであり、古代ギリシャではスキタイ
をサカイと呼んでいた。その後彼等は日本に渡り、古墳時代を形成する。
サカ族は釈迦(シャカ)の大元であり、古代インド南部からスリランカにかけて
弥生文明を築き、スキタイとはまた別のルートで日本に渡来している。
だから古代タミル語と日本語は膠着語などが全く同じなのだ。
シュメール文明の叡智を築いたサカ族の本拠地は堺の仁徳古墳を
見ても分かるように古代大阪である。だから反日欧米系のメディアを
支配しているユダヤ系は大阪叩きに必死なのだ。
サカ族の本拠地大阪だからこれだけの合理性がある街づくりが
古代からされてきたのだ。

NIGHT VIEW of OSAKA Ogawa AIR & SVS
https://www.youtube.com/watch?v=RfzUABWR5v0&amp;feature=youtu.be

時空の栞 -4K Osaka NIGHT VIEW- Timelapse 大阪夜景
https://www.youtube.com/watch?v=gAFlXZi4u0s

大阪都心夜景ドライブ 御堂筋・梅田・難波・天王寺 Osaka Urban Night Drive
https://www.youtube.com/watch?v=aRPqEjGTnPM
コメント欄から抜粋
last ery
2 年前
日本全国旅して回った事あるけどオシャレな街は日本中にたくさんある。
でもオシャレでかっこいい街は大阪しかない。

2423名無しさん:2017/09/08(金) 22:21:57 ID:IeoONghA0
>>2416はここ
http://www.fujisan.co.jp/product/12791182/b/1528757/

2424名無しさん:2017/09/10(日) 12:16:37 ID:1fPvI8sM0

日本人奴隷の存在に激怒した愛国者・豊臣秀吉
岩田温2015年08月21日
http://blogos.com/article/129458/

豊臣秀吉の名前を聞いて、何を思い浮かべるだろうか?
 織田信長の草履を暖めていた話だろうか? 
一夜にして築いたと伝えられる墨俣城だろうか?
 それとも、朝鮮出兵の話だろうか?
これらの話は有名だが、豊臣秀吉に関しては、多くの国民
に知られていない逸話があり、こちらの方が、非常に重要
だと考えている。詳しくは『人種差別から読み解く大東亜戦争』
を参照して欲しいが、簡単に書いておく。

それは、豊臣秀吉が、日本における奴隷制の強烈な反対論者
だったという事実だ。
 奴隷制というのは、日本の内部の話ではない。
戦国時代、多くの大名たちが欧米人との間で奴隷貿易
を行っていた。これも教科書に記載されていない重要な事実だ。
 多くの日本人が奴隷として売りとばされ、哀しい想いをしていた。
これに関して、豊臣秀吉は激怒し、キリスト教の宣教師に対して詰問する。

「予は商用のために当地方に渡来するポルトガル人、シャム人、
カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその
祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国
へ連行していることも知っている。
それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、
現在までにインド、その他遠隔の地に売られて行った
すべての日本人をふたたび日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。
もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、
少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。
予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」

2425名無しさん:2017/09/10(日) 12:17:41 ID:1fPvI8sM0

私自身、この秀吉の言葉を知ったのは、奴隷について
一生懸命研究するようになった後だ。多くの日本人は、
愛国者であり、日本人を奴隷とすることに断固として
反対した秀吉の姿を知らないはずだ。
 先に引用した言葉を何度も読み返してほしい。
 私は非常に真面目で、同胞を想う秀吉の愛国心、同胞愛が
滲み出たよい言葉だと思う。
何故、教科書では、こうした豊臣秀吉の功績を記載しないのだろうか。
 伴天連追放令が出されたことだけを取り上げれば、
まるで秀吉がキリスト教を弾圧しただけのような話に聞こえるが、
この伴天連追放令の前段階で、キリスト教徒たちによる
奴隷売買に秀吉が激怒しているのだ。
こうした事実を記さなければ、「伴天連追放令」に至る理屈が理解できないだろう。

人種差別の歴史は根深いが、私たち日本人の先祖が奴隷として
売りとばされていた事実を多くの国民は知らない。

こうした過酷な事実を知ることは、大きく日本史を眺める際に重要なことだろう。

教科書で「南京事件」「慰安婦」の問題が取り上げられることは
多いが、こうした豊臣秀吉の功績については、問題にすらされていない。

どうか、一人でも多くの国民に、秀吉の素朴な愛国心と同胞愛
を知っていただきたいと思う。

南蛮貿易と日本人奴隷 〜日本人女性50人で火薬1樽〜【CGS ねずさん 日本の歴史 7-1】
https://www.youtube.com/watch?v=RS5Io8aQfWw

豊臣秀吉がザビエルの陰謀から日本を守っていなかったら・・・
https://www.youtube.com/watch?v=ywjmoebmRnI

2426名無しさん:2017/09/10(日) 18:31:05 ID:WnonV80A0

日本人の人権を守りぬいた豊臣秀吉
https://www.youtube.com/watch?v=4mG5aHtw5b4

2427名無しさん:2017/09/10(日) 18:42:20 ID:WnonV80A0

秀吉が朝鮮出兵した真実
https://www.youtube.com/watch?v=7iGilu17pos&amp;t=9

2428名無しさん:2017/09/12(火) 00:48:46 ID:XZnka.Z.0
http://www.geocities.jp/marco4321ice/Osaka.html#top

2429名無しさん:2017/10/10(火) 08:16:34 ID:qyBlkDVA0
七代目笑福亭松喬
襲名披露公演 大阪松竹座で
毎日新聞2017年10月8日
http://mainichi.jp/articles/20171009/k00/00m/040/014000c

 上方落語の本格派、笑福亭三喬(さんきょう)さん(56)が8日、七代目笑福亭松喬(しょきょう)を襲名し、お披露目の公演が大阪松竹座(大阪市中央区)で昼夜にわたり開かれた。

 松喬さんは兵庫県西宮市出身。4年前に亡くなった先代(六代目松喬)の一番弟子で、戦後の上方落語復興を先導した六代目笑福亭松鶴(しょかく)の孫弟子にあたる。襲名披露の口上には桂ざこばさん、桂文枝さん、笑福亭鶴瓶さんらが並んだ。松喬さんはトリで登場し、昼の部では、落語家を目指すきっかけとなった演目「初天神」を披露。「師匠の名を継ぐのはプレッシャーもありますが、一落語家としては限りない喜びです」と語った。襲名披露公演は来春まで、全国14カ所で行われる。

2430名無しさん:2017/12/05(火) 08:07:00 ID:qyBlkDVA0
18年2月に春団治襲名公演 道頓堀の大阪松竹座で
2017/12/4
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24214010U7A201C1AC1000/

 松竹芸能などは4日、落語家、桂春之輔さん(69)の四代目桂春団治襲名披露公演について、2018年2月11日に大阪・道頓堀の大阪松竹座で開催すると発表した。

 公演は昼夜2部制。口上には昼の部が柳家小さんさん、桂文枝さんら、夜の部は柳亭市馬さん、桂文珍さんら人気落語家が顔をそろえ、上方落語の大名跡復活を祝う。〔共同〕

2431名無しさん:2018/10/12(金) 21:36:02 ID:JlEMDSZI0
>>2416
https://www.news-postseven.com/archives/20170812_601539.html
戊辰戦争で幕府勝利ならば大坂が首都、大坂弁が共通語に

2432名無しさん:2018/10/30(火) 21:08:38 ID:NvEUoxdY0
http://www.sankei.com/west/news/181030/wst1810300003-n1.html

【萌える日本史講座】大阪・狭山池の石棺は天皇の墓だった  2018.10.30 10:00
飛鳥時代に築かれた狭山池(大阪府大阪狭山市)でかつて発掘された水路用の巨石は、その大きさや形容から古墳時代の大王クラスを葬った石棺とみられている。府立狭山池博物館の西川寿勝学芸員が、巨石の特徴をもとに、さらに製作時期を絞り込み、被葬者に迫る説を打ち出した。仏教伝来で知られる欽明天皇、聖徳太子の弟の来目(くめ)皇子らが候補という。狭山池の巨石は、古墳から運び出した石棺を水路に転用したと考えられているが、古墳を特定する研究はほとんどないという。同館の特別展「王者のひつぎ」(11月25日まで)で紹介されている。(小畑三秋)
■改修工事で思わぬ発見

 狭山池は周囲約3・4キロで、川をせき止めたダム形式のため池としては国内最古。奈良時代の僧・行基(ぎょうき)や、東大寺再興で知られる鎌倉時代の僧・重源(ちょうげん)らが大規模に改修した。

 巨石は、大正時代末〜昭和初めと、昭和末〜平成初めに行われた堤防の改修工事で計20点以上見つかった。多くが長方形で、最大のものは長さ2・6メートル、幅1・3メートル、高さ約1メートル。内部がくり抜かれ、遺体を納める石棺の本体とみられる。水路にするため、石棺の前と後ろの壁面を削り取って「U字溝」の形にして利用。家の屋根の形をした石材もあり、5〜6世紀の古墳にみられる「家形石棺」とされている。
重源の功績を記した鎌倉時代の文献には、「狭山池に石の樋を築いた」と記載。出土した巨石は、重源の時代に複数の古墳から掘り出されて水路に転用したとみられ、「狭山池石棺群」と呼ばれる。

 家形石棺は近畿の巨大古墳に多く「王者のひつぎ」と呼ばれる。西川さんは、狭山池では長さ2メートル以上の大型のものが半数以上あることに着目し、「大王クラスの古墳から掘り出された可能性が高い」と推測した。

 2メートル以上の家形石棺は、欽明天皇の墓ともいわれる巨大前方後円墳、丸山古墳(奈良県橿原市、全長318メートル)、金銅製の冠など豪華な副葬品が見つかった藤ノ木古墳(同県斑鳩町、直径50メートル)など天皇や皇子クラスの墓に多い。

2433名無しさん:2019/01/08(火) 21:00:25 ID:ylDuNnHU0
真田山旧陸軍墓地の補修費を国が予算計上
1/8(火) 0:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190108-00585306-kantelev-l27

関西テレビ

大阪市の真田山旧陸軍墓地について吉村市長は国に修復と保全を求めていて、国は全国の軍用墓地の補修費を大幅に増やした予算案を計上しました。

大阪市天王寺区にある真田山旧陸軍墓地は、戦争で亡くなった軍人や捕虜など1万5千人以上が埋葬されていて、国有地として大阪市が管理しています。

墓石は老朽化が進んでいるものの、個人の名前が書いてあるため市の公金で修復することが難しく、吉村市長は国に国立墓地に変えた上で歴史の遺産として保存計画を立てるよう求めていました。

政府は国立墓地にするかは決めていませんが、全国の軍用墓地の補修予算を現在の年間約300万円から5年間で約5億円に増やす予算案を計上しました。

【大阪市・吉村洋文市長】
「国のために命をおとした先人の墓地なので、きちんと国が整備していくことは重要」

吉村市長は、今後も史跡として国立墓地にするよう求めていくとしています。

2434名無しさん:2019/01/08(火) 21:02:00 ID:ylDuNnHU0
「難波は映画上映発祥の地」 市立中央図書館でエッセイスト・武部好伸さん講演 /大阪
1/7(月) 21:06配信
みんなの経済新聞ネットワーク
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190107-00000056-minkei-l27

 映画興行発祥の地として知られる大阪をテーマにした講演会「映画のはじまり、みな大阪」が2月9日、大阪市立中央図書館(大阪市西区北堀江4、TEL 06-6539-3302)で行われる。(なんば経済新聞)

 「新修大阪市史」(本文編・史料編)、「大阪市の歴史」などに書かれていることや、大阪市史編纂所の歴史情報を紹介するセミナー「探そう!大阪市の歴史魅力」の第13回企画として行う同セミナー。

 当日は、エッセイストの武部好伸さんを講師に招き、大阪が従来言われてきた映画「興行」発祥の地としてだけでなく、映画「上映」も発祥の地だったことを説明する。「『大阪の歴史』86号 日本に初めて映画を持ち込んだ男 大阪の実業家、荒木和一」(2017年、大阪市史編纂所刊)、「大阪『映画』事始め」(2016年、彩流社刊)を中心に解説する。

 1897(明治30)年1月、京都の実業家・稲畑勝太郎がフランスから持ち帰ったシネマトグラフと呼ばれる映写機を使い、京都電灯の中庭(現在は関西電力変電所と旧・立誠小学校にまたがる場所)で試写を行ったのが、日本初の映画上映という。稲畑は同年2月15日、難波の南街会館(現在のTOHOシネマズなんば)で有料上映会を開催。これが映画興行の発祥とされ、1階エレベーター乗り場の壁面には記念の碑文が掲げられている。

 武部さんは、心斎橋の西洋雑貨商・荒木和一が1896(明治29)年12月に米国で購入したという映写機「ヴァイタスコープ」を当時の福岡鉄工所(現在のなんばパークス)内、現在の難波中交差点辺りで試写を行ったとし、それが日本における最初の映画上映だと位置付けている。

 開催時間は14時〜16時(開場13時30分)。定員は300人(当日先着順)。入場無料。

2435名無しさん:2019/01/09(水) 12:20:13 ID:NrdB.GxU0
今宮戎神社で宵戎 商売繁盛願い参拝 大阪
1/9(水) 11:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190109-00000023-ytv-l27

読売テレビ

 大阪の今宮戎神社の十日戎が、9日から始まり、商売繁盛を願う参拝客で賑わっている。

「商売繁盛で笹もってこい」

 商売繁盛の神様、「えべっさん」で知られる十日戎は、9日が宵戎。大阪の今宮戎神社の境内では、金烏帽子に千早姿の福娘たちが「吉兆」や大判小判などの縁起物を、手際よく福笹に結び付けていた。今宮戎では、3日間で、90万人の人出を見込んでいる。

2436名無しさん:2019/01/09(水) 14:43:42 ID:NrdB.GxU0
大坂本願寺を再現…北御堂ミュージアム開館
2019年01月09日
https://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20190109-OYO1T50007.html?from=oycont_top_txt

 大阪のメインストリート・御堂筋みどうすじの名前の由来になった大阪市中央区本町の北御堂きたみどう(浄土真宗本願寺派本願寺津村別院)に、「北御堂ミュージアム」が9日、開館する。本願寺や北御堂が大阪の政治や経済、文化などと関わってきた歴史を紹介する。

 施設改修を機に、貸し展示会場などの約300平方メートルを改装した。

 北御堂は、1597年(慶長2年)、この地に坊舎が建てられたのが始まり。約600メートル南の南御堂(真宗大谷派難波別院)とともに、御堂筋の名の由来とされる。

 ミュージアムには、織田信長に対抗し焼失した大坂本願寺(石山本願寺)と周囲の当時の姿を、文献などから再現した模型(1000分の1サイズ)を展示。壁には40メートルにわたり、第1回府議会(1879年)が北御堂で開かれたことなど、大阪の成り立ちから現代までを解説している。掛け軸や古文書など約20点も並べる。

 無料。原則無休で、開館は午前10時〜午後4時。問い合わせは津村別院(06・6261・6796)。

2019年01月09日

2437名無しさん:2019/01/14(月) 13:12:02 ID:NrdB.GxU0
「盆梅と刀剣展」 大阪天満宮、2月9日から
2019年1月12日
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/travel/6501/1294119348/l50

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で梅の銘木や刀剣を集めた「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展」が2月9日から始まる。書院造り百畳敷きの境内参集殿を会場に、樹齢約200年の古木や各種銘木を紹介するほか、祭神菅原道真と縁があった歴史上の人物ゆかりの刀剣を展示予定。午前9時半〜午後4時半(入場は同4時まで)。3月3日まで。

刀剣展示のうち入れ替え分は次の通り。

 【前半】(20日まで)肥前国忠吉(初代)▽肥前国住近江大掾忠広(2代)▽肥前国出羽大掾行広(初代)▽肥前国行広(2代)。

 【後半】備前国住長船与三左衛門尉祐定▽平安城住大隈守平広光▽帝室技芸院宮本包則▽帝室技芸院菅原包則。

 15日には関連行事として「篠(しの)笛」玲月流初代森田玲氏と門下生(午後1時〜)▽「講談」旭堂南陵氏、「舞踊」西川梅十三氏(同3時〜)を予定。

 展示拝観料は高校生以上700円、中学生以下400円、団体(10人以上)600円。

 このほかに会期中は境内で骨董(こっとう)市(12〜17日)▽アートクラフト展(18〜24日)▽陶器市(18〜24日)-など多彩な催しを予定。問い合わせは電話06(6353)0025、天満宮社務所。

2438名無しさん:2019/01/16(水) 20:10:15 ID:NrdB.GxU0
どやどや!!護符取り合い 四天王寺に熱気
2019年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190115/20190115029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で14日、天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する伝統の奇祭「どやどや」が執り行われた。男子高校生約600人が参加し、もみくちゃになりながら護符(お札)を取り合った。

 どやどやは、元日から2週間続く「修正会(しゅしょうえ)法要」の結願(けちがん)日に行われる。どやどやの名前の起源は諸説があるが、「牛王宝印(ごおうほういん)」という護符を取り合う際に参詣者があふれ返った様子からとされるものや、互いの近況を尋ねる際の「どうや」から来ているものなどが有力だという。

 多くの参詣者が見守る中、清風高と清風南海高の生徒が「わっしょい」と元気な掛け声で境内・六時堂前に集合、水を浴びながら気持ちを高めていった。堂内の天井から護符がまかれると、必死になって手を伸ばしていた。

 護符を手にした生徒らは誇らしげな表情を見せ、「最高です」などと喜びを口にした。

 終了後は魔よけの「牛王宝印楊枝(ようじ)」の授与が行われ、参詣者の長い列ができた。

2439名無しさん:2019/01/16(水) 20:22:03 ID:NrdB.GxU0
炎に無病息災祈る 生国魂神社で左義長神事
2019年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190116/20190116027.html

 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で15日、小正月伝統の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が盛大に執り行われた。日の出頃から、古い正月飾りのたき上げを実施。多くの参拝者が高く上がった炎に手を合わせ、無病息災などを祈願した。
境内の一角には、大勢の住民らが持参した大量の破魔矢やしめ縄、お札などが集められ、早朝、神職が拝殿から厳かに運んだ御神火を移すと勢いよく燃え上がった。

 地元在住の自営業の男性(65)は「いい正月が過ごせた。今年は特に忙しくなると思うが、忙しいぐらいがちょうどいい」と笑顔だった。たき上げは昼頃まで続き、住民らが代わる代わる火に当たっていた。

 このほか、一年の邪気をはらう恒例の小豆がゆの接待所も設けられ、参拝者に好評。正月を締めくくる素朴な味を堪能していた。

2440名無しさん:2019/01/17(木) 20:06:47 ID:dfb3bRCo0
https://www.sankei.com/west/news/190117/wst1901170036-n1.html
【維新150年】外交官が見たOSAKA
大阪メトロ谷町九丁目駅から高津宮(こうづぐう)に向かった。谷町筋から西へ1本入った中寺町は文字通り寺院が連なる町。大相撲春場所の頃には、界隈(かいわい)の寺を宿所とする力士の姿も見られる。
 めざす正法寺(大阪市中央区中寺)は“高津さん”の参道の手前に見えた。幕末、大坂(大阪)に入った英国のハリー・パークス公使ら同国代表団のために幕府は正法寺など4つの寺を提供した。パークスの有能な部下で通訳のアーネスト・サトウが宿泊した本覚寺は、通りをはさんで東のマンションあたりにあった。
すでに幕府の機能は大坂(大阪)城にあり、英国のほか、フランス、米国、オランダの代表団も中寺町周辺に宿所=臨時公使館を置いた。大坂は外交の舞台となり、初めて見る異国人に街はざわめいていた。
   
× × ×
 慶応2(1866)年12月、徳川慶喜が「最後の将軍」となり、幕府は4カ国の公使に大坂城で会談すると通知した。第2次征長戦争で敗れ、大坂開市・兵庫開港問題で外国と朝廷とのはざまに立つ慶喜が、「積極的開国」で外国に友誼(ゆうぎ)をアピールし、併せて朝廷と薩長を牽制(けんせい)する狙いだったのだろうか。
 会談の事前準備でサトウが同僚3人と大坂に入ったのは翌年の慶応3年1月12日。その回想録「一外交官の見た明治維新」(坂田精一訳、岩波文庫)にサトウが綴(つづ)る。
 《大坂(オーザカ)の町に着いた。大きな木橋(天満橋)を渡り、左へ折れ、右へ曲がり、長い街路を通ってようやく本覚院(寺)に着いた》
 一行には護衛の兵士が付き、宿舎では外国係の役人の歓待を受けたようだ。食卓に葡萄(ぶどう)酒が置かれ、トイレには石けんとオー・デ・コロンも用意されていた。
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 翌日、早速、大坂一の繁華街、心斎橋筋に散歩に出かけたが、そこには異様な風景が広がる。
 《黒山のような人々が異国人の姿をひと目見ようと、後ろからぞろぞろついてきた。暗くなるまで本屋や呉服屋をひやかしながら歩き回った》
https://www.sankei.com/west/news/190117/wst1901170036-n2.html
将軍と外国公使の会談は3月末から4月初めにかけて行われた。パークスら英国代表団は3月25日、大坂城本丸御殿白書院で初めて慶喜に謁見(えっけん)した。
 このときの慶喜の印象をサトウは「日本人の中でも最も貴族的な容貌をそなえた一人で立派な紳士であった」と称賛した。洋式の晩餐(ばんさん)の卓上でもきわめて慇懃(いんぎん)で、パークスが壁に飾られた三十六歌仙の絵をほめると、慶喜はその1枚を贈ったという。
 サトウは大坂を拠点に多忙な日々を送った。兵庫開港が勅許され、川口と神戸の居留地が決まると、その準備のため幕府役人と交渉を重ねた。長崎で英国水兵が殺害されたイカルス号事件では、幕府最高幹部や前土佐藩主の山内容堂、長崎奉行らと折衝。この間、大坂で諸藩有力者と交流し、特に薩摩の西郷隆盛らとは緊密な関係を築いていた。
 大阪城公園の玉造口にある「市民の森」。かつて玉造口定番(じょうばん)=城代を補佐する当番の大名=の下屋敷がその一角にあり、大政奉還から1カ月後の慶応3年11月下旬、英国公使館は中寺町から、この広大な屋敷に移った。ちなみにフランス公使館は今の大阪家庭裁判所付近にあったとされる。
 城外とはいえ、本丸御殿まで徒歩数分という、大坂でも超一等地に移ったのは幕府の英仏への期待の表れだった。それは、政権を返上したとはいえ、引き続き新体制の中心となって日本を統治し、外交を継承するという慶喜の意思の表れだったのかもしれない。
 その慶喜が王政復古のクーデターを受けて都落ちした12月12日、サトウは京橋口で騎馬の一隊を迎える。
 《日本人はみなひざまずいた。私たちはこの転落の偉人に脱帽した。慶喜は黒い頭巾をかぶり、顔はやつれて物悲しげであった》
 年が明けた1月3日の夜、サトウは伏見方面に大きな火の手を見る。慶喜が城を脱出したことを知るのは7日朝。2日後、城からのぼった白煙が黒煙の雲に変わるころ、公使館は群衆の略奪に遭っていた。
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 サトウは大坂で幕府の最期を目撃したのである。(今村義明)

 アーネスト・サトウ(1843〜1929年) 英国の外交官、日本研究家。文久2(1862)年8月、駐日公使館の通訳として横浜に着任し、幕府や諸藩との交渉で活躍。日本語が堪能で、的確な情勢分析、情報収集力は高く評価された。横浜の英字新聞に発表した「英国策論」は日本語に翻訳され、その後の明治維新にも影響を与えたとされる。明治28年、駐日特命全権公使。

2441名無しさん:2019/01/20(日) 18:24:11 ID:NrdB.GxU0
20日、難波八阪神社「綱引神事」
2019年1月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190117/20190117034.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で20日、年頭恒例の「綱引(つなひき)神事」(大阪市指定無形民俗文化財)が執り行われる。

 同神社の祭神スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除いたという故事に基づく伝統行事。江戸時代に出版された「摂津名所図会(ずえ)」などにも紹介されている

 午前8時から神事を斎行。文化財保持者である綱引神事保存会(竹立威三雄会長)が奉仕し、細縄を幾重にもより合わせ、オロチに見立てた全長約30メートルの大綱を制作する。

 完成後は大綱を抱えて綱引きを行うほか、神社周辺の氏地を巡行する。一般参拝者も工程を見学可。

 問い合わせは電話06(6641)1149。

2442名無しさん:2019/01/20(日) 18:40:42 ID:NrdB.GxU0
「お弓神事」で景気向上祈願 御霊神社
2019年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190118/20190118027.html

 大阪市中央区の御霊神社(園文夫宮司)で17日、「お弓神事」が厳かに執り行われた。平安時代の宮中行事で大的を射る「射礼(じゃらい)」にちなむ年頭行事。都心の静寂な境内で古式ゆかしく弓の作法が披露され、多くの参拝者が矢の行方を追った。

 本内周辺は古くからの一大商業地であることから、当たり矢で景気向上も祈願したとも伝わる。

 近隣の大阪ガスの弓道部所属の2人が奉仕。本殿でおはらいを受けた後、境内に設けられた直径約70センチの的を狙い、1人が3本ずつ矢を放った。矢が的に立つと、見守る人々から歓声と拍手が沸いた。

 拝殿内の神事では、弓を持った神職が矢を射る所作を繰り返す四方邪気ばらいのほか、みこによる弓神楽も奉納された。

 園宮司は「今年は変化の多い年になると思われるが、皆さんには平穏に過ごしていただきたい」と話した。

2443名無しさん:2019/01/20(日) 19:34:52 ID:NrdB.GxU0
長原遺跡の出土品・さまざまな埴輪から知る、古代大阪の展覧会
1/19(土) 6:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190119-00056191-lmaga-l27

 大阪市内の大規模な遺跡「長原遺跡」(大阪市平野区)に着目した展覧会が、1月26日より「大阪歴史博物館」(大阪市中央区)でおこなわれる。

 大阪の古代遺跡といえば、堺市や羽曳野市の巨大な前方後円墳が有名だが、長原遺跡も大規模なもの。発掘調査は昭和49年(1974)から始まった。その結果、200基を超す規模の古墳群や多彩なモノ作りを行った集落(居住域)の存在が明らかに。本展では墓葬・生活・生産に注目し、約450点の資料で大阪の古墳時代を振りかえる。

第1章では長原古墳群を特徴づける形象埴輪や円筒埴輪を一堂に展覧。国指定重要文化財に指定されている「船形埴輪」を中心に、近畿地方で出土した主な船形埴輪も展示する。第2章では古墳時代中期から後期(4世紀後半〜6世紀)に形成された長原遺跡の全貌を4期に分けて紹介。第3章では古墳群に葬られた人々が暮らした集落跡としての長原遺跡を紹介する。

大阪の歴史は豊臣秀吉が大坂城を築いた近世以降がクローズアップされがちだが、実は古代にも豊かな文化が広がっていた。本展を通してその実相を確認して。期間は3月17日まで、料金は大人1000円。

文/小吹隆文(美術ライター)

2444名無しさん:2019/01/20(日) 19:38:26 ID:NrdB.GxU0
徳川家光ゆかりの「釣鐘」、立ち退き危機から一転…“救世主”現る
1/18(金) 19:10配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190118-00026193-mbsnews-l27

 大阪城の近くにある徳川家光ゆかりの釣鐘。この鐘がわけあって立ち退きの危機に瀕していましたが、その後、“救世主”が現れてピンチを脱したようです。

 ビルやマンションが建ち並ぶ大阪市中央区釣鐘町の一角に「時報鐘」はあります。1日3回、コンピューターで制御された棒が自動で動き、鐘を鳴らします。

 「朝8時には鳴るので、鳴ると、あ、8時なんやなと思う」(近所の人)
 「お寺の鐘あるでしょ、あれと違うね。静かないい音ですよ」
 「朝と昼と夕方。大切ですよこの音は」

 地元の人にも愛されるこの釣鐘を守っているのは、地域の保存会の会長・梅本憲史さんです。

 「これはみなさんの持ち物だから、みんなが守っていかないといけない。だから、これからも大事に大事にしてあげてくださいね」(大坂町中時報鐘顕彰保存会 梅本憲史会長)

 「時報鐘」の歴史は古く約380年前、江戸幕府の3代将軍・徳川家光が大阪城を訪れた際、大阪の地代、いまで言う固定資産税を永代免除としました。これに感謝した町民が記念に鐘をつくったと伝わっていて、釣鐘は明治時代に入ると寺や博物館などを転々としました。その後、梅本さんら地元の要望もあり、1985年にいまの場所に戻ってきました。しかし、歴史的価値の高いこの釣鐘が存続の危機に直面していました。

 「唐突に出てきて買い取れとか言われても、ちょっと私どもにとっては寝耳に水」(梅本憲史会長・2017年)

 釣鐘のある土地を所有する大阪市内の不動産会社が3年前、事前に通知した上で、保存会と大阪府を相手に土地の明け渡しを求めて提訴したのです。鐘が町に戻ってきた当時の土地の所有者と保存会との間では「土地は無償貸与する」との協定が結ばれていて、大阪府が保存会の連帯保証人となっていました。その後、2010年に今回の不動産会社が協定を引き継いで土地を購入。不動産会社は鐘のある17坪の土地の買い取り手を探しましたが見つからず、年間約17万円の固定資産税をこれ以上負担するのは困難として提訴する事態となったのです。そんな釣鐘に突如、“救世主”が現れました。

 「(土地を)買い取りますと、私どもにとっては願ってもないことだった」(梅本憲史会長)

 去年、鐘の窮状を知った大阪市内の会社経営の男性が保存会に鐘のある土地の買い取りを申し出てきたのです。そして去年11月、不動産会社が男性に1500万円で売却することを条件に和解が成立しました。

 「本当に頼もしい限りですね。庶民が徳川さんの善政をみなさんに知っていただこうということではじまった鐘なんでね、今になって固定資産税でまた苦労せなあかんのは皮肉な話」(梅本憲史会長)

 守られた鐘の音。保存会の梅本さんは男性と一緒に知恵を絞って長く守っていく方法を考えていきたいとしています。

2445名無しさん:2019/01/23(水) 20:45:27 ID:z0ZZDKf.0
江戸初期に大坂幕府構想?「ゆくゆく御居城に」 小堀遠州の書状公開
https://mainichi.jp/articles/20190123/k00/00m/040/197000c

 大阪城天守閣(大阪市)は23日、江戸時代初期に大坂幕府構想があったことを
示す小堀遠州の書状を26日〜3月19日に大阪城天守閣で展示すると発表した。

 大坂夏の陣(1615年)で焼けた大坂城の再築担当となった小堀遠州が義父・
藤堂高虎に宛てた寛永3(1626)年12月17日付の書状で、縦17センチ、横245センチ。
昨年、三重県に住む収集家が名古屋市の古美術商から購入。12月に三重大や…
(以下会員限定有料記事)


毎日新聞・会員限定有料記事(2019年1月23日 20時24分、最終更新 1月23日 20時25分)

2446名無しさん:2019/01/23(水) 22:04:48 ID:z0ZZDKf.0
大阪城天守閣に調査を依頼した。
 書状では朝廷に生まれた親王に対する祝儀を贈り終わったことや、徳川秀忠の上洛予定を質問していた。
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/entertainment/kyodo_nor-2019012301001999.html

2447名無しさん:2019/01/23(水) 22:31:10 ID:z0ZZDKf.0
更なる解説
http://hawksbaseballparkchikugo.whdnews.com/p/1812/zpKgKJUD1.html

2448名無しさん:2019/01/27(日) 13:46:28 ID:NrdB.GxU0
四天王寺庚申堂で「初庚申」 護摩木の炎に願い託し
2019年1月24日

 えとの組み合わせで約2カ月に一度巡ってくる「庚(かのえ)」と「申(さる)」の日にちなんだ信仰行事「庚申(こうしん)まいり」で、新年最初となる初庚申が23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺庚申堂であった。初庚申の際にのみ行われる盛大な柴灯(さいとう)大護摩供も斎行。無病息災や所願成就などの願いが込められた護摩木が盛大にたかれ、大勢の参詣者が立ち上る炎に手を合わせた。
 
 四天王寺庚申堂は、日本の庚申尊出現の地とされ、徐災無病の霊験を持つ青面(しょうめん)金剛童子(秘仏)が祭られている。

 護摩供では、同寺僧侶と奈良県大峯山の修験行者が奉仕。願文を読み上げた後、古式ゆかしい作法で点火されると無数の護摩木が高く燃え上がった。

 点火に先立ち護摩壇の四方を清める奉剣や、実際に弓で軽く矢を放つ奉弓などの作法も行われた。

 参詣者の宮北三郎さん(83)=同市生野区=は、昨年の初庚申で偶然キャッチした矢を持参し丁重に返納。「おかげで一年を無事に過ごすことができた」と話し、伝統行事をカメラに収めていた。

 年内の庚申まいり(本庚申)は、3月24日▽5月23日▽7月22日▽9月20日▽11月19日。それぞれの前日に宵庚申が執り行われる。

2449名無しさん:2019/01/28(月) 20:05:10 ID:NrdB.GxU0
「大坂幕府構想」書状初公開
01月26日 12時44分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190126/0011966.html

 江戸時代の初期、大坂を徳川幕府の本拠地とする「大坂幕府構想」が検討されていた可能性を示す書状が、26日から大阪城天守閣で公開されています。

この書状は、大坂の陣のあと大坂城の建て直しを担当していた小堀遠州が、遠州の義理の父親で徳川秀忠の側近、藤堂高虎に宛てたものです。
書状の中で遠州は、大坂城の茶室の庭に置く石を献上するよう高虎に進言し、その理由について、「大坂はゆくゆくは御居城にもなさるべきところ」と説明しています。
誰の城になるかは明記されていませんが、城に「御」という敬称が付けられていることなどから、当時江戸城にいた大御所の徳川秀忠や、三代将軍、家光の居城になるという前提で、遠州が大坂城の整備を進めていたことがわかるということです。
展示室を訪れた人は、大坂を徳川幕府の本拠地とする大坂幕府構想が検討されていた可能性を示す書状を興味深そうに眺めていました。
山口県から訪れた男性は「徳川は江戸城にずっといるものと感じていたが、大阪に居城を構えていたら日本の首都になっていたかもしれないと思うと、歴史の偶然を感じますね」と話していました。
この書状は3月19日まで大阪城天守閣で公開されています。

2450名無しさん:2019/01/30(水) 18:59:23 ID:NrdB.GxU0
ウメキタフロアに静御前 3月のうめだ文楽アピール
2019年1月29日 https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190129/20190129030.html


 3月に大阪市北区のグランフロント大阪北館4階ナレッジシアターで上演する「うめだ文楽2019」の出演者が28日、同館6階のウメキタフロアで文楽人形の練り歩きを行った。食事中の会社員らが驚いた様子でカメラを向ける中、「静御前」などの人形を操りながら公演をPRした。

 大阪が誇る伝統芸能である文楽をより多くの人に親しんでもらおうと、在阪民放5局とナレッジキャピタルが2015年から毎年上演。今年は5周年を祝して初めて2演目用意し、「二人三番叟(ににんさんばそう)」と「義経千本桜〜道行初音旅(みちゆきはつねのたび)〜」を上演する。

 練り歩きには「義経千本桜」に登場する「静御前」と「狐(キツネ)」の人形2体が登場。吉田簑紫郎さん、吉田玉彦さん、吉田簑之さん、吉田玉延さんらが、食事中の会社員らにあいさつしながらフロアを回った。

 簑紫郎さんは「初めて見る方にも分かりやすく、華やかな演目です。若手で力を合わせて頑張りたい」と話した。公演は3月29〜31日に行われる。

2451名無しさん:2019/02/04(月) 20:04:14 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭 改修で6月から休館に
02月02日 12時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190202/0012230.html

 大阪の上方落語専門の定席「天満天神繁昌亭」が、設備の改修のため、ことし6月から1か月間、休館することになりました。

繁昌亭は大阪・北区にある上方落語専門の寄席で、平成18年にオープンして以来、ほぼ休みなく上方落語の公演を行ってきました。
しかし、オープンから10年以上たち設備の老朽化が目立っていて、去年は天井につり下げられたちょうちんが割れたり、空調設備が壊れたりといったトラブルがあったということです。
このため繁昌亭を運営する上方落語協会は、設備の改修工事を行うことを決め、ことし6月から1か月間、休館することになりました。
工事では約1200個のちょうちんをすべて入れ替えるほか、ロビーも拡充するということで、7月には公演を再開するということです。
また、再開後は昼間の公演について座席指定ができるようにするほか、開演時間をこれまでより1時間遅い午後2時にするということで、ゆっくりと昼食を食べたあと落語を鑑賞したいという要望に応えたいとしています。
上方落語協会の笑福亭仁智会長は、「お客さんが快適に過ごせるようにしたい。新しくなった繁昌亭で、よりいっそうおもしろく落語を見てもらえると思う」とコメントしています。

2452名無しさん:2019/02/05(火) 22:36:20 ID:NrdB.GxU0
長原古墳群の埴輪一堂に 大阪歴史博物館で特別展
2019年2月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190202/20190202054.html

 大阪市平野区に広がる長原遺跡の出土品にスポットを当てた特別展「はにわ大行進-長原古墳群と長原遺跡」が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。同遺跡の長原古墳群(4世紀後半〜6世紀)から出た埴輪(はにわ)を一堂に集め、「古墳時代の先進地であった大阪」に迫っている。3月17日まで。

長原遺跡は面積3平方キロメートルで、旧石器時代から始まる複合遺跡。地下鉄谷町線延伸工事に伴い1974年から発掘調査が始まり、長原古墳群からは200基以上が発見されている。調査は規模を縮小しながら現在も続いている。

 同展では人物や動物、建物、船、武具などを模した「形象埴輪」や「円筒埴輪」など約450点を展示。3章構成で、1章は埴輪の展示、2章では古墳群を4期に分けて紹介。3章では古墳群に葬られた人々の暮らしを浮き彫りにしている。

 形象埴輪の中でも、船形埴輪は船首と船尾が上下に分かれる二体構造を精巧に模したものなどを展示。動物埴輪には馬や鳥があり、当時の人々の生活と動物との関わりをうかがい知ることができる。

 主催団体の一つである大阪文化財研究所の南秀雄所長は「大阪市の考古学のルーツは、一つは難波宮で、もう一方は長原遺跡といっても過言ではない」と指摘。「大阪市の埴輪が一堂に展示されるのはまれな例であり、市内にこんな素晴らしい古墳群が埋もれていることを知っていただければ幸い」と話していた。

 関連行事として、記念講演会「発掘45周年 長原古墳群と長原遺跡」が23日に同館4階講堂で開かれる。講師は大阪文化財研究所の大庭重信学芸員と、高橋工学芸員。定員250人(先着順)、参加費300円(特別展の観覧券もしくは半券提示で無料)。

2453名無しさん:2019/02/05(火) 23:31:25 ID:NrdB.GxU0
無病息災願い舌鼓 厄よけの「天王寺かぶら汁」
2019年2月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190204/20190204036.html

 なにわの伝統野菜の一つである「天王寺蕪(かぶら)」の発祥地とされる、大阪市天王寺区の四天王寺は3日、節分の故事にちなんだ厄よけの「天王寺かぶら汁」を境内で販売した。参拝者らは無病息災を願い、温かいカブに舌鼓を打ちながらおいしそうに頬張った。

 
天王寺蕪は根が扁平(へんぺい)で、一般のカブに比べて甘みが強い白カブ。2015年から催しを手掛ける同寺によると、江戸時代には旧天王寺村の名物として竹垣に干したカブが商われたという。味に引かれた信濃の僧が故郷へ種を持ち帰り、その子孫が野沢菜に派生したという口伝も残る。

 境内では、干したカブと葉、同じ伝統野菜の難波葱(ねぎ)、大阪湾で採れたノリを具材にした白みそ仕立てのみそ汁と麦飯、野沢菜漬けを提供した。

 今年は初めて四天王寺中の生徒が、境内で育てたカブも材料に加えた。1食千円で販売したところ、用意した400食は2時間足らずで完売した。

 府内に実家があるという会社員女性(54)=奈良県大和高田市=は「体が温まった。境内にカブが干してあり、由来も知れて味わい深かった」と満足そうだった。

2454名無しさん:2019/02/08(金) 21:14:19 ID:NrdB.GxU0
甲冑姿の300人練る 三好長慶公武者行列in大東
2019年2月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190207/20190207033.html

 大東市は3月2日、同市の「飯盛城」を居城とした戦国大名・三好長慶をたたえ、約300人が甲冑(かっちゅう)姿で市内を練り歩く「第3回三好長慶公武者行列in大東」を開催する。

 長慶は近畿から四国の広大な地域を支配。堺を拠点に独自の海外交易ルートを確立し、キリスト教を保護する政治手腕を発揮した。

 小説や映画の表舞台に出ることがない長慶だが、2015年に市民による「大東・三好長慶会」(河村共之代表)が発足。武者行列は17年から始めた。

 今年は初めて長慶役を公募。11人の応募者の中から、同市にキャンパスがある大阪産業大経済学部の小川雅司教授(43)が選ばれた。

 観光など地域政策が専門で「その日だけヒーローの気分。飯盛山と三好長慶の二つの宝を市民の方に知ってほしい」と意気込む。

 武者行列には、子ども時代の長慶役3人、長慶の父・元長ら三好家も登場。長慶ゆかりの高槻市や堺市、出身地の徳島県三好市からも“援軍”が来る。

 当日は正午に「いいもりぷらざ」を出発。東高野街道から野崎参道商店街を回る2.5キロを2時間かけて歩く。会場では、長慶の紹介コーナーや物産展も行われる。

2455名無しさん:2019/02/08(金) 21:30:15 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮で「針供養」
02月08日 11時52分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190208/0012441.html

 使い古した針を特大のこんにゃくに刺して労をねぎらう「針供養」が、大阪天満宮で行われました。

針供養は、使い古した針をやわらかいものに刺すことで感謝をあらわすとともに裁縫技術の上達を祈る伝統行事です。
大阪・北区の大阪天満宮では、奈良時代に刺しゅうや裁縫の技術を日本に伝えたとされる遣唐使の吉備真備がまつられていることから、およそ90年前から毎年行われています。
8日は和服を仕立てる和裁士や服飾を学ぶ生徒などおよそ1000人が参加し、幅50センチ、高さが10センチほどの特大のこんにゃくに縫い針やまち針を次々と刺して針を供養していました。
兵庫県西宮市から訪れた60代の女性は「和裁を習っているので、うまくなるように1年間使ってきた針を供養にきました」と話していました。
大阪府内で洋裁教室を開いている40代の女性は「生徒たちの技術の上達と、服作りの楽しさが普及するよう願いを込めました」と話していました。

2456名無しさん:2019/02/09(土) 15:58:24 ID:ylDuNnHU0
梅酒展示でギネス世界記録
02月09日 12時42分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190209/0012468.html

 梅酒を1度にどれだけ多く展示したかでギネス世界記録を目指す催しが大阪天満宮で行われ、295種類で世界記録に認定されました。

この催しは、大阪天満宮の「梅酒まつり」にあわせて地元の商店街などが企画し、神社の本殿には全国各地から集められた梅酒の瓶が並べられました。
ギネス世界記録の公式認定員が一つ一つ銘柄を確認し、295種類の梅酒が展示されているとして、初めてのギネス世界記録に認定されました。
このあと会場では、これらの梅酒が一杯100円から500円で販売され、訪れた大勢の人たちが飲み比べるなどして楽しんでいました。
大阪市の40代の男性は、「これだけたくさんの種類があるとどれを飲もうか迷ってしまいます。何杯か飲みましたが、もう5杯ほど味わいたいです」と話していました。
催しを企画した実行委員会の上田久雄さんは、「ギネス世界記録に認定されてとてもうれしいです。大阪には国内外からたくさんの観光客が訪れるので今回の認定を機に、1人でも多くの方に大阪天満宮に足を運んでもらい地域の活性につながればいいです」と話していました。
これらの梅酒を味わえる「梅酒まつり」は、11日まで開かれています。

2457名無しさん:2019/02/09(土) 16:07:45 ID:ylDuNnHU0
1年間の労ねぎらう 大阪天満宮「お針祭」
2019年2月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190209/20190209051.html

 裁縫上達を願い、豆腐やこんにゃくといった軟らかいものに針を刺すお針祭(針供養)が8日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。大阪和服裁縫協同組合(大森貴之理事長)が主催し、職人らが1年間の針の労をねぎらいながら、さらなる精進を誓った。

 境内には日本に刺繍(ししゅう)技術を伝え、「縫い物の神様」といわれる吉備真備をまつる吉備社がある。

 長さ約40センチ、厚さ約10センチの巨大こんにゃくが用意され、参拝した人たちは縫い針やまち針、ミシン針を刺して手を合わせた。針は吉備社の針塚に納められた。和裁用具の販売やバザーもあり、境内はにぎわった。

 大森理事長は「針を大事にしながら仕事に精進し、伝統の針の技術を次の時代に伝えていきたい」と決意を新たにした。

2458名無しさん:2019/02/09(土) 16:58:26 ID:ylDuNnHU0
「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令
『渡邊大門』 2019/01/27
https://ironna.jp/article/11765

渡邊大門(歴史学者)

 前回、戦国時代における人身売買の実態について、武田氏などの例を見てきた。今回は、豊臣秀吉が織田信長に代わって天下取りに名乗りを上げて以降、人身売買にどのような対策を講じたのかを確認することにしよう。

 秀吉の天下取りは、戦いの連続であった。信長が本能寺の変で横死した天正10(1582)年6月以降の主な戦いに限って列挙すると、次のようになる。

 ①天正10年――明智光秀を滅亡に追い込む(山崎の戦い)。

 ②天正11年――柴田勝家を滅亡に追い込む。

 ③天正12年――徳川家康との戦い(小牧・長久手の戦い)。

 ④天正13年――土佐の長宗我部氏を降伏に追い込む(四国征伐)。

 ⑤天正14年――薩摩の島津氏を降伏に追い込む(九州征伐)。

 ⑥天正18年――小田原北条氏を滅亡に追い込む。

 この間にも小さな戦いはたくさんあり、秀吉は全国平定に向けて、着々と足元を固めていった。戦いでは雑兵による略奪行為の「乱取り」が行われ、それが人身売買の温床になったことは言うまでもない。秀吉は人身売買を禁止すべく熱心に対策を講じており、九州征伐や小田原征伐において関係史料を確認することができる。

 天正14年の九州征伐の直前、薩摩の戦国大名・島津氏に対抗すべく、秀吉に助けを求めたのは豊後の戦国大名・大友宗麟である。かつて大友氏は九州北部を統一する勢いだったが、この頃には島津氏を相手に苦戦を強いられていた。

 宗麟は日の出の勢いの秀吉に助力を求めたが、島津氏は秀吉の実力を侮っていた。そして、大友氏を血祭りに上げるべく、豊後に攻め込んだのである。戦乱の中で、乱取りや人身売買に苦しめられたのが、豊後に住む普通の人々であった。ポルトガル人宣教師のフロイスは著作『日本史』で、乱取りや人身売買の惨状を次のように記している。

 薩摩の兵が豊後で捕らえた人々の一部は、肥後へ売られていった。ところが、その年の肥後の住民は飢饉に苦しめられ、生活すらままならなかった。したがって、豊後の人々を買って養うことは、もちろん不可能であった。それゆえ買った豊後の人々を羊や牛のごとく、高来(長崎県諫早市)に運んで売った。このように三会・島原(以上、長崎県島原市)では、四十人くらいがまとめて売られることもあった。豊後の女・子供は、二束三文で売られ、しかもその数は実に多かった。

 実に生々しい光景である。島津氏配下の雑兵は捕らえた豊後の人々を肥後で売ろうとしたが、飢饉により売買が困難と知るや、今度は現在の長崎県諫早市へ行って売買した。売られた人々は、かなりの数であったことが判明する。

 いくら奴隷が安価な労働力とはいえ、二束三文とはあまりに安すぎる。この話が事実であったことは、島津氏の家臣、上井覚兼(うわい・かくけん)の日記『上井覚兼日記』天正14年7月12日条に次の通り記されている。

 路次すがら、疵(きず)を負った人に会った。そのほか濫妨人(らんぼうにん、乱暴狼藉を働く人)などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。

 島津領内には、戦いで負傷した兵卒たちも帰還したが、濫妨人は戦利品として豊後から女や子供をたくさん引き連れ、道が混雑していたというのである。戦利品として人を略奪するのは、すでに当たり前になっていた。

2459名無しさん:2019/02/09(土) 17:00:33 ID:ylDuNnHU0
https://ironna.jp/article/11765?p=2

 この惨劇を目の当たりにしたであろう秀吉は、いかなる対応をしたのであろうか。以下、確認しておこう。

 先に掲出したフロイスや上井覚兼の記述は事実であり、秀吉はすぐに人身売買の対策を行った。天正16年8月になって、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状を発給している(「下川文書」)。次に示しておく。

 豊後の百姓やそのほか上下の身分に限らず、男女・子供が近年売買され肥後にいるという。申し付けて、早く豊後に連れ戻すこと。とりわけ去年から買いとられた人は、買い損であることを申し伝えなさい。拒否することは、問題であることを申し触れること。

 この文書は、加藤清正と小西行長に宛てられたものである。2人が肥後国に配置されたのは、天正16年閏5月15日のことである。したがって、2人の肥後入部直後には、秀吉から指示があったと考えられる。

 この場合、人を買った者には、秀吉からの金銭的な補償はなく、「買い損」ということになっている。では、どのような理由があって、秀吉は買われた人々を豊後へ連れ戻す措置を指示したのだろうか。

 戦場で雑兵が戦利品として人々を連れ去り、売買することは前回も述べた。しかし、戦争で田畑が荒れ果てたうえ、肝心の農民たちが他国に売買されたとなると、農村の復興が進まなくなる。それでは農作物の収穫がなくなるので、大名領国化の経済を揺るがす、非常に大きな問題だった。

 逃散(ちょうさん)などによって農地が放棄されるがごとく、人身売買によって肝心の耕作者がいなくなってしまうことは、秀吉の本意ではなかった。秀吉はこれまでも、戦争後に還住令(逃げた農民が元の土地に戻るよう勧める法令)を発布するなどし、戦災後の復興に力を入れていた。そうでなければ、土地を奪い取った意味がなくなるからである。

 同じような朱印状は、筑後の大名である立花宗茂と毛利秀包(ひでかね)にも発給された。やはり、対象となったのは、豊後から筑後へ売買された人々の扱いであった。大友氏の領国である豊後は戦場になったのであるが、年貢を納入する主体の農民が数多く連れ去られ、農村の荒廃が進んでいたのは疑いないところである。

 秀吉の人身売買禁止という強い姿勢は、降伏に追い込んだ島津氏にも向けられた。次に、史料を掲出しておこう(「島津家文書」)。

 先年、豊後から連れ去った男女のことは、薩摩の領内を捜し出し、見付け次第に帰国させることを申し付ける。隠し置いた場合は、落ち度である。人の売買は一切禁止することは、先年定めたとはいえ、重ねて言うところである。

 本文書の発給された年次は不詳であるが、天正16年ごろと見るのが妥当ではないだろうか。和睦したとはいえ、薩摩・島津氏は大身の大名である。それでも容赦せずに、薩摩領内にいる豊後の人々を帰還させるように命じた。2行目の後半部分にあるように、人身売買禁止はすでに決まっており、重ねての通知だったようだ。

https://ironna.jp/article/11765?p=3

 ところが、人身売買の禁止令は、戦場となった豊後だけが対象ではなかった。次に、秀吉が寺沢広高に宛てた朱印状を挙げておこう(「島津家文書」)。

 薩摩出水、肥後水俣の侍・百姓、男女に限らず、薩摩・大隅・日向そのほか隣国へ彼らが買い取られたことを聞いた。法度の旨に任せて、早々に召し返して帰還させるように申し付ける。もし違反する者があったら、すぐに報告すること。右の趣旨を堅く申し触れ、彼らを帰還させること

2460名無しさん:2019/02/09(土) 17:03:27 ID:ylDuNnHU0
 薩摩出水(鹿児島県出水市)、肥後水俣(熊本県水俣市)では侍・百姓や男女を問わず、島津氏領国の薩摩・大隅・日向やその隣国で売買されていた。秀吉は、それらの人々を早急に帰還させよというのである。こちらも本文に記されているように、人身売買は違法行為であることが強調されている。

 実は、薩摩出水、肥後水俣を治めていた島津忠辰(ただとき)は、秀吉にその領土を没収されていた。その後の措置にあたったのが肥前唐津(佐賀県唐津市)の寺沢広高であったが、混乱の中で領内の多くの人々は売り払われたのであろう。これでは、戦後の復興はままならない。秀吉は人身売買禁止という方針をもとに、その対策を広高に命じたのであった。

 かつて、戦場における人の略奪は、当然の行為として認識されてきた印象がある。しかし、秀吉は人の略奪や人身売買禁止という政策を採った。その方針は、国内の大戦争である小田原北条氏との戦いでも受け継がれた。

 天下取りを目指す豊臣秀吉にとって、最後の強敵は小田原北条氏を残すのみとなった。北条氏は関東一円を支配下に収め、その実力は侮れないものがあった。

 天正17年11月の名胡桃(なぐるみ)城事件が秀吉の惣無事(私戦の禁止)の基調に違反したため、同年末に秀吉は北条氏に宣戦布告し、両者の戦いが始まった。名胡桃城事件とは、沼田城代の北条氏の家臣である猪俣邦憲(いのまた・くにのり)が、謀略によって真田昌幸の名胡桃城を占拠した事件である。戦いは関東各地で繰り広げられたが、北条氏は徐々に劣勢に追い込まれ、ついに天正18年6月に小田原開城となった。

 この間、秀吉は諸大名に対して、人身売買を禁じる旨を申し伝えている。天正18年4月27日、秀吉は上杉景勝に宛てて朱印状を発給した。次に、内容を確認しておこう(「上杉家文書」)。

 国々の地下人・百姓などは、小田原町中の外で、ことごとく還住させることを申し付ける。そのような中で、人身売買を行う者があるという。言語道断で許しがたいことである。人を売る者も買う者も、ともに罪科は軽いものではない。人を買った者は、早々に彼らをもといた場所に返すこと。以後、人の売買は堅く禁止するので、下々まで厳重に申し付けること。

 小田原城が戦場になったものの、戦いは関東各地で繰り広げられたので、人々は戦火を避けてあっちこっちに避難したのであろう。豊臣方は戦いを優勢に進める中で、未だに戦場である小田原町を除き、そのほかの場所については、百姓らを帰還させるように手配した。秀吉は戦争が終結した地域から順に、復興を進めたのである。

https://ironna.jp/article/11765?p=4

 一連の措置には、人々が元にいた場所に帰還させることによって、できるだけ早く戦後復興を円滑に進めるという目的があった。しかし、戦争というどさくさの状況で、人身売買が横行したこともあり、秀吉はその禁止を命じた。それは人を買う者であっても、売る者であっても罪は等しく重かったのである。

 上杉景勝が主戦場としていたのは、松井田城(群馬県安中市)であり、同年4月22日に城主である大道寺政繁(だいどうじ・まさしげ)は降伏していた。人身売買の禁止は、それから5日後の措置である。実は、ほぼ同内容の書状は、同年4月29日に秀吉から真田昌幸に送られている(「真田家文書」)。

 つまり、戦いが終わった場所では、速やかに人を帰還させるように昌幸に命じ、その間の人身売買を無効としたうえで、人を売買する者の摘発を命じている。やはり小田原を除いているのは、まだ同地では戦争が継続していたからである。

 秀吉の人身売買禁止令は、小田原北条氏の滅亡後も徹底していた。天正18年8月、秀吉は下野の宇都宮国綱に対して掟書の条々を送った。そのポイントは、次の2つになろう(「宇都宮家蔵文書」)。

2461名無しさん:2019/02/09(土) 17:05:09 ID:ylDuNnHU0
・百姓などを土地に縛りつけ、他領に出ている者は召し返すこと。

・人身売買は、一切禁止すること。

 重要なことは、百姓などが勝手に移住し、耕作地が荒れることを防ぐということになろう。同時に人身売買によって、貴重な労働力が移動することも危惧された。つまり、人身売買の禁止というのは、さまざまな目的があるものの、倫理的、人道的な問題というよりも、むしろ労働力の問題として重視されたと考えられる。

 天正18年以降に秀吉が発給したと考えられる文書には、次のような規定がなされている(「紀伊続風土記」所収文書)。

 人の売買については、一切禁止する。天正十六年以降、人が売買された件は無効とする。今後、人を売る者はもちろんのこと、買う者についても罪とするので、噂を聞きつけて報告した者には褒美を遣わす。

 このように見る限り、天正16年という年を一つの基点にしていることがわかる。また、これまで人を買った者は、未だに罪として認識していなかったようである。売る方は積極的であったが、買う方は受動的であったので罪が軽かったのだろうか。いずれにしても、人身売買は売るのも買うのも、罪は等しくされたのである。

 そもそも人を略奪して人身売買をすることは、出陣した兵の給与の一部のようなものだった。しかし、戦後復興を考えたとき、人身売買によって人がいなくなり、耕作地が荒れると収穫が減るので大問題だった。それゆえ秀吉は倫理的、人道的というよりも、労働力の問題として、人身売買を禁止したのである。こうして経済基盤の安定化を図ったのである。

 ところで、人身売買の問題を考えるには、キリスト教や南蛮貿易のこと、また、ポルトガル商人を通して日本人奴隷が海外に売りさばかれた例を検討する必要がある。秀吉は日本人奴隷が海外に輸出されることを懸念していた。この点に関しては、次回に取り上げることにしよう。

2462名無しさん:2019/02/09(土) 17:08:13 ID:ylDuNnHU0
「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈
『渡邊大門』 2019/02/09
https://ironna.jp/article/11884
渡邊大門(歴史学者)

 前回、豊臣秀吉がいかにして、人身売買の対策を講じたのかを確認した。今回は、世界的な規模に達した奴隷貿易と日本との関係について触れておこう。

 最初に、キリスト教の布教について説明しておく。船による長距離の移動が可能になり、ヨーロッパの人々がアジアに行き来することも可能になった。これが大航海時代である。商人たちが貿易のために各国を訪れ、同時にキリスト教の海外での布教も積極的に行われた。その中心的な役割を果たしたのが、イエズス会である。

 1534年、スペインの修道士、イグナティウス・デ・ロヨラら6人は、パリのモンマルトルで宗教改革に対抗しイエズス会を結成した。彼らは清貧・貞潔・服従を誓約し、イエズス会がイエス・キリストの伴侶として神のために働く聖なる軍団となることを目標とした。

 その中には、後に日本でキリスト教布教の中心的な役割を果たした、フランシスコ・ザビエルも含まれている。イエズス会は、1540年にローマ教皇の認可を受けた。以降、イエズス会の面々は、アジアや新大陸で熱心に布教活動を行った。

 ザビエルとは、いかなる人物なのだろうか。ザビエルが誕生したのは1506年のことで、日本ではちょうど戦国時代が始まったころである。ザビエルは、ナバラ王国(ピレネー山脈西南部)出身のバスク人であった。

 ザビエルは19歳でパリ大学の聖バルバラ学院で神学を学び、イエズス会の創設に加わった。1542年にはインドのゴアに派遣され、布教活動に従事した。その後、ザビエルはマラッカで布教中に、「アンジロー」という薩摩出身の日本人と会う。これが日本へ赴くきっかけとなった。

 1549年4月、ゴアを出発したザビエルは、8月に薩摩に上陸した。ザビエルは島津貴久に面会を求めるなど精力的に活動し、周防の大内義隆や豊後の大友宗麟に布教への理解を求めた。ザビエルは2年余り伝道を行い、いったんインドに帰国し、さらに中国へと向かうが、1552年に中国の広東で病没した。ザビエルの布教活動により、キリスト教に理解を示した人々もいたので、大きな功績と言えるであろう。

 ザビエルの後を受け継ぐかのごとく、登場したのがルイス・フロイスである。1532年、フロイスはポルトガルのリスボンに誕生した。16歳でイエズス会に入り、その後はインドに渡海した。フロイスが日本への渡海を果たしたのは、永禄6(1563)年のことである。

 肥前横瀬浦(長崎県西海市)に上陸したフロイスは、スペイン出身の宣教師、フェルナンデスから日本語と日本の習俗について教えを受けた。その後、織田信長や豊臣秀吉に接近し、円滑に布教活動を行うべく奮闘した。これまでもたびたび引用した、フロイスの『日本史』は当時の日本を知る上で、貴重な史料である。

 キリスト教の布教と同時に盛んになったのが、南蛮貿易である。天文12(1543)年にポルトガル商人から種子島へ火縄銃がもたらされて以降(年代は諸説あり)、日本はポルトガルやスペインとの貿易を行った。

 ポルトガルから日本へは、火縄銃をはじめ、生糸など多くの物資がもたらされた。逆に、日本からは、銀を中心に輸出を行った。こうして日本は、キリスト教や貿易を通して海外の物資や文物を知ることになる。

 これより以前、ヨーロッパでは奴隷制度が影を潜めていたが、15世紀半ばを境にして、奴隷を海外から調達するようになった。そのきっかけになったのが、1442年にポルトガル人がアフリカの大西洋岸を探検し、ムーア人を捕らえたことであった。

 ムーア人とは現在のモロッコやモーリタニアに居住するイスラム教徒のことである。キリシタンからすれば、異教徒だった。その後、ムーア人は現地に送還されたが、その際に砂金と黒人奴隷10人を受け取ったという。

https://ironna.jp/article/11884?p=2

 このことをきっかけにして、ポルトガルは積極的にアフリカに侵攻し、黒人を捕らえて奴隷とした。同時に砂金をも略奪した。これまで法律上などから鳴りを潜めていた奴隷制度であったが、海外(主にアフリカ)から奴隷を調達することにより、復活を遂げたのである。では、奴隷制度は宗教的に問題はなかったのだろうか。

 1454年、アフリカら奴隷を強制連行していたポルトガルは、ローマ教皇のニコラス五世からこの問題に関する勅書を得た。その内容は、次の通りである(牧英正『日本法史における人身売買の研究』引用史料より)。

2463名無しさん:2019/02/09(土) 17:10:09 ID:ylDuNnHU0

神の恩寵により、もしこの状態が続くならば、その国民はカトリックの信仰に入るであろうし、いずれにしても彼らの中の多くの塊はキリストの利益になるであろう。

 文中の「その国民」と「彼らは」とは、アフリカから連行された奴隷たちを意味している。奴隷の多くは、イスラム教徒であった。つまり、彼らアフリカ人がポルトガルに連行されたのは「神の恩寵」であるとし、ポルトガルに長くいればキリスト教に改宗するであろうとしている。

 そして、彼らの魂はキリストの利益になると強引に解釈し、アフリカ人を連行し奴隷とすることを正当化したのである。キリスト教徒にとって、イスラム教徒などの異教徒を改宗させることは、至上の命題だったのだろう。それゆえに正当化されたのである。

 当初、アフリカがヨーロッパに近かったため、かなり遠い日本人は奴隷になるという被害を免れていた。しかし、海外との交易が盛んになり、その魔の手は着々と伸びていたのである。この問題に関しては、岡本良知『十六世紀日欧交通史の研究』(六甲書房)に詳しいので以下、同書を参照して考えてみたい。

 日本でイエズス会が布教を始めて以後、すでにポルトガル商人による日本人奴隷の売買が問題となっていた。1570年3月12日、イエズス会の要請を受けたポルトガル国王は、日本人奴隷の取引禁止令を発布した。その骨子は、次の通りである。

①ポルトガル人は日本人を捕らえたり、買ったりしてはならない。

②買い取った日本人奴隷を解放すること。

③禁止令に違反した場合は、全財産を没収する。

 当時、ポルトガルは、マラッカやインドのゴアなどに多くの植民地を有していた。まさしく大航海時代の賜物であった。彼らが安価な労働力を海外に求めたのは、先にアフリカの例で見た通りである。ところが、この命令はことごとく無視された。その理由は、おおむね二つに集約することができよう。

 一つは、日本人奴隷のほとんどが、ポルトガルではなくアジア諸国のポルトガル植民地で使役させられていたという事実である。植民地では手足となる、労働に従事する奴隷が必要であり、それを日本から調達していたのである。理由は、安価だからであった。植民地に住むポルトガルの人々は、人界の法則、正義、神の掟にも違反しないと主張し、王の命令を無視したのである。

https://ironna.jp/article/11884?p=3

 もう一つの問題は、イエズス会とポルトガル商人にかかわるものであるが、こちらは後述することにしたい。

 では、秀吉は日本人奴隷の問題にどう対処したのだろうか。天正14年から翌年にかけて九州征伐が行われ、秀吉の勝利に終わった。前回触れたが、戦場となった豊後では百姓らが捕らえられ、それぞれの大名の領国へと連れ去られた。

 奴隷商人が関与していたのは疑いなく、秀吉によって人身売買は固く禁止された。実は、人身売買に関与していたのは、日本人の奴隷商人だけでなく、ポルトガル商人の姿もあったのである。

 そのような事情を受けて、秀吉は強い決意をもって、人身売買の問題に取り組んだ。天正15年4月、島津氏を降伏に追い込んだ秀吉は、意気揚々と博多に凱旋した。そこで、ついに問題が発生する。

 翌天正16年6月、秀吉とイエズス会の日本支部準管区長を務めるガスパール・コエリョは、日本人奴隷の売買をめぐって口論になったのである(『イエズス会日本年報』下)。次に、お互いの主張を挙げておこう。

2464名無しさん:2019/02/09(土) 17:13:09 ID:ylDuNnHU0
秀吉「ポルトガル人が多数の日本人を買い、その国(ポルトガル)に連れて行くのは何故であるか」

コエリョ「ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ(司祭職にある者)たちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることを止めるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう」

 秀吉が見たのは、日本人が奴隷としてポルトガル商人に買われ、次々と船に載せられる光景であった。驚いた秀吉は、早速コエリョを詰問したのである。コエリョが実際にどう思ったのかは分からないが、答えは苦し紛れのものであった。

 しかも、奴隷売買の原因を異教徒の日本人に求めており、自分たちは悪くないとした上で、あくまで売る者が悪いと主張しているのである。もちろんキリスト教を信仰する日本人は、奴隷売買に関与しなかったということになろう。

 日本人が売られる様子を生々しく記しているのが、秀吉の右筆、大村由己の手になる『九州御動座記』の次の記述である。

日本人数百人男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて船底に追い入れた。地獄の呵責よりもひどい。そのうえ牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼前に広がっている。近くの日本人はいずれもその様子を学び、子を売り親を売り妻女を売るとのことを耳にした。キリスト教を許容すれば、たちまち日本が外道の法になってしまうことを心配する。

 この前段において、秀吉はキリスト教が広まっていく様子や南蛮貿易の隆盛について感想を述べている。そして、人身売買の様相に危惧しているのである。秀吉は日本人が奴隷としてポルトガル商人により売買され、家畜のように扱われていることに激怒した。奴隷たちは、まったく人間扱いされていなかったのである。

2465名無しさん:2019/02/09(土) 17:15:21 ID:ylDuNnHU0
 それどころか、近くの日本人はその様子を学んで、子、親、妻女すらも売りに来るありさまである。秀吉は、その大きな要因をキリスト教の布教に求めた。キリスト教自体が悪いというよりも、付随したポルトガル商人や西洋の習慣が問題だったということになろう。イエズス会関係者は、その対応に苦慮したのである。

 理由がいかなるところにあれ、秀吉にとって日本人が奴隷として海外に輸出されることは、決して許されることではなかった。また、イエズス会にとっては、片方でキリスト教を布教しながら、一方で奴隷売買を黙認することは、伝道する上で大きな障壁となった。イエズス会は、苦境に立たされたと言えよう。そうした観点から、彼らはポルトガル国王に奴隷売買の禁止を要請していたのである。

 しかし、日本に合法的な奴隷が存在すれば、話は別である。率直に言えば、当時の奴隷は家畜のように売買される存在であった。モノを売るのであれば、それはまったく問題ないと解釈することが可能である。

 幸か不幸か、少なくとも奴隷売買商人は、日本には法律で認められた奴隷が存在すると考えていた。次の史料は、牧英正『日本法史における人身売買の研究』(有斐閣)に紹介された史料である。

日本には奴隷が存在するか否か、また何ゆえに奴隷となるのか。また子供は、奴隷である父もしくは母の状態を継続するのか否か。彼ら(=奴隷売買商人)が答えて言うには、奴隷は存在する、と。奴隷は戦争中に発生する。また、貧しい親は自分の子供を売って、奴隷とする場合もある。(以下、二つ目の質問に関する回答)子供は次の方法によって、親の状態を受け継ぐ。つまり、父が奴隷で母が自由民の場合は、誕生した男子は奴隷で、女性は自由人である。父が自由人で母が奴隷の場合は、誕生した男子は自由人で、女性は奴隷である。両親とも奴隷の場合は、誕生した男女はともに奴隷である。

 この問答の様子は、イエズス会が奴隷売買業者を破門にするか否かの尋問を記録したものである。牧氏が指摘するように、この回答は的を射たものである。たとえば、奴隷が戦争中に発生するというのも、これまで戦場での略奪行為「乱取り」で見てきた通りである。親が子を売る例も、たびたび見られた。

 加えて、親の奴隷身分(あるいは自由民の身分)がどのような形で引き継がれるかも、日本の慣習に符合したものであった。当時における日本の情勢と比較して、彼らの言葉に特段の矛盾点は見られないようである。

 このような解釈が存在したため、イエズス会では奴隷売買の商人による日本人奴隷の売買を黙認していた節がある。とはいうものの、こうしたデリケートな問題は、徐々にキリスト教の布教をやりにくくしていった。

 大きな問題だったのは、一部の宣教師たちが奴隷商人と結託して、日本人奴隷の売買に関与していたということである。そのような状況の中で出されたのが、先述したポルトガル国王の奴隷売買禁止の命令なのである。

 ここで触れた、ポルトガル商人による奴隷売買については、次回も続けて取り上げることにしよう。

2466名無しさん:2019/02/11(月) 13:09:29 ID:NrdB.GxU0
強運の鐘 次代へ
01/31 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005844/20190130-OYTAT50037/

 近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」でお初と徳兵衛が心中に向かう際に聞いた鐘の音が、現在も大阪の人たちに時刻を知らせている。大阪市中央区の「大坂町中時報鐘おおさかまちじゅうじほうしょう」(高さ1.9メートル、重さ3トン)。午前8時と正午、日没の1日3回、コンピューター制御でつかれる鐘は、数奇な運命をたどってきた。

 寛永11年(1634年)、江戸幕府の3代将軍・徳川家光は豊臣びいきの大坂の町民の心をつかむため、現在の固定資産税にあたる「地子銀じしぎん」を城下で免除した。鐘は、この恩に報いようと町民が資金を出し合って造ったものだ。2時間おきにつかれ、4度の大火を経ても焼失せず、時報の役目を果たし続けた。

 明治初期に大阪城内から打ち出される号砲が新たな「時報」になった後、鐘は寺や博物館を転々とした。1926年から府庁に保管されていたが、85年に地元の声に応えて元々あった「釣鐘屋敷跡」に戻った。

 毎年、6月10日(時の記念日)と大みそかには実際に鐘つきを体験できる。大坂町中時報鐘顕彰保存会の梅本憲史会長(76)は「戦時中の金属供出も免れて残った、まさに『強運の鐘』。平成が終わっても世代を超えて愛されてほしい」と話す。(吉野拓也)

2467名無しさん:2019/02/17(日) 11:57:39 ID:NrdB.GxU0
人間国宝一堂に 上方芸能フェスティバル
2019年2月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190215/20190215038.html

 25日に開場する「クール・ジャパン・パーク大阪」(JR・大阪メトロ森ノ宮駅前)のこけら落とし公演の一つとして、SSホール(300席)を使って関西在住の人間国宝らを集めた「上方芸能フェスティバル」が開催される。「なじみの薄い芸にも触れて」「芸の奥深さを感じて」と出演者は張り切っている。

 
初日の25日は「おめでたづくし」(午後7時開演)として、まずは祝い事の趣を持った能「猩々乱(しょうじょうみだれ)」を人間国宝の三島元太郎が太鼓方を務めて上演する。文楽はお祝いの定番「二人三番叟(さんばそう)」を人間国宝の吉田和生が演じる。筑前琵琶の人間国宝奥村旭翠による「那須与一」と続き、トリは桂文枝の創作落語「鯛(たい)」で締める。

 翌日から午後2時と7時の2回公演となり、26日は華やかな芸の魅力に触れる「忠信三変化」がテーマで、後場に焦点を当てた半能「忠信」、文楽は「義経千本桜」で狐(きつね)忠信の段、落語は林家菊丸が忠信と義経千本桜ゆかりの「猫の忠信」を口演。トリは講談で旭堂南海が「忠信三変化」。

 最終日の27日は、多彩さを演出する「船弁慶三体」がテーマで、半能で「船弁慶」の原型を見た後、文楽「義経千本桜」から知盛幽霊の段、筑前琵琶で奥村旭翠が「船弁慶」を奏で、落語「船弁慶」を月亭文都が口演。トリは講談「船弁慶三体」を真打ち講釈師の旭堂南龍が読む。

 文楽の吉田和生は「いずれも大阪で育てていただいた芸。テーマ別で一度に見られる機会はめったにありません。ぜひなじみの薄い芸にも触れてみてください」と説明。人間国宝の結集に、上方落語協会の文枝・前会長は「それぞれの芸の奥深さを感じていただければ。それにしてもこれだけ人間国宝の方が集まられると壮観ですな。私も『どうしたらなれるのか』とうかがっておかないと…」と笑いを取ると、三島と奥村は口をそろえ「うまいからなっているのではなく、後継者を育てるのが責務です」と恐縮する一幕も。

 期間中、ホールロビーでこれらの伝統芸能に関するふれあい展示会を開催。衣装や楽器、文楽人形などを展示し、入場者に無料で公開する。

 入場料7千円(25日のみ9千円)、当日券は500円増し。問い合わせは電話0570(550)100、チケットよしもと。

2468名無しさん:2019/02/17(日) 12:21:48 ID:NrdB.GxU0
天皇皇后両陛下ご結婚60年の写真展 大丸梅田店
2/16(土) 11:59配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190216-00026622-mbsnewsv-l27

 ことし4月にご結婚60年を迎える天皇皇后両陛下のこれまでの歩みを振り返る写真展が大阪で始まりました。

 日本中がお祝いムードに沸いたご結婚パレードの様子の写真。(当時)沿道を埋めた約53万人に笑顔で応えられました。ご静養のため訪れた奥日光での1枚は、仲睦まじい姿が印象的です。

 16日に大阪の大丸梅田店で始まった「天皇皇后両陛下」の写真展。ご成婚60年を記念して企画されたもので、被災地のお見舞いや高齢者など福祉施設の訪問のご様子などをおさめた写真約150点が展示されています。天皇としてのご公務をまもなく次へ引き継がれることもあり関心は高く、会場には朝から多くの人が訪れています。

 写真展は大丸梅田店で来月4日までです。

2469名無しさん:2019/02/17(日) 13:17:57 ID:NrdB.GxU0
特攻隊員恋文 思い切々
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190216-OYTNT50250/

北区 ギャラリーよみうりで企画展

 太平洋戦争末期に特攻隊員が記した手紙や遺書、写真などを公開する企画展「恋人への最後の手紙」が、大阪市北区のギャラリーよみうりで開かれている。主催する知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)は「隊員一人一人に、かけがえのない人生があったことを知ってほしい」と呼びかけている。

 九州最南端の陸軍特攻基地跡に立つ会館では、沖縄戦で戦死した陸軍特攻隊員1036人の遺書などを保管。戦後70年あまりが経過し、戦争を知る世代が少なくなっていることから、積極的に県外での展示を実施している。府内では今回、初めて実現した。

 会場では、23歳で戦死した福島県出身の穴澤利夫大尉と、府出身の特攻隊員6人が恋人や家族に宛てた手紙の複製を展示。最愛の人に向けた言葉の数々からは、自分の死後も相手の幸せを願う純粋で、強い思いが伝わってくる。

 穴澤大尉の展示では、婚約者への聞き取りや手紙を基に、2人の出会いから戦死までを説明。特攻隊入隊前に愛を打ち明けられた婚約者が恋文を読んだ後、「眺めた空が殊に美しく思われた」とつづったメモや、穴澤大尉が「あなたの幸せを希ねがふ以外に何物もない」と記した最後の手紙などを紹介している。

 大阪市阿倍野区の会社員山田彩世さん(30)は「激動の時代を生きた若い恋人たちの言葉に触れ、どんな思いで過ごしていたのかと胸が痛んだ。日々を大切に生きようと思った」と振り返り、堺市中区の会社員先山信次さん(63)は「貴重な史料を見ることができてよかった。県外展示は、すばらしい試み」と話した。

 入場無料で20日まで。問い合わせは知覧特攻平和会館(0993・83・2525)。

2470名無しさん:2019/02/17(日) 13:40:17 ID:NrdB.GxU0
川口さんグランプリ 四天王寺写真コン
2019年2月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190217/20190217034.html

 聖徳太子創建として知られる和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)が主催する「第4回四天王寺フォトコンテスト」の各賞が決まり、最高賞のグランプリ大賞には大阪府の川口清榮さんの作品「護符を求めて」が選ばれた。

 同フォトコンは、四天王寺の数多い年中行事や四季折々の風景を題材として開催。昨年7〜9月の募集期間に大阪府内外から251点の力作が寄せられ、写真家の和栗敬一郎さんを審査委員長に、同寺関係者など審査員が厳正に審査した。

 川口さんの作品は、年頭の修正会結願(しゅしょうえけちがん)日に執り行われる伝統行事「どやどや」を撮影。若者らが境内・六時礼讃堂で冷水を浴びながらも、天井からわずかにまかれる護符(お札)をつかもうとする躍動感あふれる姿を捉えた。

 このほか準グランプリ賞(2点)や各特別賞、入賞などが決定。全入選作品は同寺ホームページ上で公開している。

2471名無しさん:2019/02/18(月) 18:58:09 ID:7/nDZLDA0
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2019021702000146.html

直木孝次郎さん死去 古代史研究で指導的役割
2019年2月17日

 日本古代史研究で指導的役割を果たした大阪市立大名誉教授の直木孝次郎(なおきこうじろう)さんが二日、老衰のため死去した。百歳。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長女東野美穂子(とうのみほこ)さん。
 一九四三年、京都帝国大を卒業して海軍に入隊、海軍士官で終戦を迎えた。大阪市立大教授、岡山大教授などを歴任した。
 文献を中心にした律令(りつりょう)国家成立過程の研究で知られ五四年には続日本紀研究会の立ち上げに参加した。極彩色壁画が見つかった奈良県明日香村の高松塚古墳では、被葬者を天武天皇の皇子である忍壁(おさかべ)皇子と早くから推論し注目を浴びた。邪馬台国論争では畿内説の立場で加わるなど幅広く研究し、戦後の古代史研究の指導者的役割を果たした。大阪の河内地方の勢力が初期大和政権を打倒したとする河内政権説を唱えた。
 また、平城宮(奈良市)、難波宮(大阪市)の保存運動も率いたほか、万葉集に詠まれた和歌山市の和歌浦の景観訴訟も支援した。
 万葉集にひかれ、古代を学ぶ傍ら、歌にも親しみ、八七年の歌会始の召人にも選ばれた。
 憲法九条を守り、改憲を阻止しようと結成された「九条の会・おおさか」の発起人にも名を連ねた。八九年に大阪文化賞、二〇〇〇年に和島誠一賞、〇三年に井上靖文化賞を受賞。
 著書に「日本古代国家の構造」「古代河内政権の研究」など。

2472名無しさん:2019/02/20(水) 20:47:57 ID:NrdB.GxU0
「大阪落語への招待」 市立大が4月から公開授業
2019年2月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190220/20190220042.html

 大阪市立大は2019年4月に杉本キャンパス(大阪市住吉区)で開講する公開授業「大阪落語への招待」の受講者を募集している。受講無料。

 講師には大阪市大の久堀裕朗教授に加え、四代目桂春團治さん、桂春雨さんら第一線で活躍する落語家を客員教授として迎える。

 江戸落語との違いや、歌舞伎や音曲との関係など、その歴史や表現の特色を明らかにし、大阪の文化・芸能・市民生活について考える機会を提供する。

 期間は4月10日〜7月24日の全14回。開講時間は午後5時10分〜同6時50分。

 対象は18歳以上で全期間通じて受講可能な人。募集人数は100人(申し込み多数の場合は抽選で、初めての人優先)。

 申し込みは大阪市大ホームページからメールで、または往復はがきで。問い合わせは電話06(6605)3504、大阪市大地域連携センター「大阪落語への招待」係。締め切りは3月1日必着。

2473名無しさん:2019/02/20(水) 22:02:47 ID:NrdB.GxU0
大山古墳発掘調査を報告
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190217-OYTNT50182/

 堺市の大山古墳(仁徳天皇陵)で昨年、宮内庁と堺市が初めて共同で行った発掘調査について、市の学芸員が17日、同市北区で開かれた「百舌鳥もず古墳群講演会」の中で調査結果を報告し、参加した約800人が耳を傾けた。

 調査は、陵墓の保全整備に向けた基礎資料の収集を目的に昨年に実施。今回、市民らに調査について知ってもらおうと、講演会の中で説明することにした。

 調査した市文化財課の海辺博史さんが登壇。今回、堤の外側で円筒埴輪はにわ列が見つかったことに触れ、海辺さんは「堤の内側からも出てくると思っていたが予想外だった。本当に外側だけなのかは今回の調査だけではわからない」と述べた。石が敷き詰められていたことは、「堤を装飾する目的だったのか、保護だったのか。今後の課題だ」などと語った。

 ロビーでは発掘現場の写真などパネルも並べられ、訪れた人たちが熱心に見入っていた。パネルは19日〜3月3日に市博物館でも展示する予定。

2474名無しさん:2019/02/24(日) 15:16:16 ID:NrdB.GxU0
うめだ文楽盛り上げよう 記念ラッピングカー登場
2019年2月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190224/20190224033.html

 3月に大阪市北区のグランフロント大阪北館のナレッジシアターで上演する「うめだ文楽2019」を盛り上げようと、同館1階に上演を記念したラッピングカーが登場した。演目の世界観を落とし込んだデザインの乗用車が来館者の注目を集めている。

 メルセデス・ベンツの乗用車に、うめだ文楽の上演演目でもある「義経千本桜」に登場する「静御前」や「狐(きつね)」などが描かれ、鼓からの音色を車体全体に広がるようにデザインした。

 21日に同所で行われた除幕式で、人形遣いの吉田簑紫郎さんと吉田玉勢さんらが、人形の静御前と佐藤忠信を操り除幕。簑紫郎さんは「斬新で見たことないメルセデスになっている。本番を見る前に気持ちが高まる」と感激した。

 うめだ文楽は、より多くの人に伝統芸能の文楽に親しんでもらおうと、在阪民放5局とナレッジキャピタルが2015年から毎年上演。車両は、千秋楽の3月31日まで展示される。

2475名無しさん:2019/02/24(日) 15:20:06 ID:NrdB.GxU0
笑福亭松之助さん死去
02月22日 22時21分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190222/0012869.html

 上方落語界の長老として知られ、タレントの明石家さんまさんの師匠で名付け親でもある笑福亭松之助さんが、22日、亡くなりました。93歳でした。

笑福亭松之助さん、本名、明石徳三さんは、大正14年、神戸市に生まれ、昭和23年、5代目・笑福亭松鶴さんに入門しました。
松之助さんは、古典落語だけでなく数々の新作落語を創作し、明るくとぼけたキャラクターで人気を博したほか、当時、喜劇を中心に上演していた「宝塚新芸座」などで役者としても活躍しました。
その後、吉本新喜劇の前身にあたる「吉本ヴァラエティ」で座長を務め、映画やNHKの連続テレビ小説「わかば」や「まんてん」にも出演しました。
昭和49年には、明石家さんまさんが弟子入りし、明石家さんまという名前の名付け親になったことでも知られています。
また、70歳近くになってから出場した日本マスターズ水泳協会大阪大会の200メートル自由形で1位になるなど、水泳が趣味だったことでも知られていました。
関係者によりますと松之助さんは、最近は体調を崩して入院していましたが、22日、兵庫県内の病院で93歳で亡くなりました。

2476名無しさん:2019/02/24(日) 15:25:33 ID:NrdB.GxU0
江戸時代の人気浮世絵師 作品展
02月23日 12時39分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190223/0012877.html

 アメリカの収集家が集めた菱川師宣や葛飾北斎など江戸時代の人気浮世絵師たちの作品を集めた展示会が、23日から大阪・難波の百貨店で始まりました。

この展示会は、アメリカの収集家が所蔵する浮世絵のうち、江戸時代の人気浮世絵師たちの作品およそ160点あまりが、時代を追って展示されています。
このうち浮世絵の祖ともされる菱川師宣の「衝立のかげ」という作品は、衝立のかげで若い男女が見つめ合う場面を描いた作品で、伸びやかな線と素朴な色合いが初期の浮世絵の特徴を表しています。
また葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」は13点が展示されていて、このうち「神奈川沖浪裏」は、富士山を背景に荒波が船を襲う様子をダイナミックな描写で描いています。
ほかにも北斎や喜多川歌麿の世界に数点しか残っていない貴重な作品なども展示されています。
監修に参加した浮世絵研究家の岩切友里子さんは「このような世界的に貴重な作品が一同に集まる機会はめったにありません。ぜひごらんください」と話していました。
この展示会は、大阪・難波の高島屋大阪店で3月11日まで開かれています。

2477名無しさん:2019/02/24(日) 15:30:20 ID:NrdB.GxU0
天皇陛下即位30年 皇居で祝賀行事
2019年2月24日 11時28分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190224/k10011826311000.html?utm_int=all_side_ranking-social_004

 天皇皇后両陛下は24日、皇居で天皇陛下の即位30年を祝う行事に臨み、皇太子ご夫妻など皇族方から祝賀を受けられました。




天皇陛下は、先月7日に即位30年を迎えられ、24日の午後には、これを記念する政府主催の式典が、両陛下も出席されて東京の国立劇場で開かれます。

これに先立って、皇居・宮殿の「松の間」では、午前中、天皇陛下が皇后さまとともに、皇族方の祝賀を受けられました。

はじめに、皇太子さまが雅子さまとともに天皇陛下の前に進み出て「ご即位30年心からお祝い申し上げます」と述べられると、天皇陛下が「どうもありがとう」と答えられました。

続いて、秋篠宮ご夫妻など皇族方が、それぞれお祝いを述べられました。

午後の記念式典では、安倍総理大臣や衆参両院の議長のほか、国民を代表して福島県の内堀知事などが祝辞を述べたあと、天皇陛下がおことばを述べられます。

2478名無しさん:2019/02/24(日) 15:31:54 ID:NrdB.GxU0
天皇陛下おことば 全文
2019年2月24日 15時24分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190224/k10011826401000.html

 在位30年に当たり、政府並びに国の内外から寄せられた祝意に対し、深く感謝いたします。

即位から30年、こと多く過ぎた日々を振り返り、今日こうして国の内外の祝意に包まれ、このような日を迎えることを誠に感慨深く思います。

平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。

世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。

島国として比較的恵まれた形で独自の文化を育ててきた我が国も、今、グローバル化する世界の中で、更に外に向かって開かれ、その中で叡智を持って自らの立場を確立し、誠意を持って他国との関係を構築していくことが求められているのではないかと思います。

天皇として即位して以来今日まで、日々国の安寧と人々の幸せを祈り、象徴としていかにあるべきかを考えつつ過ごしてきました。

しかし憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。

天皇としてのこれまでの務めを、人々の助けを得て行うことができたことは幸せなことでした。

これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。

災害の相次いだこの30年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです。

今日この機会に、日本が苦しみと悲しみのさ中にあった時、少なからぬ関心を寄せられた諸外国の方々にも、お礼の気持ちを述べたく思います。

数知れぬ多くの国や国際機関、また地域が、心のこもった援助を与えてくださいました。

2479名無しさん:2019/02/24(日) 15:32:34 ID:NrdB.GxU0
心より深く感謝いたします。

平成が始まって間もなく、皇后は感慨のこもった一首の歌を記しています。

ともどもに平(たひ)らけき代を築かむと諸人(もろひと)のことば国うちに充(み)つ

平成は昭和天皇の崩御と共に、深い悲しみに沈む諒闇の中に歩みを始めました。

そのような時でしたから、この歌にある「言葉」は、決して声高に語られたものではありませんでした。

しかしこの頃、全国各地より寄せられた「私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく」という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています。

在位30年に当たり、今日このような式典を催してくださった皆様に厚く感謝を表し、ここに改めて、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります。

2480名無しさん:2019/02/24(日) 16:06:18 ID:NrdB.GxU0
大阪・船場で恒例のひな祭り 旧家のひな人形を一般公開 /大阪
2/22(金) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190222-00000002-minkei-l27

 「船場のおひなまつり2019」が2月26日、大阪・北船場エリア一帯で始まる。主催は船場博覧会実行委員会。(船場経済新聞)

 船場の歴史や文化を発信するため、毎年ひなまつりに合わせて船場の旧家に伝わるひな飾りを一般に公開する同イベント。今年で5回目を迎える。

 イベントのメインは「船場のおひなさま展」。公開するのは、新井家、尾嵜家、芝川家、別所家、鷹岡家、生駒家など9つの旧家のひな人形で、今年は、宗田(むねた)家、三原家の人形が加わった。宗田家の住居は大正時代の町家建築で、昨年リノベーションしたことをきっかけに、これまで「大阪くらしの今昔館」(北区天神橋)で展示されていたひな人形が「里帰り」するという。

 「花外楼」(北浜1)や「吉野寿司」(淡路町3)などの老舗店が特別メニューを提供する企画では、うなぎ料理の「本家柴藤(ほんけしばとう)」(高麗橋2)が初参加し、「ひなまつり御膳」(5,240円)を用意する。

 ほか、「五人ばやし」に扮した山本能楽堂の山本章弘さんらによる演奏や、子どもを対象にした撮影会など、老若男女問わず楽しめる関連イベントも展開する。

 各イベントの開催時間は会場により異なる。3月3日まで。

2481名無しさん:2019/02/24(日) 16:10:14 ID:NrdB.GxU0
大阪歴史博物館が特集、多才な指物師・三好木屑の遺した作品
2/24(日) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190224-00060067-lmaga-l27

 クギや接着剤を一切使わずに、家具を作る木工技術「指物」。「指物師」と呼ばれる家具作りのプロでありながら、他ジャンルの芸術も追求した大阪の職人・三好木屑(みよし・もくしょう)を取り上げる展示が「大阪歴史博物館」(大阪市中央区)で開催される。

 これまでも、大阪に生きた文化人にまつわる特別展示『なにわ人物誌』を開催してきた同博物館。今回フィーチャーされる指物師・三代目三好木屑は、祖父の代から活動した指物師でありながら、「漆」など家具作りとは全く勝手の違う芸術にチャレンジし続けた「奇才」として知られている。本展では指物に加え、そうした漆作品も展示する。

陶工・野々村仁清による陶器の名作を漆で再現した作品からは、いくつかの芸術・技術を行き来しようとする彼の好奇心が見て取れる。また、茶道具の家具について書き残した歴史的な資料「香茶棚物図誌」も公開。期間は3月20日から5月6日までとなる。

2482名無しさん:2019/02/28(木) 20:14:39 ID:NrdB.GxU0
歴史や文化 再発見 「船場のおひなまつり」始まる
2019年2月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190227/20190227024.html

 大阪・船場地区の旧家に伝わる貴重なひな人形などを公開する「春の船場博覧会2019『船場のおひなまつり』」(実行委主催)が26日、大阪市中央区内で始まった。多くの市民が八つの展示会場を巡りながら、船場が育んだ歴史文化の再発見を楽しんでいる。3月3日まで。

 このうち同区伏見町3丁目の芝川ビル4階では、芝川家に伝わる大正・昭和初期頃のひな飾りをはじめ、一族の芝川照吉氏が収集した日本各地の民芸・工芸品のひな飾りの数々を展示している。

 来場者は、色彩や細やかな仕上げに「どれも立派」「すてきな時代があった」と感心しながら見入っていた。このほか戦前の船場のモダンな生活を記録した写真も紹介し、注目を集めている。

 ◇同会場では、最終日にひな飾りの前で「こども撮影会」(午前10時〜同11時、申し込み不要・無料)を実施するなど、会期中は各会場でイベントを予定している。問い合わせは電話06(6681)6170、実行委(平日午前10時〜午後4時)。

2483名無しさん:2019/02/28(木) 20:59:28 ID:NrdB.GxU0
力士と対戦、礼儀も学ぶ 住吉大社で園児50人
2019年2月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190227/20190227023.html

 大相撲春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)を前に、立浪部屋が合宿する大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、地元の園児を稽古場に招く「わんぱく相撲体験」があった。同区内の墨江、住吉の両幼稚園から計約50人が参加し、大きな力士にぶつかりながら礼儀もしっかりと学んだ。

同大社と同部屋の協力で毎年開かれており、今年で8回目。園児らは立浪耐治親方(元小結・旭豊)と11人の力士に迎えられ、四股踏みなどの準備運動から体験した。

 「勝っても負けてもきちんとあいさつする」と教わった後、5人一組が一礼して力士と“対戦”。土俵際に追い込むたびに「押せ、押せ」の大歓声で沸いた。終了後、全園児がお礼のあいさつで「春場所頑張ってください。応援しています」とエールを送った。

 墨江幼稚園の大倉有紀園長は「力士の皆さんと触れ合う貴重な機会をいただき感謝します。礼儀作法も含めていい経験になったと思います」と話した。

 住吉消防署の協力で消火訓練も行われ、力士らが訓練用水消火器を使って初期消火に挑んだ。

2484名無しさん:2019/03/03(日) 17:12:53 ID:NrdB.GxU0
住吉大社で横綱が土俵入り奉納
03月02日 19時09分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190302/0013087.html

 3月10日に初日を迎える大相撲春場所を前に白鵬と鶴竜の両横綱が大阪の住吉大社で、土俵入りを奉納しました。

大阪・住吉区にある住吉大社での横綱土俵入りは、春場所の成功と安全を祈願して毎年行われています。
今年は1月の初場所で稀勢の里が引退したため、白鵬と鶴竜の二横綱による土俵入りとなりました。
両横綱は、はじめに参拝したあと、白鵬が「不知火型」、鶴竜が「雲竜型」で順番に土俵入りを披露しました。
境内には2300人が訪れ、2人の横綱の力強い土俵入りに「日本一」などのかけ声とともに大きな拍手が送られていました。
白鵬は、二横綱となったことについて「横綱がだんだん少なくなってきたが、与えられた責任は変わらない。責任を果たしていきたい」と話しました。
また、貴景勝や御嶽海など若い力士の初優勝が相次いでいることについては「もっと早く出てきてもおかしくなかったし、遅いぐらいだ。一緒に場所を盛り上げられればと思う」と活躍を歓迎していました。
一方、鶴竜は「稀勢の里が引退してさみしくはあるが、やることをちゃんとやらなければという思いだ。大阪のファンは、物事をはっきり言ってくれるから好きなので、いい相撲を取って喜ばせたい」と話していました。
大相撲春場所は、3月10日に大阪府立体育会館で初日を迎えます。

2485名無しさん:2019/03/06(水) 22:24:01 ID:NrdB.GxU0
安閑天皇陵「本来の形、対称だった可能性」 研究者が立ち入り 大阪
https://mainichi.jp/articles/20190223/k00/00m/040/064000c

 宮内庁が「安閑天皇陵」として管理する大阪府羽曳野市の高屋築山古墳で22日、日本考古学協会など考古学、歴史学関係の16団体の研究者16人が立ち入り調査をし、墳丘の状況を観察した。

 高屋築山古墳は古市古墳群南部に位置する長さ約120メートルの前方後円墳で、中世には畠山氏の居城として使われていた。世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥( もず )・古市古墳群」の構成資産には含まれない。1992年の宮内庁の発掘調査では6世紀の円筒埴輪(はにわ)や須恵器が出土。東京国立博物館が所蔵するペルシャ製とみられるカットガラスの碗(わん)が出土したとの伝承がある。

 研究者らは午後1時半から約1時間半かけ墳丘の裾部分などを歩いた。日本考古学協会陵墓担当理事の杉井健・熊本大准教授は「中世の築城時に本来の斜面を削って急にするなど大きく造り変えられている。形が左右非対称なことが特徴と言われていたが、本来は対称だった可能性もある」と話した。

 陵墓は普段立ち入りが制限されているが、研究者団体の要望を受け宮内庁が2008年から条件付きで許可している。【花澤茂人】

2486名無しさん:2019/03/09(土) 16:11:14 ID:NrdB.GxU0
改元前にシステム改修の注意説明
03月07日 15時01分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190307/0013215.html

 ことし5月1日に元号を改める「改元」を控え、企業の情報システムの改修について、注意点などをまとめた説明会が大阪・中央区で開かれました。

説明会は、経済産業省が全国で実施しているもので、7日は、大阪・中央区で開かれ、企業や自治体からおよそ120人が出席しました。
経済産業省によりますと、企業の情報システムは、2000年問題を経て多くが西暦を使用するようになっていますが、和暦を使っている場合、改元に対応しなければ、日付が認識されず、会計システムの不具合などのトラブルが発生するおそれがあるということです。
そのうえで、▼自分の会社の情報システムで和暦が使われていないか確認して改修することや、▼改修後もテストを繰り返すなどの対応を促しました。
参加した企業の担当者は、「システムの改修はだいたい終わっているが、実際は、ふたを開けてみないとわからないところもある。不安もあるが何とか乗り切りたい」と話していました。

2487名無しさん:2019/03/11(月) 22:00:28 ID:NrdB.GxU0
仁徳天皇陵清掃に地元住民ら400人 大阪
3/11(月) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190311-00000017-san-l27

 今夏の世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」のひとつ、仁徳天皇陵(堺市堺区)の周辺で10日、地元住民や高校生らによる清掃活動が行われた。

 同古墳を訪れる人たちに、気持ちよく参拝してもらおうとボランティア団体「仁徳陵をまもり隊」が呼びかけた。同隊は堺市や地域団体などが協力して平成18年に設立。清掃活動を中心に活動を年2回のペースで定期的に行っており、今回で27回目。

 この日の清掃活動には、約400人が参加。古墳周辺の歩道上で空き缶や落ち葉などのごみ拾いを行った。同隊の草野利夫事務局長(65)は「長い間、世界遺産登録のために清掃活動に励んできた。今年こそは決まってくれることを期待している」と話していた。

2488名無しさん:2019/03/13(水) 21:11:49 ID:NrdB.GxU0
小学校の校歌にも出てくる「ご神木」残したい 台風21号から半年…語り継ぐ“災害”
3/13(水) 19:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00026970-mbsnews-l27

 昨年秋の台風の影響で、近畿各地では倒木が相次ぐなど大きな被害が出ました。あれから約半年、大阪の神社では倒れたご神木を保存して台風被害を語り継ごうと動き始めています。

 大阪府泉大津市にある泉穴師神社。1300年以上前の創建で、本殿などが国の重要文化財に指定されている由緒ある神社です。宮司の津守康有さんの案内で境内を歩いてみると…

 「まだこの大きな木も倒れているので…」(泉穴師神社・宮司 津守康有さん)

 多くの木が倒れたままになっていました。

 「根っこから倒れている気が数十本あるので、危ない木は整備しないといけない」(泉穴師神社宮司 津守康有さん)

 昨年9月に近畿地方を非常に強い勢力で縦断した台風21号。当時、各地の街路樹や公園などで数多くの倒木被害が報告され、処理が追い付かないほどでした。泉穴師神社も例外ではなく、地域の憩いの場となっていた境内の木々が、無残になぎ倒されてしまいました。特にショックを受けたのが…

 「これが今回の台風で一番大きなクスノキが倒れたところで、だいたい600年、この神社とか氏子の人を見守ってくれていたご神木なので、倒れてしまったのは残念」(津守康有さん)

 樹齢600年ともいわれる高さ25メートルのご神木が根元から倒れてしまったのです。最初は泣く泣く切断し処分するつもりでしたが、地元のシンボルでもあった御神木を残したいと、氏子から提案があったといいます。

 「小学校の校歌にも『くすの大木』とか『穴師の森』と歌詞が入っているくらい、地元にとってはなくてはならない。(自然災害遺産として)何とか残したいなと」(氏子 辻川正實さん(69))

 慣れ親しんだご神木を残し、未曾有の台風被害を語り継ぐことにしたのです。しかし、建物の屋根の修理やほかの倒木の撤去費用もかさんでいたため、保存にかかる費用はクラウドファンディングで集めることに。お礼の品には絵馬や御朱印帳のほか、普段は公開されていない本殿の見学会が用意され、締め切りまで3日を残して約130万円の寄付が集まったのです。

 「予想以上に反響があり、クラウドファンディングはあと3日ですが、すでに目標金額を大幅に超える金額をご寄付いただきました。このクスノキを残すことで、台風21号のような大きな台風が来ることを思い返すひとつのきっかけになればと思います」(津守康有さん)

 長い間、町を見守ってきたご神木。これからは自然災害遺産として地元の人たちが語り継いでいきます。

2489名無しさん:2019/03/13(水) 21:28:16 ID:NrdB.GxU0
「四代 桂小文枝」襲名披露公演
03月13日 07時15分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190313/0013397.html

 落語家の桂きん枝さんが上方落語の名跡、「桂小文枝」を襲名し、12日夜、大阪で襲名披露公演が行われました。

「桂小文枝」は、明治時代から戦後にかけて上方落語を支えた由緒ある名跡で、きん枝さんの師匠にあたる先代の桂文枝さんが長く名乗っていたことでも知られています。
「四代 桂小文枝」を襲名したきん枝さんは12日夜、大阪・ミナミの「なんばグランド花月」で襲名披露公演を行いました。
公演では、同じ一門の六代桂文枝さんや三遊亭円楽さんら東西の落語家6人が口上を行い、このうち文枝さんは「これからも一生懸命、支えていきたいと思うので、どうかよろしくお願いします」と述べました。
そして襲名後、初めて高座に上がった小文枝さんは、変わり者で知られた男が花見の代わりに墓を見に行く「天神山」という落語を披露し、勢いある滑稽な語り口に会場からは大きな笑い声が響いていました。
公演のあと、小文枝さんは「師匠の先代文枝は小文枝という名前に愛着を持っていた。師匠には及ばないかもしれないが、この名前を次につないでいくためにも大事にしていきたい」と話していました。
桂小文枝さんの襲名披露公演は、今後1年かけて全国で行われる予定です。

2490名無しさん:2019/03/13(水) 23:07:26 ID:NrdB.GxU0
南船場で写真展「わが大阪」 古き良き大阪を見つめ直す /大阪
3/13(水) 16:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190313-00000044-minkei-l27

  大阪・南船場の写真ギャラリー「Photo Gallery 壹燈舎(いっとうしゃ)」(大阪市中央区南船場2、TEL 06-6121-6202)で3月12日、同ギャラリー開設10周年企画第1弾となる写真展「杉本征克写真展-わが大阪-」が始まった。(なんば経済新聞)

 同ギャラリーを主宰する杉本征克さんの個展。26歳から写真を始めた杉本さんは、会社員として働く傍ら写真を撮り続け、南船場のギャラリー「ナダール」での個展や、キヤノンの巡回展などの個展を開いたほか、グループ展にも多数出展。

 同展では、ドラマチックな場面ではなく、大阪の町と人々、日々の生活や風景といった何気ない瞬間をテーマに32点の作品を展示。ギャラリーソラリスで同時に個展を開いている写真家・河合止揚さんと共に、「2つの写真展が手触り感のある『大阪』を盛り上げることに、少しでも役に立つことができれば」との思いを込めて開催。

 杉本さんは「カジノ開発や万博で盛り上がっているが、そういうことと無関係に生活している人々の粘り強さを感じてもらえれば」と話す

 開催時間は12時〜19時(最終日は18時まで)。月曜・火曜定休。今月17日まで。

2491名無しさん:2019/03/15(金) 19:23:41 ID:NrdB.GxU0
【維新150年】立憲国家めざした「大阪会議」の地
2019.3.15 08:04
https://www.sankei.com/life/news/190315/lif1903150004-n1.html

京阪天満橋駅から大川沿いに岸辺を散策する。「八軒家浜(はちけんやはま)船着場」は水都・大阪の水上ターミナルの一つで、明治初年の頃は駅ビルの反対側、土佐堀通南側の昆布店のあたりにあった。その脇を抜け石段を上っていくと、高台の一角に「三橋楼(さんきょうろう)跡」の顕彰碑(大阪市中央区石町)。天満橋、天神橋、難波橋を眺望できる人気料亭だったという。

 東横堀川の葭屋(よしや)橋を渡って北浜へ。今は証券の街というイメージだが、古くは「蟹島新地」「今橋築地」と呼ばれた歓楽街だった。「専崎楼」や「竹式楼」など、中之島を望む高楼が軒を連ね、今橋、高麗橋の旦那衆が贔屓(ひいき)にしたが、市電開通や証券取引所の拡大でやがて姿を消した。唯一残るのが料亭「加賀伊」=「花外楼(かがいろう)」(中央区北浜)で、世に言う「大阪会議」の歴史を伝えている。

 明治7(1874)年、新政府は維新の大業なかばで崩壊という最大の危機にあった。

 直接の火種は、征韓論(武力で朝鮮を開国させるという主張)をめぐり、西郷隆盛や板垣退助ら征韓派が、内政改革、国力増強を優先する大久保利通や岩倉具視らに敗れ、下野した「明治6年の政変」だ。翌年には台湾征討に失望した木戸孝允が参議を辞職、維新三傑の2人が中央政府を去った。

 当時、国内には徴兵制や急激な西洋化に反発する士族・守旧派の不満がくすぶっていた。国会の開設をめぐる急進派と漸進派の対立や、大久保の専制政治への反感もあり、日本は「反政府」で爆発する寸前だったのである。


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 大久保は木戸を政府に復帰させるため伊藤博文に協力を要請。すでに下野して大阪で実業家として活躍していた井上馨と五代友厚も水面下で動いた結果、木戸と大久保が大阪で会談することが決まった。さらに井上の画策で板垣も加わることになり、明治8年1月、三者三様の思惑をのせた大阪会議が始まった。

 最高実力者の大久保は丁重に木戸をもてなした。2週間前には大阪入りし、靱(うつぼ)の五代邸(西区靱本町)に逗留(とうりゅう)を重ねながら、1月5日、神戸に木戸を出迎えた。3日後には木戸の宿泊先「加賀伊」を訪ね、天満橋の「三橋楼」に案内し、酒席を伴う最初の会談は10時間に及んだという。

2492名無しさん:2019/03/15(金) 19:25:08 ID:NrdB.GxU0
https://www.sankei.com/life/news/190315/lif1903150004-n2.html

 ところが、この会談で酒乱の黒田清隆が暴言を吐き、木戸が激怒した。初日で決裂したかと思われたが、2人を大阪にとどまらせたのは囲碁だった。大久保は何度も木戸を囲碁に誘い、木戸も囲碁会を主催し、大久保らを呼んだ。

 一方で、伊藤は「木戸の望みは政策のみ」と、木戸の政体構想に理解を示したうえで、大久保に対し、元老院や大審院の設立、地方官会議の開催など、国会の開設と三権分立につながる4カ条の改革案を提案。伊藤の斡旋(あっせん)を軸に会合は1カ月余、加賀伊や三橋楼、伊藤の宿舎「専崎楼」などで断続的に行われた。

 この間、井上の仲介で木戸-板垣会談も実現。大久保は4カ条の改革を約束し、木戸と板垣は政府に戻ることで合意した。2月11日に加賀伊で全員が顔を合わせ、大団円を迎えたが、大阪会議はこうした予備会議、個別会談を含めた総称とするのが正確だろう。

 落ち着いた雰囲気のビルの1階、料亭「花外楼」の玄関に「大阪会議開催の地」の碑がある。大阪市が歴史的な場所や文化財を顕彰する233カ所の史跡のうち、昭和34年に指定された第1号の石碑である。

 2階に上がる階段の踊り場に「花外楼」の扁額がある。大阪会議の成功に気をよくした木戸が「加賀伊」から改めるよう与えた揮毫(きごう)である。さらに、伊藤が書いた回想録か日記の下書きのような一文が店に残っている。

 その中で伊藤は大久保の「国家ノ大政ニ就テハ木戸君の驥尾(きび)に付従シ」という言葉を引き合いに、大久保の木戸招聘(しょうへい)にかける強い決意を伝えている。

 大久保は政権の強化を図り、木戸は独裁を抑制し、板垣は国会開設を急ぐ-。大阪会議はやはり同床異夢の舞台だったのか、新政権もまもなく瓦解(がかい)する。ただ、大阪で立憲国家への方向性を示し、礎を築いたことはまちがいない。(今村義明)




 明治6年の政変 征韓論をめぐり明治政府内で起きた政変。岩倉使節団の外遊中、武力行使を辞さない征韓派と全権大使の派遣を主張する遣韓派が西郷隆盛の派遣を決定。使節団帰国後、岩倉具視や大久保利通が反対し、派遣は無期限延期となり、西郷や板垣退助らが下野、軍人や官僚約600人が一斉に辞職し、後の佐賀の乱、西南戦争につながっていく。

2493名無しさん:2019/03/17(日) 17:27:04 ID:NrdB.GxU0
蕪村のまち 伝えるで…都島の商店主ら 活性期待
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190316-OYTNT50207/

おおさか東線 城北公園通駅

 府東部を南北に結ぶJR西日本の「おおさか東線」(新大阪―久宝寺、20・3キロ)が全線開通した16日、大阪市旭区の新駅「城北公園通駅」でも式典が開かれ、JRや地元の関係者らが開業を祝った。新大阪駅と10分弱で結ばれることになり、周辺の商店主らは「地元の魅力を発信し、活性化につなげたい」としている。

 駅西側の都島区は江戸期の俳人で画家の与謝蕪村の出身地とされる。城北公園通駅の西口は「蕪村口」と名付けられ、構内に蕪村像も設置された。蕪村通り商店街(約20店)で呉服店を夫婦で営む糀谷時子さん(82)が約10年前に地元住民と協力して造った像で、これまで店の中にあった。糀谷さんは「蕪村の俳句しか知らなかったが、絵を見て衝撃を受けた。蕪村のことをもっと知ってほしい」と話す。

 商店街の金子清治会長(71)は「駅ができれば商店街を通る人も増える。蕪村のまちだと誇りを持って伝えていきたい」と語り、開業式を見に来た都島区の自営業高橋英尊さん(37)は「新大阪とつながるので出張や旅行に使いやすい。商店街もにぎやかになるのでは」と期待する。

2494名無しさん:2019/03/17(日) 18:47:48 ID:NrdB.GxU0
「芸術選奨」に藤山直美、蒼井優、小野絢子、篠原聖一、菅原直樹ら
3/7(木) 11:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190307-00000029-natalies-ent

 文化庁が主催する「芸術選奨」の、2018年度受賞者が発表された。

演劇部門の文部科学大臣賞を受賞したのは文楽太夫の豊竹呂勢太夫と、「おもろい女」の成果を評価された藤山直美。新人賞には、先日、第26回読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞した蒼井優が、「アンチゴーヌ」ほかの成果を認められ輝いた。

このほか、舞踊部門の大臣賞にはバレエダンサーの小野絢子、舞踊家の篠原聖一、新人賞には日本舞踊家の井上安寿子が、芸術振興の新人賞には「老いと演劇」OiBokkeShi主宰の菅原直樹が、評論等の大臣賞には「評伝 鶴屋南北」の著者・古井戸秀夫が選ばれ、メディア芸術の新人賞を蓮沼執太が獲得している。

2495名無しさん:2019/03/17(日) 19:07:56 ID:NrdB.GxU0
「天王祭舞楽」番組に 関係者、森町長に今夏放映PR
3/15(金) 7:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000007-at_s-l22

 全国各地の祭りを後世に伝える企画「ダイドードリンコ日本の祭り」を実施しているダイドードリンコ(大阪市)の関係者が14日、取り組みの一環として放映する山名神社(森町)の「天王祭舞楽」特別番組のPRのため、同町役場に太田康雄町長を訪ねた。

 舞楽は国指定重要無形民俗文化財。毎年7月に開かれ、児童らが八つの演目を披露する。カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は、京都の祇園祭の要素も含むという。

 番組は今夏に静岡放送で放送予定。舞楽の模様を事前の練習から撮影し、1時間のドキュメンタリー番組に仕上げる。

 同社の「日本の祭り事務局」の森田忠良事務局長は「地元の皆さんと祭りの関わりや歴史を踏まえ、祭りを全国にPRしたい」と意気込んだ。太田町長は「全国有数の祭りとお墨付きをいだたいた形。取り上げていただき記録にも残る」と歓迎した。

2496名無しさん:2019/03/17(日) 19:13:17 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の悲願だった律令制度、大化改新後はどうなったのか?
3/5(火) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190305-00010144-besttimes-pol

■中臣鎌足による皇位継承の辞退案と難波宮

『日本書紀』をよく読んでみると、中大兄皇子が律令制度導入にあまり積極的でなかったと思えてくる。それどころか、むしろ中大兄皇子はこの新制度をつぶそうとさえしていたのではないかと思われる。

 
では、中大兄皇子が律令制度をつぶそうとした理由はあったのだろうか。

問題は、改新後の朝廷の動きにある。

入鹿暗殺後の朝廷が最初に取り組んだ仕事は、皇位継承問題だった。皇極女帝が譲位を申し出たのである。そしてこのとき、どういうわけかクーデターの最大の功労者、中大兄皇子が即位しなかったのだ。

『日本書紀』の記述にしたがえば、このとき皇極天皇は、まず最初に皇位を中大兄皇子に譲ろうとした。ところがこの申し出に対し、皇子の側近である中臣鎌足は辞退するよう忠告する。

「古人大兄は殿下(中大兄皇子)の異母兄、軽皇子(のちの孝徳天皇)は叔父です。それなのに、今殿下が即位すれば、人の道に反することになりましょう。そこでしばらく軽皇子を立てて民衆の願いにしたがったほうがよいと思われます」

そこで中大兄皇子は母・皇極の譲位を断ったうえで、軽皇子を推挙したのである。

2497名無しさん:2019/03/17(日) 19:17:22 ID:NrdB.GxU0
こうして孝徳天皇が誕生し、都が難波(現在の大阪)に遷され、改新の詔が出の律令制度整備のための布石であり、ここに聖徳太子の悲願は成就され
されるにいたった。ここに孝徳天皇を頂点とし、中大兄皇子が補佐するといった新体制が築きあげられたのである。そして、これは朝廷たと『日本書紀』は意味づけている。

ところが、こういった『日本書紀』の示す大化改新と律令制度という図式には、数々の腑に落ちない点が見られるのだ。

たしかに孝徳天皇は日本に新しい風を入れようと努めた気配がある。

その好例として難波宮(正確には難波長柄豊崎宮と称される)を挙げることができる。

大阪城外濠の南側の高台に位置するこの宮は、完成当時、目の前に海がせまった、水上輸送を眼中に入れた画期的な宮だった。

しかも発掘調査の結果、この宮の朝堂院の構造と規模は、のちの平城京をもしのぐほどの広さであったことが分かっている。つまり、この宮が藤原京・平城京・平安京といった都城のさきがけであったことは明らかである。

ちなみに、難波宮が完成するまでの天皇宮は天皇が替わるたびに遷しかえられるという、悪くいえば小屋に毛の生えたような意外と質素なものだった。だが、難波宮は 何代もの天皇が使用可能な構造になっていた。(次回に続く)

2498名無しさん:2019/03/17(日) 20:01:13 ID:NrdB.GxU0
「古墳」にコーフンする女子増加中! グッズ化で「女性でも好きと言いやすく」
2/1(金) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00014385-jprime-life&amp;p=1

 世界遺産指定を目指す、日本最大級の古墳・仁徳天皇陵の発掘調査が、宮内庁と地元の大阪・堺市により昨年秋に行われた。

 
歴代天皇の陵墓とされる古墳を、宮内庁が外部機関と共同で発掘するのは初めての試みとあり、大きな話題を集めたが、実はここ数年、古墳が好きな女性が増加中って知ってました?

 10年ほど前に、奈良県の家具店が地元を盛り上げるためにグッズを製作。そのキュートさがネットで話題を集め、ハマる女子が急増。『古墳の歩き方』など初心者向けの本が出版されたり、ポータルサイトまで誕生するブームに♪

 そこで本誌記者が実際に現地に行って、大調査。マニアでなくても思わず欲しくなるグッズからグルメまで、古墳の楽しみ方を紹介しちゃいます♪
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女性でも好きと言いやすくなった

 古墳に関する作品もある、漫画家でイラストレーターの“古墳女子”水谷さるころさん。

「もともと興味はありましたが、足を運ぶようになったのはパワースポットとして訪れた、奈良県にある箸墓(はしはか)古墳がキッカケ。“卑弥呼の墓”ともいわれている場所なのですが、生で見て一気にハマりました」

 ’11年からは大阪・高槻市にある今城塚古墳公園で古墳×アートのコラボイベント『古墳フェスハニコット』もスタート。一昨年は2万8000人の来場者が訪れるなど、開運グッズやイベントも増加中!

「古墳シンガー・まりこふんさんが’13年に立ち上げたポータルサイト『古墳にコーフン協会』の存在が大きいですね。古墳って教科書で学ぶメジャーな存在なので、潜在的ファンは多かったと思うんです。そこに情報がまとめられたサイトができたことで、初心者も楽しみやすくなった。そして東急ハンズがグッズ販売に力を入れたり、本が出版されたことで、女性でも好きと言いやすくなった印象はありますね」

 スカパー!の旅チャンネル『行くぞ! 30日間世界一周』という企画で世界の史跡を訪れたことで、改めてその魅力に気づいたとか。

「西暦400年ごろにできた史跡が、同じ民族、文化の中で残っているのは世界的にも珍しいんです。しかも現在の日本文化とも密接な関係があり、宮内庁が管理している。古墳を通じて歴史を調べていくと、その奥深さ、日本という国の面白さも発見できると思いますよ!」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190201-00014385-jprime-life&amp;p=2

 記者が古墳に行ってみた!大阪・堺市

 仁徳天皇陵があることで知られる堺・百舌鳥(もず)古墳群。かつては100基以上あったといわれ、現在でも44基が残っている、古墳好きの聖地。今年の世界文化遺産登録に向けて、町をあげて盛り上げているんです。そこで古墳初心者の記者が半日かけて、ガチンコ調査。古墳&ゆかりの店巡りをしてきました!

 仁徳天皇陵前にはボランティアスタッフが常駐。説明のほか、写真撮影もしてくれるので、ひとりで行っても楽しめる。

 百舌鳥・古市古墳群で撮った写真を見せるともらえる『もずふるカード』。記者は12枚ゲット!

 JR阪和線・南海電鉄の三国ヶ丘駅西出口徒歩1分の場所にある『Co.FUNカフェ』(大阪府堺市堺区向陵西町4-11-15)では、クッキーやたわしなどオリジナルグッズを多数販売中!

 JR阪和線・百舌鳥駅近くにある『お食事処 花茶碗』(大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2-265)では、古墳カレーも。このために作ったという専用容器も、古墳好きにはたまらない♪

 大仙公園内にある堺市博物館ではVR体験も(大人800円)。また博物館や近くにある土産物店には古墳グッズがたくさん販売されていました

2499名無しさん:2019/03/20(水) 21:04:55 ID:NrdB.GxU0
木造僧形八幡神及諸神坐像など 重文、府内3件指定へ
https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20190318-OYTNT50246/

文化審答申


 国の文化審議会が18日、柴山文部科学相に行った答申で、府内からは壺井八幡宮(羽曳野市)の「木造僧形八幡神及諸神坐像もくぞうそうぎょうはちまんしんおよびしょしんざぞう」など3件が、国の重要文化財に指定される見込みとなった。

 木造僧形八幡神及諸神坐像は、高さ20・2〜59・8センチの5体。うち1体の像の底に記された銘文などから、南北朝時代の1353〜54年に制作されたとみられる。制作年代が特定でき、彩色もきれいに残っていることから同時代の像の基準として役立つ点が評価された。
 
  ほかに答申されたのは、桃山時代の高級食器「黄瀬戸福字鉢きせとふくじはち」(大阪市中央区、湯木美術館所有)と、鎌倉時代から江戸時代にかけての文書群「和田家文書みきたけもんじょ」(個人蔵、堺市博物館に寄託)。

 黄瀬戸福字鉢は直径16・6センチで、中央に「福」の文字が押されている。和田家文書は、現在の堺市南区美木多地域に本拠を置いた武士・和田氏に関係する文書で、104通が巻物や掛け軸として整理されている。

 答申では、阿倍王子神社旧本殿など(大阪市阿倍野区)、安倍晴明あべせいめい神社本殿など(同)、萩原家住宅主屋など(八尾市)を有形文化財(建造物)に登録することも求めた。

2500名無しさん:2019/03/20(水) 22:06:40 ID:NrdB.GxU0
豊臣六大将・佐竹義宣氏邸宅か 大坂城西側で出土
3/20(水) 20:49配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000609-san-cul

 大坂城の建物跡としては最大規模となる大名屋敷跡が大阪市中央区の建設現場から出土し、大阪府文化財センターが20日、発表した。出土した瓦の紋=扇(おうぎ)に月丸(つきまる)紋=などから、徳川氏や島津氏などと同じ豊臣政権六大将の一人とも呼ばれる佐竹義宣の屋敷跡と推定される。大坂城の大名屋敷跡が見つかるのは初めて。難攻不落とたたえられた大坂城を壮観な大名屋敷が守る情景が明らかになった。

 豊臣秀吉が築城した大坂城の西側の三ノ丸があったとされる場所で出土。東西約20メートル、南北約15メートルで100坪を超える。柱を支える礎石や建物の周囲を囲う玉砂利が見つかり、格式の高さをうかがわせる。

 周辺では「さ竹(たけ)内」と墨書された木簡や佐竹氏の家紋瓦などが出土。その場所から、屋敷の敷地範囲は東西約150メートル、南北約100メートルと想定され、大型建物跡はその中央に位置する。

 秀吉は最晩年の慶長3(1598)年、東国諸大名の屋敷を京都の伏見城から大坂城に移し、大坂城の守りを固めた。大阪歴史博物館の大澤研一学芸課長は「大名屋敷群の様子を伝える史料は乏しい。今回の発見は具体的事例として初めてであり、非常に重要」と話す。

 現地説明会は23日午前10時〜午後3時。問い合わせは現地事務所(06・6467・4769)。

 千田嘉博・奈良大教授の話「大坂城の一等地に築かれており、佐竹義宣や妻子が過ごした書院造りの奥御殿だろう。豊臣時代の大名屋敷がこれほど大きかったとは驚いた。天下人の政権の力を示す感動的な大成果だ」

2501名無しさん:2019/03/24(日) 15:37:29 ID:NrdB.GxU0
幕末の改元詔書下書き、大阪で発見
https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20190324-OYO1T50005/

 1860年に「安政」から「万延まんえん」に改元した際、孝明天皇が発布した「改元詔書」の下書きが、大阪府内で見つかった。漢籍に詳しい公家・清岡家に伝わったものとみられ、前年の江戸城本丸焼失や、欧米への開国などの「災い」の一掃を理由に挙げ、新年を「某元年」としていた。下書きが見つかるのは珍しく、公家が改元に関与していたことを改めて示す発見だ。

 元号は明治時代に天皇一代に一つとすることが制度化されたが、その前は天皇の在位期間中にも災害や戦乱を理由に改元が行われた。下書きは縦33センチ、横45センチの和紙で、漢文で書かれている。現所有者の親族が1964年頃、清岡家の子孫から譲り受けたという古文書の一つで、元号や朝廷文化に詳しい吉野健一・京都府立丹後郷土資料館学芸員(日本近世史)が調査した。

 安政6年(1859年)に火災で江戸城本丸が灰燼かいじんに帰したことや、「蛮夷ばんい」(欧米諸国)に迫られての開国、疫病の流行を列挙。「咎在朕躬」〈その咎とが(責任)は朕ちん(天皇)の身にある〉と憂え、「宜よろしく旧号を革あらため、以もって新元を施すべし」と改元理由を説明し、「安政七年を改め某元年と為なす」としている。

 宮内庁所蔵の実際の改元詔書と比べると、「某元年」が「万延元年」となる以外は、ほぼ同内容という。吉野学芸員によると、「万延」の元号が決まる前に、清岡家が記した文書の可能性が高いという。江戸時代の改元は朝廷か幕府の申し入れで進められた。朝廷が清岡家など菅原道真の子孫とされる公家らに、元号案を複数出させる「勘申かんじん」を行い、幕府と相談の上で天皇が最終決定したとされる。

2502名無しさん:2019/03/24(日) 15:57:52 ID:NrdB.GxU0
新西国霊場の38寺院が集結 四天王寺で記念事業
2019年3月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190324/20190324035.html

 多くの人々に親しまれている近畿2府4県の巡拝コース「新西国霊場」の第1番所である和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で6月5〜9日、「霊場巡拝(おまいり)いこか〜新西国ほとけさま大集合」が執り行われる。同寺など全38札所寺院でつくる新西国霊場会の発足90周年事業のほか、2022年の年忌法要「聖徳太子一四〇〇年御聖忌」や新天皇即位に伴う新元号施行を記念する一大行事。関係者が着々と準備を進めている。

 新西国霊場は、日本仏教の基礎を築いた聖徳太子の信仰と身心健全な行楽を兼ねる巡拝コース。同寺での行事には、記念法要や趣向を凝らした特別プログラムなどを用意している。

 事業の中心となる「出開帳(でかいちょう)」(参拝料千円)では、ご朱印とお砂踏みの巡礼を行う。五重塔がそびえる境内・中心伽藍(がらん)の回廊に38カ寺がずらりと並び、札所巡りが途中の人や初めての人でも一度で集印、万願が可能だ。

 お砂踏みは“一日で巡る巡礼の旅”として人気。本坊・五智光院(ごちこういん)(重要文化財)を会場に、各寺院から集められた砂の上でお参りができることから、両方とも期間中はにぎわいが予想される。

 事前予約限定の授与品の数々も製作中。38の全ご朱印が押印されている記念法印帳(朱印帳)をはじめ、記念お軸、記念笈摺(おいずる)(いずれも朱印料込み)などが決まり、同寺によると早くも予約や問い合わせが多数寄せられているという。

 このほか、聖霊院(しょうりょういん)絵堂特別開扉での絵解きと法話▽道成寺(和歌山県)による「出張絵解き」(縁起や安珍清姫伝説)▽国内外の参詣者が世界平和など祈願する「インターナショナル座禅会」▽縁日屋台とフードコート-などを予定している。

 四天王寺参詣課の山岡武明課長は「多くの方々と大きな節目をお祝いできれば。タイトルの通り気軽に足を運んでもらい、『巡拝に来てよかった』と感じていただける行事を目指したい」と、細部の調整に励んでいる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺。

2503名無しさん:2019/03/24(日) 16:14:44 ID:NrdB.GxU0
>天津神社の舞楽は能生白山神社の舞楽と共に大阪四天王寺の舞楽を伝承しているといわれ


神輿をぶつけ合うお祭り!新潟県糸魚川市「糸魚川けんか祭り」
3/24(日) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190324-00183931-tkwalk-life

 五穀豊穣・豊漁を祈願して二基の御輿をぶつけ合う「天津神社春大祭(糸魚川けんか祭り)」が、4月10日(水)・11日(木)の2日間、新潟県糸魚川市の天津神社で開催される。

 10日(水)は、男御輿(一の御輿)と女御輿(二の御輿)と呼ばる二基の御輿が、早朝から舞が行われる舞台の上に据えられ、舞台で神事が行われた後に、露払いの鳥爺(とりじ)を先頭に担ぎ手や獅子頭・錫杖を持った金棒などが境内を歩く行列「お練り」が行われる。

お練りには衣装をまとった「お稚児さん」が大人に肩車されて参加し、そのお稚児さんが舞台に降りると、それまでの静けさが一変した喚声の中激しく凄まじい勢いの「御輿の競り合い」が始まる。境内の周囲を全速力で走り抜け、御輿をぶつけ合い、再び疾走し激しくぶつけることを10回前後繰り返す。

激しい神輿の競い合いが終わると、神へ奉納する12の舞により静けさを取り戻す。天津神社の舞楽は能生白山神社の舞楽と共に大阪四天王寺の舞楽を伝承しているといわれ、「糸魚川・能生の舞楽」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。なお、舞楽は10日・11日とも12曲が奉納され、11日は衣装が変わる。

春の糸魚川市で激しい「動」のけんか神輿と、おごそかな「静」の舞を楽しむことができる「天津神社春大祭(糸魚川けんか祭り)」に参加してみよう。

2504名無しさん:2019/03/24(日) 16:16:46 ID:NrdB.GxU0
>カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の
>大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は


「天王祭舞楽」番組に 関係者、森町長に今夏放映PR
3/15(金) 7:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190315-00000007-at_s-l22

 全国各地の祭りを後世に伝える企画「ダイドードリンコ日本の祭り」を実施しているダイドードリンコ(大阪市)の関係者が14日、取り組みの一環として放映する山名神社(森町)の「天王祭舞楽」特別番組のPRのため、同町役場に太田康雄町長を訪ねた。

 舞楽は国指定重要無形民俗文化財。毎年7月に開かれ、児童らが八つの演目を披露する。カマキリを模したかぶり物を付けて演じる「蟷螂(とうろう)の舞」は全国的にも珍しく、室町時代中期に現在の大阪の四天王寺から伝えられたとされる舞楽は、京都の祇園祭の要素も含むという。

 番組は今夏に静岡放送で放送予定。舞楽の模様を事前の練習から撮影し、1時間のドキュメンタリー番組に仕上げる。

 同社の「日本の祭り事務局」の森田忠良事務局長は「地元の皆さんと祭りの関わりや歴史を踏まえ、祭りを全国にPRしたい」と意気込んだ。太田町長は「全国有数の祭りとお墨付きをいだたいた形。取り上げていただき記録にも残る」と歓迎した。

2505名無しさん:2019/03/30(土) 21:32:03 ID:NrdB.GxU0
廻り舞台で役者気分 道頓堀ミュージアム並木座
2019年3月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190329/20190329035.html

 大阪市中央区道頓堀のビル1階に30日にオープンする歴史館「道頓堀ミュージアム並木座」が28日、報道陣に公開された。直径1・8メートルの小さな廻(まわ)り舞台も設け、歌舞伎や文楽など上方文化を育んだ芝居町の歴史を体感できる施設となっている。

 道頓堀通に面したビルを改装し、芝居小屋が並ぶ芝居町として栄えた江戸時代の道頓堀の風情を演出。「廻り舞台」や「セリ」を考案・活用した歌舞伎作家の並木正三や、「義経千本桜」など人形浄瑠璃三大名作すべてに関わった並木千柳の紹介、日本最古の芝居小屋で廻り舞台を人力で動かす様子などを捉えた動画上映などを行っている。

 スタッフが人力で動かす廻り舞台の上には顔を乗せて撮影できるパネルが設置されており、来館者はかつらを着けて役者気分で記念撮影ができる。仕掛け人の山根秀宣さん(大阪まちプロデュース主宰)は「道頓堀がエンターテインメントの街として再認識されるきっかけになれば」と話している。

   ◇    ◇

 午前10時半(30日のみ11時)〜午後6時半。大人600円、子ども300円。問い合わせは電話06(6575)7919。

2506名無しさん:2019/03/30(土) 21:57:56 ID:NrdB.GxU0
上板の9歳文楽太夫入門 藤本君(高志小3年) 小学生36年ぶり 来月から 大阪の師の下 芸磨く
3/30(土) 8:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-03182243-tokushimav-l36

 上板町の高志小3年藤本智大君(9)=同町瀬部=が、大阪の人形浄瑠璃文楽の太夫(語り手)の竹本織太夫さん(43)に弟子入りした。小学生の太夫は織太夫さん以来36年ぶりで、「竹本織子太夫」の名を授かった。4月1日から文楽協会研究生となり、師匠の下に通って芸を磨く。

 藤本君は小2だった2017年4月、徳島市で開かれた体験会で阿波人形浄瑠璃に出合った。すぐに太夫の竹本友和嘉さん(56)=徳島市八万町西山=に師事。その後、公益財団法人阿波人形浄瑠璃振興会に所属して同年12月に阿波十郎兵衛屋敷で初舞台を踏み、勝浦町や鳴門市などで計7回、語りを披露した。同年の「チャレンジとくしま芸術祭」では、最も印象深い出演者に贈られるMIPを受賞した。

 国立文楽劇場(大阪市)にも数カ月に一度のペースで通って公演を鑑賞していた。昨年6月に織太夫さんと出会い、太夫になることを決意。織太夫さんも1983年に8歳で入門していた。

 これまでは友和嘉さんの自宅に月4回通い、稽古をつけてもらっていた。藤本君は対面で「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」をおうむ返しに繰り返し、演目の後半で語りのテンポが速まっても、軽妙な語り口で情感たっぷりに語っている。

 友和嘉さんは「最初から度胸があった」と話し、「語りは人間の心情が分かっていないとできない。最近は心から言葉がにじみ出てくるようになった」と評価する。

 4月以降は週末や夏休みを利用して、大阪で稽古に励む日々が続く。藤本君は「もっと上手になって憧れの舞台に立ちたい」と話している。

2507名無しさん:2019/03/30(土) 22:03:12 ID:NrdB.GxU0
【センバツ】父と兄は人形浄瑠璃文楽の人形遣い、福知山成美・岩田「尊敬している」
3/19(火) 20:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190319-00000180-sph-base

 第91回センバツ高校野球大会(3月23日から12日間・甲子園)の甲子園練習2日目が19日、行われた。5年ぶりの出場となった福知山成美(京都)の岩田涼雅(りょうが)内野手(3年)も1時間、室内練習場で練習を行い「雨でグラウンドでできなくて残念だった。甲子園の中に入るのは初めて。スタンドは階段状になっていて、広くて包まれたような感じ」と初々しい感想を口にした。 岩田の父・哲志さん(49)と兄の悠甫さん(23)は、人形浄瑠璃文楽の人形遣いとして大阪の国立文楽劇場を中心に、東京や海外など各地で公演を行っている。自宅で夜遅くまで練習をする父を見て育った岩田も「小さい頃から人形を持たせてもらっていたりしました。小さい頃は言葉が難しくてあんまり分からなかったけど、中学からは言葉も分かるようになって、伝統的なものなんだって分かってきました」と幼少期から文楽に親しんできた。

 岩田家は曽祖父から4代にわたって人形遣いを務めてきており、父は中学卒業後から、兄も大阪・豊島高卒業後から文楽の世界に本格的に足を踏み入れた。現在、吉田一輔(いちすけ)として活躍する父と、吉田簑悠(みのひさ)として奮闘する兄を、岩田は「尊敬しています」と誇りに思っている。兄が後を継いだこともあり将来は「好きにして良いと言われています」と話すが「高校に入ってから(文楽を)1回も見に行けていないので、引退したら見に行きたい。将来の選択肢としてはアリだと思っています」と卒業後は父、兄とともに伝統芸能を継承していくことも視野に入れている。

 初戦の第4日第1試合の筑陽学園(福岡)戦は、たまたま公演がないため、父も兄も甲子園に応援に来られることになった。兄は高校まで野球を、父も中学までソフトボールをプレー。5日ほど前に右肩を脱臼してしまった岩田に対し、父からは「やりきって、でも無理だけはしないように。存分に楽しめ!」とLINEが届き、兄からも「甲子園おめでとう。友達を集めて応援に行くから」と祝福されたという。甲子園の舞台は「緊張します」と話す岩田だが、家族にとびっきりカッコイイ姿を見せる。

2508名無しさん:2019/03/31(日) 16:48:53 ID:NrdB.GxU0
大阪城の“やぐら” 内部を特別公開
3/30(土) 12:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00021288-asahibcv-cul

 大阪城にある重要文化財で、普段は非公開の「やぐら」の内部が、特別公開されています。

公開されているのは、大阪城の玄関にあたる、大手口を守る、千貫櫓などの内部、3ヵ所で、いずれも、江戸時代初期に建てられたものです。「銃眼」と呼ばれる壁の穴は、外に向けて火縄銃を構え、城を守る戦いで使われていたということです。特別公開は土曜・日曜・祝日限定ですが、春休み期間中は、毎日行われています。

2509名無しさん:2019/04/03(水) 21:53:34 ID:NrdB.GxU0
>「令和」の典拠、いわゆる出典について「『令和』は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(きよ)風和らぎ(やわらぎ)、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす』から引用したものだ」と述べました。
 (菅官房長官の発表より引用)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011868721000.html?utm_int=all_side_ranking-social_001

>「『令和』は『万葉集』の梅花の歌

 そして『梅』は『大阪府の花』でもあります。

>「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」という歌で、現在の大阪市及びその辺りにおいて、
>寒さに耐え冬籠りをしていた梅の花が、春を感じ咲いた様子が詠まれたものだぞ。
 http://www.kami-chan.net/kuni-ken-flower/z0089.html

 そしてそして、

>元号使用の歴史
>難波宮で行われた大化の改新(645年)時に「大化」が用いられたのが最初であり、以降、日本という国号の使用が始まったとされる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7

 大阪は日本文化揺籃の地、日本国の母なる大地であり、今なお日本国を代表する世界中から注目を集める先端的大都市であるという稀有な存在なんですよね。
 大阪の人たちはそういう誇りを持っていい、もっと自分たちに自信を持っていい。


「奉祝の記帳」始まる 四天王寺
2019年4月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190402/20190402029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、新天皇即位(御代替大典)に伴う「奉祝の記帳」が始まった。聖徳太子を祭る境内・聖霊(しょうりょう)院(太子殿)の堂内に記帳台が設けられ、多くの参詣者が足を運んでいる。

 当初、案内看板は新元号の部分が空欄になっていたが、発表後に職員が「令和」の文字を貼り出すと、記帳に訪れた人々が足を止めて見入っていた。

 一番目に記帳した加藤利美さん(70)=和泉市=は「毎月お参りに来ているが、きょうはとてもいい記念になった。新元号に『和』の文字が入っているので四天王寺さんとの縁を感じる」と笑顔で話した。

 記帳(千円、新元号入り授与品付き)は午前8時半〜午後4時半。10月22日まで受け付けており、以後、同寺が宮内庁に奉納する。

 このほか納経所では、奉祝のご朱印(500円)が新たにお目見えし、注目を集めた。

2510名無しさん:2019/04/03(水) 22:33:03 ID:NrdB.GxU0
石切劔箭神社の改元奉祝「刀剣奉納」プロジェクト、支援額4200万円超に /大阪
4/2(火) 20:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190402-00000073-minkei-l27
石切劔箭神社(東大阪市東石切町1、TEL 072-982-3621)が所蔵する「太刀 石切丸」を新たに復元し奉納する「復元石切丸『刀剣奉納』プロジェクト」のクラウドファンディングが3月26日に始まり、4月2日現在、4200万円を超える支援金が寄せられている。(東大阪経済新聞)

 「太刀 石切丸」は重要美術品に認定されているため神前に奉納できず、同神社では、元号が「平成」から「令和」に変わる奉祝の事業として石切丸を復元し、矢筒とともに奉納しようと同プロジェクトを始動。同神社と縁が深く、奈良県無形文化財に指定されている刀匠・河内國平さんに作刀を依頼し、平安時代に作刀された当時の石切丸を復元する。

 同プロジェクトには、刀剣を擬人化したキャラクターの一人として石切丸が登場するオンラインゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」が賛同し、神社やゲームにちなんだプロジェクト限定商品や刀剣奉納祭への参加などの返礼品を用意。2,500円から50万円の20コースを設けた。クラウドファンディングの開始から4時間弱で目標金額の1000万円に到達し、翌日には3000万円の支援が集まった。

 支援金は作刀と刀装に使うとし、「余剰金が出た場合には研磨されていない刀剣の研磨など、所蔵する刀の維持管理に使わせていただきたい」と同神社宮司の木積康弘さん。「皆さまの、それも全国の皆さまからの御懇志に大変感謝している。改元奉祝事業は来年まで続く事業となるのでまだ始まったばかり。改元奉祝事業へのご協力を引き続きお願いいただければ」と話す。

 同プロジェクト支援募集締め切りは5月15日。

2511名無しさん:2019/04/07(日) 19:32:12 ID:NrdB.GxU0
笑福亭松之助でなければ、あの“お笑い怪獣”こと明石屋さんまさんを御せなかった。ここまで大きな人にはならなかった。


笑福亭松之助さんを偲ぶ会 弟子の明石家さんまさんなど約200人が参列
4/7(日) 18:22配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190407-18220608-kantelev-l27

 今年2月、93歳で亡くなった落語家の笑福亭松之助さんを偲ぶ会が開かれ、親交のあった人たちが別れを惜しみました。

大阪市内で開かれた笑福亭松之助さんを偲ぶ会には、弟子の明石家さんまさんや落語家の月亭八方さんなど約200人が参列しました。

松之助さんは、1948年に五代目・笑福亭松鶴に入門しました。自身の本名から「明石家」という名前を弟子のさんまさんに授けた名付親でもあり、式ではさんまさんが思い出を語ったということです。

【長男・明石家のんきさん】
「まさかこんな盛大に楽しい偲ぶ会になるとは思ってなかった。100歳まで生きると言うて、孫の成人式には参加するといっていたので、それは悔やまれる」

参列した人たちは、思い思いに松之助さんとの別れを惜しみました。

2512名無しさん:2019/04/10(水) 14:55:51 ID:NrdB.GxU0
"心の琴線"触れる新院歌 太魂院、年祭で披露へ
2019年4月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190410/20190410039.html

 妙見宗「太魂(ふとたま)院」(東住吉区山坂、浅田妙浄主管)は、今年5月5日の年祭に向け「変革と感謝の式典にしたい」と新しい「院歌」を作った。これまでの「参拝歌」「太魂音頭」「祝歌」も編曲し、“新曲”として披露する。完成した新・太魂音頭は「ハア〜 ここは大阪 田辺の町よ/人の情けが かよう町」と明るく元気の出る曲でラジオ関西のラジオ番組「嶺陽子の歌の散歩道」でも放送され反響を呼んだ。浅田修法副主管は「今年の年祭は、一緒に歌い楽しく踊っていただきたい」と呼び掛けている。

同院は「一人でも多くの人々に幸福になってもらいたい」と、本部玄関脇に開運の神「運子童子」の設置や落語会「にんやか寄席」を院内で開くなど地元に広く開放している。

 新曲は音楽事務所「ソルトワークス」(箕面市、塩川桂三代表)がプロデュースし、作曲家の池田八声さん、「太魂音頭」の歌を市町村演(援)歌歌手として知られる嶺陽子さん、曲の振り付けを創作舞踊家、花柳輿桂(よか)さんが担当した。

 作詞・作曲の最終案が決まり、妙浄主管の了承を得て、ソルトワークスの塩川代表、歌手の嶺さん、太魂院の「歌・音頭」チームのメンバーらも参加して、大阪市内のスタジオでレコーディングを行った。完成した新曲は妙浄主管からも「“心の琴線”に触れる未来に残るいい歌」とねぎらいの言葉を掛けられた。

 浅田芳順法嗣は「今年の5月から新元号に変わるその時を、新しい太魂院の出発の日にしたいです」と話している。

2513名無しさん:2019/04/16(火) 21:25:44 ID:NrdB.GxU0
赤字でも奮闘続ける落語茶屋 「若手」のために…オーナーの熱い落語愛
4/15(月) 10:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190415-00000053-dal-life

 落語と料理が楽しめる落語茶屋「あすか」が今年1月、大阪市住吉区にオープンし、話題を呼んでいる。オーナーの石川武さん(70)が「若手の発表の場が増えたら」との思いから作り上げた。店の中央にある小さな高座が何とも粋。プロの落語家の噺を間近で堪能し、うまい料理とお酒を楽しめる落語茶屋は「関西初です」と石川さん。落語愛を貫き、赤字でも奮闘している。

 阪堺電軌「姫松」駅から徒歩1分。レトロな路面電車を降りると、ほどなく「あすか」の看板が見える。元は串カツ店で17年間空き家だった店舗。「交通の便が良く、家賃が安くて天井が高いことを条件に探しました」と石川さん。前の借主が3億円かけたという内装は、エントランスに囲炉裏があったり、大理石のトイレなどゴージャスな片りんが残る。しかし、古さは否めず電気系統やエアコンを取り付け、落語会用の「高座」を設けるなど約800万円かけて改装した。

 石川さんは元商社マン。わけあって40歳で脱サラ後は飲食店の経営などに携わってきた。5年ほど前から落語にひかれ始め、落語会や寄席をはしごするように。落語の魅力について「たった一人、扇子と手ぬぐいという最小限の小道具で演じるひとり芝居。引き算の美学を感じます。同じ演目でも演者の表現能力によってイメージが変わるところが奥深い」と言う。

 さらに、「テレビでも落語の中継がありCDでもよく聞きましたが、ナマで聞くのが何倍も面白い」と力説する。

 寄席に通ううちに若手〜中堅噺家の勢いある落語にはまっていき、「彼らの発表する場が一つでも増えたら」という思いが大きくなっていった。飲食店経営のつながりや経験を活かし「儲からないのは覚悟の上で」落語茶屋を誕生させた。

 「あすか寄席」は現在、毎水・金曜日に開催。昼席は午前11時、夜席は午後7時から。桂佐ん吉(35)がプログラムを構成し出演者の采配も担当している。昼・夜席共に2人が各30分の落語を披露する。

 取材日は“美人落語家”露の紫(45)、昨年の繁昌亭大賞奨励賞を受賞した桂雀太(42)の出演だった。露のは、江戸と上方の賭場の違いを題材にした「看板の一(ピン)」を、雀太は古典落語「芝浜」をアレンジした「夢の革財布」を演じた。両者共にさすがはプロの迫力で、ぐいぐいと引き込んでいく。

 最前列で聴き入っていた中学生の男子は「女性落語家さんの実物は初めて。楽しかった」とにっこり。近所に住む70代の夫婦は「こんなに間近で落語が聞けるとは。楽しいひとときでした」と満足そう。

 紫は「お客さんの反応がダイレクトで勉強になります。(1席)30分という時間もちょうどいい感じですね」。

 落語2席と1ソフトドリンクで1500円。店内はテーブル席と、掘りごたつの座敷があり、くつろげる雰囲気に。料理は気鋭のシェフが手掛ける中華、洋食のメニュー。ローストビーフ500円、酢豚600円などリーズナブル。昼席のランチも炒飯500円などとなっている。

 石川さんは「落語は芸術とも言われているが良い意味で“たかが落語”だと思う。気軽にお酒を飲みながら、若い人から年配の方まで、ゆったり落語を堪能してもらえれば」。

 ただ、目下、赤字が続いているそうで「続けていくためにもいろいろと試みていきたい」と、イベントやサークルなどに店ごと貸し出す「一日席亭」を募集中。「高座は小さなステージにもなり、文化施設のように使えると思う。厨房があるので内輪のパーティーもできますよ」と呼びかけている。(デイリースポーツ特約記者・入谷晴美)

2514名無しさん:2019/04/16(火) 21:26:31 ID:NrdB.GxU0
▼落語茶屋「あすか」 大阪市住吉区帝塚山東1-3-34 PLOT帝塚山ビル地下1F 阪堺電軌姫松駅から1分、南海電鉄帝塚山駅から8分。落語2席、1ドリンク1500円。アルコールは差額で。予約がベター。「1日席亭」は午前11時〜午後5時の利用で8000円、午後5時〜同9時は1万円。

2515名無しさん:2019/04/16(火) 21:32:01 ID:NrdB.GxU0
20日に淀屋研究会講演 大阪駅前第3ビル
2019年4月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190416/20190416026.html

 講演会「幕末の鳥取藩と淀屋」が20日、大阪市北区の鳥取県関西本部交流室(大阪駅前第3ビル22階)で開かれる。午後2時10分〜4時。入場無料。

 淀屋橋で知られる江戸期の大坂の豪商「淀屋」を顕彰する淀屋研究会(大江昭夫代表代行兼事務局長)が、総会に合わせて開催する。

 講師は森本良和氏(元鳥取県立図書館長、映画監督)。幕末の京都で結成された農兵隊で、鳥取藩に加わり戊辰(ぼしん)戦争で活躍した「山国(やまぐに)隊」をはじめ、リーダーを務めた鳥取藩士・河田左久馬(影与)ら人物にもスポットを当てる。

 会員以外の入場は、総会閉会後の午後2時から。問い合わせは電話090(3263)4108、大江さん。

2516名無しさん:2019/04/19(金) 21:21:08 ID:NrdB.GxU0
剣は磨けよ、しかし使うべからず。
江戸幕府天下泰平260年の世においても、武備の整備は怠らず。
もっとも幕末の頃には幕府の鉄砲の多くは旧式となり、徳川親藩も同様。
それにより攘夷は果たせず、そして倒幕派にも抗しきれず江戸幕府は滅ぶに至る。
平和を欲するのであれば、平和な時に粛々と時代の趨勢に合わせて武備を整備しなければならないのです。

堺の鉄砲鍛冶、平和な江戸時代も活況だった 斜陽化したという通説を覆す
4/19(金) 9:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190419-00000504-san-l27

 近世の鉄砲生産の中心地の一つだった堺で、江戸時代にも盛んに鉄砲が製造されていたことがわかった。鉄砲鍛冶(かじ)屋敷「井上関右衛門(せきえもん)家」(堺市堺区)に所蔵されていた資料を分析して判明したもので、「江戸時代に堺の鉄砲産業は斜陽化した」という通説を覆すことになる。調査関係者は「さらに精査して、知られざる鉄砲ビジネスの全容を明らかにしたい」と意気込んでいる。(古野英明)

 堺市と関西大学が、井上家に残された2万点を超える資料を4年間にわたって共同調査。鉄砲の注文数が江戸後期になるにつれて増加していた。天保10(1839)年には280丁を超える鉄砲を受注し、天保13(1842)年には関東から九州までの大名・旗本232家から注文があった。

 また、幕府の軍事拠点だった大坂城の鉄砲の維持・管理に井上家が深く関わっていたことも判明した。関西大の藪田貫(ゆたか)名誉教授(日本近世史)は「大坂城には1万丁以上の鉄砲が備蓄されていたことはわかっていたが、誰がメンテナンスしていたのかとの視点がまったくなかった」と、井上家の大きなビジネスになっていた可能性を指摘する。

 そのうえで「戦はなくても、有事の備えとして鉄砲は必要だった。農民たちも獣害対策として鉄砲を使っていた。外国船が来航した幕末には、沿岸警備の需要もあった。資料だけでも『平和が続いたから鉄砲産業が衰退した』という定説を覆すに十分な証拠になる」と評価している。

2517名無しさん:2019/04/25(木) 20:42:29 ID:NrdB.GxU0
ワッハ上方リニューアルオープン
04月24日 12時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190424/0014943.html

 落語や漫才など上方演芸の資料の収集などを行う大阪府の施設「ワッハ上方」が、資料の展示や解説などを充実させた施設としてリニューアルオープンしました。

平成8年にオープンした「ワッハ上方」は、入館者が目標を下回っていたことなどから規模を縮小して運営されていましたが、展示スペースを充実させた施設としてリニューアルオープンしました。
24日はオープニングイベントが開かれ、大阪府の吉村洋文知事が「全国の中で笑いの資料館は大阪が唯一です。国内外から多くの人が訪れるので、上方演芸をどんどん発信していきたい」とあいさつしました。
新たな施設は、漫才の小道具など7万点を超える所蔵資料から貴重な品々が大阪弁を解説するパネルなどとともに展示されています。
また、画面に映し出されたお笑い芸人とにらめっこをしたり一緒に記念撮影したりできる体験型のスペースもあります。
このほか施設には、NHK大阪放送局など大阪にあるテレビやラジオで放送されたおよそ3000本の落語や漫才などの演芸番組や、上方演芸に関する書籍を無料で視聴し、閲覧できるブースが備えられています。

2518名無しさん:2019/04/27(土) 19:42:19 ID:NrdB.GxU0
四天王寺の亀形石槽は飛鳥時代か
04月26日 17時29分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190426/0015036.html

 大阪の四天王寺にある亀の形をした石造物が7世紀・飛鳥時代に作られたものとみられることが分かりました。
同じ亀形の石造物は、奈良県の酒船石遺跡でも見つかっていて、専門家は、四天王寺が飛鳥時代、重要な場所であったことを示す貴重な資料だとしています。

これは、調査を行った四天王寺と元興寺文化財研究所のグループが発表したものです。
四天王寺にある亀井堂には亀をかたどった石の水槽と、そこから出た水を受ける同じく亀の形をした石の水槽があり、古くから儀式などで使われてきました。
グループがこの2つの石造物を調査したところ、古墳時代から飛鳥時代に使われていた「竜山石(たつやまいし)」と呼ばれる石が使われていたことが分かりました。
また、水が流れ出すほうの亀の形は後の時代に作られたもので、当初は単純な造りの石の水槽から出た水を、亀の形をした別の水槽が受ける構造であったことも分かったということです。
こうした構造は、奈良県明日香村にある、斉明天皇ゆかりとされる酒船石遺跡の亀形石造物と同じで、作られたのも同じ7世紀ごろと考えられるということです。
元興寺文化財研究所の佐藤亜聖研究員は「四天王寺が当時の国家にとって重要な場所であったことを示す資料だ。酒船石遺跡と比較することで当時の祭祀(さいし)について考える手がかりとなる」と話していました。


太子たたえ盛大に 四天王寺で「聖霊会」
2019年4月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190423/20190423033.html

 聖徳太子の命日にちなむ伝統行事「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が22日、太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)で盛大に執り行われた。多数の奉仕者によって舞楽と法要がみやびやかに繰り広げられた。

 約1400年の歴史があり、同寺の最も重要かつ大規模な年中行事。聖霊会の奉納舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 “日本三舞台”の一つに数えられる境内・石舞台上では、同寺僧侶が太子をたたえる声明を唱えたほか、天王寺舞楽伝承団体である天王寺楽所(がくそ)の舞人・楽人が奉仕。舞楽の幕開けを告げる「振鉾(えんぶ)」をはじめ、唐で舞われたと伝わる「賀殿(かてん)」などを数多く奉納した。

 大阪管区気象台によると同日の大阪市では日中の最高気温が6月中旬並みの27・6度まで上がり、今年最初の夏日に。境内では多くの参詣者が初夏の日差しの下で、平成最後となる一大行事に見入っていた。

2519名無しさん:2019/04/27(土) 20:22:30 ID:NrdB.GxU0
羽曳野にはにわ作り体験施設完成
04月26日 12時48分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190426/0015022.html

 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市に、はにわ作りを体験できる施設が完成しました。

この施設は、古墳やはにわにちなんだグッズを製作している地元の企業が設けたもので、27日のオープンを前に関係者に公開されました。
施設には、古墳群について紹介するパネル展示や古墳にちなんだ各地のグッズを販売するコーナー、それに、はにわ作りを体験できるスペースがあります。
26日は近所の人たちが体験に訪れ、粘土で胴体などを作ったあと、ヘラを使って顔や模様を描いていました。
はにわは、このあと窯で焼くなどして1か月から2か月ほどで出来上がります。
参加した近所の女性は「胴体に付けた輪っかの模様や頭にリボンを付けたところにこだわりました。初めて作りましたが、よくできたと思います」と話していました。
百舌鳥・古市古墳群をめぐっては、来月にもユネスコの諮問機関から世界遺産にふさわしいかどうか勧告が出される見通しです。
施設の運営会社でプロジェクトリーダーを務める朝野亜紀子さんは「1500年前の古墳時代に、たくさんの古墳やはにわが近くで作られていたという古代ロマンを感じてもらい、世界遺産の登録に向けた機運醸成に貢献したいです」と話していました。

2520名無しさん:2019/04/27(土) 20:56:01 ID:NrdB.GxU0
江戸期の農村支配地域の古文書読む 住民ら郷土史理解
2019年4月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190426/20190426031.html

 東住吉区の田辺地域に残る古文書をひもとき、大坂近郊農村の姿を明らかにする講演会「古文書から見る江戸時代の農村支配システム」が東田辺2丁目の東住吉会館であった。幕府が定める法令の回覧手段などの解説があり、住民が郷土史に理解を深めた。

 21日に講演したのは、大阪大の村田路人教授(日本近世史)。村田教授は、領主が頻繁に入れ替わり、所領も入り乱れていたのが上方の特徴とした上で、旧北田辺村に残る「御触書御用留(おふれがきごようとどめ)」を引き合いにした。

 この資料は、幕末の1858(安政5)〜66(慶応2)年の9年間に村々を回覧した「触書」が書き留めてあり、当時米英など五カ国と結んだ不平等条約を背景に、幕府が新しく鋳造した貨幣の流通制度や交換レートを収録。当時は、代官や大名、社寺など変動しがちな領主とは別に、大坂町奉行所(幕府)による広域統治を加えた二重行政が敷かれており、資料からは触書が二つのルートを通じて巡ったことが分かる。

 また、「用聞(ようきき)」と呼ばれる第三者が情報伝達に介在する役割を果たしており、大坂周辺に所領を有する領主に召し抱えられ、兼業または専業となる業者もあったとした。

 約100人が見守る中、村田教授は「支配の政策を見るだけでは不十分。実現メカニズムを併せて見ることが大事だ」と説いた。

 主催は「にんやか田辺」(田辺HOPEゾーン協議会)。

2521名無しさん:2019/05/03(金) 20:58:48 ID:NrdB.GxU0
極楽浄土へ「万部おねり」法要
05月02日 19時07分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190502/0015149.html

 人々を極楽浄土に導こうと、金色の面をかぶった僧りょがぼさつにふんして境内を練り歩く「万部おねり」という法要が、大阪・平野区の寺で行われています。

大阪市の無形民俗文化財に指定されている「万部おねり」は、平野区の大念佛寺で毎年5月1日から5日まで行われる法要です。
金色の面をかぶった僧りょが境内を練り歩き、命が尽きるときに阿弥陀仏がぼさつを従えて極楽浄土から迎えにくる様子をあらわそうとしたのが始まりとされています。
面とともにきらびやかな衣装をまとった僧りょたちが、本堂の周りに設けられた高さ2メートル余りの橋の上をゆっくりと歩いていきました。
そして、本堂に入ったあと雅楽の調べが響く中、仏前に花を手向けると、見守っていた参拝客たちも静かに手を合わせたり写真を撮ったりしていました。
大阪市から訪れた70代の女性は「すごく厳かでよかった。令和の時代になったので、平和で家族が健康でいられるよう気持ちも新たに頑張っていきたい」と話していました。

2522名無しさん:2019/05/03(金) 21:03:58 ID:NrdB.GxU0
記念御朱印色紙 きょう参拝客に授与 大阪天満宮
2019年5月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190501/20190501038.html

 新天皇の即位に合わせ、大阪天満宮(大阪市北区)では1日、記念の御朱印色紙を参拝客に授与する。神職が一枚一枚、筆で新元号「令和」の文字を金色でしたためた色紙で、新時代の幕開けへの期待が込められている。

 平成最後の日を迎えた30日、神職が筆を取り、真剣な表情で一枚一枚に丁寧に文字を書いていった。色紙の中央に大きく令和と書かれ、その横に新元号の基となった日本最古の歌集「万葉集」の一節が添えられている。

 また、1日は境内で奉祝行事も行われる。餅や酒が参拝客に振る舞われるほか、落語や雅楽が披露される。

 権禰宜(ねぎ)の小林倫宏さん(26)は「平成への感謝と令和への期待を持って新しい時代を迎えてほしい」と話している。

 記念色紙は限定250枚で、初穂料2千円が必要。午前9時から授与する。このほか、1日は「慶祝」と書かれた御朱印も授与する。

2523名無しさん:2019/05/03(金) 21:05:37 ID:NrdB.GxU0
祝賀準備万全に 新天皇陛下あす即位 府内社寺
2019年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190430/20190430037.html

 5月1日の「天皇の即位の日」を目前に、大阪府内各地の社寺で奉祝の準備が着々と進んでいる。

 府神社庁のお膝元、大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)では、神職が境内に掲げる奉祝懸垂旗やのぼりなどを準備。汚れなどがないかチェックしたほか掲揚する場所を調整した。田中裕人権禰宜(ねぎ)は「平成の御代に感謝するとともに、すがすがしい気持ちで新しい御代をお祝いしたい」と話した。
 このほか同市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)では、御即位奉祝奉納行事を行う。記帳や神館特別拝観(1〜6日)をはじめ、1日には風流武者行事、住吉踊(おどり)、江戸芸かっぽれ、枕太鼓など。2日にはみこし、獅子舞などを予定している。 同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、30日夜に「奉祝の鐘」が行われる。僧侶が午後11時45分ごろから境内・北引導鐘堂と太子引導鐘堂の2カ所でお経を唱え、平成から令和に変わるタイミングで引導鐘を21回突く。この様子をより多くの人に見てもらおうと、インターネットでライブ配信する予定で、同寺ホームページからリンクできるよう調整中という。

2524名無しさん:2019/05/03(金) 21:09:39 ID:NrdB.GxU0
住吉大社 平成最後の御朱印
04月30日 12時55分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190430/0015107.html

 平成最後の日の30日、大阪市の住吉大社には「平成」の日付が書かれた最後の御朱印を求めて多くの人が参拝に訪れています。

大阪・住吉区の住吉大社は神功皇后ゆかりの全国の住吉神社の総本社で、大阪では「すみよっさん」の愛称で親しまれています。
30日は、「平成」の日付が書かれた最後の御朱印を求めて朝から約50人が列を作りました。
訪れた人たちはそれぞれの御朱印帳に黒い墨で「奉拝 住吉大社平成三十一年四月三十日」の文字が入った御朱印を受け取ると、早速、平成の日付を確認していました。
住吉大社では、「平成」の日付が書かれた御朱印を求める人たちが連休に入ってから増えているということで、29日は普段の倍以上の500人ほどが御朱印を受け取ったということです。
吹田市から親子で訪れた10歳の男の子は、「平成最後の御朱印を授かって改めて平成が終わってしまう悲しみを感じています。令和は幸福な時代になってほしいです」と話していました。
住吉大社の万力一雅権禰宜は「平成最後の御朱印を受けていただくことで平成の時代を振り返ってもらい、新たな時代もすがすがしく迎えてもらいたい」と話していました。

2525名無しさん:2019/05/03(金) 21:37:31 ID:NrdB.GxU0
5日「幸村祭」 天王寺・安居神社
2019年5月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190503/20190503037.html

 「大坂の陣」の奮戦で知られる信州上田の武将・真田幸村を慰霊する伝統行事「幸村祭」が5日、大阪市天王寺区逢阪1丁目の安居神社(中島一熈宮司)で行われる。午前11時から。見学自由。

 同神社は大坂夏の陣(1615年)の「天王寺口の戦い」で幸村が戦死した地と伝わることから、神社関係者らが長年にわたり顕彰や慰霊を手掛けている。

 同日は慰霊祭に続いて、大阪城真田鉄砲隊(澤田平代表)、長野県上田市の殺陣サークル眞による奉納演武などを予定。問い合わせは電話06(6771)4932

2526名無しさん:2019/05/03(金) 22:05:04 ID:NrdB.GxU0
皇族ゆかりの「神館」 新天皇即位を祝い特別公開 大阪・住吉大社
5/2(木) 11:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190502-00000019-ytv-l27

 大阪市の住吉大社で、新天皇の即位をお祝いして、皇族ゆかりの建物・「神館」が特別に公開されている。

 住吉大社で特別公開されている「神館」は、約100年前に大正天皇の即位を記念して、皇族が滞在する建物として作られ、国の登録有形文化財に指定されている。

 建物の中には、皇族が休憩するための部屋「『玉座』の間」があるほか、明治天皇から送られたひな人形や、歴代の天皇が書かれた和歌の短冊など皇族にゆかりの品、約30点が展示されている。

 訪れた70代夫婦は「ここで結婚式を挙げさせていただいて、何十年ぶりかにお参りしようと」と話していた。

 境内には、新天皇の即位をお祝いする記帳所も設けられていて、特別公開とともに、6日まで行われる予定だ。

2527名無しさん:2019/05/03(金) 22:06:12 ID:NrdB.GxU0
「難波宮」古代水路を特別公開
05月03日 19時41分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190503/0015161.html

 古代の「難波宮」にあった巨大な石組みの水路の見学会が、大阪歴史博物館で行われました。

飛鳥時代の宮殿「難波宮」の跡にあたる大阪・中央区の大阪歴史博物館では、地下6メートルのところに、巨大な石組みの水路が保存されています。
幅およそ50センチメートル、深さ1メートルほどのこの水路は、わき水を難波宮の外に流す目的で作られたと考えられています。
ふだんは一般に公開されておらず、3日の見学会に訪れた人たちは、1300年あまり前の古代の土木技術に見入っていました。
建築関係の仕事をしているという50代の男性は「大きな石を運ぶクレーンがない時代にこれだけの水路を作るのは大変な労力だったと思う。設計も含め、大昔の土木技術に感心しました」と話していました。

2528名無しさん:2019/05/08(水) 20:45:36 ID:NrdB.GxU0
幼稚園児が作ったこいのぼり100匹 豊中の椋橋総社
2019年5月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190508/20190508034.html

 コイが神の使いであるとの伝説が伝わる豊中市庄本町の椋橋総社境内に、幼稚園児が作ったこいのぼり約100匹が飾られている。赤や青、緑と色とりどりのこいのぼりが大空を気持ち良さそうに泳いでいる。

 庄本地区には、奈良時代の僧・行基が猪名川に橋を架けるため、同総社に工事の成功を祈願すると、無数のコイが集まって背を並べて魚橋となり、工事を完成させたという「鯉(コイ)伝説」が残る。境内の池には、現在も100匹以上のコイが泳ぐ。

 こいのぼりは、鯉伝説を後世に伝えるために、同総社に隣接する私立庄本幼稚園(川辺豊園長)が2005年から制作。長さ80センチほどでビニール袋を使って作った。境内に飾られたこいのぼりを見た園児たちは「こいのぼり、飛んでる!」「作ったこいのぼりあった!」と歓声を上げて喜んでいた。こいのぼりは5月中旬まで飾られる。

 川辺園長は「例年の行事となり、地域の皆さんに鯉伝説を知ってもらえています。この時期の風物詩を多くの人に楽しんでいただけたら」と話している。

2529名無しさん:2019/05/08(水) 21:18:39 ID:NrdB.GxU0
みやびやか卯之葉神事 住吉大社
2019年5月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190508/20190508028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)は6日、祭神である住吉大神の鎮座を記念する「卯之葉(うのは)神事」を執り行い、多くの参拝者が厳かな神事をはじめ奉納行事を見守った。

 
毎年、卯の花(ウツギ)が咲く5月最初の「卯」の日に行われる伝統行事。

 境内・第一本宮の本殿祭では、初夏の日差しの中、ウツギを装飾した神職らが厳かに神事を斎行。玉串拝礼の際、参列者らが本来のサカキではなくウツギを神前にささげた。

 同神事恒例の奉納舞楽は通常、境内の石舞台上で行われるが、今年は天皇即位奉祝記念行事として吉祥殿内の特設舞台で大々的に実施。天王寺舞楽の伝承団体「天王寺楽所(がくそ)」の舞人・楽人が奉仕し、天皇即位礼大饗(たいきょう)に必ず奏される「萬歳楽(まんざいらく)」などをみやびやかに披露した。

 続いて、すみよし反橋能実行委による奉納能「大典」が上演され、約500人の来場者を魅了した。

2530名無しさん:2019/05/10(金) 21:32:49 ID:NrdB.GxU0
ミナミに若手芸妓11年ぶり誕生
05月10日 17時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190510/0015395.html

 かつて日本有数の花街としてにぎわいを見せていた大阪・ミナミに、11年ぶりに若手の芸妓が誕生し、10日、関係者にお披露目されました。

新人芸妓としてデビューしたのは、奈良県出身で20歳の「玉幸」さんと大阪出身で24歳の「多美鶴」さんです。
10日は、大阪・ミナミに唯一残る茶屋「たに川」で、報道関係者を前に、先輩の「八重鶴」さんとともに、舞踊や三味線の演奏を披露しました。
ミナミはかつて「南地」と呼ばれる花街があり、およそ2000人の芸妓を抱えていましたが、芸妓や茶屋は次第に減り続け、ここ数年は地元の芸妓が1人だけの状況が続いていたということです。
ミナミで若手の芸妓が誕生するのは11年ぶりだということで、玉幸さんは、「中学生から続けていた日本舞踊を仕事にしたいと思い、インターネットで調べて芸妓に興味をもつようになりました。大阪は若い芸妓がいなかったので、大阪の伝統文化を継承していけるように頑張りたいです」と話していました。

2531名無しさん:2019/05/10(金) 21:40:20 ID:NrdB.GxU0
高島屋東別館が有形文化財に登録 「国土の歴史的景観に寄与」 /大阪
5/10(金) 10:52配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190510-00000015-minkei-l27

  高島屋東別館(大阪市浪速区日本橋3)が、国の有形文化財(建造物)に登録された。(なんば経済新聞)

 
同館は、1928(昭和3)年の建築。鉄筋コンクリート造、地上9階、地下3階建てで、延べ床面積は4750平方メートル。昭和の初めに建設され、これまで約90年にわたり、百貨店が最も華麗だった頃の内外装を今に伝える貴重な建築物として知られている。今回、有形文化財の登録基準である「国土の歴史的景観に寄与しているもの」と評価された。

 建築から1966(昭和41)年まで松坂屋大阪店として営業。この間、増改築を繰り返し、1940(昭和15)年には、延べ床面積が1万2000坪と松坂屋最大で、国内でも最大規模の百貨店だったという。その後、1968(昭和43)年に高島屋が東別館として事務所などとしての利用を開始。1970(昭和45)年には高島屋が保有する美術・着物・資料などを展示する高島屋史料館も開設した(現在は改装のため休館中)。

 全体にアールデコ調のデザインでまとめられた建物外観は、1階と2階の一部を「基壇」、2階〜6階を「主階」、7階を「アテック階」とする3層構成となっており、堺筋沿いの1階には約67メートルものアーケードを設け、11連のアーチ状の開口部が外観の特徴となっている。

 現在は改装工事中で、サービスレジデンス(キッチンなど長期滞在を可能とする設備を設けたホテル)を核テナントとした施設に転換するほか、高島屋史料館もリニューアルオープンを予定する。
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2532名無しさん:2019/05/12(日) 14:13:01 ID:NrdB.GxU0
天神祭も「令和」お祝い 本年度初の実行委で方針
2019年5月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190511/20190511039.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭の渡御行事保存協賛会は10日、本年度の実行委員会の初会合を大阪市北区の大阪天満宮で開いた。代替わりに伴う天皇陛下即位を祝う行事を、祭りの中で斎行する方針を示し、関係者らは令和で初めてとなる祭りの成功に向けて士気を高めた。

 本年度は天皇陛下の即位に関連し、大阪天満宮の本殿前や門前、行事の道中にのぼりや懸垂幕を設置するなどして祝意を表す。

 本宮祭は、即位を祝う「奉祝祭」を兼ねて斎行することにし、国歌斉唱や万歳といった儀式を含む祭儀にすると報告。寺井種治宮司は「天神祭でも奉祝の気持ちを伝えたい」と意欲を示した。

 初会合では、例年と同じく7月24日に宵宮祭、翌25日に本宮祭や奉納花火約5千発を打ち上げるなどの事業計画案を承認。栗原宏武実行委員長は「令和の初めにふさわしく、盛大かつ安全に斎行したい」と本番に思いをはせた。

 承認された案は、5月末の委員総会で議決する。

2533名無しさん:2019/05/12(日) 16:08:39 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 登録なるか
5/9(木) 18:33配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190509-00000161-nnn-soci

  世の中で議論を呼んでいる話題について、ゲストに意見を聞く「opinions」。今回の話題は「百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 登録なるか」。雑誌「Discover Japan」の編集長・高橋俊宏氏に聞いた。

世界遺産登録に向けて期待が高まる大阪府の百舌鳥・古市古墳群。
日本最大の古墳として知られる仁徳天皇陵や、応神天皇陵など45件、49基の古墳で構成されている。

ユネスコの諮問機関「イコモス」が「世界文化遺産への登録がふさわしい」とユネスコに勧告するかどうかが注目されていて、近く結果が判明する見通しだ。

ネット上ではこんな意見が見られた。

「日本の文化が認められていいこと」
「その歴史的価値は明白」
「全体が見渡せる場所があるといいな」


――この話題について高橋さんにフリップを書いていただきました。

「天皇から日本、再発見!」です。

元号が変わり、天皇というものに対して関心が高まっていますが、天皇も神話の時代から数えると2700年続いていることになるのですが、実際は、実在した天皇というのは諸説あるのですが、仁徳天皇から実在したのではないかというような話があるんです。

つまり1700年前から天皇がいたのではないかと、そういう意味でいうと、実在された仁徳天皇のお墓の仁徳天皇陵が認められれば、さらに機運が高まるのではないかと思います。

また、仁徳天皇陵は“世界三大墳墓”のひとつなんですけど、クフ王のピラミッドも秦の始皇帝陵も世界遺産になっています。ここで世界三大墳墓の最後のひとつとして、世界遺産に認定されればと期待したいところです。


――日本にとっても大きなことですよね。

古墳でいうと日本で1位、2位、3位が、ここにありますからね。私は出身が岡山なんですが、4位の造山古墳というのがありまして、子どものころ行ったことがありますが、そこのナンバースリーがある。いわば古墳銀座です。古墳の魅力再発見につながるといいなと思います。

2534名無しさん:2019/05/12(日) 16:09:18 ID:NrdB.GxU0
――古墳に行きたいという人もいらっしゃると思うのですが、楽しみ方というのは、どういったところなのでしょう。

仁徳天皇陵は中に入れないと思うのですが、やはり想像力とロマンで見るというのと、あとは堺市の市役所の展望台から見えるらしいので、そういうところから見て楽しむのというのもあると思います。

あと、古墳マニアとしては前方後円墳があってお堀が残っているというのはすごいんです。大体、お堀が埋められてなくなっているところが多いんですが、本来の姿が残っているので上空から見ると、かなりインパクトがありますし、こういってはあれですが、インスタ映えもすると思います。


――展望台から中はどうなっているんだろうとロマンを感じながら眺めるといいんですね。

副葬品とかも出ていますので、それらは美術館や博物館で見ていただいて、当時のことに思いを寄せるというのも楽しいんじゃないでしょうか。


――気になるのが、古墳というのは海外の方はどう見ているのでしょうか。

海外から見ても、ピラミッドにみんな行きたいのと同じで、私も始皇帝の兵馬俑を見に行きましたが、観光のスポットとして重要だと思います。やはり日本を知る上でのルーツですから。

【the SOCIAL opinionsより】

2535名無しさん:2019/05/14(火) 08:46:12 ID:qyBlkDVA0
「仁徳陵」など古墳群、世界遺産へ ユネスコ機関が勧告
2019年5月14日
https://www.asahi.com/articles/ASM4L6JB7M4LUCVL01W.html?ref=yahoo

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に「大山(だいせん)古墳(伝仁徳天皇陵)」など「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)が登録される見通しとなった。事前審査する諮問機関が「登録が適当」と勧告した。6月30日からアゼルバイジャンで開かれる世界遺産委員会で最終的に決まる。

 ユネスコが13日、諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告内容を日本政府に伝えた。

 古墳時代最盛期の4世紀後半〜5世紀後半に築造された古墳群。国内最大の前方後円墳「大山古墳」(墳丘長486メートル、堺市)、2番目の規模の「誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(伝応神天皇陵)」(同425メートル、羽曳野市)のほか、帆立貝形墳や円墳、方墳など大きさも形も多様な45件49基で構成される。

 古墳が密集する堺市の百舌鳥エリアと羽曳野(はびきの)・藤井寺両市の古市エリアは、古代日本の政治や文化の中心地の一つ。個人の権力の大きさや身分の差が目に見える形で示されるようになっていった日本の歴史を物語る物証として顕著な特徴があると認められた。

 49基中29基が歴代天皇や皇后、皇族の墓として宮内庁が管理する陵墓(りょうぼ)など。「静安と尊厳の保持」を理由に一般の人の立ち入りは禁じられ、学術的な調査も制限される。名称についても、宮内庁の指定に沿って「仁徳天皇陵古墳」などで推薦されたが、考古学や歴史学者から「被葬者が学術的に確定していない」として地名に基づき大山古墳などと呼ぶべきだとの指摘がある。こうした点がどう評価されるのかが注目されていた。

 イコモスは、「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階の評価で勧告する。世界遺産の総数は1092件。日本からは文化遺産18件、自然遺産4件の計22件が登録されており、正式に決まれば、大阪府では初めてとなる。

2536名無しさん:2019/05/14(火) 19:55:03 ID:NrdB.GxU0
古墳群世界遺産登録へ 喜びの声
05月14日 12時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190514/0015509.html

 世界文化遺産への登録を目指している大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」について、ユネスコの諮問機関は、登録することがふさわしいとする勧告をまとめました。
これにより、「仁徳天皇陵」として管理されている国内最大の前方後円墳などが、ことし世界文化遺産に登録される見通しとなりました。

「百舌鳥・古市古墳群」の地元大阪・堺市では市民が集まり、世界遺産に登録される見通しになったことを祝う横断幕を掲げました。
「百舌鳥・古市古墳群」を構成する古墳のひとつ「仁徳天皇陵」とされる国内最大の前方後円墳の近くにある大仙公園には、14日午前中からボランティアガイドとして活動する市民などおよそ50人が集まりました。
集まった人たちは「百舌鳥・古市古墳群登録勧告!」と書かれた横断幕を掲げ、万歳して喜びを分かち合いました。
このあと、ハニワのかぶり物をした堺市のマスコットキャラクターハニワ課長が公園を訪れた人たちに「世界遺産ニュース」と題した号外を配り、世界遺産登録に向けて大きく前進したことをPRしました。
ハニワ課長は「土器だけにドキドキして勧告を待っていました。これからも古墳のすばらしさを知ってもらえるよう活動したい」と話していました。
また、古墳周辺で10年以上清掃活動を続けていて去年9月にはユネスコの諮問機関イコモスの現地調査で活動の様子を説明した草野利夫さんは「こつこつ活動してきた結果が実り、うれしいです。イコモスの調査員にも良い説明ができていたのではないか」と話していました。

【市役所展望ロビーでも喜びの声】
「仁徳天皇陵」を見渡せる、地上80メートルの堺市役所の21階の展望ロビーでも喜びの声が聞かれました。
堺市の60代の女性は、「世界文化遺産登録を目指していると知ってから、これまで長い間待ち望んでいただけにとてもうれしいです」と話していました。
また、夫と展望ロビーに来ていた堺市の40代の女性は、「世界の人たちに堺の歴史を知ってもらえることになり、とてもうれしいです。ただ、展望ロビーから見ても、全体がはっきりと見えないので、全体が見えるような場所ができたら観光客にも喜ばれるのではないか」と話していました。

【吉村知事“観光振興につなげたい”】
大阪府の吉村知事は、大阪府庁で記者団に対し、「世界遺産にふさわしいという勧告を受けてうれしく思う。大阪初の世界遺産を目指して、正式に登録されるよう、地元自治体や国と協力しながらやっていきたい。堺、大阪にとって、ものすごく大きな魅力になるので、観光振興につなげていきたい」と述べました。

【専門家は】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される見通しになったことについて、大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長は、「ピラミッドや秦の始皇帝陵などとともに、世界的に非常に巨大で独特の形態や構造を持つ日本の前方後円墳が、世界遺産として登録されるにふさわしいものだと判断され、古墳の研究に従事する者として非常にうれしく思う」と述べました。
そのうえで、「畿内を中心に日本列島各地の勢力が政治連合を形成していた、日本の初期国家のあり方を反映しており、貴重な遺産であるということが評価されたのではないか。また、当時の人たちの死後の世界観についてや、東アジアの国々から日本にどのようなものが伝わってきていたのかなど、当時の国際関係について考えるうえでも、重要な遺産であることも評価されたのではないか」と述べました。
今後、必要となる取り組みについては、「宮内庁の管理のもとでこれまで保護されてきたのは良かった一方、一般に公開されていないのは問題点だと思う。公開のあり方についてはさまざまな意見があるので、世界遺産への登録を機に、国民的議論が深まることを期待したい」と話していました。

2537名無しさん:2019/05/14(火) 19:55:55 ID:NrdB.GxU0

【地元の店も「古墳効果」に期待】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録される見通しとなったことを受けて、地元では地域の魅力が高まり、より多くの人が訪れてくれると期待する声が上がっています。
このうち、仁徳天皇陵とされる古墳のすぐ近くの飲食店では世界遺産登録に向けた機運を盛り上げようと前方後円墳をかたどった「古墳カレー」を提供してきました。
古墳カレーは特製の型を使って古墳の形にごはんを盛り付けたあと、古墳群がまたがる羽曳野市で生産されたいちじくを混ぜ込んだルーをかけたこだわりのカレーです。
店主の中屋麗子さんは「国全体でこれから古墳を守っていこうという流れになっていくので良かったと思います。店に来るお客さんにも古墳は大事なものなんだと意識してもらいながらカレーを食べてもらえるとうれしいです」と話していました。
また、堺市内の堺山之口商店街にある雑貨店では5年ほど前から古墳をモチーフにしたアクセサリーやTシャツなどを販売しています。
店舗を経営する松永友美さんは大の古墳好きで去年からは商店街の中で半年に1度、「古墳祭り」と題したイベントを開催しています。
今月初めの大型連休中に開催したイベントではおよそ2500人が全国各地から訪れ、古墳に関連した商品などを買い求めていたということです。
松永さんは「全国各地を巡っていても古墳がある町にはとても魅力があると感じます。登録に向けた勧告や古墳のイベントが商店街の存在を知ってもらうきっかけになれば」と話してました。

【古墳ファン「まりこふん」さんは】
「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される見通しとなったことについて、長年の古墳ファンで、古墳の歌を歌うシンガーソングライターの「まりこふん」さんは、「古墳だけに大興奮です。古墳ファンにとって歴史的な日なのではないでしょうか。やっと日本の古墳が世界に知ってもらえる時が来た」と話していました。
また、古墳の楽しみ方については、「まずは周りを歩いてどのくらい大きいか感じて、古墳を作った当時の人に思いをはせてほしい。地元には古墳型のカレーや、古墳のクッションなどさまざまなグッズがあるので、おしゃれでカワイイ古墳の形を楽しんでもらいたいです」と話していました。
まりこふんさんは、「古墳は全国におよそ16万基あり、身近なところに古墳は存在しているので、自分の街の古墳にも注目してもらえたらうれしいです」と話していました。

2538名無しさん:2019/05/14(火) 19:56:32 ID:NrdB.GxU0
【百舌鳥・古市古墳群とは】
「百舌鳥・古市古墳群」は大阪府南部の堺市と、羽曳野市、藤井寺市にまたがる2つの古墳群で、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた49基の古墳からなります。
巨大な前方後円墳が集中しているのが特徴で、このうち堺市にあり宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる前方後円墳は全長およそ500メートルと国内で最大です。
エジプト・クフ王のピラミッドや中国・秦の始皇帝陵などと並び世界最大級の王の墓とされています。
また、羽曳野市にあり、「応神天皇陵」として管理されている前方後円墳は国内で2番目の大きさです。
巨大な古墳の近くに大小さまざまな古墳があるのも特徴で円墳や方墳など古墳の形や大きさは埋葬された人物の地位を表していると考えられています。
巨大な前方後円墳に葬られた王の親族や臣下の墓とみられ、日本列島における古代王権の成り立ちを表す貴重な遺跡とされています。

【登録までの経緯】
日本国内の世界遺産は、文化遺産と自然遺産のあわせて22件ありますが、近畿の2府4県では唯一、大阪府だけ世界遺産がなく、府は地元とともに「百舌鳥・古市古墳群」の登録に力を入れてきました。
府と地元の3つの市がユネスコへの国内推薦を目指して初めて名乗りをあげたのが平成25年です。
しかし、国内候補地を決める文化審議会から、古墳や周囲を含む一帯の保全のあり方や計画が十分でないなど10点にのぼる課題が指摘されました。
堺市などは屋外広告を規制する条例の策定に取り組みましたが、2回目の挑戦となった平成27年にも再び推薦が見送られ、海外の人にも分かる古墳の価値の詳しい説明など5点の課題を指摘されました。
そして、翌年の3回目の挑戦でも推薦は見送られ、古墳の歴史的な価値をさらに分かりやすくすることや、観光客の移動手段など、より具体的な課題が指摘されました。
そして、4回目となったおととしの挑戦では、保存状態の悪い古墳を除いて49まで絞り込んだうえで、将来にわたる保全や管理の計画を具体化しました。
さらに巡回バスの運行など観光客の移動手段などの解決にも取り組んだ結果、その年の7月、国内推薦の候補に決まりました。

【古墳全景が見えない課題】
百舌鳥・古市古墳群は古墳の周辺に展望施設がほとんどなく、巨大な古墳の全景を見渡すことができないのが大きな課題となっています。
このうち仁徳天皇陵とされる国内最大の前方後円墳は、堺市役所の21階にある展望ホールから見ることはできますが、鍵形をした古墳の全景を確認することはできません。
堺市ではこうした課題に対応するため去年10月、民間の会社と協力して古墳の上空をヘリコプターで遊覧飛行するツアーを試験的に行いました。
市はこうしたツアーを定期的に開催できるよう調整を進めています。
このほか、仁徳天皇陵とされる古墳と隣接する場所には高さ12メートルほどの展望デッキを整備する計画もあります。
展望デッキの下には古墳群の成り立ちなどを詳しく解説するガイダンス施設も整備されるということです。

2539名無しさん:2019/05/14(火) 20:40:14 ID:NrdB.GxU0
日本文化揺籃の地・大阪。
日本国の母なる大地・大阪。
豊潤な歴史を誇る・大阪。

新しい御代・令和における日本国最初の世界遺産のある場所として選ばれた大阪。
時代は大阪。時の流れは大阪へ向かう。

世界の目が大阪へ集まる新時代の始まり。


「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録勧告 地元・堺市は早くも“お祝いモード”
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190514-00027750-mbsnewsv-l27

 大阪府にある「百舌鳥・古市古墳群」がユネスコの諮問機関から世界遺産に登録するよう勧告されました。今後、世界遺産委員会で登録が正式に決定する見通しです。地元・堺市では14日朝から祝福ムードです。

 「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録勧告を受け、近くの公園では市民らが号外を配りました。イベントにはこの方も…。

 「元号が変わったタイミングでこれは運命だと思いますので、非常にめでたいと喜びたいと思います」(ハニワ課長)
 「念願がやっと叶って夢のようでございます。(Q.どれぐらい応援してきた?)1600年」(堺市民)

 一方、こんな祝い方も…。

 「古墳こんにゃくといううちのオリジナル商品があるのですが、それを勧告の記念にふるまわせていただきます」
.
MBSニュース

2540名無しさん:2019/05/15(水) 22:44:05 ID:NrdB.GxU0
大阪城を眼前に、秀吉の大茶会を再現する茶道イベント
5/15(水) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190515-00067056-lmaga-l27

 「大阪城」本丸広場にある施設「ミライザ大阪城」(大阪市中央区)内の「ザ ランドマークスクエア オオサカ」 屋上で、茶道イベント『大阪城大茶会』が6月16日におこなわれる。

 かつて豊臣秀吉が開催した「北野大茶湯」を現代的に再現しようという同イベント。庶民から大名まで身分に分け隔てなくお茶をたしなむことができたという秀吉のお茶会のように、訪日外国人観光客をはじめ、初心者でも気軽に茶会に参加でき、茶道を通した日本文化と秀吉の大阪城との融合を感じることができれば、と企画された。

当日は、本格的な茶席(抹茶、干菓子付き)や野点(のだて)、外国人のための英語の解説資料も用意され、性別や年齢、国籍を問わずに広く楽しめるようになるという。5部制(要予約・各回80名)で、料金は1人500円。

2541名無しさん:2019/05/21(火) 20:31:23 ID:NrdB.GxU0
長い事、多くの人々から忘れられていた昔の大阪が徐々に姿を見せ始めてきた。
長い豊潤な歴史を誇る大阪。大阪とは歴史の玉手箱でもあるのです。

泉佐野市、河内長野市の2件 日本遺産に認定
2019年5月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190521/20190521027.html

 文化庁は20日、地域の歴史的魅力や特色を観光資源として活用する2019年度の「日本遺産」に全国の16件を認定、認定証を交付した。大阪府では泉佐野市の「旅引付(たびひきつけ)と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘(ひねのしょう)の風景-」、河内長野市の「中世に出逢(あ)えるまち〜千年にわたり護(まも)られてきた中世文化遺産の宝庫〜」の2件のほか、府内の和泉、藤井寺、茨木、箕面の各市を含み滋賀県など2府5県がネットワーク型で申請した「1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼〜」が認定された。(5月21日3面に関連記事)

 今回が第5弾となり、全国では72件の申請があった。

 泉佐野市は800年前に上級貴族の九条家の領地であった日根荘で、2枚の荘園絵図と九条政基が書いた「旅引付」という日記が残されている。絵図と日記に描かれた風景と人々の生活は、現在の農村景観にもつながっているという内容。

 審査委員会は、上級貴族の荘園に着目した興味深く魅力的なストーリーで、中世から受け継がれる荘園の景観と文化が大都市近隣に色濃く残っていると評価した。

 京と高野山を結ぶ街道の中間地に位置した河内長野市は、檜尾山(ひのおやま)観心寺と天野山金剛寺の2大寺院が隆盛した。街道沿いに白壁の塀や優美な建物などもあり、多くの社殿や堂、仏像、山城も築かれるなど、中世文化遺産の宝庫としている。

 都市近郊にあって、中世文化遺産や景観をよくとどめた豊かな地域で「寺院による荘園」というテーマも興味深いという。

 終活をテーマにストーリーをまとめた西国三十三所観音巡礼は、海外でも高い関心があり、将来的に活用面で大きな期待が持てると評価された。

 ミニクリップ

 日本遺産 地域の文化財の魅力を高め、観光資源として積極的に活用する目的で、文化庁が認定している。寺社や城郭、祭り、伝統芸能など複数の有形・無形の文化財で構成される。有識者委員会が、外国人にも分かりやすい物語性や日本遺産を生かした地域振興策などを審査する。認定されると、国が観光ガイドの育成や多言語のホームページ作成といった取り組みを財政支援する。

2542名無しさん:2019/05/21(火) 20:38:18 ID:NrdB.GxU0
船渡御に即位奉祝幕 ムード盛り上げへ 講社連合会
2019年5月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190518/20190518046.html

 大阪天満宮は17日、天神祭を支える講社連合会の会合を大阪市北区の同宮境内で開いた。祭りの呼び物の一つでもあり市内の川を約100隻の船が行き交う船渡御では、代替わりに伴う新天皇陛下即位を祝い、講社と連携して各船に奉祝の横断幕を掲げる構想を示した。

 天神祭の本宮祭は、奉祝祭を兼ねて斎行するが、一連の行事でも関係者らが連携してお祝いの意を示すことを確認。令和最初の天神祭を祝福ムードで盛り上げる考えだ。

 会合では、神職から前年度決算の報告や本年度予算の説明があったほか、渡御行事や奉納花火の計画が示された。

 講社連合会の森本幸一会長は「日本三大祭りの名に恥じない夏大祭にしたい」と、参加者らに協力を求めていた。

2543名無しさん:2019/05/21(火) 20:48:58 ID:NrdB.GxU0
別れ惜しみ人形を奉納 大阪天満宮
2019年5月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190520/20190520029.html

 長年親しんだ人形を奉納する「人形祭」が19日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。境内には、一般家庭から節句人形をはじめ、フランス人形やぬいぐるみが寄せられ、同宮の神職によって奉納された。

 関西節句人形工業協同組合の主催で2011年から毎年5月に開催。朝から訪れる人が後を絶たず、奉納台は人形たちで埋まっていった。奉納した人たちは、その様子を写真に収めるなどして別れを惜しんだ。

 高槻市から訪れた二宮玲子さんは五月人形2体とぬいぐるみ1体を奉納。3人の息子が全員成人したのを機に、人形を手放すことを決めた。「転勤が多く、何回も引っ越ししたが、(壊れることなく)無事に成長を見守ってくれた。粗末なお別れではなく、感謝の気持ちで手放せてよかった」と、穏やかな表情を浮かべていた。

 近年は住宅事情の影響もあり、奉納される人形は増加傾向。昨年は約1500体が集められたが、今年はその数を上回ると予想される。同組合の元賀圓治さんは「人形メーカーとして次の時代につながるものをアピールしていかないといけない」と話していた。

2544名無しさん:2019/05/21(火) 20:57:47 ID:NrdB.GxU0
日本遺産に認定、泉佐野市「中世日根荘の風景」
5/21(火) 8:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00000508-san-soci

 文化庁の「日本遺産」には大阪府内から、泉佐野市が申請したストーリー「旅引付(たびひきつけ)と二枚の絵図が伝えるまち-中世日根荘(ひねのしょう)の風景-」も認定された。中世の村の生活を記録した絵図2枚と貴族の日記が基になっており、魅力ある農村の景観が現在に受け継がれていると評価された。

 市文化財保護課によると、「日根荘」は鎌倉時代の天福2(1234)年に有力貴族の九条家の領地として成立。戦国時代の享禄3(1530)年ごろまで記録が残っている。成立当初は現在の同市のほぼ全域に広がっていた。

 ストーリーの基になった2枚の「日根野村絵図」=宮内庁所蔵=は、鎌倉末期の延慶3(1310)年ごろと正和5(1316)年の荘園の様子を描いたものとされ、作者は不明。緑豊かな風景に、田畑を潤すため池や水路、社寺などが描かれている。

 日記は「政基公旅引付」と呼ばれ、領主の九条政基(くじょう・まさもと)が戦国期の文亀元(1501)年〜永正元(1504)年の4年間、日根荘に滞在中に記したとされる。村の祭りや、罪人が捕らえられる様子、寺の住職が酒でもてなしてくれたことなどが記されている。

 同課は「中世の荘園の様子がこれだけ確実な史料として残っている例は全国でもほかにない」と話す。

2545名無しさん:2019/05/21(火) 21:00:08 ID:NrdB.GxU0
日本遺産認定の河内長野市 正成は観心寺で学び、金剛寺で祈願
2019.5.20 12:11
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/190520/lif19052012110013-n1.html?utm_source=yahoo%20news%20feed&amp;utm_medium=referral&amp;utm_campaign=related_link

 文化庁から20日、新たに日本遺産に認定された大阪府河内長野市は、大阪・難波から南海高野線で30分圏内という都市近郊にありながら、南北朝時代の風景をとどめている。京都と高野山(和歌山県)を結ぶ「高野街道」の中間に位置し、楠木正成とゆかりが深い観心寺と金剛寺をはじめ、多くの歴史的遺産を今に伝えている。

 観心寺は大宝元(701)年、金剛寺は天平年間(729〜749年)の草創と伝わる古刹(こさつ)。少年時代の正成は観心寺の支院「中院」で学問を修め、鎌倉幕府軍との戦いではたびたび金剛寺に戦勝祈願を依頼したという。

 中世には、両寺院とも朝廷との関係を強く築いたことから地域は繁栄し、社殿や仏像などが盛んに造られた。先の大戦でも戦災を免れ、市内には観心寺の「金堂」や金剛寺の「木造大日如来坐像(もくぞうだいにちにょらいざぞう)」をはじめ8件の国宝、76件の国指定重要文化財がある。

 市内を通る高野街道は、空海が高野山を開いて以降、京や堺などをたった参詣者が皇族や公家、庶民といった身分を問わず行き交い、発展してきた。造り酒屋や宿場町跡などの古い町並みが今も残り、地元では毎年秋に「高野街道まつり」が開かれている。





 棚田も点在している。正成が築城した古城跡と伝わるエリアや、金剛寺がかつて寺領として支配した地域などにも里山の風景が広がり、散策スポットには事欠かない。

 市は昭和29年に6町村が合併し人口約3万1000人で発足。大阪のベッドタウンとして宅地開発が進んできたが、人口は平成12年2月の約12万3600人をピークに減少に転じた。今年4月末現在は約10万5300人まで落ち込んでいる。

 市は人口減対策として観光を重視。旅行者や短期滞在者による交流人口を増やし、雇用創出や定住につなげていく狙いがある。その原動力となる日本遺産の認定は大きな目標だった。

2546名無しさん:2019/05/23(木) 00:11:38 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣でびょうぶなど展示
05月22日 12時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190522/0015778.html

 来月、日本で初めて開催されるG20大阪サミットにあわせて、大阪城天守閣で重要文化財のびょうぶなどを展示する企画展が、22日から開かれています。

この企画展「サムライたちの躍動」では、大阪城天守閣で収蔵しているコレクションの中からびょうぶやかっちゅうなど、あわせて71点が展示されています。
このうち、重要文化財の「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」は、慶長20年の大坂夏の陣の戦いを描いたものです。
びょうぶは左右ひと組で、右側には徳川軍と豊臣軍が激しくぶつかる様子が、躍動感を持って描かれ、左側には民衆たちが川を渡って逃げ惑う様子が描かれています。
また、「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織(ふじごしんかもんくろきらしゃじんばおり)」は、豊臣秀吉が使用したと伝えられています。
背中には、富士山がデザインされ、襟や袖の部分にヨーロッパの洋服をまねたフリルを取り入れるなど、目立つことを好む当時の侍たちの風潮がうかがえます。
金沢市から訪れた57歳の男性は「歴史と文化を感じる展示が多くすばらしいと思います」と話していました。
アルゼンチンから仕事で訪れたという31歳の女性は「アルゼンチンと日本の文化の違いを学べて興味深いです」と話していました。
大阪城天守閣の学芸員、宮本裕次さんは「侍文化は日本固有と思われますが、ヨーロッパの影響を受けた部分も多いので、ぜひそういった視点で展示を見てほしい」と話していました。
この企画展は7月17日まで開かれています。

2547名無しさん:2019/05/23(木) 16:31:59 ID:NrdB.GxU0
ブラタモリ、日本最大の古墳がある大阪・堺市を歩く
5/17(金) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00066765-lmaga-ent

 街歩きの達人・タモリが、街の歴史や人々の暮らしに迫るバラエティ番組『ブラタモリ』(NHK総合)。5月25日放送回では、タモリが林田理沙アナと歴史の街・大阪の堺市を歩く。

 日本最大(全長約486m)の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳」がある大阪府堺市。商人の町として繁栄し、戦国時代には鉄砲技術、現在も自転車産業が盛んと、同市が誇る鉄の加工技術は古墳に原点があったという。

古墳好きを豪語するタモリが「仁徳天皇陵古墳」を訪れ、堺市に巨大古墳が作られた理由を調査。自ら抱く「古墳の夢」も語り始める。この模様は、25日・夜7時半からの放送。

2548名無しさん:2019/05/23(木) 17:50:18 ID:NrdB.GxU0
>一方、一部に「お墓をのぞき込むのはいかがなものか」との意見があるほか、

 これ、よくわかるんですよね。
 恐れ多くも現存する世界最古の王朝である皇室の墳墓を上から生で見下ろすのはどうにも抵抗感がある。
 しかし同時に学術的見地から上から見てみる事でわかることもあろう。
 ならば妥協案として上空から「あくまで学術的見地から撮った映像」を「最新のVRで見る」という形にしてはどうか。
 品位と敬意を持って古墳群には接したいものです。


仁徳陵「全景見たい」 ヘリや気球での遊覧飛行検討
5/22(水) 11:41配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190522-00000522-san-soci

 世界文化遺産登録がほぼ確実になった「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)。国内最大の前方後円墳を中心に大小の古墳が密集する雄大な景観が魅力の一つだが、大きすぎて地上からでは全体像をつかみにくい。「上空から見てみたい」との要望や登録による集客増を見込み、地元ではヘリコプターや気球による遊覧飛行などを検討している。(有年由貴子)

 「ニュースを見て駆けつけたが、やはりとても大きい。何か象徴的なものでも見て帰りたいのですが…」

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスによる世界遺産登録の勧告が明らかになった14日。古墳群で最大の仁徳(にんとく)天皇陵古墳(大山〈だいせん〉古墳、堺市堺区)を訪れた埼玉県川越市の教員、小林伸和さん(54)は撮影スポットを探しながらつぶやいた。

 エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられる仁徳陵は、最大長840メートル、最大幅654メートル。拝所のそばには全体像を示した航空写真が掲げられているが、宮内庁が管理する天皇陵のため敷地内に入場はできない。木々に覆われた巨大な墳丘が遠目に見えるのみだ。

 仕事帰りに訪れた近くの男性会社員(61)も、「まだ全景を見たことがない。これから観光客も増えるだろうし地元のPRのためにも気軽に見られるようになればいい」と話した。

 堺市によると、おなじみの「鍵穴」など仁徳陵の全景を近くで見るには、日本一高いビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)に匹敵する地上300メートル以上から眺める必要がある。

 周辺に高い展望施設はなく、一般開放されている堺市役所(堺市堺区)の21階展望ロビー(地上約80メートル)から見下ろせるが、「大きな丘のようで全体像までは見えない」(市担当者)。市は仁徳陵近くの市博物館で、ドローンで撮影した映像を使い、上空から眺めているような疑似体験ができるコーナーを設置している。

2549名無しさん:2019/05/23(木) 17:50:50 ID:NrdB.GxU0
ただ、「実際に目で全景を見たい」という市民からの要望は強い。現時点では、民間事業者が実施している遊覧飛行を利用する以外になく、朝日航空(大阪府八尾市)によると、チャーターしたセスナ機で八尾空港(同)を出発し仁徳陵周辺を18分かけてめぐるコースは大人8400円。「一度見てみたい」「子供に見せたい」といった需要が多いという。


世界遺産登録を目指す機運醸成のため、堺市は昨年10月、民間業者によるヘリコプターや気球の遊覧飛行の試行を企画した。ヘリで地上500メートル付近から古墳群を眺めるツアー(大人6500円)に市民ら計約200人が参加。アンケートでは9割以上が定期運航に賛成した。

 大阪へのインバウンド(訪日外国人客)は増加の一途をたどり、平成30年には過去最多の約1200万人を記録。世界遺産登録により古墳群を目当てにした観光客の大幅な増加も期待される。

 一方、一部に「お墓をのぞき込むのはいかがなものか」との意見があるほか、周辺には住宅地が広がるため、ヘリの離着陸場所の確保や騒音問題など都市部ならではの課題も残る。

 堺市観光企画課の担当者は「全景を見ることで、多くの人に古墳群の雄大さや歴史、価値を感じてもらえる。課題を検証しながらニーズを把握し、世界遺産登録までに民間事業者による事業化を目指したい」と意気込んでいる。

2550名無しさん:2019/05/25(土) 21:40:50 ID:NrdB.GxU0
>今後、大阪府と堺市が連携して、古墳群を上から見られる方法を検討するということです。

 くれぐれも古墳時代から今に連綿と続く皇室に非礼の無きようにお願いします。

百舌鳥・古市古墳群吉村大阪府知事が視察
5/25(土) 8:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190525-08115201-kantelev-l27

 大阪府で初めての世界遺産に登録される見通しの「百舌鳥・古市古墳群」を吉村洋文知事が視察に訪れました。

「百舌鳥・古市古墳群」は世界三大墳墓の1つとも言われる仁徳天皇陵(大山古墳)を含む
49基の古墳で構成され堺市など3市にまたがって点在しています。

世界遺産の審査を行う「イコモス」が今月14日に登録を勧告したため、
7月上旬に大阪府で初めての世界遺産になる見通しとなり、24日、吉村知事が視察に訪れました。

【吉村洋文大阪府知事】
「古墳の形を自らの目で見られるようなそんな仕組みが必要だと思いました」

今後、大阪府と堺市が連携して、古墳群を上から見られる方法を検討するということです。
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関西テレビ

2551名無しさん:2019/05/25(土) 22:06:56 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣で「サムライたちの躍動」展 初公開「うんすんカルタ貼交屏風」も /大阪
5/24(金) 16:21配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-00000044-minkei-l27

  大阪城天守閣(大阪市中央区大手前1)で5月22日、企画展示「サムライたちの躍動-大阪城天守閣名品セレクション-」が始まった。(京橋経済新聞)

 
重要文化財「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」、武田信玄と上杉謙信が戦った「川中島合戦図屏風」など71点が展示されている。「川中島合戦図屏風」では、謙信が馬上から刀で斬り掛かり、信玄が軍配で受け止めた迫力ある場面が描かれている。

 真田兄弟の甲冑(かっちゅう)などの武具も展示。弟・幸村が着用したとされる甲冑には、胴の部分が鉄の板を2枚つないであり、西洋の騎士の甲冑を模した作りとなっている。籠手(こて)には、真田家の家紋「六文銭」が打ち出されている。兄・信之の甲冑は、胴にはしごが描かれているのが特徴的。「上に上る」という縁起にちなんだもので、父・昌幸も同じはしごの甲冑を持っていたという。

 期間中6月28日、29日にG20大阪サミットが開催されることもあり、国際交流を意識した展示も。その一つがスペイン・ポルトガルとの貿易が盛んな様子を描いた重要文化財「南蛮屏風」。南蛮屏風はいくつかの種類があり、今回は左側に外国の港、右側に日本の港が描かれたものが展示される。ほかにも「うんすんカルタ貼交(はりまぜ)屏風」は桃山時代にポルトガルから伝えられた「うんすんカルタ」33枚を貼ったもので、西洋の剣や聖杯、中国の仙人、日本の武士などが描かれている。

 企画した大阪城天守閣研究副主幹の宮本裕次さんは、「侍の躍動を感じながら、外国の文化を受け入れ、さらにそこから日本のオリジナルティーとして発展させた日本文化の柔軟性を見ていただきたい」と話す。

 開館時間は9時〜17時。入場料は600円(中学生以下、大阪市在住の65 歳以上(要証明)、障がい者手帳持参の人は無料)。7月17日まで(南蛮屏風の展示は6月21日〜7月4日)。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2552名無しさん:2019/05/25(土) 22:48:32 ID:NrdB.GxU0
おいしく食べて合格祈願 ご祈祷最中クッキー製品化
2019年5月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190524/20190524042.html

 四天王寺大(羽曳野市、岩尾洋学長)が食べられる学業成就・合格祈願グッズ「ご祈祷最中(きとうもなか)クッキー」を製品化し、23日、母体である和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)で祈とうを受けた。非売品で、6月上旬から実施するオープンキャンパスの来場者へ配布する。

 従来の配布品だった文房具類に替わるものとして、2016年にオリジナルグッズのプロジェクトが始動。地域連携を目指し羽曳野市内の菓子製造業者と共同で手掛けている。

 4作目となる今年は和菓子工房「あん庵」が製造を担当。クッキー生地に全10色もあるハート形のもなかの皮をかぶせた。2個入りパッケージに添えるイラストは3種類あり、伝統の天王寺舞楽に欠かせない「大太鼓(だだいこ)」を題材に3人の学生の作品を採用した。

 同日は境内・元三大師堂(重要文化財)で同寺の瀧藤尊淳執事長(学校法人四天王寺学園理事長)を導師に祈とうの護摩たきが執り行われ、学生の代表ら関係者が参列した。

 イラスト作者の一人で教育学科3年の大西真弘さん(20)は、「風格ある太鼓の色合いを表現するのが難しかった。多くの方にグッズを配布して、喜んでいただきたい」と話した。

2553名無しさん:2019/05/27(月) 21:00:07 ID:NrdB.GxU0
歴史感じウオークラリー スタンプ集め「ビンゴ」
2019年5月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190527/20190527036.html

 ウオークラリー形式で地域を巡る「ビンゴウォーク」が26日、大阪市住吉区の住吉大社一帯であった。鎮座1800年の歴史を感じさせる周辺の建物や商店街がコースに設定されており、親子連れや学生ら約200人が汗ばむ陽気の下で歩みを進めた。

 府レクリエーション協会が、2015年から大阪市内2カ所で実施しており、行政や地域団体と共に進めている「おおさか元気プロジェクト」の一環。

 境内を発着点に3人程度のグループが、地元の粉浜商店街を含む周辺1・5キロを巡り、スタンプを集めて「ビンゴ」を完成させた。音楽に乗せた「レク体操」でも体を動かした。

 保育士を目指しており、資格取得の一環で参加したという大阪国際大短大1年の谷口月望さん(18)は「街並みがきれいで、商店街を巡るのも楽しかった」と満足そう。一昨年に大病を患ったという茨木市の益田政男さん(67)は「リハビリには歩くのが一番。健康で仲間と参加できてよかった」と、気持ち良さそうに汗をぬぐっていた。

2554名無しさん:2019/05/27(月) 21:14:19 ID:NrdB.GxU0
登れる、触れる古墳も!古市古墳群の意外な魅力
5/24(金) 17:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190524-00027897-mbsnews-l27

  ユネスコの世界文化遺産への登録が勧告された百舌鳥・古市古墳群。堺市の仁徳天皇陵とされる大山古墳に注目が集まりますが、構成される49基のうち26基が藤井寺市と羽曳野市にまたがる「古市エリア」にあります。どんな魅力があるのでしょうか。

 郵便局では自慢の古墳が描かれたおそろいのベストを局員が着用し、パン屋さんでは古墳の形をしたパンを販売。勧告から1週間あまり、地元は沸いています。

 「古墳パンを持ってピクニックに行ったりする方もいるので、写真に上げてもらったりして喜んでもらっている」(パン店「coccoya」店員さん)

 玉巻映美アナウンサーは、古市古墳群の保全に30年以上携わってきた藤井寺市役所の山田幸弘さんに古墳を案内していただきました。まず、近鉄土師ノ里駅の真ん前にある小高い丘は、5世紀前半の鍋塚古墳です。実際に登ってみると…

 (玉巻アナ)「とっても見晴らしいいですね」
 (山田さん)「展望台みたいになってるでしょ」

 古墳は権力を見せつけるためのお墓。より大きく見えるよう高台に造られることが多いといいます。古市古墳群では、特にこの辺りに密集していて見て回るのには最適なんです。ここ土師ノ里は古墳の設計などをしていた土師氏の本拠地だといわれています。

 「古墳の設計をしたり埴輪をつくったりは土師氏が全部やってると思いますね」(藤井寺市 山田幸弘さん)
 Q.百舌鳥・古市古墳群の49基は土師氏が手がけた?
 「主管して作ってるのは事実だと思いますね」

2555名無しさん:2019/05/27(月) 21:14:58 ID:NrdB.GxU0

いわば百舌鳥・古市古墳群の発祥の地なんです。それもあってか、市の面積に占める古墳の割合は6.6パーセントと全国トップクラスです。このエリアには国内有数の規模の古墳もいくつもあります。前方後円墳の誉田御廟山古墳(応神天皇陵)は、仁徳天皇陵とされる堺市の大山古墳に次いで国内2位、仲津山古墳(仲姫命陵)は国内9位です。

 古墳の外周部にあたる場所に建つ家も多く、今でも数十センチ掘れば埴輪などが見つかるんだそうです。中にはこんな古墳も…

 (玉巻アナ)「高架の真下にありますよ!」

 西名阪自動車道の高架下にひっそりとたたずむ赤面山古墳。環境の悪さなどから世界遺産の対象からは外されたそうです。

 「陰で草生えませんしね、保全するという意味では悲しい古墳ですね」(藤井寺市 山田幸弘さん)

 数ある古墳の中で山田さんの一押しは古室山古墳です。仁徳天皇陵のように宮内庁が管理する古墳は立ち入りが制限されていますが、ここは藤井寺市が管理していて登ることもできます。

 「斜面に石がボロボロ出ていますけれども、これが古墳の表面に葺かれていた石」(藤井寺市 山田幸弘さん)

 古墳の斜面を覆っていた石が今もあちらこちらに転がっています。さらに…

 「土器、埴輪の一部ですね」(山田幸弘さん)

 古墳の上に並べられていた円筒埴輪の一部だそうです。ここでは1500年前の息吹が少し身近に感じられます。

 「大阪・住之江区の南港からぶらぶらと。この人が“古墳ガール”にデビューして」(男性)
 Q.いつから古墳ガールに?
 「土曜日から。すごく見晴らしもいいし、気持ちいいなと思って」(女性)

 市はこれらの古墳を年間約1500万円かけ維持管理しています。今後、世界遺産登録となれば、遊歩道の整備などより多くの費用がかかると見込まれますが、町おこしの起爆剤になると期待を寄せています。

 「墳丘の形や高さを体感できるので、ぜひともいろいろ見ていただければうれしい」(藤井寺市 山田幸弘さん)
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MBSニュース

2556名無しさん:2019/05/27(月) 21:26:23 ID:NrdB.GxU0
観心寺で「楠公祭」日本遺産認定後の河内長野市
5/26(日) 22:09配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190526-00000565-san-soci

  「中世に出逢えるまち」として日本遺産に認定された大阪府河内長野市にある観心寺で26日、寺にゆかりの深い南北朝時代の武将・楠木正成を供養する「楠公(なんこう)祭」が営まれ、約300人がその遺徳をしのんだ。

 観心寺は約1300年前の草創と伝わる古刹(こさつ)。支院のひとつ「中院」が楠木一族の菩提寺(ぼだいじ)で、「大楠公(だいなんこう)」として知られる正成は少年時代に中院で学問を修めたとされる。神戸・湊川の戦いで敗死した命日(5月25日)に最も近い日曜日に楠公祭が営まれている。

 日本遺産に認定された同市の中で、観心寺は中心をなす寺院のひとつ。認定後初の楠公祭では、観心寺楠公会会長の山中諄(まこと)・南海電鉄相談役が「一片の私心も持たれなかった大楠公の真心と行動は、時代を通じて最も尊ばれるべき行為」と、祭文を読み上げて功績を称(たた)えた。その後、読経の響く中で参列者は焼香し、人生を通じて「公」を貫いた正成に思いをはせた。

 出席した島田智明市長は「観光都市として自立できるよう、今後の取り組みを楠公さんとつなげていきたい」と強調。このほか、書道家・永山玳潤(たいじゅん)さん(47)が、歌い上げられる詩吟「大楠公」に合わせ、歌詞を揮毫(きごう)していくパフォーマンスを披露した。

2557名無しさん:2019/05/28(火) 21:00:55 ID:NrdB.GxU0
秀吉の陣羽織や真田幸村の鎧…サムライ文化を世界に発信する企画展 大阪城天守閣 G20控え
5/28(火) 12:04配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-00000026-ytv-l27

 主要20か国・地域(G20)首脳会議が来月、大阪で開かれるのを前に、大阪城天守閣では、サムライ文化を世界に発信する企画展が行われている。

 真田幸村が戦場で着たとされる鎧や、派手好きの豊臣秀吉が愛用したとされる富士山の噴火を描いた陣羽織など、大阪城天守閣に収蔵されている重要文化財6点を含む計71点が展示されている。

 日本人女性とオーストラリア人男性は「鎧とか見たかったみたいなので、見られてすごいかっこいいねって、さっきから言ってる」「it’s very cool」などと話していた。

 企画展は、7月17日まで。

2558名無しさん:2019/05/28(火) 21:19:46 ID:NrdB.GxU0
熱中症対策で救護所2倍 天神祭渡御行事
2019年5月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190528/20190528026.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は27日、昨年の記録的な猛暑を踏まえ、救護体制を拡充する方針を示した。救護所が3カ所だったのを6カ所に倍増。テントだったのを、プレハブか車両にして冷房できるようにする。

 昨年の人手は、記録的な猛暑を受け、24日の宵宮と25日の本宮両日を合わせ前年比14万2千人減の120万5千人だった。25日夕方以降の混雑時を頂点に熱中症発症者が相次ぎ、救護所が不足。重症者はいなかったというが、対応が課題となった。

 今年は、4カ所にプレハブ型を設置。2カ所に2台ずつ4台車両を置いて救護所代わりにする。全ての救護所に看護師を配置し、医師は、プレハブ型2カ所に1人ずつ待機する体制にする。救護所が目立つよう案内板を用意し、赤いランプを取り付ける。

 大阪市北区の大阪天満宮で開いた府警関係者との会議で提示。栗原宏武実行委員長は「天神祭を安全に斎行したい」と協力を求めていた。

2559名無しさん:2019/05/29(水) 21:41:32 ID:NrdB.GxU0
大阪歴史博物館で「鋳造関係遺物」展示 出土品から学ぶ、大阪の町の成り立ち /大阪
5/29(水) 14:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000038-minkei-l27

 大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で現在、豊臣時代前期に使われた鋳型や炉跡など鋳造関係の遺物展示を行っている。(京橋経済新聞)

 
鋳型や炉跡は、大阪のビジネス街となっている船場から出土。同館学芸員の豆谷浩之さんによると、当時船場に鋳造所があったのは、大坂の城下町を開発するのに必要な道具を作り出す場所として交通のアクセスが良かったためと推測されているという。「城下町はその後、船場にまで拡大し民家が増えたため、火を扱う鋳造所は場所の移動を余儀なくされた」とも。

 展示品は、スコップのように土を掘り起こす農工具「鋤先(すきさき)」や、鍋の取っ手部分の鋳型など。鋤先は土木作業にも使えるため、船場で作られた犂先は大阪の城下町を開発するのに使われたのではないかといわれている。

 豆谷さんは「豊臣時代の発掘によって分かる、大阪の町の成り立ちを展示品から感じ取っていただければ」と話す。

 開館時間は9時30分〜17時。火曜休館。入場料は一般=600円。中学生以下、大阪市在住・65 歳以上(要身分証明証)、障がい者手帳持参者は無料。8月19日まで(予定)。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2560名無しさん:2019/05/29(水) 22:38:15 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録へ 「百舌鳥・古市古墳群」の謎を歴史作家解説
5/28(火) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00000002-pseven-soci

  今年6月末〜7月にアゼルバイジャンで開かれる「世界遺産委員会」で、「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」の世界文化遺産登録がほぼ確実な情勢だ。歴史の教科書にも登場し「日本最大」として知られる仁徳天皇陵など、49基の古墳からなる。日本人なら誰でも知っているようで、実は知らない「古墳」の謎を歴史作家の島崎晋氏が解説する。

 大阪府の悲願がまもなく叶おうとしている。百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産への登録が今年の7月にも実現しようとしているのだ。大阪府としては初の世界遺産登録となる。

 古墳とは古代における有力者の墓のことで、文化庁の統計によれば、日本全国で発見された古墳・横穴の総数は約16万基。日本列島に広範囲に散在しているが、巨大古墳と呼ばれる大きなものは現在の奈良県と大阪府に集中している。そのなかでも4世紀後半から5世紀後半の古墳時代最盛期のものがもっとも集中しているのが、大阪府堺市から羽曳野市・藤井寺市の一帯で、西寄りにある百舌鳥と東寄りにある古市古墳群とをあわせ、百舌鳥・古市古墳群と呼ばれている。

 百舌鳥・古市古墳群には円墳、方墳、前方後方墳、前方後円墳の4種類があるが、このうち巨大古墳に分類されるのは後二者で、世界文化遺産への登録にあたっては、「顕著な普遍的価値」を有するか否かが審査の大きなポイントであった。単なる巨大墳墓では落選した可能性が高く、百舌鳥・古市古墳群の場合、大小の古墳が集中していることに加え、前方後円墳という形状が世界的に見ても極めて特殊で、なおかつ計算し尽くされた美しい造形が審査員の心を捉えたものと考えられる。

 正式に世界文化遺産に登録されれば、国連の下部機関であるユネスコから助成金が出される。それには行き届いた維持管理と一般公開が前提となるが、宮内庁の管轄下にあり、内部への立ち入りが許されない古墳は大丈夫なのかとの不安はあった。しかし、一般人の上陸を禁止している宗像大社の沖ノ島が世界遺産に指定された前例(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として、2017年に登録)ができ、外観だけの公開でも問題なしとなったことで、この問題はクリアとなった。

2561名無しさん:2019/05/29(水) 22:39:09 ID:NrdB.GxU0
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00000002-pseven-soci&amp;p=2

 ところで、百舌鳥古墳群のなかで最大規模を誇るものには仁徳天皇陵=大仙陵(大山)古墳、同じく古市古墳群のそれには応神天皇陵=誉田御廟山(誉田山)古墳と、大きく二つの呼び方がある。なぜかといえば、古墳に眠るのが誰なのか正確にはわからないからである。

 どの古墳に誰が眠るかの特定がなされたのは明治になってからのことで、それは日本初の歴史書である『日本書紀』の記述と、江戸時代の実地調査をもとに行なわれた。埋葬地として記された地域でもっとも相応しいと判断されたものが選ばれたわけで、科学的な根拠と言えるものはないに等しい。

 それだけに、戦後になって古墳周辺の発掘調査が許されるとともに、時代的に合わないものが多々明らかとなった。そのため考古学と歴史学の世界では天皇陵という呼び方をやめ、地名に由来する呼び方をするようになったのである。

 宮内庁としては過去の指定を間違いと認めるわけにはいかず、そうかと言って考古学的な裏付けを無視するわけにもいかない。天皇陵である可能性のある古墳46基を「陵墓参考地」として宮内庁の管轄下に入れ、立ち入り禁止にするという策を講じている。現在までのところ、天皇、皇后、皇族方が眠る陵墓と「参考地」の合計は約900基を数えている。

【プロフィール】しまざき・すすむ/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。著書に『ざんねんな日本史』(小学館新書)、『春秋戦国の英傑たち』(双葉社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 孫子の兵法』(日本文芸社)、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』(辰巳出版)、『いっきに読める史記』(PHPエディターズ・グループ)など多数。

2562名無しさん:2019/05/29(水) 22:42:19 ID:NrdB.GxU0
新西国霊場の38カ寺集う出開帳 6月に四天王寺で
5/29(水) 16:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190529-00000052-asahi-soci

 聖徳太子の創建とされる大阪市天王寺区の四天王寺や、日本最古の本格的寺院として知られる奈良県明日香村の飛鳥寺など、近畿各地の名刹(めいさつ)が名を連ねる新西国霊場会の出開帳が6月5〜9日、一番札所の四天王寺で開かれる。出開帳は40年ぶり。全38札所寺院のご朱印を一度に集めて「満願」を果たすこともできる。

 
新西国霊場は1932年、地元新聞社が信仰と行楽を兼ねる巡礼コースとして、読者の意見などに基づいて近畿2府4県から選んだ38札所寺院。仏教の教えで日本を平和国家にしたいと願ったとされる聖徳太子や、皇室にゆかりの深い寺が多いのが特徴だ。

 出開帳とは、寺に安置する本尊や仏画などを、別の寺や博物館などで公開すること。今回は新天皇即位の節目に合わせ、2022年に迎える霊場会90周年の記念事業と、聖徳太子の年忌法要「1400年御聖忌」として行われる。

 五重塔がある中心伽藍(がらん)の回廊に38カ寺の「ご朱印巡礼」の会場を設けるほか、各寺の仏像なども参拝できる。遠方で行く機会の少ない寺院も参拝できるほか、会期中に一度に巡って満願を目指すこともできる。

 会期中は、特別記念宝印帳を販売。38カ寺の押印済みで、特製(1万7千円)と金紙を使った特別仕様(5万2千円)がある。ジャージー姿の聖徳太子が登場することで知られるマンガ「ギャグマンガ日和(びより)GB」(増田こうすけ作)とのコラボレーション企画「ダンボール迷路巡礼」も登場する。

 参拝料千円を納めれば、いずれの巡礼会場にも入れる。期間中は連日午前と午後に記念法要も営まれる。

 四天王寺の山岡武明執事は「今回の出開帳をきっかけに『和の精神』を唱えた聖徳太子や日本の巡拝を多くの方に知っていただき、新しい時代の参詣(さんけい)のあり方を探る機会にしたい」と話す。

 開催時間はいずれも午前10時〜午後4時。問い合わせは事務局の四天王寺総務部参詣課(06・6771・0066)へ。(田中章博)
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朝日新聞社

2563名無しさん:2019/06/04(火) 20:45:27 ID:NrdB.GxU0
豊臣期大坂城の構造が明らかに
06月04日 17時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190604/0016189.html

 現在の大阪城の地下に眠る豊臣秀吉が築いた当初の「大坂城」の詳しい構造が大阪市立大学のグループの最新の地下調査で明らかになりました。
これまで絵図などでしか確認されていなかった築城当初の大坂城の姿が大規模に確認されたのは初めてです。

これは、4日、大阪市立大学大学院の仁木宏教授らの研究グループが発表したものです。
豊臣秀吉によって築城された当初の大坂城は大坂の陣に勝利した徳川幕府によって埋め立てられ、現在の大阪城はその上に築かれています。
しかし、大阪城一帯は国の特別史跡に指定されているため、発掘調査が難しく、当時の詳しい構造は図面や絵図で確認するしかありませんでした。
このためグループでは、細い金属の棒を地中に差し込んでその際の抵抗から地中の構造を推定する調査方法を使い、4年間かけて大阪城本丸のおよそ300地点を調べました。
その結果、天守がある本丸の3段構造の石垣の一部や生活の場だった奥御殿と公務を行う表御殿をつなぐ橋とみられる跡などが確認できたということです。
こうした構造は築城当初の大坂城を描いたとされる図面とほぼ一致していたということで、実際の調査で当時の大坂城の遺構が大規模に確認されるのは初めてです。
仁木教授は、「発掘調査が難しい中で絵図などに残されていたものが実際に確認できたことは大きな意義がある。今後は文化財を破壊しない方法を組み合わせてさらに調査を進めたい」と話しています。

【専門家“非常に価値のある成果だ”】
今回の調査結果について、大阪城天守閣の北川央館長は、「歴史研究者にとって築城当初の大坂城がどのような構造物であったか知る手がかりや方法は絵図以外にはほとんどなかった。徳川の時代とは異なる豊臣期の大阪城本丸の複雑な構造が確認されたことは非常に価値のある成果だ。文化財として保護されている場所での発掘調査は難しく、今回の調査手法は今後の研究でも参考になるはずだ」と話しています。

【今回の調査方法とは】
今回の調査は「スウェーデン式サウンディング調査」と呼ばれ、もともとは地盤調査などに用いられてきました。
先端にドリルがついた直径3センチほどの細い金属の棒を地中に差し込み、その際の抵抗の強弱を測定することで、地中の構造物の位置や形を推測することができます。
詳しく調べるためには多くの地点で調査を行う必要があり、今回の調査では4年間かけておよそ300地点に金属棒を差し込むことで地下の石垣や構造物の状況が明らかになりました。
一方で、地面を掘り起こさなくても地中の調査ができるため、今後、史跡に指定されている場合など、発掘が難しい場所での調査に役立つとして注目されています。

2564名無しさん:2019/06/04(火) 21:39:27 ID:NrdB.GxU0
世界遺産で注目、大阪・古市に古墳と埴輪専門店。埴輪づくり体験も
6/2(日) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190602-00067800-lmaga-l27

  世界文化遺産登録勧告を受けた大阪の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」。そんななか注目を集めているのが、古市の埴輪づくり体験施設「河内こんだハニワの里 大蔵屋」。羽曳野市の古墳群観光、体験、発信を担う拠点となりそうだ。

 「仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」に次ぐ2番目に大きな「応神天皇陵古墳」などが周辺に点在するエリアに、4月27日にオープンした同店。その母体は、地元・羽曳野の印刷会社「大蔵印刷工業」だ。2015年から、地元の企業と人々が連携して世界遺産登録推進を応援することを目的とした『もずふる応援隊』のメンバーとして、古墳メモやマスキングテープなど古墳グッズの開発を手掛けてきた。

「羽曳野市には埴輪の窯跡がたくさんあり、すぐ近くにも誉田白鳥埴輪製作遺跡があるんです。社長の『うちも埴輪工場みたいになれないか?』のひと言から、2018年夏に企画が動き出しました。世界文化遺産になってもならなくても、やり遂げようと決めていました」と、同社の企画営業部の朝野亜紀子さん。本社ビルを全面リニューアルし、オフィスは古墳グッズ売場、古墳ギャラリー、埴輪の工房へと変貌した。

5月の連休から家族連れを中心に埴輪づくり体験者が増え始め、とくにイコモスの勧告以降は、予約が続々と入っているという。「古墳グッズを買われたり、親子や大学生が埴輪づくりを体験したり・・・。幅広い層にお越しいただいています。保育園からの問い合わせもあり、地元の人にとっても楽しめる場になれば」と、同じく企画営業部の岡崎近子さんも手応えを感じている。

1階ではオリジナル文具のほか、アクセサリーやTシャツなどの古墳グッズも販売され、古墳に興味がなく立ち寄った人も「かわいい!」と、特に女性からの反応が良いそう。近隣の仕出し屋とコラボした「はにわ弁当」も販売し(要予約)、休憩スペースとしても利用できる。埴輪づくり体験は1人1700円(税別・要予約)。

取材・文/郡麻江(古墳ライター)

2565名無しさん:2019/06/04(火) 21:45:14 ID:NrdB.GxU0
皇室ゆかりの貨幣など展示 新天皇即位記念特別展
2019年6月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190603/20190603027.html

 大阪市北区の造幣局内にある造幣博物館で、新天皇即位を記念した特別展が開かれている。造幣局がこれまでに製造した皇室関係の記念貨幣やメダルのほか、皇族の人々が造幣局を訪問した際の写真も展示され、皇室との関わりを知ることができる。30日まで。

 明治天皇、大正天皇、昭和天皇の成婚や即位を記念して製造されたメダルなど約40点が並ぶ。

 1992年に、当時の皇太子が造幣局訪問の際に、七宝体験をした写真も並び、実際に釉薬(ゆうやく)を盛り付けた文鎮も紹介されている。来館者は皇室ゆかりの品をじっくり鑑賞している。

2566名無しさん:2019/06/04(火) 21:57:10 ID:NrdB.GxU0
学童疎開の体験後世に 記念冊子、6月中に発行
2019年6月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190602/20190602020.html

 太平洋戦争中の学童疎開を体験した関西在住の人々でつくる「国民学校と学童疎開を考える会(略称・国学考)」(奥田嗣夫会長)が、記憶を後世に伝えようと記念冊子「学童疎開を語り継ぐ」の製作に取り組んでいる。6月下旬の発行を目指し、編集作業もようやく大詰め。編集委員長を務める福山琢磨さん(85)=新風書房代表=は、「大阪の学童疎開の全体像がつかめる内容に仕上がった」と最終校正に目を光らせている。

 発足約10年となる同会の活動の中で冊子発行は初の試み。1944(昭和19)年6月の「学童疎開推進要領」の閣議決定から75年の節目と、2017年に当時の奥村誠一理事長、18年には代行だった寺師一清事務局長が相次いで亡くなったことを受け、会員の貴重な体験記録をまとめることになった。

 投稿の呼び掛けに約25編の手記が寄せられた。あくまでも会員が対象だが、投稿のために新たに入会した人も複数あった。

 項目は「集団」「縁故」のほか、疎開先である「受け入れ側」も設けて分類。会員の写真は、可能な限り疎開当時と現在の顔を並べるなどレイアウトも工夫した。

 福山さんは「集団疎開の途中で縁故疎開に切り替えた例や、集団疎開には費用が必要で、わが子を送り出した家族にとっては大きな負担であった事など、あまり知られていない事情もあった」と解説する。

 自身は受け入れ側として投稿し、郷里・鳥取県倉吉市の上北条国民学校に大阪から縁故疎開してきた児童との出会いを紹介。「当時から大阪に大変興味があったのでいろいろと話を聞こうとしたが、方言が大きな壁となった」と振り返り、「軍隊経験者はもとより、疎開体験者も高齢化の時代となった。より多くの人に見てもらいたい」と思いを込める。

 冊子は2部構成の約300ページで、第1部は会員の手記を中心とする「『国学考』の記録」、第2部には学童疎開展実行委員会事務局が1990年秋に発行した冊子「戦争を生きのびた子どもたち」を合本する。

◇    ◇

 国学考は発行記念の朗読発表会を7月21日に大阪市西区の市立中央図書館5階講堂で開く。午後1時半(会場は30分前)〜同4時半。1部は朗読会、2部(同2時45分)は奥田会長原作の映画「ボクちゃんの戦場」(85年)を上映する。入場無料。

2567名無しさん:2019/06/04(火) 22:03:08 ID:NrdB.GxU0
令和初の祭り成功へ 天神祭、事業計画と予算決定
2019年5月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190530/20190530035.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は29日、大阪市北区の大阪天満宮で委員総会を開き、本年度の事業計画と予算を決定した。厳しい財政状況が続くものの、工夫しながら健全化を図っていくことを確認。令和で初めての祭りの成功に向けて決意を示した。

 財政状況を巡っては、前年度は単年度での黒字化を達成し、累積赤字を圧縮したことを報告した。一方で本年度予算は、船の手配方法が変更となったことや警備費が膨らむなどし、健全化に向けては予断を許さない状況が続く。

 このため、協賛金集めや運営方法の見直しなどを説明して議決。新天皇陛下即位を祝う行事を執り行う点も申し合わせた。

 栗原宏武会長代行は「新しい年号で初めて迎える天神祭であり、奉祝の意味も兼ねて盛大に安全に斎行したい」と意欲を示し、寺井種治宮司は「環境は厳しいが、心を合わせて天神祭を守り伝えたい」と協力を呼び掛けていた。

2568名無しさん:2019/06/04(火) 22:04:52 ID:NrdB.GxU0
色めくアジサイ 坐摩神社
2019年5月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190530/20190530043.html

 “ざまさん”の呼び名で知られる大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で境内のアジサイが順次咲き始め、みずみずしい花姿で参拝者を迎えている。

 花は同神社の北岡忠澄権禰宜(ねぎ)が長年にわたり挿し木で増やし続け、現在は鉢と地植えで約30品種約300株を植栽。白のカシワバアジサイやアナベルのほか、近年はピンク系のダンスパーティーなど彩り豊かな品種を多く取り入れている。

 参道沿いに整然と並ぶ鉢植えは、環境に慣れさせるのと新緑の葉も楽しんでもらう目的で開花前の4月ごろから配置。訪れた人たちが日々変化する都心の花模様をじっくりと観賞している。

 北岡権禰宜は「昨年はやや早めだったが、今季は順調に開花している。社殿に映えるように配列した花たちを、多くの人に見ていただきたい」と話した。花は6月中旬まで楽しめる見込み。

2569名無しさん:2019/06/04(火) 22:05:50 ID:NrdB.GxU0
大阪・適塾で特別展 北船場地域の歴史をテーマに、古地図も /大阪
6/4(火) 12:48配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190604-00000024-minkei-l27

  国指定重要文化財の史跡「適塾」(大阪市中央区北浜3)で6月4日、特別展示「北船場地域と適塾・除痘館」が始まった。(船場経済新聞)

 
適塾は、医師で蘭(らん)学者の緒方洪庵が江戸末期に開いた私塾で、適塾からほど近い場所に除痘館があった。除痘館は、洪庵らが開設した天然痘予防事業の普及拠点で、現在、その跡地には緒方ビル(今橋3)が立ち、館内に記念資料室が設けられている。

 今回の特別展示では、洪庵が活動の拠点とした北船場地域の歴史にスポットを当てる。主な展示物は、洪庵が町家を購入した際の契約書「永代売渡申家屋敷之事」や、当時の土地台帳「過書町水帳」、地積図「尼崎町一丁目水帳附図(ふず)」など。いずれも実物の史料を展示する。
 
 大阪大学適塾記念センター特任研究員の尾崎真理さんは「適塾や除痘館がどういう場所に存在していたか、これまで目が向けられることは少なかった。洪庵や塾生らが活動していた頃の土地台帳や地積図から、当時の地域の姿を読み取ってほしい」と、見どころを解説する。

 開館時間は10時〜16時。月曜休館。入場料は、一般=260円、高校生・大学生=140円、中学生以下無料。今月16日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2570名無しさん:2019/06/04(火) 22:25:56 ID:NrdB.GxU0
地中に眠る「豊臣大坂城」の一端を大阪市立大の研究グループが解明
6/4(火) 18:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190604-18510605-kantelev-l27

 
今は地中に眠り、私たちが見ることがない、豊臣秀吉が築いた「大坂城」。
その構造の一端を、大阪市立大学の研究グループが解明しました。

【記者リポート】
「現在の大阪城、実は石垣などほとんどの部分が徳川家が築いたもので、豊臣秀吉の元祖大坂城は地中に眠っています」

約400年前、徳川家が豊臣方を破った大坂夏の陣の後、地中深くに埋められたかつての大坂城。

近世の城郭の出発点と言われ、歴史的にも重要なこの豊臣大坂城で今回、大阪市立大学・仁木宏教授の研究グループが、金属の棒を地中に刺す地盤調査を行いました。

調査では、「詰ノ丸」の正門を守る櫓台の高さが約4.5mだったことや、「詰ノ丸」に続く土橋の存在が初めて確認されました。

また、現在は一続きの平面である「山里丸」が、かつて高さ3m近くの石垣によって2つに分かれていたことも判明しました。

【大阪城天守閣・北川央館長】
「具体的な数字を伴ってデータが出てきたことでこれまで以上に豊臣大坂城がより具体的にイメージできるようになったかなと思っています」

地道な調査で、少しずつその姿を明らかにしている豊臣大坂城。

その全貌が分かる日も近いかもしれません。
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関西テレビ

2571名無しさん:2019/06/06(木) 19:23:16 ID:ylDuNnHU0
四天王寺で「霊場巡拝いこか」 新西国霊場38寺集結の出開帳 /大阪
6/6(木) 16:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00000047-minkei-l27

関西で人気の古刹(こさつ)が集結する新西国霊場会発足90周年記念出開帳「霊場巡拝いこか」が6月5日、四天王寺(大阪市天王寺区)で始まった。(あべの経済新聞)


新西国霊場会は、1932(昭和7)年に新聞社が近畿2府4県(大阪・和歌山・奈良・京都・滋賀・兵庫)の寺院の中から、一般読者の意見を中心に人気投票で選定された38カ寺で構成している。今回は90周年を記念して各札所寺院が一堂に集まった。出開帳は40年ぶり。

 出開帳巡礼として、五重塔・金堂が立つ中心伽藍(がらん)の回廊には38カ寺が並び、各札所のご朱印が頂けて満願成就が可能な「ご朱印巡礼」が行われる。本坊・五智光院で行われる「お砂踏み巡礼」は、各寺院から集められた砂を敷き詰め、そこを踏み締めながら各寺のエリアを礼拝することができ、全ての札所寺院を参拝したのと同じ功徳が頂けるという。

 併せて、「ギャグマンガ日和GB」20周年と新西国霊場90周年がコラボレーションした「ダンボール迷路巡礼」も展開。迷路に聖徳大使などの登場キャラが描かれている。

 開催時間は10時〜16時。出開帳参拝料は1,000円(パンフレット、結願の記念品付き)。今月9日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2572名無しさん:2019/06/06(木) 21:47:07 ID:NrdB.GxU0
東大阪の旧河澄家、江戸時代に建てられた蔵を公開 庄屋の道具100点 /大阪
6/6(木) 19:04配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00000067-minkei-l27

  東大阪市指定文化財の旧河澄家(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で現在、企画展示「蔵の中を見てみよう」が開かれている。(東大阪経済新聞)

 
土蔵は江戸時代に建てられ、2年前に初公開。市内の収蔵庫と蔵にある約1200点の所蔵品から庄屋の暮らしをテーマに、「衣」「食」「住」「娯楽」「仕事」の5つに分類し、前回と展示品を入れ替え約100点を展示する。

 「衣」では、家紋付きの箱に入った陣笠や傘、下駄を初公開。河内木綿の着物や裃(かみしも)、草履とともに、着物のしわを伸ばすための火熨斗(ひのし)や、ワラを打ったり布のしわを伸ばしたりする砧(きぬた)などの道具を並べる。

 「食」では、村人たちの集まりなどで使われた膳や弁当箱などを展示。膳が収められた箱には60人分の膳があったことが記されている。家紋の入った祝膳の近くには、養子に行った河澄作兵衛の四男・米四郎が初めて里帰りした際に出された献立をパネルで紹介し、当時の高級魚についても解説する。

 所蔵品の中には陶磁器が多くあり、「住」のコーナーでは絵皿やたばこ道具、茶道具などが並び、「娯楽」では、琴や碁盤、将棋盤、百人一首などをそろえた。

 年貢を納めるために村人の健康管理をするのも庄屋の仕事で、「仕事」のコーナーでは、漢方薬を作る際に材料を砕く薬研(やげん)や、薬の効能を記した版木などを展示。期間中、希望があれば道具について学芸員が解説する。

 学芸員の川崎有里紗さんは「庄屋の暮らしはどんな風だったのか、民具がどう使われていたのか。現代と比べてもらえれば発見があるのでは」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館(祝日の場合は翌日)。7月15日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2573名無しさん:2019/06/07(金) 20:39:51 ID:NrdB.GxU0
熱中症対策は万全 天神祭渡御行事保存協賛会が方針
2019年6月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190607/20190607037.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は6日、昨年の猛暑を踏まえた熱中症対策として、祭り会場の救護所で常駐する医師や看護師らと連携し、まずは現地での回復を図る方針を示した。体調不良者全員を救急車の要請で対応した際の混乱を避ける考えだ。

 大阪市北区の大阪天満宮で開いた消防関係者との担当者会議で説明。昨年の記録的な猛暑の中で開かれた天神祭では、熱中症の症状を訴える観覧者が相次いだ。救急車に限りがある上、激しい雑踏の中で、搬送しにくい状況が課題として浮上した。

 今年は、救護所を倍増し、医師や看護師の態勢も拡充。熱中症などの症状がみられる観覧者に対し、専門家の意見を得ながらまずは現地での回復を図る。

 症状が重ければ速やかに救急車を要請。搬送用の経路については、立ち入り禁止区域の設定や露店の移動などで工夫し、移動しやすくする。

 栗原宏武会長代行は「暑さが心配される中、しっかりと対策を講じていかないといけない」と協力を呼び掛けた。

2574名無しさん:2019/06/08(土) 21:27:16 ID:NrdB.GxU0
孝徳天皇は朝廷改革派に近い存在だった?!
6/8(土) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190608-00010349-besttimes-cul

 ■中大兄皇子の本心が朝廷守旧派だった理由

 たとえば六六三年、滅亡しかけていた百済を救援するために遠征軍を派遣した白村江の戦いがいい例だ。当時、唐と敵対関係にあった百済に援軍を送ることは、すなわち唐との国交断絶を意味していた。律令制度が未完成であったこの時期、律令制度の本家本元であった唐とのかかわりを断つことは、律令制度導入政策が頓挫したことを意味する。

したがって、中大兄皇子の本心は朝廷守旧派としての旧体制維持であり、律令制度の確立をめざした聖徳太子を否定する立場にいたと断定してもよい。

要するに、太子の遺志を引き継いだのは中大兄皇子ではなく、反対に蘇我入鹿や孝徳天皇であり、だからこそ中大兄皇子の手によって入鹿は殺され、孝徳は捨てられたということになるのだ。

 乙巳の変のクーデターが、朝廷守旧派・中大兄皇子による改革派・入鹿の暗殺だとすれば、ここで改めて大化改新の本質を見直す必要が出てくる。

「日本書紀』の示した乙巳の変の図式――すなわち、聖徳太子の夢をくじいた蘇我氏を滅亡に追いやることで、中大兄皇子は太子の遺志を引き継いだという構図は、ここで見事に崩壊してしまうのである。

2575名無しさん:2019/06/08(土) 21:27:48 ID:NrdB.GxU0
そこで、仮定した「聖徳太子と蘇我入鹿は、蘇我一族すべてを抹殺するために仕組まれた朝廷の陰謀によって滅亡に追いこまれた」という推論に立ち返って考えてみよう。

 大化改新後、皇位を継承したのは孝徳天皇だった。この孝徳天皇は、蘇我氏に近い存在だった疑いがある。その根拠は、皇極二年(六四三)の山背大兄王襲撃事件に際し、孝徳が入鹿の軍に加わっていたらしいこと、そして、蘇我系の皇族や家族が密集して眠る磯長谷に、孝徳の墓があるからである。

 そして、孝徳天皇と蘇我を結びつける最大の証拠は、難波宮である。

『日本書記』によれば、孝徳天皇が難波宮に遷都したとき、老人たちが「そういえば、春から夏にかけて、ネズミが飛鳥から難波に向かっていたのは、今思えば遷都の前兆だったのだ」と述べるくだりがある。

 春から夏というのは、入鹿暗殺の直前のことで、この一節は、難波遷都はすでに蘇我入鹿の時代に画定済みだったことを示している。難波宮は「律令制度導入の第一歩 だったのだから、孝徳天皇は「蘇我の遺志」を継承したことになる。

 孝徳天皇は入鹿暗殺後、すぐ即位し、律令制度の整備に奔走した。その一方で、入鹿を殺した中大兄皇子はどうかというと、孝徳の足をひっぱるような行動に出ている。 つまり、律令制度の導入をめざしていたのは、聖徳太子蘇我入鹿――孝徳天皇ラインであり、中大兄皇子はこのラインをつぶそうとしたのである。

(次回に続く)

『聖徳太子は誰に殺された?』(ワニ文庫)より

2576名無しさん:2019/06/09(日) 21:07:29 ID:NrdB.GxU0
伝統芸能描く「火色の文楽」音楽朗読劇に!天崎滉平、日笠陽子、熊谷健太郎ら出演
6/3(月) 14:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190603-00000062-nataliec-ent

 北駒生「火色の文楽」を原作とした音楽朗読劇「SOUND THEATRE × 火色の文楽」が、10月5日と10月6日の2日間、千葉・舞浜アンフィシアターにて開催される。

「火色の文楽」は“バレエ界の星”と呼ばれ、将来を期待されながらも怪我で引退を余儀なくされた青年・迫弓矢(さこゆみや)が、伝統芸能の人形浄瑠璃・文楽と出会う青春ストーリー。物語は、読み聞かせはもちろん、舞台美術、照明、衣装、特殊効果にまでこだわり、五感を刺激する“新感覚・音楽朗読劇”「SOUND THEATRE」として上演される。

朗読では迫弓矢役を天崎滉平が演じるほか、入江湊役は日笠陽子、柳川弦治役は熊谷健太郎、大楠柑太役は市川太一、藤竹潮路太夫役はてらそままさき、松永珠市役は井上和彦、蓮元光臣役は秋元羊介、菊元千鳥太夫役は高橋広樹、末広蕗役は植田佳奈が担当する。チケット代は税込9000円。チケットぴあでは6月16日23時59分までの期間、オフィシャル先行の申し込みを受け付けている。

■ 「SOUND THEATRE × 火色の文楽」
日時:2019年10月5日(土)18:00〜、6日(日)12:00〜
会場:千葉・舞浜アンフィシアター
料金:9000円

□ スタッフ
原作:北駒生「火色の文楽」(ゼノンコミックス / ノース・スターズ・ピクチャーズ)
脚本・演出:キタムラトシヒロ
音楽監督:土屋雄作
主催:サウンドシアター事務局
制作:アハバ クリエイティヴ パーティー

2577名無しさん:2019/06/09(日) 21:08:04 ID:NrdB.GxU0
□ 朗読
迫弓矢:天崎滉平
入江湊:日笠陽子
柳川弦治:熊谷健太郎
大楠柑太:市川太一
藤竹潮路太夫:てらそままさき
松永珠市:井上和彦
蓮元光臣:秋元羊介
菊元千鳥太夫:高橋広樹
末広蕗:植田佳奈

□ 演奏
ヴァイオリン:土屋雄作
ほか

※天崎滉平の崎は立つ崎が正式表記。

(c)北駒生/NSP 2017

2578名無しさん:2019/06/09(日) 22:12:40 ID:NrdB.GxU0
鎮魂、恒久平和祈る 第3次大阪大空襲74年
2019年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190608/20190608046.html

 太平洋戦争末期、米軍機約550機が大阪市北東部や豊中市などで銃爆撃を繰り広げた「第3次大阪大空襲」から74年となった7日、当時被災した各地で犠牲者を追悼する行事が執り行われた。朝から激しい雨が降るにもかかわらず、遺族や関係者が続々と参列。空襲の現場付近で手を合わせ、膨大な犠牲者の冥福と恒久平和を祈念した。

「生きている限り足運ぶ」 長柄橋南詰の観音像前

 6月7日の空襲で亡くなった千人以上の身元不明者らを弔う、大阪市旭区の城北公園内の「千人塚」。近隣にある常宣寺(藤林顕晶住職)では、地域住民らが慰霊法要を行い、不戦の誓いを新たにした。

 千人塚の碑は、慰霊法要協賛会の東浦栄一会長(90)の父が、犠牲者を弔うため庭の岩を使って設置。法要は終戦の翌年から続けられている。

 東浦会長は、自身の目で見た空襲直後の公園内の様子を「しし累々、昼なお薄暗く、燃えている太鼓橋。ああ、これが地獄かと思った」と説明。「74年間、日本は再び戦争しなかった。令和の時代も戦争はしないと誓いたい」と語気を強めた。

 参列者は犠牲者を悼み黙とうをささげ、焼香して静かに手を合わせた。義姉を亡くした辰本喜代子さん(74)は「74年前のことを孫や子の世代に語り、伝えていかないといけないと思っている。やっぱり戦争は嫌やから」と話していた。

「令和時代も戦争しない」 城北公園内の千人塚

 淀川に架かる長柄橋の南詰(大阪市北区)に立つ観音像前では、法要が営まれた。地元の正蓮寺(渡島正教住職)が戦後から代々手掛けており、空襲体験者を含む地域住民や同寺にある「愛の恵幼稚園」の園児らも焼香に並んだ。

 空襲では、現存しない旧長柄橋の下や淀川河川敷に集まって避難していた人々が機銃掃射や爆撃の犠牲となり、その数は推定で約400人に上るとされる。

 惨状を目の当たりにした大木末野さん(91)は「当日は橋と逆方向に避難したので助かった。橋の下以外でも多くの人が亡くなっており、自分が生きている限り足を運びたい」と気丈に語った。

 園児たちに観音像の由来を説いた渡島住職は「子どもたちに、身近な場所で悲惨な戦争があったことを伝えていくとともに、先々代から続く法要を末永く継承したい」と話した。

2579名無しさん:2019/06/10(月) 21:22:24 ID:ylDuNnHU0
寛容すぎる大阪「四天王寺」、その狙いとは?
6/6(木) 17:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul

  日本仏法最初のお寺である、和宗総本山「四天王寺」(大阪市天王寺区)。593年に創建され、1400年以上も歴史のある由緒正しいお寺だが、ここ2、3年、その「寛容さ」「和やかさ」が気になってきた。境内では意外性にあふれたさまざまなポイントを発見。その理由について同寺に直撃した。

 売り切れ続出、「四天王寺」のユニークグッズ

同寺を訪問し、まずは目に飛び込んでくるのが「聖徳太子の飛び出し坊や」。そして点在する売店には、個性的なアイテムがずらりと並んでいる。キューピーとコラボしたかわいい「聖徳太子ストラップ」、一斉を風靡したマンガ家・川崎ゆきおによる「四天王寺記念散華」、寺院の説明などが書かれた「四天王寺トランプ」、人気トップ3を誇る「黒い亀の寶器籠(ほうきかご)」、外国人がよく購入するというTシャツなど、ユニークなグッズのオンパレードだ。

そんななか、開発2年を費やし、売り切れ続出というのが、「御乳守(みむねまもり)」という乳パットのお守り。古代から胸の悩みを聞いてくれる布袋堂本尊の乳布袋尊。「乳がん」や「乳腺症」といった病気だけでなく、サイズに関する悩みまでもご祈祷されているお守りで、発売するや爆発的な人気に。各カラー売り切れ続出で、現在追加製造中なんだとか。

ギャグマンガ日和ともコラボ、3種のチラシ

そして、6月5日から開催される『霊場巡拝(おまいり)いこか』にも目を向けてみる。新西国霊場の札所全38カ寺が一堂に集まる、40年ぶりという一大イベントで、インターナショナル大座禅会など特別企画も盛りだくさん。それを告知するチラシは、なぜか3種類。1枚目は、オーソドックスだが、2枚目で一気にナゴヤカモードに。そして3枚目は、増田こうすけによる『ギャグマンガ日和』とコラボ。ちなみに『ギャグマンガ日和』で登場する聖徳太子は常にジャージ姿だが、ここでは初の正装が拝める(小野妹子も「太子が仕事してる」と驚いている)。

お寺の僧侶も、ユーチューバーの時代へ

公式サイトとYouTubeでは専用番組「おまいりイコカTV」も配信。「四天王寺」の2人の若手僧侶、加藤公啓さんと田渕観宝さんが霊場巡拝についてわかりやすく教えてくれる番組だが、自ら台本をつくり、スマートフォンで撮影し、編集、アップまですべてをおこなっている。これまで5回にわたって、霊場巡拝についてわかりやすく解説。厳粛で静謐なイメージのある僧侶が、ユーチューバーというのも驚きだが、その楽しそうなコメンテーターぶりが、なんだか微笑ましく、とても親しみがもてる。

2580名無しさん:2019/06/10(月) 21:23:17 ID:ylDuNnHU0
もう一度言うが、「四天王寺」は1400年以上も歴史のある由緒正しいお寺。それだけに、この「寛容さ」「和やかさ」はどういう狙いがあるのか、四天王寺の広報さんに話を訊いてみた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul&amp;p=2

「和やかですが、芯はしっかりしているんです」(田渕さん)

──まずは率直に伺います。こんなに「和やか」で大丈夫なんでしょうか?

加藤さん「実はあえてそうしているんです。と言うのも、四天王寺は聖徳太子創建のお寺であり、その土台には『和の精神』があります。ここを訪れていただいたとき、心が救われるように、また、決して信者さんが不快に思ったり、傷ついたりしないよう実は細心の注意を払った言葉遣いにしているんですよ」

田渕さん「どんな取り組みでも、住職による細かく厳しいチェックがあります。でも、これまでの型にとらわれないように、新しい取り組みをしてきなさいとも、常々教えられています。和やかですが、芯はしっかりしているんですよ」

──ユーモアあふれる企画はほかの寺院ではあまり見かけないですが、なぜ「四天王寺」はこんなに自由な発想でアイテムや企画ができるんでしょうか?

田渕さん「四天王寺が総本山であることが大きいですね。系列の寺院ですと、本山の許可が必要だったりするんです。会社でいうなら系列会社が本社に許可を取るという感じでしょうか。その許可を得るスピードが速いんです」

加藤さん「これはダメだけど、こことここを変えればOKとか。細かな訂正ならすぐできますから、やはりスピード感は出ますね」

──こちらでは多種多様なユニークなグッズが販売されていますが、特に御乳守は思いもよらないアイテムですね。

加藤さん「女性の信者さんからの要望を形にしました。女性が肌身離さず身につけれるもので、パットはどうかな?ということで開発されたんですが、かなり時間はかかりましたね」

田渕さん「あの時は肌触りや素材、耐久性もかなり追求しましたね。あらゆるメーカーのパッドをさわりました。職員たちとひとつひとつ手作業でラベルを付けて、実際に使ってもらったりもして。販売すると爆発的に人気が出て、みんな、うれしさ反面、驚いてます」

「僕ら世代にとっては当たり前のツール」(加藤さん)

──おふたりが出演しているYouTubeチャンネル「おまいりイコカTV」も話題です。しかし、僧侶自ら動画を作るというのは、とても意外でした。

加藤さん「前回の新西国霊場の出開帳は40年前に開催されたんですが、当時も一生懸命広報活動したそうです。その時代を知る住職たちに、時代に合わせたことをやりなさいと常々言われていまして。時代に合わせるなら今のツールを駆使すること。つまり、インターネット、SNS、YouTubeなど、僕ら世代にとっては当たり前のツールなんです」

加藤さん「2番目のチラシは、増田先生にチラシのデザインをイメージしてもらうためのサンプルで。イラスト担当の谷口くんが描きました。『霊場巡拝いこか』も『ジャンプ』っぽいロゴにしていて、『40年ぶり』という文字もジャンプの表紙によく使われる描き方で。するとツイッターで拡散されて、コラボ前は1000前後だった告知ページのPVがいきなり40万PVになって、SNSのいいね!も4000を超える桁違いの反応でした」

2581名無しさん:2019/06/10(月) 21:24:03 ID:ylDuNnHU0
──谷口くんっていうのは、四天王寺のイラストを担当している方でしょうか?

田渕さん「はい、ブログの挿絵や地蔵山地図も描いています。もともとマンガ家志望で、絵が上手ということもあり四天王寺のイラストはほとんど彼が描いています。呼びましょうか?」

──ぜひ、お願いします!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190606-00010000-lmaga-cul&amp;p=3

「これからの時代、個性を出すことは大切」(田渕さん)

谷口さん「こんにちは、僕がイラストを担当している谷口です」

田渕さん「タレントの宮川大輔さんに似ているので、みんなから『四天王寺のペイペイ』って呼ばれています(笑)」

──お坊さんといえども、同世代が集まれば会話は普通の若い人たちと同じなんですね。

加藤さん「結構、冗談とか言ってワイワイやってますよ。番組作りもアイテム作りも、終始和やかで楽しい雰囲気です。田渕くんがイラストレーター(描画ツールソフト)などを使えるので、谷口くんが手描きで下絵を描いて、田渕くんがデジタル化するというタッグも組みます」

田渕さん「実は、今回のチラシの挿絵が『ジャンプ』の宣伝ページにも掲載されるんです。マンガ家志望だった谷口くんの夢が、ちょっと叶ったよね」

谷口さん「いやあ、まあ、とてもうれしい限りです(照)」

──アイテム、イラスト含め、オリジナリティ、ユーモア、人間味が溢れているように思います。粛々としたイメージのお寺に、親しみが湧いてきます。

田渕さん「業者に手配すれば簡単だけれど、味気ないものになってしまう。ですから、これからの時代、工夫して自己流で個性を出すことは大切でないかと思うんです。お守りひとつでも、四天王寺らしさやユーモアが出せれば、それを目当てに来てくれる人がいる。お参りだけでなく、こんなに面白い、楽しい面もあるので、ひとりでも多くの人が四天王寺に足を運んでもらえるようになればうれしいです」

そんな「四天王寺」の若手僧侶が今、もっとも力を入れている新西国霊場会発足90周年事業の『霊場巡拝いこか』は、6月5日から9日まで開催される。また、年間を通じてさまざまなイベントが企画されているので、チラシとともにチェックしてみて。

取材・写真/岡田由佳子

2582名無しさん:2019/06/13(木) 21:09:45 ID:NrdB.GxU0
大阪本町で「新・大阪長屋展」 長屋の型を現代版にアレンジ /大阪
6/13(木) 14:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00000040-minkei-l27

 企画展「新・大阪長屋展」が6月13日、大阪・本町の「トーヨーキッチンスタイル大阪ショールーム」(大阪市中央区久太郎町4、TEL 06-6241-1040)で始まった。(船場経済新聞)

 
北堀江に事務所を構える建築家の高橋啓さんが、大阪の都市住宅を代表する型である「大阪長屋」を現代的にアレンジした住宅の建築デザイン20パターンの間取り図や模型を展示する。

 高橋さんは「大阪では長屋が都市住宅の主役として、終戦時まで一貫して建て続けられてきた。長い年月で、塀で囲われた表庭など大阪特有の型も生まれた。こうした長屋の型を現代的にアレンジし、狭い敷地でも庭から自然を取り入れた豊かな生活ができる住宅を設計した」と話す。

 高橋さんが今回設計した住宅は全て3階建ての一戸建て住宅。敷地面積は16坪〜50坪で、縮尺50分の1サイズの模型と間取り図、各階の模型写真などを展示する。それぞれ通り庭や裏庭、壁に囲まれた表庭など、長屋の要素を取り入れた庭を持つ間取りになっている。

 トーヨーキッチンスタイルの原一孝さんは「当ショールームでは未来型のコンパクトなキッチンを提案しており、高橋さんが設計する新しい大阪長屋のコンセプトともマッチしている」と話す。

 高橋さんは「衣食住の中で『住』だけが大阪で楽しまれていないと感じる。東京オリンピックや2025年の大阪万博、その先の未来へ向け、大阪の中心であるこの会場から豊かな『住』の提案をしていきたい」と意気込む。

 開館時間は11時〜19時。水曜休館。入場無料。6月30日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2583名無しさん:2019/06/13(木) 21:15:36 ID:NrdB.GxU0
都会のオアシス、華やか「ダンス」 大阪の坐摩神社
6/13(木) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190612-00000004-san-l27

 大阪市中央区のオフィス街にある坐摩(いかすり)神社でアジサイが咲き誇り、訪れた人たちが境内を散策したり写真を撮ったりと、思い思いに楽しんでいる。今年は少雨で昨年より開花時期がやや遅れたが、20日頃までが見頃だという。

 アジサイは、同神社の北岡忠澄権禰宜(ごんねぎ)(44)が十数年前から栽培。境内の西側や石畳の参道沿いに、鉢植えと地植え合わせて約30種約300株がずらりと並ぶ。

 まるでダンスをしているように華やかな「ダンスパーティー」や、花が開くと手まりのような形になる「アナベル」など、さまざまな色や形のアジサイが社殿に映え、「都会の真ん中にこんな癒やしのスポットがあるなんて」と境内を訪れた女性たちを喜ばせている。

 問い合わせは同神社(06・6251・4792)。

2584名無しさん:2019/06/13(木) 22:14:47 ID:NrdB.GxU0
誰をどう葬ったか!世界遺産百舌鳥・古市古墳群が変えた埋葬のルールとは―清家 章『埋葬からみた古墳時代: 女性・親族・王権』出口 治明による書評
6/13(木) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190613-00003383-allreview-life

 
僕たちは、古墳には1人しか埋葬されていないと思いがちだが、実は複数の人が埋葬されている方が多い。本書は、誰をどのように葬るかという埋葬の原理を分析し、古墳時代(3世紀半ばから7世紀)の実相に迫ったものである。

歯は遺伝的要素が強い。著者は、考古学者田中良之らの歯冠計測値法を用いた親族構造の研究をベースに、これを考古資料により補完・検証し、古墳の被葬者は兄弟姉妹が埋葬される「キョウダイ原理」が主で、父子・母子両方の親子関係を社会的に認める双系であったと分析する。初葬者(家長)の男女比はほぼ1対1だ。嫁婿などの婚入者は基本的に出身集団の墳墓に入る。なお、首長墳については、父系化が小古墳よりも早く始まっている。

夫婦原理の埋葬はかなり遅れて始まる。日本書紀が伝える欽明(きんめい)と堅塩媛(きたしひめ)の合葬は欽明の死後40年たっての改葬であった。時代は蘇我氏の全盛期。著者はこの改葬は、臣下の娘が大王と同じ墓に埋葬される様子を諸臣に見せつける蘇我馬子の政治的デモンストレーションであったとする。それまで堅塩媛は別の場所に葬られていた。つまり、夫婦別墓が原則だったのだ。

古墳時代の王墓群は、箸墓(はしはか)古墳に代表される大和盆地東南部に始まり、北部の佐紀古墳群、河内の古市古墳群、和泉の百舌鳥(もず)古墳群へと移動した。これらの王墓の移動は、これまでは大王位が交替したとする王朝交替論や、ヤマト政権は連合政権であったという学説の論拠となり、倭(わ)の五王と絡めて論じられてきた。

著者は、大和盆地に王墓が築造されていた時代は王統が複数存在したが、古市・百舌鳥古墳群成立以後、大王は両古墳群のグループに限定され首長位が父系的に継承されるようになったと仮説をたてる。理由は、わが国が韓半島の戦争に関与し、軍事的緊張が高まり首長層からの父系化を推し進めたからだと考える。知的好奇心が刺激された。

[書き手]出口 治明(でぐち はるあき・立命館アジア太平洋大学学長)

[書籍情報]『埋葬からみた古墳時代: 女性・親族・王権』
著者:清家 章 / 出版社:吉川弘文館 / 発売日:2018年04月18日 / ISBN:4642058656

朝日新聞 2018年7月7日掲載
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吉川弘文館

2585名無しさん:2019/06/15(土) 21:27:21 ID:NrdB.GxU0
梅雨時、しっとりと濡れた古都・大阪。そんな大阪を古式ゆかしく彩る神事です。


「斎牛」奉仕にも拍手 住吉大社で「御田植神事」
2019年6月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190615/20190615048.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植(おたうえ)神事」(重要無形民俗文化財)が古式ゆかしく執り行われた。参拝者約3千人が見守る中、すげがさにたすき姿の奉仕者が、境内南側の御田(おんだ)で青々とした苗を手植えした。

 住吉大社鎮座の際、祭神・神功皇后が御田を定め、長門国(山口県)から「植女(うえめ)」を召したことが同神事の起源とされる。

 約400人の奉仕者は、第一本宮での本殿祭で秋の豊作などを祈願した後、列をなして御田へ移動。実際に御田に入る「替(かえ)植女」が、植女から苗を受け取って田植えを行い、傍らで代かきを行う神聖な牛「斎牛(さいぎゅう)」が奉仕する姿にも大きな拍手が送られた。

 御田中央の舞台では、同大社のみこ・神楽女(かぐらめ)8人による「八乙女」をはじめ、「御稔女(みとしめ)」が豊作を願う舞や踊りを奉納し、伝統行事を飾った。

2586名無しさん:2019/06/15(土) 21:51:08 ID:NrdB.GxU0
【イマドキの仕事人】古墳にコ〜フンしてますか〜!? 自称1500歳シンガー 歌で魅力伝える
[ 2019年6月3日 05:30 ]
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2019/06/03/kiji/20190602s00042000433000c.html

 堺市にある日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」を含む大阪府南部の「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」が、7月に世界文化遺産として登録される見通しとなった。全国で約16万基もあるとされる古墳の魅力を歌で伝えようと活動している女性がいる。自称約1500歳の古墳シンガー「まりこふん」だ。

 毎週のように全国各地で開催される古墳イベントの会場。鮮やかな緑色の巫女(みこ)コスチュームに身を包むまりこふん。「皆さん、古墳にコーフンしてますか!」と、お約束のギャグでステージ上からファンに呼び掛ける。「古墳deコーフン♪ 土器土器するよ〜」「円墳 方墳 前方後円墳!」。全身からあふれ出る古墳愛を、魂を込めたパワフルな声で歌い上げる。

 これまで作った古墳の歌は40〜50曲。CDアルバムを2枚発表している。歌詞には「生きるに目と書き 生目(いきめ)古墳」(イキイキ!生目古墳群)など固有名詞にユーモアを織り交ぜ、覚えやすいようにはっきりとした声で歌う。「中にはお墓なのに軽薄過ぎるという人もいますが、私は何とも思ってません。応援してくれる人が何十倍もいるので」と豪快に笑う。

 全国の各自治体や市民団体などが主催する古墳まつりに引っ張りだこ。「はとバス」主催の古墳巡りツアーでは案内役を務め、車内で歌を披露する。2013年には「古墳にコーフン協会」を設立し会長に就任。訪れた古墳は3000基以上に上るという。

 城や仏像、戦国時代ファンなどと触れ合う機会も多い。ただ「“歴女”と思われがちだけど、他の時代のことは正直興味が湧かない」と3〜7世紀ごろの古墳時代ひと筋。「古墳に出合うまでの人生は、全て準備運動だったんだなと思う。それくらい人生が変わった」とまで言い切る。

2587名無しさん:2019/06/15(土) 21:51:40 ID:NrdB.GxU0
フォークソング愛好家の両親の影響で、自然と音楽の道を目指した。埼玉県の高校を卒業し都内の音楽専門学校へ進学。ブルースシンガーとして歌手、作曲活動を始めた。並行していたバンドの遠征で04年ごろに大阪を訪れた際の体験が、古墳シンガーへの転機となった。

 有名な観光地を回り尽くし、ふと「教科書に載っていたな」と仁徳天皇陵に行こうと思い立った。だが古墳があまりに巨大過ぎ、イメージした形は見ることができなかった。「観光地って普通、行けばそれなりに満足させてもらえる。それがゼロだった。衝撃でした」。規制があり中には入れず、1時間かけて一周しても歩道橋に上っても、普通の森にしか見えない。「帰りのJR阪和線に揺られながら“こんなに近くにいるのにあなたに会えない”というフレーズが降りてきた」。それが最初にできた曲「麗しの仁徳陵」だった。

 《仁徳天皇陵は大スター》百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録で、約1500年の時を経て「新古墳時代」が訪れようとしている。まりこふんは「やっとこの時が来たか」と喜びをかみしめた。改元で皇室への関心が高まった機運もあり、一報が入った5月14日は祝杯を挙げる間もなく電話や取材の申し込みが殺到。「祝賀イベントをやりたい。外国の方に知ってもらいたいし、海外のライブで“KOFUN”と叫びたい」と夢が膨らむ。

 仁徳天皇陵では依然、多くの人が自身と同じ「見えない」壁にぶつかる可能性がある。だが「古墳界の大スター、マイケル・ジャクソンなんだから、そう簡単に会えると思うなよと言いたい」と熱弁。「登れたり全景が分かる古墳も多い。それらを見てから仁徳陵を見れば、凄さがよく分かる」と力説した。

 軽飛行機に乗り、空から初めて全景を見た時の感動を歌った「仁徳陵に逢いたくて」の歌詞は「仁徳陵を残してくれた 全ての人ありがとう 世界へはばたけ仁徳陵」と締めくくられる。25年には大阪万博が開催され、多くの外国人が大阪を訪れる。まりこふんの夢が、現実のものとなる日が近づいている。

 《著名人も多く》著名人にも古墳ファンは多い。コーフン協会会員のギタリスト、ウルフルケイスケ(54)はまりこふんとライブやCDで共演。「地方に行かれた時、古墳にも行ったよと写真を送ってくれます」。漫画家「ゆでたまご」の嶋田隆司氏(58)は、代表作「キン肉マン」で仁徳天皇陵を描いた縁で、まりこふんと古墳イベントで共演した。タモリ(73)も自身のNHK番組「ブラタモリ」で古墳好きな一面を見せている。

2588名無しさん:2019/06/16(日) 21:48:51 ID:NrdB.GxU0
七夕の夜に八十島奉祝祭 途絶えた祭祀、大阪から発信 大川にLED7万個、天の川表現
6/15(土) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190614-00000042-san-l27

 古代から鎌倉時代にかけて大阪で行われていた即位儀礼「八十島(やそしま)祭」にちなんだ「八十島奉祝祭」が7月7日、大阪市中心部を流れる大川に明かりを浮かべて天の川に見立てる七夕のイベントで実施される。イベントは今年で10回目だが、令和への改元に合わせて今回、“再現”が計画された。

 地元の神社や企業関係者らでつくる団体「おしてるなにわ」が主催する「令和OSAKA天の川伝説2019」で、川に流す明かりは透明なプラスチック球に入れた発光ダイオード(LED)。今年は、LEDを過去最多の7万個流す。

 八十島祭は、難波津と呼ばれていた上町台地で行われていた。同団体理事を務める高島幸次・大阪大招聘(しょうへい)教授(日本史)は「現在は途絶えてしまったが、非常に重要な宮中祭祀(さいし)であったと考えられる。大阪から発信できるものとして、広く知ってもらいたい」と話した。

 また、イベントを控えてゆかりの大阪天満宮(大阪市北区)が清めの「天満天神の水」を授与。イベントに出演するオペラ歌手の増田いずみさんと七夕伝説にちなんだ枚方市のキャラクター「ひこぼしくん」、交野市の産業PRキャラクター「おりひめちゃん」が、岸本政夫禰宜(ねぎ)から水の入った竹筒を受け取った。

 授与された水は、大川や関連イベントが行われる枚方、交野両市を流れる天野川に注がれる。

2589名無しさん:2019/06/19(水) 21:19:27 ID:NrdB.GxU0
天神祭PRギャルみこしNHKへ
06月19日 14時01分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190619/2000016769.html

 なにわの夏を彩る「天神祭」が来月行われるのを前に、名物行事の「ギャルみこし」を担ぐ女性たちがNHK大阪放送局を訪れ、元気なかけ声で祭りをPRしました。

ギャルみこしは、来月24日から始まる天神祭の前日に、女性だけで、重さ200キロのみこしを担いで大阪・北区の天神橋筋商店街を練り歩く名物行事です。
19日は、みこしを担ぐ女性4人が、赤と白のはっぴ姿でNHK大阪放送局を訪れ、大きな赤いうちわを手に、「わっしょい、わっしょい」と元気なかけ声をあげて、一足早く祭りの雰囲気を届けました。
そして、担ぎ手の選考で使われる、重さ70キロの俵のてんびん棒を担いで、有吉伸人局長にギャルみこしの魅力をPRしました。
担ぎ手の朝倉利奈さんは、「令和初のギャルみこしを一生懸命盛りあげます。皆さんも一緒に盛りあげましょう」と意気込みを話していました。
天神祭の「ギャルみこし」は、今月30日までインターネットで担ぎ手の応募を受け付け、来月23日の正午に天神橋筋商店街をスタートする予定です。

「天神祭」を盛り上げる「みこしギャル」今年も読売テレビに・大阪
6/19(水) 19:22配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190619-00000114-ytv-l27

 日本三大祭りのひとつ「天神祭」を盛り上げる「みこしギャル」が、今年も読売テレビにやってきた。

 読売テレビにやってきたのは、赤と白の法被をまとった、みこしギャル。15歳から30歳までの体力自慢の女性を募集中で、7月には重さ70キロの米俵を担ぐオーディションが行われる。

 「天神祭ギャルみこし」は7月23日に行われる。

2590名無しさん:2019/06/22(土) 21:40:49 ID:NrdB.GxU0
鴻池新田会所で民具展「鴻池家の茶道具」 江戸から昭和にかけての道具25点 /大阪
6/21(金) 14:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190621-00000040-minkei-l27

  国指定史跡・重要文化財の鴻池新田会所(東大阪市鴻池元町、TEL 06-6745-6409)で6月15日、鴻池家寄贈民具展「鴻池家の茶道具」が始まった。(東大阪経済新聞)

 
当主の善右衛門が代々茶道に傾倒した鴻池家は、表千家に師事するとともに保護し、明治以前の当主は宗名(茶名)を名乗ったという。茶器収集を趣味とし、その様子は古典落語の演目「はてなの茶碗」にも描かれている。

 同施設では、10代当主幸富、11代幸方、12代幸昌が収集し、使ったとされる茶道具を収蔵。主に幸昌が戦後の一時期、会所を住居として使っていた際に本邸から持ち込まれたものとされており、この時期に数寄屋造りの茶室、新しい座敷が増築されていることから茶道に傾倒していたことがうかがい知れる。

 同展では、江戸時代から昭和にかけて使われた茶道具25点を展示。古い物は、江戸時代の糸目甑口釜(いとめこしきぐちがま)や朝鮮風炉(ぶろ)が残されている。銀瓶や心斎橋の錫(すず)師・錫屋新兵衛の錫挽溜(すずひきだめ、茶壺)、火入れや桐製の莨(たばこ)盆、煙管(きせる)などが並ぶ。

 「未開封の辻利一本店製の抹茶は戦後すぐにはあったので昭和初期のものと思われる」と、学芸員の別所秀高さん。

 開館時間は10時〜16時。入館料は、大人=300円、小・中学生=200円。月曜、祝日の翌日休館。7月15日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2591名無しさん:2019/06/22(土) 23:17:05 ID:NrdB.GxU0
「茅の輪」くぐり出勤前など参拝 御霊神社
2019年6月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190622/20190622041.html

 30日の「夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)(大祓式)」を前に大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)境内に、「茅(ち)の輪」がお目見えした。朝な夕なに多くの参拝者が直径約3メートルの輪をくぐり、無病息災を祈願している。

 大祓式は6月と12月の末日「みそか」に斎行される神事で、半年の間に知らず知らずのうちに身に付いた罪やけがれをはらい清める。

 同神社では、毎年神職が琵琶湖のアシ(ヨシ)を使って茅の輪を製作。「皆さんに青々とした輪をくぐっていただきたい」との思いから、大祓式までに一度輪を作り替えて参拝者を迎えている。

 都心の神社とあって、地元の企業などに勤める人々が出勤前や休憩時間、仕事帰りに続々と参拝。厳しい暑さの中、8の字を描くように輪をくぐる光景が続いた。

 大祓式は当日午後4時から境内・儀式殿で執り行われる。

2592名無しさん:2019/06/26(水) 20:42:39 ID:NrdB.GxU0
経営者たちの名言などを集めた展示会
6/26(水) 12:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190626-00022323-asahibcv-l27

 
明治以降に大阪で活躍した企業経営者らの名言や、ゆかりの品を紹介する展示会が、大阪市内で開かれています。

「難有り、有難し」。これは、コニカミノルタの創業者・田嶋一雄氏の言葉です。日清食品やサントリー、江崎グリコなど、大阪には明治以降に創業し、世界的にまで成長した企業が数多くあります。こうした企業の経営者たちの名言や、ゆかりの品を集めた展示会が大阪で開かれています。主催する大阪商工会議所は「経営の本質を示し、大きな知恵を与えてくれる名言を知ってもらいたい」としています。この展示会は、9月28日まで開かれています。
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ABCテレビ

2593名無しさん:2019/06/26(水) 21:05:40 ID:NrdB.GxU0
大阪夏祭りの始まり「愛染まつり」開催へ 昨年同様に屋台無しも愛染娘は復活 /大阪
6/25(火) 15:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00000037-minkei-l27

  四天王寺の支院「愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日、「愛染まつり」が始まる。(あべの経済新聞)

 
天神祭、住吉祭と並んで大阪三大夏祭りの一つに数えられる同祭。オーディションで選ばれた愛染娘らが谷町筋を練り歩く恒例行事「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」で知られる。近年は、若者が迷惑行為で近隣住民に迷惑をかけていたことなどから、昨年は宝恵駕籠パレード、愛染娘の募集、屋台出店を中止して祭りの規模を大幅縮小した。

 今年は昨年同様、宝恵駕籠パレード、愛染娘募集、屋台出店は行わないが、愛染娘は同祭実行委員会世話人の紹介により4人が決まった。初日に境内で宝恵駕籠上げ(13時30分〜)を予定する。期間中、秘仏本尊の「愛染明王・大日大勝金剛尊」ご開帳、天皇陛下御即位記念の特製宝印帳(朱印帳)販売などを行う。

 山岡武明住職は「今年は4人の愛染娘が盛り上げてくれる。店の無いお祭りは退屈と思う方も多いと思うが、その分集中して愛染明王に祈願できるように取り組んでいきたい」と話す。

 開門時間は10時〜21時。7月2日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2594名無しさん:2019/06/26(水) 22:19:43 ID:NrdB.GxU0
>平安末期か鎌倉初期に始まったと伝わり、千葉の香取神宮、
>大阪の住吉大社とともに日本三大御田植祭の一つに数えられている。


裸男ら勇壮に「竹取神事」 志摩・伊雑宮で「御田植祭」 三重
6/25(火) 11:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00000201-isenp-l24

 
【志摩】三重県志摩市磯部町上之郷の伊勢神宮内宮別宮「伊雑宮(いざわのみや)」の御料田で24日、国指定の重要無形民俗文化財(指定名・磯部の御神田)で、五穀豊穣と豊漁を祈願する「御田植祭(おたうえまつり)」があった。

 平安末期か鎌倉初期に始まったと伝わり、千葉の香取神宮、大阪の住吉大社とともに日本三大御田植祭の一つに数えられている。昔から「磯部九郷」と呼ばれていた地元の9地区が持ち回りで奉仕を行い、今年は穴川地区が担当した。

 この日は大勢の見物人が訪れ、神事の様子を見守った。田植えに先立ち「竹取神事」があり、裸男38人が大きなうちわの付いた忌竹(いみだけ)を泥だらけになりながら奪い合った。

 御田植神事では、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女と、はっぴ姿の田道人(たちど)らが横一列に並び、太鼓や笛などの奏でる田楽と謡に合わせて、古式ゆかしく苗を植えた。
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伊勢新聞

2595名無しさん:2019/06/28(金) 23:08:05 ID:NrdB.GxU0
大阪夏祭りの始まり「愛染まつり」開催へ 昨年同様に屋台無しも愛染娘は復活 /大阪
6/25(火) 15:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190625-00000037-minkei-l27

  四天王寺の支院「愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日、「愛染まつり」が始まる。(あべの経済新聞)

 
天神祭、住吉祭と並んで大阪三大夏祭りの一つに数えられる同祭。オーディションで選ばれた愛染娘らが谷町筋を練り歩く恒例行事「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」で知られる。近年は、若者が迷惑行為で近隣住民に迷惑をかけていたことなどから、昨年は宝恵駕籠パレード、愛染娘の募集、屋台出店を中止して祭りの規模を大幅縮小した。

 今年は昨年同様、宝恵駕籠パレード、愛染娘募集、屋台出店は行わないが、愛染娘は同祭実行委員会世話人の紹介により4人が決まった。初日に境内で宝恵駕籠上げ(13時30分〜)を予定する。期間中、秘仏本尊の「愛染明王・大日大勝金剛尊」ご開帳、天皇陛下御即位記念の特製宝印帳(朱印帳)販売などを行う。

 山岡武明住職は「今年は4人の愛染娘が盛り上げてくれる。店の無いお祭りは退屈と思う方も多いと思うが、その分集中して愛染明王に祈願できるように取り組んでいきたい」と話す。

 開門時間は10時〜21時。7月2日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2596名無しさん:2019/06/29(土) 23:59:27 ID:NrdB.GxU0
仁徳陵-堺駅・堺東駅にシャトルバス 来月6日運行開始
6/29(土) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190628-00000038-san-l27

  仁徳天皇陵古墳(大山(だいせん)古墳、堺市堺区)を含む百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が7月に世界文化遺産に登録されることが確実視されていることから、仁徳陵の拝所と、堺市内主要駅の南海本線・堺駅、同高野線・堺東駅を乗り換えなしで結ぶシャトルバスが7月6日から運行されることになった。主要駅と仁徳陵を結ぶアクセスが課題となっており、改善を目指す。土日曜・祝日に運行し、12月29日まで。 (古野英明)

 仁徳陵の拝所を通るバス路線は堺東駅前から出ているものの、1時間に片道1、2本と便数が少なく、認知度が低かった。また拝所はJR阪和線・百舌鳥が最寄り駅だが、仁徳陵の訪問客が堺駅や堺東駅周辺の中心部に回遊しないことが課題になっていた。

 シャトルバスは市と南海バスが運行。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関・イコモスの勧告で、古墳群の世界遺産登録がほぼ確実となり、訪問客が増加することが見込まれることから決めたという。

 運行されるのは堺駅前、堺東駅前から堺市博物館前(仁徳天皇陵拝所前)を結ぶ2ルートで、10〜15分程度で結ぶ。1時間に片道3本程度の便数があり、1日に往復計96便の運行を予定している。堺駅ルートは途中、宿院で停車し阪堺電気軌道阪堺線との乗り換えが可能。堺東駅ルートは途中停車せずに直通運転となる。

 運賃は大人240円、子供120円。車内のアナウンスは、日本語のほか、英語、中国語、韓国語でも行われる。市観光部の担当者は「主要駅から仁徳陵までの快適なアクセスを確保し、国内外の来訪者が市内周遊できるようにしたい」としている。

 古墳群の世界遺産登録は、7月5日からアゼルバイジャン・バクーで審議が始まる世界遺産委員会で正式に決まる見込み。

2597名無しさん:2019/06/30(日) 15:52:03 ID:NrdB.GxU0
「純金製扇面」展示 祭りの熱気伝える
2019年6月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190629/20190629047.html

 大阪市中央区のギンザタナカ心斎橋店で28日、大阪天満宮の「天神祭」(7月24、25日)を記念した純金製扇面の展示が始まった。同店のリニューアルオープンに合わせてお目見えし、日本三大祭りの一つにふさわしく豪華な輝きを放っている。販売価格は7千万円。

 
扇面(幅約75センチ高さ約50センチ)は純金約7キロを使用しており、複雑な形状を同社の加工技術で忠実に再現。地車の正面を中心に、両脇に天満宮の社紋である「梅鉢紋」や「祝 天神祭」の文字を彫り込んである。

 金箔(きんぱく)内装を施した1階「黄金の間」に展示され、国内外の多くの来店客に天神祭の熱気を伝えている。

 同店では天神祭の無事斎行を祈願し、既に同宮で扇面のおはらいを済ませている。中村明生店長は「金製品の輝きで日本を代表するお祭りを盛り上げたい」と話した。展示は7月31日まで。

2598名無しさん:2019/06/30(日) 15:58:50 ID:NrdB.GxU0
厳かに「装束賜式」 天神祭で奉仕する四役任命
2019年6月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190630/20190630028.html

 天神祭(7月24、25日)で奉仕する四役を任命する儀式「装束賜式(しょうぞくたばりしき)」が29日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。神童ら6人が同祭で着用する装束姿で神前に拝命を奉告した。

 今年任命されたのは、神童が川崎正義君(11)、猿田彦は川北哲也さん(47)、随身は林欣次郎さん(16)と馬場達希さん(16)、牛曳童児は水木裕太さん(11)、牛曳童女は畑島花音さん(12)。

 6人は境内で寺井種治宮司から辞令を受け取ると、装束をまとって本殿での「社参之儀」に参列。今年から、前年に奉仕した神童から本年神童へ烏帽子(えぼし)が移される「初烏帽子(ういえぼし)之儀」が執り行われ、烏帽子をかぶせられた川崎君が引き締まった表情で宣誓の意味を込めた「願文」を奏上(そうじょう)した。

 6人は祭りの開始を告げる「鉾流(ほこながし)神事」や、陸渡御でみこしを警護するなどの重要な役割を果たす。今後は葬儀の参列を避けたり、牛や豚といった四つ足の獣の肉を食べないようにしながら心と体を清めた状態で行事に備える。

 神童の川崎君は「儀式を終えて、少し気持ちがほぐれた。本番までいつも通り過ごしたい」と、重責を冷静に受け止めていた。

2599名無しさん:2019/07/05(金) 22:22:43 ID:NrdB.GxU0
「百舌鳥・古市古墳群」 きょう5日夜にも世界遺産に正式登録へ
7/5(金) 12:12配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190705-00022416-asahibcv-l27

 
大阪府の「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」の世界文化遺産への登録が、早ければ5日夜にも決まる見通しとなりました。

大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を新たな世界遺産に登録するかどうかを審議するユネスコの会議は、日本時間の5日午後、アゼルバイジャンの首都・バクーで始まります。「百舌鳥・古市古墳群」は、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する国内最大級の前方後円墳など、大阪府南部の3つの市にまたがる49基からなる古墳群です。古墳群については、ユネスコの諮問機関が5月に「登録が適当」と勧告していて、早ければ5日夜にも世界文化遺産への登録が正式に決定します。
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ABCテレビ

2600名無しさん:2019/07/05(金) 23:14:44 ID:NrdB.GxU0
道頓堀に「松嶋屋!」 船乗り込み
2019年7月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190702/20190702027.html

 令和元年の「七月大歌舞伎」が3日から大阪松竹座で始まるのを前に出演者たちが1日、大阪市中央区の道頓堀川で恒例の「船乗り込み」を行った。関西・歌舞伎を愛する会結成40周年を記念する行事で、人間国宝の片岡仁左衛門さんら東西歌舞伎俳優が勢ぞろいして参加。とんぼりリバーウォーク付近に集まった大勢の歌舞伎ファンからの「松嶋屋!」の大声援が、道頓堀の街並みにこだました。(9面に関連記事)

仁左衛門さんは、日ごろから「関西で歌舞伎公演を多くやりたい」と願っており、ホームグラウンドの大阪松竹座の公演には格別の思いを寄せ、「1カ月間、死にものぐるいで頑張りますので、初めての方もぜひ劇場に足を運んでほしい」と笑顔であいさつ。

 昼の部の「義経千本桜 渡海屋 大物浦」では「平家再興を願った武将の末路を壮絶に演じたい」と腕を撫(ぶ)している。

 松嶋屋の兄2人、片岡我當さん、片岡秀太郎さんと久しぶりの共演を果たすのも見どころで、秀太郎さんが「地元の公演だけに力が入る」と元気な声を響かせる。

 昼の部はほかに、松竹新喜劇を歌舞伎化した「色気噺(ばなし)お伊勢帰り」と「厳島招檜扇/日招ぎの清盛」が付く。夜の部は「芦屋道満大内鑑/葛(くず)の葉」「弥栄芝居賑」/道頓堀芝居前の場」「上州土産百両首」の3題。中村鴈治郎さんが「G20も無事終わったので、今度は歌舞伎ではじけます」と景気づけた。

 ほかに中村扇雀さん、片岡孝太郎さんら関西勢と、中村芝翫さん、尾上菊之助さんら関東勢のスターら大勢が船乗り込みで汗をかき、それぞれ意気込みを語っていた。千秋楽は27日。

2601名無しさん:2019/07/05(金) 23:24:22 ID:NrdB.GxU0
「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録 審議は6日に持ち越し
2019年7月5日 23時14分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190705/k10011984251000.html

  新たな世界遺産を決めるユネスコの世界遺産委員会の会議は初日の審議が終わり、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の審議は6日に持ち越されました。

 新たな世界遺産を決めるユネスコ=国連教育科学文化機関の世界遺産委員会の会議は5日から3日間の日程でアゼルバイジャンの首都バクーで始まり、初日の審議を終えました。

ほかの国が推薦する案件の審議に時間がかかったことから、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」は5日は審議されず、日本時間の6日午後3時以降に持ち越しとなりました。

「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪府の堺市と羽曳野市、藤井寺市にまたがる4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた合わせて49基の古墳からなります。

中には、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し「大山古墳」とも呼ばれる国内最大の前方後円墳も含まれています。

ユネスコの諮問機関「イコモス」はことし5月、「百舌鳥・古市古墳群」について世界遺産として記載することが適当との勧告を出していて、6日の会議で世界文化遺産への登録が正式に決まる見通しです。

2602名無しさん:2019/07/05(金) 23:33:53 ID:NrdB.GxU0
天神祭 円滑斎行へ確認 救護所スタッフの衣服も紹介
2019年7月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190704/20190704029.html

 天神祭渡御行事保存協賛会は3日、祭りを巡る関係機関の合同会議を、大阪市北区の大阪天満宮で開いた。救護所関係者が身に付ける衣服を紹介するなど、祭りの円滑な斎行に向けて情報を確認し合った。

 会議には行政機関をはじめ、鉄道会社から医療機関まで担当者が集まり、今年の祭りの運営手順を確認。特に救護所に関連しては、近年の課題となっていた熱中症対策の強化が報告され、医師や看護師らが着用するベスト状の衣服が紹介された。赤色に白抜きで「天神祭」「救護」などと書かれている。

 無線機の取り扱いや行事を繰り広げる川に関する留意事項、奉納花火の対応などでも情報を共有した。

 栗原宏武会長代行は「令和の時代で初めての天神祭を、無事かつ安全に斎行したい」と各関係者に協力を求めていた。

2603名無しさん:2019/07/06(土) 17:48:08 ID:y3Vqziq.0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産に
07月06日 17時44分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190706/2000017373.html

「仁徳天皇陵」として宮内庁が管理する国内最大の前方後円墳を含む、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産として登録されることが6日、ユネスコの世界遺産委員会で決まりました。

新たな世界遺産を決めるユネスコ=国連教育科学文化機関の世界遺産委員会の会議は、カスピ海沿岸のアゼルバイジャンの首都バクーで日本時間の6日午後再開され、午後5時半すぎに大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を新たに世界文化遺産として登録することを決めました。
会場で審議の様子を見守ったユネスコ日本政府代表部の山田滝雄大使と大阪府の吉村洋文知事は、ともに登録の決定を喜びました。
「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪府の堺市と、羽曳野市・藤井寺市にまたがる、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られた、合わせて49基の古墳からなります。
中には、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる国内最大の前方後円墳も含まれています。
これらの古墳は、当時の高い造築技術を示しているほか、日本の古代国家の成り立ちを研究するうえで貴重なものとされ、今回の決定を受けて、今後、どのように保存していくのかが改めて問われることになります。
「百舌鳥・古市古墳群」の登録によって、日本の世界遺産は文化遺産が19件、自然遺産が4件になります。

2604名無しさん:2019/07/06(土) 20:45:26 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録 堺市民は歓喜
07月06日 17時55分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190706/2000017374.html

「百舌鳥・古市古墳群」のある大阪・堺市ではパブリック・ビューイングが行われ、世界文化遺産の登録が決まった瞬間、集まった多くの人から歓声と大きな拍手がわき起こりました。

「百舌鳥・古市古墳群」の地元の堺市では世界文化遺産に登録される瞬間を見届けようとインターネット中継によるパブリック・ビューイングが行われ、アゼルバイジャンの首都・バクーで行われているユネスコの世界遺産委員会の審議の様子が映し出されました。
会場にはおよそ700人が集まり午後5時半すぎに登録が正式に決まると大きな拍手と歓声がわき起こりました。
会場を訪れた市民の1人は「地元として盛り上げていきたい。身近な友達や外国の友達にも伝えて、古墳に連れて行ってあげたいです」と話していました。
また、「堺市民としてうれしいです胸がいっぱいようやく世界遺産になったと涙が出ました」と話す人もいて会場は大きな歓喜に包まれていました。


世界遺産登録 羽曳野市は号外
07月06日 18時34分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190706/2000017378.html

「百舌鳥・古市古墳群」がある地元の大阪・羽曳野市では6日午後5時半すぎに世界遺産への登録が正式に決まったあと、駅前で市の職員が古墳をうつした写真とともに世界遺産に登録されたことを知らせる広報誌の号外を市民に配りました。

小学5年生の男子児童は「古墳のことは学校でも習います。世界遺産になってすごいなあと思います」と話していました。
また、女性は「有名になってうれしい人がいっぱい来てくれるとうれしいです」と話していました。
世界遺産への登録を機に観光客が増えることに期待する声も聞かれ、男性は「どちらかというと堺の古墳がメインで羽曳野市の古市は話題が薄いので、世界遺産についてどういう風にアピールしていくかが課題だと思います。まだピンとこないが観光客が来ると実感がわくと思います」と話していました。
また、地元で生まれ育ったという高齢の男性は、「世界遺産といってもあまりピンとこないが、60歳以上の人が多い町なので若い人に来てもらって活性化したらうれしいです」と話していました。

2605名無しさん:2019/07/06(土) 20:54:17 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録、大阪の地元「待ち遠しかった」
7/6(土) 20:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000550-san-soci

「百舌鳥・古市古墳群」が世界文化遺産に登録されることが決まった6日、同古墳群のうち古市エリアのある大阪府藤井寺市や同府羽曳野市では祝福のイベントが行われ、市民らが万歳するなどして、喜びを分かち合った。

藤井寺市はこの日、市内にある構成資産の一つで、登ることもできる「古室山(こむろやま)古墳」で祝福イベントを開催。夕方「登録決定」の一報が入ると集まった市民ら約200人から歓声が上がり、登録決定を祝う横断幕が掲げられた。

 「市観光ボランティアの会」会長の鈴木繁實(しげみ)さん(76)は「この日が待ち遠しかった。未来を担う子供たちが、より郷土に誇りを持つ契機となってくれれば」と感慨深げ。「世界各地から来られる方々のため、英語をはじめ、他の言語でも対応できるようにしたい」と話した。

 市内の主婦、山本綾子さん(40)は「古室山古墳は子供たちが鬼ごっこなどで遊んでいる場所。そうしたところが世界文化遺産になるのは不思議な思いだが、世界に認められてうれしい」と笑顔を見せた。

2606名無しさん:2019/07/06(土) 21:30:43 ID:NrdB.GxU0
「百舌鳥・古市古墳群」が大阪初の世界遺産に あべのハルカスで歓喜に沸く /大阪
7/6(土) 18:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000016-minkei-l27

 大阪の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が7月6日、第43回世界遺産委員会(アゼルバイジャン共和国 バクー)で世界文化遺産への登録が決定した。(あべの経済新聞)

 
日本一高いビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)の展望台「ハルカス300」では、世界遺産委員会のパブリックビューイングを開催。大阪初となる世界遺産決定の瞬間には歓声が上がり、くす玉を割って祝った。

 百舌鳥・古市古墳群は、大阪府南部の堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市にまたがる巨大古墳群。仁徳天皇陵古墳(堺市)など、4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された49基で構成される。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2607名無しさん:2019/07/06(土) 21:34:38 ID:NrdB.GxU0
風に揺られ涼やかな音色 大阪・水無瀬神宮に風鈴800個
7/6(土) 17:42配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00010001-kyt-l27

 夏の風情を演出する風鈴が、大阪府島本町広瀬3丁目の水無瀬神宮にお目見えし、境内に爽やかな音色を響かせている。今夏からは新たに風車も登場し、参拝者らは音と飾り物で涼を感じている。

 今年からは風車450個も

 水無瀬神宮では、日本の伝統的な夏の風物詩を楽しんでもらおうと、2年前から夏にガラスの風鈴約800個を棚につるしている。今年は風車約450個も飾ることにした。ピンクや黄の色とりどりの飾り物が新たに並び、宮司の水無瀬忠成さんは「子どもたちにも昔から続く季節の飾りを知ってほしい」と話す。
 境内の休憩所では、そよ風になびいて音を奏でる、ヒマワリなど花がプリントされた風鈴に聞き入ったり、回転する風車を眺めたりする参拝者の姿が見られた。散歩に来ていた女性は「涼しい音で気持ちがいい。立ち寄ってよかった」と笑顔を見せた。
 同神宮では参拝者が撮影した写真を紹介する展示「招福の風」も本殿前で開催している。誰でも参加することができ、9月上旬まで展示の予定という。

2608名無しさん:2019/07/06(土) 22:04:02 ID:NrdB.GxU0
「地域の宝が人類の宝に」 古墳群、世界遺産決定に歓喜
7/6(土) 20:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000058-asahi-soci

 いにしえの陵墓が世界に認められた。アゼルバイジャンで開かれたユネスコの世界遺産委員会で6日、「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の世界文化遺産への登録が決まった。国内審査で3回落選するなど苦労してきた地元は、待ちわびた吉報に喜びの声を上げた。

■委員国から「ビューティフル」

 アゼルバイジャン・バクーで開かれたユネスコの世界遺産委員会の会場。日本時間の6日午後5時36分、「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の世界文化遺産への登録決定を告げる木づちの音が鳴り響くと、場内は歓声と祝福の拍手に包まれた。

 審議はその約15分前に始まり、ユネスコの諮問機関イコモス(国際記念物遺跡会議)が古墳や埴輪(はにわ)の画像とともに古墳群について説明。委員国から「ビューティフル」「都市化の中でも保全されている」との発言があり、特に異論はないまま登録が決まった。

 決定を受け、吉村洋文・大阪府知事は「日本の歴史において大変重要な資産。これからもこの資産を次世代に引き継いでいく」とスピーチ。日本政府代表団の席には祝福の握手を求める各国の代表が集まった。日本側は「サンキュー」などと笑顔で返した。
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朝日新聞社

2609名無しさん:2019/07/06(土) 22:05:15 ID:NrdB.GxU0
「保全に向け必要な協力を」…宮内庁書陵部長
7/6(土) 20:46配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00050265-yom-soci

 世界遺産への登録を受け、宮内庁の坂井孝行・書陵部長は「皇室の祖先のお墓として、その『静安と尊厳』が損なわれないことを前提に、今後も保全に向けて必要な協力を行っていく」との談話を出した。

2610名無しさん:2019/07/06(土) 22:21:40 ID:NrdB.GxU0
京都が都となる遥か以前から大阪はとんでもなく発展していたのです。
古都・大阪、その姿が徐々に露わになってきている昨今です。


「1500年変わらぬすごさ」 登録尽力…藤井寺市の室長笑顔
7/6(土) 19:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000546-san-soci

  「『1500年変わらぬすごさ』を感じてほしい」。百舌鳥・古市古墳群の大阪府初の世界遺産登録が決まり、古市古墳群のある大阪府藤井寺市で登録に向け尽力してきた同市世界遺産登録推進室長、山田幸弘さん(59)も笑顔を見せた。

 千年以上前の人物の墓が地上に露出している形状や、敷地内の樹木が薪(まき)に使われた歴史など「人々の生活とあり続けた」点に古墳の魅力を感じてきた。さらに、「なぜこんな形なのか、どんな人物が埋葬されているのか、はっきり分かっていない。そうした点を『謎解き』のように考えるのが面白い」。

 同古墳群が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定一覧表に記載されたのは平成22年11月。これを受け、府や堺市など関連自治体が翌年に「登録推進本部会議」を設置し、機運が高まる中で自身も藤井寺市の世界遺産登録推進室長となった。市内の小学生向けに古墳群を学ぶ副読本を発行したり、人気の高い「マンホールカード」にならい「古墳カード」を作ったりと、魅力発信に力を尽くしてきた。

 地元の人は「(古墳群は)そんな、すごいものやないよと」謙遜するというが、「本当はとても誇りを持っている」と打ち明ける。

 「これを機に、多くの人がこの地に訪れてくれれば。同時に『百舌鳥・古市古墳群は世界的にみてもすごい』ことを、改めて地域の人に知ってほしい」

2611名無しさん:2019/07/06(土) 22:31:10 ID:NrdB.GxU0
安倍首相「独自の文化物語る人類の遺産」 世界遺産登録にメッセージ
7/6(土) 18:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000539-san-pol

  安倍晋三首相は6日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録が決まったことを受け、メッセージを発表した。内容は以下の通り。

  古墳時代、政治・文化の中心地の一つであった大阪に残る、約500メートルにも及ぶ巨大古墳をはじめとした、形状さまざまな古墳群。

 古(いにしえ)に栄えたわが国の高度な技術を駆使して作られた建造物として、幾何学的にデザインされた数多くの古墳は、わが国独自の文化を物語るものであり、まさに世界に類を見ない人類の遺産です。

 これまで大切に守ってこられた地元の皆さまをはじめ関係者の方々に深く敬意を表するとともに、世界の宝として、その魅力を積極的に発信し、次世代に引き継いでいく、その決意を新たにしたいと思います。


河野太郎外相「誠に喜ばしい」 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録
7/6(土) 18:42配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000541-san-pol

  河野太郎外相は6日、「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録決定について「誠に喜ばしく思う」と歓迎する談話を発表した。

 談話は、古墳群に関して「墳墓の規模と形によって当時の政治・社会の構造を表現した古墳時代の文化を物語る傑出した証拠だ」と指摘した上で、「今回の登録を契機として日本列島独自の歴史文化を物語る同資産の価値が一層広く世界に知られることを期待する」と歓迎している。

2612名無しさん:2019/07/06(土) 22:32:22 ID:NrdB.GxU0
規模・形で権力構造を示した百舌鳥・古市古墳群
7/6(土) 18:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000538-san-cul

 世界文化遺産への登録が決まった百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群は、仁徳天皇陵古墳(大山=だいせん=古墳、墳丘長486メートル)など全国の巨大古墳ベスト10に5基が入り、中国の歴史書に「倭(わ)の五王」と記された大王らの墓とされる。前方後円墳を中心に、古墳の大きさや形で政治・権力構造を示した古墳時代の最盛期にあたり、古代の国の成り立ちを示すシンボルとなっている。

 古墳時代は3世紀ごろ大和(奈良)を中心に始まり、百舌鳥・古市古墳群が形成された4世紀後半〜5世紀は和泉・河内(大阪)の勢力が主導権を握ったとされる。中国や朝鮮半島との外交が活発になり、内陸にあった大和より、大阪湾に近い和泉・河内勢力の重要性が高まったためだ。

 当時の前方後円墳の分布状況から、岩手県南部から鹿児島県までを勢力下に治めていたことがうかがえ、「倭国」と呼ばれた。中国の歴史書には、倭の王が5代にわたって中国に朝貢したと記され、百舌鳥・古市古墳群の被葬者が倭国を統治し、外交を行ったという。

 同古墳群の特徴は、墳丘長が数百〜数十メートル規模まで大小さまざまあり、墳形も前方後円形や帆立て貝形、円形、方形とバラエティーに富むことだ。福永伸哉・大阪大教授(考古学)は「巨大前方後円墳は大王、周囲の中小規模の古墳は大王を取り巻く近親者らの墓で、墳形の違いも階層差を示している」と指摘する。

 日本の国家成立は、天皇を中心とする官僚制度を律令(法令)によって整備した飛鳥時代(7〜8世紀)とされるが、福永教授は「百舌鳥・古市古墳群が築かれた頃は、その前段階。国家成立の過程を示す古墳群は人類にとってかけがえのない歴史遺産」と評価。「1600年間、良好な状態で残された古墳群を、500〜千年後まで伝えるのが現代人の役割」と話す。

2613名無しさん:2019/07/06(土) 22:33:35 ID:NrdB.GxU0
「陵墓は祈りの場」宮内庁は静観、保存管理に一層努力
7/6(土) 18:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000537-san-soci

  世界文化遺産への登録が6日、決まった「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)の構成資産には、世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵古墳」(大山=だいせん=古墳)など宮内庁が管理する陵墓29基が含まれる。今後参拝客の増加が見込まれるが、宮内庁は「世界遺産となっても皇室祭祀(さいし)が行われる『祈りの場』に変わりはない」と強調。「墳丘内部への立ち入りを認めることはなく、保存管理に一層努力する」と静観している。

 陵墓は宮内庁が管理する皇室祖先の墓。皇室典範では天皇と皇后、太皇太后、皇太后を葬る所を「陵(りょう)」、他の皇族の墓を「墓(ぼ)」と定める。皇族の墓である可能性が高い「陵墓参考地」を含めると計899に上る墓を宮内庁が管理している。

 陵墓は皇室祭祀が行われる聖域として宮内庁が管理してきた結果、戦後の宅地開発から守られてきた経緯がある。

 陵墓には「拝所」が設けられており、一般人も参拝が可能だ。宮内庁には「世界遺産登録がお代替わりと重なり、皇室の歴史に関心が高まる」と肯定的な見方がある一方、陵墓担当者は「現在も毎年被葬者の命日に祭祀が行われている」と説明。静かな環境と尊厳を守ることが宮内庁の役目とし、墳丘内部の立ち入りや一般公開は「墳丘の破壊につながり、今後も認めることはない」と明言する。

 ただ、宮内庁には陵墓の保存管理に「地元自治体との協力は不可欠」とする声もある。昨秋、仁徳天皇陵で初めて、堺市とともに実施した堤での共同発掘調査を念頭に「他の陵墓でも可能な範囲で学術調査に協力していきたい」(宮内庁幹部)としている。

 ■宮内庁の坂井孝行書陵部長の話「(登録決定は)喜ばしい。お墓としての『静安と尊厳』が損なわれないことを前提に、今後とも陵墓を含む世界文化遺産の保全に向けて必要な協力を行いたい」

2614名無しさん:2019/07/07(日) 20:19:42 ID:NrdB.GxU0
「古墳こんにゃく」に「はにわ型プリン」 百舌鳥・古市古墳群 大阪発の世界文化遺産登録で地元はお祝いムード一色
7/7(日) 17:48配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190707-00022442-asahibcv-l27

 
大阪の百舌鳥・古市古墳群のユネスコ世界文化遺産登録決定を受け、地元・堺市ではお祝いムードが広がっています。

古墳群のうち、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する国内最大の前方後円墳には、朝から多くの観光客が訪れました。神奈川から訪れた人は「たまたま大阪滞在中に登録と聞いて、『目の前にいるし』と思って見に来た。神聖な場所だなと(感じる)」と話し、愛媛から訪れた人は「昔から仁徳天皇陵というのは知ってたけど、その偉大さが今回初めて、ここまで素晴らしい古墳というのがわかった」と感激していました。登録を祝い、近くのみやげ物店では、前方後円墳をかたどった地元産のこんにゃくが無料でふるまわれました。口にした女の子は「おいしい!」と喜んでいました。また、地元の百貨店では特設コーナーが設けられ、古墳をかたどったクッキーやグッズ、はにわ型の容器に入ったプリンが販売されるなど、お祝いムードを盛り上げていました。
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ABCテレビ

2615名無しさん:2019/07/07(日) 20:22:44 ID:NrdB.GxU0
大阪で初の「世界遺産」登録決定 吉村知事「これからが正念場」
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_2437.html

 大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を受け、吉村知事は「これからが正念場」と意気込みを語りました。

日本時間の6日にアゼルバイジャンで開かれたユネスコの世界遺産委員会で、百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録が正式に決まりました。世界遺産委員会に出席した大阪府の吉村知事は「(古墳群を)地域の皆さんや住民の皆さんが守ってきた」「そこを大事にしながら、これからさらに多くの方がいらっしゃいますから。いかに古墳のすばらしさを見ていただけるようにするのか、全体像を感じられるようにするのか(が課題)」だと語りました。大阪での世界遺産登録は初めてで、今後は、保存と観光振興をどう両立させるかが課題となりそうです。

2616名無しさん:2019/07/07(日) 20:54:32 ID:NrdB.GxU0
四天王寺で「七夕のゆうべ」 天の川を模した笹トンネルが点灯 /大阪
7/7(日) 7:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190707-00000003-minkei-l27

  境内に笹のトンネルを設ける七夕イベント「七夕のゆうべ in 四天王寺2019」が7月6日、四天王寺(大阪市天王寺区)で始まり、多くの人が来場した。(あべの経済新聞)

 
地元町内会が中心となって開いている今年12年目の恒例イベント。笹を取り付けた全長27メートルの笹トンネルに、夜は天の川を模したLED照明が点灯して幻想的な雰囲気を醸し出す。来場者は笹トンネルに願い事を書いた短冊を飾り付ける。最終日の8日は20時30分から、四天王寺僧侶による祈願の後、願い事が天に届くようにと短冊のおたき上げを行う。

 笹トンネルの点灯時間は19時〜24時(最終日は20時まで)。今月8日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2617名無しさん:2019/07/07(日) 20:59:17 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録決定 祝賀イベント
07月07日 19時52分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190707/2000017402.html

 「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まったことを受けて、地元の羽曳野市では、7日、登録決定を祝うイベントが開かれました。

大阪・堺市と羽曳野市それに藤井寺市にまたがる49基の古墳からなる「百舌鳥・古市古墳群」は6日、世界文化遺産に登録されることが決まりました。
これを受けて、羽曳野市の近鉄古市駅前の広場では、登録決定を祝うイベントが開かれ、およそ3000人の市民が参加しました。
はじめに、北川嗣雄市長が「みなさんと一緒にこの遺産をしっかりと守り、いい街づくりをしていきたい」とあいさつをしたあと、くす玉を割って登録決定を祝いました。
また、会場に訪れた子どもたちには、前方後円墳をモチーフにしたロゴマークが入った傘が無料で配られ、受け取った子どもたちが、傘を広げるなどして、喜んでいました。
小学4年生の男子児童は、「古墳が世界遺産になったとニュースで見た。雨が降ったらこの傘を使いたい」と話していました。
また小学5年生の女子児童は、「学校でも前方後円墳を習っていたので、登録が決まってうれしい」と話していました。

2618名無しさん:2019/07/07(日) 21:05:56 ID:NrdB.GxU0
世界遺産登録を祝うレセプション
07月07日 07時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190707/2000017390.html

 大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まったことを祝うレセプションが、日本時間の6日夜、ユネスコの会議が行われているカスピ海沿岸のアゼルバイジャンの首都バクーで開かれました。

バクーでは6日、ユネスコ=国連教育科学文化機関の世界遺産委員会の会議が開かれ、大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」を新たに世界文化遺産として登録することが決まりました。
これを受けてバクー市内のホテルでは6日夜、登録を祝うレセプションが開かれこれまで関わってきた自治体や国の省庁の職員、それに国内外の学識経験者も出席しました。
この中で、フランスのユネスコ日本政府代表部の山田滝雄大使は「諸外国から高い評価と多くの賛辞をもらった。1600年にもわたり人々が、古墳を愛し、育み、守ってきた成果だ」と祝辞を述べました。
大阪では8年前、大阪府知事と、古墳がある堺市、羽曳野市それに藤井寺市の3市の市長が名前を連ねる、組織が結成され、世界遺産登録の早期実現に向けた取り組みを進めてきました。
日本が推薦書を作成する際に海外の有識者の1人として助言を行った、オランダ教育文化科学省のファン・ローイエン氏はNHKの取材に対して「規模の大きな古墳は、ピラミッドや中国の皇帝の墓にも匹敵する。世界遺産に登録されたことでこれから多くの外国人観光客が訪れるだろう」と話しています。

2619名無しさん:2019/07/07(日) 21:06:44 ID:NrdB.GxU0
世界遺産決定で大勢の観光客
07月07日 12時46分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190707/2000017392.html

 大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まってから一夜明けた7日、現地には、大勢の観光客が訪れています。

「百舌鳥・古市古墳群」は、大阪・堺市と、羽曳野市・藤井寺市にまたがる、4世紀後半から5世紀後半ごろに造られたあわせて49基の古墳で、ユネスコの世界遺産委員会は、6日、世界文化遺産に登録することを決めました。
登録された古墳群の1つで、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理している国内最大の前方後円墳には、一夜明けた7日、朝から多くの観光客が訪れ、写真を撮ったり、ボランティアの説明を受けたりしていました。
愛知県から来た30代の男性は「世界遺産に登録されたので一目見たいと思って来た。教科書でしか見たことがなかったが、とても大きくて驚いた」と話していました。
また、世界遺産の登録決定にあわせて、すぐ近くの堺市博物館では、6日から特別展がおこなわれています。
古墳群から見つかった、ふだんは公開されていない宮内庁が所蔵する埴輪をはじめ、まが玉や花形の飾りなど、およそ300点が展示されていて、地元の人たちも大勢、訪れていました。
堺市に住む女子高校生は「世界遺産の登録が決まったので久しぶりに来ました。まだ登録されたという実感は無いが、堺市がにぎわってほしい」と話していました。

2620名無しさん:2019/07/07(日) 21:27:59 ID:NrdB.GxU0
アートで祝福 「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産登録
2019年7月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190707/20190707027.html

 堺市の「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳)を含む大阪府南部の「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が6日、アゼルバイジャンのバクーで開かれた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会で審査され、世界文化遺産への登録が決まった。同市の府立堺工科高の生徒たちが、20万個以上のペットボトルのキャップで制作したアート作品と共に決定を喜んだ。

 同校のエコデザイン部が、2017年に百舌鳥・古市古墳群が国内推薦候補に選定されたことを受け、市が制作した古墳群のイメージを、キャップアートのモザイク画で再現した。

 現役の部員たちが「祝世界文化遺産登録決定」の文字を新たに作り、2年前の作品に加えた。

 大仙公園で古墳グッズを販売する土産店がお気に入りだという3年の吉川萌さん(17)は「決定はうれしい。たくさんの人に堺市に来てほしい」と笑顔だった。

2621名無しさん:2019/07/11(木) 11:36:44 ID:ylDuNnHU0
上空から古墳群見る気球運航へ
07月09日 07時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190709/2000017448.html

 大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まり、地元の堺市では、古墳群を上空から見渡せる気球を運航し、観光客の呼び込みを図ることになりました。

世界文化遺産への登録が決まった「百舌鳥・古市古墳群」は、堺市と羽曳野市、それに藤井寺市に広がっているうえ、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し、「大山古墳」とも呼ばれる前方後円墳は、全長がおよそ500メートルと巨大で、古墳群全体を見渡せる場所がありません。
このため、堺市は、世界遺産を目当てに訪れる観光客を呼び込もうと、大山古墳に隣接する大仙公園から古墳群を見渡せる気球を運航することを決めました。
気球は上空100メートル以上に達する20人から30人乗りのもので、料金は大人1人あたり3000円未満を想定し、民間の業者に委託して、来年の春ごろから運航させたいとしています。
一方、大阪府も、3つの市にまたがる古墳群を周遊するバスの運行を早ければ来月にもはじめたいとしていて、さらなる観光客の受け入れ準備が進んでいます。

2622名無しさん:2019/07/11(木) 11:49:25 ID:ylDuNnHU0
金剛組棟梁が語る「最古の企業」の歴史と矜恃 「未来を考えて建築する」
7/11(木) 8:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190711-00000515-san-l27

  飛鳥時代の“創業”から1400年以上の歴史を持ち、「世界最古の企業」とされる大阪市天王寺区の建築会社「金剛組」で匠の技を伝える現役棟梁(とうりょう)が、伝統にまつわる秘話や宮大工の矜持(きょうじ)を語った。人気作家の木下昌輝氏が金剛組をモデルに執筆した『金剛の塔』の出版記念イベント。ゲストとして招かれた木内繁男棟梁が登壇した。

 「これが建物を組み上げる際に使う継手(つぎて)と呼ばれるものです」

 木内棟梁が、釘を使わずに隙間なくがっちり組み合わさった木材を掲げると、匠の技を目の当たりにした会場から歓声が沸いた。

 直木賞ノミネート3度という気鋭の作家、木下氏が金剛組を題材に取り上げたきっかけは、木内棟梁が講師を務めた講座を聞いたこと。「聖徳太子から続く会社があることを知って、『これは面白い!』と思いました」と振り返る。

 金剛組は578年、聖徳太子から四天王寺の施工を言い渡されたときを始まりとする。そんな「世界最古の企業」を特徴付けているのは何かというと?

 「そりゃ、四天王寺さまをお護りさせていただいた1400年という歴史やな。宮大工の技量なら、他にも優れた職人がいるかもしれんし…。だいたい、わしらは金剛組のことしか知らん」。木内棟梁はあっけらかんと言い放つ。

 だが、その歴史の長さにこそ、途方もない重みがある。例えば金剛組がこだわる「軒の勾配」。雨が多い日本では、急勾配にした方が早く雨だれが流れ落ち、耐久性が高くなる。しかし、金剛組は、あえて軒先を少し反り上がらせ、軒を深く取る。それが、五重塔などの神社仏閣の屋根に優雅な美しさを与えるからだ。丈夫さだけでなく、美しさにもこだわった建築法といえる。

 歴史の重みは、技法もさることながら、独自の儀式にも表れる。毎年1月11日に四天王寺金堂で執り行われる秘儀「手斧(ちょんな)始め式」。大工仕事を模した儀式で、選ばれた大工12人が平安貴族のような装束で参加する。一般には公開されていない。

 「選ばれたときは、そりゃ名誉なことと思いましたよ。初めての時は緊張してね。暗闇の中で行うのやけど、扉がバタンと閉まったら、そこから全く覚えてない」。厳かさに加え、伝統に直面した緊張感が伝わってくる木内棟梁の回想だ。

 小説「金剛の塔」には、五重塔が火災などで何度も失われ、その都度再建されたがゆえに、技術が継承されたとするくだりがある。「代々伝わる古文書もあるけど、実際にそれを作っていくからこそ、技術が伝わる部分もある」。技術の継承にとって実践が重要なことには、木内棟梁も同意する。

2623名無しさん:2019/07/11(木) 11:50:01 ID:ylDuNnHU0
四天王寺の建築を担ってきた金剛組だが、実は、8代目にあたる今の五重塔では施工から外れた。木造ではなく、コンクリート工法が採用されたからだ。

 その代わりというわけではないが、「なんとか請け負わせてもらった」という金堂には、金剛組の伝統技法と意地が盛り込まれている。

 「金堂もコンクリートでやったんやけど、昔から受け継いだ技術にもこだわった。コンクリートと木材の境目には、微妙に隙間を作っている。木は膨張するからな。千年先も考えて建てたんや」

 膨張率などを綿密に考えた上で、飛鳥時代から伝わる“アナログ”の技術も加える。「未来を考えて建築する」のが、歴史を背負った宮大工の矜持だ。昨今は耐震偽装問題などが発覚しているが、金剛組の建築物はその対極にある。

 「そら、信仰の対象として未来に残していくものを作っているんやから。見えへんから手を抜くとかはない」

 宮大工という職業に就いていても、五重塔の建築に関われるのは、一生に一度あるかないか。では、もしも今、四天王寺五重塔の建て替えを受注したら?

 「そら、今度は木造にしますよ。それも飛鳥時代から伝わる金剛組の技法を使ってね。現代の工法は使わないのかって? わたしらは、昔から伝わるやり方が一番いいと信じているからな」

 その言葉を実証するように、歴代の五重塔が地震で倒壊した例はない。そんな1400年伝わる奇跡の工法を今も守り続けていることが、金剛組を金剛組たらしめているのだろう。

2624名無しさん:2019/07/11(木) 12:58:05 ID:ylDuNnHU0
大阪歴史博物館で「水都大阪」特集 「漣」が重文指定後、大阪初披露 /大阪
7/10(水) 14:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190710-00000035-minkei-l27

  大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)の8階特集展示室で7月10日、特集展示「『漣(さざなみ)』を生んだ風景-近代水都大阪を描く-」が始まった。(京橋経済新聞)

 
今年は淀川改良工事が竣工して110年目に当たるため、同館では絵画作品を通して水と密接に関わった大阪の町並みを紹介する。錦絵「浪花繁栄東堀鉄橋図」には、大阪最初の鉄橋「高麗橋」が描かれ、日傘を差しドレスを身にまとう人の姿や蒸気船も見受けられる一方で、ちょんまげ姿の人や屋形船も描かれている。学芸員の大澤研一さんは「江戸時代から明治時代への移り変わりを感じていただけたら」と話す。

 今回注目は、湖面にきらめく波を表現した「漣」。1932(昭和7)年に福田平八郎が40歳で描いた作品で、白金(プラチナ)の箔(はく)を押した画面に不定型な群青色の色面を配置することのみで仕上げていて、福田の作風の特徴をもっともよく示す作例とされている。2016(平成28)年の重要文化財に指定後、大阪で初披露となる。

 ほかには、大正時代に架橋された東横堀川の本町橋が描かれている油絵「橋のある風景」を展示。本町橋は現存していて、現役の橋としては大阪市内最古。昭和戦前期の大阪の姿を描いた水彩画「大阪風景画帖」は写実的に描かれ、大阪の水辺空間が多様かつ日常的な存在であったことを伝える。

 大澤さんは「かつての水辺空間を知ってもらうことによって、今をもう一度見つめ直して、大阪の水辺空間に親しみをもってほしい」と語る。

 開館時間は9時30分〜17時。火曜休館。入場料は600円(中学生以下、大阪市在住・65歳以上(要身分証明証)、障がい者手帳持参者は無料)。8月19日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2625名無しさん:2019/07/13(土) 22:41:38 ID:NrdB.GxU0
世界遺産をヘリで上空から
07月13日 12時38分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190713/2000017582.html

 大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産への登録が決まったことを記念して、古墳群をヘリコプターで遊覧するイベントが堺市で行われています。
「百舌鳥・古市古墳群」のうち宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理し「大山古墳」とも呼ばれる前方後円墳は、全長およそ500メートルと巨大で地上からは全体を見渡すことができません。
世界文化遺産への登録が決まったことを記念し、この古墳をヘリコプターから楽しむイベントが開かれています。
遊覧飛行は1回6分間で、参加した人たちは、上空およそ450メートルから古墳の全景を楽しんでいました。
小学2年生の男の子は、「鍵の穴のような古墳が見えて楽しかったです。公園や海も見えて良かったです」と話していました。
また、62歳の男性は、「横から古墳を見てもぱっとしませんでしたが上からは見栄えがよく、迫力があり見事でした」と話していました。
料金は1人5000円で15日まで行われ、天候が崩れなければ、午前9時半から午後4時半まで随時飛行するということです。

2626名無しさん:2019/07/14(日) 00:03:05 ID:NrdB.GxU0
生國魂神社の夏祭り始まる
07月11日 12時06分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190711/2000017526.html

 大阪に夏の到来を告げる三大夏祭りのひとつ、生國魂神社の夏祭りがあいにくの雨のなか11日から始まりました。

大阪・天王寺区の生國魂神社の夏祭りは、無病息災を祈願して平安時代から続く伝統行事です。
大阪天満宮の「天神祭」や住吉大社の「住吉祭」とともに大阪の三大夏祭りのひとつに数えられています。
11日朝は、あいにくの雨のなか、神社の本殿で地域の人が参列するなか、祭りの安全を祈って神職が祝詞を捧げました。
このあと、赤い頭巾にはっぴ姿の願人(がんじ)と呼ばれる男衆と、枕太鼓と呼ばれる直径1メートルほどの太鼓をのせた車が境内を出発しました。
一行は無病息災を祈願して力強く太鼓を打ち鳴らしながら地域を回り、時折車を止めて、大阪締めの手拍子も披露していました。
祭りは12日、中心となる行事が行われます。
みこしを担いで、大阪城までの道のりを練り歩く「渡御行列」が行われ、沿道にはおよそ500の屋台が並びます。

2627名無しさん:2019/07/14(日) 00:05:39 ID:NrdB.GxU0
大阪・寝屋川の成田山で8月15日に「笑魂祭」
7/13(土) 8:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190713-00000510-san-l27

 大阪府寝屋川市の成田山不動尊で8月15日、盆の行事「成田山笑魂祭(しょうこんまつり)」が開かれる。「笑魂塚」の前で、関西芸能界の物故者の冥福と芸道の上達などを祈願する屋外での護摩供(ごまく)法要と一般参加もできる「火渡り修行」がある。昭和34年建立の笑魂塚には関西芸能人の花故帳(過去帳)が納められており、横山たかし氏、タイヘイ夢路氏、水田かかし氏の名前が新たに記載される。

 午後7時からは駐車場に櫓(やぐら)を設置し、「関西芸能親和会」の芸人らが音頭を取る大盆踊り大会(飛び入り自由)を開催。夜店も並ぶという。問い合わせは同不動尊(072・833・8881)。

2628名無しさん:2019/07/15(月) 13:14:16 ID:NrdB.GxU0
ハルカスで古墳を楽しむ催し
07月15日 12時49分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190715/2000017617.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産の登録を受け、古墳群を望む高さ300メートルの「あべのハルカス」で古墳を楽しむイベントが開催されています。

日本一高いビル、「あべのハルカス」の展望台は大阪の堺市、羽曳野市、藤井寺市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」の大部分を一望できるスポットです。
展望台には、古墳の位置関係がわかるパネルが新たに設置され、訪れた人たちは古墳の名前などを確認しながら、遠くに広がる古墳群を眺めていました。
また、古墳時代の衣装を再現したコーナーもあり、家族連れなどが着付けをしてもらい笑顔で記念撮影をしていました。
このほか、展望台の下の階のカフェではラテアートで古墳が描かれた「古墳カフェラテ」や、古墳をかたどったコンニャクの「古墳田楽」も販売されています。
東京から仕事で大阪に戻っていた藤井寺市出身の30代の女性は「古墳だらけの地域で育ったので今回、世界遺産に登録されたことを受けて改めて見てみようとハルカスに登りました。上から見ることができてすごく素敵です」と話していました。

2629名無しさん:2019/07/18(木) 16:00:34 ID:NrdB.GxU0
古墳グッズ・イベント、大阪で次々と開催
7/18(木) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190718-00071909-lmaga-l27

 大阪初の世界遺産として盛り上がりを見せる「百舌鳥・古市古墳群」。そんななか、古墳の魅力を楽しむために増えているのが古墳グッズのイベント。7月17日から、「堺タカシマヤ」(大阪府堺市)で『古墳祭り in 堺タカシマヤ』がスタートした。

 古墳とハニワをモチーフとした文房具やアクセなどの雑貨、プリンやお弁当などの食物販が約200種も並ぶ同イベントは、堺のカフェ「紙カフェ」の松永友美さんによるイベントだ。2018年5月から始めて、早くも5回目となる。

「6月にも同じ場所でおこなったのですが、やはり違いますね。世界遺産になったから、買うつもりで皆さま来ていただいてます。古墳がかわいいからとお越しくださる方、また世界遺産の記念に買いに来られる方と裾野が広がっています」と、松永さんは話す。

「反正天皇陵古墳(田出井山古墳)」(堺市堺区)近くに住む40代女性は、「堺の古墳に興味を持ってもらえればと思って、マスキングテープなどをお土産用に買いました。ネタになるなって」と話題の種に購入。また、「3f STAINED GLASS WORKS」というブランド名で古墳アクセなどを作る女性作家は、「古墳雑貨を作っているとどんどん夢中になって。普段使えるものも多く、かわいいので」と、自宅用に1万円以上も購入していた。

ほかにも、すでに「東急ハンズ梅田店」では古墳好きにとっては定番イベント『古墳にコーフン!』(〜7月25日まで)が開催されているほか、堺の観光スポット「さかい利晶の杜」の『にぎわいマルシェ〜古墳を楽しもう!〜』が7月28日に、「阪急うめだ本店」では『古墳ハニワフェス』が7月31日〜8月6日におこなわれるなど、大阪での古墳グッズ・イベントがますます増えそうだ。

2630名無しさん:2019/07/18(木) 16:22:57 ID:NrdB.GxU0
渡辺美優紀、3年ぶり『LARME』で増刊号カバーモデルに 成長した美しさ&美肌披露
7/17(水) 12:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190717-00000329-oric-ent

 元NMB48のみるきーこと渡辺美優紀(25)が、17日発売の女性ファッション誌『LARME 041』(徳間書店)の特別増刊号の表紙を飾った。

 2016年8月にNMB48を卒業し、昨年9月に芸能活動を再開した渡辺。今年4月には1stソロアルバム『17%』をリリース、同作を引っさげて初の単独全国ツアーを開催、自身がプロデュース&参加するガールズユニットの発足など、精力的に活動しファンを喜ばせている。

 そんな渡辺が、『LARME 023』以来、3年ぶりに同誌にカムバック。特別増刊号のカバーモデルとして、大人に成長した美しさとかわらぬキュートさ、そして輝くような美肌を披露した。

 また、同号の通常版の表紙を飾ったのは女優・モデルの山本舞香。そのほか、人気声優の小倉唯、梅山恋和(NMB48)、小栗有以(AKB48)、吉田朱里(NMB48)、渡辺梨加(欅坂46)、アンジェラ芽衣、黒木ひかりなどが登場する。

2631名無しさん:2019/07/21(日) 09:31:41 ID:ylDuNnHU0
大阪城天守閣で「戦国の群像〜秀吉をとりまく人々〜」展 初公開「幸村の自筆書状」も /大阪
7/18(木) 22:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190718-00000084-minkei-l27

 大阪城天守閣(大阪市中央区大手前1)で7月19日、企画展示「戦国の群像〜秀吉をとりまく人々〜」が開催される。出展されるのは書状、工芸品、絵画、武具など53点。(京橋経済新聞)

 大坂城を拠点に天下統一した豊臣秀吉。秀吉と関わりのあった大名、武将、文化人の姿を、文化財を通して紹介する。見どころは大阪城天守閣で初披露となる真田幸村の自筆書状。このときの幸村は、まだ大坂方から協力の要請はなく、和歌山の九度山で蟄居させられたままの状況。「この書状から歯が抜け髭も白くなったと、老い衰えゆく自身の近況を伝える幸村の心細い心境がうかがえる」と当学芸員の岡嶋大峰さんは話す。

 秀吉の死後、ご神体として祭られた秀吉の木像も出品される。注目は秀吉がかぶっている「唐冠」。唐冠をかぶっている理由は明(当時の中国)を攻めたので、軍神としての性格を持っているのだという。

 錦絵としては「足利義教(よしのり)公」が出品。室町幕府6代将軍・義教は、秀吉とは一見関係ないように思える。だが、この絵は家臣に対して苛烈な態度をとって暗殺された義教を織田信長と見立て「嘉吉の乱」を「本能寺の変」になぞらえて描いた作品といわれている。他には豊臣秀頼が自筆した和歌を貼った屏風も。 

 岡嶋さんは「大坂城を舞台に秀吉と共に戦国の乱世を駆け抜けた武士・文化人といったさまざまな人々の生きざまを感じ取ってほしい」と話す。

 開館時間は9時〜17時(7月20日〜8月18日は9時〜19時、8月19日〜8月25日は9時〜18時)。入場料は600円(中学生以下、大阪市在住の65歳以上(要証明)、障がい者手帳持参の人は無料)

2632名無しさん:2019/07/24(水) 22:17:56 ID:NrdB.GxU0
日本三大祭の1つ「天神祭」宵宮 鉾流神事で幕開け 祭の安全と人々の無病息災祈る
7/24(水) 19:46配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190724-00000086-ytv-l27

  日本三大祭の1つ「天神祭」が宵宮を迎え、大阪市内では祭の幕開けとなる鉾流神事が行われた。

 24日午前8時半ごろ、今年の神童を中心とした約100人の行列が大阪天満宮を出発し、堂島川にかかる鉾流橋へと向かった。祭の幕開けを告げる鉾流神事は毎年、宵宮の日に行われていて、祭の安全と人々の無病息災を祈る。

 斎場でお祓いを受けた後、神童らは斎船に乗り込み、邪気を払う白木の神鉾を川に流した。

 天神祭は25日に本宮を迎え、約100隻の船の明かりが川を照らす「船渡御」が行われるほか、夜には約5000発の色鮮やかな花火が打ち上げられ、大阪の夜空を彩る。

2633名無しさん:2019/07/24(水) 22:20:48 ID:NrdB.GxU0
「古墳見物は上空から」 堺市長、世界遺産活用で検討
7/24(水) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190723-00000030-san-l27

 6月の堺市長選で初当選した永藤英機市長(大阪維新の会)が23日、産経新聞の単独インタビューに応じ、世界文化遺産に正式登録された百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群を活用した観光振興策について、「古墳群の保全を第一義とした上で、観光客にその壮大さを実感してもらえるよう、上空から眺めるためのあらゆる方策を検討する」と述べた。

 上空から眺める手段としては、熱気球やヘリコプター、セスナなどが考えられるが、ヘリやセスナには騒音問題があることから「常時は難しく、運航日や運航回数など近隣住民に配慮する必要がある」とし、「騒音のない熱気球が現時点では最も現実的」との考えを示した。

 アンコールワット(カンボジア)やカッパドキア(トルコ)などで行われている気球ツアーを参考に、「堺の実情に合う運用方法を模索する」という。

 また、観光客が充実した時間を過ごせるよう、熱気球の離着陸場となる大仙公園内にレストランやカフェを任期中に誘致する考えも明らかにした。

 一方、大阪府、大阪市との連携を強めていくとする公約については、「特に観光面が大きい。大阪を訪れている1100万人以上の外国人観光客をどう堺に呼び込むか、トップ同士の話し合いで戦略を練る」。大阪都構想については「公約通り今後4年間は議論しない」としつつ、グレーター大阪構想に関しては「消防や水道行政などは大阪に限らず、全国の自治体の大きなテーマ。その一つの案がグレーター大阪だと思う」とのスタンスを示した。

 現在の市の全事業をゼロベースで見直すとする公約については、「千を超える事業を1周見終わったところ。さらに2周、3周と、より細かいところまで見直し、8月定例市議会が始まるまでには示したい」と話した。

2634名無しさん:2019/07/24(水) 22:57:33 ID:NrdB.GxU0
令和に一新 御羽車披露 天満宮北側の氏地巡行
2019年7月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190724/20190724024.html

 天神祭の「宵々宮」を迎えた23日、大阪市北区の天神橋筋商店街では、令和で初めてとなる祭りに合わせて化粧直しされた神様の乗り物「御羽車(おはぐるま)」が、お披露目された。大阪天満宮の祭神、菅原道真公の神霊を乗せて巡行し、本宮(25日)に最高潮に達する「神様の氏地巡り」がスタートした。

 天神橋筋2〜6丁目商店街と振興町会でつくる団体「御羽車講」は、大阪天満宮で御羽車に神霊が移されると、商店街のアーケード内を練り歩いた。伝統衣装を身に着け、厳かな雰囲気の中で歩みを進めた。

 商店街の北端に到達すると、御羽車の前に祭壇を設け神職と共に「駐輦祭(ちゅうれんさい)」を斎行。天神祭の成功と商店街の繁栄を祈願した。

 「神様の氏地巡り」は、御鳳輦(ごほうれん)を核にした本宮の陸渡御と船渡御が知られるが、同宮の南側が中心。御羽車はこの日、北側を巡った。

 御羽車の修繕は、講の設立70年や改元の節目を踏まえて実施。木造部分の漆塗りを全面塗り直し、頂上部の飾りの金箔(きんぱく)を押し直したりした。田中誠一講元は「今回を一つの節目として、次は80周年に向けて伝統を紡いでいきたい」と思いを込めていた


北新地 勇壮華麗に みこしや獅子舞練り歩く
2019年7月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190724/20190724025.html

 大阪天満宮の氏地に当たる北新地(大阪市北区)では、宵々宮恒例の巡行が盛大に行われた。日没後、奉仕者の一行が大阪屈指の繁華街に繰り出して、人々に待望の「天神祭」の到来をふれて回った。

 もともと北新地での巡行は、天神祭本宮(25日)の陸渡御コースだったが、交通量の増加などの諸事情でやむなく途絶。2009年、氏子崇敬者でつくる団体の天神講獅子と鳳(おおとり)講が、さらなる地域おこしを願い本宮から宵々宮に日を移して復活させ、今年で11回目となった。

 現場では色とりどりの店の看板がともる中、鳳講のみこしと天神講獅子の獅子舞・傘踊りの奉仕者らが堂々と出発し、勇壮華麗なお練りが道行く人々の注目を集めた。巡行の列には、北新地の関係者とともに「北新地クイーン」も加わり、にぎやかな行事に花を添えた。

2635名無しさん:2019/07/24(水) 23:13:07 ID:NrdB.GxU0
浴衣と法被 天神祭気分 シティ信金が盛り上げ
2019年7月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190723/20190723036.html

 25日に本宮を迎える天神祭を盛り上げようと、大阪シティ信用金庫(本店・大阪市中央区、高橋知史理事長)は22日、メイン会場に近い本店営業部と梅田支店(同市北区)で、職員が浴衣や法被を着用した営業を始めた。店内は一足早く、祭りのにぎやかな雰囲気に包まれた。

 同金庫は1989年から天神祭に協賛し、浴衣姿での営業は94年から続く。

 本店営業部では、30人の職員が浴衣や法被をまとい、店舗の内外にちょうちんをつるすなどして祭りムードを演出。浴衣姿の女性職員が、来店客に特製のうちわを配った。

 久保隆志本店営業部長は「最近は暗いニュースが続いている。浴衣や法被の華やかな装いで、社会の閉塞(へいそく)感を吹き飛ばし、元気な大阪を発信したい」と意気込んだ。

 浴衣や法被での営業は25日まで行う。

2636名無しさん:2019/07/24(水) 23:14:05 ID:NrdB.GxU0
あすから「だいがく祭」 西成の生根神社
2019年7月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190723/20190723037.html

 大阪市西成区玉出西の生根(いくね)神社(吉見友伸宮司)で24、25の両日、伝統行事「だいがく祭」が執り行われる。竿灯(かんとう)に似た貴重な「だいがく」(府指定有形文化財)を境内で披露するほか、勇壮華麗なだいがく担ぎなどを行う。

 だいがくは農民の雨乞いが起源。最後に残った3基のうち2基が戦時中の空襲で失われたが、現存する1基は府外にあり被害を免れた。 行事内容は次の通り。

 24日=午後7時半〜「だいがく音頭」奉納(境内)、「男性だいがく」担ぎ披露(玉出西公園)▽25日=同5時〜「子どもだいがく」担ぎ披露(境内)、同6時〜「だいがく踊り」奉納、同7時半〜「だいがく音頭」奉納、「女性だいがく」「男性だいがく」担ぎ披露(玉出西公園)。問い合わせは電話06(6659)2821。

2637名無しさん:2019/07/25(木) 15:49:07 ID:NrdB.GxU0
25日本宮 大阪の夏 一気に本番
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725026.html

 日本三大祭りの一つ天神祭は24日、宵宮を迎えた。大阪市北区の大阪天満宮を中心に市内各地でさまざまな行事が繰り広げられ、25日の本宮に向けて一帯のお祭りムードは一気に高まった。近畿地方はこの日、梅雨明けが宣言され、水都・大阪にも本格的な夏が到来。強い日差しの中で令和最初の天神祭が幕を開けた。

 大阪天満宮本殿では、神職らが宵宮祭を斎行。近隣の川では神童が鉾(ほこ)を流す神事を厳かに執り行い、かつては神様が氏地を巡る「渡御」の目的地だった同市西区の千代崎行宮でも行事を行った。

 大阪天満宮の境内では、祭りを支える団体「講」の関係者らがかねや太鼓を打ち鳴らし、みこしや獅子舞を披露。中でもシーソーのように台を揺らしながら太鼓を打ち鳴らす「催太鼓(もよおしだいこ)」の打法が豪快に披露されると、響き渡る太鼓の音とともに熱気は最高潮に達し、参拝者らの注目を集めた。

2638名無しさん:2019/07/25(木) 15:51:12 ID:NrdB.GxU0
渡御に備え「鉾流神事」 本宮のための舞台整う
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725027.html

 7日の七夕に19日間の日程でスタートした天神祭月間は、大詰めを迎えた。24日の宵宮は、大阪天満宮(大阪市北区)の神職たちが厳かに神事を執り行い、祭りに奉仕する団体「講」が市内各地に祭りの活気をもたらした。「静」と「動」が交錯する中で本宮のための舞台が整った。

 天神祭の中心は、同宮に祭られる菅原道真公の神霊が氏地を巡行する行事。市内の繁栄を祈願する。

 宵宮では、渡御行事に備えるため、同区の堂島川で、川に神鉾(かみほこ)を流す「鉾流(ほこながし)神事」を斎行。951年に始まったとされ、鉾が流れ着いた場所を氏地巡行の休憩所「行宮(御旅所)」と定めた故事にちなむ。

 神霊は、船で川を下って向かい、その際に領民たちが船を仕立てて迎えたのが天神祭の起源。江戸時代に御旅所が常設され、いったん中止されたが、1930年に復活した。

 鉾流神事では、大阪天満宮から鉾流橋の斎場まで約200人の関係者が列をなして移動。神職らが舟で堂島川の中ほどまでこぎ出し、神童の川崎正義君(11)=西天満小6年=が白木の神鉾を川に流した。

 一方、一時期渡御の目的地だった千代崎行宮(同市西区)では、かつての伝統を踏まえて行宮祭を行った。

 25日の本宮は、関係者が歴史絵巻のような様相で同市北区内を練り歩く陸渡御と、大船団が大川を行き交う船渡御を繰り広げ、夜には奉納花火約5千発が打ち上げられる


「神の使い」伝承復活 願人、本殿正面から出発
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725029.html

 24日の天神祭宵宮では、「催(もよおし)太鼓」の打ち手「願人(がんじ)」が、大阪天満宮(大阪市北区)の本殿正面から出発する伝承が復活した。

 願人は、祭りを支える団体の一つ「太鼓中」の一員。近年は、本殿横側から出入りしていたが、口伝では神の使いとして正面から出発する姿が伝わっていた。改元の節目に合わせ、天神祭の由緒ある姿を後世に伝えようと、関係者らが実現に踏み切った。

2639名無しさん:2019/07/25(木) 15:54:08 ID:NrdB.GxU0
梅の枝授ける 綱敷天神社で遣梅式の神事
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725028.html

 大阪市北区茶屋町の綱敷天(つなしきてん)神社御旅社で24日、天神祭の本宮(25日)で執り行われる「神霊移御祭(しんれいいぎょさい)」で使われる梅の瑞枝(みずえ)を、大阪天満宮の関係者に授ける「遣梅式(けんばいしき)」が行われた。

 同社は菅原道真公を祭り、大阪天満宮とゆかりが深い。遣梅式は、明治維新の動乱と御旅社の現在地への移転などで途絶。2010年に関係資料が発見されたことから復活した。

 大阪天満宮の神鉾(かみほこ)講のメンバーと今年の神童の川崎正義君(11)=西天満小6年=が同社を訪れ、厳かに神事が進められた。しっかりと梅の枝を受け取った川崎君は「思っていたよりずっと大役で緊張したけど、失敗せずにすんでよかった」と話した。


大阪締めで士気高める 鳳講が来社、盛り上げ
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725031.html

 天神祭宵宮の24日、陸渡御巡行の鳳神輿(おおとりみこし)を繰り出す大阪天満宮の「鳳講」が、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れた。社内で大阪締めを披露し、祭りムードを盛り上げた。

 鳳講は祭りを支える「講」の一つ。みこしは1840年に奉納され、江戸時代は菅原道真公の神霊を乗せていた。現在は菅原家の祖先とされる野見宿禰(のみのすくね)が祭られている。本宮では重さ約2トンのみこしを、若い衆ら約80人が担ぎ、陸渡御を盛り上げる。

 鳳講の中岡勝さん(75)ら7人が来社。深田巧総局長や社員らも一緒に大阪締めを行い、士気を高めた。中岡さんは「つつがなく、盛り上げていきたい」と意気込んでいた。

2640名無しさん:2019/07/25(木) 15:55:09 ID:NrdB.GxU0
水上薪能 幽玄の世界へいざなう 能船を係留し披露
2019年7月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190725/20190725030.html

 能楽奉賛会は24日、天神祭の宵宮に合わせ、船上で薪能を繰り広げる「宵宮祭奉納水上薪能」を、大阪市北区の「大阪アメニティパーク(OAP)」前で行い、来場者を幽玄の世界にいざなった。

 天神祭を盛り上げようと開く恒例行事。25日の天神祭本宮で船渡御に参加する舞台船の一つ「能船」をOAP港に係留して行った。

 帝国ホテル大阪による天神祭のセミナーや、講社連合会の協力でおはやしや獅子舞も披露された。祭りの雰囲気が高まる中、薪の炎に照らされた舞台では、「羽衣」といった能が披露され、来場者は伝統の世界に酔いしれた。

2641名無しさん:2019/07/27(土) 21:07:02 ID:R6z63jak0
>>天皇陵の発掘調査を要求した学者に、“墳墓発掘罪の未遂罪”で懲役刑を課そう!
 天皇がご親拝される、皇祖皇宗の天皇陵の聖性と静謐は、国挙げて、国民挙げて、護持せねばならない。方法は次の三つ。
A、全ての「天皇陵/参考「天皇陵」/天皇陵陪塚/皇子・后・皇女陵」を、(ロシアKGBと中共が背後で操る)ユネスコの「世界遺産」から直ちに抹消する。これは、安倍晋三の鶴の一声で簡単なこと。
B、「天皇陵/参考「天皇陵」/天皇陵陪塚/皇子・后・皇女陵」に対する“皇室侮辱語”「古墳」名をすべて禁止し、廃棄させる。歴史学の時代区分「古墳時代」は「巨大墳墓時代」に、
「古市古墳群」は「古市《天皇陵ほか巨大墳墓》群」に、「百舌鳥古墳群」は「百舌鳥《天皇陵ほか巨大墳墓》群」に正しく改名する。
これは刑法第188条に基づく行政措置でも可能。が、これに抵抗する共産党系学者がいずれいっせいに蜂起する場合を考慮して、この改名を、刑法第188条に基づく、刑法ではなく一般行政法の法律として立法しておくのが常識。
C、「天皇陵/参考「天皇陵」/天皇陵陪塚/皇子・后・皇女陵」に対する、「公開させろ」「発掘調査をさせろ」は、一般国民の墳墓に対する場合ですら、刑法第188条第一項の礼拝所冒瀆の犯罪として処罰は可能。が、刑法第189条の「墳墓発掘罪」の未遂にも当たるから、この「墳墓発掘の未遂の罪」を明確にすべく、刑法第189条に、第二項として「公に墳墓発掘を強要する言動をなしたる、前項の未遂者は、六ヶ月以下の懲役に処する」を、追加する。

(附記) 応神/仁徳天皇は、神武天皇の正系。新王朝説は共産党の歴史捏造
 “天皇制廃止”&“日本という国家消滅”を、宗教ドグマとして、狂妄する狂気のカルト宗教団体・共産党は、この目的のために手段を択ばず歴史の改竄と捏造という犯罪を、やりたい放題にやっている。反人間に立脚する彼らは、良心を持つこと自体が罪で、真実は破壊尽さなければならない。当然、歴史は真実であってはならず、共産党が作為した真赤な嘘歴史であることが絶対である。
 戦後、日本の歴史学会を占領したカルト宗教団体・共産党の歴史偽造の一つが、織田信長を超える天才軍略家・神功皇后を歴史から抹殺する事であったし、“神功皇后の直系”応神天皇/仁徳天皇が、神武天皇の正系(正統 しょうとう)天皇である自明すぎる歴史を改竄して、「九州からやってきた」との荒唐無稽な架空小説を流布することであった。
 私が、この種の真赤な嘘歴史捏造で最も大きな影響をもった党員・井上光貞の『日本の歴史』第一巻(中央公論社)を読んだのは、本郷に進学した1965年。井上光貞とは、その後、正門の銀杏並木で一度すれ違ったことがあるが、上品な雰囲気にびっくりした。これほどの歴史捏造をする“歴史の大犯罪者”だから、きっと鬼のような顔立ちだろうと想像していたからだ。ともあれ、「スターリン32年テーゼ」を推し戴く、“天性の嘘つき矯激コミュニスト”井上光貞は、こう書いた。
「応神天皇は新しい王朝の創始者だ、という(水野祐の)考えには賛成である」「応神天皇は他所からきて仲姫命を娶って、皇位に即いたのであろう」「応神天皇が九州の豪族であったとする点も尤もだと思う」「応神天皇その人が、海を渡って(朝鮮半島から)日本に侵入したのであったとした方が、仮説としては合理的だと思っている」(注2)。
 なんとも馬鹿馬鹿しい三文小説。これだから、米国のように、共産党員や共産党の活動に参加したそのシンパに対し、国民の税金を一セントも支払ってはならないとする、公務員から即座に自動解雇する“共産主義者規正法”が、自由社会では必要なのだ。井上光貞は、東大教授で国家公務員。
 井上光貞よ、応神天皇が、九州の豪族なら、その豪族の名前をあげてみろ。その豪族の支配地を言えよ。それよりか、応神天皇の父母の名前を言ったらどうだ。だが、井上光貞は、「そんなこと、知るか」の一言。仲姫命は景行天皇の皇曽孫。それがどうして、九州の田舎豪族の名無し男を迎えるのか、説明できまい。何から何まで、口から出任せ、それが“悪魔の共産党員”井上光貞の正体。
 神功皇后の新羅征伐によって、朝鮮半島の南部を植民地とした大和朝廷は、経済力を鰻登りに増大させた。おそらく、景行・成務・仲哀天皇の時代に比すれば、応神・仁徳天皇の時代のGDPは、少なくとも三倍には膨れ上がったと考えられる。
 そうでない限り、応神天皇・仁徳天皇の、あの巨大な御陵は築造できない。数年以上に亘って近畿一円の農民数万人を農閑期に徴用するのだが、その運搬した土の量からして、トテツモナイ富の蓄積がなかったならば、不可能な事であった。三食の食事は無料で提供しなくてはならないし、野良着の支給と春に還る時に渡す鉄製の鍬(例えば、村ごとに二本?)やその他のご褒美は、神武天皇から仲哀天皇までの天皇であれば、財力的に決してできない。

2642名無しさん:2019/07/27(土) 21:08:43 ID:R6z63jak0
この分析は、いずれ自著で発表する。が、馬鹿げた三文小説「応神天皇 新王朝説」をデッチアゲるための詭弁の一つを、ここで叩きのめしておこう。それは、「神武天皇から一貫して皇居も御陵も、奈良の大和盆地の南部であったのに、この故郷を棄て、(今の大阪府の南部)河内地方に移動したのは、九州や朝鮮半島からのよそ者だったからだ」との、アホらしい超屁理屈。
 河内は、即位される前から神武天皇が直轄する支配地であった。大和盆地の南部に神武天皇が拠点を置かれたのは、その防備に河内からの縦深をとる必要があったからだ。大和盆地に侵略する敵は、必ず河内を占領する。奈良県橿原を護るには、河内の争奪戦争で必ず勝利しなくてはならない。河内を敵に奪われると、敵は大和川を遡行して一気に大軍を奈良県南部に投入できる。
 この地形は、満洲南部の「奉天から遼東半島の旅順/203高地」そっくり。奉天を奈良県橿原、旅順港を当時の大阪湾(湿地帯に覆われた浜名湖をイメージせよ)、203高地を生駒山に置換えて見よ。
 応神天皇以降、河内に拠点を移動できたのは、大和朝廷の軍事力が強大になり、外敵の対「河内」侵入があり得なくなったことが第一。第二は、朝鮮半島の植民地経営に国富の多くを依存する政治体制において、河内に大和朝廷の中枢を置く方が行政効率を向上できること。鉄製武具も、それまでの奈良県南部で生産するより、半島に出撃する河内での、大きな新工場で製造した方がはるかにコストを削減できること。
 なお、当時の大和川は、河口付近で北に曲がり、大阪湾内に流れ込んでいた。現在のように堺市をつきぬけ瀬戸内海に流れるようになったのは、江戸時代の開鑿による。
 「古市《天皇陵ほか巨大墳墓》群」も「百舌鳥《天皇陵ほか巨大墳墓》群」も、神武天皇の支配領域であった旧大和川の傍に築造されたように、神武天皇が直轄していた故地の中に造られている。おそらく神武天皇が狩りをした場所とか、立ち止まって休まれた場所とか、そのような言い伝えが残る場所が選ばれたはずだ。まともな学者なら、神武天皇から男系男子で一直線に繋がる応神天皇/仁徳天皇を、朝鮮半島からのツングース族とか、九州からの余所者とか、根拠ゼロの爆笑するほかない真赤な詐言を吹聴などしない。                         
(2019年7月18日記)
http://nakagawayatsuhiro.com/?p=801

2643名無しさん:2019/07/27(土) 22:45:05 ID:NrdB.GxU0
「模擬原爆」の犠牲者を追悼
07月26日 12時37分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190726/2000018206.html

 太平洋戦争末期にアメリカ軍が大阪・東住吉区に原爆と同じ形の爆弾、「模擬原爆」を投下してから26日で74年となり、犠牲となった人たちを追悼する式典が行われました。

「模擬原爆」は、本物の原爆を正確に投下するための実験用として、アメリカ軍が全国各地に落とした原爆と同じ形の爆弾です。
大阪・東住吉区の田辺地区では、74年前の7月26日に投下されて7人が死亡、73人がけがをし、26日は、当時を知る人や地元の小中学生などおよそ250人が出席して追悼式が行われました。
爆弾が投下された午前9時26分に全員で黙とうをささげたあと、投下された場所から200メートルほどの場所にいたという、龍野繁子さん(94)が「ドーンという、建物に石が突き破った音が今も忘れられません。友人を失くしたこともずっと心に重くのしかかっています」などと体験を語りました。
このあと、子どもたちが「次の世代に責任を持って平和を受け継ぎたい」と誓いの言葉を述べ、慰霊碑の前に千羽鶴を供え、犠牲となった人たちを追悼しました。
中学3年生の男子生徒は「体験者の方の声を聞いて恐ろしさを実感しました。戦争はなくしていきたい」と話していました。

2644名無しさん:2019/07/27(土) 23:52:38 ID:NrdB.GxU0
5千発華やか 令和奉祝 水都祭・天神祭奉納花火
2019年7月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190726/20190726023.html

 日本三大祭りの一つ、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭が25日、本宮を迎えた。令和で初めての斎行は、のぼりや横断幕で天皇陛下即位への祝意が示され、約3千人の大行列による陸渡御や、約100隻の船団が行き交う船渡御が大阪市内で執り行われた。大川一帯で開催された第73回水都祭・天神祭奉納花火(実行委員会、大阪日日新聞主催)では、約5千発の花火やレーザー光の演出が繰り広げられ、観客を魅了。新たな歴史の第一歩を踏み出した。 (7月26日18、19、24面に関連記事)

 祭りでは、神職らが本殿で市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭を斎行。今年は、令和の時代が長く続くように願う奉祝祭も行った。

 菅原道真公の神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移して「神様の氏地巡行」がスタート。陸渡御の渡御列は、催(もよおし)太鼓を先頭に御堂筋など約3キロを練り歩き、船渡御は、乗船場となる天神橋付近から続々と船に乗り込み、約7キロを航行した。

 天神祭のクライマックスには、約5千発の奉納花火が打ち上げられ、大阪の夜空と川面を華やかに彩った。造幣局の建物にはレーザー光線で文字やイラストが表現され、会場を盛り上げた。

2645名無しさん:2019/07/28(日) 16:45:17 ID:NrdB.GxU0
近鉄電車で「こふん列車」運行開始 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産記念で /大阪
7/28(日) 14:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190728-00000006-minkei-l27

  近畿日本鉄道は7月28日、古墳をイメージするイラストをラッピングした「こふん列車」の運行を開始した。(あべの経済新聞)

 
「こふん列車」は、外装に古墳をイメージするイラストのラッピングや、車内のつり革を特別なつり革に変更するなど古墳をイメージする装飾を施した。運行区間は南大阪線、吉野線、長野線、御所線。編成数は1編成(3両、6020系車両)。

 大阪阿部野橋駅では同日、出発式を開催。藤井寺市の岡田一樹市長、羽曳野市の北川嗣雄市長が参加したほか、藤井寺市公式キャラクター「まなりくん」、羽曳野市ご当地キャラクター「つぶたん」、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録応援キャラクター「ハニワ課長」も登場した。

 近鉄は、百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録決定されたことから、羽曳野市、藤井寺市と連携し、古市古墳群エリアの魅力を発信する近鉄エリアキャンペーン「こふんまち 羽曳野・藤井寺」を実施。「こふん列車」はその一環となる。同キャンペーンは11月30日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2646名無しさん:2019/07/28(日) 16:58:08 ID:NrdB.GxU0
大阪とは長い歴史を誇りつつ、常に最先端でもあらんとする世界的にも稀な大都市であります。


しんきゅう院など国の文化財に
07月28日 05時08分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190728/2000018270.html

 重な建造物を登録・保存する国の登録有形文化財に、江戸時代に建てられた大阪・東住吉区のしんきゅう院や吹田市の旧家など大阪府内の3か所、あわせて14の建造物が新たに登録されることになりました。

これは文化庁の文化審議会が今月19日、文部科学大臣に答申したもので、大阪府内では新たに3か所、14の建造物が登録されることになりました。
このうち、大阪・東住吉区針中野の「針中野中野鍼」(はりなかの・なかのはり)は、この地域の地名の由来とされる江戸時代末期から明治にかけて建てられたしんきゅう院です。
現在も治療を行う「鍼の処」や、塀の前面に屋根を突出させた特徴的な形の「表門」などあわせて6つの建造物が登録されることになりました。
大阪府内では、このほか、江戸時代から大正時代にかけて建てられた吹田市の旧家「山本家住宅」や枚方市の旧家「松宮家住宅」なども新たに登録され、保存が図られる見通しになりました。
大阪府文化財保護課によりますと、これで府内の国の登録有形文化財は250か所、あわせて749件になるということです。

2647名無しさん:2019/08/04(日) 01:22:16 ID:NrdB.GxU0
古式ゆかしく 茅の輪くぐり 猛暑彩る「住吉祭」
2019年8月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190801/20190801039.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で31日、大阪の夏祭りシーズンの最後を飾る「住吉祭」の夏越祓(なごしのはらえ)神事が執り行われた。せみ時雨に境内で、古式ゆかしい時代装束姿の奉仕者らに続いて一般の参拝者が、列をなして大きな茅(ち)の輪をくぐった。

 神事は1972年に「住吉大社の夏越祭」として大阪府民俗文化財に指定されている。

 同市内の最高気温は35・4度まで上がり、今年の最高を更新する猛暑日。厳しい暑さの中、境内・五月殿では大祓式があり、式を終えた夏越女や稚児らが、神職に続いて第一本宮までの3カ所に設けられた茅の輪をくぐり、さらに身を清めた。

 同本宮前の祭典では、伝統の神楽や住吉踊(おどり)などが奉納され、国内外の参拝者がみやびやかな光景に見入っていた。

 同祭最終日の1日は午後2時頃から「神輿(みこし)渡御」が行われる。重さ約2トンの大みこしなど約1200人からなる奉仕者が宿院頓宮(堺市堺区)まで練り歩く。

2648名無しさん:2019/08/05(月) 20:45:10 ID:ylDuNnHU0
大阪歴史博物館でニャンダフルな「浮世絵ねこの世界展」 /大阪
8/5(月) 12:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190805-00000020-minkei-l27

 大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で6階特集展示室で現在、特別展「ニャンダフル浮世絵ねこの世界展」が開催されている。(京橋経済新聞)

 
浮世絵で描かれた猫の作品153点を7つのブロックに分けて展示。無類の猫好きである浮世絵師・歌川国芳(くによし)らの個性的な作風とともに、人々が猫とどのように関わってきたのか、人が猫にどのようなイメージを持っていたのかを紹介する。学芸員の安岡早穂さんは「猫は江戸・明治の人々も魅了してきた。かわいい猫から不気味な猫まで、さまざまな猫の姿を見てほしい」と話す。

 猫と日本人の関係は、一説によると奈良時代に仏教の経典を食い荒らすネズミ退治のために中国から輸入した時に始まったとされている。江戸時代では米を食べてしまうネズミを退治するため猫が活躍し、ネズミよけの浮世絵としても描かれた。詞書(ことばがき)には「この絵を貼るとネズミも恐れをなして次第にいなくなる」と書かれている。

 一方「源氏物語」で猫はペットとして登場する。「見立女三宮(みたておんなさんのみや)」は江戸時代の遊女と飼い猫を「源氏物語」の登場人物に見立てて描かれている。平安時代の猫はひもでつながれていたことが絵から見て取れる。人間の世界に入り込んだ猫たちは、浮世絵の中で美人や子どもと共に描かれた。絵の中での猫は添え物的な扱いが多かったが、歌川国芳によって主役的な存在として描かれた。

 かわいいという反面、不気味な一面も持つ猫。夜中に活動し足音もなく現れ、死ぬ時には人に見られないようどこかへ姿を消すといった猫の姿に、江戸時代の人たちは薄気味悪さを感じ、いくつもの「化け猫物語」が誕生した。「五拾三次之内猫之怪(ごじゅうさんつぎのうちねこのかい)」では9匹の猫が組み重なって巨大な化け猫を描いている。

 安岡さんは「当時の人々の猫の見方と現代をシンクロさせて見ることで、猫とどう付き合っていくのかということにも目を向けるきっかけになれば」と語る。

 開館時間は9時30分〜17時(会期中の金曜日は20時まで、入館は閉館の30分前まで)。火曜休館(8月13日は開館)。料金は、特別展のみ=大人800円、高大生600円、常設展との共通券=大人1,320円、高大生940円。中学生以下、障がい者手帳持参者(介護者1人含む)は無料。9月8日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2649名無しさん:2019/08/07(水) 22:26:15 ID:NrdB.GxU0
文楽貸し切り公演 「親子劇場」に700人招待
2019年8月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190804/20190804027.html

 大阪を中心にスーパーマーケットを展開するコノミヤ(大阪市鶴見区、芋縄隆史社長)は3日、国立文楽劇場(同中央区)で上演中の「夏休み文楽特別公演」の第1部「親子劇場」を貸し切り、顧客350組700人を招待した。子どもにも親しみやすい演目で、来場者は親子で伝統芸能を楽しんだ。

 大阪が誇る伝統芸能を応援し、地域社会へ貢献しようと毎年行っている事業で、今年で10回目。協賛企業の対象商品を購入して応募した約千人の中から抽選で招待した。

 「親子劇場」では「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」渡し場の段、「かみなり太鼓(だいこ)」を上演。間には3人で一つの人形を遣う文楽独特の操法を解説するコーナーがあり、舞台に上がって実際に人形遣いに挑戦した子どもたちは「重たかった」「姿勢がきつかった」などと感想を述べた。

 芋縄社長は「お客さんもメーカーもわれわれも、みんながウィンウィンになるような事業をこれからもやっていきたい」と話した。

2650名無しさん:2019/08/07(水) 22:33:32 ID:NrdB.GxU0
豪快フィナーレ 住吉祭
019年8月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190802/20190802030.html

 住吉大社(大阪市住吉区、高井道弘宮司)の「住吉祭」最終日となる1日、伝統の「神輿(みこし)渡御」が盛大に執り行われ、大阪の夏祭りシーズンを華やかに締めくくった。

 厳しい暑さの中、大阪一とたたえられる大みこし(重さ約2トン)を中心に、鳳輦(ほうれん)や獅子舞、神馬(しんめ)など約1200人からなる一大渡御列が境内を出発。一行は随所で地域住民の拍手と声援を受けながら、堺市内にある宿院頓宮を目指して練り歩いた。

 このうち輿丁(よちょう)と呼ばれる大みこしの担ぎ手は、独特の「べぇら、べぇら」の掛け声とともに境内の反(そり)橋を渡って宮出した。大阪・堺両市の間を流れる大和川では、大みこしを担いだまま川を豪快に渡り、令和最初の住吉祭を大いに盛り上げた。

2651名無しさん:2019/08/10(土) 23:10:29 ID:NrdB.GxU0
非常に長い歴史を誇る‟古都・大阪”らしい行事です。

四天王寺でお盆行事「万灯供養」 ろうそく1万本が幻想的にともる
8/10(土) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190810-00000002-minkei-l27

 和宗総本山・四天王寺(大阪市天王寺区)で8月9日、お盆の先祖供養のために行う恒例行事「万灯供養」が始まった。(あべの経済新聞)

 
平安時代から続いているといわれ、毎年多くの人が訪れる行事。五重塔がある中心伽藍(がらん)内にろうそく立てを設営し、参詣者が先祖の霊名を「万灯ろうそく」に記入して供養する。一夜でろうそく約1万本に灯がともり、幻想的な雰囲気となる。併せて1日4回(15日は7回)、僧侶が般若心経を唱えて練り歩く「万灯供養法要」も行われる。

 万灯供養の開催時間は18時ごろ〜21時(15日は22時まで)。献灯料(ろうそく)は1本700円。今月16日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2652名無しさん:2019/08/11(日) 21:29:58 ID:NrdB.GxU0
長い歴史を誇る大阪にとって悲しい歴史の一つです。


戦時中処分された動物の剥製展示
08月08日 08時11分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190808/2000018679.html

 太平洋戦争末期に動物園がみずから動物たちを殺さざるをえなかった悲劇を通じて戦争の悲惨さを伝えようと、大阪の天王寺動物園は剥製などの展示会を開いています。

天王寺動物園は、戦時中、空襲でおりが破壊される恐れがあったことから、逃げ出して人を襲わないよう猛獣26頭を殺す処分をせざるをえませんでした。
こうした悲劇を通じて戦争の悲惨さを伝えようと、動物園は処分された動物の剥製などを展示する「戦時中の動物園」展を開いています。
剥製は、毒入りの肉を与えられて犠牲となったライオンやホッキョクグマなどの毛や皮を使って、当時の職員たちが作り受け継いできたものです。
このうち、毒入りの肉をどうしても食べなかったことから絞め殺されたというヒョウの剥製のそばには、飼育員がヒョウの体に優しく触れながら寄り添う写真も飾られています。
会場を訪れた女性は、「動物はやせて栄養が行き渡らずにギリギリのところで生きていたことがわかります」と話していました。
天王寺動物園の獣医師、越智翔一さんは、「心を込めて育てた動物を自分の手で殺さなければならなかったという悲劇を二度と繰り返してはいけないということを伝えていきたいです」と話していました。
この企画展は、8月18日まで開かれています。

2653名無しさん:2019/08/11(日) 21:51:09 ID:NrdB.GxU0
>桑山さんの父、重貞さん=当時(24)=が機関士を務めた輸送船「愛国丸」

 愛国丸
>愛国丸(あいこくまる)は大阪商船が南アフリカ航路へ投入するために建造した貨客船の内の1船
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%9B%BD%E4%B8%B8_(%E7%89%B9%E8%A8%AD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)

「日本に戻りたい」トラック諸島空襲の遺族、沈没船に残る父の思い代弁
2019.8.11 18:00
https://www.sankei.com/life/news/190811/lif1908110029-n1.html

 74回目の「終戦の日」を前に、日本統治下のトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)で米軍の空襲に遭い、海底で眠る父への思いを募らせる遺族がいる。撃沈された艦船内には無数の遺骨が残存するが、技術的なハードルが高く、収集が進んでいない実情がある。現地で慰霊を続けてきた遺児の桑山市郎治(いちろうじ)さん(77)=愛知県知多市=は「父が『日本に戻りたい』と訴えている気がしてならない」と、父親の思いを代弁する。

 日本の南東約3千キロの太平洋上に、200を超える島々が点在するチューク諸島。コバルトブルーの海深くにさび付いた船体が横たわり、一部はサンゴで覆われ、熱帯魚が漂う。ダイビングスポットにふさわしい光景が広がる一方、爆撃の痕跡が生々しい船内には戦没者の遺骨が散在する。

 桑山さんの父、重貞さん=当時(24)=が機関士を務めた輸送船「愛国丸」はデュブロン島(当時は夏島)の東約2キロ、水深50〜70メートルの地点にその姿を残す。民間貨客船から旧日本海軍に徴用され、昭和19年2月17日のトラック空襲で米軍機の爆撃により、ほんの数分で沈められた。

 重貞さんは名古屋市で戦艦や戦闘機を製造していた三菱重工業の工場で働いていたが、召集令状を受けて出征。19年1月24日、神奈川・横須賀から愛国丸でトラック諸島に向かった。

 桑山さんは当時1歳半。母のお腹の中には、弟がいた。「国のためとはいえ、幼い子供たちと離ればなれになることに心残りがあったと思う」と桑山さん。軍服姿の写真と、趣味で描いていた数枚の絵画などがわずかな父の遺品だった。

 桑山さんが母とともに初めてチューク諸島を訪れたのは、父の死から40年たった59年7月。現地のダイバーらの情報に基づき、愛国丸から349柱の遺骨が引き揚げられ、それに合わせて生還者や遺族が沈没地点での洋上慰霊祭、遺骨の焼骨式に参加した。

 洋上に花を手向け、黙祷(もくとう)をささげた時、長年待っていた父にようやく巡り合えた気がした。桑山さんは「海面に沈没船からであろう油が浮き上がっていた。父たちが祖国に帰るまでは終わっていないと訴えかけてくるようで、生への執念を感じた」と振り返る。

2654名無しさん:2019/08/11(日) 21:54:10 ID:NrdB.GxU0
https://www.sankei.com/life/news/190811/lif1908110029-n2.html

桑山さんの慰霊の旅は平成6年、25年、29年と計4回続き、25年には3年前に亡くなった母の遺骨の一部を愛国丸の沈没地点にまいた。ただ、国による戦没者遺骨の収集は6年の6柱を最後に行われていない。

 桑山さんの父が最期を迎えたとみられる愛国丸の機関室は出入り口のハッチが開かずに入れないと説明されており、「仕方がないと心の区切りをつけていた」(桑山さん)。だが最近、ダイバーが別ルートで機関室に達し、遺骨を見つけたとの情報が寄せられ、「父がまだいるのではないか」との思いに駆られた。

 遺骨収集事業を担う厚生労働省も同様の情報を把握しているが、潜水の技術面でギリギリの深さにあるとみられ、安全性など慎重な検討が必要だという。

 桑山さんはかつて参加した焼骨式で、遺骨から立ち上る煙が自然と日本の方角に流れていった情景が忘れられない。「遺骨収集が国の責務なら、せめて目に見える遺骨だけは持ち帰ることができるようにしてほしい」。桑山さんはこう強く願っている。(伊藤真呂武)

■トラック空襲 昭和19年2月17日から18日にかけ、旧日本海軍の連合艦隊停泊地だったトラック諸島に対する米機動部隊の集中攻撃。旧防衛庁編著の戦史叢書(そうしょ)によると、41隻の艦船が沈没し、このうち愛国丸を含む31隻が民間からの徴用船だった。愛国丸の犠牲者は400人以上とされる。戦艦「武蔵」など連合艦隊の主力部隊は空襲前に日本本土やパラオ・ペリリュー島に撤退していた。

2655名無しさん:2019/08/11(日) 23:41:02 ID:NrdB.GxU0
「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる
8/11(日) 19:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190811-00000516-san-soci

  飛鳥〜奈良時代に一時的に都が置かれた難波宮跡(大阪市中央区)の発掘調査現場から、1939(昭和14)年に旧満州(現中国東北部)とモンゴルの国境付近で旧日本・満州国軍とソ連・モンゴル軍が武力衝突した「ノモンハン事件」に関する旧日本軍の機密資料が見つかっていたことが11日、分かった。終戦時に米軍の接収を免れるため焼却処分された燃え残りとみられ、文書には「『ノモンハン』血ノ教訓」などの記載もあった。事件から今年で80年。戦争遂行に際しノモンハンを教訓に戦略を立てようとした状況が分かる貴重な資料になりそうだ。

 発掘調査は難波宮の遺構がある国立病院機構大阪医療センターの建て替え工事に伴い、大阪文化財研究所(現大阪市文化財協会)が平成28〜29年に実施。同所には戦前、陸軍歩兵第三十七連隊の本部があり、戦時中に同連隊が使っていた防空壕(ぼうくうごう)も十数基発見された。

 防空壕は深さ1〜2メートルほど。天井や壁などに張られた板が一部残っており、中から10丁以上の機関銃や小銃のほか、焼け焦げた冊子や文書などが見つかった。

 発掘後に調べたところ、焼け残った資料は冊子15冊分で、ノモンハン事件の戦法や考察などが記載されていた。焼け焦げて判読は困難なものが多いが、一部に「『ソ』軍戦法ノ特色ヲ考察」「國軍ノ傳統的精神力」などの記述があった。

 日ソ両軍の兵器の比較一覧表には「大隊砲」「迫撃砲」と記され、それぞれの機種や性能を列挙。マシンガンとみられる「MG」の文字の下には「日 九二式 ソ マキシム」などと記されていた。部隊の訓練内容や兵士の軍籍といった個人情報なども確認された。

 防衛省防衛研究所(東京)によると、一部文書にはノモンハン事件についてまとめた当時の書籍名が複数記載されていることから、日本軍が大打撃を受けたノモンハン事件を研究することで部隊の強化を図ったとみられるという。

 大阪市文化財協会によると、複数の防空壕は土壁が赤く変色していることなどから、終戦時に陸軍が各部隊などに命じ、防空壕内で機密文書の焼却処分を行ったとみられる。

 防衛省防衛研究所戦史研究センターの花田智之主任研究官の話「日本は1941(昭和16)年にソ連と日ソ中立条約を結んでおり、ソ連との中立関係を意識して大戦に突入していった。今回の資料では、その一方で対ソ連を意識し、精強部隊を作るためにノモンハン事件を教訓にしていたことが分かり、興味深い」

2656名無しさん:2019/08/12(月) 00:44:43 ID:NrdB.GxU0
かの有名な神様、アマテラスとスサノオ。実は〇〇から生まれた⁉
8/1(木) 6:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190801-00013395-gentosha-cul


桂竹千代 (落語家)

落語家・桂竹千代さんプレゼンツ! 日本最古の歴史書「古事記」を爆笑で読ませるこの連載。
イザナギとイザナミの悲しいはずのお話も、竹千代さんにかかると、こんなことになっちゃうんですね〜。

さて、いよいよ今回は、古事記の超人気キャラ、アマテラスオオミカミとスサノオノミコトが誕生します!
みなさんは、この有名な神様たち、どうやって生まれたか知ってますか?
びっくり仰天間違いなしですよ!*   *   *
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第4話「泣くなー!」

黄泉の国から帰還したイザナギは、全身が穢(けが)れているので、禊(みそぎ。お清めみたいなもの)をしなければなりません。日本には古来から、死と接すると自分のもつ「気」が枯れると考えられてきました。「気枯れ」が「ケガレ」という言葉になったと言われています。穢れた人はお祓いをしなくてはいけません。お祓いのなかでも、滝に打たれることや、沐浴など水を使うものを禊といいます。

この時イザナギは、日向という所にある川で、禊をしたと言います。宮崎県に日向という地名があるけど、イザナギが禊をしたところかどうかは不明。宮崎県は日本神話の舞台と言っていいほど伝承地がこれからもたくさん出てきます。また、宮崎県宮崎市には「みそぎ池」という伝承地があります。この近くに、江田神社というイザナギ&イザナミを祀った神社があります。

イザナギは身に着けていた衣服を脱ぎ、アクセサリーを外していきます。杖、帯、衣、袴、冠、腕輪など……(いつの間にこんな装飾付けてたのかよ! 黄泉国行くのに、よそ行きしていったのね)。

その外したアイテム(オシャレなアパレル店員の言い方)を投げると、そこから神が生まれていきます。

陸と海の神。計12柱の神々が誕生します(また入りました神様の確変フィーバー!)。

さあ生まれたままの姿になって、禊スタート!

黄泉の国の垢(あか)から、また神がどんどん生まれて行きます。

……意味わかんないですか? つまりカラダの汚れを落とすだけで、神が生まれちゃってるんです。

はい、せーの! アンビリーバボー!

垢を落とすと様々な神々が生まれますが……このシーンで覚えておいて頂きたいのはこちらの3兄弟。

2657名無しさん:2019/08/12(月) 00:45:15 ID:NrdB.GxU0
長男:底筒之男命(ソコツツノオノミコト。水の底の方ですすいだ時に生まれたよ)。

次男:中筒之男命(ナカツツノオノミコト。水深の中間くらいのとこですすいで生まれたよ)。

三男:上筒之男命(ウワツツノオノミコト。水面あたりですすいで生まれたよ)。

この3柱の神様は、大阪の住吉大社に祀られています。3柱を合わせて「住吉大伸(すみよしのおおかみ)」といいます。全国に約600社あると言われる住吉神社の祭神は全て住吉大神で、航海の神様と言われています。

順番はこう覚えてください。

一番上は三男♪三男♪

一番下が長男♪長男♪

間にはさまれ次男♪次男♪

すみよし兄弟♪

……すみません。歌ったことを後悔しております(航海だけにね! いいぞ落語家!)。

イザナギさん体を洗ってさっぱり、最後は洗顔です(髪の毛洗わないのかな)。

左目を洗って生まれたのが天照大神(アマテラスオオミカミ。来たー! 日本の最高神。ナルシストな女王様。以下アマテラス)

右目を洗って生まれたのが月読命(ツクヨミノミコト。意外とこの後あまり出てこないので性格よくわからん。以下ツクヨミ)

2658名無しさん:2019/08/12(月) 00:46:02 ID:NrdB.GxU0
鼻を洗って生まれたのが素盞嗚尊(スサノオノミコト。乱暴者。末っ子気質のイタズラ好き。後に大活躍。以下スサノオ)

目と鼻から生まれたことからこれを目くそ鼻く……バチあたるわ!!

この3柱の神々を三貴子(サンキシ)と呼び、特に尊い神とされます(結局、髪の毛と耳は洗ってないわね。耳は洗ってないから穢れたままですよね。実はボクも耳が穢れてるんです……というか潰れてるんです。高校の時に柔道やってて潰れました。柔道と落語は似てるんです。どちらもオトしたら勝ちです(いっぽん!)。

イザナギ「よしっ! まずはアマテラス、お前は高天原を治めなさい!」

アマテラス「はいはい、やりますよ」(女王様気質なので)

イザナギ「次、ツクヨミ、お前は夜の世界を治めなさい! (歌舞伎町とかすすきのとかのことじゃないわよ)」

ツクヨミ「はいお父様! 月にかわっておしおきよ!」

イザナギ「で、スサノオ、お前は海の世界を治めなさい!」

スサノオ「……やだーーー!!」

スサノオだけは父ちゃんのいうことを聞かず、ずーと泣いていました。とにかくずーっと。どれくらい泣いていたかというと……その涙で青々とした山はことごとく枯れ、河と海が干上がってしまい、ありとあらゆる災いが起こるほど。

2659名無しさん:2019/08/12(月) 00:47:19 ID:NrdB.GxU0
イザナギ「もう泣くなー! やめろー!!」

スサノオ「……ぐすっぐす……わあーん!!」

イザナギ「泣くなー!!」

スサノオ「……ぐすっ……うん」

イザナギ「……やっと泣き止んだか」

スサノオ「ゔわーーーん!!!」

イザナギ「うるせー!!!」

×20

イザナギ「何がそんなに悲しいんだ?」

スサノオ「……だって僕は……うっ……うわーーーん!」

イザナギ「おい、泣いてちゃわからないだろ? 理由を父ちゃんに話してごらん?」

スサノオ「……うん。ぐすっ……だってぼくね、……うわーーーん!!」

イザナギ「うるせー!!!」

×50

イザナギ「よく出るな涙そんなに。おい! いい加減に訳を話しなさい!」

スサノオ「……だって……ぐす……ぼく母ちゃんに会いたいんだもん」

イザナギ「……母ちゃん?」

スサノオ「イザナミ母ちゃんに会いたいんだ!」

まて!! (柔道風)

おかしいよねー! キミは鼻から生まれてんだから鼻毛が父ちゃんで鼻の穴が母ちゃんとか言いたいところだけど……これが神話か……よし、はじめっ!! (柔道風)

2660名無しさん:2019/08/12(月) 00:49:18 ID:NrdB.GxU0
イザナギ「何言ってんだキサマー! 母ちゃんはもういないんだ! そんなん言うならお前はこの国から出てけー!!」

勘当されます。そういえば、俳優の小泉孝太郎さんも縁を切られたそうですよ。

お父さんの純一郎さんが言ってました。「カンドウした!」

いっぽん! (柔道風) ……あ、これただのダジャレですからね。

ちなみに、今まで活躍したイザナギはこれ以降、登場しません。

最終的にイザナギは「淡海(おうみ)の多賀」に落ち着いたと『古事記』には書いてあります。

この淡海というのは近江(現在の滋賀県)のことで、そこにある多賀大社にイザナギが祀られています。

でもここで突然に近江が出てくるのがおかしいということで、「淡海」は「淡路」の書き間違いで、初めに生んだ淡路島へ帰ったのではないかとも言われます。淡路島にも「多賀」という地名があって伊弉諾神宮にイザナギが祀られています(どっちのイザナギショーやりたい)。

江戸時代、アマテラスが祀られる伊勢神宮への参拝「お伊勢参り」が大ブームとなった時(犬も参拝するくらいだワン)に、多賀大社にも来て欲しいと考えた地元の人たちが、キャッチコピーを作りました。「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」。伊勢神宮にいる日本の最高神を生んだ親神が、多賀大社にいるってわけです。来て来てキャンペーンは成功して、多賀大社も大勢の参拝客で賑わったそうです。

イザナギの祀られる神社は、彼の黄泉の国エピソードにちなんで寿命をコントロールできる神ということで、「延命長寿」のご利益があると言われています。

さあ、イザナギ父ちゃんに勘当されたスサノオは路頭に迷います。

スサノオ「うわーーん!! どうしよう! そうだお姉ちゃんに相談しよう!」

次は、アマテラスとスサノオの滑稽なやり取り。

これもツッコミどころ満載です。

2661名無しさん:2019/08/12(月) 23:19:45 ID:NrdB.GxU0
岸和田だんじり有料観覧席設けず
08月12日 12時44分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190812/2000018810.html

 毎年9月に行われる大阪・岸和田の伝統の祭り、「岸和田だんじり祭」について、主催する地元の団体は、例年設置していた有料の観覧席をことしは設けず、沿道などからの観覧に限ることを決めました。

大阪・岸和田市で毎年行われる「岸和田だんじり祭」は、はっぴ姿の若者たちが五穀豊じょうを願って重さおよそ4トンのだんじりを豪快に引き回す、江戸時代から300年以上続く伝統の祭りで、例年およそ3000席の有料の観覧席も設けられ、観光客からも人気となっていました。
ところが、去年の祭りでは台風の影響で予定通り観覧席が設けられなかったにも関わらず、主催団体が委託した業者から、有料観覧席のチケット代が払い戻されないトラブルがありました。
このため地元の人たちで作る祭りの主催団体は、トラブルの再発防止のため、ことしは有料の観覧席を設けず、沿道などからの観覧に限ることを決めました。
祭りの主催団体は「観覧席はなくなるが、沿道ではより間近に勇壮な姿を見られるので、ぜひ大勢の人に来てほしい」と話しています。
「岸和田だんじり祭」は9月14日と15日に行われます。

2662名無しさん:2019/08/12(月) 23:39:07 ID:NrdB.GxU0
菊水丸さん新曲、軽快に 四天王寺恒例盆踊り
2019年8月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190812/20190812034.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で11日夜、恒例の盆踊り大会が始まった。伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さんが、同寺を建立した聖徳太子の一生を河内音頭にしていくプロジェクトの新曲を披露。踊り手たちは、軽快な調べに乗りながら、夏の夜のひとときを楽しんだ。12日まで。

 盆踊りは、聖徳太子の没後1400年に合わせた「御聖忌(ごせいき)」記念事業の一環で、同寺が2014年、11年ぶりに復活させ、毎年繰り広げている。

 同事業広報大使の菊水丸さんは、聖徳太子の一生を毎年1曲ずつ仕上げ、全8曲にするプロジェクトを展開中。やぐらとして装飾された石舞台で6曲目に当たる「聖徳太子一代記・冠位・憲法制定編」を名調子で響かせた。舞台周辺では、多くの参拝者が踊りの輪に加わって音頭に身を委ねていた。

 盆踊り大会は午後7時半〜同9時半。参加無料。記念企画として、8月中は同寺の電話保留音の曲が、菊水丸さんの口演になるという演出も繰り広げている。

2663名無しさん:2019/08/14(水) 23:05:58 ID:NrdB.GxU0
京橋駅空襲被災者慰霊祭 「平和はみんなで作るもの」
8/14(水) 15:45配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190814-00000015-minkei-l27

  JR京橋駅(大阪市城東区新喜多1)で8月14日、「第65回京橋駅空襲被災者慰霊祭」が行われた。(京橋経済新聞)

 
例年であれば慰霊碑がある駅南口前で行われるが、今年は台風による風の影響で、駅構内の会議室で行われ、約270人が参加した。

 1945年(昭和20)8月14日、爆撃機B29が兵器を製造する「大阪砲兵工廠(こうしょう)」を集中爆撃した際、近くの京橋駅にも1トン爆弾を数発落とした。被爆犠牲者は500名とも600名とも言われている。太平洋戦争終戦前日の悲劇であった。

 慰霊祭に参加した女性(80)は当時7歳で、この空襲で大阪砲兵工廠で働いていた兄(当時24歳)を亡くした。「爆撃で兄の遺体は跡形もなくなり、名前が書かれた『木切れ』しか手元に戻ってこなかったので泣きました。今でも優しい兄の顔を覚えている」と振り返った。

 慰霊碑には地元・聖賢小学校の児童たちによる千羽鶴も供えられた。児童代表として6年生の堂後優香さん、平田紗雪さん、村井美海さん、竹中実陽さん、濱田明莉さんが平和の願いを込め「平和はみんなで作るもの。悲惨な戦争を起こさないために次の世代に、平和の大切さや命の尊さを語り継いでいきたい」と作文を読んだ。

 慰霊祭は来年も8月14日11時に京橋駅南口駅前で行われる予定。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2664名無しさん:2019/08/14(水) 23:09:29 ID:NrdB.GxU0
古代の森ノ宮人とご対面 「森の宮遺跡展示室」一般公開
8/13(火) 16:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190813-00000017-minkei-l27

  森ノ宮ピロティホール地下階(大阪市中央区森ノ宮中央1)にある「森の宮遺跡展示室」の一般公開が8月16日〜18日の3日間行われる。(京橋経済新聞)

 
展示されている「第3次1号人骨」は、約4,000年前の縄文人の頭部。大阪市で発掘された人骨の中で最も古いものという。ピロティホールに中心部が位置する「森の宮遺跡」から出土したもので、貝塚の地層の調査から年代が特定されたという。

 同遺跡から発掘されたのは、人骨だけではない。煮炊きに使用した土器などの数千年前の人類が生活で使用していた道具のほか、その土地の変遷を表すものも出土したという。大阪市教育委員会文化財保護課の学芸員は「出土する貝殻がマガキ(下層)からセタシジミ(上層)に移り変わることから、この地が湖へ移り変わったと考えられる」と話す。地層の一部を切り取って展示され、触れるようになっている。

 ピロティホール建設時の発掘調査で出土したものが展示されている同施設。遺跡を守っていかなければいけないという専門家や周辺住民の声から設立された。展示室が一般公開されるのは、一年間で春、夏、秋の時期の数日間のみ。学芸員は「大阪の歴史のホンモノだけを展示しているのでこの機会に是非見に来てほしい」と呼び掛ける。

 見学料不要。開館時間は11時〜15時。
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2665名無しさん:2019/08/18(日) 20:28:33 ID:NrdB.GxU0
秋の夜長にオペラを 坐摩神社境内でラ・ボエーム
2019年8月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190817/20190817049.html

 夜の境内で繰り広げられる秋恒例のオペラ公演「せんば鎮守の杜(もり)芸術祭2019」(実行委、船場まつり推進協議会共催)が10月5日、大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で開かれる。今年はプッチーニ作曲の人気イタリアオペラ「ラ・ボエーム」のハイライトを披露。プロ声楽家たちが幻想的な境内を舞台に美声を響かせる。

 実行委(佐久本昇委員長)は地元の船場地域や同神社に縁がある人々で構成。船場から新たな文化・芸術の発信を願って2005年から公演を手掛けており、手作りのステージプログラムが毎回好評を得ている。

 主役の詩人ロドルフォを西影星二さん、恋人ミミを斉戸英美子さんが務める。このほか田中勉さん(マルチェッロ)▽東里桜さん(ムゼッタ)▽嶋本晃さん(コッリーネ)▽鳥山浩詩さん(ショナール)-が出演。ピアノは掛川歩美さん、ストーリーテラーは広瀬敦子さん。オープニングに西影純枝さん、特別ゲストに法村友井バレエ団を迎える。

 午後6時開演(同5時半開場)。入場整理券4千円(当日券4500円)。

 同日の日中は午後0時半から音楽・文化関係の11団体や若手オペラ歌手が代わる代わるステージを飾る「せんば鎮守の杜音楽祭2019〜えん結び〜」(入場無料)を開催。境内の一画には軽食やドリンクのブース「ザマサン・マルシェ」が出店する。

 佐久本実行委員長は「今年も皆さんと力を合わせ、素晴らしい文化・芸術を通じた人づくり、縁づくり、まちづくりに励みたい」と話し、事前の準備や調整に余念がない。

 雨天の場合は境内・神社会館内で開催。チケットの問い合わせは電話06(6251)4792、芸術祭事務局(同神社内)。

2666名無しさん:2019/08/18(日) 20:52:25 ID:NrdB.GxU0
桂米団治、来年3月「米朝まつり(仮称)」開催へ
8/10(土) 20:35配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190810-08101014-nksports-ent

  人間国宝だった故桂米朝さん(享年89)の長男で落語家、桂米団治(60)が10日、大阪市内で取材に応じ、神道でいう「五年祭」にあたる来年3月に、偉大な父の功績をしのぶ「米朝まつり(仮称)」を開催することを明らかにした。

 「米朝の偉業、米朝の値打ちを、あらためて知ってもらうために、もう1度花火を打ち上げようと思い、企画しました」

米朝さんは戦後、没落していた上方ばなしを復活させ、壊滅寸前だった上方落語を復興させた「上方四天王」の1人で、中核的存在だった。落語家として初めて全国ツアーを開催。あえてお盆、正月と休みの時期に、地元の大阪で一門会を定着させるなど、いまや200人を超える隆盛を誇る上方落語の礎を築いた。

昨春に米朝事務所の社長に就いた米団治は「米朝がおこした事務所。社長で1年。そろそろ、きちんとした基軸を打ち出したい」として、米朝まつりを考案した。米朝さんの命日である来年3月19日は一門の法要にあて、翌20〜22日まで、米朝一門会を定期開催してきた大阪・サンケイホールブリーゼと、米朝さんが落語会を開くなどし、ゆかりの朝日生命ホールの2カ所で一門総出、江戸からもゲストを呼び、落語会を同時間帯に同時開催する。

規模の大きなサンケイホールでは、米朝さんの映像も使い、功績を振り返る考えだ。来年は1月に恒例の新春一門会、3月の米朝まつりまでの合間、2月には大阪松竹座公演が決まったことも明らかにした。

松竹座は米朝さんと、OSSK(大阪松竹少女歌劇団=後のOSK)で、駒ひかるの芸名で活躍した中川絹子さん夫妻を描く演目になるという。米団治は「米朝夫妻もの、駒ひかる物語みたいな感じになりそうだ」と説明した。

絹子さんは戦前の同劇団でスターとして活躍。「越後獅子」の舞いを「ドラゴンスター」と称して、ダンスを披露するなど、劇団の公演をけん引してきた。

米団治は「父も母も、分野は違うけど、同じように、大きなことをやってたんやなと思い、両親の偉大さにひれ伏したような気持ちです」と、あらためて両親への敬意を語った。

米団治には、25年大阪万博と重なる「十年祭」へ向けて、大阪全体を盛り上げていきたい考えがあり「大阪の、上方文化に、こういう人がいたと、広く知ってもらいたい。五年祭でひとつ花火を上げ、十年祭へのひとつの布石にしたい気持ちです」と語る。

米団治の意向を受けて、在版のNHK、民放のテレビ各局も、特番編成に動いており「社長として、しっかりしたビジョンを示していきたい」と話していた。

2667名無しさん:2019/08/18(日) 20:55:41 ID:NrdB.GxU0
大阪市中央公会堂で、初心者向け企画『中之島文楽』
8/8(木) 9:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190808-00073602-lmaga-l27

 大阪で生まれた古典芸能を気軽に楽しめる特別公演『中之島文楽』が10月4日・5日に、「大阪市中央公会堂」(大阪市北区)で開催。8月7日に「国立文楽劇場」で記者会見がおこなわれ、人形遣いの吉田玉男と、落語家・桂吉坊が登壇した。

 文楽初心者に向けて企画された同公演は、ゲスト(4日は遙洋子、5日は三倉佳奈)が参加する入門トークからスタート。その後に、天満や北新地を舞台とする近松門左衛門作の『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)北新地河庄の段』がダイジェスト版として上演される。

二枚目の主人公・治兵衛の人形を遣う吉田玉男は、「この役をやらしてもらえるのは大変うれしい。涙ぐむところや、笑えるところとか、いろいろな心境を楽しんでいただけたら」と話し、見どころについては「心中するようなあかんたれな男なんです。小春(愛人の遊女)に会いたいために、最初は魂の抜けたようなゆっくり歩いている姿に注目していただければ。ここは曲も非常に名曲ですので」と力説した。

また、過去4回の公演で司会をつとめる桂吉坊(今回は4日のみ出演)は、「最初は分からないでいいと思うんです。僕も高校生のときは『なんじゃこりゃ』となったので。でも人形を観ていくうちにストーリーに入り込んで、美しく感じられるようになる。観る度にいろんな気づきがあるのが面白い」と語った。

竹本織太夫(太夫)、三味線は鶴澤藤蔵(三味線)らが出演し、チケット料金は大人前売1800円、当日2000円。開演時間は19時から、5日は14時から、共に2時間を予定。


杉本博司の「杉本文楽」がアメリカに初上陸。「Japan 2019」の一環として
8/17(土) 7:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190817-00000001-btecho-cul

 現代美術家・杉本博司による人形浄瑠璃文楽『杉本文楽 曾根崎心中』が、アメリカで初上演される。

 同作は、近松門左衛門の人形浄瑠璃を下敷きに、杉本博が構成、演出、舞台美術を手がけたもの。映像は杉本とともに束芋も制作に加わっている。2011年8月に初演された後、ヨーロッパ公演(2013年9月〜10月)を経て、14年には日本凱旋公演が行われた。

 今回の上演は、パリで日本の芸術と文化を紹介した祭典「ジャポニスム
 2018:響きあう魂」に続くものとして、アメリカで日本文化を海外に向けて発信する取り組み「Japan
2019」の一環。ニューヨークのリンカーン・センターを舞台に、同館の芸術祭「リンカーン・センター ホワイト・ライト・フェスティバル」でオープニングを飾る。

2668名無しさん:2019/08/22(木) 21:52:32 ID:NrdB.GxU0
大阪・南御堂で盆踊り 先着500人にうちわと屋台チケット配布
8/22(木) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190822-00000003-minkei-l27

 「第57回 難波別院 南御堂 盆おどり」が8月27日・28日、大阪・本町の南御堂(大阪市中央区久太郎町4、TEL 06-4708-3272)で開催される。(船場経済新聞)

 
1963(昭和38)年から毎年開かれている同イベント。今年は秋に敷地内にある御堂会館の建て替え工事が完了するため、会場となる境内が昨年より拡大。本殿の前に櫓(やぐら)を組み、敷地内には金魚すくいやかき氷などの屋台が約10店並ぶ。来場者先着500人に屋台で使える金券と、竹製のうちわをプレゼントする。

 船場センタービル10号館にあるレンタル着物ショップ「和爽美(わそうび)」と提携。同店の浴衣をレンタルし、店で着付けして盆踊りに参加する人はレンタル料が割引になる。盆踊り後は同院の更衣室で着替え、会場内のクロークで返却できるサービスも行う。

 出演者は、民謡河内音頭 初音家連合会の初音家歌月さん、歌手の弘田るみさん。両日ともに炭坑節や河内音頭をはじめとした全国の民謡約20曲で踊る。特別出演として、世界宗教者平和会議でオープニングソングを歌った歌手の涼恵さんも参加する。

 司会は、リニューアル記念の特別ゲストとして「ABCおはよう朝日です」リポーターのたつをさんが務める。

 同院に住むキャラクター「ブットンくん」と船場センタービルのキャラクター「船場リリィ」も参加し、踊りの列に加わる。

 総局の上本愛さんは「以前は年配の参加者が多かったが、ここ数年はコスプレで来る若い人たちや、浴衣で楽しむ外国人観光客が増えてきた。今年は御堂会館の工事が終わり会場も広くなる。リニューアル記念で特別ゲストも参加するので、ぜひ多くの人に楽しんでいただけたら」と話す。

 開催時間は18時〜21時30分。小雨決行。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2669名無しさん:2019/08/22(木) 23:23:37 ID:NrdB.GxU0
6代目松喬をしのぶ 来月、繁昌亭で七回忌落語会
2019年8月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190822/20190822029.html

 上方落語会だけに伝わる名門でありながら爆笑系噺(はなし)家が多い笑福亭にあって、正統派のパワーあふれる話術で人気があった6代目松喬(2013年、62歳で死去)の七回忌を追善する落語会「おかえり松喬さん」が9月7日夜に天満天神繁昌亭で行われる。

 
出演は、松喬のすぐ上の兄弟子である福笑とすぐ下のおとうと弟子松枝、6代目の門弟で2番弟子の遊喬、同3番弟子の生喬、最後の6番弟子の風喬の計5人。プロデュースは6代目松喬の妻で、一門が所属する「オフィス笑」が運営企画する高田敬子代表。

 福笑は松喬と長年二人会を開き、後に松枝が合流して三人の兄弟会となり人気を呼んだ。3人の弟子は「われわれは黒子。師匠の兄弟会の延長でやっていただければ」と話し、中入り後には福笑と松枝による座談会も。トリは6代目松喬の高座を写したライブ映像を使って在りし日をしのぶ。

 敬子代表は「生前、師匠(6代目松喬)から“お前はのんきでエェなぁ”と言われていた。“お前とやったら楽や”という意味だと思う。落語という芸は“ザルで水をすくうがごとく、1回、10回では水はたまらん”と言われていた。それは“千回はやらんとアカン”という意味で、師匠の話芸はマクラで笑わせても、ネタに入るとスーッとそれぞれの登場人物が動き回って、その世界に入り込ませてくれる。私は当日、客席で師匠の芸を感じさせてもらう」と話している。

 午後6時半開演。前売り3千円、当日3500円。問い合わせは電話06(6775)6267、オフィス笑。

2670名無しさん:2019/08/22(木) 23:31:24 ID:NrdB.GxU0
四天王寺が講座受講者を募集
2019年8月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190820/20190820039.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)は、10月5日に同寺本坊・五智光院で開催する「第56回四天王寺秋季大学」の受講者を募集している。午後0時50分(開場正午)〜同4時。定員300人で事前申し込みが必要。定員になり次第締め切る。受講料千円。

 同寺、四天王寺大主催の恒例講座。各界で活躍中の識者2人を講師に招く。当日の講目と講師は次の通り。

 1「聖徳太子とその時代」舘野和己氏(近つ飛鳥博物館館長、奈良女子大名誉教授)=午後1時〜2時20分▽2「凡夫の自覚」福原隆善氏(浄土宗大本山百萬知恩寺法主)=同2時40分〜4時。

 受講希望者は、はがきに住所、氏名(ふりがな)、電話番号を明記し、〒543-0051 天王寺区四天王寺1の11の18 四天王寺「秋季大学」係に申し込む。このほか電子メールfukyou@shitennoji.or.jp 、またはファクス06(6773)4921、直接来寺(午前9時半〜午後4時)でも申し込み可。

 問い合わせは電話06(6771)0066、同寺。

2671名無しさん:2019/09/01(日) 16:58:25 ID:ylDuNnHU0
寄席や屋台、大にぎわい 生国魂神社「彦八まつり」
2019年9月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190901/20190901026.html

 上方落語協会が主催し29回目となる「彦八まつり」が31日、大阪市天王寺区の生国魂神社で始まった。前週からの秋雨前線停滞の影響で“すすき梅雨”が続き、曇り空から時折雨が落ちたり逆に日差しがあったりとはっきりしない空模様の中、奈良県葛城市のけはや相撲甚句会(吉村元延会長)による一節でスタート。同協会の笑福亭仁智会長(67)、桂米団治副会長(60)も舞台に上がり「開幕でーす」と一斉に号令を掛けた。

 今年の実行委員長として祭りを仕切る桂文福さん(66)は「ずっと雨が続いて心配していましたが、そろそろ本格的な秋のようで、たとえ雨が降っても猛暑よりはずっとええ。私は先日、故郷の和歌山で夏祭りに顔出してきました。ヒートアップし過ぎて、途中で電源がショートしてマイクもライトも切れ真っ暗。それでもしゃべりましたよ。これがほんまの闇営業や」と、所属する吉本興業の話題を早速ギャグにして笑いを取っていた。

 恒例の一門ごとの屋台では、塩鯛一門の冷やしたい焼きや仁智一門のたこ焼きなどおなじみの品々がずらりとそろい、人気者も一緒に呼び込みをしたり記念写真やサインにも気軽に応じるなどアットホームな雰囲気に包まれていた。

 子ども連れで訪れていた会社員(42)は「子どもはまだ落語は分からないけど、射的や金魚すくいなどで縁日に来たみたいで楽しいみたい。親の方がはなし家さんと写真を撮ったりして楽しんでます」と笑顔だった。

 1日は午前10時から開幕。入場無料の境内ステージでは文福一座「ふるさと寄席」やのど自慢、バンドステージなど多彩な催しが夕方まで繰り広げられる。

2672名無しさん:2019/09/07(土) 22:30:21 ID:NrdB.GxU0
寄席や屋台、大にぎわい 生国魂神社「彦八まつり」
2019年9月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190901/20190901026.html

 上方落語協会が主催し29回目となる「彦八まつり」が31日、大阪市天王寺区の生国魂神社で始まった。前週からの秋雨前線停滞の影響で“すすき梅雨”が続き、曇り空から時折雨が落ちたり逆に日差しがあったりとはっきりしない空模様の中、奈良県葛城市のけはや相撲甚句会(吉村元延会長)による一節でスタート。同協会の笑福亭仁智会長(67)、桂米団治副会長(60)も舞台に上がり「開幕でーす」と一斉に号令を掛けた。

今年の実行委員長として祭りを仕切る桂文福さん(66)は「ずっと雨が続いて心配していましたが、そろそろ本格的な秋のようで、たとえ雨が降っても猛暑よりはずっとええ。私は先日、故郷の和歌山で夏祭りに顔出してきました。ヒートアップし過ぎて、途中で電源がショートしてマイクもライトも切れ真っ暗。それでもしゃべりましたよ。これがほんまの闇営業や」と、所属する吉本興業の話題を早速ギャグにして笑いを取っていた。

 恒例の一門ごとの屋台では、塩鯛一門の冷やしたい焼きや仁智一門のたこ焼きなどおなじみの品々がずらりとそろい、人気者も一緒に呼び込みをしたり記念写真やサインにも気軽に応じるなどアットホームな雰囲気に包まれていた。

 子ども連れで訪れていた会社員(42)は「子どもはまだ落語は分からないけど、射的や金魚すくいなどで縁日に来たみたいで楽しいみたい。親の方がはなし家さんと写真を撮ったりして楽しんでます」と笑顔だった。

 1日は午前10時から開幕。入場無料の境内ステージでは文福一座「ふるさと寄席」やのど自慢、バンドステージなど多彩な催しが夕方まで繰り広げられる。

2673名無しさん:2019/09/09(月) 10:15:34 ID:NrdB.GxU0
天神祭献詠短歌大賞決まる
2019年9月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190908/20190908019.html

 「第10回天神祭献詠短歌大賞」が7日発表された。一般部門は小松丈夫さん(75)の「大阪の八百八橋くぐりたる船は涼しき水脈を曳きゆく」、子ども部門は田中舞さん(10)の「かさおどりすずなりひびき始まった令和最初の天神祭」が選ばれた。

大阪市北区の大阪天満宮で行われた授賞式で、小松さんは「中之島の橋に立つと心が落ち着く。一生の思い出になった」と喜び、田中さんは「昨年よりもいい作品ができた。令和最初の年だけに使える言葉を入れたいと思った」と振り返った。

 天神祭を斎行する大阪天満宮が歌の神様菅原道真公を祭ることから、同大賞は2010年にスタート。作品を詠んで献上するユニークな取り組みで、応募作品は年々増えていた。10周年の今年を区切りに募集を終了するが、高田ほのか実行委員長は「(過去の全作品が)心の中に小さな花火としてともり続けることを願っている」と話した。

 今年は2162首の応募があった。大賞以外の入賞作は次の通り(敬称略)。

 【一般部門】「きみの生まれた町のまつりにゆく きみの生まれた町のかみさまに会ふ」(有村桔梗)▽「大川の千の団扇がかろやかに花火の匂いの風かき回す」(toron*)▽「とりどりの作り笑顔の面を売る女の闇をひとつください」(龍田憲兒)▽「肩車ゆられて伸ばす小さき手 追いて焦がれる玉神輿かな」(うすいあさぎ)▽「獅子頭踊らせ十丁ねり歩く青年達は汗とび散らし」(家治綾子)

 【子ども部門】「夏の夜男がかつぐおみこしは空で暴れる竜のごとし」(神谷雄太)▽「あがるたび歓声起こる人波の中に聞こえる君の息づかい」(野山絢華)▽「夏祭り私と家族話したり花火のような顔をしている」(林思?)▽「これが最後前を向いて踊り出す少し寂しくとても楽しく」(横山七桜)▽「雲のない祭りの昼の青空に届けるようにみこしを上げる」(榊本一葵)

2674名無しさん:2019/09/09(月) 10:16:31 ID:NrdB.GxU0
有形・無形の文化遺産融合 新作能「水の輪」上演
2019年9月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190908/20190908022.html

 従来の能公演の枠を超えた活動を展開する大阪市中央区の山本能楽堂(山本章弘代表理事)が16日、世界文化遺産に登録された百舌(もず)鳥・古市(ふるいち)古墳群で、最新技術の発光ダイオード(LED)照明を使った現代アートとのコラボレーションによる新作能「水の輪」を上演する。市民も交えて、有形(古墳群)と無形(能楽)の文化遺産の融合に挑む。

アートを通して藤井寺の魅力を再確認するイベント「まほら藤井寺」(藤井寺市など主催)のプログラムの一つ。2017年に始まり3回目の今回は、古墳群の世界文化遺産登録を記念し「水の輪」の上演のほか、古墳にまつわるワークショップや藤井寺の話題の店が出店するマルシェが予定されている。一部が市民の憩いの場になっている同市の津堂城山古墳を会場とする。

■河内バージョンで

 「水の輪」は、世阿弥から続く観世流能楽の伝統に基づいて、同能楽堂が現代美術家による舞台美術を加えて制作し、09年に初演。水の浄化をテーマに環境問題について考え、「水を大切にする気持ち」を伝える作品で、汚れた川の水を水鳥たちが掃除して清めると、きれいな水にしかすむことができない水の神様が現れて、澄んだ水を喜び大阪の繁栄をことほぐ。

 水都大阪の再生に向けて作られた作品だが、川などの名前を開催地にちなんだものに変更し、国内外で上演を重ねてきた。毎回地元の子どもたちと作ることを大切にしており、事前に環境問題や能などについて学びながら、本番は水鳥役などで出演する。今回は大人も一緒に3回のワークショップを行い、自作の裃(かみしも)を身に着けて地謡(じうたい)を担う。

2675名無しさん:2019/09/09(月) 10:17:06 ID:NrdB.GxU0
■伝統と最先端

 現代アートとの融合も「水の輪」ならでは。照明デザイナーの藤本隆行さんがLED照明を使って「森の木々までライトアップし、古墳全体が光で満ちるように」(藤本さん)演出する。世界で活躍する藤本さんにとっても、古墳で腕を振るうのは初めてだ。

 ワークショップで習う謳(うたい)は、同能楽堂制作のアプリ「スーパーうたい」や「WeNoh!」を無料でダウンロードして練習することができ、子どもたちがゲーム感覚で楽しんでいるという。約700年続く伝統芸能も、アプリでぐっと身近になっているよう。

 「10年継続することができたことで、いろいろな人との出会いがあった。将来的にさらに広がりのある事業になっていく確信がある」と手応えを話す山本さん。今回の古墳との“コラボ”で、また新たな歴史を刻む。

 「まほら藤井寺」は正午〜午後8時、「水の輪」は同6時半〜7時半。鑑賞無料。雨天予報の場合は会場を藤井寺市立市民総合会館大ホールに変更する。

2676名無しさん:2019/09/14(土) 21:43:37 ID:NrdB.GxU0
鴻池新田会所で「現代彫刻と銅版画展」 歴史的建造物と作品の調和も楽しんで
9/13(金) 19:52配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190913-00000065-minkei-l27

  国史跡・重要文化財の鴻池新田会所(東大阪市鴻池元町)で9月10日、東大阪市民美術センター第4回出張美術展「現代彫刻と銅版画展」が始まった。(東大阪経済新聞)

 
昨年に続き、同会所で開催する出張美術展。同センターと同会所は同じ東大阪市文化振興協会が運営しており、昨年出張展示を行ったところ来場者から好評で、同会所側もイベントの幅が広がると今年も開催が決まった。

 会場には、大阪府が所蔵する「大阪府20世紀美術コレクション」から現代彫刻5点と、同センター収蔵の深沢幸雄さんの銅版画15点を展示する。

 土間では高い天井の空間を生かし、アントニーン・スティブーレックさん(チェコ)の作品「使者」や、崔石鎬(チェ・ソクホ)さん(韓国)の「幸福の門1」、ノルベール・ネスラーさん(オーストリア)の「黒と白」など大型作品を展示。和室には「じっくり細部まで落ち着いて鑑賞できる稀な機会なので、あまり大きくなく、制作時の手作業を感じ取れる作品を選んだ」と、深沢さんの銅版画作品を並べる。

 学芸員の亀井見奈さんは「江戸時代の木造建築の中にある現代彫刻が意外にも空間になじんで見えたり、意識的に異質なものとして見ようとしてしまう感覚があったりといった面白さがある。版画はじっくりと鑑賞できる。日本でしか味わえない感覚を楽しんでほしい」と来場を呼び掛ける。

 9月14日は14時から、専門職員による作品解説を行う。

 開催時間は10時〜16時。9月17日休館。観覧料は、大人=300円、小・中学生=200円。9月20日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2677名無しさん:2019/09/15(日) 16:30:55 ID:NrdB.GxU0
岸和田だんじり祭 ”熱気”駆け巡る
9/14(土) 18:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190914-18502805-kantelev-l27

 
大阪府岸和田市では「だんじり祭」が始まり、街が熱気に包まれました。

【記者リポート】「そーりゃ!の掛け声とともにだんじりが前へ前へと進んでいきます」「そーりゃ!そーりゃ!」

約300年の歴史をもつ「岸和田だんじり祭」。

最大の見せ場は、重さ4トンのだんじりが曲がり角を全速力で曲がっていく「やりまわし」です。
屋根の上の大工方がうちわを使ってタイミングを伝え、豪快に角を曲がっていきます。

その迫力に、観客からは大きな歓声が上がっていました。

【観客は】
「(やりまわしが)速かった」
「感激しました。街の活気を感じられるから最高です。」

【参加した男の子】
「(何が楽しい?)走ってるところ。(法被着れて)うれしい。」

「岸和田だんじり祭」は、15日の宮入りでクライマックスを迎えます。
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関西テレビ

2678名無しさん:2019/09/15(日) 16:32:03 ID:NrdB.GxU0
天満天神繁昌亭13周年で式典
09月15日 12時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190915/2000020134.html

 大阪にある上方落語専門の常設の寄席、「天満天神繁昌亭」が15日でオープンから13周年を迎え、記念の式典が行われました。

「天満天神繁昌亭」は平成18年に大阪・北区の大阪天満宮の境内にオープンした上方落語専門の常設の寄席で、大阪で唯一毎日、落語を上演しています。
運営する上方落語協会によりますと、8月末までに178万人以上が訪れたということで、ことし6月からは、1か月間休館して、老朽化に伴う設備の改修をし、再開後は、昼間の公演の座席指定ができるようにするなど、ファンの要望に応える工夫を行っています。
15日は、午前の部の開場を前に13周年の記念式典が行われ、上方落語協会の笑福亭仁智会長が「ことし7月にリニューアルして以降、平均200人、連日大入りが続いている状態で、とても感謝しております。みなさまに足しげく通ってもらって10年、20年と続くよう、ぜひこれからもごひいきしてもらいたい」とあいさつしました。
このあと式典では鏡開きが行われ、お囃子が演奏される中、訪れた落語ファンたちに日本酒が振る舞われてお祝いムードを盛り上げていました。

2679名無しさん:2019/09/15(日) 16:38:16 ID:NrdB.GxU0
片岡愛之助「肌で感じる舞台に」 11月に永楽館歌舞伎
2019年9月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190910/20190910038.html

 「第12回永楽館歌舞伎」が11月4〜10日、兵庫県豊岡市の出石永楽館で上演される。第1回から座長で参加している片岡愛之助(47)が今回は地元出石ゆかりの武将、仙石権兵衛に扮(ふん)した「道成寺再鐘供養(ごにちのかねくよう)/仙石権兵衛出世噺」と、安宅の関の関守、富樫左衛門を演じる「滑稽俄安宅新関(おどけにわかあたかのしんせき)」の2本が演目。「肌で感じる舞台に」と張り切っている。

 「毎年、この時期になると地元の人たちから『お帰りなさい』と言われるのがうれしい」。大阪出身の愛之助にとって出石は近い距離だが、売れっ子とあってスケジュール調整が大変で「昨年は10月になってしまったが、今年また11月に戻った。まだやっていなかったご当地の人物、仙石権兵衛をやることになって、劇場は小さいが、お客さんと距離が近く、肌で感じられる舞台にしたい」と力が入っている。

 権兵衛は石川五右衛門を捕まえた武将として知られているが「詳しいことはあまり分かっておらず、作者の水口一夫先生といろいろ構想を練っているところ。楽しく盛り上がるものにしたい」。舞台は和歌山の道成寺で、権兵衛と寺の清姫(中村壱太郎)が絡む物語になる。もう一本の「滑稽-」は富樫が関所で「一芸に秀でた者」を召し抱えるため旅人に「即興の芸」を求める喜劇。上村吉弥、澤村宗之助らが共演する。

 地元関係者は「近年、愛之助さん人気で前売りチケットが即売になるほどで、地元歌舞伎興行として定着しており、遠くからのお客さんも増えている。愛之助さんには今後も続けていただきたい」とエールを送る。愛之助は「ここでやりたいものはまだたくさんある」と笑顔を返した。

 昼の部は午前11時30分、夜の部は午後4時開演の2回公演。10日は昼の部のみ。問い合わせは電話0796(52)5300、出石永楽館。

2680名無しさん:2019/09/15(日) 16:51:38 ID:NrdB.GxU0
中秋の名月 風雅にうたげ 住吉大社で「観月祭」
2019年9月14日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190914/20190914043.html

 中秋の名月の13日夜、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で伝統行事「観月祭」が厳かに執り行われた。献歌句の朗詠や舞楽が奉納される中、国内外の参拝者が名月を仰ぎながら、初秋の夜のひとときを過ごした。

 夕刻の境内・第一本宮で祭典が行われたのに続き、反(そり)橋上に参集した神職らが全国から応募があった和歌の披講や俳句を朗詠。虫の音に包まれた会場いっぱいに秀作を響かせた。

 舞楽は天王寺楽所(以和貴(いわき)会)の舞人・楽人が奉仕し、幕開けを飾る儀式的な「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「仁和楽(にんならく)」などをみやびやかな音色とともに披露。住吉踊(おどり)保存後援会による「住吉踊」の奉納もあり、躍動感あふれる所作で伝統行事を大いに盛り上げた。

2681名無しさん:2019/09/22(日) 16:41:27 ID:ylDuNnHU0
四天王寺で「秋季彼岸会」
2019年9月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190921/20190921035.html

 秋の彼岸の入りとなった20日、大阪市内各地の寺院や霊園などでは、朝から多くの関係者らが先祖供養に足を運び、秋空の下で手を合わせた。

 「秋季彼岸会(え)」(26日まで)が始まった同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)では、故人の極楽往生を祈念する亀井堂の「経木流し」をはじめ、諸堂で供養が執り行われて参詣者の列が途切れることなく続いた。広い境内では、骨董(こっとう)品や食品などを扱う多彩な露店が並び、終日にぎわいを見せた。

 同市北区から家族と訪れた男性(83)は「彼岸になっても日中はまだ暑いが、いい天気の日にお参りができた」と“収穫品”の陶器を手に話した。

 秋分の日(彼岸の中日)の23日は午後5時20分から、真西に沈む夕日に極楽浄土を思う伝統行事「日想観」が行われる。同寺では秋季彼岸会の期間中に約20万人の人出を見込んでいる。

2682名無しさん:2019/09/24(火) 21:28:07 ID:NrdB.GxU0
極楽浄土 見えた!? 四天王寺で「日想観」
2019年9月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190924/20190924026.html

 彼岸の中日で「秋分の日」の23日、真西に沈む夕日を見つめ極楽浄土を思う伝統行事「日想観(じっそうかん)」が大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で執り行われた。多くの参詣者らが境内西側の石鳥居(いしのとりい)に向い、静かに手を合わせた。

 日想観は、かつて同寺の西側に海が広がっていた時代、西門からの光景が極楽浄土に続く入り口として信仰されたことに由来する。春、秋の彼岸の中日のみ、夕日が鳥居の中央に沈むことで知られる。

 この日は日没が近づく午後5時ごろから僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、法要を営んだ。空が雲に覆われ、夕日が鳥居にかかる瞬間を拝むことはできなかったが、次第に雲の切れ間から太陽が見え始めると、参詣者らが感嘆の声とともに熱心に手を合わせたり、写真を撮ったりしていた。

 毎年春と秋に訪れている籾山季美さん(79)=同市平野区=は「いつも通り心身ともに健康なことをご先祖さまに感謝した。ここで手を合わせると心が安らぐ」と穏やかな表情で話していた。

2683名無しさん:2019/09/24(火) 22:05:52 ID:NrdB.GxU0
世界的最先端都市・大阪、そして古都・大阪。
大阪とは魅力が多重的かつ多層的にある素晴らしい都市なのであります。

大阪の遺跡から約300点、新発見の歴史を展示
9/23(月) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190923-00077035-lmaga-l27

 歴史が古く、数多くの遺跡が眠る大阪市内。日々新たな発見のある発掘調査で出土した資料から、約300点集めた特別展『新発見! なにわの考古学2019』が、「大阪歴史博物館」(大阪市中央区)で10月16日からスタートする。

 今回展示されるのは、弥生時代中期の形木製品や、古墳時代中期の顔の装飾がついた須恵器椀(いずれも大阪市旭区所在遺跡)、大阪の近代工業を支えた硫酸瓶などの化学薬品用陶磁器類(北区中之島蔵屋敷跡)など。発掘現場の写真パネルとともに紹介される。

「出土資料が語りかける新発見の大阪の歴史に触れていただければ幸いです」と同館。期間は2020年1月6日までで、チケットは大人600円、高校・大学生400円、中学生以下無料。

2684名無しさん:2019/09/28(土) 21:22:32 ID:NrdB.GxU0
日本文化、都会で気軽に 法善寺に外国客続々
2019年9月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190928/20190928050.html

 全身が苔(こけ)むした姿の水掛不動で知られる法善寺(大阪市中央区難波)で、毎月28日の夜に行われている水掛不動明王護摩法要の人気が高まっている。護摩法要はお不動さんの縁日として親しまれており、地元の人たちに交じってインバウンド(訪日外国人客)の参拝客が増加。「都会の中で気軽に日本文化が楽しめる」と好評だ。

 
大阪・ミナミの象徴的存在の道頓堀から、南へ50メートルほどの場所に位置する法善寺。法善寺横丁を含む一帯は、古き良き浪速の風情が味わえる観光スポットとして、根強い人気を誇る観光スポットになっている。

 近年はインバウンドが目立って増え、道頓堀から同寺へ足を延ばし、目にした護摩法要に感動。口コミで評判が広がっている。

 護摩法要の時間は午後7時〜同9時。「開運厄除」「商売繁盛」などを祈願する護摩供養料は500円と300円があり、誰でも参加できる。問い合わせは電話06(6211)4152、同寺。

2685名無しさん:2019/09/29(日) 16:33:24 ID:NrdB.GxU0
小中高生が古墳の人文字、大阪 世界遺産登録祝い
9/27(金) 10:51配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190927-00000054-kyodonews-soci

 世界文化遺産に登録された大阪府の百舌鳥・古市古墳群の地元、藤井寺市で27日、学校法人「四天王寺学園」の小中高生ら約700人が、登録を祝って学校の校庭で前方後円墳の形の人文字を披露した。

 児童、生徒らがブルーの紙を掲げて古墳周辺のお堀を表現。紙を並べてつくった「祝 世界文化遺産」の文字などと合わせ、人文字で縦約29メートル、横最大約25メートルの前方後円墳の形をつくった。

 当初は登録が決まった7月に予定していたが、悪天候のため延期していた。学校近くには、古墳群の一つで前方後円墳の仲哀天皇陵古墳(岡ミサンザイ古墳)がある。

2686名無しさん:2019/10/02(水) 21:59:30 ID:NrdB.GxU0
あの当時、橋下氏は散々に叩かれましたが、良い方向に行っているようです。
税金に頼って細々生きていくのは文楽らしくない。力強く生きてこその文楽。


橋下徹氏への怒りで始めた恒例落語会に桂春団治「今は文楽に応援してもらっている」
10/2(水) 18:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-00000093-sph-ent

 上方落語家の桂春団治(71)と文楽太夫の豊竹呂太夫(72)らが2日、大阪市内で、「文楽応援の落語会 Part6〜忠臣蔵プレリュード〜」(28日、大阪・天満天神繁昌亭)の概要発表会見に出席した。

 2012年に当時の大阪市長だった橋下徹氏(50)が文楽協会への補助金見直しを打ち出したことを受け、「落語より文楽が好き。義憤にかられた」と春団治が中心になり、文楽とゆかりがあるネタを上演する応援落語会を14年に始めた。

 年に一度の開催で今回が6回目。今春、英太夫(はなぶさだゆう)を改め、名跡の6代目を襲名した呂太夫は「当時の橋下市長の言動が“逆効果”になって今、文楽はお客さんが入っている。感謝しています」。春団治は「今は文楽に応援してもらう落語会になっている」と苦笑した。

 サブタイトル通り、公演では忠臣蔵にまつわる落語、講談、踊りをずらりと並べる。春団治は故・6代目笑福亭松鶴さんから教わった「蔵丁稚」を演じる。


豊竹呂太夫「感謝」反目した橋下氏言動で逆に客増加
10/2(水) 20:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191002-10020739-nksports-ent

 4代目桂春団治(71)が2日、大阪市内で「文楽応援の落語会part6〜忠臣蔵プレリュード〜」(28日、大阪・天満天神繁昌亭)の発表会見に出席した。

この落語会は、12年に当時、大阪市長だった橋下徹氏が文楽協会への補助金見直しを打ち出したため、それに反発する形で始まった。

春団治は「(橋下氏が)今どう思っているのかは知らないが、とにかく反発したいことがいっぱい」と話した。かつて、文楽公演「曽根崎心中」を客席で鑑賞していたとき「橋下さんが来て観客が拍手したことがあった。『こんなおっさんに拍手すな』と思っていた」と明かした。

会見に同席した文楽太夫の豊竹呂太夫(72)は「橋下さんの言動で、今の文楽はかなりお客さんが入ってきている。逆効果っていうか、ある意味感謝です」。

呂太夫に義太夫を習うほどの文楽ファンである仲野徹大阪大学医学部教授(62)は「文楽を知っていた方が落語もおもしろい」と話した。

春団治は演目「蔵丁稚」を披露する。「大阪市立大で講義しているが、文楽か落語のビデオを見て、そのあとに『蔵丁稚』を見る方が学生さんも納得して見ている」と実体験を交えて説明した。

2687名無しさん:2019/10/07(月) 21:23:56 ID:ylDuNnHU0
宅配歴史講座 節目の千回 回重ねるごとに評判
2019年10月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191007/20191007029.html

 NPO「なにわ堀江1500」代表の水知(みっとも)悠之介さん(77)=枚方市=が大阪市西区内の高齢者施設などで定期的に取り組む「宅配歴史講座」が、9日で通算千回に達する。戦後の昭和をたくましく生きた年代の人々に、当時の映像などを通じて若返ってもらおうと2006年から継続。大台を目前に「自分も楽しいので続けられる」と、いつもと変わらぬ姿勢で資料作成などの準備に励んでいる。

 水知さんは、かつて大阪市西区・堀江地区に本社を置く大手鋳鉄管メーカー栗本鐵工(てっこう)所に勤務。在職中から社史編さんなどに携わり、さまざまな歴史に育まれた堀江のまちに魅了された。退職後はNPOを設立し、地元史の研究や堀江ガイド、戦前住宅地図作成、宅配歴史講座などに尽力した。

■路線変更が奏功

 中心となる歴史講座は、区内の高齢者施設の依頼で実施。回を重ねるごとに評判を呼び、方々から開催依頼が増えた。施設ごとに講座のローテーションは異なるが、おむね月1回のペースで行い、13年に通算500回、17年に800回に到達した。

 厚生労働省の助成を受けた「歴史講座・宅配事業のボランティア育成事業」(05年)にも取り組み、修了者である金田正一さん・治子夫妻(同市北区)は現在も活躍中。一部施設で水知さんと共に講師を務めている。

 当初は堀江の一時代を築いた花街など純然たる地元史の講座が中心だったが、「参加者の世代が実際に体験してこられた戦後昭和に触れた時、反響が大きかった」というきっかけで路線を変更し、これが功を奏した。

 ロカビリーブーム▽皇太子ご成婚▽東京五輪▽大阪万博-など、戦後から毎回数年ごとに区切って時代をたどっていくと、異口同音に「懐かしい」「自分も若かった」の声。各時代を華やかに彩ったスターや映画作品、流行歌の資料もふんだんに盛り込んであり、自然発生的に歌声に包まれるのもおなじみの光景となっている。

■先輩から年下へ

 講座内容は先方の依頼に沿って自在に組み替える。時には一分野に詳しい参加者から鋭い質問を受けることもあり、水知さんは「こちらも常に勉強が必要」と向学心を燃やす。

 以前はもっぱら“先輩”たちを相手に話をしていたが、最近は自分よりも年下の参加者も増えてきたことが大きな変化だ。改めて自身の年齢を考慮し、移動しやすいように居住地の枚方市内の施設でも講座を開催。ここでも西区同様に人気を博している。

 「自分自身も楽しむために取り組んでおり、今が最も充実している。健康である限り講座をお届けし、お互いの気持ちが少しでも若返ることができれば」と願いを込める。

2688名無しさん:2019/10/11(金) 22:11:18 ID:NrdB.GxU0
「梅田は埋田だった」証拠写真見つかる JR大阪駅で資料展示
10/11(金) 18:29配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191011-00000058-minkei-l27

 梅田が「埋田」だったことを示す初代大阪駅建設前の写真が発見され、10月11日からJR大阪駅の構内で展示が始まった。研究者は「伝承はあったが証拠写真は一枚もなかった。貴重な資料だ」と喜ぶ。(梅田経済新聞)

 
梅田の地名の由来には「田を埋めた『埋め田』から」や、「梅の木があった」など諸説あるが、駅舎が建つ以前の様子が分かる写真資料はこれまで見つかっていなかったという。

 発見された写真は、神戸〜京都間の鉄道敷設を指揮したイギリス人技術者のジョン・イングランドが撮影したもの。豪州に住む同氏のひ孫が保管していた古い鉄道写真24セットを大阪産業大の林田治男 名誉教授が確認し、撮影場所を特定したいと情報提供を呼び掛けていた。

 これらの写真を京都大学鉄道研究会OBの西城浩志さんらが解析した結果、建設中の初代大阪駅を写したものが5枚含まれていると判明。今年4月、鉄道史資料保存会の季刊誌「鉄道史料」で発表した。

 写真を最初に見た印象について西城さんは「何もない砂地に工事現場が写り込んだだけの写真で、皆が悩むだけある難物と分かった」と話す。窓の形状や煙突の存在、建物の構造・配置などを検証し、大阪駅であることを同定した。建設中の写真には水抜き井戸も確認でき、梅田が湿地帯だったことがうかがい知れるという。

 今回の展示について、国鉄時代を含めると39代目の大阪駅長となる新林由浩さんは「写真の存在にびっくりした。この貴重な資料を基に現在の駅舎になるまでの変遷を知っていいただけたら」と話す。現地では全16枚のポスター資料で初代大阪駅の工事開始から2代目大阪駅までを解説している。

 10月27日まで。
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2689名無しさん:2019/10/13(日) 11:16:52 ID:NrdB.GxU0
お寺が持つ潜在能力体験 下寺町で「寺フェス」
2019年10月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191012/20191012043.html

 上町台地沿いに多くの寺院が連なる大阪市天王寺区下寺町の5カ寺を会場にしたイベント「下寺町 寺フェス」(下寺町・寺塾主催)が20日に開かれる。寺と関わりのある近隣個人・団体が「お寺が持つ潜在能力を体験してほしい」との思いで初めて企画した手作りイベント。各プログラムの参加には「テラ」を単位とするユニークな寺フェス専用チケットが必要で、千テラを千円で販売。午前9時〜午後3時。雨天決行。

各寺の主なプログラムは次の通り。

 【稱念寺】ミニ寺塾(300テラ)=語り(桜座一家(ファミリー))、お説教(同寺住職)。午前9時半、同11時、午後0時半、同2時の4回(所要時間は各回約30分)▽アマチュア落語会(300テラ)=午前10時10分、同11時40分、午後1時10分、同2時40分(上演時間は各回約45分)▽おでん販売(100テラ)。

 【浄国寺】ミニミュージカル(100テラ)=出演はミュージカル集団「発起塾」。午前11時、午後1時半(各約30分)▽組みひも講座(600テラ)。午前10時半、午後1時半(各1時間)▽箔(はく)押し(漆塗り)体験(千テラ)▽野だて(600テラ)=午前10時〜午後3時▽スリランカ・カレーとパン販売(500テラ〜)▽夕霧絵馬(500テラ)。

 【源聖寺】日舞体験(500テラ)=午前10時、午後0時半、同2時半(各約45分)▽お点前(300テラ)=午前10時から随時。

 【金台寺】モスペットワークショップ(1400テラ)=コケで作ったキャラクターコケ玉を製作。午前9時〜午後3時(定員12人、45分)▽お地蔵様陶芸販売(300テラ〜)▽革小物クラフト体験(500〜1200テラ)▽龍の金運招福お守り販売(500テラ)。

 【西照寺】人形供養(千テラ〜)▽写経体験(300テラ)=午前9時〜午後2時半(最終受け付け)▽介護者のこころのやすらぎカフェ(300テラ)=同1時〜同3時。

 このほか全寺でご朱印(100枚限定)を用意。現在、ご朱印付交換券付き前売り券を発売している。

 問い合わせ、講座申し込みは
shitaderamachi2018@arigatookini.com

2690名無しさん:2019/10/13(日) 19:53:19 ID:kceB.hys0
>>2687 こないだ死んだ金やんとは別人?蝶矢のCMに出てメジャーにしてくれたから、無関係ではないな。

2691名無しさん:2019/10/14(月) 15:54:32 ID:NrdB.GxU0
慶沢園とハルカスコラボ 秋の天王寺大茶会
2019年10月14日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191014/20191014022.html

 大正期に造られた日本庭園「慶沢園」一帯の魅力を啓発する催し「秋の天王寺大茶会」が13日、大阪・天王寺地区で始まった。庭園を所有する大阪市が、近隣のあべのハルカスに入る近鉄百貨店本店などと連携して初めて企画。参加者は、地域に根付く歴史を体感していた。14日まで。

 慶沢園は、江戸時代に始まる豪商・住友家の十五代吉左衛門によって、本邸として1918年に造営された。庭を手掛けたのは七代目小川治兵衛。26年には大阪市に寄贈され、池の周りを巡る回遊式の姿は、往時の様子を伝えている。

 市は、都市部にある貴重な庭園を一帯の魅力と共に発信し、集客や地域の発展につなげようと催しを企画。日本一高いビル、あべのハルカスを背景にしながら庭園を巡るコースや、隣接する市立美術館で普段非公開のバルコニーから庭園を眺めるコースを用意し、園内の茶室での茶席も設けた。

 参加者は案内役の解説に聴き入りながら、伝統と現代の街並みのコラボを楽しんだ。慶沢園と近鉄百貨店本店では、お互いの利用を促すようにクーポンの配布も繰り広げた。

 庭園の運営に造詣が深い植彌(うえや)加藤造園も共催し、山田咲部長は「対話を伴う体験を通して愛着を育み、庭園の魅力を未来につなげていければ」と話していた。

2692名無しさん:2019/10/14(月) 16:27:41 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣の「特別展 豊臣外交」、台風19号により1日遅れで開幕
10/13(日) 20:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191013-00078653-lmaga-l27

  豊臣秀吉時代の逸品や書状からその対外交流を追う『特別展 豊臣外交』が13日に開幕。台風19号の影響により開幕が1日遅れのスタートとなったが、初日には多くの来場者が粋を極めた品々や内情溢れる書状などを観覧した。

 台風19号が通過し、快晴となったこの日。観光スポットでもある「大阪城天守閣」には多くの観光客が訪れた。そのほとんどがインバウンド観光客で、幅広い国の人が来場。現在開催中のラグビーワールドカップのユニフォーム姿の人も多く見られた。

同展では、豊臣秀吉を中心とした歴史的人物たちの心情や策略、来ていた南蛮趣味の服、使われていた茶道具や物などが、わかりやすい説明文とともに展示されている。出品数は掛け軸や刀、甲冑など89点で、「大阪城天守閣」所蔵のものだけでなく、福岡から東京までの各博物館や図書館、個人から一堂に集められた。

この日、大阪市内から親子で訪れた小学生の男子は、「歴史のなかでも戦国時代が大好き。何回か見たことある展示もあるけれど、マント(ビードロマント)は初めて。マントは羽織るだけかと思ってたけど、横から手を出す作りも不思議だった。好きな歴史的人物は藤堂高虎」と目を輝かせた。同展は11月17日まで開催され、「大阪城天守閣」入館料で観覧可(大人600円、中学生以下無料)。

取材・写真/岡田由佳子

2693名無しさん:2019/10/20(日) 15:43:42 ID:NrdB.GxU0
あんどんに願い込め 御霊神社・秋祭り宵宮
2019年10月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191017/20191017028.html

 大阪市中央区淡路町の御霊神社で16日、秋祭りの宵宮祭が執り行われた。ビジネス街に位置する境内には、周辺の会社員らが続々と参拝に訪れ終日にぎわいを見せた。

 夜には恒例の献灯があり、神職が手作りのあんどん約千基を境内に配置。薄暮から順次点灯していき、日中と異なる雰囲気の中で多くの参拝者を迎えた。

 願い事を書き込むあんどんには、場所柄として「商売繁盛」「社運隆昌(りゅうしょう)」が多いものの、今年は先日の台風19号など甚大な被害をもたらした自然災害が多かったことを受け、「被災地復興祈願」「天地安泰」の文字も見られた。

 17日は奉幣祭が行われ、午後4時から神楽を奉納。夕刻からは奉納イベントとして、ジャズライブや書道パフォーマンスなどを予定している。観覧無料。

2694名無しさん:2019/10/20(日) 16:09:12 ID:NrdB.GxU0
北前船ゆかりの自治体交流 北海道で寄港地フォーラム
2019年10月19日 20:27
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191019/20191019099.html

 江戸時代から明治時代、日本海や瀬戸内海で交易を担った「北前船」ゆかりの地が交流する「第28回北前船寄港地フォーラム」が19日、北海道小樽市で始まった。自治体関係者など約300人が集まり、北前船が寄港地に与えた影響などについて理解を深めた。20日は石狩市に場所を移す。

 主催者によると、13道府県の自治体関係者が参加。開会式で小樽市の迫俊哉市長は「北前船が伝えた歴史、文化を次の世代に引き継ぐ責任がある」とあいさつした。

 講演で大阪市の柏木陸照経済戦略局長は「北前船の交易が関西で合わせだしを生んだ。だしを使った日本食の文化は世界に広がりつつある」と強調した。

2695名無しさん:2019/10/22(火) 19:31:57 ID:NrdB.GxU0
大阪あっての皇室。皇室あっての大阪であります。

「即位礼正殿の儀」 天皇陛下が即位を内外に宣言
2019年10月22日 15時59分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191022/k10012143671000.html

 ことし5月の皇位継承に伴って、新たに即位した天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」が皇居・宮殿で行われました。天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられました。

 
「即位礼正殿の儀」は国事行為として行われる「即位の礼」の中心となる儀式で、天皇陛下は皇居・宮殿の「松の間」で皇后さまとともに臨まれました。

儀式には秋篠宮ご夫妻をはじめ、11人の皇族方が参列されたほか、外国の元首や王族、それに内閣総理大臣など三権の長や各界の代表など、およそ2000人が参列しました。

21日夜から降り続く雨のため、中庭に整列する予定だった古式ゆかしい装束の職員は人数を減らして屋内に配置されました。

天皇陛下は平安時代から儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包んで「松の間」に入り、正面中央に置かれた高さ6メートル50センチ近くある「高御座(たかみくら)」の台座にのぼられました。

続いて十二単(じゅうにひとえ)を着た皇后さまが「高御座」と並んで置かれた高さ5メートル50センチほどの「御帳台(みちょうだい)」にのぼられました。

午後1時12分、侍従と女官によって、「高御座」と「御帳台」のとばりが開けられると両陛下が姿を見せられました。

そして天皇陛下が即位を内外に宣言するおことばを述べられました。

この中で天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」と述べられました。

続いて安倍総理大臣が天皇陛下の前で「寿詞(よごと)」というお祝いの言葉を述べました。

そして安倍総理大臣の発声で参列者が万歳を三唱し、これに合わせて皇居外苑の北の丸公園で自衛隊が21発の礼砲を打ち鳴らしました。

このあと「高御座」と「御帳台」のとばりが閉じられ、両陛下が「松の間」から退出されて、儀式はおよそ30分で終わりました。


夜は祝宴の儀式も

宮殿では午後7時20分から祝宴にあたる「饗宴(きょうえん)の儀」が行われます。

この儀式では、天皇陛下が皇后さまとともに外国の元首や王族などおよそ400人を招待して即位を披露し祝福を受けられます。

2696名無しさん:2019/10/22(火) 19:52:14 ID:NrdB.GxU0
即位礼正殿の儀 天皇陛下おことば全文
2019年10月22日 13時21分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191022/k10012143681000.html

さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。

ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。

上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。





国民に寄り添う気持ち 改めて示される

「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」で天皇陛下が述べられたおことばは前回、平成2年の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏まえつついくつかの新しい表現が加えられたものとなりました。

天皇陛下はおことばの中で、冒頭で即位を内外に宣言し、続いて上皇さまの歩みを振り返ってみずからが象徴としてのつとめを果たすことを誓い、最後に国の一層の発展や国際社会の友好などを願われました。

こうした流れは平成2年の前回の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏襲したものですが、象徴としてのつとめを誓われた部分ではいくつかの新しい表現が加えられました。

平成2年に上皇さまは「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と述べられました。

一方、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べ、「国民の幸せ」とともに「世界の平和」を願いつつ、「国民に寄り添いながら」という一節を加えられました。

「国民に寄り添い」ということばはことし5月1日の「即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀」での即位後初めてのおことばや、ことし2月の誕生日にあたって行われた記者会見などでも、天皇陛下が繰り返し述べられてきました。

天皇陛下のおことばは上皇さまの象徴としての歩みを踏まえながら、国民に寄り添う気持ちを改めて示されたものとなりました。

2697名無しさん:2019/10/22(火) 19:53:41 ID:NrdB.GxU0
即位礼正殿の儀 天皇陛下おことば全文
2019年10月22日 13時21分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191022/k10012143681000.html

さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。

ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。

上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。

国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。


国民に寄り添う気持ち 改めて示される

「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」で天皇陛下が述べられたおことばは前回、平成2年の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏まえつついくつかの新しい表現が加えられたものとなりました。

天皇陛下はおことばの中で、冒頭で即位を内外に宣言し、続いて上皇さまの歩みを振り返ってみずからが象徴としてのつとめを果たすことを誓い、最後に国の一層の発展や国際社会の友好などを願われました。

こうした流れは平成2年の前回の儀式で上皇さまが述べられたおことばを踏襲したものですが、象徴としてのつとめを誓われた部分ではいくつかの新しい表現が加えられました。

平成2年に上皇さまは「常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」と述べられました。

一方、天皇陛下は「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べ、「国民の幸せ」とともに「世界の平和」を願いつつ、「国民に寄り添いながら」という一節を加えられました。

「国民に寄り添い」ということばはことし5月1日の「即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀」での即位後初めてのおことばや、ことし2月の誕生日にあたって行われた記者会見などでも、天皇陛下が繰り返し述べられてきました。

天皇陛下のおことばは上皇さまの象徴としての歩みを踏まえながら、国民に寄り添う気持ちを改めて示されたものとなりました。

2698名無しさん:2019/10/22(火) 20:12:25 ID:NrdB.GxU0
「即位礼正殿の儀」号外を配布
10月22日 18時07分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191022/2000021638.html

天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が行われたことを受け、JR大阪駅前では新聞の号外が配られました。

JR大阪駅前で午後3時前から号外の配布が始まると、買い物や観光で訪れていた人たちが次々と受け取り、用意された1000部は20分ほどでなくなりました。
受け取った大阪・天王寺区の69歳の男性は、「素晴らしいことだと思います。とにかく平和が一番です」と話していました。
また奈良県の18歳の男子高校生は、「うれしいし、すごいことです。令和もいい時代になってほしいです」と話していました。
さらにフィリピン出身の60歳の女性は、「私は天皇陛下を尊敬しているので、記念に号外を持っていたいと思いました。フィリピンと日本は昔は関係が悪かったですが、今はいいです。新しい時代は、日本とフィリピンだけでなく他の国も仲良くなってほしいです」と話していました。

2699名無しさん:2019/10/22(火) 20:24:39 ID:NrdB.GxU0
即位祝い大阪メトロが記念乗車券
10月22日 12時54分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191022/2000021634.html

天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」にあわせて、大阪メトロは記念の乗車券を販売しています。

この乗車券は、「即位礼正殿の儀」を記念して大阪メトロが企画したもので、御堂筋線の新大阪駅に設けられた特設の売り場には、朝早くから100人以上が長い列を作りました。
記念乗車券は、縦9センチ、横20センチで、5枚で1セットとなっていて、図柄は「鳳凰」や、天皇家の紋章に使われている菊の花などが描かれています。
購入した大阪市の小学6年生の男の子は、「売り切れてしまわないか心配でしたが、買えてよかったです。記念乗車券は自分の部屋に飾ります」と話していました。
大阪メトロ営業企画課の池田龍二係長は、「大勢のお客様に購入いただき、うれしく思います。お客様と、天皇陛下のご即位をお祝いする気持ちを共有したいです」と話していました。
記念乗車券は5000セット限定で、御堂筋線の新大阪駅のほか、あすは梅田駅となんば駅でも販売されます。。

2700名無しさん:2019/10/22(火) 20:26:47 ID:NrdB.GxU0
お祝いに大阪城天守閣を無料公開
10月22日 12時54分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191022/2000021637.html

天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が行われるのを祝って、大阪を代表する観光名所の1つ、大阪城天守閣がきょう一日無料で公開され、多くの観光客で賑わっています。

「即位礼正殿の儀」を祝って、大阪・中央区の大阪城天守閣はきょう一日無料で公開され、午前9時の開館にあわせて約150人の観光客らが一斉に入場しました。
訪れた人たちは、高さおよそ55メートルの天守閣の最上階に登ると、展望台から晴れ間の広がる大阪の街並みをゆっくり眺めたり、カメラに収めたりしていました。
群馬県から友人と訪れたという27歳の女性は、「もともと来る予定はありませんでしたが、無料と知って来ました。これからも日本が平和であってほしいです」と話していました。
また家族で訪れた46歳の女性は、「令和の時代はこれからの子どもたちのために、平和であってほしいです」と話していました。
大阪では大阪城天守閣のほか、中央区の大阪歴史博物館や北区の大阪市立科学館、天王寺区の天王寺動物園などの施設も、きょう一日無料で公開されています。

2701名無しさん:2019/10/22(火) 21:11:45 ID:NrdB.GxU0
大阪「金剛寺」が国の重要文化財指定に、吉村洋文知事「歴史的価値高い」
10/21(月) 22:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191021-00079245-lmaga-l27

 18日、国の重要文化財に指定された、大阪・河内長野市にある「金剛寺伍仏堂」や「摩尼院」。大阪・吉村洋文知事は21日におこなわれた囲み取材(大阪府庁内)で、「国内外の人に知ってもらいたい」と語った。

文化庁の文化審議会の答申(18日)で、重要文化財に新たに指定された建造物は9件。「金剛寺」には数多くの国宝・重要文化財があり、境内の江戸時代中期に建立された建物が群をなして維持されていることが高い評価を受けた。「摩尼寺」は「金剛寺」境内に所在する子院で、すでに指定されている書院と一体の価値を有することで保護を図るという。

府にとっては、ユネスコ世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」に続く喜ばしいニュース。南大阪出身の吉村知事は、「南大阪には歴史的価値の高い場所がたくさんあり、日本が世界に誇れる観光資源がたくさんある。そういったものを一体化して国内外のみなさんに発信できる仕組みをぜひ、地元の市町村と協力しながら広げていきたい」と語った。

取材・写真/岡田由佳子

2702名無しさん:2019/10/22(火) 21:48:07 ID:NrdB.GxU0
大阪駅の歴史紹介に見入る 桜橋口通路で展示
2019年10月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191021/20191021025.html

 初代大阪駅舎工事の様子を示す写真が見つかり、JR西日本がJR大阪駅構内の桜橋口中2階通路で展示している。明治初期の工事開始から、広大な空き地で駅舎を組み立てる作業、完成までの貴重な歴史を伝えている。27日まで。

 JR西によると、写真は初代駅舎の工事を担った英国人の建築長ジョン・イングランドの子孫が、オーストラリアの自宅で保管しており、複製写真5枚を鉄道資料保存会などが分析。詳細が不明だったが、2階建ての駅舎や窓の形などから大阪駅と判明した。

 展示は、駅の歴史を見てもらい、5代目となる現・大阪駅舎に愛着を持ってもらおうと、これらの写真を組み込んだポスター16枚を掲示。

 工事開始から1874年5月の初代駅舎の開業、写真の分析過程などを紹介しており、年配の利用客を中心にさまざまな世代が足を止めて展示に見入っている。

 JR西の広報担当者は「西日本で一番利用者が多い大阪駅の歴史を振り返る貴重な機会。ぜひ見ていただけたら」と話した。

2703名無しさん:2019/10/23(水) 20:47:43 ID:NrdB.GxU0
まちは奉祝ムード 即位の礼 記念御朱印に笑顔も
2019年10月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191023/20191023025.html

 天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」が執り行われた22日、大阪市内では一部の神社で記念の御朱印が授与され、大阪城天守閣や市立の動物園、博物館が無料公開されるなど、慶祝ムードが広がった。

大阪市北区の大阪天満宮では、午前9時から記念の限定御朱印が授与された。境内では記帳台も設けられた。

 御朱印は、稲穂と鳳凰の2種類。それぞれ日の丸を背景にあしらった晴れやかなデザイン。「奉祝」「即位礼正殿之儀」「大嘗(だいじょう)祭」の文字と日付が記されている。

 5月1日の改元の際には、令和の基となった日本最古の歌集「万葉集」の一節が添えられた記念御朱印色紙を授与し、3時間待ちになるほど多くの参拝者が境内を埋めた。

 先頭に並んだ女性(37)=京都府八幡市=は「5月はすごく並んだので」と、午前6時前に自宅を出て、約1時間かけて境内に到着。御朱印を手にし、「記念の物はテンションが上がります」と笑顔を見せていた。

 また、同市中央区の少彦名(すくなひこな)神社では、陛下が上がられる「高御座(たかみくら)」と皇后さまが上がられる「御帳台(みちょうだい)」、宝玉が描かれた計3種類の御朱印のほか輪島塗の御朱印帳が授与された。

 大阪市内では、11施設の常設展示の入館料が無料になった。大阪城天守閣(同区)では、開館1時間前には約150人が並んだ。平日は9割を占めるという外国人観光客に加え、日本人客も多く訪れた。開館後も天守閣前本丸広場のミライザ(旧陸軍第四師団司令部庁舎)前まで列をなした。

 同市北区の林徹さん(42)は、「近くに住んでいながら家族で来たことがなかった。せっかくなので」と、家族4人で訪れた。「自分自身は10年ぶりぐらいだが、展示も新しくなっていた」と満足そう。「令和も平和な時代になってほしい」と話していた。

 大阪メトロは大人用3種類、小児用2種類の記念乗車券を販売。鶴や亀など縁起物があしらわれたデザインで、同市淀川区の新大阪駅にある特設売り場には、早朝から多くの人が訪れた。記念乗車券は23日以降は梅田駅、なんば駅でも購入できる。

2704名無しさん:2019/10/27(日) 01:01:53 ID:NrdB.GxU0
聖天山古墳 顕彰史跡に 大阪市教委
2019年10月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191024/20191024029.html

 大阪市教育委員会は本年度、新たに同市阿倍野区松虫通3丁目の「聖天山(しょうてんやま)古墳」を顕彰史跡に指定した。古墳からは6世紀後半のものとされる横穴式石室が出土しているものの、発掘調査から約70年たち、正確な場所を誤認されることが多いという。堺市の仁徳天皇陵を含む百舌(もず)鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録されたばかりだが、指定には地元住民ら有志の要望も背景にあり、「大阪市の古墳にも目を向けて」と存在をアピールしている。


「顕彰史跡」は、1959年の市制70周年記念事業として始まった制度で、市内の史跡や文化財を顕彰する。第1号は同年指定の「大阪会議開催の地」(中央区)で、他に真田丸出城跡(天王寺区)や大阪国技館跡(城東区)が名を連ねる。本年度は2件が指定され、聖天山古墳は第236号となる。

 市教委によると、51年の発掘調査では横穴式石室内から須恵器、鉄刀などの副葬品や人骨が出土。同様の規模、構造を持つ古墳が集合する「群集墳」とみられる。近くでは2年前、5世紀のものとされる円筒埴輪(はにわ)が出土しており、一帯で5〜6世紀ごろに複数の古墳が築かれたとみている。

 出土品が見つかったのは、阿倍野区にある聖天山公園内の斜面。字名から北天狗(てんぐ)塚古墳とも呼ばれ、地元が木札を建てて顕彰していたが、その後散逸した。近くの小高い丘にクスノキの大木が自生していることから、同区出身の郷土史研究家、難波りんごさん(64)は「これが古墳の位置だと誤解されてきた」と指摘。難波さんを含む有志が、正確な位置の顕彰を求めてきた。

 市教委は今月16日、発掘地に当たる公園の一画にパネルを掲示。公園に隣接する正圓(しょうえん)寺は、飛鳥時代を起源とする阿部寺(廃寺)の塔頭(たっちゅう)と伝わり、この地は鎌倉時代の随筆家、吉田兼好が隠とんした地でも知られる。難波さんは指定を「うれしいし、ありがたい。『百舌鳥・古市』だけでなく、大阪市にも目を向けてほしいし、街歩きでも活用してもらいたい」と指定を喜ぶ。

 大阪市内の古墳は、茶臼山古墳(天王寺区)や帝塚山古墳(住吉区)をはじめ、市の南北に延びる上町台地に集中しており、一帯が当時の陸地であったことが推測できる。市教委文化財保護課の桜井久之主任学芸員は「大阪市では、堺市と比べて地上から見られる古墳がごくわずかしかない。古墳時代後期に群集墳が造られたことを、市民に知ってもらう一つの手掛かりになれば」と期待を寄せる。

2705名無しさん:2019/10/27(日) 01:22:47 ID:NrdB.GxU0
皇位継承安定への提言全文 自民有志「護る会」
10/23(水) 12:09配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191023-00000523-san-pol

  自民党の保守系有志議員のグループ「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表幹事・青山繁晴参院議員)がまとめた「皇位継承の安定への提言」の全文は以下の通り。



【1】意義の確立

 わたしたち日本国民は、昭和20年、西暦1945年から74年間、天皇陛下と皇室の存在意義を学校で正面から教わることがないままに来た。それは家庭教育にも似通った現実をもたらしていると思われる。

 そのために、天皇陛下のご存在を男系・父系によって続けることの根本的意義あるいは世界的価値を知る機会に乏しい。

 まず、ここから再出発せねばならない。

 日本の天皇陛下は、諸国の皇帝や王と大きく異なった存在である。

 古代における仁徳天皇の「民の竈(かまど)」という故事によれば、天皇陛下は民の台所から夕餉(ゆうげ)を支度する煙が上がらないのをご覧になり、民の暮らしを楽にするために税を取るのをおやめになった。御自らの食事が粗末になり宮殿が傷むことより民を優先なさった。これは、今上陛下が祈られる際に、御自らの幸福を祈られることが無く、ただ民のために祈られることと直に繋がっている。

 すなわち「人のために生きる」という生き方、民と国の理念を、祈りを通じてすべての日本人にお示しになる存在である。

 民のための祭り主であられる役割を受け継がれることが、皇位継承の本質である。

 これらは天皇家という、初代より126代、二千数百年にわたる唯ひとつの血統によって受け継がれ、貫かれることによって実現している。

 皇位の歴史が男系・父系による継承であるために、父を一系で辿(たど)ることができ、仁徳天皇や神武天皇にまで繋がる天皇家の皇統が続いてきた。

 二千数百年にわたり変わらず受け継がれてきた、かけがえのない伝統を、ひとときの時代の価値観や判断で断絶することは許されない。

 われらはこの伝統を、日本国の根源として、また、変わりゆく世界のなかで変わらない安寧の国柄として護り抜かねばならない。

2706名無しさん:2019/10/27(日) 01:23:21 ID:NrdB.GxU0
【2】基本認識の整理

1・男系、女系の違いは何か。

 男系とは、父方の血統で神武天皇と真っ直ぐに繋がることである。女系であれば、神武天皇と繋がらない。女系による皇位継承は、日本の歴史で一度たりとも起こっていない。男系による皇位継承を、いかなる例外もなく、126代一貫して続けてきたのが日本の伝統である。これは、性差による優劣を論じるものでは全くない。有史以来一貫して民族が尊び、保ってきた男系による皇位継承を堅持するのか、その伝統を断絶させてしまうのか、この論点こそが、皇位継承をめぐる事の本質である。

2・女性天皇と女系天皇はどう違うか。

 女性天皇は過去に10代8人、いらっしゃった。いずれも即位後は結婚なさらないか、御子をもたれず、男系・父系の男子に皇位を継承された。この女性天皇がもしも皇統に属していない方と結婚され御子が即位されていれば女系天皇、母系天皇となるが、それは一度も存在されたことがない。

 今後もし女系天皇、母系天皇を認めれば天皇家の皇室は終わり、異質の王朝(皇室)、すなわち神武天皇から受け継ぐ祭り主ではない「天皇ならざる天皇」を生み出すことに直結する。

3・男系、女系ではなく父系、母系と呼ぶのはどうか。

 女性差別という誤解を避けるためには、望ましい。変更するには皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」を「皇位は、皇統に属する父系の男子が、これを継承する」と改正する必要がある。

 男系という言葉を使った法は他になく、この改正だけで良い。

4・いわゆる女性宮家を創設すれば何が起きるか。

 宮家とは本来、男系・父系による皇位継承を確保するために先人が鎌倉、室町の時代にかけて創設した。すなわち父系で皇統に繋がる男子を広く世に求め、その男子を当主とする宮家をつくり、いつでも男系・父系の継承者になれる候補を確保するためである。したがって現代に新しい宮家を興す場合にも、男子がご当主でなければならない。

 「女性宮家」がいかなるものを指すのか、未だ定義がなされておらず、共有認識はないが、一般的には、女性皇族が皇統に属していない方と結婚後も皇族にとどまり、新たに宮家を創って当主になられることを表すと解されている。仮に「女性宮家」が創設されると、皇統に属していない方が有史以来、初めて婚姻によって皇族になることになり、万一、その子や孫が皇位に就かれた場合には、皇位の男系継承という日本の伝統は終焉となる。

2707名無しさん:2019/10/27(日) 01:24:45 ID:NrdB.GxU0
5・皇位を継承できる男子皇族が極めて少ない現在の危機が起きた、その客観的な経緯は何か。

 敗戦と被占領により日本が主権を喪失していた当時に、GHQが昭和天皇の弟君の宮家以外の11宮家51人の皇族をすべて、強権を持って皇籍離脱させ、皇位を継承できる男系・父系男子の人数を極端に減らしたことによる。それ以外に、現在の危機の原因は見当たらない。

6・皇位継承の危機は初めてか。先人はどのように乗り切ってきたか。

 皇位継承の危機は、少なくとも古墳時代から起きていることであり、敗戦を経た現在だけの危機ではない。すなわち、危機を乗り切る智恵はすでにある。

 たとえば古墳時代の継体天皇は、その危機から生み出された天皇陛下である。先人は、親等の遠さ近さは問題とせず、男系・父系で皇統に繋がっていることを唯一無二の条件として広く男子を探した。そして越前(異説あり)におられた応神天皇の五世孫が即位され、継体天皇となられた。

7・父系で皇統に繋がる男子であれば、親等が大きく離れていても問題は無いのか。

 上記6の史実の通り、いかなる時代においても我が国では、男系・父系による血統で皇位を継承させることを最も重要な原則として貫いてきた実績があり、皇統として問題は生じない。

8・皇位継承をめぐる俗論の誤りとは何か。たとえば側室を置かないことが不安定化の原因だという説はどうか。

 これも上記、継体天皇の即位を考えれば、皇后陛下以外に妃(現代用語あるいは武家用語では側室)が数多くいらっしゃった時代にも、皇位継承の危機は起きている。

 したがって、側室を置かない限り問題が解決とならないなどという評論は俗説に過ぎない。前述の通り、皇位継承の安定策は先人の知恵の中にすでにある。

【3】現状の簡潔な整理

 皇室典範の定める皇位継承者が3人(秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王殿下、常陸宮親王殿)しかいらっしゃらず、うち、次世代の継承者と言えるのは、悠仁親王殿下お一人という現状にある。

 今後は、おそらくは数十年を経て悠仁親王殿下が即位され、そのあと男子がお生まれにならなければ皇位継承者が絶える怖れがある。その時代には、現存の宮家がすべて絶えている可能性があるからだ。

 [立法府においては、平成29年6月の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の成立の際、「政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方のご年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方のご事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」という文言を含む附帯決議を議決している。]

2708名無しさん:2019/10/27(日) 01:25:28 ID:NrdB.GxU0
【4】具体的な安定策

まず、守るべき大原則として、現在の皇位継承順位は一切変えないものとする。旧宮家の方々が皇室典範の改正あるいは特例法の制定、およびご当人の了承のご意思によって皇族に復帰された場合でも同様とする。

 事実上、以下の両案に絞られる。さらにこの両案は統合することができる。

(イ)養子および婿養子案

 旧宮家の男子が、現皇族の養子となられるか、女性皇族の婿養子となられる案。お生まれになる子が即位された場合、父が天皇の血を引くという男系・父系の原則を満たすことができる。

 後者の婿養子となられる場合、その旧宮家の男性がご当主となり新しい宮家を創設することがあり得る。またこの際の重要な注意点は、婚姻はご当人の自由意志に基づく自然なものでなければならないことである。

 さらに、皇族の養子を禁じた皇室典範9条、また一般国民の男性は皇族になれないとする皇室典範15条の改正か、特例法の制定が必要となる。

(ロ)旧宮家の皇籍復帰案

 政府機関の非公式な調べによると10代5人、20代前半2人の皇位継承者たり得る男子、すなわち男系・父系で皇統につながる男子が旧宮家にいらっしゃるという現況に鑑み、国民的理解に基づく立法措置を経たのちに、そのなかから了承の意思を持たれる方々に皇籍に復帰いただく案。

 上記の皇室典範15条を改正するか特例法を制定すれば可能となる。

(参考)

 前述の継体天皇の即位当時と同じく、皇統に父系で繋がる男子をあらためて全国から探す案もあり得るが、上述のように旧宮家のなかに皇位継承者たり得る男子が少なからずいらっしゃることを考えれば、いたずらな混乱を避けるために、実行すべきではない。

 上記を統合すると以下のようになる。

 「旧宮家の男子について、了承いただける方には皇籍に復帰いただけるよう、また現皇族の養子か女性皇族の婿養子となられることがあり得るよう、皇室典範の改正または特例法の制定を行う」

2709名無しさん:2019/10/27(日) 01:26:02 ID:NrdB.GxU0
【5】手順

(1)皇室典範を改正する(2)皇室典範の改正は行わないか、最小限度に留め、ご譲位と同じく特例法の制定を行う-の両案があり得る。

 後者の特例法は、ご譲位の際と同じく立法府の円満な合意形成に寄与することが期待できる。

 この特例法は、現在の皇位継承順位を堅持し、父系の皇位継承者を安定的に確保するため皇室典範第9条「天皇及び皇族は、養子をすることはできない」および第15条「皇族以外の●(=者の日の右上に「、」)及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」という条文に関連しての特例法の制定となる。

 すなわち、旧宮家の男子に限っては養子となることができ、また婚姻によっても皇族となることができるという特例である。

 仮に【2】基本認識の整理の3で述べた皇室典範第1条の改正により「男系」という用語を「父系」に改めておけば、特例法においても「父系」という用語を用いることができる。

2710名無しさん:2019/10/28(月) 13:52:31 ID:1LD/5B8I0
百舌鳥古市古墳に世界遺産認定書地元自治体へ伝達式
https://www.daily.co.jp/society/culture/2019/10/28/0012827323.shtml

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に今年7月登録された「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の認定書伝達式が28日、文化庁で開かれ、永藤英機堺市長をはじめ地元自治体の首長らが宮田亮平長官から認定書のレプリカを受け取った。
宮田長官は首長ら一人一人にレプリカを手渡し「素晴らしい世界遺産がさらに世界中の方々に認知され、永遠に残り続けてほしい」と登録を祝福した。永藤市長は「日本文化の象徴として全国各地の古墳と連携しながらアピールしていきたい」と語った。
北川嗣雄羽曳野市長は「地域住民は古墳と一体となって生活し守り続けてきた」と地元の熱心な活動を紹介した。

2712名無しさん:2019/11/02(土) 20:07:59 ID:NrdB.GxU0
「即位礼正殿の儀」記念入場券発売 京阪電鉄
2019年10月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191030/20191030031.html

 京阪電鉄(大阪市中央区)は11月9日から、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」を記念した「天皇陛下御即位記念入場券」を、一部の主要駅で発売する。

 桃山御陵のある桃山南口駅(京都市伏見区)など、皇室とゆかりのある沿線6駅の記念入場券をセットにした。台紙は、紫色を基調に金色の装飾を施し、吉事を象徴する鶴をデザインしている。

 淀屋橋、京橋、枚方市、中書島、丹波橋、三条、出町柳、近江神宮前の京阪各駅で発売。1セット6枚で、特製台紙付き900円。購入は1人1セット限り。限定千セット。発売期間は11月末までで、無くなり次第終了する。

2713名無しさん:2019/11/02(土) 20:31:38 ID:NrdB.GxU0
阪堺が“昭和レトロ”な車両を運行 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を記念
11/2(土) 17:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191102-00030245-mbsnewsv-l27

 
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されたことを記念して、阪堺電気軌道が昭和の時代に使用していたレトロな車両で臨時電車の運行を始めました。

 11月2日から3日間限定で運行されるのは、昭和に活躍していた車両の復元車です。百舌鳥・古市古墳群が今年7月に世界文化遺産に登録されたことを記念し、恵美須町駅〜浜寺駅前の区間を運行します。車内では、観光ボランティアガイドが乗客に堺の歴史などを紹介するサービスも行われました。

 「祖母よりも上の年にできた車両に乗れるというのは趣がある。」(乗客)
 「いいですね。こういう古い電車を大切に動かしてくれているのはありがたいです。堺の財産じゃないですか。」(乗客)

 この臨時電車の運行は11月4日までで、追加料金なしの通常料金で乗ることができます。
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MBSニュース

2714名無しさん:2019/11/04(月) 14:16:36 ID:NrdB.GxU0
健やかに 願い込め 住吉大社で七五三準備ピーク
2019年11月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191101/20191101041.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で31日、子どもの成長を祈願する七五三参りの子どもらに授ける撤下(てっか)(おさがり)の袋詰め作業の仕上げが行われた。同大社の参拝者数は年々増えており、今年は約7千人を見込んでいる。

 
朝から連歌所で行われた作業には、同大社のみこ「神楽女(かぐらめ)」6人が奉仕した。七五三に欠かせない縁起物の千歳あめをはじめ、お守り、鉛筆、おこしといった品々を鮮やかな黄色の袋に詰めていった。

 令和になって初めてでもあり、神楽女の仲野沙弥さん(20)は「新たな時代を迎え、お参りの皆さんが健やかに育っていただきたい」と願いを込め、手際よく作業をこなした。

 七五三参りのピークは本来の11月15日に最も近い9、10の両日となる見込み。最近の七五三は、ますます前倒しの傾向となっており、今年もこれまでに千組以上が境内に足を運んだ。

2715名無しさん:2019/11/04(月) 15:12:32 ID:NrdB.GxU0
>藤原宮は前期難波宮の影響を受けた可能性があるという。

大極殿後方に未知の回廊、奈良 藤原宮、難波宮の影響?
10/3(木) 17:24配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191003-00000118-kyodonews-cul

 奈良県橿原市の藤原宮(694〜710年)跡で、天皇が政務や儀式を行った「大極殿」の後方で、東西方向の回廊跡を発見したと奈良文化財研究所が3日、発表した。大極殿後方を回廊で仕切る構造は、ほかの宮では確認されておらず「未知の回廊」といい、同研究所は「宮殿中枢部の変遷を考える上で重要」としている。

 藤原宮より前に造営された前期難波宮(大阪市、7世紀半ば)では、藤原宮の大極殿に相当する「内裏前殿」の後方に内裏を区切るように配置された建物があり、藤原宮は前期難波宮の影響を受けた可能性があるという。

 調査では大極殿の北東部に、柱を据える礎石の痕跡を11カ所確認した。

2716名無しさん:2019/11/04(月) 15:14:18 ID:NrdB.GxU0
正しくは難波宮ではなく“難波京”とすべきでは、>>2715

四天王寺に7世紀の亀形石 奈良・酒船石遺跡と同構造
4/26(金) 18:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190426-00000146-kyodonews-cul

   四天王寺(大阪市天王寺区)にある亀形石造物は、酒船石遺跡(奈良県明日香村)で出土した亀形石造物と同じ7世紀に造られ、二つの水槽がつながる構造やサイズも同じだったことが分かり、調査した元興寺文化財研究所(奈良市)が26日発表した。

 酒船石遺跡の亀形石は2000年に出土、女帝・斉明天皇(在位655〜661年)が執り行った水の祭祀場とされる。乙巳の変(645年)後に孝徳天皇(在位645〜654年)は難波京へ遷都、四天王寺は新都の南限として重視されたことから、同寺の亀形石も天皇家による祭祀と関連があったと推測できるという。

2718名無しさん:2019/11/06(水) 17:15:47 ID:XYlD5Boo0
https://marco4321ice.web.fc2.com/

2719名無しさん:2019/11/06(水) 21:19:17 ID:NrdB.GxU0
縄文クジラで東大阪PRを 50年前出土の「骨」に着目
2019年11月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191105/20191105024.html

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の試合開催地で、さらに“ラグビーのまち”として高揚をみせた東大阪市。約5千年以上前の縄文時代には生駒山の麓まで河内湾が広がっていたとされる。長年、郷土史研究に取り組む猪飼野探訪会代表の足代健二郎さん(77)=大阪市生野区=は、50年前にマッコウクジラの骨が出土した歴史を踏まえ、「クジラのまちとしてもアピールできれば」と調査し、別の面からの盛り上げに尽力する。

 足代さんが、東大阪市のクジラに着目したのは今年3月。猪飼野探訪会など26団体が加盟する「河内の郷土文化サークルセンター」主催の郷土文化見学会(5月)を控えた打ち合わせの時だった。

 見学会のテーマは「歴史のあけぼの 河内湾・河内潟を巡る」。1974年5月、同市布市(ぬのいち)町の下水道工事現場から縄文時代の鯨骨(げいこつ)が偶然見つかったという話題に大いに引かれた。4月にルートを下見した際、布市自治会館敷地内に87年に立てられた鯨骨出土に関する解説板を確認したが、風雨などによる経年劣化で文字が消えており、「判読不可能な状態のままであぜんとした」。

 持ち前の探究心で、市文化財課から解説板の元データを入手し、見学会当日は参加者にコピーを見てもらって事なきを得た。以後も解説板や出土鯨骨調査報告(76年、市遺跡保護調査会)を基に調査を続ける中、記された出土地が、下水道工事の時期と異なる点から誤りであることを発見。市に再調査を依頼した結果、正確な出土地を特定することができたという。

 また、出土した鯨骨の一部を展示している市立郷土博物館(上四条町)の館内説明文にあった工事内容の誤りを指摘し、このほど修正されるなどわずかながらも進展があった。

 出土地の地元では、市民交流施設、東大阪市日下リージョンセンター(日下町)の建物がクジラをモチーフにしており、「くじらまつり」の名称でセンター利用者の文化祭も実施している。

 足代さんは、解説板の刷新と、より多くの住民に見てもらえるようにセンターへの移設を希望。豊中市で見つかったワニの化石(マチカネワニ)を一例に「他の団体と連携しながら、クジラや特色ある地域の歴史をPRし、東大阪を一層盛り上げることができれば」と話している。

2720名無しさん:2019/11/06(水) 21:35:21 ID:NrdB.GxU0
文楽 80年ぶりの名跡襲名へ
11月05日 06時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191105/2000022063.html

 およそ80年前に途絶えた人形浄瑠璃の名跡が復活することになりました。
語り手の「太夫」を務める竹本津駒太夫さんが、来年1月、「六代目竹本錣太夫」を襲名することになりました。

「錣太夫」は人形浄瑠璃「文楽」で昭和初期にかけて活躍した先代の五代目が「艶物」と呼ばれる男女の恋愛を描いた作品の語りの名手として知られる名跡ですが、およそ80年前に途絶えていました。
その「錣太夫」の六代目を襲名することになった竹本津駒太夫さんは、広島県尾道市出身の70歳。
昭和44年に20歳で四代目竹本津太夫に入門し、翌年、大阪にあった朝日座で初舞台を踏みました。
語り手の「太夫」として、五代目と同じように特に「艶物」が高く評価されています。
大阪市内で会見した竹本津駒太夫さんは、「先代のように自由奔放に演じる技量はまだ到底ございませんが、自分の持ち味を生かせる場面を探りながら、頂いた役を膨らませて、自由な表現ができるように自分の器を広げていきたい」と話していました。
襲名披露公演は、来年1月、大阪・日本橋の国立文楽劇場で行われます。

2721名無しさん:2019/11/06(水) 21:58:38 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣、7日で88歳に 3代目、入館者に登閣証明書
2019年11月6日 6:05
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191106/20191106003.html

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は7日、3代目となる現在の天守閣が88歳の“誕生日”を迎えるのを祝い、黄金のトラをデザインした「登閣証明書」を入館者先着5千人に無料で配布する。

 初代の城は1585年に豊臣秀吉が建てたが、1615年の大坂夏の陣で焼失。徳川幕府が再建した2代目も65年に落雷で焼け落ちた。

 現在の天守閣は1931年11月7日に大阪市民の寄付で完成。内部は歴史博物館、最上階は展望台になっている。登閣証明書は天守閣内で配布するため、入館料(高校生以上600円)が必要。問い合わせは同天守閣、電話06(6941)3044。

2722名無しさん:2019/11/12(火) 21:06:07 ID:NrdB.GxU0
野見宿禰 題材に製造 子孫は道真公、天満宮と縁
2019年11月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191112/20191112030.html

 2020年東京五輪・パラリンピック記念貨幣の打ち初め式が8日に大阪市北区の造幣局(川嶋真理事長)であった。1万円金貨に描かれた相撲の元祖「野見宿禰(のみのすくね)」の子孫は、菅原道真とされる。道真公を祭る大阪天満宮の「お膝元」に位置する造幣局が、野見宿禰を題材にした貨幣を製造する巡り合わせとなった。

 野見宿禰像は「ギリシャの女神」像と並んで1万円金貨の表面に描かれ、「心技体」の文字も記されている。

 野見宿禰とギリシャの女神を巡っては、メインスタジアムとして今月末完成予定の新国立競技場の壁画にもなる予定で、打ち初め式に出席した布村幸彦・大会組織委員会副事務総長は「旧国立競技場から無事移設された」と報告した。

 「勝利のシンボル」野見宿禰をデザインした貨幣製造について、造幣局元理事長の百嶋計・追手門学院大教授(60)は「約150年、天満宮のお膝元の天満で操業してきた造幣局が、野見宿禰の図柄の貨幣を製造できることは誠に感慨深い」と話している。

2723名無しさん:2019/11/12(火) 21:13:06 ID:NrdB.GxU0
即位パレード中継27・4% NHK、平均視聴率
2019年11月11日 13:53
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191111/20191111045.html

 天皇陛下の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」を生中継したNHK総合の10日の特別番組で、午後3時からの1時間の平均視聴率が関東地区で27・4%だったことが11日、ビデオリサーチの調べで分かった。関西地区は23・0%だった。

 瞬間最高視聴率は、関東地区はパレードの終わりの午後3時33分と35分の32・1%、関西地区は前半の午後3時9分の27・3%だった。

 9日午後の即位を祝う「国民祭典」を生中継したNHK総合の特別番組は、ビデオリサーチの調べで平均視聴率が関東地区17・0%、関西地区17・6%だった。

2724名無しさん:2019/11/17(日) 16:52:21 ID:NrdB.GxU0
装束姿で優雅に 住吉大社で「蹴鞠奉納」
2019年11月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191117/20191117021.html

 天皇陛下の即位に伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」に合わせ、「蹴鞠(けまり)奉納」が16日、大阪市住吉区の住吉大社で執り行われた。青空の下、装束姿の面々が優雅に球体を蹴り上げると、七五三の季節とも相まって参拝者でにぎわう境内から拍手と歓声が湧き起こった。

 大社によると、境内で蹴鞠神事が営まれるのは1937年以来で、当時は被害を受けた室戸台風からの復興を記念した奉納行事の場だった。今回は奉祝に「伝統的な行事を」との声が挙がり、実現した。

 行事には、技の継承団体として82年前も奉納に加わり、天皇陛下が皇太子時代にはともに蹴鞠に興じたこともあるという「蹴鞠(しゅうきく)保存会」(京都市)が参加。大社の呼びかけに、サッカー元日本代表でJリーグセレッソ大阪の森島寛晃社長も装束姿で登場した。

 一同は第一本宮前で輪になり、作法に従って「オウ」「アリ」「ヤア」と決まりの掛け声をかけ、鹿と馬の革で作られた軽量のまりを軽やかに弾ませた。

 右足しか使ってはいけないなどサッカーとの違いに悪戦苦闘したものの「球を落とさないようつなぐ“和”の意識を感じた」と森島さん。セレッソも「令和という新しい時代に歴史をつくっていきたい」と活躍を誓った。

2725名無しさん:2019/11/17(日) 18:27:57 ID:NrdB.GxU0
大阪・四天王寺で「蚤の市」、2020年2月から定期開催へ
11/13(水) 17:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191113-00081084-lmaga-l27

 令和2年(2020年)2月から、毎月第2日曜日に『四天王寺蚤の市』が「四天王寺」(大阪市天王寺区)の境内で開催されることがわかった。

同寺では、すでに毎月21・22日、関西最大級の『四天王寺骨董市』が開催されている。この催しに、第2日曜日に「四天王寺蚤の市」が加わり、骨董品、西洋アンティーク雑貨、レトロ雑貨を中心に、1日楽しめるイベントとなる。

「骨董市」とは、希少価値のある古美術品や古道具が中心。それに対して「蚤の市」は、日用雑貨やフリマなども含まれるため、蚤の市のなかに「骨董市」があるイメージだ。

会場は境内でもっとも大きい門「極楽門」を背後に控える西十門広場で、右側は骨董品や古美術品、古道具を中心とした店舗が集められる。左側は、骨董に限らずアンティークやレトロ雑貨、古雑貨などが中心となる。

担当者の丸十さんは、「とにかくいろいろな骨董品が揃い、求めている一品に出合えます。表参道周辺には、たこ焼きなどの屋台もあり、一日中楽しめるので、ぜひ訪れていただきたい」と魅力をアピールした。

取材・写真/岡田由佳子

2726名無しさん:2019/12/11(水) 21:11:09 ID:NrdB.GxU0
韓国、「倭系」前方後円墳に改めて注目…反日感情根強い中、研究者は限られていたが
12/5(木) 12:11配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010000-yom-sctch

 百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群(大阪府)の世界文化遺産登録を受けて、構成資産の仁徳天皇陵古墳=大山(だいせん)古墳、堺市=をはじめ、規模の大きな墳墓に特徴的な「前方後円」の墳形が改めて注目されている。前方後円墳は、日本だけではなく、韓国南西部でも確認されている。韓国で研究の最前線を取材した。(大阪本社編集委員 関口和哉)

 交易を担った倭人か、大和政権に敗れた九州人か…被葬者で諸説

 商店やマンションに囲まれた市街地の一角。韓国南西部の光州にある2基の前方後円墳、月桂洞1号墳、2号墳を訪れた。この古墳からは円筒埴輪(はにわ)約100基が出土。周辺の栄山江流域では14基の前方後円墳が確認されている。

 反日感情が根強い韓国では、日本との関連がテーマになる前方後円墳に関心を寄せる研究者は長年、限られていたという。1980年代後半に、ようやく注目され始めた。

 栄山江流域の古墳は一時、「日本の前方後円墳のルーツではないか」との説も浮上したが、築造時期はいずれも5世紀後半〜6世紀前半。日本で前方後円墳の築造が始まった3世紀より後であることが判明してからは、関心は築造理由や被葬者に移った。

 月桂洞1、2号墳から東へ車で約20分。出土品などを展示している全南大博物館に林永珍(イム・ヨンジン)館長を訪ねた。林館長は93〜97年の発掘調査を担当。月桂洞古墳の築造時期、周辺は「馬韓(ばかん)」と呼ばれ、百済と倭(わ)(日本)が支配を競った。

 被葬者については、▽倭の影響を受けた百済人▽倭と結びついた馬韓人▽百済に仕えた倭人――など諸説あるが、林館長は「被葬者は磐井の乱(527年)で大和政権に敗れ、国外脱出した北部九州の倭人」と主張する。

 近年、石室や副葬品の調査が進み、より詳しい実態がわかってきた。洪●植(ホン・ボシク)・公州大副教授は「墳形や石室には日本の影響がうかがえる。一方、土器は朝鮮半島の特徴を持つ。武人的要素が少ない副葬品から被葬者は交易を担った倭人ではないか」と説く(●は「さんずい」に「普」)。
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「前方後円」以外でも…倭系の特徴

 「前方後円」以外の墳形も重視されるようになった。その一つ、咸平(ハムピョン)の金山里方台形古墳からは、鳥や人物などの形象埴輪が韓国で初めて出土し、石が敷かれた墳丘にも「倭系」の特徴が表れている。李■起(リ・ブンキ)・全南文化財研究所長は「将来は石室の発掘も目指している。被葬者像や日本との関係を解き明かしてくれるはず」と期待を寄せた(■は「金」の右に「凡」)。

 井上主税(ちから)・関西大准教授は「日韓の研究者が協力して比較、検討することで、日韓の歴史に新たな光を当てられるだろう」と話している。

2727名無しさん:2019/12/11(水) 22:37:52 ID:NrdB.GxU0
「明るく元気に奉仕」 天満天神えびす祭 招福娘代表決まる
2019年12月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191205/20191205032.html

 大阪天満宮の「天満天神えびす祭」を控え、行事に花を添える「招福娘」のお披露目と代表を決める最終選考会が4日、大阪市北区の同宮境内であった。代表には、摂南大2年の加藤由梨愛さん(21)=同市天王寺区=、立命館大2年の小西望月さん(21)=同市港区=、同志社女子大3年の高木有砂さん(20)=同市城東区=、関西大4年の松本琳さん(21)=兵庫県尼崎市=の4人を選出。「明るく元気にご奉仕したい」と声をそろえた。

 招福娘は年明けの1月9〜11日の3日間、参拝者に吉兆を授けるほか、自治体や企業への表敬訪問など一連の行事に加わる。「学問の神様」として知られる菅原道真を祭ることにちなみ、大学生約300人の応募から1次選考を通過した20人が最終選考会に臨んだ。

 壇上で2分の持ち時間内にダンスや楽器、外国語などの特技を披露。テーマパークでのアルバイト経験を踏まえ、スタッフの接客ものまねを演じた学生もおり、それぞれが“えべっさん”に通じる持ち前の笑顔で審査員に猛アピールした。

 塾講師の経験があり、授業を再現する話芸を披露した小西さんは「しっかり目を見てあいさつし、『福もろたわ』と言ってもらえるよう頑張りたい」と力強く抱負を述べた。

 同宮によると、江戸時代に活況だった「十日戎(えびす)」は戦時の混乱で途絶えたが、2007年に復興。06年に境内の一角で上方落語の定席「天満天神繁昌(はんじょう)亭」が開場し、当時上方落語協会会長だった桂三枝(現・文枝)さんが当時の宮司らに働き掛けた経緯がある。

2728名無しさん:2019/12/12(木) 22:14:32 ID:NrdB.GxU0
こうやって築城時期の違いによる石垣の違いを見れるようにする事の方が何にも考えなしに天守閣を木造で再建するより遥かに意味がある。

豊臣時代の大坂城、地下に埋められた石垣復活にかかる費用は
12/12(木) 20:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191212-00083452-lmaga-l27

 豊臣秀吉によって築城され、『大坂夏の陣』(1615年)で焼失した初代大坂城。その後、徳川幕府により城を覆い隠すように徳川大坂城が築城されたが、その際に地下に埋められた石垣を掘り起こすプロジェクトがあるのをご存じだろうか。

 石垣には大きく分けて3種類あるが、現在見られる徳川時代の石垣稜線(石垣の角)は「切り込み接ぎ」で、ほかが「打ち込み接ぎ」。

1984年に発見された豊臣石垣は、自然のままの石をあまり加工せずに積み上げた「野面積み」で、石は丸く不揃いで均整がとれておらず、両者はまったく趣の違うものだ。

調査終了後に石垣は埋め戻されたが、市では『大坂夏の陣』から400年の節目となる2013年、多くの人にみてもらえる施設をと『大坂城豊臣石垣公開プロジェクト』を開始。同時に、寄付目標額5億円の「太閤なにわの募金」をスタートした。

地下7mの地層から立ち上がる石垣を再度掘り起こし、解説と同時に本物の石垣が見られる同施設。市の担当・久村課長は、「(予定されている)公開施設は大阪城のすぐそばにあり、みなさまの思いや支援を受けて建設したい」と呼びかける。

実は大阪のシンボル「大阪城天守閣」も、1931年に市民の寄付を得て復興再建。今回も同様に多くの支援を集めて、実現を目指しているのだ。

11月末時点での寄付額は、約2億7000万円。「北海道から沖縄までたくさんの方にご寄付をいただいていますが、目標額の半分程度。ぜひ、ひとりでも多くの方にご寄付をいただきたい」と久村課長は訴える。

寄付は『ふるさと納税』の対象となるほか、金額に応じて記念メダルやミュージアム招待などの特典付き。12月13日までは「大阪城西の丸庭園 大阪迎賓館」でのフルコースランチ付きの特典も用意されている。寄付の詳細は、公式サイトにて。

取材・文/岡田由佳子

2729名無しさん:2019/12/15(日) 19:31:00 ID:NrdB.GxU0
笑顔と元気と福を 天満天神えびす祭 招福娘が市長表敬
2019年12月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191213/20191213032.html

 大阪市北区の大阪天満宮で来年1月9〜11日に行われる「天満天神えびす祭」を前に12日、祭りで奉仕する天満えびす招福娘8人が、寺井種治宮司とともに市役所を訪れ、松井一郎市長に祭りをアピールした。

 金色の烏帽子(えぼし)をかぶり、梅鉢紋とえびす紋の入った衣装を着た招福娘たちは「私たちの笑顔と元気と福をもって、大阪がますます元気で活気あふれるまちとなりますよう、ご奉仕させていただきます」などとあいさつ。2020年の大阪の発展を祈念し、「打ちまーしょ、もひとつせ、商売繁盛」との掛け声で“えびす締め”を行った。

 招福娘から縁起物の「福箕(ふくみ)」を受け取った松井市長は「福を持ってきていただきありがとう。皆さんの笑顔で、大勢の商売をしている方々に福をもたらしてほしい」と語った。

 招福娘は、大学生約300人の応募の中から20人が選ばれた。祭りの3日間、参拝者に吉兆を授けるほか、自治体や企業への表敬訪問などの行事に加わる。

2730名無しさん:2019/12/15(日) 19:50:35 ID:NrdB.GxU0
大阪ジャンボ絵馬ネズミの家族に 道明寺天満宮で掛け替え
2019年12月13日 14:58
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191213/20191213082.html

 学問の神様で知られる大阪府藤井寺市の道明寺天満宮で13日、本殿前のジャンボ絵馬が来年の干支「子」にちなんだネズミの家族の絵馬に掛け替えられた。

 絵馬は高さ2メートル、幅2・4メートル。「災害や事件が多かったので温かい気持ちになれる絵を」との依頼を受け、上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家長谷川貞信さん(73)が、米俵の上でうれしそうな表情を浮かべるネズミ一家と、天満宮の紅白の梅花を鮮やかな色彩で描いた。

 宮司の南坊城光興さん(45)は「来年は良いニュースばかりがチュー目(注目)される年になれば良いですね」と期待した。

2731名無しさん:2019/12/18(水) 20:57:32 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の父祭る「用明殿」を再建 四天王寺
12/18(水) 17:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191218-00000063-mai-soci

 四天王寺(大阪市天王寺区)に聖徳太子の父である橘豊日命(たちばなのとよひのみこと)(用明(ようめい)天皇)を祭る「用明殿」が18日再建され、僧侶と関係者約50人が参列する中、森田俊朗管長らによる落慶法要が営まれた。太平洋戦争で失われた同殿が、令和元年の記念事業としてよみがえった。

 新しい用明殿は太子殿の北に隣接する形で建てられた。建築様式は、照り屋根(下向き反り)で参拝者用の空間として前流れの(正面側を長くした)庇(ひさし)を持ち、流造(ながれづくり)と呼ばれる。

 文献としては、徳川幕府が1623年の同殿再建時に記した帳簿「天王寺御建立太子堂組堂宮諸道具改渡帳(あらためわたしちょう)」に「御身躰(たい)六躰」とあり、1796〜98年刊の9巻からなる「摂津名所圖會(ずえ)」(巻二)に「祭神は欽明帝・敏達帝・用明帝・崇峻帝・推古帝・間人穴太部皇女(「穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとひめみこ)」を指すとみられている)等を鎮め奉る。是皇太子御母后(おんぼこう)なり」の記録が残る。

 江戸時代には徳川家康を祭る「東照宮」とされたが、倒幕後は用明天皇を祭る「用明殿」に戻った。明治期に幣殿と拝殿を併せ持つ大掛かりな建物となったが、1945年の大阪大空襲で焼失した。【大笹久光】


秋篠宮さま 天王寺動物園を視察
12月18日 12時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20191218/2000023499.html

 秋篠宮さまは、18日、大阪の天王寺動物園を視察されました。

日本動物園水族館協会の総裁を務める秋篠宮さまは、動物園の飼育技術に関する研究会に出席するため、17日から大阪を訪れていて、18日は天王寺動物園に足を運ばれました。
秋篠宮さまは、園長らに案内されながら園内をまわり、このうち、は虫類を飼育している建物ではアメリカ原産で全長2メートル余りの「ミシシッピーワニ」の骨格標本をご覧になりました。
秋篠宮さまは獣医師の説明に耳を傾け、「標本を残しておくのが大切ですね」などと話されていました。
獣医師の佐野祐介さんは、「ワニの骨格標本は右の後ろ足がまがっているのですが、骨折して自然治癒した部位だということを説明しました。秋篠宮さまは説明を理解しながら聞いてくださっている様子でした。は虫類の知識も豊富で、“研究者”という印象を受けました」と話していました。

2732名無しさん:2019/12/18(水) 22:31:20 ID:NrdB.GxU0
『古事記』でいちばん有名な女神様アマテラスの誕生シーン、びっくりしすぎてのけぞる!|落語DE古事記
12/9(月) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191209-00014424-gentosha-cul

 今年は令和元年ですから、即位関連のさまざまな儀式がありました。
つい先日も、天皇皇后両陛下が伊勢神宮に参拝なさっていました。伊勢神宮の内宮(ないくう)に祀られている天照大神(アマテラスオオミカミ)に、即位の礼や大嘗祭を終えたことを報告されたとのこと。
このアマテラスオオミカミ、『古事記』の中に何度も登場しますが、いったい、どんなふうに生まれた神様なのでしょうか?
その登場のシーン、かなり印象的なんです! さっそく、落語家・桂竹千代さんにによる新刊『落語DE古事記』より、その部分をご紹介します。*  *  *
「第四話 泣くなー!」より

『古事記』のもっとも有名な女神様アマテラスは、こうして生まれた!

黄泉(よみ)の国から帰還したイザナギは、全身が穢(けが)れているので、禊(みそぎ・お清めみたいな

もの)をしなければなりません。

日本では古来、死と接すると、自分のもつ「気」が枯れると考えられてきました。

「気枯れ」が「ケガレ」という言葉になったと言われています。穢れた人はお祓いをしなくてはいけません。お祓いの中でも、滝に打たれることや、沐浴など、水を使うものを禊と言います。

2733名無しさん:2019/12/18(水) 22:31:51 ID:NrdB.GxU0
この時イザナギは、日向(ひむか)というところにある川で、禊をしたそうです。宮崎県に日向(ひゅうが)という地名があるけど、イザナギが禊をしたところかどうかは不明。宮崎県は日本神話の舞台と言っていいほど、伝承地がこれからもたくさん出てきます。また、宮崎県宮崎市には「みそぎ池」という伝承地があります。この近くに、江田神社というイザナギ&イザナミをまつった神社もあります。

イザナギは身に着けていた衣服を脱ぎ、アクセサリーを外していきます。杖、帯、衣、袴(はかま)、冠(かんむり)、腕輪など……(いつの間にこんな装飾着けてたのかよ! 黄泉の国行くのに、よそ行きしていったのね)。

その外したアイテム(オシャレなアパレル店員の言い方)を投げると、そこから神が生まれていきます。

陸と海の神。計12柱の神々が誕生します(また入りました神様の確変フィーバー!!)。

さあ、生まれたままの姿になって、禊スタート!

黄泉の国の垢あかから、また神がどんどん生まれていきます。

……意味わかんないですか? つまりカラダの汚れを落とすだけで、神が生まれちゃってるんです。

はい、せーの! アンビリーバボー!!

垢を落とすと様々な神々が生まれますが……このシーンで覚えておいて頂きたいのはこちらの3兄弟。

長男:底筒之男命(ソコツツノオノミコト。水の底の方ですすいだ時に生まれたよ)

次男:中筒之男命(ナカツツノオノミコト。水深の中間くらいのとこですすいで生まれたよ)

三男:上筒之男命(ウワツツノオノミコト。水面あたりですすいで生まれたよ)

2734名無しさん:2019/12/18(水) 22:32:35 ID:NrdB.GxU0
この3柱の神様は、大阪の住吉大社にまつられています。3柱を合わせて「住吉大神(スミヨシノオオカミ)」と言います。全国に約2300社あると言われる住吉神社の祭神はすべて住吉大神で、航海の神様と言われています。

順番はこう覚えてください。

一番上は三男♪ 三男♪

一番下が長男♪ 長男♪

間にはさまれ次男♪ 次男♪

すみよし3兄弟♪

……すみません。歌ったことを後悔しております(航海だけにね。いいぞ落語家)。

イザナギさん、体を洗ってさっぱり、最後は洗顔です(髪の毛洗わないのかな)。

左目を洗って生まれたのが天照大神(アマテラスオオミカミ。キター!! 日本の最高神。ナルシストな女王様。以下、アマテラス)。

右目を洗って生まれたのが月読命(ツクヨミノミコト。意外とこの後あまり出てこないので性格よくわからん。以下、ツクヨミ)。

鼻を洗って生まれたのが須佐之男命(スサノオノミコト。乱暴者。末っ子気質のイタズラ好き。後に大活躍。以下、スサノオ)。

目と鼻から生まれたことからこれを目くそ鼻く……バチあたるわ!!

この3柱の神々を三貴子(さんきし)と呼び、特に尊い神とされます(結局、髪の毛と耳は洗ってないわね。耳は洗ってないから穢れたままですよね。実はボクも耳が穢れてるんです……というか潰れてるんです。高校の時に柔道やってて潰れました。柔道と落語は似てるんです。

どちらもオトしたら勝ちです……いっぽん!)。

2735名無しさん:2019/12/18(水) 22:33:12 ID:NrdB.GxU0
イザナギ「よしっ。まずはアマテラス、お前は高天原を治めなさい」

アマテラス「はいはい、やりますよ(女王様気質なので)」

イザナギ「次、ツクヨミ、お前は夜の世界を治めなさい(歌舞伎町とかすすきのとかのことじゃないわよ)」

ツクヨミ「はいお父様。月にかわっておしおきよ!」

イザナギ「で、スサノオ、お前は海の世界を治めなさい」

スサノオ「……やだーーー!!」

スサノオだけは父ちゃんの言うことを聞かず、ずーっと泣いていました。とにかくずーっと。どれくらい泣いていたかというと……その涙で青々とした山はことごとく枯れ、川と海が干上がってしまい、ありとあらゆる災いが起こるほど。

イザナギ「もう泣くなー! やめろー!!」

スサノオ「……ぐすっぐす……わあーん!!」

イザナギ「泣くなー!!」

スサノオ「……ぐすっ……うん」

イザナギ「……やっと泣き止んだか」

スサノオ「ゔわーーーん!!」〜ここから先は本書でお楽しみください!桂竹千代著『落語DE古事記』〜*   *   *

特に尊い神様「三貴神」ですが、生まれ方がファンタジー。
古事記に欠かせない偉大な女神様・天照大神(アマテラスオオミカミ)は、黄泉の国から帰ってきたイザナギの左目を洗ったら、そこから生まれたのでした。謎過ぎる…。
アマテラスオオミカミは、ここから先も、なにかと登場する、見せ場の多い神様ですので、覚えておきましょう。

2736名無しさん:2019/12/18(水) 22:36:37 ID:NrdB.GxU0
豊作を祈願する「御田植祭」が始まったきっかけとは
10/30(水) 7:40配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191030-00000002-nshaberu-ent

 『御田植祭』とは、主に全国各地の神社やお寺で、田植えの前に豊作を祈願する伝統的な田植えの儀式です。『御田植祭(おたうえさい)』という言い方もあります。『御田植祭』の多くは4月〜6月の田植えの時期に行われますが、7月上旬に行うところもあります。

『御田植祭』の具体的な内容ですが、基本的には参拝の他に“田んぼを耕して水田を造る”、“田植えをする”といった一連の作業を、笛や太鼓の演奏のなか、本物に似せて行います。こうした作業を、お寺や神社の境内ですべて済ませるところもあれば、田植えの作業は実際に田んぼに移動して行うところもあります。

『御田植祭』のなかでも、千葉県・香取神宮の『御田植祭(おたうえさい)』、三重県・伊雑宮の『磯部の御神田(いそべのおみた)』、大阪府・住吉大社の『御田植神事(おたうえしんじ)』の3つは、『日本三大御田植祭』と呼ばれています。いずれも境内での儀式が終わった後、田んぼに移動して田植えの儀式を行うそうです。

『御田植祭』と同じように、その年のお米の豊作を願う儀式に『田遊び』があります。多くはお正月を始め、1月〜2月に行われます。

『御田植祭』も『田遊び』も、大変な作業だった田植えを少しでも楽しくするために、歌いながら作業したことが始まりとされています。

2737名無しさん:2019/12/19(木) 22:49:56 ID:NrdB.GxU0
空海伝授ゆずみそ造り、大阪 河内長野の盛松寺
2019年12月19日 17:18
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/191219/20191219097.html

 大阪府河内長野市の盛松寺で19日、弘法大師・空海ゆかりのゆずみそ造りがあった。空海がこの地を通った際、疫病に苦しむ村人を救うため造り方を教えたとされ、冬の恒例行事となっている。

 信徒ら約20人は、ユズの上部約1センチを切り落とし、取り出した果肉を包丁でたたいた後、みそと混ぜて再びユズ皮の中に戻した。本堂は包丁をたたく小刻みな音とユズの香りに包まれた。2日間寝かせ、21日の「終い大師」に振る舞われる。300個限定。

 住職高橋成明さん(51)は「冬至に召し上がり、新年を健康で迎えていただければうれしい」と話した。

2738名無しさん:2019/12/21(土) 21:26:55 ID:NrdB.GxU0
2019年末回顧 (1)改元と奉祝行事
2019年12月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191220/20191220026.html

 新しい時代を迎えた2019年が、もうすぐ幕を下ろす。年の瀬が迫り、年間を振り返って次の年へと思いを巡らす頃でもある。さまざまな出来事があった大阪の街。取材記者が選んだこの1年はどんな年だったのだろうか。

 約200年ぶり、憲政史上では初の天皇陛下譲位に伴う「平成」から「令和」への改元に沸いた。約30年前の昭和天皇の崩御に伴う平成の始まりとは対照的に、5月1日の令和の幕開けは超大型連休とも重なって奉祝ムードで迎えた。大阪の各地でもさまざまな行事があり、新たな時代のスタートを祝い合った。

▽脚光浴びる

 最大の関心事であった新元号は4月1日に事前発表。誰もが歴史的瞬間を目に焼き付けようと、中継映像に見入った。大阪・ミナミの道頓堀では、戎(えびす)橋南詰の大型ビジョン前に人だかりができ、菅義偉官房長官が「令和」の額を掲げる映像に視線が集中。四天王寺(大阪市天王寺区)では、新天皇即位(御代替大典)に伴う「奉祝の記帳」が始まったさなか、案内看板に「令和」の張り出し。多くの参詣者が、見慣れぬ二文字を繰り返し声に出して読んだ。

 商業分野もいち早く動いた。食品や衣類、日用品などに「令和」の二文字を入れたユニークな商品が続々と登場し、店頭を飾ったのも異例だった。新元号が初めて国書に由来した点でも話題を呼んだ。出典元となった日本最古の歌集「万葉集」が改めて脚光を浴び、時ならぬ万葉ブームが到来。多彩な関連書籍や太宰府など、ゆかりの地を巡るツアーが人気を呼んでいる。

▽行事相次ぐ

 平成最後の4月30日から令和初日の5月1日にかけては、繁華街などで年越しを思わせるカウントダウンも自然発生。若者らが道頓堀川に相次いで飛び込み、航行中の遊覧船上への落下などの騒動も起きた。

 改元初日には、多くの神社が奉祝ののぼり旗を立てて個々に行事を斎行。旧官幣大社である住吉大社(同市住吉区)では、さまざま奉仕者が演武や伝統芸能を奉納した。とりわけ記念の日の御朱印が大人気。授与所前は人の波が途絶えなかった。夏の天神祭も、奉祝ムード一色で繰り広げられた。

 「即位礼正殿の儀」が執り行われたのは10月22日。大阪城天守閣や市立の博物館などの施設は入場無料で、大阪メトロは記念乗車券を発売し好評を得た。以後も奉祝ムードは続き、11月20日夜には「天皇陛下御即位奉祝御堂筋提灯(ちょうちん)行列」(実行委主催)を盛大に挙行。約3千人以上が中之島公園に集まり、ちょうちんや日の丸小旗を掲げて大阪のメインストリートを華やかに練り歩いた。

記者の手帳 「令和」の思い実現の年に

 ○…新元号「令和」の第一報は、聖徳太子の「和」の精神を約1400年にわたり受け継ぐ四天王寺で知った。元号に「和」が付く元号は計20に上り、昭和は国民の安寧と世界の国々の共存・繁栄を願う意味とされる。安倍晋三首相は、会見で「人が心を寄せ合う中、文化が生まれ育つ」との思いを説いた。

 華やかに歩み出した令和元年だが、台風15号などの風水害が相次ぎ各地で甚大な被害が出た災いの年でもあった。五輪イヤーの来年こそは新元号に込められた思いが、わずかでも実現する年となることを願う。

2739名無しさん:2019/12/23(月) 19:29:09 ID:NrdB.GxU0
枚岡神社で令和初の「お笑い神事」 新年の開運願い20分間大笑い
12/23(月) 18:01配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191223-00000049-minkei-l27

 枚岡神社(東大阪市出雲井町、TEL 072-981-4177)で12月23日、一年間の嫌なことを笑い飛ばし、笑いで新年の開運を願う「注連縄掛(しめかけ)神事」(通称=お笑い神事)が執り行われた。(東大阪経済新聞)

  天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れた際、同神社の主祭神として祭る天児屋根命(あめのこやねのみこと)の祝詞と神々の笑い声が気になり天照大神が出てきたところを、もう戻らないようにとしめ縄を張り渡したという、しめ縄の起源とされている岩戸隠れの神話にちなんだ神事。新しいしめ縄に掛け替える際に行う神事で、以前は宮司と氏子総代だけで行っていたが、2009(平成21)年から一般参加型で執り行っている。

 当日は神事が始まる前から辺り一帯に笑い声が響き、斎行前に広場は参拝客で埋め尽くされた。新しいしめ縄に掛け替えた後、10時から神事が始まり、おはらい、中東弘宮司の祝詞奏上の後、宮司の「アッハッハー」の声に続き、参拝客も3回高笑いした。

 中東宮司が岩戸隠れの神話や笑いについて話した後は、宮司の呼び掛けに続き、参拝客も大笑い。手を上げたり飛び跳ねたりしながら20分間笑い続け、境内は笑顔と大きな笑い声で包まれた。

 神事の後には、表情や笑い方を競う「お笑い競べ」が行われ、子どもや遠方から参加した人たちがそれぞれ30秒笑いを披露し、参拝客を楽しませていた。

2740名無しさん:2019/12/25(水) 21:58:32 ID:NrdB.GxU0
大阪・南御堂で「除夜の鐘」 ブットンくんによる鏡開きと振る舞い酒も
12/25(水) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191225-00000003-minkei-l27

 大阪・本町の南御堂(大阪市中央区久太郎町4、TEL 06-4708-3272)で12月31日、除夜の鐘突きが行われる。(船場経済新聞)

 今年は開始時刻が昨年より1時間早く21時にスタート。最初の鐘突きは南御堂・大阪教区公式キャラクター「ブットンくん」が行う。鐘突き整理券は20時45分から配布。総務部の上本愛さんは「昨年は360人くらい参加したが、今年は500人は突いてもらえる予定」と話す。

 同行事では21時前より鏡開きも開催。ブットンくんも参加し来場者にたる酒を無料で振る舞う。会場では「京懐石 美濃吉 心斎橋御堂筋店」(南船場4)の年越しそばを1杯200円で販売する。限定200杯。

 カウントダウンで午前0時を迎えた後は年始のあいさつが行われる。午前0時20分からは本堂で、法話とお勤めをする「修正会(しゅしょうえ)」を開く。法話は輪番の大町慶華さんが担当。本堂内では念珠作り体験やブットンくんグッズの販売を行う。

 上本さんは「今年は御堂会館のリニューアルで、御堂筋から境内が見やすくなった。鐘突きの時間も昨年より早くなったので、多くの人に来てもらえたら」と期待を寄せる。

 開催時間は21時〜翌0時20分。

2741名無しさん:2019/12/28(土) 17:47:01 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮「終天神」 今年の奉納絵馬 天高く
2019年12月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191226/20191226019.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で25日、年内最後の縁日「終(しまい)天神」があった。晴天の下、今年奉納された祈願絵馬の焼納(たき上げ)やもちつきなどが行われ、境内は国内外の多くの参拝者でにぎわった。

 学問の神様で知られる祭神・菅原道真の縁日(25日)は、1月の初天神に始まり、12月の終天神で締めくくる。改元に伴い令和初の終天神になる。

 同宮によると、今年の祈願絵馬は5万枚以上で、近年は訪日外国人客による絵馬も急増している。単なる観光目的ではなく、本来の参拝・祈願を理解した上で奉納されているという。

 焼納では神職が御神火を運び、積み上げられた無数の絵馬に点火。勢いよく燃え始めると、見守る人々がカメラに納めていた。

 恒例の献湯神事や餅の振る舞いもあり、同市中央区からカメラ持参で参拝した女性(67)は「改元と猛暑で特に印象深い一年だった。来年も健康で天神さんにお参りしたい」と笑顔だった。

2742名無しさん:2019/12/28(土) 18:21:19 ID:NrdB.GxU0
迎春ムード にらみ鯛お目見え 国立文楽劇場
2019年12月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191226/20191226016.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場は25日、新年の公演に向けた準備を始めた。上方伝統の舞台飾り「にらみ鯛(だい)」や、ロビーを彩る無数の餅花などの設置作業が粛々と進み、場内は早くも迎春ムードを漂わせている。

 2体が向かい合うタイの飾りは、戦前の上方各地の劇場に飾られたとされるが、戦後に途絶。同劇場では開場(1984年春)後の最初の正月となった85年から毎年飾っている。

 舞台作業では、スタッフが全長約3メートルのにらみ鯛を1体ずつ慎重につり上げ、にらみ合うように位置を調整。間には高津宮(中央区)の小谷真功宮司が「子(ね)」を揮毫(きごう)したえとの大たこが飾られた。

 開場35周年記念初春文楽公演は1月3〜26日(15日休演)。初日の開演前には、地元の黒門市場から本物の「にらみ鯛」が届けられるほか、文楽人形による恒例の鏡開きも予定している。

2743名無しさん:2019/12/28(土) 18:28:56 ID:NrdB.GxU0
住吉大社で迎春準備 授与品の仕上げ作業も
2019年12月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191227/20191227029.html

 例年、大阪府内最多の初詣参拝者でにぎわう大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、迎春準備がピークを迎えた。境内に多数のテントが設置される中、自衛消防訓練や伝統の煤払(すすはらい)式などが行われ、職員一同が安全第一で新年に備えた。

 計約3千個に上る授与品「住吉踊(おどり)」の仕上げ作業も始まり、同大社の神楽女(かぐらめ)(みこ)が奉仕。年中行事で奉納される「住吉踊」(重要無形民俗文化財)のかさなどを、手作りのわら細工で再現した伝統の縁起物で、現在は地元の松谷吉彦さん一軒のみが製作している。

 連歌所に参集した神楽女は、わら細工にササを取り付ける作業を手際よくこなし、主に企業の参拝者用となる約900個を完成させた。神楽女の福西永望(のりみ)さん(21)は「新たな時代にふさわしく、皆さんに一層快く参拝していただきたい」と思いを込めた。

 同大社では、三が日の人出を例年並みの約230万人と見込んでいる。

2744名無しさん:2019/12/29(日) 18:47:49 ID:NrdB.GxU0
大阪・住吉大社で正月を迎える準備進む
12/27(金) 0:34配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191226-00024478-asahibcv-l27

 
毎年、大勢の参拝客でにぎわう大阪の住吉大社では、令和初のお正月を迎える準備が進んでいます。

わらや笹で作られる「住吉踊」は、商売繁盛や家内安全の御利益があるとされる縁起物です。大阪の住吉大社では、毎年お正月に参拝客らに授与されていて、巫女たちが手作業で1つずつ丁寧に作っていました。巫女さんの1人の福西永望さん(21)は「笹の葉で手を痛めてしまうことがあるんですけど、1つ1つ心を込めて作ってます」と話していました。また消防訓練では、火事が起きた際の避難やご神体を運び出す手順などを確認し、関係者は令和初のお正月に向けて、真剣な表情で取り組んでいました。
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ABCテレビ

2745名無しさん:2019/12/29(日) 18:49:21 ID:NrdB.GxU0
2020年がスタート! 初詣スポットに参拝客が続々と集まる
12/27(金) 7:07配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191227-00010001-piaeigat-ent

 日付が変わり2020年の元日を迎えた。日本各地で大晦日の深夜から初詣に向かう人たちの姿が見られ、初詣スポットは多くの人たちの休みが明ける5日(日)ごろまで賑わいそうだ。また、今年の年始もスポーツ大会や話題の映画上映、初売りなど冬の休暇を楽しめるイベントが多数予定されている。

 毎年、多くの人で賑わう日本屈指の初詣スポットが東京の明治神宮だ。例年、三が日だけで300万人超の参拝者を集めており、今年も多くの人を集めそうだ。関東では他にも千葉県の成田山新勝寺、神奈川県の川崎大師 平間寺、東京の浅草寺などが人気で例年、多くの参拝客が足を運ぶ。

2746名無しさん:2019/12/29(日) 18:49:56 ID:NrdB.GxU0
関西の初詣スポットで人気なのは、大阪の住吉大社、京都の平安神宮、伏見稲荷神社、八坂神社など。八坂神社では大晦日から元日にかけて「白朮(をけら)祭」が開催され、薬草のオケラに灯された火を長い縄に移して家に持ち帰ることができる。また、住吉大社では元日の早朝に宮司が神井よりくみ上げた水を竹筒に入れて、神様にお供えする儀式“若水の儀”が行われる。

中部エリアも愛知県の熱田神宮、晴明神社、豊川稲荷、静岡県の静岡浅間神社などが毎年、人気を集めている。熱田神宮は三が日も賑わうが、1月5日(日)からは商売繁盛・家内安全・漁業豊漁を祈る恒例の“初えびす”が開催。晴明神社では元日の朝8時から歳旦祭が行われ、2020年の国家の安泰を祈願する。

多くの初詣スポットが大晦日の深夜から元日にかけて門を開け、参拝客を迎えているが、お正月の時期は周囲で交通規制が敷かれたり、参拝のルートを限定しているケースが多い。お出かけの際は案内板や係員に注目を。

また、初売りを行う店舗も続々と待機している。全国的に多くの百貨店は元日に休業し、1月2日(木)の朝から初売りを実施する。毎年、話題になる福袋も販売されるが、一部の店舗では店頭販売を行わず、ネットなどで予約・抽選を行っている。なお、一部を除く多くの映画館は元日から営業する予定で、1日はサービスデーのためお得な料金で映画が楽しめるが、朝の上映が休止になったり、最終回の上映がなかったりと変則的なスケジュールで営業することが多い。

新年からスポーツも重要な試合が目白押しだ。「天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会」の決勝が本日、国立競技場で、「第64回全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)」が群馬県で開催。明日2日(木)と明後日3日(金)は「第96回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」が開催される。

例年、三が日は帰省する人も多く、家でゆっくりと過ごす人が多いが、年末年始休みも中盤から後半に差し掛かってくると“どこかに出かけたくなる”人が多いのではないだろうか。令和を迎えてから最初のお正月も初詣スポット、小売店、レジャー施設、エンタメスポットなどが多くの人で賑わうことになりそうだ。

2747名無しさん:2019/12/30(月) 21:47:04 ID:ylDuNnHU0
鉄砲鍛冶の“無念”晴らす 専門家・澤田さん検証
2019年12月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191230/20191230024.html

 約150年前の明治元年、旧岸和田藩で起きた藩士による鉄砲鍛冶・佐藤義定(文吉郎義定)殺害事件。原因となった義定作とみられる銃がこのほど泉州地域で見つかり、堺鉄砲研究会を主宰する専門家・澤田平さん=大阪市東成区=が細部を検査、「第一級の完成度」と高く評価した。

堺市は江戸時代最大規模の鉄砲生産地であったことで知られるが、かつて岸和田城下にも「鉄砲町」「鍛冶屋町」の地名があった。長年にわたり現存する鉄砲の大多数を鑑定してきた澤田さんは、岸和田にも優れた鉄砲鍛冶が存在していたことを確信しつつ、調査・研究を継続。2010年に岸和田製とみられる義定の銘を刻んだ鉄砲が初めて確認された際は、市内外から注目され、大きな話題となった。

 同事件では、藩から旧来の火縄銃に替わる新型洋式銃(管打式銃)の納入を命じられた義定が、短銃身に改造だけの粗悪品を納入したとして、激高した若い藩士に尋問を受けた後、殺害されたと伝わる。

 今回、新たに見つかった義定の鉄砲を分解した澤田さんは「堺製の鉄砲よりも優れており、丁寧な仕上げに驚いた。これほどの鉄砲鍛冶が殺されるような理由はない」と検証。唯一思い当たる点として「藩士らが新型の管打式鉄砲に不慣れであったため、自分たちの技能の低さを棚に上げて鉄砲の責任にしたのではないか」と、大きな誤解があった可能性を指摘する。

 関与した藩士らは義定の遺体をひそかに火葬して事件を隠蔽(いんぺい)するも、藩内のお家騒動の渦中で犯行が明るみとなり、明治新政府によって処罰されている。澤田さんは「新たな時代となった今、改めて義定の無実の罪を晴らすとともに、岸和田の地に優れた鉄砲鍛冶が存在したことを後世に伝えていきたい」と力を込めた。

2748名無しさん:2019/12/30(月) 21:51:13 ID:ylDuNnHU0
新時代をイメージ 坐摩神社の巨大絵馬完成
2019年12月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/191230/20191230026.html

 “ざまさん”の呼び名で親しまれている大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で29日、神職手描きの巨大絵馬が完成、境内に設置された。玉串をくわえた白ネズミなどを描いたデザインで、2月の節分祭まで飾られる。

巨大絵馬(幅約2メートル、高さ約1・2メートル)は、同神社の権禰宜(ごんねぎ)田中裕人さんが毎年手掛けており、今年で5年目。えとの動物を白く描くことを守りつつ、今年は新元号「令和」にちなみ、典拠となった万葉集を参考に梅とフジバカマの花を両脇に添えた。

 田中さんは約1週間かけて業務の合間に作業し、同日、最後の一筆を入れて仕上げた。「新時代にふさわしいデザインを練るのに時間を要した。えとが一巡して、令和最初の正月ということもあり、皆さんにいい年のスタートを切っていただきたい」と話した。

2749名無しさん:2020/01/05(日) 15:55:32 ID:NrdB.GxU0
上達を願って 大阪天満宮で児童ら書き初め
2020年1月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200103/20200103026.html

 学問の神様であり、書道の神様とも呼ばれる菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区)で、新春恒例の「書き初め」が行われている。境内が初詣の参拝者でにぎわう一方、子どもたちが上達を願い、心を落ち着けながら半紙に向き合っている。3日まで。

 課題は幼児から高校生まで11部門。子どもたちは筆を手に、学年に応じて「うし」「かしわ手」「梅花一輪」など、正月や天満宮に縁のある言葉に挑戦している。

 「初日の出」と書き上げ、「“の”の字がうまくできた」と自賛したのは、千葉県船橋市から関西に帰省中の小学5年、岩元美妃奈さん(11)。書道は四段の腕前で、今年は「より上の段へ行きたい。八段を目指し、将来は書道の先生になりたい」と目を輝かせていた。

 作品は、道真を祭る神社でつくる大阪梅風会が主催の「全国書き初め展覧会」にその場で応募できる。境内の梅香学院で。午前10時〜午後3時。

2750名無しさん:2020/01/05(日) 16:22:11 ID:NrdB.GxU0
「良い年に」初詣にぎわう 住吉大社
2020年1月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200103/20200103025.html

 「令和」初の新年を迎えた1日、大阪府内各地の社寺は初詣の参拝者でにぎわった。好天にも恵まれ、大阪市住吉区の住吉大社でも多くの家族連れらが列をつくり、それぞれが思いを込めて手を合わせた。

 「太鼓橋」の名で親しまれる境内の反橋(そりはし)では、第一本宮から第四本宮まである本殿へと向かう参拝者が、足元を気にしながら急な斜面をゆっくりと上り下りし、罪やけがれをはらい清めた。

 四つある本宮前には、それぞれに長い列ができ、順番が巡ると、さい銭を投げて手を合わせていた。おみくじを引いたり、お守りを求める人も多く、広い境内は訪日外国人観光客を含む大勢の参拝者で埋め尽くされた。

 生後7カ月の男児を伴い、家族で参拝した同市淀川区の自営業の男性(46)は「『今年からお世話になります』という思いでお参りしました。1年間、健康で過ごせれば」と願っていた。

 大社によると、三が日は好天が予想され、昨年の約230万人を上回る人出を見込んでいる。

2751名無しさん:2020/01/07(火) 21:41:50 ID:NrdB.GxU0
難波八阪神社で19日「綱引神事」
2020年1月6日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200106/20200106023.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で19日、年頭の伝統行事「綱引(つなひき)神事」(大阪市指定無形民俗文化財)が執り行われる。

 同神社の祭神スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民衆の困苦を除いたという故事に基づく行事。江戸期の有名な著書「摂津名所図会」などでも紹介されており、2001年度には大阪市指定として最初の無形民俗文化財となった。

 同日は午前8時から神事に続き、氏子崇敬者でつくる文化財保持者「綱引神事保存会」(竹立威三雄会長)の奉仕者が細縄を合わせてオロチに見立てた全長約30メートルの大綱を作り上げる。

 完成後は奉仕者が大綱を抱えて境内で豪快に綱引きを行うほか、神社周辺の氏地をにぎやかに巡行する。参拝者の見学可。

 問い合わせは電話06(6641)1149、同神社。

2752名無しさん:2020/01/08(水) 19:06:35 ID:NrdB.GxU0
神馬さん拝み平穏願う 住吉大社、年頭の白馬神事
2020年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200108/20200108026.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、年頭の伝統行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。朝からあいにくの雨にもかかわらず、大勢の人たちが続々と境内に足を運び、白馬の神馬(しんめ)「白雪」号の神々しい姿を見守った。

 平安時代の宮中行事「白馬節会(あおうまのせちえ)」にちなむ神事。正月に白馬を見ることによって一年の邪気をはらい、無病息災となると伝わる。

 「白雪」号は、神馬守(しんめもり)とともに四つの本宮を巡拝したのに続き、第一本宮の周囲を3周する「早駆けの儀」を行い、参拝者の注目を集めた。

 境内の授与所には、白馬神事限定のお守り「竹駒守(まもり)」や御朱印も並び参拝者に好評だった。毎年神事に参拝している女性(53)=同市住之江区=は「昨年は平穏に過ごせたので、神馬さんに感謝。今年もいい年であってほしい」と竹駒守を手に笑顔だった。

2753名無しさん:2020/01/08(水) 19:41:46 ID:NrdB.GxU0
十日戎を前に福娘がNHK訪問
01月08日 12時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200108/2000023988.html

 
商売繁盛を願う大阪の今宮戎神社の「十日戎(とおかえびす)」が9日から始まるのを前に、神社の福娘たちがNHK大阪放送局を訪れ、行事をPRしました。

大阪・浪速区の今宮戎神社では、江戸時代から続く、商売繁盛を願う伝統行事、「十日戎」が、9日から3日間行われます。
8日は、参拝者に縁起物のささを手渡す、ことしの福娘のうち13人がNHK大阪放送局を訪れました。
振り袖の上に、「千早」という白い衣装を身につけ、金色のえぼしをかぶった福娘たちは、新年のあいさつとともに、「福をお受け取りください」と、ことしのえとの「ねずみ」が描かれた額を、小倉啓志副局長に手渡しました。
そして、「うーちましょ」のかけ声で始まる「上方締め」を、全員で披露しました。
福娘の1人で大学生の森下愛香さんは、「令和初の福娘として笑顔で出迎えますので、ぜひ来てください」と話していました。
今宮戎神社では、「十日戎」が行われる3日間に100万人ほどの人出を見込んでいます。

2754名無しさん:2020/01/10(金) 19:37:13 ID:ylDuNnHU0
かまどで調理七草かゆ提供 優しい味わいに笑顔
2020年1月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200110/20200110033.html

 吹田市南高浜町の吹田歴史文化まちづくりセンター「浜屋敷」で7日、七草かゆの振る舞いが行われた。参加者は、春の七草が入った優しい味わいに笑顔を見せていた。

 
七草かゆは、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの春の七草を入れ、一年間の無病息災を願って正月7日に食べる風習。お正月のごちそうで疲れたおなかを休めてもらおうと、同施設では2009年から毎年開いており、今回で12回目となる。

 この日は、ボランティアスタッフ15人が調理を担当。主屋の土間に江戸時代当時に使われていた姿を再現して作られた「かまど」に実際に火を入れて調理を行った。予定していた150食分が午前11時の開始から15分あまりで無くなるほどの人気ぶりだった。

 子どもと一緒に参加した村田経子さん(38)は「日本の伝統文化に触れる良い機会。かまどで炊いた七草かゆはとてもおいしくて、野菜が苦手な子どもも今日は喜んで完食しました」と話し、長男の知優君(4)は「七草かゆを食べると、体がぽかぽか温かくなった」と話していた。

2755名無しさん:2020/01/10(金) 19:39:25 ID:ylDuNnHU0
招福娘「十日戎」告げる 北新地を笑顔で練り歩く
2020年1月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200110/20200110028.html

 「商売繁盛でササ持ってこい」-。大阪市北区の大阪天満宮で9日、「天満天神えびす祭」が宵宮を迎え、キタの繁華街・北新地と同宮を往復する「堂島北新地えびす詣招福行列」が盛大に行われた。真冬とは思えない暖かな日差しの下、事前公募で選ばれた天満えびす招福娘ら約100人の奉仕者が隊列を組んで通りを練り歩き、十日戎(えびす)の到来を告げた。

 招福行列は、同宮の氏子青年会が主催し、地元関係者らの協力を得て2009年から実施している。

 一行は、堂島地域にある堂島薬師堂で巡行の安全を祈願した後、北新地を出発。「高張りちょうちん」や「つり太鼓」を先頭に、そろいの衣装の招福娘や落語家の桂春団治さん、北新地クイーンとたすきを掛けた女性を乗せた人力車などが続き、にぎやかに進んだ。

 沿道には外国人観光客らも見物のために陣取り、盛んにカメラのシャッターを切っていた。

 氏子青年会の林秀昭会長(60)は「例年にない暖かさで良いスタートが切れた。大阪天満宮と北新地、それぞれがにぎやかに発展する1年になってほしい」と笑顔で話していた。

 同宮のえびす祭は、11日まで。期間中は福酒、甘酒の振る舞いなどがある。

2756名無しさん:2020/01/10(金) 19:40:12 ID:ylDuNnHU0
えべっさん 令和も福を 「十日戎」幕開け
2020年1月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200110/20200110026.html

 七福神の一つ「えびす神」を祭る神社で9日、年頭恒例の祭礼「十日戎(とおかえびす)」が宵えびすで幕を開けた。大阪市内各地の境内にも大勢の人たちが昨年の古い福笹(ざさ)を手に次々と参拝し、令和最初の“えべっさん”に商売繁盛や景気向上の願いを込めた。

 
このうち同市浪速区の今宮戎神社(津江英宮司)では、福娘たちが笑顔で参拝者を迎え、新しい福笹の枝先に米俵や熊手、小判といったさまざまな縁起物を取り付けていった。

 日没後になると会社関係の団体参拝もどっと増えるなど、境内は終日にぎわいを見せた。浪速区商店会連盟会長の木村次郎さん(72)は「今年は年男でもあり、新たな時代に改めて商売繁盛を祈願した」と話した。

 同神社では11日の「残り福」までの3日間の人出を、例年並みの約90万人と見込んでいる。10日は大勢の奉仕者が道頓堀など、ミナミ一帯を練り歩く「宝恵(ほえ)かご」の行列も行われる。

2757名無しさん:2020/01/10(金) 19:55:29 ID:ylDuNnHU0
「福授けます」 野田恵美須神社の福娘が来社
2020年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200108/20200108028.html

 商売繁盛を願う十日戎(えびす)(9〜11日)を前に、今宮戎神社(大阪市浪速区)と野田恵美須神社(同市福島区)のそれぞれの福娘が7日、大阪市北区の大阪日日新聞を訪れ、1年の福を授けた。

  “えべっさん”の呼び名で親しまれる今宮戎神社から訪れたのは、そろいの着物に白の千早を羽織り、金の烏帽子(えぼし)をかぶった福娘13人。大阪日日新聞の深田巧総局長に今年の干支(えと)「子(ね)」にちなみ、ネズミが描かれた縁起物の額を手渡した。

 同神社は3日間で90万人の人出を見込んでおり、福娘は参拝者に福笹(ふくざさ)を授けるほか、宝恵(ほえ)かごの行列にも参加する。

 代表の森下愛香さん(21)は「令和初の福娘として、このような経験をさせていただけることに感謝し、えべっさんと皆さんの橋渡しができるよう精いっぱいご奉仕したい」と話した。

 「宝の市大祭」として執り行う野田恵美須神社の福娘は、区の花「野田藤」をあしらったかんざしを挿して来社。独特の大阪締めで「ああ、めでたいな」と縁起の良い声を響かせた。

 3日間、境内では夏祭りで氏地を巡行する山車(だし)「鯛鉾(たいほこ)」「地車(だんじり)」「太鼓」が参拝者を出迎え、夕刻からは「祝い酒」の振る舞いもある。

 福娘初挑戦の坂口めぐみさん(20)は「3年前に福娘だった姉に憧れ、念願がかなった」と笑顔。昨年、みことして神楽を舞っていた北村奈三さん(22)は「神楽では出せなかった爆発的な笑顔で頑張る」と意気込んでいた。

2758名無しさん:2020/01/10(金) 19:56:08 ID:ylDuNnHU0
大阪・ミナミの街で宝恵かご行列 新春告げる本えびす
2020年1月10日 11:50
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200110/20200110058.html

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」が10日、「本えびす」を迎えた。きらびやかな着物姿の福娘やタレントらが乗り込んだ約20台の宝恵かごと、地元の商店主ら約500人が行列をなし、大阪・ミナミの繁華街を練り歩いた。

 快晴の下、太鼓の音に合わせ「ほーえかご、ほーえかご」と元気の良い掛け声が響き渡り、行列が出発。かごには「お笑いで大阪を盛り上げたい」とあいさつした落語家の桂文枝さんらが乗り込み、沿道の見物客に笑顔で手を振った。

 宝恵かご行列は、江戸時代にミナミの芸者が紅白の布で装飾されたかごに乗り、参詣したのが始まりとされる。

2759名無しさん:2020/01/14(火) 21:16:06 ID:NrdB.GxU0
伝統芸能の「しころ」奉納 堀川戎神社
2020年1月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200111/20200111044.html

 大阪市北区の堀川戎神社では、関西演芸協会の会員らが「ひょっとこ」「おたふく」の面を着けて踊る伝統芸能「しころ」を奉納した。境内に太鼓やかね、三味線のにぎやかな音色を響かせ、祭りムードを盛り上げた。

 同神社の総代を務める藤田康夫さん(82)は「例年と変らないにぎわいを迎えることができた。大阪はやっぱり商いの街、繁盛する一年であってほしい」と願っていた。

 しころの奉納は、残り福の11日も午前10時〜正午に行われる。

2760名無しさん:2020/01/14(火) 21:39:45 ID:NrdB.GxU0
600人のふんどし姿の若者 真冬の裸祭り「どやどや」 大阪・四天王寺
1/14(火) 19:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200114-00024666-asahibcv-l27

 
大阪市天王寺区の四天王寺では、ふんどし姿の若者らが、お札を奪い合う、真冬の裸祭り「どやどや」が開かれました。

「ふんどし姿の赤と白の高校生たちが、わっしょいという声を張り上げ入ってきました」(記者リポート)。「どやどや」は、豊作などを祈って毎年1月14日に開かれ、今年は地元の高校生約600人が集まりました。「この真冬の中、ふんどし姿の生徒たちには容赦なく水がふりかけられていますが、熱気のせいでしょうか、湯気が上がっています」(記者リポート)。若者らは紅白に分かれ、お堂の天井からまかれた厄よけのお札を我先にと手を伸ばして奪い合います。お札を取り合う人が「どやどや」とあふれていた様子から名づけられたともされる伝統行事の「どやどや」。あいにくの曇り空でしたが、境内は若者らの熱気につつまれました。
.
ABCテレビ

2761名無しさん:2020/01/15(水) 12:49:58 ID:TkwMH.3U0
>>2753
上方締め?大阪締めって言ってなかったっけ?

2762名無しさん:2020/01/15(水) 13:45:05 ID:TkwMH.3U0
とりあえずグーグル検索
大阪締め 1590万件
上方締め 116万件

どうも2018年のニュースから上方締めに変えてるようだが理由はなんだろう
2018.1.5 「今宮戎」の福娘13人、「上方締め」を披露
https://www.sankei.com/west/news/170105/wst1701050058-n1.html

2017.1.5 今宮戎の福娘14人「打ーちましょ」 大阪市役所を表敬訪問
https://www.sankei.com/west/news/170105/wst1701050058-n1.html
福娘たちは酉年にちなんだ縁起物の色紙絵を贈り、鍵田剛副市長とともに「打ーちましょ」「もうひとつせー」「祝うて三度」と大阪締めを行った。

2763名無しさん:2020/01/15(水) 16:05:35 ID:TkwMH.3U0
>>2762
リンクミス

2018.1.5 「今宮戎」の福娘13人、「上方締め」を披露
https://www.sankei.com/west/news/180105/wst1801050091-n1.html

2764名無しさん:2020/01/15(水) 16:11:11 ID:TkwMH.3U0
より正確にダブルクオーテーションでくくると
"大阪締め" 約 30,400 件
"上方締め" 約 885 件
無い言葉を作った感じ

2765名無しさん:2020/01/18(土) 13:30:35 ID:NrdB.GxU0
新たな年、平穏に 生国魂神社「左義長神事」
2020年1月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200116/20200116036.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で15日、小正月伝統の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が厳かに行われた。多くの参拝者が、高く燃え上がる炎に手を合わせ、新たな年の平穏無事などを祈願した。

 午前7時から神事があり、前日までに納められた古いしめ縄やお札、破魔矢など大量の正月飾りに御神火を点火。正月飾りを手にした人たちも続々と境内に足を運び、冷え込む中、大勢が手をかざして火に当たっていた。

 区内から参拝に訪れた女性(87)は「毎年、三が日と合わせて元気にお参りさせてもらいありがたい。ようやく正月も一段落したので、いい一年を過ごしたい」と深々と頭を下げた。

 境内の一角には、邪気をはらう小正月恒例の小豆がゆの接待所が設けられ、参拝者に好評だった。

2766名無しさん:2020/01/18(土) 17:44:17 ID:NrdB.GxU0
皇室と切っても切れない縁がある大阪から新しい御代最初の歌会始に選ばるのは必然であったのだと思います。

令和初の歌会始に大阪からも
01月16日 17時07分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200116/2000024255.html

 令和になって初めての新春恒例の「歌会始」が、16日、皇居で行われ、入選した大阪の大学職員の短歌も披露されました。

「歌会始」は、新春の宮中の伝統行事で、毎年この時期に天皇が定めたお題で行われていて、去年5月の皇位継承後では初めてとなりました。
ことしの「歌会始」のお題は「望」で、全国と海外からあわせて1万5000首余りの短歌が寄せられ、大阪・豊中市の大学職員、土田真弓さん(33)を含む10人が入選者に選ばれました。
16日は皇居・宮殿の「松の間」で、入選者の短歌が天皇皇后両陛下や皇族方などの前で披露されました。
土田さんの歌は、「眺望は どうだ晩夏に 鳴く蝉を 咥へ(くわえ)て高く 高く飛ぶ鳥」です。
土田さんはふだん、大学で総務の仕事をしていて、通勤のとき、緑の多いキャンパスの中でカラスがセミを捕らえた場面を歌に詠みました。
カラスに捕らえられたセミに命のはかなさを感じながら、その様子を追いかけると、カラスが子どもか仲間か、ほかのカラスとセミを分け合って食べる様子を目にし、命がつながれていく様子に思いをはせたということです。

【土田真弓さんは】
大阪・豊中市の大学職員、土田真弓さん(33)は、歌会始のあとの記者会見で、「古式ゆかしい形式で行われたので、昔の時代にタイムスリップしたような気持ちです。ふだんは虫や鳥や犬など生き物の歌を詠むことが多く、保健所で保護された犬を4頭飼っていることを伝えると、皇后さまは『うちにも保護した猫がいます』と言って、天皇陛下とほほえまれていました」と話していました。

2767名無しさん:2020/01/22(水) 21:25:08 ID:ylDuNnHU0
東大阪・旧河澄家で「古民家の建築意匠展」 数奇屋風書院造の奥座敷に焦点
1/21(火) 18:58配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200121-00000064-minkei-l27
 
 東大阪市指定文化財の旧河澄家(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で1月16日、企画展示「古民家の建築意匠展」が始まった。(東大阪経済新聞)

 
 江戸時代に日下村の庄屋を務めた河澄家。主屋の西側には庭園を備えた奥座敷「棲鶴楼(せいかくろう)」があり、棲鶴楼は1648年〜1652年に日下村領主の曾我丹波守古祐(そがたんばのかみひさすけ)が隠居するために造らせたとされる。昨年開催した「河内の古民家展」では、主屋の構造を中心に紹介したが、今回は棲鶴楼を中心に、数奇屋風書院造りの装飾や、びょうぶ、掛け軸、扁額(へんがく)などの室内装飾品について展示解説する。

 棲鶴楼は、近年の調査の際に発見した棟札(むなふだ)から1835年に改造されたことが分かっており、主室は8畳間で、南側から西側にかけて、通路や家来が控える場所として使う1間の鞘の間(さやのま)がある。床の間前面の床かまちは黒漆塗りで、同展では、長栄寺(高井田元町)の住職を務めた真言宗僧侶・慈雲が書いた扁額と、幕末から明治時代の儒学者・岡村閑翁(かんおう)の掛け軸を床の間に飾る。

 壁は赤土を使った土壁と白色上質紙の貼り壁で、主室と鞘(さや)の間の天井は、横木を固定し、その上に天井板を取り付けた棹縁(さおぶち)天井となっている。かもいの上にある内法長押(うちのりなげし)は、室内装飾の役割を担っており、柱に固定するくぎ頭を隠すための釘隠(くぎかくし)と呼ばれる飾り金具が付けられている。主室西側には、松、竹、万年青(おもと)柄のすかし彫欄間が設けられ、南側には筬(おさ)欄間、鞘の間には櫛形(くしがた)欄間がある。

 鞘の間の外には手すりのついた縁側があり、手すりは転落防止のほか、デザイン面でも役割を担う。縁側の上には長い庇(ひさし)があり、屋根は、段差がついた錣葺(しころぶき)屋根になっている。

 会場では、江戸時代と現在の建物を比較できるパネルや河澄家屋敷図絵、数奇屋風書院造りの特徴、河内の古民家の紹介パネル、改修時の写真、古民家の模型などを展示する。

 同館統括責任者の堀木昌彦さんは「河澄家住宅は記録が残っているだけでも4回改修している。河澄家のことを深く知ってもらえたら」と話す。

 1月26日は、古民家の歴史や再生技術、事例について解説する「古民家再生講座」を開く。参加無料。同館まで要事前申し込み。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館。入館無料。2月11日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2768名無しさん:2020/01/25(土) 16:44:25 ID:NrdB.GxU0
「うそかえ祭」にぎわう、大阪 道明寺天満宮、木彫入りの袋交換
1/25(土) 16:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200125-00000069-kyodonews-soci

 大阪府藤井寺市の道明寺天満宮で25日、災難除けを祈願し、鳥のウソの木彫りが入った袋を参拝客同士が次々と交換し合う「初天神うそかえ祭」が開かれ、大勢の人出でにぎわった。

 道明寺天満宮によると、儀式中に現れたハチの群をウソが食べ尽くし、参拝者を救った故事にちなむ行事。木彫りはヒノキを使った神職の手作りで、約1万個を用意。太鼓の合図で交換を止め、袋の中の木彫りに「金」「銀」の文字が書かれていると、18金や純銀のお守りをもらえる。

 俳句が趣味という同府八尾市の主婦吉原恵子さん(71)は「うそかえの 最後は笑顔 よき人と」という自作を披露した。

2769名無しさん:2020/01/25(土) 18:33:34 ID:NrdB.GxU0
大きな炎に祈り、柴灯大護摩供 四天王寺で初庚申
2020年1月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200119/20200119035.html

 えとの「庚(かのえ)」「申(さる)」の組み合わせで約2カ月に一度ある信仰行事「庚申(こうしん)まいり」のうち、新年最初に行われる初庚申が18日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・庚申堂で執り行われた。初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供もあり、多くの参詣者が大きな炎に所願成就を祈った。

 庚申堂は古来、日本の庚申尊出現の地と伝わり、徐災無病の霊験あらたかな青面(しょうめん)金剛童子(秘仏)が祭られている。

 護摩供は奈良県大峯山の修験行者と同寺僧侶によって行われ、願文奏上や奉弓、奉剣などで四方を清めた後、作法にのっとり護摩壇に点火。無病息災や身体健全などさまざまな願い事が記された大量の護摩木が高く燃え上がる炎へ投じられた。

 毎年訪れている亀井恵子さん(63)=同市此花区=は「大阪の心のよりどころとして代々四天王寺さんを参詣している。自分の事だけでなく、なごやかに過ごせる世の中になってくれることもお祈りした」と笑顔で語った。

 今年の庚申まいり(本庚申)は、3月18日▽5月17日▽7月16日▽9月14日▽11月13日-で、各前日に宵庚申も執り行われる。

2770名無しさん:2020/01/25(土) 18:42:25 ID:NrdB.GxU0
地域発展願い豪快に 難波八阪神社「綱引神事」
2020年1月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200120/20200120025.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で19日、伝統行事「綱引(つなひき)神事」(大阪市指定無形民俗文化財)が執り行われた。地域の老若男女が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を作って豪快な綱引きを行い、地域の発展を願いつつ都心に息づく文化財の継承に努めた。

 オロチ退治で有名な祭神スサノオノミコトの威徳を仰ぐ行事で2001年度に文化財指定を受けた。

 氏子崇敬者でつくる「綱引神事保存会」(竹立威三雄会長)の奉仕者は、早朝の境内に次々と参集し、おはらいを受けて令和初となる大綱打ちを開始。訪日外国人客ら多くの参拝者が見守る中、細い縄をより合わせるなどの工程を経て、約3時間半後に八頭八尾のオロチの大綱を完成させた。

 完成後は、奉仕者や参拝者が大綱の頭を今年の恵方(西南西)に向けて綱引きを行ったほか、「難波の綱引きヨーイヨイ」の掛け声に合わせて氏地を巡行した。

 保存会の竹立会長は(89)は「令和の新たな時代を迎えて、われわれも初心に戻ったつもりで奉仕した。今年は特に若手が増えており、少しずつでも次代に継承できたことをうれしく思う」と話した。

2771名無しさん:2020/01/25(土) 18:43:33 ID:NrdB.GxU0
警備員確保に注力 大阪天満宮の寺井宮司
2020年1月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200120/20200120027.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の維持発展に向け、大阪天満宮の寺井種治宮司(56)は、現在の「天神祭渡御行事保存協賛会」の組織を将来的に法人化したいとの方針を示した。今年は、宵宮祭の7月24日が東京五輪開会式と重なるため、警備員の確保は懸念材料だが、「伝統」を守るため従来通り執り行う意向も明らかにした。年頭に当たり、寺井氏をインタビューした。

 -東京五輪に警備員が集中するため、天神祭の警備体制に影響が生じませんか。

 「昨年の天神祭が終わった時、大阪府警に相談したところ、警備はおろそかにならないと返事をいただいた。しかし、民間の警備業界は人手不足になり、人件費が時給換算で約1・5倍になると複数の警備会社から聞いた。天神祭の財政は苦しいが、仕方ない」

 -今年に限り、東京五輪を避けて天神祭を執り行う考えは。

 「神事は決まった日に執り行うもの。天神祭の本宮祭は、大阪天満宮の御祭神菅原道真公の誕生日に由来した7月25日と決まっている。日程を変更すれば、伝統が失われてしまう。ただ、2000年に亡くなった当時の皇太后さま(香淳皇后)の斂葬(れんそう)の儀が営まれた7月25日は喪に服し、翌26日に執り行った。これは異例だ」

 -天神祭の財政運営を巡る抜本的な対策は。

 「京都の祇園祭は京都府や京都市が全面協力していると聞く。天神祭も、高騰する警備費の一部を負担してもらうような行政補助があればと思う。政教分離の面で、補助を受けやすくするため『天神祭渡御行事保存協賛会』を法人化するなど仕組み作りは必要だ。警備員をサポートするボランティアも増やしたい。今年は、大阪港に入る大型客船のツアーが船渡御と花火を観賞する計画があるため、拝観席の収入アップにつながる。25年大阪・関西万博に向け、外国人客を取り込む対応も必要だ」

 -万博に向けた展望は。

 「万博会場の夢洲(ゆめしま)がある大阪湾へ、船渡御を向かわせたい。昔、船渡御は川を下っていた。しかし、終戦を経て復活した際、地盤沈下によって橋桁が低下し、航行が困難になったため、川をさかのぼる現在の形になった。橋桁の問題などがクリアし、大阪湾に行ければ、船渡御や花火の観賞スペースが十分確保できる」

 -27年の道真公1125年大祭に合わせ、収蔵庫を建設する計画があるようですが。

 「天神祭の神輿(みこし)、御迎人形などの文化財を常設展示する収蔵庫兼宝物庫を大阪天満宮の敷地に建設したい。今年、調査・設計を始める予定だ」

 -最後に、今年の漢字を示してください。

 「『輝』。私自身も含めて大阪天満宮の職員が、氏子の皆さんから生き生きと輝いて見えるよう研鑽(けんさん)を深め、向上心を持ってご奉仕したい。私は宮司就任3年目を迎えたので、自分の色を出していきたい」

2772名無しさん:2020/01/25(土) 19:12:18 ID:NrdB.GxU0
「鷽替神事」で罪ほろぼし 「初天神」宵宮祭
2020年1月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200125/20200125036.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で24日、新年最初の縁日「初天神」の宵宮祭が盛大に執り行われた。「鷽替(うそかえ)神事」など多くの行事があった境内は、大勢の参拝者で終日にぎわいを見せた。

 神事は同宮の祭神、菅原道真の愛鳥・ウソ鳥にちなむ伝統行事。人々が知らず知らずのうちについたうそを、ウソ鳥に託して罪ほろぼしを祈願する。

 境内に集まった参拝者は、みこからウソ鳥のお守りが入った封筒を受け取った後、回りの参拝者や神職と次々と交換を開始。お互いに「替えましょう。替えましょう。うそをまことに替えましょう」と声を掛け合いながら、15分以上かけて交換し続けた。

 終了後は手元に残った封筒を一斉に開封。一部に特別なお守りが授与される印が記されており、ただ一つの「金うそ」が当たった寝屋川市の会社員の女性(32)は「2度目の参加でまさかと思った。よい一年になりそう」と笑顔だった。

 25日は「初天神」梅花祭が執り行われる。同神事は午後1時に開始。福餅まきは午前11時(氏地著名人)と午後4時(阪神タイガース選手)の2回。いずれも一般参加可(参加無料)。

2773名無しさん:2020/01/28(火) 15:50:05 ID:NrdB.GxU0
大阪・住吉大社で、『スカーレット』の松下洸平が1日消防署長に
1/28(火) 14:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200128-00086547-lmaga-l27
 
  国宝建造物「住吉大社」(大阪市住吉区)で1月28日に、『文化財防火デーに伴う消防総合訓練オープニングイベント』が開催。NHK連続テレビ小説『スカーレット』で川原八郎役の松下洸平が、1日消防署長を務めた。

 1949年に奈良県の「法隆寺」で出火し、国宝建築物「金堂」の貴重な壁画が焼損。それを機に、1955年1月26日は文化財防火デーに制定され、今回のイベントもその一環として「大阪市住吉消防局」が企画した。

制服姿で消防車に乗って現れた松下。委嘱式がおこなわれ、1日消防署長として、「(スカーレットの)テーマでもあります陶芸は炎と向き合います。今日は同じように炎と向き合う消防署長に任命していただき、身が引き締まる思いで、しっかりと務めたいと思います」と挨拶した。

さらに、「去年10月には沖縄の首里城が焼失してしまうということがあり、世界遺産が一瞬のうちに灰となってしまいました。今後、二度とこんなことが起きないように、みなさまと文化遺産を守っていきたいと思いますので、どうぞご協力よろしくお願いいたします」と会場に集まった参加者約200人に向けて語りかけた。

松下は、境内の防火査察や、「住吉区女性防火クラブ」のメンバーや、「住吉大社」の神楽女(かぐらめ)とともに初期消火訓練をおこなった後、自衛消防隊と大阪市消防局消防隊らによる合同訓練を、真剣な目で見守った。

2774名無しさん:2020/01/31(金) 21:09:25 ID:NrdB.GxU0
守り伝える責務 文化財防火デー、住吉大社で訓練
2020年1月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200129/20200129029.html

 大阪市住吉区の住吉大社で28日、住吉消防署(出水静雄署長)主催の文化財防火デー消防総合訓練があった。神職や消防職員ら約120人と消防車両9台、ヘリコプター1機が参加。関係者が連携し、通報から放水まで一連の活動に挑み、貴重な文化財を後世へ継承する責務を再認識した。

 文化財防火デーは今年で66回目。現存する世界最古の木造建造物である奈良・法隆寺の金堂で1949年1月26日に火災が発生、壁画が焼損したことにちなみ、55年に当時の文化財保護委員会(現・文化庁)などが定めた。

 訓練は境内・第三本宮(国宝)から出火し、隣接する別の本宮へ延焼の恐れがある-という想定で実施。自衛消防隊が参拝者の避難誘導や宝物の搬出、初期消火に取り組んだのに続き、現場到着した消防・救急隊が負傷者の救護や一斉放水を繰り広げた。

 高井道弘宮司は訓練後、昨秋の沖縄・首里城火災などに触れ、「当社には大阪市内唯一の国宝建造物である本宮をはじめ、多くの重要文化財がある。先人から預かった貴重な文化財を守り伝えるのがわれわれの務め」とあいさつした。

 訓練前にはオープニングイベントがあり、NHK連続テレビ小説「スカーレット」に出演中の俳優、松下洸平さんが一日消防署長として参加。制服姿で境内の防火設備を視察したほか、地元の女性防火クラブや同大社のみこ「神楽女(かぐらめ)」とともに初期消火訓練などを行った。

2775名無しさん:2020/01/31(金) 21:26:45 ID:NrdB.GxU0
上方歌舞伎の灯、絶やさない 中村壱太郎さんが大阪で講演
2020年1月28日 16:36
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200128/20200128081.html

 歌舞伎俳優の中村壱太郎さん(29)が28日、大阪市内で開かれた関西プレスクラブの会合で「受けつぎつなぐ上方歌舞伎」をテーマに講演した。上方の役者が少ない現状を指摘し「灯を絶やしてはいけない。特に、人数が少ない上方の女形の役を僕は担っていかなければと思う」と語った。

 上方歌舞伎を支える人間国宝の坂田藤十郎さん(88)の孫で、主に女形として活躍中の壱太郎さん。上方歌舞伎の特色について、商人ら庶民を描く物語が多く、江戸歌舞伎に比べて「写実的な芝居が多い」と説明した。

 継承へ「小さい会場、短期間でいいので、もっと身近に上方歌舞伎を感じる公演ができたら」と話した。

2776名無しさん:2020/02/01(土) 18:16:06 ID:NrdB.GxU0
グランフロント大阪で「ミニ文楽」披露 技芸員が「うめだ文楽」PR
2/1(土) 13:13配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200201-00000007-minkei-l27

 グランフロント大阪(大阪市北区大深町)北館6階の飲食フロア「ウメキタフロア」で1月31日、「ミニ文楽」が上演された。(梅田経済新聞)

 ナレッジシアターで3月27日に始まる「うめだ文楽」のPRを目的に企画した。来場した技芸員は、太夫(だゆう)の豊竹希太夫(のぞみだゆう)さん、三味線の鶴澤寛太郎さん、人形遣いの吉田簑紫郎(みのしろう)さん、吉田簑太郎(みのたろう)さん、桐竹勘介さん。

 この日は、「うめだ文楽2019」(3月27日〜29日)で上演する演目「義経千本桜」から、登場人物の佐藤忠信とキツネを、語りと三味線、人形で演じ、居合わせた客から拍手が送られた。

 吉田簑紫郎(みのしろう)さんは「今回は初めてのダブルキャストに挑む。修業してきた100%の力を出し切ってお客さまに楽しんでもらいたい。舞台と客席の近さも本公演にはない魅力」と観覧を呼び掛ける。

 文楽は、江戸時代に大阪で生まれた人形芝居。人形を動かす「人形遣い」、語り手である「太夫」、音楽を担当する「三味線」の三業から成り立ち、3人の人形遣いが義太夫節に合わせて背後から人形を操る。通常60歳以上の熟練技芸員が演じるが、同文楽は「若手技芸員の活躍の場となること」を目的に、20〜40代の技芸員が演じる。2015(平成27)年から毎年開催し今年で6回目となる。

2777名無しさん:2020/02/04(火) 20:09:56 ID:NrdB.GxU0
四天王寺で「天王寺かぶら汁」 節分の日に無病息災・厄よけ開運祈る
2/3(月) 22:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200203-00000067-minkei-l27

  四天王寺(大阪市天王寺区)で節分の日の2月3日、天王寺蕪(かぶら)の干し蕪が入った「天王寺かぶら汁」が有料で振る舞われた。(あべの経済新聞)

 天王寺蕪は江戸時代から明治末期に栽培され、同区など一帯は蕪畑が広がっていたという。長い間栽培されていなかったが、郷土名物を復活させようとする動きが高まり1995(平成7)年に復活した。現在は大阪府による「なにわの伝統野菜」にも指定されている。節分の日に干し蕪が入ったみそ汁と麦飯を食べるのは、無病息災・厄よけ開運を祈る古くからの習わしで、同寺では2015(平成27)年に「天王寺蕪の会」などの呼び掛けで復活した。

 天王寺蕪の会事務局長の難波りんごさんは「地元の人に昔ながらの良いものを知っていただければ」と期待を寄せる。

2778名無しさん:2020/02/04(火) 20:41:12 ID:NrdB.GxU0
北新地、節分に熱気 堂島薬師堂で「お水汲み祭り」
2020年2月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200204/20200204028.html

 大阪市北区の「堂島アバンザ」庭園内にある堂島薬師堂で3日夕、恒例の「節分お水汲(く)み祭り」(実行委主催)が執り行われた。参加者が手にした竹筒護符に、奈良・薬師寺で祈とうされたお香水を注ぎ清める「お水汲み」のほか多くの奉納行事があり、周辺の北新地も含めて熱気に包まれた。
 
 地元の節分伝統行事と「薬師堂お水くみ儀式」が融合する形で2004年に始まり、今年で17回目。

 ミラーガラスの外観が特徴的なお堂では、同寺の山田法胤(ほういん)長老を導師に節分法要が営まれ、無病息災や千客万来などを祈願する人々がお水くみに並んだ。

 後半には、奉仕者の一行が夜の北新地に繰り出して一層にぎやかに。堂内に祭る白龍弁財天にちなんだ龍踊りの一団が勇壮な舞を繰り広げた。北新地の女性が仮装して練り歩く「節分お化け」、豆で鬼を追い払う「鬼追い」もにぎやかに行われ、都心の風物詩は盛り上がった。

2779名無しさん:2020/02/08(土) 19:14:41 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮で針供養
02月08日 11時26分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200208/2000025125.html

 使い古した針を大きなこんにゃくに刺して労をねぎらう「針供養」が、8日、大阪・北区の大阪天満宮で行われました。

針供養は、使い古した針を柔らかいものに刺すことで、労をねぎらい、裁縫技術の上達を祈る伝統行事です。大阪・北区の大阪天満宮では、奈良時代に刺しゅうや裁縫の技術を日本に伝えたとされる遣唐使の吉備真備がまつられていることから、90年以上前から毎年、針供養が行われています。和服を仕立てる和裁士や服飾を学ぶ生徒などおよそ1500人が参加し、幅50センチ、高さ10センチほどの大きなこんにゃくに縫い針やまち針を次々と刺して針を供養していました。兵庫県で和裁の講師をしている女性は「針に感謝の気持ちを伝えに来ました。ことしもたくさん着物を縫いたいです」と話していました。
また、裁縫を学ぶ福井県の女子高校生は「ふだん硬い布を縫っているのでこんにゃくに刺すといつもと違う感覚がしました。将来はウェディングドレスをつくる仕事に就きたいので頑張ります」と話していました。

2780名無しさん:2020/02/11(火) 19:57:41 ID:NrdB.GxU0
道明寺天満宮で「梅まつり」
02月10日 19時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200210/2000025164.html

  梅の名所として知られる大阪・藤井寺市の道明寺天満宮で梅まつりが開かれています。

学問の神様として知られる菅原道真が祭られている道明寺天満宮には、紅梅や白梅、それにしだれ梅など80種類・800本の梅の木が植えられています。
毎年、梅が咲き始めるこの時期に「梅まつり」が開かれます。
この冬は気温が高い日が多く、最も早咲きの品種はいつもの年より2週間ほど早い今月初めに満開になりました。
訪れた人たちは境内を散策しながら、小ぶりで鮮やかな色の花を眺めたり写真に収めたりして楽しんでいました。
松原市から初めて来たという75歳の男性は「手入れやせんていがよくされていてどの梅を見ても立派できれいです。全部が満開になったらまた見に来たいです。」と話していました。
また、大阪市の40代の女性は「時期が早いので梅が咲いているか心配でしたが、たくさん咲いていてよかったです。カメラが趣味で、よく撮れてうれしいです。」と話していました。
道明寺天満宮の「梅祭り」は来月13日まで開かれていて、今月下旬には遅咲きの梅も満開になるということです。

2781名無しさん:2020/02/11(火) 20:28:29 ID:NrdB.GxU0
方古典芸能の魅力紹介 女性が趣味や学び楽しむ
2020年2月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200209/20200209025.html

 女性が趣味や学びを楽しめるイベント「チアフルゼミスペシャル」が8日、大阪市北区の阪急グランドビルで行われた。上方古典芸能の魅力を紹介するセミナーでは講談師の旭堂南龍さんと、落語家の桂紋四郎さんが軽妙な掛け合いや一席を披露し、会場は笑いに包まれた。

 阪急交通社と阪神電車が共催。暮らしに役立つさまざまなプログラムを用意し、ヨガを体験したり、寺社巡りを楽しむこつを教わるなど10のセミナーが企画された。

 上方古典芸能のセミナーには約70人が来場。旭堂さんは講談について「歴史人物を扱っている。その逸話から派生して『こういう物語になってほしい』という夢が詰まったものが多い」と説明。桂さんは「落語の主人公は実在の人物ではなく、町内にいてたあいつ、というもの」などと基本を紹介。それぞれが一席を披露すると、来場者から何度も笑い声が上がった。

 兵庫県西宮市の主婦(70)は「楽しかった。落語が好きだが、講談も面白かった」と話していた。

2782名無しさん:2020/02/12(水) 23:29:47 ID:NrdB.GxU0
夜の趣も良し 大阪天満宮「てんま天神梅まつり」
2020年2月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200212/20200212027.html

 樹齢200年を越える古木などの銘木や刀剣を展示する「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展〜」が11日、大阪市北区の大阪天満宮で始まった。今年は映像と音の演出を加えるなど、「夜の梅」をテーマとした幻想的な空間を創出している。3月8日まで。

 書院造り百畳敷きの参集殿を会場に、祭神の菅原道真が梅をめでたことにちなんで同宮が毎年開催している。

 今年は趣向を変え、京都を拠点とするクリエーティブユニット「xorium(エクソリウム)」のプロデュースによって、道真が詠んだ梅にまつわる和歌や漢詩をデジタル映像で映し出したり、照明の当て方で梅の影を見せたり、他に類を見ない盆梅展に挑戦している。

 「梅を通して道真公の生涯を表現した。写真映えもするし、若い人にも足を運んでほしい」とエクソリウムの竹川諒さん(31)。例年より開花が早くたくさんの花が咲いた梅の木のほか、道真と縁深い人物に関わる刀剣、「天神画像」など同宮所蔵の宝物も間近で鑑賞できる。

 午前9時半〜午後4時半(入場受付は午後4時まで)。高校生以上700円、中学生以下400円。

2783名無しさん:2020/02/13(木) 20:09:36 ID:NrdB.GxU0
鴻池新田会所で鴻池家寄贈民具展 江戸から昭和初期の道具60点
2/13(木) 17:47配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200213-00000051-minkei-l27

 国史跡・重要文化財の鴻池新田会所(東大阪市鴻池元町、TEL 06-6745-6409)乾蔵で現在、鴻池家寄贈民具展「むかしの道具いろいろ」が開催されている。(東大阪経済新聞)

 
地域の小学校3年生の社会の授業で昔の道具や人々の暮らしぶりについて学ぶ時期に合わせ、毎年開催する同展。江戸時代の豪商・鴻池家と、鴻池家が開発した新田の管理・運営を行った鴻池新田会所で江戸時代から昭和初期までに使われていた道具約60点を展示する。

 会場には、人力車や嫁入り籠など乗り物や、葦戸(よしど)や簾戸(すど)など夏に使う道具、火鉢、豆炭行火(あんか)などの暖房道具、ぼんぼりやちょうちんなどの照明類などが並ぶ。11代当主の鴻池善右衛門幸方は熱心な趣味写真家だったことから、暗箱やレンズ、ガラス乾板写真などが残っており、ラジオやアンテナ、蓄音機、SPレコードなどと並べて展示する。

 期間中、午前中は小学3年生の団体見学が多く、同展のほか、常設するかまどや井戸、鉄砲風呂なども合わせて見学し学習している。上皿竿(うわざらさお)はかりと米で重さを量る体験をしたり、大正時代のアンソニー式写真機をのぞき込み、上下逆さに映る様子に驚いたりしながら昔の暮らしに思いをはせた。

 開館時間は10時〜16時。月曜・祝日の翌日休館。観覧料は、大人=300円、小・中学生=200円。3月1日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2784名無しさん:2020/02/19(水) 21:50:54 ID:NrdB.GxU0
デジタル画像で一新 大阪天満宮「盆梅と刀剣展」
2/19(水) 21:25配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200219-00000619-san-l27

  菅原道真が好んだ梅の花にちなんだ「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展〜」が、道真をまつる大阪天満宮(大阪市北区)で開かれている。毎年恒例のイベントだが、今年はデジタル映像を初導入。暗闇の中に梅の花と刀剣が幻想的に浮かぶ演出は賛否が分かれるものの、若い“刀剣女子”の来場が増えたのは間違いないようだ。3月8日まで。

 年配の愛好者が多い盆栽の梅は、会場となる書院造り百畳敷きの参集殿に、樹齢200年を超える古木をはじめ銘木約60鉢を展示。例年より10日ほど開花が早いとのことで、周りには甘い香りが漂う。

 デジタル映像による光の演出が始まると、会場は暗がりに一変。不思議な音色が流れ、ふすまや壁に道真の和歌や漢詩、花吹雪や稲妻が現れては消えていく。13振を展示する刀剣コーナーは、ピンクとブルーにライトアップされる。

 展示の刀剣では、新選組の沖田総司の愛刀「加州清光」が人気。3月2日からは、源義家が愛用したとされる太刀「天光丸」が登場する。

 「以前はお年寄りが多かったが、刀剣展が始まった昨年から急に若い人が増えた」とスタッフ。美術館では禁止されるケースの多い撮影が自由な点も好評を得ているという。午前9時半〜午後4時半。光の演出は15分間隔で実施。高校生以上700円、小・中学生400円。

2785名無しさん:2020/02/25(火) 20:40:48 ID:NrdB.GxU0
旧宮家の皇籍復帰訴え 女性有識者「皇統を守る会」
2/25(火) 18:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000570-san-soci

 保守系の女性有識者らでつくる「皇統(父系男系)を守る国民連合の会」(葛城奈海会長)は25日、国会内で記者会見し、皇位継承策について、伝統的な男系を維持するために旧宮家の皇籍復帰を訴えた。女性・女系天皇については「連綿と紡がれてきた万世一系の皇統が断絶してしまう」として反対した。

 同会は昨年10月に発足。会長でジャーナリストの葛城氏のほか、会社役員の赤尾由美氏、政治活動家の我那覇真子氏、戦後問題ジャーナリストの佐波優子氏、歌手のsayaが発起人となっている。


「旧宮家の皇籍復帰も選択肢に」 維新・藤田氏 安定的な皇位継承策
2020.2.19 21:11
https://www.sankei.com/life/news/200219/lif2002190097-n1.html

 日本維新の会の藤田文武衆院議員は19日の衆院予算委員会で、安定的な皇位継承策をめぐり、男系維持のための継承策として有力視される旧宮家(旧皇族)の皇籍復帰について、「旧宮家の方々から何らかのお力をお借りするという選択肢は閉じてしまうべきではない」と述べた。

 藤田氏は旧宮家について「(皇族との)親戚関係が多くあり、皇族の方々と多く交流を持っておられる」と説明。敗戦後の連合国軍総司令部(GHQ)による占領の下で皇族から離れた歴史にも触れ「皇室と非常に近しい立場だというのは事実だ」と指摘した。

 その上で皇位継承の議論について「女性宮家や女性天皇を認めていくかが注目されている。長い歴史の中で積み重ねられた伝統といったものを中心に、慎重に検討してもらいたい」と訴えた。

 安定的な皇位継承策をめぐり、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は10日の衆院予算委員会で、本格的な検討は4月19日からの「立皇嗣の礼」の終了後になると初めて明言した。旧宮家の皇籍復帰に関しては、男系男子子孫に復帰の意思確認をしていないと明らかにした。今後も予定はないという。

2786名無しさん:2020/02/29(土) 22:15:29 ID:NrdB.GxU0
船場の歴史再発見 「おひなまつり」始まる
2020年2月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200228/20200228038.html

 大阪・船場ゆかりの旧家に現存する貴重なひな飾りを一般公開する「春の船場博覧会『船場のおひなまつり』」が27日、大阪市中央区内で始まった。多くの市民が、歴史や文化が息づく都心を散策しながら各会場を見て回っている。3月3日まで。

 実行委主催の恒例イベント。今年は新型コロナウイルス感染拡大防止策として一部で展示形態の変更や、会期中の関連イベントを一部中止にして開いた。

 このうち“神農さん”で親しまれる少彦名神社(別所賢一宮司)では、別所宮司の曽祖母が嫁入り道具として持参した明治末期のひな飾りを公開。参拝者は、人形をはじめ、たんすや火鉢、茶器といった精巧な道具類に目を凝らし、スマートフォンなどで撮影していた。

 同市東住吉区から訪れた女性(58)は「とても貴重なひな飾りを見せていただきありがたい。船場の歴史を再発見できた」と笑顔で話した。

 同神社では3月3日午後1時から神事として、社殿で北新地芸妓(げいぎ)・清一さんによる舞奉納(観覧無料)を予定している。

2787名無しさん:2020/03/01(日) 17:52:56 ID:NrdB.GxU0
京阪・なにわ橋駅で大阪の都市形成振り返る展示企画「ビルダーズ」
2/28(金) 12:17配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00000023-minkei-l27

 大阪市、大阪の成り立ちを地下鉄やビルの工事記録映像を交えて振り返る展示企画「ビルダーズ:工事記録にみる都市再考」が、京阪電車なにわ橋駅(大阪市北区中之島1)地下1階コンコース内「アートエリアB1」(TEL 06-6226-4006)で始まっている。(梅田経済新聞)

 
企業や大阪市が所有する工事記録映像などで、大阪の都市形成を振り返る同イベント。1933(昭和8)年に完工した大阪ガス本社ビルの工事映像や、1958(昭和33)年に完工した新朝日ビル(現中之島フェスティバルタワー)の鉄骨が組み上がる様子などが上映される。大阪市が1937(昭和12)年に公共交通機関の普及と観光宣伝を目的に製作した映像資料なども公開されている。

 同施設は2006(平成18)年、京阪電車中之島線建設中の工事現場を舞台に展開した「中之島コミュニケーションカフェ」を継承し、2008(平成20)年に開館したコミュニティースペース。文化や芸術交流の場として京阪ホールディングス(大阪市)と大阪大学(吹田市)、NPO法人ダンスボックス(兵庫県神戸市)が協働で運営する。面積は440平方メートル。

 営業時間は12時〜19時。月曜休館。入場無料。3月22日まで。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2788名無しさん:2020/03/02(月) 20:59:04 ID:NrdB.GxU0
近松門左衛門は桑田佳祐、文楽はサザンだ!|トップクリエイターが語る「文楽の効能」
3/2(月) 18:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200302-00032282-forbes-bus_all

 オレ、ぬるい仕事してんな──。日本を代表する広告クリエイターをしてそう思わしめる舞台芸術、人形浄瑠璃文楽。博報堂ケトルの嶋浩一郎氏は、文楽作品の中でも「時代物」と呼ばれる演目に、とりわけクリエイティビティを刺激されているという。

「ダメ男」ほど共感を呼ぶ

企業PRの最前線で活躍する嶋浩一郎が、文楽に通い始めたのは約20年前。

当初、シンパシーを抱いたキャラクターがあった。近松門左衛門の代表的な世話物作品などに登場する、どうしようもない「ダメ男」だ。

「世話物の男の主役といえば、だいたいダメ男です。とんでもない借金をして、しかもその金で『なんでこの女に手ぇ出しちゃうかなあ』という相手に手を出しちゃう」

世話物とは、江戸時代における現代ドラマ、商人・町人が登場する街場の物語だ。嶋も、世話物のほうが感情移入しやすく楽しめていたという。

ところが近年、「時代物」が俄然、面白くなってきたと語る。

時代物とは、江戸時代における時代劇。江戸以前に時代設定された、武家や朝廷の世界、戦争やお家騒動などを題材とする。現代人には時代背景の共通認識がないため、世話物に比べてわかりにくい。だがその時代物に、嶋はビジネスの視点を見出す。

「時代物を観ると、決断力が磨かれる感じがする」というのだ。

「現代の『ゆるさ』に気づかされます。時代物に出てくる人は、一つ判断を間違うと死ぬわけです。一つの決断の重みが半端ではない。現代だとテクノロジーの進化で、なんでも先回り・先送り・保険でしょう。メルカリがあれば、買い物に失敗しても売っちゃえばいい。そんな現代に、あのバシッとした中に身を置くと、デトックスされるんです」

そして、こう思うのだ。

「なんかオレ、ぬるい仕事してんな、ヤバい、もうちょい頑張ろう」

メルカリ時代の決断力を磨く

そんな嶋が、水野学とともに文楽に関わった仕事が、文楽を初心者向けに案内する書籍『文楽のすゝめ』である。本書では、世話物をトレンディドラマ、時代物を大河ドラマにたとえ、近松門左衛門の特徴とされる字余り字足らずの音律を桑田佳祐になぞらえる。

専門的で普通なら敬遠されそうな、しかし文楽を鑑賞する悦楽へと導くツボは、この本の監修者で、嶋と親交のある文楽の太夫、竹本織太夫との会話から生まれた。 

「文楽をサザンオールスターズにたとえるなんて、という人もいると思うんですけど、文楽はそれくらい自由だって思うんです」

幾多の年月を経て、どの時代にも常に、受け止める個々の人々の心象にひきつけて解釈できるのが、古典の包容力だろう。

前述の文楽入門書に続き、続編の『ビジネスパーソンのための文楽のすゝめ』も刊行された。こちらは、時代物の「すゝめ」になっている。武家社会を働く現場=ビジネスととらえ、ビジネスに役立つスキルを切り口に、さまざまな時代物作品を紹介する。

「メルカリ時代のデシジョンメイキング(意思決定)を学べます。僕自身も組織のリーダーとして、企画のありなしを明確に判断するのが仕事ですから、シャープでなきゃいけない。文楽の時代物からもらってきた僕自身の発見を、この本で織太夫さんと一緒にお伝えします」

しま・こういちろう◎1968年、東京都生まれ。上智大学法学部卒。93年博報堂入社。2002〜04年、博報堂刊『広告』編集長。04年、「本屋大賞」立ち上げに参画。06年、博報堂ケトルを設立し、メディアコンテンツ制作にも積極的に関わる。19年9月まで代表取締役社長を務め、現在は同社取締役、博報堂執行役員。
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Forbes JAPAN 編集部

2789名無しさん:2020/03/06(金) 21:23:30 ID:NrdB.GxU0
金剛組は大阪の会社です。

※金剛組のホームページ
 https://www.kongogumi.co.jp/#

世界最古の企業は日本に存在した!各国の最も創業が古い企業をマップにしたら、開拓の歴史を垣間見れた
3/6(金) 21:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200306-00010006-finders-bus_all

 今日の急速に変化するビジネス環境や社会において、企業の寿命は格段に縮まっている。かつては60年と言われていた米大型株500銘柄の寿命は、今や18年程度。それだけ存続させるのが難しいということだ。

そんな中、イギリスの金融関連情報を発信している『BusinessFinancing』が、「各国に現存する最古の企業」というマップを発表した。
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世界最古の企業は日本の「金剛組」

BusinessFinancingが発表したマップは、各国の最古で現存する企業を、色分けしてマッピングしている。西暦500年〜749年創業は濃い青で、現代に近づくにつれ明るくなり、1750年〜1999年創業は黄色だ。正確な情報が無いものはグレーで表示されている。

世界最古の企業のトップ10は以下の通り。

1位 金剛組(578年創業・日本)
2位 シュティフツケラー・ザンクト・ペーター(803年創業・オーストリア)
3位 シュタッフェルター・ホフ(862年創業・ドイツ)
4位 パリ造幣局(864年創業・フランス)
5位 ロイヤルミント(886年創業・イギリス)
6位 ショーンズバー(900年創業・アイルランド)
7位 ポンティフィカルマリネリファウンドリー(1040年創業・イタリア)
8位 アフリゲム醸造所(1074年創業・ベルギー)
9位 モンクスミル(1135年創業・ベルギー)
10位 マーユチンのバケツチキンハウス(1153年創業・中国)

世界に現存する最も創業が古い企業は、日本の神社仏閣の建設会社である「金剛組」だ。2位に大差をつけてのダントツのトップ。創業年の578年は、聖徳太子が統治していた飛鳥時代だから驚きだ。聖徳太子の命により四天王寺建立のために、百済から招かれた金剛重光が創業した。2006年に建設大手の高松建設グループに買収されたものの、1440余年の時代を経て、宮大工の技術を今に伝える。

2790名無しさん:2020/03/06(金) 21:24:31 ID:NrdB.GxU0

世界に現存する最も創業が古い企業は、日本の神社仏閣の建設会社である「金剛組」だ。2位に大差をつけてのダントツのトップ。創業年の578年は、聖徳太子が統治していた飛鳥時代だから驚きだ。聖徳太子の命により四天王寺建立のために、百済から招かれた金剛重光が創業した。2006年に建設大手の高松建設グループに買収されたものの、1440余年の時代を経て、宮大工の技術を今に伝える。
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それぞれの地域の最も古い企業を見てみよう

北米の最古の企業は、1534年に設立した「メキシコ造幣局」。スペインのアメリカ大陸征服者の所有だったこともあり、「8レアル銀貨」つまりスペインドルがここで造られている。南米は「ペルー造幣局」で、スペインの植民地時代の1565年に設立した。

ヨーロッパの最古の企業は、803年創業のオーストリアのザンクトペーター教会に隣接する「シュティフツケラー・ザンクト・ペーター」というレストラン。アジアでは前述の通り、日本の金剛組が最も古く、次ぐ2位は中国の 「バケツチキンハウス」で、創業は1153年。河南省の文化遺産に指定されている。

アフリカは長い間の植民地時代の影響もあり、企業はいずれも1750年以降の創業だ。最古の企業は、1772年に設立した「モーリシャス郵便局」。オセアニアでは、1809年設立の「オーストラリア郵便公社」で、正式に国家として認められる1901年のほぼ1世紀前から存続する。

全体図を見ると、日本や中国、ヨーロッパに創業年が古い企業が多く、南下するに連れ近年になって創業した企業が多くなる。南部には、20世紀になってから、脱植民地化により国家として独立したところが多いからだ。各国の最も古い企業は、その地域の開拓の歴史だ。
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coolpolaris

2791名無しさん:2020/03/11(水) 20:54:23 ID:NrdB.GxU0
四天王寺に一乗院建立 伝教大師像復活も
3/9(月) 22:20配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200309-00000067-minkei-l27

 四天王寺(大阪市天王寺区)に3月6日、伝教大師像を奉安する一乗院が建立され、除幕式や落慶法要が行われた。(あべの経済新聞)

 
伝教大師最澄(さいちょう)は比叡山で天台宗を創設した祖師。四天王寺を建立したと伝えられる聖徳太子の千四百年御聖忌(2022年厳修)記念事業の一環で、第2次世界大戦で寺から供出された伝教大師の御像を復活させた。

 同寺は「聖徳太子の和をもって貴しの精神の下、宗派の垣根を越えて多くの方々に参拝いただける新名所となることを願う」とコメントを寄せた。
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みんなの経済新聞ネットワーク

2792名無しさん:2020/03/11(水) 22:16:57 ID:NrdB.GxU0
仁徳天皇陵貨幣セットを販売へ 造幣局、世界遺産の登録記念で
2020年3月11日 17:49
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200311/20200311112.html

 造幣局(大阪市)は11日、日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳、堺市)を含む全49基で構成する大阪府南部の「百舌鳥・古市古墳群」が昨年、世界文化遺産に登録されたことを記念した貨幣セットを販売すると発表した。消費税と送料込みで2400円。

 仁徳天皇陵古墳が表面に描かれたメダル(丹銅製、直径27ミリ)と、「令和2年」と刻まれた硬貨6種類を組み合わせた。折り畳める特製ケースには、個々の古墳の名称や写真を入れた。

 はがきか造幣局オンラインショップで申し込む。受付期間は12日〜4月7日。問い合わせは電話050(5548)8686。

2795名無しさん:2020/03/12(木) 20:51:44 ID:NrdB.GxU0
心の中で追悼を 四天王寺に鐘の音響く
2020年3月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200312/20200312021.html

 東日本大震災発生から9年となった11日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)で、犠牲者追悼と復興祈願の打鐘が執り行われた。多くの参詣者が足を止め、東北の被災地に向けて手を合わせた。

 同寺では2011年の発災以降、義援金寄付や若手僧侶でつくる仏教青年連盟による被災地慰問のほか、「食べて応援」という趣旨の東北物産展など、法要以外にも多岐にわたる支援活動に取り組んでいる。

 打鐘は一周忌の12年から毎年実施。境内にある太鼓楼、北鐘堂(黄鐘楼(おうしょうろう))、南鐘堂(鯨鐘楼(げいしょうろう))では、発災時刻の午後2時46分、各お堂に入堂した僧侶が天井内の鐘につながる綱を同時に引き、極楽浄土に届くとされる深い響きを7回繰り返した。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「今後も継続したい。今年は新型コロナウイルス感染拡大で、追悼行事などが中止となるケースがあったが、こういう状況だからこそ一人一人が心の中で追悼できるという気付きの機会となれば」と話した。

2796名無しさん:2020/03/22(日) 12:40:58 ID:ylDuNnHU0
極楽浄土に思いを寄せ 四天王寺で日想観
2020年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200321/20200321035.html

 彼岸の中日の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の極楽門前で、石鳥居の向こうに沈む夕日に手を合わせ極楽浄土に思いを寄せる伝統行事「日想観(じっそうかん)」が行われた。

 極楽の東門の中心とされた石鳥居の柱の間に太陽が沈む光景が見られる彼岸に合わせ、年2回実施。今春も夕刻から僧侶が「日想観勤行儀」を執り行い、参詣者は一緒にお経を唱えて沈む夕日を見守った。

 太陽が沈みきるまで西空を見上げていた女性(55)=大阪市=は「これから昼の時間が長くなる季節の分かれ目。コロナウイルスの感染が早くなくなり、皆が無事に過ごせますようにとお天道様にお願いした」と話していた。

2797名無しさん:2020/03/22(日) 12:42:04 ID:ylDuNnHU0
極楽浄土に思いを寄せ 四天王寺で日想観
2020年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200321/20200321035.html

 彼岸の中日の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の極楽門前で、石鳥居の向こうに沈む夕日に手を合わせ極楽浄土に思いを寄せる伝統行事「日想観(じっそうかん)」が行われた。

 極楽の東門の中心とされた石鳥居の柱の間に太陽が沈む光景が見られる彼岸に合わせ、年2回実施。今春も夕刻から僧侶が「日想観勤行儀」を執り行い、参詣者は一緒にお経を唱えて沈む夕日を見守った。

 太陽が沈みきるまで西空を見上げていた女性(55)=大阪市=は「これから昼の時間が長くなる季節の分かれ目。コロナウイルスの感染が早くなくなり、皆が無事に過ごせますようにとお天道様にお願いした」と話していた。

2798名無しさん:2020/03/22(日) 12:42:49 ID:ylDuNnHU0
極楽浄土に思いを寄せ 四天王寺で日想観
2020年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200321/20200321035.html

 彼岸の中日の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(森田俊朗管長)の極楽門前で、石鳥居の向こうに沈む夕日に手を合わせ極楽浄土に思いを寄せる伝統行事「日想観(じっそうかん)」が行われた。

 極楽の東門の中心とされた石鳥居の柱の間に太陽が沈む光景が見られる彼岸に合わせ、年2回実施。今春も夕刻から僧侶が「日想観勤行儀」を執り行い、参詣者は一緒にお経を唱えて沈む夕日を見守った。

 太陽が沈みきるまで西空を見上げていた女性(55)=大阪市=は「これから昼の時間が長くなる季節の分かれ目。コロナウイルスの感染が早くなくなり、皆が無事に過ごせますようにとお天道様にお願いした」と話していた。

2799名無しさん:2020/03/24(火) 21:32:03 ID:ylDuNnHU0
次期管長に加藤公俊氏 四天王寺、4月1日から
2020年3月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200324/20200324031.html

 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)は23日までに、森田俊朗管長(77)の任期満了に伴い、次期管長(第113世)に四天王寺副管長の加藤公俊(こうしゅん)氏(69)=写真=を選出した。任期は4月1日から3年。

 加藤氏は大阪市出身。大正大学仏教学部卒。四天王寺支院地蔵院住職、四天王寺総務部長、四天王寺学園常務理事、四天王寺財務部長、参詣部長などを歴任。2019年4月から副管長を務めた。

2800名無しさん:2020/03/30(月) 16:02:58 ID:ylDuNnHU0
大阪城の櫓 特別公開
3/30(月) 11:23配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200330-00000517-san-soci

 大阪城(大阪市中央区)に残る江戸時代の遺構、千貫櫓(せんがんやぐら)と多聞櫓(たもんやぐら)、焔硝蔵(えんしょうぐら)の特別公開が始まった。いずれも戦禍などをくぐり抜けた国の重要文化財。幕末の解体修理の際に出土した瓦や石垣の刻印の拓本なども期間中、多聞櫓内部で展示されている。11月29日まで。当初は3月1日からの予定だったが、コロナウイルス感染拡大を受けてスタートが延期された。

 大阪城の正門、大手口を守る千貫櫓は、元和6(1620)年に築かれたとされる2層2階の隅櫓(城郭の隅に設けた櫓)の一つ。城内で最も古い建物で、今年は建造から400年の節目にあたる。

 千貫櫓と名付けられた櫓は、織田信長に攻められた石山本願寺時代からあり、櫓から放たれる矢に悩まされた信長が「銭千貫文を出しても取りたい櫓だ」と言ったことが名称の由来とされる。豊臣時代と徳川時代の2回建て替えられた際にも、名称が踏襲された。

 多聞櫓は、寛永5(1628)年に建てられたものが落雷で全焼し、嘉永元(1848)年に再築された。二の丸に出入りする大門の上部にあたる渡櫓と一体化した構造。長屋型の櫓の総称で、同形式の櫓が大和(現在の奈良県)にあった多聞城で初めて築かれたとされることから、そう呼ばれる。

 焔硝蔵は、鉄砲や大砲に使う火薬庫で、貞享2(1685)年の建造。床や天井、壁などがすべて花崗(かこう)岩で、石壁の厚さは約2・4メートルに達するなど、耐火、耐久、防水性に工夫がこらされている。3施設とも昭和28年に国の重要文化財に指定された。

 4月12日までと月曜を除く7月21日〜8月30日は連日公開されるが、それ以外の期間は土、日、祝日のみの公開。午前10時〜午後4時半(入場は午後4時まで)。入場料は高校生以上700円、中学生以下300円。

 新型コロナウイルスの感染状況によっては公開を見合わせる場合がある。問い合わせは大阪城パークセンター(06・6755・4146)。

2801名無しさん:2020/04/04(土) 17:27:49 ID:ylDuNnHU0
コロナ終息を祈願 四天王寺で揮毫
2020年4月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200404/20200404047.html

 聖徳太子による「十七条の憲法」が制定された日にちなみ、太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)など全国にある太子ゆかりの23カ寺で3日、地元の書家たちが奉納揮毫(きごう)を行った。大小の筆で「疫病終息」「以和為貴(和をもって貴しとなす)」などの文字を走らせ、新型コロナウイルス感染の一日も早い終息を祈った。

 十七条の憲法の世界記憶遺産登録を目指し活動する「和プロジェクトTAISHI」(宮本辰彦代表)が主催し、今年で3回目。

 国内外で新型コロナウイルス感染拡大の不安、感染者や国・人種への差別が顕著となる中、人々の不安解消と、日本が誇る「和」の精神の世界発信を願って参加者を募った。

 同寺では初めて開かれ、同市阿倍野区在住の書家・前田龍雲さん(53)が趣旨に賛同して参加。五重塔を仰ぐ中心伽藍(がらん)・中門(仁王門)前で、僧侶や関係者が見守る中、二つの作品を力強く仕上げた。

 宮本代表(55)は、東日本大震災発生当時に「絆」という言葉が人々を結びつけた点に触れ、「対立や分断ではなく、今、私たちには互いを思う『和』の精神が必要」と呼び掛けた。

2802名無しさん:2020/04/08(水) 22:47:35 ID:NrdB.GxU0
天神祭の「ギャルみこし」中止に
04月08日 16時20分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200408/2000027839.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」を盛り上げようと毎年7月に若い女性たちがみこしを担ぐ「ギャルみこし」が、ことしは新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、中止されることになりました。

「ギャルみこし」は天神祭を盛り上げようと、毎年7月に行われていて、15歳から30歳までの女性80人が、重さ200キロのみこしを担ぎ、天神橋筋商店街を練り歩きます。
昭和56年から毎年行われてきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、実行委員会は、ことしは開催を中止することに決めました。
ギャルみこしが中止されるのは初めてのことです。
実行委員会は、「新型コロナウイルスが収束した際には、若い女性の元気で、生き生きとした笑顔を多くの人に届けたい」としています。
一方、天神祭の実行委員会によりますと、天神祭は来週、会議を開いて、ことしの開催をどうするかについて話し合うことにしているということです。

2803名無しさん:2020/04/08(水) 22:57:08 ID:NrdB.GxU0
緊急事態宣言で大阪『住吉大社』も異例の“閉門”…5月6日までは門前からお参りを
4/8(水) 17:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200408-00032470-mbsnewsv-l27

  新型コロナウイルスをめぐる緊急事態宣言は「神社」にも影響が出ています。

 大阪市住吉区の『住吉大社』では、4月8日〜5月6日まで、異例の“閉門”を決めました。

 「神社では全ての業務を停止致しまして、ご祈祷・お守り・おみくじ・朱印など全て停止しております。」(住吉大社 神武磐彦権宮司)

 参拝客は、閉められた門の前から本殿に向かってお参りすることになります。

 「住吉大社も門を閉めているということで、蔓延防止の協力を皆様でして、1日も早い収束を願うのを神社としても希望しております。」(住吉大社 神武磐彦権宮司)

MBSニュース

2804名無しさん:2020/04/08(水) 23:06:31 ID:NrdB.GxU0
四天王寺も閉鎖、聖徳太子以来初 大阪、感染拡大防止に協力
2020年4月8日 16:39
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200408/20200408083.html

 お寺や神社も外出自粛に協力します―。新型コロナウイルスの感染拡大を防ごうと、大阪市では8日、連日大勢の参拝者らでにぎわっていた四天王寺や住吉大社が閉鎖を決めた。期間は未定。四天王寺によると、同寺を閉鎖するのは、聖徳太子が6世紀に創建して以来、初めてという。

 四天王寺では、10日から約30ある堂塔や宝物館、庭園、霊園、休憩所をすべて閉鎖。境内には入れるが、お堂の拝観や供養の申し込みなどはできなくなる。祈祷は郵送でのみ受け付ける。

 釈迦の生誕日とされる8日はさまざまな行事が予定されていたが、多くは中止に。

 住吉大社は8日朝から一切の業務を停止して閉門した。

2805名無しさん:2020/04/09(木) 22:18:15 ID:8j.Se6mg0
天下人・関白豊臣秀頼の可能性
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7435
現実味のある話だった秀頼の薩摩落ち

家康は秀頼の関白就任を恐れていた?
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/7435?p=1

2806名無しさん:2020/04/10(金) 23:10:58 ID:NrdB.GxU0
縮小で済めばよいが。全体が中止にならんことを切に願う。

大阪 生國魂神社の夏祭りも縮小
04月09日 17時52分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200409/2000027917.html

政府の緊急事態宣言を受けて、大阪の三大夏祭りのひとつ、生國魂神社の夏祭りは、大阪城までの道のりをみこしを担いで練り歩く行事が中止になりました。

大阪・天王寺区の生國魂神社の夏祭りは、平安時代から続く伝統行事で、ことしも7月上旬に予定されています。
大阪天満宮の「天神祭」や住吉大社の「住吉祭」とともに大阪の三大夏祭りのひとつに数えられています。
この祭りでは、大阪城までの道のりをおよそ500人がみこしを担ぐなどして練り歩く「渡御行列」が中心的な行事ですが、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため政府が緊急事態宣言を出したことを受けて、中止することになったということです。
このほか、本殿で行う神事も例年は地域から多くの人が参列しますが、ことしは神職など関係者のみで執り行うということです。

2807名無しさん:2020/04/30(木) 11:49:48 ID:ylDuNnHU0
大念佛寺「万部おねり」大幅縮小
2020年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200430/20200430043.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、5月1〜5日に行う伝統行事「万部おねり」(市指定無形民俗文化財)の二十五菩薩(ぼさつ)によるお練りと伝供(でんぐ)などを取りやめる。

 今年の法要は非公開で職員のみが本堂で勤め、連日の布教や各種イベント、境内の出店、朱印、物品販売も中止する。

2808名無しさん:2020/05/09(土) 16:52:37 ID:ylDuNnHU0
日露戦争の捕虜写真発見、ロシア 78枚、大阪の収容所も
2020年5月9日 11:12
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200509/20200509045.html

 【モスクワ共同】日露戦争(1904〜05年)で日本の捕虜となり、大阪府の「浜寺俘虜収容所」とみられる施設などで過ごすロシア兵らの写真78枚のガラス板ネガがロシア西部イワノボ州の民家で見つかり、イワノボ国立歴史郷土博物館が公開せず所蔵していることが9日分かった。同博物館が共同通信に明らかにした。

 78枚のうち日本での撮影とみられるのは22枚。捕虜が曲芸を眺めるカットもあり、「一等国」入りを目指した日本がハーグ条約に基づき捕虜を厚遇したことが分かる。ロシア捕虜の研究を続ける立命館大の桧山真一非常勤講師は「捕虜の生活に余裕があったことがうかがえる」と評価した。

2809名無しさん:2020/05/21(木) 21:00:00 ID:NrdB.GxU0
「全国最大級」の豊臣秀吉像、大阪で見つかる 大阪市旭区・大宮神社
5/21(木) 20:07配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0eb66aebeb24d7fcb3a5054c4145f45945dd42b

 大阪市旭区の神社で全国最大級の木造の豊臣秀吉像が見つかりました。

大阪市旭区にある大宮神社。800年以上の歴史を持つこの神社で見つかったのは…

ヒノキでできた等身大の豊臣秀吉像です。

高さは「81.9cm」で、大阪市によると全国で24体ある木造の秀吉像の中で最も大きいということです。

専門家が注目するのは絵の具が意図して剥がされていることや、冠がないこと。

大坂夏の陣で大阪城が落城した後の江戸時代につくられたとみられ、秀吉を神格化することがタブーになっていた時期でも秀吉信仰が続いていたことがうかがえるということです。

【大宮神社 廣瀬哲宮司】
「(初めて社殿の)扉を開けたときにちょうど私の顔と面と向かうような形になりまして、非常に威厳があり、迫力がある像で本当に驚いたところでございます」

秀吉像は今年度中にも一般公開される見通しです。

関西テレビ

2810名無しさん:2020/06/06(土) 18:32:21 ID:NrdB.GxU0
竹生島に秀吉の大坂城から移築か
06月05日 05時55分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200605/2000030639.html

 びわ湖の竹生島にある、宝厳寺の「観音堂」など4つの建物は、豊臣秀吉が築いた大坂城から移築された可能性が高いことが、滋賀県の調査でわかりました。

宝厳寺は滋賀県長浜市の竹生島にあり、国宝の「唐門」は、豊臣秀吉が築いた大坂城で本丸と二の丸をつなぐ「極楽橋」と呼ばれた建物の一部を、息子の秀頼が移築したことで知られています。
滋賀県が寺の修繕工事にあわせて、「唐門」の周辺にある4つの建物を調べたところ、構造などからいずれも、大坂城の「極楽橋」から移築された可能性が高いことがわかったということです。
4つの建物は、寺にある重要文化財の「観音堂」と、寺に隣接する都久夫須麻(つくぶすま)神社にある国宝の本殿、これらをつなぐ2棟の「渡廊」です。
滋賀県文化財保護課は、「秀吉が築いた大坂城の建物はほかに現存せず、当時の様子を知るうえで貴重な遺構だ」としています。
宝厳寺の峰覚雄管主は、「淀君が生まれた浅井家や、豊臣家と縁が深い竹生島に橋が移築されたことに、歴史の面白さを感じます。当時の大坂城に思いをはせに来てほしい」と話しています。

2811名無しさん:2020/06/08(月) 19:55:09 ID:NrdB.GxU0
大空襲75年の祈り 長柄橋で追悼行事
2020年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200608/20200608017.html

 太平洋戦争末期の1945年、米軍が大阪市北東部を中心に狙った第3次大阪大空襲から7日で75年を迎えた。大阪市北区天神橋8丁目の長柄橋南詰にある明倫観世音菩薩像前では、地元の正蓮寺(渡島正教住職)による法要が営まれ、参列者が恒久平和の願いを込め、犠牲者を慰霊した。

 同所では、推定で400人以上が犠牲になった。慰霊法要は戦後すぐから執り行われているが、時代の経過とともに参列者は減少。この日は遺族の参加はなく、正蓮寺の檀家(だんか)や地元住民20人ほどが祈りをささげた。

 雲ひとつない快晴の下、渡島住職は「戦争の悲惨さに心を寄り添うようにお祈りして頂きたい」と観音像の前で念仏を唱え、参列者が一人ずつ焼香を上げた。

 空襲当時5歳だった大倉政三さん(80)=同市北区=は毎年参列。「空襲の記憶はないが、戦争は二度とやるべきではない」とかみしめるように話した。

 同空襲では3千人近くの市民が犠牲になったとされる。被害が大きかった同市旭区の城北公園堤防上「千人塚」での追悼行事は、新型コロナウイルス感染症の影響で今年は開催が見送られた。

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2813名無しさん:2020/06/15(月) 20:03:27 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭、7月1日に3カ月ぶりの全面再開
6/15(月) 18:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/df958c14637d598d40663e4b3dad5e1feca005a0

 上方落語協会は15日、新型コロナウイルス感染拡大防止のため休館している定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)を、7月1日に再開すると発表した。チケット販売は16日からで、繁昌亭の窓口でも平日午後1〜5時に販売する。全面再開は3カ月ぶりとなる。

 再開後は感染防止のため客に検温を行い、マスクの着用を求める。客同士の間は空席を設け、QRコードを使った施設利用者に感染の発生状況を通知する大阪府の「コロナ追跡システム」も導入する。演目自体は8席から6席に減らし、時間短縮を図る。

 昼席の様子は当面、インターネット上で有料配信する予定。記者会見した同協会の笑福亭仁智会長は「安心して笑っていただける状況に万全を期したい」と感染防止対策に理解を求め、「例えお客さんが少なくても、『待ってました』という雰囲気になれば大成功」と話している。

2814名無しさん:2020/06/15(月) 21:10:21 ID:NrdB.GxU0
住吉大社「御田植神事」で五穀豊穣祈る
6/14(日) 18:27配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/19f6b8e646c71f69c9aa12c2d011c578fa9b246a

 大阪の住吉大社では、五穀豊穣を祈る田植えの儀式、「御田植神事」が行われました。

住吉大社の境内では、新型コロナウイルスの終息が祈念された後、白装束を身にまとった人たちが田植えを行いました。

日本三大御田植祭のひとつに数えられている住吉大社の「御田植神事」は、明治時代から続く伝統的な格式が現在も守られていて、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

新型コロナウイルスの感染防止ため、例年約500人が参加するところ、ことしは30人で行われ、豊作を祈る舞いや踊りも中止となりました。

稲は10月に収穫され、宮内庁に奉納されます。

関西テレビ

2815名無しさん:2020/06/19(金) 22:11:21 ID:NrdB.GxU0
「夏季大祭」の渡御行事中止 難波八阪神社
2020年6月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200618/20200618036.html

 大阪市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策で、7月に予定していた夏季大祭の船渡御(13日)・陸渡御(14日)などの行事を中止する。神事も神職と氏子役員らで執り行う。

 同神社の船渡御は、かつて天神祭と並ぶ規模を誇った年頭行事であったと伝わるが、江戸中期以降に途絶。2001年に氏子崇敬者や地元企業・団体の尽力で復興された。

2816名無しさん:2020/06/19(金) 22:30:27 ID:NrdB.GxU0
天満天神繁昌亭、7月1日再開 大阪の上方落語定席
2020年6月15日 17:32
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200615/20200615081.html

 上方落語協会(笑福亭仁智会長)は15日、大阪市北区の定席「天満天神繁昌亭」での公演を7月1日から再開すると発表した。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、4月1日から繁昌亭での全公演を中止していた。

 感染防止のため、客席の間隔を空けて216席のうち約100席のみを使用し、観客には入場時の検温やマスク着用を求めるといった対策を講じる。

 再開に伴い、協会主催の「昼席」を当面、インターネットで有料ライブ配信する。

 仁智会長は「繁昌亭を早く開けたくて仕方がなかったが、万全の態勢を整えていた」と強調。「来てくれたお客さんには安心して笑っていただきたい」と話した。

2817名無しさん:2020/06/20(土) 22:05:57 ID:NrdB.GxU0
東大阪・石切神社前の「すずや」に「氷梅七味ごま」 七味の辛みでスッキリと
6/19(金) 20:47配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe48b1398549e188d3f62db68e29993693dc4b11

 石切劔箭(いしきりつるぎや)神社前の「お食事処すずや」(東大阪市東石切町1、TEL 072-982-3119)で6月15日、季節限定メニュー「氷梅七味ごま」の提供が始まった。(東大阪経済新聞)

 毎年15種類以上のかき氷を提供する同店。2015(平成27)年からは石切劔箭神社が所蔵する刀剣「石切丸」「小狐丸」などをイメージしたかき氷を提供し、人気を集めている。

 同店では3年前、老舗の七味メーカー・八幡屋礒五郎(長野県長野市)に依頼し、関西人の好みに合うオリジナルの「石切丸の調合七味」を作り、店内飲食用で使用するほか、同社の七味唐からし、ゆず七味、梅七味ごま、七味ガラム・マサラとともに販売している。同店の小西学さんは「大人のイチゴミルクのようなかき氷を作ろうと思っていたが、フリーズドライのイチゴだと味が負けてしまう。梅七味ごまをかけたら面白いのではと考えた」という。

 「氷梅七味ごま」は、氷に氷糖蜜と練乳をかけた氷ミルクに梅七味ごまをトッピング。「梅の爽やかさ、ごまの香ばしさ、七味の辛み、それぞれの味がして、冷たくても七味の味が負けていない。ベースの氷ミルクが甘くて辛すぎず、後味もスッキリとさわやか」と小西さん。価格は660円(テークアウトは648円)。

 営業時間は10時30分〜15時30分。臨時休業あり。

みんなの経済新聞ネットワーク

2818名無しさん:2020/06/26(金) 22:00:41 ID:NrdB.GxU0
天神祭の神事ネット配信 来夏に向け広報活動強化
2020年6月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200625/20200625025.html

 今夏の天神祭を規模縮小する天神祭渡御行事保存協賛会は24日、実施予定の神事についてインターネット配信する計画を決めた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため陸渡御、船渡御、奉納花火の主要イベントは中止するが、来夏に向けた広報は欠かせないと判断した。

 計画によると、本宮祭の7月25日に大阪市北区の大阪天満宮本殿で斎行する神事の様子を、ライブ配信する。堂島川での鉾流(ほこながし)神事などは録画編集して配信予定。広報費として約50万円を予算化した。

 広報活動を巡っては、大阪府指定文化財「天神祭御迎え人形」の展示も、大阪天満宮の境内で計画。新型コロナ禍を念頭に、「疫病退散」を祈念する天神祭を印象付ける。

 大阪天満宮社務所で開かれた同協賛会の会合で、寺井種治宮司は「来年は今年の分まで素晴らしい祭りにする」と抱負を語り、栗原宏武実行委員長も「渡御行事の中止は残念だが、これからも継続して実施しなければいけない」と呼び掛けた。

 天神祭は、京都の祇園祭や東京の神田祭とともに日本三大祭りの一角を担い、例年約130万人の人出でにぎわう。「密集・密接の状態」を招くため、同協賛会は4月の臨時委員総会で主要イベントの中止を決めた。

2819名無しさん:2020/06/28(日) 14:18:52 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭プレオープン 生の落語に笑顔と拍手
2020年6月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200627/20200627040.html

 7月1日に丸4カ月ぶりに昼席を再開する天満天神繁昌亭(大阪市北区)は26日、プレオープンを行った。近隣商店主ら招待客を中心約100人が入場。久々の生の落語に笑顔と拍手が場内に響いた。

 入場者は、検温と手指消毒後、マスク着用を義務付けられ、場内飲食禁止で1席ごと空けられた客席へ。まず上方落語協会の笑福亭仁智会長が登場し、「ウィズ・コロナの時代となり、121日ぶりの高座でございます。噺家(はなしか)もお客さまの前で話すのは久しぶりで、いささか緊張しておりまして、ネタを忘れたり飛ばしたりしましてもご容赦を」と軽妙に復活のあいさつ。

 7月1日からの公演では、有料オンライン実況(1日1500円)を実施し、ソーシャルディスタンス(社会的距離)で空けた客席には、1カ月2千円で顔写真入りメッセージ板の掲揚希望者を募集する。

 通常の昼席は演者8人だが当分は6人に減らし、料金は一般2800円(前売り2500円)と据え置き。代わりに特製てぬぐいなどが当たる抽選会を行う。

 この日のトリを務めた桂春蝶さんは「久しぶりの高座で緊張しました。前の演者が掛けたネタをササッと帳面に書き留め、次の出番の者はそれを見て出し物を決める。これが生の寄席の醍醐味(だいごみ)で、久しぶりに感覚がよみがえってうれしかった。やはり目の前にお客さんがいていただけると全然違います」としみじみ話した。

2820名無しさん:2020/06/28(日) 14:43:31 ID:NrdB.GxU0
大阪・池田の久安寺で「あじさいうかべ」
6/27(土) 20:40配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/35f0e62d059b75c3f482f994c8bcab313eed23b1

 大阪府池田市の久安寺で、境内の池に浮かぶ色とりどりのアジサイ約250株が参拝者に涼を届けている。

 花の名所で知られる久安寺。見頃が過ぎたアジサイを池に浮かべる「あじさいうかべ」は15年前から始まり、近年は会員制交流サイト(SNS)を機に人気が広がった。国(くに)司(し)真(しん)相(しょう)住職(47)は「終わりを迎えるアジサイに潤いを与え、彩りと諸行無常を感じてほしい」と話す。

 新型コロナウイルスの影響で外出を控えていたという同府箕面市の川野佳世さん(37)は「久しぶりに散歩を楽しめ、カラフルなアジサイに癒やされた」と喜んでいた。

 あじさいうかべは6月末まで。拝観時間は午前9時〜午後4時。拝観料300円。

2821名無しさん:2020/07/01(水) 07:05:40 ID:NrdB.GxU0
大阪の夏、びょうぶで感じて 江戸時代の船渡御絵図
2020年6月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200629/20200629027.html

 大阪の夏の風物詩、天神祭のお練りや奉納花火が新型コロナウイルス対策で中止となる中、地元の川が多くの船でにぎわう主要行事「船渡御(ふなとぎょ)」を描いた江戸時代のびょうぶ絵の展示が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で行われている。8月3日まで。

 同館が、少しでも浪速の夏の風物詩を感じてもらおうと、所蔵資料などを展示した。

 縦1・8メートル、横3・6メートルの大きさで船渡御が描かれた「天神祭礼図」には、大阪天満宮の祭神、菅原道真のみ霊を移したみこしが乗る船を中心に、みこが舞う船や現在でも人気の大太鼓を搭載した船など個性豊かな船が、川を埋め尽くすようにびっしりと描かれている。

 ほかにも疫病よけの祈りが込められていたとされる大型人形の絵を描いた図や、大阪天満宮所蔵で市指定文化財の「天神祭礼船渡御図」など、天神祭関連で計5点を並べている。

 学芸員の沢井浩一課長は「江戸時代の船渡御の様子を見ていただきながら、祭りの復活を願ってもらえれば」と話していた。

 同館では、新型コロナ禍で疫病への関心が高まっているのを踏まえ、7月1日から9月28日には、古代から近代までの各時代に大阪市内を中心に、どのように疫病退散が願われていたかを紹介する展示も行う。

 開館時間は現在、午前11時〜午後4時に短縮し、1日250人までの入場制限を行っているが、7月1日からは午前9時半開館の通常に戻し、入場制限も行わない。

2822名無しさん:2020/07/01(水) 08:29:08 ID:NrdB.GxU0
大阪の3大夏祭りのひとつ「愛染まつり」今年は史上初のオンラインで…特設サイトで生配信も
6/30(火) 20:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/99c639c438d3e1e97263d18027aa8935154c685e

 大阪の3大夏祭りのひとつ「愛染まつり」が始まりました。

新型コロナウイルスの影響で史上初のインターネット配信が行われています。

「商売繁盛!宝恵駕籠!愛染さんじゃ!宝恵駕籠!」

威勢の良い掛け声と宝恵駕籠がお馴染みの愛染堂勝鬘院・愛染まつり。
大阪の3大夏祭りのひとつで去年は約5万人が訪れました。

しかし、今年は…

【記者リポート】
「夏祭りが始まった愛染堂ですが、境内は閑散としています」

新型コロナウイルスの影響もあり訪れる人は大幅に減少…。
これを見越して、準備を進めてきたのがインターネットでの生配信です。

【山岡武明住職】
「どんどん来てくださいとも言える状態ではないですから。それでも功徳というのを味わえる方法というのを見出したかったということです」

【山岡武明住職】
「大阪締めとかご存じですかね?」

【愛染娘】
「聞いたことはあります」

本来、祭りを盛り上げる愛染娘とは現場で打ち合わせを行いますが、今年はビデオ通話で。
配信のために本堂に回線を引いたりと、準備も初めてのことばかりです。

そして30日…

【山岡武明住職】
「御開帳〜!」

史上初となる「オンライン愛染まつり」が始まりました。

2823名無しさん:2020/07/01(水) 08:29:40 ID:NrdB.GxU0
【愛染娘】
「みなさん、こんにちは〜 戻ってきました。愛染TVです」

特設サイトでは、お祭りを2つのチャンネルで配信。

愛染明王の御開帳や法要を生配信するチャンネルと、愛染娘が登場し夏祭りの楽しさを伝えるチャンネルで祭りを盛り上げます。

愛染娘が宝恵駕籠に乗る様子もしっかり配信しました。

【訪れた人は…】
「時は進んでるんだなと思いました」
「実際に見るとなると、その時その場にいないとダメなので。功徳がありそうだなという感じで。この目で見たいな、生で」
「病気をもたれている人もいるし、オンラインだったら感染のリスクも下がるのでいいと思います」

【山岡武明住職】
「伝統行事だから全く汚さないようにそのまま残しておきたいというところもあるんですけど、状況に応じて未来へ進むように残していきたいものだと考えています」

今年はオンラインで楽しむ夏祭り。
来年はどうなっているのでしょうか。

関西テレビ

2824名無しさん:2020/07/01(水) 20:01:19 ID:NrdB.GxU0
上方落語の定席『天満天神繁昌亭』が客入れ公演を再開 ライブ配信も導入
7/1(水) 17:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e7afabacd8d7518f28fc751ee057fbc48dde77f2

 上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)が観客を入れての公演を7月1日から再開しました。

 入口での検温・消毒、そして客席ではソーシャルディスタンス。万全な予防対策を施し、約4か月ぶりの営業再開です。

 「落語とお客さんの笑い声が帰ってまいりました!」(上方落語協会 笑福亭仁智会長)

 また、来場しなくても寄席を楽しめるよう、新しくライブ配信も導入しました。

MBSニュース

2825名無しさん:2020/07/04(土) 07:56:04 ID:ylDuNnHU0
「センターマイク」も復活 なんばグランド花月 客席の使用緩和 吉本新喜劇も7月17日から再開
7/3(金) 19:25配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c412a76af3f0cd773614845600a590b4c1fa9a0f

 6月から公演を再開した笑いの殿堂・なんばグランド花月では3日から客席数の制限を緩和しました。

センターマイクも解禁です。

【祇園】
「この距離がもどってきまして」
「アクリル板がなくなりまして」

大阪・ミナミのなんばグランド花月で3日行われた公演。

これまでは新型コロナウイルスの感染防止策として芸人の間にはアクリル板を設置し、さらに客同士の間隔をとるため、席は2割以下に減らしていました。

3日からは前後左右の席を1席ずつあける形で定員の半分まで客席を拡大。本来の舞台の姿に少しずつ戻そうとセンターマイクを使った漫才も復活です。

【中田カウス】
「無観客の中での漫才でするというのは…」
【ネイビーズアフロ】
「見えてないんすか。一本のマイクで漫才したのは3カ月ぶりくらい…」

【観客は…】
「芸人さんたちもすごく楽しそうで、アクリル板ないほうが、コロナ対策して何できるかなを考えるのが大切だと思う」

現在休止している「吉本新喜劇」については7月17日から、約4カ月半ぶりに再開する予定です。

関西テレビ

2826名無しさん:2020/07/04(土) 08:13:31 ID:ylDuNnHU0
岸和田だんじり祭、開催中止 75年ぶり、大阪
2020年7月3日 18:41
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200703/20200703112.html

 大阪府岸和田市は3日、9月19〜20日に予定していた「岸和田だんじり祭」を主催する町会が、新型コロナウイルス感染拡大防止のため開催中止を決めたと発表した。市によると1945年以来、75年ぶり。各地で新規感染が相次ぐ中、毎年数十万人が訪れる大規模な伝統行事を行うのは難しいと判断した。

 岸和田だんじり祭は五穀豊穣を願って約300年前に始まったとされ、勢いをつけたまま街角を直角に曲がる「やりまわし」が見どころ。運営は市内の岸和田地区と春木地区の町会が主体で、今回は22町会ある岸和田地区が中止を決めた。春木地区は6月に中止を発表していた。

2827名無しさん:2020/07/04(土) 08:19:56 ID:ylDuNnHU0
大河誘致へ楠木正成の甲冑寄贈 大阪・富田林の企業が市に
2020年6月29日 17:02
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200629/20200629080.html

 南北朝時代の武将楠木正成親子を描くNHK大河ドラマの誘致に役立ててもらおうと、精密金属プレス加工業を営む住吉金属(大阪府富田林市)が正成の甲冑を制作、29日に市へ寄贈した。

  同社の鹿児島工場(鹿児島県薩摩川内市)では甲冑制作をしており、正成の銅像などからイメージして作ったという。昨年、工業団地の交流会で甲冑工場が話題となり、同社が制作を決めた。

 甲冑は高さ約90センチとやや大きめのサイズ。同社によると、3カ月がかりで完成。「型作りが必要で全体のバランスを見ながら何度も修正するのが大変だった」という。

2828名無しさん:2020/07/04(土) 10:48:58 ID:ylDuNnHU0
秀吉側近の武将 駒井重勝の日記 自筆原本見つかる
2020年6月15日 5時49分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200615/k10012470411000.html

豊臣秀吉や養子の秀次の言動などを、そばで仕えた武将が記した「駒井日記」の自筆原本の一部が見つかり、調査にあたった専門家は「当時の武将の日記の原本が出てくることはほとんどなく、重要文化財クラスの価値がある」と指摘しています。

「駒井日記」は、豊臣秀吉や養子の秀次に仕えた武将の駒井重勝が書いた日記で、秀吉や秀次の言動などが記されていることから、当時の出来事を知る上で重要な歴史資料です。

江戸時代の写しが数巻分残されているだけで原本は失われていると考えられていましたが、東京大学史料編纂所がその一部とみられる日記をインターネットオークションで購入し、内容などを調べた結果、写しがある部分の自筆の原本そのものと判断されました。

調査にあたった村井祐樹准教授によりますと、見つかったのは17巻以上あるとされる日記のうち第6巻の7割程度に相当し、西暦1594年にあたる文禄3年2月の出来事が記されています。

このうち22日には、秀吉の天下統一を支えた黒田官兵衛が体調を崩した際に、秀次が出した見舞いの手紙の内容が記されているほか、27日には秀吉と秀次が今の奈良県の吉野で花見を行い、そこで詠んだ歌の内容も詳細に記録されています。

村井准教授は「この時代の武将の日記は数が少ないうえ原本が出てくることはほとんどなく、重要文化財クラスの価値がある。筆跡などの情報がある自筆原本の研究は非常に価値があることなので、大きな発見だと思います」と指摘しています。

作者は秀吉の“右筆”の1人
村井准教授によりますと、「駒井日記」の作者、駒井重勝は、豊臣秀吉や秀次の書状を書く右筆を務めていました。

秀吉や秀次の右筆は複数いたことが分かっていて、今回見つかった日記の筆跡をもとに、重勝がどの書状を担当していたのかなどの研究が進むとしています。

また、今回の原本と比べると、江戸時代の写しは体裁が整えられているうえに字の間違いなどがあり、原本によって日記の表記や内容などが正確に分かるということです。

村井准教授は「自筆が出てきたことで、『この朱印状は駒井が書いたんだ』や『この時代に駒井が右筆だったんだ』など、詳細に字を検討していけば分かると思うので、秀吉の右筆たちの研究をする上でも非常に貴重な発見です」と話しています。

2829名無しさん:2020/07/08(水) 22:50:59 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産1年 ハニワ駅長らがPR
2020年7月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200707/20200707029.html

 百舌鳥(も ず)・古市古墳群が世界文化遺産に登録されて1年を迎えた6日、南海電鉄と堺市、堺観光コンベンション協会の3者が、南海なんば駅(大阪市中央区)でPRイベントを展開した。南海電鉄高野線沿いにあるといわれる幻の駅「ハニワ駅」のハニワ駅長と堺市のハニワ部長らが、駅利用客にうちわなどを配り、世界遺産をアピールした。

 登録から1年を迎えるのを機に、大阪に世界遺産があることを府民らに再認識してもらおうと企画した。

 同協会の堺観光コンシェルジュ、篠原千咲さんも加わり、改札口周辺でうちわやポストカードを配り、古墳群の魅力を発信した。

 南海電鉄などは、堺市内を巡るクイズラリーイベントを9月22日まで実施している。ハニワ駅長は「堺市の魅力に触れてほしい」と呼び掛けた。

 新型コロナウイルスの影響で、古墳を訪れる人は減少傾向だが、観光ガイドは対策を徹底するなど、受け入れ態勢を整えている。ハニワ部長は「開放的な空間の古墳は、今の時期にピッタリの観光資産」と熱弁を振るった。

2830名無しさん:2020/07/11(土) 20:36:14 ID:NrdB.GxU0
文楽と煎茶と上町台地語る 竹本さんと佃さんが対談
2020年7月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200709/20200709035.html

 文楽太夫の六代目竹本織太夫さんと、煎茶家で一茶庵宗家嫡承の佃梓央さんが、大阪の上町台地と文楽、煎茶の関係性について対談した。

 竹本さんは、上町台地が舞台となる演目『摂州合邦辻』が謡曲『弱法師』や説教節『しんとく丸』を取り入れている点に着目。お好み焼きやミックスジュースと重ね合わせ、混ぜても成立していればよいという「うまかったらええ」が大阪の持ち味と力説した。

 佃さんは、上町台地の天王寺公園に縁の深い住友家の収集品を引き合いに、「多種多様なものを置き、併せて煎茶をたしなむ空間を設けていた」と分析。その上で、文楽と煎茶の共通点を説いた。

 2人の対談は、オープン台地実行委員会(釜中悠至代表)が5日にオンラインで開催。新型コロナウイルス感染拡大を受けた「コロナ時代」の文楽、煎茶についても語り合った。

2831名無しさん:2020/07/11(土) 21:18:42 ID:NrdB.GxU0
「お仕事頑張って」 御田で園児がアイガモ放鳥
2020年7月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200711/20200711046.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)に広がる御田(おんだ)で10日、恒例のアイガモの放鳥が行われた。参加した地元園児が、無農薬農法など自然の循環について学んだ。

 同大社では、約30年にわたりアイガモ農法を取り入れており、今年は市立住吉幼稚園(平山和子園長)の年長園児約20人が放鳥を体験した。

 園児は岡康史権禰宜(ごんねぎ)から、稲が育つ環境や仕組みについて説明を受けた後、約20羽のひなを代わる代わる抱えて御田に放し「またね」「お仕事頑張ってね」と手を振りながら声援を送っていた。

 平山園長は「園の再開後、さまざまな行事ができない状況の中、園児たちが無農薬のコメ作りを実感する貴重な経験ができた」と笑顔で話した。

 今年の「御田植(おたうえ)神事」(国の重要無形民俗文化財)は、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として規模を縮小して6月14日に関係者のみで斎行。岡権禰宜は「稲は順調に育っている。収穫の時季にはコロナが終息していることを願いたい」と思いを込めた。アイガモ農法は10月ごろまで継続する予定。

2832名無しさん:2020/07/15(水) 18:37:34 ID:NrdB.GxU0
ハスの花が見頃、大阪・盛松寺 「春不老」など約10種130鉢
7/15(水) 15:22配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5569b61931507db6cad86153f89dc4997e242930

 大阪府河内長野市にある盛松寺の境内でハスの花が見頃を迎えている。

 先代住職の時代に数種が栽培されていたが、現住職の高橋成明さん(52)が約10年かけて種類や栽培数を増やしてきた。ピンクで何枚もの花びらが重なり合う「春不老」や白の「白千葉」、花径の大きい「太白蓮」など約10種、130鉢が参道から本堂前にかけ咲き誇っている。

 高橋さんは「参拝する皆さんに楽しんでいただければうれしい。季節ごとに花のある寺にできれば」と話している。入場無料。南海高野線の千代田駅から徒歩約13分。

2833名無しさん:2020/07/21(火) 21:01:12 ID:NrdB.GxU0
関西初「大坂冬の陣図屏風」デジタル想定復元 大阪城天守閣で公開
7/21(火) 17:47配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/82fe66b83a15dcc7737712ea7c920855c131161a

「大坂冬の陣図屏風(デジタル想定復元)完成記念 夏の展示 大坂冬の陣・夏の陣図屏風〜豊臣VS徳川 激闘の記憶〜」が7月23日から、大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城1)で開催される。(京橋経済新聞)

1614(慶応19)年の大坂冬の陣を描いた大坂冬の陣図屏風については、江戸時代後期の模写本が東京国立博物館に所蔵されるのみで原本は行方不明。そこで凸版印刷が最新のデジタル技術を駆使し、昨年、同屏風図を復元。今回の展示では、デジタル想定復元された大坂冬の陣図屏風と共に、大阪城天守閣が所蔵する「大坂夏の陣図屏風」を展示する。

 あわせて大坂冬の陣・夏の陣で活躍した真田幸村(信?)・後藤又兵衛ら所有の甲冑(かっちゅう)、豊臣秀頼が自害する4日前の1615年(慶長20)5月4日付で発給した現存最後の文書、大坂夏の陣最後の決戦当日の1615年(慶長20)5月7日付の豊臣家の家臣・大野治房の書状など、関係資料が並ぶ。

 大阪城天守閣は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、2月29日から臨時休館し、5月20日に再開して2カ月がたった。18日・19日の土曜・日曜とも入館者数は1000人を下回った。広報担当の青木美佐子さんは「天気の影響もあるが、新型コロナウイルスの感染者が再び増加傾向にあり、GoToキャンペーンへの不安といった要因が観光などにもまた影響してきているのでは。感染予防対策をしっかり取り、来場者に楽しんでいただけるように今後もイベントなど計画していきたい」と話す。

 開館時間は9時〜17時(入館は閉館30分前まで)。入館料は600円、中学生以下無料。

みんなの経済新聞ネットワーク

2834名無しさん:2020/07/23(木) 23:25:46 ID:NrdB.GxU0
本宮祭を初のネット生配信 24日から天神祭
2020年7月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200723/20200723042.html

 日本三大祭りの一つとされる天神祭は、新型コロナウイルスの影響で今年は大幅に規模を縮小し、24日に宵宮、25日に本宮を迎える。練り歩きと船を運航する渡御行事や、約5千発の奉納花火は中止となったが、祭りの核となる神事を大阪市北区の大阪天満宮などで斎行。25日午後2時からの本宮祭は、初めてインターネット上で生配信し、「世界中の人とコロナ終息を祈願したい」と視聴を呼び掛けている。

 神事は、本宮祭のほかに、近隣の川で古式にのっとって行う「鉾流(ほこながし)神事」と、天神祭の起源にかかわる同市西区の千代崎行宮で宵宮祭を執り行う。密集を避けるため、本宮祭以外は日時を明らかにせずに取り組む。

 両日とも、江戸時代の天神祭で神を祭った船団を迎えるために作られた「御迎え人形」計3体を境内で展示。祭りにちなんだ7月限定の御朱印も月末まで用意している。

 本宮祭は、動画投稿サイト「ユーチューブ」の大阪天満宮公式チャンネルで生配信。同宮のホームページからアクセスできる。その際、視聴者が神職と一緒に拝礼する場面を設ける予定で、作法の動画を同チャンネルで現在公開中だ。

 柳野等禰宜(ねぎ)は「コロナ禍は世界中の災いとなっている。普段はごく少数で斎行する本宮祭を広く公開することで、世界中の人とともに終息に向けて祈りたい」と話している。

2835名無しさん:2020/07/24(金) 20:42:36 ID:NrdB.GxU0
日本三大祭りの「天神祭」 本宮祭は生配信へ…奉納花火や船渡御は新型コロナの影響で「中止」
7/24(金) 12:11配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a980bc2779be41e790deef1a0a131a64f710dfe

 日本三大祭の一つ大阪の天神祭は、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して行われています。

1000年以上の歴史を持つ「天神祭」。

大阪天満宮では25日の本宮を前に、無病息災と祭りの無事を祈る「宵宮祭」が粛々と行われました。

例年、本宮では船が神輿を乗せ川を渡る「船渡御」や、「奉納花火」が祭りを盛り上げていましたが、今年は新型コロナウイルスの影響で中止となりました。

祭囃子や掛け声が響かない中、関係者のみで神事が執り行なわれます。

【大阪天満宮 祢宜 柳野等総務部長】
「すべての大きな行事ごとができなくなったわけですけども、みなさんの気持ちがひとつになって終息にむかっていきますことを願っております」

25日の本宮祭は通常は非公開ですが、今年は初めてYouTubeでライブ配信されます。

関西テレビ

2836名無しさん:2020/07/25(土) 22:43:06 ID:NrdB.GxU0
天神祭 1000年の歴史で初、神事をライブ配信
2020.7.25 17:05
https://www.sankei.com/west/news/200725/wst2007250012-n1.html

 日本三大祭りの一つ、大阪天満宮(大阪市北区)の天神祭の神事が25日、行われ、一般には非公開だった神事の様子を千年以上の歴史で初めてライブ配信した。新型コロナウイルス感染拡大で祭りの見どころである船渡御(とぎょ)など多くの行事が中止となったが、疫病退散という神事の本来の意義を広く伝える機会にした。

 25日午後、同天満宮本殿で行われた本宮祭の様子が、動画投稿サイト、ユーチューブで生中継された。御祭神・菅原道真公の御神体を納める場所につながる御扉を開ける瞬間や、宮司が祝詞を唱える様子など、例年は氏子など一部の関係者しか立ち会えない厳かな神事の様子を、複数のカメラでとらえた。映像に合わせて神職が場面ごとの説明や平安時代に始まった祭りの由来などについて解説。千年以上秘められてきた神事を丁寧に伝えた。4千近くの視聴があり「素晴らしいものを見せてもらえた」などのコメントが寄せられた。

 寺井種治宮司は「今年の祭りはコロナによって縮小されたが、ライブ配信によって多くの人と神事を共有できたことはとてもよかった。国内外の人に日本の神道の文化に興味を持ってもらえる機会になったのでは。これからも祭りの映像を残していくなどの試みを続けていきたい」と話していた。

 一方、午後8時ごろ、市内中心部を流れる大川では、船上から50発の花火が打ち上げられた。例年天神祭のハイライトとなる約5千発の奉納花火は見物客の密集を避けるために中止となったが、大阪出身の世界的建築家、安藤忠雄さんが「花火で大阪の町を少しでも元気づけてほしい」と提案。天神祭花火奉賛会(会長、藤尾政弘・フジオフードグループ本社社長)が代わりとなる花火をコロナ収束の願いも込めて準備し、大阪の夜空を彩った。

2837名無しさん:2020/07/27(月) 17:28:41 ID:NrdB.GxU0
大阪に落ちた模擬原爆 追悼式
07月26日 12時37分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200726/2000032850.html

 太平洋戦争の末期、大阪・東住吉区にアメリカ軍が投下した模擬原爆で犠牲になった人たちを、追悼する式典が開かれました。

模擬原爆は、アメリカ軍が原爆投下の訓練のために作った、原爆と同じ形をした火薬式の爆弾で、75年前の昭和20年7月26日、大阪・東住吉区に投下され、7人が犠牲になりました。
きょうの追悼式では、爆弾が投下された場所の近くにある恩楽寺で開かれ、地元の人などおよそ50人のほか、オンラインで地元の小中学生が参加しました。
模擬原爆が投下された午前9時26分に合わせて黙とうしたあと、95歳の龍野繁子さんが戦争体験を語りました。
龍野さんは、「戦争中は食べ物がなくて、道ばたで草をむしって食べたり、小さい子どもが残飯をあさったり、悲惨でした。戦争がなくなるよう、若い方々が世の中を導いていってほしい」と呼びかけました。
そしてオンラインで参加した地元の中学校の生徒が、「私たちが無関心ではいけないと思います。世界が平和であるために、ひとりひとりがしっかりと考えていきたい」と述べました。
参加した男性は、「若い世代が核兵器の怖さを改めて知り、戦争がなくなるよう、私たちの思いを引き継いでくれることを期待しています」と話していました。

2838名無しさん:2020/07/27(月) 17:31:05 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍でも伝統絶やさず 天神祭、鉾流神事
2020年7月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200726/20200726021.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭の本宮祭を迎えた25日、大阪市北区の堂島川に架かる鉾流(ほこながし)橋周辺で鉾流神事を執り行われた。今年は新型コロナウイルスの感染防止対策として、渡御行事や奉納花火を中止しており、神事を通して静かに疫病退散や地域の繁栄を祈願した。

 本宮祭に至る行事の無事を願う「宵宮祭」の斎行を変更したことから、本来は24日に執り行う同神事を1日繰り下げた。

 同市北区の大阪天満宮から斎場まで約200人が練り歩く行列はなく、大阪天満宮の寺井種治宮司ら神職とわずかの関係者のみの計約40人が参列した。

 装束に身を包み、鉾流しの大役を務める「神童」の任命も事前になかったことから、同宮の縁者が「御鉾司(おおんほこつかさ)」として代役を務め、小雨が降る中で白木の神鉾を川へ流した。例年は欄干に外国人観光客など多くの人が詰め掛けるが今年は少なく、市民らが静かに見守った。

 鉾流神事は951年に始まったとされ、鉾が流れ着いた場所を、氏地巡行の休憩所「御旅所」に定めた故事にちなむ。

2839名無しさん:2020/08/03(月) 19:41:48 ID:NrdB.GxU0
やぐら内、歴史に浸る 大阪城公園で重文連日公開
2020年8月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200802/20200802028.html

 大阪市中央区の大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)」と「多聞櫓(たもんやぐら)」「焔硝(えんしょう)蔵」の夏休み連日公開が1日から始まった。外は強い日差しが照りつける中、やぐら内部はひんやりと静か。市民や愛好家が訪れ、約400年前の歴史ロマンに思いをはせていた。

 やぐらは土日祝日限定で公開されていたが、今回は16日まで休館なく営業する。当初は7月21日からの予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大に伴う就学施設の夏季休暇の変更に合わせて延期されていた。

 西外堀内側の石垣上に建つ千貫櫓は1620年に創建され、大阪城公園内で最古の建造物。窓や銃眼から火縄銃で大手口を狙う体験ができる。

 石垣の上に造られた長屋の多聞櫓は、「武者走り」といわれる廊下や戦で籠城する際には兵士の詰め所、武器庫として使われた部屋が6室ある。1685年創建された焔硝蔵は、総石造りの火薬庫。江戸時代のまま残るのは、この一棟のみとなっている。

 吹田市から訪れた女性(26)は「(コロナで)遠出ができないから、地元をよく知ろうと思って来た。柱が太くて、窓から外をのぞいたりして楽しんでいます」と話していた。

2842名無しさん:2020/08/06(木) 20:45:39 ID:NrdB.GxU0
戦後75年 支え続けたことば
08月06日 19時05分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200806/2000033319.html

 太平洋戦争の記憶をどうつなぎ、教訓を伝えていくのか。
特集「戦後75年 考えよう、平和のこと。」です。
大阪・羽曳野市にかつて、戦災孤児となった子どもたちを保護する施設がありました。
ここでは、戦争で傷ついた子どもたちを励ましてきた、ある「ことば」がありました。

2843名無しさん:2020/08/09(日) 20:51:13 ID:NrdB.GxU0
大阪城で豊国踊り 観客も楽しむ
08月09日 00時37分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200809/2000033416.html

 豊臣秀吉にゆかりのある豊国踊りを再現したイベントが(ほうこく)8日夜、大阪・中央区の大阪城で開かれ、三味線や太鼓の音にあわせて、軽快な踊りが披露されました。

豊国踊りは、豊臣秀吉の七回忌に1度だけ披露されたとされる踊りで、5年前に有志の手で再現されてから、毎年、大阪城でイベントが開かれています。
8日夜は、天守閣前の広場に設けられたステージに「宝塚歌劇団」と「OSK日本歌劇団」の元劇団員9人が浴衣や狩衣姿で登場し、三味線や太鼓の音にあわせて、軽快な踊りを披露しました。
例年は観客も参加して一緒になって踊りますが、ことしは新型ウイルスの感染拡大防止のため、客席やステージ周辺で手だけを使って踊りを楽しんでいました。
参加した30代の女性は、「近所の盆踊りも中止となり、夏を感じられる機会がなかったのでよかったです」と話していました。
主催した大阪城天守閣の北川央館長は、「みなさんが笑顔で踊っていて、開催してよかったと感じている。1日も早く、これまで通りの開催になるよう願っている」と話していました。

2844名無しさん:2020/08/10(月) 18:03:40 ID:NrdB.GxU0
先祖へ不変の感謝 四天王寺で盂蘭盆会
2020年8月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200810/20200810021.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で9日、お盆行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が始まった。今年は恒例の万灯供養法要や盆踊り大会の中止など、さまざまな新型コロナウイルス感染拡大防止対策の中での盂蘭盆会となったが、日曜と重なった初日は朝から多くの参詣者が先祖供養に訪れた。16日まで。

 同寺では、コロナ禍で参詣できない人々のために、中心伽藍(がらん)・金堂で行われる「夏(げ)法要」(15日まで)の様子を連日午前10時20分からインターネットを使いライブ配信している。

 このほか境内の各回向(えこう)所では、参詣者が代わる代わる焼香する際に刻み香の器の共用を避けるため、同寺職員があらかじめ適量を入れた包みを手渡すといった細やかな措置も取られている。

 同寺の山岡武明参詣課長は「長い歴史で初の試みも多いが、信者さんが仏様と向き合える空間を大切にしたい。さまざまな規制の中、今後も皆さんがマナーを守って安心してお参りできる環境の維持に務めたい」と話した。

 千日詣(まい)り祈祷(きとう)会は聖霊院太子殿前で10日まで。秘仏「試みの観音」のご開帳も行われる。

2845名無しさん:2020/08/10(月) 18:26:44 ID:NrdB.GxU0
戦禍犠牲の動物たちに思い 天王寺動物園で企画展
2020年8月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200810/20200810026.html

 大阪市天王寺区の天王寺動物園内レクチャールームで、戦争の犠牲になった動物を紹介する企画展「戦時中の動物園」が開催されている。第2次世界大戦時に、衰弱死や殺処分された動物の剥製、戦時中の様子を伝える新聞記事などを展示している。16日まで。

 動物園という身近な場所で起こった悲劇と、平和の尊さを伝えるための恒例行事。同園は戦時中、空襲被害で逃げ出すのを避けるため猛獣を殺処分し、一部は剥製として保存してきた。

 また、芸達者で人気者だったことから、軍服を着せられるなど戦意高揚のために軍の広告塔として利用され、栄養環境が悪い中で子どもを死産、自身も翌日に死んだチンパンジーのリタや、毒入りの餌を食べなかったヒョウがロープで首を絞められて処分されるなど、当時の動物たちのエピソードを紹介。吹田市立平和祈念館に保管されている当時の軍服やはがきなども展示されている。

 同園飼育担当課長の今西隆和獣医師は「今も戦争が続いている国では、少なからず動物たちが犠牲になっている。剥製から平和の大切さを学びとってほしい」と話している。

2846名無しさん:2020/08/13(木) 19:27:36 ID:.E3WWbRI0
社会
出た!大阪・梅田で人骨1500体超 別の場にもウメタ?埋葬想定より遅い江戸〜明治

江戸〜明治時代に、現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった「梅田墓(はか)」について、大阪市教委と市文化財協会は13日、発掘調査で1500体以上の埋葬人骨が出土したと発表した。市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しいとしている。庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べたりして葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。
梅田墓は、江戸時代初期に天満周辺にあった墓を現・大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、その後現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大阪に7カ所あった「大坂七墓」の一つで、近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」などにも登場する。
発掘調査はうめきた再開発事業に伴って始まり、2017年2〜6月の調査では、墓地の南北端の石垣や約200体の埋葬人骨が見つかった。19年9月から始まった今回の調査では、北を上として逆L字のような形とみられる梅田墓の東半分を発掘し、東端の石垣を見つけた。敷地内では亡くなった人が木おけや四角い木棺、かめ棺に入れて整然と土葬され、火葬後に埋葬したものもあった。
墓地内の北側は石垣で区切られて一段低くなっており、土をかけたりしただけの埋葬や、穴に何人もまとめて入れた埋葬例が複数あった。発掘担当者は「疫病で一度に亡くなった人などが埋葬された区画かもしれない」と推測している。

 副葬品には数珠玉や六文銭のほか、キセルや土人形、二朱金などがあった。今回の発掘調査の結果、墓地は江戸時代の終わりごろから明治20年代までの19世紀に使われたものとみられるという。駅南側から現在地への移転は、これまで1680年代とされていたが、間に別の場所を挟んでいた可能性が出てきた。

 墓の考古学に詳しい大阪大谷大文学部の狭川真一教授は「東京では江戸時代の墓の調査例はいくつかあるが、これほど大規模な調査は非常に珍しい。墓が密集しているのが都市的で、短時間でこれほど大規模に造るのは農村では考えられない」と指摘した。

 埋葬されたのは大坂城下町と周辺に住む一般庶民らしい。今回見つかった骨の分析結果は出ていないが、前回調査の分析では埋葬人骨は平均30歳代と若く、子どもの埋葬も少なくなかったという。安部考古動物学研究所の安部みき子所長(人類学)によると、手足を中心に病変がみられる個体が3割近くあり、梅毒や骨腫瘍を患っていた可能性がある。過去に大阪府茨木市の千提寺遺跡群で100体近く見つかった同時代の人骨の平均年齢は高く、骨の病変もなかったという。安部所長は「都市部と山村部で全然違うので驚いた。今回見つかった骨を分析することで、文献資料などと合わせて江戸時代の大坂の様子が分かれば」と期待する。

 一連の発掘調査は8月末で終了予定。発掘現場は一般公開しない。【矢追健介】


https://mainichi.jp/articles/20200813/k00/00m/040/071000c

2847名無しさん:2020/08/14(金) 22:27:17 ID:NrdB.GxU0
終戦前日の空襲犠牲者追悼、大阪 JR京橋駅、法要営む
2020年8月14日 11:50
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200814/20200814054.html

 太平洋戦争が終わった1945年8月15日の前日に大阪市であった「京橋駅空襲」から75年となる14日、犠牲となった数百人の市民らを追悼する法要がJR京橋駅(大阪市都島区)南口近くの慰霊碑前で営まれ、遺族や市民らが手を合わせた。

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、例年用意する参列者席は設けず、焼香台を設置。毎年欠かさず来るという当時旧制中学1年だった大阪市城東区の谷本利雄さん(88)は「9月になっても火葬が続いていた。服の名札を切り取って2人ずつトタンに乗せられ焼かれる無数の遺体が忘れられない。二度とあんなことになってほしくない」と話した。

2848名無しさん:2020/08/15(土) 21:24:38 ID:NrdB.GxU0
終戦の日 追悼式典とコンサート
08月15日 17時47分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200815/2000033657.html

 終戦から75年となる15日、戦没者を追悼する式典と、平和を祈るコンサートが大阪・中央区で開かれました。

大阪・中央区のピースおおさかで行われた追悼式には、戦争を体験した世代や家族連れなど70人が参加しました。
ことしは新型コロナウイルスの影響で参加人数が例年の3分の1に制限されたほか、献花も中止となりました。
式典では、戦没者に黙とうを捧げたあと、相愛大学の学生と卒業生による弦楽四重奏の平和コンサートが開かれ、中島みゆきさんの「糸」など穏やかな曲調の8曲が披露されました。
大阪は太平洋戦争末期、終戦の日の前日までに51回の空襲に遭い、およそ1万5000人が犠牲になったといわれています。
訪れた人たちは、敷地内にある犠牲者の名前が刻まれた銘板を見つめていました。
参加した大阪市の78歳の女性は「戦争に行った父がうちは帰ってきたが、帰ってこなかった人もいてかわいそうだった。先祖のお墓参りをする思いで黙とうをしました」と話していました。

2849名無しさん:2020/08/22(土) 22:20:05 ID:NrdB.GxU0
国立文楽劇場が半年ぶりに再開
08月22日 18時05分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200822/2000033956.html

 大阪市の国立文楽劇場で新型コロナウイルスの感染防止対策を徹底したうえで22日、およそ半年ぶりに公演が再開されました。

大阪・中央区にある国立文楽劇場は新型ウイルスの感染拡大でことし2月末から休演していました。
劇場では客どうしが1メートル以上離れるよう座席数を半分以下に減らし、芝居の時間を従来より短く設定して休憩時間に換気を行っていました。
また、来場者にマスク着用を義務づけたほか、入場時に消毒や検温を求め業界のガイドラインに基づいた感染防止対策を徹底させたうえでおよそ半年ぶりに公演を再開させました。
22日は、いわゆる人間国宝に認定されている豊竹咲太夫さんなどが人形を伴わない素浄瑠璃を演じ、来場した客は舞台へのかけ声を控え拍手を送っていました。
神戸市から訪れた女性客は、「きのうから楽しみで眠れませんでした。開催されるのが何よりうれしいです」と話していました。
国立文楽劇場の中島敏隆支配人は、「安心していただけるように万全の対策を行い、感動してもらえる舞台を作り上げていきたい」と話していました。
劇場では10月末から始まる本格的な公演も対策をとったうえで予定通りの日数を行うことにしています。

2850名無しさん:2020/08/24(月) 14:05:06 ID:NrdB.GxU0
彦八まつり デジタルで 笑い、催し満載 9月生配信
2020年8月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200823/20200823023.html

 今年節目の30周年を迎え、9月5日から2日間、大阪市天王寺区の生国魂神社で開催予定だった上方落語協会主催の「彦八まつり」がコロナ禍で来年に延期となったことを受け、同協会役員の桂小春団治さんと桂あやめさんがオンラインで記者会見し、5日正午から動画投稿サイト「ユーチューブ」で無料の「デジタル彦八まつり」を生配信すると発表した。

 生配信では「やるならネットの特性を生かして多方面をつなごう」と、恒例の大喜利は海外や地方に住む落語家が参加する回や、神戸喜楽館の高座をつないで行う回など各地を結んで開催。また、随所に懐かしい映像を使用し、当時を知る落語家が思い出を語るコーナーも予定している。

 あやめさんは「夕方6時までの配信なので、飛び入り参加や意外なひょっこり顔出しがあるかも。私は彦八まつり名物焼きうどんのレシピを公開して実際に作ります」と張り切る。

 また、同日午後6時半から同市北区の天満天神繁昌亭で「彦八まつり30周年記念落語会」(入場料3500円、ネット配信視聴3千円)を開くことも合わせて告知。小春団治さんは「30周年実行委員長は兄弟子福団治で、張り切っていたのに残念。繁昌亭のライブ配信は自粛明け再開後ずっとやっている。お客さまの平均年齢が高いのでなかなか配信自体が広がらない。それなら“デジタルを使って協会の配信事業をPRをして”となった」と説明した。

 記念落語会は、桂ざこばさんと笑福亭鶴瓶さんのトーク“六代目笑福亭松鶴の思い出を語る”を桂米団治さんの司会で繰り広げるのが見もの。鶴瓶さんの師匠・松鶴さん(1986年に68歳で死去)は、酒席エピソードに事欠かない豪快な人で、落語家らしい破天荒な生きざまで知られた。

 落語高座は女子大生出身の桂二葉さん、パペット落語の笑福亭鶴笑さん、米朝長男の米団治さんが務める。他に住よし踊りを笑福亭生喬さん、林家染雀さんらが演じる。

2851名無しさん:2020/08/24(月) 15:11:14 ID:NrdB.GxU0
人間国宝、豊竹嶋太夫さんが死去 人形浄瑠璃文楽の太夫
2020年8月24日 14:18
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/200824/20200824058.html

 人形浄瑠璃文楽の太夫で、人間国宝の豊竹嶋太夫(とよたけ・しまたゆう、本名村上五郎=むらかみ・ごろう)さんが20日死去した。88歳。愛媛県出身。

 1948年、三代目豊竹呂太夫(後の十代目豊竹若太夫)に入門し、同年、豊竹呂賀太夫の名で初舞台。54年に四代目豊竹呂太夫を襲名したが、芸に悩み、翌年退座した。68年に復帰し、八代目嶋太夫を襲名、その後、故四代目竹本越路太夫さんの門下となった。

 94年には、重要な場面を任される「切場語り」に。よく通る美声を生かした華麗な芸風、世話物や「酒屋」など女性の情を語る演目に定評があった。

2852名無しさん:2020/09/05(土) 22:16:59 ID:NrdB.GxU0
境内の四季をテーマ 四天王寺フォトコン作品募集
2020年9月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200905/20200905039.html

 聖徳太子ゆかりの和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)は、同寺の四季をテーマにした「第6回四天王寺フォトコンテスト」の作品を募集している。締め切りは2021年9月30日(当日消印有効)。

 毎年多くの人々から年中行事の一場面や季節感あふれる境内の風景を撮影した力品が寄せられている。今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催を延期していたが、ようやく今月から募集が始まった。

 従来は募集期間が7〜9月の3カ月間だった関係で、お盆行事「盂蘭盆会(うらぼんえ)」をはじめ夏の作品が圧倒的多数を占めていた。今回は、よりテーマにふさわしい四季折々の写真撮影に挑んでもらおうと期間を1年間に延ばした。

 同寺参詣課の瀧藤康教主任は「コロナの影響で、まだ非公開の行事や施設もあるが、感染対策に留意して境内の四季の風景をカメラに納めていただければ」と多くの作品応募を呼び掛けている。

 各賞は、グランプリ大賞(1人)▽準グランプリ賞(2人)▽四天王寺賞、近鉄賞、サントリー賞、大林組賞(各3人)▽四天王寺シニア賞、大林組シニア賞、あべのハルカスシニア賞、サントリーシニア賞(各2人、65歳以上対象)▽春夏秋冬賞(4人)▽入賞(10人)。

 応募点数は1人1点。プロ・アマ問わず。応募方法は次の通り。

 (1)プリント=A4サイズの用紙にプリントし、〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1の11の18 和宗総本山四天王寺総務部参詣課「第6回フォトコンテスト」係に送付する。

 (2)電子メール=JPEG形式でファイルサイズは1〜3MB以内。電子メール(photo@shitennoji.or.jp)に添付して応募する。

 ともに応募用紙を同寺公式ホームページからダウンロードし、必要事項を記入し作品に添付する。応募者の責任や主催者の権利など注意事項の詳細は用紙に記載。問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2853名無しさん:2020/09/07(月) 18:22:34 ID:NrdB.GxU0
切る道具歴史学ぶ 大東・歴史民俗資料館
2020年9月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200907/20200907021.html

 はさみなどを通して歴史を学ぶ「切る道具」展が大東市の市立歴史民俗資料館で開かれている。かつて地元で使われていた船大工の工具など約50点が展示されている。入場無料。27日まで。

 身近な道具の時代ごとの移り変わりを実物で説明。地元では昭和初期まで、川舟や人力で水を押し上げる「踏車」という木製機械の生産地であったことから、当時の職人が使用していた切削道具も紹介している。

 かみそりは大正時代に製造されたものと現在の電動のものとは大きく異なる一方、のこぎりやおのは形に変化がないといった、道具別に時代変化の違いも分かる展示内容となっている。

 企画した学芸員の森田拓馬さん(42)は「切る道具になじみの少ない小学3年生前後が主な対象。文明と密接につながっている切る道具を身近に感じてもらえれば」と話していた。

 同館では企画の一環として13日に同市野外活動センターで竹を素材に弓矢を自作するワークショップを予定している。定員は20人。小中学生が対象。申し込みは電話072(876)7011、同館。

2854名無しさん:2020/09/07(月) 18:59:01 ID:NrdB.GxU0
菅楯彦幻の傑作、修復・展示 四天王寺宝物館
2020年9月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200907/20200907023.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・四天王寺宝物館で12日から秋季名宝展「修理完成記念 菅楯彦『竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)図屏風(びょうぶ)』〜幻の傑作〜」が開かれる。11月8日まで。

 鳥取県出身の菅楯彦(1878〜1963年)は明治から昭和にかけて大阪を拠点に活躍した日本画家。62年には大阪市で最初の名誉市民に選ばれている。

 展示される「竜頭鷁首図屏風」(同寺所蔵、昭和時代、六曲一双)は金屏風に描かれた大作。長年、保存状態が悪かったため公開が困難な状態だったが、同寺が2017〜18年度にかけて保存作業を施した。

 拝観料500円(高校・大学300円)、中学生以下無料。拝観時間は午前8時半〜午後4時半(10、11月は同4時)。ただし9月19〜25日、10月21日は午前8時〜午後5時。入館は閉館の20分前まで。

 問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2855名無しさん:2020/09/12(土) 20:24:54 ID:NrdB.GxU0
8カ月ぶり歌舞伎公演 大阪文化芸術フェス2020
2020年9月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200912/20200912041.html

 大阪では8カ月ぶりとなる本格的な歌舞伎公演が11日、大阪市中央区の「クール ジャパン パーク オーサカ TTホール」で開幕した。上方ゆかりの中村鴈治郎さん、片岡愛之助さん、市川右團次さん、中村壱太郎さんらが出演し、待ちわびていたファンらが力強い拍手を送りながら久しぶりの舞台を堪能していた。13日まで。

 文化を核として大阪の魅力を広く発信していく事業「大阪文化芸術フェス2020」(大阪府・大阪文化芸術フェス実行委員会主催)のプログラムの一つ。新型コロナウイルス感染防止対策を徹底して実施し、3部制で全9公演を予定している。

 初日は鴈治郎さんが「『おもろかった!』『久しぶりの歌舞伎えーわー!』『また歌舞伎見よう!』と思っていただけるよう全身全霊を込めて、厳しい残暑も吹き飛ばす舞台を務めさせていただきます」とアナウンスし、Aプロからスタート。

 盗人(右團次さん)と田舎者(尾上右近さん)の滑稽なやりとりが笑いを誘う「茶壺(ちゃつぼ)」、名匠(鴈治郎さん)が彫り上げた人形(壱太郎さん)が動きだすユーモアのある華やかな舞踊劇「京人形」が披露された。

 1席間隔で入場制限した客席には、着物姿の熱心なファンも多く、屋号の掛け声を自粛するなどして感染防止に努めながら、久々の生舞台を目に焼き付けるかのように熱心に見守っていた。Bプロは「晒三番叟(さらしさんばそう)」「身替座禅」、Cプロは「戻駕(もどりかご)色相肩」「連獅子」。

2856名無しさん:2020/09/12(土) 20:26:02 ID:NrdB.GxU0
大阪城で「屏風展」 豊臣と徳川の激闘全容
9/12(土) 17:06配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e2d62798f0c5ce21000cefc886b24126ab03a7da

 大阪城天守閣で、豊臣と徳川の激闘の全容を描いた屏風など、貴重な資料が展示されている。

 「大坂冬の陣」を描いた屏風は、模写しか伝わっていない「幻の屏風」を大手印刷会社「凸版印刷」が専門家の監修を受け、再現した。金色の下地に極彩色で、「真田丸」での戦闘の様子や淀君と豊臣秀頼の姿が描かれている。

 一方、重要文化財の「大坂夏の陣図屏風」には5千人を超える人々が描かれ、豊臣と徳川の最後の戦いの激しさが表現されている。

 この展示は、10月7日まで開かれる。

2857名無しさん:2020/10/03(土) 16:56:36 ID:NrdB.GxU0
河内長野市 鬼伝説で町おこし
10月02日 16時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201002/2000035601.html

鬼が住み着いていたという伝説が残る大阪・河内長野市で、伝説を通して地域の魅力を発信していこうというユニークな条例が制定され、2日、市長が鬼柄のマスクをつけて記者会見を開きました。

河内長野市の島田智明市長は2日、鬼柄のマスクと角をつけて記者会見の場にあらわれ、鬼伝説を通して地域振興をはかっていく意気込みを語りました。
河内長野市の神ガ丘地区は、かつて「鬼住」と呼ばれ、鬼が住み着いていたという伝説が残っています。
河内長野市では、伝説を通して地域の魅力を発信し、経済活性化につなげようと先月、条例を制定し、11月2日を「いい鬼の日」にするとしています。
市によりますと、2日から市の職員が鬼柄のポケットチーフや髪飾りをつけて窓口業務にあたるほか、毎月2日を町おこし推進日として、さまざまなイベントを企画するということです。
また、地元の飲食店では、大盛りのメニューを「鬼盛り」や「鬼食い」と称して提供することにしています。
河内長野市を舞台に、鬼である女子高生の奮闘を描いた映画「鬼ガール!!」が今月から公開されることもあり、島田市長は、「これからいろいろな形で、地元を盛り上げていけるきっかけになると思う」と話していました。

2858名無しさん:2020/10/10(土) 17:49:42 ID:NrdB.GxU0
「仁徳天皇陵」来秋再発掘へ 保全目的、謎解明に期待
2020年10月10日 11:20
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/201010/20201010042.html

 宮内庁が仁徳天皇陵として管理する国内最大の前方後円墳・大山古墳(堺市、5世紀中ごろ)について、古墳の保全を目的に再発掘を検討していることが10日、同庁への取材で分かった。地元自治体の堺市に協力を呼び掛け、2021年秋の実施を予定している。発掘は19年に世界文化遺産に登録されて以来初めて。

 古墳の構造は不明な点も多く、被葬者を巡っては研究者の間で大きな論争が続いており、謎の多い巨大古墳の実態解明にもつながることが期待される。

 同庁によると、今回の再発掘では内側の堤で調査範囲を広げ、石敷きの広がりや、埴輪列の有無などを確認する方針。

2859名無しさん:2020/10/17(土) 16:06:48 ID:NrdB.GxU0
光秀の禁制を初公開 本能寺の変直後に発行
2020年10月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201017/20201017030.html

 戦国武将の明智光秀が、現在の豊中市若竹町にあたる石蓮寺(せきれんじ)村に対して発行した書状の禁制(きんぜい)が16日、同市立文化芸術センターで初めて一般公開された。主君である織田信長を討った本能寺の変から、わずか5日後の1582(天正10)年6月7日の発行。光秀はその6日後に山崎の合戦で羽柴秀吉軍に敗れ、居城の坂本城に向かう途中に追い詰められ自害した。刻一刻と変化する動乱の戦国時代を、うかがわせることのできる貴重な資料だ。

 禁制は、おきてや禁令を周知する書状。戦国時代は兵の盗みや暴行が横行し、村や寺や神社は有力な武将に禁制を出してもらっていた。

 展示している禁制は、石蓮寺村の役人だった渡邊(わたなべ)家に伝わる。軍勢が村人に乱暴したり、お金や米を奪うことを固く禁止させており、違反者は速やかに厳罰に処すと記している。同じく所蔵の徳川家康や豊臣秀頼らの禁制も公開された。

 同市教育委員会社会教育課の橘田正徳さんは「禁制自体は珍しくないが、家康や秀頼らトップの禁制が同じ村にあるのは珍しさがある」と説明する。

 小高い丘の上に位置する石蓮寺村は、戦略的な面と近隣の垂水西牧榎坂郷の目代(もくだい)(代官)で明智家など有力武将と婚姻関係があった今西家の存在から、本能寺の変や関ケ原の合戦、大坂冬の陣と合戦の節目に禁制が出されていたという。

 渡邊家当主の晴久さん(64)は「戦国のややこしい時代に、知恵を使って自分たちの村を存続させようとしていた人たちの姿に、思いをはせながら見てほしい」と話した。18日まで、観覧無料。

2860名無しさん:2020/10/19(月) 22:19:10 ID:NrdB.GxU0
ええやん! 「宮大工」養成塾
10月19日 19時06分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201019/2000036256.html

「ええやん!学校」。
今回は大阪・太子町の山あいにある「宮大工」を養成する塾を紹介します。

2861名無しさん:2020/10/21(水) 21:15:18 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍収束願い大阪・豊中の神社に能奉納
2020.10.21 20:30
https://www.sankei.com/west/news/201021/wst2010210024-n1.html

 新型コロナウイルス感染の収束を祈願する能の舞台が21日、悪疫退除のご利益で知られる大阪府豊中市の原田神社に奉納された。能楽観世流シテ方の山本章弘さん(59)が、天下泰平と長寿を寿ぐ「高(たか)砂(さご)」を、本殿で舞った。

 感染拡大により同神社でも今年は獅子神事祭が中止になるなど、影響が深刻化していることから、特別に今回の奉納祭を開催。新型コロナウイルス退散の祈(き)祷(とう)の後、「邯(かん)鄲(たん)男(おとこ)」の面(おもて)をかけた山本さんが高砂の舞を披露した。

 「密」を避けるため、あえて告知なしの開催だったが、神社を訪れていた参拝者ら約50人が本殿前に集まり、真剣な表情で観賞。山本さんは「多くの方にご覧いただき、少しでも社会が元気になれば」と話した。今回の能奉納の様子は11月1日午後2時から、「山本能楽堂YouTubeチャンネル」で配信される。

2862名無しさん:2020/10/21(水) 22:23:44 ID:NrdB.GxU0
何時までも縮こまっているわけにはいかない。私たちは生きていかなければいけない。
その為には芸術が、伝統文化が、エンターテインメントが必要なんです。
大阪の誇り、文楽、再開、大阪再起動の象徴的な話だと思います。

『もう涙が出ました』ファンも感激、9ヵ月ぶりに「国立文楽劇場」で文楽が再開
10/21(水) 19:09配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f08f88c0d95952a1e6123754d1217680ea0c9a3

 21日、約9カ月ぶりに国立文楽劇場で文楽が上演されました。

劇場に響く拍手の音…

新型コロナウイルスの影響で国立文楽劇場での上演を休止していた伝統芸能・文楽が、今年1月の初春公演以来、約9カ月ぶりに再開されました。

感染対策のため間隔を空けた座席は、文楽人形の衣装柄で飾られ、安心して文楽を楽しむ工夫が施されました。

【文楽人形遣い・桐竹勘十郎さん】
「お客さんも私たちも、ワクワクしながらね。お芝居は生がいちばんなんですけどもね。ビールではないですけど!」

【訪れた人】
「涙出ちゃう…」
「そう、もう涙出ました」
「待ってましたから本当に」
「みんな心が折れそうになりながら待ってたので」

22日午後7時の公演は、国立文楽劇場では初めての試みとなる、インターネットでの生配信も予定されています。

関西テレビ

2863名無しさん:2020/10/21(水) 22:40:24 ID:NrdB.GxU0
コロナ退散と平和を 神仏霊場会、四天王寺で祈願祭
2020年10月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201021/20201021027.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で20日、「神仏合同国家安泰世界平和並びに疫病退散祈願祭」が執り行われた。

 祈願祭は、近畿の154社寺でつくる「神仏霊場会」の呼び掛けによる。例年は加盟社寺の神職、僧侶が一堂に会し「国家安泰世界平和祈願祭」を開催しているが、今年は新型コロナ禍のため、同じ日時に各社寺が疫病退散も併せて個々に祈願する内容に変更した。

 本来の実施日時は22日午前11時の予定だが、同寺では同日に重要行事がある都合上、了承を得て前倒しで執り行った。

 会場の境内・英霊堂(市指定有形文化財)内では、3人の僧侶が巨大な阿弥陀如来立像を前に読経。世界平和をはじめ、コロナ患者やコロナの影響で苦しむ人々のために祈りをささげた。

 同寺の瀧藤康教さんは「古来、社寺では疫病退散や世界平和を祈念してきた経緯がある。コロナに苦しむ多くの方々の一日でも早い回復を願って今後も法要に務めたい」と話した。同日の祈願祭の動画は、ホームページで24日まで公開される。

2864名無しさん:2020/10/26(月) 23:17:06 ID:NrdB.GxU0
文楽、大阪でも上演再開へ 秋公演が31日開幕、9カ月ぶり
2020年10月25日 15:37
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/201025/20201025070.html

 大阪に、文楽が帰ってくる―。国立文楽劇場(大阪市)の秋公演「錦秋文楽公演」が31日、幕を開ける。新型コロナウイルスの感染が拡大し、同劇場や国立劇場(東京)は主催公演を相次ぎ中止。東京では9月に文楽の上演を再開したが、大阪では約9カ月ぶりで、待ちわびたファンから喜びの声が上がっている。

国立文楽劇場によると、休演中にさまざまな対応を検討。太夫(語り)が発声した際の飛沫量などを微粒子可視化システムで検証し、前方約1mまで飛ぶことを確認した。

 そこで、太夫が座る場所の周辺や、最前列の席を除外した上、座席の前後左右を1〜2席ずつ空け、全体の席数を半分以下にした。

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2866名無しさん:2020/10/31(土) 12:24:43 ID:XKn0Lh.Q0
9カ月ぶりに文楽堪能 大阪で公演
2020.10.31 11:56
https://www.sankei.com/life/news/201031/lif2010310020-n1.html

 人形浄瑠璃文楽の秋公演が31日、本拠地の国立文楽劇場(大阪市)で始まった。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、同劇場は1月下旬を最後に文楽公演を中止しており、大阪での開催は約9カ月ぶり。待ちわびた観客は人形遣いの手さばきや三味線の音に酔いしれた。

 今公演は「源平布引滝」など1日3部構成で、各部の上演時間はいずれも2時間台。これまでは1日2部構成、各部約4時間が通例だったが、観客や出演者の滞在時間を減らして感染リスクを下げるため、演目の構成を変えた。客席は通常の約730席を約300席とし、観客に舞台への掛け声を控えてもらうなどの対策も講じた。

 奈良県葛城市の会社員、岡本圭子さん(47)は「中止期間中はインターネット動画などで楽しんでいた。感染防止のため観客が少ないのは寂しいが劇場で再び見られてうれしい」と笑顔で話した。

 公演は11月23日まで。

2867名無しさん:2020/10/31(土) 12:44:30 ID:XKn0Lh.Q0
埋忠一門の刀剣特別展31日から
10月30日 18時14分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201030/2000036694.html

 桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した職人集団、「埋忠一門」が手がけた刀剣などを集めた特別展が、10月31日から大阪・中央区で開かれます。

展覧会には、桃山時代から江戸時代初期に京都の西陣を中心に活躍した職人集団、埋忠一門が製作した刀剣など、国宝7点を含む90点余りが展示されています。
このうち、慶長13年に埋忠明寿が製作した短刀は、表には上り竜が、裏には下り竜が彫られ、刀身彫刻の表現にこだわりが強まった桃山時代の特徴が色濃く表れています。
また、鎌倉時代の短刀、国宝「九鬼正宗」は、のちに、埋忠一門が刀を保護するための「はばき」と呼ばれる金具を取り付けたものとして紹介されています。
さらに、明寿が桃山時代から江戸時代初期に作ったとされる「蔦文鐔(つたもんつば)」は、しんちゅうの地金に銅や銀を流し込み、あえて金属を腐敗させることで色がにじんだような仕上がりになっています。
学芸員の内藤直子さんは、「アニメなどの影響で刀剣に関する関心が高まっている今だからこそ、皆さんに是非ご覧いただきたいです」と話していました。
特別展「埋忠 桃山刀剣界の雄」は、大阪・中央区の大阪歴史博物館で10月31日から12月14日まで開かれています。

2868名無しさん:2020/11/07(土) 22:52:41 ID:NrdB.GxU0
その建設の経緯と合わせて貴重な昭和初期のコンクリート建築の生き証人。
技術の継承と言う意味でも大事にしていきたいものです。

大阪城天守閣 “卒寿”で証明書
11月07日 11時24分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201107/2000036993.html
11月7日は、大阪城の天守閣が復興されて89年、数え年で90歳の「卒寿」にあたり、訪れた人たちに記念の証明書が配られました。

大阪城の天守閣は1585年に完成しましたが、「大坂夏の陣」で焼失、2代目も1665年に落雷で焼失し、今の3代目は市民の寄付によって、昭和6年11月7日に復興されました。
人で言えば数えで90歳、「卒寿」の誕生日を祝おうと、先着2000人に天守閣を訪れたことを示す記念の証明書が配られました。
証明書は縦13センチ、横16センチほどで、天守閣の屋根にある鬼瓦の形をしていていて、天守閣の歴史が書かれています。
検温や手の消毒を済ませて、証明書を受け取った人たちは、天守閣の展望台で眺めを楽しんだり写真を撮ったりしていました。
大阪市の80代の男性は「小学生のころからずっと見てきた大阪城で、90歳の証明書をもらい感激しています。私も90歳まで生きたいと思います」と話していました。
大阪城天守閣の北川央館長は「大阪城の天守閣は、第2次世界大戦の空襲で多くの建物が焼失された中でも破壊を免れた。新型コロナもできるだけ早く克服し、多くの人を天守閣に迎えたい」と話していました。

2869名無しさん:2020/11/08(日) 21:32:25 ID:NrdB.GxU0
‟道鏡が 正座をしたら 膝三つ”、なんて戯れ歌がある道鏡さんですが、研究が進めば新たな姿がわかってくるかもしれませんね。
明智光秀や石田三成だって時代と共にイメージが変わってきましたから。

道鏡の悪いイメージ払拭へ像奉納
11月08日 14時26分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201108/2000037020.html

奈良時代、天皇に取り入って皇位を狙っていたなどと伝えられる僧りょ、道鏡のイメージを変えようと、出身地の大阪・八尾市の市民グループが木像を寺に奉納しました。

奈良時代の僧りょ、道鏡は、女帝・称徳天皇にちょう愛されて絶大な権力を持ち、みずからも皇位を狙ったなどと伝えられています。
こうした中、出身地とされる大阪・八尾市の市民らで作るグループは、「道鏡は時代に翻弄されただけで伝えられているような悪いイメージを変えたい」として、道鏡の木像を、称徳天皇が建立したとされる奈良の西大寺に奉納しました。
高さ90センチほどの木像は、手に仏具を持って座った道鏡が柔らかな表情を浮かべているのが特徴で、8日は、像に魂を入れる開眼法要が営まれました。
木像を奉納した「道鏡を知る会」の幾島一恵代表は「道鏡は悪いうわさがあるが木像の奉納でそれが変わってくれればうれしいです」と話していました。

2870名無しさん:2020/11/16(月) 23:30:26 ID:NrdB.GxU0
藤十郎さん 大阪でも惜しむ声
11月15日 15時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201115/2000037291.html

坂田藤十郎さんがたびたび出演していた大阪松竹座の前では、惜しむ声が聞かれました。

60代の女性は「ベテランの役者がどんどん亡くなっていくのはさみしいです。88歳で亡くなるのは今の時代では少し早いと思います」と話していました。
歌舞伎ファンの50代の女性は「また素敵な人が亡くなってしまったと残念な気持ちでいっぱいです。人間国宝で雲の上の存在だと思っていましたが、本当に雲の上に行ってしまったんだなあとさみしい思いです。日本の文化をもっともっと私たちが受け継いでいかないといけないと感じています」と話していました。

2871名無しさん:2020/11/16(月) 23:33:12 ID:NrdB.GxU0
岸和田だんじり祭 来年へ協力を
11月13日 17時25分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201113/2000037233.html

 「岸和田だんじり祭」の関係者が、大阪府の吉村知事を訪ね、新型コロナウイルスの影響で、ことしは中止しただんじりの引き回しを、来年は復活させたいとして、協力を求めました。

江戸時代から300年以上続くとされる「岸和田だんじり祭」は、勇壮にだんじりを引き回すことで知られていますが、ことしは新型コロナの影響で引き回しは中止され、神事のみが行われました。
13日は、岸和田市の永野耕平市長や祭りを運営する団体の代表者らが、大阪府庁を訪れ、吉村知事と面会しました。
永野市長らは、「祭りがうまくいくように願ってお預けします」などとして、実物の10分の1の精巧なミニだんじりを知事に預けたうえで、来年は引き回しを復活させたいとして協力を求めました。
これに対して、吉村知事は、「だんじりは岸和田の宝であると同時に大阪にとっても宝だ。来年はコロナを乗り越えただんじりを実現させるために府としても力を入れたい」と述べました。

2872名無しさん:2020/11/18(水) 02:40:10 ID:NrdB.GxU0
晴れ着ではにかむ 七五三 多数の家族連れ参拝
2020年11月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201116/20201116023.html

 子どもの健やかな成長を祝う「七五三」を迎えた15日、大阪市内の神社では晴れ着に身を包んだ家族連れでにぎわった。雲一つない澄み切った空の下、羽織はかまやスーツ、華やかな着物姿の子どもたちが、家族に手を引かれて参拝した。

 天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、午前中から多数の家族連れが参拝。本殿で神事に臨み、神前に手を合わせて健康などを祈願した。境内では、晴れやかな表情で写真に納まった。

 次女・明(はる)ちゃん(7)のお参りで訪れた濱本芳彦さん(43)=同市中央区=は「コロナで先が見えない時代だからこそ、強く生きていってほしい」と、隣りではにかむ明ちゃんに優しいまなざしを向けていた。

 今年は新型コロナウイルス感染症の影響で、お参り時期が分散化。同神社でも平日の祈願予約が増えている。この日も祈とうは1回5組に限定、受付に消毒液を設置するなど対策を講じた。

 権禰宜(ごんねぎ)の中村文隆さんは「コロナで失われたことも多いが、与えてくれたものもある。七五三が改めて家族を見直す機会になれば」と願っていた。

2873名無しさん:2020/11/23(月) 23:16:56 ID:NrdB.GxU0
“医薬の神”に収束祈願 少彦名神社で神農祭
2020年11月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201123/20201123027.html

 「薬業のまち」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社(別所賢一宮司)で22日、江戸期から続く例大祭「神農(しんのう)祭」が始まった。新型コロナウイルスが猛威を振るう中、訪れた参拝者は“医薬の神”に家族の健康とともに、コロナの早期収束を祈願した。

 江戸期には日本の薬問屋の約9割が集まっていたとされる道修町。同祭で授与される縁起物「神虎(しんこ)」は、コレラが大坂で大流行した際、薬種仲間がトラの頭骨などを混ぜた丸薬を作り、厄よけとして張り子の虎を患者に与えたのが由来とされる。

 今年は、参道の露店を中止し、境内も混雑回避のために入場制限を行った。城東区から訪れた女性(67)は家族に医療従事者がおり、自身も看護師として働く。「毎日、大変な思いをしている。早くコロナが収束してほしい」と神妙な顔つきで話していた。

 同祭は、大阪の年内の祭りの最後を締めくくるため「止めまつり」とも呼ばれる。別所宮司は「安全に配慮しながら、いかに参拝者にご神徳を受けていただけるか。来年の祭りの試金石になるような祭りにしたい」と話した。なお、コロナ禍の状況を鑑み、縁起物は来年の節分まで授与する。

2874名無しさん:2020/11/25(水) 21:38:43 ID:NrdB.GxU0
与謝野晶子最晩年の作品 初公開
11月25日 14時02分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201125/2000037693.html


歌人、与謝野晶子が晩年に自身の代表的な歌を1枚のびょうぶに書いた作品が高知県で見つかり、大阪・堺市で公開されています。

大阪・堺市の「さかい利晶の杜」で公開されているびょうぶは、縦横およそ1メートル80センチで、地元出身の歌人、与謝野晶子が20代から50代までに詠んだ代表的な歌、148首が、晶子自身のしなやかな筆遣いで書かれています。
このうち、「海こひし 潮の遠鳴りかぞへつつ 少女となりし父母の家」は、上京した晶子が波の音を聞きながら育ったふるさとの堺を懐かしんで詠んだ歌です。
また、代表作、「みだれ髪」の中の「恋をしているときは すべてが美しく見える」との内容は、後に夫となる鉄幹を思って詠んだとされています。
びょうぶは、文通で親交があった現在の高知県いの町の知人が暮らした家から見つかったもので、晶子が亡くなる2年前に書かれた最後の大作とされ、一般に公開されるのは初めてです。
公開は来年1月18日までで、「さかい利晶の杜」の学芸員、森下明穂さんは、「晶子の集大成の作品をぜひ見に来てほしい」と話しています。

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2876名無しさん:2020/11/26(木) 20:24:51 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍「福もたらす」 今宮戎、福娘40人決まる
2020年11月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201124/20201124027.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江英宮司)は23日、十日戎に奉仕する福娘を決める審査会を、同区のクボタ大ホールで開いた。参加者たちは特技を生かして熱い思いをアピール。審査の結果、福娘40人が決まった。

 今年は2348人が応募。書類と面接審査の通過者を例年500人としているが、新型コロナウイルスの影響で318人に抑えて実施した。

 審査会では、グループ面接で126人に絞られた参加者が、1人15秒の持ち時間で自己PR。ステージではバレエやダンス、和太鼓など、それぞれの特技などを披露しながら「笑顔で皆さんに福をもたらしたい」と、福娘への熱意を審査員に訴えた。

 松原栄一?宜(ねぎ)は「新型コロナウイルスで大変な状況の中、予想以上に応募いただいたことに感謝しかない。今後どうなるか不透明なことも多いが、福を皆さんにお分けする福娘の大切な役割を果たしてもらいたい」と期待を込めた。

 今月28日の発表会は、留学生5人を加えた計45人がそろいの装束でお披露目され、代表4人も選出される。新型コロナ禍で恒例の「宝恵(ほえ)かご行列」には参加しないが、官公庁などへのあいさつ回り後、本番の十日戎(来年1月9〜11日)の参拝者に福ザサを授ける役を担う。

2877名無しさん:2020/11/29(日) 00:52:44 ID:NrdB.GxU0
だんだん高くなる石灯籠 歴史も積み重ね10メートルに
朝日新聞社 2020/11/27 21:00
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%81%A0%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%93%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E7%9F%B3%E7%81%AF%E7%B1%A0-%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%82%E7%A9%8D%E3%81%BF%E9%87%8D%E3%81%AD10%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%81%AB/ar-BB1bpTVN

 約600の石灯籠(どうろう)が並ぶ住吉大社(大阪市住吉区)。江戸時代の玩具商らが商売繁盛の願いを込めて奉納した灯籠(とうろう)2基の高さが10メートルを超えた。20日に関係者を集めた除幕式が開かれた。

 灯籠は1762(宝暦12)年に建立された。改修は29年ぶり6度目。1928年からは改修の度に、灯籠の基礎部分になる「基壇部」の石を積み増し、寄進者の名前を刻んで、約30年ごとに高さを増している。住吉大社によると、改修のたびに高くなる灯籠は珍しいという。

 今回の改修は中村石材工業(大阪市港区)が担当。クレーンで上部をつり上げ、基壇部を約70センチ分高くした結果、高さ10・1メートルに達した。一部がコンクリートで固められており、石を外す作業に苦労しながら2カ月かけて2基とも高くした。同社の文化財担当の水田周一課長(57)は「江戸時代につくられた部分は、同じ石が採れなくなっているので割れないよう注意した」と話す。

 住吉大社の高井道弘宮司は「先人の思い、魂がこもっている灯籠が将来にわたって引き継がれることを心から祈念する」。改修の中心を担った大阪府玩具・人形問屋協同組合連合会の熊本和浩理事長(60)は「威圧感がありつつ、愛着もわく。石と共に歴史も積み上げたい」と話した。(鈴木智之)

2878名無しさん:2020/11/29(日) 09:10:20 ID:T2Zx9hXc0
>>2874
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/travel/6501/1185928699/1021
その上に、旧文部省と日教組をとり持ち、自民党に居ながら民主党政権に入閣したりと💢

2879名無しさん:2020/11/30(月) 21:07:01 ID:NrdB.GxU0
福娘45人勢ぞろい 今宮戎神社、代表3人決定
2020年11月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201129/20201129025.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江英宮司代務者)の「十日(とおか)戎」に奉仕する福娘の発表会が28日、同市中央区の国際会議ホールであった。留学生を含む総勢45人が勢ぞろいし、代表者が決定した。
 
 2021年度の代表者は、谷村栞里さん(22)=同区、会社員▽橋本和花子さん(22)=兵庫県西宮市、神戸大▽山本里咲さん(21)=千葉市、国学院大-の3人。

 3度目の挑戦で福娘の夢を実現した谷村さんは「代表になれるなんて信じられない、最高のビッグプレゼント」と笑顔。橋本さんは「コロナ禍だからこそ、参拝者の方々を温かくお迎えしたい」と意気込みを新たにしていた。

 十日戎(来年1月9〜11日)は「商売繁盛でササ持ってこい」の掛け声で知られる年頭の祭礼で、府の「無形民俗文化財」。今年は新型コロナ禍のため「宝恵駕(ほえかご)行列」などの関連行事は自粛する。

2880名無しさん:2020/12/07(月) 22:09:47 ID:NrdB.GxU0
年末年始 安全第一 府内社寺、入念コロナ対策
2020年12月6日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201206/20201206023.html

 2020年は残り1カ月を切ったが、新型コロナウイルス感染拡大は収まらず、ついに大阪府独自基準「大阪モデル」で非常事態となる「赤信号」が点灯し、府民に不要不急の外出自粛を要請する事態となった。初詣など年末年始の恒例行事を目前に控え、社寺では安全を第一にさまざまな対策を講じている。

 例年、三が日の参拝者数が約230万人に上る大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)では、節分までの分散参拝を勧奨▽境内の露店出店なし▽元旦〜5日まで午後6時閉門-などを基本に参拝者の集中を回避する。

 木製のおみくじ筒や、建物内で祈とうを受ける人々(20人に制限)が座る椅子も抗菌・抗ウイルスなどの加工を施した。岡康史権禰宜(ねぎ)は「住吉大社の伝統を護持しながら、新しい時代のことも考え、これまでにない取り組みを始めた」と対策に注力する。

 同市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)では、境内に警備員を配置して参拝者の間隔を確保し、室内は換気・消毒などに努める。例年は三が日以降に企業・団体などから数百人単位の参拝があるため、代表者と付添人程度に限定した人数制限が必至となる。

 同区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、おおみそかは恒例の除夜の鐘一般参加を含む、すべての行事を取りやめる。

 当初は堂内の換気などの対策を練っていたが、例年の人出と現状を鑑みて中止を決めた。年越しは普段の夜と同じ状態で、元旦から通常通り朝から各お堂を開堂する。

 新型コロナ禍は、年頭に予定されている文化財行事にも影響を及ぼしている。

 豊中市の上新田天神社(中村暢晃宮司)で、毎年1月14日夜に執り行われる「大阪とんど祭」(市指定無形民俗文化財)が中止を余儀なくされた。高さ約9メートルの巨大なとんどやぐらをたき上げることで知られるが、奉仕者の事前準備も困難な状況にあり、当日は神事斎行のみにとどめる。

 大阪市指定無形民俗文化財第1号「綱引(つなひき)神事」を、1月に執り行う同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)でも神事中止が決定。

 神事保存会の氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱を作って豪快に引き合う神事で、江戸期の書物にも登場する。実施場所は境内屋外ながらも、大綱作りには大勢の協力が不可欠なため、3密回避を念頭にやむなく判断した。粟辻宮司は「残念ながら伝統行事も影響を受けた。一日も早い収束を願いたい」と話した。

2881名無しさん:2020/12/12(土) 02:04:05 ID:NrdB.GxU0
明治の淀川大洪水 石碑発見
12月11日 06時38分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201211/2000038435.html

明治18年に大阪の中心部を流れる淀川で起きた大洪水について、当時の様子を記した石碑が大阪市内で見つかりました。
100年以上前に建てられたもので、地元の郷土資料館は「きわめて貴重で、今後の教訓にしてほしい」と話しています。

明治18年に起きた「淀川大洪水」では、1万7000戸の家が流されたり損壊したりしたうえ、27万人以上が被災したと伝えられています。
これについて被災した地元の名士が106年前の大正3年に建立した石碑が大阪・東成区の蔵から見つかったことが、大阪市教育委員会への取材でわかりました。
石碑は高さ1メートル80センチほど、幅50センチほどで、地元の郷土資料館や専門家が調べたところ、「濁流は滔々と流れ込み」、「財産を集めるいとまもなく」など、当時の様子が生々しく刻まれていたということです。
また、家を失った人が寺の境内や旧家の門前で仮住まいをして、堤防の復旧工事で生計を立てていたことなど、被災した人たちの厳しい暮らしぶりがうかがえる記述もありました。
石碑は、過去の災害を伝える「自然災害伝承碑」として11月から、国土地理院の地図に掲載されています。
深江郷土資料館の石川健二代表理事は「石碑を見ることで、過去の水害を頭の片隅に置いて教訓とし、今後の災害への備えにしてほしい」と話していました。

2882名無しさん:2020/12/13(日) 16:42:28 ID:NrdB.GxU0
被災の記憶”追加” 2史跡を地図に掲載
2020年12月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201213/20201213028.html

 国土地理院が認定する「自然災害伝承碑」として、大阪市内の二つの史跡が新たに地図に掲載された。東成区にある大洪水(1885年)を記録した「明治十八年洪水酉(とり)年記念碑」と、天王寺区の和宗総本山四天王寺境内にある安政地震(54年)時の津波被害を記した「安政地震津波碑」の石碑で、ともに当時の被災記憶を伝える。

 自然災害伝承碑は、過去に発生した自然災害に関する事柄を記した石碑のこと。被災場所に建てられることが多く、防災意識向上を図る史跡と期待されている。

 「明治十八年洪水」は、府内最大級の水害として知られ、淀川の枚方・伊加賀の堤防が決壊し、寝屋川の増水とともに現在の東成区一帯が水没。さらに大和川も決壊し、上町台地以外がすべて水没したと記録に残っている。

 石碑(高さ185センチ、幅57センチ、厚さ18センチ)には、同区深江地域が庭より約2・6メートル上まで水位が来たこと、住民が1カ月後に帰ってきた際には家も仕事もなく、堤防の建設に働いたことなどが記されている。

 地元の旧家が自宅の庭に1914年に建立。その後、土蔵にしまって見ることはなくなっていた。今春、移転取り壊しに伴い発見。地元の有志の手で移転されることになった。

 安政地震は南海トラフ巨大地震の一つとされ、現在の静岡県をはじめ、関東から近畿など広範囲に被害が及んだ。石碑は1855年に建立。従来から同寺境内に設置され、小舟に避難した人たちが木津川口から押し寄せた津波で押し流され、多くの死者を出したことを記録している。

 今回、国土地理院への申請を担当した、市教育委員会の桜井久之主任学芸員は「二つの災害は、大阪府内におびただしい被害をもたらした。地図上に記載されることで、過去の災害について多くの人に知ってもらい、防災意識向上につながれば」と期待を寄せた。

 自然災害伝承碑は11月12日現在で、全国646基が国土地理院の地図上に掲載されている。

2883名無しさん:2020/12/16(水) 19:29:22 ID:NrdB.GxU0
ええやん!片岡仁左衛門さん
12月16日 19時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20201216/2000038683.html

「ええやん!この人」です。
江戸時代からつづく、師走の京都の風物詩「吉例 顔見世興行」が、今月5日から始まりました。
新型コロナウイルスの影響で、ことし、関西の歌舞伎公演は中止が相次ぎ、大規模な興行としては感染が拡大してから、初めての開幕となりました。
この顔見世で、圧巻の演技を見せているのが、大阪出身の人間国宝、片岡仁左衛門さんです。
ようやく再開した、関西での本格的な歌舞伎公演。
その思いを聞きました。

2884名無しさん:2020/12/19(土) 20:14:16 ID:NrdB.GxU0
初詣分散へ対策さまざま 封印施し縁起物事前配布
2020年12月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201219/20201219042.html

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、さまざまな対策が打たれている中、大阪市平野区の杭全神社(藤江正謹宮司)は、初詣の分散化の一環として、お札などお正月の縁起物を事前に手渡す方法で対応することにしている。感染防止を願って渡す縁起物を包む袋には、特製の“封印”を施しており、年明けまで御利益を保つ。

 大阪府神社庁などでは初詣に際し、混雑を防ぐために分散化など対策をガイドラインとして発表。同神社では例年、三が日で約30万人が参拝することから、マスク着用などを呼び掛けるだけでなく、「密」を避ける方策を春先から講じてきた。

 初詣の期日を、来年2月3日の節分までを目安として告知。縁起物も配布するが、分散参拝を促す目的で今月20日からお札、お守りなどを事前に渡すことにした。

 包む袋の口は「封印」のタグをつけたひもでくくり、正月を迎えるのと同時に開けて、祭るように促す。同神社では「参拝者が新年の区切りがつくように」と説明する。

 初詣期間だけでなく、手水舎は2カ所に増設。一番混み合うさい銭箱前も幅を2倍にして、人の集まる場所を分散化。例年、筒を使うおみくじは棚から自由にとる方法で接触を減らす。

 祈祷(とう)に関しては三が日は原則予約制。その後も予約を優先するが、節分まで受け付ける。藤江宮司は「神社も参拝される方もコロナ禍で初めてのお正月。長々とやっておりますので、慌てずゆっくりとお越しください」と呼び掛けている。

2885名無しさん:2020/12/23(水) 22:49:10 ID:NrdB.GxU0
落語の繁昌亭大賞に桂よね吉さん コロナ禍で配信の若手に特別賞
2020年12月21日 20:15
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/201221/20201221121.html

 上方落語協会は21日、入門25年以下の落語家を表彰する第15回繁昌亭大賞に桂よね吉さん(49)、奨励賞に笑福亭由瓶さん(49)を選んだ。また、新型コロナウイルス禍で多数の寄席が中止になる中、落語のインターネット配信に積極的に取り組んだ桂紋四郎さん(32)に特別賞を贈った。

 賞金は大賞が10万円、奨励賞5万円、特別賞3万円。来年3月1日に定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)で表彰式と記念落語会を開く予定。

 記者会見したよね吉さんは「(コロナ禍で)われわれ舞台人にとって、どうなるか分からない状況だった。頑張ろうという勇気を頂いた」と話した。

2886名無しさん:2020/12/30(水) 21:05:02 ID:NrdB.GxU0
無病息災願い大根炊き 東住吉 法楽寺で「終い不動」
2020年12月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201229/20201229032.html

 大阪市東住吉区の法楽寺で28日、1年を締めくくる「終(しま)い不動」の法要に合わせ、歳末恒例の「大根(だいご)炊き」と呼ばれる炊き出しがあり、振る舞われた住民らが無病息災を願った。

 用意されたのは、「なにわの伝統野菜」の一つ「田辺大根」と「赤こんにゃく」の“紅白”一対の500食分。一帯はかつて田辺大根の一大産地で、境内に記念碑が建つなどゆかりがある。

 具材は、明治時代から寺に伝わる「へっつい」と呼ばれるかまどで炊かれ、あっさりと煮込んだものに、田楽みそとユズの風味を添えた。

 境内では例年、熱々を頬張る姿が見られるが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、持ち帰り用にパック詰めして住民らに手渡した。

 三世代で訪れた近くの主婦(69)は「こんな大変な時期に、おいしい大根をいただけてありがたい。孫も喜ぶ。大根を食べて早い収束を願うばかりです」としみじみ話した。

2887名無しさん:2020/12/30(水) 21:10:35 ID:NrdB.GxU0
迎春"繰り上げ" 「住吉踊」27日から授与
2020年12月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/201227/20201227016.html

 迎春準備が進む大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、縁起物のわら細工「住吉踊(おどり)」の仕上げ作業が始まった。例年はおおみそかの夜から授与しているが、今年は新型コロナ禍で“密”を避けるため前倒しし、27日から行う。

 わら細工は、同大社の年中行事で奉納される「住吉踊」(重要無形民俗文化財)をモチーフにした民芸品。商売繁盛や家内安全の吉兆として珍重され、現在は地元の松谷吉彦さんの一軒のみで作られている。

 午前中に、5人の神楽女(かぐらめ)(みこ)がかつて歌会などに利用された連歌所に参集。わら細工にササを手際よく取り付け、27日からの参拝者用となる約1千個を完成させた。

 神楽女の仲野沙弥さん(21)は「新型コロナウイルスが1日でも早く収束し、皆さんが健やかに過ごせる1年になってほしい」と話していた。

 同大社では感染症対策として年末年始の露店は中止し、元日〜5日の閉門時間は例年より早い午後6時に変更。初詣情報のはホームページでも発信している。

2888名無しさん:2021/01/06(水) 21:39:44 ID:NrdB.GxU0
9日から天満天神えびす祭 大阪天満宮で縁起物を授与
2021年1月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210105/20210105024.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)は9〜11日、「天満天神えびす祭」を執り行う。

 同宮では昭和20年代後半頃から神職による神事を継続していたが、福笹(ざさ)・吉兆などの縁起物を授与する「神賑(にぎ)わい」は途絶。2006年の「天満天神繁昌亭」開館を記念し、授与などが復興された。

 9日(宵えびす)▽10日(本えびす)▽11日(残り福)-で、各日午前10時〜午後7時。問い合わせは電話06(6353)0025、同宮社務所。

2889名無しさん:2021/01/06(水) 21:43:49 ID:NrdB.GxU0
芸能奉納へ 聖徳太子「1400年御遠忌大法会」
2021年1月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210104/20210104019.html

 622年に薨去(こうきょ)したと伝わる聖徳太子の「1400年御遠忌大法会」が、4〜5月の1カ月間にわたって執り行われる。100年に一度の大法要で、御廟(びょう)所がある叡福寺(太子町)では、人間国宝で能楽シテ方観世流の大槻文蔵さんが演出する新作能や、狂言師・野村萬斎さんによる演目などの奉納行事も予定している。

 新作能は5月9日に披露する。演目は「聖徳太子」で、丹後国の医学生が御廟所へ立ち寄った際、太子が疫病で亡くなったことを知り、格別な思いを抱く。やがて現れた太子に薫陶を受けるが、それは旅の疲れからうたた寝をしていた青年が見た夢だった-という物語。作家の竹田真砂子さんが脚本、大槻さんが演出と節付を手掛ける。

 同日は、野村さんによる狂言「太子手鉾(たいしのてぼこ)」も上演。4月10日には雅楽師、東儀秀樹さんの演奏があり、期間中は「聖徳太子絵伝」の全8幅も特別公開する。

 昨年12月に大阪市内であった記者会見で、大槻さんは「後世に残る作品になると信じている」と強調。同席した叡福寺の近藤本龍住職は「日本が元気になり、“和”の精神を世界に発信できれば」と期待を寄せた。

 奉納行事は4月10日から5月11日まで。寄進者を招待する。

2890名無しさん:2021/01/07(木) 22:05:52 ID:NrdB.GxU0
心の距離は近く 今宮戎、9日から十日戎 福娘来社
2021年1月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210107/20210107033.html

 “えべっさん”の呼び名で親しまれる大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社の十日戎(9〜11日)を前に、祭礼に奉仕する福娘7人が6日、同市北区の大阪日日新聞を訪れ、一年の福を授けた。

 今年の福娘らは、新型コロナウイルス対策で着物の色とおそろいの紫色のマスクを着用。大阪日日新聞の深田巧総局長にえとの「丑(うし)」にちなみ、牛を描いた縁起物の額を手渡し、上方締めで新年を祝った。

 同神社は例年、約100万人の人出でにぎわうが、今年は感染症対策を講じての実施。夜通し行っていた福笹(ざさ)の授与を午前7時〜深夜1時に短縮し、郵送でも対応。授与期間は31日まで延長し、分散参拝を呼び掛けている。

 福娘代表の橋本和花子さん(22)は「マスクやアクリル板越しとなり、参拝者との距離はできますが、心の距離はできるだけ近く、温かく元気に笑顔でお迎えしたい」と話した。

2891名無しさん:2021/01/09(土) 06:09:57 ID:NrdB.GxU0
白馬駆け 新春邪気除き 住吉大社で「白馬神事」
2021年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210108/20210108036.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、年頭の伝統行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われ、小雨の中、多くの参拝者が白馬の神馬(しんめ)「白雪」号が境内を駆ける姿を見守った。

 平安時代の宮中行事だった「白馬節会(あおうまのせちえ)」にちなむ神事で、古来、新春に白馬を見れば年中の邪気を除くと信仰されている。

 同大社の神馬は代々白馬で、同神事をはじめ夏祭りの住吉祭・神輿渡御(みこしとぎょ)でも奉仕している。

 「白雪」号は神馬守(しんめもり)とともに四つの本宮をゆっくりと巡拝した後、「早駆けの儀」で第一本宮などの周囲をさっそうと駆け抜けた。

 堺市堺区から家族と訪れた男性(94)は「毎年参拝しており、今年も元気な姿が見られた。いつも以上に一年の無病息災を祈りたい」と話した。

 境内では神事限定のお守り「竹駒守(まもり)」や御朱印の授与があり、参拝者に人気だった。


野田恵美須神社 あすから十日えびす 福娘が来社
2021年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210108/20210108037.html

 大阪市福島区の野田恵美須神社の福娘5人が7日、同市北区の大阪日日新聞を訪れ、商売繁盛を祈願する「宝の市大祭」(十日えびす、9〜11日)をアピールした。

 訪れたのは、関西国際大の坂口めぐみさん(21)、追手門学院大の速水愛海さん(21)、大阪経済大の八木莉子さん(20)、近畿大の中村彩夏さん(26)、京都外国語大の浮気沙也加さん(22)。

 福島区の花「のだふじ」をあしらったかんざしを挿し、朱色のはかまに白の羽織姿で福笹(ふくざさ)を届け、大阪締めで「ああ、めでたいな」と縁起の良い声を響かせた。

 福娘にずっとあこがれていた中村さんは「こういう時だからこそ、頑張りたい」ときっぱり。昨年に続き福娘を務める坂口さんは「新型コロナウイルスの影響で大きな声は出せないが、明るく笑顔満点で福を届けます」と意気込んでいた。

 今年は新型コロナの感染拡大を受け、例年境内で行う酒の振る舞いや「鯛鉾(たいほこ)」「地車(だんじり)」の公開は取りやめ。混雑が予想される夜の参拝は避けるよう求めている。

2892名無しさん:2021/01/09(土) 06:16:40 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子像設置へ寄付募集 大阪・太子町民ら
2021年1月8日 6:14
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210108/20210108010.html

 聖徳太子(574〜622年)が没して1400年目の今年、太子の名前が町名の由来になっている大阪府太子町で、住民らが秋の記念像設置を目指し、1千万円の寄付を募っている。3万円以上の寄付者は、台座の銘板に氏名が刻まれる。

 町内の叡福寺には、太子を祭る廟がある。住民らは、十七条憲法の制定や遣隋使の派遣といった功績を発信するため、町に隣接する大阪府羽曳野市の近鉄上ノ太子駅前に像を設ける計画。像の高さは約1・8メートルで、台座を含めれば約3メートルになる予定だ。

 寄付に関する問い合わせは太子町観光産業課、電話0721(98)5521。

2893名無しさん:2021/01/15(金) 00:15:34 ID:NrdB.GxU0
寒さはねのける炎 四天王寺庚申堂で「初庚申」
2021年1月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210113/20210113032.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺・庚申(こうしん)堂で12日、庚申まいりで最初に行われる「初庚申」が執り行われた。えとの「庚(かのえ)」と「申(さる)」の組み合わせで約60日ごとに一度巡ってくる信仰行事で、多くの参詣者が新型コロナウイルス禍を受け、無病息災や身体健全を祈願した。

 同寺庚申堂は、日本の庚申尊出現の地とされ、徐災無病の霊験あらたかな秘仏・青面(しょうめん)金剛童子が祭られている。境内では初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供を奉修。同寺僧侶と奈良県大峯山寺の修験行者が願文の奏上の後、護摩壇を清めて点火した。

 同日の大阪市内は、朝方に雪やみぞれが降るなど冷え込んだが、寒さと厄をはねのけるような炎が高く上がり、見守る人々が手を合わせた。

 区内から訪れた山口和子さん(70)は「初庚申にお参りできてうれしい。今年は穏やかな年になって、お寺も含めて以前のようなにぎわいが戻ってほしい」と話した。

 今年の庚申まいり(本庚申)は、3月13日▽5月12日▽7月11日▽9月9日▽11月8日。各前日には宵庚申が執り行われる。

2894名無しさん:2021/01/16(土) 10:03:09 ID:NrdB.GxU0
天神祭 選択肢広く 大阪天満宮、寺井種治宮司
2021年1月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210113/20210113034.html

 新型コロナウイルスの収束が見込めない中、大阪天満宮(大阪市北区)の寺井種治宮司(57)は、今年の天神祭(7月24、25日)のありようについて「遅くても4月中ごろに発表する」と語った。昨年は陸渡御(とぎょ)、船渡御や神賑(にぎわい)行事の奉納花火を中止したが、「神事のみだった昨年の形から広げられるように考える」と述べ、選択肢を設けて検討していることを明らかにした。日本三大祭りの一つ、天神祭を斎行する立場の寺井宮司にインタビューした。

 -「3密」を避けるため、昨年は陸渡御、船渡御、神賑行事を中止した。今年の見通しは。

 「船の手配など準備が必要なため、昨年は4月13日に判断した。コロナ感染やワクチン普及の状況をギリギリまで見極めたい。神事のみだった昨年の形から広げられるように、どれだけできるかを考える」

 -選択肢を設けることか。

 「陸渡御、船渡御は規模縮小すれば可能性はある。西宮神社(兵庫県西宮市)は昨年9月の渡御祭で神職と祭典関係者に限り、船の数も減らして斎行した。天神祭の船渡御も神霊を乗せるだけにすることも考えられる。花火は予告無しの実施もあり得るのではないか。実際、昨年は全国各地で試みられた。また、東京五輪・パラリンピックができるようなら、天神祭もできると思う」

 -東京五輪の開会式は予定通りなら7月23日。その場合、天神祭の警備員不足が表面化する。

 「警備員確保の問題は頭が痛い。人件費約1・5倍の見積もりが出ている。警備の費用が増え、企業協賛の収入が減ると厳しい。経済界に協賛を求めるだけでなく、インターネットで資金を募るクラウドファンディングも続ける。政教分離の面で、行政の補助を受けやすくするため、現在の『天神祭渡御行事保存協賛会』を公益財団法人に改めることも必要だ」

 -明るい話をしましょう。2025年大阪・関西万博に向けて思うことは。

 「25年は万博会場の夢洲(ゆめしま)で何らかの形で『天神祭』として関わりたいと思っている。神様が“現地集合”する降神(こうしん)によって、私たちは1994年5月にオーストラリアのブリスベンで天神祭を斎行し、陸渡御、船渡御も行った。70年大阪万博にも一部の講が参加したことがある」

 -最後に、今年の抱負を漢字一文字で示してください。

 「私はこの正月にコロナ収束を願って俳句を詠んだ。『必ずや 明けぬ夜はなし 初日さす』。漢字一文字にすれば『明』。今春、当宮には女性の神職が4人増えて合計7人になる。きめ細かいご奉仕も心掛けたい」

2895名無しさん:2021/01/16(土) 12:13:40 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍 安寧を祈願 生国魂神社「左義長神事」
2021年1月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210116/20210116032.html

 小正月の15日、大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で恒例の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が行われた。晴天の下、多くの人々が正月飾りを手に参拝。燃え上がる炎に手を合わせ、新型コロナウイルス禍での安寧を祈願した。

 神事は日の出前から斎行され、神職があらかじめ境内に積み上げられた大量のしめ縄や破魔矢、お札などの山に御神火を運び点火した。

 当日持ち込みの縁起物も多く、神社関係者が不燃物の部品などを細かく取り除いた後、丁寧にたき上げた。

 地元の女性(84)は、マスクを指して「早くこれが取れる世の中になってほしい。去年のような1年はこりごり」と苦笑いで合掌。中山宮司は「新型コロナで例年にない正月だったが、今が踏ん張りどき。皆さんにとっていい年になってほしい」と思いを込めた。

 邪気をはらう小正月恒例の小豆がゆ接待は、新型コロナ禍を受けて自粛されたが、同日の境内は企業や団体の初詣が相次いだほか、初詣朱印の授与も好評だった。

2896名無しさん:2021/01/27(水) 20:13:23 ID:NrdB.GxU0
大阪城 約440年前、豊臣秀吉築城当時の石垣を新たに発掘 金箔瓦も
1/27(水) 19:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/01158da161b2e96c9badd0de864acd72d3fd9b4f

 大阪城の地下に埋まっていた豊臣秀吉による築城当時の石垣が新たに発掘され、報道陣に公開された。

 大阪城の天守閣の南側から発掘されたのは、高さ約6メートル・長さ約15メートルの石垣。豊臣秀吉が築いた大阪城は、1615年の大坂夏の陣で落城したが、その後、徳川幕府が新たな城を再建した。

 これだけ広い範囲で発掘されるのは初めてで、豊臣氏が築城した当初の1583年ごろの石垣とみられる。豊臣家は、自然の石を積む方法で、徳川家は、削った石を積み上げる方法など、城の築き方の違いを比べることができる。

 近くからは、豊臣期のものとみられる金箔が押された瓦も見つかった。一般公開は来月19日から。

2897名無しさん:2021/01/27(水) 20:42:00 ID:NrdB.GxU0
信長の前の天下人の貴重な足跡です。

戦国武将の三好長慶のやぐらか 大阪・高槻の山城跡
2021年1月27日 17:20
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210127/20210127103.html

 大阪府高槻市は27日、同市の三好山(182メートル)にある芥川山城跡で、戦国時代の武将三好長慶が建てたやぐらとみられる建物が見つかったと発表した。長慶は1553〜60年に居城とし、政務だけでなく連歌会も催したといい、天目茶わんやすずりなど200点以上の遺物も出土した。市は「織田信長に先駆けた天下人と言われる長慶の生活を示す貴重な史料だ」としている。

 市によると、建物の規模は4・2メートル四方。礎石の周囲に「せん」と呼ばれる四角い瓦製の板を並べた構造で、米や財宝を蓄える蔵の役割があったとされる。同様の建物は大阪や京都を中心に分布している。

2898名無しさん:2021/01/30(土) 11:27:41 ID:NrdB.GxU0
銘木や名刀ずらり 2月11日から盆梅と刀剣展
2021年1月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210130/20210130031.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種治宮司)で2月11〜28日まで、恒例の「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展」が開かれる。書院造り百畳敷きの参集殿を会場に各種銘木や名刀を展示する。

 同宮の祭神で、学問の神様として知られる菅原道真が愛し、「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」-と、和歌にも詠んだ梅にちなんだ展示会。道真公の心を追慕したいとの思いで2004年から始まり、以後、多くの参拝者に親しまれている。文武両道に秀でていたとされることから、近年は刀剣も併せて展示している。

 会期中は、樹齢約200年を超える古木や銘木約50点をはじめ、名刀約10点を展示予定。このうち刀剣では、河内国出身の平安後期の武将・源義家が携えた太刀「天光丸」(羽曳野市・壷井八幡宮所蔵)が特別展示される。このほか同宮所蔵である「天神画像」など貴重な宝物も公開される。

 開場時間は午前9時半〜午後4時半(入場は同4時)。拝観料は高校生以上700円、中学生以下400円、団体(10人以上)600円。

 今年のてんま天神梅まつりは、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として「盆梅と刀剣展」のみ開催となった。問い合わせは電話06(6353)0025、大阪天満宮社務所。

2899名無しさん:2021/01/30(土) 11:32:41 ID:NrdB.GxU0
地域の歴史、水帳で知る 大阪歴博
2021年1月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210130/20210130029.html

 江戸時代の町人身分の共同体「町(ちょう)」にスポットを当てた企画展「大阪の近代化と町」が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。大坂の町共同体ごとに作成していた土地台帳に当たる「水帳(みずちょう)」など関連資料約80件を展示。新型コロナウイルス禍で経済活動や生活様式の見直しが進む中、町共同体が果たした役割や解体過程を通し、共同体のあり方についても再考を促している。3月1日まで。

 同館によると、大坂の町共同体の歴史は「豊臣秀吉による城下町建設」が始まり。家とその敷地を所有する家持(いえもち)(町人)を構成員とし、町人の財産や仕事を守るために家屋敷の売買や譲渡を独自のルールで規制。捨て子を養育するなど相互扶助の機能も持っていた。

 明治以降、水帳は区役所に移管され公文書になっており、会場にはその痕跡が分かる背表紙が付いた大阪市立中央図書館所蔵の『今橋弐(に)丁目水帳』(1856年)や、現在も大阪市公文書館にある『天満三丁目水帳』(同年)などが並ぶ。

 また、町共同体が1880(明治13)年に「名と姿とを消してしまひました」と記す『鰻(うなぎ)谷中之町の今昔』(1942年)を紹介。同時期に水帳の移管や「町に町会という議会の導入」が行われていることに着目し、近代化が町共同体を解体する「過程」だったと分析する。

 担当学芸員の飯田直樹さんは「私たちは過去の共同体の歴史から学び、現在にふさわしい形でそれらを再建する必要があるのではないか」と指摘していた。

ミニクリップ
 水帳 町(ちょう)が家屋敷の所有者を把握するために、町ごとに作成した土地台帳。間口と奥行きの長さ、所有者を明記し、それを図にした水帳絵図も作成。名称は古代律令制下で作成された「田籍(でんせき)」を意味する御図(みず)帳の当て字といわれる。

2900名無しさん:2021/02/03(水) 21:25:37 ID:NrdB.GxU0
能の魅力 スマホで ハイテク技術で普及へ
2021年2月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210201/20210201018.html

 大阪市中央区の山本能楽堂は、180度カメラ4台を使って能「羽衣」と「安達原」を有料配信する「マルチアングル能楽『すまほ能』」を行う。配信期間は今月12〜19日を予定。「新しいデジタル技術を使って、これまで能を見たことのない新たな観客者層を開拓できれば」と準備する。

 新型コロナウイルスの感染拡大によって、厳しい経営環境にある文化芸術団体などの事業構造の抜本的改革を促し、活動の持続性を高めるために文化庁が取り組む「文化芸術収益力強化事業」の委託事業として実施する。

■スマホでさくっと
 能楽の世界観を体感、体験できる機会を創造し続ける同能楽堂。新たに取り組む「すまほ能」は、「オンラインで楽しめるスマートフォン視聴型本格能」をコンセプトに、マルチアングル映像によるオンライン能楽体験として発案した。

 舞台芸術の映像の多くは、舞台後方から全景を定点撮影するが、それでは演者の足さばきなどの動き、能面の陰影、衣装など能楽をリアルに体験することが難しい。そこで、高解像度180度カメラで4方向から記録し、マルチアングル配信技術によって各自の視点での舞台視聴を実現した。

 配信する演目は「羽衣」と「安達原」の2本(字幕解説あり)。スペシャルコンテンツとして、能面のイメージを代表する「小面」と「般若」の面を、普段見ることができないくらい詳細に裏も表も披露する「3D能面」と、能楽堂内を歩くように見学できる「3D能楽堂」も用意する。

■最新テクノロジー活用
 さらに、府・市の協力のもと、大阪城と太陽の塔の前を舞台に、高画質の4Kで「高砂」と「石橋」の撮影を行い、U-NEXTや観劇三昧などで配信する(今月8〜24日、課金制)。翻訳テロップ版も作成し、外国人にも日本の能に興味をもってもらうきっかけをつくる。

 また、照明家の藤本隆行さんの照明デザインにより「葵上」を、VR(360度カメラ)2台で撮影。能の理解・普及を目的としたショートムービー(ドキュメンタリー、能入門動画3本)も配信している。

 能楽師で同能楽堂代表理事の山本章弘さんは「新しいデジタル技術を駆使することで、能がどのように映るのか新たな挑戦。古典に携わる者が、常に新しいモノとの接し方をうまくしていれば、現代社会においても古典の魅力はうまく伝わっていく。能の人もこんなことをしているんだという意外性から、能に興味を持ってもらえれば」と期待を寄せる。

2901名無しさん:2021/02/03(水) 21:32:59 ID:NrdB.GxU0
「お家で古墳巡り日本各地墳活」 藤井寺が第一弾
2021年2月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210201/20210201020.html

 インターネットライブ配信で全国の古墳を紹介する「お家で古墳巡り 日本各地墳活」が31日、スタートし、初回は世界文化遺産に登録された「百舌(もず)鳥・古市古墳群」を有する藤井寺市から中継された。関係者が実際に古墳を訪れながら、地元グルメや雑貨も紹介した。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で外出が難しい中、画面を通じて古墳や地域の魅力を発信しようと、毎年11月に高槻市の今城塚古墳で開催している「古墳フェスはにコット」の実行委員会が、ライブ配信アプリ「17LIVE(イチナナ)」を利用して企画。全国12地域の自治体と協力して、毎月1回配信する。

 司会進行は、実行委員会の「マキ墳ミカ墳」の2人。午前10時に近鉄「道明寺」駅からスタートし、町歩きをしながら小室山古墳や、高架下にある赤面山(せきめんやま)古墳を訪問した。

 晴天に恵まれ、小室山古墳の頂上部からは、あべのハルカスや六甲山、大阪城の眺望を紹介した。

 藤井寺市の岡田一樹市長も出演し、「古墳の尊厳を守りながら、古墳の素晴らしさを世界に発信していきたい」とアピールした。

 午後は同市立生涯学習センターから、ドローンを使っての撮影や館内の展示物を紹介。今後は、堺市や高槻市、奈良県での実施を予定している。

2902名無しさん:2021/02/03(水) 21:57:43 ID:NrdB.GxU0
願いかなえて「お多福さん」 市軸稲荷神社でくぐり門
2021年2月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210202/20210202035.html

 お多福大神などを祭る豊中市刀根山の市軸(いちじく)稲荷神社(寸田高則宮司)で、くぐると願い事がかなうとされる「お多福のくぐり門」が参拝者を出迎えている。節分を前に参拝者は福を授かろうと、お多福のふくよかな笑顔をかたどった門をくぐっていた。3日まで。

 お多福大神にちなみ、1957年から毎年、節分の時期に設置。門は、高さ約3メートル、幅約2メートルの板で作られ、お多福の中央下部にあるくぐり門は約1・2メートル四方の観音開き。左右には、参拝後に短冊を付けたかんざしを挿すための大根が、15本ずつ束ねてつるされている。

 長男の公紀(3)ちゃんと訪れた村野聡美さん(35)=同市=は「お多福門をくぐるのは初めて。早くコロナが収束して、実家の家族などみんなと自由に会えるようになりますように」と願いを込めていた。

 同神社では3日に節分祭が行われ、参拝者はかんざしに結ばれた短冊に名前や年齢などを書き、そのかんざしを頭に挿して「頭いた」を3回唱えた後、願いを思い浮かべながらお多福社前で参拝。帰るときに門の前につるされた大根に、かんざしを挿して奉納する。

2903名無しさん:2021/02/03(水) 22:13:37 ID:NrdB.GxU0
疫病退散 思い込めて 節分お水汲み祭り
2021年2月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210203/20210203027.html

 節分の日の2日、大阪市北区の堂島薬師堂で恒例の「節分お水汲(く)み祭り」(実行委主催)があった。奈良・薬師寺の僧侶が、祈とうしたお香水(こうずい)を竹筒護符に注ぎ清める「お水汲み」などが執り行われ、地元を中心に多くの人々が参詣した。

 「堂島薬師堂お水くみ儀式」と地域伝来の節分行事が融合する形で、2004年から続いており18回目。今年は新型コロナウイルス禍で開催が危ぶまれたが、関係者が「こういう時期だからこそ、薬師堂で疫病退散の祈願法要を」との思いを込め、規模縮小ながら実施の運びとなった。

 ミラーガラスで覆われた堂島薬師堂とお堂周辺では、厳かな節分法要に続いてお水汲みを実施。お香水は薬師寺と大阪天満宮、堂島薬師堂の3カ所の水からなり、僧侶は参詣者が手にする竹筒護符にうやうやしく注いでいった。

 実行委事務局の小沢修さん(61)は「お祭りの火を消したくないという皆さんの気持ちが大きかった。来年こそは2倍、3倍返しでにぎやかにしたい」と期待を込めた。

 同日は、コロナ対策で恒例の鬼追いの町まわりや龍(りゅう)の巡行、北新地「お化け」といった関連行事は中止になった。

2904名無しさん:2021/02/10(水) 20:36:09 ID:NrdB.GxU0
大阪空襲犠牲者名 10年ぶり銘板追加
2021年2月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210208/20210208024.html

 今年で開館30年を迎える大阪国際平和センター「ピースおおさか」(大阪市中央区)は、戦時中の大阪空襲で犠牲となった人々の情報を集めている。3月末までに新たに判明した人名は、同センター中庭「刻(とき)の庭」にある死没者銘板に約10年ぶりに追加される。戦後75年が経過しても問い合わせや申し出は途絶えることがなく、同センターでは新情報の提供に期待を寄せている。

 太平洋戦争中の大阪は、米軍によって1944年12月から45年8月の終戦前日まで8度の大空襲を含む大小約50回の空襲を受け、約1万5千人が犠牲になったとされる。

■銘板に約9千人分
 府では被害を把握しようと2002年10月〜04年3月に、戦後初の死没者名簿作成のための調査・登録作業に着手した。

 委託された同センターは、「大阪戦災傷害者・遺族の会」が過去に自力で作成していた名簿(約6千人分)を足掛かりに、全国の自治体にもチラシを配布して、死没者の氏名▽年齢▽性別▽被災場所▽被災日▽死亡場所▽死亡日▽死亡時の住所-などの情報を収集、重複部分などを精査した。

 遺族の希望で非公開となった約50人を除く約8600人分の名前を記載した名簿が完成し、04年5月から館内で一般公開を開始した。

 05年8月には死没者を追悼し、平和を祈念する場「刻の庭」を新設。モニュメント内の壁に死没者名を浮き彫り加工した銅製銘板を掲げている。

 名簿は追加情報があれば年度ごとに更新されるが、銘板は1枚の銅板に複数人の名前を加工する構造上、一定人数がまとまってから設置している。過去には06年と11年に銘板が追加され、現在計約9千人分の名前が掲げられている。

 前回の追加以降の10年間には、約130人の名前が明らかとなっており、新たな銘板に追加される。中には文字の誤りや、空襲で死没という情報の誤りが判明したケースもあったことから、より正確な情報に改めるために訂正・削除の加工も調整中だ。

■思い詰まる
 昨年は戦後75年の節目で、当初は情報が増えると予想されたが、新型コロナウイルス禍で同センターの平和祈念事業が軒並み中止・縮小されたこともあり、申し出は例年並みにとどまった。

 遺族の高齢化や戦争体験者の減少が進む中、情報収集には困難が伴うが、同センター専門職員の田中優生さんは「ご遺族の思いが詰まったよりどころとして、今後も重要性が増す。より多くの人に名簿・銘板の存在を知ってもらい、さらなる情報収集に努めたい」と話した。

 ◇銘板更新を含む「刻の庭」維持管理には市民からの寄付金「平和寄金」を活用していることから、同センターでは今後も寄付を呼び掛けている。問い合わせは電話06(6947)7208、月曜休館。

2905名無しさん:2021/02/10(水) 22:05:12 ID:NrdB.GxU0
古い針の労ねぎらう 大阪天満宮吉備社で「針供養祭」
2021年2月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210209/20210209023.html

 使い古した針に感謝する伝統行事「針供養祭(お針祭り)」が8日、大阪市北区の大阪天満宮境内社・吉備社であった。和裁など針を使う業種に携わる人々が参拝し、折れたり曲がったりした針を大きなこんにゃくに刺して手を合わせた。

 大阪和服裁縫協同組合(大森貴之理事長)と日本和裁士会大阪府支部(鈴木房子支部長)が、毎年行っている。

 「針塚」がある吉備社では、同宮の神職による神事に続き、古い針を持参した人たちが3密に注意しながら参列。まち針など酷使した多様な針を、軟らかいこんにゃくに刺して労をねぎらい、中にはいとおしそうに自分の針を撮影する人もいた。

 枚方市から親子で訪れた三谷澄江さん(59)は和裁歴40年余り。「少なからず新型コロナウイルスの影響もあるが、頑張らせてもらっている。さらなる技術向上を祈りたい」と笑顔だった。

 今年の針供養祭は、新型コロナ禍を受けて物販ブースを縮小するなどして実施。大森理事長(59)は「100年近い伝統を絶やさないという思いで取り組んだ。仕事上、新型コロナで大変な思いをしている人が多いので、早く元に戻るように願いたい」と話した。

2906名無しさん:2021/02/13(土) 18:55:29 ID:NrdB.GxU0
梅と名刀 一堂に 大阪天満宮
2021年2月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210212/20210212022.html

 鉢植えの梅の木や、名刀を展示した催し「てんま天神梅まつり〜盆梅と刀剣展」が11日、大阪市北区の大阪天満宮で始まった。樹齢約300年の古木から、擬人化されてゲームの美少女キャラクターに採用されている太刀まで約70点がずらり。気品のある姿と甘い香りで来場者を出迎えている。28日まで。

 同宮の祭神で、学問の神として知られる菅原道真が愛し、和歌にも詠んだ梅にちなみ、同宮が2004年から始めた恒例の展示会。文武両道に秀でていたとされることから、近年は刀剣も披露している。

 書院造り百畳敷きの参集殿を会場に、入り口での手指消毒や検温など、新型コロナウイルス対策を講じつつ展開。盆梅は、樹齢約300年の「大和野梅(やまとやばい)」や約200年の「天草野梅」など56点が並ぶ。

 刀剣は、同宮とゆかりのある歴史上の人物に関連した13点を紹介。このうち、平安後期の武将・源義家が携えたとされる太刀「天光丸」は、同宮の天神祭で登場する大型人形「八幡太郎義家」や、刀を擬人化したゲームのキャラクターイラストと共に展示している。

 家族連れで訪れていた小学3年の佐藤多恵さん(9)=同区=は「シャンプーのようないい香り」と梅の魅力を体感していた。

2907名無しさん:2021/02/18(木) 21:37:07 ID:NrdB.GxU0
秀吉の大坂築城題材に歴史講座 22日に平野区
2021年2月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210218/20210218029.html

 「令和2年第3回平野区歴史講座〜秀吉の大坂築城と城下町建設〜」が22日、大阪市平野区のコミュニティプラザ平野(平野区民センター)で開かれる。定員は当日先着100人(午前11時45分受け付け開始)。講演は午後1時半から。入場料500円。

 市コミュニティ協会平野区支部協議会、市教委共催。講師は大阪城天守閣の北川央館長が務める。

 同日は館内の市立埋蔵文化財収蔵倉庫で、収蔵品展示説明会(参加無料)を開催。案内・説明は市教委。時間は(1)正午(2)午後3時半の2回。定員は各回とも当日先着20人。各15分前に2階受付に集合する。問い合わせは電話06(6704)1200、同協議会。

2908名無しさん:2021/02/20(土) 23:01:32 ID:NrdB.GxU0
病魔退散の霊獣? 「奇妙な彫刻」聖徳太子の寺に現る
安井健悟  2021年2月5日 8時00分
https://www.asahi.com/articles/ASP2435WHP1XPTIL02J.html

 聖徳太子が開いた四天王寺(大阪市天王寺区)の阿弥陀堂で、奇妙な彫刻がみつかった。専門家によると、病魔を退散させる力をもつとされた想像上の霊獣の可能性がある。その名は「白沢(はくたく)(白澤)」。コロナ禍の影響で偶然みつかった、と発見者は語る。

白い胴体、人間の顔

 四天王寺の南西部分に位置する阿弥陀堂で、昨年10月、大阪市教育委員会文化財保護課主任学芸員の桜井久之(ひさし)さん(58)は、翌月に迫った市民向けツアーの下見をしていた。

 正面に掲げられた看板の後方は、これまで詳しくみたことがなかったが、目を凝らすと白い胴体が現れた。「たまに見かける麒麟(きりん)の彫刻かな」。角度を変えて確認するため看板の反対側にまわり、記録を残そうと持っていたカメラでズームをかけると、人間の顔があった。「初めて見る動物」だった。

2909名無しさん:2021/02/27(土) 21:04:53 ID:NrdB.GxU0
旧家に残るひな飾り 「船場のおひなさま展」始まる
2021年2月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210226/20210226035.html

 大阪・北船場ゆかりの旧家に残るひな人形を公開する「船場のおひなさま展」が25日、大阪市中央区内で始まった。多くの人たちがエリアを散策し、貴重なひな飾りの数々に見入っている。3月3日まで。

 「春の船場博覧会2021」(船場博覧会実行委主催)として開催。ひな飾りは、高麗橋通から平野町通までエリア内7カ所で展示している。

 このうち、少彦名神社(別所賢一宮司)の境内では、別所宮司の曽祖母の嫁入り道具だったひな飾り(明治末期)を公開中。茶道具やたんすといった道具一式も並び、多くの参拝者が精巧な品々に目を凝らし、1世紀前の時代に思いをはせていた。

 自身の手術後のお礼参りで訪れたという女性(57)=茨城市=は「子どもの頃を思い出すような懐かしい光景。また元気をいただきました」と笑みを浮かべた。

 展示7カ所のうち、同神社と芝川ビル以外の会場では建物外部からガラス越しの観覧となる。

2910名無しさん:2021/03/03(水) 22:13:31 ID:NrdB.GxU0
笑福亭鶴笑さん企画の青空寄席 上新田天神社境内
2021年3月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210301/20210301030.html

 パペット落語で知られる落語家・笑福亭鶴笑さん企画の「第2回千里天神青空寄席」が7日、豊中市上新田1丁目の上新田天神社境内で開かれる。午後2時頃から開演。観覧無料。雨天中止。

 当日は、鶴笑さんのほかに笑福亭遊喬さん▽桂三扇さん▽森乃石松さん-が出演。最新の公演情報は鶴笑さんの公式サイト(http://kakushow.sakura.ne.jp/)で。

2911名無しさん:2021/03/03(水) 22:27:31 ID:NrdB.GxU0
【特集】親方と19歳の弟子...日本最古の企業「金剛組」1400年の“宮大工の技術”を継ぐ
3/3(水) 15:38配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c

大阪に“日本最古の企業”とされる建設会社があります。創業は飛鳥時代。釘を使わずに木と木をつなぎ合わせて荘厳な神社仏閣を建てる。1400年の系譜と若い世代に受け継ごうとする宮大工たちを取材しました。

578年創業の「金剛組」 宮大工の技術を1400年以上受け継ぐ

大阪府堺市美原区にある「金剛組・関西加工センター」。ここでは、のこぎりやノミを使って木と木をつなぎ合わせる「継手(つぎて)」や柱と梁などの木材を直角に結合する「仕口(しくち)」と呼ばれる特殊な加工が行われています。ここで作業をする職人たちは『宮大工』です。

(宮大工歴45年 木口孝文さん)
「いかにこういう仕口で金物を使わないでやって、何十年何百年もたすっていうのがね。今やったらほとんどがボルトで簡単にする仕口もあるんです。こういうややこしいことをせんと。でもそれじゃあ何十年何百年というのはもたへんしね。」

2020年12月、ユネスコが「伝統建築工匠の技」を無形文化遺産に登録し、宮大工らが古くから継承してきた寺社などを建造する技術が世界的に認められました。

そんな宮大工の技術を1400年以上にわたり受け継いできたのが大阪の建設会社「金剛組」です。飛鳥時代に聖徳太子から四天王寺の建立を命じられた宮大工の1人が578年に創業し、“日本最古の企業”と言われています。年間で500件以上の神社仏閣の工事を手掛け、保存や修復も担っています。

大阪府貝塚市にある「正福寺」では、2018年の台風で瓦が吹き飛び、屋根板も剥がれる被害にあい、金剛組による修復工事が行われています。

(正福寺 長岡誠宏住職)
「昔からこの地域の人が守ってきたお堂を、きちんとした形で後世の人に残したいという思いがあるので、是非とも金剛組さんにということでお願いしました。」

2912名無しさん:2021/03/03(水) 22:33:13 ID:NrdB.GxU0
親方と新人宮大工

金剛組の宮大工たちは総勢100人で8つの組に分かれています。親方は8人いて、それぞれに弟子が所属しています。

2020年4月に金剛組に入社した山崎神聖さん(19)。木口孝文さんが親方の「木口組」に入りました。

(「金剛組」木口組 木口孝文親方)
「(山崎さんは)むちゃくちゃ真面目やね。怒られても怒られてものう、やる気満々なんやねんな。そこそこは仕事をこなせるようになってね。」

親方にとっては初めての弟子です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c?page=2

この日、木口さんが山崎さんに教えていたのは、2つの木を1つにつなぐ「継手」です。親方の教えの下、作業を進めていきます。

(「金剛組」木口組 木口孝文親方)
「それで繋がったはずや。いい、いい!上等上等!」

釘を使わずに強度のある1本の柱になりました。

(記者)「意外と丁寧に教えられるんですね。」
(木口親方)「最初は教えておかないとわからんしね。(昔は)よー指金でどつかれてましたわ。頭をノミでガーンとやられて。」

金剛組では2020年に3人が入社。宮大工を志しても半数以上が辞めてしまうといい、“技術の継承”が重い課題となっています。

(新人宮大工 山崎神聖さん)
「親父が元々一般住宅の大工していたんですけれど、小さいころから親父の背中を見て育ったので。『僕も大工になりたい』と言ったところ、宮大工の方が技術的にも細かく教えてもらえるので、宮大工を目指そうかなと思いました。」

入社以来初めての現場作業

新人宮大工の山崎さん、2020年12月に入社以来初めて現場の作業を任されました。本堂の建て替え工事が行われている大阪府箕面市の「正念寺」。

山崎さんが担当するのはお寺の玄関・薬医門の両側にある「袖塀」です。屋根の土台となる板を寸法に合わせて切断して貼り合わせていきます。

2913名無しさん:2021/03/03(水) 22:35:07 ID:NrdB.GxU0
新人宮大工は、自分の持ち場の作業を進めつつ、兄弟子の仕事も手伝います。

 (兄弟子)「もっと上やぞ。」
(山崎さん)「はい。」
 (兄弟子)「もっと上やぞ。」
(山崎さん)「あ、入ったっす。」

本堂内の柱に木材を固定する重要な工程。定規で測りながらミリ単位で表面を削り、釘などを使わずに設置していきます。

そして、親方の仕事。熟練した技で「継手」をはめていきます。
寸分のくるいもない仕上がりです。

昼休憩になりました。山崎さんは美味しそうなお弁当です。

 (記者)「誰が作ったの?」
(山崎さん)「おかん…おふくろっすね。」
(木口親方)「うらやましい。わしは30年前から手弁当みたいな感じ。」
 (記者)「棟梁は怖い?」
(山崎さん)「はい、怖いです。」
(木口親方)「もうあしたから来んでいいわ。ははは。」
(山崎さん)「(親方は)すごい宮大工だと思います。」
(木口親方)「まあ、辛抱せなあかんけどな、10年は。一人前になるまでは。僕らの仕事は何年経っても建物はずっと残っていくから、50年100年ね。孫の代、ひ孫の代に『じいちゃんやったんどー』と、自慢気にこの商売を言えるんちゃいます。」

宮大工で一人前になるには30年かかるといわれています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c?page=3

「袖塀」の屋根板の出来は?

山崎さん、「袖塀」を作り始めて5か月、屋根板が完成しました。

(山崎さん)「すみません、親方見てもらっていいですか?」
(木口親方)「終わった?はいよ。(屋根板を見て)おー上等上等!はい、OKOK!」
(山崎さん)「はい。」
(木口親方)「ここまでできるようになるとは。ちょっと時間かかるけどね。」

2914名無しさん:2021/03/03(水) 22:36:05 ID:NrdB.GxU0
宮大工を目指したきっかけは「大工の父」

この日、仕事終わりに山崎さんの実家を訪ねました。宮大工を目指したきっかけは大工である父親・功さん(51)の存在でした。

(父親 功さん)
「宮大工といえば大工の頂点なので。僕もほんまはそっちの方に進みたかったんですけれど、僕がやっぱりなられへんかった分、息子に一人前の宮大工になってほしいなというのがあったので。頑張ってほしいですね。」

父親の夢だった宮大工。その思いも受け継いでいます。

引き継がれる宮大工の技術

宮大工として初めて挑んだ「正念寺」。作業最終日、「袖塀」も美しく仕上がっていました。

(山崎さん)「おはようございます。」
(正念寺 吉田正志住職)「ほんまに満足のいく立派なものを建ててもらったわ。やっぱり普通の大工さんとは違うもんね。それがいいところやね。」
(山崎さん)「はい。」
(正念寺 吉田正志住職)「普通の大工さんになったらあかんで。」
(山崎さん)「はい。」

宮大工として技を極める。1400年にわたって受け継がれてきた技術は、今もなお後世に引き継がれています。

(3月2日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)

2915名無しさん:2021/03/06(土) 02:39:17 ID:NrdB.GxU0
全国的にも珍しい双方墳の古墳発掘調査 9日からHPで映像配信 大阪・太子町の「二子塚古墳」
3/5(金) 19:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b8be092f6e86e5191cd94306d85aaabf5a92822

 大阪府太子町にある国の史跡「二子塚古墳」で発掘調査が行われ、古墳の造り方や構造の一部が明らかになった。

 二子塚古墳は、四角い墳丘を2つつなげた全国的にも珍しい双方墳の古墳で、7世紀後半に造られたみられている。石室が盗掘を受け、中にある石の棺があらわとなっており、今後の整備に向けて、太子町が5年前から発掘調査を続けてきた。

 調査では、東側の墳丘で大きな石を積み上げて石室の入り口をふさいでいた様子や、石室につながる墓道が長さ4.4mであることが判明し、太子町では古墳時代終わりごろの築造方法が分かる貴重な成果としている。

 町では、感染対策のために現地説明会を取りやめ、ホームページなどで9日から映像配信を行う。

2916名無しさん:2021/03/07(日) 22:08:04 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子かるた完成 生涯や偉業 楽しみながら
2021年3月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210307/20210307024.html

 聖徳太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は13日から、新たな授与品「聖徳太子かるた」を販売する。今秋から来春にかけて営まれる年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」記念として5年以上の歳月をかけて製作。太子の一生や数々の偉業、同寺の縁起などが分かりやすく描かれており、記念にふさわしい授与品に仕上がっている。

 同寺では、2014年秋にオリジナルトランプカード「四天王寺厳選五十四図」を販売。美しい写真と詳しい解説文で構成され、資料として活用できる点でも評判だった。

 かるたはトランプに続く品として企画し、46枚のイラストは「猟奇王」シリーズなどの執筆で知られる漫画家・川崎ゆきお氏に依頼。川崎氏は同寺から、日本中の太子絵伝の基になっている伝記「聖徳太子伝暦(でんりゃく)」など多くの関連史料の提供を受け、それらを参考に研究しながら一枚ずつじっくり手描きした。

 太子誕生の場面をはじめ、「冠位十二階」「十七条憲法」「遣隋使」などをモチーフに、独特のタッチで表現。同寺建立の由縁でもある壮大な「丁未(ていび)の乱」の描写などは2枚一組で描いてある。

 読み札は、日頃、同寺で太子の一生を描いた壁画の絵解き説法を担当している僧侶の面々が協力して考案。川崎氏の完成イラストを見て、「【か】冠位こそ 政治整う 第一歩」「【や】八耳(やつみみ)を 駆使し太子は 指導者に」「【ぬ】濡(ぬ)れ仏 天王となり 戦勝祈願」-などと知恵を絞った。

 裏面には、それぞれ関連した詳しい解説文がコラム風にまとめてあり、読み札だけでも資料として楽しめる。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「幅広い世代がかるたから聖徳太子に親しんで、さらに四天王寺の絵解きや講演会などを通じて、研究を深めてもらうことにもつながれば」と、御聖忌記念の大きな動きに期待を寄せている。

 ◇かるたの価格は1500円。13〜23日には境内・南休憩所でお披露目パネル展を開催する。入場料100円。中心伽藍(がらん)拝観チケット(300円)購入者は当日の入場無料。午前8時半〜午後4時(17日以降は午後5時)。問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2917名無しさん:2021/03/10(水) 22:00:46 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥古墳群ビジターセンター 13日開館 「仁徳天皇陵」などの古墳群を8K高画質映像で体験
3/10(水) 19:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/19333f8926cbfe2adc403b5348718f7b29ff5d5d

一昨年、世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群の魅力を伝える施設が13日、堺市にオープンする。

 堺市で10日、報道関係者に公開されたのは「百舌鳥古墳群ビジターセンター」。

 8Kの高画質で撮影された古墳群がプロジェクションマッピングで楽しめ、古墳が目の前に迫ってくるような迫力があるという。

 国内最大の「仁徳天皇陵古墳」などの空からの映像を楽しめるほか、世界遺産の登録証のレプリカが展示されている。

 13日にオープンする予定で、堺市の担当者は「観光客が古墳めぐりを楽しむ際の拠点にしていきたい」と話している。

2918名無しさん:2021/03/11(木) 21:56:10 ID:NrdB.GxU0
大阪空襲犠牲者の銘板 更新へ
03月11日 12時15分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210311/2000042360.html

大阪の平和資料館、「ピースおおさか」では、太平洋戦争末期の大阪空襲で犠牲になった人たちの名前が刻まれた銘板を、新年度、10年ぶりに更新することになり、今月末の期限で情報の提供を呼びかけています。

大阪は、太平洋戦争末期に五十数回にわたる空襲にあい、1万2000人を超える人たちが犠牲になったと言われています。
大阪・中央区の平和資料館、「ピースおおさか」では、一連の空襲で犠牲になった人たちを追悼する銘板を設置していて、遺族が公開を望まない人を除く8987人の名前などが刻まれています。
「ピースおおさか」では、その後に寄せられた情報をもとに、新年度、10年ぶりに銘板を更新することになりました。
今月末を期限に情報の提供を呼びかけていて、それまでに判明した名前を、新たに刻むことにしています。
「ピースおおさか」の田中優生さんは、「戦後76年となる中で、空襲の記憶を伝えるものとしてさらに銘板の重要性は増している。これを機に、1人でも多くの名前を追加するため、情報を寄せてほしい」と話しています。

2919名無しさん:2021/03/13(土) 12:27:43 ID:NrdB.GxU0
寄り添う思い響く 四天王寺で追悼の打鐘
2021年3月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210312/20210312034.html

 東日本大震災発生から10年を迎えた11日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で、発災時刻に合わせて犠牲者を追悼する鐘が鳴らされた。

 同寺では2011年の発災以降、若手僧侶による被災地慰問や復興支援募金などさまざまな活動に取り組み、追悼の打鐘は一周忌の12年から継続している。

 境内の鼓楼(ころう)、北鐘堂(黄鐘楼(おうしょうろう))、南鐘堂(鯨鐘楼(げいしょうろう))に入堂した僧侶は午後2時46分に、それぞれ天井内の鐘につながる綱を引き、快晴の空に深い響きを7回響かせた。

 打鐘前には、参詣者に鐘の趣旨を伝える境内アナウンスがあり、多く人々がしばし東北に向けて手を合わせた。

 同寺参詣課の小嶋光英さんは「10年の節目に多くの方々と追悼できる機会となった。今後も遠く離れた大阪から追悼するとともに、被災地の復興を祈念したい」と思いを込めた。

2920名無しさん:2021/03/14(日) 22:17:48 ID:NrdB.GxU0
鎌倉時代の聖徳太子像に胎内仏
03月14日 06時43分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210314/2000042462.html

奈良県斑鳩町の寺が所蔵する鎌倉時代の「聖徳太子立像」の胎内に小さな仏像などが納められているのがわかりました。
調査した奈良国立博物館は「平安時代の後期以降に広まった聖徳太子を、観音の化身とする信仰がうかがえる」としています。

胎内から仏像などが見つかったのは斑鳩町の成福寺の本尊で、鎌倉時代に作られた「聖徳太子立像」です。
4月から始まる特別展に先だって、国の重要文化財に指定されているこの像を、奈良国立博物館がX線CTスキャンを使って調べたところ、像の胸のあたりの胎内に、高さ6センチ余りの木製の菩薩半跏像や仏舎利を模したとみられる紙に包まれた16点の鉱物が納められていることがわかりました。
この菩薩半跏像は、聖徳太子が建立したとされる大阪の四天王寺の本尊とおおむね同じ姿勢で、一般的な「如意輪観音」と同じように岩をかたどった台に座っています。
調査にあたった博物館の山口隆介主任研究員は「四天王寺の本尊に対する信仰と平安時代の後期以降に広まった聖徳太子を如意輪観音の化身とする信仰が重ね合わせられていることがうかがえ、非常に興味深い発見だ」と話しています。
今回の調査結果は4月27日から奈良国立博物館で開かれる特別展「聖徳太子と法隆寺」で紹介されます。

2921名無しさん:2021/03/18(木) 22:09:21 ID:NrdB.GxU0
彼岸の入り 春の陽気 四天王寺 参詣者が先祖供養
2021年3月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210318/20210318028.html

 春の彼岸の入りとなった17日、大阪各地の霊園や寺院などでは朝から多くの人たちが訪れ、春本番の陽気の中で手を合わせた。

 このうち大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、「春季彼岸会(え)」(23日まで)が始まり、境内の諸堂で参詣者が先祖供養に並んだ。

 お彼岸恒例の露店は、新型コロナウイルス感染拡大予防対策として間隔を空けて出店。骨董(こっとう)品や古着、日用品、食品など多彩なテントやブースが並ぶ中、掘り出し物を探し求めて境内を巡る人たちの姿が見られた。

 親類と訪れた女性(69)=同市東淀川区=は「人出はまだ少ない印象だが、本当に春らしいお天気の日に、ゆっくりお参りすることができた」と話した。

 20日の「春分の日」(彼岸の中日)は、午後5時20分から極楽門(西大門)で、真西に沈む夕日に極楽浄土を思う伝統行事「日想観」が行われる。

2922名無しさん:2021/03/21(日) 19:30:18 ID:NrdB.GxU0
彼岸 極楽浄土へ思い 四天王寺で「日想観」
2021年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210321/20210321032.html

 彼岸の中日「春分の日」の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)の極楽門前で伝統行事「日想観」が執り行われた。多くの参詣者が石鳥居の向こうに極楽浄土を思い、静かに手を合わせた。

 日想観は、かつて同寺の西側に海が広がっていた時代、西門からの光景が極楽浄土に続く入り口として信仰されたことに由来。春・秋の彼岸の中日のみ、夕日が石鳥居の中央に沈むことで知られるが、この日は午後から天気が崩れ、夕日を拝むことはできなかった。

 日没が近づく午後5時ごろから僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、真西に向かって般若心経などを読経。参詣者も合わせてお経を唱えながら伝統行事を見届けた。

 堺市から訪れた木下恭子さん(67)は「夕日が見られなくて残念でしたが、皆さんと手を合わせることができて心が落ち着きました」としみじみと話した。

 午前中は天候に恵まれたこともあり、朝から家族連れなどが続々と参詣。露店は新型コロナウイルス感染拡大予防対策として間隔を空けて出店され、にぎわった。

2923名無しさん:2021/04/03(土) 23:18:11 ID:NrdB.GxU0
斑鳩町 世界遺産の法隆寺 聖徳太子没後1400年の特別法要
04月03日 17時06分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210403/2000043429.html

 ことしは聖徳太子が亡くなって1400年にあたるとされています。
世界遺産の法隆寺では、3日から聖徳太子の遺徳をしのぶ特別法要が始まりました。

ことしは、聖徳太子の没後1400年の「御遠忌(ごおんき)」とされ、奈良県斑鳩町の世界遺産、法隆寺では、聖徳太子の遺徳をしのぶ特別法要が、3日から3日間、行われます。
初日は、金堂や五重塔がある西院伽藍で法要が営まれ、県内外の寺社の関係者など450人余りが参列しました。
法要では、鮮やかな衣装をまとった4人の子どもたちが極楽にいるとされる鳥にふんし、雅楽に合わせて華麗な舞を奉納しました。
そのあと、法隆寺の古谷正覚住職が、聖徳太子の事績をたたえる「表白(ひょうびゃく)」を読み上げ、遺徳をしのびました。
最後に、僧侶が経を唱える中、参列者は、会場の中心に設けられた焼香台で次々に焼香を行いました。
法要を見学した愛媛県の70代の女性は「勇壮な舞や雅楽が印象に残りました。連綿と続く歴史を感じ、記念すべき1日になりました」と話していました。
法隆寺の特別法要は5日まで行われます。

2924名無しさん:2021/04/03(土) 23:22:19 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の命日法要で使うみこし初公開 四天王寺 光る江戸の技
4/1(木) 11:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c014a4b706e38dff38b4c8402c847efaf5005186

 四天王寺(大阪市天王寺区)宝物館で、毎年4月22日に営まれる聖徳太子の命日法要「聖霊会(しょうりょうえ)」で使われる2台のみこし「鳳輦(ほうれん)」「玉輿(ぎょくよ)」(いずれも江戸時代)が初めて一般公開されている。それぞれ太子の像と仏舎利(釈迦の遺骨)という寺の信仰の核となる宝物を載せる特別なみこし。当初の飾り金具がほぼ残るきらびやかな姿を間近に見ることができる。【花澤茂人】

 聖霊会などの大きな法要は境内の六時礼讃(ろくじらいさん)堂で営まれ、聖霊院に安置される太子の像を鳳輦に、金堂に安置される仏舎利を玉輿に載せ、法要の本尊となる太子の絵像「楊枝御影(ようじのみえい)」の両脇に置く。寺によると、かつてはそれぞれのお堂から練り歩いていたが近年は実施しておらず、法要中も参拝者は堂内に入れないため、みこしを見られる機会はなかった。

 鳳輦は高さ217・5センチ、玉輿は同234センチ。金具の様式から、江戸時代初期に徳川家によって寺が再興された時に作られたとみられる。これまで通常時は蔵に保管していたが、聖徳太子(622年没)の「千四百年御聖忌(ごせいき)」に合わせて宝物館に移し、今後は一般公開することにしたという。

 同寺の一本(いちもと)崇之学芸員は「豪華な金具は特別なみこしにふさわしい。江戸初期の最高の職人技を見てほしい」と話す。

 宝物館は正月と春、秋に公開され、今春は5月5日まで。拝観料は大人500円、高校・大学生300円。聖霊会の前後数日はみこしは見られない。問い合わせは同寺(06・6771・0066)。

2925名無しさん:2021/04/04(日) 00:13:26 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子ゆかりの手拭い作成 大阪の町、没後1400年記念
2021年3月30日 16:39
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210330/20210330079.html

 大阪府太子町が町名の由来となっている聖徳太子の没後1400年を記念し、太子を祭る廟がある叡福寺など町内施設を紹介する手拭いを作った。施設には20種を超える布用のスタンプを置いてあり、周遊しながら押して楽しめる。

 手拭いは町役場の観光産業課の窓口と竹内街道交流館で観光アンケートに答えた人にプレゼントする。千本を用意した。叡福寺や日本最古の官道とされる竹内街道、歴史資料館のほか、ブドウ、ミカンといった特産品などの絵を描いている。

町によると、太子の没年は621年と622年の二つの説があり、町は今年を没後1400年として記念事業をしている。

2926名無しさん:2021/04/06(火) 22:34:50 ID:NrdB.GxU0
豊臣秀吉 家臣に領地与えた書状2通発見
04月06日 17時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210406/2000043553.html

豊臣秀吉が家臣に領地を与えたことを示す書状2通が、兵庫県たつの市の旧家で見つかりました。
専門家は、秀吉が土地を与えて政権を支える家臣団を作っていった過程を知ることができる貴重な資料だと評価しています。

豊臣秀吉の書状は、たつの市の旧家に残されていた、およそ4000の古文書の中から見つかりました。
たつの市によりますと発見された2通は、秀吉が家臣の垣屋孫市にあて送ったもので、1通は天下統一前の1583年に、もう1通は「太閤」と呼ばれるようになった時期の1594年に書かれたものです。
2通とも現在の神戸市の東部に、200石の領地を与えるという内容で、このうち秀吉の書であることを示す、赤い朱印が押された1594年の書状は、高級和紙の「大高檀紙」で、紙の大きさも限られた権力者しか使うことができなかったものだということです。
日本の中世史が専門の兵庫県立歴史博物館の前田徹学芸員は、「秀吉が領地を与えることで家臣を束ね、政権を支える集団を作っていったことを知るうえで貴重な資料だ」と話しています。
発見された書状は、今月24日から兵庫県たつの市の市立龍野歴史文化資料館で一般公開されます。

2927名無しさん:2021/04/08(木) 23:23:45 ID:NrdB.GxU0
いとし・こいし 兄弟の絆紹介 ワッハ上方で特別展
2021年4月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210408/20210408037.html

 大阪市中央区の大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)で、昭和から平成にかけて活躍した兄弟漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の足跡をたどる特別展が行われている。幼少期から、紫綬褒章をはじめ数々の勲章を授かり「上方漫才の至宝」と称された晩年まで、兄弟の絆を紹介している。

 同館では、「上方演芸の殿堂入り」した芸人を特別展で紹介しており、昨年10月から2カ月開催した故ミヤコ蝶々(ちょうちょう)展に続いての第2弾。同コンビは2004年に殿堂入りしている。

 「夢路いとし・喜味こいし 上方漫才を支えた兄弟コンビ展」と題した展示では、前コンビ名の「荒川芳博・芳坊」時代から、漫才作家の故秋田實氏が主催する若手漫才集団「MZ研進会」に参加し、現コンビ名に改名した後の活躍ぶりを当時のパンフレットや出番表、写真などで振り返っている。

 また、著作物から引用し、2人の漫才の考えや兄弟への思いを紹介している。

 企画を担当した同館の五味誠さんは「2人の漫才は、感情移入してしまう身近なネタだった。大人から子どもまで楽しめるネタを作るため、どのように漫才に取り組んできたのか、2人の人柄を合わせて見ていただきたい」と話している。

 入館無料。毎週月曜休館(月曜が祝日の場合は翌平日が休館)。

2928名無しさん:2021/04/10(土) 08:39:09 ID:NrdB.GxU0
壁一面に「龍」の字 北区・国分寺「花まつり」
2021年4月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210409/20210409024.html

 大阪市北区の真言宗国分寺派大本山国分寺で8日、お釈迦(しゃか)様の誕生を祝う伝統行事「花まつり」が行われた。堂内墓地が同日オープンし、新型コロナウイルス感染症収束祈願の初護摩と書道パフォーマンスも行われ、参拝者が神妙な表情で見守った。

 堂内墓地は、霊園墓石のヤシロ(箕面市、八城正明代表)が運営する「国分寺御廟(びょう)」。境内の会館を改修し、地上4階地下1階の施設に4千基の遺骨を収蔵する。

 護摩炊きは、近隣住民が記名した護摩木を合田和教管長と僧侶4人が読経しながら燃やし、書道家の真澪(しんれい)さんが壁一面に仏法の守護獣「龍」の字を書き入れる書道パフォーマンスを繰り広げた。

 初護摩を終えた合田管長は「(昨年の感染拡大当初は)コロナはただのコロナだった。それが時間がたち、人災が入ってきている。ごく普通に暮らし、守るべき常識を守り、手を合わせれば早期に収束するのではないか」と参拝者に語り掛けた。

 境内では、花見堂の仏様に甘茶をかけたり、花のアロマキャンドルを作るワークショップ、写経体験が行われた。

2929名無しさん:2021/04/12(月) 23:24:49 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子1400年忌法会 大阪・太子町の寺で始まる
2021年4月10日 14:59
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210410/20210410048.html

 聖徳太子を祭る廟がある大阪府太子町の叡福寺で「1400年御遠忌大法会」が、10日から始まった。5月11日まで関連行事が営まれる。

 近藤本龍住職は初日の法要で、仏教の興隆とともに「十七条憲法」や「冠位十二階」を制定した太子の功績をたたえるとともに、新型コロナウイルスの感染拡大が収まるよう願った。雅楽師の東儀秀樹さんは演奏を奉納した。参拝した大阪府富田林市の50代女性は「厳かですね」と話した。

 大法会の期間中、京都の知恩院や奈良の法隆寺、和歌山の金剛峯寺などから僧が赴き、法要を営む。

2930名無しさん:2021/04/17(土) 22:33:57 ID:NrdB.GxU0
人間国宝、吉田簑助さん今月引退 文楽人形遣いの第一人者
2021年4月15日 19:37
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210415/20210415143.html

 文楽協会(大阪市)は15日、人形浄瑠璃文楽の人形遣いの第一人者で人間国宝の吉田簑助さん(87)が、国立文楽劇場(同)で開催されている4月文楽公演の25日の千秋楽をもって、舞台を引退すると発表した。協会を通じ「人形遣いとして持てる力の全てを出し尽くしました」とコメントを出した。

 同協会によると、引退後の活動は未定としている。体調面での問題はないという。

 吉田さんは大阪市出身。1940年に吉田文五郎に入門し、61年に吉田簑助を襲名。94年に人間国宝に認定され、2009年に文化功労者、12年に日本芸術院会員となった。

 女形で高い評価を獲得した。

2931名無しさん:2021/04/18(日) 11:16:47 ID:jqEGNHaE0
「言われるがままに次々とハンコを…」大阪の名刹「正圓寺」 悪名高き “事件屋”に乗っ取られ解体寸前
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a05f7aa1f01d9f7e3e3c866926f6f2abca77ad0?source=pc-detail-subcolumn

 ナニワの名刹が乗っ取られ、解体される危機に瀕している。

 大阪市阿倍野区の聖天山(しょうてんやま)に建つ真言宗「正圓寺(しょうえんじ)」は、遡ること千年前の平安時代に開基され、「おおさか十三仏霊場」にも列せられる由緒正しき寺院。地元では親しみを込め、「天下茶屋の聖天さん」と呼ばれている。

 ところが、目下、15代目住職の脇の甘さも一因で、名うての「事件屋」らの介入を招き、千年の歴史も無に帰すことになりかねない状況なのだ。

 当の辻見覚彦住職その人が、事の顛末を明かす。

「きっかけは、寺の敷地内に特養老人ホームを建設しようとしたことでした。父親の代に計画は立てられていたのですが、“聖天山古墳”という史跡に指定されているので開発許可が下りなかった。しかし、“橋下市政”の規制緩和で、鉄筋コンクリート造りの建物でも建設可能になりました」

2932働き方改革:2021/04/24(土) 07:21:31 ID:m.mdbzyo0
※新型コロナウィルス感染拡大防止!
煙草の販売!、喫煙禁止! 既設の喫煙所の撤去解体。

新型コロナウィルス感染の騒ぎが終息するまで。

「コロナ重症化の背景はタバコ?」志村けん死去でテレビが伝えにくい”真実”
多くの人々に愛された志村けんのあまりにあっけない死。死後に遺体が近親者が触れることもできないまま袋づめされて荼毘に付されたことは改めて新型コロナウイルスの怖さを思い知らせることになった。

 志村けんの死で新型コロナウイルスがどのようにして肺に炎症を起こしていくのかが注目されている。

 各テレビ局の情報番組などでは3月31日の放送でそのプロセスをくわしく説明していたが、

喫煙の習慣との新型コロナ重症化の関係が注目された。 
 以下、主な番組でこの点についてどのような説明があったのかを見てみよう。

ヘビースモーカーだった一面を指摘したフジテレビ『とくダネ!』
 番組では52歳当時の志村けんのインタビュー(2002年4月23日『とくダネ!』)映像を放送。そのなかで志村がインタビューの最中にタバコをくゆらせる場面もあったのが印象的だ。

 志村けんの兄・知之さんは「4年前に肺炎になってからお酒もだいぶ減らしてタバコも1日3箱吸っていたのが全然吸わなくなった」と話していた。

※検索!「志村けん 死因」

2933名無しさん:2021/04/24(土) 22:20:27 ID:NrdB.GxU0
万部おねりコロナ自粛 平野・大念仏寺
2021年4月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210424/20210424034.html

 大阪市平野区の融通念仏宗総本山大念仏寺は、新型コロナウイルス禍を受け、5月1〜5日の伝統行事「万部(まんぶ)法要」を職員のみで行う。

 期間中は万部おねり、伝供(でんぐ)を自粛するほか、各種イベントや布教、境内の出店を中止し、朱印、物品販売のみ行う。

 万部おねりは「二十五菩薩聖聚(ぼさつしょうじゅ)来迎会」と「阿弥陀(あみだ)経万部会(え)」が融合した伝統行事で、境内で二十五菩薩が現世から極楽浄土に導く来迎の様子を厳かに再現する。2002年度に大阪市指定無形民俗文化財となった。

2934名無しさん:2021/04/25(日) 01:31:43 ID:jqEGNHaE0
「なぜこの時期に?」強行した岸和田だんじり入魂式に地元から困惑の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/9959ec9cc7c66196a233782d820261db4c054169

 4月11日、大阪府岸和田市で「だんじり」の入魂式が行われたことがネットで拡がり、物議を醸している。

⇒【写真】コロナ禍になり、めっきり人が減ったという岸和田の商店街

 入魂式とは新調したり修理した「だんじり」に魂を入れる行事のことで、この日は2年前に破損して修理した「だんじり」に魂を入れ、街中で曳行してお披露目された。その「だんじり」を見ようと集まった人や引き手たちが密になっている様子がSNSを通じて拡散されたのである。

 これに対してネットでは「コロナ禍でも決行してくれて嬉しい」や「自粛一辺倒の生活の中、よくやってくれた」という声が上がる一方で「なぜこの時期に?」という批判的な意見も多く見られた。なお、だんじりの本祭は毎年9月に行われているが、昨年は新型コロナウイルスの影響を受け、だんじりの曳行を自粛している。コロナ感染拡大の第3波、第4波といわれる中で入魂式を行ったことに対し、地元の住民はどう思っているのか。現地で声を聞いてみた。

これでコロナが増えたら岸和田には誰も来なくなる……
 岸和田駅に到着したのは「入魂式」が行われた5日後の夕方、入魂式の影響でさぞ盛り上がっているのでは……と駅前商店街に足を運んでみるも、客足はほとんどなく静まり返っていた。まずは、商店街周辺で話を聞いてみた。

「入魂式では感染対策としてマスクやアルコール除菌ボトルを用意して、だんじりへの声援は自粛するよういわれていました。それでもかなり密になっていたし、だんじりの綱を曳く青年団の中にはマスクをしていない人もいました。見物人も顎マスクで話している人をたくさん見かけましたね。

 祭りの総括責任者は毎年順番で決まるのですが、昨年も今年も中止となったら来年以降の参加者が減ってしまうし経済効果も期待してやらざるを得なかったという話を聞きましたね。特に最近は祭に参加する若者が少子化とか、『ケガするから危ない』と親から反対されて減少しているので、何とかしたいという気持ちは分かるのですがね……。

 入魂式が行われて、ネットでは一部『よくやってくれた!』なんて称賛の声もありましたが、近隣の私達からしたらたまったものではありません。市内のコロナ感染者は増加していて。入魂式が原因でこれから増えたら、岸和田には誰も来なくなってしまいますよ」

 入魂式を決行した英断よりも、その後の風評や感染拡大を気にした住民は少なくないという。特に商店は「岸和田はコロナの街」となれば、近隣からの買い物客は激減する。そのため、「勘弁してほしいわ」が本音だったとも。

入魂式の日は客に来てほしくなかった
 更に取材を進めると、近隣の飲食店からはこんな声を聞くこともできた。

「この辺はだんじりの曳行ルートなのですが、入魂式付近の日程をあえて避けるように休業している飲食店をわりと見かけました。特に昼カラオケやスナックでは入魂式後1週間までは休業するというところもありましたね。

 うちは飲み屋なので時短を守って営業はするけれど、入魂式があった日はなるべく客に来てほしくなかったというのが正直なところです。入魂式は朝からだったのですが、それでもだんじり好きな人は見物に行くんですよね。

 昼頃には町会や見物客が大人数で飲みに来たけれど、入店するときに『マスク会食でなるべく会話を控えてほしい』と言ったら帰っていきました。今でも、大人数の客はなるべく来てほしくないので食材を必要最低限しか仕入れないようにしています」

 時短営業で、ただでさえ厳しい状況の飲食店。もちろん、本音は客に来てほしい……のだが、この日ばかりは事情が違ったと苦しい胸の内を明かしてくれた。

入魂式の日は府外に出張という名の避難
 居酒屋にいた男性は今回の報道に対して次のような持論を述べた。

「入魂式は日曜日だったのですが、この辺りが密になることは分かっていたのであえて出張して府外に避難していました。ここ数日で岸和田市内の感染者が増加したこともあり、この周辺は商店街を見ても分かる通り出歩いている人はほとんど見かけません。

 今回はたまたま中之濱町の入魂式の様子がフォーカスされてしまいましたが、先月には別の町会がやっていましたし来月にも別の町会の入魂式があるのでまた批判されると思います。でも、大阪の緊急事態宣言解除がなければ入魂式自体も自粛していたと思うんですよね。今回は吉村さんの判断があまりにも甘すぎたのでは……とも思いますね」

 地元だからあまり大声では言えないが……と男性は口をつぐむが、想像以上に密になってしまった入魂式に対して地元からも避難の声は多いようだ。伝統を継承することも大切だが、今は非常事態ともとれる時期。なにか他の方法はなかったのだろうか。

2935名無しさん:2021/04/26(月) 23:01:38 ID:NrdB.GxU0
文楽 人間国宝の吉田簑助さん「引退」 81年の舞台生活に幕…最後の舞台では客席から大きな拍手
4/26(月) 19:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0c6ba670ba461b0fcd3ba3e27b54670a5dcea38

大阪の伝統芸能・文楽の人形遣いで人間国宝の吉田簑助さんが、24日、81年の舞台生活に幕をおろしました。

緊急事態宣言中の公演が中止となり吉田簑助さん(87)にとっては一日早い引退となりました。

簑助さんは6歳から81年にわたり人形遣いとして活躍、人間国宝にも認定されました。

98年には脳出血で倒れ、言語障害が残りましたが、舞台に立ち続け、文化功労者にも選ばれました。

出演後、一番弟子の桐竹勘十郎さんが簑助さんの言葉を代読しました。

「これからも文楽をどうぞよろしくお願いいたしします。皆さま、本当にありがとうございました」

三味線奏者で人間国宝の鶴澤清治さんから花束を受け取った簑助さんは、目を潤ませながら「ありがとう」と応じていました。

最後の舞台を終えた簑助さんに対し、客席からは大きな拍手が送られました。

関西テレビ

2936名無しさん:2021/04/30(金) 00:13:50 ID:NrdB.GxU0
江戸時代に絵師が落書 大阪・叡福寺、年代や名前
2021年4月30日 0:02
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210430/20210430001.html

 大阪府太子町教育委員会は29日、叡福寺の多宝塔(同町、国重要文化財)の内部で江戸時代前期に彩色した絵師が自身の名と制作年を記した落書が見つかったと発表した。同寺は聖徳太子の墓とされる叡福寺北古墳があることで知られる。

 町教委によると、社寺などの建造物の彩色は制作年代や絵師名の分かる事例が少ないが、落書の年代から彩色の年代が判明、江戸時代前期の建造物がどのような色で塗られていたかを知る手掛かりになるとしている。

 墨書の落書は西側上部の長押の裏側に3行に分けて「よしおか 二郎吉かたミ 承応二天六月吉日」と記されていた。

2937名無しさん:2021/05/01(土) 23:30:01 ID:NrdB.GxU0
伝統の工程、鮮やか実演 上方浮世絵館
2021年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210430/20210430026.html

 浮世絵制作の実演や体験をする催しが29日、大阪市中央区の上方浮世絵館で開かれた。同館の開館20周年を記念し、新型コロナウイルス感染拡大の対策を講じた会場で実施。伝統技術を受け継いだ専門家が刷る工程を披露し、5色の色彩豊かな作品を仕上げていた。

 同館は、上方浮世絵を常設展示する私設美術館。上方の歌舞伎や浮世絵にゆかりの深い大阪・道頓堀で2001年4月28日に開設した。上方浮世絵は、江戸後期から明治初期まで、主に大坂で作られていた浮世絵版画。地元の歌舞伎芝居を描いた役者絵が多く、美化しない人間味のある描写が特徴という。

 浮世絵の実演は、市村一房堂四代目の摺(すり)師、古川元偉さんが披露。富士山を背景に、波間を舟が進む「冨嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖 浪裏」を現代風に5色で制作した。

 色を付けたい部分が凸状になった木版の上に、絵の具を塗り、紙を載せて馬連で刷り込む作業を5回実施。濃淡をつけるぼかしの技術も駆使した。

 実演後は、体験会も実施。参加者が丁寧に作業に臨む姿が見られた。

 同館の高野征子館長は「『継続は力なり』の言葉を念頭に置き、今後も上方浮世絵の魅力を伝えていきたい」と話していた。

2938名無しさん:2021/05/05(水) 22:06:39 ID:NrdB.GxU0
豪商・淀屋 実像迫る 研究会設立15周年で新資料集
2021年5月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210505/20210505032.html

 “天下の台所・大坂”の基盤を築いた江戸期の豪商・淀屋。北浜に米市場開設や「淀屋橋」架橋といった多くの偉業と歴史を顕彰する人々の集い「淀屋研究会」(大江昭夫代表)が昨年設立15周年を迎え、記念事業として資料集の総集編を発刊した。10年がかりで編集した淀屋の実像に迫る内容で、会員をはじめ歴史愛好家の注目を集めている。

 大阪市内中心部を流れる土佐堀川に架かる「常安(じょうあん)橋」にその名が残る淀屋初代・常安は、中之島一帯の開拓に尽力したことで知られる。2代・言當(げんとう)の時代に米市場を確立、発展させるも、5代・廣當(こうとう)の時代の1705(宝永2)年、幕府によって全財産を没収される闕所(けっしょ)処分、所払いとなった。

 しかし、闕所以前にのれん分けしていた淀屋番頭の牧田仁右衛門が、現在の鳥取県倉吉市に「牧田淀屋」を開店。後年に子孫が再び大坂で「淀屋」を開店させた、といった劇的なドラマがある。

 同研究会は、闕所から300年に当たる2015年当時、倉吉市大阪事務所長だった伊藤博章さん(故人)を初代代表に設立した。活動として、月例会や淀屋ゆかりの地を訪ねるフィールドワークに取り組むほか、大阪と倉吉の交流にも注力。一般対象イベントとしては、秋恒例の「船場まつり」(実行委)の一環で講演会を開き、毎年好評を得ている。

 今回の「淀屋関連資料集総集編」(220ページ)は、同研究会が11年以降に発刊した複数の資料をベースに、以後の研究で判明した内容を加筆、改訂してまとめた。淀屋の歩みや家系、文化人との交流、大阪市と谷町と京都・八幡市に残る菩提(ぼだい)寺などを詳しく解説している。

 3代目代表を務める大江さん(70)は「次代に見てもらえる一冊を残したかった。闕所処分で滅びたゆえに現存資料が極めて乏しい中、ようやく完成した」と、発刊までの道のりを振り返る。

 現在の会員数は約70人。昨年来の新型コロナウイルス禍で、月例会をはじめあらゆる活動に支障が出ているが、「100人を目標に会員を増やし、より多くの人に『淀屋』を知ってもらいたい」と意欲を燃やす。

 ◇「総集編」は2千円。初心者向けの資料「淀屋物語〜10分で分かる入門の入門編」(切手代140円で頒布)も用意。問い合わせは電話090(3263)4108、大江代表。

2939名無しさん:2021/05/17(月) 23:08:22 ID:NrdB.GxU0
聖霊院絵堂を22日特別公開 四天王寺
2021年5月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210517/20210517032.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は22日、聖徳太子を祭る境内・聖霊(しょうりょう)院(太子伝)絵堂で、太子の生涯を描いた壁画を特別に一般公開する。拝観無料。

 新型コロナウイルス対策として、一度に入堂できる人数は15人まで。午前8時半〜午後4時半。閉堂後は同寺僧侶がオンラインで絵解き説法(約30分間)を配信する。

 21、22両日の月例の露店出店は、緊急事態宣言延長を受けて中止する。供養と祈とうは通常通り行う。

 21日(大師会)は弘法大師、22日(太子会)は聖徳太子のそれぞれ月命日で、古来「お大師さん」「お太子さん」の通称で多くの市民に親しまれている。

2940名無しさん:2021/05/19(水) 22:34:41 ID:NrdB.GxU0
日本三大祭りで一番多くの観客を集める天神祭、今年も残念ながら規模を縮小しての開催です。

大阪 天神祭 花火や船渡御ことしも中止 陸渡御は一部実施へ
05月19日 18時08分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210519/2000045824.html

例年7月24日と25日の2日間、開催され、大阪の夏を代表する祭り、「天神祭」について、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で去年に続きことしも多くの人が集まる行事を一部中止とすることが決まりました。
花火や多くの船が川を行き交う船渡御はことしも中止になるということです。
一方、まちを練り歩く陸渡御については人数をおよそ3000人から50人ほどに減らしたうえで、一部、実施し、観客が集まらないよう詳しい時間を事前に周知しないとしています。

大阪 生國魂神社 夏祭りの「渡御列」 2年連続で中止決定
05月19日 19時58分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210519/2000045831.html

大阪の三大夏祭りのひとつ、生國魂神社の夏祭りは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、大阪城までみこしを担いで練り歩く行事が2年連続で中止となることが決まりました。

大阪・天王寺区の生國魂神社の夏祭りは、平安時代から続く伝統行事で、例年、7月上旬に行われてきました。
この祭りの中心的な行事は「渡御列」と呼ばれ、大阪城までの道のりをおよそ500人の氏子や高校生などがみこしを担いで練り歩きます。
神社では新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、この行事を去年に続き中止することを決めました。
本殿などで行う神事については、一般の参列者は入れず神職など関係者のみで執り行うということです。

2941名無しさん:2021/05/24(月) 22:21:54 ID:NrdB.GxU0
「結縁綱」復元へ 100年ぶり 資金支援募る
2021年5月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210524/20210524030.html

 今年は聖徳太子没後1400年の節目。太子創建で、日本仏法最初の官寺として知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は、100年に1度の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」記念として、さまざまな事業に取り組んでいる。このうち1921(大正10)年の「千三百年御聖忌」でも行われた「結縁綱(けちえんづな)」を復元する一大プロジェクトが進行中。文字通り、多くの縁を結ぶよう目標金額500万円のクラウドファンディング支援を呼び掛けている。

 結縁綱に関する詳しい資料は現存しないが、鳥取出身の日本画家・菅楯彦(1878〜1963年)の作品に、五重塔や境内の諸堂が綱でつながった光景が細やかに描かれている。

 同寺では、かねて結縁綱と支柱「結縁柱」の設置を計画していた。新型コロナウイルス禍にあって、大々的に参詣者に寄進を募ることが困難な状況下だが、同区の近鉄グループの広告会社、アド近鉄から、沿線活性化を目指す新たなクラウドファンディングサービス「エールレール」の提案があり、双方の思惑が一致、プロジェクト始動の運びとなった。

 復元する綱は鮮やかな5色で、聖霊(しょうりょう)院に祭られている本尊・聖徳太子像の御手(みて)から空中に延び、五重塔、金堂、講堂、仁王門、六時堂とをつなぐ。総延長は約350メートルにもおよび、途中の3カ所に高さ約7メートルの結縁柱を設置。参詣者が綱や柱に触れることで、太子との縁を結ぶことができるという趣意だ。

 御聖忌は10月から来年4月まで続き、法要が中心となる。同寺参詣課の河邊啓法さんは「コロナ禍で参詣者がお堂内に参列できない現状では、お寺や法要、僧侶との距離が離れがちになる。皆さんが綱や柱に触れることによってご縁を結んでいただき、距離が縮まるという点で大変意義深い」と大きな期待を寄せる。

 クラウドファンディングは11日にスタートし、出足は好調。8月8日まで募集する。支援額は5千円からで、返礼品としては御聖忌終了後に回収し、ループ状に加工した「結縁綱」(きり箱入り)の実物をはじめ、金額に応じて複数の品々や組み合わせが用意されている。支援は同寺、同社のホームページで。

2942名無しさん:2021/05/24(月) 22:30:38 ID:NrdB.GxU0
戦前の建築特徴、今に 大規模化の過程示す史料
2021年5月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210522/20210522022.html

 大阪市浪速区の旧松坂屋大阪店(現・高島屋東別館)が21日、国の重要文化財(重文)として指定されることになった。同別館は2019年に国の登録有形文化財に指定されているが、今回の答申で戦前期に最も繁栄した商業地区、堺筋の都市景観を形成した歴史的建造物として、さらに高い評価を受けた形になる。

 同別館は、明治末から昭和前期にかけて、数多くの銀行などの設計を手掛けた鈴木禎次(1870〜1941年)の代表作。

 外観の1階から2階にかけ、下層部に11連のアーチを並べ、半円部分にテラコッタ彫刻を施している。内部の大階段やエレベーターホールなどには大理石がふんだんに用いられ、豪華な空間を醸し出している。

 創建当初の大規模商業建築の特徴も有している。2カ所の避難専用階段や消火栓などが設置され、全館に向けた冷暖房設備、エレベーターなどの当時の最新機器が一部保存されている。

 豊かな装飾を施した細部意匠や平面計画、建築設備、防火対策を入念に施すなど、百貨店建築の大規模化の過程を知る上で貴重な建物として、重文指定基準の「歴史的価値の高いもの」と評価された。

 高島屋大阪店では「歴史的、文化的な価値を評価していただき、このたびの重文指定の運びとなったことは大変ありがたい」とコメントを寄せた。

2943名無しさん:2021/05/29(土) 01:55:21 ID:NrdB.GxU0
歌舞伎俳優 人間国宝 片岡秀太郎さん死去
05月27日 12時26分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210527/2000046258.html

上方歌舞伎を代表する女形として活躍した、人間国宝の歌舞伎俳優、片岡秀太郎さんが、今月23日、慢性閉塞性肺疾患のため大阪の自宅で亡くなりました。
79歳でした。

歌舞伎俳優の片岡秀太郎さんは、十三代目片岡仁左衛門の次男として大阪で生まれ、5歳の時に初舞台を踏みました。
昭和31年に二代目片岡秀太郎を襲名し、上方歌舞伎特有のはんなりとした芝居を受け継ぐ女形として、多くの舞台で個性的な役柄を演じてきました。
また、平成9年には関西で活躍する歌舞伎役者を育成する「上方歌舞伎塾」を開講するなど、後進の育成にも力を入れてきました。
おととし、いわゆる人間国宝に認定され、この春、旭日小綬章を受章しています。
松竹によりますと、去年12月の京都・南座での舞台が最後の出演となったということで、今月23日、大阪・吹田市の自宅で慢性閉塞性肺疾患のため亡くなりました。
79歳でした。

【片岡仁左衛門さんと片岡愛之助さんのコメント】。
片岡秀太郎さんの弟で、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さんは、「兄は当人の理想どおりの最期を迎えられ、安らかに旅立ちましたことが、私どものせめてもの救いでございます。生前、皆様から賜りましたご支援、ご厚情に深く御礼申し上げます」とコメントを発表しました。
また、秀太郎さんの養子となった片岡愛之助さんは、「父は私を歌舞伎の世界に、そして、松嶋屋に入れて下さった大恩人で有ります。普段はとても優しいのですが、芝居の事になるととにもかくにも厳しい方でした。上方にこだわり、上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」とコメントしています。

2944名無しさん:2021/05/29(土) 22:34:03 ID:NrdB.GxU0
300株、心に潤い 坐摩神社のアジサイ
2021年5月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210527/20210527022.html

 大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)でアジサイが見頃間近となり、色とりどりの花が境内の随所を飾っている。

 アジサイは北岡忠澄権禰宜(ねぎ)が、約20年前から挿し木で増やし続けており、現在は地植えと鉢植えの計約30品種、約300株を植栽。

 梅雨空の下で白色のカシワバアジサイやアナベルのほか、色彩豊かなマジカルなどが豪華に咲き誇り、参拝者の目を楽しませている。

 北岡権禰宜は毎年、鉢植えの位置などを工夫しながら装飾。「新型コロナウイルス禍で落ち着かない情勢が続いているが、お参りに来られた方の気持ちが少しでも和んでもらえれば。いずれは心ゆくまで花を観賞していただけるよう、事態の早期収束を願いたい」と話した。花は6月中旬まで楽しめる見込み。

2945名無しさん:2021/05/29(土) 22:57:08 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭が平日公演再開、大阪 なんばグランド花月も
2021年5月29日 18:40
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210529/20210529089.html

 上方落語協会(大阪市)は29日、大阪府が新型コロナ緊急事態宣言期間中の演芸場や劇場などへの要請を緩和させたことを受け、上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(同市)の平日の公演を6月1日から再開すると発表した。宣言期間の同20日まで土日は休館し、平日も午後9時までに終演する。全216席のうち使用は102席のみとする。

 吉本興業も29日、「なんばグランド花月」「よしもと漫才劇場」「森ノ宮よしもと漫才劇場」(いずれも大阪市)の3カ所で6月1日から平日に観客を入れた公演を再開すると発表した。

 「よしもと祇園花月」(京都市)は観客を入れた公演の再開を見送る。

2946名無しさん:2021/06/02(水) 21:53:51 ID:NrdB.GxU0
上方落語「天満天神繁昌亭」再開 にぎわい取り戻す一歩
06月02日 18時42分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210602/2000046582.html

1日から緊急事態宣言が再延長されたことに伴い、無観客での開催が要請されていた劇場などは平日、定員の半分まで客を入れての営業が可能になりました。
営業を休止していた上方落語専門の寄席「天満天神繁昌亭」も再開。
以前のにぎわいを取り戻すための一歩を踏み出しました。

2947名無しさん:2021/06/02(水) 23:19:52 ID:NrdB.GxU0
家康、豊臣秀次宛ての新たな書状 「伊達政宗は味方」と伝達
2021年6月1日 17:31
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210601/20210601084.html

 静岡市は1日までに、徳川家康が豊臣政権下で秀吉のおい、秀次に宛てた書状が新たに見つかり、原本を入手したと発表した。ともに東北地方の平定を担っていた秀次に「伊達政宗は味方」との情報を伝える内容。

 市によると、書状は1590年12月8日付。北条氏を攻めた小田原合戦後、家康が秀吉の命で居城を駿府(現在の静岡市)から江戸に移した時期に当たる。

 当時は東北で一揆が起き、伊達政宗の関わりがうわさされていた。書状では一揆鎮圧に当たった浅野長吉(のちの長政)から報告を受けたとして「政宗の動向が分からないとのことだったが、味方であるのは間違いない」と記されている。

2948名無しさん:2021/06/05(土) 20:28:48 ID:NrdB.GxU0
大阪とは 日ノ本の中心 である。
そう言っても良いぐらいに芳醇な歴史を持つ場所なのであります。
だから大阪の人間は大阪に対してもっと自信を持っていい。

来年生誕500年、「最初の天下人」の顕彰碑
6/5(土) 19:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a54cf5312e1d420c238067a0848d1fe6978893a0

戦国時代に織田信長らに先駆けて近畿一円を支配し、<最初の天下人>とも呼ばれた武将・三好長慶(1522〜64年)が来年生誕500年を迎えるのを前に、長慶が本拠とした大阪府高槻市で、市民グループが顕彰碑を建立した。地域住民や全国の歴史ファンらから寄せられた協賛金(約300万円)を活用。メンバーは「大きな功績を広く知ってほしい」と願う。

市民らでつくる「三好芥川城の会」(大和實会長、約150人)の顕彰碑建立委員会が制作。長慶の居城だった芥川山城跡の麓にある摂津峡公園の桜広場に設置し、市に寄贈した。

 完成した石碑は高さ約2メートル。鎮座する座像は、長慶の菩提(ぼだい)寺である聚光院(京都市)に伝わる重文の肖像画に倣った。台座には、聚光院の小野澤虎洞(こどう)住職が揮毫(きごう)した「文武両道 理世安民」の文言が刻まれている。理世安民は「道理を持って世を治め、民を安心させる」という意味で、長慶の信条という。

 長慶は1553年に芥川山城に入城し、飯盛城(大東市、四條畷市)に移る60年まで居城とし近畿などを支配した。当時の長慶は権勢の絶頂期で、「三好政権」と呼ばれることもある。

 長慶の死後、三好氏は織田信長に敗れた。歴史上の人物としてあまり注目されてこなかったが、高槻市の市民有志が2002年に三好芥川城の会を設立。「高槻まつり」に武者行列を繰り出し、大東市や生誕地の徳島県三好市といった長慶ゆかりのグループと連携するなどして、長慶の功績や歴史を伝えてきた。

 一方、高槻市内には長慶を顕彰する像が1基もなかった。市ゆかりの戦国武将としては、長慶の死後に高槻城主となったキリシタン大名・高山右近が、ローマ法王庁から「福者」の敬称を与えられるなど広く知られ、市内に像が3基設置されている。

 三好芥川城の会は昨年2月に建立委員会をつくり、資金集めなどの活動を始めた。新型コロナウイルスの影響で一時活動を自粛するなど難航したが、市内外から協賛金が集まり、制作が実現。5月23日の除幕式では、関係者約20人が完成を祝った。同委員会の堀孝会長(87)は「長慶は高槻の誇り。市民の手で顕彰碑を建立するのが、会員にとって長年の念願だった」と話している。

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2950名無しさん:2021/06/08(火) 22:02:05 ID:NrdB.GxU0
最近、豊臣秀吉sageな動きが目につきます。
明智光秀の末裔が唱える明智光秀超優秀説を際立てさせるために、ことさらに豊臣秀吉を極悪人かのように扱ったりしている。
また徳川家康ひいては徳川政権が優秀であり、豊臣秀吉や豊臣政権はダメだった、とする小説が夕刊紙で始まったり。
徳川政権260年と言うが、これは単純に西洋列強の技術進化がその間緩慢であったに過ぎなかったから徳川政権は260年続いたに過ぎないとも言えるのですがね。
それが証拠に幕末に西洋列強が怒涛の如く亜細亜に進出してくると、良く状況を判断し我が国が植民地になるのを防ぎはしたが、徳川政権は持ちこたえられなかった。
この西洋列強の動きが、もし八代将軍吉宗の頃にあったのであれば、やはり徳川政権はそこで終わっていたのではないかな。
何にせよ必要以上に持ち上げる事も押し下げる事もする必要はない。これから紹介するのは豊臣秀吉が行った良い事です。

「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断、被害者の数はなんと5万人
6/8(火) 15:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21

当初は織田信長の政策を継承し、日本でのキリスト教布教を容認していた豊臣秀吉。だが、後に「バテレン追放令」によって布教を禁ずるようになる。秀吉がキリスト教の布教を防ごうとした背景には、ポルトガル人による「奴隷貿易」があった。5万人の日本人が国外に連行されたという、その実態とは?  作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える!  日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の天文18年(1549年)に薩摩、今の鹿児島・祇園之洲に上陸したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであった。

 このザビエルからバトンを受け継ぐように永禄6年(1563年)、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日すると、ときの権力者の織田信長から布教活動を許されたこともあって、京都や西九州中心にキリシタンが急増した。信長が本能寺で斃れた天正10年(1582年)ごろには全国で約15万人の信者がいたと言われている。

 この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数に匹敵するものだった。その後、信長の後継者となった豊臣秀吉は最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、天正15年になり、突然手のひらを返すかのように「伴天連(ばてれん)追放令」を発する。伴天連とはポルトガル語で宣教師を意味するパードレが訛ったものだという。

 秀吉にはこのとき、布教や商用のために日本にやってくる西欧人に対し、どうしても許せないことがあったのだという。それは一体何だったのだろうか。

2951名無しさん:2021/06/08(火) 22:03:42 ID:NrdB.GxU0
 ■最初は布教を許していたが…

 秀吉は権力の座についた当初こそ、信長の政策を継承し、キリスト教の布教を容認していた。布教の裏にある西欧諸国との交易――いわゆる南蛮貿易にうまみを感じていたからである。

 この交易では鉄砲や火薬、中国製の生糸などが輸入され、日本からは主に銀、金、刀剣類などが輸出された。そんな信長以来のキリシタンの保護政策に対し、秀吉に見直すきっかけを与えたのが、天正14年(1586年)7月に秀吉自身が始めた「九州平定」だと言われている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=2

 九州平定といっても実質的には九州統一を目論んだ薩摩の島津氏と秀吉との争いだった。この合戦では島津軍は九州各地でよく善戦したが、いかんせん20万ともいわれる秀吉軍の前に次第に薩摩一国に追い詰められ、翌15年4月21日、ついに島津家当主義久は秀吉に和睦を申し入れている。

 その後、秀吉は薩摩にしばらく滞在して戦後処理をすませると、帰国の途につき、途中、博多に立ち寄った。史上有名な「伴天連追放令」はこの地で発令されたものだ。

 それは6月19日のことで、この日秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、次のような四カ条からなる詰問を行っている。

 一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。

 一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。

 一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。

 一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか――という四カ条で、同時に秀吉はコエリョに対し追放令を突き付けている。

 この追放令が出されたことで九州各地や京・大坂にあったイエズス会の教会や病院、学校などが次々に破壊された。しかし秀吉が、交易やキリスト教の信仰自体を禁止したわけではなかったため、ほとんどの宣教師たちは九州などにとどまり、非公認ながら布教活動を細々と続けたことがわかっている。

2952名無しさん:2021/06/08(火) 22:04:57 ID:NrdB.GxU0
■西洋人が胸に秘めた「日本侵略」の意図

 さて、秀吉がなぜこの追放令を出したかだが、その理由の一つに、西欧人たちが胸に秘めた日本侵略の意図を読み取ったからだと言われている。宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗船させて、自分ならいつでも世界に冠たるスペイン艦隊を動かせると自慢半分、恫喝半分に語ったという。このとき秀吉は彼らの植民地化計画を瞬時に看破したのであった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=3

 もう一つ許せないのが、日本の大事な国土が西欧人たちによって蚕食され始めていることだった。

 たとえば、キリシタン大名の大村純忠は自分の領地だった長崎と茂木を、同じくキリシタン大名の有馬晴信は浦上の地をすでにイエズス会に寄進していたのだ。

 日本国の支配者たる秀吉にとって、いかに信仰のためとはいえ、外国人に日本の領土の一部を勝手に譲渡するなど言語道断の出来事だった。西欧人たちがそれを足掛かりとして領地を広げていくことは火を見るよりも明らかだったからだ。

 最初に宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていたのだ。

 秀吉はそれを防ぐためには、キリシタン大名や宣教師たちの勝手な振る舞いに一日でも早く歯止めをかける必要があると考えたのである。

 さらに、秀吉がこの伴天連追放令を出した理由として、実はこれが最も大きかったのではないかと研究者たちの間でささやかれている理由がもう一つある。それこそが、先の四カ条の詰問にもあった、日本人の奴隷問題だった。

 日本人の貧しい少年少女が大勢、タダ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを秀吉はこのたびの九州遠征で初めて知ったのだった。

 九州遠征に同行した秀吉の御伽衆の一人、大村由己は著書『九州御動座記』の中で日本人奴隷が長崎港で連行される様子を大要、次のように記録している。

■『九州御動座記』の記録

 「日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」

 同胞の若者たちが鎖につながれて次々と南蛮船に押し込まれていく光景は大村由己にとってはこれ以上ないカルチャーショックだったに違いない。

2953名無しさん:2021/06/08(火) 22:06:08 ID:NrdB.GxU0
 何とも酷たらしい場面だが、当時の海外に出た西欧の商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引だった。これはそもそも、1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよい、という許可を与えたことが根底にあるという。

 なお、牛馬の肉を手づかみで食べるというのは、西欧ではこの当時、食事にフォークやスプーンを使う習慣がまだ定着していなかったからだ。ルイス・フロイスも日本人が器用に箸を使って食事する様子を驚きをもって本国に伝えている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=4

 大村由己は自分が目撃したことを秀吉に報告したところ、秀吉は激怒し、さっそく宣教師コエリョを呼びつけ、なぜそんなひどいことをするのかと詰問した。するとコエリョは、「売る人がいるから仕様が無い」そうケロッとして言い放ったという。

 この言葉からも、こうした日本人奴隷の交易にキリシタン大名たちが直接的にしろ間接的にしろ何らかの形でかかわっていたことは間違いないだろう。

 海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるという。彼ら日本人奴隷たちは、マカオなどに駐在していた白人の富裕層の下で使役されたほか、遠くインドやアフリカ、欧州、ときには南米アルゼンチンやペルーにまで売られた例もあったという。

 この5万人という数字に関してだが、天正10年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃しており、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われている。

 こうした実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じた。そして、こうも付け加えた。

 「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。

 その一方で、日本国内に向けてもただちに奴隷として人を売買することを禁じる法令を発している。こうして秀吉の強硬な態度がポルトガルに対し示されたことで、日本人奴隷の交易はやがて終息に向かうのであった。

2954名無しさん:2021/06/08(火) 22:08:19 ID:NrdB.GxU0
 もしも秀吉が天下を統一するために九州を訪れていなかったら、こうした当時のキリスト教徒が持つ独善性や宣教師たちの野望に気づかず、日本の国土は西欧列強によって侵略が進んでいたことだろう。秀吉はその危機を瀬戸際のところで食い止めたわけである。

■日本史の新視点

 慶長元年12月19日(1597年2月5日)、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして、スペイン人の宣教師・修道士6人を含む26人が長崎で処刑された。これはポルトガルよりも露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであった。

 ともすれば現代のわれわれは秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだが、実際はこのときの集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であった。それもこのときはスペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはなかった。

 ここまで見てくると、当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最善の選択をしたように思えてくるのだが……。



戦国最大のナゾ「豊臣秀吉」が朝鮮出兵した真相
名誉のためなのか、土地が欲しかったのか??
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?utm_source=yahoo&amp;utm_medium=http&amp;utm_campaign=link_back&amp;utm_content=related

これは日本史上の難問題。秀吉はいったいなにを考えて朝鮮まで出兵したのでしょうか。

昔から言われてきた説として、まずあげられるのが名誉欲。日本のすべてを手に入れてしまった秀吉は、言ってしまえば「思い上がっていた」。権力を手にした秀吉が、それに酔ってしまい、日本を征服した自分の力をもってすれば中国でも支配できると考えた。そして実際に大陸を目指す。

もともと、朝鮮を自分のものにしようと考えていたわけではありません。本来の目的は中国大陸です。中国を手に入れて天皇を移すと、そこまで考えていたのですね。もはや妄想に近いような構想ですが、それくらい思い上がっていた、という解釈です。

そしてもう1つ、これも昔からよく言われる説として「土地が足りなくなっていた」というもの。日本全国を攻め取ってしまった結果、家来たちに配分する土地がなくなった秀吉は、家来たちの期待に応えるために、新しい土地の獲得を目指したという説。

家康1人ですら苦労したのに…
最初の「思い上がり説」ですが、果たして人間は、そこまで思い上がれるものでしょうか。本当に秀吉は「日本を全部平定した俺なら、中国大陸も取れる」と考えていたのか。

しかし新刊『「失敗」の日本史』で述べたように、結局、秀吉は家康を潰せなかった。そもそも潰す以前に、家康を家来にすることだけでも相当に苦労しているのです。

豊臣秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営がぶつかった「小牧・長久手の戦い」の当時、もし総力をあげて戦えば、秀吉は家康に勝つことができただろうと思います。しかし彼の立場も繊細なバランスの上に成り立っていた。秀吉にしてみれば「ここで1つ下手を打ったら、今は一応、俺に従っている連中まで牙をむくに違いない。なるべく早く家康と手打ちをしよう」と考えていたはず。

2955名無しさん:2021/06/08(火) 22:09:18 ID:NrdB.GxU0
実際に早々と講和した秀吉が、家康を服従させるために目をつけたのが天皇の権威でした。それまでの秀吉は、もともと天皇や官職にまったく興味がなかった。しかし家康と講和するために、これは使えると目をつけたわけです。

https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=2

すると秀吉は、朝廷の伝統をことごとく破り、官職をもの凄いスピードで獲得し始めます。本来、朝廷には朝廷なりの官職を与える手順がある。これはつまり日本の学校教育として、小学校の次に中学校があり、さらにそこから高校、大学といった段階があるようなもの。

そこで秀吉は、朝廷の記録を改ざんするという荒業に出ます。朝廷には、昔から「何年に誰々がどういう官職に就いた」という『公卿補任』という史料、つまり朝廷の職員録があります。それを秀吉は改ざんし、前歴を詐称して、圧倒的な速度で太政大臣関白まで成り上がった。天皇の権威を利用して、ようやく家康を屈服させることができたのです。

言い換えれば、家康たった1人を屈服させるためにそこまで苦労した。その大変さを秀吉もよくわかっていた。もちろん家康以外、たとえば長宗我部を倒した際も、島津を討った際も、それなりに苦労している。平定、征服というものが、それほど簡単ではないことぐらい、秀吉もわかっていたと思います。

その秀吉が、自らの名誉欲のためだけで、中国にまで手を伸ばそうとするものでしょうか。あれほど慎重だった秀吉が。僕には、そこがわからない。豊臣秀吉の影武者が存在し、どこかで入れ替わっていたのなら、まだしも納得できるのですが。

推測その1「世界を知らなかったのでは」
たとえばの話ですが、世界地図をまだ見ていなかった、ということはあるでしょうか。中国を、それこそ日本の四国くらいに考えていたのなら「よし、じゃあ行こうか」という話にもなる。しかし宣教師が持ってきた地図ぐらいは見ているでしょうし、いかに中国が広大かも、いくらなんでも知っていたはず。

実際のところ、秀吉は「中国は皇帝と官僚が治めている国。つまり基本的に貴族、長袖の連中しかいない」と理解していたようです。それも間違いではないのですが「つまり武力は弱い」という感覚でいたらしい。だとしても、中国の国土はとんでもなく広い。征服するのは決して簡単ではないと、それはわかっていたでしょう。

だから名誉欲に駆られ、思い上がって、朝鮮、中国の迷惑も顧みずに兵を送ったという説明はどうだろうと思うわけです。

2956名無しさん:2021/06/08(火) 22:10:04 ID:NrdB.GxU0
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=3

もう1つ、家来に与える土地を獲得するため海外へ出兵した、という説もよく耳にします。こちらはこちらで、秀吉という人が、果たしてそこまで家来思いだったとも思えないのです。

確かに家来にきちんと恩賞を与えないと、豊臣政権が安定しないという事情はあったのかもしれない。しかしそれを言うのであれば、繰り返しとなりますが、総力を挙げて家康を潰したほうが、よほど豊臣政権は安定したし一石二鳥ではなかったのか。

しかも日本の武士に、言葉も通じない土地を征服して支配するノウハウはありません。海の向こうの土地を与えられても、実際にどう治めたらいいのか。甲子園初出場の高校は多くの場合、1回戦で負けてしまいますが、それは実力と言うより、常連校に比べて甲子園で戦うノウハウが蓄積されていないためではないでしょうか。

これがたとえば中国の異民族、モンゴルや満州族のような北方の異民族が中国を支配するのであれば、歴史の中で蓄積してきたノウハウを持っています。しかしノウハウどころか外国と戦った経験さえない自分たちが、海の向こうの土地を征服して、支配していく。現実として秀吉がそれを構想していたとは到底思えないのです。

推測その3「東シナ海貿易の権益を握ろうとしたのでは」
 結論。では秀吉はなぜ朝鮮出兵をしたのでしょうか?

それは、東シナ海貿易の権益を握ろうとしていたのではないか。これは東北大学名誉教授の平川新先生が出された解釈なのですが、僕はこちらが今のところ、いちばん納得できる説だと思います。

当時はいわゆる大航海時代。ヨーロッパ諸国の船が東シナ海まで来て、貿易を行っていた。その貿易の主導権を握りたい。そうした織田信長以来の思惑が秀吉にもあったのではないでしょうか。

傍証的なことを言うと、秀吉はもともと土地よりも、経済を重視するタイプでした。たとえば徳川に与えた領地は250万石。しかし豊臣は220万石しか持っていない。その代わり秀吉は、日本全国の港や金山、銀山を持っていた。秀吉は金の重要性をわかっていたのです。言ってみれば、かつて明との貿易を行った室町幕府的な感覚を持ち合わせていました。

そういう面から考えると、当時の南蛮貿易、ヨーロッパとの交易に秀吉は目を向けていたのではないでしょうか。その貿易の主導権を取りたい。しかし入り口で外国との交渉を間違えてしまい、結果として出兵することになった。そういうことだったのではないでしょうか。

2957名無しさん:2021/06/08(火) 22:11:49 ID:NrdB.GxU0
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=4

玄界灘を渡った日本軍は、ふいを突いたので、まあ当たり前といえば当たり前かもしれませんが、半島の北まで快進撃を続けます。ところがそこで明の援軍がやってきた。まあでも、長袖の国の兵だし弱いだろう、などと思っていたら、彼らは荒くれものの異民族とのバトルを経験してきた軍隊。とても強かった。

日本軍も簡単には勝てなくなり、勝ったり負けたりの膠着状態に陥る。加えて朝鮮の民衆たちも立ち上がり、補給線が維持できなくなってきた。そうなると、これはもう泥沼の戦いになる。知らない土地を征服するノウハウがまったくない状態で始めた戦いですから、そうしたところで準備のなさが出てしまった。

何のために戦うのか目的がハッキリしなかった
九州や関東を平定するのとはわけが違う。そうした状況を考えないまま開戦したのは秀吉の完全な失敗です。

そもそも秀吉は「この戦争はなんのために戦うのか」という目的を、きちんと掲げることができていなかった。海を渡った諸将たちも「いったいなにをすればいいんだろう」という心境だったはず。

昔の秀吉なら「これはうまく行かない、引くべきだ」と考えた時点で、早々に手を引くことができたと思います。しかしやはり、秀吉も権力者としてかなり思い上がっていたのか「なんだ。俺に逆らうのか」といった感じで引けなくなっていた。

明と講和を結んだときも「なにかおいしいことがあるだろう」と思っていたら、明のほうから言ってきたのは「汝を日本国王に任命する」。そんなことは当たり前だと激怒し、再び出兵してしまう。もはや昔の秀吉とまるで別人になってしまった。そう感じます。

結局、朝鮮出兵について、まだ定説はない状況が続いています。研究も行われているのですが、現代では繊細な政治問題も関わってくる。なかなか難しいのが現状です。

2958名無しさん:2021/06/08(火) 22:49:06 ID:NrdB.GxU0
長柄橋南詰で慰霊法要 第3次大阪大空襲から76年
2021年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210608/20210608036.html

 太平洋戦争末期、1945年6月7日の「第3次大阪大空襲」から76年を迎えた7日、大阪市北区の長柄橋南詰の観音像前で、犠牲者の慰霊法要が執り行われた。新型コロナウイルス禍を受けて例年よりもやや縮小された中、参列者が手を合わせて犠牲者を悼んだ。

 76年前は米爆撃機や戦闘機など約550機が白昼に飛来し、同市北東部や豊中市などを空襲。旧長柄橋では橋の下や淀川河川敷に避難していた市民が米軍機の爆撃や機銃掃射の犠牲となり、推定で約400人が亡くなったとされる。

 法要は地元の正蓮寺(渡島正教住職)が、終戦直後から代々手掛けている。同寺にある愛の恵幼稚園、愛のめぐみ保育園の園児らも観音像前で手を合わせ、渡島住職の読経に続いて仏教賛歌「恩徳讃(おんどくさん)」をささげた。

 渡島住職は、園児に空襲の惨状や観音像の由来を説明。「戦争は悲しい出来事。一人一人が平和を忘れず、優しい気持ちを持ちながら、輝く命を大切に思ってください」と呼び掛けた。

2959名無しさん:2021/06/18(金) 23:37:41 ID:NrdB.GxU0
大阪 飯盛城跡が国の史跡に 戦国時代の山城 三好長慶が居城
06月18日 17時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210618/2000047289.html

大阪・大東市と四條畷市にまたがる飯盛山にあった戦国時代の山城、飯盛城跡が、新たに国の史跡に指定されることになりました。

飯盛城は、飯盛山の山頂一帯に築かれた山城で、戦国時代に畿内一円を支配した三好長慶が、居城としたことでも知られています。
城跡は、南北およそ700メートル、東西およそ400メートルの範囲に及び、大東市と四條畷市が、平成28年度から3年かけて調査を行った結果、詳しい城郭の構造のほか、城の全域に石垣が多用され、それらが良好に保存されていることや、瓦の利用などが確認されました。
国の文化審議会は、飯盛城が、戦国時代末期の重要な政治拠点や文化交流の場として機能していたことや、当時の城郭構造が良好に残され、山城における石垣の使用と、構築技術を示す貴重な事例であることなどを評価し、国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
大東市と四條畷市は、城跡の適切な保存を図るとともに、市民に郷土への誇りを持ってもらえるような活用事業に取り組んでいきたいとしています。
これで、大阪府内の国指定の史跡はあわせて70件となります。

2960名無しさん:2021/06/20(日) 20:52:41 ID:NrdB.GxU0
豊作祈り一苗ずつ 新田で氏子ら田植え
2021年6月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210618/20210618027.html

 平野区平野宮町の杭全神社(藤江正謹宮司)の神田(しんでん)で10日、田植えが行われた。約100平方メートルの田に藤江宮司や氏子、近隣住民ら10人が苗を植え、豊作を祈った。

 同神社では2011年から境内の南側に水田をつくり、神事に使う米を栽培している。昨秋はウンカによる虫害で例年の半分の30キロの収穫にとどまった。神田でつくられた米は神事や懸税(かけぢから)とよばれるお供えもの、参拝者に配られる「福の種」として使われている。

 この日は晴天に恵まれ、絶好の田植え日和。参加者は泥に足をとられながら、約30分かけて一苗ずつ丁寧に手植えした。藤江宮司は「今年は豊作となり、新型コロナウイルスで苦しんでおられる皆さんに少しでも多く福をおわけできれば」と話した。

 参加した歌手の中村美優さん(23)=同区=は「田植えは初めてで楽しかった。このような取り組みを続けておられる皆さんの姿勢に頭が下がる。ぜひ、稲刈りにも参加したい」と笑顔を見せた。

2961名無しさん:2021/06/23(水) 23:05:34 ID:NrdB.GxU0
住まい清め決意も新た 神童・柳生君「自宅清祓式」
2021年6月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210621/20210621022.html

 天神祭の神童に任命された柳生晃希君(12)=西天満小6年=の家をはらい清める行事「自宅清祓(きよはらい)式」が20日、大阪市北区内で執り行われた。柳生君は、大役を果たそうと気持ちを新たにしていた。

 神童は、7月24日の鉾流(ほこながし)神事で、船の上から堂島川に神鉾を流す重要な役割を担う。本人や家族らは、天神祭が終わるまで日々の礼拝や食べ物の制限などさまざまな取り決めを守って過ごす。

 昨年は、新型コロナウイルス禍の影響で神童関連の行事を見送ったが、本年は伝統の継承の観点から、対策を講じつつ運営。この日は、例年よりも人数を絞り、換気などにも配慮しながら斎行した。

 式には、祭りの神事を担う大阪天満宮の神職をはじめ、柳生君の家族や、神童に推薦した西天満連合神鉾講の関係者が出席。神職が室内に祭壇を設けて祝詞を読み上げ、各部屋を清めて回った。

 晃希君は「言葉遣いから気をつけ、決まりを守って本番に臨みたい」と決意を示し、父・勝敏さん(51)は「大変光栄な話。自分のできることを一生懸命やってほしい」と思いを込めていた。

2962名無しさん:2021/06/28(月) 22:41:10 ID:ylDuNnHU0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」開催へ 今年は規模縮小
6/28(月) 16:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/53c1108f9d2bdcb9217a5adc8cf21b594b17028f

四天王寺の支院「愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日・7月1日、「愛染まつり」が開かれる。(あべの経済新聞)
愛染まつりは、天神祭、住吉祭と並んで大阪三大夏祭りの一つに数えられ、夏祭りの先駆けとして知られる。2018(平成30)年から、愛染娘らの「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」や露店営業などは近隣住民に配慮して行っていない。

 今年も新型コロナウイルス感染症対策で規模を大幅に縮小する。例年は3日間だが2日間の開催とし、「愛染明王」「大日大勝金剛尊」の特別開帳、お守りや御朱印の授与を行う。愛染娘は公募ではなく、関係者から推薦された50人の中から5人を選んだ。愛染娘が宝恵駕籠に乗る「駕籠上げ」、四天王寺の僧侶による「夏越しの祓(はら)えの大法要」は一般公開せず、ツイキャスでの配信を予定する。

 同寺では今月27日、本年度の愛染娘が宝恵駕籠に乗るのを体験した。愛染娘の福本唯奈さんは「コロナで楽しくない時期だが、みんなで楽しい愛染まつりにして自分も楽しみたい」と話し、宝恵駕籠は「自分が持ち上がるのを初めて経験した。アトラクションみたい」と振り返った。

 開門時間は10時〜18時。

2963名無しさん:2021/06/29(火) 22:44:00 ID:NrdB.GxU0
東大阪・旧河澄家で「昔の道具展」 江戸時代の蔵公開、ゆかりの人物も紹介
6/29(火) 22:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/087caf2caa553f3fc0f20418841d5387a8e0bec7

東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)の蔵で6月22日、企画展「昔の道具展」が始まった。(東大阪経済新聞)

展示会場の土蔵は5メートル×11メートル、切り妻造りの2階建てで、外側と内側に白漆喰(しっくい)が塗られており窓は6カ所。外からの光を最小限に抑える工夫がされている。江戸時代後期の「河澄家屋敷絵図」によると、この蔵は現在の位置になく、別の位置から動かされたものと考えられるという。蔵の公開は今回で4回目。

 同展では、河澄家の所蔵の品、約1200点のうち約110点を展示。手前のスペースでは、河内地方の庄屋の仕事、食、娯楽、生活に関連する所蔵品をまとめた。

 庄屋の役割として年貢の納入のほか、村人の健康管理などを行っていたことから、薬剤を砕く薬研(やげん)や薬だんすなどが並ぶ。食に関するものでは、祝い膳や重箱、弁当箱など、華やかな品も多い。娯楽に関するものでは、将棋盤や碁盤、百人一首や笛など、生活の品は、灯明道具や火鉢などを選んだ。

 奥のスペースでは、河澄家にゆかりのある人物に関する品を展示。富田林の豪商・杉山家に嫁いだ河澄家19代当主・雄次郎の娘・ナミの娘で、1882(明治15)年に生まれた石上露子(いそのかみつゆこ、本名=杉山孝)は、与謝野晶子や山川登美子らとともに「新詩社の五才女」と称された歌人。初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ「小板橋」を発表した後、文学界から身を引いた。

 同展では、露子直筆の書や、露子が仲の良かったいとこの冬子に贈った杉材の小箱、冬子がその小箱にしまっていた鈴虫の姿が彫られた真竹製の帯留めなどを展示する。

 母屋西側に建てられた数奇屋風書院造りの建物「棲鶴楼(せいかくろう)」は、第15代当主・常之と親交が深かった国学者で文学者の上田秋成ら、文人が集う文芸サロンになっていたといい、秋成が目の療養で滞在した際にたしなんだ煎茶の道具や、棲鶴楼から枯山水庭園を眺めながら読んだ歌を紹介する。

 学芸員の道岡陸哉さんは「河澄家にゆかりのある人物を知ってほしい。コロナ禍の大変な時期なので、秋成のように棲鶴楼から庭を眺めていやされてほしい」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館(祝日の場合は翌日)。入館無料。9月26日まで。

2964名無しさん:2021/06/30(水) 22:17:26 ID:NrdB.GxU0
大阪に夏の訪れ告げる「愛染まつり」始まる コロナで規模縮小
06月30日 12時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210630/2000047807.html

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が30日から始まり、浴衣姿の女性を乗せた「宝恵かご」の行列が規模を縮小して行われました。

大阪・天王寺区にある愛染堂勝鬘院の「愛染まつり」は、天神祭、住吉祭とともに大阪の三大夏祭りとして親しまれています。
初日の30日は、「愛染娘」と呼ばれるそろいの浴衣にマスクを着けた女性がちょうちんや色とりどりの造花で彩られた「宝恵かご」に乗り込みました。
例年は街を練り歩きますが、ことしは新型コロナ対策として見物する人で密を作らないようにと、境内だけで行われ、太鼓と鐘の音に合わせて「べっぴんさんじゃ-、ほ-えっか-ごっ」と威勢のいいかけ声を響かせていました。
愛染堂勝鬘院の山岡武明 住職は「縁日は開催されていませんが、疫病退散の法要も行っているので、元気に来年を迎えられるよう、手を合わせに来てもらえたら」と話していました。
愛染まつりは7月1日までで、「愛染明王」や「大日大勝金剛尊」が特別に公開されています。

2965名無しさん:2021/06/30(水) 22:32:43 ID:NrdB.GxU0
鎮魂碑再建、追悼の祈り 第5次大阪大空襲から76年
2021年6月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210627/20210627025.html

 太平洋戦争末期の第5次大阪大空襲から76年を迎えた26日、大阪市西淀川区の市立佃小で犠牲者の慰霊祭が行われた。佃地区では防空壕(ごう)に避難した人らが爆撃を受け、一度に亡くなったとされる。台風被害で倒壊し、再建された鎮魂碑の除幕も兼ね、住民らが犠牲者の冥福を祈った。

 地誌の「佃史探求」によると、1945年6月26日の同空襲では、左門殿川堤防下にあった防空壕付近に着弾し、避難していた五十数人が犠牲になった。鎮魂碑は以前、校舎の約50メートル西側にあったが、2019年秋の台風19号でほこらとともに損壊。その後行方不明になり、有志が再建した経緯がある。

 法要はしめやかに営まれ、遺族や住民ら約50人が参列。犠牲者を悼み、碑前で静かに手を合わせた。

 出席した望月貞子さん(88)=守口市=と丸田道子さん(80)=枚方市=の姉妹は、当時13歳だった姉と母、おじが犠牲に。二人は親類宅に疎開中だった。「慰霊碑がなくなってショックを受けていた。立派なものができ、涙が出るほどうれしい」と声をそろえ、目を潤ませた。

 地元で世話役を務める平田房夫さん(78)は「ご遺族が喜んでくれたことに感謝。地域が歴史を継承していかないといけない」と思いを新たにした。

2966名無しさん:2021/06/30(水) 22:40:00 ID:NrdB.GxU0
「篝の舞楽」鑑賞者募集 7月1日から受け付け
2021年6月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210630/20210630027.html

 天王寺舞楽協会は8月4日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺伽藍(がらん)内講堂前庭で「第66回篝(かがり)の舞楽」を開催する。午後6時〜7時半。雨天中止。

 今年は完全事前申込制とし、定員は先着300人(当日券販売なし)。申し込み期間は7月1〜19日までで、定員に達し次第終了する。

 鑑賞料千円(小学生以下無料)。希望者は同寺ホームページから申し込むか、はがきに鑑賞希望者全員の氏名、住所、電話番号を明記し、〒543-0051 天王寺区四天王寺1の11の18、四天王寺内 天王寺舞楽協会事務局へ。後日受付証を送付する。問い合わせは電話06(6771)0066、同事務局。

2967名無しさん:2021/06/30(水) 23:01:46 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍 気持ち新たに 生国魂神社で「茅の輪」設置
2021年6月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210629/20210629029.html

 30日に執り行われる大祓(はらえ)「夏越(なごし)の祓」を前に、大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で28日、神職手作りの高さ約5メートルにもなる「茅(ち)の輪」の設置作業があった。

 大阪一大きいとされる同神社の茅の輪には、琵琶湖水系のヨシを使用。毎年、神職が地元ヨシ業者の協力を得て、刈り取り作業から取り組んでいる。

 同神社では、自動車も輪をくぐるため馬てい型にするのが通例。前々日に神職が全長約13メートル、太さ約50センチのヨシの束を作り上げており、設置当日は業者が朝からクレーンや足場を使って、鳥居の内側に合わせて美しく装飾した。

 中村文隆権禰宜(ごんねぎ)は「新型コロナウイルス禍の中、おはらいで気持ちのお掃除をして、次の生き生きとした生活のスタートを切っていただきたい」と話した。同神社の「夏越の祓」は午後4時から。茅の輪は7月15日まで設置される。

2968名無しさん:2021/06/30(水) 23:09:48 ID:NrdB.GxU0
大阪市史跡探訪
 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(1) 淀川区
2021年6月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sisekitanbou/210601/20210601028.html

十三渡し跡 (新北野1丁目)
 十三には、街道を通る人たちが淀川を舟で越えるために利用した渡し場があった。1878年に木橋ができたため、渡しはなくなった。川の北側の乗り場は、現在の十三大橋北詰の辺り。南側は、淀川の大改修で川幅が広がったため今は川底となった。

三津屋城跡伝承地 (三津屋中1丁目)
 光専寺の周辺は「字 城之前」と呼ばれ、この一帯が城跡と推測される。『摂陽群談』(1701年刊)では戦国武将の三好政長や長慶が拠点とした中島城の跡にあてる。『大阪府全志』(1922年刊)では楠木正行の築城としている。

堀城跡伝承地 (十三本町2丁目)
 十三渡し北岸の要地にあった城で、『西成郡史』(1915年刊)では1566(永禄9)年に細川藤賢の築城とされる。31(享禄4)年の大物崩れの戦い時にはすでにあった堀城にあてる見解もある。武田薬品工業大阪工場前にある解説板には、城郭の一部とみられる方形区画のある堀村地籍図を紹介している。


三国の渡し跡 (西三国4丁目)
 1873年、神崎川に三国橋が架かる以前は渡しがあり、南北朝の争乱を描いた軍記物語「太平記」にも登場する。三国橋は明治以降、神崎川に架けられた最初の橋で、その後しばしば架け替えられ、1960年に現在の鋼製になった。阪急電鉄三国駅の北約250メートル。

2969名無しさん:2021/07/03(土) 21:05:52 ID:NrdB.GxU0
「岸和田だんじり祭り」2年ぶり開催へ…運営団体「中止とした場合、築き上げた伝承という財産失う」
7/2(金) 20:09配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3059ba127ae4f6e53bb1e3ecf2e4242f37955187

去年は中止された大阪の「岸和田だんじり祭」は、2年ぶりの開催を目指しています。

重さ4トンのだんじりが豪快に街を駆け抜ける大阪府岸和田市の伝統行事「だんじり祭」

去年は、新型コロナウイルスの影響で開催が中止されましたが、今年は感染対策を徹底し無観客で開催する方針が示されました。

運営団体はワクチンの職場接種の申請をしていて、祭の参加者が希望すれば接種を受けられるよう検討しているほか、密を避けるため、例年よりも道幅の広いコースが用意されるということです。

約300年の歴史を持つと言われる「だんじり祭」について運営団体は「中止とした場合、築き上げた伝承という財産を失うこととなる」と話し、実施に向け対策を検討するとしています。

関西テレビ

2970名無しさん:2021/07/08(木) 00:38:28 ID:NrdB.GxU0
“七夕伝説発祥の地”で人々が短冊に込めた『願い事』とは?伝統の七夕まつりは中止
7/7(水) 19:18配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1195292eabd2a7655c96acfe41b2531ee849ae90

大阪には“七夕伝説発祥の地”と呼ばれる神社があります。人々は短冊にどんな願いを込めたのでしょうか。

 大阪府交野市にある「機物神社」。織姫をまつる全国でも珍しい神社で、毎年七夕の時期になると多くの人が願いを胸に訪れます。人々が短冊を結ぶ笹は毎年神社の裏山で用意されています。毎年7月6日と7日の2日間で5万人が訪れるという伝統の「七夕まつり」。今年は中止となり、例年なら40本近く用意する笹は、今年は4本だけ用意されました。多くの人が集まる露店は無く、神事は規模を縮小して行い、笹と短冊は人々の願いと共に焚き上げられます。

 7月6日と7日に短冊に願いを書いた方々に話を聞きました。映像でご覧ください。

2971名無しさん:2021/07/11(日) 22:22:11 ID:NrdB.GxU0
論説委員 日曜に書く
太子に学んだ経営の神様 山上直子
2021/7/11 15:00
https://www.sankei.com/article/20210711-K2TOECTK7BJ6BPJ3AXU7XZOK6Y/
今年は聖徳太子の1400年遠忌にあたる。

ゆかりの寺院での法要に始まり、その生涯や信仰、実像を追う「和をつなぐ」を紙面やウェブサイトで連載中だが、思った以上に反響がある。背景には、誰もが知る歴史上の偉人というだけにとどまらない太子の魅力があるのだろう。古くは最澄(天台宗の宗祖)や親鸞(浄土真宗の宗祖)も信奉していた。

そして現代ではこの人も。経営の神様と呼ばれ、優れた思想家でもあった松下幸之助(1894〜1989年)である。

◆十七条憲法

まず昭和20年8月16日の午前にさかのぼる。幸之助は大阪・門真の松下電器産業(現パナソニック)の一室に幹部社員を集め、敗戦のショックから仕事が手につかない彼らを前に急遽(きゅうきょ)、「臨時経営方針」を語った。これまでの軍需産業がすべて復興産業に転換するだろうという見通しを述べ、取り組む心構えについてこう言ったという。

「この至難な仕事に成功を収めるには、これを適切に処理遂行しうる心がまえと知識、才能をもっていなければならない。その知恵才覚はしからばどうして生まれてくるか。それは三千年来培った真の日本精神を把握し、これにもとづいて的確な判断を下すことである」(『日本と日本人について』PHPビジネス新書)。

以来、幸之助は「日本の伝統精神」について考え続けた。やがて次の3つを挙げる。

その一「衆知を集める」、その二「主座を保つ」、その三「和を貴ぶ」である。

実はいずれも天皇制と、聖徳太子が定めたとされる「十七条憲法」と深くかかわる。例えば二の主座とは天皇のこと。そして一の「衆知」は憲法の第十七条「夫れ事独り断(さだ)むべからず。必ず衆と論(あげつら)ふべし」から、その三は第一条の「和を以て貴しと為(な)し」からだ。

◆四天王寺との縁

「人間の本質に即し、人情の機微をうがった、まことに高尚で立派なものだと思います。そしてこの十七条憲法には、仏教の精神も儒教の考え方も生かされている」(同書から)

実際、十七条憲法は現在の憲法とは趣が違い、人や役人の道というべきものを説いた内容だ。それを理解した上で自身の考えに取り入れ発展させた。

幸之助は多くの寺院に多額の寄付をしたことで知られるが、太子建立の寺として日本書紀にも登場する四天王寺(大阪市天王寺区)にも西大門(極楽門)や茶室などを寄進している。

2972名無しさん:2021/07/11(日) 22:22:44 ID:NrdB.GxU0
「歴史的に地元の民衆が支えてきた、いわば大阪のシンボルとしての四天王寺ということが大きかったのでは。ご自身も大阪の方ですから」というのは、学芸員で同寺勧学部文化財係主任の一本崇之さん。

第百一世管長、出口常順との親交が厚く信徒総代も務め、昭和41年度には「繁栄と平和」と題した講演を行う。このとき太子の事績に触れて、日本には外国に負けない「日本魂」というものがあり、「その日本魂のうちの大きな一つは、私は和の精神だと思います」と述べた。

◆日本精神こそ

興味深いのは昭和39年に「聖徳太子の十七条憲法と四天王寺縁起をパンフレットにして100万部くばりたい」と言っていることだ。PHP研究所によると結局、実現はしなかったそうだがどんな思いがあったのか。

こんなことも言っている。

日本人には〝和を貴ぶ精神〟すなわち平和愛好の伝統というものがある。ところが不幸にして日本は何度か戦争をし、太平洋戦争によって悲惨な姿に陥ってしまった。大いに反省しなければならない。ただ戦争そのものを憎むあまりに、本来平和を愛好する国民ではなく、戦争を好む軍国主義的な国民ではないかという考え方も一部に生まれてきたが、それは長い歴史を知らないのだ―と。

現代に生きる聖徳太子を追ううちに、松下翁の日本人論にたどりついた。

昭和39年の東京五輪を前に米有力雑誌「ライフ」が日本特集を組んだ。幸之助の写真とともに「最高の産業人、最高所得者、思想家、雑誌発行者、ベストセラー作家」の5つの顔を持つ人物と紹介されている。今も学ぶべきところがあると思うが近年、この経営の神様を知らない若者が増えているそうだ。

政治も企業も不祥事がいっこうになくならない。「無意識のうちに日本精神が顕れてくるようでありたい」と松下翁が願った世界はまだ遠い。(やまがみ なおこ)

2973名無しさん:2021/07/14(水) 22:06:21 ID:NrdB.GxU0
「生国魂祭」本宮 大阪城で「元宮駐輦祭」
2021年7月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210713/20210713020.html

 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)の伝統行事「生国魂祭」が12日、本宮を迎えた。新型コロナウイルス禍を受けて陸渡御(とぎょ)などの行事は中止されたが、元の鎮座地である同市中央区の大阪城公園内で、恒例の「元宮駐輦(もとみやちゅうれん)祭」が粛々と執り行われた。

 同祭の陸渡御は、戦時中の大阪大空襲で社殿や神具一式が焼失したため戦後は途絶。御鳳輦(ごほうれん)をはじめ新たな神具の完成に伴い、2014年から約500人が参加する渡御行事が行われていたが、新型コロナ感染防止対策として2年連続で取りやめとなった。

 神職ら関係者は拝殿での「本宮祭神幸(かんこう)祭」の後、「御羽車(おはぐるま)」など神具を乗せたトラックに分乗し、同公園・大手前芝生広場の一角にある御旅所跡に到着。現地で合流した奉仕者ら参列者一同がおはらいを受けた後、伝統の手締め「生国魂締め」で締めくくった。

 中山宮司は「大阪の繁栄と市民の安寧に加えて、疫病退散を祈願。来年こそは元のお祭りができるよう望みたい」と話した。

2974名無しさん:2021/07/14(水) 22:54:13 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の足跡たどる 1400年御遠忌パネル展
2021年7月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210710/20210710034.html

 今年の「聖徳太子1400年御遠忌(おんき)」に合わせたパネル展が、東大阪市の府立中央図書館・1階展示コーナーで開かれている。闘争や「憲法十七条」に代表される政治施策、東アジア外交などをパネル約40枚で紹介。多くの来館者が、太子の壮大な足跡に見入っている。25日まで。

 同館と歴史街道推進協議会の共催の展示事業。会場では、関係略系図や年表をはじめ、日本仏法最初の官寺で知られる四天王寺(大阪市)など、太子建立7大寺のうち現存する寺院について、それぞれの特色も交えて紹介している。

 このほか、100年前の1921(大正10)年4月に奈良・法隆寺で営まれた奉賛法要の様子や、30(昭和5)年以降、多くの日本銀行券の肖像として採用されていた経緯を、分かりやすく解説したパネルも並び注目を集めている。

 約300冊の関連蔵書を集めたラックも併せて設置。同館担当者は「多くのパネルや書籍を通じて、太子が歩んだ時代のイメージを膨らませていただきたい」と話している。

 午前9時〜午後7時(土日祝は午後5時まで)。12、19日は休館。

2975名無しさん:2021/07/17(土) 01:36:34 ID:NrdB.GxU0
人形浄瑠璃 文楽 桐竹勘十郎さん人間国宝に認定へ
7/16(金) 23:35配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0118e528d407f63dd925209e92ee84f3dbbebff

人形浄瑠璃文楽の桐竹勘十郎さんが国の重要無形文化財「人間国宝」に認定されることになりました。

桐竹勘十郎さん(68)は、女方・立役を問わず抜きん出た表現力を持つ人形遣いで文楽の上演に欠かせない存在です。

後進の育成にも尽力するなど業績が評価され秋にも「人間国宝」に認定されることになりました。

【桐竹勘十郎さん】
「日に日に身が引き締まるといいますか、これはえらいことになったなという感じです」

師匠で人間国宝の吉田簑助さんは今年4月に引退したばかりでした。

【桐竹勘十郎さん】
「おめでとうおめでとうおめでとう、ずっとおめでとうを言ってくれはったんです。それがものすごく嬉しかったんです」

勘十郎さんは8月3日まで大阪の国立文楽劇場の公演に出演しています。

関西テレビ

2976名無しさん:2021/07/17(土) 21:51:42 ID:NrdB.GxU0
勘十郎さん人間国宝 父、師匠に次いで栄誉
2021年7月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210717/20210717025.html

 父親、そして師匠に続き人間国宝に認定された人形浄瑠璃文楽座人形遣いの桐竹勘十郎さん(68)。連絡を受けた時は実感がなかったというが、「日に日に身が引き締まる思い。これは偉いことになったなという気持ち」と吐露。「認定を受けたからと言って劇的にうまくなるわけではない。これまでやってきたことを、続けてやっていく」と誓った。

 大阪市出身で、父は二代桐竹勘十郎。1967年に14歳で三代吉田簑助さんに師事し、翌年文楽協会技芸員となり初舞台を踏む。2003年に三代桐竹勘十郎を襲名。08年に紫綬褒章を受章したほか、芸術選奨文部科学大臣賞、日本芸術院賞など多数の受賞歴を持つ。

 師匠から女方(おんながた)、父から立役(たちやく)の人形遣いを学び、数々の作品に出演してきた。人形遣いとして自信を付けたのは、襲名披露で演じた「尼ケ崎の段」の武智光秀役だったという。「立役として大きな人形の経験がなかった中で、父親が選んでくれた。大阪や東京、地方も巡り、これで大きな人形への不安がなくなった」と振り返る。

 新作の上演にも力を入れており、思い入れのある作品に、今年2月に京都で上演した自作品「端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)」を挙げる。「自分が主役をできない頃に、足遣いをやりながら考えた最初の作品で、足遣いから左遣い、そして主(おも)遣いになりたいがなかなか思い通りにならない、当時のそんな思いと重なる作品」だという。

 本公演以外にも、他ジャンルとの連携などを通して文楽の普及に努めてきた。それらの活動も許容し見守った簑助師匠への感謝の思いも強く、人間国宝認定の知らせを受けてすぐに連絡した際に、「何度も『おめでとう』と言ってくれて、ものすごくうれしかった」と頬を緩めた。

 今後も「古くから埋もれている作品を復活させることも続けたいし、後進の育成にもっともっと力を入れていく。また、幾度も再演してもらえるような新作も作っていきたい」と文楽の未来に向け、一路邁(まい)進する。

2977名無しさん:2021/07/17(土) 21:58:22 ID:NrdB.GxU0
人間国宝 関西から新たに2人認定へ
07月16日 20時13分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210716/2000048652.html

伝統的な芸能や工芸技術の分野で高度な技術をもつ国の重要無形文化財の保持者いわゆる人間国宝に、関西から2人が新たに認定されることになりました。

このうち1人は大阪・東大阪市に住む茶の湯釜の角谷勇圭さん、本名、角谷勇治さん78歳です。
昭和17年、人間国宝である父、一圭さんの次男として生まれ、27歳のときに父の工房を手伝ったのをきっかけに釜作りを始め、その後は父のもとで伝統的な技術を習得しました。
鋳型にへらを押し込みへこませることで釜の表面に図柄を表現する「箆押(へらおし)」という技法が特徴で、日本の花鳥風月を繊細で優美に描いています。
角谷さんは「とても父には及びませんがやってきたことが認められてうれしい反面、責任も感じ、身が引き締まる思いです。今までどおり、1点1点をこつこつと作っていきたいと思います」と話していました。
もうひとりは、大阪市に住む人形浄瑠璃「文楽」の人形遣い、桐竹勘十郎さん、本名、宮永豊実さん68歳です。
昭和28年に人間国宝の父、二世桐竹勘十郎さんの長男として生まれ、14歳で入門。
のちに人間国宝に認定される吉田簑助さんのもとで修行を積みました。
女の人形=女方(おんながた)遣いの名手である師匠と、男の人形=立役を得意とする父からの教えを受け、さまざまな役柄を繊細な動きで感情豊かに表現する卓越した技量が高く評価されました。
桐竹さんは「まさか自分が認定されるとは思っておりませんでした。まことに身が引き締まる思いです。これから後進の指導育成に力を入れ、携わる方をどんどん募って増やしていきたい」と話していました。

2978名無しさん:2021/07/17(土) 22:14:22 ID:NrdB.GxU0
奉仕活動伝統継続していく 2年ぶり本宮で清掃実施
2021年7月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210716/20210716025.html

 日本三大祭りの一つ、大阪市の天神祭で清掃に従事するボランティア団体「ダストバスターズ」が、25日の本宮で2年ぶりの活動に臨む。昨年は、新型コロナウイルス禍と天候の影響で実施できなかったが、奉仕活動の伝統を小規模でも継続していく。

 ダストバスターズは、1993年に発足。祭りの神事を担う大阪天満宮(大阪市北区)が事務局となり、美化委員会を組織して運営してきた。新型コロナ流行前は、本宮と24日の宵宮の2日間で延べ500人前後が参加している。

 昨年は、天神祭の練り歩きや奉納花火といった主要行事が新型コロナ禍の影響でなくなったのを踏まえ、規模を縮小して実施を計画。奉仕活動の精神を受け継いでいく重要性を踏まえた。

 神事を執り行う近隣の川べりの事前清掃は、主要スタッフ10人程度で取り組んだものの、本宮の際の大阪天満宮周辺の掃除は、雨で中止になった。

 今年も新型コロナ禍によって、祭り自体が2年連続規模縮小となったが、ダストバスターズは本宮での清掃に改めて臨む。今年は神事が昨年よりも拡充するため、それに合わせて清掃場所も加える予定。昨年同様、神事がある川べりの事前清掃にも取り組む。

 大阪天満宮の園博年権禰宜(ねぎ)は「奉仕活動の伝統を来年につなげていきたい」と話した。

2979名無しさん:2021/07/17(土) 22:15:24 ID:NrdB.GxU0
古墳時代の生活調査資料を展示 近つ飛鳥博物館
2021年7月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210716/20210716028.html

 大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)は17日から、夏季企画展「古墳群に暮らした人たち-集落遺跡からみる古市古墳群-」を開催する。世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群では発掘調査が行われており、多くの調査資料から生活に直接関わる資料を紹介する。9月5日まで。

 調査では、古墳のそばで生活していた人たちの活動の痕跡や資料も確認されている。今回は古市古墳群内で行われた最近の調査・研究成果、これまでの資料の中から古墳時代の生活に関わる資料を展示し、集落遺跡について考える。

 期間中には土曜講座(7月24日、8月28日)のほか、8月22日には舘野和己館長による講演会も予定している。午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜休館。問い合わせは電話0721(93)8321、同館。

2980名無しさん:2021/07/21(水) 20:53:08 ID:NrdB.GxU0
100年前に作られたステンドグラス 大阪市議会の議場で発見 旧庁舎の議場にあった「後世への宝物」
7/21(水) 20:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f12bd1537929093ad42456f6161960e9f27c4d7f

大阪市役所の議場で、100年前に作られたステンドグラスが見つかりました。

【大阪市会事務局 満島健太郎さん】
「この板の間に挟まっていました。物品の整理していたときにたまたま見つかった。残っているということ自体を想像していなかったのでびっくりした」

大阪市役所にある議場の一角から見つかったものとは…
ステンドグラスは40枚。
多少の傷はありますが、綺麗な状態のまま保管されていました。

これらは、約40年前に取り壊された旧庁舎内の、市議会の議場の天井に飾られていたものです。

制作に携わった1人とされるのは、木内真太郎という作家。
大阪市中央公会堂のステンドグラスをはじめ、数多くの作品に携わっています。

今回発見されたステンドグラスが作られたのは、今から100年前の大正10年。
当時、大阪市では、産業が急速に発展し人口も急増。
市のさらなる発展のため、庁舎を建て替えることにしていました。

当時の記録には「庁務いよいよ激増し、その結果、庁舎新築の必要を感ずる」と書かれています。
建て替えらた庁舎は、当時、制作の全盛期であったステンドグラスが取り入れられた最新式の庁舎となりました。

今回の発見に、ステンドグラスの研究者は…

【ステンドグラス史研究者 金田美世さん】
「ステンドグラスだけでも残ったのは、後世への宝物で、大阪市の誇れる美術がそこにあったということ。歴史的価値も含めて本当にすばらしいこと」

その後、再び現在の庁舎に建て替えられ、処分されたと思われていた大阪市のステンドグラス。

今後修復され、大阪市北区の「大阪くらしの今昔館」で展示される予定です。

関西テレビ

2981名無しさん:2021/07/21(水) 20:55:53 ID:NrdB.GxU0
江戸期祭り 体感を 船形山車や大型人形
2021年7月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210719/20210719023.html

 日本三大祭りの一つ天神祭が、新型コロナウイルス禍で2年連続規模縮小となる中、大阪市北区の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は、江戸期の祭りの様子を体感できる装いを整え、来館者を出迎えている。かつては祭礼の日に引き出されていた全長8メートルの船形山車や、今も設置される伝統が続く大型人形などがずらり。打ち上げ花火の演出もあり、関係者は「祭りの雰囲気を楽しんでほしい」と呼び掛けている。8月末まで。

 約3千人の大行列が練り歩き、約100隻の船が行き交う「渡御行事」や、約5千発の奉納花火などの行事が昨年同様に中止となる中、毎年恒例の「夏祭りの飾り」をテーマに、祭りの文化を発信し続けているのが大阪くらしの今昔館だ。

 同館には、江戸期の大坂の町並みを実物大で復元したフロアがあり、大型展示物をはじめ、家屋の飾り付けから食まで、当時の様子を味わえる。

 目玉の展示の一つが同市指定有形民俗文化財の船形山車「天神丸」。江戸期に舟運業者らが造り、1926年まで天神祭に登場していたという。2001年の同館開館に合わせて修復。大名の御座船を模した山車で、全長8メートル、高さ3メートル、幅2メートル。屋形部分には豪華な彫り物が見られる。

 大型人形「御(お)迎え人形」のうち「雀踊(すずめおどり)」も展示。新型コロナ禍前は、市内各所でさまざまな人形が披露されたが、今年は、24、25日に大阪天満宮(同市北区)で展示される3体を除くと同館でしか見られない。

 ハモの照り焼きやばらずしといった食文化の見本なども紹介。フロアは、一日の移り変わりを照明などで演出しており、夜には打ち上げ花火がにぎやかな音と共に映し出される。

 映像による解説を充実させて非接触型の運営にも尽力。上田祥悟学芸員は「コロナ対策を講じた中で夏祭りの雰囲気を楽しんでいただければ」と話していた。

2982名無しさん:2021/07/21(水) 22:32:58 ID:NrdB.GxU0
祭り継承に協力を 渡御行事保存協賛会 一般会員募集中
2021年7月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210720/20210720019.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭を斎行する「天神祭渡御(とぎょ)行事保存協賛会」(大阪市北区)は、一般会員を募集している。今年の天神祭は2年連続で規模を縮小して斎行するものの、伝統を継承する観点から、昨年よりも神事を充実させる。経費を巡って一定の損失を見込んでおり、祭り存続の基盤づくりの一環で会費を生かしたい考えだ。

 今年の天神祭は、約100隻が川を行き交う船渡御や奉納花火といった、人が集まる行事を中止。ただ、神様が氏地を巡り、街の平穏を願うという祭りの伝統を来年につなぐため、み霊を移したみこしを担ぎ、近隣の川までを往復する神事などを計画している。

 会員は、氏地外からも募集。年会費は、「3千円以上」から「10万円以上」まで6段階あり、各会費料に応じた記念品を用意。会員証や会員限定のお守りをはじめ、天神祭記念扇子といった物品関連から、初詣招待券などの体験系まである。

 会員年度は6月1日〜翌年5月末。毎年5月に更新する必要がある。入会は、大阪天満宮のホームページか境内で申し込める。

2983名無しさん:2021/07/24(土) 01:43:47 ID:NrdB.GxU0
住吉祭、堺にも関わり 神輿渡御パネルで紹介
2021年7月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210722/20210722032.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の「住吉祭・神輿渡御(みこしとぎょ)」を紹介するパネル展が21日、堺市堺区の町家歴史館山口家住宅で始まった。今年は新型コロナウイルス禍を受けて、8月1日の渡御の取りやめが決まっているが、8枚の解説パネルを通じて夏祭りを締めくくるのにふさわしい壮大な伝統行事の姿を伝えている。8月2日まで。

 展示では、境内から堺市の宿院頓宮(とんぐう)まで約7キロを練り歩く渡御の行程や、1704(宝永元)年の大和川の付け替えまで堺までは地続きであった歴史などを、写真や図解を交えて解説。

 大和川で大阪側と堺側の担ぎ手が交代する「神輿受渡式」のパネルでは、双方の担ぎ手が豪快に川を渡る様子を紹介している。

 主催した堺市文化観光局文化部文化財課は「大阪の祭りというイメージがあるが、古来、堺と深い関わりがあることを知ってもらう機会となれば」と話している。午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。入館料200円。火曜休館。

2984名無しさん:2021/07/24(土) 19:57:29 ID:NrdB.GxU0
大阪の夏の風物詩「天神祭」始まる 初日は「鉾流神事」
07月24日 12時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210724/2000048934.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」が24日から始まりました。

去年に続いて、新型コロナウイルスの影響で多くの行事が中止される中、24日は、無病息災を願って、木の鉾を川に流す「鉾流(ほこながし)神事」が行われました。
大阪天満宮の「天神祭」は、例年、7月24日と25日に行われる、大阪の夏の風物詩ですが、新型コロナウイルスの感染対策として、100隻もの船が堂島川を行き交う「船渡御(ふなとぎょ)」など多くの行事が去年に続いて中止となりました。
午前中、大阪天満宮では、祭りの無事を祈る神事が行われ、神の使いの役の「神童」に選ばれた西天満小学校の6年生、柳生晃希くんにひのきで鉾を形づくった「神鉾」が授けられました。
柳生くんは堂島川の川岸に移り、川に浮かべられた船に乗り込みました。
そして、笛の音が流れる中、川の中ほどで「神鉾」を川に流して無病息災を祈りました。
「天神祭」は25日、本宮を迎えますが、関係者のみで行うとしています。
大阪天満宮では、「天神祭」の様子をおさめた動画を、およそ1週間後にYouTubeで配信することにしています。
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2985名無しさん:2021/07/24(土) 21:31:12 ID:NrdB.GxU0
2年ぶり、堂々姿 生根神社「だいがく」立て起こし
2021年7月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210724/20210724023.html

 大阪市西成区の生根(いくね)神社(吉見友伸宮司)で23日、夏祭り「だいがく祭」(24、25日)で特別公開する「玉出のだいがく」(大阪府指定有形民俗文化財)の立て起こし作業があった。新型コロナウイルス禍の影響で公開は2年ぶりとなり、境内に高さ約20メートルのだいがくが堂々復活した。

 「だいがく」は干ばつに苦しむ農民の雨乞いが由来とされる。同日は「だいがく保存会玉神会」などから奉仕者約20人が参集し、午前6時半から作業開始。寝かせた状態で台座や高さおを組み上げ、約80灯のちょうちんを装飾した後、吉見宮司のおはらいを受けて一気に立て起こした。

 吉見宮司は「コロナ禍で祭りは縮小となるが、シンボルのだいがくを立てることで皆さんに元気になってもらうとともに、組み上げる技術の継承にもつなげたい」と話した。今年も玉出西公園での「だいがく担ぎ」などの行事や露店などは中止。福ササ授与や、みこしの地域巡行(25日)は復活する。

2986名無しさん:2021/07/25(日) 22:53:08 ID:ylDuNnHU0
天神祭「本宮祭」コロナで今年も規模縮小
7/25(日) 18:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0bbc666caa7a564b14d5c10f87054b0db0e0c59

大阪の天神祭は本宮を迎え、無病息災を願う神事が関係者のみで行われました。

大阪天満宮では25日、天神祭の主要な神事「本宮祭」が行われました。
宮司が供え物をして祝詞を読み上げ災害や疫病がないよう街の平安と繁栄が祈願されました。

例年、祭を盛り上げる船渡御や奉納花火などは新型コロナの影響で2年連続で中止となりましたが、神事の神幸列などは2年ぶりに行われました。

今年の天神祭の様子は約1週間後にYouTubeで配信されるということです。

関西テレビ

2987名無しさん:2021/07/31(土) 22:42:21 ID:NrdB.GxU0
写経と手紙 次の100年に 御聖忌タイムカプセル
2021年7月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210730/20210730026.html

 今年は聖徳太子の没後1400年。太子ゆかりの寺院では遠忌法要が営まれるほか、各地の博物館や美術館で特別展が行われている。太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、「聖徳太子千四百年御聖忌(ごせいき)」として多様な関連行事や記念事業が進行中。中でも次の1500年に向けた「御聖忌タイムカプセルプロジェクト」は、一般も参加できるとあって注目されている。

 タイムカプセルとはいえ史跡地のため土地の掘削は制限があり、埋設ではなく建物内で厳重保管する。プロジェクトは三つの企画で構成。このうち「奉納写経」と「未来への手紙」が一般対象となる。「奉納写経」は来年4月22日まで募集中。奉納料込み1枚2千円で、専用用紙に写経と写仏を行う。

 木製のタイムカプセルに収納後、境内・西大門(極楽門)の上層部で未来永劫に奉安され、以後50年ごとの御聖忌で記念法要が営まれる。

 例年、写経会で奉納された写経は10月の「経供養」でたき上げられるため、永代奉安を希望していた参加者も多かった。今回のプロジェクトは大歓迎で、申し込みが相次いでいる。

 「未来への手紙」(1枚5千円、奉納料込み)は、秋頃から来年4月下旬まで受け付け予定。50年、100年と2種類のカプセルがあり、手紙の受け付け時に「奉納之証」を授与する。奉納場所は太子を祭る聖霊(しょうりょう)院(太子殿)内。手紙は最終的に焼納されるが、いずれかの開封時、本人または関係者が事前に閲覧できるように告知するという。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「手紙の内容は自由。自分の家系が続くという自信や、社長であれば100年企業を目指す励みにつながれば」と、さまざまな活用の方法を提案する。

 三つ目は、同寺が奉納者となって現代の品々を100年後に伝えるため、カプセルに納める企画だ。場所は同じく聖霊院で、奉納品は法要などに使用する装束や多彩な授与品、年中行事を記録した写真や資料が中心になる。

 このほか紙幣・硬貨、地図、改元を報じる新聞、携帯電話など、時代を彩った品々が納められる予定。山岡課長は「いずれも1400年以上の歴史がある四天王寺ゆえに可能な企画。皆さんとともに50年、100年という時間を共有しながら次代に伝えたい」と思いを込める。

 ◇プロジェクトに関する問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2988名無しさん:2021/08/04(水) 22:19:02 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭15周年で記念公演 30日から 豪華顔ぶれ
2021年8月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210802/20210802024.html

 上方落語協会は9月15日に開場15周年を迎える天満天神繁昌亭の「記念特別公演」を行う。昼席(開演午後2時)は8月30日から笑福亭松鶴一門▽9月6日から三代目桂春団治・露の五郎兵衛一門▽同13日から五代目桂文枝一門▽同20日から林家染丸一門▽同27日から桂米朝一門がそれぞれ1週間ずつ。夜席(同6時)は9月13〜19日の1週間日替わりで、メインの15日は生誕落語会として桂米団治、月亭八方、桂文枝、笑福亭仁智の豪華顔ぶれ。

 開場時と10周年時は天神橋筋商店街を赤い人力車に当時の協会長が乗り込み練り歩いたが、今回はコロナ禍で自粛。来場客100万人は7年で達成できたが、最近1年半はコロナ禍で閉館時期も長く、再開後の今も定員の216席を半分以下の102席に減らし、公演も平均して半分程度の入りで観客動員は苦戦する。15周年での200万人達成には届かず、190万人に乗せるのがやっとだった。

 今後の協会の方向性について、仁智会長は「これまで長い間“(亡き)四天王におんぶにだっこ”という状態だったが、次の15年に向け“親離れ”を目指す。皆でワンチームとなって新しい上方落語界を構築するため新たな第一歩を踏み出す」と決意を述べた。

 米団治副会長は開場当時を振り返り「最初は正直“経営していけるのか?”と心配していたが、3年目ぐらいから商店街が活気づいて協力してくれるようになった。噺(はなし)家にとってもホームグラウンドができた」としみじみ。遊方実行委員長は、一度も繁昌亭を訪れたことのない新規客獲得を念頭に「寄席にはテレビにない笑いがある。いろいろな方に来てほしいし、行ってみたいと漠然と思われている方の背中を押せるようPRを頑張る」とアピール。

 記念特別公演の期間中、来場者特典として特製パンフレットと、特製手ぬぐい(落語家のサイン入りまたはネタ番付のいずれか)をプレゼント。ロビーでは記念写真展も開催。なお昼席のネット配信は行わない。

2989名無しさん:2021/08/04(水) 22:20:28 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子研究識者の講演会 四天王寺、10月開講
2021年8月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210804/20210804028.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺は、今年の「聖徳太子千四百年御聖忌」にちなみ、10月〜来年4月まで毎月1回、日本古代史や聖徳太子研究の識者を講師に招いた「聖徳太子講演会」(全7回)を開講する。

 完全予約制で事前申し込みが必要。参加費は各回500円(7回通しは3千円)。会場は本坊・五智光院。定員は各回先着200円。

 開催日と講師は次の通り。(1)10月3日=中西進氏(国文学者、高志の国文学館館長)▽(2)11月14日=石井公成氏(駒沢大名誉教授)▽(3)12月5日=桑谷祐顕氏(叡山学院学監)▽(4)1月9日=有栖川有栖氏(作家)▽(5)2月6日=北川央氏(大阪城天守閣館長)(6)3月6日=東野治之氏(斑鳩町文化財活用センター長)(7)4月3日=阿部泰郎氏(龍谷大教授、名古屋大客員教授)。

 時間はいずれも午後1時半〜同3時(予定)。受け付け開始は同0時半。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺「聖徳太子講演会」係。

2990名無しさん:2021/08/07(土) 01:24:36 ID:NrdB.GxU0
大阪市立美術館で「聖徳太子展」開催へ ゆかりの作品が集結
8/6(金) 11:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8f4b0e93e21c43987cba39b29f278eb6140c8d8
千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処(ところ)の天子」が9月4日から、大阪市立美術館(大阪市天王寺区、天王寺公園内)で開かれる。(あべの経済新聞)

 2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に開かれる同展。太子信仰の中核を担ってきた和宗総本山四天王寺(天王寺区)の所蔵品を中心に、「聖徳太子絵伝」や「聖徳太子立像」など太子に関わる美術の全貌を紹介する。

 7月7日に行われたオンライン会見で四天王寺の瀧藤尊淳執事長は「当山の寺宝のみならず、全国各地から貴重なご宝物を出品いただく。一つ一つが太子への厚い信仰の結晶であり、宝物を一堂に会して行われる本展覧会はまさに太子信仰の集大成」と話した。「1400年もの長きにわたり、脈々と受け継がれてきた太子の和の精神を心の中にとどめ、聖徳太子のご遺徳と共に、広く皆さんに知っていただく機会になれば」と期待を寄せる。

 開館時間は9時30分〜17時。月曜休館(9月20日は開館)。観覧料は一般=1,800円ほか。10月24日まで。

みんなの経済新聞ネットワーク

2991名無しさん:2021/08/11(水) 20:49:25 ID:NrdB.GxU0
四天王寺でお盆行事「万灯供養」 コロナ対策徹底し2年ぶりに
8/11(水) 14:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e563ffa64732d334c4e6b6e6842f643b9eb030dd

 和宗総本山 四天王寺(大阪市天王寺区)で8月9日、お盆の先祖供養のために行う恒例行事「万灯供養」が始まった。(あべの経済新聞)

 「万灯供養」は平安時代から続いているといわれ、毎年多くの人が訪れる行事。五重塔がある中心伽藍(がらん)内にろうそく立てを設営し、参詣者が先祖の霊名を「万灯ろうそく」に記入して供養する。多くのろうそくに灯がともって幻想的な雰囲気となり、僧侶が般若心経を唱えて練り歩く「万灯供養法要」も行われる。

 昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった。今年は密集・密接を避けるため、中心伽藍内の拝観可能エリアを入り口(西重門)の軒下までに制限するなどしてコロナ対策を徹底する。

 実施時間は17時〜20時。献灯料(ろうそく)は1本700円。今月16日まで。

2992名無しさん:2021/08/11(水) 22:59:55 ID:NrdB.GxU0
太子ゆかりの宝物結集 大阪市立美術館で特別展
2021年8月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210811/20210811015.html

 2022年に没後1400年を迎える聖徳太子に関する仏教美術を集めた展覧会「聖徳太子 日出づる処の天子」が9月4日から10月24日まで、大阪市天王寺区の市立美術館で開かれる。聖徳太子信仰の中核を担ってきた同区の和宗総本山四天王寺の所蔵品を中心に、飛鳥時代から現代の貴重な宝物など約200件を展示する。

 聖徳太子が没して1400年を迎えるにあたり、ゆかりの寺院では聖霊会(しょうりょうえ)など太子の偉業をしのぶ大規模な法会が催される。この節目に合わせ太子にかかわる美術を紹介しようと、四天王寺などが主催する。

 四天王寺は、聖徳太子が593(推古天皇元)年に建立。自然災害や織田信長による焼き打ち、大阪大空襲など幾度も焼失の憂き目に遭ったが、その度に民衆らの強い意志で再建されてきた。

 四天王寺の所蔵からは、太子が所持したと伝わる国宝の「丙子椒林剣(へいししょうりんけん)」(7世紀)と「七星剣」(同)を展示。今年作られた「聖徳太子童形半跏像」は、みこしの「鳳輦(ほうれん)」(17世紀)と合わせて公開し、同展の後は毎年の聖霊会でのみ公開する。

 また全国各地からは、「聖徳太子童形立像(孝養像)」(13〜14世紀、東京・坂東報恩寺)、「慧慈和尚坐像」(10世紀、山口・般若寺)、「聖徳太子絵伝」(15〜16世紀、大阪・杭全神社)などが展覧会初出品となる。

 四天王寺の瀧藤尊淳執事長は会期前に開かれたオンライン記者発表会で「本展覧会では当山のみならず、全国から貴重な宝物を出陳いただく。その一つ一つが先人による太子への厚い信仰の結晶であり、そうした宝物を一堂に会してごらんいただく、本展覧会はまさに太子信仰の一つの集大成になるだろう」と説明。

 昨年から続く新型コロナウイルス禍にも触れ、「今こそ1400年もの長きにわたり脈々と受け継がれてきた、太子の和の精神を改めて心の中にとどめ、太子の御遺徳と共に広く皆さまに知っていただく機会になれば」と期待していた。

2993名無しさん:2021/08/12(木) 21:39:31 ID:NrdB.GxU0
200回記念鴈治郎さん出演 上方伝統芸能ナイト
2021年8月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210812/20210812025.html

 大阪市中央区の山本能楽堂(山本章弘代表理事)は、さまざまな上方伝統芸能を一度に楽しめる公演「初心者のための上方伝統芸能ナイト」が21日に200回を迎えることを記念し、今年は各回「○○スペシャル!」と題して通常より演目を増やして企画する。

 お能や狂言、文楽、上方歌舞伎、上方舞、上方講談、上方落語、浪曲、お座敷遊びなど一晩に数種の芸能をダイジェストで上演する初心者にも親しみやすい公演。通常は1回の公演で4演目を上演しているが、今年は5演目に増やす(10月30日の落語スペシャル除く)。

 200回目の21日には、歌舞伎の中村鴈治郎さんが文楽の人形と一緒に踊る初めての試みも用意する。演目は「義経千本桜 道行」で、文楽の「道行初音の旅」と歌舞伎の「吉野山」を組み合わせたような上演になるという。「これまでにご覧になったことがないものをお見せいたします。お楽しみになさってください」と鴈治郎さん。

 能楽師の山本章弘さんは「回を重ねるごとに新しい出会いがあり、上方伝統芸能の層の分厚さ、その魅力の奥深さを感じている。これからも皆さまのご協力をいただきながら公演を続け、“芸能の都・大阪”の魅力を発信し、大阪のまちを伝統芸能の力で活性化させていきたい」と話している。

 正面席4500円、ワキ・2階席3500円、ライブ配信2千円。問い合わせは電話06(6943)9454、山本能楽堂。

2994名無しさん:2021/08/14(土) 21:15:59 ID:NrdB.GxU0
「京橋駅空襲」から76年 大阪で慰霊祭
8/14(土) 17:52配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e80b6d95427d49b8cf7d2a18bf2345c9b6128a4b
読売テレビ

 終戦の前日、大阪市で500人以上が犠牲となった「京橋駅空襲」から14日で76年となり、慰霊祭が営まれた。

 慰霊祭は、新型コロナの影響で規模を縮小して行われた。

 「京橋駅空襲」は1945年(昭和20)8月14日、アメリカ軍が、京橋駅近くの軍需工場を爆撃し、行方不明者を含む500人以上が犠牲となった。

 参列した女性は「悲惨な出来事を伝えて行かないといけない」と話していた。

 爆撃では、駅にいた大勢の民間人が巻き添えとなり、参列者は犠牲者を追悼し、平和への祈りをささげていた。

2995名無しさん:2021/08/15(日) 22:10:39 ID:NrdB.GxU0
成田山不動尊 コロナ禍死者の位牌祀り供養
8/15(日) 19:07配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f8450ce747450484c9664bb8eede2cc7fb5c492
読売テレビ

 お盆に入り、大阪府寝屋川市の成田山不動尊で15日、新型コロナウイルスで亡くなった方への供養が執り行われた。

 大阪の成田山不動尊は、新型コロナウイルス感染症で亡くなった方々の位牌を祀り、供養する「盂蘭盆会施餓鬼供養大法会」を行った。

 昨年に続き、密集を避けるため、例年は多くの人が訪れる野外での大規模な護摩法要などは中止が決まっていて、法要でも参拝者同士の間隔を開け、検温・消毒をするなど感染防止対策を取った。

 参拝者たちは、新型コロナウイルスの一日も早い終息を願いながら、静かに手を合わせていた。

2996名無しさん:2021/08/15(日) 22:14:28 ID:NrdB.GxU0
明治以降の戦没者追悼 「みたままつり」始まる
2021年8月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210815/20210815025.html

 明治以降の戦没者を追悼する「みたままつり」が14日、大阪市住之江区の大阪護国神社で始まった。神話や神社をテーマにした絵画コンクールの出品者を招く「奉納奉告祭」も同時に執り行われ、ちょうちんに添えた作品が境内を明るく彩った。祭りと作品の掲示は15日まで。

 同宮では明治維新前後から太平洋戦争まで、府出身の戦没者ら10万5千柱余りを祭っており、15日の終戦記念日に合わせて神事を斎行している。戦没者遺族に支えられている一面があり、若い世代にも広く関心を集めようと昨年からコンクールの企画を始めた。

 絵画のモチーフは、「古事記」「日本国旗」「神社」のいずれか。幼児から高校生まで67の出品があり、愛らしいウサギを描いた「因幡の白兎」の物語や荒々しいヤマタノオロチ退治など神話の一シーンをはじめ、各地にある鳥居や社殿を荘厳に描いたものなどユニークな世界観が集まった。

 藤江正鎮宮司(57)は「力の入った良い絵が集まりうれしい。今後はインターネットも活用し、広く作品を募集したい」と期待を寄せた。

2997名無しさん:2021/08/15(日) 22:16:13 ID:NrdB.GxU0
明治以降の戦没者追悼 「みたままつり」始まる
2021年8月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210815/20210815025.html

 明治以降の戦没者を追悼する「みたままつり」が14日、大阪市住之江区の大阪護国神社で始まった。神話や神社をテーマにした絵画コンクールの出品者を招く「奉納奉告祭」も同時に執り行われ、ちょうちんに添えた作品が境内を明るく彩った。祭りと作品の掲示は15日まで。

 同宮では明治維新前後から太平洋戦争まで、府出身の戦没者ら10万5千柱余りを祭っており、15日の終戦記念日に合わせて神事を斎行している。戦没者遺族に支えられている一面があり、若い世代にも広く関心を集めようと昨年からコンクールの企画を始めた。

 絵画のモチーフは、「古事記」「日本国旗」「神社」のいずれか。幼児から高校生まで67の出品があり、愛らしいウサギを描いた「因幡の白兎」の物語や荒々しいヤマタノオロチ退治など神話の一シーンをはじめ、各地にある鳥居や社殿を荘厳に描いたものなどユニークな世界観が集まった。

 藤江正鎮宮司(57)は「力の入った良い絵が集まりうれしい。今後はインターネットも活用し、広く作品を募集したい」と期待を寄せた。

2998名無しさん:2021/08/19(木) 23:12:43 ID:NrdB.GxU0
厳かな雰囲気 配信中 大阪天満宮、ユーチューブで
2021年8月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210819/20210819028.html

 大阪天満宮(大阪市北区)は、今年の天神祭の宵宮(7月24日)と本宮(同25日)の様子を動画投稿サイト「ユーチューブ」の公式チャンネルで配信している。新型コロナウイルス禍の影響で2年連続規模を縮小し、人が集まらないように各神事の時間を公開せずに斎行。代わりに神事の様子を動画にまとめ、解説文を付けて行事の様子を分かりやすく紹介している。

 見どころは、昨年にはなかった神事の創出。昨年の天神祭は、祭神・菅原道真公のみ霊をみこしに移して地域を巡る行事を取りやめ、境内で神事を完結したが、今年は、天神祭の起源にかかわる巡行を2年連続中断させてはならないと、近隣の川までの約300メートルを約70人で往復する「神幸(しんこう)列」に臨んだ。

 動画では、雅楽を響かせながら、厳かな雰囲気で歩みを進める一団を紹介。川べりでは、神の休憩所となる「御旅所(おたびしょ)」を設け、疫病退散を祈願した神事の様子を伝えている。

 また今年は、祭りで重要な役割を担う神童の選定を2年ぶりに実施。「鉾流(ほこながし)神事」で大役を果たした姿を発信している。

 動画の時間は約20分。それぞれの神事の内容について解説文を付け、千年余り続く祭りへの理解を促している。

2999名無しさん:2021/08/25(水) 22:08:12 ID:jVHXvq2s0
戦後の大阪に「警視庁」実在 GHQの影、東京に対抗心も とことん調査隊

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOHC102LG0Q1A810C2000000/

現在、2度目の大阪勤務中の記者(37)の前任地は東京。大阪府警幹部との雑談で警視庁を担当していたことを告げると、「大阪も昔は『警視庁』やったんや」と教えてくれた。半信半疑で調べてみると、確かに終戦後に5年間、「大阪市警視庁」なる組織が実在していた。その歴史から透けて見えるものとは?

大阪市警視庁が存在したのは1949〜54年。当時を直接知るOBにはたどり着けなかったが、70代の府警OBは「新人のころ『俺は警視庁採用やからな』と言う先輩もいた。警視庁という響きに強い誇りを感じた」と語る。

その誕生には、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策が関係している。戦争推進に加担した戦前の国家警察の旧弊を除くため、自治体の権限を強める警察改革を企図。47年制定の旧警察法で、比較的大きな自治体が自前の警察を持ち、名称や運用も自らの裁量で決められるようにした。


大阪府には、大阪市や堺市などをそれぞれ管轄する「自治体警察」、それ以外を管轄する「国家地方警察」が併存。大阪市の自治体警察は当初「警察局」だったが、機構改革を機に49年から「警視庁」を名乗った。ただ、名称を巡っては激論があったという。

「大阪市警察誌」(56年)などで当時の記録をひもとくと、大阪市警視庁の初代警視総監を務めた鈴木栄二氏は「大阪のような事件の多い大都会では、善良な一般市民には安心感を、不法分子には重圧感を与える意味で警視庁ほど適切な名称はない」と熱弁。大阪以外の大都市も警視庁を名乗るべきだと訴えた。

一方、当時の市長、近藤博夫氏は「警察局でいいのでは」と反対した。ところがGHQ幹部から「東京だけに警視庁を置くのはいけない」という私信を受け取り、「名称をどうしようか、とにかく随分苦しんだ」と回想している。

警察の歴史に詳しい青山学院大の小宮京教授は「名古屋や横浜も警視庁を名乗る可能性はあったが、大阪だけだった。GHQの意向もあったが、西の大都市の治安を守る立場として東京への対抗心もあったのでは」と推測する。

民主化の旗の下で誕生した大阪市警視庁は、市民目線の革新的な施策を導入。「O・P・P(Osaka police post)」という目安箱で市民の声を吸い上げ、さらに戦前の「オイコラ警察」を脱却しようと、自転車や徒歩でのパトロールを重点的に行う英米式の制度を全国に先駆けて始めた。

大阪市警視庁の本部は、大阪城内の旧陸軍第4師団司令部庁舎(現ミライザ大阪城)に置かれた。中世ヨーロッパの古城を模した同庁舎は、31年の大阪城天守閣再建に合わせて建設。天守閣の2倍近い費用をかけた堅固な建物で、国家地方警察大阪府本部が当時、城外の府庁庁舎内にあったのと比べ、特別待遇だったことがうかがえる。

全国的にも存在感が大きかった大阪市警視庁だが、54年、歴史に突如幕が下ろされた。自治体警察と国家地方警察の2本立て体制を都道府県警に統一する警察法施行で、同年7月に廃止。55年に現在の大阪府警本部の形になった。一連の経緯を当時の関係者は本部所在地になぞらえ「大阪城落城」と呼んだという。

小宮教授はその歴史的意義について「短い間ではあったが独自の施策に取り組み、地方自治の一つの挑戦だった」と評価。「警察制度改革にとどまらず、大都市に権限をどこまで与えるべきか、大都市はどのような業務を担うべきかという現在に通ずる問題を投げかけた」と指摘する。

東京への対抗心が透けて見えるという点では、2020年に2度目の住民投票が否決された「大阪都構想」とも共通項がある。名前や形はどうあれ、市民目線の行政を貫いてほしい。歴史を振り返りながら、ふとそう思った。(村越康二)

3000名無しさん:2021/08/25(水) 22:33:11 ID:NrdB.GxU0
>>2999

ゴジラの第二作「ゴジラの逆襲」で大阪市警視庁が出てきますな。

>大阪市警視庁の本部は、大阪城内の旧陸軍第4師団司令部庁舎(現ミライザ大阪城)に置かれた。

この庁舎も出てきますし、澪標を使った大阪市警視庁のマークの付いた警官も出てきます。


※ゴジラの逆襲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%81%AE%E9%80%86%E8%A5%B2
>数日後、大阪市警視庁では古生物学者の山根恭平博士と、同僚の田所博士を招いての緊急会議が開かれる。
>月岡と小林の証言により、ゴジラと戦っていた怪獣は、ゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜のアンキロサウルス、
>通称アンギラスであることが判明する。

3001名無しさん:2021/08/25(水) 23:20:11 ID:NrdB.GxU0
今年 太子没後1400年 壮大な事業 100年前に思い
2021年8月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210824/20210824021.html

 聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)で10月から太子没後1400年の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌(ごせいき)」が執り行われる。大きな節目にちなみさまざまな記念事業が進む中、一世紀前の1300年遠忌の壮大な記念事業にも関心が集まっている。かつて世界一の大きさを誇った釣り鐘「頌徳(しょうとく)鐘」と大鐘楼「頌徳鐘楼」(現「英霊堂」、市指定有形文化財)の建造もその一つで、多くの人々が当時の時代背景や先人の熱意に思いをはせている。

 釣り鐘の鋳造計画は、「第5回内国勧業博覧会」(1903年)が地元の天王寺公園で開催されるという好機に当たり、21年の聖徳太子1300年遠忌記念事業の一環で国の安寧を願う象徴として計画された。

 同寺勧学課主任学芸員の一本崇之さんは「当時は廃仏毀釈(きしゃく)、工業の西洋化などの時代で仏教界には危機感があり、近場の一大イベントに合わせて科学技術と融合した世界一の記念事業に取り組んだ」と経緯を説明。寄付を募るためのポスターの制作や勧進相撲も興行した。門前町でも盛り上がりを見せ、現在も地元名物として親しまれている「釣鐘(つりがね)まんじゅう」が誕生している。

 高さ約8メートル、口径約5メートルの釣り鐘は03年に完成。鐘をつるす大鐘楼は06年に着工、翌年に建立された。

 現存する巨大な天井画「雲龍画」は森下仁丹創業者の森下博(1869〜1943年)が30代半ばで寄進。作品は大阪の日本画家・湯川松堂(しょうどう)が描いた。

 大阪商業大公共学部公共学科の明尾圭造教授は「森下氏は、京都の画家も数多い中、大阪の画家を後押ししようと湯川氏を選んだのでは」と推測。「作品がこうした形で残り、画家冥利(みょうり)に尽きる作品ではないか」と評価する。

 釣り鐘は太平洋戦争中の43年に金属回収令を受けてばらばらに裁断、搬出されて姿を消した。鐘なき大鐘楼は戦後、戦没者を慰霊する「英霊堂」に改修されて今日に至る。

 同寺の瀧藤尊淳執事長の案内で英霊堂を訪ね、天井画を拝観した森下仁丹の森下雄司社長は「聖徳太子の遠忌事業に関われるという創業者の喜びや栄誉はいかばかりだったかと想像する。創業者が明治の時代に描いた社会還元の思いは、時代が進んだ現代もすべての企業の命題となっていることが興味深い」と話した。

 瀧藤執事長は「100年にわたる森下さんとのご縁は聖徳太子のお導きと改めて喜んでいる。新型コロナウイルス禍など激変する日常の中、いま一度、太子の和の精神に立ち返り、感謝を忘れず日々精進したい」と気持ちを込めた。

3002名無しさん:2021/08/25(水) 23:33:18 ID:NrdB.GxU0
高野街道は文化財宝庫 保護活動呼び掛け
2021年8月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210825/20210825025.html

 異業種交流会「社交サロン ザ・クラブジャパン関西」(原田忠義会長)の「CS・ホスピタリティ・アカデミー交流会-」が18日、北区西天満2丁目の中之島LOVE CENTRALで特別ゲストに高野山学園法人本部本部長・常務理事、芝田啓治氏を招いて開かれた。
 
 芝田氏は「〜高野山 奥河内 ふるさと学〜 空海、山を下る」をテーマに講演し、「かつて京・大坂から高野山への参詣道として用いられた高野街道(大阪府河内長野市〜和歌山県橋本市)の地域には日本の国宝、重要文化財の45%がある。この地域は文化財の宝庫。心を一つにして守っていかなければならないと思います」と文化財保護を呼び掛けた。

 原田会長のあいさつに続いて、芝田氏は「関西と近畿という呼び方があるが、定義は違う」と前置きした上で「関西という言葉が使われ始めるのは平安時代中期。逢坂関(おうさかのせき)(現在の大津市)が置かれるところから西を関西と称するようになった。近畿の畿は都(みやこ)を意味し、大和、山城、摂津、河内、和泉を五畿と呼ぶ。五畿にはかつて都がありこの地域は歴史的にみても国宝、重文が多く、日本の宝」と歴史的経緯を紹介した。

 この後、高野山を開いた真言宗の開祖、弘法大師空海に言及し、「空海は中国・唐で真言密教を学び帰国し、43歳のときに仏教の修行の場として高野山を開いた。将来の国造りには教育が大切と、55歳の晩年になって私財を投じて教育施設を開設している。高野山大学は弘法大師の教えを引き継ぎ、人間性豊かで創造力にあふれた人材の育成を教育理念としている」と述べた。

 第2部では友情ゲストとして公益社団法人「浪曲親友協会」理事、4代目・天光軒(てんこうけん)満月氏が浪曲「空海一代記」を情感を込めて披歴した。

3003名無しさん:2021/08/25(水) 23:35:11 ID:NrdB.GxU0
天守閣前で豊国踊り 河内音頭「大阪城物語」初披露
2021年8月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210823/20210823019.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で21日夜、踊りの催し「豊国(ほうこく)踊りと河内音頭〜大阪城物語」があった。多くの市民が参加して踊りを楽しみながら、格別な夏の夜のひとときを過ごした。

 「豊国踊り」は、豊臣秀吉七回忌に当たる1604(慶長9)年にあった「豊国臨時祭礼」の締めくくりに京都の町人がささげた踊りと伝わる。同天守閣では2015年に文献史料などから学術的に踊りを復元。以降、夏の風物詩として多くの市民に親しまれているが、今回は新型コロナウイルス禍を受けて、参加者は等間隔の席に座ったままの状態で手踊りにとどめる対策が講じられた。

 会場の天守閣前・本丸広場では、宝塚歌劇団OGとOSK日本歌劇団OGが出演し、舞台上で華麗な踊りを披露。参加者も手踊りながらも舞台と一体となって会場を盛り上げた。

 このほか今年の天守閣復興90周年記念事業の一環で新たに制作された河内音頭「大阪城物語」が初めて披露された。音頭取りで制作者の天龍小若丸さんがライトアップされた天守閣をバックに登壇。大阪城の劇的な歴史を盛り込みながら名調子を夜空に響かせた。

 区内から踊り仲間と参加した女性(83)は「皆さんと夏らしい催しを楽しめた」と笑顔。同天守閣の北川央館長は「来年こそは、コロナ以前みたいに踊りの輪を広げて自由に楽しんでもらえるような状況に戻ること願いたい」と話した。

3004名無しさん:2021/08/29(日) 22:28:25 ID:NrdB.GxU0
秀吉が演じた能再現 5演目、12月まで毎月上演
2021年8月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210828/20210828038.html

 全国の能楽師が所属する能楽協会(全国に7支部)は「日本全国能楽キャラバン!」と題して、全国20都道府県の35施設で、71の能公演を行っている。大阪では能楽師家5家が山本能楽堂(大阪市中央区)で、能を愛好した豊臣秀吉が自ら演じた演目を29日から毎月連続で上演する。

 文化庁は大規模で質の高い文化芸術の振興を推進することを目的とした支援「大規模かつ質の高い文化芸術活動を核としたアートキャラバン事業」を実施。同協会はその採択を受け、コロナ禍で疲弊した能楽界の閉塞(へいそく)感を打ち破り、新たな挑戦をしようと「キャラバン」を企画した。

 山本能楽堂公演は上野家、梅若家、大西家、生一家、そして山本家の能楽師家が一丸となって「新たなチャレンジを行わせていただく場」と捉え、「野村美術館(京都市)には秀吉が書き残し、自らが演じた能の番組、つまり、プログラムが掛け軸となって残っている。そこに記された5演目を12月まで毎月上演する」ことを決めた。

 「秀吉はわずか50日間で15〜16種類の演目を驚異的なスピードで覚えたと言われていて、正室の北政所に送った手紙には『能に暇なく候』と書かれていた。能以外のことをする暇はないという意味で、能に熱中していた様子がよく分かる」と同能楽堂の山本佳誌枝さん。

 「のふの事〜能に暇なく候」と題し、其の一(8月29日)「弓八幡」に始まり、「芭蕉」(9月20日)▽「融」(10月16日)▽「杜若」(11月7日)▽「大会」(12月4日)。佳誌枝さんは「連続でご覧いただくと秀吉の趣向が感じられ、“大阪ならでは”の催しとして楽しんでもらえるのでは」と話す。また、番外編として、秀吉ゆかりの大阪城を見上げる場所にある大阪城音楽堂で10月21日、野外能を実施。人気の「羽衣」と「石橋」を披露する。

 チラシやパンフレットには、秀吉が能を鑑賞している様子が描かれている神戸市立博物館に残る「観能図」の屏風(びょうぶ)を使用。京都の邸宅に天皇を招いた「聚楽第行幸」の様子を描いたとされるもので、「描かれている観客の中には南蛮人の一行の姿もある。この屏風のように、日本の方も外国の方も、一緒に能を楽しんでいただけるような日が早くくれば」と佳誌枝さんは願う。

3005名無しさん:2021/08/29(日) 22:29:48 ID:NrdB.GxU0
秀吉の常山城攻略 陣立て文書確認 滋賀、軍事作戦の一端伝える
https://www.sanyonews.jp/article/1168886

戦国時代末期の織田信長による中国攻めで、織田勢を率いた羽柴(豊臣)秀吉が、毛利氏が支配する瀬戸内海航路の要衝、常山城(玉野市宇藤木など)の攻略を目指し、自軍の陣容を記した文書が26日までに、滋賀県長浜市で確認された。毛利氏との直接対決に向け、秀吉が行った具体的な軍事作戦の一端を伝える貴重な史料として注目される。

 文書は縦30・4センチ、横46・8センチで、中国攻めのクライマックス・備中高松城水攻め(1582年5〜6月)間近の同年3月17日付。加藤光泰、仙石秀久ら秀吉配下の武将名とそれぞれが率いる人数が記され、秀吉の花押も確認できる。冒頭には「はまて(浜手)の衆」とあり、編成されたのは水軍で、文書はいずれかの参加武将に送ったものとみられる。

 中国攻めでは秀吉が、山陰、山陽両方面から中国地方の覇者毛利氏の勢力圏に侵攻し、山陽では備前の戦国大名・宇喜多氏の協力で作戦を進めた。

 常山城を巡っては、信長の一代記「信長(しんちょう)公記」の中に、信長の五男で秀吉の養子になった秀勝の初陣として備前国児島の敵城を攻撃する旨の報告が秀吉からあったことが記されている。この敵城が常山城と考えられているが、他に資料がなく、実際に攻城戦があったかどうかは不明だった。

 文書を調査した長浜市歴史遺産課は「かなり具体的な計画が記され、軍勢の出動が行われた事実が裏付けられた」とし、「秀吉が高松城をはじめとする備前・備中境の城を攻撃できた背景には常山城攻略による周辺の制海権掌握があり、(秀吉の天下取りの契機である)中国大返しにもつながった」とみている。

 一方で調査に協力した倉敷市歴史資料整備室の畑和良専門員は「この文書だけで実際の戦闘行為の有無までは判断できないが、少なくとも出陣を詳細に計画したことは証明される重要な発見」としている。

 文書は長浜市在住の歴史愛好家の男性が、昨年末にネットオークションで入手。照会を受けた同課が紙質や花押から秀吉のものと判断した。
(2021年08月26日 21時39分 更新)

3006名無しさん:2021/08/29(日) 22:30:39 ID:NrdB.GxU0
大化の改新の舞台は大阪であります。

大化の改新の裏側を紹介 来月26日に平野区歴史講座
2021年8月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210827/20210827029.html

 「令和3年度 第2回平野区歴史講座」が9月26日に大阪市平野区平野南1丁目の平野区民ホールで開かれる。午後1時半(正午開場)〜同3時。受講料(資料代)500円。定員は事前申込で先着100人(定員になり次第受け付けを終了)。

 大阪市コミュニティ協会平野区支部協議会主催。当日は大阪府高齢者大学講師で関西大非常勤講師の岩井敏明氏が「大化の改新の裏側」と題して講演する。参加希望者は平野区民センター(同区長吉出戸5丁目)に直接来館または電話で申し込む。

 オープニングイベントとして同0時45分から市立加美中吹奏学部によるミニコンサート(約30分)も予定している。

 問い合わせは電話06(6704)1200、平野区民センター。

3007名無しさん:2021/09/04(土) 02:57:21 ID:NrdB.GxU0
大阪市立美術館で「聖徳太子展」 国宝や重文などゆかりの作品が集結
9/3(金) 17:20配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5fac150897aa56f2682351be41b05cb8366c3428
 
 千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処(ところ)の天子」が9月4日から、大阪市立美術館(大阪市天王寺区、天王寺公園内)で開かれる。(あべの経済新聞)

 2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に開かれる同展。太子信仰の中核を担ってきた和宗総本山四天王寺(天王寺区)の所蔵品を中心に、日本各地から飛鳥時代から中世、現代までの太子ゆかりの作品を集める。「聖徳太子絵伝」や「聖徳太子立像」など国宝8件、重要文化財41を含む181件を展示する。会期中には展示替えを行う。

 開館時間は9時30分〜17時。月曜休館(9月20日は開館)。観覧料は一般=1,800円ほか。10月24日まで。

3008名無しさん:2021/09/08(水) 23:08:59 ID:NrdB.GxU0
「なにわの考古学」土器など展示 10月27日から
2021年9月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210908/20210908026.html

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)は、10月27日から8階特集展示室で特集展示「新発見!なにわの考古学2021」を開催する。12月20日まで。会期中は、船出遺跡出土の朝鮮半島の土器(5世紀)のほか、難波宮跡出土の漆が付着した須恵器(7世紀)▽豊臣期大坂城詰ノ丸の石垣(パネル展示)と金箔(ぱく)瓦(16世紀末〜17世紀初頭)▽野崎町所在遺跡出土の大量の陶磁器(17世紀末〜18世紀初頭)など約350点を展示する。

 詳しくはhttp://www.mus-his.city.osaka.jp/

3009名無しさん:2021/09/12(日) 19:51:23 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子が亡くなって来年で1400年 太子ゆかりの品を集めた展覧会 大阪市立美術館
9/12(日) 12:25配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6614fb0c8f229c41c5d1923eb13be938283c232
読売テレビ

 聖徳太子が亡くなってから来年で1400年になるのを前に、聖徳太子について知ってもらおうと、大阪市立美術館で展覧会が開かれている。

 展覧会には、日本各地のお寺や神社約60から集められた聖徳太子にまつわる宝物が展示されている。

 国宝の「丙子椒林剣」や重要文化財の「聖徳太子童形立像」、さらに今回初めて展示される神輿など、総数は約180件に上るという。

 毎週土曜日には四天王寺の僧侶による絵画の説明会も行われている。訪れた人たちは、太子ゆかりの貴重な品々を真剣な表情で見入っていた。

 この展覧会は10月24日まで開かれている。

3010名無しさん:2021/09/22(水) 23:14:13 ID:NrdB.GxU0
秋の大古本祭り 10月8〜12日、四天王寺
2021年9月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210920/20210920025.html 

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で「四天王寺 秋の大古本祭り」(同寺、関西古書研究会共催)が10月8〜12日に開催される。

 秋恒例の古書市として長年多くの愛好家に親しまれており、今年で21回目。広い境内には、大阪を中心とする古書店のテントブースが並び、文学や歴史、芸術などあらゆる分野の古書類を販売する。古書以外では古地図や古写真、音楽CDなども人気。好評の絵本・児童書コーナーや100円均一コーナー、スタンプラリーも予定している。

 毎回「特集」として各店が統一テーマを決めて関連書籍を展示販売しており、今回は「聖徳太子とその時代」がテーマ。くしくも今年は同寺を創建した太子の没後1400年という大きな節目に当たる。同寺は「古今の書物が集まる大古本祭を通じて、人としての豊かな教養が育まれ、聖徳太子の和の精神が実践されますことを祈念」と言葉を寄せている。

 午前10時〜午後5時(最終日は同4時)。問い合わせは電話072(994)8852、事務局(大仙堂書店)。

3011名無しさん:2021/09/25(土) 21:49:22 ID:NrdB.GxU0
荘厳な景色 心穏やかに 四天王寺で「日想観」
2021年9月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210924/20210924031.html

 秋分の日の23日、真西に沈む夕日を拝む彼岸の伝統行事「日想観(じっそうかん)」が、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で厳かに執り行われた。天候に恵まれたこともあり、多くの参詣者が丸くまばゆいほどの太陽が石鳥居(いしのとりい)に沈み行く荘厳な景色を見届けた。

 日想観は夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環。かつて四天王寺のそばまで海が広がり、境内の真西は極楽浄土へ続く場所と信仰されていたことに由来する。春、秋の彼岸の中日にのみ、鳥居の中央に沈むことで知られる。

 この日は午後5時15分頃から僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、法要を営んだ。参詣者は真剣な表情で読経に声を合わせ、境内は荘厳な雰囲気に包まれた。

 暮れなずむ境内では、ゆっくりと傾き始めた夕日を集まった人々がカメラに収めたり、手を合わせたりして見届けた。

 区内から訪れた女性(67)は「ここ数年、見たことがないほどきれいな夕日で感動しました。心が穏やかになりました」と、しみじみと話した。

3012名無しさん:2021/09/27(月) 22:59:46 ID:NrdB.GxU0
大阪大空襲の証言 DVD完成で試写会
09月26日 06時00分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210926/2000051741.html

戦争の悲惨さを語り継ごうと、「大阪大空襲」の当事者の証言を集めたDVDが完成し、25日夜に完成試写会が開かれました。

試写会は、DVDを制作した大阪市の新聞社、「新聞うずみ火」が開きました。
大阪大空襲を体験した3人の証言を、30分にまとめた映像が上映されました。
このうち、11人家族のうち両親や弟など9人を空襲で亡くし、10歳で孤児になったという女性は、戦後親戚の家を転々として、常に周囲の機嫌を気にして生活せざるをえなかったということで、「戦争は誰のためにもならないので二度としないでほしい」と語っていました。
新型コロナウイルスの感染拡大で、小中学校では戦争経験者を招いて話を聞く機会が激減しているということで、この新聞社ではDVDを平和資料館「ピースおおさか」に寄贈して、各学校での平和学習に使ってほしいとしています。
主催した新聞社の矢野宏代表は、「戦争は昭和20年に終わったが、証言者たちは空襲で今も苦しんでいる。戦争は一度始まると、苦しむ期間が本当に長いことを知ってもらいたい」と話していました。

3013名無しさん:2021/10/02(土) 23:37:37 ID:NrdB.GxU0
成長願い一つ一つ 住吉大社、七五三詣の撤下準備
2021年10月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211001/20211001032.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で30日、同大社のみこ「神楽女(かぐらめ)」が、七五三詣の子どもたちに授ける撤下(てっか)(おさがり)を袋に詰める準備作業が報道関係者に公開された。

 同大社では昨年、新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、受付期間を10〜12月まで広げて参拝の分散を図った。今年はさらに前倒しで9月から毎日受け付けている。

 袋詰めは8月末から続いており、同日の作業では4人の神楽女が連歌所で奉仕。扉を開放した中、マスクとゴム手袋を着用して、千歳あめや鉛筆、お守りなどの品々を丁寧に袋に詰めていった。神楽女の岡冨遙さん(20)は「コロナ禍で大変な時期ですが、大事な節目を迎えられた皆さんをお祝いするとともに、健やかに成長していただけるよう一つ一つ気持ちを込めました」と話した。

 同大社によると、七五三詣のピークは11月13、14の両日と予想。約7千人の子どもが参拝すると見込んでいる。

3014名無しさん:2021/10/06(水) 22:19:32 ID:NrdB.GxU0
造幣局で創業150年記念式典 秋篠宮ご夫妻 オンラインで
10月04日 17時48分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211004/2000052138.html

貨幣の鋳造などを行う大阪の造幣局で創業150周年を記念する式典が開かれ、秋篠宮ご夫妻もオンラインで参加されました。

大阪の造幣局は明治4年(1871年)に創業され、日本で近代の貨幣の鋳造事業が始まってことしで150周年を迎えます。
これを記念する式典が4日午後、造幣局で開かれ、秋篠宮ご夫妻もオンラインで参加されました。
式典では、事前に収録された秋篠宮さまのビデオメッセージが上映され、「国民の信頼を得て円滑に運営されているのは、ひとえに長年にわたる飽くなき向上心とたゆまぬ努力による知識の蓄積と技能の向上、そして、それらを継承していくため、後進を育成してこられたたまものと申せましょう」と述べ、関係者に敬意を表されました。
このあと、ご夫妻はオンラインで来月1日に発行される新しい五百円硬貨が製造される現場を視察されました。

【新五百円硬貨は】。
大阪の造幣局では、来月1日に発行される新しい五百円硬貨の製造が進められています。
造幣局によりますと、新しい五百円硬貨は素材を変えたり最新の技術を使って複雑な構造にしたりして、偽造しにくくなっています。
大きさや基本的なデザインは今の硬貨と似ていますが、3種類の金属を使い、組み合わせる形になっています。
また、これまで等間隔に刻まれていた側面の溝は、一部だけ幅や形を変えていて、硬貨の裏面の縁には「500YEN」と「JAPAN」という小さな文字が刻まれるなど細部にわたり偽造を防ぐ加工が施されています。
当初は、ことし9月ごろまでに発行される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で銀行のATMなどの改修作業が遅れたことを理由に発行が延期されていました。
五百円硬貨が新しくなるのは21年ぶりで、大阪の造幣局のほか広島市やさいたま市にある支局の工場で製造が進められていて、今年度、2億枚を発行する予定だということです。

3015名無しさん:2021/10/06(水) 22:22:03 ID:NrdB.GxU0
水都・大坂の活況再現 くらしの今昔館
2021年10月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211004/20211004032.html

 “水都”と呼ばれた大坂にまつわる絵画を集めた企画展「商都慕情II〜水のまち大阪を巡る〜」が大阪市北区のくらしの今昔館で開かれている。「幽霊図」で知られる江戸中期の絵師、円山応挙による絵巻「淀川両岸図巻」を模写した画帖(がじょう)など約30点を出展。人や物が盛んに往来し、活況を極めた当時を鮮やかに再現している。11月14日まで。

 目玉は、昭和初期の日本画家、庭山耕園とその門人らが応挙作のうち六つの場面を忠実に模写した「淀川両岸帖」。財界人が発注したもので、昨年個人から所有が移り、館蔵品として初めて一堂に並べた。

 画帖は、京都・伏見を出発し、大阪・天満橋に至る淀川両岸の風景を描いた六曲一双。道中、淀城や枚方宿、京街道最後の宿場町で、難所とされた守口付近が描かれ、藩の旗印を掲げた御座船や瓦ぶきの屋根など細やかな描写も見所だ。時間の経過や、船に乗り込んだ人の視点で両岸の景色を上下に展開する応挙の空間表現も楽しめる。

 学芸員の服部麻衣さんは「当時は暮らしの中に川や橋が当たり前のようにあった。企画を通して水都・大阪の魅力を再発見してほしい」と来場を呼び掛けている。午前10時〜午後5時。火曜休館。

3016名無しさん:2021/10/06(水) 22:28:10 ID:NrdB.GxU0
ええやん!この街 泉大津 伝統の祭りを守る人たち
10月05日 19時00分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211005/2000052165.html

「ええやん!この街」です。
今回行ってきたのは大阪・泉大津市です。
街に伝わる伝統の祭りを愛し、守ろうとする人たちに出会いました。

3017名無しさん:2021/10/06(水) 23:13:20 ID:NrdB.GxU0
仮面ライダー記念貨幣を販売 テレビ放送50年で造幣局
2021年10月5日 18:46
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211005/20211005104.html

 独立行政法人造幣局(大阪市)は5日、「仮面ライダー」のテレビ放送開始から50年の節目を記念した貨幣セットを通信販売すると発表した。受け付けは6日から26日まで。プルーフ貨幣セットは1万4千円(送料込み)で、仮面ライダー新1号を浮き彫りで表現した銀メダルと6種類の貨幣を特製革ケースに収納。2万セット用意した。

 新サイクロン号にまたがる姿のメダルを含む貨幣セットは2700円(送料込み)で7万セット。造幣局のオンラインショップか、はがきで申し込める。申し込み多数の場合は抽選。一部はJR東京駅地下街にある「仮面ライダーストア」でも来年1月ごろに販売する予定。

3018名無しさん:2021/10/09(土) 22:31:15 ID:NrdB.GxU0
ええやん! 遊び心を大切に 伝統の「大阪欄間」
10月08日 18時53分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211008/2000052308.html

「ええやん!」です。
今回は大阪・摂津市からの中継です。
和室の天井などに用いられる、欄間の工房を訪ねています。
伝統の技術を守りながら、新しい取り組みに挑戦しているそうです。

3019名無しさん:2021/10/09(土) 23:10:28 ID:NrdB.GxU0
深野新田の歴史伝える 江戸中期の川堤絵図初公開
2021年10月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211003/20211003027.html

 江戸時代中期の深野新田(現大東市)を描いた大東市指定有形文化財の「深野新田周辺川堤絵図」(平野屋新田会所旧蔵、1717年)が、同市の歴史民俗資料館で初公開されている。市域の発展の礎を築いた深野池の新田開発の歴史や、水利環境の変化を知る上で貴重な資料として注目を集めている。

 絵図は、1716(享保元)年に洪水で破損した徳庵堤(現大阪市鶴見区)の修復をめぐる争論の際に、当事者である村々の立ち会いの下で作成。縦190センチ、横236センチの紙本着色で、各村の位置や周辺を流れる恩知川や徳庵川のほか、細かな水路や堤も克明に描いている。

 市は、昨年4月に文化財に指定。ふるさと納税を活用した絵図の修復作業が完了したため、市制施行65周年を記念した同館の企画展「新田の歴史と遺産」(17日まで、入館無料)でお披露目した。

 2日には見学会があり、同市産業・文化部生涯学習課の佐々木拓哉さんが絵図を解説。参加した市民らは深野南新田などを管理するために設けられた平野屋新田会所の跡地にも足を運び、郷土の歴史について理解を深めた。

 平野屋新田会所市民サポーター会議の水永八十生(やそお)会長(74)は「地域には水路や樋門など新田開発の歴史を示すものが残っているので、町歩きも楽しんでいただける」とアピールしていた。

3020名無しさん:2021/10/09(土) 23:13:05 ID:NrdB.GxU0
水都・大坂の活況再現 くらしの今昔館
2021年10月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211004/20211004032.html

 “水都”と呼ばれた大坂にまつわる絵画を集めた企画展「商都慕情II〜水のまち大阪を巡る〜」が大阪市北区のくらしの今昔館で開かれている。「幽霊図」で知られる江戸中期の絵師、円山応挙による絵巻「淀川両岸図巻」を模写した画帖(がじょう)など約30点を出展。人や物が盛んに往来し、活況を極めた当時を鮮やかに再現している。11月14日まで。

 目玉は、昭和初期の日本画家、庭山耕園とその門人らが応挙作のうち六つの場面を忠実に模写した「淀川両岸帖」。財界人が発注したもので、昨年個人から所有が移り、館蔵品として初めて一堂に並べた。

 画帖は、京都・伏見を出発し、大阪・天満橋に至る淀川両岸の風景を描いた六曲一双。道中、淀城や枚方宿、京街道最後の宿場町で、難所とされた守口付近が描かれ、藩の旗印を掲げた御座船や瓦ぶきの屋根など細やかな描写も見所だ。時間の経過や、船に乗り込んだ人の視点で両岸の景色を上下に展開する応挙の空間表現も楽しめる。

 学芸員の服部麻衣さんは「当時は暮らしの中に川や橋が当たり前のようにあった。企画を通して水都・大阪の魅力を再発見してほしい」と来場を呼び掛けている。午前10時〜午後5時。火曜休館。

3021名無しさん:2021/10/09(土) 23:18:18 ID:NrdB.GxU0
お供え米 豊かに実る 氏子や住民らが稲刈り
2021年10月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211009/20211009038.html

 大阪市平野区の杭全(くまた)神社(藤江正謹宮司)で8日、恒例の稲刈りが執り行われた。神田(しんでん)で藤江宮司や氏子、近隣住民、関係者ら約30人が奉仕し、豊かに実った稲穂を一つ一つ丁寧に鎌で刈り取っていった。

 同神社では、2011年から境内南側に神田(約100平方メートル)を設けて神事用の米を栽培。収穫後は神事や懸税(かけぢから)とよばれるお供えものや、参拝者に配られるお守りの「福の種」として使われている。

 同日は天候に恵まれ、奉仕者は約30分かけて収穫。刈り取った稲穂を自然乾燥させるため稲木と呼ばれる棚に掛けた。

 藤江宮司は「例年通り、皆さんのおかげで美しく実った。緊急事態宣言も明け、多くの手で収穫できて良かった」と笑顔で話した。昨秋はウンカによる虫害で収穫は約30キロにとどまったが、今年は例年通りの約60キロの見込み。

3022名無しさん:2021/10/09(土) 23:19:32 ID:NrdB.GxU0
秋晴れの下“お宝探し” 四天王寺「古本祭り」
2021年10月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211009/20211009034.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で8日、「第21回四天王寺 秋の大古本祭り」(同寺、関西古書研究会共催)が開幕した。新型コロナウイルス禍で春は2年連続の中止となったが、今秋は緊急事態宣言が解除され、感染症対策を取りながら約40万点の古書類を取りそろえて予定通りスタートを切った。12日まで。

 会場では「密」を回避するため店舗間の距離を保ち、各店でソーシャルディスタンスを取るよう求める啓発ポスターを掲出している。

 今年は同寺を建立した聖徳太子(574〜622年)の1400回忌にちなみ、太子が登場する書物や、太子が生きた時代に関する歴史書を特集。人気の絵本・児童書コーナーや100円均一コーナー、スタンプラリーも実施している。

 初日は午前10時の開場前から熱心な愛好家らが集まり、秋晴れの空の下で“お宝”探しを満喫していた。

 関西古書研究会の菅哲夫会長(78)は「初日朝の人出としては例年の約5割だが、来ていただいたことがありがたい。古書業界はコロナ禍で大きな打撃を受けているので、今回開催できてほっとしている」と話した。午前10時〜午後5時(最終日は同4時)

3023名無しさん:2021/10/10(日) 22:09:45 ID:NrdB.GxU0
最近、復興天守閣を木造にて建て替えるのが正義で、鉄筋コンクリートの天守閣はダメみたいな論調をよく目にします。
果たしてそうでしょうか?

昔の木造建築が技術の粋を集めたものならば、昔の鉄筋コンクリート建築もまた技術の粋を集めたものなのではないでしょうか。

人類は技術を進歩させてきました。建築もまた日々、技術が進歩しています。
その建造物が建築された年代の技術が詰まっているものが今もなお残っている。

大阪城天守閣、生誕90年。

90年前の昭和初期の建築技術の粋の塊です。それが今も残っている。素晴らしい事ではないでしょうか。
90年前の大阪城天守閣再建を寄付で支えた当時の大阪市民の熱い想いが今も残っている。素晴らしい事ではないでしょうか。

これから100年、200年、更にその先へ。大阪の想いを乗せて残り続けてほしいと思います。

大阪城の天守閣再建90年を記念 豊臣時代の資料集めた展示会
10月10日 11時38分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211010/2000052372.html

大阪城の今の天守閣が再建されて90年になるのを記念して、豊臣秀吉とその時代に関する貴重な史料を集めた展示会が開かれています。

この展示会は、大阪城の今の天守閣が寄付金によって再建され、昭和6年に完成してから来月7日で90年になるのを記念して企画され、豊臣秀吉とその時代に関する125点の貴重な史料が展示されています。
このうち、秀吉が1583年に城の石垣工事を始めた際の指示を伝えた「大坂築城掟書」は「作業期間中は採石場に野宿しても大坂の宿を利用してもよい」などと書かれ、工事に携わった人たちの様子が伝わる内容です。
また「大坂夏の陣」を描いた国の重要文化財のびょうぶは戦いの様子と落城直前の城、それに逃げ惑う庶民の様子が表現され、豊臣家が滅亡する歴史的瞬間を伝える傑作とされています。
このほか、秀吉のもとで活躍した武士の陣羽織や徳川家お抱えの刀工による刀など、当時の文化が伝わる遺品も多く展示されています。
大阪城天守閣の研究主幹、宮本裕次さんは「華やかな武家の文化や人々が言い残したことばなどから豊臣時代がどんな時代だったか感じ取ってほしい」と話していました。
この展示会は12月19日まで開かれています。

3024名無しさん:2021/10/13(水) 01:19:34 ID:ylDuNnHU0
東大阪・旧河澄家で「祭礼展」 ミニチュア展示、日下の先代太鼓台との違い解説
10/12(火) 19:19配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9d85867d7988721ea3c58fdd8408b2fd820f05b9

東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で現在、ふとん太鼓やだんじりのミニチュアなどを集めた企画展「祭礼展」が開かれている。(東大阪経済新聞)

例年10月中旬に行われる枚岡神社(出雲井町)の秋郷祭と、石切劔箭(いしきりつるぎや)神社(東石切町1)の秋季大祭に合わせて開催する同展。東大阪市内在住の大宮顕秀さん所蔵のミニチュアふとん太鼓やだんじりを中心に、刺しゅうや彫刻など、ふとん太鼓の装飾関連の物を集めた。同展の開催は6回目。

 同館のある日下地区では昨年、約100年ぶりに太鼓台を新調したが、新型コロナウイルスの感染拡大で祭りは中止。今年も祭りでのお披露目はかなわなかったが、7月に入魂式が行われた。

 同展では、ミニチュアふとん太鼓とだんじり15台やふとん太鼓の装飾をモチーフにした彫刻などを展示。見どころは、約100年運行した日下地区の先代太鼓台を飾っていたふとん締めの刺しゅうと土呂幕の彫刻。ふとん締めの刺しゅうは、桶狭間の合戦で戦った織田信長と今川義元、関ヶ原の合戦の石田三成と徳川家康の4点を展示。源平合戦の様子が彫られた土呂幕の彫刻は、4面全てを展示する。

 今年は太鼓台の新調にちなみ、新旧の太鼓台を比較し解説するパネルを作成。新しい太鼓台は先代より一回り大きくなっており、国内生産の手作業で仕上げた戦国武将のふとん締めも、先代より厚みを増し大きくなっている。水引幕や欄干部分など、各部の違いを解説する。

 学芸員の道岡陸哉さんは「ミニチュアは忠実に作られているので細かい部分まで見てもらいたい。今年もお祭りはなく、新調してまだ担がれていないが、違いをまとめたのでパネルを見てもらえたら。役目を終えたふとん締めや土呂幕なども見てほしい」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館。入館無料。10月31日まで。

3025名無しさん:2021/10/23(土) 02:22:56 ID:NrdB.GxU0
四天王寺で「不断心経」 聖徳太子千四百年御聖忌で /大阪
10/22(金) 9:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/067327f5370b18aa67a4cb5a88486cae39a736e6
和宗総本山 四天王寺(大阪市天王寺区)で10月21日、24時間絶え間なく僧侶が般若心経を唱える「太子奉讃 逮夜不断心経」が始まった。(あべの経済新聞)


 593年に聖徳太子が建立したと伝えられている同寺では、2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に「聖徳太子千四百年御聖忌」として、さまざまな記念事業を執り行う。10月18日〜2022年4月22日は、関係宗派の僧侶を招く慶讃法要を予定する。

 「太子奉讃 逮夜不断心経」は来年4月まで、毎月21日16時30分〜22日16時30分に同寺の阿弥陀堂で行われる。

みんなの経済新聞ネットワーク

3026名無しさん:2021/10/27(水) 00:42:14 ID:NrdB.GxU0
文化功労者に人形浄瑠璃文楽の豊竹咲太夫さん 「父が頂いていない賞で僕が頂く。それが特に嬉しい」
10/26(火) 12:28配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0a7a5c2ce1619cc8d66253a95bc4c1988068435

2021年度の文化功労者が発表され、「人形浄瑠璃文楽」の太夫で人間国宝の豊竹咲太夫さんらが選ばれました。

【豊竹咲太夫さん】
「本当に本当にびっくりした。父が頂いていない賞で初めて僕が頂きます。それが特に特に嬉しい」

豊竹咲太夫さん(77)は、8世竹本綱太夫さんの長男として文楽界に入り、太夫の最高峰の「切場語り」を務めています。

2019年に人間国宝に認定され、「芸術文化の発展に尽くしている」として2021年度の文化功労者に選ばれました。

【豊竹咲太夫さん】
「20代からやっていたことが今になって糧になっているのかなと思う」

咲太夫さんは、「もう少し頑張れと励ましを頂いた」と心境を語りました。

関西テレビ

3027名無しさん:2021/10/27(水) 20:42:53 ID:NrdB.GxU0
江戸初期 豊臣秀頼が奉納 青銅製の鏡が見つかる 北野天満宮
2021年10月24日 15時17分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211024/k10013319451000.html

京都の北野天満宮で、本殿を造営した豊臣秀頼が奉納した青銅製の鏡が新たに見つかり、神社は本殿の装飾の歴史を知る貴重な発見だとしています。

京都市上京区の北野天満宮で見つかったのは、江戸時代初期の1607年に豊臣秀頼が奉納した青銅製の鏡です。

先月、境内にある倉の整理をしたところ、新たに見つかったということで、鏡は直径およそ24センチの円形で、背面には「秀頼公御再興」などと記されています。

鏡のふちには、「鈕(ちゅう)」と呼ばれるツメが6か所付けられていることや、包み紙に「御内陣天井鏡」と記されていることから、天井部分につるして装飾する「吊り鏡」とみられるということです。

「吊り鏡」は仏教的要素が影響した装飾品で、当時は神仏習合でご神体が安置されている本殿の内陣に仏像群が納められていて、その装飾のために使われていた可能性があるということです。

北野天満宮の東川楠彦権禰宜は、「当時の本殿が仏教的な要素を受けて装飾が施されていた可能性があることが分かってきた。本殿の装飾の歴史や変遷を知る上での重要な発見で、今後の研究が期待される」と話していました。

3028名無しさん:2021/11/06(土) 01:45:33 ID:NrdB.GxU0
24時間絶えず読経 聖徳太子千四百年御聖忌 四天王寺で「不断心経」
11/5(金) 11:45配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/621be416e44ae43bd17541b0dca8d286dc5d8073

聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)で、今年の太子没後1400年の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」にちなみ、来年4月22日まで数多くの関連行事が執り行われている。

 このうち境内南西にある阿弥陀(あみだ)堂では4月までの毎月21、22の両日、「太子奉讃逮夜不断心経」を厳修。4、5人の僧侶が交代しながら太子への奉讃と報恩感謝の思いを込め、絶え間がないよう24時間にわたり般若心経を唱え続ける。

 厳修日の午後4時半から翌日の午後4時半までの間も堂内のお参りが可能とあって、多くの参詣者が時間を問わず、代わる代わる足を運んで手を合わせている。

 不断心経の特製記念木札(授与料3千円)も用意。宝前に奉納した木札は結願日(来年4月22日)まで祈念した後に発送される。受け付けは境内の各お堂で同日まで。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺。

3029名無しさん:2021/11/06(土) 18:00:40 ID:NrdB.GxU0
90周年に秀吉深掘り 復興記念展「豊臣時代」
2021年11月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211104/20211104022.html

 現在の大阪城天守閣は、1931(昭和6)年に竣工(しゅんこう)した3代目。市民の全額寄付によって日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造りの天守閣として復興した「市民の城」は、その後の戦火も乗り越え、7日で復興90周年を迎える。博物館の側面を持つ天守閣では、記念テーマ展「豊臣時代」を開催中。天下統一を果たした秀吉と、その周辺の有名無名の人々の資料から「豊臣家が存在した“豊臣時代”とはどういう時代だったのか」を考察する。

 秀吉が初代天守閣を築城した1583年から大坂夏の陣で落城した1615年までの約30年間を「豊臣時代」として6章に分けて紹介。各武将のよろいや秀吉が授けた品々のほか、古文書などを展示している。大名たちに秀頼への忠誠を誓わせた「織田信雄等(おだのぶかつら)27名連署血判起請文」(重要文化財)や、勅旨伝達文書「口宣案」では、秀吉が与えた「羽柴」や「豊臣」といった姓が並び、疑似的な豊臣一門を形成しようとした一端が見えて興味深い。

 展示の最後は「大坂夏の陣図屏風」(重文)。6曲1双からなり、徳川家康や真田幸村といった武将だけでなく、名もなき民衆たちを含めて「豊臣時代を生きた人々」が描かれている。

 「大坂の繁栄の礎を築いたのは秀吉。市民には、その繁栄を再現しようという強い思いがあった」と北川央館長。当時は大大阪時代の末期、150万円の建設費用はわずか半年で集まった。鉄骨鉄筋造りの天守閣だからこそ、戦火を免れ、災害にも負けず現代に貴重な資料が残った。北川館長は「博物館機能があってこその大阪城」と言い切る。

 現在、地下に眠る初代大坂城の石垣を掘り起こす「大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト」が進行中。100周年をめどに一般公開を目指す。

 「時代の転換点にはいつも大阪城があった」と北川館長。栄華を極めた豊臣時代から動乱を経て現代の大阪を見守る。


 6、7日に大阪城天守閣前本丸広場で「大阪城天守閣復興90周年記念 大阪城の秋まつり2021」を開催。河内音頭「大阪城物語」や神事芸能、宝塚歌劇団OGショーなどが行われる。また、両日に天守閣に入館すると、合計先着5千人に記念の登閣証明書を配布する。

3030名無しさん:2021/11/06(土) 18:04:31 ID:NrdB.GxU0
大阪城の天守閣再建90年 観光客5000人に記念の証明書
11月06日 11時40分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211106/2000053539.html

大阪城の現在の天守閣が再建されてから7日で90年になるのにあわせて、天守閣を訪れた観光客に記念の証明書が手渡されています。

大坂城の天守閣は、「大坂夏の陣」や落雷によって江戸時代に2度焼失しましたが、90年前の昭和6年11月7日に、3代目となる現在の大阪城天守閣が市民の寄付金によって再建されました。
7日で再建から90年になるのにあわせて、天守閣では訪れた観光客に記念の証明書が手渡されています。
証明書には漢字で「九十」と赤く記され、天守閣8階の展望台の壁に描かれている鶴の絵があしらわれています。
証明書を受け取った大阪・生野区の68歳の男性は「ちょうど90年になると聞いたので、楽しみに訪れました。天守閣は市民の宝なのでこれからも末永く残ってほしい」と話していました。
また、兵庫県西宮市から家族と訪れた9歳の男の子は「学校の授業で大坂城を作った豊臣秀吉のことを知って関心を持ったので、一度来てみたいと思っていました」と話していました。
記念の証明書は、6日と7日の2日間、天守閣を訪れた人5000人に先着順で配布されます。

3031名無しさん:2021/11/06(土) 18:14:46 ID:NrdB.GxU0
旧居留地の教会150周年、大阪 記念碑除幕し礼拝
2021年11月3日 18:31
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211103/20211103070.html

 明治の大阪港開港にあわせて開設された外国人のための川口居留地跡地に立つ「川口基督教会」(大阪市西区、柳時京牧師)が3日、宣教150周年の記念感謝式を開き、「大阪の近代教育発祥の地」の記念碑を除幕した。コロナ禍のため1年延期しての開催となった。

 1859年に来日し、長崎での伝道を経て大阪に来た宣教師のウィリアムズが1870年、居留地に英学講義所を開設し、礼拝も始めた。この動きが立教大ほか、在阪を中心に八つのミッションスクールの創設につながった。1920年には現在の聖堂が建設された。

 除幕式の後、聖堂に信者や関係者が集い、記念感謝礼拝と聖餐式を執り行った。

3032名無しさん:2021/11/06(土) 18:20:27 ID:NrdB.GxU0
坂田藤十郎さんをしのぶ会 皆に愛され「芝居の人生」
2021年10月28日 15:24
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211028/20211028055.html

 昨年11月に88歳で死去した上方歌舞伎界の重鎮で、人間国宝の坂田藤十郎さんをしのぶ会が28日、東京都内のホテルで開かれた。

 祭壇は白や紫のカーネーションなど約5千本の花で彩られ、柔らかな表情の遺影は文化勲章受章時の記念写真。会場には当たり役の「曽根崎心中」のお初など、数々の役を熱演する藤十郎さんの舞台写真も展示された。

 会の前に取材に応じた妻で元俳優、元参院議長の扇千景さんは「芝居のことしか分からない人だったが、皆さんに愛され、芝居の人生だった。明日納骨するのでお墓に行ってしまうと余計寂しくなると思う」と涙声で語った。

3033名無しさん:2021/11/07(日) 22:24:40 ID:NrdB.GxU0
大阪城の天守閣 再建から90年を祝い記念の式典
11月07日 15時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211107/2000053567.html

大阪のシンボルとして親しまれている大阪城の現在の天守閣が再建されてから7日で、90年を迎え、記念の式典が行われました。

大阪城の現在の天守閣は、昭和6年に市民の寄付で建て直された3代目で、7日に完成からちょうど90年を迎えました。
天守閣前の広場で開かれた記念の式典には滋賀県長浜市や長野県上田市など城のある自治体から関係者が集まり、90年の節目を祝いました。
これに対して、大阪城天守閣の北川央館長が「多くの人に愛されてこの日を迎えられたことをありがたく思います。これから100年に向けて新たな一歩を踏み出します」とお礼を述べました。
また、広場では、90年を記念して、友好都市の紹介や各地の特産品を集めたブースも設けられ、訪れた人たちは思い思いに休日を楽しんでいました。
両親らと訪れた大阪市内の小学3年生の男の子は「近くでお城を見たらとても大きかったです。90年も建っているのはすごいと思いました」と話していました。

3034名無しさん:2021/11/07(日) 22:29:52 ID:NrdB.GxU0
「七五三」前に大阪天満宮には子どもの成長願う多くの家族連れ
11月07日 11時16分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211107/2000053563.html

今月15日の「七五三」を前に、大阪市内の神社には、子どもたちの健やかな成長を願って、多くの家族連れが訪れています。

このうち毎年3000組以上が「七五三」のお参りに訪れる大阪・北区の大阪天満宮には、午前中から晴れ着姿の子どもたちが次々と訪れました。
子どもたちは神妙な面持ちで、神職からお祓いを受けた後、おもちゃや風船などのお祝いの品を受け取っていました。
「七五三」は今月15日ですが、土日や祝日に訪れる家族が多く、神社では感染対策として、来月5日までの土日と祝日は付き添いを5人までに制限しているほか、神事を行う本殿に入る人数も1回につき6家族として、家族ごとで仕切りを設けているということです。
神事を終えた親子は、晴天のもと、笑顔で記念写真を撮って子供たちの成長を願っていました。
3歳の娘のお参りのため家族で訪れた大阪市内の40代の男性は「安心して御祈とうを受けることができました。コロナ禍ではありますが、元気に育ってほしいです」と話していました。
大阪天満宮広報室の三宅隆室長は「安心してお参りしてもらえるよう、対策をとっています。多くの方に来ていただきたいです」と話していました。

3035名無しさん:2021/11/17(水) 02:11:11 ID:NrdB.GxU0
北浜・少彦名神社で神農祭 露店・キャラクターイベントは今年も中止
11/16(火) 7:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d59157712034b6d4b614d49dcaaf673245207a5

「神農祭」が11月22日・23日、大阪・北浜の少彦名神社(大阪市中央区道修町2)で行われる。(船場経済新聞)

医療や薬の神を祭る同神社。神農祭は大阪で「しんのうさん」と呼ばれて親しまれ、無病息災を祈願し毎年11月22・23日に行われる。祭りは1822年にコレラが大流行した際に病よけの丸薬を作り、神虎(=張り子のトラ)のお守りと一緒に祈願したことに由来する。

 毎年神社の周辺では露店が出店してにぎわいを見せるが、コロナ禍を受け、昨年に続き今年も出店を中止する。神社がある道修町には多くの製薬会社が集まるため、祭り期間中は毎年、製薬会社などのゆるキャラが集合するイベントを行なっていたが、昨年同様に今年も開催を見送る。

 同神社の宮司・別所賢一さんは「昨年からコロナ禍は続いているが、今年のご祈とうは『早くいい薬ができますように』などと願い事の中身がより具体的になってきた」と明かす。「祭りは今年も昨年のように静かになると思うが、しんのうさんは疫病退散の祭事。ぜひ多くの人に参拝してもらえたら」と呼び掛ける。

 開催時間は10時〜20時。22日9時45分前後は写真撮影のため入場規制あり。

3036名無しさん:2021/11/20(土) 01:34:28 ID:NrdB.GxU0
仁徳天皇陵・新たに埴輪の列見つかる!宮内庁と堺市共同発掘調査
11/19(金) 17:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/2048f666eddf7f12f1b2cbeb6627d980f92efe6a

国内最大の前方後円墳・大山古墳を共同発掘している宮内庁と堺市は19日、発掘現場を報道陣に公開し、多数の埴輪の破片が見つかったと発表しました。

仁徳天皇陵として宮内庁が管理する大山古墳の共同発掘は、2018年に続いて2回目。発掘したのは、古墳のもっとも内側の堤10か所です。

前回は、埴輪の列が堤の外側でしか見つかりませんでしたが、今回さらに北側を発掘したところ、初めて内側にも円筒埴輪列が発見されました。

【宮内庁 徳田陵墓調査官】
「ある程度想定していた。荘厳化とより装飾をするということは考えられる」

また、江戸時代以降とみられる陶磁器のかけらも1点見つかりました。

【宮内庁 徳田陵墓調査官】
「築造されてから長い期間あまり人が入っていない状況 長い間 天皇陵を御陵として、あるいは陵として地域の方々にお守りいただいていた」

TVOテレビ大阪

3037名無しさん:2021/11/22(月) 21:01:16 ID:NrdB.GxU0
“薬の町”の神社で「神農祭」 健康やコロナの終息願う 大阪
11月22日 11時40分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211122/2000054139.html

江戸時代から薬の問屋が建ち並び、薬の町として知られる大阪・中央区道修町の神社で、健康を祈願する「神農祭」が始まり、家族の健康や新型コロナウイルスの終息を願って多くの人が訪れています。

「神農祭」は、大阪・中央区道修町の少彦名神社で、およそ200年前の江戸時代末期にコレラが流行した際、薬の問屋などが薬やお守りを人々に配ったことが始まりとされています。
家族の健康や新型コロナウイルスの終息を願って神社には多くの人が訪れ、本殿に向かって手を合わせたあと疫病退散の願いが込められた「張子の虎」のお守りがつけられたささ飾りを受け取っていました。
「神農祭」は、大阪では1年を締めくくる祭りという意味で「とめの祭り」とも呼ばれ、この祭りが終わると大阪の街は一気に年末の雰囲気が深まります。
参拝に訪れた神戸市の60代の男性は、「毎年お参りには来ていますが、ことしは家族みんなの無病息災とコロナの終息を願ってお祈りをしました」と話していました。
「神農祭」は23日まで行われています。

3038名無しさん:2021/11/24(水) 22:34:07 ID:NrdB.GxU0
大阪 「鴻池組旧本店」の洋館・和館など 国の有形文化財に
11月23日 17時12分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211123/2000054187.html

明治時代に建てられた大阪市の建設会社の旧本店の建物などが国の有形文化財に登録されることになりました。

これは、国の文化審議会で答申されたもので、このうち大阪・此花区にある「鴻池組旧本店」の洋館と和館はいずれも明治43年に建てられました。
洋館の外壁は白いモルタルに赤いレンガでラインを巡らせたモダンなデザインが特徴です。
玄関ホールにはくじゃくやバラをモチーフにしたステンドグラス、応接室の暖炉や棚には当時、流行していたアール・ヌーヴォーの装飾が施されています。
一方、和館は屋根が瓦葺きで軒下はしっくいが塗り込められ、重厚な町屋の作りです。
これらの建築様式や内部の装飾が建築当時の特徴を表すものだとして評価されました。
このほか、高槻市で現在はレストランなどに使われている「旧京都大学高槻農場」のあわせて4件の建物と柏原市にある安田家住宅主屋も新たに国の有形文化財に登録されることになりました。

3039名無しさん:2021/11/25(木) 21:51:01 ID:NrdB.GxU0
我こそは!福娘希望者集結 最終審査は自己PR
2021年11月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211122/20211122033.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江英宮司)は21日、十日戎関連の神事に奉仕する福娘を決める審査会を同区のクボタ大ホールで行った。参加者らは面接や自己PRで福娘にかける思いの丈をぶつけた。

 満18〜23歳の未婚女性を対象に募集し、2087人が応募。事前の書類審査、面接審査を通過した245人が審査会に臨んだ。

 始めにグループ面接が行われ、絞られた101人が1人15秒の持ち時間で自己PRを行う最終審査へ。ダンスや歌、ものまねなど特技を披露するとともに、「度胸と愛嬌(あいきょう)は誰にも負けない」や「笑顔と感謝を届けたい」などと元気いっぱいに“我こそは!”と審査員にアピールした。

 選出された40人と留学生4人の計44人は、そろいの装束を着用して27日の発表会に臨み、来年1月9〜11日の十日戎では神社授与所で参拝者に福ザサを授ける。

3040名無しさん:2021/11/27(土) 21:34:54 ID:NrdB.GxU0
大阪に聖徳太子像お目見え 住民グループ寄付募る
2021年11月27日 18:59
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211127/20211127073.html

 聖徳太子(574〜622年)が没し1400年目となり、太子の名に由来する大阪府太子町の住民グループが、太子の銅像を町の玄関口となっている近鉄上ノ太子駅前(大阪府羽曳野市)に建立し、27日に町と共催で除幕式をした。町には太子の墓とされる古墳がある。

 十七条憲法制定や遣隋使派遣などの功績を後世に伝えようと全国に寄付を呼び掛け、地元をはじめ関東、北陸、近畿、四国などから1200万円以上が集まった。

 像は高さ1・9メートルで、台座を含めると3・2メートル。デザインは誰もがイメージを抱けるようにと、かつての1万円札に採用された肖像画をモチーフにした。

3041名無しさん:2021/12/01(水) 19:11:11 ID:NrdB.GxU0
上方伝統芸を英語で 「OSAKA TRAD SHOW」大阪市で上演
12/1(水) 11:38配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/0786dc1218b286da6f7acf4ce2993ea5ed43629a

 大阪市は訪日外国人向けに伝統文化を英語で演じてその魅力を発信させるモデルプログラム「OSAKA TRAD SHOW」(大阪伝統芸)を、大阪の子どもたちにも分かりやすい構成に一部手直しして、12月に上演する。

 出演はカナダ・マニトバ大出身の落語家で桂福団治一門の桂福龍、上方寄席囃子(はやし)三味線の第一人者で米ニューヨークでも英語で「女道楽」を演じた内海英華、京大法学部出身で福龍の兄弟子に当たる桂福丸、大阪市大法学部出身で留学経験が長く8カ国語を操る上方講談師・玉田玉秀斎。

 2〜4日は大阪市天王寺区のうえほんまち銭屋ホールで「おもしろ英語で楽しむ上方落語」を開催。4日午後2時からは“ファミリー寄席”と銘打って、一般料金2500円に対し中学生以下千円で開放。分かりやすい英語を駆使して、演目も親しみやすいものを工夫する。19、20の両日は梅田のホテルインターゲート大阪2階ラウンジのスペースを使い「おもしろ英語で楽しむ落語&三味線芸」を公開。2500円。

 福龍は「洋画を見る時、日本人は字幕で内容を知るが、私たちは英語のギャグや語呂合わせなどで笑う。落語にはそうした要素が豊富にあり、英語にしても面白い内容で楽しんでもらう」。福丸は「英語に訳したネタが7、8本あるが、お客さまの雰囲気を見てネタを選ぶ。困るのは、僕は英会話は得意でないので喜んでいただいた外国のお客さまに早口の英語で話しかけられること」と苦笑。英華は「私は女道楽を訳してもらって覚えただけで、ずっと呼んでいただいてうれしい。寄席芸の踊りを見ていただくつもり」と楽しそう。

 玉秀斎は「多くの子どもさんは、普段スマホやタブレットでのゲームや映像に慣れているはず。好き勝手に想像して物語を組み立てていく楽しさを味わってもらいたい」と張り切っている。

 いずれも開催後1週間、有料動画配信(千円)を実施する。問い合わせは電話06(6372)3690、フェスネット。

3042名無しさん:2021/12/01(水) 19:16:46 ID:NrdB.GxU0
大阪 住吉大社 早くも初詣開始 コロナ感染防止 分散参拝を
12月01日 16時41分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211201/2000054516.html

例年、多くの参拝者が初詣に訪れる大阪の住吉大社で、密を避け、分散して参拝してもらおうと1日から初詣の受け付けを開始しました。

例年、正月三が日に200万人以上が初詣に訪れる大阪・住吉区の住吉大社では、新型コロナの感染防止のため、大勢の参拝者で混雑しないようにと、初詣の期間を12月1日から来年3月末までに広げることになりました。
ふだん、おふだやお守りを授与している窓口には、1日から魔よけの矢や、しめ縄、それに来年のえとの置物などが加えられ、初詣の雰囲気に様変わりしていました。
また、例年は、多くの露店が出てにぎわいますが、初詣の期間中の出店はないということです。
初詣が始まっていることを知らずに訪れた神戸市の30代の女性は、「子どもが小さく、混雑している場所は避けたいので良い取り組みだと思います」と話していました。
住吉大社禰宜の岡康史さんは、「皆さんに安心してお参りしてもらいたいと早めに準備をしました。正月三が日でなくても、御利益は変わらないので、できるだけ分散してお参りしてほしい」と話していました。

3043名無しさん:2021/12/04(土) 20:56:02 ID:NrdB.GxU0
2年ぶり、日本舞踊醍醐味 なにわの彩2021 あす、国立文楽劇場
12/4(土) 12:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c3ee0680567fcca8ec5098908161526399568712

日本舞踊の流派を超えて師匠や家元が競演する「なにわの彩2021」(関西アクティング協会本部主催)が5日、大阪市中央区日本橋の国立文楽劇場大ホールで2年ぶりに開かれる。

 同協会が、関西を拠点に活躍する舞踊団体に呼び掛けて2年前まで毎年開催。初冬の風物詩として親しまれていたが、昨年はコロナ禍のため中止になった。今年は感染状況や日本舞踊各流派の後押しもあって同協会は開催を決定。「日本舞踊の醍醐味(だいごみ)を満喫してください」と来場を呼び掛けている。

 今回は「なにわの彩」を20年余りかけて関西を代表する日本舞踊の祭典に育て上げながら、昨春に亡くなった華扇流宗家・華扇松与の追悼公演の意味も込めており、孫の二代目華扇松与が後継者として襲名披露の舞台に上がる。

 ラストは花柳與桂師匠が今年の丑(うし)年に感謝して、新内「丑」(作詞・東條歩、作曲・新内枝幸太夫)を披露し、華やかに繰り広げられたステージを締めくくる。

 当日は午前11時に開演。入場チケットは5千円。問い合わせは電話06(6674)1000、協会事務局。

3044名無しさん:2021/12/11(土) 18:58:26 ID:NrdB.GxU0
大阪・峯ケ塚古墳に巨大造り出し 長さ20m幅6m、祭祀の場か
2021年12月10日 14:33
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211210/20211210053.html

 金銅製の馬具など豪華な副葬品が出土した大阪府羽曳野市の峯ケ塚古墳(5世紀末、前方後円墳)で、前方部と後円部の境にある造り出し部が長さ20m、幅6m以上もあることが分かった。同市教育委員会が10日までに明らかにした。

 市教委の米田拓海主事は「古墳の規模などから天皇に次ぐ人物の墓とみられており、被葬者にふさわしい規模の造り出し部が設けられたのでは」と話している。

 市教委によると、造り出し部は祭祀の場だったとされ、埴輪も置かれていたと考えられている。周濠跡からは墳丘から転落した葺石や朝顔形埴輪、ほぼ全体が残った円筒形埴輪(高さ90cm)も見つかった。

3045名無しさん:2021/12/26(日) 22:03:30 ID:NrdB.GxU0
大阪の国立文楽劇場 初春の公演に向け「にらみ鯛」の飾りつけ
12月25日 11時48分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20211225/2000055711.html

 年の瀬を迎え大阪・中央区の国立文楽劇場では、舞台の上に恒例の「にらみ鯛」が飾られ、初春の公演に向けた準備が行われています。

新春を祝う縁起物の「にらみ鯛」は舞台の上に大きな張り子の鯛を2尾にらみ合う形で飾るもので、戦前、関西の劇場では、この時期の風物詩となっていました。
国立文楽劇場では、25日に初春の公演に向けた準備が行われ、鮮やかな赤色を施された2尾の鯛がワイヤーで釣り上げられ、舞台の天井近くに設置されました。
鯛は長さおよそ2.5メートル、重さおよそ15キロで、2尾がにらみ合うかたちで配置されると、舞台は新春らしい雰囲気に包まれました。
つり上げの作業は30分ほどで完了し、担当者が客席からの見栄えを確認してワイヤーのつり上げ具合を微調整していました。
国立文楽劇場の小木曽幸彦さんは「新型コロナの感染対策をしているので、多くのお客様にお越しいただき、お正月の雰囲気を味わいながら楽しんでもらいたい」と話していました。
国立文楽劇場の初春の公演は来月3日から始まります。

3046名無しさん:2021/12/26(日) 22:16:14 ID:NrdB.GxU0
開花の年願って 坐摩神社で神職手描き巨大絵馬
2021年12月26日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/211226/20211226015.html

 “ざまさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で、恒例の神職手描きの巨大絵馬が完成した。27日に社務所前へ設置され、例年通り節分頃まで飾られる。

 権禰宜(ごんねぎ)の田中裕人さんが下絵のデザインからペイントまで全工程を手掛けており、今年で7年目。特注の木製パネル(幅2・1メートル、高さ1・2メートル)の中央に玉串をくわえた白い虎を堂々と描き、両脇には華やかな桜とネコヤナギをあしらった。虎の姿は画像などを参考にしつつ、独特の力強い動きをオリジナルのデザインで表現。業務の合間に作業しながら約1週間で仕上げた。

 田中さんは「来年は坐摩神社の元宮(もとみや)・行宮(あんぐう)の本殿改築という大きな事業が控えている特別な年」と話し、塗り残したネコヤナギに最後の一筆。「春先に一番に芽吹くとされるネコヤナギから桜へと続き、新型コロナウイルス禍にあっても物事が『開花』するいい年であってほしい」と願いを込めた。

3047名無しさん:2021/12/26(日) 22:32:33 ID:NrdB.GxU0
笑福亭たまさんに繁昌亭大賞 上方落語協会
2021年12月23日 12:41
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/211223/20211223063.html

 上方落語協会は23日、活躍した入門25年以下の落語家を表彰する第16回繁昌亭大賞に笑福亭たまさん(46)、奨励賞に桂阿か枝さん(50)と林家染左さん(50)を選んだと発表した。来年3月1日に定席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)で表彰式と記念落語会を開く。賞金は大賞10万円、奨励賞各5万円。

 たまさんは1998年に笑福亭福笑さんに入門。阿か枝さんは96年に故五代目桂文枝さんに、染左さんは同年に林家染丸さんに入門した。

 記者会見したたまさんは「ただただ運が良かったと思います。先輩、後輩関係なく芸を見習っていきたい」と今後の抱負を述べた。

3048名無しさん:2021/12/29(水) 06:30:55 ID:NrdB.GxU0
国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」 澪標図の陶板奉納 大阪市・住吉大社
12/28(火) 11:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e9eaafb8e0bde716951f378e245a3a7eb923e5c0

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で27日、国宝「源氏物語関屋澪標(みおつくし)図屏風(びょうぶ)」のうち「澪標図」の原寸大陶板石碑(153センチ×356センチ)がお披露目された。屏風に描かれた反橋(そりばし)(太鼓橋)を望む正面参道に設置され、時空を超えた歴史ロマンを伝えている。

 「澪標図」は、江戸時代の絵師・俵屋宗達が1631年に製作。「源氏物語」の第14帖「澪標」を題材にし、中央に住吉大社に参詣する光源氏一行、右に明石君が乗る船、左に住吉大社の反橋と鳥居が描かれている。

 所蔵する静嘉堂文庫美術館(東京都)が監修し、大塚国際美術館(徳島県鳴門市)の陶板で知られる大塚オーミ陶業(大阪市中央区・大杉栄嗣社長)が製作、エース証券(同・出口義展社長)が奉納した。

 高井宮司は「戦災を免れた境内には源氏物語のたたずまいが残っている。品格ある陶板石碑が奉納され、大変ありがたい」と喜んでいた。

3049名無しさん:2022/01/05(水) 19:25:48 ID:NrdB.GxU0
合格へ智慧の輪くぐり 四天王寺で祈願法要
2022年1月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220104/20220104021.html

 和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)の元三(がんざん)大師堂で3日、年に一度の合格祈願法要が行われ、受験生らは智慧(ちえ)の輪をくぐって合格を祈願した。

 平安時代の僧侶、元三大師の仏像をまつるお堂にお参りすると、智慧聡明の御利益があると伝わる。1月3日の命日にちなみ、毎年秘仏の「鬼大師」を開帳し同法要を行っている。

 堂前に列を成した参拝者は2人ずつ錫杖(しゃくじょう)による加持祈祷(きとう)を受け、願いを込めて手を合わせた。中学受験を前に両親とお参りした小学6年の女児(12)=同市中央区=は「絶対に合格できるよう頑張りたい」と力を込めた。

3050名無しさん:2022/01/05(水) 19:57:27 ID:FaBRnToU0
お帰りなさいませ。どないされてたんですか?

3051名無しさん:2022/01/06(木) 23:22:32 ID:NrdB.GxU0
商売繁盛&コロナ退散も…今宮戎の福娘 一足先に「福」をお届け!
1/6(木) 21:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f313b7cd7eadd503d40df06f42a00e9fcca06d8

 新型コロナの退散もお願いしたいところです。商売繁盛を祈願する十日えびすを前に一足早い「福」のお届けです。

6日、テレビ大阪を訪れたのは今宮戎神社の福娘たち。

「あけましておめでとうございます!」

今年はおよそ2000人の中から選ばれた44人の福娘が福笹につける縁起物、小宝吉兆類を参拝者に授けます。

【上方締め】
「お手を拝借」
「打ちましょ」
「もうひとつせい」
「祝うて三度で」

十日えびすは9日から11日まで開かれますが16日まで分散参拝も行うということです。

【福娘】
「感染症対策を万全にしてぜひご参拝にお越しください!」

TVOテレビ大阪

3052名無しさん:2022/01/08(土) 17:02:25 ID:NrdB.GxU0
「ああ、めでたいな」 野田恵美須福娘が来社
2022年1月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220108/20220108031.html

 「宝之市大祭」として執り行う新春恒例の十日戎(とおかえびす)(9〜11日)を前に、大阪市福島区の野田恵美須神社で奉仕する福娘らが7日、同市北区の大阪日日新聞を表敬訪問した。華やかな大阪締めの手締めを披露し、「ああ、めでたいな」と景気の良い声を響かせた。

 訪れたのは、区の花でもあるノダフジをあしらったかんざしを挿した福娘5人ら。出迎えた、本紙を発行する新日本海新聞社の吉岡徹社長へ福ザサを手渡し、社員一同に向けて鈴でおはらいをした。

 福娘の中村いち花さん(19)=関西大1年=は「今年は(占星術で運気が強いとされる)“五黄の寅”の年でもある。皆さんの商売繁盛を願って福を授けたい」と意気込んだ。

 同宮によると、新型コロナウイルスの感染防止対策として、授与所で飛沫防止のビニールシートを設けるほか、おみくじは非接触型で番号が引ける仕組みも導入した。

 祭りは例年3日間で約10万人が参拝。縁起物の授与は例年並みを見込んでおり、12人の福娘が授与する。

3053名無しさん:2022/01/08(土) 17:03:22 ID:NrdB.GxU0
笑顔 元気で後押し 今宮戎福娘来社、9日から十日戎
2022年1月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220107/20220107026.html

 「商売繁盛でササ持ってこい」の掛け声で知られる、大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社の祭礼「十日(とおか)戎」(9〜11日)に奉仕する福娘らが6日、同市北区の大阪日日新聞を表敬訪問した。

 訪れた福娘は、山吹色のそろいの着物に千早を羽織り、金烏帽子(えぼし)をかぶった7人。本紙を発行する新日本海新聞社の吉岡徹社長へ、今年の干支(えと)にちなんでトラを描いた縁起物の額を手渡し、華やかな上方締めをそろって披露した。

 なぎなたで全国制覇の経験があるという代表の一人、瀧口麻衣さん(21)=同志社女子大2年=は「新型コロナウイルスが収束せず不安な日々が続くが、少しでも皆さまに明るい気持ちで過ごしていただけるよう笑顔と元気で後押しできれば」と思いを込めた。

 新型コロナ感染拡大防止のため、福ザサの授与は16日まで延長して分散参拝を呼び掛けるほか、関連行事の「宝恵駕(ほえかご)行列」は規模を縮小して執り行う。

 福娘は3日間、参拝者に福ザサを授けるなどの奉仕に参加する。

3054名無しさん:2022/01/12(水) 05:18:36 ID:NrdB.GxU0
大阪の今宮戎神社で1年の商売繁盛願う「十日戎」が始まる
01月09日 11時05分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220109/2000056220.html

 1年の商売繁盛を願う「十日戎」が9日から始まりました。
例年、多くの参拝者が訪れる大阪の「今宮戎神社」では、新型コロナウイルスの感染防止のため、マスクの着用のほか、分散参拝を呼びかけています。

大阪・浪速区にある今宮戎神社は商売の神様として知られ、例年、1月の9日から11日まで開かれる「十日戎」には、およそ90万人の参拝者が訪れます。
9日は「十日戎」の初日、「宵えびす」で、朝から多くの人が参拝に訪れ、ことし1年の商売繁盛や家内安全を祈っていました。
そして、境内では、参拝を終えた人たちが金色のえぼしをかぶった「福娘」に、「米俵」や「たい」などの縁起物をささに取り付けてもらった「福笹」を買い求め、ことし1年の福を授かって持ち帰っていました。
新型コロナの感染防止のため、神社では、参拝者にマスクの着用を求めているほか、「福笹」の授与も今月16日まで延長し、分散参拝を呼びかけています。
大阪・天王寺区から夫と訪れた60代の不動産業の女性は「健康第一をお願いしました。早くコロナが収まって、ふだん通りに暮らせるようになってほしい」と話していました。

3055名無しさん:2022/01/12(水) 23:33:51 ID:NrdB.GxU0
五代友厚らの書簡など展示 大阪歴史博物館で企画展
2022年1月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220112/20220112023.html

 大阪歴史博物館(中央区)は「近代化となにわの商い」を共通テーマにした資料を展示している。近代化とともに復興した大阪の商業に関する書簡が見られる。31日まで。

 近世の大阪は“天下の台所”とよばれ、商業や産業の中心地として栄えた。世界における先物取引のさきがけとなった堂島米市や、「現金掛け値なし」で知られる三井呉服店など、商業のエポックとなった発想が次々と生まれ、全国の富が集まった。明治維新ののち首都が東京へ遷り、大阪の経済は一時期停滞するが、五代友厚という実業家が登場しよみがえる。

 会場には「五代友厚・小松帯刀書簡」や「三井呉服店図絵馬」、「秋田藩米切手」、「肉を以(もっ)て肉体を養う」というキャッチコピーも付けられた引札などが展示されている。

3056名無しさん:2022/01/12(水) 23:35:00 ID:NrdB.GxU0
商売繁盛を願って 大阪各地で残りえびす
2022年1月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220112/20220112020.html

 商売繁盛などを祈願する「十日戎(とおかえびす)」は11日、3日間の祭りを締めくくる「残りえびす」を迎えた。前日とは一転、朝から降り続いた雨は正午には上がり、期間中唯一の平日ということもあって、府内各地では次々と訪れる勤め人らで境内がにぎわった。

 大阪締め華やかに 服部天神宮 福娘が町に活気
 ○…福娘の発祥地で、「豊中えびす祭」として執り行う豊中市の服部天神宮では、福娘が音頭を取る大阪締めが境内を華やかに彩った。

 加藤芳哉宮司によると、みことは別に、縁起物を授与する「福娘」の呼称が誕生したのは1951年という。今回は初めて応募が800人を超え、選ばれた30人が奉仕した。

 福娘の一人で、京都大医学部1年の福久碧海さん(20)は「福娘の活気で、大阪が元気を取り戻すお手伝いができれば」と笑顔を見せていた。

福笹準備フル回転 大宮神社 縁起物が人気に
 ○…「大宮えびす」として親しまれる大阪市旭区の大宮神社では、授与した熊手や福俵などの縁起物が前日までに予定本数に達し、この日は神職らが福笹(ざさ)の準備に追われた。

 通例、予定数に届くのは11日夕だが、総代会会長の野山忠幸さん(78)は「何とか良くなってほしいという思いの現れでは」。

 金物を商う守口市の自営業男性(81)は「地味な商売だが、夫婦で一日一日を無事に過ごしていけたら」と静かに手を合わせた。

3057名無しさん:2022/01/18(火) 23:01:44 ID:NrdB.GxU0
一年の平穏願う 生国魂神社「左義長神事」
2022年1月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220116/20220116026.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で小正月の15日、伝統の火祭り「左義長(さぎちょう)神事」(とんど焼き)が行われた。新型コロナウイルス禍の中での催しとなり、一年の平穏を願いながら炎を見つめる参拝者の姿が見られた。

 晴天の下、早朝から神事が斎行され、神職が境内に積み上げられた正月飾りなどに御神火を点火。炎の中にしめ縄や破魔矢、お札などが投げ入れられるたびに火勢が増し、写真撮影する参拝者の姿もあった。

 高く燃え上がる炎をじっと見ていた同区在住の女性(60)は「とんどには幼い頃に行っていて懐かしい。緊張する日が続いているので、コロナが落ち着いて気持ちが前向きになる年になれば」と祈願。

 例年行われていた小豆がゆの接待は昨年に続いて自粛となり、中山宮司は「みなさんが明るく元気になる、そうした日が来ることを祈っている」と話した。

3058名無しさん:2022/01/18(火) 23:02:38 ID:NrdB.GxU0
若手人形遣い・吉田簑之さん 2月26日ファンフェスタ
2022年1月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220118/20220118025.html

 人形遣いの若手ホープとして注目されている吉田簑之さん=写真=の「吉田簑之ファンフェスタ」が2月26日、大阪市中央区の「北浜 RONDO」で開かれる。日頃はなかなか聞く事のできない簑之さんの本音トークや初挑戦のプチ実演など新たな事に挑戦する姿を見ることができる。

 簑之さんは2021年、国立文楽劇場4月文楽公演で引退した人形浄瑠璃文楽座人形遣い三代吉田簑助氏の弟子。劇場公演に加え、地方公演や学校での文楽体験教室など精力的に活動を続けている。

 主催はメイコー化粧品マスコットキャラクターのメイコちゃん。時間は午後2時〜同4時(中入り休憩含む)。定員は30人(事前申込制)で参加費は2千円。

 申し込みは氏名、電話番号、参加人数、質問コーナーで技芸員に聞いてみたい事(なくても可)の4項目を、メイコちゃんのSNSアカウントのDMまたはmaripen8pen@yahoo.ne.jpまで。

3059名無しさん:2022/01/20(木) 20:14:52 ID:NrdB.GxU0
ええやん!「文楽」の人形遣い 桐竹勘十郎さん
01月20日 19時12分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220120/2000056766.html

 オオヌキタクトさんが関西のエンターテインメントのいまを紹介する「ええやん!トレカル」。
今回は人形浄瑠璃「文楽」の人形遣い、桐竹勘十郎さんです。
去年、人間国宝に認定されました。
文楽と聞くと「敷居が高い」、「難しい」というイメージがあるかもしれませんが、今回、実は、初めて見たんですけど、文楽の深い世界に引き込まれました。
文楽の魅力と、そこにかける思いについて聞いてきました。

3060名無しさん:2022/01/23(日) 23:56:45 ID:NrdB.GxU0
「次の100年につなぐ」 高槻で「王将戦」
2022年1月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220121/20220121039.html

 将棋タイトル戦の一つ、「王将戦」の七番勝負第2局が22日、高槻市で開幕する。期間中は前夜祭や大盤解説会もあり、対局は棋界最高峰の二人が登場するとあって脚光を浴びている。市では2023年度に関西将棋会館(大阪市福島区)の移転を受け入れる計画があり、高槻市は「移転を追い風に“将棋のまち”として盛り上げ、次の100年につなげたい」と期待を寄せる。対局は23日まで。

 シリーズは、“最年少五冠”を狙う藤井聡太竜王(19)=王位・叡王・棋聖と合わせ四冠=を、渡辺明王将(37)=棋王・名人と合わせ三冠=が迎え撃つ。八大タイトルのうち七つを分け合い、人気、実力ともに伯仲する両者が頂上決戦に挑む構図で、今月あった第1局は藤井竜王が139手で激戦を制した。

 第2局は摂津峡の温泉旅館「山水館」で指され、地元では新型コロナウイルスの感染拡大に伴って昨年は中止した関連の催しを2年ぶりに実施する。

 21日は両対局者が登場する前夜祭、22、23の両日にはプロ棋士が司会を務める大盤解説会を開催。22日は「こども王将戦」も予定する。それぞれ新型コロナ対策として参加者を絞ったことから抽選となり、前夜祭は40人の定員に対して930人の応募があった。

 開催の背景には、市で近年高まりつつある将棋熱がある。

 市は18年、青少年の健全育成を念頭に日本将棋連盟と普及や啓発に関する包括連携協定を締結。市によると、市内の高槻城跡から江戸時代に使用したとみられる将棋駒が多数出土しており、高槻藩士らが日頃から将棋をたしなんでいたとされる土地柄もPRの材料にしている。

 また、関西将棋会館の移転案は「文化や知名度向上の一手」として市が提案した。候補地はJR高槻駅前の市営バス用地1266平方メートルで、連盟によると、移転費用約13億円のうち寄付による目標金額を5億円と設定。第1弾として1億円をふるさと納税制度を活用したクラウドファンディングで募ったところ、昨年12月までに目標額を上回る1億5千万円が集まった。

 王将戦は協定を結んだ18年度以降、3年連続で高槻市内で指され、名勝負を繰り広げてきた。対局の合間に差し入れる「おやつ」は、地元店舗の売り込みがあるなど注目度が高まっている。市文化スポーツ振興課の担当者は「市民の期待感が伝わってきている。今後の文化振興や地域活性化につながれば」と展望する。

3061名無しさん:2022/01/23(日) 23:58:20 ID:NrdB.GxU0
良き一年、火柱に祈る 四天王寺でとんど焼き
2022年1月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220121/20220121041.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で年頭の火祭り「とんど焼き」があった。元旦から2週間にわたり天下泰平や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る法要「修正会(しゅしょうえ)」の結願(けちがん)日(14日)の伝統行事で、早朝から多くの参詣者が境内に足を運び、厳しい寒さの中、高く燃え上がる炎に手を合わせた。

 境内南側の仁王門前広場には事前に持ち込まれた門松やしめ縄といった正月飾りのほか、お守り、お札などが高く積まれ、僧侶が魂を抜く撥遣(はっけん)法要を行った後、厳かに着火された。

 着火の後も縁起物を手にした参詣者が続々と訪れ、年頭の風景をカメラに収める人の姿も見られた。毎年訪れている男性(77)=同市西成区=は「前日が誕生日で『喜寿』になったばかり。コロナなどで先行きが不安だが、去年よりも気を張っていい年にしたい」と話した。

 結願日のもう一つの伝統行事「どやどや」は新型コロナウイルス禍で中止となったが、恒例の牛王宝印楊枝(ようじ)や修正会御祈祷(きとう)札の授与は行われ、多くの人が授与所に並んだ。

3062名無しさん:2022/01/24(月) 00:04:25 ID:NrdB.GxU0
人形浄瑠璃文楽で最高位昇格 太夫3人が「切語り」に
2022年1月20日 21:01
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220120/20220120113.html

 文楽協会(大阪市)などは20日、人形浄瑠璃文楽で太夫の最高位とされる「切語り」に、豊竹呂太夫さん(74)、竹本錣太夫さん(73)、竹本千歳太夫さん(62)の3人が4月に昇格すると発表した。

 切語りは物語の重要な場面「切場」を任される太夫のことで「切場語り」とも呼ばれる。切語り昇格は2009年の豊竹咲太夫さん(77)以来で、4月以降は計4人となる。

3063名無しさん:2022/01/29(土) 21:18:41 ID:NrdB.GxU0
国宝「扇面法華経冊子」 光学調査データを公開
2022年1月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220125/20220125028.html

 四天王寺大(岩尾洋学長、羽曳野市学園前3丁目)で2月3、5の両日、和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)所蔵の国宝「扇面法華経冊子」のデジタル撮影データを学外公開する。午後1〜3時。観覧無料、事前申し込み不要。

 同寺は今年の「聖徳太子千四百年御聖忌」を迎えるに当たり、東京文化財研究所の協力で寺宝である「扇面法華経冊子」の光学調査に取り組み、2億画素の超高精細デジタル撮影も実施した。同寺から同大学へ提供された撮影データは、学芸員課程を履修中の学生が学修の一環として調査分析した。今回は成果発表の学内展示実習の一環として2日間限定で学外に公開し、学芸員課程履修者の在学生が解説する。

 会場は大学3号館図書館前学習ラウンジと図書館。希望者は正門・門衛所で「観覧希望」を伝える。

 最寄り駅は近鉄南大阪線「藤井寺」または「古市」駅。ともに近鉄バス四天王寺大学行きに乗車。自動車やバイクでの来学も可。中止の際は大学ホームページで通知。問い合わせは電話072(956)3181、同大学。

3064名無しさん:2022/02/05(土) 03:05:17 ID:NrdB.GxU0
法善寺の苔地蔵は大阪の人間の切実な思いから生まれたものです。

※B-29の焼夷弾大空襲で焼け野原になった大阪市街(今宮〜道頓堀〜渡辺橋)
 https://www.youtube.com/watch?v=iHvK1SKwNYA

この映像の3分13秒あたりから道頓堀川あたりの空撮が出てきます。
何もありません。一面の焼け野原です。今の姿からはとても信じられない残酷な姿です。

当然、そういう状況下では住んでいる方々の生活は困窮を極めた。
法善寺にお参りにいくにしてもお供えを用意することすら出来なかった。

『何も無いけど、せめて水だけでも』

いつしかお参りに来た人々がお地蔵さまに水を掛けるようになり、そして苔むしていったわけです。

だから苔地蔵の苔を毟り取るのは今までの大阪の人間の思いを踏み躙る大変に酷い行為です。
物を知らないとは恐ろしい、他人の物を勝手にいじってはダメだという常識が無いとは恐ろしいものです。

法善寺の石像 男性“きれいにしたかった” 被害届取り下げ
02月04日 17時53分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220204/2000057422.html

大阪・ミナミの法善寺でこけに覆われた姿が特徴的な石像が、顔や頭のこけがはがされる被害に遭っていたことがわかりました。
別の日に石像の近くにいた男性が警察に対して「きれいにしたかった。今思えば悪いことをした」などと話したことから、寺は警察に出していた被害届を取り下げたということです。

被害にあったのは、大阪・中央区の繁華街の一角にある法善寺の2体の石像、「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」と「制※た迦童子(せいたかどうじ)」です。
法善寺によりますと、去年12月20日、2体の石像の全体を覆っていたこけのうち、顔と頭の部分のこけがはがされているのを参拝者がみつけたということです。
寺によりますと、境内の防犯カメラには前日(19日)の早朝、何者かがひしゃくを使って石像の頭をこするような様子が映っていました。
このため警察に被害届を出しましたが、別の日に紙で石像をこするような動きをしていた男性に警察が事情を聞いたところ、「みすぼらしかったのできれいにしたかった。今思えば悪いことをした」と話し、反省している様子だったため、被害届を取り下げたということです。
法善寺の神田眞英 副住職は、「被害を知ったとき、なんでこんなことをしたんだろうと思いました。こけむした姿になるまで、どれだけの方がお参りして水をかけてくださり、何年かかったのか考えるととても切ないです」と話していました。
被害にあった石像は水をかけると願いがかなうとされ、戦後まもなく参拝者が水をかける風習が始まり長い年月をかけてこけに覆われたということです。
中央の石像は「水掛不動尊」と呼ばれ、地元の人たちや観光客に親しまれています。
※「た」は「託」のごんべんが「口」。

3065名無しさん:2022/02/05(土) 14:05:43 ID:NrdB.GxU0
成田山大阪別院で節分祭 著名人の豆まき、今年も中止
2022年2月3日 12:02
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220203/20220203042.html

 交通安全祈願で知られる大阪府寝屋川市の成田山大阪別院で3日、節分祭が行われた。新型コロナウイルス感染拡大を受け、行事の規模を縮小。恒例だった著名人の特設舞台からの豆まきは、昨年に続き、中止した。

 本尊の不動明王は鬼も改心させるとされ、掛け声は「鬼は外」と言わず、「福は内」を繰り返すのが習わし。僧侶らがコロナ終息や開運を祈願し、本尊に向かって勢いよく豆を投げた。

 境内では巨大な升に2万袋の福豆を入れ、一般参拝客に無料で配布。マスク姿の参拝客が列をなした。福豆を受け取った寝屋川市の寺西広一さん(70)は「豆まきがないのは残念だ」と話した。

3066名無しさん:2022/02/09(水) 22:43:11 ID:NrdB.GxU0
鴻池組旧本店を公開 4月下旬に見学会
2022年2月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220207/20220207026.html

 中堅ゼネコン「鴻池組」(大阪市中央区、渡津弘己社長)は此花区伝法の旧本店が今春に国の登録有形文化財として登録されることを記念し、4月下旬に無料見学会を開催する。

 旧本店は1910年に建設。洋館と和館が併置されて行き来できる。洋館は外観が19世紀末にドイツなどで起こった革新運動セセッションの流れをくみ、内装は同時期欧州で流行したアールヌーボー装飾がふんだんに施されている。扉1枚を隔てた和館は大阪の伝統的町家様式。完成時は近くの伝法川から支流を邸内に引き込んで庭を形成していた。

 長年、旧本店を研究してきた足立裕司・神戸大名誉教授(近代建築史)は「立地が大阪・尼崎の工業地帯の間だったため、戦災焼失を免れた。かつて大阪に数多くあったはずの和洋併置式建物が、完全な形で残っていることは極めて珍しい」と評価する。

 見学会は4月20、27日。10回で計100人を対象にする。申し込みは1件1人のみ。希望者は2月7日〜3月16日、同社ホームページのトピックス欄にある「旧本店見学会申し込みサイト」から。申し込み多数の場合は抽選の上で入場時間などを連絡する。

3067名無しさん:2022/02/12(土) 23:12:35 ID:NrdB.GxU0
大阪天満宮で恒例の梅まつり ことしも盆栽などの展示会のみ
02月12日 12時03分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220212/2000057698.html

大阪・北区の大阪天満宮で、春の訪れを告げる恒例の「梅まつり」が開催されています。

この催しは、大阪・北区の大阪天満宮にまつられている学問の神様、菅原道真が梅をこよなく愛したことから、毎年この時期に開かれています。
例年は、「梅酒大会」などさまざまな催しが開かれますが、ことしは去年に引き続き、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、梅の木の盆栽などの展示会だけが開かれています。
およそ60鉢が展示され、このうち、樹齢およそ100年の「八重野梅」は花びらが重なって咲くことからその名がつけられていて、訪れた人びとは幾重にも重なった白い花を静かに見入っていました。
また、樹齢およそ80年の「古金欄」は荒々しい幹に鮮やかなピンク色の花が連なって咲き、見頃を迎えています。
大阪・平野区から訪れた夫婦は「梅の花がきれいでした。穏やかな気持ちになれました」と話していました。
大阪天満宮の禰宜の柳野等さんは「こういうご時世ですが、百花に先がけて春一番に咲く梅の花を見て、少しでも和らいでいただきたいです」と話していました。
「梅まつり」は今月28日まで開かれています。

3068名無しさん:2022/02/26(土) 04:10:52 ID:NrdB.GxU0
東大阪・旧河澄家で「桃の節句展」 ひな飾り11組、稲脇秀子さんの創作ひな人形も
2/25(金) 23:58配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bb728790571b129b78a16d3e1403f80e170104e

東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)で2月19日、「桃の節句展」が始まった。(東大阪経済新聞)

地域の家庭から「この建物で展示してほしい」と寄贈されたひな飾りを飾る同展。2017(平成29)年に始まり、今では「今年はまだ?」と問い合わせがあるなど、初春の風物詩として地域の人が楽しみにするイベントになっている。

 今年は、約100年前に作られたという親王飾りや二段飾り、七段飾り、同館のイベント参加者から新たに寄贈された物を合わせ、11組のひな飾りを展示。会場には、ひな人形の歴史や関東と関西におけるおひなさまとお内裏さまの左右の置き方の違い、桜の木とタチバナの木、桃の節句のごちそうなど、桃の節句とひな人形にまつわる解説パネルを設置する。

 奥座敷の棲鶴楼には、創作人形作家の稲脇秀子さんの創作ひな人形を展示。稲脇さんは約45年前、「夫が空けたウイスキーの瓶で何かできないか」と紙粘土を貼り付けて作り始めたのをきっかけに、独学で人形の制作を始めた。1982(昭和57)年には、大阪府羽曳野市にある自宅の地下を改装し、アトリエ「House Gallery INAWAKI」を設立して人形教室を開講。以降、教室で教えるほか、ギャラリーやホテルでの展覧会などに作品を出品している。同展では、人形のほか装飾品から小物まで、一つ一つ手作りした14組68体を展示する。

 同館で「おりがみ展」を開催した際に作品を展示した坂上慧ミ子(えみこ)さんは、折り紙で作ったひな人形の色紙などで花を添える。会場内には、扇や冠などを装着して七段飾りの前で撮影ができるフォトスポットを設ける。

 同館学芸員の道岡陸哉さんは「今回は2人の先生が展示に協力をしてくれて華やかになった。稲脇先生の人形は優しい顔をしているので、それぞれの人形の表情も見てほしい」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館。入館無料。3月6日まで。

3069名無しさん:2022/03/02(水) 18:49:08 ID:NrdB.GxU0
「文楽座」命名150年の記念公演を前に…大阪市の寺で技芸員らが『先祖のお墓参り』
3/1(火) 19:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e4cc6eae23c98f480e4460e8e21699a4fd2908
かつて大阪にあった人形浄瑠璃の劇場「文楽座」の命名150年を記念する公演を前に、お墓参りが行われました。

 大阪の伝統芸能・文楽を演じる劇団「人形浄瑠璃文楽座」は、1872年に大阪に建てられた劇場「文楽座」が名前の由来となっています。今年4月に命名150年の記念公演が行われるのを前に、技芸員らが劇団の先祖の墓がある大阪市内の寺でゆかりの作品を披露し、公演の成功を祈りました。

 命名150年記念公演は4月2日〜24日に行われます。

3070名無しさん:2022/03/10(木) 22:15:30 ID:Tmc5leY60
18歳歌手が「歩兵の本領」奉納 大阪護国神社で陸軍記念日祭
2022/3/10 15:33
https://www.sankei.com/article/20220310-YOTCHCZITJKI7G4362ZDGOD3JU/
明治38(1905)年3月10日、日露戦争「陸の決戦」と呼ばれる奉天会戦で日本軍が勝利を収めた日にちなむ陸軍記念日の10日、大阪護国神社(大阪市住之江区)で陸軍記念日祭が行われ、関係者ら十数人が神前で英霊に感謝を伝えた。
陸軍記念日は旧満州(現中国東北部)の奉天に入城した日を祝し、翌39年に制定。昭和20年まで祝日だったが、海軍記念日(5月27日)とともに連合国軍総司令部(GHQ)による占領下で廃止された。
祭祀(さいし)は午前10時からあり、シンガー・ソングライターの小出夏花(かはな)さん(18)が「君が代」と戦時歌謡「歩兵の本領」を奉納。歴史学者で大阪観光大専任講師の久野潤氏や、元自衛官らでつくる近畿偕行会の熊谷勉事務局長、前衆院議員、地方議員らが玉串をささげて、拝礼した。
久野氏は「先人が勇敢に戦った史実をたたえ、民族的に共有していきたい」と話した。

3071名無しさん:2022/03/11(金) 23:02:37 ID:NrdB.GxU0
義太夫節で「通る声」を 大阪・羽曳野市の小学校で特別授業
3/11(金) 22:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c059bc3315d9d47811f6d73b61aed39c19c9ac6a

元気な返事で卒業式を盛り上げたい-。伝統芸能の義太夫節の呼吸法を学び、卒業式に生かそうという特別授業が羽曳野市立西浦東小学校(前田幸章校長)で行われた。昨年義太夫節を取り入れた授業を行ったことから、卒業式でも成果を発揮しようと改めて学ぶ機会を設けた。

同校では昨年12月、同市教育委員を8年間務めた河内ワイン(同市駒ケ谷)専務の金銅(こんどう)真代さんを講師に招き、国語の授業で義太夫節を学習。卒業式が迫るなか「義太夫節の腹式呼吸が声出しの練習になるのでは」と職員から声があがった。

金銅さんは、文楽太夫(たゆう)の豊竹呂太(ろだ)夫(ゆう)さん(74)が主宰する義太夫教室で10年以上稽古を続けており、前田校長が授業を依頼した。

肩衣(かたぎぬ)をつけた太夫スタイルの金銅さんが、「おなかに力を入れて」と呂太夫さん直伝の呼吸法を6年生に披露。その後、一人一人の名前を呼び、声出しの練習をした。最初は恥ずかしそうだった児童も、「はい」と大きな声が出ると笑みがこぼれた。

山口翔毅(とき)さん(12)は「割と大きな声が出せたけど、意外と難しかった」。吉田千歩さん(12)は「大きな声はたまにしか出さないので、もっと練習しようと思います」と話した。

義太夫節は、江戸時代に創始された浄瑠璃の一種。登場人物のセリフや感情などを太棹三味線にのせて語る。同校の卒業式は18日に行われる。

3072名無しさん:2022/03/13(日) 20:13:22 ID:NrdB.GxU0
ウクライナにも動物園があろうに動物たちはどうなっているのだろう。

大阪市で戦争で犠牲になった動物について伝える特別展
03月13日 11時47分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220313/2000058828.html

大阪大空襲から13日で77年となります。
大阪・中央区では、人間だけでなく動物も戦争の犠牲になったことを伝える特別展が開かれています。

77年前の第二次世界大戦中の昭和20年、大阪の街は3月13日の深夜からアメリカ軍による大空襲を受け、その後、終戦の前日まで空襲が繰り返され、およそ1万5000人が亡くなりました。
大阪・中央区の「ピースおおさか」では、戦争で犠牲になった大阪市の天王寺動物園の動物について伝える特別展「どうぶつのいのちとへいわ」が開かれています。
天王寺動物園では、大阪大空襲による焼い弾で多くの動物が犠牲になったほか、昭和18年からよくとしにかけては、空襲の被害で猛獣が逃げ出すことを防ぐためにライオンやヒグマなどが殺処分されました。
特別展では、戦時下の動物の状況がパネルで紹介され、このうち人気者だったチンパンジーの「リタ」は防毒マスクや軍服を着せられ、戦意高揚に利用されましたが、餌が不足して栄養不足となり、子どもを死産し、その後、死にました。
また、育ててきたヒョウを殺さざるを得なかった飼育員のエピソードも紹介され、動物も巻き込まれた戦争の悲惨さを伝えています。
「ピースおおさか」の駒井詩子さんは「ウクライナ情勢の報道を連日見聞きするいま、あらためて平和の大切さを感じてほしいです」と話していました。
特別展は、休館日を除いて今月30日まで、開かれています。

3073名無しさん:2022/03/14(月) 18:15:42 ID:ca8WjR6w0
ちなみにWWⅡ時にドイツとかはそんなことはせんかった。
檻が壊れるぐらいの爆撃を受ければそのまま動物も死ぬはずだし、焼野原を猛獣が闊歩しても気にせんかったとか。

3074名無しさん:2022/03/20(日) 21:42:08 ID:NrdB.GxU0
大阪城天守閣で秀吉など120人余りの戦国武将描いた作品展
03月19日 16時03分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220319/2000059102.html

豊臣秀吉や武田信玄など、120人以上の戦国武将の表情や戦場での姿などを描いた作品の展示会が大阪・中央区で開かれています。

この「武将たちの風貌」展は大阪・中央区の大阪城天守閣で開かれていて、戦国時代の125人の武将を描いた肖像画やびょうぶ絵、絵巻物などおよそ50点が展示されています。
このうち、大阪城ゆかりの豊臣秀吉の作品は10点近くあり、没後すぐに描かれたとされる肖像画では、晩年に神格化されることを望んだという秀吉が静かな表情で描かれています。
一方、のちの江戸時代後期になって、立身出生を果たした武将として人気が出たとされる時期に描かれた秀吉はいかつい顔をしていて、同じ人物でも時代背景などによって描かれ方が違うことがわかります。
このほか、上杉謙信の刀を武田信玄が軍配うちわで受け止める姿を描いた「川中島合戦図屏風」などが展示されています。
大阪城天守閣の学芸員の宮本裕次研究主幹は「同じ武将の顔でも時代によって描かれ方がまったく異なることがよくあり、武将の逸話とともに風貌を見比べて楽しんでほしい」と話していました。
この展示会は5月8日まで開かれています。

3075名無しさん:2022/03/21(月) 23:21:01 ID:NrdB.GxU0
民家見学ツアーとコンサート 豊中、集落博物館
2022年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220321/20220321035.html

 日本各地の代表的な民家を移築展示している日本民家集落博物館(豊中市服部緑地)は4月2日に「日本民家見学ツアー&バイオリンコンサート」を開く。午後2時〜4時10分。料金3千円(入館料、お茶・お菓子、日本民家修復寄付金込み)。定員70人で事前の申し込みが必要。

 「信濃秋山の民家」保存修理工事完了記念として開催。当日は博物館員による日本民家ツアーや、「日向椎葉の民家」内でコンサートを開催。出演は金関環さん(バイオリン)、加藤英雄さん(電子ピアノ)。プログラムは「G線上のアリア」「ハンガリー舞曲第5番」など。直接来館か電話などで申し込む。問い合わせは電話06(6862)3137。月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日)。

3076名無しさん:2022/03/21(月) 23:24:52 ID:NrdB.GxU0
90点で振り返る“大大阪”の繁栄 百貨店歴史など
2022年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220321/20220321034.html

 大正後期から昭和初期にかけての大阪の繁栄をデパートの歴史などで振り返る「大大阪の百貨店」が大阪市浪速区の高島屋史料館で開かれている。同資料館のある高島屋東別館(旧松坂屋大阪店)の建造当時のドアなどの現物や、他店の資料など約90点が展示されている。

 同別館が2021年、国の重要文化財に指定されたことを記念して企画。また、今年が高島屋長堀店の開店(1922年)から100年の節目に当たることから、大大阪と呼ばれた大阪の様子を大店舗化した百貨店から見つめ直した。

 会場には同別館で使用されていた建築当時の木製ドアや時計などの実物を展示。かつて「百貨店通り」と繁栄した堺筋の姿を北浜にあった三越の写真パネルなどで振り返る。また、御堂筋へとメイン通りが移り変わっていく歴史も分かりやすく解説している。

 同館の高井多佳子研究員は「百貨店の歴史と大阪の成長とは切り離せないことに焦点を当てた。高島屋、三越、白木屋から、阪急、阪神などのターミナル型百貨店へと変遷していく姿を展示から感じ取ってほしい」と話している。

 同展では4月10日に京都華頂大学の川島智生教授、6月12日に近畿大の高岡伸一准教授による講演会を開催。5月9日までを第1部とし、21日から7月4日までの第2部では一部、展示を変更する。4月3日と6月5日には同別館の見学ツアーも予定している。

 午前10時〜午後5時。休館日は火、水と5月12〜20日。入館無料。問い合わせは電話06(6632)9102。

3077名無しさん:2022/03/23(水) 18:47:57 ID:NrdB.GxU0
【世界遺産】百舌鳥・古市古墳群から造営の倉庫とみられる跡発見 巨大古墳の造営に関わる貴重な成果
3/23(水) 18:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/043c4b3eda9f6d3c6d70ebac5b67d5af015863a6

読売テレビ

 世界遺産の百舌鳥・古市古墳群のひとつで大阪府藤井寺市にある巨大古墳・津堂城山(つどうしろやま)古墳を造営するために使われた倉庫とみられる建物の跡が23日までに見つかった。

 藤井寺市の津堂遺跡で見つかったのは約1600年前に作られたとみられる7棟の建物の跡や土器。出土した土器が約1キロ離れた百舌鳥・古市古墳群の1つ、津堂城山古墳のものと似ていることから、古墳を作る際の道具などを入れていた倉庫の可能性が高いとみられている。

 津堂城山古墳は全長200mを超える大規模な前方後円墳で、当時の大王クラスの人物が葬られた墓と考えられている。巨大古墳の造営に関わる建物の跡が出土するのは珍しく謎が多い大阪の古墳群の時代を解明する上で注目される。

 現地説明会は今週土曜日(26日)に開催される。

3078名無しさん:2022/03/23(水) 19:14:51 ID:NrdB.GxU0
貴重な発見か 発掘調査で見つかった建物跡 世界遺産「津堂城山古墳」造るためだけに建てた倉庫群の可能性 大阪・藤井寺市
3/23(水) 16:19配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd9829b498bba371341e314af3c6aa306ca53a04

藤井寺市津堂で行われている発掘調査で見つかった建物跡は、世界遺産にも登録されている前方後円墳『津堂城山古墳』を造るためにだけに建てられた、極めて珍しい倉庫群の可能性があることがわかりました。

発掘調査は府道大阪羽曳野線の建設に伴い2021年8月から行っていて、一緒に見つかった土器などから、4世紀の後半の遺構と考えられるということです。

見つかった7棟の建物の柱の穴は、一辺が80センチ前後の正方形で、規則正しく同じ間隔で掘られていることから、いくつもの建物が同じ方向にそろって並んでいることがわかりました。

また、非常に丁寧な工法で柱を埋めた形跡があり、頑丈な建築物であったと想像されることから、住居ではなく、重たい物資などを保管する倉庫であることがうかがえるということです。

遺跡の約1キロ東には津堂城山古墳があり、今回見つかったものとよく似た土器が多数出土されています。

このためこの遺跡は古墳を造るにあたって、必要な物資を蓄えるために一時的に存在した倉庫群だった可能性があるということです。

発掘調査をしている大阪府教育庁によると、古市古墳群の中で最も古い前方後円墳『津堂城山古墳』を造るためだけにこのような大規模倉庫群が建てられたとすると、墓に葬られた人物像を解き明かす上でも貴重な発見だとしています。

※津堂遺跡の調査について現地説明会が行われます。
・日時:3月26日(土)13時〜15時
・場所:藤井寺市津堂4丁目発掘現場
・お問い合わせ 072-959-7728
 津堂遺跡現場事務所 https://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/tsudo_gensetsu.html

ABCテレビ

3079名無しさん:2022/03/23(水) 19:15:53 ID:NrdB.GxU0
秋田市で北前船寄港地フォーラム 食文化テーマに意見交換
2022年3月19日 掲載
https://www.sakigake.jp/news/article/20220319AK0029/

江戸・明治期に北海道と本州の交易を支えた「北前船」ゆかりの地が交流する第30回北前船寄港地フォーラムが19日、秋田市の秋田キャッスルホテルで開かれた。寄港地の自治体関係者ら約300人が参加し、北前船が運んだ文化をテーマに講演やパネルディスカッションを行った。秋田県や秋田市、秋田商工会議所などでつくる実行委員会の主催。

今年は江戸時代の豪商・河村瑞賢(ずいけん)が日本海、瀬戸内海を経て大阪に至る航路を確立し、350年の節目に当たる。

フォーラムでは、北前船が隆盛を誇った1871年に福井県敦賀市で創業した昆布店・奥井海生堂の奥井隆社長と、京都市の老舗料亭・菊乃井の村田吉弘社長が、「日本の食を世界に」をテーマにそれぞれ講演した。

3080名無しさん:2022/03/25(金) 23:45:11 ID:NrdB.GxU0
厳かに「日想観」 四天王寺で彼岸の伝統行事
2022年3月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220325/20220325036.html

 「春分の日」の21日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で、彼岸の中日の伝統行事「日想観」が厳かに行われ、多くの参詣者が真西に向かって伝統行事を見届けた。

 同寺の西門が極楽浄土の東門に通じるとの信仰にちなむ行事。春と秋の彼岸の中日にのみ境内西端に建つ石鳥居(重要文化財)の中央に夕日が落ちることで知られ、古来人々が極楽往生を祈願したと伝わる。

 夕刻の法要では西大門(極楽門)前に多くの人々が参列し、同寺僧侶に合わせて般若心経などを唱えた。同日はあいにく雲に阻まれて夕日が見られなかったが、心の中に夕景と極楽浄土を思いながら手を合わせた。

 導師の瀧藤尊淳執事長は法話の中で、4月まで続く100年に一度の一大行事「聖徳太子千四百年御聖忌慶讃大法会」について解説。「御聖忌を機に太子の威徳をしのび、和の精神を今後何百年も継承していきたい」と話した。

3081名無しさん:2022/03/27(日) 22:41:29 ID:NrdB.GxU0
曜変天目茶碗を展示 藤田美術館が4月開館
2022年3月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220327/20220327033.html

 2年前の夏に新築後、館内の空気環境整備に時間をかけていた大阪市都島区の公益財団法人「藤田美術館」(藤田清館長)が予定通り4月1日に開館することになり、関係者内覧が行われている。

 同館には現在、実業家で男爵だった藤田傅三郎と長男の貴族院議員・平太郎、次男の実業家・徳次郎の東洋美術を中心としたコレクションが約2千件あり、国宝9件、国重要文化財53件と民間所有ではトップクラス。

 新たな美術館は三つの特徴がある。まず年末年始を除いて休まない地域の公共施設として機能、次いで入場料を千円、19歳以下無料とし、幼い頃から美術品に触れてもらう機会の提供、最後にキャプション非標示や入館料キャッシュレス化などスマートフォン向けアプリ機能をフルに生かした現代的な公開形態。

 館内入り口には“あみじま茶屋”と名付けた喫茶カウンターを設置。抹茶と地元和菓子店指導によるだんごのセットを500円で提供。地元民の憩いの場として機能させる。

 展示は常に3テーマをコーナーで用意。1カ月ごとに1テーマずつを変更し、3カ月ごとに訪れれば常に全てが新しい展示になるように工夫されている。開館記念の4月は、「国内に三碗しかない」と言われる国宝「曜変天目茶碗(ちゃわん)」(中国南宋時代)と、同館が12巻全てを所有する国宝「玄奘三蔵絵」第1巻(鎌倉時代)が展示される。

 午前10時〜午後6時、問い合わせは電話06(6351)0582同館。

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3083名無しさん:2022/04/04(月) 04:23:41 ID:NrdB.GxU0
大阪 四天王寺で世界平和を願い書家が揮ごうする催し
04月02日 18時32分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220402/2000059698.html

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中、大阪の四天王寺では、大きな和紙に世界平和の願いを揮ごうする催しが行われました。

この催しは、平和を訴える活動をしている「和プロジェクトTAISHI」という団体が企画し、全国38か所の寺院で行われています。
このうち、聖徳太子が建立したと伝わる大阪の四天王寺では、書家の千秋育子さんと丸山茜葉さんの2人が世界の平和を願い、揮ごうしました。
このうち、千秋さんは、縦1メートル70センチ横1メートルの大きな和紙に、2つの筆を使い分けながら、「調和」という意味の「harmony」や「寛容」という意味の「forgiveness」など、「和の精神」を英語で揮ごうしました。
また、丸山さんは、聖徳太子が唱えたとされる「以和為貴」ということばを力強く書き上げました。
揮ごうのあと、千秋さんは「和の精神があれば、戦争は起きないと思うので、多くの人に伝わるように英語で書きました」と話していました。

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3090名無しさん:2022/04/10(日) 22:34:29 ID:NrdB.GxU0
十二単や白無垢 華やか 旭通商店街が撮影会
2022年4月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220408/20220408031.html

 守口市土居町の守居神社で、地元の旭通商店街(渡壁友子理事長)が主催する和装ウエディング撮影会があった。プロカメラマンが紋付きはかまの新郎と、白無垢(むく)、色打ち掛け、略式の十二単(ひとえ)など6種類の婚礼衣装を身にまとった新婦を撮影した。

 4日に開催。今年2月に同市広報誌のアンケートで市内在住の参加者を募集し、応募82組の中から6組12人を抽選した。

 新婦は豪華絢爛(けんらん)な衣装に加え、伝統的な和の髪形「文金高島田」や宮中に仕える女性の儀式の際の髪形「おすべらかし」に整髪。神社に面した商店街の買い物客など多くの人々が足を止め、新郎新婦の門出を祝った。

 渡壁理事長は、ブライダル事業を手掛ける「美と友の会」と協力して「コロナ禍で結婚式が挙げられなかったが写真は残したい」という夫妻の願いを実現。伊藤直樹さん・めぐみさん夫妻は「和装にあこがれていたので夢がかなった」と、お互いの晴れ姿に目を細めていた。境内の随所では親族や関係者らとの記念撮影も繰り広げられ、大いに盛り上がった。

3091<削除>:2022/04/11(月) 23:45:04 ID:d5d8EUtg0
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3092名無しさん:2022/04/13(水) 06:52:23 ID:NrdB.GxU0
ええやん!この街 大阪狭山 日本最古といわれるものが
04月12日 19時23分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220412/2000060064.html

「ええやん!この街」。
今回行ってきたのは大阪狭山市です。
市の中心部には、日本最古といわれるものがあり、自然をたっぷり感じて来ました。

3093名無しさん:2022/04/25(月) 00:14:14 ID:NrdB.GxU0
大阪歴史博物館で浮世絵師が描いたなにわ百景展
04月24日 07時50分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20220424/2000060482.html

江戸時代に葛飾北斎などの浮世絵師が描いた大阪の絶景などを紹介する展覧会が大阪・中央区で開かれています。

この展覧会は、江戸時代に描かれた浮世絵などを通じて当時の大阪の町や生活の様子を知ってもらおうと、大阪歴史博物館が開いているもので、およそ230点が展示されています。
このうち、葛飾北斎の「諸国名橋奇覧摂州天満橋」は大阪の代表的な夏祭り、「天神祭」の風景を描いていて、橋の下では「船渡御」の船が行き交い、橋の上は多くの見物人でにぎわっています。
また、歌川芳梅と芳豊が手がけた「滑稽浪花名所」のシリーズでは、屋形船を乗り降りする人や花火を見ていた人に起きたハプニングなどがおもしろおかしく描かれています。
島崎未央学芸員は「展示を通じて、江戸時代の人がどのようなことを考え、どういったことにおかしみを感じていたのか、知っていただけると思います。多くの方に見てほしい」と話していました。
この展覧会は6月5日まで開かれています。

3094名無しさん:2022/04/28(木) 11:16:52 ID:NrdB.GxU0
29日から大古本祭り 四天王寺、3年ぶり
2022年4月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220422/20220422032.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で「四天王寺 春の大古本祭り」(同寺、関西古書研究会共催)が29日〜5月5日に開催される。

 大阪を中心とする古書店のテントブースが並び、文学や歴史、芸術などあらゆる分野の古書類を販売する。新型コロナウイルス感染拡大を受け中止が続いており、春開催は3年ぶり。

 毎回「特集」として各店が統一テーマを決めて関連書籍を展示販売しており、今回は「木版・摺(す)りもの」がテーマ。好評の絵本・児童書コーナーや100円均一コーナー、スタンプラリーも予定している。

 午前10時〜午後5時(最終日は同4時)。問い合わせは電話072(994)8852、事務局(大仙堂書店)。

3095名無しさん:2022/04/28(木) 11:33:12 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子1400年忌「聖霊会」 魂慰める、大阪・四天王寺で
2022年4月22日 18:38
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220422/20220422092.html

 聖徳太子(574〜622年)が6世紀に創建したとされる大阪市天王寺区の四天王寺で22日、聖徳太子千四百年忌の「御聖忌慶讃大法会」の結願となる「聖霊会」が執り行われた。太子の魂を慰める1年で最も重要な法要で、華やかな装束をまとった人たちが石舞台で舞楽を奉納した。今年は古いやり方にのっとり、例年よりも規模を大きくした。

 石舞台の四隅には曼珠沙華をかたどった大きな作り物が置かれ、「天王寺楽所雅亮会」が重要無形民俗文化財の「聖霊会の舞楽」を披露した。

 太子の「お目覚めの舞」と伝わる「蘇利古」では、人面が抽象的に描かれた「雑面」を着けた5人が優雅に舞った。

3096名無しさん:2022/05/05(木) 12:55:53 ID:NrdB.GxU0
二十五菩薩厳かに 大念佛寺で「万部おねり」
2022年5月3日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220503/20220503028.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺(吉村※英管長)で、伝統行事「万部おねり」が1〜5の5日間の日程で行われている。二十五菩薩(ぼさつ)が厳かに練り歩く供養が繰り広げられ、多くの参詣者が、現世から極楽浄土へ導く様子を再現した光景を見守っている。

  「二十五菩薩聖聚(しょうじゅ)来迎会(え)」「阿弥陀経万部会」が融合した行事で、数多い同寺の年中行事の中でも最大規模を誇る。2002年度に大阪市無形民俗文化財に指定。今年は新型コロナウイルス禍の影響で3年ぶりの一般公開となった。

 本堂の周りでは諸講元や僧侶のお練りに続き、観世音菩薩など二十五菩薩が順次登場し、きらびやかな装束姿で渡御を繰り広げた。

 万部おねりは午後1時〜3時半。午前中は日替わりで歌舞や声明、雅楽などの奉納行事が行われている。

 ※は日ヘン章

3097名無しさん:2022/05/05(木) 12:57:33 ID:NrdB.GxU0
桂吉弥13年連続独演会 新作や対策「らくだ」など
2022年4月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220429/20220429036.html

 上方落語界で中堅クラスをけん引するニューリーダー桂吉弥(51)が、5月14日に大阪・サンケイホールブリーゼで開く13年連続の「桂吉弥独演会」に臨む意気込みを語った。

 今年の演目は、1月にネタおろししたばかりの毎年恒例の干支(えと)にちなんだ新作「トラちゃん」に、大師匠・米朝譲りの大作「らくだ」をサゲまで、女性の焼きもちをテーマに女役が魅力の「悋気(りんき)の独楽(こま)」の3席。

 「トラちゃん」は実在の阪神タイガース球団マスコットキャラクター・キー太が主人公。その頑張りに触発され、チームはぶっちぎりで優勝-という夢物語で、大の阪神ファン吉弥が昨年のチーム躍進から構想を練り上げた。「まさか開幕からこないに負けるとは…」と当日まで気が気でない様子。「らくだ」は歌舞伎にもなっている長い話で、通常の高座では到底収まらないが、独演会のトリならではで、中入り後はこれだけの上演という熱の入れよう。

 3番弟子の弥壱を初めて開口一番に起用、吉朝門下のおとうと弟子・吉之丞も6年ぶりに呼んだ。「弟子や後輩を育てる、というより彼らが舞台そでで見たくなるような高座を僕が務めたい」と真剣な表情。すぐに「舞台そでと言えば…」と話題を移し、吉本興業の「伝説の一日」で30年ぶりに30分の漫才を演じたダウンタウンを指して「僕も見逃し配信のチケットこうて見ました」と前置きし「すごかったですねぇ。あの息と間で落語やれたらなぁと思てしもた。NGKの舞台そで、後輩や吉本の方で鈴なりやったそうで」と、芸向上に貪欲で真面目過ぎる一面をのぞかせた。

3098名無しさん:2022/05/22(日) 17:53:43 ID:NrdB.GxU0
戦死の地で悼む 厳かに「幸村祭」 安居神社
2022年5月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220516/20220516021.html

 「大坂の陣」の奮戦ぶりで知られる信州上田の武将・真田幸村戦死の地とされる大阪市天王寺区の安居神社(中島俊幸宮司)で5日、恒例の慰霊祭「幸村祭」が執り行われた。新型コロナウイルス禍の影響で氏子など一部の関係者のみが参列し、境内・座像前に設けられた祭壇に手を合わせた。

 大坂夏の陣(1615年)終盤の激戦となった「天王寺口の戦い」で戦死した幸村を悼み、同神社が長年手掛けている伝統行事。

 座像前では祭主の松本優美禰宜(ねぎ)による祝詞奏上などに続いて、参列者数人が厳かに玉串をささげた。

 コロナ禍を受けて今年も歴史解説など恒例の神賑行事が取りやめとなった。中島宮司は「来年こそは行事が復活できるように状況が落ち着くことを祈りたい」と思いを込めた。

3099名無しさん:2022/05/22(日) 17:57:25 ID:NrdB.GxU0
大阪の新聞 歴史解説 新風書房代表福山さん講演
2022年5月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/220519/20220519036.html

 戦後の大阪の新聞の歴史をテーマにした講演会が東大阪市の市文化創造館であった。新風書房(大阪市天王寺区)代表で新聞・自分史研究家の福山琢磨さん(88)が自身の新聞制作体験も交えながら、多様な新聞が歩んだ歴史について解説した。

 東大阪新聞(小野元裕社長)の創刊90周年として7日に開いた。福山さんは、1県1紙を基調とする戦時中の新聞統制によって約800紙から約50紙に統合されていった経緯を紹介。帝国新聞を原点とする大阪日日新聞も、夕刊大阪、関西中央などの数紙とともに大阪新聞に統合された例にも触れた。

 福山さんは戦後に復刊・創刊された新聞を列挙する中、自身がかつて勤務していた国際新聞を紹介。経営者が台湾出身者であったため、占領下の大阪で早々に発行が許可された点や、「刷り上がりを一刻も早く駅に届けて売り場のスペースを確保するためにサイドカーに飛び乗った」「鉛版の文字をノミを使って修整した」といった多くの思い出を披露した。

 このほか中河内エリア(東大阪、八尾、柏原市)で発行されている東大阪新聞など多くの地域紙が存在し、読者に親しまれていることも解説した。

3100名無しさん:2022/05/22(日) 18:31:12 ID:NrdB.GxU0
大阪で川端康成没後50年展 小説「古都」の苦労話紹介
2022年5月17日 14:40
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/220517/20220517064.html

 作家川端康成の没後50年に合わせ、小説「古都」執筆時の苦労話などを紹介する特別展が、少年期を過ごした大阪府茨木市の川端康成文学館で開かれている。29日まで。

 「古都」は京都の呉服商の一人娘が祇園祭の夜、生き別れた双子の村娘と偶然出会う物語。揺れ動く人間模様が京都の文化や景色と共に描かれている。1961、62年に朝日新聞で連載された。

 特別展では川端が毛筆で書いた「古都」の書など約40点を展示。川端が「京都といっても、ところによって多少ことばが違うようで、私には書き分けられません」と執筆に苦戦したことを吐露する文章も紹介している。

3101名無しさん:2023/06/10(土) 20:28:03 ID:NrdB.GxU0
伝統行事「愛染祭」迫る 露店6年ぶり一部復活 祭りの幕開け華やかに
2023年06月02日
https://www.nnn.co.jp/articles/-/56567

 “愛染(あいぜん)さん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺支院愛染堂勝鬘(しょうまん)院(山岡武明住職)で30日〜7月2日に伝統行事の「愛染祭」が執り行われる。諸事情で2018年から取りやめていた露店を6年ぶりに一部復活。愛染娘9人による初日恒例の「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」も繰り広げながら大阪の夏祭りの幕開けを華やかに飾る。

 愛染祭は縁結びや商売繁盛の御利益で知られ、2014年度に「勝鬘院の愛染まつり」として市指定無形民俗文化財となった。

 30日は宝恵駕籠パレード(正午にてんしばを出発)、夏越(なご)しの祓(はら)え大法要(午後3時)を実施。3日間とも秘仏「愛染明王」「大日大勝金剛尊」を特別開帳するほか、愛染娘が午後6時から浴衣姿の参詣者(各日先着100人)へ特製腕輪「ラブ・ブレス」をプレゼント。好きな人などの似顔絵を描いて奉納する新たな「縁結び絵馬」も登場する。

 山岡住職は「コロナ禍が落ち着いたタイミングで大阪に元気を取り戻そうという気持ちを込め、お祭りの質を良くしながら段階的に復活させたい」と話し準備を進めている。

 開門時間は午前10時〜午後9時。問い合わせは電話06(6779)5800、愛染堂。


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