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本迹に関して対話するスレッド

1沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/10(月) 09:52:02 ID:AJ3hr85o0
 最近、私の問いかけにより、本迹論議が起きています。
 未だに論調が幼い感が否めません。
 このままでは世間様に学会員の教学と対話のレベルが疑われてしまうでしょう。

 いい機会ですのでスレッドを立てました。

 誹謗中傷は禁止。
 決め付けは駄目。

 戸田先生の仰せです。

 『御書を読むのに、これは絶対こう言う意味だ。はいけない。
 御本仏様のお書きになられたものを私共が決め付けることは謗法です。ここはこう拝せる。
 これが正しい読み方である。』(趣意)

 この点は守っていただきます。
 それと、御書や先生の指導、世間の学説などを引用する際、このスレでは趣意結構です。
 一字一句にこだわる方は他所でおやりください。

 では、皆様方のご意見をどうぞ。

127蘭太郎:2008/11/16(日) 23:30:43 ID:obDPCy620
>>114 あっ そうか!

ホーホケキョは うぐいすじゃん。(-_-;

じゃ 沖浦さんが正しいんだよね、
ごめんね、確かめもせずに知ったかぶりして書いちゃって。

でもさ、本迹の相違は学生の喩へより良く分かるでしょ?
蓮祖は天地の違目と仰せです、勉学遊興の比ではありませんよ。
本と迹は優劣では語れぬ、また勝劣以上の差異があるのです。

128★ホセ・ラサール★ ◆4cVqan2W..:2008/11/16(日) 23:52:37 ID:hihFB6a2O
時乃旅人さん、

沖浦さんは、全てを公開しています。

ひとり二役をやるような人ではありません。
だからこそ、功徳を頂いているのですよ。

おやすみなさいませ。

129やまいぬ。:2008/11/17(月) 00:07:48 ID:S.90ttVo0
沖浦先輩。

余程お望みのようですので、

>それと、御書や先生の指導、世間の学説などを引用する際、このスレでは趣意結構です。

この「趣意可」の規定の最大効果と、そのような曖昧極まる書き込みをお続けになった
先輩の手法をそのまま真似て、今回の「自分が本、蓮祖が迹。」というあなたの断定の
真偽について、魔法のように一瞬で決着させてみせましょう。

『もし今後、学会に居ながらロクに学会活動もせぬくせに、自己顕示欲に迷って「我こそは
真の学会員也」などと称し、本心において学会員を馬鹿にし軽んじ、あまつさえ
「自分が本、蓮祖が迹。」などという世迷言を抜かす者が出て来たならば、この者は
その瞬間に魔物でありサタンである!』(戸田先生指導・趣意)

私の勝ちです。

沖浦先輩、あなたが繰り返してきた「趣意」なる逃げ口上の使い方をそっくり真似ただけですよ。

先輩、まさかあなたは私の上記の「戸田先生の指導」の資料提示などは望まれませんよね?
もしそれを望むなら、今まで先輩がお書きになったすべての「趣意」付きの指導に関し、
私より先に提示する義務と責任が発生します。

沖浦克治という丈夫が、まさかひとにのみ望んで、先からの自分の書き込みに関する責任は
逃れようとはなさいませんものね?

お望みになられた通り、この沖浦板Ⅱで決着させて頂きました。

131沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/17(月) 08:07:07 ID:AJ3hr85o0
 貴方が勝ちましたか?
 で、判定者である民衆はなんと言っておられますか?
 
 やまいぬさん。
 貴方レベル低すぎます。

 私はね、既に表明しておりますが、ネットで先生のご指導を引用する際、音源を全て持っているものを引用しております。
 ですから、お疑いの方に確認をしていただいて結構です。
 このように宣言しております。
 拙宅には師匠の昭和52年53年の先生のご指導がそろっています。
 貴方もいつでもどうぞ。

 これはね、本名を公開し、連絡先、住所、映像まで明らかにしている私の権利ですね。
 ハンネのかくれて物陰から同士批判をする、創価学会に弓を引く人たちには絶対に出来ません。

 貴方、やったら??

 今、創価学会はハンドルネームで他者を攻撃する風潮を何とかすべく、ラジオコマーシャルを流しています。
 貴方方の事なんですよ。
 ところが、愚か者がいて、それは私だと言ってます。
 この人たちは悩乱していますね。
 ハンドルネームで!!
 です。
 私ね、生まれて一度もハンネ付けてません。
 最初から本名で、住所氏名生年月日、連絡先公開のネットです。

 貴方やってごらん。

132沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/17(月) 08:10:25 ID:AJ3hr85o0
 蘭太郎さん、おはようございます

 別に謝るほどのことじゃないですよ。
 間違えは誰にでもあります。
 大聖人様の御書も間違えて書き直された所があるんです。
 一番いけないのは他人の単純ミスをあげつらい、それをたてにして勝った勝ったと浮かれる連中です。

 ここにも一人参入しましたし。
 小野さんところには、恋さんを始めとしてたくさんあつまってます。
 類は友を呼ぶですね。

133沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/17(月) 08:47:23 ID:AJ3hr85o0
 やまいぬさん

 判定はね仏法律です。
 因果の理法ですよ。

 私が師匠のご指導を自分勝手に嘘をついて引用しているなら、厳罰が下ります。
 避けがたい事実なんですよ、これは。
 私はね、大罰から立ち上がるとき、

 ネットで実名でなかったらここまで責められなかった。
 でも、この事実からは逃げられない、だからこの件もネットで逐一報告私ながら宿命転換をして創価の実証を示そう。

 決めたんですよ、以来絶対に逃げない人生です。
 その後、師匠のご指導を趣意で引用し続けています。
 功徳の花が咲きました。

 やまいぬさん、貴方はありもしない戸田先生のご指導をでっち上げました。
 大きな謗法です。
 戸田先生が、サタン、魔物と言うお言葉をお使いになられたのは原爆宣言だけです。
 この時、戸田先生は、原水爆の使用者は死刑にせよ!
 と、叫ばれました。
 蓮祖が、邪教の僧をユイノ浜で頸をはねよ。と言われた事と同じです。
 師と御本仏様が人生で一回だけ使われた死刑の言葉。
 前提になる人類滅亡の危機。
 貴方はこの悲痛なまでのご本本仏様と、創価創立の父であられる戸田先生の命の叫びを、自己の正当化のために歪めて引用されました。

 事ここに至っては残念ですが、貴方は池田先生の弟子ではないと宣言いたします。
 非常に残念な思いです。
 どうか、信心根本に立ち直って下さいませ。

134沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/17(月) 08:53:48 ID:AJ3hr85o0
 原水爆禁止宣言1957−9−8


 天竜も諸君らの熱誠にこたえてか、昨日までの嵐はあとかたもなく、天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後も、当然、難があるであろう。あるいは、わが身に攻撃を受けることも覚悟のうえであるが、諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。

 前々から申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもない。これは、私たちが絶対にやらなければならなぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。

 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓辞にかえるしだいであります。


於 神奈川県横浜市三ツ沢陸上競技場

135宿望:2008/11/17(月) 22:03:43 ID:yuVRhKEI0
やまいぬ。のようなチンケな人間のいう事なんか誰が信じるか!

沖浦さんは本名出して体験語ってるんだ!嘘つけば直ぐばれるよ!

やまいぬ。はさも学会活動を死に物狂いでやっているようなことかいてるが、女子部の気をひきたいだけのスケベな壮年部の命丸出しだ!

しかも実名でないことをいいことに、仕事をがんばっているかのような書き込みも行っている。

沖浦さんは実名で体験語っているのに対して、やまいぬ。がハンドルネームでいくら仕事が忙しいふりをしたって、そんなもの誰も信じてないよ。
しかも部下に休んでもらうために、自分が休日出勤しているかのような、嘘八百の書き込みに腸よじれるね!

やまいぬ。のような口汚い人間が、部下のことなんか思う人間には到底思えない。

嘘に決まってる。

ハンネだから自分の理想像を投稿しているだけだろう。

大体仕事の忙しい人間が、こんなに頻繁にネットに投稿できるわけがない。

阿部日にしても、やまいぬ。にしても、自分はいかにも仕事や活動をがんばっているかのように書き込みしているが、実はネットに張り付いている単なるネットオタクだと皆思ってるよ!

沖浦さんとの勝負なんか、やる前から決まっていて、やまいぬ。の負けだ!

136日々朗らか(決意):2008/11/17(月) 22:09:49 ID:8FNX.yWoO
>>135

まずは、自己紹介してくらはい(-.-)。

説得リョクありません(-.-;)。

137沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/17(月) 22:17:07 ID:AJ3hr85o0
 宿坊さん

 自己紹介をどうぞ。

138やまいぬ。:2008/11/17(月) 23:07:51 ID:S.90ttVo0
>貴方が勝ちましたか?
はい。(^^)
あなたが逃げ道として使い続けた「趣意」の2文字を最大活用し、私の合意なくあなたが決めた
ルールに従っての、一点の曇りもない完勝です。
これが今現在の、沖浦克治さんの現実です。

 >で、判定者である民衆はなんと言っておられますか?
誰でしょう?(^o^)

>やまいぬさん。貴方レベル低すぎます。
謹んで先輩に、そっくりお返し致します。
あなたの一方的に決めたルールで私の完勝――あなたは最早、1文字書けば書いた分だけ全部
完敗した泣き言となります。沖浦克治という丈夫のすることではありません。

>私はね、既に表明しておりますが、ネットで先生のご指導を引用する際、音源を全て持っているものを
>引用しております。
ほう? あなたは「法華経の智慧」を引用されましたね?
池田先生や教学部の2人とともに、あなたはその場にいて録音でもされたと?(^^)
あれ? あなたにとって「先生」とは、池田先生ではないのですか?(^o^)

>ハンネのかくれて物陰から同士批判をする、創価学会に弓を引く人たちには絶対に出来ません。
実名だからこそあなたは3年前に学会に微かな傷をつけました。
何一つ反省なさっておられないようですね。

>私ね、生まれて一度もハンネ付けてません。
>最初から本名で、住所氏名生年月日、連絡先公開のネットです。
上記しました。それ故のあなたの大失敗です。

>貴方やってごらん。
私は学会で指導されてもいないような真似をして、実名故に学会に傷をつけるような真似は
お断り致します。

>私が師匠のご指導を自分勝手に嘘をついて引用しているなら、厳罰が下ります。
そうでしょうね。(^^)

>決めたんですよ、以来絶対に逃げない人生です。
どうせなら、先生仰せのように、学会同志に徹して尽くすと決意なさればよかったものを。

>やまいぬさん、貴方はありもしない戸田先生のご指導をでっち上げました。
>大きな謗法です。
あなたが「趣意」の2文字を使って、証明できない幾多の先生の指導を散々書き込んだことに比べれば、
さらに、「法華経の智慧」を引用しながら、子供でも解る文意を平然と捻じ曲げ、自分の都合のいいように
変えて、「自分は本、蓮祖は迹。」なる、いまだ阿部日顕しか云ったことのないのと寸分違わぬ
捏造教義を主張したことに比べれば、可愛いものですよ。(^o^)

>事ここに至っては残念ですが、貴方は池田先生の弟子ではないと宣言いたします。
学会同志を家庭訪問し激励するでもなく、学会のど真ん中で会員をリードするでもなく、
先生の思いを無視して支援活動もせず、つい最近まで本幹にさえ出席されなかった方から
そのように云われましても、正直、「はぁ、そうですか。(^^;」と苦笑するのみです。

宿望さんとやら、はじめまして。

悪いですね、泣こうと喚こうと、勝負は決したのですよ。
いいえ、沖浦先輩がいまだに根拠の出せない、「本迹」の説明すらできない、「自分は本、蓮祖は迹。」
なる主張をされた瞬間から、勝敗は既に決していました。
ちなみに私に関して、「やまいぬ。とは実際に会っているから信頼できる」とずっと主張してくださっていたのは
他でもない、沖浦先輩ご自身です。
そして書きました通り、若輩ながら私は先輩の“友”として、書くべきことを書いたまでです。

外野が騒げば騒ぐほど、先輩が惨めになることがお解りになりませんか?
残念ですね。

139沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/17(月) 23:24:39 ID:AJ3hr85o0
 やまいぬさん

 貴方がそれで満足ならそれで満足していればいいですよ。
 貴方は今後も日蓮正宗の伝統教学を追求されれば結構ですし、私は今後の世界広布への創価思想の確立を模索し続けます。
 双方立場に差がありますね。
 
 私はね、戸田先生の渾身のご指導を揶揄に使う貴方を、今後池田先生の弟子とは絶対に認めません。
 情けないですよね、貴方。

 ではこれで失礼致します。

140やまいぬ。:2008/11/18(火) 00:36:25 ID:S.90ttVo0
>貴方は今後も日蓮正宗の伝統教学を追求されれば結構ですし、私は今後の世界広布への
>創価思想の確立を模索し続けます。

「自分が本、蓮祖は迹。」とまで断定しながら、「では本とはどういう意味で、迹とはどのような
意味なのか?」すら、ただ1行とて書けないあなたが教学云々はなさらない方がよろしいでしょう。

いまのあなたにお出来になるのは、根拠の1行とてない邪義・己義のオン・パレードと、
自分にそれを問う人間への罵倒のみです。

いつからあなたはそこまで堕ちましたか?

>私はね、戸田先生の渾身のご指導を揶揄に使う貴方を、今後池田先生の弟子とは
>絶対に認めません。

今まで散々「趣意」の2文字で「先生の指導」と称して書き続け、出典を問われれば決まって
唖の如く黙り込み、「法華経の智慧」を持ち出したはいいが、子供でも解る文意まで捻じ曲げた上で、
遂には「自分が本、蓮祖は迹。」という恐るべき邪義まで云い出したあなたが「学会」だの「広宣流布」
だのは、あまりにも片腹痛い思いですね。

「蓮祖は迹」? 「蓮祖は迹」ですか? いつ・どこで先生がそのように仰ったのですか?
無論あなたの挙げられた「法華経の智慧」では全くそのようには仰せではありません。
そう「捉えたかった」のは、あなた自身です。

あなたをここまで貶めたのは、あなた自身の持つ強烈無比の自己顕示欲です。

学会のど真ん中で磨かれていれば、その自己顕示欲に我が身を焼かれることもなかったでしょうに。

いつの日かそのことにお気づきになり、先生の弟子の末端として、広宣流布の本流に
加わられますことを。

141沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/18(火) 06:08:30 ID:AJ3hr85o0
 やまいぬさん、おはようございます

 貴方は今修羅ですよ。
 祈るべき時です。
 貴方は御書も先生の指導も読めない。
 境涯がそこにあります。

 例えば、私は4年半前、大きな罰を受けました。
 全てが私の不徳ゆえです。
 その時実名でしたので、創価学会に大きなご迷惑をおかけいたしました。
 これを否定した事は一度もありません。
 ですから、この迷惑をはらさんものと、必死に祈り、今では世間の方々も、沖浦よく立ち上がった。と、ご評価をいただくところまで来ております。

 先日電話が鳴りました。
 4年前、石を持って追われたパワーリフティングの日本協会の会長でした。
 頑張ってるね、長野県を活性化してくれよ。
 俺も近いうちに白馬に一度おじゃまするから。
 です。
 うれしいですね。
 会長は、私が創価学会員なのを知っています。
 今この人の中の創価学会のイメージは確実に変わったでしょう。
 最近よく外部の方々から言われます。
 沖浦さんみてると、創価学会のイメージが変わります。
 せめてもの罪滅ぼしです。
 先生はね、仏法は今から先が肝要だ。と、それこそ何万遍もご指導です。
 過去にとらわれて生きる事はおろかです。
 本果妙と言います。
 対して大聖人様の仏法は本因妙です。
 どのような過去も転換が可能なんです。
 だから素晴らししいのですよ。
 所が、貴方は私の過去の過ちを未だに引っ張り出して責め、自分の優位性を保とうとしている。
 日蓮正宗ですよ、そのままです。
 貴方は身は創価におきながら、心は宗門に堕ちました。
 お気の毒です。

 今の貴方の境涯では、御書も先生のご指導もまともには読めません。
 ネットで浮かれるべき時ではありません。
 今こそ祈りの時ですよ。
 仏前に座って祈りなさい。
 
 それと、私は貴方方のレベルの自己顕示欲はありません。
 2000年のイタリアでの体験がそう言うものを変えてしまったのです。
 体験しない貴方には理解は出来ませんよ。

 では、祈りをどうぞ。
 頑張ってくださいませ。

142沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/18(火) 06:15:54 ID:AJ3hr85o0
 今、ネットで多くの扇動者がいて、本迹の定義も無く、付和雷同で浮かれ騒いでいます。
 
 そしてこの輩は、私が本迹の定義すら発表しないと、難癖を付けて跳ね回っています。
 愚かですね〜〜。
 私はね、2002年9月15日にネットをはじめました。
 正信掲示板がスタートです。
 すぐに創価学会員と衝突いたしました。
 私が仏は迹、人は本だと言ったからです。
 説明を求められたので、即答致しました。
 仏法は人の為の法です。
 ですから、人の幸福が目的で法が手段です。
 目的が本。
 手段が迹。
 
 以来6年間言い続けています。
 目的が本。
 手段が迹。

 仏法は何の為。
 この何の為が本です。
 それに至る方法が迹です。
 何度も定義しております。

 アレ達、読まないで文句言ってます。
 難癖の難癖たるゆえんですよ。

143沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/18(火) 07:04:39 ID:AJ3hr85o0
 仏が本で人が迹の考えの方に共通点があります。
 嘘つきなところですね。

 私が組織で真面目に活動する人を馬鹿にしている。
 だから仏が迹だ、なんて言う。
 こう言って難癖付けます。
 でも、私は真面目な創価学会の組織の方を尊敬しております。
 その旨何度も書いています。
 
 創価学会をみんなで考えよう(臨時版)から引用

351 : 沖浦克治:2007/07/31(火) 08:15:52
 創価学会員は、本当に強いですね。

 今朝婦人部の方が聖教新聞を配達にこられました。

 おはようございます、選挙ご苦労様でした。

 笑顔で挨拶をなさいました。

 この人も悔しかっただろうな。
 でもそぶりにも出さない。
 本当に立派な方だ。

 心から思います。

 創価学会は磐石ですね。

 よく池田先生のお元気な間にここまで来たものだ。

 今から御本尊様に感謝のお題目をとなえます。

 創価学会員でよかった。

 実感ですね。

 法論なんかで布教は出来ませんよ。

 所詮、今朝の婦人部のようなお方がどれほどいらっしゃるかです。

 私も樋田さんも、その点を心から反省すべきですよ。
 〜引用終わり〜


 ネッ、嘘つきでしょう。

144沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/18(火) 07:13:33 ID:AJ3hr85o0
 更に嘘つきの証拠ですよ・

>>貴方の人生では貴方が本、蓮祖は迹。

>ですから何度も書きます、あなたは今までただ1度として、「本とは何で、迹とは
何なのか」を教学的に文証を以てお書きになったことがないのですよ。

 やまいぬさんの嘘です。
 私は6年前から同じ本迹論を書き込み続けています。
 証拠に正信掲示板から引用致します。

2534 よしりん様 沖浦克治 2002/09/22 11:35
E-MAIL :
HomePage:

>このことは今年三月に学会本部より聖教にて通知ありました。その通りだと思います。

本部の通知に無関係に事実なのです。
あなたは明日違う通達が出れば、考えをコロリと変えるのですか?
そんな人でしたら議論をするだけ無駄というものです。

>、阿部さんのは、沖浦さんの主張されていることと矛盾しませんか?

悪人が造幣局で印刷した1万円と善人が印刷した1万円とあなたにとって価値が違うのですか?

>ただの末端会員です。という言い方はしない方が良いと思います。学会は会社組織ではありません。

末端という言葉は、池田先生もよくお使いになりますし、私は末端であることが誇りなのです。

>どちらが沖浦さまの本心なのか、よしりんには解りかねます。

どちらも本心です。
仏法は何故説かれるのでしょうか?
仏の偉さを教えるためでしょうか?
民衆を救済するためでしょうか?
民衆救済が目的であれば、仏は迹、衆生は本となりますね!
だから観心本尊抄ではなく、観心の本尊抄なのです。
大聖人の仏法では私たち人間が本であり、もったいなくもご本尊様は迹となります。
宗門はご本尊様が本で信者は迹、坊主が本で在家は迹、だから邪宗なのですよ。
大聖人様の教えに違背しているのですから、当然邪宗でしょう。
飛び入り様の投稿のなかのご指摘を今一度お読みください。
民衆が本という事は、大聖人のおおせの広宣流布を行っている民衆が存在する所が本となります、それ以外の団体は同じご本尊様を拝んでいても迹でしかありません。
迹を捨てて本につくことは、仏法者として当然でしょう。
御書には『浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり、浅きを去って深きにつくは丈夫の心なり』と説かれてあります。
浅き法華購を去って、深き学会につく以外にどんな方法があるのですか?
 〜引用終わり〜

145沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/18(火) 07:47:30 ID:AJ3hr85o0
 今ですね、私共を攻撃する創価学会員のような人たち。

 現実社会で何一つ勝利の実証が示せません。
 ネットでの能書きが、唯一現実逃避して威張れる場所です。
 情けないですよ。

 私と耕治は、ネットにリアルを持ち込んだ最初の部類の人間です。
 幻想で大口たたいて癒やし合ってる所に、現実の生活持ち込んだら嫌われるに決まってますよ。
 そんなの覚悟の上です。
 雨に濡れるようなもんです。

 大騒ぎして付和雷同して泣き叫ぶより、現実生活キチンとすべきです。

 夫婦仲悪いなら祈ってよくしよう。
 経済で恵まれないならお金儲けしよう。
 友人いないなら、作れる自分になろう。
 家が狭くて苦労なら広いとことに変わろう。
 子供が言う事聞かないなら、自分が立派になってお手本示そう。
 商売駄目なら、祈りでかえよう。

 これがね大聖人様の教えじゃないですか。
 広宣流布、世界平和、創価思想、御書講義、並べても自分が駄目で誰が信用なさいますか?

 『一切は現証には如かず善無畏一行が横難横死弘法慈覚が死去の有様実に正法の行者是くの如くに有るべく候や、観仏相海経等の諸経並びに竜樹菩薩の論文如何が候や』
 (教行証御書)

 今自分が直面している問題と戦わないで、御書引用して他人に話しても無意味なんですよ。

 『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか、』
 (種種御振舞御書)

 今自分の目の前の問題、それがその人の越えるべき山ですよ。
 広宣流布はね、その山の先にあるんです。
 先ず祈って超える。
 その為のご本尊様です。
 そのための創価です。
 そのための仏法です。
 その祈る自分が、本。ですよ。

 すぐに言い返します、現証だけじゃ駄目だ、理証と文証が無きゃいけない。
 とうぜんですよ。
 でもね、この人たちすぐに言います。
 現証ったって蔵の財じゃないか、心が最も大事だ。
 これも矛盾ですね。
 成功した結果は現証だが、劣る理証文証が無いと駄目。
 でもって、三種の財は心の財だけでいいんだぞ。
 狂ってますよ。
 心の財が最高なんだ、だからその手前の蔵の財も身の財も手にするぞ!
 こうなるはずでしょう、この人の意見なら。
 でも都合悪いと解釈の方向が正反対で平気なんです。
 無責任の御書利用ですね。

 河内さん、小野さん、鯖さん、恋さん、江戸門さん、もくれんさん、シビックさん、大壮年さん、天城さん、ひできさん、京都さん、その他の方々、信心の喜びの実証を全く書き込みなさいません。
 なのに理屈だけは一人前です。
 理屈で布教無理です。
 現実の社会での勝利の実証です。
 小野さんの板にも、楠板にも皆無です。
 これはね仏法じゃないんですよ。
 外道です。
 自分が身で示さなくてかまわない。
 蓮祖門下でも、池田先生門下でもありえません。

 この類の人たちの中傷批判、付き合う必要皆無です。

146時乃旅人:2008/11/18(火) 14:14:42 ID:z9ie3S860
>>142
>目的が本。
>手段が迹。
 
>以来6年間言い続けています。
>目的が本。
>手段が迹。

>仏法は何の為。
>この何の為が本です。
>それに至る方法が迹です。
>何度も定義しております。

へぇ。そうなんですか。
だから、

神戸でお世話になった『Mさんを騙る』ことは『迹』で
すぐ嘘がばれて、あかっ恥をかく沖浦さんが『本』なのですね。


その理論でいけば、『同志を告訴』が『本』になって、
『一度お会いしましょう』が『迹』になりますね。

この不景気に、沖浦さんは、『わたしの今年の純益3千万円』が『迹』で、
>沖浦さんは、全てを公開しています。ひとり二役をやるような人ではありません。
>だからこそ、功徳を頂いているのですよ。>>128
とホセ・ラサールさんが自画自賛したのが『本』なのですね。

ご自慢の『金メダル』が『迹』で税務署の『高額納税表彰』が『本』なのですね。

147時乃旅人:2008/11/18(火) 14:15:14 ID:z9ie3S860
いやあ素晴らしい。

この寒空に、沖浦さんの周りは春のようにあったかなんですね。
蛙も鳴いてるし、蝶も舞うような世界ですね。

あれっ?
この蛙はおもしろい鳴き声ですね。

蛙の新種ですか。
『ゲコゲコ』とは鳴かないで『ウッタエル ウッタエル』
と鳴いてますね。
ウッタエタガエルとして新種発見の申請をしてごらんになってはいかがですか。

蝶も新種でしょうか。
あっ!
これは新種じゃないですね。
国税蝶という怖い蝶で既に図鑑に載ってますね。

新種発見申請だしたら恥かきますねぇ。

148時乃旅人:2008/11/18(火) 14:39:21 ID:z9ie3S860
沖浦さん。
さようなら。
もう来ることもないよ。

149:2008/11/18(火) 18:07:12 ID:GzTbFjgs0
>>147
時乃旅人さん
素晴らしい文章力をお持ちですね。
私もその方の仕事ですので、貴方の能力が良く分かります。
惜しむらくは、その力で他人を楽しませる方向に使っていないことでしょうか。

独り言のスレの前のほうを探すと(探さなくてけっこうですが)
私が河内さんをカエルの歌で揶揄した投稿があります。
沖浦さんから、それを直ぐにたしなめられています。
ありがたいことでした。もし、それがなかったら
お調子に乗って、さらに続けて善しとしていたに違いありません。
他人を揶揄するものは、自分を辱めるのと同じだそうですよ。

特に教学上の見解は、違うからといって相手を愚弄しても何ら解決しませんね。
それは歴史的事実にしても、立場が変われば評価が違うのとよく似ています。
日韓中の学者が研究を重ねていても、なかなか統一見解が出せないのと同じですね。

私は「沖浦説」(こういう言い方は正しくないと思いますが)は、非常に合理的であると思っています。
人間が「本」曼荼羅は「迹」と考えることは、日常生活上で何か不都合を見出せますか?
私は現在の信仰の上で、なんら障害はありません。

沖浦説では、本迹は優劣や勝劣を言うものではないとの前提があります。
ところが、従来の本迹は勝劣を問う為に立てられていたと思います。百六箇抄の本迹はそれですね。
ですから、この立場では沖浦説を批判・非難する理由もあるわけです。
しかし、曼荼羅が本・人間は迹とするメリットは何ですか?
それは、なんども沖浦さんが批判してますから、私があえて言うまでもありません。

御本尊様に向かって真剣に題目を唱える。それが学会員の基本的な信仰ですね。
つまり、教学上の見解の差異なぞ、学会員としての立場を否定する要素ではないはずです。
したがって、ネットでの学会員としての言葉遣いは学会員としての振る舞いですから
立場が違うといった「個別対応」の問題ではなかろうと思います。

時乃旅人さんをお相手にして、私の現在の思いを述べさせていただきました。
ご迷惑だったことはお詫びしますね。
今日の11月18日を記念し、お互いの成長を祈って行きましょう。
さよならは言わないものですよ。

150沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/19(水) 06:30:06 ID:AJ3hr85o0
 時乃旅人さん、梅さん、おはようございます

 教義を自由に語れる時代がようやく幕開き致しました。
 喜ばしい限りですね。
 創価学会員はまだ教義を語り合う事に不慣れです。
 宗門別離してまだ20年、無理ないですね。
 私は30年以上以前から友人たちと自由に語り合っておりました。
 1日の長があるでしょう。
 原則があります。
 決め付けない。
 他の意見とは対話で望む。
 この二点です。
 でないと、破和合僧の大罪になります。

 それだけ守るなら、自由に論じるべきです。
 いい時代ですね。

151沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/19(水) 06:54:09 ID:AJ3hr85o0
 ネットで人の功徳を妬むのは、迹。
 共に喜ぶのは、本。

 ネットは、迹。
 現実生活での実証が、本。

 現実生活で役立つネットが、本。
 逃避して論じるだけのネットは、迹。

152沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/20(木) 07:43:11 ID:AJ3hr85o0
 人が本、仏は迹。
 は、大聖人様の教えです。
 私のものではありません。

 戒壇様本懐論は、仏(曼荼羅)が本。
 信徒(人)が迹。
 の代表です。

 でも、嘘ですね。
 大聖人様の御本懐はそうじゃないでしょう。
 金原さんが本までお書きです。
 一歩進めただけなんです。

 単純明快なんですよ。
 仏法は人のための教え。
 そうなれば、人の幸福が目的。
 法は全てそのための手段。

 AのためのBならば、Aが目的でBが手段です。
 家を建てるための足場なら、
 本が家。
 迹が足場。
 でも、足場と家とどちらが正しいんだ??!!
 なんて、浮かれ騒ぐ人見た事ないでしょう。

 何故こんな単純明快な文法が理解できませんかね〜〜??

153沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/21(金) 06:32:08 ID:AJ3hr85o0
 仏本人迹論は、仏法じゃないでしょうね。
 仏法は人を救済するための教えなんですよ。
 すると、目的が民衆救済になります。
 教えは手段です。

 目的が本。
 手段が迹。

 手段同士を相対比較すれば、
 目的にかなった手段が本。
 目的とそぐわない手段は迹。

 こうなりますね。
 
 仏本人迹論者の方、何か問題ありますか??

154やまいぬ。:2008/11/21(金) 12:17:37 ID:Z0E/aJZg0
実に2箇月ぶりの休日となりましたので、少し遊びに来ました。(^^)

>単純な事実ですね
>人が本、仏は迹。は、大聖人様の教えです。
>私のものではありません。

>本が家。迹が足場。

ですから――「本とはどういう意味で、迹とはどういう意味なのか」を、端的に教学的に
説明してください。(^^) あなたのはいつも、書きっ放しで根拠なし、なんですよ。(^^)
勝手な結論の連打ばかりで、根拠は全然ありません。(^^)

その上で――
では本尊は足場であり、いずれ取り除くべきものであるという文証を挙げてください。
簡単ですよね? 単純なんでしょうから。

>目的が本。手段が迹。
ですから――「本とはどういう意味で、迹とはどういう意味なのか」を、端的に教学的に
文証挙げて説明してください。(^o^)

>手段同士を相対比較すれば、
>目的にかなった手段が本。目的とそぐわない手段は迹。
>こうなりますね。

あれ? 今度は出鱈目な本迹相対ですか?(^^) どこにこんなことが書いてあるのか、文証を
どうぞ。(^^)

>仏本人迹論者の方、何か問題ありますか??
さて誰が「仏が本、人が迹」などと主張しているのでしょうか?(^o^)

あなたが過去に書いた「理の当然」は、あなたの修羅が招いた全くの出鱈目です。(^^)
あなたは道理の通らぬことを、根拠抜きに断定するばかりです。あなたの思いたいように。(^^)

誰かが「仏が本、人が迹」などと主張したという書き込みを、どうぞupしてください。
出来なければ、あなたはただのデマゴーグです。(^^)

>貴方は御書も先生の指導も読めない。
>境涯がそこにあります。

子供でも解る「法華経の智慧」の文意を、自分の思いたい形に添って歪曲したのは、他の誰でも
ありません、沖浦克治さん、あなたです。(^^)
上記2行――あなたなのですよ。

155やまいぬ。:2008/11/21(金) 12:18:28 ID:Z0E/aJZg0
>例えば、私は4年半前、大きな罰を受けました。全てが私の不徳ゆえです。
>その時実名でしたので、創価学会に大きなご迷惑をおかけいたしました。
>これを否定した事は一度もありません。
>ですから、この迷惑をはらさんものと、必死に祈り、今では世間の方々も、沖浦よく立ち上がった。と、
>ご評価をいただくところまで来ております。

沖浦先輩、何度も云います。若輩ながら友として申します。
あなたの決定的な欠落はここですよ。

聖教新聞に登場する体験談の諸氏たちとあなたの違いが解りますか?
仕事で躓いた、仕事で失敗した、大きな挫折を味わった――そこから立ち上がった方々はみな一様に、
学会活動のすべてを含む信心を、「全部」やり切ると決意したことから始めて立ち上がったのですよ。

「世法のことを世法で取り返す」――これなら、ではどこに「信心」がありますか?
別に学会員でなくとも、当たり前に世間でやっていることですよ。

「あれはやる、これはやらない」――それで復活した方の体験などありません。
「全部やると決意した」――これが、先生の指導通りというものです。

>先生はね、仏法は今から先が肝要だ。と、それこそ何万遍もご指導です。
>過去にとらわれて生きる事はおろかです。

違いますね。

仏法が何故「三世」という言葉を用いるかお解りでしょうか?
「現当二世」が「過去」をも変えるからですよ。

痛恨の過去に引きずられて、今と未来に価値を生まないならそれは反仏法であり反価値です。
痛恨の過去を忘れ去るのではなく、それまでの自分を反省し、だから実は決して過去を
忘れ去ることなく、自分を根本から変えて真実の価値を生む――これが創価思想です。

今と未来が大切だから、過去なんかどーでもいい――こんな能天気な話ではありません。
そして、では何を変えるのか? 「信心」ですよ。

あなたで云えば、「あれはやるけど、これはやらない」のあなたです。
「あれはやるけど、これはやらない」の根底にあるのは、心の奥底で「学会を舐めている」、です。
池田先生は戸田先生との関係の中で、戸田先生の仰ったことの、「あれはやるけど、これはやらない」
をやりましたか? 仰ってもいないことまでも全部、お二人にしか解らない凄まじい理解の中で、
全部「先んじて」までやられてきたのではないのですか?

これが「師弟」というものです。
「あれはやるけど、これはやらない」などという師弟など、どこに存在しますか?

支援活動をしないことは組織も認めているし自由だ。
――確かに自由ですよ。
「あれはやるけど、これはやらない。俺の自由だから」――全く結構ですが、そんな師弟など
ありませんから、金輪際「自分が池田先生の弟子だ」などとは仰って頂きたくありません。
世界中の池田門下に対して無礼です。

>でも、私は真面目な創価学会の組織の方を尊敬しております。
でもご自分ではその姿を真似て、先生の指導の如くはやってこられなかった訳ですね?(^^)

156やまいぬ。:2008/11/21(金) 12:19:03 ID:Z0E/aJZg0
>私は6年前から同じ本迹論を書き込み続けています。
>証拠に正信掲示板から引用致します。

えーっと、何も「引用」されていませんが?(^^;

しかも私の書いた通り、このスレッドにおいてまだあなたは「本とはどういう意味で、
迹とはどういう意味なのか」を、ただ1行として教学的に説明されておりません。

>やまいぬさんの嘘です。
あなたのことですよ、沖浦克治さん。(^^)

>民衆救済が目的であれば、仏は迹、衆生は本となりますね!
>だから観心本尊抄ではなく、観心の本尊抄なのです。
>大聖人の仏法では私たち人間が本であり、もったいなくもご本尊様は迹となります。
>宗門はご本尊様が本で信者は迹、坊主が本で在家は迹、だから邪宗なのですよ。
>迹を捨てて本につくことは、仏法者として当然でしょう。

ですから――「本とはどういう意味で、迹とはどういう意味なのか」を、端的に教学的に
説明してください。(^^) あなたのはいつも、書きっ放しで根拠なし、なんですよ。(^^)
勝手な結論の連打ばかりで、根拠は全然ありません。(^^)

>民衆が本という事は、大聖人のおおせの広宣流布を行っている民衆が存在する所が本となります
あれ? あなたは「自分が本、蓮祖は迹。」と断定されましたね?
蓮祖は「広宣流布をおこなっている民衆」の一人ではないのですか????

衆生には手の届かない絶対的な存在としての迹仏を否定し、衆生こそが仏であるというのが、
あなたが挙げた「法華経の智慧」の文意ですよ。そしてその中で蓮祖の「我ら衆生」という
蓮祖のお立場を明確に論じられております。
しかしあなたは「蓮祖は仏だから」と、あろうことか迹仏と並列にして、なんと
「自分は本、蓮祖は迹。」と云い切られた。
蓮祖が繰り返された「我ら衆生」という言葉の重みを完全否定された。

>民衆が本という事は、大聖人のおおせの広宣流布を行っている民衆が存在する所が本となります
先に問うた私の書き込みに返答なさいませんでしたね?
内証はどうあれ人間・蓮祖は、「衆生」ではないのですか? 蓮祖は「広宣流布を行っている民衆」の
最初のお一人ではないのですか? あなたにとってはやはり、過去の絶対的な迹仏とおなじなのですか?

「私は蓮祖を過去の迹仏と同じだと思っている。だから結論として“自分が本、蓮祖は迹。”と断定した。
それのどこが悪い? 自由ではないか」と公言なさればいいのですよ。(^^) まさにご自由ですから。
ただし――完全に蓮祖仏法からの逸脱ですが。(^o^)

157やまいぬ。:2008/11/21(金) 12:19:45 ID:Z0E/aJZg0
>今自分が直面している問題と戦わないで、御書引用して他人に話しても無意味なんですよ。
>『一丈のほりをこへぬもの十丈二十丈のほりをこうべきか、』
>(種種御振舞御書)
>今自分の目の前の問題、それがその人の越えるべき山ですよ。
>広宣流布はね、その山の先にあるんです。

御書を、ご自分の都合のいい箇所の都合のいい引用だけなさるのも、そろそろお止め頂きたい。(^^)

「悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る、誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば
風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならん、但し人の心は時に随つて移り物の性は境に依つて改まる、
譬えば猶水中の月の波に動き陳前の軍の剣に靡くがごとし、汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん」
(「立正安国論」)

だから学会のど真ん中で、師の仰せの通りと、みなとともに地道に闘い続ける必要があるのです。

「抑法華経を信ずる其の行相如何五種の行の中には先ず何れの行をか修すべき丁寧に尊教を
聞かん事を願う、聖人示して云く汝蘭室の友に交つて麻畝の性と成る誠に禿樹禿に非ず春に
遇つて栄え華さく枯草枯るに非ず夏に入つて鮮かに注ふ」
(「聖愚問答抄」)

「自分一人の人間革命」などありません。
「祈った」「功徳頂いた」――だから? それで?
それで終わりなら十界は要りません。(^o^) 天界までで充分ですね。蓮祖仏法否定です。

何度でも書きましょう。

「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」

真っ直ぐに学会のど真ん中で祈って闘えば、功徳など「もう要らん。(^^;」というくらい頂けます。
何のための功徳なのか? すべて広宣流布のための付録みたいなもんです。
根本は、「師の仰せの通りに闘って生き切る自分」であるかどうかがすべてです。
付録など、「有難うございます。(^^)」と歓んで頂戴して、それだけのことですよ。(^^)

158やまいぬ。:2008/11/21(金) 12:27:00 ID:Z0E/aJZg0
ああ、ついでです。(^^)

>本が家。迹が足場。
>目的が本。手段が迹。

はぁ、蓮祖は「取り除くべき足場」、蓮祖は「手段」ですか。

先輩、どこまで狂乱されますか?

159★ホセ・ラサール★ ◆4cVqan2W..:2008/11/21(金) 23:16:42 ID:hihFB6a2O
曼陀羅本尊が本、
衆生が迹と邪儀害毒を振り撒いている人こそ、知ったかぶりのはんかくさい者が多いということなんですね。
勉強になりましたね〜!感謝!

160やまいぬ。:2008/11/21(金) 23:40:18 ID:Z0E/aJZg0
ホセさん、はじめまして。(かな?(^o^) )

>曼陀羅本尊が本、衆生が迹と邪儀害毒を振り撒いている人

さて、何処にいるのでしょう?(^o^)
いつ・何処で・誰がそのように書いたのですか? 私も興味があります、
是非教えてください。(^^)

それともあなたも沖浦先輩同様、「Aである」に疑問を呈した人間は
即座に「イコール反A主義者」に脳内自動変換する頭脳の持ち主でしょうか?(^o^)

161沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/22(土) 07:38:26 ID:AJ3hr85o0
 やまいぬさん、おはようございます

 本迹は優劣や勝劣とイコールではありません。
 重なる事は当然あります。
 イコールと捉えるから駄目なんですよ。

 何度も言っていますが、私は、本は、本来のとか、主体の意味で捉えています。
 迹は本来の目的に外れたものや、脇役の感覚ですね。
 
 これはね、私がネット参入した時から6年間言い続けてきた定義です。
 過去レスをよめばわかりすよ。

 今、やまいぬさんやその他の日蓮正宗創価学会の方々は、私が本迹の定義を定めないで勝手に論じている。と、嘘つきやってますね。
 今一度確認のために、提示しておきます。

 私の本迹の考えです。

 本は、本来のとか、主体の意味で捉えています。
 迹は本来の目的に外れたものや、脇役の意味で使用致します。

 やまいぬさん、これが私の考えです。
 でもね、貴方に強制いたしません。
 貴方には統一した意見がありません。 
 定義を持たない人です。
 ご都合主義で都合のよい事しか言わない人です。
 例えばね、

>「師弟」なくんば学会はありません。
そして師弟とは、師の仰せのうち弟子が勝手に、「あれはやるけどこれはやらない」、では
ありません。そんな師弟など存在しません。

 ご立派なご意見ですがね、貴方はまったく実践していません。
 先生は常に私共に、対面による対話しか仏法流布の方法はない。と、お示しです。
 先日本部幹部会で、

 『折伏の事を日本語で対話って言うんです。』(趣意)

 言われておられますよ。
 貴方ね、趣意お嫌い。
 なら、聖教新聞お読みなさい。 
 出てますしね。
 師匠はね、そう言われておられます。

 『対面による対話。
 どんななに回り道に見えてもそれしかない。』(趣意)

 同じく仰せでした。

 おやりなさいよ。
 今まで私が対面対話を提案した時、天城さんの時も反対したでしょう。
 師匠の行いと明らかに違います。
 法華講の方々の対面要求にも、応じなかったじゃないですか。

 嘘つきなんですよ、貴方ね。
 いつも、自分はこれほど忙しくても頑張っている。
 新聞も配ってる。

 体験はね,HNじゃ無理ですよ。
 私がやるように、写真を出すか、映像で証明しましょうね。

 それと、貴方は仏界湧現の体験がある。
 こう言いました。
 アレね、嘘です。
 仏界湧現したら、仏が迹だって命で分かります。
 一大事因縁。とはね、そう言うことが書いてあるんですよ。

 少し御書勉強しておいでなさいね。

162やまいぬ。:2008/11/22(土) 22:52:34 ID:Z0E/aJZg0
>本迹は優劣や勝劣とイコールではありません。重なる事は当然あります。
>イコールと捉えるから駄目なんですよ。
>何度も言っていますが、私は、本は、本来のとか、主体の意味で捉えています。
>迹は本来の目的に外れたものや、脇役の感覚ですね。 
>これはね、私がネット参入した時から6年間言い続けてきた定義です。

これが「定義」?????(^o^)

「本迹に関して対話するスレッド」とまで命名されたこのスレッドの161番目にしてやっと
書かれた「定義」がこれですか????(^o^)

私が書いたNo.154以下を全くお読みでない、あるいは読めなかった、あるいは
不都合故にスルーされたようですね。(^^)

「定義」について再掲します。(^^)

『ですから――「本とはどういう意味で、迹とはどういう意味なのか」を、端的に教学的に
説明してください。(^^) あなたのはいつも、書きっ放しで根拠なし、なんですよ。(^^)
勝手な結論の連打ばかりで、根拠は全然ありません。(^^)』

>本迹は優劣や勝劣とイコールではありません.

の1行目から既に根拠なき云いっ放しですね。(^^)

あのね、沖浦さん。(^^)
「“頭があって首があって胴体があって、2本ずつの手足を持つ生き物”を、俺は“にんげん”と
定義する!」
違うでしょう?(^^) これじゃ、猿もチンパンジーも区別つきませんよ。(^o^)

「日本に住む人間を俺は“にほんじん”と定義する!」
あー、全然的外れですよね?(^^) 「定義」として成立していないのですよ。(^^)

『「本とはどういう意味で、迹とはどういう意味なのか」を、端的に教学的に
説明してください。』

お読み頂けましたでしょうか?
やり直してください。(^^)

>先生は常に私共に、対面による対話しか仏法流布の方法はない。と、お示しです。
どこで?(^o^)

>先日本部幹部会で、『折伏の事を日本語で対話って言うんです。』(趣意)
また大得意、というか一つ覚えの「趣意」ですか?(^o^)

では、先生と松下幸之助の往復書簡は「対話ではない」のですね?
そうですよね?(^o^)
井上靖との書簡のやり取りも当然「対話ではない」のですね?(^^)

>『対面による対話。どんななに回り道に見えてもそれしかない。』(趣意)

はい、聖教新聞まで持ち出したのなら日時と何面の記事かを明記してください。
あなたの「うろ覚え」など知りたいとは思いません。(^^)

>嘘つきなんですよ、貴方ね。
さあて。どちらが?(^o^)

>いつも、自分はこれほど忙しくても頑張っている。新聞も配ってる。
これが嘘だと?
人様に「嘘だ」と断定したのなら証明責任はあなたにあります。
出来ますよね? パワーリフティングの猛者ですものね?
それくらいのことが出来ないで何が男ですか?

私が多忙ではない、新聞も配ってないと云いたいのなら、どーぞ証明してから
仰ってくださいな。(^o^)

>私がやるように、写真を出すか、映像で証明しましょうね。

あのね沖浦さん。(^o^)
実名の人間は嘘をつかないなんて幼稚なことを、まさかあなたはその年齢で
主張されたりはしませんよね?(^^)

昔ね、山崎某というキ○ガイがおりましてね。(^o^)
ネットの実名どころじゃない、自分で裁判まで起こして嘘八百並べ立てた
サイコパスも存在するのですよ。(^o^)

HNだって真実を書く人間もいる。
実名だろうが平気で嘘八百並べ立てる人間もいる。
そのくらいのことは誰でも承知ですよねぇ?(^^)


>仏界湧現の体験がある。こう言いました。アレね、嘘です。
>仏界湧現したら、仏が迹だって命で分かります。

とお書きになったあなたの方こそ、仏界湧現なんてご存知ないのでは?(^o^)

>一大事因縁。とはね、そう言うことが書いてあるんですよ。

はい、文証をどうぞ。(^o^)
また「法華経の智慧」同様の歪曲ですか?(^o^)(^o^)

>御書勉強しておいでなさいね。
いやぁ、まさか子供でも解る「法華経の智慧」の文意まで歪曲なさった方に
そのように書かれるとは思いもしませんでした。(^o^)

で、このスレッドの私からのNo.154〜158に対して、殆ど返答不能のままでしょうか?
そのままスルーですか?(^^) 存分にどうぞ。

163耕治:2008/11/22(土) 23:46:48 ID:AJ3hr85o0
なんでもよいが、匿名ですべてやりきると連呼している以上、直ちに実行に移すべき

あなたが大嘘つきか?本物か観させてもらいましょう

164沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/23(日) 06:41:23 ID:AJ3hr85o0
>>先日本部幹部会で、『折伏の事を日本語で対話って言うんです。』(趣意)
また大得意、というか一つ覚えの「趣意」ですか?(^o^)

 貴方は同中で出ていませんね。
 それでは、私が調らべて一言一句間違いない引用をすれば、対面対話を実行する。
 確約しなさい。
 ならば引用いたしましょう。
 数ヶ月前の師匠の指導すら忘れ果てる。
 師匠と打線氏のご指導を自分のために捏造する。
 貴方が池田先生の御行動について述べる資格なんかありません。
 貴方は弟子じゃないんです。
 言い訳と難癖だけですよ、今の貴方ね。

 貴方の一々の屁理屈は反論の値打すらありません。
 仏界湧現などと大嘘を平気でついている人間。
 師の言葉を捏造する人間。
 大謗法の人生です。
 情けないですよ。

 やまいぬさん、貴方ね、本気で信心に頑張りなさい。
 創価学会は名前も顔も分からないネットでの書き込みを全く評価していませんよ。
 貴方の書き込みは創価学会以外の活動です。
 我見のネットなんですよ。

 対面対話に直結するネット。
 これをおやりなさい。
 それが、ネットの王道です。
 頑張るんですよ。
 言い訳に使う頭があるのなら、ご自分人生を考えるべきです。
 もったいないでしょう、今のままではね。

165日々朗らか(決意):2008/11/23(日) 09:24:01 ID:8FNX.yWoO
>>164
因みに、今日の新聞の指導(上)も興味深く読みました。(中)(下)と続くようです。
今から楽しみですね。

ホンシャク論とは関係ありませんが………
敢えて批判を承知で言うなら、

◎新聞掲載の先生の指導を『シャク』て捉えて、
◎それを読み実践しようと決意した人。何かを感じた人。勇気、元気をもらった人を『ホン』と例えるのは如何でしょうか。

師弟感にも繋がると思うんですがね……。

はい、あくまでも私の所感です。

166日々朗らか(決意):2008/11/23(日) 17:58:23 ID:8FNX.yWoO
>>162

ねえねえ……いぬ。さん。
ナニそんなに『怒りク調』なの?。

怒りたいのはコッチですよf^_^;。
あんなスレを立てて(-.-;)。


【短気は損気】ですよo(^-^)o!。

167沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/23(日) 22:21:11 ID:AJ3hr85o0
 人のための教えですから、目的である人は、本。
 手段である教えは迹。

 仏法は民衆救済のための教えです。
 救済される民衆が本。
 仏法が迹。
 曼荼羅は仏法の中に含まれるから迹。

 これが何故おかしいのですかね?

 人のための法じゃなかったのですか?
 仏本人迹論の方々。
 貴方方ね、仏がほんなら、一大事因縁は何故ですか?

 少し頭冷やしなさい。

168沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/23(日) 22:50:29 ID:AJ3hr85o0
 今日の聖教新聞に先生のご指導が載っています。
 大見出しで、

 さあ対話の時代だ
 
 と書かれてますよ。
 横には、
 人と会え!
 友と語れ!
 心を結べ!
 と書いてありますね。
 
 人と会って友になって語り合い心の連帯を作れ。
 こう言う事です。
 先生のご指南ですよ。

 やまいぬさん。
 今日の新聞の2面です。
 趣意じゃないですよ。
 お読みなさい。
 そして実行しなさい。
 ネットはね、対面対話の入り口であってこそ創価学会員本来の姿です。
 対面対話を前提に行うネットが本。
 逃げ回る貴方のネットは迹。
 先生のご指導ですよ。
 
 拠点提供の尊さもご指導です。
 私と耕治は地区拠点を提供させて頂きました。
 所がネットで学会員を名乗る人たちは難癖付けました。
 幽霊がいる。
 開放とは何事だ。
 功徳は具体的にどの行動の結果かが明確でない。
 などなどですね。
 やまいぬさん、愚壮さん、その他の師敵対の大謗法です。
 聖教新聞読まない人たちですね。

 先生が尊い行為だ。と仰せの拠点提供に難癖付ける愚か者共です
 これね、創価の人間じゃありません。

 やまいぬさん、貴方は今本当に創価学会員かどうかを問われているんですよ。
 ご自分が学会員である証明を先ずなさい。

 その後、論じなさい。
 私は貴方とお会いいたしましたが、創価学会員である証明は頂いておりません。
 単なる貴方の自己申告のみです。
 今、貴方が創価学会員である証明は貴方がなすべき課題です。

 先ずそれをどうぞ。

169沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/24(月) 06:35:51 ID:AJ3hr85o0
 今ね、天城さんは日蓮正宗の講義のままです。 
 宗門関係の人ですね。
 あの論が素晴らしいって浮かれる人、全て日蓮正宗教学ですね。
 組織はついてません。
 

 やまいぬさんも、日蓮正宗の教義ですね。
 先ず、真っ当な創価学会員に、自分が間違いなく創価学会員であるとの証明がいります。

 己義や邪儀を唱えて、自分は学会員です。
 これは無理なんですよ。

 仏は迹。
 人は本。
 仏法の決まりごとです。

 一大事因縁って言いますね。
 仏の出世の本懐ですよ。

 シャーリプトラよ、如来には一つの仕事、一つのなすべきこと、すなわち大きな仕事、大きななすべきことがあって、その仕事のために正しいさとりを得た尊敬さるべき如来があらわれるというその仕事とは、どういうことであるか。すなわち、それは、如来の知見を衆生たちに得させるという目的で、そのために正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見を衆生たちに見せるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見に衆生たちをはいらせるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見を衆生たちにさとらせるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。如来の知見の道に衆生たちをはいらせるという目的で、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来は世間にあらわれるのである。これがすなわち、シャーリプトラよ、如来の一つの仕事、一つのなすべき事柄、大きな仕事、大きななすべき事柄であり、(如来が)世間にあらわれるための唯一の目的なのである。このようにして、実に、シャーリプトラよ、如来の唯一の仕事、唯一のなすべき事柄、大きな仕事、大きななすべき事柄というもの、それを如来は行なわれるのである。

 方便品にありますよ。
 仏は人のために出現するのです。

 だから、人のための仏法です。
 所が、ぶつ本人迹論者たちは、人が法ために存在すると言います。
 所詮人なんか道具ですよ。

 駄目な人ですね〜〜。

170沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/24(月) 16:04:35 ID:AJ3hr85o0
 人のための仏だよ。
 当たり前じゃないか。
 人を救うのが仏だろう。
 救って何ぼだよ。
 急病人のための救急車だ。
 救急車のために急病になる奴いるかい?
 いないだろう。

 同じなんだよ。

 人を救うための仏なんだよ。
 仏に救われるための人間じゃないよ。

171もやし暮らし:2008/11/24(月) 20:28:54 ID:UFaQVeag0

本迹について、なかなか決着がつきませんが、

ちょっと私の感じたことを。

沖浦さんの解釈に対しての数々の異論のなかに、
「御本尊=曼荼羅」だ と言い切っているかたもおられるようですね。
これには私も疑問です。イコールではないと思います。

誰がこんなことを教えたんだろう・・・。
大聖人は、きちんと分けて説いているのに。

「御本尊=南無妙法蓮華経」ならば 理解できる。

曼荼羅という言葉の持つ意味と、御本尊という言葉のもつ意味の違いは、御書を読んで考えれば、
とわかると思うんですけどね。

そういう意味で、私は、
拝む人と拝まれる曼荼羅に関しては、
人が本で、曼荼羅が迹だと 思います。

要するに「曼荼羅」と「御本尊」の意味をごっちゃにして考えてしまっている方が
多いのでは?と考えます。
だから、ここまでややこしくなっているのかもですね。

しかしながら、
沖浦さんのいう、「自分が本 蓮祖が迹」 にはまったく理解ができません。

172もやし暮らし:2008/11/24(月) 20:37:18 ID:UFaQVeag0
御本尊=南無妙法蓮華経
であるが

曼荼羅=南無妙法蓮華経 ではないと思う。

173やまいぬ。:2008/11/24(月) 21:13:49 ID:HjKxo9Ic0
>先日本部幹部会で、『折伏の事を日本語で対話って言うんです。』(趣意)
また大得意、というか一つ覚えの「趣意」ですか?(^o^)

>私が調らべて一言一句間違いない引用をすれば、対面対話を実行する。確約しなさい。
>ならば引用いたしましょう。

くだらない。二言目には「俺と会え」、余程淋しいのですか、沖浦さん?(^^)

自分が書いたことならば自分が責任持って原文をきっちり提示する――当り前の
大前提ですよ。(^o^) それを「趣意」の2文字で逃げ回っていたのはあなたであり、
いまだにそれらの原文を提示出来ていません。論外ですよ。(^o^)
そしていつもながらの「俺と会え」。(^o^)
なにが「確約しなさい」ですか、沖浦さん? 逃げてないでとっとと自分の引用した
原文、書き込んだ人間の責任で書いてみなさい。(^o^)

>師匠と打線氏

なんて書いてあるんですか? 誰ですか?(^o^)
あなたは「師匠」とかいうひとの名前を打ち間違えて確認もしないのですか?
大した「師弟観」ですね。見習う気はありませんが。(^o^)

>貴方が池田先生の御行動について述べる資格なんかありません。

1字も違えずあなたにお返ししますよ、沖浦さん。(^o^)

師の指導を公然と歪曲し、全く真逆の意味に摩り替えて、邪義を平然と捏造するような
人間の何処に、「師匠云々」など書く資格がありますか。(^o^)

馬鹿馬鹿しいにもほどがあるんですよ、沖浦克治さん。(^o^)

174やまいぬ。:2008/11/24(月) 21:14:42 ID:HjKxo9Ic0
>貴方の一々の屁理屈は反論の値打すらありません。

はい、また逃げましたね。(^^)
パワーリフティングの猛者は、こうやって何度でも逃げてきましたね。

『沖浦先輩。

余程お望みのようですので、

>それと、御書や先生の指導、世間の学説などを引用する際、このスレでは趣意結構です。

この「趣意可」の規定の最大効果と、そのような曖昧極まる書き込みをお続けになった
先輩の手法をそのまま真似て、今回の「自分が本、蓮祖が迹。」というあなたの断定の
真偽について、魔法のように一瞬で決着させてみせましょう。

『もし今後、学会に居ながらロクに学会活動もせぬくせに、自己顕示欲に迷って「我こそは
真の学会員也」などと称し、本心において学会員を馬鹿にし軽んじ、あまつさえ
「自分が本、蓮祖が迹。」などという世迷言を抜かす者が出て来たならば、この者は
その瞬間に魔物でありサタンである!』(戸田先生指導・趣意)

私の勝ちです。

沖浦先輩、あなたが繰り返してきた「趣意」なる逃げ口上の使い方をそっくり真似ただけですよ。

先輩、まさかあなたは私の上記の「戸田先生の指導」の資料提示などは望まれませんよね?
もしそれを望むなら、今まで先輩がお書きになったすべての「趣意」付きの指導に関し、
私より先に提示する義務と責任が発生します。

沖浦克治という丈夫が、まさかひとにのみ望んで、先からの自分の書き込みに関する責任は
逃れようとはなさいませんものね?

お望みになられた通り、この沖浦板Ⅱで決着させて頂きました。』

黙ってスルーですか。(^o^)

『>で、判定者である民衆はなんと言っておられますか?
誰でしょう?(^o^)

>やまいぬさん。貴方レベル低すぎます。
謹んで先輩に、そっくりお返し致します。
あなたの一方的に決めたルールで私の完勝――あなたは最早、1文字書けば書いた分だけ全部
完敗した泣き言となります。沖浦克治という丈夫のすることではありません。』

惨めですね。(^^)

『>私はね、既に表明しておりますが、ネットで先生のご指導を引用する際、音源を全て持っているものを
>引用しております。
ほう? あなたは「法華経の智慧」を引用されましたね?
池田先生や教学部の2人とともに、あなたはその場にいて録音でもされたと?(^^)
あれ? あなたにとって「先生」とは、池田先生ではないのですか?(^o^)』

返答不能ですか?(^o^)

『>やまいぬさん、貴方はありもしない戸田先生のご指導をでっち上げました。
>大きな謗法です。
あなたが「趣意」の2文字を使って、証明できない幾多の先生の指導を散々書き込んだことに比べれば、
さらに、「法華経の智慧」を引用しながら、子供でも解る文意を平然と捻じ曲げ、自分の都合のいいように
変えて、「自分は本、蓮祖は迹。」なる、いまだ阿部日顕しか云ったことのないのと寸分違わぬ
捏造教義を主張したことに比べれば、可愛いものですよ。(^o^)』

返答不能ですか?(^o^)

『>単純な事実ですね
>人が本、仏は迹。は、大聖人様の教えです。
>私のものではありません。
>本が家。迹が足場。

ですから――「本とはどういう意味で、迹とはどういう意味なのか」を、端的に教学的に
説明してください。(^^)』

今度は読めましたかぁ? 「教学的根拠」であって、あなたのいつもながらの根拠なき
思い込みじゃありませんよぉ。(^o^)

『その上で――
では本尊は足場であり、いずれ取り除くべきものであるという文証を挙げてください。
簡単ですよね? 単純なんでしょうから。』

また逃げますかねぇ?(^o^) 文証ですよ、文証!!(^o^)

『>手段同士を相対比較すれば、
>目的にかなった手段が本。目的とそぐわない手段は迹。
>こうなりますね。

あれ? 今度は出鱈目な本迹相対ですか?(^^) どこにこんなことが書いてあるのか、文証を
どうぞ。(^^)』

どーぞといえば、さっさとどーぞ。(^o^)

『>仏本人迹論者の方、何か問題ありますか??
さて誰が「仏が本、人が迹」などと主張しているのでしょうか?(^o^)

あなたが過去に書いた「理の当然」は、あなたの修羅が招いた全くの出鱈目です。(^^)
あなたは道理の通らぬことを、根拠抜きに断定するばかりです。あなたの思いたいように。(^^)

誰かが「仏が本、人が迹」などと主張したという書き込みを、どうぞupしてください。
出来なければ、あなたはただのデマゴーグです。(^^)』

どーぞ。挙げれますよねぇ? それとも挙げられるのは「重い物」ばかりですか?(^^)

175やまいぬ。:2008/11/24(月) 21:15:43 ID:HjKxo9Ic0
『「世法のことを世法で取り返す」――これなら、ではどこに「信心」がありますか?
別に学会員でなくとも、当たり前に世間でやっていることですよ。

「あれはやる、これはやらない」――それで復活した方の体験などありません。
「全部やると決意した」――これが、先生の指導通りというものです。』

だんまりですか?(^^)

『>先生はね、仏法は今から先が肝要だ。と、それこそ何万遍もご指導です。
>過去にとらわれて生きる事はおろかです。

違いますね。

仏法が何故「三世」という言葉を用いるかお解りでしょうか?
「現当二世」が「過去」をも変えるからですよ。

痛恨の過去に引きずられて、今と未来に価値を生まないならそれは反仏法であり反価値です。
痛恨の過去を忘れ去るのではなく、それまでの自分を反省し、だから実は決して過去を
忘れ去ることなく、自分を根本から変えて真実の価値を生む――これが創価思想です。

今と未来が大切だから、過去なんかどーでもいい――こんな能天気な話ではありません。
そして、では何を変えるのか? 「信心」ですよ。

あなたで云えば、「あれはやるけど、これはやらない」のあなたです。
「あれはやるけど、これはやらない」の根底にあるのは、心の奥底で「学会を舐めている」、です。
池田先生は戸田先生との関係の中で、戸田先生の仰ったことの、「あれはやるけど、これはやらない」
をやりましたか? 仰ってもいないことまでも全部、お二人にしか解らない凄まじい理解の中で、
全部「先んじて」までやられてきたのではないのですか?

これが「師弟」というものです。
「あれはやるけど、これはやらない」などという師弟など、どこに存在しますか?

支援活動をしないことは組織も認めているし自由だ。
――確かに自由ですよ。
「あれはやるけど、これはやらない。俺の自由だから」――全く結構ですが、そんな師弟など
ありませんから、金輪際「自分が池田先生の弟子だ」などとは仰って頂きたくありません。
世界中の池田門下に対して無礼です。』

どーぞ。(^^)

『>でも、私は真面目な創価学会の組織の方を尊敬しております。
でもご自分ではその姿を真似て、先生の指導の如くはやってこられなかった訳ですね?(^^)』

あーあ。黙ったまんまだ。(^^)

『>民衆が本という事は、大聖人のおおせの広宣流布を行っている民衆が存在する所が本となります
あれ? あなたは「自分が本、蓮祖は迹。」と断定されましたね?
蓮祖は「広宣流布をおこなっている民衆」の一人ではないのですか????

>民衆が本という事は、大聖人のおおせの広宣流布を行っている民衆が存在する所が本となります
先に問うた私の書き込みに返答なさいませんでしたね?
内証はどうあれ人間・蓮祖は、「衆生」ではないのですか? 蓮祖は「広宣流布を行っている民衆」の
最初のお一人ではないのですか? あなたにとってはやはり、過去の絶対的な迹仏とおなじなのですか?』

あれ? これまた返答不能ですか?(^o^)

>仏界湧現などと大嘘を平気でついている人間。
>師の言葉を捏造する人間。
>大謗法の人生です。情けないですよ。

お見事! 全部今のあなたの描写です!!!(^o^)(^o^)
よく見えていらっしゃるじゃないですか!(^o^)

沖浦さん、貴方ね、本気で信心に頑張りなさい。

>創価学会は名前も顔も分からないネットでの書き込みを全く評価していませんよ。

という公式見解をupしてください。(^o^)
・・・あれ? また捏造ですか? もう飽き飽きなんですよ、捏造ばっかりの沖浦克治さん。

>貴方の書き込みは創価学会以外の活動です。
>我見のネットなんですよ。

これも見事ですねぇ。よくご自分が見えていらっしゃる。(^o^)

>対面対話に直結するネット。これをおやりなさい。

という学会の見解をどうぞ。(^^) またあなたの捏造ですか?(^o^)

逃げ続ける言い訳に使う頭があるのなら、ご自分人生を考えるべきです。
もったいないでしょう、今のままではね。

176やまいぬ。:2008/11/24(月) 21:16:21 ID:HjKxo9Ic0
>人のための教えですから、目的である人は、本。手段である教えは迹。

で、「自分は本、蓮祖は迹。」と断定した沖浦克治にとっては蓮祖は「手段」なんだそうな。(^^)

>救済される民衆が本。仏法が迹。

本迹の教義的根拠すらまだ出せていないでダラダラ書かないことです。(^o^)

>曼荼羅は仏法の中に含まれるから迹。これが何故おかしいのですかね?

ね? 丸っきり解っていないでしょ、この方?(^o^)

>人のための法じゃなかったのですか? 仏本人迹論の方々。

だーから「仏本人迹論」なんて、何処で誰が書いたのか、さっさと挙げて御覧なさいよ、
沖浦克治さん?(^o^) 少々遅すぎますよ。(^^)

>やまいぬさん。今日の新聞の2面です。

「沖浦克治に会え!」とはどこにもありませんが??(^o^)(^o^)(^o^)(^o^)
(あー、腹痛い・・・。(^o^) )

わざわざ長野の人間に逢わずとも、時間の許す限り、自分が逢わねばならない人間に
逢っておりますよ。ご心配なく。(^o^)

>拠点提供の尊さもご指導です。

知っていますよ。私も10年以上、24時間体制で拠点を提供してきましたから。(^o^)

>やまいぬさん、愚壮さん、その他の師敵対の大謗法です。

何度でも教えて差し上げますよ。
「法華経の智慧」を歪曲したのみならず、それを以て「自分が本、蓮祖は迹。」なる奇っ怪な、
阿部日顕以外云ったこともない邪義を捏造したあなたこそが師敵対の大謗法です。

沖浦さん、貴方は今本当に創価学会員かどうかを問われているんですよ。
ご自分が学会員である証明を先ずなさい。その後、論じなさい。

>私は貴方とお会いいたしましたが、創価学会員である証明は頂いておりません。
>単なる貴方の自己申告のみです。

あーあ、これだ。(^o^)

「やまいぬ。とは実際に会ったから信頼できる」と繰り返し書いてくださったのは
どこのどちらさまですか?(^^)

あなたの邪義に反意を示した途端、「学会員だと証明しろ」??(^o^)

沖浦克治さん、語るに墜ちましたね。

さあて、いったいいつになったら、本迹の定義の教義的根拠は出せるのでしょうか?
待っていますよ、沖浦さん?(^^)

177沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/24(月) 21:28:40 ID:AJ3hr85o0
 やまいぬさん

 本性が出てますよ。
 少し真面目に信心して祈るんですよ。
 このままじゃ駄目になります。
 本気で組織おやりなさいね。

 嘘の人生はいけません。
 創価学会はね、HNでのネットには全く価値を認めていないのです。
 いくらネットでHNで大言壮語しても、仏道修行じゃないんですよ。

 本物の社会で実証を示しなさいね。
 本迹なんか論じる資格ありませんよ。
 HNはね、無意味なんですよ。

178やまいぬ。:2008/11/24(月) 21:49:09 ID:HjKxo9Ic0
>嘘の人生はいけません。創価学会はね、HNでのネットには全く価値を認めていないのです。

だーから公式見解はどうしたんですか?(^^)
あなたの妄想や「そう思いたい」という思い込みなど誰も訊いておりませんよ。
50代でもう耄碌されましたか? どうぞ。(^^)

>本物の社会で実証を示しなさいね。

御聖訓の通りの行動で、はっきりした因果を以て、大功徳を連日頂いておりますが、
それがなにか?(^o^)

で、膨大な宿題がそのままですよ。
また唖の如く黙り込んで逃げるのですか、沖浦克治さん?(^o^)

本迹の教義的根拠はどうしたんですか? さっさと書いてくださいよ。
待ちくたびれますよ。(^^)

179もくれん:2008/11/24(月) 22:48:45 ID:gO.Fk5NY0
>>172  もやし暮らしさん

突然にすみません

>御本尊=南無妙法蓮華経
>であるが

>曼荼羅=南無妙法蓮華経 ではないと思う。


ちなみに、創価学会の正式な出版物の記述です。

書籍「教学の基礎」創価学会教学部編

一大秘法は「本門の本尊」
「本門の本尊」とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法
たる南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊です

とあります。

この表現を「じ〜〜と」眺めてみてください。
少し解説しますと「またそれを」は「そっくりそのまま」の表現が
いいとは思いますが、

★ しかし、一般論で「曼荼羅」だけでは、必ずしも、通常私達の
拝している「曼荼羅御本尊」とは、限りませんが、>>172 この場合は
もやし暮らしさんは、当然、日夜私達が拝している「御本尊様」の
ことを「曼荼羅」と表現されたものと「仮定」して、上記は書きました。

180風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/24(月) 23:03:24 ID:twunqjekO
もやし暮らしさん、初めまして。
今時間的に長く書けないので要点だけ書かせて下さい。
御書書き出す時間ありませんので。
創価学会員が拝するご本尊に関してです。
曼陀羅の中央に、
「南無妙法蓮華経 日蓮」とございます。
また、曼陀羅、ご本尊、という言葉を日蓮大聖人様は御書で混ぜて使われております。

突然失礼致しました。

181もくれん:2008/11/24(月) 23:03:52 ID:gO.Fk5NY0
>>171  もやし暮らしさん

連続で失礼します

>そういう意味で、私は、
>拝む人と拝まれる曼荼羅に関しては、
>人が本で、曼荼羅が迹だと 思います。

沖浦説に「同感」ですと、言っていると理解してよろしいですか?

御本尊様と私達の関係は「帰命の対境」です。
御本尊様と私達の関係を「本・迹」で表現するのは、間違いです。
「本・迹」の仏法用語の使い方を、「仏教哲学大辞典」等で、ご確認ください。

>沖浦さんのいう、「自分が本 蓮祖が迹」 にはまったく理解ができません。

そもそも、沖浦さんは「衆生己心の妙法が本・曼荼羅が迹」と言ったのですよ。
ですから、先ほどいみじくも、もやし暮らしさんも、沖浦さんと同じことを
言っているわけですね。沖浦さんと「同感」ですと、言っているようなものですよ。

ただ、「衆生己心の妙法」・・・・衆生
  「曼荼羅・・」     日蓮大聖人(人法一箇ですから)

天城氏が「人本・仏迹」論と、短く表現したのですよ。

182もくれん:2008/11/24(月) 23:23:59 ID:gO.Fk5NY0
もやし暮らしさん

しつこいですが、
「本尊」も「曼荼羅」も「法」そのものなんですよ。

目に見えない「法」つまり「本尊」を、具体的に図顕したのが「曼荼羅」ですね。
通常私達は「御本尊様」というと、「曼荼羅御本尊様」を意味しますよね。
「法そのものです、南無妙法蓮華経そのものです、日蓮大聖人のたましいですね。

当然、私達の胸中にも「本尊」はあるわけです、己心の仏界の生命ですよね





当然「曼荼羅」は、物質としての意味で「寿命」はあります。
しかし、そこに図顕された「法」は永遠です。

183もやしの旦那:2008/11/25(火) 00:05:47 ID:UFaQVeag0
>>また、曼陀羅、ご本尊、という言葉を日蓮大聖人様は御書で混ぜて使われております。

混ぜてるのではなくて、大聖人自身の図顕や目に見える物をさして曼荼羅と表現している。

本尊は本尊曼荼羅は曼荼羅で書かれているかと思いました。

大聖人が混ぜる必要はないと思っていました。

南無妙法蓮華経(ご本尊)で良いのではないですかね。

南無妙法蓮華経(曼荼羅)にする必要はあまりないように思います。

問題は通常はや、一般的にはのような曖昧な表現が誤解の元になるかと思います。

>>御本尊様と私達の関係を「本・迹」で表現するのは、間違いです。
これは当然ですね。

>>当然「曼荼羅」は、物質としての意味で「寿命」はあります。
しかし、そこに図顕された「法」は永遠です。

これで良いのではないですかね。

曼荼羅とご本尊をうまく説明できる方がいらっしゃるとわかりやすいのですが......

184もやしの旦那:2008/11/25(火) 00:12:24 ID:UFaQVeag0
混ぜるとありましたが、真筆はありませんがこの御書の内容を見て混ぜている
とは思わない私です。
素人の意見でした。


経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。
かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり、相構え相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に謗法の者をせかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり。
此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。

185もやし暮らし:2008/11/25(火) 00:18:33 ID:UFaQVeag0
もくれんさん

はじめまして

『一大秘法は「本門の本尊」
「本門の本尊」とは、日蓮大聖人が胸中に所持されている久遠元初の妙法
たる南無妙法蓮華経であり、またそれを図顕された曼荼羅本尊です』

ありがとうございます。
理解はできます。
これを読みましてもそうですが、御本尊と曼荼羅は、
イコールであってイコールでないととれますがどうでしょうか?
私が言いたいのはそういうことです。

南無妙法蓮華経は南無妙法蓮華経であって、
目に見えるように顕したのが曼荼羅なのですから。


>当然「曼荼羅」は、物質としての意味で「寿命」はあります。
しかし、そこに図顕された「法」は永遠です。

その通りだと思います。

私が言っている迹としての曼荼羅は、寿命があるということを前提にです。
もしそこで 人の体も寿命があんだろ というなら、それに宿る己心の仏界の生命は永遠ですよね。
そう考えると、拝む人と、拝まれる曼荼羅で考えた場合は、
どちらかといえば人が本ではないでしょうか?
人が拝まなければ、曼荼羅はそこに存在するだけにすぎません。

「自分が本 蓮祖が迹」に関しては、まったくそれとは
ちがうと思います。

風凛さん

はじめまして。
ありがとうございます。

>曼陀羅、ご本尊、という言葉を日蓮大聖人様は御書で混ぜて使われております

まぜてますか?
では、なぜ「曼荼羅」と「御本尊」という二つの言葉が存在するのでしょうか?
意味するところがちがうからではないでしょうか?
イコールであってイコールでないと。

186風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/25(火) 00:27:10 ID:twunqjekO
>>183

もやしの旦那さん、初めまして。
レスありがとうございます。
私はここの板の常連ではなく、来るのも・・・という立場ですので、183へのレスのみひとまず。
「混ぜて」という表現、言葉が過ぎると思いましたが、曖昧だと混乱の元なので使用致しました。
御書の文章の中に両方を折り込んだように使われている、という方がいいのかもしれません。
個個人で受け取る印象が異なるでしょうから、そこだけに必要以上に囚われずにレス見て頂ければと思います。

私は、ご本尊と曼陀羅を殊更分けたり、本じゃくに分けたやりとりが長く続いている状況の方に、違和感と驚き感じています。
祈る時に私はわざわざかのように分けて難しく考えて祈った事無いからです。
目の前にご安置してある曼陀羅をご本尊として祈るだけですから。
かのような発想自体ありません。
また、御書の言葉をそのまま拝する事が大切だと思っています。
レスありがとうございました。

187もやし暮らし:2008/11/25(火) 00:36:47 ID:UFaQVeag0
もくれんさん

何度もごめんなさい。

>「本尊」も「曼荼羅」も「法」そのものなんですよ

う〜ん
そのもの・・・
これに関しては、ちょっと違うような・・・。

うまくいえなくてごめんなさい。

188もやしの旦那:2008/11/25(火) 00:48:36 ID:UFaQVeag0
風凛さん

そうもありがとうございます。

本、迹の使い方を沖浦さんがお間違いのようですから、こんなに問題に
なっているのだと考えます。

沖浦さんとしては、本、迹を使えば簡単に振り分けができると判断しての
発言なんでしょう。しかしながら、本、迹は非常に大切な要素(大聖人様の仏法において)
であるのですが、軽々しく本、迹を様々な言葉に混ぜて発言しているところに
問題があります。

大聖人様の仏法であるが、沖浦節で解説している=誤った情報を発信する。
そして、人柄にひかれた人間が法を見失う可能性を秘めている。
事、教学に関しては重要であり、学会の基礎となる部分ですから、問題です。

他宗の方が何を言おうと、それは反論すれば済むことですが、学会員を名乗る
人間が自己の満足を得るために発言してはならないかと思います。

おっしゃる通り御書を素直に拝し、実践するだけなのですよね。
正直、沖浦さんは、何が何でも自分を優位にしていたい気持ちが言葉から伺えます。

個人スポーツの延長線上の気持ちのまま語っているのか?
組織は団体です。個人の祈りは個人ですが、個人そのものを団体にあてはめて
おられるのでしょうか?

私には到底理解できない教学を沖浦さんは発信しておりますが、一度も他人の
意見を受け入れない状態ですね。

このような事を書くと、貴方は負けている。祈りなさい、私の方が上です。
このような言葉しか返ってきません。
言葉のどこにも説得力がないのです。
仏法でも、言葉と耳から入る情報はとても重要だと思っております。
そのような御書も涅槃経をたとえて書かれた御書があったような気がします?

一連の発言に怒りを覚える方は多いかと思います。その怒りを魔だと言う沖浦さん
はもっと魔に支配されているように感じております。

失礼しました。

189風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/25(火) 01:04:13 ID:twunqjekO
>>185

他板でレスしましたが、もやし暮らしさんの185へ。
凡語で曼陀羅⇒漢語で御本尊。
創価学会での御本尊は曼陀羅本尊。
こう言えば分かりやすいでしょうか。
もし、2つの言葉にばかり囚われて、分けて考えなければならないのなら、学会員は何を根本にしているのか分からなくなると思いませんか。
人間で考えてみても、もやしさんのおっしゃるように体は寿命あります。
でも、肉体と精神、どちらがバランス欠いてもよくないと思います。

もやしさんが感じてらっしゃる「=であって=でない」という感覚、何をおっしゃりたいのか、伝わってきています。(^_^)
感じ方の部分は、今後のもやしさんご夫妻の信心の経緯でそこからまた、変化等して行くのではないでしょうか。

ただ、ご本尊、つまり信心に関して外してはならない大事な事ありますので、先にもやしさんがレスされた・もくれんさんが書かれた創価学会の教義の根本をじっくり感じて下さればと思います。

もやしさん、レスありがとうございました。

190もやし暮らし:2008/11/25(火) 01:26:03 ID:UFaQVeag0
風凛さん

こちらこそ、ありがとうございます。
>凡語で曼陀羅⇒漢語で御本尊。

私が言いたいところは、このような違いではなく
言葉の持つ意味の違いなんですぅ。
「御本尊」と言いきった場合、目に見えないこともふくまれるととれますよね。
そして「曼荼羅」もしくは「曼荼羅御本尊」といった場合は、目にみえる存在です。
その違いではないでしょうか?

それを無視してなんでもかんでも簡単に語るから、よけいここまでややこしくなってしまっているのではないかと
思います。

沖浦さんの論は、簡単にしているようでいて、実は余計に難しくしていると
感じてなりません。

191風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/25(火) 01:26:40 ID:twunqjekO
>>189

へ補足。
ご本尊とは信仰で大切な存在。
一方曼陀羅は、信仰の根本を紙幅に現したもの。
上記語彙の表現たがえども同じ事をさします。
が、ご本尊という言葉の持つイメージと、紙幅の曼陀羅とで、微妙に違いを感じる方がいるかもしれません。

もやし暮らしさんへは、
「=であって=ではない けれども=である」と表現した方が分かりやすいのかな?と思いました。

もやしさん、
もやしの旦那さん、レスありがとうございました。

192風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/25(火) 01:42:51 ID:twunqjekO
>>190

もやしさんへ。
私も本来、こういう事での書き込みあまりしません。
ご本尊の前に素直に座るだけですから。でも、難しく考え過ぎる書き込み目にすると、書き込むするようになってしまいます。

あと、感覚を全て完璧に100%表現するのは難しいと思います。
もやしさんのご本尊への感じ方と、私の感じ方、近いかもしれませんし。

ただ、もやしさんが本じゃくで分ける事に同意されてる場合、そこから距離開いて行くのだと思います。
そこは御主人とお話されていかれたらと、思います。

193もやしの旦那:2008/11/25(火) 01:57:22 ID:UFaQVeag0
風凛さん

基本的にもやし暮らしは本、迹でご本尊様をわけておりません。
非常に難しい表現が必要かとは思います。
簡単に言えば、本、迹でわけるものではない事は前提で言っている訳です。

そもそも、ご本尊は迹や連祖が迹だのおかしな意見が発端かと思います。
なので、本、迹でわける事には同意していないのです。

あえて分けるならばとの話からでしょう。
こんな感じです。
そもそも勝劣をつけるほうがおかしい訳ですし、もやし暮らしもそれは
十分理解しております。

194もやし暮らし:2008/11/25(火) 02:10:44 ID:UFaQVeag0
風凛さん

私、他板でも書いたことがあるんですが、
主人が言っているように、ど〜うしても分けるならば が前提です。

195風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/25(火) 02:13:47 ID:twunqjekO
>>193

>基本的にもやし暮らしは本、迹でご本尊様をわけておりません。非常に難しい表現が必要かとは思います。簡単に言えば、本、迹でわけるものではない事は前提で言っている訳です。

上記伺い、ほっとしました。
上記の前提があっても、「分けて考えた場合の書き込み」がある・続ける事で、その書き込みを目にしたほうでは、「分ける事に同意している」という印象があったかもしれません。
この点は、私も失礼致しました。

もやしさんの感覚と、もやしの旦那さんの書き込み伺ってですが、今後もご夫婦で励ましあいながらの信心歩まれて行くお姿浮かびました。
もやしさんの過去の書き込みをリアルタイムで拝見した時は、どう表現していいか分からない事多々ありましたが(私も昔内得してたので余計に)、もやしの旦那さんのいくつかのレス拝見し、ほっとしました。

やりとりありがとうございました。
他所で行きかいましたら、よろしくお願い致します。

196沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/25(火) 06:57:59 ID:AJ3hr85o0
 貴方方ね、教学より、人間革命目指しなさい。

 祈りのない教学なんて、小理屈ですよ。

 祈って社会に創価の正義を示せる人におなりなさい。
 今は駄目でも、3年後、10年後、20年後を目指すんです。
 貴方方の書き込み、なにくそ今に見てろ!がまったくありません。
 これじゃ〜ね〜〜?

197沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/25(火) 06:59:33 ID:AJ3hr85o0
 では三人さんに、本迹をお教えいたしましょう。


 ネットで無意味な教学論を書き込むのが、迹。

 宿命転換の助縁になる決意を書き込むのが、本。

 覚えておきましょうね。

198沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/25(火) 07:00:45 ID:AJ3hr85o0
 ですから三人さん、

 photochika さんを見習いなさい。っていつも言ってるでしょう。

199風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/25(火) 09:25:47 ID:twunqjekO
もやし暮らしさんへ。
大事な事書いていませんでした。
ネットでの書き込み、基本的には誰でも自由。
ですが、もやしさんが「どんなに前提ありきで」分ける発言をしてもロムの方全員がもやしさんの前提を知っているとは限りません。
その上でもやしさんの分ける発言だけを目にする方もいる以上、「分けて考える」方がこれからも出てくる助縁になる可能性あると思います。
また、書き込み者本人の言葉の発露において、ネットもリアルも生命では同じです。
どんなに前提ありきでもです。
もやしさんの心のどこかに留めおいて頂けると幸いです。
では。

200もくれん:2008/11/25(火) 11:47:47 ID:gO.Fk5NY0
>>185 もやし暮らしさん

>人が拝まなければ、曼荼羅はそこに存在するだけにすぎません。

ある意味「その通り」と思います。

ちょっと時間が無いので、上記についてのみ、書きます。

ちなみに、日蓮宗の身延とか、その他の寺にも、日蓮大聖人の御真筆の
曼荼羅御本尊はあるそうです。
当然、謗法の寺にあるのですから、御真筆といえど功徳はありません。
(先生のスピーチに、はっきり書いてあります。)
というか、五老僧の流れは、大聖人を御本仏として、わからないので
そもそも「曼荼羅御本尊」に向かって、題目を唱えないのでしたよね。
このへんは、ほとんど詳しくないので・・
五老僧の流れは、大聖人を「大菩薩」という程度にしか、認識できていませんね。

又、現宗門(日顕宗)の題目も絶対に功徳は無いと、先生は断言されています。
いわゆる「戒壇様」ですね・・・・・・・
金原氏の本で「真偽」が話題になりましたが、仮に「ほんもの」であったとしても
日顕宗に「存在」している以上、法華講の人たちが、どんなに題目を唱えても
絶対に功徳は無いと、先生は断言されています。
勿論、他の法主の書写の御本尊でも、同様です。

そうですね、「曼荼羅御本尊の仏力・法力を引き出すのは、私達の信力・行力
ですからね」
存在しているだけであれば、「掛け軸」に、なりかねないですね。
というか、何の「価値・つまり智慧」を、引き出すことはできませんね。

そのへんは、普通の学会員は「発心」すれば、必ず当たり前のこととして
「解かって」いくはずです。

当たり前のことですが、
「御本尊様・つまり曼荼羅御本尊様」を「明鏡」として、真剣に、師弟不二で
広宣流布を願い、自他共の幸福を祈りに入れ、題目を唱えることに
よって、己心の仏界の生命(己心の妙法)が涌現する・・・・・
普通の学会員は、当たり前のことですね。

又、これも、普通の学会員の当たり前の体験ですが、「緊急火急」の際
曼荼羅御本尊様なしで、題目のみで、なんらかの、体験をつかむ・・
私も、当然、あります。
だからといって、「曼荼羅が迹」というのは、次元の違う話です。

★ 曼荼羅御本尊  と  私達
   対境     と 帰命  

の関係です。御義口伝の冒頭にあります。

★ それから、 普通  「御本尊様」と私達が表現するのは
各家庭や会館の「御本尊様」つまり「曼荼羅」ですね。

一大秘法の「本門の本尊」の「本尊」は、御本仏の「たましい」そのもので
その「たましい」そのものを、具体的に目に見える形にしたものが
「曼荼羅」です。内容は同じですが、「曼荼羅」は、物質としての側面から
寿命がある・・この違いですね。

201もくれん:2008/11/25(火) 11:56:55 ID:gO.Fk5NY0
もやし暮らしさん

それから、教学の研鑽でしたら、こちらでも、おなじみの
粛坊さんが管理人の「けんちゃん・ぎかんちゃん」という掲示板ですが
「ヤフー」検索で、すぐ出ます。
私も常駐しています。

こちらで、これ以上、教義論を展開すると、沖浦さんにご迷惑に
なるのかもしれないので、以後は「けんちゃん・ぎかんちゃん」で
必要に応じて、教学談義は、させていただきたく思います。
よろしかったら、お越し下さい。

202もやし暮らし:2008/11/25(火) 12:09:27 ID:UFaQVeag0
>>199
風凛さん
  ご忠告ありがとうございますm(__)m

確かに私の言葉が足りないところがありました。
  お許しください。
  以後来をつけます。

203風凛 ◆IuSmpGjaC6:2008/11/25(火) 12:58:30 ID:twunqjekO
>>184

もやしの旦那さんすみません、184見落としていました。
184拝見して、もやしの旦那さんの方が私よりも教学がおありだと改めて思いました。
素人ではないだろう、と。
個人的な所感ですが。

もやしの旦那さんが上げて下さった御書の中の『此の御本尊』とは何をさし現していると思われますか。

もやしの旦那さんがおっしゃって下さったように、この御文もそのまま拝するものだと、私は思います。

>>202

もやしさん、いえ、こちらこそありがとう。

もやしの旦那さん、もやし暮らしさん、レスありがとうございました。
何か疑問ありましたら、ご夫妻がロムしてるだろう他板にいますので、いつでもどうぞ。
また、どこかで。

管理人さん、このスレッドでのやりとりで長々と失礼致しました。

204もやし暮らし:2008/11/25(火) 13:29:03 ID:UFaQVeag0
もくれんさん

レスありがとうございますm(__)m

風凛さんとのやりとりと重複してしまいますので、そちらをお読みいただけると
助かります。すみません。

もくれんさんがおっしゃる 「学会員ならば、当然。あたりまえ。」
そうですね。理解できます。
その当然の事を理解できていない人が ネットででたらめを語っている現状。
問題ですね。

管理人さん、長々と失礼しました。

205もやしの旦那:2008/11/25(火) 18:39:13 ID:UFaQVeag0
風凛さん

私は教学はありません。無いから良いと思うのです。沖浦さんのように教学を
中途半端に利用して自己の勝手な解釈を展開するより、教学がなく、一生勉強
の立場のほうが良いと思っております。

ご返答ありがとうございます。

206沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/25(火) 19:05:55 ID:AJ3hr85o0
もやしの旦那さん

 一生教学に無縁でどうぞ。

 私は貴方のような愚かな人生はいやですよ。

207もやしの旦那:2008/11/25(火) 19:31:28 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

やっぱり、何が何でも他人に勝ちたい気持ちが見えますね。
勝つためならば何でも利用し、教義までも変化させる姿こそ、日蓮正宗そのものなのです。

しかも、相手の言葉を理解していない発言が貴方のいい加減さを顕しています。

208やまいぬ。:2008/11/25(火) 22:32:46 ID:izDmNcgk0
>私は貴方のような愚かな人生はいやですよ。

ああ、50過ぎて止められない自己顕示欲と自意識過剰の故に師匠の言葉を
歪曲して師匠利用を働き、まして邪義を捏造するような無慚な人生のことですね?(^o^)

209沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/25(火) 22:52:10 ID:AJ3hr85o0
 いいえ、私がいやだと言っているのはね、やまいぬさんに見られるように、師匠の数ヶ月前の指導も忘れ果て、邪儀と指導を捏造して自らの正当化を図り、現実社会で敗北を重ね、組織では全く活動できない人生なのですよ。

 私と耕治はね、創価の王道を行くのです。
 指をくわえてみていらっしゃい。

 でもね、貴方も祈って行動するならば、開かれますよ。
 一度ネットから撤退し、現実社会で頑張ってみればいかがですか?

210沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/25(火) 22:54:27 ID:AJ3hr85o0
 やまいぬさん、もくれんさん、風凛さん、もやしご夫婦さんたちの、祈りのない小理屈の書き込みはネットでも迹。

 祈りに裏付けられた私共の主張のネットは、本。


 ネットにも本迹あるんだよね。

211やまいぬ。:2008/11/25(火) 23:05:51 ID:izDmNcgk0
あなたの「勝手に決めた」捏造本迹がね。(^o^)

>一度ネットから撤退し、現実社会で頑張ってみればいかがですか?
あなたは学会から去ってくださって結構。(^o^) 無用ですよ。

212沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/25(火) 23:20:27 ID:AJ3hr85o0
 やまいぬさん

 貴方が先ずどこの何者か?
 明確に皆様に分かるようにしましょうね。

 それが無いと、貴方煙のような存在ですよ。

 師匠に弓を引く人生、何時まで続けますか??
 真面目に祈って打開しましょうね。

 頑張るんですよ。

213もやしの旦那:2008/11/25(火) 23:31:11 ID:UFaQVeag0
沖浦さん

もうやめたら如何でしょう。こんな理屈

>>ネットにも本迹あるんだよね。

これで創価王道でしょうか?

(祈るんです 頑張るんです) これしか言えないのでしょうか。

話の流れからして激励ではなく煙にまくために激励の言葉を利用して

いるようにしか思えません。

通常、謙虚な心であれば、私も頑張ります。私も祈りますと言います。

弓を引いておられるのは沖浦さん自身かもしれないと、振り返る姿勢も大事

214タンポポ:2008/11/25(火) 23:43:25 ID:WwDrUF2wO
今日帰りしな国会議事堂を見ていてちょっぴりわかった事。国会議事堂へ選挙で上がれた国会議員は迹。市町村議員や市町村長も迹。国民が本。国民のために働ける国会議員や市町村長や市町村議員は本。国会のためや市町村長利益のために動く国会議員や市町村長や官僚らは迹。国民のために働けている国会議事堂議会が本。市町村民のために働けてる市町村議会が本。と悟り理解できました。国会議事堂議会議員や市町村長や市町村議会議員は本として国民の幸せのために一生懸命本分を尽くして欲しいと願います。チョイ悟りまで。宗教の中でも同じですね。民衆のため人間のための宗教であることが本だね。宗教のために人間では迹だね。

215もやしの旦那:2008/11/25(火) 23:46:43 ID:UFaQVeag0
>>貴方が先ずどこの何者か?
 明確に皆様に分かるようにしましょうね。

これも煙にまく手段です。意味わかります?
であれば、参加する否定者も肯定者も何処の何者かを明確にしないと話にならない

俺は(沖浦さん自身)名前を公開しているからすごいんだぞー
お前も同じにしなさい。でなければ貴方の言っている事は全て間違いだ。

このような返答を煙にまくと世間では言います。
自分に否定的な人間は全て疑い排除し、肯定的人間には飴を配る。

これで、沖浦さんの自説や考えをどうやって伝えるのでしょう?
否定する者には適正であり、根拠のある証拠を明確にすればそれで良い
のではないでしょうか?
ただ、排除し、肯定者と談義するだけならばサークル活動であります。

連祖は迹を沖浦さん自身がわかりやすく説明し、これでもかーと一喝して
黙らせる事が今やるべき事ではないでしょうか?

216もやしの旦那:2008/11/25(火) 23:50:10 ID:UFaQVeag0
タンポポさん

何でもかんでも本、迹で話して何の約にたつのでしょう?
本当におかしくなりますよ。沖浦さんへの援護はよくわかりますが、非常にお粗末です。

沖浦さん
これが貴方の肯定者のコメントですよ。
多分、沖浦さんは(おかしくないね)こう答えるでしょう。

217タンポポ:2008/11/25(火) 23:57:17 ID:WwDrUF2wO
タンポポは周りに役立つ本になれる様にひたすらリアル生活でがんばるのみです。迹的になんないようにね。

218もやしの旦那:2008/11/26(水) 00:43:38 ID:UFaQVeag0
>>迹的になんないようにね。=沖浦さん肯定ですから(連祖的?)
所謂、自分主義?(自分が本)

本は約にたって迹は役立たず? そしてリアル生活?

本来このように本、迹を使うものではないでしょう。

ここは創価学会系の掲示板ですよね??????

219もやしの旦那:2008/11/26(水) 00:45:32 ID:UFaQVeag0
本は約にたって 本は役に訂正

220沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/26(水) 06:47:32 ID:AJ3hr85o0
 もやしのお二人さん、おはようございます

 あらゆる事に大聖人様が本迹があると仰せだから、自分は常に本を心がけて生きていこう。
 これがっ門下の姿勢として、本。

 そんなめんどくさいことどっちだっていいや。
 これが、決定的に迹で、最低のじんせい。

 池田先生が、対話対面しか人類の救済はない。
 どれほど回り道に見えてもそれしかない。
 と、世界中を対面対話をなされ、弟子にも常にお教え下さっている。

 だから、ネットできっかけを作ったら、対面対話に直結させよう。
 そのためのネットなんだ。
 が、ネットにおける弟子の行いとして、本。

 対面するために自分が何者か明確にすると大変な目に会う。
 だから、対面対話なんか出来るわけない。と臆病で行動できず、屁理屈こねて対面対話を避ける事を必死で正当化しようとする愚かな人の行いと書き込みが、弟子としてのネットの、迹。

 のみならず、悪で、大謗法。

 覚えておきましょうね。

221:2008/11/26(水) 15:27:21 ID:GzTbFjgs0
もやしさん

>何でもかんでも本、迹で話して何の約にたつのでしょう?

という貴方の疑問に対して、池田先生がお答えですよ。
「新・人間革命」第8巻148ページ1〜4行をお読み下さい。

222もやしの旦那:2008/11/26(水) 19:03:48 ID:UFaQVeag0
梅さん
1〜4行を読めばそうでしょう。新人間革命のなかの本、迹のたてわけに関する
梅さん

只今帰宅しました。読む前に知っております。頭にも入っております。
繰り返し何度も読みましたので。

全ての文章をお読みください。沖浦さん説は破壊されますよ。
自分が本連祖が迹がね。

きっと梅さんはこの4行で勝ち誇っているのでしょう。しかし文章は全て読んで
解釈するべきですね。言葉悪いですが小説ですよ。しかも百六からの引用ですよ。
更に、この文章では迹は悪い状態を示していますね。連祖は迹ですよ。
沖浦さんの解説は。

当然、最近においては両巻血脈は学会ではあまり使用しませんよね。
両巻血脈とは(本因妙抄と百六箇抄)の事である。

この両巻血脈を日蓮正宗は血脈に利用している実態がある。

ここは学会員ならば昔赤線を引いたものです。引く場所は11行目からはじまり
次のページの4行目からである。

ここまで理解すれば沖浦さん説は全て崩れるでしょう。
貴方は先生がお答えと言っておられるが、切り文は宗門と同じですよ。

私が言う何が何でもとはまったく意味が違うものなのです。
梅さん?物事はしっかり判断すべきでしょう。
半端に沖浦さん説が頭に入り、重要な部分が抜けているのではないでしょうか?

223もやしの旦那:2008/11/26(水) 19:07:18 ID:UFaQVeag0
梅さん
ここまで貴方は言われたのですから、自分が本、連祖が迹をしっかりと証明する
義務が発生いたしました。沖浦さんが答えないのですから貴方が答えるしかありません。

宜しくお願いします。

224もやしの旦那:2008/11/26(水) 19:21:05 ID:UFaQVeag0
220>>

この沖浦さんの解説理解できないです。沖浦さんはどうして発言に振り返らずに
重要な問題をおいて先行発言なさるのでしょうか?

自分が本、連祖が迹は今でも同じ考えなんでしょうか?

>>そんなめんどくさいことどっちだっていいや。
 これが、決定的に迹で、最低のじんせい。(沖浦さん発言)

であるとすれば、連祖は迹と言った訳ですからね。
ご自分でおかしいと思いませんでしょうか?
ここで煙にまけば、貴方の言う、迹の人生そのものではないでしょうか?

ご意見を頂ければ幸いです。

225もやしの旦那:2008/11/26(水) 19:31:04 ID:UFaQVeag0
>>対面するために自分が何者か明確にすると大変な目に会う。
 だから、対面対話なんか出来るわけない。と臆病で行動できず、屁理屈こねて対面対話を避ける事を必死で正当化しようとする愚かな人の行いと書き込みが、弟子としてのネットの、迹。

これもおかしな説ですよね。掲示板とはHNでのやりとりが基本(これは常識)
この常識を破り、正体を明かさなければ臆病???
これは沖浦さんの自己の考えの押し売りな訳です。
100人に聞いて100人が掲示板の話において沖浦さんを否定されるでしょう。

確かに実名掲示板は存在しますが、ここを選択するのは自己判断なのです。
結果として、このようなコメントで沖浦さんは煙にまいている状態じゃないでしょうか?

はっきり自己の説を証明したいならば、身元などさほど関係ないはずです。
誰でも見れる掲示板です。

ここで沖浦さんの言う本、迹ならば堂々とやるべきでしょう。

更には迹で悪で、大謗法と沖浦さんは言いました。

是までの、本、迹発言(沖浦さん)の正当性のあるコメントを期待しております。

226もやし暮らし:2008/11/26(水) 19:33:28 ID:UFaQVeag0
梅さん

>「新・人間革命」第8巻148ページ1〜4行をお読み下さい。

答え?
おっしゃりたい事はわかるのですが、「新・人間革命」は小説ですよ。
御書ではないですよ。(否定するつもりはございません)

では 梅さんは小説に依れ ということでしょうか。
それも、登場人物の山本伸一に依れ と言ってることになりますが。

確かに、「新・人間革命」の梅さんが提示した場所に、本迹についてふれているところは、ありますね。
しかし 
前後をきちんとお読みください。
この物語の中では 山本伸一が研究課題として「百六箇抄」をあげて
学生に講義しているというだけではないですか。

そして、現実をみてください。
ご存知かと思いますが、
「百六箇抄」(両巻血脈)については、宗門が自分達の血脈観を守るために必死でニセではない と
しているものですよ。
真実かどうか、要するに あやふやなもの。

宗門に対し、血脈観の違いを論じてきた学会員が、あろうことか、それに依れ、ということでしょうか?


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