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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する
仕切り直します。
新しいスレッドも、基本的な課題設定から始めます。
「世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
自然神学はその構想は科学と基本的に同一です。
それをキリスト教に引きずり込もうと言うのは宗教者側の都合に過ぎません。
この自然神学のロジックは現代の科学的知見に依ってより強固なものになっています。
宗教には排他性がありますが、自然選択論者も同様の排他性を持ちます。
検証を拒む姿勢も共通しています。
つまり妄想のおもちゃの家の住人とその周辺に広がる城下町です。
この景色は中々変わりませんね。
人間の宗教心は何処かにその居場所を求めます。
ID論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。
>「世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
はい、そうですね。インテリジェントデザイナー論=自然神学です。
人知を超越した者を客観的に示せない以上、「科学理論ではない」ということに気づいてくださいね。
ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
科学は最新が最も正しい。
過去に比べて、と言う話です。
日々新しい事実の発見、新しい理論の発見によってその知見は更新されます。
新しい理論は事実に依って検証され、更に事実に依って書き替えられます。
それはつまり未来に亘ってはその理論が書き替えられる可能性があることも意味します。
その様に日々事実に依って検証されるのが科学理論です。
自然選択論を正しいと主張するなら、検証に曝されなければなりません。
そして驚くべき事に、より適応的な変異が生じればそれが自然選択の証明であると言う極めて飛躍した論理が横行しています。
自然選択以外にその様な変異が存在し得ることに目を向けようとしない、そもそも自然選択論の工程を全く理解していない、その結果です。
160年以上前のダーウィンの思い付きの空想を今猶信じ続ける研究者たちの存在は異様です。
この話は今までもいやと言う程繰り返してきましたが、それでも現状を見るとまた同じことを言わざるを得ません。
競争原理によって進化がもたらされると言う誤った思い込みは多くの人たちに本能レベルで刷り込まれています。
自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その刷り込みの元凶はやはりダーウィンと言うべきでしょう。
ダーウィンの功績はゼロ、進化論を迂回させている罪は重大と言うべきです。
全ての科学的知見とその進展はID論を支持し補強します。
対する自然選択論は迷信、お伽話です。
そして多くの名のある科学者たちも、そのお伽話の迷信から未だに抜け出せないでいます。
その理由を考えるのは彼ら自身の責任ですね。
灘史上、東大史上最高の天才と呼ばれてネットでも話題になっている岡田康志氏は、神様つまり設計者の存在を前提に生命現象を考察していますね。
理化学研究所チームリーダー、東大教授である同氏は、生命システムの効率性、その根本原因に神の存在を想定します。
ノーベル賞に近いとも言われていますね。
IDの想定は、この様なある現象に対するアプローチの方法において有効な思考上の武器となります。
逆にそれを非科学的とか言って排除しまくっていると自然選択論の様な誤ったドグマに陥ってしまう訳です。
科学的思考の効率性にID論、つまり設計者の想定は寄与します。
頑なにそれを撥ね付けていると、思考を大きく迂回させることになります。
真実から遠のき続けているのが自然選択論の上に立脚した現在進化論と言っても良いでしょう。
>自然は競争原理と言う極めて非効率な手段は採用しません。
その通りです。いかに多くの子孫をたまたま残すことができたか、ということですから。それが自然選択です。
>理化学研究所チームリーダー、東大教授である同氏は、生命システムの効率性、その根本原因に神の存在を想定します
個人の考えと、科学的な確かさとは、別問題です。
ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね
つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
「種の起源」の体裁は神学書のものだと言う指摘があります。
種の起源は有害無益ですが、同様に神学も科学にとって有害無益です。
宗教は科学を妨害することすらあれ、科学に利することは何一つありません。
ID論もソレを神学の流れで捉えている限り宗教のドグマから逃れることが出来ません。
宗教は人間の無知と弱さによって紡ぎ出されます。
逆に言えば人間が全知であり強靭な理性を持つ存在であれば宗教が誕生する余地はありません。
つまりダーウィンの居場所はそこだという事です。
宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
Kenさん
>私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。私が言う教えるとは、ID論という根拠のない説が出回ってます、という教え方ではありませんよ。真っ当な科学理論として教えることです。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。前者の教え方ならよい、と言われてるようですが、そんな教え方は考えてないし、かつての光波動説の教え方でもありません。
「真っ当な科学理論として教えることです」。
それなら、真っ当な科学の手順に従った提示をしなければだめですよね。
そこで必要なのは、まず、デザイナーの客観的な存在証明ということになっちゃうんですよ。
それができなければ、サイエンスの手法からすれば詭弁を弄しているだけ、ということになります。
つまり科学を知らずに科学、科学と叫んでいる訳です。
従って科学的根拠、科学的証明の意味も分からない。
ダーウィニストが自然選択論が科学的に証明された科学だと主張しているのはその典型的な例ですね。
ではどの様に科学的に証明されたのかと彼らに問うても絶対にまともな答えは返ってきません。
そもそも自然選択の原理を厳密に理解していないのだから、話になりませんね。
ただ漠然と、みんながそう言ってる様なので、と言う様な理由だけで信じ込んでいます。
突っ込まれればしどろもどろ、妄想を口走りだします。
一度胸に手を当ててよく考えてみましょうね。
知性の劣る人、感性の鈍い人、権威に盲従したがる人、こういった人たちが事実を直視できない人達の類型です。
それらは基本的に資質の問題なので、その特徴は終生変わることがありません。
彼らは科学の進歩の阻害要因となります。
事実を直視するのは、実際の所それ程簡単ではないんですね。
能力には個人差が有ります。
これは如何ともし難いですね。
埋めようが無い差と言うものが存在します。
それを自覚出来ない、若しくは自覚するのを拒む人達も存在します。
結局彼らは終生真実に辿り着く事は有りません。
妄想を信じたまま終わる訳です。
それも自覚出来ないままにね。
>>148
>この問題の本質は、他理論が弾圧されたことにあるのは、理解されますよね。弾圧の理由など関係ない。弾圧された事実で十分です。
違います。
本当にもういい加減理解して欲しいのですが、問題の本質は「科学的手順を無視して台頭したこと」なのです。
弾圧だろうが虐殺だろうがここにおいてはそれは問題ではありません。
人道や倫理の話をしているのではありません。科学の話をしています。
もう何度目か分りませんが、ID論が害悪とは言っていません。根拠不十分で科学として騙り主張することを害悪と言っています。
そんなに解りがたい説明してますかね?
私が単にIDだから害悪と言っていると思っているんですか?そう捉えているなら理解出来ていません。
もう少し落ち着いてよく読んで下さい。
>波動説を教えたから、粒子説へのリソースが割かれたなどと言いながら、粒子説の何が遅れたのかと尋ねると、まともに答えられず、追及すると、なんと光電効果の話がでました。
これも例えで出したの理解出来ていませんね。実際にそう言うことがあったとは一言も書いていません。あくまで可能性の話を論じています。
波動説が非主流とならず教えられたらもっと早く科学の理解が進んだ、と言う貴方の主張に対し所詮後知恵であって確実性は無いと言っています。
波動説が教えられていたとてヤングさんの実験が前倒しになった保証はないし、逆に波動説へリソースが割かれることで光の粒子性の知見が遅れどっちにしろ光学分野が進まないかも知れません。
所詮、可能性の話で余り意味はありません。実際過ぎ去ったことで今の知識でアレコレ言っても無意味です。
ですから一般論で語るべきと提案しているのです。
>いいえ。「非主流だった」光粒子説では、光電効果など説明できません。
粒子説で説明しろではなく粒子性を用いる必要があったことを言っています。
粒子説でも波動説でも説明が難しかったと言うことです。
>原理不明って・・・残念ながら、あなたが知らないだけです。
>
>その原理は量子論の初期に教えます。光は光量子という離散的な単位で存在する意味で「粒子」です。しかし、量子サイズの微小な存在には、不確定性原理が働き、位置を特定できません。ただし特定できないといってもランダムではなく、どこにどれだけの確率で存在するかは、厳密な数式に従うのです。そしてその数式が波動関数なのです。これが、粒子と波動の二重性です。原理不明ではありません。
言葉を言い換えただけで説明になっていませんよ。
不確定性原理がなぜ働くのか説明してごらんなさいな。できないですから。
あくまでそう言う「特性」でしかありません。その特性を受け入れ数式を求めそれを利用しているだけです。
公理みたいなもんですよ。
>鉄よりも硬く、しかし万物を無抵抗で通過させる不思議物質が、少ない仮定で説明できると、なぜ分かりますか? これこそ原理不明なのに。こんなもの、オッカムの剃刀の対象ですか。
と言うことで粒子と波動の二重性と同じです。そう言う特性として受け入れます。仮定としてはそれ位ですね。
受け入れないなら矛盾の無い別の説を考えるだけです。過去の人も実際行っています。
>2.5%という相対差が問題だと言ってます。
宇宙人ならもっと行けます。より合理的ですよ。
>では、今のID論にはない、確たる支持する理由を具体的に述べてください。むろん、16世紀の地動説と18世紀の波動説ですよ。
どちらも対立説で説明困難でもよりシンプルに説明できる事象が複数あった、それに尽きます。
地動説なら火星の逆行とか波動説なら光速値の一定性やらニュートン環の原因とかですね。
>意味不明。
>前にも言いましたが、歴史に学ぶとは、後知恵を得ることです。矛盾がある地動説や波動説が教えられたことが、科学に大貢献した、という後知恵に学びましょう、と私は言っております。
温故知新は結構ですが後知恵を持って昔の人たちの意志決定を批判するのは間違っています。
歴史学者の誤謬と呼ばれる詭弁論法です。
今も昔も科学として最適な手法をとろうとまっとうな研究者や科学者は努力しています。
科学的手法を無視して科学的に大成功って例はあったとしても非常にレアなものだと思います。
少なくとも私は知りませんよ。
>それと、第三者の発言を読むことを求めるなら、合意した形をとってください。
別に読むことをススメも邪魔もしません。
GBさんの言葉も私の言葉もどちらも‘後知恵”と言う意味は変わりませんから。
自然選択によっていかなることも成し得る、と言うのがダーウィンの構想ですね。
生物を自然が選択し得るのは唯一生存率のコントロールと言う手段によってです。
それですべてが成し得ると考えた訳です。
環境によって生物の生存に制約を与える、その方法以外にありません。
これはラマルク的な用不用による変異を度外視しての話です。
ダーウィンも実は変異はラマルクと同様に考えていたので話は少しややこしくなりますが、これは総合説における自然選択で考えましょう。
全くランダムな変異を生存率の制限によってコントロールすることでこれだけ複雑で精巧で多様な現実の進化の事実が説明可能なわけもありません。
中立説、遺伝的浮動なども総合説は持ち出しますが、更に進化の実体を説明する力はありません。
お伽話ですね。
それを科学と信じる住人達。
この話も飽きるほど繰り返してきましたね。
自然選択論者に共通している特徴は決定的な想像力の欠如なので、そういった事にすら考えが及びません。
彼らの自然選択論に対する思い込みは正に宗教者の態度ですから、そもそもそもそう言った事柄に対して想像を巡らそうとする意志が存在しないんでしょうね。
その点において完全に科学者失格と言われても彼らは何も抗弁できない筈です。
ゲノムだけに限定して観察してもその驚くべき周到さ、計算され尽くした複雑さ、精密さはそれ自体人智を遥かに超えるものです。
現在急速にゲノムのメカニズムは解明されつつありますが、それはまだゲノムの持つ巨大なシステムのほんの一部にしか過ぎません。
そんなものが自然選択の結果で説明できる訳もありあせません。
そんなことにすら、彼らは想像が及ばない訳です。
彼らのそんな存在自体、想像を絶するものですね。
生命体のシステム全体で見れば、ゲノムも含めて更に複雑で精妙なシステムの上に成立しています。
進化の過程においてはゲノム重複、他の種からの遺伝子取り込み等が極めて重要な役割を果たします。
そして特定の遺伝子の獲得が進化を飛躍させます。
それら全てが自然選択とは無縁の世界です。
繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
>そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
実体不明な根拠をもとに科学理論をつくれるわけがありませんね。
ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
思弁じゃだめ。サイエンスの方法論に則った、客観的な証拠がないとね。
ついでに書いちゃいますけど、Kenさんの主張は、具体論という名目のもとの思弁ですね。
宗教には排他性がありますが、自然選択論者も同様の排他性を持ちます。
検証を拒む姿勢も共通しています。
つまり妄想のおもちゃの家の住人とその周辺に広がる城下町です。
この景色は中々変わりませんね。
人間の宗教心は何処かにその居場所を求めます。
つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
世界と自然の仕組みの精巧さや精妙さは、人間の思考力や技術を超えている」という考えを前提とし、「世界にこのような精巧な仕組みや因果が存在するのは、『人知を超越した者』の設計が前提になければ説明がつかない、つまり、神は存在する」という主張による証明である。 これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。
これはそのまま現代のID論の主張の骨子です。
自然神学はその構想は科学と基本的に同一です。
それをキリスト教に引きずり込もうと言うのは宗教者側の都合に過ぎません。
この自然神学のロジックは現代の科学的知見に依ってより強固なものになっています。
宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
自然科学は自然理解を目的にしていることをお忘れなく。
宗教が扱う人間にとって大切な価値とは分けて捉えないと世界理解を誤りますよ。
、
つまり疑似科学は言うまでもなく自然選択論です。
何一つ事実に依る裏付けが無い。
これまでも繰り返し述べてきた通り、よく数少ない観測例として持ち出される工業暗化もダーウィンフィンチも自然選択の要件を満たしていません。
そして極めて雑なロジック、理論として実は成立していません。
科学がまだまだ不備だったダーウィン自体ならともかく、それから160年以上経過してその時代から比べれば飛躍的に科学が進歩し知見が更新された現代ですら、その極めて雑なロジックの検証すら行われないまま極めて安易に信じ込まれています。
ID論を否定する人たちは、その存在の実体が全く未知であるという事以外には殆ど何の根拠も示せません。
実体が全く不明であるという事であればダークマター、ダークエネルギーも全く同様です。
知性の想定があり得ない、と言うのであれば、人間の知性の由来を証明してください。
人間の知性、意識、理性の由来を物質的に説明できる人は誰もいません。
現代の科学はそこまで全く追い付いていないのです。
そのレベルの科学で説明出来ないからと言って、不存在を主張するのはトンデモナイ思い上がりです。
未知である事と不存在を混同している訳です。
これは誤った科学主義であり、その科学主義による先入観はむしろ科学の発展の敵です。
それは合理的な疑問を封じ込め、教条主義に繋がります。
未だに生き続ける現代の迷信を育む土壌ですね。
能力には個人差が有ります。
これは如何ともし難いですね。
埋めようが無い差と言うものが存在します。
それを自覚出来ない、若しくは自覚するのを拒む人達も存在します。
結局彼らは終生真実に辿り着く事は有りません。
妄想を信じたまま終わる訳です。
それも自覚出来ないままにね。
キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
宗教は科学とは対極にあるものです。
仏教に関しは、ある種認識論として物理学、量子論等との関係性が論じられたりしていますが、例えばキリスト教に関しては正しくそれに該当します。
前提を無検証に信じ込む。
マリアの処女懐胎を主張しますね。
ID論は宗教的前提を排して構築されますから勿論宗教ではありません。
ID論を宗教者が主張しようが、自らの信じる宗教への誘導を画策しようが、それ自体が宗教ではない事に変わりはありません。
従って、ID論を宗教だと言って攻撃しようとする人達は自ら宗教的な立場に身を置いて発言していると言う事になります。
自然神学から現在に至るまで、設計者の存在の確証は強まりこそすれ弱まる事は決して有りません。
科学の進展による知見の拡大は設計の存在をよりなくてはならないものと位置付けます。
多くの科学者は、設計問題に踏み込む事をためらいますが、そこに踏み込まなければ効率良く真実に迫る事は出来ません。
一部にそれを認識している研究者もいる様ですが、まだまだ少数派ですね。
>科学的手法を無視して科学的に大成功って例はあったとしても非常にレアなものだと思います。
この点こそ主題です。科学の進歩のためには、あなたのように「科学的手法」なる規制をかけるのがよいのか。私のように、完全自由にして、自然の選択圧力に任せればよいのか。
>弾圧だろうが虐殺だろうがここにおいてはそれは問題ではありません。
>根拠不十分で科学として騙り主張することを害悪と言っています。
それなら、ルイセンコ理論のような、弾圧があった事例を出すのが間違いです。弾圧はないが、根拠不十分な理論が主張されたことで、科学の進歩が阻害された実例を挙げてください。
>所詮、可能性の話で余り意味はありません。実際過ぎ去ったことで今の知識でアレコレ言っても無意味です。
おかしいですね。科学の進歩を阻害する害悪があるというから、本当に阻害したかを実例で検証したのに、所詮、可能性の話で意味がないと、言われるのですか? なのに、検証もしてない、害悪があるという説は、意味があるのですか。
>粒子説で説明しろではなく粒子性を用いる必要があったことを言っています。
粒子説が不要なら、リソースが割かれて、粒子説の研究が遅れたことの影響がなかったことになります。光粒子の概念だけあればよかったなら、粒子説が消えない限り、概念はあります。結局、波動説が生き残り、リソースが割かれたことの影響はなかったのです。
>不確定性原理がなぜ働くのか説明してごらんなさいな。できないですから。
????これも、量子論講義の初期に説明されますが。
何かを観測するには、観測対象に光や電子を当てねばなりません。ところが、対象が量子サイズの大きさだと、光や電子を当てる行為自体が、対象の状態を変えてしまうのです。ゆえに状態を確定する観測ができず、不確定になります。どんな教科書にも載ってる話でしょうけど、私の情報源はファインマンです。
www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html
Fig. 37–3とFig. 37–4が、観測のための光を当てると、状態が変わることを示します。
>あくまでそう言う「特性」でしかありません。その特性を受け入れ数式を求めそれを利用しているだけです。
>公理みたいなもんですよ。
公理!
鉄よりはるかに硬いのに万物を自由に通過させる物質を、公理とされるのですか?
でも、その公理なるものは、既存の物理法則と両立できないでしょうが。
恒常的な風という地動説の矛盾と、鉄より硬い媒質という波動説の矛盾。これを解消できない限り、地動説と波動説に、根拠があるとは見なせません。だって、おっしゃるような公理で天体の動きや光の正体を説明したとて、代償に非常に広範な事象を説明不能にしてしまいます。より根源的な物理法則を覆すのだから。
私は、鳥の発生をIDで説明することに根拠があると考えますが、たとえ、それが誤りとしても、中生代の品種改良は、物理法則を覆すことはありません。
>受け入れないなら矛盾の無い別の説を考えるだけです。過去の人も実際行っています。
なら、矛盾を解決するまで、地動説も波動説も、主張されるべきでないことになりませんか?
>どちらも対立説で説明困難でもよりシンプルに説明できる事象が複数あった、それに尽きます。
>地動説なら火星の逆行とか波動説なら光速値の一定性やらニュートン環の原因とかですね。
それなら天動説と粒子説でも説明されたではありませんか。それとも地動説と波動説の方が「シンプル」といわれますか? でも、シンプルさの定量的評価法を、説明されてません。
それに、この問題は、上記の「公理」と直結します。上記のような形の公理を認めるなら、仮定の複雑さシンプルさなど無意味だからです。
例えば、上で、惑星の逆行を、地動説の根拠に挙げましたね。それはコペルニクスが地動説を考えた理由です。天動説なら、周転円のような仮定が必要ですから。でも、考えてください。単に、逆行もする惑星があるという公理を設定すれば、そんな仮定は不要ではないですか。
複雑にみえる仮定を積み上げるのは、既存の知識体系との矛盾を回避しつつ、観測結果を説明する理屈を考案するからです。おっしゃるような「公理」を認めるなら、その必要自体がなくなります。
天動説と粒子説が、地動説と波動説にはない仮定をおいたのは、そのとおりです。しかし、それらは、恒常的な風や鉄より硬い媒質に比べたら、はるかに論理的なものです。確立された知識体系と矛盾しないように、慎重に考えた結果ですから。
オッカムの剃刀は、現象を説明できる理論が複数あるなら、シンプルなものが優れると言ってるので、説明できないことを公理にして済ませよなどと、いっておりません。
>189
>それなら、ルイセンコ理論のような、弾圧があった事例を出すのが間違いです。弾圧はないが、根拠不十分な理論が主張されたことで、科学の進歩が阻害された実例を挙げてください。
なぜルイセンコを除外しなければならないのか不明ですね。
弾圧が何のためになぜ起きたと思っていますか?根拠不十分な理論を正規の科学的手順を無視して主張し押し通すためですよ。
弾圧が無い例だったら中国とかでのルイセンコ農法推進があります。
反対派の弾圧は殆どありませんでしたが国が強力に推し進めたため悲劇が生まれています。
>おかしいですね。科学の進歩を阻害する害悪があるというから、本当に阻害したかを実例で検証したのに、所詮、可能性の話で意味がないと、言われるのですか? なのに、検証もしてない、害悪があるという説は、意味があるのですか。
過去に起きたことに対してこうすれば良かった悪かったなんて可能性以上では述べられず検証のしようがありませんよ。
実例で検証とか言いますが後知恵の理屈でしか無く、本当にそうなるかなんてタイムマシンでも無い限り確かなことは言えません。
ですから「そう言うのは一般論で考えるべき」と言っています。
>????これも、量子論講義の初期に説明されますが。
>
>何かを観測するには、観測対象に光や電子を当てねばなりません。ところが、対象が量子サイズの大きさだと、光や電子を当てる行為自体が、対象の状態を変えてしまうのです。ゆえに状態を確定する観測ができず、不確定になります。どんな教科書にも載ってる話でしょうけど、私の情報源はファインマンです。
はい。間違ってます。
不確定性原理と観察者効果を混同しています。
不確定性原理は観察者効果と無関係に存在するもので、Kenさんの言っている観察者効果は不確定性原理によって生じる現象の一つでしかありません。
不確定性原理はあくまで特性であって現状そのまま受け入れるしか無いものですよ。
電子が当たったから状態が変化しちゃったみたいな単純なものなら皆そこまで悩まなかったと思います。
○不確定性原理→観察者効果
×観察者効果→不確定性原理
>鉄よりはるかに硬いのに万物を自由に通過させる物質を、公理とされるのですか?
>でも、その公理なるものは、既存の物理法則と両立できないでしょうが。
そのように考えるしか無いと言うことです。
それをありえないとして完全却下して見向きもせず別の説に移るか、鉄のように硬いモノとして別の理屈を考えるか、そもそもの大前提を疑うか、それらを考え検証することが科学です。
実際に当時も鉄より固いとか言われた状況下でも色々アイデアを出し検証しています。
正しい科学の姿勢ですね。
当時の物理法則の常識と両立できないけど受け入れるしか無かったモノなんて色々あるでしょ?
先の不確定性原理然り、光速度不変の原理然りね。
つづき
>なら、矛盾を解決するまで、地動説も波動説も、主張されるべきでないことになりませんか?
なりませんよ。
矛盾があっても実際有用な部分があるなら主張するのに何をためらう必要があるのです。
矛盾が無いとか有用な部分を過大に偽るとかしなければ主張は自由です。
解らない部分や矛盾のような部分もありのまま言えば良いだけの話です。「現状こう言う矛盾はあるが、こう言う部分なら上手く説明できる」そう言うだけです。
これ、科学では普通のことですよ。
>それとも地動説と波動説の方が「シンプル」といわれますか? でも、シンプルさの定量的評価法を、説明されてません。
シンプルに説明できる部分があると言うことです。
その‘シンプルさ”はものにもよりますが‘仮定の少なさ”と思って良いんじゃないかなぁ?
>単に、逆行もする惑星があるという公理を設定すれば、そんな仮定は不要ではないですか。
良いんじゃないですか?
仮説を立てるのは大いに結構なことですから。
重要なのはその後の仮説の検証ですよ。
>天動説と粒子説が、地動説と波動説にはない仮定をおいたのは、そのとおりです。しかし、それらは、恒常的な風や鉄より硬い媒質に比べたら、はるかに論理的なものです。確立された知識体系と矛盾しないように、慎重に考えた結果ですから。
ですから繰り返すように当時として真っ当な科学的対応をしていたと言うことに落ち着きます。
天動説と粒子説が主流になったのは正しい現象だったと言うだけのことです。
現代の知識において当時の科学者が天動説や粒子説を取り上げたのは間違いだと言うのは無意味です。後知恵の詭弁です。
間違いだったと言われても「そうですね」としか言えません。
そんでもって、それを持って「将来正しいかも知れないから証拠も大してないけどIDを持ち上げようぜ」
とか言われてもそんな勝ち目の薄い博打に乗る科学者はいませんよ。
個人的に研究するのは自由ですし好きにすら良いですが、正規の科学的手法をねじ曲げる大義はありませんよ。
根拠の高い説を優先的に取り上げるより、根拠の薄い説を積極的に取り上げた方が結果的に科学が早く進歩することをちゃんと示さないとだめですョ。
誰も納得できませんよ。
>なぜルイセンコを除外しなければならないのか不明ですね。
対立説の弾圧や、国が強力に推し進める状況は、ID論にはないからです。
IDを教えるのが害悪と言われるなら、おっしゃるところの「根拠の薄い理論」が、ただ教えられただけで、科学の進歩が阻害された実例を出してください。
>過去に起きたことに対してこうすれば良かった悪かったなんて可能性以上では述べられず検証のしようがありませんよ。
ですから、それならなぜ、根拠の薄い理論が教えられると、進歩が阻害されると言えるのですか? こちらは「過去に起きたこと」すら、実例を出せないのに。
>矛盾があっても実際有用な部分があるなら主張するのに何をためらう必要があるのです。
下の文章を読み、私がいう意味の矛盾があっても、利用される理論があるか考えてください。
不確定性原理について、さかんに言われてますが、∆x∆p = ħ/2という数式や、存在確率が波動関数に従うという法則には、他の物理法則との矛盾がありません。だから観測結果を説明する理論として使えます。
重力は、17世紀のニュートンが法則を明らかにしましたが、なぜ重力が働くかは、まだ解明されません。その意味では、あなたが不確定性原理で言おうとしたことは、むしろこちらが該当します。でも、それが容認されるのは、重力が観測されるだけでなく、今の重力の法則が、他の法則と両立できるからです
鉄よりも硬いのに、万物を抵抗なく通す物質は、そうではありません。
硬いとは、変形されないという意味でしょう。物体を通過させるのは、変形されるという意味ですよね。豆腐に指を突きさすと入るのは、豆腐が容易に変形するからです。鉄塊で同じことができないのは、鉄塊が変形しないからです。硬いものは変形せず、よって異物の侵入を許さないのが、既存の物理法則です。エーテルはこの物理法則と矛盾するので、光波動説のためにエーテルを想定すれば、はるかに広範な事象の説明ができなくなります。豆腐を鉄塊に投げつけたら、豆腐が鉄塊に入ってゆくというのと同じですから。
このように、原理を説明できないのみか、確立された法則と両立できないのに、それでも有用される理論があるのでしたら、実例を挙げてください。
>現代の知識において当時の科学者が天動説や粒子説を取り上げたのは間違いだと言うのは無意味です。後知恵の詭弁です。
>間違いだったと言われても「そうですね」としか言えません。
いまだに、私の論点を外しておられます。当時の物理法則と矛盾のない天動説や粒子説を支持するのが、正しい科学のはずです。あなたがその時代にいれば、同じことをされたことでしょう。
しかし実際には、矛盾のある地動説と波動説が教えられたことが、次の時代の進歩につながりました。そういう歴史の後知恵があるのだから、つまり「正しい科学の方法」が役に立たなかった歴史があるのだから、これに学びましょうと言っております。
また誤解をされる前に言っておきますが、私は、16世紀に地動説を、18世紀に光波動説を、教えるべきだった、とは言っておりません。
そうではなくて、教えたい人と教わりたい人がいるなら、自由にやらせておけばよい、と言ってます。そういう自由こそが科学を進歩させるとも、言ってます。
むろん、自由にすれば、おかしな理論は出てきますよ。それでも構いません。結果が出る科学の世界は、容赦のない選択圧力が働くからです。完全な自由競争の下では、ルイセンコ理論のようなものは淘汰されます。科学の正しい方法に背くからではなく、結果をだせないからです。
前にも言いましたが、生物の進化と対比してみてください。生物に起こる突然変異は、有害なものが大半でしょう。それでも、自然界の容赦のない選択圧力があるから、その個体は繁殖せず、種単位では害を受けません。
一方、突然変異の中に、繁殖に役立つものがあることが、生物を進化させます。16世紀の地動説や18世紀の光波動説のような、いわばランダムがうんだ異端の中に、科学を進歩させるものが現れるのと同じです。強制的な排除で、その芽を摘まないようにしましょう、というのが、私が本スレッドで言い続けてることです。
>×観察者効果→不確定性原理
「観察者効果」をどういう意味で使っておられるのでしょうか?
不確定性原理は、観察対象に影響を与えず観察する技術がまだない、と言ってるのではありませんよ。影響を与えず観察するのは、理論的に不可能だから、未来永劫、不確定しか観察できないから、不確定性そのものが法則だと言っております。そこにはロジックがあるでしょう。わけのわからぬ不確定現象が見られるだけなら、現象が出ない状況を、もっと真剣に探すはずです。
観察行為が影響を与えることは、∆x∆p = ħ/2という数式が語ります。ħは定数だから、∆xを小さくすれば、つまり位置の不確定性を小さくするような観察を行えば、∆pつまり運動量の不確定性が大きくなります。逆に∆pを小さくする観察を行えば、∆xが大きくなります。
>192
>対立説の弾圧や、国が強力に推し進める状況は、ID論にはないからです。
>
>IDを教えるのが害悪と言われるなら、おっしゃるところの「根拠の薄い理論」が、ただ教えられただけで、科学の進歩が阻害された実例を出してください。
本当に私の主張をもう一度しっかり考えてくれませんか?
根拠が薄かろうが教えるのも学ぶのも好きにすれば良いと、ずぅ〜っと言ってます。
害悪なのは「根拠が薄いのに他の有力な説と同列レベルかそれ以上に騙ること」だともう何度も何度も書いています。
もういい加減、勘弁して下さい。
正規の科学的手順をとらないことを問題としています。
国によるものだろうと個人によるモノだろうと関係ありません。
科学として正しいか否かです。
>ですから、それならなぜ、根拠の薄い理論が教えられると、進歩が阻害されると言えるのですか?
そちらの主張と同じです。可能性の問題に過ぎません。
ルイセンコ学説の台頭はロシアの生物学分野に大きな停滞をもたらしたと言われていますが、
もしかしたらルイセンコ学説が取り上げられなくてもロシアの生物学界は特に新たな知見も無くどっちにしろ進歩が無かった可能性だってあります。
歴史におけるたらればはエンタメとしてはありですが、そこまで意味はありません。
実際に非主流を優遇するのが科学の発展において有用か否かはそんなものではなく、
「一般論から考える方が良い」と主張しているのです。
>このように、原理を説明できないのみか、確立された法則と両立できないのに、それでも有用される理論があるのでしたら、実例を挙げてください。
光速度不変の原理もそうですね。大陸移動説もそうです。
先にも書きましたが、他の科学的知見と整合しているのは重要ですがそれが絶対とは言えないのです。
その知見をひっくり返す場合ならそれもアリです。
原理不明でもデータと整合するため仮定するのは普通の話です。
繰り返しますが大事なのはその後ですよ。
エーテルにしても光の波動性が確かなモノとなったため、ありえなかろうが想定する必要が出てきたわけです。
その場合考えることは鋼のように硬いと言う前提が違うとか、硬さと流動性を併せ持つものだったりとかだったわけです。
そしてそれを実際検証していました。
当時は波動は媒質が絶対的に必要という認識でした。その状況下で物理的に矛盾があったとかで即脚下なんかしませんよ。
絶対的に必要なんですから。
その場合、本当に矛盾があるのか、矛盾を説明できないかまず考えるモノです。
>しかし実際には、矛盾のある地動説と波動説が教えられたことが、次の時代の進歩につながりました。そういう歴史の後知恵があるのだから、つまり「正しい科学の方法」が役に立たなかった歴史があるのだから、これに学びましょうと言っております。
しつこいですが繰り返します。
理解して下さい。
教えるのも学ぶのも自由です。当時のは同説も地動説も主流ではありませんでしたがその研究者には信じるに足る根拠がありました。
だから研究を続けた。それは正しい姿勢です。
IDも同じようにすれば良いだけです。
繰り返します。
問題は‘科学の正規の手順を逸脱する行為”です。
当時の地動説も波動説も逸脱なんかしていません。
それに対しルイセンコや牛乳有害論みたくID論はそこから逸脱していたから問題となっているのです。
ですので
>いわばランダムがうんだ異端の中に、科学を進歩させるものが現れるのと同じです。強制的な排除で、その芽を摘まないようにしましょう、というのが、私が本スレッドで言い続けてることです。
とのことですが、そもそもがランダムじゃないから問題なんですね。
強制的に芽を引っ張り出してるだけです。
正しい流れに戻すためには強制的に摘むしか無いのです。
何を研究するも発表するも自由ですが科学を標榜するならその基本ルールは遵守しましょう、と言うのが私が一貫して言い続けていることです。
ルールを守るならどんなトンチキな仮説を主張するのもOKです。
まぁ、いろいろ突っ込まれるでしょうけど、それが正しい議論です。
>影響を与えず観察するのは、理論的に不可能だから、未来永劫、不確定しか観察できないから、不確定性そのものが法則だと言っております。そこにはロジックがあるでしょう。
その通りです。そのものが法則でありそのまま受け入れるしか無いのです。
一般的に測定を行うかどうかに関わらず、物理的な世界には不確定性が存在するとされていますよ。
そう言うものなんです。
D論は、予断無くこの現実世界、宇宙、生物を観察し、ロジカルに推論すれば簡単にその存在の確からしさが確認できます。
対して自然選択論に軸足を置いた現代進化論は、科学的根拠ゼロ、更に注意深く検証すればそのロジック自体が完全に破綻しています。
どちらを採るべきかは言うまでもありませんね。
IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。
全ての科学的知見とその進展はID論を支持し補強します。
対する自然選択論は迷信、お伽話です。
そして多くの名のある科学者たちも、そのお伽話の迷信から未だに抜け出せないでいます。
その理由を考えるのは彼ら自身の責任ですね。
インテリジェントデザイナー論は、思想・信念としてならどこで教えてもかまわないと思いますが、科学理論として教えるのはいけない。
教科書に載せるとしたら、理科ではなくて社会科の思想史でしょう。ルイセンコ理論なんかも、そうですね。
宗教的思想・信念も、世界を説明する方法の一つであることは間違いありません。しかし科学理論ではありえない。科学の方法論を無視してますから。
客観的に確かめられたことをもとに事実を追うか、あるべき姿をもとに解釈をこねくり回すか…科学理論としては、後者は事実に基づかない詭弁になるだけです。
その具体的な、わかりやすい例が「中生代の品種改良」ですね。客観的な根拠が、まったくありません。
「そう考えれば」、デザイナーを示せなくてもデザイナーを基盤にした世界観を説明できる。そういう、人の想念というだけですね。
ダークマター、ダークエネルギーの存在は現在物理学においては殆ど事実として受け止められています。
それは既に仮説の段階ではありません。
その様な存在を想定しないと、計算上全く辻褄が合わない訳です。
しかしその実体をまだ誰も解明できていません。
だからと言って、それが存在しないと主張する物理学者は誰もいないでしょう。
つまりその実体が全く不明だからと言って、それだけでその不存在の証明にはなり得ない訳です。
ID論に関しても全く同様の事が言えます。
その実体が不明であることをID論を否定する論拠にする人たちがいますが、それは論拠にはなりません。
合理的にその存在が推測されればいい訳です。
これは繰り返し述べてきたように、背理法に依って極めて簡明に証明されます。
しかしそれをどうしても信じたくない人達にとってはいかなるロジックも無意味ですから、結論は変わりません。
信者にその信仰を変えろと言っているのと同じですからね。
始末が悪いのが、彼ら進化論信者はそれが信仰だと気付いていない事です。
何とそれが科学であるとトンデモナイ誤解をしてる訳です。
つまり科学の本質を実は全く理解していないという事です。
そしてそれ自体が信仰なので、それが終生変わることは無いんですね。
繰り返し説明してきた通り、ID論は極めて簡明に証明されます。
それは自然観察に基づく合理的な結論です。
反証は不可能と言っていいでしょう。
そしてそれを否定する具体的な論拠は実体不明であるものを信じたくない、それ位しかありません。
それが論拠にならない理由も何度も説明してきましたね。
逆にあらゆる事象は設計者の存在を示唆します。
それを強いバイアスに依って素直に認めることを拒む人たちも多数存在します。
その様なバイアスは科学に反するものです。
それが理解出来ないのはつまり科学を理解していないという事です。
科学的証明とは、事実に依る証明です。
数学は科学とは呼ばれませんから、数学の場合はひたすらロジックと計算に依ります。
そこが科学と数学の違いです。
従って、科学においては事実の裏付けの無いものは証明されたとは言えません。
幾らレトリックを弄して、この様に考えれば説明できると言ってみたところで、それに照応する事実を示せなければ証明した事にはなりません。
全ての科学理論は事実による検証が不可欠です。
物理や化学においてはそれは言うまでもない事で、どの様な理論も必ず事実による検証に曝されます。
相対性理論や量子論ですら、未だに検証の対象でもあります。
それに対して科学を標榜しながら検証を放棄しているのが自然選択論です。
その支持者たちは、それが検証されていると言うトンデモナイ錯覚に陥っている。
若しくは最初から信じ込んで検証を放棄している訳です。
それは科学ではなくて宗教です。
宗教的信念は科学にとって有害無益です。
従って自然選択論も一種の宗教的信念と見做すことができます。
ダーウィンはデザインを自然選択と見誤りました。
そしてそれが彼の宗教的信念となります。
何ら事実による検証を経ない思い付きに囚われ続けます。
それは残念ながら自然神学にも該当しません。
勿論科学の対極です。
それに気付かない後のダーウィニストたちも同様に宗教的信念に囚われた人たちです。
彼らはそれを科学と思い込むわけですが、その無自覚は不気味ですらありますね。
まず、>>189 で述べた、最も基本的な論点を、再掲します。
科学の進歩のためには、あなたのように「科学的手法」なる規制をかけるのがよいのか。私のように、完全自由にして、自然の選択圧力に任せればよいのか。
これが本題です。以下の諸点も、すべてこれを考察する題材と考えてください。
>根拠が薄かろうが教えるのも学ぶのも好きにすれば良いと、ずぅ〜っと言ってます。
私がいう「教える」とは「ID論なる根拠の薄い理論が存在する」という教え方ではありません。「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」という教え方です。要するに、過去の地動説、波動説と同じ教え方です。この教え方を「好きにすれば良い」というのでなければ「ずぅ〜っと」言われてることにはなりません。
>害悪なのは「根拠が薄いのに他の有力な説と同列レベルかそれ以上に騙ること」
「同列レベルかそれ以上に騙る」とは、どういう意味ですか? 自説が正しく他説が間違いと主張するのは、それに該当しますか? 16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も、そう言ってますよ。地動説と天動説、18世紀の粒子説と波動説は、完全排他関係にあります。一方が正しければ、他方は完全に誤りです。
おっしゃるとおりなら、地動説も波動説も、教えられたことが害悪だったとなり、上で述べた最初の点に戻ります。
>実際に非主流を優遇するのが科学の発展において有用か否かはそんなものではなく、「一般論から考える方が良い」と主張しているのです。
またしても「優遇する」なんて言ってる。私は、主流派は非主流派を「すておけ」と言ってるだけです。優遇など必要ありません。2005年のID差し止め訴訟のような妨害をしなければよいのです。優遇も妨害もないのが自由競争です。
それと「一般論」が、歴史の経験から学んだ知恵の意味なら、どういう経験からどういう一般論を得たのか、具体的に述べてください。
>光速度不変の原理もそうですね。大陸移動説もそうです。
>その知見をひっくり返す場合ならそれもアリです。
>エーテルにしても光の波動性が確かなモノとなったため、ありえなかろうが想定する必要が出てきたわけです。
光の波動性が確かなものと万人が認めたのは、19世紀最初の年に行われた2重スリット実験です。おっしゃるような状況は、2重スリット実験から電磁場の発見までの、20年余りを語るならよいでしょう。でも、私が問題にしてるのは、それより前の、観察事象が粒子説でも説明され、光の波動性が確かなものでない時代のことです。その時すでに、光の媒質エーテルは主張されていました。この歴史を語っています。
地動説も同じです。ケプラーの法則(1609年)で地動説の優位が決定的なるより前の時代に、恒常的な風が吹かない矛盾にも関わらず、地動説は主張されていました。
>問題は‘科学の正規の手順を逸脱する行為”です。
>当時の地動説も波動説も逸脱なんかしていません。
(1)「科学の正規の手順」とはなにか
(2)その手順を逸脱すると、科学の進歩が阻害されるのか
(3)地動説と波動説は逸脱しないが、IDは逸脱するのか
この3つを説明してください。それぞれが、議論の本質に関わるものです。(2)は仮説の検証ですから、現実に進歩が阻害された事例を、証拠として出してください。繰り返しますが、ルイセンコ説のように対立説を妨害する場合は、証拠になりません。
>一般的に測定を行うかどうかに関わらず、物理的な世界には不確定性が存在するとされていますよ。
そんな言い方は、不確定性原理の本質を外します。
観測行為自体が引き起こす特別な不確定性があり、∆x∆p = ħ/2という明示的な定量関係が、不確定の程度を支配します。同じ不確定性は、粒子と波動の二重性の原因でもあります。ファインマンの図が示すように、同じものが、観測行為がなければ波動として、光を照らして観測すると粒子として現れます。
ニュートン力学も、電磁気学も、相対性理論も、他の物理理論は、そんなことは言いません。
ハイゼンベルクの不等式が示す不確定性原理は小澤の不等式によって書き換えられ小澤の不等式を支持する実験結果も報告されています。
ハイゼンベルクの不等式は実験によって検証される事なく量子論の中心概念のひとつとしての不確定性原理を示すもの信じられてきましたが、それが覆えされたと言う事です。
ハイゼンベルクは量子そのものの特性である揺らぎと観測する事によって生じる誤差の切り分けが曖昧であったのを小澤の不等式によって整理されたとされます。
もう一つ、ケナードの不等式がありますが、これは量子論から数学的に導かれるものとされ、ハイゼンベルクはその辺りも混同していたと指摘されています。
一般に言われる量子論における観測問題は観測による波動関数の収縮です。
この波動関数が収縮する理由に関しては実際全く不明で、そこにまたさまざまな解釈が存在します。
そしてこの問題も今の所完全に解決される兆しはありません。
人間の意識の介在も主張されています。
二重スリット実験で量子の波動性が示され、観測する事によるその収縮も確認されます。
その二重スリット実験で人間の意識によってスリットを通過した粒子が偏在することを示す実験も報告されています。
実験結果に対する解釈はその理論に拠って常にその結果が示されれば証明された仮設と認定でき、逆にその過程と結果における因果律が示せなければ、それは一つの解釈と言うことなります。
極めて検証が重要視される物理学の分野においても、解釈問題は想像の世界です。
そして想像だけでは勿論それが検証された科学理論とは言えません。
そして自然選択論は完全に空想の世界の物語に過ぎません。
科学の方法論を全く踏襲していないのが自然選択論ですが、何故か自然選択論は科学的であると主張されその様に信じ込んでいる人たちがむしろ多数派だと言うのは大変理解に苦しみます。
繰り返し述べてきましたが、ダーウィン自身科学と言う言葉を殆ど使っていません。
ダーウィンが科学の方法論を正しく認識していた形跡もありません。
彼の主張は基本的にこの様に考えれば説明できると言う彼の想像の世界での話です。
その後1930年代の集団遺伝学者と称される人たちによって科学の体裁を整えたかのように錯覚されますが、これも何一つ科学の方法論に則っていません。
自然選択論は思い込みと錯覚に依って支えられているのです。
誤解がないように、歴史を整理しておきましょう。
[地動説と風]
(1) 1543年、コペルニクスが地動説を出版。もっとも私的には16世紀の初めから、知人に地動説を語っていた。地動説の登場と同時に、恒常的な強風が吹かない事実が、矛盾となる。
(2) 1609年、ケプラーの法則が登場。天体位置の予測精度で、地動説の優位が確立された。ただし、なぜ風が吹かないかは、依然として謎。
(3) 1638年、ガリレオが「2つの新しい科学」を出版。慣性の法則を説明し、風が吹かない矛盾を解消した。
私が問題にするのは、(1)の段階です。
[光波動説とエーテル]
(1) 1800年まで。波動説が証拠に挙げる光の交差、屈折、ニュートン環等は、粒子説でも説明されていた。一方、波動説には、鉄よりはるかに硬い物質が空間を充たすという矛盾があるが、媒質を必要としない粒子説には、矛盾がなかった。
(2) 1801年、ヤングの2重スリット実験で、粒子説では絶対に説明できない事象が明らかになり、波動説の優位が確立された。ただし、媒質の問題は、依然として残る。
(3) 1821年、ファラデーが電磁場を発見。1855年、マクスウェルが電磁場が電磁波を作ることを説明し、媒質のない波がありうることが分かる。1862年、電磁波の速度の理論値が、光速の観測値と同じだから、光は電磁波で、エーテルは必要ないことが分かる。
同じく、私が問題にするのは、(1)の段階です。
ホームセンターコーナン生野店の駐車場で、12時頃〜16時頃に来ては鳩に餌を与えている『なにわ 581 く 29-54』のキャップ帽クソハゲジジイが究極的にうざいし腹立つから誰かなんとかしてくれ。
>203
>私のように、完全自由にして、自然の選択圧力に任せればよいのか。
先にも言いましたがIDの公共教育で教える行為は自然を逸脱しているから問題なのです。
他を無理矢理弾圧するのと同様の行為です。
>私がいう「教える」とは「ID論なる根拠の薄い理論が存在する」という教え方ではありません。「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」という教え方です。
それは正しいですよ。
「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」と言う主張に対し
「いや、こう言う理由で合理的では無い」、「しかしこう言う根拠からこう考える方が妥当だ」…
こうして議論は進みます。
>自説が正しく他説が間違いと主張するのは、それに該当しますか?
との問いですが、該当しますし正しい行為です。
何度も書いているように根拠バトルなんですから。
そうして科学的コンセンサスを得られて始めて一般化でき教科書などに載ることになります。
それなくして公共教育に乗せようとしているから問題なんです。ここで語ることが出来るのは一般化できた事柄のみです。
それ以前のモノは特定のコミュニティとかでまず磨き上げないとダメです。非主流はそうしてコツコツ根拠固めに奔走していますよ。
現段階でのIDの一般化できている部分は「ID論なる根拠の薄い理論が存在する」と言うとこだけです。
教科書に載せられるならそこぐらいで、「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」と言うのはコンセンサスが得られておらず公共で教えるのは先にも言ったとおり時期尚早です。
>(1)「科学の正規の手順」とはなにか
ある事象に対し仮説を立て、検討し、検証し、理論を修正するそれを繰り返しながら最適な一般論を構築する行為と考えます。
>(2)その手順を逸脱すると、科学の進歩が阻害されるのか
大体が検証方法の不備です。ルイセンコを頑なに否定しますがルイセンコ学説は検証をほとんど行っておらず、自説に不利となるまともな対立理論の検証結果を排斥すると言う手順の逸脱を行っています。
ピルとダウン人、イルメンゼーのクローンマウス生成実験のような証拠の捏造、これらも明らかにその分野の発展を阻害したと言われています。
>(3)地動説と波動説は逸脱しないが、IDは逸脱するのか
当時の地動説も波動説も現状のありのままを説明しただけです。IDもそれだけなら何も問題はありませんでした。
しかし一般化出来ていない部分を一般化しているように騙ってしまっている。
一線を越えてしまっているんです。
単に研究する、ホームページやセミナーでも開いて啓蒙するとか書籍を刊行するとかなら良かったと思います。
当然批判もあるでしょうけど、それで議論が生まれるのは良いことです。
それに対し公共教育機関で教えるというのはそこをすっ飛ばす行為です。
まともな科学的研究も教科書に載るまで相当の議論検証に晒されています。IDだけ優遇するのは間違いです。
自由競争をお望みなら無理矢理公共教育機関にねじ込む行為は愚挙であり暴挙です。
>同じものが、観測行為がなければ波動として、光を照らして観測すると粒子として現れます。
観測が無くても粒子性は備わっています。
数式は予測などに使えると言うだけで、関係を記述してる式と言うだけです。
どのように働いているか自体を説明するもんでもできるもんでもありません。
そう言うものとして受け入れるしかないものですよ。
私の言が信じられないならそれはそれで結構ですので今一度調べて下さい。
観測者効果と不確定性原理をたぶんごっちゃにしてますよ。
>>206
先にも書きましたが矛盾があれば即ダメとはなりません。
矛盾があろうと他で上手く説明できる部分があるなら検討する価値はあります。
前に語っていたエントロピー増大の法則の話も遡ればエントロピーの減少という矛盾があったかも知れません。
かといってそれでエントロピー増大の法則は即棄却するべきでしょうか?
批判されようと信じるに足る根拠が本人にあるならどうしようと好きにすりゃ良いのです。
ただし科学を標榜するならその正規手順は遵守しようね、ってお話です。
>地動説と波動説は逸脱しないが、IDは逸脱するのか
地動説にも波動説、粒子説、大陸移動説や進化説にも、少なくともそれが主張された当時、確かだろうと思える客観的な根拠がありました。
インテリジェントデザイナー論にはそれがないから、科学理論から逸脱するんです。
そもそもの出発点からして、
『宇宙・自然界にみられる精巧さや複雑さは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』という理論・運動である。(ウィキペディア:インテリジェントデザイナー)
サイエンスの手順による自然理解とは異質なものですね。
(自然神学の再興です)
観察事実に基づく合理的な推論によって、設計の存在は極めて容易に導き出されます。
信仰に囚われて事実をありのままに受容れる事が出来ない人、ロジックを追うだけの知能にかける人、そう言った人達にはID論は何時まで経っても理解する事は出来ませんね。
従ってそう言う人達にID論をいくら説いてみた所で何の意味もありません。
やるだけ無駄です。
信仰、盲信は変わる事が有りません。
論理によって説得される事は決して有りません。
それを説得の可能性ありなんて妙な期待をしてしまうととんでも無い泥沼に足を踏み込んでしまう事になります。
一切相手をしないのが最も賢明な判断です。
キリスト教は殊に西欧社会においては現在も猶極めて強固な精神的支柱として存在します。
ローマ以降の西欧社会の歴史はそのままキリスト教との関連において記述されます。
従って、自然神学もキリスト教の文脈の中で述べらる事が多いですが、それが自然観察に基づくもので啓示神を意味しない点において、実はキリスト教と対立するものです。
その意味においては自然神学は基本的にID論と同一の主張を行います。
バチカンがID論が啓示神人格神を認めないとの理由でそれを警戒しているのと同様の事が、自然神学に対しても言える訳です。
それでも一方では自然神学を神の存在証明として援用するキリスト教徒も多数存在します。
そして同様にID論においても似たような状況がある訳です。
ここに科学と宗教の決定的な混同と混乱があります。
そしてそれは科学の文脈でID論を語る上で大きな障害になります。
自然選択論に否定的な人たち、例えばID論者の中にでも自然選択論を完全に否定している人たちは必ずしも多くは無い様です。
むしろ完全否定はしていない人達の方が多数派の様にも見受けられます。
しかしここは重要な点で、果たして自然選択による進化が起こり得るのか、そこをしっかり見極める必要があります。
結論は、言うまでも無くこれまで繰り返し説明して来た通り、自然選択によって進化が起こる事は一切ありません。
先ず第一にロジックが完全に破綻しています。
それは不必要な膨大な選択されざる敗者を生むシステムだからです。
その様な非効率なシステムは進化のエンジンとしては到底採用出来ません。
そして実はそこが多くの研究者から見逃されている点です。
その膨大な敗者の化石証拠の不存在をダーウィン自身もずっと気にしていました。
少なくとも彼は膨大な敗者の存在が必要で有る事までは認識していたのです。
そしてその想定自体が現実を説明するロジックとしては成り立たない理由です。
勿論その膨大な敗者を示す化石証拠も皆無です。
競争原理は文字通り淘汰、つまり不適合者を排除する為の原理であり、進化をもたらす原理ではありえないのです。
計らずもselectを淘汰と訳した日本語訳はその事実をよく示しています。
選別は生存の制限でしかなく、その膨大な敗者を生むシステムは進化のエンジンとしては機能する事は有りません。
今回も、具体論に抽象論で答えておられます。それしかできない人なのですか?
>IDの公共教育で教える行為は自然を逸脱しているから問題なのです。
科学の進歩をどのように妨げたか、具体例を求めているのに、「自然を逸脱している」では、答えになりません。ID論があることで、進化理論のどこがどう阻害されましたか。
>「特定の進化は、自然選択よりもIDが合理的に説明できる」と言うのはコンセンサスが得られておらず公共で教えるのは先にも言ったとおり時期尚早です。
16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も、コンセンサスなどありませんが、教育されてます。何よりも、コンセンサスのない理論を「時期尚早」に教えたせいで、科学の進歩が阻害されましたか? されたなら実例を出してください。
>ルイセンコ学説は検証をほとんど行っておらず、自説に不利となるまともな対立理論の検証結果を排斥すると言う手順の逸脱を行っています。
ルイセンコは例にならないと言いました。反対者を収容所へ送ったルイセンコ理論を、今のIDと同一視しますか。「検証結果を排斥する」って、IDがそれをやってますか? そのせいで、その検証結果が、隠蔽されているのですか?
>ピルとダウン人、イルメンゼーのクローンマウス生成実験のような証拠の捏造
IDが証拠を捏造しましたか?
根拠の薄い理論を教えると、科学の進歩が阻害されると立証するには、弾圧や捏造など、進歩を阻害する、他の要因を除いた条件で、何が起こるかを観察せねばなりません。実験・観察の初歩ではないですか。
>当時の地動説も波動説も現状のありのままを説明しただけです。IDもそれだけなら何も問題はありませんでした。
>しかし一般化出来ていない部分を一般化しているように騙ってしまっている。
またも抽象論。本当に、それしかできないのですか?
もう1度、具体論を整理します。よろしいですか。
[地動説]
主張の根拠は、惑星の逆行運動
その現象は、周転円を想定した天動説も説明した
地動説には、恒常的な風が吹かないという、天動説にはない矛盾があった
[光波動説]
主張の根拠は、光の交差、屈折、ニュートン環など
それらの現象は、粒子説も説明した
波動説には、鉄より硬い媒質という、粒子説にはない矛盾があった
[ID]
主張の根拠は、複雑すぎる進化。私(Ken)の場合は、鳥の進化の力学
それらの進化は、自然選択でも説明できる(私は、鳥の進化は自然選択では難しいと考えますが、ここでは説明できるものとします)
地動説、波動説と異なり、物理法則を否定する矛盾は、IDにはない。
以上の条件をふまえ、かつての地動説、光波動説より、IDの根拠が弱いとは言えない、と私は言ってます。反論なさるなら、抽象論ではなく、上の具体論に具体論で応じてください。
>矛盾があれば即ダメとはなりません。
同じ事象を説明する2つの理論があり、一方にのみ説明できない矛盾があれば、おっしゃるところの「根拠バトル」で負けると思いませんか? かつての地動説と波動説がそうです。
エントロピーの起源問題との違いも、理解してください。起源問題は、純粋に論理的な問題で、熱力学第2法則と矛盾する事象は観測されてません。一方、我々の乗り物が動いても風を感じないとか、我々が自由に動く空間を物質が充たしているとなると、現実の観測事象と矛盾するのです。
くれぐれも誤解しないでください。私の論点は矛盾があるからダメというのではなく、矛盾があり根拠バトルで負けるはずの理論が、教えられて伝わり、それが科学の進歩に貢献した、という点にあります。しかも、上で述べたように、そういう理論が教えられても、進歩が阻害されたりはしません。ゆえに、教育に制約など持ち込むべきでない、というものです。
とにかく、なにをおいても、抽象論を排し具体論を語ることを心がけてください。根拠バトルとは、具体例を示すことではありませんか。
>観測が無くても粒子性は備わっています。
私は、ファインマンの講義を紹介しました。(www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html)
Fig. 37–3では、スクリーンに波が出ているのに、光を当てて観測したFig. 37–4では波が消え、粒子を発するFig. 37–1と同じになってますよね。観測によって粒子性が現れるとは、そういう意味です。
あなたは、観測が無くても備わる粒子性とは、どういうものか説明してください。
>観測者効果と不確定性原理をたぶんごっちゃにしてますよ。
では、ご自身の言葉で、観測者効果と不確定性原理を、説明してください。
>くれぐれも誤解しないでください。私の論点は矛盾があるからダメというのではなく、矛盾があり根拠バトルで負けるはずの理論が、教えられて伝わり、それが科学の進歩に貢献した、という点にあります。しかも、上で述べたように、そういう理論が教えられても、進歩が阻害されたりはしません。ゆえに、教育に制約など持ち込むべきでない、というものです。
インテリジェントデザイナー論を科学理論として公教育に持ち込めば、科学の進歩が阻害されるでしょう。
なぜなら、科学という自然理解の方法そのものに混乱を持ち込むからです。
たとえば中生代に品種改良が行われたという主張は、現在の自然科学による知識体系の根底を否定することになります。
科学史上の波動説と粒子説の対立と融合は、科学の方法論を示す適切なテキストになりますが、
自然はデザイナーが存在しなければ成立しないという思想を科学の領域で教えると、理科の教育が崩壊します。
客観的に知り得ないデザイナーが、自然の原因になってしまうわけですから。
それと、
自分の考えに基づいて多くの具体例から選択し、解釈を加えてデザイナー論に結びつけるっていうのは、抽象論ですよね。
IDの存在は、例えば生物におけるどの様な事象を取り上げても、それを詳細に検証すれば背理法に依って容易く証明されます。
その証明は、ロジックが理解出来なければ勿論理解できません。
また、事象を詳細にあるがままに観察する能力に欠けても同様です。
固定概念に捉われ、そこから一歩も抜け出せない、迷信の囚われ人もまた同様です。
アントニーフルーの述べたゲノムの暗号背はその象徴的な例ですが、一例にすぎまません。
これは宇宙創成から現在に至る過程の全てにおいても全く同様です。
対して、自然選択論は思い付きの妄想ですからね。
厳密な科学的証明は皆無、本当の証拠も皆無です。
科学的証明とは、事実に依る証明です。
数学は科学とは呼ばれませんから、数学の場合はひたすらロジックと計算に依ります。
そこが科学と数学の違いです。
従って、科学においては事実の裏付けの無いものは証明されたとは言えません。
幾らレトリックを弄して、この様に考えれば説明できると言ってみたところで、それに照応する事実を示せなければ証明した事にはなりません。
全ての科学理論は事実による検証が不可欠です。
物理や化学においてはそれは言うまでもない事で、どの様な理論も必ず事実による検証に曝されます。
相対性理論や量子論ですら、未だに検証の対象でもあります。
それに対して科学を標榜しながら検証を放棄しているのが自然選択論です。
その支持者たちは、それが検証されていると言うトンデモナイ錯覚に陥っている。
若しくは最初から信じ込んで検証を放棄している訳です。
それは科学ではなくて宗教です。
何度か主張された論点がありますね。
>>90
>ID論を教科書に取り上げるとして、古典的創造論や宇宙人介入説やスパモンはどう扱うのですか?
要するに、根拠のないID論を教育に持ち込むなら、同じく根拠がない他の理論だって持ち込んでもよいのか、というものです。
まず、科学教育の完全自由を主張する私は、教わりたい人には教えればよいと考えます。ただし、上記の論点の問題は、観測実例があり、効果が確認され、原理が分かっている品種改良と、まったく観測例がない天地創造論や宇宙人を、同列に扱うことです。1億年前を観測することはできなくても、現在観測できる事象から過去を想像することには、合理性があります。それも、20億年ではなく1億年の過去で、40億年の地球生物史の2.5%にすぎません。2.5%に、どれだけの意味があるでしょうか?
人類史を例に考えましょう。類人猿と分かれたのが700万年前とすると、2.5%は175000年。ホモサピエンスの登場は20〜30万年前と推定されるので、今の人類から17〜18万年前の生物を想像するのは、十分に可能なはずです。生物種の進化に要する時間を考えると、日常感覚で膨大に思える年月でも、決定的な差を生じるほどの時間差ではないということです。
これは、現在と過去という時間軸上の比較ですが、空間軸上でも、同じことは行われます。観測ができない遠くの世界で、何が起こるかです。
現代科学が行う考察に、宇宙の他の星に生物が存在するか、存在するなら、どういう原理に基づく生物か、というものがあります。そういう考察の多くが、他の星の生物も、水(H₂O)をベースにしたものであろうと結論し、アンモニアのような別種の流体を想定することは、まずありません。木星や土星のような環境なら、アンモニアが豊富にあるのに。
その理由は、水をベースにした生物は、地球生物という観測例があるからです。水が生命のベースになれる原理も分かってます。H₂O分子は水素と酸素の電気陰性度の違いのせいで、大きな極性をもち、非常に多様な化学物質の溶液になりうる。ゆえに、生命活動を為す化学反応に、最適の環境を提供できるからです。
宇宙の彼方の生物を観測はできなくても、観測できる実例から想像することは、真っ当な考察で、同じく観測できない過去の生物を、観測できる現在の生物から想像することも、真っ当な考察です。まったく観測例がない宇宙人の介入など、比較対象にもなりません。
過去の品種改良は、実行者を特定できないという批判を受けますが、かつての光波動説は、波を伝える媒質を特定できませんでした。しかも、ID実行者には、空間を充たす、鉄よりも硬い物質なんて、物理法則に反した特徴はありません。
疑似科学を持ち込むなと主張する人に共通するのは、科学と疑似科学を判別する基準を、ダブル・スタンダードではない形で提示できず、提示を求められると、答えに窮することです。
>>213
>今回も、具体論に抽象論で答えておられます。それしかできない人なのですか?
もう一度書きますが、抽象論で語るべきであるし、抽象論でしか語りようが無いと申しています。
Kenさんは具体論で語ってるつもり見たいですが、そうなるかも知れないと言う抽象論でしかご自身も語っていませんよ。
>16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も、コンセンサスなどありませんが、教育されてます。何よりも、コンセンサスのない理論を「時期尚早」に教えたせいで、科学の進歩が阻害されましたか? されたなら実例を出してください。
コンセンサスを得るために検証、実験、検討、議論をしていました。その過程が科学です。
何を言っていますか?
>ルイセンコは例にならないと言いました。反対者を収容所へ送ったルイセンコ理論を、今のIDと同一視しますか。「検証結果を排斥する」って、IDがそれをやってますか? そのせいで、その検証結果が、隠蔽されているのですか?
同一視します。根拠が不十分な状態で推し進めようとしているのは同一以外の何ものでもありません。
未だにキリンの首がどうとか、中間種がいないとか発言してる時点で対立説を無根拠に排斥してる確かな事例です。
>IDが証拠を捏造しましたか?
論点ずらしや無理解と言う証拠の捏造は日常茶飯事ですよ。生命は20万年前に生まれたとか証拠に挙げるようなことをします。
つーか、論点はそこじゃないでしょ。真っ当な科学手順の逸脱行為に対して良くないよね、と言ってるの。
>根拠の薄い理論を教えると、科学の進歩が阻害されると立証するには、弾圧や捏造など、進歩を阻害する、他の要因を除いた条件で、何が起こるかを観察せねばなりません。実験・観察の初歩ではないですか。
その通りです。
そこをしっかり理解して下さい。
ですから地動説や波動説の話も実際に主要説と同等に取り扱うことで進歩が促進することを観察し立証せねばなりません。
ね?できないでしょ?
だから一般論で考察するしか無いとしつこく言っているのです。
>またも抽象論。本当に、それしかできないのですか?
>もう1度、具体論を整理します。よろしいですか。
それしか出来ませんし、するしかありません。
データは具体的でもそこから導かれる結論は貴方の抽象論でしかありませんよ。
>以上の条件をふまえ、かつての地動説、光波動説より、IDの根拠が弱いとは言えない、と私は言ってます。反論なさるなら、抽象論ではなく、上の具体論に具体論で応じてください。
で、私は鳥の羽ばたき駆け上がり論に力学的矛盾は無いよ、と申しているのですよね。
貴方の主張に私が反論し、それに対しまた貴方が反論する…真っ当なやり取りです。
矛盾が無ければ絶対正しいともなりませんし、矛盾があったから絶対間違いとも限りませんよ。
そこはこう言う議論で詰めていくのです。
そこをすっ飛ばした強硬手段に出たからIDは叩かれたんですよ。
>同じ事象を説明する2つの理論があり、一方にのみ説明できない矛盾があれば、おっしゃるところの「根拠バトル」で負けると思いませんか? かつての地動説と波動説がそうです。
だから根拠バトルに負けて非主流と言う立場に追いやられたその状態は正しいと何度も言っています。
結果的に地動説が正しかった。だから?としか思いません。
繰り返します。それは歴史学者の誤謬です。
悪いものを決めるならしっかり根拠を示せなかった地動説支持派の落ち度でしかありませんよ。
>矛盾があり根拠バトルで負けるはずの理論が、教えられて伝わり、それが科学の進歩に貢献した、
別に教えるなとは言ってないと何度も言っているでしょう。
現状根拠バトルで負けている非主流の分野でも研究している人はいっぱいいますし、ちゃんと論文もまともなとこに投稿したりしています。
>私は、ファインマンの講義を紹介しました。
>あなたは、観測が無くても備わる粒子性とは、どういうものか説明してください。
>ご自身の言葉で、観測者効果と不確定性原理を、説明してください。
そのファインマンも
>What is the machinery behind the law?” No one has found any machinery behind the law. No one can “explain” any more than we have just “explained.” No one will give you any deeper representation of the situation. We have no ideas about a more basic mechanism from which these results can be deduced.
と仰っています。
ありのまま受け入れるしか無いんですよ。
測定した途端に起こる収縮現象は波動関数の計算結果と実験結果が一致していることから認めらるしかありませんが、その計算過程が実際の物理現象を表しているか分んないんですよ。
計算式ではこうなる、がなぜその現象になるかの説明とはなりません。説明した気になってるだけです。
大概の物理現象は突き詰めればそう言うもの、と受け入れてるだけのもんです。
重力の発生然り、光速度不変の原理然りですね。
>>217
>要するに、根拠のないID論を教育に持ち込むなら、同じく根拠がない他の理論だって持ち込んでもよいのか、というものです。
>
>まず、科学教育の完全自由を主張する私は、教わりたい人には教えればよいと考えます。
じゃあ、IDも教わりたい人に教えるだけで良いじゃない。公共教育に持ち込んじゃ駄目ぜ。
>上記の論点の問題は、観測実例があり、効果が確認され、原理が分かっている品種改良と、まったく観測例がない天地創造論や宇宙人を、同列に扱うことです。
だったら大量破壊兵器はあ使って良いですね。宇宙人も。
>宇宙の彼方の生物を観測はできなくても、観測できる実例から想像することは、真っ当な考察で、同じく観測できない過去の生物を、観測できる現在の生物から想像することも、真っ当な考察です。まったく観測例がない宇宙人の介入など、比較対象にもなりません。
それをドミノ論法の誤謬とか、かも知れない論法の誤謬と言います。
可能性があることと蓋然性の高低をごっちゃにしている詭弁です。
宝くじ当たった人がいるから当たるはず、と言ってるようなもんです。
別に主張は良いし研究も自由ですが、現状まずあり得ない状況というのは理解する必要があります。
恐竜絶滅便秘説やステゴサウルスうんこ主食説と同様な立場です。
確からしさを主張するにはもっと確かな証拠を見つける必要があります。
それまでは‘積極的に否定しないけど取るに足らない説”と言う評価を受け入れるしか無いのです。
>疑似科学を持ち込むなと主張する人に共通するのは、科学と疑似科学を判別する基準を、ダブル・スタンダードではない形で提示できず、提示を求められると、答えに窮することです。
ですので科学と疑似科学に明確な線引きは不可能と最初から言っています。
根拠によってより確からしい方を選ぶだけです。
私が疑似科学だとするのは否定された事象を新たな知見も無く持ち出す行為だとも最初に言いましたね。
ですから結局は「根拠バトル」なんです。
>過去の品種改良は、実行者を特定できないという批判を受けますが、かつての光波動説は、波を伝える媒質を特定できませんでした。しかも、ID実行者には、空間を充たす、鉄よりも硬い物質なんて、物理法則に反した特徴はありません。
「ID実行者」…1億年前に品種改良を行ったのはデザイナー自身なんでしょうか。それともデザイナーが生んだ何者かが、進化を導く選択を行うんでしょうか。
そもそも、インテリジェントデザイナー論は「自然に出来上がるなんてムリな複雑な仕組みそのものが、デザイナーの存在を証明する」という理屈ですから、
デザイナーそのものを客観的に示さなければ科学理論ではありえないでしょ、と言ってきました。
品種改良は人為選択ですから、人に代わる何者かの存在が必要になります。
デザイナー自身が選択を行うなら、いわば神意選択、これは仕組みを問うこと自体ヤボってものです。なにしろ人知を超越しているからデザイナーなんですから。
しかしデザイナーが生んだ何者かということにすれば、「科学の土俵で扱う具体性を持ち得る可能性」がゼロとは言えなくなりますね。
1億年前に「人為選択」を行ったかもしれない生物を具体的に示すという、とてつもなく分厚い壁があるにしても。(続く)
(続き)
本来、科学的に否定できないという意味では「デザイナーが生んだ何者か」も「デザイナー自身」も同じことなので、
科学的検討の対象になり得るかどうかという形式に注目し、そういう方向で理屈をこねようという意図があるのかどうか、という確認のつもりなんですけどね。
>疑似科学を持ち込むなと主張する人に共通するのは、科学と疑似科学を判別する基準を、ダブル・スタンダードではない形で提示できず、提示を求められると、答えに窮することです。
まぁ、詭弁に対しては、たしかに答えに窮する、というより説明の方法に戸惑うことはあるでしょうね。
ついでと言ってはなんですが、反証可能性という線引き基準(科学哲学上の反証主義)に沿ってみれば、地動説も波動説、粒子説、大陸移動説、自然選択説も、理論として前提としていましたね。
要するに自説を否定する事実が明らかになれば、取り下げざるを得ないわけです。実際に、反証されたりされなかったり、科学的な手続きを経て、理論としての経緯がはっきりしています。
インテリジェントデザイナー論は、そうした「自然理解の確かさを増すための」理論の仲間でしょうか。新たな事実によって否定することができない、反証可能性を持たない考えじゃないでしょうか。
もし、そうではないと言うなら、どういう事実が明らかになればインテリジェントデザイナー論を取り下げることが可能になるのか、教えてほしいと思います。
>Kenさんは具体論で語ってるつもり見たいですが、そうなるかも知れないと言う抽象論でしかご自身も語っていませんよ。
抽象論は「そうなるかも知れない」なんて意味ではありません。曖昧という意味です。
>>208
>自然を逸脱している
>一般化出来ていない部分を一般化しているように騙ってしまっている。
これだけでは、どういう具体事実を言ってるのか、分かりません。まず具体事実を挙げ、それに「自然を逸脱している」のような解釈を加えるのが順序です。
私は、過去の具体事実に基づき、これからの事象を予測します。観測に基づいて、理論を立てる行為そのものです。過去の具体事実として、地動説や光波動説のように、その時点で確立していた物理法則と矛盾し、おっしゃるところの
>根拠バトルに負けて非主流と言う立場に追いやられた
という状態にありながらも教育され、次の時代の進歩をもたらした事例を出しました。一方、そのような非主流理論を教えたことで、科学の進歩が阻害された実例はありません。
以上の観測事実に基づき、主流だろうが非主流だろうが、多様な理論が多くの人に知られている方が科学のためになる、と言ってます。多くの人に知られるには、教育によるしかありません。
これに対して、あなたが行うべき反論は、非主流の考えが教えられた結果、科学の進歩が阻害された観測事実を出すことなのです。ところが、いくら言ってもその具体例が出されず、上記のような、なんとでも解釈できる発言に終止されるから、具体性のない抽象論と言ってます。
>同一視します。根拠が不十分な状態で推し進めようとしているのは同一以外の何ものでもありません。
それなら、対立説の主張者を収容所へ送ったりせず、ただ「根拠が不十分な状態で推し進めようとしている」だけの事例を挙げてください。収容所で殺されるとなれば、誰だって沈黙し、科学の進歩が阻害されるにきまってます。
>論点ずらしや無理解と言う証拠の捏造は日常茶飯事ですよ。
誤魔化さないでください。それは証拠の捏造ではありません。証拠の捏造とは、あなたが例に挙げた
>ピルとダウン人、イルメンゼーのクローンマウス生成実験
のようなものです。実在しない具体事実を、実在すると、嘘をつく行為です。IDがそれをやってるなら、具体例を出してください。
>ですから地動説や波動説の話も実際に主要説と同等に取り扱うことで進歩が促進することを観察し立証せねばなりません。
????まさにその話をしてきたではありませんか。地動説は、ケプラーの法則を経て、ニュートン力学につながり、光波動説は、2重スリット実験を経て、電磁波につながりました。
>データは具体的でもそこから導かれる結論は貴方の抽象論でしかありませんよ。
あなたがおっしゃることには、その具体データの裏付けがないのが問題といってます。根拠バトルが大事と主張する本人が、根拠を出してないのです。
>そのファインマンも
(中略)
>と仰っています。
>ありのまま受け入れるしか無いんですよ。
(中略)
>重力の発生然り、光速度不変の原理然りですね。
お待ちください。観測者効果と不確定性原理がどう違うのか。その説明はどうなりましたか?
むろん、どんな理論も、原因の原因を掘り下げてゆけば、どこかで、まだ説明されないところに行き着きますよ。(例外は、数学理論に直接立脚し、これ以上掘り下げようがない熱力学第2法則ぐらい。)ファインマンはそれを言ってるだけです。だからといって、何でも説明不能で片付けるのは科学ではないし、重力だって、重力子を観測し、事象の説明ををもう1段掘り下げようという試みはされてます。
不確定性原理による事象は、粒子と波動の2重性だけではありません。トンネルダイオードや液体ヘリウムの超流動のように、一見まったく無関係に見える事象の、共通の原因とされてますから、そこには確かに原理の掘り下げがあるのです。それぞれの事象を「ありのまま受け入れる」だけなら、こんなことは起こりません。
>IDも教わりたい人に教えるだけで良いじゃない。公共教育に持ち込んじゃ駄目ぜ
「駄目」な理由が、科学の進歩を妨げるからですよね。その判断の根拠となる、歴史上の事例を挙げるように、繰り返し言ってるのに、一向に出てこない、その主張ですよね。
>だったら大量破壊兵器はあ使って良いですね。宇宙人も。
意味不明。大量破壊兵器って>>120 で言われた大量破壊兵器ですか? 火薬や濃縮ウランが見つかれば、大量破壊兵器を想定してもよいと答えました。
>可能性があることと蓋然性の高低をごっちゃにしている詭弁です。
これまた意味不明。地球生物から宇宙生物を想像するという、現実に行われていることが、誤りと言われるのですか? それとも、それはよいが、現在の生物から過去の生物を想像するのが、だめなのですか? 両者の「蓋然性」に差があるのですか?
>ですから結局は「根拠バトル」なんです。
ですから、非主流の理論が教育されたことで、科学の進歩が阻害された具体例を、根拠として提出してください。私が出した根拠と並べて、初めて根拠バトルができるでしょう。
科学を理解しないダーウィンの妄想を引き継いだ科学者と称する人たち。
それが主流とされる進化論者たちです。
ダーウィン同様彼らも科学の方法論を知りません。
そしてダーウィン同様妄想を語っている訳です。
更にかれらはそれを科学であると信じ込みます。
病根は深く治癒されそうもありません。
自然選択論は極めて稚拙です。
それに対して進化の過程は極めて複雑で精妙です。
とても偶々の変異とそれに対する環境による生存率の制限で説明できる代物ではありません。
自然選択論において自然が行使できる唯一の力は生存率の制限です。
それによって全てが成し遂げられるとダーウィンは言っている訳です。
それが科学的であると主張し信じ込んでいる人たちが未だにアカデミズムの中央に陣取っているんですから呆れます。
中立説は自然選択論に対立こそすれ補強しないものであることは言うまでもありませんが、それがあたかも自然選択と折り合って説明可能であると言うデタラメなレトリックが弄されます。
まず何が必要か、それは自然選択論を一度完全にリセットして素直に進化の事実と向き合う事です。
それが出来ない限り、進化論が科学として成立することは決してありません。
「種の起源」の体裁は神学書のものだと言う指摘があります。
種の起源は有害無益ですが、同様に神学も科学にとって有害無益です。
宗教は科学を妨害することすらあれ、科学に利することは何一つありません。
ID論もソレを神学の流れで捉えている限り宗教のドグマから逃れることが出来ません。
宗教は人間の無知と弱さによって紡ぎ出されます。
逆に言えば人間が全知であり強靭な理性を持つ存在であれば宗教が誕生する余地はありません。
つまりダーウィンの居場所はそこだという事です。
結局、これが誤解の根にあるのかな。
>データは具体的でもそこから導かれる結論は貴方の抽象論でしかありませんよ。
具体論に基づく抽象論ならよいのです。ニュートン力学であれ、マクスウェル電磁気学であれ、ダーウィニズムであれ、その意味では一般化した抽象論ですよ。
具体データに基づいて、今の場合は、光波動説のように科学の進歩に貢献したり、ルイセンコ説のように進歩を阻害した歴史の事例に学んで、教育は自由なのがよいという、一般化した法則にいたれば、その法則自体には抽象性がありますよ。非主流説は公共教育に持ち込むな、というのがあなたの法則です。
問題はそこではありません。その法則にいたるまでは、具体データを集めねばならないのに、歴史の事例からデータを集めてるのは私だけで、あなたは1つも集めることができません。
具体データを出さない人とは、根拠バトルのやりようがありません。
>>222
>抽象論は「そうなるかも知れない」なんて意味ではありません。曖昧という意味です。
抽象論は‘いくつかの事物、表象から共通する性質を引き出して、それを一般化して思考すること”です。
貴方がまさに行っている行為です。
別に間違いではありません。
抽象的議論を展開しつつ、それに対しどう言う具体例がマッチするのか問い直し説明する。それが正しい態度なんです。
>>根拠バトルに負けて非主流と言う立場に追いやられた
>という状態にありながらも教育され、次の時代の進歩をもたらした事例を出しました。一方、そのような非主流理論を教えたことで、科学の進歩が阻害された実例はありません。
うんざりするほど繰り返しになりますが、教育するなとは一切申しておりません。
ありのまま教えるのは好きにすれば良いと申しています。非主流だろうと正しいと思うことは根拠を持って示すのは科学的に全く持って正しい行為です。
根拠の伴っていない状況で科学的コンセンサスも得られていないのにその様に振る舞う行為をず〜っと批判しています。
>多くの人に知られるには、教育によるしかありません。
それは別に良いですがルールを守れ、と言っているのです。
論文として投稿もせず専門家による議論も尽くされていない状況で、それを初心の者に主流の説と同格に教えるのはふざけているとしか言えません。
>あなたが行うべき反論は、非主流の考えが教えられた結果、科学の進歩が阻害された観測事実を出すことなのです。ところが、いくら言ってもその具体例が出されず、上記のような、なんとでも解釈できる発言に終止されるから、具体性のない抽象論と言ってます。
そりゃあ、この基本ルールは今も昔も同様ですからね。逸脱する行為を行う真っ当な科学者はレアケースですから観測事例は限られています。
そもそも非主流が教えられたから問題とは全く言っていません。
「根拠のレベルに偽りがある状況で教えるのがいかん」と言っているのです。本当にもういい加減にして下さい。
そこを理解せずどう言うわけか、その一番よく知られている例であるルイセンコ学説を頑なに認めないからめんどくさいことになってるだけです。
根拠が他より不十分な状況なのに一般に教えられ実害が出た例はいっぱいあります。ルイセンコが気にくわないなら直近のワクチン有害論とかどうですか?
ダーウィンの進化論もどうようの迫害を受けましたね。
慣性の法則発見以降の地動説も同様ですね。
>それなら、対立説の主張者を収容所へ送ったりせず、ただ「根拠が不十分な状態で推し進めようとしている」だけの事例を挙げてください。収容所で殺されるとなれば、誰だって沈黙し、科学の進歩が阻害されるにきまってます。
上記のワクチン有害論やらセンメルヴェイスの手洗い法の反対論とかどうかね?
それにこれももう書いたのですが殺されるとかは別の話です。中国も同様にルイセンコ学説が取り上げられましたが収容所送りとかにはならず反論も可能でした。
ただ国家が不当に優遇しただけでルイセンコが台頭して悲劇を生みました。
ここの本質は根拠が少ない論説が根拠の優れたものより不当に持ち上げられたことです。繰り返しますが弾圧や虐殺は別問題です。倫理とか感情の問題にすり替えないで下さい。
>誤魔化さないでください。それは証拠の捏造ではありません。証拠の捏造とは、あなたが例に挙げた
>>ピルとダウン人、イルメンゼーのクローンマウス生成実験
>のようなものです。実在しない具体事実を、実在すると、嘘をつく行為です。IDがそれをやってるなら、具体例を出してください。
IDの存在それ自体ですね。と言うのはアレですが
再度書きますが直近だと人間も含む90%の種が20万年〜10万年前に出現したと言う主張とかですね。別のデータ解釈のねじ曲げですけど。
んで、もう一度言いますが本質はそこじゃありません。
本質は「正しい科学的手順を逸脱した事による害」です。IDはそれを行っていると言っています。こちらの言いたいことをご理解願います。
>>ですから地動説や波動説の話も実際に主要説と同等に取り扱うことで進歩が促進することを観察し立証せねばなりません。
>????まさにその話をしてきたではありませんか。地動説は、ケプラーの法則を経て、ニュートン力学につながり、光波動説は、2重スリット実験を経て、電磁波につながりました。
だから、それはタイムマシンでもないと観察しようが無い。それ故に抽象論で論じるしか無いと言っているのです。
わかりませんか?
>あなたがおっしゃることには、その具体データの裏付けがないのが問題といってます。根拠バトルが大事と主張する本人が、根拠を出してないのです。
貴方がこちらの根拠を頑なに認めないからってだけです。
>お待ちください。観測者効果と不確定性原理がどう違うのか。その説明はどうなりましたか?
ちっとは自分で調べたりしましたか?
不確定性原理は発見当初は観測行為によるモノと説明されていましたが後に誤った解釈であるとされるようになっています。
観測者効果は光などを用いた観測によって影響を受けるため物理量の不確定性が生じるというモノでこれ自体は古典力学でも説明が付くモノです。
不等式の表現からも不確定の理由が観測行為によって与えられるという印象が与えられたものですが、その後の研究で不確定性に理由は無く、量子が持つ不確定性の原理と観測者効果は別物と解釈されるようになりました。
不確定の法則で無く、原理=本質と呼んでる意味はそこです。
そもそもひとつの物理量を正確に測定しようとすると、その影響でもう一方の物理量が正しく得られなくなると言う考えが本来正しい位置とかが存在するという前提条件で成り立っています。
二重性に反する考え方でしょう?
私の言葉を信じないで良いので、とりあえず複数の資料に当たってみて下さい。
それでも不確定性原理と観測者効果は同じみたいな説明しか出てこないというならまたこちらも考えますよ。
>むろん、どんな理論も、原因の原因を掘り下げてゆけば、どこかで、まだ説明されないところに行き着きますよ。(例外は、数学理論に直接立脚し、これ以上掘り下げようがない熱力学第2法則ぐらい。)ファインマンはそれを言ってるだけです。だからといって、何でも説明不能で片付けるのは科学ではないし、重力だって、重力子を観測し、事象の説明ををもう1段掘り下げようという試みはされてます。
で、当時のエーテルも同様だと言っているだけです。エーテルだってどうすれば矛盾が無くなるか掘り下げようとしていたでしょう?
>不確定性原理による事象は、粒子と波動の2重性だけではありません。トンネルダイオードや液体ヘリウムの超流動のように、一見まったく無関係に見える事象の、共通の原因とされてますから、そこには確かに原理の掘り下げがあるのです。それぞれの事象を「ありのまま受け入れる」だけなら、こんなことは起こりません。
ありのまま受け入れて、それで終わりとは一言も言っていないでしょう?そう言うの止めてくれませんか?
謎を謎のままで満足しないのが科学者です。
>「駄目」な理由が、科学の進歩を妨げるからですよね。その判断の根拠となる、歴史上の事例を挙げるように、繰り返し言ってるのに、一向に出てこない、その主張ですよね。
貴方がこちらの根拠を頑なに認めないからってだけです。
>意味不明。大量破壊兵器って>>120 で言われた大量破壊兵器ですか? 火薬や濃縮ウランが見つかれば、大量破壊兵器を想定してもよいと答えました。
おや?それでしたら品種改良してる太古の生物が見つからないなら想定しちゃダメってことになりませんか?
>これまた意味不明。地球生物から宇宙生物を想像するという、現実に行われていることが、誤りと言われるのですか? それとも、それはよいが、現在の生物から過去の生物を想像するのが、だめなのですか? 両者の「蓋然性」に差があるのですか?
現在の生物から過去の生物を想像するのがダメじゃ無いなら宇宙人もダメじゃ無いですよね?
両者の蓋然性の差はどう感じますか?さらにそれらが存在しなかったとするものとの蓋然性は?
>ですから、非主流の理論が教育されたことで、科学の進歩が阻害された具体例を、根拠として提出してください。私が出した根拠と並べて、初めて根拠バトルができるでしょう。
はい。もういい加減理解して下さい。
非主流でも関係ありません。問題は正規の科学的手段を遵守するか逸脱するかです。
非主流でも正しい方法で行うなら何ら問題はありませんし、主流理論だろうと科学的手段から逸脱したらボコボコに叩かれますよ。
正規の科学的手段は、仮説検証・研究→発表→専門家集団による評価→当該研究の普及→その様な研究を踏まえた新たな研究、このサイクルです。
問題はこのサイクルが守られているか否かでアリ、非主流の理論が教育されたことは関係ありません。
わたしはそんなに難しいこと言っていますか?
繰り返し書いてきましたが、自然選択論には実証的な根拠はゼロです。
これは誰も示せない筈です。
よく言われる観察例がまったくソレに該当しない事も繰り返し書いてきましたね。
対してID論は、自然界におけるどの様な生命現象を観察しても、背理法によって極めて明示的にIDの存在が示唆されます。
まあ、背理法自体が理解出来なければどうしようもありませんがね。
物理学がガリレオに始まりニュートンに至る経緯を経て近代科学化を成し遂げていきますが、
それに対して生物学の近代化は2世紀以上の遅れをとります。
生物学の近代化を成し遂げたのはパスツールです。
パスツールは初めて実験手法を用いて微生物が自然発生しないことを示しました。
それが科学的な手法です。
それに対して、またダーウィンの話になりますが、彼は科学者でも何でもありません。
ダーウィン自身、ずっと地質学者を自称していますね。
純粋に地質学の観点からいえば地質学者も科学者ですが、彼が提唱しているのは生物の進化に関する理論です。
それが何ら科学的手法に依拠していないのは、「種の起源」を読めば明らかです。
「科学(science)」と言う言葉がよく使われだしたのは比較的近年ですが、ダーウィン自身
科学と言う言葉を殆ど使っていません。
実際、実験と観察、観測による事実の検証、この最も基本的な近代科学の手法をダーウィンが
十分に理解していたと思える痕跡はありません。
「このように考えれば説明できる」
これがダーウィンの口癖です。
そこに事実による検証は存在しません。
ダーウィンが最後まで気にしていた「あるべき膨大な中間種の化石の不存在」に関しても、
自説の最大の弱点と認めながらも、その不存在の理由に様々な言い訳を用意することに熱心で
事実の裏付けがないままに自説の正しさを主張し続けます。
これは思索だけに頼った古代ギリシャ哲学者と大差ありません。
彼が引用している膨大と思える事例も、現存する数百万に及ぶ生物種に比べればほんの大河の一滴にしか
過ぎません。
それを科学を称することが如何に無意味であるのか、そこに未だに気付けない人たちが多いのには本当に驚かされます。
一番おっしゃりたいのは、これですか。
>正規の科学的手段は、仮説検証・研究→発表→専門家集団による評価→当該研究の普及→その様な研究を踏まえた新たな研究、このサイクルです。
「専門家集団」とは何です? その分野の職業に従事する人のことですか? なぜ、評価者を限定せねばならないのですか? 評価者がだれであろうと、内容で勝負すればよいでしょうに。ルイセンコ農法を推進したのも、センメルウェイスの手洗いに反対したのも、その社会では専門家を称する人々のはずです。専門家を称する人は、平均すれば知識はあるが、同時に利害関係者でもあります。
だから、どんな理論も広く教え、根拠バトルに参加する人数が多いほどよい。むろん、そうなると、知識の少ない人も参加しますよ。でも、自由競争の環境があれば、優れた根拠を出せる人と出せない人の差は、現れます。一方、参加者が多いほど、一部の人の利害に支配されるリスクが減ります。
ところで、正体不明の不思議物質があることにして、観測事実と理論の不一致があるのをないことにしてしまうのは、「正規の科学的手段」に沿ってるのですか?
>根拠の伴っていない状況で科学的コンセンサスも得られていないのにその様に振る舞う行為をず〜っと批判しています。
ドーキンスが寄稿文で言ってるように、IDを支持する側は、自然選択とIDの両方を教え、判断は学ぶ側にさせるという考えです。対立する両方を教えれば、コンセンサスがないことは教わる側にも分かるから、コンセンサスがあるようには、振舞ってません。
>論文として投稿もせず専門家による議論も尽くされていない状況で、それを初心の者に主流の説と同格に教えるのはふざけているとしか言えません。
「ふざけている」なんて情緒表現は無意味です。科学の進歩が阻害されるなら、実例を示してください。上で書きましたが、専門家なるものが受け入れるかは、判定基準になりません。基準は合理性だけです。専門家と称される人々の判断に頼るなら、この場の議論は無意味です。
>「根拠のレベルに偽りがある状況で教えるのがいかん」と言っているのです。本当にもういい加減にして下さい。
ID論の根拠は、自然選択よりも品種改良と考える方が、合理的に説明できる進化が、見受けられる、という点にあります。理由として、世で流布するIDが挙げるのは、単体では選択圧に繋がらない進化がある、というもの。私が言ってるのは、鳥の飛行能力の発生には、力学的な無理がある、というものです。
このように、IDが根拠とするものは、説明されています。それで根拠のレベルは分かりますから、偽ってはいません。
>ここの本質は根拠が少ない論説が根拠の優れたものより不当に持ち上げられたことです。繰り返しますが弾圧や虐殺は別問題です。倫理とか感情の問題にすり替えないで下さい。
そう。別問題だから、弾圧も虐殺もない事例を挙げてください。また中国のような法の支配がない独裁国家ではなく、自由な社会での例を挙げてください。「不当に持ち上げられた」影響のみを抽出するには必要です。ルイセンコ説は例になりません。
>ワクチン有害論やらセンメルヴェイスの手洗い法の反対論とかどうかね?
ワクチンの効果が周知されながら、なおワクチンが拒否されたのですか? 手洗いも同じです。効果が周知されながら、なお拒否されましたか?
そうではなくて、ただ、これらの効果が知られなかったのが、原因ではありませんか? それなら、問題は反対論を教えたことではなく、効果を教えなかったことです。
ID論者はIDと自然選択の両方を教え、判断は任せればよいと言います。ワクチンや手洗いに効果があることを教え、反論があるならそれも教え、判断は任せればよいのです。ワクチンや手洗いに実利があるなら普及します。人間は実利を追う生き物ですから。
>人間も含む90%の種が20万年〜10万年前に出現したと言う主張
そんなものはIDの本質と関係ないフェイクニュースにすぎません。IDの妥当性とも関係がありません。ピルトダウン人は、ダーウィニズムから出てきた捏造ですよ。人間が動物から進化した証拠として、サルとヒトを繋ぐミッシング・リンクとして作られました。この捏造があったからとて、ダーウィニズムの理論としての妥当性が、影響されますか。
>だから、それはタイムマシンでもないと観察しようが無い。それ故に抽象論で論じるしか無いと言っているのです。
そんなことをいえば、歴史を学ぶ行為そのものが無意味になります。私たちは、私たち に見える資料から判断をします。日本は二百年の鎖国によって、西洋に遅れをとったと、あなたも教わったでしょう。でも、本当にそれが原因で遅れたのか、現場観察はできません。すると、今の歴史教育も正しくないのでしょうか?
歴史資料に基き、地動説や光波動説がなければ、科学の進歩は大幅に遅れたと結論します。
>ひとつの物理量を正確に測定しようとすると、その影響でもう一方の物理量が正しく得られなくなると言う考えが本来正しい位置とかが存在するという前提条件で成り立っています。
>二重性に反する考え方でしょう?
本来正しい位置? 二重性に反する? それ、どこかで読んだのですか?
トンネルダイオード(トンネル効果)がなぜ可能だと思いますか。電子の位置が不確定で、絶縁障壁の両側にまたがるからです。なぜまたがると思いますか。粒子のはずの電子が、波動関数の形で存在するからです。離散的な質量や電荷をもつ粒子的存在が、波動的存在として伝わる。この二重性がトンネルダイオードの原理です。
観測による影響は、ファインマンが図で示してます。電子を発するだけなら、スクリーンには波模様が現れる。ところが電子に光を当てて観測すると、波模様が消える。それまで波動関数に従っていたのが、従わなくなる。観測行為の影響は、シュレーディンガーの猫に代表される、今も決着しない議論がありますが、影響があること自体は、広く受け入れられているのです。
>それでしたら品種改良してる太古の生物が見つからないなら想定しちゃダメってことになりませんか?
品種改良の結果と思われる進化があれば、品種改良を想定します。大量破壊兵器の結果と思われる濃縮ウランがあれば、大量破壊兵器を想定します。
品種改良をした生物が見つからないのは、エーテルが見つからなかったのに対応します。ただし、品種改良をした生物には、物理法則との矛盾がないのが、両者の違いです。
>現在の生物から過去の生物を想像するのがダメじゃ無いなら宇宙人もダメじゃ無いですよね?
現在の生物から過去の生物を想像するのは、現実に行われているではありませんか。
>ID論の根拠は、自然選択よりも品種改良と考える方が、合理的に説明できる進化が、見受けられる、という点にあります。
論理的合理性、ということなんでしょうが、具体的な根拠、説明はありませんね。
>理由として、世で流布するIDが挙げるのは、単体では選択圧に繋がらない進化がある、というもの。
はて、具体的にはどういう事例でしょうか。
>私が言ってるのは、鳥の飛行能力の発生には、力学的な無理がある、というものです。
鳥は、物理的に勝手に飛行能力を得られるわけがなく、デザイナーの意思が必須だ、ということでしょうか。
>このように、IDが根拠とするものは、説明されています。それで根拠のレベルは分かりますから、偽ってはいません。
自然をそのものとして受け入れ、人にとっての謎をひとつ一つ解明していくのが科学じゃないでしょうか。
ガリレオ以前、ギリシャ哲学から続く学術史の中では、考証は基本的に思索による
論考によって行われ、実験によって何かを検証するという態度は殆ど取られませんでした。
それは、一つには実験設備、機器と言ったものが存在せず、正確に何を実際に行って試すより
思考のみによって物事を検証する方がより正確だと考えられていたことにもよります。
それを覆す上で極めて重要な役割を果たしたのが望遠鏡や顕微鏡いった光学機器の発明です。
見れば信ずる、それが事実だからです。
今まで見えなかったものが見えて来る、それによって空想に頼るしかなかった事柄が、
実際に実際に視覚に認知され事実として明らかにされる訳です。
近代科学の歴史は想像からの脱却でもある訳です。
それは信仰からの脱却でもあります。
ダーウィンが評価されている一つのポイントは信仰からの脱却ですが、実はそれはダーウィンが
存在しなくても簡単に事実によって証明される話であり、ダーウィンのクドクドとした
論考を待つまでもありません。
あらゆる化石証拠が明白にそれを示しています。
その辺りの思い違いが、未だにダーウィン信者が生き続けている理由でもあります。
ラマルクはダーウィンより50年以上前に進化論を提唱しています。
種は変異するとして、ダーウィンと違って最初から進化の語を用いました。
単純なものから複雑なものへ進化するというダーウィンが描かなかったグランドデザインも描いています。
科学的知見の乏しかった当時の話なので、誤りも多数存在しますが彼の主張した獲得形質の遺伝は現在エピジェネティックによって一部でそれが存在することも示されています。
評価はダーウィンに比べて不当に低いですが、実はダーウィン以前にダーウィンに比べて遥かに意味のある説を提唱している訳です。
その50年以上後にダーウィンは種の起源を著しますが、これは明らかに逆行ですね。
それは取りも直さずダーウィンの主張が科学では無いことを意味します。
科学は逆行しません。
因みにダーウィンは用不用説を支持していますね。
そしてそれは自然選択論には全く反映されていません。
論理的整合性にもダーウィンは関心がなかったという事ですね。
よく混同されますが、ダーウィンが想定した微細な変異が連なる事と中間種の化石の存在は別の事です。
中間種の存在はそれ自体不連続であり、微細な変異を過程を全て埋めるものではありません。
つまり飛び石状に存在している訳です。
あくまで存在しているのは点であり、決してそれは繋がって線になることはありません。
ダーウィンは線状に絶え間なく連なると主張します。
そしてその化石証拠が存在しないことに対して様々な言い訳を考えます。
そもそも化石にならなかった、化石証拠はまだ見つかっているのはその一部、そもそも変異前の種は生存競争に敗れて絶滅した等、自説の正当化に心血を注ぎます。
情けない事には現代の総合説論者もその言い訳を否定できないでいる訳です。
「専門家集団」の言葉が出たことで、主張が対立する理由の根幹が見えたようです。おっしゃることから「専門家集団」を取り去って、
仮説検証・研究→発表→評価→当該研究の普及→その様な研究を踏まえた新たな研究
なら当然のことです。
最大の問題である「評価」のステップを「専門家」に限定し、そこをクリアした理論のみを「非専門家」に教えるなら、IDであれ、他の星の生物であれ、かつての地動説や光波動説も、学校教育に持ち込むべきではないでしょう。
私は「専門家」であれ「非専門家」であれ、その評価のステップに参加する人が、多様で数が多いほど科学のためにはよいから、どんな理論も、まずは広く教えるのが有利と考えます。
「専門家」に限定するメリットは、知識のある人だけで議論するから、効率がよくなることでしょう。しかし、科学の世界では、結果を出せる出せないの差が、最も容赦なく現れます。ヤングの実験一発で、1世紀以上の光粒子説の支配が凋落するのが、科学の世界です。「専門家」にその結果が出せるなら、出せばよいだけです。
「専門家」に限定するデメリットは、参加者の数が少なく、しかも利害関係者である場合が多いので、ルイセンコ農法のようなものを推進したい勢力は、その少数のみを管理下におけばよいことです。センメルウェイスに反対したのは当時の医学界でした。そういう「専門家」は捨ておいて、手洗いの効果を広く報せればよいのです。報せる場は教育です。
繰り返しますが、だからといって「教えるべき」とはいいません。公立校であれ私塾であれ、教えたい人と教わりたい人がいるなら、やらせておけばよいので、結果として、その人たちが何を学び、どういう人生を歩んでも、自由と自己責任の問題です。前に述べたように、突然変異と自然選択で種が進化する原理を、科学の進歩に適用すればよいのです。
ネイチャーやサイエンスのような学術雑誌の「査読」という仕組みをどうお考えでしょう。
生物学の専門家であっても分野が違えば的確な判断はできませんから、専門分野の科学者にきちんと判定してもらうことが不可欠です。
インテリジェントデザイナー論は思想ですから、もちろん語るにあたってどんな場所でも査読などはありません。
科学の方法論についての理解と絡めて、考えてみてください。
現代の進化論の主流とされる総合説は繰り返し述べてきた通り、全く無意味です。
現代進化論を無意味たらしめている元凶は言うまでもなくダーウィンとそれを科学と偽装させた人達ですね。
更にそれに続く中立説を遺伝的浮動の観点で説明しようとする人たちです。
彼らの進化に対する考え方は基本的に全て誤りです。
科学として成り立っていません。
彼らに決定的に欠けているのは実証的検証であり、想像力です。
自然選択の根本概念である選択は進化において何ら作用しません。
これも繰り返し述べてきましたが、選択の存在を証明する化石証拠は何処にもありません。
その無意味な概念を彼らは引き摺り続けます。
さらに偶然の確率を考慮しないまま、偶然性を進化のエンジンと捉えます。
ゲノムの解析がどれだけ進もうと、誤った概念を後生大事に引き摺り続けていたら進化の真実から遠ざかるばかりです。
未だにそれをやっているのが大多数の現代の進化論者たちです。
そして彼らは主流面をし続けていますね。
種の起源では何一つ科学的な証明はなされていません。
逆に自然選択論に反しそうな事実を列挙して見せ、しかしこう考えれば説明できる、と言う言い訳をひたすら繰り返します。
そんな科学とは程遠いダーウィンの空想は当時も受け入れる人がいる一方で相当な批判にも曝されました。
それを科学であるかのような装いを与えて完全に復活させたのがその後の1930年代の集団遺伝学者たちですが、勿論彼らの主張もただ単に突然変異と自然選択を無理やり接合しただけの事実による証明を伴わない空想に過ぎません。
自然選択論は事実から乖離した空想の世界です。
ダーウィンが最後まで気にした化石の不存在のみならず、その自然選択の工程自体が実は全く存在しないものです。
それに気付かない、気付こうともしないのが愚かな底辺たちだけではないことは真に驚きです。
>突然変異と自然選択で種が進化する原理を、科学の進歩に適用すればよいのです。
突然変異と自然選択で種が進化する原理は、確認できる事実に基づくという意味で科学の土俵上にありますが、
インテリジェントデザイナー論は確認できる事実を欠くので科学的には評価のしようもない、ということをご理解いただければと思います。
>>232
>「専門家集団」とは何です? その分野の職業に従事する人のことですか? なぜ、評価者を限定せねばならないのですか? 評価者がだれであろうと、内容で勝負すればよいでしょうに。ルイセンコ農法を推進したのも、センメルウェイスの手洗いに反対したのも、その社会では専門家を称する人々のはずです。専門家を称する人は、平均すれば知識はあるが、同時に利害関係者でもあります。
勘違いしてそうですが、非専門家の意見は聞かないとかではないですからね。オープンな場で専門家、非専門家関係なく意見は聞き入れますよ。
非専門家の意見は分野の発展において重要ですからね。進化論のきっかけとなった人口論なんて生物学とは全く違う分野ですしね。
大事なのはそれの評価検討に専門家が必須であると言う絶対的事実です。根本の部分で間違っていたりしたら全て無意味ですからね。門外漢ばかりでそれを性格に判別できるか疑問でしょう?
あとルイセンコとか専門家を称する人が推進した云々は意味の無い反論です。
専門家の評価のせいで起こったモノじゃありませんからね?科学的手法に反した評価の所為で起きたことですからね?
>ところで、正体不明の不思議物質があることにして、観測事実と理論の不一致があるのをないことにしてしまうのは、「正規の科学的手段」に沿ってるのですか?
仮説を立てるのは正しい手段です。
観測事実と理論が即完全一致なんて方が希です。不一致があったらそのたび理論を修正したりするのは普通でしょう?
>ドーキンスが寄稿文で言ってるように、IDを支持する側は、自然選択とIDの両方を教え、判断は学ぶ側にさせるという考えです。対立する両方を教えれば、コンセンサスがないことは教わる側にも分かるから、コンセンサスがあるようには、振舞ってません。
両立させている時点で大きな誤解を生むと言っているのです。
そしてやはりスパモンや宇宙人を同様に教えないといけなくなりますよ。
対立するって現状相手になっていないんですからね?初学者に要らぬ認知バイアスを掛ける良くない方法ですよ。
>「ふざけている」なんて情緒表現は無意味です。科学の進歩が阻害されるなら、実例を示してください。上で書きましたが、専門家なるものが受け入れるかは、判定基準になりません。基準は合理性だけです。専門家と称される人々の判断に頼るなら、この場の議論は無意味です。
実例?空間除菌とかクレベリンとかウイルス進化論とかですかね。
逆に問いますが論文として投稿もせず専門家による議論も尽くされていないけど議論されてるモノより合理的なものはあるんですか?
実例を示して下さい。
専門家に全く頼らない判断こそ無意味だと思います。
>私が言ってるのは、鳥の飛行能力の発生には、力学的な無理がある、というものです。
>このように、IDが根拠とするものは、説明されています。それで根拠のレベルは分かりますから、偽ってはいません。
んで、前スレからずっと力学的な無理は無いよ。と私は言い続けていますよね。
根拠を否定されても無視して言い続けるんですから、そりゃ最強ですわな。
こう言うのも偽りだと私は思っています。
>別問題だから、弾圧も虐殺もない事例を挙げてください。また中国のような法の支配がない独裁国家ではなく、自由な社会での例を挙げてください。「不当に持ち上げられた」影響のみを抽出するには必要です。ルイセンコ説は例になりません。
もう一度書きますが弾圧は「不当に持ち上げるための手段です」そこを分っていますか?
メディアや発信力のある個人によるものでも宗教や政治の力でも手段が違うだけで本質は同じです。
重要なのは手段で無く、根拠が低いのに他を差し置いて持ち上げられたと言う事実です。
>ワクチンの効果が周知されながら、なおワクチンが拒否されたのですか? 手洗いも同じです。効果が周知されながら、なお拒否されましたか?
>そうではなくて、ただ、これらの効果が知られなかったのが、原因ではありませんか? それなら、問題は反対論を教えたことではなく、効果を教えなかったことです。
効果は周知されましたよ。それを正しく用いない、心情的な理由での拒否と言った科学的手法の逸脱で起きたものです。
ワクチンによる害を疫学的分析を無視して吹聴すると言った正しくない方法による被害です。
>ID論者はIDと自然選択の両方を教え、判断は任せればよいと言います。
だからそれだったらその2つに限定する合理的説明をしてみて下さい。
>そんなものはIDの本質と関係ないフェイクニュースにすぎません。IDの妥当性とも関係がありません。ピルトダウン人は、ダーウィニズムから出てきた捏造ですよ。人間が動物から進化した証拠として、サルとヒトを繋ぐミッシング・リンクとして作られました。この捏造があったからとて、ダーウィニズムの理論としての妥当性が、影響されますか。
問題はこいつのせいで脳の発達が先んじて起こったという誤った認識を広めてしまったことです。
コイツの存在でアウストラロピテクスとかの立ち位置に無駄な議論が生じてしまいます。
進化論に影響しなかったからどうでも良いと言うようなものではありません。
>そんなことをいえば、歴史を学ぶ行為そのものが無意味になります。私たちは、私たち に見える資料から判断をします。日本は二百年の鎖国によって、西洋に遅れをとったと、あなたも教わったでしょう。でも、本当にそれが原因で遅れたのか、現場観察はできません。すると、今の歴史教育も正しくないのでしょうか?
だから抽象論で語ることになると言っているのです。
抽象論は無意味じゃ無いですよ。
>トンネルダイオード(トンネル効果)がなぜ可能だと思いますか。電子の位置が不確定で、絶縁障壁の両側にまたがるからです。なぜまたがると思いますか。粒子のはずの電子が、波動関数の形で存在するからです。離散的な質量や電荷をもつ粒子的存在が、波動的存在として伝わる。この二重性がトンネルダイオードの原理です。
そうですね。だから‘原理”です。
現状そうなるモノと受け入れてる、そう言うものです。
もう論点はそこじゃ無いのでいい加減にして欲しいんですが、そんなに言うなら二重性の起きる原理を説明してご覧なさいな。
数式とかに逃げずにさ。
>品種改良の結果と思われる進化があれば、品種改良を想定します。大量破壊兵器の結果と思われる濃縮ウランがあれば、大量破壊兵器を想定します。
>品種改良をした生物が見つからないのは、エーテルが見つからなかったのに対応します。ただし、品種改良をした生物には、物理法則との矛盾がないのが、両者の違いです。
品種改良の結果と思われるとか、その程度で良いなら大量破壊兵器の結果と思われる大量絶滅でもいいじゃないですか?
大量破壊兵器にはウラン濃縮とか具体的なモノ求めるなら、品種改良も檻とか首輪とか具体的なモノ求めないとフェアじゃないですよ。
大量絶滅は他の理由で説明できる?それは品種改良の結果とやらもおなじですよね?
ね?大量破壊兵器を否定する理由が品種改良説を肯定する限りないでしょう?
ですが品種改良より大量破壊兵器はありえないと思う。それはなぜでしょうか?
そうですね。蓋然性の違いですね。
同様に自然選択と品種改良を考えてみましょう。それぞれの蓋然性はどうですか?
>現在の生物から過去の生物を想像するのは、現実に行われているではありませんか。
じゃあ、宇宙人の想定もありですね。
>仮説検証・研究→発表→評価→当該研究の普及→その様な研究を踏まえた新たな研究
専門家の関わらない評価は無意味どころか凄まじい害悪です。
医者が全く関わらない治療法の普及とか地獄でしょう。
>私は「専門家」であれ「非専門家」であれ、その評価のステップに参加する人が、多様で数が多いほど科学のためにはよいから、どんな理論も、まずは広く教えるのが有利と考えます。
参加は大いに結構ですが専門家を排したモノはうんこです。
専門家のメリットは効率化以上に誤った方向へ行くことを防止する機能です。
>繰り返しますが、だからといって「教えるべき」とはいいません。公立校であれ私塾であれ、教えたい人と教わりたい人がいるなら、やらせておけばよいので、結果として、その人たちが何を学び、どういう人生を歩んでも、自由と自己責任の問題です。前に述べたように、突然変異と自然選択で種が進化する原理を、科学の進歩に適用すればよいのです。
分別が付く状態でなら自由でしょうが公共教育では駄目です。洗脳と変わりません。
反日教育とかやらせておけば良いと思うのですか?
突然変異と自然選択で種が進化する原理と言いますが、現状IDは特定外来種を自然に放つような行為ですよ。
科学における自然環境は先に語ったあのサイクルに相当します。
ちゃんとそこに乗らないと突然変異と自然選択で種が進化する原理とやらにはなりませんよ。
>>239 でGBさんが仰ってるように査読付きの専門誌にでも根拠を示しまず載らないとIDの価値はすこぶる低い状況は変わりようがありませんよ。
現在もダーウィニズムを支持する多くの研究者たちに何故支持するのか理由と問えば、
恐らく多くの研究者はそれが科学的であるから、と答えるでしょう。
しかしどこがどう科学的なのか、と問われれば多分明確に回答できる人は少ないでしょう。
それが主流説だから、学会的に支持されているから、権威付けされているから、
多くの人が信じているから、コレが実は根源的な理由です。
もう一つの理由はダーウィンニズムを否定すると最終的に宗教に至る、と言う懸念があるからです。
そんな科学とは相容れない世界には足を踏み入れたくない、という動機です。
そしてそれらは何れも理由として成立していません。
先ず、ずっと言ってきたことですがダーウィンニズムに科学的な裏付けはありません。
これは科学的な手続きに無知である、と言うレベルです。
そして権威はなんら真実を担保しません。
更に、ダーウィンニズムの否定と宗教は全く別の事柄です。
これらに対する無理解が混乱を呼んでいる訳です。
説明が出来ていないのにしたつもりになっている、されたつもりになっている。
これが「種の起源」におけるダーウィンの説明とその解釈です。
これは現代の総合論における自然選択と遺伝的浮動の説明においても全く変わっていません。
実際の所全ては机上の空論であり、事象の説明は「このように考えれば説明できる」と言った
レトリックをもて遊んでいるだけに過ぎません。
そこに事実による厳密な科学的証明は存在しません。
それが何故科学と呼べるんでしょうね。
競争原理を持ち込むと生命の複雑化と多様化が説明できない、と言うのはつまり競争原理では進化の現象を結局何も説明できない、という事と同義です。
それにも拘らず、未だに大多数の進化論者と称する人たちは競争原理を至上のものとしています。
何時まで経ってもダーウィンの「生存のための闘争」の妄想に引きつられている訳です。
自然選択によっていかなることも成し得る、と言うのがダーウィンの構想ですね。
生物を自然が選択し得るのは唯一生存率のコントロールと言う手段によってです。
それですべてが成し得ると考えた訳です。
環境によって生物の生存に制約を与える、その方法以外にありません。
これはラマルク的な用不用による変異を度外視しての話です。
ダーウィンも実は変異はラマルクと同様に考えていたので話は少しややこしくなりますが、これは総合説における自然選択で考えましょう。
全くランダムな変異を生存率の制限によってコントロールすることでこれだけ複雑で精巧で多様な現実の進化の事実が説明可能なわけもありません。
中立説、遺伝的浮動なども総合説は持ち出しますが、更に進化の実体を説明する力はありません。
お伽話ですね。
それを科学と信じる住人達。
この話も飽きるほど繰り返してきましたね。
何一つ実証されていないものを何故科学と信じることが出来るのか。
宗教的なものを極力排除しようとする彼ら自然選択論者が何故自ら宗教的な態度に陥っていることに気付かないのか。
結局のところ理性の脆弱さがもたらす同様の結果という事です。
何とか言い逃れの口実を探す。
これがダーウィンが種の起源で繰り返し行っていることです。
彼がその思い付きである自然選択論に何故そこまで固執したのかはよく分かりません。
それを危うくする証拠、否定しかねない現実に対して彼が取り続けた態度です。
事実によって反論することはしない、出来ないですね。
従って「こう考えれば説明できる」と言う言い訳に終始します。
事実による反論は皆無です。
この様に考えれば自説による説明は可能だ、つまり想像です。
それを現代の総合説はそのまま引き継ぎます。
従って進化論の多くの部分は想像になります。
そしてそれを科学と称したりするわけです。
訳の分からない無知な人達もソレを科学と信じ込みます。
これは映り込んだ解明できない映像を単なる光学現象や自然現象、フェイクと断じてそれ以外の可能性を何が何でも否定るやり方と何の変りもありません。
そもそも進化論は再現検証不能です。
レンスキーの大腸菌培養実験の様に細胞や分子レベルでの実験が可能なだけです。
レンスキーの大腸菌培養実験は色々と示唆に富んでいますね。
それを自然選択論の論拠にしようとする人たちもいますが、それは自然選択論の必要な工程の詳細を全く理解しない人達です。
実際自然選択論の必要な工程を殆どの人たちは理解せずに自然選択論を振りかざします。
それでよく科学を名乗りますね。
想像と科学の区別すら付けられない、つまりフィクションとノンフィクションの判別が出来ない訳です。
それが自然選択論を支える人たちです。
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