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ID再考 & 科学と疑似科学とを判別する

238Ken:2024/03/23(土) 12:07:31 ID:j5b29EhE
「専門家集団」の言葉が出たことで、主張が対立する理由の根幹が見えたようです。おっしゃることから「専門家集団」を取り去って、

仮説検証・研究→発表→評価→当該研究の普及→その様な研究を踏まえた新たな研究

なら当然のことです。

最大の問題である「評価」のステップを「専門家」に限定し、そこをクリアした理論のみを「非専門家」に教えるなら、IDであれ、他の星の生物であれ、かつての地動説や光波動説も、学校教育に持ち込むべきではないでしょう。

私は「専門家」であれ「非専門家」であれ、その評価のステップに参加する人が、多様で数が多いほど科学のためにはよいから、どんな理論も、まずは広く教えるのが有利と考えます。

「専門家」に限定するメリットは、知識のある人だけで議論するから、効率がよくなることでしょう。しかし、科学の世界では、結果を出せる出せないの差が、最も容赦なく現れます。ヤングの実験一発で、1世紀以上の光粒子説の支配が凋落するのが、科学の世界です。「専門家」にその結果が出せるなら、出せばよいだけです。

「専門家」に限定するデメリットは、参加者の数が少なく、しかも利害関係者である場合が多いので、ルイセンコ農法のようなものを推進したい勢力は、その少数のみを管理下におけばよいことです。センメルウェイスに反対したのは当時の医学界でした。そういう「専門家」は捨ておいて、手洗いの効果を広く報せればよいのです。報せる場は教育です。

繰り返しますが、だからといって「教えるべき」とはいいません。公立校であれ私塾であれ、教えたい人と教わりたい人がいるなら、やらせておけばよいので、結果として、その人たちが何を学び、どういう人生を歩んでも、自由と自己責任の問題です。前に述べたように、突然変異と自然選択で種が進化する原理を、科学の進歩に適用すればよいのです。




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