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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

580アネモネ:2003/09/20(土) 15:05
横レス失礼します。

>573
>土台と思えた釈迦仏法は見せかけに過ぎず、意外にも大聖人の仏法は大地に深く根を下ろしていたのだった。

日蓮本仏論の方々に共通して感じることは、誰よりも日蓮さんに心を合わせた信心を自負なさっている…ものとご自分を信じておられることかと。
そしてもうひとつ本仏論の方々に共通していることは、お釈迦さんを日蓮さんの下に置いて日蓮仏法を讃えているという点かと。
…でも日蓮さんって実際、お釈迦さんをそんなに下に見ていたんでしょうか。
なんか私にはどうもそんなふうには思えなくて…。
だから日蓮本仏論って、日蓮さんと心を合わせているようでありながら、実は、日蓮さんの心に違背しているってことはないんでしょうか。
だって、もしも日蓮さんの前で、お釈迦さまを軽んじるようなことを言ったら、なんだか恐ろしく叱責されそうな気がするのです。
そんな想像をするのは、私だけなのでしょうか。

581アネモネ:2003/09/20(土) 15:06
>579
>世間一般という尺度に叶わなかった点にあると

日蓮さんがどんな宗教家だっただろうかということを思い巡らせることは、今でも私はとても好きです。
心に釈尊を抱き、そして瞳に映るものは、苦しむ民衆の姿だったのではないかと…そんな日蓮さんへの思い入れは、信仰に距離を置いた今でも私の中に消えずに残っています。
だけど、その後の御歴代法主といわれる方々となると、心に抱くものや瞳に映るものが、日蓮さんのそれとは大きく違っていたんじゃないのかと思えてならないのです。
民衆の為にいったい何をしたんでしょう。天奏といったって、誰の為の天奏だったものやら。これも私の穿った見方というものかもしれませんが、苦しむ民衆そっちのけで、ただ自寺、自宗の権威性の為に奔走していただけなんじゃないかと思えてならないところです。

582犀角独歩:2003/09/20(土) 15:45

アネモネさん:

>> 世間一般という尺度に叶わなかった
> 民衆の為にいったい何をした…

そうですね。今日的な意義としては、世間一般というより、「民衆」、人々にとってという視点は大切であろうかと思います。

583犀角独歩:2003/09/20(土) 15:47

> 580

> 日蓮本仏論…日蓮さんと心を合わせているようで…日蓮さんの心に違背している

まったく同感です。

584顕正居士:2003/09/25(木) 04:30
犀角独歩さん。

>私は六巻抄の主題というのは実は当流行事抄、当家三衣抄にあると考えています。
>つまり、三重秘伝抄は、その導入に過ぎないという考えです。
(略)
>これこそが、六巻抄のもっとも言いたい点でしょう。
>下種三宝 ― 仏・日蓮聖人、法・戒壇之、僧・興師-目師-歴代諸師

さらに発達した『三宝抄』というのもあります。

「創価学会員のみなさんへ」に引用されています。
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/PAPER/1997/9-10-1.html
「日寛上人は、『当流行事抄』に 久遠元初の僧宝とは、即ち是れ開山上人なり と
示され、さらに『三宝抄』に 爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の
大衆亦爾なり云々 と」 *門流の大衆-門流の僧侶の意味

『三宝抄』
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/sanposyo.htm

585犀角独歩:2003/09/25(木) 11:03

顕正居士さん:

資料のご提示、有り難うございました。
朝から、久方に寛師文書をじっくりと読んでしまいました。
懐かしいです。同文は6年ぶりの再読です。

> 爾来日目日道代々咸く是れ僧宝也、及び門流の大衆亦爾也

この「大衆」は、他派に対すれば僧俗を問わず僧宝に当たると言った相対論をどこかで展開していたと記憶しています。

> 仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す

これが基本であるのに、本仏に限り、無始無終となり、その鉄則は通用しないと言うのが寛師の言うところなのかどうか、どうもこの点が曖昧だと何を読んでも感じます。

> 予が如く無智無戒も僧宝の一分

これが言いたいところなのでしょうね。
釈迦本仏としての蓮師教学から、天台本仏として恵心流口伝、日蓮本仏として日寛教学への改竄。一見すると、祖師信仰の暴走と見えますが、実の本音は祖師信仰から派祖信仰への転嫁の本音は、実は「法主本仏論」なのであって、寛師もその例外とは見えません。
以下の執行師の指摘、

― 宗祖本仏論はやがて貫主本尊論または己身本仏本尊論へと傾いている。即ち『類聚翰集私』には

「末法の本尊は日蓮聖人にて御座す也、然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ぎ其の次ぎに仏法の相属して当代の法主の所に本尊の体有るべき也」

といい、『六人立義破立抄私記』には、師弟相対互為主伴の所へ本尊の実体を認めて

「当時の上人は日蓮聖人也」

といい、更に観心本尊とは

「吾身本尊に成る信成就すれば観心本尊也、観心は法華経、本尊は吾身なるべき也」

と論じているのである ― (初期の興門教学に於ける本尊意識の展開)

先頃の石山でも、石山住職、彼等が言う「御法主上人猊下」は「戒壇の大御本尊と不二の尊体」と再認するに至り、やはり教師已来培われた貫首本尊論は生き続けていたのだと感じました。

一方、「先生」と呼ばれる会指導者を絶対視する在家側では都合の悪い唯授一人をスポイルして、己身本仏論、あるいは凡夫本仏論、あるいは会長本仏論などと導くも、同様の祖型を使用していると再確認できました。

ひっくり返せば、みな「自分(たち)が絶対に正しい」。かくも肥大した自我意識に病的な偏向を感じるものです。

『三宝抄』もそんな病勢が散見できるよくできたフィクションと読みました。

586仏法2099:2003/09/26(金) 21:48
 皆::正なるは「ワガ方、、」との賜るノー、、。 これが「強いものを残したいと言う”歴史”の誤りの原点」であろうか、、?
 昔は「強い者の意見が通ったが、これからは”IT時代に耐えうる情報”だけ」が「庶民にも許容」されるでしょうか、、?

587顕正居士:2003/09/27(土) 02:44
大石寺には妙観講や顕正会だけでなく本門正宗、妙法蓮華宗、正理研究会、
ウィッピー文明等、分派といえないものを含め元信者、元会員のはじめた宗派が
たくさんあります。宗祖本仏−法主本仏−会長本仏−自分本仏という妄想の系列
がはぐくまれる宗旨であったとはいえるでしょう。

日寛師が蓮興目道以来嫡々の大石寺こそ富士門流の総本山なれば他山の相伝も
これ大石寺の相伝、八万四千の聖教悉く一秘総在の大本尊に帰す、大本尊とは
わが山の戒壇本尊是なり、嫡々の血脈と大本尊と眼前に在り、誰か是を疑わんや、
のような教義を集大成した。そんなことを云っても坊さんが百人もいない宗派で
気勢をあげているだけで本気にはされないから弊害も生じない。それが創価学会
が出て嘘が真に変じ、戒壇本尊は題経寺の板曼荼羅よりも有名になってしまった。
その時に都合良く日亨師が出ておられ、富士門流の趨勢大石寺に帰したのだから
今後は法螺話ではいかんと要集、全集を遺された。しかしもう真顔になっている
し、いまさら学問でもない、第一、葬式がいそがし過ぎると、信者が二百倍に
なっても少しも学問どころでない。それでは暖簾代はもう払わんと創価学会は
云い出すが、面倒なことは坊さんの仕事のはずだったから用意がない、「暗黒
の富士宗門史」をいうために少しだけ宗史の勉強係を任命する程度。肝心な所は
江戸時代のまま「当寺のお宝」信仰だから、間に変なのがいっぱい出て来る。

ということでしょう。

588犀角独歩:2003/09/27(土) 10:09

587 顕正居士さん:

このご説明、簡潔にして微を尽くしていると感嘆しました。
有り難うございます。

589IT時代ー探求人:2003/09/27(土) 21:33
 、、::今後はIT情報時代の交差に”耐えうる”宗教だけが「勝ち残るのでは、、??」ないでしょうか、、?

590空き缶:2003/09/27(土) 22:02
現在、日我上人「一流相伝大事私」(興風談所)の研鑚中です。
日蓮本仏論の形成に妙本寺中興の祖も、かなり貢献してそうです。(笑)
中古天台の「二帖抄」を引用しながら天台宗としての解釈の仕方を示し、ついで日蓮門下の法華本門思想を展開しています。
八品派の日隆上人「法華天台両宗勝劣抄」(通称:四帖抄)の影響は、日興門流にとってかなり大きなものであったと思われます。
恐らく日隆上人なくんば日蓮本仏論もなかったのではと思われるくらいです。「種脱相対」は日隆教学が発信源ですね。

591れん:2003/10/03(金) 07:19
空き缶さん。保田妙本寺の文献で気になるのがあります。郷師の弟子の薩摩日叡師の著述「日叡類集記」には「仏三次第の事。大上人御出世御本懐御法門日目上人御相承ハ弘安五年正月一日也。日目上人ヨリ日郷上人御相伝ハ元弘元年十月一日也。又日叡此御法門日郷上人ヨリ相続ハ貞和元三月七日午時京都七条坊門ニシテ相伝。御奏聞ノ時ナリ。建武二年六月中旬大石寺御仏前ニシテ相伝。先後二度」とあります。これに関して同じく日叡師著述の後信抄には「師傳ニ又本佛、本戒、本尊等ノ大事アリ秘ス可シ秘ス可シ」とありますが、此等の法義が今の妙本寺に伝承されているのか、またその

592れん:2003/10/03(金) 07:27
内容は具体的に何なのか。またその内容は石山に伝わっていた通称三口一徹ノ御相伝(日目上人直授相承)とはたして同内容なのか。機会がありましたら、保田妙本寺の貫首上人にお聞きいただいて、ご教示ください。m(__)m

593空き缶:2003/10/03(金) 11:07
れんさん

宿題をありがとうございます。
鎌倉住職は御高齢で、正直言いまして何を話されているのか私には聴き取れません。

それから薩摩日叡師のことは、日向定善寺の方が詳しいのではないでしょうか。

594れん:2003/10/03(金) 11:58
空き缶さん。早速のご返事ありがとうございます。定善寺さんは今も石山を総本山とする日蓮正宗に所属しているでしょうから、他宗派への情報公開は望めないと思います。ちなみに後信抄正本は定善寺蔵、日叡類集記正本は保田妙本寺蔵です。「大上人御出世御本懐御法門日目上人御相承」が現在も妙本寺さんに伝承されているとしたら、また、それが公開されれば、いま一つはっきりしない上代における「本佛、本戒、本尊等の大事」が解明できるのではないかと思いレスさせていただきました。現貫首の日櫻師がご高齢でお説を聞き取れない由で残念です。

595空き缶:2003/10/03(金) 21:20
れんさん

それにしても大石寺の閉鎖性にはまいりますね。

「後信抄」は日蓮宗宗学全書2巻に掲載されていますが、「類集記」は大同小異のため不掲載となっています。
定本は大石寺の堀さんの写本だったと思うのですが、正本現存とはどこからの情報か御教授ください。

「千葉県の歴史」の妙本寺文書をざっと見ましたが、該当文書は掲載されていませんでした。

「類集記」はどんな書籍に掲載されていますか?興風談所出版物ですか?
私も興味が湧きました。

596愚鈍凡夫:2003/10/03(金) 22:49

空き缶さん。
保田妙本寺の『万年救護本尊』について、ずっと気になっていたことがあるので、質問させてください。

富士年表には、
1279弘安 2己卯後宇多北条時宗御歳 58歳
12.27日興に文永11年12月の本尊〔万年救護本尊〕を賜う(聖613・保田妙本寺蔵)

となっていますが、重須に移住する時、日興師は何故持っていかなかったのでしょうか。
日目師は蓮祖から曼荼羅を授与されていますから(1279(弘安2)年3月21日)、置いていく理由はないように思うのですが、その辺の事情を記した書はないでしょうか。

597れん:2003/10/03(金) 22:58
空き缶さん。後信抄正本の所蔵が宮崎定善寺、類集記正本の所蔵が保田妙本寺であることは何れも興風談所発行の「日興門流上代事典」にあります。空き缶さんの仰る通り後信抄は日宗全書興門集に掲載されてますが、類集記の方は掲載されてませんね。事典でも内容概略が掲載されているだけで全文掲載ではありません。また、「千葉県の歴史」にも残念ながら類集記は漏れています。私は類集記についてはいずれ興風叢書のシリーズの中に収められて興風談所より活字刊行されるのではないかと思っています。もっともこれは半ば私の個人的希望ですが…。

598空き缶:2003/10/04(土) 01:07
愚鈍凡夫さん

お久しぶりです。宿題の事、ずっと気になっているのですが怠けものですみません。

『重須に移住する時、日興師は何故持っていかなかったのでしょうか。日目師は蓮祖から曼荼羅を授与されていますから(1279(弘安2)年3月21日)、置いていく理由はないように思うのですが、その辺の事情を記した書はないでしょうか。』
との事ですが、私の手元にはこれらの事由を明確に証明する文書はありません。
しかし、この謎が「北山・・・本門寺モデルルーム」「大石寺・・・本門寺建設予定地」の発想を生み出しています。
そして、園城寺申状・御下文への期待があります。
宗祖御影と万年救護本尊はセットです。本門寺建立の時に同所に安置する御本尊です。確か妙本寺上代の置文の中にこのようなことが書いてあったと思いますが、郷師か伝師かはたまたその後の人か、今は思い出せません。

しばらく脱線してましたが、もう一度調べなおしてみます。

599空き缶:2003/10/04(土) 01:12
れんさん

やはり興風談所は鋭いですね。

今は妙本寺とチョッと距離をおいていますが、郷門の寺院(匡真寺)が家の近くにあるので、そこで質問してみます。
妙本寺は行くまでに時間とお金がかかってしまうので、今度手紙でも書いて聞いてみます。

600愚鈍凡夫:2003/10/04(土) 11:43

空き缶さん、レス有り難うございます。

いや〜、う〜ん、例の『日代置状』がまだ引っかかっているんです。
あの書が事実を語っていたとして、日興師が他の重宝と共に『万年救護本尊』も重須に持っていったとしたら・・・・・。
これはどういう事なんだ。と思ったりして。
いきなり、問答迷人さんの説がリアリティーを持ったりするんですよ・・・・・。

601空き缶:2003/10/04(土) 16:24
愚鈍凡夫さん

『日代置状』そのものは偽書の疑い濃厚ですが、盗難の事実についてはほぼあったとみて疑いないと、思考を転換しました。

順師の著作類もかなり疑わしいものがありますが、「日順阿闍梨血脈」については、北山にあるものが真撰であると思われます。

いわゆる盗難に遭った御本尊は現西山本門寺の「万年救護本尊」です。こちらの本尊には授与書はありません。この本尊が盗難にあい、代替として「日禅授与」の本尊が北山の「万年救護本尊」になったと推察しています。

602愚鈍凡夫:2003/10/04(土) 22:29

空き缶さん。
以前にも言いましたが、北山の『万年救護本尊』が、どういう事情で日禅師から重須に亘ったのか?
そして、西山の『万年救護本尊』が文書上に現れるのはいつからなのか。またその曼荼羅は何時図顕されたものなのか?
この辺の検証が必要なようですね。
御遺文に「大曼荼羅」、「曼荼羅本尊」の言葉はありませんから、連祖は基本的に御自身の曼荼羅に優劣はつけていなかった、そして年代による差別化していなかった、と思っています。
従って、保田の『万年救護本尊』をも含めて、この3つの『万年救護本尊』の歴史を検証することで、富士門の違う一面が見えてくるように思うのです。
勿論、『万年救護本尊』の命名は蓮祖によるものではなく、後世のものであると思っています。

603空き缶:2003/10/04(土) 22:39
愚鈍凡夫さん

仰せの通りと思います。
西山の万年救護本尊は「健治二年二月五日」御図顕の曼荼羅です。こちらには宗祖の授与書はありません。しかし、これは日興上人御在世中の「正中二年十一月十二日」夜に盗難に遭いました。仕方なく代替として北山本門寺の「万年重宝」としたのが、「日禅授与」の曼荼羅本尊です。恐らく日禅滅後の日興上人入滅前と推察すれば、元弘元年か二年のころでしょう。
先にも書き込みましたが、西山・北山の万年救護本尊は日興上人の添書により、後世にそうよばれるようになったと思われます。
「本門寺に懸け奉るべし、万年重宝也」この全く同じ興尊の添書があるところに、私は確信しているのですが。
文献上のことについては、「れんさん」も協力してください。聖域なき求道で。私もがんばります。

604犀角独歩:2003/10/04(土) 23:28

横レス失礼。

「万年救護」という成句自体の検証から始められる必要があるのではないでしょうか。
そもそも該当の“本尊”は上行始顕の義を蓮祖は記すも、どこに万年救護の義があるのでしょうか。

「万年救護」という思想がどの時期から、どこから生じたかを考える必要があろうかと思います。ちなみに真跡では同成句はただの一度も現れず、富要で見る限りでは、遺誡置文、五人所破抄、血脉両抄、:百五十箇条、穆作抄、五人所破抄見聞、申状見聞私、五人所破抄一覽、日蓮聖人年譜、富士門家中見聞、富士大石寺明細誌などに現れる語であって、この起源を興師、あるいは蓮師の求められるのかと、わたしは訝しく思っております。

なお、禅師授与“漫荼羅”を万年救護と記す例は、たしかに『大石寺誑惑顕本書』にも見られます。

605空き缶:2003/10/05(日) 01:39
独歩さん

仰せの通りです。
恐らく当本尊所持の妙本寺が血脉両抄を元に展開したと思われます。

しかし、明確な文献を探すことは実に重要なことであると思います。
私は宗学全書2巻と千葉県の歴史から探してみます。何か良い情報があれば、御教授ください。

606犀角独歩:2003/10/05(日) 08:19

空き缶さん:

おはようございます。
いわゆる、万年救護本尊、しかしたしかに人を惹き付けて止まないところがあります。石山では大講堂にこの模刻板漫荼羅が安置されていますね。
ある時、わたしはこの意義を、ある有力僧に尋ねたことがあるのです。答えは
「おそらくは日精上人が造立されたものであると思う。その相貌は四大天王を記さないなど、礼拝対象の本尊ではない。しかし、この本尊は昔から講堂に安置されてきた」
そんな話でした。つまり、石山では興師弘安2年授与のこの文永9年本尊を拝まないと言うのです。

しかし、富士他山におけるこの本尊の崇重は記すまでもなく、著しいものがあります。
この理由は元来は、「上行始顕」、すなわち、蓮師自らが上行菩薩として初めて顕した本尊である如き、脇書き

大覚世尊御入滅後
経歴二千二百
二十余年
雖爾月漢
日三ヶ国之
間未有之

或知不弘之
或不知之
我慈父
以仏智
隠留之
為末代残之
後五百歳之時
上行菩薩出現於

始弘宣之

にありますね。わたしはしかし、過去に『井戸端すれっど「山門前」』などでも記しましたが、この記載を蓮師の自身上行の宣言であるとする見方には消極的です。
それはともかくとして、蓮師上行応化論から、万年救護思想との習合がついに富士全体に浸透していく経過にはたいへんに興味があります。

空き缶さんの更なるご研鑽を期待申し上げるものです。

607愚鈍凡夫:2003/10/05(日) 15:05

「万年救護本尊」資料

図顕 1274(文永11)年12月
寸法 3紙 丈:106㎝ 幅:56.7㎝
讃文 「大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年雖尓月漢日三ヶ国之間未有此大本尊或知不弘之或不知之我慈父以仏智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之」
所蔵 千葉県保田妙本寺
http://www.lbis.jp/gohonzon/016.htm

図顕 1276(建治2)年2月5日
寸法 3紙 丈:93㎝ 幅:47㎝
讃文 「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」
所蔵 静岡県西山本門寺
http://www.lbis.jp/gohonzon/032.htm

※「日蓮聖人御本尊集」のHBでは「尼崎 本興寺」となっていますが、曼陀羅№32は「西山本門寺蔵」ですから、HBの記述が間違っていると思います。

608空き缶:2003/10/05(日) 16:04
愚鈍凡夫さん

下の曼荼羅は西山の物ではないです。恐らく「尼崎 本興寺」のものなのでしょう。
相貌は良く似ていますが、西山の物は主題の真下に「日蓮」とありません。若干左寄りの位置に「日蓮」と入っています。主題のすぐ下には日興上人添書にて「本門寺に懸け奉るべし、万年重宝也」と入っているのが西山の万年救護本尊です。
これはどちらかが本物でどちらかは模写版と思われます。紛失の際に模写されたのでしょうか。「日蓮」以外の相貌は、同一人物でも絶対に書くことはできないほど細部まで一致しています。間違いなくどちらかが模写でしょう。

609愚鈍凡夫:2003/10/05(日) 16:24

空き缶さん、先に訂正されてしまいました。有り難うございます。
念のために、もう1度調べてみたら、曼陀羅№32は、№32-1と№32-2の2つありました。

番号32-1
図顕1276(建治2)年2月
寸法3紙 丈:98.8㎝ 幅:51.8㎝
讃文「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」
所蔵兵庫県尼崎本興寺

番号32-2
図顕1276(建治2)年2月5日
寸法3紙 丈:93㎝ 幅:47㎝
讃文「仏滅後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未有大漫荼羅也」
所蔵静岡県西山本門寺

です。したがって№32の写真は兵庫県尼崎本興寺所蔵の曼陀羅です。
小生の間違いでした。申し訳ございません。 m(_ _;)m

610空き缶:2003/10/05(日) 16:29
愚鈍凡夫さん

両方とも真筆だと思われますか。

611れん:2003/10/05(日) 17:54
空き缶さん。今携帯版の日蓮大聖人御真蹟御本尊集にて確認しましたが、尼崎本興寺所蔵NO.32の1の御本尊には右下に日興上人の御筆にて以下の添書が存します。「富士西山河合入道女子高橋六郎兵衛入道後家持妙尼仁日興申与之」つまり、相貌が似ているのは、おそらく両御本尊が同日御図顕で、しかも被授者が親子関係であるためと思います。故に両御本尊は原本・模本というものではなく、どちらも蓮祖の御真筆です。

612犀角独歩:2003/10/05(日) 18:08

【606の訂正】

愚鈍凡夫さん、有り難うございます。
わたしの投稿、2箇所間違いがありましたね。

誤)文永9年
正)文永11年

誤)大
正)大本尊

606にわたしが挙げたのは写真から文字の配りをそのまま写したものです。
脇書きとしましたが、実際は相貌の下に、右「日蓮」から「花押」にの隙間を埋めるように記されていますね。この「大本尊」の文字こそ、実に大きな意味があるのでしょうね。

613犀角独歩:2003/10/05(日) 18:51

またもや横レスですが、サイトから32-1、32-2の漫荼羅をダウンロードして、重ねてみました。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/32_1_2_mandara.jpg

赤字にしたほうが32-2です。サイト掲載の漫荼羅が原図版から取ったものであれば、間違いなく違うものでしょう。


れんさんが32-1について記されていたので、わたしは32-2について。こちらには「懸本門寺…」の文字が記されています。末尾が切れていて、全文はわかりませんが。

参)Nichiren Shonin Gohonzon shu
  http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/001.html

616愚鈍凡夫:2003/10/05(日) 19:34

話はずれますが、この曼荼羅が四条金吾授与の大曼荼羅だと思うのですが、何故、堺にあるのかご存知の方がいらっしゃったら御教示下さいませんか。

番号71
図顕1280(弘安3)年2月1日
寸法3紙 丈:87.3㎝ 幅:46.4㎝
讃文「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」
授与書俗日頼授与之
所蔵大阪府堺妙国寺

http://www.lbis.jp/gohonzon/071.htm

617空き缶:2003/10/06(月) 00:02
独歩さん

さすがですね。どうやったんですか?

素人目では同じに見えましたが。

特に主題の「無」と「妙」の間の右側にある点で消されている諸尊の具合がよく似ているので、私は模写・もしくは形木を利用したものかと思ってしまいました。

618犀角独歩:2003/10/06(月) 17:49

空き缶さん:

大したことではないのです。
漫荼羅をダウンロードして、画像ソフトで重ねただけです。
まあ、ネットが発達したからこそできることですね。

619れん:2003/10/07(火) 19:47
確認の意味で。 32-1、建治二年太才丙子二月日、(興師添書)富士西山河合入道女子高橋六郎兵衛入道後家尼仁日興申与之。
32-2、建治二年太才丙子二月五日、(興師添書)日興祖父河合入道申与之、懸本門寺可為万年重宝也。入道孫由比五郎入道女 所譲得也。大宅氏女嫡子犬法師譲与也。
両御本尊に存する興師添書により、両御本尊の被授者が親子関係にあるのが明白になります。

620れん:2003/10/07(火) 20:01
愚鈍凡夫さん。御本尊集NO.71の御本尊は確かに四条金吾氏に授与された御本尊だと思います。本来は四条金吾氏が晩年隠棲された甲州の内船寺に伝来すべきものでしょうが、内船寺所蔵の開目抄御真筆も後世身延山に移蔵されたとのことで、おそらくその時に、四条金吾氏授与の御本尊も身延山に移蔵し、その後さらに堺の妙国寺に移蔵されたものと推定されます。四条金吾氏授与御本尊が妙国寺に所蔵されるにいたったその辺の事情は御本尊の裏書を調べてみればはっきりすると思います。 m(__)m

621空き缶:2003/10/07(火) 20:11
れんさん

日興上人添書とされているものの一部は「日代筆」らしき筆跡がみられるとの見解を、どこかの本で読んだような気がするんですが?
たしか「日興祖父河合入道申与之」か「入道孫由比五郎入道女 所譲得也。大宅氏女嫡子犬法師譲与也」のどちらかだと記憶しているのですが。

622れん:2003/10/07(火) 21:02
空き缶さん。堀日亨師は富士宗学要集にて「入道孫…」以下の添書を「代師か」と注記されていますが、御本尊集編者は添書の全文を興師の添書としています。一応、御本尊集編者の見解を尊重し全文興師の添書としましたが、堀日亨師の鑑定を採るならば「日興祖父河合入道申与之」「懸本門寺可為万年重宝也」が興師の添書で、「入道孫…犬法師譲与也」は異筆で日代師による添書と推定されるものです。m(__)m

623犀角独歩:2003/10/07(火) 23:11

れんさん:

32漫荼羅について、少し質問させてください。
この両漫荼羅は親子に与えられたということですが、32-2にのみ「懸本門寺」とある理由を、どのようにお考えになりますか。

添書からすると32-2の漫荼羅ばかりが重宝とされ、この二つに優劣が存していたように感じるのです。本尊集の番号では32-1から数えますが、実際は32-2が主であり、その複本の如くに32-1を扱い、こちらは子女に授与したという類推は的外れでしょうか。ご批正をいただければ有り難く存じます。

ただ、この類推の場合、蓮師がこの二舗の漫荼羅に図する段階で優劣を付けたというより、興師が申し与える段階で優劣を付けたとも感じるのですが、どうでしょうか。

624れん:2003/10/08(水) 22:56
独歩さん。32-2の添書に「重宝」とあって32-1の添書には「重宝」とないことについてですが、根拠はありませんが興師が蓮祖直筆の曼陀羅に「重宝」の添書を記されたのはおそらくは蓮祖御滅後の事と私は愚考しています。勝手な想像ですが32-1は蓮祖滅後興師の許に納められたことが無く「重宝也」と記される機会が無かったのではないでしょうか。もっとも、興師弟子に授与された蓮祖曼陀羅で、興師の添書があるべきにもかかわらず存しないのがありますから一概には言えません。ただ私としては、「重宝」の字の有無に優劣をみることには消極的です。m(__)m

625愚鈍凡夫:2003/10/09(木) 06:30

皆さん、お早うございます。横レス失礼します。
小生もれんさんとほぼ同様に受け止めています。
№32-1と№32-2の漫荼羅の相貌に、さほど違いがないので(諸尊の数も配置も同じ)、「重宝」の添書の有無は、日興師が書き込む機会があったかどうかの問題だと思います。
日興師が蓮祖漫荼羅に「重宝」と添書したのは、厳重に外護し、粗末に扱ってはいけないとの配慮だと思います。要は、蓮祖漫荼羅を1舗でも多く、後世に残したいと思われたのではないでしょうか。

626犀角独歩:2003/10/09(木) 08:48

れんさん:
愚鈍凡夫さん:

そうすると、興師が手にできた蓮師漫荼羅は等しく「重宝」としたということでしょうか。そうすると32-1、32-2の添書は両方とも興師であるのに、片方にしか「重宝」と記されていないことは説明がつかないと思いますが、この点はどうでしょうか。(32-2、「入道…」以下は「代師か」と亨師言う)

627愚鈍凡夫:2003/10/09(木) 20:26

日興師がいつ頃から蓮祖漫荼羅に「重宝」と書き込むようになったのか、資料がないので分かりませんが、№32-1の添書と№32-2の添書は書き込んだ時期が違うと考えられないでしょうか。言わんとしていることは、№32-1の添書は「重宝」と書き込む以前で、№32-2の添書が「重宝」と書き込むようになってからのものという発想ですが(勿論、証拠はないです)。
どうも、日興師が蓮祖漫荼羅に、故意に格付けするような真似をするとは思えないのですが。

628れん:2003/10/09(木) 21:58
独歩さん。私も愚鈍凡夫さんと同意見です。ただし、私見を申し上げれば、「…申与之」は弟子檀越からの曼陀羅下付の申請により興師が蓮祖に曼陀羅図顕をお願い申し上げ、蓮祖曼陀羅御図顕後、曼陀羅を弟子檀越に下付する際に師弟関係を明確にするために添書されたものと推定されるのに対し、「…重宝也」は蓮祖滅後、興師が富士に移転して後に、特に興師の所蔵に帰した曼陀羅に対して添書したものと推定できると存じます。まあ、これはあくまで添書からの類推で明確な根拠は何一つありませんが…。もしこの推定が史実ならば32-2は、蓮祖滅後興師の所蔵

629れん:2003/10/09(木) 22:13
に帰して興師は「…重宝也」の添書をなすことができましたが、32-1は蓮祖滅後、興師の所蔵に帰さなかったために、興師が「…重宝也」と添書される機会が無かったが故に「…重宝也」と添書なされなかったことを示しているのだろうと思います。ですから、興師の重宝也との添書の有無は直接的には曼陀羅の優劣を示すものでは無かろうと思っております。m(__)m

630犀角独歩:2003/10/10(金) 05:15

れんさん:
愚鈍凡夫さん:

あ、なるほど。お二人とも、わたしの漫荼羅につき「優劣」と記したところが特に気になられたようですね。興師は蓮祖漫荼羅に差異を認められるような方ではない、この興師像には基本的にわたしも賛同はします。また、蓮祖在世と滅後で添書の相違有りというご指摘はなかなかの慧眼と拝しました。

ただ、それとは別に蓮祖の図示については、蓮師ご自身は、所謂、漫荼羅、守本尊その他、用途の違いで記されている個別の差異はあったように見受けます。縦横無尽に種々の意味合いで図されていた。その点、興師は蓮師とは違う在り方のように思えます。興師も多くの漫荼羅を書写されていますが、そのご自身の書写漫荼羅と、蓮祖の御筆を明確に分ける意図が「重宝」という表現に表れているように感じます。

わたしは二箇相承が蓮師に係るものであるとは到底思いません。ですから、重宝である御筆曼荼羅を懸ける「本門寺」構想がいつのころにその濫觴があったのか、興味を持っています。「懸本門寺」と添え書きされた御筆曼荼羅の分与は、その授与の弟子に本門寺建立を促す意図なのか、あるいは本門寺建立の暁にはその漫荼羅を本門寺に返納せよという意味なのか、この点はどうなのでしょうか。いずれにしても、本門寺に懸けるのは蓮師の御筆曼荼羅である、この点は動かないようにも思えます。

631犀角独歩:2003/10/10(金) 05:26

【630の訂正】

誤)興師は蓮祖漫荼羅に差異を認められるような方ではない
正)興師は蓮祖漫荼羅に優劣を認められるような方ではない

632¥¥℃℃99:2003/10/12(日) 23:14
横からゴメンです、、。 皆様のご意見は「スッゲー」です、、。 でも当の「日蓮サン」が「遠慮したのか??」==いまだに???のようですか、、??
 しかしながら=本仏に”値”をするか、否か?=性欲克服?=が一応の観点か、、??」。 不妻帯=禁欲とは??かも??  本仏を名乗るなら=禁欲=仏、、」かもネ、、。

633れん:2003/10/30(木) 19:10
独歩さんの言われるごとくの使い分けはあったと思います。興師の本門寺構想ですが、嘉元年間以降の成立とされる本門弘通事に「迹門、比叡山、本ハ日枝山、吾山、御社。本門、富士山、蓮華山、大日山」の文があり、興師在世中の文保二年成立の順師撰の法華本門見聞に「先謗法等ヲ対治して後法門一閻浮提に流布せばやがて本門の大戒立つべきなり」とありますから、興師に一閻浮提流布の後、天皇の帰依を得て富士山に本門寺の戒壇を建立するという構想はあったと考えますm(__)m

634れん:2003/10/30(木) 19:18
誤、独歩さんのいわれるごとくの使い分けはあったと思います。
正、蓮祖における曼陀羅図顕において独歩さんの仰る通り、曼陀羅、守り本尊等の使い分けはあったのは事実と考えます。

635愚鈍凡夫:2003/10/30(木) 22:34

横レス失礼します。
小生も犀角独歩さん、れんさんのご意見。正鵠を射ているものと思います。

下記アドレスの2つの蓮祖漫荼羅を比較すれば、一目瞭然ではないでしょうか。

四条金吾授与漫荼羅(大阪府堺市妙国寺蔵)
http://www.lbis.jp/gohonzon/071.htm

日眼女授与護本尊(東京都向丘長元寺蔵)
http://www.lbis.jp/gohonzon/072.htm

636犀角独歩:2003/10/31(金) 14:28

れんさん:
愚鈍凡夫さん:

たぶん、過去にお読みいただいていると思うのですが、守本尊の相貌については『創価学会の携帯本尊について』でやや触れたことがあります。

*** 転載はじめ ***

43 名前: 犀角独歩 投稿日: 2002/10/22(火) 03:44


横レス、失礼します。

曼荼羅をもって「守」とする真跡は『日眼女釈迦仏供養事』にあります。

「御守り書きてまいらせ候」

という一節です。この書は弘安2年の述作でありながら先のが「三界の主(あるじ)教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女(にちげんにょ)」と続くために石山僧俗にはあまり拝読されないので気が付かれないのかもしれません。

また、実際の漫荼羅で「護(まもり)」と入るのは建治2年8月13日、14日の2日間に図示された3体です。

相貌は中尊題目、愛染不動の梵字、二仏、四菩薩。四隅に天王を拝せず、右下に毘沙門、持国を並べ、両肩に「病即消滅・不老不死」と記しています。

見ればわかるとおり、通常の…何を通常というかは議論が分かれるでしょうが…漫荼羅とは相貌が違っています。

http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/038.html
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/039.html
http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/040.html

守本尊であるとわかるのは、花押の中に授与者の名と「護(まもり)也」と記されているからです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/mamori_honzon.gif

大きさは50×30センチほどで、今の守本尊と比べれば、かなり大きいと感じます。もちろん、こちらが原型でしょう。


【参】桐谷征一師『大曼荼羅の世界』


44 名前: 犀角独歩 投稿日: 2002/10/22(火) 04:04


43の守本尊の相貌を見てわかるとおり、単に四大天王が四隅に拝される通常の漫荼羅とは違うのであって、それをただ縮小すれば守本尊になるということではありません。

今度の学会のものは、新語「携帯本尊」というものらしいので、もちろん、聖人の守本尊とは、縁もゆかりもないものです。ですから、相貌その他が違うのは、むしろ、当然なのでしょう。こんなアクセサリーと日蓮聖人の守本尊の原型を比べること自体、ナンセンスかもしれません。

*** 転載おわり ***

639ガンコ:2003/12/28(日) 08:38

だいぶあいだが空きましたが、以前に「種脱相対の魅力」なる駄文を書きまして、その折にいくつか感想をいただきました。まずもって、お礼申し上げます。

じつは、あれにはわたくしなりの野心があったのです。つまり、大聖人は野心家であられる、などということは信仰者の立場ではまず言えないだろう、と思うのです。
おもに日蓮宗の方は・・・ことに顕本あたりでは、釈尊本仏・日蓮上行を言うわけで、大聖人が釈尊をこえた・こえようとしていたとは絶対に考えない・・・つまり、それは釈尊に対する冒とくであるのは無論のこと、釈尊を「我等が本師」と仰ぐ大聖人に対しても甚だしい冒とくである、ということになろうかと思います。
また、日蓮正宗であっても、大聖人を野心家とするような表現はしないだろうと思います。

なぜなら、
「提婆達多は、・・・阿闍世太子をかたらいて云はく、我は仏を殺して新仏となるべし。太子は父の王を殺して新王となり給へ。」(法華題目抄)

野心というと、なんとなく、この御文を彷彿させるものがあって、ひじょうに困ったことになるわけです。久遠元初思想からいえば、新仏ではなく古仏でなければならない、という難しい問題以前に、大聖人と提婆達多が同じになってしまうのはとても都合が悪いから、その意味で、野心という表現は使わないだろうと思ったわけです。

いわば、ここが信仰者の盲点であって、日蓮本仏論の新たな展開の可能性を感じるのです。つまり、宗学・僧学にとらわれない、まったくの非信仰者が大聖人の御書を読んで、「日蓮というのはものすごい野心家だった、釈尊をこえようとの意図がありありと見える」と、ここまで読み取ることができたならば大収穫ではないかと思うのです。
すでに、宗学・僧学にとらわれてしまっているわたくし達がどのように論じたところで、あまり説得力をもたないという面がありますので、まったくの第三者が上のような新説を発表されることを期待したいものです。
無論、これを本仏論者が、あるいは信仰者が、手放しで受け入れることはありえないですが、従来の本仏論が行き詰まり状態?である以上は、大胆な発想の転換が必要であることは言うまでもないでしょう。

なお、手元の御書には掲載されていないので永いこと気がつきませんでしたが、不動愛染感見記の「日蓮授新仏」あたりに、何か重大なヒントが隠されているのではないかと、わたくしは思っております。

640愚鈍凡夫:2003/12/28(日) 09:22
横レス失礼します。
ガンコさん、高森大乗師は「日蓮授新仏」について、次のように語っておられます。参考までに。
**************************************************
なお、『不動愛染感見記』の授与書きに「日蓮授新仏」とみえる「新仏」が何を指すのかは明らかではない。新たに仏弟子となった「新仏子」の意とも解釈できる。その人は、一説に当時の清澄寺の住僧であった肥前公日吽(一二二八~?)とも推測される(22)。しかしながら、日号は、真言僧の間でも多く用いられたことが知られるので、必ずしも日蓮の弟子とは考えにくい。あるいは、叡山修学時代の学友にあたる弁阿闍梨日昭(一二二一~一三二三)をさすものとも推測されているが、確証を得ていない。また先述の如き本書の伝来から、白蓮阿闍梨日興(一二四六~一三三三)とも推察されるが、宗門の所伝では日興は岩本実相寺入蔵を前後して日蓮聖人のもとに入門したとされており、時期的に合致しない。
**************************************************

「日蓮遺文『不動愛染感見記』小考」
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents40.html

尚、上記HPの緑色『不動愛染感見記』をクリックすると「不動・愛染」の絵が閲覧できます。

641ガンコ:2003/12/28(日) 11:09

愚鈍さん、どうもです。

ざっと読ませていただきましたが、なんだか難しいですね。
この書の伝来が、日興門流というのがすごい。
しかも日興上人の入門以前であるところの建長六年御述作の御書を日興上人に託された。
ところが今日、信仰に資するところ少なきとして、日蓮正宗系ではしりぞけている。
なんでだろう? ってなところです。

642れん:2003/12/28(日) 15:08
ガンコさん。横レス失礼します。故川澄勲師の著書によりますと不動愛染感見記を所蔵する保田妙本寺にはこの文書に関して「十(トウ)の口伝」というものがあるそうです。不動(月形)愛染(日形)の月と日の画数を合わせると十になる、これは十界本有常住事の一念三千を具足する妙法蓮華経をあらわし、また日は昼、月は夜で昼夜四六時悉く妙法蓮華経であることをあらわしているとのことです。右ご参考まで
m(__)m

643ガンコ:2003/12/28(日) 17:28

れんさん、ご教示どうもです。

「十(トウ)の口伝」とはきょうみぶかいですね。
しかし、いつから伝わるものなんでしょうか?
大石寺でいうところの御相伝類はすべて大聖人に由来するというたてまえですけど、この口伝は上代に記録があるのでしょうか?

644Jルーカス:2003/12/28(日) 18:43
> 636

独歩さん
古い投稿にレスを返して恐縮ですが、今初めて気づきましたので一言。

>大きさは50×30センチほどで、今の守本尊と比べれば、かなり大きいと
>感じます。もちろん、こちらが原型でしょう。

今でも石山の「常住御守御本尊」には、この大きさのものも存在します。
石山では、常住御守御本尊はある程度の大きさの希望が出せるそうです。

645れん:2003/12/28(日) 19:20
ガンコさん。十の口伝がいつ頃から伝わっているのかは知りません。保田の相伝書は奥書によると保田十二世日要師が収集されたものの様です。日要師は石山九世日有上人の許で法義を学ばれたので、要師の著書や聞書類には多少ながら日有上人のご指南が引用されています。有師と要師との関係から保田の相伝書の出所は石山や尊門(左京日教師など)ではないかと愚考しております。m(__)m

646ガンコ:2003/12/28(日) 20:48

れんさん、どうもでした。

さて、どこの門流だかわからないのですが、六大部という御書の選定がありまして、けっこうおどろいたものです。
その順次は、守護国家論・立正安国論・開目抄・観心本尊抄・撰時抄・報恩抄です。
富士一跡門徒存知事にもとづく十大部には、守護国家論はありません。

愚鈍さんご紹介のサイトには、
>日蓮聖人は法華経至上主義を生涯貫いたことで知られるが、立教開宗の当初は、まだ真言密教に傾注していたことが理解できるのである。それは、日蓮聖人の初期遺文である正元元年(一二五九)の『守護国家論』(21)に、法華真言斉等を容認するような教義が認められることからも明らかである。

とあって、シロウト考えを申せば、後年の撰時抄・報恩抄において大聖人は徹底的な真言批判を遊ばしておられ、その整合性から守護国家論は大部の御書ではあるけど十大部には含めなかった、と思われます。
しかし、思うに、いわゆる十大部が日興上人の御選定とすると、では、あの不動愛染感見記を日興上人はどのように拝しておられたのだろうか?
じつに、なんとも不思議な思いにかられます。

647れん:2003/12/28(日) 22:25
ガンコさん。六大部とは初めて聞きました。大聖人は鎌倉時代の仏教学の水準から考えて、密教典も仏説と捉えていたと思います。大聖人は出発点が台密僧ですから、密教の影響を受けているのは当然です。大聖人が批判したのは弘法大師の法華第三・慈覚智証両大師の理同事勝の教判に対してで密教仏典そのものに対してではないでしょう。ですから大聖人は法華第一を前提にした上で密教そのものは肯定していたと思います。それが初期の愛染不動感見記や守護国家論、後々に図顕された曼陀羅に不動愛染の梵字が記されるという形で表れていると思いますm(__)m

648三吉:2003/12/29(月) 07:02
「六大部という御書の選定がありまして、けっこうおどろいたものです。」

(。☉_☉)ん? 日蓮宗の昭和定本に「六大部」ってありますので、
私は日蓮門下では一般的と思ってましたが・・・。
正宗系では、おっしゃられないのね。 〆(. .)メモメモ

649犀角独歩:2003/12/29(月) 10:30

644 Jルーカスさん:

> 50×30センチ…
> 今でも石山…「常住御守御本尊…この大きさ…存在

ほお、そうですか。それは知りませんでした。
ところで真筆護本尊は、その保存状態から見ると、折り畳んで袋に入れ懐中に持していたと想像できるのです。
いまのものはどのように身に帯するのでしょうか。
あと、石山の守本尊の四大天王の相貌はどうなっているのか、ご教示いただけませんでしょうか。

650犀角独歩:2003/12/29(月) 10:44

639 ガンコさん:

いま、ちょっと資料を探したのですが、みつからないので記憶だけで申し上げます。

蓮師がどのような形で感見記を記されたかわかりませんが、真言灌頂を受けて、その際に弟子として、「新仏」を授かったという意味であるという説を唱えていた人がありました。ここでいう、「新仏」とは灌頂を授かった弟子の呼称であるとのことでした。わたしは説得性を感じました。

参考までに

こちらつぶやきですが、六大部ですか、五大部ではなくて?
そうですか。これは初耳です。

651三吉:2003/12/29(月) 15:53
私のは正確には昭和定本を基にテキストにされたのを
波木井坊さんのサイトから落としたものですが、
「法華経&御遺言文」というフォルダーの下に
「行道遺文」「経典」「定本遺文」とあり、
「定本遺文」の中に「六大部」とあります。
その最初のタイトル部は、以下の感じになります。ご参考まで

六大部

#0015-1K0守護国家論正元元年(1259)[p0089]
#0024-0K0立正安国論文応元年(1260)[p0209]
#0098-100開目抄文永九年(1272.02)[p0535]
#0118-0K0 如来滅後五五百歳始観心本尊抄文永10年(1273.04.26)[p0702]
#0181-000撰時抄建治元年(1275.06)[p1003]
#0223-000報恩抄建治二年(1276.07.21)[p1192]

652三吉:2003/12/29(月) 15:58
ついでに、
「行道遺文」の下に「五大部」ではありませんが目次に「主要書」という
分類があり、それは以下の五つになります。
この場合は、「守護国家論」がはずれるみたいです。

主要書

立正安国論 ・・・・・・・・・・・・・・ (   一)
開目鈔 (上)  ・・・・・・・・・・・ (  二七)
開目鈔 (下)  ・・・・・・・・・・・ (  四九)
如来滅後五五百歳始観心本尊鈔 ・・・・・ (  七三)
撰時鈔 (上)  ・・・・・・・・・・・ ( 一〇二)
撰時鈔 (下)  ・・・・・・・・・・・ ( 一二〇)
報恩鈔 (上)  ・・・・・・・・・・・ ( 一三九)
報恩鈔 (下)  ・・・・・・・・・・・ ( 一五七)

653犀角独歩:2003/12/29(月) 17:36

感見記、新仏、日月に関連して、“虚構山幻想寺”『太陽体験』のページ、参考に

*** 転載はじめ ***

不動愛染感見記
千葉・保田・妙本寺蔵。


「生身愛染明王拝見。正月一日日蝕之時。ウム・シツ・チ・シヤク・ウム・ハム・コク(以上梵字に ふりがな)。大日如来より日蓮に至る廿三代嫡々相承。建長六年六月廿五日。日蓮新仏に授く」 黒い鳥は古来日神の使いとされてきたカラス。これが日輪中の赤いカラスならば天皇(王権)の象徴ということになる。三本足ではないことに注目。

「生身不動明王拝見。十五日より十七日に至る。ナマク・サ・マム・タ・ホ・タ・ナム・カム(以上梵字 にふりがな)。大日如来より日蓮に至る廿三代嫡々相承。建長六年六月廿五日。日蓮新仏に授く」
 不動の真言の方は「ナウマク・サマンダ・ボダナン・カン(あまねき諸仏に、とりわけ不動明王に帰命し奉る)」ということだろう。カンは不動の種子である。これは釈迦真言と同じスタイルだが、通常の不動の真言は「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン(あまねき諸金剛尊に帰命し奉る)」である。
 日蓮は愛染は日蝕の黒い太陽の中に、不動は三日続けて月中に、見たという。新仏とは「しんぼとけ」ではなく「しんぶつ」と読むのだろうか。灌頂を受けた者を指すらしい。
 建長6年の正月一日はおろか日蓮が清澄寺に上ってから一度も元旦に日蝕が無かったことから、この書は感見記ではなく、秘密相承の切紙ではないかという説があるが、真相は不明である。
 「日ノ愛染」「月ノ不動」ということに関して、『四帖秘決』第四には、
「別事ニ非ス。凡夫ノ肉眼ヲ以テ生身ノ仏ヲ見奉(たてまつ)レル也。日ノ愛染、月ノ不動ト申テ日輪ノ中ニハ愛染王ノ現(うつつ)ニ御座スル也。……日ノ愛染、月ノ不動ト云事ハ大集経ニ見(みえ)タリトソ承ル云云。世俗ニハ日ノ烏、月ノ兎ト申ス。」
とあり、日蓮誕生以前に、すでにそのような説が比叡山にあったことがうかがえる。
 また当時、一仏二明王(大日如来と不動・愛染)というシンプルなトリロジーが神道側の密教摂取の柱となっており、この感見記もそうした神仏習合の場で生まれた可能性も否定できない。

 太陽と月は日蓮の名のりと深く関わっているといわれる。また日蓮自身は寿量品を日、迹門を月、爾前経を星に喩えている(薬王品得意抄)。
「日蓮をこいしくをはせば、常に出づる日、ゆうべにいづる月ををがませ給へ、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり」(国府尼御前御返事)は本気か、言葉のあやか?
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名也。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。(中略)月はひかりあきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五々百歳の長闇を照らすべき瑞相也」(諌暁八幡抄)とはやけに思わせぶりではないか。

 文章だけなら暗喩、または故あっての韜晦とも云えようが、『不動・愛染感見記』には密教画風の絵が描かれている。これが後加されたのでなければ、かなりショッキングな書といえる。愛染・不動が密教尊そのままの愛染・不動であり、密教の真言(おそらく感見時に唱えたのだろう)まで書いてあるという事実……。
 ということは、後年顕す曼陀羅本尊の中の愛染・不動も、この時の真言密教の愛染・不動なのではないか。(初期の本尊には首題と不動・愛染のみ、というものがある。)
 霊山において会座に連なっている諸尊(または凡夫内在の諸尊)が三身の上から生身(=応身)を現じて何が悪いというかもしれないが、それこそ真言密教の義そのもので、天台大師の立義ではない。それなのに、立宗後にこのような神秘体験をしてしまう日蓮が、一方で空海や円仁(えんにん)の夢想霊験を、

「世間の念仏者、現に夢に智者見えたりけるなんど申候ぞ。天狗の見せたる夢なり。只道理と経文を本にすべし」(戒法門・22歳)
「通力をして智者愚者をばしるべからざるか……但法門の正邪をただすべし。利根と通力とにはよるべからず」(唱法華題目抄・39歳)
「仏に最後の禁めに通力を本とすべからずとみえたり」(題目弥陀名号勝劣事・43歳)
「是くの如き少分のしるしを以て奇特(きどく)とす。若し是を以て勝れたりといはゞ、彼の月氏の外道等にはすぎじ」(星名五郎太郎殿御返事・46歳)

と否定するのだから、日蓮によくある矛盾、手前勝手と言ってしまえばそれまでだが、どう和会疏通(わえそつう)してよいやら悩む人もいるだろう。なかには真書と認めながらことさら檀家の目からかくし、自らも無視する住職もいるとか。それほど、これはやっかいな書なのである。
(日蓮が否定するのは神秘現象によって正邪を判定することであって、神秘現象そのものを否定してはいない、ということなのだろうか。)

*** 転載おわり ***

654ガンコ:2003/12/29(月) 19:36

みなさん、こんばんは。

六大部の件ですが、まさか三吉さんがお出ましになるとは、ますますおどろきました。
不勉強のわたくしは論外にしても、勉強家のみなさんがご存じなかったとは、なんとも不思議なはなしですね。近くて遠い存在・・・という言い方がありますけど、日蓮宗と日蓮正宗は、まさにそれなんだなあって思いました。ほかにもいろいろあるかもしれませんね。

しかし、れんさん。
>大聖人は法華第一を前提にした上で密教そのものは肯定していた

それはそうなんでしょうけど、不動愛染感見記に関しては、その説明だけではすんなり納得しかねるところがあります。まさに独歩さんご提示の「これはやっかいな書なのである」というのがいちばん的を射ていると感じます。まあ、しかし、わたくしはまだまだ御書の拝読が足りませんので、見えていない部分がたくさんあるのだろうと思っています。そういうことで、今後とも拝読を重ねてまいる所存です。

独歩さん、どうもです。
今年一年間、たいへんお世話になりました。まだまだ議論のできるレベルではないにもかかわらず、お相手くださりましたこと、感謝申し上げます。

ところで、
>日蓮によくある矛盾、手前勝手と言ってしまえばそれまでだが

この人はなんなんでしょうね。
しかし、この人の文章、全体的に小気味が良くて、なんだか憎めないものがあります。
わたくしもこういう文章が書けたらなあ。

655犀角独歩:2003/12/29(月) 21:25

ガンコさん:

> この人はなんなんでしょうね

ええ、まさに。いまだにどのような人かわかりません。
けれど「虚構山幻想寺」、この名前を聞いてご存じの方はいらっしゃると思います。
侮れないサイトでした。ちなみに紹介の文章は、以下のように続いております。

*** 転載はじめ ***

 太陽体験

 日蓮の「不動・愛染感見」は太陽体験(独Sonnenerlebnis)ではなかったか?という疑いがある。

 「分裂病者の体験野に太陽が出現し、その病像転換の契機となるような場合を、『太陽体験』と呼ぶ。(中略)分裂病者の体験は『中心化』と『脱中心化』の機制から構造化していくことが可能であるが、その際、中心の形象、つまり『中心イマーゴ』として顕著に現われるのが太陽で、一般に(1)病初期には『沈む太陽』や『黒い太陽』を体験して病者は世界の中心に押しやられ、(2)病勢の極期または慢性期には『中天の太陽』または『太陽との合体』をとおして全能者の位置に立ち、(3)回復期には「昇る太陽」を契機として世界の中心から周辺に立ちもどり、『脱中心化』をとげる。」(宮本忠雄『増補版精神医学事典』)
イマーゴとは「無意識のなかに構成され、しかもそこに残留している、ふつう本人自身ではない、だれかに同一視されていることの多い人のイメージ、あるいは類似性のこと。」(畑下一男『(同上)』)

 では日蓮は病気だったのか、と日蓮を尊敬する人たちは怒りだすかもしれない。しかし世に天才といわれる人の中にはこうした神秘的体験をする人がけっこういるのである。
 神仏との一体化をめざす密教を修していた遊学時代の日蓮にとって、イマーゴは大日法身だったかもしれない。あるいは久遠の釈迦牟尼仏だったろうか。

 立宗の初説法の前に嵩が森(かさがもり)で朝日に向って唱題したのは、日天に祈りを捧げたのでも、宇宙法界を対告衆(たいごうしゅ)とし初転宝輪(しょてんぽうりん)したのでもなく、自分の分身(または自分そのもの)と冥合しようとしたのではないだろうか。「一向に誑惑せられ数年(すねん)」(本尊問答抄)の時期を過ぎたとはいえ、このころの日蓮は念仏・禅ほどには真言宗を批判していないし、法華守護の諸天善神とともに密教特有の諸尊は肯定しているから、太陽を単独に存在する日神・日天であるとする通りいっぺんの解釈で満足していたとは思えない。

 日蓮が究極の仏・法に自身を一体化しようと考える事は、日蓮自身の出家動機からも、当時の比叡山の教学からもむしろ当然であり、その圧倒的な仏力・法力の具体的顕現として太陽を認知し、究極の仏・法の象徴として太陽を選んだ……それのみならず、すでに気持の上では一体化しているとしたら、太陽は自身の投影ですらあるはずだ。

 日向の『聖人一期行法日記』では、身延入山してから、毎日、日天(太陽)に向って、法華経の方便品・寿量品・勧持品・涌出品・神力品・嘱累品を読誦したとある。本尊確立後にあって尚も、そのようなことをしたのは、いかなる心情からだろうか。

 「我等天に向ひて之を見れば、生身妙覚(しょうじん・みょうがく)の仏、本位に居して衆生を利益し給ふ」(法華取要抄)と日蓮は書いている。

 生身妙覚の仏とは、菩薩としての最高の覚りの境地に至っている、肉体を持って現実に生きている仏(=凡夫相の仏)のことであり、本位とはありのままの位という意味。中古天台慧心流の口伝書『等海口伝』の「等覚一転理即に入る」(三諦の妙理を悟った者は凡夫のままで仏である)に代表される天台本覚思想(凡夫即極)が色濃く反映されている。日蓮もまた、法華経本門にいたって凡夫(人間)のみならず十界の衆生すべてが本来のありのままの姿で仏となる、と考えたようだ。

 また新池御書では「後世を願はん者は名利名聞を捨てて何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬うべし、是れ正く経文なり」として自分を生き仏として敬うのが正しい、などとしている。

656犀角独歩:2003/12/29(月) 21:26

―655からつづく―

 インドでは洞窟で修されていたという密教は、日本に伝来してもやはり暗がりの中の宗教だった。その曼陀羅や絵像は色彩的にくすんで暗く、おどろおどろしくもある。そうした世界から日蓮の世界は生れたにもかかわらず、そこには微塵の暗さも感じられない。すべてが白日の下にさらされてるかのようだ。これはまったく日蓮自身にもとづくといわねばならず、彼の宗教の一大特徴ともなっている。(最初期の仏教修行者も洞窟に居住していたというから、洞窟から出て最後はまた洞窟へ戻った、ともいえる。)


 日蓮は、太陽に縁のあるいくつかの尊格を曼陀羅本尊に勧請している。釈迦の幼名は日種太子で転法輪に際しては慧日大聖尊と号したとされているし、その垂迹は日神の天照太神である。日天は蓮華か日輪を持っていることになっている。瑜祇経では愛染明王は太陽(熾盛輪)に住すとされている。またごくわずかだが太陽信仰に由来するといわれる大日如来が勧請されている例がある。そして何よりも日本国の日蓮の名は一枚も書き落としがない(!)。


 インド密教成立当時のイメージでは、蓮(とくに白蓮)は開花が太陽の運行に影響されることと、形が輝く太陽の姿に似ていることから太陽の象徴とされた。また結果する様子から胎(子宮)〜卵〜宝珠と連想され、ストゥーパ(仏塔)をも意味するようになった。そのほか心臓を象徴することはバラモン教や密教教義にあるとおりである。


 インドでは古来、アートマンは心臓の中にいるということになっている。人間の心臓は閉じた蓮の花に似ている。一方、宇宙的原理の具象は太陽であろう。蓮の花を媒介に、太陽と心臓のイメージが重なるとき、梵我一如の観念が自然に生まれたのではないだろうか。しかして後、沼や池(その延長としての海)、また干からびてしまった大地から忽然と伸びゆく蓮の花を、菩薩(仏と感応する仏教詩人たち)は人間生命の象徴として宝塔に置き換えてイメージしたのではないか。蓮華の仏を観ずる三昧を言語化したのが法華経だったのではないか。

 多宝如来こそバラモン教のブラフマン(仏教以前の古仏)であり、仏教の開祖釈迦がそのブラフマンと同じ位置についたことは、バラモン教による仏教の再編、また、如来蔵=心王と注意深く換言された仏教的梵我一如すなわち「仏」我一如ともいうべき大乗的新思潮の、高らかなる宣言ではなかったろうか。冷徹な釈迦の仏教が豊饒で力強い土着宗教に飲み込まれたことで、より多くの人間が救われたのならば、それはそれで、より「優れた」宗教、と云えるのかもしれない。


 曼陀羅中の日蓮が首題の方を向いているのか、首題と一体となり、拝する者の方に向いているのか諸説あろうが、日蓮が太陽を自分と自分の宗旨のシンボルとしていたことは否定し得ないところであろう。


 身延入山のすこし前、幕府が申し出た一千町歩の美田と不動愛染堂の寄進を、日蓮は拒わったという伝承がある。事実だとして、不動愛染堂だから拒わったのではあるまい。波木井実長(はきりさねなが)の大伽藍建立の話もはっきり斥けたというから、やはり信条なのだろう。晩年、ひどく弱気なことを言ったりするが、それでも後悔はなかったのではないか。

*** 転載おわり ***

657愚鈍凡夫:2003/12/30(火) 00:51
横レス失礼します。こんな解釈はどうですか。

**************************************************
●脳と電磁波
 脳内にはものすごい数の神経細胞・脳内物質・電気信号・イオンが動き回っている。そして、脳内物質の多少で人間の感情さえも作用してしまうのである。
例えば、 ① 覚せい・快感 ドーパミン
    ② 覚せい・怒り ノルアドレナリン
    ③ 恐怖・驚き  アドレナリン
    ④ 感情抑制   セロトニン
などである。また、脳内の様々な電気信号も外部から強い磁場を加えることで変化してしまうのである。
 見える・聞こえるという現象を詳しく解析してみよう。「見える」というのは通常目で見ることを指しているが、実際は脳で見ている、というのが正解である。目は光を信号に変える能力はあるが、見る(能動的に光を解析する)能力は無いのだ。同様に「聞こえる」というのも、耳はあくまでも音を信号に変換することだけで、聞いているのは脳なのである。では、「感じる」はどうだろうか。これも全く同様で、皮膚は圧力を信号に変えるだけで、実際に感じているのは脳である。つまり、見える・聞こえる・感じるといった全ての感覚は「脳」で処理しているのである。このことは、脳が信号を正しく受け取れなかったら、見えていても見えない・聞こえていても聞こえない・感じていても感じない、ということを意味する。更に、脳内に誤った信号が伝わった場合、聞こえていないのに聞こえる(幻聴)、見えていないのに見えた(幻覚)、感じないのに感じた、ということになってしまうのだ。また、何らかの作用で脳内物質を作用すると、心地よい場所で怒りを覚えたり、恐怖の場を感じなかったり、突然キレたりということも起こりうる。全て脳内の微妙なバランスの中で起こることである。
 私にこんな経験がある。ある非常に疲れた夜、布団に入ると直ぐさま身体に脱力感を覚えた。そして、もの凄い睡魔に襲われ枕に沈むように眠りに入ろうとした時である。なぜか脳はすぐに睡眠にはいらなかったのである。身体はもう全く動かない「金縛り」のような状況になった。恐らく、見る感覚以外は睡眠に入ってしまったのだろう。何と、眠らずして夢の状態に入ってしまったのだ。この瞬間はハッキリとは覚えていないのだが、目で見ていた映像とあり得ない夢の映像が重なったのである。これも一種の幻覚である。このように、何らかの現象で脳内を刺激すれば脳が誤信することは十分に考えられる。そして、強磁場(電磁波)がその効果を示すことはもはや疑いの無い状態である。
 既に、脳に強い磁場を加えると幻覚が見える、といった実験も行われており、磁場は脳に影響を及ぼすのである。そこで、影響の及ぼしかたであるが、これは、人によって全く別々の現象になるはずである。その理由は、幻覚は自らの脳が作り出すのであるから、自分の過去の体験デ-タから引き出されて作られると考えられるからである。従って、4人が同時に同じ白装束の女性を見た、ということは考えられない。この場合、そのものが実在していることになり、それは実体である。つまり、誰かの悪戯ということになるのである。従って、未だ解明されていない未知の心霊現象も、1〜5の中のどれかであり、あまりに希な現象であるため実証が難しいだけなのである。

続く

658愚鈍凡夫:2003/12/30(火) 00:53
続き

圧電現象・強磁場
 圧電現象による磁場の影響によって、非常に多くの心霊現象が片づいたのではないだろうか。そこで、ここではもう一歩踏み込んでみたい。心霊現象が磁場の影響による幻覚だとしたら、昼夜構わず出現してもおかしくないのではなかろうか。何も磁場は夜になると急激に増加するわけではないからだ。しかし、圧倒的に夜の時間帯に目撃例が集中している。これは一体何故か。
 昼間の時間帯は脳は非常に冷静・安定に活動している。この時の脳は電位の低い状態となっているため、磁場や電磁波の影響が出にくいと考えられる。もし、仮に昼間に幻覚が出現してもハッキリした形状を持つものは見えずに見過ごしてしまうのである。夜になると、人間は暗いというだけでも不安を感じ、更に心霊スポットは不気味な場所であるため脳内では研ぎ澄まされた様な状態となる。電位の高い状態にセットされ、外部の磁場や電磁波の影響を受けやすい状態になるのである。また、幻覚も比較的ハッキリ見えるため見過ごす可能性が減少すると考えられる。つまり、電磁波の他に不安・恐怖といった精神構造が加わって起こる現象だったのである。

 霊感の有無が良く言われる。「霊感とは付近に例が存在したときに、その存在を他人より敏感に感じ取れる能力」ということができる。この感覚を科学的にはどのように解釈できるのだろうか。私は「心霊は存在しない」という立場をとっている。私は霊感とは以下のようなものを言うのであると考える。
① 非少ない量の磁場(電磁波)でも幻覚・幻聴が発生する人
  ・敏感であるほど霊感が強いと言える。従って、極度に敏感な人の場合家などの建築物でも感じることはあり得る。
② 見たものや見てないもの、過去の経験や無経験等の事項を混同して記憶を作れる人
③ 状況分析に長けた人
などの条件が備わっている人であると考えられる。
**************************************************

話のネタにということで、悪しからず。 m(_ _)m

「ハンドパワーズ・スーパー特集2002 心霊現象を徹底解明せよ」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~fnao/shinrei.htm

659犀角独歩:2003/12/30(火) 15:25

655・656、また愚鈍凡夫さんが記される657とも関連すると思いますが、精神科医・高橋紳吾師がいう精神病の症状は、蓮師の末法意識、あるいは終末論を述べる信者の個人的リアリティと密接に関連しているように見えます。いわゆる神秘体験といわれるものの説明原理を含むと考えられます。

「国が亡ぶ」などと危機感を訴える煽動は、宗教教義的な裏付けに拠っていると言うより、以下の如き精神障害圏にある可能性も視野に入れるべきであろうと思われます。

「青年期に初発する精神分裂病に『世界没落体験』という症状がある。急性期に現れる妄想で『世界が今や崩壊に向かっている。いやすでに崩壊した。森羅万象のことごとくが生命を失った。最後の審判が開始された。世界革命が勃発した」などの、周囲の世界の劇的変化が絶対的な妄想確信をもって迫ってくる特有の妄想である。この妄想の際には不安と同時に昂揚感や宗教的啓示が現れ、世界の崩壊と同時に新しい未知の世界の誕生が予告され、しばしば世界の中心にある自分が至上者と一体化するという宗教的恍惚感が生じ、ときに救済妄想にいたる。精神病の初期には、自己の内部が崩壊していくカタストローフの感覚があり、しばしば患者は「自分が誰かわからない、狂ってしまいそうだ」と表現するが、この内的カタストローフが外界に全面投影されて生れるのが、世界没落体験である。
一般に思春期は、自己のアイデンティティを形成していくうえで、危機的状況にある。『自分とは何者か』、『何処からきて何処へ向かうのは』、『何をすればよいのか』と真剣に悩む。
 世界没落体験は分裂病特有の症状というより、思春期を含めて、人が精神的危機状態にあるときに親和性を示す普遍的な心理的メカニズムなのである」(『超能力と霊能者』現代の宗教8 岩波書店 1997年2月5日 第1刷 P218)

661ロッド:2004/06/04(金) 21:05
皆さん始めまして
自分なりにある程度の勇気を振り絞って書き込みします。
私は顕正会現役会員です。入信して二年半くらいでしょうか。
今年のゴールデンウィーク、某先輩と二人で神奈川の身延の寺院に浅井先生のかんぎょう書を
持って訪れました。
いつもでしたら門前払いの身延寺院なはずが、そこのお寺の僧はあがって話しましょう
と書院に我々を誘導しました。
私は先輩と僧の話を聞いていただけなのですが、話が大聖人が御本仏であられる
ことへと進み、釈迦が脱であるということを私たちが常日頃習っている
本尊抄の「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」
の話をして、ここに釈迦が脱であると書いてあるではないかとなったわけなのです。
それに対する身延僧の返答があり、一言二言で先輩が返答できなくなったのを
目の当たりにしてしまいました。私はあまり教学を必死で勉強してわけではなく
先生や先輩の話をそのままに信じてきました。
しかし、そのときの身延僧の言ったことをしっかり覚えていないほど私は
浅知識なのですが、それ以来苦しくて苦しくてどうしようもないのです。
モヤモヤが晴れないのです。
どうかお聞かせください。

①・「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」と
  あるのは、釈迦が脱、大聖人が本であるということにはならないのでしょうか。

②・「法華経に詮なし」というのは、法華経が脱であることを仰せの
  ことではないのでしょうか。(すいません。御書名が出てきません)

③・このサイトなどで「中古天台教学」の真似であるようなことを見ますが、
  逆に中古天台のほうがこちらを真似たとはいえないのでしょうか。

どうか、どうか教えてください。もう議論しつくされてことであるかもしれませんが、
過去ログを見るのが怖いのです。どうか教えてください。
お願いhします。

662地名:2004/06/05(土) 09:44

661 ロッドさん

はじめまして。

>入信して二年半…あまり教学を必死で勉強しているわけではなく…以来苦しくて苦しくてどうしようもない…モヤモヤが晴れない…

お気持ちのほどは、わかります。昨晩遅く帰宅して以来、気になっており、なんとかお役に立てないかとずっと考えていました。
しかし、私自身も同じように御書の切り文(きりもん:一部分)を読んで学んで日蓮大聖人様の仏法をわかったように思っておりました。
ですから、お気持ちはよくわかります。
そうして私は数十年間やってきました。いまでも十分にわかっておりません。
「過去ログを見るのが怖い」お気持ちはわかりますが、適切にお話をしてくださるまでの間、この掲示板の内容等あせらないでお読みいただけないでしょうか。
私も、早く知りたい、わかりたいと思いもし、あせりもしましたが、過去の内容を読みました。わからない部分は飛ばしてもいいですから、少しも怖いことはありませんから、ご自分の信仰を踏まえて批判的に読まれてはいかがでしょうか。
ごめんなさいね、適切に御助言できないこと、恥ずかしく思っておりますが、仏法は早道・早分かりはないのです。
そして、自分で、自分の力でひとつひとつ学んでいくしかないのです。

>①・「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」

この「観心本尊抄」の部分は、まさに日蓮本仏論か否かなど最も難しい部分です。
私もまだ十分に理解できていません。うそを教えるいきませんので、ご一緒に勉強しませんか。

>②…③…

参考にもなりませんが、私は、自分が信仰しているのと反対のお考えを述べられている書物を読むようにしています。
比較相対ができることと、なぜ私の信仰している考えと違うのだろうと考えることができるからです。
ただ、悪口等を記した批判のための批判書はあまり読みません。
仏法会得(えとく)は少し話しを聞いたからすぐわかったなどという簡単な方法はないように思われます。一歩一歩、自分の手で、自分の頭で考えること、そして、疑問に思われたことを時間がかかりますが、ある程度納得できるまで根気強くあちこちの本などを手がかりにして読むことです。
迂遠(うえん)であり、遠回りのような気がしますが、ひとつ二つと理解ができていくと、それらが引き金になってわかる時がくるように思われます。
それから、原典にあたるようにすること、解説書を足がかりにしますが、多くの人は原典にあまりあたろうとしません。日蓮その人の真蹟御書等時間ばかりかかっていやになってしまいますが、ですが心がけとしては原典を確認してみるとよいと思います。

この掲示板を批判的に読むことから始められてはいかがでしょうか。
人の説明、人の話等は媒介にすぎません。自分で行うのが仏道修行だと思います。
僭越なことを記しましたこと御寛恕ください。 合掌

663顕正居士:2004/06/05(土) 13:11
「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」(『観心本尊抄』)。
この文は「一品二半」が「在世脱益の機」の為に説かれ、対して「題目の五字」が「末法下種の機」
の為に神力品において結要付属されたと述べているわけではありません。
「寿量品の一品二半は始めより終りに至るまで正しく滅後の衆生の為なり。滅後之中には末法今時の
日蓮等が為也」(『法華取要抄』)。
この文は「一品二半」のみでなく、本門十四品の全部と迹門十四品の正宗の八品が「末法の始め」を
正機として説かれたのであると述べた文章の最後にあります。

「迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩・凡夫を以て傍と為す。再往
之を勘うれば凡夫、正像末を以て正と為す。正像末の三時之中にも末法の始めを以て正が中の正と
為す。(略)迹門是の如し。本門を以て之を論ずれば、一向に末法之初めを以て正機と為す。
所謂、一往之を見る時は久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って
等妙に登らしむ。再往之を見れば迹門には似ず。本門は序正流通倶に末法之始めを以て詮と為す。
在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目
の五字也」(『観心本尊抄』)。
http://www.sattva.jp/data/ibun/g-118.html
「但し彼は脱、此れは種也」の「彼」とは「在世の本門」であり、「此」とは「末法之初め」です。
この両者は「一同に純円」であるが、「在世の本門」は「久種」(久遠の下種)を覚知せしめる時、
「末法之初め」は新たに仏種を植える時であるから、「一品二半」と「但題目」の関係が逆になる。
つまり 在世 「一品二半」→「但題目」:末法の初め 「但題目」→「一品二半」になります。
日蓮聖人の著述の意図では、「彼は脱、此は種」とは「教機時国序」の「機」に「勝劣」を分ける
意味ではない(「一同に純円」)、まして「教」(法体)に「勝劣」を分ける意味ではない、相違
はただ『時』にあり、「在世の本門」と「末法之初め」では「一品二半」と「但題目」の関係が逆
になると述べられたのであると考えます。

「正法像法には此の法門をひろめず余経を失わじがためなり、今末法に入りぬれば余経も法華経も
せんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(『上野殿御返事』)。
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso1545.html
は「西方願生」についての上野殿の疑問、おそらく、「法華経の経文にしたがうならば臨終の際に
阿弥陀仏を頼むべきではないのか」に答えた表現でありましょう。
天台大師以来、天台宗の聖賢は臨終には「西方願生」を頼んだ。これを「天台浄土教」といいます。
「日出でぬればとほしびせんなし雨のふるに露なにのせんかあるべき」。これも『時』の相違であり、
「西方願生」については「余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と述べられたので
ありましょう。地名さんがおっしゃるように、単にその文がある前後の文章を自分で読むことにより
疑団の多くが難なく解決することがあるだろうと思います。

664犀角独歩:2004/06/05(土) 19:56

ロッドさん、はじめまして。

自分が何でいま、このような形で信じているのか?
そんな自問をすることが大切です。

折伏をされた、入会した、勤行をするようになった、功徳があった、体験があった、教学を勉強した「日蓮大聖人」はご本仏だと知った、「本門戒壇之大御本尊」が究極の本尊だと知った、この仏法に背くと地震は地獄に堕ち、国は亡びると知った…。

みんなそんなフローを辿るわけでしょう。しかし、これが本当なのかをよく考えてみることです。

ロッドさんは何で日蓮が本仏だと知っているのですか、戒壇本尊が絶対であると知っているのですか、また、釈迦が脱・日蓮が種と知っているのですか。自分がしてきた体験、あるいは功徳はその教学と、それを最も正しく実践する顕正会とその会長によって得ることができた、こんな組み立てになっていませんか。

それらは顕正会という組織で植え込まれた確信だったのでしょう。しかし、それは本当なのでしょうか。

しかもロッドさんは、ここでまた、疑問が生じたことを、この場で人に聞いて、確認しようとしている。これはあなたが顕正会でやってきたことと、変わらない。また、ただ人の言葉で動くだけに過ぎません。

最も大事なこと、それは自分の頭で考えることです。自分で労力を使って資料を読み・調べることです。集団に依らず、人の言葉に依らず、自分でなすことです。

地名さん、顕正居士さんは、たしかに解説してくださりました。けれど、お二方とも、その結論として仰ったことは「自分で調べ、考えろ」ということです。

依存という輪廻から、自律立という解脱への道を歩み出せば、自ずと答えは付いてくるでしょう。

しかし、たしかにここ富士門掲示板の過去ログは、自律立の道を歩むためには宝の山です。まずは自分で地道に読み込んでみることです。

人に聞いて容易く得たことは、やがてまた容易く壊れてしまうものですよ。いままでの顕正会の経験がそうであったようにです。健闘をお祈り申し上げます。

665愚鈍凡夫:2004/06/05(土) 21:41

ロッドさん、初めまして。投稿はもう少し控えるつもりだったのですが、少しだけ。
犀角独歩さんのレスと重複しますが、玉光順正師の次の言葉をよく考えてみてください(以前にも紹介したものです)。

**************************************************
 釈迦がどのような理由で出家されたのかということについて、皆さんも四門出遊という話しでお聞きになってこられたと思います。三つの門で老人、病人、葬式に出くわして城に引き返し最後の門で修行僧の姿を見て出家を決意されたというものです。ここに説かれる生老病死とは仏教の基本でありますが、釈尊の時代と違い、現在には自然な形での生老病死はないのではないかという思いを強くします。さまざまな形で操作されている現在の生老病死を考えるとき、従来の聖典の読み方に固執するのではなく、新たに読み直していく必要があると感じます。
 我々の教団の現状を見てみても、なにか閉鎖的な集団の中で古くから使われてきた言葉、いわゆる専門用語でもって教学が語られ、教団の中だけで間に合っているような気がします。
 今私たちに求められているのは親鸞聖人の教えをどう思い、考えるのか一人一人が表現していくことではないかと思います。
 最近のオウムの問題や、政治における公明党の動きなどを見ていると、トップの人間がなにか発言すると上から下まですべての人間が同じ考えになってしまう。 そしてそういうものが宗教であるかのような風潮があるように感じます。
 私は宗教とは人間がそれぞれ自分で考える人間になることだと思っています。そして自分で考えるためには学ばなくてはならない、そこに真宗でいう聞法があるのです。聞法とはそういう意味で話しを憶えることではなく、それぞれの人が考えるということであろうと思います。これは釈尊の自灯明、法灯明という言葉にも顕わされています。
**************************************************

ここの掲示板に集う方々にとっては当たり前のことですが、今のロッドさんにとっては大切なことだと思います。

「死刑制度と仏教 いのちは何故尊いのか?」
http://www.modan-t.or.jp/seisoukai/inochi4.html

666一刀両断:2004/06/05(土) 22:52
ロッドさん
投稿拝見しました。
実は私は元顕正会員でした。
ですからあなたの仰りたい言葉がよく分かります。

その上で敢えて発言させて頂くのであれば、犀角独歩さんの重複でしかありませんが、私なりの言葉を使うなら、「疑問を疑問として疑う気持ちがなくなれば、その時点で操作されている自分である」ということ。また「疑問を打ち破ることこそ、真実が一歩近づく」

ということだと思います。

私はここは日蓮正宗の正体がはじめて明かされている、大事なサイトだと思っております。
一方的な見解を抜いて、独歩さんが指摘された部位を取り除いて、まだ日蓮師も知らない、日蓮正宗も知らない自分に戻ってここを全て閲覧して頂きたい気持ちです。

ほんの少しでもここで語られている発言に耳を傾けるならば、真実が見えてくると思います。

情報操作という枠組みから抜け出して、たった一人の自分として、見つめ直して頂ければ良いかと思います。

667一刀両断:2004/06/05(土) 22:55
訂正
>一方的な見解を抜いて、独歩さんが指摘された部位を取り除いて、まだ日蓮師も知らない、日蓮正宗も知らない自分に戻ってここを全て閲覧して頂きたい気持ちです。

一方的な見解を抜いて、全てを取り除いて、まだ日蓮師も知らない、日蓮正宗も知らない自分に戻ってここを全て閲覧して頂きたい気持ちです。

犀角独歩さん 失礼しました

668三吉:2004/06/06(日) 11:57
私の読みを参考に書いておきます。(混乱するかもだろうけど)

「脱」と言うのは、「解脱」のことです。
「種」とは「下種」のことです。
他に「熟」(調熟)というのもあり、これは教え成熟させることです。
この、「種」「熟」「脱」は元々、天台用語です。
「下種」とは衆生の心のうちに仏教の種を撒くことです。これが
仏法に結びつく最初の段階になります。
「調熟」の次段階で教え成熟させられ、
「解脱」の最終段階で悟るわけです。

上記を踏まえ、日蓮さんは、語られておられると思います。

「釈尊晩年最後の八年で、本門を説かれた。
その核心は本門寿量品を中心とする一品二半で、これを直接
釈尊から聞いたものはすぐに「解脱」したのであるが、
「解脱」に至るまでに前世での長い教導期間が実はあるのです。
まず久遠の過去世に仏法を釈尊から聞いておったのです。
更に、大通仏のもと釈尊が16王子時代にも教えられ、
今生においては釈尊の華厳→阿含→方等→法華迹門の教えを受け
成熟させられ、漸く本門が届く機と時が熟し、純円となり
本門が説かれ「解脱」したわけです。」
これが「但し彼は脱」という意味です。

477犀角独歩 さん「つまり、久遠に脱益した仏が一念三千を衆生に下種した。
脱とは仏、種一念三千、下した先は結縁衆。」と言われていますが、
私にはそうは読めない。
「脱」は、仏ではなく、あくまで聞いたが衆生が解脱することです。

663 名前: 顕正居士さん「「在世の本門」は「久種」(久遠の下種)を覚知せしめる時、
「末法之初め」は新たに仏種を植える時であるから、「一品二半」と「但題目」の関係
が逆になる。」とのことですが、
「在世の本門」は、「久種覚知」に終わらず、始まります。ながぁぁぁぁい時間をかけて
調熟させられる道程に正当性があるのです。(一往は天台正統派解釈。再往は日蓮解釈)
なので「在世の本門」は「久種」覚知に始まり、前世・今生の長い調熟期間を経て、
漸く本門教示の得脱に至るのだが、「末法之初め」は、「久種覚知」の「但題目」だけで
完成と日蓮さんは言われていると私は読みます。
共に純円とは、飽くまで法華本門が説かれる「機」と「時」が熟していると言う
意味に過ぎません。共に法華本門が説かれるが在世の本門は長い準備期間を慎重に経た。
末法である現代は、いきなし準備期間なく、本門が示されるという差がある、と。
つまり「種」は今初めてではなく、「永遠の昔」でしょう。

現代は、「永遠の昔に釈尊の説法を聞いたことがあった」と思い出す時代であり、
鍵は「但題目の五字」だよということではないでしょうか。

661 ロッドさん
いずれにしましても「釈迦が脱」を「釈尊の時代は終わったのだ」とは日蓮さんから
は直接読み取れず、日蓮正宗系統の解釈にすぎないのでは・・・。

皆様言われていますが大事なのは、正宗系統の解釈であれ、その批判者あるいは、
中立的な読みであれ、他人様の読みを鵜呑みにされず、自分の目でご遺文を読まれて、
ご確認されてください。自分で調べ、考え、判断し、決断する。これができていれば
たとえ何かに騙されても、間違っていても、悔いなど起こりません。
少なくともそのときの自分に可能な選択をしたのですからね。

669犀角独歩:2004/06/06(日) 12:05

> 661

(1)については顕正居士さんがお答えになり、さらに三吉がお考えをお示しなので、屋上屋を重ねないことにします。

(2)については該当文書の前文から読めば「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字」で「在世の本門=脱、末法の初め=種」であるという以上、「法華経が脱」であることになります。(経典<一品二半<五字)
しかし、これは釈迦仏法が脱益仏法で日蓮仏法が下種仏法であるということにはなりません。(五重相対はそもそも『開目抄』の教説です。『本尊抄』を持ってきて継ぐこと自体おかしなことです。また蓮師が言う五重相対は内外・大小・権実・権迹・本迹と見なされます)

本門寿量品の教学的な位置は釈尊が自らの久遠成道を示し、以後結縁衆の脱益を期するという脈絡ですから、当たり前のこととして本門は「脱」となるのでしょう。
それに比し、蓮師の末法の初めの位置づけは妙法蓮華経の五字を付属された上行菩薩を代表する地湧菩薩が滅後悪世の末法に弘法するというのですから「種」に違いありません。

しかしこれは、敢えて書けば、「脱勝種劣」というべき関係にあります。
つまり、経典より五字が勝れるというより、五百塵点已降結縁した衆生の法華経と、いま釈尊の命を受けて菩薩が衆生を済度するのに付属された五字との相違であって、倶に元来、その本法を所持するのは釈尊なのであってこの点は動きません。上行菩薩はその尊い釈尊から付属を受けて、五字を流宣するわけですから、上行菩薩が釈尊に勝るわけもなく、また、五字が経典に勝ることにもなりません。まして、上行を日蓮と見なし、その日蓮が釈尊より勝るなど、どうすれば、そんな考えが生じるのか、この倒錯ぶりには呆れるより他ありません。蓮師の嘆きを籍りれば「下克上」というほかないでしょう。

ただ、余計なことを記せば、蓮師は「末法の初め」と記すのであって、これは『大集経』を典拠とするのでしょう。つまり仏滅2000年から2500年を指します。蓮師の気分はその末法の初めに相当たるということでしょう。では、今はどうなるのか。已来700年を経てその初めから大きくはみ出しています。しかし、以降の時代が「種」に当たる教学を顕正会といわず、石山系はなんら示していないように見えます。(なお、蓮師が採用した仏滅年代は500年のずれがあり、鎌倉時代はまだ像法いうのが今の学問的通論です(参)高木豊師)

(3)「中古天台のほうがこちらを真似た」の「こちら」とは「大石寺」ということでしょうか。正確に言えば、「中古天台本覚思想恵心流口伝法門を」ということになるでしょう。では、この教学運動の基となったのはどこかといえば、言わずと知れた仙波檀林です。石山上古、歴代諸師のほとんどは、この本拠地、仙波檀林に学僧であったことを挙げれば、答えになるでしょう。

また、やや間口を広げ、所謂「本覚思想」はその濫觴を空海に見る(田村芳朗師)というのが学問的な常識です。平安期以来の教学が、なんで鎌倉時代の日蓮の真似といえるのでしょうか。「鎌倉時代の文化は、平成の科学による」というようなものでしょう。有り得ないことです。なお、日蓮自体、比叡山に学んでいるわけです。そこで日蓮は1歳年長の俊範からの相承系譜に属しています。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/honkakukeihu.html


> 愚鈍凡夫さん、お久しぶりです。
> 一刀両断さん、失礼など、何もありませんよ(笑)

670犀角独歩:2004/06/06(日) 12:06

【669の訂正】

誤)三吉が
正)三吉さんが

失礼いたしました。謹んでお詫びし、訂正申し上げます。

671犀角独歩:2004/06/06(日) 13:48

三吉さん、ご指摘有り難うございます。

> 「久遠に脱益した仏が一念三千を衆生に下種した。
  脱とは仏、種一念三千、下した先は結縁衆。」と言われていますが、
私にはそうは読めない。
「脱」は、仏ではなく、あくまで聞いたが衆生が解脱することです。

以上は、2003年8月29日の以下の投稿文に寄せてくださったものですね。
旧い自分の投稿で、今更読み直すと確かにご指摘のとおりであろうかと存じます。ご叱正を有り難く拝読いたしました。

次いで、以下、お答えいただければ有り難く存じます。

『法華経』物語で主要を示すテーマは「授記」ですが、いわばこれは衆生の未来成仏を予言する体裁になっています。このことに関連するのですが『法華経』のなかで、実際に「衆生が解脱する」ことを伝える箇所はあるのでしょうか。どうもないように思えます。その場合、「聞いた衆生が解脱」することを挙げて「彼脱」という日蓮の記述は具体的に何を指すことになるのでしょうか。多分、当時のわたしの気分としては、この点を決しきれず、脱を仏に配当したのであろうと思えるからです。

以上の点、ご教示いただければ有り難く存じます。

672顕正居士:2004/06/06(日) 17:17
三吉さん。
>「在世の本門」は、「久種覚知」に終わらず、始まります。
これはどういう意味でありましょうか?
>「末法之初め」は、「久種覚知」の「但題目」だけで完成と日蓮さんは言われていると
>私は読みます。
「しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来るか」(『開目鈔』)
という言葉はありますが。「末法之初」の機は「本未有善」であり、新たに「聞法下種」を行う
時だというのは日蓮宗の諸派に共通の教義であって、だから「末法の衆生は釈迦仏法に結縁なし」
という表現も誤っているわけではないと考えます。

独歩さん。
>『法華経』のなかで、実際に「衆生が解脱する」ことを伝える箇所はあるのでしょうか。
「授記」は未来のことで「即身成仏」ではないという批判を真言宗から受けますから、日本天台
では竜女成仏を「現証」とします。現在に「八相成道」したわけですから。
「八歳の竜女、頓に正覚の台に坐す」(安然『即身成仏義私記』)
「第五の巻は一経第一の肝心なり竜女が即身成仏あきらかなり」(日蓮『上野殿御返事』)
しかし「八相成道」は初住から可能ですから、「竜女分極」(初住か妙覚か)の論があります。
また「即身成仏」は「一生成仏」(一生入妙覚)とはちがう概念です。
「問ふ、的(まさ)に就ち何の位を即身成仏とする耶。答ふ、初後あらば是れ止観に背く。初後は
皆是れ仏也。但だ理即は理仏にして成不を論ぜず。名字已り去(このかた)皆為(これ)即身成仏
と名づくることを得」(安然『即身成仏義私記』)
なぜ『観心本尊抄』には「本門に至って等妙に登らしむ」というのか、という疑問はおこります。
堅樹日寛師はこういう箇所を見逃しませんから
「問ふ、今日の本門に妙覚の益なし、何ぞ等妙といふや。答ふ、文上の所談は実に所問の如し、
若し文底の意は皆名字妙覚位に至るが故なり」(『観心本尊抄文段』)
と注釈しています。
*竜女分極 『天台宗二百題』にあります。この本は四明尊者の中国正統天台に基づく議論です。
*天台宗と真言宗では「即身成仏」の語の意味合いが違うことについては次の記事が役立ちます。
http://www2.tky.3web.ne.jp/~kuuki/hp/3hossin/ronbun/10jikidou.html
*五大院安然の『即身成仏義私記』は次のサイトからダウンロードできます。
http://member.nifty.ne.jp/akirakira/study/lib.htm

673犀角独歩:2004/06/06(日) 17:33

もう一点、訂正します。

> 日蓮は1歳年長の俊範

これは違いますね。俊範の生没年代は明確になっていませんでした。

ついで書けば、日蓮と俊範の関係を示す初出は『日大直兼台当問答記』でよろしいのでしょうか。

『百六箇抄』の「俊範法印答て云く、不思議一」の記述の成立はいつ頃のものなのでしょうか。

あと、『御本尊七箇相承』(明星直見相伝)「即ち彼の池を見るに不思議なり、日蓮が影今の曼陀羅なりと云々。此の事を横川の俊範法印に御物語ありしを、法印讃して言わく、善哉善哉、釈迦古僧に値い奉りて塔中に直授せるなり」
で俊範の名が挙がります。この伝説が創案されたのは一体いつ頃のことなのでしょうか。

こんな形の作り話(敢えてわたしはそう書きます)で名が挙がると、俊範(師)・日蓮(弟子)という相承譜まで疑いたくなります。まあ、蓮師叡山遊学、師・俊範との関係が先の取り沙汰され、その名に仮託して創案されたところと、いちおう、区切りをつけて考えたいと思います。

674犀角独歩:2004/06/06(日) 17:55

顕正居士さん:

有り難うございます。
やはり竜女成仏ですか。これはしかしご記述くださるとおり、即身成仏に係る物語と拝読しました。

下種・成熟・解脱という三階梯を経る教学で、この竜女物語は整合性を持てるものでしょうか。実はわたしは蓮師の教えに反し、種熟脱を法華に引き当てるのはどんなものかと怪しむところがあります。

竜女成仏はまさに即身成仏であり、三時を介しない成仏であり、下種から成熟を経、ようやくと解脱を得るという長い期間を要しない別の教えと映じます。
しかも他の弟子はみな授記に留まり、在世の法華はただ成熟の道程としか映じません。初発心の弟子という上行菩薩ですら久遠五百塵点を経ながら、その身は未だに菩薩です。

釈尊成道についても永遠に等しい菩薩道と成仏を言い、これを三時に当て嵌めれば、菩薩道は成熟、成仏は解脱と読めなくもありませんが、では下種は問えば、無始古仏の故に下種無しと蓮師教学では結論が出そうです。

以上の点から、三時(種熟脱)は竜女成仏に当て嵌まらず、他の弟子衆は授記(未来成仏)ばかり。こうなると、「彼脱」と蓮師が言うのはいったい何を指すのか、わたしには理解しかねるところがあります。まさか竜女ばかりを「脱」というとも思えません。

以上は、決して顕正居士さんに疑義を立てると言うことではなく、蓮師の「彼脱・此種」の意に就いて申し上げるところです。いま少し詳細なご教示を賜れれば幸甚です。

675三吉:2004/06/06(日) 21:42
他人様に教示できるほど確かな読みではありませんが、
私の読みは以下です。

私は方便品最後部分の「偈」に「万善成仏」が説かれていると見ます。
「皆已に仏道を成じき」ですね。
「布施持戒忍辱精進禅智などの福徳、善軟の心、舎利供養・起塔など
果ては童子が戯れに砂を集めて仏塔を作るのまで」が
すでに、仏道を成じき、です。
(ここに私は感動して法華って凄いと思っています)

私はこの方便品の万善成仏が法華の一つの中心と見ますので、
以下の章で展開される「声聞授記」と後世挿入された提婆達多品の
「提婆達多授記」「竜女成仏」(法華の提婆達多が悪人か?という問題はありますが)、
この三種の授記は、先行する初期大乗「般若経典グループ」に
「声聞不成仏」説があり、それの「万善成仏」派からの批判だと見ています。
(竜女成仏も舎利弗に先行する「五障」説を語らせ、その批判としてあります)

菩薩にまず「万善成仏」が示され、
声聞も授記で救済を再確認しているという構造ではないかと。
その方向性を提婆達多品も継承しているのではないかと。

せっかくですので土俵に乗れば、釈尊晩年の八年に法華本門を聞いて、
解脱した衆生は法華経にいたのかというご質問であろうかと思います。
序品よりの聴衆は菩薩も含めて怪しいですね。個人名を挙げての具体例は
ないかもです。日蓮さんが云何に読んだかも存じません。

でも寿量品の次の分別功徳品を見ますと、
菩薩の中には一生のうちに完全な悟りである「阿耨多羅三藐三菩提」を
得るグループがあると書かれています。
ただ衆生は「阿耨多羅三藐三菩提」の『心』とあり、この『心』が曲者で
これがあると「完全な悟り」ではなく「完全な悟りを求める心」になります。
ここでは菩薩のうちに未来成仏と現世成仏が説かれ、衆生は悟りを求める
出発点に立つんだ、ですね。
さて更に読み進みますと仏の寿命長遠の意味を理解するものは
「能く一切種智を生ぜん」と「仏智」を得るとあります。解脱に近似です。
かなり強引になりますが、次の随喜功徳品を見ますと、
「法華経の一偈を聞いて随喜せん功徳」は、「阿羅漢果」を得るより
優れているとあります。「阿羅漢果」より優れているのは「仏果」しか
想定できませんので、解脱が暗示されていると強引に解釈しうるかもですが、
そこまでする必要はないかもです。
天台や日蓮さんからすれば、「脱」(解脱)が、現世か未来の約束かは大差なく、
「脱」(解脱)すると書かれていることが重要だったかもです。

余談です。衆生に拘らなければ、常不軽菩薩品の
「若し我宿世に於て此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば疾く阿耨多羅
三藐三菩提を得ること能わじ。」
ということから、前世の「種」→前世・今生の「熟」→今生の「脱」が
根拠づけられるかもです。
長々と失礼しました。(671を読んでのレスです。672以下これから拝読します。)

676三吉:2004/06/06(日) 22:33
顕正居士さん

釈尊最晩年八年の法華説法を聴聞した人たちは、「時」と「機」が
純円であるから聴聞できたわけですけど、それに先立つ永遠の過去に
下種があったわけです(五百億塵点劫)。
しかも大通仏の元に結縁して聴聞して調熟させられて(三千塵点劫)、
現世に、前四味(法華爾前経)を修し、法華前半を聞き、やっと本門が
説かれる「時」と「機」が熟したわけです。
「在世の本門」の人たちには五百億塵点劫の下種は、スタートです。
「末法初めの現代」も下種がスタートであることには変わりませんが、
爾前経を修する必要なく、但題目でOKよんということではと思います。
同じく法華本門が説かれるという意味で「時」「機」が純円でありながら、
真ん中の修行(調熟)期間の有無に差があります。

日蓮宗共通解釈は存じ上げませぬが、日蓮さんの遺文、
開目鈔当該箇所・曽谷入道殿許御書・南条兵衛七郎殿御書・兄弟抄
忘持経事などから日蓮さんは、今生きている世間の人はみんな、
永遠の昔に釈尊から法華を下種されており(五百億塵点劫下種)、
大通智勝仏第十六王子釈尊の教化で法華と結縁がなされ(三千塵点劫結縁)、
いるのに、それを忘れているぅぅぅと嘆いていると私は思います。

677犀角独歩:2004/06/07(月) 14:14

> 675 三吉さん:

実に示唆に富んだご教示をいただきましたことを深く感謝申し上げます。
有り難うございました。頷けるところ大でした。

678顕正居士:2004/06/07(月) 16:01
>日蓮と俊範の関係を示す初出は『日大直兼台当問答記』でよろしいのでしょうか。
山川伝之助博士(智応居士)がはじめてこの文書に基いて日蓮聖人の比叡山における師を俊範と
決定し、以後は定説になったのだとおもいます。
>『百六箇抄』の「俊範法印答て云く、不思議一」の記述の成立はいつ頃のものなのでしょうか。
富要集の堀師の註に底本は日辰、日我等の本とありますから、日辰、日我よりは以前なのでしょう。
>この伝説が創案されたのは一体いつ頃のことなのでしょうか。
富要集に底本は「房州日山」の本とあります。室町時代の終わり頃の人でしょう。日大直兼の問答
があったのはは『富士年表』によると1363年です。
『明星直見』の相伝は、末代の凡夫は何を以て本尊となすべきかとの問に、釈尊が示現して汝等が
身を以て本尊とせよ答えたという。「己身本尊」、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」
(『御義口伝』)で、われらが心臓(かりだ hrdaya)に住する三十七尊を本尊とせよの意義だろう
から、これは作り話でもよく出来た話であるとおもいます。
>俊範(師)・日蓮(弟子)という相承譜まで疑いたくなります。
親鸞聖人の比叡山での身分についてある時期に議論がありました。日蓮聖人が俊範法印から相伝を
受けたかについても疑う学者はいるようです。日蓮自身は遺文では何も述べていないのですから。
そういう意味では俊範−日蓮の相承を史実とする定説は、日蓮宗に口伝相承があって、秘密相承で
あったことを認めるわけです。

679顕正居士:2004/06/07(月) 17:31
日蓮宗にほぼ共通の三益論とは次のような考えであり、
http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/ki.html
次のサイトに智学居士を引用していうように、釈尊の化導が在世の本門で一段落した意味です。
「一仏化導の種熟脱の三益が一段落をつげて、末法にあらためて下種されるのだから、後番の大化
である。即ち久遠元初の下種と、同じことになるのである。末法の初と久遠の昔と同じというのは、
そこにある」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/renge.htm

三吉さんのおっしゃるご趣旨は理解できました。三益論は天台宗の教義ですが、釈尊の化導が在世
の本門で一段落し、正像二千年はさらにその落穂ひろいに過ぎないという教義は日蓮宗固有であり、
しかしその教義が日蓮の遺文に顕然かというと、必ずしもそうではないようにわたしにも思えます。

680空き缶:2004/06/07(月) 18:22

 皆様お久しぶりです。愚鈍凡夫さんお帰りなさい。

 中古天台と聖人法門の前後関係に関しては、現在神奈川県金沢文庫にて保管されている「授決円多羅義集唐決」是聖房写本が現存し、中古天台初期の文献といわれる「授決円多羅義集唐決」を17歳当時の是聖房が筆写していることからも、やはり中古天台が先ということは動かしがたいものと思われます。
 
 尚、「授決円多羅義集唐決」是聖房写本は、ほんの一部ではありますが、その写真が「図録 日蓮聖人の世界」に掲載されています。

681顕正居士:2004/06/08(火) 13:20
「本未有善」

この語自体は遺文に存在せず、「末法無戒」のたぐいです。では末法の始めの衆生の多数は久遠の
聞法下種がない人々だと述べた主要な遺文は何かといえば、おそらく『小乗大乗分別抄』でしょう。
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso0520.html
「今は又末法に入つて二百余歳過去現在に法華経の種を殖えたりし人人やうやくつきはてぬ」

正像二千年には小乗、権大乗の教えで多くの人々が得脱した。
「過去に法華経の種を殖えたりし人現在に法華経を待たずして機すすむ故に爾前の経経を縁として
過去の法華経の種を発得して成仏往生をとぐるなり」(同抄)
*「雖脱在現具騰本種」 脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ。
だから、末法の始め、それより二百余歳を経過した日蓮の時代には、久遠の聞法下種がある人々が
例外でないならば、当時も法華を直道と称し得ても、法華以外での得脱を否定する根拠を失います。

682れん:2004/06/08(火) 19:35
顕正居士さん。「本未有善」は既にご存じと思いますが、天台大師の法華文句巻十に「本已有善者釈迦以小将護之本未有善者不軽以大強毒之」が典拠です。蓮師真筆遺文では、「本未有善」の語彙は単独では使用されませんが、「曽谷入道殿許御書」に上記の法華文句巻十の本未有善云々の釈が引用されています。蓮師要文では石山蔵の「法華経第四等要文」や玉沢妙法華寺蔵の「注法華経」第七巻第一紙裏にもまた上記の法華文句巻十の本未有善の釈が記されています。ゆえに蓮師遺文に「本未有善」の語はみられずとは些か早計と存じます。右ご参考まで。

683れん:2004/06/08(火) 19:38
訂正。
誤、法華文句巻十に
正、法華文句巻十の

684顕正居士:2004/06/08(火) 21:19
れんさん。

「本已有善釋迦以小而將護之。本未有善不輕以大而強毒之」

この文章はたしかに法華文句の巻十にあります。そして『曽谷入道殿許御書』に引用されていること
を確認しました。おっしゃるように引用でもそのとおりの語があれば、遺文中に使われているという
べきでしょう。ありがとう御座いました。実は。

この文は『唱法華題目抄』にも引用されています。よく考えたら、『本未有善』で検索しても見つか
らない、「本未だ善有らざる」でさがさないといけなかったのです。

685犀角独歩:2004/06/08(火) 23:34

678 顕正居士さん:

有り難うございました。
たいへんに参考になりました。

反芻して考えてみれば、この師子関係を伝えるのは共に尊門。
厳正な歴史考証と言うより、相伝的な要素が多分に入り込んでいると考えたほうがよろしいのであろうと思いました。

686犀角独歩:2004/06/09(水) 16:00

れんさん:
顕正居士さん:

「本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」

この文意は本(もと)已(すで)に善有る衆生には釈迦は小でこれを將護し、本未だ善有らざる衆生には不軽は大でこれを強毒するというわけですね。

文句に依れば、釈迦在世の法華会座衆生は本已有善であるという石山教学には当て嵌まらないことになりますね。「末法の荒凡夫」というのも、本未有善は威音王仏像法の不軽軽毀衆ですから釈迦末法の衆生の説明に持ってくるのは論理の飛躍となりましょうか。ここでいう大小と大乗・小乗のことを指すと思えますが、そうなると、三五塵を経た衆生は本已有善で小乗で脱、しかし法華を至極とする大乗は本未有善の種という釈義を採れます。
この点は如何なものでしょうか。

687愚鈍凡夫:2004/06/09(水) 21:41

>>680 空き缶さん、有り難うございます。

新しい方々も増えて、掲示板自体が活発になってきましたね。
小生もボケをかましながら、皆さんの邪魔にならぬように徐々にレスしていきたいと思います。
これからも、宜しくお願いします。
最近、ガンコさんのレスがないもので、漫才コンビの相手に不自由しています。
それでは。m(_ _)m

688空き缶:2004/06/09(水) 23:23

 愚鈍凡夫さん、ガンコさんは某日蓮正宗系掲示板にて、創価学会の沖浦さんとレス交換していました。

 ここ
 ↓
 http://hpmboard3.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=VYC14456

 と

 ここ
 ↓
 http://8327.teacup.com/woman/bbs

 で、みかけました。

689ロッド:2004/06/11(金) 14:46
皆様。
質問をしておいていなくなってすいませんでした。また、心に響くような
お言葉をいただきまして本当にありがとございました。
あれから、家にいるのもいやになてしまい、顕正会の人ではない友達の家などを
てんてんとしておりました。
しかしこのままじゃいけないと思い、いくつかの事を、ここに書き込む以上の
勇気を振り絞って行動をしてみました。そのいくつかの行動と、その結果によって
、先日よりもわりとすっきりした気持ちでいます。
そのいくつかの事とは
※一緒に身延派寺院にいった先輩に、返答できなかったことに対して
 つっこみいれてみました。
先輩「そんなことないよ。別に答えるまでもなかったから。
   君はそんなこと気にしちゃ罰をうけるよ」だそうです。
それに対して私の正直な気持ち。
  「自分はこんな人についてきていたのか。」

※もう一度、先輩と行った寺院のお坊さんに会ってみようと行ってきました。
 行ったとはいえ、なかなか玄関には踏み込めず、境内をうろうろ
 していたら、墓の掃除をしていたその時のお坊さんに見つかりました。

お坊さん「おー!元気にしてるかい?またきてくれたんだね。とてもうれしいなあ。
     お?!今日は一人?」
私   「はい。」
お坊さん「それが大事なんだよ。最初の一歩を踏み出したね。」

後は普通の世間話を長々と。たぶん、そのお坊さん、私が来た理由を感じていたのかと
思っています。わざとこちらが聞くまで、顕正会のことも教義のことも触れないように
していたように思います。なんかまんまとだまされたような(いい意味で)

私の正直な気持ち「なんか、`だれか`よりもこの坊さんの方が信用できそう」
        
※入会以来、親子関係のなくなっていた親父と、一緒に酒飲んでみました。
 うれしそうに目を合わせずに飲んでいる親父を見て、なにかがふっきれたような。

※ここの過去ログ呼んでみました。ぐうの音も出ないというのはこのことかな。
 でも、そう感じられた自分がどこかうれしいような。それにしても
 私には難しくて、徐々に勉強していきたいです。

※顕正会の先輩などの呼び出し、全部無視してみました。
 留守電の内容がすごいのすごくないのって感じです。
 「おまえ、どうなるかわかってるんだろうなあ」みたいな。

こんな日記を皆様に聞かせても、どうでもいいよって言われそうですが、
私にとってはこの一週間は人生の大きな分かれ道であったように思っています
もので、どうしても皆様に言いたかったのです。
これから、日蓮大聖人様を、ゼロから、人に左右されないように
学んで行こうと思ってます。皆様に言われたように。
本当にありがとうございました。心から感謝します。
またお邪魔します。それでは。

690ロッド:2004/06/11(金) 14:48
独歩様。
ひとつ聞かせてください。
大石寺の歴代の方々が仙波で学んだことはなにかに残っているのでしょうか?

691犀角独歩:2004/06/11(金) 16:12

ロッドさん、よかったですね。
今のご決断にわたしは敬意を表します。

> 大石寺の歴代…仙波で学んだ…なにかに残っているのでしょうか?

この点について、過去に調べたことがあるのです。ところが、ここ1年の間に2度の大きなコンピュータトラブルに見舞われて、まとめた文書を失ってしまいました。取り敢えず、、だれでも手に入る『富士宗学要集』テキスト版からの検索結果を以下に示します。

『有師物語聴聞抄佳跡上』日因
「日時上人仙波学門なり」
「日影上人(下野平井園部御出生俗姓不知)日時上人に随順し出家学道す、武州仙波に台家を学び」

『富士門家中見聞(家中見聞下)』日精
『日時は仙波に於て修学の故に冨士に住せず」
「釈の日時、俗姓は南条、出家して良栄と号す、日行に随順し当家の諸書を学ぶ、後武州仙波に於て広く台家を聞く」
「日院伝…武州仙波に往いて実海の座下に於て広く修学」

あと、あまり使いたい資料ではないのですが、『新版 佛教哲学大辞典』(聖教新聞社 昭和60年11月18日発刊)このなかでも散見できます。
同書『発刊の辞』で秋谷さんは「(石山)大村寿顕教学部長を初めとして宗門教学部の方々に、大部の原稿に目を通し、種々ご指導をいただいた」(P5)とあるので、石山もその記述に責任を負う資料と言えようかと存じます。

やや曖昧な記憶ですが、上述以外、行師、阿師などたしかその関係にあり、有師はそれにさらに禅律師からの影響もありとのことでした。

雑駁な解答で恐縮です。
いま立て込んでおり、詳細に調べている暇がありません。ここ何日かは投稿は致せないところでしたが、ロッドさんの吉報に自宅に舞い戻り、取り急ぎ、解答させていただきました。

ともかくも「おめでとうございます」と申し上げるものです。

692管理者:2004/06/11(金) 17:39

ロッドさん

判断を組織や指導者の言に委ねることなく、自分で確かめてみる事、自分で判断してみる事、自分で考えてみる事。それは、管理者が、過去、独歩さんをはじめ、この掲示板に集ってくださった方とお話をさせていただく中で、やっと到達した方法論でした。今、ロッドさんが、その同じ方法論で突き進まれようとされている事、本当に嬉しく思います。この掲示板が一定の役割を担っているんだという感動を禁じえません。ご参加下さっておられる方々に心から感謝申し上げます。有難うございます。ロッドさんはじめ、御参加の皆様、これからもよろしくお願いいたします。この掲示板は、皆様方お一人お一人の為の掲示板です。思う存分活用してくださる事を望んで止みません。

693ロッド:2004/06/11(金) 17:41
独歩様
>ともかくも「おめでとうございます」と申し上げるものです
なんとありがたいお言葉かと泣けてきそうです。
でも、すっきりした気持ちもありますが、今まで何をやってきたのかと
自己嫌悪に陥りそうです。特に親に対する申し訳なさでしょうか。
でも、独歩様のお言葉、本当にありがたいです。
感謝します。

>雑駁な解答で恐縮です
とんでもありません。
私でもよくわかりました。ちゃんと資料があるんですね。
今はこういったことを聞いても頭にこなくなっている自分がいます。
素直に「ホー」「ヘー」とうなずけます。トリビアのようです(笑い)

>いま立て込んでおり、詳細に調べている暇がありません。
 ここ何日かは投稿は致せないところでしたが、
 ロッドさんの吉報に自宅に舞い戻り、取り急ぎ、解答させていただきました

本当にありがとうございます。本当にうれしいです!!
お忙しいところなのに(感動の涙)です。

またお時間があったら教えてほしいことがあるので是非お願いします。
過去ログを見て皆さんの知識に圧倒されています。おそらく顕正会の
仲間達は全くわからないかもしれません。その程度でしか教えられていませんから。
私にはこれといった資料もないですし、情けない話です。
またいろいろ教えてください。お願いします。

694ロッド:2004/06/11(金) 17:48
管理人様まで心温まるお言葉感謝致します。
>この掲示板は、皆様方お一人お一人の為の掲示板です

顕正会員全員に見せたいくらいです。

皆様にお聞きしたいのですが、先日ご質問しました、本尊抄の
「彼は脱・・・」のところですが、皆様にお答え頂いたのですが
私には難しすぎてちょっとわかりにくいのですが、無知すぎる自分が情けないですし、
こんな低レベルな話をして申し訳ないのですが、

私のような小学生レベルで言うなら、
あそこにある「脱」とは、脱け殻とかいう脱ではなくて、「解脱の脱」と
いうことでしょうか。それを顕正会等では「意味のないもの」と
教え込んでいるということでしょうか?

695空き缶:2004/06/11(金) 18:53

 犀角独歩さん、こんばんは。

 > 大石寺の歴代…仙波で学んだ…なにかに残っているのでしょうか?
 
 についてですが、以前、独歩さんとれんさんの問答の中で、日時上人「四帖見聞」について論議されたことを思い出しました。

 この「四帖見聞」については、時師真筆不伝の上、写本も残っていない為確認のしようがありませんが、時師の仙波談林での向学が史伝に明らかであるならば、「四帖見聞」は中古天台で四帖抄と呼ばれ、現在の大石寺教学とも大きな隔たりが感じられない「修禅寺決」の聞書きかもしれないと想像しています。
 
 ただし「修禅寺決」では、観念観法の修法を通常の行とし、唱題行は臨終の間際に行うものとしていたと思います。(違いましたっけ?)
 
 チョッと前に話題になった、「五戒口決伝授」以来、中古天台法門への関心を新にした次第です。
 と、いうことでこの話題にのって中古天台に関し、独歩さんの知識を伝授いただこうかと思いましたが、お忙しいようですね。出版の関係でしょうか。

696ロッド:2004/06/11(金) 23:31
管理人様
もうひとつお伺いしたいのですが、大石寺の歴代の、
日興聖人様から今の阿部氏までの歴代の法主が示されている書籍を
紹介頂けませんか?

実は、有名どころ(日有上人・日寛上人)くらいしかい、名前と、
年代とか何世だとかがわからないのです。
せっかく皆様がお教え下さっているのですが、それがわからないと
時代性がつかめないでおります。
どうか教えてくださいませ。

697問答迷人:2004/06/12(土) 06:03

>日興聖人様から今の阿部氏までの歴代の法主が示されている書籍

大石寺発行の「冨士年表」に歴代が載っています。正信会のnbさんの資料室で公開されています。ダウンロードも出来ますよ。

http://nakanihon.net/nb/hujinennpyou/hujinennpyoumokuji.htm

699犀角独歩[TRACKBACK]:2004/06/12(土) 10:48

ロッドさん:

横レス、失礼します。

> 「脱」とは、脱け殻

これは逆でしょうね。抜け殻ではなく、いわば、むしろ脱皮した本体のほうでしょう。

脱=解脱という点については先に三吉さんが668で触れられていましたね。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015573970/r668

初期天台文献で見ると『金光文句』に「下種成熟解脱」とあり、そのことが裏付けられます。

> 歴代の法主が示されている書籍

このご投稿を拝見して、顕正会の勤行では『過去帳』を用いないこと、また、歴代諸師命日報恩祈念をなさないことが知られました。
石山の坊さんであれば、小僧さんの時に「蓮興目道行時阿…淳達顕」と67代を暗記することは誰しもやることです。また、朝晩の勤行で報恩観念をするうえで歴代の名を読み違える人は法華講員でも少ないでしょう。日寛を「にっかん」なんて読んでいれば、「ああ、学会か、顕正会だな」と言われるわけです。
これは別段、勤行の在り方の是非を論じるものではなくて、石山僧俗であれば、その歴代命日は大方は頭に入っていることです。まあ、こうして歴代諸師と僧侶への尊敬が養われていくということです。

在家集団は勤行は自分のため、伝統集団は当然のこととして仏祖三宝と広宣流布のため、この初めの一歩から、心がけが違っています。

「書籍」と言えるかどうか…、ですから、石山の『過去帳』には歴代全員が乗ることは当然のことで、信者宅の仏壇にも必ず常備されます。

ここで、その全体を挙げられるわけもありませんので、問答さんがお示しくださった『富士年表』の冒頭に掲載される石山歴代の一覧表を付して置きます。http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/sekizan_rekidai.jpg

なお、記される命日の元号から直ちに西暦を想起される人は少ないと思います。その対照表は以下のとおりです。ご参考ください。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/nenkihyo.html

…上述の如く紹介するからと言って、石山歴代諸師を全面的に肯定しているわけではありません。まあ、断るまでもないですが(笑)

やや余談ですが、ロッドさんがお会いになった神奈川の延山のお坊さん、私の知り合いではないのか?と想像しています。名字「O」師という方ではありませんか。あ、具体名はアップしないでください。プライバシーに関わりますからね。

700犀角独歩:2004/06/12(土) 10:56

空き缶さん:

> 四帖抄…「修禅寺決」の聞書きか

ほお、これはなかなか。
『四帖抄』と言えば、隆師と相場が決まっている、そんな議論をれんさんとさせていただいたのでした。懐かしいですね。

> 唱題行は臨終の間際に行う

臨終正念のことでしょうか。

> 「五戒口決伝授」…中古天台に関し、独歩さんの知識を

いやいや、これは顕正居士さんをはじめ、川蝉さんん、また一字三礼さなど皆さんのほうがお詳しいでしょう。石山の濫用に関してはわたしは饒舌ですが(笑)

> お忙しいようですね

済みません、詳しくかけず。ちょっと体調が優れないところに、その他いろいろとという状態です。改めて、ちゃんとレスさせていただきます。

701地名:2004/06/12(土) 11:09

ロッドさん


「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」

「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷・氷厚・夕・凌寒・水をくみ
菜ヲ摘ては・知・飛花落葉・無常
菓拾ては・願・阿褥菩提・仏果、
年々修行・誠銘・求法之肝 日々学問・功洗・利生之眼
昼・頭戴水木・頂上・既・くぼくなり
夜・以身・為床座・常随給仕・玉、
雖然・勤行・学問・をこたり・玉はず」

上記は、昔、独歩さんに教えてもらった言葉です。
ご参考にしていただければ幸いです。

ロッドさん、顕正居士さん、三吉さん、独歩さんは仏教に関しては最高水準にある方々です。
ですから、わざわざロッドさんのために解説してくださった「観心本尊抄」の「彼脱此種」の部分は、何度も何度も読まれるとよいと思います。
「穴の開くほど読め」(眼光紙背に徹す)というのは日蓮正宗65世日淳上人の言葉でした。
私も顕正居士さん、三吉さん、独歩さんの記された部分を何回も読みますから、ロッドさんも何回も何回も読んでください。
読んで、わからない部分は仏教辞典等で確認し、また読んでください。短い文章ですからお三方の文章を書写してみてはどうでしょうか。
そうすると、お三方のお考えが少しはわかるかと思います。
その上で、わからない部分についてお三方にご質問なされるとよいと思います。

702空き缶:2004/06/12(土) 20:14

犀角独歩さん、お忙しい中の返レスありがとうございます。

>臨終正念のことでしょうか。

私は極めて単純に「修禅寺相伝私記 一心三観・心境義 四帖内一」(伝最長撰)の「平安の時には知識に値遇して、妙法蓮華経とは即ち一心の三諦なり、諸仏の内証なりと解達し、臨終の時には南無妙法蓮華経と唱ふ。」(岩波書店 日本思想体系 天台本覚論P46)を思い浮かべただけなんですけど、「一心三観」の考え方はチョッと違っていました。
あくまでも臨終一心三観の行法として唱題を勧めているのでありました。

703犀角独歩:2004/06/13(日) 00:34

空き缶さん:

いま手元に資料がなく、ちゃんと確認できないのですが、「四帖内一」というのは、何を意味するのでしょうか。

704空き缶:2004/06/13(日) 10:09
独歩さん、「四帖内一」とは、四帖の内、第一番目の抄ということです。

705犀角独歩:2004/06/13(日) 10:25

空き缶さん、質問の仕方が悪かったですね。

「帖」は1冊に和綴じした単位を言いますよね。ですから、四帖と言えば、四冊の本を意味しますでしょう。それが『四帖抄』となれば、四分冊の著述ということですね。ですから、ここでいう「四帖一」の一帖、つまり1冊にまとめられたものは何でしたっけ?、と。

『天台本覚論』はもはや絶版で、古書ではかなり高価です。わたしは近隣の図書館にあったものですから借りて、それこそ、目を皿のようにして読んだのですが、いま手元にないのです。そんなことからの質問でした。

もう少し具体的に記すと、「修禅寺相伝私記 一心三観・心境義 四帖内一」とは「『修禅寺相伝私記』の「一心三観・心境義」四帖の内の一つ」。つまり、『修禅寺相伝私記』は四帖本で、その内の第一帖が「一心三観・心境義」を記したものという意味であったかどうか。まあ、仕様もないことを聞いていますが、れんさんとの議論でも出たとおり「四帖」は石山でも言われ、隆門でももちろん言われます。四帖という体裁に何か特別な意味があるのだろうかと漠然と疑問に思っているので、ちょっと、お聞きしたわけです。

706空き缶:2004/06/13(日) 16:50

犀角独歩さん、「修禅寺決」四帖の内題は以下の通りです。

四帖内一:「修禅寺相伝私記」一心三観・心境義
四帖内二:「修禅寺相伝私記」止観大旨
四帖内三:「大教縁起口伝」法花深義上
四帖内四:「大教縁起口伝」法花深義下

隆門での四帖は、隆師の勝劣義デビュー作ですが、隆師は四帖抄から晩年の本門法華経弘教抄百十三巻の完結までに3千余帖の著作を残されたと伝えられていますね。
手ごろな価格で手に入る隆師の著作としては、仏立研究所より3千円で出ていた「法華宗本門戒体見聞」がありますが、こちらは三帖抄と呼ばれています。
日蓮宗宗学全書掲載の「私新抄」は十三巻、「十三問答抄」が上下二巻からなっていますので、隆門的には「四帖」への深い意義は感じられないと思われます。

707顕正居士:2004/06/13(日) 19:40
>>663で上野殿御返事(与南条七郎次郎)の「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」は
西方願生に関してであろうと述べました。薬王菩薩本事品に有名な経文があります。
「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、
此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の
宝座の上に生ぜん」
この経文は薬王品得意抄(与上野時光妻)に全文引用されており
「女人の往生成仏の段は経文に云く。若如来滅後。後五百歳中。若有女人。聞是経典。如説修行。
於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩衆。圍繞住処。生蓮華中。宝座之上等云云。 問て曰く、
此経此品に殊に女人の往生を説く何の故か有るや。答て曰く、仏意測り難し、此の義決し難きか
(下略)」
法華初心成仏抄(与岡宮妙法尼.)にもこの質疑が見えます。
「問て云く即往安楽世界阿弥陀仏と云云、此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は阿弥陀仏の
浄土に生るべしと説き給へり。念仏を申しても阿弥陀の浄土に生るべしと云ふ、浄土既に同じ、
念仏も法華経も等(ひとし)と心え候べきか如何。答て云く、観経は権教なり法華経は実教なり
全く等しかるべからず(下略)」
「即往安楽世界」の経文にはなかなか困ったようで、
弥三郎殿御返事には「若しさる経文有りと申さば(下略)」とあり、三師御伝土代には伊勢法印
が徒党を率いて問答をしかけたという伝説があります。
「大聖仰に云く卿公問答せよと云云、ときに日目上人廿三才すなはち御問答十重あり、第一即往
安楽世界阿弥陀仏なり(以下略)」
それで例の上野書では日蓮聖人もいささか切れるところがあって、「日蓮が弟子等の中になかなか
法門しりたりげに候人人はあしく候げに候」、「此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしき
ひが事なり」、遂に「法華経もせんなし」(薬王品に即往安楽世界の経文があろうとも)と述べた
のだろうと推測します。

708ロッド:2004/06/13(日) 20:40
皆様
今日はじめて、ここの過去ログの大御本尊様に関するところを見ていました。
始めて聞いたことばかりで、今も少し動揺しています。
五月以来、大聖人様が御本仏ではないとの話を聞くことができたことから
何か夢から覚めたようで、すっきりした気持ちになったのは事実でした。
でも、大御本尊様(もうこういう呼び方もできなくなりそうで・・・)の
ことは、浅井先生のご指導をそのまま信じていましたので『これもかい!』と
いう呆れた気持ちと、『なんでやあ』というショックと、なにかいろんな
感情が入り交じってとても複雑な気持ちです。
しかし、ゼロから学ぼうと決めた以上、その道を自分なりにゆっくりですが
進んでいこうと思うように複雑な感情を今は一生懸命抑え込んでます。

709ロッド:2004/06/13(日) 21:02
独歩様
お忙しい中教えてくださり本当にありがとうございます。

>これは逆でしょうね。抜け殻ではなく、いわば、むしろ脱皮した本体のほうでしょう

 なるほどです。つまり、顕正会では脱け殻のごとく教えて意味のないもの
 のようにしているけれども、それはただのこじつけ的レベルなのですね。

>顕正会の勤行では『過去帳』を用いないこと、また、
 歴代諸師命日報恩祈念をなさないことが知られました

全く仰せの通りだと思います。少なくとも私の周りの人達は触れもしないことでした。
昔の御歴代の方々のことを絶対敬語で褒め称えてはいるけれども、
報恩などの大事なことはしないという矛盾を独歩様に言われてから
感じています。

富士年表のことを示してくださりありがとうございました。

>ロッドさんがお会いになった神奈川の延山のお坊さん、私の知り合いではないのか?と
 想像しています。名字「O」師という方ではありませんか

ちょっとびっくりしてます。私、市町村まで言いましたっけ?
もしかして独歩様は身延の僧侶なのですか?と思ったら、過去ログ見ましたら
違うのですね。独歩様のお知り合いの人かはわかりませんが、『O』の字が
ついていました。その後の字は、私は読めませんでした。
なんで字を見たかというと、いきなりその僧侶は名刺を出したのです。
今思えば、私の先輩がその時点でかなり動揺していたのを思い出します。
なぜかと言うと、その先輩の口癖の一つで、『身延の坊主は我々を恐れている』
というのがありました。
だからその先輩、身延寺院に行くと『名前を教えろ』とか『名刺をくれ』とか
すぐに言うんです。(こんなこと書いたら先輩達に私だってばれそうで怖いです)
そうすると、身延の人はもちろん名刺なんかだしたことなかったわけで。
その後の先輩のコメントは言わずともわかりますよね。『ほらな』と。
そしたら向こうから名刺をだされてしまって、目が泳いでいました。
その名刺をぱっと見て、『O』の字がつく漢字ははっきり見えました。
先輩が持ってかえってしまったので今はまた会いに行かないと名前はわかりません。
それにしても驚いています。なんで独歩様はそう思われるのか。
でも、なんとなく独歩様の『O』さんと違うような。

とにかく、お忙しところ教えてくださりまして本当にありがとうございました。

710ロッド:2004/06/13(日) 21:10
地名様
お忙しい中ご指導頂き本当にありがとうございます。

>その上で、わからない部分についてお三方にご質問なされるとよい

そうですね。あまりに低レベルな質問で失礼でありました。反省致します。
なんか、古文と言っていいのかわからないのですが、昔の書を見ると
最初からわからないという固定観念があるみたいで・・・・
努力精進していきたいと思います。

こう言っておいて、『それがいけないんだ』って言われそうですが

>「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」


「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷・氷厚・夕・凌寒・水をくみ
菜ヲ摘ては・知・飛花落葉・無常
菓拾ては・願・阿褥菩提・仏果、
年々修行・誠銘・求法之肝 日々学問・功洗・利生之眼
昼・頭戴水木・頂上・既・くぼくなり
夜・以身・為床座・常随給仕・玉、
雖然・勤行・学問・をこたり・玉はず」

これをわかりやすく教えて頂けないでしょうか。意味がわかるものも
あるのですが、レベルの低い私をお許し頂いて教えてくださったら幸いです。
また、これはなんという書なんでしょうか。お願い致します。

本当にすいません。お許し下さい。

711ロッド:2004/06/13(日) 21:13
問答名人様
始めましてです。ご紹介頂きまして本当にありがとうございました。
今後ともご指導のほどお願い致します。

712れん:2004/06/13(日) 21:54
独歩さん。一週間前から風邪のため返答できずにいました。>686、文句の文意は独歩さんの言われる通りと存じます。蓮師自身は寺泊書に文永八年の幕府からの弾圧という自らの宗教体験を踏まえて「日蓮即可為不軽菩薩」と記して自らを不軽に擬しました。曽谷抄には「今既入末法在世結縁者漸々衰微権実二機皆悉盡彼不軽菩薩出現於末世令撃毒鼓之時也」とあり釈尊末法の衆生を本未有善と定義している様にも見え、石山のいわゆる釈尊末法の衆生=本未有善、釈尊在世の衆生=本已有善とする教学そのものは蓮師の教学に由来するとみるのも可能かと思います。

713顕正居士:2004/06/13(日) 23:23
三益論

「今日の末代衆生はそうした釈尊の慈愛を知らない不孝・不知恩の謗法逆機であり、三五の下種
を忘失した失心者であると見なされるのが聖人の立場である。特に『観心本尊抄』(『定遺』七
一六頁)では、寿量品の良医治子喩をほぼ全文引用して法華経の弘まる時機について論じられ、
「不失心」とは在世の機根であり、久遠の本時に聞法下種され、あるいは三千塵点劫の昔に大通
結縁された本已有善の者で、今番爾前四味および法華迹門によって成熟され今番法華本門で得脱
したが、これに対して「失本心」とは滅後末法の機根であり、過去下種結縁なき、あるいは過去
下種忘失の本未有善の者であると定められたのである」(高森大乗師)
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents14.html
三吉さんがおっしゃったような方面が遺文にはあるから「過去下種結縁なき、あるいは過去下種
忘失の本未有善の者」と書かれているのでしょう。三益論(化道始終不始終の相)は迹門にある
化城喩品の説話がもとですから、日蓮宗の教学からは「文在迹門義在本門」(百六箇抄)で、
ややこしくなるでしょう。なお、天台学では下種には成仏の種を下すと調停(成熟)の種を下す
と二種があるとするようです。
「之二付キ種熟脱ノ三時ト云コトアリ、即チ下種ト成熟ト得脱トナリ。其下種ニ二アリ一ニ成仏
ノ種コレハ円教成仏ノ種子ナリ二ニ調停ノ種コレハ八教ノ中ニ於テ円教ノ一ヲ除キ余ノ七教ノ
種子ナレハ釈迦如来三千塵点劫ノ昔シ成仏ノ種ト調停ノ種トヲ所化ノ衆生ヘ下シテ置キタマヒタカ
化源トナリテ其下種以後乃至今世ノ初頓華厳ノ会座ヨリ般若ノ時マテノ化導ハ他ノコトニ非ス昔シ
大通智勝仏ノミモトニ於テ円教成仏ノ種ト余ノ七教調停ノ種トヲ下シテアル此八教ヲ説クヨリ外
ナシ此ノ八教ノ中ニ於テ根性ノ先キニ熟シタル者ニハ円教ヲ説イテ得脱令メ未熟ノ者ニハ余ノ七教
ヲ以テ成熟令メ其長ノ間ノ成熟ニヨリ所化ノ根性カ融会シテ遂ニ法華ノ会座カ開ケテ十界皆成仏ノ
利益ヲ得ル其時ニ世尊如昔我所願今者已満足ト出世本懐ヲ顕シタマフ」
吉谷覚寿著『天台四教儀集註略解』の「二 教相三意」明治31年から
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40046315&VOL_NUM=00000&KOMA=14&ITYPE=0
*調停ノ種−「結縁已後、退大迷初、故復更於七教之中、下調停種」(『法華玄義釋籤』巻第二)
(結縁ヨリ後、大ヲ退シテ初ニ迷フ、故ニ復タ更ニ七教ノ中ニ於テ調停ノ種ヲ下ス)

714ロッド:2004/06/14(月) 21:31
顕正居士様
今ずっと顕正居士様が教えてくださったこと読んでいました。難しいですけど、
なんべんも繰り返し読んでみたいとおもいます。ありがとうございました。
それにしても自分が何も知らないことがわかり、なんとも恥ずかしい気持ちでいます。
僕は何を信じていたんだろう・・・

715地名:2004/06/14(月) 21:51

710 ロッドさんへ

お返事遅くなりまして失礼いたしました。

>昔の書を見ると最初からわからないという固定観念があるみたいで・・・・

大丈夫ですよ、みんな始めは同じですから。

>「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷…
>これをわかりやすく教えて頂けないでしょうか。意味がわかるものもあるのですが、レベルの低い私をお許し頂いて教えてくださったら幸いです。
>また、これはなんという書なんでしょうか。お願い致します。

これは、「申状見聞私」保田妙本寺十四世日我上人(1508-1588)編著の中に記されています。
その中の「一 日目御縁起の事」にあります。

「…高山に雪深き朝には嵐に向かいて薪(たきぎ)を拾い(ひろい)、深谷に氷厚き夕べには寒を凌ぎ(かんをしのぎ)水を汲み(くみ)、菜を摘みて(なをつみて)は飛花落葉(ひけらくよう)の無常(むじょう)を知り、菓(このみ)を拾いて(ひろいて)は阿耨菩提(あのくぼだい)の仏果を願う。年々修行の誠は求法の肝に銘じ(きもにめいじ)、日々学問の功(こう)は利生(りしょう)の眼を洗い、昼は頭(こうべ)に水木を戴(いただ)きて頂上既に(すでに)くぼくなり、夜は身を以(も)って床座となし常随給仕(じょうずいきゅうじ)したまう。然(しか)りと雖も(いえども)勤行学問怠り(おこたり)たまわず。御こうべ(頭)の凹事(くぼむこと)、御行体の謂(い)われなり。…」「日目上人」継命新聞社、平成10年4月発行、P297

上の「日目上人」のP23では「…左京日教師(さきょう・にっきょう)の「五段荒量」(ごだんあらまし)には「上代行体をなし給うに日目上人は御頭の頂き平らかに御座す」(「富士宗学要集2-296)と簡潔ではあるが示されている。これは日目上人が水を汲み、薪を拾うに際して、頭に桶(おけ)をおいて谷に下り、峰に上る日々を送られたがために「御頭の頂き平らか」になったことを示したものである。…」

http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu4_5.htm

716地名:2004/06/14(月) 22:24

ロッドさんへ

「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」については、以下をご参考まで…。

提婆品には釈尊の前身について次の如く説かれています。
「釈尊が嘗て大国の王であった時、阿私仙人を師として仕え、その仙人について山の中に入り、木の実を採り、水を汲み、薪を拾いなどして食事の用意をした。寒い夜などは自分の身を椅子代りにして仙人に掛けさせ、かくして仙人に仕えること一年や二年どころではない、実に千年の長きに及んだ。而も常に心に深く妙法蓮華経を信じていたから、途中であきて止めることをしなかった。そして遂にこの法華経を悟って成仏することが出来た。その時の大王は今の釈尊であり、その時の仙人は今の提婆達多であると経文に見えます。
以上の経意を行基菩薩という方が一首の歌に詠んでいます。

○法華経を我が得しことは薪こリ菜つみ水くみつかへてぞ得し

釈尊になぞらえて宗祖は身延で自ら提婆品の経文を色読して、身に実践せられ、山に入っては薪を採り、谷川におりては芹を摘み、田畑さへ耕された。宗祖が自ら範を示されたので、日昭、日朗、日興、日向、日持、日頂の六老僧もその労役に従った。身延に今なお残る「六老畑」がそれであります。

http://www.hokkeshu.com/hoto/045/045_minobu.htm

妙法蓮華経提婆達多品第十二
時有仙人。来白王言。我有大乗。名妙法蓮華経。若不違我。当為宣説
 時に仙人あり、来って王に白して言さく、
 我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる、若し我に違わずんば当に為に宣説すべし。
王聞仙言。歓喜踊躍。即随仙人。供給所須。採果汲水。拾薪設食。乃至以身。而作状座。身心無倦。于時奉事。経於千歳。為於法故。精勤給侍。令無所乏。
 王、仙の言を聞いて歓喜踊躍し、即ち仙人に随って所須を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、身心倦きことなかりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為の故に精勤し給侍して、乏しき所なからしめき。
爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
 我念過去劫 為求大法故
  我過去の劫を念うに 大法を求むるをもっての故に
  雖作世国王 不貧五欲楽
 鐘椎告四方 誰有大法者 若為我解説 身当為奴僕
  世の国王と作れりと雖も 五欲の楽を貧らざりき
  鐘を椎いて四方に告ぐ 誰か大法を有てる者なる
  若し我が為に解説せば 身当に奴僕と為るべし
  時有阿私仙 来白於大王 我有微妙法 世間所希有
 若能修行者 吾当為汝説
  時に阿私仙あり 来って大王に白さく
  我微妙の法を有てり 世間に希有なる所なり
  若し能く修行せば 吾当に汝が為に説くべし
 時王聞仙言 心生大喜悦
 即便随仙人 供給於所須 採薪及果鞐 随時恭敬与
 情存妙法故 身心無懈倦 普為諸衆生 勤求於大法
  時に王仙の言を聞いて 心大喜悦を生じ
  即便仙人に随って 所須を供給し
  薪及び果・を採って 時に随って恭敬して与えき
  情に妙法を存ぜるが故に 身心懈倦なかりき
  普く諸の衆生の為に 大法を勤求して
 亦不為己身 及以五欲楽 故為大国王 勤求獲此法
 遂致得成仏 今故為汝説
  亦己が身 及び五欲の楽の為にせず
  故に大国の王と為って 勤求して此の法を獲て
  遂に成仏を得ることを致せり 今故に汝が為に説く
 仏告諸比丘。爾時王者。則我身是。時仙人者。今提婆達多是。
 仏諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。

717鎌龍:2004/06/15(火) 15:57
ロッドさん、皆さん始めまして。ロッドさん、あなたの勇気に感動してます。先輩について折伏活動していたということはまだお若いのかなと勝手に想像しております。あなたは自分の勇気で光り輝く未来を切り開いたんですね。がんばれロッドさん。陰ながら応援してます。

718鎌龍:2004/06/15(火) 16:08
ロッドさん。追伸。 教学もゼロからがんばるとのこと。ガッツポーズです、はい。教学もいいけど、お父さんとの晩酌、ご家族とのふれあいも忘れないでくださいね。それも日蓮さんの教えの一つですから。家族を悲しませること程不幸なことはありません。でも、仏教の大切なところは、日々反省をし、またそこから歩き始められるということです。ロッドさんの大いなる決断はまさに今、歩き始めたということです。生意気言いました。 フレーフレーロッドさん!

719鎌龍:2004/06/15(火) 16:15
晩酌は日蓮さんの教えではありませんね《笑》

720鎌龍:2004/06/15(火) 16:19
管理人さんへ。始めてなのに、管理人さんにご挨拶を忘れておりました。すいませんでした。礼拝。

721管理者:2004/06/15(火) 17:53

鎌龍さん

管理人への挨拶は不要です。初めての方は、自己紹介スレッドにて自己紹介をしていただけると幸いに存じます。

722鎌龍:2004/06/15(火) 18:17
管理人さん。すいませんでした。今、携帯で見てるので大変なんですが(回りにパソコンがないもので)皆さんのレス拝見してますが、すごいの一言です。それに、ふざけた中傷目的な人もいませんし、管理人さんの人徳かと敬意を表します。またお邪魔します。ありがとうございました。

723地名:2004/06/15(火) 21:16

ロッドさんへ

用語の説明は以下のとおりです。ご参考までです。

「阿耨菩提(あのくぼだい)」
梵語(サンスクリット語)「アヌッタラ・サムヤク・サムボーディ」の音訳。
漢訳は「無上正等覚」他、「無上正真道」、「無上正遍知」等々。
省略して「阿耨菩提(あのくぼだい)」とも言われる。
この上なくすぐれ、正しく平等円満である仏の悟りの智恵の意味。

あのくたらさんみゃくさんぼだい 【▼阿▼耨多羅三▼藐三▼菩▽提】
〔梵 anuttara-samyak-sa bodhi 無上正等正覚、正覚などと訳す〕仏の悟り。一切の真理をあまねく正しく知る仏の智慧。最高の悟り。


利生(りしょう)
1.仏教の言葉。ためになること。法力によって恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(くどく)、他を益するのを利益という。
2.神仏の力によって授かる利福。利生(りしょう)。「ご利益」

724地名:2004/06/15(火) 21:23

ロッドさんへ

「法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し」(拾遺1346)は、行基菩薩の作です。

行基 ぎょうき 天智七〜天平二十一(668-749) 略伝については、

飛鳥時代に生まれ、主に奈良時代に活躍した高僧であるが、歌は万葉集をはじめ上
代文献には記録されていない。初出は平安時代中期の拾遺集になる。以下、勅撰集
入集は計七首。『今昔物語』『十訓抄』『古事談』などにも、逸話と共に行基作の
歌を伝えている。

大僧正行基詠みたまひける (二首)

法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し(拾遺1346)

【通釈】法華経の教えを私が得たのは何故かというに、前世において薪を樵り、菜を摘み、水を汲んで、阿私仙に仕えて得たのである。


【補記】法華経「提婆達多品」を踏まえる。釈迦は阿私仙という仙人に仕えて法華経を習得したという。この「我」は釈迦の立場に立って言う。

【主な派生歌】
薪こり峰の木のみをもとめてぞえがたき法は聞きはじめける(俊成[玉葉])

水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に(良寛)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/gyouki2.html

「拾遺集」の中の1346に「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水くみつかへてぞ得し」にあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/hatidai/syuui_s.html

惜しからぬこの身ながらも限りにて薪尽きなむことの悲しさ】(4-283)
『源氏釈』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷
一三四六、
大僧正行基)「菓(このみ)を採り水を汲み、
薪を拾ひ食(じき)を設け」(法華経、提婆達多品)「薪尽て火の滅するが如
し」(法華経、序品)を指摘。
「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の経文を暗示する。

【薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき】(4-283)
明石の御方の返歌。
「于時奉事、経於千歳」(法華経、提婆達多品)。
「薪尽きなむ」を「薪こる」、
「この身」を「この世」と言い換え、「限り」を「はるけき」と長寿を寿ぐ歌にし
て返す。
『異本紫明抄』は「あまたたび行き逢ふ坂の関水に今はかぎりの影ぞ悲しき」(栄
華物語、
鳥辺野)「年を経て行き逢ふ坂の験ありて千年の影をせきもとめなむ」(栄華物
語、鳥辺野)を指摘。
拾遺集(しゅういしゅう)
拾遺集は、花山院の命により、1005年(寛弘 2年※推定)に完成された勅撰
和歌集です。選者は明確ではありません。
歌数は1351首にのぼり、その名の通り『古今集』『後撰集』から外れた歌を
拾う意味で『拾遺集』となった様です。

725地名:2004/06/15(火) 21:36

ロッドさんへ

鎌龍さんからの暖かい励まし、良かったですね。

独歩さんからもロッドさんへ、以下の掲示板をお知らせしてくださいとのことですので、お伝えいたします。

「法華経について」の24-27に行基菩薩の和歌のことが述べられています。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/hokekyou.htm

726ロッド:2004/06/15(火) 22:49
地名様
いつもご丁寧に教えてくださりまして本当にありがとうございます。
やっぱりそうです法華経からですよね。日蓮大聖人様も数多く仰せのことを
なぜ顕正会も他の富士門家も軽視するのか、今は不思議に思っています。
でも勤行では読ませる。今思えばなぜ不思議に思わなかったのか・・・

>提婆達多品

一生懸命読んでみます。地名様が教えてくださったことすごくわかりやすかったです。
本当に感謝しています。

今、なんで僕は顕正会に入ろうと思ったのだろうと考えています。
私はどこかで親のせいにしていました。
僕は今まで五回も引っ越しをしてます。全国各地に。その中で親父は仕事ばかりで
相手にされず、オカンは勉強・勉強。
顕正会のことも、親に反対されても、どっかで『おまえらが悪いんや!』って
ずっと思っていたのかもしれません。それが、顕正会の間違いに気づかなかった、
というより、気づこうとしなかった原因かなあって思ってます。
二回目に身延のお坊さんにあった時、私の親のこととか話したら言われました。

お坊さん「君の親御さんは顕正会に入ってること賛成なのかい?』

    『いいえ。今勘当みたいな感じです』

お坊さん『そっか。大聖人のことは好きかい?』

    『もちろんです』

お坊さん『大聖人はご両親を悲しませたことがあると思うかい?
     出家されたんだから、寂しがらせたことはあったかもしれない
     でも、悲しませてはいないよ。
     一番近くにいた家族を悲しませて、なにが日蓮大聖人様かって』

そう言われた時、『ハッ』としたような気がします。
きっと法華経って『地獄』とか『罰』とかじゃなくて生き方なんですよね?
今は心から一生懸命勉強したいです。
またいろいろ教えてください。お願いします。本当にありがとうございました。

727ロッド:2004/06/15(火) 23:13
鎌竜様
本当に泣きそうなお言葉ばかりで感動してます。

>仏教の大切なところは、日々反省をし、
 またそこから歩き始められるということです

本当にこのお言葉に泣きそうになりました。仏教ってそうなんですよね?
絶対そうなんですよね?地獄とか罰とかって関係ないんですよね?
鎌竜様のこのような言葉を、なんかずっと待っていたような気がしてます。
鎌竜様もやはり富士門流から変わられたかたなのでしょうか?なんかツボにはまりました。

>お父さんとの晩酌、ご家族とのふれあいも忘れないでくださいね。

はい!反省して変わることが大事ってことですよね?そうしようと思ってます。

>それも日蓮さんの教えの一つですから

はい!今はそう思ってます、というかそう思いたいです。
それを自分で学んで、そう思えたら最高です。

実は、親父、二年前に転勤が決まっていたんです。東北方面に。
その時すでに顕正会に入っていたので、僕だけ残るといってケンカになって
しまって、結局親父が転勤断ったんです。明日あたり、顕正会やめること
まだ親父に言ってないので、言おうと思ってます。転勤もしてくれって。
(やめ方がわからず困っているのですが・・・・)

とにかく、家族とは、反省してますからがんばって昔の子供の頃に
もどるようにがんばります。
本当に心にジーンときました。ありがとうございました。

728ロッド:2004/06/15(火) 23:24
独歩様へ
独歩様も気にかけてくださっているのですね。感謝感謝です。
なんか、昔の友達とかも会いに来てくれるようになりました。
ここに参加して本当によかったです。なんか日に日にすっきりです。
先輩達の電話だけきになりますが・・・・
お忙しいみたいなのに気にしてくださってありがとうございました。
また教えてください。

729ロッド:2004/06/15(火) 23:25
すすいません。鎌龍様の名前を書き間違えました。
すいませんでした。

730地名:2004/06/16(水) 05:50

ロッドさんへ

良かったですね。
信仰は自分の心を清らかにする(清浄にする)ために行うものですから、お気づきになられて本当に良かったと思っています。
この間、最も心配されておられたのは独歩さんなのですよ。
これからもわからないことなどありましたら、ご遠慮なされずにご質問等されるようにしてください。
父母への感謝は日蓮大聖人様の「報恩抄」の実践ですよね。
本当に良かったです。一番うれしいです。

731鎌龍:2004/06/16(水) 10:09
ロッドさんおはよ!とうとう脱会の決意に至ったんですね。地獄とか罰を気にしてるのはそこからきてるんでしょうか?法華経読めばわかると思いますが、そんなもの、今のあなたには恐るるに足りず!もし脱会することで地獄に落ちるんじゃあ、私なんか顕正会をよく思ってないんだからとっくに真っ逆さまですよ。本当にそんなことで地獄に落ちるなら喜んでお供しますよ。

732鎌龍:2004/06/16(水) 10:21
そんでもって、地獄からロッドさんと私を地獄に落とした奴と喧嘩してやりましょ。その前に、今反省をして新たな道を歩もうとしているロッドさんが地獄に落ちたら私が釈尊と日蓮さんと喧嘩しますよ。この嘘つきめ!ってね。つまり、地獄だの罰だのと恐怖を信徒に教え込んでいる顕正会のほうが、よほど反省が必要だということです。なにも恐がることはありません。先輩なんかに脅されたりしたら言ってください。私が出張りますから。

733鎌龍:2004/06/16(水) 10:31
私は元富士門流ではありませんよ。個人的には門流というものになんらこだわりがありません。むしろ、日蓮系の教団がこれほどバラバラになってしまった今の時代、そんなものないほうがいいのではと考えてます。しいて言うならば、私は 「日蓮門流」です!

734犀角独歩:2004/06/16(水) 19:36

706 空き缶さん:

御礼遅くなりました。有り難うございました。
ちょっとここのところ、資料を当たれない環境にあり、お願いをさせていただきました。

『○帖抄』というわたしは、本覚ばりの文献であろうという先入観が走ります。
『一帖抄』『二帖抄』がその知り始めのせいかもしれません。
『三帖抄』というのもありましたっけ?
…、これまた、資料手放しで調べもせず、呟いたようなものなので、聞き捨てていただいてけっこうです。備忘録みたいに打ってしまいました。失礼。


707 顕正居士さん:

このご解説、たいへんに興味深く拝読いたしました。


708 ロッドさん:

当板は、管理者さんのご意向で「さん付け」でとなっています。わたしもそうしますから、お気軽にどうぞ。抑もわたしなぞ、「様」を付けていただくほどのものではありません(笑)

弥四郎漫荼羅のこと、お読みいただいたかも知れませんが、以下サイトでやや管見を記しました。

『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
(他のロムの皆さん、何度も繰り返し紹介して申し訳ありません)

具体的には追って発刊する『図解必携 大石寺本尊の鑑別』をご高覧いただければと存じます。と、申し上げながら、現在、ある筋の写真掲載許可の返答待ちで出版が遅れております。しばらくで出す予定です。

それから、わたしはO師ではありません(笑)
公開の掲示板では何ですから、もしお気持ちがあれば、わたしにメールを下さいませんか。少しお伝えしたいことがあります。フリーメールでも何でもけっこうです。もちろん、これは無理にと言うことではありません。

脱会の仕方について、特に先輩その他の会員から脱会後、嫌がらせ、電話、訪問を受けない方法があります。その点もご説明したいと思います。ただし、これを公開してしまうと集団組織から対策を講じられる可能性があります。ですから、私信でお伝えしたいのです。

735ロッド:2004/06/16(水) 21:00
鎌龍さんへ(独歩さんのお言葉にあまえましてさん付けで)
なぜか本当にすっきりすることを言ってくださってお陰様で落ち着いてきました。
地獄だのなんだのって気にしないようになれそうです。本当にありがとうございます。
なんか鎌龍さんてツボにはまること言うんですよね。僕をずっと心配してくれてた
同級生の『○彦』じゃないかって思ってるんですけど、まさかですよね。

富士門流系にいらっしゃったわけではないのですね。日蓮門流ってなんかすっごい好きです。
本当はみんな日蓮門流でいいんだってことですよね。なんかうなずけます。
鎌龍さんは、どこかに属していらっしゃるんですか?

鎌龍さんに言われた通り、親父とお袋と妹と、四人でずっと夕飯食べてます。
みんなうれしそうです。これが一番ですよね。

今年中に親父が転勤になりそうです。多分妹も学生終わりましたし、
就職してないんで、家族四人で引っ越しかもしれません。
その前にもう一度身延のお坊さんに会ってこようかなって思ってます。
近況報告だけしたいなって思ってます。きっかけつくってもらったんで。

本当に心温まること言ってくださってありがとうございます。
感謝感謝です。

736ロッド:2004/06/16(水) 21:06
地名さんへ
地名さんもいつもいつも気にかけてくださってありがとうございます。
もう大丈夫そうです。なんかすっきりしました。
地名さんと独歩さんはお仲間なんですか?
地名さんが、私が会ったお坊さんなんてことは・・・ないですよね(笑)
なんか、画面上だといろんな想像しちゃったりなんかして。
これが結構おもしろいんで、勝手に想像して楽しんでます。
(でもこれが長崎の事件につながっちゃったりしたんですよね。
 でもこの掲示板なら安心です。みんないい人だから)
またいろいろ教えてください。報恩抄読んでみます。
ありがとうございました。

737ロッド:2004/06/16(水) 21:26
独歩さんへ。お言葉に甘えて独歩さん。

ずっと気にかけてくださって本当にありがとうございます。
心から感謝してます。

>『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』

じつは、こちらも見させてもらいました。もうすっかり板マンダラって感じです。(ちょっとビビっとるわあ、僕)
もうでも完全に顕正会の教えには見切りつけれました。
皆様に感謝です。

>具体的には追って発刊する『図解必携 大石寺本尊の鑑別』
すご!本までだされちゃうんですか?ただものじゃありませんね。もしかして有名人では。

>それから、わたしはO師ではありません(笑)

いやあ、それは思いつかなかったです。でも、あり得ないことではないですね。
でも、過去ログ見てたら昔創価学会にいらしゃったとか。そのあとも宗門のほうで
活躍されてたとか。すごい方ですね。ブルっちゃいます(笑)

でも、私が会った『O』さんと、独歩さんのお知り合いの『O』師は
違うような気がします、とは思っていました。
今度また行こうと思ってますんで、ちゃんと名前聞いてみます。
独歩さんて知ってますかって聞いちゃおうかな(笑)

>もしお気持ちがあれば、わたしにメールを下さいませんか

本当にありがたいお言葉です。本当に心からありがたいです。
でも・・・、このパソコン、親父の仕事用なんです。
そして、携帯は今日解約してきちゃいました。電話しつこいんで。
でも、今後どうなるかわからないんですが、アドレス持てたら連絡させて
もらいます。本当にありがとうございます。

>脱会後、嫌がらせ、電話、訪問を受けない方法があります

そうなんですか?!知りたいですが、ここでは無理ってことですよね。
でも、なんとなくですが大丈夫そうです。最後のほうの留守電とか
なんか『もう会うこともないだろうけどがんばれよ』みたいなこと
言ってました。
それに引っ越す可能性があるんで。ちょっと寂しいんですが・・・。
それになんかあったら鎌龍さんが出張ってくれるそうです。
名前からして強そうですね(笑)(もちろん自分で解決するつもりです)

あれ?あのお坊さんも自分で書いた本持ってましたね。
もしかして・・・独歩さんは『O』さんでは?
嘘です。題名が違いました(笑)
なんか私子供なんですね。ふざけたことばっかり書いてすいません。
でも、ふざける余裕ができたと思って勘弁してください。
ありがとうございました。

738犀角独歩:2004/06/17(木) 00:33

ロッドさん:

O師のところは、是非とも行かれるとよいですよ。歓迎してくださいますよ。
実は、ロッドさんの投稿を拝見してから、電話で確認しました。
ただし、「犀角独歩」と言ってもHNなので、おわかりいただけるかどうか。でも、「電話で」と話していただければ、「ああ!」と直ぐに了解されるでしょう。

しかし、大変だったそうです。4組の顕正会員が入れ替わり立ち替わり、5時間にも及んだとのことでした。


メールの件は了解しました。脱会後の対策について、何かあれば、警察の生活安全課にストーカー被害として届け出をされること、また、『脱会届』を弁護士に代理人として提出されれば万全です。ともかく、弱い者には徹底して強がる、相手が自分より強いと思えば途端に腰砕けになるのが、集団と指導者という「虎の威を借る狐」の性根です。怖じれば付け入られます。堂々としていることです。巫山戯たことをしたら、直ちに法的措置を執ればよろしいだけのことです。いくらでも力を貸しますよ。必要があれば、弁護士も紹介します。

ともかく、ここでゆっくりと真の蓮師の実像に触れて行かれてください。他に二つとない秀でた掲示板です。わたしが管理人さんに敬意を表する理由はそこにあります。

739鎌龍:2004/06/17(木) 10:21
ロッドさんおはよー。そうそう、地獄だの罰だの気にしない気にしない。一休み一休み。僕は○彦さんではありませんねー。残念ながら。どこかに属していると言えばそうですが、考えの合わない人ばっかりで孤立してます。むしろ嫌われてますね。仲間はほんの数人てところでしょうか。お坊さんに会ったら、身延山にも行ってみてください。魔山だのなんだの顕正会では教えてますが、雰囲気だけで泣けてきますよ。身延の僧侶はアカンけどね(怒られる)でも、中には危機感もって頑張っている方もいるんです。実は顕正会、身延町に会館建てようとしてるらしい

740鎌龍:2004/06/17(木) 10:46
散々身延をなんだかんだ言っておいて身延に会館を建てようとはなんなんでしょうかね。すでに近くの住民に土地の売却交渉に行ったらしいのですが、住民側は周りの批判を予想して断ったということです。もしもここを顕正会員の方が見ていたら、上の人に伝えてください。全力で阻止すると。

741鎌龍:2004/06/17(木) 13:36
740 全力で阻止すると言った発言は彼等を逆に奮い立たせることになりそうですね。逆効果かもしれませんね。 管理人さんの判断で削除くださいませ。 失礼しました

742平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/21(月) 15:01
独歩さん
創価学会版の御書の『開目抄下』の最後の部分の「日蓮は日本国民の諸人にしうし
父母なり」の「しうし」に「主師親」を当てたのは行きすぎだと思います。真筆影
印本を基にした『日蓮文集』岩波文庫289頁には「日蓮は日本國の諸人にしたし
父母也」とあります。原本は残念ながら明治8年の身延山久遠寺の大火で焼けてし
まいましたがここが重大問題なのです。私は学生時代に『開目抄』の写本の写真を
図書館で見ましたけれども、変体仮名の「う」と「た」は非情に区別が難しいと思
いました。「う」は「宇」「有」「雲」「憂」「羽」、「た」は「多」「太」「堂」
「當」「佗」「田」を基にしていますが御書の「しうし」か「したし」の判断規準
は「う」は「宇」と「た」は「多」の解読方法に依ると思います。原典の写本の写真
を見たところ「う」は立て流れになっていて「う」と読めますが、筆が右から入って
左に入り下に流れているところをみると「た」と読めます。原典が写真ができない前
の明治8年に放火(廃仏毀釈)のために焼失したためにこんなことになったのでしょ
う。独歩さんも『開目抄』の写本の写真か影印本を読んでみて下さい。私は日蓮大聖
人本仏論は誤りだと思います。釈迦本仏も誤りだと思います。本物は我ら一切衆生の
我即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生だと思います。だからこそ戒壇の御本尊の願主が卑
賎な弥四郎国重だったんじゃないですか。

743皆様へ:2004/06/21(月) 20:33
平和創価と言う人は2chの層化板で華元と名乗っていました。
自演癖もあるロリコンの変態なので相手にしない方が良いですよ。
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1084377293/138
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1086442621/323

744犀角独歩:2004/06/21(月) 20:52

平和創価さん:

『開目抄』に関する見解には概ね賛同です。

しかし、本仏が「即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生」だとはまったく思いません。この点は既に4年前から議論し尽くしたことなのでここに繰り返しません。
また、弥四郎国重とは、これまた何度も記してきたところですが、「本門戒壇之願主」なのであって、本門本尊の願主ではありません。ですから、「戒壇の御本尊の願主」ではないとわたしは考えます。

746管理者:2004/06/24(木) 17:05

大本山さん

あなたの745レスは、以下の掲示板のルールに抵触すると管理者は判断いたしましたので、745レスを削除いたします。掲示板のルールをお守り頂いて、ご投稿戴きたく存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。

747空き缶:2004/06/30(水) 23:31

 開目抄について

 日蓮正宗圏では、開目抄最後の「日蓮は日本国民の諸人にしうし(したし)父母なり」の文をもって、日蓮聖人が末法の主師親の三徳を具えた本仏であると唱えます。

 この思想も、もとはといえば隆門からの輸入ではないかと思います。日隆師は数々の著作を残される中で、16篇の御書の文段も残されました。
 この内「開目抄文段」では最後の部分を「惣じて本門八品、南無妙法蓮華経、三徳有縁の久遠釈尊、末法の慈父上行薩埵人界応同主師親の日蓮大士の開目を結す」と題しており、該当個所の本興寺第七祖日存師の真写本には「諸人にしたし父母也は、主師父母也」との註が入っています。

 京都要法寺は日大師以降、中古天台の巨匠といわれる直兼法印の影響を受け、中古天台流に日蓮聖人の御書を解するようになったといわれています。その影響は日像門流にも及び、ここに日隆師の「御書根本」の本門教学が生れ、台当両家の違いを明確にする体系化があったのではないかと思います。
 
 しかし、中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れたのでは本末究竟しませんね。

748空き缶:2004/06/30(水) 23:47

 訂正です。

 (誤)日蓮は日本国民の諸人→(正)日蓮は日本国の諸人

749犀角独歩:2004/07/01(木) 02:14

空き缶さん:

> 中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れた

ここのところ、益々冴えていますね。興味深く拝読しています。

750空き缶:2004/07/09(金) 18:46

 れんさん、犀角独歩さん。

日蓮本仏論の源泉が日隆義にあることは、興風談所の大黒喜道師が「興風14号」と「興風15号」にて「日興門流における「本因妙思想形成に関する覚書」と題する論考にて発表されていましたね。(本稿は継続中)

 しかし興風談所の諸師の論考を拝すると、興風談所では「日蓮本仏論」や「本門戒壇之大御本尊」などをどのように考えているのか不思議でなりません。
 正信会の信徒さん達は、当然に日蓮本仏論者であり、本門戒壇之大御本尊を究極本尊と信じているはずです。

 正信会からは、久保川日源師や関慈謙師のように戒壇本尊・宗祖本仏論を否定し離脱する方もいましたが、興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

751れん:2004/07/09(金) 20:32
空き缶さん、私もいずれは正信会も興風談所の所員の研さん・学術的研究成果に基づき日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰から離れていくだろうと思います。日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰は後世成立の教義であることは、この板でも皆さんが論証されている通りです。私も継続中の興風談所の山上師の日蓮大聖人の思想、大黒師の覚え書きの論考に注目しています。日蓮本仏の形成に隆師教学の摂取があることは史実ですが、名字即・当位即妙不改本位という蓮師真蹟遺文・興師写本蓮師遺文に見られる思想も富士での蓮師本仏形成の一要素では?と思っています。

752愚鈍凡夫:2004/07/09(金) 20:47

横レス失礼します。空き缶さん、今晩は。

> 興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

「宗祖本仏論」や「戒壇本尊」から離れるかどうかは、どちらの方が利益があるかにかかっているのじゃないでしょうか。別のスレで犀角独歩さんが仰っていますが、

> 常に自分が追従すれば利益を得られる権威構造を敏感に察知し、動けるんでしょうね。

このことは、どの組織にもいえることではないでしょうか。文字通り理屈は後から付いてくるということではないかと思います。利害関係を離れないと、純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究するのは難しいのじゃないでしょうか。

別に夢をつぶすつもりはありません。ただ、そう思っただけのことです。
悪しからず。 m(_ _)m

※参考文献

日応上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitiouSyoninHonbuturon.htm

日達上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitatuShoninHobuturon.htm

753空き缶:2004/07/09(金) 21:14

 れんさん、愚鈍凡夫さん、今晩は。

 「興風」での大黒師の論考は、本因妙抄・百六箇抄は後世のつくりものとしていますね。15世紀中ごろに京都にてつくられたと名言しています。そして日隆師の教学的影響を多分に受けて完成していることも認めており、かつての日蓮宗学を掘り下げたかたちにになっています。石山系諸集団では、ここまで相伝書類を否定できるのは興風談所だけだと思われます。
 
 また本因妙抄の定本となっている、伝最澄撰「三大章疏七面七重之弘決」が最澄の入唐年月日を間違えていることを指摘し、そもそも定本となった「三大章疏七面七重之弘決」自体が偽撰であるとしています。そして最澄の入唐年月日の誤記が、室町期に最澄に仮託して偽作されたとされる「修禅寺決」と同様の日付であることから、「三大章疏七面七重之弘決」も同時期に偽作されたと考えているようです。

 興風談所の諸師の論考は、石山や学会が、すでに答えを決めてしまっているところから出発しているのに対し、「答えを決めていない考察」を推奨していることが理解できます。論考を拝す限りでは、興風談所の諸師たちは「純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究」しているように思われます。

754犀角独歩:2004/07/09(金) 22:44

空き缶さん:
れんさん:
愚鈍凡夫さん:

好い論攷が進んでいますね。
前にも書きましたが、富士門流の派祖を白蓮興師に置くのであれば、御存命中、日蓮本仏論も、弥四郎漫荼羅もなかったことは確実です。
ここ富士門流信徒の掲示板も、奇しくもその興師の祖意にようやくと辿り着き、祖道の恢復に至ったと喜ばしく思います。

そして、さらに蓮師の祖意につき、既に議論が始まっていることで、ようやくと蓮興二祖の実像が闡明になりつつあると、一つの成果を感じています。

755福田里敏:2004/07/30(金) 01:03
今年の春に、日蓮正宗改革同盟の方と、お会いして、話しをしたときに、「末法で、最初に成仏できた方だから、御本仏と言っているだけ。大聖人を、拝んでいる訳ではない。成仏を目指すのには、御本仏だからいけないとか、そんな事は何の、関係もない。大聖人の、目指すものは、広宣流布なのに、法華堂は、20年ちかく経っても、何も進んでない。」(要旨)と、語っておられました。
そんな面から、法華堂も、無意味だな、と思い、関師のところを去りました。学会に、返る気は、ありませんが。今は、本仏だろうが、なかろうが、人それぞれが、蓮師を慕っていて、法華信仰してればいいんじゃないか?と、考えています。所属組織が、どこだろうが、社会的に悪とならない限り、依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いいんじゃないの?と。
今時、蓮師が、仏様だから、これは、ありがたい!と、入信する人なんて、皆無でしょうし。

756犀角独歩:2004/07/30(金) 08:06
> 755

この意見にはわたしは賛成ですね。ただ、

> 蓮師…仏様…ありがたい!と、入信

これは逆でしょうね。入ってからのちに、その集団の信念体系を信じ込まされるわけですから。

また、、755の如く判断で信仰をしていくことに、このスレッドの投稿者は反対しているわけではないと思います。むしろ、同じようなことを言っているのではないでしょうか。

ただし、本仏と考えないと謗法であるとか、地獄に堕ちるとかいう下らないヒステリックな反応に対して、では、証拠を示せと促しているのに過ぎません。つまり、日蓮本仏論以外の教義を認めないファンダメンリズム批判というか、排他主義批判であるということですね。

石山教義は言うまでもなく、勝劣義なのであって唯一絶対選択信仰でしょう。その結論が日蓮本仏です。その勝負をまた折伏と言ってきたわけです。それに対して、「釈迦仏でもいい」、「信仰することは尊い」などと他の信仰を認めるのであれば、この姿勢は一致義ですし、また摂受であるわけで、そうなると勝劣・折伏という石山義からは謗法と見なすというのが、そもそもの教学的、行動的姿勢であったわけでしょうから。

それまで、他を認めなかった日蓮本仏論者が挙証不能に陥ったら、「信仰は何でも自由。証明できないこともある」などと言い出すとき、「では、日蓮本仏以外の信仰の自由を認めず、科学でも何でも証明できると主張して、他を排撃してきたのはいったいどこのどいつか」と反論している延長に、当スレッドがある点を忘れられては困ると思うわけです。その点も踏まえての日蓮本仏論(者)批判であるということです。そこで示してきた方向性はまさに「依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いい」というのが日蓮本仏論(者)批判の基にある考えでした。

757天蓋真鏡:2006/12/19(火) 10:39:23
[法華経行者日蓮]本仏シャクソン・本尊題目(末法鎌倉時代、漫荼羅で信心学問修行の基本を造る)[日興]漫荼羅本意・祖師信仰[日目]漫荼羅正意・三法門・諫暁[日有]日蓮本意・漫荼羅正意[日寛]日蓮本意・漫荼羅本仏論【墓輪番制→唯受一人説→本仏論】

758ケン:2010/04/01(木) 15:27:46
管理人さんへ

『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
の過去レスは、
「ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。」
の下に表示されたアドレスをたたくと、303までは読むことができました。
304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

つまらないことで恐縮ですが、ご教示下さい。

759管理者:2010/04/01(木) 15:51:53

ケンさん

>304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

旧掲示板の『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

の過去レスは303まで終わっています。その後は、当掲示板の1レス以降に繋がります。このスレッドの下部左側の「全部読む」タブをクリックして下さい。1以降のレスが全て表示されます。

760ケン:2010/04/01(木) 18:12:13
管理人さん

ありがとうございました。

761ケン:2010/04/18(日) 17:50:43
「日蓮=上行菩薩の再誕」論について基礎的な質問があります。

一応、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について」の過去レスを
見て、「日蓮=上行菩薩の再誕」論について、犀角独歩さんと日誠さんとの
論争があったことは承知しています。
ボクの質問は、前記論争を理解するうえでの前提となる基礎事項に関する
ものです。特に、独歩さんが真蹟遺文を基準とする立場から、
日蓮が自分自身を上行菩薩であると自覚していたかは、決定的ではないが、
いいところまで行くと述べておられる点に関連するものです。(例えば、
過去レス「122」。)

なお、以下の質問の答えが、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義に
ついて」以外の箇所に登場している場合は、大変恐縮ですが、その箇所を
ご指摘頂ければ幸いです。

1.上行菩薩の再誕たるべき条件
法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。
昔、創価学会で習った記憶では、「数々見擯出」(勧持品)とは、
複数回の流罪に遭うことを意味し、日蓮が伊豆流罪及び佐渡流罪に
遭ったことで、その条件を満たすということでした。
「擯出」の意味や、伊豆流罪及び佐渡流罪の該当性も含めて、
この解釈で正しいでしょうか。
他の2種の漢訳法華経によった場合でも、条件は同じでしょうか。
ちなみに、サンスクリット版でも同でしょうか。

なお、この質問は、仮に、法華経の記述上、上行菩薩の再誕たるべき
条件が誰の眼にも明確なのであれば、日蓮自身が自らを上行菩薩の
再誕であると自覚するほうが自然なような気がするためです。
また、日蓮の在世中(佐渡流罪後)に、日蓮門下の僧俗も、そのような
考えにいたる方が自然なような気がします。
日蓮の在世中に、「日蓮=上行菩薩の再誕」論が発生しなかったとすると、
その理由として考えられることは何でしょうか。あまりにも大それた解釈
だということでしょうか。

2.日蓮以外の人師
日蓮以前には、上行の再誕と目された人師は皆無ということでしょうか。
日蓮以後ではどうでしょうか。日蓮門流の中には、日蓮滅後に、日蓮以上の
迫害に遭った僧も多数いたと思いますが、複数回「擯出」の条件を満たさ
ないということでしょうか。

3.自覚の有無と教義上の意義
日蓮門流では、「日蓮=上行菩薩の再誕」論の立場をとる門流があると
思います。この立場では、日蓮自身が、そのように自覚していたか否か
が重要な意味を持つのでしょうか。
日蓮自身にはその自覚は無かったが、滅後に日蓮の振る舞いを見れば、
「日蓮=上行菩薩の再誕」であったと言う立場では、教義上、問題と
なるのでしょうか。
ちなみに、日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していたという
立場であると理解して宜しいでしょうか。

以上宜しくお願いいたします。

762犀角独歩:2010/04/18(日) 22:13:46
ケンさん

せっかくのご指名なのですが、わたし、明日から忙しくなってしまい、ネットで議論は、やや困難になります。よって、以下、かなり雑駁な返信になりますが、ご勘弁ください。

> 1.上行菩薩の再誕たるべき条件
> 法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。

明確だとは思えません。

> 「数々見擯出」(勧持品)

勧持品は13で、迹門ですね。
迹化の菩薩の様に当たれば、迹化の菩薩ですね。

> 複数回の流罪に遭うことを意味…他の2種の漢訳法華経…サンスクリット

2種とは、添品法華経と正法華経のことですね。

前者は、同じ。後者では「數數犯不當」で、サンスクリットでは「数々の悪口を言われようと」(岩本訳)となっていますね。

> 日蓮自身が自らを上行菩薩の再誕であると自覚する

わたしがこの点について、消極的なのは、以下の真蹟遺文によります。

高橋入道殿御返事②-平左衛門尉見参 蒙古襲来予告 念仏者刎頭
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51696231.html

↑上記、ご高覧ください。

> 「擯出」の条件

上述しましたが、迹化の法師を説く様が本化上行に当たるという教学的な態度は、承伏しかねます。

では、不軽ということになりますが、これは過去世の罪に重点がありますね。
日蓮自身、過去謗法の自覚があるのでしょう。

ここで、考えなければならないことは、五百塵点の段階で、すでに菩薩となり、その後、地下の空中に住してきた地涌菩薩に過去世の謗法罪があるかどうかです。あるわけもありません。

そうした意味で地涌菩薩は、迹化の菩薩とも、釈尊の前世とも違っているわけで、償うべき罪もない菩薩が、どうして、諸難に遭うわけがあるのかという疑問が生じます。

『高橋入道殿御返事』にも明らかですが、地涌菩薩は行者を守護する存在であり、かつ、仏敵を調伏する存在です。そもそも、末法に生まれる役割はそこにあります。法華経を読めばわかりますが、地涌菩薩が諸難に遭うと言った予言は一言片句たりもありません。実に神々しい仏に匹敵する高位の菩薩です。
つまり、諸難に遭うことは地涌菩薩を証明する文章となり得ないということです。

> 日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していた

あり得ませんでしょうね。
本仏とは、五百塵点成道以降、この世を御領される釈迦仏のことであり、寿量品に「常在霊鷲山」という仏です。辺国に日本に生まれるといった経証は何もありません。

以上、充分な議論に及べないことを残念に思いますが、これまでといたします。

763ケン:2010/04/19(月) 08:10:50
独歩さん

お忙しいところをありがとうございました。

764ひきこもり:2010/09/19(日) 20:14:23
「開目抄」の「しうし」を「主師」に繋げている点からも、無理がありますね。あの
原本は明治の初めに火災で焼失しました。(恐らく廃仏運動のための放火)

最後の所は写本の写真を何度も読み返しましたが、「しうし」は「したし」と読むの
が通常であり、石山では「う」に徹底していたようです。しかし国文学科で古文を読
んでいて変体仮名を知っていた私には、「宇」と「多」の崩し字関しては、両方に読
めました。流れる字体の判断はできませんでした。まして本文が明治初年に焼失して
いるのならなおさらです。

765犀角独歩:2010/09/21(火) 09:20:46

日蓮の真蹟遺文を読んできた経験から言えば、日蓮の“た”の変体仮名は概ね2種、“う”は“う”を書きます。
では、この3字を見間違えることがあるかどうかといえば、あり得ないでしょう。形がぜんぜん違います。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/nichirenbokuhituwoyomu_table001.html

『開目抄』は既述のように、明治の大火で消失しましたが、実は草案があったようで、たとえば横須賀大明寺には、その断簡が現存します。過去に宮崎英修師が、最近では都守基一師が真蹟と鑑定しています。

こうしたことを考えると、案外、身延曽存と草案では違う部分があり、該当部分も違っていた、という可能性はあるかも知れません。まあ、類推を出ませんが。

「したし」を「親し」とし、「親し父母」というのは、しかし、日本語として、どうでしょうか。日蓮の文法からすれば、「親しい父母」ということは考えづらく、書くとすれば、「親しき父母」でしょう。では“き”が脱字かという、さて、どうでしょうか。

「しうし」は「主師」と解釈するのは大石寺ですが、「終始」とする解釈もありますね。「終始、父母」という表現は文章的にはもっとすんありしている気がします。

769さえこ:2010/12/13(月) 15:04:17
こんにちは。
正理会 教授 さえこです。
真面目な掲示板なので発言したくなりました。

日蓮大聖人様は、末法の御本仏です。
観心本尊抄では、ご自分のことを「本朝沙門」と言われております。
本朝とは、日本国であり、釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法である
というご自覚です。

私は以下のブログのコメント欄で発言しております。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
「中杉 弘のブログ」

日蓮大聖人様の御書講義を真面目に勉強しています。
今後とも宜しくお願いします。

771独学徒:2010/12/15(水) 22:33:02

>>769

「本朝沙門」は伝教大師も「末法燈明記」で使われた御名のりですね。
伝教大師最澄も釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法と自覚して、中国ゆずりの「天台宗」の宗名を世襲した宗派を立ち上げたのでしょうか?
違うでしょう。
貴方の御主張は全く的外れだと思います。
中杉さんの講義聞くよりも、自ら文献を手にして調べ上げることの方がよほど価値的と思いますね。
間違ったことを刷り込まれて哀れに思います。

772神水流:2011/09/15(木) 23:49:42
結局の所富士門流に所属している寺院は全て日蓮本仏なんですか??日蓮宗の北山本門寺や小泉久遠寺なんかもそうなんですよね??

773樽之助:2011/09/17(土) 18:59:19
神水流さん

私は真宗の門徒です、北山本門寺は以前一致派の教学を重んじた47世片山日幹氏の代には大きく「釈迦本佛」に傾きましたが、48代、と当代とは「法主日蓮大聖人」ですよ。

但し、石山のように独善的・排他的でないだけです。

そう言えばYahoo!知恵袋でも、重須の講中の人になりすましたアホな学会員がいましたよ。

774樽之助:2011/09/17(土) 19:05:47
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1167200721

↑です。笑えますよ。

775神水流:2011/09/17(土) 20:58:40
樽之助さん

ありがとうございます法主日蓮大聖人とは本仏と言う意味なのですね。

謎が解けました。

776独学徒:2011/09/17(土) 23:29:20

神水流さん、
樽之助さん、

はじめまして。

「法主」を「仏陀」(世尊)と定義するのは阿含経ですので、阿含経典の段階では「仏陀」は所謂「辟支仏」で「縁覚」ということになりませんか。

富士門流は勝劣派に属する以上阿含経典の教説を世襲しているとは思えず、もちろん日蓮大聖人を二乗とも考えていないと思います。

少なくとも小泉久遠寺、京都要法寺、伊豆實成寺は久遠の本師は釈尊です。

北山本門寺も日蓮本仏義ではないと思います。西山本門寺もほとんどの僧侶が日蓮本仏義ではないです。どちらも僧侶の免許を取るために身延山の信行道場に入るわけで、基本的には日蓮宗としての教義を基礎として修業しているはずです。

ただ「本門宗宗制」に聖人と称するのは日蓮大聖人のみと定義していますので、日蓮大聖人が別格の存在であることだけは確かだと思います。

現在、明確に日蓮本仏としているのは、日蓮正宗と安房妙本寺だけだと思います。

777神水流:2011/09/18(日) 09:34:20
独学徒さん

はじめまして
ご解説ありがとうございます。
やはり日蓮宗=釈迦本仏義なのですね。

778樽之助:2011/09/18(日) 15:48:41
独学徒さん
そうですかね、このさえ阿含経云々は関係ありませんよ。
僧侶になるための免許を取るための修行と信仰は別次元ですからね。

なるほど確かに片山日幹氏の代には「釈迦本佛」に傾きはしましたが今は「日蓮本佛」なんですよ。

僕が示したYahoo!知恵袋のURLを見て下さい、
levelruiと言う重須の講中になりすました学会員も貴方と同じこと言ってますよ学会員の概念で良く思われがちなのが日蓮宗=「釈迦本佛」です。

779独学徒:2011/09/18(日) 16:25:12

樽之助さん、

私はネットで語られることよりも手にした史資料や、実際に現地に足を運んで確認した事実を最重要視します。

北山本門寺は少なくとも、日蓮正宗や安房妙本寺のような「日蓮本仏」主義ではないです。
もし北山本門寺が「日蓮本仏」主義であるというならば、その根拠を文献・文書から例をあげて示して欲しいと思います。

日蓮正宗は日寛上人、安房妙本寺は日我上人とそれぞれ日蓮本仏義を体系化した上人がいます。
しかし北山本門寺の歴代に、日蓮本仏義を主張した上人がいたのでしょうか。
私が手にする史資料では、そのような上人は見当たりません。

最も広範な富士門史料を網羅した、「富士学林教科書 研究教学書」にさえ北山本門寺関連の日蓮本仏義は見えません。

御先代貫首本間猊下は、集録『教箋閑古錐』の「序に代えて」の中で、「わが宗門寺院は、是が非でも純正な本化日蓮大聖人の信仰に徹して」と述べられている通り、日蓮大聖人を『本化』とされています。
『本化』は『本仏』ではないですね。『本仏』より化導されてきた菩薩を『本化』というわけです。
同じく本間猊下は同著にて「本化正信の根本道場、法主聖人御影の安座ましますここ重須の地に」とも述べられていることから、日蓮大聖人に関する尊称を整理すれば、北山本門寺では片山猊下以降も日蓮大聖人を『法主』=『本化』として解しており、『本仏』とは解していないことになります。

780樽之助:2011/09/19(月) 12:40:25
独学徒さん

文献と言われますが、今は歴代の貫首の事を話しているのではなく、現在の北山本門寺の「本佛」
についてですよ、神水流さんの質問もそうですよね。

実際に現地に足を運んで確認した事実を最重要視します。
と言われますが、僕は真宗の門徒ですよ、現地の事を知らないで他宗の教義を決め付けても意味がないじゃないですか、
5月に北山本門寺と小泉久遠寺 西山本門寺の見学に行ってきましたよ。

その時の「回向文」でも「大曼荼羅=法宝」「法主日蓮大聖人=仏宝」「日興上人以来血脈付属の歴代上人=僧宝」
でしたと。
貴方はここで僕が北山を知らないとおもい大きな墓穴を掘ってしまった。
僕は、知恵袋を本佛論の証拠に挙げたのでは、ありませんlevelruiさんと言う学会員は明らかに間違いを言っていますよね。
それと貴方が同じ事を言っていると言ったまでです。

あとこのまま論議しても構いませんがYahoo!IDお持ちでしたら、知恵袋でリクエスト質問して下さい。
そっちの法がよくログインしますので。

781独学徒:2011/09/19(月) 13:19:09

樽之助さん、

私も何度も北山、西山、小泉に行っていますが、「法主日蓮大聖人=仏宝」こんなことは一度も聞いた事がありません。

さらに西山や小泉では「法主日蓮大聖人」という呼称自体しません。

私は過去5年間西山のある御僧侶のお取次ぎにて、お虫払い法要に参拝してきましたが、貴方が仰るような回向文など一度も耳にしません。

小泉久遠寺も御蔵開法要に参拝した事がありますが、貴方が仰るような回向文など読んでいません。

北山では『本門要軌』の記述に基づき「法主日蓮大聖人」と云いますが、先に北山御先代の著作から引用したとおり、「法主」=「本化」が北山の解釈です。
私は何人もの北山の僧侶とお付き合いがあります。
「日蓮本仏」を云う方は一人もおりません。

あちこちに出没する気はしませんので、Yahoo!ID知恵袋には行きません。

5月は北山、西山、小泉いずれの場所でも主だった年中行事・法要は行なわれていません。
何の法要も行なわれていない場所に一度行っただけで、何故真宗門徒の貴方が北山の本仏義など云々できるのか甚だ疑問です。

真宗門徒の人は皆、貴方のように根拠無くものを決め付ける人ばかりなのでしょうか。
むしろ「大きな墓穴を掘って」などと、貴方の方が学会員ぽいですね。

782樽之助:2011/09/19(月) 18:35:18
独学徒さん

はいはい貴方の仰る通り久遠実成の釈迦牟尼佛が仏宝なら名前が読み上げられますよね?
「回向文」には「釈迦」の名前すら出て来ませんでした。
仏宝に回向しない「回向文」なんてありますか?
あり得ませんよね。

貴方は北山の僧侶とお付き合いが有るそううだけど若い人達がやってる会の名前知ってますよね?

知恵袋には無理にお誘いしている訳ではありません嫌なら結構です。
貴方は北山の講中と名乗りながら大石寺の講中を「法華講」なんて言うばればれのナリスマシと同じ事を言ってるのですよ。

783神水流:2011/09/19(月) 19:10:56
独学徒さん
樽之助さん

元はと言えば私の書き込みの性でこんな事になってしまった事をお詫び申し上げます。

書き込んで於いてなんですが…お釈迦様が本仏でも日蓮聖人が本仏でももうどうでも良いです。

あの書き込みは削除したかったのですがやり方が分からずそのままになってしまってます。

どうか止めて下さい。

784独学徒:2011/09/19(月) 20:54:59

樽之助さん、

私がお付き合いのある北山系の御僧侶は若い方ではないので、貴方の仰る意味がわかりません。

私は北山の講中でもなんでもありません。
私が信仰する本山の末寺のご住職が、北山塔中の副住職をされています。
また冨士教学研究会の会報をご購読戴いた北山系のご住職も複数いらっしゃいます。
日蓮仏教研究所で古文書学習にご一緒させていだいた、塔中副住職もいらっしゃいます。
また当方ブログに度々コメントを戴き、各種ご法要でお会いする結社の担任様もいらっしゃいます。

北山の御霊宝御風入にも5年間通っています。その他、御大事御本尊会、垂迹祭、御開山会などにも参拝していました。

片山猊下時代の御経本も、現在使用されている「本門要軌」も所持しており、一時「本門要軌」で読経していました。
本間猊下や片山猊下の御著作も拝してきました。
また片山猊下の肉筆の御本尊や本門宗時代の日光上人、江戸期北山歴代の肉筆御本尊も数幅所持しています。

貴方が私を誰とを勘違いしているのかわかりませんが、私は私なりに史資料も収集し、実際に北山の法要にも何度も参拝し、複数の御僧侶とも交流を持たせていただいた上で判断しもうしあげています。

「本門要軌」には三宝供養そのものがありませんから、回向文に釈迦が出てこなくても仕方がありません。

本仏に化導を受けた「本化」という以上、日蓮本仏義は成立しません。

785吉浜:2011/09/20(火) 15:51:45
>樽之助さん

初めまして。富士門流単立寺院の信徒、吉浜と申します。

Yahoo!知恵袋・宗教カテのlevelruiさんは創価学会員ではありません。知恵袋内でも誤解されている方々を見かけますが正真正銘の北山本門寺末の信徒さんです。何故か誤解される方々が多い…。

ちなみにlevelruiさんはmixiでの私のマイミクでもあります(もちろん、お互いmixi上でのニックネームは知恵袋のIDとは異なる)。

786樽之助:2011/09/22(木) 17:50:36
吉浜さん

富士門流単立寺院の信徒って?思い当たる人は一人しかいないけど?

まさかね、あの人がlevelruiさんなんかと繋がってる訳ないよね。
levelruiさんは間違えなく創価ですよ、だって北山の総代の名前答えられないし、大石寺の信徒を「法華講」なんて言うし日蓮宗のお坊様にむかってあんな無礼な事言うのだよ。
それにあのオカマキャラ^^宗教カテの有名なある学会員の別IDに決まってるじゃないですか。
ぷっ。。頭隠して尻隠さずだね。

腹立ち紛れにあんな創価丸出しの質問してくしね。

787首都高バトル01:2012/05/09(水) 22:53:00
南無妙法蓮華経、御本尊を国土に配すれば(この世の全体)、
自ずと日蓮大聖人が、御本仏であることが解ります。

本尊問答抄
「 上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と
天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く
法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり
釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり
故に今能生を以て本尊とするなり 」

全てのものは、この世の中心、
寂光土(南無妙法蓮華経、また本源。)より生まれる。
久遠釈尊成道後、娑婆世界(釈迦牟尼仏)は、
寂光土を対境にして生まれる。
その誕生の時に、地湧の菩薩が一旦成道してから娑婆世界に
現れるのではなく、本化、本源そのままの生命
(しかし仏の修行はしてないので凡夫のまま)で、
釈尊のもとで、繰り返し繰り返し教化される。
一往は、娑婆世界に生まれる地湧の菩薩は、釈尊が親。
しかし(再往)、もともとの本源そのものが生身したので、
本源そのもの故に源を辿れば本源そのものの生命で生身する
本法所持の本法を携えた地湧の菩薩が本仏となる。
上首故にその代表、本法を明かし本源の生命そのままに行動され、
本源の姿を示された御本仏は日蓮大聖人となります。


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