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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

675三吉:2004/06/06(日) 21:42
他人様に教示できるほど確かな読みではありませんが、
私の読みは以下です。

私は方便品最後部分の「偈」に「万善成仏」が説かれていると見ます。
「皆已に仏道を成じき」ですね。
「布施持戒忍辱精進禅智などの福徳、善軟の心、舎利供養・起塔など
果ては童子が戯れに砂を集めて仏塔を作るのまで」が
すでに、仏道を成じき、です。
(ここに私は感動して法華って凄いと思っています)

私はこの方便品の万善成仏が法華の一つの中心と見ますので、
以下の章で展開される「声聞授記」と後世挿入された提婆達多品の
「提婆達多授記」「竜女成仏」(法華の提婆達多が悪人か?という問題はありますが)、
この三種の授記は、先行する初期大乗「般若経典グループ」に
「声聞不成仏」説があり、それの「万善成仏」派からの批判だと見ています。
(竜女成仏も舎利弗に先行する「五障」説を語らせ、その批判としてあります)

菩薩にまず「万善成仏」が示され、
声聞も授記で救済を再確認しているという構造ではないかと。
その方向性を提婆達多品も継承しているのではないかと。

せっかくですので土俵に乗れば、釈尊晩年の八年に法華本門を聞いて、
解脱した衆生は法華経にいたのかというご質問であろうかと思います。
序品よりの聴衆は菩薩も含めて怪しいですね。個人名を挙げての具体例は
ないかもです。日蓮さんが云何に読んだかも存じません。

でも寿量品の次の分別功徳品を見ますと、
菩薩の中には一生のうちに完全な悟りである「阿耨多羅三藐三菩提」を
得るグループがあると書かれています。
ただ衆生は「阿耨多羅三藐三菩提」の『心』とあり、この『心』が曲者で
これがあると「完全な悟り」ではなく「完全な悟りを求める心」になります。
ここでは菩薩のうちに未来成仏と現世成仏が説かれ、衆生は悟りを求める
出発点に立つんだ、ですね。
さて更に読み進みますと仏の寿命長遠の意味を理解するものは
「能く一切種智を生ぜん」と「仏智」を得るとあります。解脱に近似です。
かなり強引になりますが、次の随喜功徳品を見ますと、
「法華経の一偈を聞いて随喜せん功徳」は、「阿羅漢果」を得るより
優れているとあります。「阿羅漢果」より優れているのは「仏果」しか
想定できませんので、解脱が暗示されていると強引に解釈しうるかもですが、
そこまでする必要はないかもです。
天台や日蓮さんからすれば、「脱」(解脱)が、現世か未来の約束かは大差なく、
「脱」(解脱)すると書かれていることが重要だったかもです。

余談です。衆生に拘らなければ、常不軽菩薩品の
「若し我宿世に於て此の経を受持し読誦し、他人の為に説かずんば疾く阿耨多羅
三藐三菩提を得ること能わじ。」
ということから、前世の「種」→前世・今生の「熟」→今生の「脱」が
根拠づけられるかもです。
長々と失礼しました。(671を読んでのレスです。672以下これから拝読します。)


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