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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

676三吉:2004/06/06(日) 22:33
顕正居士さん

釈尊最晩年八年の法華説法を聴聞した人たちは、「時」と「機」が
純円であるから聴聞できたわけですけど、それに先立つ永遠の過去に
下種があったわけです(五百億塵点劫)。
しかも大通仏の元に結縁して聴聞して調熟させられて(三千塵点劫)、
現世に、前四味(法華爾前経)を修し、法華前半を聞き、やっと本門が
説かれる「時」と「機」が熟したわけです。
「在世の本門」の人たちには五百億塵点劫の下種は、スタートです。
「末法初めの現代」も下種がスタートであることには変わりませんが、
爾前経を修する必要なく、但題目でOKよんということではと思います。
同じく法華本門が説かれるという意味で「時」「機」が純円でありながら、
真ん中の修行(調熟)期間の有無に差があります。

日蓮宗共通解釈は存じ上げませぬが、日蓮さんの遺文、
開目鈔当該箇所・曽谷入道殿許御書・南条兵衛七郎殿御書・兄弟抄
忘持経事などから日蓮さんは、今生きている世間の人はみんな、
永遠の昔に釈尊から法華を下種されており(五百億塵点劫下種)、
大通智勝仏第十六王子釈尊の教化で法華と結縁がなされ(三千塵点劫結縁)、
いるのに、それを忘れているぅぅぅと嘆いていると私は思います。


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