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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

686犀角独歩:2004/06/09(水) 16:00

れんさん:
顕正居士さん:

「本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」

この文意は本(もと)已(すで)に善有る衆生には釈迦は小でこれを將護し、本未だ善有らざる衆生には不軽は大でこれを強毒するというわけですね。

文句に依れば、釈迦在世の法華会座衆生は本已有善であるという石山教学には当て嵌まらないことになりますね。「末法の荒凡夫」というのも、本未有善は威音王仏像法の不軽軽毀衆ですから釈迦末法の衆生の説明に持ってくるのは論理の飛躍となりましょうか。ここでいう大小と大乗・小乗のことを指すと思えますが、そうなると、三五塵を経た衆生は本已有善で小乗で脱、しかし法華を至極とする大乗は本未有善の種という釈義を採れます。
この点は如何なものでしょうか。


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