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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
630
:
犀角独歩
:2003/10/10(金) 05:15
れんさん:
愚鈍凡夫さん:
あ、なるほど。お二人とも、わたしの漫荼羅につき「優劣」と記したところが特に気になられたようですね。興師は蓮祖漫荼羅に差異を認められるような方ではない、この興師像には基本的にわたしも賛同はします。また、蓮祖在世と滅後で添書の相違有りというご指摘はなかなかの慧眼と拝しました。
ただ、それとは別に蓮祖の図示については、蓮師ご自身は、所謂、漫荼羅、守本尊その他、用途の違いで記されている個別の差異はあったように見受けます。縦横無尽に種々の意味合いで図されていた。その点、興師は蓮師とは違う在り方のように思えます。興師も多くの漫荼羅を書写されていますが、そのご自身の書写漫荼羅と、蓮祖の御筆を明確に分ける意図が「重宝」という表現に表れているように感じます。
わたしは二箇相承が蓮師に係るものであるとは到底思いません。ですから、重宝である御筆曼荼羅を懸ける「本門寺」構想がいつのころにその濫觴があったのか、興味を持っています。「懸本門寺」と添え書きされた御筆曼荼羅の分与は、その授与の弟子に本門寺建立を促す意図なのか、あるいは本門寺建立の暁にはその漫荼羅を本門寺に返納せよという意味なのか、この点はどうなのでしょうか。いずれにしても、本門寺に懸けるのは蓮師の御筆曼荼羅である、この点は動かないようにも思えます。
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