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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

661ロッド:2004/06/04(金) 21:05
皆さん始めまして
自分なりにある程度の勇気を振り絞って書き込みします。
私は顕正会現役会員です。入信して二年半くらいでしょうか。
今年のゴールデンウィーク、某先輩と二人で神奈川の身延の寺院に浅井先生のかんぎょう書を
持って訪れました。
いつもでしたら門前払いの身延寺院なはずが、そこのお寺の僧はあがって話しましょう
と書院に我々を誘導しました。
私は先輩と僧の話を聞いていただけなのですが、話が大聖人が御本仏であられる
ことへと進み、釈迦が脱であるということを私たちが常日頃習っている
本尊抄の「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」
の話をして、ここに釈迦が脱であると書いてあるではないかとなったわけなのです。
それに対する身延僧の返答があり、一言二言で先輩が返答できなくなったのを
目の当たりにしてしまいました。私はあまり教学を必死で勉強してわけではなく
先生や先輩の話をそのままに信じてきました。
しかし、そのときの身延僧の言ったことをしっかり覚えていないほど私は
浅知識なのですが、それ以来苦しくて苦しくてどうしようもないのです。
モヤモヤが晴れないのです。
どうかお聞かせください。

①・「但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」と
  あるのは、釈迦が脱、大聖人が本であるということにはならないのでしょうか。

②・「法華経に詮なし」というのは、法華経が脱であることを仰せの
  ことではないのでしょうか。(すいません。御書名が出てきません)

③・このサイトなどで「中古天台教学」の真似であるようなことを見ますが、
  逆に中古天台のほうがこちらを真似たとはいえないのでしょうか。

どうか、どうか教えてください。もう議論しつくされてことであるかもしれませんが、
過去ログを見るのが怖いのです。どうか教えてください。
お願いhします。


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