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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

762犀角独歩:2010/04/18(日) 22:13:46
ケンさん

せっかくのご指名なのですが、わたし、明日から忙しくなってしまい、ネットで議論は、やや困難になります。よって、以下、かなり雑駁な返信になりますが、ご勘弁ください。

> 1.上行菩薩の再誕たるべき条件
> 法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。

明確だとは思えません。

> 「数々見擯出」(勧持品)

勧持品は13で、迹門ですね。
迹化の菩薩の様に当たれば、迹化の菩薩ですね。

> 複数回の流罪に遭うことを意味…他の2種の漢訳法華経…サンスクリット

2種とは、添品法華経と正法華経のことですね。

前者は、同じ。後者では「數數犯不當」で、サンスクリットでは「数々の悪口を言われようと」(岩本訳)となっていますね。

> 日蓮自身が自らを上行菩薩の再誕であると自覚する

わたしがこの点について、消極的なのは、以下の真蹟遺文によります。

高橋入道殿御返事②-平左衛門尉見参 蒙古襲来予告 念仏者刎頭
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51696231.html

↑上記、ご高覧ください。

> 「擯出」の条件

上述しましたが、迹化の法師を説く様が本化上行に当たるという教学的な態度は、承伏しかねます。

では、不軽ということになりますが、これは過去世の罪に重点がありますね。
日蓮自身、過去謗法の自覚があるのでしょう。

ここで、考えなければならないことは、五百塵点の段階で、すでに菩薩となり、その後、地下の空中に住してきた地涌菩薩に過去世の謗法罪があるかどうかです。あるわけもありません。

そうした意味で地涌菩薩は、迹化の菩薩とも、釈尊の前世とも違っているわけで、償うべき罪もない菩薩が、どうして、諸難に遭うわけがあるのかという疑問が生じます。

『高橋入道殿御返事』にも明らかですが、地涌菩薩は行者を守護する存在であり、かつ、仏敵を調伏する存在です。そもそも、末法に生まれる役割はそこにあります。法華経を読めばわかりますが、地涌菩薩が諸難に遭うと言った予言は一言片句たりもありません。実に神々しい仏に匹敵する高位の菩薩です。
つまり、諸難に遭うことは地涌菩薩を証明する文章となり得ないということです。

> 日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していた

あり得ませんでしょうね。
本仏とは、五百塵点成道以降、この世を御領される釈迦仏のことであり、寿量品に「常在霊鷲山」という仏です。辺国に日本に生まれるといった経証は何もありません。

以上、充分な議論に及べないことを残念に思いますが、これまでといたします。


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