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素朴な疑問

2840顕正居士:2006/09/07(木) 00:34:59
書寫は古文書をかきうつす意味にも使いますが、
書も寫もかく意味で、かきあらあわす意味がもとです。

書 write
寫 write,compose,draw
書寫 write by hand

日蓮宗の僧侶が図顕する曼荼羅は何か原本をかきうつしているわけではありません。

2841とんび:2006/09/07(木) 04:20:43
何度も、某法華講員の方の話を投稿してすみません。

一度だけ、仏界の52位の話を聞いたことがあります。
うすら覚えでは、「知らなくても良いこと」「自らは理解することすらできないもの」
「また、言葉では説明出来ない世界」のようなことを話していました。菩薩界の52位が
わかっていれば充分...と話していました。

 私は、その後詳しく訪ねたり聞いたりしていませんが、まあ菩薩界に52位があるなら
仏界にも52位があっても、おかしくないだろう..ということで、一票。

 彼は、正宗信者なので、当然日顕上人や日妙?上人、戒壇の本尊を信仰しています。
 必ずしも、彼の話を信じているわけではなく、意見を異にする場合は、俺はこう思うの
だけれど、どうだろうか...などど、話たりしています。

 ただ、彼は、仏教辞典みたいに、ほとんどのことは答えてくれます。仏界の52位なんて
ことは、どこの仏教辞典にも載っていないと思います。一度詳しく聞いてみたいとは思って
いたりしますが...。

 私は、教学云々はあまり好きではないので、追求したくはないのですが、あくまで紹介と
いうことでご理解下さい。

2842犀角独歩:2006/09/07(木) 07:15:54

2833 一字三礼さん

ええ、わたしも書き写す相伝というのは、どうも、しっくりきません。
ですから、漫荼羅図示に関する相伝がなかったからこそ、書写という形でしか継承の仕方がなかったのではないのかと憶測します。もっとも、富士方以外では、敢えて「写」を記さないものもありますね。


顕正居士さん

> 日蓮宗の僧侶が図顕する曼荼羅は何か原本をかきうつしているわけではありません

先に引用した『御本尊の書き方』では、写す原本を傍らに置くことは、明記されていますが。
ただ、たしかに模写の類とは違うのだろうと思えます。

2843一字三礼:2006/09/07(木) 18:11:50

顕正居士さん

> 書も寫もかく意味で、かきあらあわす意味がもとです。

「書」と「寫」の意味の解説ありがとうございます。

たしかに、言語の意味としてはそうかもしれませんが、仏教圏で書写といえば、まず五種法師にある経典を書き写す「書写」行を意味するのではないでしょうか。

日蓮真蹟遺文で使われている「書写」の意味は全て経典を書き写す行為を指しております。

「漫荼羅書写」と門弟達が表現した理由ですが、弟子達にとって大漫荼羅は、経典と同等か、あるいはそれに順ずるものとの認識があったからかもしれません。

2844顕正居士:2006/09/07(木) 20:03:04
一字三礼さん。

「写」は手で書くことで、複製する意味はありません。したがって「複写」と「複」を付けます。
「写本」はもとは「手稿」manuscriptの意味です。
五種の「書写」もかく意味で、語自体に複写の意義があるのではないと考えます。
現に日蓮宗の曼荼羅は日蓮の作をコピーしたものではなく、図顕した人の独自の作品です。
日蓮などの作を臨写することはありますが、それは曼荼羅ではなく、資料のためです。

2845犀角独歩:2006/09/08(金) 07:02:16

一字三礼さん

日蓮は当初、曼荼羅を文永8年の段階では「之書」(安第1)としていますが、わずか3年後の同11年になると「之図」(安第13)と改めますね。

すなわち、日蓮にとって、漫荼羅は書くものではなく、図すものという認識で定着したことになります。

いま、話題は書か・写かとなっていますが、むしろ、書か・図かというのが日蓮における漫荼羅論であり、にもかかわらず、弟子は、それは書写ととらえて点が、重要なのだと考えます。

なお、実際に書写した人が、どのような思いなのか、という点が議論の対象だと思います。単に自分の作品として書いたのであれば、写したことを意味する花押の部分を「御判」「在御判」とはしないで自分の名と花押を書き、初期の日蓮の如く「之書」とするでしょうし、さらに、いえば、日蓮独特の筆法(光明点/髭題目)を真似しないでしょう。真似ることは既に写であると思えます。

2846とんび:2006/09/11(月) 20:06:16
ひとつひとつ、コメントを返す、時間的余裕はありませんので、こちらに発言
させていただきます。
まず、れんさん、レスありがとうございます。
昨年末、たしかれんさん、だったと思いますが、摂受・折伏の件に付き、過去ログを読まれる
ことを勧められました。そして、たしか200ぐらいまでは、読みましたが、その後は、読む
時間とかをとることは出来ませんでした。摂受・折伏については、自分なりの考えを持ってい
ます。

 また、戒壇本尊は、後生の弟子の創作と感じてはいますが、いつも「もしかしたら本物かも
しれない」という心を持つようにはしています。

 私は、当初より、この掲示板の住人には、ふさわしくないと感じていました。

無学無明さん、コメントありがとうございます。とくにお返しする言葉はありません。
ただ、一点気になるのは、「サッカーはあくまで遊戯の一例であって、心肺・走力の優劣
で勝負が決まるようです」。サッカーを遊戯と単に書いていいものなのか...いろいろ
な見方があるように思います。子供のサッカー、学校の体育時間のサッカー、高校生の
サッカー、プロのJリーグなど、いろいろあります。最近では、イタリアのセリエAでの
不正問題が話題になりました。子供の遊びのサッカーも、養育上好ましいものかどうかは、
いろいろな見方がありますでしょう。プロのサッカーともなれば、生活などがかかるため
必死になっているプレイヤーもいるでしょう。精神面の強さがないと、プロサッカーなど
の選手になるのは大変だと思います。でも逆にイタリアのセリエAなどのこともあるでしょう。
また、チーム経営者と選手とは、分けて考えた方が良いとも思います。

 高校野球は、プロ野球より、純粋に感じる方も多いでしょうが、最近は、○○県の代表
校と称しても、実際は、選手の出身県は、他県の選手が多くを占める...ということも
発生しています。いろいろな見方かありますよね。

 ボクシングやプロレスは、スポーツよりもショーに近いかと思いますが、やっている選手
は、人それぞれの思いでしていると思います。

 言葉の表現とは、まことに難しいもので、無学無明さんが、「遊戯」という言葉をどのような
意図で使用しているのか、また、逆に私が「遊戯」という言葉を、どのように解釈するかで、話が
全くかみあわなくなって、議論しても、無駄な議論になってしまうと思います。

 無学無明さんの発言の意図がよくわかりません..というのが正直なところです。

 れんさん、レスありがとうございました。
 正直なところ、成仏の相についても、わからない方が良い...というのが本音です。
 「ウソも方便」「知らぬが仏」とかの、ことあざ、もあるように、死後の遺体の相に
によって、成仏・不成仏が、決まるという経文でさえ、方便かもしれないと思います。
 「本当は、全く逆」かもしれないぐらいの、思いを常に持っていたいと思います。

 飛行機が墜落して、乗客200人の遺体の全部が、分散して飛び散り、黒こげになった
りしたとしても、その乗客200人、全員が、地獄に堕ちるなんていうことは、ないと基
本的に無いと思います。

 法華経のシャク門には、化城や大白牛車が登場しますが、私には、なにが化城で何が大
白牛車か、などということは全くわかりません。また、それでいいと思っています。

 れんさん、重ね重ねコメントありがとうございました。
 私自身、仕事が本当に忙しいので、こちらでの発言やロムする時間の余裕はなかなかとる
ことができません。

 あと、いくつか、思っていることを述べて、ここの掲示板を去る意向でおります。

 文章がうまく表現できていない部分もあるかとおもいますが、みなさまご容赦下さい。

2847無学無明:2006/09/11(月) 20:48:45
とんびさん。
 謹啓  サッカーを軽視した訳ではありませんが、、少し短絡的な文言は陳謝いたします。
 世の中、勉強が嫌いな子供たちが多い(自分も)中、スポーツ、囲碁、将棋など学校以外の事柄にも興味・関心を持ちそれぞれの才覚を発揮可能な時代は「、一時的に負けて失敗しても再挑戦が可能な時」、かと、思います。
 この点を無視?したような私の発言でした、、深くお詫び申しあげます、、。 今後とも貴重な問題の御提起をご期待を申し上げます、、敬具

2848とんび:2006/09/12(火) 01:11:10
訂正します。

 飛行機が墜落して、乗客200人の遺体の全部が、分散して飛び散り、黒こげになった
りしたとしても、その乗客200人、全員が、地獄に堕ちるなんていうことは、ないと基
本的に無いと思います。

 ではなく、飛行機が墜落して、乗客200人の遺体の全部が、分散して飛び散り、黒こげになった
りしたとしても、その乗客200人、全員が、地獄に堕ちるなんていうことは、ないと基本的に思い
ます。

 そもそも、死後に地獄界がある、成仏があることでさえ、方便の可能性があります。
 この、娑婆世界が、実は、「本当の死後の世界である」と、解釈するとしたら、ここに集られる賢人
・識者の方には、あるていどのことは、おわかりになると思います。

 無学無明さん、コメントありがとうございました。

2849無学無明:2006/09/13(水) 16:46:12
 とんびさん。
  >> この、娑婆世界が、実は「本当の死後の世界である」、、。
 とても、深い、示唆に富む、、今後の展開可能なる御提言と、存知まする。
 ひょっとして、鎌倉時代の方方は「娑婆世界こそ = 前世の名残、、?」、と体感・体得していたかも、?
  インドでは、はびこる差別や身分などを公然と前世からの継続の現生、と受けいれられていました、。 
 これには、種々・難題が付きますが、やはり、避けてはならない「最重要な課題、?」、、かもしれません、。
 諸賢さまのご指導をご期待、、申しあげます、。

2850きゃからばあ:2006/09/28(木) 09:10:03

昭和35・6年頃、学会では「確信御本尊」と呼ばれるものがあり、御受戒なしで御本尊を配りました。
それは当時、末寺から各拠点になっていた幹部の自宅(まだ会館は少なかったので)などに運ばれ、その拠点宅から個人に割り当てられ配られました。
それも週一回とかではなく、ほぼ毎日のようにそれが繰り返されました。
中には大量の御本尊が割り当てられ、配るのに困った人は、なんと駅の改札で配ったこともありました。
さてこの「確信御本尊」ですが、これはどのような経過から始まったのでしょうか?
またこの学会の行動を、もちろん御本尊を下付していた大石寺は、この行動を了解していたのでしょうか?
ご存知の方、ぜひ詳細を教えてください。

2851しゅんかん:2006/10/08(日) 19:16:20
犀角独歩さんへ
私は45歳、学会二世です。私は全く活動をしておりません。皆さんの様に詳しくはありません。
申し訳ありませんが小中学生に話すように説明してもらえますか。
家には、昭和四一年一月七日の特別御形木御本尊があります。父は十九年前に亡くなり、母は数年前から軽い認知症です。
皆さんのやり取りを読まして頂いてぶったまげました。(専門的なことは解りませんが)母も私も家に有るご本尊さんは、
本門戒壇の大御本尊の通りに当時の法主が書写したものだと思っていました。
認知症の母は今も有難いご本尊様と言っております。(特別御形木を指して)信じている母がふびんです。
何故、形木本尊は戒壇の御本尊と言われている物と同じ文字、書式ではないのですか?。日蓮正宗では戒壇の御本尊と同じ文字、
書式の曼荼羅を下付した事が有るのですか、印刷物だとも思っていませんでした。
保田妙本寺の万年救護御本尊は日蓮上人が御書きになられたものですか。保田妙本寺においては信徒にどの様な御本尊を
下付されるか知っておられますか?。
又、日蓮本宗の京都要法寺ではどうなんでしょう?両宗はその宗派の信じている処の本尊と全く同じ物を現法主が書写した曼荼羅を
(コピーではなく)下付するのでしょうか。
まったく素人な質問で申し訳ありません、宜しくお願いいたします。

2852犀角独歩:2006/10/08(日) 21:55:27

2851 しゅんかんさん

はじめまして。
まず、御尊父のご冥福をお祈り申し上げますと共にご母堂様の少病少悩、また、介護、孝養に敬意を表します。
ご質問の件ですが、本日は、諸事・仕事が残っております。改めて、明日、投稿させていただきます所存です。ご寛恕ください。

2853月光浴:2006/10/08(日) 22:17:46
保田妙本寺・・・妙本寺所蔵日興上人印影御本尊(万年救護の本尊は下付は厳禁)
        以前はあった。
京都要法寺・・・檀家の要請に応じて現貫首書写の板・紙幅本尊(以前は要法寺所蔵
        の符法曼陀羅を授与していたが、現在は行っていない

2854犀角独歩:2006/10/09(月) 09:42:07

しゅんかんさん

保田、要法寺の件に関しましては、月光浴さん(はじめまして)がお答えになっておられるので、わたしは触れないこととします。また、この件は、今のところ、わたし個人はしっかりと調べておりません。諸賢にお任せいたすことといたします。

> 1.日蓮正宗では戒壇の本尊(と言っている)と同じ物を書写した曼荼羅を信徒に下付したことがないのですか?

過去にはしたことがあったようです。現物を見たわけではありませんが、大阪に一寺、東京で二寺、これを所蔵しているところがあると聞いております。また、大石寺に提出した宝蔵報告書のコピーを何点か有しています。

「戒旦大御本尊御写」
「宗門第一之重宝御戒壇正写…」

上記、資料で、両者同一の授与者になっているのにもかかわらず、一つめが日布、二つめが日胤が写したものとなっている点です。(この点の考証は、他に譲ります)

なお、大石寺のアナウンスでは日有が身代わりとして模刻したといいます(大石日応氏『弁惑観心抄』細井精道(のちの日達)氏『悪書板本尊偽作論を粉砕す』)が、この実態は、不詳です。

> 2.日蓮正宗はなぜ戒壇の本尊(と言っている)と同じ物を書写し信徒に下付しないのですか?

藤川さん流の説明をすれば、一般信者には、印刷の仮本尊で済ますというのが、大石寺の考えであるから、となるでしょうか。

明治44年に発刊された熊田葦城氏著『日蓮上人』には「由井一乗居士特に寄贈せらる」(P375)と但し書きを付して、この写真が掲載されました。この段階では、洛陽の紙価を高めましたが、その後、立正安国会より『御本尊集』が発刊されるや、日蓮真蹟漫荼羅本尊の筆法の特徴は巷間によく知られるところとなりました。これら御筆本尊(真蹟)と比較すれば、所謂「本門戒壇の大御本尊」が偽筆であることは、火を見るごとく明らかなること、白日に晒される結果となったわけです。こうなれば、それまで写真を撮らせたり、正写もし、悠長に構えていたところを翻さなければならなくなったという顛末がそこにあるのだと、わたしは考えます。

ついで「写真を撮ることが謗法だ」という愚かな口コミ操作で、現在に至るまで信者会員を欺いています。余談ながら、写真を撮るのが謗法であれば、大石寺、創価学会が信者・会員に頒布している印刷本尊は作成の段階で写真製版されているわけですから、そもそも、その本尊こそ謗法と言うことになります。まことに天に唾を吐く類の愚論というほかありません。なお、漫荼羅本尊の写真については、大石寺では古い『富士宗学要集』に載り、創価学会でも『大白蓮華』にも掲載されていたわけですから、撮影が謗法であるという張本人が、その謗法を犯しているという矛盾を来しているわけです。

なお、大石寺では、本尊書写に関しては『本尊三度相伝』『御本尊七箇相承』を挙げますが、いずれの書によっても、「戒壇本尊」を書写したのでは、相伝、相承と相違してしまいます。また、伝日道書とされる『御伝土代』にも漫荼羅本尊の讃文仏滅年代は「二千二百三十余年」とあるにもかかわらず、「戒壇本尊」では「二千二百二十余年」となっています。(『富士宗学要集』)

つまりは、「戒壇本尊」と称されるものを写したのでは、大石寺がいう相伝・相承書写に違反するという矛盾を来すことになるわけです。そして、さらに言えば、実際に死信者・会員に頒布されている本尊は、この相伝・相承ともまた相違しています。つまり、二重三重に信者会員は欺かれてきたわけです。

> 3.保田妙本寺の万年救護本尊は日蓮上人が御書きになった曼荼羅ですか?

「曼荼羅」というより、この一幅ばかりは「大本尊」というべきでしょうが、古来、真偽説はなく、真蹟であると、わたしも考えます。
『御本尊集目録』によれば

「宰相阿闍梨日郷上人の『安房国北郡吉浜村内中谷奉龍置本尊聖教事』(文和二年卯月八日)中に左の如き一條を存する(『宗学全書興門集』280頁)
 一、日蓮聖人御自筆本尊一舗 文永十一年甲戌十二月日」(P24)

とあります。文和二年といえば、西暦にして1352年、日蓮滅72年を経るばかりの時期ですから、この書に証憑性があれば、看過できないところといえます。

2855犀角独歩:2006/10/09(月) 10:00:04

【2854の訂正】

誤)死信者・会員
正)信者・会員

2856しゅんかん:2006/10/09(月) 10:34:34
月光浴さん、早速のご返事ありがとうございます。
つまり、妙本寺では万年救護本尊以外だがコピー物じゃない
曼荼羅を下付するのですか?

2857しゅんかん:2006/10/09(月) 11:36:49
犀角独歩さん、詳細なご回答ありがとうございます。
さて、独歩さんどこかで法主(上人、貫首)の書写でもコピー物じゃ
ありがたみがない、等の文面を拝読した様に思います。同感です、
日蓮系の既成宗派で(新興系以外)法主の本尊書写直筆を下付する派は
存在するのでしょうか?。
そして又、御教え頂きたい点がございます、ご享受お願い致します。
1.多くの書物等にも記載されておりますが、日興上人は日蓮の教えを
妥協をゆるさず、かたくななまでに守った。
2.日興上人の時代においては、曼荼羅本尊のみではなく、仏像崇拝もしていた。
3.日蓮は曼荼羅に仏滅後二千二百二十余年のみしか記していない?。
4.興門派等は日蓮本仏論を唱えていますが、当の日蓮は釈尊よりも私を崇拝
しなさいと日興に言った?。
5.又、この事はあまり論じているのを見かけた事がないのですが、
(私の見識不足でしたらすいません)興門派等は勝劣派に属していますが、
法華経二十八品の後半十四品に法華経の真髄があると唱えているのですよね。
ですが、独歩さんもご存知と思いますが、私の家にある大石寺版の
勤行要典の出だしは方便品第二からです、これは迹門ですよね。
どうしてですかねエ?方便本第二は短いからって事でまっ言っかって事ですかねエ?
以上、本当にド素人申し訳ありません。
管理者さんへ、素朴な疑問を開設して下さり、有難うございます。
感謝しております。

2858犀角独歩:2006/10/09(月) 13:17:58

しゅんかんさんのご質問はなかなか核心を突いたもので、かつ現役信者会員としては、先輩、もしくは大石寺僧侶には聞けない点だと思えます。つまり、聞いても、杓子定規の嘘を信じろと共用されるばかりの部分だと思いました。

> 日蓮系の既成宗派で(新興系以外)法主の本尊書写直筆を下付する

というか、法主ならずとも、本尊書写はされるでしょう。
事実、わたしは大明寺住職・楠山泰道師が謹写された二舗の漫荼羅本尊をいただいていますし、実際、奉安しています。


> 1.多くの書物等にも記載されておりますが、日興上人は日蓮の教えを妥協をゆるさず、かたくななまでに守った。

まあ、そんなふうに喧伝する古文書に堪能で、しかし、「戒壇本尊」の真偽を論ぜず、日蓮本仏、日興正嫡を論じる人々が、他門下も、傾聴しているという様はあります。
また、故高木豊氏も、日興をたいへんに高く評価していたと聞きます。
わたしはしかし、慎重です。日興の教学は、天才・日澄を得て、発展したものであって、日蓮の教学からは、飛躍が見られると思えるからです。

> 2.日興上人の時代においては、曼荼羅本尊のみではなく、仏像崇拝もしていた。

それは当然ではないでしょうか。『原殿書』などに、その様が見られます。
また、日興は、大石寺系が言いようを借りれば、身延の正当な後継者であったというわけです。その身延の墓所には、日蓮が終生、持仏とした釈迦仏像が置かれてあったわけです。これを盗み取られたと憤慨しているわけです。その御仁がどうして、仏像批判者であるわけがあるでしょうか。

> 3.日蓮は曼荼羅に仏滅後二千二百二十余年のみしか記していない?。

いえ、そんなことはありません。「二千二百三十余年」は、もちろんあります。

> 4.興門派等は日蓮本仏論を唱えていますが、当の日蓮は釈尊よりも私を崇拝
しなさいと日興に言った?。

そんな証拠は、寡聞にして、存じ上げません。

5.…興門派等は勝劣派に属していますが、
法華経二十八品の後半十四品に法華経の真髄があると唱えている…方便品第二…迹門

これはもっともな疑問だと思います。
この点の整合性を採るために、日寛は「所破借文」のためであるというわけです。しかし、これは説明になっていません。

方便品の諸法実相、十如是の文なくして、一念三千論は成立の仕様がありませんから。

2859月光浴:2006/10/09(月) 17:59:17
しゅんかんさんの言われた日興上人の曼陀羅は、写真製版で継目やシミまで詳細
に印刷されています。白黒ですが表具も布表具で正宗さんみたいに、紙表具では
ありません。下付も妙本寺信徒6ヵ月以上で五千円の冥加料が必要と聞いています。
信徒でも法華講組織があるわけではなく、日曜日の御影様開帳に参詣をし、境内
の墓地にお墓があれば、下付を申し出が可能みたいです。
万年救護の御本尊は埼玉の仏具店の主人が開帳後に寮(庫裏)で販売していました。

2860しゅんかん:2006/10/10(火) 00:39:58
月光浴さん有難うございます。見聞の深さに驚きました。
興門派と言われている重須本門寺について少しお教え頂きたいと思います。
皆さんご承知の通り、現在は日蓮宗に属しておりますので身延系と教義の差はあれ、
やはり日蓮宗では重須本門寺に寛容ようでありますね。
その事は日蓮宗 現代宗教研究所 早城鳳城氏のご講義内でも見受けられます。
(身延系からみて矛盾点は有ってもあえて突付かないのだなと感じられました)
さてそこで。
1.日蓮正宗は重須本門寺では仏像崇拝を行っていると発していますが
本当でしょうか?
2.重須本門寺の信徒における下付本尊とはどの様なものですか?
3.身延系においては御祈祷(家内、交通、安産、水子等)と言うものを行う
様ですね、日蓮正宗では行はな様に思います。重須では?
4.重須本門寺の末寺は関西圏に存在しますか?
5.身延系においての僧侶の法衣は赤、紫と煌びやかですが日蓮正宗のそれ
(薄い灰色)とは相違します、重須はどっち?
6.又、私は幼少の時からこの法衣の事を聞いておりました。赤や紫と言った
派手な物は正宗では身に付けない、先月、京都要法寺(私の住まいは大阪なので)
に行って参りましたが、正宗と全く同じ事を僧侶がおっしゃっておられました。
本堂内も同じ様に質素でした。そうそう、仏花と言うのですか?やはりシキビでした。
そうでした!ついでに法華宗大本山、本能寺にも参り本堂も拝観させてもらいましたが、
正宗、要法寺とはやはり違いました(本能寺は勝劣派でしたっけ?)
今日、家の近くの身延系、京都妙顕寺派の寺院に参りましたがキラキラと煌びやかでした。
少し話が広がりましたが、重須においての法衣?仏花はシキビ?法華の太鼓?(団扇太鼓?)
を叩く?そして、日蓮はどの様な法衣?仏花?太鼓は叩いた?
以上宜しくお願いします。




どなたでも結構です、宜しくお願い致します。

2861月光浴:2006/10/10(火) 01:20:04
北山本門寺も要山と同様に檀家以外には本尊下付は行っていないようです。
檀家は布施をお供えして、貫首さんが一体ずつ書写をしていますので製版本尊なる
類は今は無いと思います。
私は先代日幹上人より、形木本尊を授与して貰い脇書を認めて戴きました。
日興門流は正宗さんを除けば、薄墨色の法衣・同色の袈裟を着衣します。
御祈祷は現貫首さんの言を借りれば、真言の亜流との意識で行われてはいませんが
塔中の養仙坊さんは御祈祷をしていますね。
仏像は御影の事を指すのでしょうかね! 冨士門では古刹寺院にはどこにでもある
と思いますよ!!

2862ぷー:2006/10/10(火) 20:27:22
現在の北山・本間貫首は薄墨の衣をかたくなに守っていらっしゃるようです、
旧本門宗で出家され所謂日蓮宗には特に愛着も感じられない点が目立ちますね。
教学でも先代片山貫首の頃より一段と日興門流の匂いが強く感じられます。
但し、国柱会の影響も大きい方ですけどね。

2863南註亭:2006/10/11(水) 14:57:57
本間上人の
「大本門寺の策源地づくり」世尊寺・発行、平成6年5月、B5判、62頁、非売品。
「日興上人の風光」ニチレン出版、平成8年5月、四六判、313頁、2500円。
この2冊は分かりやすいですし、内容的にもしっかりした著作ですね。
「お薦めスレッド」の方がよかったかもしれませんが、話題の流れでこちらで紹介させていただきます。

2864しゅんかん:2006/10/11(水) 22:22:43
月光浴さん、ぷーさんありがとうございます。
1.月光浴さん、すいません私の言葉足らずでした。
仏像崇拝とは日蓮上人像ではなく身延系の釈尊像や大黒さん鬼子母神、
他のことです。
2・ぷーさん、重須本門寺と国柱会とは何らかの関係が有るのですか?
日蓮上人はどの様な法衣を着、仏花を供え、団扇太鼓を叩いたか?
どなたかご存知の方お願いします。

2865月光浴:2006/10/12(木) 01:18:04
富士門でも要山や重須の末寺でも鬼子母神・釈尊を祀る所もあります。
身延・池上・中山等は仏寶は久遠の釈尊ですので、当然釈尊・一塔両尊四士
を拝むのは当たり前です。

2866藤川一郎:2006/10/13(金) 09:48:34
>>2864
日蓮宗に伝わるところの、小松原剣難時の「血染めの袈裟」は「白五条」です。

2867藤川一郎:2006/10/13(金) 09:52:24
ついでに仏花について・・・
近世以前、宗祖に限らず仏花と言えば「しきみ(しきび)」でした。
しきみとは「木へんに密」と書きますが、昔の文書には「木へんに佛」と書いた記載もあります。
「木へんに神」と書いて「さかき」と読ませるのと対象ですね。

仏教でも生花をささげるようになったのはかなり歴史が下ってからです。

2868しゅんかん:2006/10/13(金) 10:40:30
月光浴さん、藤川一郎さん有難うございます。
大変勉強になりました。

2869藤川一郎:2006/10/13(金) 12:15:01
しゅんかんさん
一応蛇足ながら申し上げますが「血染めの袈裟」は中山法華経寺に伝わる寺宝ではありますが、本物であるかは保証の限りではありません。
しかしながら日興門流とは違う、中山門流に伝わる血染めの袈裟が「白五条」であると言うのは面白い事実だとは思いますが・・・。

2870犀角独歩:2006/10/16(月) 08:16:29

亀レスですが。

仏花というのは、日本は古来から樒だったんでしょうか。
花を飾る歴史は当然、インドに遡源できるのでしょうが、ここでは、やはり、色花であったのでしょう。では、中国ではどうだったのか、どうも、ここら辺のことを、わたしはよく知りません。

以前、天台宗開宗1200年記念『最澄と天台の国宝』展を観たとき、密壇が置かれ会ったのですが、ここでは樒でした。ある人に尋ねると、「樒は祈祷」という答えが返ってきました。富士における神道、密教との習合がいまだに樒を飾る興門の在り方と何らかの関係があるのだろうかと考えています。

なお、棺桶に樒を入れることは、他日蓮門下でも行われていたということでした。樒には防腐効果、また、その実の持つ毒性から除虫効果もあるとのことでした。

2871藤川一郎:2006/10/16(月) 16:44:19
樒について言うなら、祈祷と言うよりも“神道”との関係が浮かんで来ると思います。日本の仏教は「神仏習合」と言いますが、最初から日本においては神道の中に仏教を取り入れたと言う要素があったと思います。

さて、榊と樒に関して申すなら、“天の香具山”には「五百木の賢木に玉・鏡を付けて」と書いてあります。
現在「榊」と呼ばれる神前榊は、神社にによって全く種類が違います。
通常は、ツバキ科・モクレン科等の常緑樹を使用します。
また、関東と関西では全く榊の種類が違います。榊はそもそも「賢木」「境木」と言われまして、神前と境を表す形が有りました。
実は、日本国の仏前荘厳もその形が残っております。

樒(シキビ・シキミ)は「モクレン科・シキミ」に分類される植物ですが、実は、樒を榊として使用している神社も有ります。
「下鴨神社」「上賀茂神社」そして「伊勢神宮」が樒を「榊」として使用しているのです。
太古の昔から「樒」は、特別な草木として珍重されていたのです。
伊勢神宮の御神体は「天照太神」です。
御本尊様にも勧請されている「諸天善神」の一体でありますが、日本国の最高神です。最高神の大前に捧げられる草木は最高の草木で無ければならないと言う面を顕し、特に「華榊」と呼ばます。
伊勢神宮の「華榊」とは「樒」の別名なのです。

2872藤川一郎:2006/10/16(月) 17:12:31
ついでに申せば、池上本門寺の売店には「色花」と「樒」が両方販売されております。
本門寺のお坊さんに、檀家のフリして「樒と色花どちらが正式なんですか?」と聞いたら「正式には樒ですよ」と明確に返答があった事があります。
しかし、色花をあげたい人などの「需要と供給の関係」でどちらも販売しているそうです。

2873犀角独歩:2006/10/16(月) 19:55:25

樒について、『日蓮宗事典』で引くと

「仏前に供える常緑樹の一つ。葉及び樹皮は抹香、線香の材料として使われている。また、葉は法要の散華の花葩としても使われるが、これは青蓮華の花に似ているからであるという。また、通夜・葬儀の際の一本花としても使われている。「木*佛」という国字も用いる。」

となっていますね。石山で樒の文献根拠とするのは、法華経方便品の「栴檀及沈水 木樒竝余材」でしたか。しかし、日蓮遺文では、その使用は見当たりません。

藤川さんが仰るように神道系の可能性はあるでしょうね。神上げに榊を使うことが先行し、仏にも常緑の葉を供えるようになったのかもしれません。ただ、その字が「密」をもって充てることは、既に密教の影響ありと思います。
また、[木*佛](しきみ)が国字であること、また、Japanese Anise Tree という英名が示すとおり、日本固有種ですから、仏教伝来後、仏前に使用されるに至ったのでしょう。

ちょっと検索してみたら、シキミは「悪しき実」から、その呼ばれがあるというのですが、字の成り立ちからみると“しき密”…“し木*密”といった連想も出来そうですが、これはもちろん、当て推量です。

http://www.geocities.co.jp/Outdoors/6286/shikimi.html

雖念さんがロムされていらっしゃれば、お尋ねしたいのですが、樒に含まれるアニサチン(anisatin)は、その使用によって幻覚を起こす用例などはあったのでしょうか。痙攣性の神経毒を有するとなると、元来は、呪術的な拝礼から神儀に用いられていたものが、神仏習合を通じて、仏教に使われるようになったのかもしれませんね。

http://www2.odn.ne.jp/~had26900/constituents/anisatin.htm

2874犀角独歩:2006/10/17(火) 07:35:40

自己レスです。

> 木樒…その字が「密」をもって充てることは、既に密教の影響あり

この文章は拙(まず)いですね。これでは羅什の漢訳の時点で、恰も密教の影響でこの字を使った如き印象を与えています。

樒は、「宮城県〜石川県以西の山地に生える常緑小高木」ということです。
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/medplant/sonota/shikimi.htm

日本の、それも限られた地域に群生していたもののようです。しかし、「樒」という字は、羅什の漢訳で使用されているわけです。けれど、中国にはこの木はなかったわけです。つまり、「木樒」とは、いま日本で言うシキミを指していたものでなかったことが知られます。

シキミが密教で用いられていく段階で、樒という字が密を旁に持つことから、これに充てられていったのではないのかと、わたしは考えるという意味で記したのです。ただし、これは憶測ですから、諸賢の叱正をお願いするものです。

石山発行の『続・日蓮正宗の行事』に

「しきみ
 『栴檀及び沈水、木樒並びに余の材』
 をもって御宝前を荘厳することが説かれています」(P21)

この文章は、少なくとも二つの嘘があります。一つは、先に挙げたとおり、羅什が「木樒」と訳した植物は、今で言うシキミではないこと。岩本訳では、該当部分は「天目樹の塔や種々の材木」(岩波文庫『法華経』上 P115)とあります。

そして、もう一つは法華経方便品には樒で御宝前(つまり、漫荼羅本尊の前)を荘厳するなどとはまったく書かれていないと言うことです。

「諸佛滅度已 供養舍利者 起萬億種塔 金銀及頗梨 車磲與馬腦 玫瑰琉璃珠 清淨廣嚴飾 莊校於諸塔 或有起石廟 栴檀及沈水 木樒并餘材 塼瓦泥土等 若於曠野中 積土成佛廟」

佛舎利を供養せんと、佛塔仏廟を木樒を含む材木、宝をもって建立するというのが、該当の経文の意味です。それにもかかわらず、これを採って、仏花は樒であったというまったくでたらめの文章を捏造しています。

石山のいい加減さには、今更ながら呆れるほかありません。

2875犀角独歩:2006/10/17(火) 08:18:05

重ねて自己レスです。

2874の投稿中「木樒并餘材」は、正確には「木[木*蜜]并餘材」でした。
いま少し調べたのですが、日蓮宗現代宗教研究所の資料集に載る妙法華経では「木樒」となっていますが、たとえば岩波文庫『法華経』では「木[木*蜜]」となっています。サイトで検索した引用の法華経も「木[木*蜜]」です。
http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/DCX/DFaHua/T090008c.htm

正法華では、木[木*蜜]に当たるところは「木蜜」となっています。
さらに木密を検索してみると意外な文章に当たりました。

「『本草綱目』での、石蜜・木蜜・土蜜と家蜜という分類」
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00727/contents/00002.htm

石山が樒だと言い張ってきた「木樒」は、元来、「木[木*蜜]」で、さらにこれは木蜜(蜜を持つ樹木、もしくは蜜のような芳香を放つ樹木か?)という意味の可能性も見えてきました。

皆さんの批正をお願いいたします。

2876犀角独歩:2006/10/18(水) 08:16:23

岩波文庫『法華経』に、日深師の「木[木*蜜]」の注釈が付いていたのを、見落としていました。

「木[木*蜜] ― 形白檀に似て微かに香気あり、像を造るのに適しているといわれる」(上 P341)

[木*蜜] = http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/DCX/DFaHua/fontimg/015754.gif

2878犀角独歩:2006/10/18(水) 08:22:34

以上の点が、次第にわかりましたので、2874の以下の投稿文を訂正します。

誤)「樒」という字は、羅什の漢訳で使用されているわけです
正)「[木*蜜]」という字は、羅什の漢訳で使用されているわけです

2879奈々:2006/10/20(金) 18:59:43
失礼致します
皆さんが使う、線香を教えて下さい。香を焚くと場の雰囲気が荘厳に感じられます
煙の少ないタイプも多く、匂いもナチュラルな線香が主流となっていますので、是非
ご教示願います。

2880通りすがり:2006/10/20(金) 23:12:01
 ん、線香は伽羅大観が一番いい

2881しゅんかん:2006/10/21(土) 00:21:52
藤川一郎さん犀角独歩さんありがとうございました。
沢山のスレッド文を所々、虫食いに読ましてもらいました。
(全てを読む事も出来ますねんで、ただ読んでもよう意味が分かりまへんから、
睡眠導入剤のような物になるんであえて読まんようにしてまんねん)
私なりに感じた事を記させて下さい、そして又、皆様のご教示お願いします。
1.犀角独歩さんお願いします。ここで色々と論じているのは詰まるところ、
日蓮上人の御書(曼荼羅も)等を各門流(大石寺版等)が(真筆がないものは真筆が
無いのをいいことに)自分の門流の都合のいいように記しているが。
そうじゃないだろ、日蓮上人はこう言ってるんだろ。そちらの門流はそう言うが
日蓮上人はそんな事をしていないだろ、と言うことを文献等から推察し論じられて
いるんですかね?。
2.何をもって本尊とするか?ですが、曼荼羅のみか、釈迦像かなんですが。
詳しくない私は一尊四士なども曼荼羅に図示されているんだからわざわざ仏像
として置く必要は無い。重複するじゃないか(富士門流はこのように言っているの
ですか?)だから曼荼羅のみでいいんだ、と誰かが言ってたらそうだろうなぁと私は
思います。日蓮上人は生涯、釈迦像を持っていたそうですが、正宗はそれを
ほしかった。でも、その釈迦像を他の上人に(日朗上人が頂かれれたと思うの
ですが?)持っていかれたので他の門流との差別化をはかる為に
仏像崇拝を禁じたんでしょううね(もうすでに論じられていることかもしれません)
それと、日蓮上人は曼荼羅は御自身で書かれたんでしょうが、仏像も御自身で
製作されたんでしょうか?もし仏像は作られていないのであれば、仏像崇拝を
否定している門流の論理として日蓮上人が作っていないんだからたいして
有り難くはない。だから曼荼羅のみでいいんだ、(これも、仏像は欲しかった、
欲しかったが先を越されてしまった。じゃどうしよう、曼荼羅しかない、困ったなぁ
そうだ!曼荼羅だけでいいと言う方便を考えよう)としたんじゃないでしょうか?
これはあくまでも私個人の推察です、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
犀角独歩さん創価学会のお方に私の疑問(学会の三宝を)をネット上で問うた
のですがお答えがありませんでした。
ですが、私は行っておりませんが家は正宗です。数ある日蓮宗の中の日興門流。
これも何かの縁なんだと私は思うのです。(独歩さんのお考えと異なりますが)
母は認知症ですが今すぐにとは出来ませんが(症状が軽いので)私は本門寺さん
にお世話になろうと思っております。

2882犀角独歩:2006/10/21(土) 07:06:53

しゅんかんさん

1の質問はお察しのとおりです。

わたしに投げかけた質問とは違いますが、日蓮所持の仏像は「先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔し之を刻み・弘安帰寂の日・随身せり」と言われたもので、この文から察すれば、日蓮その人が自ら刻んだものということなります。その後、船守献上伝説が追って言われるようになり、取って代わっていったのでしょう。

2883犀角独歩:2006/10/21(土) 07:19:31

もう一点。仏像と漫荼羅は、その趣旨が違うわけです。

同一だというのは、あとの解釈でしょう。
まあ、その区別が付かない人は、混同し、ごちゃごちゃに考え、同じものだと有り難がり、どっちか一つで言いと思うのであれば、そう思うのも、その人の思いに任せるところでしょう。ただし、そのような短絡は、日蓮の意図とは違うだろうと言うことです。

2884孤独な迷子:2006/10/29(日) 18:35:28
ときどきロムさせていただいています。

得度すると本山ではかなり厳しい修行を経て僧侶になるのでしょうか。

ふと疑問に感じたので質問させていただきました。

2885しゅんかん:2006/10/30(月) 11:01:55
独歩さん又、ご教示お願い致します。
紙幅の曼荼羅と板曼荼羅では紙幅のものが良しとの見解ですか?
そうだとしたら、それはやはり日蓮聖人は紙幅のみを図顕されたからですか。
私の関西地方には、日像上人のお寺が多いのですがほとんどが板曼荼羅でした。
(行ったのは末寺です)又、身延直末のお寺でもそうでした。独歩さんはこれを
どの様にとらえておられますか?
そして、境内に社ですか?(三十番神とか南無内々神など)があるのですが
これはどう言うことなのでしょうか、神仏習合で良しと言う事でしょうか。

2886しゅんかん:2006/10/30(月) 11:34:46
2885の続き
御書なのですが、わたしの頭脳では理解出来ないのです。
各宗派で出版されていると思うのですが、現代文に訳した物があれば
お教え頂ければ幸いです。(訳した物はやはり手前勝手で原文でないと
だめですかねエ)
もう一つ、仏教用語等なのですが、一念三千、五百塵・・、摩可止観
二筒相承、三大秘宝抄等の解説書と言いますか、辞典などは有りますか
ご存知であれば書籍名等お教え頂ければ幸いです。
以上、宜しくお願いいたします。
いつも不躾で申し訳ありません。

2887犀角独歩:2006/10/30(月) 17:18:57


しゅんかんさん

> …曼荼羅…紙幅…良し…見解…?
> …日蓮聖人は紙幅のみを図顕されたから

そうですね。
わたしが筆書きに憧憬を懐くのは、自分のために書写してくれたオリジナル性という点です。心が籠もっているからです。ただ、その前段階で、既存の漫荼羅に、それが印刷であったとしても、裏書きをする所謂‘開眼’は、授与者と受持者の心の通いがありますから、否定する理由はありません。ちなみに石山義では、漫荼羅表に、時の‘法主’が判形(花押)を書き入れることで、仮から‘本’へとするというのが日亨師の説でした。

> 日像上人のお寺…板曼荼羅…身延直末のお寺でもそう

奉安荘厳の仕方があるから、それぞれでしょう。しかし、それら寺院が板に日蓮が直接書いたなどとは言っていないでしょう。石山の「本門戒壇の大御本尊」は、そう吹聴しているから、ならば証拠を示せといっているわけです。富士では、日興が「形木」を禁じ、信心強盛な者には書写して授与し、それ以外を謗法であるといっているわけですから、この点は外せないだろうというのが、わたしが記してきたことです。

朗・像門家において、板に改めた造立縁起がしっかりしていれば、それを仰ぐ信者は納得しているということではないですか。

> 三十番神とか南無内々神…神仏習合で良し

この点については、わたしは詳しくありませんが、仰るようなことであったろうと思います。

日蓮の漫荼羅では日本国神である天照大神、元朝鮮の神であった八幡神(日本では大菩薩)、日本の伝教大師。中国の諸大師。インド由来・密教の不動・愛染、大六天魔王(ヒンドゥー教のシバ神)など、雑多に習合しています。日蓮以降、随方毘尼という見地から、各地域の国情に合わせた習合があったとして、それを違和感を懐くか否かは、各人の感覚に属するのだろうと思います。

> 御書…現代文に訳した物

さあ、この手のお薦めは、わたしは知りません。

> 仏教用語…辞典

これは数多、刊行されています。
わたしの個人的なお薦めは『織田佛教大辞典』です。

2888乾闥婆:2006/10/31(火) 01:20:37
>現代文に訳した物

よいかどうかはわかりませんが中央公論社の『日本の名著 8 日蓮』は紀野一義氏の現代語訳です。
ある程度まとまった分量のものでは、これぐらいかと思います。

2889しゅんかん:2006/10/31(火) 09:27:04
独歩さん、乾闥婆さん早々のご返事ありがとうございます。
早速調べさせていただきます。

2890しゅんかん:2006/10/31(火) 10:01:32
月光浴さん2861の記載にある、北山本門寺も・・・
檀家は布施をお供えして、貫首さんが一体ずつ書写をしていますので製版本尊なる
類は今は無いと思います。
私は先代日幹上人より、形木本尊を授与して貰い脇書を認めて戴きました。
についてもう少しお聞かせ下さい。
月光浴さんの授与された形木本尊と製版本尊はどの様な違いがあるのですか。
私の家に有る、正宗の形木は手書きではなく印刷だと思うのですが。
そして月光浴さんのご本尊さまのサイズはどれくらいですか?
私の所は、幅約40Cm、縦約60Cmです。
先日、先代日幹上人さまのお書きなられた御本尊さまを二幅拝見と
日幹上人の一代前の上人さまのものを一幅拝見させてもらいましたが、
三幅共、桐の箱に入っていて脇書きもあり幅約60Cm、縦約2M
もある床の間に掛ける掛け軸のようなものでした。(三幅共に同一家です)
月光浴さんのもこの様な御本尊さまなのですか?
以上、宜しくお願いいたします。

2891しゅんかん:2006/10/31(火) 10:09:13
2890の追記、重須系の末寺で拝見させてもらいました。
檀家さんがお寺にお返しになられたそうで、
ご本尊さまをご住職さまのご好意により拝見させて頂く
ことができました。

2892再挑戦者:2006/11/01(水) 19:57:13
失礼します。
 緊急避難を余儀無くされているわれ等は、一番の願いは何でしょうか。
 曲折はございましょうが「、限りなく日蓮様に近い真筆に近い曼荼羅様を請願者の名前と発行者の裏書が存在するような曼荼羅こそ願望します。
 発行者の直筆なら有り難いが、シンドイでしょうから写真製本後の要所の裏書と下付者名の記録さえあれば、そこそこでしょうか。 ただ日蓮様の誠のお心を伝承されておるか(ホウボウ厳戒、、)、否かかが、重要です。
 今、迷える愚求者からの一語提言ですが、。 よろしく。

2893月光浴:2006/11/02(木) 20:18:57
しゅんかんさん、お返事遅くなりました。
藁半紙に近い紙に印刷されていて、表具をいれても幅20cm、縦40cm
ぐらいです。正宗さんの形木本尊と同じですね。

2894しゅんかん:2006/11/03(金) 11:05:29
2890の訂正
(誤)私の家に有る正宗の形木本尊は、幅約40Cm、縦約60Cmです。
(正)表具をいれて幅約20Cm、縦約40Cmです。

2895しゅんかん:2006/11/03(金) 11:43:47
再挑戦者さん月光浴さんありがとうございます。
私が先日、重須系の末寺で見た幅約60Cm、縦約2Mもある本尊
は、当然仏壇に奉安できないのですから掛軸の如く安置し
日々のお勤めをするのですかね?ご存知の方宜しくお願いします。
又、この御本尊さまを納めていた桐箱の表書に〇〇家常什とあったと
思いますが、(常什の前の〇〇家と記しましたがさだかではありません)
常什とは(じょうじゅ)か(じょうじゅう)ですか?
ウェキペディアだったと思いますが、正宗の下付本尊に①形木、②特別形木、
(私の家は特別形木です)③常住とあったのを覚えています。
昨日、数少ない歴史の有る正宗寺院へ(私の住む関西では)独歩さん
達が御指摘をされている事を確認しに行ったのですが。
そこには、常住とありました。常住と常什は同じ意味の事ですか?
合わせて宜しくお願いします。

2896しゅんかん:2006/11/03(金) 14:56:40
独歩さん何時も指名して申し訳ありません。
つぶやきすれっど2で2288ひきこもりさんの『本尊問答抄』に
「法華経の題目を以て本尊とすべし」とあります。において、
独歩さんは真蹟と言う文字を使っておられますが、
本尊問答抄のこの一文は日蓮宗派全てにおける一致したいものでは
ないのですか?何処かの派の私がよく使う手前勝手な都合のいい
偽文なのかもしれないのですか。
宜しくお願いします。

2897しゅんかん:2006/11/03(金) 15:18:25
独歩さん、つぶやきすれっど2で
2287自分宛の曼荼羅と記しておられますが。
他の掲示板でも見かけたのですが、〇〇授与之と
開眼式を行って脇書をしてもらったとありました、月光浴さん
もおっしゃってます。
独歩さんも私と同じ学会二世と言う事なのでお尋ねしますが。
私の家の曼荼羅には授与之とだけあり、〇〇授与之の〇〇が
空いております。これは開眼式をしていないからですか?
破門前の学会時、そして正宗は開眼式をしておれば誰それに
授与したと名前が入るんでしょうか?。
独歩さんとこの曼荼羅は入ってましたか。

2898再挑戦者:2006/11/03(金) 21:20:36
 横から失礼します。
 いろいろ迷走・考察中ですが、、。 各門は「我こそは、、」、、と手ぐすね引いて舌をなめておるようです、、。
 石山系は「、、反省がいまいち、、」、、「、、正信会は日達サンを未卒業のマザコン体質、?、、」、、そこで、重須の北山様が「、、日達サンのM&Aの勧誘にもメゲズ、寺を維持したのは、今での判断は高く評価される、、」、かと思います、。 流れに抗した態度でした。
 それなりに「評価」したいです、、。 エラソウに、、すみませんです、、。

2899犀角独歩:2006/11/03(金) 21:59:14

しゅんかんさん

> 私の家の曼荼羅には授与之とだけあり、〇〇授与之の〇〇が
空いております。これは開眼式をしていないからですか?

大量生産の印刷、仮本尊だからです。
ただし、それが学会頒布ではなく、石山末寺からのものであれば、開眼式は、いわゆる「本門戒壇の大御本尊」の前に積んで行ったことになっているはずです。
この慣習が、いつからできたのか知りませんが、日顕さんの時代からはやっていました。最も、このやり方は、日亨師の解説とは違っています。

> 破門前の学会時、そして正宗は開眼式をしておれば誰それに
授与したと名前が入るんでしょうか?。

わたしは、寡聞にして、こんなやりかたがあることは知りません。
先にも記したとおり、石山では漫荼羅か威厳に当たる方法を、日亨師は、以下のように記しています。

「此の判形こそ真仮の分るゝ所」

ただし、これは開眼と言うより、真と仮の差異であり、前者は石山住職の花押が認められたもの、仮はそれがないもの。ところが、印刷漫荼羅の花押まで印刷とは、矜持も何もあったものではないという感を懐きます。

> 独歩…曼荼羅

わたしが所持している石山の‘本尊’は日達さんの印刷仮本尊です。
「授与之」とあるばかりです。

2900犀角独歩:2006/11/03(金) 22:33:46

【2899の訂正】

誤)最も、このやり方は
正)尤も、このやり方は

誤)石山では漫荼羅か威厳に当たる方法を
正)石山では漫荼羅開眼に当たる方法を

2901犀角独歩:2006/11/04(土) 09:31:22

誤解があるといけないので補足しますが、もちろん、わたしは石山の印刷本尊を奉安していませんし、いまは拝んでもいません。

彫刻本尊(いわゆる「本門戒壇の大御本尊」)の原本となった日禅授与漫荼羅が日蓮筆であるという点では疑義を感じます。その疑義のある原本を元にした彫刻は、さらに不動そのた見るからに日蓮の筆法とは異なる他筆です。つまり、まったくの模造品です。その模造品を書き写したと言いながら、さらにまったく書かれている内容が違うのが石山大量頒布の印刷本尊です。さらに、石山には本尊相伝というものがありながら、まったく違った内容で書かれ、さらには、真仮を決めるはずの書写者の花押まで印刷されてしまったのが、石山法華講、創価学会、顕正会の‘本尊’です。果たして、日蓮が漫荼羅を拝めと言ったかどうかという問題以前に、石山の本尊は拝む蛮勇は、今となっては起きません。

2902犀角独歩:2006/11/04(土) 14:28:11

2896 しゅんかんさん

一つ見落としていました。

> 『本尊問答抄』…「法華経の題目を以て本尊とすべし」

同抄は日蓮の真蹟(直筆、つまり真筆)を遺していません。
しかし、日興写本があることから、古来より真筆写本として扱われてきたというのが、まあ、通論と言うことになります。

要は、直弟子日興に完全に信頼を置いた‘解釈’ということでしょう。
しかし、わたしはこの点を疑っています。簡潔に言えば、日興が偽書を作ったとしても何の不思議もないからです。
日興の写本遺文には、他と内容がかけ離れているものがいくつかあり、この点は、以前、問答さんと議論したことがありました。

> …日蓮宗派全てにおける一致

これはどうでしょうか。大半は、同抄を真筆写本として扱うでしょうが、厳格に、採用しない方もあります。もっとも端的な例は米田淳雄師が発願編者である『平成新修日蓮聖人に文集』(日蓮宗連紹不軽庵)です。同抄は載っていません。

ちなみに、この書は、顧問に身延山短期大学学長/立正大学名誉教授:宮崎英修師・立正大学教授/日蓮教学研究所所長:浅井円道師・立正大学教授/日蓮宗教学研究所所員:高木豊師・立正大学教授/日蓮宗教学研究所所員:小松邦彰師、協力として立正大学講師/日蓮宗教学研究所所員:寺尾英智師・日蓮宗教学研究所所員:都守基一師(肩書きは平成6年10月13日初版第一刷発行当時)という錚々たる顔ぶれになっています。

なお、もし、この書が真筆写本であったと想定した管見は以下に記しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/614-

法華経の題目を本尊という発想は、わたしは実に奇異に感じますが、無仏の時代、題目をもって下種という教学的な態度から師、法を本尊と拝すれば、このような言い回しは、あるいは可能なのかもしれません。けれど、地涌菩薩のごとく、五百塵点成道の釈尊に直接下種をされ、妙法蓮華経の五字を所伝されたならば、その本尊は、久遠本仏・釈尊をおいてあるはずはありません。宝をもらったら、その宝らこそ大事で、くれた人はどうでもいいといった忘恩を日蓮が冒すはずがないからです。これではまるで禅・真言の所説に異なりません。くれた方を仰ぎ、宝を伝持する。本門の本尊と題目の五字は別です。

久種覚知の仁においては仏本尊を立てることは当然の流れです。日蓮は本門本尊とことわっているわけです。本門とはまさにこの久遠本仏成道と地涌結縁、法付属を説く段です。迹門立てで題目(妙法蓮華経裏一念三千珠)をいうならいざしらず、本門段で法を表に立てるのは論理として整合性がありません。

妙法蓮華経によって覚った諸仏と、地涌所伝の妙法蓮華経による我々は、その立場が違います。また、地涌菩薩に遇わない凡夫ともまた違うとも言えるでしょう。本仏との下種を覚知できず、今番地涌菩薩に遭えない者にとって、題目を本尊と仰ぐという脈絡は題目本尊という教学的な余地を残しているのかもしれないというのが上記の管見です。

2903しゅんかん:2006/11/04(土) 20:04:52
独歩さん、ご丁重な教示ありがとうございます。
内容が難しくってこの板ばかりを見ておりましたが、
他の板も拝見させて頂きますと、独歩さんが多くのお方に
一つ々丁寧にご返事をされておられる事に驚きました。
私ごとき者にも・・・本当に恐縮しております。
>『本尊問答抄』…「法華経の題目を以て本尊とすべし」
について難しい回答ですが(仏教用語等が)、勉強をします。
(しかし、自分から投げかけたとはいえ、何を言うてはんのんか
ちんぷんかんぷんやなぁ)
法華経の題目を以て本尊とすべし」とは
母(〇〇ちゃんとご本尊さんに勤行したんか?)
の本尊のみを日蓮聖人は定義していないかもしれないと
言うことですか。(題目の本尊等とかおっしゃてますね)
本尊とは必ずしも物体(実物)のみを指していないと。

2904犀角独歩:2006/11/05(日) 09:13:16

しゅんかんさん

> …法華経の題目を以て本尊…のみを日蓮聖人は定義していない
> 本尊とは必ずしも物体(実物)のみを指していない…

「物体」という表現が適切かどうかはわかりませんが、「…のみを指していない」という点はそのとおりですね。

『本尊抄』の記述は、(1)自分の心のなかで観た本仏、(2)実際に造立される仏像、そして、(3)文字としての妙法蓮華経、という3本立ての論攷です。この三つの、どれが一番かという比較ではなく、それぞれの重要性を論じているという視点が重要です。

また、御漫荼羅の全体を本尊と仰ぐのは門下一般の在り方ですが、「法華経の題目」という『本尊問答抄』の趣旨からすれば、本尊は「妙法蓮華経」の五もじということになります。そして、これは音声と思い(イメージ)ではなく、まさに漢字で書かれた五文字だというのが、日蓮の達観であるわけです…、と、書くと、また、難しいと言われそうですが。

2905天蓋真鏡:2006/11/05(日) 10:27:14
横レス失礼します。 三法門は「本尊≒仏陀像・戒壇≒漫荼羅・題目≒法華経」で、本尊とは勝れ足るを用いる、天台密教から法華一乗へ布き治す、法華経の信心学問修行を提唱して祈る事と今頃まとまりました。漫荼羅は、シャクソンと法華経を繋ぐ役割があるのでは?

2906天蓋真鏡:2006/11/05(日) 10:37:08
脱字すみません。戒壇とは天台密教から法華一乗へ布き治す、題目とは法華経の信心学問修行を提唱して祈る事。

2907しゅんかん:2006/11/05(日) 22:26:38
独歩さん、ありがとうございます。
皆さんのやり取りを拝見させてもらい、自分なりに
解釈していたものは{曼荼羅本体、釈迦仏像(この二つは物体、固体です)
もう一つは南妙法蓮華経と唱えている人、その人の内なる物に、唱えたと同時に
内在されているものである本尊}の三つです。
その人の内なる物に内在されている物を指しているのかな?と思ったのは
当然、皆さんのやり取りと、南妙法蓮華経と三弁唱えれば、と教科書で習った
、この一文です。
独歩さん、そこそこ近かったでしょうか?

2908犀角独歩:2006/11/06(月) 05:44:18

題目の三唱というのは、種々の解釈があるように思います。仏・法・僧の三宝に一唱ずつ、あるいは空・仮・中の三諦、法報応の三身とも。ただ、これらは日蓮の文証は、といえば根拠未詳です。

たぶん、日蓮の教えというのは、釈迦仏への信仰であり、妙法蓮華経への帰依なのだろうと思います。それを具体化するとき、個人では漫荼羅の授与/受持、広く大衆に示すのには仏像造立、唱える妙法蓮華経は、仰るとおり、内心の、十法界、殊に仏を観じ成仏を信じ、目指すことなのでしょう。

2909とんび:2006/11/09(木) 00:01:55
皆様、こんばんは。
仕事に忙殺されていました。もう少しだけ発言させていただきます。
また、いろいろなスレッドのレスを読む精神的余裕はありません。(良くここでは過去の議論・発言を
読むよう指摘されていますので)ご理解下されば、幸いです。

 法華経シャク門、方便品の「唯仏・与仏、乃能究ジン、諸法実相」の文について...
通説では、釈迦如来と多宝如来を指し、正宗では、唯我与我、ということで、日蓮聖人と日興上人を
指しているものだと思っています。

 疑問に思うのは、どちらも聖人に当てはめていることです。この娑婆世界に当てはめて考えると、
仏界の代表(仏)・地獄界の代表(仏)ということで、譬えていうと、マザーテレサのような聖者と、暴力
団山口系の組長(修羅界というべきか)というように、光の世界を知る人と闇の世界を知る人とが、実は
「乃能究ジン、諸法実相」に当てはめた方が、道理にかなっているように感じたりします。

 私は、教学的に「乃能究ジン、諸法実相」を理解しているわけでは、ないので、譬えが適切ではない
かもしれませんが、疑問として発言しました。

2910しゅんかん:2006/11/11(土) 18:22:29
月光浴さん又、お願いします。
2859 において万年救護の御本尊は埼玉の仏具店の主人が開帳後に寮
(庫裏)で販売していました。
に付いてもう少し詳しくお聞かせいただけますか。
店舗名など判ればお願いします。(少しの情報でも結構です)
連絡を取って見たいのです宜しくお願いします。

2911とんび:2006/11/12(日) 00:07:02
追伸です。
十界を、己心の十界に当てはめるか、国土世間などの三世間などに当てはめるか、
いろいろあると思いますが。。。
 仏界の中の地獄界より、地獄界の中の仏界...と比べると、後者の方がなんか
良いような気もしたり。

 世の中の貯金と借金に当てはめて考えると、貯金をしている人は、なるべく有意義に
お金を使用した方が、良いと思うし、借金をしている人は、貸してくれている人を困ら
せないように、借金を返すようにした方が、世の中がうまい行くように思ったり。

 昔、福運だの功徳だのとか、いろいろと教えられましたが、今幸福を感じている人は、
貯金を使っている状態で、逆に、今苦しんでいる人は、借金を返している状態...とも
言えるのかな...とも、思ったり。

 サークルなどのように、類は類を呼ぶ、で、同じ物などを好む人が、集まる..という
ことがある反面、男と女、磁石のS極とN極とが引き合うように、全く逆の性質をもった
ものが、結びつく...ということもあるのかな、と思ったり。

 ちよっと関係ないですが、日蓮聖人の御書の一節で、有名な言葉なので、あえていうこ
ともないですが、「日蓮が仏果を遂げられたのは、良観や東条かげのぶ等のおかげ」趣意
というのが、あったかと思います。余談でした。

2912天蓋真鏡:2006/11/12(日) 18:19:47
【漫荼羅・天台密教から法華一乗へ布き治し守る法華経表現の一つ】 個人の幸福・自身のコントロールには漫荼羅、社会の繁栄・公共のセキュリティには戒壇堂が形として表現される。皆成仏道なので一人ひとりが法を伝授護持する者。僧は昔からの教えを過不足無く衛る者。 極端でしょうか。

2913再挑戦者:2006/11/14(火) 21:08:31
 失礼します。
 諸賢様の深い御洞察には頭がさがります。
 オチコボレを自認の愚考です。 「観心本尊」についてです。
 先日「不得貧勝利」(囲碁十誡、12世紀頃、囲碁の知・入門、集英社・畠秀史)の意味を知りました。  「ムサボリは勝利を得ず」=「勝とう勝とうは負けの元」=「相手の石を獲ろう盗ろうは、取られの元、」、、を意味するようです。
 そこで「観心本尊」、はどのように判断するのでしょうか。 先の例文から見ますと「、、心して本尊を観る、、」、でしょうか、、。 どんな「、本尊、」、なのでしょうか、。
 、、「日蓮が魂を墨に、、信じさせ給え、、」、「、、南無、、に過ぎたるは無し、、」、、と御座いました。
 、、やはり、基本、、原点になるのは「本尊」=日蓮様直筆の「本尊集」、のような「本尊」でしょうか、。
 今「心して本尊を観られるような歴史に耐えうるような”曼荼羅さま”を拝観は可能、」、でしょうか、、。 現実は「混沌」としていますようです。                                               早急なる「善後策」を超宗派的な「合同調査委員会、、」などで御検討を願望したいが、、、。 
 今重要なのは「一本になるような方向性さえ”確認、”、できれば、某S・K会さま達は、マッサオ」でしょうか、、。 迷言ですがお許し下さい。

2914月光浴:2006/11/19(日) 00:14:51
しゅんかんさん、ご返事が遅くなりすいません。
さいたま市の正〇寺の前の仏具店です。

2915みかん:2006/11/19(日) 07:03:56
正信会の正因寺のそばの鶴林堂佛具店?(身もふたもなくてすいません)

さて、
>2860 しゅんかんさん

1.日蓮正宗は重須本門寺では仏像崇拝を行っていると発していますが
本当でしょうか?

日蓮正御影信仰はありますが、仏像はないとおもいます。本堂の曼陀羅の前には正御影が飾られています。重須北山本門寺根源において御開帳とは、本尊の御開帳ではなく、正御影の開帳です。

4.重須本門寺の末寺は関西圏に存在しますか?

あります。たとえば和歌山の大新公園の向かいの寺院は北山本門寺根源の末寺です。(北山本門寺本末寺の縁起集を持っていますが、行方不明。出てきたらまた調べます)

5.身延系においての僧侶の法衣は赤、紫と煌びやかですが日蓮正宗のそれ
(薄い灰色)とは相違します、重須はどっち?

北山に限らず、日興門流寺院はわたしの知る限り薄墨です(北山、西山、要法寺、小泉久遠寺を見た)。色の法衣や黒色の法衣は見たことがありません。

6.正宗、要法寺とはやはり違いました(本能寺は勝劣派でしたっけ?)

本能寺は勝劣派ですね(法華宗本門流。田村芳朗先生がいらっしゃった宗派)。法衣は忘れましたが、紋は鶴丸だったはずです。本堂の本尊は仏像。(一尊四士か、一塔両尊四士かわすれました)

2916しゅんかん:2006/11/19(日) 19:12:06
月光浴さん、みかんさん、有難うございます。
知識の深さに驚かされるばかりです。
本当に有難うございます。

2917しゅんかん:2006/11/26(日) 19:50:43
問答迷人さん初めまして。しゅんかんと申します。
(初めてではないかも?、管理人さんでもありましたか?)
元、学会員でしたか?(間違っていたらすいません)
数点私の疑問にお答えいただけましたら幸いです。

独歩さんに以前お尋ねしました所、興師は仏像崇拝をしていたとの
お言葉を頂きました。そこで疑問に思ったことがありました。

〇他の掲示板で見かけたのですが、精師(十七世)が謗法を働き
 寛永十五年(一六三八年)下谷常在寺の再建並に造仏をしたと記してあり、
 後年、俊師(二十二世)啓師(二十三世)が撤去したと思われる。
 と言う文面をみかけました。
 当掲示板でもこのような内容の物を論じられた事がありますか?

〇興師の時代には仏像崇拝をしていた。精師は謗法を働いた(事実なら)
 のであれば何時の時代ぐらいまで仏像崇拝が続いていたのでしょう?
 精師の造仏は事実と思思わますか?

〇当掲示板には非常に知識豊富な元学会、元正宗と思われるお方が
 多くおられるようですね。
 多くのお方が真面目に活動をされていて折伏もされた事だと思います。
 疑問を抱き退会等をされた方などは折伏をし入信していただいた方に
 どの様な感情を持っているのでしょうかねエ
(私は貴方に勧めたが考えが変わったので貴方もやめればとか、
 イヤ個人の自由だからとか、黙っていると入信させたあいつに
 非難されないだろうか等、色々悩むんじゃないかなア)
どうでもいいでしょうけどふと頭に浮かび、尋ねてみたくなりました。
宜しくお願い致します。

2918アキラ:2006/11/27(月) 00:06:55
どんな本なのですか?詳細がわかる人、教えて下さい。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4846003167/sr=11-1/qid=1164431819/ref=sr_11_1/503-5965839-3713530

2919問答迷人:2006/11/27(月) 08:35:34

しゅんかん さん

いつも御参加ありがとうございます。

ご質問、痛いところを突いておられると言うか、なかなか簡単にはお答えできないような内容です。よく考えてお答えしたいと思います。一日ほど時間を頂戴したいと存じます。

2920問答迷人:2006/11/27(月) 17:02:04

しゅんかん さん

>興師は仏像崇拝をしていた

この点は、僕は慎重です。原殿書には、仏像崇拝に類似する表現は有りますが、結果的には仏像造立を制止し曼荼羅を勧めています。日興上人が実際に仏像崇拝をしていたとは、僕は考えていません。

>精師・・・造仏

これは史実として固まっているのではなかったでしょうか。

>何時の時代ぐらいまで仏像崇拝が続いていたのでしょう

日興門流としての日蓮正宗においては、仏像崇拝は行われてこなかったと僕は考えています。行われていたという証拠をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授賜りたいと存じます。

>折伏をし入信していただいた方にどの様な感情を持っているのでしょうか

非常に心苦しく辛いですね。その人からお尋ねがあれば、当然のことながら、僕が知りえた事実を全て話します。ただ、今、嬉々として活動している人に対して、止めよ、と言うのは、信教の自由の観点から憚られます。それに、創価学会員は、大きな流れから見たら、日興門流に属する信徒、という事になると考えていますから、無下に信仰を捨てさせることが、果たして蓮祖のお心に随う事なのかどうか、疑問が残ります。現に、僕の知っている創価学会婦人部の人は、

「学会活動は、もう十二分にやってきた、足らなかったのは、自分の家庭を疎かにしてきた事だ。子ども達が可愛そうだった。これからは、お題目根本に、家庭を立て直して行きます。」

こう言っています。この人に果たして「創価学会の教えてきた事は間違っている、大石寺戒壇板本尊は偽物だから捨てなければならない、日寛上人の教学は日蓮聖人の教えを破壊している・・・」等と焚付けるべきなのでしょうか。静かにお題目を根本に、家庭を立て直してゆこうとしているのだから、そっとしておいて上げるべきではなかろうかと思います。僕は一度はその方に、戒壇板本尊が偽物である事を語りましたが、今は、却って、お会いするたびに、その方の家庭が安泰となってゆくように励ましています。一生懸命にお題目を唱えよましょう、と。

こんなところで、お答えになっているでしょうか。

2921問答迷人:2006/11/27(月) 17:04:37

訂正です

× 一生懸命にお題目を唱えよましょう、と。
○ 一生懸命にお題目を唱えましょう、と。

2922犀角独歩:2006/11/27(月) 19:17:07

わたしは、日興には仏像本尊の意識は当然、あったと考えます。
もしなかったのであれば、一尊四士を我が義として、日澄がその義を盗んだなどと述べる理由はまったくないことにならです。

わたしのHPにアップしてありますが、執行師の解説に頷きます。

…「原殿御消息」には、大曼荼羅と仏像との関係を論じて、

「日蓮聖人御出世の本懐、南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道殿御徴力以ての形の如く造立奉り思召立候を、御用途も候はず、大国阿闍梨奪い取り奉り候仏の代りに其程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給て固く其の旨を御存知候を、日興が申様は責て故聖人安置の仏にて候はゞさも候なん、それも其の仏は上行等の脇士もなく、始成の仏にて候き、その上其れは大国阿闍梨の取り奉り候ぬ、なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき、御力契給せず御子孫の御中に作らせ給仁出来し給ふまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。」

といっている。いまこの文に依れば、宗祖の奉安せられたる一体仏の釈尊が、祖滅後朗師によって安置せられるに至ったので、波木井の原氏がその一体仏の釈尊と同ようなものを造立せんと試みたものゝようである。茲に於て興師は、一体仏の造立は始成仏に濫するが故に不可であることを述べ、更に本化の四士を添へたる仏像の造立は経済上の問題を伴うものであるから、一仏像造立の出来るまでは、宗祖の認められたる紙墨の大曼荼羅をもってこれに代へても何等異りはないと訓へられたものである。即ちこの文に現れたる日興上人の思想は、後世に伝へられているが如き、仏像否定でもなく、また大曼荼羅正本尊思想でもない。寧ろ仏像造立を肯定し、大曼荼羅所顕の一尊四士をもって本尊奠定の様式と解されてゐたとみるべきであらう。然るにこの文をもって、日興上人の造仏論者を誘引せんがための巧説であるといい、或はまた、造仏論者に対して且らく一尊四士の造立を許されたのみにして、これは真意にあらずといふが如きは、却って上人の真意を誣ふるものではなかろうか。少くともこの消息による限り、この時代に於ける上人の本尊意識は本門の妙法蓮華経の教主久遠実成の釈尊であったのである。

 なお興師の仏本尊思想を窺うべき文献として「三時弘経次第」と「引導秘訣」とがある。即ち「三時弘経次第」には明かに師弟の次第を述べ、久成の釈迦仏をもって本仏とし、この本仏を富士山の戒壇本尊とみなしているのである。更に「引導秘訣」には曼荼羅を説明して

「曼荼羅ノ事、是即冥途挙(テガタ)状也(乃至……)是釈迦法王ノ印判と云ふ意也、曼荼羅授与之時、深此旨思フベシ。」 といい、また「題目を書事は釈迦の智慧を顕す也。」ともいって、題目を仏智と解し、この大曼荼羅を拝するには「心強仏身念可シ」であると相伝しているのである。然るに第二類の文献たる「富士一跡門徒存知事」には

2923犀角独歩:2006/11/27(月) 19:17:31

―2922からつづく―

「日興云聖人御立法門ニ於テハ、全ク絵像仏菩薩以テ本尊為サズ唯御書意任せて妙法蓮華経五字ヲ以テ本尊ト為可シ即自筆本尊是也」

といって、大曼荼羅と仏像との間に軽重を論じ、大曼荼羅正本尊を強調して仏像造立の不用を論じている。次いで更にその下には

「此御筆ノ御本尊ハ是一閻浮提未だ流布せず正像末未だ弘通ざる本尊也(乃至)六人一同守護し奉る可し、是偏広宣流布有時ノ、本化国王御尋有らん期まで深く敬重し奉るべし。」

といって、大曼荼羅そのものを願業の本尊とするものの如くである。これは前の「原殿御消息」に於て、仏像本尊の出現を所期とするものと全く相反するものである。従って本書に現れたる本尊意識は、本尊の実体を妙法五字にとるところの謂ゆる法本尊である。ところで「五人所破抄」には、「門徒存知事」のこれらの文に相当するところを

「日興云諸仏之荘厳同じと雖も印契に依テ異を弁ずべし、如来之本迹は測り難し、眷属を以て之を知るべし、所以ニ小乗三蔵之教主は迦葉阿難脇士ト為し、伽耶始成之迹仏は普賢文珠左右に在ス(乃至)図する所ノ本尊は亦正像二千之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也、当ニ今は迹化教主既ニ益無し、況多多婆和ノ拙仏哉、(乃至)執スルハ尚強チニ帰依致サント欲スレバ、須ク四菩薩を加ウベシ、敢えて一仏を用ルコト勿レ」

とあるが、この文に於ける本尊意識は果して、「門徒存知事」に現れたる本尊意識と同一なりや否やについては研究の余地があろうと思はれる。即ちこの「五人所破抄」の文は大曼荼羅と仏格との軽重を論じたものでなく、脇士に依って仏格を定めようとするものである。故に大曼荼羅対仏像の問題ではなく、大曼荼羅所顕の仏格本尊と、一体仏並に迹仏との優劣を論じたものであるとみるべきはなかろうか。然してこの文の末文たる「執者尚強欲帰依」云云の十八字は、大石寺6世日時の写本になく、また西山代師の直筆と伝う代師本にはこの文を抹消してあるとのことである。そこで、この十八字は果たして原本に存していたものか、それとも後人の加筆によるものかの疑いもある。

 然し仮令この文があったとしても、「執者尚強」の文は一尊四士の仏像を指すのではなく、それは一体仏を指す意と解すべきであろう。かように考察し来れば「五人所破抄」に現れたる本尊意識は寧ろ前の「原殿御消息」の思想に近いものであるということができる」…

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html

2924問答迷人:2006/11/27(月) 19:29:13

犀角独歩さん

>わたしは、日興には仏像本尊の意識は当然、あったと考えます。

この点は、執行師の仰る事を否定するものでは有りません。僕が問題視しているのは、実際に日興上人が仏像を安置して崇拝していた事を示す故事やら、文献やらが有るのだろうか、という事です。僕の浅識の為に知らないだけかもしれませんが・・・

2925犀角独歩:2006/11/27(月) 19:32:49

もう一点。やや横レスをさせていただけば、問答さんのお記しになるところは、同意するところもありますが、しかし、それは創価学会員の、会に属することによっての被害者としての側面です。

勧誘をし、選挙依頼もし、時には物品まで買わせた、人を活動に駆り立てた、虚偽を真実のように語ったという“加害者”としての側面が考慮されていないように、思えます。やってきたことに対する責任を、どこかで取ること、そのためには、事実を受け入れる勇気とタイミングを持つことは、不可欠であるとわたしは思います。

日蓮正宗創価学会に関わったすべての人は、嘘の本尊、嘘の教義をもって、日本を席巻し、創価公明が日本を跋扈してやまない安国ならぬ、暗黒社会を作ってしまったのは事実でしょう。一人ひとりに責任があります。

2926犀角独歩:2006/11/27(月) 19:42:57

2924 問答迷人さん

この点は、既に何度も、論じてきたことですが、身延の宗廟に日蓮手製の一体仏が安置されていたことは、動かない事実です。日興が仏像を斥ける理由はありません。

消し去られてしまった事象を、証明することは困難ですが、むしろ、富士においては、本来あった日興と仏像の関係を消し去ったのに過ぎないのではないでしょうか。

わたしは、日興は、日蓮手製の一体仏を崇敬する故に第二転(なくなってしまったから、複製を作る」ことに反対したということは、むしろ、大いに仏像を崇敬したことを意味したのだろうと考えます。

また、日蓮がいずれのところは定めなかったけれど、未来、本門戒壇が建立された暁に立つ本仏釈尊像に思いを馳せ、一尊四士の義を示したのは、仏像を斥けたということではなく、むしろ、仏像を重視する故のことであったと考えます。

また、本尊抄に見られる如く、日蓮は僧は摂受をもって法の弘持に責務を置き、妙法蓮華経の五字を授与するところにその責務を置き、しかし、正法を信仰する王は、そこで初めて本門釈尊像を造立する役務を負っていると読めます。

仏像造立は賢王の仕事。故に日興は仏像を立てなかったという脈絡です。これは日興が漫荼羅正意から仏像を斥けたという意味にはなりません。
仏像を造立する賢王在家の四菩薩が出現していないために仏像が造立される時を日興が生きなかったという時系列を示すばかりではないですか。

2927問答迷人:2006/11/27(月) 20:08:23

犀角独歩さん

>加害者としての側面が考慮されていない

仰る通りです。僕のスタンスでは、確かに、加害者としての側面が全く考慮されていませんね。

それは、信仰者として、「日蓮聖人が命に代えて我々に教えたかったことは何か」という問題意識が先行しているからです。それを知ったところから日蓮信者として、如何にあるべきか、という社会に向けたベクトルが出てくるのだと思っています。

信仰者としての責任として、先ず、何としても蓮祖の伝えたかった事を正確に会得すべきだと考えています。

批判は敢えてお受けいたします。

2928問答迷人:2006/11/27(月) 20:13:24

犀角独歩さん

>消し去られてしまった事象を、証明することは困難ですが、むしろ、富士においては、本来あった日興と仏像の関係を消し去ったのに過ぎないのではないでしょうか。

消し去ったのは、いつ頃、誰が、何の目的で消し去ったとお考えでしょうか。

これから仕事で出かけますので、続きのレスは明日になります。

2929犀角独歩:2006/11/28(火) 08:36:03

問答名人さん

2928について、わたしは、「批判」をしているわけではありません。
「日蓮正宗創価学会」員、「法華講」員であったという対外的視点は、考慮させざるを得ないという意味です。仏教を行じるというのであれば、そのもっとも基本にあるのは懺悔(さんげ)から始まると、わたしは考えるからです。無反省、過去の責任を負わないことでは仏道は成じ得ないとわたしは思います。「無慚無愧」では仏道になりません。けれど、このような掲示板を置かれる問答さんは、十分にそのような視点に立っておられる。ただ、そのような自画像が見えない人には気づきを待つという寛容のお立場からのご発言と拝します。

2929について。「いつ頃、誰が」という点については、あるいは、日興本人が重須に移って中盤以降から、もしくは存知事、所破抄などが記された頃、その著述者たちが。「何の目的で」という点は、むしろ、ご質問としては不適宜で、仏像を寄進するような十分な寄進が得られない状況下で、漫荼羅が徐々に本尊と見なされていき、さらに御影像信仰の勃興で、仏像の等閑視される経過があったためではないのかと想像します。

しかし、日興の消息などには、「仏聖人」といった表現は見られます。
石山や、正信会は、これを漫荼羅本尊であるというわけです。しかし、本当にそうでしょうか。日興の段階で、日蓮本仏論などまったく見られないわけです。また仏本尊に対して、法華経の題目(法)が本尊だというのです。とすれば、仏が漫荼羅を表すはずはありません。

では、何を指して、日興はそう書いたのか。すでに御影信仰が起きていたとすれば、ここでいう「聖人」は日蓮御影でしょう。では「ほとけ(仏)」はどうでしょうか。漫荼羅でしょうか。漫荼羅であれば、法ではないですか。つまり、仏とは、釈尊像を指す以外に考えられません。
つまり、日興が消息に、供養の品々を仏聖人に供えたというのであれば、そこには釈迦仏像と日蓮聖人御影像があったことを意味すると考えるのは、日蓮本仏、漫荼羅正意に汚染されていない目から見れば、当然すぎることではないでしょうか。故に、わたしは、日興が重須に移ったのちも、その宝前には仏像が置かれ、そして、御影像も置かれてあったと類推します。

むしろ、わたしが反詰したいのは、それほど、日興が漫荼羅を崇敬し、仏像を斥けたというのであれば、日興はいったい、どの漫荼羅を拝んでいたというのでしょうか。そのことこそ、まさに明確になってはいないのではないでしょうか。

日興が漫荼羅正意である、石山日目が漫荼羅正意であるというのであれば、その正意とされた根本の漫荼羅本尊とは何かを証すること、肝要になります。
「それは本門戒壇の大御本尊である」などという戯言は、既に問題外であることは言うまでもありません。

もし、日興が漫荼羅正意、日目が漫荼羅正意であるというのであれば、それぞれの根本崇敬の漫荼羅とは、日蓮のどの漫荼羅でしょうか。なお、後者、日目に関してですが、所謂、「御座替本尊」ではないかという類推は直ちに浮かぶことでしょう。しかし、わたしはこの可能性は、否定します。なぜならば、この漫荼羅は現在も客殿に懸かるのです。本堂に懸かる漫荼羅こそ根本であることはいうまでもないからです。

問答さん、如何でしょうか。

2930問答迷人:2006/11/28(火) 11:46:08

犀角独歩さん

三師御伝土代の文を先ず引用します。

一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事(富士宗学要集第五巻十二頁)。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非るかな。

2931問答迷人:2006/11/28(火) 12:18:19

これは、大石寺第四世の日道師の著作とされています。この点に疑義があるとの説も有りますが、今は通説を採用しておきます。

ここで、道師は「何を以って末法の本尊とすべきか」という視点で論じていると思います。結論的に、一体仏を退け、蓮祖図顕の曼荼羅を以って本尊とすべき事を論じています。

さらに「何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、」と述べています。これは微妙な表現です。要するに、一尊四士こそが、法華本門の本尊であり、その本尊が図顕されている曼荼羅を本尊とすべきだ、と述べていると思われます。実際に一尊四士の仏像が寄進されておれば、もちろん、それを拝む事を否定しているとは読めません。

2930の引用文を以って、曼荼羅正意が日道上人の段階で定着していたとは、僕は判断できないと思います。基本的に、日興上人の考えとそして変わっていないと思います。

そこで、問題です。日道上人は、曼荼羅を「三身即一の有縁の釈尊」と捉えていた点です。この視点で考えれば、日興上人の「ほとけ聖人」との表現されている仏とは、曼荼羅として顕された一尊四士像を意味しておられたと考えるのが妥当ではなかろうかと思います。

無論、実際に一尊四士像が寄進されていた、という歴史的事実を示す証拠があれば別ですが。

以上、非常に回りくどい言い方になりましたが、まとめますと、

一、日興上人とほとんど変わらない本尊観を日道上人が持っていたと思われること。
一、日道上人は曼荼羅に顕された一尊四士像を「ほとけ」と拝していたこと。
一、このことから、日興上人の「ほとけ」という表現も、曼荼羅として顕された一尊四士像を「ほとけ」と表現した可能性が高い。

以上です。

なお、どの曼荼羅を「根本の曼荼羅」としたか、という点ですが、日道上人はそのような考えはなかったと思います。あくまでも、本尊は本門教主釈尊であり、一尊四士で有ったと思います。曼荼羅正意という内容は、少なくともこの御伝土代には書かれていないと思います。

2933犀角独歩:2006/11/28(火) 17:23:43

問答名人さん

「以上です」といわれても、これでは議論は落着しません。
もう少しお付き合いいただけませんか。
まず、話が噛み合っていないと思います。

要は、わたしが漫荼羅正意と記したことに対して、漫荼羅も仏像も、一尊四士であるという意味なのでしょうか。しかし、議論は、その点を論じあっているのではなく、日興が仏像を奉安していたかどうかです。

どうも、仰ることがどうもよくわかりません。2920に

> 仏像造立を制止し曼荼羅を勧めています。日興上人が実際に仏像崇拝をしていたとは、僕は考えていません

漫荼羅正意ではなく、一尊四士が本意であるというのは、どのような意味なのでしょうか。

わたしは日興が仏像を立てていたであろう証拠として、一尊四士義と「仏聖人」という消息の一節を引いたわけです。また、これはしかし、“日興”についてです。なぜ、突然、日道の話になるのでしょうか。

わたしは日興は仏像として一尊四士義を有していたという立場です。
けれど、漫荼羅図示が一尊四士であるというのは、いったい、いかなる意味でしょうか。漫荼羅には四菩薩が記されているから一尊四士であるとは、論理の飛躍ではないですか。

「隋身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者は尚強ひて帰依を致さんと欲せば、須く四菩薩を加ふべし、敢へて一仏を用ゆること勿れ」

のちの加筆と思われますが、日興の説としてされる、以上の一尊四士に見られる二カ所の成句、「隋身所持」「一仏」、これは両方とも、仏像を指してのことでしょう。

日蓮が終生所持したのは一体仏像である。それ故、一体仏で是とするものがあれば、それは甚だ非である。すべからく四菩薩像を加えるべきだ、というのが、その文意です。寿量仏釈尊の仏像は四菩薩の像を加えなければ、それを表現できないという、あくまで仏像奉安に関する話です。これが何故、漫荼羅に四菩薩が記されているから仏=一尊四士という話になってしまうのでしょうか。漫荼羅は一尊四士ではなく、敢えてそのような奉安に充てれば一塔二尊四士(中央首題、釈迦・多宝、四菩薩)ではありませんか。

引用される伝・日道の言とされるところは、実は生前、日蓮が一体仏を随身奉安した在り方を非難した形になっています。あろうことか日蓮を謗法であると断じています。師敵対、ここに極まるというほかありません。ここに至っては、石山を謗法の所行と断言しても憚りは要しません。

2934犀角独歩:2006/11/28(火) 17:24:17

―2933からつづく―

さて、このような不埒な土代記述の有様を踏まえたうえで、以下の点について勘えます。

> 一、日興上人とほとんど変わらない本尊観を日道上人が持っていたと思われること。

『御伝土代』は、近代以前は日時作とされていたわけですが、わたしもこの説に傾きます。しかし、いまは土代の作者考証ではないので、「土代作者」とします。

土代作者の文面の「三身即一」「本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏」などという点で、時代は日興よりさらにあととは思えますが、一尊四士という一面を採れば、このように言えないことはないと思います。

一、日道上人は曼荼羅に顕された一尊四士像を「ほとけ」と拝していたこと。

なぜ、このようなことが言えるのでしょうか。
この点を、もう少し、説明していただけません。

一、このことから、日興上人の「ほとけ」という表現も、曼荼羅として顕された一尊四士像を「ほとけ」と表現した可能性が高い

繰り返しになりますが、漫荼羅の図示は、一塔二尊四士です。さらにいえば、十界衆生、不動愛染、四大天玉まで勧請されています。つまり、十界勧請漫荼羅です。しかし、日興がいう仏像奉安一尊四士です。これはつまり仏菩薩に留まります。この両者は、まったく違います。なぜ、題目首題、多宝如来、さらに他の十界衆生まで示す漫荼羅が一尊四士と言えるのでしょうか。

まして、日興は『本尊問答抄』を筆写(?)して、本尊を法華経の題目であるというのです。法華経の題目は妙法蓮華経なのであって、四菩薩を脇士とする寿量釈尊、さらに諸仏の師であるところであるというのが、その規模ではありませんでしたか。

以上からすれば、漫荼羅を一尊四士と見なすことは決してできないと思いますが、如何でしょうか。

ただし、日興が一尊四士を「ほとけ」としたのは、当然のことだと思います。しかし、それが「漫荼羅に記された首題と四菩薩」とは、いずれの文献も指示をしないのではないでしょうか。

2935問答迷人:2006/11/28(火) 20:20:04

>2933 漫荼羅には四菩薩が記されているから一尊四士であるとは、論理の飛躍ではないですか。

確かに論理の飛躍があるとは思います。ただ、これは御伝土代の文意によれば、という事です。
御伝土代では、どのような奉安式の仏を末法の本尊とすべきか、という論点の中で、「法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす」と述べて、脇士の無い一体仏を否定しています。そして、その次に「未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」と述べて、「曼荼羅」=「四菩薩を脇士とした本門教主釈尊」を本尊とすべき事を述べています。さらに、「何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや」と御伝土代は結論付けています。つまり、「三身即一の有縁の釈尊」とは「本門教主釈尊」、「一体修三の無常の仏陀」とは、「脇士の無い一体仏」という対比です。
道師はこの文脈からみれば、大曼荼羅を法本尊としてではなく、仏として、本門教主釈尊として拝していたことが明らかであると思います。なお、御伝土代の文意から一尊四士と書きましたが、正確には、もちろん一塔両尊四士ですね。

2936問答迷人:2006/11/28(火) 20:29:44

>2934 日道上人は曼荼羅に顕された一尊四士像を「ほとけ」と拝していたこと。

これは今述べたとおりです。土代の文脈がそのように指し示しています。

>漫荼羅を一尊四士と見なすことは決してできないと思いますが、如何でしょうか。

これも今述べたとおりです。一尊四士に拘っているわけではなく、曼荼羅を仏と拝していたという意味です。一塔両尊四士と拝していたのだと判断できます。

2937問答迷人:2006/11/28(火) 20:38:37

>なぜ、突然、日道の話になるのでしょうか。

日道上人は日興上人に直接指導を受けた弟子です。日興上人のあり方が、弟子たる日道上人の著作に色濃く影響していると考えるからです。弟子が、何を以って「仏」と捉えていたかを探れば、師匠の「ほとけ」と表現された内容をうかがい知る事が出来ると思うからです。必ずしも一致していると断定しているわけでは有りませんが、有力な傍証足りうると思うからです。

2938犀角独歩:2006/11/29(水) 08:48:59

問答名人さん

記されることは、あくまで、御伝土代が日道の作であり、かつ、日道が日興に忠実であったという前提に基づく仮定に過ぎないでしょうね。ご自身お認めのとおり、論理の飛躍があります。

日道は、日興の弟子というのは、新六を言うのでしょうが、これを直ちに受け取ってよいものでしょうか。また、『御伝土代』に記される年代は、1333年とされますが、作者が日道であるということと併せて、この点、一考を要するはずです。この書が日時作であるとすれば、成り立たないところとなります。

> 弟子が、何を以って「仏」と捉えていたかを探れば、師匠の「ほとけ」と表現された内容をうかがい知る事が出来ると思うからです

こんな論法は成り立たないでしょう。もし、斯様な理想が実現されているのであれば、いまに至る師弟子の関係で、日蓮の考えが現在の弟子にそのまま伝わることになります。本弟子六人にしても、みな弟子ですから、日蓮と同意となることになりますし、となれば、弟子間で異撤が生じることはないことになります。けれど、実際は五・一相対などと称する事象が起きています。

以上の点からしても、『御伝土代』が日興の仏本観を反映したというのは、あくまでも仮定に過ぎないでしょう。

「一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非るかな。
本尊問答抄に云く。」

『御伝土代』の上記の文をもって、関連づけを試みておられますが、読み方に違っていると言わざるを得ません。この文章は、漫荼羅が一尊四士であるなどとは、記していません。法華本門釈迦は四菩薩を脇士とすることを言うのは、あくまで仏像の様式について述べています。そもそも、この段は一尊(釈迦)四士(四菩薩)のみを言うのではなく、その前文に、小乗釈迦、権大乗釈迦の仏像奉安も上げ、小・大・本、それぞれの釈迦仏像は脇士像を付すを是とし、それに対して、脇士なき釈迦を「三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦」を非とし、対比している文章です。一尊四士のみを証しているわけではありません。まして、脇士の有無を論じるわけですから、並座の多宝を表す一塔二尊四士とは意を異にしています。

また、一尊四士を一塔二尊四士と言い換えられましたが、この両義は意味を異にします。一尊四士は、日興の義であることが知られ、また、たぶん偽書であろう『四菩薩造立抄』にも見られるところです。富士方、中山方にその濫觴を見ることが出来ることになります。しかし、一塔二尊四士は、京で起きた仏像奉安、また、「三宝さま」と称される二尊奉安は身延でのことであって、これらを日興義とすることは出来ません。つまり、一尊四士をイコール一塔二尊四士であるという認識は『御伝土代』からも、その他、日興義とされるところからも、いっさい、看て取ることはできません

2939犀角独歩:2006/11/29(水) 08:49:36

―2938からつづく―

『御伝土代』の該当部分の、先に挙げた前文に

「本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり」

とあります。一読すれば、明らかなようにまず教師として仏を挙げ、次に法を挙げています。つまり、土代作者は、仏を挙げ・法を挙げるという論の運びをしています。この点は「脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事」でも、同様でしょう。まず、仏につき仏像の奉安を述べ、次いで法について漫荼羅を論じるという別に立てています。

この仏と法が同じであると言うのが、問答さんの主張なのでしょう。しかし、仮に漫荼羅の前に一尊四士の仏像を置いていても、このような文章になるでしょう。

また、この段の末に、土代作者は「本尊問答抄に云く」と、その論拠を示します。この書には、

「釈尊と天台とは法華経を本尊と定給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とする」

ここでは明らかに釈迦と法華経の相違を論じています。
『本尊問答抄』をもって捌く、この段において、仏=法は成り立たないことになります。

なお、さらに付言すれば、問答さんは一尊四士=一塔二尊四士であるとのことですが、同抄では「不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊…。不空三蔵法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。上に拳る所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意」といい、二尊四士の御本尊が妙法蓮華経であるという論法になっています。

なおまた、同抄は、法華経の題目を本尊というのは、釈迦(仏像)に対するのですが、しかしながら、それが漫荼羅であるとの論究ではありません。あくまで、「法華経の題目」です。ここには四士も、釈迦多宝も簡ばれます。この点で、日道の考えとは実は違っています。日道は、仏としては一尊四士の釈迦仏像、法としては未曾有の大漫荼羅とするわけですから、『本尊問答抄』からは、ここでも飛躍があるわけです。

以上の点から、日道が漫荼羅を一尊四士とも、一塔二尊四士とも見なしていないと考えられますが、如何でしょうか。


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