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素朴な疑問
2255
:
犀角独歩
:2005/04/22(金) 10:13:44
ラキさん:
> 「学会版の編年体」と言う、御書
三学無縁さんのご指摘のとおりです。
> 塔婆…気持ち第一ですよね。
そう思います。
> どんな質問。疑問に対して「仏法の実践・信心」で収める
これは操作側と被操作側では意味が異なりますね。
操作(集団・指導者)は、周囲が熱狂することで、自己矛盾も過ちも気付けない状態になっています。この人間にとって、応えも質問もありません。あるのは「自分は正しい」
それに対して、被操作側は、そもそも自分の頭で考えることを放棄させられていることに気付いていません。集団・指導者の打ち出しが絶対に正しい、それは自分の体験から言える、と、こうなっています。
彼らにとって、質疑応答はただ一つ、信じることが正しく・疑うことは悪である、です。ハッサン師は、
「思想コントロールの内容は、メンバーに徹底的な教え込みをして、そのグループの教えと新しい言語体系に身につけさせ、また自分の心を『集中した』状態に保つため思考停止の技術を使えるようにすることである。良いメンバーであるためには、その人は自己自身の思考過程まで操作することを学ばなければならない」(『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版 P118)
「教義は、あらゆる問題と状況についてのあらゆる疑問に答えるものだと主張する。個々のメンバーは、自分で考える必要はない。教義が彼にかわって考えてくれるのだから」(同)
と言います。しかし、一見信者達は、思考停止どころか一所懸命に考えているように見えます。ところが実際は、彼らは集団指導者の教えのように一所懸命に考えているだけで、自分で考えることが停止しているのです。「自分にとって何をするのが最善のことか、自分よりも自分以外の人のほうがよく知っていると信じるようになると、その人は本当に危険である」(同 P348)と注意を促します。決定的な指摘は
「マインド・コントロールの正否は、その人の中に新しい人格を作りあげることにかかっているので、カルトの教義は、きまって、あなたは自分自身を信じてはならないと要求する。教義が、思想と感 情と行動のすべてを決める『マスター・プログラム』となる。それは完全で絶対的な真理そのもの なので、教義のどんな欠陥も、信者自身が不完全だからそう見えるのだとされる。信者は、たとい 本当には理解できなくても、決められたとおりの信条に従わなければならないと教えられる。同時に、真理をもっとはっきり『理解』できるようになるには、もっと働き、もっと信仰を深めなければならないといわれる」(同 P148)
ということです。つまり、彼らは信仰上の信念を語っているように見えながら、実は単に集団・指導者の言うことを自分の個人的体験を根拠として信じ、自分で考えることを放棄させられているわけです。ここでの議論は、やはり、意味はありません。あるのは、その人がどうしてそのように考えるようになったのかという構造を理解させることです。ここでは佛教、キリスト教と言った区別は関係ありません。
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