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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

320人権:2003/10/12(日) 13:58
追伸:

別に無常さんを論破するとかそういったつもりではなく、ただ
非キリスト教徒としての素朴な疑問を書き込んだに過ぎません。
御寛恕のほどを。

321無常:2003/10/12(日) 22:25
人権さん。ご質問ありがとうございます。
私も非キリスト教徒です。神道、仏教を含め特定の信仰を持っていません。
これは私の悩みで、答えは持っていないのですが、
素人が趣味で法律の勉強を始めたら、すればするほど
欧米と日本の価値観に差があるように思えたのです。勿論私は、の話で
他の方々がどう感じるかはそれぞれだと思います。

 言葉を選びますが、欧米のいう法治国家つまり法の下の平等という考え方には
私を筆頭に私の周囲の人には馴染み難いと思うのですよ。
決して馴染まないと断言はしません。
大陸法、英米法に共通するあの自然権思想も理解しにくいと思います。
理解できないとは思いません。ただ彼等よりは疎いし遠い存在だと。
勿論、キリスト教徒の中にも異教徒排除の歴史はありましたし、彼らすべてが
博愛主義だなんて私も思いません。今日彼ら、特に米国を見ても明白ですしね。
 
 米国は州によっては廃止州もあるので何とも言えません。
死刑に立ち会う遺族もいれば、死刑囚と和解を進める遺族もいて
あの国らしいなぁとは感じます。

 色々解釈があるとは思いますが、例えば例の児童殺傷の死刑囚と自分の命が
等価値だと言われたら、誰だって冗談じゃないと反論したくなると思います。
 立つことも歩くことも喋ることもできない重度の障害者と、バリバリ仕事を
こなして稼いでいる人の命が等価値だと言われたら、これも別の意味から反論が
あると思います。でも、キリスト教の根本精神では等価値です。
「神の目には罪は見えぬ、唯人が見えるのみである」
「罪を憎んで人を憎まず」「私にとってあなた方すべてみな等しく素晴しい」
こういう思想、つまり人間は存在するだけで価値があるという考えですから。
あの神様は最終的に人間に優劣をつけないのですよ。
私もそんな考え方本当のところ自分が理解しているとは思っていません。
 また、もしすべての人間がこんな価値観を実践したら、それこそ人間=神様に
なって法律も不要になると思います。
でも、この価値観を内に持っている人が多いか少ないかで、随分と社会の
様相も変わるのではないかと思います。

 自然の中に八百万の神様が存在してきた日本の考え方に則して、法治国家
をつくることは可能だとは思いますが、おそらくイスラム法のように、米国
や欧州からは理解してもらえないでしょう。彼らの実際はそこまで博愛でも
寛容でもありませんからね。
 私にはとてもそうした日本固有の価値観で社会を構成しなおすことは
是非はともかく、ちょっと具体的に予測できません。
(続きます)

322無常:2003/10/12(日) 22:27
第三者は議論してはいけないとは思いません。死刑の存置、廃止については
大いに議論したらいいと思います。ただ被害者感情に自ら立ってということで
議論するかしないか、と言われたら私はしないほうを選択する、それだけです。

被害者がどうすれば癒されるのか?
被害者でもない私が軽々に論じてはならないことを前提に、敢えて考えると
私は加害者が死刑になっても、世間が同情してくれても決して癒されないと思います。
奪われた命は元に戻ってこないのですから。

そして怒りや恨みをおろさない限り、心の平和は訪れないと感じています。
多分、そこまで至るには他人には想像もできない苦しみがあると思います。
でもアメリカには加害者と融和するための遺族団体があるのをご存知ですか。
日本でも富山長野連続女性誘拐殺人事件で娘を奪われた母親が、
娘の命を奪った死刑囚の加害者との交流を通じて、死刑廃止を訴えています。
神戸須磨児童連続殺傷事件で愛娘を奪われた母親の手記は、最後は「加害少年を
抱きしめる」で締めくくられています。

一方でそういう遺族の方もおられるのです。
彼らの話を聞くと、憎悪の中で狂ってしまいそうになり、このままでは自分も
残された家族も崩壊するという八方塞の状況に至って、初めて犯人を赦す道を
選択したといいます。「赦し」を「許し」と混同されるむきもありますが、
「赦し」とは決して譲歩して大目に見ることでもなければ、無かったことに
することでもありません。その原点は、これまた相手を等価値の人間として
認めることだと思います。

大変困難で勇気のいることだと思います。
お前の肉親の命が奪われて犯人に対し同様の感情を持てるのかと問われれば、
私は持てない可能性のほうが高いと答えると思います。
でも、「加害者をこの手で殺したい。」と呻く遺族と、加害者を赦す道を選択した遺族を
比べて、どちらが癒されているのかと問われれば、後者であると答えざるを得ません。

 以上、無力な自分が偉そうに私見を述べさせていただきました。
人権さんの素朴な疑問は、私の中にも沸々と存在しているものです。
ですから答えになっていませんが、お互い何かヒントをつかめるといいですね。
文中に出した書籍を記しておきます。もし未読でしたらご参考までに。

団藤重光『死刑廃止論(第六版)』有斐閣
刑法の大家、団藤先生の本。法律の知識がなくても読めます。存置、廃止両論者に有意義な内容だと思います。
彩花へ ― 「生きる力」をありがとう, 著者 山下 京子. 発行 河出書房新社
ベストセラーですね。とにかく凄い内容の本でした。

323人権:2003/10/13(月) 02:23
無常さんへ:

丁寧な御回答ありがとうございます。傾聴すべき御考えだと思います。

確かに欧米の思想・理念を今更否定するのは現実的ではないでしょう。
小生自身の価値観の中にも厳然として存在します。
ただ、「神の前の平等」と言われますが、仏教においても「仏の前
では全ての人は平等」とされますし、イスラムでも多分そうではないか
と想像します。

「欧米と日本の価値観には差がある」のはその通りでしょう。
でもそれはあくまで<差・違い>であって、どちらかが<上>で
どちらかが<下>というような<優劣>の問題ではないでしょう。

「いまいましいキリスト教博愛主義と折り合いをつける」
「米国や欧州からは理解してもらえない」
キリスト教的価値観を高く評価される(と少なくとも小生には思える)
貴殿の見地からすれば当然の発言でしょうが、「理解してもらえない」
のは専ら日本人のせいなのでしょうか。ひたすらこちらが理解しなくては
ならず、一方欧米人の側で理解する努力は必要ないのでしょうか。

貴殿は些か欧米的価値(=キリスト教文明)を高い次元に置きすぎる
ように感じられます。
上でも述べたように我々もその恩恵を蒙っていることは否定でき
ませんが、その他の価値・文明をやや低く見なされているように
思われますが・・・

現実問題として敢えて単純化していえば、廃止論とは
「殺される方(=被害者)の命は保証できないが、殺す方(=加害者)
の命は必ず保証する」
こういうことになるでしょう。よく廃止を唱える方々(例えばアムネスティ
等)が「国家が人を殺さない社会」「人が殺されない社会」を目指す
べきである、と言われます。

でも、ではどうすれば「人が殺されない社会」が実現するのか一向に
実効ある具体策は示されません。これでは不公正ではありませんか。
(続く)

324人権:2003/10/13(月) 02:49
法律を学んでおられる貴殿は既に御存知のことでしょうが、死刑制度
の問題に限らず、我が国の刑事司法においては被害者が全くといっていい
ほど司法の現場から排除されています。裁判一つをとってみても、
公判の期日すら通知されない、いつ服役を終えて出所するのか等の情報が
被害者側には知らされない(通知されていれば防げた可能性大の殺人事件が
ありました)、法廷においても単なる傍聴人として正に「傍聴」するしか
なく、被疑者の供述調書を見るためには別に民事訴訟を起こすしかない等等
被害者の権利が蔑ろにされています(最近になってようやく多少は改善され
てきたようですが)。

廃止された国々ではこのあたりのことにも相当配慮されていると
聞き及んでいます。
このような状況を改善することなしに、廃止だけを主張されるのは
あまり説得力はないのではありませんか(無常さんがそうだと言っている
わけではありません)。

325人権:2003/10/13(月) 03:09
無常さんの仰る「赦す」ということは小生にも少しはわかるような
気がします。

でも、どうして既に嫌というほど残酷な目に遭って打ちひしがれている
被害者側にばかり崇高さを求められるのでしょうか。
加害者にも同等いやそれ以上のレベルが求められるべきではありませんか。
どんなことをしても癒されないとするならば、せめて極限までの正に
死ぬほどの努力・苦闘が殺した側に求められてしかるべきだと思います。

アメリカの例を引用されていますが、所謂「修復的司法」のことでしょうか。
小生も賛成です。ただ、その実現には相当の困難が伴うことが予想され
ますが。

先にも述べたように、論破するなどと構えているわけではなく、無常さん
も仰っているように何かのヒントでも得られればと思っているだけです。

326無常:2003/10/13(月) 18:12
人権さんへ。
ご意見ありがとうございました。人権さんのご趣旨はよくわかります。

全ての人は平等である、という思想はイスラムにも
仏教にも共通しているのは知っています。私にはその中でキリスト教が最も身近でした。
私もこの時代に生まれ育った人間ですから、欧米の価値を優位に置いていると思います。
疑問は持っていますが、それが一応世界のスタンダードであると。
どこかである程度その価値に身を委ねなければ、今の世界で国家も個人も不利益を被る。
そう考えているのでしょうね。これは私個人の限界です。優劣をつけているように
みえたらお詫びします。

もし死刑が廃止されるならば、人権さんのおっしゃるとおり単なる廃止だけでは問題は
済まないと思います。存置にしても廃止にしても、周囲では沢山の仕組みが
用意されなければなりません。これは大事なことだと思います。

『被害者と加害者の人権をシーソーの両端にのせて比べてはならない。』
私はこう教わったとき、どうして?と思いました。
殺された人と殺した人は、命を奪われた、奪ったという関係なのだから
同じ土俵で人権を比べて何が悪いと。今でも心のどこかでそう思っています。

被害者の人権は加害者に侵害され、
加害者=被疑者・被告人の人権は国家権力によって侵害される。
人権の侵害主体が異なるものを比べても、例えばお湯による火傷と
炎による火傷のどっちが熱いかを議論するようなものだというのです。

私が法律論という理屈では人間の心の傷は救えないなと感じる所以です。
(続く)

327無常:2003/10/13(月) 18:13
人権さんのおっしゃる「修復的司法」も含めて、これからは被害者を
社会全体で支えてゆく仕組みが必要だと思います。
私自身は犯罪被害者の救済は司直とは別の分野、例えば医療、心理、宗教、など
被害者とそれをサポートする人々によって為される方が有効だと思っています。
癒しは国家機関よりも民間のあまり経済性に拘らない組織がして、国家はそれを
経済面のみで援助する、それが相応しいような気がしています。
癒しは他人によってはなしえず、自らによってのみなしうると思っているからです。

昔、京都の禅寺であるお坊さんが
「教育というものは、自分に対してしかできない。」と話しているのを聞きました。
被害者の方に崇高なものを求めているように見えたら、それは私の傲慢です。
被害者の方が憎悪と怨恨に苛まれるのは当たり前です。それを赦しが救うかどうかは
被害者自身の勇気と選択によるものであり、私のごとき第三者が求めるのは
まことにおこがましいことだと思います。
ただそういう方もおられるという事実に、私は勇気をもらいます。
人間の強さを感じます。でもだからといって弱い人間を卑下するつもりは
毛頭ありません。私もその弱い人間のひとりですから。

328無常:2003/10/13(月) 18:16
私の大前提は、加害者も含めて「他人は変えられない」です。
そのうえで、自分には何ができるか。それを考えたいと思っています。
あれだけのことをしたのに、これだけのことをしてやっているのに、
という「のに」言葉を私は使いたくありません。(勿論他人が使うのは自由だと思います。)
私の場合、「のに」が出ると見返りを期待して行動している自分に辟易してしまうのです。
(勿論他人が見返りを求めて「のに」を使っているなどとは思いません。
あくまで自分自身の内の問題です。)
加害者が過去を悔悟し、贖罪の意思をもって更生して欲しいと心から願いますが、
結果について自分は評価する立場にないと思っています。

自分にできることはただ、自分の無力を認め、投げ出すことなく努力すること。
それだけだと思っています。

こうして私見を述べているのも、人に意見するというよりは
自分の頭の中を整理したいからなのかもしれません。

存置論も廃止論も、犯罪を少しでも減らし世の中の幸福を少しでも増やすことを
願っていることにかわりはないと思っています。
人間は成長し、そういう未来に向かって僅かでも前進していることを信じています。

(すみません、ひとつ上にレスしてしまいました。長々とごめんなさい)

329loveless:2003/10/16(木) 01:46
無常さん、人権さんの議論の中でひとつだけ気になった点がありました。
それは「すべての人は平等である」という思想についてです。

このスレでも、死刑存廃問題は宗教観が根底にあるのでは?と
疑問を持ったこともあり、この平等思想についても各宗教で違いが
あると思っています。

キリスト教では、人が平等なのは、唯一絶対の存在である神から
等しく命を与えられたということに起因していると思います。
この思想を発展させ、神から与えられた権利は神以外が冒すことが
できないという発想、すなわち、生まれながらにして人はみな
等しく人権を持ち何人も侵すことができないという近代的基本的人権
の発想へとつながるものと考えます。

一方の仏教では、人が持って生まれた魂は平等であり、
人はみな(悪人や女性であっても)精進すれば解脱して仏になれる
というものだったと思います。逆説的には、魂は平等であるけども
人は前世からの宿縁により、美醜や才能、身分、財産などの差が生じてしまう
こともまた受け入れざるを得ないというものだったはず(ちょっとうろ覚え)
また、たとえば、殺人などにより、ある人が殺されてしまった場合も
その人は前世からの宿縁により、その殺人者によって殺される
縁であったと説いていたような気がします。
(その人は殺されることで業(カルマ)を減らし、来世では現世より
 上位の存在として生まれ変わる。殺人者は逆。この辺りの仏教観に
 ついては、手塚治虫氏の「火の鳥」がわかりやすいです)
つまり、どちらかというと因果応報の考え方が強いのではと思います。

イスラムはよくわかりませんが、特に女性の人権についてはキリスト教
世界から考えると著しく人権を損なっていると考える人もいます。しかし、
彼らにとっては、コーランに定められた戒律は絶対のものであり、その中で
の女性の人権は彼らの中ではまったく問題ないはずです。

また、インドのヒンドゥーではカースト制度を基盤としているので、明確に
人々の人権に差があります。インドでは上位のカーストの人が下位のカースト
の人を殺しても罪が軽くなる傾向があると聞きます。

では、肝心の日本はどうかというと、、、
よくわかりません、この国の宗教観は 笑)
(織田信長が比叡山を焼き討ちしちゃったからなあ)

とにかく、人権の考え方やそれに付随する国家による個人への罰則
についてはその社会の宗教観が色濃く出ているように感じます。
ここを考えずに安易にアムネスティなどの意見に同調するのは
危険と思います。

330人権:2003/10/16(木) 03:18
無常さんとの意見交換を通じて私自身の認識も少しは深まったかな
と思っております。

無常さんも疑問に思っておられる<人権シーソー論>私も以前どこかで
読んだことがあり、その時も釈然としない思いがありました。
<加害者の人権は国家権力によって侵害される>
そうでしょうか。
「被害者を殺傷した時点でいわば自動的にそれまで保持していた人権
を失ったものと見なされる」
小生はこんなふうに考えていますが(多分法的には論理的でないの
でしょうが)。

確かに現行の刑事司法においては「加害者vs国家」という図式で審理
がなされており、そこには被害者の関る余地はほとんどありません。
<シーソー論>はこの図式を基本的には支持しているのでしょうね。

無常さんはそうではないと存じますが、廃止を唱える方々の一部には
必要以上に「国家権力」を否定的に見なされる方がおられるように
思います。確かに「国家権力の横暴」は存在しますし、それに対抗して
人権を守るための戦いが求められることもあると思いますが、ややも
すると過剰に敵視するかの嫌いが無きにしも非ずのように感じる時が
あります。

私も死刑という刑罰(残虐だとは思いません。自らが犯した罪業に
比べれば絞首刑が<残虐>だなどとはとても言えないでしょう)が
執行される必要のない時代が来ることを祈っております。

331しッド・ツェッペリソ:2003/10/18(土) 15:28
>329
横レス失礼。発言の主旨に異論などコメントを加えるものではありません。

>人は前世からの宿縁により、美醜や才能、身分、財産などの差が生じてしまう
>こともまた受け入れざるを得ないというものだったはず(ちょっとうろ覚え)
>また、たとえば、殺人などにより、ある人が殺されてしまった場合も
>その人は前世からの宿縁により、その殺人者によって殺される
>縁であったと説いていたような気がします。
>(その人は殺されることで業(カルマ)を減らし、来世では現世より
> 上位の存在として生まれ変わる。殺人者は逆。この辺りの仏教観に
> ついては、手塚治虫氏の「火の鳥」がわかりやすいです)
>つまり、どちらかというと因果応報の考え方が強いのではと思います。

仏教といってもいろいろありますが、ここで輪廻転生を基盤とする死生観は、「仏教」というよりもインド固有の死生観(ブラフマニズム〜ヒンドゥイズム)に由来するものと思います。
ブラフマニズム〜ヒンドゥイズムの主流が基本的に差別肯定に傾いたのとは逆に、仏教・ジャイナ教などがカーストによる差別を無意味だとしたのは確かです。
ただ仏教・ジャイナ教は修道に対する方法論を早くから合理的に確立しようという傾向が強く、
その観点から見ると「カースト」等の違いが修道にとって何ら本質的な意味を持たない、と考えたからこその「平等思想」だと思われています。
要するに「解脱の前での平等」といった感じですね。

>イスラムはよくわかりませんが、特に女性の人権についてはキリスト教
>世界から考えると著しく人権を損なっていると考える人もいます。しかし、
>彼らにとっては、コーランに定められた戒律は絶対のものであり、その中で
>の女性の人権は彼らの中ではまったく問題ないはずです。

よく言われる「一夫多妻制」その他の女性をめぐるイスラムの戒律は、夫を失った寡婦を男性による暴力や経済的困窮などから守ることが目的であったようです。
一夫多妻をする場合には、夫が妻の扱いに差別を設けることは禁じられています。妻たちに平等に愛情を注ぎ、妻たちの生活を保障できる力がなければ一夫多妻は認められなかったのです。
「肌を見せない」といった部外者には理解しにくい戒律も、性暴力から女性を守るのが目的だったと聞いたことがあります。
職業を制限するのも、事実上「売春」をできないようにするためだ、とかね。
自由と平等の名の下に社会的弱者をほったらかしにしておく欧米風「人権」などお笑い種だ、とイスラム圏の人が考えても不思議はないでしょうね。

332草田男:2003/10/23(木) 00:19
私が被害者家族になった場合絶対に加害者に死刑を望む。
この気持ちは変わらないと思う。
加害者が死刑になっても失われた命は帰ってこないが加害者が生きているという事実よりは
いい。
この考えが逆の被害者家族もいるのだから両方に対応できる体型にすべきである。

333loveless:2003/10/23(木) 01:06
>>331
補足ありがとうございます。おかげで理解が深まりました。
宗教は、哲学・文化にも直結しているので奥が深く難しいですね。
宗教観のいまいち定まっていない日本で、宗教が根付いている
国々との「人権」や「平等」意識をどこまで合わせる必要が
あるのか考えなければなりませんね。。。
(伊藤博文なんかもこの辺りで悩んだとか)

話変わって、、、
最近、無期懲役の判決が多いですね。

なんとなく、判事の側で、思い切って死刑にするほどの勇気は無いが、
有期刑だと世論の反発を食いそうということで、適当な折り合い
をつけているような気がします。
無期懲役だと、いまいち重い刑なのか軽い刑なのか判別不能な
ところがあってあいまいなので、司法の側からすると
便利な量刑なのかもしれません。
(うちの親なんかは、無期懲役=終身刑と最近まで勘違いしていた)

個人的には、こういうあいまいな刑は廃止して、終身刑や
上限無しの有期刑なんかに変えるべきと思います。

334はっさく:2003/10/29(水) 19:16
人が人を裁く。という行為はそれ自体が是か非かではなく、
先にも書いてありましたが、犯罪の抑止力になれば良いのだと思います。

死刑があっても犯罪抑止にはまったくなっていない現代において、
既に刑が軽いのでは?と思います。
ではどうしたら良いのかですが、自分で考えて何がいやかと考えると、
連帯責任で、その家系全ての死刑。とかでしょうか。

ただ、生まれが不幸で、親・親族を皆殺しにしてやりたいなどと考える
不届き物にはなんの効力も持たないので、考えが及びません。
だとしたら、かなり前のほうに書いてあった
地雷撤去が良さそうです。
死刑執行でカンボジアあたりに連れて行き、
草原を全速力で走ってもらって地雷1つを自分の体を粉にして撤去。

良いことをした後なら、いい死に方ですね。
糞野郎な奴らもイイ顔して死んでるのではないでしょうかね。

335loveless:2003/10/30(木) 01:29
>>334
駄レスですが、、、
対人地雷は、一般的に殺傷能力が低いです。
大体、大人のひざから下を吹き飛ばす程度の火薬しかありません。

理由は、戦場では人を何人殺すかよりも、何人戦闘不能にするかが
問われます。殺すほどの炸薬量だと戦闘不能になるのは一人だけ
ですが、重傷程度の炸薬量だと、仲間が助けなければならないので
戦闘不能になるのは3人程度になります。

ただし、このような地雷の場合、朝鮮戦争の人民解放軍のように
兵士たちが地雷を全く無視して突撃する場合はほとんど有効
でなかったりします(彼らは隣の兵士が吹き飛んでも気にせず
突っ込んだとのこと。。。僚友が倒れたら介抱するというのは
西洋文化では当たり前でも、東洋文化ではそうではないかも)

ですから、はっさくさんは身一つで地雷一つとコメントして
いますが、身一つで3つ4つはいけると思います。

ま、冗談はさておき、現実問題として、このような凶悪犯罪者
を他国へ輸出するような行為は国際的にも受け入れられない
ものと思います。

日本は日本でなんとかするしかないわけで、国際的にも問題
なくて、死刑(絞首刑)より重い刑というのは仮釈放なしの
重労働終身刑くらいしか思い浮かびません(国際性を無視すれば、、
釜茹での刑とか逆さ磔の刑なんかは相当キツイですな)

絞首刑を最高刑罰とするのは、特に問題は無いと思いますが
333でも書いたようにそのすぐ下の量刑が問題と思っています。
しかも明文化されているわけでもないのに、実質被害者一人
では死刑判決を出していないというのは、ある程度抑止効果を
失っているのではないかと思います。

336st:2003/10/30(木) 04:15
>>333,334
ここに限らずあらゆる所で出ていますが、死刑制度そのものに犯罪抑止効果
があるかどうかは判らない、というのが僕の理解です。今のところあるとも
言えないし、無いとも言えない。だからその効果を今後研究していくのは意
味あるかと思いますが、そんな不確かな効果の有無を仮定して、それを根拠
に死刑の存続・廃止を議論するのは無意味だと思います。

337NK:2003/10/30(木) 04:23
服役中の人間ひとりに対してかかる経費・税金が月/22万だと昨日テレビでみました。
納得できません

338たん:2003/10/31(金) 17:00
うん、7万人も入ってるんだってね。
僕が住んでる市の人口がが4万5千人だからすごい数ですよ
だって東京ドームに入り切らないもんね。
そんだけの人間を食わして、見張って、教育する、莫大な金がかかる訳で。
なにか有効な使い方はないんでしょうか

339黒たん:2003/10/31(金) 21:14
>>337,338
えっ、なにそれ!ホントですか?
・・スミマセン、ビックリしてしまいました。
我々の税金が使われているんですよね、それっておそらく。

でも、我々の税金とか膨大な金額とか・・金の事どうこうを言うつもりはないで
すけど、それが本当に有効に使われているのか疑問ですね。衣食住と言う意味
もあるけど(ここでこの言い方って相応しいのか否か分かりませんが)それ以
上に服役囚の更生の為に、本当に役立つ使い方をしているのか、という・・。
所謂「死に金」としているのではないか、という・・。

340Sutera:2003/11/03(月) 23:29
死には死をもって償うべき・・・だと思います。
ただ死ぬより辛い事もあるとは思うんですが。
難しいですね。

341coco:2003/11/03(月) 23:51
>死には死をもって償うべき・・・

単純だなあ〜。

何も言う気になれないですね・・・。

342:2003/11/04(火) 13:41
ただ死ぬより辛い事もあるとは思うんですが。>340
あります、自分の子供や家族の命を意味も無く奪われた時ですね、
子供の命を奪われた親は自分が死ぬ事より苦痛を感じるでしょう、
それは犯人を死刑にしたからって半分も癒されないとおもいます。
でも、それでもなお、犯人に死刑を求めるのはあたりまえでしょ。
341>決して単純ではないですよ。

343黒たん:2003/11/05(水) 21:01
>>342
そうですよね。何の理由もなく自分の身内の命を奪われたら・・やはり、極刑に
してくれって思いますよね、きっと。もし某かの背景とでも言いますか、経緯
があったとか、第三者的な眼で見て「この程度じゃ・・」っていう殺され方(っ
て言い方おかしいと思いますが)だったとしても、同じように感じるんじゃな
いかと思います。たとえ極刑に処したって、亡くなった者は還っては来ない、
遺された者の心は癒えないってことは分かっていたって。
極端な話、こんな言い方は善くない&本当にやってしまったらお終いですけど、
復讐してやりたいとか、同じ目に遭わせてやりたいとさえ思う事だって・・ある
んじゃないかな。物騒な言い方でスミマセン。
でも、自分の愛する者の命を理由もなく奪われたら、そのぐらいの気持ちにな
るんじゃないかとも思うのですが・・。どうかなあ?

344人権:2003/11/06(木) 13:53
先日も死刑執行に対する抗議声明がアムネスティ等から出されていまし
たが、考えてみればこれは司法が下した判断を否定することになるような
気がします。もちろん司法の判断が常に正しいとは限りませんが。

このサイトからリンクしている廃止論のサイトを時々見ていますが、
そこでは、死刑囚の人権を強調する一方で犯罪被害者の存在がどうも
希薄なように思います。
「被害者の人権」を持ち出すと「それは感情論だ」「復讐の論理だ」等
の批判が返ってくるような雰囲気が感じられて、残念に思うことがよく
あります。

死刑の「残虐性」を訴えるのであればその前にその殺人犯が被害者に
与えた(であろう)「残虐」さをも示すのでなければ不公正だと思い
ますが・・・(残虐性などというものは多分に主観的な概念ですから
結局水掛け論に終わってしまうのでしょうが)。

345:2003/11/06(木) 16:16
私も独身の頃は、というより自分の家族を持つまでは、死刑の廃止について
ほんのすこしですが共感する部分がありました。
今は違います、凶悪な事件報道を見るたび他人事に思えなくなってます。
事件にあった被害者側の人間が中心に活動してるのであれば、すこしは
説得力があるようにおもいますけどね。

346loveless:2003/11/07(金) 23:21
アメリカで、48人あまりの女性をレイプして殺害した事件が報道
されましたが、これがはっきりわかったのは司法取引による
容疑者の自白とのこと(この犯人の容疑は7人の殺害だった)。

死刑には、このように取引の材料としての一面もあるのだと
思いました(もちろん司法取引なんぞせずに事件が
解決するのが一番ですが)

もし終身刑が最高刑であれば、犯人が果たして司法取引に応じるか?
また、応じたとして有期刑に減刑された場合、このような
殺人鬼が再び社会復帰することが受け入れられるか?
(性犯罪者なので去勢してしまえば大丈夫かもしれないが)

347はな:2003/11/08(土) 20:17
本当に、「性犯罪者は去勢する」という法律があったら、すごくいいと思う。
ああいう人達は、もう病気であって、道徳心とか教育しても、更生とは別次元
だと思うのです。
まあ、去勢でその病気が治るのか、脳の方の障害なのでは?って、いう問題もありますけど。
性犯罪者に限らず、日本の法律は現在の凶悪化した犯罪に合ってない。
甘すぎる。もっと被害者の立場を重んじるべきです。
少年法にしても。
いきすぎた人は、表面上、装うことはできても「真の更生」はほとんど無いでしょう。
「更生できる」と言ってる理想論者は、現実が見えていないと思う。

348えふ:2003/11/09(日) 00:35
おひさしぶりです。
確か実際どこかで去勢は実施されていたように記憶しています。
複数回逮捕された性犯罪者に対してだったかと。

ただ私も、それでR・レスラー氏の言うところの「犯行に至る原因となった想像」や
そういった犯罪者の性衝動までどうにかできるのかは疑問に思っていますが。

349人権:2003/11/09(日) 02:13
アメリカの48人殺害事件ですが、48回終身刑を宣告されるとか。
いかにもアメリカならではですね。lovelessさんも仰っているように
死刑にも司法取引があるとは意外でした。

でも、このような凶悪犯でも自分の命はやはり惜しいのですね。
私もはなさんの御意見に同感です。特に生命を奪ったり、重大な
傷害を与えたりする犯罪行為に対する刑罰が軽いように思います。

東京駅のコンビニでの殺人事件の控訴審判決を聞いて、変な言い方
ですがまともな裁判官もいるのだな、と正直思いました。
さほど酌量すべき要因とは思われない理由で減刑される例もないわけでは
ない中で、「結果の重大性」を考慮すべきとの見解は一般市民社会の
常識に沿った判断ではないでしょうか。

350かこちゃん:2003/11/09(日) 15:59
東京駅・コンビニ店長刺殺事件については人権さんのご意見に同感です。

歪んだ社会の風潮を正す意味においても評価すべき判決だと思います。

351loveless:2003/11/11(火) 00:07
>>349,350
コンビニ事件についてですが、私は逆にちょっと違和感を覚えました。
無期懲役という量刑そのものについては異論ないですが、
その理由の一つとして、一審で認めた自首を今回は認めていない
ところです。

このホームページにも詳しく書かれている事件で、甲府信金OL
誘拐殺人事件があったと思います。
事件の経緯は、boroさんが詳細に書かれているので省略しますが、
この事件で印象に残ったのは、犯人の音声とそれを見事に分析した
捜査官でした。
音声と映像という違いはあるにせよ、甲府の事件で自首を
認めるならば、本件も自首扱いでよいのではないかと思います。
(個人的には自首を認めたうえで無期懲役としてほしい)
少なくとも住所・氏名が確定しないうちは自首として
扱うべきと思います。


それにしても無期懲役の判決が多いなあ。
司法も、世間の厳罰化を求める声と死刑廃止論の間で揺れ動いている
状態なんでしょうかね?
316の方が気にされている三島や群馬の事件の最終決着はどうなるの
でしょうか?
もし、コンビニ事件と三島・群馬の事件がそれぞれ最高裁まで
行って、なおかつみんな無期懲役だったら、なんだか違和感が
あります(あくまで残酷性からの視点ですけど)

352kazuko:2003/11/11(火) 15:32
死刑にしたら、犯罪が無くなるか、というとそうではないと思います。

実際に江戸時代にはあれほど極刑が執行されていながら、
犯罪が無くなったわけではありませんでした。

個人的な感情からすれば、動物虐待・幼児への暴行、女性への暴行というような
弱い立場の人間に危害を加える事でストレス解消するような人はどんどん処刑して
この世から消滅させたいと思います。

でも、理性的に考えればケースバイケースではないかと思います。

再犯の恐れのある人物は被害者を増やさない為には死刑にせざるをえないと考えます。

しかし、酒鬼薔薇もそうですが、残酷な犯罪者に尊敬の念を持つ子供もいるわけで
可能であれば社会復帰できるようにした方が良い場合もあるかと思います。
死刑にすれば日本の場合神格化されてしまう恐れもあります。死んだ人は
生きている人の理想の姿のまま存在し続けるという恐ろしさがありますから。

それに、自殺したい人もこの世にいるように、私は死刑にされても気にしない人
というのも居るはずだと思います。普通の人であれば、殺人など考えないのですが
殺人を考える、つまり普通の人ではない人が死刑の判決を受けるわけですし
人を殺さずに自殺してくれたら迷惑がかからない、かもしれませんが
自分が死ぬより他人に復讐しようと考える人もいるのではないか、
それで死刑になってもべつにかまわないという人もいるのではないか
(そんな考え方が正しいとは全く考えておりませんが)

それよりも、被害者を減らすには、殺人犯の動機や社会的背景を調べ
原因を無くす方向で「歪んだ社会」のほうを更正した方が良いのではないかと
思ってしまいます。例えば、ストーカー法やアメリカの銃に対する考えを変えさせよう
とする運動など、その例として考えられます。

なお自分にとって不快な人間の脳を操作する、というような事がこれから先起きる
とすれば、とても恐ろしい事だと思います。何故なら政府は常に正しいとも限らず
国民をコントロールする為なら何でもしたい国というのもありそうですから

353tomokun:2003/11/11(火) 21:05
このスレで死刑制度につい皆さんの意見を聞いてきましたが、
単純に死刑を存続するとか廃止するというだけでは、
今抱えている問題は解決しないようですね。

死刑廃止論者が死刑を反対する理由として、
1.死刑が犯罪抑止につながらない
2.悪質な犯罪者にも更生の可能性がある
3.冤罪を生む可能性がある
4.死刑を死刑執行人に押しつけてよいのか
5.死刑は国家のよる殺人であり、到底許されるものではない

一方、死刑制度支持者の意見として、
A.死刑制度が犯罪の抑制につながる
B.凶悪な犯罪は自らの命をもって償うべき
C.被害者の苦しみや遺族の感情を考慮すれば存続すべき
D.再犯の防止につながる

正直なところ私自身、死刑制度の是非に迷っています。
特に、反対論者の意見5と、賛成論者のCおよびDの意見をどうしても
自分の中で解決できません。
同じように迷っている方もいるかと思います。

現行の刑法では、死刑と無期懲役の落差があまりに大きいのが事実です。
せめて終身刑の導入は必要ではないでしょうか。
死刑の存続については、その後に議論してもよいのではないでしょうか。

終身刑も残虐であるという意見もありますが、犯した罪の大きさを償うこと、
再犯の防止になることを考えればやむを得ないと思います。

あと、今の法律は犯罪被害者とその遺族への人権の配慮がかなり低いですね。
終身刑の導入の前に被害者・遺族へんぽ補償、ケアを充実するべきでしょう。
被害者・遺族へのケアと再犯の防止について考えることなく、ただやみくもに
死刑廃止を訴える人がいますが、その方法はまずいんじゃないかな。
本人にその気はなくても、エセ人権派と呼ばれるだけだと思う。

354歴史好き:2003/11/11(火) 21:06
ロムばかりでしたが、初めて書き込みます。
本題とずれてるかもしれませんが、私が学習した限りでは、江戸時代は、その刑罰の重さから、
犯罪は非常に少なく、大金を横に置いて遊んだとしても、だれも取ってゆくものがないほどだった
とあります。
なんせ、10両盗めば首が飛んでしまうのですから。
確かに犯罪がなくなるまでは行きませんが、現在と比較すると、ずっと安全だったようです。

355loveless:2003/11/11(火) 21:54
>>353
tomokunさん、箇条書きでの意見の集約、見やすくてよいです。

できましたら、私が
>>272 や
>>329 で書いた「その地域(国家)の宗教・文化・社会通念
に照らし合わせるべきである」という点も末席に加えて
いただけないでしょうか?
(上記、5およびB,Cを抽象化しただけかもしれませんが)

「死」や「罰」、あるいは「人権」というのは、宗教・文化・民族
間で意識がずいぶんと違うものと思い、人の死や生命を扱う問題
では避けては通れないものと思います。
(臓器移植や代理母なんかもそうですよね?)

また、揚げ足取り気味ですみませんが、3の冤罪については
別問題と考えます。
どんな刑であっても冤罪は許されない、これは死刑廃止論者
も一致するところと思います。

356瀬田:2003/11/12(水) 02:39
はじめまして。
K大法学部で死刑問題を専攻しています。

こちらのスレッドの内容はほとんど読ませて頂きました。
正直なところ、私自身はこの問題に明確な結論を出せていません。
何の罪もない人が残酷な方法で殺され、その犯人が死刑にもならないでいる
としたら、なんとも釈然としないのが普通ですし、まさしく「不正義」である
と思うのが当然だと思います。
そうした感情論は簡単に無視してよいものではないと思います。
それに、死刑を宣告されるような許しがたい犯罪者が一般社会から隔絶され
る(「死」による確実な隔離)ことによって、社会を守るという一般予防的
な見地からも、死刑の存在には意味があるのではないかと思います。

しかし、万が一にも誤判によって無実の人が処刑されるようなことがあれば、
それこそは言語に絶する不正義であると私は思います。
人間のやることに間違いはつきものです。誤判の可能性は裁判の性質上、
不可避だと言っていいと思います。現に、日本にも免田、財田川、松山、
島田の再審4事件がありますし、イギリスで死刑が廃止される大きな要因に
なったのも誤判の問題でした。
死刑囚にはよく『無罪妄想』というのがあるそうなのですが、全部が全部
そうではないことは想像に難くないでしょう。「自分がやったんじゃない」
と絶叫して絞首台に消えていく人たちの中に、もし本当に無実の人がいると
したら、いったい、こんな不正義なことがありますか。

そういう意味で、私の考えは死刑廃止論に傾いていますが・・・まだ明確な
結論は出せないでいます。tomokunさんとは少し違いますが、迷っている
点では私も同じですね。


lovelessさんは冤罪については別問題だと思うと言われましたが、確かに
私も、どんな事件についても誤判はあってはならないことだと思います。
懲役刑などで刑務所に長い間服役していた人が、あとで無実だということが
わかって釈放されたとしても、失われた時間は戻ってこないという意味から
言えば、これも確かに取り返しがつかないものです。
しかし、そういう利益はいくら重要な、しかも人格的利益であろうとも人間が
自分の持ち物として持っている権利ですが、生命はすべての利益が帰属する
主体であるところの人間そのものです。死刑は、すべての元にあるその生命
そのものを奪うのであって、同じ取り返しがつかないといっても本質的に全く
違うものです。
そうした点で、死刑事件以外の場合の誤判と、死刑事件の誤判とでは質的に
決定的な違いがあると思います。

わかりにくかったらすみません(汗)。

宗教・文化・民族等で死や罰に対する意識が違うという点については、私も
そう思います。ヨーロッパ諸国を中心に世界的に死刑が廃止されてきている
背景には、キリスト教の影響が少なからずあると思います。

357kazuko:2003/11/12(水) 14:39
歴史好き様

私の知る限り、江戸の防犯体制は万全でした。
(木戸の設置、住人同士の監視体制など)
犯罪率が低かったのはその為とも聞いております。

それで尚且つ犯罪も起きる、死刑は公開しておりましたので、
死刑になる前に死にたくないとわめく者もいれば、
見物人に説教する死刑囚もあり、最後まで堂々としていれば賞賛されたり
様々であったと聞きます。

このあたりはきちんとした資料で確認していないのですが
府中刑務所のはじまりは、極刑でもなお犯罪率が減らないことから
どのような犯罪者が多いのかを考慮し、技能が無い為に仕事につけないので
技能を身につけさせれば社会生活を送れるようになるのではないのか
そんなところからはじまったと聞いております。

事実、外国人で刑務所出所の際、自分の国語も読み書きできず、仕事につけないので
お金を沢山持っている日本人から物を盗んでも良いと思っていたが、刑務所内で
自国語(日本からみれば外国語)を習い、技能も身につけてもらって
故国に送り返してもらえる(強制送還)複雑な気持ちだと言った方がいらしたそうです。

生活が苦しくて窃盗などをする人にはこの方法が有効だったと言えるかと思います。

358元愛媛県民:2003/11/12(水) 19:02
>>353 
死刑廃止論者が死刑を反対する理由として、
1.死刑が犯罪抑止につながらない
2.悪質な犯罪者にも更生の可能性がある
3.冤罪を生む可能性がある
4.死刑を死刑執行人に押しつけてよいのか
5.死刑は国家のよる殺人であり、到底許されるものではない

この箇条書きは確かに素晴らしくわかりやすいです。
死刑賛成派としてこれに対する反論を書かせてください。
1.犯罪抑止につながらなくても刑罰は必要です。大麻、覚せい剤などの薬物使用による
 犯人は非常に再犯率が高いですが、この刑罰が必要ではないとは絶対にいえないと思います。
2.確かに犯罪者にも更正の可能性はあります。しかしそれに反して凶悪な殺人事件の犯人が出所してから
 再び犯罪を行う率のほうがはるかに高いと思われます。
3.冤罪と死刑反対というのは、直接結びつける問題ではないと思います。
 極論すれば窃盗犯でも、軽犯罪法違反の犯罪に対しても、冤罪の可能性はあります。
 宅間のような絶対に冤罪ではない犯人をそれによって救うことは納得できません。
4.これも死刑反対と直接むすびつく問題ではないような気がします。
 死刑執行人がそれほどいないならば、募集でもしたらたくさん集まると思います。
 そんなになり手がいないなら、私がなってもよいです。
5.これは常識的な相手間で議論されるなら正論ですが、相手が死刑になるような
 凶悪犯ではこんな正論を主張しているようでは、国家はたちいかないでしょう。
 ちょっと話がそれるかもしれませんが、「国連安保理の決議がなければ」と最近
 主張している政治家は、中国が台湾に核攻撃した場合(別にアメリカがキューバを
 攻撃した場合でも同じですが)には絶対に行動をおこさないということになります。
 どちらも国連安保理での拒否権を持っています。

359瀬田:2003/11/12(水) 21:57
>>358

1「犯罪抑止につながらなくても刑罰は必要」
死刑廃止論者は死刑囚を無罪にしろなどとは言っていません。罰を加えること
には反対していないのです。あなたのそれは誤った解釈であることを指摘して
おきます。この点は混同しないでください。たしかに刑罰は必要です。ですが
それは刑罰論の話ですので、死刑問題と同列に論ずるべきものではありません。
死刑に犯罪抑止力があるのか、という論点は重要なものです。
もし、死刑制度がなくなることで犯罪が増加し、一般市民の生命が脅かされる
ということが明らかであれば、公共の福祉論による死刑の正当化は説得力を
持つことになります。逆に、死刑に犯罪抑止力がないのであれば、その存置の
理由を他へ求める必要が出てくるのです。

2「凶悪な犯罪者は出所後、再犯を行う率がはるかに高い」
何を根拠にそういわれるのでしょうか?法務省の統計には再犯の統計は存在
しません。もし単なる憶測であるなら、それは議論の対象になりませんよ。
通説では交通関係業過をのぞいた刑法犯では4割ほどといわれますが、これは
薬物犯罪が大半を占めているのが実情です。殺人の再犯というのは、刑期が
長いので非常に少ないのです。一番再犯が多いのは無銭飲食であり、これは
刑期がせいぜい十月とか八月なので、幾らでも再犯ができ、前科数十犯という
のがいます。ところが窃盗になると常習累犯窃盗という犯罪類型があるので、
3回やれば刑期が3年以上になり再犯が難しくなる。だから再犯率というのは
一般的に非常に議論しにくく、罪種によって本当に違ってくるものなのです。

3「冤罪と死刑反対とは直接結びつけるものではない」
私はそうは思いません。>>356の後段で申し上げたとおりです。
他の論点では死刑制度を肯定的に捉えながら、誤判の危険のみを理由に死刑
廃止を訴える説も少なくありません。

4「死刑を執行人に押し付けてよいのか」
これは元愛媛県民さんの言うように、死刑問題と直接結びつく話ではありま
せんね。確かにそういう問題があるのは事実ですが・・・
なお、この点については大塚公子著『死刑執行人の苦悩』(角川文庫)に目を
通してみてください。関係者の語ったものをまとめたものだそうです。
日本の死刑制度は一切公開されず、関係者には法律上守秘義務が課されるため
その実情を知るのは困難ですが、数少ない刑務官の問題に関する書物です。
死刑執行が公開されないのは、おそらく公序良俗を害することになるからだと
私は思います。それをマスコミに生々しく書き立てれば、社会にショックを
与え、暴力的な悪い風潮を誘発・助長させるものになりかねません。
正木亮博士が死刑を「現代の恥辱」だといわれたのは、この意味で的を得て
いると思います。

5「凶悪犯相手にこんな正論を主張しては、国家は立ち行かない」
刑法が「人を殺すなかれ」という精神を以って殺人罪を規定している点には
異論はないと思いますが、では国が死刑という法律上の制度によって人を殺す
ことは許されるのですか、人を殺してはいけないという法自身が人を殺すのは
矛盾していませんか、というのがこの論点です。
ドイツでは死刑について「司法殺人」(Justizmord)という言葉が学説の中で
広く使われているほどです。
どちらかというと、倫理的な要素の強い問題ですね。
常識的な相手以外を議論に含めないのであれば、犯罪に関する学問は成立し
ません。哲学として論ずるならそれでもかまいませんが、制度として論ずる
場合には、それでは通らないのです。

360大森:2003/11/13(木) 00:26
こんばんは、初めて書き込みます。私は法律には詳しくないし、哲学的に
論ずることもできないですけど、凶悪犯が死刑になれば、少なくとも当該
犯人による累犯は未然に防げると思います。凶悪犯の更生が100%でない
限りは.....ただの算数の問題みたいですけど。
死刑が残酷な刑罰であるならば、仮出獄無しの終身刑を制度化しない
限り、罪のない人が累犯によって社会から葬られる可能性は常にあるのでは
ないでしょうか。終身刑を制度化することによる負のコストは社会が負わね
ばならないのですが、それを是か非とするところに死刑制度の存続の問題が
あると思います。有史以来、犯罪のない世の中など無いし、社会維持のために
犯罪にたいするコストは負担しないといけないのですから。

361人権:2003/11/13(木) 03:06
私もtomokunさんの
「あと、今の法律は犯罪被害者とその遺族への人権の配慮がかなり
低いですね。・・・、エセ人権派と呼ばれるだけだと思う」
の部分に全く同感です。

廃止派の方々に伺いたいのですが、仮に死刑を廃止したとして、
そのあとの事はどういうふうに考えておられるのでしょうか。

「刑法の条文から死刑の文言を削除すればそれでいい」或いは
「死刑の代わりに例えば終身刑を導入する」
「終身刑に限らず相当大幅に改正する(その中には所謂<修復的
司法>等の導入も検討する)」
 等等。
この他にも考えられると思いますが、廃止論のサイトを見ても
この点に関してはもう一つ明確でないように感じます。

362人権:2003/11/13(木) 03:25
「死刑の抑止力」については以前にも書いたことがありましたが、
些か疑問に思うのはなぜ死刑に限って殊更抑止力を問題にするのか
ということです。無期刑や一般の懲役刑についてはさほど問題と
されてはいないようですが・・・或いは私が知らないだけかも知れま
せんが。

法学部の方が仰っている「通説」とは刑法学者・学会の説という意味
でしょうか。でも「再犯の統計はない」のでは?研究者独自のデータ
が存在するのでしょうか。「殺人の再犯は非常に少ない」とのこと
ですが、具体的にはどれくらいですか。

363歴史好き:2003/11/13(木) 08:52
kazukoさま
レスありがとうございます
今よりも喰えない者が多かった時代、生きるため、あるいは破れかぶれになっての窃盗、
強盗の類は多々あったでしょうが、衣食足りてなお、人を殺める(死刑に通じる犯罪)
といった凶悪な犯罪は、やはり少なかったのではと。
防犯体制については、農村では、やはりゆったりしていたように思います。
私は昭和1ケタの田舎もので、子供のころ、出入り口に鍵などなく、棒もかうことなく
暮らしていたこと、江戸時代生まれのじいさまのずっとまえから、そうだったこと。
(そういえば、子供の頃はいつもお腹すかしていて、お墓の供え物をよく食べていました。
それも盗みではありますが、鳥がツツいて散らかす前に貧乏人の子供衆が食う、そういう暗黙の了解が
あって暮らしてたです)
玄関なんていうものが付いて、鍵を掛けるようになったのは、高度成長のハシリの頃からでしょうか。
また、読んだ資料では、やはり江戸でも人口を考慮すると、驚くほど犯罪が少なかった
と記してあったことなどから、刑罰の抑止力がないと、江戸時代を例にして言い切ってしまえる
のかなと疑問に感じ、ついくちばしを挟んでしまいました。
江戸時代といっても、元禄の頃と末期では全く違うでしょうし、文献もまた、まちまちなの
かもしれないですね。
kazukoさんのほうが、きっと、私などよりずっと当時のことを勉強してらっしゃるのですね。
大変申し訳ありませんでした。

すみません、また皆様の話の腰を折ってしまいました。

364瀬田:2003/11/14(金) 00:46
>>361
> 人権 様
死刑を廃止した、その後のことはどうするのかという指摘についてですが、
これについては学説上も散見されます(このあたりはウェブサイトよりも実際
に本を手にとって読まれたほうが把握しやすいと思います)。
私個人は、あくまでも現実の制度として論ずる以上、これは無視できない
どころか、非常に重要な問題であると思います。ただし、死刑問題そのもの
とは分けて考える必要があると思います。死刑制度と直接つながる話では
ありますが、死刑の是非を考える論理とはまた異質の話だからです。

私の知っている範囲で申し上げますが、死刑制度を廃止した後のことについて
次のような例を挙げておきます。
①絶対的終身刑(仮釈放の余地のない)の新設
 これは文字通り絶対的な、永久に拘置し続けるという意味です。廃止論の
 側からは、よく言われることだと思います。ただし、私はこれには賛同いた
 しかねます。
 受刑者に希望を失わせることは、反省の機会を奪うことになり、その後の
 生が贖罪として意味のあるものにならないからです。死刑囚には懲役刑の
 ような刑務作業は課されません。死ぬまで無限に続く暗い無意味な日々、
 それが何になりますか。そう思うからです。
 ドイツの刑法学者で、現代の教育刑理論の基礎を作った、リスト(Franz
  von Liszts,1851-1919)も、このような終身刑はむしろ死刑以上に残酷
 なものであると論じています。
 また、拘置所内の治安維持という見地からも望ましくないと思われます。
②無期懲役への減刑の余地を残した終身刑の新設
 絶対的なそれではなく、ある程度まで恩赦によって減刑される可能性を
 残した終身刑です(その適用に関しては運用の問題ですので、省きます)。
 一番現実的なのはこの案ではないかと私は思います。減刑の可能性を完全に
 否定するのは理論的にも困難でしょうし、現行の犯罪者処遇が教育刑論を
 基礎にしていることを考えても、その精神に合致すると思います。
 それに、誤判の場合の安全弁という観点だけから見ても、死刑に勝ることは
 確実だからです。
③執行されることのない名目的な死刑判決の制度
 いわゆる死刑執行停止制度です。死刑という罪名は残しつつ、実際に執行
 することは行わないといえばわかりやすいかと思います。
 刑罰とは犯罪に対する客観的評価ですから、極度に情状の悪い殺人などの
 犯罪を死刑に相当するものとして評価することも、世の中の常識から言って
 一概に排斥するわけにはいかない。しかし、死刑囚であっても死刑という
 極限の状況に置かれることで更正したケースがあるのは事実ですし、その
 可能性を無視して執行してしまうことは許されないのではないか(万一の
 誤判の保障のためにも)という考え方です。
 それなら無期刑と同じではないかという疑問も出ると思いますが、無期刑は
 10年服役すれば仮釈放の対象になりますが、この執行されない死刑には
 恩赦で無期刑に減刑された場合は別にして、そうでない限り仮釈放はありま
 せん。私はこれはこれで、筋が通るものだと思います。
 欧米にはこのような形態で死刑問題に対応している国もありますし、過渡的
 なものとしても、検討する価値のあるものと思います。

また、ここに挙げた例以外にも多数の説があることを明記しておきます。

365瀬田:2003/11/14(金) 01:21
>>362

刑法犯の再犯率がおよそ4割ほどと申し上げたことについてですが、実は私の
ゼミを担当する先生が元検察官でして、その筋の話なのです。実体験から出た
概ねこのくらいだという話ですので、具体的なものではありません(もちろん
私たち一般市民の予想よりもはるかに現実感のある話です)。その意味で、
一般的には主に学説という意味で用いられる「通説」という言葉を使ったのは
ちょっと不適切だったと思います。
また、具体的な数字については、再犯率について法務省のほうで統計を取って
いないことは事実です。ちょっと気になったので確認してみたのですが、刑務
所に再び収監された出獄者の率、『再入率』というのは統計が出ております。
ただし、これも罪種別のものは出ていません。殺人の再犯が少ないというのも
関係者の間ではよく言われることらしいのですが、具体的な数字は見当たら
ないのです(ただし、殺人などの犯罪は普通、審理も刑期も長くなるので、
窃盗犯などに比べると、再び罪を犯す率が低くなるのは比較的想像しやすいと
思います)。
もしそういった統計があるとすれば、法務省統計の元になっている警察庁統計
の膨大なデータの中にそういう類のものがあるのかもしれません。
国会図書館や矯正協会図書館などで閲覧することができるので、後日調べて
みたいと思います。
もっとも、もし殺人の再犯率が高いという統計があったとしても、それが直接
死刑の存廃に影響を与えるものとは思えません。犯罪者を隔離することが一般
社会の安全につながる、つまりは一般予防という考え方に結びつくと思います
が、それならば死刑でなくても良いのです。極端な話、ずっと閉じ込めておけ
ば一般社会の安全を脅かすことはないのですから。そういう点で、再犯率を調
べてもあまり有力な論点にはなりえないと思われます。

訂正:>>359の「司法殺人」(Justizmord)という語は特に誤判によって
   無実の人を処刑することを意味するものでした。訂正しておきます。


>>363
> 歴史好き 様
江戸時代の話はなかなか興味深いですね。社会的背景が現代とは全く異なる
ので、同列に取り上げて考えることができないのが残念です。

死刑の予防的効果には、一般に死刑を法律に規定しておくこと自体の威嚇に
よるものと、死刑の執行による威嚇によるものがあるといわれますが、昔は
後者に重点が置かれていたようですね。
中国には斬の一種に「陵遅」というものがありました。元の時代以降、清朝
まで残っていた刑罰で、荻生徂徠によれば陵遅とは「ずたずたにきることなり
」と説明されています。 街頭で犯人を杭に縛りつけ、大きな刃物を持った
執行吏が犯人の腕や胸から次々に肉を無残に削り取っていくのです。
こんな例を挙げるまでもなく、昔から、火刑、車裂刑、鋸引き、曝し首、磔、
ギロチン、等々、洋の東西を問わずまさに人知の限りを尽くしたかのような
すさまじいものが無数にあることを、私は大学に入ってから知りました。
現代ではさすがにそんな野蛮なものはなくなりました。反対に、死刑をいかに
苦痛のない人道的なもの(人道的な死刑執行というのも妙ですが)にするか
ということで、ガス死刑や電気椅子、薬殺など、いろいろと工夫されている
のが実情のようです。

おそらくご存知かもしれませんが、我が国には平安朝時代に350年近く、ほん
のわずかな例を除いては死刑が行われなかった時期があったようですね。
ひとつには比較的平和だった社会的・政治的背景があるに違いありませんが、
当時の日本に強く影響していた仏教思想が関係していると言われています。
私はこのあたりにはあまり詳しくないのですが・・・(汗)。

366心変わり:2003/11/14(金) 13:31
はじめて書きこみいたします。
さて、瀬田様
>死刑の是非を考える論理とはまた異質の話だからです。
これはおかしいと感じます。
なぜならば、変革を希望するのであれば、様々な疑
問・問題点への対応を提示してはじめて人(や法律)を
動かせるからと考えるからです。
>死刑制度と直接つながる話ではありますが、
とお考えであればなおさらです。
私は、望まない「死」に突然直面した本人、関係者の
感情、犯罪抑止効果、われわれが一生懸命働いて税金
を納めることで、結果的に当の犯罪者を「食わせる」
というバカらしさを勘案しますと、死刑制度の存続は
当然の帰結であると考えます。
何よりも加害者が居なければ被害者も居ないというこ
とを考えなければ意味がない。
しかも死刑を言い渡されるくらいなら、複数人殺す事
件なわけでしょう。更生なんかしませんよ。というか
更生されても被害者遺族には無意味でしょうね。

367元愛媛県民:2003/11/14(金) 15:30
瀬田様へ
私の書き込みに対して、きちっと意見を述べていただいてありがとうございます。
ただ死刑制度について反対の人たちには遵法精神はないのでしょうか。
現行の刑法で死刑を執行することには、法律上は何の問題もありません。
逆に、過去何年かまったく死刑が執行されない時代がありましたが、そちらのほうが
問題です。なぜなら法務大臣が法を守っていないわけですから・・・・・。
死刑制度を廃止するには大学の先生がいくら理論をもって、私たちを説得させようと
そんなことは意味がありません。国会で刑法を改正しなければ絶対に死刑は廃止にはなりません。
「死刑廃止議員連盟」というのがありますが、法案を国会に提出し、死刑制度を議題にのせないのは
なぜなのでしょうか。
私も学生時代には法律を学んでいました。しかしあなたのように優秀な学生ではなかったし、なによりも
「犯罪とは構成要件に該当し、違法かつ有責な行為である」という一見正論のように思えるが、無茶苦茶な
「きめつけ」ではじまる刑法はさっぱり理解できませんでした。
宅間がこれまでの犯罪では「責任能力なし」であったのに、今回の事件で「責任能力あり」とされたのは、なぜなのですか。
理論からいけば、これは絶対にあてはまらないでしょう。
ただ刑法が国家の維持のためにあるという大局にたって、この宅間という男を死刑にしなければ
ならない、という理由だったらわかります。
刑法理論に照らし合わせて、この事件を解説していただけないでしょうか。

368瀬田:2003/11/14(金) 20:30
>>366
> 心変わり 様
そうかもしれません。死刑を、制度としてその是非を問うなら、廃止した後の
ことも含めて考えるべきなのかもしれないとも思います。私個人としては一線
を引いて考えたいという意味です。死刑問題は調べれば調べるほど、わけが
わからなくなってしまうのです。私には、存置論の側の意見も廃止論の側の
意見も、どちらも無視できません。自分なりにわかりやすく理解するために、
分けて考えたほうが良いという考えから、そうしました。もちろん制度全体に
ついて論ずるとき、廃止した後のことを考えなくてはならないのは言うまでも
ないことです。

犯罪について、昔はその人だけが悪いのであって、その一個人を処罰すれば
済むという考え方が普通でした。現代においては、犯罪は社会の側にも責任が
あると考えられています。人は育った環境や境遇によって、あるいは教育等に
よって人格を形成されますが、そういった環境によっては凶悪な犯罪者が
作られることは想像に難くありません。人格障害、精神病質といったものは
その典型でしょう(このあたりは犯罪学の分野になりますね)。
ですので、税金で犯罪者に飯を食わせる、それ自体まったく筋の通らないもの
ではないと思います。それが否定されるとしますと、刑務所そのものが制度
として成立いたしません。
死刑の犯罪抑止効果について、私は否定的に考えています。普通に考えて、
死刑になると怖いから犯罪を犯すのはやめよう、と思いとどまる犯罪者がいる
でしょうか?死刑に処されたいがために望んで殺人を犯す異常人格というのは
欧米でも数例報告されておりますが、(稀有な例ではありますが)そういうの
にはむしろ逆効果といっても良いくらいです。
欧州においては死刑廃止国が大半ですが、死刑を廃止した後、刑事政策的に特
に凶悪犯罪が増加したとは認められないという報告がされていますし、米国に
おいても同様の調査結果があるようです。
また、死刑判決を受けるような者は更正しない、などとは断言できないと思い
ます。もちろん更正しない者がいることも確かでしょうが、人間には様々な
人がいます。人間にはどんな転機が起きるとも限りません。死刑囚というある
種の極限状況に置かれることで変わったともとれるので、難しいところでは
ありますが、一概に決め付けられるものではありません。
被害者遺族には無意味、それは確かでしょうね。更正しようがしまいが、また
死刑になろうがなるまいが、殺された人が戻ってくるわけではないのですから
、もっともなことです。しかし、おそらく犯人をなぶり殺しにしたところで、
遺族の気が済むとは思えないのです。むしろ、空虚な気持ちだけがいつまでも
胸の中に残るような気もいたします。また、犯人を死刑にしないで欲しいと
いう被害者もいるようですので、これも一概にまとめることは困難です。
法的な制度としては、被害者感情を十分に考慮に入れつつ、客観的かつ合理的
な考慮のもとに刑罰制度を考えなくてはならないのです。そうでなければ、
単なる私的復讐の代行に過ぎません。刑法で考えるべき「応報」は単なる「復
讐」よりも次元の高いものが要求されるものと思います。
そもそも日本は被害者のための法がほとんどないというような状態ですので、
死刑問題は抜きにしても、早急にそういった制度を確立すべきなのは言うまで
もないでしょう。欧米に比べ、日本の被害者保障制度は20〜30年遅れていると
まで言われる状態なのです(これは私も大学に入ってから知りまして、大変
ショックを受けました・・・)。

369瀬田:2003/11/14(金) 21:28
>>367
> 元愛媛県民 様
法務大臣が判を押さない、というあれは確かに問題があります。
死刑執行命令書の決済が法務大臣のもとにくるまでには、これは省内で刑事局
から矯正局、保護局というように順次まわしてくるわけですが、特に刑事局
では一人の局付の検事が記録を綿密に精査するのです。そのうえで間違いが
ないということで各局へまわし、最後に法務大臣のところへくるので、本来
ならば何らかの特別な考えがあるのでなければ、判を押すべきです。
それを自分の在任中は絶対に押さないと初めから宣言して、その大臣のときは
押さなかったというのは、いやなことを避けたといわれても仕方ないでしょう。
また、自分の在任中に片付けるといって記者を集めて、数珠か何かを持って
現れ、二十何人だかの執行命令書にサインしたところを写真に撮らせたような
人もいたようです。これなどは自己顕示的なところがあるうえ、死刑を自分の
宣伝に使うとはとんでもないことだと思います。
刑事訴訟法では確定後六月以内に執行の命令を出すとされていますが、実際の
運用はこのようにだらしない面もあり、困ったことです。

法は守りさえすれば良いというものではありません。それが本当に自分たちに
とって必要なのか、別の方法があるのではないか、という議論を絶えず続けな
ければ、法はおそろしい方向へ向かう可能性を持っています。政治の恣意的
判断によって歪められることさえありえます。法律上問題がなければよいと
いうものでもありませんし、死刑の憲法との整合性については論争が続いて
いることも事実です。学説が最高裁の判断を変えることもありえます。
仮に憲法解釈が死刑を許さない方向に落ち着くとすれば、下位法である刑法は
それに従う形になり、刑として死刑宣告がされても、実質的には執行が行われ
ないことになります。もっとも、現在は死刑制度が憲法に反するという判断は
されておりませんし、いま死刑を廃止あるいは停止するのは非常に困難である
と私も思います。

私も刑法は難しいと感じます。民法は基本的に悪意の人よりも善意の人が保護
されるという精神のもので、ある意味わかりやすいのですが、刑法関連の問題
にはなかなか理解できないものもあります(中止犯論、因果関係論などは私は
苦手です)。
「宅間」が責任能力ありとされたのは精神鑑定の結果であり、私などは口を
出す能力も知識もありません。検察庁のほうで供述調書を読んだりすれば
あるいはわかるかもしれませんが、それは公開されていませんので・・・。
私はこの事件について、報道されている以上の情報は持っていませんし、
未決の事件について安易にお答えすることは非常に不適切だと思います。

370loveless:2003/11/15(土) 04:12
>>356 瀬田さん、
私が、「冤罪」問題が死刑存廃議論とやや離れていると感じたのは、
次のような理由から、存廃の決定的な対立軸にならないと思ったからです。
(でも、皆さん対立してますね。笑)
 1)死刑が存在している状態であっても冤罪を無くす努力は可能
 2)終身刑などの冤罪と死刑の冤罪とで本質的な差は無い

1)については異論が無いと思います。
2)については、時間を奪うことも取り返しのつかないことであり、
人生を奪うという行為を考えるとあまり変わらないというのが、
私の意見です。
(ここが廃止派と存置派で意見が分かれるところでしょうか?)

(以下、長いし哲学っぽくなるので暇なときに読んでちょ)
356の後段について、私としては、「時間」は個人に帰属する利益
とは異なるものと考えます。金銭とか財産・地位などは、確かに
個人としての生命に帰属するものでしょう。そのため、主体の個人が
存在していれば、従であるそれらのものを再び帰属させる(賠償する)
ことも可能です。

「時間」はどうでしょうか?
個人への時間の影響としてわかりやすいものに、「老い」や「寿命」
などがあるかと思います。これらは、確かに主体である個人が存在
してこそ意味のあるものです。ところが、時間そのものは個人を
無視して勝手に進んでいたりもします。ある時刻の瞬間にある個人が
とれる行動は唯一つだけです。これが、時間は取り返しのつかないもの
であるという理由だと思います。
例えば、仮に50年前に瀬田さんと全く同一の個人が生きていた
としましょう。この瀬田ドッペル君は、現代の瀬田さんと全く
同じように年をとり、老い、寿命を迎え亡くなるものとします。
でも、瀬田さんの人生と瀬田ドッペル君の人生は全く同じになる
とは思えないですよね?

浅学の身なので、瀬田さんの論を誤解しているかもしれませんが、
私が時間も生命そのものと同じように取り返しのつかないもの
(なので終身刑などの冤罪と死刑の冤罪に本質的な差はない)と
考えるのは以上からです。
(。。。その割には時間を無為に使っている。。。 自爆)

371人権:2003/11/16(日) 03:03
瀬田さんの言われる「刑事政策的に特に凶悪犯罪が増加したとは
認められない」という箇所の<刑事政策的>とはどういうことでしょうか。
それと、「米国」とは死刑を廃止した諸州という意味ですか。

以前述べたことの繰り返しになりますが、抑止力に関しては廃止派の
方々が主張される如く「既に決着がついている」とは必ずしも言えない
と思います。
例えばこのサイトにリンクしている『死刑執行人もまた死す』という
サイト内の「また会う日まで」の【補足1】に引用されている文献
によれば、イギリスにおいてホミサイド(謀殺・故殺・嬰児殺)認知
件数の人口100万人あたりの人口比すなわち「発生率」は廃止から
1993年までの23年間で6.8から11.8へと、およそ倍近い伸びを
示しているとのことです。

もとよりこのデータが信頼するに足るものか否か小生には判断しかね
ますし、仮に信頼できるものだとしてもこれだけを以って凶悪犯罪の
増加と死刑廃止とを短絡的に結びつけることはできないでしょう。

でも抑止力というものは万人に対して100%同等の効力を以って
働くものではないでしょう。働く場合もあれば、働かない場合もある
のではないでしょうか。ただ、抑止力が働いた場合には現実の犯罪事実
としては現出しないので証明しようがない、と考えることはできませんか。

「犯人を嬲り殺しにしたところで、遺族の気が済むとは思えないのです」
小生も多分そうだと思います。
でも多くの遺族の方々が仰るのは
「殺したところで生き返って来るわけではないが、最愛の人間を殺した
者が生きて自分と同じ空気を吸っていること自体が耐えられないのだ」
ということです(もちろん全ての遺族がというわけではありません)。

「生き返らないことは承知しているが、だからこそせめて犯人には
この世から消えてほしい」と。

これを「情緒的な報復の論理」であると批判するのは容易い。
でも、このような被害者の無念・遺族の絶望をも包摂するような
廃止論でなくてはなかなか受け入れられないと思います。

372人権:2003/11/16(日) 12:57
廃止論の方々は欧州の廃止国を高く評価されるようですが、廃止後の
状況はどうなのでしょう。イギリスなどにおいても死刑復活を求める
声は根強くあるように仄聞します。ドイツでは脱走を図った終身犯が
躊躇なく刑務官を殺害する事件がしばしば発生していると聞きます
(つまりこの上何人殺そうとも現に服役中の終身刑以上の刑がないから)

私も今の死刑制度に全く問題がないとは思いません。ただ、廃止すれば
廃止したで様々な問題が付随してくる可能性をも充分考慮すべきだと
考えます。

373瀬田:2003/11/16(日) 15:54
>>370
> loveless 様
うーん、そういわれると哲学的な反論は私には難しいですね・・・。
瀬田ドッペル君と瀬田君の違いの話はちょっと、難しいですよ(笑)。

主観の問題かもしれませんが、私は生命とは全ての権利の元になる根幹をなす
もの、人間そのものだと思うのです。収監されることで時間というか、自由権
は奪われますが、その自由権を持つ主体であるところの人間そのものまでは
奪われないわけです。・・・やっぱり違いませんか?
花だけを摘むのか、球根まで掘り起こすのか、といえばわかりやすいでしょう
か。花を摘んでも翌年また咲く可能性はあるでしょうが、球根を掘り起こせば
翌年は絶対に咲きません。その違い・・・かなと思います。
この点に関しては、過去に私が団藤重光博士の著書に多分に影響を受けたせい
かもしれないと思いますが、死刑は他の刑罰と質的に異なるという見解には
疑問を持っておりません(団藤博士は元最高裁判所判事で、自らの実務経験
から死刑廃止論を提唱しています)。

2)が肯定派と廃止派で意見が分かれる論点のひとつであるのは確かでしょう
ね。1)は死刑があろうがなかろうが、冤罪自体あってはならないものです。
これに異論がある人はおそらくいないでしょう。
終身刑に処された人が仮に無罪だということがわかって、釈放された場合、
時間は過ぎていても社会に帰って、残りの人生を使うことができるわけですが
、死刑に処された人は無罪が判明したとしても帰ってこれません。刑事補償法
に基づき賠償金が遺族に支払われて、おしまいです。その意味で、少なくとも
「重さ」は違うのではないかなと思います。


>>371
> 人権 様
犯罪とは年によって発生する数が(実数として)変わるものです。近年日本の
警察の検挙率が下がりつつあるのは、窃盗犯の急激な増加が多分に影響して
いますし、グラフを見るとわかりやすいのですが、経済や社会情勢によっても
犯罪の数は変わります。これは犯罪学的な話ですね。「刑事政策的に云々〜」
と申し上げたのは、そうした時代の変化等を含めて考えると、誤差といえる
程度の差しかない、決定的・有意的な差は認められない、という意味の報告が
されている、ということです(たしか、ヨーロッパ司法閣僚会議におけるもの
だったと思います)。

374瀬田:2003/11/16(日) 15:58
>>372
> 人権 様
死刑の廃止が犯罪の増加に結びつくものではないという点に関して、たとえば
ドイツの刑法学者リープマンは、刑法の歴史に現れた事例(死刑の執行方法や
適用範囲の変更などの関係)によって検証したり、あるいは、死刑を廃止した
国について廃止前後の殺人罪等の犯罪数を統計的に比較検討する方法によって
、廃止が犯罪の増加につながらないことを示しております。
「米国には云々」と申し上げたのは、これは誰によるものかは失念してしまい
ましたが、もっと厳密に、死刑廃止州と存置州の中で、他の点で社会的条件の
近似したものを取り上げて、両者の殺人罪の数を比較した結果、有意的な差が
認められなかったという研究です。
他にも、死刑に犯罪抑止効果はないとするセリン(Thorsten Sellin)以降の
研究や、反対に抑止効果があるとするエールリッヒ(Issac Ehrlich)の研究が
あります。
もっとも、これらは統計的な見地から見た調査結果であり、科学的に実証され
たものではないので、心理学的・犯罪学的な要素も含めて、きちんと実証され
るべきでしょうね。そうでなければ抑止力があるともないとも言い切れない
でしょう。

私が死刑の抑止力に対して否定的に考えているのは、心理学的な意味合いから
です。死刑に他の刑罰には期待できないような強い威嚇力・予防的効果がある
か、言い変えれば、死刑を廃止すればそれだけ殺人その他の犯罪が増えるか、
という問題ですが、殺人犯人が犯行にあたって死刑のことを思い出して実行を
思いとどまるということは、滅多にないのではないでしょうか。激情にまかせ
て行われたような殺人の場合にはなおさらですし、計画的な謀殺の場合でも、
第一、自分は絶対に捕まらないつもりで犯行に出ることはあっても、捕まって
死刑に処せられる可能性のことまで真剣に考えているでしょうか。怨恨による
殺人の場合には、たとえ自分が死刑になろうとも犯行に出るでしょう。また、
少し違う方面になりますが、思想犯的・確信犯的・政治犯的な殺人の場合等に
ついても、やはり同じことが言えるように思われます(当然逆の場合も暗数と
して存在する可能性はありますが・・・)。
もちろん、実証されていない以上は断定的に申し上げることはできません。

375瀬田:2003/11/16(日) 16:24
確かに死刑を廃止したらしたで、様々な問題が起きるでしょうね。
死刑の執行数自体は年間せいぜい10名以下程度で、廃止=日本の社会情勢の
悪化、に直結するとは思えませんが、影響はあるとは思います。
一度、試験的に5年とか6年とかの範囲で死刑を停止して、調査してみるといい
のですが、まずそれを始めるのが難しいでしょうね・・・

> 脱走を図った終身犯が躊躇なく刑務官を〜

これは刑務所の運用の問題ですし、まだ終身刑が導入されると決まったわけ
ではありません。確かにそういう事案は出てきそうに思われますが、日本と
ドイツの刑務所を単純に比較できるものでもないですよね。
私はドイツの刑務所がどういう形態なのかは詳しく知りませんが、たとえば
米国の刑務所の一例を挙げますと、日本のような刑務作業は課されず、監視
も緩やかで、私語もOK、バスケットボールなどを囚人が楽しんでいる刑務所
があったりします(あくまでも「自由刑」なので行動の自由だけを奪う、と
いう考え方だそうです)。日本の刑務所は相当に厳しく、全ての行動が規則に
よって決められ、嘘みたいな話ですが、廊下を歩く位置まで決まっています。
私語は厳禁、運動などの場合も複数の刑務官がつく場合があり、私はかなり
軍隊的な印象を持ちました(刑法犯を入れている刑務所はどこも同じような
ものだそうです)。そうした環境の違いはおそらくあると思います。

376loveless:2003/11/17(月) 01:48
>>373 瀬田さん
>主観の問題かもしれませんが、私は生命とは全ての権利の元になる、、、
この辺りが、人生観の違いでしょうかね。。。
私は、人生というのはただ生きているのが目的ではなく、
その中で何を成し得たかが重要と思っていますので、、、
たとえば、終身刑の冤罪が晴れて60過ぎて無罪を勝ち取った
状態と死刑が執行されて40くらいで死んだ状態に、あまり
差を感じないのです。
現状の日本の裁判の進行速度を考えれば、死刑に相当するような
重大犯罪の冤罪を晴らすとなると、数十年はあっという間に
たってしまいます。当然その失われた時間の間に築いたであろう、
社会的地位や財産などを取り返すのは至難のわざです。果たして
そのような状態で余生を幸福に送れるか?という疑問もあります。
でも、この辺りは個人の哲学や人生観が出てくるので何が正解とは
言い切れないですね。
また廃止派も存置派も冤罪を限りなく0に近づけるよう努力する
という目的は変わらないわけで、限りなく0に近いならば0と
みなしてしまうという理系的な考えはNGですかね?
いずれにせよ、死刑廃止論はこの辺りの人生観・哲学・宗教観など
が避けて通れないので難しいです(355で、その辺を追加してほしいと
書いたのはそれが理由)

。。。話変わって、EUに加盟するため、トルコで死刑廃止して
1年余りですが、ここにきてテロが相次いでいます。
政治的にも地理的に危なっかしい状態で死刑廃止をしてどうかな?
と思っていましたが、大丈夫でしょうかね?
テロリストなんて元々命がけで事を起こすいわば確信犯ですが、
死刑が無いと、捕まった仲間を救出できる確率も高くなるので
泥沼化しそうな気もします。
トルコも(どちらかというと)外圧で死刑を廃止したので、
今後の行方が気になりますね。
個人的は、刑法のような市民生活に直接影響するような法律は
安易に外圧とかで変えるべきでないと思っています。

>>375
>一度、試験的に5年とか6年とかの範囲で死刑を停止して、、、
菅さんが首相になれば、その試験は案外と早期に実現の可能性が
あるのではないかという気がします。幸か不幸か民主党も政権奪取の
可能性が出てきたので、廃止派としては先が明るいかもしれませんね。

377人権:2003/11/17(月) 18:54
瀬田さんは米国等の刑務所に比べてわが国の施設が「軍隊式」だとやや
否定的に捉えておられるようですが、服役囚の中には暴力団組員等粗暴な
人間も多い現実を考えると「複数の刑務官がつく」ことも止むを得ない
場合があると思います。一対一では刑務官の側に身の危険が及ぶことも
なくはないでしょう。

少し話がそれましたが、諸外国の事例・経験は尊重すべきだとは思います
が、あまりそれに引きずられるのはどうかな、という思いもあります。

死刑は確かに一種の殺人行為であることは否定できません。でも殺人犯
の行った「殺人行為」と同列に並べて「人殺しという点では同じである」
という考え方にはどうしても違和感を覚えます。

「いかに多くの人間をいかに残虐なやり方で殺してもその殺人犯の生命
は必ず保証される」
端的に言えばこういう一種の倫理を社会的に認めることになるわけですよね。
「全ての権利の元になる根幹をなすもの、人間そのもの」である「生命」を
奪った者の<生命>が保証されるという点がどうしても納得しかねます。

378人権:2003/11/18(火) 00:44
廃止論の方々が高く評価される団藤氏は死刑廃止論の中で、「遺族の中には
苦悩した末に応報感情を昇華させて死刑廃止を唱えるようになった人もいる」
として尊いことであると述べておられます。

確かに遺族の感情・考え方・加害者との向き合い方等は最大限尊重すべき
だと思います。
ただ、団藤氏の論に見られるように廃止を唱える方が何か次元が高くて
「犯人をこの手で殺してやりたい」と叫ぶ遺族の方が低次元であるかの
如き見解には賛同できない。

犯罪被害者・遺族はそれだけでもう充分悲惨な目に遭っているのです。
その上なぜ被害者ばかりに「崇高さ」のようなものを求めるのでしょうか。

379大森:2003/11/19(水) 23:39
なぜ皆さんが欧米の制度を尊んでいるのかが私にはよく理解できません。
欧米諸国が日本以上の凶悪犯罪発生国であるにもかかわらずです。

380人権:2003/11/20(木) 12:46
>379
廃止派の立場からは「残虐な刑を廃止した人権先進国」という位置づけ
になるのでしょう。
でも、例えばイギリスは今般のイラク戦争に参加してイラクの人々を
傷つけたり、命を奪ったりしています・・・(テロリストによる犯罪は
一般の殺人事件とは異なるということでしょうか)

381SBM:2003/11/22(土) 16:21
命には命をもって償うべきで 難しい問題だとは思わない。
死刑制度は必要です。

382SBM:2003/11/22(土) 16:22
命には命をもって償うべきで 難しい問題だとは思わない。
死刑制度は必要です。

383変態弁護士:2003/11/24(月) 01:47
死刑は必要。ただ、日本の問題は、終身刑がないこと。死刑と無期懲役の差が大きすぎる。

384黒たん:2003/11/24(月) 09:43
死刑にしたところで、殺された人間は還って来ない&遺族や周囲の人間の心の
傷は癒えないけれど・・やはり、命をもって償わないといけない。私も死刑制度
は必要だと思います。

>>383
ただ、日本の問題は終身刑がないこと。死刑と無期懲役の差が大きすぎる。

変態弁護士さんのおっしゃるとおりだと思います。特に「無期懲役」ってなん
なんだろうって。とてつもなく重い罪というイメージがあり、恥かしながら終
身刑と同じ様な・・「無期刑=終身刑」のイメージがあったのです。なにせ無期
刑でも10年20年で出られると聞いてビックリしたぐらいで・・ホントにお恥ずか
しいのですが(苦)。
でも特にいつ迄って決まっているワケではないって事で、半永久的かもしれな
いし、先述の通り10年20年で出られる可能性もって事であって、全然違うんで
すよね。でも、だからこそ、安易に無期刑という判決に走りすぎていないかな
あという気がします。最近、とみに無期刑が多いですよね。それだけの罪を犯
したからと言われればそれまでだと思いますけど・・なんか、そんな気がするな。

死刑制度については勿論だけど、無期懲役刑というものについても考えないと
いけないと言いますか・・見直さないといけないんじゃないかなあと。むしろ、
無期懲役について・・。

385st:2003/11/24(月) 18:37
>>682
>命には命をもって償うべきで 難しい問題だとは思わない。
>>683
>死刑は必要。

死刑制度は、僕にはそんな単純な問題だとは思えませんし、こういった
自分の意見は絶対で、違った意見の存在を認めないともとれる発言は危険
だと感じます。

僕は基本的には条件付き死刑廃止派ですが、死刑制度の存在意義を否定する
つもりはありません。僕は死刑の本質は「復讐」、つまりこんな極悪人は
許し難いという、ごく自然な人間感情に基づく物であると考えます。そして
この本質に基づく死刑存続の声には、僕も同意せざるを得ません。

ですが、なぜ僕がそれでも死刑は廃止するべきと考えるかと言うと、存続派
の意見には、現在の警察、司法制度には問題がないと言う前提に基づいた
意見に聞こえて仕方ないからです。言い替えれば、自分は正義側の人間で、
正義側の人間の言う事、やる事に間違いはないと思っているように感じられ
るのです。

僕が死刑に反対する理由はまさにそこにあり、人間は間違いから逃れる事は
出来ないという前提があります。先の書き込みに、死刑だろうが有期刑だろ
うが冤罪は許されないから、それが死刑廃止の理由にはならないというのが
ありましたが、僕はそうは思えませんし、それ以上に死刑存続派の、司法の
下す死刑判決は正しいと言うその傲りが怖いのです。

ですから、現在日本では死刑が存在しますし、それを支持している方が大多数
だという事実も尊重します。ですがこの問題は単純どころか、非常に重い問題
であり、今後日本が死刑を存続するにせよ廃止するにせよ、それは十分に議論
された上での結論であるべきだと思っています。

386変態弁護士:2003/11/24(月) 20:39
日本の司法制度は、もちろん問題が無い、誤りが無いという前提に基づいて
いるわけですが、それでも帝銀事件の平沢貞通氏のように死刑判決が確定し
てから、結局執行されなかったという例があるように、日本の司法当局もや
はり自分達に問題があると認めているのです。これは決着のつく問題では
ないですが、近年世界では、死刑廃止論が高まっています。ただ、日本の場
合、被害者にたいした保障もされず、殺され損みたいなところがありますか
ら、これを見直してから議論したほうがよいと思います。

387loveless:2003/11/25(火) 02:54
>>380 人権さん、
戦争での人権と平時の人権では、また別の話とは思いますが、、、
イラク戦争では、最初は大量殺戮兵器およびそれらの生産施設の破壊が
目的とされましたが、戦争が進むにつれ、独裁者に支配された民衆を
開放するのが目的となっていきました(苦し紛れの大儀のため、誰も
支持しませんでしたが)
ユーゴ内戦のように、多少の犠牲で人権派の人達の期待に沿う社会が
完成するならば、その戦争は「正義」ということになるのかもしれません。
(私は、この意見には多少賛成)

ただし、(国連含む)EUや米国を中心とする社会が、安易に「人権」を
振りかざして他国(特に途上国)へ過剰に干渉するのはどうかと思います。

個人的に、この辺が、アムネスティのモットーの一つである
「すべての人にすべての権利を」にちょっと違和感を覚えるところです。

388E:2003/12/01(月) 18:23
死刑は不要です。合法的な殺人など存在しなくてよい。
ただの封建遺制ですよ。

金キロウは無期懲役ですが 10年や20年で釈放されたんですか?

389E+:2003/12/01(月) 22:21
私は、死刑が犯罪の抑制になっているとは思いませんが、死刑には賛成です。
ほとんどの人は良心に従って生きているので、死刑が怖いからといってあなた
が犯罪をおかさないわけではないと思います。
罪を犯した人間は、法によって裁かれるべきです。それは、被害者の人権にも
つながると思います。では、死刑に値するひとを生かしておいて、長期的に社会に有
益なことがあるでしょうか?封建遺制などではありません。最近は、ひとにやさしい
意見が、正しいみたいな風潮も困ったものです。金キロウさんは、幼い頃から差別などで苦労しま
したが、彼の犯した罪は重いです。

390黒たん:2003/12/02(火) 20:21
>>389
金キロウさんは、幼い頃から差別などで苦労しましたが、彼の犯した罪は重い
です。

その通りだと思う。重罪の陰に不遇な過去があった、でも罪は罪だと思う。
「散々辛い思いしたんだな・・」「かわいそうだな・・」
という風に見る事はあるとは思うけれど、でもだからといって何をしてもいい
って事はないんじゃない?まして被害に遭った側にとっては
「ふざけるな!!」
しかない・・不遇な過去があったから許す、なんて事は絶対無い筈ですよ。
・・いや、絶対許せないでしょうね。だって、どんなに手を施したって死んだ 
(殺された)人間は生き返らないんだし、それによって出来てしまった周囲の
人間の心の傷だって消えないと思うから・・。

391河童の川流れ:2003/12/02(火) 21:47
劣悪な環境で育った人でも犯罪を犯さずまともに生きている人はいることは確かです。でも、通り魔などの一面識もない人を殺害する場合は別として加害者と被害者がお互い顔見知りで、殺害の動機などが育った環境による違いによるもので、そのことで被害者からいじめを受けたりした場合でも被害者にとっては関係ないと言えるかどうか疑問ですよね。

いじめとかでなくてもたとえば75歳の女性が80歳の夫を介護する毎日に疲れ果ててつい首を絞めて殺してしまったというような事件は実は頻繁に起きています。ただ、ニュースとして扱われることはほとんどないので知られていないだけですが、こういう加害者を一方的に悪いと責められるのかどうかだと思いますね。

私は永山則夫のような劣悪な環境で育ったわけでもなく、朝鮮人でもないのでそういう差別扱いを受けたことがないのでそういう人たちの気持ちは分かりません。だからそれ以上のことは言えないのです。仮にですが、私が永山だったら同じようなことをやっぱりしていたかもしれないですね。「仮に」と仮定しても何も意味はないですが・・・。

392人権:2003/12/03(水) 23:19
私は所謂存置派ですが、現在の警察、司法制度に問題がないとは
思っていません。代用監獄・全く蚊帳の外に放置されている犯罪被害者・
交通事犯に対する刑の軽さ・判例と相場に基づいた裁判等等、問題
はむしろ山積していると思います。

「死刑判決が正しいと言うその傲りが怖い」
司法が下す判決に対する不信感は小生にもあります。死刑判決のみならず
どうかな?と思われる判決は時としてあるように感じています。
警察に関しても問題が多々あることは間違いありません。いい加減な捜査
・引いてはそれに起因する犯罪者の取り逃がし・適切でない取調べ・組織
犯罪等裏社会との癒着とも称すべき不明朗な関係等等。

その意味では改革が是非とも必要だと考えています。
ただ、だからと言って直ちに死刑廃止となるかというと、どうなんで
しょうか。その論理を貫徹すれば全ての刑罰を廃止しなくてはならなく
なるのではありませんか。

小生は別に「正義の味方」を気取っているつもりはありません。
ただ、行った犯罪事実に相応しい償いを求めているに過ぎません。

393黒たん:2003/12/04(木) 22:06
>>390では言葉が足りなかったと言いますか、言い方が悪かったかも知れません、
スミマセン。
某かあっても被害者と加害者との間で和解成立ということもありますし、審判
で情状酌量が認められるといったこともありますものね。
でも、やはり「罪は罪」だと思うから・・。数学の公式や英語国語の文法みたいに
(ここでこの表わし方ってそぐわないのかも知れませんが)この場合はこれで
決まりだ、となっているわけではないだけに難しい事ではあると思う、だけど
「罪は罪」だとは思います。

その、罪に対する罰・・確かに>>392で人権さんがおっしゃるように、犯した罪に
見合った罰が本当に下されているのかなぁと思う事、私もあります。死刑判決
や有期懲役刑以上に、無期懲役に対してとみにそう思う事があります。ホント、
無期懲役って何なんだろうか・・と。

394草田男:2003/12/05(金) 18:12
金嬉老が殺した相手はヤクザではなかったかしら。
仮釈放後韓国に帰国し放火でまた逮捕されてます。

395ふむ:2003/12/07(日) 01:17
>>394
その通りです。
要するに瞬間湯沸かし機みたいに短気なんです。

396仕置人:2003/12/07(日) 16:13
死刑を無くすなら無くしてもいいと思う。その変わり懲役は最長で80年迄にしたらいいと思う。十代で凶悪犯罪を犯して捕まり、判決で懲役80年をくらい出所したら9〇代。職も無く後は死ぬだけ。それなら死刑は無くしてもいいと思う。

397白たん:2003/12/07(日) 23:44
そんな理由で、死刑を廃止できますか??みなさんの税金で、犯罪者を
一生食わしているのですよ。

398ふむ:2003/12/08(月) 01:19
死刑執行でも、その時に税金がかかりますからね〜。

囚人に自分が刑務所で生活する分を働かせて、
更に国民の利益のために果てしなく働かせてOKかな?

399仙道:2003/12/08(月) 16:03
そうですね。最低でも自分の食い扶持くらいは何とかして欲しいです。
更に一般の国民の利益になるようなら、なお良いと思います。

懲役80年で、死ぬまで自由も無く働かされる日々が続くのは、
死刑よりも厳しいかもしれません。

400仙道:2003/12/08(月) 16:09
こういう事を書くと「人権」が云々と言われると思いますが、
殺人などを犯した場合、被害者の人権を無視して殺害した訳で、
加害者側に「人権」は無いに等しいと思います。
先に人権を無視した族が、人権を唱えるのは変ですよね。
事故ならともかく、、と言っても事故なら懲役80年なんて
判決は下らないと思いますが。

401黒たん:2003/12/08(月) 20:40
>>400
私も同感です。被害者の人権を無視して殺していて、それで今度自分の身の事
になると
「自分にも人権が・・」
みたいな、そんな馬鹿な話があるのかよって。ただの自分勝手じゃん。・・いや、
そんな自分勝手だから凶行に及ぶのか・・一概に決め付けちゃいけないのかも知
れませんが。
ただ何よりも、自分の犯した罪というものがいかなるものか、犯した罪は一生
消えない、償わなければいけないって事。己の人権どうこう以前に、それをよ
く考えなきゃ駄目だと思います。ホントのホントに心から。
でも実際は「お題目」なだけなところがあるのでしょうかね・・。

402白たん:2003/12/08(月) 22:06
人権を持ち出して死刑反対を唱えるひとも少なくないですが、泣いて馬謖
を斬る です。世の中の統制を考えると、やはり死刑は必要だと思います。

403人権:2003/12/09(火) 14:43
日立市の放火殺人事件の控訴審判決(一審の死刑から無期に減刑)が
出ましたが、遺族の「遺品はすべて燃え、葬儀で着せる服も残らなかった
のに、被告は法廷でバカなことを何度でも言える。同じ命なのに重さが
違うのか」との言葉を<感情論>だと批判することはできないと思います。

人権はもちろん大切なものですが(死刑囚にもあるでしょう)、それを奪った方
にも奪われた方と同等に保証されるとすれば些か不公正ではないでしょうか。

404路傍:2003/12/09(火) 23:31
久々に書き込みさせていただきます。
>僕は死刑の本質は「復讐」、つまりこんな極悪人は
許し難いという、ごく自然な人間感情に基づく物であると考えます。

死刑の本質から考えようとするのはいいことだと思います。
しかし、死刑の本質を「復讐」ととらえるのはどうでしょうか。
「復讐」や「あだ討ち」といったことをみとめないのが法治国家の前提です。
国家が代わりに加害者を捕らえ、処罰してくれることを考えると、国家
が「復讐」役をになってくれるようにも聞こえますが、国家がしているのは
復讐ではなく、社会秩序維持です。刑事法はそのために存在しています。
そして死刑はそのための道具です。
したがって死刑の本質を「復讐」と考えるのは、間違っていると思います。
国民(国会)が法を作り、司法がその法を解釈して、適用する。根底にあるのは
社会通念であり、社会(裁判所)が罪人に下す刑という行為に「復讐」という言葉は
なじまないでしょう。
刑事法は個人に制裁を加えるというよりも社会秩序維持のために存在しているので
すから。

>死刑存続派の、司法の
 下す死刑判決は正しいと言うその傲りが怖いのです。

私は死刑存続派ですが、司法の下す判断は常に正しいとは思いません。
おっしゃりたいことは「人間の判断には間違いがある。そしてそれが
罪のない人を死刑にしてしまうかもしれない。だから死刑反対」という
こと、つまり冤罪の危険性を恐れておられるのだと理解しています。
しかし、現在の日本の司法制度は過去の経験から、冤罪にならないように
非常に緻密に設計されているといえます。冤罪につながる可能性はほとんど
ないといえます。その傾向は昨今の人権意識の高まり、マスメディアの発達
などでますます強まっています。
したがって冤罪を理由とする死刑廃止論はあまり説得力がありません。
テレビ・映画の見すぎといわれるのがオチです。

つぎに司法判断は「正しい」と言う点ですが、なにをもって正しいというので
しょう。数学の世界ではないので司法判断に100%はありません。
証拠、供述等で「疑いを挟む余地がない」程度に犯人と断定されればいいのです。
それは裁判官の確信によります。そしてその判断に行くまでには証拠の証拠能力
など、一つ一つ調べられます。
裁判官が法を解釈適用した結果、死刑が相当となったとしても、それは国民が
つくった法の理念に照らした結果で、誰の独断でもありません。
正しさとは社会通念の下した判断でもあるのです。
これを「傲り」いうのは間違いです。

社会通念を形成する人々がさまざまいて、死刑が刑罰として残っているのは
存続すべしという社会通念が出来上がっているためです。

おっしゃるようにいずれにしても議論が必要なテーマですが、廃止論として
冤罪を理由とするのは弱いし、司法判断は正しいということを前提に存続を
唱えるひともほとんどいないと思われます。

405さぶ:2003/12/10(水) 22:24
>404
いえ、死刑は復讐権の代行だと私は思います。復讐という響きがえげつないとお思いの方多いようですが、
死刑は「えげつない、あって然るべきもの」だと思います。そこを認めない事が、
このスレッドが400を超えるのに、同じようなやり取りの繰り返しに終止してる原因だと思います。

406仙道:2003/12/11(木) 01:29
考えたり思ったりするのは個人の勝手。

407白たん:2003/12/11(木) 15:32
統計によっても日本人の大部分が死刑制度に賛成ということですから、
現状でいいのではないのでしょうか????

408黒たん:2003/12/11(木) 20:09
死刑制度の是非以上に感じる事。
犯した罪に見合った刑罰が、審判が下されているのだろうかと思う事がしばし
ばあります。
「あれだけの酷い事をしていてこんな(軽い刑)なの?」
って思う事が・・。
死刑制度どうこう以上に、むしろこちらの方が・・って気がします。
なんか、こんな風に書く事自体がこのスレッドに見合ってませんかしら、スミ
マセン。でも、そう思うんですよね・・。いかがでしょうか?

409猫に小判鮫:2003/12/11(木) 21:52
>「あれだけの酷い事をしていてこんな(軽い刑)なの?」

たとえばどんな事件が当てはまりますか? 分かりやすい例をあげてみてください。

410変態弁護士:2003/12/11(木) 23:13
新潟女性監禁事件 懲役14年
飲酒トラック高速道路追突事故 懲役4年7ヶ月 (業務上過失致死は5年以下
の罪)
サカキバラ事件他少年犯罪全般。

411おはようチワワ:2003/12/11(木) 23:19
動物虐待に対する罪が軽すぎ。

412黒たん:2003/12/12(金) 07:38
>>410の変態弁護士さんのご意見と重なりますがS63〜H元年にかけてありまし
た、女子高生コンクリ詰め殺人が顕著な例だと思います。因みに
主犯A:懲役20年
B:懲役5〜10年
  C:懲役5〜9年
  D:懲役5〜7年
  E,F,G:少年院送致
でしたが・・この事件のスレッドでも最近出てきた話ですが、主犯Aが近々出所
らしいです。

413変態弁護士:2003/12/12(金) 12:39
山口の母子殺人は無期懲役。これは納得いかん。

414のる:2003/12/12(金) 15:56
堺市通り魔事件
一審懲役18年。
しかも心神喪失を理由に無罪を主張。控訴。
覚せい剤やシンナーやアルコールによる心神耗弱・心神喪失は、はっきり言って納得できん。
自分の意志で使用したんやん。

415ssts:2003/12/16(火) 12:43
僕は死刑制度に大賛成です。理由は見せしめ的効果と、もう一つが
大事なのですが、彼ら犯罪者に私の払った税金を使われるのが腹立たしい
からです。一ヶ月じゃ早すぎると仰る方もいらっしゃいましたが、
裁判中の勾留期間を含め、相当の「無駄銭」を使ってるのです。
量刑にも納得いかないが、犯罪者の待遇にも納得いかないですね。

416とと:2003/12/16(火) 14:06
昨今の刑務所の収容率は100%を超えたとかという話も聞きます。また、刑務所内では
最低でも衣食住は保障されることから、刑務所に入るためにほどほどのレベルの犯罪を
犯す人もいるとか…。確かにもう少し刑というか待遇を下げてもいいんじゃないのかと
は思いますが。まぁ、人権問題もある以上、一定の質以上に待遇を下げるのは無理なの
でしょうね。

417人権:2003/12/16(火) 14:38
先般「行刑改革会議」の提言要旨が報道されていました。それによると
<8時間の刑務作業の短縮・外部との電話許可・服役態度によっては
外出・外泊も可・医療水準の引き上げ等>が盛り込まれているようです。

某委員などは<健康保険の適用>を求めています。
確かにあらゆる人間に人権はあるでしょうから、刑務所だからといって
余りにも非人道的な扱い方は問題でしょうが、相変わらず犯罪被害者の
権利は後回しにされている感はぬぐえませんね。

418府中ホテル:2003/12/16(火) 14:49
務所は運動はするし、三食食えるし、薬はやらない。健康になりまっせ!

419名無し:2003/12/18(木) 00:03
法律とは、平和を願う人が平和に暮らせる為に存在していて欲しいですね。
平和な日常を本当に保証してくれるのであれば、
別に税金を使ったってかまわない。


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