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死刑制度についてひと言お願いします
404
:
路傍
:2003/12/09(火) 23:31
久々に書き込みさせていただきます。
>僕は死刑の本質は「復讐」、つまりこんな極悪人は
許し難いという、ごく自然な人間感情に基づく物であると考えます。
死刑の本質から考えようとするのはいいことだと思います。
しかし、死刑の本質を「復讐」ととらえるのはどうでしょうか。
「復讐」や「あだ討ち」といったことをみとめないのが法治国家の前提です。
国家が代わりに加害者を捕らえ、処罰してくれることを考えると、国家
が「復讐」役をになってくれるようにも聞こえますが、国家がしているのは
復讐ではなく、社会秩序維持です。刑事法はそのために存在しています。
そして死刑はそのための道具です。
したがって死刑の本質を「復讐」と考えるのは、間違っていると思います。
国民(国会)が法を作り、司法がその法を解釈して、適用する。根底にあるのは
社会通念であり、社会(裁判所)が罪人に下す刑という行為に「復讐」という言葉は
なじまないでしょう。
刑事法は個人に制裁を加えるというよりも社会秩序維持のために存在しているので
すから。
>死刑存続派の、司法の
下す死刑判決は正しいと言うその傲りが怖いのです。
私は死刑存続派ですが、司法の下す判断は常に正しいとは思いません。
おっしゃりたいことは「人間の判断には間違いがある。そしてそれが
罪のない人を死刑にしてしまうかもしれない。だから死刑反対」という
こと、つまり冤罪の危険性を恐れておられるのだと理解しています。
しかし、現在の日本の司法制度は過去の経験から、冤罪にならないように
非常に緻密に設計されているといえます。冤罪につながる可能性はほとんど
ないといえます。その傾向は昨今の人権意識の高まり、マスメディアの発達
などでますます強まっています。
したがって冤罪を理由とする死刑廃止論はあまり説得力がありません。
テレビ・映画の見すぎといわれるのがオチです。
つぎに司法判断は「正しい」と言う点ですが、なにをもって正しいというので
しょう。数学の世界ではないので司法判断に100%はありません。
証拠、供述等で「疑いを挟む余地がない」程度に犯人と断定されればいいのです。
それは裁判官の確信によります。そしてその判断に行くまでには証拠の証拠能力
など、一つ一つ調べられます。
裁判官が法を解釈適用した結果、死刑が相当となったとしても、それは国民が
つくった法の理念に照らした結果で、誰の独断でもありません。
正しさとは社会通念の下した判断でもあるのです。
これを「傲り」いうのは間違いです。
社会通念を形成する人々がさまざまいて、死刑が刑罰として残っているのは
存続すべしという社会通念が出来上がっているためです。
おっしゃるようにいずれにしても議論が必要なテーマですが、廃止論として
冤罪を理由とするのは弱いし、司法判断は正しいということを前提に存続を
唱えるひともほとんどいないと思われます。
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