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死刑制度についてひと言お願いします

2883Ken:2010/06/04(金) 14:37:50
>>2881また、私以外の殆どの者が死刑は犯罪者に必要以上の強い苦しみを与える為にある残虐な刑だと認識し得る社会性を得たのであるならば、日本に於いて現状の様な死刑存置の支持には至らない筈です。それならば、何故日本に於いて現状の死刑は許容されると人々に捉えられているのかを考えて見るべきでは無いでしょうか。

これは同義反復、意味のない議論ですよ。

「人々は死刑を許容している」→「だから死刑が存置される」→「死刑が存置されているということは人々は死刑を許容しているということだ」→(以下無限ループ)

>>現在の日本に於ける死刑制度がその様な物であるとの認識が私にはありません。

この判決が何年前のもので、それから何年前までこの判決で明確に否定された刑罰が行われていたかを調べてみるべし。

>>因みに、私は一切合財をKenさんの個人的な感覚という事にして議論を相対化させようとはしていません。

ほんとにー?というか私が気に入らないのは、私の投稿は私の個人的な感覚として相対化するのに、Qさんの意見は普遍的な事実として絶対視することなんですけど。アメリカで絞首刑が不人気なのは私の意見でもくそでもなくて単なる事実ですよ。

>>「このような制度」

「狂ってる」は私の個人的感覚による言葉の選択ですけどね。このQさんの提案に関してもQさん風の死刑存置理由と同じように考えてみればどうでしょうか。

2884Ken:2010/06/04(金) 14:47:30
>>2879
>>1.各人の意見が集約されていない。(論旨がボケてる)

各人の意見が集約されなければならない理由を述べよ。話はそれからだ。というか、あなたの意見はどうみても他の人の意見と集約されているようには見えないのですが。

>>2.丁寧に書いているように見えて、実は上から目線に終始している。

上から目線に終始してはいけない理由を述べよ。話はそれからだ。

>>3.単なる長文でだらだら書いているだけで、見づらくなるだけ。

これはその通りですね。無駄に長く書く必要はないです。というか論旨を分かりにくくさせるだけですよね。ただ、「この部分はこれくらいシンプルに書ける」というふうに具体的に指摘したほうが親切ですね。

>>国民が1億人いれば、1億通りの考えがあるわけで、議論の中でその1億通りを網羅する必要などないと思います。むしろ、国民の一人としての率直な真摯な意見を言えばいいのではないでしょうか。

何が言いたいのか分からない。つまり一億分の一の個人的な意見を表明すればよいだけだと?それでどうやって各人の意見を集約させるのですか?

ちなみに、今の時点でこの掲示板には「法律関係者」はおらんでしょう(いたらごめんなさい)。いたらもうちょっとましな議論になっているはず。

2885Q:2010/06/04(金) 15:16:53
>>2883
>これは同義反復、意味のない議論ですよ。

私は「何故現状の日本人の大多数は死刑を許容するのかを考えてみませんか」と申しています。
これが同義反復であるとは言えないと思います。

>この判決が何年前のもので、それから何年前までこの判決で明確に否定された刑罰が行われていたかを調べてみるべし。

この様な事を言う場合は具体的にその事例を示して下さい。
私の認識では、法的に規定された絞首以外の執行方法や、拷問であると認識される様な刑罰が法的に行われた事実を知りません。

>ほんとにー?というか私が気に入らないのは

アメリカで絞首刑が不人気だという事実はがあれば、何故それを絶対的な定義としなければならないのでしょうか。
また、私の意見の何を指して絶対視を求めていると仰るのでしょうか、
この議論に於いて私は犯罪者に死刑を科す事を絶対と言った覚えはありませんが。
色んな意見、考えを持つ者達で審理を重ねた結果として、死刑が選択される必要性もあるだろうと申している筈です。

>「狂ってる」は私の個人的感覚による言葉の選択ですけどね。

その根拠を伺っています。
私が死刑存置を求める理由や根拠はこの場で既に申している筈です。

ところで、私がお聞きしたいと申した事に関しては、結局お答えは頂けないのでしょうか。

2886ufloat:2010/06/04(金) 21:12:11
>>2880
それではお言葉に甘えまして。
私のスタンスに関しては、Qさんにもおおむねご承知いただけているかと思いますが、
基本的には冤罪のリスクを重視して、死刑に慎重な姿勢を取っています。
純粋な廃止派の方々には怒られるかもしれませんが、もし冤罪について
折り合いがつけば、必ずしも死刑に反対し続ける気はありません。

それで私、昔は存置派であったことも手伝いまして、Qさんやlovelessさん
(女子高生コンクリ詰め536)のご意見には賛同するところが少なからずあるのです。
ただ、私の場合は現在でも「中立派」や「慎重派」を名乗っているように、
今のところは存廃双方の論に対して一定の慎重姿勢を取っており、
仮にこの理由を基に存置派に回ったとしても、
「死刑は存在するべきと世論が判断するならば、死刑は存置する。
死刑は存在すべきでないと世論が判断するならば、死刑は廃止する」
程度の意見になるとは思いますが。
しかし、先のような意見に「賛同するところ」がありながら、私がそれでも
今のところ死刑に慎重なのは、やはり「冤罪」の観点があるためです。
仮に冤罪の可能性が1%程度であったとしても、
世間を納得させるために死刑囚100人につき1名の無実の人間の命を奪う
というのは、私にはどうしても納得がいかないのです。

>>2879
ご期待に沿えなくてすみませんね。私、無学者なのです。
だらだら書きが多いというご意見はごもっとも。これは私も悪い癖であると
自覚しておりますが、直しようがなくて困っております。
意見が集約されていないことに関しては、私もKenさんと同様に
無理に集約する必要性は感じないといいますか、
諸派あった方が議論としては面白いのではないかと。

2887シアン化カリウム:2010/06/04(金) 21:46:01
>>2884
>>2886

いや、ご丁寧にレスありがとうございます。
集約という意味は、別に、○○論とかいうことで、無理にこじつけてい
く必要があると言っているわけではないので、そこだけは誤解を解いて
おきたいと思います。

集約していないと言った意味は、個人としての意見が論旨として纏
まっていないため、何が主張なのか、何がテーマなのか解らない
ということです。そして、それでは意見交換としても不毛ではないか
と思っただけです。

で、本音を言いますと、スレタイには興味を感じるものの、レスの趣旨
が読み取れないとか、個人攻撃的な話とか、排他的なレスとかが目
立っているように思えて、せっかくのスレを活かせていないのではと
残念に思った次第です。

で、ご提案ですが、箇条書きを多用してみませんか?
見やすくはなると思うんですけどね。

あと、蛇足ですが、止む無しさんに、一人が正解で、多数が誤って
いると考えるより、一人が誤りで多数が正解と考えるのが合理的
とか言っていましたが、それなら大多数の支持を受ける死刑を
少数派の廃止派が間違っているというのは不合理です。
たとえ多数派であっても真摯な態度は必要だと思いますよ。
まあ、止む無しさんを支持するかどうかは別ですけどね。

2888シアン化カリウム:2010/06/04(金) 22:11:21
>>2886

すいません。横レスになってしまいますが。

>世間を納得させるために死刑囚100人につき1名の無実の人間の命を奪う
>というのは、私にはどうしても納得がいかないのです。

この意見には納得性があります。
ここで言う「世間」って「存置派」って読み替えてもいいですよね。
あなたの意見はもっともなんですが、私は次のように考えます。

廃止派を納得させるため、死刑廃止によって命を存えた囚人100人のうち
半分は改心し、改心しなかった囚人の半分は再犯を犯し、再犯を犯した囚人
の半分は殺人を犯したとすると12人の命が奪われることになります。
絶対終身刑も導入しないで死刑廃止をすることで、普通に生活をしている
12人の犠牲者が出ても良いとするなら、私は納得できません。

命は数の問題ではありませんが、どちらを優先すべきかは明白だと思います。

2889ufloat:2010/06/04(金) 22:49:53
>>2888
失礼ですが、シアン化カリウムさんはいつごろからのROMでいらっしゃるのでしょう。
私が主張しているのが「死刑を仮釈放なし終身刑に置き換えた場合」であることは、
かねてからの私の主張を見ていただければお分かりになるかと思いますが
(何百もの過去ログなんか読んでいられるか!とおっしゃるならば、
「死刑廃止後の代替刑の想定は無期懲役ですか?仮釈放なし終身刑ですか?」と
ツッコミを入れる以前にまず聞いてくだされば、ちゃんとお答えしました)。
横からツッコミを入れていただくのは別に構いませんが、その際にはツッコむ相手の論を
よく読んで、あるいは確認して理解してからにしていただきたいと存じます。
本来の対象であった返答相手を置き去りにして、議論がどんどん横道にそれてしまうので。

もう1つ言うならば、シアン化カリウムさんは已む無しさんとのやり取りについて
一体いつごろからROMされている(あるいはさかのぼって読まれた)のでしょう。
もし已む無しさんがいらっしゃった当初から読んでおられるなら、スレッドの趣旨とは
離れた記事が増えた理由はご理解いただけるはずですし、それ以前の記事も読めば
本来のこのスレッドの姿というものが分かると思うのですが・・・。
もちろん無理に読めとはいいませんが、参加者に対して批判的な論評をなさりたいならば、
状況を把握してからにしなければ、無用なトラブルを招く恐れがあるかと存じます。

2890紫煙狼:2010/06/04(金) 23:09:25
>>2888
>命は数の問題ではありませんが、どちらを優先すべきかは明白だと思います。
仰るとおりです。そしてそこにシアン化カリウムさんはご自身で答えを出していますね。

>絶対終身刑も導入しないで死刑廃止をすることで

現在、死刑判決を受けるだろう程度の犯罪を犯した者による再犯は終身拘禁刑の導入で
クリアできる問題です。少なくとも「死刑廃止に反対する理由」が一つ減りますよね?
このように、死刑によって社会が得ているメリットを、一つ一つ何らかの代替案で
クリアしていけば、いずれかのタイミングで死刑によるメリットがデメリットを下回る
ときが訪れるでしょう。

冤罪と言うのは死刑制度によっておきるものではなく、犯罪捜査や法運用によって発生する
ものですから、逆に冤罪死刑に不安を抱く廃止派(慎重派)は、この問題に対し
「冤罪が発生し得ない犯罪捜査と法運用」の方法を考えることで「死刑を存置することに
反対する理由」がなくなります。

・再犯が発生しないこと
・冤罪が発生しないこと

この二つは死刑存置派・廃止派の両方にとって「喜ぶべきこと」ではないでしょうか?
そして、お互いがお互いにとって「喜ぶべきこと」が増えていって、最後に残るのは

・でもやっぱり、凶悪犯が生きているのは「生きているというだけで」許せない。
・でもやっぱり、気に食わないという感情のために命を奪うというのは許せない。

という感情の対立でしょうね。実はここまで到達して初めて死刑存廃論に哲学や倫理学を
持ち出すことが出来るのであって、それすらできていない現段階では、話を複雑にする
のみだと、私は考えます。

まずはお互いに懸念する材料を持ち寄ることではないでしょうか?
それをクリアすることは互いの利益になるはずですから。

2891無精髭:2010/06/04(金) 23:15:06
雑談スレには、意見と事実の区別がつかない人がいたかと思えば、
このスレには、死刑存廃議論と議論に関する議論(メタ議論)の
区別がつかない人がいるようですねえ。

私の已む無しさんに対するレスが個人攻撃だの誹謗中傷だのといった
一言で片付けられてしまうのも悲しい限りですねえ。私としては
精一杯助言、ないしは粘り強く説得していたつもりだったんですけどね。
長文だらだらとか論旨ぼやけにもそれなりの事情があったわけでして。

>で、ご提案ですが、箇条書きを多用してみませんか?
シアンさんにも議論相手を選ぶ権利は当然あるわけで、シアンさんは長文読解が
苦手、もしくは長文でのやり取りがめんどくさいとお感じなのでしたら、
シアンさんとのやり取りに限り(たとえばQさんのようなタイプの方とやり取り
する上では、見た目上の読みやすさを犠牲にしてでも長い文章を書かなければ
お互いにとって良くない結果になると感じるものでして)、その案を採用する
ことについて何ら不服はないです。

2892紫煙狼:2010/06/04(金) 23:26:31
ちなみに…小学生に「死刑について」という題材を与え、ある程度の期間、自由に研究調査の時間を与えます。
そのうえで、最終的に死刑存廃について意見討論をさせると、かなり高確率で「死刑は廃止すべきだ」という
結論に達します。

小学生には政治的判断とか、実現可能性とか、ありませんからね。自分で作った枠の中に相手を当てはめたりしない。
「だから廃止派は…」とか「だから存置派は…」なんて先入観で相手を見ませんからね。純粋に問題点と解決策を
提示してくれますよ。それを実現するのは決して簡単ではありませんけれどね。

信じられないなら、同じように「戦争について」を考えさせたらどうなるか…想像してみると理解できますよ。
高確率で「世界平和」「戦争反対」という結論を出してくれます。壮大で素晴らしい結論です。


私は、そんな子供達の夢をかなえる大人達の一人でありたいと考えます。

2893無精髭:2010/06/05(土) 00:25:24
蛇足ですが、、、

私たちは別に多数派であることを盾に已む無しさんを批判していたわけではないですねぇ。
ほんの少し前に書いたことですが、已む無しさんとのやり取りに関しては私たちにはそれぞれ
の経緯や動機があるわけで、一見已む無しさんを批判するために一致団結しているように見える
としても、已む無しさんとのやり取りの結果そうなっているというだけにすぎません。

つまり、紫煙狼さんもufloatさんも私も誰に頼まれるでもなく自分から已む無しさんとやり取り
してきた結果、已む無しさんに対して各自の視点・経験から、共通・もしくは酷似した内容の
結論に至ったという次第ですが、しかしながら当然論述過程や手法に関してはそれぞれ違いが
あるわけです。一方で、已む無しさんの方はというと、批判と呼べるようなものは全くといって
いいほど返してこず、論述も根拠提示もおろそかにする始末。こういった認識が事前にありさえ
すれば、以下の文章

>>どうも、ここの廃止論者の方々のスタンスとして(中略)というのが前提にあるのだなぁ・・・・・と感じました
>已む無しさんはご自身の直感が正しいかどうかを確かめるすべをご存じないようですから、結局、
>それも已む無しさんの錯覚(思い込み)に過ぎないという暫定的な結論に落ち着かざるをえない
>わけです。私たちを含めこれまでの経緯をよく知る者からすれば、私たち全員が間違っていると
>考えるより、已む無しさんお一人が間違っていると考えたほうがずっと合理的ですからね。

についても「なるたけ根拠を挙げ詳細に論述している私たち全員が間違っていると考えるより、
自分を弁護し相手を批判するための行動一切をおろそかにしている已む無しさんお一人が
間違っていると考えたほうがずっと合理的」というふうな趣旨のことをいっているのだなと思う
ことができるでしょう。しかしながら、たとえば文脈をないがしろにして「私たち『全員』」とか
「已む無しさん『お一人』」とかいった語句に必要以上に・偏執的に反応した場合、
「それなら大多数の支持を受ける死刑を少数派の廃止派が間違っているというのは不合理」
などという飛躍した発想が生まれてしまうみたいですねえ。

大多数の支持によって死刑が存置されているのではなく、より多くの論拠によって死刑が存置
されているのであれば、それを廃止派が間違っていると主張するのは当然不合理でしょうが、
そもそも人の意思はそれ自体では論拠となりえませんからねえ。

2894シアン化カリウム:2010/06/05(土) 05:52:44
すみません。連投を避けるため、3レスをまとめたので長レスになってしまいました。
言ってることとやってることが違ってしまい申し訳ないです。

>>2889
>私が主張しているのが「死刑を仮釈放なし終身刑に置き換えた場合」であることは、
>かねてからの私の主張を見ていただければお分かりになるかと思いますが

見ていませんでした。自分には長文を読む根気がありません、すみません。
ここにいらっしゃる方はみなさん絶対終身刑支持という認識でいいですか?
それなら自分の思い違いです。前言を撤回してお詫びします。


>>2890
>>2892
>・再犯が発生しないこと
>・冤罪が発生しないこと

そうありたいですよね。

>・でもやっぱり、凶悪犯が生きているのは「生きているというだけで」許せない。
>・でもやっぱり、気に食わないという感情のために命を奪うというのは許せない。
>という感情の対立でしょうね。

いや、再犯は「人を殺したい」、冤罪は「こいつが犯人に間違いない」という感情
につきるのかと思います。その後の結果に対して抱く感情ではないと思います。
もっとも、再犯防止、冤罪防止ではなく、「死刑存廃」だけを議論したいならあな
たの言う通りだと思います。

>小学生には政治的判断とか、実現可能性とか、ありませんからね。

はい、相手が総理大臣の息子であろうが、イジメるかも知れません。
小学生だって大人だって、大半の人は犯罪を犯そうなどど考えているわけじゃない
ですよね。子供は、そういう異端者がいるということを「知らない」だけということが
大きいのではありませんか?(人生経験が浅いですからしかたないんですが)
それに子供って、意外と純粋に残酷ですよ。「おばさんブタさんみたいに太い」
とか「おじさん何でハゲてんの?」とか平気で言ったりしますしね。


>>2891
>>2893
>私としては精一杯助言、ないしは粘り強く説得していたつもりだったんですけどね。

あまりさかのぼって読まずに意見してしまい、非礼をお許しください。
ただ、あの近辺では「袋叩き」という印象が否めなかったものですから…。
それに、あなたのレスを引き合いに出してしまいましたが、他にも人格攻撃に
しか、見えないレスもありましたし。(そのレベルには付き合いたくないので、
あえて書きませんでした)

>そもそも人の意思はそれ自体では論拠となりえませんからねえ。

自分は、人の意思はたとえそれが感情に支配されたものであっても、論拠
足り得るのではないかと思いますね。自分以外の人が自らの脳で考える
ことをせず、独自の判断を下していないとするなら論拠になりませんが。
人間ってそもそも理論で片づくもんじゃないし、何の根拠もなく感情が動い
たり意思が働くものでもないのではないでしょうか?

2895ufloat:2010/06/05(土) 08:11:07
>>2894
>みなさん絶対終身刑支持という認識で

私は現状では仮釈放なし終身刑を代替刑として想定していますが、
「みなさん」のご意見は分かりません。

>>・でもやっぱり、凶悪犯が生きているのは「生きているというだけで」許せない。
>>・でもやっぱり、気に食わないという感情のために命を奪うというのは許せない。
>>という感情の対立でしょうね。
>いや、再犯は「人を殺したい」、冤罪は「こいつが犯人に間違いない」という感情
>につきるのかと思います。その後の結果に対して抱く感情ではないと思います。
>もっとも、再犯防止、冤罪防止ではなく、「死刑存廃」だけを議論したいならあな
>たの言う通りだと思います。

話がかみ合っていない気がするのですが、いかなる意味でしょう。紫煙狼さんの
>お互いがお互いにとって「喜ぶべきこと」が増えていって
というのはつまり、「冤罪や再犯などの諸問題」がなくなっていくという
意味であると解釈するのが妥当ですから、すなわち
「冤罪や再犯などの各種問題がなくなれば、最後に残るのは感情の対立だ」とおっしゃる
紫煙狼さんの言に対し、シアン化カリウムさんの返答は意味がよくつかめませんでした。
よろしければもう少し噛み砕いて教えていただけないでしょうか。

それと、謝罪・撤回をされている方に「追撃」のようなマネをするのは本意ではありませんが、
議論をするにあたって少々見過ごせない点がいくつかあるので、ここで書かせてください。

実は私、>>2888を読んだ時点で、「無期懲役を最高刑にすべきと言っているように
他人に取られかねないことを、過去に書き込んだことがあっただろうか」と
少し考え込んでしまったのです。しかし、
>見ていませんでした
ということは、私の言動が誤解を招いたわけではない様子。
だとしたら、>>2888は「わら人形論法」ですね。簡単に言えばこういうこと。
A「死刑には冤罪があるので、今のところ納得しきれていない」
B「あなたは無期懲役を最高刑にせよとおっしゃるが、
かくかくしかじかの理由であなたの意見は誤りだ」

それと、>>2879とか>>2887は、これまでの経緯について
>あまりさかのぼって読まずに
意見を述べられた記事のようですが、経緯をほとんど読んでもいないのに
「頭でっかち」だの「上から目線」だの「独善のるつぼ」だの「個人攻撃」だの
非難や中傷と取られてもおかしくないようなことを述べるのはいかがなものでしょう。
例えるなら、裁判の閉廷直前にやってきて、3分間だけ様子を見てから
判決を下すのと同じくらい、とんでもないことだと思います。

2896Q:2010/06/05(土) 14:52:02
>>2886
死刑では無くとも冤罪被害の危険性とは全ての刑罰に於いて認められている事でありますが、
私は、冤罪リスクがあるからという理由によって刑罰の目的や存在が否定されなければならないとは考えません。
同時に、世間を納得させるために死刑囚100人につき1名の無実の人間の命を奪うと言う様な、冤罪の容認的論旨は私にとっても認め難いものです。
現状の制度運用に於いて、冤罪の発生は仕方が無い物であるといえる程の対策が採られているとは到底思えない事であり、
冤罪被害を防ぐ為の措置は如何なる場合に於いても最善が求められるべきあり、死刑の場合に於いてもその判断には更に慎重を期すべきだと思うからです。

ただ、どこまで慎重を期そうとも冤罪が生まれる可能性は0には出来ないと言う事も否定は出来ない事ですが、
殊更に死刑のリスクだけを問題とし、死刑を廃する事によって冤罪被害の危険性が廃されるという事にはならないと思います。
現状の日本に於いて、年間の獄死者は凡そ10名程度存在すると聞きますが、
その様な者達の中に、冤罪被害者が存在し得る可能性は死刑の場合と比して如何程あるでしょうか。
死刑を廃したとしても、その事によって長期間収監される者が現状よりも増加する場合、必然的に獄死者の割合は増えると考えられます。
その中に冤罪によって収監されたまま死亡に至ってしまう者が存在すれば、結局冤罪リスクが減る事は無いのではと考えるのですが、
ufloatさんが「もし冤罪について折り合いがつけば」と仰る場合に、
現在の死刑以外の刑罰が持つ冤罪のリスクについて、どの様に折り合いをつけておられるのかを伺っても宜しいでしょうか。

2897ufloat:2010/06/05(土) 15:20:31
>>2896
確かに、死刑を終身刑にしたところで冤罪のリスクはあります。
しかし、死刑の冤罪と終身刑の冤罪では、あまりにも不可逆性に差があったり、
冤罪被害者の不利益が違いすぎ、質的に異なるため、同一視は不可能と考えております。
冤罪で終身刑を科された場合、確かに獄死してしまう可能性はありますが、
逆に翌日にも真犯人が見つかったり、冤罪の決定的証拠が見つかり、
釈放となることも否定できません。
また、処刑されてしまえば、もはや冤罪被害者が自由を回復する機会、
生きているうちに名誉を回復する機会は永久に失われます。
さらに、終身刑の受刑者であれば、再審などの各種制度や言論活動によって
自らの無実を訴えることもできますが、死刑の場合は処刑された時点で
それも不可能となり、不利益が極めて大きいと考えます。

「世間を納得させるため、無実の人間に上記のような不利益を背負わせる」のは、
やはり私としては納得がいきません。

2898Q:2010/06/05(土) 16:22:46
>>2897
冤罪被害者が受ける不利益の質とは同一視出来ないものだと仰りながら、その差異については果たして高低を付けられる物なのでしょうか。
不可逆性を問う場合に於いて、生命だけでは無く、時間や人生に於ける喜びや希望も不可逆性を持つと思います。
例えば、青年であるからこその人生の輝きとは絶対的に取り戻せない物であり、そこで失う関係性や環境といった物は、人によって生命と匹敵する物に為り得ます。
また、ufloatさんが仰る「冤罪が晴れる可能性」についてですが、確かにその可能性はあると思うのですが、
日本の場合、起訴に至るまでにある程度の慎重性を求められているが故に、公判で決定された事実を覆す事は非常に困難を要します。
正に「決定的な証拠」や「真犯人の自供」でも出てこない限り、冤罪が晴れる可能性は殆ど無いと言う事も言えてしまいます。
冤罪が晴れない可能性を考えた場合、その者の苦しみや絶望とはどれ程苛烈な物となるであろうかも考えてみてください。
更に、重刑に於ける死亡の話だけでなく、冤罪を晴らす事が叶わないまま刑を終えてしまった者の苦しみは、
決して死刑や獄死と比して軽いと言える物ではないと思います。
冤罪を晴らせない場合とは、死亡してしまった場合に限った話ではありません。
証拠が無い者、公判を維持するための金や時間が無いものにとっては、冤罪を死ぬまで抱えていかなければならないのです。

死刑の場合に於いて、執行されてしまえば確かにそれまでとなってしまいますが、死刑判決から一転冤罪を晴らす場合は注目度も高く、
冤罪の可能性を示唆した場合、その事によって刑の執行は延期され、再審の可能性について充分に吟味される事が往々にしてあります。
その為に20年、30年という期間、執行の延期が為されている事も事実なのです。
ufloatさんが仰る「冤罪が晴れる可能性」とは結果的に期間の話に集約される筈なので、その機会は死刑囚であっても得ている筈だと思います。

2899ufloat:2010/06/05(土) 20:43:50
>>2898
こうなると、ほぼ確実に無限ループですね。残念なことに。
死刑をどうするかは別として(というより、死刑問題にさえ絡んでいなければ)、
「生命刑の冤罪は極めて重い」という普遍的であると思われる事実が、
それほど受け入れられにくいものとは思えないのですが・・・。

>時間や人生に於ける喜びや希望も不可逆性を持つと思います
>人によって生命と匹敵する物に為り得ます
生命同様に「時間や喜び、希望も不可逆的」で、それらは「人によって生命に匹敵する物ともなる」
からといって、無実の者の生命を奪うことが正当化されるものでしょうか。

>正に「決定的な証拠」や「真犯人の自供」でも出てこない限り
それが出てくる可能性はあるわけですね。
科学捜査の技術が進んだ現代や未来では特に。

>冤罪が晴れない可能性を考えた場合、その者の苦しみや絶望とはどれ程苛烈な
冤罪は晴れる場合もあれば、晴れない場合もあり、その苦しみが重いものであるのは確かですが、
「冤罪が晴れない可能性を考えた場合、苦しみや絶望は苛烈」だからと
その者を処刑するのには同意しかねます。

>重刑に於ける死亡の話だけでなく、冤罪を晴らす事が叶わないまま刑を終えてしまった者の苦しみは、
>決して死刑や獄死と比して軽いと言える物ではないと思います。
全くおっしゃるとおりですから、これは死刑存廃関係なく
取り組んでいかなくてはならない問題かと存じます。

>公判を維持するための金や時間が無いものにとっては、冤罪を死ぬまで
裕福であるか否かで冤罪を晴らす可能性に差が出るというのは、
本来あってはいけないことではないでしょうか。
でしたら、これも死刑存廃関係なく取り組むべき問題かと存じます。

>死刑判決から一転冤罪を晴らす場合は注目度も高く、
>再審の可能性について充分に吟味される事が
これと同等の吟味・注目度を、終身刑の場合にも持ち込むことは可能ですよね。
死刑の場合には十分吟味するくせに、終身刑ならば吟味をぞんざいにするのは、
職務怠慢とのそしりを受けても仕方のないことかと思います。

>20年、30年という期間、執行の延期
これは要するに、死刑を実質的に終身刑として運用しているということですね。
だとすれば、Qさんがご指摘の問題は終身刑だけでなく死刑にも当てはまることになりますが、
Qさんのような立場の方からして、これは好ましいことなのでしょうか。

2900loveless:2010/06/05(土) 22:06:32
>>2885
>私は「何故現状の日本人の大多数は死刑を許容するのかを考えてみませんか」。。。

単純に考えると、大きな理由としては「現状に満足している」or「現状になんら問題ない」と思っているからですかねー。
不満があるなら、時効制度のように積極的に改正する方向へ動くでしょう。

で、なぜ多くの日本人がそう思うかといえば、その根底には、なんやかんや言っても日本政府、およびその主権たる
日本人自身を信用しているからだろう、と思ったりします。

#もし、私が中国人だったら、たぶん死刑廃止派ですよw

2901Q:2010/06/05(土) 22:50:22
>>2899
私は生命刑に限らず全ての刑罰に対し、冤罪被害が存在する事は極めて重い事だと申しています。
勿論死刑に対し冤罪を問題にする事は普遍的事実ですが、死刑以外の刑罰に対してもそれは同様であると言う事です。
何も、死刑であるからその事実を受け入れないで良い等という事を申している訳ではありません。
当然に無実の者の生命が奪われる事を正当化しようという意図は無く、
自由や尊厳を奪う事も同様に本来的には許されてはいけない事である筈だと申しているだけです。

>それが出てくる可能性はあるわけですね。科学捜査の技術が進んだ現代や未来では特に。

元より、その可能性は否定していません。
そして、その可能性は死刑囚に対しても同様に享受される筈です。
また、出てこない可能性についても懲役囚と死刑囚では同様である筈です。

>「冤罪が晴れない可能性を考えた場合、苦しみや絶望は苛烈」だからとその者を処刑するのには同意しかねます。

私はその様な趣旨の発言をしてはいません。
冤罪が晴れなかった場合、その者は冤罪被害で処刑される者と同様に、
過酷な長い時間を無実でありながら収監され続けた上に、結果として死亡する事があると申しています。
死刑があろうとなかろうとも、その様な被害を受ける可能性は今現在も存在し得るのです。

>死刑の場合には十分吟味するくせに、終身刑ならば吟味をぞんざいにするのは、職務怠慢とのそしりを受けても仕方のないことかと思います。

死刑の場合として例示しましたが、殊更に死刑だけの話としている訳ではありません。
無期懲役囚や長期懲役囚に於いても、量刑が重いとされる刑罰程慎重を期す形となるだろうと存じます。

>これは要するに、死刑を実質的に終身刑として運用しているということですね。

それは違うと思います。
死刑の運用目的とはあくまでも犯罪者に死を科す事である筈です。
あくまでも、執行の延期措置であり、その理由とは正に冤罪被害を出さない事だと存じます。

念の為にもう一度述べさせて頂きたいのですが、
私は>>2896の冒頭に於いて、私の発言趣旨の大前提として
「冤罪被害を防ぐ為の措置は『如何なる場合に於いても』最善が求められるべきあり、死刑の場合に於いてもその判断には更に慎重を期すべき」
と申しております。
「生命刑の冤罪は極めて重い」という事を蔑ろにして意見を述べていると言う事は決してありません。

2902Q:2010/06/05(土) 22:52:57
>>2900
現状に満足しているという表現は私も同感です。
この掲示板を拝見させて頂くと、中には今以上に過酷な死刑制度を望む方も少なくは無い様に見受けられますが、
結果的に長期に渡ってそちらに強く傾く事も無く制度は支持されている様ですから。
満足という表現には、ただの油断や無関心や怠惰と言った印象を抱く方も居られるかとは思いますが、私には丁度良い表現であると感じられます。

電車の中で荷物を網棚や膝の上に置いたまま眠る人を見て驚く外国人は少なからず居る様です。
基本的に日本人は他人を信用する文化や習慣を根強く維持し続けているのでしょう。

2903紫煙狼:2010/06/06(日) 01:41:55
>>2900
>#もし、私が中国人だったら、たぶん死刑廃止派ですよw
いや、それは無いでしょう。中国人は中国の死刑制度に満足している
もしくは問題を感じていない。そこに問題を感じないような教育を受け
そこに問題を感じさせないような報道を見ているのですから。

いや「これと同じことが日本にも言える」という意味ではありませんよ。
単に中国は思想や心情まで国政が支配している国だということで、そこは
日本のような国とは大きく異なりますから。

lovelessさんが何らかの理由で中国の国籍を得て、中国で生活しなければ
ならなくなったら、確かに死刑廃止派に転じるかもしれませんね。
でも、中国の犯罪はハンパなく非道ですから、自分が外野に居る限り
廃止を訴えることも無いのではなかな、と思いました。

私が同じように中国籍を得て中国で暮らさねばならなくなった場合は、
「冤罪で死刑になるやもわからない」「マトモな裁判を受けられるとは
かぎらない」という「自分にふりかかるかわからない」リスクより
「政府のやり方を批判して身を危険にする」目先のリスクに怯え、
死刑賛成派に転じます。

私が死刑反対を唱えているのは、単に「日本でそれを唱えること自体が
すなわち身の危険を意味するものではない」という安心感あっての事。

2904紫煙狼:2010/06/06(日) 02:04:17
>>2894
>みなさん絶対終身刑支持という認識でいいですか?
私はむしろ終身拘禁刑の導入には反対です。いや、この言い方は正しくないですね。
「判決時点で仮釈放を含む社会復帰の可能性を排除する刑罰には反対」という言い方が
正しいでしょうか。ただし、著しい素行の改善や更生が見られなかった結果、終身拘禁と
いう結果になる事に関しては問題がないと考えています。

>子供は、そういう異端者がいると(中略)大きいのではありませんか?
いや「重犯罪を犯すのが楽しくて仕方ない」という異端児の存在は小学生でも
知っていますよ。大人にとっては他愛も無いイタズラが子供にとっては重犯罪
だったりしますからね。それをわざと犯して喜ぶ愉快犯の存在は知っています。

>それに子供って、意外と純粋に残酷ですよ。
そう、意外に残酷な子供が「死刑反対」という結論を出す、ということが重要です。

2905紫煙狼:2010/06/06(日) 03:21:43
>Qさん
もともと、私の中では犯罪者と言うのは「犯罪を犯す」という一種の病気の人なんですね。
「何らかの状況において目的のために刑法を犯すという手段をとるに吝かではなくなる病」
とでも言いましょうか…。

Qさんは報復的刑罰の期間を過ぎた者を収監し続けるのは、起こしていない犯罪に対する罰を与えるのと
同じであるから間違っている、と言うようなことを仰いましたが、それは「懲罰」であるという考え方に
基づくものであって「治療」という考え方ではないから誤りになるのだと考えます。だいたい懲罰であるなら
「罰によって懲りさせる」ことが必要で「罰を与えても懲りていない」なら懲罰になりません。刑罰を受ける
受刑囚に求められる心の在り方が一様であるならば、落第・再履修もまた必要で、一定の成果を収めない限り
卒業証書を授与してはいけないのです。

こう考えると、報復主義による刑罰の与え方では「治癒できない」患者が出るのは当たり前です。
「30万円の詐欺事件を起こした犯人」が「殺人犯」より軽い病気であるとは言えないですから。
フグ毒と有機水銀で比較してもいいかもしれません。
・急速に強烈な症状が出て致死性は高いが、それを乗り切れば殆ど障害をのこさないフグ毒
・急速に症状が出ることは稀だが、発症すれば、ほぼ一生涯にわたり障害が残る有機水銀
どちらが厄介でしょうね。

よく医者が「全治○週間」のような診断を下しますが、そんなのぁ目安でしかありません。
「○週間経てば必ず直る」と言う意味でもなければ「○週間経てば無条件に治療を完了してよい」
という意味でもありません。私は判事の下す判決による刑期も、この診断と同じであるべきだ、
そう考えるわけです。刑罰を社会復帰のための治療と位置づければ、入院期間が病状の経過によって
変化するのは至極当然のことですよね?

ただ、一般予防の効果を考えると「病状が収まりさえすれば即刻出して構わない」というものではありません。
どんなに「病気としての重症度」が低くても「犯罪としての悪性度」が高ければ「完治」の診断を下すまでには
相応の期間が必要です。(ガンは病巣を取り去っても最低5年経過しなければ完治と言わないですよね?)
この相応の期間こそが「刑法に定めるところの刑期」ではないかと考えるわけです。
従って現行刑法の「○年以上、○年以下の懲役」のような書き方も、上記に従って考えれば全て
「○年以上の収監による経過観察」と書くべきでしょうか。

人類が社会を形成し、いわゆる法律なるものを作ってから千年以上の時間を経て「罪罰法定主義」という
考え方に到達したのは格段の進歩ですが、私は「罪罰法定主義」が最終形態であるとは考えないわけです。

2906シアン化カリウム:2010/06/06(日) 10:13:39
>>2904
>そう、意外に残酷な子供が「死刑反対」という結論を出す、ということが重要です。

結論を出す、ですか?
それとも結論を出すこともある、ですか?
そこのところは明確にお願いします。

必ず死刑反対という結論に至っているとしたら、日教組の思惑通りということでしょうか?
サンプリングが、おぼっちゃま教育をしているようなところなら、ある意味納得ですが。

ちなみに、あなたの社会復帰論では、例えば人を殺すことに快楽を覚える人間は、
新たな快楽を得るために、必死で模範囚のふりをすれば、何度でも目的を達成できる
ということでしょうか。そのために、何人の命が奪われようと決して止めることはでき
ないと…。
どうやって、その更生ぶりを判定しようと思っているのかお聞かせください。

2907紫煙狼:2010/06/06(日) 10:47:31
>>2906
>結論を出す、(中略)は明確にお願いします。
高確率で「死刑反対」という結論を出す、と前述しています。

>必ず死刑反対という結論に(中略)ところなら、ある意味納得ですが。
なぜそのようにお考えになられましたか?

>ちなみに、あなたの社会復帰論では(中略)決して止めることはできないと…。
それは「完治」していませんよね?症状が治まっているだけですよね?

>どうやって、その更生ぶりを判定しようと思っているのかお聞かせください。
正直言って「無策」です。私は医学者ではありませんし心理学者でもありませんから、
自白罪のような薬物の研究や、催眠のような両方研究が進めば冤罪自白もなくなるだろうし
「更生しているフリ」も見抜ける日が来るだろう、とは考えていますが。
確かに現状では無理ですよね。従って現状において死刑を存置することは仕方がないと
私も納得しています。

シアン化カリウムさんはここまでのレスをあまり読み込んでいらっしゃらないようですので
お断りしておきますが、私は「現状において死刑を存置すること」に賛成し、
「将来的に死刑は廃止されるべきである」と唱え「死刑廃止に必要な問題点や方法論を洗い出すべきである」
という立場です。

子供達の夢をかなえる見返りに子供達に生命の危険をもたらすようなことは考えていません。

2908紫煙狼:2010/06/06(日) 11:13:40
現実論は大切ですよ。現実を直視することなしに理想だけを語っても仕方がありません。
死刑存置派や死刑賛成派は現実主義の方々が非常に多い。それは決して悪いことではありません。

しかし、人類の進歩は理想を実現するためのあくなき追及ではありませんか?
であれば、理想を考える者もまた必要でしょう。そして、現実主義の人々と、
理想家の人々が、協力し合って理想を実現していくべきであると考えるのですが、
いかがでしょう?

たとえば…「凶悪犯罪がなくなれば死刑なんていらない(意見A)」に対し
「でも凶悪な犯罪が実際に起きているではないか!(意見B)」が対立するのは不思議です。
意見Aに対立しうるのは「凶悪な犯罪がなくなっても死刑は必要である(意見C)」でしょう。

意見Bの人は「犯罪がなくなる」という前提条件を無視しているので、意見Aを理解できていない、
つまり「題意を理解できていない」のですね。化学の試験問題に「理想気体など存在しないから
そもそも問題がまちがっている」と言うのと同じで、点数は与えられません。思考実験と言うのは
あくまで前提条件に従って思考した場合、どのような結論に至るかが重要です。

そして、こと、上記に挙げた例題で言えば「犯罪を無くす」ということはA/B/Cの三者に
共通した理想ではありませんか???

であれば「犯罪がなくなれば」の前提条件を実現するために3者が協力し合わなければならないのは
自明ではないかと思うのですが、なぜその実現をAだけに求めようとするのでしょう?

そこが私には理解できないところですね。。。

2909無精髭:2010/06/06(日) 14:09:36
>2894
>自分は、人の意思はたとえそれが感情に支配されたものであっても、/論拠足り得るのではないかと思いますね。
人の意思が感情に支配されているか否かによってそれが論拠足りうるかが定まるという論点について、私は言及した覚えがありません。

>自分以外の人が自らの脳で考えることをせず、独自の判断を下していないとするなら論拠になりませんが。
つまり、「人の意思『それ自体』」は論拠となりえないということにはご賛同いただけるわけですね?

>人間ってそもそも理論で片づくもんじゃないし、何の根拠もなく感情が動い/たり意思が働くものでもないのではないでしょうか?
申し訳ありません。「人間ってそもそも理論で片付くもんじゃない」と仰りながら、すぐさま「何の根拠もなく感情が動いたり意志が
働くものでもないのではない」かと仰る意図がよく分かりませんでした。シアンさんが感情が動いたり意志が働くことに何らかの
根拠を見出すこともおありなのであれば、それについては理論化を行うことができなければおかしい道理ですが。

2910無精髭:2010/06/06(日) 14:10:02
(以下は、>2909の詳細Ver.)

>自分は、人の意思はたとえそれが感情に支配されたものであっても、論拠足り得るのではないかと思いますね。
シアンさんが「どこそこの店のカツどんは日本一うまい」と主張したいとして、そのための論拠として
「俺にはその店のカツどんが日本一うまいと感じられたからだ」という主張を付け加えたら、先の主張は
説得性を増すと思われますか? 当然「じゃあ、日本一うまいって何を基準にして言ってるんだ?」という
反論が返ってきますよね。そこでまた「もちろん俺の価値観だ」とか主張したら、先の主張の論旨は当初と
比べてより堅固なものとなるでしょうか? 「人の意思はそれ自体で論拠となりえる」という主張は
そういう論理を自他ともに承認するということですよ。不毛この上ない気がしますが。

ちなみに「いやあ、俺がその店のカツどんを日本一うまいと感じたことにもそれなりの理由があるはずなんだ、
口ではうまく説明できないけど」と言うだけで当の理由を述べないのであれば、その時点ではそれが論拠足り
えないのはお分かりいただけますよね?

紛らわしいというか厄介なのは、「その店のカツどんは日本一うまいということで日本人の大半は意見が
一致している」というのが仮に事実であるとして、それが論拠となりえるかどうかですね。私が思うに、
これは先の反論「じゃあ、日本一うまいって何を基準にして言ってるんだ?」に対して「大多数の人々に
おける価値観の一致(私の感覚は万人のそれと比較しても特別なものとはいえない)」という返答には
なりえています。しかし、そもそも「日本人の大半がその店のカツどんは日本一うまいということで意見が
一致している」という事実は、人々の意思とは異なる理由(何々産の豚肉やお米を使っているとか、非常に
手が込んだ調理法であるとかいったこと)から生じているのです。したがってその理由をも先の論拠を裏付ける
ものとして付け加えなければならないため、この場合も人の意思それ自体が論拠となっていると見なすことは
できません。また、もし人の意思とは異なる理由を付け加えずに、人の意思のみを論拠としていくら重ねて
いったとしても、たとえば「その店のカツどんが日本一うまいかどうかは人の意思のある特定の質や規定
以上の量で決まる」といったような議論上の共通前提がなければ、実際には論拠として通用しないでしょう。

ただし、より強力に「ある店のカツどんが日本一うまい」と主張するためには、「日本一のカツどん」とは
一体どんな基準から選ばれるかということだけを決めればいいわけではなく、本来は日本国民全員が全国の
店のカツどんを食べてみた上で判断すべきであるのは論を俟たないでしょう。ですから、死刑議論のように
価値判断が優先されざるをえない議論であっても、各人が協力し合って事実なりデータなりをできるだけ
網羅し、それらの信憑性を確かめた上で行われるべきなのかも知れませんね。

>自分以外の人が自らの脳で考えることをせず、独自の判断を下していないとするなら論拠になりませんが。
いや、むしろその逆だと思いますよ? 独自の見解なり判断なりで自らの感情なり感覚なりから得た情報を
根拠としたり裏づけに利用したりすることは、人の意思(主観)をそれ自体(主観的判断)で論拠とすること
なので、己のバイアスを排除する段階が抜け落ちている点に問題があります。しかし一方で、自らの感覚や
感情をたとえば精神医学や心理学や社会学などの客観的な説明体系の中で無個性かつ普遍的なものとして
一度把握しさえすれば、そこから得られた情報はすでに当の理論による分析と精査の段階を経ているわけですから、
それを論拠とする場合には先のような問題は発生しません。

2911無精髭:2010/06/06(日) 14:16:57
>人間ってそもそも理論で片づくもんじゃないし、何の根拠もなく感情が動いたり意思が働くものでもないのではないでしょうか?
いかなる感情や意思にせよ、実際に表れ、当人に自覚されてからのち、それが表れ出た理由なり根拠なりが
意識的な作業の下認識されるわけで、そもそも表れなかったり自覚されなかったり意識的な作業の下その発生の
理由なり根拠なりが見つからなかったりした感情や意思については、実際そこに理由なり根拠なりが存在するか
どうかが不明なのですから、感情や意思に何らかの理由なり根拠なりがある可能性が否定できないと言う一方の
認識のみをもってそれを論拠とすることは当面保留すべきでしょう。言うまでもなく、感情や意思一切が何らかの
根拠なり理由なりを伴っているといって片付けるには、人間の活動は不合理な部分を多く含むからです。
したがって、何の根拠もなく感情が動いたり意思が働いたりするものではないのだとしても、それだけをもって
理論で説明が付かない部分とされる感情や意思それ自体を客観的な議論のための論拠として採用できるということは
万に一つもありえないでしょう。

2912Q:2010/06/06(日) 18:13:21
>>2905
私が犯罪者に対して科すべき事として定義し得るのは、(基本的に)懲罰としての科刑しか考えられません。
何故ならば、本来的に刑罰とは彼らの為を思い、彼らを救済する事を目的として科す物では無いと認識しているからです。
あくまでも、其々の犯罪者が行った罪や害悪とは如何なる物であるのかが根本的に問われなければならないのだと考えます。
既に申している事ではありますが、刑罰を科す事としての効果とは犯罪者其々の精神に期待するしか無い物である筈であり、
如何様な方法を採ろうとも、その効果や結果を他者が完全に強制する事は無理な事だと思います。
刑期が満了し、懲りていない者を釈放する事となっても、その者が再犯を働くかどうかは確定していない筈なのです。
反省悔悟が無くとも、出所後生涯に渡って働き、死ぬまで再犯を行う事さえしなければ、その者は結果として更生したと言えます。

紫煙狼さんが仰る治療とは、即ち更生教育の手段、その効果や結果を如何に高めていくのかと言う事に尽きると思うのですが、
残念ながら、その効果や結果を事前に見極める為の手段を我々は有していないと思うのです。
客観的に判断し得る表面的な素行や態度によっては、現状であっても既定に従って刑期の延長はあり得る事だと思うのですが、
信じられない程悪辣な精神を有しながらも、恰も教育によって改心した人間の様に見せかける事は容易でありますし、
冤罪によって収監されている者は、その罪を認めなければ認めない程、自らの首を絞め続ける事になります。

30万円の詐欺罪を犯した人間を審理する際、その者の精神が殺人を犯した者の精神と比してどれ程病んでいるのかは到底知り得ない事です。
よって、その際に審理し判断し得る事というのは、30万円の詐欺罪を犯したという事実に基づいてのみ行われる事になります。
その事によって応報的に量刑は科されるのであり、不特定な予測に依っての量刑判断が為されるべきでは無いと考えます。
この人間を治療する為にはどの程度の期間が必要であるかという判断は、実際的な経験やデータによって為されている筈ですが、
それも、医学的に明確な治療結果を予測し得るからこそ、その様に判断する事が可能となるのではないでしょうか。
それならば、個々の人間の精神を明確に知り得る術を持たない我々が、如何にしてその判断を下す事が出来得るのでしょうか。
私は、あくまでも心象的な参考として、主たる事柄に付与される以上の判断材料とは為り得ないのではないかと考えます。

紫煙狼さんが仰る事は心情として理解は出来ます。
私にも何故犯罪を犯す者が存在してしまうのか、何故同じ過ちを何度も繰り返し人を害するのかという憤りや失望感はありますから、
その様な者による再犯などで、新たな被害者が生じる事は極力避けるべく努力する事は必要かと思います。
しかし、「○年以上の収監による経過観察」と言うのは、どうしても法定刑の原則に抵触する事ではないかと感じるのです。
公の審理に依って判断された量刑とは違い、特定の個人又は組織による不確定な判断が基準となる筈ですから。
紫煙狼さんご自身も仰る様に、将来的にはどうなるかは定かではありませんが、現在に於いては実現は難し過ぎるご意見だと思います。

2913シアン化カリウム:2010/06/06(日) 21:56:55
>>2911
人間、というより生物のレベルで絶対的論理基準などないと思うということです。
ただし、何の根拠もなく脳から命令が発せられるとするのは不合理ではないか
と思います。(もし根拠がないなら、犯罪抑止って絶対不可能では?)

死刑に限らず、刑罰についても同様で、刑がその罪に見合ったものかどうかなど、
何の絶対的根拠もないでしょう?
どうしてもというなら、あえてカースト制のみがその明白な絶対的根拠を示して
いると言わざるを得ないでしょう。(無論支持などしていませんが)

−−−−−−ここから個人的意見の書き込みです−−−−−−−−−−

自分も、犯罪のない社会が理想だと思ってますし、それが実現してなお死刑が
必要だとは思わないでしょう。
しかし、同時に人間が生物である以上、残念ながら争いは絶えることはない、
犯罪も絶えることはないと確信しています。
もし、理想郷のようなものができるなら、人類の2千年、あるいは4千年の歴史
で実現していることでしょう。
もちろん今までできなかったからといって、理想に向けた活動を無駄だという
つもりはありません。むしろ、立派な活動だと思います。ただし、性急に進め
てはならない事案だと思います。「急いてはことを…」になってはなりません。
人の命に関わりますからね。

ここから誤解されることを恐れずに言いますと、前述の通り、人間が生物である
限り争いも犯罪も決してなくならないと思ってます。
本当に犯罪を無くすには、人間のアンドロイド化が必要だと思います。犯罪因子
となる遺伝子の発見、切除が不可欠だと。
つまり、人間が人間でなくなること、これが唯一桃源郷形成の道ではないで
しょうか。
自分の意見も、…という意見もあるくらいに受け止めていただければ幸いです。

2914紫煙狼:2010/06/06(日) 23:09:59
>>2913
>人間が生物である以上(中略)確信しています。
そうですね。最終的にそういう結論に至る可能性は否定しません。
しかし、理想に一歩でも近づこうとすることを諦めたくはないですね。

>ただし、性急に進めてはならない事案だと思います。
仰るとおりです。モノゴトには順序と言うものがありますからね。
一足飛びに死刑を廃止すればデメリットの方が大きいに決まっています。

>本当に犯罪を無くすには(中略)唯一桃源郷形成の道ではないでしょうか。
そこはまだ未知数です。諦めることなく研究するほうが建設的でしょう。

たとえばね「全ての犯罪者を無条件で死刑にする」という法制度にすれば、
手っ取り早く「再犯可能性」をゼロにできますよね?
で、現在の科学技術的にはアンドロイド化は夢の話ですが、その技術が確立
したときには、犯罪を無くす「手っ取り早い手段」となりうるでしょうね。

でも、私は「手っ取り早い」から「その手段を選択する」というのは、
少なくとも生命倫理においてはそぐわない方法だと思いますので、たとえ時間が
かかるとしても、たとえそれがどんなに難しいことであったとしても、科学的に
「それは絶対無理なんだ」と解明されるまではあがくことも必要だと思いますよ。

自分の力の限界を感じて自分の努力を諦めるのは個人の自由ですが、
社会を形成するのは自分ひとりではないので、他の研究者達の力を信じて、
人間の無限の可能性を信じて、私たちの世代でレールを引きませんか?
進むべき方向性を示しませんか?

それが実現するのが私たちの世代である必要はないのですから。
ガウディのサグラダファミリアのようにね。

2915紫煙狼:2010/06/06(日) 23:41:40
>>2912
>私が犯罪者に対して科すべき事として(中略)判断材料とは為り得ないのではないかと考えます。
人類滅亡までの時間の流れの中で人類発生から現在までを切り取って、それだけでモノをいうなら、
人類が今後一切の進歩発展を停止させるのであれば、Qさんの言っている事は普遍の真理ですね。

ではQさんは「人類がどのような方向に進んでいくのが望ましい」と考えますか?
「今のまま、相変わらず愚かな行為を繰り返す生き物である続けて欲しい」ですか?

未来と言うのは「正の可能性と負の可能性」を併せ持っています。「善の可能性と悪の可能性」と
言い換えても良いでしょう。私は残念ながら子供はおりませんが、私に子供が居たとして、
その子が「稀代の偉人」になる可能性も「稀代の大悪人」になる可能性も否定できません。
(もちろん、一番可能性が高いのは「平凡なサラリーマンとして一生を終える」ですが。)
人類もまた同じで、これから社会が良くなる可能性も悪くなる可能性も十分あります。
科学が高度に進歩する可能性も、その科学が人類のためにならない使われ方をする可能性も。
ならば、目先の問題や実現可能性の低さにとらわれず、良い社会の構想図を次世代に託しませんか?

私だって新総理が「明日から死刑を廃止します」と言おうものなら大反対します。
しかし、皆がみなQさんのように「現実論」しか口にしなくなったら進歩はないでしょう?
現実を見据えて理想を追い求めないことに未来はありませんよ。

もちろん、Qさんの理想が「犯罪はなくなってはいけない、死刑もなくなってはいけない、人類は
進歩してはいけない」なら、これはもう悲しい限りだし、そう願う理由が全く理解できないのですが、
そんなことQさんが考えているとは、私にはどうしても思えないのです。なので、どうしてQさんが
「今、死刑を廃止してはいけないが、いつかは廃止できるように努力するべきである」と唱えないのか、
とても不思議ですね。

2916Q:2010/06/07(月) 11:05:41
>>2915
理想や希望の範囲や形は人其々だと思います。
また、シアン化カリウムさんも仰っていますが、紫煙狼さんは少し性急なのだと感じます。
無理があっても先に進もうとする事は、時間的メリットは大きいかも知れませんが、リスクも大きくなるのではないでしょうか。
私は蝸牛程度の動きで構わないので、少しづつでも犯罪が少ない世界を目指せればそれで良いと思っています。
その方法とは、社会をより安全に維持しようと考える者達が、其々の立場で地道に考え改善を進めていく事でしか無いと思います。
ただ、どれ程努力をしようとも、人間が人間である限り、感情や暴力や欲望は根絶する事は出来ないだろうとも思います。

また、私は人間の自然に大きく反する形で犯罪行為の根絶を為そうとする事には反対をします。
私は例え医療行為であっても、余りに不自然な行き過ぎた技術革新や延命行為といった物には疑問を感じています。

私の理想とは、そういう現実の中であっても常に人が人として為し得る事を為し、
出来得る限り大勢の者が安全だと感じられる社会を構築し、その社会に満足し得る様々な者達が共存し暮らしていく事です。
その中には悪人と呼ばれる者も存在するでしょう、私は場合によって世の中にとって必要不可欠な犯罪行為という物もあると思うのです。
未来に於いても、出来るだけその様な状態を壊さずに維持し続けていける事が、最も困難で最も良い状態であろうかと考えます。
仮にその様な状態の中で、将来的に社会的コンセンサスとして死刑の廃止が望まれるのであれば、私は異存ありません。
私個人は積極的に死刑を廃止すべきであるという風には考えませんが、
制度的な無理が無く社会から凶悪犯罪が減じ、その事によって応報としての死刑が望まれなくなるのであれば問題は無いと思います。

>「今、死刑を廃止してはいけないが、いつかは廃止できるように努力するべきである」と唱えないのか、とても不思議ですね。

私には、殊更に死刑と無期懲役刑を区別し、死刑だけを忌避しなければならない理由が無いのです。
便宜上、生命刑と自由刑という区別はしますが、
私の感覚では、無期懲役刑や長期懲役刑も人間の自由と生命を奪う刑罰であるという認識であるからです。

ロシアでは事実上死刑は廃止されましたが、去年1年間だけで4000人以上の獄死者を出しました。
死刑によって死亡させた訳ではないのですが、これは世界的にも非難を受けるに足る事件だと思うのです。
結局、特定の刑罰の有無では無く、如何なる制度運用に依って如何なる結果を招いているのかが問われるべきなのではないでしょうか。

2917紫煙狼:2010/06/07(月) 13:14:34
>>2916
>紫煙狼さんは少し性急なのだと感じます。
ああ、なるほど。Qさんには「今は死刑を廃止するべきではない」という結論しか出せない、
最終的に到達すべき点が「死刑廃止」なのか「死刑存置」なのかを考える材料を持ちえず、
そんなのは、将来の社会が考えることで、自分たちが口出しすべきことではない、
大体が、死刑だけを特別視しなければならない理由が分からない、って感じですか?

2918Q:2010/06/07(月) 17:12:36
>>2917
性急と申したのは、「○年以上の収監による経過観察」の様な対策の考え方に対しての事です。
ロシアの惨状と同様に扱うつもりは決してありませんが、やはりそれなりのリスクは想定し得る考えだと思います。
心情としては理解出来ますが、方法論としての同意はし兼ねます。

また、私は「死刑を廃止するべき、するべきではない」という議論とは、其々の道義的価値観に委ねられるべき物として捉えています。
中国や北朝鮮の様な一党独裁に於ける、恣意的判断があり得る死刑制度の運用についてはまた違った意見を述べると思います。
ただ単に死刑廃止のある無しで物事を判断する事はしないと言う事でしかありません。
将来に於いて、死刑が廃止される場合と言うのは、あくまでも、凶悪犯罪が減じる事態があれば、応報としての死刑は求められなくなる可能性があると言う事です。
現状と何も変わらない場合に於いては、未来に於いてもやはり死刑は廃止されるべきではないと申します。

私には死刑が殊更に忌避されなければならない理由がないと申したのは、そのままの意味です。
その事については既に紫煙狼さん以外の方に対しても、お伺いをしております。
其のお答えを待って、お互いの考え方を確認し合う事で納得性の持てる理解をしていければ良いかと存じます。

2919紫煙狼:2010/06/07(月) 22:01:04
>>2918
うーん「リスクは想定しうる」とか「現状と何も変わらない場合」とか、
私が提示している前提条件をまるっきり無視なさるのでは手も足も出ませんね。
まぁ、これ以上Qさんに貴重な時間を割いていただくのも気がひけますし、
この程度で白旗揚げて引き下がります。

ただね、私は「現状において死刑は必要である」と考えているとだけ
頭の片隅に上書き保存して於いてくださいね。少なくとも私は
「急いで死刑を廃止するべきだ」と主張したことは一度もありませんので、
>紫煙狼さんは少し性急なのだと感じます
には?マークが5〜6個ほど飛び交いました(笑)

2920無精髭:2010/06/07(月) 23:13:34
>2913
>人間、というより生物のレベルで絶対的論理基準などないと思うということです。
人間のことではなく生物のことを仰っていたのでしたら、初めからそう明記していただきたかったですね。
人間を単独でなく他の生物と同等に扱ってよいと仰るなら、なおさら他の生物に関する学術的研究を
人間に応用することは可能と言わなければならないでしょう。つまり、人間の生物としての活動
(感情や意思について)は理論化が可能であると(しかしながら、話をやたら大きくしてしまうと、
おそらくシアンさんがこだわっておられる、人間固有の感情や意思が持つ特異性の意義は、その分
希薄になってしまうのではありませんか?)

また、絶対的論理基準というのが何なのかは存じませんが、人が言語を操るという端的な事実が、
現に言語に関する研究(論理学、言語学)の対象になっていることを鑑みますと、絶対的な基準
など殊更設定せずとも、言語に関する研究成果を基準にするだけである程度(人間が己のどんなことに
ついても議論を有効に行うことができるくらいには)人間の活動全般を捉え返すことは可能なように
思われます。私は、どうもシアンさんが死刑存廃議論には恒久的かつ絶対的な価値基準が必須だと
考えていらっしゃることについて首を傾げざるを得ません。

>ただし、何の根拠もなく脳から命令が発せられるとするのは不合理ではないか/と思います。
私自身は脳の話などしておりませんので、なんとも答えようがないのですが、
ただ、脳からの命令に何らかの根拠があるのであれば、それが特定できる場合に限り、
理論化することは可能でしょう。

>(もし根拠がないなら、犯罪抑止って絶対不可能では?)
論旨を広げすぎているためか、お話が漠然としすぎていて、
何を仰りたいのかがさっぱり。脳からの命令に何の根拠も
ないとしても、脳が命令をおこす以上、その脳の物理的反応を
観察することはできるわけで、データも揃えば何らかの仮説を
立てることも可能なのでは?

犯罪抑止については、脳の命令に根拠がなくとも、身体を拘束
するなり(四肢を切断する、視覚・聴覚を奪うなどでもよい)
死刑にするなり(脳をまるごと取る・脳死にするなどでもよい)
すれば犯罪抑止は可能でしょう。

>死刑に限らず、刑罰についても同様で、刑がその罪に見合ったものかどうかなど、/何の絶対的根拠もないでしょう?
絶対的根拠がなければどうだというのでしょう? 仰ることと死刑存廃議論とにいったい何の関連があるのですか?

>どうしてもというなら、あえてカースト制のみがその明白な絶対的根拠を示して/いると言わざるを得ないでしょう。(無論支持などしていませんが)
すみません。この部分は全く意味が分かりませんでしたので、なんと反応してよいのか困っております。ご解説願います。

つまるところ、私が申し上げたかったのは、議論する上で論拠を挙げるにしても、
その論拠はできるだけ主観性を排したものであったほうがいい、論拠を積み重ねる
にしても、だんだんとより客観的なものを選んでいったほうがいい、というすごく
簡単なことなんですけどね。

2921Q:2010/06/08(火) 14:11:17
>>2919
>私が提示している前提条件をまるっきり無視なさるのでは手も足も出ませんね。

申し訳ありません。決して無視をするつもりは無いのですが、
私の其々の発言について、紫煙狼さんが無視をしていると仰る前提条件と言う物が何に当たるのかが私には探せません。
前提として仰っている事は、犯罪者とは病を抱えた者たちであると定義してある事だと思っていたのですが、
故に、先ずはその治療方法を模索する事を考えるべきであると言う趣旨なのではないのでしょうか。
或いは、未来に於いて何を理想とし、その実現に向けての施策を如何様に考え得るのかを模索するという事でしょうか。
上記の様な趣旨であるならば、私はその事について答えさせて頂いている積りなのですが、
宜しければその前提と仰る部分をもう少し詳しく説明して頂ければ、その事を以て考え改めて返答したいと思います。

ただし、私は犯罪者が即ち病人であるという前提条件については受け入れる事が出来ない為、先の発言では最初に否定しております。
その事に対しての議論が必要であれば、別途ご意見を頂ければと存じます。

>ただね、私は「現状において死刑は必要である」と考えているとだけ頭の片隅に上書き保存して於いてくださいね。

元より、今までの経緯からその事は認識しておりますし、>>2918でも既に申している事なのですが、
私が性急という言葉を使ったのは、あくまでも受刑者に対する教育や出所条件としての施策として提示されている事に対しての感想です。
紫煙狼さんにとっても、提案を為されている現段階に於いて結果的な行き先を予測し得てはおられない様に感じられますし、
私にとっては、どの様に手段を考えてみても結果的に法定刑の原則に抵触する事になるという結論しか出せなかったのでその様に申しました。
また、現行の法定刑の枠を超えて何かを考えるとしても、将来的な安定や平和に繋がると言う予測が無い以上は無理が大きいと思います。

2922無精髭:2010/06/08(火) 19:04:52
>>2921
今のところQさんと紫煙狼さんの議論に口を出す気はないのですが、
議論がすれ違っているようなので、それを修正させていただくために
一言、いいでしょうか。

>私の其々の発言について、紫煙狼さんが無視をしていると仰る前提条件と言う物が何に当たるのかが私には探せません。

おそらくそれは>>2908にある

>「凶悪犯罪がなくなれば死刑なんていらない(意見A)」
>「犯罪がなくなる」という前提条件

のことだと思います。仮定条件と言ったほうが分かりやすいかも。
しかし、Qさんは>>2916で(長すぎる引用かも知れませんが、大事な箇所だと思うので)

>私の理想とは、そういう現実の中であっても常に人が人として為し得る事を為し、
>出来得る限り大勢の者が安全だと感じられる社会を構築し、その社会に満足し得る様々な者達が共存し暮らしていく事です。
>その中には悪人と呼ばれる者も存在するでしょう、私は場合によって世の中にとって必要不可欠な犯罪行為という物もあると思うのです。
>未来に於いても、出来るだけその様な状態を壊さずに維持し続けていける事が、最も困難で最も良い状態であろうかと考えます。
>仮にその様な状態の中で、将来的に社会的コンセンサスとして死刑の廃止が望まれるのであれば、私は異存ありません。
>私個人は積極的に死刑を廃止すべきであるという風には考えませんが、
>制度的な無理が無く社会から凶悪犯罪が減じ、その事によって応報としての死刑が望まれなくなるのであれば問題は無いと思います。
>
>>「今、死刑を廃止してはいけないが、いつかは廃止できるように努力するべきである」と唱えないのか、とても不思議ですね。
>
>私には、殊更に死刑と無期懲役刑を区別し、死刑だけを忌避しなければならない理由が無いのです。
>便宜上、生命刑と自由刑という区別はしますが、
>私の感覚では、無期懲役刑や長期懲役刑も人間の自由と生命を奪う刑罰であるという認識であるからです。

と書かれているわけですから、紫煙狼さんが望むような議論の必要性をあまりお感じにならないのではないでしょうか。

2923シアン化カリウム:2010/06/09(水) 05:21:30
>>2920
つまり、こういうことが言いたかったのです。

人間の行動は、脳や延髄などの器官からの指令によるもので、根拠無く
体が勝手に動いたり、脳が停止している状態で言葉をしゃべったりする
ことは不合理と考えられます。

しかし、例えば脳からの同じ指令で同じ人が同じ字を書いても、完全に
同じ字が書けるとは思えないし、同じ言葉をしゃべっても、全く同じ波形
の言葉は、おそらく発せられていないでしょう。
逆に受け取る側は、全く同じ字でなくても、全く同じ音声じゃなくてもその
人の字とか声と認識し、会話しています。

人間の行動には根拠はありますが、指令が同じでも行動は人によって
違うし、時によっても全く同じはないはず。予測することが不可能ならば、
その行動の結果に責任を負うしかないのじゃないかと思います。

凶悪犯罪が根絶できたら死刑は要らない。それはそう思いますが、
その「たら」の実現性がゼロ(としか思えない)ならどうでしょうか?

前にも言いましたが、犯罪の起こりやすい社会、起こりにくい社会って
やっぱりあると思います。根絶は無理と解っていても起こりにくい社会
を目指すのは有意義なことだとは思っています。ですがそれは、死刑
の存廃とは関係なく論じられるべきことなんじゃないでしょうか。

2924loveless:2010/06/10(木) 00:45:28
>>2923
>前にも言いましたが、犯罪の起こりやすい社会、起こりにくい社会って
>やっぱりあると思います。根絶は無理と解っていても起こりにくい社会
>を目指すのは有意義なことだとは思っています。

一般的に、国家や社会が強いと(通常の)犯罪は起こりにくく、逆に個人が強いと
犯罪が起こりやすいと思います。
つまり、個人が自由闊達に生きられるほど犯罪が多いという、なんとも
「世の中うまくいかない」ものだと思っています。

日本は、すでに伝統的なムラ・イエといった社会が崩壊していますから、
ある程度は国家が強くならざるを得ないと思っています。
(だから、死刑廃止には反対)

2925Ken:2010/06/11(金) 15:22:57
>>2924個人が自由闊達に生きられるほど犯罪が多い

逆じゃないすかね。地縁・血縁が弱まる代わりに赤の他人への信頼・協調が高まる。男女が平等で個人が自立している。コネが効かなくなる。競争が公正になる。腐敗が減る。警察が機能するようになる。法の支配が強まる。経済が発展する。結果的に犯罪は減るでしょう。

旧弊に捕らわれない欧州・アングロサクソン諸国と地縁・血縁・因習に捕らわれたイスラム諸国との比較でもいいし、今の日本と昔の日本との比較でもいいし。

2926Ken:2010/06/11(金) 15:37:08
>>2887
なるほど。各人の「間で」意見が集約されていないじゃなくて、各人の「中で」意見が集約されていない、という意味だったのですね。というように、何でも短く書けばいいというものでもないのです。

それはたぶん死刑問題の切り口がたくさんあるからであって、各人が一つに絞る必要はないのでは。

KCNさんの不満はいわゆる「スレ違い」のことみたいですね。ただ、たぶん自覚があるとは思いますが>>2879がすでに死刑存廃問題と関係がないスレ違いの投稿であって、その書き込みのせいで私やUfloatさんがわき道にそれ、そのせいでさらにKCNさんが補足するはめになる、という感じで議論はしばしば脱線するのです。ケンカは一人ではできませんから。

>>2888廃止派を納得させるため、死刑廃止によって命を存えた囚人100人のうち半分は改心し、改心しなかった囚人の半分は再犯を犯し、再犯を犯した囚人の半分は殺人を犯したとすると12人の命が奪われることになります。絶対終身刑も導入しないで死刑廃止をすることで、普通に生活をしている12人の犠牲者が出ても良いとするなら、私は納得できません。

この議論のキモははたして再犯被害者が囚人100人につき12人なのか0.1人なのかにかかってますね。12人ならKCNさんの言うとおりでしょうが、0.1人なら死刑を廃止すべきとなります。と、書いたところで、再犯被害者がたとえ0.1人だったところで死刑廃止派に鞍替えする物分りのよい死刑支持派は見たことないのですがw

上のほうに詳しく書いてますけど、死刑廃止によって特別予防効果の喪失が実感されることはないでしょう。誤差みたいなもんです。なんとなれば、殺人犯の中で死刑判決を受けるものはごく少数だし、殺人再犯率は比較的低いから。

死刑廃止のもっとも単純なケースは一律無期懲役への減刑ですね。ということで、無期懲役囚の仮釈放中の殺人事案から死刑廃止による再犯殺人被害者数を推定することもできます。平成8年の犯罪白書には以下の記述があります

なお,法務省保護局の資料によると,平成7年1月1日現在,殺人及び強盗に係る無期刑仮出獄者は603人おり,そのうち7年中の再さ囚はり罰金刑以上の言渡しを受けた者(7年中に未処分の者を含む。)は14人である。これらについて,再犯の罪名と処分内容を見ると,道路交通法違反等により罰金刑の言渡しを受けた者が7人,懲役刑の言渡しを受け仮出獄を取り消された者が7人であり,うち3人が殺人又は強盗の再犯者である。

ちょっとOCRがミスっていて分かりづらいのですが、603名の仮釈放者のうち平成7年中に殺人を犯したものが3名、ということのようです。つまり仮釈放者100人当たり年0.5件ですね。母数には収監中の者、獄死した者も含めるべきなので、実際にはこれよりも小さくなります。死刑判決は無期懲役判決よりもずっと少なくて大体死刑判決数の一割から二割くらいです。死刑廃止による再犯リスクというのはだいたいそんな感じ。

>>2923凶悪犯罪が根絶できたら死刑は要らない。それはそう思いますが、その「たら」の実現性がゼロ(としか思えない)ならどうでしょうか?
>>前にも言いましたが、犯罪の起こりやすい社会、起こりにくい社会ってやっぱりあると思います。根絶は無理と解っていても起こりにくい社会を目指すのは有意義なことだとは思っています。ですがそれは、死刑の存廃とは関係なく論じられるべきことなんじゃないでしょうか。

前段はその通りですけど、凶悪犯罪に限らず何かを根絶する(ないし完全に防ぐ)は基本的に不可能なんで、自明なことを自明だと書くのはあまり意味がないです。紫煙狼さんの話は根絶ではなくて凶悪犯罪が減れば、くらいに受け取ればよいのでは。

後段は正しいけど間違ってますね。死刑に限らず刑罰一般で考えてみると、どういう刑罰が必要なのかはそれによってどういう犯罪を罰するのかを抜きにして議論することはできないでしょう。つまり、死刑のあるなしはそれで罰すべき凶悪犯罪を別にして論じることができない。一方で、防犯と死刑の存廃は別次元の問題だというのもその通りであって、死刑をどうするかはさておくとして犯罪を減らす努力は怠ったらだめでしょうね。

2927Ken:2010/06/11(金) 15:44:17
>>2892
そうなるのは、小学校の先生が紫煙狼さんと同じように子供たちがそういう結論を出してほしいと思っているからですね。子供って大人の意向・期待に敏感ですから。

小学校のときに「女と男と偉いのはどっちか」という不毛なお題で討論させられたのを思い出したw

2928紫煙狼:2010/06/12(土) 01:13:33
>>2927
「○○白書」のように関係機関が出した正式文書としてのエビデンスがないのが
痛いところではあるのですが、もともとは教諭同士の飲み会での席で死刑存廃問題が
俎上に上がったのがきっかけで、この試みは行われました。私の手元には約120例の
結果が生データとして保存されています。(本当なら私が論文発表するはずでした。)
もちろん、この120例は「大人の意向が反映される可能性」を考慮し、死刑賛成派の
教諭62人と死刑反対派の教諭60人の協力を得ています。

結果として死刑賛成の結論を出す確率は教師が死刑賛成であるとか死刑反対であるとかに
あまり左右されない(誤差の範囲内)であることが判明しました。また、死刑賛成の結論を
出すクラスは自衛隊職員家庭の割合が非常に高い場合に集中しており(優位性検定で認定
出来るレベル)、自営業や公務員、団体職員などの家庭の割合が多い学級では死刑反対の
結論が出やすいのではないか?(優位性検定でギリギリのラインなので、断定できませんが)
という結果が出ています。

私が持っているデータは北海道地区のものと関東地区のものですが、全国規模で行えば、
もう少し詳細なデータが得られると思っています。

もちろん、全国規模で行った際に「死刑賛成の結論を出す学級」と「死刑反対の結論を出す
学級」の割合がほぼ同じになる可能性を否定するものではありませんが、ひとつの目安には
なると思っています。

2929紫煙狼:2010/06/12(土) 01:20:02
もうひとつ…。

子供達の意見を一つ一つ丹念に調べてみると
「サラリーマン家庭の子供は周囲の意見に左右されやすい」
逆に「自営業家庭の子は意見をあまり曲げない」
また「公務員家庭の子は結論を出すのに非常に慎重な姿勢を崩さない」
という、なんとなく納得できる傾向が見て取れるように感じます。
(これは優位性検定していません)

2930シアン化カリウム:2010/06/12(土) 07:36:10
>>2926
>ケンカは一人ではできませんから。

議論であって、ケンカする気は全くありません。
誰の意見であっても、異論を唱えることはあっても、相手の意見を否定する
つもりはないので…。たとえどんなに間違っていると思っても。
もし否定しているように見えたならすみません。
ただ、個人攻撃や人格攻撃の類は無視するかl、ひどいと思った時は否定
するかも知れません。あしからず。

>無期懲役囚の仮釈放中の殺人事案から死刑廃止による再犯殺人被害者
>数を推定することもできます。

無期刑は、死刑に至らない何らかの酌むべき事情があったから無期刑なの
であって、死刑囚とは母体が違いませんか?しかも、仮釈放の要件を満たし
ているものの話ですから、尚更乖離しているのでは?
で、無期刑…というより終身刑を最高刑としたとすると、刑の基準が下方シフト
することは容易に想像できますよね。仮釈放の基準だって多分この先、甘くは
なっても辛くはならないでしょう。
それらを考え合わせると、死刑廃止後の再犯被害者の数は推定できないで
しょうし、増える要素しかないのが本当のところではないかと思います。
もっとも「仮釈放なし」という話なら、ほぼゼロなんでしょうけど。

2931シアン化カリウム:2010/06/12(土) 08:03:24
>>2926
すいません。連投です。

>603名の仮釈放者のうち平成7年中に殺人を犯したものが3名

問題は再犯者率ではなく、再犯被害者数では?
3名が10人殺していれば、10名では?

そもそも、現在死刑囚が100人前後いたように思うんですが、つまり、日本住人で
死刑を受けるような犯罪を犯す率はだいたい、100/1億、つまり1/100万という
ことになります。無期刑囚がどれだけいるのかよく知りませんが、死刑囚の100倍
いたとして、日本住人の1/1万です。
603人は一般人と同じように暮らしても良いと判断された、いわゆる選りすぐりの
人達だったはず。それが1/200の確率で凶悪事件を起こすのだから、審査が甘い
としか考えられないですね。
それを誤差とか、実感のない違いとかで済ませることには違和感を覚えます。
再犯殺人があったということは、確実にそのために失われた命、人生があるわけです
から。もし、それが他人でなくても看過できますか?

2932Ken:2010/06/12(土) 14:49:40
またまた、そうやって話を逸らそうとする。死刑スレッドで再犯殺人一般の問題を論じるのはやぶさかではないですか、とりあえず死刑を廃止したせいで生じる再犯殺人のリスクに限って話を進めましょう。私が誤差と読んでいるのは再犯殺人全体のことではなくて、再犯殺人全体(あるいは殺人事件全体)における死刑廃止によって生じうる再犯殺人のことですよ。

あと、とりあえずあなたもうちょっと調べてから書いたほうがよいですね。あなたが挙げている数字のうちボールパークなのは死刑囚の数だけですよ。

>>問題は再犯者率ではなく、再犯被害者数では?
>>3名が10人殺していれば、10名では?

前段は正しいですけど、後段は的外れ。被害者が3人の殺人事件ってどれくらいの頻度であると思います?仮釈放中の者が立て続けに3件そんな凶悪殺人事件を犯してたらすごい騒動になってますよ。

>>603人は一般人と同じように暮らしても良いと判断された、いわゆる選りすぐりの人達だったはず。

とりあえず、無期懲役囚の仮釈放の条件を調べてみては。

私が言っているのはこういうことなのです。すごく間違っているけど、あなたの言うとおり無期懲役囚は死刑囚の100倍いたとしましょう。死刑囚を無期懲役に減刑すると無期懲役囚は1%増えることになります。無期懲役囚による殺人再犯リスクと死刑からの減刑無期懲役囚による殺人再犯リスクが同じだとすると、無期懲役囚全体による再犯殺人リスクも死刑廃止により1%増加することになります。

なに?死刑になるような殺人犯は無期懲役判決を受ける殺人犯よりも凶悪なのだから、再犯殺人リスクも高いはずだって?分かりました。それでは死刑判決を受けるような殺人犯の再犯殺人リスクは無期懲役判決を受けた殺人犯の再犯殺人リスクの2倍だとしましょう。この場合、無期懲役囚全体による再犯殺人リスクは死刑廃止により2%増加することになります。

いずれにせよ、無期懲役囚による再犯被害者数(これもだいぶでたらめですが)は10名から10.1ないし10.2名に増えることになります。すなわち、死刑廃止によって再犯殺害被害者は0.1ないし0.2名増えることになります。10人の被害者が10.2人に増えたところで、死刑廃止によって殺人事件が増えたなんて実感できるはずがないでしょう。だって1に満たない端数なんだから。私はこの増加分を「誤差」と読んでいるのですよ。

あなたの数字はデタラメだから、今度はもうちょっとましな数字で。

殺人認知件数はどんどん減ってきてますけど、今はだいたい年に1,000件ちょっとという感じです。それで、そのうち死刑判決を受ける殺人犯の数は年によってこれもだいぶばらつきがありますが5から20名というところです。つまり、殺人犯のうち死刑判決を受けるの約1%。残りの99%の殺人犯の最高刑は無期懲役なので、理論的にはいずれ再犯殺人を犯す可能性があるわけです。再犯殺人の被害者数が多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれでしょうが、死刑によって完全に防ぐことのできる再犯殺人は殺人犯の数で考えればたったの1%。死刑は再犯殺人を防ぐのにほとんど役に立たない、というのがよく分かるでしょう。

再犯殺人は大問題だと本気で考えているのであれば、死刑は維持すべきだとかなんとか主張する前に、それよりも実行力のある、別の手立てを考えたほうがましというもんです。

2933Ken:2010/06/12(土) 15:00:17
>>無期刑は、死刑に至らない何らかの酌むべき事情があったから無期刑なのであって、死刑囚とは母体が違いませんか?

私の挙げた推定値は完璧から程遠いのは確かですが、単なる思いつきで「囚人100人当たり12人」とするのよりははるかにましだとしか。少なくとも根拠はあるんで。もっとよい推定の仕方があるというのであれば、私の数値を修正するのはやぶさかではないです。

>>で、無期刑…というより終身刑を最高刑としたとすると、刑の基準が下方シフトすることは容易に想像できますよね。仮釈放の基準だって多分この先、甘くはなっても辛くはならないでしょう。

これも根拠のない妄想だとしか。無期懲役囚の仮釈放に関する比較的最近の報道読んでます?

>>ケンカは一人ではできませんから。

私が注目してほしかったのは「ケンカ」の部分ではなくて「一人ではできません」の部分だったのですが。ケンカというのはあくまでも比喩的表現であって、KCNさんがケンカ腰だ、などと言いたかったわけではまったくないです。

2934Ken:2010/06/12(土) 15:02:27
>>2928-2929はなかなか興味深い調査結果ですね。ぜひ論文にして発表するべき。

多数のクラスは死刑反対という結論を下すが、少数の死刑賛成クラスを詳しく見てみると親御さんに自衛隊員が多い、ということでしょうか。ということは、子供たちの意見は大人の意向を反映したものである、という仮説は支持されたわけですね。この場合、教師よりも親のほうが影響力が強いだけで。

死刑反対の多数派小学生が大人になると死刑賛成に転じる理由が知りたいですね。

2935loveless:2010/06/12(土) 23:19:33
>>2525
>逆じゃないすかね。地縁・血縁が弱まる代わりに赤の他人への信頼・協調が高まる。男女が平等で個人が自立している。コネが効かなくなる。競争が公正になる。腐敗が減る。警察が機能するようになる。法の支配が強まる。経済が発展する。結果的に犯罪は減るでしょう。

それらは、まさに国家・社会が強い例ですねw
>>2924
#「自由闊達」という表現だとポジティブなイメージしかないので「勝手気まま」という表現の方が正しかったかな?
#「自由」には正の方向だけでなく負の方向もあったりします。。


>旧弊に捕らわれない欧州・アングロサクソン諸国と地縁・血縁・因習に捕らわれたイスラム諸国との比較でもいいし、今の日本と昔の日本との比較でもいいし。

別にそんなに難しく考えなくとも、例えば、著作権法が改正されたことで、ネット上の無許可コンテンツを私的に
ダウンロードしただけで今は違法になります。現時点では罰則がありませんが、罰則が設けられ、専門の警察機関とかが
設置されるなど国家の関与が高まれば、個人の自由はその分失われます。

2936loveless:2010/06/13(日) 00:04:11
無期懲役の仮釈放中の殺人について、ちょっと話題になっていますが、、、
自分が前に調べたときは、
1990-2007間で無期懲役刑の仮釈放者は222人で、そのうち殺人を犯したのは5人でしたので約2%ですね
ご存知のとおり、2000年代は無期懲役の仮釈放者が減っていますので、もう少し遡って数えれば割合は減っていくと思います。

2937シアン化カリウム:2010/06/13(日) 11:06:39
>>2932
>死刑は再犯殺人を防ぐのにほとんど役に立たない

それは、再犯殺人全体の何%とかいう話でしょう?
あなたは、死刑廃止による再犯殺人の増減のみを対象としているのか、
死刑廃止に関係なく再犯殺人を語っているのかどちらでしょう?

死刑廃止による再犯殺人の増加という観点なら、ゼロ対ノットゼロでは
ありませんか?「化けて出て呪い殺す」って殺人をないものとしたら。
自分は死刑の再犯殺人抑止力は100%で、これより確実な方法はない
と思ってますけどね。
(くどいようですが、死刑と同等の抑止力は仮釈放なしの終身刑のみと
思ってます。生きている以上、死刑には劣ると思いますが。)

あるところでは死刑存廃関係なく、あるところでは死刑廃止に伴う部分
のみとかでは噛み合わないのではないでしょうか?

もっとも、自分は再犯殺人全体の話でも構わないです。どちらかに統一
はすべきかと。

2938減二:2010/06/13(日) 17:09:21
雑談のスレッドの方から来ました。立場を明確にするためにこちらの方々に自己紹介を致します。
私は、死刑制度とは国家にいけにえを献上する事だと考える。
私の考えは逆説的で、犯罪をなくすためには犯罪者になりにくい性格や性質を形成することにあるのでは無く、
犯罪を統治するいけにえ制度がなくなれば犯罪もなくなると考える。
あらかじめ死刑になる人の人数が決められているのだとしたら、
その人数に合わせて犯罪者を用意しなければならない。
なぜやっているのかというと、あんなことをしたら死刑になっちゃうわよと子どもに諭し、
お前ら言うことを聞かないとあのようにされるぞと脅しに使い、その事により社会を統御するためなのだと私は思う。
事件を機に政治的な事も動いていく(例えば○○の事件が起こったら首相が交代など)。
常に脅しが必要だから、やめられないのではないか。そして、社会をうまく循環させるために行なっているからではないか。
人間のエゴがある限り廃止ができない。存置し続けなければ人間を統制できないのではないだろうか。
以上が私の考えです。

2939減二:2010/06/13(日) 21:24:57
私は誤字が多いです。すみません。
機→基

2940減二:2010/06/13(日) 21:59:47
ああ、やっぱり間違っていなかった。
あとで辞書を調べたら機には、きっかけという意味があった。
たびたび申し訳ありません。

2941減二:2010/06/13(日) 23:31:26
しかもなんだか止まっている。
皆様、私の事はお気遣いなさらず、先をお続けくださいますよう‥

2942シアン化カリウム:2010/06/14(月) 02:00:26
>>2925
横レスですが、自分は自由な社会ほど犯罪は多くなるのではないかと思います。
社会の規制が緩ければ、自己規制に頼る部分が大きくなるからです。
それがいいか悪いかは別にして、ごくシンプルに考えてもそう思います。
文章を切り刻んでレスすることもされることも嫌いです。あなたの文意を理解しよ
うと努力しましたが、論理の飛躍、破綻、矛盾を感じ、やむなく小間切れになって
しまったことを残念に思います。

>地縁・血縁が弱まる代わりに赤の他人への信頼・協調が高まる。
人との関わりが煩わしいという理由で地縁血縁が疎遠になっていっているのでは?
赤の他人との信頼・協調が高まる根拠がわかりません。

>男女が平等で個人が自立している。
だからって自給自足したり雌雄同体になって自己増殖もしないでしょ?
何がどう変わると言いたいのかよく分かりません。(前後関係からしても)

>コネが効かなくなる。競争が公正になる。腐敗が減る。
この部分だけは関連性が想像できます。でも、あなた自身の前段での赤の他人との
協調が強まるという前提に立てば、矛盾しているし効果は期待できませんね。

>警察が機能するようになる。
>法の支配が強まる。
>経済が発展する。
どこから、どういう風に考えるとこういう理屈が導かれるのでしょう?

>結果的に犯罪は減るでしょう。
経済の発展はマイナス面もあるのでは?
それと、loveless さんの言うように法の支配が強まれば当然自由は制約されますよね?
あなた自身の理論が「自由を規制すれば犯罪が減る」という結論になってますよ。

2943無精髭:2010/06/16(水) 02:51:37
>2925>2935
lovelessさんとKenさんは、何をもって国家なり社会なり個人なりを強いとするかで
意見が分かれている気がしますね。ただ失礼ですけど、それが何かっていうのをお二人
ともハッキリ仰っていないからぜんぜん話がかみ合っていないように見えますし、
はたから聞いてても話がよくわかんないですね。ところで、中国ってKenさん的には
まだまだ国家強い・個人弱いって感じなんでしょうけど、lovelessさんから見ると
逆なんでしょうかね?

>2938
日本にも1989年から3年以上続いた死刑モラトリアムがありましたよね。死刑制度が
いけにえを欲し、それによって社会を統御するものなのだとしたら、なんでそんな長期に
亘って死刑執行を停止していたんでしょうね。

>(例えば○○の事件が起こったら首相が交代など)
死刑相当犯罪が起こった責任を取って首相が辞任したなんて話ありましたっけ?

>2937
いや、再犯殺人全体の何%を云々しないと「再犯殺人全体(あるいは殺人事件全体)
における死刑廃止によって生じうる再犯殺人」を誤差とみなすこともできません。

>2942
シアンさんは、法であればなんでもかんでも個人に不自由をもたらすとか思って
いらっしゃるのですか? そりゃあいくらなんでも無茶でしょう。著作権法だって
個人の権利を保障するものでもあるわけですし。また、たとえば独禁法は競争の
公正化、すなわち経済の発展には欠かせないものでしょう。法の支配が経済を
発展させるというのは、経済学では常識なんじゃないですかね。

2944シアン化カリウム:2010/06/16(水) 05:34:38
>>2943
>いや、再犯殺人全体の何%を云々しないと「再犯殺人全体(あるいは殺人事件全体)
>における死刑廃止によって生じうる再犯殺人」を誤差とみなすこともできません。

・・・・であるから、この違いは誤差と見なすことができる。
ではなく、
この違いを誤差と見なすためには、・・・・でなければならない。
ということでしょうか?
結論ありきで論じているならツッコミを入れてもしかたありませんね。

>法であればなんでもかんでも個人に不自由をもたらすとか思っていらっしゃるのですか?

そんなことは言ってないつもりですが・・・。

>著作権法だって個人の権利を保障するものでもあるわけですし。
>独禁法は競争の公正化、すなわち経済の発展には欠かせないものでしょう。

法人を含む著作権者の権利を保障するものでは?それはさておき、自由、不自由という
観点だけで論じるなら、著作者の権利をまもるということは、著作者以外の自由を制限
するということです。独禁法は競争の公正化は確かだと思いますが、だからといって市場
への新規参入を促進するものとまでは言えないと思います。経済の発展という指標では
それこそ誤差程度の寄与しかないのでは。

しかし、あなたは著作権法と独禁法という面白い素材を持ち出された。一方で独占を推進し、
一方で独占を制限する。いわゆる法の二枚舌ではないでしょうか。業界や有力者、外圧の
政治、政策的意図を持って都合のいいように誘導されている。しかも建前は個人、弱者の
保護といった聞こえのいい御旗が掲げられる。ただの被害者意識でしょうかね?

ちなみに、自由と犯罪の増減がそもそものテーマでしたよね?
で、法の強化によって自由がどちらに傾くのか。
経済は完全に横道なので、とりあえず棚上げしませんか?

2945Ken:2010/06/16(水) 13:36:50
>>2942それと、loveless さんの言うように法の支配が強まれば当然自由は制約されますよね?

逆です。あなたの「法の支配」の理解は変です。法の支配というのは法律がたくさん実施される、とかいう意味ではないです。

>>法の支配(ほうのしはい、英:Rule of Law)とは、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D
↑良記事。英語版も詳しい↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Rule_of_law

法の支配というのは国家権力をどうやって縛るのか、という話であって、法の支配が強まれば、国家権力が恣意的に運用されなくなり、個人は国家からのいっそうの自由を獲得することになります。

私の書き方も悪かったのですが>>2925は法の支配の強い国々の特徴を箇条書きしただけであって、相関関係を示したかっただけで、個々の記述の間の因果関係を示唆したかったわけではないです。たとえば、上掲Wikipedia記事の図を見てもらうと分かると思いますが、法の支配の強さとGDPには高い相関があります(法の支配の強い国々は経済力が高い)。

2946Ken:2010/06/16(水) 13:41:13
>>2935「自由闊達」という表現だとポジティブなイメージしかないので「勝手気まま」という表現の方が正しかったかな?

そうですね。「自由」という言葉を「犯罪行為を行える自由」という限定した意味で用いれば、自由がなくなれば犯罪は減るし、自由が増えれば犯罪は増えるでしょうが、それはどうしようもなく当たり前のことです。

無許可コンテンツのダウンロードの取り締まりに対する見解は一面的過ぎるのでは。無許可のアップロード・ダウンロードは著作権の侵害であり、デジタル・コンテンツの作製者の経済的自由を奪っています。すなわち、無許可コンテンツのダウンロードの取締りは一方的に市民の自由を奪っているわけではなく、市民の中にはそれによって自由・権利を回復することのできる人もいます。無制限の自由などというものはそもそも存在しないのであって、公共の福祉に反するダウンロードが制限されるのは仕方のないことでは。

この問題は結局、私人間の利害の対立についてどこを落としどころにするのか、という問題であって、国家は単に調整役でしかなく、この事態をもって「国家が強くなる」と呼ぶのは違和感があります。「著作権者が強くなる」とは言えるでしょうが。あるいは、Lovelessさんが書いている通り、「国家の関与が高まる」とも言えるとは思いますが。

これに対して、たとえば中国のインターネット検閲は国家が国家にとって都合の悪い情報を取り除くために行うのであり、「国家が強くなる」というのはそういう事態を私は念頭においていました。

2947Ken:2010/06/16(水) 13:48:10
>>2397
>>2932と髭さんの補足が理解してもらえなかったようで、書き直したところで徒労に終わるだけでしょうが...

うまいたとえが思い浮かばないのですが、たとえば激辛カレーがあってKCNさんには辛すぎて食べられなかったとしましょう。そこで、一つまみの砂糖を入れてみることにします。元のカレーには砂糖は入ってないので砂糖の量に関しては「ゼロ対ノットゼロ」、比率にすれば後者のカレーには砂糖が無限大入っていることになります。しかしながら、激辛カレーに砂糖一つまみなど焼け石に水、それでもKCNさんにはやっぱり辛くて食べられないことには変わりがありません。つまり、激辛カレーの辛さに対して砂糖一つまみの甘みは誤差のようなものであって、無視されます。

同様に..

殺人犯が100人いたとしましょう。今のところ死刑になるのはそのうちの一人だけです。つまり、残りの99人には再犯殺人を犯すおそれがあります。厳罰化して死刑判決を二倍出すようにしたところで、再犯殺人を犯すおそれのある人数は一人減って98人になるだけだし、死刑を廃止したところで、再犯殺人を犯すおそれのある人数は一人増えて100人になるだけです。すなわち、死刑のあるなしによって再犯殺人を犯すおそれのある殺人犯の母数には事実上変化がありません。

つまり、死刑の存廃は再犯殺人と絡めて議論する必然性はどこにもありません。言い換えるなら、再犯殺人を減らすためには死刑以外の対策を講じる必要があります。

2948Ken:2010/06/16(水) 13:50:08
上のはKCNさんの>>2937に対する応答でした。

2949無精髭:2010/06/16(水) 23:54:10
>2944
結論を受け入れる・受け入れない以前に、シアンさんが>>2932の論旨を
理解なさっているなら、

>それは、再犯殺人全体の何%とかいう話でしょう?/あなたは、死刑廃止による再犯殺人の増減のみを対象としているのか、/死刑廃止に関係なく再犯殺人を語っているのかどちらでしょう?

なんてことをお書きになるわけがありませんから、それをご理解いただくために、
「再犯殺人全体(あるいは殺人事件全体)における死刑廃止によって生じうる
再犯殺人」を論点として取り上げるためには、部分と全体の比較からその差の
大きさに注目する必要がありますから、まず部分を割り出すために再犯殺人全体の
何%を云々する手続きが必須なのは当たり前ですよねと申し上げたかったわけです。
で、Kenさんは>>2926から今に至るまでしつこいくらい「死刑を廃止したせいで
生じる再犯殺人のリスク」なんて取るに足りない誤差みたいなもんだと仰っている
わけですが、他の人がそれを誤差と見なすかどうか、たとえ誤差と見なしたとしても
それを無視しないかどうかは結局その人自身の判断にかかっているわけで、Kenさんも

>>2926この議論のキモははたして再犯被害者が囚人100人につき12人なのか0.1人なのかにかかってますね。12人ならKCNさんの言うとおりでしょうが、0.1人なら死刑を廃止すべきとなります。と、書いたところで、再犯被害者がたとえ0.1人だったところで死刑廃止派に鞍替えする物分りのよい死刑支持派は見たことないのですがw

と書いていらっしゃる通り、そのことは百も承知でしょう。シアンさんも誤差の件を
認めざるを得ないのだとしても、それでもまだ死刑の特別予防効果にこだわりたい
のであればこだわればよいわけですし、反証できるのであれば反証なされば
よいわけです。その場合Kenさんが譲歩されることもありえるでしょう(>>2933)。
つまるところ、自分とKenさんとでどうも話がかみ合わないとシアンさんに
思われるのは、死刑廃止による再犯殺人リスクの増加というのは再犯殺人全体
としてみれば誤差のようなものでしかないと私が考えるのはこのような理由
からだというKenさんの文脈(>>2932)をシアンさんが全く理解していらっ
しゃらない(理解しようと努力していない?)からではありませんかね。

2950無精髭:2010/06/16(水) 23:54:45
Kenさんの>>2925はKenさんご自身が認めていらっしゃるように論旨不明瞭
なので、論理の飛躍だの破綻だの矛盾だのを指摘するのはおろか、補足的に理解
することさえ非常に困難だと私には思われました。でも、シアンさんは>>2942
それをいとも簡単にやっておられるから正直言って不思議でした(ちなみに当の
Kenさんが仰ったように、>>2925において個々の事象間の因果関係を記述する
おつもりがなかったということくらいは、その形式上、私には容易に想像できました)。
で、Kenさんの論旨不明瞭な書き込みに対してありもしない形式を想定して飛躍
だの破綻だの矛盾だのといった批判を加えることができてしまうというのは、
もしかしたらシアンさんが法に対して両極端な考えを持っていらっしゃる
(法と個人との関係については一面的な見方しか持っていらっしゃらない)
からではあるまいかと不遜ながら推測させていただいたわけです。

ですが、>>2944を読んでその点については単なる杞憂だったことを確認
いたしました。「法の二枚舌」という言葉は耳にしたことがありません
でしたが。それはともかく、

>独禁法は競争の公正化は確かだと思いますが、だからといって市場/への新規参入を促進するものとまでは言えないと思います。経済の発展という指標では/それこそ誤差程度の寄与しかないのでは。

これには驚きました。競争の公正化には独禁法が欠かせないということにはご賛同
いただけるのに、経済発展には競争の公正化が欠かせないということにはご賛同
いただけないのは、まったく腑に落ちません。国が取る競争政策において独禁法は
なくてはならないものだというのが、私を含む多くの人間に共通する認識だと
思っていたのですが。

競争の公正化が経済発展に誤差程度の影響しか与えないと仰るのなら、当然競争の
公正化など行わずとも現状のように経済は発展しうるのだと考えていらっしゃら
なければなりますまい。しかし、もしお暇があるのでしたらぜひ各国の経済史を
紐解いていただきたい。競争の公正化が未発達だった頃の経済を知れば、生産・
消費構造、市場規模、富の増殖等の単純さ・ちんけさに驚き呆れることでしょう。

それと、独禁法は何も競争の公正化のみを保障するものではありません。
およそ競争に関わる政策の柱でもあるわけですから、それを公正化という役割
に限定して捉えてその多様な意義を無視するというのは、自由競争は経済発展
にほとんど寄与しないと仰っているようなものです。

また、企業のあらゆる独占形態を取り締まり、その利権を解体することが
あらたな企業の新規参入の足がかりにならないはずがありません。というか、
独占企業が存在するからこそ新規参入が事実上不可能になるわけでして。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E5%8D%A0

「法の支配」についてはKenさんがなさったようにウィキペディアのリンクを張れば
よかったですね。まぁ、一番馴染みやすい例は憲法でしょうね(以下には「法の支配」
についての記述もあります)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95#.E6.B3.95.E3.81.AE.E6.94.AF.E9.85.8D
これは国家権力の象徴ではなくて、これをもって主権者である国民が国家に対して
順法を要求することでその舵を取るという色合いが濃いですよね。

ところで、経済の話題は完全に横道だからとりあえず棚上げにしてはとのことですが、
もともとlovelessさんとKenさんのやり取りから派生したテーマの一つですから
私がどうこう言える立場ではないと思いますし、それを有意義なテーマであると
考えるかどうかはとりあえずお二人の判断に任せたほうがよろしいかと。

2951loveless:2010/06/17(木) 00:37:08
>>2946
別に私は国家観や憲法論議をしたいわけではなく(してもよいけど、ここではレス違いですよねw)、
単に死刑制度に関する派生的なネタとしてレスしたので、そんな大げさなものではないです。

著作権の例が悪いというならば、例えば、銃刀法などでは、、
自由に銃が持てない日本では銃による犯罪は少ないですよね。

また、以前は、ダガーナイフ・バタフライナイフの所持や販売は自由でしたが、事件をきっかけに
それらの所持・販売は「罪」となりました。
#それ以降は、それらによる犯罪は起こってないと思います。
これらは、ナイフ愛好家にとっては自由が奪われた形になっていますが、犯罪の抑止には効果があると思います。

蛇足ですが、刑法では、姦通罪なんてものがありましたが今は廃止され「不倫は文化」と公言しても、
まあ捕まらないわけですw
不倫のある社会とない社会で、どちらが良いか私には判断つきませんが、不倫が原因の殺人事件とかも
起こったりしてますよね?
姦通罪が意識され、不倫に対する感覚が今より厳しいものだったりすると、そういう犯罪の抑止には
少しは役立っていたかもしれません。(まあ、姦通罪の復活は反対ですけど。。)

2952シアン化カリウム:2010/06/17(木) 06:30:15
>>2950
>法と個人との関係については一面的な見方しか持っていらっしゃらない
>競争の公正化が未発達だった頃の経済を知れば…

自分は、法とはプラス面だけでなく、表裏一体でマイナス面もあると思って
います。利害が対立する者の間に法律があり、仲裁するということは、各人
の権利を守るとともに制約を加えるものだと思っています。

法律は、人が人として生きることを保障するため、人の特権を守るため、
団体の意を酌むため、国家支配を容易にするため、他国に介入する道を
作るためなど、様々な動機で制定されているのではないでしょうか。
刑法は、国家国民の安全保障が主たる目的といったところでしょうか。

法の支配という言葉を、国家権力濫用の抑止力という意味のみに使用され
たのなら自分の早合点だったかもしれません。
しかし自分が思うには、国家権力濫用と同様、法の濫用・悪用も充分に危険な
リスクを背負ってるように感じます。
法は常に諸刃の剣で、放っておけば陳腐化し時代に合わなくなるし、かといって
軽々に変えればいいというものでもない、自分は独禁法の経済効果を否定して
いるつもりはありません。ただ、市場経済の黎明期と現在の経済環境で比較
してもしかたないし、現状においては独禁法はその役割を終えている面が多々
あるのではないか、そしてその効果は軽微なものになっているのではと思った
だけです。(存在や過去の功績を否定するつもりではありません)

2953Ken:2010/06/24(木) 15:30:30
Lovelessさんにリバータリアン的傾向があるのは知ってたし、その問題意識はよく分かりますが...

たとえば、その銃規制ですけど、米国には銃器を所持する自由があるわけですが、そのせいで犯罪を恐れて夜の街を出歩けないとしたら、やっぱり不自由ですよね。結局、私とLovelessさんの違いは「自由」をどう定義するかによるだけのようですが。

というようなことを考えていたら、ちょうど都合のよい記事を見つけた(とはいってもウィキペディアンによる作文ですが)↓
消極的自由
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E6%A5%B5%E7%9A%84%E8%87%AA%E7%94%B1

Lovelessさんが言っているのが消極的自由、私が言っているのが積極的自由。ないし「リバータリアニズムとリベラリズム」「自由権と社会権」「国家からの自由と国家による自由」といった対立のようです。

2954無精髭:2010/07/05(月) 21:36:03
偶然見つけた死刑論をいくつか。
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-5026.html
http://f26.aaa.livedoor.jp/~nanase/sikei.htm
二つ目のリンク先にあるテキストはどれも色々と突っ込みどころがありそうですけど、しかしながら
「死刑問題の理論的検討・再試論」はこちらでの最近の議論に内容がリンクしている観がありますので
思いのほか参考になるんじゃないでしょうか。近頃は、廃止論者にとって一番厄介、というか議論は
成り立つだろうが最終的に妥協に至れない相手は、「無実の人間を死刑にする可能性があっても、
それは仕方がないことである」みたいな決意を固めてしまった(結論に至ってしまった)存置論者では
ないかと思っています。それはともかく二つともカレーライスさんに読んでもらいたかったですね。

2955:2010/07/16(金) 05:41:25
死刑は必要

2956:2010/07/16(金) 06:05:37
 死刑は賛成ですが日本は無期懲役と死刑の差が大きすぎる日本は終身刑が必要 今の日本の無期懲役は最大30年
死刑廃止論は最近はかなり勢力を失ってるらしいですので死刑廃止論は少数派の意見になってきてるらしいです ちなみに僕は戦争には反対
http://news.biglobe.ne.jp/social/493/jc_100222_4938475009.html
http://homepage2.nifty.com/shihai/report/100220shibuya/report.html

2957ゼロ:2010/07/16(金) 10:23:26
>>2956

>今の日本の無期懲役は最大30年

デタラメ書かないでね。

2958:2010/07/16(金) 15:19:52
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%B2%E5%BD%B9#.E7.84.A1.E6.9C.9F.E6.87.B2.E5.BD.B9

2959ゼロ:2010/07/16(金) 15:46:30
>>2958

だから、日本の無期懲役は最大30年じゃないよー。
デタラメ書かないでね。間違って理解してるよー。

2960無精髭:2010/07/16(金) 20:59:37
苦笑。


「あ」さんが>>2956で張ったソースですけど、「死刑廃止論が勢力を失っている」
とか「少数派になってきている」といった事実を示すつもりでそれを張ったのなら
失敗しているとしか言いようがないですねぇ。だいたいアムネスティのアンケートを
論拠にしている時点でアウトでしょうw 以下、リンク先から転載しておきます。

  アンケート結果は以下のとおりです(回答総数:240人)。
  Q、裁判員に選ばれたら、あなたは死刑判決を出せますか?
  「出せる」 110人(45.8%)
  「出せない」 97人(40.4%)
  「わからない」 33人(13.7%)

  「出せる」が「出せない」をやや上回っていますが、2月上旬に 発表された
  内閣府の世論調査での、約85%が「場合によっては 死刑もやむを得ない」と
  回答した結果に比べると、「わからな い」も含めて、自分自身の判断としては
  慎重にならざるを得な いという気持ちがうかがえる結果ではないでしょうか。

>>2958も含めて、「あ」さんは自分が出したソースの内容すらよく理解していない、
もしくは誤解しているわけで、ハッキリ言って、感情だけが先走って物事を冷静に判断
できない人に裁判員はやってもらいたくないですね。


とりあえず「あ」さんはこれを読んで出直してくるべき。

無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ
http://www.geocities.jp/y_20_06/

2961Ken:2010/07/17(土) 12:19:26
>>今の日本の無期懲役は最大30年

最高が有期刑と同じなんだったら無期懲役なんて要らないわな。

このアンケートのとり方はダメダメですけど、興味深い結果ではありますね。内閣府の世論調査では9割近くの人が死刑制度を支持しているのに対して、裁判員として死刑判決が出せるかと聞かれればそれが半分くらいに減っちゃうんですね。死刑に対して当事者意識が持てるか、リアルに想起することができるかが死刑廃止にとって鍵のような気がします。

2962Ken:2010/07/29(木) 13:18:40
なんか、死刑が執行されたみたいですね。

千葉さんってこの間の選挙で落ちた人ですよね。でも、執行に立ち会ったり、報道陣への刑場の公開を支持したりと、なかなか好感がもてますね。

保守陣営がどういう反応するのか興味があったのですが、こんな感じ↓

【視点】人の死に「政治的演出」 千葉法相の死刑執行命令
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100728/plc1007282201023-n1.htm

【死刑執行】「国民にレッドカードの法相がすべきことか」野党から批判・疑問の声
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100728/stt1007281324006-n1.htm

なんか、はしごをはずされて戸惑ってる感じ。

産経・村上智博記者>>千葉氏は死刑を執行しないと信じ、しばしの安(あん)堵(ど)を得てきた死刑囚たちは、心をなぶられた形だ。

死刑囚の心が大事なのだったら、最初から死刑なんて廃止したほうがよいですね。

2963Ken:2010/07/29(木) 13:34:50
>>2653>>2658
こんな記事見つけた。よく考えたら、「中国」と聞いて櫻井さんが黙っているはずがないですね。

【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】中国死刑執行に物申せ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100408/plc1004080327003-n1.htm

櫻井>>麻薬犯罪にかかわっていたことは憎むべきことである。その罪を軽く見る気は毛頭ない。
櫻井>>薬物犯罪が重大な犯罪であることは十分に承知している

同じことを二回もエクスキューズしているのが滑稽ですね。あと死刑に関してヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティを引用してるのも世も末ですね。

>>そもそも、現代社会では薬物犯罪者への死刑適用の是非が問われている。人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の土井香苗代表は、中国は65種の犯罪に死刑を適用しており、汚職など、人命を奪ったわけでもない犯罪を含めて、このように多種多様の罪に死刑で対処する国は、「世界で例外的存在」だと非難する。

それ言っちゃうと、そもそも現代社会では死刑そのものの適用の是非が問われているわけであって、日本も世界では例外的存在ですよ。

結論:櫻井さんが死刑自体に反対なはずはないので、中国の死刑は汚い死刑、日本の死刑はきれいな死刑。

2964無精髭:2010/08/01(日) 11:08:02
>2962
法務省幹部に圧力を掛けられたとも言われていますけどね。それはさておき、、、

千葉氏がそうまで批判されるのは、落選した分際で法相やってんじゃねぇみたいな理由ばかりでなく、これまでの政治的
言動なり立場なりが大きく影響しているんでしょう。在日韓国人政治犯釈放の要望書に署名した件しかり、人権擁護法案
とそれに続く推進的議論しかり、外国人の権利拡張に関する提言しかり、などなど。敵が多い人は大変ですね。

多分この話題には下の記事が関連しているはず。

佐々木俊尚「ブレイクスルーな人たち」
東浩紀(批評家・作家) vol.1
「『レッテル張り』で政治を語るのは簡単ですけど、僕はやりません」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/889

ちなみに、ここで東氏は「南京大虐殺」について一言言及していますが、おそらく氏に対する批判というのは以下のような感じかと。
http://watashinim.exblog.jp/8879908/
http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20100625/1277437244
蛇足ですが、はてダの方で紹介されている
>これが大学生の部屋かよ&「中央公論」東×茂木対談 - 紙屋研究所
これは東氏に関する記事としては結構的を射たものだと思います。

そういえばこの前の「朝生」では堀紘一氏から「さっきから人の批判ばっかりして」「自分の意見を言ったら?」
「もう帰れよ」とかなんとか言われて一旦は退場したあずまんでしたが、氏もとにかく敵が多い方のようです。

>2963
前に何度かシェンさんが、ビジネス目的の廃止派は廃止派全体の評判を落としていると仰ったことがありましたが、
そういう迷惑感が櫻井氏にもあるんじゃないでしょうかね。中国のような人権後進国の法制度や死刑運用ではとても
国際社会の理解を得られるものではないだろうし、ただでさえ死刑は非人道的な刑罰だと非難される流れが強いのに、
その状況を無視する形でバンバン死刑を執行したりなんかすれば、死刑廃止国からその国に非難が集まるだけでなく、
他の国の死刑も槍玉に挙げられるじゃないか、とか言ったような。肝っ玉が小さいといえば小さいのでしょうが。

2965森蔵:2010/08/11(水) 15:31:25
ところで、ここの皆様は「死刑制度反対」なのでしょうか?
私は、反対ですが、本当の意味での「無期懲役」「懲役300年」などの刑は必要不可欠かと思います。

2966減二:2010/08/12(木) 19:03:49
森蔵様
社会が(狭義の意味での地域、人々)が見せしめを要求する限り、死刑制度は
必要ではないかと思います。死刑制度が必要なのは、人々がこれをやったから
こうなったという具体的な事例を見本(悪い見本)として要求しているためだと思っています。
社会を良くするため、国民を統一し悪い見本を提示し、
そのようなことはしてはいけない事だと示すために行われていることだと思っています。
ただ、この制度は時代にそぐわなく、残酷です。
現在犯罪を犯して刑務所に入りたいなどと思う人は居るのでしょうか。
いつも、見せしめを用意し、それを糧に安堵している日本は正しい国なのでしょうか。
日本が、死刑制度を廃止すると見せしめが居なくなるので、新しい方策を考えなければならないと思っています。
いろいろ考えて、私は死刑は、反対でもないし賛成でもありません。

2967ひとこと:2010/09/11(土) 07:07:10
>>2966
横レス失礼します。

>現在犯罪を犯して刑務所に入りたいなどと思う人は居るのでしょうか。

今食べるものに事欠いて、金もなく、家もなく、明日をも知れぬ生命となれば、
粗末ながらも衣食住が保障される刑務所に行きたがっても、全く不自然とは
思いません。
まして、終身刑があるなら、自分の生きている限り保障が付いてくるわけです
から、凶悪犯罪を企てるかも知れません。
借金や、イジメなどで、精神的に追い込まれた場合も、逃避先として選択肢に
入るかも知れません。
単なる見せしめという考えは、ちょっと違うかなと思います。罰を甘んじて受けて
でも、今の環境を抜け出したいという選択肢になってはならないのだと思います。

2968Ken:2011/01/14(金) 14:59:58
この特集はどの記事も興味深かったです。

死刑の世界地図
http://globe.asahi.com/feature/101018/

>>2967まして、終身刑があるなら、自分の生きている限り保障が付いてくるわけですから、凶悪犯罪を企てるかも知れません。

刑務所に志願したいだけだったら別に凶悪犯罪を犯す必要性はどこにもないですねー。実際、刑務所で一生の大半を過ごす人というのは軽微な罪で舞い戻る場合が多いです。出所しても仕事が見つからず食い詰まって無銭飲食で捕まるとか。性犯罪を繰り返すとか。薬物を繰り返すとか。

生きながらえるためだけに凶悪犯罪を犯すというような人はまずいないでしょう。常識的に考えて。大量殺人犯とかたいてい、もう人生どうにもならなくて自殺も考えたけどそれも決行できず、何もかもむちゃくちゃにしてやりたくてやけくそでやったとか言う人が多いですね。

2969無精髭:2011/01/25(火) 22:52:34
>>2965
多数決ならともかく議論する上では、賛成か反対かってことにこだわるのは
さほど意味がないように思われますが。

自分と同じ立場を表明している人の場合、たとえその立場に至るまでの道程が
自分と異なっていたとしても、結果として立場が自分と同じであるという端的な事実が
前提(仇)となって、お互い相手との対話における価値は低く見積もられてしまい、
更なる対話の可能性は著しく損なわれることでしょう。激しく対立する二つの立場が
あるとして、どちらか一方に属する者にとっては大抵、己の出自に共通する点がより
多く見出されるのは、敵方よりも同志に対してなのです。自分と似ていることが分かり
きっている人物と「私たちはお互い似ている」という点で話を掘り下げるなんて
真似をする人は珍しいのではないかと。

しかしながら、個人がある特定の立場に至るまでの経緯というのは、立場なり結論なりが
そこで初めて機能する場としての思想的対立とは本来無縁であるはずです。どのような個人も、
思想的対立の枠組みを理解した上でどちらか一方の立場に立つのではなく、悩み考えた末に
特定の立場に立たざるを得なくなってから、はじめて自らが立っている場所が思想的対立に
おける一方の立場であることを理解し、受け入れるからです。それは個々人が自分の
意思(特に思考過程)とは無関係に、思想的対立に巻き込まれることに他なりません。

また他方で、自分と相対する立場を表明している人に対しては、レッテル貼りとか
雰囲気批判とかいった悪どい手段が横行しちゃうんじゃないでしょうか。(その人と
同じ結論・立場だからという理由で)実はその人とは異質の賛成派ないし反対派の
文脈を強引に持ってくることで、そういった禁じ手を正当化しちゃう人っているでしょ?
「お前もあいつと同じ考えなんだろ? 何か反論してみ?」とか無理難題を吹っかけて
来る人とか。「だいたい『あいつ』って誰だよ」って言いたくなる。いずれにしろ、
議論を始める前から賛成だの反対だのに自他の別なくこだわる輩は、むしろ有害ですね。
色んな意味で。

死刑を廃止したいと思うなら、自分たちは一体何を廃止しようとしているのかを知る
必要があるでしょう。また、これは同時に自分たちはこれまで一体何を存置してきたのかを
知る必要もあるということです。結局、死刑を具体的に語るということに立場の違いなど
あるはずがありません。

2970無精髭:2011/01/25(火) 22:53:18
と言いつつも、賛成・反対の意をあらかじめ示しておくことにも利点がないわけ
じゃないでしょう。早い話、先入見むき出しで相手の主張を読み解くことが
できますから、議論に費やす労力は格段に減るw 早とちりして同意見の人に
噛み付くような人もいなくなるでしょうし。その代わり、たとえば死刑に反対して
いる人に向かって、お前は公共事業にも反対するんだなとか言って、死刑議論の中で
滔々と公共事業の必要性について述べまくるなんて人が湧いてきそうですがw
あと、賛成派と反対派が截然と分かれているのを見て、自分はどちらに加わった
ほうが有利・あるいは賢明かといった、風見鶏・日和見的態度を取ることも
簡単にできるでしょうね。

何はともあれ、賛成・反対の意思表示をしたほうがいいかどうかというのは、
結局のところ読み手を意識するかどうかの問題なんですよ。「私は○○に賛成です。
なぜなら、うんぬんかんぬん」という意見の述べ方が読み手にとって、負担が軽く
優しいという意味で、分かりやすい形式であるのは無論です。しかし、それも読み手に
全幅の信頼を寄せることができる状況に書き手がある場合にのみ、有意義な手法と
いえるでしょう。悪しき読み手が跋扈するような、あるいは良き読み手と悪しき読み手が
混在しているような場所では、先に言ったようなリスク・デメリットが生じるわけです。

結論にこだわる人というのは、結論で説かれていることから遡って、その人間の思考
過程を裁断しようと試みるでしょうから、結論が自分にとって受け入れがたいもの
であれば、自身の好悪に基づく抵抗感(潔癖)という主観があだとなって、相手の思考
過程に忠実に接したり、客観的に評価したりすることができなくなるはずです。結局
こういう人は、相手の結論に相手の人間性(本性)を見出そうといつも必死なわけですね。

一方、結論よりも思考過程にこだわる人は、結論がしょせん思考過程の一部に過ぎ
ないということをよく心得ていますから、相手(自分)の結論が相手(自分)の人間性を
反映し得るなどとは、万に一つも考えないわけです。またこういう人は、相手の言いたい
こと(意図)や相手の人格よりも、相手(つまり自分でない者)による物事の捉え方を
知りたいと考えるので、主張の一部分よりも主張全体の連関を注視する傾向にある
でしょう。ですから、極端な話、思考過程さえしっかりしているなら結論など
どーでもいい、という気持ちにすらなれるわけです。

2971無精髭:2011/01/25(火) 23:22:55
最近ちまたでブームになっているサンデルを経由して、このスレでもかつて話題になった
トロリー問題が再燃して、またちょっと(ネット界隈で)物議をかもしているとかいないとか。
はてさて、いまさらですけど、問題の発案者の方がお亡くなりになられたそうですね。
お悔やみを申し上げます。
http://macska.org/article/280
http://www.nytimes.com/2010/10/10/us/10foot.html


あと、最近聴いたラジオ番組の一部を文字起こししたものがあったので報告。
あずまんがピーター・シンガーについてかなり興味深いことを語ってました。
http://yuzuki.tumblr.com/post/169504348
ところどころ不確かな部分がありますが、それはご愛嬌。

他にも、下記の報告書とか分かりやすい。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/fmatsui/report.pdf
http://www.arsvi.com/w/sp01.htm

2972紫煙狼:2011/01/29(土) 22:44:15
娘を惨殺された父親が犯人への復讐を誓う。逃げ惑う犯人、それを追う父親。紆余曲折あって、犯人の死。
娘の墓(遺影)に「敵は討ったよ」と報告する父親。後ろには刑事の姿。。。

洋の東西を問わず、映画でもドラマでも現実の事件でも、まぁ珍しくはない話ですね。多くの人が
このストーリーに疑問を感じない、むしろ共感しやすいのでしょう。

ただねぇ…。世の中に「自分のために犯罪を犯してくれてありがとう!」って人がどれだけ居るのか…。
むしろ、大切な人であれば大切な分だけ余計に「私のために犯罪を犯そうなんて考えないで!」というのが
人間愛だとおもうのですけどね。了見が狭すぎでしょうか?

私はそういう話を見聞きするたびに「そいつは取り違えている」と感じざるを得ないのですね。

「殺された○○の気持ちを考えろ!」「○○のために俺は復讐するんだ!」この考え方がむしろ気持ち悪い。
いや、○○さんが今際の際に「ぜひ復讐してください。私の代わりにお願いします」と嘱託殺人なら理解は
出来るのですが、別に頼まれたわけでもないのに、勝手に頼まれた気になって「○○のため!」なんて恩着せ
がましいことを言うなんてのは、逆に愛しい○○さんの尊厳を否定するようなものですよ。それこそ死人に
クチなしで、利用しているだけじゃないですかねぇ。

実際は「自分が腹が立って相手を許せない」から「殺す」のでしょう?そんなの「自分のため」でしょう?
「自分が事件に気持ちの区切りをつけるため」「自分が自分を恥じずに生きるため」「自分がこれ以上公
後悔しないで済むため」「自分が新しい一歩を踏み出すため」そんなの「自分のため」でしょう?
自分の心の救いのために人を殺しておいて「○○のため!」なんて故人を利用しないでほしいね。それは
口実に過ぎないでしょう?そんなの全部「自分の欲望のため」に過ぎませんって。

○○さんの尊厳を傷つけることなく、自分の欲望に○○さんを利用することなく出来る復讐の範囲は
「犯人を挙げて、法の裁きを受けさせる」までであって、その判決がたとえ死刑でなくとも、たとえ
無罪となってしまったとしても、復讐はそこでおしまい。そこから先は単に残された者の心の欲望。

「愛しい人を奪った犯人がのうのうと生きているから殺す」なんてのは「セクシーな身体を持った女性が
裸で居るから犯す」のと同程度に「自分の欲望に勝てない弱さ」なのであって、そこには崇高さのカケラも
許されてはいけないのではないでしょうかねぇ。。。


復讐を望んでいるのは被害者ではなく、残された者だけですよ。

2973ゼロ:2011/01/30(日) 17:50:43
>>2972

「復讐するは我にあり」(新約聖書の言葉/我=神)ですね。
人殺しを殺してしまうとその人殺しと同じになってしまうので
耐えなさい。そうすれば、神が代わりに復讐(裁き)するであろう。

「人殺し」でなくても、「悪いこと全般」に置き換えて
知らないうちにそんなことを言っていたりしますよね。
「あんなことやってたんじゃ、いずれ天罰が下るよ」
とかなんとか。

どちらかというと日本人って勧善懲悪が好きという感じありますよね。
そういうテレビドラマが多いようにも思うし、、、水戸、遠山の金さん
刑事もの、、、。

2974紫煙狼:2011/01/31(月) 00:49:22
>>2973
私は「必殺!」世代で「鬼平」フリークですからね、実は勧善懲悪が大好きです(笑)

私が感じる違和感は「使命感」や「義務感」に対してなのだと思います。

よく「早く帰ってゲームしなきゃ!」とか言う人が居るでしょう?別に誰かにゲームすることを
命じられているわけでもないのに、義務的にもしくは使命的に表現する人って居ますよね?
私はいつも、そういうのを聞くと「それは義務じゃねぇ!」ってツッコミ入れるクチで。。。

「自分がやりたくてやる」コトをあたかも「使命」であるとか「義務」であるかのように表現する。
これが嫌いなんですね。上で挙げたゲームなんてのは、まだカワイイものですが、場合によっては
「自分がやりたいこと」をあたかも「社会の要請」「周囲からの要請」であるかのように言う。
それは違うでしょう?と言ってやりたくなる。

実は何が怖いって、本当に使命感や義務感を持っている場合です。スマイリー菊池氏の件もそうなら、
日野OLスレで師匠や妻を罵る人たちもそうですが、別に誰に頼まれたわけでもないのに、
自分がそうすることが「社会正義」であるかのように言う。ソースの不確かな情報をタレ流す輩。
「自分がやらなきゃ!」その使命感。薄っぺらで自己満足な正義感。これが怖い。

法を犯して罪に問われているのに「自分は正しいことをしたと思っています。」「同じ状況に
立たされたら、私は何度でも同じことをします。」あぁ、もう、つける薬もない!!

自分の欲望を満たすために不法・違法な行為を犯すことを正当化するなよ。美化するなよ。
それを世間も「さもありなん」「よくやったアッパレ!」と認めるなよ。ほめるなよ。
どんな些細なことであっても、どんな事情があろうと、法を犯すことを称えてはダメだろ。
目的は手段を正当化しない。正しいことは、正しい手続きに従って行われて初めて正義なんだよ。
これが私の思い、私の安っぽい正義感ですねぇ。

だから、その考えに従って断言します。今の死刑に正義はない!!とね。

2975:2011/01/31(月) 01:21:16
光市母子殺害事件の本村さんをどう思いますか?自分は犯人の福田君には
死刑になって欲しくないです。もう死刑判決出ちゃいましたが・・・。
自分も本村さんの異様な復讐心に違和感を持っていました。

2976無精髭:2011/01/31(月) 05:05:44
本村氏の感情って異様なんでしょうか? むしろ遺族感情としては普通なのでは?

異様って言うか、氏が変わって見えるのは、たぶん氏が物言う犯罪被害者遺族
だからでしょう。犯罪被害者(遺族)としてメディアへの露出が多いという点では、
前例があまりなかったですし(今もそうかも)、犯罪被害者支援のためにも色々と
活動されていますから(全国犯罪被害者の会:幹事など)。

あと、氏が犯罪被害者遺族としてメディアに訴えざるを得ない理由には、事件の
特殊性も関係していることでしょう。これがもし、未成年でなく成人が起こした
事件だったら、死刑判決はもっと現実味を帯びていたはずなので、氏がこれまで
してきたような目立った活動をする必要は生まれなかったのではないでしょうか
(もちろん、メディアが彼を目立たせたという側面もあるでしょう)。

とりあえず、氏の手記を読んで要らぬ先入主なぞ払拭すべし。
http://www8.cao.go.jp/hanzai/whitepaper/w-2007/html/zenbun/part2/clm04.html

2977無精髭:2011/01/31(月) 16:46:10
死刑賛成の理由の一つに、「被害者が望むから」というのがあると思うんですが、
こういう理由を挙げる人の考えには、「自分が殺された場合、遺された人たちには、
自分が加害者に対して死刑を望んでいると考えてもらって構わない」といった別の
側面があるのかも知れません。こういう場合、自分が死刑を望もうが、被害者が
死刑を望もうが、おそらくどっちでもいいはずでしょう。自分の考えと被害者の
考えとがごっちゃになってるんですから。

私が思うに、被害者本人の望みと、遺された者の望みとの違いが無視されがちなのは、
誰もが被害者になりうるという可能性と、この国において多くの人が死刑に賛成である
という事実があるからではないでしょうか。すなわち、遺された者もいつ被害者になっても
おかしくないのだから、自分の望みを参考に被害者の望みを推し量ってもいいはずだし、
この国では死刑賛成派が「ほとんど」だから、被害者が加害者に対して死刑を望んで
いるという推測が誤っている確率も「ほとんど」ないのだ、というわけです。

「自分の欲望のために殺すこと」は論外だとしても、「自分の欲望のために死刑を望むこと」
は開き直れるというか、確信犯的というか、とても自覚的な言動じゃないかと思うんですよ。
ですから、復讐心に燃える人が「俺は、殺されたアイツのためじゃなく、自分のために復讐
したかったのか…」と気が付くことには何らかの意味があるかも知れませんが、死刑を望む人が
「俺は、(中略)自分のために死刑を望んでいたのか…」と気が付くことにはあまり意味が
ないのではないかと。

ジャック・ラカンじゃないですが、欲望とは他人の欲望であり(私は他者の欲望を欲望する)、
一般に他人が欲しているから自分も欲するという面があるから、その意味で自分の欲望は他者の
欲望へと還元されるのでしょう(ちなみに欲求と欲望は異なる※)。同様に、死刑賛成という欲望は
自分の欲望ではなく、他人の欲望でもある。そして、自分や他人といった個々人の欲望というよりは、
多くの人の欲望の総体という方がふさわしいのだと※※。また、誰もが被害者になりうるのだから、
死刑賛成への意思は、自分の欲望であっても他人の欲望であってもいいことになるのだと。

 ※http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%B0%CA%AA%B2%BD
  欲求とは、動物的、生理学的なもので、しばしばそれが目指すところと対象とが合致する。
  欲求が満たされるのは欲求の対象との関係においてである。対して欲望とは、人間固有の
  もの、精神的・感情的なもので、それが目指すところと対象とが合致しない。それは、
  欲望の対象との関係において満たされることなく続く。人は、他者の欲望に欲望されることを
  欲望し、他者の欲望を欲望することで欲望を自ら持続させる。このような循環回路の存在を、
  つまり欲望が永遠に止まないことを欲望するのである。欲望が満たされる時よりも、まさに
  欲望している時のほうが、快楽は強いのだから。欲求の場合はその逆であろう。

 ※※これが少なからず、ナチスによるユダヤ人迫害を連想させるにせよ、ナチスの側に
   いる間は、人々は自らの欲望の危険性に容易には気が付けないのかも知れません。
   『茶色の朝』 フランク・パブロフ/著
   http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf
   仮に社会が茶色に染まってしまったら、ナチスの側に立たなければ危険だから、
   ますます人々はナチスにしがみ付くことになるのではないかと。そして、自分が
   ユダヤ人の側に立たされてからでは、後悔先に立たずです。

憲法で内心の自由が保障されている手前、「自分の欲望のために死刑を望む」のは勝手なの
ですが、問題は、「自分の欲望のために死刑を望む」ということを根拠にして、法制度の是非
を巡る、(人類にとって普遍的と言う意味で)思想的な議論を展開できるのか、ということです。

しかし、えてして「自分の欲望のために死刑を望む」人たちは、そういう議論の場で「あなたは
被害者遺族に対して『あなたは自分の欲望のために死刑を望んでいるのだろう?』と質問できるのか?」
とか「『自分の欲望のために死刑を望む』ことが根拠にならないというのは、被害者や遺族を
議論から排除するも同然」とか発言するものなのです。

2978無精髭:2011/01/31(月) 16:52:33
本村氏の名前が出てきたので、そういえばと思い、色々と覚え書きを溜め込んでいたフォルダを漁って
いて見つけたのが以下の文章。2008年の12月頃に書いたものですが、良い機会なので投稿します。

<ここから>

最初は終身刑望んだ母「やっぱり犯人の命をください」
12月13日7時32分配信 読売新聞
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/ff634d242a243d80cbea2d8fb1aad791
http://shadow9.seesaa.net/article/111154177.html

ここにシェンさんの「赦し」の限界性があるのではないかなぁ。シェンさん個人の道徳感情を超えて
普遍的な社会道徳になりうるかも知れないと、漠然ながら思っていたのですが。少なくとも私には、
同情のリミット機能というか感情移入のための想像力を養うことで、加害者側の視点に立つことも
可能だという理屈で十分納得できる考えだったのですが、Kenさんが仰るようにこの考えを
「面識もない被害者遺族に面と向かって」「とうとうと語りだすのであれば」、その反応たるや
推して知るべし、ですよね。

たぶんシェンさんは、同じ自論といえども、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1211686553/60
で見せてくれた信条と、合理的・論理的な死刑廃止論というものを、プライベートとパブリックという
観点から分けておられることでしょう。これは死刑存置・廃止という立場の違いを問わず、国民による
国家権力のコントロールと犯罪被害者(遺族)救済との2つの課題に分けて、死刑問題の解決を
もっぱら前者の目的に繋がるものとして考える上で、とても重要な心構えとなります。

しかし、感情を括弧に入れて論理に徹するという手段だけで、はたして皆にとっての
落としどころを生み出すことができるのか、少なからず疑問に思えてきました。

言語(広く言って文法、狭く言うと論理)を共有するには、言語に対応する日常を認識する必要があり、
その上で議論や対話における対等な関係が成り立つのです。加害者と対等に話す(コミュニケートし合う)
のが感情面や技術面においても難しい場合が多い(犯罪者に接見する専門家の苦労が想像できます)のと
同様に、被害者と対等に話す(コミュニケートし合う)のもまた、さまざまな障壁を乗り越えていかなければ
ならないほど困難を極める行為のはずです(ここらへんのことに鈍感で、被害者側に同情し・加害者を憎む
というような、単純な対立構図でしか物事の是非を考えられないような非論理的な人は、その後でどんなに
いい発言をしたとしても、実際に社会的に善良な生活を送っていたとしても、その認識を改めない限り、
私はその人への評価を留保し続けるでしょう。彼(彼女)は存在しないに等しいという偏見を持ちながら)。

私の上記したようなことなんぞ、シェンさんは百も承知でしょうがね。つまり、同じ土台に立たなければ、
話は通じないのだと。論理、すなわち高度化したコミュニケーションとしての言語は、私たちがおのおの
生きる固有の生から離れて、社会生活(他者との共同生活)を営むなかで生まれます。さらにその生活を
超越したところから操作する法という権力としての機能が現われて、初めて日常使用にも耐えうるもの
として完成するわけです。言語には自分と他者を同一視する主観という概念を記述するための役割※と、
客観の中でも国家とか道徳とかいった(主観を持たない存在といったほうがいくらか分かりやすいかも)
超越的な概念を記述するための役割が備わっています※※。これら「自己」「他者」「超越者(超越概念)」
の三者の存在を記述するのが言葉の本質的な役割であり、これらを記述しうることが言語の公共性を
自ら保障するのです。

 ※他人について語れなければ、自分を言語で表現することもできない(私的言語といったものが
  可能かどうか)という哲学的問題もありますが。

 ※※ちなみに「超越論的(独:transzendental)」という言葉もあって、これは簡単に言うと、
   認識一般の限界(どこからどこまで認識できて、どこから先が認識できない領域なのか)を
   見定めるようなメタ認識のことです。対して、「超越的(独:transzendent)」とは
   その名の通り、言語あるいは論理を超越したもの、言い換えれば認識・感覚の外にあると
   される(無論ないともいえます)ものを形容する場合に用います。

「生きていける命をほかからの力で奪うことに抵抗を感じてい」たあの子なら死刑制度に反対していた
であろうと考える母親が、同じ遺族である連れ添いの考えに背いてまで押し通そうとした、死者への
尊重の念には痛ましいまでに切実なものを感じます。もちろん、母親が忖度する被害者の考えは、
犯罪に遭う前の被害者の声を頼りに推測したものに過ぎませんが。

2979無精髭:2011/01/31(月) 16:54:23
犯罪被害の当事者である被害者本人と間接的被害を被った遺族との違いについて、殺された者と遺された者の
どちらが辛いかというと、比較できないからこそ、本当は両者ともそれぞれ固有で互いに異質な苦しみをもつと
捉えることが正しい選択なのでしょうが、私はあえて遺された者のほうが辛いと言いたいです。死者の苦しみは
死という経験の一回性によって想像を絶するが、被害者の苦しみは共有はしがたいほど峻烈だがまだ現世の苦しみ
として理解できるところがあります。それがおそらく、共通する経験とか価値の共有あるいは価値観の重なり
というものなのかも知れません。つまり私が言う「同情」の契機になるものです※。
 
 ※ただし、これは同情の対象が犯罪被害者遺族である場合に限られるだろう。犯罪被害者が死者の場合、
 その契機を以って犯罪被害者遺族(あるいは被害者と特別親しかった者)に対する同情心から犯罪被害者
 本人に対する同情へと移行できるであろうか?

言い換えると、死者の苦しみは単なる「苦しみ」という感情では掬いきれないほど、また「苦しみ」という
言語の意味には還元しえないほど(「言葉ではいえない」というアレ)、過剰ですが、死者を想うことから
生ずる苦しみは、どうにかこうにか親しい者や似た境遇にある者や同情を寄せる者とに分かち合うことが
出来そうだし、だからこそ「苦しみ」という言語の公共的な意味の内に収まって、さまざまな人々に伝達
されるのです。※

 ※上記の註で私が示した分類に従うとすれば、被害者本人の苦しみは「超越的」であり、遺族のほうは
  「超越論的」であるということになるかも知れませんね。

死者と遺された者はお互いに愛する者から引き離されたと言える? 遺族と同様、死者も彼岸で別離の悲しみに
打ちひしがれて、さぞつらいことだろうというふうに同情する? あるいは、殺される寸前に愛する者の顔が脳裏に
浮かび、もう助からないと思って―――今生の別れを悟って、心が引き裂かれる思いがしたであろう、さぞ無念だったろう、
というふうに? 私たちと被害者とに共通するもの、相互において同情のきっかけとなるものは、命の存在であるが、
同情が起こるには、同情するものとされるものとの一方的な関係においても、客観的に見れば、相互の感情が交換
可能なものでなければならないのです。被害者の命と私たちの命とは交換可能と見なせるでしょうか?

被害者の苦しみと遺族の苦しみを比較すると、前者が私的経験(絶対に他者には共有されえない・
自分自身だけの経験)を問題にせざるをえないのに対し、後者は他者との関係を前提とし、
それに依存した経験にしか生まれないことが分かります。すなわち、自分自身が原因となって
生ずるような感情ではなく、あくまで他者の苦しみを想うことから生まれる感情なのです。
隣人(他者)愛というものにどうしてもつきまとう側面ですね。

ですが、鋭い方はもうお気づきかと思いますが、私の同情論というのは、後者のような経験にさえ、
前者のような私的経験に含まれるような要素を見出すことができるのではないか、という疑問の上に
立てられております。以上の点については、まだまだ考察が足りません。

「死刑囚に会うの無理ですか」娘を奪われつらさ伝えたい遺族
12月12日7時59分配信 読売新聞
http://shadow9.seesaa.net/article/111105431.html

闇サイト殺人 被害者、最後のメッセージは「2960」
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/081208.htm

2980無精髭:2011/01/31(月) 17:01:48
前にちょこっと書いた記憶があったので、調べてみたらありました。前にあげたことがあるブログですが。
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-336.html#comment3388
↑のエントリーへのコメントにて‘「被害者本人」と「遺族」の区別」’以下がそう。このブログは、法律その他
について詳細な記述とブログ主自身の理路整然とした主張で成り立っていて、そのおかげか、被害者や遺族に
ついてやや厳しいスタンスを差し引いても、勉強にはなります。今枝仁氏や来栖宥子氏もコメントを寄せているようで(汗)。

けれども、上にあげたエントリーのコメント欄に書かれた本村氏に対するの発言に至っては…

>そういえば、被害者遺族自らが、被害者のプライバシーを暴露することもありました。あの本村氏ですが。
>著書の「天国からのラブレター」では、「実在してる方の個人情報を晒し、自身の犯罪、故人の日記や手紙の内容」
>まで暴露ですから、本村氏自ら弥生さんの尊厳を害しているとさえいえますね。

さすがに言い過ぎではないかと。確かに実在している方の個人情報を晒しているという点については、
それが事実だとすれば確かに問題がありますが。事前に許可を取っているか、実は許可を取るほどでも
ない情報である可能性もありますよね。他のエントリを見てもそうですけど、本村氏についてはそうとう
厳しい、というか、内心憎らしく思っているようにも見受けられるのですが、私の気のせいでしょうか。

本村氏が弥生さんの尊厳を害していようがいまいが、生前に弥生さんと親しい関係にあった者であればともかく、
それ以外の人間がとやかく言えるというのも何だか妙な気がしますがねぇ。当該書の出版に関して本村氏を非難
することが弥生さんの本懐でないかも知れないとも考えられる以上それに背くことになるかも分かりませんのにね。
『天国からのラブレター』の内容はともかく、その出版意図は弥生さんやお子さんの遺志に報いるためではない
ことくらい、おのずと分かるような気がしますけどねぇ。まあ少なくとも、本村さんが世に発するメッセージが
死刑廃止派の方々が目指す目的とは逆の方向を向いていること、それが気に食わんのですな、きっと。冷や水の
一つも浴びせたくなるのでしょう。

しかしながら、世に倦む日々のブログ主を扱き下ろしているのは痛快でしたがw
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-113.html

<ここまで>

2981無精髭:2011/01/31(月) 17:05:15
上記でいくつかリンクを張りました読売新聞掲載の『連載「死刑」第2部「かえらぬ命」』は、
他にも記事がありますので、気になった方はぜひ検索してみてください。

ところで、その読売の連載記事を検索していて偶然見つけたのが下記のブログ。
犯罪被害者視点から犯罪や司法について一風変わった論を展開していて興味深いです。
http://blog.goo.ne.jp/higaishablog
法律関係の仕事をしているとのことですし、哲学にも関心がおありのようですので、
言葉を使いこなす能力については相当なものかと思われます。たぶんこのブログで
書かれているようなことをあの方は私たちに伝えたかったんじゃないでしょうかねぇ。

興味のある方は、ブログ内検索で、例の読売の連載記事とか、「死刑廃止」とか「冤罪」
とか「光市母子殺害事件差戻審」とか「本村」とか「修復的司法」とか「厳罰化」とか、
色んなキーワードで検索してみてください。賛同できるかどうかは別にしても、こういう
論点、論旨の立て方があるのかと驚くこと請け合いですから。

私が思うに、当ブログの長所は、法律関係者なのに(もしくは法学に関する専門知識を
持ちながら)法学に対してかなり否定的・懐疑的なスタンスである所と、通常ならそれ
以上突き詰めないで投げ出してしまうような考えも、さらに突き詰めて他者に伝えよう
と努力している所でしょうか。「冤罪」とか「報道被害」についてぶっ飛んだ解釈が
散見されるのが玉に瑕ですが、そういう部分を無視しても余りある何かが、つまり、
あの方とのやり取りでは絶望的に満たされなかったものが確かにあるようです。
言い換えれば、あの方とのやり取りから生じたフラストレーションが消失―――
神秘のベールが目の前からすっと剥がれ落ちたかのようでした。遅れてやってきた
カタルシスがここにある、という感じですかね。

まぁ、当ブログで展開されているような議論に付き合えるかどうかは、人による
と思いますが。存置派か廃止派か、法か民意か、加害者側か被害者側か、といった
違いはあまり関係なさそう。とにかく当ブログ主の意見は単純ではないです。
従来の二項対立に巻き込まれることやレッテル貼りを回避しようとして、わざと
論旨を複雑にしている節があります。
http://blog.goo.ne.jp/higaishablog/e/78bc739b758178028c379df23f0ac60f

2982無精髭:2011/01/31(月) 17:07:49
>>2974
1月26日放送の「歴史秘話ヒストリア」(NHK)は良かったですよぉ。大岡越前がテーマで、しかも
罪刑法定主義とか冤罪防止への取り組みなど、現代とも相通じる内容で、シェンさん好みの内容だった
かと思われます。近々再放送されますので、未見でしたらご覧になってはいかがでしょうか。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/75.html
ただ、エピソード3で大岡が取った強硬手段には、思わず「ええーっ」と声を出しちゃいましたけど。

あと、

>「正義」の話をいたそう!〜大岡越前 白熱裁判〜

ってタイトル、もろサンデルに乗っかりすぎだろww
まぁ、同局ではサンデルの講義を放送&DVD化済みだけど。


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