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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
2511
:
死刑已む無し
:2010/02/10(水) 22:33:58
ここまでの、ここでの廃止論者の言い分は
『死刑にはリスクがあって、死刑によるメリットも大したことは無さそうなのだから、廃止すれば良いではないか』
私が書き込みを始めた後だけでみてみても、かなりの長文が書き綴られていますが
こと、『廃止論』 と言える意見は、要約するとこれだけではないかと思いますが
あとは全て
>>2510
の2行目のような内容と、それに対するレスに対するレス・・・・と・・・・
2512
:
ufloat
:2010/02/10(水) 22:36:35
自戒を込めて申しますが・・・。
このところの書き込みを追っていると、穏やかでない表現の書き込みが
見受けられ、閲覧する上でお世辞にも愉快なものであるとはいえません。
あまり適切とはいえない表現は、その論客の論の信頼性すらも疑わせかねない
のですから、各個の自論のためにも、穏やかに議論をすすめていきたいものですね。
死刑存置派と廃止派がどうしても平行線になってしまうのは、以下の2つの要因の
どちらかによるものではないかと、私は考えています。
1.感情論
感情論は数字で評価できませんので、比較しようがありません。
2.データの評価の行い方
同じデータからでも、各人が立場によって違う結論を見出すのはよくあることです。
例えば通りすがりさんの「殺すぞ、は抑止力になる」というご主張に対し、私が
「一生閉じ込めるぞ、でも抑止力になる」と主張したとして、通りすがりさんは
「殺す方が抑止力があるのは明らか」と主張し、それに対して私がさらに
「殺す方が抑止力があるとは限らないし、自殺願望のある者が犯罪を犯すかもしれない」
と主張すれば、結局は堂々巡りになりますね。
こうして結局は平行線をたどる宿命にあるのなら、相手をわざわざ打ち負かそうと
無駄な努力を続けるより、相手の主張から何か新たな発見をしようと努力したり、
相手の各論のうち理解できる部分は理解し、理解してもらえる部分は理解してもらえるよう
努力する方が建設的な議論ではないかと私は考えていますし、そう努めています
(そしてたまに裏目に出て、なかなか悲しい目にあったりします)。
また、死刑には存廃以外にも無数に論点が存在し、それらについても各人が様々な意見を
持っているわけですから、たかだか存廃問題の1つで分かり合えなくなるようなことが
あれば、それは大損失ではないでしょうか
(ゆえに私は議論中の多数決論理が大嫌いです。あれは二元論による勝敗決定であって、
相手との勝ち負けを決めるのを目的とせず、各論を重視するスタイルとは対極ですから)。
とりあえず、閲覧者の方が不快感を催すような発言は自重していきましょう。
それで、通りすがりさん。
今回はboroさんが黙認されたので、今のところ問題はないかもしれませんが、
過去ログを読んでいただけば分かるように、boroさんは実際に「名無し」といった
名前を使用する人に、名前を変えるよう注意されたりしています。
Kenさんの指摘は決して的外れではないという点、ご理解いただけないでしょうか。
(それにしても、ハンドルにも流行があるのでしょうか。少し前にはなぜか食べ物の名前が
流行っていましたが。ちなみに、私の名前の由来はデザートのフロートではありません(笑))
2513
:
死刑已む無し
:2010/02/10(水) 22:38:46
>>2511
>あとは全て
>>2510
の2行目のような内容と、それに対するレスに対するレス・・・・と・・・・
失礼、脱字がありました
正しくは
2行目「まで」のような内容と、
です
2514
:
死刑已む無し
:2010/02/10(水) 22:51:21
>>2512
>今回はboroさんが黙認されたので、今のところ問題はないかもしれませんが、
>Kenさんの指摘は決して的外れではないという点、ご理解いただけないでしょうか。
まず、黙認というのは穏やかではないですね
これは、問題があるが、見逃す
ということでしょうか?
boroさんは、問題はありませんとハッキリと仰っていましたよ
あとですね、良く読んでいただければすぐに分かることなのですが
kenさんは、
>>2496
に於いて
>私自身は捨てハンは別に構わないんですけどね。ダブハン(多重ハンドル、成りすまし)は勘弁してほしいですが。
つまり、通りすがりさんには何も問題は無いと、kenさん自身が言っておられるのです
(この時点では、他にダブルハンドルの方が居る可能性を示唆していますがね)
>閲覧する上でお世辞にも愉快なものであるとはいえません。
私は、だれかを愉快にさせるために書き込みをしているわけではありませんし
こと穏やかと言うことに関するならば、あなた自身の書き込みは大変穏やかだと思います
が、貴方以外の貴方の同胞達
特に紫煙狼さんやkenさんの書き込みまでもが穏やかであるとでも言いたいのですか?
私は、その意味において、上記のお2人を批判するつもりは毛頭ありません
私は、最初、笑いを表現するだけで違和感を覚えていたくらいですからね(笑
もうそろそろ、廃止論をお願いします
2515
:
通りすがり
:2010/02/10(水) 23:17:58
>>2512
横レスですが
>感情論は数字で評価できませんので、比較しようがありません。
双方感情論であると認めているならまだ結論を出す方法もあるのですが、
自身は感情論ではないと主張する感情論がもっとも難しいようです。
>「一生閉じ込めるぞ、でも抑止力になる」
これはあまりいい例とは言えないと思います。
殺されるのと閉じ込められるのを同列に見るひとがそんなに多いとは思えません。
刑罰の例であればなおさら、刑務所に閉じ込められたところで受ける苦痛はたかが知れている、
というか、可能な限り死なせないための努力をしてもらえるのですから。
本当に殺されるのと同等の監禁となると、相当恐ろしいものということになりますよ。
そういう話じゃありませんよね?
>Kenさんの指摘は決して的外れではないという点、ご理解いただけないでしょうか。
kenさんが自ら関係ない事を言ったとし、boroさんも黙認されたことで私にどうしろというのでしょうか。
名前を変えろというなら変えますが、それを言うのためだけに割いたこの数レスは
明らかに不必要だったと思われます。
またあなたやkenさんがboroさんとどんな関係で、どんな権限を持っているのか私は知りませんから、
boroさんの代弁のようなことをされても、私は事実と判別しかねます。
私に問題があったとは思いません。理解はboroさんから直接伺ったときにさせていただきます。
2516
:
死刑已む無し
:2010/02/10(水) 23:30:27
まだ分からないのでしょうか?
お互いに擁護しあうことが、議論にどれだけの矛盾点を生み出すのかを
間違いは間違いだと、その個々人がみとめて訂正していかなくては、議論など成り立つはずがありませんよ
自らの間違いを、人にカバーしてもらう
内々に済ますことが出来るのならば、それはそれで有利なのかもしれませんね、誠実さには欠けますがね
でも、ここは掲示板ですよ?
擁護しあってる様子を皆が見ているのですよ
無理に人の擁護をすることによって、自らの理論すら破綻しかねないと思いますよ
2517
:
無精髭
:2010/02/11(木) 02:24:32
仕事もそれなりに忙しく、、、またもや睡魔の誘惑と闘いながらレスいたしますが。
>2485
>片方にある程度具体的な根拠があるのに、もう片方は抽象的な不安だけを根拠にする、(下略)
どれがどれに当てはまるのかがよく分かりません。また、「ある程度具体的な根拠」とは何ですか?
「抽象的な不安だけを根拠に」しているのはどんな立場の人間ですか? 「具体―抽象」に程度の差を
持ち出すような考え方には、当方不慣れなものでして。
一般的に、ある事実の存在を否定している側がその理由を説明したり裏づけを行ったりするよりも、
ある事実の存在を主張している側が今申したような証明を行うほうが、その後の議論上の負担がずっと
少ないです。ですから、存置派が死刑の抑止力をひとまず証明した後、廃止派がそれについて反論する
という形のほうが、議論がスムーズに進むのではないかと思われます。また、第三者から見ても、それ
だけ議論の流れが追いやすくなるというものです。ROM専の方々にも優しい議論をお互い心がけましょう。
ただ、通りすがりさんは、誰にでも検証可能なデータからは抑止力が「あるともないとも言える」ので、
それは決定的な証拠とはならないとのお立場らしいので、そういうデータの解釈に関する議論には興味
が湧かないのかもしれませんね。しかしながら、そういったデータに基く議論が「納得性」の問題として
片付けられるにせよ、その議論自体が無意義なものと化するわけではありませんよね。つまるところその
議論に価値を見出すか否かは個人の自由ですから、たとえその議論で存置派の主張と廃止派の主張が
平行線を辿ったとしても、中立的立場の人、存置派と廃止派との狭間で揺れ動いている人、特定の立場に
固執しない人、存廃議論に首を突っ込んだばかりの人などにしてみれば、少なくとも暫定的な判断を下す
ための材料をその議論から得ることはできるのではないでしょうか。
さて、Kenさんが>2480でお書きになった「コスト―ベネフィット」のお話に出てくる死刑存置派に
通りすがりさんも含まれるということで、とりあえずKenさんと通りすがりさんとの間で行われた
「死刑の抑止力の有無を巡る・客観的データに基く議論」は一旦終了ということになりますかね。
あとは、第三者がこれをどう見るか、いずれの主張に納得させられるかの問題となるのでしょう。
Kenさんも「歩み寄るすべがない」と仰っていますし、双方とも相手の考えに影響されて主張を変える
必要など全くないと思われます。
ただ、死刑における犯罪抑止力の有無について通りすがりさんが早々に「実証不可能」と見切りを
つけておられる様子は、日夜死刑の抑止力について研究しデータ上の論争を繰り広げている(科学的
見地からは無駄な骨折りをしているとしか言えない)プロの研究者たちの態度と比較すると、
より多くの者の「納得」を獲得しようとするスタンスにおいても見劣りせざるを得ないと感じました。
閑話休題。
率直に申しまして、「ある」とか「ない」とか「あるともないとも言える」とか、
「ないんじゃないだろうか」ということに対し「ないということはないんじゃないだろうか」とか
「ないことに対しないということはないんじゃないだろうか」とか、もう意味分かんねー
というのが正直な気持ちなので、たとえば、仮に「ある」としたらこうだとか、「ない」としたら
こうなるとか、「あるともないとも言える」としてもこれだけは言えるとか、もうちょっと
具体的に突っ込んだ議論をしたいです(笑)。
2518
:
無精髭
:2010/02/11(木) 02:25:16
部分引用せずに、一文まるごと引用すべきでしたね。
>2481社会全体という範囲では怪しげですが、一方で個人や特定の組織など小さな範囲では
>効果があることはそれほど怪しくないと思います。
くりかえし質問させていただきます。なぜ「それほど怪しくない」と思われるのでしょうか。
加えて、通りすがりさんにおいて上の主張と下の主張との整合性がどのように保たれている
のか、ご説明いただけないでしょうか。
>2485全体という範囲と比べているのではありません。
>社会全体の範囲ではどんな理屈を使っても、影響を特定すること自体が不可能
>(「あるともないとも言えるけど証拠が無い」)なため、
>何を当てはめようとしても怪しげになるという意味です。
>ただ、大きな範囲を小さな範囲の集合体であると考えた場合には、
>集合することによって性質が変わるという理論が無い限り、
>小さな範囲で無いことは、集合しても無いと考える方が自然なので、
>そこから考えると、小さな範囲のことを社会全体に拡大しても、そのとき怪しげになる(性質が変わる)
>根拠はあまりないのではないか、あるなら具体的に突き止めるべきではないか、
>という意味で書きました。
ありえないことだとは思いますが、もし質問内容にご不明な点がございましたらお知らせください。
2519
:
無精髭
:2010/02/11(木) 02:27:03
>この場合、殺人を行うための閾値が非常に高い人、または非常に低い人の話をしても意味が無いと思います。
>死刑存廃の間で揺れるようなボーダーの人がどちらをとる可能性が高いか、という話をすべきだと思います。
「この場合」というのはよく分かりませんが、私が申し上げているのは、個人のケースで死刑に
犯罪抑止効果が認められるとすれば、具体的にどのように抑止が掛かるのか、イマイチ判然としない
ということです。換言すれば、死刑の抑止力を個人に働かせた場合の主観における実質的内容は一体
どんなものなのかという、誰にとってもきわめて身近な問題です。あと、余計な一言かも知れませんが、
非常に疑り深い私のような者からすると、「殺人を行うための閾値が非常に高い人、または非常に低い人」
とか、「死刑存廃の間で揺れるようなボーダーの人」とかいった区別自体、とても胡散臭く感じられて
仕方ありません。「殺人を行うための閾値」が何なのか未だ自明でなく、「ボーダーの人」がいることも
確かめられていない以上、このような定義と証明をおざなりにしては、通りすがりさんが提議されている
区別は有効な思考手段の一つとして成り立たないのではないでしょうか。
さて、死刑に対する恐怖が殺人欲求の抑圧に直結しているかどうか疑わしいというのが、私が申し上げたい
ことでした。少なくとも私個人にとっては、死刑において犯罪抑止効果があるとすれば、死刑に対する恐怖以外
に考えられませんが、これが死刑相当犯罪を私に行わせないような心理的抑圧効果として私の内面できちんと
働いているのかが実に疑わしいのです。
ところで、通りすがりさん個人にとって死刑の抑止効果は恐怖以外にも何かあるでしょうか。
不確かな記憶ですけど、土浦通り魔事件の犯人である金川真大死刑囚は、公判中あまりにも審理の進みが
遅く感じられたのか、「自分はすぐに死刑になりたかったのに、こんなことなら事件など起こさなければ
良かった」などとつい愚痴をもらしたそうです。案外、死刑よりも司法制度のほうにこそ、犯罪抑止効果
が期待できるかも知れないなぁと思いました。
>死刑廃止の理念が無効であることを証明するためにあえて人を殺してみるという人も同じ位いると思いますし、(中略)
それを言うなら、死刑廃止の理念が無効云々ではなくて、死刑廃止によって犯罪は増加しないという廃止派の主張が
ウソであることを証明するためにあえて人を殺してみるという人も云々、でしょう。それはともかく、>2484の件の
箇所で私は、死刑の犯罪抑止力は意志の力で乗り越えることができるものだから、死刑に犯罪抑止力があるといっても
意志の働きを抑圧するほどの効果はないというふうなことを申し上げたつもりでした。つまり、意志の力を用いさえ
すれば乗り越えられる程度の抑止力が、死刑相当犯罪に対する当の刑罰には存在するのだと主張しても、その刑罰の
必要性を補強するには至らないと思うわけです。死刑が廃止された後、殺人を犯した者に科されることになるであろう
極刑にも犯罪抑止力はあるわけで、死刑における場合と同様、それを乗り越えることができるというのは、
通りすがりさんのご指摘がなくとも自明なことでしょう。廃止派の理念がどうとか、そういうこととは別の話を
しているつもりだったのですが。
2520
:
ufloat
:2010/02/11(木) 06:19:28
>>2515
私の勝手な書き込みによって、無関係のboroさんやKenさんにご迷惑を
おかけするわけにはいかないので、取り急ぎ弁解まで。
私が申し上げましたのは、
1.Kenさんが名前について「脱線」したことは、全く不当な言いがかりと
いうわけではないので、ひとまずそれをご了解いただいた上で、
2.ここから派生して「チンピラ扱い」のようなやりあいとなり、
そのような言葉が平気で飛び交うやり取りとなるのは回避していきませんか?
ということであって、通りすがりさんの名前やその他に文句をつけるものではなく、
ましてや管理権にかかわるような大それた話ではありません。
ついでに、私がKenさんに関して書いたことを、どうしても「廃止派の身内弁護」にしてしまいたい
人がいるようですので言い添えますと、仮にKenさんが存置派で、通りすがりさんが廃止派であっても、
「チンピラ」発言などで雰囲気が悪化してきていれば、私は同様のことを言ったでしょう。
私の表現が悪いゆえ、誤解を招きましたことを深くお詫びいたします。どうかご容赦ください。
また、取り急ぎの書き込みにつき、本記事が議論とは何ら関係のない書き込みとなってしまって
いることも、重ねてお詫び申し上げます。重ね重ねご容赦くださいませ。
>死刑已む無しさん
えーと、
>>閲覧する上でお世辞にも愉快なものであるとはいえません。
>私は、だれかを愉快にさせるために書き込みをしているわけではありません
これジョークですよね、さすがに。ジョークとしてもずいぶん場違いですが
(念のため言っておくと、「愉快なものではない」は「不愉快」の婉曲表現)。
さて、残念ながら、私もそろそろ限界です。
今後私に質問されるのは構いませんが、その際にはどうか必ず私の書き込みを第三者に
見てもらい、私の意図を十分に通訳してもらってからにしていただきますようお願いします。
もし第三者を通訳に挟まない上での質問が来ましても、それへのご返答は一切いたしません。
お手数ですが、ご了承ください。
2521
:
無精髭
:2010/02/11(木) 08:20:27
>私は、だれかを愉快にさせるために書き込みをしているわけではありません
多分こう書いたからと言って、必ずしも「だれかを不愉快にさせるために書き込みをしている」
ことになるわけではないと思いますよ。だって、だれかを愉快させるとか不愉快させるとか
いったことを全く意図しないで書き込みをすることはできるわけですから。
でも、少し前に以下の通りのことを書いてしまう人による今後一切のレスがどんなに誠実さを
滲ませたものであったとしても、ちょっと信頼が置けないですよね。
>最後に、主婦Aさんへ
>>死刑廃止派を愚弄するために来た
>
>あの時点では全くそのような発言はしてはいないはずですよ?
>ただ、この書き込みには、多少なりともそういう意味合いが含まれているとハッキリと申し上げます
>
>では、これで本当のさようならです
>お疲れ様でした
2522
:
無精髭
:2010/02/11(木) 08:24:22
あっ、つい「誠実さに欠ける」行為・廃止派にとって「有利」に働くかも知れないレスを
していまいました。サーセンw
2523
:
Ken
:2010/02/11(木) 13:49:17
まあ、死刑制度というのははっきりと賛否が分かれるから「穏やかな議論」にはなりにくいんじゃないですか。常識的に考えて。
>>2505
それは全くの誤解で、私が已む無しさんの名前を含めなかったことに他意はありません。だって、自己申告した人は「内心びくびくして」「いつばれるのかなって」悩む必要がないでしょ。
>>物言いや態度・姿勢に対する批判、曲解や極論、脅しや、意味も無い賞賛ばかりが目立ちますね
>>これはKenさんに限ったことではありません
そういうふうに書いたところで、私が「物言いや態度・姿勢に対する批判、曲解や極論、脅しや、意味も無い賞賛ばかり」したことになんてできませんよ。已む無しさんが私(や死刑廃止派)の「物言いや態度・姿勢に対する批判」ばかりするのは困ったものです。
>>まず、黙認というのは穏やかではないですね
>>これは、問題があるが、見逃すということでしょうか?(中略)
>>つまり、通りすがりさんには何も問題は無いと、kenさん自身が言っておられるのです
これ、已む無しさんが通りすがりさんを擁護してますよね。
>>お互いに擁護しあうことが、議論にどれだけの矛盾点を生み出すのかを
>>無理に人の擁護をすることによって、自らの理論すら破綻しかねないと思いますよ
???
自分が誰かを擁護するのはありなのに、他人(特に死刑廃止派)が誰かを擁護するのはダメなのですか?それじゃ不公平なんじゃ。
>>もうそろそろ、廃止論をお願いします
已む無しさんがこんなのばっかり続けるからなかなか本題に入れないのです。困ったもんです。
2524
:
Ken
:2010/02/11(木) 13:52:03
>>反論をここまで後回しにしてまで、その話題に手間をかける必要はないと思うのですが・・・
それは
>>2494
で通りすがりさんが
>>それこそ新語・流行語に疎くなる程度故の思い込みでは?
>>別人だと言ってもあなたに信じさせる方法はないように見えますね。
>>仮にあなたの思っている通りだとしても、お互いにフォローしあってるわけでもない内容になにか不都合が?
などと突拍子もないこと書き始めたからですよ。これ以上の話題そらしは断固止めていただきたい。
>>チンピラさんなんでしょうか?
そう書けば私がチンピラだということにできるとでも思っているみたいですねー
私がチンピラであるかどうかを議論するのはやぶさかではないですが、通りすがりさんがそんなつもりもないのにこんな質問をしたのであれば、悪質な話題そらしですねえ。もうこれ以上の話題そらしは断固止めていただきたい。
捨てハンがよくないというのはたとえば「通りすがり」というハンドルがすごくありふれてるからじゃないですかね。ここでもう一人「通りすがり」が現れたらこれ以上に混乱しますよね。まあ、そうなったとしてもそれは私の責任ではないし、私としては一向に構わないわけですが。
>>別人だと言ってもあなたに信じさせる方法はないように見えますね。
今度、そういう方法を探している人がいたらBoroさんにIPアドレスの確認をお願いすればよいとアドバイスしてあげるといいかもです。IPアドレスが違うといっても別人である証明にはなりませんが(逆に同じであっても別人の可能性はある)、何もしないよりはましですよね。
2525
:
Ken
:2010/02/11(木) 13:57:06
>>「カナダの問題なのだからカナダだけに注目すればよろしい」
カナダだけに注目する、つまり、カナダに固有の現象なのだとすればそもそもそんなことと日本の死刑廃止は関係ない、という結論になるんじゃ。
>>「66年の問題なのだからそこだけに注目すればよろしい」
いや、66年だけに注目するとその後殺人率が増えたことも無視することになりますね。
>>「折れ線の頂点にだけ注目すればよろしい」
だから、頂点だけ注目したら殺人率が増加したことが指摘できないでしょ。増加という場合、谷から山までが必要なのです。全体的に何が言いたいのかさっぱり。誰がどう見たってカナダの殺人率は60年代後半から70年代前半にかけて倍増してると言うと思いますよ?米国もね。せっかくカナダの事例(殺人率の増加)を紹介したあとで、通りすがりさんはそれを無視していいと結論しているのだとすれば、別に私はそれでも構わないです。まあ支離滅裂だとは思いますが。
>>2494
ボーダーの人間だとそれが逆転するという根拠はなんですか?
「ボーダーの人間」を持ち出したのは通りすがりさんですね↓
>>2485
死刑存廃の間で揺れるようなボーダーの人がどちらをとる可能性が高いか、という話をすべきだと思います。
とりあえず、一般人から「ボーダーの人」を見分ける方法を教えてください。そうじゃなきゃ「どちらをとる可能性が高いか」なんて検討できるはずがない。話はそれからだ。
>>ボーダーの人間だとそれが逆転する
>>社会全体になるとそれが逆転する
この「逆転する」というロジックが私にはよくわかんないですね。誰か「逆転する」とか言った、ないし示唆した人いましたっけ?
髭さんは別に「逆転する」なんて言ってないでしょ。社会全体になればそもそも自分が死刑になるかどうかなんてことを考える必要がない人たちばかりだから死刑の抑止力なんて社会全体で見れば取るに足らない、と言ってるんでしょ。
>>実力を持っている人から言われる「〇〇をしたら殺す」という脅し文句は、大抵の人には抑止の効果があります。
そりゃ、〇〇の中に何が入るかによりますよ。「チョコレート食べたら殺す」だったらもちろん抑止の効果が出てチョコレートの売り上げはがた落ちですよ。ただ、今はチョコレートじゃなくて殺人の話をしてるんでしょ。「人殺ししたら殺す」なんて脅し文句を受けたところで大抵の人にとっては関係ないですよ。だって、日常生活を送るうえで人殺しなんて全くする必要がないから。
>>便益でいうなら、大抵反社会的組織の中では死刑というのは自然発生します(後略)
これは意味が全然分からなかったです。暴力団員を死刑にして数を減らすのは世の中のためになる、というようなことですか?そりゃまあそうでしょうけど、それでも死刑にならない暴力団員のほうが圧倒的に多いわけで、そいつらも死刑になるやつと同じくらい悪さをはたらくわけで、厳しく取り締まる必要がありますね。暴力団員の数を減らしたいのであれば死刑制度は絶望的に効率が悪いです。減らせるのは年にたかだか数名ですよ。犯罪を犯したときに暴力団と手を切る支援をするとかのほうがよほど効果的です。そもそも、すでに暴力団員をしている人ではなくて、これから暴力団員になる人を減らすことができたらさらに効果的です。
2526
:
ufloat
:2010/02/11(木) 21:15:20
Kenさんの書き込みに乗らせていただくと、
>>>実力を持っている人から言われる「〇〇をしたら殺す」という脅し文句は、大抵の人には抑止の効果があります。
>そりゃ、〇〇の中に何が入るかによりますよ。「チョコレート食べたら殺す」だったらもちろん抑止の効果が出てチョコレートの売り上げはがた落ちですよ。ただ、今はチョコレートじゃなくて殺人の話をしてるんでしょ。「人殺ししたら殺す」なんて脅し文句を受けたところで大抵の人にとっては関係ないですよ。だって、日常生活を送るうえで人殺しなんて全くする必要がないから。
通りすがりさんの論で私がかねてから気になっているのは、Kenさんの言うところの「チョコレート食べたら殺す」が
売り上げを大変に低下させるのなら、「チョコレート食べたら一生閉じ込める」でも同等の低下効果があると考えるのが
妥当なはずで、「殺されるのは嫌だけど、一生閉じ込められるなら食べていいや」と考える人がそれほどいるのかどうかです。
もう1つ言えば、自殺願望のある人はチョコレートを食べれば自殺を遂げられます。
無論、問題はチョコレートではなく殺人ですから、次のような点が違ってきますが、
・そもそも普通の人は、「殺すぞ」と脅されなくても極刑になるような罪は犯さない。
・自殺願望があっても、チョコレートならともかく、他人の命を奪ってまで自殺を遂げようとは、普通の人は考えない。
チョコレートとの大きな違いは倫理観による抑止ですね。特に「死刑」がもはや抑止の意味を持たない後者のケースは。
それで、無精髭さんの疑問にもかぶりますが、通りすがりさんがどうして「死刑は終身刑より恐怖を与えて犯罪を抑止する」と
確信を持っていらっしゃるのかが、私には分かりません。
通りすがりさんは「ミクロレベルの話はマクロレベルに適用できる」との主張を行っておられますが、
少なくとも自分自身のことでいえば、「死刑」と「終身刑」なら抑止の度合いは同レベルか、さらには
(日本の死刑は半終身刑なので当てはまりませんが)すぐに殺されるのと終身刑では、後者の方が嫌なほどです。
>本当に殺されるのと同等の監禁となると、相当恐ろしいものということになりますよ。
相当恐ろしい監禁でなくても、私は「終身刑」に十分すぎるほど、具体的には死刑に匹敵する効果を感じます。
ゆえに、通りすがりさんの先の書き込みの意味は、あまりよく飲み込めませんでした。
2527
:
死刑已む無し
:2010/02/11(木) 21:52:10
>>2520
>(念のため言っておくと、「愉快なものではない」は「不愉快」の婉曲表現)。
では、具体的に、どこが「不愉快」であったのかをお聞かせいただきたいですね
>私もそろそろ限界です。
おそらく、上記の質問に答えていただいた場合、その内容は
私のほうがそろそろ限界であったために伝えた内容ではないかと推測されます
私のほうも、それ以前に不愉快な思いをしていたのですが、きっと何かの間違いだろう・・・私の思い違いだろうと考え、最後の確認をさせて頂いたわけですから
もし、それ以外の私の発言に於いて、私の思わぬところで不愉快にさせてしまっていたのだとしたならば、お詫びいたします
改めて言いますが、私は他人を、愉快にさせることも、もちろん不愉快にさせることも目的とはしておりません
が、穏やかな議論もけっこうですが、毅然とした態度はもっと必要だと考えております
論じ方や態度はもういいですから、死刑廃止によるメリットや、死刑制度の代替案などの意見をお聞かせ願えませんでしょうか?
批判・非難だけで代替案が無いのでは、論じようが無いのでは?と思っております
これまた不愉快になるかどうか、はたまた「ハッ」 っと気付いていただけるかは分かりませんが・・・・
学校でのイジメが問題になり、イジメによる自殺が起こり、問題が大きく取り沙汰される
そして、学校のあり方が問われる・・・
たとえば、「イジメが起こる学校制度そのものを廃止すればイジメが無くなるだろう!」 と、唱える 『学校廃止派』 が登場したとします
彼らは、知人や家族をイジメによる自殺で失っており、その原因だと考えている学校や教師を嫌っているとします・・・・
廃止派 「学校などは必要ない。イジメ自殺が起こる可能性があるのでリスキーだ」
存置派 「義務教育はどうなる?学力が低下するんじゃないか?」
廃止派 「塾でいいじゃないか」
存置派 「学校が無ければ、塾でもイジメが発生する可能性はあるのでは?」
廃止派 「家庭教師を義務教育にとりいれれば解決できる」
存置派 「子供のころから集団生活を通じて社会性を育てることは重要であると考える」
存置派 「それに、教育費が跳ね上がるのでは?予算はどうする?」
廃止派 「今はネットでも社会性や協調性は育てられるのでは?」
廃止派 「学校じゃないと社会性が育てられないかどうかはデータが無いから、やはり学校は必要ない」
存置派 「ネットでもイジメは起こってるわけだが」
廃止派 「ネットでのイジメだけによって自殺者がでたという実例が無ければ論拠にはなり得ない」
だらだらと、くだらない文章を綴ってしまいましたが・・・・
私が感ずる今現在の流れは、これと大きな違いは感じられないのです
これの合間に、やれ言い方がどうの、棄てハンがどうの、ダブハンがどうのと、更に要らぬ長文書き込みが増えているのだと感じます
かくいうこの書き込みも
『不愉快だ』 という一言で片付けられることによって、全く無駄な文章になってしまうのかもしれませんが
2528
:
死刑已む無し
:2010/02/11(木) 22:00:41
>>2521
ごめんなさいね
私は自分のことを誠実な人間などとは一言も申し上げておりませんし
貴方方の、徒党を組んだ議論のしかたを 「誠実さに欠ける」 とは言いましたが
やってはいけないとは言っていませんよ
廃止派にとっては・・・いえ、何派であったとしても、そのやり方で、特に掲示板での議論に於いて
有利にはたらくことは無いと言ったのです
それで勝てるのは、『口喧嘩』 だけですよ
あなた方は、ここに書き込んだ存置派の人間が、「話にならない」 と思って去っていくことを 『勝利』 だと思いますか?
その手法で成せるのはそれだけだと思います
これも、私個人の主観であったならば良いのですけどね
2529
:
死刑已む無し
:2010/02/11(木) 22:03:12
>>2523
>これ、已む無しさんが通りすがりさんを擁護してますよね。
ええ、だって通りすがりさんには何も落ち度が無いですもの
落ち度があるときに、有耶無耶にすることを目的として擁護すると、「矛盾」 が生まれますよ
と言ったのですが・・・・・
それくらいは理解して頂きたかった・・・・・
これでは・・・・無理か・・・・・・
2530
:
無精髭
:2010/02/11(木) 23:03:05
結局、通りすがりさんが「抑止力は証明不可能」と結論するのは、通りすがりさんご自身が
データをずさんに扱っていたからということになりますかねぇ。もしくは「抑止力は、
私の力では証明不可能」とでも言い直す必要があったでしょう。データをきちんと
読み込もうとせずにデータを解釈したり、証明作業に取りかかる前から証明不可能と
うそぶいてみたり、、、通りすがりさんは議論を引っかき回しているだけという気がします。
>実力を持っている人から言われる「〇〇をしたら殺す」という脅し文句は、大抵の人には抑止の効果があります。
「実力を持っている人」ってたとえば誰ですか? それはさておき、その脅し文句を冗談と
取る人も結構いるんじゃないかと思われますがね。少なくとも「おそらく〇〇したところで、
半殺しにはされても、さすがに殺されはしないだろう」と受け取る人はかなりいそうですよね。
そのぶん抑止の効果は低いということになるんじゃないでしょうか。
あと、「実力を持っている人」はあくまでも「人」に過ぎませんから、国家のような権力機構
と同一視できるとはとても思えません。たとえば人にあるような言語外的な特徴―――表情や
仕草が、国家には一切存在しないからです。加えて、個人と個人が向き合うようには、個人と
国家は向き合いません。これらの点において、上記は抑止効果を説明する例として不適切です。
>>便益でいうなら、大抵反社会的組織の中では死刑というのは自然発生します(後略)
>これは意味が全然分からなかったです。暴力団員を死刑にして数を減らすのは世の中のためになる、というようなことですか?
まぁ、Kenさんは分かってて書いているのだと思うけど、いちおう通りすがりさんのために
説明させていただくと、「たとえば暴力団とか、オウム真理教や連合赤軍のようなセクトにおいては、
粛清やリンチによって組織全体の秩序が回復ないし維持されている。これは国が死刑によって
社会全体の秩序を維持し、正義を取り戻していることにきわめて近い」とでも通りすがりさんは
仰りたいのでしょう。ただ、そういった反社会的組織において私的な死刑が「自然発生」するというのは
どうも理解しがたいことですし、ましてや私的な死刑が組織の自浄作用として働くからといって、
構成員一人ひとりにとってベネフィットが高いとは限らないですよ。それこそチンピラは、
親分と違って私的な死刑の恩恵に満足に預かれないわけですから。むしろ末端の構成員にとって
私的な死刑はコスト甚大、リスク過剰でしょう。
>国の倫理教育に反する様な人間でも、自然に理解できる法として、
>死刑は単純にコストパフォーマンスの面からも優れていることになりませんか?
ヤクザの世界と同じ道理で死刑は存置できるとでも仰りたいのですか?
やべ、目まいがしてきた…。
2531
:
通りすがり
:2010/02/11(木) 23:24:33
>>2517
>どれがどれに当てはまるのかがよく分かりません。
死の恐怖が人に対して一般的には威嚇力を持つ→常識的価値観→「ある程度具体的」
社会全体になると死刑の威嚇力はなくなるのではないか→根拠不明→「抽象的な不安」
>存置派が死刑の抑止力をひとまず証明した後、廃止派がそれについて反論するという形のほうが、
これは明らかに逆です。普遍的に続いてきた現状に問題が存在していると主張している方、
つまり廃止派に死刑廃止状態の抑止力を立証する責任があります。
そうでなくても、死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ、というのは対称的ではありません。
>少なくとも暫定的な判断を下すための材料をその議論から得ることはできるのではないでしょうか。
それが納得性ですね。
「こちらのほうが自然だ」というような納得性の問題という自覚があってやっているなら構わないと思います。
しかし死刑の社会全体での抑止力は「わからない」というのが大前提です。
「他の可能性はない」とか「原因はこれである」とか断言できると思った時点で誤りです。
暫定的な判断の前に誤りは取り除いておくべきです。
>プロの研究者たちの態度と比較すると
プロに割り出せない=今その技術が無い=抑止力の抽出は不可能 というのは当然の結論です。
統計は個人で取れるものではないので、我々がここで編み出せる物ではありません。
データの解析技術の開発は、死刑存廃問題とは別次元です。
それをより多くの者の「納得」のために、今ある材料でできるかのように振舞う方が大問題です。
それは単なる扇動です。
>>2518
>なぜ「それほど怪しくない」と思われるのでしょうか。
上でも書いた通り一般的な感覚だからです。
また社会全体での死刑の抑止力の「怪しげ」と比べてのことです。
>上の主張と下の主張との整合性がどのように保たれているのか
発端である「個人レベル」の死の恐怖の抑止力が、末端の「社会全体」になると怪しげになるのは
なぜなのか、そこに筋の通る説明は出来るのか、ということです。
普通に積み上げれば、死の恐怖の抑止力は大体の人に効果があるので、
全体でもそれほど怪しくないままのはずですが、「怪しげ」に感じるようになる原因はなんなのか
単なる不安以外になにかあるのか、を聞いているのです。
2532
:
通りすがり
:2010/02/12(金) 00:07:42
>>2519
>「この場合」というのはよく分かりませんが
「死刑になりたくて人を殺す人」のように、死刑があることによって、
または無い事によってアクションを起こす人が話題になっている
>>2484
のような場合です。
>「殺人を行うための閾値」が何なのか未だ自明でなく
何らかの要因で、これ以上やったら死刑になると思うがどうしよう、と迷う状態におかれている人が
閾値がボーダー上にある人、
「閾値の低い人」というのは、死刑があろうとなかろうと迷わずに死刑相当の殺人を行ってしまう人、
「閾値の高い人」は、全く殺人を視野に入れてない人、のことです。
存在を証明することはできませんが、ボーダー上の人はいない、と考えるのは不自然です。
>死刑に対する恐怖が殺人欲求の抑圧に直結しているかどうか疑わしいというのが
死刑になりたくなかったとして犯人が自首した、名古屋の闇サイト殺人事件というのがありましたが、
>また、死刑が犯罪を誘発したと捉えることができるケースも
>あります(いわゆる「死刑になりたくて人を殺した」者)。(
>>2484
)
というケースを取り上げて死刑の負の面として捉えるなら、この闇サイト事件は
殺人欲求の抑圧に成功した、死刑の正の面で取り上げるべき例です。
これを疑わしいとするなら、あなたの挙げた「死刑になりたくて人を殺した者」も疑わしいことになります。
どっちなのでしょうか?
ちなみに私はもともと、証明は人の心を読めでもしない限り不可能だと述べています。
>ところで、通りすがりさん個人にとって死刑の抑止効果は恐怖以外にも何かあるでしょうか。
確実な事実として、再犯が絶対に無いという事があると思います。
絶対的終身刑でのそれは、絶対ではありません。
また最高刑に死刑があることによって、何をしても生きたい人が刑務所に入るために
大量殺戮するということが無効化されるはずです。まあ証明はできませんが。
あと、捕まった後の犯人の態度によって運用の仕方を変えるというのはナンセンスだと思います。
人の器用不器用に刑が左右されるべきではないと思います。
>死刑に犯罪抑止力があるといっても
>意志の働きを抑圧するほどの効果はないというふうなことを申し上げたつもりでした
そういうことがある、というのは理解しますが、すべてのケースにおいてそうである、とは言えません。
効果があると考えられるのが、上記の「ボーダー上の人間」です。
だから、はなからまるで効果がない「閾値の低い人」を論じても意味がないと述べたのです。
ボーダー上の人間と言えど、死にたい人よりは生きたい人のほうが多いだろう、というのが私の見解です。
2533
:
通りすがり
:2010/02/12(金) 00:37:48
>>2520
1については、「脱線」自体議論と関係ない内容なので、言いがかりではなくても的はずれであったことは
変わりません。大魔神云々に関しても、boroさんの行動理念そのものに誤解を与える物だったと思います。
その上あの無駄レスが続いて昨日が終了したのですから、それなりの評価をせざるを得ません。
2については、
>>2454
でkenさんご自身が
>チンピラ扱いされるのが不服なら反論すればいいだけの話。
としているので、kenさん相手には問題ないという認識です。
まあ単なる皮肉です。
>私がKenさんに関して書いたことを、どうしても「廃止派の身内弁護」にしてしまいたい
私にとっての問題は、あなたの問題点の指摘が婉曲で曖昧なところです。
「チンピラ」のような単語はダメだとか、この名前がこういう理由でダメなのだ、とか
そういう具体性に欠け、ルールを記した場所を教えるでも無かったので、
なにかしらの印象の誘導をしているようにも見えました。だから即従うことにためらいがあるのです。
それに、私はだいぶ余計な部分に反応せずスルーしていたはずですが、
私にだけ自重を求めるのもどうかと思います。
「身内弁護」と見られてもおかしくはなかったとも思います。
2534
:
無精髭
:2010/02/12(金) 00:57:05
>2531
>死の恐怖が人に対して一般的には威嚇力を持つ→常識的価値観→「ある程度具体的」
>社会全体になると死刑の威嚇力はなくなるのではないか→根拠不明→「抽象的な不安」
ご説明ありがとうございます。これを十分に理解するには長考が必要だと分かりました。
>「こちらのほうが自然だ」というような納得性の問題という自覚があってやっているなら構わないと思います。
はい。私は「納得性」を拒絶などしておりません。
>しかし死刑の社会全体での抑止力は「わからない」というのが大前提です。
>「他の可能性はない」とか「原因はこれである」とか断言できると思った時点で誤りです。
>暫定的な判断の前に誤りは取り除いておくべきです。
「わからない」ということを前提にしちゃったら、「あるともないとも言える」ということも
「わからない」ということになりませんか? それとも「あるともないとも言える」ということが
それ以前の論証においてすでに前提とされているのでしょうか? というより、価値判断の妥当性
を争う議論では「納得性」しか基準になりえないからなのでしょうか?
>プロに割り出せない=今その技術が無い=抑止力の抽出は不可能 というのは当然の結論です。
わたしはむしろ、プロに割り出せない=素人ならなお更割り出せるわけがない=現時点で抑止力の
証明について何らかの結論を出すこと自体避けるべきである、というスタンスです。
プロは、抑止力の抽出が不可能だという展望を持っていないからこそ、研究を続けるためのモチベーション
を保持できるわけですから、率直に言って、こういったプロの直感が実は錯覚で、素人のそれが正しいという
通りすがりさんのお考えには賛同いたしかねます。
>データの解析技術の開発は、死刑存廃問題とは別次元です。
同意です。
>それをより多くの者の「納得」のために、今ある材料でできるかのように振舞う方が大問題です。
>それは単なる扇動です。
いや、「今ある材料でできるかのように振舞う」のはつまるところ納得性の問題なので、扇動とか
いったこととは関係ありません。個々人が自らの判断で「あるかも知れない」とか「ないかも知れない」
とか「これじゃ参考にならねー」とか決めれば好いと思います。
>発端である「個人レベル」の死の恐怖の抑止力が、末端の「社会全体」になると怪しげになるのは
>なぜなのか、そこに筋の通る説明は出来るのか、ということです。
>普通に積み上げれば、死の恐怖の抑止力は大体の人に効果があるので、
>全体でもそれほど怪しくないままのはずですが、「怪しげ」に感じるようになる原因はなんなのか
>単なる不安以外になにかあるのか、
うーん。すばらしい問題提起ですね。私はそういうの大好物です。自問自答というのは哲学の基本ですから。
ちなみに、私は「発端である「個人レベル」の死の恐怖の抑止力」についてはあくまでその人自身の問題
であると限定して捉えておりますから、社会全体という視野の中で論じるつもりはございません。死の問題
はその人自身にしか関わらないもの、各人固有のものであると考えております。
>を聞いているのです。
って、、、エーー!?
2535
:
通りすがり
:2010/02/12(金) 00:59:25
>>2524
>などと突拍子もないこと書き始めたからですよ。
あなたの突拍子もない話題転換についていこうとした結果です。
他人を批判するその目を自分にも向けてあげてください。
>>2525
「結論がでない」というのが私の結論ですから、kenさんが納得性の次元で論じておられる限り、
どのような説得力のある説を立てても、私はそれを説得力がある・合理的であるという評価はしても、
常に逆の結論に至る可能性を提示する事になります。
しかしそれはkenさんの説が真実だという可能性が無い、と言っているわけではないことはご承知ください。
>とりあえず、一般人から「ボーダーの人」を見分ける方法を教えてください。
無精髭さんへのレス参照のこと
>〇〇の中に何が入るかによりますよ。「チョコレート食べたら殺す」だったらもちろん抑止の効果が出てチョコレートの売り上げはがた落ちですよ。
「〇〇をしたら殺す(死刑)」「〇〇をしたら閉じ込める(刑務所ぐらし)」の「〇〇」の中に
同じ物を入れて比較しないと意味がありません。
空腹時、チョコレートを目の前に出されて言われて、それでも食べてしまおうと思うのはどちらが先ですか?
というような話です。
>これは意味が全然分からなかったです
国の倫理教育に反する様な人間でも、自然に理解できる法として、
死刑は単純にコストパフォーマンスの面からも優れていることになりませんか?
2536
:
無精髭
:2010/02/12(金) 01:06:46
>ユーさん他へ
まあ、通りすがりさんとの議論では今のところ相容れないところやかみ合わないところが
多々ありますけど、それ以外のところ―――議論上、掲示板利用上、交際上のマナーとか
ルールとかについては特に問題ないと思いますよ。どうにかこうにか議論が出来るだけ
でも幸せですよ(笑)。しばらくはこのままの調子で続けば好いと思いますね。
今列挙したようなことすらできない・守れないような人に対してはスルーすべきだって
ことです。
2537
:
通りすがり
:2010/02/12(金) 01:09:49
>>2526
>「チョコレート食べたら一生閉じ込める」でも同等の低下効果があると考えるのが
空腹時、チョコレートを目の前に出されて「食べたら殺す/食べたら一生刑務所ぐらし」言われて、
それでも食べてしまおうと思うのはどちらが先ですか?というような話です。
あなたはどちらでも同じタイミングになりますか?
>少なくとも自分自身のことでいえば、
何らかの要因で、これ以上やったら死刑になると思うがどうしよう、と迷う状態におかれている人が
閾値がボーダー上にある人、
「閾値の低い人」というのは、死刑があろうとなかろうと迷わずに死刑相当の殺人を行ってしまう人、
「閾値の高い人」は、全く殺人を視野に入れてない人、のことです。
「私は絶対やりません」という「閾値の高い人」の証言をいくらいれても、
死刑があろうとなかろうとアクションは起こさない人の話でしか無いので、
死刑存廃でアクションが変わる人の話をしている時には無意味です。
2538
:
通りすがり
:2010/02/12(金) 01:22:05
>>2530
>通りすがりさんご自身がデータをずさんに扱っていたからということになりますかねぇ。
証明できてない物を証明できるかのように扱う方がよほどずさんなのですが。
誰かが証明できてるのなら、すでに抑止力の議論など存在しません。
>もしくは「抑止力は、私の力では証明不可能」とでも言い直す必要があったでしょう
私には不可能、あなたにも不可能=現時点では分からない、という結論が出ますが。
>「実力を持っている人」ってたとえば誰ですか?
自分より強い人なら誰でも良いですが、死刑の問題では警察・司法ですね。
>その脅し文句を冗談と取る人も結構いるんじゃないかと思われますがね。
死刑の存在がが冗談に聞こえる人がそんなにいますか?
>表情や仕草が、国家には一切存在しないからです。
それで行くと、倫理や常識も行動を制限するほどの抑止にはならないということになりますが。
>ヤクザの世界と同じ道理で死刑は存置できるとでも仰りたいのですか?
>やべ、目まいがしてきた…
反論は具体的にお願いします。
2539
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 01:26:27
>>2536
別に私に対してアンカーを打っていただかなくても結構ですが
死刑を廃止することのメリットを示したり、死刑制度の代替案を打ち出したほうがいい・・・・
というかそうしないと議論が始まらないことは変わらないと思いますよ
今のままでは、死刑制度廃止論者というよりは、死刑制度に対する一方的なクレーマーのようですよ
あなた方が私をスルーするのは勝手ですが、私は同等の行為に対してスルーはしません
ここに書き込みをする以上は、どんな突っ込みが入れられることをも覚悟するべきだと言ったのはあなた方では無かったですか?
>>2422
の書き込みなどでは
>このスレに書き込んだ以上、他人から批判されるなり説明を求められるなり、何らかの
>リスクを負わなければならないことについては覚悟していただきたいです。ただし、それらに対して必ずしもレスを返さ
>なければならないということではありませんけれども。
でしたよね?
私のほうは一向に構わないと申し上げたはずですが
私のほうから突っ込みを入れさせていただいたら、途端に、「不愉快だ」 ではね・・・
2540
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 01:35:24
単純な話、自分達は複数で議論をし
相手は単独にしてしまいたいわけですよね?
私はこのスレを
>>1
から読んだと申し上げたはずです
無限回廊廃止論者の方々にとっての現在の私の扱いは、2週間前のguestさんと同等で
同じく2週間前の私と同じように、今の通りすがりさんに集中してかかってるわけですね
そのようなことが繰り返されておりましたね・・・・
そろそろやめにしませんか?
2541
:
通りすがり
:2010/02/12(金) 01:50:02
>>2534
>ご説明ありがとうございます。これを十分に理解するには長考が必要だと分かりました。
なぜですか?
>「わからない」ということを前提にしちゃったら、「あるともないとも言える」ということも
言葉は紛らわしいですが、なりません。
「分からない」が前提でなければ「あるともないとも言える」にならないからです。
「あるともないとも言える」ことがわかっている状態が「分からない」ということです。
>わたしはむしろ、プロに割り出せない=素人ならなお更割り出せるわけがない=現時点で抑止力の
>証明について何らかの結論を出すこと自体避けるべきである、というスタンスです。
それは私も同じです。
>こういったプロの直感が実は錯覚で、素人のそれが正しいという
そんなことは言っていませんが。
データの解析技術の開発は、死刑存廃問題とは別次元だというだけです。
モチベーションとか関係なく、現在その技術は、抑止力がある/ないどちらの結論も出て
相殺されるようなものしか無いのは事実です。
>いや、「今ある材料でできるかのように振舞う」のはつまるところ納得性の問題なので
私にとってそれは卑怯な手の範疇なので、おそらくその感覚の違いなんでしょうね。
演技力の差で決着を付けるのであれば、それこそ結論はでないでしょうし、
少数派の廃止派には決定的に不利な要素になると思います。
>って、、、エーー!?
私は思いつきませんと書いたと思うのですが。
思いつかないので、怪しげではあるが社会全体でも同じ抑止力が働いていると考えるのが自然だ
と思っているのです。
2542
:
ufloat
:2010/02/12(金) 06:20:07
>>2536
確かにお2人の良心に任せた方がよかったかもしれません。反省しきりです。
ところで、誰かサンの被害妄想に同調するつもりは毛頭ありませんが、
最近は廃止派が4人もいて、論を展開する存置派の方々は大変かもしれませんね。
昔は比率的にももう少しバランスが取れていた感じでしたが。
私が存置派の側に立って論を研鑽するのもありですが、私自身が今一歩
廃止派の側と議論できるだけの材料を持っていないので、足を引っ張りそうですし・・・。
>>2537
もしチョコレートを食べないと飢え死にするのであれば、終身刑でも死ぬよりマシだと
食べてしまう可能性はありますが、一生閉じ込められるより飢え死にを選ぶかも知れず。
正直、そういう極限状態に置かれてみなければ分かりません。
ただ、これを殺人に置き換えると、正当防衛、緊急避難、過剰防衛、情状酌量の余地があり、
あまりの極限で精神が麻痺していたなら、それによる減刑などもあるので、
死刑はまず適用されず、あまり関係ないとして・・・。
もしただ腹が減っているだけなら、先の書き込みの通り「同じくらい」です。
ところで、廃止論には「死刑による自殺目的の殺人が増える」というのがありますが、
昔の私はこれを「廃止派の意味不明なインネンだ」程度にしか考えていませんでした。
しかし、ある時からそのような気持ちが良く分かるようになってきて、
これを現実的なリスクと認識するようになりました。
もちろん、私にはそのために大勢の人の命を奪う気など全くありませんが、
もしこれがチョコレート程度であれば、食べてしまうかもしれません。
これが「チョコレート食べたら永久に閉じ込める」であれば、
文字通り死んでも食べませんけれど。
ついでに、特別予防効果についてguestさんとの議論の際に宿題になっていたので、
独り言を書いておきます。決して通りすがりさんが他人にあてた返答に割り込んでいる
わけではないですから、言いがかりはやめてくださいね、誰かサン。
さて、死刑と終身刑の特別予防効果について突き詰めると、次のような選択肢がありそうです。
A.死刑囚や死刑間違いなしの被告人が死に物狂いで脱走を図ると危険なので、
裁判はすぐに終わらせ、すぐに処刑する。
B.冤罪死刑の可能性を低減するため、若く気力ある死刑囚・死刑間違いなしの被告人が
死に物狂いで脱走するリスクを引き受けた上で、裁判と処刑決定に十分時間をかける。
C.冤罪の可能性を考え、脱走のリスクを引き受けた上で終身刑にする。
もし刑務所事情が悪すぎ、凶悪犯が脱走しては人を殺している国では、Aにすることも
やむを得ないかもしれませんが、日本の死刑の現状と刑務所事情を考えると、
特別予防効果はあまり議題にならないといった感じです。
2543
:
Ken
:2010/02/12(金) 13:27:35
無精髭さんへの返答は読みましたけど、こんな抽象的な定義では、私には「ボーダーの人」をそれ以外の人から見分けることはできないです。
「閾値の低い人」
タクマとか土浦殺傷事件の被告人とかですね。犯人がデスパレートな場合(捕まっても構わないと考えている場合)、あらゆる抑止力は効きにくいです。
「閾値の高い人」
私とかですね。ま、大抵の人。
「ボーダーの人」
そんな人はいません。
>>存在を証明することはできませんが、ボーダー上の人はいない、と考えるのは不自然です。
たとえば、宇宙人は存在を証明することはできませんが、いないと考えるのも不自然、くらいの存在ですよね。それで、ひょっとしたら宇宙人からの電波が拾えるかも、と望遠鏡を向けている人たちいますよね。個人とかグループのレベルで。でも、宇宙人が攻めてきたときのために軍事力を整備したりはしないわけですよ。そんなばかばかしいコストは害です。存在が証明できない場合、とりあえずないと仮定して対応するのが正解。とくに国のレベルでの対応を考える場合、もろもろのコストがすごいことになりますから。
>>名古屋の闇サイト殺人事件
は疑わしいどころか、かすってもないですねー
だって殺しちゃったんだから。死刑全然殺人を抑止してませんねえ。死刑が自首を促進した例とは言えますが。ただ、そんなのは死刑に限った話じゃなくて、無期懲役が懲役10年に減刑されるという場合でも自首は促進されますね。
>>空腹時、チョコレートを目の前に出されて「食べたら殺す/食べたら一生刑務所ぐらし」言われて、それでも食べてしまおうと思うのはどちらが先ですか?というような話です。あなたはどちらでも同じタイミングになりますか?
だから、さっきから「食べない」って言ってるんでしょ。私チョコレートが大好物ですけど、殺されるのも刑務所に入れられるのもチョコレートを食べることと比べて割が合わなさ過ぎる。空腹くらい我慢すればよろしい。
>>国の倫理教育に反する様な人間でも、自然に理解できる法として、死刑は単純にコストパフォーマンスの面からも優れていることになりませんか?
やっと分かったけど、そうはならないですねー
暴力集団は殺人以外に拉致・監禁とかも制裁手段として用いますよね。むしろ、殺人よりも拉致・監禁が用いられることのほうが多いでしょう。ということは、拉致・監禁つまり懲役刑も彼らにとって自然に理解できる制裁手段であるはずです。ちなみに、アメリカのいくつかの州では死刑と仮釈放のない終身刑とで、それぞれにかかる金銭的コストの比較が試みられてますが、仮釈放のない終身刑のほうがコストが安くて済みますねえ。パフォーマンスの比較はちょっと難しいですが、はっきりとした違いはないでしょう。つまり、仮釈放のない終身刑のほうが死刑よりもコストパフォーマンスは優れています。
>>確実な事実として、再犯が絶対に無いという事があると思います。絶対的終身刑でのそれは、絶対ではありません。
いつも書きますけど、この議論は日本では意味がないですねー
まず、これ読むよろし↓(『5.1長期拘置中の死刑囚』の項)
死刑囚
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%9B%9A
次に、これ読むよろし↓
無期懲役囚が戦後最多、厳罰求める世論で仮釈放減少
http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-1178.html
死刑囚の中には20年、30年、中には40年近く拘置されている人がいるのです。死刑はちっとも手っ取り早い刑罰ではないのです、死刑賛成派の人たちが夢見るような。収監期間は無期懲役囚と全然変わらんのです。それでも脱走とか看守を殺害したとか聞いたことない。そういう可能性は限りなくゼロに近い、というかゼロなんですねー、日本では。だから無視してよろしい。
というように、通りすがりさんは今のところ死刑に限った利点を挙げるのに失敗してますね。死刑を含む刑罰一般の存在意義には誰も異論を挟まないわけですよ。死刑に限った利点、死刑じゃなきゃいけない理由を挙げないとだめです。
2544
:
Ken
:2010/02/12(金) 13:41:48
>>2529
擁護の中には「いい擁護」と「悪い擁護」があるということですね。言い悪いの判断は「落ち度の有るなし」で決まると。
それの問題は「落ち度の有るなし」を判定しているのが已む無しさんだということですね。誰もお願いしてないのに勝手に審判になられてもねえ...。
已む無しさんの判定に不服があるときにはどうすればいいのか、という話です。誰だって誰かを擁護するとき、普通その相手に落ち度がないと思ってするもんです。
2545
:
Ken
:2010/02/12(金) 14:07:34
>>少なくとも私個人にとっては、死刑において犯罪抑止効果があるとすれば、死刑に対する恐怖以外に考えられませんが、これが死刑相当犯罪を私に行わせないような心理的抑圧効果として私の内面できちんと働いているのかが実に疑わしいのです。
死刑に限って考える必要はないですね。たとえば喫煙とか。喫煙が命を縮めることはかなりはっきりしているわけですよ。ヘビースモーカーの有名人が咽頭がんとか肺がんで亡くなる、なんてニュースもよくある。それにもかかわらず喫煙者はタバコ吸うのを止めない訳です。
ということはどういうことかというと、人は自分の死に関してそれほど客観的なリスク評定ができない、ということですね。だから、死刑が犯罪を抑止するなんて嘘っぱちなわけです。
ここいらあたり、人がリスク評定する仕組みを実験的手法で研究するのが最近流行ってますね。たとえば時間のバイアス。みんな貯金しないし(日本はちょっと違うけど)、年金制度とかどこの国もうまく行かないわけですが、それはみんな来月の給料の心配は熱心にするのに30年後の収入にはほとんど関心がないからですね。同じくらいのリスクでも時間的に近いか遠いかでバイアスがかかるわけですねえ。というふうに人はそれまで考えられていたほどには合理的に行動しないことがいろいろと明らかになってきています。
>>案外、死刑よりも司法制度のほうにこそ、犯罪抑止効果が期待できるかも知れないなぁと思いました。
それは屁理屈ですねー
裁判とかが長引いたらそれはそれでいろいろと不都合があります。
2546
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 14:25:29
>>2544
残念ですが・・・・今回のケースに於いて、通りすがりさん他に落ち度がないことを証明してくだすったのはboroさんです
あなた・・・・謝罪とは言いませんが、boroさんにお礼の一つも言ってみたら如何でしょうか?
2547
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 16:31:26
死刑賛成派と反対派の対談スレ・part9
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1244987259/
死刑廃止論者は卑怯者です。4
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/court/1263489361/
紹介まで
2548
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 16:36:53
誰とは言いませんが、荒らしでないというのならば
誰の書き込みはギャラリーで、誰はプレイヤーなどという書き込みや
さも、この掲示板内にダブルハンドルを使用している方がいるかのような書き込みなどの
>議論上、掲示板利用上、交際上のマナーとかルール
を守れない方には一言でも無いものなのでしょうか?
2549
:
boro
:2010/02/12(金) 17:57:08
>>2546
自分の名前が書き込まれる度にドキドキしています(^^;
IPについては誰かに頼まれたからとか誰かのために
調べたわけではなく、強いて言えば、ここの掲示板を
管理している自分のためにそうしたまでですので
そこのところ、宜しくです。
では、また。
2550
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 18:43:42
>>2549
あ、何もboroさんにそういう責任があるなどとは思っていませんよ
むしろ、管理者であるはずのboroさんが自分の為に行ったことを、私達にも公表していただけたことに感謝しております
>>2548
で言っているのは、他人に対してはマナーを要求しておきながら自分達は守らないのはどうなのかと、問うてるだけです
管理人さんがどうこうしなければいけないなどとは思っていませんよ
そんなことを言っているのは彼らだけですし
2551
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 19:27:25
ここで改めて、私自身の感ずる、死刑制度の目的を書いてみたいと思います
①犯罪者に後悔・反省・更生をうながす目的
②社会教育(応報原理・道徳倫理・ひきしめ効果など)
③みせしめ(公開処刑とかではない。つまり、こういう罪を犯したものはこうなるという事実だけ示せればよい)
④犯罪抑止(殺人だけにとどまらない。特に外国人他犯罪組織に対しては効果が高いだろう)
⑤仇討ち感情の鎮火(負の連鎖を断ち切る)
これらが複雑に絡み合って効果を生むものだと感じております
①などは、「死んでしまうものに更生もクソもあるものか」 などと仰る方もみえるのではと思います
が、私自身がこのスレでも書き込みしましたように、『来世にむけて』 更生する可能性を考えています
④の犯罪抑止で、外国人や、組織などをあげましたが、通りすがりさんも仰っていましたように
「ボーダーライン」 の人間に対しては、犯行直前であっても抑止力が働くと考えられますし、また
死刑制度の存在によって、その「ボーダーライン」 そのものが引き上げられるものと考えております
相手の批判以外の部分においての
死刑廃止論の意義や目的も、是非伺ってみたいです
私の考える死刑制度の目的の中には、犯罪者に対する批判は当然含まれますが
死刑廃止論に対する批判は含まれません
当然です、だってまだ何も伺ってはいないのですから
2552
:
紫煙狼
:2010/02/12(金) 22:16:39
はからずも、私がスルーを決め込んでいた某氏の書き込みに啓発されてしまっているのはお恥ずかしい限りですが、
私が考える死刑廃止の目的とは「人が人を殺す」ことの不条理やら野蛮さの排除、つまり倫理だと思うのですね。
それが副作用的に「冤罪死刑」のリスクを減らすのであれば「冤罪をなくす」という努力に恩恵をもたらしこそすれ
それを邪魔するものではないと思いたいですね。無論、死刑廃止によって冤罪死刑のリスクが排除できれば、冤罪を
なくす努力は不要であるなどと言う意味ではないですよ?これをまるで「死刑以外の冤罪は享受すべき」と曲解され
ますが、それは死刑反対派をあまりに勘違いした発言だと思いますね。
>>2551
で死刑制度の目的が列挙されていますが、実際はもっと細々と目的はあるでしょう。問題は、その目的を
死刑以外で代替することの出来る手段が残されているか、いないか、ではないのかな?と思うのですね。
何かよって目的を満たそうとしても「満たされないものがきっとあるだろう」という人がいましたが、完全には
満たされないにしても、死刑と同じ程度に満たすことが出来るのであれば、死刑の代替案としては十分に意味が
あるのではありませんか?
これは批判ではないと思ってほしいのですが、「まる1(機種依存文字なので書き換えますね)」で挙げられている
「犯罪者に後悔・反省・更生をうながす目的」に関して、死刑已む無しさんは「来世に向けて」と仰るけれど、
そもそも来世を信じない人もいるわけだし、百歩譲って来世があるとしても、来世において更正されていたかを
追跡調査するというのは非常に難しいわけです。それよりも「現世において後悔・反省・更生」してもらった方が
効果としては分かりやすいのではないでしょうか?そして「現世において後悔・反省・更生」してもらえる手段が
死刑以外にあるのであれば、その方法は死刑より優れていると考えることは不可能でしょうか?
なるほど、人の心を確かめるすべがない以上、本当に後悔・反省・更生しているかは確かめようがない。しかし、
それは来世においても確かめようがないのですから、殺すだけ殺しておいて「来世ではきっと更正…」という根拠の
ない慰めにすがるよりは、仮初でも現世である程度の効果らしきものを見たほうが納得できる部分は大きいのではない
でしょうか?私は更正教育を拡充することによってこれが可能ではないかと考えているのです。
死刑の社会教育としての側面も挙げられていますが、そもそも応報原理と言うのは教育すべき題材なのでしょうか?
一緒に道徳倫理なんてものも挙げられていましたが「悪いことをすると、自分にも悪いことが跳ね返ってくる」だから
「悪いことをしてはいけない」という行為と結果に対するリンクの張り方は単純明快ではあるものの道徳倫理とは随分
趣が異なると思うのですね。むしろ悪いことが、なぜ悪いこととされているのかを教えたほうが道徳的だというのは
詭弁でしょうか?人が一人っきりで生きている状態に対して道徳という概念が残りうるのか、ちょっと分からないの
ですが、裁く者・罰を与える者が居ない状態では「悪いことをしても裁かれない・罰を与えられない」のですから、
自分に跳ね返りようがありませんよね?(いや、確かに神が裁く・神が罰を与えるでしょうけど)実はこの考え方の
発展形で考えるから「死刑をなくせば犯罪が増える」と考えられるのかな、と思ったりもします。
「罰を与えられるからやらない」のではなく「悪いことだからやらない」と教育する方が道徳的であると思うのですね。
この教育は死刑を廃止するかしないかに関わらず必要なことだと思いますよ?(つづく)
2553
:
紫煙狼
:2010/02/12(金) 23:00:19
「みせしめ」なんてのも挙げられていますが、これは「罰が与えられる」という事を広く知らしめると言うことですよね?
であれば、先ほど挙げられた社会教育と大差はなくて「どうせ罰なんかないんだから」という不心得者を震え上がらせる
には効果がある、ということでしょう。これがあるから恐怖による犯罪抑止効果という言葉が出るのであって、実際は
「社会教育」と「みせしめ」と「犯罪抑止」なんて分けて書くほどのものではなく、どれも同じ事を言っているのでは
ないでしょうか?そして、それはそもそも「教育の方法に問題があるのではないのかな?」と感じます。繰り返しますが
「悪いことだからやらない」を徹底することで「みせしめ」は不要になり「犯罪抑止効果」も生まれます。もっとも、
徹底するために「みせしめ」が必要だ、と堂々巡りになりそうですが「みせしめ」が不要になるまでの経過措置として
「みせしめ」が必要と言う意見には同意します。ゆくゆくは「みせしめ」の不要な道徳観で日本を包み込みたいですね。
そして…一番不条理にして一番悲しい、一番必要で一番間違っているのが「仇討ち感情の鎮火」だと私は思っています。
流された血を注ぐために新たに血を求める…。そういう被害者(遺族)の感情、それを求めてしまう心の動きは、正しいとか
間違っているとか、そういう問題ではなく仕方のないことですよね。これが被害者の復権と同義であれば、もはや言うこと
はありません。つまり犯罪者の命を奪うことで被害者の命が蘇るのであれば、そういう方法があるのであれば、死刑は
被害者の復権のために必要不可欠な行為として私も文句なく賛成します。(これが、以前挙げた「臓器農場」としての
「死刑囚リサイクル利用」なのですが。)つまり、被害者の命を蘇らせるのが無理であったとしても、今消えかかっている
命の灯火を永らえるために死刑囚の命を利用するのであれば、それは社会においてひとつの命が復権されるのと同意義では
ないか、と思うのですね。(Kenさんや無精髭さんには「それは死刑廃止より難しい」と言われましたが、私はむしろ
死刑廃止より先に実現できそうな案だと思っているんですよ?)死刑已む無しさんが挙げた死刑の目的の1〜4が代替され
ても、この目的(臓器のストック)のために死刑を残すというのであれば、少なくとも私は反対しません。
しかし、死刑囚を臓器のストックと看做すと言うのは褒められた倫理観ではないかもしれませんね。なので、さしあたり
この案を却下するとして、もう一度立ち返ると、被害者が復権されるわけでも、消えかかっている命が救われるわけでも
ないのに、本当に被害者(遺族)の感情慰撫のために(相手は悪人とはいえ)命を奪うことが許されるのか???
言い方を変えれば「許せないから殺してもいい」のか。「虫けら未満だから殺してもいい」のか。これはもう感性の問題
かもしれませんが、私にとっては感情というのは人の命を奪う正当な理由としては弱いと感じます。たとえどんなに強い
感情であっても、たとえどんなに共感できる感情であっても、そのために命を奪うことの違法性を阻却すると言うのは
認めてはいけないことではないでしょうか?
そういう意味で「仇討ち感情の鎮火」というのは目的と言うより、死刑によってもたらされている効果、と捉えなければ
大きく見誤ると思うのですね。もちろん、目的ではないにしても効果がある以上、それはメリットなので、そのメリット
を諦めろと言う見解に誰も賛同しないのは分かりきっている話で、実は私が「死刑しかないのかな…」と思う要素を一つ
挙げるとすれば、確かに被害者感情の慰撫ではあるのです。
ただ、明らかに今の日本は被害者救済のための制度が疎かになっていると思いますので、先にその制度の拡充を図って、
その効果が一定以上の成果を挙げたなら、その時にはもう少し被害者感情と言う問題は解決しやすくなっているのでは
ないでしょうか?どのみち被害者救済の制度は必要ですから。
2554
:
紫煙狼
:2010/02/12(金) 23:42:01
死刑已む無しさんは「将来的に死刑を廃止することに異論を唱えているわけではない」と仰いました。
そして私は「経過措置的に死刑を存置することに異論はない」と明言しています。そこで伺いたいの
ですが、なぜ「将来的に死刑を廃止することに異議を唱えない」のですか?「死刑廃止の目的も意義も
見えない」のに、なぜ「将来的に廃止する」事には異議を唱えないのですか?
なるほど、よく分かりもしないうちから反対も何もあったものではない、という言い分なら理解できます。
しかし、死刑已む無しさんには「死刑の目的も意義も明確に見えている」のですよね?そうであれば、
やはり将来的にも死刑廃止に反対するのが普通ではないのか?と思ってしまいます。
いや、実際は「将来的に死刑を廃止することに異議を唱えない」のではなく「将来的に死刑が執行されない
状態の日が来ても異議を唱えない」だけで死刑制度をなくすことには、やはり反対に近い考えなのでしょうか?
よく死刑存置を語る人が「何百人殺しても加害者の命が保障される世の中はおかしい」と仰いますね。
でも私は「緊急でもないのに人の命を奪うことの違法性が阻却される世の中もおかしい」と思うのです。
もう少し切迫した危機感をさらけ出すなら「国家が国民の命を奪うことの違法性を阻却したままにしておく」
というのは安全なことなのでしょうか?
たとえば第二次世界大戦前のドイツやイタリアには「民主政治」が無かったのでしょうか?私が知る限り
ドイツもイタリアも「民主的に非民主的政権を選んだ」ように思うのですが間違っているでしょうか?
経済の問題や外交上の問題など、いろいろな外的内的要因が重なると、国民こぞって誤った方向に向かって
しまうというのはありえない話ではなく、気づいたときには既に国の中枢に凶悪な病原菌が巣食っている…
というのは杞憂と言うほど無駄な心配ではないと思っています。そうなった時に、時の政権が意図的に冤罪を
発生させ、政敵を死刑に処すと言うのは「ありえないこと」ですか?
うん、たぶん「自分が殺されることは無いんだから何百人ころしてもいいんだ〜」という救いがたい愚者の
発生に比較して危険性は少ない、と思っていらっしゃるんでしょうね。なにしろ権力者が自分の有利に死刑を
援用するためには数千人、数万人レベルの腐った公務員が必要ですけど、連続殺人鬼の発生には一人の腐った
国民で事足りますからね。その確率論は理解できます。ただ、権力は人を狂わせる力を持っているでしょう?
倫理観だけではなくそういう側面からも「たとえ国家といえども人の命を奪うことは許されない」世の中、
もちろん「たかが一国民が人の命を奪うなんてとんでもない」という世の中が理想状態だと思うんですよね。
だから、それを実現するために何が必要かを皆さんと一緒に考えたいと思うのですが間違っていますか?
2555
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 23:42:32
>>2552-2553
私のとった態度はけっして褒められたものではなかったと思います
それでも、私に対してレスをしていただけたということは、少なくとも、私が悪意をもって書きこみをしていたのでは無い
と、いうことくらいは伝わったのかな・・・・と思い、勝手に喜んでいます
さて、私が考える死刑のメリットを、廃止した後でも同じ程度に満たすことが出来るとしたら・・・・でしたね
結論から申し上げますと
『死刑制度廃止に反対する理由が無くなる』 ということです
それを前提に、細かいところに意見を申し上げたいと思います
まずは、「来世」 についてですが・・・・
これは、どちらが正しいとか間違っているかというよりも、私の死刑制度に対する考え方の根底にあるもので
おわかりかとは思いますが、仏教的な考えなしに、私の死刑観は成り立たないのです
ですが、これを理論的に説明しろと仰られても、「信じている」 としか言えない自分が腹立たしいです
とはいえ、日本は、国家としては無宗教ではありますが、仏教的な思想が根強く残っているのも事実だと思います
応報を基にした道徳倫理についてのことですが
「人にされて辛かったことは、絶対にしてはいけない」 という考えがあります
先の議論にもあった、「クオリア」 でしょうか?
言って聞かせるだけでは絶対に伝わらないものがあるとおもうのです
人を殴って嫌がるさまを見ては楽しんでいるガキ大将がいたとします
その子が、自分が殴った子が感じた痛みや恐怖や絶望感を理解するには、言葉での説明だけでは無理があると思います
辛い体験をした人のほうが、人に優しくできる、より強く共感できるのだと思います
でも、応報についてだけ言うと、それを活用するのは
取り返しのつかない、殺人などにではなく、「暴力」 や、「詐欺」 の時点で適用するほうが、更生のためにはいいのかも知れませんが・・・
他の部分については概ね同意です、反論するどころか、正に同意見であります
あ、臓器提供については・・・・論理的ではなく、まったくの個人的・・・生理的に受け付けないです・・・・
なにはともあれ、初めて私に対して真正面から当たってきていただけたと思っています
魂のこもった書き込み、有り難く思っております
2556
:
死刑已む無し
:2010/02/12(金) 23:48:41
>>2554
>いや、実際は「将来的に死刑を廃止することに異議を唱えない」のではなく「将来的に死刑が執行されない
>状態の日が来ても異議を唱えない」だけで死刑制度をなくすことには、やはり反対に近い考えなのでしょうか?
痛いところをつかれましたね
答えは、『そういう考えでした』
なるほど、犯罪組織に対する不安を持つものに対して、権力者に対して不安を持つものですか・・・・
これは考えさせられますね・・・・今すぐには答えは出せそうにはありません
申し訳ありません
2557
:
紫煙狼
:2010/02/13(土) 00:17:24
>>2555
>日本は、国家としては無宗教ではありますが、仏教的な思想が根強く残っている
私もかなり無宗教的ではあるのですが、それは何々宗という枠にとらわれないだけで、
やっぱり私も仏教的な感覚は強いと思います。それに、ワビとかサビを解する日本人は、
それらに対する造詣と同じくらい、悪いやつが始末される「必殺」シリーズに多かれ少なかれ
痛快さを感じているのでは?(私だけかな。。。)これって、日本では死刑が厚い支持を得て
いるという国民性を端的に示していると思いますね。
(私、必殺シリーズに関してはマニアの一歩手前です。)
>自分が殴った子が感じた痛みや恐怖や絶望感を理解するには、言葉での説明だけでは無理がある
ここは「そうかもしれない」と思う気持ちと「そうであってはほしくない」という気持ちが半々です。
私は一応、学校教員を目指していたものですから「体罰には断固反対」の立場でして、そこに愛情が
介在しようと、熱い魂が介在しようと、人を教え導く者が物理的な力や権力を行使するのは良くない
と思っています。だから無理を承知で「言葉で諭す」ために情熱を注ぎたいと思います。
(現在は教員ではありません。)それと…体罰を一度使った人は「言葉で諭す」努力をおざなりにして
しまう傾向はありませんか?だって、手っ取り早いですもの。でも、そこで張られるリンクは
「痛い目にあうからやらない」リンクで「痛い目にあわないならやってしまいかねない」リンクです。
これはね、やんちゃ小僧だった私が一人のすばらしい教師と出会って生き方を改めたという実体験です。
いや、小学校中学年のころの話ですよ?やんちゃといっても可愛いもんです。でも、私はその先生から
「なぜ悪いのか考える」力を授かりました。そして「悪いことだからやらない」大人になったつもりです。
こういうのは早いうちのほうが効果的です。だから
>取り返しのつかない、殺人などにではなく、「暴力」 や、「詐欺」 の時点で適用するほうが
は、まったくそうですね。というか、本当に子供の悪戯レベルのころに教えてほしいです。
>臓器提供については・・・・論理的ではなく、まったくの個人的・・・生理的に受け付けないです・・・・
あらら、やっぱり無理でしょうか…。どうもKenさんや無精髭さん死刑已む無しさんの反応を見る限り、
私の「臓器ストック案」は何か感覚的に重大な部分が欠落しているみたいですね。ただ、私の中では
本当に「死刑廃止より簡単」に思えているんです。
>>2556
>今すぐには答えは出せそうにはありません
その部分に限らず、どの問題点もすぐに答えの出るものではないと思うんですね。
ただ、その答えを探し続けるだけでも意味はあると思うんです。それを求める姿に次世代が何らかの
影響を受けて、一緒に探してくれれば、探す精神を受け継いでくれれば、私の生きている間に答えが
でないとしても、いつか答えが出る可能性は残されますもの。
スタンスは違えど、一緒に考える力を分けてくだされば幸いです。
2558
:
紫煙狼
:2010/02/13(土) 00:27:18
無精髭さんが前に私の死刑廃止論を
「教育云々は良い意味で建前で、実際は死者との約束を果たすため…。」
なんて表現してくださいましたね。そんなに綺麗な物か自信は無いですが、
たぶん、教育云々は方法論の一つで、やっぱり不幸にも事件や事故で命をなくされた
方たちを無駄死ににしない、って意識は強いです。彼らが天から見下ろした現世を
少しでもより素晴らしい物にしてお目に入れたい、そんな感覚が強烈にあります。
幸いにも今この瞬間を生きているものとして、不幸にもこの瞬間を生きていられなかった
方々に恥ずかしい生き方だけはできない。そういう思いは強いですね。
ま、何が良い世の中なのか、は人それぞれ定義があるでしょうけどね?
戦乱の世の中よりは平和な世の中のほうが見ていて心地よいかな、と。
2559
:
無精髭
:2010/02/13(土) 00:52:30
シェンさんが復帰されたのと死刑已む無しさんがシェンさんとの対話に応じる姿勢をお見せになったのは
私としても喜ばしい限りですが、、、通りすがりさんとのやり取りはまだ続いておりますので、
せっかく好いムードを放った流れを断ち切るのは酷な気もしますが、どうかご寛恕いただきたい。
>2531
>これは明らかに逆です。普遍的に続いてきた現状に問題が存在していると主張している方、
>つまり廃止派に死刑廃止状態の抑止力を立証する責任があります。
>そうでなくても、死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ、というのは対称的ではありません。
初耳。というか、それって議論の話じゃないですよね。「対称的」というのも意味わかんないです。
仰るような事情で廃止派の側に立証責任が生じているのだとしても、非対称のまんまですよね。
どのみち非対称であることが許されるのなら、別に私の提案でも構わないことになりますわな。
>2538
お忙しいのでしょうか。レスの精度がだいぶ落ちているように見受けられます。
>証明できてない物を証明できるかのように扱う方がよほどずさんなのですが。
>誰かが証明できてるのなら、すでに抑止力の議論など存在しません。
現時点で証明できていないから、皆躍起になって証明しようとするんでしょうねぇ。
その証明合戦に参加もせずに高見の見物を決め込んでいる人はずさんというか、
ものぐさ太郎ですなぁ。まあ、それも仕方ないことです。大抵の人には、その証明
合戦で一体何が行われているのかも分からないでしょうから。
>私には不可能、あなたにも不可能=現時点では分からない、という結論が出ますが。
ええ、その通りです。ですが、通りすがりさんにも私にも分からないからと言って、
他の人にも分からないとは限らないです。また、現在確認できるプロの研究者全員に
さえ不可能だからと言って、この世の全ての人に不可能であるとは断言できないです。
たとえば、どこかにとんでもない英知を秘めた天才が真理を独り占めしているかも
知れませんから。何はともあれ、データをもっと充実させ、そういう例外をも排除した
上でなければ、いくら不可能だの分からないだのと言っても、単にその人の思考能力
に限界があるからその人にとってのみそう感じられるだけなんじゃないかと言われる
のがオチでしょう。通りすがりさんの考え方は、帰納的推論にありがちな「早まった
一般化」の好例だと言えます。
とはいえ、通りすがりさんがチラッとお見せになったカナダのデータに関する解釈法は、
私のようなど素人でも容易に思いつくような代物ではありませんでしたがネ。同じ「不可能=
現時点では分からない」でも、通りすがりさんと一緒にされるのはちょっと心外かな。
>自分より強い人なら誰でも良いですが、死刑の問題では警察・司法ですね。
人じゃねえし。組織だし。警察官とか裁判官などと仰りたいのですかね。だとしても、
そういう職業の人から「○○したら殺すゾ」と言われたとしても言葉通りには受け取ら
ないですよ、普通。つーか、警察官とか裁判官がそんな脅し文句を口に出すわけがない。
ちょっとでもそんなことを口から漏らしたりなんかしたら、大問題。
>死刑の存在がが冗談に聞こえる人がそんなにいますか?
死刑が脅し文句を言えるのであれば、大抵の人にはきっと冗談に聞こえると思います。
>それで行くと、倫理や常識も行動を制限するほどの抑止にはならないということになりますが。
反論の意味が分かりません。倫理や常識は、法や刑罰のように国家の権力・管轄ではないです。
また、それ自体では威嚇もしません。なぜなら、それ自体では法や刑罰のように形あるものとして
存在していませんから。
ちなみに、形あるからといって、法は「仕草」や「表情」などの言語外的な特徴を持ちえません。
言うまでもなく、法とは言語以外の何物でもないのですから。いくら読む者が恐怖するような
調子で条文が書かれていたとしても、当の自分に向けられたものという感覚が読む者に生じな
ければ、法による威嚇は成り立っていない(というより、個々人まで届いていない)と言えます。
その点、刑罰も同様。これが、個人と国家(この場合は、法・刑罰)は向き合っていないということです。
>反論は具体的にお願いします。
いや、率直に言って、以下のような抽象的な問いかけに対し具体的に答えるのは無茶です。
>2494便益でいうなら、大抵反社会的組織の中では(中略)死刑は単純にコストパフォーマンスの面からも優れていることになりませんか?
とはいえ、「ある程度」具体的には反論をお書きしておいたはずですので、もう一度お読みください。
2560
:
死刑已む無し
:2010/02/13(土) 00:52:56
>>2557
>体罰を一度使った人は「言葉で諭す」努力をおざなりにして
>しまう傾向はありませんか?だって、手っ取り早いですもの。
そこが、どんな手法であれ、『是』 であることそのものを否定する理由です
これで良い・・・・と考えることは怠惰以外の何物でもないと思います
今まで、意図的に曖昧な書きこみをした部分もございましたが、この部分においては本音でございます
本日最後に、またちょこっと論理的では無い話をしますと・・・・
話して聞かせるだけで、実際の経験無しに真に理解ができる子は・・・・はっきり言って存在すると思います
そういう人は、前世において、しっかりとした経験を積んでこられたのでは?と、考えてしまうのです
それでは、本日は有り難う御座いました
2561
:
無精髭
:2010/02/13(土) 00:52:59
>2541
>なぜですか?
以下参照。
>2485片方にある程度具体的な根拠があるのに、もう片方は抽象的な不安だけを根拠にする、
>というのはアンバランスなので、その不安の原因を探って明確にすべきだと思います。
まず、何を指して「片方」とか「もう片方」とか仰っているのかが不明瞭です。
しかし、たとえそれが分かったとしてもコンテクストがつかむのに苦労している
現時点では、通りすがりさんの仰っていることを理解することはかなり難しいの
ではないかと思われてなりません。
>言葉は紛らわしいですが、なりません。
>「分からない」が前提でなければ「あるともないとも言える」にならないからです。
>「あるともないとも言える」ことがわかっている状態が「分からない」ということです。
「あると言える」と「ないと言える」が前提にないと、「あるともないとも言える」とは
結論できませんよね。で、この「ある・なし」発言が同一人物によるものである場合は、
その人は自家撞着に陥っていることになりますよね。一方、これがそれぞれ別々の人に
言われたものである場合は、矛盾は回避されますが、それでも「あるともないとも言える」
ことには全くならないでしょう。物事はあるかないかのどちらかだからです。すなわち
ある事象に対し「あるともないとも言」うことは、本来許されてなどいないのです。
したがって「あるともないとも言える」状態とは、同じ人物によって「あるともないとも言える」
ことではなく、また、複数の人間がそれぞれ「あると言ったりないと言ったりすることが
できる」ということでもなく、単に「あると言える人とないと言える人が一緒にいる・
面と向かって話し合っている」という状態に過ぎないでしょう。しかし、その様子を知って
いるからと言って、「あるかないかが分からない」ということにならないのは自明ですね。
>それは私も同じです。
いや、違います。私は「あるともないとも言える」とか「実証不可能」とかいったことも
結論付けるべきではないと主張しておりますから。
>そんなことは言っていませんが。
>データの解析技術の開発は、死刑存廃問題とは別次元だというだけです。
>モチベーションとか関係なく、現在その技術は、抑止力がある/ないどちらの結論も出て
>相殺されるようなものしか無いのは事実です。
事実と主張なさるならば、それが正に事実であることを論拠とともに示してください。
抑止力に関する「データの解析技術」とやらについて、通りすがりさんは専門家なみの
知識をお持ちだとお見受けしました。
>私にとってそれは卑怯な手の範疇なので、おそらくその感覚の違いなんでしょうね。
>演技力の差で決着を付けるのであれば、それこそ結論はでないでしょうし、
>少数派の廃止派には決定的に不利な要素になると思います。
どうして通りすがりさんの中で、専門家による抑止力研究や論争が「今ある材料で
できるかのように振舞う」ことになってしまうのかが全く理解できません。確かに
素人がそういった権威に訴えて、「絶対に抑止力はあるんだ!」とかなんとか世迷言を
口走っていたら仰るように大問題ですが、その研究成果を参考にして「抑止力はある
かも知れない」などと譲歩しつつ主張に組み込んだり、単に当面の判断材料として用い
たりすることは、卑怯な手でも何でもないでしょう。何か勘違いされているのでは
ありませんか?
>私は思いつきませんと書いたと思うのですが。
>思いつかないので、怪しげではあるが社会全体でも同じ抑止力が働いていると考えるのが自然だ
>と思っているのです。
私の皮肉が通じなかったようです。ちょっと残念。
(他にも補足・展開しなければならない点が二三あります。続きは時間が取れてから)
2562
:
死刑已む無し
:2010/02/13(土) 00:59:06
>>2558
紫煙狼さんが口調を変えたときに私が強く反応したことがありましたね
今では、あれは貴方様の真剣さの表れだったのかとも考えております
2563
:
ufloat
:2010/02/13(土) 01:57:10
紫煙狼さんのお話で思い出しましたが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%93%E5%99%A8%E3%81%8F%E3%81%98
こういう思考実験がありますね。
この中身自体は、紫煙狼さんの主張されている案とは別物ではありますが、
紫煙狼さんの論を考える上で、ある程度参考になる部分があるのではないかと。
2564
:
ufloat
:2010/02/13(土) 08:01:39
それで、先の記事も読みつつ紫煙狼さんの論を考えてみたのですが、
紫煙狼さんがこれまでに主張されていた論と比較してみると、
やはり「矛盾」ではないにせよ、どうしても違和感を否定できませんでした。
ひとまず倫理的問題を無視して考えると、死刑存置派の人が
「どうせ死刑にするなら、移植を待つ人のために臓器も利用すべきだろう」
として死刑囚からの臓器移植を支持するなら理解できるのですが、
紫煙狼さんは廃止派で、しかも「今は無理でも、いつかは死刑のない世の中を作ろう」
という主張をなさっていますね。
仮に未来の日本において、死刑の廃止を検討できる土壌が整ったとして、
死刑囚からの臓器移植を肯定するなら、
・死刑を廃止する環境が整ったので廃止する
・臓器移植のために死刑にする
この2択になってしまい、これらは相互に相容れないものですが、紫煙狼さんは
両者を肯定していらっしゃるようなので、紫煙狼さんの意図がつかめませんでした。
さらに、「死刑によって他の命が救われる場合」という側面から考えると、
・死刑囚を新薬や治療法の実験台として使い(苦痛を与えるのが問題なら、苦痛のない方法で)、
多数の人の命を救える医学研究をするのは許容されるのか。
・仮に死刑より終身刑の方がコストがかかることが立証され、そのコストを他に充てると
より多くの人命が救えるのであれば、それを理由に犯人を死刑にすべきなのか。
・仮に死刑の方が終身刑よりコストが低く、しかも死刑囚の臓器移植にかかるコストを
他に充てると、移植の場合よりも多くの人命が救えるのであれば、死刑囚はただ死刑にすべきか。
(「コスト」の言葉を使うのには抵抗がありましたが、「有形無形の資源」の意味であえて使用しました)
など、倫理あるいはその他の面から、色々とややこしい問題が考え付く限り無限に発生しますし、
このようにして論を展開していくと、最終的には先の「臓器くじ」に似た話にも行き着いたり
しかねないので(特に最後の仮定では、他では「死刑囚の命」->「他の人の命」であったのが、
「移植待ちの人の命」->「そのコストで救える命」という図式になってしまっている)、
なかなか賛同を得られにくいのではないでしょうか。
2565
:
無精髭
:2010/02/13(土) 08:34:41
まぁ、今のところ「死刑囚リサイクル利用」に対して個人的には反対とまでは
言えないですし、生理的に抵抗を感じるといったこともないですね。執行方法
を改善する必要はあるとは思いますが。
あえて「死刑囚」を生かしたまま、クローン技術やES細胞技術、iPS細胞技術
等を駆使することで、臓器や骨髄、角膜などを作り出すなんて手もあるかと。
下のような倫理的問題も、「死刑囚」のケースではどうにかクリアされるかも。
http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/newsletter/n09a1.html
2566
:
Ken
:2010/02/13(土) 14:20:17
私が好きなのはこれですね↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/
トロッコ問題
の1.1派生問題(前に話したっけ?)。転轍機を切り替えて一人を犠牲にして5人を助けるか?功利的に判断すれば答えは「Yes」です。そして実際多くの人がそう答えます。ところが「転轍機を切り替える」の代わりに「太った人を突き落とす」にすると答えが「No」になるのです。一人を犠牲にして5人の命を救うという結果は同じなのに。答えが「No」になるのは生物学的に起源の古い同種殺しへの禁忌と考えられています。
それで、この判断を担う脳の部位が分かっているのです。前頭前野腹内側部(VMPFC)↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Ventromedial_prefrontal_cortex
この部位を損傷すると「太った人を突き落とす」場合でも「Yes」と答える「冷酷」な人間になるんですねえ。ひょっとして死刑の存廃に対する態度とも関わってるかもね。
2567
:
Ken
:2010/02/13(土) 14:38:46
>>2546
また已む無しさん勝手にストーリーを変えてるし...あなた、まじめに人の投稿を読む気がないでしょ。
>>残念ですが・・・・今回のケースに於いて、通りすがりさん他に落ち度がないことを証明してくだすったのはboroさんです
私もUfloatさんもはじめから一貫して「通りすがり」が捨てハンであることを指摘しているのです。ダブハンじゃなくて。
ダブハンの問題は通りすがりさんが私の投稿を早とちりしたところから始まったのです。やりとりに誤解が生じるのはしょうがないです。だからこそ、その後、通りすがりさんがダブハンしていると私が考えているわけではないことを一貫して強調したわけです。それを已む無しさんは未だに問題がダブハンであるかのように装って、いわばありもしない非難をでっち上げて無罪を勝ち取った気分みたくなっているのです。あほらし。
「通りすがり」が捨てハンであること、捨てハンが過去に問題になったことは事実です。その事実を指摘しているだけの私に落ち度はないと考えたUfloatさんが私のことを擁護したわけです。「Boroさんが黙認している」と彼が書いたのは捨てハンのことです。ダブハンじゃなくて。もう一回まじめに読めばそれ以外の読み取り方がないことがわかるはず。
それでこういうことを書くと已む無しさんは「それはKenに落ち度がないから擁護しているのではなくて、死刑廃止派が何かをうやむやにするために擁護しているのだ」とかわけの分からんことを書くのです。今説明しているのは、Ufloatさんが何をどう考えた結果どう行動したかであって、それには已む無しさんがどう考えているかと同じである必要はどこにもないのです。
死刑存置派・廃止派を問わず、誰だって落ち度のない人を擁護しようとするものです。自分がそうするように、他人も単に落ち度がない人を擁護しているだけだ、他人にも自分と同じ心のはたらきが備わっているのだ、ということが已む無しさんにはどうしても理解できなくて、いつも自己中心的なものの見方しかできないのです。だから、いつも自分の立場からしか他人の行動を理解できないのです。困ったもんです。
ちなみに、Boroさんは捨てハンに関しては今のところ態度表明を保留しているわけですが、こういうこと書くとじゃあBoroさんに捨てハンのことも問い合わせよう、とかなるのですが、それは止めたほうがいいです。Boroさんがそのことに関して何らかの態度を表明するとどちらかに味方しているかのような予断を与えることになるから。そういうのを嫌うのです。
2568
:
loveless
:2010/02/13(土) 14:54:24
>>2565
死刑囚が希望して臓器提供する分には問題ありませんが、国家として臓器提供を強制するのは反対。
刑をまっとうした人間に対して、さらに何かを強制するというのは、ちょっとどうかと。。
(それやっちゃうと、中国になっちゃいますよw)
#同じ理由から、アメリカのように性犯罪者の出所後の情報公開も反対かな。
> 下のような倫理的問題も、「死刑囚」のケースではどうにかクリアされるかも。
>
http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/newsletter/n09a1.html
そもそも、ヒト胚に人権があるというのは、さすがに無理があるんじゃ。。
2569
:
死刑已む無し
:2010/02/13(土) 15:33:16
>>2567
また蒸し返すのですか・・・
>こういうこと書くとじゃあBoroさんに捨てハンのことも問い合わせよう、とかなるのですが、
なるのですか?
>それは止めたほうがいいです。
元々そんな気は毛頭ありません
2570
:
死刑已む無し
:2010/02/13(土) 16:46:03
無限回廊のbbsの雑談スレッドを、チラと拝見させていただきました。(熟読はしておりませんが)
なるほど、合気ですか・・・・
議論にはその業は使って欲しくないものです^^;
負けると分かっている論理に対しても真っ向から挑み、その結果及ばなかったところを的確に把握し、自らの理論を練り直す
そういうのってアホらしいでしょうかね・・・
それはともかくとして、死刑囚の臓器提供について、全くの感覚的、生理的に受け付けないと言いましたが
僅かにでも理屈っぽい考えが形になりましたので書き込みます
紫煙狼さんが仰っていたような、権力者による意図的な冤罪の可能性に通じるものもあります
つまり、移植用臓器の確保の為の 『意図的な冤罪』 の可能性が無いとは言えないのでは・・・・と思い至ったのです
それ以外の部分では、凶悪な殺人者の心臓が自分の胸で鼓動することを想像した時の違和感など・・・
やはり、理屈では説明が出来ない想いが多いですね・・・
臓器くじについて
これには反対ですね・・・・赤紙を連想させます・・・・
徴兵を逃れるために、自らの体を傷物にした人達は実際に存在しましたね・・・・
クローンについての考え方は、私の中ではまだ形にはなっていませんね
ただ・・・命や魂といったもの、或いは輪廻転生といったものがもっと明らかにされるならば
クローンは認められる方向に向かうのか・・・・などとも考えています・・・・が、現状では(私にとって)受け入れ辛いものです
トロッコ問題について
最初の問い・・・・これはこうも考えられます
1人を犠牲にして5人を救うか、何もせず5人を見殺しにするか ではなく
1人の犠牲が出るレールと5人の犠牲が出るレールの2択なのだと
公平に判断するならば、1人のほうを選ばざるを得ない・・・・と考えます
次の問い・・・・太った人を突き落としてトロッコに当てる・・・・でしたか
これは・・・・それでも自分が犬死に覚悟で飛び込んで止めにかかる、か、何も出来ずにいるかのどちらかしか私は選択できないです
太った人ならばトロッコが止まるという仮定そのものの信憑性が信じられないし(思考実験としては駄目かもですが)
それを最後に判断するのは、その太った人自身だと思うからです
(3)の問いは更に難しいですね
これを咄嗟に判断できる人は少ないのではないでしょうか、じっくり考えても、私には判断がつきません、どちらが正しいとも言えません
(4)は・・・・
先に鉄の塊を発見し、これで解決だと思っていたらそこに人が見つかった・・・・ということならばこれほど絶望的なシチュエーションもないですね・・・
その後の判断は・・・・分かりません・・・・それでも塊のほうに引き込むかもしれませんし、何も出来ないでいるかもしれません
どちらが正しいとも判断できませんね
こういうものに触れるにつけ、『正義は我にあり』 という思想を否定する想いがより強くなると感じます
2571
:
死刑已む無し
:2010/02/13(土) 16:51:43
と、書き込みしてみて
(4)の自分の考えを踏まえたうえでもういちど(1)を考え直してみると・・・・
やはり、(1)も判断はつかないと思えてきてしまうから不思議です・・・
2572
:
死刑已む無し
:2010/02/13(土) 17:03:20
トロッコ問題についての続き
結局は(1)で最初に私が、これは2択であって、どちらかを選ばなければいけないと示したのは
私自身の考えの 「正当化」 であり
逆に判断が付かないと示したのは
私自身の 「責任逃れ」 なのではないかと、両面から反省をして〆たいと思います
2573
:
已む無し
:2010/02/13(土) 21:43:10
HNから 『死刑』 を抜きたいと思います
いまだ、考えは死刑容認寄りであるとはいえ、どちらに転ぶとも分かりませんし
どちらにしても、「已む無し」 なのは変わらないと思いますので・・・
これは死刑存廃と関係あるかは分かりませんが・・・
トロッコ問題と、そもそも生物が生きる為に捕食する行為の是非は、どこか似ていませんか?
食べ物の好き嫌いなどは無くして、私達を生かすために犠牲になった多くの生物達に感謝しながら、残さず頂きたいものです
2574
:
紫煙狼
:2010/02/13(土) 23:55:21
まず、そこまで強く臓器ストックを推奨している訳ではありませんので、説得は最初から諦めていますが、
現状においては「代替臓器(機械臓器やバイオテクノロジーによる臓器複製)」はまだまだ発展途上で、
「臓器移植を必要とする誰かを助けるためにはどこかからヒトの臓器を持ってくる必要」がありますよね?
その供給源として死刑囚を利用するのであれば、まだ幾分かは死刑囚を社会貢献させることが可能かな、と。
前に、死刑囚を更正させる、という話をしましたよね?その頃は已む無しさんの言う「来世へ向けての更正」
という認識が私に無かったので「更正不可能な奴だから殺す」「更正しないから殺す」「更正しても殺す」
表面的結果だけを見れば「死刑に更正を求めるのは無意味」と思っていました。でも死刑囚に反省を求める
声は決して少なくありません。ですから「死刑囚にも更正教育・矯正教育は必要」だと思います。
そこで、死刑囚にもこれら教育を施すことを古紙回収に喩えて、再生紙にして燃やすのは無意味であると
結論したうえで、燃やすのであれば再生紙にする必要は無い。しかし、廃熱を利用しない手は無い。しかし、
廃熱利用すらしないなら、燃やすなんて「地球環境に良くないですよ」と言う訳です。
つまり「臓器牧場として利用」するのであれば更正の有無を確認できなくとも死刑囚に社会貢献させられる。
「死刑にしなければ再犯するかもしれない」けど「再犯しないかもしれない」
「死刑を廃止すれば凶悪犯罪は増えるかもしれない」けど「増えないかもしれない」
こういう思考実験的な不安要素よりは「死刑囚から臓器を取り出せば少なくとも一人の命が救われる」という
明快なメリットのほうが死刑に賛成する論拠としては「線が強い」のではないか、という話ですね。
lovelessさんは以前も「臓器提供を受けたヒトの人格に提供もとの人格が影響する」なんて話を出していましたし
おそらく「凶悪犯の臓器で生きながらえるくらいなら、喜んで死を受け入れよう」と思うのも当然かもしれません。
実際、骨髄移植を受けて血液型が変わったヒトなんてのはいくらでもいますから、血液型占いを基準に考えれば
影響を受けて当然かもしれません。これは皮肉ではないですよ?自分の体の何かが目に見えて変わってしまった
レシピエントが性格的に何らかの変化を起こすのは、ちっともおかしな話ではなくて、自分がどんなヒトの臓器を
移植されたかは教えられなくとも「日本の死刑囚の臓器は人命救助のために役立っています」なんて言われたら、
「僕の臓器って、もしかして…」と妙な苦悩を生むかもしれないから、やっぱり強制的な臓器提供は良くないかも。
ただ
>刑をまっとうした人間に対して、さらに何かを強制するというのは
には「死を以って刑を全うした」とするよりは「他者の生命維持のために自らの臓器を差し出させる」という刑罰と
定義し、その刑罰の中に「囚人の死」が含まれかつ「今死に行こうとしているレシピエント」の緊急性を以って、
「死刑囚の自然死を待たずに、それを早期に執行する」ことを正当化できるのではないかな…と。
ま、私の臓器ストック案は全体的に詭弁ですね。でもこれが実現した際に、私が今と同じほど執念深く死刑廃止を
唱え続けられる自信は、実のところありません。
2575
:
紫煙狼
:2010/02/14(日) 00:07:49
ちなみに、トロッコ問題ですが…。
「トロッコがヒトを殺そうとしている」のですから人数に関係なく「トロッコを破壊する」以外の方法は
私の中では認めることが出来ませんし「トロッコを破壊する」目的のためにヒトの生命を利用することも
同じく認められません。
したがって、とっさの判断を保留し「私が何もしなかったことによって起こる結果」を受け入れるのが
私の中での正解なのだと思います。私が迷っている間に無精髭さんが「太ったお隣さん」として私を
突き落とすのも甘んじて受け入れますし、5人が亡くなったことに対して道義的責任を問われるのも
厭わない。何もしなかったことに関して「真実を解明する」目的において釈明する用意はあっても、
自分が何もしなかったことが正当であり情状酌量を求める目的での釈明はしません。
ある意味、痩せた非力な男ではなく、デブの成人病予備軍で良かった。
という、思考実験としては甚だ題意にそむいた結論しか出ませんねぇ…。。。
2576
:
已む無し
:2010/02/14(日) 23:10:48
雑談スレへの書き込みの続きみたいになりますが・・・
私が、悪人と善人が表面上は同じ事を言っても、その言葉の内容ではなく、『ある者がこう述べている』
という全体の意味は全く違うものであると拘るのは・・・・
誠実さに拘るのはですね
私が挙げた、死刑廃止した場合の凶悪犯罪組織その他の権力者の私刑
紫煙狼さんが挙げた、死刑存置した場合の権力者による意図的な冤罪死刑
どちらにしても、制度を誠実に守る人だけしかこの世にいなかったなら起こり得ないことなんですよね・・・・
誠実であっても、意図しない冤罪が起こる可能性は0ではないでしょう
ですが、誠実であったならば、私利私欲による残虐な殺人は100%起こり得ないのですよね
そして、凶悪殺人が起こらなければ当然、冤罪私刑も100%起こることはないと思うのですよね
不誠実な人が権力を持ったならば、どんな制度であったとしても、弱いものが泣き寝入りをする世の中になるでしょう
そうさせないためにも権力の分立は必要でしょうし、死刑制度に対しての反対派もまた大切な存在なのだと思います
逆に、将来日本で死刑が廃止されたとしたならば、その時は死刑復活派が、少数派として大切な存在となるのかもしれません
法が大切なのは勿論だと思いますが、まず第一にはそれを護る 『人』 が肝心だと思っています
2577
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 01:51:41
>>2542
>ただ、これを殺人に置き換えると、正当防衛、緊急避難、過剰防衛、情状酌量の余地があり、
「殺人」に置き換えることができるなら、「私利私欲による殺人」にも置き換えて考えてみてはいかがでしょうか?
>「死刑による自殺目的の殺人が増える」というのがありますが、
ですから、そうして犯罪を犯して自殺したい人間が、なぜ犯罪を犯した上に生きたいと考える人間より
多いと考えられるのかを聞いています。
>特別予防効果はあまり議題にならないといった感じです。
特別予防効果が無視できるほど小さいかどうかの問題ではありません。
特別予防効果が「死刑>絶対的終身刑」であることが問題なのです。
また無視出来るほど小さいとしても、それは罪の無い人の命を無視することです。
小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。
同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。
2578
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 02:59:06
>>2543
>たとえば、宇宙人は存在を証明することはできませんが、
閾値の高/低に対応する例えがありませんので、そのたとえは不適切です。
例えるのであれば、「地球人(あらゆる抑止が効かない人)」と「宇宙人を通り越した高次の存在(大抵の人)」
がいることは確かめられているが、その中間の存在(宇宙人)はいない、というようなものでないと意味がありません。
チョコレートの例の反論にもなっていません。
また、メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人と、絶対に犯罪をしない人しか世の中にいないのであれば、
それは目的刑論や刑事政策の全否定です。
どうやっても善人が悪人に変わったり、悪人が更生したりという往来が無いということですから。
したがって、あなたの仮説には無理があります。
>だって殺しちゃったんだから。死刑全然殺人を抑止してませんねえ。
より罪の重くなる次の犯罪を抑止しています。
本人の明確な証言もあります。これを否定するなら、タクマ他「死刑になりたかった」という証言も
信用性を否定されますから、「死刑になりたい人間の犯罪」の存在自体が眉唾となり、
ufloatさんが言うような死刑で犯罪が増えたと判断できる理由も一つ減ります。
>だから、さっきから「食べない」って言ってるんでしょ。
少なくとも「わからない」という人はいたようですが。
絶対食べない人は論の外だともすでに説明しました。
>拉致・監禁つまり懲役刑も彼らにとって自然に理解できる制裁手段であるはずです。
ご自身で言ってる通り懲役刑「も」です。死の利用価値が高いと見られている事に変わりがありません。
そしてそういった反社会的組織の自由刑は制裁と反省のための身体刑を含み、結局死刑への転落もあるので、
日本の自由刑とは中身がまるで違います。
比べれば日本の自由刑は文字通り「お勤め」のようなものです。
しかし「死」そのもののリスクは反社会的な人間にも普遍的なため、共通の価値となりえます。
>だから無視してよろしい。
特別予防効果が無視できるほど小さいかどうかの問題ではありません。
特別予防効果が「死刑>絶対的終身刑」であることが問題なのです。
また無視出来るほど小さいとしても、それは罪の無い人の命を無視することです。
小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。
同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。
>死刑じゃなきゃいけない理由を挙げないとだめです。
必要なのは、死刑廃止じゃなきゃいけない理由です。廃止後に悪化しては意味がありません。
また理由を挙げないとダメというルールを死刑以外に適用しなくていいという根拠がありません。
なのでその理屈は死刑廃止状態をデフォルトで考えている人にしか通用せず、
法治国家の現行の法を変える理由にはなりません。
2579
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 03:09:27
>>2549
boroさん
イマイチはっきりしないので直接お聞きしたいのですが、
通りすがり という言葉を使うのは、その場で「捨てハン」と判定され、
それだけでboroさんに怒られることのあるものなのでしょうか?
その辺を含め掲示板上のコードがあるならどのようなものか、
書かれている場所だけでも教えていただけると助かります。
これまでのところで私をどのように思われているかはわかりませんが、
ご迷惑をかけるつもりはありませんので。
2580
:
無精髭
:2010/02/15(月) 03:17:57
私>>>>少なくとも暫定的な判断を下すための材料をその議論から得ることはできるのではないでしょうか。
通りすがりさん>>>それが納得性ですね。
>>>「こちらのほうが自然だ」というような納得性の問題という自覚があってやっているなら構わないと思います。
>>>しかし死刑の社会全体での抑止力は「わからない」というのが大前提です。
>>>「他の可能性はない」とか「原因はこれである」とか断言できると思った時点で誤りです。
>>>暫定的な判断の前に誤りは取り除いておくべきです。
私>>「わからない」ということを前提にしちゃったら、「あるともないとも言える」ということも
>>「わからない」ということになりませんか? それとも「あるともないとも言える」ということが
>>それ以前の論証においてすでに前提とされているのでしょうか? というより、価値判断の妥当性
>>を争う議論では「納得性」しか基準になりえないからなのでしょうか?
通りすがりさん>言葉は紛らわしいですが、なりません。
>「分からない」が前提でなければ「あるともないとも言える」にならないからです。
>「あるともないとも言える」ことがわかっている状態が「分からない」ということです。
「分からない」からこそ「あるともないとも言える」? 「あるともないとも言える」ことがわかっている
状態が「分からない」ということ?? やっぱりこれだけの説明では理解不能。いや、でも通りすがりさんが
本当に仰りたいことは分かっているんですよ。つまり「絶対に分からないことに対して分かると言うべき
ではない」「知るすべがないことに対して知ることが出来ると言うべきではない」ということでしょう。
一つ注意していただきたいのは、通りすがりさんは「実証不可能」という主張に「現時点では」と留保を
付け加えていらっしゃいるようですが、私は「現時点でも実証不可能とは断言できない」と申しております。
実証不可能と結論することは、現時点での「データ解析技術」や研究者の仕事に通暁していなければできる
わけがないでしょう。現在の科学技術では地球、火星間の往復有人飛行を実現することは難しいという事実
についても、本来素人には「専門家の間では難しいと言われている」くらいのことしか言えないはずです。
通りすがりさんのこれまでの主張からして、「分からない」は「実証不可能」と同じ意味で用いられていると
考えられます。だとすれば、通りすがりさんは、死刑の抑止力は「実証不可能」だからこそ「あるともない
とも言える」と仰っていることになりますよね。実証不可能であればこそ、根拠レス・証拠ナシで主張を
展開できる。答えがない問題だからこそ、めいめい好き勝手なことが言えるわけですよね。抑止力に関する
存廃議論の現状はどうやらそんな感じのようですしね。通りすがりさんがそれを「あるともないとも言える」
情況と表現するのには私も同感ですよ。ただし、そういう情況だからこそ、「ある」とか「ない」とか言う
にしてもデータを正確に読み込んで、妥当な論証を行わなきゃダメだと私は思います。いくら「あるとも
ないとも言える」のだとしても、通りすがりさんが
>>2481
や
>>2492
でしたようなテキトーな反論は
ご法度でしょう。そういう意味では誰でも好き勝手に「あるともないとも言える」わきゃないですよね。
確証が全くないとしても、傍証が見つからないとは限らないわけですし、だとすればそれをかき集めなきゃ
いかんってことになるのは当然でしょう。
2581
:
無精髭
:2010/02/15(月) 03:18:18
ところで、もし本当に「絶対に分からない」とか「知るすべがない」とか言えるのだとしたら、通りすがり
さんの仰っていることに私は賛同いたしますよ。けれども、何度も申しますように私は「絶対に分からない
とは限らない」「知るすべがないとは限らない」と考えているんですね。なぜなら>2559でも書いたように、
誰にも「分からない」とは限らないと思いますし、現在の抑止力研究が不完全なものだとも限らないので、
「分からない」というのは、もしかしたら通りすがりさんのような無知な素人(失礼)の早とちりである
可能性だってあるからです。おそらく通りすがりさんは「分からない」という主張を大した根拠もなく、
単なる伝聞や他人の受け売りで唱えていらっしゃるのでしょう? 「データ解析技術の開発」の実情も知らず、
抑止力研究の実態も知らず、かといって抑止力論争にもさほど詳しくなく、データを読み込む能力も不足
していて、データを解釈することにも未熟であるならば、現時点においてさえも「実証不可能」と主張する
ことは控えるべきだとは思いませんか? あるかないかを確かめられないとされているものを「絶対にある」
と言ったり「ない」と言ったりするのには仰るように問題がありますが、あるかないかを確かめられないと
されているのがなぜなのかも分からずに「あるかないかは確かめられない」と断言するのにも同じように
問題があるのではありませんかね。むしろ、通りすがりさんは「あるかどうかは確かめられない」と結論する
ことで、抑止力に関して皆が議論することの意義を減じているだけ、といったふうに私には感じられます。
紫煙狼さんの
>>2642
に対して通りすがりさんが反論したことで始まった抑止力の証明に関する
この度の議論を事細かに分析することで、通りすがりさんの論旨の不味さを炙り出すのは長くなるし、
しちめんどくさいのでいたしませんが、通りすがりさんにはこれだけは言っておきたい。抑止力研究や
解釈に確実性がないからといって、蓋然性もありえないとまで思っちゃいけませんよ。
以下、自己レス。
>2561(上略)単に「あると言える人とないと言える人が一緒にいる・
>面と向かって話し合っている」という状態に過ぎないでしょう。しかし、その様子を知って
>いるからと言って、「あるかないかが分からない」ということにならないのは自明ですね。
混乱した議論を見て「あるかないかが分からな」くなる者はいそうですね。私が言いたかったのは、
あるともないとも言えるような好い加減な議論にいくら精通していても、あるかないかを実証する
のは不可能だと結論できるようにはならない、ということです。
2582
:
無精髭
:2010/02/15(月) 03:19:11
>2532
>何らかの要因で、これ以上やったら死刑になると思うがどうしよう、と迷う状態におかれている人が
>閾値がボーダー上にある人、
>「閾値の低い人」というのは、死刑があろうとなかろうと迷わずに死刑相当の殺人を行ってしまう人、
>「閾値の高い人」は、全く殺人を視野に入れてない人、のことです。
>存在を証明することはできませんが、ボーダー上の人はいない、と考えるのは不自然です。
「ボーダー上の人」なんて宇宙人みたいなもんだというKenさんの批判は面白いのですね。
ちなみに私は次のようなことを考えておりました。
「閾値の高い人」と「閾値の低い人」に共通して言えることは、どちらにも死刑の抑止力が
あまり効かないということでしょう。なのに、「ボーダー上の人」に限って、死刑の抑止力が
効きまくりなんですよねぇ(苦笑)。「ボーダー上の人」は、「閾値の高い人」と「閾値の
低い人」との中間にいるはずだから「閾値が真ん中の人」と言えるかと思うんですが、
「閾値」が抑止力効果と関わりがあるなら、そういった人にも死刑の抑止力はあまり効果が
ないということにならなければつじつまが合わないですよね。まぁ、「閾値」とは何なのかを
通りすがりさんからまだ教えてもらっていないので、それが分かりさえすれば、また別の解釈
もできるのではないかと思われますけれど。
もう一つ。ボーダー上の人というのは、閾値の高い人とはおろか、閾値の低い人と比べても
きわめて特殊なケースだと思われますよ。だって、通りすがりさんの定義では、死刑の抑止力
を常に感じている人、普段から自分が死刑になるかも知れないと悩んでいる人、とされている
のですから。したがって、Kenさんの考えに反して、これを見分けるのはそれほど難しくない
んじゃないかと考えられます。いつでもどこでも自分の行為が死刑に直結することを恐れている
人なんて、近くにいればすぐ分かりそうなものです。
冗談はさておき、「閾値の高い人」と「閾値の低い人」は特定の情況に関係なく存在するものと
と定義されているのに、「ボーダー上の人」は死刑になるか・ならないかという情況がなければ
そもそも存在し得ないものと定義されているのですね。だったら、通りすがりさんは「ボーダー上
の人」がいることを証明するのではなく、「何らかの要因で、これ以上やったら死刑になると
思うがどうしよう、と迷う」情況が実際にあることを証明すればいいんですよ。そして、
その情況がきわめて特殊なケースでさえなければ、抑止力の存在・効果は統計上の数値として
はっきりと表れるはずでしょう。ただ、ありふれた情況であるとすると、閾値の高低に関係なく
誰もがそういう情況に置かれる可能性は高いはずなんですけどね(苦笑)。
2583
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 05:09:42
>>2559
>初耳。というか、それって議論の話じゃないですよね。
無関係ではありません。裁判などでも使われる証明責任のルールの話です。
詳しくは法関係の書物でもウィキペディアでも参照して頂きたいのですが、
簡単に言えば「悪いことをしているという証明が無いときは無罪」という原則です。
これを無視すると、原告が正当性の有無や人数の多寡に関わらず無限に発する訴訟によって、
わざと被告に著しい負担を与えることができるようになってしまいます。
現在死刑制度は合憲の判決とともに存在しており、世論も大多数が容認しているものです。
なのでそれに問題があると訴えてやめさせようとするのであれば、やめさせようとする方(廃止派)に
問題を証明する責任があります。死刑存廃問題の場合、より優れた代案を提示する必要もあります。
そしてそれらが完了し、その上で裁判官にあたる人あるいは機関が原告勝訴の判断を下すまでは
死刑制度は存続されることになります。
まずやめさせてから・・・という手段は少なくとも今の時点では使えません。
>証明合戦に参加もせずに
例えば、
・ある場所での殺人事件の犠牲者が100人いて、それは去年より10人増えている、とします
・神様のみ知る事実として、そのうち死刑以外の要因での増えた殺人の犠牲者は7人だったとします。
・同じくそのうち死刑があるせいで増えた犠牲者が2人だったとします。
・同じくそのうち死刑があるおかげで減った犠牲者が1人だったとします。
このような場合、去年から10人増の100人の犠牲者、という統計の結果から神ならぬ人間が
死刑による抑止力の増減分を分類するにはどうしたらいいか、仮説でもいいから立ててみるといいと思います。
ここまで単純化された要素しか無い状態でも、必ず実行不可能な分類法を使う必要が出るはずです。
そのあたりの技術開発の話も無いのでは、証明合戦にもなりようがありません。
ただ言い張り合っているだけの次元です。
>仰るような事情で廃止派の側に立証責任が生じているのだとしても、非対称のまんまですよね。
そうですよ?それだけでは「死刑以外の抑止力は証明しなくて良いのだ」というままですからね。
そしてそういう非対称なルールを使っていいのなら、
「現状にケチつけるのだから死刑廃止状態の抑止力だけを証明しろ」
という意見と平行線になることが決定し、最終的に約85〜90%の死刑容認の支持率が
モノを言うことになるだけです。
>他の人にも分からないとは限らないです〜
それこそまさに
>>2543
の
・たとえば、宇宙人は存在を証明することはできませんが、いないと考えるのも不自然、くらいの存在ですよね。それで、ひょっとしたら宇宙人からの電波が拾えるかも、と望遠鏡を向けている人たちいますよね。個人とかグループのレベルで。でも、宇宙人が攻めてきたときのために軍事力を整備したりはしないわけですよ。そんなばかばかしいコストは害です。存在が証明できない場合、とりあえずないと仮定して対応するのが正解。とくに国のレベルでの対応を考える場合、もろもろのコストがすごいことになりますから。
の例えがふさわしい物ですね。
だからやるなとは私は言いません。証明合戦とやらに参加するのはそれができた人が現れてからでいい、
と思っているだけです。
>人じゃねえし。組織だし。
もともと比喩表現なのですから、そこは完全に枝葉末節です。
また指しているのは組織ではなく制度の事です。
日本の制度は現実に死刑を行っていますので、脅しだけではありません。
>死刑が脅し文句を言えるのであれば、大抵の人にはきっと冗談に聞こえると思います。
脅し文句は実際に法律で明記されていて現実に運用されており、
殆どの人はその存在を知っているので、冗談とは受け取らないということです。
あなたのいう「脅し文句」が、本はしゃべらないとかいう程度の次元の話でない限り。
>それ自体では法や刑罰のように形あるものとして存在していませんから。
そうですね。表情や仕草が一切存在しない上にですね。
個人と倫理は向き合いません。故に
>>2530
のいう抑止の効果はさらになく、
抑止としては働かない、つまり
>>2526
の
>倫理観による抑止
の説得力もなくなってしまう、ということです。
2584
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 05:10:45
>>2559
>コストパフォーマンスの面からも優れていることになりませんか?
というのは、「死」はごく一部の例外を除いて人間とって普遍的な恐れの対象なので、
さえ知っていればその他の価値観がまるで違っていても効果があると思われるからです。
価値観を共有する倫理教育を行わなくても理解される、それも最初から法に触れる可能性の少ない
一般人ではない、実際に死刑と触れる可能性がある反社会的な人間に理解されるという部分で
費用対効果が大きいといいうことです。
2585
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 05:28:26
>>2561
>まず、何を指して「片方」とか「もう片方」とか仰っているのかが不明瞭です
発端である「個人レベル」における死の恐怖の抑止力 が片方
末端の「社会全体」における死の恐怖の抑止力 がもう片方です。
個人レベルでは殺すぞという脅しが「大抵」の人に効果があると考えるのが合理的ですが、
社会全体レベルではなぜそれが効かなくなるように思えるのか、その理由が思いつかないので
怪しげではあるが社会全体でも個人レベルと同じ比率で「大抵」抑止力が働いていると考えるのが自然だ
と思っているのです。
>単に「あると言える人とないと言える人が一緒にいる・
>面と向かって話し合っている」という状態に過ぎないでしょう。
本来許されないその状態に決着がつかずつづいていることが、「有ると言える」「無いと言える」の両論の
価値が等しい状態ということであり、「あるともないとも言える」状態です。
>「実証不可能」とかいったことも結論付けるべきではないと主張しておりますから。
私は「現状では」という条件をつけたはずで、それは
>>2559
であなたも認めてますよね。
つまり未来永劫不可能と言ってはいません。実証可能になるのは頑張って宇宙人を探してからの話というだけです。
>私の皮肉が通じなかったようです。ちょっと残念。
通じなかったとわかったなら、具体的に説明するべきだと思いますが。
議論を目的にする人がなぜそこで止まってしまうのでしょうか。
2586
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 05:46:45
>>2580
>私は「現時点でも実証不可能とは断言できない」と申しております。
今この場にその実証可能な手段が無いことに変わりが無いので、同じです。
それを持ってきてから始めるべきだということです。
そういうのを探し出す能力が有る人すらまだここにはいないですよね。
----------------------------------------------------
残念ですが、休暇が終了したので議論を離れROMになります。
已む無しさんともやり取りしてみたかったですが、
もし次の機会があればお願いします。
管理人の方には、ご面倒をおかけしてしまったかもしれません。
その点、お詫びします。
議論に付き合ってくださった方々にもお礼申し上げます。
ありがとうございました。
2587
:
無精髭
:2010/02/15(月) 06:22:01
>>2586
承知いたしました。
思い返せば、浮かれた拍子に言葉が乱れてしまったこともありました。
数々の失礼を働いたこと、なにとぞご容赦ください。
通りすがりさんとはかみ合わないところがありましたが、議論に対する
姿勢は案外似ているのかな、とも思いました。
今後は通りすがりさんが残したレスを熟読し、批判を加えたいと存じ
上げます。また、共感・賛同できるところは今まであえて(詳細には)
お書きいたしませんでしたが、その点についてはできるだけ自身の糧
となるよう今後の書き込みに活かして行きたいと思います。
この度は貴重なお時間を割いてまで議論にお付き合いいただきまして、
誠にありがとうございます。
2588
:
通りすがり
:2010/02/15(月) 06:33:27
>>2583
の一部訂正だけさせていただきます。
・同じくそのうち死刑があるせいで増えた犠牲者が2人だったとします。
・同じくそのうち死刑があるおかげで減った犠牲者が1人だったとします。
↓
・同じくそのうち死刑があるせいで増えた犠牲者が3人だったとします。
・ただし死刑があったおかげで犠牲にならずに済んだ人が1人いたとします
2589
:
無精髭
:2010/02/15(月) 07:42:11
>ですから、そうして犯罪を犯して自殺したい人間が、なぜ犯罪を犯した上に生きたいと考える人間より
>多いと考えられるのかを聞いています。
え? 「多いと考えられる」と言った人いましたっけ? そういう比較を持ち出しているのは通りすがりさん
ご本人だけなんじゃ。。。ご自身が勝手に作り出した問題を他人に答えさせるというのはいかがなものかと。
ちなみに
>>2534
の「って、、、エーー!?」 部分では同じくそれを遠回しに表現したつもりでした。
あと、「殺人を犯して自殺したい人間」というのは「閾値が低い人」ですから実在するんでしょうけど、
「犯罪を犯した上に生きたいと考える」人は「ボーダー上の人」だから実在するかどうかいまだ怪しいです。
ですから、実際にいる人と、実際にいるかどうかわからない人とを比べることなんてことできやしません(苦笑)。
ちなみに、名古屋の闇サイト殺人事件における犯人による自首のケースを、「閾値の低い人」が「ボーダー上の人」
になった事例と解釈することはできるかも知れませんが、実はこの犯人は他の二人と比べれば「閾値が高い人」
だった可能性もありますね。また、「悪いことはバレなきゃいいんだ」的なコメントを鑑みるに、自首したのは、
死刑の抑止力が働いたからとするより、単にバレるかも知れないという心配が強かったためとしたほうが自然かも
知れません(逆に言うと、バレないという気持ちが強かったなら死刑になることなど思いもしなかった可能性が高い)。
バレないか否かで犯行を重ねるか否かを決める者を、死刑の抑止力が効く者、つまり「ボーダー上の人」と言っても
よいかどうかは少々疑問です。事件発覚・逮捕の可能性に関わるのは刑罰ではなく警察であり、犯行を重ねられるか
どうかは刑罰による抑止力よりも警察による抑止力に関わりますから。
ところで、タクマのような犯罪者は死刑廃止後も別の理由を付けて出てきそうですね。死刑になりたいという動機が
実はウソだったとは言えませんけど、第一の目的が社会に対して復讐するということだったとも考えられますし。
働かずに食っていけるのなら一生閉じ込められようと構わないという考えから殺人を犯す者も出てくるかも知れません。
現にそういう者がいないとも限らないです。更には大量殺戮に成功した後、自決するなんてケースが増えるかも知れません。
死刑が廃止された後は、確実に自決するための手段をより入念に講ずる必要があるでしょう。
2590
:
無精髭
:2010/02/15(月) 07:42:34
>特別予防効果が無視できるほど小さいかどうかの問題ではありません。
>特別予防効果が「死刑>絶対的終身刑」であることが問題なのです。
いや、通りすがりさんだって特別予防効果の大きさを問題にしているではありませんか(笑)。
まぁそれは置くとしても、特別予防効果の差について本当に無視できるほど小さいのであれば、
言い換えれば、どちらも再犯可能性がないと言って好いほど小さいものであれば「死刑>絶対的終身刑」
という関係も無視して良いことになります。たとえば、入ったら最後、絶対に脱出不可能な独房とか
檻というのは設計可能ですよね。さらに、そこに閉じ込めたら最後二度と出さないし、食事などの世話
も一切しないとすれば、中に入っている者はいずれ死にますから、この場合、特別予防効果は死刑と
変わらないと言えるでしょう。それをデフォルトとした上で、囚人に対して最低限施さなければいけない
ことを挙げていって、その一つ一つに刑務官に対する安全策や再犯・脱走への予防策を徹底して講じて
いけばよろしいかと。身体にGPSを埋め込むというのも好いっすね。独房から外へ一歩でも出たら
心臓に電気を流すみたいな機械を埋め込むのも、、、というのは不可能かも知れないけど、そこまで
やるのはさすがに残酷か。
あと、通りすがりさんは大事なことを忘れていらっしゃる。絶対的終身刑囚が再犯を犯そうとする場合にも、
通りすがりさんのお好きな「ボーダー上の人」が出現しちゃうことです。つまり絶対的終身刑囚が、自分が
再犯なんかしたら下手すりゃ正当防衛・緊急避難で殺されかねないんじゃないかと考えることがあっても
おかしくないですよね。え、絶対的終身刑囚はもともと「閾値が低い人」だったはずだから、再犯可能性は
非常に高いって? いや、そんなことはないでしょう。通りすがりさんは>2578でこんなことを仰っている
のですよ?
>また、メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人と、絶対に犯罪をしない人しか世の中にいないのであれば、
>それは目的刑論や刑事政策の全否定です。
>どうやっても善人が悪人に変わったり、悪人が更生したりという往来が無いということですから。
このお考えが妥当だとするなら、「メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人」は絶対的終身刑囚に
なっても、あいかわらずそのまんまで決して「ボーダー上の人」にはなりえない、とは言い切れなくなりますよね。
そんなこと言っちゃえば、目的刑論や刑事政策を全否定することになるんですから。ましてや、通りすがりさんに
よれば名古屋の闇サイト殺人事件で死刑は「より重くなる次の犯罪を抑止しています」とのことですから、絶対的
終身刑における緊急の再犯防止策(特別予防策)だって「より重くなる次の犯罪を抑止」できると考えるべきでは
ありませんかねぇ。
>また無視出来るほど小さいとしても、それは罪の無い人の命を無視することです。
>小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。
>同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。
司法制度(誤判)の問題と刑執行(刑期中の再犯)の問題は違いますから。。。
guestさんと言い、なんでその二つの論点を相対化したがるのかが全く理解できません。
誤判を防ぐにはどうしたらよいかといったアイディアはないものでしょうか。まっ、
これについては廃止派が自問自答で解決すべき問題だろうなんて言われそうですがね。
2591
:
Ken
:2010/02/15(月) 14:03:56
已む無しさん江
>>また蒸し返すのですか・・・
そんなふうに書けば私が手加減するとでも思っているみたいですねー
あと、こんなニュースも↓
http://news.goo.ne.jp/article/sanspo/entertainment/showbiz/120100214001.html
>>なるのですか?
なりましたねー
>>元々そんな気は毛頭ありません
それはよかったです。
>>太った人ならばトロッコが止まるという仮定そのものの信憑性が信じられない
『塩狩峠』という映画を観るべし(主役は太ってなかったとは思いますが)。
じゃあ、たとえば、こんなのは?
戦時下、敵兵に追い詰められて他の住民とともに隠れている。そのうち、いっしょに逃げていた赤ん坊が一人泣き出した。泣き止まないと敵兵に見つかって全員が殺されてしまう。あなたは赤ん坊を窒息死させるか?(沖縄戦で実際にあったシチュエーション)
2592
:
Ken
:2010/02/15(月) 14:13:26
>>したがって、とっさの判断を保留し「私が何もしなかったことによって起こる結果」を受け入れるのが私の中での正解なのだと思います。
「何もしない」=「5人を見殺しにする」なんですよ。後でその人たちに対して良心の呵責を感じるのでは?転轍機を切り替えるだけでもだめ?
>>「トロッコがヒトを殺そうとしている」のですから人数に関係なく「トロッコを破壊する」以外の方法は私の中では認めることが出来ませんし「トロッコを破壊する」目的のためにヒトの生命を利用することも同じく認められません。
その結果、たくさんの生命が救えても?この考えと死刑囚からの臓器移植は紫煙狼さんの中で矛盾なく成り立っているのですか?
2593
:
Ken
:2010/02/15(月) 14:51:48
>>2578
全体的に何が言いたいのかよくわかんないですね。なんだか行き当たりばったりな反論のような...。
>>また、メリットやリスクの如何に関わらず必ず罪を犯す人と、絶対に犯罪をしない人しか世の中にいないのであれば、それは目的刑論や刑事政策の全否定です。どうやっても善人が悪人に変わったり、悪人が更生したりという往来が無いということですから。
そういう一般論に反対する人なんていないでしょ。話をすり替えないでよ。今、話しているのは殺人願望のある人で、死刑になるのは嫌なんだけど、無期懲役だったらなぜだか許せちゃう、という人でしょ。そういう人はいません(少なくとも聞いたことはない)。殺人を犯すような人は、捕まろうが死刑になろうが構わない、という人と、捕まるのは絶対いや(死刑も無期懲役もいや)ないし俺は絶対に捕まらないぜ、という人と、どっちか考える間もなく激情に駆られて人を殺めてしまう人しかいないですよ。
>>本人の明確な証言もあります。これを否定するなら、タクマ他「死刑になりたかった」という証言も信用性を否定されます
これもすり替え。証言の信用性なんて誰も問題にしてないよ(証言が本心であると仮定してよい)。「死刑になりたくなかった」から殺人を犯さなかったのではなくて、「死刑になりたくなかった」から自首しただけなんでしょ。その結果
>>より罪の重くなる次の犯罪を抑止しています。
というのは単なる可能性ですよね。自首しなかった二人も結局次の犯罪を犯さなかったのだから、次の犯罪を抑止したのは死刑ではなくて警察の捜査能力ですよね。
>>そしてそういった反社会的組織の自由刑は制裁と反省のための身体刑を含み、結局死刑への転落もあるので、日本の自由刑とは中身がまるで違います。
この部分が一番意味がわかんなかったですね。こういう書き方するとあたかも犯罪集団のなかで行われる私刑としての処刑と国家が制度として執行する死刑があたかも同じであるかのようですねえ。
>>小さいからいいというのであれば、冤罪を理由にした死刑廃止論も無視できてしまいます。同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいいのですから。
うーん、髭さんとのやり取りを彷彿とさせますが...。
通りすがりさんのようにデータをぞんざいに扱う人は好き勝手に『同じように「犠牲は小さい」と言ってしまえばいい』くらいにしか思ってないとは思いますが、もうちょっとまじめな人は違うふうに考えますね。普通はどちらの犠牲・可能性のほうが小さいかを既知の事実に照らして見積もろうとしますよね。死刑囚・無期懲役囚が収監中に殺人を犯した、というのは少なくとも日本ではない(聞いたことがない)一方で、冤罪がその後判明した死刑囚は日本では4人もいるので、将来、どちらが起きる可能性の方が低いかは相当程度の自信をもって見積もることができると思いますが。
通りすがりさんは「可能性」にしてしまえば、何でもうやむやにしてしまえる、取り扱い不能になってしまうと思っているみたいですね。
2594
:
紫煙狼
:2010/02/15(月) 22:01:44
>>2592
>「何もしない」=「5人を見殺しにする」なんですよ。後でその人たちに対して良心の呵責を感じるのでは?
仰るとおり、凄まじい良心の呵責に押しつぶされるだろうよ。私の神経ではマトモではいられないだろう。
だけどね、結果としてプラマイで4人が助かるとしても、私にそのポイントは切り替えられないだろうと思う。
亡くなるヒトが少なければ、良心の呵責も少ないと言うのは私にはあてはまらない。
切り替えても、切り替えなくても良心の呵責に苛まれるなら、4人が助かったほうがよいというのも、それは
道理かもしれないが、私にはその場でそう考えることは不可能だと思うよ。
何も出来ない、私には何も出来ないから、良心の呵責も受け入れざるを得ないのですよ。自分を正当化しない
ことだけが、私の良心ではないだろうかね…。Kenさんは切り替えるのかい?そう、それがいい。私には出来ない
けれど、切り替えることを、被害を最小限に食い止めることを非難できる奴は自分自身以外にいないだろう。
私はその場にKenさんが居てくれることを心から願うよ。人頼みで卑怯な私は、本当にそう願うよ。
>この考えと死刑囚からの臓器移植は紫煙狼さんの中で矛盾なく成り立っているのですか?
さぁ、矛盾無く成り立っているのか、矛盾だらけなのか…どちらかと言えば矛盾だらけなのだろうね。
ただ、私は古新聞だって立派な資源、再生紙として利用することは可能だろう、と思っても、この古新聞を
燃やしたがるヒトが多いのだ。中には再生紙にして燃やすと言う酔狂を言ってのけるヒトも居る。燃やすことを
私に止められないのであれば、せめてその熱を有効に活用してもらいたいと言うのはどこかトロッコ問題に
通じるところがあるのだろうか?
死刑を執行しなければならない、命を奪わなければならない「のっぴきならない理由」があるのなら、
死刑囚の命を「おしいただいて」「無駄なく有効に活用させていただく」のがスジじゃないかなぁ。
私には「生き物を殺す権利」はないよ。でも「自分が生きる」という「のっぴきならない理由」のために
どうしたって生き物の命を「おしいただかなければならない」だろう?ならばせめて、その命を
「心のそこからありがたく」いただいて「残すことなく、腐らせることなく」平らげるのがスジだろう。
感謝の気持ち、申し訳ないと思う気持ち、その奪った命に恥じぬ生き方をせねばならぬと言う責任感なしに
飯を食うなんてのは「食育」から外れてはいないかい?
ところが、いま、監禁され、武器を奪われ、無力化された死刑囚の命を奪うことが、われわれが生きるために
どうしても必要ないけにえなのだろうかね…。私はそうは思えない。でも「われわれが生きるのに必要不可欠だ」
と言って命を奪う。「そもそもお前が悪いんだ」と言って命を奪う。それが正である是であると言うなら、
その遺体も「残すことなく、腐らせることなく」有効に活用して初めて「業」と言えるのではなかろうかねぇ。
無論、奪わずにすむなら、奪わぬ方法を選びたいのよ。私は。
2595
:
boro
:2010/02/15(月) 22:27:22
>>2586
通りすがりさんへ
>管理人の方には、ご面倒をおかけしてしまったかもしれません。
その点、お詫びします。
いえいえ、そんなことないですよー(^^
また、機会がありましたら宜しくお願いします。
そのときは何か名前を考えて投稿していただけると嬉しいです(^^ゞ
では、また。
2596
:
紫煙狼
:2010/02/15(月) 22:38:49
已む無しさん、ちょいと見方を変えてみてはどうだろう…。
例えば「とてもすばらしいと思える思想」を繰り広げている教祖がいるとしようよ。まぁ已む無しさんが
「すばらしい」と思えるような思想なんだから、その思想に共感するヒトも少なくは無いはずですよ。
そういう状況下において已む無しさんはこの教祖の人間性を探ろうとするわけですね。そこまではいい。
だけれど、已む無しさんが教祖の素行を調べた結果「教祖はロクデナシ」だった、としようね。
ここで已む無しさんは「その教祖の掲げていたすばらしい思想」も否定するわけですね。
私に言わせれば、非常に勿体無い。已む無しさんがそこでするべきことは、その思想を否定することではなく、
ロクデナシ教祖に権力を持たせないまま、そのすばらしい思想を新たな「人間的に尊敬できる第2の教祖」に
引き継がせることではないのかなぁ。なんなら、已む無しさんが最も信頼する自分自身が第2の教祖となればいい。
問題なのは「すばらしい思想」を利用して私腹を肥やそうとする教祖であって、その思想を利用して旨い汁に
預かろうとする教団幹部であって「思想」が悪いわけではない。(オウムは思想自体も難アリだけどね)
そもそも已む無しさんの不可思議なところは「言葉」と「ヒト」がつりあっているとは限らない、という
大前提を知っているから探りを入れるくせに、「つりあい」を求めて仕方が無いところ。私にはどうも理解できない。
逆に考えれば、「言葉」と「ヒト」がつりあっているとは限らないのだから「言葉」と「ヒト」を切り離せばいいのに。
「お言葉」だけ頂いて「おヒト」にはノーサンキュー。それではダメかしら?
「良い香りのする植物の実で、食べると非常においしい」のは最高だけど、世の中には「香りはいいんだけど…」とか
「味はいいんだけど…」なんて植物の実は山ほどあるよ。見た目は綺麗だけど食用にはならない植物もたくさんね。
バニラは香りは良いけど味は…。ドリアンは味が良いけどニオイが…。トリカブトは見た目が綺麗だけど毒が…。
かくしてバニラは香料に。ドリアンは「ニオイ我慢して」食用に。トリカブトは観賞用、園芸用に。
パーフェクトを求めないで、おいしいとこ取りすればいいんですよ。All or Nothingでは芽吹きかけたすばらしい物の
芽を摘むことになりかねないよ。たぶんね。そこに勿体無さを感じるなら、已む無しさんが育てて花開かせればいいんです。
2597
:
無精髭
:2010/02/16(火) 00:16:04
已む無しさんが「探りを入れる」そもそもの動機は、言葉よりも人、思想よりも人間性を
重視するからじゃないかなぁ。それはそれで大事なことだと思いますけど。
でも、それだとたぶん会話はできても議論はできないですね。まぁ、だからシェンさんが
言っているように言葉と人を切り離して、言葉だけを吟味するということもコミュニケーション
の手段として残しておいても損はないかと。
でも、言葉だけを取り出して評価するには、人を見る目を養うこととは別の意味での鍛錬が
必要だと思います。むしろ議論では、自分の人生経験から得たものさしなんて邪魔になること
が多いです。とりあえず、言葉だけを評価できるようになるための訓練として、Kenさんの
書き込みには慣れましょう(笑)。
>>2575
シェンさん。ダイエットの件はどうしました?
2598
:
已む無し
:2010/02/16(火) 13:10:48
>>2586
お疲れ様でした
とても理路整然としていてブレが無い素晴らしい議論だったと思います
私も見習わなくてはいけないなと思う部分がとても多かったです
機会があれば是非またよろしくお願いします
>>2589
通りすがりさんが身を引くと言うことですし、一箇所だけちょこっと気になったので横レス失礼します
>「殺人を犯して自殺したい人間」というのは「閾値が低い人」ですから実在するんでしょうけど、
>「犯罪を犯した上に生きたいと考える」人は「ボーダー上の人」だから実在するかどうかいまだ怪しいです。
上の例は、しきいが低いで良いのでしょうが、下の例もまた、犯行時には閾が低かった例だと思えます
まぁこの考えが、通りすがりさんの考えにそぐわない可能性もありますが
閾値というものは、その個人の「損得勘定その他の判断能力」・「道徳倫理」・「恐怖感不安感」などなど色々な要素で形成されているのだと
横から見て思っておりました
その内の多くの要素は、その時その時の環境によって大きく変動するものなのではと考えました
まぁ、一種のバイオリズムですね
その閾値の変動の波が一番高いところであっても犯罪を犯す人間が、上記 「殺人を犯して自殺したい人間」 なのではと
同じく変動の波が一番高いところにある状態ならば犯罪は犯さないが、何かのキッカケによって波が低くなり、その時に犯罪を犯す可能性が高まる人間が
上記下の例 「犯罪を犯した上に生きたいと考える人」 なのではないかと思うわけです
つまり、犯行時には、たとえば冷静さを失って損得勘定判断能力あるいは自身の死の恐怖心が薄れている状態であったが
犯行後冷静さを取り戻して、死に恐怖するようになる・・・・
さらにいうと、逆に、その判断によって、殺人を犯しても、「発覚を防ぐ、又は証拠を残さない、又は逃げ延びる」 と考えれば
これもまた、「犯罪を犯した上に生きたいと考える人」 だと言えるわけではないかと思うのですね
>>2591
>そんなふうに書けば私が手加減するとでも思っているみたいですねー
まぁboroさんもドキドキするとか仰ってますし^^;
もうやめにしませんか?
>あと、こんなニュースも
あなたは何処までが本気なんですか?w
>>>太った人ならばトロッコが止まるという仮定そのものの信憑性が信じられない
あ、じゃあしつこいようですがトロッコ問題について追記まで・・・・
特に(2)と(3)の問いですが、どちらにも太った人が登場しますよね^^;
これ・・・・思考実験の為の仮定を絶対的なものだと更に仮定?するならば
そもそも(3)と(4)って、同じ質問じゃないですかね・・・・
(2)の問いも、こう言い換えられます
トロッコが暴走していて、そのまま進むと5人が轢き殺される
貴方の隣には鉄の塊があり、それを転がり落としてトロッコにぶつければトロッコは破壊され5人は助かる
が、その暴走するトロッコには助けを求める人が1人乗っており、鉄の塊をぶつければその人は確実に死ぬ
鉄の塊をぶつけるべきか?
これって・・・太った人がどうのこうのじゃない気がするんですよね・・・・
つまり、(4)の鉄の塊は、トロッコを止める為の障壁としては余りある性能を備えているのに対し
(2)と(3)で登場する「太った人」は、痩せたA氏では止まらないとされているように
『トロッコを止める為のギリギリの性能しか持ち合わせてはいない』
と考えられる
つまり、僅かにでも計算違いが生ずればトロッコは止まらないかもしれないという「不安要素」があるということ
(3)のケースでそうなった場合には、太った人は犬死にとなり6人の人間が死ぬことにもなる「かもしれない不安がつきまとう」
のではないかと思ったわけですね
これって・・・・屁理屈とも言えない気がします・・・・
>戦時下、敵兵に追い詰められて云々・・・・
やめてください・・・・答えられない答えたくないです・・・・・無理
>>2596
言っていることはすごく分かる・・・・反論の余地も無いというか正しいと思います・・・・
でもダメなんです・・・・切り離せないです、たとえ矛盾してても両方を求めたいです
私はただの欲張りさんです
ただ、良い人、誠実な人を求める・・・・社会の価値観道徳倫理観を統一しつつ高めていく事と
社会の仕組み、法や制度の整備などは別々に行うべき事、というよりも全く別の事なのだと思えます
目的は同じでもね。たぶんですが・・・
あと、どっしり重量級の合気道家などは反則です・・・・・
2599
:
已む無し
:2010/02/16(火) 13:54:25
>>2596
追記です・・・・
私は、ある人が素晴らしい理論・思想を提示しているが、その人が悪人だと明らかになった時、
別に、その思想そのものを否定する気はありませんよ
あくまでも、その 「人」 がどういう人なのか、その思想はその人にとって建前ではないのか?その理論をどんな目的に応用するつもりなのか?
が知りたいだけです
理論を否定するのではなく
理論には目もくれず・・・・と言った方がしっくりくるでしょうか・・・・?
もちろん、その過程において、理論が理論として成り立っているかどうかは私なりに吟味します
で、良い理論、思想に触れたら、ちゃっかり自身の参考にはさせて頂いちゃいます
ああ・・・・私って不誠実だ・・・・
2600
:
紫煙狼
:2010/02/16(火) 21:18:40
>>2597
>シェンさん。ダイエットの件はどうしました?
食べ物は節制しているけど、運動不足じゃ減るものも減らないね。
ある程度減ったところから体重計は微動だにせず。
運動は苦手なんだよね…。
2601
:
捨てハン(笑)
:2010/02/18(木) 01:39:03
ちょっとみんなメンタル面弱すぎるだろw。事あるごとに人格批判はさむこと我慢できないあたり(俺もだがw)
通りすがりさんのレス見たあとそう思ったわ。俺は彼の態度を見習いたいと思うよ。
という感想を持つ人もいるってことで>>通りすがりさん
2602
:
無精髭
:2010/02/18(木) 21:37:44
>2601
仰るとおり私は、「ものぐさ太郎」だの「無知な素人」だの「同じ素人でも私はあなたと一緒に
されたくない」だの、たしかに余計なことを言っていますね。ニュアンスとしては、能力批判という
より人格批判に近い気もします。こちらとしては、通りすがりさんの断定的な議論の進め方を
諌めるつもりで付け加えていたのですが、思い返せば、効果があったかどうかも疑わしいですしね。
普段からメンタルとやらが強いか弱いかは分かりませんが、通りすがりさんとのやり取りでは
時に笑い、時に呆れ、時に調子に乗ってレスを返しておりましたので、メンタル面は至って
健康そのものだったのではないかと思います。通りすがりさんの書き込みがどんなに斜め上を
行くような珍妙奇天烈なものであった時でも、イライラするなんてことはなかったですね。
困ったことに、今回の通りすがりさんのように真面目な態度で変なことを書いている人がいると、
どうも茶化したくなるんですよお。決して褒められたものでないのは重々承知しておるのですが。
私のネットでの普段のスタイルについては、慇懃無礼という一言で言い表すことができるかと
思いますし、、、はたから見れば、私はきっと手に負えない野郎なのでしょうねぇ。
まぁ、こんなふうに改めて議論を振り返させていただきますと、議論の真っ只中にいる者と
それを傍観している者との「笑い」の違いがはっきりと表われるかのようですね。
ただ、Kenさんにとっては「人格批判」云々は聞き捨てならないことなんじゃないかなぁ。
Kenさんは私ほどキツイ表現を使っていたかしら? しかも、通りすがりさんには、皮肉とは
言えチンピラ呼ばわりされたわけですし。少なくとも、一度、議論とは関係ない話に脱線した
ことについてはKenさん一人のせいではなくて、話をこじらせた通りすがりさんにも責任が
あると思いますよ。
かくいう私も、通りすがりさんって皮肉が言える人なんだなぁ、ということをご本人の
書き込みで確認したあと、議論の目的には外れぬよう注意しつつも、興に乗じて皮肉を
多用させていただきましたけど。
捨てハンさんといい、已む無しさんといい、なぜか通りすがりさんを好評価する人がいらっしゃ
るんだけど、たとえば通りすがりさんの死刑存廃問題に対する断定的な態度とか、データ扱いの
ずさんさとか、「そちらが○○と言ってしまえば、同じ論法でこちらも××と主張することができる
ことになってしまいます」というようなワンパターン、かつ、それをどこででも使うからこじつけに
なってしまうような論旨についてはどういった感想をお持ちなのかなぁ、と少なからず気になります。
私からすると、こういったところが目に付いて仕方がないので、何とも評価しづらいのですよね。
捨てハンさんが通りすがりさんの態度を見習いたいと仰るのは自由なんですけど、みんながみんな
通りすがりさんみたいになっちゃったらそれはそれで気味が悪いと言うか、ここでのやり取りが
つまんなくなっちゃうんじゃないかと。
あと関係ない話ですけど、已む無しさんのように通りすがりさんを無条件で褒めちぎっちゃう
ような人に対しては、距離を置きたくなるというか、突っ込んだ議論を仕掛けにくいですねぇ。
ちなみに相手の力を利用して倒すみたいな合気道的ロジックを駆使していたのは、私やKenさん
ではなく、むしろ通りすがりさんではあるまいかと思うんですけどね(苦笑)。
たとえば、Kenさんの
>>2593
と下の書き込みを併せて読んでみるといいかもです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/2440
2603
:
捨てハン(笑)
:2010/02/18(木) 21:57:42
>2602
まったくそうは思わんわ。逆に確信が深まったくらいだ。
君らのそういうことに長々と文字数を割く書き込みが俺に>2601みたいな感想を抱かせるんでねぇ。
中身はどうだろうととりあえず態度はあああるべきだと思うね俺は。
別に君らにそうしろというつもりもないよ。できるとも思わんしw
2604
:
捨てハン(笑)
:2010/02/18(木) 22:14:27
あ、できると思わんてのは俺も含めてな(フォローになってないか?w)
2605
:
已む無し
:2010/02/18(木) 22:41:19
>>2602
>已む無しさんのように通りすがりさんを無条件で褒めちぎっちゃう
無条件ってどういう意味でしょうか?
私は通りすがりさんの、『ブレのないところ』 と、『理路整然とした意見』 を限定して評価したのですが
無精髭さんの
>時に笑い、時に呆れ、時に調子に乗ってレスを返しておりましたので
これに対しても微動だにせず、一貫した態度でレスを行っていたことを評価したものです
議論の内容に対しては、全く同意する部分も多かったし、よくは理解出来なかった部分もありました
それについては、無精髭さんや紫煙狼さんなどに対しても同様です
ですがやはり、同じ死刑容認の考えの持ち主だけあって、廃止寄りの考えよりは、少しだけ共感する部分は多かったと思います
でも、私個人の価値観として、議論の内容よりも、その態度を重視するのは先に申し上げたとおりですが
2606
:
無精髭
:2010/02/19(金) 00:11:20
>2603-2604
>君らのそういうことに長々と文字数を割く書き込みが俺に>2601みたいな感想を抱かせるんでねぇ。
いや、無精髭だけに問題があると皆さんには言ってあげてくださいw
捨てハンさんは議論に参加していらっしゃらないのだから、私なぞと違い、
一歩も二歩も引いた視点から一部始終を眺めることができるのでしょうね。
これからも第三者の立場からお感じになったことを自由に書けばよいと思います。
ただ、お説を拝見する限りでは、長い書き込みがダメなのか、態度批判か人格批判
かが分からないような書き込みがダメなのかがよく分かりませんでした。
ちなみに、相手が短レスでのやり取りを望むという要求を出してくるのなら、
私にもそれに応じる用意がないわけではないです。ただし、議論を始める前に、
字数制限やレス回数制限について、はっきりした数字を出していただかなくては
困りますが。
しかしながら、これや>2602の書き込みは「ギャラリーにちょっかいを出す」
行為に当たるのかなぁ。だとしたら、お恥かしい限りで…。
・・・通りすがりさんへのレスを書くのは、二日三日後になりそうです。
>2605
>無条件ってどういう意味でしょうか?
>私は通りすがりさんの、『ブレのないところ』 と、『理路整然とした意見』 を限定して評価したのですが
文字通りの意味ですね。以下参照。
どうやら「限定する」という言葉を「条件をつける」という意味で用いておられるご様子。
では、「ブレのないところ」云々と「理路整然とした意見」という部分的評価はどういった
全体的評価から限定されたものなのですか? 当然の話ですが、議論というのは、そこへ参加
し遂行するための条件としてある一定以上の論理的思考が要求されますよね。ですから、
議論において「理路整然」とか「ブレのない」とか言って褒めてしまうと、次にそれを限定
しようとする場合、これといったマイナス評価が思い当たらなくなるのではありませんかね。
通りすがりさんの議論をすばらしいと已む無しさんが仰った理由が、「ブレのないところ」や
「理路整然とした意見」にあるとしていらっしゃることはもちろん理解しておりましたが、
肝心の「ブレのない」とか「理路整然」などとお感じになった理由が明記されていなかったので、
その点に関して、無条件で褒めちぎっているとお書きいたしました。ところで、理路整然
であると感じられたなら、よく理解できなかった部分もあったというのはちょっとおかしい
気がしますね。この場合の「理路整然」というのも限定(条件付)評価なのでしょうか?
>これに対しても微動だにせず、一貫した態度でレスを行っていたことを評価したものです
ああ、態度のことを仰っておられましたか。それなら納得です。今思えば、複数人に集中的
にレスされて、通りすがりさんはよく暴走しなかったものだと感心します。しかし、一方で
私はそれほど失礼なことを書いたという自覚がありません。今もそう考えております。
もし本当に問題発言があったのであれば、紫煙狼さんやufloatさんが私の不心得な発言なり
表現なりを諭してくれたはずだと考えるからです。また、同じ相手と議論しているからと言って、
私が人格批判なんぞしたら、Kenさんはきっと私を容赦しなかったことでしょう。一言申し
上げておきますが、私たち4人は、お互いに不祥事を揉み消しあうような仲ではありませんし、
議論とは無縁の何気ない会話で馴れ合うほど仲が好いわけでもありません。むしろ議論に
おいては良い意味で論敵でありたいと思っております。
>でも、私個人の価値観として、議論の内容よりも、その態度を重視するのは先に申し上げたとおりですが
うーん。やっぱり已む無しさんとやり取りするのは気が引けてしまう(汗)。
議論を楽しむのは勝手だが、それを表に出すなってことですよね。
で、一貫した態度を取ってさえいれば、たとえ少しくらい論点に不備が
あったとしても、大目に見ようってことですよね。だとしたら正直ついて
いけそうにありません。私にとって議論は態度よりも論旨こそ重要なのです。
P.S. 勘違いされることはないと思いますが、一応断っておきますと、
私は已む無しさんが嫌いだからこういうことを書くのではありません。
2607
:
已む無し
:2010/02/19(金) 00:29:25
>>2606
共感できる=理解できる と表現したつもりです
>それについては、無精髭さんや紫煙狼さんなどに対しても同様です
とも書いてありますし・・・・
それに、言っている意味も分からないのでしたら質問させていただきますよ
まったく興味すら沸かないというのでも無ければですが
>一貫した態度を取ってさえいれば、たとえ少しくらい論点に不備が
>あったとしても、大目に見ようってことですよね。
なぜそう思ったのですか?
その先は、答えを聴いてからにすることにします
もちろん私も、議論する相手に好きも嫌いもないと思っています
好き嫌いではなく、正しいか間違っているか、善意があるか悪意があるか、を突き詰めていきたいですね
お互いに
2608
:
已む無し
:2010/02/19(金) 01:03:18
私に対してのレスの中にもいくつかあったのですが、無精髭さんの意見って
言われてもいないことを、〜ということですよね。 などと
さも、ハッキリとそう言ったかのような言い方をされるのが目に付きます
そういう意見に対して、「そんなことは言っていないですよ」 と答えを返す場面が、通りすがりさんとのやりとりでも見られましたが
傍から見てると、(私に対してのレスの時も同様) どうやったらそういう誤解が生じるのか理解できない部分もありましたね
例えば
>>2362
などで、国民がめいめい好きなように自分の気に入った相手だけの人権を尊重すればいい
と、私が主張していると指摘がありましたね
そのときは素直に返答致しましたが、一体どこからそんな誤解が生じたのだろうと考えたものです
ですから今回は直ぐに返答は致しません
なぜそういう疑問に至ったのかを知りたいと存じます
2609
:
已む無し
:2010/02/19(金) 01:06:12
いえ、言い間違えました、疑問ではなく、「結論」 でしたね
2610
:
無精髭
:2010/02/19(金) 01:56:35
>2607
>2602でお書きしたように、私は通りすがりさんの論旨に激しく
違和感があるため、あの方を評価しづらいのですね。その一方で、
已む無しさんは通りすがりさんを理路整然だと評価していらっしゃい
ますよね? そこで、はて、どうしてなんだろーと不思議に思ったわけですよ。
そうこうしているうちに、已む無しさんから>2605のレスです。ここでも
「議論の内容よりも、その態度を重視する」という已む無しさんの基本スタンス
の再確認ですよ。こりゃあ参った。已む無しさんは通りすがりさんを私やKenさん
とは違う目で見ているんじゃないか、ってことになりますよ。已む無しさんから
すれば、態度がスノボの国母クンみたいな感じだったら、実際のプレーがいくら
良くっても一顧だにしないと思われる。なら、その逆のパターンについては評価
するに値するとなさるんじゃあるまいか。つまり、議論の内容がダメダメでも、
態度に非の打ち所がなければ、ええやないか、ってことになるんじゃないかと。
議論の最中に私は本心から、已む無しさんは通りすがりさんに加勢、
じゃないですけど、あの方を擁護して差し上げるべきだと、と考えて
おりましたよ。今となってはもう手遅れですけど。已む無しさんが
私やKenさんよりも通りすがりさんを理解しているのなら、積極的に
通りすがりさんとコンタクトを取って、その論を補っていただけたなら、
もうちょっとマシな議論になったかもなぁ、と思っております。
>2608
手短に説明いたしますと、理由は二つあります。
一つは、私がアンカーをお付けした已む無しさんの書き込みからは、
国家を介さずとも個人間の承認があれば人権は保障されるのだという
主旨が読み取れたからです(已む無しさんが直接そう主張している
とは申しておりません)。この場合、言わないこと・書かないこと
が問題なのです。しかし、その後の已む無しさんのレスにおいて、
国家が個人間の承認を義務付けているのだということを確認させて
いただきましたので、今は以前のような誤解はしておりません。
しかしながら、已む無しさんの主張にはまだ腑に落ちないところが
ありますけれども。
もう一つは、已む無しさんの書き込みがあまりに圧縮されていたため、
いくつかの読解が可能だったので、それを主題にしてもこのままでは
円滑な議論にならないと考えられたからです。議論を成り立たせるために、
私が誤読とそれによる已む無しさんからの批判を覚悟で、已む無しさんの
書き込みを私なりに発展させました。つまり、已む無しさんの意に反した
>2362の内容は、ひとえに私の読解力不足&思考力不足によるものです。
そして発展させるならば、わざと突っ込みどころの多い書き込みをした方が
いいだろうと考えました。鋭い人であれば、必ずやおかしな箇所・無理が
ある論旨展開を徹底的に指摘してくるはずだと思われたからです。また、
それによって相手の技量も把握できるというものです。私が議論にこだわる
のは、自分の思考能力の限界を教えてくれる他人による批判や反論を大いに
望むからでもあります。
とはいえ、いくら私が批判や反論を望むからと言って、他者が同じ思いを
持っているとは限らないので、もし已む無しさんが私のレスによって
不愉快な思いをされたのあれば、また、今もされているのであれば、
二度とレスは致さないと誓いますので、なにとぞご容赦ください。
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