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Web誌友会 板/2

2517曳馬野:2013/08/01(木) 20:58:24 ID:TZ2/719s
A hopeさん
ところで、なんだかわたしの最初の発言からは論点がずれてしまっていますね。

真理を知り生きるとは?どういうことか。ということからの発言です。生長の家の先祖供養とはどういうことかについて復興Gさんの投稿に賛辞が寄せられていることについて、その通りでありますが、其の儘に他の生活に及ぼさないのか不思議なんです。十分に生命の実相を知っているはずの本流の方々が、雅春先生から清超先生へまた雅宣先生へと運動の形態が変わるにつれ、【無私の日本精神】を発揮して行動すべきものを、中心帰一の真理を撥無する行動が解せないのです。生命の実相を知るとは無私にして其の儘に生きることと私は思っています。

吉田国太郎先生の言葉に【善を励んで善の虜となれば善中の悪。神を願って神に縛せられれば神中の悪魔。一切を放して放した姿に憑かれれば無中の有。無執無縛にて神を想い善事を励む、これ仏子現成の境涯。】とあります。

また雅春先生の【絶対無の日本武道】に
【「絶対無の心境」が日本精神であります。苟も心に一塵の「有」がありましても、その「有」に縛られて日本精神本来の自由自在が失はれてしまふのであります。絶対の自由は無条件に生命を捨てるところから生ずるのであります。我々は何でも予め抽象的な条件をつけて斯うでなければならない、ああでなければならないと、一つの予定的「有」をつかむと、その「なければならない」と云ふ自己限定にみづからいのちが縛られて自己生命の自由自在さを失って・・・・】とあります。

また五月三日無心無我の日には
【近思録に「夫れ天地の常は、其の心萬物に普くして、無心なるを以て也」とあり。無心なるところに天地の常があらはれるなり。「天地の常」とは「生命の実相」のことなり。ありのままの生命の完全なる相なり。それを現はさんとすれば、無心にならなければならない。無心にして天地運行し、四時行はれ、春化開き、夏茂り、秋実る。無心の中に一切がある。一人の僧趙州和尚に問ふ、「如何なるか是れ道」と。趙州和尚答ふ「平常心是れ道」と。平常心とは平常の雑念のままの心には非ざるなり。平常心とは無心のことなり。金剛経に「まさに住する所なくして其の心を生ずべし」と。無心の心を引き出し来たれ。】とあります。(これは逆に「其の心を生ずればまさに住する所無し」とも読まれています)

               つづく

2518曳馬野:2013/08/01(木) 22:49:03 ID:TZ2/719s
和合について

五月六日 心に隙が無くなる日
【天地一ぱいの心になるには、無心になるべし。無心が天地一ぱいなり。所謂る「我もなく敵もなく、天地を踏み破る」境地なり。と云って、無心になるにはどうすべきか。どうすべしと趣向を凝らせば、凝らすほどそれが邪念となりて無心から遠ざかるなり。そのままなり。そのままと云ってもどの其の儘かわからぬなり。其処で「肉体なし、物質なし」と一喝するなり。肉体あり、物質ありと思ふが故に、吾あり、対境ありと思ひ、吾と対境と分裂抗争して、其処に隙を生ずるなり。その隙が「敗れ」なり、「病気」なり。万事に於いてスキを無くすること肝要なり。無心とはその境地なり。一切との和合なり。】

五月八日 人を見て自分を直す日
【いさかいは実に山彦の反響かや我しづまれば向ふ音なし。これは心学の歌である。「和」と云ふのは、我と彼とがひとつであることを体得することである。向こうが悪いと思い、此方が善いと思っている間は、彼と我とは別のものであると思っているから「和」が成立せぬのである。「彼の姿は、私の心の姿である」と対手を見て自分に反照する、そこに真の「一」が出現する。「一」が「和」であり、「一」のくだけた姿が「不和」なのである。向こうの悪さを見て、此方の悪さを悟る、これが出来るのは人間だけだ。人間だけが、宇宙一体を知っている万物の霊長である。】

和解などでなく絶対無の実践のみが生長の家信徒の為すべきことと思います。
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?とのことですが、退行しているかどうか私は知りません。私にとりましては絶対無の実践こそが問題でありますから。少なくとも本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。生命の実相を拝読することは、無心になるためにこそするべきと思います。

わたしが最初に発言したことは、簡単に言い換えれば、【すでに「万教帰一」の真理を悟っている生長の家で、今さら、世界の宗教をお勉強する必要があるのでしょうか?】ということです。

世界の宗教の勉強をしているかどうかは知りません。世界に出て往くについては絶対無の日本精神の実践のみでいいのですから、何教が何を言っているというようなことは必要ないでしょうね。

私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?ということです。

2519閲覧者A:2013/08/01(木) 23:51:51 ID:???
生長の家は最高の真理です。
人類や文化の歴史は宗教の歴史と言っても過言ではありません。
世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。
歯みがきの歴史はお釈迦様に始まりますしね。
日本人が朝起きて歯を磨く習慣は、佛教の歴史でもあるそうですよ。

2520復興G:2013/08/02(金) 03:08:18 ID:AB6RqYXc

>>2518 :曳馬野さん

a hopeさんは忙しくてすぐにはお返事書けなそうなので、私の感想をちょっと横から失礼します。

>>私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか? ということです。 <<

――それは、おおむね “No” でしょうね。

それは、私もそうです。

常に 「宇宙一体を自覚して無心に生きよう」 というのは私の切なる祈りでありますが、なかなかいつもそうとは行きません。

それは、曳馬野さん、あなただってそうでしょう。

>>本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?<<

なんておっしゃるのが、「絶対無の日本精神の実践」 ですか? ちがうでしょう。

>>万事に於いてスキを無くすること肝要なり。
……「彼の姿は、私の心の姿である」と対手を見て自分に反照する、そこに真の「一」が出現する。「一」が「和」であり……<<

それを言うなら、先にまず実践してから言いましょうよ。

2521a hope:2013/08/02(金) 09:37:06 ID:edEDolt2

曳馬野さま

吉田國太郎先生や、雅春先生の真理のお言葉を沢山ご紹介くださりありがとうございます。

<<十分に生命の実相を知っているはずの本流の方々が、雅春先生から清超先生へまた雅宣先生へと運動の形態が変わるにつれ、【無私の日本精神】を発揮して行動すべきものを、中心帰一の真理を撥無する行動が解せないのです。生命の実相を知るとは無私にして其の儘に生きることと私は思っています>>

わたしも、ここにある【無私の日本精神】、つまり曳馬野さまのお言葉では、『無私にして其の儘に生きることと』になりますが、それは、まことに「生命の実相」を知ると発揮されるものだと感じています。


ですが、それは、「何も無い(nothing)」の『無』ではないですよね?
自分の中にも、雅春先生や清超先生そして雅宣先生と同じ(同格の)『実相』があるのですから、
つまり自分の中にすべて完全な神の存在があるのですから、それを出すことが【無私の日本精神】の発揮であり、
『無私にして其の儘に生きることと』だと感じています。

もし生長の家の組織に属していて『自分自身の内在の神(実相)』以外に『中心帰一』するものがあるとすれば、
それは現象の雅春先生、清超先生、雅宣先生ではなくて、
『実相』つまり『神』と直結している部分の雅春先生、清超先生、雅宣先生のお言葉にするものだと思っています。
(自分は神のラッパであると雅春先生はおっしゃっていましたよね?)

本流の先輩方やわたしを含めその他たくさんの信徒さんが今教団を去られている原因は、
「雅宣先生の教え」や、教団の運動方針が『神』(宇宙に偏在する神)の御心から外れてしまっているからなのだと思っています。
ですから、わたしたち信徒は雅宣先生のお言葉に心(魂)から中心帰一することができないのです。

今、現在教団に残っていて、雅宣総裁に中心帰一されているように見える信徒の方々も、
それはまことに中心帰一しているのではなくて、「現象人間の雅宣先生の教え」や、
組織の仕組みにただ従っていらっしゃるだけなのだと思います。

ですから、もし、これから雅宣先生や教団組織に何かもっと大きな事件等が起これば、
信徒は簡単に「雅宣先生の教え」や教団組織から離れて行き、教団は破産してしまうでしょう。

それを避けるための唯一の方法が、雅宣先生を中心に教団、本流のすべての信徒が、聖典「生命の實相」に戻り、
そして神の御心の運動=『まことの人類光明化運動』に戻り、
まずは、わたしたち信徒同志が和解することなのだと思っています。それ以外ないと思っています。

ですから、

<<和解などでなく絶対無の実践のみが生長の家信徒の為すべきことと思います。
聖典「生命の實相」を神殿とされたのに、それをお勉強なさらずに、わざわざ「教え」を退行させる必要があるのでしょうか?とのことですが、退行しているかどうか私は知りません。私にとりましては絶対無の実践こそが問題でありますから。少なくとも本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。生命の実相を拝読することは、無心になるためにこそするべきと思います。>>

という曳馬野さまのお考えになっている「絶対無」とわたしの思う「絶対無」が同じものであるとは思えません。

そして、本流の先輩方はたくさんいらっしゃいますので、
<<本流回帰の方々が無心を行じているとは思われません。>>
<<私の云いたいことは、本流回帰の方々が生命の実相、宇宙一体を自覚され無心に生きているでしょうか?ということです。 >>
という曳馬野さまのご意見にも賛同しかねます。


ですが、

<<世界の宗教の勉強をしているかどうかは知りません。世界に出て往くについては絶対無の日本精神の実践のみでいいのですから、何教が何を言っているというようなことは必要ないでしょうね。>>

こちらに関しては、わたしのご意見にご賛同していただいたようでうれしいです。


>>2519で閲覧者Aさまが、

<<世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。>>

というご意見をくださっています。

それに関しては、またあとでお返事させていただきます。

2522a hope:2013/08/02(金) 09:41:12 ID:edEDolt2
訂正 
わたしのご意見→わたしの意見

2523a hope:2013/08/03(土) 23:20:11 ID:edEDolt2

>>2519閲覧者Aさま

<<生長の家は最高の真理です。
人類や文化の歴史は宗教の歴史と言っても過言ではありません。
世界の宗教研究家もおられるのですから、世界の宗教を学ぶことは、それはそれで素晴らしいのではないかと思います。
歯みがきの歴史はお釈迦様に始まりますしね。
日本人が朝起きて歯を磨く習慣は、佛教の歴史でもあるそうですよ。 >>

そうですね。
わたしも、人並み以上に好奇心は旺盛ですから世界の宗教に興味がないわけではありません。

ですが、もし「生長の家」の信徒が世界の宗教を学ぶのであれば、雅春先生の聖典から学ぶべきなのではないでしょうか?
たとえば、「生命の實相・万教帰一編」「ヨハネ伝講義」「即身成佛の真理」「真佛教の把握」・・・わたしは、まだまだ勉強不足ですが他にも沢山あるのではないのですか?
雅春先生の聖典はすべて、「唯神実相(一元論)」の見解から真理を説かれていますから、、
人々はそれを読むだけで「人間神の子」の自覚(悟り)を得られ、「生長の家」信徒の使命である人類光明化が促進されると思うからです。

一方、雅宣先生のお考えは、「対称・非対称」などというような「二元論」です。
そしてその「教え」は都会では悟りが得られにくいとか、自然との調和が大切だとかいうような、
悟りが現象に左右されるというような教えのようです。
(すみません、詳しくはわからないので間違っていたらご指摘をお願いいたします)
ですから、そのようなお考えの雅宣先生の世界の宗教に関してのご教義をいくら拝聴しても
また御文章を拝読しても、その宗教の歴史や教義内容は理解できたとしても、肝心な「神の子の自覚」は得られないでしょうし、
「生長の家」の使命である「人類光明化」にもつながらないとわたしは思います。

2524閲覧者A:2013/08/04(日) 13:17:00 ID:???

>>ですが、もし「生長の家」の信徒が世界の宗教を学ぶのであれば、雅春先生の聖典から学ぶべきなのではないでしょうか?
たとえば、「生命の實相・万教帰一編」「ヨハネ伝講義」「即身成佛の真理」「真佛教の把握」・・・わたしは、まだまだ勉強不足ですが他にも沢山あるのではないのですか?>>


もちろん、生長の家の信徒であれば、雅春先生の数多い聖典から学ぶことは大変必要であると感じます。


>>雅春先生の聖典はすべて、「唯神実相(一元論)」の見解から真理を説かれていますから、、
人々はそれを読むだけで「人間神の子」の自覚(悟り)を得られ、「生長の家」信徒の使命である人類光明化が促進されると思うからです。>>


確かにそうだと思います。
人それぞれの、育った環境に違いはありますから、「〜でなければならない」ということはないのではないかと思います。
ちなみに私は、仏教学から生長の家の真理に触れました。
育った環境も、周囲に仏教が色々な形でございましたから、生命の實相をはじめ、雅春先生の数多くのご著書をもとに、色々な方の先人のお考えを学ばせて頂いています。

2525ユタカ:2013/08/04(日) 21:06:04 ID:R1D4Jmeg
8月1日からウインドウズ8に変えましたが、使い方が分かりにくくて困っています。

ここを押してくださいの下線を押して中に入ると、元の画面に戻りたいのに戻れないのですが、、、

それと、さらにウインドウが小さいし。。。 格闘中・・・出来ない!!

2526神の子さん:2013/08/04(日) 21:23:11 ID:a8Cc2EfE
>>2525
メトロの画面からデスクトップに移動すると、Windows7と同じ画面いけますよ。

2527a hope:2013/08/05(月) 09:14:14 ID:edEDolt2

閲覧者Aさま

>>人それぞれの、育った環境に違いはありますから、「〜でなければならない」ということはないのではないかと思います。
ちなみに私は、仏教学から生長の家の真理に触れました。
育った環境も、周囲に仏教が色々な形でございましたから、生命の實相をはじめ、雅春先生の数多くのご著書をもとに、色々な方の先人のお考えを学ばせて頂いています。<<

そうですね。
確かに、「生長の家」の教えはねばならないがない教えだと言われていますよね。

それでも、わたしはその「教え」の純粋さを保つため、つまり、わたしたちが正しく法燈継承するためには、
聖典「生命の實相」を中心に学んでいくのがあたりまえだと思うのです。
ましては、「生長の家の総裁先生」であればなおさらですよね?
わたしは、雅宣先生は、ご自分勝手に「生長の家の教え」を解釈して、
聖典「生命の實相」の真理からかけ離れた「教え」を確立されようとされているようにしか思えません。
雅宣先生は、実際の所、現在も聖典「生命の實相」の拝読を毎日されているのしょうか?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/2129

↑の本流対策室のトンチンカンさまのご意見はごもっともであると思います。


今朝の復興Gさまご謹写の榎本恵吾先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』 四十七 には、

<<いのちのどん底にあるからこそ 『生命の實相』 なのであり、そのどん底にあるからこそ、それを讃えるために 『生命の實相』 があとから、その素晴らしさを映し出して呉れているのであるから、いのちのどん底のどん底なるものが先で、それが出て来て、最後に手で開いて頭で読むという姿が開花しているのである。>>

とありました。
それを拝見して、「う〜〜ん」と唸ってしまいました。
神縁あって「生長の家」に触れたわたしたちは、いのちのどん底ににある『生命の実相』を讃えることが使命なのではないでしょうか?
だからこそ、その流れとしてして聖典『生命の実相』を三正行の一つとして拝読し続けるのだと思いました。


また、ユタカさまが>>2289>>2297まで「神 ひとに語り 給ふ  無病常楽の神示 講義 」をご謹写くださっています。その最後の御文章に、

<<臨済宗方広寺派の管長足利紫山労師が大分市の関川晃代さんに言はれた言葉に「あんたは、生長の家によって真理を悟らしてもらったんだから、ほかの宗教によろめいては行ってはいけませんよ。信仰にも貞操がなければならない」といふのでありますが、まことにそうであります。
「萬教は唯一つの真理に帰するから、何処へよろめいていっても同じぢやないですか」という理屈づけをして他の宗派をのぞいてくる人がありますが、これは自分の神性をはらかして頂いた「因」に対する純潔を欠いてゐるので、なんぼう偉さうに道をといてもいけないのです。
嘗て講談社の校正係をしとつた人で、人を恨み憎んでころしてやりたい位だったその恨みが、生長の家の神示を実行して消えた。そして今は清々しい気持ちになれた。その恨みが消える方法を教えてもらったのは生長の家のお陰であるというので、毎年二、三回は必ず、私にお礼の手紙をよこす人がありますが、さういう人は、本当に因縁の理を知り、恩を忘れない立派な人だと言はなければなりません。>>


実は、わたしも生長の家の教えに触れる前は、仏教に興味がありました。
そして、近くのお寺に座禅に通ったり老師のご講話を聴いたりもしましたし、本も何冊か読みました。
その外にも、気功をしたり、精神世界の本を読みあさったりもして、数回の神秘体験も経験しています。

ですが聖典「生命の實相」ほど、わたしの魂を震わしたものはなかったのです。
「あ〜〜これをすべて拝読すれば、わたしは真理を悟れる!」と確信したのです。

今でも数行読んだだけで、魂が震えます。
こんな本はほかにはありません。
やっぱり、「聖典」=神のコトバなのだと確信しています。

そんな、素晴らしい「聖典」をないがしろにして、自分勝手に教えを説いている雅宣先生に、
早く目を覚ましてほしいのです。

その目を覚ますためには、教団の破産とか、総裁職からの追放とか、そんな事が本当に必要なんでしょうか?
雅宣先生ご自身が、聖典「生命の實相」に戻られればいいだけのことなのです。

2528a hope:2013/08/05(月) 09:57:05 ID:edEDolt2
>>2527に関連して、復興Gさまのご投稿も再掲載させていただきます。

2307 :復興G:2013/07/13(土) 21:31:32 ID:AB6RqYXc
>>2304のつづきです。

同様のことが、 『生命の實相』 第38巻 「七月一日」・「七月二日」 のところに、次のように書かれています。
>>2185に書いていたことですが)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     七月一日

 深海の中に棲む魚は盲(めしい)である。暗(やみ)のみを心に思い浮かべているからである。光を見る心になったときわれわれに眼ができ、美しい世界がわれわれの周囲に展開したのである。

 思想することは自由である、幸福になるように、あるいは不幸になるように。けれどもそれは各人の選択である。

 ただひと筋に光明思想に随(つ)いて来るものは幸いである。

 すべてのものがわが内にある。本当にある。本当にある。ただそれだけを知ればよいのである。ただそれだけを直視(じきし)すればよいのである。

 思想として、宗教として、哲学として、生長の家はすべてのすべてである。このほかにもっと何かよいものがあるかと思ってさ迷い出るものは、エデンの楽園にいてエデンの楽園をさ迷い出ずるものである。

 いろいろと変わった思想のものを読んで、思想を混乱させればさせるだけ、自分の運命が混乱してくる。

 罰を当てるのではないが、いちどお蔭を戴いてから去ったものの運命がそれほど花々しくないのは、その人自身の思想が混乱しているからである。

 元の思想に還ればまた幸福がその人のために蘇(よみがえ)ってくるのだが、いったん光明思想を去った者が元の思想に還ることは負けたような気がして正直に懺悔の心を表白することができない。そこでその人はいつまでもグズついて不幸の中に身をまかせているのである。

 真理の前に脆(ひざまず)くことは、不幸の中に身をまかせていることよりもいっそう勇敢なことであることを知らねばならない。

2529閲覧者A:2013/08/05(月) 11:38:25 ID:???
a hope様、少し多忙ですので、御返事に時間を下さい。

2530神の子さん:2013/08/05(月) 22:15:10 ID:R1D4Jmeg
>2526の神の子さん+助けて+

メトロってなんですか? どこのことをいうのですか?

2531神の子さん:2013/08/06(火) 02:50:03 ID:AU5Sebm.
>>2530
メトロ画面は8が立ち上がった時の画面です。
四角い箱(タイル)が幾つも並んでいる画面です。
そこに「デスクトップ」というタイルがあって、それを押すと、7の画面に行けます。

2532ユタカ:2013/08/06(火) 23:31:42 ID:R1D4Jmeg
神の子さま、ありがとうございました、今日量販店に行ってまいりました。
8って便利すぎて難しいです。これからもよろしくお願いします。

2533神の子さん:2013/08/07(水) 07:23:31 ID:Xc3ZNfYs
>>2532
ユタカ様
量販店で聞いて来られたのですか?
そうですね、とても便利になりました。
秋頃には8.1が出ますので、もう少し便利になりそうです(笑)

2534閲覧者A:2013/08/07(水) 22:47:29 ID:???

a hope様、大変お返事が遅れました。

私はa hope様のお考えを拝見し、そのお考えはa hope様の大切なご意見ですから、それはそれで決して間違えていらっしゃらないと思います。
私も、生命の實相は永遠に私の生命にとり、なくてはならない御本であり、神殿であり、宇宙最高の教えです。

「生長の家信徒行持要目」を心がけて生活しているならば、信徒の方が各々どういう立場であっても、それで構わないのではないでしょうか。

あまりこれ以上発言をしてしまうと、私の職業がバレてしまいますので、控えさせて頂きます。
ただ一つだけ・・・「生長の家信徒行持要目」の「行持」でありますが、正法眼蔵にも出て参ります。
その心を思うと、真理はあらゆる宗派をも超越しているのだと、感慨深く思います。

生長の家にも、過去、僧侶の資格を持たれた、田中忠雄先生や最近宇治別格本山を退職された先生もいらっしゃいました。
神社の神官・宮司をされながら生長の家信徒でいられた方もいらっしゃいます。
生長の家信徒でありながらも、クリスチャンで洗礼を受けた方もおられると聞いております。
信徒さんそれぞれの立場で、「生長の家信徒行持要目」を大切にされたらいいのではないでしょうか。

雅宣さんの件に関しましては、いまは時間がとれませんので、発言は控えます。

2535a hope:2013/08/08(木) 16:50:37 ID:edEDolt2
閲覧者Aさま

お忙しい中、ご丁寧なお返事をいただきましてありがとうございます。

>>>>私も、生命の實相は永遠に私の生命にとり、なくてはならない御本であり、神殿であり、宇宙最高の教えです。
「生長の家信徒行持要目」を心がけて生活しているならば、信徒の方が各々どういう立場であっても、それで構わないのではないでしょうか。<<

上の閲覧者Aさまのご意見には賛同させていただきます。
生長の家の教えは「万教帰一の教え」ですから、すべての宗教を包括していますものね!
「生命の實相」の真理さえしっかりと理解していれば、どのような立場であっても、
どんな宗教の本を読んでもけっして迷うことはないと思います。

光明掲示板で童子さまが、田中忠雄先生の『ここに禅の生き方が』(40年3月初版)を、ご紹介してくださっています。
これから、お勉強させていただきます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1618

素晴らしい真理がお勉強できることに心から感謝いたします。

合掌。

2537a hope:2013/08/10(土) 08:03:04 ID:edEDolt2

みなさま おはようございます!

第16回web誌友会の日程が迫ってきました。
>>2425でこのweb誌友会の指導者であられる復興Gさまが、

>>本番の誌友会は、今までのように初日は21:30から始まり、
終わりの日の終了時刻は23:00とするとして、
開始は 8月16日(金) 21:30 からで
終わりは、もし2日間なら 17日(土) 23:00まで とし、
3日間なら、18日(日) 23:00 まで とする。
どちらを選ぶかは、お世話を務めて下さっているユタカ様と a hope 様とで相談して決めて頂ければと思います。
私は、18日(日)午後からはリアルの誌友会出講があります。ですから2日間の場合、土・日より金・土の方が都合がよろしいのです。でも、皆さまが土・日の方がよろしければ、それでも結構です。 <<

とおっしゃってくださっています。
そして、ユタカさまも確か、復興Gさまのご都合に合わせる形がいいとおっしゃってくださっていたと思います。
そうなると、18日の日曜日は復興Gさまがお忙しいようなので次回web誌友会の日程は、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


<<第16回web誌友会(仮)予告>>

日時  8月 16日(金)21:30から17日(土)23:00まで

テキスト『生命の實相』 第4巻 第1章〜第4章 p.91 [まで]
  

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


とするのが、今のところbestではないかと思いますが、
ユタカさま、トキさま、みなさま、いかがでしょうか?


ユタカさまは新しいパソコンの調子はいかがですか?

わたしは、来週は仕事がお盆休みに入るので家族で旅行に出かけますが、
16日には戻りますので、また、自分のペースで参加させていただきます。


今、「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」 のところを再拝読中ですが、
ここには一番最初に有名な小僧が指を切られた『俱胝竪指』のお話が紹介されています。
そしてその話を例にして「生命の実相」を悟ればなぜ病気が治るのか、ということが詳しく説明されています。
そして、「薬を廃(や)めること」が「小僧が小指を切り去った」と同じ働きをすると述べられています。
ここは、とても大切な箇所だと感じています。

また、この第2章に出てくる「逆念の放送」(p 40 後ろから4行目)「逆念の刺激」(p42 後ろから2行目)「逆念の働き」(p44 後ろから7行目)とある
『逆念』ということについてもう少し詳しくお勉強させていただきたいと思いました。

復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

2539復興G:2013/08/10(土) 09:57:46 ID:AB6RqYXc

>>2537 :a hope さま

ありがとうございます。

ユタカさま、皆々さま

私は、>>2425 に書いた通りで、お任せいたします。

楽しみにしています。 合掌

2540るんるん:2013/08/10(土) 10:54:13 ID:fYlJIcas
ユタカさま

初めまして。
ウインドウズ8は初めはびっくりしますけど、スタートボタンがないので。
でもすぐに慣れますよ。

(あなたのブラウザがInternet Explorerとして、説明させて頂きます)
ブラウザがInternet Explorerなら、IE10ですよね。
なら、ウインドウズ8だからというのでなく、既にIE9の時から、
ツールバーやお気に入りバーは非表示になってるのです。

ツールバー等を表示したいのですね?

ここでツールバーやお気に入りバーの出し方が書いてありますよ。
私はこれで、表示しました。(o^∇^o)ノ

http://internet-explorer9.info/howtouse/1019/

2541トキ:2013/08/10(土) 20:07:21 ID:yLGBQcM.
>>2537

 このたびも、web誌友会を開催、ご指導をして下さり、深く感謝申し上げます。
生長の家の盂蘭盆供養大祭の前でもあり、信仰について、今一度、学び直す時期
だと思います。

 深い内容の勉強ができるので、楽しみにしています。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2542ユタカ:2013/08/11(日) 00:25:28 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま PCがなぜか応答していませんと表示されて、ここにも接続できなくてここを見るのに小一時間かかっています・ ・・
      誌友会は古いPCで対応します・・・ もう引きこもりになる寸前。

るんるんさま ご親切にいろいろとアドバイスをありがとうございます。 お気に入りは量販店で聞いてきたのでわかりましたが、この掲示板に接続しようとすると、ここには接続できません。と表示が出てきて、何度もやり直して嫌になっています・・。 また聞きにいかないと・・
メーカーは電話でないし・・ 


PCが動かない・・・  自分の運命が変わっていっている気がします。

いくら、あの冷酷非情と言われる雅宣先生で、自分も笑って悪口をいっているけど、本当は、純粋な実相の誌友会がしたい!!!

悪口はもう嫌だ!!!

お題目 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動 人類光明化運動


この異常な熱帯のような気温を感じたら、雅宣先生が何より環境を優先してきた事が分かったよ!! ユタカは心が変わって来ている気がする。。。


だから、PCが動かない気がする。。。

2543神の子様:2013/08/11(日) 06:45:12 ID:???
最近の異常気象は、地球温暖化が原因だと言う人もいますが、根拠はなく、地球温暖化と無関係です。

その多くは偏西風の蛇行やエルニーニョ、ラニーニャによって起こります。

地球温暖化は、オゾン層の破壊と無関係です。オゾン層が破壊されると、地表に届く紫外線は少し増えますが、紫外線が地表を暖める効果は極めてわずかですから、温暖化を促進しません。

なお、オゾン層のオゾンが減ると、紫外線の吸収が減り、オゾン層が暖まらなくなりますから、成層圏の温度が下がります。
現在はフロンの規制により、オゾン層の破壊は止まっていますから、成層圏の温度低下も止まっています。

人間がオゾン層で人為的に作ったオゾンを放出しなくても、フロンの放出をやめたことにより、
1995年以降は少しずつオゾン濃度が高くなっていて、あと40〜50年で元の濃度に回復すると考えられています。

地球温暖化は炭酸ガス濃度と無関係です。
炭酸ガスに温室効果はありますが、吸収できる15μmの地球放射を全部吸収済で、再放射による同じ大きさの15μmの下向きの大気放射が地表に届いていますから、温室効果を既に100%発揮済です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B0%97%E3%81%AE%E7%AA%93
大気の窓 波長15μmの透過率はゼロ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:A...
大気通過後の放射スペクトル分布
http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke03.html
近藤純正東北大名誉教授のHPの図 3.5 大気放射スペクトル

まだ吸収されていない15μmの地球放射はありませんから、炭酸ガス濃度が高まることによる温室効果の増大はあり得ません。

炭酸ガス濃度を2倍にする実験では、赤外線の吸収が変わらず、温室効果も変わらないことがわかっていて、追試でも確認されています。

100年後に炭酸ガス濃度が倍増した時の3度の温度上昇は水蒸気のフィードバック効果をIPCCが正と決めつけて計算したものですが、人工衛星による観測結果では水蒸気のフィードバック効果は負ですから、100年後の温度上昇は0.4度未満です。
http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokablog/14779529.html

地球温暖化は1900年代後半の過去400年で最大の極めて活発な太陽活動(現代極大期)による自然現象です。
太陽活動の気温への影響の時間的遅れは15年ほどですから、2015年頃から太陽活動の低下の影響が出てきそうです。
http://yaplog.jp/itoh_kiminori/archive/161
20年移動平均線は太陽活動の指標と世界の平均気温に高い相関

http://stesun5.stelab.nagoya-u.ac.jp/study/sub8.htm
太陽風速度、宇宙線が気温に影響を与えるメカニズム、スベンスマルク効果

2544a hope:2013/08/11(日) 17:25:39 ID:edEDolt2

ユタカさま

本当に暑い日が続きますね。
我が家は、出来るだけエアコンを使わない主義なのですが、
さすがにここ2〜3日はエアコンのお世話になる夜が続いています。

ところで、パソコンの調子が良くならなくて、
それは、ユタカさまの心の変化が現れているというこなのかもしれないとのことなのですね。

本当は、純粋な実相の誌友会がしたい!!!
悪口はもう嫌だ!!!

ということですが、確かに、わたしも人格批判的な誹謗中傷はもう聞きたくありません。

ですが、わたしたちは「生長の家の教え」や「真理」に関しては、妥協できませんよね?
聖典「生命の實相」をお勉強していけばいくほど、雅宣先生の「教え」や運動方針の間違いが見えてきてしまいます。
わたしたち信徒がしっかり「生命の實相」を勉強しないから、現教団に今、このような状態が現れているのではないでしょうか?

ですから、このweb誌友会で「生命の實相」の真理をお勉強していくことは素晴らしい意義があるとわたしは感じています。

ユタカさまのパソコンの状態が一日も早くよくなって、web誌友会で「純粋な実相の誌友会」ができることを心からお祈りしています。

2545復興G:2013/08/11(日) 22:03:58 ID:AB6RqYXc

皆さま

今日も本当に暑い日でしたね。

そんな中、私はかなりの距離を歩いて、ある音感合唱の集いへ行ってきました。

外気温は40度以上あったという人もいて、熱中症になりそうでした。

なんとか合唱練習会場へたどりついて、冷たいお茶を飲み、讃美歌を歌っていたら、ものすごく感動が湧いてきて、涙が出てきました。

熱心なクリスチャンだった私の祖母が、喜んで、霊界から天降って来たような気がしました。

讃美歌ばかり約1時間ほど歌って、休憩に入った時、雷が鳴って、一時大雨が降りました。

しかし帰る頃には雨はやんで、涼しくなっていました。

雷は、「神なり」だと思いました。

合唱、いや合掌でした。


ユタカさん

私も、「異常気象はCO2による地球温暖化のせい」などというかがくしゃたたちの説は、眉唾物だと思っています。
そんなこと、信じていません。

他人のいうことでなく、自分を信じなくては・・・・内なる神を信じなくては。

パソコン、もうじき使えるようになりますよ。きっと。

祈って、待ってます。

2547ユタカ:2013/08/13(火) 17:49:46 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

皆様のお祈りのお蔭で少しづつ8に慣れてきました、どうもお騒がせしました、ごめんなさい。 これは慣れていく以外方法がないと悟りました。。。

もうすぐ誌友会ですね。次はどのような形で進行していくのでしょうか、楽しみです。

ユタカの『生命の實相』の第4巻の扉には楠本先生のご揮毫で 「 万 事 好 転 」とあります。

このWEB誌友会にご参加の方の運命が「万事好転」することと信じます。 ユタカの近況ですが、最近は復興G様の榎本先生の謹写されておられる文章が理解出来るようになってきました、本当にすごい事が書いてあって、素晴らしいです、あのご本を読めば、大騒動など「無い」事かも知れません。いや、「ない」んでしょう・・・

と観じていいような気もしてしまいましたが、みなさんはどうですか?

最近、復興Gさまが美代先生の終講の言葉をご紹介下さって解説してくださった時にユタカは反発した意見を書き込みましたが、

今は違います。 美代先生と復興Gさまのご意見を素直に受け入れられるように変化しました。

美代先生の終講のことばを再掲します。続く+

2548ユタカ:2013/08/13(火) 18:39:43 ID:R1D4Jmeg
ヤッター!! 投稿出来た!! 上記8からの投稿成功!

二葉美代先生の終講のことば (再掲)

前文略) さて、この勉強会は戦後の乱れた日本を何とかして昔の愛国一本に澄みっ切った心の国にもどしたいと、谷口雅春先生の燃える様な愛国の書

古事記と現代の預言・限りなく日本を愛す・人のいのち国のいのち・美しき日本の再建

等々をテキストに致しまして世界の光明化 

日本国實相顕現を標望して始めたものでございます。 世界に比類なき真理国家日本を本当に知ること、

これが大切と、天地初初(アメツチハジメ)の真理よりしっかりと学んで参りました。

しかし 此のたび”限りなく日本を愛する”ご本の中に 新しい人生をつくり出す基礎は過去を捨てる諸君の能力にある。

敗戦の日本なし、 実相の日本のみ独在す

真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。 

実相をのみを愛し実相のみを観てゆけばよいのである。

さらに弟子像には人類光明化運動も愛国運動も暗黒を認めた上でそれを消すための運動ではないのである。

暗は本来ない現象は本来ない 唯 光明があるだけ現象の日本なし実相の日本のみ実在す  真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。

とございましたが、 ダメになった日本をよくしようと始まった私たちは間違っていました。 はじめから実相独在の日本しかなかったのです。

それをしっかり観じられる私たちでなければなりません。 でも私一人が観じてもどうなるものではないと仰いますか?

谷口雅春先生は 一人が悟れば世界が悟る と仰せになっていらっしゃいます。

全世界は一つの生命の展開です。 自分が宇宙の中心でありそしてすべてなのですね。

まだまだ 学ばねばならぬことが山程ありますが、残念です。どうぞ皆様今後ともしっかりと実相独在の日本を観じ続けて下さいませ。 合掌


 日の本の 天壌無窮の 弥栄を

  いのちをかけて 護れ 継ぐ人 



この時、私は復興G様に美代先生は運動をがむしゃらにやった後のベッドで書いた言葉と反発しましたが、

今は美代先生が悟って私達に残して下さった言葉として今はそのまま素直に受け入れます。 復興G様、あの時は反発してすみませんでした。せっかく美代先生の大事な御言葉ですからそのまま素直に頂きます。

ありがとうございました。 WEB版でのことなのでここに書きました。 (過去を引きずって、いました。)


終わり・・・

2549a hope:2013/08/13(火) 20:28:47 ID:edEDolt2

(a hopeの自主勉強)

――第4巻p25からp26まで一部抜粋――
<<その生命の実相を悟れば病気が治る――否、神の子たる人間生命の本来相には病気はないのですから、病気が治るも治らぬもない、ただ病気が本来の「無」を暴露するのでありますが、こうして生命の本来相を悟れば同時に薬剤も不要になるのであります。だから、神の子たる人間生命の本来相を悟ることが第一原因で、この第一原因から病気が治るという結果も顕われれば、薬をやめるという結果も生ずるので、病気が治るということと、薬をやめるということはともに結果であって薬をやめたということが病気を治す原因になるんではないのであります。したがってこれを禅家の筆法をもってすれば、「薬を服むという効果は!」ときかれても「曰く無所得」であると同時に、「薬をやめる効果は!」ときかれても「曰く無所得」と答えるほかはありません・・・・(略)>>

――p31からp32まで一部抜粋――
<<先日ある人が修行に来られた。「宇宙のいっさいのものは神様のお造りになったものでありますから、薬も神様のお造りになったものでそれを用いることはさしつかえないではありませんか」といわれた。わたしはその時言下に「人間は神の子ですから何を用いてもさしつかえありません。なにものを用いてもさしつかえありません。なにものを用いようともわれわれを害することはできない。いわんや医薬を服んだぐらいでわれわれの生命が害されるなどということは断じてない。ただ自己の生命を害するのは自分の心であります。・・・(中略)
『無明(まよい)』をもって『無明』を制し、毒をもって毒を制しようとするのが薬物療法で、人間は霊性なる神の子なりと悟らず、人間を肉体という物質的存在だと思っているものには物質的薬剤も一時的効果はあります。人間をば霊性なる神の子なりと信じている人には、薬が要らなくなるのです。しかしまた薬が要らぬとがんばる必要もなくなる。薬などはその人の実相生命にプラスもマイナスもしえないことがわかるからです」と答えたことがあります。・・・(略)>>


(a hope所感)

この「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」 にはものすごく大切なことが書かれていると思いました。
特に、病気の方には必読箇所なのではないでしょうか・・・。
わたしの聖典にはほとんどの文章に色とりどりの線が引かれています。
「無所得」とは、頭注によると、「所得(利益)がない、したがってそれに執着することもない。」とあります。
「薬を服す」も「薬をやめる」も無所得なんですね!

わたしは、自分の父が何年も前から持病で医者にかかっていて、毎日たくさんの薬を服しているのに不安を感じていましたが、
この数ページをじっくり拝読して、父が薬をたくさん服していることが気にならなくなりました。
むしろ、今まで父が薬をやめられないことに関してわたしが不安に感じていたこと、
つまり「そんなにたくさんの薬を服んでいても効果などあるわけがない。反対に後あと副作用があるのではないか・・・」
という思いが「逆念」となってしまっていたかもしれないと感じました。
周りが薬をやめさせる努力をしなくても、父が「人間神の子」をさとれば、『無明』であり無所得である薬をしぜんにやめていくのですよね。
これは、他の依存症状を起こすような違法薬物やたばこやアルコールにも関しても同じことが言えるのではないかと思いました。

「物質なし」 「肉体なし」 「病なし」 「人間は神の子である」 生長の家の真理は本当にすごいですね!!

2550a hope:2013/08/13(火) 20:29:32 ID:edEDolt2
ユタカさま

素晴らしい「二葉美代先生の終講のことばを再掲してくださりありがとうございます。
<<真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。 
実相をのみを愛し実相のみを観てゆけばよいのである。
さらに弟子像には人類光明化運動も愛国運動も暗黒を認めた上でそれを消すための運動ではないのである。
暗は本来ない現象は本来ない 唯 光明があるだけ現象の日本なし実相の日本のみ実在す  真の愛国心とはこの実相日本を礼拝する心にほかならないのである。>>

本当ですね。そういう心から起こる運動こそが、生長の家の人類光明化運動なのですね!
そして、わたしも、復興Gさま謹写の榎本恵吾先生の御文章から毎日新たな気づきや感動をいただいています。
常に、実相礼拝の心を忘れずに毎日を過ごしたいです。

ところで、わたしは、明日早朝より家族旅行に出かけます。
ですが金曜日には戻りますので、またいつものようにa hopeが、web誌友会の1時間前になりましたら、準備祈願の祈りを担当させていただきたいと思います。
皆さま、どうぞ今回もよろしくお願いいたします。

2551復興G:2013/08/13(火) 20:31:50 ID:AB6RqYXc

>>2548 :ユタカさま

ヤッター!! 投稿出来た!!

おめでとうございます!

また、すばらしい心境が開けたご投稿、感動して涙が出ました!

ありがとうございます!

私も、負けないようにがんばります!

2552復興G:2013/08/13(火) 20:47:38 ID:AB6RqYXc

a hope さま

ありがとうございます!

a hope さまの進境もすばらしいですね! こうして、手を携えて心境がひらけ高まることこそが、最高のよろこびですね!

またweb誌友会のお世話、ありがとうございます!

よろしくお願いします!

2553a hope:2013/08/13(火) 20:48:28 ID:edEDolt2

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 <<第16回web誌友会予告>>

日時   8月16日(金)21:30から
      8月17日(土)23:00まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第1章〜第4章 p.91 まで
  
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2554トキ:2013/08/14(水) 16:33:33 ID:kNbUEEgk
 このweb誌友会の時期は閲覧者様の数が増えます。それだけ皆様が期待しているのでしょう。
私も個人的に楽しみにしております。

 よろしくお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2555復興G:2013/08/14(水) 20:06:27 ID:AB6RqYXc

トキ様

お世話になります。よろしくお願い申し上げます。

合掌

2557ユタカ:2013/08/15(木) 21:23:13 ID:R1D4Jmeg
トキ様

WEB誌友会を楽しみにしていているのですか、今度お世話役もやってね。
誌友会の時、閲覧者がふえるのですか!? ふ〜ん。。。見てるなら参加すればいいのにね、、雅宣総裁でも歓迎するよ、参加してね、磯部さん、もどうぞ。
うのはなさんはどうかな?

2558トキ:2013/08/15(木) 21:32:12 ID:NU0Bwiho
>>2557

 いいですね。イソベさん、ご覧になるだけではなくて、ぜひ、ご参加下さい。ニセ理事長から
ご案内申し上げます。

2559ユタカ:2013/08/15(木) 21:42:38 ID:R1D4Jmeg
やっぱりおかしい・・

連続投稿できなくて消えた、トキさん、復興Gさま、a hopeさま、るんるんさまにあてた投稿が画面に出ないのですが、管理人さんの見えるところには届いていますか?

せっかく、書いたのに、、、消えた・・

2560ユタカ:2013/08/15(木) 22:24:27 ID:R1D4Jmeg
復興G様 

何キロ歩かれましたか? 神の子無限力ですが、復興G様が心配です。

あと、明日の誌友会も心配です、ユタカは何もしていないので、空白で誰も来なかったらこの掲示版が空白になってしまいます・・・


a hopeさま
わかりました、ありがとうございます。 すみませんが、連続投稿ができたりできなかったりしています。

不安なので、終わりのお祈りが出てこなかった時はフォローをお願いしたいのですが・・・見ていてください。出ていないときはすみませんが、
a hope様のお祈りでお願いします。ごめんなさい、よろしくお願いします。

るんるんさま

初めまして、いまだに格闘しています、投稿がOKの時とどこかに消えてしまうときがあります。

書き込む をクリックすると前のは投稿できたのに、次のは、このページは表示できませんとでて、再接続すると全部消えてしまい、もう、やる気なくなってしまいます、それが長文だと・・・

さて、これは、投稿できるか?出来なかったら、もうイヤだーーーー!!

2561神の子さん:2013/08/15(木) 22:32:03 ID:fru8f.EI
ユタカ様

まず、メモ帳にでも下書きをしておいてから、コピー貼り付けされたらどうですか?

2562トキ:2013/08/15(木) 22:49:42 ID:NU0Bwiho
>>2559

 これは一般論ですが、ネットでの通信はいつもスムーズに進行するとは限りません。いくつもの
クッションを通しているので、途中で消える事があります。特に夜間はインターネットを利用する人
が多いので、サーバーが情報を処理できずに、投稿が消える場合があります。これには、処方箋はあ
りません。下書きを保存するなど、自衛をするしかないのが実情です。

 どうも、せっかく書いて下さった文章が消えてしまい、申し訳ありません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

2563ユタカ:2013/08/15(木) 23:19:47 ID:R1D4Jmeg
書き込む という 所を押しているのに、表示できません とか 接続できません とかの問題なので コピーの貼り付けとかの問題じゃないのですよ・・・

2564復興G:2013/08/15(木) 23:56:15 ID:AB6RqYXc

ユタカさん

今夜は出かけていて、遅く帰ってきました。

PCは、おちついてやれば大丈夫だと思いますよ。

>>2561 :神の子さんが、
>>まず、メモ帳にでも下書きをしておいてから、コピー貼り付けされたらどうですか? <<

と言ってくださったのは、下書きを保存してあれば書き込みに失敗してもまた再投稿できるから、成功するまで何回でもやってみることが可能で、

「全部消えてしまい、もう、やる気なくなってしまいます、それが長文だと・・・」

ということはない、と教えてくださったのだと思いますよ。

2565復興G:2013/08/16(金) 03:17:09 ID:AB6RqYXc

 第16回web誌友会は、いよいよ今夜からですね。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 <<第16回web誌友会予告>>

日時   8月16日(金)21:30から
      8月17日(土)23:00まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第1章〜第4章 p.91 まで

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 そこで、プレ・誌友会と申しますか、問題提起を始めたいと思います。私の切実な疑問、課題がありますので、曳馬野さまなど教団の方からもぜひご教示を賜りたい――総裁から直接のご教示が頂ければ最高にありがたいことであると思っております。何卒よろしくお願い申し上げます。

 さて、テキストの中で、私が特に注目しましたのは、「第3章 祖国愛は神の道」 の中でp.53〜55のところです。まずはテキストの当該部分を謹写掲示させていただきます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

     郷土愛と祖国愛

 郷土愛、さらにそれが大きくなっては祖国愛――それは超越的な汎世界的な立場からみまするならば、一個の執着の念だとも評されましょうが、さらにそれを深く考えますと日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

 日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。

 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

 この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。

     神の道と人の道

 神の道といいますが、人間は神の子でありますから、神の道とは人の道のほかにはないのであります。

 われわれの父祖が遺愛の記念品は、たとい一個の盃であろうとも一片の手紙であろうともわれわれはそれに愛を感じる。いわんや、いく百代父祖が生命をかけた国土に対して愛を感じないことは自然でない。それが人として当然のことであり、人情であるのであります。

 かくのごとき愛もただの執着にすぎないといって排斥することになるならば、一切の人間的な麗わしき人情を否定してしまうことになり、この世界を織りなしている「人間の心の美術」を無にしてしまうということになるので、それは人の道ではない――したがって神の道ではないのであります。

 キリストでさえも「隣人を愛せよ」といったのでありまして、「まず遠人を愛せよ」とはいわなかったのであります。われわれは、まず手近かなものを愛することから始めなければならないのであります。隣人といったら他人のことであって、家族のことではないと思っていられたら大まちがいであります。われわれにとって最初の隣人とは家族でありますから、家族を本当に愛しないようなものは本当に神を愛するものではないのであります。

 「手近かにいる兄弟を愛しないで、眼に見えない神をどうして愛することができよう?」 とキリストも反問しているのであります。

 われわれが親子となり、兄弟となり、血縁のつながる近親者となってこの世に生を受けてきているということは、決して偶然ではない。それは深き因縁あることであり、神がまず最初の隣人として、それらの人々を最も愛し最もよく世話をするように、われらの最も近くにそれらの人々を置き給うたのであります。

 むろん、われわれは距離の問題を超越して広く隣人を愛しなければならない。このことは真理であり、われわれはこの真理に従わねばならない。しかし、距離を超越して愛せよとは近くを捨ててまず遠くを愛せよということではないのであります。この点、誤解のないように願いたいのであります。

 「近くを捨てる」 ということならば、もはや 「近く」 とか 「遠く」 とかいう距離にとらえられているということになるのでありまして、本当に距離を超越したことにならないのであります。われわれが真に距離を超越しえたときには、近くにかかわらず遠くにかかわらず、摂理によって自分に与えられた者を愛することができるのであります。

 そうすると結局、距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります。<謹写引用終わり>

2566ユタカ:2013/08/16(金) 06:38:40 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

終戦日で、昨日もP、53を読んで感動して、今朝も読んでいた所です!

祖国と一体の自分というのがウレシイ!!

2567るん吉:2013/08/16(金) 06:43:56 ID:fYlJIcas
ユタカさま

今、繋がってるみたいですね。よかった。

ちなみにwifiですか?

2568復興G:2013/08/16(金) 07:37:20 ID:AB6RqYXc

 私は先日 「終戦のエンペラー」 という映画を見て来ました。

 これは 「ハリウッド歴史映画の超大作」と宣伝されています。

 この映画のクライマックスは、1945年(昭和20年)9月27日の、昭和天皇 マッカーサーご訪問です。

 映画プロデューサー奈良橋陽子の祖父 関屋貞三郎は、1945年昭和天皇のマッカーサーご訪問、会見実現に向けて尽力した人物の一人(宮内次官だった)。その祖父から聞いていた終戦秘話をハリウッド映画にしたいと奔走し、実現した。

 占領軍総司令官マッカーサーは、フェラーズ准将に、「開戦の真の責任者はだれか」 の調査を命じる。フェラーズは重要人物に次々と当たって尋問するが、明確な答えは出て来ない。遂にマッカーサーは、天皇に直接会見してその人物を確かめようということになった。

 GHQ(占領軍総司令部)をご訪問になった天皇陛下は、マッカーサーの前に進み出て 「このたびの戦争の責任はすべて私一人にあります。他の誰にも責任はないから、処罰は私一人に限っていただきたい」 と申し出られる。

 マッカーサーは感動して、「処罰ではなく、この国の再建のために協力しあいましょう」 という。

 ここから、その後今に到るまでの日米親善協力の歴史が始まったのである、ということが、ハリウッド映画の大作として公開されることになったのです。

 ――日本人だけの映画制作だと ある種の固定観念に埋もれてしまう懸念があるけれど、アメリカ人は事実を徹底的に調べるし、お金をかけて描く。そこがハリウッド映画の良さ、 と言われる。日本で教師をしていた経験ある作家・脚本家のデヴィッド・クラスの台本で、イギリス出身のピーター・ウェーバー監督による、客観的な徹底調査の結果できたものである故に、国際性があります。

 奈良橋陽子プロデューサーは言っています。

 「今なお世界中で終わることにない争いの数々――。平和を願うものの一人として、世界が再び同じ過ちを起こさないてめに、何かできることはないか――常々そんな想いを抱いてきました。・・・・・些細な行き違いから始まる誤解や喧嘩。ひとりひとりがそれぞれ平和を願う立場を理解すれば、戦争はなくせる――。心から平和な未来を願うひとりの人間として、この映画を皆様にお届けします。」

 と。

 ピーター・ウェーバー監督の言葉に――

 「本作に描かれる日米双方の人物たちの決意が、その後50年以上にわたる平和の礎を築いたのです。」

 とある。

 その中心ポイントは、己を無にして 「一切の責任は自分にある」 と仰せられた天皇陛下。そしてその天皇陛下の御心をわが心とし、己を無にして美しい日本を復興させたいと願った人物たちの決意であったと思われます。

<つづく>

2569a hope:2013/08/16(金) 08:09:15 ID:edEDolt2

復興Gさま ユタカさま トキさま るんるん(るん吉)さま みんさなさま

おはようございます。
昨晩遅く、家族旅行から帰ってきました。
今日は、気分を入れかえて、子どもたちと静かにお勉強をして過ごしたいです。

>>2565復興Gさま謹写の後半部分

<<キリストでさえも「隣人を愛せよ」といったのでありまして、「まず遠人を愛せよ」とはいわなかったのであります。われわれは、まず手近かなものを愛することから始めなければならないのであります。隣人といったら他人のことであって、家族のことではないと思っていられたら大まちがいであります。われわれにとって最初の隣人とは家族でありますから、家族を本当に愛しないようなものは本当に神を愛するものではないのであります。・・・(中略)・・・
 そうすると結局、距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります。>>

ここは、わたしも赤線を引いてありました。
ですがユタカさまが感動されたという、前半部分(P53の部分)『郷土愛と祖国愛』には、
何の線も引いてありませんでしが、今朝、復興Gさまの謹写全文を拝読して前半部分にもとても感動しました。
それは、わたしがこの掲示板で「日本国の実相」や「愛国心」について今までお勉強させていただいてきて、
心境が変わってきた、というか、真理に目覚めてきた証拠ではない思います。

雅春先生は、

<<郷土愛、さらにそれが大きくなっては祖国愛――それは超越的な汎世界的な立場からみまするならば、一個の執着の念だとも評されましょうが、さらにそれを深く考えますと日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。
 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。
この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。>>

と、こんなにハッキリと、日本人としての「世界奉仕」「人類への貢献」のあり方とその理由をご教示されています。
これは「世界平和」を実現するための日本人としての取るべき態度ともいえますよね。

これは、時代が変わったからと言って、変えていっていい「真理」であるとはわたしとても思えませんが・・・
わたしも、是非、曳馬野さまなど教団の方からや、雅宣先生直接のご教示をいただきたいです。


>>2560ユタカさま

>>a hopeさま
わかりました、ありがとうございます。 すみませんが、連続投稿ができたりできなかったりしています。
不安なので、終わりのお祈りが出てこなかった時はフォローをお願いしたいのですが・・・見ていてください。出ていないときはすみませんが、a hope様のお祈りでお願いします。ごめんなさい、よろしくお願いします。<<

了解しました。
後夜祭は続くとしても、始めと終わりはけじめをつけたいですものね。
明日は午後から仕事にいきますが、夜は戻りますので大丈夫です。
ユタカさま、無理のないようにご参加下さいね。


みなさま

今夜、お会い出来るのを楽しみにしています。

2570a hope:2013/08/16(金) 08:25:20 ID:edEDolt2
>>2569 訂正
真理に目覚めてきた証拠ではない思います。→真理に目覚めてきた証拠ではない【かと】思います。

2571復興G:2013/08/16(金) 13:32:52 ID:AB6RqYXc

>>2568 のつづきです。

 ある誌友会で、「Voice」 の8月号に竹田恒泰氏が

『「国体の護持」を達成した日本国憲法』

という論文を発表しておられるが、それについてどう思いますか、という質問を受けました。私はその時まだその論文を読んでいなかったので、さっそく「voice」 8月号を買って読みました。

 竹田氏の論文は前記「終戦のエンペラー」の映画の内容と一致あるいは関連するので、その小見出しと論点の要約を挙げますと

(1)ポツダム宣言を受諾した目的は何か

 昭和20年8月10日午前0時から始まった御前会議で、わが国の政府と統帥部の首脳は「ポツダム宣言を受諾するか否か」究極の政治判断を迫られていた。同宣言を受諾すれば、日本は建国以来、初めて外国の軍隊に占領されることになる。そして、もし受諾しなければ、本土決戦に突入することになる。

 このとき、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣はポツダム宣言を受諾すべきと主張、これに対して阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣は本土決戦を主張した。

 しかし、双方ともめざすものは同じ「国体の護持」ということであった。

 数時間に及ぶ議論の末に議場に諮ったところ、三対三で完全に意見が二分してしまった。
 ここで議長を務める鈴木貫太郎総理は、

 「誠にもって畏れ多い極みではありますが、陛下の思召(おぼしめし)をお伺いし、聖慮をもって、本会議の決定と致したいと存じます」

 と述べたのだ。御前会議は国家の最高意思決定機関であり、天皇が自ら直接その決定を下すなど、わが国の憲政史上、一度の先例もないことだった。

 このとき、昭和天皇は次のような御言葉を発せられた。
 「自分は、外務大臣の案に賛成する」
 これでポツダム宣言の受諾が決定した。

(2)日本はほんとうに無条件降伏したのか?

 それは「否」である。
 ポツダム宣言の一部を抜粋して示すと

 「第五項 吾等の条件は左の如し。吾等は右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず。吾等は遅延を認むるを得ず」

 として、ここから下の項目に、連合国の条件が記されている。ポツダム宣言は“有条件”だったことがわかる。

 ではその条件とは?
 第七項には同宣言の目的を達成するために連合国が日本を占領することが明記されているが、重要なのは、一定の条件を満たしたら占領軍は撤退する旨が次のように書かれている。

 「第十二項 前記諸目的が達成せられ、且(かつ)日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ、平和的傾向を有し、且責任ある政府が樹立せらるるに於ては、連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし」

 そして、その一定の条件とは次のようなものだった。
 「第十項(抜粋) 日本国政府は、日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教及思想の自由並(ならび)に基本的人権の尊重は確立せらるべし」

 つまり、日本が民主主義的傾向を復活させ、言論の自由、宗教の自由、思想の自由を確立し、基本的人権を尊重する国になり、平和的傾向をもつ責任ある政府が樹立されたなら、連合国は占領軍を撤収させるという約束事が書かれているのである。

 ポツダム宣言は連合国と日本国の双方に権利と義務を盛り込んだ条約であって、なにも一方的に日本が義務だけを負うものではない。日本が無条件で降伏をした事実は存在しないのである。

 ではなぜ「無条件降伏」と理解されるようになったのだろう。それは、同宣言第十三項に、連合国が日本政府に日本軍の無条件降伏を宣言するように要求する内容が含まれていることが原因だと思われる。しかし、ここでいう「無条件降伏」とは軍の降伏を意味し、国の降伏が無条件であることを意味しない。つまり、明け渡したのは軍であって、けっして国ではないのだ。
<つづく>

2572復興G:2013/08/16(金) 15:09:43 ID:AB6RqYXc

>>2571のつづきです。

(3)天皇の地位をめぐり議論沸騰

 ポツダム宣言受諾を決定した8月10日の御前会議の直後、日本の外務省は連合国に対して同宣言を受諾する旨を次のように打電し、降伏することを意思表明した。

 「条件中には天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの諒解の下に、帝国政府は右宣言を受諾す」

 ところが、米国のバーンズ国務長官からの返答があったのは8月12日午前0時45分で、その内容は、天皇の地位を保障するとも保障しないとも取れるような曖昧な内容だった。

 これにより、重臣たちのあいだで議論が蒸し返された。連合国は日本政府の確認については一言も答えず、日本の統治権はGHQの下に置かれると述べただけだった。阿南陸軍大臣も、これでは天皇の地位は保障されないと考え、「国体護持の保障がないかぎり徹底抗戦すべき」と、ポツダム宣言拒絶を主張した。

 そして8月14日午前11時、再び御前会議が開かれた。またもや議論が紛糾したが、最後は2回目の御聖断により、終戦が決定することになった。

 この日のうちに「終戦詔書」が起草されて、内閣総理大臣以下全閣僚の署名が揃った。そして翌日の8月15日、玉音放送により、日本がポツダム宣言を受諾し、戦争を終結させることが全国民に伝達されたのだった。


(4)天皇を元首と記した「マッカーサー・ノート」

 その後、マッカーサー元帥は昭和天皇との会見を通じて、天皇と国民が一体であるという、まさに日本の国体をみてしまった。

 天皇をなくしたら日本は大混乱に陥り、数百年にわたって復讐の戦争が繰り広げられると考えた元帥は、それからというもの、本国政府の意思に反して、天皇を処刑せずに、皇室を存続させる方針を定めた。

 昭和21年2月3日、マッカーサー元帥はGHQが憲法草案を起草することを決断した。それは、2月26日に極東委員会が活動を開始することが原因だったとみられている。極東委員会とは、連合国11ヵ国の代表によって組織された日本の占領統治に関する最高の権限を有する機関で、これが活動を開始すると、GHQの権限が大きく制約されることになる。
 極東委員会には、ソ連とオーストラリアのように、皇室を存続させることに強く反発する国が入っていて、天皇の戦争責任の問題も活発に議論されていた。そのため、極東委員会が活動を開始する前に、GHQ主導で憲法改正の流れをつくらなければ、皇室を存続させられないとの判断があったと思われる。

 憲法草案起草の責任者となるホイットニー民政局長に示した「日本の憲法改正に際して守るべき三原則」(通称「マッカーサー・ノート」)には、憲法草案に盛り込む必須三原則が書かれている。

 「一、天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。
  二、国権の発動たる戦争は、廃止する。日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
  三、日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、現在生存する者一代以上には及ばない。予算の型は、イギリスの制度に倣うこと」

 日本国憲法には第一条から第八条にかけて天皇に関することが書かれることになるが、それはマッカーサー・ノートの第一項が基礎となっていることがわかる。他方、日本国憲法第九条の「戦争の放棄」は、マッカーサー・ノートの第二項が基礎になっている。元帥が示した三原則に基づいてGHQ草案が作成され、それに基づいて日本政府案が作成され、それを枢密院と帝国議会で議論して成立したのが「日本国憲法」である。

 占領を経ても皇室が存続したことに喜びを感じる半面、戦争放棄が憲法に盛り込まれたことは、日本の手足を縛るものであって、痛恨の極みである。日本国憲法は勝者である連合国が、敗者である日本に押し付けたものであることは歴史の事実であり、誇りある日本人としてはけっして承服できるものではない。

 しかし現在、日本国憲法はその問題点ばかり指摘される向きがあるが、当時の日本人が切望していた「国体の護持」を実現させたものであることも事実である。物事には光と影があり、日本国憲法にも影の部分だけでなく、光の部分があることを忘れてはいけない。
 国体が護持されたことは、数少ないながらも日本国憲法の光輝く部分である。皇室の存続は日本人の総意だった。わが国は敗戦の憂き目を経ても、「君民共治」の日本の国体を護持することができたのである。
<つづく>

2573復興G:2013/08/16(金) 15:27:04 ID:AB6RqYXc

<つづき>

(6)日本国憲法の成立により主権者は変更したか

 主権者の変更の有無を考えるうえで、まずは主権の定義を確定しておかなくてはならない。
 宮沢俊義博士のいう「国民主権を問題とする場合の主権とは、国家の政治のあり方を最終的にきめる力をいう」(宮沢俊義『憲法の原理』岩波書店、1967年)が主権の定義として広く用いられ、定着している。

 「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇にあれば天皇主権、国民にあれば国民主権ということになろう。
 なお前掲書には「君主主権は国民主権と両立せず、一方の是認は、論理必然的に、他方の否認を意味」し、「天皇主権は国民主権と原理的に両立しない」のであって、「前者より後者への推移は、政治の根本原理の変革と見るべきものである」とも記されている。

 では、旧憲法から新憲法への移行により、「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇から国民に移ったとほんとうにいえるだろうか。少なくとも憲法の条文を比較してみても、天皇の法的権限は旧新憲法問で根本的な変化はなく、主権が天皇から国民に移ったことを明示する条文はみられない。

 日本は古来「天皇不親政の原則」といって、天皇はごく一部の例外を除き、政治の意思決定に直接関与してこなかった。事実、明治維新から現在までのあいだに、天皇が国策を直接決定したのは、それこそ昭和20年8月10日の「終戦の御聖断」しか例がない。また、武家政権の時代は朝廷が政治を決定する立場になく、また平安時代以前も、摂関政治と院政、または豪族の政治が基本とされ、やはり天皇が直接国策を決定する立場になかった。

 権力者たる国民(関白・幕府・議会など)が国策を決定し、これを天皇が裁可・承認・追認などをすることで、国事が遂行されてきたことは、歴史を通して変わらない日本の意思決定の仕組みであり、この点に関して旧新憲法間でも差異はない。

 また、大日本帝国憲法下における確立された慣行によれば、政府と統帥部が決定した国策について、天皇はこれを却下する権能をもたなかった。これは、現在でも同様であろう。

 具体例を挙げてみよう。たとえぱ立法権は主権の重要な権能の一つである。もし日本が米国のような完全なる国民主権国家なら、主権者だけの力で法律を完成させられなければおかしい。たしかに米国は国民単独で法律を完成させることができる。

 ところが、日本の場合、国民は議会で法案を議決するところまでしかできない。そこから先は天皇の仕事になる。

 法律を公布するのは天皇の国事行為であることは日本国憲法第七条が示すところだ。法律をつくるのは国民だが、そこに息を吹き込むのは天皇、ということになる。したがって、日本は米国と違い、国民単独でも天皇単独でも法律一つ、完成させることができない。

 では、国民単独でも天皇単独でも主権を行使できないなら、わが国において、いったい誰が主権者なのだろう。答えは「君民一体」。つまり、天皇と国民が一体となった姿こそが、わが国の主権者の姿であると考えなくてはならない。天皇と国民が一体となったときに、初めて主権が発動するという意味である。そして、このことも旧新憲法間で違いはない。

 宮沢博士は、天皇主権と国民主権は両立しないと主張していたが、それを両立させてきたのが日本の歴史である。

 中国や欧州では「君」と「民」は対立概念だった。他方、日本では「君」と「民」、つまり天皇と国民が対立関係に入ったことは、これまで一度も例がない。また、そのような国は日本以外に存在しないのだ。よって、欧州の法学の概念で理解しようとしても、日本の統治を理解することはできないだろう。

 主権には権威と権力の側面があり、日本は米国と異なり、主権の権威の側面を天皇が、また主権の権力の側面を国民が担ってきた。また「君民共治」が日本の国体であることは繰り返し述べてきたところであり、「君民一体」と「君民共治」は日本の国体の表裏を成すものといえよう。

 このような理由により、帝国憲法から日本国憲法への変更に伴い、主権者の変更は実際に起きていないのであるから、国体が変更したと結論することはできない。したがって、仮に憲法改正に限界があったとしても、帝国憲法から日本国憲法への変更は、その限界の範囲内であったことになる。
<つづく>

2574復興G:2013/08/16(金) 15:34:00 ID:AB6RqYXc

順番を間違えました。

>>2572のつづきです。>>2573の前になります。

(5)「国体は破壊された」と騒ぎ立てる戦後の憲法学者

 ところが、戦後の憲法学者たちは「終戦によって国体は破壊された」と主張し続けて、現在に至る。憲法学界では、日本国憲法が有効である論理として「八月革命説」が支持され、現在では通説となっている。「八月革命説」は法学部の卒業生であれば、憲法か法学の授業で必ず耳にしたことがあるはずだ。いったいどのような論理であるか説明を試みる。

 第一に、憲法には改正の限界があると述べる。たとえば主権の所在など、国の根本原理を変更することはできないと主張される。

 第二に、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、天皇主権から国民主権に変更する内容を含んでいるから、憲法改正の限界を超えるものであって、法的に説明がつかないものであるという。

 そして第三に、日本国憲法の成立は法的に説明がつかないのであるから、法的な意味における革命が起きたと考えよう。

 これが「八月革命説」の考え方である。つまり、わが国がポツダム宣言を受諾した昭和20年8月、ある種の法的な革命が起きたとし、日本国憲法は革命憲法としてのみ有効たりうるというのだ。この説は宮沢俊義博士によって論理立てられたもので、現在では憲法学者のほとんどが支持する支配的な通説になっている。

 終戦時に実際の革命が起きていないことは誰でも知るところだが、ここで、日本国憲法が成立するまでの手続きの流れを確認しておきたい。

 内閣はGHQ草案に基づいて草案づくりに着手し、昭和21年4月17日に内閣草案を完成させた。次に、内閣草案は枢密院に送られて可決され、6月20日には「帝国憲法改正案」として勅書をもって第九〇回帝国議会に提出された。8月24日に衆議院は原案に若干の修正を加えて可決し、貴族院に送付。貴族院は10月6日、原案にさらに若干の修正を加えて可決。次に、衆議院が貴族院で加えられた修正に同意して帝国議会での審議が終了した。そして改正案は再び枢密院の審議に付され、帝国議会での修正に同意して、すべての審議が終了した。そのうえで、10月29日に昭和天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布され、昭和22年5月3日に施行されたのである。
 このように、日本国憲法は、憲法と法令の規定に従って、枢密院と帝国議会で議論が尽くされ、大日本帝国憲法を改正することで、日本国憲法が成立したことがわかる。

 ところで、保守の一部で支持されている憲法無効論も、この八月革命説と論理は同じである。憲法無効論の論理は八月革命説とほとんど一致していて、「第三」だけが異なり「だから無効と考えよう」としている。憲法無効説と八月革命説は、結論の一行が異なるだけで、その前提となる論理はまったく同じなのだ。いずれの説も、憲法が変更したことで、国体は破壊されたと結論するものである。

 では、はたして日本国憲法の成立で「君民共治」の国体は破壊されたのだろうか。否である。大日本帝国憲法から日本国憲法への変更によっても、「君民共治」の日本の国体は変更せず、いまに残されていると考える。天皇の法的地位は、憲法の変更によってもほとんど変化していないばかりか、本質的な部分については完全に新憲法に継承されているからだ。

 ここで「八月革命説」を順に検証してみよう。まず、第一の憲法の改正に限界があるか否かの問題については、百年以上のあいだ世界の憲法学界で論争が続いていて、いまだに解決の目処が立っていない。つまり、改正に限界があるという説自体が、世界の憲法学界では二つある有力説の一つにすぎないのだ。「八月革命説」は、このような未確定なことを大前提としているのであって、それだけで不安定な説であるといえる。もし憲法改正に限界がないとの立場に立てば、そもそも「八月革命説」など成立しえない。

 それでは、百歩譲って、仮に憲法の改正に限界があるとして、第二の論点に進むことにする。ここでは、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更が、憲法改正の限界を超えるか否かが論点となる。おそらくこの点こそが、国体が護持されたか否かの主戦場となろう。具体的には、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は、主権者の変更を伴うかどうかの議論に集約される。
<つづく>

2575復興G:2013/08/16(金) 15:45:21 ID:AB6RqYXc

<つづき>

(7)日本国憲法が無効なら世界中の憲法が無効に

 「八月革命説」では、帝国憲法から日本国憲法への移行は法的説明がつかないことを理由に「八月に法的意味の革命が起きた」と主張する。「法的意味の革命」とはいったい何か。

 簡単に説明するなら「法的意味の革命」とは、旧憲法と新憲法のあいだに法的連続性がないことを意味するだけのことである。「八月革命説」に立てば、帝国憲法と日本国憲法のあいだには法的連続性がなく、ゆえに「革命」が起きたと考える。

 つまり「八月革命説」はほんとうの意味の革命が起きたことを意味するものではない。憲法改正に限界があり、その限界を超えた改正が行なわれた場合、新憲法は法的に説明がつかないものとなるため、革命憲法であることにして、その憲法を有効と考えるのが「八月革命説」の主張である。

 これまで述べてきた理由により「八月革命説」は妥当ではない。大日本帝国憲法の改正規定に基づいて改正されたのが日本国憲法であり、大日本帝国憲法と日本国憲法は法的連続性がある。そして、この考え方は「八月革命説」に対して「改正憲法説」と呼ばれている。

 もし、「八月革命説」が妥当するなら、旧新憲法間に法的連続性がなく、日本国憲法成立によって国体は変更されたことになり、国家としての連続性も否定される。また昭和天皇が初代天皇であるということになってしまう。「改正憲法説」を採ることによってのみ、日本はポツダム宣言を受諾することによって、最終的には国体を護持することができたといえるのである。

 「国体の護持」こそが、ポツダム宣言受諾の目的だった。日本は敗戦により、誇りを踏みにじられ、歴史を否定され、ありとあらゆるものを失ったが、「国体の護持」だけは、日本人が最後に死守したものだったのではないか。国体が守られてこそ、いまの日本は日本たりえる。そして、このことは政府と統帥部の幹部だけの望みではない。特攻隊員たちや、硫黄島・沖縄をはじめとする最前線で命を絶っていった兵士たちの望みもまた、同じだったはずである。

 ここで「憲法無効説(押しつけ憲法論)」について付言しておきたい。「憲法無効説」はその論理が「八月革命説」と同じなので、同じ根拠で否定される。そのため、ここでは「無効」の部分について検討しておく。

 「憲法無効説」は、帝国憲法から日本国憲法への改正の手続きが違法であると説く。そして、違法であるがゆえに、日本国憲法は無効であるとする。もっともな論理にみえるが、次のような理由で完全に否定される。

 たしかに、違法な手続きで成立した法律は無効であることに異論はない。違法な手続きを経た契約が無効であることも同様である。しかし、それは法律や契約についていえることであって、憲法に関しては別である。憲法については、いかなる手続き上の瑕疵(かし)や違法性があったとしても、憲法自体を無効とする法理は存在しない。

 なぜなら、いま世界に存在している憲法のほとんどは違法な手続きに基づいて成立したものであって、そもそも憲法は戦争や革命や動乱のなかで、短期間のうちに書き上げられるものだからである。およそ、合法的に成立した憲法などほとんどないといってよい。安定した社会で平穏裏に合法的に成立した憲法といえば、明治二十二年に発布された大日本帝国憲法くらいではあるまいか。

 もし憲法成立の手続きに瑕疵や違法性があることを理由に、その憲法が無効であるとしたら、およそ世界中の憲法のほとんどは無効になってしまう。アメリカ合衆国憲法、中華人民共和国憲法、フランス共和国憲法然りである。

 したがって、仮に日本国憲法が、占領軍が違法な手段で押しつけた憲法であっても、たった七日間で書き上げられたものであっても、それが憲法無効の理由にはならない。

 憲法は存在している時点で、すでに憲法として有効なのである。
<つづく>

2576復興G:2013/08/16(金) 16:27:50 ID:AB6RqYXc

<つづき>

(8)九条の呪縛と日本の可能性

 そもそも、当時の政府と統帥部の首脳は、憲法の改正を望んでいなかった。にもかかわらず、連合国は占領中に、三つ目の原爆投下までちらつかせて、日本に憲法を変えさせたのであるから、日本人としてはけっして納得のできるものではない。

 しかも、前文や第九条をはじめ、問題のある条文が多く、日本国憲法こそが「戦後レジーム」の正体ともいえよう。連合国が日本占領の目的とした「精神的武装解除(精神的に骨抜きにすること)」は、憲法改正によってその基礎を固めたのである。憲法の改正なくして戦後レジームからの脱却はありえない。

 帝国憲法から日本国憲法へ切り替わったことによっても、天皇の法的な地位に本質的な変化はなく、天皇と国民が一体となった「君民一体」こそが、わが国の主権者の姿であることに何ら変化はない。にもかかわらず「国民主権」という言葉が独り歩きし、さも憲法の変更と同時に日本の国体が変わり、天皇と国民の関係が本質的に変化したかのような空気が蔓延しているのは確かである。

 その結果、学校教育の現場では「天皇は主権者の地位を国民に明け渡し、いまは象徴になった」などと、まったく見当違いなことを教えている。これも連合国による精神的呪縛の一つというべきであろう。

 日本人が日本をしっかりと理解することは、日本の将来にとって重要なことだと思う。憲法について国民的議論を積み上げ、日本の統治のかたちについて再認識をしなくてはいけない時期にきているのではないか。国体に関する議論を経ることで、日本人は確実に日本人としてのアイデンティティーを再確認し、日本人であることの誇りを取り戻すことができるのではないかと思う。

 これまで日本人は憲法を議論しようとしなかった。憲法改正を口にするだけで「軍国主義」などと罵られる状況だった。しかし、空気は完全に変わった。いまや、憲法改正を正論として語れる時代になったのだ。

 しかし、憲法改正の議論は、押しつけられた憲法を木っ端微塵に粉砕するような態度で臨むべきではない。屈辱的な「押しつけ憲法」であったとしても、そこには日本人が死守した条文があることを忘れてはい.けない。日本国憲法に一定の敬意を払いつつ、必要な箇所を粛々と改正していく態度こそ、あるべき伝統を重んじる日本人の姿勢ではなかろうか。

 日本人が自らの頭で考えて、自らの手によって憲法を改正していった先には、前途洋々たる未来が開けていると思うのだ。そのためには、日本国憲法第九条の改正が不可欠であろう。国防は国の基礎である。現代日本人を支配している自虐史観が取り払われ、日本が精神的・物質的に自立した国になったとき、日本はほんとうの輝きを取り戻すであろう。

 第九条の呪縛は物理的・精神的の両面にわたっている。九条によって日本は戦争を放棄し、戦力を保持せず、交戦権ももたない国になった。自衛隊は九条が保持を禁止する「戦力」には該当せず、軍隊ではないことになっている。しかも「専守防衛」を徹底することになっているため、近隣諸国から国際法に違反する挑発行動を受けても、絶対に自衛隊の側から攻撃をすることがない。とくに中国はそのことを熟知していると思われ、本来なら攻撃されてもおかしくないような挑発をわざと仕掛けてくる。
(後略)

     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上、長々と竹田恒泰氏の日本「国体と憲法」論を紹介してまいりました。

 テキストから外れて長くなって、ごめんなさい。

 上記竹田氏の憲法論は谷口雅春先生の憲法論(帝国憲法に復元改正よ)とも違いますが、日本の国体は戦前も戦後も 「君民共治」 で変わっていない。今も、主権は 「君民一体」 の姿にある、というのは、ユニークな観点の独創性ある国体論・憲法論だと思われ、共感するところあり、考えさせられました。皆様、どう思われるでしょうか。
<つづきます>

2577名無顔無し:2013/08/16(金) 18:44:48 ID:???
護憲派というのも一種の宗教なのではないかと思えてくる。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との前文の一節は周辺諸国の現実をみれば絵空事に過ぎないと分かるはずだが、護憲派の方々は9条も含め、この憲法の精神を守っていれば日本の安全が確保されると「信じて」いるのである。護憲派の論者は、自覚的であるかどうかは別として、国民に対して現行憲法への批判を許さない「信仰」をうながしているように思えてならない。

 この「宗教」の面白い(実は深刻な)ところは、戦争というものは日本人が起こすものだという“日本人性悪説”に基づいていることだ。9条でもって日本人の手足をしばっておけば、平和は保たれると信じられている。逆に9条を改正したりすれば、日本の軍隊は海外に出て行って戦争を起こしかねない、「戦争ができる国にするのか」と心配されている。一方で中国が尖閣諸島をどれほど脅かしても、北朝鮮が核・ミサイル開発を進めようとも、「信者」たちは見て見ぬふりをする。日本が善良なる周辺諸国を刺激さえしなければ、日本の平和は守られることになっているのであり、冷静に考えれば失笑を禁じえない。

2578a hope:2013/08/16(金) 20:24:05 ID:edEDolt2

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 <<第16回web誌友会予告>>

日時   8月16日(金)21:30から
      8月17日(土)23:00まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第1章〜第4章 p.91 まで

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま こんばんは。

もう少ししましたら、準備祈願の祈りをさせていただきます。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。


復興Gさま

大変興味深い竹田恒泰氏の『「国体の護持」を達成した日本国憲法』
をご謹写くださりありがとうございます。

ところで、とても初歩的な質問で恥ずかしいのですが、この文章のタイトルにもなっている「国体の護持」と、
「鎮護国家」との関係を教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いいたします。

2579a hope:2013/08/16(金) 20:54:13 ID:edEDolt2

第16回WEB誌友会開会の時刻 が近づいてまいりましたので、「準備祈願」としての祈りの言葉を掲載させていただきます。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

(準備祈願) 住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
  生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
  吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
  吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
  天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
  住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
  今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
  住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
  今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
  有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。

光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり

2580a hope:2013/08/16(金) 21:02:17 ID:edEDolt2
続きまして、聖経「続真理の吟唱」より、『愛の絶対価値を高揚する祈り』を謹写させていただきます。

『愛の絶対価値を高揚する祈り』

今ここにわれは生きているのである。
″生きている″とは何と神秘なることであろうか。
わたしが生きているということは、決して物質の機械がここに動いているということではないのである。
考える力が生きているということである。
愛する力が生きているということである。
知る力が生きていることである。
よろずのものと調和し、調和せざるものを排出し、矛盾を克服し、混乱を鎮定し、
更に一層大なる価値を生み出す不思議なる力が生きているということである。

私は今、この不思議なる偉大なる力を尊敬し礼拝するのである。
私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
この神秘力を私は″神″として讃えるのである。
それは物質の光がなくとも見ることが出来る力である。
それは電灯も、何の灯明(とうみょう)もない胃腸の中で、食物として摂取した色々の成分を、
分類し、選択し、必要なものを吸収し、不必要なものを外に送り出すところの、それは見ずして見る力であるのである。

私が今此処に生きているということは、この不思議なる神秘力が生きているということである。
物質の力は、物質的法則と、化学式に従って機械的に動いて行くに過ぎないが、
この神秘力は、物理化学の法則を利用しながら進んで行くが、自由意思を備えていて、
法則をのり越えて、新たなる独得の個性ある価値を創造する力である。
それは他の人とは異なる個性ある血液型をつくる力であり、個性ある指紋をつくる力であり、
個性ある指紋をつくる力であり、一点一画を描いても、その″点″にも″線″にも個性を示す不思議な力であるのである。

単なる物質は個性のない類型をつくるが、生命は単なる類型をつくることは決してないのである。
人間は絶対者の個性的表現であるから、よく似た顔をしているようだが、
悉(ことごと)く個性の異なる顔貌(がんぼう)を備えているのである。
一本の樹木の単純な葉ですらも、一枚一枚個性の異なる葉脈をその葉の上に描くのでる。
それは類型がないから、他に似たものによって代換えすることが出来ない。
その一つが減ずることは、かけ換えのない絶対価値が一つ減ることになるのである。

生命の神秘、不可思議なる価値は、そのかけ換えのない絶対なる創造力に存するのである。
その一つすらも減ずることは絶対価値が減ずることに成るのであるが、
絶対価値は、絶対であるが故に減ずることも滅(めっ)することもあり得ないのである。
減じたり、滅したりするものは、すべて相対価値のあるものばかりである。
貯金として貯えられたる貨幣の価値は、相対価値であるが故に、物価との相対的比較上減って行くのである。
しかし人間が誰かを″愛″したという″愛″は絶対的価値であるが故に、
その″愛″は永遠に滅することも減ずることもないのである。

日本の国民が国家を愛して国家を護るために戦った。
その″戦い″という行為は、相手があり相対的なものであるから、
立場立場の異なる人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、
その″戦い″という相対的行為の奥にあるところの日本国民が天皇を愛し大日本帝国を愛した
というその純忠なる″愛″の価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、
肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその″愛″の価値が滅することはないのである。
純粋な愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に、それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。

感謝 合掌。

2581トキ:2013/08/16(金) 21:20:45 ID:Zvz5EuUc
 復興G様、今回も誌友会でのご指導、よろしくお願い申し上げます。

 また、皆様のご参加もお待ち申し上げます。

合掌 ありがとうございます

2582復興G:2013/08/16(金) 21:27:46 ID:AB6RqYXc

a hope さま

素晴らしい祈り
『愛の絶対価値を高揚する祈り』 の言葉、ありがとうございます。

皆々さま

どうぞよろしくお願いいたします。

ユタカさま

PCの具合、どうでしょうか?

2583復興G:2013/08/16(金) 21:29:05 ID:AB6RqYXc

トキ様

お世話になります。

どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。

2584ユタカ:2013/08/16(金) 21:42:07 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

旧PCの前にいます、熱くて火を噴きそうですが、大丈夫です。

今から、復興Gさまを読ませていただきます。 a hopeさま、真理の吟唱の謹写をありがとうございます。

そして、すみませんが、明日は9時から17時まで奉仕作業で出かけてきます。

2585rei:2013/08/16(金) 21:56:30 ID:ZIftZ1jM
合掌 
ありがとうございます。

「学ぶ会」の全国大会でゲスト講師としていらしていた竹田恒泰氏の
講演をお聞きして、素晴らしいと思いました。
全国で講演していらっしゃるのを知って、
追っかけました。
憲法のお話は本当に新しい視点を与えてくれ、感心しました。
大日本帝国憲法の復元を主張する人達の心情はとてもよくわかるが、
と言われ、それでも、そのままを復元するのには無理があることを、
諄々と説明されて、私にもとてもよくわかりました。
30歳を少し出たぐらいのお若い方なのに、すごいなあと思いました。
「君民一体」「君民共治」の話の時には、ものすごく感動しました。
谷口雅春先生の本を読んでるのかなあと思ったほどでした。
国を愛する心の深い方だと思いました。

復興Gさま
紹介下さりありがとうございました。

2586復興G:2013/08/16(金) 21:59:55 ID:AB6RqYXc

>>2578 :a hopeさま

>>「国体の護持」と、
「鎮護国家」との関係を教えていただけないでしょうか?<<

よい質問を、ありがとうございます。

「国体の護持」 というのは、前に2.26事件について勉強した時に、戦前の 「国体明徴運動」 というのを学んだことがありましたが、このたびは特に「ポツダム宣言」受諾の時に問題視されたこととして、天皇中心・君民一体の日本の国柄、国のあり方を護ることを指していますね。

「鎮護国家」 というのは、鎌倉時代に蒙古の襲来などがあり、仏教と国家が結びついて 「鎮護国家」 の祈りがなされたこと、日蓮も 「立正安国論」 で 「鎮護国家」 を言っている、などが思い浮かびますが、
私たちにとっては、総本山が 「鎮護国家 龍宮住吉本宮」 となっていること。

しかし、今は、その 「鎮護国家」 が祭祀の重点から外されて、「世界平和」 のみになっていることが、それでよいのか、これが大きな課題であると思います。

 今年の総本山 龍宮住吉本宮秋季大祭に向けての 「世界平和実現のための特別誓願」 という 「誓願券」 用紙が送られてまいりました。

 誓願文に 「鎮護国家」 という言葉はなく、

 「私は神・自然・人間の大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」

 というのを、横書きで書くようになっています。

 私は、書く気が起きなくて――

 今年は出すことをやめようかと思っているところです。

 その理由は、真の、究極の世界平和は、 「鎮護国家」 によってはじめて達成できるものだと信じているからです。

2587トキ:2013/08/16(金) 22:11:53 ID:Zvz5EuUc
>>2586

 鎮護国家特別誓願は、昔は、『天皇国日本」も文言があったと記憶していますが、最近のものは『天皇国」
が消えていたみたいです。私の友人の友人は、それを憤り、下書きの文章を無視して「天皇国日本」という文言の
入った昔の文字を請願券に書いて、「これでよければ提出するが、駄目なら出さないよ」と教化部の職員に
見せて提出していたと聞きました。ちなみに、教化部の職員は受け取ったそうです。

 ただ、それは、その人が古い幹部だから通ったので、他の人が同じ事をして、通るかは不明です。

 大事なのは、信徒が『鎮護国家」の意味を正しく認識する事だと思います。

 今、本部の人でも勉強していない人が多いので、説明が出来ません。教区になるともっとです。

その意味で、今回の誌友会は大事だと感じています。

2588復興G:2013/08/16(金) 22:20:21 ID:AB6RqYXc

 今回のテキスト『生命の實相』第4巻p.53〜 には、次のようにありました。

≪日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

 日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。

 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

 この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。≫

 谷口雅宣総裁は、「多様性の中に神を見る祈り」 の中に次のように示されています。

≪ 生物は単細胞生物から発して多細胞生物へと進化し、菌類や植物や動物が出現して、さらに多様化、複雑化が進んでいるのである。しかも、それらがすべて生物圏全体の調和と安定に支えられながら、自らも生物界の調和と安定を目指し、また自ら調和と安定を担っている。これらはすべて、神の無限性が有限を通して現象界に展開する姿である。

 人類も単一の種でありながら、多様な種族、民族、国家へと分化、発展しつつあるのである。人間はみな神の子であるから、現象世界に現れれば複数の個性となり、多様な民族となり、互いの調和を求めて努力するのである。唯一絶対にして無限の神があるから、現象界には必ず複雑化、多様化、調和への動きが現れるのである。このことを深く知れば、「神の子」としての人間の生き方も、おのずから神の自己表現の展開に倣うことになる。≫

 ―――世界の国々も「多様性」を発揮して調和への動きが現れる。ならば、日本は日本の個性を発揮することによって、「神の無限性が有限を通して現象界に展開する」ことになるので、「鎮護国家」を外すことは国の多様性を否定することになるのではないか。雅宣先生の祈りからしても、「鎮護国家」はそのまま大切にすべきだと私は思うのですが・・・・

2589復興G:2013/08/16(金) 22:32:00 ID:AB6RqYXc

reiさま、ユタカさま、トキ様

ご投稿ありがとうございます。

「天皇国日本」 ――これは、天皇が主権者で国民を支配する国という意味でないことは明らかですよね。

日本は、「君民一体」の国。一度も「天皇が国民を支配する」、「うしはく」 ということはなかった。

天皇は「しろしめす」(「知り給う」の尊敬語)、民の声を「きこしめす」ので、皇室の御紋章は「きく(菊)」になっていると言われます。

それは、観世音菩薩が世の人々の心のひびき(世音)を観じ給う(聴き給う)お姿であります。

2590a hope:2013/08/16(金) 22:36:34 ID:edEDolt2
>>2586 復興Gさま 

<<「鎮護国家」 というのは、鎌倉時代に蒙古の襲来などがあり、仏教と国家が結びついて 「鎮護国家」 の祈りがなされたこと、日蓮も 「立正安国論」 で 「鎮護国家」 を言っている、などが思い浮かびますが、
私たちにとっては、総本山が 「鎮護国家 龍宮住吉本宮」 となっていること。>>


また、トキさまが >>2587

<<鎮護国家特別誓願は、昔は、『天皇国日本」も文言があったと記憶していますが、最近のものは『天皇国」
が消えていたみたいです。>>


とおっしゃっていますが、それでは生長の家の「鎮護国家」とは、本来は、「天皇国日本の国体」つまり言い換えれば、<<天皇中心・君民一体の日本の国柄、国のあり方を護ること>>をお祈りすることだったのでしょうか?

あちこちの生長の家の掲示板で「鎮護国家」外しが話題に上がっていますが、正直に白状しますと、
わたしはよく意味が分からないのです。
まあ、言葉の意味だけなら理解できますが、生長の家が誓願文に 「鎮護国家」と書くことがいったい何を意味しているのかが分からなかったのです。
だって、自分の住んでいる国の平和を願うのは当たり前ですからね。

すみませんが、もう少し、詳しく教えていただけないでしょうか?

2591ユタカ:2013/08/16(金) 22:49:39 ID:R1D4Jmeg
竹田さんの主権は「君民共治」の発想は生長の家でおしえて頂いたものとよく似ていて

なるほど!と思えました。竹田さんの独自の光明思想を読ませて頂いて、目からウロコが落ちた気がしました
。 

今日本の学校長の机上には赤旗新聞が乗っていますし、大東亜戦争で負けたから、今だにアメリカはじめ、シナ、朝鮮からいじめられ続けている日本が現状です、若者は正規雇用からあぶれている人が多いし、昨日か一昨日のテレビで、日本に不利な条件を日本国民をごまかすように政治家にしむけて日本を自分たちのやりたい放題にしてあ、思い出した、第5福竜丸だった。乗組員には何の保障もしないよう仕向けた、自分たちを正当化して。
戦争に負けるということはこういうことかと、くやしい思いです。 主権が天皇にあろうが、なかろうが、外国からの不当な圧力を排除するにはそれはあまり関係ないのかも? とにかくうるさい内政干渉を排除したいというのが、本音。

安倍総理が靖国にいくなら中国側から会談は中止するとか、人の足元をすくうようなことばかり・・・
日本も国土がせまいから???? いいなり以外に道はないのだろうか???・

生命の實相は第4章の「愛の神による運命の修正」 の所が興味を引きました。

顕在意識では悪事を行ってもそれほど反省しないけど、潜在意識がそれを許さなく自己を破壊の方へ導く力があるなどの説明やそれを超越する方法などを更に詳しくもっともっと知りたいと興味深く読ませていただきました。

2592ユタカ:2013/08/16(金) 22:52:34 ID:R1D4Jmeg
すみません、投稿が遅くて、皆さんと話題がずれています。。。

2593復興G:2013/08/16(金) 22:55:13 ID:AB6RqYXc

 日本の使命について、谷口雅春先生は 『光明道中記』 に、次のようにお示し下さっています。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 一月二十三日 寒菊競(きそ)い開く日

  十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示―神示講義〈秘の巻〉』「久遠天上理想国実現の神示」)

 全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

 全世界は天皇に於て一宇(ひとつのいえ)である。万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用に過ぎない。天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、真理の中には病気不幸は存在しないが故に、病気不幸が消えるのは当然のことである。病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。省みて真理に載(の)るものは幸である。

     ○

 一月二十五日 光明充満する日

 「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と実に朗々とした声で祝詞が響いて来る。朝の空気を動かし、霧を動かし、「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が天地を動かす、実に荘厳だ。それを古代日本人は知っていた。常に古代日本人は「大宇宙に神遍在す」と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

 神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。吾々はそれを生長の家と名附けた。「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

 私の家が生長の家ではない。大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

2594ユタカ:2013/08/16(金) 23:02:47 ID:R1D4Jmeg
外国にこれだけコケにされていて、何が「世界平和だ!」 と思いました。

そのような事を言える立場にあるの・?日本は・・・?

シナ、朝鮮、アメリカから虐待を受けているとしか思えない・・・

2595復興G:2013/08/16(金) 23:13:41 ID:AB6RqYXc

>>2590 :a hopeさま。

>>生長の家が誓願文に 「鎮護国家」と書くことがいったい何を意味しているのかが分からなかったのです。だって、自分の住んでいる国の平和を願うのは当たり前ですからね。
すみませんが、もう少し、詳しく教えていただけないでしょうか? <<

――>>2593に謹写しましたように、
「全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。」

 その日本の使命を果たすことによって初めて、「全世界動乱の因を断つ」ことができる。

 それが、イエス・キリストの祈り「みこころの天に成るがごとく地にも成らせ給え」の実現であり、釈迦が金波羅華の華を拈って示した中心帰一の浄土を実現することになる。

 そういう使命を持った国が日本であるから、その日本を護ることが、「究極の世界平和」実現、神意実現への道である。それが、「鎮護国家」の意義であると、私は信じています。

2596復興G:2013/08/16(金) 23:20:40 ID:AB6RqYXc

>>2594 :ユタカさま

そうですね。今の日本の置かれている状態は……残念ながら……。

ユタカさんは、全心火の玉のような愛国者なのですね。

ありがとうございます。

2597復興G:2013/08/16(金) 23:28:57 ID:AB6RqYXc

しかし、ユタカさま、日本は使命のある国であり、護国の英霊も護って下さっていますから、

たとえ今暗雲が漂っているようでも、必ずその使命は実現できるようになっていると、私は信じていますよ。

2598ユタカ:2013/08/16(金) 23:44:18 ID:R1D4Jmeg
>>
しかし、ユタカさま、日本は使命のある国であり、護国の英霊も護って下さっていますから、

たとえ今暗雲が漂っているようでも、必ずその使命は実現できるようになっていると、私は信じていますよ。


復興G様、そうでした!!! 
そのために出龍宮住吉本宮が建設されたのでしたか?(確認)

2599復興G:2013/08/16(金) 23:47:14 ID:AB6RqYXc

ユタカさま

そうなのですね。

だから、「鎮護国家」 を祭祀の重点から外すということは間違いだと思いますね。

2600復興G:2013/08/16(金) 23:53:51 ID:AB6RqYXc

では、もう12時近くになりました。私は眠くなったので、今日はおやすみし、

世界平和の祈りをして、また明日お目にかかりたいと思います。

みなさま、おやすみなさい。

2601ユタカ:2013/08/17(土) 00:05:26 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま

おやすみなさい。。ありがとうございました・・・明日はユタカは夜見に来ます。

2602a hope:2013/08/17(土) 00:17:25 ID:edEDolt2

>>2593 >>2595復興Gさま


<<全世界を宇(いえ)と為す神武天皇のの理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。>>
という、「八紘為宇」については、何度か、過去のweb誌友会でお勉強させていただいてきました。
それは、大和精神にもつながりますね。

その神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理念を現象世界に実現するようにお祈りすることが、生長の家の鎮護国家の誓願の意義ということになるのですね。

それを、雅宣先生が外してしまわれて、

<<「私は神・自然・人間の大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」>>

とされたというわけですか・・・。

やっと理解しました。ありがとうございます。


わたしは、この新しい誓願文に、本来あるべき「鎮護国家」がないこともおかしいと思いますが、
「神・自然・人間の大調和」という所にすごい違和感を覚えます。

わたしは実相の「自然」というのは神や人間含めた天地一切のものを意味すると思うのですが、
わざわざ、神・自然・人間と分けられて表現されているのは、雅宣先生が、現象の「自然物」や「人間」をイメージされてこの誓願文をつくらたと感じてしまうからです。

「わたしは天地一切のものとの大調和による宇宙浄化・世界平和を誓願致します」とされた方がずっと生長の家らしいのにと思います。


復興Gさまも、ユタカさまもおやすみになったようなので、わたしも今夜はもうやすみたいと思います。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

2603復興G:2013/08/17(土) 00:53:13 ID:AB6RqYXc

>>2602 :a hopeさま。

寝ようかと思いましたが、また起きてしまいました。

>>わたしは、この新しい誓願文に、本来あるべき「鎮護国家」がないこともおかしいと思いますが、「神・自然・人間の大調和」という所にすごい違和感を覚えます。
わたしは実相の「自然」というのは神や人間を含めた天地一切のものを意味すると思うのですが、わざわざ、神・自然・人間と分けられて表現されているのは、雅宣先生が、現象の「自然物」や「人間」をイメージされてこの誓願文をつくらたと感じてしまうからです。<<

私も、その通りだと思います。すべては 「一つ」 であり、完全に大調和しているのが実相だと思います。

2604ユタカ:2013/08/17(土) 05:31:53 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

神・自然・人間の大調和なんたら・・・ というのは、一般信徒(ユタカの所属の総連)に本当に意味がよくわからない?????違和感があって
まなさん勝手に神・自然という字の上に 筆ペンで日本国実相顕現・鎮護国家 と自分の書きたいように書いて下書きの通りに書いている人は少ないです。

教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。

それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。

2605ユタカ:2013/08/17(土) 05:33:17 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

神・自然・人間の大調和なんたら・・・ というのは、一般信徒(ユタカの所属の総連)に本当に意味がよくわからない?????違和感があって
まなさん勝手に神・自然という字の上に 筆ペンで日本国実相顕現・鎮護国家 と自分の書きたいように書いて下書きの通りに書いている人は少ないです。

教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。

それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。

2606ユタカ:2013/08/17(土) 05:34:35 ID:R1D4Jmeg
今朝は8を使ったのですみません

2607復興G:2013/08/17(土) 08:51:39 ID:AB6RqYXc

ユタカさん、えらい!

私は、「横書き」 ということにも、とても抵抗を感じます。

「日本語の文字と文は、 『天』 と 『地』 を持つ世界を写しとる一つの表現として、

天(上)から地(下)に向かって垂直に書かれる。」

それが日本語の文化だ、と書家の石川九楊氏は 『縦に書け!』 という本に書かれています。

天地を貫く大生命と一体になって祈りの言葉を書くには、縦書きがふさわしい。

石川九楊氏は、「横書きが日本人を壊している」 と言っています。

横書き文化を持つ西洋人のためには横書き用紙をつくってもよいが、日本人のためには

ぜひ 「縦書き」 用紙を用意して頂かなくては、私は書く気になれません。

2608復興G:2013/08/17(土) 09:26:22 ID:AB6RqYXc

私は、誓願券の横罫を無視して、縦書きで 次のように書きましょう。

私は宇宙浄化

君民一体の

天皇国日本

実相顕現

八紘一宇の

世界平和を

誓願致します

2609トキ:2013/08/17(土) 09:38:01 ID:vniWpnlU
 おはようございます。

 私の個人的な意見ですが、世界平和も大事なので、現在の教団がそれを祭こと自体には反対はしません。
ただ、『森のオフィス」にそういう施設なり神社を作り、そこで、毎日、拝めばよいかと思います。総本山
の祭祀の対象を変えるのは間違いだと思います。

 しかし、教団としての決定は既に出てしまいました。すると、信徒の一人一人が、どう祈ればよいか?
それはとても大事な課題かと思います。

 本日の誌友会で、その指針が得られるよう、学びたいと思います。

2610a hope:2013/08/17(土) 09:46:51 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

>>2603 復興Gさま

わたしの意見にご賛同くださりありがとうございます。

まことの「生長の家」の教えは「現象なし」です。
だから、方便として現象の出来事を説明することがあっても、
つねに「唯神実相」の立場(見解)から、本来ない現象人間の心の影として説明されていますよね。

一方、「雅宣先生の教え」は>>2588で復興Gさまがご紹介された『多様性の中に神を見る祈り』を拝読しても感じますが、
すべて「現象あり」の立場(見解)から、実相世界(神の存在)を説明されてしまっていると思うのです。

そんなところが、雅宣先生の教えが魂に響かない理由だとわたしは感じています。



>>2604 >>2605 ユタカさま

ユタカさまが windows8と格闘されている様子が目に浮かぶようです。
わたしが想像するユタカさまは、若い愛国男子ですが・・・(笑)

<<教化部から文句がきたら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう。
それが教団の間違いを是正していく道だし、教団内にいる我々の使命の一つのような気もします・。>>

すごい気合ですね!!
全国の教団内にいる信徒のみなさんが、ご自分の心(まことの信仰心)に正直に行動なされば教団は善い方に向かうかもしれませんね。

ユタカさまや復興Gさまやトキさまのような方が教団に残られているのはとても心強いです。

今日は、わたしも午後から仕事に行きます。
午前中も色々忙しいので、なかなか書き込みできませんが、また夜、戻ります。

2611復興G:2013/08/17(土) 09:55:47 ID:AB6RqYXc

トキ様、a hope さま

ありがとうございます。



 谷口雅宣総裁は、昨年11月22日、総本山における「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」の挨拶で、次のように述べられたと、「唐松模様」に書かれています。

>> 「君民一体地上天国成就(燈)」 については、第1番目の名前と一見似ているようでありますが、「君民一体」 という言葉を重視すれば、それは必ずしも 「天皇と国民」 だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に 「支配者と国民」 の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に 「意思の齟齬がない」 こと、さらには 「感情的な対立もない」 ということが 「一体」 の意味ですから、それが“神意”であるということです。<<

 と。

 しかし、「支配者と国民」 ではなく 「君民一体」 が名実共に 「国体」 として2000年以上も続いてきた国が、日本のほかにあるのでしょうか?

 竹田恒泰氏の論文のように、単なる精神論だけでなく、法学的に言っても、「主権在民」 でもなければ 「主権在君主」 でもなく 「君民一体」 のすがたにあり続けてきたのが、日本であります。

 そのことが、はからずも、奇しくも、1945年日本がポツダム宣言受諾・降伏というときに劇的なドラマとして展開し、「終戦のエンペラー」 というハリウッド映画になって多くの観客を集め、米日をはじめ全世界の人々の潜在意識にまで深く感銘を与えている。

 そうして、「君民一体・八紘一宇」 の日本のこころ、大和魂こそが世界平和をもたらすという真実が次第に世界に浸透し、「神の国」 の地上顕現へと神様のドラマが展開して行きつつあるのではないでしょうか。

2612トキ:2013/08/17(土) 11:40:23 ID:vniWpnlU
 私の個人的な感想ですが、谷口雅宣先生は、生長の家からいわゆる『右翼」的なイメージを払拭し、誰でもが信仰できる教団へ変えたい、という
願望があるような気がします。ある部分では共鳴できる部分もあったのですが、鎮護国家の意義を変えたり、聖経から『新経本」へと変えるに至って
は、おかしいと感じています。これは、失礼ですが、総裁御自身が、鎮護国家の意義を誤解されておられるのではないかと危惧しています。

 確かに、いわゆる右翼や新右翼と言われる人達の主張には、私も賛成できない部分がありますが、誤解は誤解で解けばよいのであり、正しい鎮護
国家のあり方を信徒が理解したら、それで何も弊害がないと思っています。

2613あさひ:2013/08/17(土) 16:23:02 ID:/3nxKE2Q
復興G様

テキストの
距離を超越して愛するとは、まず手の届くところにある近き者を 「本当」 に愛するということになるのであります。
真理に随(したが)うとは、最も自然な生活のできる人が、最も真理に近い歪(ゆが)みのない生活をしているわけであります

という所が心に残りました。       合掌

2614ユタカ:2013/08/17(土) 16:45:18 ID:R1D4Jmeg
ユタカ奉仕作業から帰宅ました。

復興Gさま 

請願券の記載例をありがとうございます! 私も縦書きで似たように書かせていただきますね。

同じにしますとご迷惑がかかるといけませんので。。。

>2611 の雅宣総裁のお陰で復興Gさまにいろいろな事を何度も繰り返し、潜在意識にたたみこめるまで教えていただけるので、

本当に雅宣総裁先生には、心より感謝します。 聖経も雅宣総裁のお陰で、何より大事なお経だと、心に沁みるほど分かりました。

私は、雅宣先生に感謝しています。

2615神の子さん:2013/08/17(土) 18:01:37 ID:R1D4Jmeg
ユタカの心が動いた復興Gさまのご文章を再度張ります。 ユタカの運命を変えた大事な言葉です。

>>復興Gさま

組織と信仰」――実は、私も「組織」というのが苦手で、今までやってきました。果たして「組織」と「信仰」は両立するのか? という疑問を感じながらやってきました。

しかし、「信仰」は個人のものでありながら同時に個人のものではない。
内面的には個人のものであるけれども、実際生活に於いては、『生命の實相』第3巻の巻頭にありましたように、

≪一人の生命が全体の生命のために生命を投げ出したとき、その生命は、全体の生命と一つになる。ひとりの生命がはなれ離れに動き出そうとするときには、いろいろの衝突や摩擦が起こるが、全体の生命とひとつになって、宇宙といっしょに動き出すならどこにもわれわれの活動に無理はおこらない。

 われわれが各個人(ひとりひとり)離ればなれに動き出すのは、たとえば、時計の針が針の力ばかりで動き出そうとするにもひとしい。そこには無理があり摩擦があり、ひょっとすればその時計の針が折れるかもしれないのである。

 しかし時計が全体の力で動いているときは実に小さなバネの力で長時間なめらかにそれは運転をつづけるのである。全体といっしょに動く生活、全体の力で生きる生活、自分だけの力で生きない生活、「我」で生きない生活、捨てたときおのずから生きてくる生活、これならいつまでたっても行きつまる気づかいはない。これが「生長の家」の生活である。≫

――そういう意味では、信仰生活は個人のものではない。全体の生命とひとつになって、全体とともに生きる生活でなければならない。

「個即全」というのが神の国のすがたであり、それを現実の国のすがた――国体として顕してきたのが日本ではなかったのか。

今、「組織と信仰」と言えば、教団に属している人は教団の組織運動と生活、ということを思い浮かべるでしょう。
しかし、その教団が本来の「一」なる神から離れておかしくなっているのではないかというので、“こちらこそ本流”と名乗る別派が幾つも生まれているのが現状です。

ですから、「組織と信仰」と言っても、人によって感じ方は様々であると思います。

「組織運動と信仰生活」と言えば、ややテーマが具体的に受けとりやすくなるかな――とも思いますが。

神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。

では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。

――そういう意味を含んだ「組織運動と信仰生活」というのをテーマにしたらいかがでしょうか。とても、とても大きな課題になると思いますが――。

2616神の子さん:2013/08/17(土) 18:11:22 ID:R1D4Jmeg
>>神の国、実相の国においては、すべては「一」であって、分裂はない。その神の国のすがたを地上にあらわすのが生長の家、「万教帰一」の人類光明化運動であると思います。

その生長の家が、分裂抗争しているのでは、話にならない。

では、信仰者として、われわれは今、何を為すべきか。


@ ユタカのあくまでも個人の意見は、自分自身は教団に戻り、雅宣総裁の實相に感謝すること。そこから始めて、鎮護国家請願券問題では正面から教化部と向き合う運動をする。ということです。

なぜか、突然これを発表したくなりました。。。


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