したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

498初心者:2011/09/23(金) 10:23:47 ID:4IaAZAME
復興G様、昨日はたいへん失礼な言い方をしてしまいました。
「実相独在」にたいする嫌悪感。これにまたしても言及してしまいました。
シニフィアンの暴走にたいする嫌悪感。これを20年以上も持ちつづけております。
「実相独在」は暴走しています。嫌悪感はやみそうもありません。

構造について書きます。これはそうとうにやっかいな問題ですが、理解もまたやっかい
であるやもしれません。

実相。これは、ラカン的には「対象a」と定義されます。欲望を生み出すもの。それが「対象a」
であると理解してください。

「実相」という言葉からさまざまな欲望が喚起されます。実相をおがむ。これも欲望です。
おがむことで、なんらかの欲望を実現しようとしています。

「対象a」は自我とむすびつきます。自我は「発話の主体」ともいわれます。言葉のネットワーク
上に存在する「言表の主体」とは区別されます。言葉のネットワークによってつくり出される
世界を、ラカンは「象徴界」と呼んでいます。

「対象a」と自我は強くむすびついています。このむすびつきによってつくり出される世界が
「想像界」です。「想像界」は個人神話でもあり幻想でもあります。それだけに、より強く自我に
作用します。

「言表の主体」をたんに主体と呼ぶことにいたします。主体は「象徴界」に存在します。
「象徴界」における他者を「対象A」と呼ぶことにいたします。「対象A」は「象徴界」に君臨し、
主体を支配します。

わたくしがここで説いているのは、主体と「対象A」との関係です。説こうとしているのは、
つねに、主体と「対象A」との関係であると理解しております。

主体と「対象A」とのむすびつきは、より強固にむすびつけられている、自我と「対象a」との
関係によって断ち切られます。わたくしの言葉は、生長の家のみなさまという自我と、実相
という「対象a」との強固なむすびつきによって、つねに断ち切られる運命にあります。

わたくしの言葉は、自我と「対象a」との強固なむすびつきによって、つねに疎外されます。
わたくしは「象徴界」について語っておりますが、みなさまは「想像界」について語られる
ばかりであるような気がいたします。

「想像界」を語るものは、「象徴界」を否認します。
「象徴界」を語るものは、「想像界」を嫌悪します。
シニフィアンの暴走。それはおそらく「想像界」でおきるものであります。
シニフィアンの暴走である「実相独在」を、わたくしは嫌悪するよりほかに、なにもしようが
ありません。

499復興G:2011/09/23(金) 11:42:57 ID:yhDBe2kY

>>498 :初心者様。

>実相。これは、ラカン的には「対象a」と定義されます。欲望を生み出すもの。それが「対象a」であると理解してください。
「実相」という言葉からさまざまな欲望が喚起されます。実相をおがむ。これも欲望です。おがむことで、なんらかの欲望を実現しようとしています。<

「欲望」には、

(1)英語で“want”、「欠けている」という意味から「欲する」という意が生まれた、と言われている「渇望」、“desire”とういうようなもの。

(2)内からわき起こる“urge”(駆り立てるもの、表現欲)というようなもの。使命感ともいうべきもの

の2面がある(2種類というようにはっきり区別できるものではないでしょうが)と思います。

「実相」から欲望が喚起されるとすれば、それは後者の(2)の方でしょう。

あなたが「シニフィアンの暴走」を食い止めなければならないと感じてこられた、というのも「内からわき起こる使命感」で、それは「実相」に根ざしたものであると私は思います。

実相は神であり、すべての全てであって、「神の外にあるもの無し」「実相の外にあるもの無し」というのが本当の実相であります。「対象a」というような、「想像界」の個人神話であり幻想でもあるようなものは、まことに幻想であって、それは「実相」ではありません。

「実相」を嫌悪する、といわれるのは似て非なる実相、幻想の実相であって、真の実相ではないと、私は思います。

真の実相にはすべてがあり、すべて充足してるので、上記(1)の欲望はいらないのです。「神は愛なり、ただ与う」だけでよろしいのであります。そこには「自己犠牲」もなく、ただ喜びのみがあるという世界、それが実相であって、私はそういう「実相独在」に命をかけて行こうと思っております。

あなたが『「実相独在」は暴走しています』とおっしゃっているのは、幻想の、似て非なる実相という言葉が暴走している、ということなのでしょう。

今日はこれから、菩提寺での彼岸会先祖供養のつどいに出かけます。

500初心者:2011/09/23(金) 13:27:49 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

わたくしは、実相を嫌悪しているのではありません。想像界において、実相をもてあそんでいる
人々を嫌悪しているのです。

想像界は、想像的世界です。なんでも思いどおりになる世界です。真理の言葉を自在に
あやつり、真理を望むように解釈できる世界でもあります。

わたくしは、実相イコール「対象a」といっているのではありません。想像界においては、実相は
「対象a」として機能しているということを申し上げているのです。

真理に接近しようと思えば、ラカンのいう「現実界」に接近する必要があるはずです。「現実界」
こそが、究極のシニフィエであると考えることもできます。わたくしの見るところ、生長の家の
人々で、「現実界」に言及している方はおられません。

復興G様は、真理の言葉を自在にあやつっておられますが、ほかの言葉、たとえば哲学や
自然科学、社会学や言語学の言葉は自在にあやつることができないにもかかわらず、なぜ
真理の言葉だけは自在にあやつれるのか、その理由をお考えになられたことがあります
でしょうか。

わたくしは、それが想像界における言葉であるからこそ、自在にあやつれるのだと思います。
想像界を出て、象徴界を突破し、「現実界」に接近したとしても、おなじように、言葉を自在に
あやつる自信がおありでしょうか。

わたくしには、とてもその自信がありません。わたくしが語る言葉は、そのほんどが象徴界
における、可能なかぎりピン止めされた言葉であります。ピン止めされた言葉は、シニフィアン
の法によって制約されます。復興G様のように、自在にあやつることは不可能であります。

もちろん、わたくしとて、かつてのように、想像界にたちもどれば、復興G様のように自在に
真理の言葉をあやつることができるようになるでありましょう。しかし、もどる気はありません。
わたくしは、「現実界」に向かわねばならないのです。

501復興G:2011/09/23(金) 21:18:39 ID:yhDBe2kY

>>500 :初心者様。

>真理に接近しようと思えば、ラカンのいう「現実界」に接近する必要があるはずです。「現実界」こそが、究極のシニフィエであると考えることもできます。わたくしの見るところ、生長の家の人々で、「現実界」に言及している方はおられません。<

 ラカンのいう「現実界」というのは、
 「空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実を言う」
 そして
 「現実とはけっして言語で語り得ないものであるが、同時に人間は現実を言語によって語るしかないもの」(Wikipedia)
 だそうで、これは一般常識や生長の家で言っている「現実界」とはとはかなり違うもののようですね。むしろ、生長の家でいう「実相」に、「けっして言語で語り得ない」という点では似たもののようにすら感じられます。

 ジャック・ラカンに関しては、ネット検索(Wikipediaその他のサイトなど)で、現実界・象徴界・想像界といった用語についても一応勉強してみましたが、
 「実際のラカン理論の有効性証明は現在においても不明なままである。また理論自体、日本ではしっかりと研究されているわけではない。」

 ──だそうで、「大雑把に本質をずばり言い当て」れば、そのような理論は100年後には泡のごとく消え去っているものではないかと思われます。

 今日はわが家の菩提寺で秋の彼岸会のつどいが行われたのに参加し、「観音経」(法華経の観世音普門品)や「般若心経」などを一斉読誦してきました。釈迦の教えは説かれてから2千数百年後の今日でも生き続け、人々に安心と救いをもたらしています。次々に現れてはあぶくのように消えて行く理論を追いかけるより、そういう永遠生命をもった宗教の真髄を究めることの方が、よほど意義があると私は思っています。

 論議が噛み合わなくて申し訳ありませんが、それが私の答えです。

502初心者:2011/09/24(土) 08:17:49 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

ラカン理論の有効性というのは、精神分析の分野においてということだろうと思います。
フランスなどでは、臨床の現場でも応用されているようですが、日本では活用されていない、
というだけで、真理探究や哲学としてのラカン理論は、ヨーロッパではとくに権威をもって
語られているように思います。

精神分析じたいが、脳科学の進歩や薬物療法、認知心理学の勃興などによって、すでに
臨床の現場からは姿を消しつつあるようです。このような状況で、ラカン理論の精神分析的
な有効性は重要視されていないのは当然でありますから、そのことをもって「いずれ消え去る」と判断なさるのは早計かと存じます。

ラカン理論は、ソシュールの言語学がベースになっています。これは、生長の家にとって脅威
であると考えます。生長の家は、いまだソシュールに言及さえしていません。そのソシュールの
理論を発展させたラカン理論は、生長の家の教義をおびやかすのに、十分な威力を持つものと
考えます。

「いずれ消え去る」という言説じたいが想像的であります。世界的には、どうなのでしょう。
哲学や真理探究の分野で、雅春先生の教えと、ラカン理論と、どちらが広く流布しているので
ありましょう。どちらが、一般に認知されているのでありましょう。

わたくしは、個人的には、ラカン理論の有効性をきわめて高く評価しております。「現実界」
とは、わたくしのいう、Dブレーンをベースにしたホログラムであるはずです。生長の家の
教義では、このあたりのことどもについては、きわめて単純な説明しかできないような
気がいたします。

ラカンは、「無意識は言語のように構造化されている」と発言して、世界的に名をはせた
人物であります。ここでいう言語とは、寄る辺なき他者が寄る辺なき他者に向かって語る
言葉と定義されております。欲望の他者性。これが、ラカン理論におていは、きわめて重要な
概念であるかと考えます。

503初心者:2011/09/24(土) 08:49:50 ID:4IaAZAME
復興G様

わたくしにはひとつの疑問があります。生長の家の人々は、不可知な存在であるはずの
神についての質問には、それがどのような問いかけであったとしても、流暢に答える
ことができますね。なぜそのように答えることができるのか、それが不思議に感じられる
のであります。

宇宙の果てはどのようになっているのか。宇宙の大きさは有限であるはずなのに、なぜ
外に出ることはできないのか。時間と空間はなぜ連続しているのか。光速度不変の法則
の意味とはなんであるのか。情報は、なぜ光の速さを超えて運ばれることがないのか。
空間に詰め込める情報の量にはかぎりがあり、その限界は、空間の体積ではなく、表面積に
よってきまるとすれば、それはなぜなのか。物質とは、そもそも何であるのか。無限次元とは
何を意味するのか。3次元空間にあらわれてない余剰次元はどこにあるのか。重力とは何な
のか。電気の正体とは何であるのか。

生長の家の方々は、こういった質問にはほとんど答えることができないにもかかわらず、
神にかんしての質問にだけは、なぜか流暢に答えることができます。これはどうしてなので
しょう。神という不可知であるはずの存在については明確に語ることができるにもかかわ
らず、ほかのことにかんしては、ほとんど何も語ることができないのは、なぜなのでありましょうか。

神は不可知の存在であります。神について何を語ろうとも、その真偽があきらかにされる
ことはありません。何を語ろうとも、それが正しいとも間違いであるとも決めつけることは
できません。生長の家の方々は、原理的に真偽があきらかにできないことどもについては、
何もかも、よくご存じであります。これが不思議なことに思えるのであります。

504初心者:2011/09/24(土) 10:34:23 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

ラカンについていえば、その中心課題のひとつは、「人間は何によって思考させられている
のか」との問いかけであろうかと思います。それはまた、「何によって信じ込まされている
のか」の問いかけでもあるはずです。

問われているのは、「信の構造」です。「信」を無批判に受け入れ、そこからスターするのが
生長の家です。ラカンは、それよりもさらに深い問いかけをいたします。信の構造を問います。
もちろん、この問いかけじたいがラカンの目的ではないはずです。人間と「対象A」との関係。
これは、ラカンによって、想像を絶する複雑で語られることになります。この複雑さに、生長の家
はついていくことができないはずであります。

100年後に消え去る?何が消え去るのでしょうか。人間は言語によって支配された操り人形
である。こうした思想が、ラカンの根底にはあります。これはいうまでもなく、現代思想の中心
テーマでもあります。ただ、ラカンの場合は、単純ではありません。

人間は言語によって支配された操り人形である、という現代思想の主張に、生長の家は
どのように答えるのでありましょうか。これは、すでに提出された問題です。今この瞬間に
問われている問題なのです。この問題を、100年後に消え去るかどうかという問題に
すり替えることはできません。解決するか、無視するか。ふたつにひとつであります。
生長の家は、これまで徹底的に無視してきました。

人間と言語の関係。これを実相の観点から答えれば、どのように説明されるのでありましょう
か。実相だけにたより、なんでもかんでも実相で説明することしかできない生長の家は、ラカン
の前では、あまりにも無力な存在に映るのであります。

505復興G:2011/09/24(土) 11:33:00 ID:yhDBe2kY

初心者様。

>502
にお答えする前に、今日のニュースから。

   *******
ニュートリノ「光より速い」
名大など観測 相対性理論覆す?

という見出しで、
「素粒子ニュートリノが飛ぶスピードは光より速い──。遠方より飛来するニュートリノを観測している名古屋大などの国際研究チームが23日、光より速いものはないとするアインシュタインの相対性理論の前提を覆すような測定結果を発表した。測定結果の正しさが証明されれば、現代物理学に根底から見直しを迫ることになる成果で、大きな反響を呼びそうだ。」
   *******

という記事(日経新聞より)が載っていました。

科学的理論というのはそのように、次々と新しい事実が発見されたりして変わって行くものであります。アインシュタインの相対性理論のように、一般に認知されている理論だって、根底から覆される可能性がある。いわんや……と、私は思っております。

ソシュールの言語学というのは、現象界の言語についての理論でありますが、新約聖書ヨハネ伝の冒頭に

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神なりき。この言は太初に神と偕に在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。」

とある言(ことば)というのは現象があらわれる以前の、言語以前の「ロゴス」、想念であって、ソシュールの言語学の範疇には入らないものでありましょう。

そして上記ヨハネ伝の記述で
「言は神なりき」
と過去形になっているのは、現象界の言葉は神から離れていることもある、というのは、ソシュールの用語をもって言えば、シニフィアン(相対的な世界に表現された言葉──義春様の解説)がシニフィエ(潜在的な言葉。その一番奥に言葉で表現できないところの、本当の「実相独在」や「神」がある──同上)から離れて暴走している、ということになるのかも知れません。

その、「言は神なりき」を「言は神なり」にするのがあらゆる宗教の使命であり、生長の家の運動でもあろうかと思われます。

しかし、ソシュールを持ちださなければ教義が不完全ということもなければ、「ラカン理論は、ソシュールの言語学がベースになっています。これは、生長の家にとって脅威である」などということはあり得ません。

あなたは<498>で
>「実相独在」は暴走しています。
と断定されているけれども、それではまるで、ソシュールやラカンの説を絶対化して、それが暴走しているように感じられます。

506復興G:2011/09/24(土) 12:54:09 ID:yhDBe2kY

>>504 :初心者様。

>人間は言語によって支配された操り人形である、という現代思想の主張に、生長の家はどのように答えるのでありましょうか。<

「人間は言語や社会構造によって支配された操り人形」ではない、ということは生長の家が最初から説いていることであります。それに答えていないのが、人間は言語によって支配された操り人形である、というソシュールやラカンなどの主張なのではないですか。

神は、コトバによってすべてを造り給うた。人間は神のいのちの噴出口として、今、神の自己実現として、コトバの力で運命をつくり、創造活動をして、生きている、生かされている。
では、「神の操り人形、奴隷」か? 否、「神の奴隷」でもなくて、自由が与えられている。コトバ(想念)の力によって、神の作り給わない病気や不調和のようなことも、仮に幻の如くにではあるけれども現象界に作り出すことができる。

「社会構造」の外側には「神の構図、構造」がある。
社会構造は、神の構造に包含されている、というのが大所高所から観た真理でしょう。

おおざっぱに言えば、そういうことではないかと思います。

人間と言語の関係。これは、大ざっぱに言えば上記のようになりますが、現実の対話では、まことに複雑な問題になるとも言えます。たとえば、「現実界」と言ったって、ソシュール言語学で言う「現実界」と、一般常識で言う「現実界」、生長の家で言われる「現実界」は全然違うようですから。それを、「現実界」という言葉の定義をピン止めしないまま、議論しあっても、すれ違いばかりで、話にはなりません。「実相」と言っても、一般常識として使われている「実相」という言葉と、生長の家で「実相独在」という「実相」とでは、意味しているものが違います。だから安易に「実相」とか「実相独在」という言葉を使うべきではありません。その点では、しっかりソシュールの言語学をふまえなければならないと思います。

しかしまた、それは「シニフィアン」とか「シニフィエ」という言葉についても同様だと思います。「シニフィアン」とか「シニフィエ」という言葉をきいて、意味が分かる人がどれだけいるでしょうか。意味が通じなければ何の意味もありません。聞く人に、わかるように言う努力が必要だと思います。それはお互い様です。

まあ、気長に対話を続けてまいりましょう。

507初心者:2011/09/24(土) 14:43:04 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

アインシュタインの相対性理論は、光より速く飛ぶものはない、と否定しているのであり
ましょうか。タキオンという仮想粒子は想定されていましたが、これによって相対性理論が
否定されたのかどうかを、わたくしは存じておりません。

相対性理論とは、光より速く情報は伝達されない、ということであったと、わたくしは、素人
ながらに理解しております。ニュートリノによって情報が伝達できるのかどうか。それが問題で
あるような気がいたします。それから、すでに相対性理論に矛盾する実験は過去にもおこな
われております。それはパラドックスであるがゆえにEPRパラドックスと呼ばれていることは、
すでにこちらの掲示板に書いたとおりです。

相対性理論は、いわれているほどに絶対化されているのでありましょうか。それはあくまでも
理論であり、原理とは呼ばれておりません。科学は、このあたりの言い方は、ある程度は心得て
いるような気がいたします。

科学と宗教のちがいは、謙虚さにおいてあらわれます。科学は、教義の書き換えを、いとも
簡単におこなうことができます。宗教には、それができません。教義の書き換えを以って、
科学を否定することばできません。むしろそれは、科学の特権であり、宗教にたいする
優越性であるともいえます。教義をかたくなに守り、書き換えることのできない宗教と、
いとも簡単に書き換えてしまえる科学の、はたしてどちらに優越性があるのでありましょうか。

科学的真理は変化します。変化できるがゆえに科学は進化することができるのであります。
宗教的教義が変化しないですんでいるのは、それが想像的であるがゆえなのではない
でしょうか。想像界においては、矛盾は存在しません。想像界では、虚構を寄せ集めることで、
矛盾を解消しつづけることができます。宗教はつねに、そうした想像界において生き延びよう
とします。宗教は、矛盾なき想像界においてしか生き延びることはできないと、わたくしは
考えます。

科学的真理が変化を余儀なくされるのは、それが想像的ではないからであります。科学は
つねに「現実界」に肉薄しようとします。「現実界」。それは、わたくし的には、Dブレーンを
ベースにするホログラムであると、そりあえずそのように定義しておきます。

「現実界」に肉迫しようとして変化を余儀なくされる科学と、想像界にひきこもることで
変化をこばむ宗教と、どちらが信頼できるのかということですね。科学は変化するがゆえに
信頼できなのではなく、宗教は変化しないがゆえに信頼できない、という見方もできるという
ことでありますね。

復興G様は、宗教的言説をつぎからつぎへとくり出してこられますが、それができるのは、
それらの言説が、反証不可能であるからではないですか。科学は、反証できない言説を扱い
ません。科学が扱うのは、反証可能な言説だけであります。

復興G様は、なぜそのように、反証できない言説ばかりをくり出してこられるのでありましょう
か。わたくしは、反証可能な言説だけをもちいているつもりであります。それにたいして、復興G
様は、反証不可能な言説だけでおうじておられます。

反証可能な言説をもちいるわたくしにたいして、反証は十分に可能であり、それによって復興G
様は反証を試みておられます。それはそれでよいのでありますが、復興G様の言説が反証
不可能な言説によってしめられているかぎり、わたくしに反証のチャンスはほとんどないという
ことがいえると思います。これが正常なやりとりであるといえるのでありましょうか。

ひと言おうかがいたしますが、現象以前の言葉とはどのような言葉なのでありましょうか。
それは、現象界における言葉とは、どのような関係にあるのでありましょうか。できるかぎり
反証可能な言説で説明していただきますことを希望いたします。

508復興G:2011/09/24(土) 20:07:11 ID:yhDBe2kY

>>507 :初心者様。

>科学と宗教のちがいは、謙虚さにおいてあらわれます。

クリスチャンの賀川豊彦氏が、「反宗教運動」について次のように言っている言葉に、青年時代、感銘を受けたことを思い出しました。それは
「反宗教運動が起るなら、うんと起った方がよいのである。そんな波に破船するようなものであるならば、宗教として価値のないものである。私たちの宗教は生命宗教であるから、生命の続く間破壊されることがない。社会主義者などが宗教を破壊できると思うのも馬鹿げたことで、彼等はよほど近眼である。生命の破壊ができない以上、生命宗教が破壊できるものか。それは天に向って唾を吐くようなものである」

と。この賀川豊彦氏の姿勢は、謙虚なのでしょうか、傲慢なのでしょうか。私は、どちらかと言えば謙虚なのではないかと考えます。それは、「生命宗教」に対する自信、とも言えるでしょう。

生長の家は、やはり生命宗教であります。それは『生命の實相』第1巻冒頭「七つの光明宣言」の解説に
   ********
「生長の家」の目的はその宣言の第一条にありますように生命を礼拝し生命の法則に随順してみずからも生活し、推しひろめてはこの生活を他の人々にもできるだけ多勢の人に生きてもらいまして、しだいに全人類の生活を光明化することが目的なのであります。われわれが生命を礼拝し、こうした「生命」の法則にしたがって生活することを目標においていますのは、われわれがこの世界に「生命」を享けてきた事実から出発するのでありまして事実ほど力強いものはないのであります。……何ものを否定しましても、自分が生きているという事実は否定できないのであります。自分は生きているという事実はとりもなおさず自分自身が「生命」であるということであります。
   ********
とある通りであります。
そこから、スレッド「信仰/体験板」の<157>で義春様が引用されている「至上者の自覚の神示」にあるような
   ─────
自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が悟ったものを謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違ひである。
斯くの如く創造する者は自己が神だと云ふ真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟ったら人間は本当に謙遜になれるのである。
 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈に過ぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。
本当の謙遜とは『自己が神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と云ふ真理を何らの抗らひもなしに承認することである。
此の真理を承認するものを謙遜と云ひ柔和と云ふ。
此の真理に逆ふ者を傲慢と云ふのである。すべての傲慢と意思張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。
   ─────
ということにもなってくるのでありましょう。

さて、初心者様は「反証主義者」であられますか。
「できるだけ反証可能な言説で説明していただきたい」
とおっしゃっていますから。それでは、ご要望に応じて、できるだけ反証可能な言説で、

>現象以前の言葉とはどのような言葉なのでありましょうか。それは、現象界における言葉とは、どのような関係にあるのでありましょうか。<

というご質問にお答えしたいと思います。

たとえば、生命体のDNAに記された遺伝情報というのも、現象界における「コトバ」であると解釈してよろしいでしょうか。

その遺伝情報は、現象以前の言葉、すなわち神が心に描かれたアイディア、構図が、形の世界に天降って──すなわち具体化してきたもの、と言えるのではないでしょうか。

509復興G:2011/09/24(土) 20:13:34 ID:yhDBe2kY
↑誤字訂正です。
「至上者の自覚の神示」 で

×斯くの如く創造する者は
○斯くの如き想像をする者は

でした。訂正お願いします。

510復興G:2011/09/24(土) 20:27:49 ID:yhDBe2kY
上記「至上者の自覚の神示」には、ほかにも少し誤字があることに気がつきましたので、『ご守護(神示集)』に載っている新仮名遣いで、引用文全体を再掲載させていただきます。
   ─────
自己が神だと悟ったら人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。
 本当の謙遜は『神の自覚』から来る。神を自己の本性に自覚しないものは、いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』と言う真理を何らの抗らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を承認しないところの根本傲慢より分化し来るのである。
   ─────

511義春:2011/09/24(土) 20:51:59 ID:SjZg29/2
>>510
復興G様
初心者さまとの議論の最中ですが、誤字訂正して頂き、真に有り難うございます。

真に恥ずかしく赤面の至りであります。これから精進いたし、その様な事なき様に致します。
これからもご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い申しあげます。

最後になりますが、初心者さま、復興G様の議論に入りましたこと、重ね重ね、お詫び申し上げます。

義春拝

512復興G:2011/09/24(土) 22:23:53 ID:yhDBe2kY

>>511 :義春様

いろいろ教えて頂き、ありがとうございます。
勝手に引用させていただき、すみませんでした。
ありがとうございました。

513初心者:2011/09/25(日) 12:29:33 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

わたくしのここでの主張のひとつは、「宗教は想像的である」ということです。これは
異論の余地がないこと考えます。いちど立てられた教義が変わることはない。宗教とは
こういうものだと思います。

変わらないですんでいられるのは、それが想像的だからだ、ということを主張しています。
科学は想像的ではありません。矛盾が生じれば、変わらざるを得ないのです。宗教は、いくら
矛盾が生じても変わる必要はありません。なぜなら、宗教とはつねに想像的であるからです。

科学の謙虚さというのは、自分を変えることができるという意味での謙虚さであります。
なにが何でも変わろうとしない。これを謙虚さの欠如といたしました。

それから、わたくしがやろうとしていることは「反宗教運動」なのでありましょうか。
わたくしの主張が「反宗教的」であると感じられるのでありましょうか。であるとすれば、
それはなぜでありましょう。わたくしが真理を否定しているように見えているからで
ありましょうか。

わたくしは、復興G様が語ってくださる言葉はすべて存じております。すべてわかっておる
つもりであります。すべてを理解したうえで、それでも不満足なのであります。もっと上が
ある。より洗練された真理がある。感情だけでなく、知性をさえも満たしてくれる真理が
ある。このように考えております。

20年ぶりにもどった生長の家で語られている言葉は、20年前となにもかも同じでありました。
なにひことつとして前進していない、20年前の言葉そのものでありました。復興G様は、「信は
終着点ではない」といわれましたが、とてもそのようには思えません。20年前となにも
変わっていない。すでにここが終着点なのです。

この20年間に、わたくしはさまざまなことを学び、それなりに自分を変えてきたつもりで
あります。20年前とはあきらかに異なった自分がおり、あきらかに異なった言葉があります。

復興G様に申し上げます。反証できない言葉を使う。これが宗教です。反証できないがゆえに、
どんなことでもいえてしまう。これが宗教です。それは想像的世界です。なにもかもが想像的
であり、想像だけですべてがたりしてしまう世界であります。わたくしは、これを真理とは
認めません。

復興G様は、DNAは生命のコトバであるといわれました。わたくしは、DNAは受信機であると
考えております。復興G様のいわれる「生命のコトバ」を受信するための装置であると考えて
おります。では、「生命のコトバ」はどこに記されているのでしょうか。それを推測するには
科学の力が必要となります。それはつまり、情報はどこに書き込まれているのかということです。

ベッケンシュタイン限界によれば、情報には大きさがあります。1プランク長(10のマイナス35
乗メートルほどの長さです)の2倍の長さの正方形の平面に、1ビットの情報が記されている
可能性があります。こうした情報がDブレーンに書き込まれていると考えることができそうです。

すると、DNAの情報は、DNA本体ではなく、Dブレーンに書き込まれており、その情報は、
Dブレーンがつくり出したDNAという仮想の受信機を媒介として、現象界における生命現象
としてあらわれてくる、という予測が成り立つのではないでしょうか。

復興G様は、「その遺伝情報は、現象以前の言葉、すなわち神が心に描かれたアイディア、構図
が、形の世界に天降って──すなわち具体化してきたもの、と言えるのではないでしょうか」と
いわれましたが、これでは反証のしようがありません。わたくしのいう「洗練された宗教」の
意味を少しでも理解していただけたらと思います。これはけっして「反宗教運動」ではありません。

514復興G:2011/09/25(日) 15:19:44 ID:yhDBe2kY

>>513 :初心者様

>わたくしのここでの主張のひとつは、「宗教は想像的である」ということです。これは異論の余地がないこと考えます。いちど立てられた教義が変わることはない。宗教とはこういうものだと思います。<

それには、明らかに異論の余地があります。

まず、正しい宗教とは、人間が教義を立ててつくるものではない、ということです。そのことは、『生命の實相』第1巻「初版のまえ書き」に、
     *******
「生長の家」の生きる道は私が肇めた道ではない。おおよそ、宇宙に生命が発現するかぎり、そこに道があり、法則がある。この道こそ「生長の家」の生きる道である。「道」とは宇宙にミチ(満ち)て存するコトバ(生命の波動)であり、遍在する大生命の創化の原理であるから、それはいかなる宗派とも衝突しないで、またいかなる宗派の人々といえどもふみ行わねばならぬ生活の原理である。かくのごとき生活の原理を私は諸君に代ってインスパイアされて発表するのである……言い換えればかくのごとき役割をわたしは大生命から振り当てられたにすぎない。その発表機関が月刊雑誌『生長の家』である。『生長の家』に発表される思想のインスピレーションの根元が本当の生長の家本部であって、それは神界すなわち「実相の世界」にある。
     *******
と書かれているとおりであります。

>いちど立てられた教義が変わることはない。宗教とはこういうものだと思います。<

──すべて、現象界のあらゆるものは、変化しないものはありません。人間だって、細胞は常に新陳代謝して新しい細胞と入れ替わります。「変わらない」でいることなんか、できません。しかし、「変わる」のは現象、肉体であって、コアなる人格は変わらない。宗教も、時代や社会環境の変化に応じて、説き方は変わります。しかし、宇宙の法則、根本真理は変わりません。それは、『生命の實相』第1巻「頭注版に序して」に、
     *******
生命の科学は、生命の現象をとらえて研究する、つまり現象としての生命をとらえるのである。現象としての生命は条件の変化によっていろいろのあらわれ方をする。すなわち生まれて生長し老衰し病み死する。すなわち現象生命は無常である。しかしかくのごとく移り変わるものは実在ではない。本当に実在するものは変化するものではなく変化するその奥にある常住のものでなければならない。変化ということが可能なためには、換言すればAがBに変化することが可能なためには、AがBに変化しながらしかもAとBとを通じて変化しない本体がなければならない。変化しない本体がなくて、Aが消えBがあらわれたならば、AとBとは無縁の別々のものであって、AがBに変化したとは言えない。AがBに変化しながら、その変化の奥に変化しない“常住の本体”があるのである。変化してあらわれているAとBとは現象であり、その奥にある“常住の本体”が「実相」である。わたしたちは生まれ、生長し、老い、病み、死する……換言すれば変化するけれども、そして生まれたときの肉体細胞は、生後十五年もたてば全然新しい細胞と変わっていると生理学は教えている。すなわち生理学によれば十五年前のその人と十五年後の今日のその人とは肉体は全然別物であるけれども、その人の人格は同一人格として継続しており、十五年前のその人の行動に対する責任を十五年後のその人が負わなければならないのは、人格の継続は、肉体の継続ではないからである。これがわたしの“生命の実相”哲学において「人間は肉体ではない」ということの意味である。肉体が変化しても、その奥にあって死滅しないで継続している実在としての生命を、わたしは“生命の実相”と名づけたのである。そしてそれこそが“人間の真物(ほんもの)”であるのである。
     *******
とある通りであります。

(つづきます)

515復興G:2011/09/25(日) 15:20:31 ID:yhDBe2kY
(続きです)
あなたは、「宗教は想像的である」とおっしゃいます。
「想像的」とはどういうことですか。一般に言われるのは「空想的」というような意味であります。しかし、「空想的」ということは「変わらない」ということとは結びつきません。あなたのお好きなジャック・ラカンの理論で「現実界」「象徴界」「想像界」と分けた場合の「想像界的」ということだろうかと想像してみましたが、ラカンのいう「想像界」とは
「人であれば誰しも漠然とイメージできるけれども、その正確な描写となると大変な労力を要するような、言語(象徴界)に縛られている世界であり、なおかつわれわれが思っているものから成っている。この想像界も、けっして現実界と一致することなない」(Wikipedia)
だそうで、よくわかりませんが、あなたは「現象界を超えたもの」とは「想像的」なもの、と決めつけておられるようですね。私は、「実相」とは、現象以上に確乎たる存在で、「想像的」なものとは思っておりません。そういう「実相」に思い至らなかったラカンから見れば、宗教は想像界のものと映ったかも知れませんが、私は「実相」を説く宗教が「想像的」だとは思っていません。

>復興G様は、「信は終着点ではない」といわれましたが、とてもそのようには思えません。20年前となにも変わっていない。すでにここが終着点なのです。
この20年間に、わたくしはさまざまなことを学び、それなりに自分を変えてきたつもりであります。20年前とはあきらかに異なった自分がおり、あきらかに異なった言葉があります。<

とあなたがおっしゃるのは、あなたが私の変わり様をご存じないからだと思います。「信」そのものが深まって、大いに変わってきたと思います。それは客観的に見て、他人様がそうおっしゃってくださいます。まさに「信」は出発点だと思います。

>復興G様は、DNAは生命のコトバであるといわれました。わたくしは、DNAは受信機であると考えております。復興G様のいわれる「生命のコトバ」を受信するための装置であると考えております。では、「生命のコトバ」はどこに記されているのでしょうか。それを推測するには科学の力が必要となります。それはつまり、情報はどこに書き込まれているのかということです。<

それはすでに、科学の力で明らかになっています。DNAは、デオキシリボ核酸という、高分子生体物質であって、それがそのまま「生命のコトバ」でなく、そこに書き込まれている情報が「生命のコトバ」であります。
DNAは二重螺旋構造をもつ核酸の一種で、塩基はアデニン、グアニン、シトシン、チミンの四種類(A, G, C, Tと略す)があり、その配置・結びつき方の違いによって情報は書き込まれているということです。それは「生命のコトバを受信するための装置」ではなく、すでにそこには情報が書き込まれてあるのです。だから推測や予測ではなく、解読することができているのです。

なお、私は初心者様が「反宗教運動」をなさっているとは全く思っておりません。賀川豊彦氏の「反宗教運動」について書かれた文章を引用したのは、本当の「信」をもつものは「変わることを恐れない謙虚さを持っている」、ということの例として思い浮かんだから、だけでありまして、あなたの主張が「反宗教的」であると感じたということではありません。誤解されたとしたら、お詫びいたします。

>もっと上がある。より洗練された真理がある。感情だけでなく、知性をさえも満たしてくれる真理がある。このように考えております。<

ありがとうございます。私もそれには同意いたします。私も結構変わってきたとは思いますが、まだまだこれからです。すでに最高の悟りを得たなどとは決して思っておりませんので、これからもご指導をよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

516初心者:2011/09/25(日) 16:47:45 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

ブラックホールは、ホーキング放射によって蒸発すると考えられています。ブラックホールの
蒸発にともなって、なかにあったはずの情報も消え去る運命にある?

情報は消えてはならない。これが物理学の鉄則であるようです。では、ブラックホールの
情報はどうなってしまうのでしょう。

情報は、わたくしたちが予想しているような場所にあるのでしょうか。DNAに情報が書き込ま
れている?これは本当でしょうか。本当に、予想された場所に情報は書き込まれているので
しょうか。それなら、ブラックホールのなかにあると予想される情報は、ブラックホールの蒸発
とともに消え去ってしまうのでありましょうか。

物理学の世界では、禅問答よりもはるかに不可解で面白いことがおきています。しかも、
ソシュールの言語学は、これに、さらに過激な解釈をつけくわえます。Dブレーンから、この
世界がつくられるには、言語の働きが不可欠であると、わたくしは考えます。こうした思想は、
今にはじまったことではなく、仏教は、はるか昔にそのことに気づいていました。

ラカンを理解するのは簡単ではありません。それは、きわめて複雑で難解な思想です。
真理もまた単純ではありません。面白いほどに単純ではありません。雅春先生の言葉だけ
では、その複雑さは表現できないと、わたくしは考えます。ラカンは、雅春先生が教えてくだ
さらなかったことを、いくつもいくつも教えてくれます。

世界はどのように成り立っているのか。それを知るには、物理学だけでは不十分です。
人間存在の秘密。現象世界の秘密。それらを嗅ぎまわる必要があるように思います。ラカンは、
その秘密をさぐる手かがりを提供してくれます。ほかの人がけっして提供してくれない手がかり
を提供してくれます。ラカンのように考えることで人間存在の秘密をかぎまわる。それがいま
のわたくにとっていちばん面白いことなのです。

わたくしは、この楽しみを自分ひとりのものにしたいと思います。みなさまに語るのはやめる
ことにいたします。復興G様、ありがとうございました。現実の世界で復興G様とお会いした
なら、わたくしは復興G様を尊敬できたことだろうと思います。

517復興G:2011/09/25(日) 18:16:05 ID:yhDBe2kY

>>516

初心者様。ありがとうございます。

去られるのですか。
平行線のままで終わってしまうのは大変残念です。

しかし、このまま論議をつづけても、平行線を交わらせることは、すぐにはできないのでしょうね。

でも、根本においては、同じ宇宙に、そして同じ星 地球に、さらに同じ国 日本に時を同じくして生き、同じ「生長の家」という教えに触れた者同士として、今すぐに平行線が交わらなくても、深いところでは間違いなく並々ならぬ深い因縁で一つにつながっている命の兄弟であると思います。
初心者様がおられなくなったら、私も大変さびしいし、この掲示板も間違いなくさびしいものになってしまいますが、それも定めなのかなあ──私は私の信念を曲げることはできませんから──と、感じています。

無理に引き留めるわけにも行きませんので、またお目にかかれる時を楽しみに、それぞれ精進してまいりましょう。

とても密度の濃い、すばらしい一時を過ごさせて頂いて、私も生長できました。たいへん、たいへんありがとうございました。

518復興G:2011/09/25(日) 18:25:42 ID:yhDBe2kY

追伸です。

私の今の思い──
「実相独在に命をかけて生きる」とは、ただ無我の愛を行じて行くことだ、ということです。
ありがとうございます。

519トキ:2011/09/25(日) 19:03:05 ID:BlE9Vn1Q
初心者様

 本流掲示板時代から、お世話になっているので、このたび、急に去られる
のは、本当に寂しいです。

 生長の家を去られてから20年を経て、再び教団にこのような形で関られ
たのですが、さすがに深く鋭い洞察で、感心をしておりました。この掲示板の
当初の目的は、どんな内容もどの投稿者も自由に討論ができる、という場の
設立でしたが、初心者様は、その目的の達成に大きな貢献をされたと感じます。
 心から、感謝と敬意を表します。

 初心者様のご投稿は、多くの人たちに刺激を与えたと思います。
その意味で、初心者様も教団の方ではないですが、生長の家を愛しておらえる
と思います。

 私個人も、これからも初心者様のご文章を拝見したいので、少し休んでから
また再登場をお願い申し上げます。

合掌 ありがとうございます

520義春:2011/09/25(日) 23:12:30 ID:SjZg29/2
初心者さま
掲示板を去られると聴き、呆然として涙を流しております。

初心者さまには、本当にお世話になりました…貴方とお話する事が楽しみでありました。

哲学という、私にとって、一番苦手とする分野が如何に大事か、そして、歴史と哲学を結びつけて頂きました。

それだから、私にとって師だと思ってます。その気持ちはこれからも変わる事もありません。

そして、単純な気持ちを書くと、渋い顔をされるかもしれませんが…
私は貴方という方が好きでもあります。

何と申しますか…その文面から流れる真剣で真摯な生き方、人に対する、ほのかな温かさに…。
まぁ…理由付けすれば、そんな所なのでしょうが、ぶっちゃければ理由はありません。
好きだから好きなのです。

最後になりますが、出来ましたら、又、戻って来てくださいね!心からお待ち申し上げております!

521復興G:2011/09/26(月) 14:00:44 ID:yhDBe2kY
(ご挨拶)

トキ様、皆様。

この板は「挨拶板」で、趣旨は

「初めて書き込みをする人や、生長の家について相談がある人が利用するために開設しました。……書き込みに少し自信がない、という方は、この板をご利用下さい。」

ということでしたのに、板の趣旨に反した論争みたいなことに暴走してしまっていました。お詫びを申し上げます。

振り返ってみますと、この挨拶板で初登場され印象に残っていますのは、143で「一観覧者A」として登場された さくら様、338 の琴音様、388〜389の「460」様などでした。これらの方々は、真剣に道を求めて生長の家に期待しながら、現実の生長の家の組織や運動などには失望したり恐れを抱いたりされた方々であったかと思います。

初心者様は、この「挨拶板」で初登場されたわけではなく、特別、別格の深いものを追究されてきた方だと思います。

こういった方々を含め、多様な個性と経験・知識などを備えた方々を、「闇なべ」とも賞されるように──あ、“称される”の誤変換でしたが、そのままでもよろしいかと思います──多様な方々を包容し自由な発言を受け入れてきたこの掲示板の意義は大きいと思います。

谷口雅春先生は、「現象本来無し」「実相独在」というお悟りから、神仏耶をはじめ善き教えはみな一つの「実相」から出たものだから、真髄は一つに帰するという「万教帰一」の真理を説かれました。そしてこれまでは「不立文字」、現象の文字や言葉をもって語ることはできないとされてきた悟りの真髄を、誰にでもわかりやすいような「言葉の力」で「仏を大量生産する」という夢と理想をもって『生長の家』誌を発刊され、たくさんの人々を救い、日本国家の危機をも救って来られました。これはまことに偉大な功績であったと思います。

しかし一面では、特に戦後光明化運動の「新体制による組織運動」が始まってから、真理の言葉が空転し、「シニフィアン(形式言語)の暴走」が起こったために、犠牲者といいますか、傷ついて組織から離れ、教えからも離れて行く人が出てきたことは否めない事実だと思います。
ですから、388〜389の「460」様の発言なども、その事実に対するとても貴重な警告だと思います。

今までの生長の家の体験談と言えば、真理の実証となる成功体験談ばかり語られることが多かったと思いますが、「成功物語より失敗例から学べ」という「失敗学」を提唱されている畑村洋太郎氏に学ぶ必要もあるでしょう。
そういう意味で、しっかりと過去の生長の家の運動を検証し直すことが大切ではないかと言われる、この掲示板管理者トキ様のご意見は、まことに正鵠を射たものだと思います。

私は、「実相独在」への信を貫きながらも、「実相独在」という言葉はできるだけ使わずに、自分の今までの信仰・運動体験を、「成功物語より失敗例から学べ」という「失敗学」の立場で振り返り、ゆっくりと、しばらく連続で「信仰/体験板」に書かせて頂きたいと考えております。

なお、このたび初心者様との論争のようになった初めのところ、<459>で

>スレッド(1)の<413>あたりから、(初心者様と)役行者様などとのやりとりで詳しくいろいろおっしゃっているようですね。その時に読む時間がなかったので、これからじっくり勉強させていただきます。そして、私が「実相は独在である」と堅く信じる根拠について、できるだけ言葉を尽くして申し述べさせていただきます。今しばらくのご猶予をください。<

と書いていたのですが、その猶予がないまま直ちに次々と反論や質問などを投げかけられたので、論議は噛み合わないまま一方的な言葉の投げつけ合いのようになった場面が多かったと思います。「急(せ)いては事をし損じる」という諺がありますから、失敗を教訓にして、これから上記の価値あるスレッドもじっくりと読み返し、少しスローで行きたいと思います。よろしくお願いいたします。

522トキ:2011/09/26(月) 15:46:53 ID:W4PkIrQA
>>521

復興G様

 すばらしいご文章をたくさんご提示くださり、深く感謝申し上げます。
 初心者様との対話は、初心者様はもちろん、多くの閲覧者の方々にとって
きわめて有益で、生長の家の信仰の深化にも役立ったと感じます。
 本流掲示板ではないですが、教団内部では、復興G様のような卓越した講師の
ご指導を受ける機会が減ってきたので、現役の信徒の皆様にも喜ばれたと感じます。

 ご多忙とは拝察しますが、個人的にも、復興G様のご文章は勉強になりますので、
信仰・体験板でのご指導を楽しみにお待ちしております。

 板の趣旨と違う点は、ぜんぜん、気にされないで下さい。すばらしい内容でした。

合掌 ありがとうございます

524琴音:2011/09/27(火) 18:37:39 ID:i5DMTaRw
おひさしぶりです。琴音です。また戻ってきてしまいました。
今、生命の実相 2巡目です。そして現皇室の知識を仕入れてきました。

そして、今日皆様方が残してくださったコメントを読みました。
温かくお声がけしてくださっていて、ほんとに嬉しかったです。

今までやってきた他宗教(霊波之光)が御祓い宗教なことで、
生命の実相の中でお祓い的なものはよろしくないとあったので、
そちらをやめて、日本神道の神様を中心にしていこうと
思って霊波をやっている伯母と話すと、喧嘩になりました。

「霊波ではひとことも「人間は神の子」って言っていないでしょう。
だから、合わないと思うの」
「違うわよ、神から頂いた霊魂を肉体に宿し云々」

人間は神の子、という考えって宗教者に共通だと思ってたんですが、
違ったんですね。
人間は低いものだから努力して上がっていく、
そのためには神につなげてくれる教祖が必要、という考え方の伯母と
宗教論争になりました。。。

もう辛いので、霊波之光はやめて、
生長の家に入ろうと電話をかけましたら、
「個別の相談には3000円が必要です」

あ、お金かかるんですね。
やっぱりお断りしました。

ちょっと宗教団体不信です。

525トキ:2011/09/27(火) 19:11:04 ID:o1hPfnBg
>>524

琴音様

 こんばんは。お帰りなさい。ご投稿を心から歓迎申し上げます。
いやー、本当にお会いできて、うれしいです。ありがとうございます。

 でも、教化部に電話をして、個人相談に3000円請求されたのですか。それは
驚きです。ちょっと、首を傾げますね。ご気分を害された点は深くお詫びしま
す。(これをご覧の教団幹部や職員の皆様、考えてくださいね。)

 生長の家の場合、「誌友会」と言って、各家庭を解放して、無料で勉強する
会合が各地で定期的に開催されています。ですから、教化部に電話をして、
お住まいの地域の誌友会の日程や連絡先を聞いてみたらよいと思います。どこでも
大歓迎されると思います。なお、会場リーダーの性格などで、会場の雰囲気があう、
合わないはありますから、複数の会場の、「誌友会」に参加して、自分にあう会場
を見つけることをお勧めします。(つづく)

526トキ:2011/09/27(火) 19:33:54 ID:o1hPfnBg
(つづき)

 あと、「霊波之光」の件ですが、無理をされることはなくて、辞めて親族に
波風を立てるぐらいなら、辞める必要もないと思います。逆に、おばさんから
言われたからと言って、生長の家をやめる必要もないですけどね。

 それよりも、普段の行いを高めるとか、表情を明るくするとか、特に伯母さん
には今まで以上に親切にするとか、とにかく生長の家の本で学んだ事を実践され
たら良いと思いますよ。特に伯母さんを「神の子」として拝むのも大切な修行
だと思います。
 とにかく、笑顔で、明るく、生き生きと、深切(生長の家では”親切”をこう
表現します)にすれば、伯母さんとも仲良くできますよ。

 応援をしております。がんばってください。

527トキ:2011/09/27(火) 19:53:10 ID:o1hPfnBg
 少し話しがずれますが、この「個人指導」の問題は、大切だと感じます。

 以前は、教化部でも、個人指導をしていた時期があったのですが、誰もこない
日があるかと思うと、逆に相談が集中する日があったりして、うまくいかないケース
が多かったのです。それで予約制になったりして、だんだんと制限が出てくるように
なりました。あと、個人指導は、時間的にも拘束されますし、力量のある講師でない
と難しいです。何時間も面白くもない話をひたすら聴くので、終わるとフラフラにな
ります。昔は、生長の家にも力量、人格とも優れた講師が多かったので、個人指導も
できましたが、最近は、そういう講師も少なくなりました。そのため、個人指導をし
たくても、出来ないという事情もあります。

 しかし、自殺者が3万人もいる、というこの現状を見ると、税制面で優遇措置を受けて
いる宗教法人は、やはり個人指導には対策を考えるべきだと思います。最近は、本部も
メールでの相談を受け付けているとの事ですが、他にも電話相談など、窓口を広げるべき
かと思います。
 今は、電話の転送なども簡単ですし、IP電話もあります。例えば、いのちの電話では
ないですが、相談電話の番号を決めてしまうとか、電話も転送で講師の自宅へ転送され
るようにするとか、あとは相談の講師もリレー制で担当を決めるという方法もあります。
 職員ではなくても、地方講師が分担すればよいかとも思います。
また、複数の教区で講師を出し合えば、負担も軽減すると思います。

 私の周囲にも、教化部の個人指導が契機で入信し、講師にまでなった人は何人もいます。
難しい問題(嫌がらせ、ストーカー問題などの危険性)もありますが、やはり宗教法人と
して、前向きに対応をするべきかと考えています。

528義春:2011/09/27(火) 19:54:46 ID:SjZg29/2
>>524
琴音様
お帰りなさい!…って3000円って…高ッ!と思ったのですが…まぁ…個人相談とか
申し込んだ事がないので、実際の所は分かりませんが、大変驚いております。
何と申しますか…信徒として、申し訳ない気持ちでいっぱいであります。

それで伯母様の事ですが、私もトキ様と同じく御無理される必要はないかと想いますよ。
まぁ…私も母が信徒じゃないのですが、あんまり信仰心の押し売りも嫌なので、
自分自身の行いで分かって貰おうとしていたら、信徒じゃないのに、甘露の法雨が枕元に
あったり、いつの間にか雅春先生の本読んでました。まぁ…信徒じゃないのですけどね。
だから、のんびりでも良いと想いますよ。
自分自身の行いって言っても、明るく元気にどんな事があってもへこたれない!だけでしたけど…。
本当に素朴で特別な事をせず、当たり前を大事にしていただけでした。
だけど、それだけでも、分かってくれる…人って不思議だなぁ…と想います。

雑文になってしまい、申し訳ありません。ご参考になれればと想います。

529トキ:2011/09/27(火) 20:07:41 ID:o1hPfnBg
>>528

義春様

 適切なアドバイス、ありがとうございました。

 そうですね。無理をすることもないと思います。あ、それと、
琴音様、よかったら、女子会も覗いてみてください。歓迎されると
思います。

530義春:2011/09/27(火) 20:07:46 ID:SjZg29/2
>>527
トキ様
ご意見、同感であります。
生長の家から少し話がずれてしまいますが、ご容赦ください。

これは1つの実例になります。私が癌闘病前に、父との事で家からあちこちを放浪していた時、
最後に頼ったのが、自殺予防センターでした。私の場合は特殊な例でしたから、
センターの方もかなり悩んでましたが、とある左翼の人に相談して、
私をそこに行くように、提案なさいました。そこで母に救われたのですが…
少し話を聴いてあげるだけで生きれる人もいると自分の体験から確信しています。

そして、まぁ…複雑な気持ちになりますが、そういった弱者保護に重点を置いているのは、
左翼なんですよね。私も悩んだ挙句、生きる為に、一時頼らざるを得なかったくらいなのですよ。

でも、そういった人たちが魂のケアまで出来るかと言うと…難しいと想います。
だからこそ、生長の家で、そういった事に乗り出していけば、本当に素晴らしいと想います。

531トキ:2011/09/27(火) 20:36:02 ID:o1hPfnBg
>>530

 そうですね。生長の家の活動家といわれる人たちも、数字に見える部分、例えば
講習会の参加者や普及誌購読者の数には、燃える人がいるのですが、こういう地道な
活動は、苦手だという人も多いです。
 でも、本当は、そういう地道なことをメインにしないといけないのではないか、
と思いますね。いろんな声もありますが、そういうことを考えるべき時期にきている
と思います。

532義春:2011/09/27(火) 21:13:16 ID:SjZg29/2
>>531
まぁ…大変、地道な事の積み重ねですね。自殺者問題は…
駆け込み寺→魂のケアときたら、最後は公的機関と協力しないといけません。

いつまでも駆け込み寺にいてもらう訳にはいかないですから…。
ただそうなってくると役所の手続きになりますが、アレはめんどくさい事、この上ありません。
実務の積み重ねになります。左翼の人たちはその辺がうまいのですよね(^_^;)

そこまでやらないといけないから、大変ではありますが、それがないから、大変な事態になっているとも言えます。

533琴音:2011/09/27(火) 21:16:17 ID:A1KptDZw
トキさま

丁寧なお返事ありがとうございます。

「誌友会」そうですよね。そういうのを教えてほしくて、
お電話したのですが、練成会?とか講和会とかを勧められました。
話しの内容から、参加者増やしたいだけだなって思って、
もう電話するのが嫌になりました。

私は調布なので、きっと近くにいらっしゃると思うんですけども・・・。

霊波については、伯母さんすごくショック受けてました。
でも生長の家を知る前に、既に霊波に対して不信を抱いていて、
神棚が飾ってあることすら嫌になっていたので…。
(自分で買い求めたのですが。。)

一神教で、お寺のお守りとか神社参拝もタブーになってるので、
「どっちもやる」っていう事自体が伯母さんには受け入れられないだろう
と思います。

とにかく、少しずつ生命の実相で言われていることを実践していきたいなって
思います。

534義春:2011/09/27(火) 21:16:33 ID:SjZg29/2
>>532
あっ、これは身寄りのない人の場合ですね。まぁ…自分自身がそれに近かったので、
それをモデルにしがちです(汗)真にお恥ずかしい話です(汗)

535a hope:2011/09/27(火) 21:18:25 ID:MNrNIsM2

琴音さま

おかえりなさい。
ここには、頼りになる紳士だけでなく、優しい女子もおりますので、
安心してくださいね。

女子会は、今、恋ばなで、盛り上がっております。
よろしかったら、遊びに来てくださいね。
話題はなんでも、構わないんですよ!

また、お会いできて本当にうれしいです。

536琴音:2011/09/27(火) 21:32:38 ID:A1KptDZw
義春様

こんばんは。お返事ありがとうございます。
やっぱり信徒の方でも3000円は高いのだな、と安心しました。

日々の行いから、周りの方が関心をもってくださるのは
素晴らしいですね。
なにも言葉という形ではなくて、自分から発せられる光で
相手を感化できるようになれたらいいなあと思いました。

関係ないですが、
甘露の法雨、長いですよね…

537琴音:2011/09/27(火) 21:33:59 ID:A1KptDZw
a hope 様

こんばんは。ただいま戻りました。

恋ばな、ですね。
壊し屋の私が行ってもいいのかしら…。

538トキ:2011/09/27(火) 21:41:46 ID:o1hPfnBg
>>533

琴音様

 いやー、そうでしたか。その教化部の職員さんは、どうも近視眼ですね。
初めて来る人に練成をいきなり勧めるのもどうかと思いますよ。こういう
やり方は逆効果ですね。でも、今は、どうも、目先の行事を追いかける
傾向が強いですから、そういう姿勢の職員も多いでしょうね。

 年齢にもよりますが、独身で40歳以下なら、青年会の「花の集い」や「青年
誌友会」、既婚なら白鳩会の誌友会がいいですね。本当は、その教区の機関紙が
あるので、それをもらってきて、誌友会の連絡先が掲載されていたら、そこへ電話
をするのも良いかもしれません。
 もし、時間があるのなら、直接、教化部へ行って、職員や信徒さんと話をする
手もあります。木曜日と祝日は休みですから、その日は除いてください。

 なお、生長の家の職員さんの中には、相手の立場を考えずに物を言う人が
たまにいます。そういう人に当たった場合は、はっきりと自分の予定や立場
を表明してください。

 また、何か、お手伝いすることがありましたら、お気軽にお尋ね下さい。

合掌 ありがとうございます

539トキ:2011/09/27(火) 21:52:06 ID:o1hPfnBg
>>538

あ、訂正です。

職員の大半、真面目で、思いやりのある人です。例外的に、幹部や職員に
押しの強すぎる人がいる、ということです。

 お詫びして、訂正をさせていただきます。

合掌

540義春:2011/09/27(火) 21:57:43 ID:iu5Ar./Q
>>536
琴音様
いや、生長の家は信仰するのに金がかからないようにって雅春先生が
特に気をかけてらっしゃった宗教なのですよ。
ちなみ、3000円あったら練成会1日受けられるのじゃないのしょうか?

甘露の法雨をあげるのは時間がかかりますよね〜
まぁ〜最初は一項一項あげていって、慣れていくに従って、
全部あげてもいいのじゃないかと勝手ながら思っております。
現に小学生練成では「神」の項だけをあげるのですよ。

で、ここからは思い切り蛇足・・・
昔、高校生の練成会で句を詠む事がありました。
そこで傑作だったのは

『腹減った はやくこいこい あまてらす』

・・・まぁ元はもちろん…
「天照す御親の神の大調和(みすまる)の
生命射照(いてら)し宇宙(くに)静かなり」
なのですが…これが終わったら朝飯が食えるという身も蓋もないお話。

で、生長の家では人の美点を誉める賛嘆を大事にするのですが、
私が頂いた賛嘆で傑作だったのは

『義春さんはジューシーだと思うのですが、如何でしょう!?』

鶏がらな事を賛嘆で書いてくれたのですが、面白くて大笑いしましたw

まぁ〜そんな感じで、あんまり肩肘張らずに信仰できるのが、
生長の家の良さだと思いますよ。

541琴音:2011/09/27(火) 22:14:12 ID:A1KptDZw
義春様

そうですよね。生命の実相を読んでいて、そう感じました。
でもきっと組織では、お金を多く払ったほうが信仰者である、
人数をもってきたほうが信仰者である、っていうのが
どこの宗教でも同じなのかな〜と思ってます。

確かに、練成会は1日4000円ってゆってました。

甘露の法雨は一項ずつ、でいいのですね。
そうすることにします。いつも同じ所で限界がくるのですよ。

はやくこいこい あまてらす

いいですね。そういえば私も、そんな気楽な信仰をしていたときも
ありました…がちがちだと疲れちゃいますよね。
どこか楽しい雰囲気の誌友会に出会えればいいんですが・・。

542琴音:2011/09/27(火) 22:19:32 ID:A1KptDZw
トキ様

 その職員の方は、若い(20〜30代前半?)女性でした。
 初めて電話をかけてくる方に慣れてないのかなと思いました。

 生長の家は2世・3世が多いと聞いたので、そこも…
 それに私は近頃めっきり右よりで、正しい歴史観を学んだり、
 皇室の本を読み直したりしているので、
 もしかしたら今の生長の家と逆方向にいっていると思います。

 女系天皇にも反対ですし…。
 愛子様、きょうはお一人で学校に行かれたみたいですが…。

543かぴばら:2011/09/27(火) 22:54:25 ID:TjlpqfpM
琴音さま

はじめまして!かぴばらと申します。

トキさんの言うとおり職員以外の信徒の方はみんなボランティアで、そこをやめてしまった私が言うのもなんですがもう本当に愛の心ばっかりの人ですよ。

うちの田舎の教区では、大体最初からお金なんていうことはなく行けるような年齢に応じて、近くの信徒さんを紹介してもらい母親教室や花のつどい等に誘います。教区の新聞を渡されて行けそうな行事に参加できます。

始めにそんなことあるとめげますよね。でも最初は本を買ってくるだけでもよいので、お知り合いになるときっとよいことがあると思います。

私も教えは知っていても、何年も母親教室に通っていただけでした。その後生れた次男に障害があったことがきっかけで、聖使命会に入りました。その時指導してくれた講師の方は何も言わずに自分のポケットマネーで神癒祈願をしてくださいました。ってそれを知ったのは、その方が亡くなってからでしたけど・・・。(泣)

もうその方に本当に足を向けて寝れないと思います。その恩返しの分、自分は頑張ろうと思ったんですけど・・・。やめてしまって申し訳ないです。

日曜日に水害のお見舞いをもって道場に行った時にも、よくお世話になっていた講師の方が見えて「もどっておいでよ。」と声をかけられましたが、とても複雑な思いです。当分はもどることはないですが。

なんか自分の話ばっかりしてごめんなさい。つい弁護したくなって書き込んでしまいました。

544義春:2011/09/27(火) 23:44:26 ID:iu5Ar./Q
>>541
琴音様
 まぁ〜生長の家は役職に就けば、色々お世話しないといけないから、
お金もかかりがちですね。
ですが、生長の家と云うのは、お金を支払ったら何かの位が貰えるとか、
信仰者であるとか・・・そんな事はありません。

 確かに、色々な行事の為に参加促進をしますが、
強引なやり方で人を集める人は、誉められるより、むしろ嫌われます。
私の周りにもいますが、正直、苦手ですね…というか、向こうから嫌われてますがw
でも、押し売りでもせんと来て貰えないなんて、恥と思って欲しいなと思います。

 私自身は参加促進を10代ずっとしていましたが、それは単純に人と喋りたい、
(あいつ、どうしているのかな?元気にしているのかな?)とか、そんなノリで、
活動していました。
結果的に人がたくさん来てくれましたが、無理強いは決してしませんでした。
いや、生長の家が嫌われてしまうのは私、嫌ですから。
まぁ…もう少し書いてみます。

 先輩から習った事ですが、電話したり、参加促進する時の心構えは…
昭和天皇が、戦後焼け野原になった日本各地を巡幸された事を手本にしなさい
と教わりました。それは、天皇様は我々、国民の事を『赤子』と呼ぶのですが、
天皇様にとっては、自分の子供も同然、それだから愛があるから愛に行かれたのだ…と。
だから、君も天皇様に習っていきなさい…と。
だから、私もそれを習いつつ、活動していました。
ですから数なんて組織としては別に良い訳ではありませんが…
むしろ、その数の後ろにいる人を観なさいと…教わったものです。

 それですから、愛があってこその活動だと思いますよ。
それがなければ、如何に人を集めても、良いと思わないのですよ。

それから、『甘露の法雨』が長かったら、『天使の言葉』で良いと思いますよ。
『天使の言葉』だとそんなに長くありませんから、良いと思います。

545義春:2011/09/27(火) 23:58:11 ID:iu5Ar./Q
 まぁ…先ほども書きましたが、私の母は生長の家の信徒じゃありません。
だけど、母は結局は私の信仰の自由を許して下さいました。
だから、私も母の信仰しない自由を認めるって感じで大きくなってきました。
強引さを好かないのは、そこが原点だと思います。

 但し、周りからは暴走特急、暴れん坊将軍、破壊神(若しくは破壊ネ申)と
呼ばれる、傍から観れば一番強引そうな人間らしいですけどねw

546義春:2011/09/28(水) 00:04:35 ID:iu5Ar./Q
>>543
かぴばら様
 お久しぶりです!
まぁ〜完全に離れるよりかは良いんじゃありません?
というより、無理して組織会員になってて、心が擦り切れてしまって、
完全に離れるよりかは、ずっと良いと思いますよ。
私の同期の子や先輩にも…そんな方が何人かいて、思い出すたびに
懐かしいような、寂しいような…そんな気持ちになります。
だから、なおさら…。

547うのはな:2011/09/28(水) 00:12:56 ID:iM0b0bt6

> 相談に三千円

 私の経験を言わせてもらうと、原則的にお金を促されるようなことは
 ほとんどありません。特に新人さんや初参加の人にお金でも本の購入
 でも強制的な雰囲気はないと思います。(今はちがうかもしれないけど)

 ただ、宇治の練成に初めて行ったとき、個人指導は普及誌を一年間購読
 申込みしなくてはならなかったり、宇治の神癒祈願は一円の奉納金でも
 いいらしいけど、他のところでは「随意っていくらくらいですか?」と
 たずねると、できたら三千円ぐらいだしてほしい、と係りの人が遠慮がちに
 申訳なさそうにおっしゃってたのを思い出します。

 でも個人指導で金額なんて聞いたことがなかったから、琴音さまの話を読んで
 びっくりしました。どの講師も何時間も無料で相談に乗ってたと思いますよ。
 そして、もし良い誌友会でも練成でも参加されたら、講師資格の或る方に
 相談されるといいと思います。一般の信徒さんに聞いたらダメだと、講師から
 注意されたことがあります。

 でも、琴音さまはどうも今の雅宣氏や教団がおかしな方向に向っていると思うと
 洞察されていたぐらいだから、いろいろな意味で注意されたほうがいいかもしれません。
 今は教化部長が、せっかく本部から先生が来てくれたんだから、環境の話ではなくて
 真理講話をしてほしいと要望すると、本部講師が「失礼ですが、あなたより
 雅宣先生のほうが偉いのです」と答える人もいたと聞きます。
 まずは聖典や聖経を読みながら、広い視野でゆっくり考えて行動してください。
 おせっかいに聴こえたらすみませんです。。

548琴音:2011/09/28(水) 00:21:56 ID:KFl7qYt2
義春様

続きです。
甘露の法雨、一節だとちょうど良かったです。
また、「神想観」を読みながらそのとおりに瞑想したら、
ぱーんとふっきれたものがあって、
喜びの気持ちでいっぱいになりました。
多分ここで皆様方の信仰とリンクしたのかなと
霊感的に感じます。

何かあればまた出没させていただきますっ。

挨拶版なのでこれくらいにしますね(笑)

549義春:2011/09/28(水) 00:25:48 ID:iu5Ar./Q
>>548
琴音様
>また、「神想観」を読みながらそのとおりに瞑想したら、
>ぱーんとふっきれたものがあって、
>喜びの気持ちでいっぱいになりました。

それで良いとおもいますよ〜お役に立てて良かったです><b

550かぴばら:2011/09/28(水) 08:11:28 ID:TjlpqfpM
有難うございます。義春さま

熱血義春さんの優しいお言葉に、癒されます。先ほど訊け様の雅春先生の動画も拝見させていただいて、今日はよい日であります。

今日も頑張って素晴らしい神の子で生きようと思います。皆様もよい一日をお過ごしください。

551琴音:2011/09/29(木) 21:19:19 ID:Q3WxxcVs
かびばら様
 
 田舎の教区ではそうなんですね。私もそういうのを期待してました。でも、
 東京の府中のほうに電話をして「お金払うのが当たり前」みたいな対応を
 されましたので、もしかしたら例の移転費用で資金調達に必死なのかなと勘ぐり、
 もう行く気持ちを失いました。
 
 しばらくは自宅で本を読むことにしますが、
 学ぶ会に、誌友会があれば、そちらに参加してみたいと思っています。

 今の教えがお金目的だとしたら、
 昔の教えはお金目的ではないだろうし、
 そういう昔を大切にしている方がきっとそっちにいらっしゃると思うので・・・。

 まだわかりませんが。

552琴音:2011/09/29(木) 21:40:31 ID:Q3WxxcVs
義春様

 >生長の家と云うのは、お金を支払ったら何かの位が貰えるとか、
信仰者であるとか・・・そんな事はありません。

 初代、2代はそうでも・・・というのが宗教界の代替わりでは必ずありますから・・・。
 
 それに、
「お金を払うのはちょっと・・・」というと、
「そうですか・・・」で終わりです。
誌友会や、本部の講和など、まったく教えてもらえませんでした。
(こちらは一応知ってましたが・・・)

多分、トラウマになってます(笑)

昭和天皇のようにお声がけをする、ですか・・・
すばらしいですね。
ちなみに私は天皇がおかくれあそばされたとき、
7〜8歳でしたが、
「昭和の時代が終わってしまった」と呟く声を自分の内側から聞いた
体験があります。

話がずれましたが、
愛があってこその活動。それは昔のお話なのかな、と。
先日の電話の先の主は、お金と参加者とスケジュール、でした。

553琴音:2011/09/29(木) 21:55:38 ID:Q3WxxcVs
うのはな様

 きっと「以前は」お金を求めてなかったのでしょう。
 もしかしたら、相談に来る人があまりにも多くて、
 そういう風にお金を取ることで相談事を減らす、という風に
 してるのかもしれないですね。

 講師の方の「失礼ですが、あなたより…偉いのです」
 言論統制でもされているのでしょうか。
 その場に神様がいて、神様が語るというのを
 「神様イコール雅宣先生」となっている感じでしょうか。

 う〜ん それだとやっぱり、
 生長の家に行く気はしないです。

 前述しましたが、学ぶ会に誌友会について聞きましたら、
 今は忙しいので後ほど回答します、それまでまず月刊誌を読んでみて
 ください、とその日に手配してくださいました。(お金の話はなし)
 以前奉職されていた方との事で、とても感動しました。
 私はまだ、学生時代のマルクス・レーニン主義的歴史観が若干残っていて、
 学ぶ会の言われる「天皇国日本」というのがぴんとこないのですが、
 そういうのも機会があれば本を読むことで教わろうと思っています。

554義春:2011/09/29(木) 21:59:29 ID:SjZg29/2
>>552
琴音様
ホント、琴音様には心苦しい想いをさせてしまい、本気で申し訳ない気持ちでいっぱいです(汗)

>「昭和の時代が終わってしまった」と呟く声を自分の内側から聞いた
体験があります。

そうですか…実は私も同じでした…。
私も6歳くらいでしたが言葉に出来ない、舞台の1つの大きな幕が、雪と一緒にサーと降りていった…
そんな感じで今も思い出しています。

まぁ…何と言いますか、活動する人に天皇陛下という魂を込めて欲しいなと熱望したり、
地域によって違うのかな?とか年齢によるのかな?とか色々悲しみと共に思っています。

私は活動から離れて数年経ちますが、そんなに変わってしまったのかと、泣きたい気持ちです。

本当に、本当に申し訳ありません。

555かぴばら:2011/09/29(木) 22:14:44 ID:TjlpqfpM
琴音さま

せっかく勇気を出して行かれたと思うのに、残念なことです。今の生長の家とは、縁がなかったのかもしれませんね。

こちらでは、突然練成に誘ったりすることなどまずありません。お話を聞くことが第一だと思ってるからです。だからすごく出入り自由です。

第一、練成だって日帰りは2000円、全期(二泊三日)で6000円という良心的なものだし、信徒さんの真心こもったお手間入りのお食事を出してます。

私も学ぶ会の本をとってますが、どちらに行くかはゆっくり決めることにして、まず本を読まれることが一番かなと思います。(もうすごく読んでらっしゃるんですよね。さすがです。)

ここには有力本部講師の方が沢山いる!!ので、わからないことは「ネット講義」を受けることにしましょうよ。

もおう、ここで学ぶことがいっぱいで私もびっくりです!!

556琴音:2011/09/29(木) 22:23:06 ID:Q3WxxcVs
義春様
 そんな、申し訳ないなんて…
 私は色んな組織をみてきているので、
 人がどんなに正しい信仰をもっていても、
 組織が変な方向に向かうと正しいことすらいえなくなってしまう状況も
 よくわかっています。

 全体的にみて、まあ仕方ないな、と。
 信仰者すべてが悪いわけではないのですから。

>私も6歳くらいでしたが言葉に出来ない、舞台の1つの大きな幕が、
 雪と一緒にサーと降りていった…そんな感じで今も思い出しています。

 そうですか。やっぱり子供は霊感が強いといいますが、
 国民をほんとうに大切にしていてくださった、守って下さっていた方に
 対しては、子供にもわかるんですね。
 
 もし昭和天皇について正しく教える人がいなければ、
 多分これからは「戦争をひきおこした人」として人々の心に記憶される
 ことになります。
 歴史の教科書が韓国の反日体制を取り入れた形に変わっているので。
 なので、正しく昭和天皇の戦後の歩みのすばらしさ、今上陛下の歩みなどを
 伝えていく場所は個々人の家庭と正しい宗教の場でしかないと思っています。

 でも、今の生長の家はそうではないんですよね。
 それが残念です。

 もうすぐ家庭をもつ私が、今生長の家に出会ったのも、
 きっとご先祖と日本の神様が私に、そして子孫に伝えたいことがあったためなのだと
 今は思っています。

557義春:2011/09/29(木) 22:58:29 ID:SjZg29/2
>>556
琴音様
まぁ…誰かが謝るべき事ですから…。それに、そういった方々を責めたくない気持ちなんですよね。
あの人たちも、あの人たちの場所で一所懸命なので、むしろ加勢してない自分自身が彼等にも申し訳なく思っています。

昭和天皇については…真に琴音様の仰る様に、正しく伝えないと、本当に間違って伝わってしまいます。
高校時代に反日教師とやりあいましたが、それを本気で信じているから質悪いですよ。
まぁ…まだ、あの頃よりかはマシにはなりましたが…でも、その事に無関心の層をどうするかだと思っております。

これから家庭を持たれるという事ですが、真におめでとうございます!
私はその様な事は諦めているのですが…だから、尚更嬉しくなります。

これから生まれてくるであろう、こどもさん逹に伝えて下さいね…
この国で精一杯、生きてきた人たちや、天皇様の事や、色んな人たちの想いを…。
そうすれば、こどもさん逹の心に、そういった人たちが蘇りますから…。

琴音様が、その様な想いでいらっしゃる事に、心の底から感動を覚えています。

おかげで、仕事疲れがなくなりました。本当に有り難うございます!

558琴音:2011/09/30(金) 21:39:49 ID:5d6uMB.U
義春様

 昭和天皇の事もそうですし、私などは明治天皇がどういった方か、
 などは調べておらずわからないといった具合ですので、
 もうこれは自分が関心もたない限りは触れてはいけないタブーに
 なっていってしまうかもしれませんね。

 でもそうではなく、ちゃんと伝えていけるようにできたら。
 
 全く無宗教の彼にも、昭和天皇が敗戦後、危険を顧みずに全国を回り慰労された
 話しをしたところ、
 「そんな話知らなかった…」
 と驚いていました。

 たったそれだけのことも、学校では教わらないのです。
 だから、願うことは、秋篠宮様が皇太子、ゆくゆくは天皇となられて、、
 それをテレビで見ながら、お茶をすすりながら語りたいな、と
 思ってます。

>私はその様な事は諦めているのですが…
 えっ。 なぜ?  私よりもお若いはずなのに…
 よき方と出会うには、よく神様につないでもらうことだなって
 つくづく感じます。
 きっと神様が準備してくださってますよ!

559義春:2011/09/30(金) 22:33:58 ID:SjZg29/2
>>558
琴音様
まぁー私達の世代は天皇陛下の事、知らない人が多すぎなんですよね。
生長の家関係なしでネットで知り合った現、自衛隊幹部候補生の子…
この子なんかは(日教組が強い)広島出身だから、天皇陛下の事を知る筈もないから、
ゆっくり色々説明してあげたら、感激してましたよ。まぁ…日教組嫌いというのもありましたが(笑)

彼氏さんもたぶん、知らなかっただけで、お知りになれば、又、違った想いになるかと想います。

明治天皇については今、松本健一の『明治天皇という人』を読んでいますが、
大西郷(西郷隆盛)が西南戦争で亡くなられてから、ある日の事…
美子皇后や女官に『西郷隆盛』という題で和歌を詠ませました、
その時に『西郷の罪禍をそしらないで詠ぜよ。唯今回の暴挙のみを論ずるときは、
維新の大功を覆うことになるから注意せよ』
と仰っられたそうです。つまり、西南戦争が暴挙であるのは認めても、それを超える大功と
彼に対する親愛の情は、何ら変わらないという事であろうかと勝手ながら察しています。
明治天皇にすれば、西郷隆盛という存在を、その大御心に住まわせていたのではなかろうかとも存じます。

その様な事から、明治天皇という方をお知りになるのも良いのかな?と想います。

まぁ…私の事、自分で計らわない事にしました。そういったものを捨てていこうと決めただけです。
いや、お気遣い、有り難うございます。

560義春:2011/10/01(土) 03:15:16 ID:iu5Ar./Q
>>559
559に関して、訂正させて頂きます。
明治天皇は御気持ちとしては西郷さんを肯定してらっしゃったと思いますが、
立場としては暴挙といわざるを得なかったと察します。
後ほど、投稿しますが、西郷さんは偽ユダヤと戦われたのですから、
その気持ちを一番理解していたのは、明治天皇であると思います。
それだから、「西郷を殺せとはいってない」と漏らされたり、
西郷の弟、従道を呼び寄せ、「これからも勤めてくれよ」と慰められたのだと思います。
(参考ページ:http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h22/jog671.html
まだまだ、学び浅き身なので、もっと勉強して参ります。

561琴音:2011/10/02(日) 19:15:35 ID:C7QYKSBU
かびばら様

 こんにちは。
 昨日、「学ぶ会」の本9.10.11月号が届きまして、
 さっそくこの土日に読ませていただきました。

 月〜日に分かれてお言葉が掲載されているので、
 これはわかりやすいなあ、と思いましたし、
 10月号では皇后陛下美智子様のお歌について記事があり、
 皇室を身近に感じました。
 そういうエピソードに触れる機会は全くないので…。
 「雅宣氏反対!」みたいな論説があるのかと思いきや、
 中身はほとんどが谷口雅春先生の教えと信仰体験・エピソードだったので、
 よかったです。

 練成も時間がとれれば行ってみたいですね。
 参加費もほんとうに良心的ですね。

 ゆっくり本を読みながら、
 少しずつ自分の周囲にもいい影響を与えていけるように
 取り組んでいきたいです。

562琴音:2011/10/02(日) 19:25:44 ID:C7QYKSBU
義春様

 天皇陛下のエピソードって、知れば知るほど感動のお話ですから、
 その自衛官候補生の方の様子も目に浮かびます。

 それも一つの伝道、ですね。

 明治天皇は、よく日本の歴史をお調べになっていたみたいで、
 即位の前に崇徳天皇の御霊をお慰め申し上げたとお聞きしております。
 私は、西郷隆盛が怨霊化しないように、御霊を供養するために和歌を
 詠ませたのだと思います。
 西郷隆盛に限らず、和歌を詠ずることは
 そういう意味があると聞いたことがあります。

563義春:2011/10/03(月) 00:41:48 ID:iu5Ar./Q
琴音様
 まぁ…彼のような若い子を育てられただけでも、この人生良かったのかも
しれません。組織としての生長の家を離れてから出会いましたが、
色々相談に乗ってあげ、励まして、そして聴いてみると難関の幹部候補生に
合格した…それが内心生きていて良かったなと思えることなのですよ。
親父さんを幼くして亡くした子なので、本当に苦労してきた子のですよ。

 それで、崇徳上皇を確かに即位前にお慰めしていますね。
ただ、崇徳上皇と西郷隆盛は全く違うのですよ。
確かに、和歌には言葉によって静めるというものがあります。
崇徳上皇の御霊に対しては全くそうなのですが、西郷隆盛の場合は、
あの方には、元より私心がありませんでした、私心のない西郷さんは、
怨みが無いので御霊と化する要素が全く無いのですよ。だから、この場合の和歌は、
明治天皇御自身の中での西郷さんの存在の再確認と、西郷さんの魂が、
安らかにあって欲しい…慰霊の気持ちからだと、とらえた方が正しいように思います。
端的に申しますて、明治天皇を明治天皇たらしめたのは、西郷隆盛と云う
存在なのですよ。言うなれば帝王の師ですね。だからこその和歌だと思います。

564かぴばら:2011/10/03(月) 17:13:50 ID:TjlpqfpM
琴音さま

御本気に入っていただいてよかったです!学ぶ会の御本は、なんか子供の頃見た生長の家の神誌みたいな感じです。今の普及誌はカラー刷りで見かけは綺麗ですけど、あまり読むところがないというか、読む気がおこりません。

私なんかより、真理に造詣が深く、色々なことをよくお勉強している琴音さんが雅春先生のファンになってくださることがうれしいです。私にとっては活動は正直いって全然わからないことで、只々生長の家の真理を知って喜んで下さる方が増えるのが嬉しいです。

義春さま

すごい理論を検証してくださって有難うございます。葵真吾氏の本文もしっかり読んでみました。

今から15年くらい前のこと、ある健康雑誌に大田竜氏という方がユダヤ陰謀論というのを旧かな使いで連載で書いて見えました。

その頃は何も知らず、このおっさん頭おかしい??位の感想しか持ってなかったのですが、最近都市伝説などでも取り上げられるようになり、世の中自分とはまったく違う次元で動いているのだなあとびっくりです。

大田竜さんはもう亡くなられたと思いますが、もしも興味があればお調べください。

私はといえば、相変わらずドメスティックな日常で、一日が暮れてしまいますが、この頃無性に嬉しくなることも多いです。

まあ組織活動もなくなって、自由気ままに暮らしているせいもあるんですけどね。ここの板ももっとしっかり読んで勉強しなくちゃいけませんが、すごいスピードなので、正直全然ついていけてません。

これからやっと「原典ユダの福音書」と「私の聖書ものがたり」という一番簡単そうなのをよもうと思ってます。

565義春:2011/10/03(月) 17:50:12 ID:SjZg29/2
>>564
かぴばら様
まぁ…お気持ちは、よく分かりますよ。私からして半信半疑だから、自分自身を納得させるだけ調べているのですから。
ただ、調べれば調べる程に確信になってしまうのですね。表に見えるシステムの作りが妙なのです。
だから、まぁ…信じるか…という感じなのですよ。まっ、ゆっくり読んでくださいね。全ての構想は出来ていますが、私もゆっくり考えたいですから…。

566トキ:2011/10/03(月) 18:38:41 ID:VrJvSmLE
 太田竜さんは、いわゆる新左翼を日本で初めて提唱した人です。

 ソ連の独裁者スターリンが1953年に死んだ後、1956年にフルシチョフによる、いわゆる
「スターリン批判」が行われると、トロッキーという人の考え方が再評価されるようになりました。
このトロッキーというのは、レーニンの同類で、スターリンのライバルを言われた男でした。
 ロシア革命の時に軍事人民委員とかいゆ名称で、共産政権で軍事関係の部署で反革命派を弾圧
し沢山の人を殺しましたが、政争に負けて国外追放になり、最後はスターリンによりメキシコで暗殺
されてしまいました。この論争は一国社会主義論か世界同時革命論かの論争で、トロッキーは革命を
世界に輸出すべきだ、という人類にとっては大迷惑な考えを主張していたのです。この考えは、暫く
は「トロッキイズム」として共産主義の世界ではタブーになっていたのですが、スターリン批判と同時に
共鳴する人が増えていきました。それを日本で最初に提唱したのが太田さんです。
 彼の主張のおかげで、日本に新左翼運動が定着し、テロや人殺しが流行したのは、困った事でした。
ところが、太田さんは、ある時期、共産主義から環境問題へと関心を移し、そちらのほうの運動を
始めました。同時に左翼運動から足を濯い、元の仲間から「裏切り者」と言われる様になりました。
 確か、レコンキスタ(鈴木邦男さんの主催する新右翼団体「一水会」の機関紙)には、太田竜さんが
新右翼の講演会に来て、天皇陛下万歳を参加者と一緒に叫んでいたとか、「天皇こそ、究極の自然主義者」
とか言っていたとかあり、そのあたりから陰謀論も書く様になったみたいです。

 以上は記憶によるものなので、間違いがあったら、お許し下さい。

567琴音:2011/10/03(月) 19:58:02 ID:Cnd5L1I2
かびばら様

 >学ぶ会の御本は、なんか子供の頃見た生長の家の神誌みたいな感じです。
 そうなんですね。毎号谷口雅春先生のお写真が表紙についているみたいで、
 身近に感じます。

 >雅春先生のファン
 そうです! まさにそうです。
 
 本日、思い立って、靖国神社に初めて参拝にいってまいりました。
 私はそれまでちょっと歪んだ考えを持っていて、
 靖国に行くと変な霊がついてくると思っていました。
 あの銅像の前あたりまで、昔、行ったことがありましたが、
 同じ理由で中まで入れずそのまま戻ってきたことがあります。

 あろうことか、元小泉首相が参拝するかどうか世間の注目の的になっていた
 ときに、そのとき信じるキリスト教の神様に「どうか参拝しませんように」なんて
 と祈ったり首相官邸HPにメール文を送りつけたりするくらい、
 中国・韓国よりの発想でした。

 でも、雅春先生を学ぶ会の本を読んだり、
 生命の実相を夜中にずーっと読んでいて、
 やっぱりそれはいけない。抵抗があるのは洗脳なのかもしれない。
 いつか、いつかではなくて、今日、今から変えられるものなら
 変えないといけないと思い立って、靖国へ行きました。

 二つ目の鳥居をくぐり、木々を横目に、
 想像していたよりも遥かに澄んでいた霊気に驚きました。
 特に悪いものも感じず、
 本殿と左奥の2社殿にただ感謝のお祈りをささげました。

 自民党の方が、参拝を批判されたときに、
 「これは日本国内のことで他国にとやかく言われる問題ではない」
 と言い切っていたのが印象的でしたが、
 ほんとうにそうだと思いました。

 ちなみに、その後仕事の面接があり、
 2ヶ月間決まらなかった仕事がすんなり決まりました。

 きっとこの失業期間は、神様が間違った神頼み信仰をしている私に
 正しい感謝の道、正しい信仰の道を教えてくださるための
 摂理だったのだと思いたいです。

568義春:2011/10/03(月) 20:03:28 ID:SjZg29/2
>>567
琴音様
横レス失礼します。
就職おめでとうございます!!!琴音様の文章読んで本当に心からお祝い申しあげます!!素晴らしい!

569トキ:2011/10/03(月) 20:13:40 ID:VrJvSmLE
>>567

琴音 様

 ご就職、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
また、靖国神社へのご参拝も心から敬意を表します。護国の英霊の皆様もお慶びだと
思います。

今後とも、益々、ご活躍をお祈り申し上げます。

合掌 ありがとうございます。

570かぴばら:2011/10/03(月) 20:55:20 ID:TjlpqfpM
琴音さま

同じく就職おめでとうございます。結婚も控えてらっしゃるので二重の喜びですね。思い立ってすぐ行動されるところが素晴らしいです。

こんな聡明な方をお嫁さんにできるお相手の方は幸せ者ですね。きっと素敵な方でしょう。私も嬉しいです♪

トキさま

なんかとんでもない方を紹介したみたいで失礼しました。でも私たちにはうかがい知れない別の真実もあるのかもしれませんね。

まあ、私はいわゆるトンデモ話も好きなので(奇跡のリンゴの木村さんとか(笑))興味しんしんです。

571トキ:2011/10/03(月) 21:11:34 ID:VrJvSmLE
>>570

かぴばら様

 いつも素晴らしいご投稿をありがとうございます。全然、気にしないで下さい。太田竜さんは面白い
人です。あと、奇跡の林檎の木村さんの本も読みました。彼は、龍を見た事がある、とも書いていますね。
彼の話も面白かったです。

 それに、私こそ、百万運動の話題で、皆様に多大なご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。

 今後とも、不思議な話題を期待しております。宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます。

572さくら:2011/10/03(月) 23:18:17 ID:T/77sMGw
琴音さま

私も今年、やっと念願の終戦記念日に、靖国神社へ参拝でき、
何か、一つ役を果たしたような気持ちを頂きました。
何の矛盾のない気持ちで、日本に生きる奇跡に感謝ができること、
本当に素晴らしいことです。

就職、結婚と、人生の節目に、生長の家のみ教えに触れられた
琴音さま。ますますご自分の人生を、輝かせてご活躍下さいませ。

…いけない、シンデレラタイム、過ぎちゃった、
おやすみなさい〜!

573琴音:2011/10/03(月) 23:46:39 ID:Cnd5L1I2
義春様、かびばら様、さくら様
 
 皆様、ありがとうございます。
 思いがけず多くの方から祝福の言葉…感謝です。

 あと、結婚は、もうちょっと先になりそうです(笑)
 まだ婚約段階なのです。
 喪の関係で、早くて来年の今頃…
 なんだか申し訳ないです。
 
 きっと生命の実相は、ご先祖様からの婚約祝いなんだって
 思ってます。

 さくら様
 終戦記念日の参拝、素晴らしいですね。
 私も来年からは毎年、参拝したいと思います。

574トキ:2011/10/05(水) 13:47:47 ID:cjNjb78g
本流掲示板で、山ちゃん1952様から、以下のようなご忠告を頂戴しました。

ここの『掲示板』と和解してこそ本物である。NEW (4836)
日時:2011年10月05日 (水) 12時43分
名前:山ちゃん1952

>>失礼ながら下記の事を書かせていただきます。
>>「トキ様」は最近浄心行されましたか?
>>祈り合い神想観されましたか?
>>もう一度、真剣になされた方がいいと思います。

 せっかく、ご忠告を頂戴したので、近く謹んで行うつもりです。
でも、あれは本当に良い事なので、教団側の方々も本流復活派の皆様も、ぜひ、トライ
して下さいね。

575うのはな:2011/10/05(水) 22:16:29 ID:iM0b0bt6

BGM  オールマイティー  歌 ユーミン

> こちらのカードはカスばかりでも 一枚ジョーカーを持ってるのよ♪

 山ちゃんが久しく見えないと思っていたら、本流で朝まで生テレビみたいに
 なってる(笑)
 山ちゃんの本棚を見てびっくりした。
 『中のこころ』があった! さすが山ちゃんだな!!

576さくら:2011/10/08(土) 08:51:56 ID:xj5LGcEM
…組織をよく知らない信仰者、組織から離れた信仰者のご投稿も、歓迎ですって、ここ。

 …朝方自然に、しねたらよいですね、、なんてちょっとシビれる素敵な言い回しにビビらないで下さいね、笑。

ここの皆さんは、ちょっと、霊感が鋭いだけで、優しい方ばかりですから…

対象aに向けての、嘆願書、も、恋文も、よいですね…、笑。


気がつくと、人って、ミラーハウス、に迷い込んで、他人だと思うものが、全て自分の姿だったり、
どこまでも続く地平線を目指してると思ったら、実は全て、大きな球体のシェルターの中の出来事だったり、
本当は、つかの間、そんなリアルな幻想を楽しみに来たのかもしれないですけど、
それにしても、よくできた幻想だと、時々つくづく感心せずには、いられません。

こちら、静かで美しい土曜の朝です、
では、良い一日を、お過ごし下さい。

577さくら:2011/10/08(土) 15:24:44 ID:xj5LGcEM
さまつな日常の、
ただ、ひとりの人に宛てた、
メモ書き。

10月某日(土)

先日、ある慣れない部屋の窓際に、まりもの入った瓶が置いてあるのを、見つけました。
そういえば、小さい頃海へ行った時、こんなの買ってもらったな〜、
なんて懐かしくなって、見ていたら、
その瓶の首に、
「まりもは、生きています。」と札が掛っていました。

小さな瓶の中に閉じ込められたその無口な緑の生物の、
生きてます、という精一杯の自己主張が、
窓から射す光が照らされて、なんだか、まぶしく感じる気がしました。

私は、生きてます、なんて普段誰かに面と向かって言われることって、そうそうないからでしょうか。
生きてる、なんて、当たり前みたいになってしまった事実に、なんだかハッとするような気がしました。

天然まりもは、寒さには大変強く、夏は冷蔵庫に保管するのも良いそうです。レッドリスト、絶滅危惧種。

P.S.
無精な君の部屋に、まりもの瓶、置いたらどうかな。
まりもの、緑の丸みを見ていたら、君の背中を、想い出した。

578八百比丘尼:2011/10/08(土) 17:25:33 ID:j8iOdie.

 今日は、何だか静かな日ね。
昔の日記が出てきたわ。全部、捨てたはずだったのに、古いバッグの中に
ひっそりと眠っていたのね。

さくらちゃんと、世界中の恋する乙女たちに送ります。
シルクロードの旅人からもらった、この涙壷を添えて。

  恋ひ恋ひて 逢える時だに 愛(うつく)しき言尽くしてよ
                    長くと思わば
                『大伴坂上郎女』

579さくら:2011/10/08(土) 20:54:11 ID:xj5LGcEM
比丘尼ママ

その日記を読んだら、私は感情移入しすぎて、比丘尼ママの昔の想い出に、恋をしてしまいそうです。
比丘尼ママの昔の恋人は、『クローズド・ノート』の、伊勢谷友介に似ていますか?




みかの原 わきて流るる泉川 いつみきとてか 恋しかるらむ
                            
                        『中納言兼輔』

581460:2011/10/09(日) 15:51:44 ID:v2PhadaI
−−暗転−−

 神に求めて、神は応えたまわないと云うことは決してないのである。神は常に
応え給うでいるのである。あなたの現在の境遇、環境、あなたを取巻く人々があ
なたに如何に立ち向かうか、すべてあなたの心に対する神からの答えである。あ
なたは、周囲の人々のあなたに対する処置が苛辣であるからとて、それらの人々
を恨んだり憎んだりしてはならない。それは神からのあなたへの回答であり、あ
なたへの点数である。それは自働操縦装置の計器のように、あなたの心と行動と
の点数が現れているのである。
 しずかにその計器の目盛りを見て、自分の心と行動とをあらためた上、神想観
をし、損得の観念に捉われず、「之を為せ」と心の底から浮かんでくるところの
正しい事を確実に実行するがよい。困難な問題があるならば、暫くその問題を心
から放ち去って別の方面に正しき愛行を実践しているなら、困難な問題は自然に
解決するのである。
谷口雅春著『新版 希望を叶える365章』より

582460:2011/10/09(日) 16:05:50 ID:v2PhadaI

〜在りし日の灰谷さんを思いださせてくださった方に捧げます〜

 境界線は、良いものをうちに保ち、悪いものは外に出す、のです。境界線は
人に盗まれないように宝物を守ります。境界線は壁ではないのです。地境は通
り抜けができるくらいに浸透性があり、危険物は閉め出しておける程度の強度
があるということです。
 他者の境界線を聞き取り、それを受け入れることのできない人は、ノーとい
われると、それなら相手の気持ちを変えてやろうと思ってしまうのです。この
ような境界線の問題は「支配」と呼ばれます。
 境界線を引くのに最も基本的な言葉は、いいえ、ノーです。この言葉は、あ
なたが他者から分離した存在であり、あなたを管理するのはあなたであること
を発信します。
ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント共著『境界線』

460の独白。小さいころから気まぐれな暴力にさらされてきた私には、ほかの人にとっての
「当たり前」が羨望の的でした。

583さくら:2011/10/09(日) 17:25:48 ID:xeD1LYvk
さまつな日常の、
ひとりに宛てた、
気まぐれな、メモ書き。

10月某日(日)

日曜の朝の朝食は、まるで光を食べるように、白いものばかりが並ぶ。
パンにミルク、目玉焼きはしろい膜に覆われて、レタスはシャリシャリした部分、クラムチャウダーに、フルーツヨーグルト…
あんまり白くて、半分は妄想を食べているようだったから、
トマトの赤、で現実感を取り戻す。

「当たり前」、なんて眩しいことばだろう。
これを求めて、どのくらい人は、神を求めて迷うんだろ。

全ての「苦行」は、この「当たり前」に辿り着くための、無駄骨のようなものだとしても、
それぞれが辿って来た道が誰にも知られることがなかったとしても、
その経験を愛おしく見つめている存在が、自分の心にあるのを、知っていれば、
それで大丈夫、だと思いたい。

「当たり前」、を知った時の絶対なる安心感、
ふつふつこみ上げるような愛に包まれる感覚。
それを知って、初めて、全てが許せるような、そんな気持ちになった。
なんだ、自分は、はじめから、許されていたんだ、そんな当たり前のことに辿り着くために、全ての道があったと思う。
だから、全部、時々は泣きたくなるくらい、愛おしい。


P.S
先日、君が薦めてくれた本だけど、開くと君のことばかり思い浮かんで、ちっとも進みやしない。
君との間には、言葉、言葉、言葉、ことば、ばかり。
次会った時には、話すことなど、何もなくなれば、いいのに。

584八百比丘尼:2011/10/09(日) 18:12:07 ID:j8iOdie.

 伊勢谷友介さんは、白洲次郎がとても良かったわね。
残念ながら彼には似ていません。
でも、背が高くて、ほっそりしてて、とても優しい目をしていました。

ミルク・・・・。そうね、彼は喫茶店に行くと、いつもミルクかココアを
注文する人だった。
私は大人ぶってBLACK COFFEEだったけど。
ある日、彼がポツリと言った。
「タバコ、やめたんだ。歌えなくなるからね。」
もう、あの頃の夢は、とうに消えてしまったのでしょうね。
ゴーロワーズの空き箱が、哀しい秋の日でした。


  黒髪に白髪(しらかみ)交じり老ゆるまで
        かかる恋には いまだ逢はなくに
                 『大伴坂上郎女』

585かぴばら:2011/10/09(日) 21:27:33 ID:TjlpqfpM
460さま

灰谷 健次郎さんが好きなんですか?つらいことがいっぱいあったのですか?

私には傷ついたあなたの心の中はわからないけれど、話をきいてあげることは出来ます。

その哀しい思いをみんなに共有してもらうことも出来ます。もしかしたら、「わかってもらおうなんて思わない・・・」なんて言われるかも知れないけれど、よかったら、お話くださいね。

面白くて、優しい?みんなが待ってますよ。

586トキ:2011/10/10(月) 09:34:16 ID:XeAJ.Bc6
460様、素晴らしいご投稿をありがとうございました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

あと、初心者様の再登場をお待ちしております。

587うのはな:2011/10/10(月) 14:53:46 ID:iM0b0bt6
>>582

460 様も灰谷健次郎氏の「太陽の子」をお読みになったことが
あったんですね。外国の素晴らしい文の掲載ありがとうございました。

588a hope:2011/10/10(月) 17:25:03 ID:MNrNIsM2

灰谷健次郎氏なら、わたしも昔よく読みました。
今でも、本棚に何冊か並んでいます。


460さま 

わたしも、今は本当に幸せですが、子ども時代、学生時代、独身時代、それなりに悲しい思いや、
辛い思いをしてきました。
具体的に思い出すと、すごいことになるのでやめておきますが...
そんなとき、灰谷健次郎氏の作品を読むことで、ずいぶん救われていたような気がします。

なんか、灰谷健次郎氏の名前をきいて、懐かしくなったので書き込んでみました。

また、書き込みしてくださいね。

589うのはな:2011/10/10(月) 21:42:49 ID:iM0b0bt6

真理百話 ●年頭に方って人生を祝福する言葉● 谷口雅春 先生

 皆さん、新年お目出とうございます。
いよいよ新しい幸福の年を迎えるのであります。過去にどんなことがありましても、
それは除夜の鐘の音と共に消えてしまったんであります。
新しい天と地とが暁の帳をあげて、新しい日光があなたの家に射し込んで来ている
のであります。もうすでに闇は消え、光の世界が始まっているのであります。

 万物ことごとく新たになったんであります。あなたの心が新たになったんであります。
心が新たになることが、この新年に一番必要なことなんであります。
過去を捨てましょう。そして心が新たになって、、見る心が一転したときに、
天地が一転するのであります。見る心が一転したら天地が一転する。

 過去は、過去のあなたの心に描いたところのいろいろの心の想いが形にあらわれた
ものでありまして、あなたの心の中の想いが変ってしまったならば、これから展開
して来るところの世界は変って来るのであります。
去年までいろんな問題があったにせよ、この新年を機会に奇麗サッパリそんなものを
忘れてしまうべきであります。過去はすでに過ぎ去ったんであります。
新しい天と地とが天降って来ようとしているのであります。

つづく

590うのはな:2011/10/10(月) 21:55:23 ID:iM0b0bt6
> 589つづき

 あなたは今後、ただ幸福のみを想うことにしようではありませんか。
世界人類の幸福を、日本国民全体の幸福を心に想うことにいたしましょう。
 心に想うものが形にあらわれてくるのであります。類をもって集るのであります。
あなたが今後幸福ばかりを想念すれば、あなたは幸福ばかりを引き寄せる磁石のように
なることができるのであります。

 誰でも新年を迎えますと心機一転して新鮮な気持ちになりやすいのであります。
その人類全体が、“新鮮な気持ちになろう”としている時に、そのときに一緒に
新鮮な気持ちになるのは非常にたやすい問題であります。
 人類全体が過去において幾千年にわたって、いろいろまちがった考えを持って来て
おってもですねえ、今や人類全体が「新年を迎える心」に自分の心を、、、
波長を合わして「新しい心」になるということは最もやさしいことであり、最も好い機会
を捉えることになるのであります。

 あなたは神から完全な自由を与えられているのであります。
何を考えるかということはあなたの自由なんであります。そして考えることが
あなたの生活の設計になって、その設計通りが形にあらわれて来るのであります。

つづく

591うのはな:2011/10/10(月) 22:01:06 ID:iM0b0bt6
>590 つづき

 われわれは「コトバの力」を知らなければならないのでsります。
コトバの力、、、キリスト教の『新約聖書』のヨハネ伝には「はじめに
コトバあり、コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき、万のものこれに
由らで成りたるはなし、これに命あり」というふうに書かれているのであります。
 一切万物は神のコトバによって出来たのであります。
その神のコトバがわれわれの命となって自分の内に宿っておって、そしてやはり
神のコトバがわれわれ

592うのはな:2011/10/10(月) 22:16:42 ID:iM0b0bt6

神のコトバがわれわれの命として宿しているわれわれは、自分のコトバによってまた
一切のものを創ったり呼び寄せたりする力があるのであります。
「太郎さん」と言えば太郎さんが出て来る。「太郎さん」と言ったら次郎さんが出て来たり
する筈はないのであります。
「中村さん」と言えば中村さんが出て来るのであります。
「大山さん」と言えば大山さんが出て来るのであります。

 皆さんが朝起きて、快い気持ちになって、「今日は幸福が来る、幸福が来る。
善いことが来る、善いことが来る」と、こういうように心で唱える。
あるいは耳に聴こえる声で唱えてもよろしいが、その耳の聴こえる声で唱えるのはこれ、、
自己暗示といいます。

 朝起きた時に、「私は神の子である。神から祝福されたる者である。
私は神の子であるということを完全に今自覚したのであるから、神から与えられる
幸福を此の現実世界に必ず豊かに実現することが出来るのである。此の新年からは
善いことばかりが出て来るのである。うれしいのである、楽しいのである」
 こういう言葉をですねえ、二十回ぐらい心の中に唱える。
あるいはコトバに出して自分の耳にきこえるように唱える。
そう唱えると、その唱える通りに祝福されたる人生がほうとうに現実となって
展開して来るということになるのであります。

つづく

593うのはな:2011/10/10(月) 22:50:40 ID:iM0b0bt6
>592 つづき

 ただ新しく自分の幸福を、家族の幸福を、日本国家の隆昌を、人類の平和を、
善きことのみをこの新年に考えようではありませんか。
新しき年の出発において、皆さんに挨拶としてこの言葉をお述べしたいと思うのであります。

 大体、想念すなわち心に想うことは、現象界を造り出すところの元の型になるのであります。
あなたが今日、何を念じなにを想うかがあなたの現象界の運命を左右することになるのであります。
あなたは習慣に押し流されて、ひょっとしたら“悪いこと”とか“不幸なこと”とかを
考えようとすることになるかも知れませんけれども、そんな習慣を破るのがこの新年なのです。

 習慣に負けたら、、、習慣というものは「海の潮流」みたいなもので、習慣に負ける者はこの、
船を操っている船長が、潮流に押し流されて、そして自分が目的とする方向に舵を取ることが
出来ない船長みたいなもので、そういうような状態では人生の荒波に押し流されてー
岩に激突して沈没する船みたいに、、自分の運命が沈没することになるのでありますから、
過去の、、去年の習慣に負けて仮初にも、ちょっとでも悪いことを想ってはならないのである。
善きことばかりを想うようにすればいいのであります。

 あなたの心は、あなたの“運命の船”の船長なんであります。
過去の習慣的な想いというものは、それは海の黒潮の流れみたいにですねえ、一定の方向をもって、、
黒く暗黒の方へ流れて行くかも知れないけれどもですねえ、、、しかし、あなたは、
神様から想念の自由(ものを考える自由、何を想うかの自由)というものを与えられているのでありますから、
善きことのみを想うようにしようではありませんか。

 常に間断なく、“善きこと”のみを想うのがいいのであります。
常に間断なく善のみを考えるのであります。仮初にも人の悪を、ゴシップの中にでも
言ってはならないのであります。人の善いことだけを探して、そしてそれをゴシップにする。
それを、、、善いことだけを喋るようにしておりましたならば、自分にその善いことが出て来る
のであります。

 人の悪いことを喋っていれば、自分に、人の悪口を言ったと同じような悪い問題が起って来るという
ことになるのであります。
 それは何故であるかというと、この世界には<類をもって集まる>という法則があるのであります。
悪い事を考え、悪いことを言うならば、それは他の人の事であっても、それと同じ問題が自分に起って
来るのは、それは<類をもって集まる>という法則がこの世界にあるからなんであります。

 ですから皆さん、この年の始めを境として、そして過去に如何なる事があったにもせよ、
過去の一切ののものを振り捨てて、、、心の中から奇麗サッパリ振り捨てて、
新しき天と地との黎明を喜びの心をもって、新しき日光の輝く心をもって迎えようではありませんか。

 皆さん、お目出とうございます。 ありがとうございます。

 (日本短波放送の再生)

594a hope:2011/10/11(火) 08:47:27 ID:MNrNIsM2

うのはなさま

真理百話 ●年頭に方って人生を祝福する言葉● 谷口雅春 先生
の書き込みありがとうございます。

素晴らしいですね!
朝から、めちゃめちゃ元気になりますね。
わたしは、さっそく、プリントアウトして、毎日が新年のつもりで読みたいです。

>常に間断なく、“善きこと”のみを想うのがいいのであります。
常に間断なく善のみを考えるのであります。仮初にも人の悪を、ゴシップの中にでも
言ってはならないのであります。人の善いことだけを探して、そしてそれをゴシップにする。
それを、、、善いことだけを喋るようにしておりましたならば、自分にその善いことが出て来る
のであります。

 人の悪いことを喋っていれば、自分に、人の悪口を言ったと同じような悪い問題が起って来るという
ことになるのであります。
 それは何故であるかというと、この世界には<類をもって集まる>という法則があるのであります。
悪い事を考え、悪いことを言うならば、それは他の人の事であっても、それと同じ問題が自分に起って
来るのは、それは<類をもって集まる>という法則がこの世界にあるからなんであります。<


雅春先生が、うのはなさまを通して大切なことをお伝えくださっているんですよね。

感謝 合掌。

595460:2011/10/11(火) 16:50:11 ID:v2PhadaI

>>585
かぴばら様の、そのときその瞬間の *真心* を受けとりました。ありがとうございました。
ごあいさつが遅れました、460です。

これから先、もしかしたらお話をさせていただくことがあるかもしれませんし、お話しないままかもしれません。
これはまったくわたしの問題で、ですので、打ち明けることがなくてもそれはわたしの問題、と理解していただ
けましたら、有難いです。

いろいろ思うところのある経験(生長の家にいた過去とそうでない現在)からお話をさせていただいてもよろしい
でしょうか。

他人の「魂」(「心」よりもふさわしいと感じるので、使います)と同じレベルで何かを感じる能力は、ほんとうに
重要な能力だ、と思います。でも、相手に意図をもって働きかける場合、それが良い意図であっても、それだけでは
難しいのではないか(やはり実際問題として)、とわたしは生意気にも思っているところがあります。
迷路に迷い込んで、最悪の場合は、共倒れになる可能性があるとおもっております。
どういう風にいえばよいでしょうか。
その場に、というか、お互いに「神がおわす」という謙虚さ、畏れ?があり、どんな現象に対しても
「あなたもわたしもあの人もみんな、つまりは神の子」として頑として言動が揺らぐことがなければ…
とか、この場においてはそういう言い方しか思いつかないのですが、他人の人生に意図をもって関わること、
関わられることには難しさがつきまとうと思います……。

もちろん、生長の家では、自己開示した人もそれを聴いた人も迷路に迷う危険をおかさないですむように、
日々の生活において意識的に態度をやしなうとか神想観とか試験ですとか、ほかにも色々いろいろ、
安全網が張られているわけですけれども……。
いぜん、ロージァズのエンカウンターグループだったかが話題にのぼったとき、初心者様が、聴くというのは
無意識からでてくるものを相手にするからやりようによっては危険だ、というような意味のことをおっしゃって
いましたが、まさしくそれを危惧しています。
「無意識に関しておもしろいことは、まさにそれが本当に無意識であることだ(ユング述)」の通りなのです。(素人
のわたしが言い切ってしまうのも、いかがなものか 笑 と思いますが)。我欲があったりすると、悲惨なことになると
感じています。

・・・・いま、読み返してみましたが、わたし、結局、憎たらしいことを申し上げていて、さらにわかりにくい…ですね。
すみません、やめます。

かぴばら様。親鸞聖人といえば、偶然にも、浅野信著『親鸞の心』を読み始めたところです。いってみれば異色の 笑 本です
けれども、かぴばら様はひろく読まれるそうなので、お話してみました。それから、シュタイナーの思想を反映させたコスメ
作りをしているメーカーにDrハウシュカという会社があるんですが、ここのハンドクリームは、これからの季節、わたしの
上げ↑スイッチです 笑

597うのはな:2011/10/11(火) 17:24:29 ID:iM0b0bt6

途中で手がすべったりしながら、書き直しもせず出したので、
今日、管理人さんに削除してもらおうと思ってたのですが、お恥ずかしいです。
まあ、文意はわかると思うので読んでもらったら幸いです。
わざわざレスしてくれてありがとうございます。

a hope さんの助言通りに、きょうは皮膚科にいってきましたが、
もしかして、ガンかもしれないから内科で再診するように言われました。

キツネにつつまれたような気分です。

ちょうど、体質改善のために村上教授のDNAコラーゲンを飲み始めたところで
これからはこれからは心や身体の毒をぬいていこうと思っています。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板