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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

499復興G:2011/09/23(金) 11:42:57 ID:yhDBe2kY

>>498 :初心者様。

>実相。これは、ラカン的には「対象a」と定義されます。欲望を生み出すもの。それが「対象a」であると理解してください。
「実相」という言葉からさまざまな欲望が喚起されます。実相をおがむ。これも欲望です。おがむことで、なんらかの欲望を実現しようとしています。<

「欲望」には、

(1)英語で“want”、「欠けている」という意味から「欲する」という意が生まれた、と言われている「渇望」、“desire”とういうようなもの。

(2)内からわき起こる“urge”(駆り立てるもの、表現欲)というようなもの。使命感ともいうべきもの

の2面がある(2種類というようにはっきり区別できるものではないでしょうが)と思います。

「実相」から欲望が喚起されるとすれば、それは後者の(2)の方でしょう。

あなたが「シニフィアンの暴走」を食い止めなければならないと感じてこられた、というのも「内からわき起こる使命感」で、それは「実相」に根ざしたものであると私は思います。

実相は神であり、すべての全てであって、「神の外にあるもの無し」「実相の外にあるもの無し」というのが本当の実相であります。「対象a」というような、「想像界」の個人神話であり幻想でもあるようなものは、まことに幻想であって、それは「実相」ではありません。

「実相」を嫌悪する、といわれるのは似て非なる実相、幻想の実相であって、真の実相ではないと、私は思います。

真の実相にはすべてがあり、すべて充足してるので、上記(1)の欲望はいらないのです。「神は愛なり、ただ与う」だけでよろしいのであります。そこには「自己犠牲」もなく、ただ喜びのみがあるという世界、それが実相であって、私はそういう「実相独在」に命をかけて行こうと思っております。

あなたが『「実相独在」は暴走しています』とおっしゃっているのは、幻想の、似て非なる実相という言葉が暴走している、ということなのでしょう。

今日はこれから、菩提寺での彼岸会先祖供養のつどいに出かけます。


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