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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

501復興G:2011/09/23(金) 21:18:39 ID:yhDBe2kY

>>500 :初心者様。

>真理に接近しようと思えば、ラカンのいう「現実界」に接近する必要があるはずです。「現実界」こそが、究極のシニフィエであると考えることもできます。わたくしの見るところ、生長の家の人々で、「現実界」に言及している方はおられません。<

 ラカンのいう「現実界」というのは、
 「空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実を言う」
 そして
 「現実とはけっして言語で語り得ないものであるが、同時に人間は現実を言語によって語るしかないもの」(Wikipedia)
 だそうで、これは一般常識や生長の家で言っている「現実界」とはとはかなり違うもののようですね。むしろ、生長の家でいう「実相」に、「けっして言語で語り得ない」という点では似たもののようにすら感じられます。

 ジャック・ラカンに関しては、ネット検索(Wikipediaその他のサイトなど)で、現実界・象徴界・想像界といった用語についても一応勉強してみましたが、
 「実際のラカン理論の有効性証明は現在においても不明なままである。また理論自体、日本ではしっかりと研究されているわけではない。」

 ──だそうで、「大雑把に本質をずばり言い当て」れば、そのような理論は100年後には泡のごとく消え去っているものではないかと思われます。

 今日はわが家の菩提寺で秋の彼岸会のつどいが行われたのに参加し、「観音経」(法華経の観世音普門品)や「般若心経」などを一斉読誦してきました。釈迦の教えは説かれてから2千数百年後の今日でも生き続け、人々に安心と救いをもたらしています。次々に現れてはあぶくのように消えて行く理論を追いかけるより、そういう永遠生命をもった宗教の真髄を究めることの方が、よほど意義があると私は思っています。

 論議が噛み合わなくて申し訳ありませんが、それが私の答えです。


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