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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

505復興G:2011/09/24(土) 11:33:00 ID:yhDBe2kY

初心者様。

>502
にお答えする前に、今日のニュースから。

   *******
ニュートリノ「光より速い」
名大など観測 相対性理論覆す?

という見出しで、
「素粒子ニュートリノが飛ぶスピードは光より速い──。遠方より飛来するニュートリノを観測している名古屋大などの国際研究チームが23日、光より速いものはないとするアインシュタインの相対性理論の前提を覆すような測定結果を発表した。測定結果の正しさが証明されれば、現代物理学に根底から見直しを迫ることになる成果で、大きな反響を呼びそうだ。」
   *******

という記事(日経新聞より)が載っていました。

科学的理論というのはそのように、次々と新しい事実が発見されたりして変わって行くものであります。アインシュタインの相対性理論のように、一般に認知されている理論だって、根底から覆される可能性がある。いわんや……と、私は思っております。

ソシュールの言語学というのは、現象界の言語についての理論でありますが、新約聖書ヨハネ伝の冒頭に

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神なりき。この言は太初に神と偕に在り、万(よろず)の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき。」

とある言(ことば)というのは現象があらわれる以前の、言語以前の「ロゴス」、想念であって、ソシュールの言語学の範疇には入らないものでありましょう。

そして上記ヨハネ伝の記述で
「言は神なりき」
と過去形になっているのは、現象界の言葉は神から離れていることもある、というのは、ソシュールの用語をもって言えば、シニフィアン(相対的な世界に表現された言葉──義春様の解説)がシニフィエ(潜在的な言葉。その一番奥に言葉で表現できないところの、本当の「実相独在」や「神」がある──同上)から離れて暴走している、ということになるのかも知れません。

その、「言は神なりき」を「言は神なり」にするのがあらゆる宗教の使命であり、生長の家の運動でもあろうかと思われます。

しかし、ソシュールを持ちださなければ教義が不完全ということもなければ、「ラカン理論は、ソシュールの言語学がベースになっています。これは、生長の家にとって脅威である」などということはあり得ません。

あなたは<498>で
>「実相独在」は暴走しています。
と断定されているけれども、それではまるで、ソシュールやラカンの説を絶対化して、それが暴走しているように感じられます。


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