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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

507初心者:2011/09/24(土) 14:43:04 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

アインシュタインの相対性理論は、光より速く飛ぶものはない、と否定しているのであり
ましょうか。タキオンという仮想粒子は想定されていましたが、これによって相対性理論が
否定されたのかどうかを、わたくしは存じておりません。

相対性理論とは、光より速く情報は伝達されない、ということであったと、わたくしは、素人
ながらに理解しております。ニュートリノによって情報が伝達できるのかどうか。それが問題で
あるような気がいたします。それから、すでに相対性理論に矛盾する実験は過去にもおこな
われております。それはパラドックスであるがゆえにEPRパラドックスと呼ばれていることは、
すでにこちらの掲示板に書いたとおりです。

相対性理論は、いわれているほどに絶対化されているのでありましょうか。それはあくまでも
理論であり、原理とは呼ばれておりません。科学は、このあたりの言い方は、ある程度は心得て
いるような気がいたします。

科学と宗教のちがいは、謙虚さにおいてあらわれます。科学は、教義の書き換えを、いとも
簡単におこなうことができます。宗教には、それができません。教義の書き換えを以って、
科学を否定することばできません。むしろそれは、科学の特権であり、宗教にたいする
優越性であるともいえます。教義をかたくなに守り、書き換えることのできない宗教と、
いとも簡単に書き換えてしまえる科学の、はたしてどちらに優越性があるのでありましょうか。

科学的真理は変化します。変化できるがゆえに科学は進化することができるのであります。
宗教的教義が変化しないですんでいるのは、それが想像的であるがゆえなのではない
でしょうか。想像界においては、矛盾は存在しません。想像界では、虚構を寄せ集めることで、
矛盾を解消しつづけることができます。宗教はつねに、そうした想像界において生き延びよう
とします。宗教は、矛盾なき想像界においてしか生き延びることはできないと、わたくしは
考えます。

科学的真理が変化を余儀なくされるのは、それが想像的ではないからであります。科学は
つねに「現実界」に肉薄しようとします。「現実界」。それは、わたくし的には、Dブレーンを
ベースにするホログラムであると、そりあえずそのように定義しておきます。

「現実界」に肉迫しようとして変化を余儀なくされる科学と、想像界にひきこもることで
変化をこばむ宗教と、どちらが信頼できるのかということですね。科学は変化するがゆえに
信頼できなのではなく、宗教は変化しないがゆえに信頼できない、という見方もできるという
ことでありますね。

復興G様は、宗教的言説をつぎからつぎへとくり出してこられますが、それができるのは、
それらの言説が、反証不可能であるからではないですか。科学は、反証できない言説を扱い
ません。科学が扱うのは、反証可能な言説だけであります。

復興G様は、なぜそのように、反証できない言説ばかりをくり出してこられるのでありましょう
か。わたくしは、反証可能な言説だけをもちいているつもりであります。それにたいして、復興G
様は、反証不可能な言説だけでおうじておられます。

反証可能な言説をもちいるわたくしにたいして、反証は十分に可能であり、それによって復興G
様は反証を試みておられます。それはそれでよいのでありますが、復興G様の言説が反証
不可能な言説によってしめられているかぎり、わたくしに反証のチャンスはほとんどないという
ことがいえると思います。これが正常なやりとりであるといえるのでありましょうか。

ひと言おうかがいたしますが、現象以前の言葉とはどのような言葉なのでありましょうか。
それは、現象界における言葉とは、どのような関係にあるのでありましょうか。できるかぎり
反証可能な言説で説明していただきますことを希望いたします。


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