したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

500初心者:2011/09/23(金) 13:27:49 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

わたくしは、実相を嫌悪しているのではありません。想像界において、実相をもてあそんでいる
人々を嫌悪しているのです。

想像界は、想像的世界です。なんでも思いどおりになる世界です。真理の言葉を自在に
あやつり、真理を望むように解釈できる世界でもあります。

わたくしは、実相イコール「対象a」といっているのではありません。想像界においては、実相は
「対象a」として機能しているということを申し上げているのです。

真理に接近しようと思えば、ラカンのいう「現実界」に接近する必要があるはずです。「現実界」
こそが、究極のシニフィエであると考えることもできます。わたくしの見るところ、生長の家の
人々で、「現実界」に言及している方はおられません。

復興G様は、真理の言葉を自在にあやつっておられますが、ほかの言葉、たとえば哲学や
自然科学、社会学や言語学の言葉は自在にあやつることができないにもかかわらず、なぜ
真理の言葉だけは自在にあやつれるのか、その理由をお考えになられたことがあります
でしょうか。

わたくしは、それが想像界における言葉であるからこそ、自在にあやつれるのだと思います。
想像界を出て、象徴界を突破し、「現実界」に接近したとしても、おなじように、言葉を自在に
あやつる自信がおありでしょうか。

わたくしには、とてもその自信がありません。わたくしが語る言葉は、そのほんどが象徴界
における、可能なかぎりピン止めされた言葉であります。ピン止めされた言葉は、シニフィアン
の法によって制約されます。復興G様のように、自在にあやつることは不可能であります。

もちろん、わたくしとて、かつてのように、想像界にたちもどれば、復興G様のように自在に
真理の言葉をあやつることができるようになるでありましょう。しかし、もどる気はありません。
わたくしは、「現実界」に向かわねばならないのです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板