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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
563
:
義春
:2011/10/03(月) 00:41:48 ID:iu5Ar./Q
琴音様
まぁ…彼のような若い子を育てられただけでも、この人生良かったのかも
しれません。組織としての生長の家を離れてから出会いましたが、
色々相談に乗ってあげ、励まして、そして聴いてみると難関の幹部候補生に
合格した…それが内心生きていて良かったなと思えることなのですよ。
親父さんを幼くして亡くした子なので、本当に苦労してきた子のですよ。
それで、崇徳上皇を確かに即位前にお慰めしていますね。
ただ、崇徳上皇と西郷隆盛は全く違うのですよ。
確かに、和歌には言葉によって静めるというものがあります。
崇徳上皇の御霊に対しては全くそうなのですが、西郷隆盛の場合は、
あの方には、元より私心がありませんでした、私心のない西郷さんは、
怨みが無いので御霊と化する要素が全く無いのですよ。だから、この場合の和歌は、
明治天皇御自身の中での西郷さんの存在の再確認と、西郷さんの魂が、
安らかにあって欲しい…慰霊の気持ちからだと、とらえた方が正しいように思います。
端的に申しますて、明治天皇を明治天皇たらしめたのは、西郷隆盛と云う
存在なのですよ。言うなれば帝王の師ですね。だからこその和歌だと思います。
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