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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
566
:
トキ
:2011/10/03(月) 18:38:41 ID:VrJvSmLE
太田竜さんは、いわゆる新左翼を日本で初めて提唱した人です。
ソ連の独裁者スターリンが1953年に死んだ後、1956年にフルシチョフによる、いわゆる
「スターリン批判」が行われると、トロッキーという人の考え方が再評価されるようになりました。
このトロッキーというのは、レーニンの同類で、スターリンのライバルを言われた男でした。
ロシア革命の時に軍事人民委員とかいゆ名称で、共産政権で軍事関係の部署で反革命派を弾圧
し沢山の人を殺しましたが、政争に負けて国外追放になり、最後はスターリンによりメキシコで暗殺
されてしまいました。この論争は一国社会主義論か世界同時革命論かの論争で、トロッキーは革命を
世界に輸出すべきだ、という人類にとっては大迷惑な考えを主張していたのです。この考えは、暫く
は「トロッキイズム」として共産主義の世界ではタブーになっていたのですが、スターリン批判と同時に
共鳴する人が増えていきました。それを日本で最初に提唱したのが太田さんです。
彼の主張のおかげで、日本に新左翼運動が定着し、テロや人殺しが流行したのは、困った事でした。
ところが、太田さんは、ある時期、共産主義から環境問題へと関心を移し、そちらのほうの運動を
始めました。同時に左翼運動から足を濯い、元の仲間から「裏切り者」と言われる様になりました。
確か、レコンキスタ(鈴木邦男さんの主催する新右翼団体「一水会」の機関紙)には、太田竜さんが
新右翼の講演会に来て、天皇陛下万歳を参加者と一緒に叫んでいたとか、「天皇こそ、究極の自然主義者」
とか言っていたとかあり、そのあたりから陰謀論も書く様になったみたいです。
以上は記憶によるものなので、間違いがあったら、お許し下さい。
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