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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

504初心者:2011/09/24(土) 10:34:23 ID:4IaAZAME
復興G様、ありがとうございます。

ラカンについていえば、その中心課題のひとつは、「人間は何によって思考させられている
のか」との問いかけであろうかと思います。それはまた、「何によって信じ込まされている
のか」の問いかけでもあるはずです。

問われているのは、「信の構造」です。「信」を無批判に受け入れ、そこからスターするのが
生長の家です。ラカンは、それよりもさらに深い問いかけをいたします。信の構造を問います。
もちろん、この問いかけじたいがラカンの目的ではないはずです。人間と「対象A」との関係。
これは、ラカンによって、想像を絶する複雑で語られることになります。この複雑さに、生長の家
はついていくことができないはずであります。

100年後に消え去る?何が消え去るのでしょうか。人間は言語によって支配された操り人形
である。こうした思想が、ラカンの根底にはあります。これはいうまでもなく、現代思想の中心
テーマでもあります。ただ、ラカンの場合は、単純ではありません。

人間は言語によって支配された操り人形である、という現代思想の主張に、生長の家は
どのように答えるのでありましょうか。これは、すでに提出された問題です。今この瞬間に
問われている問題なのです。この問題を、100年後に消え去るかどうかという問題に
すり替えることはできません。解決するか、無視するか。ふたつにひとつであります。
生長の家は、これまで徹底的に無視してきました。

人間と言語の関係。これを実相の観点から答えれば、どのように説明されるのでありましょう
か。実相だけにたより、なんでもかんでも実相で説明することしかできない生長の家は、ラカン
の前では、あまりにも無力な存在に映るのであります。


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