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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

515復興G:2011/09/25(日) 15:20:31 ID:yhDBe2kY
(続きです)
あなたは、「宗教は想像的である」とおっしゃいます。
「想像的」とはどういうことですか。一般に言われるのは「空想的」というような意味であります。しかし、「空想的」ということは「変わらない」ということとは結びつきません。あなたのお好きなジャック・ラカンの理論で「現実界」「象徴界」「想像界」と分けた場合の「想像界的」ということだろうかと想像してみましたが、ラカンのいう「想像界」とは
「人であれば誰しも漠然とイメージできるけれども、その正確な描写となると大変な労力を要するような、言語(象徴界)に縛られている世界であり、なおかつわれわれが思っているものから成っている。この想像界も、けっして現実界と一致することなない」(Wikipedia)
だそうで、よくわかりませんが、あなたは「現象界を超えたもの」とは「想像的」なもの、と決めつけておられるようですね。私は、「実相」とは、現象以上に確乎たる存在で、「想像的」なものとは思っておりません。そういう「実相」に思い至らなかったラカンから見れば、宗教は想像界のものと映ったかも知れませんが、私は「実相」を説く宗教が「想像的」だとは思っていません。

>復興G様は、「信は終着点ではない」といわれましたが、とてもそのようには思えません。20年前となにも変わっていない。すでにここが終着点なのです。
この20年間に、わたくしはさまざまなことを学び、それなりに自分を変えてきたつもりであります。20年前とはあきらかに異なった自分がおり、あきらかに異なった言葉があります。<

とあなたがおっしゃるのは、あなたが私の変わり様をご存じないからだと思います。「信」そのものが深まって、大いに変わってきたと思います。それは客観的に見て、他人様がそうおっしゃってくださいます。まさに「信」は出発点だと思います。

>復興G様は、DNAは生命のコトバであるといわれました。わたくしは、DNAは受信機であると考えております。復興G様のいわれる「生命のコトバ」を受信するための装置であると考えております。では、「生命のコトバ」はどこに記されているのでしょうか。それを推測するには科学の力が必要となります。それはつまり、情報はどこに書き込まれているのかということです。<

それはすでに、科学の力で明らかになっています。DNAは、デオキシリボ核酸という、高分子生体物質であって、それがそのまま「生命のコトバ」でなく、そこに書き込まれている情報が「生命のコトバ」であります。
DNAは二重螺旋構造をもつ核酸の一種で、塩基はアデニン、グアニン、シトシン、チミンの四種類(A, G, C, Tと略す)があり、その配置・結びつき方の違いによって情報は書き込まれているということです。それは「生命のコトバを受信するための装置」ではなく、すでにそこには情報が書き込まれてあるのです。だから推測や予測ではなく、解読することができているのです。

なお、私は初心者様が「反宗教運動」をなさっているとは全く思っておりません。賀川豊彦氏の「反宗教運動」について書かれた文章を引用したのは、本当の「信」をもつものは「変わることを恐れない謙虚さを持っている」、ということの例として思い浮かんだから、だけでありまして、あなたの主張が「反宗教的」であると感じたということではありません。誤解されたとしたら、お詫びいたします。

>もっと上がある。より洗練された真理がある。感情だけでなく、知性をさえも満たしてくれる真理がある。このように考えております。<

ありがとうございます。私もそれには同意いたします。私も結構変わってきたとは思いますが、まだまだこれからです。すでに最高の悟りを得たなどとは決して思っておりませんので、これからもご指導をよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。


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