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立ち話・雑談スレッド

84日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/27(月) 22:47:50
>>83

だってェぇェぇ〜〜〜(^。^)
「エキストラレぱなしさん」と、ちょいと横を通った「通行人さん」のカキコミなんだもーーん(-_-メ)♪!。

信じろっつうほうが、ムリポじゃぁァぁァーん(^0^)/♪!←アーンみたいにクチを開ける図。
俺、経験してねえし(^_^;)。踏み絵的なの。


もしあったら、その上で、Jumpしちゃう(^。^)かも♪!。子供がはしゃぐみたいにo(^-^o)(o^-^)o!。

ラジオ体操第二の最初のようなJump!→トップロープからのニースタンプ!→ついでにぶっちゃけブッチャー的なエルボードロップ→力道山ばりの空手チョップ→猪木の卍固めして→馬場の32文ロケット砲→長州小力のラリアット→そしてサソリ固め→???



で、なんの話しだっけ?。

って事でエキスさん、お休みなさい。

85しげきょん:2010/12/28(火) 00:16:54
僕は日顕氏を別段恨みもないですし
写真踏ませたとか知りません
早く相じょう箱示して日達上人から受けられてないのが証明される
日が来るよう御本尊に祈る日々です

86しげきょん:2010/12/28(火) 00:21:56
>ま、実際の話第一次宗門問題の流れの中で
>三代会長と言う席から失脚させられたのを結果的に名誉会長と言う形で前線復帰に持って言ったのは
>理由はどうであれ日顕さんの意向が強いわけですからね。

日顕氏の意向で名誉会長に就任???聞いたこともない
堅皇さんには僕とは別な歴史の流れがあるようで

87堅皇:2010/12/28(火) 02:09:15
>>しげきょんさん

この辺は第一次宗門問題が何故起きたかとか
池田さんが何故三代会長を辞任する経緯となったのかと言う話になります。
しげきょんさんは北条会長時代ってまだ未入信でしょ。
俺は辛うじて記憶があるのよ。
日達さん時代から日顕さんの法主就任時も僅かながらその記憶がある。

聖教新聞から池田さんの名前が消えた時期というのが実際あるわけよ。
当時は何故なんてことは考えたりもしなかったけど
いろいろ調べてみるとなるほどなと思うことがあるわけね。

一度この辺の出来事を自分で調べて整理してみたらいいと思うよ。
そうすれば正信会の発足の歴史も見えてくるし
正信会ってもともとは学会から僧になった人が多いという事実もね。

池田さんの前線復帰は宗門側の正信会の切り捨てとの交換条件みたいなものだから。

> 早く相じょう箱示して日達上人から受けられてないのが証明される
> 日が来るよう御本尊に祈る日々です

これを証明させているのは正信会ですからね。
正信会の歴史も自身でいろいろと調べてみれば。

88日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/28(火) 06:47:50
ナハ、ナハハ、ハ(@_@)(*_*)(@_@)(*_*)!

小力って言っちゃった(>_<)(*_*)(>_<)(*_*)♪(>>84のラリアットの件)


おはようございますm(__)m。

89日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/28(火) 07:06:53
しげきょんさん(^0^)/♪!お久しぶりですっ!!。

>早く相じょう箱示して日達上人から受けられてないのが証明される日が来るよう御本尊に祈る日々です


その祈りっ!別な事に祈り向けが善いとワタシは思いますよっo(^-^)o!。
「証明される日」

すでに証明されてますっ!C作戦以降の双方の興隆と衰退の事実で。

日顕さんは超がつく程の嘘つきだったんです。ナハ♪、ナハハ♪、ハ♪言っちゃった(@_@)(*_*)(@_@)(*_*)!

箱なんてナインいんですよ多分……(>_<)(*_*)。
基本的に先代が用意し渡すんでしょ。お亡くなりになったんですから、シメシメって日顕坊は思ったんだと……思います。

ワタシの中でそれで納得納豆食うo(^-^)o♪!です。

ケッキョクナニが言いたいかと言えば……

朝ご飯は納豆o(^-^)o!がいいっすっ!。

90日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/28(火) 10:02:02
結局、朝ご飯はお茶漬けでした(^^)。

鮭フレークあとのせの豪華なやつです。

92怖くて名乗れません<m(__)m>:2010/12/28(火) 20:04:14
★さて起きるかな・・・
////////////////////////////////////////////////////////////////

93怖くて名乗れません:2010/12/28(火) 23:50:30
★さて寝るか・・
//////////////////////////////////////////////////////////////////////

94ぜんまい:2010/12/29(水) 00:28:16
>>92
>>93

3〜4時間程しか起きていなかったようですね。





95エキストラオ:2010/12/29(水) 17:36:56
★京阪君の書き込み見ていると、独善的な臭みのある異臭感じるのはおそらく、
私一人だけではないだろう。 ミニ池田先生になりきっちゃっているというか、
そう・・解る人には解る・・アレ・・である。内容はごたいそうなのだが、高い
所からの物言いの典型的な スタイルだ。 たぶん本人も気付かないまま、逝く
のだろうが、むしろ其のほうが本人にとっては幸せだろう。なぜかと云うと・な
まじ、途中で気付いたりすると『自己嫌悪の塊り』なる可能性がおおきいからで
ある。自分ほどたいした者はいないという錯覚・・自分ほど苦労してきた者は居
ないと思ううぬぼれ・・慢心がそうさせるのかもしれない。世間の言動に・
武士の品格みたいなものに、当て嵌めて・さもしたり顔で〔ドヤ顔〕解ったふう
な口利きをする輩・・・生き様を語る・・とかの類である。彼がそうだと決めつ
けているのではない。 そういう臭いがするのである。 そういう人々が寄り合
いてできた団体・・それが創価学会なのだろう。一言で言うと『慢心』で・・
チョン・・である。

////////////////////////////////////////////////////////////////////////

98日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/30(木) 17:37:37
粛々坊管理人さま、管理主事さん、副管理人Zさん、京阪さん、しげきょんさん、ぜんまいさん、堅皇さん、そして……、法華★のエキスパンダーさん、

今年一年お世話になりましたm(__)m。
よい年越しをお迎えくださいm(__)m。

99日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/30(木) 17:38:33
おっ!ついでなので……

100日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/12/30(木) 17:39:49
キリ番を(^0^)/!って事でロンっ(@_@)♪!

101エキストラオ:2010/12/30(木) 22:49:16
★おっ・・・♪日々君♪お前もよく健闘したな・まノーベル賞はやれんが、
ノー味噌賞くらいなら あげてもいいよ。矢野委員長の褒章は・まずかった
誰かがまた、焼もち焼いて いじめられるとかわいそうだしぃ〜・・

今年こそ 日々君もいい年になるように。。 でわ
////////////////////////////////////////////////////////////////

102ぜんまい:2010/12/30(木) 23:22:13
>>101
>今年こそ 日々君もいい年になるように。。


今年こそって、あと1日で終わりですよ。




103日々朗らか(前進) ◆kzJPIT27Ks:2011/01/01(土) 23:17:15
新年明けましておめでとうございますm(__)m。
今年も宜しくお願いいたしますm(__)m。

104エキストラオ:2011/01/04(火) 12:03:22
★あ・・オメデトオメデト・・今年もしっかり 前を見て生きていってください。
すこしは・成長したすがた・みなさん期待してませんが、 息子にだけは・
お年玉 はずんであげてください・・・///////////////////////////////////

105堅皇:2011/01/09(日) 02:44:32
取り合えずしげきょんさんからの返答も無さそうですし
説教オヤジさんも書き込みをする意志も感じられないので
折角この板に誘っていただいたのですが
もう話す事はないと言うことで宜しいでしょうかね。

P.S
しげきょんさん。
うちの兄に送ったメールでの謝罪文の内容は兄から聞かせてもらいました。

確かに兄はこれまでのしげきょんさんからのメールには大変迷惑していた様ですが
俺個人はしげきょんさんのボヤキぐらいは迷惑とは思っていませんけどね。

人の事を相手にされてないと表現するのは
おそらく自分が相手にされてないという心の葛藤の裏返しだと思いますので
その辺は寛大に受け取ろうと思っています。

ま、今あるしげきょんさんの環境が幸せと感じられるのであれば
何も言う事はないという感じなのですけどね。

106エキストラオ:2011/01/09(日) 22:37:38
★表に出て来ないというのは・何かを隠しているという事ですよね。
久しく 大衆の面前に出てきていない・・・関係者は・正直どう思
って居るのでしょうか。たいていなら 互無沙汰してますとかの・
メッセージがあってしかるべきなのにね・・・もう・・1年近くも
経ちますよね。
///////////////////////////////////////////////////////////////////

107ぜんまい:2011/01/09(日) 22:53:21
>>106
>★表に出て来ないというのは・何かを隠しているという事ですよね。

相承箱は33年近くも行方不明ですよ。





108エキストラオ:2011/01/10(月) 14:03:14
★表に出て来ないというのは・物理的な物体ではなくて、ある・人物をさして
います。それまで・・馬糞きのこのように出没していた人物が・挨拶もなく
ご無沙汰しているのは・どうおもいますか? ぜんまい君・という話ですよ。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

109ぜんまい:2011/01/10(月) 17:11:17
>>108

1年近くでしょ?誰の事を言っているのですか?




110エキストラオ:2011/01/10(月) 20:47:11
★ほれ・・昔 言論出版妨害事件で断罪された かつての指導者ですよ。

いまでは・ほとんど忘れかけられた 指導者ですよ。

高利貸しになんか手を染めていた過去なんかもありましたね。

わたしは奥ゆかしいから言えませんけどね・・・

///////////////////////////////////////////////////////////

111堅皇:2011/01/11(火) 17:10:07
>>エキストラオさん

いやいや、その方はかつての指導者ではなく永遠の指導者ですよ。
ちなみにこの方はご心配かとは思いますが
最低でもあと2.3年は亡くなる事はないと思いますね。
その間に表に出てこられることがあるかどうかは別としてね。

それはそうと
この指導者の師匠が在籍していた大日本皇道立教会ってどう思います?
創価学会のルーツと言われる組織と言うことなのですが。

112エキストラオ:2011/01/11(火) 17:28:00
★よくわかんなぁ〜〜いけどぉ〜・・・牧口・戸田の口癖にはペラペラと・
出て来る言葉がありますわね。

いわく『万系一世の 我が皇国で アメリカの閲兵式を見るとは思わなかった
はらわたが煮えくり返る心持だ』/////////////////////////////////////

・・・・・そういう『感覚』の持ち主だったことは確かだろーーね。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////

113堅皇:2011/01/11(火) 23:18:00
牧口さんの思想が南朝支持が根底にあったとすれば
創価教育学会の旗揚げの意味も戦時中神札を拒否した理由もかなり明確になると思うんですね。

創価側からの発信に寄れば日蓮正宗と別の法人格を取得したのは
早くから日蓮正宗の体質を見抜いていたからとの主張なのですが
これだと少し疑問が残る話なんですね。

法人格と言うのはあくまで宗教法人としての認可な訳でして
事実上の組織作りは戸田さんではなくそれ以前の牧口さんにあるわけですよね。

牧口さんが日蓮正宗に入信したのが1928年で創価教育学会の設立が1930年。
僅か2年の出来事なんですね。
加えて牧口さんが日蓮正宗への信仰に本腰を入れ始めたのは創価教育学会の設立以降であると言うことです。

つまり牧口さんの場合、日蓮正宗の教義や体質に疑念を抱く以前に
自分たちの組織作りから始めたと言う事になります。

となると牧口さんが何故に組織作りを考えたかの理由が不明の状態だったんですね。
目的もなしに組織作りを考えると言うのはあまりにも不自然ですね。
別に目的があったと考える方が矛盾はなくなります。

終戦後、天皇制に関してその殆どがタブー視されて戦後世代にはこの件に関しては
まともな教育すら受けてないのが現状なんですね。
当時の情勢を考えると今の価値観と違うものがあるのではないかとは思います。

神札の拒否という事を今の感覚で捉えると単純に右派ではないと思ってしまってましたが
南朝支持が事実であればその考えは根本的に覆ってしまうんですね。

加え戸田さんと岸信介さんとの交友関係の事実も俄然納得が行く話ともいえますからね。

114備前 ◆TtzwqSGci2:2011/01/14(金) 13:02:25
  こんにちは、堅皇さん

  > 牧口さんの思想が南朝支持が根底にあったとすれば

 戦前は、皇室は「南朝」が正統とのことですが・・・・(^^;
 ですから、楠正成が忠臣で足利尊氏は朝敵の扱いですよ。

115堅皇:2011/01/14(金) 16:43:04
>>備前さん

明治天皇が南朝の末裔の替え玉説と言うものもありますが
公式では北朝の末裔である孝明天皇の子息ですからね。

日本が神の国と言われるのは即ち天皇の事を示すと言う事もあります。
で、幕末に国が乱れたのは単に帝が国を治めなかったと言う事ではなく
南朝が正統としなかったと言う考えも同時にありますからね。

そこで北朝の大本と南朝の大日本皇道立教会とすれば
その対立の図式が見えてくるのではと言う話ですね。

加えて入信間もない牧口さんが創価教育学会を立ち上げた理由も明確になるのではと言う話。

何故に牧口さんは単に日蓮正宗の信者となっただけでなく
組織作りから始めたのかなと言うことですね。

ある程度知識を得て、そこで思想による対立軸が生じてからでも
暖簾分け、組織作りは遅くなかったのではないかと思うわけです。

普通、思想なしで組織なんか作るのかと言うことですね。
あるとすれば日蓮から学んだ思想ではなく他からと言う事ですね。
だって組織を作ってから日蓮正宗へ日蓮の思想を学びに行っているのですから。

116堅皇:2011/01/14(金) 18:36:59
日蓮が立宗宣言を行うに至るまで
30年も掛けて諸経を学んでいるわけです。
対し牧口さんの創価教育学会の設立は入信から僅か2年。

もっとも南無妙法蓮華経が本因妙で直達正観されたと言うのであれば
何も言う事はないのですけどね。
牧口さんは立派な御本仏であると言う事だろうから。

では直達正観された方が何故に日蓮正宗から教義を学ぶのか
まーいろいろ考えるところがあるわけですよ。

牧口さんがそこまで凄いものであれば
何故に創価学会は牧口さんの「創価教育学体系」を根本に据えないか。
基本今のベースとなっているのはどちらかといえば
戸田さんの教義からの発展であり
実際に用いているのは池田さんの指導ですからね。

117高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 19:06:12
堅皇さん こんにちは! ご無沙汰しております。

>>115
 以前、蛍さんとの対話を進めるにあたって、このような、内容の事を私も考えました。
 話としては、「逆説の日本史」のようで面白いし興味を掻き立てられます。

 しかし現実はどうだったのかとなると、チョット違うかなと私は思います。

 蛍さんとの対話に書きましたが
創価教育学会を創立する27年程まえに、牧口先生が若き日(32歳)に著された、人間生活を地理学の観点から捉えた
 「人生地理学」(明治36年)は、当時、社会一般において注目され普及しました。
 しかし、アカデミックな地理学(会)からは、ほとんど軽視、無視されたようです。
 このことは、牧口先生がいわゆる大学では地理学を学んでおらず、北海道尋常師範学校卒業と言う事も大きな
 原因だったのだと思います。

 この事から、牧口先生は日蓮正宗と出会う以前に、人生(人間生活)に真正面から取り組んでおり、牧口先生の
 人生哲学がその時点である程度確立されていた事が解り、その延長線上に創価教育学会があると理解する事が
 大切であり、でなければ視点を間違ってしまう可能性がある、と私は考えています。

 「創価教育学体系」での牧口先生の「価値論」は、相対主義的・主観的・功利主義的価値論(「創価教育学入門」
 熊谷一乗)とされており、この事も大切な視点だと思います。
 「価値論」では、真理は、「人にも時代にも環境にも関係なく不変である」と定義し、変化していく価値とは明確に
 区別されています。

 『而して生命の維持保全に対して有害と認められる其の種類程度に応じて悪といい、害といい、醜という』
 この一文は、一個人に取って、自分を犠牲にして国の為に尽くす(滅私奉公)事は、相手が国と言えども
 価値ある事では無い、「一人の人を大切にする事」に価値が有ると、私には読み取れます。

 つまり、私は、牧口先生は国家主義的な人間を作る事を、否定しているのだと捉えています。
 なぜなら、牧口先生は、その時代に教育者・思想家として何を問題視し、どの様に変革しようとしたのかを考えると
 「教育勅語」に見られるように、また時代背景として日清日露の戦争があり、教育は、知育よりも徳育を
 重んじられており、徳育も、我々が考える道徳や理性ある人間を育てる事よりは、国家主義的な人間をつくる要素が
 強かったと考えられるからです。

118高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 19:11:29
つづき 
 そのような中で、牧口先生は庶民、人間に重きをおいた教育が大切とは考えていたのでしょうが、批判するに
 足りるモノサシとなる理論を持ってなかったのではないでしょうか。
 人生地理学に、『不肖、教育の職に在ること多年、其の間、地理学の教育上、重要の地位にあらざるべからずして、
 しかも甚だ軽んぜらるること久し。而して、嘗て思えり。もし、この学の教授法にして、今少しく改良せらるるを
 得ば、現今における教育上の痼疾の大半は除去せらるべしと。』と記されているように、教育(界)に批判的な
 考えを持っていた事は明らかであり、変革の思いを込めて書かれた書だと理解出来ます。

 池田諭氏(実践的思想家1923〜1975)は、牧口先生を「福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、
 自由論者、平等論者ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
 とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を創造していこうと
 したのである。」と評しており「このように考えるとき、牧口は、現代日本の誇りうる思想家であると同時に、
 現代日本が深く学ばなくてならない思想家である。(中略)牧口の思想が、そして彼の学問、教育論が長い間、
 一部の人を除いて、殆んどかえりみられなかったということは、日本の学問と教育にとって大きな不幸である。」
 とも著しています。 私も正にその通りだと考えます。

 そのモノサシともなるべく日蓮正宗に三谷素啓氏の折伏で入信しましたが、「創価教育法の科学的超宗教的実験証明」
 (牧口全集第8巻:第三文明社 74-75頁)の中で『まず師とするに足る正しい人の言を信じ、如説の実行をなし、
 体験によって価値の有無を証し、無価値なる主観的の観念論を捨て、以て人をも離れて、生活関連の法を信ずるので
 ある。更に何故に価値が証明されるかを、経文及び道理にただして、いよいよ信仰を確立し、かくて価値の遠大と
 近少とを比較対照して研究し、遂に無上最高の極意に達し、ここに初めて畏れる所なき安全の境地に達する。
 『一信二行三学』という科学のそれとは全く異なった研究法がすなわちこれであるが、これはすべての技芸乃至
 生活法の研究に適用されるべきもので、現に無意識的に如何なる技芸の修業にも実行しつつある所である』
 と述べています。
 
 生活法、言い換えれば社会(民衆)への価値・意味(公益性)を宗教は考える必要があり、
 全文からは、教義より道理に合った論理を重視していると考えられます。

 つまり、宗教というのは伝統的な教義が第一では無く、杜会の繁栄や個人の幸福を実現する事が最重要であり、
 もしそれが実現出来なければ、宗教としての意味(価値)がないと言う事です。

119高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 19:13:44
つづき

 ■結論

 以上の内容から、

>>115
>普通、思想なしで組織なんか作るのかと言うことですね。
>あるとすれば日蓮から学んだ思想ではなく他からと言う事ですね。
>だって組織を作ってから日蓮正宗へ日蓮の思想を学びに行っているのですから。

 これは、違うと思われると云う事です。

 誤解を恐れずに云うと、創価教育学会は、庶民の為に価値ある会(人間主義)とする為には、
 日蓮正宗の教義があって、創価教育学会が有ると云う事ではなく、
 創価教育学会に、日蓮正宗の教義を利用出来ると云う事だと思います。

120堅皇:2011/01/14(金) 21:32:03
>>高速太郎さん

> 日蓮正宗の教義があって、創価教育学会が有ると云う事ではなく、
> 創価教育学会に、日蓮正宗の教義を利用出来ると云う事だと思います。

冷静に考えるとそういう事ですよね。
別にそれが良いか悪いかは別としてね。

ただそれはきちんと公言するべきではないですかと言うことです。
加えて「大日本皇道立教会」という組織は全く創価学会内では語られない歴史ですね。
同じように皇道思想を利用していたのならそれでも構わないですね。
隠さないでちゃんと説明すればと言うところです。

隠すと言う事は牧口さんはそのまま皇道思想であり
皇道思想を通す事が目的であり仏法を利用しようとしたか否かは闇の中であると言うところですね。

ですから問いかけですね。
創価教育学会は大日本皇道立教会を母体としてのものなのか否かです。
その為にもちゃんとこの辺を会員の人にも説明してあげないとね。

南朝支持派の日蓮系教団の本門正宗サイトには
大日本皇道立教会のメンバーの写真としてしっかりと牧口さんも写っていますね。
http://syohnan.jp/syoumetu.html この写真はねつ造写真なんですかね?

写真には右翼運動家で錦政会顧問、政財界の黒幕、フィクサーと呼ばれた児玉誉士夫さんも同席しています。
この辺の人脈があれば戸田さんと岸信介さんとの交友関係や
出版言論問題の時に田中角栄さんの力添えがあったとされても疑いは持ちませんね。

さてさて、実際問題はどうなんですかねという問いかけですね。

121高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 23:47:21
堅皇さんへ

>>120
>ただそれはきちんと公言するべきではないですかと言うことです。
>加えて「大日本皇道立教会」という組織は全く創価学会内では語られない歴史ですね。

 なぜ、語られないかは、学会にとって必要のない事だからです。
 もし、牧口先生が皇道思想だけで事足りたら日蓮正宗には、入らなかった訳です。
 前の投稿は、牧口先生にとっては、皇道思想を含め日蓮正宗以外の思想は、
 自分のモノサシにならなかったと云うことを述べたのです。

 日蓮正宗に入ってからも会に参加しているようですが、其れまでの付き合いがあったからだと思います。
 堅皇さんが現在も創価系の掲示板に投稿しているのと同じ程度の話ではないでしょうか。

 つまり、創価教育学会も創価学会も皇道思想を必要としておらず、実際に教義上なんら取り入れられていません。
 だから、今となっては語るべきものがない、と云う表現が合っているかも知れません。

>創価教育学会は大日本皇道立教会を母体としてのものなのか否かです。

 否でしょうね。
 この事を言っているのは、「本門正宗」の小野寺直(日了)氏です。
 このような件は、シッカリと自分で調査をして100%間違い無いと判断してから問題提起をするべき内容です。

>この写真はねつ造写真なんですかね?
 捏造では無く、本物だと私は思います。

>さてさて、実際問題はどうなんですかねという問いかけですね。

 上記と同じ様に、シッカリ調査の上で書かないと、単なる興味本位の戯言になってしまいます。
 もっと、シッカリと調査、分析をして事の意味も深く捉えて提起することをお勧めします。

122堅皇:2011/01/15(土) 01:56:46
>>高速太郎さん

> なぜ、語られないかは、学会にとって必要のない事だからです。

必要かないかは個々の判断ではないでしょうかね。

> >この写真はねつ造写真なんですかね?
> 捏造では無く、本物だと私は思います。

とすれば少なくとも大日本皇道立教会と言うのは奇しくも
創価学会初代、二代会長が在籍していた組織と言うことなのでしょうから。

母体でないのであれば尚更明確にそうではないと言う事を
事前に経歴として触れておけば何の問題もないことですね。

創価学会と言う組織はどうも情報の後出しが多すぎますね。
かなり苦し紛れの物も多かったりしますが狂信者にはそれでも納得すると言う事でしょう。

もっともそのやり方が問題でどんどんの不信を覚える人や退会者が
後を絶たないと言う事と言うわけですね。

どのみち僕は組織運営に関しては部外者の立場ですから
これはあくまで傍からの助言と言うことですけどね。

123堅皇:2011/01/15(土) 02:08:18
そうそう

> この事を言っているのは、「本門正宗」の小野寺直(日了)氏です。

と同様にそうではないと言っているのは創価学会の人ですから同じく信用は出来ませんね。
それこそどちらの思想にも傾かない中立に人の明確な判断を待つのみです。

今のところ断定は出来ないが本当の話と捉えた方が多くの事柄の辻褄が合うと感じるだけですからね。

124怖くて名乗れません<m(__)m>:2011/01/15(土) 19:43:50
堅皇さんへ

>>122 >事前に経歴として触れておけば何の問題もないことですね。

 例えば、堅皇さんが幼稚園や小学校の時にA君と云う友達が居たとします。
 A君家へ遊びに行って、A君の父母や家族と一緒に写真を何回か撮ったとします。
 その写真を元にB氏が、実は堅皇さんは、A君家の子供なんだよと皆んなに、言いふらしたとします。
 その時に、堅皇さんは、どの様な行動をとりますか・・・。

 堅皇さんが他人と写真を撮ったら、全てブログにでも写真撮影に関する、事の顛末を書いておくのですか。
 
 そんな程度の話しですよ。
 ようするに、創価学会に対するタメの話ですよ。 揶揄とか難癖と言える事柄です。

>創価学会と言う組織はどうも情報の後出しが多すぎますね。
>かなり苦し紛れの物も多かったりしますが狂信者にはそれでも納得すると言う事でしょう。

 こう云う対話の進め方を、後出しジャンケンと云うのです。

 なぜならば、堅皇さんの >>115 に対して、私は、自分が調べたことを元に
>普通、思想なしで組織なんか作るのかと言うことですね。
>あるとすれば日蓮から学んだ思想ではなく他からと言う事ですね。
>だって組織を作ってから日蓮正宗へ日蓮の思想を学びに行っているのですから。

 上は、違うと云う事を証明しているのであって、それに対して話を進めるのでなければ、対話は成立しませんよ。
 おそらく、堅皇さんの、今まで他の人との話も、この様な話の流れなんでしょうね。 相手にする人は少ないと思います。

 と云う訳で、真摯な前向きな対話に成りそうもないと判断出来ますので、私は、ここ迄とさせて頂きます。

125高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/15(土) 19:46:51

失礼しました。 >>124 の投稿は、私です。

126堅皇:2011/01/16(日) 01:37:28
>>高速太郎さん

> 例えば、堅皇さんが幼稚園や小学校の時にA君と云う友達が居たとします。
> A君家へ遊びに行って、A君の父母や家族と一緒に写真を何回か撮ったとします。
> その写真を元にB氏が、実は堅皇さんは、A君家の子供なんだよと皆んなに、言いふらしたとします。
> その時に、堅皇さんは、どの様な行動をとりますか・・・。

A君とは幼稚園や小学校の時仲良くしてたんだ。
そしてA君の両親とも仲良くさせてもらってたんだと話します。

学会のやってる事はA君やA君の両親との関係すら伏せている状態ですからね。
この事実を知らなければそりゃーB氏からあらぬ誤解を受けられるのも当然と言う話です。
最も誤解かどうかも定かではありませんけどね。

> 違うと云う事を証明しているのであって、

証明には何もなってないですよ。
高速太郎さんの話はあくまで創価学会側の主張と言う域を出ていませんから。

法華経では真実を得るために良い言葉がありますね。
それは「諸法実相」です。
つまりは創価学会の主張、本門正宗の主張、日蓮正宗の主張。
これ等の整合性の中に実相があると言う事ではないですかね。

ですから僕はそれぞれの人たちの主張を全て鵜呑みにする事無く
集められた事実の中で真実を見出したいと考えています。
創価学会がそう言っているから正しいとか本門正宗のが言っているから嘘って話はないんですよ。
学会のこれまでの流れを見ると信憑性が高いと言う確率の問題ですね。
この確率を覆す確固たる証拠があれば話は別ですけどね。

127エキストラオ:2011/01/16(日) 20:36:50
★日蓮大聖人の教えは『人間主義ではないですよ』

★日蓮大聖人の教えは人間主義ではありません』

★現代に『人間主義』と云う都合のよい言葉を当て嵌めたい

という人間が居るだけでしょう。

日蓮大聖人と 人間主義・・まったく無関係です。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

128堅皇:2011/01/16(日) 22:41:00
>>エキストラオさん

確かに仏法は人間が作ったものではありますが
『人間主義』って事ではないとは僕も思いますね。
また仏法とは価値創造にありとの考えも違うと思います。

何れにせよ創価学会は仏法を何らかの目的のため利用しようとしたと言うのが始まりって事ですかね。

129釈子・創価門流:2011/01/16(日) 23:32:58
「大日本皇道立教会」ですか。
  久しぶりに聞きましたね。
確か、日蓮正宗の人々が創価学会員に変わって、反論提起していた事を思い出しました。

 確か、戸田第二代会長が時習館の生徒?に「南朝の正統」を話した事を何かの書籍で見た記憶がございます。
ただ、その内容は「楠正成」を正しいと思えばという内容だったかなと。

130堅皇:2011/01/17(月) 14:46:29
>>釈子・創価門流さん

お久しぶりです。
僕は釈子・創価門流さんにはいろいろとお伺いしたい事はあるんですけどね。
で、その際たるものが釈子・創価門流さんが何故に創価に拘るかと言う点ですね。

あちらでは僕の発言を「板を汚す」と表現されましたから退去させていただきましたが
どのみちアクセス禁止や制限が頻繁にあるところはあまり好きではないと言うのもあります。

創価思想は僕は仏法ではないと思っているんですね。
もっとも諸法実相という観点から入り口は仏法でなくてはいけないという拘りはないのですが
自らが実相だと名乗った時点で法華経を第一と捉える事ではなくなり
また法華経を捨てているとも思えます。

もっとも題目が法華経の題目ではなく法華経とは釈迦の法華経と捉え
捨て去りなさいと言うのが日寛教義ですから
その時点で題目が法華経の題目では無くなってしまって
法華経を捨て去っている行為だともいえるんですけどね。

131釈子・創価門流:2011/01/17(月) 18:23:38
>>130
堅皇さん

・ではなく法華経とは釈迦の法華経と捉え捨て去りなさいと言うのが日寛教義
⇒日蓮正宗の「日蓮本仏論」は、本仏・釈迦牟尼仏の垂迹として存在する「本仏・日蓮」なんですね。
  「捨て去る」の意味が違うと私は考察します。
・創価思想は僕は仏法ではないと思っているんですね
⇒訳経僧 鳩摩羅什が『法華経』を『妙法蓮華経』八巻として訳し、その『妙法蓮華経』の訳し方が"正しい"と言う論理に立ち、
  日蓮大聖人は、天台大師・妙楽大師などの釈を基にし、己流の解釈をした訳です。
 創価学会の三代会長諸師が、その教えを基にし、己流の解釈及び論を以って成り立つのが「創価思想」であると私は考察します。
  なので、「仏法ではない」と言う意・論は堅皇氏が思ってる分には、よいのではと。

132堅皇:2011/01/17(月) 23:19:00
>>釈子・創価門流さん

> 訳経僧 鳩摩羅什が『法華経』を『妙法蓮華経』八巻として訳し、その『妙法蓮華経』の訳し方が"正しい"と言う論理に立ち、
> 日蓮大聖人は、天台大師・妙楽大師などの釈を基にし、己流の解釈をした訳です。

これはその通りですね。
純然たる釈迦の教説のみを仏法と名づけるならば日蓮の南無妙法蓮華経は仏法ではありませんね。
それ以前に法華経が歴史上の釈迦の説法ではないとすれば
これもまた仏法と呼ばれる物ではありませんから。
事実、法華経を語るにはあまりにもヒンズー教の影響を否定せざるものでも有りますから。
それ以前の釈迦が説いたとされる仏法もその影響下を避ける事はできませんからね。

その理を持ってすれば僕が考える創価思想は仏法に当たらないのではと言うとは的を外していますね。
創価思想は単に西洋の人文主義を取り入れているだけであり
仏法自体が人文主義から成り立っているわけですから創価思想も立派に仏法と呼ばれるものかもしれません。

ただそれでは『法華経』とはなんなのかと言う話になりますね。
釈子・創価門流さんの中では日寛教義の様に
釈迦が説いたとされる法華経と日蓮の南無妙法蓮華経は別の法門であるというお考えなのでしょうか?

僕は日蓮が唱えた題目とはまさしく法華経の題目の事を指していると思っています。
つまり釈迦の法華経だの天台・妙楽の法華経といった立て訳があるとは考えておりません。
法華経と理が異なる時点でそれはもう法華経と呼べるものではないと思っています。

ではその法華経の理とは何かと言うことですが
それは諸法実相であり本因妙ではない、久遠実成であり久遠元初ではないと言う事だと思います。
理が異なる時点でそれはもう法華経とは呼べなくこれを蔑ろにする事で
法華経をいくら用いてもそれは真言宗と同様に法華経を盗んでいるものと考えています。

釈子・創価門流さんの中での法華経の定義があればそれをお聞かせいただきたいです。

133釈子・創価門流:2011/01/17(月) 23:58:10
堅皇さん

⇒『妙法蓮華経』の釈を、天台大師・妙楽大師などがされ、更に、その「釈」を用いたり・用いなかったりしながら
日蓮大聖人が現して行く。
 原版→訳経僧 鳩摩羅什→大乗人師・論師→日蓮大聖人と「釈」がされ、「法華経」が幾つものフィルターを通り、今の私たちに届いている。
「定義」と言うのは何でしょうか?
 記した一連の流れの中で生まれた解釈が「法華経の定義」と捉えるか・捉えないかです。

 「法華経と理が異なる時点でそれはもう法華経と呼べるものではないと思っています」←御自身で選ばれては?

134釈子・創価門流:2011/01/18(火) 00:08:32
>>127
エキストラオさん

・★日蓮大聖人
⇒「日蓮大聖人」とは、富士門流の方ですか?
 何処の宗団ですか?
  立ち位置如何で、お答え方を変えてようかなと思いまして。

135堅皇:2011/01/18(火) 00:32:36
なるほどですね。

その中で創価思想が法華経と中枢であるとのご判断なのですかね。

僕は日蓮が言うように法華経の肝は方便品を経ての寿量品にあると思うので選んでいるわけです。

それは方便の必要性
「諸法実相」実相とは諸々の法の中に存在していると言う事。
また、諸々の法とはそれぞれ方便であると言う事。
「久遠実成」釈迦が仏とは言ってもインドにおいてはじめて悟りを得た始成正覚ではない。
つまりは仏とは突然世に現れたものではないと言う事。

これだけに置いても物凄く素晴らしい考えだと思っていますから。
この考えを中心に据えるだけで全ての法や思想を取り入れることが出来ますからね。

そうすればキリスト教やイスラム教の思想ですら取り入れることが可能ですからね。
それぞれの思想が単独の実相ではなく、全てが仏に導くための方便であると捉えたら。
また、それぞれの思想の整合性の中に実相があると互いに捉えればそこからは戦争は生まれませんから。

戦争が生まれるのは自分たちの教えこそが実相であり唯一の正義であると捉えるから争いが起きるわけですからね。

また、それぞれの神と呼ばれる存在もその時突然現れたというものではなく
「久遠実成」と捉える事によりいわゆる世を司る神や御本仏と言った存在がなくなりますからね。

僕はもう仏法だけに拘るつもりも無いのですが
世界各国のあらゆる思想、宗教の中にこの法華経と同様の理にたどり着いた思想と言うものがあるのかなと考えます。
少なくとも仏法内、日本国内に置いて法華経より優れた法は無いのではと思って
法華経の題目を信じて唱えているわけなのですが。

136堅皇:2011/01/18(火) 00:48:57
ですから僕の中ではあるゆる思想の持ち主であっても僕にとっての敵と言う概念は無いんですね。
あらゆる考え方は自身の目的である実相に到達すべき上での方便であると捉えていますから。

学会員さんであれ日蓮正宗を信じておられる方でも敵ではありません。
ただ、自身の考えこそが万民に通じる実相であると押し付けてくる人たちには
違うのではないかと言う必要はありますけどね。

日蓮の行った折伏と言うのもこのような感覚だったのではないかと思います。

ともかく日蓮正宗も創価学会も日蓮が本仏だとか我々が唯一の正義であるとか言っている時点で
法華経を捨てているのではないかと思っているわけですね。

僕の考えはまーそんな感じと言うことです。

137エキストラオ:2011/01/18(火) 11:00:38
★わたしは 日蓮正宗の信者ですから・・・

結論として楠の板で 成っている御戒壇様をそのまま 人法一個の

本佛 日蓮大聖人と信仰しています。  ここから外れることは

ありません。法華経の捉え方は 究極ここに、極まるわけです。

信じる人とそうではない人々の間には 縁というものがありますから

強く曳かされる側に 系統していくのは当然でしょう。とにかく

縁の問題という事になりますよ。ともあれ 如何なる縁にてあっても

最期は強いほうに 曳かされていきますから、とにかく『縁』つまり

『下種』ですね・・日蓮大聖人の題目そのまま末法の法華経に『縁』

した者たちが最期はその法華経の渦に組み込まれていく・・故に・・

順縁なり逆縁なりでも 結構な話であります。  ま・・言ってみれば

一度被爆したものが最期までその影響下に置かれるのだというようなもの

でしょう。・・というように池田大作さんも 最期は帰命の途につかざる

を得ないと思いますから、去るものは追わずというスタンスは定着している

と思いますね。

//////////////////////////////////////////////////////////////でわ。

138エキストラオ:2011/01/18(火) 11:09:34
★電灯の二月じゃなかった・伝統の二月・・折伏じゃなかった・・・
会員勧誘は進まないかも・です。////////////////////////////////////

139堅皇:2011/01/18(火) 13:12:56
>>エキストラオさん

> わたしは 日蓮正宗の信者ですから・・・

学会員さんにしても日蓮正宗の信徒さんにしてもこの辺は関しては
生真面目といえばそうなんでしょうけど
義理堅いと言うべきか日寛さんの「師弟不二精神」と言うべきか
理由が信者だからと言うのはかなり窮屈な思考なのかなとも思いますかね。

もっとも僕の信仰動機も日蓮という人が凄いと思ったからと言うのもあるから人の事は言えないんですけどね。

ただおかげで会長さんがどうとか歴代の法主がどうとかと言う事は
まるっきり最初から眼中に無かったと言う事はありますね。

御戒壇様も人法一個も本佛日蓮大聖人も日蓮の意志とは反していると言うのを感じた段階で
直ぐにこの考えとはサヨナラ出来たという感じではありますね。

ただ、そこまで日蓮と言う人を信じる事が出来た背景には
日蓮正宗の日蓮本仏論があってこその側面があったからかもしれませんし
その部分では自分とっては良い方便となったのかなとは思いますけどね。

ただ今現在の考えとすれば僕は日蓮本仏論は有り得ないと思っています。

140エキストラオ:2011/01/18(火) 19:25:24
★それでいいんじゃないのですかね・・・どう捉えようとも本人の因縁
だと思うし、理屈だけでは人は動きませんからね。心変わりは人間なら
また、いつしか起こり得るわけですし、その時はその時で考えればいい
事でしょう。

いろいろと変わりますからねひとは。
若い頃の考えと・年老いてからの考えは多少なりとも変化していきますよ

////////////////////////////////////////////////////////////////////

141堅皇:2011/01/18(火) 23:03:31
>>エキストラオさん

どう捉えようが良いですよね、また考えが変わる事があっても。
二世、三世・・・はともかくとして
学会員さんに関しても正宗の方に関しても先祖代々の宗派を捨てて信仰している人が大半ですから。

良いと思ったら良いと思うものを信仰する、信仰は自由ですからね。
「日蓮正宗の信者ですから」と言う理由だけなら
義理やなんかで縛り付けられているような印象を受けて何だか可哀想に思えたのでと言う話です。

特に学会員さんは直ぐにご恩返しと言う事を口にしますけど
先祖に対して改宗する事が恩返しとの判断で今の宗派を選んだのではないかなと思いましてね。

普通に自分自身が納得しているのであれば別段問題はないのですがね。

142エキストラオ:2011/01/19(水) 23:36:54
★学会員がご恩返しというのですか????

でも一番の恩知らずは総か学会員ですよ・・・宗門の軒下を借りる形で入信
してきて 御法主に信伏随従 御戒壇様は究極などと言ってきたわけですから
ね。

単にあの指導者が 御法主の上にはどうしてもなれない・・しかも・
叱られるのがことのほかキライだった・・・

すべては其処から来ているものだとおもいますがね・・・つまり感情
がね・・地獄界の感情がかれの中で爆発してしまった・・・・
・・・という事なのでしょうね・・・解り易く言えば・・・・・・

会員は会員で『ちくしょうめ・おらたちの 親分コケにしやがって』
・・ただ・そのへんの・低次元の判断ですよ。
仏法のなんやらかんやらが解って創価学会に残った人なんかひとりも
いませんよ。

単なる感情論なんです。

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143堅皇:2011/01/20(木) 02:40:56
>>エキストラオさん

てか、僕は第二次宗門問題の際に創価学会に残った訳ですが
その残留理由は正宗には法主の絶対視があったからなんですよ。
正直言えば池田さんと日顕さんがどちらに指導者としてすばらしいかと言う発想はまるで無かったですね。

ホントに日蓮しか興味なかったですから
それでも当時の創価学会は充分アリだったんですけどね。

「白鳥の恩をば黒鳥に報ずべし・聖僧の恩をば凡僧に報ずべし」

とあるわけですから恩返しするとすれば仏法を知らない人であるとか
悩んでいる方に対してですよね。

に対して池田さんにご恩返しとかお守りをとか法主猊下に信伏随従ってのは
池田さんも日顕さんもどんだけ真っ黒い鳥でどんだけ凡僧なのかと思ったりするわけですね。
島流しにあってる話でもなかろうに。

それまでは池田さんや法主の事を上行菩薩の様な役目をする人と好意的解釈していましたが
師弟を前面に出してきたあたりで完全に萎えたと言うところです。
守んなきゃいけない師匠って良く解らないんですね。
そんなに懐が狭くヨボヨボなのかって、こっちはまだまだヨチヨチだってのにさ。

今となっては学会をやめたことによりいろいろと自身で仏法を学ぶ機会が増え
返って良かったというところではありますけどね。

144エキストラオ:2011/01/20(木) 12:21:18
★護んなきゃならない師匠ね・・・たしかにね・・わかんないね・
学会の師弟はね・異常ですよ・・なんの世話にもなってないはずの
人達がね・先生には御恩があるって言うんですよ・・・ねっ・・

確かに千円くらいずつ 小遣い貰った人達は居ますよ・・ピン札でね・
それを後生大事に取っておいて自慢する人がたくさんいますからね・

しかし・中には『なんだこの金だって おらたちが 寄付したものじゃ
ないのかっ』て憤慨していた会員も居たのは事実ですけど・・ね・・・

うちはね・・恩といっても御法主個人そのものに対しての信伏随従ではなく
袈裟衣を着て二乗台にて法要される御法主の信心に対しての信伏ですから・

二乗台から降りた御法主は凡夫僧であるわけ。という筋目の上からのまた
法を司る立場に対して・・・でしょうね。それ以上は個人的な関係のある
人々はそれぞれに 違うでしょ。尊敬の仕方はね。

恩といってもあくまでも『法』が大事だとするところからは逸脱しません
よ。

ところが学会は『人間イケダ大作』に対して これでもかというほどに、
尊敬を強要してますよ。明らかに『依法不依人』から逸脱していますがね
殆んどの人々が『あんなに勲章貰った先生は偉大だ』との理由で個人宣揚
の担い手になっていますよね。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

145エキストラオ:2011/01/20(木) 12:40:53
★堅皇さん・・師弟といっても、 僧の世界は ま言ってみれば
礼儀礼節の世界です。 僧の世界も俗の世界も 基本的には
同じでしょうけどね・///////////////////////////////////////

僧と俗では まったく違う世界ですからね・・・『四恩抄』にある
とおり・俗からみれば、僧に対しての恩は確かにあると 日蓮大
聖人もおおせですからね。

ですから個人的には自分の信心で すべてを拝していけば言い訳で
別に束縛されるなにものもありませんよ。

///////////////////////////////////////////////////////////////

146堅皇:2011/01/20(木) 17:03:03
>>エキストラオさん

> 僧の世界も俗の世界も

僧俗の捉え方が変なんじゃないですかね。
創価学会や日蓮正宗には僧俗和合たる変な言葉が蔓延していますがこんな言葉御書に載ってますかね?
俗との対義語は明らかに僧ではなく聖です。
僧は信じるもの全般に当てはまる僧伽の略称ではないですかね。

現代用語では一般に僧と言えば比丘・比丘尼といった出家者を指し
優婆塞・優婆夷と言った在家信者を俗と解釈されているところもありますが
これらを全て含んでの僧伽と言うのが本来の僧の意味だと思われます。

つまり破和合僧と言う場合は僧伽ではない不信者も含めての和合と言う事であると思われます。
日蓮はそもそも僧俗と言う言葉はほとんど用いておりませんね。

用いてないというと御幣がありますので1つ
「当世の僧俗多は人を本として経文を本とせず」てのを上げて見ますが
ここでの僧俗と言うのは俗である僧と言う意味であると思われます。
僧になったからといって直ぐに聖になるわけではないので
日蓮はよく「聖なる僧」とか「俗である僧」と言う表現は良く使われておりますからね。

つまり職業僧侶といえども聖僧か俗僧かは解らないと言う事ですね。
これが法主と言う立場であっても聖であるとは断言できるものではないと僕は考えますね。

特に日蓮正宗の法主は直ぐに総講頭罷免を口にしますので
これは破和合僧の破壊僧であると僕は捉えているという事ですね。

仏法にない文言「僧俗和合」と言う言葉が人を惑わす天魔の働きをしているものと思います。

147堅皇:2011/01/20(木) 17:22:34
> 二乗台から降りた御法主は凡夫僧であるわけ。

その割りきりがあるというのはいいかもしれませんね。
ただ二乗台に乗っているから信伏ってのはね。

もちろん教壇にだった講師の話は真剣に聞くと言う事は悪い事ではないと思いますし
いちいち茶々を入れるのもおかしいと思いますが
教壇に立ったからといって明らかにおかしなことを言えば信伏の必要もないと思います。

1つ宗門側を持ち上げるとすれば池田さんより日顕さんの方が
教学力はあるのではないかと言う事は思いますね。

ただ両者とも伏せているというか隠している事は多いと思います。
仏法における「秘密」と言うものは単に伏せると事ではなく
全てを明るみにして尚且つ解る人には解るといったものであると思います。
「雖近而不見」ってやつですね。

148堅皇:2011/01/20(木) 17:27:51
末端には理解できないであろうと隠し通すのは単なる傲慢だとも思えますね。
すべてを見せても解る人には解る、理解できない人は理解できない。
これが仏法上の「秘密」であり、これが道理ではないかと思いますね。

149エキストラオ:2011/01/20(木) 21:24:29
★日蓮大聖人を敬うとも『悪しく敬う』という事があります。しかし・
そのモノサシは無い。 学会も 我こそ台聖人直結だと言い張ってます
が・やはり・根拠は皆無である。

宮沢賢治も日蓮大聖人を慕ってはいたが、やはり『悪しくうやまう』
部類にはいっているかもしれないし・・

とにもかくにも、ぜんぶの人々が『私はこう思う』という『己義』で
あり、我見であることには 変わりないのですよね。

つまり『わたくしの所見』であるわけですよ。日蓮大聖人本人以外は
全部二人称三人称の立場の人々であるわけだね。だから私はどれ程の
見識を持った人々の言葉も信用しないのですよ。

日蓮大聖人本人以外に『本人の悟り』を共有すべき方途はないからです。
第三者第二者が彼の悟りこころのなかを見る事は『不可能』だからである。

猫があくびをしている。それを見た人が この猫は腹いっぱいで眠く成っ
たので、いまはただ眠る場所を探しているのだ・・・とは・・誰人も
断言できる人はいないのと同じである。

あくまでもこちら・自分の見識からみた判断以上のものではないからね。

隠す隠しているといってもね 日蓮大聖人の得道の方法は境智の二法
だけだしね・・信を持って題目を唱える・・カンタン至極なものだ・・
一切衆生が 救われるには シンプルでないと 一人も救われない事に
なってしまいますしね。 隠したりするほどの 複雑な仏法ならば・
あたしゃ・とっくに・御免蒙りますよ。

///////////////////////////////////////////////////////////////////

150堅皇:2011/01/20(木) 22:54:38
>>エキストラオさん

> 学会も 我こそ大聖人直結だと言い張ってますが・やはり・根拠は皆無である。

これに関して言えば日蓮正宗も同じくですね。
五老僧にしても日興さんにしてもそれはいえます。
二箇相承?
それにしたって根拠は何処にもありませんしこれ自体が日蓮正宗の己義、我見の域を出ていませんね。
故に僕は全部取っ払って考えていきたいわけです。

> 日蓮大聖人本人以外は全部二人称三人称の立場の人々であるわけだね。

もちろんそうですね、しかしヒントは隠されています。
それが日蓮が書いた御書であります。
また御書は諸経を元に書かれています。
ですから諸経を学べはその答えに近づくことが出来るのではないかと言う事です。

> 猫があくびをしている。それを見た人が・・・とは・・誰人も断言できる人はいないのと同じである。

確かにそうなのですが法華経にはそれを解く鍵が記されているという事
それが諸法実相と言う事。
猫があくびをしている瞬間だけを見た人だと答えを導き出す事は難しい。
しかしながらそこに至るまでの多くの確かな目撃者が居たらどうだろう。
更に猫があくびをする様々な条件を知り尽くした専門家が居たらどうだろう。
真実とはいかなくても限りなく真実に近づける答えを見つけることは出来るのではないだろうか。

ただそこで自身の固定観念を抱いたり専門家の声が絶対に正しいと思ってしまったらどうだろうか
真実は遠のいていくのではないかと言う事。

そういう意味で創価学会も日蓮正宗もこの法華経から少し外れた危険な思想であると感じるわけです。

151堅皇:2011/01/20(木) 23:09:44
秘密に関して言えば例えば曼荼羅に書かれている文字が秘密です。
それぞれそこに書かれている意味を理解しないと何故にこれ等の文字なのかと言う謎は解けませんからね。
もちろん謎なんかとかなくても良い、ただ曼荼羅に題目を唱えよというのが日蓮の趣旨ですが
でも理屈が解ればより深く信じる事が出来ますよね。
故に行だけでなく学も同時に推奨され、その両方を持ってして信を得るとの話なのですから。

御書や経文に置いてもこれは言えます。
現実に当て嵌めて、また自身が体験する事により謎が解ける納得するという事柄があると思います。
そういう意味で題目もまた秘密の1つであると言うこと。

題目の文字は誰にも隠してない言葉である
でもその本来の意味と言うものが秘密と言う事であると考えるわけです。

つまる所全てを公表しても解る人にしか解らない話でしょ。
これに対し日蓮正宗の中だけに伝わる秘密、秘伝書と言う類はこれに当たらない。
歴代法主だけが知りえる丸秘事項と言う事でしょ。
これは単に自分たちの権威を守るための道具であるとしか感じられないという話です。

152エキストラオ:2011/01/21(金) 11:00:31
★わたしは 組織の上の層の人々には無関心ですね。彼等がもし・
秘密を持っていたとしてもです。縁の無い者には『無縁』ですから
ね。 自分の手の届く所にあるもの・・それで充分だと考えています。

またそんなものが有っても知りたいとも思わないし知ったところで
無用ではないでしょうかね。

また『理屈が解ればより深く』とは思いませんね。信とは始めから
具わったものですからね。信力の場合色身不二です。

生まれたばかりの赤ん坊が教わる事なく母の乳を吸うのは色身不二
だからです。悪縁多くして基たる信が 偏屈してきますからね。

ここでいう善知識とは本宗から授かった御本尊ですね・私の場合ですが・・
日蓮大聖人は『余念なく』と・・仰せですが多くの人が この『余念』に
左右され翻弄され続けて逝きます。

これが解ったら次が知りたくなる・・これも余念の餓鬼界のあらわれで
しょう。そんな事しているうちに自分の人生は終わってしまいます。

境と智の冥合こそ究極の修行だと思っています。いわく『本地難思』と

天台いわく『本地難思の境智の妙法はしゃくぶつの思慮に及ばず如何に
いわんや菩薩凡夫をや』・・・・と日蓮大聖人もこれをひかれておおせ
ですよね。

私も含めて 末法のすべての人人はこの『しゃくぶつですら思慮できな
いという』ものを 理解したり慮ったり 解説したりはできない・・
と・・言ってるわけですからね。

それにしたがうだけです。それに対向して自分なりの悟りは不可能です
。いわく『不可思議・心行所滅・言語道断』の法ですからね・
ほかにはどうしようもないわけです。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

153エキストラオ:2011/01/21(金) 11:15:52

★日蓮正宗はある意味・ある人々にとっては危険な思想かもしれません。
しかしそれは悪いという同じ意味ではありませんね。毒も使い方によっては
大きな薬になりますからね。

わたしの場合末法の法華経は日蓮大聖人の御戒壇そのまま題目ですからね。
そういう意味では 末法無縁の釈尊の法華経はラーメンのスープくらいの
感覚です。あれば便利だが無くても困るというくらいでしょうか。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////

154堅皇:2011/01/21(金) 16:38:16
>>エキストラオさん

> これが解ったら次が知りたくなる・・これも余念の餓鬼界のあらわれで
> しょう。そんな事しているうちに自分の人生は終わってしまいます。

これは確かに的を射てますね。
全てを知り尽くそうと思ったらそれこそ八万法蔵を
習いつくさなければならなくなりますからね。
となると何のため題目を唱えるかって話にもなりますからね。
法華経や諸経の智慧を活かすために唱える題目であるわけですから。

ただ言えるのは創価学会が近頃何だか変だゾと言うのが発端で
また創価学会対日蓮正宗の口論(法論と呼べる物ではない)を見て
なぜなぜみんな題目唱えているのにこんな口汚い論争してるのと思って
その原因を探ったのが切っ掛けみたいなものですから。

疑問がなければもともと御書なんてものは広げたりしませんでしたからね。
あまりにも創価、正宗共におかしいと感じたから自分で調べてみようと思ったわけです。

でもっておかしいと思える箇所をおかしいでしょと言ったところで
全く聞く耳を持たない様子ですからね。
信じるって行為は別の方向へ行くともう止めようがないんだなと言うのは感じます。
まさに「宗教はアヘン」なんだと思います。
不幸な状態に陥ってもおそらくそれが気持ちいいんだろうなって。

> 日蓮正宗はある意味・ある人々にとっては危険な思想かもしれません。

その自覚があるのであれば取り敢えずは大丈夫なんだと思います。
エキストラオさんは意外と割り切っている部分も多く見受けられるんで。

ただあえて言わせていただくと創価がおかしい事も去ることながら正宗も同様におかしいと思いますけどね僕は。

155エキストラオ:2011/01/21(金) 17:20:36

★おかしいところを おかしいと言ったところで〜〜

一緒に共感してくれというなら・お付き合いもしますがね・・
ほんとはね・・そうだそうだそのとおりだと・言ってもはじまり
ませんからね・・

私の場合・・『臨終只今にあり』と題目を唱えることに尽きます。
日蓮大聖人は『臨終の時を待って御覧ぜよ』と おおせになり・
信仰の究極は臨終ですよ。 

まず仏法を学せんものは臨終を先に学すべしと・・台聖人様も、
おおせですからね・・ 若い者が いや俺はまだ若いから先で
いいわ・という問題ではありません。ね。

学会の指導者も現在では高齢者所在不明のようですし・・
いくら・勲章貰っても 最期だけは誤魔化せませんからね・・
これは臨終只今という 覚悟の信心を積み重ねていかなければ
ジタバタしますからね・・だれでも。若い者ほど あがくらし
いですよ。

オレの最期はこんなはずじゃなかったと・・・・・・

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156堅皇:2011/01/21(金) 22:23:02
>>エキストラオさん

ちゅうか臨終が最後だと思っているからジタバタするんですよ。
仏法は三世を顕し無始無終といくども言ってるんですけどね。
終わりがないと言うなら焦る必要はないと思うんですけどね。

現在所在不明の高齢者さんですが物凄く現世に対する執着が強いですね。
もちろんそれ自体は悪い事ではないですけど
今世を精一杯生きるという観点では。

ただ何かが違うと思いましたね、学会の葬式に出て彼の出したとされる弔電を聞く限りでは。
単に迫り来る死が怖いという印象は受けましたね。

僕は思うんですが人間はどう死ぬかを考えるよりどう生きるかを考える方が建設的だと思いますね。
仮にそこで死が訪れても納得行く人生を過せるのではないかと思います。

素晴らしき臨終と言う事に力点を置くということは何処となく念仏思想の匂いがするんですね。
明日死んでも満足だという思いで毎日生きていけばそれで構わないと思います。
もちろん如説修行は大切な事なのですがそれは何のためであるかと言う事。

臨終時や来世を目的に考えるという事は違うんじゃないかなと思っています。
もっとも今身を潜めている指導者さんの様な現世欲ともまた違う
特に会員が考えている日顕さんとのご長寿対決と言う事自体が
物凄く不毛さを感じられずにはいられないんですね。

157エキストラオ:2011/01/22(土) 21:19:55

★長寿対決ね・初めて聞きましたね・・日蓮大聖人は臨終を学ぶというのは
一番最初に持ってきていますね。それを深く学ぶ事は 質の高い生き方・・
つまり菩薩行ができるということです。京阪君のように『オレはこういう立場
で頑張ってるんだ・それも先生のおかげだあ〜』みたいな人生に『価値』は
まったくありませんがね。

ですからどう死ぬかという事ではなく 衆生所遊楽の行き着くところが・
臨終のすがたでなければいけない。

ところで日蓮大聖人はなんと言っているのか? 結局は『一切衆生南無妙法蓮華
経と我も唱え他をも勧めんこしこそ今生人界のおもひでなるべき』とおおせの
とおりですよ。つまり題目行と折伏行以外は『無益なり』の教えのままです。

ですから臨終は最期だとおもうのではなく 生のはじまりと捉えるから・
一番大事な 継ぎ目の節にあたるわけです。

ともあれ・学会の指導者は とりわけ臆病でしたから、今頃 音沙汰がな
いと言う事は・相当に ジタバタしているのではないかと容易に想像が・
つきますね。

とりわけ私は日蓮大聖人がそうしろと仰せですから そのとおりにしていく
だけですね。『臨終ただいまにありとさとりて〜〜』ですよ。ほかの誰でも
なく日蓮大聖人様の教えですから。

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158堅皇:2011/01/23(日) 01:24:16
>>エキストラオさん

> ところで日蓮大聖人はなんと言っているのか? 結局は『一切衆生南無妙法蓮華
> 経と我も唱え他をも勧めんこしこそ今生人界のおもひでなるべき』とおおせの
> とおりですよ。つまり題目行と折伏行以外は『無益なり』の教えのままです。

つまるところ創価と正宗の違いって何処にあると思います?
どちらも上の条件には当てはまってますからね。
正宗の方たちはその理由がニセ曼荼羅にあると判断されているようですが
僕はその見解が違います。

僕が考える理由はご祈念文(ご観念文)にあると思っています。
学会が現在のご祈念文になったのは2004年です。
この年を境に学会の情勢は激変してますね。
会員数の減少や一般的に確かめやすいのは公明党の投票数の低下ですかね。
それより何より組織内の雰囲気が変わってきて、気持ち悪いくらいの池田さん中心の組織へと変貌してきています。
本尊に問題があるのであればこの波が1990年以降に来るはずですが
この時の創価学会は完全に上り調子でありその片鱗は見えません。
ですから僕は問題は曼荼羅にはないと考えています。

159エキストラオ:2011/01/23(日) 17:26:59

★なるほどね・・・私は『感応妙の原理』により いくら精巧に創られた
ニセ物本尊でも やはりニセ物を拝めば ニセ物の感応妙に応じて 現在の
ような 例えば京阪君のような 偏頗な人間が出来上がっていくのだと、
思っています。

また観念文に問題ありとする考えかたは 確かにあるとは思いますが、やはり
対境となる本尊から影響を受けることは間違いありません。

池田大作氏の ごく最近の表情は 如是相との方便品に有る如く みられた
相ではありませんね。二度と見たくないほどの激変ぶりは館内から『うおー
ーーっ』と どよめきが立つくらいに衝撃的です。

ですからもう二度と 以前のようなスタイルで 会員の前に登場することは
出来ないでしょうね。この人の生き方はそっくりそのまま・生きてきたよう
にしか 死ねないでしょう。   おわかりですね。

非情に哀れではないでしょうか。公明党の総得票数から 会員数の激減は、
目を覆うばかりですが、これとて 隠しようがありませんしね。ですから
この会に対して 目を剥くほどの事は もはや ありませんよ。自然消滅
の道を突っ走ってますからね。

もはや会員の御観念文は 感謝しまぁ〜〜すぅ・・から 先生の御健康に
集中しているらしいですが・誠に 滑稽な話です。

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160堅皇:2011/01/24(月) 00:56:06
>>エキストラオさん

> 対境となる本尊
本尊が対境と言う事ですか。
悪いけどこの考えは日寛教義になるので僕は信じません。

で、対境って事は本尊と境地冥合すると言う話ですね。
これって真言曼荼羅の理ではないですかね。
対する日蓮の曼荼羅は法華経の虚空会の付嘱の儀式を表現したものだと思われます。
衆生が仏と一体となるのではなくあくまでも智慧を授けると言うものであります。

つまり衆生が仏となる概念が既に真言と法華経では違うんですね。
仏とは仏と境地冥合する事ではなく法という智慧を得て仏に成るということですね。
この時点で真言は仏法の理から外れていると思いますし法華経は理にかなっている。
つまり日寛さんは日蓮の法華曼荼羅を真言曼荼羅の理を説いている事になるかと思います。

この「対境となる本尊」と言う考え方が一子相伝というか法水瀉瓶と言った思想を生み
曼荼羅は法主しか書写する事はできないと言う考えになったのだと思います。
というか曼荼羅書写が法主だけとなったのは何時頃からなのでしょうか
少なくとも日興さんや日目さんの時代ではまだそんなルールもありませんでしたし。
ともかく「対境となる本尊」という理は真言の曼荼羅の理だと思います。

ちなみに対境を対鏡と言い出したのは創価学会ですかね。
対鏡なんて言葉は仏法にはありませんしこれは翻って自分が仏と言う事ですかね。
となればこれは禅の理に近い気がします。

ともかく僕は法はあくまで法であると捉えていますのでオカルトではなく理論的に考えていきたいわけです。
法主が書くから効果があるという考えはあまりにもオカルト過ぎると判断しています。

161堅皇:2011/01/24(月) 01:05:40
失礼、
×翻って自分が仏と言う事ですかね。

○翻って自分が本尊と言う事ですかね。

と表現した方が良かったですね。

162エキストラオ:2011/01/24(月) 13:04:40

★大聖人の御本尊は『未曾有』ということであって天台の理とは違うと思います。
自行化他にわたるという点でも相違点はありますよ。

ともあれ『信を以って入る』以上でも以下でもないと思っています。
日蓮大聖人おおせのごとく『事の事を行ずる』ということで 納得しています。

法主が書くからオカルト・という考え方は確かにもっともだと・普通の人々は
考えて当然でしょうね。

『誰が書いた本尊も 全てがまったく同じもの』というかんがえが 変化しまし
た。本や手紙のように単なる書いてある内容がわかればよいという 利便的な、
利用としてのものならば 確かにそれでいいものと考えます。しかし本尊と成る
と 単なる書いてある文字によって人生の未知の部分の影響も受けるかもしれな
いという懸念があります。今の我々の感覚からすれば 未知の影響は殆んど・解明
されてないことだらけです。そこの部分に焦点を当てて考えるときに。

未だ 世間の人々は知っているとは思えない 最先端の科学からの報告が私の
アテンションを捉えました。それは量子物理学の話になり 甚だ僭越ではあります
が、『量子物理学の未解明の分野のひとつに量子エンタングルメントという
性質があります。』  これは電子や光子という原子内粒子同士が一度接触すると
其の後 どれだけ離れても〔何億光年の隔たりがあっても〕その粒子同士は、認識
し合い影響〔afect〕を 互いに及ぼすという〔behave〕振る舞いが発見された事で
す。

こういう次元の問題は今後の量子物理学がさらに発展していくことにより、
『本因下種』というのは とらえどころの無いものから 手の届く 見える形の佛の
『諸仏智慧甚々無量』の一端が垣間見えてくるのです。いってみれば・今の
創価の皆さんに此の事を説明するのは 『江戸時代の人々に特殊相対性理論を説明する
のと同じくらいに無謀な事』は・私は知悉しています。

ここで お分かりのように 同じ物を創るといってもその物質に接触した人物の十界十如
一念三千の情報の全てが創られたものとの共有情報を同一にするということです。
これを『量子エンタングルメント』〔非局在性〕と呼ばれています。

これをここで 発表するのは 堅皇さんがあえて創価から出られたというある意味の
『求道者』であるという理由だからです。もちろん創価のみなさんには・
『驚天動地』であり かかわりたくない事実である事は知悉しているので・
あしからず。

とにかく・700年前の日蓮とは そういった〔relates〕拘りのない人々で
創られた『モノ』には 本物の『日蓮』とは まったく無関係のそういう
『別物の情報の封印された量子で充たされた本尊』ということになり・

それを我々は『魔札』ともいわざるを得ない・・・ということです。

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163エキストラオ:2011/01/24(月) 15:48:36
★つまり法主が帯びている日蓮という量子原子粒子が 書写された御本尊に大きく影響
している・・・

他人が書いたものはあくまで他人の情報原子粒子光子量子の分配によって
振る舞いが成される・・・ということです。

もしも麻原彰晃が本尊書写したとしても それは『同じものでなく』
麻原の量子原子粒子に その本尊はAFECTINGされるということだ・・

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164堅皇:2011/01/24(月) 17:49:51
>>エキストラオさん

完全に法華経や日蓮を捨てて日寛教の信者さんと言うところですね。
学会員さんも同じですが
本因妙とか独一本門の義は念仏の「横超の誓願」の理を知れば同じだと言う事が解るんですけどね。
日寛さんの曼荼羅の解釈は先に示した通り真言曼荼羅の理と同義。
ちょっと法華経を読んで他宗と比較すれば直ぐに解るんですけどね。

そりもそのはず正宗系の方々は御観念文で毎日歴代法主の言ってる事が真実だと祈願してますからね。
この凝り固まった思想から離れられるわけがない。
全ての正宗系の独善性、異常性は全てこの御観念文によるもので説明が付く。

さて、それぞれの御観念文の意義は日蓮は何処で説いているでしょうか。
その殆どが真蹟から外れたものであったり日寛教義を基にしたもの。
そもそも勤行の意義とは何か

月水御書にはこうある。
「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、」と

"習い"読ませ給い候へとある訳ですから現在の様に暗に音読すればよいと言う事ではない。
暗に音読するのは南無妙法蓮華経と言う題目に関してです。
完全に日寛教学による話のすり替えですね。

暗に音読した後に法華経から外れた「歴代法主真教」の教義を観念し続ければ否が応でもおかしくなりますよ。
法華経と言う経典を理解して良くよく読めばは暗に信じるための理論が書かれた経典です。
この法華経を読んだ後におかしな御観念文を読めば簡単に「歴代法主真教」や「池田真教」ってものが出来上がると言う話ですね。

165堅皇:2011/01/24(月) 17:56:21
ちなみに麻原彰晃が本尊書写しても本尊にはなりますよ。
それは犯罪者である数学者が顕した数式も理にかなっているものであれば
立派に数式としての意義がなせると言う事です。

数式が合っているのに犯罪者だと間違った答えが導き出されると言うのであれば
それはもうオカルト以外なんでもないという話です。

逆に言えばどれだけ良い人が話した事でも全て正しいとは言い切れないと言う話ですね。

166エキストラオ:2011/01/24(月) 20:24:37

★同様に 堅皇さんの考えも全て正しいとは言い切れないという話しです。

そのように『凡夫たる人の 語ることは全て 正しくはない』という大前提で

私の受け止めは成り立っています。ので悪しからず。

犯罪者の数式に叶っている・・と云う意味と私の 先ほどの話は 噛みあいませんね。

という事で 無理に理解は求めません。人には得て不得手があるのは・

当然ですからね。

要するに『成仏を願わなくても学問として仏教はまなべます』からね。

肩肘はらずに 気軽に行きましょう。オカルトで結構ではありませんか。

オカルトではダメだという前提で話しをするとそういう事になりますね。

いのちの問題ですからね・既成の答えは不要なんです。求めているものが

ある者にとってオカルトだった・ようだった・・これもありですよ。

肯定・否定だけのモノサシでは計れないものもありますからね。

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167エキストラオ:2011/01/24(月) 20:29:00

★量子物理学のはなしを堅皇さんにしたのは 間違いでした。済みませんが
無かった事にしてください。  現証にはしかず・・でした。
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168堅皇:2011/01/24(月) 21:03:48
>>エキストラオさん

別に僕の話を信じて欲しいと言う気持ちはないですね。
逆に僕の話を鵜呑みにされても困りますからね。

そうではなく誰それの話に固執することはないのではないかと言う話です。
それが法華経が教えてくれた真実である諸法実相ですからね。

それに対して学会は池田さん一人に固執しているし
日蓮正宗は日蓮正宗で歴代法主と言う人たちの考えだけに固執している。
これが問題ではないかと言ってるわけですね。

それもこれも基本に置いて考えている教学が
日蓮でもなく法華経でもなく日寛さんにあるからではないですかと言ってるわけですね。

169エキストラオ:2011/01/24(月) 21:21:26

★ 堅皇さんにとってそれは大事な事なのでしょうけれども・私にとっては
別に大した問題ではないのです。 悪しからず。

ただ・歴代法主が替わるので、なにか特別な問題でもない限り安泰ですよ。
令法久住という観点からいえばね・・

しかし・池田さん一人に固執というのは 問題がありますよ・世襲とか
外の方法で 権力の引継ぎをしていかないと 後々大きな禍根を組織が
遺すことになりますからね。

それを承知で 今まで池田氏ただ一人のお山の大将に甘んじて来てしま
ったのは・あそこの体質がそうだからでしょう。
どのみち成るようにしかならないんだからね・・じっと静観もこれまた
いいのではないかといった具合ですね。

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170堅皇:2011/01/24(月) 21:54:05
>>エキストラオさん

考え方の違いや信じるものが違う事に関してとやかく言うつもりはないですから。
これは信教の自由の範疇です。

ですから正宗の方が歴代法主を信じたいんだとか
学会の方が池田さんこそが信心の根本だと言う事に対して無理にやめさせるような無粋な事は考えません。

ただ一応に正宗も創価も根本が日蓮だの法華経だのと主張してくるから困るんです。
君たちの信じているものは日蓮でも法華経でもなく歴代法主や池田さんだって思想だってね。

どっちが日蓮の思想に近いかと言う討論の場で日寛さんと言った人の言葉を交えるのがどうかしていると思うわけですね。
ともすれば正宗側も戸田さんや過去の池田さんの言葉なんかも用いてくる。
これだと確かに創価学会と言う組織の思想の矛盾点は付けるが
自身の正当性の証明には成り得ませんからね。

こんなやり取りを終始やりつくしているので創価と正宗の討論は見てて不毛だと感じるわけです。

ハッキリと双方「歴代法主真教」や「池田真教」だと言ってくれるとスッキリするんですけどね。

171エキストラオ:2011/01/24(月) 23:48:00

★まあ・それは無理でしょうね。文部省届けがそう出ていますからね・

面倒でしょう。信徒たちは・ほぼ御戒壇様を信仰しているわけですから

学会の言うように御法主を拝むなんてことはありませんからね。もともと

御戒壇さま・・で・・通ってきた宗派です。堅皇さんがどうしてもスッキリ

したいというのなら、掛け合ってあげてもいいですが、おそらく門前払い

になるのがオチでしょう。根本は御戒壇様・・これだけのことです。

私はね。 ある意味で・学会が題目根本・御書根本と謂いますがこれは・

根本の乱用でしょう。そんなに根本ばっかりあるから迷ってしまうわけ

です。////////////////////////////////////////////////////////////

172堅皇:2011/01/25(火) 01:00:27
>>エキストラオさん

> 掛け合ってあげてもいいですが

の言葉だけでも、なかなか僕の趣意を捉えていて頂いているものと思います。
つまるところ法華経の根本である題目と言うのが
本当に御戒壇様を信仰する事なのか?と言う事なのですから。
これを言ってるのはどう考えても日蓮ではなく日寛さんって人だろと言う話です。

ですから学会が正宗とはなれたことに関しては何も不満もなければ不信もなかった。
ただ離れてみて解った事は学会は法華経の題目を根本にしようとしているのではなく
単に法華経の題目を使って池田さんと言う人物を根本にしようとして
組織を大きくしようとしているだけなのではないかと思って組織から退会させていただいたわけですね。

組織のリーダーなんていうものは正直誰がやっても構いません
そんなものなりたい人がなればいいのではないかと言うのが僕の考えです。

正宗教義には日蓮の思想にはない唯一人の人、唯一つの物を重んじる思想があります。
つまるところ池田さんはこの部分に蜜を感じたんだと今は思いますね。
おそらく池田さんは第一次宗門問題の時点で同じように日寛教学の誤りに気が付いた。
でもそこで改革を訴えると師匠の戸田さんの思想を否定する事になる。
そこで逆に利用してやろうと考えたのだと思います。

本尊模刻問題はハッキリ言って池田さんの確信的行動で正宗の識ある上層部も
あれ自体が本尊と成りえることも充分に承知の上だと思っているとも推察できますね。
あのままでいたら法主以外が作った曼荼羅でも充分に本尊と成りえる証明になってしまっていたからですね。
学会が第二次以降直ぐに曼荼羅の制作に踏み切れた事も納得出来る話です。
つまるところ正宗は学会本尊をニセモノと揶揄してますが識ある上層部はこれをニセモノとは認識していないと思いますね。

173堅皇:2011/01/25(火) 01:08:52
単純に言ってしまえば日寛教義がそもそも日蓮の本義ではないと言う事ぐらい
学会上層部も正宗上層部も完全に周知の事実で直接話をするならば何を今更と言う話でしょう。

知らないのは一般学会員と未だに御戒壇様を信じている法華講さんぐらい。
上の考えている事は日寛教義をどう自分たちが利用し会員を丸め込めるかぐらいでしょう。

上手く丸め込む事ができれば後は兵隊達が存分に戦ってくれるという感じですかね。

174エキストラオ:2011/01/25(火) 10:16:45

★いいですね・・・それでもいいんですよ。キセルみたいなもんでも・・

1222年出現の日蓮大聖人と1900年代生まれの私が いればそれでいいん

です。その間取り次ぐのはすべて凡夫ですからね・それをとやかく云っても

無意味でしょうね。

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175エキストラオ:2011/01/25(火) 15:22:43

★うまく丸め込むというのは・なかなかいいものです。私も学会員を

丸め込んで 法華講に 帰命させる・・これはなかなかの快感です。

その元学会員が あんな所からぬけられて本当に良かった・・・・・

と・体験発表させる所までくると・なかなか気分のいいものです。

本人も喜び・丸め込んだ私も喜ぶ・・利他ですね。これは・

本当の意味での価値創造ですよ。 いまの創価学会にはないもの

ですね。

//////////////////////////////////////////////////////////////////

176エキストラオ:2011/01/25(火) 15:29:31

★つまり広宣流布といっても 大多数の人々を うまく丸め込む
ということですから・ ただ『丸め込む』という言葉の響きが・
ニュアンス的に 良くない様な気もしますが・私は気にしません
ね。

日蓮正宗の教えを信じ込ませて丸め込む・・なんと素晴しいでは
ありませんか。

それを兵隊が勝手にやってくれる・・そして徳を積み・罪障も
消せる・・・ 実に理想的社会の実現です。

/////////////////////////////////////////////////////////////////

ですから 創価も そのうち・日蓮正むねに丸め込まれる世の中になり
ます。  ま・・こんなところですかね。

・・・・・////////////////////////////////////////////////////////

177釈子・創価門流:2011/01/25(火) 18:23:21
>>176
パッチワーク板マンダラ、相伝書パクリ、本仏デッチアゲ・・・
「日蓮正むねに丸め込まれる世の中になり」←なる訳ない(爆笑)

178堅皇:2011/01/25(火) 20:27:33
残念ながら正宗教学の基本ベースは謗法厳禁ルールの中で成り立っていますから
丸め込める範囲は内部の人間に限ると言う事ですね。
つまり自分の組織のトップに対しては絶対侍従関係で通じるけど
一旦袂を別れた相手に対してはそれはもう敵でしかなくなります。

丸め込むどころか待っているのは争いしか起きませんね。
兵隊同士が相手の兵士と戦う事しか考えることが出来なくなる。
この戦いは自分が朽ち果てるまで終わりはないですね。

179堅皇:2011/01/25(火) 20:43:40
> パッチワーク板マンダラ、相伝書パクリ、本仏デッチアゲ・・・

これがそのまま日蓮正宗の歴史ですからね。
自身の崇める御戒壇様が既にパッチワーク板曼荼羅ですから

パッチワークでも充分に本尊として成り得ることを既に学習していますからね。
これがばれてしまうと御戒壇様の権威も何も崩れちゃいますからね。
だから学会版の曼荼羅をニセモノと警告しているだけですよ。

パクリ、デッチアゲも常用手段。

これは日蓮正宗内では常識な話。
知らずにニセモノと騒ぎ立てるのは兵隊信者だけと言う話ですね。
日顕さんも池田さん同様、宗内の洗脳能力に長けていると思いますよ。

180エキストラオ:2011/01/25(火) 23:39:02

★ええ・・それでいいんです。そこへ行けば御戒壇様がおられる。
充分ですよね。

ただ・考えかたの違う人間は山ほどいますからね・・そう・一億人いれば
一億人・全部が考えかた微妙にちがいますからのぉ〜。

所詮は 同じくなるのはなにひとつありませんよ。世界が一つに・・・
ええ・絶対あり得ないことですからね。

パッチワーク・あれね・芸術ですよ・・素晴しいです。パッチワークの
先生を知っていますが感動しました。独自の世界があります。

ええ・・プライドはそれぞれにあるようですね。洗脳する人が居る・
つまり洗脳される人も居なくてはならないのですよ。 芝居ですからね
そのどちらも演じられるようで有れば結構人生は楽しいですよ。

ええ・お芝居ですね・・ここに登場してくる人物・それぞれが役者です
ね・・いい役者ですよ・・・成り切ってますからね。それぞれが仮諦の
すがたですからね。

到達点などというものは存在しませんよ・・写真のように停止した広宣
流布のすがたなんていうものもありませんよ。誰が決めるのでしょうか

此処に居る登場人物の全てが やがて・近い将来死に絶えていきますが
なにも残せませんし残りませんね。それを不毛ということも出来ますが
不毛=悪い事じゃない。しね。

あたしゃ 毎日が歓喜の中の大歓喜ですね・不思議と。なんにも不満は
無いしね・・イッパシのミニ指導者面した人観察してるのも楽しいです
よ。信心とは 『文句をあげつらう事でもなければ グチを言うことで
もありませんからね』

//////////////////////////////////////////////////////////////////

181堅皇:2011/01/26(水) 00:06:57
エキストラオさんの場合
嘘だ〜〜っと言う話ではないですかね。
それはそれでいいんじゃないのと言うのは基本姿勢ですね。

第三者から見れば互いに自論になる訳ですからね。
御戒壇様がちゃんとパッチワークであると言うことを認識した上で信仰されているわけですから
それはそれで構わないと思います。

> あたしゃ 毎日が歓喜の中の大歓喜ですね

これは結構大事な事だと思います。
ただ歓喜じゃないのに大歓喜だと言い聞かせているとすれば
それはちょっと考え直した方がいいんじゃないですかと言う話ですからね。

それはとても見ていて痛々しい感じがしますからね。
如説修行の中でちゃんと衆生所遊楽を堪能しているかどうかです。
届きもしない衆生所遊楽をただひたすら夢見ての如説修行であれば
少し立ち止まり見つめ直す必要があるのかとは思うだけですから。

182エキストラオ:2011/01/26(水) 15:08:36

★ 御本尊に向かい奉りただ南無妙法蓮華経と唱える・これ以外に遊楽は
ない・・と 日蓮大聖人様は おおせです。

そのとおりです。過去の宿習により 歓喜を観ぜられない人が居るのも
また事実です。ただ強いて 説き聞かす・・化他行も自行も大切ですね。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

183エキストラオ:2011/01/26(水) 19:42:28

★ここの粛某くんてのは・驚くほど ノー天気だね・・・久しぶりに

大爆笑させてもらった・・・・いや・・アリガトアリガト・・・

庶民の苦悩救済だってさ・・・・

はははははははははははははははははははははははははははははははははっ・・

おかしいね。        

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