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立ち話・雑談スレッド

117高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/01/14(金) 19:06:12
堅皇さん こんにちは! ご無沙汰しております。

>>115
 以前、蛍さんとの対話を進めるにあたって、このような、内容の事を私も考えました。
 話としては、「逆説の日本史」のようで面白いし興味を掻き立てられます。

 しかし現実はどうだったのかとなると、チョット違うかなと私は思います。

 蛍さんとの対話に書きましたが
創価教育学会を創立する27年程まえに、牧口先生が若き日(32歳)に著された、人間生活を地理学の観点から捉えた
 「人生地理学」(明治36年)は、当時、社会一般において注目され普及しました。
 しかし、アカデミックな地理学(会)からは、ほとんど軽視、無視されたようです。
 このことは、牧口先生がいわゆる大学では地理学を学んでおらず、北海道尋常師範学校卒業と言う事も大きな
 原因だったのだと思います。

 この事から、牧口先生は日蓮正宗と出会う以前に、人生(人間生活)に真正面から取り組んでおり、牧口先生の
 人生哲学がその時点である程度確立されていた事が解り、その延長線上に創価教育学会があると理解する事が
 大切であり、でなければ視点を間違ってしまう可能性がある、と私は考えています。

 「創価教育学体系」での牧口先生の「価値論」は、相対主義的・主観的・功利主義的価値論(「創価教育学入門」
 熊谷一乗)とされており、この事も大切な視点だと思います。
 「価値論」では、真理は、「人にも時代にも環境にも関係なく不変である」と定義し、変化していく価値とは明確に
 区別されています。

 『而して生命の維持保全に対して有害と認められる其の種類程度に応じて悪といい、害といい、醜という』
 この一文は、一個人に取って、自分を犠牲にして国の為に尽くす(滅私奉公)事は、相手が国と言えども
 価値ある事では無い、「一人の人を大切にする事」に価値が有ると、私には読み取れます。

 つまり、私は、牧口先生は国家主義的な人間を作る事を、否定しているのだと捉えています。
 なぜなら、牧口先生は、その時代に教育者・思想家として何を問題視し、どの様に変革しようとしたのかを考えると
 「教育勅語」に見られるように、また時代背景として日清日露の戦争があり、教育は、知育よりも徳育を
 重んじられており、徳育も、我々が考える道徳や理性ある人間を育てる事よりは、国家主義的な人間をつくる要素が
 強かったと考えられるからです。


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