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立ち話・雑談スレッド

1副管理人Z★:2010/11/25(木) 22:35:03
特にテーマを絞らないフリートークのスレッドです。

345首都高バトル01:2011/10/04(火) 01:09:34
ちょっと、ひとりごとを書きます。

生命は勝負に勝つことで生存し、人間にまで進化した。人間世界では、正しき法の下での勝負しか許されない。これは、人間が破滅しない為、人間が生存していくには正しき法の下が、不可欠であるということを人間は知っている。(勝負に勝つことが、生存の第一条件)...まず勝負を先とするは、生存の極意。

ひとの前に灯りを灯せば、我がまえ明らか。治世産業と相違しない(一切世間の治世産業は皆実相と相違背せず)...人は負ける時、不幸せになるのが世の中の一般である。弱肉強食しかり、戦争、災害、しかし人が負けても(人を負けさせても)幸せになる、幸せにさせる法則がある。社会も経済もその法則で動いて人間社会、お互いが生存、共存しあっている。つまり世を治める産業もこの道理で円満に動いて発展、繁栄して行っている。
...ひとを驚かせ勝っても、負けた人たちを不幸にしない、ひとを驚かせ、ひとに勝つことが...おのれの対象者が、驚き負ける事が、より幸せになる法則がある。...ピータードラッガー風に言うと、イノベーションサプライズ;既存の常識を超えた発想、創造する価値がひとを驚かせ、ひとに負けを与えるがその中身は、納得と感動があれば、それに対してひとは負けを受け入れ、幸せになる、その気持ちを得る。そういう提案、行動するひと、団体、組織、企業は、隆盛、繁栄していく。
(例)身近なところで、男女の恋愛、、、彼女をデートに誘う、彼は付き合ってお互いをもう充分知り、もうボチボチいけると感じている。
デートは、サッカーか、野球観戦に。(ありふれていてスミマセン)
そこで彼がイノベーション.サプライズを起こす。;電光掲示板に、プロポーズのメッセージ..彼女が驚き、納得、感動すれば、彼女は負けを認め、プロポーズを承諾し、幸せを受け入れる。そして彼は、ガッツポーズを決め、勝利を手に入れ、彼女を驚かせ負けさせたのに、彼女からありがとうの感謝の言葉までもらう。
自分が勝つことで皆を幸せにできるんだったら、絶対やった方がイイ。

ひとは驚きと、納得と感動を与えられたら、負けを認め、幸せを受け入れる生きものである。〜 最高の勝利の法則 〜 by 首都高バトル01。
その上で、お互いが信じあえるひとや世界を広げていくが大事。
実践する方からは、驚き負けの幸せにするである。
ひとりごとでした。

346首都高バトル01:2011/10/04(火) 02:47:02
ひとりごと(2)
持つは難し。〜最高の勝利の法則〜を陳腐化させないために、
モチベーションアップ法カレンダー(成功、失敗カレンダー)を作ってみる。
今日の1日の終わりに、自分の評価を記す。
記入は簡単。  〜最高の勝利の法則〜を実践し、失敗したか、成功したか、記す。
失敗したら[失敗.明日こそ成功させる]と書く。
成功したら[成功、明日も成功させる]と書く。
これを繰り返し毎日書く。

その効果は〜 勝負心が養える。勝ちぐせがつく(世の中、そう甘いかな?)。
明確な目標と設定が、はっきりしてくる。一日一日を勝とうとする意欲と、強くなる力がつく。信心の基本、人生の勝利につながる。題目の向上、真剣な祈りの題目が、あげられるようになる。人生はどこまでいっても、これの繰り返し、挑戦しないと未来は拓けない。だらだら生きる毎日にいい未来はない。限界まで努力する習慣がつく。人生に結果を出そう。結果を残そう。勝利しよう。毎日の成功の積み重ねが、その割合が大きくなればなるほど、未来の扉は大きく開く。
(なんかちょっと How to 本みたいになってしまいましたが、もしかしたら誰かの役に立つかも知れません。)

わが友に贈る・2011.9.10付ー聖教新聞より。
未来のために今日を勝つことだ。 今を勝つことだ。
不撓不屈の信心で。 さあ挑戦の一歩を!

(地湧の菩薩、本因の仏として、目覚めたら)全ての人の一日一日は、(本当は)超過密スケジュールである。気づかないだけである。

学会活動及び座談会に参加すれば、仲間、同志とのふれあいにより、安心感と元気が出る。信行学に徹し、学会活動をしっかり行えば、モチベーションアップ法カレンダーは必要ないかも知れない。

法華経題目抄より「 妙と申すは開と云う事なり 世間に財(たから)を積める蔵にカギなければ開く事かたし 開かざれば蔵の内の財を見ず 」

347首都高バトル01:2011/10/04(火) 14:44:23
十如是の説明にこうありました。
十は、(十界それぞれに、瞬間の生命にそなわる十種の共通の構造)は、置いといて、 如是は「是(か)くの如(ごと)き」と読み、「ありのままに見た事物・事象のすがた」という意。
わかりやすく付け加えて、
目や感覚器官、心を通して意識に描かれる映像はなんでしょう?
それは、十の構造を持つ、「ありのままに見た事物・事象のすがた」であると言うこと。 これを十如是と言います。 たいへんよくできました。

あまりきかない、聞いたことがない、それはあっているのか?いないのか?
正統なものの理解につながるのか?
そういう内容を「 冒険 」と表示してから、これからは、書きます。

さっそく冒険します。
・ 一個人の生命自体について依正を立て分ければ、一念心が正報であり、肉体が依報になります。
・ 一念三千の法理を依正に立て分ければ、五陰と衆生の二世間が正報であり、国土世間が依報になります。依正の二報ともに一念の生命に収まるということ。

問題(1):依正を一個人の生命で立て分ければ、肉体と一念心になりますが、また一念三千も依正に立て分ければ、上記の通りですが、
では、 三世間を一個人の生命で立て分ければ、どうなるでしょう。

問題(2) 地湧の菩薩のすがたは、どれくらいあるでしょうか?
一例、・虚空会の儀式に現れる。・末法のはじめに上首の上行菩薩として現れる(日蓮大聖人)(再往、内証は、置いときます)。その教えを受持して悪世末法に弘めている私達は、そのけんぞくとなります。
いろいろとほかにも出てくると思いますが、質問の意図は、問題(1)と同じで、最終的に一個人の生命(内)では、どのすがたが、地湧の菩薩であるか?が、知りたい訳なんです。 虚空会の儀式での地湧の菩薩のすがたと行ない、それと御本尊の前で我々、一個人の生命(内)で起こる現象が相似していること。
生命(内)において地湧の菩薩のすがたを指す実体はなにか?
また本化地湧の菩薩が所持している本法とはなんなのでしょう?

思うのは、なんでもかんでも一個人の生命(内)に約すのは、よくないのか?約せるものと約せないもの、約さない方がいい、約す必要がない?なぜ地湧の菩薩のすがたを生命においてこれだと言わないのか?依正、つまり人と環境あたりで表現はとめておいたほうがいいのかと言うこと。はっきり言って一個人の生命(内)において地湧の菩薩は、仏界の一念心、そして本法

348首都高バトル01:2011/10/04(火) 16:46:30
>>347の続き〜
本法は、仏界の一念心(一念発起心?)が一緒に持ってくる自らが生命の中から引っ張り出した、仏界の瞬間の生命にそなわる十種の構造の事物・事象のすがた、ここでいうところの本法とは十如是、仏界の一念心と言っているので必要ないが、生命内に十界を互具しているうちの仏界所具している十如是(自分が行なう具体的行動内容)。
こうなってくるとだんだん迷路にはいりそうなので(いや、充分入っている)
いやなんですけど、とにかく進めます。
・環境から生命に取り入れる十如是と・生命内から引っ張り出してくる自分がこれから行うであろう具体的行動内容の十如是をどう分けて表現したらいいか?単純に、所と能なら十界で使っている所具、能具と混同、混乱しかけない。所や能と言っても、具、化、開、依、証などいっぱいあるし。とにかく所と能の能の方と言うことで勘弁して下さい。
こんな私でも、創価王道の掲示板の十如是1~3は、所と能の違いと言う表現で、終わっており、ここまでバチッと言えていません。

またそこから発展して冒険します。
(1)利潤弘深についてどう捉えるか?
・横軸に時間と空間、縦軸に一瞬の瞬間の一念心の生命内より生命(身)に起こる現象。横軸の各点は妙法が行われる場所(虚空会の儀式、御本尊の前で唱題する一個人とその生命)、両端は、過去の始まりのちょっと前(竹膜の違い、観心本尊抄参照)と無限の尽未来際へ。縦軸は先ほど言った横軸の各点より下というか無量の義がいっぱい詰まっている、法性之淵底玄宗之極地、九識心王真如の都、縦軸の下。縦と横は、十文字ではなく、横軸の各点より下、つまりTの字。縦の上は、横軸の各点より上に、全方向に広がっていくかたち。縦軸に横軸を全て包含し、その場所で瞬間、瞬間に起こる(虚空会の儀式の場所と仏壇の前の我々が、ゴッチャになりそうですが)虚空会の儀式や、唱題する我々の生命内から生命(身)に向かって起こる現象。一瞬に時間と空間を包含する、これを宇宙即我と言い、弘く潤っていく(虚空会の儀式に地湧の菩薩が出現し、使命をおびて四方に去っていく、また一個人では生命に現象が起こり広がっていく。これを我即宇宙。(2)地湧の菩薩と本法を 体 と 用 で表現するとどうなるか?(一個人の生命においてはこれも一緒)(地湧の菩薩が、日蓮大聖人であれば、本法所持の本法とは、南無妙法蓮華経、そして日蓮大聖人の体から出した用は、南無妙法蓮華経)

349首都高バトル01:2011/10/04(火) 18:31:53
宇宙即我と我即宇宙を断定して言ってしまいました。
まだ充分な理解に至っておりません。
宇宙との一体感なら宇宙.我.一体でいいわけだし,
宇宙即我も我即宇宙も自分中心(我)で展開しますよね。
そうであるならばですよ、一体感ではなく、宇宙即我は自分に引き寄せている。我即宇宙は自分から宇宙に解き放っている。
宇宙の星々も人間と同じ生命であるという実感?そんな考え方も。

とにかく目的は自己啓発、人間革命なので、それを手助けする為に、教学では生命において何を指しているのか、何を表現しているのかを踏まえて、取り組みたいと思います。

研究対象の教学もありますが、それは研究される人に任せて(堅皇さんはそういう取り組みをされているのかな〜?)、信心は幸せになるためにやっているので
、はっきり言って、教学は究極のHowtoであり、御書は究極のHowto本ではないでしょうか。御本尊の凄さを説明し、こうやれば幸せになりますよと、励まし、激励と共に人々を幸せにしていくために本来、教学はあると思います。

ちょっと話はそれますが、私は、沖浦克治さんは、学会教学を、正確に捉えられていると思います(何もかもわかった上でこれが最上だとかなり強引に進んでおられると思います。)宗門の策謀によりひどいやり方で学会を切り離し、その後この問題は解決せず年だけを重ね、現在に至っています。
その宗門と創価学会が別れたところを分岐点として、もう宗門とは、完全に別れてしまったんだ。そう結論づけるのか、そうではなく宗門と創価学会の再生はあるのか?どちらに転ぶかわからない?とにかく宗門は破折する、それが続いたまま。今になる。
そこのところで信心の捉え方が、
(1)以前のまま
(2)分岐点より宗門との和解は未来永劫ないとして、信心を新たに組立て直す。(沖浦さんは、この位置だと思います。たとえ矛盾が出ても、本人はそれはわかっているんですが、しかばねを乗り越え、強引にでも、信心はこうやってやるんだ、という確信で突き進んでおられるのだと思います。)

(3)分岐点も時代の要請も関係なく、信心は完璧に完成されているので
あり、何があろうと教学の中身は変更しない。

(1)か(3)とにかく学会は、いままでどおり教学に関しては変わってないと思います。
あるかないか、、、もし学会と宗門が和解した時、沖浦さんの教学の捉え方は、どうなってしまうかと言うことです。

350首都高バトル01:2011/10/04(火) 19:24:20

無作の三身は、一個人の生命においては、何を指すのでしょうか?
一心三観や、当体義抄で説明されていますので、
これは、これ以上、冒険しません。

351堅皇:2011/10/04(火) 21:40:25
首都高バトル01さん

>>345 のひとりごとに関してはほぼ同意です。
・勝負に勝つことが、生存の第一条件
・おのれの対象者が、驚き負ける事が、より幸せになる法則がある。...ピータードラッガー風に言うと、イノベーションサプライズ
・ひとは驚きと、納得と感動を与えられたら、負けを認め、幸せを受け入れる生きものである。

結論から言えば勝負は方便であり実相は幸せを得れるかどうか。
また、幸せを得れるかどうかもまた方便であり実相は悟り、仏性を得れるかどうかに掛かるものだと。

>>346
> 失敗したら[失敗.明日こそ成功させる]と書く。
> 成功したら[成功、明日も成功させる]と書く。

したがって、これでは足りないと思います。
失敗したら「その原因を探る」
成功したら「その原因を探る」やはり全ては一乗であると言う事。

暗に一つの策に溺れ執着しても勝負を制する事もできず
また、勝ちに執着しても悟り、仏性を得る事ができない。

>>347
> 問題(1):依正を一個人の生命で立て分ければ、肉体と一念心になりますが、また一念三千も依正に立て分ければ、上記の通りですが、
> では、 三世間を一個人の生命で立て分ければ、どうなるでしょう。

同じく五陰、衆生、国土の三世間により正報が形作られていますね。

352堅皇:2011/10/04(火) 21:40:58
> 問題(2) 地湧の菩薩のすがたは、どれくらいあるでしょうか?

これは無数に存在しますよ、生物は生死流転しますから地湧の菩薩の誕生は後を絶たないものといえます。
自身の体の構造を考えてみても絶えず古い細胞は死に新しい細胞は生み出されるわけですから。

>>349
> 宇宙即我と我即宇宙を断定して言ってしまいました。

誰が断定しているんですか?
「宇宙即我」と言えば「梵我一如」と同義に思えます。
少なくとも仏法は「諸法無我」ではないかと思います。
更にいえば「縁起」も無視していますから既に仏法ではないと思います。

「宇宙即我」だとバラモンやヒンドゥー教
もしくは道教や禅宗と同様の捉えかたであると思いますね。

あえて表現するのであれば「宇宙即我々」と言う感じですかね。

そう言う意味では「当体義抄」に書かれていることも仏法に反すると思っています。
誰が書いたか知らないけれど日蓮の法を下げる行為に繋がっている書のひとつであると思っています。

353首都高バトル01:2011/10/06(木) 09:46:57
冒険します。

・一個人の生命自体について三世間を立て分ければ、五陰世間は十如是、衆生世間は十界互具、国土世間は心をとりまく一個人の生命全体。
・一個人の生命自体について事の一念三千の観心(一番大事な、御本尊に向かって唱題の時、生命に起こる、また起こす現象)において三世間を湧出品(法華経)に描かれる地湧の菩薩で立て分ければ、
五陰世間は、本法所持の本法(所証及び能証の智、この説明は後の観心本尊抄の文意で)。衆生世間は、地湧の菩薩(十界互具、十界が所具する仏界の一念)。国土世間は九識心王真如の都、法性之淵底玄宗之極地(生命内奥)。

「我等己心の釈尊は五百塵点の当初・名字凡夫の御時に所顕の三身にして無始の古仏なり」御書P1022。

「妙楽大師いわく[当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し]等云云」〜観心本尊抄よりの文意は、「当に知るべし本地自受用身の身土・我等が信心の一念の中の三千である。ゆえに成仏の時この本地難思の境智の妙法に称い、一身の五大が法界に遍じて所証となり、一念の信心が法界に遍じて能証の智となり(十界互具、つまり五大ことまわりや環境を通じて十界として顕れ、十如是(御本尊)を見とる、読み取るを所証とし、そして自らの命の中から十界「最高の仏界を湧現が目的」が顕われ、最高理想の自らこれから行う具体的行動内容の十如是の姿を感じ見とる、自らが行う幸せの答えを能証の智とし)、久遠元初の境智冥合の自受用身と顕われるのである。」

「五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕わし給えり」P513。

即について、また冒険したいので機会があれば、、、。
なぜ仏法即社会なのか?、、信心即生活なのか?
即が使われる熟語をできるだけ集め、それらの表現から共通の法則性を見つける。
今考えられるのは、無明即法性と法性即無明の冥伏と顕現(総勘文抄を参考にして)。法華の円。どちらを主にするか? 。体と用の関係で表現できるのか?。
即より右側の語に変化移行をどう捉えるのか?。能(主)具所(従、受)具は冥伏、能証所証は顕現。また即は左右の語が合体(どちらも顕現した状態)、しかしそれなら不二や体一や一体、一如だし、、、。 難しいです。

これぐらいで、またいつかと言うことで、今日はこのへんで、失礼いたします。

354首都高バトル01:2011/10/06(木) 11:01:13
訂正〜つまり五大ことまわりや環境を通じて十界として顕われ〜
 つまりまわりや環境を通じて五大こと自らの身に受ける作用により十界として顕われ。

訂正ではなく付加〜久遠元初の境智冥合の自受用身と顕われるのである。〜
 久遠元初の境智冥合の自受用報身と顕れるのである。


「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じ三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、 能居・所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の効能なり敢て之を疑うべからず之を疑うべからず、」
御書.P512

355首都高バトル01:2011/10/06(木) 12:24:42
一個人の生命自体について事の一念三千の観心において、相似している虚空会の儀式に出現する地湧の菩薩の姿と行いを三世間で立て分けたとき、
衆生世間は、(命の中なのに世間と言うのはおかしいですが、)地湧の菩薩、
その証得する所証の実体は、、、御本尊 。

356首都高バトル01:2011/10/06(木) 12:44:42

事の一念三千の観心は、受持即観心。

357説教オヤジ:2011/10/07(金) 15:21:18
>首都高バトル01

この御仁・・・・・
かなり面白き人物なり。
ワシも勉強になりそうじゃ。
いずれ、教学談義でもやらかそうかの。

358首都高バトル01:2011/10/07(金) 16:31:00
説教オヤジさんへ
いえいえこちらの方こそ、いつも勉強させてもらってます。
まだまだ未熟者でありまして、機会があればいろいろ教えて下さい。


「 eijisenseiのブログ ブログテーマ.現象展開の法則=十如是 」 
という、成長の家の関係者のブログがあるのですが、十如是の捉えかたが似ているように見えますが、似て非なるものである事を書きます。

十如是を一個人の生命において五陰、感覚器官や心を通じて意識に映る映像と捉えている。
ではなくて、〜を通して意識に顕われる映像の事物、事象の姿が、十如是。
十如是を映像と捉えると、堅皇さんの言われる、その義は華厳経第一になってしまいます。権経と実経の区別が付いていない。
だから十如是の考えと色即是空は、一緒、同じと、ブログでは書かれています。
どこからその発想が出てくるのか、あまり詳しくないのですが、信仰の対象が神になってます。
十如是の捉えかたが、少し似ていると見えますが、似て非なるものであると言うことを書きました。
法華経の奥義が示すところまで、ぜんぜん届いていない内容です。

359首都高バトル01:2011/10/07(金) 17:18:16

なぜ色即是空は、色と言わず依正の依を使い、、、
依即是空 空即是依 依不異空 と言わないのでしょう?(依即是空ありました?ありませんよね?)  
依即是空にしたらもう少し広がるように思います。 色即是空は、人間生命において五官の働きや五陰、意識との関係性について語られている。
そこに映し出される映像の姿まで到達してしていない。

宇宙生命に約せば、色即是空は科学がもっともって発達しないとその作用は、わからないのではと思います。いろんな宗教家たちが言っていることは、宇宙生命に約そうとして、とらえどころのない一般人にはわからない内容になってしまっている。さらに進んでわからない事自体が色即是空。多くの般若心経の出版物の内容は混沌の中にある、混沌だから答えを求めて出版物が増えていく。

360首都高バトル01:2011/10/07(金) 21:20:48
>>358
訂正〜 × 成長の家
  ○ 生長の家

361堅皇:2011/10/07(金) 22:53:35
首都高バトル01さん

> なぜ色即是空は、色と言わず依正の依を使い、、、
> 依即是空 空即是依 依不異空 と言わないのでしょう?(依即是空ありました?ありませんよね?)  

「色即是空」は「色心不二」と同義で「色」は「色心不二」の「色」ですね。
で、「色心」を併せ持ったのが「正」となり、これに不二なのが「依」になるわけです。

対する「空」は三諦で顕すところの仮諦、空諦、中諦の「空」
「仮」と「空」を併せ持っての「中」であり、「正」に匹敵するわけですから
「依即是空」ではバランスがおかしくなります。

ちなみに十如是に当て嵌めれば
「空」が「性」で、「中」が「体」であり、「体」を「因」とし
「縁」に匹敵するところが「依」と言う感じですかね。

362首都高バトル01:2011/10/07(金) 23:00:44
・大志、大願、決意が、命の中から何が現れてくる。
よし頑張ろうと決めた時、出てくるものはなんだろう?

・まる子「お母さ〜ん、この料理、めちゃくちゃ美味しいね!私も作りたい。
お母さんどうやって作るの?教えて?」
・まる子のお母さん「めんどくさいわね!できたもの食べてりゃいいでしょ。」
・まる子「ねぇ〜ねえ〜お母さん、おせえてョ〜」

・まるこのおかあさん「しょうがないわね〜。じゃ実さいにどう成って、どうやってつくるか、おかあさんといっしょにつくりながらおぼえて、まるこも実さいに、ひとりでもつくれるように成りなさい。」

・まる子のお母さん「このおりょうりは、いちば〜んさい初は、なべにみずをいれるのよ。」

・ナレーター「こうしてまる子は、美味しい料理をつくれるようになったのである。 おしまぃ。」

・研究者にとって、ものごとの成り立ちは、研究課題であり仕事である。

363首都高バトル01:2011/10/07(金) 23:46:14
ちょっと冒険。気にしないで下さい。
一念に三千が収まる。〜三千即是一念。

空は、唯識(識というぐらいだから意識全般?)や法相宗の考えによく出てきますよね。空と心は一緒なのかなぁ?
空の領域に心がはいるのかなぁ?反対に心の領域に空が、、、?
もし空の領域に心が入るのであれば、、、、一念三千即是空。

364首都高バトル01:2011/10/07(金) 23:57:41
堅皇さんへ
>>361 ありがとうございます。
難しい内容ですが、理解できるように頑張ります。

365首都高バトル01:2011/10/08(土) 00:27:59
冒険が脱線ぎみなので、
題目を唱え、気を引き締めることに、そうすることにしよう。

そうすることにしよう〜は、エジソンの母でよく使われていたなぁ〜。(ひとりごと)

366堅皇:2011/10/08(土) 07:54:09
首都高バトル01さん

> 空と心は一緒なのかなぁ?

僕は一緒であると思います。
ただ、空は仮と縁しないと中諦とならないわけですから
性は相と縁しない限り体を成さないと言う事で
つまり空は心と言えども空だけでは自我としての心と言う体は成さないところにあると思います。

で、死んだらどうなるかと言えば心は色(身体)から離れて空のみとなるので自我は無くなるが
確かにこの世に存在すると言うもの。

ここでも心や空の「非実非虚」が顕せると思います。

自我とは何処から生まれるかと言えばあくまで「縁」に接する事によりその実を知る。
つまり「因」があれども「縁」がなければ「因」であると言う認識も出来ない。

人間の感情の変化と言うものは全て「因」と「縁」とのギャップにより認知するもの。
美味いという感情は不味いものを知った上で、美味いと感じるところ。
好きと言う感情も、嫌いなものを知った上で、嫌いと感じるところ。
もちろんその逆も言えます。

これは光が何故明るいと認識できるかと言う事と同じであるといえますね。
光が明るく感じるのはそれを照らす対象物があって始めて成り立つというもの。
何もない宇宙空間が真っ暗に思うのは光を受ける対象物
つまりは空があれども仮がないから光を感じさせず
性があれども相がない、因があれども縁がない状態を示しているものかと。

故に空や一念と言うものを単独で顕す事は不可能であり、一念もまたその一年を作り出す三千により形成されていると言う事だと思います。

367河内平野:2011/10/21(金) 18:09:59
皆さん、お久しぶりです。ちょっと宣伝させてください。

「河内平野の教学研鑚ノート」を作りました。

最新
『創価学会と三時の弘教』をアップしました。(長文です)

http://kawachiheiya.blog.fc2.com/blog-category-2.html

368はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2011/10/21(金) 19:07:46
こら!かわっち平野よ、暇なやっちゃの〜w

369ぜんまい:2011/10/21(金) 22:53:40
河内平野さん、はぐれ雲さん、お久しぶりです。

元気にしていますか?





370首都高バトル01:2011/10/22(土) 00:16:37
河内平野さん どうもです。
また教学研鑽の為に拝見させてもらいます。

お知らせ、ありがとうございます。

371京阪電車の燈 ◆AIo1qlmVDI:2011/10/22(土) 12:49:38
重厚かつ長大な研鑽ノートの完成、おつかれさまです。

感想を兼ねて、明確に断言させていただきますと、
「何一つ間違った事は書いておられません。」です。

今後、つまらん揶揄を含め、反発をも予想されますが、
軽く一蹴されることでしょう。
彼らは恥をかくだけです。

372はぐれ雲 ◆HHaU7zEjNg:2011/10/22(土) 13:11:05
ぜんまいさんおひさ〜^^

京阪さん心配性ですね〜^^誰も書いてないからかわいそうにと思ってかいてあげたのですがなにか?w
たまたま覗いた所でかわっちさんのこの書き込み見たものだからつい反応してしまったのもありますが・・・・・

374首都高バトル01:2011/10/23(日) 21:54:29
十界互具を人間の生命内に観ると、
まず依報(さまざまな十如是の姿)を覚知することにより十界が顕れる。
そしてそれに対処しようと、正報の自らの境涯に応じて収まる十界が顕れることにより対処しようとする十如是(立ち向かう自分の姿)が、顕れる。

十界×十界、それぞれに十如是が収まる。心具から始まり心生(湧現、顕現)へ・・・十如是を持って十界は顕れ、十界を持って十如是が顕れる。

働きを捉えることで、十界互具がどういうものか、見えてくる。

妙法蓮華経は、即これ十界互具である。

認識と対処・・・
生命内においてそれぞれの境涯に応じて十界と十如是が役割と働きを行う。

十界互具についてこういう捉え方をする内容があるかを
あちこち見たのですがなかったものですから、これについてお尋ねします。

みなさんどう思われます?

375首都高バトル01:2011/10/23(日) 22:30:55

一瞬の生命、一念に十界互具を含む三千諸法が収まる。

一念三千は十界互具より起こる。

376首都高バトル01:2011/10/24(月) 13:34:45

難信難解だからなぁ〜(機根が整わない?)

十界互具は、法数のカウントに留まり、もう一歩突っ込んだ説明がない。

こういう視点で観ているのは、首都高バトル01だけかぁ〜???

377高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/10/29(土) 12:18:31
首都高バトル01さん こんにちは!

 人とは、何かを考えたことは、ありますか?

 例えば、ダーウィンの進化論的なこと・・・など。

378首都高バトル01:2011/10/30(日) 01:16:29
高速太郎さん どうもです。

すごく哲学的ですね。
人はなんであるか?・・・考える葦であるとか、言いますよね。

進化論ですか。壮大なお話ですね。
勉強になりますので、また教えて下さい。 よろしくです。

379首都高バトル01:2011/10/30(日) 01:28:49
・サイコロを転がすと毎回、目が数が違う(同じ数の時もある。)。(サイコロが止まった瞬間や、止まった時)

・生命は、たえず変化している。いま見た瞬間が次には、変わっている。転がしたサイコロのように定まらない。
そしてグ〜ルグル回っている。グ〜ルグルと。

・色心で見てみます。
生命は永遠不変であり、人間の生命は、肉体を構築し、肉体(妙法蓮華経の姿)に属します。
仏界は、心に属し、本門に有ります。また縁に随がい(御本尊、題目)、現れます。
生命も仏界も差別がなく、絶対であります。

その生命と心、仏界と肉体をグ〜ルグルまわり、一定にとどまらず、変化します。

・永遠不変の生命から縁に随がい心(十界、仏界)が現れ、その心が肉体を動かします。

・サイコロの目、数のようにある時は、永遠不変の生命のまま(ボ〜としているのかどうなのか?心が現れていない状態)。
またある時の一点をみると、心が肉体を動かしている状態。つまり不定。

生命とは、迹門不変真如。 仏界とは、本門随縁真如。
人が生きている限りたえず変化し、一定でない。

・依正で見てみます。
御本尊は、非情に属し、体は永遠不変の生命の冥伏した妙法蓮華経の姿というより、体は永遠不変の生命を保ち(冥伏し)ながら、仏界の生命が全面に出たまま、(ヒーローズのヒロ.ナカムラが時間を止めたそのままの状態)止まっている状態。

・とても失礼で申し訳ないのですが、
サイコロをふってみます。
御本尊は、不変真如から随縁真如、出現停止状態。我々は、その都度変わる、変化する。

・すべてのもの(生命)には、仏の命が具わっており、差別が無いこと。
随縁不変・一念寂照の御本尊。

・迹と本は定まらない。・・・迹本不定。

寝ているとき人は、迹(不変真如のまま)?

参考・・・御書P.708
御義口伝の冒頭の帰命についての所、参考にして下さい。

380首都高バトル01:2011/10/30(日) 02:36:58
訂正
×出現停止状態
○出現して、停止状態

381高速太郎 ◆Z9TaEykyCQ:2011/10/30(日) 09:49:18
首都高バトル01さんへ こんにちは!

 十界互具を理解するには、人とは何なのかを考える事も必要かと・・・。

>>379 >・すべてのもの(生命)には、仏の命が具わっており、差別が無いこと。

 すべてのもの(生命)とは、人の生命のことを指しているのですか、それとも全生物の生命ですか?

382首都高バトル01:2011/11/02(水) 21:00:28
>>381
そうですよね。 生命と表現したらそう思いますよね。

すべてのものとは、宇宙に存在するすべてのものと言う意味でご理解下さい。

383無名:2011/11/14(月) 21:49:36
>>372
沖裏の太鼓持ちは引っ込んでいてくれ。

384首都高バトル01:2011/12/23(金) 00:20:05
忘れまじ、学会精神!!!

>>http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/19990427/p1

385首都高バトル01:2011/12/23(金) 05:52:03
一番大変な時、先生は何をされていたか?

>>http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20041215/p1

386首都高バトル01:2012/08/03(金) 21:44:43
若き指導者は勝った

[ 少年よ、日本の少年よ。世界の少年達よ。
願わくは、常に、一人も洩れなく明朗であれ、勇敢であれ、天使の如くあれ ]

[ 世界の文学を友とする青春時代だった。
シラー、カーライル、プラトン、ルソー、エマソン、モンテーニュ、
ユゴー……。
いかなる状況にあっても向学心は衰えない。
ホイットマンの『草の葉』を何度も読み返す。
「さあ、出発しよう!悪戦苦闘をつき抜けて! 
極められた決勝点は取消すことができないのだ」(昭和24年刊、富田碎花訳)という一句も胸に刻んだ。]

 [ 君らは一流から学ベ 
全体観と団体観──。
高い視点から全体を見渡すべきであり、自分の団体だけに固執してはいけない。「水滸会のことだけを考え、青年部のことを考えないようでは、
それはいけない。青年部のみを考え、学会を考えないなら、これもだめだ」 
さらに戸田会長は続けた。 
「それだけではない。学会のことのみを考え、社会全体のことを考えなければ、考えがあまりに小さい。大きく考えることが必要だ」 
水滸伝のケースにあてはめてみれば、梁山泊の生き残りだけを考えるのでなく、どうすれば宋の国がよくなるのかを念頭に行動しろというのである。]

池田大作──その行動と軌跡 若き指導者は勝った
http://newfnet.blog62.fc2.com/blog-entry-163.html
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/koudou.html

387首都高バトル01:2012/08/04(土) 22:18:40
ホイットマン

[ 青春の宝の一書  
 民主主義の詩人、国民の詩人、
人間と宇宙を謳った詩人―ホイットマン(一八一九〜一八九二年)。  
 我が人生を謳い、人間と生活をほめたたえて生きる人は幸福である。
愚痴は自分も他人をも不幸にする。
頭を上げて、人生を「謳い」、
希望を「歌う」心豊かな青春であっていただきたい。  
 私が、彼の詩集『草の葉』と出あったのは、
約四十年前のの二十三歳のころであった。
同じくらいの年代の方もいらっしやると思う。
「自由」「平等」「友情」の賛歌、
そして「民主主義」「人間主義」の叫びを込めたこの詩集を、
私はこよなく愛した。
それは、私にとって、まさに青春時代の「宝の一書」となった。
多くの詩を暗唱し、折あるごとに人々に聞かせてあげたものである。]
http://www.hm.h555.net/~hajinoue/jinbutu/hoitoman.htm

388首都高バトル01:2012/08/04(土) 22:57:07
おめでとうございます!

全国ダンスドリル選手権大会 関西創価高校が日本一 堂々の文部科学大臣賞
http://blog.goo.ne.jp/yosidashouinnkyousitu/e/7b017f6bd98568ebf179e988a50a902b

389首都高バトル01:2012/08/17(金) 13:18:31
創価の同志が頑張っています。

日蓮大聖人を御本仏と仰ぐ皆様へ
http://kangaeruhito777.blog100.fc2.com/

の、はじめましてさんの
最新コメント( [ 2012/08/16 22:50 ] はじめまして )が秀逸です。
感動しました。

390名無し:2012/09/07(金) 10:14:03
非公認板で朝からインターネットにかまけている人たちがいます。沖裏氏はその代表です。

391エキストラオ:2012/10/10(水) 13:06:02
★・・あたしは・沖浦氏を応援します・・・理由は彼は人間カクメーしようとがんばってるからです・・・
★貴重な意見を陳べさせていただきました。・・・・・

392エキストラオ:2012/10/10(水) 13:11:11
★それにさー・・敵の敵は味方だしさ・・・寛大にならないとね・・
★耕治君も元気なのかな・・・彼ともやりあったなーーーー・・・少しバカみたいけどね・・

393エキストラオ:2012/12/17(月) 06:44:17
相変わらずだな、ここも、


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