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カトリック掲示板

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1 秋田の聖母 (Res:102)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1カトリックの名無しさん :2015/05/31(日) 11:24:26
秋田の聖母

 秋田の聖母(あきたのせいぼ)とは、日本の秋田県にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」で起きたとされる一連の奇跡現象を意味する呼び名。「秋田の聖母」は、教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、日本より海外での知名度の方が高い。

◆ 概要

 発端は1973年に、同会所属の修道女の手の平に、出血を伴う十字架型の傷が現れたことである(これは聖痕と呼ばれ、世界各地で、ときどき事例報告がある)。そのほかにも、木製の聖母マリア像からの101回に渡る落涙および芳香現象、3つのお告げなどの奇跡があったと言われている。これらの奇跡は1984年まで続いたとされている。その他、韓国の婦人の脳腫瘍の消滅等、出現に伴う病気の快癒現象がいくつか報告されている。

 1984年には、調査の結果、当時のカトリック新潟教区長であった伊藤庄治郎司教により、「奇跡としての超自然性を否定できないので、教区信者の巡礼を禁じない」という公式声明が出された。この声明は、一連の現象が詐欺的、病的、異端的、邪教的なものではないと確認されたことを意味する。この伊藤司教の声明は、1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に受理された。

◆ 預言

 また、その修道女は病気の治癒や奇跡と並行して、聖母像の方向から、えも言われぬ美しい声のお告げを聞いた。一度目は1973年7月6日、二度目は7月28日であり、内容は、初回は修道女への同情と耳の不自由の治癒の予告、二度目は、人類への警告と要請であった。具体的には、世の多くの人は主を悲しませていること、聖母はそれを慰める者を望んでいること、天主を慰める為に、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさを以ってこれを償う霊魂が聖母の望みである、とするものであった。また天主の怒りを知らせる為に、人類の上に大いなる罰が下されようとしており、祈り、貧しさ、苦行、犠牲的行為を通じて改心して祈ることは、そうした主の怒りを和らげることができる、とされた。 1973年10月13日には、三度目の聖母からのお告げがあり、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。」としたものであった。さらに聖職者同士は対立し、聖母を崇敬する司祭は同僚から侮りを受け、これ以上罪が続くならもはや罪の赦しはなくなる、とされ、最悪の時には御子の印とロザリオだけが、クリスチャンに残された武器である、とされた。ゆえに犠牲を捧げ、熱心に祈りなさい、と聖母は言った。

 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、ロザリオの各連の後に付けるように、と指導した。この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、当時は日本ではまだ和訳されておらず、天使が教えたその祈祷文は、後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。


◆ (秋田で天使が教えた)ファティマの祈り

ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え、我らを地獄の火より護り給え。

また、すべての霊魂、ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。アーメン。

96カトリックの名無しさん :2020/08/16(日) 18:17:23
昨日は聖母マリアさまの被昇天の祝日でした。
マリアさまは亡くなられて3日後の8月15日、
魂とお体もともに天使たちによって天に挙げられたと伝えられています。

そういえば昨日のレスで取り上げた「フランダースの犬」のTV番組でも、
主人公のネロとパトラッシュが天に召し上げられていく設定になっていました。
ネロにとって大聖堂で毎日のように眺めてお祈りをささげていた
ルーベンス作の被昇天の聖母マリアさまと同じように、
自身も天に挙げられる恵みに与ったのですから、
信仰者として幸いなことであったことは間違いないでしょう。
不幸に見舞われ、幼いうちに命を失うことになったネロが、
天国で(ナレーションによれば)「おじいさんやお母さん」とともに
永遠の幸せに与って暮らすことになる、という最後の設定は、
エピソードによると、番組スポンサー企業の信仰厚いクリスチャン社長の
指示、指定によるものだったとのことですが、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


97カトリックの名無しさん :2020/10/26(月) 14:28:51
>>聖体奉仕会2スレッドよりつづきます
  https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/597

>>聖体奉仕会2スレッドよりつづきます
  https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/596


98カトリックの名無しさん :2020/10/26(月) 14:37:44


★5ch 心と宗教板スレッド
 聖体奉仕会2~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/


99カトリックの名無しさん :2021/04/14(水) 16:15:32

「リジューの聖テレーズ」「リジューの   「リジューの   「リジューの聖テレーズ」が  「リジューの聖テレーズ」
  の取り次ぎによる 聖テレーズ」が  聖テレーズ」が 「フランシスコ・ザビエル」     のバジリカが     ヒルデガルト
  いやしが起こり、 教皇ピオ十一世により ローマにて       とともに         リジューに建設を    の預言による
  巡礼が始まった年 列福された年   列聖された年   宣教師の守護者とされた年     開始した年     「世の終わり」の年
   西暦1899年 西暦1923年 西暦1925年      西暦1927年        西暦1929年 ↓
↓         ↓        ↓           ↓            ↓ ↓
  西暦1999年   西暦2023年   西暦2025年       西暦2027年        西暦2029年      西暦2030年
 ←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←← (それぞれ100年加算)→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→


★☆★コルカタの聖テレサ・ 聖ヒルデガルト・ 聖カタリナ・ 聖テレサの帰天年などをとおして読み解く未来★☆★

                                 愛徳宣教会のマザー・テレサが
  愛徳宣教会の                            「リジューのの聖テレーズ」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


100カトリックの名無しさん :2021/04/14(水) 16:16:42

★☆★十字架の聖ヨハネの生涯をとおして読み解く未来★☆★

「十字架の聖ヨハネ」が 「十字架の聖ヨハネ」が
修道会総会で 「十字架の 教皇グレゴリウス13世
行動を厳しく弾劾され 聖ヨハネ」が カルメルの聖母の の許可を受け
  「十字架の   「十字架の 同じ修道会士によって 幽閉されていた スカプラリオの信心が   ヒルデガルト 改革カルメル会
  聖ヨハネ」が  聖ヨハネ」が トレドの修道院に 修道院から クレメンス7世教皇の    の預言による (跣足カルメル会)が
  列福された年  列聖された年 幽閉された年 脱出した年 認可を受けた年    「世の終わり」の年 認められるようになった年
  西暦1675年 西暦1726年   西暦1577年 西暦1578年 西暦1530年 ↓        西暦1581年
  ↓        ↓        ↓          ↓         ↓    ↓ ↓
  西暦2025年   西暦2026年  西暦2027年      西暦2028年    西暦2030年     西暦2030年      西暦2031年
 (350年加算)・・(300年加算)←←←←← (それぞれ450年加算)→→→→ (500年加算)・・・・・・・・・・・・・・・・(450年加算)・・・・


101カトリックの名無しさん :2021/04/14(水) 16:21:51

★☆★十字架の聖ヨハネの生涯をとおして読み解く未来★☆★

                             「十字架の聖ヨハネ」が 「十字架の聖ヨハネ」が
                                修道会総会で     「十字架の 教皇グレゴリウス13世
    行動を厳しく弾劾され   聖ヨハネ」が カルメルの聖母の の許可を受け
  「十字架の   「十字架の 同じ修道会士によって 幽閉されていた   スカプラリオの信心が   ヒルデガルト 改革カルメル会
  聖ヨハネ」が  聖ヨハネ」が トレドの修道院に 修道院から クレメンス7世教皇の    の預言による (跣足カルメル会)が
  列福された年  列聖された年 幽閉された年 脱出した年 認可を受けた年    「世の終わり」の年 認められるようになった年
  西暦1675年   西暦1726年   西暦1577年    西暦1578年     西暦1530年      ↓        西暦1581年
  ↓        ↓        ↓          ↓         ↓    ↓ ↓
  西暦2025年   西暦2026年  西暦2027年      西暦2028年    西暦2030年     西暦2030年      西暦2031年
 (350年加算)・・(300年加算)←←←←← (それぞれ450年加算)→→→→ (500年加算)・・・・・・・・・・・・・・・・(450年加算)・・・・


102カトリックの名無しさん :2021/04/14(水) 16:28:53
                  「十字架の聖ヨハネ」が                               「十字架の聖ヨハネ」が
                    修道会総会で   「十字架の                          教皇グレゴリウス13世
                  行動を厳しく弾劾され  聖ヨハネ」が  カルメルの聖母の の許可を受け
  「十字架の   「十字架の   同じ修道会士によって 幽閉されていた   スカプラリオの信心が    ヒルデガルト    改革カルメル会
  聖ヨハネ」が  聖ヨハネ」が   トレドの修道院に    修道院から    クレメンス7世教皇の    の預言による (跣足カルメル会)が
  列福された年  列聖された年 幽閉された年       脱出した年       認可を受けた年  「世の終わり」の年 認められるようになった年
  西暦1675年   西暦1726年   西暦1577年       西暦1578年     西暦1530年      ↓        西暦1581年
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 (350年加算)・・(300年加算)←←←←← (それぞれ450年加算)→→→→ (500年加算)・・・・・・・・・・・・・・・・(450年加算)・・・・


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2 ファティマの聖母 (Res:24)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1カトリックの名無しさん :2015/05/17(日) 01:06:06
ファティマの聖母

ファティマの聖母(ファティマのせいぼ、葡: Nossa Senhora de Fatima)は、カトリック教会が公認している、ポルトガルの小さな町ファティマでの聖母の出現譚の一つ。ローマ教皇庁は奇跡として認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した。何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、1930年10月13日現地管区レイリア司教によってこの出現は公認され、同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への贖宥を宣言した。1967年には教皇庁により最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定され、歴代ローマ教皇が巡礼に訪れたり、この出現のメッセージに基づき幾人かの教皇が世界を奉献する式を行った。

18カトリックの名無しさん :2020/02/26(水) 13:55:51
●【バイオハザード】不倫vsフリン:俳優は不倫遺伝子、新型コロナはフリン遺伝子があった!? 2020年 02月 23日
 https://quasimoto3.exblog.jp/240139397/

●【新型コロナ速報①】人為的に操作された痕跡?
 医師が指摘する「武漢肺炎/COVID-19の疑惑」 - Dr.林が語る"自然界にはないタンパク質"とは?
 (TVが報じない新型コロナの真実) ※2/16日撮影
 https://www.youtube.com/watch?v=ZOB5I_ADF9I

●新型コロナウイルスの再感染は抗体依存性感染増強現象(ADE)にて致死的 2020/02/24
 https://www.youtube.com/watch?v=vlXXzdyAg-4&feature=youtu.be
 https://tamasakainaika.timc03.jp/2020/02/25/ade01/

●新型コロナは「人工的に作られた可能性あり」=台湾の学者 2/22(土)
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200222-00000007-ftaiwan-cn

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


19カトリックの名無しさん :2020/02/26(水) 13:56:31

●東京オリンピックの開催判断期限は5月下旬とIOC委員 
電通、日テレ、オリックス生命 感染拡大中 2020.02.26
 https://golden-tamatama.com/blog-entry-tonai-outbreak.html

●疫病と蝗害…聖書的な災いが現実に:狂気的な数千億のイナゴの大発生による被害範囲がアフリカ、
 中東から中国までの20カ国以上に拡大。国連は6月までにイナゴの数が「現在の500倍に膨れあがる可能性」を警告
 2020年2月22日
 https://indeep.jp/we-are-in-the-bibilical-locust-crisis/

●パンデミックと宗教戦争: 新型コロナウイルス禍の中国で「宗教の完全な禁止」に関する法律が施行される。
 日本で6世紀の疫病大流行の後に起きた政権と信仰者の衝突は勃発するか?
 https://indeep.jp/china-ban-religions-in-covid-19-pandemic/

●「地球殺し」小惑星の軌道をそらすMITのガチ研究が発表 SPACE2020/02/25
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


20カトリックの名無しさん :2020/02/26(水) 13:57:42

【新型コロナ】中国・広東省 退院患者の14%から陽性反応 ☆2
252名無しさん@1周年2020/02/26(水) 10:23:20.79ID:6K+o8QlG0
同じ種類のコロナが減って、また増えて再感染ならまだいいけど
亜種のコロナが来たらヤバイらしいぞ!!

新型コロナウイルスの再感染は抗体依存性感染増強現象(ADE)にて致死的
youtu.be/vlXXzdyAg-4

多摩境内科クリニック
https://tamasakainaika.timc03.jp/2020/02/25/ade01/


21カトリックの名無しさん :2020/02/26(水) 13:57:57
~抜粋~
◆ADE 抗体依存性感染増強現象
antibody-dependent enhancement

初感染

抗体ができる

症状回復(普通の細胞からウイルスはいなくなる)

再感染

※少し違うウイルスが体内に入ると、
不完全な抗体はそのウイルスをやっつけられない。
ウイルスに結合した抗体は
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


22カトリックの名無しさん :2020/03/03(火) 13:02:16
685名無しさん@1周年2020/03/03(火) 02:49:30.45ID:AqkZmdXE0
2009年の豚インフルエンザの時に、まじめに検査して数百人単位の感染者を炙り出した大阪府と神戸市だけが経済的損失出して、正直者が馬鹿を見たから、もはやどこも正直にやる自治体なんかある訳ない。
大阪と神戸で合わせて1000人超える感染者がいたのに、毎日直通電車で多くの人が通勤通学で行き来している京都、奈良、滋賀で感染者がゼロとかだったからなw
そもそもメキシコ由来の豚インフルなのに、メキシコとの直行便があって、豚インフルが蔓延してた北米にも網の目にように路線があった東京などの関東で国内感染者ゼロとかあり得ない話がまかり通ってからね。


23カトリックの名無しさん :2020/10/26(月) 14:35:06
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/


24カトリックの名無しさん :2020/10/26(月) 14:37:17


★5ch 心と宗教板スレッド
 聖体奉仕会2~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/


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3 宗教犯罪 (Res:37)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1カトリックの名無しさん :2014/12/25(木) 16:41:17
教員がカトリック隠れキリシタン

31カトリックの名無しさん :2015/04/13(月) 06:20:16
自覚はなくとも宗教を信じるようになると大きな罪を犯す


32カトリックの名無しさん :2015/04/15(水) 02:56:40
私も、教会に行ってなければ、おそらく宗教嫌いになっていたかな。

理由は、現在は亡くなりましたが、隣人に天理教をやってる人がいて、祖母と親しくしていたという理由から、祖母が亡くなったのち、母親に対して、「あなたの親が持っている着物は、私が貸したものだから返せ。」とか、「天理教に献金しろ。」とか、私に至っては、「行事に出席しろ。」と、なんだかんだ言われたので、宗教=宗教のために何かをやらないといけない。というイメージしか、天理教に対しては持ってないので。

どんな宗教でも同じですが、宗教をやる人の価値観によって、周りが持つイメージが違ってくるのかなと思います。

きちんとした信仰、神の恵みをどういうふうに伝えるかは、私達クリスチャンの永遠のテーマですよね。

奥さまがオルガニストの人と親しくなったことで、繋がりができたのは、神の恵みですね。奥さまが教会に導かれるよう祈ってますね。


33カトリックの名無しさん :2015/05/06(水) 10:25:04
世間様の隠れキリシタンが世の中を動かしている不思議な国だな


34カトリックの名無しさん :2015/06/08(月) 22:43:25
キリスト教なんて悪の宗教だよ 悪いことしかしてないクソ宗教


35カトリックの名無しさん :2015/10/22(木) 02:37:17
プロテスタントもクソ


36カトリックの名無しさん :2015/10/22(木) 16:38:33
キリスト教なんてやったって人生狂うだけだよ


37カトリックの名無しさん :2020/06/18(木) 10:37:41
キリスト教信者に空リプしたら
陰で悪口言われたわ


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4 聖イエス会はカルト的教会なの? (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1カトリックの名無しさん :2019/01/24(木) 00:23:44
聖イエス会はカルト的教会なの?

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5 反日と戦う保守愛国サイトを応援する (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 5
1哀哭者 :2019/01/10(木) 04:27:13
反日と戦う保守愛国サイトを応援する

保守愛国のまとめサイトに、サイバー攻撃や左翼法匪による弾圧が相次いでいます。
在日コリアンとマルキシズム左翼の残党はマスコミを乗っ取り、嘘プロパガンダ。
インターネット上でも工作員がやらかしまくって印象操作。
今日も在日と左翼は特定野党(立憲民主・共産など)を使って日本を破壊中。

(↓↓検索推奨↓↓)
 保守速報
 U-1速報
 あじあにゅーす2ちゃんねる
 もえるあじあ
 みずきの女子知韓宣言
 余命三年時事日記

日本のキリスト教会にも、善意を逆手に取った浸透工作・悪用が進んでいます。
共産党員に運営を乗っ取られた日弁連などと同じような、良くない状況に陥っている節があります。
早急にローマ教皇に通報して、対抗措置をとることをお勧めします!

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6 牧師から受けたパワハラ (Res:25)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 6
1カトリックの名無しさん :2014/10/13(月) 22:07:21
聖職者から受けたパワハラについて、掲載するスレッドです。
新旧教、問いません。

19カトリックの名無しさん :2018/06/26(火) 02:01:32
カトリック要素を取り入れたプロテスタント教会…聖イエス会
聖イエス会の一部の教会…聖堂の十字架にキリストの磔刑像がついている
これって偶像礼拝に該当するかどうか、よくわからない


20カトリックの名無しさん :2018/08/05(日) 00:17:26
聖イエス会の結婚観
※聖イエス会って自由に結婚もさせてくれないの?
【聖イエス会の結婚観1】
https://maranatha.exblog.jp/27425341/


21カトリックの名無しさん :2018/08/05(日) 00:17:53
聖イエス会の結婚観
※聖イエス会って自由に結婚もさせてくれないの?
【聖イエス会の結婚観2】
https://maranatha.exblog.jp/27425344/


22カトリックの名無しさん :2018/08/05(日) 00:18:14
聖イエス会の結婚観
※聖イエス会って自由に結婚もさせてくれないの?
【聖イエス会の結婚観3】
https://maranatha.exblog.jp/27425345/


23カトリックの名無しさん :2018/08/05(日) 00:18:40
聖イエス会の結婚観
※聖イエス会って自由に結婚もさせてくれないの?
【聖イエス会の結婚観4】
https://maranatha.exblog.jp/27425346/


24カトリックの名無しさん :2018/08/05(日) 00:19:02
聖イエス会の結婚観
※聖イエス会って自由に結婚もさせてくれないの?
【聖イエス会の結婚観5】
https://maranatha.exblog.jp/27425347/


25カトリックの名無しさん :2018/08/05(日) 00:20:19
ひつじの掲示板
https://jbbs.shitaraba.net/study/729/
ひつじの神学
http://www.help-you.co.jp/hp/bbs/shinngaku.html


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7 教会内の事件 (Res:142)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 7
1カトリックの名無しさん :2014/09/26(金) 08:03:42
教会内の事件

136カトリックの名無しさん :2017/02/09(木) 03:40:25
>>135
痛悔の意志を持たずに受洗した場合は、
受洗以前の罪であっても洗礼による赦しの恩恵は受けませんから、
告解の必要があります。

ですから、受洗以前の罪を告解することは、あり得ます。


137カトリックの名無しさん :2017/02/09(木) 03:42:43
>>135
そして、基本的に、臨終のときの告解も、普段の告解も、痛悔の意向があるならば、効果は同じです。
どちらかが、特別とか、年数度までしかできない、とか、そんなことはないです。

また、告解の回数に制限はありません。聖ドン・ボスコは毎週の告解を勧めていましたし、
聖フランシスコは、毎日三度告解したそうです。まあ、これは特殊例でしょうが。
年に二回しか、告解できないということはありません。


138カトリックの名無しさん :2017/08/11(金) 13:03:04
広島教区の
某カトリック教会の世話役(病人訪問や聖体奉仕者など)をされている女性信者は、
気に入らない女性信者に対し、職場まで身辺調査に行きネガティブ情報の収集だけでなく、
その信者が不利になるような事を言い触らし、教会では、新任の主任司祭に、
その人の悪口を言って、教会から追い出した。
こんな人が、世話役をやって居る教会って………危ないと思う。


139カトリックの名無しさん :2018/07/11(水) 11:07:32
https://www.instagram.com/yu_ji.onishi

カトリック広島教区を背負って立つリア充な新司祭です。
2018/7/7、8の豪雨真っ只中、カテドラルに隣接する幼稚園ホールみたいなことで、イベントをして自慢しています。
こんなのが神父だと思うと、教会との関わり方も考え直さなければなりません。
信仰って何なんでしょうね?
#この夏は震災ボランティアだね。と入力しているのを見て、呆れました。
地震では無く豪雨なんですけど………


140カトリックの名無しさん :2018/07/18(水) 13:26:19
https://www.instagram.com/joho_center

カトリック広島教区の青少年情報センターのインスタグラム。
教区内の呉市や倉敷市で甚大な水害被害があっても、私たちは関係ありません。
全国のカトリックの皆さん。災害募金はカリタスへしましょう。
教区にしたら、彼らの活動費になるかも。


141カトリックの名無しさん :2018/07/19(木) 00:27:40
作詞:聖イエス会教祖様

時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


142下僕信者 :2018/07/23(月) 23:45:25
http://hsjc.hiroshima-diocese.net/activity/

カトリック広島教区青少年情報センターのホームページ
見てね(^.^)

ここの事務所の担当大学生とその仲間たちは、広島や岡山で甚大な水害があっても、
今も避難所で沢山の被災者の方々が不自由な生活をされて居ても、
私たちは、いっぱい食べて、いっぱい遊び、リア充生活満喫してます‼
だそうです。

こんな人達が、ボラに行った青年の話を紹介したり、
豪雨被害者の為の祈りの集いをしても
虚しく感じるのは、私だけでしょうか?

キリスト者って何なんだろう?
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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8 英単語 (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 8
1カトリックの名無しさん :2017/03/21(火) 17:13:34
よく使う英単語を掲載するスレッドです。

2カトリックの名無しさん :2017/03/21(火) 17:14:10
デイビット・P・ダーチャー(南九州短大教授)『語根で覚える英単語』研究社

act(行動する)

①act 行動する 行為

②actual (行動を伴う)→実際の

③actor (劇を行なう人)→俳優

④exact (外に追い出された,完全に行なわれた)→正確な

⑤react (応えて行動する)→反応する

⑥interact (互いに行なう〕→相互に作用する
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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9 地獄 (Res:9)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 9
1カトリックの名無しさん :2017/02/27(月) 00:39:06
地獄について

2カトリックの名無しさん :2017/02/27(月) 00:39:21
地獄に関するキリスト教の教え
1信仰の教え
大罪を犯してから、その許しを願わないで、大罪の状態のまま死ぬ入はみな、死ぬとすぐさばきをうけて、直接地獄におとされる、と教会は信じている。
自由意志を乱用して、かたくなに罪にとどまり、最後まで神のあわれみを断わる人は、永遠に神から遠ざけられてしまうのである。本当は、人は、天国で神の姿をありのままにみて、永遠の幸福をうけるように召されているが、罪においてかたくなったために、死ぬとき罪の状態にかためられた人は、天国の幸福を絶対に受けられないようになる。この人たちは、あわれみ深い唯一の神にそむいて、その不信仰をもって、むしろ"この世の神"である悪魔に従うことをえらんだ。"この世の神"という衷現を使徒聖パウロは使っている(1)が、それは悪魔のことである。キリストも悪魔のことを"この世のかしら∬と呼んでおられる②。こうしてかれらは、神に対するこの上もない侮辱と敵対を示し、まことの神の敵である悪魔を神として礼拝し、これに服従する。
111コリント後4・4。
{2}ヨハネiz・3ユ。14・30。16・11参照。


3カトリックの名無しさん :2017/02/27(月) 00:39:41
(マタイ5。22と29-30。マルコ9・43-48)。ゲヘンナに不減の業火があって、その火は消えないといっておられる。地獄をまた、℃もえさかるかまど"と呼び、そこには、なげきとはがみがあり、そこでは、うじがっきず、その火は消えることがないと明らかに忠告しておられる。
キリストは、地獄を招く罪を犯すよりも命までもぎせいにしなければならないと教えておられる。また、「体を殺せても、霊魂を殺せないものを恐れることはない、むしろ体と霊魂をゲヘンナで亡ぼせるお方を恐れよ」(マタイ10・28)といっておられるが、ゲヘンナで亡ぼせるお方とは、神のことである。
最後の審判について話されたときキリストは、選ばれた人々を祝福された者と呼び、亡びた人々を呪われた者とよんで、恐ろしい宣告をくだす。
「呪われた者よ、わたしを離れて悪魔とその使いたちのために準備された永遠の火に入れ」というだろう。そして亡びた人々は「永遠の罰をうけるだろう」と福音書にあきらかに書いてある(マタイ25・41-46)。
最後の審判の時にキリストは、神を知らない人々と主イエズスの福音に服従しない人々をさばき、「その人々は、主のみ顔とその力の光栄から遠ざけられて、永遠の亡びの罰をうけるであろう」(テサロニケ後1・9)、また、「救いにいたる真理への愛をうけなかった亡びる者」
-


4カトリックの名無しさん :2017/02/27(月) 00:39:54
たしたちは本当に言葉でそれを言い表わすことが出来ないけれど、主がそんなに悲しんでおられるのは、何とかわいそうなことだろう。わたしは、主イエズスを慰めることが出来れば、どんな犠牲をも献げたい」
ある日、わたしたちは牧場のペドレイダへ行った時、羊を放牧してから、岩から岩へ飛んで、深い谷底で、声のやまびこをしました。フランシスコは、いつものように岩の中の穴にかくれました。長い時間経ってから、わたしたちはわたしたちとマリア様を呼ぶかれの叫び声をききました。かれに、何かが起こったと思い、わたしたち二人は、その名を呼びながら悲しんでかれを探しに走ってゆきました。
「どこにいるの?」と呼ぶと、
「ここに、ここに」と答えました。
けれどかれを見っけるまで、かなりの時間がかかりました。やっと見つけた時、かれは恐れのために震えて、立ち上がることさえ出来ませんでした。
「何が起こりまみたか」かれは恐れで窒息しそうな声をして、
「わたしたちが地獄で見た一匹の恐ろしい野獣がここにいたんだ。ここで火の炎を口から吹き出した」と答えました。
わたしとヤチンタは、何も見ませんでしたから、笑いながら、
「あなたは前には地獄のことを考えたくないので、少
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5カトリックの名無しさん :2017/02/27(月) 00:40:05
(同2・10)も同じ天罰をうけるであろうといわれている。
神の真理を認めるなら救われるようになるが、このためには、神の真理をうけ入れて愛さなければならない。真理を信じないなら、不義を好むことになるから、神のさばきを受ける(同2・12)。
4使徒聖パウロの教え
ローマ人への手紙の中で、「真理に従わず不義に従う反逆者のために」地獄の罰が残っている(ローマ2・5-8)とある。
悪を行う人はみな神の罰をよびくだす(エフェゾ5・6)。悪を行う者は神をあなどることになるから、その恐ろしい報いをうける(ガラツィア6・7)。神のおきてに逆いて、神のみ旨に従わない人は、天罰を招き(コロサイ3・6)、神の国をっがない(ガラツィア5・21。エフェゾ5・5)。
聖パウロは、コリント人への第1の手紙(15・28)の中で、世の終わりに、「すべてが神に服従するであろう。それは、神がすべてにおいてすべてとなるためである」といっている。そうすると、すべてといえば、悪魔と亡びた人も含まれている。
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6カトリックの名無しさん :2017/02/27(月) 01:05:02

『地獄について この無視された真理』デルコル神父

 教会の教えの中に、現代無視された一つの真理がある。それは、地獄のことである。聖書によると地獄は一定の場所と状態であり、地獄の天罰が永遠であるということは信仰箇条であって、信仰箇条の中で一番恐ろしいものである。聖書と教会の伝統的な教えを大事にし、永遠の天罰をさけるために信仰を守ろう。


★1、地獄に関するキリスト教の教え

◆1、信仰の教え

 大罪を犯してから、その許しを願わないで、大罪の状態のまま死ぬ人はみな、死ぬとすぐさばきをうけて、直接地獄におとされる、と教会は信じている。

 自由意志を乱用して、かたくなに罪にとどまり、最後まで神のあわれみを断わる人は、永遠に神から遠ざけられてしまうのである。本当は、人は、天国で神の姿をありのままにみて、永遠の幸福をうけるように召されているが、罪においてかたくなったために、死ぬとき罪の状態にかためられた人は、天国の幸福を絶対に受けられないようになる。この人たちは、あわれみ深い唯一の神にそむいて、その不信仰をもって、むしろ"この世の神"である悪魔に従うことをえらんだ。"この世の神"という表現を使徒聖パウロは使っている(1)が、それは悪魔のことである。キリストも悪魔のことを"この世のかしらと呼んでおられる(2)。

 こうしてかれらは、神に対するこの上もない侮辱と敵対を示し、まことの神の敵である悪魔を神として礼拝し、これに服従する。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


9カトリックの名無しさん :2017/03/13(月) 00:06:12
『地獄について この無視された真理』アロイジオ・デルコル神父、15

◆6、聖アウグスチノ司教(354-430年)「神の町」(413-426年)から

 人はよみがえったとき、霊魂と体は再びいっしょになる。この世で死ぬとき体の苦しみは終わるが、来世において、亡びた人は、神を見ることができないから、本当の命よりも、永遠の死をうける。

 人間の霊魂は肉体ではないのに、今は肉体の中に宿っている。そしたら肉体のない霊〔悪魔の霊と死んでからの人間の霊〕が不思議な方法であるにしても、実際に物質的な火によって苦しめられるといえないだろうか。なぜなら、人聞の霊は、もちろん肉体とは違うが、今のところ肉体と結ばれているだけでなく、来世において自分の肉体と、ときはなすことのできない方法で結ばれるようになるからである。

・・・〔黙示録(20:10)にあるように〕"火と硫黄との池"ともいわれるあのゲヘンナは、物質的な火であり亡びた人の体を苦しめるだろう。人間も悪魔も苦しめるだろう。人間の場合は物質的な体があるものであり、悪魔の場合は霊的な存在物である。人間の体はその霊魂とともに、悪魔の霊は肉体なしにいっしょに苦しみをうけるだろう。

 物質的な火によって命を与えるのではない。真理〔そのものである主〕がいわれるように、"悪魔とその使いたちのために準備された永遠の火"(マタイ25:41)に愚魔も呪われた者も入らねばならないのである。

 〔短い期間で犯された罪のために地獄の永遠の火で苦しめられるのは、矛盾ではないか、と考える人に答える〕永遠の命を認めるなら、永遠の天罰も認めなければならない。なぜなら、キリストは同じところで、そして唯一の同じ文章をもって"これらの人は永遠の罰をうけ、義人は永遠の生命に入るであろう"(マタイ25:26)とおおせになったからである。

 両方とも永遠であるなら、その永遠とは、両方の場合いつか終わりがあるという意味だろうか?そうではない!両方の場合とも決して決して終わらないという意味にとるべきである。なぜなら、永遠の罰と永遠の生命は同程度でいわれているからである。もし、永遠の命に終わりがないといいながら、永遠の罰に終わりがあると同じ意味でいうなら、それは非常に矛盾したことである。


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10 医療系記事 (Res:3)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 10
1カトリックの名無しさん :2017/02/16(木) 19:10:11
医療系記事集

2カトリックの名無しさん :2017/02/16(木) 19:13:52
現役麻酔科医です
kennちゃん
2011年12月26日 21:00
麻酔科医は朝から深夜まで手術中の患者さんの全身状態を
管理しなくてはならず、常に神経の張り詰めた状態で仕事を
しています。帰宅するとぐったりして、周りに気を配る余裕など
ありません。当然、休みの日はエネルギーを貯めるために余計なことは
したくありません。
気を使わなくてはいけない家族など私は要りません。
ユーザーID:5202072467

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1225/470858.htm


3カトリックの名無しさん :2017/02/16(木) 19:26:49
友人におります
ぺんぎんくん
2011年12月27日 9:16
激務です。
早朝から仕事、帰宅は遅い。
手術は緊張の連続、下手な外科医の失敗の責任をかぶらされたりしてストレス大。
収入は医師の中でもトップクラス。


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11 医療ミス (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 11
1カトリックの名無しさん :2017/02/16(木) 13:04:47
医療ミス系の記事について、情報を集めたいです。

2カトリックの名無しさん :2017/02/16(木) 13:09:13
>損賠提訴:「措置入院で男性死亡、県に責任」 両親が県相手取り /宮城
>
>  仙台市内の病院に措置入院させられた男性(当時29歳)が、
>  入院先で受けた治療により死亡したのは、措置入院を決めた県に責任があるとして、
>  男性の両親=石巻市在住=が、県を相手取り140万円の損害賠償を求める訴訟を
>  仙台地裁に起こした。
>
>  訴えによると、男性は06年4月に統合失調症と診断された。
>  県は同月、男性を仙台市内の病院に措置入院させることを決定。
>  男性は入院後の同年5月20日、中毒性表皮壊死症(SJS)で死亡した。
>                       ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
>  両親は同年10月、同病院に対し
>  「投与した薬品によってSJSを引き起こし、適切な治療も怠った」として、
>  3300万円の損害賠償を求める訴訟を起こしている。【青木純】
>                                     
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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12 聖テレジア (Res:21)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 12
1カトリックの名無しさん :2016/10/29(土) 00:31:21
聖テレジア

15カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:00:56
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 12

「まあまあ、わが子よ、神のみ旨なら、はいるでしょう」

 教皇さまの目は、慈父のやさしさをたたえています。でも、ご返事は・・・やっぱり失敗だったと思うテレジアの心の空は、もう晴れてはいません。

 ローマから帰って、司教さまが約束してくださった返事を待つ4か月の苦しいこと!でもついに、待望の日がやってきました。1888年4月9日です。

 その朝、家族とともにカルメル修道院の聖堂でミサにあずかったテレジアは、聖体拝領をすると、父の前にひざまずいて、祝福を願います。感激のあまり父は泣きながら祝福をあたえ、テレジアは立ちあがって修道院のなかに消えました。

 志願者の粗末な服にきがえて、テレジアが案内された個室は、ベット用の二枚の板とわらぶとん一つ、水がめに、ランプと小さな椅子だけです。なんという違い、そして厳しさでしょう!志願期は、ためしの一年で、掃除と庭の草ぬきが仕事です。なれないテレジアを院長さまは叱り、ある日、みんなの前で、「やっぱり思ったとおりでした。掃除をしたのが15才の子どもだとすぐ分ります」といいました。テレジアは、黙って頭をさげ、「こんなふうにとり扱われるのは、わたしにとって喜びです。イエズスさま、あなたをお慰めできますから」と心のなかでいいました。

 1年たって1889年1月10日着衣式の日がきました。父がその日のために準備してくれたりっぱな花よめ衣裳をつけ、テレジアは、家族とともにミサにあずかりました。聖体拝領をすると決定的な別れの時です。父が祝福を与えると、開かれた門のまえに待っているシスターたちの所へ司教さまが連れていきました。テレジアのうしろで大きな門が閉じられます。


16カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:01:23
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 13

 司教さまと家族はみんなお聖堂に行って、着衣の式を待っていました。そのあいだ、父と別れたテレジアは、右の手にローソクを、左の手を院長にとられて廊下を歩きます。ふと目に入った幼ないイエズスの小さなご像!まるで自分にほほえみかけるかのようです。喜びにあふれて見るひだりての中庭に、テレジアは、あっと驚きました。

 庭を埋めつくした銀世界!思いもよらぬ純白の雪がつもっています。《着衣式の日に、白い雪を望んだわたしの密かな望みさえ、イエズスさまは聞き届けてくださった。だれがこれほどのおくりものを、愛する花よめに与えられましょう》とテレジアは思いました。

 その前日は、小春日和だったのに、ミサのあいだに急にふりだしたこの雪を、みんなも不思議に思いました。

 修道院に入ると個室で白い服を修練女の服にきがえ、美しい髪を切られて、白いベールをかぶらせられます。お聖堂にまつ人々には、格子の向こうに、大きなじゅうたんが藪かれ、ま'わりをゆりの花で飾っているのを見ました。

 ついにシスターの行列が現われ、テレジアはみんなに向かって格子の前にいます。うしろから修道服の白いマントを着せられると、かの女は、じゅうたんの上にひれ伏して、両手を十字架の形にひろげて待ちました。そのあいだシスターたちは、ローソクを手に、ミゼレレ(「主よ、あわれんでください」)の詩編を歌って、テレジアが世間に死んで、これからは、イエズスのためにだけ生きる使命をうけたことを告げるのでした。格子の向こうの深い沈黙!世間を放棄し、天使的な熱心さで自分を永久にイエズスにささげようとしているテレジアです。みんなは、感激のあまりに涙をおさえることができません。


17カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:02:26
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14

 誓願をたてて完全に自分をイエズスにささげる準備は、修練長の指導に従うことです。テレジアは、そのとおりに実行しました。修練長はひじょうに喜びました。修練期はふつう一年ですが、教会のきめた年令になっていなかったので、テレジアには、20か月もありました。それが、これほどの大きな試練の日々になろうとは! テレジアの心を悩ませる思いが、つぎつぎと心に浮んでくるからです。

「わたしは、あんなにイエズスさまにささけたのに、イエズスさまのほうでは、わたしを捨てておしまいになったのでは?」

 こう考えないでいられないほど虚しい感情が心のどこからか、にじみ出てきます。もちろん、イエズスはテレジアをお捨てになりません。ただ、霊的楽しみからさえ清められた、ぎせいと離脱の真の愛をテレジアに求められただけでした。ついに試練はおわって、嵐のあとの光と平和のうちにテレジアは、誓願をたてました。それは、1890年7月8日で、はじめから荘厳な無期請願だったのです。テレジアが選んだ修道名は、幼ないイエズスのテレジア。聖母のご保護のもとで今はまったくイエズスの花よめです。習慣どおりその日一日じゅう、はらのかんむりを、かぶっていました。夕方、庭に出て星を眺め、テレジアは、思いだしています、空にTの字をみつけた日のことです、「きょうこそ、わたしの名が決定的に天にかかれた。イエズスさまの花よめになったのだから」と心にいいました。

 たしかにテレジアは、聖人になったのです。修道院に入って帰天するまでは、7年間の短かい期間でした。かの女は、大きな苦業も、ぎせいも、人をあっといわせる事柄も、たてませんでした。でも、その生活は、愛とぎせい! あるときは、長いあいだ病気のシスターの世話をしました。その人は、病気で気むずかしくなり、すべてが不満で、親切さえ気にさわるという人でした。ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。


18カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:02:56
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 15

 ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。

 修道院のシスターには、各人に当番があります。最初の一年目の当番はテレジアのため洗濯がかり、次の二年間は食堂がかり(食卓の準備と皿洗い)、そして次に香部屋がかりになりました。これこそ、いちばん楽しい当番です。テレジアは、天使の自分にもあまるほどの任務と思い、その光栄を喜びました。

 祭器を準備しながら、「おん血になって、ここにおはいりになるイエズスさま、このなかにわたしの愛をみつけてください」と考えます。祭壇の花を準備するときも、花にいいました、「ねえ、ご聖体のイエズスさまのおそはで、主を賛美するのですよ」と。でも白いゆりには、「イエズスさまに伝えてね、わたしを、あなたのように清くしてくださいって」。赤いばらには、「わたしの心も、愛にもえていると申しあげてね」。そして菊にもいいました、「悲しげな菊の花さん、イエズスのように人々の救いのためにたくさん苦しみたいのよ、わたしの気もちを伝えてね」と。

 人の注意をひかないで、かくれていたいと望んでいるのに、シスターはみんなテレジアに感嘆しました。ある日、院長は考えました。《テレジアの受けている恵みを知ったら、どんなに多くの人が聖徳のはげみを得るでしょう》それで命令を与えました。

「幼ない時からの思い出をみんなノートに書きなさい」

「まあ、院長さま、ご冗談を」、テレジアは笑いだしました。

「いいえ、冗談ではありません。従順による命令ですよ」と院長。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


19カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:03:33
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 16

 テレジアの父が病気になりました。誓願式の時には、式にもあずかれないほど重くなっていました。こうして、6年の闘病生活に耐えた父は、1894年、セリーヌの看病をうけて聖人のような死をとげました。世間にとどまる必要のなくなったセリーヌも、2か月後にカルメルへ移り、すべてをイエズスにささげました。

 父が亡くなった同じ年、テレジアののどは、激しい炎症をおこして痛みはじめました。つとめを怠らず耐えてきた2年目の聖木曜日のことです。ご聖体のまえでひと晩じゅう徹夜する許可を願いました。しかし、許されたのは12時まで。さて、個室に帰って頭を枕につけると、とつぜんテレジアは、天からの呼び出しをうけたように思いました。次の朝、くちを拭いたはんかちを見ると、はたして、大出血だったのです。わたしも近いうちにイエズスの所に行けると思うと、テレジアの喜びは大きくなっていきます。

 それからは、シスターたちに暖かく見守られて暮す日々でしたが、ある晴れた日、車椅子に乗せてもらって、ひさしぶりに庭に出ました。ここで、テレジアは、自叙伝の最後の個所を書いたのです。その後は、病室に移って3か月のあいだ一度も起きれません。テレジアは、苦しみを英雄的な忍耐と愛で罪人の救いにささげました。それにしても精神的な悩みは、さらに苦しいのです。3か月間吐き気に悩まされ、聖体拝領はやっと2回きりです。医者の手当も甲斐なく、人間的にはどうすることもできなくなりました。こんな時でさえテレジアは、一つの詩をつくりました。

「愛のために死ねるとは、ああ、なんとすてきな殉教! わたしは、この殉教で死にたい。おお、やさしいみ主よ、わたしの島流しが終わろうとしています、わたしの夢を、愛のために死ぬこの夢を実現させてください」

 1897年9月30日のタべ、十字架のイエズスをみつめながら、かすかな声でいいました、「おお、わたしは愛します。わたしの神よ・・・わたしは・・・あなたを・・・愛します」

 最後のかがやく表情で!


20カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:04:01
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 17

 すべてに越えて神を愛する。その愛のために人々を愛し、その救いを願って生涯をささげつくした小さな聖女テレジアは、地上で多く苦しみました。しかし、まもなく神は、かの女に大きな光栄を与えはじめました。

 その光栄も人々の救いになり、かの女の著書自叙伝は、まもなく印刷され、世界じゅうの言葉にほん訳されました。この書を通じてテレジアは、なんと多くの人々に天国に行くための、やさしい道を示したことでしょう。それだけではありません。生きている間は、なんの寄島もなかったのに、かの女のとりつぎで、たくさんの奇跡が行なわれはじめました。

 まもなく、列福、そして次に列聖調査がすすめられました。1925年5月17日教皇ピオ11世は、荘厳な式をもって、テレジアを聖人と宣言し、その英雄的な善徳の模範を全世界に示しました。教皇は、こういっています、「幼ないイエズスの小さなテレジアは、天から降ってきた愛の花です。これをみて、天も地も感激します」と。

 人々の救いに一生涯をささげたテレジアは、布教地の保護者とし宣言されました。このために日本では聖女の祝日を荘厳に祝うことになりました。それは10月1日です。そのとき司祭は、ミサの集会祈願で、こういいます、「聖テレジアが示した信頼の道をわたしたちもあゆみ、聖女のとりつぎに支えられて栄光のいのちにあずかることができますように、わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン」と。


21カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:04:26
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 18

「天国に行ったら、この地上に、ばらの花の雨を降らせましょう。救われなければならない人がいるかぎり、わたしは、天国で休むことができません」

 これは、聖女が亡くなるまえにいった言葉でした。はたして、テレジアの名は、帰天後全世界に知れわたり、かぞえきれないほどの恵みが、そのとりつぎで地上をうるおしました。まるで天から降ってくるばらの花のゆたかな雨のように。

 おお、しあわせな聖テレジアよ、あなたのご保護にゆだねられた日本の教会とこの国のすべての人々に、あなたのばらの花を降らせてください。イエズスヘの愛と忠実のあの花を!


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13 変わった風説 (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 13
1カトリックの名無しさん :2017/01/23(月) 09:47:39
について載せていきます。

2godpleaser :2017/01/31(火) 22:20:06
私がカトリックを信じるわけは、
殉教者
聖職者の独身性
がゆえです。

この世、命を超えた永遠のものがある証拠だと思います。

マザーテレサ、ノーベル平和賞の賞金もすべて、貧しい人につぎ込んで、亡くなったときは、サンダル一つでした。
ローマ教皇、エリザベス、ビルゲイツ以上の財産を管理しながら、自分のものはせいぜい式服しかない。
これも家庭を、持ったら不可能だと思います。

つまり、葬式仏教のお坊様と違い、死後の永遠の世界があるという証明だと思います。

また、そもそも教祖であるナザレのイエス様そのものが、家庭を持たず、最初の殉教者だということですから。


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14 ボネ神父 (Res:4)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 14
1カトリックの名無しさん :2017/01/11(水) 00:50:18
ボネ神父

2カトリックの名無しさん :2017/01/11(水) 00:50:31
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』

序にかえて

 神は感覚によってたしかめることができないから信じられない、という人々にお答えするためにも、わたしはボネ神父さまの生涯をお知らせしたいと患います。

 旧約聖書の創世の書に、"神は、自分に似せて人をつくられた"といわれています。それゆえ、もしこの世につくられたままのゆがめられない純粋な人間がいるとしたら、その人のなかに、神の姿はどれほど美しく反映していることでしょう。一茎の花にさえ、神の無限の知恵と美しさがかがやいているといいます。まして、ここにご紹介申しあげようとしているボネ神父さまは、一点のくもりもない鏡のように神の姿をうつしていたのではないかと思います。なぜなら、精神的にも、肉体的にも、ひじょうな健康にめぐまれていた神父さまは、人間として完全であり、それに野人特有のあるがままに生きる純粋な人であり、しかも彫りの深い性格をもっていたからです。

 しかし、この世のあらゆる現象を超越して、神と対座している者の、ますます鮮明になってゆくペルソナ的存在と、また人間的な偏見を知らぬカトリックの普遍性と淡白さを通して、かれが近づく人々の心をうったのは、じつは、かれ自身ではありませんでした。それこそ愛そのものである生きる神の現実の姿、すなわち、彼を通じて表現され、人の感覚に直接訴えられたその存在だったのであります。

 それゆえ、神父さまのまわりに集まって、そのふんい気を呼吸した人々は、心のおくからにじみ出てくる幸福と、ある内的平和へと導かれてゆきました。

 青白き理論よりも、現実は、もっとわたしたちの心に信仰への深い証明をあたえます。この意味において、神のかたどり、まして神の代理者と呼はれる司祭の生涯をえがくことは、わたしの大きなよろ乙びとなりました。しかし、聖なる司祭のかがやくはかりの美徳に、一種の眩惑を感じながら、わたしは、自分自身がその偉大な生涯を書くに耐えないものであることも悟りました。そこで・ペンをとるにあたって、まずボネ神父さまにむかって、小さな祈りをささげてみたのです。

 「いつくしみの父ボネ神父さま、わたしの心をきよめ、あなたの霊をおあたえください。あなたを誤りなく描くことによって主のお姿が人々のなかにあらわれますように、天の光栄にかがやくあなたにふさわしくないわたしをあわれみ、わたしのためにお祈りください。時をへだて、世を異にし、まみえることもございませんが、み心のうちにかぎりなくお愛しいたします」。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


3カトリックの名無しさん :2017/01/11(水) 01:48:12
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』

序にかえて

 神は感覚によってたしかめることができないから信じられない、という人々にお答えするためにも、わたしはボネ神父さまの生涯をお知らせしたいと患います。

 旧約聖書の創世の書に、"神は、自分に似せて人をつくられた"といわれています。それゆえ、もしこの世につくられたままのゆがめられない純粋な人間がいるとしたら、その人のなかに、神の姿はどれほど美しく反映していることでしょう。一茎の花にさえ、神の無限の知恵と美しさがかがやいているといいます。まして、ここにご紹介申しあげようとしているボネ神父さまは、一点のくもりもない鏡のように神の姿をうつしていたのではないかと思います。なぜなら、精神的にも、肉体的にも、ひじょうな健康にめぐまれていた神父さまは、人間として完全であり、それに野人特有のあるがままに生きる純粋な人であり、しかも彫りの深い性格をもっていたからです。

 しかし、この世のあらゆる現象を超越して、神と対座している者の、ますます鮮明になってゆくペルソナ的存在と、また人間的な偏見を知らぬカトリックの普遍性と淡白さを通して、かれが近づく人々の心をうったのは、じつは、かれ自身ではありませんでした。それこそ愛そのものである生きる神の現実の姿、すなわち、彼を通じて表現され、人の感覚に直接訴えられたその存在だったのであります。

 それゆえ、神父さまのまわりに集まって、そのふんい気を呼吸した人々は、心のおくからにじみ出てくる幸福と、ある内的平和へと導かれてゆきました。

 青白き理論よりも、現実は、もっとわたしたちの心に信仰への深い証明をあたえます。この意味において、神のかたどり、まして神の代理者と呼はれる司祭の生涯をえがくことは、わたしの大きなよろ乙びとなりました。しかし、聖なる司祭のかがやくはかりの美徳に、一種の眩惑を感じながら、わたしは、自分自身がその偉大な生涯を書くに耐えないものであることも悟りました。そこで、ペンをとるにあたって、まずボネ神父さまにむかって、小さな祈りをささげてみたのです。

 「いつくしみの父ボネ神父さま、わたしの心をきよめ、あなたの霊をおあたえください。あなたを誤りなく描くことによって主のお姿が人々のなかにあらわれますように、天の光栄にかがやくあなたにふさわしくないわたしをあわれみ、わたしのためにお祈りください。時をへだて、世を異にし、まみえることもございませんが、み心のうちにかぎりなくお愛しいたします」。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


4カトリックの名無しさん :2017/01/12(木) 01:51:24

江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、2

第1部 選ばれた一粒のたね ある宣教師の生いたちと布教

◆、1 馬の乳

「お馬、お乳ちょうだい!」

 力いっぱい走ってきて、のどがかわいたので、坊やは雌馬の足のあいだにもぐりこんでゆきました。

「ええ、いいとも坊や、おなかいっぱいおあがり」。

 雌馬は、坊やが乳をのみおわるまで静かに待っていました。すてきにおいしい乳でした。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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15 沈黙 (Res:11)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 15
1カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:38:23
沈黙について

5カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:41:10
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆2-3、キリスト者の信条 - 踏絵 (デルコル神父)

 遠藤周作氏の第三の口実、「家族への配慮」に対しても、キリストのみことばは、ほんのちょっとの疑いさえ残さないほど、はっきりお答えになっておられる。

「私よりも、父や母を愛する人は、私にふさわしくない、また、私よりも、息子や娘を愛する人も、私にふさわしくない」(マタイ10・37、ルカ14・17)と。そして、さらに、このことを強調するかのように、キリストは、「地上に平和をもってきたと思ってはならない。平和ではなく、つるぎをもってきた」(マタイ10・34)」といっておられる。

 キリストにふさわしい弟子となるために、十字架は避けられない。キリストご自身「自分の十字架をとって私にしたがわねばならない」(マタイ10・38)と明らかにそのことを断言された。

 十字架!自分の十字架!その十字架にはいろいろあるだろうが、ある人には、その十字架は、踏絵であった!キりストの証のため、キリストのみ顔を足げにしないという十字架だったのだ。

 あしげにしなければならないのは、悪魔のあたまである。だからこそ、キリストのみ顔をあしげにすることは、キリストを救い主ではなく、”ほろびのあるじ”悪魔とみなすことになる。神は、はじめて救い主について約束なさったとき、「かれ(すなわち救い主)は、おまえ(すなわち、悪魔)のあたまをふみくだくだろう」(創世の書3・15)とおおせになり、また、悪魔も、救い生とその仲間たちの「かかとを、かむであろう」とおおせになったのではないだろうか!

 この予言は、救い主が勝利をえるであろうが、それは、苦しみを通してであることを示している。まことに、「弟子は、先生以上のものではない」(マタイ10・24、ルカ6・40)からこそ、救い主キリストの仲間も、キリストの十字架にあずからなければならないのだ。その十字架が、人によってそれぞれ異なり、ときとして、ある人には、それが殺されることであっても!
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


6カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:42:06
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆2-4、キリスト者の信条 - 踏絵 (デルコル神父)

 キリストのこの教えは、きびしすぎると思われるかもわからない。信仰のない人、信仰のうすい人には、そう思われるのもやむをえないだろう。使徒聖パウロが明らかにのべているとおりである。

「実に十字架のことばは、滅びるものには怠かであるが、救われるもの、私たちにとっては、神の力である」(コリント前1・18)と。

 この世の知者や学者はキリストのみ言葉を認めることができない。それは、神の知恵ではなく、自分の知恵によりたのむからである。そのためにこそ、聖パウロは、「神は宣教のおろかさをもって信じるものを救おうとおぼしめされた」といっているのである。そして、こうつづける、

「そのために私たちは、十字架につけられたキリストをのべ伝える。それは、ユダヤ人にとって、つまずきであり、異邦人にとって、おろかであるが、しかし、召された人にとっては、神の力、そして、神の知恵キリストである。神のおろかさは、人間よりもかしこく、神の弱さは、人間よりも強いものだからである」(コリント前1・20-25)と。

 これよりもはっきりしたことばがありえようか?二千年ものあいだの殉教者、なかでもキリストに対する忠実を示すために、おそろしい拷問のなかで、いのちをなげすてた日本の英雄的なかずかずの殉教者たちのことを、踏絵に足をかけなかったから、かれらには知恵がたりなかったとでもいいたいのだろうか?それとも、いのちをなげうつべきだと考えたことは、まちがっていたとでもいいたいのだろうか?

 では、どういう名目のもとにキリストの福音を変えようとするのだろう?
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


7カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:42:43
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆2-5、キリスト者の信条 - 踏絵 (デルコル神父)

 私は、遠藤周作氏があのような記事を書いたのは、残念なことだと思う。しかし、それにもまして残念でならないのは、その記事が、カトリック新聞にでたことである。しかもそれは、著名なある聖職者の提供である。

 一般読者は、これをよんで、どんな印象をうけるだろうか?”やっぱり、教会がこれまで、きびしく教えていたことは古かった。現代の要求に合わせるためには、キリストの教えさえ「進歩させる」必要があるなあ”と考えただろうか?

 それは、遠藤周作氏の小説「沈黙」がはじめて出版されたおり、カトリック新聞の読者の「声」の欄にのった記事をみてもよくわかることである。

 私は、カトリック新聞の編集部にも、これを提供した聖職者にも、この点について賛成できない。そこで、ここに、聖パウロのことばをくりかえしたいと思う。あの記事にでた考えかたは、
「福音というべきものではない。ただ、ある人々が、あなたたちをまどわして、キリストの福音を変えようとしている。しかし、私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちが、あなたたちに伝えたのとはちがう福音をつげるものには、のろいあれ。私は、まえにいったことを、いまくりかえす。あなたたちが受けたのとはちがう福音をつげるものには、のろいあれ。

 私はいま、人の賛成を求めようとするのか。あるいは、それとも、神のみ旨を求めようとするのか。あるいは、人にとりいろうとつとめているのか。私が、いまも人にとりいろうとしているのなら、私は、キリストのどれいではない」(ガラツィア1・7-10)。


8カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:43:45
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆3、弱い人々のために (バルバロ神父)

「正義のためにしいたげられた人は幸せ」

 先日、カトリック新聞にのった遠藤周作氏の一文に関して、デルコル神父の抗議的な反論が本号にのるが、私もそれについて一言書き加えたい。

 最近二、三ケ月の間に、カトリック雑誌あるいはカトリック新聞と称する紙面に、カトリック作家と称する人々の記事がのり、それに対して「カトリック生活」は今度で二度目の抗議をしてきている。それを私が喜んでしていると思われたら心外である。

 われわれは、「カトリック生活」だけが、カトリックの信仰の純正を守っているというつもりもないし、また、風車に向かったドン・キホーテの役も、われわれとしてはやりたくない。

 むしろ信仰の遺産を託され、キリストの民を牧する責任をもつ上にたつ人々が、われわれのこの小さい雑誌より先に、明確な方針をたてて声をきかせてくれてよいのではないか。そういう記事によって、迷わされ、苦しんでいる信者は数多いのである。私だけでなく、皆そのことをききもし、知りもしているだろう。

 われわれがうけた信仰は、キリストの苦しみの中でまかれ、幾多の殉教者の血で証明され、無数の宣教師の労苦のうちにやしなわれてきた。こうして、多くの信者の中で実を結ぶべき貴重なものであるから、いずれにしろこの問題に軽卒な態度でのぞむことは許されないのである。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


9カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:44:23
 キリストの目で眺めるとなると、もう人間的なものではなくて、この世をさかさまに眺めるとでも言えるであろう。たとえばキリストは、「心の貧しい人は幸せ」「泣く人は幸せ」「正義のためにしいたげられる人は幸せ」と言ったが、これは人間の口から出るせりふではない。

 人間の頭で考えれば遠藤氏にとっても、私にとっても、ふみ絵をふめと強制された昔のあわれな人々は、決して「幸せな人々」ではなかった。かれらは、すべての自由をうばわれ、さらに、今、このふみ絵によって生命さえも断崖に立たされていたのである。イエズスが、「正義のためにしいたげられる人は幸せ」という自分の信念をすてて、ただこの弱いあわれな人々の今のしあわせだけを考えたならば遠藤氏のいうようなことになっただろう。

「私はお前たちが、弱くて、あわれな人々だと知っている。私は、そういうお前たちを救いに来たのだから、この際私を裏切ってもよい。すててもよい、私に対しての愛、誠実をも忘れてよい。お前たちの大切な命を救うがよい。幕府の役人にお前たちは責められているが、それに対してはずるがしこく立ち向かって、自分の生命を救うがよい。そうすれば私は、後から何でもゆるしてあげる」。

 だが、もしそれが事実なら、これ以上危険な道はない。われわれはみな弱いし、日々体験しているように、実にあわれなみじめなものである。日々、人間として信仰者として、われわれは、いろいろな意味でのふみ絵の前に立たされている。キリストと、キリストの国と、キリストの愛をえらぶか、それとも、あなた自身の傲慢と、利益と邪欲とのいずれをえらぶかが、日々ためされている。


10カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:44:41
 この場合、弱い人間としてえらびやすい方をえらんでもよいなら、そしてどうせキリストは弱いもののためにきたのだから、それをあてにして行動するなら、キリストが、”天にまします父のように完全であれ”という言葉も空しくなる。

 こうなれば、キリストは、「人類が歩くべき気高い道の旗印」とはならず、「人間の弱さ、卑劣さの使徒となり、人間の中にある最も聖なるもの崇高なものの最大の裏切者となるほかない。キリストが「人類の気高いものの旗印」となったのは、かれが生命をかけて、正義と愛と真理を守り通したからである。この三つの言葉が人類の心にその意義を全く失ってしまわない限り、"キりスト者の裏切り"はあるにしても、キリストは人類の指導者としてふみとどまる。

 キリスト者ではない人々でも、人間である限り、生命を賭しても妥協できない一線のあることを知っている。われわれの生存本能は、いかに強くとも、それにまさる価値あるものの存在を知っている。パルティザン同志が戦っていたころ、マルキシストや、ファシストや、アナルキストや、愛国者の中にも、自分の信念を裏切るまいとして生命を投げうった人は多かった。かれらは、人間であったからこそ、この生命以上に、すべてを贈りて惜しくないものがあることを知っていた。

 キリスト教の歴史は、拷問や十字架や責苦が、他のどれよりも多い。それは、葦のように弱い人間が一番拒否したい理想を、キリスト教がかかげていたからである。盲目的な、暴力的なものは、霊と精神とにはげしくぶつつかるのである。正義や真理の理想を宣言して生命をなげうった人々は、キリスト信者であろうとなかろうと、「神の子」であるに相違ない。

 キリストの名によって自由を叫んだ日本キリシタンの殉教者は、日本における最初の「自由の雄叫び」であった。当時の封建的な扱いにならされていた女性たちさえも、そして子供たちも、「人間からは出ない力」をもって、迫害者に向かって「いえ」を言うことができた。こういう人々こそ、精神の自由という新時代を築いた人々である。みなが「弱い人間」であるがために暴力と権威に妥協していたら、暗黒時代の夜は明けなかったろう。

 キリストは、「弱い人々」のために来た。それは真実である。そのためにキリストは、「神のあわれみ」をわれわれに教えた。しかしキリストは一度も、人間の弱さをあおったこどはない。むしろ「自分の生命を救いたいなら、それをすてよ」と教えたではないか。キリストにとって死は、「恐るべき最後」ではなくて、新しい生命へのかど出であり、それが、キリスト教の中心である「よみがえり」の意味となるのである。

 サルトルの無神論的実存主義の結論が「すべてはナンセンス」であるということをここで皆考えてみてはどうであろうか。サルトルの考えでは、神もなく、来世もなく、すべては無意味な、その混沌の中で、人間は自分の力で自分を救わねばならないのである。人間のことを、この世だけで解決するのが、その思想の根本である。こう考えてくれば、たしかにふみ絵も、人間の作ったばかばかしいものであるから、それをふんでもかまうまい、無意味なことなのだから。

 しかし、こうなれば、もうキリスト教ではなく他の宗教である。もうキリスト教はない。


11カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:45:23
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆3-2、弱い人々のために (バルバロ神父)

 キリストは、「弱い人々」のために来た。それは真実である。そのためにキリストは、「神のあわれみ」をわれわれに教えた。しかしキリストは一度も、人間の弱さをあおったことはない。むしろ「自分の生命を救いたいなら、それをすてよ」と教えたではないか。キリストにとって死は、「恐るべき最後」ではなくて、新しい生命へのかど出であり、それが、キリスト教の中心である「よみがえり」の意味となるのである。

 サルトルの無神論的実存主義の結論が「すべてはナンセンス」であるということをここで皆考えてみてはどうであろうか。サルトルの考えでは、神もなく、来世もなく、すべては無意味な、その混沌の中で、人間は自分の力で自分を救わねばならないのである。人間のことを、この世だけで解決するのが、その思想の根本である。こう考えてくれば、たしかにふみ絵も、人間の作ったばかばかしいものであるから、それをふんでもかまうまい、無意味なことなのだから。

 しかし、こうなれば、もうキリスト教ではなく他の宗教である。もうキリスト教はない。


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16 聖人伝 10月 (Res:4)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 16
1カトリックの名無しさん :2015/10/19(月) 03:34:49
聖人伝 10月

2カトリックの名無しさん :2015/10/19(月) 03:35:00
今日の聖人(10月19日)
聖イザーク・ジョーグ、聖ヨハネ・ブレブーフ司祭と同志殉教者

17世紀

 聖イザーク・ジョーグ、聖ヨハネ・ブレブーフ司祭と同志殉教者は、1642年から1649年にかけて、カナダで殉教した8人のフランス人イエズス会士たちである。

 1636年、イザーク・ジョーグ神父は「カナダの先住民族の人びとに、福音を知らせたい」と、ヨハネ・ブレブーフ神父、そして仲間といっしょにカナダのケベックに出発した。彼らは命の危険にさらされることも覚悟の上で、現地のイロコイ族、ヒューロン族の文化を尊重しつつ、彼らと生活をともにした。また、ヒューロン語を学んで、カテキズムや辞書を編纂するなどして、宣教した。

 ヒューロン族はたびたびイロコイ族と戦い、ジョーグ神父はイロコイ族に捕らえられ、13ヶ月投獄された。彼は仲間たちとともに、村から村へと連れて行かれ、拷問を受けた。また、ヒューロン族の改宗者が拷問を受けて、殺害されるのを目の当たりにした。

 その後、オランダからの思わぬ助けによって、ジョーグ神父は拷問の傷を受けた体で、フランスに帰国した。神父は人びとから英雄として迎えられたが、彼は「ヒューロン族のために働きたい」という夢を捨てきれず、数ヶ月後またカナダに旅立った。

 しかしカナダでは部族間の争いが絶えず、8人のイエズス会士たちは、イロコイ族に捕らえられて、残酷な拷問の末に殉教した。彼らの証しはイロコイ族の人びとの心に刻み込まれ、こうしてキリスト教はカナダの地から消え去ることはなかった。そして、10年後にキリストの教えは人びとから受け入れられるようになった。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


3カトリックの名無しさん :2015/10/25(日) 04:39:44
今日の聖人(10月25日)
聖クリスピノと聖クリスピニアーノ

?-287年ごろ

 クリスピノとクリスピニアーノ兄弟は、ローマの貴族の家に生まれ、熱心なキリスト信者であった。キリスト教迫害が始まったとき、全財産を捨ててゴール地方に逃げ、宣教師となり、日用の糧のためには靴職人として働いた。彼らは熱心に宣教し、多くの人がキリスト信者となった。しかし、ローマ皇帝マクシミリアヌスがその地を訪れたとき、クリスピノらに反対する者たちが彼らを訴えたため、2人は捕えられ、拷問にあった。そして2人が決して信仰を捨てないことが分かると、皇帝から斬首の刑を命じられ、殉教した。

 彼らが特にイギリスで敬われるようになったのは、シェイクスピアの著書『ヘンリ5世』の影響によるといわれる。靴製造者、製皮業者の保護の聖人とされている。


4カトリックの名無しさん :2016/10/16(日) 00:57:59

明日の聖人(10月17日)
聖イグナチオ(アンチオケ)司教殉教者

35年ごろ-110年

 イグナチオは、シリアのアンチオケに生まれた。司教となったが、ローマ皇帝トラヤヌス帝のキリスト教迫害時代に死刑の宣告を受け、シリアからローマに護送された。その間に、7つの書簡を残した。5つは、途中寄港した町の信徒たちに、6番目は聖ポリカルポに、7番目はローマ教会にあてて書いたものである。その手紙から、彼が厚い信仰をもち、殉教によってキリストと一致することが最高の望みであったということなどが示されている。

 その手紙で、町の教会は司教を中心としたものであり、ローマ教会は他の教会よりも特別な「教会の頭」としての役割をもっているなど、キリスト教会の組織やキリスト者の生活について、述べられている。

「あなたたちの体を神の神殿として保ちなさい。一致を愛し、分裂を避けなさい。
イエス・キリストが御父に従われたように、イエス・キリストに従いなさい。」
聖イグナチオ(アンチオケ)


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17 カトリックなこと (Res:0)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 17
1カトリックの名無しさん :2014/10/15(水) 02:41:26
カトリックなこと

2カトリックの名無しさん :2014/10/15(水) 03:55:55
大村の獄屋にある39人のキリシタンは、スピノラ神父を先頭に、馬に乗せられて長崎に送られた。
1622(元和8年)9月9日のことであった。
そして、あくる10日は、この39人に、長崎の獄にあるキリシタン16人をも併せた55人が処刑された日である。
このうち、焚殺された者が25人、斬首された者が30人であった。

刑場は、例の立山であった。
周囲には、矢来が結んであった。

刑柱25基が立て連ねてあった。各柱の前に、3尺ほど放して5尺余の溝を掘り、水を注いだ薪がその中に積み重ねてあった。
これは、火勢をゆるくして、刑徒をながく苦しませるための策略であった。

刑場の上座に席が設けてあった。それには、検視役の長崎奉行代理助大夫と大村の家臣彦左衛門が座っていた。
そして、配下の役人士卒らがその左右に並んでいた。

矢来の外には、おびただしい兵卒が、弓矢、鉄砲、なぎなた刀などを持って、厳重に警衛していた。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


3カトリックの名無しさん :2014/10/15(水) 03:56:05
スピノラ神父は大声で叫んだ。

「役人たちよ。
 汝等は、すでに罪のない義人30名を殺戮した。
 殺された彼らは幸いであるが、殺した汝等はわざわいであることだ。
 われらが来たのは、天主の御子キリストの教えを、日本全国に布教して、
 汝らを、まことの神の御手に救っていただくためなのだ。
 まことの天主は、慈悲の手をひろげて、汝等が来るのを待っておられる。
 しかし、将軍徳川殿をはじめ、汝等、政路の司らは
 天主の慈悲を拒んで、かえって天主の信徒を殺戮する。
 汝等、なお、悔いて改めなかったならば、
 やがて死が襲って、汝等を永劫の火に投げ入れることになるだろう。
 わたしが焼かれるのは一時の火である。
 汝等が焼かれるのは、永劫の火である。
 耳あるものは、わが最後の言葉を聞きなさい」
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4カトリックの名無しさん :2016/08/18(木) 09:22:14
感心しました。


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18 聖人伝 5月 (Res:12)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 18
1カトリックの名無しさん :2015/05/01(金) 03:06:42
今日の聖人(5月1日)
労働者聖ヨセフ

1052年-1132年

 ヨセフは、イエス・キリストの養父として、大工の仕事にいそしみながら、イエスとマリアを養った。彼は、労働は人間性を高める手段であることを教えてくれた。1955年に教皇ピオ12世は、この日を労働者の模範であるヨセフの保護のもとにおき、感謝の日と定めた。肉体的な労働にせよ、知的労働にせよ、わたしたちがどういう意向で働くかが大切である。

14カトリックの名無しさん :2015/05/18(月) 01:09:41

今日の聖人(5月18日)
聖ヨハネ1世教皇殉教者

在位523年-526年

 ヨハネ教皇は、イタリアのトスカナに生まれ、聖職者の中では若いときからその雄弁さと模範的生活で知られていた。523年に教皇に選ばれる。当時イタリアは、異端を唱えたアリウス派を擁護する東ゴート族のテオドリックの支配下にあったが、東ローマ帝国のユスチノ1世は、アリウス派をカトリック教会と併合する勅令を出していた。テオドリックは勅令を取り消させるために、教皇ヨハネ1世を団長とし、失敗した場合にはカトリック教会への報復をほのめかして、無理やりに東ローマに折衝に行かせた。ヨハネは初めて東ローマ帝国を訪れた教皇となり、東ローマ側から歓待を受ける。だが、ユスチノ1世は妥協を示さず、使節団は成果を何一つ手にすることなく帰国した。テオドリックはその結果に激怒し、ヨハネを捉えて牢へ投じた。彼は即位時点でかなりの老齢であり、長旅と老衰からテオドリックの処分を受ける前に獄死する。教皇の死についてはいくつかの伝聞が残され、時代が下った14世紀に作られたラヴェンナのサンタ・マリア・イン・ポルト・フォーリ教会のフレスコ画では、テオドリックが教皇を死に追い込んだ様子が描かれ、さらに下った15世紀には直接の「処刑」の様子を描いた細密画が描かれている。


15カトリックの名無しさん :2015/05/22(金) 02:14:30
今日の聖人(5月22日) 
聖リタ(カシァ)修道女

1381年-1457年

 リタは、イタリアのウンブリアの小さな村に生まれた。両親が高齢になってから生まれたので、神からいただいた賜物として、両親は大切に育てた。リタは、カシアにあったアウグスチノ会の修道院に入ることを夢見ていたが、両親が決めた青年に嫁いだ。2人の間に双子が生まれたが、夫の激しい性格に苦しみ、リタは祈りによって家庭生活を支えた。ある日、町を二分する政党の争いに巻き込まれた夫が、暴力を受けて亡くなった。リタは、息子たちが復讐をするのではないかと恐れたが、2人はまもなく病気で亡くなった。

 一人になったリタは、若いときに希望していたアウグスチノ会に入会しようとしたが、夫の事件の関係で拒否された。しかし、神からの招きを確信して祈り続けたリタは、政党間に和平が実現したことにより入会を許された。リタは妻として、母として、未亡人として、修道者として、愛に根ざした平和を人びとにもたらした。
 夫との長く苦かった生活は、リタに不和をおさめる方法を学ばせた。家庭内に問題のあるところでは彼女の忠告が喜ばれ、そのとおりにすると必ず幸福が帰ってきた。60歳のある日、リタが十字架像の前で祈っているときに、キリストの茨の冠から額に一本のとげを受けた。またリタは、「望みのないときの助け手」と言われている。

 生涯の最後の4年間は寝たきりとなったが、忍耐と明るい性格によって、姉妹たちと訪れる人びとを支え、1457年5月22日、76年の生涯を閉じた。


16カトリックの名無しさん :2015/05/23(土) 01:16:11
今日の聖人(5月23日)
福者ヨハネ・バプチスタ(マカド)と聖ペトロ(被昇天)司祭殉教者

17世紀初め

 2人は、日本のキリシタン迫害時代の殉教者である。
 ヨハネ司祭は、ポルトガルの貴族の家に生まれた。11歳のときに、日本での殉教者の話を聞いて感動し、司祭を志した。イエズス会に入り、1609年に来日し宣教活動をする。当時日本は、家康による禁教令下にあった。彼は、宣教をしたために捕えられた。

 一方、ペトロ司祭はスペインで生まれ、フランシスコ修道会に入った。1609年に来日し、長崎にある同会の修道院長として宣教に務める。2人とも、投獄され、首をはねられて殉教した。彼らは亡くなったが、信者の数はますます増えていった。


17カトリックの名無しさん :2015/05/27(水) 04:54:44
今日の聖人(5月27日) 
聖アウグスチヌス(カンタベリー)司教

?-607年

 5世紀の中ごろ、イングランドにアングロ・サクソン民族が渡ってきたので、キリスト教はほとんど消滅していた。時の教皇、グレゴリウス1世は、アングロ・サクソン民族をキリスト教化しようとし、親友であったベネディクト会士アウグスチティスを宣教師としてイングランドに派遣した。アウグスティヌスは、40名のベネディクト会士を伴ってイングランドに渡り、首都カンタベリーを拠点に、熱心に宣教活動を行った。その結果、国王をはじめ、貴族、一般市民など、数千人が洗礼を受けた。後に彼はカンタベリーの大司教に任命され、多くの功績を残した。


18カトリックの名無しさん :2015/05/31(日) 11:25:09
今日の聖人(5月31日)
聖母マリアの訪問

 聖母マリアのエリザベト訪問を記念する日。マリアが、天使から受胎告知を受けたころ、彼女の親族であるエリザベトも懐妊した。エリザベトは、長年子どもができず年老いていたので、マリアはエリザベトの懐妊を聞き、神の偉大な力に驚き賛美し、さっそく山里にあるエリザベトの家を訪ねる。マリアの訪問を喜んだエリザベトは「あなたは女の中で祝福された方です。……わたしの主のお母様がわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう……」と感動した。マリアは、神に感謝して祈った。この祈りが有名な「マニフィカト」である。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
  身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。……」
     (ルカ 1.46~55)

 エリザベトを励まし手伝うマリアの行為は、神と隣人に対する愛の業である。


19カトリックの名無しさん :2015/05/31(日) 11:25:21
今日の聖人(5月31日)
聖母マリアの訪問

 聖母マリアのエリザベト訪問を記念する日。マリアが、天使から受胎告知を受けたころ、彼女の親族であるエリザベトも懐妊した。エリザベトは、長年子どもができず年老いていたので、マリアはエリザベトの懐妊を聞き、神の偉大な力に驚き賛美し、さっそく山里にあるエリザベトの家を訪ねる。マリアの訪問を喜んだエリザベトは「あなたは女の中で祝福された方です。……わたしの主のお母様がわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう……」と感動した。マリアは、神に感謝して祈った。この祈りが有名な「マニフィカト」である。

 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
  身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。……」
     (ルカ 1.46~55)

 エリザベトを励まし手伝うマリアの行為は、神と隣人に対する愛の業である。


20カトリックの名無しさん :2016/05/05(木) 00:23:45
今日の聖人(5月5日)
アルルの聖ヒラリオ司教

400年-449年

 アルルの聖ヒラリオ司教は、フランスの貴族の家庭に生まれ、地方の役人として有望な職に就いていた。しかし、親戚であり、後に司教となったホノラトゥスのすすめで、共に修道生活をはじめた。ホノラトゥスがフランス南東部にあるアルルの司教に叙階されたとき、ヒラリオは補佐として選ばれ、彼自身も29歳のときに司教となった。

 彼は司教になってからも、修道者のように祈りと労働に励み、持ち物を売っては、貧しい人たちに施していた。才能に恵まれた、すぐれた説教家であり、質素な服装で、あらゆるところに歩いて旅をした。

 当時、南部のガリア地方(現在のフランス、ベルギーなどの一部にあたる)では、マルセイユのカッシアヌスの指導を受けた修道者を中心に半ペラギウス派が広がり、レランス修道院はその拠点であった。彼らは、神は善を求める人間の意志を助けるが、神ではなく、人間がはじめの第一歩をなすと考え、ヒラリオも半ペラギウス派であったと言われている。

 彼はガリア地方における裁治権を広げようと、フランス東部にあるブサンソンの司教をやめさせたが、教皇レオ1世によって取り消された。彼の残した著書『聖ホノラトゥス伝』には、ホノラトゥスの生涯と説教が描かれている。449年、49歳で亡くなった。


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19 コルベ神父様 (Res:11)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 19
1カトリックの名無しさん :2016/01/12(火) 22:26:35
コルベ神父様

13カトリックの名無しさん :2016/02/01(月) 05:10:43
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

33、病者への使徒

 マキシミリアノはその諸々の機会に従ってサナトリウムの病人たちの間で働いた。各々の患者との個人的私的な話のほかに、できるようになるとすぐに彼は集会と宗教的な会議を組織した。彼は討論を行い、そして不思議のメダイを配布する機会を見逃さなかった。

 汚れなきおとめはご自分の支持を彼に与えられ、そして「無神論者たちの拠点」と考えられていた場所における無数の回心の喜びを彼に与えられた。

 彼は死んで行く学生に洗礼を授ける幸福を持った。その青年はコルベの護教論の講義に忠実に出席していたが、しかし各々のセッションの終わりにはすばやく抜け出ていた。ついに彼はその日のセッションが彼が出席できる最後の日である、なぜなら彼の病気は非常に進行したのでもはやベッドを離れることができない、そして今はただ死を待つだけだからだ、ということを彼に告げるために聖マキシミリアノのところへやって来た。

 聖コルベは彼を訪問することを約束した。重病であった者を訪問することは禁じられていたが、しかし彼はなんとか許可を得た。彼はたびたび訪問し、彼に話し、彼の首に不思議のメダイをかけ、適切に彼に準備した。彼は洗礼、聖体、終油の秘蹟を授けた。

 彼は少年に尋ねた。「君は幸せかい、それとも何か困っていることがある?」

 「僕の母--彼女はユダヤ教からキリスト教に回心した僕を呪うでしょう。」
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


14カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:33:31
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)


37、「兄弟なる機械設備」

マキシミリアノは、1ヶ月に5万部以上印刷を始めたときに、彼自身の印刷所を持つことについて考え始めた。これは馬鹿げたこと、彼の他の諸々のプロジェクト以上にもっと大きな馬鹿げたこととさえ、思われたであろう。しかしマキシミリアノは自分のことを「汚れなきおとめの馬鹿」と呼ばなかったか?

汚れなきおとめの助けと共に、「汚れなき聖母の騎士」がそれ自身の印刷機--コルベがそれを呼んだように、「兄弟なる機械設備」--を獲得したとき、この一見馬鹿げたプロジェクトは一つの現実となった。

もっと大きなそしてもっと適した場所を手に入れるために、彼は北ポーランドにある山岳地帯、グロドゥノ(Grodno)においてすべてのことを始めることを考えた。そしてそれから、彼と共に働くために割り当てられた修道士たちと一緒に、聖マキシミリアノはそこに移り、絶え間なく働き続けた。

編集、執筆、印刷--これらは、祈り、ミサ、礼拝、告解、そしてグロドゥノからおよそ2マイルの町でのカテキズムの教授に捧げられた時間に加えて、彼の日々の雑事であった。彼は、熱があろうとなかろうと、弱さを感じようと強さを感じようと、祈り、働いた。また執筆し、授業を受け持った。そのことについて心配するのは無益であった。なぜなら、時間は非常に早く過ぎ去り、そして彼は汚れなきおとめのために完全に自らを犠牲にしたいと思っていたからである。

彼は弟のアルフォンスス(Alphonsus)神父にこう書いた。「私の一日は本当に仕事でいっぱいだ。読者数が大股で増大している。汚れなきおとめはご自分の雑誌を強い手で前進するように導いておられる。時に私の顔が熱で赤くなろうとも、私は病気である暇がない。たとえ常に弱いと感じているとしても、私はこう繰り返している:私は病気である時を持っていない、と。」

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


15カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:34:31
38、多くの召命

その間に汚れなきおとめは聖マキシミリアノのためにもう一つのより大きな奇跡を働いておられた。

聖母をすべての人のところへお連れし、聖母を地上における戦闘の教会においてすべての心の女王とする夢は聖母のために完全に奉献された霊魂たちなしには真実のものとなることはできないであろう。もし汚れなき聖母の騎士が繁栄すべきであるならば、エネルギーと愛をもった新しい手と心がその完全な発展へとそれを前進させるために必要である。

実際、この「夢」--彼が始めた他の馬鹿げた冒険と同じと思われた--はすばやいそして際だった仕方で実現へ向かって動いた。

汚れなきおとめに対する聖マキシミリアノの大きな愛は宗教的召命を産み出すようになった。彼はこう言った。「人々にとって汚れなき聖母にふさわしい者であるために、彼らの霊魂は奉献されていなければならない。汚れなき御母の仕事は商業的な企てでははない。それは無限にそのすべてのもの以上である。」

彼らの仕事において完全な沈黙のうちにそして祈りの精神に浸されて印刷機のところで忙しくしている修道士たちを見ることはフランシスコ会修道会の歴史において初めてであったに違いない。聖フランシスコは修道会の女王の栄光のために努力を傾けている彼自身の修道士たちを見て喜ばずにはいられなかったであろう。

さまざまの年齢や条件の男たちが次々にやって来ていた。彼らの到来は一つの新しい問題をもたらした。すなわち、滞在するために彼らのために十分な部屋を見つけることそして彼らの仕事を提供することである。古い修道院には放棄されていたすべての部屋が再びまるまる使われた。しかし召命の数は、雑誌の発行数やミリティアの会員--今や10万人を越えた--と同様に、なお増加した。

それゆえ次に聖マキシミリアノが夢見ていたもう一つの冒険が始まった。それは彼の大きな愛のすべての夢の中でも最も美しい夢であった。それは完全な都市、「汚れなき聖母の都」の創設であった。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


16カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:35:28
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)


39、都市の場所

聖マキシミリアノは直ちにこのマリアの本拠地を始めるために適当な場所を探し始めた。彼はそれがワルシャワからそう遠くないところであることを望んだ。このことは彼の出版物の輸送や郵送を容易にするであろうから。

彼は探しに出かけた。そしてテレシン(Teresin)に広大な区画の土地を見つけた。それはドゥルッキ-ルベッキ(Drucki-Lubecki)王子の地所だった。マキシミリアノは王子と会う手はずを決め、そして彼がその土地に彼の印刷工場と汚れなき聖母の修道士-騎士のための住居を建てることができるかどうかを尋ねた。王子はその修道士に好印象を持った。そして彼が要求したすべてのことを、一つの条件の下で、すなわち、マキシミリアノが彼に彼、王子の両親のために年に2回のミサを永久的に捧げてくれることを保証するという条件の下に、喜んで許した。

マキシミリアノは彼の上長たちからミサのための取り決めを得ることを約束した。その間に、大いに喜んで彼はテレシンへ行った。そして他の何よりも先に汚れなきおとめの美しい像を建てた。なぜなら、彼がその場所を所有するようになったのは聖母の利益に奉仕するためだったからである。

http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe08.htm


17カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:36:24
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

40、礼拝堂が最初に来る

修道士たちの最初のグループがマキシミリアノと一緒に新しい場所に到着した。そして彼らはショベル、つるはし、その他の道具で、土地を開墾するために働いた。これは1927年8月の終りのことであった。マキシミリアノは彼らと一緒だった。彼らの仕事は速いペースで進んだ。彼らは一軒の農家の床にわらのベッドを作って眠った。そしてわずかしか食べなかった。

最初に建てるべき建造物は木造の礼拝堂であった。マキシミリアノはそこでミサを捧げ、神の栄光に仕えるため、そして汚れなきおとめを通じての霊魂たちの救いのために奉仕する場所を聖別した。

礼拝堂のバラックの周りに、印刷工場の異なった部門のための建物と同様に、修道士たちのための建物が建設された。

11月21日、[エルサレム]神殿への聖母の奉献の祝日に、聖マキシミリアノと共に働いていたグロドゥノのすべての修道士たちは新しい土地に旅行し、テレシンの最初の二つのバラックへと移った。テレシンはそのときから「汚れなき聖母の都市」(ポーランド語で「ニエポカラノフ」)と呼ばれた。

汚れなきおとめの美しい像はそこを訪れる人は誰でも皆歓迎するためにこの独自の都市の入り口にそびえていた。マキシミリアノはお互いにマリアの名前によって挨拶する習慣を紹介した。数年前、一つの全-マリア修道会の彼の夢-プロジェクトについて他の修道士に話したとき、彼はこう言った。「何という美しい共同体だ。それはそこで『マリア』がいたるところで聴かれる共同体である。『マリア』が挨拶であり、『マリア』が挨拶への応答である。彼女はマドンナ・ハウスの女性の主人であり、保護者である。」

http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe09.htm


18カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:37:04
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

41、英雄的な生活

フランシスコ会士である聖マキシミリアノはアッシジの熾天使的聖人を真に模倣したいと思った。最初の出発点からマキシミリアノは彼自身のためにそして彼の修道士たちのために聖フランシスコへの忠誠、最初のフランシスコ会の共同体に入るに値する宗教生活、英雄主義の点にまで従った会則や会憲の完全な遵守を望んだ。彼は限りない寛大さを支持した。彼は、その中で人々がその全生活を犠牲において捧げ、あらゆるテストをパスする一つの基礎以外の何物の上にもそのように大きな仕事を建てることはできなかったであろう。グロドゥノを去る前に、彼は修道士たちに言った。「新しい修道院においてはわれわれの犠牲は完全でなければならない。宗教生活はそこでは最も完全な遵守において栄えなければならない。会則と会憲は力強く遵守されなければならない。なぜなら、ニエポカラノフはすべての人々にとって宗教生活の模範でなければならないからだ。」

汚れなき聖母の都市の顕著に熱心な使徒的活動を養い、支えたのは英雄的に生きられた宗教生活であった。

よく剃髪された頭、サンダルとあて布をされた僧服の修道士たち、彼らは日の出数時間前に、そしてその後の夜までの合間に祈りに集まり、完全な沈黙のうちに熱心な仕事の数時間を過ごし、冷たい気候と飲食および休息における簡素に不満を漏らさずに耐える、--これらの人々は、彼らの日々の自己犠牲によって汚れなきおとめの愛に対して霊魂たちを勝ち得る値段を支払っていたのだ。

マキシミリアノの書き物からの一つの啓発的な節は次のように述べている:「ニエポカラノフ共同体の成員は慰めあるいは楽しみを求めない厳密に必要な物に彼の個人的要求を限定する。このようにして、彼は、慰めと楽しみを放棄することによってそれのために支払うとき、汚れなき聖母の騎士のますます多くの部数を印刷し、それをより広範に読まれるようにすることを可能にするのである。」

聖マキシミリアノはこのような精神の持ち主である修道士だけを望んでいた。それゆえに、ニエポカラノフへ行くためにグロドゥノを去る直前に、彼ははっきりと彼らにこう告げた。「自分はそこへ行く強さを持たない、あるいはそこへ行く意志を持たないと感じる者は誰でも誠実にそして率直にそう言って貰いたい。」

http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe09.htm


19カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:37:41
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

42、フランシスコ会の貧しさ

汚れなき聖母の都市は二つの事柄の上に建てられた--貧しさと汚れなきおとめ--聖マキシミリアノはそう宣言した。

われわれは聖コルベの貧困の愛をどのように記述するかを知らない。それは彼の熾天使的父祖聖フランシスコに相応しい愛であった。聖マキシミリアノの貧困に関するページは初期フランシスコ主義の諸著作の一つの概説としてりっぱに役立ち得るであろう。そして汚れなき聖母の都市の貧困の模範はわれわれを最初のフランシスコ会共同体の貧困の模範へと連れ戻す。

小さなことにおいてと同様に大きなことにおいても、聖マキシミリアノは彼自身常に、心と身体においてこの世のすべての所有物から距離を置いた、何物をも所有することを欲しない貧しい人のように生きるために厳密に必要であるものに満足して、その結果完全に神の所有物となり、所有物として汚れなきおとめに無条件に委ねたアッシジのポヴェレッロ[小さな貧しき人]の忠実な追随者であることを証明した。

コルベは汚れなき聖母の都市のために、ポーランドにおいても、あるいは日本においても、どんな土地の所有権も望んだことはなかった。彼は言った。「なぜ所有権を持つのか?使用で十分だ。聖フランシスコのようでありなさい。何も所有するな。われわれは所有者がわれわれの滞在に同意する限りその場所にとどまろう。彼がわれわれにもはやとどまることはできないと告げるとき、われわれは別のところへ行くであろう。」

一人の同僚の修道士、アッシジのドミニック・ステラ(Dominic Stella)神父は聖コルベの上述の言葉について次のコメントをした。「これは彼の明確な考えと堅固な説得を伝えた。マキシミリアノの精神において最も重要なものが熾天使的父祖の精神と完全に一致した貧困の純粋な理想であるということは明らかなことであった。」

同様にまた、彼がインドにいたとき、エルナクラム(Ernaculam)の司教は彼にいくらかの土地、一軒の家、そして一つの礼拝堂を与えたかった。しかし聖マキシミリアノは「ただ用益権だけ」--すなわち、財産の使用とその産物への権利--を受け入れようとした。「なぜなら、私たちは所有権を欲しないからです」と彼は説明した。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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20 異端情報 (Res:2)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 20
1カトリックの名無しさん :2014/08/30(土) 05:10:10
異端について、整理する為のスレッドです。

4カトリックの名無しさん :2014/10/05(日) 13:22:26
日本で活躍する韓国系キリスト教会

統一教会:霊感商法、合同結婚式で有名。合同結婚式では日本女性と
     韓国男性の結婚を積極的に推進する。合同結婚式で韓国
     に渡った日本女性のうち約六千人が音信不通であるとして
     日本弁護士会が人権救済を申し立てする。

摂理:セックス教団として有名。韓国人教祖である鄭は日本人女子大生
   約百名を強姦したとして国際手配中。中国に潜伏中も日本から
   女子大生信者を呼び寄せ、和服を着せて接待させていた。中国の
   警察に捕まった模様。

聖神中央協会:韓国人教祖である金保は日本人女子小学生十数人を強姦
       した容疑で逮捕された。金保は聖神中央教会を設立する
       以前にも日本で牧師をしており、そのときも信者の女性
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


5カトリックの名無しさん :2014/10/06(月) 15:45:33
セックス教はうらやましいよね


6カトリックの名無しさん :2014/10/19(日) 10:44:39
http://okwave.jp/qa/q4570843.html


9カトリックの名無しさん :2014/10/25(土) 11:05:16
【カトリック・カルト情報】マリア・ディバイン・マーシーと呼ばれる幻視者に対するダブリン大司教区の声明です。イグナチオ教会内でもこの自称幻視者のメッセージを配布している者達がいますので、カトリック信者の皆様は、関わらないようにご注意下さい。http://mariadivinemercytrueorfalse.blogspot.jp/2014/04/maria-divine-mercy-officially-condemned.html


10カトリックの名無しさん :2014/10/25(土) 11:05:53
マリア・ディバイン・マーシーに対する公式声明ーダブリン大司教区
「マリア・ディバイン・マーシー」と自称する、ダブリン大司教区内にいると思しき女性が受け取る幻視とメッセージの真正性について、当大司教区に調査の要請が来ていた。ダーマッド・マーティン大司教は、これらのメッセージ、及びいわゆる幻視は、教会の認可を得ておらず、そのテキストの多くはカトリックの教理と相反するということを声明したい。これらのメッセージが、カトリック教会内で広められたり、使われたりしてはいけない。

Source: http://www.dublindiocese.ie/・・・/statement-maria-divine-mercy


11カトリックの名無しさん :2014/12/03(水) 12:38:07
日本カトリック正義と平和協議会
サヨク活動に信徒を誘います
http://www.jccjp.org/jccjp/home.html


12カトリックの名無しさん :2016/01/17(日) 12:31:21
http://mbspro7.uic.to/user/fryr.html

大川従道の教会、大和カルバリーチャペルは新興宗教
ネット礼拝の雰囲気にだまされてはいけません
要注意の教会です


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