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カトリック掲示板

カトリック系の話題について扱う掲示板です。違法なこと、公序良俗に反すること、異端や社会悪に誘うこと以外でしたら、なんでもご自由にご発言下さい。

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1 : ★聖体奉仕会5〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★(77) / 2 : ★★           Talitha kum          ★(1) / 3 : ★★       ταλιθὰ κούμι        ★(1) / 4 : ★★           Talitha kumi          ★(1)(1) / 5 : ★            Talitha cumi            ★(1) / 6 : ★プロテスタントサイト★(1) / 7 : ★★★        Domine, quo vadis?         ★★(1) / 8 : ★★★        Memento mori Carpe Diem        ★(1) / 9 : ★★       Memento mori Carpe Diem          ★(1) / 10 : ★        Memento mori Carpe Diem        ★(1) / 11 : 第二バチカン公会議(11) / 12 : 沈黙(13) / 13 : ルルド(17) / 14 : 聖テレジア(23) / 15 : コルベ神父様(21) / 16 : 秋田の聖母(3) / 17 : ファティマの聖母(9) / 18 : メモ帳スレッド(正)(164) / 19 : 仏教住職がカトリックに改宗(8) / 20 : ★聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜★(310)
21 : ★聖ピオ神父最も力強い癒しの祈り★(22) / 22 : 聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト(27) / 23 : ★基督教カトリックの終末預言と日月神示から読み解く未来予想図★(8) / 24 : ★基督教カトリック聖人の生涯から読み解く未来レスリスト★(24) / 25 : ★★★       Domine, quo vadis?       ★(1) / 26 : ★★       Domine, quo vadis?       ★(1) / 27 : ★       Domine, quo vadis?       ★(1) / 28 :         Domine, quo vadis?(1) / 29 : (参考)日月神示スレッド(19) / 30 : 聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト(2) / 31 : 聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜レスリスト(1) / 32 : 聖体奉仕会4〜秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡〜(1) / 33 : 教会内の事件(143) / 34 : ★キリスト教カトリックの終末預言と日月神示から読み解く未来予想図(1) / 35 : キリスト教カトリックの終末預言と日月神示から読み解く未来予想図(2) / 36 : ★キリスト教カトリックの終末預言と日月神示から読み解く未来★(13) / 37 : ★キリスト教カトリックの終末預言と日月神示から読み解く未来(正)★(4) / 38 : ★キリスト教カトリックの終末預言と日月神示から読み解く未来(2)★(1) / 39 : メモ帳スレッド(130) / 40 : ファティマの聖母(170) / 41 : 秋田の聖母(163) / 42 : 宗教犯罪(37) / 43 : 聖イエス会はカルト的教会なの?(1) / 44 : 反日と戦う保守愛国サイトを応援する(1) / 45 : 牧師から受けたパワハラ(25) / 46 : 英単語(2) / 47 : 地獄(9) / 48 : 医療系記事(3) / 49 : 医療ミス(2) / 50 : 変わった風説(2) / 51 : ボネ神父(4) / 52 : 聖人伝 10月(4) / 53 : カトリックなこと(4) / 54 : 聖人伝 5月(20) / 55 : 異端情報(12) / 56 : プロテスタント(38) / 57 : 教会史(7) / 58 : 聖人伝(1) / 59 : 聖人伝 8月(4) / 60 : 日本キリシタン史(3)  (全部で99のスレッドがあります)

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1 ★聖体奉仕会5~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~★ (Res:77)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 1
1カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 08:41:10
秋田県秋田市添川湯沢台の聖体奉仕会、秋田の聖母マリアについてお話しましょう。
秋田の聖母マリアのメッセージとは、101回の涙の意味、共にお話しましょう。

●秋田の聖母マリア
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

★☆★秋田の聖母マリアさまのご出現と涙の奇跡から読み解く未来(増補版)★☆★
   (5ch心と宗教板「 ローマカトリック教会」スレッド内)
    →https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/885-891

★基督教カトリックの終末預言と日月神示から読み解く未来予想図★
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12469/1659755698/

★聖体奉仕会4~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~シスター笹川の受けたメッセージ
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/

>>2 >>1-11へつづく

71カトリックの名無しさん :2025/06/23(月) 13:39:45
>>49 >>70よりつづく
●本田哲郎
 ......。

〇五木寛之
 親鸞の「悪人正機」という思想に出会って、目が開かれたように感動して、
 親鸞のファンになったというより、むしろ親鸞の言う「地獄は一定すみかぞかし」、
 つまり自分はもう地獄行きに決まっている。
 そううまい話なんかないという、そういう感覚がずっとあります。

●本田哲郎
 ......。

〇五木寛之
 「歎異抄」で親鸞の言っていることは、要するに、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


72カトリックの名無しさん :2025/06/23(月) 13:40:28
>>49 >>71よりつづく
●本田哲郎
 ええ。

〇五木寛之
 そう思うと、いわゆる善人とは、
 自分が悪人だという意識などない人のことを言うのでしょうね。きっと。

●本田哲郎
 うん、うん、うん。

〇五木寛之
 自分は立派に生きていて、世間に対して何ら恥ずるところがなく、
 胸を張って、誰からも後ろ指を差されず生きていると思いこんでいる人のことを、
 「善人」というのかもしれません。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


73カトリックの名無しさん :2025/06/23(月) 13:41:06
>>49 >>72よりつづく
 家も接収されて追い出され、ありとあらゆるものが取り上げられたのですが、
 そんなことぐらいでは済まない。
 「女、出せ」と来るわけですよ。そうすると、倉庫にいる人たちは、
 女性は隠しているのだけど、どうしても誰かをソ連軍に出さなきゃいけない、
 ということになってくる。
 誰を出すのかということを話し合います。
 若い娘さんはダメだし、こっちの人は子供がいるし......。

 結局、水商売をやっていたような人のほうへ、みんなが、
 日本人会の世話人などが無言の圧力をかける。
 するとそういう人は、あきらめるんです。「私が行きます」と。

●本田哲郎
 ......(深いため息)。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


74カトリックの名無しさん :2025/06/23(月) 13:41:58
>>49 >>73よりつづく
●本田哲郎
 ああ......。

〇五木寛之
 これも前に書きましたが、亡くなった野坂昭如さんが選挙に出たとき、
 応援演説に行ったことがあるんです。
 彼が「二度と飢えた子供の顔は見たくない。戦争に反対だ」というのを
 選挙のスローガンにしていた。
 僕は応援演説に行って、彼(野坂)はこんなこと言っているけど、
 僕は全然、反対だと。僕は二度と飢えた親の顔を見たくないと言った。

●本田哲郎
 うーん。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


75カトリックの名無しさん :2025/06/23(月) 13:42:34
>>49 >>74よりつづく
〇五木寛之
 だから、二度と飢えた子供の顔じゃなくて大人の顔を見たくない。
 二度と飢えた子供なんて甘っちょろいこと言うよ、と思ったんですけどね。

 そんな中で、自分を守るということより、
 僕の場合には母親が終戦直後に亡くなっていましたから、
 弟と赤ん坊の妹は、長男である僕の責任だ。
 自分だけならともかく、その二人を守らなきゃいけないでしょう。
 そのためには、ほんとうにもう、人を殺してでも生きていかなきゃいけない。
 それはもう悪人とか善人とか......善と悪との区別って相対的なものなのです。

●本田哲郎
 そうですね。そういうことなのですね。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


76カトリックの名無しさん :2025/06/23(月) 13:43:12
>>49 >>75よりつづく
 このように、敗戦と引き揚げという混乱の中で、
 人を押し退けてでも前に出るようなエゴの強い人間が
 生き残ってきたという思いがあるものですから。
 自分の中にその後ろめたさがある。

 「悪人」とはこういう人じゃないかというのは、全然関係ないですよ。
 とにかく、こういう人間が生き延びてきたという。
 我欲が強く、人を押し退けてでも前に出るような人間が生きて帰ってきた。
 「善き者は逝く」(善人は早く亡くなる)ということばが、
 僕はすごく心に沁みるのです。

●本田哲郎
 あぁ......。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


77カトリックの名無しさん :2025/06/23(月) 13:43:58
>>49 >>69-77よりつづく
 そういう気持ちがあるものですから、
 こんなふうにして生きていていいのかな、
 という後ろめたさがずーっとあり続けたのですが、
 後に親鸞の考え方とかそのことばを聞いて、
 いや、自分も生きていていいんだという、
 それこそ赦されたという感じがしたのです。

●本田哲郎
 そういうことですね。

〇五木寛之
 親鸞のことばのなかに、
 「ひとりいて喜んでいるときはふたりいて喜んでいると思え、
 ふたりいて喜んでいるときは三人いて喜んでいると思え。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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2 ★★           Talitha kum          ★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 2
1カトリックの名無しさん :2024/07/15(月) 13:34:33
ταλιθὰ κούμι טְלִיחָא קוּמִי

★What is the meaning of talitha cumi?
 https://www.gotquestions.org/talitha-cumi.html

★Why Does Jesus Say "Talitha Koum" in the Bible?
 https://www.christianity.com/wiki/bible/why-does-jesus-say-talitha-koum-in-the-bible.html

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3 ★★       ταλιθὰ κούμι        ★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 3
1カトリックの名無しさん :2024/07/15(月) 13:20:37

★Why Does Jesus Say "Talitha Koum" in the Bible?
 https://www.christianity.com/wiki/bible/why-does-jesus-say-talitha-koum-in-the-bible.html

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4 ★★           Talitha kumi          ★(1) (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 4
1カトリックの名無しさん :2024/07/15(月) 13:10:58

★Why Does Jesus Say "Talitha Koum" in the Bible?
 https://www.christianity.com/wiki/bible/why-does-jesus-say-talitha-koum-in-the-bible.html

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5 ★            Talitha cumi            ★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 5
1カトリックの名無しさん :2024/07/15(月) 12:54:13

★What is the meaning of talitha cumi?
 https://www.gotquestions.org/talitha-cumi.html

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6 ★プロテスタントサイト★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 6
1カトリックの名無しさん :2024/06/19(水) 09:44:14

★神のホームページ・・・論文集・リバイバル情報・預言と奇跡・科学から信仰へ、終末論、他
 A Homepage of God
 http://yohane.natsu.gs/
       ↓
 ●十字架信仰の力 2024年巻頭言(更新24年1月2日)(追加24年3月15日)
  http://yohane.natsu.gs/0000jyuujika2024.htm
 ●聖書関連のDNAまとめ 2015年4月30日
  http://yohane.natsu.gs/00%200%200%20dna1.htm

★子羊通信 悪徳取税人=ザアカイの終末レポート~新天新地=聖なる都、新しいエルサレムをめざして
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12469/1409344416/1-3より
       ↓
 http://zaakai.cocolog-nifty.com/blog/

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7 ★★★        Domine, quo vadis?         ★★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 7
1カトリックの名無しさん :2024/06/16(日) 09:34:57

《Chiesa del Domine Quo Vadis》
 イタリアの首都ローマ南東部、アッピア街道近くにある教会。
 紀元1世紀、ローマ皇帝ネロの治世下、キリスト教徒に対する迫害から使徒ペテロが逃げた時に、
 イエス=キリストに出会ったとされる場所に建つ。
 ペテロはイエスに「主よ、どこに行かれるのですか」(ラテン語 Domine, quo vadis?)と尋ね、
 イエスは「再び十字架に掛けられにローマに行く」と答え、
 ペテロは逃げたことを恥じて町に戻り殉教した、という伝承が残っている。
 「キリストの足跡」とよばれる聖遺物の複製がある。
 正式名称はサンタマリアインパルミス教会。

★【教会No.1】イエス・キリストの足跡が残る教会 ドミネ・クオ・ヴァディス教会
 https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/2136517/

★ドミネ・クォ・ヴァディス教会
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E6%95%99%E4%BC%9A

★クォ・ヴァディス 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9

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8 ★★★        Memento mori Carpe Diem        ★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 8
1カトリックの名無しさん :2024/06/16(日) 09:27:40

★良き死の準備 カトリック都筑教会
 2023年3月25日 週報「今週の糧」
 ttps://catholic-tsuzuki.church/2023/03/4102/

★「カルペ・ディエム(今日を生きよ)」あなたを生かす聖書の言葉
 2018年11月4日 主日礼拝説教 京都大宮教会
 ttps://www.eonet.ne.jp/~kyotoomiya-ch/message/omiya_m_181104.html

★「信仰をもって召された人々と共に」
  これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。
  まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、
  そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 
  (ヘブライ人への手紙11章13節)
  ttp://www.t3.rim.or.jp/~kyamada1/shoten5.html

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9 ★★       Memento mori Carpe Diem          ★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 9
1カトリックの名無しさん :2024/06/16(日) 09:12:40

★良き死の準備 カトリック都筑教会
 2023年3月25日 週報「今週の糧」
 ttps://catholic-tsuzuki.church/2023/03/4102/

★「カルペ・ディエム(今日を生きよ)」あなたを生かす聖書の言葉
 2018年11月4日 主日礼拝説教 京都大宮教会
 ttps://www.eonet.ne.jp/~kyotoomiya-ch/message/omiya_m_181104.html

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10 ★        Memento mori Carpe Diem        ★ (Res:1)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 10
1カトリックの名無しさん :2024/06/16(日) 08:22:28

★良き死の準備 カトリック都筑教会
 2023年3月25日 週報「今週の糧」
 ttps://catholic-tsuzuki.church/2023/03/4102/

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11 第二バチカン公会議 (Res:11)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 11
1カトリックの名無しさん :2014/10/28(火) 04:33:30
第二バチカン公会議

5カトリックの名無しさん :2014/10/28(火) 04:37:17
第二バチカン公会議

 このような全体的な状況とこの幻想の中で、第二バチカン公会議が生まれたのです。私はこの公会議を、もし全教会史最大のものでなかったとしても、今世紀最大の憂慮すべきものと表現したいと思っています。そしてそのまず最初から公会議は確実に3つの巨大な罪を犯しました。

 第一の罪は、この公会議がカトリックのいかなる真理をも本当に定義づけず、同時に真理に対立している誤謬を排斥しなかったことです。

 この公会議の第二の罪は、公会議があいまいな観念、あいまいでどうにも取れる声明・命題を採用したことです。そのため命題のいくつかは絶対的にそれぞれ矛盾しあっています。後でその例をいくつか出します。

 公会議の第三の大罪は、それが異端に非常に近いいくつかの教義を確立したことです。

 では、今からこの公会議の5つの公文書を取り、私が今しました弾劾が本当であることが、実に公文書自体の内において明らかにしてみたいと思います。

私たちはですから、

エキュメニズムに関する教令(Unitatis Redintegratio)
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


6カトリックの名無しさん :2014/10/28(火) 04:39:29
1− エキュメニズムに関する教令(Unitatis Redintegratio)

 ではまず、エキュメニズムに関する教令(Unitatis Redintegratio)に目を通しましょう。カトリック信者にとって、天主とイエズス・キリストとカトリック教会との間には分かち難く結ばれた一致があることは明らかです。実に、天主御父が御子を送り、御子は贖いのみ業のために人性を取り、この人となった天主御子が目に見える教会を創立し、自らはその教会の頭であられるのです。主は一つの教会を創造するのですが、我らの主は絶対で唯一であるため、我らの主は本当に天主、唯一の真の天主であるため、教会もやはりただひとつしかないのです。そしてこの教会の創立者かつ師である我らの主が絶対で唯一であるように、教会も絶対で唯一なのです。聖パウロはエフェゾ人への手紙の中でこう言っています。「主は一つ、信仰は一つ、洗礼は一つ、神は一つで、すべてのものの父であり」(4:5)と。

 この教会は諸国の中の印なのです。教会は生ける天主の神殿なのであり、屠られた小羊の花嫁なのです。教会は天から地上に立ち降りた新しいエルサレムなのです。教会は本当にエンマヌエル、すなわち、天主我らとともにまします、なのです。そうです、人間性の中に天主の性がましますのです。教会は全く我らの主の神秘体、それゆえにこそ、教会は天主により立てられたもの、我らの主が天主であられ、主の言われることなさることすべてが天主のみ業であり、主の創立なさったものはすべて天主が創立なさったものなのです。

 したがって、教会はその生命、その生活において、その教えにおいて、その礼拝、その統治において、天主によって助けられているのです。ですから教会は、より良い社会世界を築くため、この世における進歩のため、より良い文化等などのためといえど、他宗教と身を交える使命をもらったことはありませんでした。教会の使命は主が昇天される直前に言われた言葉に表されています。「行け、諸国の民に教え、聖父と聖子と聖霊の名によって洗礼を授け、わたしが命じたことをすべて守るように教えよ。」(マテオ28:19、20)また、「あなたたちは全世界に行ってすべての人々に福音をのべ伝えよ。信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は滅ぼされる。(マルコ16:15、16)

 ところが、エキュメニズムに関する教令(Unitatis Redintegratio)は、わたしたちに教会に対する全く別の理解をさせてしまっています。この教令は教会の使命とその他の宗教との関係について全く別の見解を示しています。まず、この教令は「それぞれの教会」について語っているのですが、実はその表現自体が大変異端に近いのです。

 もちろん公会議以前にでさえ既に、それぞれの教会、という概念は存在していました。それぞれの教会、と言ったときに何を意味していたかというと、司教様とその聖職者の回りの地方のそれぞれの教会、と言うことを意味していたに過ぎないのです。例えば、パリの教会、ウェストミンスターの教会、ケルンの教会、ローマの教会、東京の教会等など、信者たちに取り囲まれた司教とその聖職者の事だったのです。しかし、カトリック教会以外の諸団体に「それぞれの教会」と複数形で使い、適応したことは一度もありませんでした。


7カトリックの名無しさん :2014/10/28(火) 04:40:19
教会の外に救いなし

 他の宗教にしたがっている人でもある条件の下で救われ得る、ということは明らかなことです。どの条件の下かと言えば、彼らが打ち勝ちがたい誤謬のうちにいる場合です。もし彼らは自分の最善を尽くそうと努力しているなら天主様は助力の聖寵をお与えになるでしょう。もし彼らがこれらの聖寵に忠実でこれらの聖寵と共に働くなら、天主様は彼らに成聖の聖寵をついにはお与えになり、かくして彼らが救われるかも知れません。しかし彼らが救われるとしたら、それは常に個人としてです。たとえ彼らが他の諸宗教の中で救われるとしても、彼らは決して他の諸宗教によって救われるのではないのです。

 誤謬が真理の王国へと我々を導いてくれるのは不可能なのです。天主がこの地上に降臨され、托身され、我々のうちに現れ、一つの教会を創立し、それによって自分自身を継続させ、自分の身代わりである教会を立て田野です。これが彼の教会、彼の花嫁なのです。これらすべてをした天主が、自分の創立したのではない偽りの宗教によって誰かが救われ得るようにした、と言うのは不可能なことです。なぜなら主は自分のことについてこう言われたからです。「わたしは道であり、真理であり、生命である。わたしを戸をらずに誰も父のもとには、行くことができない。」これはご自分の教会についても当てはめることができます。

 これらの偽りの宗教は天主によって創立されたのではなく、むしろ人間によって、そして非常にしばしば悪魔によって息吹を受けたものです。そうですからもしも万一、誰かがほかの宗教の一員としてあるいはほかの宗教に属していながらも救われ得るとしたら、この人は常に必ずカトリック教会によって、我らの主の十字架によって、主の犠牲とその祈りによって、救われるのです。ですからこの人はほかの宗教によって救われるのではなく、ほかの宗教にもかかわらず救われるのです。

 ですから、「キリストの霊(すなわち聖霊のこと)はこれらの教会と教団を『救いの手段として』使う」ということはほとんど異端的なのです。そして私はこの一文は公会議の文書の中で最悪のものの一つだと思っています。これは今日までの教会の教えに全く反しているからです。これは以前に教えられてきたこと、聖書の語ること、教会教父の教え、神学者や以前の公会議、以前の教皇たちがいつも言ってきたことに絶対的に反しているのです。完全に反対なのです。


8カトリックの名無しさん :2014/10/28(火) 04:42:20
宗教統一の集い

 一度、これらの宗教も何らかの意味がある、救いにとって重要な役割をもつと言うことが確立されると、後はカトリック信者もこれらの他の宗教と共に働くように、彼らとともに協力し、できれば彼らとともに祈るようにと招かれるわけです。これについては公会議が正確に述べています。

   「またそれら教団は…なお許された範囲内で、心を一つにして祈るために集まる。」(4)

 そしてその少し先にはこう言います。

   「ある特別な状況、たとえば「教会一致のために」公の行われる祈りや諸教会合同の会議において、カトリック信者が別れた兄弟とともに祈ることは、許されるばかりでなく、むしろ望ましいことである。このような共同の祈りは、確かに一致の恵みを求めるための効果的な手段であり、カトリック信者と別れた兄弟とを今でも結び合わせているきずなを正しく表現するものである。「私の名によって2・3人が集まっているところに、わたしもいる」(マタイ18・20)。(8)

 これらの祈りについて私たちは何というべきでしょうか。第一に、他の宗教の信者の個人の祈りは、その人たちの内的な心のもちかた次第で、天主様にとって嘉(よみ)されうるものになりうる、と言っておかなければなりません。しかし他の宗教の祈りは、他の宗教として、天主様に決して嘉されることがありえないのです。なぜなら唯一の天と地の仲介者がおられるからです。実に我らの主は“semper vivens ad interpellandum pro nobis”:主イエズス・キリストは常に生きご自分の教会のためその選ばれたもののためにとりなしておられる、と聖パウロは言っています。(ヘブライ7:25)

 ですから他の宗教の祈りは、他の宗教として、実りのないものなのです。他の宗教の祈りは効果がなく、したがって信者がこのような別の宗教の共同の祈りの集会に参加するのは有害なのです。なぜ有害かというと、この祈りは無駄でかつ多くの混乱をもたらすからです。実際にこのことを続けて行くことによって数知れない弊害が出てくるでしょう。そしてそのことは結局すべての宗教を同じレベルにおくことになるのです。

 今日ではカトリックがプロテスタントの会食に参加しプロテスタントがカトリックの御聖体拝領を受けにくると言うのはよく見かけることになってしまいました。諸宗教の集いでカトリックの司祭がパンに対して聖変化の言葉を唱え、プロテスタントの牧師がワインに対して変化の言葉を唱えるというのをよく耳にします。このようなことが今行われるようになってしまったとしたら、その責任は公会議のこれらの文章にあります。


9カトリックの名無しさん :2014/11/12(水) 11:00:20
>はい、カトリック信者なら教会の教えに従うべきだと思います。違いますか?

教会の教えに従っていますよ。
今のカトリック教会も、信者に宣教をしなさい、と呼びかけています。
だから、俺は宣教をしただけです。信者が教会の教えに従うと、いけないのでしょうかね。

『第二バチカン公会議公文書全集』、pp.221-222

教会の使命は、キリストに対する信仰とキリストの恵みによって得られる人々の救いを目指すものである。したがって、教会とその全構成員の使徒職は、まず言葉と行いとを以ってキリストの福音を世に告げ、キリストの恩恵を与えることにある。〜信徒も「真理の協力者となるために」(3ヨハネ8)重大な役割を果たすべきである。特にこの点で信徒の使徒職と司牧の役職とが助け合わねばならない。

信徒には福音の宣教と聖化の使徒職を行う機会が無数にある。〜真の信徒は、言葉を以ってキリストを告げ知らせる機会を捜し求めるものである。それは、あるいは信じない者を信仰へ導き、あるいは信徒を教え固めていっそう熱心な信仰へと駆り立てるもので、「キリストの愛が我々に強く迫っている」(2コリント5・14)。全信徒の心に「もしも私が福音を宣べ伝えないなら、それは私にとって災いなことだ」(1コリント9・16)という使徒パウロの言葉が、響かねばならない。

現代は、種々の新しい問題が起こり、また大きな誤りが広まって、宗教、道徳は勿論、人間社会を根底から覆そうとしている。


10カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 11:22:12


★第二バチカン公会議 →>>1-10


11カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 14:07:00
>>1-10よりつづく
宗教法人 カトリック善き牧者の会 心のともしびホームページより

★第二バチカン公会議公文書-1 第一章:使徒職への信徒の召し出し
 https://tomoshibi.or.jp/christian_history/2022/09/04.html
★第二バチカン公会議公文書-2 第二章:その到達すべき諸目的
 https://tomoshibi.or.jp/christian_history/2022/10/02.html  
★第二バチカン公会議公文書-3 第三章:使徒職の種々の分野について
 https://tomoshibi.or.jp/christian_history/2022/11/06.html
★第二バチカン公会議公文書-4 第四章:使徒職のさまざまなあり方について (使徒職の種々の方法)
 https://tomoshibi.or.jp/christian_history/2022/11/20.html
★第二バチカン公会議公文書-5 第五章:守るべき秩序について
 https://tomoshibi.or.jp/christian_history/2022/12/04.html
★第二バチカン公会議公文書-6 第六章:使徒職への養成について
 https://tomoshibi.or.jp/christian_history/2022/12/18.html
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


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12 沈黙 (Res:13)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 12
1カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:38:23
沈黙について

7カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:42:43
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆2-5、キリスト者の信条 - 踏絵 (デルコル神父)

 私は、遠藤周作氏があのような記事を書いたのは、残念なことだと思う。しかし、それにもまして残念でならないのは、その記事が、カトリック新聞にでたことである。しかもそれは、著名なある聖職者の提供である。

 一般読者は、これをよんで、どんな印象をうけるだろうか?”やっぱり、教会がこれまで、きびしく教えていたことは古かった。現代の要求に合わせるためには、キリストの教えさえ「進歩させる」必要があるなあ”と考えただろうか?

 それは、遠藤周作氏の小説「沈黙」がはじめて出版されたおり、カトリック新聞の読者の「声」の欄にのった記事をみてもよくわかることである。

 私は、カトリック新聞の編集部にも、これを提供した聖職者にも、この点について賛成できない。そこで、ここに、聖パウロのことばをくりかえしたいと思う。あの記事にでた考えかたは、
「福音というべきものではない。ただ、ある人々が、あなたたちをまどわして、キリストの福音を変えようとしている。しかし、私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちが、あなたたちに伝えたのとはちがう福音をつげるものには、のろいあれ。私は、まえにいったことを、いまくりかえす。あなたたちが受けたのとはちがう福音をつげるものには、のろいあれ。

 私はいま、人の賛成を求めようとするのか。あるいは、それとも、神のみ旨を求めようとするのか。あるいは、人にとりいろうとつとめているのか。私が、いまも人にとりいろうとしているのなら、私は、キリストのどれいではない」(ガラツィア1・7-10)。


8カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:43:45
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆3、弱い人々のために (バルバロ神父)

「正義のためにしいたげられた人は幸せ」

 先日、カトリック新聞にのった遠藤周作氏の一文に関して、デルコル神父の抗議的な反論が本号にのるが、私もそれについて一言書き加えたい。

 最近二、三ケ月の間に、カトリック雑誌あるいはカトリック新聞と称する紙面に、カトリック作家と称する人々の記事がのり、それに対して「カトリック生活」は今度で二度目の抗議をしてきている。それを私が喜んでしていると思われたら心外である。

 われわれは、「カトリック生活」だけが、カトリックの信仰の純正を守っているというつもりもないし、また、風車に向かったドン・キホーテの役も、われわれとしてはやりたくない。

 むしろ信仰の遺産を託され、キリストの民を牧する責任をもつ上にたつ人々が、われわれのこの小さい雑誌より先に、明確な方針をたてて声をきかせてくれてよいのではないか。そういう記事によって、迷わされ、苦しんでいる信者は数多いのである。私だけでなく、皆そのことをききもし、知りもしているだろう。

 われわれがうけた信仰は、キリストの苦しみの中でまかれ、幾多の殉教者の血で証明され、無数の宣教師の労苦のうちにやしなわれてきた。こうして、多くの信者の中で実を結ぶべき貴重なものであるから、いずれにしろこの問題に軽卒な態度でのぞむことは許されないのである。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


9カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:44:23
 キリストの目で眺めるとなると、もう人間的なものではなくて、この世をさかさまに眺めるとでも言えるであろう。たとえばキリストは、「心の貧しい人は幸せ」「泣く人は幸せ」「正義のためにしいたげられる人は幸せ」と言ったが、これは人間の口から出るせりふではない。

 人間の頭で考えれば遠藤氏にとっても、私にとっても、ふみ絵をふめと強制された昔のあわれな人々は、決して「幸せな人々」ではなかった。かれらは、すべての自由をうばわれ、さらに、今、このふみ絵によって生命さえも断崖に立たされていたのである。イエズスが、「正義のためにしいたげられる人は幸せ」という自分の信念をすてて、ただこの弱いあわれな人々の今のしあわせだけを考えたならば遠藤氏のいうようなことになっただろう。

「私はお前たちが、弱くて、あわれな人々だと知っている。私は、そういうお前たちを救いに来たのだから、この際私を裏切ってもよい。すててもよい、私に対しての愛、誠実をも忘れてよい。お前たちの大切な命を救うがよい。幕府の役人にお前たちは責められているが、それに対してはずるがしこく立ち向かって、自分の生命を救うがよい。そうすれば私は、後から何でもゆるしてあげる」。

 だが、もしそれが事実なら、これ以上危険な道はない。われわれはみな弱いし、日々体験しているように、実にあわれなみじめなものである。日々、人間として信仰者として、われわれは、いろいろな意味でのふみ絵の前に立たされている。キリストと、キリストの国と、キリストの愛をえらぶか、それとも、あなた自身の傲慢と、利益と邪欲とのいずれをえらぶかが、日々ためされている。


10カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:44:41
 この場合、弱い人間としてえらびやすい方をえらんでもよいなら、そしてどうせキリストは弱いもののためにきたのだから、それをあてにして行動するなら、キリストが、”天にまします父のように完全であれ”という言葉も空しくなる。

 こうなれば、キリストは、「人類が歩くべき気高い道の旗印」とはならず、「人間の弱さ、卑劣さの使徒となり、人間の中にある最も聖なるもの崇高なものの最大の裏切者となるほかない。キリストが「人類の気高いものの旗印」となったのは、かれが生命をかけて、正義と愛と真理を守り通したからである。この三つの言葉が人類の心にその意義を全く失ってしまわない限り、"キりスト者の裏切り"はあるにしても、キリストは人類の指導者としてふみとどまる。

 キリスト者ではない人々でも、人間である限り、生命を賭しても妥協できない一線のあることを知っている。われわれの生存本能は、いかに強くとも、それにまさる価値あるものの存在を知っている。パルティザン同志が戦っていたころ、マルキシストや、ファシストや、アナルキストや、愛国者の中にも、自分の信念を裏切るまいとして生命を投げうった人は多かった。かれらは、人間であったからこそ、この生命以上に、すべてを贈りて惜しくないものがあることを知っていた。

 キリスト教の歴史は、拷問や十字架や責苦が、他のどれよりも多い。それは、葦のように弱い人間が一番拒否したい理想を、キリスト教がかかげていたからである。盲目的な、暴力的なものは、霊と精神とにはげしくぶつつかるのである。正義や真理の理想を宣言して生命をなげうった人々は、キリスト信者であろうとなかろうと、「神の子」であるに相違ない。

 キリストの名によって自由を叫んだ日本キリシタンの殉教者は、日本における最初の「自由の雄叫び」であった。当時の封建的な扱いにならされていた女性たちさえも、そして子供たちも、「人間からは出ない力」をもって、迫害者に向かって「いえ」を言うことができた。こういう人々こそ、精神の自由という新時代を築いた人々である。みなが「弱い人間」であるがために暴力と権威に妥協していたら、暗黒時代の夜は明けなかったろう。

 キリストは、「弱い人々」のために来た。それは真実である。そのためにキリストは、「神のあわれみ」をわれわれに教えた。しかしキリストは一度も、人間の弱さをあおったこどはない。むしろ「自分の生命を救いたいなら、それをすてよ」と教えたではないか。キリストにとって死は、「恐るべき最後」ではなくて、新しい生命へのかど出であり、それが、キリスト教の中心である「よみがえり」の意味となるのである。

 サルトルの無神論的実存主義の結論が「すべてはナンセンス」であるということをここで皆考えてみてはどうであろうか。サルトルの考えでは、神もなく、来世もなく、すべては無意味な、その混沌の中で、人間は自分の力で自分を救わねばならないのである。人間のことを、この世だけで解決するのが、その思想の根本である。こう考えてくれば、たしかにふみ絵も、人間の作ったばかばかしいものであるから、それをふんでもかまうまい、無意味なことなのだから。

 しかし、こうなれば、もうキリスト教ではなく他の宗教である。もうキリスト教はない。


11カトリックの名無しさん :2017/01/09(月) 00:45:23
フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』

◆3-2、弱い人々のために (バルバロ神父)

 キリストは、「弱い人々」のために来た。それは真実である。そのためにキリストは、「神のあわれみ」をわれわれに教えた。しかしキリストは一度も、人間の弱さをあおったことはない。むしろ「自分の生命を救いたいなら、それをすてよ」と教えたではないか。キリストにとって死は、「恐るべき最後」ではなくて、新しい生命へのかど出であり、それが、キリスト教の中心である「よみがえり」の意味となるのである。

 サルトルの無神論的実存主義の結論が「すべてはナンセンス」であるということをここで皆考えてみてはどうであろうか。サルトルの考えでは、神もなく、来世もなく、すべては無意味な、その混沌の中で、人間は自分の力で自分を救わねばならないのである。人間のことを、この世だけで解決するのが、その思想の根本である。こう考えてくれば、たしかにふみ絵も、人間の作ったばかばかしいものであるから、それをふんでもかまうまい、無意味なことなのだから。

 しかし、こうなれば、もうキリスト教ではなく他の宗教である。もうキリスト教はない。


12カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 11:11:35


★フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著『キリスト者の信条 踏絵について』
                   →>>1-12


13カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 13:53:35
>>1-12よりつづく

★[沈黙批判]フェデリコ・バルバロ神父、アロイジロ・デルコル神父共著
 『キリスト者の信条 踏絵について』、2017-01
 カトリック情報 Catholics in Japanより
 https://blog.goo.ne.jp/catholic_info/c/e0b972781548ffb2dee1429d1e5a78a6/1
 https://blog.goo.ne.jp/catholic_info/c/e0b972781548ffb2dee1429d1e5a78a6


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13 ルルド (Res:17)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 13
1カトリックの名無しさん :2015/05/01(金) 22:05:34
ルルド

11カトリックの名無しさん :2015/05/09(土) 01:50:21

ルルドの聖母 8

ルルドの泉
◆最初の奇跡


 3月1日、ルルドから7キロばかりはなれたルバジャックの村にカトリーヌ・ラタピという女性が住んでいた。妊娠9カ月の身重であったが、自分にも理解できない心のうながしに従って、二人の子供の手を引いてルルドにやって来た。カトリーヌは、以前木から落ちて腕を脱臼し、長い間医者にかかったが治らず、右手の指が曲がったまま動かず感覚もなかった。しかし、泉の水に右手を浸すと、身体全体に快い感覚が広がり、手が柔らかくなったように思えた。それと同時に曲がっていた指は、突然もとのように動くようになった。彼女が感謝の祈りを唱えると陣痛が始まり、自分の村に戻ってもお産を手伝う人もいなかったが、痛みもなしに男の子が生まれた。男の子は、奇縁にちなんでジャン=バティスト(「洗礼者ヨハネ」の意)と名付けられ、後に司祭になった。


12カトリックの名無しさん :2015/05/10(日) 01:38:50
ルルドの聖母 9
◆ 蘇生する赤子

 貧しい職工のジャン・ブオールには、一人息子であるジュスタンがいた。ジュスタンは、骨軟化症で生後2カ月経ってもゆりかごのなかで座ることもできなかった。3月2日午後、発熱性の消耗性疾患で食欲が減退し、もはや何も受け付けなくなった。赤子の衰弱はなはだしく、かかりつけ医のペリュ博士にももはや打つ手がなく、刻々と死が近づいていた。不自由な身体で一生を過ごすよりこの方が本人のために幸せだ、とジャンは悲嘆にくれる母親のクロワジーヌを慰めた。しかし、諦めきれないクロワジーヌは「この子はまだこと切れていない」とつぶやくと、赤子を前掛けに包み、マサビエルの洞窟を目指した。そして、「そんなことをしたら、子供を殺してしまうぞ」という周囲の人々の制止も聞かずに、子供を裸体のまま冷たい水につけた。15分間もつけたかと思うと、また大急ぎで家に戻って寝かしつけた。この様子の始終を、聖母の出現の際にベルナデットに立ち会ったドズー博士が見ていた。赤子は一言も発せず誰の目にも絶命したものと思われた。昏睡状態は翌朝まで続いたが、朝になると赤子は突如目を覚ましてさかんに乳を求めた。そして、3月4日には起き上がり室内を走り回るようになるまでに回復した。

 ドズー博士は同僚のヴェルジェス博士に意見を求めたが、どちらも突然の快癒の原因がつかめず、ペリュ医師も同様だった。11年後にアンリ・ラセールがブオール家を訪れると、病弱どころか、元気すぎて遊びに夢中で勉強しなくて困ると母親のクロワジーヌがこぼす、ジュスタン少年がそこにいた 。


13カトリックの名無しさん :2015/05/12(火) 07:10:12
ルルドの聖母 11
◆ 無原罪の御宿り

 翌3月2日の第13回目の出現では、洞窟の前に来る人は、1,650人にも膨れあがってきた。ベルナデットは、聖堂を建てることと行列をして欲しいという、女性からのメッセージを教区の司祭であるペラマール神父に伝えた。しかし、神父はどこの誰だかもわからない者の命令を聞くわけには行かないとしてとりあわず、ベルナデットが「あれ」と呼ぶ者の名前を尋ねてくるように命じた。

 3月25日、教会暦で受胎告知の祝日に当たるこの日、ベルナデットは人影に名前を聞くと、人影は Que Soy Era Immaculada Councepciou と答えた。これは、ルルド地方のビゴール方言で「私は無原罪の御宿りです」の意である。無原罪の御宿りの教義は、1854年に正式に信仰箇条としてローマ教皇ピオ9世によって宣言されていたが、当時の教会用語はラテン語であり、正規の学校教育を受けたことがなく標準フランス語すら解さなかったベルナデットが教義の内容を知るわけもなかった。ベルナデットは意味がわからぬまま、「あれ」が発した「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ」という言葉を忘れないように帰途何度も反芻し、その言葉を先のペラマール神父に伝えた。それまでベルナデットの言葉に半信半疑だった司祭は驚愕し、聖母マリアの出現に間違いないと確信した。

 マサビエルの洞窟への最初の行列は、教会による聖母の出現が公認される以前に、ベルナデットが聖母から取り次いだ、洞窟まで「行列をしなさい」という指示に従う《幼きマリア会》の少女たちの自発的意志によって始まった。5月7日、「マリア月」の祈祷のためにルルドの教会に集まっていた少女たちは、教会から出ると、手に手にろうそくを持ち、聖歌を歌いながら洞窟を目指し、ひざまづいて祈り、また市街地の入り口まで互いに離れることなく同じ行列を繰り返した。

 7月16日、聖母の出現が終わったころにはルルドは既に多くの巡礼者で賑わうようになった。洞窟にあまりにも多くの人々が集まりはじめたことに不穏なものを感じた官憲は、洞窟の前に鉄柵を設けて、洞窟に接近することも泉の水を汲むことも禁じてしまった。しかし、ルイ・ヴィヨーなどの当時の著名な作家やジャーナリストがルルドを訪れるようになると、ベルナデットと洞窟の話はフランス全土で知られるようになった。7月28日、ナポレオン3世の皇太子の傅育官であるブリュア海軍大将未亡人は、病気がちな皇太子のために泉の水を求めて密かにルルドを訪れ、同地の話を部下から聞いた皇帝は、洞窟の前の鉄柵を撤去するように命じた。

 ピレネー地方のローカルな事件に対して第二帝政の要路が過敏な反応を示したのにはわけがあった。当初ルイ・ナポレオンは、カトリック票目当てに、イタリアの共和主義者によってバチカンを追われたピウス9世 (ローマ教皇)のローマ帰還を支持し、教皇は「1850年にフランス軍の保護のもとにローマに帰っ」た。しかし、教皇は帰還するや以前にも増して反動的な政治を再開したので、「フランス共和国はイタリアの自由を圧殺するためにローマに出兵したわけではない」と諌め、自由主義的な世俗政府の早期樹立を要求した。これに対して、カトリックの正統王朝派による秩序党は、ルイ・ナポレオンを裏切り者として激しく批判するようになった。ルルドに聖母が出現して「無原罪の御宿り」と告げたことは、マリアの無原罪の教義を宣言した教皇ピウス9世の権威をたかめ、第二帝政に批判的な正統王朝派とユルトラを勢いづかせてしまう恐れがあったからである。ピレネー地方など「西部、南部に基盤をおく正統王朝派、カトリック勢力など王党右翼勢力もまた、共和派とともに帝政反対派の一翼を構成していた」のである。

 1864年にリヨンの美術アカデミー会員の彫刻家、ジョセフ・ファビッシュによってマリア像が造られ、聖母が出現した洞窟のくぼみに設置された。当時パリで人気を博していた挿絵入り新聞『イリュストラシオン』紙などにベルナデットやルルドの出来事が採り上げられるようになると、人々は競ってベルナデットに面会を求めるようになり、3月5日には、ベルナデットと結婚したいという者まで現れた。それは、ナントの医科大学のインターンをしているラウル・ド・トリックビルという青年で、ローランス司教に手紙を書いて求婚の許可を求めたが、司教はその「願いがまったく不謹慎なもので、聖母マリアのお望みに反する」と拒絶した。また、スビルー家に押しかけた人々は、ロザリオを触ってもらうことや服の一部をもらうことを求めたが、ベルナデットはその求めに応じず、「まるで太った牛のように人目にさらされている」ことに困惑を示した。


14カトリックの名無しさん :2015/05/13(水) 23:31:17
ルルドの聖母 12
◆ ヌヴェール時代

 パリ外国宣教会のテオドール=オギュスタン・フォルカード神父は、幕末期に沖縄に滞在して日本布教を準備していたが、帰国を命じられてヌヴェール教区の司教に叙階されると、フランス全土で有名になり毎日訪問者の好奇の目に悩まされていたベルナデットを修道院に匿うべく尽力した。

 パリからやって来る名士たちのインタビューは、単に煩瑣という理由以外でもベルナデットの困惑の種であった。なぜなら、「彼女は山あいの方言しか使ったことがなかったので、フランス語は彼女にとって外国語」であったからである。「わたしは貧しく必要な持参金を持っていません」というベルナデットに対して、持参金なしでも入会した例をフォルカード神父が語ると、「持参金なしでも入会できたお嬢さんたちは、手先が器用だったり、頭が良かったりするのでしょう。わたしは何もできませんし、何のとりえもないんです」と答えた。すると、「今朝この目で見たが、にんじんの皮むきができるじゃないか」と説得し、1866年7月7日、ブルゴーニュ地方にあるヌヴェール愛徳修道会への入会を斡旋。

 17世紀に創設された愛徳修道会は、「不幸な人々以外のことに、決して関心をもってはいけません。その人々を心から助けること以外の心づかいや心配を、決してもってはなりません」というドゥラヴェンヌ師の言葉を会則としており、貧しい家庭の女の子に初等教育を施すことと、誰からも望まれない老人を迎えることにとりわけ意を用いていた。愛徳修道会は、ルルドに養護施設と学校を持っており、ベルナデットはそこで学んでいたので、同会のシスターたちはもっとも身近な存在だった。ベルナデットが持参した財産は、一本の日傘と手提げかばんだけだった。

 ヌヴェールでベルナデットは、「スール・マリー・ベルナール」という名前で修道女となる誓願を立て、さまざまな雑用や看護婦としての仕事に従事し、1879年4月16日、35歳で死去した。


15カトリックの名無しさん :2015/05/14(木) 03:29:01
ルルドの聖母 13
◆ その後のルルド

1925年に列福、1933年12月8日、ローマ教皇ピウス11世によって列聖された。テ・デウムが歌われるサン・ピエトロ大聖堂で行われた列聖式には、駐バチカン・フランス大使のフランソワ・シャルル=ルーによる配慮で桟敷席に招かれた、ポーで花作りを営む老人がいた。それは、赤子のときルルドの泉で骨軟化症が快癒したジュスタン・ブオール少年の77歳の姿であった。

その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備とあいまって、ルルドはカトリック最大の巡礼地になり今日に至っている。

19世紀フランスの著名な作家、アンリ・ラセールの『ルルドの聖母』(1869)はベストセラーとなり、80カ国語に翻訳され、ピウス9世 (ローマ教皇)はラテン語の序文を寄せて、この著作を「深淵で力にみちたもの」と称賛した。しかし、今日のルルド信仰の盛況を決定づけたのは、アレクシス・カレルの『ルルドへの旅』(1949)である。エミール・ゾラの『ルルド』(1894)を読み、単なる好奇心でルルドにおもむいたカレル(小説中の「レラック」はその逆さ読み)は、マリー・フェランという名前の末期の結核患者に出会った。「結核性腹膜炎で臨終」と 思われていたマリーの最期の願いはルルドの泉で水浴をすることであった。マリーの病状は手の施しようのないもので、担架で泉まで運んでも「途中で亡くなるだろう」と思われた。しかし奇跡は、血管縫合や臓器移植に関する先駆的研究で後にノーベル生理学・医学賞(1912年)を受賞することになる若き医学生の目の前で起こった。

◆ 現在のルルド

ピウス9世 (ローマ教皇)以来、歴代教皇は、ルルドへの厚い信仰を寄せた。2004年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が8月15日の聖母被昇天の祝日にルルドを訪問した。元フランス大統領ジャック・シラクと聖女と同名の夫人ベルナデット・シラクが応接した当日、ルルドには少なくとも30万人の巡礼者がいたと推定されている。

また、2007年 、前・ローマ教皇ベネディクト16世は、聖母出現150周年を機会とし、ルルドへの巡礼を推奨し、2012年に教皇はルルドの祝日(世界病者の日)20周年を記念して、みずから病者に塗油を行った。


16カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 09:55:18


★聖ベルナデットの生涯 →>>2-4

★ルルドの聖母(聖母の出現)→>>5-16


17カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 13:46:50

聖ベルナデットの生涯 →>>2-4よりつづく
ルルドの聖母(聖母の出現)→>>5-16よりつづく

★ルルドの聖母(キリスト教豆知識)女子パウロ会
 https://www.pauline.or.jp/chripedia/mame_Lourdes.php

★聖人カレンダー 女子パウロ会
 2月11日 ルルドの聖母
 https://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=021101

★ルルドの聖母 ドン・ボスコ社
 【 2月11日は ルルドの聖母の記念日・世界病者の日 】
 https://www.donboscosha.com/product-group/89


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14 聖テレジア (Res:23)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 14
1カトリックの名無しさん :2016/10/29(土) 00:31:21
聖テレジア

17カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:02:26
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 14

 誓願をたてて完全に自分をイエズスにささげる準備は、修練長の指導に従うことです。テレジアは、そのとおりに実行しました。修練長はひじょうに喜びました。修練期はふつう一年ですが、教会のきめた年令になっていなかったので、テレジアには、20か月もありました。それが、これほどの大きな試練の日々になろうとは! テレジアの心を悩ませる思いが、つぎつぎと心に浮んでくるからです。

「わたしは、あんなにイエズスさまにささけたのに、イエズスさまのほうでは、わたしを捨てておしまいになったのでは?」

 こう考えないでいられないほど虚しい感情が心のどこからか、にじみ出てきます。もちろん、イエズスはテレジアをお捨てになりません。ただ、霊的楽しみからさえ清められた、ぎせいと離脱の真の愛をテレジアに求められただけでした。ついに試練はおわって、嵐のあとの光と平和のうちにテレジアは、誓願をたてました。それは、1890年7月8日で、はじめから荘厳な無期請願だったのです。テレジアが選んだ修道名は、幼ないイエズスのテレジア。聖母のご保護のもとで今はまったくイエズスの花よめです。習慣どおりその日一日じゅう、はらのかんむりを、かぶっていました。夕方、庭に出て星を眺め、テレジアは、思いだしています、空にTの字をみつけた日のことです、「きょうこそ、わたしの名が決定的に天にかかれた。イエズスさまの花よめになったのだから」と心にいいました。

 たしかにテレジアは、聖人になったのです。修道院に入って帰天するまでは、7年間の短かい期間でした。かの女は、大きな苦業も、ぎせいも、人をあっといわせる事柄も、たてませんでした。でも、その生活は、愛とぎせい! あるときは、長いあいだ病気のシスターの世話をしました。その人は、病気で気むずかしくなり、すべてが不満で、親切さえ気にさわるという人でした。ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。


18カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:02:56
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 15

 ひどく苦しめられてもテレジアは、ますますやさしく喜びにみち、すべてをのり越えて進んでいきます。いつもほほえみのたえない奉仕をもってです。

 修道院のシスターには、各人に当番があります。最初の一年目の当番はテレジアのため洗濯がかり、次の二年間は食堂がかり(食卓の準備と皿洗い)、そして次に香部屋がかりになりました。これこそ、いちばん楽しい当番です。テレジアは、天使の自分にもあまるほどの任務と思い、その光栄を喜びました。

 祭器を準備しながら、「おん血になって、ここにおはいりになるイエズスさま、このなかにわたしの愛をみつけてください」と考えます。祭壇の花を準備するときも、花にいいました、「ねえ、ご聖体のイエズスさまのおそはで、主を賛美するのですよ」と。でも白いゆりには、「イエズスさまに伝えてね、わたしを、あなたのように清くしてくださいって」。赤いばらには、「わたしの心も、愛にもえていると申しあげてね」。そして菊にもいいました、「悲しげな菊の花さん、イエズスのように人々の救いのためにたくさん苦しみたいのよ、わたしの気もちを伝えてね」と。

 人の注意をひかないで、かくれていたいと望んでいるのに、シスターはみんなテレジアに感嘆しました。ある日、院長は考えました。《テレジアの受けている恵みを知ったら、どんなに多くの人が聖徳のはげみを得るでしょう》それで命令を与えました。

「幼ない時からの思い出をみんなノートに書きなさい」

「まあ、院長さま、ご冗談を」、テレジアは笑いだしました。

「いいえ、冗談ではありません。従順による命令ですよ」と院長。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


19カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:03:33
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 16

 テレジアの父が病気になりました。誓願式の時には、式にもあずかれないほど重くなっていました。こうして、6年の闘病生活に耐えた父は、1894年、セリーヌの看病をうけて聖人のような死をとげました。世間にとどまる必要のなくなったセリーヌも、2か月後にカルメルへ移り、すべてをイエズスにささげました。

 父が亡くなった同じ年、テレジアののどは、激しい炎症をおこして痛みはじめました。つとめを怠らず耐えてきた2年目の聖木曜日のことです。ご聖体のまえでひと晩じゅう徹夜する許可を願いました。しかし、許されたのは12時まで。さて、個室に帰って頭を枕につけると、とつぜんテレジアは、天からの呼び出しをうけたように思いました。次の朝、くちを拭いたはんかちを見ると、はたして、大出血だったのです。わたしも近いうちにイエズスの所に行けると思うと、テレジアの喜びは大きくなっていきます。

 それからは、シスターたちに暖かく見守られて暮す日々でしたが、ある晴れた日、車椅子に乗せてもらって、ひさしぶりに庭に出ました。ここで、テレジアは、自叙伝の最後の個所を書いたのです。その後は、病室に移って3か月のあいだ一度も起きれません。テレジアは、苦しみを英雄的な忍耐と愛で罪人の救いにささげました。それにしても精神的な悩みは、さらに苦しいのです。3か月間吐き気に悩まされ、聖体拝領はやっと2回きりです。医者の手当も甲斐なく、人間的にはどうすることもできなくなりました。こんな時でさえテレジアは、一つの詩をつくりました。

「愛のために死ねるとは、ああ、なんとすてきな殉教! わたしは、この殉教で死にたい。おお、やさしいみ主よ、わたしの島流しが終わろうとしています、わたしの夢を、愛のために死ぬこの夢を実現させてください」

 1897年9月30日のタべ、十字架のイエズスをみつめながら、かすかな声でいいました、「おお、わたしは愛します。わたしの神よ・・・わたしは・・・あなたを・・・愛します」

 最後のかがやく表情で!


20カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:04:01
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 17

 すべてに越えて神を愛する。その愛のために人々を愛し、その救いを願って生涯をささげつくした小さな聖女テレジアは、地上で多く苦しみました。しかし、まもなく神は、かの女に大きな光栄を与えはじめました。

 その光栄も人々の救いになり、かの女の著書自叙伝は、まもなく印刷され、世界じゅうの言葉にほん訳されました。この書を通じてテレジアは、なんと多くの人々に天国に行くための、やさしい道を示したことでしょう。それだけではありません。生きている間は、なんの寄島もなかったのに、かの女のとりつぎで、たくさんの奇跡が行なわれはじめました。

 まもなく、列福、そして次に列聖調査がすすめられました。1925年5月17日教皇ピオ11世は、荘厳な式をもって、テレジアを聖人と宣言し、その英雄的な善徳の模範を全世界に示しました。教皇は、こういっています、「幼ないイエズスの小さなテレジアは、天から降ってきた愛の花です。これをみて、天も地も感激します」と。

 人々の救いに一生涯をささげたテレジアは、布教地の保護者とし宣言されました。このために日本では聖女の祝日を荘厳に祝うことになりました。それは10月1日です。そのとき司祭は、ミサの集会祈願で、こういいます、「聖テレジアが示した信頼の道をわたしたちもあゆみ、聖女のとりつぎに支えられて栄光のいのちにあずかることができますように、わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン」と。


21カトリックの名無しさん :2017/02/01(水) 06:04:26
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 18

「天国に行ったら、この地上に、ばらの花の雨を降らせましょう。救われなければならない人がいるかぎり、わたしは、天国で休むことができません」

 これは、聖女が亡くなるまえにいった言葉でした。はたして、テレジアの名は、帰天後全世界に知れわたり、かぞえきれないほどの恵みが、そのとりつぎで地上をうるおしました。まるで天から降ってくるばらの花のゆたかな雨のように。

 おお、しあわせな聖テレジアよ、あなたのご保護にゆだねられた日本の教会とこの国のすべての人々に、あなたのばらの花を降らせてください。イエズスヘの愛と忠実のあの花を!


22カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 09:50:04


★『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ
           >>2-22


23カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 13:41:04
>>2-22よりつづく

★リジューの聖テレーズ
 The Fatima Crusader Issue 74, Summer 2003より ベルナデット・ヴェスコ.
 http://mikokoronet.web.fc2.com/therese.htm


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15 コルベ神父様 (Res:21)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 15
1カトリックの名無しさん :2016/01/12(火) 22:26:35
コルベ神父様

15カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:34:31
38、多くの召命

その間に汚れなきおとめは聖マキシミリアノのためにもう一つのより大きな奇跡を働いておられた。

聖母をすべての人のところへお連れし、聖母を地上における戦闘の教会においてすべての心の女王とする夢は聖母のために完全に奉献された霊魂たちなしには真実のものとなることはできないであろう。もし汚れなき聖母の騎士が繁栄すべきであるならば、エネルギーと愛をもった新しい手と心がその完全な発展へとそれを前進させるために必要である。

実際、この「夢」--彼が始めた他の馬鹿げた冒険と同じと思われた--はすばやいそして際だった仕方で実現へ向かって動いた。

汚れなきおとめに対する聖マキシミリアノの大きな愛は宗教的召命を産み出すようになった。彼はこう言った。「人々にとって汚れなき聖母にふさわしい者であるために、彼らの霊魂は奉献されていなければならない。汚れなき御母の仕事は商業的な企てでははない。それは無限にそのすべてのもの以上である。」

彼らの仕事において完全な沈黙のうちにそして祈りの精神に浸されて印刷機のところで忙しくしている修道士たちを見ることはフランシスコ会修道会の歴史において初めてであったに違いない。聖フランシスコは修道会の女王の栄光のために努力を傾けている彼自身の修道士たちを見て喜ばずにはいられなかったであろう。

さまざまの年齢や条件の男たちが次々にやって来ていた。彼らの到来は一つの新しい問題をもたらした。すなわち、滞在するために彼らのために十分な部屋を見つけることそして彼らの仕事を提供することである。古い修道院には放棄されていたすべての部屋が再びまるまる使われた。しかし召命の数は、雑誌の発行数やミリティアの会員--今や10万人を越えた--と同様に、なお増加した。

それゆえ次に聖マキシミリアノが夢見ていたもう一つの冒険が始まった。それは彼の大きな愛のすべての夢の中でも最も美しい夢であった。それは完全な都市、「汚れなき聖母の都」の創設であった。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


16カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:35:28
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)


39、都市の場所

聖マキシミリアノは直ちにこのマリアの本拠地を始めるために適当な場所を探し始めた。彼はそれがワルシャワからそう遠くないところであることを望んだ。このことは彼の出版物の輸送や郵送を容易にするであろうから。

彼は探しに出かけた。そしてテレシン(Teresin)に広大な区画の土地を見つけた。それはドゥルッキ-ルベッキ(Drucki-Lubecki)王子の地所だった。マキシミリアノは王子と会う手はずを決め、そして彼がその土地に彼の印刷工場と汚れなき聖母の修道士-騎士のための住居を建てることができるかどうかを尋ねた。王子はその修道士に好印象を持った。そして彼が要求したすべてのことを、一つの条件の下で、すなわち、マキシミリアノが彼に彼、王子の両親のために年に2回のミサを永久的に捧げてくれることを保証するという条件の下に、喜んで許した。

マキシミリアノは彼の上長たちからミサのための取り決めを得ることを約束した。その間に、大いに喜んで彼はテレシンへ行った。そして他の何よりも先に汚れなきおとめの美しい像を建てた。なぜなら、彼がその場所を所有するようになったのは聖母の利益に奉仕するためだったからである。

http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe08.htm


17カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:36:24
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

40、礼拝堂が最初に来る

修道士たちの最初のグループがマキシミリアノと一緒に新しい場所に到着した。そして彼らはショベル、つるはし、その他の道具で、土地を開墾するために働いた。これは1927年8月の終りのことであった。マキシミリアノは彼らと一緒だった。彼らの仕事は速いペースで進んだ。彼らは一軒の農家の床にわらのベッドを作って眠った。そしてわずかしか食べなかった。

最初に建てるべき建造物は木造の礼拝堂であった。マキシミリアノはそこでミサを捧げ、神の栄光に仕えるため、そして汚れなきおとめを通じての霊魂たちの救いのために奉仕する場所を聖別した。

礼拝堂のバラックの周りに、印刷工場の異なった部門のための建物と同様に、修道士たちのための建物が建設された。

11月21日、[エルサレム]神殿への聖母の奉献の祝日に、聖マキシミリアノと共に働いていたグロドゥノのすべての修道士たちは新しい土地に旅行し、テレシンの最初の二つのバラックへと移った。テレシンはそのときから「汚れなき聖母の都市」(ポーランド語で「ニエポカラノフ」)と呼ばれた。

汚れなきおとめの美しい像はそこを訪れる人は誰でも皆歓迎するためにこの独自の都市の入り口にそびえていた。マキシミリアノはお互いにマリアの名前によって挨拶する習慣を紹介した。数年前、一つの全-マリア修道会の彼の夢-プロジェクトについて他の修道士に話したとき、彼はこう言った。「何という美しい共同体だ。それはそこで『マリア』がいたるところで聴かれる共同体である。『マリア』が挨拶であり、『マリア』が挨拶への応答である。彼女はマドンナ・ハウスの女性の主人であり、保護者である。」

http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe09.htm


18カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:37:04
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

41、英雄的な生活

フランシスコ会士である聖マキシミリアノはアッシジの熾天使的聖人を真に模倣したいと思った。最初の出発点からマキシミリアノは彼自身のためにそして彼の修道士たちのために聖フランシスコへの忠誠、最初のフランシスコ会の共同体に入るに値する宗教生活、英雄主義の点にまで従った会則や会憲の完全な遵守を望んだ。彼は限りない寛大さを支持した。彼は、その中で人々がその全生活を犠牲において捧げ、あらゆるテストをパスする一つの基礎以外の何物の上にもそのように大きな仕事を建てることはできなかったであろう。グロドゥノを去る前に、彼は修道士たちに言った。「新しい修道院においてはわれわれの犠牲は完全でなければならない。宗教生活はそこでは最も完全な遵守において栄えなければならない。会則と会憲は力強く遵守されなければならない。なぜなら、ニエポカラノフはすべての人々にとって宗教生活の模範でなければならないからだ。」

汚れなき聖母の都市の顕著に熱心な使徒的活動を養い、支えたのは英雄的に生きられた宗教生活であった。

よく剃髪された頭、サンダルとあて布をされた僧服の修道士たち、彼らは日の出数時間前に、そしてその後の夜までの合間に祈りに集まり、完全な沈黙のうちに熱心な仕事の数時間を過ごし、冷たい気候と飲食および休息における簡素に不満を漏らさずに耐える、--これらの人々は、彼らの日々の自己犠牲によって汚れなきおとめの愛に対して霊魂たちを勝ち得る値段を支払っていたのだ。

マキシミリアノの書き物からの一つの啓発的な節は次のように述べている:「ニエポカラノフ共同体の成員は慰めあるいは楽しみを求めない厳密に必要な物に彼の個人的要求を限定する。このようにして、彼は、慰めと楽しみを放棄することによってそれのために支払うとき、汚れなき聖母の騎士のますます多くの部数を印刷し、それをより広範に読まれるようにすることを可能にするのである。」

聖マキシミリアノはこのような精神の持ち主である修道士だけを望んでいた。それゆえに、ニエポカラノフへ行くためにグロドゥノを去る直前に、彼ははっきりと彼らにこう告げた。「自分はそこへ行く強さを持たない、あるいはそこへ行く意志を持たないと感じる者は誰でも誠実にそして率直にそう言って貰いたい。」

http://www.d-b.ne.jp/mikami/kolbe09.htm


19カトリックの名無しさん :2016/02/04(木) 03:37:41
◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)

42、フランシスコ会の貧しさ

汚れなき聖母の都市は二つの事柄の上に建てられた--貧しさと汚れなきおとめ--聖マキシミリアノはそう宣言した。

われわれは聖コルベの貧困の愛をどのように記述するかを知らない。それは彼の熾天使的父祖聖フランシスコに相応しい愛であった。聖マキシミリアノの貧困に関するページは初期フランシスコ主義の諸著作の一つの概説としてりっぱに役立ち得るであろう。そして汚れなき聖母の都市の貧困の模範はわれわれを最初のフランシスコ会共同体の貧困の模範へと連れ戻す。

小さなことにおいてと同様に大きなことにおいても、聖マキシミリアノは彼自身常に、心と身体においてこの世のすべての所有物から距離を置いた、何物をも所有することを欲しない貧しい人のように生きるために厳密に必要であるものに満足して、その結果完全に神の所有物となり、所有物として汚れなきおとめに無条件に委ねたアッシジのポヴェレッロ[小さな貧しき人]の忠実な追随者であることを証明した。

コルベは汚れなき聖母の都市のために、ポーランドにおいても、あるいは日本においても、どんな土地の所有権も望んだことはなかった。彼は言った。「なぜ所有権を持つのか?使用で十分だ。聖フランシスコのようでありなさい。何も所有するな。われわれは所有者がわれわれの滞在に同意する限りその場所にとどまろう。彼がわれわれにもはやとどまることはできないと告げるとき、われわれは別のところへ行くであろう。」

一人の同僚の修道士、アッシジのドミニック・ステラ(Dominic Stella)神父は聖コルベの上述の言葉について次のコメントをした。「これは彼の明確な考えと堅固な説得を伝えた。マキシミリアノの精神において最も重要なものが熾天使的父祖の精神と完全に一致した貧困の純粋な理想であるということは明らかなことであった。」

同様にまた、彼がインドにいたとき、エルナクラム(Ernaculam)の司教は彼にいくらかの土地、一軒の家、そして一つの礼拝堂を与えたかった。しかし聖マキシミリアノは「ただ用益権だけ」--すなわち、財産の使用とその産物への権利--を受け入れようとした。「なぜなら、私たちは所有権を欲しないからです」と彼は説明した。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


20カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 09:56:32


◆ 聖マキシミリアノ・コルベ(ステファノ・マネッリ神父著)
              >>2-20


21カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 13:37:41
>>2-20よりつづく
●The Fatima Crusader, Issue 09: Oct.-Dec.1982より
 ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

★聖マキシミリアノ・コルベ
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe01.htm 
★聖マキシミリアノ・コルベ II 
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe02.htm
★聖マキシミリアノ・コルベ III
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe03.htm
★聖マキシミリアノ・コルベ IV
 http://mikokoronet.web.fc2.com/kolbe04.htm

>>22へつづく


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16 秋田の聖母 (Res:3)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 16
1カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 11:03:34
秋田の聖母

 秋田の聖母(あきたのせいぼ)とは、
 日本の秋田県にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」で起きたとされる
 一連の奇跡現象を意味する呼び名。
 「秋田の聖母」は、教区司教によって認可された数少ない聖母出現の一つであり、
 日本より海外での知名度の方が高い。

◆ 概要

 発端は1973年に、同会所属の修道女の手の平に、
 出血を伴う十字架型の傷が現れたことである
(これは聖痕と呼ばれ、世界各地で、ときどき事例報告がある)。
 そのほかにも、木製の聖母マリア像からの101回に渡る落涙および芳香現象、
 3つのお告げなどの奇跡があったと言われている。
 これらの奇跡は1984年まで続いたとされている。
 その他、韓国の婦人の脳腫瘍の消滅等、出現に伴う病気の快癒現象がいくつか報告されている。

 1984年には、調査の結果、当時のカトリック新潟教区長であった伊藤庄治郎司教により、
 「奇跡としての超自然性を否定できないので、
 教区信者の巡礼を禁じない」という公式声明が出された。
 この声明は、一連の現象が詐欺的、病的、異端的、邪教的なものではないと
 確認されたことを意味する。
 この伊藤司教の声明は、1988年にバチカン(教皇庁)の
 教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に受理された。

◆ 預言

 また、その修道女は病気の治癒や奇跡と並行して、
 聖母像の方向から、えも言われぬ美しい声のお告げを聞いた。
 一度目は1973年7月6日、二度目は7月28日であり、
 内容は、初回は修道女への同情と耳の不自由の治癒の予告、
 二度目は、人類への警告と要請であった。
 具体的には、世の多くの人は主を悲しませていること、
 聖母はそれを慰める者を望んでいること、天主を慰める為に、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、
 貧しさを以ってこれを償う霊魂が聖母の望みである、とするものであった。
 また天主の怒りを知らせる為に、人類の上に大いなる罰が下されようとしており、
 祈り、貧しさ、苦行、犠牲的行為を通じて改心して祈ることは、
 そうした主の怒りを和らげることができる、とされた。
 1973年10月13日には、三度目の聖母からのお告げがあり、
 「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。
 その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。
 火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。」としたものであった。
 さらに聖職者同士は対立し、聖母を崇敬する司祭は同僚から侮りを受け、
 これ以上罪が続くならもはや罪の赦しはなくなる、とされ、
 最悪の時には御子の印とロザリオだけが、クリスチャンに残された武器である、とされた。
 ゆえに犠牲を捧げ、熱心に祈りなさい、と聖母は言った。

 また、他に修道女は天使を何度も目撃し、6月29日には天使は彼女にファティマの祈りを教え、
 ロザリオの各連の後に付けるように、と指導した。
 この祈りは、1917年にポルトガルのファティマで3人の少年少女を前に聖母が教えたものだったが、
 当時は日本ではまだ和訳されておらず、天使が教えたその祈祷文は、
 後に和訳されて日本に広まるものと一字一句違わぬものだった。


◆ (秋田で天使が教えた)ファティマの祈り

ああイエズスよ、我らの罪を赦し給え、我らを地獄の火より護り給え。

また、すべての霊魂、ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。アーメン。
>>2へつづく

2カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 11:06:03
>>1よりつづく
安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋

”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、
秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と
は思われない。
ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に
伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。
歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、
人々の好奇心を刺激している現状である。
しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、
聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、
と私は思う”
~中略~
”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


3カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 13:24:16
>>1-2よりつづく

★秋田の聖母像に関する司教書簡
 安田貞治著 『秋田の聖母マリア』1987 聖体奉仕会発行 p.344-357より引用
 http://mikokoronet.web.fc2.com/akita.htm


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17 ファティマの聖母 (Res:9)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 17
1カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:11:32
★ファティマの聖母

 ファティマの聖母(ファティマのせいぼ、葡: Nossa Senhora de Fatima)は、
 カトリック教会が公認している、ポルトガルの小さな町ファティマでの聖母の出現譚の一つ。
 ローマ教皇庁は奇跡として認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した。
 何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、
 飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、
 1930年10月13日現地管区レイリア司教によってこの出現は公認され、
 同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への贖宥を宣言した。

 1967年には教皇庁により
 最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定され、
 歴代ローマ教皇が巡礼に訪れたり、
 この出現のメッセージに基づき幾人かの教皇が世界を奉献する式を行った。

>>1-13へつづく

3カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:29:26
>>1-2よりつづく 聖母から教皇への要望は以下であった。

1、ロシアの奉献:ロシアを聖母に奉献し、
  ロシアが引き起こしかねない災厄と誤謬から世界を救うこと。
  また祈り、カトリック信者はロシアの回心と世界の平和の為に、ロザリオを唱えること。

2、人々の回心:カトリック信者は毎週主日に聖体拝領するように。
  そして、よく告解し、罪を避け、敬虔な生活を送るように。

 聖母からの大きな奇跡があった。

1、1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、
  太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。
  世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、
  群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


4カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:34:44
ファティマの聖母 3 >>1-3 >>3よりつづく
◆ 永遠の地獄

ファティマの啓示の第一部分は、人の死後の地獄についての警句である。

1、きっかけ

 1917年7月13日、いつものようにカベソの丘に三人が行くと、
柊の木の上に聖母が現れ、ルチア達は回心、癒し、他、幾つかの恵みを願った。
対して聖母は、その人達がいつでもロザリオを唱えるなら、
年内にその恵みが叶えられることを約束した。
また罪人の為、イエズスへの愛の為に祈るように、聖母は言った。
様子を見に群衆が集まっていたが、ヤシンタらの父親のマルトも来ていた。
彼によると、その日、出現が始まった時、木の上には灰色がかった雲がかかり、
真夏だというのに冷たい風が山から吹き下りてきた。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


5カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:41:10
ファティマの聖母 4 >>1-4 >>4よりつづく
◆ ロシアの奉献

ファティマの啓示の第二部にあるロシアの奉献は、
聖母の主要な要請の一つであり、ローマ教皇は数度にわたる奉献式を行った。


1、一回目の要請

 1917年7月13日、少女達の前に姿を現した聖母は、

「戦争はもうすぐ終わります。しかし人々が神に背くことを止めないなら、
ピオ11世の時代にもうひとつのもっと酷い戦争が始まります。
夜、不思議な光が、空を照らすでしょう。
それがあなた達に神様がお与えになる大きな印になります。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


6カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:48:31
2、三位一体と聖母の出現 >>1-5 >>5よりつづく

 1929年6月13日深夜11時、ルシアの前で聖堂が明るく照らされて
天井まで届く光の十字架が祭壇の上に現れた。
永遠の聖父が十字架の上部に見え、その胸には光の鳩があり、
十字架にはイエズス・キリストが磔になっている光景が見えた。
キリストの脇腹から腰にかけて血が滴り落ちホスチアを通してカリスへと流れていた。
十字架の右腕側の下には聖母がいた。聖母はルシアに伝えた。

「教皇が全世界の司教と共同で、私の心にロシアを奉献することを神様に願う時が来ました。
このような方法によってロシアを救うことを、神様は約束して下さいました。
私に反抗した犯した罪の為に、神様の正義が断罪なさる魂があまりに多いのです。
ですから私は、償いをするよう願いに来ています。この意向の為に、償いをして、祈りなさい。」

 1930年5月29日にルシアが自身の司祭に認めた書簡によると、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


7カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:53:14
ファティマの聖母 5 >>1-6 >>6よりつづく
◆ ファティマ第三の秘密

 教皇庁は聖母が発表を命じた1960年になっても啓示の第三部について公表せず、
 メッセージの中身について多くの憶測を呼んだ。
 過去の予言が世界大戦などで60年代当時は東西冷戦真っ只中であることから、
 核戦争や第三次世界大戦ではないかと危惧する者もいた。
 1981年5月2日にアイルランド航空164便がハイジャックされたが、
 犯人はカトリック修道士で要求は「ファティマ第三の秘密を公開せよ」であった。

 60年代に閲覧したローマ教皇ヨハネ23世は内容に絶句して再度封印し、
 次代教皇パウロ6世も再度封印を解くもあまりの内容に数日間人事不省になったという。
 こうした経緯を経て、教皇庁は2000年5月に1960年以来40年間発表を先送りにしてきた
 ファティマ第3のメッセージを正式に発表した。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


8カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:54:23


★ファティマの聖母 →>>1-8


9カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 13:20:29
>>1-8よりつづく

●みこころネット 三上 茂
 今から82年前1915年以来、ポルトガルのファチマで起こった歴史的事実について
  Frere Michel de la Sainte Trinite の The Whole Truth about Fatima
 (tr.from French into English by John Collorafi)を参考にして若干のことを述べ、
 いくらかの私見も加えてみたいと思います。

★ファチマの真実(1) 
 http://mikokoronet.web.fc2.com/fatima1.htm
★ファチマの真実(2)
 http://mikokoronet.web.fc2.com/fatima2.htm
★ファチマの真実(3)
 http://mikokoronet.web.fc2.com/fatima3.htm


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18 メモ帳スレッド(正) (Res:164)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 18
1カトリックの名無しさん :2022/06/14(火) 09:20:45
★☆★神道系新宗教・大本教の教典「霊界物語」の発刊年と「日月神示」の降りた期間から読み解く未来★☆★

★西暦2019年→(100年前)1919年。新宗教大本の教典→→→→→→(昭和)19年 「日月神示」(第一巻~第八巻)
    ↓             『大本神諭・天の巻』が発刊された年。
    ↓
★西暦2020年→(100年前)1920年。新宗教大本の教典→→→→→→(昭和)20年 「日月神示」(第九巻~第十四巻)
    ↓             『大本神諭・火の巻』が発刊された年。
    ↓
★西暦2021年→(150年前)1871年 新宗教「大本」の二大教祖の一人 出口王仁三郎の生誕年
    ↓
★西歴2021年~2022年→(100年前)西暦1921年~1922年 「霊界物語」→→→(昭和)21年~22年 「日月神示」
    ↓                霊主体従(第1-12巻/全12冊)         (第十八巻~第二十三巻)      
    ↓
★西歴2022年~2023年→(100年前)西暦1922年~1923年 「霊界物語」
    ↓                如意宝珠(第13-24巻/全12冊)                    
    ↓
★西歴2023年~2024年→(100年前)西暦1923年~1924年 「霊界物語」→→→(昭和)24年 「日月神示」
    ↓                海洋万里(第25-36巻/全12冊)        (第二十四巻~第二十五巻)     
    ↓                舎身活躍(第37-48巻/全12冊)
    ↓
★西歴2024年~2025年→(100年前)西暦1924年~1925年 「霊界物語」→→→(昭和)25年 「日月神示」(第二十六巻)
    ↓                真善美愛(第49-60巻/全12冊)        
    ↓
★西暦2025年~2029年→(100年前)西暦1925年~1929年 「霊界物語」→→→(昭和)27年 「日月神示」
    ↓                山河草木(第61-72巻、入蒙記/全14冊)    (第二十七巻~第三十巻)
 >>2へつづく

158カトリックの名無しさん :2024/01/17(水) 10:55:23
ドイツ全土で農家らが抗議デモ 首都まひ状態、極右支持拡大 ★2 [首都圏の虎★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1705444506/より

2024/01/17(水) 08:12:48.83ID:W1sj3suK0
●【答弁】日銀の国債、借金でない? 財務相「その通り」 ★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1649727447/l50


159カトリックの名無しさん :2024/01/17(水) 10:56:18
ドイツ全土で農家らが抗議デモ 首都まひ状態、極右支持拡大 ★2 [首都圏の虎★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1705444506/より

2024/01/17(水) 08:15:43.03ID:W1sj3suK0
●もうすぐ三食イモに、ゴルフ場をイモ畑に…国民は知らない「世界で最初に餓えるのは日本」という真実
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1679049864/l50
●【コラム】東京大学 大学院教授・鈴木宣弘氏「まともな食料生産を潰して武器とコオロギで飢える愚かさ」 ★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1677764243/l50


160カトリックの名無しさん :2024/01/17(水) 10:56:52
ドイツ全土で農家らが抗議デモ 首都まひ状態、極右支持拡大 ★2 [首都圏の虎★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1705444506/より

●政府のフードテック研究会、電通・パソナ等と組んで昆虫食普及へ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/giin/1677310006/
●コオロギ粉使用の製パン企業「Pasco」SNSが炎上 昆虫食は食糧難の救世主?寄生虫のリスクなど安全性に疑問の声 ★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1677424495/


161カトリックの名無しさん :2024/01/17(水) 12:17:53
東京は「壊滅」するのか…知っているようで知らない「首都直下地震」が恐ろしい「意外な理由」
1/17(水) 6:48配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/82385433652b6e4cf137024cc9dd7c2142783c2a

「火球」が長野に落下? 「大きな破裂音」「鳥が一斉に鳴いた」 専門家「もし隕石が見つかれば太陽系の歴史を解き明かすヒントに」
1/17(水) 7:50配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/0d5be15c55b2a53a23c392a79dddffe9f4bd5d05


162カトリックの名無しさん :2024/04/17(水) 13:06:54

★5ch 日本人、約40%がランチの予算が300円未満 2024/04/17(水)
 https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1713298898/?v=pc


163カトリックの名無しさん :2024/05/21(火) 08:56:47

5ch 心と宗教板に良スレッドを見つけました。
真剣な議論がされているようです。
       ↓
★一回本気で神を信じてる奴来てくれや。レスバしようや
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1715769270/l50


164カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 13:06:46

★人類の罪
 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、
 神は天から怒りを現されます。
 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。
 神がそれを示されたのです。
 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、
 つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、
 これを通して神を知ることができます。
 従って、彼らには弁解の余地がありません。
 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、
 かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、
 滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。


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19 仏教住職がカトリックに改宗 (Res:8)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 19
1カトリックの名無しさん :2014/10/16(木) 20:46:41
仏教住職がカトリックに改宗

2カトリックの名無しさん :2014/10/16(木) 20:47:25
 ピオ吉井滴水は今から五〇年以上も前に、七二歳の高齢でカトリックに改宗しました。しかし真理のカトリック信仰へと導くために「私をして今日の喜びに浸らしむるの素地をつくり、私の心を鍛えて下さつたのは巽に大聖釈尊であつたことを忘れることは出来ません、若し私が釈尊の教説に親んで居なかったならば、斯くもたやすくキリストの玄義を理解し得なかつたでありましよう」とも言っています。

 つまり真理に到達したこと自体を感謝し、どのような道を通ってきたか(仏教)については、用がなくなれば壊される足場としてそれを感謝しています。三人の東国の博士たちもヘロデによって幼子イエズス・キリストの居場所を教えてもらっています。博士たちはヘロデに感謝したでしょうが、イエズス・キリストを見つけた後は、ヘロデの元には戻りませんでした。それと似ていると思います。

 ピオ吉井滴水は、六歳の頃から仏寺に預けられ、禅僧として仏に仕え、七二歳まで仏教の住職でした。それでは、ピオ吉井滴水をカトリック信仰へと導いたその恩師であるヨゼフ・スパー神父の序文から紹介させて頂きます。


『私はなぜカトリック教を信ずるか―カトリック教と仏教 』ピオ吉田滴水、エンデルレ書店、1955年


3カトリックの名無しさん :2014/10/16(木) 20:47:46

文学博士 ヨゼフ・スパー

 私にとつて、今年最大の慰めは、七十二才の吉井滴水師が、夫人ともども、主の御昇天のよき日に、めでたく受洗された事である。

 ああ、御聖寵の道の絶妙にして、測り難きことよ、吉井氏は、過去半生を禅僧として仏に仕へて来られたのである。そもそも六才で寺に托せられ、爾来仏教伝道師、社会事業家となった彼は、その中四年間を、遍歴説教者として、カリフォルニヤに過し、つい二三週間前迄は、姫路北方の古寺の住職をしていたのである。

 併し、生命そのものなる御者、生命の喜びなる御者は、その高貴な魂を、自力本願の禁欲主義の薄闇から、義の太陽の白昼の光へと、徐々に向はせ給うたのである。

 吉井氏は、次のように云っている。「私は延長七十ニマイルのトンネルから、出て来たような気がする。中はじめじめとして真暗だった。しかし今、私は信仰の爛々たる輝きの中に、真理の慰めに充ちた暖さの中にいる。そして新しい家庭の真中にいる自分を見出すのだ。この家庭は新しい。が、私が立去った家庭よりも古いのである。私は故郷に帰りついた。私は平和を見出したのだ」

 今尚、吉井氏は、自分にキリストをもたらした仏教に、感謝している。彼は自己制禦が、英雄的度合いにまで達し、自己消滅が内的進歩の値とも、賞とも見なされている、もっとも厳格な一派に属していた。

 病は計らずも、彼を私の診療所に連れて来た。私は彼の瞳に宿る一抹の不安と、魂の悲しみとを見てとった。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


4カトリックの名無しさん :2014/10/16(木) 20:48:05
 ここに至って、彼は長年鍛へた熟達した長い冥想と外的感受性の克服に依り容赦なく自己分折をした。

 今日迄、彼は人は自力によりすがらねばならない事。救ひとは自己波却に他ならぬことを教えられて来た。しかし長い、曲折に富んだ彼の半生は、彼に、人間の真の弱さ、脆さと、哀れな小さな心の上に首位を占めようとして互に競ふ「光と間」「所信と方便」「道徳と行状」の絶問ない対立を教へたのである。

 「だが、今こそ、私は私の救主を見出した」と彼は云ふ。「仏佗は偉人の一人である。しかしキリストは無比である」と。準備が終った時、彼は座して、己が宗派の本山に当て、辞表を認めた。「私はようやく、生涯を通じて、私を責めさいなんで来た、疑問をとく事が出来ました。カトリック教会は、これらの疑問への解答を把持しています。私は、今、自分の良心に従はねばなりません。今迄私を友として下さつた皆様も、やがて何時の目にか、私の後に倣はれる勇気を、お見出しになるよう、祈って止みません。」

 既に言ったように、彼は御昇天の大祝日に受洗した。吉井氏夫妻は、これより三日の後、列聖された聖ピオ十世をあがめて、霊名にはピオとピアを選んだ。

 今、彼はピオ十世が祭壇の栄誉に上げられた丁度その日、聖体の教皇を記念して祝別された飾磨の新教会で伝道士として働いている。彼はここで、彼の新しい師、キリストを教へている。

 若いカトリック信者のように、夫妻は我々の手本である。彼等は毎朝五時に起床し、祈りを誦え、黙想をする。毎日ミサに与り御聖体を拝領する。彼等の奮発心と熱心は司祭の百の説教程の力をもつ。

 今日、又、私の診療所を一人の仏僧の妻が訪れた。彼女は癌を煩ひ、その苦痛にもだえ苦しんでいた。「どうぞ、私に易しくキリスト様を教へて下さいませんか」と彼女は乞ふのだった。「私はキリスト様の事が知り度くてたまりません」

 そこで私は〃吉井さん〃を呼んだ。今、彼はこの婦人に教理を教へている。きつと自分の改宗記も語っている。であろう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


5カトリックの名無しさん :2014/10/17(金) 15:21:11
カトリック教と仏教
私は、なぜカトリック教を信ずるか

ピオ吉井滴水

まえがき

「君はなぜカトリック教を信じますか」との問に対しこの一文を草しました。本冊子に於ては、カトリック教と仏教とを

一、本質的相違より観て
二、聖書と仏典の成立過程より観て
三、教義の比較より観て
の三点より比較考察して、カトリック教のすぐれた点を述べ、同教を信ずる所以を明らかにしましたが、実際に於て私の心をより一層強く動かしたものは、斯る抽象的な理論よりも、寧ろ救霊に対する真摯にして熱烈なる神父諸師の実際的態度であり、愛の精神に依って社会福祉のために尽される教会の献身的活動でありました。百言は一行に如かずと云はる通り、げに、人を動かすものは、百の美辞麗句よりも、一の真実行であります。

 私は本冊子の終末に述べた通りの心境に依ってカトリック教に帰依しましたが、私をして今日に至らしむるため、約一年有半の永きにわたって、直接に間接に断えず私を指導策励して下さいましたスパー神父様に対し深甚なる感謝をささぐると共に、ますます信仰を堅め、信仰行にいそしんで、同師の御懇情に報いたいと決心しています。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


6カトリックの名無しさん :2014/12/03(水) 08:50:13
聖イグナチオに袈裟姿でミサに預かる僧侶がいると聞いたことがあるよ。
あとプロテスタントだけど、浄土真宗の寺の息子として生まれて寺を継いで住職となった人が、
改宗して牧師になったケースもある。詳細は「仏教から基督へ」という本で。
その人が作った教会は今もあり、地方で福音を伝えている(新興宗教ではないので世襲ではない)


7カトリックの名無しさん :2024/05/13(月) 10:04:22


★『私はなぜカトリック教を信ずるか―カトリック教と仏教 』
 著者 ピオ吉田滴水、エンデルレ書店、1955年
           >>2-7


8カトリックの名無しさん :2024/05/22(水) 12:58:51
>>2-7よりつづく

★カトリック教と仏教 ――私は、なぜカトリック教を信ずるか
 「マニラの eそよ風」より
 https://www.immaculata.jp/mag2006/manila345.html

★カトリック教と仏教 ―私は
 「マニラの eそよ風」より
 https://immaculata.jp/mag2006/manila343.html


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20 ★聖体奉仕会4~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~★ (Res:310)All First100 Last50 SubjectList ReLoad 20
1カトリックの名無しさん :2022/05/24(火) 12:49:43
秋田県秋田市添川湯沢台の聖体奉仕会、秋田の聖母マリアについてお話しましょう。
秋田の聖母マリアのメッセージとは、101回の涙の意味、共にお話しましょう。

★秋田の聖母マリア
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2

前スレ
★聖体奉仕会3~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1632563801/
★聖体奉仕会2~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~
 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1537414729/
★ 聖体奉仕会~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~
 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1435744378/

304D.Christian☆Mary☆Jacob Israel :2024/04/01(月) 20:04:15
★☆★主の霊がわたしの上におられる。
   貧しい人に福音を告げ知らせるために、
   主がわたしに油を注がれたからである★☆★

>>303よりつづく
★あなたは知らねばならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを。
 この方は、御自分を愛し、その戒めを守る者には千代にわたって契約を守り、
 慈しみを注がれるが、御自分を否む者にはめいめいに報いて滅ぼされる。
 主は、御自分を否む者には、ためらうことなくめいめいに報いられる。
(申命記7章9節-10節)

★「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
  今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
  今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
  人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


305D.Christian☆Mary☆Jacob Israel :2024/04/01(月) 20:09:10
>>300-305よりつづく

★聖体奉仕会4秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~レスリスト★
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652359051/775-777
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/516-518 
         https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1652509932/543

★本日24年4月1日のレスポンス→◆Seitai4-65★☆★主の霊がわたしの上におられる
                        貧しい人に福音を告げ知らせるために
                        主がわたしに油を注がれたからである★☆★  
                            →>>300-305


306カトリックの名無しさん :2024/04/17(水) 09:54:35
★ #619 天満橋バイブル倶楽部「2024年の国際情勢を聖書預言で読む」
 ~パレスチナ問題に潜む闇~
 講師:高原剛一郎 2024年3月27日 チャンネル登録者数 6.84万人
 https://www.youtube.com/watch?v=XQ09GgYddRM

★ハマスの延命に手を貸す日本外交 ごうちゃんねる チャンネル登録者数 4.48万人
 https://www.youtube.com/watch?v=_03mdb4sjUk

★2024年3月16日(土)「聖書から読み解く国際情勢」
 ―ハマスのテロ攻撃で激変する今後のイスラエル・世界情勢― 高原剛一郎
 https://www.youtube.com/watch?v=zBTIoderdqc

★新しいエルサレムの大きさ ダンテから永井豪まで魅了した黙示録?
 あっさり黙示録#74 ごうちゃんねる チャンネル登録者数 4.48万人
 https://www.youtube.com/watch?v=zKDP2nYsL8Y


307カトリックの名無しさん :2024/04/17(水) 10:05:58
>>300-307よりつづく

★宝石でできた首都新しいエルサレムの意味
 あっさり黙示録#75 ごうちゃんねる チャンネル登録者数 4.48万人
 https://www.youtube.com/watch?v=Hgh7HCubBJM


308D.Christian☆Mary☆Jacob Israel :2024/04/23(火) 17:41:16
>>300-308よりつづく
★☆★人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです★☆★
主イエス・キリストご自身が旧約聖書にある神さまの御言葉を用いて、
ご自身の到来の預言を解き明かしておられるのに、
グノーシス主義の方々はどうして、
その旧約聖書の神さまの御言葉を否定できるのか、理解に苦しみます。
新約聖書には聖書の御言葉が引用される個所が他にも数多くありますが、
当然のことながらいずれも旧約聖書のものです。

神さまは御子主イエス・キリストに
私たち人間ひとりひとりの罪を負わせ十字架にかけることで、
私たち人間ひとりひとりの罪を赦し、
私たち人間ひとりひとりにご自身との親しい交わりの関係を
回復する道を開いてくださいました。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


309D.Christian☆Mary☆Jacob Israel :2024/04/23(火) 19:39:11
★人生は神様のみこころに触れて神様を知るためにだけ許されてる時間だといっても過言ではないと思う
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12469/1655165932/124
            ↑
心の琴線に触れるいい言葉に出会えました。
信仰に生きることを知っている人でなければおそらく言えない、
生きる意味、その尊い価値をありのままに表現した
美しい言葉といえるのではないでしょうか。

しかし、この文章の尊い意味を理解できる方々が、
今の日本にどれだけおられることか。
本当に悲しい、キリスト者が1%もいないこの国で、
おそらく世の終わりのときに救われる人は3分の1もおられない。

異教のお筆先ですが「日月神示」によれば日本の総人口のうち、
救われる人は3%もいないという。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


310D.Christian☆Mary☆Jacob Israel :2024/05/22(水) 12:50:13
>>298-309よりつづく

以下のスレッドへ移行しています。
        ↓
★聖体奉仕会5~秋田の聖母マリア101回の涙の奇跡~★
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12469/1715557270/


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