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カトリックなこと

1カトリックの名無しさん:2014/10/15(水) 02:41:26
カトリックなこと

2カトリックの名無しさん:2014/10/15(水) 03:55:55
大村の獄屋にある39人のキリシタンは、スピノラ神父を先頭に、馬に乗せられて長崎に送られた。
1622(元和8年)9月9日のことであった。
そして、あくる10日は、この39人に、長崎の獄にあるキリシタン16人をも併せた55人が処刑された日である。
このうち、焚殺された者が25人、斬首された者が30人であった。

刑場は、例の立山であった。
周囲には、矢来が結んであった。

刑柱25基が立て連ねてあった。各柱の前に、3尺ほど放して5尺余の溝を掘り、水を注いだ薪がその中に積み重ねてあった。
これは、火勢をゆるくして、刑徒をながく苦しませるための策略であった。

刑場の上座に席が設けてあった。それには、検視役の長崎奉行代理助大夫と大村の家臣彦左衛門が座っていた。
そして、配下の役人士卒らがその左右に並んでいた。

矢来の外には、おびただしい兵卒が、弓矢、鉄砲、なぎなた刀などを持って、厳重に警衛していた。

集まって来たキリシタン宗徒は、実に数万とかぞえられた。刑場をとりまいて聖歌を唱えた。
また、海上に船を浮かべて、はるか殉教の丘に祈りをささげる者もあった。

刑徒55人は、静かに刑場に入って来た。
奉行代理助大夫の前に進みでた。
助大夫はあらためて罪状と刑罰を宣告した。それが終わると刑卒らは、彼らをそれぞれ設けの場所をへとつれていった。
そのとき、80歳のおばあさん、ルシアが級友たちにむかって叫んだ。

「老いさらばえる女であるからといって、構えて御懸念なさるな。
 昔の殉教者、セシリア、アガタ、アグネスなど、
 また同じくかよわき女性の身であったではないか。
 御主の名によって死ぬ者、聖霊の功徳をこうむって男も女も隔てはない。
 だから、快く猛火に焼かれて、異教徒ばらの胆を奪ってみせよう」

ところが、この老女のかたわらにいた役人がこれを聞いて怒り、ルシアの手に持っている十字架と
身に着けていた修道会の肩衣(=スカプラリオ)とを、もぎとった。
だが、老女は少しも屈せず、さらに声をはりあげて聖歌「マグニフィカト」を高唱するのであった。

カルロ スピノラ、
フランシスコ モラレス、
イヤシント ヨゼフ等をはじめとして9人の外国人宣教師、及び一人の日本人宣教師、木村セバスチヤ
またペトロ三輔以下9院のキリシタン武士、老女ルシヤ、ポーロ田中、トマス赤星等11名の宿主および伝道士の
都合25人が、火刑に処せられることになり、柱に縛り付けられた。

斬首される30人は、
前奉行村山の妻マリア、
ドミニコ常陳の妻イザベル等をはじめとする宿主や伝道士ら妻子家族であった。
12歳の少年があった。
5歳の幼童があった。
3歳の嬰児もあった。
これらはみな、火刑に処せられる者と相対して一列に並べられたのである。

さて、時は近づいた。

2列に向いあった殉教者55人一同は、たがいに黙礼して最後の決別をした。
そして声を合わせて聖歌を唱えた。場外の群衆もこれに和した。

聖歌は終わった。30人は静かに瞑目した。25人は天を仰いで祈った。
処刑は、まず斬首からはじまった。

囚われた信徒の後に立つ剣手の白刃がつぎつぎにひらめくたびに、一つの体が地に伏していった。
村山マリアも刃の下に倒れた。
イサベルの首も落ちた。
つぎはその子イグナシヨである。
この4歳の幼児は、かたわらに首のない母の惨死を見ても不思議に泣かなかった。
そして、こんどは自分の番と知ったのであろう。
小さな手を地に突いて、自ら頭を伸べた。
これを見た剣手は、刃を下すのにとまどった。
これを見た場外の群衆は、一時に号泣した。
柱に縛られている殉教者たちも、また涙ぐんだ。
役人らも目を背けた。
剣手のためらうのを見た助太夫が検視席からどなりつけた。

「私情のために公儀はまげられぬ。なにをちゅうちょするのか」

はっとした剣手は刃を取り直した。たちまち一条の白い光がひらめいた。すべては終わったのである。

はねられた30の首は獄門台にのせられて、火刑を待つ25人の面前にならべられた。
だが、これによって聖徒たちの意気は少しもひるまなかった。

3カトリックの名無しさん:2014/10/15(水) 03:56:05
スピノラ神父は大声で叫んだ。

「役人たちよ。
 汝等は、すでに罪のない義人30名を殺戮した。
 殺された彼らは幸いであるが、殺した汝等はわざわいであることだ。
 われらが来たのは、天主の御子キリストの教えを、日本全国に布教して、
 汝らを、まことの神の御手に救っていただくためなのだ。
 まことの天主は、慈悲の手をひろげて、汝等が来るのを待っておられる。
 しかし、将軍徳川殿をはじめ、汝等、政路の司らは
 天主の慈悲を拒んで、かえって天主の信徒を殺戮する。
 汝等、なお、悔いて改めなかったならば、
 やがて死が襲って、汝等を永劫の火に投げ入れることになるだろう。
 わたしが焼かれるのは一時の火である。
 汝等が焼かれるのは、永劫の火である。
 耳あるものは、わが最後の言葉を聞きなさい」

そしてまたスピノラ神父は、さらに殉教者たちを見回していった。

「兄弟たちよ。
 われら弱い人間が今日のような極刑に耐えることができないのは当然のことである。
 だから、これに耐えることが出来るのは、人の力によるものではない。
 いつに、天主の聖寵によるものである。
 天主の為に命を捧げようとする者は、天主はこれに限りなき力を与え給う。
 だから兄弟たちよ。
 完全な信頼をもって、ただ天主に信頼せよ。
 天主は必ず御身らを助けて、御身らの殉教を完うしてくださる」

ついに薪に火は転ぜられた。
赤い焔が地を貼った。
黒煙があたりをたちこめた。
火勢が強くなると、獄卒たちは、水桶を持って走り、水を注いでこれを弱めた。
犠牲者の苦痛を出来るだけ長くするのである。
そして、また、苦痛にたえかねて転宗する者が出れば刑を赦そうとの下心からでもあった。

しかし、殉教者たちは、黒煙のうちにあって、毅然として動かなかった。

このようにして時は刻々と過ぎた。

苦痛は次第につのるばかりであった。
この火焔の中にあること、実に2時間であった。
このようにして火刑は終わった。

異臭はいたずらに地を這い、余煙むなしく天に迷った。
そして、群衆3万人の悲しみは長かった。しかし悲しみが長いのは、地上に残ったものだけであった。
汚身を血で洗って、天に翔け昇った聖徒55人は、すでに栄光の座についているのであろう。

熱火の呵責も、白刃下の苦悶も、彼らは天国でこの栄冠を得たと思えば、安い価であったと思ったことでもあろう。

55人の遺骸は、厳重な監視のもとに3日間刑場にさらされた。

しかし、求道者の数は日を追って増していくばかりであった。

「キリシタン殉教史」より転記

4カトリックの名無しさん:2016/08/18(木) 09:22:14
感心しました。


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