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仏教住職がカトリックに改宗

4カトリックの名無しさん:2014/10/16(木) 20:48:05
 ここに至って、彼は長年鍛へた熟達した長い冥想と外的感受性の克服に依り容赦なく自己分折をした。

 今日迄、彼は人は自力によりすがらねばならない事。救ひとは自己波却に他ならぬことを教えられて来た。しかし長い、曲折に富んだ彼の半生は、彼に、人間の真の弱さ、脆さと、哀れな小さな心の上に首位を占めようとして互に競ふ「光と間」「所信と方便」「道徳と行状」の絶問ない対立を教へたのである。

 「だが、今こそ、私は私の救主を見出した」と彼は云ふ。「仏佗は偉人の一人である。しかしキリストは無比である」と。準備が終った時、彼は座して、己が宗派の本山に当て、辞表を認めた。「私はようやく、生涯を通じて、私を責めさいなんで来た、疑問をとく事が出来ました。カトリック教会は、これらの疑問への解答を把持しています。私は、今、自分の良心に従はねばなりません。今迄私を友として下さつた皆様も、やがて何時の目にか、私の後に倣はれる勇気を、お見出しになるよう、祈って止みません。」

 既に言ったように、彼は御昇天の大祝日に受洗した。吉井氏夫妻は、これより三日の後、列聖された聖ピオ十世をあがめて、霊名にはピオとピアを選んだ。

 今、彼はピオ十世が祭壇の栄誉に上げられた丁度その日、聖体の教皇を記念して祝別された飾磨の新教会で伝道士として働いている。彼はここで、彼の新しい師、キリストを教へている。

 若いカトリック信者のように、夫妻は我々の手本である。彼等は毎朝五時に起床し、祈りを誦え、黙想をする。毎日ミサに与り御聖体を拝領する。彼等の奮発心と熱心は司祭の百の説教程の力をもつ。

 今日、又、私の診療所を一人の仏僧の妻が訪れた。彼女は癌を煩ひ、その苦痛にもだえ苦しんでいた。「どうぞ、私に易しくキリスト様を教へて下さいませんか」と彼女は乞ふのだった。「私はキリスト様の事が知り度くてたまりません」

 そこで私は〃吉井さん〃を呼んだ。今、彼はこの婦人に教理を教へている。きつと自分の改宗記も語っている。であろう。

 彼はこの改宗記を書き上げた。私達はこれを出版したいと思っている。これはキリストと彼自身への感銘深い証明で終っている。「私は、カトリック信者になりました。真理を愛したるが故に…….」

於姫路


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