3月25日、教会暦で受胎告知の祝日に当たるこの日、ベルナデットは人影に名前を聞くと、人影は Que Soy Era Immaculada Councepciou と答えた。これは、ルルド地方のビゴール方言で「私は無原罪の御宿りです」の意である。無原罪の御宿りの教義は、1854年に正式に信仰箇条としてローマ教皇ピオ9世によって宣言されていたが、当時の教会用語はラテン語であり、正規の学校教育を受けたことがなく標準フランス語すら解さなかったベルナデットが教義の内容を知るわけもなかった。ベルナデットは意味がわからぬまま、「あれ」が発した「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ」という言葉を忘れないように帰途何度も反芻し、その言葉を先のペラマール神父に伝えた。それまでベルナデットの言葉に半信半疑だった司祭は驚愕し、聖母マリアの出現に間違いないと確信した。