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ファティマの聖母

1カトリックの名無しさん:2024/05/13(月) 10:11:32
★ファティマの聖母

 ファティマの聖母(ファティマのせいぼ、葡: Nossa Senhora de Fatima)は、
 カトリック教会が公認している、ポルトガルの小さな町ファティマでの聖母の出現譚の一つ。
 ローマ教皇庁は奇跡として認めたが、第三の予言は長年にわたり秘匿した。
 何万もの群衆を前に太陽が狂ったように回転して見えたり、水源のないところから水が湧き、
 飲む者に奇跡的な治癒があったりしたことから、
 1930年10月13日現地管区レイリア司教によってこの出現は公認され、
 同年教皇ピオ12世は同地に巡礼する者への贖宥を宣言した。

 1967年には教皇庁により
 最初の聖母の出現のあった5月13日がファティマの記念日に制定され、
 歴代ローマ教皇が巡礼に訪れたり、
 この出現のメッセージに基づき幾人かの教皇が世界を奉献する式を行った。

>>1-13へつづく

2カトリックの名無しさん:2024/05/13(月) 10:16:45
ファティマの聖母 2 >>1よりつづく
◆ 概要

 1916年春頃、ファティマに住むルチア、フランシスコ、ヤシンタら3人の子供の前に
 「平和の天使」と名乗る14-15歳位の若者が現れ、祈りの言葉と額が地につくように身をかがめる祈り方を教えた。
 その後も天使の訪問は続いた。
 1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母が現れて
 毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。
 子供たちは様々な妨害に遭いながらも、会い続けて様々なメッセージを託された。
 聖母からのメッセージは大きく分けて3つあった。


1、 死後の地獄の実在:多くの人々が罪な生活、傾向によって、死後地獄へ導かれている。
   肉欲や傲慢など現世的な罪から回心しないままでいることにより、 
   人は死後、永遠の地獄へと行く。
   具体的に、聖母はこの少女ら3人に7月13日、地獄のビジョンを見せ、
   彼らはそのあまりの光景に戦慄した。
   地獄は神話ではなく実在し、そこは全ての人が死後行く可能性のあるところで、
   入ったが最後、二度と出ることはできない。


2、大戦争の終焉と勃発:第一次世界大戦は、まもなく終わること。
  しかし人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに大きな戦争が起き、
  沢山の人が死に、そしてその多くが地獄に落ちてしまうこと。
  その前兆として、ヨーロッパに不気味な光が見えること。

3、秘密:聖母マリアは、1960年になったら公開するように、
     それまでは秘密に、とルシアに厳命した。
     その内容は「ファティマ第三の秘密」と呼ばれ、
     ルシアを通じて教皇庁に伝えられたが1960年が過ぎても教皇庁は公開せず、
     2000年になってから発表に踏み切った。
     教皇庁によれば教皇暗殺の危機だとされる。
     ヨハネ・パウロ2世は、ファティマ出現記念日である1981年5月13日に発生した事件を
     東欧の政権による暗殺未遂と発表しているが、後述する理由から疑問視する意見もある。
>>3-13へつづく

3カトリックの名無しさん:2024/05/13(月) 10:29:26
>>1-2よりつづく 聖母から教皇への要望は以下であった。

1、ロシアの奉献:ロシアを聖母に奉献し、
  ロシアが引き起こしかねない災厄と誤謬から世界を救うこと。
  また祈り、カトリック信者はロシアの回心と世界の平和の為に、ロザリオを唱えること。

2、人々の回心:カトリック信者は毎週主日に聖体拝領するように。
  そして、よく告解し、罪を避け、敬虔な生活を送るように。

 聖母からの大きな奇跡があった。

1、1917年10月13日、集まった一万人の群衆は雨に濡れていたが、
  太陽が狂ったような急降下や回転を繰り返し猛烈な熱で彼らの服は乾いてしまった。
  世界各国の天文台で当時こうした太陽の異常行動は確認されておらず、
  群衆全員が同じ幻覚を見たことになる。
  居合わせた新聞記者たちも目撃しポルトガルのあらゆる新聞に大々的に掲載された。
  群衆を散らすために山岳兵連隊が動員されたが、彼らも奇跡を目撃して直ちに回心した。

2、多くの人々はこの奇跡は世の終わりのことを指していると考えて恐怖を感じた。

 後年にカトリック教会・ローマ教皇庁はこの一連の現象を聖母の出現と公認し、
 5月13日はファティマの聖母の出現記念日とされた。
 出現を受けた3人のうちフランシスコ・マルトとヤシンタ・マルトの兄妹は
 聖母の預言どおりにまもなく病死して2000年にヨハネ・パウロ2世により列福[18]されている。
 残る一人のルシア・ドス・サントスは修道女になり「予言」の内容を教皇庁に伝え、
 2005年2月13日に97歳で死去している。
 一連の奇跡や教皇庁の認可、啓示などからファティマは有名になり、
 カトリック信者の大規模な巡礼地である。
 ヤシンタ・マルトの遺体は1935年と1951年に墓地から掘り返されたが
 顔周辺は全く腐敗しておらずに奇跡とされ、現在はファティマ大聖堂の中に安置されている。

>>4-13へつづく

4カトリックの名無しさん:2024/05/13(月) 10:34:44
ファティマの聖母 3 >>1-3 >>3よりつづく
◆ 永遠の地獄

ファティマの啓示の第一部分は、人の死後の地獄についての警句である。

1、きっかけ

 1917年7月13日、いつものようにカベソの丘に三人が行くと、
柊の木の上に聖母が現れ、ルチア達は回心、癒し、他、幾つかの恵みを願った。
対して聖母は、その人達がいつでもロザリオを唱えるなら、
年内にその恵みが叶えられることを約束した。
また罪人の為、イエズスへの愛の為に祈るように、聖母は言った。
様子を見に群衆が集まっていたが、ヤシンタらの父親のマルトも来ていた。
彼によると、その日、出現が始まった時、木の上には灰色がかった雲がかかり、
真夏だというのに冷たい風が山から吹き下りてきた。
空き瓶の中で飛び回っているハエの羽音に似たような音も聞こえてきた。

2、ビジョン

 三人のひとりであるルチアによると、聖母は上述のように言い終わると、
また以前にしたように手を広げた。
その両手からの眩しい炎は、地を突き刺すかのように見えた。
そして、三人は火の海を見た。ルチアはその手記に記す。

「マリアは、私達に広い火の海をお見せになりました。
それはまさに、地の下にあるもののようでした。
この火の中に、サタンと人間の形をした魂とが閉じ込められていました。
この魂は、透き通るように燃え上がる燃えさしのようで、全ては黒く、
あるいは、光り輝く青銅色をしていて、大きな炎の中に漂っていました。
彼らは自分の中から放つ炎によって、巨大な煙の雲とともに空中に吹き上げられ、
ぞっとするような、しかも恐怖に震え上がるような苦痛と絶望の悲鳴とうめき声を上げながら、
重さもバランスも失って、火花のように大火の中を四方八方に飛び散っていました。
サタンは、見たこともない奇怪な動物の形をしていたのでそれと分かりましたが、
戦慄を覚えさせるような気味の悪い形相をしており、透明で黒い色をしていました。」

 この幻視は一瞬間しか続かなかったが、
もし聖母が天国に3人を連れて行く約束をしていなかったら、
恐怖のあまりそこで死んでしまっただろうと後日ルチアは述懐する。
聖母は、地獄に堕ちた哀れな霊魂の姿であり、そこに入ったが最後、
二度と永遠に出ることができないと説明した。

3、カトリックへの影響

 後年、聖母は人々の罪やカトリック信仰、
世界の行く末を話した上で後述する祈りの一文を教えて、東の空高くに姿を消した。
この祈りはファティマの祈りとして教会に認可されて世界多くのカトリック信者の間に広まった。
三人は戦慄して中でもヤシンタは常に地獄のことを気にかけるようになり、
後日同年から1920年にかけて個人的に何度か聖母を見聞きしたと話した。

 「他のどの罪より多くの魂を地獄に落としてしまうのは、肉欲の罪です」
 「私達の主がお喜びにならないファッションが流行するでしょう。
神に仕える人達が流行を追ってはなりません。教会は流行と無関係です。
私達の主はいつでも同じですから」
 「世の罪は本当に大きいのです」
 「もし人々が永遠を理解することができたら、
彼らは自分達の生き方を変えるためになんでもするでしょうに」。

 もうすぐ戦争が起き、その戦争で死ぬ人の殆どが地獄に落ちてしまう、と悲嘆にくれた。
後に教皇ベネディクト16世となるヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、
こうしたファティマの啓示を祈りの勧めであると同時に悔い改めと回心への招きであるとしている。

(写真は、地獄の光景を聖母に見せられて、戦慄する子供たち)
>>5-13へつづく


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