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仏教住職がカトリックに改宗
3
:
カトリックの名無しさん
:2014/10/16(木) 20:47:46
序
文学博士 ヨゼフ・スパー
私にとつて、今年最大の慰めは、七十二才の吉井滴水師が、夫人ともども、主の御昇天のよき日に、めでたく受洗された事である。
ああ、御聖寵の道の絶妙にして、測り難きことよ、吉井氏は、過去半生を禅僧として仏に仕へて来られたのである。そもそも六才で寺に托せられ、爾来仏教伝道師、社会事業家となった彼は、その中四年間を、遍歴説教者として、カリフォルニヤに過し、つい二三週間前迄は、姫路北方の古寺の住職をしていたのである。
併し、生命そのものなる御者、生命の喜びなる御者は、その高貴な魂を、自力本願の禁欲主義の薄闇から、義の太陽の白昼の光へと、徐々に向はせ給うたのである。
吉井氏は、次のように云っている。「私は延長七十ニマイルのトンネルから、出て来たような気がする。中はじめじめとして真暗だった。しかし今、私は信仰の爛々たる輝きの中に、真理の慰めに充ちた暖さの中にいる。そして新しい家庭の真中にいる自分を見出すのだ。この家庭は新しい。が、私が立去った家庭よりも古いのである。私は故郷に帰りついた。私は平和を見出したのだ」
今尚、吉井氏は、自分にキリストをもたらした仏教に、感謝している。彼は自己制禦が、英雄的度合いにまで達し、自己消滅が内的進歩の値とも、賞とも見なされている、もっとも厳格な一派に属していた。
病は計らずも、彼を私の診療所に連れて来た。私は彼の瞳に宿る一抹の不安と、魂の悲しみとを見てとった。
彼は告白した。「貴方々カトリックの司祭は、自分の愛する御者、又貴方々の信仰によって貴方々を愛して居られる御者の為に働いています。私には信仰がありません。私共仏僧が念仏をとなえるのは、報酬を更けるからなのです。私共には召出しなどはないのです。」
彼は、私の教理のクラスに出席するようになった。彼は広範囲にわたって読書し、こまごまと質問し、毎日の祈りを怠らなかつた。教理のクラスを了って家に戻ると、彼はかかさず、その日聴いた事を夫人に話してきかせた。今度は夫人が質問する時である。氏は次のクラスの時、私の解答を求めこれを注意深く書き取っていた。
このようにして、一年以上が過ぎた。彼は一度も教理の勉強を欠かさず、御聖体の尊前で長時間を過していた。彼は荒れ狂ふ熱情に翻弄されて、悪用した青春から立戻ったアウグスチヌスではない。いな寧ろ、真理の断片を一片一片見出しては、敬虔にこれを老後の霊的若さの型にはめこんでいったニューマンの静穏な上昇であった。
教会を訪れる度に、我々の宗教にもつ隠れた、しかし明白な美に、彼の驚愕は増すばかりだった。
彼は既に、ハワイのダミヤン神父のモロカイ島訪問の折り、之を感じていたのである。或は又、開拓当時のカリフォルニヤにセッラ神父の遺した教化の跡に眼を見はった事もあった。そして四年前から姫路に於ける我々の事業−或は貧者の為、或は盲人の為、彼自身の言葉を借りれば一碗の飯か一連の笑を必要としている総ての人を相手にした我々の事業を注意深く観察して来たのであった。
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