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ルルド

14カトリックの名無しさん:2015/05/13(水) 23:31:17
ルルドの聖母 12
◆ ヌヴェール時代

 パリ外国宣教会のテオドール=オギュスタン・フォルカード神父は、幕末期に沖縄に滞在して日本布教を準備していたが、帰国を命じられてヌヴェール教区の司教に叙階されると、フランス全土で有名になり毎日訪問者の好奇の目に悩まされていたベルナデットを修道院に匿うべく尽力した。

 パリからやって来る名士たちのインタビューは、単に煩瑣という理由以外でもベルナデットの困惑の種であった。なぜなら、「彼女は山あいの方言しか使ったことがなかったので、フランス語は彼女にとって外国語」であったからである。「わたしは貧しく必要な持参金を持っていません」というベルナデットに対して、持参金なしでも入会した例をフォルカード神父が語ると、「持参金なしでも入会できたお嬢さんたちは、手先が器用だったり、頭が良かったりするのでしょう。わたしは何もできませんし、何のとりえもないんです」と答えた。すると、「今朝この目で見たが、にんじんの皮むきができるじゃないか」と説得し、1866年7月7日、ブルゴーニュ地方にあるヌヴェール愛徳修道会への入会を斡旋。

 17世紀に創設された愛徳修道会は、「不幸な人々以外のことに、決して関心をもってはいけません。その人々を心から助けること以外の心づかいや心配を、決してもってはなりません」というドゥラヴェンヌ師の言葉を会則としており、貧しい家庭の女の子に初等教育を施すことと、誰からも望まれない老人を迎えることにとりわけ意を用いていた。愛徳修道会は、ルルドに養護施設と学校を持っており、ベルナデットはそこで学んでいたので、同会のシスターたちはもっとも身近な存在だった。ベルナデットが持参した財産は、一本の日傘と手提げかばんだけだった。

 ヌヴェールでベルナデットは、「スール・マリー・ベルナール」という名前で修道女となる誓願を立て、さまざまな雑用や看護婦としての仕事に従事し、1879年4月16日、35歳で死去した。


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