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沈黙
9
:
カトリックの名無しさん
:2017/01/09(月) 00:44:23
キリストの目で眺めるとなると、もう人間的なものではなくて、この世をさかさまに眺めるとでも言えるであろう。たとえばキリストは、「心の貧しい人は幸せ」「泣く人は幸せ」「正義のためにしいたげられる人は幸せ」と言ったが、これは人間の口から出るせりふではない。
人間の頭で考えれば遠藤氏にとっても、私にとっても、ふみ絵をふめと強制された昔のあわれな人々は、決して「幸せな人々」ではなかった。かれらは、すべての自由をうばわれ、さらに、今、このふみ絵によって生命さえも断崖に立たされていたのである。イエズスが、「正義のためにしいたげられる人は幸せ」という自分の信念をすてて、ただこの弱いあわれな人々の今のしあわせだけを考えたならば遠藤氏のいうようなことになっただろう。
「私はお前たちが、弱くて、あわれな人々だと知っている。私は、そういうお前たちを救いに来たのだから、この際私を裏切ってもよい。すててもよい、私に対しての愛、誠実をも忘れてよい。お前たちの大切な命を救うがよい。幕府の役人にお前たちは責められているが、それに対してはずるがしこく立ち向かって、自分の生命を救うがよい。そうすれば私は、後から何でもゆるしてあげる」。
だが、もしそれが事実なら、これ以上危険な道はない。われわれはみな弱いし、日々体験しているように、実にあわれなみじめなものである。日々、人間として信仰者として、われわれは、いろいろな意味でのふみ絵の前に立たされている。キリストと、キリストの国と、キリストの愛をえらぶか、それとも、あなた自身の傲慢と、利益と邪欲とのいずれをえらぶかが、日々ためされている。
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