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日本語のローマ字綴りについて

1やぱーの@管理人:2006/09/12(火) 18:33:51
なぜか反日的な活動をなさる方々が多い日本のエスペラント運動の中で、
ことローマ字綴りのことになると「国粋的」になる方々が多い。
不思議な現象です。

なんと日本のエスペラント界では訓令式が大はやり。
というのはカナモジ主義者やローマ字国字主義者が多いからでしょうね。

でも、ちょっと待った!
外国人に優しい日本語のローマ字綴りは訓令式でしょうか?
たしかに、日本語の活用等では訓令式のほうが良いかもしれませんが、
そもそも日本語をローマ字表記する目的は何でしょうか?
漢字を廃止するのならわかりますが、そんな必要性はサラサラ無い。

ただ単純に、地名表記、単語表記くらいです。
それだったら、Tibaを【ちば】と読ませるよりもChibaを【ちば】
と読ませたほうが余程外国人に親切ではないでしょうか?

65kmns:2006/10/22(日) 18:44:37
日本語をローマ字化しようとする勢力は今はない。だから、ことさらにローマ字は讀みにくいと強調することはない。それは當たり前なのだ。しかし、ローマ字では讀みにくいといふことを證明したいなら、もっと讀みやすい方法で試すべきではないか。

66松戸彩苑:2006/10/22(日) 19:18:32
>>65
人数は少ないですけど、いないわけでは無いんですよ。

社団法人 日本ローマ字会
http://www.roomazi.org/

財団法人 日本のローマ字社
http://www.age.ne.jp/x/nrs/

67kmns:2006/10/22(日) 20:03:30
ものはためし、日本語wikipediaの「ローマ字論」のノートの轉寫例に平家物語の冒頭を挙げた。讀んでみて欲しい。

ワ行子音wはア段でしか實現されない。au は ア段音ではない、從って tenwau が天皇の讀みであるわけだ。

68kmns:2006/10/22(日) 21:09:15
wikipediaの轉寫例、以下の部分までは出してゐなかった。補足します

其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子
sono senzowo tadzunureba kwaumu tenwau daigono wauzhi

69kmns:2006/10/23(月) 07:54:44
桓武が kwunmu となってゐた。kwanmu の間違。

ところで天皇を tenwau とすること、w が發音されないことは書いたが、直前の撥音と母音 au との間を切って繋ぐ、つまり open であり且 + である境目なので英語でいふ open + juncture を思はせるものがある。すなはち連聲。ハ行轉呼音も似てゐる。切るやうで語中の印。テフテフは te`ute`u だ。語中だとして外してみれば teuteuに等しい。eu は you のやうに發音される。これは五十音圖の各行についてみると例外なくさうだ。サ行とタ行の場合は先行子音を口蓋化して、この場合チョウチョウとなることが納得できる。

70kmns:2006/10/23(月) 07:56:15
ミスを重ねた。kwammuとすべきであった。

71kmns:2006/10/23(月) 09:33:21
wikipediaの轉寫例に加筆した。

ところで、英語wikipediaのRomanizationの項をみると、ローマ字を翻字式(transliteration)と表音式(transcription)に分け、日本式は翻字式だとしてゐる。また表音式をphonemicとphoneticに分け、ヘボン式をphonemicだとしてゐる。

日本式は長音を認めてゐた。決して翻字式ではない。また、ヘボン式をphonemicといふのも解せない。phonemicとは當該言語について言ふこと。ヘボン式は子音について英語式だ。このため日本式の人は自分たちこそphonemicだと主張してゐたのではなかったか。

大分混亂してゐる。それともこちらの理解に問題があるのだらうか。

72kmns:2006/10/28(土) 10:47:37
wikipedia「ローマ字論」のノート
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%AD%97%E8%AB%96#.E6.93.B4.E5.BC.B5.E3.83.98.E3.83.9C.E3.83.B3.E5.BC.8F.E3.81.AE.E7.AB.8B.E5.A0.B4.E3.81.8B.E3.82.89

の冒頭の章に「新しい皮袋を」といふ題で71への回答のやうなことを書いた。乞御參照。

73kmns:2006/11/04(土) 09:02:40
井の中の蛙
http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/
の17でアメリカ教育使節團報告書のローマ字化問題について書いた。

ところで女子バレー選手にに荒木繪里香といふ選手がゐる。背に Erica とある。

旅券事務執務參考書(平成18年3月20日施行)第5条2項の規定に「氏名はヘボン式ローマ字によって旅券面に表記する」としたあと、但し書きがあって、外國人と婚姻または親子關係があり、外國式の姓又は名が戸籍に記載されている者については同人の渡航の便宜上から例外的に非ヘボン式表記を認めてゐるとのこと。旅券は Erika なのだらうか。

なほ、外務省のいふヘボン式とはヘボン式ローマ字表のこと。表だけで言へばいろいろの方式がヘボン式でくくられる。これが混亂のもとだ。これは日本語wikipediaの「ローマ字論」ノートに書いた。

74hero:2006/11/04(土) 13:10:08
>>71
ところで、英語wikipediaのRomanizationの項をみると、ローマ字を翻字式(transliteration)と表音式(transcription)に分け、日本式は翻字式だとしてゐる。また表音式をphonemicとphoneticに分け、ヘボン式をphonemicだとしてゐる。


ローマ字を使って日本語を日本語として翻訳する。<日本式・訓令式>



ローマ字を使っている外国語(英語)の表音綴りを日本語の表音になぞって綴る方式。日本語のその外国語綴り
<ヘボン式など>

75hero:2006/11/04(土) 13:12:08
こう理解するのですネ。

76hero:2006/11/04(土) 13:13:07
あなたの理解は違うようですね。

77kmns:2006/11/10(金) 08:34:30
heroさんの三回の御發言、小生に向けられたもののやうですが、こう理解するのだと御託宣を承っても困る。共通點まで降りて、そこから道筋をつけて説明して貰ふと有難い。訓令式は翻字式でない、この點はどうなののですか。もし訓令式が翻字式だと言はれるのなら、言葉が違ふのだからもう議論のしやうがない。

擴張ヘボン式が正かなづかひの會の教則本に採り上げられた。その解説に

// ここから
現在行はれてゐる「訓令式」や「ヘボン式」など、所謂表音式ロオマ字表記法では、五十音圖を書き分けられない。一方、翻字式ロオマ字で五十音圖を書き分けるときは、表音性を損なふのが常であつた。K氏の提唱する「擴張ヘボン式」は、翻字式ながら、表音性を損なはず、歴史的假名遣を表現できると考へられる。
// ここまで
とある。

この解説、訓令式やヘボン式が現在行はれてゐるやうになってゐるが、どこでも行はれてゐないのが實際だ。教科書にあるではないかと言へばそれまでだが、あれば文部省の管轄。訓令式ローマ字表やヘボン式ローマ字表のやうにローマ字表部分でみれば、たとへば外務省式もヘボン式なのだらう。ローマ字表で言へば擴張ヘボン式はヘボン式ではない。

78hero:2006/11/10(金) 18:00:16
何か
訓令式だ。翻字式だ。
と、その言葉の形式的な定義にばかりこだわって
何をどうするのですか。

現実の使われ方に着目して、日本語のあり様、日本人の国語理解の本質に迫るのが
一つの
生産的な議論の方向と思いますが、イカガ。

79<削除>:<削除>
<削除>

80Nemaldekstremistocxjo:2006/11/11(土) 07:39:41
ご本人が希望されていないのであれば、>>79は削除対象では?

81hero:2006/11/11(土) 09:57:15
日本語をローマ字を使って書く。
その途端、
それが
日本語
なのか
英語(外国語)
なのか。

英語の中で日本語の固有名詞などを書く時の、その日本語のローマ字綴り
それはある意味、英語世界の中でどうしようと考えること。


それとは別に、日本語文を日本人が発信するために、ローマ字を使う。
それは、日本語の

ローマ字転写 -外国語(英語)発音なぞり、でいくのか。
日本語ローマ字綴りというものをを決めて -ひとつの割り切り決め事、でいくのか。

そういう二つの方向がある。
どちらも、日本語の標準発音をローマ字を使って綴るもの。しかも、どの道音声に対して
完全ではない。
だからといって、どちらでもよいというものではない。

そのローマ字で書いたものが、日本人が日本語として認識しているものなのか、どうか。

不見識なのは、日本人が自分たちの日本語について、英語(外国語)ではこういう風に言うから、とか言う物差しで
日本語を判断すること。

それは英語(外国語)の判断。
一体日本人はどう言うの、どう書くの、それがないと、いけないと思う。

日本語を外国語世界の判断に委ねてどうする。それは第一には日本語世界の側で判断するもの。

82kmns:2006/11/16(木) 13:47:06
學問といふものが人類共通の財産であるためには個々の営みを積み重ねていくことが必要で、その営みにレンガを積む、ローマ字論は、さういふ類のものであるのかどうか。單に出來上がった方式を一つの商品として賣り込むだけのものなのか。いづれにしろ、方式が決まってゐない場合、土臺となるものを確認する作業が必要なはず。そのことによって確かだと思ってゐたことが崩れてもそれは仕方がないことだと思ふ。

日本式もヘボン式も翻字式ではなかった。だから假名遣のことを十分に考へなかったのだと思ふ。翻字式の場合、假名遣に對しては中立だ。ただ、傳統的假名遣も翻字できなければならないといふまで。我が方式でも翻字できない假名がある。次のやうな社名だ

icr アイ・シィ・アール
nctエヌ・シィ・ティ
g-cues ジィ・キューズ
gdlジィ・ディ・エル

方式の名稱、少し圖々しかったかもしれません。Hepburnとしたことについては英語wikipediaのromanizationのdiscussionで書いたので讀んで貰へると有難い。

83kmns:2006/11/16(木) 17:07:03
未履修問題、次々と出てくることと思はれる。ローマ字はどうなのだらう。小學校の教師はローマ字は教へたがらないといふことはよく聞いた。今はどうか。

教員養成のときにローマ字について教へるのか。教へるとしたら、それはどのやうなものか。

小學校では、いつ、何時間かけて、どのやうに教へるのか。

教科書には長音といふのがあるか。それはどうなってゐるか。教科書に複數の方式が載ってゐるか。

ローマ字、すなはち日本語のラテン文字表記で用ゐることのないl q xなども教へるのか。

字母はどう唱へるのか。

チ シ ジャ ヅ ズ ヂ ジはどのやうに書くのか。

複數の方式を教へる場合、名稱はどうしてゐるか。ヘボン式、訓令式といふ語を教へてゐるか

一つの方式を通すべきなのかどうか。バスは吉祥寺がkitijojiだ。これは一番短くなるやうにしたのださうだ。方式のことは氣にしてゐない。

小學校學習指導要領國語には「第4學年においては,日常使はれてゐる簡單な單語について,ローマ字で表記されたものを讀み,また,ローマ字で書くこと。」とある(原文は現代假名遣新字體)

指導要領に言ふ簡單な單語とはどのやうなものか。簡單でない單語とはどのやうなものか。

日常使はれてゐるのは、ヘボン式でも訓令式でもないものばかり。大黒がoguroであるのを不思議がる子供がゐたらどうするのか。

三年生でパソコンを教へることがあるさうだ。ローマ字入力でやるらしい。假名漢字變換のローマ字と指導要領にいふローマ字とをどう關連づけるのか。

84Yoko-Zi "ABC" no NihhonGo no yomi:2006/11/16(木) 21:41:50

1 Ro^maZi wo tukatte NihhonGo wo NihhonGo tosite Hon'yaku suru.
<Nihhon-Siki, Kunrei-Siki de kaku kangaekata>

2 Ro^maZi wo tukatte iru GaikokuGo ;EiGo, no Hyou-on tuzuri wo NihhonGo no Hyou-on ni nazotte
tuzuru Housiki. NihhonGo no sono GaikokuGo tuzuri.
<Hebon-Siki-nado de kaku kangaekata>

Sorede,
1 no kangae dato, Touzen ABC ni tuitemo Zibo no NihhonGo yomi wo sadamenaito okasii.
2 dato, sono GaikokuGo; EiGo, nano dakara, Zibo wo NihhonGo yomi suru niwa oyobanai.


50おん ヨミ
Aア Iイ Uウ Eエ Oオ
Kク Sス Tテ Nヌ Hホ Mム Yユ Rル Wヲ
Gゲ Zゼ Dデ Bベ Pペ
cシ fヒ jジ lリ qキ vビ  xクシ

アルファベット ヨミ
Aア Beベ Ciシ Deデ Eエ Fiヒ Geゲ
Hoホ Iイ Jiジ Kuク Liリ Muム Nuヌ
Oオ  Peペ Qiキ Ruル Suス Teテ Uウ
Viビ Woヲ Xiクシ Yuユ Zeゼ

85kmns:2006/11/17(金) 06:48:18
http://hiramatu-hifuka.com/onyak/onyak2/zibo-1.html

86kmns:2006/11/17(金) 08:34:47
方式の前提となることがらについての議論に方式を持込むことはできない。

「ローマ字をつかって日本語を日本語として翻譯する」と言はれてもなんのことかさっぱり判らない。「日本式、訓令式で書く考へ方」と注記があってはじめてなんのことか見當がつく。つまり、どういふことを指してゐるのかが判る。しかし、何故それが「日本語を日本語として翻譯する」といふことになるのかは依然として判らない。
また、「ローマ字をつかってゐる外國語; 英語」とある。ローマ字をつかふ外國語の代表として英語を挙げてあるやうだが、英語のローマ字のつかひ方は相當に問題がある。これについては「井の中の蛙」
http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/
の18で書いた。

さて、次の歌はいづれも日本語だと思ふ。「日本語として翻譯」して貰へると有難い。できれば「英語の表音綴りを日本語の表音になぞって綴る方式」も並べて欲しい。
これやこの行くも歸るも別れては知るも知らぬもあふさかの關

難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花

安積山影さへ見ゆる山の井の淺くは人を思ふものかな

色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有爲の奥山今日越えて淺き夢見じ酔ひもせず

87[日本語をローマ字を使って書く]:2006/11/17(金) 09:30:51
[日本語をローマ字を使って書く] [ ヨコじ にほんご ]
NihhonGo wo RomaZi wo tukatte kaku, sono Totan, sore ga NihhonGo nanoka, EiGo nanoka Kubetu wa tukanai.
EiGo no nakade NihhonGo no Koyuu-meisi nado wo kaku toki no, sono NihhonGo no RomaZi tuzuri, sore wa aru imi, EiGo sekai no nakade dou siyou to kangaeru koto.
Sore towa betu ni, NihhonGo-Bun wo NihhonZin ga Hassin suru tameni, RomaZi wo tukau.
Sore wa NihhonGo no,
RomaZi Tensya-- GaigokuGo; EiGo, no Hatuon wo nazoru, de yiku no ka,
'RomaZi NihhonGo' to yiu mono wo kimete-- hitotu no warikiri, kimegoto, de yiku no ka,
sou yiu 2.tu no Houkou ga aru.
Dotira mo, NihhonGo no Hyouzyun Hatuon wo RomaZi wo tukatte tuzuru mono. Sikamo dono miti, Onsei ni Taisite Kanzen dewa nai.
Dakara to yitte dotira demo yoi to yiu mono demo nai.
Sono RomaZi de kaita mono ga, NihhonZin ga NihhonGo to Ninsiki site iru mono nano ka douka.
Hu-kensikinano wa, NihhonZin ga Zibuntati no NihhonGo ni tuite, EiGo; GaikokuGo, dewa kouyiu huu ni yiu kara toka, yiu monosasi de NihhonGo wo Handan suru koto.
Sore wa EiGo; GaikokuGo, no Handan.
Ittai NihhonZin wa 'douyiu no', 'dou kaku no', sore ga nai to ikenai to omou.
NihhonGo wo GaikokuGo Sekai no Handan ni yudanete dou suru. Sore wa Daiiti ni wa NihhonGo Sekai no gawa de Handan sinai to ikenai monodearu.

88kakikata:2006/11/19(日) 09:11:58
万葉仮名から常用漢字、現代仮名遣いの現行国語まで、それぞれの
時代状況に対応して変化している。

絶対というものはない。

一時代前の旧漢字、旧かな遣いといえども、絶対ではない。

そういうことを認めて、議論しないといけない。
だから設例の和歌の表記といえども、歌集編纂の時、それから写本の経過で
表記も変化している。
絶対のものはない。
だから、現代表記しても、旧かな表記しても、これらか
ローマ字表記するにしても、何を基準に書くか。
それはいろいろの研究を踏まえないといけない。

89kakikata:2006/11/19(日) 09:12:53
得意がってもね。

90kakikata:2006/11/19(日) 09:14:12
Daâme zyanai no.

91kmns:2006/11/19(日) 17:21:47
84, 85, 87, 88, 89, 90はみな同じ方の御發言ではないかと思はれる。發言者名のところに主題を書かれておいでのやうであるがお氣づきだらうか。名乗って發言して貰った方が判りやすい。

ところで、たとへば、從來のローマ字では轉寫といふ問題の立て方はないのだと理解してゐる。だから、たとへば、伊呂波歌であれば、轉寫つまり翻字でなく、どう表記するかといふ問題にしかならない。さうすると、何時の時代のどの地方の讀み方で表記するかをまづ決めなければなりますまい。まあ現代人の一人として、私の讀み方で表記するとして、問題になるのは分かち書きの單位。日本式の場合、次のやうになると思ふ。

iro wa nihoe do chiri nuru o wa ga yo tare zo tsune nara mu ui no okuyama kyo koe te asaki yume mi yei mo se zu

「ケフ」のところは kyoo とすべきかもしれない。「ヱイモセズ」のところは迷ってゐる。

92kmns:2006/11/19(日) 17:28:23
間違があった。
iro wa nioe do chiri nuru o wa ga yo tare zo tsune nara mu ui no okuyama kyo koe te asaki yume mi zi yei mo se zu

また okuyama は oku yama といふ方法もあらう。

93hero:2006/11/19(日) 21:58:07
転写というのは、文字通り日本語を写しとったもので、その外国語文である。

日本人が外国にローマ字を使って発信するのなら、
翻字が望ましい。それはにローマ字を使った日本語綴り
を決めて表記した新たな日本語文なのである。

94kmns:2006/11/20(月) 08:45:31
假名をローマ字に轉寫するといふやうに、轉寫といふ語を翻字と同じ意味でつかって、日本語を文字で書くのを表記すると言ってゐたが、後者の意味つまり音聲や音韻を轉寫するといふ意味でつかふ場合もあることに氣づいた。轉寫が前者の意味であれば、それは表記體系の問題であって、音聲や音韻の捉へ方の問題は濟んでゐる。しかし、後者つまり表記であれば、場合によっては、新たな日本語文といふことにもなりかねない。さうではないだらうか。

95kmns:2006/11/20(月) 17:10:04
94にまだ間違があった。chiri は tiri、tsune は tune とすべきであった。

Franklinが所謂現代假名遣のやうな綴りで友人に出した書簡にこんなところがある。

If dhis iz sVfishent in dhi rapiditi av diskors, it uil bi mutsh mor so in riten sentenses; huitsh mE bi red lezshurli; and atended to mor partikularli in kes av difikVlti, dhan ui kan atend to e past sentens, huVil e spikVr iz hVrViing Vs alang uith nu uVns.

ただし、

1: th は thの無聲音を示す場合の letter の代用
2: dh は thの無聲音を示す場合の letter の代用
3: sh は shの無聲音を示す場合の letter の代用
4: ng は nghの無聲音を示す場合の letter の代用
5: V は u の音価のうち、圓唇のとれた場合の letter の代用
6: E は a の長音を示す letter の代用

通常の綴りなら

If this is sufficient in the rapidity of discourse, it will be much more so in written sentences; which may be read leisurely; and attended to more particularly in case of difficulty, than we can attend to a past sentence, while a speaker is hurrying us along with new ones.

となる。mutsh は誤記で mVtsh とあるべきところ。合理的なつもりでも本人でもうまくつかへないわけだ。そんなものを審議會の多數決で押しつけることはしなかった。

ヘボン式なら伊呂波はつぎのやうになるのだらうか。

iro wa nioe do chiri nuru o wa ga yo tare zo tsune nara mu ui no okuyama kyo koe te asaki yume mi zi yei mo se zu

實際にこんなに分かつ必要があるのか。分かつ場合の空白も一つの文字。單語單位に細かく分かつのは結構面倒なのだ。

伊呂波歌を音節單位に讀むときとさうでないときとでは別な表記になる、これは止むを得ぬこととして、音韻を表記する立場では時代を決めなければならないわけだから、時代ととに別の表記が必要だといふことになる。本當にローマ字論者はそんなことを考へてゐたのだらうか。

96hero:2006/11/21(火) 09:23:19
単純にその外国語<英語>風の表音でローマ字転写したものなら
外国語の中の
日本語語彙のローマ字綴りだ。
それ自体は日本語文ではナイ。

それはその外国語の言語文化です。

そうではなくて、日本語の言語文化でローマ字表記を考えるべきだと主張します。
そして、それで外国に日本文化を情報発信することを重視したい。
勿論、英語を主にした日本文化の発信もまた重要なことはいうまでもありません。
ただ、第一義的には<日本語で>と言うことを繰り返し強調したいですね。

97hero:2006/11/21(火) 09:27:06
<日本語で>ということに、漢字かな、はたまた旧かな旧漢字は
一部専門の日本学研究家には欠くことのできないものですが、
一般情報交流にはそぐわない。そのあたりをごっちゃにに考えると
話が複雑になるのかな。

98Nemaldekstremistocxjo:2006/11/21(火) 09:55:36
「日本語/国語」のほかに、

Yasasii Nihon-go(Nihono-no-kotoba)

という言語が別にあればいいのかもしれませんね。

99kmns:2006/11/21(火) 13:06:42
日本語の言語文化でローマ字表記を考へるべきだといふこと、それが判らない。

舊假名舊漢字は一般情報交流にはそぐわないといふのも判らない。

舊假名舊漢字は一部専門の日本學研究家には缺くことのできないものといふのも判らない。つまり、大多數の日本人には不要のものとするのか。漱石も鴎外も一葉も、また萬葉も古事記も讀めずとも善いとするのか。或いは書換へるべきなのか。書換へた場合でも舊假名舊漢字のままのものも残すべきなのか。もし書換へるべきだとするなら古歌や伊呂波でやってみせて欲しい。

舊假名舊漢字で書かれやうと日本語は日本語ではないかと思ふ。もしある時代の書き方が現代からみて變だとして現代流に書換へるべきだとFranklinのやうに主張するなら、また現代が将來の時代によって断罪されることを豫め認めなければならないのではないか。付け加へるけれど舊假名が變だと思ってゐるわけではない。むしろ現代假名より合理的だと氣づいたから、今になって假名遣を切替へたくらい。もし舊假名が變だとしたら、舊假名を前提とする部分を含む現代假名も變だといふことになる。それに、過去を断罪する尺度をいつの時代にとったかを考へてみると日本式の生まれた明治期ではないか。外來語の氾濫、NHKのアナウンサーの外來語の發音を聞いても、すでに明治期の尺度は現代的ではない。


表記がそれ自體で言語文化だといふことはあると思ふ。しかし情報といふ面ではたかが表記とみる方が健全ではないだらうか。その方が結果的に表記を大事にすることになると思ふ。

100kmns:2006/11/22(水) 08:34:01
ひょっとしたら「舊假名舊漢字は一般情報交流にはそぐわない」といふのは、現代假名遣のうち、舊假名を持込んだ部分は除いて考へておいでなのかもしれない。日本式やヘボン式でテニヲハをテニオワのやうに書く人があるのもそのためだらうと思ふ。つまりローマ字化のために、それなりに理想的な假名を想定してゐるのではないか。98の方のやうに易しい日本語を別に考へるといふことにもなるのではないかと思ふ。さうやってどんどん考へを押し進めてみるべきではないだらうか。實際にやってみなければどのやうな問題があるかが判らないだらう。

綴り字改良運動が沙汰止みになったのは印刷の普及で衆寡敵せずとなったためだけではあるまい。Franklin は th の有聲無聲を書分けたが Whorf はコソアドに關る語では有聲音、さうでなければ無聲音といふ潜在的文法があると言ふ。綴り字改良案はさういふことをみないで、部分最適で工夫されたものだ。やってみると考へてゐなかったことが見えてくる。Webster も後年は自説を撤回したはずだ。「そのあたりをごっちゃにに考えると話が複雑になる」といふのは退嬰的ではないか。

ついでながら96の「英語を主にした日本文化の發信もまた重要なことはいうまでもありません。」、本當にさうだらうか。

101hero:2006/11/22(水) 09:58:53
閑話休題
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1161161931/


国語力の低下
問題だ。
原因は文字ではありません。
小学校で大切なのは

は な し こ と ば

のコミュニケーション能力。
それを日本語でしっかり培う。
その中で、外来語>英語を教育する。

実は日本語の発音教育は現在、行っていないに等しい。
あたりまえ過ぎると錯覚。
そもそも、そこからが問題。
英語の発音を識別できない、原因です。
日本語の発音教育

発話
の訓練です。

102hero:2006/11/22(水) 10:06:30
radio >> reid'o >> ラジオ >> razio

103hero:2006/11/22(水) 10:07:27
reid'o 訂正 → reid'io

104Nemaldekstremistocxjo:2006/11/22(水) 15:14:37
「日本語」のほかに、Yasasii Nihon-go(Nihono-no-kotoba)

はどうかといいましたが、EngilishとSimple Englishみたいなものです。

Yasasii Nihono-no-kotobaのようにローマ字で書き、できるだけ漢字熟語を除いた文は、第二公用語のようにして市役所などでも表記してもらいたいと思います。
外国人にとっても分かりやすく、分からない語は辞書で引き易いばかりでなく、漢字の読み間違いがなくなり同音異義語が少なくなることで機械音声で読むことも可能で、視覚障害者にとっても便利だと思います。
ローマ字とはいえ簡易な日本文の"文章"なので、活用がわかりやすい訓令式が良いと思います。

こうすることによって訓令式の地位も上がってくるかと思います。

105Nemaldekstremistocxjo:2006/11/22(水) 15:19:52
"Nihon-no-kotoba"no matigai desita. Gomennasai! m(__)m

106kmns:2006/11/22(水) 21:51:53
Nemaldekstremistocxjo 樣

104で仰せの simple English とは如何なるものでせうか。

107hero:2006/11/22(水) 22:03:41
Zibun eno Situmon dewa nai kedo.

高田力『ベーシック英語』
>> http://homepage3.nifty.com/BasicEnglishSociety/takata.html

108Nemaldekstremistocxjo:2006/11/22(水) 22:31:06
はい、『Basic Engish』や、Voice of America では『Special English』、
今回は、ウィキペディアのSimple Engish版にちなんでそう呼ばせてもらいましたが、
それぞれ微妙に定義が違うのかもしれませんが、とにかく外国人や学習者向けの「簡単な英語」といった意味で用いました。

109Nemaldekstremistocxjo:2006/11/22(水) 22:34:27
Engishじゃなく、Englishです。すみませぬで候。

110松戸彩苑:2006/11/23(木) 08:38:32
日本のエスペラント界には、ローマ字論者やカナモジ論者(要するに漢字を廃止すべき
だと考えている人)が、けっこう居ますよね。

で、彼らの主張のひとつに「漢字を使いつづけていると、国際化できないので、日本の
繁栄を維持できない」ってのがありますけど、もしこれが事実だとすると、中国のほう
が先にダメになるはずなんですよね。
中国人は、漢字ばかり使っていて、表音文字はほとんど使ってないわけですから。

でも現実には、そんな事にはなってないですよね。

それに、台湾や香港なんかでは漢字ばかり使っていて、しかも繁体字(正字)を使って
いるわけですが、十二分に繁栄してますもんね。

111hero:2006/11/23(木) 09:13:32
漢字そのものが問題とはわたしも思いません。

ただ、かななどとのゴチャマゼ使い、音訓両読み使いが
国語の混乱をさせている。
それでも、カタカナ語がこれほど多くなかった時代は
まだ、それなりにうまく使いこなしていたのだが、、、、

現代日本語ではどうか、、、、さらにデジタル時代の国際的情報交流
に的確に対応できるのかな。

112kmns:2006/11/25(土) 09:32:31
幾つかの疑問を羅列します

★ローマ字論争は政治論争なのか。政治論争は結論ありき。通常は一致できる共通の土俵があって、そこに論を築いてゐくのだと思ふ。豫断を捨てて相手の主張に身をゆだねてみる。相手の主張の間違に氣づくか、自分の考へが變るかして一致できる點が一段上がっていく。だからいつも前提が氣になる。

★Basic English は制限語彙でやるもの。英語力が必要。初級者こそ語彙で補はねばならない。Basic English が日本語改良案の引合にだされて、更めて思ふのは、かかる發想をする人の人となり。C.K.Ogdenは貴族階級ではなかったかもしれないが發想はエリートのものではないかといふこと。戦前の臺灣や朝鮮における日本語教育のことを知らないが、表音主義者やローマ字論者には日本語の國際化といふことがあったはず。皇民教育と言はれるものは簡易日本語といふやうな發想とは無縁であったかもしれない。さうであれば、その限りで却って平等であったといふことになる。簡易日本語といふ發想には西歐的植民地主義に通じる危ふさを感じてしまふ。

★日本式の人がヘボン式への批判としてよく口にする英語的であるといふこと。兩者とも變はりがないではないかと思ふ。日本語式にアルファベットを用ゐるなら清濁をcaseで區別するくらいはやって欲しい。s がサ行で S がザ行だといふくらいでなければ五十音圖で説明できないのではないか。英語式なら u は oo とするのが常道だし、ジを ji としたことはフランス語式といふべきだ。

113kmns:2006/11/25(土) 11:00:44
續き

★日本語と簡易日本語と二つにしたのが假名遣。實務の人は現代假名遣の日本語をやるだらう。日本文化を學ばうとする人は傳統的假名遣までやらなければならない。二段階にしたことは日本語を學ぶ意欲を削ぐことになってはゐないか。そして傳統的假名遣と現代假名遣とどちらが易しいかとなると傳統的假名遣の方だと、これは森有正が日本語教科書に書いてゐる。

★言語改良案は意圖としては開明的であっても結果は逆かもしれない。日本式を言ふ人は左翼だと思ってゐた。戦前の論争を讀んで、軍國主義の時流にのった面があったので驚いたことがある。山本有三か振假名の廢止を主張した。振假名が必要な漢字はやめれば善いといふ開明的な主張だ。小さな活字は視力を損なふ。鐵砲を撃つには視力が大事といふ軍部の主張とも重なってゐた。開明派と軍國主義も矛盾しないのだ。

114kmns:2006/11/25(土) 11:30:11
まだある。

★デヂタル時代の情報交流といふか、情報交換の問題。ローマ字問題が喫緊の問題である所以だ。擴張ヘボン式ははじめ假名漢字變換の効率化のために工夫したもの。入力したASCII文字列から直接辭書検索が可能になりモード切替が不要になる方法なのだ。また假名のマッピングを十全にとれるので名簿などのデーター處理にも有利だ。現在の一バイト假名のマッピング方式では名前の區別は劣化せざるを得ない。銀行統合の際に多發する事故は原因をつまびらかにしらないが、一バイト假名のデーターを残してゐることも一因ではないかといふ氣がする。なほ情報交換であれば正字と新字體では正字の方が有利であること、これは言ふまでもないだらう.

★我國で事務のIT化が遲れてゐる原因の一つにメールの活用の度合があると思ふ。mail address の id に方法が通ってゐない。通常ならdomain即ち會社名が分かれば郵便を出せる。これが電子郵便ではできない。話で id を傳へるとき、音聲で簡單に授受できる人間がどれだけゐるか。これこそ digital literacy の基本ではないか。

★ローマ字のときに字母は日本語式に唱へる。田丸卓郎の時代なら判る。英語教育も必要とするなら、そのときの字母の唱へ方はどうすべきなのか。

115hero:2006/11/25(土) 11:45:06
kmns 氏
の表記は趣味なのでしょうカ。
その表記で論ずるのは、いかが。

繰り返しますが、表記は時代により変遷しているのです。

あなたの前の時代は違う表記なのです。いきがらないでください。

ですから、現在の表記で論じていただけないでしょうか。それが共通基盤というものでしょう。

116hero:2006/11/25(土) 11:52:32

>>
★日本式の人がヘボン式への批判。。。。といふべきだ。

その事情は漢字についても同じ。
日本読み、韓国朝鮮読み、台湾読み、北京、広東、福建、、、読みとあるのです。

ですからローマ字つづりについても、日本読みでよいのです。ただ日本語でローマ字を使うのは
後発ですから、つい、印欧語と比較しますけどね。
それはそれでよいのです。何も引け目はないのです。

117kmns:2006/11/25(土) 12:25:20
森有正の日本語教科書を讀んだのは三十年以上昔のこと。正假名遣に合理性があることは判っても今さらと思ったのは出版社勤務といふ仕事の性質もあったかもしれないが、定年後すぐに切替へたわけではない。もはや狂瀾を祈祷に廻らすすべはないものと考へてゐたわけだ。字體のことは外國の人に讀んで貰ふために書くことがあったからだ。切替へたのはやっと二年前。擴張ヘボン式でいろいろ轉寫してみてからだ。このこと、あらましは日本語wikipediaの「ローマ字論」のノート

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%AD%97%E8%AB%96#.E6.93.B4.E5.BC.B5.E3.83.98.E3.83.9C.E3.83.B3.E5.BC.8F.E3.81.AE.E7.AB.8B.E5.A0.B4.E3.81.8B.E3.82.89

に書いた。戦後導入された新表記體系が未だdebug中であることに氣づいたためだ。

現代假名遣新字體で主張する方が戦術的には有利なのだと思ふ。しかし、二つの方法をつかひわけることは苦痛。發表先で強制されれば仕方がないがインターネットは自分の主張通りで構はないではないかと思ふ。しかし、一應断ることにしてゐた。「ローマ字論」のノートを讀んで欲しいと書いたのはそのためもある。

洋泉社から英語教育の本を出したときは四假名だけ舊假名にした。一部戦前の文献を戦前の日本語に譯したところは舊かなにした。ポカもある。昨年から東京法令出版『月刊國語教育』に不定期で寄稿してゐるコラムは原稿通りにして貰ってゐる。表記のことを論ずるのだから表記を規制されるのは困るとの主張を編集部が認めてくれたためだ。

粋がってゐるわけでなく開き直ってゐるわけです。

118Nemaldekstremistocxjo:2006/11/25(土) 14:56:37
日本語を国際語に、とは思っておりません。
しかし、何かの都合で日本にやってきた外国人が、平仮名から漢字と悠長に学習できない人もますます多くなってくるかと思います。
そのために、日本語版ベーシック英語、[Yasasii Nihon-no-Kotoba]のような簡易日本語が必要になってくるのではと思うのです。
利点は他に障害者へのバリアフリーにもなるだろうと述べました。
そしてそれは、語彙力のある、我々が書くべきものです。

日本語を国際語にとは思いませんが、日本に住むつもりのある外国人はローマ字日本語くらいは読んで理解してほしいと思います。
エスペラントが仮に国際語となったとしても、それは学習するまでの橋渡しとして機能するものであって、日本で働く以上は、日本語を学習すべきです。
国際人・人類人として、この程度の主張を押さえる必要はないと思います。

119kmns:2006/11/25(土) 16:37:05
これも疑問の一つ。

★Arthur Waley の Japanese Poetryをみてみた。初版は1919年、所謂ヘボン式であって長音はマクロンを使用しハ行轉呼音はワ行やア行で轉寫。分ち書きが細かい。まあその程度で擴張ヘボン式で轉寫する場合とそれほど違はない。萬葉時代の表記がそのまま通用するわけだから時代とともに變遷するといふのはどうか。言語學で方法的に要請される共時態といふことと、何と言ふかまあ権限上の混亂があるやうに思はれてならない。

120kmns:2006/11/25(土) 20:14:15
五十音圖との關係でもう一つ。

★Arthur Waley の Japanese Poetry は所謂ヘボン式を採用したのであって、獨自に工夫したものではない。つまり彼の採用したヘボン式はすでに缺損五十音圖對應であった。もし最初から萬葉や古今の歌の表記を目指してゐたなら、必ずや語中のハ行音も h としたであらう。そして語中のハ行音はア段では w のごとく、それ以外では發音されないといふ注釈をつけたはずだ。日本式の主張にもその方が適ふ。h を場合によって w と發音したりする方が、英語的ではない。そのぶん日本語的であると言へるだらう。擴張ヘボン式の方が日本式より日本式的ではないかと思ふのはこのためである。ただハ行轉呼音を h で通すと母の發音が困る。例外といふことするしかない。ハワといふ發音もあったとのことではあるが。

121hero:2006/11/25(土) 20:30:00
古典国語を読解するのに、わざわざローマ字で改めて表記するには及びません。
それこそ古典研究は漢字や万葉かなでよろしい。
ただ音韻解明の道具としてローマ字を持ち出すのもよかろうが、あくまで補助でしょうが。

今論じているのは現代ないしこれからの言語生活を豊かにするための常用国語。
何を勘違いされているのでしょう・

122kmns:2006/11/25(土) 23:15:54
英語教育との關係で。
★101で本掲示板で「小學校からの英語教育」といふスレッドの紹介があった。ローマ字問題は英語教育にとって前提条件の一つだから、あちらでローマ字を議論するのは判る。こちらの方では英語教育は前提ではなく影響するところ。結果を考へろといふことだと思ふ。關係するものとして字母の名前の唱へ方があるし、字母のpowerの問題もある。字母の名前が英語式であるかどうか。これについてもwikipediaの「ローマ字論」のノートで書いた。

★言語に簡易版を考へたとき、教育は二段階にするのか。英和辭書で品詞名をどう表記するか。(名) と漢字にするか、noun (n.) と英語にするか。ノートや單語帳に筆記するときの便利さと、将來、英々辭典を使ふ場合のことを考へると最初から n. と覺へる方が得だと思ふ。二段階にすると、その切替が難しいのではないか。


それからもう一つ。
★本スレッドは「日本語のローマ字綴りについて」といふもの。日本語とは現代語に限るのか。表記から言へば、現代假名遣は現代だけかもしれないが傳統的假名遣は萬葉から現代までを覆ふ。歐米人に和歌を説明するのにローマ字をつかふ。そのローマ字は、ここで言ふローマ字には含まれないのか。Waley は Japanese Poetry を日本語の入門書として位置づけてゐたやうだ。前書に次のやうにある。

And since the classical language has an easy grammar and limited vocabulary, a few months should suffice for the mastering of it. The reader who wishes to pursue this study farther should learn the Japanese syllabary and some (perhaps about 600) of the commoner Chinese characters. He will then be able to use the native texts.

もし、ローマ字が現代語の問題だけだとしても、それが傳統的假名遣で書かれたものであって悪いわけはないだらう。いや傳統的假名遣のものは除くのだとといふなら、さうだとして、そもそも、現代語をローマ字で表記することにどういふ意味があるのだらうか。漢字が桎梏であった時代なら、ローマ字は日本人のためだといふことに一定の説得力があったと思ふ。現在では外國人のためいふのが大きな理由ではないか。

123hero:2006/11/26(日) 00:34:06
たとえば古今集、日本人でも中学では現代文書き下しでしょう。
高校古典で旧かな、旧漢字、それとて純粋原典写本ではない。

そういう現実。

今度、反対側からシェイクスピアを考えて見てください。
原典英文は大学英文科専門ゼミで購読。
それまでは現代文でしょう。

聖書となればもっと落差がある。

だから日本古典紹介と言っても対象をどのレベルで考えるかで、
大分違いがある。

原典写本をローマ字でというのは極端でしょう。
それは特殊な世界。
個人的にはそういう文献はやはり専門、であるから
日本語のままがよいのではないか。
一般向けというのなら、現代語書き下し日本語を底本とした
ローマ字書きとなるでしょう。
そこに旧かな、旧漢字の問題はでてこない。

124heo:2006/11/26(日) 00:41:58
ローマ字
字音案

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1029646591/592

125kmns:2006/11/26(日) 08:18:31
中學では古今集が現代文書き下しだとのこと。これは現代語に譯してあるといふことでせうか。それとも現代假名遣に直してあるといふことなのでせうか。

「現代かなづかひ」(昭和21年11月26日内閣告示第33號)の「まへがき」は最初に「大體、現代語音にもとづいて、現代語をかなで書き表す場合の準則を示したものである」とした上で「主として現代文のうち口語體のものに適用する」とあって、これは「現代假名遣」(昭和41年7月1日内閣告示第1號)の前書にも踏襲された(原文は現代假名遣新字體)。だから、古文に適應するのは誤りだ。ただ、誤りであっても、行政側の意圖に適ふ場合は大目にみられるといふことではないのか。お上のご威光を忖度してことが進んでゐると思はれてならない。このことwikipediaの「ローマ字」のノートにも触れたが井の中の蛙

http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/

でも戦前よりひどいのではないかと書いた。

『月刊國語教育』平成17年11月號の「ミッズルカラッス」では次のやうに書いた。

現代假名遣ひで首尾一貫することは不可能なのだ。といふより、假名遣ひなどに煩はされることのないやうにと生れたのが現代假名遣ひなので、つまりは假名遣ひの放棄。斯ういふことを問題にする方が變なのだと悟らなければならない。

草稿段階のものをHOKUGO山人のサイトで讀むことができる。
http://www.k3.dion.ne.jp/~shokugou/En050410.htm

「原典寫本をローマ字で」といふことは意味をなさない。原典は原典で示すべきだといふなら、イギリス人の場合より我國の中學生にこそさうあるべきではないか。Waley氏のやうにイギリス人相手であれば別とすべき。ただその場合、翻字式が望ましいと言ひたい。

ついでながら、語中の h について解釈規則を設けるといふ案だと、秋葉原は讀み方によって aki-habara akiba-hara と h の發音を示すためにハイフンの入る位置が變ってくると思ふ。語構成からするとアキバハラの方が、他の条件にして等しければ、選ばれる可能性が増すかもしれない。

洋泉社新書『英語は日本人教師だから教えられる』で四假名だけ傳統的假名遣にしたと書いた。このときはカタカナまでさうした。平假名については出版社時代の『表音小英和』でやった。営業部が相手にしない小さな企画であったのでできたのだと思ふ。讀者カードが多數戻ってきたが、假名遣が變だとの指摘は一通だけであった。

126hero:2006/11/26(日) 16:34:55
たとえば
古今和歌集
定家本
では

?   ?   ?   ?らむ

?   ?   ?   ?覧

助動詞「らむ」を「覧」の字をあてていた。

127kmns:2006/11/26(日) 20:05:22
さうですか、定家本は覧となってゐるのですか。覧はラムと開くのではないのか。いづれにしろローマ字は漢字に對してはあてはまらない。假名に開いたものが對象。これは翻字式であるとないとにかかはらずさうだ。傳統的假名遣であるから特別に問題であるわけではない。和歌のの場合は問題は少ない方だと思ふ。

ところで擴張ヘボン式については讀まれたのかどうか。撥音のところの注記に假名でンと示した後にムの場合もあることを注記してゐる。但しンとムが一つの文書の中で撥音として混在してゐる場合は想定してゐない。もしさういふ場合があるのであれば n m のつかひわけを兩唇音の直前であるかどうかによるとする条件を再検討する必要があるかも知れない。

128kmns:2006/11/26(日) 20:51:00
參考までに高千穂大學教授澁谷榮一氏による源氏物語より桐壺冒頭を示す。

Idure no ohom-toki ni ka, nyougo, kaui amata saburahi tamahi keru naka ni, ito yamgotonaki kiha ni ha ara nu ga, sugurete tokimeki tamahu ari keri.

次は擴張ヘボン式の場合。撥音のムは n とした。ここが検討の餘地ありと書いたこと。

Idzureno o`ontokinika, nyougo, kaui amata sabura`itama`ikerunakani, itoyangotonakiki`ani`a aranuga, sugurete tokimekitama`u arikeri.

129kmns:2006/12/01(金) 10:08:57
2channelの掲示板で長音を巡ってローマ字問題を論じてゐるところを見つけた。
【お歪】ローマ字表記では、長音がhか?【大泉】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1048941453

130hero:2006/12/01(金) 18:58:43
日本語文章にローマ字/ラテン文字/を使う
中で長音の表記をどうする。
そういっても、
もともとの漢字かなの日本語文章の中で、長音の扱いでは、
そういう書き分ける観念はなかった。
外来語が入ってきて
カタカナ表記する中で横棒を考案した。

長音の観念も
英語

日本語では全く違う。
それを同列で表記だけで議論するのはどうか。

テレヴィジョン  テーレヴィジョン
英語では言葉の表情の違い

日本語では
トーキョー 
トキョ
では違う言葉、言葉にならない。
だから
×tokyo
○tookyoo
○toukyou
○tôkyô

131hero:2006/12/01(金) 19:02:27
英米の人は
tokyo
で一向に差し支えないと理解する。
それを日本人が真似するのは日本語を放棄することに等しい。
○tookyoo
○toukyou
○tôkyô
でなくてはならない。

132hero:2006/12/01(金) 19:05:39
この3つの表記
いずれかにするかは
日本語としての決め事、約束事としてよいと思う。

133Nemaldekstremistocxjo:2006/12/03(日) 10:59:56
>>131
エスペラントでTokio, Jokohamoにつきましては?

134hero:2006/12/03(日) 17:47:05
訓令日本式で確定している。
ただ、いろいろいきさつもあって、2表、いわゆるヘボン式も
特例的にその必要において、使われてはいる。

この決めが、正しく理解されていない。
またははじめから適用しない、したくない、そういう部分も根強くある。
どうしたもんでしょう。

これ、今となっては、強権力でどうしようとできる問題ではない。
今日的状況を踏まえ、考えを再構築するしかないでしょう。

135hero:2006/12/03(日) 17:49:32
だから、いろいろの私案が出されている。
それはそれで議論できるのかなと思います。

まだまとまってはいないようですガ、、、

136hero:2006/12/03(日) 19:00:18
話題の映画、硫黄島のローマ字綴り
IWO JIMA
アメリカのウェブ辞書で引いたら、

Iwo Jima (?`w? j?`m?, ?`wo), Jap. Io-jima, volcanic island, c.8 sq mi (21 sq km), W Pacific, largest and most important of the Volcano Islands Volcano Islands, Jap. Kazan-retto, island group, c.11 sq mi (30 sq km), W Pacific. The group consists of three islands, of which Iwo Jima is the most important. The highest peak (3,181 ft/970 m) is on Minami-iwo-jima. There are sugarcane plantations and sulfur mines on the Volcano Islands.
..... Click the link for more information. . Mt. Suribachi, 546 ft (166 m) high, on the south side of the island, is an extinct volcano. The main industries are sulfur mining and sugar refining. During World War II, the island, site of a Japanese air base, was taken (Feb.?Mar., 1945), at great cost to U.S. and Japanese forces. A photograph of U.S. marines raising the flag over Mt. Suribachi, which they called Meatgrinder Hill, is one of the most famous images of the war. Iwo Jima was occupied by the U.S. until 1968, when it was returned to Japan.

137hero:2006/12/03(日) 19:04:19
(?`w? j?`m?, ?`wo) >> 文字化け

138Kia-kablo-mi-estu:2006/12/12(火) 22:28:22
やぱーの@管理人さんへ
「なぜか反日的な活動をなさる方々が多い日本のエスペラント運動の中で、」
とはどういうことですか。
いつ反日的な運動をしたというのですか。得と説明していただきたい。
日本のエスペランティストにとってこんなひどい言い方はないでしょう。
それとも、「なぜか」と書いている通り反日の意味があなたにはわからないのでしょうか。

139ladio:2006/12/13(水) 00:49:31
この掲示板は、左派オンリーだったJEI掲示板へのアンチテーゼとして作られた掲示板です。
ですから、初期の頃の書き込みには右派の傾向の強い書き込みが多いのです。
あまり気にしてはいけません。最近ではいかに政治思想と離れたE運動をするかに話題が集中しています。

140Kia-kablo-mi-estu:2006/12/13(水) 22:25:30
>最近ではいかに政治思想と離れたE運動をするかに話題が集中しています。
ladio さんへ
Zamenhof から現在に至るまでE運動は好むと好まざるに拘らず時の政治的潮流から
逃れられない運命なのです。これはEが他ならぬ世界共通補助語の実現運動であるという
本質的な宿命を担っているからだからです。
インテリのお遊び事とは違うのです。(勿論、お遊びでやってる人も少数ですが
勿論おりますが。。。)
でなければ歴史的に見てあれほどの犠牲者は出ません。
Eの実践者人口のこれまでの総計数と不慮不遇の死亡数との比、
所謂、死亡率を計算してみれば、日本で交通事故にあう確立より遥かに高い
のではないでしょうか。Eの実践者を如何定義するかでかなり違ってきますけどね。。。

141ladio:2006/12/14(木) 18:02:28
「歴史的には」確かに政治思想と切り離すことはできません。
しかし、現代日本においてはあまり政治思想と癒着していては若い人に人気が出ないのではないでしょうか。
眉間にシワを寄せた活動よりも、もっと笑顔でできる活動の方が人気が出ると思います。
「世界共通補助語の実現運動」も良いですが、まず、広めること、認知されることに重点をおいて活動した方がいいと思います。

142kmns:2006/12/19(火) 13:12:23
19でご案内した「井の中の蛙」はハーバードの日本史研究者が富田メモを採上げたところ。
いろいろ表記のことで書込んでゐますが、或る意味で政治的。
同時にご案内した日本語wikipediaの「ローマ字論」のノート、その後いろいろ加筆しました。
ご高覧いただければさいはひです。

143Kia-kablo-mi-estu:2006/12/21(木) 00:25:39
>まず、広めること、認知されることに重点をおいて活動した方がいいと思います。

その通りです。それを通じてしか世界共通補助語の実現はかなわないのですから。

>現代日本においてはあまり政治思想と癒着していては若い人に人気が出ない
のではないでしょうか。

そこですね。発想を変えなければ。。。といってもあなたの発想です。
若い人が政治意識に目覚めるためにはどうすべきかです。
というより、政治意識を持たなくさせられている状況をどう打ち破るかですね。
そうでないと趣味的、一部だけ実用的なものとして一時的に盛り上がる場合が
有るかもしれないけど、長続きはしないでしょう。
今、若者のエス学習者が、世界でですが、多い地域は若い人々の政治に対する
参加意識が高い地域です。

もう一つ、私は眉間に皺を寄せて活動してはいませんし、むしろ笑顔で政治の
話をよくしています。眉間に皺を寄せるときもありますが、それは今の若者たちは
どうして不正や不合理な事に対してもっと怒りをもたないのか、と思い悩むときだけです。

144ladio:2006/12/22(金) 18:22:18
 私が思うに、どんな形にせよエスペラントが広まればそれで良いと思っています。
そして、現在日本は右傾化しています(個人的には気に入らないですが)。
そこで、エスペラントも大衆に迎合して右傾化してみるというのはどうでしょうか。

 また、あるいは今の若者は政治に無関心ですが、孤独は広がっており出会いを求めています。
そこにつけ込んだほうがエスペラントは広まると思うのです。

なお、ここではスレ違いなので、
大衆迎合なエスペラント運動を考える
でやりましょう。

ちなみに、どうでも良いですが、眉間にシワを寄せた話題というのは、おかたい話題のたとえです。別に笑顔でやっても構いません。

145樂々:2006/12/22(金) 21:31:55
>>144
>私が思うに、どんな形にせよエスペラントが広まればそれで良いと思っています。
ladioさんはなぜエスペラントが広まればいいと思われるのですか?

146樂々:2006/12/22(金) 21:33:38
おっしゃるとおりこの続きは「大衆迎合なエスペラント運動を考える」スレで
いたしましょう。

147hero:2006/12/27(水) 14:58:16
日本語で使いやすい文字

読みやすい文字はどれでしょう。
初学の識字教育を何でするかで、当然違うが、、、

漢字かな混じり文。

平かな分かち書き文
カタカナ分かち書き文

ローマ字文


手書き、横書きで書きやすい文字はどれでしょう。

漢字かな混じり筆記

平かな分かち書き筆記
カタカナ分かち書き筆記

ローマ字筆記

148hero:2006/12/27(水) 14:59:32
こういう実証研究はされているのかしら。

149hero:2006/12/27(水) 15:05:18
英米人の小学校中高学年になると
単語をひとまとまりで、視覚的に意味認識するようになると言う。
ちょうど日本人が漢字、漢字熟語を認識理解するようにです。
アルファベット音素をいちいち追うようなコトはないと言う。

そういう話を聞いたことがあります。
これ、本当でしょうか。

また、そういうことを検証する研究はされているのでしょうか。

150kmns:2006/12/31(日) 11:00:28
英語を單語單位で讀んでいくこと、それは二つの場合があると思ふ。whole-word method といふことを讀んだことがある。これは表音文字の特性を生かしてないわけで、我國の英語教育は概ねさうだ。それから、表音文字の特性を學んだうへで更に速讀する場合のことがあるのかもしれない。ところでwikipediaの方式なるものがあり讀んでみた。疑問を以下に書いた。ご批判を乞ふ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%AD%97%E8%AB%96#.E8.8B.B1.E8.AA.9E_wikipedia_.E3.81.AE.E5.A0.B4.E5.90.88

151hero:2006/12/31(日) 22:58:27
ところで
漢字のことをカンジ漢字と呼んでいるけど、
本家中国は中文と言うのでしょうか。


それに
中国のこともチュウゴクと呼んでいるのも日本ぐらいカ。

チャイナ シーナ シーノ チーノ

なーンテ、いっている。
だったら、 シーナじ トでもいってはどうかナ。

中国では中国をピンインで書くと
Zhong guo
ツオーン グォ と いえばいいのかしら。
どうなの。

152hero:2007/01/01(月) 22:10:59
ちなみに
日本は

ジャパン ヤーパン ジャポン イルボン リーベン

とか呼ばれている。

だもんで、

ニッホン 

がいいのかな。

153胡人:2007/01/03(水) 22:14:43
天智天皇の時に、「ワコク」から日本(ひのもと)の国へ国名を改めて中国に書簡を出した様に言われていたと思う。
当時は、全文漢文で書きます。当然、中国側ではその時代時代の言葉でそれを読みます。
多分、ジッポンと読んだのでしょう。それがマルコポーロ以来ジパング等になっていった様に思われます。

確か佐藤栄作首相の時、正式にはニッポンと読むように決めた様に思いますが…

154胡人:2007/01/03(水) 22:21:58
あれっ?天武天皇の時だったっけ?
その時、日の丸も国旗として使用したように言われている。

西欧的な法的なものとしては、咸臨丸に掲げられたのが最初ではあるけれど…

155樂々:2007/01/05(金) 20:33:42
文武天皇の大宝二年(702)の遣唐使(但し唐は則天武后の大周に変わってい
ましたが)が国号変更を報告しました。

156Nihhon:2007/01/08(月) 20:36:24
にほん 【日本】〔「にっぽん」とも〕
我が国の国号。アジア大陸の東方、日本海を隔てて太平洋上にある。北海道・本州・四国・九州の四大島と、南西諸島・小笠原諸島などからなり、弧状を描きほぼ南北に連なる。国土の大部分は山地で、人口は河川下流の平野に集中する。面積37万8千平方キロメートル。
正称、日本国。〔古くは政権の所在地名「やまと」が日本の総称として用いられ、また、中国・朝鮮では「倭」と記していた。
聖徳太子が隋に送った国書に「日出処天子」と記したのと同じ発想から「日本」を正式の国号としたのは大化頃からと思われ、
「やまと」「ひのもと」などと読まれていたが、奈良・平安時代になると音読されることが多くなり、「にほん」「にっぽん」の両様の発音が行われた。
昭和初期、「にっぽん」に統一しようとする動きがあったが、法的に制定されることなく現在に至っている。
本辞典では、検索の便宜上「にほん」として配列した〕
三省堂『大辞林 第二版』より

157Yamato:2007/01/08(月) 20:37:09
◇ニホンとニッポンの由来(宇都宮大学教授・小池清治)

〇漢字の「日本」は奈良時代、中国で死亡した遣唐使の墓に見られる。当時の中国読みでは「ニッポン」となるので、元来は「ニッポン」であったろう。
〇ひらがなとカタカナは平安時代に生まれたが、後の室町時代に入るまで、促音の「っ」表記がなかった。それまでは、「にほん(ニホン)」と書いて、ニッポンと読ませたらしい。
〇このかな表記「にほん」と書いてニッポンと読むべきところを、文字の通りに「ニホン」と誤読したのが始まりであろう。
〇つまり、元々はニッポンだった。

158Nippon:2007/01/08(月) 20:38:05
古代の はひふへほ は
pfa pfi pfu pfe pfo プハ プヒ プフ プヘ プホ
でなかったのか。

159kmns:2007/01/16(火) 13:38:58
英語wikipediaの日本關係のローマ字はマクロンを用ゐるのが標準となってゐるやうだ。恥かしながらマクロンを附したアルファベットの入力方法を知らない。アンパサンドとセミコロンで圍んでコード入力するのが關の山だ。歐米の人はどのやうなkey操作になるのか、例へば大奥を ōoku と打つ場合のタッチ數はどうなるのか、ご存じの方があればお教へ願ひたい。

160りょほう:2007/01/16(火) 23:26:33
英語版ウィキペディアでマクロンなどダイアクリティカルマークが付いた文字を入力するには、パソコン側で特別なキー操作を使うのではなく、ウィキペディアに使われているMediaWikiの入力機能を使います。
ウィキペディアの編集画面を開くと、テキストを編集するボックスの下に小さく文字が並んでいます。このなかから入力したい文字を選んでクリックすると、編集ボックスに文字が入力されます。
入力できる文字は言語によって違うようです。英語版では結構いろいろな文字がサポートされていますが、日本語版ではマークアップだけで文字はサポートしていないみたいです。

161kmns:2007/01/17(水) 19:56:37
りょほう樣

マクロン附き文字の入力方法、何人かの人に訊ねてみたが、マクロン附き文字の
入力方法を知ってゐる人は居なかったのです。御教示に感謝します。要するにア
ンパサンドとセミコロンで圍んでコード入力するのと五十歩百歩のやうですね。
コード入力の場合はコード表のファイルを開く必要がある。その手間をみなけれ
ばタッチ數として六、その二つはシフトキーを押した状態で叩かなければならな
い。その分を加算して大凡七に匹敵するとみてよいでせう。マクロン附きの文字
の入力方法を知ってゐる人が非常に少ないわけだから、タイトルの場合は検索の
ためにマクロンを外した形を埋めこむのださうだ。これはタグで圍んで單語全體
を打つのだらうから、やはり七八バイトの入力が必要でせう。このコストはロー
マ字論者の豫期しなかったものであるに違ひない。アクセントを附した文字が使
用できる環境では假名の入力もできる場合が多いだらうから、そこまでしてロー
マ字を用ゐる意味があるのか疑問。



162なつ:2008/01/02(水) 06:48:51
1年振りで恐縮です。
ヘボン系がいいことはないが、
ティとチ、スィとシの表記上の区別ができない訓令式系は、
だまっても廃れるでしょうね。(っていうか現実社会ではすでに廃れているが。)
区別をすることが困難な団塊世代やそれ以前が死ぬまで待たなければならないですね。
例えばAbbaのChiquititaが「チキチータ」と、以前の日本では区別してなかったことを先日知って失笑しました。
(というと有気音その他音声学的な話を持ち出す人がいますが、別次元の表記の区別のことを言っています)
小学校で早く訓令式ローマ字教育をなくしてもらいたいものだ。

163エスペロ:2008/01/02(水) 12:35:38
Lau Kunreishiki,「淳一」(Jun'ichi) estas skribata kiel 'Zyun'iti'...
Mi tion sentas iel ne-agorda...
訓令式では「淳一」を'Zyun'iti'と表記します・・・違和感ありますね〜

164なつ:2008/01/02(水) 12:55:03
>>163
某団体の代表理事は、名前を
SIBAYAMA Zyun'iti
と書かれます。
いかにも、ですね。
スィバヤマ、ズュンイティさんでしょうか?
少なくともこれと区別できない表記方法は気持ち悪いですね。


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