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創価学会の功罪を考える
556
:
愚鈍凡夫
:2003/11/01(土) 20:36
>>554
:探訪者007さん
「池田氏が在日系の"朝鮮人の帰化人"」は、有名な話ですよ。
ここの掲示板に集まる方々は、その人の氏素性と主義主張は関係ないと思われている人が多いので、そのことに触れないだけじゃないでしょうか。
探訪者007さんが言われているのはこの記事のことでしょう(以前とアドレスが変わっているようですが)
(「池田大作帰化人説」 冨士谷紹憲)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1306/130626ikeda-naturalized.html
557
:
探訪者007
:2003/11/01(土) 21:03
これはコレワ失礼しました、。 皆様方が「卓越された最高の多勲章受章者の大◯◯先生、」と言う風聞がありましたので「スッカリ洗脳?されていました、シラヌはお前だけ、」とは「面目御座いません、」。でも「未だに”世界の指導者??”と仰ぐ”バカの壁?”」に押しつぶされている方々の存在にも御配慮が、?」かと思いまするが、マーそれは自業自得か、??
558
:
ガンコ
:2003/11/01(土) 21:19
沖浦さん
>ご安置すべきご本尊様は、先程も述べましたがとりあえず戒壇様でいいでしょう
「とりあえず」というのが引っかかりますが・・・まあ、よしとしましょうか。
しかし、
>このご本尊様が蓮祖出世の本懐である、とは思っておりません
ということは、やはり戸田氏に違反しているのではないか、と感じますが。
それらはさておき、功徳の体験はけっこううらやましいかも。
559
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 21:54
ガンコさん
ご安置するご本尊様も、後世の人々が判断すべきです。
とりあえず、とはそう言う意味です。
これまで宗門の中では、まともな教学や教義の研鑚などは皆無に等しかったと思います。
嫡々一人などは代表例です。
『その後、大聖人の仏法は第三祖日目上人、第四世日道上人と、一器の水を一器に移すように代々の法主上人によって受けつがれ厳護されて、現在御当代上人に正しく伝えられているのです』(日蓮正宗HPより)
こんな馬鹿げた世迷い事を信徒に押し付けるような輩の下で、これまではまともな教学研鑚などは不可能でした。
今後は、自由な立場での教学の研鑚が急激に進むでしょう。
現在の常識が覆され、過去のものとなる事も充分に予想されます。
とりあえずとしか言い様がありません。
>>このご本尊様が蓮祖出世の本懐である、とは思っておりません
>ということは、やはり戸田氏に違反しているのではないか、と感じますが。
戸田先生のご真意がどこにあるのか、との研究も今後急速に進むと思います。
10年もたてば、色々な事実が浮かび上がってくる事でしょう。
今しばらく待った方がいいと思います。
何しろ我々は750年間も待ち続けていたのです。
後僅か10年ぐらい、何でも無いと思います。
>それらはさておき、功徳の体験はけっこううらやましいかも。
ありがとう。ございます
油断せず頑張ってまいります。
560
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 21:56
ガンコさん
ご安置するご本尊様も、後世の人々が判断すべきです。
とりあえず、とはそう言う意味です。
これまで宗門の中では、まともな教学や教義の研鑚などは皆無に等しかったと思います。
嫡々一人などは代表例です。
『その後、大聖人の仏法は第三祖日目上人、第四世日道上人と、一器の水を一器に移すように代々の法主上人によって受けつがれ厳護されて、現在御当代上人に正しく伝えられているのです』(日蓮正宗HPより)
こんな馬鹿げた世迷い事を信徒に押し付けるような輩の下で、これまではまともな教学研鑚などは不可能でした。
今後は、自由な立場での教学の研鑚が急激に進むでしょう。
現在の常識が覆され、過去のものとなる事も充分に予想されます。
とりあえずとしか言い様がありません。
>>このご本尊様が蓮祖出世の本懐である、とは思っておりません
>ということは、やはり戸田氏に違反しているのではないか、と感じますが。
戸田先生のご真意がどこにあるのか、との研究も今後急速に進むと思います。
10年もたてば、色々な事実が浮かび上がってくる事でしょう。
今しばらく待った方がいいと思います。
何しろ我々は750年間も待ち続けていたのです。
後僅か10年ぐらい、何でも無いと思います。
>それらはさておき、功徳の体験はけっこううらやましいかも。
ありがとう。ございます
油断せず頑張ってまいります。
561
:
問答迷人
:2003/11/01(土) 21:59
沖浦さん
>ご安置すべきご本尊様は、先程も述べましたがとりあえず戒壇様でいいでしょう
素朴な疑問です。戒壇様とは、大石寺の戒壇板本尊の事でしょうか。それは、大石寺、日蓮正宗の本尊ですね。どうやって、創価学会が建てる「世界立戒壇」に持ってくるのでしょうか。大石寺をどうやって説得するのですか。
562
:
アネモネ
:2003/11/01(土) 22:11
>561
そうですよね。宗門とは関係ないのですから、200年経っても立てられませんよね。
563
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 22:15
問答迷人 さん
私見です。
二つの大きな可能性があると思います。
最初は、ご指摘のように日蓮正宗が反対した場合です。
蓮祖は大ご本尊様を顕されました。
ご本仏にしか不可能事です。
しかし、一度顕わされたご本尊様を書写する事は、困難ではありません。
何しろ日蓮正宗の法主にすら可能なのです。
後世のどなたかが、改めて書写しご安置をすればいいと思います。
二番目はもっと大きな可能性です。
日蓮正宗は、そんなに長持ちしないでしょう。
空家(もののたとえです)になれば、どうにでもなります。
以上、二つの可能性があると思いますが、他にも色々あるかもしれませんね。
564
:
探訪者007
:2003/11/01(土) 22:18
困るなー、沖浦さん、、。 話せば話すほど「ボロボロと???」出てくるようですネ、。 そろそろ「YAHOO掲示板」の方で「ご歓迎準備が完了?」のようですヨ、?
565
:
探訪者007
:2003/11/01(土) 22:21
困るなー、沖浦さん、、。 話せば話すほど「ボロボロと?ボロが」出てくるようですネ、。 そこそこ「アキラメ切れない症候群?」に類似??かもネ、、?
566
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 22:24
探訪者007 さん
更にユニークなご意見です。
益々頑張り続けて下さい。
567
:
アネモネ
:2003/11/01(土) 22:28
沖浦さん
>553
>功罪の『功の』部分を本日体験いたしました。
せっかくご披露頂きましたが、沖浦さんは功罪の「功」の意味を、「功徳」か「利益」と勘違いされていらっしゃるようです。
ご参考までに、功罪の意味を以下転載しておきます。
こうざい 0 【功罪】
てがらとあやまち。功績と罪過。
――相償(あいつぐな)う
一つの行為や事柄の中に、功績と罪過がともにあって互いに打ち消しあう関係にある。また、功績によって、罪や失敗が大目に見られる。
――相半(あいなか)ばする
一つの行為や事柄に、功績と罪過が同じ程度にあるため、特によいとも悪いともいえない。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
568
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 22:51
アネモネさん
私個人とっての『功』なのです。
『 一代の肝心は法華経法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ。』
建治三年丁丑九月十一日 日蓮花押 (崇峻天皇御書)
一人一人の生活の上に人間の振る舞いとして、結果が活き活きと現れなければ蓮祖の仏法ではないのです。
個人個人の上に功徳として現れ、それが全体に広がってこその仏法です。
トップダウンではいけません。
ボトムアップが正しいのですよ。
一人一人に功徳『功』として顕れてこそ、全体としての『功』となりうるのです。
このスレッドでは罪の部分を、多くの人が自分自身の体験として語っています。
同じく、私は創価学会の信心の功徳を『功』として語るのです。
ご理解くださいませ。
569
:
愚鈍凡夫
:2003/11/01(土) 23:25
探訪者007さんへ。
引用している文証の意味と、言ってることの意味が違うのが学会教学の面白い処ですよ。
そして、そのことを追究すると、
「実践の教学だ。創価学会の教学は文底解釈なんだ。日蓮大聖人の仏法を現代に展開しているのは創価学会だけだ!!」
なんて、訳の分からぬボケをかますんですけどね。(^_^;)
小生は、結構ネタに使ってますが。(^◇^)
570
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 23:35
愚鈍凡夫さん
あなたのご意見も非常にユニークです。
さすがは池田先生本仏論から出発しただけの事はあります。
宇宙戒壇といい。
先生ご本仏といい。
極めて興味深く読ませていただいております。
私ごとき凡愚には、とてものこと思い付くことすら不可能な発想ですね。
さすがである!と言わせて頂きます。
今後のご意見の展開にワクワクしているのは、私だけではないでしょう。
貴君の、今後の更なる頑張りを期待いたします。
571
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 23:40
愚鈍凡夫さん
失礼致しました。
他のお方と勘違いいたしておりました。
あのご意見は違う人でしたね。
何しろそっくりに感じられるもので、勘違いを致しました。
とは言え、貴君のご意見もまた一段とユニークには違いがありません。
今以上に自信をお持ちになって、更に頑張られんことを期待いたします。
阿部さんの犬がうるさくて、つい勘違いをしご迷惑をお掛けした事をお詫びいたします。
早々
572
:
沖浦克治
:2003/11/01(土) 23:42
愚鈍凡夫さん
失礼致しました。
他のお方と勘違いいたしておりました。
あのご意見は違う人でしたね。
何しろそっくりに感じられるもので、勘違いを致しました。
とは言え、貴君のご意見もまた一段とユニークには違いがありません。
今以上に自信をお持ちになって、更に頑張られんことを期待いたします。
阿部さんの犬がうるさくて、つい勘違いをしご迷惑をお掛けした事をお詫びいたします。
早々
573
:
愚鈍凡夫
:2003/11/01(土) 23:49
沖浦克治さん。あらまあ〜、久しぶりに声をかけてくれましたが、
> さすがは池田先生本仏論から出発しただけの事はあります
小生は、大方の学会員さん同様日蓮本仏論が出発点ですよ。
沖浦克治さんは、戸田本仏論でしたっけネ。
> 宇宙戒壇といい。
> 先生ご本仏といい。
小生のレスの何処に、このような発言がありますか? (?_?)
それと、一体何を頑張るんですか?
小生は、いつもマイ・ペースですよ。
そうだそうだ、先日、地元の学会幹部相手に沖浦理論でお話したら、困惑してましたよ。
結構笑えました。この場を借りてお礼を申し上げます。
574
:
探訪者007
:2003/11/02(日) 00:11
横からゴメン、:昨今「沖浦原理主義??」がひとり歩き??でしょうか?? 言論の自由には「それなりの責任と??」が伴うようですが、ネー、? 唯、言うにしましても「有る程度の整合性?!!」が必要でしょうか? それが??ですと「=オウムの言いっぱなし(アアイエバ、ジョウイウ)」と同じで「洗脳の度合い判定に加算?」はされるでしょうネ、。
575
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 00:47
探訪者007さん
更にユニークになりつつあります。
完全体を目指し、益々頑張るように!
後はまかせましたよ。
私はやすみます。
576
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 01:25
あれ、世界立戒壇が学会の路線かどうか、答えられないうちに、わたしが宇宙戒壇論者に仕立て上げられました。
そうか、わたしは池田本仏論者にもされていたんでしたっけ。
こうやって、レッテル張りながら人を見下す。大した人間性です。
これまた、すばらしい人の振る舞いを見せていただけました。
577
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 01:40
池田本仏論はわたしが主張したことではありません。
わたしが受けた創価学会『講師筆記試験優秀答案』(創価学会発表)を以下に掲載します。
*** 転載はじめ ***
【問5】
主師親の三徳を現代生活の上から説明しなさい。
(当時、創価学会で言う優秀回答者)中○○子
主徳―眷属を守る力。
現在でいえば、社会それ自体、しかし民衆の犠牲のうえで成り立っている主徳を失った社会もあり、その民衆は不幸です。
真に人々を根底から幸福にするには、妙法を根底とした社会以外にない。全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえていらっしゃる。
師徳―眷属を指導する力。
師とは、知識を教えるのみではなく、智慧を開かせあげる者でなければならない。現代の教育は、知識に終始した師徳なき姿である。
以信代慧の妙法によらねば、真実の師徳はありえない。私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。
親徳―眷属を慈愛する力。
親の愛は、相対的であり、この発展をさまたげる場合がある。
身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる。
*** 転載おわり ***
以上、沖浦さんが「邪義」であるという池田本仏論は学会の当然の考えでした。
学会を邪義であるといった沖浦さんのご意見には賛同します。
そういえば、国立戒壇も学会が言った邪義であるというご意見でしたね。
いやあ、ご立派ご立派。
578
:
探訪者007
:2003/11/02(日) 01:50
夜分失礼です、、。某団体の影響者さんらは「ご都合主義と自己優越・他者蔑視的な一種の”自己催眠術”のような手段」での「レッテル張り〜差別精神の扇動」の存在が判明したようです、、。特に「沖浦原理主義的な言論」に顕著に顕在していますが、?
579
:
探訪者007
:2003/11/02(日) 01:52
夜分失礼です、、。某団体の影響者さんらは「ご都合主義と自己優越・他者蔑視的な一種の”自己催眠術”のような手段」での「レッテル張り〜差別精神の扇動」の存在が判明したようです、、。特に「沖浦原理主義的な言論」に顕著に顕在しているようですが、?
580
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 02:29
探訪者007さん:
はじめまして。犀角独歩です。
わたし本日、しっかりと確信しましたが、沖浦さんは創価学会指導を邪義と言い切る「世界立戒壇論」というまったく創価学会と関係のない新義を立てる人でした。
創価学会指導を「邪義」という世界立戒壇論者・沖浦さん、この認識が必要です。
581
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 02:35
なお、わたしが宇宙立戒壇論と言ったのは、沖浦さんが誤解したのとは違い、沖浦さんが仰るように気が早かったのですが、沖浦さんの理想を、先に述べたものでした。
皆さん、おわかりになると思いますが、わたしはそんなことは考えませんよ(爆笑)
世界立戒壇に入れる漫荼羅も、また勝手に造るレプリカだそうです。
フェイクですね。ご本人の趣味でしょうか。
創価学会は世界立戒壇を造って、「戒壇様」のフェイクを入れる。
創価学会の考えの和気がありませんから、沖浦さんが仰るとおり、創価学会指導を邪義とする沖浦教です。
今後とも沖浦さんの創価学会指導邪義論の展開に期待します。
582
:
空き缶
:2003/11/02(日) 02:57
こちらのスレッドを拝見していましたら、私の意見が少々でていましたので、特に「本門寺の戒壇」に関する、私の現時点での愚考を述べさせていただきます。
1、もともと本門寺の戒壇は、広宣流布の進捗状況とは関係なく「朝廷の帰依と発願」によって建立されるものであった。
2、本門寺の戒壇に安置される御本尊は、現在「保田妙本寺」所蔵の弘安二年十月中老日法上人彫刻の宗祖正御影である。
3、広宣流布の暁に本門寺の戒壇の、宗祖正御影の背面に懸けられる御本尊は、万年救護本尊である。
4、本門寺の戒壇建立は、当時天台宗の異流義とされていた、日蓮聖人の教えを公に認めさせる意義があった。(現在でいえば、宗教法人の認可をえるような感覚)
5、しかし、朝廷に日蓮聖人の教えを認めさせたのは、興門では無く朗門(日像上人)であった。
6、そして、五五百歳の内に「本門寺の戒壇」は建立されなかった。六の五百歳に入り、時代は大きく変わった。日蓮聖人の教えも公に認められたものとなり、本門寺の戒壇建立は、現時においてはさりとて大きな意味合いを持たなくなってきた。
7、興門は、歴史的事実を受け入れ、新しい目標を定めて進んでいかなければならない。
こんな感じでしょうか。
583
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 03:53
沖浦克治さん
>一人一人に功徳『功』として顕れてこそ、全体としての『功』となりうるのです。…
>ご理解くださいませ。
わかりました。
私が、スレッド提案の意図した方向性とは多少違ってはおりますが、しかし、ご説明の旨、私なりに理解することといたします。
これから私の書くことも、ご理解頂ければ幸いです。
>568で、沖浦さんは、とてもいい御書を引いてくださいました。
「不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」
仏教徒の心掛けとして、最も忘れてはならないことだと思いますね。
だけど、失礼ながら、私には沖浦さんがこの場で不軽菩薩のお振舞いをなさっているとは、どうしても思えないのが私の正直なところです。
私が言うまでもありませんが、不軽菩薩とは、「我深く汝等を敬う、敢えて驕慢せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と、たとえ自分を迫害をする者に対してでも、決して軽ろんじることなく一切の人々を礼拝した菩薩ですね。なかなかそのような振舞いは出来るものではありませんが、しかしそうはいっても、沖浦さんのここでのお振舞いは、まるで逆を心掛けたものとではないかと思われるところなのです。
たとえば私が今思い出す文言だけでも、駄目な人です、あなたには無理です、理解が足りない、境涯が低い、対話をしたくない、興味がない、関係ない…などなどの文言からいって、反論を受けるということにおいての不軽菩薩の姿はあっても、迫害する者に対して礼拝して敬い軽んじないという姿はほとんどといっていいほど見受けられず、むしろ見下していらっしゃるように映ります。私の錯覚でしょうか。
私にとっては、いくらお金が入ってきたかといったことよりも、人々に対してどのような振舞いをしているかといったことのほうが、教えの正邪の判断基準になると思うんですね。つまり、どのような人格を目指し、結果どのような人間性を示すようになったかといったことの方が、本当の意味での功徳の結果ではないかと思うのです。
前のレスに遡って恐縮ですが、沖浦さんが>504に書かれている方のこと、私は少しお気の毒な気がしました。
その方にどのような問題があったのかは、わずかな文面からはとても読み取れませんが、しかし見方を変えて考えてみれば、その方がもしも創価学会に関わっていなければ、そのような人生を歩むこともなかったのかもしれません。
ところが、沖浦さんのレスを読ませて頂く限りでは、理由はどうであれ、信心を退転した人が何らかの形で嫌がらせなどの制裁を受けることは、当然のことであり、自業自得だと言わんばかりのようにも読めてしまいます。
しかし、宗教が本来的に目指す人間の精神性とは、本当にそういうものなのでしょうか。
私は、そのような感覚には大変疑問を持ちますし、それこそ不軽菩薩の姿からいっても、人を裁かないのが、平和宗教の目指す精神性ではないかと、思うところなのです。
584
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 03:56
(つづき)
人を憎む、捨てる、嫌がらせをする、…創価学会について語るとき必ずといっていいほど耳にする言葉ですが、考えてもみれば、それだけでも尋常とは思えません。このような言葉を日常的に聞かされているとすれば、掲示板が荒れるように、人の心も嫌が上にも荒廃していくものではないかと思われます。
結局は教団の指導が、そこの信者の人格形成に与える影響は大変に大きいものであることは否めません。
私は、他の掲示板をみることはほとんどありませんので、わかりませんでしたが、この度、参考にしてみたいと思いましてロムしてみたところ、私がお寺でほとほとうんざりしてきた宗創バトルがここでも延々と繰り広げられておりまして、嘆息が出ました。
沖浦さんのレスの中では、学会では、退転者のこと捨てておきなさいということが書かれてありましたけれども、学会でいうところの退転者や不信者の多いこの掲示板に、どうして続けて投稿されておられるのでしょう。捨てておきなさいと言われているのですから、ご放念くださればいいのにとも思ったりもします。
いやこれは、だからといって、参加してほしくないというつもりで、言っているわけではありませんが、ただ私が個人的に思うことは、もう、ほとほとうんざりとしてきている宗創バトルを、またもやこの掲示板に持ち込まれてしまったなあという感じが否めなくもないのです。
ただし、ここの掲示板で長く議論してきていることというのは、そういう宗創バトルの問題ではないのです。
その点は、ご理解いただけないものなのでしょうか。
沖浦さんが書かれている宗門批判の中には、確かに私も共感できるところはあります。同じような意見合いのことも、過去に私もレスをしてきていると思われます。
ただしかし、率直に申しまして、どうしてそうも沖浦さんは、言葉づかいや表現が乱暴なのでしょう。他の掲示板で柄が悪くなったと言われておりましたが、それならばこの際せっかくここにお越しになったのですから、その点だけでも留意されてみられてはいかがでしょう。
言葉づかいというのは、その人の品位や品格といったものを思わせてしまうものです。面識を合わせることのない、掲示板では、言葉づかいが人格を推し量るものとなってしまうわけです。
下劣な言葉や表現を使えば、それはそのままその人の人格はもちろんのこと、その人が信仰する宗教までもが下劣なものであるという印象を与えてしまうものなのです。
沖浦さん自身が書かれておられたことですが、広布のために「あのような人になりたい」と思われるような人にならなければならないということであれば、尚のこと、「出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」との御金言からいって、いくらお金が入ったかなどということよりも、もっと振舞いそのものが大事なことではないかとと、私は思います。
とはいえ、はじめの頃の投稿と比べれば、かなり紳士的に振舞われておられるようにもお見受けいたしますね。むしろそのことが、沖浦にとっての「功」ではないかと思ったりもしますよ。
585
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 04:00
(つづき)
>537
>お荷物の宗門と離別し、今はドンドン増えています。
この事実が、勝敗を顕しております。
この点ですが、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉もあるように、数の力は決して侮ってはいけないことは事実ですが、しかし必ずしも、数の勝負が教えの正邪を決定するというものではないと思います。
先ほどの「振舞い」ということとも関連いたしまして、教団の質ということも大変重要なことだと思いますね。
>539
>>戒壇が「民衆立」などというものであるとは書かれていません。
>御書全体を正しく読まねば、理解は不可能でしょう。
蓮祖の御書を拝し、双方に異なる解釈が起こる事はやむ終えないと思います。
あなたはそう、思い私は思わない。
理解力の差です。
かつて私の質問に対して、沖浦さんは、自分はここの参加者の誰よりも自信があると豪語されておられましたので、沖浦さんが実際にここの参加者の誰よりも正しく御書を理解しているということは、何をもって証明されますでしょうか?
586
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 06:01
おはようございます
犀角独歩さん
『講師筆記試験優秀答案』
懐かしい言葉ですね。
主師親の三徳を備えていても、本仏ではありません。
興師も同様です。
>「世界立戒壇論」云々
池田先生をご本仏と仰いだにしてはユニークですね。
かって池田先生はこの件を述べておられます。
>なお、わたしが宇宙立戒壇論と言ったのは、云々〜沖浦さんの理想を、先に述べたものでした。
あなたに私の心がわかるわけが無いでしょう。
かってな事を言うから反論をされるのです。
今後は気を付けましょうね。
>世界立戒壇に入れる漫荼羅も、また勝手に造るレプリカだそうです。
なるほど、あなたはご家庭にも戒壇様をご安置ですか!
私の家はレプリカです。
でも功徳無量ですよ。
総じて、あなたは現実論に少し弱点がありますね。
池田先生本仏論の害毒かも知れませんね。
今後のご成長う期待いたします。
587
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 06:10
アネモネさん
おはようございます。
>駄目な人です、あなたには無理です、理解が足りない、境涯が低い、対話をしたくない、興味がない、関係ない…などなどの文言からいって、反論を受けるということにおいての不軽菩薩の姿はあっても、迫害する者に対して礼拝して敬い軽んじないという姿はほとんどといっていいほど見受けられず、むしろ見下していらっしゃるように映ります。私の錯覚でしょうか。
いいえ、錯覚などではありません。
心の底から見下しておりますよ。
>その方がもしも創価学会に関わっていなければ、そのような人生を歩むこともなかったのかもしれません。
このような仮定は無意味です。
もし私が男だったら、もし日本人でなかったら、もし大金持ちなら、もし芸能人なら等々。
事実以外に仏法はありません。
あなたの言われる事は念仏思想にすぎません。
もちろんの事、あなたのご自由ですが。
>理由はどうであれ、信心を退転した人が何らかの形で嫌がらせなどの制裁を受けることは、当然のことであり、自業自得だと言わんばかりのようにも読めてしまいます。
自業自得ですね。
宿命とはそう言うものです。
仕方ががありません。
588
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 06:26
続きです
>それこそ不軽菩薩の姿からいっても、人を裁かないのが、平和宗教の目指す精神性ではないかと、思うところなのです。
『これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし、』( 佐渡御書)
このご文に照らして、あなたのご意見は邪義です。
>人を憎む、捨てる、嫌がらせをする、…云々
私は退転と言う行為を心の底から憎みます。
然しながら嫌がらせは致しません。
此れでも、蓮祖門下の末弟です。
>沖浦さんのレスの中では、学会では、退転者のこと捨てておきなさいということが書かれてありましたけれども、学会でいうところの退転者や不信者の多いこの掲示板に、どうして続けて投稿されておられるのでしょう。捨てておきなさいと言われているのですから、ご放念くださればいいのにとも思ったりもします。
最もなご質問ですね。
以前も書き込みましたが、この掲示板を見ている人は、きっと書き込んでいる人の何十倍も多いでしょう。
私は、この掲示板のテーマとは異なった様相(創価の罪の羅列に過ぎない)に、創価学会員として創価の正義なることを主張するために書き込んでおります。
多くの読者の皆様方に、創価学会の正義なることの情報を提示しているのです。
退転した人達に戻っていただく必要など全くありません。
然しながら迷っている人が私の掲示により、退転を思い留まるならば、望外の幸せです。
589
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 06:29
続きです
>それこそ不軽菩薩の姿からいっても、人を裁かないのが、平和宗教の目指す精神性ではないかと、思うところなのです。
『これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし、』( 佐渡御書)
このご文に照らして、あなたのご意見は邪義です。
>人を憎む、捨てる、嫌がらせをする、…云々
私は退転と言う行為を心の底から憎みます。
然しながら嫌がらせは致しません。
此れでも、蓮祖門下の末弟です。
>沖浦さんのレスの中では、学会では、退転者のこと捨てておきなさいということが書かれてありましたけれども、学会でいうところの退転者や不信者の多いこの掲示板に、どうして続けて投稿されておられるのでしょう。捨てておきなさいと言われているのですから、ご放念くださればいいのにとも思ったりもします。
最もなご質問ですね。
以前も書き込みましたが、この掲示板を見ている人は、きっと書き込んでいる人の何十倍も多いでしょう。
私は、この掲示板のテーマとは異なった様相(創価の罪の羅列に過ぎない)に、創価学会員として創価の正義なることを主張するために書き込んでおります。
多くの読者の皆様方に、創価学会の正義なることの情報を提示しているのです。
退転した人達に戻っていただく必要など全くありません。
然しながら迷っている人が私の掲示により、退転を思い留まるならば、望外の幸せです。
590
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 06:43
続きです
>>お荷物の宗門と離別し、今はドンドン増えています。
この事実が、勝敗を顕しております。
>この点ですが、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉もあるように、数の力は決して侮ってはいけないことは事実ですが、しかし必ずしも、数の勝負が教えの正邪を決定するというものではないと思います。
最後は数です。
民衆は馬鹿ではありません。
民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。
数ではないと、言う事自体が教えに力の無い証拠です。
日本では信教の自由が保証されています。
拡大出来ないと言う事は、教えが劣っているのです。
蓮祖の時代とは違うのですよ。
主権在民とはそう言うことです。
>かつて私の質問に対して、沖浦さんは、自分はここの参加者の誰よりも自信があると豪語されておられましたので、
あなたは少しずるいと思います。
私はたいした人間ではありません、と何度も言ってきたはずです。
創価学会には、私より優れた人材はそれこそ何十万人といらっしゃいますよ。
私はただの末端会員です。
あなたが私に対して『自信が無いのであれば意見を述べるべきでない』と何度もひつこく言ったことをお忘れですか?
やむを得ず私は『そこまでおっしゃるならば申しあげます。私はここの人たちより自分に自信を持っております』とお答えいたしました。
自分のご発言には、責任をおもちくださいませ。
591
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 06:47
続きです
>>お荷物の宗門と離別し、今はドンドン増えています。
この事実が、勝敗を顕しております。
>この点ですが、「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉もあるように、数の力は決して侮ってはいけないことは事実ですが、しかし必ずしも、数の勝負が教えの正邪を決定するというものではないと思います。
最後は数です。
民衆は馬鹿ではありません。
民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。
数ではないと、言う事自体が教えに力の無い証拠です。
日本では信教の自由が保証されています。
拡大出来ないと言う事は、教えが劣っているのです。
蓮祖の時代とは違うのですよ。
主権在民とはそう言うことです。
>かつて私の質問に対して、沖浦さんは、自分はここの参加者の誰よりも自信があると豪語されておられましたので、
あなたは少しずるいと思います。
私はたいした人間ではありません、と何度も言ってきたはずです。
創価学会には、私より優れた人材はそれこそ何十万人といらっしゃいますよ。
私はただの末端会員です。
あなたが私に対して『自信が無いのであれば意見を述べるべきでない』と何度もひつこく言ったことをお忘れですか?
やむを得ず私は『そこまでおっしゃるならば申しあげます。私はここの人たちより自分に自信を持っております』とお答えいたしました。
自分のご発言には、責任をおもちくださいませ。
592
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 06:49
続きです
>沖浦さんが実際にここの参加者の誰よりも正しく御書を理解しているということは、何をもって証明されますでしょうか?
蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。
593
:
通りすがり
:2003/11/02(日) 07:30
>蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。
>然しながら迷っている人が私の掲示により、退転を思い留まるならば、望外の幸せです。
それしか証拠を示せないんだね、もう読むのも恥ずかしいから書く込むの、辞めたら。
594
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 07:41
通りすがりさん
なかなかユニークなご意見です。
今後の頑張りに期待いたします。
595
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 07:44
通りすがりさん
なかなかユニークなご意見です。
今後の頑張りに期待いたします。
596
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 08:42
創価学会指導を邪義と言った沖浦さん:
繰り返しますが、池田さんがかつていったという
「世界立戒壇」の証拠を挙げてください。
597
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 08:54
犀角独歩 さん
他人にものを教わる時には先ず決め付けを止めるべきでしょう。
>創価学会指導を邪義と言った沖浦さん
あなたの自分勝手なご意見を、邪義と言ったのですよ。
創価学会には邪義などありません。
今少しで結構ですから、本気になって理解力を向上させて下さい。
文章の解釈に、少なからず問題があるようです。
しかしながら、まだ可能性は僅かですが残されているでしょうね。
貴君の、今後の頑張りに期待を致します。
私は今から出かけます。
夜に帰れば閲覧いたしますので、お待ちください。
598
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 09:06
創価学会指導を邪義と言った沖浦さん:
> 主師親の三徳を備えていても、本仏ではありません。
> 興師も同様です。
創価学会『御書辞典』「三徳具備を衆生済度の仏の条件とする…日蓮大聖人が末法の御本仏である証文」とあります。ここでもまた、創価学会と違うことを言っていますね。興師を仏とするとは知りませんでした。これまた創価学会と違う考えです。
なお、池田本仏論は三徳具備のみならず、以下のごとく池田さんを「久遠の師」という久遠元初自受用身報身如来即日蓮にしか使わない言葉で礼賛したものでした。
「久遠の師・池田先生よりメッセージが寄せられた」
「我々の師弟の道は人法一箇としての師匠(池田先生)というものを学びとっていかねばならない」
あと数が多いほうが正しいそうですが、それはある面、意味があります。
創価学会は日本ではたったの400万人、それに比し、日本人の人口は1億人を優に超えています。数で言うのであれば、創価学会を信じない1億人が正しいと言うことになります。宗門を引き合いに出す必要はありません。
しかも、世界に目を向ければ、たとえばカソリック信徒は7億人います。数の多いほうが正しいのであれば、創価学会は明らかに間違っていることになります。これから増えるなんて戯言は言う必要はありません。創価学会指導を邪義と言った沖浦さんは、現時点の数で判断したわけですから。
なお自分の家にレプリカ本尊を安置しているそうですが、それは先にご自分で「偽本尊」と認めた蓮師漫荼羅と相貌が違うものでしょう。お気の毒なことです。
このあとも創価学会指導を邪義と言い、それとは違うユニークな己義をご披露くださることでしょう。いつも楽しく笑わせていただいております。しかし、58歳にもなってやっていることは子供みたいで微笑ましいですね。
599
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 09:07
沖浦さん、あなたに「貴君」などと言われる筋合いはありません。
言葉遣いに気をつけましょう。
600
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 09:09
なお、596に「世界立戒壇」の証拠を、と書いたのです。
597でまた答えを逃げましたね。
繰り返しましょう。
世界立戒壇の証拠を挙げてください。
かつて言った池田さんの言葉という奴です。
601
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 09:29
ジャンノレンさん:
おはようございます。
>>> 私は誘導システム(概念操作といっても良いかも)
> …大多数が共有する一般概念を、少しづつずらして本来の概念を教団ないし団体が共通認識として獲得すべき概念に恣意的にすり変えていく事…確信犯的行為です。
これは実に重要な分析です。
ハッサン師はキリスト教系カルト指導者の特徴を「神と聖書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、聖書と神意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」と分析しました。これは日蓮本仏圏でも同様です。
「本仏と御書を自分より上の権威としているように見える。にもかかわらず、御書と仏意に関する彼らの解釈が、人々を操作しコントロールするのに使われているのである」
と書き換えると同様であることがわかりますね。
> …釈迦の悟りや教祖そのものの言辞(経典)…を借りて操作していくことがあったならば、許されないことです。
そのとおりです。まさに第三者心理操作というカルトの特徴そのものです。
> 抑圧している…反応して、過剰な攻撃性や過大評価や錯誤を犯すのか?この部分が個人として、又団体として潜在的に押し込めた不快な部分ではないかと考えるのです。不快な部分であるからこそ、対境に現れた潜在下の意識を刺激するもの、を感じたときに凶暴的に払拭もしくは逃避する行為が認められるのではないでしょうか
なるほど。これは毎日、このスレッドで実例を見ておりますので、よくわかります。
> 簡単な解決方法は正直に悪いことは悪いと思い謝れば、その事実は昇華し健全な精神性を保持します
これが仏教で言う「懺悔(さんげ/クシャマ)」ですね。
> いわゆる機嫌の悪い人…機嫌の悪い部分
この意味は一つ判読できません。
もう少しご説明いただけませんでしょうか。
602
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 09:46
597 創価学会と違う新義を唱える沖浦さん:
読み落としてました。
> 人にものを教わる時には先ず決め付けを止めるべきでしょう
誰がものを教わっているんですか?
あ、沖浦さんがここに、皆から教わりに来ていると言うことでしょうね!、まさか、あなたからものを教わろうなど言う酔狂な人はいるわけはありませんから。
まさにそのとおりで、沖浦さん、せっかく教わりに来ているんですから、「決めつけはやめるべきでしょう」。あと創価学会と違う新義を唱え、創価学会指導を邪義というときは、「これは自分の教えである」(笑)としっかり書いたほうが好いですよ。混乱しますから。
では池田さんが言った「世界立戒壇」の有り難い指導をご披露してください。
603
:
通りすがり
:2003/11/02(日) 10:09
沖浦さんのご期待にお答えして、一言お聞きします
>蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。
創価学会は「大聖人直結」と言ってますが、「直読」とは言ってません。「蓮祖直読」とはどういう意味でしよう。
604
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 10:56
沖浦さん:
587の書き込み。創価学会をやめた人間を「心の底から見下し」、さらに制裁を加えられることは「自業自得」である。これ程あなたの人間性を端的に自己表現した書き込みはありません。
人を見下すことを差別といいます。個人で制裁を加えることを犯罪といいます。
創価学会は自分たちが差別集団であり、違法制裁を加える集団であると社会認知されることは望んではいないでしょう。沖浦さんは社会一般の現実認識が甘いために差別主義、人権侵害を抜け出すことができないのでいる。人を差別・侮蔑し、人権を侵害するのに悪用される蓮師こそ迷惑でしょう。
それでも、かつての創価学会の指導を沖浦さんは邪義と言った。この考えは承ります。
自分の考えを創価学会の考えのように言うことを己義、新義と言います。こんな勝手なことを言う会員は創価学会にとって実に迷惑な存在でしょう。あなたが役職をもらえない理由がよくわかります。学会もあなたが人を指導する資格無しと見なしているのでしょう。創価学会からも、組織・会員からも嫌われ、相手にされていないのではないでしょうか。ここでの創価学会礼賛の書き込みを会も会員も迷惑なものとしてとらえるでしょうね。独り善がりの一人芝居に老醜が漂っています。
沖浦さんは創価学会を褒め殺しにするためにここに書き込んでいるんでしょうか。
自分を認めない創価学会に制裁を加えているように映じます。実に気の毒な老後です。
605
:
通りすがり
:2003/11/02(日) 11:15
>沖浦さんは創価学会を褒め殺しにするためにここに書き込んでいるんでしょうか。
あっ、そうか、合点がユキマシタ。沖浦さんの書き込みは「褒め殺し」だったのですね!
沖浦さん、頑張って下さい。元学会員として、応援してますよ!
606
:
ガンコ
:2003/11/02(日) 12:37
ホメ殺しではないと思いますよ。
なぜなら、沖浦さんの確信ある?書き込みを読んで学会に入会したという方がいらっしゃるようですので。
なかなか大したものです。
だって、顕正会のばあい、現状ではネットを見ていて入会したいと思う人はまずいないでしょうから。逆に、脱会者続出?みたいで、もう、いやんなっちゃう。
607
:
愚鈍凡夫
:2003/11/02(日) 12:49
>>606
:
ガンコさん、それって新手の「ホメ殺し」?
φ(゜0゜*)ホォホォφ(。_。*)メモメモφ(゜o゜*)フムフムφ(。_。*)カキカキ
608
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 13:43
ガンコさん:
褒め殺しの褒め殺し、技を使いますね(爆)
609
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 14:03
沖浦克治さん
>いいえ、錯覚などではありません。
心の底から見下しておりますよ。
やはりそうでしたか。それでは、最初から議論や対話にはなりませんね。
このご発言で、沖浦さんは掲示板の主旨に反する意図で、投稿をなさっていることを自ら告白されていることになるかと存じます。
「管理者からのお願い」にもありますように、ここは議論を目的とした場です。
そのような場のあり方を妨害する目的で投稿なさっているならば、掲示板運営の妨害(荒らし行為)とみなされるかと存じます。
>もし私が男だったら、もし日本人でなかったら、もし大金持ちなら、もし芸能人なら等々。
お気の毒な人をお気の毒だと思わない、可愛そうな人を可愛そうだと思わない、そのような人がそうあることを当然のことだ、捨てておけとする心根は、とても非情な人間性だと思います。創価学会は非人間的な心根を培うところだということがわかりました。
>自業自得ですね。
宿命とはそう言うものです。
仕方ががありません。
ここの掲示板では、全てをそのようには考えません。
なぜそうなったのかの原因を、組織のあり方にも問題があるのではないか、教義解釈にも問題があるのではないかという所から、様々な文献証拠に基づいて検証してきている所です。それがこの掲示板のスタンスであり主旨です。ご理解ください。
>( 佐渡御書)このご文に照らして、あなたのご意見は邪義です。
私は、その御書を信じておりませんので、示されても私には何の意味を持ちません。
>私は退転と言う行為を心の底から憎みます。
行為を憎むと言いながら、そのお振舞いは人を憎んでおられるようです。
この掲示板に「憎悪の心」を持ち込まないで頂きたいです。
>以前も書き込みましたが、この掲示板を見ている人は、きっと書き込んでいる人の何十倍も多いでしょう。
そうだと思います。
>私は、この掲示板のテーマとは異なった様相(創価の罪の羅列に過ぎない)に、創価学会員として創価の正義なることを主張するために書き込んでおります。
誰も創価学会を悪だと決め付けているのではありません。また逆も真で、創価が正義だということも断定されません。先ほども申し上げましたとおり、ここでは正義か悪かといった二極思考を脱して議論を重ね、各組織とその教義を考証し、真の日蓮仏法を再考してきているのです。
610
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 14:05
(つづき)
創価学会には、大変な功績もあります。
>528に三学無縁さんが書かれていることからも、戸田さんがどれだけ人々の心をとらえ、生きる勇気と希望を与えたかが、創価学会を知らない私にも、わずかな文面からも読み取れます。池田さんに至っても恐らくそうでしょう。
今でこそ、憲法によって基本的人権が保証され、法的には誰人も差別はされなくなりました。福祉も整備されてきています。弱者の生きる権利が守られる時代になっています。その経緯の中に、創価学会の存在の功績は間違いなくあったことでしょう。
学会から法華講に入られた方々の中には、戸田先生と呼んで今もなお憧憬と敬慕の気持ちをお熱くお持ちの方はたくさんおられました。
そんな方々は、戦中戦後の苦労話とともに学会の信心によって勇気づけられ、希望をもって生きてこられたことをしみじみと語られていました。
戦前戦後の日本において、本人には何も落度のない人が、ただ貧しいから、病気だからとそれだけで、教育も受けられず、子供の頃から奉公に出されたり、時には売り飛ばされたり、そのような実態があったわけですね。その時代を生きていない私が書くと、舌足らずな記述になりますが、戸田先生を懐かしんでおられた方の中には、貧しさ故に、成人するまで文字も習わなかったという方もおられたくらいです。教育を受けられないことによる
不当な不利益と差別にどれほど苦労されたことか、筆舌し難いものがあったでしょう。
敗戦時にもなれば、当然そのような弱者から先に生命の危機にさらされていくわけです。それが日本の姿だったわけですね。そのような真っ先に被害を受けてしまう弱者の希望となったのが創価学会の存在だったといえるのではないでしょうか。
私はこの点については、異論はありません。文字を学ぶ機会さえなかった人までもが、苦学してお経文と御書を拝読するようにもなった、これも創価学会の功績といえるでしょう。そして学会活動をバネに、不当な差別をされてきた人々が、自らの力で逆境を切り抜け人権を勝ち取ったということも、功績といえるかと思います。
しかし、今は時代もよくなり、義務教育として誰でも平等に教育が受けられるようになり、福祉も整ってきました。基本的には極度な貧困と差別というものはなくなり、あるのは、内心の差別といえるでしょう。
その点において創価学会は、その内心の差別というものを克服していないのではないでしょうか。まさに、退転・謗法・不信を憎んで見下す。つまり、差別しているわけです。かつて貧困と病気で差別をされてきた人々が自らの権利をかけて団結した組織が、今度は不信の人を見下し差別をしている。結局は、差別の心根を脱することが出来ていないどころか憎悪を駆り立てているところが、今の創価学会の問題点のひとつといえるでしょう。
>多くの読者の皆様方に、創価学会の正義なることの情報を提示しているのです。
沖浦さん自身は、正義のつもりで投稿されたかもしれませんが、皮肉なことにその投稿姿勢そのものに、人を見下し差別しているという、罪過の部分が如実に示されてしまっているといえます。
>最後は数です。
民衆は馬鹿ではありません。
民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。
衆愚政治という言葉もあります。
民主主義の原理で、衆愚に陥らないためには、組織という全体主義の論理に陥らず、自らひとりひとりが自主独立の精神でものを考えることが肝要かと存知ます。
611
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 14:05
(つづき)
>数ではないと、言う事自体が教えに力の無い証拠です。
日本では信教の自由が保証されています。
拡大出来ないと言う事は、教えが劣っているのです。
蓮祖の時代とは違うのですよ。
主権在民とはそう言うことです。
それでは、はっきり申し上げます。
日本の人口は、約1億2千万人、世帯数でいえば、約4600万世帯。創価学会員が600万〜800万人としても、信教の自由から、創価学会を選ばない非創価学会の人口のほうが、圧倒的に多いです。民主主義の数の原理からいっても、創価学会を支持しない人のほうが大半です。
さらにとりわけその中でも、創価学会員の数と同じくらいの創価学会被害者もいるものと考えられます。それ以上かもしれません。
この掲示板もそうです。沖浦さんのような学会の方もご覧になっていらっしゃるでしょう。だけど、それ以外に折伏被害も含めた、創価学会被害者の方もたくさんご覧になっているのです。創価学会だけの被害ではありません。もちろん顕正会、法華講なども同じです。
ですから、「創価学会は正義だ、正しい。それ以外は邪義である」といったことから議論をしているわけではないのです。逆も真です。「創価学会は悪である」と決め付けた議論でもありません。
そうした組織のアナウンスが本当のことなのかということを、あらゆる教義と歴史をひもときながらその根底から論証と検証をしてきているのです。
どうか、そのような主旨で掲示板の議論がありますので、その言論の妨害をなさらないで下さい。
>あなたは少しずるいと思います。
私はたいした人間ではありません、と何度も言ってきたはずです。
自信がないと言ったことを、私の一言で、節操なく前言を180度覆したのは、沖浦さんあなた自身です。ご自分のことです。人の言葉に翻弄されたのは、あなたのほうです。私のせいにしてはいけません。
>あなたが私に対して『自信が無いのであれば意見を述べるべきでない』と何度もひつこく言ったことをお忘れですか?
いいえ、忘れません。今も同じ思いです。私は人の言葉には翻弄されないようにしています。
末端信者で自信がないというのが本当のところであるのならば、あなたが書かれる創価学会については、どんなに断定的にここに書き連ねられても、その言葉は信用ならないと思っております。あなたが書かれている内容を、そのままそれが創価学会というものだと鵜呑みにしてはならないと思いました。話半分に割り引いて聞かなければなりません。
>自分のご発言には、責任をおもちくださいませ。
自信がないのなら、断定しないで下さい。自信があるのなら、断定している内容を科学的に証明してください。私は一貫したことを申し上げております。自信があるかないかで、発言が二転三転しているのはあなたのほうです。
612
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 14:07
(つづき)
>蓮祖直読の創価学会を退転せずにいる事が証拠です。
何度も申し上げますが、そういうことは証拠にならないのです。
もっといえば、創価学会が蓮祖直属であるということの証明も求められます
創価学会に所属しているから正しい。これは、あなたが御書を誰よりも理解している証明になっていないのです。
それは戒壇之御本尊を護持している法華講に所属しているから正しい。
これが正しさの証明になっていないのと全く同じです。
そのような宗創バトルの段階はこの掲示板では終わっております。
何度もしつこく申し上げておりますが、ここの掲示板は、沖浦さんの示す尺度で議論をしている場ではないのです。沖浦さんは、そのことを全然理解されないばかりかまるで無視をし、さらには参加者をことごとく見下しながら、自分の一方的な尺度の押し付けを何の根拠もなく投稿し続けておられます。これが今後も続くようでは、掲示板運営に対する妨害ではないかと私は感じております。
結局、学会に限ったことではなく法華講組織もそうだったように、組織の批判を絶対に許さない体質そのものが一番の問題かと思います。絶対に正しいとするから、批判を許されない。恐らくそこが最大の問題といえるでしょう。
ですから過去に起きたという言論弾圧や出版妨害といった事件は、そのような批判を許さない本質的な組織体質が象徴されたものといえるわけで、事件そのものは過去に解決済みだとしても、実際には今も尚その言論封鎖の体質を個々の学会員たちが連綿と受け継いでいるということがいえるかと思います。弾圧・妨害の方法が、合法的かつ巧妙になったということであって、批判を許さない体質そのものは何も改善されてはいないといえるでしょう。
沖浦さんのレスも、創価学会批判に対する反論と抗議の姿勢が貫かれておられます。批判に対して「そう思うのは自由だ」と書いてはおられますが、自ら告白されているように人を見下す感情的な文面から滲みとれる意識とは、創価学会批判を断じて許さないというところではないでしょうか。そこを一貫して主張しようと、恐らくその使命感をもってここにおいでになった。そんな印象を受けますね。
創価学会を最も批判するのは、他ならぬ脱会した人なわけです。その目で見、聞き、したこと、されたこと、それらを公言し始めるとなると、世間的評価は更に落ちますし、また内部的には、更なる脱会者も出ては困るので、なんとしても言論を封じ込めたいものなのでしょう。
その方法としては、見せしめとして、その人に退転者の烙印を押せばいいわけです。それだけで現役学会員は強い使命感をもって、退転者の言動に揺さぶりをかけ、弾圧・妨害をしていくといった構造があるのではないでしょうか。そうしたことが多くの脱会者の方々の被害の実態を連ねたレスから見受けられますね。
また、それをやらなければ、今度は自分の信心が足りないなどと矛先が組織から向けられ、攻撃を受けかねないものなのかもしれません。
創価学会についてのみ書きましたが、しかし、独歩さんが書かれているように、この体質は何も創価学会に限ったことではないでしょう。法華講も顕正会も、いずれも自分の組織が唯一正しいということで、組織の批判を許さない体質は全くどこも共通していると思います。ただしかし、私は法華講を退転しておりますが、創価学会で聞かれるような被害は全く受けておりません。このことだけは、ここに証言として書いておきたいと思います。
ただいずれにしても、その組織が唯一正しいと主張することは、同時に組織以外は全て間違っていると考えるわけですから、正か邪かという完全二極思考であり、その時点で柔軟な思考は出来なくなります。
613
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 14:10
(つづき)
ガンコさんが沖浦さんに書かれた中にもあった、この掲示板の流儀、言葉を変えればスタンスとは、そこが大きく違うと思うのだろうなと思います。正か邪かということだけに捉われず、批判を許さない姿勢を脱却して疑問を持ち、そのうえで議論を重ねてきたのがこの掲示板のスタンスであり、最も画期的なところだったといえるでしょう。
だからこそ、組織の違う者同士が、組織を背負ったなじり合いに陥ることなく、ここまで有意義な議論を積み上げてきてきたものだと思います。
そもそもそこが沖浦さんの有する尺度と全く大きく違うところでしょう。対話や議論が噛み合わないところはそこに起因しているといえます。
沖浦さんだけでなく、言葉の乱暴な人は、これまでにもたくさんいました。私だって過激なときもしょっちゅうでした。その点は、同じサガというものを感じなくもありません。
しかし、大きく違うのは、自分の教団の批判に目を向けられるか、そのことをタブー視しないか、そこだろうなと思います。
法華講に席を置く者が、法華講の問題点を挙げ批判を述べる。学会の人が学会の問題点に目を向ける。顕正会の人が、顕正会の反社会的傾向に目を向ける。
全て、組織からすれば、みんな謗法・退転と呼ばれる行為です。個人が特定されれば、場合によっては除名や破門となるでしょう。
それでも、問題に目を向け、情報を交換して議論を重ね、真の日蓮仏法を考えようとしてきたのが、いわばここの流儀といえますし、それが他に類をみないこの掲示板のスタンスであり、最も画期的なところだと評価できるのではないでしょうか。
614
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 14:18
このスレッドに関しては立てた当初から荒れることが懸念されていました。その通りの結果になってしまいました。
私は、言論の自由を大切にします。掲示板参加の自由もしかりです。
しかし、だからといって、議論の主旨を無視した一方的な投稿で、掲示板の秩序を乱す権限まで認めるつもりはありません。
宗教の求める精神性からいって、私はむやみに退出を願うことは私の信条からいって、とても不本意です。
しかしこの掲示板の主旨について今後もご理解頂けない場合には、ご辞退願いたいという気持ちでもあります。
もちろん、これは最終的には管理人さんのご判断に委ねるところではあります。
もしくは、このスレッドについて議論の応酬を禁止するという方法もひとつの選択肢なのかなとも思っています。
615
:
ガンコ
:2003/11/02(日) 15:29
ホメ殺しで考えていたことは、沖浦克治氏の功罪を考える・・・沖浦氏は昨今やや低調ぎみだった掲示板を盛り上げた大功労者である云々・・・っていうパロディなんですが、いかにも性格が悪いと思われそうで控えていたんです。(と言いながら書いてしまった)
しかし、もうちょっとまじめにやらないといけませんね。
わたくしは学会のことをよく存じませんが、戸田氏は牧口氏とともに投獄され、牧口氏は獄死せられた、戸田氏は生きて獄を出でられ、戦後の焼け野原にお立ちになった・・・っていうところから創価学会の歴史がはじまると聞いています。
これって、ものすごく感動的なシチュエーションだと思います。この辺の史実について、いまは法華講のほうからいろいろ言われていますが、しかし、おおすじでは学会のいうとおりなんだろうと思います。
他にも新興宗教はいくらでもあったし、けっこう伸びていった教団もあったようですが、みんな活力をうしなってしまっています。わたくしの住む町にも、〇〇教支部とか〇〇会道場とか、ありますけども、ほとんど人の出入りしているところを見たことがありません。
結局、学会がいちばん伸びたし、いまも相当の勢力を誇っているのは事実であろうと思うんです。学会員の鼻息が荒いのもうなずけるわけです。
問題は、すでにみなさんが指摘されてきたとおり、いまの学会がはたして牧口氏・戸田氏の遺志を正しく受け継いでいるのか、といえばどうもそうではないようだ、って言うところに尽きているわけで、どうも沖浦さんはその点の釈明ができていないキライがあるにもかかわらず、ご本人はその自覚に乏しいようで、それに対して周囲のみなさんはあきれたり、カッカしたり、なんだか調子をくるわされてしまっているようなあんばいに思えます。
すでにこの掲示板ではもっと高いところを指向しているわけですから、ほんらいなら沖浦さんがその方向性を理解して書き込むことが望ましいと思いますが、どうやらその気はないようです。
もっとも、わたくしだって所属教団が違うだけで、沖浦さんと同程度ないしそれ以下でしょうから、偉そうなことは書けたものではないのですが、いちおう無駄レスはなるべく控えるようにしています。いろいろ書きたいことはあるのですが、まだまだとても発表できるレベルではないと思っていますので。
616
:
ガンコ
:2003/11/02(日) 15:41
アネモネさんのおっしゃる画期的な掲示板に同感です。最近、向学のためにあちこちの掲示板を見て回っていますが、ちょっと他にはなさそうですね。
617
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 15:55
ガンコさん:
森島恒雄師という実に好い学者がいました。
わたしはこの人の本、また、訳本を探し出しては読んでいました。
主にキリスト教関連の本ですが、前近代のキリスト教の科学への迫害を堂々と論じていった本ばかりです。
『科学と宗教の闘争』ホワイト著(岩波新書)
『思想の自由の歴史』ビュアリ著(岩波新書)
『魔女狩り』森島恒雄著
比較的簡単に手に入る本です。強大な宗教団体がやることはいつの時代にも同じです。
読んでおいたほうが好いですよ、自分が顕正会に所属したところから他宗、一般人を見る視線が100年以上も時代遅れのものであることがわかります。もちろん、創価学会も同様です。
しかしながら、ここで沖浦さんに係る皆の疑義は、創価学会問題であるというより、創価学会に名を借りた差別発言・人権侵害に係る問題ですよ。
この手の問題は、もちろん、顕正会の浅井さんとその一派も類型です。ですが、ここは『創価学会の功績/罪過について』ですから、まあ、顕正会には触れないだけです。しかし、問題の本質はまったく同じですね。
「見下され」差別され人権を侵害されている元創価学会員として、自分たちの思想の自由を獲得するための投稿です。異端審問官・沖浦氏に異義を申しているわけです。易々と魔女狩りはさせません。かつて創価学会が暴挙を振るった戦後50年の暗黒時代を繰り返さないためです。しかし、一方で顕正会も同じ事をやっている。嘆かわしい限りです。
618
:
管理者
:2003/11/02(日) 17:29
沖浦克治さん
あなたの587レスによれば、当掲示板において、あなたに反論する方々に対して、心の底から見下しておられるとの事です。これは、あなたの投稿そのものが、当掲示板の趣旨に反し、しかも禁止事項に抵触していることを自己申告されたものと管理者は考えます。この点につきまして、何か釈明されることが有ればお聞きしたいと存じます。なお、反していると判断しました当掲示板の趣旨、および、抵触していると判断しました当掲示板の禁止事項につきましては、「管理者からのお願いスレッド」をご覧下さい。
なお、今後、管理者の、この求釈明を無視して、投稿を続けられた場合は、ご参加をお断りすることとなりますので、ご承知置きください。
619
:
ガンコ
:2003/11/02(日) 17:49
あら、まあ、独歩さん
ご本のご紹介どうもです。
ここ、一連のご意見が、顕正会にも振り向けられていることは承知しております。
去年の今頃は「石山系グループ」を多用されていましたが、今回は「日蓮本仏圏」をよくお使いになっていらっしゃる。だいたい同じ意味でしょうし、なにより、委細に文面を見れば、学会のことよりも顕正会のことを言っていると思える部分があちこちにありますし。
とうぜん、他人事だとは思っていません。じゅうぶんにじぶんなりに考えさせていただいております。
620
:
犀角独歩
:2003/11/02(日) 18:05
ガンコさん:
> 一連のご意見が、顕正会にも振り向けられている
まあ、「振り向けられている」というより、同じ戸田さんの考えを仰ぐお仲間に、自然と共通するところとなると言うことでしょう。
> 去年の今頃は「石山系グループ」を多用されていましたが、今回は「日蓮本仏圏」をよくお使いになっていらっしゃる
そう、この定義というか、苦慮しています。「創価学会を含む大石寺系グループ」などと研究会などでは発表したりもするのですが、実はこれはカテゴライズし切れないですね。富士門流と言えば、八本山を含み、日蓮本仏を傍に置くところもあり、これも実は言いたいことは違う括りになります。「日蓮本仏圏」、苦肉の造語です。
> じゅうぶんにじぶんなりに考えさせていただいております。
このようなガンコさんのご発言には、感動すら覚えます。
推薦の書籍、参考になろうかと思います。
どこの図書館にでも、たぶんあります。
621
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 20:19
お詫び
私の発言にて、ご不快な思いを皆様方にお掛けいたしました事をお詫び致します。
622
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 20:41
アネモネさん
>お気の毒な人をお気の毒だと思わない、可愛そうな人を可愛そうだと思わない、そのような人がそうあることを当然のことだ、捨てておけとする心根は、とても非情な人間性だと思います。創価学会は非人間的な心根を培うところだということがわかりました。
このように勝手な決め付けをされるから、当方も対抗上言葉が乱れます。
ご注意下さい。
またあなたの思い込みと創価学会の真実とは無関係です。
800万人の真実を、私一人の発言で判断が正しく出来る人などいないでしょうね。
>ここの掲示板では、全てをそのようには考えません。
なぜそうなったのかの原因を、組織のあり方にも問題があるのではないか、云々。
信教の自由が保証されている世の中です。
入会も大会も自由です。
然しながら権利と自由の裏側には義務と責任が存在いたします。
退転された方と、原因をつくった方、の双方のご意見を聞かねば是非の判断は不可能です。
今後創価学会は、この方面にも力を入れるでしょう。
>私は、その御書を信じておりませんので、示されても私には何の意味を持ちません。
では何故富士門流の掲示板にいられるのですか?
>行為を憎むと言いながら、そのお振舞いは人を憎んでおられるようです。
この掲示板に「憎悪の心」を持ち込まないで頂きたいです。
私や創価学会を憎悪されているのは、ここの方々ではありませんか。
あなたのご指摘は不公平にすぎます。
240 無徳氏
『沖浦さんお久しぶりです。まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、
ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にてがんばってください。』
247沖浦克治さん 犀角独歩氏
『まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。』
290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』
他にも
『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』
これを読んだ真面目な創価学会員の悲しみが、あなたには理解できませんでしょうか?
623
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:02
続きです
>誰も創価学会を悪だと決め付けているのではありません。
290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』
このような書き込みもありますよ。
『どっちにしても会長が暴行魔では、末端が過激でも無理はない。しかし、これが世界一の指導者ですかね(爆)。世界一の暴行魔の間違いでは。』
皆様方でよてたかって創価学会を悪だ、と決め付けているではありませんか。
あなたには、これらの発言が創価学会擁護に取れるのですか。
お答えくださいませ。
>今度は不信の人を見下し差別をしている。結局は、差別の心根を脱することが出来ていないどころか憎悪を駆り立てているところが、今の創価学会の問題点のひとつといえるでしょう。
私は何度も言いますが、創価学会を退転する事は自由である、と思います。
然しながら辞めていった人たちは、創価学会の会員に先ず詫びるべきです。
『私はもはや続けられない、お世話になりました。』
これが人の道でしょう。
後はご自由になさればいいでしょう。
差別につきましては、無意味な差別はすべきではありません。
以下に戸田先生のご指導を人間革命から引用いたします。(記憶の中からの引用です本文とは差があります)
『先生は折伏をやれば幸せになれると言われました。私は必死で折伏をしましたが誰も入信しません』
『そんな事はないよ、祈ってやれば必ず出来るよ』
思い詰めたように男は話した。
『先生、私は部落民なのです。私の言うことなど誰も信じません』
戸田はなんとかわいい男であろうかと思った。
故のない差別はこの男を苦しめていた。
この戸田先生は御書を引用し渾身に指導をされ、男は勇気を取り戻し帰って行きます。
故のない差別はすべきではありません。
これは創価思想の原点をなすものです。
624
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:09
続きです
>それでは、はっきり申し上げます。
日本の人口は、約1億2千万人、世帯数でいえば、約4600万世帯。創価学会員が600万〜800万人としても、信教の自由から、創価学会を選ばない非創価学会の人口のほうが、圧倒的に多いです。民主主義の数の原理からいっても、創価学会を支持しない人のほうが大半です。
この800万人が奮い立ち、弘経に励む時がすぐそこまで来ています。
私は今からワクワクしております。
たかが10万人程度のデモや運動で大騒ぎになる世の中です。
なんとも楽しみではありませんか!
>さらにとりわけその中でも、創価学会員の数と同じくらいの創価学会被害者もいるものと考えられます。それ以上かもしれません。
自らの意志で入会し、自らの意思で退会された人が、何故被害者なのですか?
625
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:17
続きです
>自信がないと言ったことを、私の一言で、節操なく前言を180度覆したのは、沖浦さんあなた自身です。ご自分のことです。人の言葉に翻弄されたのは、あなたのほうです。私のせいにしてはいけません。
私はミュージシャンです。
ステージでベースギターを構えれば『俺よりうまいやつなどいない』と思って演奏を致します。
でなければプロではありません。
然しながら連取をしている時は『自分ほど未熟なプレイヤーはいない』と心の底から思って励みます。
両方とも私の真実の姿です。
今後この掲示板には、前者の立場で書き込みます。
>何度も申し上げますが、そういうことは証拠にならないのです。
もっといえば、創価学会が蓮祖直属であるということの証明も求められます
創価学会が蓮祖直属であることの説明は何度も致しました。過去レスをお読みください。
創価学会を離れ無いと言うことは、蓮祖を離れ無いと言うことです。
蓮祖を離れては御書の研鑚などは不可能です。
626
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:26
続きです
>結局、学会に限ったことではなく法華講組織もそうだったように、組織の批判を絶対に許さない体質そのものが一番の問題かと思います。絶対に正しいとするから、批判を許されない。恐らくそこが最大の問題といえるでしょう。
またまた決め付けですね。
私がいつ創価学会の組織が完璧だ、批判は許さないと言いましたか。
私は創価学会内部にあって、有名なほどの組織批判者です。
>沖浦さんのレスも、創価学会批判に対する反論と抗議の姿勢が貫かれておられます。
違います。
創価学会を築いて下さった名も無い会員の皆様方と、それを守ってこられた、戸田、池田両先生に対する故の無い攻撃に反論をしているだけです。
>創価学会を最も批判するのは、他ならぬ脱会した人なわけです。その目で見、聞き、したこと、されたこと、それらを公言し始めるとなると、世間的評価は更に落ちますし、また内部的には、更なる脱会者も出ては困るので、なんとしても言論を封じ込めたいものなのでしょう。
少し冷静に判断をされるべきでしょう。
この人たちの体験談が全て事実であったなら、創価学会などすでに存在していませんよ。
創価学会員は賢いのです。
自分の判断で退会せずに頑張っているのです。
辞めた人の言うことなど当てになりません。
辞めた会社を誉める人は見た事がないのと同じです。
627
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:36
つづきです
>その方法としては、見せしめとして、その人に退転者の烙印を押せばいいわけです。
おかしな事を言われますね。
辞める事を退転と呼ぶのです。
烙印などとは無関係です。
見せしめも何も、お辞めになられれば、もはや無関係の人たちです。
捨てておくだけですよ。
少なくとも私は、これまでそうしてきました。
>また、それをやらなければ、今度は自分の信心が足りないなどと矛先が組織から向けられ、攻撃を受けかねないものなのかもしれません。
またまた勝手な決め付けですね。
私は退転者にかかわった事は一度もありません。
またそれで創価学会から注意を受けた事もありません。
あなたは少し間違った先入観をお持ちですね。
創価学会ほど自由なところはありませんよ。
池田の馬鹿、と叫んでも除名になどはなりません。
本当に居心地のいいところです
628
:
無徳
:2003/11/02(日) 21:37
沖浦さん私のレスを取り上げられましたので申し上げます。
<貴方は創価学会を誉め殺しにしているみたいですね>と、某掲示板にて私は言い
ましたが、奇しくも(いや!当然かな)ここの掲示板でも貴方の言説を同様に思わ
れた方が居られることをどのように思われますか?
まったく貴方の論旨は酷いものですよ、ご自分でもよく読み直してみてください。
創価学会の皆さんが貴方のような方ばかりでは無い事は重々承知しています。
Libraさんのような若くして秀悦な方も居られます。沖浦さんももっともっと学ば
れてから投稿なされたら如何ですか。
629
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:47
続きです
>組織の違う者同士が、組織を背負ったなじり合いに陥ることなく、ここまで有意義な議論を積み上げてきてきたものだと思います。
240 無徳氏
『沖浦さんお久しぶりです。まあ!こんな事を言っては大変失礼を承知で申し上げますが、
ここの皆さんは貴男のレベルで論争できるお相手ではありません。またまた、創価学会の恥さらしにもなりかねませんですよ、正信掲示板にてがんばってください。』
247沖浦克治さん 犀角独歩氏
『まったく面白い。まるで漫才です。何を気色張っているんでしょうか。』
290 MILD SEVEN 氏
『私が創価に言っている事は「悔い改めよ!」です。しかし、魔界のロボトミー化した池田狂信者は、基本的に反省出来ない哀れな連中です。残念です。』
316 ダビデの星氏
『創価なんかより、ヤクザのほうが全然マシと思う事があります。馬が合うところもある。』
298 犀角独歩氏
『戸田さんは諸悪の根本、当然のことでしょう。』
これらの発言が有意義な発言とは思えませんよ。
私には、あなたが非常に間違った創価学会感をお持ちである事が理解できました。
改められるべきでしょう。
630
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:50
無徳さん
私は自分と自らの発言に自信を持っております。
あなたはあなた、私は私です。
後3年もたてば私の意見が創価学会の主流になるでしょう。
しばらくお待ちください。
631
:
沖浦克治
:2003/11/02(日) 21:58
ガンコさん
>、いまの学会がはたして牧口氏・戸田氏の遺志を正しく受け継いでいるのか、といえばどうもそうではないようだ、って言うところに尽きているわけで、どうも沖浦さんはその点の釈明ができていないキライがあるにもかかわらず、ご本人はその自覚に乏しいようで、それに対して周囲のみなさんはあきれたり、カッカしたり、なんだか調子をくるわされてしまっているようなあんばいに思えます。
これは見解の相違です。
埋める必要などありません。
200年先とはそう言う意味です。
創価学会学会が戸田先生の指導を外れている、と思えば退転すればいいのです。
この方向で間違いない、と思うなら中で頑張るだけの話です。
辞めた人は辞めた人、頑張る人は頑張る人。
これだけの話です。
本来これでいいはずのところを、お前も辞めろ、と言うからおかしくなるのです。
私は辞めた人に戻って来いとは言いません。(いちどだけありますが)
お互いの意志を何故尊重できないのでしょうか?
不思議に感じます。
632
:
管理者
:2003/11/02(日) 22:55
沖浦克治さん
何を信じようと自由です。また、どのような信仰の告白、或いは、啓蒙も自由です。特にこの掲示板は、発言の自由を尊重しています。ただ、公開の掲示板ですから、他の参加者から、発言の根拠を求められた場合は、常識的に考えて、答える義務が生じると思われます。それは、逆にいえば権利とも言えます。信じる根拠を開陳する権利も、この掲示板では保障されています。
とは言っても、挙証義務を果たされなくても、掲示板のルールに則って、禁止事項に抵触しない限り、誰からも相手にされなくなるだけで、掲示板への参加を拒まれることは有りません。この掲示板はそれほど緩やかなルールで運営されてきました。
勿論、今後の展開次第では、参加者からの求めがあれば、ルールを変更することも有り得ます。そのことはご承知置きください。
633
:
ガンコ
:2003/11/02(日) 23:58
沖浦さんに一点だけ言わせてもらいますね。
>創価学会が戸田先生の指導を外れている、と思えば退転すればいいのです。
いいえ、他にも選択肢はあるでしょうに。
たとえば、内部にとどまって間違いを是正していくとか。・・・じっさいは難しいですけどね。
おっしゃるには、創価学会で有名な組織批判者であられるとのことですから、これこそ沖浦さんにもっともふさわしい振る舞いでありましょう。
見解の相違などというのは、らしくないですよ。
634
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 00:32
皆様方に
私は16歳で創価学会に入会いたしました。
昭和37年9月10日の事です。
前年、母が入信を致しました。
父は貧農から見をおこし、自力で一橋大学を卒業し、その後某保険会社の重役になりましたが、昭和29年部下の使い込みが原因で職を失い、後は転落のみの人生でした。
母は自殺を図りましたが一命を取り留め、その後縁あって創価学会に入会いたしました。
当時、我が家は住むところを何度も追われ、土蔵を改良した家に一家5人が吹き寄せられるようにして住んでおりました。
私は高校を中退し、非行に走る毎日でした。
母の入会は、友人に、この信心をすれば必ず幸せになれる、と聞かされ、藁をもつかむ思いで入会をしたそうです。
入会したその日から、母は保険の外交の仕事の合間を縫うようにして学会活動に励み、それこそ狂ったように題目を唱えはじめました。
私は最初大反対をしておりましたが、折伏に訪れる男子部以外には相手にしてくれる人もありませんでしたので、渋々ながら座談会に参加いたしました。
座談会には圧倒されました。
名も無く貧しく、地位も名誉も持たない人たちが、勇気と希望に溢れ輝くような姿で集っていたのです。
この人たちは信用できる、と私は直感しその場で入会を決めました。
そのとき、皆様方からら頂いた大きな拍手と祝福の言葉は決して忘れません。
その後先輩から頂いた、戸田先生の、青年訓、国士訓は強烈な印象を私に与えました。
世間から嫌われ、家族からも疎まれ、友人も無く、世をすねて生きている私のような人間に、これほどまで期待をかける指導者がいる、自分は一生この道を生きよう、と決意し現在にいたっております。
母は現在91歳、弟の家に同居し、幸せに暮らしております。
父はまもなく入会をし、保険会社の部長待遇に返り咲き、昭和48年10月12日、御書にある通りの成仏の相で永眠をいたしました。
自分の人生は成功であった、決して創価学会を離れるな、との言葉が遺言でした。
池田先生からお香典を頂きました。
『正本堂建立のこの日まで、生き長らえたあなたを決して忘れません』
香典にはこう添えられておりました。
私たち家族はこの池田先生の言葉を決して忘れる事はないでしょう。
635
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 01:13
続きです
私自身、この信心に確信を持ったのは、二つの体験でした。
ともに19歳のときです。
一度は、知らない山道を、単車で雨の夜に走っていた時の事です。
このころは、何処に学会活動に行くのも単車だった時代です。
不意に寒気がし体か震えました。
2〜3秒して、今度は運転が困難なほど震えがきたのです。
単車をとめてゴーグルを外すと、2メートル程先で路は無くなっており、切り立ったがけの手前にいたのです。
助かった!と思わずお題目が出ました。
2度目は、同じく単車で走っていてトラックと正面衝突をした時の事です。
当時、創価学会から、単車に乗るときはヘルメットをかぶれ、と指導がでていたので、私もいやいやかぶっておりました。
無ければ即死であった、と後に聞き助かったと思いました。
右膝に深刻なダメージを受け、入院先の医者からは2度と治らず、右足は90度以上曲がる事はない、との宣告を受け、よしお題目で直そう(このころは純心だったのです)と決意いたしました。
病室で一日3万回の唱題をいたしました。
すると幹部がぽかぽかと熱くなるのです。
よし直る、直る、と唱題に励んだところ、4週間と2日で自分で歩いて退院が出来たのです。
後遺症などは残りませんでした。
この二つの出来事は、私に確信をくれました。
その後結婚をし、家庭を持ちましたが、貧乏で貧乏でどうしようもないほどでした。
長男が生まれた日に、私の財布には50円ぐらいしかなかった事を覚えております。
三男がおなかにいるころ、派遣で部長(当時は総ブロック長)の任命を受けました。
部員は101名、ところが結成式は私も含めて3人しか参加しません。
惨憺たる組織だったのです。
自宅で唱題していて突然気が付きました。
自分はこれまで、折伏何所帯とか、結集何人とか、そんな事ばかりを祈っていた。
自分の貧乏の宿命と正面から取り組んで祈ろう、組織をよくする事で自分の生活がよくならないのであれば、自分の信心がおかしいんだ。
初めて気が付いたのです。
その日から、自らの宿命転換と、組織の一人一人の部員たちの成長と幸福のみ、を祈りました。
半年ほどで組織は見る見るよくなり、60名程度出てくるようになり、不思議な縁で新しい仕事がきまリ給料は3倍になりました。
以来お金に困る事は無くなり、現在に至っております。
そのとき、境涯が開けるとは本当なんだ、と実感を致しました。
その後引越しをし、壮年部に移りましたが、そのころの仲間とは今でも交流があります。
636
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 01:14
遅くなりましたので、また書き込みをいたします。
637
:
MILD SEVEN
:2003/11/03(月) 01:37
あるサイトで、こんな投稿を見つけました。下記。
創価学会について一言。
確かに創価学会全てが悪いとは思いません。きっと良い人も沢山いるのでしょう。
でもそれを帳消しにして更に大きくマイナスにしまう位に反社会的な人もいるし、理解できない行動を取る人達が大勢いる。地域の為の活動を重点にやっていても、選挙の強引な勧誘や強要で普通の人々は大抵嫌になる。阪神淡路大震災にいち早く駆けつけても、それが創価学会の本心なのか、政治手段なのか理解に苦しむ。池田はその数日後ハワイへ飛びフラダンスですから・・・。
人々が創価学会を誤解しているのではなく、創価学会自体がその土壌を自分達で作っていることに何故彼らは気付かないのでしょう?
いったいどれだけの人の悲しみや、どれほどの苦しみを彼らが生み出しているのか、僕は彼らに問い質したい。題目、勤行では解決出来ないことがこの世の中に星の数ほどあることに彼らは気付いているのでしょうか。
もう一つ、あれほどまでに宗教団体として攻撃的になる必要があるのでしょうか?それも一般の人が理解できない要因の一つだと思います。一般信者以外に、妨害や攻撃、破戒活動を専門でやっている人達もいるのでしょう。僕の彼女がそんなことを疑いもなくやっていたとしたら、僕はきっと関わった学会員全員を(この先は自分でも怖くなるので書きませんが・・)仮定の話でも有りえそうだから学会は怖いんです。普通じゃない。全ての人にやさしく出来ないものですかね。創価学会。
宗教団体は究極の営利団体だと思います。特に新興宗教ほどその色が強くなる。
信者を獲得しなければ儲けが薄くなりますからね。創価学会は日本人の特性をうまく利用出来たと思います。精神世界ではなく、物質主義。成果や結果が物質となって返ってくるんですから、それはうれしいですよね。そして、大勢いれば怖くない・・・。集団だと右って言えば皆右向くので怖くないですよね。何やってても守られていると錯覚しちゃう。居心地が良いですからね。きっとその代償は喜んで支払うでしょうね、人間は弱いから。そしてなんたって抜けたら地獄ですから・・。
639
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 06:40
ガンコ さん
おはようございます。
ご指摘の通りですね。
私は私なりの方法でこの問題を解決いたしました。
体験を通して書き込みますので、お読み下さい。
また私にご質問がおありでしたら、何なりと真面目にお答えいたします。
これからも宜しくご指導くださいませ。
640
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 06:58
アナモネさん
戸田先生が蓮祖直結であることについて、私見を述べます。
蓮祖は750年前に立宗宣言をなさいました。
その後、題目の流布をほぼ致され、ご本尊様の流布は後世の弟子に託されました。
御書は、布教せよ、とのお言葉で満ち溢れております。
しかしながら、広宣流布が可能になる社会が700年の間、訪れ無かった事も事実です。
戸田先生は牢獄の中で自ら蓮祖の法を悟られ、『吾地涌の菩薩の棟梁なり』と宣言され、創価学会の会長に就任し、創価学会を独立した宗教団体として設立なさいました。
不思議にも、この昭和27年は立宗700年目にあたるのです。
もしこのとき創価学会が、日蓮正宗から独立した宗教法人と資格を修得していなかったなら、今回の破門により解散を余儀なくされたでしょう。
戸田先生の先見の明に驚きます。
この人が出現しなければ、日蓮正宗は潰れ、我々が仏法にめぐる合う事も無かったと思います。
地涌の菩薩は法性の延底(誤字であればご教授ください)から出現すると説かれております。
戸田先生の牢獄での悟りこそ、これに価すると考えております。
641
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 07:18
続きです
アネモネさん、お名前を打つ間違えた事をお詫び致します。
蓮祖は化儀(ご指摘を頂きましたが、創価学会としてこの言葉を今後も使用いたします)の広宣流布の方程式を、自らの布教と同じ方法で行なうと予言をされました。
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、』(諸法実相抄)
このようにご。予言です
戸田先生のご出現とその後の行動は、まさにこのご文を身でお読みになったものでした。
私は、蓮祖と戸田先生のご境涯は等しかったと思います。
釈迦、蓮祖、戸田先生の悟りと行動に共通する所は、自ら悟り、その後激しく布教活動をし、難を乗り越え、法を世間に確立されたところにあります。
戦後、新興宗教がはやりましたが、あれらは蓮祖の法とは無関係の存在です。
蓮祖の御書を身で読まれ、化儀の広宣流布の礎を築かれた戸田先生は、文字通り、当時世界一のお人であったでしょう。
何故ならば、この事業は蓮祖と同じご境涯に立たねば不可能に思えるからです。
『未来も又しかるべし、』私にはこのお言葉は、もう一度自分と同じ境涯の人間が時が来れば顕れ、化儀の広宣流布をやるぞ、と読めるのです。
私が戸田先生が蓮祖直結であり、世界一の人という理由は以上です。
もちろん、そうは思われない人もおられます。
故に、未来に民衆の判断に任せるべきなのです。
642
:
犀角独歩
:2003/11/03(月) 09:24
沖浦さんの錯誤について
あなたは、わたしを「境涯が低い」「程度が低い」「駄目な人間だ」と侮蔑しました。その点について、わたしはあなたに謝罪を求めます。また、愚鈍凡夫さんにも「理解力がない」、アネモネさんに「悪鬼入其心」と侮辱しました。このような一々の侮辱について、謝罪すべきです。
わたしはたしかに戸田さんを「諸悪の根元」と記した。創価学会における未来像を嫌悪するものにとって、その始まりが戸田さんであれば原因の究明からする一つの結論です。この点をわたしは改める記はありません。それは、たとえば、創価学会が、宗創決別について、その責任を顕師を特に取り沙汰して論じる在り方と一緒です。戸田さんはあなたのような人を侮蔑して止まない差別主義者を生み出したのか? そのように結論づけることが短絡であるかどうか議論は分かれるでしょう。しかし、あなたが戸田さんを礼賛すればするほど、あなたの差別主義、人権侵害は戸田さんと強く結びつく印象をロム者に与えるでしょう。
また、621のわずか2行の文章は、以下の文章を見る限り、相変わらず脱会者を「心の底から見下すこと」、制裁を加えられるのは「自業自得」という点を謝罪していません。
> 創価学会の会員に先ず詫びるべきです
冗談じゃありません。詫びるべきは創価学会であり、あなたのように脱会者を見下して止まない差別主義・人権侵害者です。詫びなさい。
> この人たちの体験談が全て事実であったなら、創価学会などすでに存在していませんよ。…辞めた人の言うことなど当てになりません。
これまた、冗談じゃありません。
創価学会とその会員が、どのようなひどい仕打ちに遭ってきたか、さらにそれを声高に言えば、ここにおけるあなたの書き込みのように、逆に「謝罪すべき」だとか「裏切り者」であるとか、「恩知らず」と罵られた挙げ句、集団になって、その脱会者の人間性をさんざんに踏みにじり、さらに、あなたが書くように、その存在を無視するという非人道的な扱いを少しも反省するところはありません。
上述の発言の撤回を求めます。
以上の、わずか二カ所の書き込みにおいても、明らかにあなたは、当板のルールに違反しています。
643
:
犀角独歩
:2003/11/03(月) 09:33
重ねて沖浦さん:
> 蓮祖と戸田先生のご境涯は等しかった
こういう発言を戸田本仏論というのです。
わたしを池田本仏論の邪義を信じたなどと愚弄したものが、戸田本仏論を書き連ねるなど笑止千万です。
ところで、「世界立戒壇」の証拠はどうしました。
644
:
犀角独歩
:2003/11/03(月) 10:11
創価学会の「戸田会長が地涌の菩薩の棟梁」公式見解
「戸田第2代会長のことを、『地涌の菩薩の棟梁』といったことがありますが、これは在家における折伏弘教のうえの指導者という意味で使ったのであり、戸田第2代会長みずからいわれた言葉でもあります。
ただし、不本意ながら、文は意を尽くさずで、要旨としてまとめたとき、文脈上、上行菩薩の再誕即御内証久遠元初自受用報身如来の再誕・末法の御本仏日蓮大聖人に通じるかのような文体になってしまった場合もありました。したがって、今後はこうした言葉遣いについては十分注意していきたいと思います」
645
:
犀角独歩
:2003/11/03(月) 11:07
こうもありました。
「歴代会長を折伏仏教、広宣流布の指導者として尊敬し、またさまざまの指導をうけ、心からの信頼を寄せていることは、会員の自然の心情である。そのことを宣揚するあまり、あたかも大聖人と等しいがごとく受け止められる過大な言葉や表現を用いることは、厳重に慎しまなければならない」
以上の創価学会の公式見解を641は踏まえていません。
創価学会の考えとは違う個人的な個人礼賛なのでしょう。
646
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 14:51
犀角独歩 さん
先ずあなたに失礼な発言をした事をお詫びいたします。
他の方々につきましても、この場をお借りしておわび致します。
発言を取り消せとのお話ですが、取り消すと言えばご満足ならばそう致します。
世界戒壇は、私がオフレコで入手した先生の発現の中にこの言葉があります。
やがて正式に発表されるでしょう。
あなたのご指摘の、創価学会が宗門に対して提出した、いわゆるお詫び状の文章に関しましては、すでに宗門と離別した現在では無意味なものとなっております。
現在の創価学会に当てはめる事には、無理があるでしょう。
無論のこと、あなたがそれを信じられる自由はおありですので、ご自由にされれば如何かと存じます。
私は、このようなお詫びなどは、最初から問題にはしておりません。
戸田先生が『地涌の菩薩の棟梁』とおっしゃられたのですから、素直にそれを信じるのみです。
池田本仏論は、創価学会内で出世を願う一部の人間が、自らの保身と出世のために言い始めたことです。
代表が福島氏でありました。
蓮祖本仏論に対する、興師本仏論と同列でしょう。
このような邪義にふんどうされた人々が多くいらっしゃいます。
現在は創価学会内で、このような邪義を唱える人は、いないと思います。
647
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 14:56
犀角独歩 さん
私が、創価学会の公式見解に外れた意見を出してはならない理由を、お聞かせください。
あなた方は自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない根拠のご説明を、正式に要求いたします。
648
:
犀角独歩
:2003/11/03(月) 16:29
沖浦さん:
あなたの謝罪をお受けします。
脱会者を「心から見下す」表現をしないことは、当板のルールの遵守です。
しかし、それ以上に、わたしがあなたから見下されないことはわたし達脱会者の基本的な人権です。如何なる者にもこの権利を侵害させません。
もちろん、わたしはあなたを見下しません。平等な権利を有する同等の人間であるという立場で論じます。けれど、いまのいままで、わたし達を「見下してきた」あなたが、掲示板における表現上で、その考えを伏せることはできても、突然、同等の人間として議論できるようになるとは俄に信じがたいところがあります。
あなたは、わたし達脱会者を内心に置いても見下さず、個人の尊厳を有する同等の人間として扱えますか。お答えください。
> 私が、創価学会の公式見解に外れた意見を出してはならない理由
わたしはそのようなことは言っておりません。
ただし、あなたが「我々」という表現を多用して書き込みをする場合、その「我々」は創価学会を指すと想定できます。それなのにそれが創価学会の見解と違っているので、その点を指摘したまでです。
> あなた方…
はて、「あなた方」という複数形はどなた達を指すのでしょうか。
わたしはわたしです。そのわたしは「自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない」などと一度も言っておりません。言っていないことの説明を要求されるのは筋違いであります。
なお、宗創離間後、わたしが提示した創価学会の公式見解は「無意味」だそうですが、それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。
もう一点、あなたは「戸田本仏論者」ですか。
戸田さんが「蓮師と同じ境涯」とはどのような意味になりますか。
また、このような考えが広宣流布していく創価学会公式の見解なのでしょうか。それとも、個人の考えですか。個人の考えである場合、創価学会とは違うあなた個人の考えを「これから」世界広布していくということでしょうか。この点が釈然としませんので、見解をご提示ください。
649
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 17:16
>あなたは、わたし達脱会者を内心に置いても見下さず、個人の尊厳を有する同等の人間として扱えますか。お答えください。
見下しません。
>「我々」
二つの意味がありますが、創価学会を示す時にはこれまで創価学会の名称を入れていたと思いますが、今後は必ずそう致します。
また我々とは私の所属グループの事です。
>そのわたしは「自由な意見を出し、創価学会員は出してはならない」などと一度も言っておりません。
それではこのような表現はお止め下さい『沖浦さんの錯誤について』
あなたが絶対者であるように受け取れます。
この場合は『私が沖浦克治さんの意見を錯誤と思う理由』等の表現を用いてください。
あなたと私は対等の存在でしょう。
決め付けは迷惑にすぎます。
>それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。
私のグループの見解です。
まもなく大半が、創価学会の見解になるでしょう。
>もう一点、あなたは「戸田本仏論者」ですか。
戸田さんが「蓮師と同じ境涯」とはどのような意味になりますか。
末法のご本仏は蓮祖お一人です。
この件は何度も言っております。
同じ質問を度々繰り返される事には辟易しております。
戸田先生は釈迦における、天台、伝教にあたります。
今後は同様のご質問には、過去レスを読むようにとの回答を致します。
>このような考えが広宣流布していく創価学会公式の見解なのでしょうか。それとも、個人の考えですか。個人の考えである場合、創価学会とは違うあなた個人の考えを「これから」世界広布していくということでしょうか。この点が釈然としませんので、見解をご提示ください。
私はあなたに納得してもらうために書き込んでいるのではありません。
釈然としなければそれで結構です。
私もあなたのご意見には全くながら釈然と致しません。
お互いの立場を尊重してください。
私の意見には、私は納得しあなたは納得しない。
あなたの意見には、あなたは納得し、私は納得しない。
これだけの話です。
すでにこの意見は何度もかきこんでおります。
何度も蒸し返される事は迷惑でしかありません。
以後はおやめください。
>はて、「あなた方」という複数形はどなた達を指すのでしょうか。
この掲示板で、学会を批判する人たちです。
>宗創離間後、わたしが提示した創価学会の公式見解は「無意味」だそうですが、それが創価学会の公式見解でしょうか。それとも沖浦さん個人の考えでしょうか。この点を明確にしてください。
今更公式見解など不必要です。
池田先生は『邪宗の宗門とわかれて本当に幸せである』と聖教新聞にてご発言です。
今後、宗門などは相手にしないことになっているのです。
かっての公式見解など、もはや意味をなしません。
650
:
愚鈍凡夫
:2003/11/03(月) 17:17
横レス失礼します。
これは有名な池田さんの講演ですが、
「みなさん方は広宣流布といえば、なにかお祭りのことばか、ひとつの理想と思っているのです。『一生懸命、広宣流布とは言うけれども、話だよ』と心のなかで思っている人がいるのではないかと思うのです。ということは、会長先生が、二、三年前におおせになったことがあるのですよ。『諸君らは、それを本気に思えないのだろう。絶対そうではないよ。もしか、広宣流布ができなかったら、日本は滅亡ですよ。世界の滅亡ですよ。仏さまのおおせになったことは、ウソになるよ。』と。
仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです。きちんと21年先を目指して、そうおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。」(「会長講演集 第3巻」)
とあります。
この講演は1958(昭和33)年のものですから、21年後の1979(昭和54)年は宗門の猛反撃に耐えきれず、池田さんが会長職を辞されて北条さんが第4代会長に就任された年です。
この時の池田さんの言葉を修正すれば、
「また、会長先生もウソをつきます。仏さまではありません。きちんと21年先を目指して、ウソをおおせになったのだもの。先生が4年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと25年だよ』とおおせになったのだから。それから4年目だから、ちょうど21年です。というわけで、必ず広宣流布はできないのです。」
ということになるでしょうか。戸田さんの予言は外れると、池田さんが証明したようなものです。
651
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 17:19
犀角独歩 さん
立場が違うのですから、無理に埋める必要はありません。
この提案は二度目です。
埋めたければ、埋めたがっている創価学会員をお探し下さい。
私はそのタイプではありませんので、あしからずお願いいたします。
652
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 17:22
愚鈍凡夫 さん
あなたはあなたのご意見。
私には私の意見。
653
:
愚鈍凡夫
:2003/11/03(月) 17:33
意見ではありません。事実です。
654
:
ガンコ
:2003/11/03(月) 17:37
なんだか、ギスギスしてるなあ。みんな境涯低いんじゃないの。
655
:
沖浦克治
:2003/11/03(月) 18:08
ガンコ さん
ご指摘の通りに感じます。
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