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創価学会の功罪を考える
610
:
アネモネ
:2003/11/02(日) 14:05
(つづき)
創価学会には、大変な功績もあります。
>528に三学無縁さんが書かれていることからも、戸田さんがどれだけ人々の心をとらえ、生きる勇気と希望を与えたかが、創価学会を知らない私にも、わずかな文面からも読み取れます。池田さんに至っても恐らくそうでしょう。
今でこそ、憲法によって基本的人権が保証され、法的には誰人も差別はされなくなりました。福祉も整備されてきています。弱者の生きる権利が守られる時代になっています。その経緯の中に、創価学会の存在の功績は間違いなくあったことでしょう。
学会から法華講に入られた方々の中には、戸田先生と呼んで今もなお憧憬と敬慕の気持ちをお熱くお持ちの方はたくさんおられました。
そんな方々は、戦中戦後の苦労話とともに学会の信心によって勇気づけられ、希望をもって生きてこられたことをしみじみと語られていました。
戦前戦後の日本において、本人には何も落度のない人が、ただ貧しいから、病気だからとそれだけで、教育も受けられず、子供の頃から奉公に出されたり、時には売り飛ばされたり、そのような実態があったわけですね。その時代を生きていない私が書くと、舌足らずな記述になりますが、戸田先生を懐かしんでおられた方の中には、貧しさ故に、成人するまで文字も習わなかったという方もおられたくらいです。教育を受けられないことによる
不当な不利益と差別にどれほど苦労されたことか、筆舌し難いものがあったでしょう。
敗戦時にもなれば、当然そのような弱者から先に生命の危機にさらされていくわけです。それが日本の姿だったわけですね。そのような真っ先に被害を受けてしまう弱者の希望となったのが創価学会の存在だったといえるのではないでしょうか。
私はこの点については、異論はありません。文字を学ぶ機会さえなかった人までもが、苦学してお経文と御書を拝読するようにもなった、これも創価学会の功績といえるでしょう。そして学会活動をバネに、不当な差別をされてきた人々が、自らの力で逆境を切り抜け人権を勝ち取ったということも、功績といえるかと思います。
しかし、今は時代もよくなり、義務教育として誰でも平等に教育が受けられるようになり、福祉も整ってきました。基本的には極度な貧困と差別というものはなくなり、あるのは、内心の差別といえるでしょう。
その点において創価学会は、その内心の差別というものを克服していないのではないでしょうか。まさに、退転・謗法・不信を憎んで見下す。つまり、差別しているわけです。かつて貧困と病気で差別をされてきた人々が自らの権利をかけて団結した組織が、今度は不信の人を見下し差別をしている。結局は、差別の心根を脱することが出来ていないどころか憎悪を駆り立てているところが、今の創価学会の問題点のひとつといえるでしょう。
>多くの読者の皆様方に、創価学会の正義なることの情報を提示しているのです。
沖浦さん自身は、正義のつもりで投稿されたかもしれませんが、皮肉なことにその投稿姿勢そのものに、人を見下し差別しているという、罪過の部分が如実に示されてしまっているといえます。
>最後は数です。
民衆は馬鹿ではありません。
民衆が選んだものが、もっとも優れているのです。
衆愚政治という言葉もあります。
民主主義の原理で、衆愚に陥らないためには、組織という全体主義の論理に陥らず、自らひとりひとりが自主独立の精神でものを考えることが肝要かと存知ます。
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