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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について
2029
:
れん
:2008/02/21(木) 19:36:48
横レス失礼します。
外陣さん、はじめまして。外陣さんの投稿を拝読させて頂きましたが、敢えて感想を言いますと、「信者さんの希望的観測」というものでした。
別付属の法躰・本門戒壇本尊なる造語が石山文献に顕れるのは日蓮正宗歴代法主全書などをひもときますと十四世日主の「雑録」が初めてですね。それ以前の歴代にはこの“別付属の法躰”“本門戒壇本尊”なる造語を述べた石山歴代住持は一人もいません。
中世の日興門流の文献を読みますと、いわゆる富士山本門寺本堂に安置する漫荼羅とされていたのは、重須に所蔵されていた本門寺大堂本尊という漫荼羅でした。しかし、これは天正年間に北山と西山の紛争の中で二箇相承等の北山文献とともに紛失しました。で、この北山の本門寺大堂本尊が紛失した直後に、日主が「雑録」を書いて本門戒壇本尊ということを言いだしたわけです。ということは、石山の初代お板を作ったのは、私の感触では大石寺十四世住持の日主が限りなくクロであろうと言うことになります。
異説には石山の初代お板を作ったのは九世日有という説もありますが、この説の根拠とされる「重須日浄記」が不明であることと、小泉久遠寺と大石寺の問答を記した“大石寺久遠寺問答事”に文明十四年九月七日の大石寺本尊堂における小泉久遠寺衆(この時、重須日浄も同席)と石山衆との問答を記していますが、この時代にあれば石山本尊堂に安置されていた筈の石山のお板のことには一切触れていないので、この時代ではまだ石山のお板は成立してなかったと見てよいでしょうね。
2030
:
一字三礼
:2008/02/21(木) 21:53:56
臨時さん。
あなたは、挨拶もなし、横レスの断りもなしで話に割り込んでくる人なのですね。
〉伊藤瑞叡師の日蓮仏法に対する現代的な課題に関しては、私とは異なる知見でもあり。ここで申し上げることは控えさせていただきます。
ご自分で伊東さんに言及しておいて、これでは内容がさっぱりわかりません。何が言いたいのですか。
私の質問に答えてください。
①その方は、法華経に対するどういった知識をお持ちなのですか。
②「日蓮仏法に対する大変現代的な課題」を具体的に示してください。
③あなたは、日蓮門下全ての僧俗と面談することが可能であるとお考えなのですか。
〉日蓮正宗の御僧侶の中でも花野充道師や昔お会いした藁科菅道(字が異なっているかもしれません)師は私から見ると優れたお方とお見受けしております。
具体的にどう優れているのかを教えてください。
私の経験を記します。
以前、日蓮宗の坊さん達と立正大の教授との日蓮宗のスローガンである「立正安国・お題目結縁運動」について話をしたことがありました。
この運動は、宗門を挙げてお題目の精神である‘但行礼拝’を社会運動の基幹として展開するものであるとのことでした。
私は‘但行礼拝’は、法華経の中で重要な概念ではないし、日蓮聖人も重視していない、と論拠を挙げて意見を言いました。
その意見の内容を以下に記します。
‘但行礼拝‘は、不軽品に出てくる有名な言葉ですが、この句は、「妙法蓮華経」にのみ、「正法華経」や「梵本法華経」では同様の意味を持つ言葉は出てきません。鳩摩羅什が付け加えた可能性がある言葉のひとつです。
完本の中央アジア系法華経テキストが見つかれば、あるいは‘但行礼拝’の句が見つかるかもしれません。それでもこの一句が、法華経の中では必ずしも必須ではない、ということを覆すほどのことはないでしょう。
‘但行礼拝’とは、自性清浄である‘仏性’を礼拝する、いわゆる「仏性論」の考え方です。しかし、法華経は、‘仏種’を植えることによって‘種・熟・脱’という経過をたどり成道する「仏種論」で成り立つ経典です。
‘但行礼拝’が独り歩きをし、「仏性論」が全面に出てきますと、法華経全体のテーマに反することになります。
また、日蓮自身、真筆御書で一度も‘但行礼拝’に言及しておりません。題目を‘二十四字’と同義とすることはあっても、‘但行礼拝’と同義とすることは一度もありませんでした。
常不軽菩薩の行を日蓮宗では‘但行礼拝’は「仏性論」と捉えていて、日蓮は‘二十四字’の菩薩の行う逆縁の授記、「仏種論」と考えていた。
この大きな違いがスローガンを考えた日蓮宗の坊さん達に理解できなかったようです。
上記の説明をした後で、「法華経にも、日蓮聖人の法門とも違うから、このスローガンを取り下げたらどうか」と提案しましたが、答えを濁されてしまいました。
このような遣り取りを、何度も経験しているので、日蓮宗に人なしと私は考えるのです。
2031
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:33:34
犀角独歩さん
自己の都合による事情…とはあくまで小生の立場から見た見解であります。
石山根檀家の古い信者さんのなかには”蓮祖の姿を描くだけで大罰があたる”
などと申して、土俗的非科学的ではあっても、なんとも純真な信仰姿勢で信行た
ゆまず生き抜いておられる爺婆もおいででしょう。そんな人々が万一にでも御サ
イトのビジュアルを目にでもしようものなら悶絶ものです。
そんな見地から見ますれば、巷にこの人ありと云われる碩学であっても、一個人
が石山僧俗皆が大切にしている本尊を写真とは云え、ズタズタに弄くりまわした
無惨な御相貌を、公共の場所に晒して批判の糧とする、商業出版する。
これがサイト設計者の都合、事情でなくてなんでしょうや。
イスラム人のムハンマド似顔絵じゃないんですから。
も少し暴言をお許し願えれば、創価学会での責任あるお立場の経験、日蓮正宗で
も重要なお仕事をなさった経験、敬服いたします。貴重なご経験を敬います。
しかしながらそうしたポストにいた方であるからこそ、随分と酷いことをなさる
なと思ったのです。泥臭い手口だなと思ったのです。スマートじゃない。
川澄さんだってそこまでやらなかったし、その他の方々だって一宿一飯の恩義
ということを忘れることなく、私憤一歩手前で刀を納めているのでは。
弁哲さんらをも超えた過去に例を見ない愚行と感じてます。
取り返しのつかぬことは控えていただきたいし、どうしてもやるという高い志で
あるなら、石山前に持ち込んで御隠尊猊下と対決して欲しいです。
そういう意味でした。
2032
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:34:51
2031から続きです。
>この点について、まず、わたしは「日蓮正宗」の宗門を正しい組織にしていこう
などという意図はまったくありません。集団犯罪組織という認識です。解体して
当然という認識です。
そしてこの言葉を頂きました。
糺すとかなんとかではなく三秘も畑の猊下も堀上人もなにもかも嫌になったんで
すね。それでは最後には興尊すらもお捨てになるのですか…。
浅学非才の小生では独歩さんの辿られていく道を理解するのが難しいです。
勝手に勘違いの小生をお嗤いください。もう少しマシな応接ができるように修行
しますので。
>反対にお聞きしますが、本尊から文字を取るとき、薄紙をあてて書き写します。
この行為はまさにレイヤでしょう。こうした作る板本尊の製造過程は本尊を踏み
つけることになりますか。
少なくとも興門流では権能のあるお方以外は許されない行為と認識してます。
考えても見てください、世界中のみんながそうして偽本尊を量産していったら…
ピースマークじゃあるまいに、勘弁してくださいよ。
>「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由諸方に其の聞
こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。日興の弟子分に於ては、在家出家の中
に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩
に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」
あなたが拝む本尊はこう批判される形木のものではないですか。
仰るとおりまさにそのことで悩みになやんでいます。
宗創問題等数知れない現状を仏罰と読めば、そのあたりに何か原因があるのでは
ないかと勝手推測してるのですが…。
2033
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:36:00
2032から続きです。
>あなたは他人の背は見えても、自分が背は見えていない。
では、どうして見えないのか、その真実の相を映す鏡、たとえば、わたしの文章
をあなた固有の信仰から蔑んで否定しているからでしょう。ですから、あなたが
真実を見るためには操作する都合によってあなたを振り回す嘘の信仰を取り去る
必要があるということです。あなたがいう「正宗の法門」とはまさにそうした類
のものであるということです。
>あなたはまだ気づけないのでしょうが、あなたの信仰は、まったく「世の中に手
本」にはならない。むしろ、害毒を流しているものであることを、もうお気づき
になってもよいのではないでしょうか。
なにか文殊普賢菩薩様に優しく叱られているように感じます。
出て行った兄貴に諭されているような気がします。
もとより小生の信行学なぞ諸先輩のそれに比ぶれば、虫のそれのようなものです。
ですから広大なネットワークのなかにあって最も真剣に討論され、法味と薫風が
感じられる当掲示板の愛読者?なのですが…。
でも虫の一分?でありまして、はいそうですか、とは云えません。
馬鹿でも正しくなくても、正しい本尊の妙境に接すれば必ず成仏する。
間違った本尊ではたとえ賢く正しい人でも堕地獄まちがいなし。
と教わりました。
大石寺戒壇の御本尊さまの御宝前にて、人には云いにくい表現不能な経験を
しておりまして、それが虚像とは思えない自分がガンとして今も居ります。
「因果倶時不思議の一法」の意味を小生なりに知見しております。
時空を超える体験、総てこのままでいいのだ文句なしなのだ、というようなある
種生死もなにもかもすっ飛んで、過去に起こったことも将来に起こることも全部
同時に其処に在る…みたいな、はがゆい表現しかできないのですが、とにかくと
んでもない光が小生をスキャンしました。泣いたりなんかしてる感覚もなく。
一念三千の当体、なにか思い出すような思い出せないような…。懐かしくて痺れ
る感覚。小生にはリアルなものです。
ごく個人的な神秘主義体験、センチメンタルな感傷でしょうから汎用性はありま
せんから読み捨てて下さいませ。
ともかく見本にはなりませんが、我が一切有なりと思えば酷いことなどできませ
んて人間は。皆最高です。短い人生、なんとか自分を超えて他を愛していけるよ
うになることが一番じゃないでしょうか。
※長くなりまして申し訳ございませんでした。
2034
:
外陣
:2008/02/22(金) 00:43:10
追記です。
犀角独歩さん
>そうした相伝があれば、日興已来早瀬さんに至るまで、同じように本尊を書いて
しかりです。ところがそうはなっていない。上古のものとされる本尊相伝とも違っ
た書き方になっている。経年変化があるということです。つまり相伝は時代時代
で書き換えられ、継ぎ足され、変わっていった。
ですからそうしたことも踏まえてなにか想像以上のテクニックがあるかもしれな
い、ということも想像できませんでしょうか。
>三師塔という話がありましたが、いったい、どこまで時代を遡れるのでしょうか。
後代に成立したものではないでしょうか。そもそも石山は三師の唯受一人血脈相
承を言いながら、日蓮の遺骨は偽物、日興の正墓は隣の北山にあり、日目の正墓
すらありません。この三師の墓も遺骨もなく、それを補填するために考案された
のが、三師塔でしょう。こんなものが一体、何の証拠になるというのでしょうか。
正宗は舎利を安んずる宗教ではないですよね。
小生が云いたかったのは、あそこにメモリアルされている66代までの歴代御正
師の信心行動軌跡に対して頭を垂れて敬いたいという話であります。
2035
:
羽
:2008/02/22(金) 01:35:14
しかし今現在は
日蓮大聖人の折伏を拝すると
正宗の他に仏教らしい仏教は
存在しないですね。
日連正宗の本尊まで偽ならば
諸天の正法を万年護るという誓いは嘘となり
宗教界の仏や神の存在は全てが大妄語ということに
なってしまいますね。
独歩氏の導きたい結論は、こういうところでしょうか。
2036
:
外陣
:2008/02/22(金) 01:47:55
問答迷人さん
>>正宗の原点
>これは何を指しておられるのでしょうか。戒壇本尊ですか。
三大秘法です。
>>しまいにとうとう御本尊まで権能もないのに勝手に作ってしまうに至っては
>>池田さん方と同じじゃありませんか。それ絶対変ですよ。何様かと。
>これは意味不明です。誰が何時勝手に本尊を作ったのですか。
いや先般のお話のなかにありましたアメリカの人の話とかですが、本尊のことを
ちゃんとしておかないと今後いくらでも創作してしまう者が続出すると思います。
現創価学会でもそうです。亜流本尊の洪水です。
>>口伝というより唯授一人相承ということです。
>日興師に唯授一人相承が有ったというなら、それは何か根拠が有るのでしょうか。
>承りたいと存じます。
引文はあまり好きじゃないのと有名なのでお答えしますが「日蓮一期弘法付属書」
です。特にこの御妙判譲り状の最後、「就中我が門弟等此の状守るべきなり。」
の文は興尊お一人に宛てたのではなく大勢の僧俗に向かってご教示されている明確
な指示書です。
>>相承にも総別があることはご存じの通りであり、
>存知上げません。証拠をお持ちならお示し下さい。
では申し上げます。
総別の二義ということは内典外典に限らず一般の決まり事でもあって、弟子が数人
数十人数百人いても総じての相承と別しての相承があり、その指導者はご自分の
いわば跡継ぎとして一人を選んで深深の法や道を委託するものです。
偉大な指導者ほどその選定において私情や人情に捕らわれることがないそうです。
このあたりの文証や例題であれば山のように散見できます。例えば法華経において
も大聖人の御書においても、です。
釈迦→上行
孔子→曾子
玄奘→慈恩
道ズイ→伝教
※ちと不案内な説明で恐縮ですが時間が押しておりますのでまた。
2037
:
外陣
:2008/02/22(金) 02:26:30
れんさん、はじめまして今晩は。宜しくお願いします。
>敢えて感想を言いますと、「信者さんの希望的観測」というものでした。
希望で胸をいっぱいにしているのが凡夫信者の実態ではないでしょうか。
でも無知ゆえに妙なことを口走って諸天に呆れられなければいいのですが。
>別付属の法躰・本門戒壇本尊なる造語が石山文献に顕れるのは日蓮正宗歴代法主
全書などをひもときますと十四世日主の「雑録」が初めてですね。それ以前の歴代
にはこの“別付属の法躰”“本門戒壇本尊”なる造語を述べた石山歴代住持は一人
もいません。
別の言い方、用法での同意語とか内容的に同じ事を云っている箇所などはないの
でしょうか?
小生は暗愚でそのあたりのこと知らないのですが。
>小泉久遠寺と大石寺の問答を記した“大石寺久遠寺問答事”に文明十四年九月七日
の大石寺本尊堂における小泉久遠寺衆(この時、重須日浄も同席)と石山衆との問答
を記していますが、この時代にあれば石山本尊堂に安置されていた筈の石山のお板の
ことには一切触れていないので、この時代ではまだ石山のお板は成立してなかったと
見てよいでしょうね。
とても興味深いお話です。
機会をつくって一度そのあたりを宗門史にお詳しい御僧侶を捜してお尋ねしてみ
ましょうかね。
2038
:
犀角独歩
:2008/02/22(金) 05:11:24
外陣さん
わたしのことを商業出版と嗤いましたが、では、当の石山はどうですか。宗教法人の業ではなく、一般企業としての株式会社大日蓮出版を使って営利活動をしています。あなたの言葉を借りれば、これが大石寺の都合でなくて何でしょうか。
まして、信者を集める奉安堂は、信者から集めた金で作り、そして、また、そこに入場するのに金を取り、大量に本尊を複製印刷し、それを3000円以上の金額で頒布する。わたしがやることは商業で、大石寺がやると純粋な信仰になるという口上を、「背中が見えていない」と言っているわけです。
あなたは、自分の頭の中で夢想した「日蓮正宗」を信仰しているんでしょうね。しかし、実際の「日蓮正宗」は、そんなものではない。あなたは、本尊は時の「猊下」1人しか書いていないと思っているのでしょう。ところが、この代筆者がいるのが石山ですよ。それは坊さんなら知っている公然の秘密です。そして、それが現実です。
外陣さんは、わたしが本尊を …わたしの認識ではあくまで写真をですが… 図形処理して鑑別検証し、それをまとめた本を売っていることに腹を立てているのでしょう。しかし、わたしのなしたことは些細なことです。比して、石山はいったいどれだけの「本尊」を印刷し、頒布してきたのですか。旧い学会大幹部から、昭和20年代から30年代にかけては鉄道荷物で地方に送ったと言っていました。膨大な量、1千万単位で製造され、それを金を取って、新入会者に渡してきました。しかし、「信仰」「大石寺」というお品書きがつくとつくと、それが商業ではなく見えてしまう魔術があります。しかしそれは信者の贔屓目に過ぎませんよ。これはれっきとした商売です。
ただし、この印刷物を真剣に拝み、なにがしかの体験を得た人にとって、それはもはやただの印刷ではなくなります。この仕組みはあの彫刻を安置する正本堂、奉安堂という建築内の舞台装置内での体験も同様の効果を有しています。しかし、あそこで「猊下」が語る「無始已来の…」という口上が、実は日蓮宗でも言っている内容を石山風にアレンジしただけのものであることは、日蓮宗を少し散策すれば、やがて気付けることです。
堀日亨さんの話がでましたが、この方は宗内外で態度で語りを使い分けた人でした。
はっきりと所謂「本門戒壇の大御本尊」が構成の作り物であると知っていたでしょう。
『御本尊集』に載る3舗の真筆大漫荼羅写真の提供者は、たぶん、この人でしょう。
稲田海素に彫刻を見せ、そして、「真っ赤な偽物」と酷評されて以来、石山は写真公開は自分たちの商売上、都合が悪いと慌てていまに至っています。石山で頒布される印刷物、ここで本尊と称される品物は、之の彫刻を書写したといいながら、書かれている内容がまるで違うもので、これを指摘されると、内証を写したを詭弁を弄しました。
わたしもかつてそうでしたが、要するに信仰で体験などがあり、それも長々とやっていると、それが嘘であっては困る、だから、おかしいと思ってもそれを信じたいという執着が生じることになります。しかし、これは煩悩なのですね。真実は、そこを超えたところにある。わたしはそこまで歩きました。絶対的な信仰という太い手綱を手放す恐怖は、子どものころ、見知らぬ場所で親の手をギュッと握って離さない感覚に似ています。しかし、子はやがて親から自立していかなければならない。苦しい坂を上りきった瞬間に広漠ある光景を目の当たりにする。そのときにはじめて、自分が見ていた「日蓮正宗」など、小さな、本当に小さな井戸、いや、コップほどの大きさしかない小さなものであったことに気付きます。
2039
:
犀角独歩
:2008/02/22(金) 05:12:08
―2039からつづく―
日興は、日蓮とは違う教学と本尊観を形成した人です。そのような形が好きな人は日興に拘るでしょう。しかし、その考えがわかり、さらに日蓮の考えもわかるとき、かつて敬慕して止まなかった日興を卒業することになります。ここではじめて、日興というフィルターを挟まない生身の日蓮と向かい合うことになります。しかし、日蓮は色濃く、神道と真言密教の影響を受けた人だった。順天台を学べば、日蓮もまた、真言化し、神仏習合という特殊性を帯びた当時の仏教の影響を受けた時代の人であったことに気付きます。
では、純天台はどうか。これはまた、華厳教学の影響を強く受け、さらにあろうことか法華経を当時台頭した涅槃経を合わせてしまった。まして、羅什已来影響下にあったのが智邈です。湛然に至っては、智邈も灌頂もけっしてしなかった三千不可思議境を一念三千と実在化してしまった。この影響を日蓮は正面から受けていることに気付けます。
湛然は問題外、智邈の華厳と涅槃の影響を取り去り、羅什の恣意も超え、法華そのものに迫る。そんな位置にいらっしゃるのが、いま、ご投稿をなさっている一字三礼さんであるとわたしは拝しています。
ここではあえて、 Sadharma Pudarika Sutra と梵名で記しましょう。
この経典は西暦前100年から西暦後150年頃までに制作されたものであることがわかっています。ここで経典の編纂活動と平行して、菩薩運動もあったろうとわたしは考えています。この経典を捜索したグループの人々は、自らを地涌菩薩を自称して、迫害に耐えた人々であった。経典を信仰対象とすることは、各地で起きていた聖典信仰の影響もあったと考えられます。末法とは、実はこの法華経が編纂され、菩薩運動をしていたこの時代を指した言葉であることは、 Sadharma Pudarika Sutra を少しばかり学べばやがて理解できます。それを自分に当てはめた智邈も、最澄も、日蓮も、そうした編纂者の認識影響をそこに看取できることになります。
菩薩運動は、イランで発生したミトラ教の影響に拠ったのでしょう。
無疑曰信、以信得入、以信代慧と成句する信仰観は、大乗起信論といった教学姿勢の延長にあるのでしょう。しかし、こうした絶対的な信仰という形態は、実は仏教徒の間にはなかった。それはバカバットギータの影響を受けて生じた教学的な態度であったことが知られています。
こうして仏教2500年の歴史を遡っていくとき、わたしのなかに釈迦牟尼世尊に対する深い憧憬が生じました。ここまで上り詰めて見た日蓮は、それまで、宇宙を圧倒する大きさであったのが、いまでは、小さな存在と映じます。それは冒涜であるとか、批判であるとか、そんな類のことではなく、たぶん、宇宙に飛び出したパイロットが眺めた地球がボールの大きさに見えるのに等しい感覚ではないかと思えます。小さく見えても、美しく、自分が生まれたふるさとであり、大切な存在です。しかし、それは絶対的な存在ではない。この宇宙に無数にある惑星の一つです。わたしたちもガンジスの沙より、もっと多くの衆生の一人に過ぎません。こうした視点から見える「日蓮」は、もはや、本仏を意味して呼称される「日蓮大聖人」ではなく、「日蓮」なのですよ。
2040
:
犀角独歩
:2008/02/22(金) 05:25:32
【2038の訂正】
×構成の作り物 ○後世の作り物
×広漠ある光景 ○広漠な光景
【2039の訂正】
×順天台 ○純天台
×経典を捜索した ○経典を創作した
2041
:
問答迷人
:2008/02/22(金) 06:25:37
外陣さん
>引文はあまり好きじゃないのと有名なのでお答えしますが「日蓮一期弘法付属書」です。特にこの御妙判譲り状の最後、「就中我が門弟等此の状守るべきなり。」の文は興尊お一人に宛てたのではなく大勢の僧俗に向かってご教示されている明確な指示書です。
一 この書の真跡が現在何処に有るのかご存知ですか。
二 この書を日蓮聖人が書いた事を証明できますか。この書には、偽書の疑いが掛けられています。
以上、お答え下さい。
2043
:
管理者
:2008/02/22(金) 09:11:14
羽さん
2042の書込みは、以下の、当掲示板書込み禁止事項に該当しますので、削除します。なお、以後、ルール違反が続く場合は、ご参加をお断りする事になりますので、ご承知置きください。
【禁止事項】
4 根拠を示せないとか、すでに論理が破綻しているとかにもかかわらず、臆面もなく投稿し続けられた場合は、無意味な多重投稿・反復投稿とみなし、削除致します。
2044
:
羽
:2008/02/22(金) 09:21:08
本門の本尊には法と人の面があります。
御本尊を人の面から拝するなら、曼荼羅本尊は
日蓮大聖人の御当体を文字で以て顕されたものです。
2045
:
羽
:2008/02/22(金) 09:26:19
日蓮が魂を墨にそめ流して書きて候ぞ、信じさせ給へ。
仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし「経王殿御返事」
本尊とは法華経の行者の一身の当体なり。「御義口伝」
日蓮が影、今の大曼荼羅なり。「御本尊七箇之相承」
以上が、本門の本尊の、人本尊の文証になります。
2046
:
管理者
:2008/02/22(金) 09:46:26
羽さん
なるほど。曼陀羅は日蓮聖人だと。
それではお聞きします。700年も前になくなった方が、肖像権を主張されるのは無理ですね。
今生きている人のことですよ、肖像権と言うのは。死んだ人にも肖像権が有ると言うのは、死んだ人を写すことは不可能ですから、お話になりませんね。曼陀羅が日蓮聖人であり、今も生きておられるのだ、と信ずるのは勝手ですが、それを以って肖像権を主張することは出来ませんね。
肖像権が死んだ人にも有る、という法律の条文をお示し下さい。
2048
:
一字三礼
:2008/02/22(金) 10:04:11
うわっ!
完全に場違いなレスになってしまいますが、臨時さんにもう一言だけ。
ヨーロッパでは、今から約150年前のウェルハウゼンの「イスラエル史序説」以来、歴史学的・思想史的視点で、福音書及びイエスが客観的に研究され、歴史学者や社会学者と聖書学者とが論争によって、切磋琢磨してきました。
一方、日本の仏教学の世界では、犀角独歩さんがご紹介くださいましたように、日蓮宗門や立正大学での学問は所詮、坊さんたちによる護宗的な‘僧学’にすぎません。日蓮宗内の学問的な成果など、日蓮宗学に通じたものからの、暗黙のルールに則った論争には答えられても、歴史学者や思想史家、仏典研究者のような第三者から疑義に耐えうるのもではありません。
日蓮遺文研究の分野で、「平成新脩日蓮聖人遺文集」が出版されたのが平成七年、この遺文集の登場で、ようやく真筆中心の研究が本格化されてきたのですが、それでも最近の今成さんを中心とした摂折論争で明らかになったのは、偽書濃厚の「如説修行抄」などを論拠として、伝統的な宗学にしがみ付く日蓮宗学者が如何に多いかということが明らかになりました。
また、法華経研究の分野においては、立正大学で、「正法華経」を読み易い書き下し文に直す作業プロジェクトが発足したのは戦前のことでした。しかし、60年以上が経過した今でも「正法華経」の読み下しは出来ておりません。法華経研究でも重要部門であろうこの研究でのこの体たらくは、日蓮宗の学者たちが、よほど怠慢であるか、無能であるかのどちらかでしょう。法華経の成立史研究においても、勝呂さんの‘二十七品同時成立’説(法華経の思想と展開)などは、その思考過程には見るべきものがありますが、結論はお粗末で、法華経成立史の研究を布施浩岳さん以前に戻すようなもので、とても批判に耐えうるようなものではありません。
上記のように、日蓮宗の学者たちのレベルは、まだまだ学問と呼べるほどになっていない、ということです。
2049
:
管理者
:2008/02/22(金) 10:22:14
羽さん
>すでに死んだとは拝さないです。常住しています。
そういう信仰上の話は、肖像権という事柄になじまないですね。
先ほど示した当掲示板の禁止事項、及び、当掲示板の以下のルールにより、羽さんの、以後の書込みをお断りします。
禁止事項
1 上記の、当掲示板の主旨に明らかに反する書き込みは、理由の如何を問わず削除します。さらに書き込みを続けられた場合は、その方を以後投稿禁止とします。
2054
:
臨時
:2008/02/22(金) 19:35:04
偶ロム偶ログさん今晩は、レスありがとうございました。
>伊藤教授については、日蓮宗内でも立正学内でも厳しい評価もあります。
との事ですが、どの様な厳しい評価なのでしょうか、かつても現在もと言うこ
とでしょうか。
私が伊藤先生の著作で最初に出会ったのは『仏教の思想と現代』(初版平成2
年)でした、その頃の私は現代思想に興味を持ち始めて数年たっていましたの
で、本の表題に惹きつけられて買い求めました。
初版本では、第7章「本尊研究の現代的方法」(249ページ)と第8章「曼荼羅
本尊の哲学的意義」(273ページ)に大変興味を抱いて読みました。
平成12年に改訂増補版が出版され、そこでは、第9章「宗教地政学とは何か」
(245ページ)第10章「戦後日本の国家意識と立正安国の実践」(283ページ)
第11章「闘諍堅固の時代と文明の衝突」等が書き加えられていました。
第9章「宗教地政学とは何か」に関しては私には了解できない面が多々ありま
した。最近伊藤先生とお会いした際にも、先生の宗教地政学は私から見ると
非常に右寄りと感じますと申し上げましたら、先生もその事を自認なされて
おり、更に先生はかつて早稲田大学の学生の頃は60年安保闘争の真っ只中で、
左翼運動の闘士でもあったが現在は日本の危機を痛感するが故に右寄りになら
ざるを得ないと申され、西部邁もその一人だと言われたのには驚きました。
付言すれば伊藤先生の宗教地政学と日本の危機は立正安国論の現代的理解にも
つながっている問題意識とも言えましょう。
>なにをもって優れたとするか、ですね。
御用教学、護教教学、印籠教学などで正宗内部においては評価の高い人もいる
かもしれませんが、仏教学・宗教学・歴史学・などで正宗以外で通用している
正宗僧侶は若干名でしかありません。
仏教学・宗教学・歴史学という領域においては学問として常に客観性を要求さ
れますが、いわゆる宗派教学であったり、宗門教学の領域では信仰の増進に寄
与しないものは廃される傾向にあることは否めないと思われます。
しかし、宗教において教義を客観的に語る事と信仰の増進を両立させる事ほど
アンビバレントな事はないとも言えましょう。
2055
:
独学徒
:2008/02/22(金) 21:36:43
羽さんの御主張は創価学会と全く同じで、文証として用いるものが蓮祖・興尊の直筆が現存しない、現在は偽書としてほぼ確定しているものばかりですね。
羽さんご引用のものは、全く文証たりえません。
文証とは、蓮祖真蹟現存、興尊真蹟現存以外は、富士門信徒としても受入不可です。
蓮祖真蹟現存の文証はあるのか、興尊真蹟現存の文証はあるのか、よくよくご検討の上投稿いただきたく存じます。
創価学会や日蓮正宗、顕正会、正信会といった、全く同列の宗派・団体にしか通用しない、偽書の引用はご遠慮いただきたく存じます。議論が、いたずらに真実から遠ざかります。
2056
:
外陣
:2008/02/22(金) 23:18:13
羽さん今晩は、はじめまして外陣と申します。
貴方ももう少し冷静に誠実に御投稿なさってはいかがですか。
出会い頭にご自分の云いたいことだけを云って最後はののしるように去る、とい
う言動はいただけません。
仰りたいことは小生もよくわかります。
憤慨しておられるのもわかります。
でも共通のルールやマナーあっての公共の場でしょう。自分とは正反対の考えや
信念を持っている人だってたくさんいるのですから、どう云えば相手に伝わるだ
ろうか、どう振る舞えば相手が耳を貸してくれるだろうか、よっく考えて発言さ
れることをお勧めします。なんでも勉強の場ではないですか。
この場はとても貴重で大切で重要な場所であることを御自覚願いたい。
みな精進しようと汗をかいておられる道場だと思います。是々非々。
どこに所属のお方か存じ上げませんが、管理人さんに謝罪して頑張りましょう。
2057
:
外陣
:2008/02/22(金) 23:52:01
問答迷人さん
>一 この書の真跡が現在何処に有るのかご存知ですか。
>二 この書を日蓮聖人が書いた事を証明できますか。この書には、偽書の疑いが
>掛けられています。
内容は「総付属書」として曰く
------------------------------------------------------------------------
◆日蓮一期弘法・身延相承書
日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興にこれを付属す。本門弘通の大導師たるべきなり。
国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待
つべきのみ。事の戒法と云ふは是れなり。就中 我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬午九月 日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興
------------------------------------------------------------------------
「別付属書」として曰く
------------------------------------------------------------------------
◆身延山付属書
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。
背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日
武州池上 日蓮花押
------------------------------------------------------------------------
の二つの日蓮大聖人の御妙判であります。
この譲り状が与えられて後三百年ほどの時、真書は残念ながらご承知のように戦乱
の世に紛失(たぶん消失)しております。
しかしながらその後江戸時代頃に日蓮宗によって編纂された有名な「録内」の後
「録外」十六巻目にもあらためて掲載されているほどの無視できぬ重文です。
偽書云々は心ない者がいつの時代にも現れて難癖をつけているだけです。
非力な小生ゆえここで細かくは申しませんが、よく精査いたせば誰でも納得せざる
おえない天下に正しい跡目相続書であります。
2058
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 00:25:11
詳しく問答さんが応えるでしょうが、よくまあ、こんなもんを出してきますね。
この書があったとされるのは、北山本門寺。ここには日興が跡目と定めた日代がいました。この二つの書は、ただの一度も大石寺にあったという話はありません。
北山に日興が定めた日代がおり、その後に日妙があり、そして、この書はずっとここにあったという話で、この書に漢原文で書かれているのは「富士山本門寺」(「富士山に本門寺の」は石山の勝手な読み下し)で、北山本門寺の正式名称は富士山本門寺。
富士山本門寺にずっとあったとされる文書で、富士山本門寺に戒壇を建立という文章ですから、日代、むしろ日妙でしょうが、北山本門寺=富士山本門寺に戒壇建立という書が、なんで、大石寺の文書となるはずがあるのか、少しは真面目に考えてみればよいでしょう。
しかも、この書は真筆も現存しない、大石寺と北山以外は、誰しも偽書と確定した悪書の一つです。
外陣さん、もっと勉強しなさい。
2059
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 00:30:06
やや当たり前すぎる議論ですが、外陣さんが本物であると信じている偽書については、過去に語り尽くされています。
身延相承書と池上相承書について
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1060641548/
2060
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 00:39:35
外陣さん
独学徒さんがご指摘下さったことですが、以下のようなあなた方法華講の本尊写真にアップです。
法華講はよくて、わたしが駄目だというのは何故でしょうか?
http://myokan-ko.net/menu/te/1.htm
2061
:
臨時
:2008/02/23(土) 00:49:33
一字三礼さん今晩は、
>あなたは、挨拶もなし、横レスの断りもなしで話に割り込んでくる人なので
すね。
そうでしたかそれは大変失礼しました。
一字三礼さんとの意見交換は初めてのことでしたか、この掲示板では一字三礼
さんのご意見を時々拝見し、すばらしく知的で識知も並々ならぬものを感じて
おりました。今後はよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。
① その方は、法華経に対するどういった知識をお持ちなのですか。
② 「日蓮仏法に対する大変現代的な課題」を具体的に示してください。
③ あなたは、日蓮門下全ての僧俗と面談することが可能であるとお考えなの
ですか。
との事ですが、
前にも申し上げましたとおり伊藤先生の法華経に対する知識は、それこそ大変
なものでして私如きにはとても語ることは出来得ませんのでご容赦ください。
ただ、「日蓮仏法に対する現代的な課題」に関しては、少々お答えしてみます。
伊藤先生は、その著作のほとんどが日蓮仏法を現代的課題として受け止められ
ての上で、お書きになっておられると思います。
偶ロム偶ログさんへのレスにも書かせていただきましたが、私が最初に伊藤先
生の著作を拝見したのが、『仏教の思想と現代』でした。そのあとは『日蓮精
神の現代』であり、『新時代の布教精神』『新時代の折伏様式』『新時代の四
大格言』という三部作でした。
このように常に日蓮仏法ないしは日蓮精神を現代という時代の中でどのように
捉え、自分自身の実践的課題と位置付けるかを追及なさってきたものと私は受
け止めています。
しかし、偶ロム偶ログさんへのレスにも書きましたが、伊藤先生は日蓮仏法を
「宗教地政学」という視点で捉えておられますが私にはよく理解できません。
私自身は日蓮仏法を現代社会において如何に言語論的転回が可能であるかどう
かが、現代的課題であろかと考えております。仏法においては仏の悟りの領域
は、本来は言語道断、心行所滅の世界のはずですが、いわゆる俗諦とも言うべ
き人間界においては、八万宝蔵とも云われる言語の海の上で方向も定まらず舵
も執れない状況に仏教界が陥ってしまっていることを、鎌倉新仏教の祖師達は
それぞれの方法で舵を伐ったとも言えると思います。
しかし、現代社会においてはさらにネット情報という情報の海の上で人間は舵
を伐るどころか、右往左往したあげく転覆しかねない状況にあるといって過言
ではないと思います。
この新たな状況に対して日蓮仏法も過去からの言語的あり方(特に宗派という
体制言語)を、時代に合わせて転回する必要があるのではないかと愚考してお
ります。
今日は晩くなりましたので後の問題に関しては、後日お答えしたいと思います。
2062
:
外陣
:2008/02/23(土) 01:22:40
犀角独歩さん
2038〜2039までの内容を二度三度と読ませていただいておりました。
>だから、おかしいと思ってもそれを信じたいという執着が生じることになります。
しかし、これは煩悩なのですね。真実は、そこを超えたところにある。わたしはそ
こまで歩きました。絶対的な信仰という太い手綱を手放す恐怖は、子どものころ、
見知らぬ場所で親の手をギュッと握って離さない感覚に似ています。しかし、子は
やがて親から自立していかなければならない。苦しい坂を上りきった瞬間に広漠あ
る光景を目の当たりにする。
胸にくるものがございます。よくよく考えてみます。
※その後のご指摘についてはのちほど。
2063
:
外陣
:2008/02/23(土) 01:40:09
犀角独歩さん
>2058
怒らないでくださいよ。小生が今までに教わって信じていることを、尋ねられた
から応えたまでです。
何処にあったかということよりも蓮祖から興尊へ相承があったという文証をだせ
という話題になったので。稚拙な構成でお恥ずかしいですが…。
2064
:
そううそ
:2008/02/23(土) 02:01:37
皆さんこんばんは。
ご無沙汰しています。そううそです。
皆さんの御意見は私には難解ですので
243.大御本尊に対する日蓮正宗系(創価学会、顕正会など)の言い分。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/7a5bc04fc70058cf4e81ed3c8576a795
こんな感じで纏めたいのですが、引用転載でなくここで知り得た事を
上記の様に箇条書きにするのであれば許可不要でしょうか?
それとも許可が必要でしょうか?>管理人さん
2065
:
外陣
:2008/02/23(土) 02:04:51
>独学徒さんがご指摘下さったことですが、以下のようなあなた方法華講の本尊
写真にアップです。法華講はよくて、わたしが駄目だというのは何故でしょうか?
独歩さんの反論は「何処どこでもやっているから」というレトリックが多いですね。
悪いことはどなたがやろうと悪いと小生は考えます。
この件につき小生は近日、理境坊法華講さまへご教示を仰ぐつもりでいますが(他の
サイトでも散見できますのでそれもあわせて)今は貴方様のお話をうかがっており、
僭越とは重々承知の上でいささか意見を云わせていただいています。ご容赦。
2066
:
外陣
:2008/02/23(土) 02:31:03
犀角独歩さん
>しかも、この書は真筆も現存しない、大石寺と北山以外は、誰しも偽書と確定した
悪書の一つです。
そちらさまはどうしても偽書とせねば困るでしょうからそう言い張るのでしょうが、
それではお尋ねいたしますが、大聖人はどなたに跡目を相続されたのですか?
小生はごくシンプルにその問題を考えるだけで、やたら衒学的に枝葉末節を根掘り
葉掘りして大聖人の法門を淫するのはそれこそ背だけを見ることになりませんか?
釈迦牟尼を憧憬するのは小生も同じでありますが、仏法には「時」というものが
あるのではないでしょうか。あこがれてもあの佛さまは小生等の佛さまではないの
ではないでしょうか。難信難解であっても困難が降り注いでも、頑張って大聖人を
佛と仰いでいかなくては助からないのではありませんか?
くどいですがもう一度お尋ねいたします。
「蓮祖大聖人は誰にそのすべてをお渡ししたのでしょうか?」
2067
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 04:26:40
外陣さん
あなたの文章は、わたしがどのような感情であるかを決めつけて、書くことが多いですね。いつも外れています。やめてください。
> 「何処どこでもやっているから」というレトリックが多い
これまた、別にそんなことはありませんよ。
だいたい、話の筋をすり替えています。
わたしは何度も記しているとおり、本尊を加工したことは一度たりともありません。
わたしが加工したのは写真です。同じようにわたしは印刷物や、写真を本尊であるとは考えません。
ところが、あなたは印刷物や、写真を拝ませる集団の信仰にとらわれているから、本尊を加工したと難癖をつけるわけでしょう。日興は形木を禁じていた。これは厳然たる事実です。売り買いも禁じた。遺体遺骨と埋葬することも禁じた。しかし、こうした日興の禁止を平然とやっている集団で信仰をしながら、なにをかいわんやです。
> 偽書とせねば困るでしょうからそう言い張る
言い張っているのはあなたでしょう。
いいですか。こちらの掲示板では、主張をするのに、証拠を挙げることが義務づけられています。しかし、二箇相承が本物である証拠をあなたは挙げず、本物であると言い張っています。これは明らかにルール違反です。
まあ、こう書けば、「では、偽物の証拠を出せ」と来るでしょうが、偽物の証拠は、他スレ「身延相承書と池上相承書について」で議論し尽くされたとおりです。そもそも、あなたの態度でいちばんいけないのは、過去の議論を無視して、証拠を挙げず、断定的にものを書くことです。
> 大聖人はどなたに跡目を相続されたのですか?
これまた、既に言い尽くされた議論です。
日興の真筆が残る『日蓮聖人御遷化記録』に
「定弟子六人事(不次第)。
蓮華阿闍梨日持、伊予公日頂、佐渡公日向、白蓮阿日興、大国阿日
朗、弁阿日昭。」
明確です。
> 小生はごくシンプルにその問題を考えるだけで、やたら衒学的に枝葉末節を根掘り
葉掘りして大聖人の法門を淫するのはそれこそ背だけを見ることになりませんか?
だから、あなたの文章は、常にこうした嫌味があり、実に無礼です。誰がいったい、衒学的ですか? 誰がいったい、枝葉末節を根掘り葉掘りして大聖人の法門を淫していますか。羽さんにもっとらしい、教訓を垂れるのでしたら、あなたこそ、礼儀をわきまえた文章を書いたらどうでしょうか。相手に対して、怒るなとか、気が短いと言う前に、相手を見下し、こうした不快な書き方をするのは止めたらどうでしょうか。
また、酔っぱらっているのですか。
> 仏法には「時」
どんな時でしょうか。
まさか、釋迦の入滅年代を日蓮が取り違え、鎌倉時代は2000年経っていなかったこと、『大集経』が後世創作されたものであること、また、法華経でいう末の世とは2000年でも、500年でもなく、「50年であった」ことなど、文献的な分析を無視して、大石寺の時代遅れのドグマを繰り返し、証拠を挙げずに記そうというわけではないでしょうね。
> あこがれてもあの佛さまは小生等の佛さまではないのではないでしょうか。
「あこがれる」というのは、わたしが先に書いた「憧憬」ということをとっているのでしょうか。意味を取り違えています。
先にも記しましたが、日蓮が終生、拝んでいたのは釈迦一体仏です。
ほかに何か仏があるのでしょうか。
> 大聖人を佛と仰いでいかなくては助からないのではありませんか?
どこにそんな証拠がありますか。
> くどいですがもう一度お尋ねいたします。
「蓮祖大聖人は誰にそのすべてをお渡ししたのでしょうか?」
先に挙げた御遷化記録とおりでしょう。
あなたは唯受一人血脈相承で、誰か一人にすべてを渡したという思いこみにとりつかれているのでしょう。そんな証拠はどこにもありません。
ただ、大石寺の“レトリック”にはまり、証拠も無しに信じ込んでいるだけです。
ここは、議論の場ですから、挙証も出来ない主張は問題外です。
2068
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 06:57:58
まあ、どうでもいいですが、わたしに対する傲慢不遜ないいっぷりに比し、
「理境坊法華講さま」という言い回しはふるっています(笑)
理境坊法華講とは、この坊出来て以来の根檀家を指すのであって、近年の預信徒に過ぎない集団を指すわけではないでしょう。
こうしたところにも、大石寺そのものの理解に誤謬が見受けられます。
2070
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 08:03:08
外陣さん
犀角独歩さんが、概略、指摘されていますので、補足に留めます。
先ず、御遷化記録は、日興上人の代筆で六通作成され、紙の継ぎ目には、立ち合う事の出来た方々の署名で割り印がされています。正式の文書です。六人それぞれが所持するようになっています。その場にいなかった六老には後日手渡すように設えてある訳です。
日蓮聖人の周到なご配慮がにじみ出ています。
このように六老全員で力を合わせて、後を頼むぞ、と言いながら、日興上人にだけ、こそっと二箇相承をしていたとしたら、日蓮聖人は二枚舌の大嘘つきですね。
日興上人は後日、身延を離山していますが、理由は、学頭に日興上人が任命した日向上人との反目が原因のようです。そして地頭が日向上人に付いた。
もし、この時、このような相承書があったのなら、この時にこそ使うべきであった。日蓮聖人が両舌の謗りをも敢えて恐れず、二箇相承を残したとすれば、このような教団分裂を避けるためとしか考えられませんが、当時の記録には、二箇相承は名前すら出てきません。
日興上人もこのような相承を本当に受けていたのなら、絶対に離山などすべきではなく、日向上人に対して「この相承書が目に入らぬか。無礼者、下がりおれ。」とやらなければ、日蓮聖人のお心を踏みにじることになるわけです。
身延離山という史実が、このような相承書が存在しなかった事を雄弁に語っていますね。
2072
:
管理者
:2008/02/23(土) 08:45:50
そううそさん
コピーして、出所を明示せず、張り付けるのは著作権侵害になる可能性が高いので、お断りしていますが、出所を明示して、しかも要約という事であれば、当掲示板のルールに抵触しません。どうぞよろしくお願いいたします。
2073
:
そううそ
:2008/02/23(土) 11:58:21
有り難うございます。
助かります。
2074
:
パンナコッタ
:2008/02/23(土) 12:47:51
横レス失礼します。
二箇相承なんてものが出てきていますが、文書その物の歴史上初出は
左京阿日教「六人立義廃立抄私記」あたりなのですが、その六人立義では、
身延・池上が現在のとは逆に書かれており致命的です。
釈尊五十余年之説教、白蓮日興付属之。可為身延山久遠寺別当、背在家出家共輩者可為非法衆。
弘安五年九月十三日
血脈次第日蓮日興 甲斐国波木井郷於山中図之
日蓮一期弘法 白蓮阿闍梨日興付属之可為本門弘通之大導師也。被立国主此法、
富士可為建立本門寺戒壇也。可待於時耳、事戒法謂是也、付中我門弟等可守此状也。
弘安五年十月十三日 日蓮在御判
池上相承書
ですから、本禅寺日求が笑って偽書と指摘し石山門徒が狼狽したんでしょう。
(破石集・日鑑)
ちなみに今では全く無意味なのですが、蜜月時代の学会はこの指摘に対し、
「古写本に多少の入れ違いがあったのは、むしろ当然であり、その入れ違いがあるゆえに疑難するとは、
まったく見当はずれの妄難である」(日蓮正宗創価学会批判を破す 創価学会教学部編)
と、これまた見当違いの感情論で批判していましたね。
我田引水的で大変恐縮なのではありますが、宗教の法則5 "聖典は一日にしてならず"そのまんまですね。
2075
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 13:33:44
パンナコッタさん
宗教の法則、非常に興味深く拝見いたしました。
まぁ、こんな他山の書、しかも偽書の疑いの濃い物を平気で御書全集に載せる大石寺の神経がわからない、と思っていましたが、正しく、聖典は一日にしてならず、ですね。必要に応じて、増幅付加されてゆく様が見て取れます。
有難うございました。大変勉強になりました。
2076
:
外陣
:2008/02/23(土) 17:25:54
問答迷人さん
>2070
御推定なさっておられる部分があるので小生にも推定することをお許しください。
相承書などその時代の地頭の権力からすれば問題にしなかったでしょうし力も持た
なかったでしょうね。あくまで御出家間での問題でしょうから。何から何まで世話
になっている地頭が御法門を歪め始めれば、どうしても其処から離れるしか方法は
ないのではなかったのでしょうか。
>先ず、御遷化記録は、日興上人の代筆で六通作成され、紙の継ぎ目には、立ち合う
事の出来た方々の署名で割り印がされています。正式の文書です。六人それぞれが
所持するようになっています。その場にいなかった六老には後日手渡すように設え
てある訳です。
先述していますようにそれが総じての付属ともいえるかもしれません。
なにも興尊だけがお弟子であるなどとは申し上げません。
問題は、例えば社長が引退する時に六人の部下がいたとして、皆間違いなく会社に
貢献してくれた幹部社員であり、自分がいなくなっても後をみんなでで頼むぞと云
うでしょう、それぞれに役割を与えるでしょう、そのなかにあって次の社長を一人
決めるのも普通ではないでしょうか。これも先述しましたように歴史をひもとけば
夥しいほどといいますか、常識になってはおりませんでしょうか。まさか社長の権
能を六つに分けて六人の社長がいるなどという組織は聞いたことがないです。
その際にたとえ年長の者や営業に功績があったりした者がいても、次代の社長とし
て自分の経営上の重大な発明というか秘密を授けているものを自分の替わりとして
社長と任命する。そういうことはどの社会でもあるのではないでしょうか。
それをここでは別付属と呼ばせていただいてるつもりです。
事実、その後本山の管長、別当として興尊をお認めになっていたのではないでしょ
うか他のお弟子さまたちも従っていましたでしょう。
そしてその新社長にだけ与えたのが本尊にまつわる秘密の御相伝でこれは一読した
らば人の目にやたらに触れぬようにしたのが新社長。
はじめは別当としてリーダーとして認めていた他のお弟子さまのなか、あるいは後
年になってその末流の方々のなかに「日興のところではこちらがあずかり知らぬ相
伝を口にしておるぞ」と騒ぎ始めるものもいたでしょうね。
とまあ安っぽい比喩で恐縮ですが、当方の漢字変換ソフトがなかなか云うことを
きかずに苦労しておりますので、誤変換や脱字など、また平易な語り方にてお許し
くださいませ。
2077
:
外陣
:2008/02/23(土) 17:26:46
犀角独歩さん
>偽物の証拠は、他スレ「身延相承書と池上相承書について」で議論し尽くされた
とおりです。そもそも、あなたの態度でいちばんいけないのは、過去の議論を無視
して、証拠を挙げず、断定的にものを書くことです。
そうですね、小生も少々断定的、説明の仕方、言葉の選び方が悪いかもしれません。
どうしても丁寧に肩を張ってタイプしておりますと嫌みでトゲのある語り口になっ
てしまっていますね。気をつけます。
”議論され尽くした”とは思えません。正宗側の言い分があまり見あたりませんし
それこそこちらから読ませていただければ一方的な論調論議で、説明する暇もない
隙もない偏った断定ばかりに映るのですよ。全部正宗が悪い、イカサマだ、インチ
キだという予定調和に受け取れてしまうのです。それが証拠にこうして正宗を信じ
ると発言すると侮蔑するかのような論調になってきます。
怒らせるようなことを云ってしまう小生も未熟ですが、それは独歩さんだって同じ
文言をお使いになっているのではないでしょうか。
小生は断定などしておりませんが。
お前はどう認識しているのかと尋ねられるから知っているささやかなことを一所懸
命タイプしてアップすれば「よくもこんなものを」と侮蔑されます。
独歩先生とか独歩師とか独歩さまとかお呼びしたくとも呼称統一というルールに従っ
て誠に冷や汗ながら「さん」で失礼させていただいている次第です。
理境坊さまについては当家の方でありますから「さま」とお呼びしたのがいけませ
んか。
>まあ、どうでもいいですが、わたしに対する傲慢不遜ないいっぷりに比し、
「理境坊法華講さま」という言い回しはふるっています(笑)
対等平等では貴方様に失礼になるのですね。わかりました。それではこれ以上不愉
快にさせたくありませんし、反論は許さないという雰囲気であることにもある種
疲れましたので、今回のお話はここまでとさせていただいても結構です。
独歩学兄から御指南ありました日蓮宗系のお寺でも散策して勉強させていただきま
す。
>> 大聖人はどなたに跡目を相続されたのですか?
>これまた、既に言い尽くされた議論です。日興の真筆が残る『日蓮聖人御遷化記録』
に
「定弟子六人事(不次第)。
蓮華阿闍梨日持、伊予公日頂、佐渡公日向、白蓮阿日興、大国阿日
朗、弁阿日昭。」
明確です。
六人に御相伝御相承があったなどとは、あまりに戯論です。失礼ながら嗤います。
>先にも記しましたが、日蓮が終生、拝んでいたのは釈迦一体仏です。
ほかに何か仏があるのでしょうか。
どうしたのですか? なにを仰るのかあまりの驚きにお返しする言葉がでません。
御書の何処にそんなことがありましょうや。興尊がいつそのような大聖人を虚仮
にするようなことを云ったのでしょうか。
はて、もしかして独歩さんは日朗門流でありましょうか?
>ここは、議論の場ですから、挙証も出来ない主張は問題外です。
ですから暫時挙証してまいろうかと思案しているのに勝手に問題外と排する独歩
さん、そんな貴方が許せないのですね小生は。”お山の大将俺一人後から来る者
突き落とせ”の新興宗教の親分の臭いがします。まさか一宗一派を立ち上げるご
計画がありはしないでしょうね。跡目は六人平等にするんですか?
ってこういう言い方が非礼なのでしょうが、貴方も相当偏ったところで修羅に堕
ちておられるようですから…お互い様ではないでしょうかね。
2078
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 17:54:47
外陣さん
>何から何まで世話になっている地頭が御法門を歪め始めれば、どうしても其処から離れるしか方法はないのではなかったのでしょうか。
地頭は日向上人の意向を受けて、日興上人に逆らったのですよ。地頭と日興上人が表に出ていますが、根本は日向上人と日興上人との法門の違いなのですよ。地頭が自ら意思で日興上人に逆らったのでは有りません。二箇相承がもし存在しておれば、少なくとも日向上人は日興上人に従ったはずで、身延離山は有り得ないと考えます。
>次の社長を一人決めるのも普通ではないでしょうか。
だが、日蓮聖人はそうしなかったのです。六老を定めて、「不次第」と明記したのは、筆頭者を決めない、と言う意味ですよ。
2079
:
外陣
:2008/02/23(土) 17:59:14
犀角独歩さん
追記しますが、御説の大聖人随身の釈迦立像は修行中の釈迦ですよね。ですから
立ったお姿です。立ち姿の本佛など聞いたことも見たこともございません。
お悟りを表す仏像は皆お座りになっていること、独歩さんほどの知識人ならご存
じありますでしょう。
2080
:
あまちゃん
:2008/02/23(土) 18:20:23
飛び入りで申し訳ございません。
本来であればご挨拶を申し上げてから投稿するべきです、資料の提示のみの一回きりの投稿で失礼させていただきます。
法華講に所属しています。
独歩さんは当然この資料をご存知だと思いますが、他のお方はご承知ないと思いますので資料のみ提示させていただきます。
ご参考にしてください。
しかし、ご自身で資料をお調べになられないで投稿される方にはやれやれという感を得ます。
大聖人ご自身の持仏は釈迦一体仏です。
日興上人御自身が書かれた「御遺物配分事」です。
これは大聖人の御形見分けを記した資料です。
法華講内では絶対に信徒には見せない資料だと思います。
私は立正大学の図書館(身分を明かせば入れてもらえます)でこの資料を写し取ってきました。
*****
注法華経一部十巻 弁阿闍梨。
【御本尊一体 〈釈迦立像〉 大国阿闍梨。】
御馬一疋、小袖一 佐渡公。
御太刀一、小袖一、袈裟代五貫文 侍従公〈和田丸〉。
衣一、小袖一、袈裟一 越前公。
御馬一疋〈鞍皆具、御足袋一、頭帽子、小袖一〉 白蓮阿闍梨。
御腹巻、銭三貫文 伊与阿闍梨。
御馬一疋、小袖一、手鉾 蓮華阿闍梨。
小袖一 卿公。
御馬一疋、小袖一、御念珠 筑前公。
御小袖一、衣一、帷一 治部公。
御小袖一、頭帽子 摂津公。
御馬一疋、小袖一 大夫公。
御小袖一 丹波公。
御小袖一 和泉公。
御衣一、銭一貫文 伊賀公。
貳貫文 淡路公。
一貫文 寂日房。
○○(二貫)文 信乃公。
一貫文 出羽公。
一貫文 帥公。
一貫文 越後公。
一貫文 但馬公。
一貫文 下野公。
一貫文 讃岐公。
○(二)貫文〈御布小袖一〉 妙法房。
○○○(一貫文)〈馬一疋、鞍皆具〉染物一 富田四郎太郎。
一貫文 源内三郎。二貫文 椎路四郎。小袖一 四郎二郎。
小袖一 滝王丸。
御きぬ一 安房国新大夫入道。
御きぬ一 かうし後家尼。御小袖一 安房国浄顕房。
小袖一 同国義成房。御小袖一 同国藤平。
右、配分の次第、件のごとし。
弘安五年十月 日 執筆日興 在判。
日持花押。日興花押。日朗花押。日昭花押。
*****
私は信仰世界と学問世界は明確に切り分けています。
2081
:
外陣
:2008/02/23(土) 18:44:13
問答迷人さん
>地頭は日向上人の意向を受けて、日興上人に逆らったのですよ。地頭と日興上人
が表に出ていますが、根本は日向上人と日興上人との法門の違いなのですよ。地頭
が自ら意思で日興上人に逆らったのでは有りません。二箇相承がもし存在しておれば、
少なくとも日向上人は日興上人に従ったはずで、身延離山は有り得ないと考えます。
そうですね、日向師は板本尊も作ったとか聞きます。
例え二箇相承を見せても従うかどうか…。法門観が違っているのでしょうから。
つまりは学頭に迎え入れた日向師がのちに「何かあって」興尊と意見が合わなく
なって権力のある地頭を使って追い出した、ということですね。
その「何か」ということはここでは置かせていただくとして、もし将来「二箇相承」
がもしも出てきたら、無いと力説している方々はそのときどう詫びるのでしょうね。
腹切って詫びはしないでしょう。決して詫びることもなくまたなにか理由を付けて
いくのでしょう。きりもない無限ループですね。信心が根本から異なるのですから。
しかしながら先述のように反対派の日蓮宗でも写本として認めていたこともある
わけでしょう。なぜそれが執拗に執拗に忘れた頃になると出てくるのですかね。
たとえ燃えて失ったとするのであれば、それを出せ、見せろと詰め寄る人の意地の
悪い姿は仏家のものとは思えません。無いものは文証しようがないことを知ってい
て金科玉条のように責め続ける。状況証拠から推測することは可能ではないでしょ
うかね。じゃあ他門にはなにがあるのかとお尋ねしたいくらいです。
2082
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 18:56:46
外陣さん
>例え二箇相承を見せても従うかどうか…。法門観が違っているのでしょうから。
先ず、見せたかどうかですね。北山の文書には、身延離山についての記述には、二箇相承は出てこないです。そんなに重要な相承書があったとしたら、日向上人に見せもせず、ノコノコと離山したのは可笑しいです。日蓮聖人が本当に二箇相承されたのなら、その相承を自ら日興上人が踏みにじった事になります。この点についてお答え下さい。
>じゃあ他門にはなにがあるのかとお尋ねしたいくらいです。
御遷化記録があり、日蓮聖人の本弟子たる事が記されています。これ程確かな証文はありませんね。
2083
:
問答迷人
:2008/02/23(土) 19:13:16
外陣さん
補足です。
>燃えて失ったとするのであれば、それを出せ、見せろと詰め寄る
日興上人の時代に、そのような相承書の存在を示唆する文書が残っておれば、少なくとも傍証にはなります。そして、そのような相承書が存在したのなら、身延離山という日蓮教団にとっての一大事において、なぜ日興上人への相承書が話題にも上らなかったのか。これは全く以って不可解です。もし、そのような相承書を日蓮聖人が残したとすれば、そんな一大事の時の為の準備で有ったはずです。
もし、跡目はお前だ、という遺言書を貰っておいて、跡目争いが起きたときに、それを出さなかったとしたら、日興上人は大馬鹿者と言うことになります。
2084
:
犀角独歩
:2008/02/23(土) 19:15:06
あまちゃんさん
有り難うございます。
外陣さん
結局、あなたは、自分が本物であると主張する証拠は何一つ挙げられませんでしたね。
所謂「本門戒壇の大御本尊」が本物の証拠はどうしました。二箇相承が本物の証拠はどうしました。「正宗」側の主張がないならば、あなたが挙げればよいだけです。
挙げて論じたら如何でしょうか。
あなたの書いていることは、議論ではなく、単なる希望的観測の羅列です。ですから、「問題外」です。なんでもかんでも石山が正しいと言った予定調和にはつきあえません。
釈迦一体仏が修行の姿であるという口上は、石山常套句、よく知っていますよ。
しかし、日興直筆の御遷化記録には「御所持仏教の事 御遺言に云はく 仏は釈迦立像」と書かれている以上、動きません。嗤うならば日興を嗤うことになります。
こうした都合の悪い文章を読み飛ばしてしか成り立たないような話は、ここでは通用しません。
> 理境坊さまについては当家の方でありますから「さま」とお呼びしたのがいけませんか。
これは意味が違います。だいたい言い換えています。あなたは「理境坊法華講さま」としていたのに、これを「理境坊さま」にすり替えています。まず、これが違います。
また、わたしが言ったのは、妙観講は理境坊預信徒で、ここの法華講は根檀家を指すので違うということです。
なお、日本の礼法では身内(当方)には尊称をつけないのがその在り方です。ですから、これも違います。これではいけません。
> 跡目は六人平等にするんですか?
そう日興が書き残している証文を挙げました。
違うというのであれば、そうした証拠を挙げればよろしいでしょう。
あなたが大きな勘違いをしていますが、証拠も挙げず、お山の大将をやっているのは、あなたの信仰でしょう。
さて、わたしは本日から地方出張なので、次の返信は火曜日以降とさせていただきます。
外陣さんの彫刻の明確な証拠の提示を楽しみにしております。
2085
:
れん
:2008/02/23(土) 19:18:48
横レス失礼します。
あまちゃんさん、初めまして。
御提示の池上所蔵の「御遺物配分事」ですが、立正では同筆の“身延山久遠寺番帳”とともに興師真筆とするものの、写真版を見ますと、この前後の御遷化記録や安国論問答などの確かな興師真筆と筆法が相違してますから、明らかに後世の(といっても室町期までは遡れるかもしれませんが)転写本に、各師の署名花押を加えたものと判断できます。これを一次資料として論ずるのは難しいでしょう。
あと、今の石山ですと、蓮祖のすべての法門は興師が相続したと言いますが、上代の石山歴代の日有や左京日教の文献によりますと、「日目の耳引き法門」と称し、三大秘法ないし、その中の本門本尊の一大事の法門は蓮祖は興師ではなく目師に直授したと主張していますね。
この一事のみとっても、現在の石山が主張する蓮祖から興師への唯授一人血脈相承というものは、かなり後世になって唱えられたことが解りますね。
2087
:
あまちゃん
:2008/02/23(土) 19:32:07
れんさん、はじめまして。
一回こっきりの投稿のつもりでしたが、御礼申し上げさせていただきます。
写真による筆法比較ですか。
思いもよりませんでした。
ご教示ありがとうございます。
2088
:
れん
:2008/02/23(土) 20:31:32
あまちゃんさん、こちらこそ、失礼いたしました。
ご丁寧にご挨拶戴き有難うございました。
池上蔵の御遺物配分事は難があるのですが、御遺物配分事には蓮祖門弟の日位写本があるので、この写本の日位筆が否定されない限りは、有効であるとは存じます。
2089
:
独学徒
:2008/02/23(土) 20:57:24
横レスにて失礼します。
他門には、日蓮大聖人御真筆の伝法曼荼羅が相伝されていますね。(日昭門流)
また堀日亨師が編纂顧問をつとめられた、昭和底本日蓮聖人遺文には、日蓮一期弘法抄とともに日朗御譲状が収録されています。
二箇相承がOKなら、日朗御譲状もOKでしょうね。
また、冨士教学研究会談義所にて、宗祖直弟子で身延山第3世となった、日進師の教示をまとめた日進上人仰之趣の、日興上人に関する部分を紹介していますのでご参照下さい。
日向師・波木井氏そして日興上人との事につき、生き証人でもあった日進師の言葉です。
http://ip1.imgbbs.jp/read3/fujikyougaku/4/14/
2090
:
独学徒
:2008/02/23(土) 20:59:11
また誤字がありました。
誤:昭和底本
正:昭和定本
失礼しました。
2091
:
一字三礼
:2008/02/23(土) 21:26:31
〉2079
外陣さん、横レス失礼します。
〉立ち姿の本佛など聞いたことも見たこともございません。お悟りを表す仏像は皆お座りになっていること、独歩さんほどの知識人ならご存じありますでしょう。
私は寡聞にしてまったく知らないことでしたが、これはどういう意味でしょうか。
立像の仏尊像なら、いくらでもありますよね。
マトゥラーの施無畏与願釈迦立像、清涼寺の生身の釈迦如来立像、神護寺の薬師如来像、高野山親王院の阿閦如来像、等々。
基本的に、仏の立像は、両足を揃えて直立した‘正立像’が多いようです。
‘お悟りを表す’とは所謂、‘仏形’のことですか。
それとも、‘印相’、‘持物’や‘衣’のことですか。
2092
:
外陣
:2008/02/24(日) 12:45:36
犀角独歩さん、問答迷人さん、一字三礼さん そして皆様へ
ご覧になっておられるとおり、小生も聞きかじりのような法門観でいつのまにか
此処に居並ぶそうそうたる御仁方に喧嘩をしかけてしまったような気がしてまい
りました。もとよりそのような気持ちはなく自分自身でも疑問に思っていること
悩んでいることなどを勉強させていただこうという姿勢で書き込むつもりでおり
ました。それぞれの立場は立場として虚心坦懐、是々非々として臨むつもりでお
りました。
なんとか自分なりに申し上げたいことを纏めようと四苦八苦いたしておりますが
準備もせずに重要なる事項について、つい尋ねられるまま安直に書き連ねている
恐れがありますので、まことに勝手なんですが少々休憩をいただきたくお願い申
し上げます。
挙証する資料など纏めまして再度また書き込みさせていただくこともあるかもし
れませんが、例えば「本尊問答抄」と「唱法華題目抄」、佐前佐後の御妙判など
の例をタイプしておりますが、時間もかかりそうなので少しくお待ちいただくこ
とご寛容くださいますよう重ねてお願い申し上げます。外陣拝
※ここ数日の応接でクタクタになりましたですわ。(苦笑)
2093
:
そううそ
:2008/02/24(日) 14:07:35
Sub:時既に遅しでしょうか?
外陣さん、羽さん
はじめまして。
創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/
創価学会退会者の「そううそ」といいます。
ここで管理人をしている者です。
01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/0020f051cd307bdb21de03b7934a1d1c
ここを読んで頂いてルールを守って頂けるのが前提でお願いがあります。
243.大御本尊に対する日蓮正宗系(創価学会、顕正会など)の言い分。 - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/7a5bc04fc70058cf4e81ed3c8576a795
244.大御本尊の教団都合によらない見解(その1) - 創価学会の信仰に功徳はあるか?
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/d487e07cf1e3014c53c4ac8fef38fe5d
大御本尊図顕に関して 「いつ」「だれが」「どういう経過で」 という点に絞って記事を纏めてみました。
一部、引用になってしまい引用許可を得るか箇条書きに変えるか未定です。
この為、他にも一部完成していなのですが、議論は可能なレベルにあると思います。下記のURLについて
「具体的に、いつ、どこで、だれが、という事を明確にして文献や証拠はあるのでしょうか?」
信心で仰げ!、とか、謗法!とかの精神論でなくきちんとした証拠をお願いします。
「出来れば」で結構ですので日道の亡くなった 1341年2月26日 以前の証拠をお願いします。
証拠が有っても無くても私一個人は再度考えさせて頂きます。
2095
:
問答迷人
:2008/02/24(日) 18:43:23
外陣さん
どうぞ、お考えを纏められて下さい。書込みをお待ちいたしております。
2096
:
龍門
:2008/03/22(土) 23:54:13
れんさん
はじめまして
龍門と申します。横スレ失礼いたします。
>御遺物配分事には蓮祖門弟の日位写本があるので、
>この写本の日位筆が否定されない限りは、有効であるとは存じます。
立正の中尾先生は、日位の筆勢と相違することから、当該文献を蓮華日持のものではないかとの論考があります。
その論文に提示されている写真をみる限り、当該文献を日位筆とは認めがたいとの意見には私も共感いたしました。
当時、当該文献が蔵されている池田本覚寺に問い合わせたところ、
「それはあくまでも中尾先生のお考えです」とのみ返答をいただきました。
いずれにせよ、すでに日位筆ということについて、異論がでている事実があります。
2097
:
れん
:2008/04/11(金) 12:34:18
龍門さん、初めまして。
私、先月下旬から病気しておりまして、ご返信が遅れましたこと、先ずお詫び申し上げます。
日蓮が釈尊を本尊としていたのは、真筆の神国王御書に文永八年頃の自身の仏前を「其外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし」と表現していますので、釈尊の仏像を本尊としていたのはこれは動かないですね。弘安二年或いは同三年に係る真筆の盂蘭盆御書にも「あおぐところは釈迦仏、信ずる法は法花経なり」とあります。
ですから、日蓮が釈尊像を本尊としていたのは事実ですので、やや文献的に扱いづらい(第一級史料として扱えない)御遺物配分帳各写本を持ち出さずとも良いと思います。たしか日位本は日蓮宗事典に写真があったと思いますが、その年号の書き方が弘安五壬午年云々で、この書式は戦国時代以降のもので、鎌倉時代の年号書式とはことなるので、その点からも、かなり後世成立の写本と思われ、伝日位本が日持筆というのも有り得ない思います。
2098
:
龍門
:2008/04/14(月) 14:48:11
れんさん
私もれんらんの仰るように、伝日位本が日持筆というのはあり得ない話打と思っております。
ですから中尾先生の論攷を見た時にかなりびっくりしました(笑)
いずれにせよ、宗祖御遷化記録には真正なる日興上人の署名御花押が記されており、
対して、御遺物配分事には署名の下に「在判」とある以上日興上人の記された文献でない以上、
これからの上代の教団史を研究していく途上では、後者の内容に関する扱いには十分きをつけなくてはいけないなぁと勝手に思いました。
2099
:
龍門
:2008/04/14(月) 14:49:14
>2098
誤植が多くてすいません。
2100
:
旦
:2008/05/08(木) 18:11:41
以前このスレで独歩氏を叱責したものです。
>>1960
さんの意見を参考に、稚拙ながら掲示板とブログを新設しました。
法華論議
http://bbsss.net/nichi1/
法華講説
http://namumyouhourengekyou.blogspot.com/
2101
:
旦
:2008/05/08(木) 18:16:01
>>2093
不信謗法というものが法華経に説かれていますので
御本尊に関しては慎重にするのが信徒の義務と考えます。
2102
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:16:04
はて、わたしは、叱責をされた記憶もありません。
また、叱責をするのであれば、偽物に拠らず、本物を持ってきてください。
2103
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:17:34
それと、わたしは、旦さんがいう信徒ではありませんので、言われるような慎重になる理由もありません。
2104
:
旦
:2008/05/08(木) 18:19:07
はて、ここの題目には信徒の掲示板とありますが…
2105
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:22:06
信徒の掲示板に、信徒でないものが投稿してはいけないというきまりは、ここにはありません。
あるのは、文献を挙げるのであれば、それが真蹟である証拠を示すことです。
「法華講説」HPには、偽書が堂々と載っていますが、これが本物であることを証して、はじめて、議論になります。
こんなページを紹介するのであれば、この書が、日蓮の真筆であることをまず証することです。
2106
:
管理者
:2008/05/08(木) 18:25:40
旦さん
掲示板の主旨は以下のとおりです。
2.各所属団体の活動に疑問を持つ方々の心情の吐露の場
4.富士門流の改革を外部から支えてくれる人達の場
信徒に限定しておりませんので、宜しくお願い致します。
2107
:
旦
:2008/05/08(木) 18:30:14
>>2105
一、御抄何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有るべし、
若し加様の悪侶出来せば親近すべからざる事。
と日興上人が定め置かれておりますので、いずれも偽書に擬す独歩氏に親近してしまうと
旦の方が遺戒置文の一条を破ってしまい、富士門流信徒でなくなってしまう恐れがあります。
文証が信じられないなら、現証の議論になるかと考えます。
ここでの論議は以前と同じように、管理人さんに発言削除・アク禁される恐れがありますので
何か仰せられたいことがあれば、
http://bbsss.net/nichi1/
で受け付けています。
2108
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 18:36:04
所謂『日興遺誡置文』の一節ですね。
では、この書が日興のものであるという証拠はどこにありますか。
また、わたしが「いずれも偽書に擬す」ということですが、どのような偽書を用いたというのでしょうか。具体的に示してください。
もう一点。『日蓮一期弘法付嘱書』は、明らかな偽書です。こんなものを持ち出すことが、まさに「御抄何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者」とは、旦さん、あなた自身のことでしょう。天に唾する者は己の面に、自らの唾がかかります。
2109
:
管理者
:2008/05/08(木) 18:47:24
旦さん
>ここでの論議は以前と同じように、管理人さんに発言削除・アク禁される恐れがありますので
一言申し上げておきます。
以前、投稿禁止になった方が、性懲りも無く、ハンドルを変えて、再投稿されても、ルールを遵守されるのであれば、再投稿を禁止するルールは今の所、ありません。
2110
:
旦
:2008/05/08(木) 19:52:17
>>2108
偽書に擬す、というのは
偽書だと疑うという意味と考えますが
日蓮一期弘法付嘱書を偽書ということが
遺戒置文の禁に当たります。
天に唾うんぬんは独歩さんではないでしょうか。。
旦は何も偽書に擬してはいません。
2111
:
旦
:2008/05/08(木) 19:57:10
>>2109
以前もルールは順守させていただきましたが
また管理者さんの逆鱗に触れてしまうのでしたら
手前味噌ですが、旦が用意した場所で、
論議したいと考えています。
2112
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:05:05
旦さん
なるほど。
では、以下の文を偽書ということは日興の誡めに当たるわけですね。
譲与
南無妙法蓮華経
末法相応一閻浮提第一立像釈迦仏一体
立正安国論一巻 御免状
右為妙法流布一切利益於法華経中一切功徳者所与大国阿闍梨也。至尽未来際為仏法捨於身命一心可弘通妙法者也。夫迹本雖広不出妙法五字。昔迹今本也。広略要之中取要中要可令弘通一閻浮提。雖撰肝心要豈捨広略哉。迹門実相説者是久成之本也。寿量遠本依迹顕也。今此迹本二門共皆迹仏説也。迹無本者不得顕本。本無迹者依何垂迹。本迹雖殊不思議一也。是此経一部正意也。亦是如来第一実説也。釈尊一代之深理亦日蓮一期之功徳無残所悉所付属日朗也。寿量品云我本立誓願乃至皆令入仏道毎自作是念乃至速成就仏身。
弘安五年十月三日 日蓮 花押
また、その次の項目である「偽書を造って御書と号」すことへの禁誡はどうなりますか。
2113
:
旦
:2008/05/08(木) 20:28:56
>>2112
いいえ。本迹一致を唱える偽書を作るものを見ましたら
富士門流では師子身中の虫と心得なさいと
日興上人は仰せられます。
よってその偽書の制作者は師子身中の虫となります。
2114
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:30:48
自分に都合の悪いところはとばしちゃ駄目ですよ(笑)
日朗譲状を偽書に擬してはいけないわけでしょう。
こちらの件は、どうしました。
2115
:
旦
:2008/05/08(木) 20:38:45
おかしいですね。
御抄が偽書になることがあり得ないように
偽書が御抄になることもあり得ないと考えます。
遺戒置文にいう、当門流の当とは、日朗でしょうか。
旦は日興門流のことだと考えます。
2116
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:41:49
では、「御抄」とは何で、「御書」とは何ですか。
2117
:
旦
:2008/05/08(木) 20:45:47
ゆえに、当門流を誹謗しているのは、
独歩氏ということになります。
2118
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 20:46:56
旦さん、2116に応えてください。
2119
:
旦
:2008/05/08(木) 20:52:50
>>2116
どちらも宗祖がしたためられた御文
という意味だと考えます。
2120
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 21:07:24
あなたの考えを聞いているわけではありません。日興門流の考えを談じているのではありませんか。
日興の時代には、まだ御書の多くが一堂に集まっていたわけではありません。
故に『富士一跡門徒存知事』のなかには、この「御抄」が何であるかが明示されています。
聖人御書の事。付けたり十一箇条
彼の五人一同の義に云はく、聖人御作の御書釈は之無き者なり。縦令少々之有りと雖も、或は在家の人の為に仮名字を以て仏法の因縁を粗之を示し、若しは俗男俗女の一毫の供養を捧ぐる消息の返札に、施主分を書きて愚癡の者を引摂し給へり。而るに日興は聖人の御書と号して之を談じ之を読む、是先師の恥辱を顕はす云云。故に諸方に散在する処の御筆を或はすきかえ(漉返)しに成し、或は火に焼き畢んぬ。此くの如く先師の跡を破滅する故に具に之を註して後代の亀鏡と為すなり。
一、立正安国論一巻。
此に両本有り、一本は文応元年の御作、是最明寺殿と要を取って法光寺殿へ奏上の本なり。一本は弘安年中身延山に於て先本に文言を添へたまふ、而して別の旨趣無し、只建治の広本と云ふ。
一、開目抄一巻、今開して上下と為す。
佐土国の御作、四条金吾頼基に賜ふ。日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校せず。
一、報恩抄一巻、今開して上下と為す。此の中に弘法の面門俄かに開く事。
身延山に於て本師道善房聖霊の為に作り清澄
寺に送る、日向の許に在りと聞く。日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校せず。
一、撰時抄一巻、今開して上中下と為す。
駿河国西山由井某に賜ふ。正本は日興に上中二巻之在り、下巻に於ては日昭の許に之在り。
一、下山抄一巻。
甲斐国下山郷兵庫五郎光基の氏寺平泉寺。直ちに御自筆を以っ
て遣はす。 住僧因幡房日永追ひ出ださるゝ時の述作なり、正本の在所を知らず。
一、観心本尊抄一巻。
一、取要抄一巻。
一、四信五品抄一巻。法門不審の条々申すに付いての御返事なり、仍って彼の進状を奥に之を書く。
已上三巻は因幡国富城荘の本主今は常忍、下総国五郎入道日常に賜ふ、正本は彼の在所に在るか。
一、本尊問答抄一巻。此の御書は□
一、唱題目抄一巻。
此の書は最初の御書なり、文応年中常途の天台宗の義分を以て且く爾前と法華の相違を註し給へり、仍って文言義理共に爾なり。
一、御筆抄に御書毎に於て法華本門の四字を加ふ、故に御書に之無しと雖も日興今義に従って之を置く、先例無きに非ざるか。
ここに、旦さんがいう『日蓮一期付嘱書』は入っていません。それにもかかわらず、どうして、この書を「御抄」と言えますか。また、あなたがいう『日蓮一期付嘱書』には「法華本門」の四文字もありません。
あなたの言うことは、当門流に違反しています。
2121
:
旦
:2008/05/08(木) 21:27:54
聖人御書の事。とありますから
やはり聖人がしたためた御文を
御書、あるいは御抄といわれていることが拝せます。
また日興上人は数ある御書から十大部を選出したといわれています。
日蓮一期弘法付嘱書には、「本門弘通」「本門寺」とあることから
本迹一致ではなくて本迹勝劣と拝せます。
2122
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 21:37:03
あなたの考えを聞いているわけではありません。
『富士一跡門徒存知事』にあなたの言っていることが違反していると言っているのです。
2123
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 21:48:37
もう少し具体的に記しましょうか。
2121の旦さんの記述は、『日興遺誡置文』がいう「御抄」を定める『富士一跡門徒存知事』と違い、つまり、『日興遺誡置文』『富士一跡門徒存知事』と違う、日興門流あらざる考えだと言っているのです。
だいたい本門寺とあればいいのならば、池上本門寺でもよいわけですか。
2124
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 22:19:45
旦さん
では、返信がないようなので、本関はこれにて休ませていただきます。
なお、勧めるジャンプを見たところ、顕正会・浅井さんのことが出ていたので、二つ、お聞きしておきます。
(1) 浅井さんは、2010年までに1億人を折伏すると「日蓮大聖人」に誓いましたが、なぜ、これを守らないのでしょうか。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51254826.html
(2) 浅井さんは、日布氏書写本尊は顕正会には1体しかないといっていたのに、全国の会館にあるのは何故でしょうか。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51255783.html
以上2問の解答、以下、スレッドまで解答をお願いします。
顕正会の実態を検証する
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1041207951/
2125
:
犀角独歩
:2008/05/08(木) 22:20:28
間違えました。 ×本関 ○本夕
2126
:
旦
:2008/05/08(木) 22:38:12
>>2123
独歩氏の独自な観点からすると
何がどう違うのか、具体的にお願いできますか。
2127
:
犀角独歩
:2008/05/09(金) 06:03:59
わたしの独自な観点ではないです。『五人所破抄』の観点です。
『五人所破抄』では『日蓮一期弘法付嘱書』は挙がっていません。何故ですか。
2128
:
犀角独歩
:2008/05/09(金) 06:23:53
【2127の訂正】
誤)わたしの独自な観点ではないです。『五人所破抄』の観点です。
『五人所破抄』では『日蓮一期弘法付嘱書』は挙がっていません。何故ですか。
正)
わたしの独自な観点ではないです。『富士一跡門徒存知事』の観点です。
『日蓮一期弘法付嘱書』では『日蓮一期弘法付嘱書』は挙がっていません。何故ですか。
2129
:
旦
:2008/05/09(金) 06:28:24
五人所破抄の十書は十大部といい
日興上人が選出されたものといわれています。
遺戒置文にいう御抄が、十大部しか指さない
という意見は、独歩さんの独自の考えのようですが
少し無理があるように思います。
また五人所破抄の意図するところは
富士山の本門寺や、日興上人のみが後継ということですから
五人所破抄自体が、日蓮一期弘法付嘱書の存在を裏付けていると拝します。
2130
:
旦
:2008/05/09(金) 06:34:25
>>2128
五人所破抄ではなく
富士一跡門徒存知事でした。
2131
:
犀角独歩
:2008/05/09(金) 06:44:25
旦さん
> 五人所破抄自体が、日蓮一期弘法付嘱書の存在を裏付けている
具体的にお願いします。
2132
:
旦
:2008/05/09(金) 06:50:03
失礼ですが、ここは一スレッドが膨大で
携帯から見ると大変重たいので
続きは先にリンクを張った掲示板で
論じていきたいと考えます。
何か御意見があれば、ぜひ投稿して頂きたいと思います。
2133
:
犀角独歩
:2008/05/09(金) 06:53:10
あなたが、リンクを貼った掲示板を利用する意思はありません。
わたしは、自分の発言に責任を負うために、あちらこちらに書き散らさないことにしています。
こちらでお願いいたします。
2321の回答も、顕正会への二つの回答もこちらでお願いします。
2134
:
犀角独歩
:2008/05/09(金) 22:31:51
旦さんは、こちらも、結局、応えじまいですか。
要するに、人に難癖をつけて、自分の作った掲示板の宣伝に来たわけですね。
こちらの掲示板に投稿する人々は、顕正会の幼稚な教学に興味を懐くレベルの人は残っていないでしょう。せいぜい、自分で作ったもので、自分に都合のいいことを書くぐらいしかできないでしょう。これもまた、お気の毒な話です。
『富士一跡門徒存知事』は五人と日興の考え方の相違を論じたうえで、日興に正義があることは述べますが、それが直ちに、日興が唯授一人の「本門弘通大導師」とは言っていません。つまり、『日蓮一期弘法付嘱書』と『富士一跡門徒存知事』を結ぶものは何一つありません。
こうしたものをモンタージュして、つなぎあわせて、牽強付会する様は、まるで日興門下の『フランケンシュタイン』物語といった様相を呈しています。日蓮、日興とはまったく無縁で、違うストーリーに仕上がっています。
『日蓮一期弘法書』と呼ばれるものを偽書というのが悪いのではなく、真偽の検定もせず、はなから、本物であると決め込んで、それを偽書とすることを罪悪視するという発想が悪いのです。もっとも、歯にくっついた肉が700年生きているといって憚らないオカルトを信じているのでしょうから、まとも議論は、やはり、できないのは致し方がないことでしょうね。
2135
:
偶ロム偶ログ
:2008/05/10(土) 04:29:18
「法華講説」「法華論議」のサイトをざっと拝見したが、法華と冠しているのに、
法華経についての稿が見当たらなかった。
「ご金言」とか「御書」とか「浅井先生」はあるのに・・・。
まあ、偽書を掲載しているのは、顕正会がそれを使用しているからなのだろうが、
底本になにを使用しているのかが全く記されていないのは如何なものか。
これも、おそらくは浅井会長の講義録に掲載されたものをそのまま使っている
のかと思うのだが、そもそも浅井氏の使用している「御書」の本文テキストは
何れの書籍からのものか、これも全く明らかではない。
顕正会が独自に「御書全集」のようなものを編纂し出版しているのであれば、
それをテキストとして使用することも可能だろうが、ずいぶん昔に出版すると
発言してはいたが、いまだに実現していない。
さて、底本は「学会版」「平成新編」「昭和新定」の何れかなのだろうか。
それとも「昭和定本」「行道文庫版」「平成類纂」など他宗のものだろうか。
ぜひとも教えていただきたいものである。
2137
:
偶ロム偶ログ
:2008/05/11(日) 02:32:12
>>2136
は?
私は、「日蓮大聖人の御書が法華經について何も言及されてない」などとは記
してはいませんよ。
記してもいないことを仰有るのは幻覚といいます。
日蓮の数ある「御書」の内、法華経について言及していないものはないという
ことなのですか?
私は、日蓮の数ある「御書」の内、法華経について言及しているものについて、
それを一般的に「御妙判」という、そんな初歩レベルの話をしているわけでは
ありません。
もっともあなたはそれすらも承知されていないようですが。
「御書」に法華経についての言及があるのは当たり前ではないですか(笑)。
私は、あなたのサイトに「法華経についての稿が見当たらなかった」と書いて
いるのです。
的外れどころか的すらない難癖をつけるような真似を日蓮はしましたか。
あなたの難癖はあなたが日蓮の弟子ではないことを印象づけているのですよ。
「節穴」云々の前に、私があなたに対して発言したことについて、まづひとつ
ひとつ発言する、それが論議のあり方であって、それを「論議講説」というの
ですよ。
それすら弁えていないあなたが、「法華講説」「法華論議」など片腹痛いどこ
ろか、法華経や日蓮に対して僭越、不敬の極みでしかありません。
廃刀令以前であれば、私はあなたを無礼打ちしますよ。
私はいくつもの疑問をすでに提出しています。
それに対して、節度ある返答がいただけないのであれば、今後あなたの発言に
ついては日本語の理解能力が欠如した唐人の寝言として理解します。
蛇足ですが、あなたが
>>2136
で書かれた
>>2134
に対する暴言についても不愉快
きわまりないものです。
あなたは、これまで当掲示板でさまざまな人たちが悩み苦しみながら発言し、
かつ論証してきた内容を読んでもいないのですか。
1、日興上人に正義があるという論拠
2、唯授一人の本門弘通大導師という論拠
これらについて、全く根拠が無いということは、当掲示板ですでに言い尽くされ
てきたことです。
それでもあなたが斯様に主張するのであれば、論議の蒸し返しにならない、新た
な論点と論拠を提出しなければなりません。
このような単純な道理も分らないのであれば、あなたの頭は七つに割れているの
であろうかとの疑いを持たざるをえません。
だいたい、偉そうなことを宣うあなたは、日蓮どおりの勤行をしていますか。
顕正会流の勤行など、日蓮とは全く関係のないものでしかありません。
日蓮どおりの勤行をしていないものが日蓮や法華経をあがめようと無意味です。
これについても当掲示板ですでに論じられています。
2138
:
管理者
:2008/05/11(日) 06:32:04
旦さん
>貴殿の目は節穴としか言いようがない。
もう止めませんか。反論に対して、このような侮蔑で応ずるのはルール違反です。
当掲示板の禁止事項を再掲します。
【禁止事項】
2「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。なお、管理者の制止を無視して、侮辱表現、侮辱発言を続けられた場合は、以後の投稿をお断りする事になりますので、予め、御承知置き下さい。
このルールにより、あなたのレスは削除します。以前、投稿禁止になったあなたが、臆面も無く、ハンドルを変えて、ルール無視の投稿を続ける事を容認するほど、この掲示板のルールは寛容では有りません。
旦さんを再度投稿禁止にします。
2139
:
れん
:2008/05/18(日) 18:44:24
参考までに
1、二箇相承
これは、西暦1400年代に保田と北山の通用により、北山の日浄師から保田の日要師が伝来した北山関係の文書の切り紙の中にあるものと日尊門流の日広師の写本が最古写本ですが、それ以前において確実な文献においては二箇相承の存在を示すものはなく、このことから、二箇相承は、北山の日浄師が、石山や西山との正嫡論争における北山正当論の証拠となる文書として、同寺に所蔵される蓮祖真筆の貞観政要等の筆跡を参考にしつつ作成したものでしょう。また、日要師の写した北山の文書には二箇相承とともに、“本門寺大堂本尊”の“裏書”の写しもあります。北山の日殿師の申状によると、北山では自山を本門の戒壇と規定し、本門寺大堂本尊が三堂の内、本堂(法華本門寺根源)に懸ける漫荼羅としており、当時の北山文書を通読しますと、北山においては、二箇相承に見える“富士山本門寺戒壇”の漫荼羅は“本門寺大堂本尊”であったことが理解出来ます。
このことから分かるように、二箇相承は、あくまで北山で偽作され使用された文献で、石山でいう“唯授一人血脈相承”や石山の“お板”とは何の縁もゆかりもない文献ですね。天正年間の北山と西山の紛争により本門寺大堂本尊と二箇相承が紛失したあと、石山日主が二箇相承と“お板”腰書きの写本を作成していることから、北山の重宝紛失のドサクサに紛れて、日主が日道門流版の“戒壇本尊”を作成し、日道門流の正嫡論を主張したと見るのが至当です。日道門流に於いては、模刻板本尊は日影・日有の時代から見えますが、日道門流に於いて“戒壇本尊”としての漫荼羅(お板)の存在を示す歴代の文献の初見は日主ですので、日道門流における“戒壇本尊”を作成したのは日主でしょうね。
2、日興遺誡置文
これも、日興師の真筆や直弟子による写本は現存せず、確かな最古写本も保田日我師と要法寺日辰師のもので、時代も戦国時代後期まで下るため、日興師真撰説は証明が不可で、寧ろ後世に作成された偽書の可能性が高く、あくまで門流文書として扱うのが普通です。
2140
:
顕正居士
:2008/05/18(日) 19:07:26
そもそもこの文書は大石寺との抗争で北山が実物を提出したことがあります。
(以下「素朴な疑問」にずっと前に投稿したものです)
「永正年間大石寺日鎮師は「富士山本門寺なる號は本門戒壇建立以後初めて公称
すべきものなるにも拘はらず重須が本門寺と號するは興師の正意にあらず」と
主張したから重須本門寺日國師は小泉久遠寺日継師と共に之を領主今川氏親に
訴へ、斯くて氏親の前に於て対決となったその時重須方から呈示したのが所謂
二箇の相承である、其時氏親は其等を以て真書として左の判決を下して居る。
従日蓮聖人的々相承並本門寺々號支証明鏡之上領掌無相違者也 仍状如件
永正十二年乙亥(祖滅二三四)六月二十六日 修理大夫 書判 本門寺日國上人」
「富士日興上人身延離山の研究」
(早川一三著、昭和11年刊、同48年再刊ニチレン出版)
*日蓮聖人従(よ)り的々(ちゃくちゃく)相承並に本門寺々號、支証明鏡の
上は領掌相違無き者也、仍(よ)て状(さた)件(くだん)の如し。
*早川一三-後、北山本門寺法主。
2141
:
犀角独歩
:2008/05/18(日) 19:18:17
れんさん
『貞観政要』については、上杉師のところにお邪魔した折、お聞きしたことでした。たしか、戦前かに、これを売り出したことがあったということで、そのときの広告のコピーを頂戴した記憶があります。
この『貞観政要』と『二箇相承』の写本は、筆跡で一致しますか。
日主の造立説は、説得性がありますね。腰書きは、ともかく、このときの本体は、何を原本に用いたとお考えになりますか。
2142
:
れん
:2008/05/18(日) 21:06:43
顕正居士さん
二箇相承が、北山日国師時代の北山と石山との係争において、北山が使用した実例をお示しくださりありがとうございます。
犀角独歩さん
貞観政要の複製が戦前の北山から刊行されたことは存じ上げております。
二箇相承の正本は天正年間の紛争で紛失してしまったため、筆跡を照合することは不可ですが、二箇相承の日耀写本や日健写本の写真を見る限り、それぞれの筆跡から底本とした二箇相承を忠実に写し取ろうとする意志は伺えるので、それを踏まえて見比べますと、二箇相承写本をみる限り、その底本となった二箇相承は、貞観政要北山本の筆跡を参考にしているのだろうとの印象を受けます。
石山日主が作成した可能性の高い石山版の戒壇本尊については、腰書き写本以上の情報がないので、なにを原本にしたのか、特定は不可能ですが、日鎮・日院・といった日主の先師ならびに日主自身、また日主以後日精辺りまでの歴代の漫荼羅の画像が得られれば、その相貌から、ある程度の当時の彫刻の相貌を推定することは可能かと思われます。そこから、原本を考察出来るかもしれません。
2143
:
犀角独歩
:2008/05/18(日) 21:26:06
れんさん
有り難うございました。
「富士山に本門寺…」ではなく、「富士山本門寺」であるとは、かつて顕正居士さんも指摘されたことでしたね。併せて、『貞観政要』からの拾字、もしくは参照したということが立証されれば、さらに二箇相承の実態が闡明になりますね。
日主であれば、安82本尊が、初代彫刻の原本であれば、自然ですね。しかし、そうなると、これをほかの物に何故、取り替えなければならないかの説明がつきません。あの時代に、ほかに戒壇本尊の下図にできるような大幅の本尊が、ほかになにかあったのでしょうかね。
2144
:
れん
:2008/05/19(月) 20:23:46
犀角独歩さん
日主の“霊寶虫払い日記”には二通あります。元亀四年八月十九日のものには「御筆之大本尊、一包、同三包」とあり、天正八年七月七日のものには「御正筆御本尊、四包」とあります。これにより、日主の時代には蓮祖真筆として伝来した漫荼羅が四幅あったことが分かります。包の字が鋪の字の当て字ならば、この四幅は紙幅と判断されます。この四幅が現存の石山のどの紙幅の漫荼羅に該当するかは不明ですが、この中には日影・日有の時代からの伝来が確認される安82が必ず入っていると見るのが至当ですから、元亀のモノに見える「御筆之大本尊」は安82と見てよいかもしれません。
犀角独歩さんのご指摘のように、私も石山におけるそもそもの戒壇本尊として用意したのは安82であったろうと思えます。が安82は弘安三年ですから、お板を作成した際は、安82を底本としつつも、例のパッチワーク技術で底本の年月日は使用せず、且つ日興師の漫荼羅を参考に、明星天や龍樹・天親・章安・妙楽を加えて別幅の漫荼羅を作成し、腰書きとの一応の整合性を持たせた可能性も有りと思われます。
2145
:
れん
:2008/05/19(月) 21:12:15
なぜ、他のものと取り替えなければならなかったのか、を考えますと、江戸時代に入り、京都要法寺から入寺した貫首あたりの発案でしょうか?安82を紫宸殿御本尊と称するようになってから、別仕立ての“戒壇本尊”が必要になったが故…ということでしょうか。となると、初代彫刻は案外安82のままで(さすがに年号は使わなかったでしょうが)、二代目以降から安82と歴代漫荼羅のパッチワークや、その後入手した漫荼羅を底本として再造が繰り返されたということになると存じます。
2146
:
犀角独歩
:2008/05/20(火) 10:45:29
れんさん
重ねてご教示、有り難うございます。
仰る筋、賛同します。
2147
:
彰往考来
:2008/05/25(日) 13:45:56
日主師のお虫支払い記録にある御本尊
日主師のお虫支払い記録にある御本尊四幅がどれをさすのかは興味ある点です。
元亀4(1573)年8月19日のお虫払いでは、
「御筆の大本尊一包同く三包」(『富士宗学要集 第8巻』(以下『富要集8巻』と略します)昭和53年、創価学会、43頁)とあり、
天正8(1580)年のお虫払いでは、
「御正筆の本尊四包」(『富要集8巻』44頁)とあります。要はこのころ四幅の宗祖御本尊が富士大石寺にあったという記録内容です。なお、私は“包”は“幅”の略字ではなく、まさしく御本尊が包んであったと解釈しています。「御つゞら(葛篭)」(『富要集8巻』43, 44頁)が出てきますので葛篭に入っていたことは間違いないでしょう。
さて、この四幅の中に弘安3年3月の紫宸殿御本尊(第82番本尊)が含まれるであろうことはこの御本尊が文安2(1445)年に9世日有師により模刻され(『富要集8巻』194頁)、紙幅の御本尊が現在も富士大石寺に蔵されている(『富要集8巻』178頁)ことから疑問はないでしょう。
では、他の三幅がどれであったか推定できる可能性のある資料をみてみましょう。
京都要法寺の日陽師による「祖師伝 同付録」の「釈の日陽」の項(『富要集5巻』59頁)に、
「(元和三(1617)年)四月廿四日大石寺に着く、(中略)御霊宝等残らず頂拝す、中にも日本第一の板御本尊、紫宸殿の大曼荼羅、病即消滅曼荼羅、其の外曼荼羅数幅」
とあります。この記録は元和3(1617)年はお虫払いのあった天正8(1580)年と時期的に極めて近く、かつ御本尊数もほぼ一致するので参考にできます。「紫宸殿御本尊」が記載され、それとともに「病即消滅曼荼羅」が記載されています。この「病即消滅曼荼羅」は、『富要集8巻』177頁に「建治二年太才丙子八月十三日」とある御本尊が該当すると考えます。これは『日蓮正宗大石寺』(昭和45年、東西哲学書院、89頁)に、
「病即消滅不老不死御本尊
建治二年(1276)太歳才丙子八月十三日の大聖人ご真筆の御本尊である。讃文に「病即消滅不老不死」の経文がしたためられてあるので、古来この称がある」
とあることから明らかです。建治二年の「病即消滅曼荼羅」(「病即消滅不老不死御本尊」)が日主師のお虫支払い記録にある御本尊四幅のうちの一幅であることはまず間違いないとみてよいでしょう。四幅のうち二幅が明らかになったと考えます。
2148
:
彰往考来
:2008/05/25(日) 13:46:40
2147の続きです。
天正8(1580)年のお虫払いからもう少し時代が下がりますが、文政6(1823)年の富士大石寺44世日量師による「富士大石寺明細誌」(『富要集5巻』335頁)に、
「一、蓮祖真筆大漫荼羅 三枚継 一幅
弘安三太歳庚辰三月日、紫宸殿の本尊と号す、伝に云ハく広布の時至りて鎮護国家のために禁裏の叡覧に入れ奉るべき本尊なり云云。
一、同本門寺重宝大漫荼羅 一幅
傍書に云ハく弘安三年庚辰十一月、本門寺重宝たるべきなり。
一、同 病即消滅の漫荼羅 一幅
傍書に云ハく建治二年丙子八月十三日、又死活の本尊と号するなり。
一、同 紺紙金泥の漫荼羅 一幅
傍書に云ハく文永元甲子二月十五日。
一、同 漫荼羅 九幅 」
とあります。
ここで日主師のお虫支払いの記録にある御本尊四幅のうちの二幅と思われる「紫宸殿御本尊」と「病即消滅曼荼羅」を含めた四幅の御本尊記載が「富士大石寺明細誌」にあることは興味があるところです。板本尊以外の宗祖御本尊総数は十三幅ですが残り九幅は十把からげです。
「富士大石寺明細誌」にある弘安三年十一月の「本門寺重宝大漫荼羅」と文永元年の「紺紙金泥の漫荼羅」が天正8(1580)年のお虫払い時の残り二幅であると断定はできませんが可能性はあるでしょう。
弘安三年十一月の「本門寺重宝大漫荼羅」は、『富要集8巻』177頁に「弘安二年太才己卯十一月日、俗日増に之を授与す、(開山上人御加筆)本門寺重宝たるべきなり」とある御本尊が該当すると考えます。弘安二年と弘安三年の違いがありますが、これはどちらか判断できません。『日蓮正宗大石寺』(昭和45年、東西哲学書院、89頁)には、
「本門寺重宝御本尊
弘安三年(1280)太歳庚辰十一月 日、俗日増授与の大聖人ご真筆の御本尊である。
「本門寺重宝たるべきなり」との日興上人のご加筆があるので、〝本門寺重宝御本尊〟という。
(丈49センチ 幅41センチ) 」
とあり、寸法から一紙の小振りの御本尊であることがわかります。
『富要集8巻』では「弘安二年太才己卯」、『日蓮正宗大石寺』では「弘安三年太歳庚辰」と干支(己卯&庚辰)がそれぞれの元号年(弘安二年&弘安三年)に対応して書いてあるのにはあきれます。これでは「二」と「三」の見間違いという単純なものではなく、どちらかが完璧に間違っています。実見できれば相貌だけで弘安二年であるか弘安三年であるかは解かるはずです。
管見に入った日蓮正宗関係の資料ではどう書いてあるか相別してみましょう。
2149
:
彰往考来
:2008/05/25(日) 13:47:31
2148の続きです。
<弘安二年とあるもの>
堀日亨編『富士宗学要集 第8巻』昭和53年、創価学会、177頁
山口範道『日蓮正宗史の基礎的研究』1993年、山喜房佛書林、154頁
阿部日顕監修『日蓮大聖人正伝』昭和56年、日蓮正宗総本山大石寺、476頁
<弘安三年とあるもの>
日量「富士大石寺明細誌」(『富要集5巻』335頁)
『日蓮正宗大石寺』昭和45年、東西哲学書院、89頁
『富士年表』昭和56年、富士学林、48頁
といったところです。
これではどちらが正しいのか判断できませんが、私は弘安三年ではないかと思っています。『日蓮正宗史の基礎的研究』は『富要集8巻』の引用みたいですし、意外に誤記があります。『日蓮大聖人正伝』は読んでいても史実感が伝わってきません。
反対に『日蓮正宗大石寺』は『日蓮正宗史の基礎的研究』の誤記箇所が間違っていません。
例えば富士大石寺蔵の日禅授与御本尊について『日蓮正宗史の基礎的研究』では「弘安三年太歳庚辰卯月日」(154頁)としていますが、『日蓮正宗大石寺』では「弘安三年太歳庚辰五月九日」(90頁)としています。また富士大石寺蔵の優婆夷一妙授与御本尊について『日蓮正宗史の基礎的研究』では「優婆塞一妙」となっていますが『日蓮正宗大石寺』では「優婆夷一妙」です。この御本尊は『御本尊集目録』の第116番本尊でここでは「優婆夷一妙」です。
この富士大石寺蔵の優婆夷一妙授与御本尊はなぜか『富要集8巻』に入集していませんが、堀日亨『富士日興上人詳伝』(昭和38年、創価学会、786頁)に「富士宗学要集に脱漏したが脇書は左の如しである。弘安四年太歳辛巳十二月日、優婆塞一妙に之を授与す、(興師加筆)遠江の国相良の小尼に給う本尊なり。(中略)御筆はまったく疑いのない御正筆である」とあって「富士宗学要集に脱漏」とあります。ここで「優婆塞」とありますが、「小尼に給う本尊」であったことから第116番本尊の写真図版と併せやはり優婆夷が正しいと判断します。
『日蓮正宗大石寺』では記載されているすべての御本尊の寸法記載があります。これは何らかの形で実物を調査したか、または調査結果が使用されているためで、その分信憑性があると考えます。
『富士年表』では当該箇所に(8-177)とあり、これは(『富要集8巻』177頁)の意味です。上述のとおり『富要集8巻』177頁では弘安二年との記載がありながら弘安三年の項に記載されているわけで実物調査結果が反映されているためと考えます。
これらのことから弘安三年である可能性が高いと考えたわけです。
2150
:
彰往考来
:2008/05/25(日) 13:48:20
2149の続きです。
さて、この日増授与の弘安三年(もしくは弘安二年)十一月の「本門寺重宝大漫荼羅」ですが、これが弘安二年十月十二日の戒壇本尊の原本ではないかという説が木下日順編著『板本尊偽作の研究』(発行年不詳、本門社、40頁)にあります。
木下日順師は「富士大石寺明細誌」と『富要集8巻』の記載を校合して、
「堀日亨の記録と明細誌を校合した場合は、左の三幅である。
一、建治二年八月十三日 死活の曼荼羅
一、 弘安二年十一月 日 日増授与曼荼羅
一、 弘安三年三月 紫宸殿御本尊」
の三幅をピックアップし、
「しからば本門戒柤(引用者注:“戒柤”ではなく“戒壇”ですが原文のママ)の板本尊の模写の原本はと云えば、弘安二年十一月 日『俗日増授与曼荼羅、日興加筆、本門寺重宝たるべきなり』と云う御真筆が、クローズ、アップされる。編者が、日蓮正宗の僧侶なら、問題は今すぐでも解決するのであるが、他派、他門流に属するので、まことに、もどろかしいが、実地調査ができないので、机上の空論を進めて行かねばならない。
(中略)
今、仮に、編者の云う如く、板本尊の十界座配と、弘安二年十一月の、俗日増授与の曼荼羅とサイズがぴたりと合ったら、拍手喝采をお願いします。若し、此の二つのサイズが合はなかったら、編者の浅学と、おゆるしください」
としています。
『富要集8巻』では「弘安二年太才己卯十一月日、俗日増に之を授与す、(開山上人加筆)本門寺重宝たるべきなり」とあり、「富士大石寺明細誌」(『富要集5巻』335頁)では「一、同本門寺重宝大漫荼羅 傍書に云ハく弘安三年庚辰十一月、本門寺重宝たるべきなり」とあって、両資料とも木下師の如き文ではありません。特に「漫荼羅」は「曼荼羅」とは記載されていません。また木下師はこの段階で弘安二年としていますし、文章も『富要集8巻』のほうがどちらかといえば近いので出処は『富要集8巻』でしょうが、「富士大石寺明細誌」に弘安三年とある点について全く触れておらず、「日増」と「俗日増」の用語不統一などもありかなり杜撰です。
日増授与の弘安三年(もしくは弘安二年)十一月の「本門寺重宝大漫荼羅」は写真図版などが公開されていないので最終判断はできませんが、『日蓮正宗大石寺』(89頁)に丈49センチ 幅41センチとありますので、寸法から考えて一紙の小さい御本尊であり戒壇本尊の原本には成り得ないと考えます。
2151
:
彰往考来
:2008/05/25(日) 13:49:28
2150の続きです。
次は「富士大石寺明細誌」に、「紺紙金泥の漫荼羅 一幅 傍書に云ハく文永元甲子二月十五日」とある御本尊です。
享保年間(1720年頃)に作成された、日寛上人・抜書雑雑集(『研究教学書第九巻』)
インターネット資料:
http://otarunounga.hp.infoseek.co.jp/nukigaki.htm
にも紺紙金泥の漫荼羅の記載(「当山紺紙の御本尊 文永(甲子)元年也」)があることから、「富士大石寺明細誌」が成立した文政6(1823)年より少なくとも100年はその存在確認を文献上遡ることができますので、文永元年の紺紙金泥の漫荼羅が日主師のお虫支払い記録にある御本尊四幅のうちの一幅である可能性が高くなります。
しかし、この文永元年の紺紙金泥の漫荼羅は『富要集8巻』、『日蓮正宗大石寺』、『富士年表』、『日蓮正宗史の基礎的研究』など主要な資料に入集しておらず、つまりは御真筆として扱われていないのです。それは図顕日が文永元年であること、紺紙金泥であることから後世の偽筆と判断できます。このようなものが戒壇本尊の原本に成り得るとは考え難いと思います。
図顕日については日蓮正宗宗務院発行の『日蓮正宗要義』に「佐渡流謫の直前、相州依智発足の前日の十月九日、初めて楊枝をもって妙法曼荼羅を書き顕わされた」(昭和53年、日蓮正宗宗務院、152頁)とあることから、日蓮正宗でも宗祖の本尊図顕は竜の口の法難以後、文永8年になってからで第1番本尊からということになっています。つまりそれ以前の漫荼羅は怪しいということです。
紺紙金泥について寺尾英智氏は「曼荼羅本尊においても、日蓮より後のものについては紺紙金泥などの実例が豊富に存在しているが、実見した日蓮真蹟には、紺紙や紫紙、黄紙などの染紙が使用されている例はみられなかった。長い年月にわたり香の煙りに燻された結果、本来の紙色が判別つき難い場合もあるが、写真版によっても紺紙などの使用は一幅も見受けられないのであって、日蓮の曼荼羅本尊には基本的に染紙は用いられなかったといえよう」(寺尾英智『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』平成9年、雄山閣出版、10頁)と指摘しています。なお同書同箇所の注記5に「身延山にかつて伝わっていた曼荼羅本尊に紺紙金泥のものが一幅存在するが、諸尊の座配に類例がなく、真偽の検討を要する。山中喜八「日蓮聖人漫荼羅図集」(初出は『大崎学報』第一○二号、一九五四年。ここでは同『日蓮聖人真蹟の世界』上<雄山閣出版出版、一九九二年>による)七六頁」(『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』20頁)とあります。
山中喜八「日蓮聖人漫荼羅図集」(『日蓮聖人真蹟の世界 上』76頁)には「迹化菩薩のかくの如き配位は、その例を見ない。紺紙金泥もまた他に例がない」とあります。この漫荼羅はC(Ⅱ)3に分類され文永11年に顕されたと推定されていますが、佐渡期に紺紙金泥は確かに不自然です。『日蓮聖人真蹟の世界 上』11頁に「普賢・文殊を上段(所謂仏部)の低位に、薬王・弥勒を中段に配せられたもの(C(Ⅱ)三)但し在疑」とあり、山中氏は明確に“在疑”としています。
以上、日主師のお虫支払い記録にある御本尊四幅について考証しました。考証結果から日主師のお虫支払い記録にある御本尊四幅のうち戒壇本尊の原本となりうるのは紫宸殿の御本尊だけであり、案外日有師が作成したこの御本尊の模刻が初代戒壇の板本尊だったのではないかとも考えられます。
>2144石山におけるそもそもの戒壇本尊として用意したのは安82であったろうと思えます
というれんさんの考えは的を得ていると思います。
by 彰往考来
2152
:
パンナコッタ
:2008/05/25(日) 22:57:23
すみません。単純にNO.82と板のサイズを比べると
NO.82 95.5×50.5 板 144×65(聴聞抄佳跡上サイズ)
たて約150% よこ約130% 大きく、籠抜をそのままにレイアウトをずらしたとしても
文字をかなり拡大しない限り、ちと無理なサイズではないでしょうか。
逆に言えば初代の板サイズは、実は小さかったのではないかなと。
後の時代の峯妙興寺日憲図では、聴聞抄のサイズよりちと大きく章安の勧請が気になりますね。
やはり、彰往考来さんが以前指摘なさっていた火事後の再造、別物なんでしょうね。
時代は下って明治の時代、板サイズの制約(竪五尺弱・横二尺ちょっと)があったがために
NO.82ではなく、売りに出されていたという日禅授与が採用されたのかもしれませんね。
2153
:
妙
:2008/05/29(木) 14:40:12
独歩氏の入手写真、僧侶が撮影したものであるというのは、本当でしょうか。
2154
:
宗麟
:2008/06/04(水) 00:53:59
この撮影は確実に信徒が実行。
原画を出さない所に悪意が見えますね。
大石寺を食い物にしている宗教ゴロとのコラボレーションです。
2155
:
犀角独歩
:2008/06/04(水) 07:03:51
写真の撮影者が、僧か族かは置きます。
大石寺は煮ても焼いても食えないでしょう。
しかし、大石寺が食い物にしてきたのは、東京都の人口に匹敵した信者でした。
それにもかかわらず、2154のように、自らが騙され、食い物にされることなく、他者攻撃の道具とされていることに気づけないものがいまだにいることを気の毒に思います。
2156
:
犀角独歩
:2008/06/04(水) 07:05:02
【2154の訂正】
誤)族 正)俗
2158
:
宗麟
:2008/06/05(木) 04:59:28
例えばだが、日蓮正宗が仮に消えてもそれはそれで世界は変わらない。
そんな煮ても焼いても食えないものこそにこだわり続けている姿こそが実に未練がましく人に映る。
まるで創価学会や日蓮正宗のしていることと同じこと。
2159
:
偶ロム偶ログ
:2008/06/05(木) 13:20:40
>>2154
>>2158
宗教詐欺というのは良いことではないですよね。
無自覚的にも、かつては加害者であったという忸怩たる思いや、その反省とか償いをふくめ、新たな被害を生まないための行為を何故批判することができるのでしょうか。
>原画を出さない所に悪意が見えますね。
どのように悪意が見えるのでしょうか。
たんなる印象で語ることは「気分のファシズム」への一里塚です。
>大石寺を食い物にしている宗教ゴロとのコラボレーションです
具体的に「宗教ゴロ」の氏名と、何故「宗教ゴロ」であるかの説明をお願いします。
>日蓮正宗が仮に消えてもそれはそれで世界は変わらない
ひとそれぞれの考え方がありますが、悪いものを世の中からなくしたいと思い行動することは無駄ではありませんよ。
>そんな煮ても焼いても食えないものこそにこだわり続けている姿こそが実に未練がましく人に映る
未練という言葉の意味を御存知ですか。
独歩さんのしていることは、正義感からでていることは、ブログを読めばわかりそうなものですが、日本語が理解できないのでしょうか。
>まるで創価学会や日蓮正宗のしていることと同じこと
理由を具体的に挙げてくださいませんか。
宗教団体である創価・正宗・顕正・妙観・正信などは宗教詐欺まがいの教義教学で、会員信徒たちから金銭や時間を収奪していますが、独歩さんはそのようなことをしていませんよ。
独歩さんを中傷するあなたは、創価・正宗・顕正・妙観・正信などの宗教詐欺まがいを、そのまま許して認める立場ということでしょうか。
もし、あなたがなんらかの宗教に入っておられるのであれば、それはどこなのか教えていただけませんか。
そうすれば抽象的な書き込みをしなくてすみます。
私は、現在どの教団にも入ってはいません。
ちなみに、私が書いた、
「宗教団体である創価・正宗・顕正・妙観・正信などは宗教詐欺まがいの教義教学で、会員信徒たちから金銭や時間を収奪しています」
という記述の論拠については、掲示板で過去に多くの方たちにより論議し尽くされていますので、ここで改めて説明する必要もないと思います。
2160
:
犀角独歩
:2008/06/05(木) 19:20:30
ここは証憑を課した議論の場です。
ですから、2158のような為にする批判の類は、捨てておくことにします。
なお、一点のみ記せば、何を目的に、宗麟さんは、投稿しているのだが存じませんが、ここに投稿するあなたは、何に未練を懐いて、ここに顔を出しているのでしょうか。あなたの投稿こそ、未練がましく、そして、その投稿スタイルこそ、「まるで創価学会や日蓮正宗のしていることと同じ」ではないでしょうか。
単に批判、悪口を記すことは、当掲示板のルールに抵触します。
繰り返すようであれば、管理人さんに削除依頼をいたします。
以上です。
2161
:
再挑戦者
:2008/06/08(日) 22:01:42
2158>,、、煮いても、、焼いても、、>>、自らがだまされ、、、、。
横からごめんです。 貴方のご意見ですが、ドーモ、シックリとは理解できません。
ドーモ、周り回っての結論は、、==<<創価・正宗の路線の継続推奨の宣伝のようでもあります、?
なぜなら、「、エエカゲンな戒壇??さまを吹き込み、その対面功徳を強調した登山会、、など」にはほおかむりのようでしょうか、? 残念ですネ。
2166
:
再挑戦者
:2008/07/13(日) 20:34:05
その後の、検索にて、小生の100%に相当する状況・誤認でした。 改めてお詫び致します。
貴殿御主張のごとく「、某団体は、今の批判には全く耐えられないニセ、!! 戒壇なる、? 疑惑大だが、」、「ダマシの継続を少しも、、止めめません、!!!」、。これらの団体には「組織犯罪処罰の法律」にて、当該のトップ方らは刑務所にブチ込めないのでしょうか、?!
2167
:
龍門
:2008/07/31(木) 15:13:40
最近、大日蓮に金原さんへの反駁文がでてますね。
2168
:
彰往考来
:2008/08/02(土) 17:05:01
戒壇の大御本尊誹謗の悪書『日蓮と本尊伝承』を破す
http://homepage3.nifty.com/y-maki/dainitirenn/kinnbara/mokuji.html
まあ、反論になっていないですね。
2169
:
犀角独歩
:2008/08/05(火) 11:07:04
水島さんが「…犀角独歩なる者が『大石寺彫刻本尊の鑑別』と題して偽作説を立てている。今回の金原の悪書はこれらの邪説の寄せ集め」と整理していますが、まあ、その“寄せ集められた”一人として感想を述べれば、大石寺のいうことはなんら反論になっておらず、また、そこで使われる言辞から、実に差別的、侮蔑的で、これが本当に僧侶といった世に「聖職」と言われる立場にあるものが書いたものなのかと呆れるばかりの人間性の低さを露呈しています。
この文章を読んで、人々が誘引されるのは、自分たちを批判するものへの憎悪と侮辱、自分たちだけが勝れているという選民意識、間違ったものは人間性を侮辱してもよいという非人間性。これは反論とか、考証といった範疇のことではなく、「大石寺僧侶の人間性」がどのようなものであるのかを示す好見本であるとわたしは観察しました。
水島さんは批判するものを「哀れ」と書いていますが、哀れで、さらに無様なのは自分たちであると、信者以外が読めば、そう思うことを少しは自覚したほうがよいでしょうね。
2170
:
犀角独歩
:2009/01/07(水) 11:40:49
私が提供を受けた写真が「捏造」だと GREE やモバゲーで騒ぐ法華講員国分ひろしさんに対する反論を書きました。ご高覧、ご批正をいただければ有り難く存じます。
奉安堂彫刻本尊写真“捏造”に反論する
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51481490.html
2171
:
問答迷人
:2009/01/07(水) 19:51:37
犀角独歩さん
「日禅授与本尊を基にした捏造写真」とは、面白いことを言うものですね。「戒壇板本尊が偽物だ」と、日顕師の発言として記録された川辺メモの内容と、ほとんど変わらない所まで、到達しているわけですから、その批判者はそれは却って立派な者ですね(笑)。もう少し踏み込んで、独歩さんが提示した写真が捏造なのではなくて、その写真の被写体たる戒壇板本尊が捏造品なんだと気が付けば、100点満点なのに、惜しいですね(笑)。
独歩さんの精緻な論考は残念ながら、今後とも、まともな批判は唯の一つも現れることは無いと思っています。有難う御座いました。
2172
:
犀角独歩
:2009/01/07(水) 22:20:12
問答名人さん
いえいえ、戒壇本尊と日禅授与本尊の類似性に一番最初に気づかれたのは、問答さんです。わたしは図形で鑑別して、証明しただけです。
それにしても、この子、可愛いでしょう。あの写真は日禅授与本尊だ、だから偽物だというのです(笑)
そりゃ、そうですよね、あの彫刻、日禅授与が原本なんですから、そのとおり。ところが彫刻、オリジナルだと思っていますから、捏造したのはわたしだというのです。捏造したのが大石寺であるにもかかわらずですよ(爆笑)
さすがに大石寺も、顕正会も、もともと、これが日禅授与が原本であることはわかっていますから、こんなことは言わない。この子が思い詰めた結果の思いつきでしょう。ああ、こんなふうに考えるのかとビックリしました。
それにしても、わたしが提供したとおりの本尊画像を実際に捏造するとしたら、これはかなりたいへんですね。なにせ、熊田(由井)写真とも、金原本とも違う、さらに鮮明なショットなわけですから、画像のプロでも作れませんよね、こんな画像。これだったら、火星人や、UHO写真を作るほうが、ずっと簡単だと思いますね。
ここまで、大石寺を庇う姿を見ると、滑稽と言うより、哀れみを通り超え、慈愛すら覚えますね(笑)
2173
:
宗教はアヘン
:2009/01/12(月) 00:29:28
犀角様の説に従えば、戦後日本最大の宗教団体(正宗・創価学会・正信会・顕正会・日蓮実宗など所謂正宗系の合計)
にしてこの有様ということになる。では他に正しい教団はあるのか?私はどれもこれも同じようなものと考える。
結局、唯一正しい宗教団体なんてこの世に存在しないのである。その証拠に第二次世界大戦では日本中の神社・仏閣が戦勝祈願したけれども
結果はアメリカに原爆2個落とされて惨敗。300万人以上が戦死すると共に、
好むと好まざると中国人など敵兵を殺して殺生という罪を犯した人々も多数生み出して
しまった。キリスト信者が多い長崎に原爆を投下したアメリカもアメリカだ。
現在も中東ではイスラエルとパレスチナが殺し合っている。正しい神が存在するなら無駄な殺し合いを
不思議な力で止めるはずだが止まらない。ところで宗教団体は立派な建物を保有しているが
派遣切りにあってホームレスになろうとしている派遣村の人たちをどうして
助けようとしないのか?教団や神社や寺院がホームレスを収容したらよいではないか?
日頃は宗教法人で免税されて優遇されているのだから未曾有の経済危機の
今こそ活躍したらよさそうなものを。生きるか死ぬかの人々を見捨てるとは
随分と冷たい神や仏ですね。布教といっても会費や御供養金を払える人しか
勧誘していない宗教団体は邪教だ。金も家も失ったホームレスをまず救うべきだ。
それをしない教団が世界布教だ、人類救済だと言っても何の説得力もない。
戦後高度成長期やバブル時代は国民は終身雇用だし、給料も定期昇給したし、電化製品や車、マイホームも
持てた。これを宗教団体は「功徳が出た」と宣伝していた。しかしこれからはそうはいかない。
世界経済は益々悪化していく。失業もドンドン増える。犯罪も増えよう。
「功徳」が出にくい世の中になる。宗教はアヘンということが明確になってくるであろう。
2174
:
宗教はアヘン
:2009/01/12(月) 11:25:25
創価学会が急速に拡大できたのは、一つは他に類をみない過激な折伏大行進を敢行した事、
二つは高度成長期に田舎から都会へ出てきた労働者たちが心のよりどころとした事。
三つは共産主義が広がるよりマシと判断した国家権力が戦後は弾圧しなかったこと。
いや創価学会だけではない。新興宗教が発展したのは経済成長の恩恵を功徳だと
説明したことであろう。労働者は生活が向上すると功徳だと錯覚したのだ。
創価学会が正本堂を建設した頃は他の宗教団体も相次いで巨大神殿を建設している。
皆が儲かった時代だ。しかし、今は違う。いくら拝んでも悪くなるばかり。
功徳はでない。経済が回復しないかぎりドンドン悪くなる。超高齢化だから
病人も増える。いくら拝んでも病気になる。悪質な教団は「功徳がでないのは
拝み方が足りないから、供養が少ないから」と信者をさらに搾取する。
しかし、無いものはない。いくら金を要求されても出せない。第一、貧乏人にそんなに
金を要求する神仏は神仏ではなく悪魔だ。人里離れた聖地参拝を強要しても
超高齢者は長時間移動は無理。腰や膝も痛いし、小便も近い。少子化で
聖地参拝者も減少の一途で維持できなくなるだろう。
2175
:
犀角独歩
:2009/01/14(水) 21:32:28
問答名人さん
熱原三烈士の件、種々ご回答を頂き、有り難うございました。
少しこちらのスレに係ることで、ご賢察を賜りたくお願いいたします。
今回、自称法華講員のつまらぬ悪口を尽くされ、わたしが提供を受けた写真が豪勢だ何だと悪し様に書かれ、その反論をいたしました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51485358.html
この際、提供写真と、日禅授与本尊を比較したのです。
わたしは、この提供写真の文字は、大石寺所蔵より、むしろ、北山所蔵に似ているという印象を抱いております。
これはあくまで直裁にお感じになる感覚でけっこうなのですが、問答名人さんは如何がお感じなりますか。
2176
:
問答迷人
:2009/01/14(水) 21:50:27
犀角独歩さん
>この提供写真の文字は、大石寺所蔵より、むしろ、北山所蔵に似ている
御免なさい、僕は、大石寺所蔵の日禅授与を見たことが有りません。どこかで、それが手に入ったのでしょうか。もし入手されておられるのなら、是非とも拝見したいと存じます。
2177
:
犀角独歩
:2009/01/15(木) 07:15:15
問答名人さん
ご返信有り難うございます。
石山所蔵は金原本所載の写真から印象でした。
2178
:
問答迷人
:2009/01/15(木) 08:42:51
難しいですね。どれもほとんどそっくりですから。まぁ、敢えて言えば、提供写真は熊田本とは少し感じが異なり、金原本と酷似しているのではないかと思います。蓮字のヒゲのカーブや、華字の下横線の左側の形状が金原本に酷似していると思います。
想像を逞しくすれば、熊田本は奉安殿当時の板で、金原本は正本堂当時の板、今回の提供写真からは、正本堂当時の板が奉安殿に化粧直しをして安置されているのではなかろうか、と思います。つまりは、奉安殿当時の板と、提供写真の板は別の板ではないかと思います。
奉安殿で御開扉を受けたときの印象が、正本堂で御開扉を受けたときに、「色直しをすると随分と印象が変わるものだ」と感じましたが、その時に受けた印象の違いが、こうやってまじまじと比較すると、化粧直しによる違いではなく、板の違いに因るのではなかろうか、と感じるわけです。
2179
:
問答迷人
:2009/01/15(木) 08:46:05
訂正です。
× 正本堂当時の板が奉安殿に化粧直しをして
〇 正本堂当時の板が奉安堂に化粧直しをして
2180
:
犀角独歩
:2009/01/15(木) 21:48:29
問答名人さん
今回のご投稿を拝見し、わたしとは違う印象をお持ちなので、やはり、人それぞれずいぶんと違うものだと改めて感心しました。
> 提供写真は熊田本とは少し感じが異なり、金原本と酷似している
この点については、既に図形検証を行ってみました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51203640.html
結果、提供写真と熊田本がほぼ一致。金原本がずれました。
このことから、わたしの類推は、奉安殿(熊田)と正本堂(金原)が違い、奉安堂を立てたときに奉安殿のものをまた戻した(提供)のではないかという類推です。
ただし、これはあくまで憶測に過ぎません。
問答さん、近く新刊が脱稿します。
この校正で、どうしてもしておきたいことがあります。
彫刻と日禅授与本尊の類似性にいち早く、お気づきになり、河辺メモに言及されたのも問答さんでした。この功績は、決してわたしが冠することではありません。この点を記し、今回の彫刻原本の解明の史実を正確に書き留めたいと思っています。そのために、こちらでいくつかご質問をさせていただきたいのですが、如何でしょうか。
2181
:
問答迷人
:2009/01/15(木) 22:39:29
犀角独歩さん
>近く新刊が脱稿します。
おめでとう御座います。
>こちらでいくつかご質問
お役に立てることなら、何なりとお申し付け下さい。協力を惜しむ事は有りません。
2182
:
犀角独歩
:2009/01/16(金) 17:33:51
問答名人さん
ご快諾有り難うございます。
では、少しずつお聴きしてまいりたいと思います。
まず、最初に河辺メモの信憑性にお気づきになった時期と、あの彫刻への疑惑と、またこの本尊への信仰への変節をお願いできますでしょうか。
2183
:
問答迷人
:2009/01/16(金) 18:40:59
【河辺メモの信憑性に気付いた時期】
このメモを見たのは、確か1999年の八月か九月、創価新報の紙面で見たのが最初だったと思います。一読して、このメモは阿部師の肉声を書きとめたものだと直感的に思いました。その後の色々な宗門と学会とのやり取り、とりわけ、宗門の発表と河辺師の釈明を読んで、ますます阿部師の肉声であると確信を深めました。
2184
:
問答迷人
:2009/01/16(金) 18:53:53
【板本尊への疑惑】
阿部師の判断が正しいのかどうか、これは判断する材料を一切持ち合わせていませんでしたので、保留というか、宙に浮いたままでしたが、たまたま、北山本門寺のパンフレットに日禅授与曼陀羅の写真が載っていると、当掲示板にご参加の方からお聞きし、その方にパンフレット戴きました。この時期は、手元にある日禅授与曼陀羅のファイルの作成年月日が2002年の9月28日となっていますのでその少し前ではないかと思います。これを見て、不鮮明な画像ながら、中尊の南無妙法蓮華経の文字は、これは本当に良く似ているな、と思いました。そして、恐らくは、阿部師の判断が正しいのだろうと感じました。
2187
:
問答迷人
:2009/01/16(金) 19:54:56
【この本尊への信仰への変節】
これは、犀角独歩さんが鑑別した結果を教えてくださった時から、板本尊への盲信は完全になくなり、一体これから先、何を信じて行けば良いのかと、途方に暮れました。やがて、日蓮聖人の本意は何で有ったのか、日蓮聖人の見た世界を追体験したい、という願望に変わりました。この時期は、たしか、記憶に間違いが無ければ、2004年の10月頃ではなかったかと思います。この時期については独歩さんが良くご存知の事と思います。
2188
:
犀角独歩
:2009/01/17(土) 07:01:48
問答名人さん
ご返答、有り難うございます。
仰るとおり、わたしがはじめてHPに『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』を載せたのは'04年2月19日のことでした。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
既にこの段階で、問答さんがアップされた2つの写真を重ねる図形処理を行い、この彫刻が、日禅授与本尊を原本としたものであることは確認していました。
思い返せば、あれから5年の歳月が流れました。
問答さんと議論をさせていただくようになってから10年が経ちましたね。
大石寺の実像はこの10年の間にずいぶんと闡明にできました。
創価学会と蜜月にあった頃、信徒数は2000万にも届くと豪語していたのに、いまでは数十万。やがて、数万人と減り、さらに減って、静岡県の観光地の一つ程度となっていくことでしょうね。
そうした大石寺凋落の一幕を問答さんたちと、実像解明に一役買ったことになります。
問答さんが今でも熱烈な日蓮を仰いでいることを、むしろ、わたしは嬉しく思います。いまのわたしは再生(輪廻)といったことを信じているわけではありませんが、もし、日蓮がこの様をご覧になっていれば、ご当人の実像を明らかにし、そして、いまでも唱題行を勤める問答さんを賞賛なさることでしょう。
一方、おかしな彫刻を造って、立派な同宇を作り拝観料(御開扉料)を取って商いをなす在り方を厳しく糾弾なさることでしょう。
わたしのように、今となっては一闡提を呼ばれる者をしても、日蓮は、まやかしの商いをなす者より寛恕をしてくださるだろうと思います。
もう少し、心情面と言った細やかな点も含めてお聞かせ願えればと存じます。
また、ご質問させていただきたくお願い申し上げます。
2189
:
問答迷人
:2009/01/17(土) 08:18:16
犀角独歩さん
>はじめてHPに『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』を載せたのは'04年2月19日のことでした。
あっ、そうでしたか。それでは、東京駅でお聞きしたのは、そのもう少し前、2002年の1月頃だったのでしょうね。
>もう少し、心情面と言った細やかな点
承知いたしました。よろしくお願い致します。
2190
:
れん
:2009/01/20(火) 19:57:15
犀角さんと問答さんの議論の緒を折る様で、申し訳ありません。
閲覧専用板で「本寺の祖廟に謁し戒壇に登る」が石山日有氏の言葉として引用されていたので、帰宅後確認しましたら、堀日亨氏による“註解”つまり解釈文でした。もっとも、日有さんの言葉には「大石は父の寺・重須は母の寺・父の大石は本尊堂・重須は御影堂…彼は所生・此れは能生即本因本果本国土妙の三妙合論の事の戒壇…」というのが残っていますので、これまで議論されてきたように、六代の日時さんから日有さんの間に、初代彫刻が作られ今日の石山流の三大秘法義が確立したのであろうことは想像に難くないですね。
2191
:
管理者
:2009/01/20(火) 20:05:59
れんさん
>閲覧専用板で「本寺の祖廟に謁し戒壇に登る」が石山日有氏の言葉として引用されていたので、帰宅後確認しましたら、堀日亨氏による“註解”つまり解釈文でした
誠に有難う御座います。電子版の宗学要集でヒットした為、解釈文と気付かずにいました。今、その点確認しましたので、早速、閲覧専用掲示板の該当部分を訂正いたします。
2192
:
そううそ
:2009/01/21(水) 18:48:56
こんばんは
みなさん。
抜粋掲示板にもう一つだけ記載可能かもしれない点が1つ
あるので、皆さんで議論をして頂けないでしょうか?
私にはとても議論は出来ませんので御願いします。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51262446.html
こちらのれんさんのご意見はこちらの皆さんにとって
どれくらい確度の高い内容なのでしょうか?
「お前ン所の本尊をよこせ」だなんて大御本尊がなかった証拠かと。
それと本尊を渡す渡さない感覚にも驚かれます。
2193
:
問答迷人
:2009/01/21(水) 20:00:54
そううそ さん
結局、大石寺戒壇板本尊を作ったのは誰か、という議論なんだと思います。これが特定できれば、又、そこから新しい展開が開ける可能性が有りますね。
れんさんの御教示を待ちたいと思います。或いは、既にお示し戴いているのでしたら、再掲をお願いいたしたいと存じます。
2194
:
問答迷人
:2009/01/21(水) 20:31:41
犯人探しをする場合、やはり、その第一は動機でしょうか。強い動機を持っていた人物が犯人である可能性が高いのだと思います。
2195
:
れん
:2009/01/21(水) 21:18:10
犀角独歩さんのブログで自分の意見を書いた時は、石山十四代の日主さんが、彫刻の腰書きを書写したもの(金原本に写真掲載)が石山歴代の中での彫刻の存在を示す初見であるので、日主さんが作成したのではと思いましたが、日有さんにズバリではありませんが「日有云く、また云く、大石は父の寺・重須は母の寺・父の大石は本尊堂・重須は御影堂・大石は本果妙・重須は本因妙・彼は勅願寺・此は祈願寺・彼は所開・此は能開・彼は所生・此は能生・即本因・本果・本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(文庫版・富士日興上人詳伝下巻)という、石山を本尊堂・事の戒壇とする意見・主張が見えるので、今、考え直しますと石山を自分のものとした日時さんの時代を上限として日有さんの代には、初代彫刻は作成されていた可能性が高いと考え直しました。つまり、日有さんの代には、初代彫刻を中心とした石山流の三大秘法の教義が確立されていた可能性も十分考えられると思います。
室町時代には、重須でも“本門寺大堂本尊”という宗祖直筆とされていた漫荼羅(天正年間の西山を首謀とする重宝強奪事件で紛失)を戒壇の本尊とすると主張(日殿申状など)しておりましたから、やはり石山が重須等の他の興門寺院に対抗するために、石山を手に入れた日時さんの代を上限に、室町初期から室町中期までに、日道さん門下における戒壇の本尊として、初代彫刻は作られたものと愚考します。
2196
:
れん
:2009/01/22(木) 13:08:17
問答名人さん・そううそさん
補足いたしますが、動機という観点から見ますと、石山の戒壇本尊=彫刻の作成者として考えられるのは六世日時師ですね。
日時師は、日郷師門下の所有地だった石山の東坊地を、あの手この手の係争における裁判で勝ち、自身の所有地としますが、日時師を頂点とする日道門下には、安房妙本寺において継承された文永十一年の大本尊・正御影、重須本門寺において継承されていた本門寺大堂本尊(安房妙本寺文書によると、日要師が招来した重須六代日浄師所持の切り紙文書に「本門寺大堂本尊裏書云、日興上人授 此本尊 日蓮大事也 日蓮在判」云々とあり、日興門下上代の文献に見える“上人号授与の漫荼羅”の可能性が高い)・生御影に匹敵するものが無かったことから、日時師は、安房妙本寺や重須本門寺に対抗するために自門用の御影を作成し(現在の石山御影堂安置のもの)、ついで自門流の根本の本尊として、初代彫刻を作成した可能性も高いのではないかと考えます。たとえ日時その人の代の作成ではなくとも、先に引用した日有師の言葉から、日有の代には、日有自らが事の戒壇と規定した石山の根本の本尊として、日有の代には初代の日道門下にとっての戒壇本尊=彫刻の初代が作成されて、やがて石山流の三大秘法の教義の根幹に据えられていったのだろうと愚考します。
2197
:
問答迷人
:2009/01/22(木) 13:37:16
れんさん
ご教示、誠に有難う御座います。日時師ですか。
河辺メモの「その他は時師か有師の頃の筆だ。」と比べてしまいました。
もっとも、河辺メモが言うところの戒壇本尊は初代とは考えられず、たしか三代目だったでしょうか。にも関わらず、河辺メモが、その三代目を日時師や日有師の筆だ、というのは不思議ですね。この辺りをどう考えれば良いのでしょうか。
2198
:
そううそ
:2009/01/22(木) 23:06:02
れんさん
コメント有り難うございます。
しかしこちらでは「彫刻の初代が作成」とあるように
彫刻が複数ある認識が当たり前になっていますね。
本門戒壇の大御本尊は日蓮真筆、日法彫刻なんて美しい伝説を
信じ込まされたわけですが、一体何をおがんでいるのやら。。。
引き続き議論を御願いします。>みなさんへ
2199
:
れん
:2009/01/23(金) 13:41:00
問答名人さん・そううそさん
問答名人さんのご指摘の通り、河辺メモにおける阿部日顕氏の発言「その他は時師か有師の頃」というのは、私も気になるところです。石山の彫刻本尊の場合、諸賢のご指摘の通り、日憲図・完則図・現在の彫刻と、その勧請の十界の記名が異なるので、複数説が指摘されていますが、河辺メモの場合、現在の彫刻の首題・四大天王以外が「時師か有師の頃」という訳ですね。この場合は、現在の彫刻が時師から有師の頃に作られたということで、日顕氏は複数説を否定している訳ですね。日顕氏は本尊研究を能くされたと謂いますから、実見の上の見識ですから、説得力があります。
ただ、この場合、日時師や日有師の時点で、原本である禅師授与大漫荼羅が石山になければならないので、河辺メモの日顕氏の説には、少なからず懐疑的にはなりますね。
但し、日郷師門流の富士久遠寺の所伝(「日蓮宗の本山めぐり」の記事)では、同寺にある板本尊を真似て、石山が彫刻を作成したという伝承があります。富士久遠寺の本寺である安房妙本寺では、日郷師御遷化直後と応永年間に板本尊を造立しており、室町初期の頃、富士久遠寺が建立された時、その本堂安置の本尊として、本寺の先例に倣い、現存の富士久遠寺の板本尊が作成されたと考えられますので、石山における彫刻造立は富士久遠寺の板本尊作成安置の以後のことと思っております。
2200
:
問答迷人
:2009/01/23(金) 14:33:11
れんさん
有難う御座います。
以前、日禅授与本尊について、由井小雪によって偽造された曼陀羅ではなかろうか、という議論が有ったと思いますが、それだと、日禅授与本尊は江戸初期の1640年頃に制作されたものと年代が特定できます。
同年代の大石寺歴代を考えると、第十七世日精師が該当します。これがもし三代目の彫刻ならば、この時、日精師が、何らかの理由で、日禅授与曼陀羅と、日時、或いは日有師の曼陀羅の両方からパッチワークしたと考えれば、一応、辻褄は合いますね。真相は果たしてどうなのでしょうか。
ただ、日顕師は、日禅授与曼陀羅をはじめとして、日時、日有の曼陀羅も見ることが出来る立場に有りましたから、僕は、河辺メモが真相を言い当てている可能性が極めて高いと考えています。
2201
:
れん
:2009/01/24(土) 19:11:27
問答名人さん
なるほど、由井正雪ですか、由井=由比ならば、西山本門寺の開山日代師の実家の一族でしょうか?日禅授与が由井正雪が作成したものかどうかは、不明であるものの、正雪が西山の関係者ならば、重須の重宝が天正度に一時、西山に納められていたことがあるので、その際に、日禅授与の摸本が作成されたとして、正雪がそれを下書きとして、さらに摸本を複数作成したもの一つが、石山により入手され、それをもとに、日精師の代に十界の筆跡は日時筆に依って彫刻が作成されたとすれば、ご教示の点、なる程それもあり得ると思いました。
2202
:
問答迷人
:2009/01/24(土) 19:21:33
れんさん
有難う御座います。由井正雪は由比正雪とも書きますね。もし、そうなら面白い展開ですね。
ところで、北山の重宝に日禅授与本尊、つまりは北山万年救護本尊は、何時頃までその記録が遡れるのでしょうか
2203
:
れん
:2009/01/25(日) 21:29:53
問答名人さん
北山の日禅授与本尊が確認出来る初出文献ですが、矢張り、石山日精師の家中抄ではないでしょうか?北山に石山日精師以前の北山の歴代による目録があればそれに載っているかもしれませんね。
石山日精師の“保田妙本寺諸役僧中”に「富士門流御本尊重須に十壹幅、大石寺に六幅、西山に二幅、久遠寺に二幅、貴寺(引用者註・安房妙本寺な事)に八幅」とありますので、日精が挙げた重須の十一幅の中に、日禅授与は入っているでしょうが、家中抄以前の物はそれ以前の北山関係の記録は残念ですが管見に入ってません。
2204
:
問答迷人
:2009/01/25(日) 21:50:24
れんさん
有難う御座います。
やはり、日精師が最初ですか。そうすると、北山の日禅授与も大石寺の日禅授与も共に由比曼陀羅の可能性が高まると僕には思えてなりません。由比が二幅作って、北山と大石の両方に売り込んだと。大石寺の日禅授与は板曼陀羅の原本として利用され、用済みになった大石寺日禅授与曼陀羅は、密かに大石寺門流の何処かに隠されてきたが、それが何らかの理由で売りに出されて、それを又法道院が見つけて買取り、最終的に本山に収めたと、こう言う筋書きが一番解り易いストーリーですね。これは現三代目板曼陀羅の製作に関してです。やはり、三代目は日精師が一番疑わしいと思いますが。
2205
:
れん
:2009/01/26(月) 20:02:35
問答名人さん
話の緒を折るようで、恐縮ですが、由井正雪が書いた蓮祖大漫荼羅の模写は現存するのでしょうか?
現存する由井漫荼羅と比較しなければ、日禅授与が由井正雪による創作であるとは断定は出来ないと思います。なお、昨年、彰往考来さんが北山の日禅授与を直見されていますので、ご意見を伺えればと存じます。
その他の部分の問答名人さんのご意見は、私も、その可能性は高いものと思います。
2206
:
犀角独歩
:2009/01/26(月) 20:43:37
れんさん
金原本でサンプルを得て、北石両山所蔵の日禅授与本尊の比較は既にしてみました。結論として、片方が模写であり、相剥ではないと思われます。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51208577.html
由井贋作の可能性は、仰るとおりの比較して答えを出すべきであると思います。
しかし、わたしは金原さんなどが言うように、石山蔵の日禅授与本尊が真筆である可能性は低いと思います。
いうまでもなく、『御本尊集』には3舗の石山蔵が入集されます。この段階で堀さんが、日禅授与本尊を確認していたかどうか、これは一つの決め手になると思えます。この内外両舌を恣にした日亨さんは、しかし、富士宗学要集第8巻ではこの本尊に取り上げていますね。しかし、雪山坊に写真製版から模を作って執心するほどなのに、日禅授与には関心を示さなかったのは故なきもないと思えます。
堀の眼力は、ほとんど当てになりませんが、しかし、既に堀さんが確認していた石山蔵日禅授与本尊につき、碩学達の雑談に上らなかったこと自体、弥不自然と映じます。『御本尊集』入集の3舗も写真での提供という話もあります。つまりは、真筆として俎上に上った故でしょう。しかし、日禅授与本尊に関しては、その後もさした話題になっていません。つまりは、この本尊、はなから真筆などと思われていなかったのではないでしょうか。
あと、板本尊、また、所謂「本門戒壇の大御本尊」の初代以来の造立を考えるうえで看過できない1体があります。それは日応氏、日達さんも取り上げた日有の身代わり本尊です。この本尊の実態を明らかにすることは非常に意味のあることと思えます。
2207
:
問答迷人
:2009/01/26(月) 22:45:11
れんさん
>現存する由井漫荼羅と比較しなければ、日禅授与が由井正雪による創作であるとは断定は出来ないと思います。
仰るとおりです。一つの仮説として考えているに過ぎません。北山日禅授与の由比曼陀羅ではなかろうか、と言うのは、独歩さんもご指摘のように、これが「御本尊集」に入っていないからに外なりません。ですから単なる憶測でしか有りません。
ただ、判らない事について考える場合、いろんな仮説を考えて、一つずつ消してゆく、そして、そこに真相が浮かび上がる。このような事を期待して、仮説を述べているに過ぎないとご理解賜りますれば幸いです。
2208
:
れん
:2009/01/27(火) 19:23:40
問答名人さん
おっしゃる旨、了解致しました。現在のものは日禅授与を原本にしてますから、江戸時代に作られたとすれば、日精あたりが入手した模写が原本の可能性も十分あると、私も考えます。
犀角独歩さん
なる程、確かに仰る通りですね。日禅授与が「御本尊集」に掲載されなかったことは決して軽い事柄ではなく、仰る通り、北石のものは共に“御真筆”ではなかったことの証左だと思います。
ご指摘の“身代わり本尊”ですが、これは日有の造立にかかるものですが、以前もどこかで議論の俎上に乗ったとおもいますが、これが二代の可能性はあると思える場合も考えられますね。石山上代で身代わり本尊の原本の“御筆”は日有以前から複数模刻されており、この原本が、日時以降の石山門でかなり重要視されていた印象を受けます。としますと、石山で最初に戒壇本尊として持ち出したのが、身代わり本尊の原本で、続いて日有の代に、石山の本尊堂安置用に身代わり本尊が作成され、その後、例の腰書きの付された、いわゆる戒壇の板本尊が作られたという流れの可能性も考えられるところといった感じでしょうか?
2209
:
犀角独歩
:2009/01/27(火) 21:01:46
れんさん
ありがとうございます。ご承知の通り、わたしは、彫刻作成の張本人は日精という考えできたのですが、れんさんの近日のご投稿に揺らがされています(笑)
ご賢察をさらに期待します。
2210
:
彰往考来
:2009/01/28(水) 07:55:03
れんさん
>2205 由井正雪が書いた蓮祖大漫荼羅の模写は現存するのでしょうか?・・・彰往考来さんが北山の日禅授与を直見されていますので、ご意見を
以前、由井漫荼羅について調べたことがあるのですが管見に入った限りでは中尾堯氏の「真蹟遺文と肖像からみた日蓮の実像」(『駒澤大學佛教學部論集 第24号』平成5年、駒澤大學佛教學部、62頁)に少しばかりの記載があるのが唯一の資料でした。そこには、
「贋作について、江戸時代前期に由井正雪が反乱を起こすにあたり、日蓮の真蹟を数多く作って高値で売り捌き、軍資金を集めたという伝承がある」とあるのみです。
ここで中尾氏にあえて苦言を呈せば、「日蓮の真蹟を数多く作って」というのは変です。「日蓮の贋作を数多く作って」とか、「日蓮の真蹟と詐称する贋作を数多く作って」というなら解かりますが、「日蓮の真蹟を数多く作って」では言葉足らずでしょう。
由井漫荼羅とはどういうものなのでしょうか。かつて某氏に伺ったところでは、
・ 日蓮宗系の寺院に相当寺宝として所蔵されている
・ 出来はかなりよい。真蹟として扱われているのが相当数ある
・ 日蓮聖人の真蹟御本尊は砧で叩いてあるが、由井漫荼羅は砧で叩いていないのが特徴
ということでした。
由井漫荼羅と称する実物を私は拝見したことがないので、はっきりしたことは言えませんが、由井正雪の伝記などを紐解くと、紀州家の徳川頼宣と関係があったことが解かります。(例えば、進士慶幹『由比正雪』昭和61年新装(初版:昭和36年)、吉川弘文館)
この観点で、『太田区史 資料編 寺社(2)』(昭和58年、東京都大田区)の「伝・日蓮本尊」(1263頁)の項をみてみると、「寄進主 紀州中納言宗直卿」といった紀州家由来の裏書のがある「伝・日蓮本尊」の存在に気が付きます。これら紀州家の裏書のある偽筆本尊が由井漫荼羅である可能性はあるでしょう。ただ、由井正雪が頼宣の印章文書を偽造していた史実がありますので、あるいはこのことが由井漫荼羅伝説になっていった可能性もありよく分かりません。
さて、お尋ねの北山本門寺蔵禅師授与漫荼羅が由井漫荼羅であるかどうかです。
由井漫荼羅と称する偽筆御本尊の実物を見たことがないので比較考証はできないのですが、結論から言って私は北山本門寺蔵禅師授与漫荼羅は由井漫荼羅ではないと考えています。北山本門寺蔵禅師授与漫荼羅は相剥の影本である可能性が高いので砧で叩いてあるかどうかは鑑定の判断基準になり得ませんが、北山本門寺蔵禅師授与漫荼羅の紙質が江戸期のものではなく鎌倉期のものではないかと実見した際に思いました。
つまり紙質から北山本門寺蔵禅師授与漫荼羅は江戸期のものではない(=由井漫荼羅ではない)と判断した次第です。
彰往考来
2211
:
れん
:2009/01/29(木) 09:08:28
犀角独歩さん
文献上、かなり詳しく石山中心の歴史を紡いだのが日精ですし、石山歴代で彫刻を最初に自分の著作で宣伝したのも日精ですので、彫刻作成の張本人を日精に比定する犀角独歩さんのお考えも一理も二理もありますね。
先に問答名人さんのご指摘の、彫刻を作成する“動機”という点から考えれば、日時・日有・日主に、それぞれ動機はありますので、日精以前に石山が彫刻を作ったとすれば、この三人に絞られると考えております。
日時は、安房妙本寺との裁判に勝ち、石山境内を全て我が物として、日道門流=富士大石寺門流を形成しますが、元来、日道門下には安房妙本寺や北山本門寺に匹敵する本尊・御影が無いので、日時は自ら願主となって御影を造立しましたし、本尊も用意または作成した可能性があります。日有は石山歴代で初めて、石山=事の戒壇・本尊堂という主張をしておりますので、自らの主張に見合う戒壇本尊を用意または作成した可能性があります。日主の代に、北山本門寺から、西山との出入りにより、北山において信仰の中心とされ戒壇本尊としていた本門寺大堂本尊が紛失するという事件があり(この後北山では生御影信仰が中心に据えられていくことになる)、この機会を捉えて、日主は、石山こそ真の戒壇という類での正統性を主張し、自身の主張に見合う戒壇本尊を用意または作成した可能性があります。
以上、少なくとも日精以前に石山で彫刻またはそれに準ずる漫荼羅の用意または作成するということをやった可能性の高い人物を挙げるとしますと、日時・日有・日主の三人が“動機”の面で浮かび上がるということになりますね。
2212
:
れん
:2009/01/29(木) 20:48:00
彰往考来さん
由井漫荼羅と北山の日禅授与漫荼羅についての御教示有難うございました。
実体は分からないものの由井漫荼羅が日蓮系寺院において真筆と“認識”されて所蔵されているとのこと、出来が良すぎるくらいの“偽物”なのですね。
北山の日禅授与漫荼羅は、紙質からは、江戸時代以前のものということで、由井正雪による創作ではないことは分かりました。
ご教示有難うございました。
2213
:
犀角独歩
:2009/01/29(木) 23:22:00
れんさん
お立てになった時系列、説得性がありますね。
あと、北山の日禅授与本尊、これは大石寺の日禅授与本尊の相剥でないことは、既に図形鑑別で検証しました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51208577.html
いちばん問題なのは、北山の本尊が由井の贋作かというより、大石寺日禅授与本尊が日蓮真筆かどうか、これを真筆だといったのは、日亨さんですが、この人の鑑識眼は問題外。最近では金原さんですか。それ以外で、この本尊を真筆だといっている話は聞きませんね。
2214
:
犀角独歩
:2009/02/04(水) 17:47:18
日寛書写本尊と完則図につき、ブログに投稿しました。
ご批正を頂戴できれば有り難く存じます。
日寛本尊は、完則図原本の模写か?
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51496935.html
2215
:
阿佛棒
:2010/01/20(水) 15:36:31
皆さんは大御本尊樣をニセモノだのインチキだのいいますが
本当にそうでしょうか?
あえて大御本尊様を擁護する論陣を張りその功徳で成仏したいですw
今日の歴史学においてブッダの没年は
紀元前383年(中村説)とされ末法は江戸時代に到来したものと考えられます。
そこで、
仮設1
日蓮の秘密の遺言(後に消失)によってこの大御本尊は江戸時代に製作されたもの
仮設2
大御本尊には人格が宿っており江戸時代に富士派の僧侶と佛師をあやつり
自然に世に現れ世の人々を救わんと富士派の僧侶らに超自然の力で語りかけた
かんなぎ説w
もちろん学問的には荒唐無稽ではありますが
信仰とは本来こういうもの。
もし私が正しいなら私には無量の功徳があり
大御本尊を誹謗した諸兄らは阿鼻獄に入らん
ちょっと脅かしてみましたw
2216
:
問答迷人
:2010/03/06(土) 12:51:47
このスレッドにて、日顕上人の述べた偽作説について詳しく議論されています。
2217
:
阿佛棒
:2010/03/13(土) 17:49:31
それについては存じておりましたが、改めて拝見。
科学的な年代測定を行うのが1番でありましょう。
素材、塗料などからあるていど年代が測定できるものと心得ます。
が、
究極、日蓮が書いたものでなくても本門戒壇であると
末法の本佛とその眷属の使いである創価学会が認めるなら
本門の戒壇となる。
これはもう信仰の問題なわけです。解釈としては末法に相応して出現したと自称する創価学会こそが
宝塔であり、三代秘法そのままなのであると強弁してしまうことも可能
ここまで言い切ってしまうともう日蓮宗の枠におさまらず正に池田教ではないかとの謗りもありましょうが
それくらい突き抜けてしまってもいいのではないかと思う今日この頃
2218
:
阿佛棒
:2010/03/13(土) 17:55:56
そして、同じ主張を顕正会や他の法華諸宗教団体が行うことも可能。
ミレニアムを超えた今こそ新たに全創価学会員の発願で
新御本尊を製作するのもまた可でしょう。
と、これは偽作説のスレから外れてしまった話になりました.すみません。
2219
:
ひきこもり
:2010/08/28(土) 22:17:37
大御本尊が偽作であるという事が決定したらば、日蓮正宗は全滅ですよ。
2220
:
問答迷人
:2010/08/29(日) 05:21:43
ひきこもり さん
僕も同じ意見です。
そもそも日蓮正宗は、日蓮門下の中では異端だと思います。日蓮正宗が全滅して、却って日蓮聖人の教えの全貌が明らかになると僕は考えています。
日蓮聖人の教えでないものを、日蓮聖人の教えだと言って布教するのは如何なものか、という事です。
2224
:
三船敏郎
:2010/11/12(金) 11:04:06
創価学会内部改革派憂創同盟 最後の警告 というサイトを立ち上げている元創価学会員です。
日蓮正宗法華講に入っていましたが、犀角独歩さんの論文を読み、日蓮正宗法華講を辞める決心をしました。
そして保田妙本寺に入ろうとしましたが、民衆救済の精神がないことから入るのを辞めることにしました。
今、自分一人です。ヤフーの知恵袋で頑張っています。
創価学会に戻ることを考えています。
2225
:
問答迷人
:2010/11/12(金) 13:52:08
三船敏郎さん
どこかの組織に付かないと、日蓮法華信仰は出来ないのでしょうか、そんなことはないと思います。僕は何処かに所属する信仰はもう止めました。
それでも、僕は信仰を捨てたわけでは有りません。日々、生活・人生の糧として日蓮法華信仰に励んでいます。指針は日蓮聖人の真蹟遺文です。
こうした信仰の有りかたは、伝統仏教は認めようとしませんが、伝統仏教の宗派から、インチキ教義とインチキ解釈を刷り込まれた身としては、ずっとずっと晴れ晴れとした信仰だと自負しています。
2226
:
問答迷人
:2010/11/13(土) 15:05:38
追伸です。
「伝統仏教の宗派から、インチキ教義」と書きましたが、僕の場合の伝統仏教とは『日蓮正宗』であり、インチキ教義とは、「日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊」と「唯授一人の血脈相承」という二つの『我田引水の邪義』です。蛇足ながら申し添えます。
創価学会は、いまだにこの二つの日蓮正宗譲りの邪義に固執しています。まぁ、僕はこんなインチキ団体には近づかないのが良いと考えています。君子危うきに近寄らず、です。
2227
:
ひきこもり
:2010/11/28(日) 18:47:00
>>2226
それでは日蓮正宗も創価学会も嘘の宗教であり、終戦後の動乱状態を騙して、
脅迫である罰論や誘惑である功徳論を展開して、信者を集めた団体と言うことになっ
てしまうではありませんか。
僕は中学生の時から、「人は信仰を持たないと何をするか分からない」と言う理由で
入会しましたが、騙されていたのではたまりません。
日蓮正宗も創価学会も嘘の宗教だったら、もう科学で宗教を研究しなければなりませ
ん。しかし自分の体験から戸田先生の「生命論」は間違いありませんよ。体験こそ真
実ですから。
2228
:
問答迷人
:2010/11/29(月) 06:51:28
ひきこもりさん
>それでは日蓮正宗も創価学会も嘘の宗教
これは、僕は間違いの無いところだと認識しています。
「日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊」と「唯授一人の血脈相承」
この二つの日蓮正宗の根幹教義が史実に基づく教義である事証明する事は不可能だと考えています。
>自分の体験から戸田先生の「生命論」は間違いありませんよ。体験こそ真
実ですから。
戸田師の生命論に、「日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊」と「唯授一人の血脈相承」を直接述べた部分は有りましたでしょうか?
戸田師の生命論が間違いないとしても、それで、戒壇本尊や唯授一人の血脈が史実だと証明されるわけではない。日蓮聖人の教えが正しい、というのなら分りますが・・・ここに混同があると思います。
僕は日蓮聖人の教えを深く信奉しています。しかし日蓮正宗の様な、似非日蓮は断固否定しています。
2229
:
ひきこもり
:2010/11/29(月) 21:52:32
>>2228
分かりました。御書のどこにも死んでこの世に再生すると言う文言はないですね。
「折伏経典」は戸田先生ではなく、次期会長と目されれていた、石田次男氏が書い
たものと分かりましたが、、戸田先生と石田さんは生命論を知っていましたよね。
2230
:
ひきこもり
:2010/11/30(火) 21:05:12
>>2228
問答迷人さん。私は池田先生の「若き日の日記」に「死んで眠りたい永久に」と書かれてあったことに
高校生時代に驚きました。あと柏原ヤス全国婦人部長が電車の中の中吊り広告に「1回だけの人生をど
うするか」と書いてあったのを見て驚きました。また2年ぐらい前の聖教新聞に池田先生が「1回だけ
の人生」を発言していたことが記載されていました。先生は生命論を理解していないのではないかと疑問
に思いました。あとあれだけ反戦平和の公明党が自民党と癒着してから、もう私は神経が参っています。
私が少年時代に良く唱題しに行った池袋の常在寺の前には、いつも黒い車が駐車していて、私の少年時代
とは大変わりになってしまいました。創価学会も日蓮正宗もインチキ宗教だったのならば、損害賠償金を
国に訴えますよ。
2231
:
ひきこもり
:2010/11/30(火) 21:23:15
>>2224
三船敏郎さん。僕は創価学会に入会する前までは、気が弱い少年でした。しかし虐めに遭って
創価に入会した後、創価の人達は僕を助けてくれました。勉強嫌いが御書や人間革命をむさぼ
り読むようになり、最高学府まで出ることができました。創価学会なくしては、今の私は無い
と思います。他の宗派はありますが、苦しんでいる人達を救おうとした団体はありません。
今は経済的にも恵まれていて、平穏な毎日を送っています。中学生の時に入会して厳しい指導
を受けてから、猛勉強をしました。
2232
:
問答迷人
:2010/12/01(水) 15:28:41
ひきこもり さん
僕は、17才で単身、創価学会に入会し、約10年間信仰に励みました。創価学会の組織には人情があり、助け合いの姿がありますね。特に縦線の時代は、人間関係が豊かだったと思っています。創価学会で学んだものは沢山有ります。また、失ったものも沢山有ります。
その後、板本尊謹刻問題で、創価学会を辞めて、日蓮正宗の末寺に付きました。ここでは学んだものも失ったものもそんなにはありません。まぁ、時間の浪費は有ったと思いますが・・・
そして、戒壇板本尊が偽物だと知って、日蓮正宗を離れました。
最初は、何処かに付かなければ信仰できない、との脅迫観念に苦しみましたが、どの教団も似たようなもので、日蓮聖人の教えが正しく伝えられている訳でもない、と感じましたので、教団探しは止めにしました。
今は、静かに日蓮法華信者として、現当二世を祈る生活を送っています。
何か、内村鑑三の無教会主義を真似ているような感じです。
創価学会や日蓮正宗を恨む気持ちは全然有りません。却って、日蓮法華信仰を教えてくれた恩人の様な捉え方すらあります。かと言って、創価学会や日蓮正宗に戻ろうとは毛頭考えていません。「日蓮法華信者」で有りつつけることは誰からも邪魔されません。これで良いのだろうと考えています。
2233
:
ひきこもり
:2010/12/03(金) 21:47:41
>>2232
そうですよね。僕は14歳の時に日蓮正宗の信徒になり、同時に創価学会の会員になりました。
14歳なんて今から思えばまるで子供でしたねw
創価は悪い団体ではありませんよ。真面目な人がほとんどです。
2234
:
常修二番弟子
:2013/10/21(月) 18:17:09
下記サイトを見て、本門戒壇の大御本尊が、大聖人の御真筆であること、確信しました。
一度見て下さい!
エイチティティピーコロン、スラッシュスラッシュ
zyoushuin2.web.fc2.com/
2235
:
サム
:2015/10/14(水) 14:38:37
私(サム)は、
日蓮聖人漫荼羅一覧
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html
にある他宗門公開の全ての現存大聖人御真筆御本尊と比較して、
『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
http://www.hachisubunko.com/%E3%81%AF%E3%81%A1%E3%81%99%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/
に紹介されている石山本尊の研究-01.pdf、にある楠板本尊との間に、
決定的な違いを見出したのです。
(かなりの学会員さんは、既に発見されていたかも知れませんが。)
楠板本尊の座配図を書かれた京都要法寺僧侶の柳澤宏道氏は
「板マンダラの写真は『日蓮聖人』(熊田葦城著・明治44年発行)と『聖教乃正義』(荒木清勇著・大正4年11月11日発行)(二人とも大石寺の信者)の口絵に掲載されたものが全貌を示すものだが、巷間で批難されているがごとく不鮮明なものである。しかし、著者はこの写真から、正確に座配図を読み取るため、マイクロ写真にて「AO版」(畳1枚程の大きさ)まで拡大して検証した結果、既刊の研究書とはかなり異なる結果となった」
と述べており、実際の楠板本尊の相貌に間違いないであろうと推考します。
決定的証拠
①御真筆で図顕年月日が記載されている御本尊は全て「干支」も付記されているが、楠板本尊には「干支」の記載が無い。 干支の無記載は日興上人以降の様式である。
②弘安元年七月以降の御真筆本尊は全て「仏滅度後」との讃文だが、弘安二年十月御図顕とされる楠板本尊は「仏滅後」の表示である。
私が調べた処では①②共に例外はありません。
7月末に某掲示板に発表して現在9月3日に至るまで、法華講員さんの明確な反論は一切ありません。
今からでも結構ですので、戒壇本尊肯定者や、法華講の方々で、御自分で調査するなり、講役員や宗門関係者にお聞きするなりして、反論・ご意見を募集しております。
反論が無ければ、結局、『本門戒壇本尊とされる楠板本尊は後世の模作だった』と結論します。
今こそ『楠板本尊は、大聖人の出世の本懐ではなく後世の模作である』と創価学会総体が、宣言した時こそ、私は「創価学会の発迹顕本の時」だろう、と信じています。
2236
:
サム
:2015/10/14(水) 14:48:41
御図顕或いは御書写の年月日に干支が記載されている御本尊は、
『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
http://www.hachisubunko.com/%E3%81%AF%E3%81%A1%E3%81%99%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/
に、紹介されている石山本尊の研究-01.pdf、石山本尊の研究-02.pdf、から調査しますと、
(文末の分数は、年月日記載の本尊に対する干支必掲本尊数です。)
開山日興上人では、0/19
3世日目上人では、1/1
26世日寛上人では、2/3
33世日元上人では、1/1
48世日量上人では、1/1
51世日英上人では、1/1
52世日霑上人では、1/1
なお、近代の法主は、全て干支を付記していません。
堀日亨上人の「第三、漫荼羅脇書等」(富要集8巻177頁)に依りますと、
開山日興上人では、6/188
3世日目上人では、0/8
4世日道上人では、2/6
5世日行上人では、0/8
6世日時上人では、26/28
7世日影上人では、1/2 (日亨上人は日影上人を7世としている)
9世日有上人では、4/22
12世日鎮上人では、5/9
13世日院上人では、2/5
14世日主上人では、9/11
15世日昌上人では、7/11
16世日就上人では、1/11
日蓮聖人漫荼羅一覧
http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html
では
日蓮大聖人は、104/104
となり、大聖人以外の石山法主の御本尊は、干支を付記したり、しなかったりしているのですよ。
2237
:
通りすがりの人
:2019/08/21(水) 17:31:21
管理人さんはお元気なのでしょうか?
2238
:
signifie
:2021/04/04(日) 17:42:12
それでは日蓮正宗が「その最後の8年間で出世の本懐である法華経を説かれました。」というのはどうでしょう。これも明らかに間違いです。法華経は釈迦が説いたものでないのはもちろん、誰が書いたのかもいまだにわかっていません。しかも書かれたのは釈迦が死んで少なくとも500年以上経ってからということまではわかっています。日蓮正宗に破門された創価学会でさえ、法華経は釈迦が説いたものではないという史実を認めていますが、日蓮正宗は今もこのように「法華経は釈迦の晩年8年間に解いた究極の教えだ」という立場を崩すことはありません。それもそうでしょう。日蓮正宗は法華経を最高の教えであるということを前提に成り立っているのですから、その法華経が間違ってましたなどと認めるわけにはいかないんでしょうね。いいんです。べつに日蓮正宗を批判しているのではありません。ただ史実とは違うことを言い続けなければならない日蓮正宗は、何を持って「正しい」と言えるのかどうか心配にすらなります。でもいいんです。宗教なんだから。史実がどうあれ、誰に迷惑をかけていないのでれば、信じれる人が信じたらいいんじゃないでしょうか。私はそう思っています。私はとても信じる気にはなれませんけどね。
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