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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

2149彰往考来:2008/05/25(日) 13:47:31

2148の続きです。

<弘安二年とあるもの>
堀日亨編『富士宗学要集 第8巻』昭和53年、創価学会、177頁
山口範道『日蓮正宗史の基礎的研究』1993年、山喜房佛書林、154頁
阿部日顕監修『日蓮大聖人正伝』昭和56年、日蓮正宗総本山大石寺、476頁

<弘安三年とあるもの>
日量「富士大石寺明細誌」(『富要集5巻』335頁)
『日蓮正宗大石寺』昭和45年、東西哲学書院、89頁
『富士年表』昭和56年、富士学林、48頁

といったところです。
これではどちらが正しいのか判断できませんが、私は弘安三年ではないかと思っています。『日蓮正宗史の基礎的研究』は『富要集8巻』の引用みたいですし、意外に誤記があります。『日蓮大聖人正伝』は読んでいても史実感が伝わってきません。
反対に『日蓮正宗大石寺』は『日蓮正宗史の基礎的研究』の誤記箇所が間違っていません。
例えば富士大石寺蔵の日禅授与御本尊について『日蓮正宗史の基礎的研究』では「弘安三年太歳庚辰卯月日」(154頁)としていますが、『日蓮正宗大石寺』では「弘安三年太歳庚辰五月九日」(90頁)としています。また富士大石寺蔵の優婆夷一妙授与御本尊について『日蓮正宗史の基礎的研究』では「優婆塞一妙」となっていますが『日蓮正宗大石寺』では「優婆夷一妙」です。この御本尊は『御本尊集目録』の第116番本尊でここでは「優婆夷一妙」です。
この富士大石寺蔵の優婆夷一妙授与御本尊はなぜか『富要集8巻』に入集していませんが、堀日亨『富士日興上人詳伝』(昭和38年、創価学会、786頁)に「富士宗学要集に脱漏したが脇書は左の如しである。弘安四年太歳辛巳十二月日、優婆塞一妙に之を授与す、(興師加筆)遠江の国相良の小尼に給う本尊なり。(中略)御筆はまったく疑いのない御正筆である」とあって「富士宗学要集に脱漏」とあります。ここで「優婆塞」とありますが、「小尼に給う本尊」であったことから第116番本尊の写真図版と併せやはり優婆夷が正しいと判断します。
『日蓮正宗大石寺』では記載されているすべての御本尊の寸法記載があります。これは何らかの形で実物を調査したか、または調査結果が使用されているためで、その分信憑性があると考えます。
『富士年表』では当該箇所に(8-177)とあり、これは(『富要集8巻』177頁)の意味です。上述のとおり『富要集8巻』177頁では弘安二年との記載がありながら弘安三年の項に記載されているわけで実物調査結果が反映されているためと考えます。
これらのことから弘安三年である可能性が高いと考えたわけです。


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