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本門戒壇の大御本尊様の偽作説について

2211れん:2009/01/29(木) 09:08:28
犀角独歩さん

文献上、かなり詳しく石山中心の歴史を紡いだのが日精ですし、石山歴代で彫刻を最初に自分の著作で宣伝したのも日精ですので、彫刻作成の張本人を日精に比定する犀角独歩さんのお考えも一理も二理もありますね。
先に問答名人さんのご指摘の、彫刻を作成する“動機”という点から考えれば、日時・日有・日主に、それぞれ動機はありますので、日精以前に石山が彫刻を作ったとすれば、この三人に絞られると考えております。
日時は、安房妙本寺との裁判に勝ち、石山境内を全て我が物として、日道門流=富士大石寺門流を形成しますが、元来、日道門下には安房妙本寺や北山本門寺に匹敵する本尊・御影が無いので、日時は自ら願主となって御影を造立しましたし、本尊も用意または作成した可能性があります。日有は石山歴代で初めて、石山=事の戒壇・本尊堂という主張をしておりますので、自らの主張に見合う戒壇本尊を用意または作成した可能性があります。日主の代に、北山本門寺から、西山との出入りにより、北山において信仰の中心とされ戒壇本尊としていた本門寺大堂本尊が紛失するという事件があり(この後北山では生御影信仰が中心に据えられていくことになる)、この機会を捉えて、日主は、石山こそ真の戒壇という類での正統性を主張し、自身の主張に見合う戒壇本尊を用意または作成した可能性があります。

以上、少なくとも日精以前に石山で彫刻またはそれに準ずる漫荼羅の用意または作成するということをやった可能性の高い人物を挙げるとしますと、日時・日有・日主の三人が“動機”の面で浮かび上がるということになりますね。


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